無題 (凸神 桜花)
俺がこの故郷。古神村を離れてから、もう何年経ったのだろうか。
そんなことを思いながら俺は久しぶりにこの古神村の地に足を踏み入れていた。
周囲から鳴り響く、蝉の合唱。古いぼろぼろの倉庫。田んぼに畑……その全てが俺が出て行った時と全く同じだった。
この村だけ、周囲と時間の流れが違うのではないかと言う気さえした。
一人でいろいろと散策した後、俺はとある神社にたどり着いた。
この村唯一の神社、古神神社だ。昔はよくこの神社の境内で遊んでいたものだった。この場所も大きい松の木や、大きい鳥居、少し古く見えるがその分厳粛さも演出しているお社──何もかもが同じであった。
木陰のところに、どかっと腰を下ろし、胸元にしまってあったタバコを取り出して、火をつけた。
「いつからタバコなんてものを吸うようになったのかや」
不意に背後から聞こえた声に、俺はゆっくりと振り返って答えた。
「いつの話してんだよ。──ハル」
振り返ると、ふふっと笑った顔が目に映った。和服を着ているのも、相変わらずだった。
ハルとは、昔からよく一緒にこの神社で遊んでいた。昔は「ハルねえ」とか呼んで慕っていたが、いつからか「ハル」と、対等として接していた。
村から出た際に、疎遠となってしまったが再会したその姿は、雰囲気も口調も、何もかもあの頃と変わらなかった。
「久しぶりじゃのう。いつぶりになるかや?」
「──覚えてねえ」
「言葉もすっかり標準語というものになってしまって。嘆かわしいの」
そう言って、ハルは俺の隣に座り込んできた。お香のいい香りが、鼻をかすめる。
「嫌か?」
「嫌と言う訳ではない。言葉なぞ、伝わればそれでいい」
鈴の音のような、懐かしい透き通ったその声を聞きながら俺はタバコをふかした。
「あ。そのタバコは嫌じゃが。煙たくてかなわん」
「一本ぐらい勘弁してくれ。タバコは昔儀式にも使われてたんだぞ」
「うちのとこでは使っとらんわ。全く、俗っぽくなりおって」
「嫌か?」
「──だから嫌とは言ってないじゃろう。久方ぶりにあったんじゃ。そのくらいの変化には驚かせておくれ」
「久方、ってお前──」
「久方は久方じゃ。ずっとお主とまた会うことに焦がれていたんじゃ。それくらい言ってもよかろう」
「──悪い。俺が出てから、何か変わったことはあったか?」
「この村にか? いんや、な~んにもありゃせんわ。ただ、あるとすれば──」
「悪い」
俺がそう言ってハルの言葉を遮ると、ハルはこっちを見て、そして薄く笑った。
「──さっきから、何を謝っておるのじゃ? お主は、何も悪くない」
「すっだら言ったって──」
不意に、ハルが指を俺の口にピトッとつけて微笑んだ。
「方言、でてるさね」
「っ──どうにも、なんねえのかよ」
「どうにも、ならんさ」
そうはっきりと、いやに静かに言うハルに、俺は少し苛立つ。
「どうして」
「ん?」
「どうして、そんなに落ち着いてられんのさ! どうして──」
ここで言葉が詰まってしまい、力なく俯く。
「──そうさな。もっと慌てたり、嘆いたりしてもいいのかもしれんの」
「……」
「だがの」
「え?」
突然、ハルに顔を持ち上げられたと思ったらそっと唇を重ねてきた。ザラリ、とした感触が感覚の全てを支配する。
何をされているのか、ようやく頭が追いついたとき、ハルがその唇を離し、耳元によせた。
「三人だ」
「?」
「私が今までに、永遠の愛を誓った男の数さね」
「っ!」
「だがの、どれも無理じゃった。その男が死んで150年もすれば私の中から彼らは消えていく」
「……」
「だからの、実は少し嬉しかったりするさね。私の中で、お主は永遠に愛した存在になるのじゃから」
「ハル、俺は──」
「分かってる。何も言わなくていい。これは私の自己満足にすぎんからの。ホレ、もうそろそろ時間じゃろ?」
腕時計を見ると、確かに予定の時間に近づいていた。すっとハルが離れる。その顔には、ずっと前から変わらない、可愛らしい笑顔をしていた。
「またの」
「あっ、主任。お疲れさまです」
部下の一人が俺に気づき、頭を下げる。
「休憩、いかがでした?」
「まあ、ぼちぼち休めたよ」
「そうっすか──主任。この村出身って聞きましたが、複雑じゃありません? 村の出身者が、村を沈めるなんて……」
「……」
「あっ! すいません! 変なこと聞きましたね」
「いや、いいさ。でもまあ、もう未練はないよ」
「そうっすか。──そういえば、前に『この村には本当に神様が住んでいた』なんて話聞いたんですけど、本当なんですか?」
部下のその質問に、クレーンに乗りながら、答えた。
「そんなもの──いるわけないだろ」
〈fin〉
無題 (凸神 桜花)