なりたくないもの (夜久)

 人が女に生まれるのではなくて女になるのだとすれば、どうして十五年と少ししか生きていない私が性別の壁を感じなければならないのだろう。壁が常識だとかのように目に見える存在としてあるだけではなくて、私の実感として、明らかな、絶対的な存在があるように感じてしまうのはどうしてなのだろう。
 男の子だったらよかったのに。幾度となく私にそう呟かせたこの恋情は、今日、あの子からのメールを見た、今この瞬間に潰されてしまった。淡い望みのひとかけらさえ零さずに。
 穴が開くほど見つめた液晶画面には、私が背中を押した告白が成功した、という画面越しですら嬉しさが溢れんばかりのメール。とっくに返信は済ませている。適当な絵文字を散りばめて、友人の恋の成就を祝う友人として正しい反応になるだろう返信を。
 何度もその魅力について語られたあの子の思い人。一際目立つ地毛の暗い茶髪が印象的で、人当たりが良くて、意外とまじめで。それと、何があったろう。私に言わせれば顔立ちは普通だし、笑い声がうるさいし、誰にでもいい顔をしようとするし、融通が利かないところがある。魅力的になんてとても思えない。
 それでも、あの子が選んだのは彼。私じゃない。あの子の薄らときれいに染まった白い肌も、恥ずかしそうなはにかみも、私のものにはならない。その今更な事実だけでも、私の涙腺を緩ませるには十分すぎるほどだった。恋をした時点で最初から分かっていたはずのことなのに。
 やばい。零れちゃいそう、と目を軽く見開いて堪えようとした矢先。お風呂入っちゃいなさーい、と母の声が遠くから聞こえた。その音を受け止めた反動でぼろり、と目の表面張力が一瞬崩れる。でもまたすぐに持ち直してしまう。それ以上は溢れる度にあの子への気持ちまで流れて行ってしまいそうな気がして、零したくなかった。
はぁい、と返事をするのが手間だった。声まで震えてしまいそうで、めいっぱい声を張って、それでもいつも通りに、そうやって無駄に気を遣って。あの母のことだから、コンロの上で並ぶ鍋とフライパンとに夢中になっているに違いないのに。

 風呂に入っている最中のことはよく覚えていない。ただただ頭の中がからっぽで、もう頭を洗ったかどうかもわからなくて、もしかして二回も洗ってしまったかもしれない。どっちだっていい。髪を一回洗おうが二回洗おうが死にはしない。もの思いで人が死ぬことは、あるのだろうけど。
 脱衣所の洗面台に向き合う。
一糸纏わぬ私の身体。否が応でもわかってしまう。万が一の可能性さえ残されていないのだという現実を、突きつけられてしまう。
自分で見たくせに。それでも直視しきれなくて、視線をそらして俯いた先にはぱらりと落ちた私の真っ黒な髪の束。この髪を染めてしまいたいと何度思ったことかわからない。あの混じりけのないまっさらな、当たる光の角度できらきらと光るあの色。私も、あんな髪の男の子だったなら――。
そんな仮定に意味がないだなんてとうに、わかっている。彼は彼だったからこそ、あの子を恋に落としたのだ。彼を構成する遺伝子、生まれ育った環境、巡りあわせ、エトセトラ。私が髪の毛ひとつ、性別ひとつ真似したって叶わない。同様に私は私でしかないように。私が私だからこそ、あの子の「友人」なのだ。きっと「友人」でなければ私はあの子に恋をしなかっただろう。つまりは、そういうこと。――恋をした時点で終わっていた。それだけの、ひどくありふれたことなのだ。
いつかあの子が私に言った「楓が男の子だったら絶対好きになったのに」だなんて冗句がずっと、こびりついて離れてくれない。仲の良い友達同士なら全くありえないこともない程度の冗談で、あの子にとってそれは大した意味も持っていないのに。あの残酷な言葉がずっと、ずっと、胸の奥に張り付いて私を駄目にする。
(多分洗いすぎたせいで)少しきしんだ前髪をかき上げると、まだろくに拭っていなかった雫がぱたぱたとバスマットに落ちる。髪、切ろうかな。気が付けばそう呟いていた。そうすれば髪が視界をちらつくことも少なくなるだろうから。見なくてもいいものは見ないに越したことはない。(これから、今まで以上にたくさん見ることになるのだから。)
 雫がまた、頬を滑り落ちた。
「男の子だったら、よかったのになあ」
 まだ私は、腐りきった言い訳を握りしめ続けている。馬鹿みたいに。

なりたくないもの (夜久)

なりたくないもの (夜久)

2014-05-08 「髪」

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-12-20

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