がん検診

がん検診 Cancer Screening

目次 Contents:
第一章 Chapter 1 ヘビーローテーション Heavy Rotation
第二章 Chapter 2 がん検診 Cancer Screening
第三章 Chapter 3 宣告 Doctor’s Pronouncement
第四章 Chapter 4 鬱(うつ) Depression
第五章 Chapter 5 仲間 Fellowship
第六章 Chapter 6 神戸へ To Kobe
第七章 Chapter 7 ヘビーローテーション、再び And again, Heavy Rotation

この作品を大島優子さん、そしてAKB48の全メンバーの皆さんに捧げます。
Presented by 千倉屋

This story is dedicated to Ms. Yuko Oshima and all members of AKB48.
Presented by Chikuraya



第一章 Chapter 1 ヘビーローテーション Heavy Rotation

「先生、一番早くて年明け、1月10日、月曜日になりますがどうされますか?」

予約係の女性職員から幸助に内線電話がかかってきたのは12月最後の月曜日の朝だった。先週金曜日の帰り際にだした電子メールへの返信だ。幸助は手帳を確認した。大きな予定は入っていない。

「連絡ありがとう。それじゃ、1月10日の月曜日に予約しといてくれるかな?検査項目は3年前と同じでいい。あっ、今回は大腸のバーチャル内視鏡も入れといて」

廣瀬幸助、51歳。南国、鹿児島の総合病院につとめる内科医である。1ヶ月ほど前にかぜをひいてから体調がすぐれず、“この際、総点検しておこう”、と人間ドックをうけることにしたのだ。3年前のドックでは大した異常はなかった。今回も大丈夫なはずだ。

「承知しました。それでは予約しておきます。それから、今日の忘年会、みんなすごく楽しみにしてますよ!」

「イヤー、ぼくも朝からワクワクしてて落ち着かないんだ。今日は昼休みにナースと出し物の練習をするよ。今年の出し物は今までの中で一番の自信作だから期待しといて!」

「本当ですか?ワー、楽しみ!期待してま~す!」

「1!2!3!4!」
ヘビーローテーションが流れ始める。

市内のホテルでレストランを貸し切りにしての忘年会。幸助は舞台の最前列中央で必死に覚えたてのヲタ芸を披露していた。

にぎやかなことが大好きな幸助は、毎年、看護師や事務系の職員に声をかけ、忘年会の出し物を企画している。今年の出し物としてAKB48のヒット曲、ヘビーローテーションを提案したのも幸助だった。

仕事一筋で芸能界にうとく、AKB48のことも何もしらなかった幸助がこの曲を選んだのは、あるテレビ番組で、沖縄の大学生がYouTubeに投稿したビデオが紹介されたのを観たからである。それはへビーローテーションのPVを男子学生が忠実に再現したものだった。

「ハッハッハッ!何だこりゃ・・・、おかしー」。こうして、本物のAKB48は観たことも聴いたこともないまま、へビーローテーションを今年の出し物にすることを提案したのだ。

(こんな大変なもんだとは思わなかった・・・)

舞台の上、運動不足ですっかり硬くなったカラダを右に左に揺すりつつ、幸助は後悔していた。

幸助がYouTubeでやっと本当のAKB48のPVを観たのは、あと1週間ほどで忘年会という頃で、一緒に出し物をする予定の職員からのメールがきっかけだった。

----- Original Message -----
From: "Yuko Takano"
To: "Kouske Hirose"
Subject:【ご相談】忘年会出し物(ヘビーローテーション)

廣瀬先生

お疲れ様です。

忘年会の出し物、『ヘビーローテーション』につきましてご相談がございます。

ヘビーローテーションを踊るに当たって、意見を出し合った結果、 AKB48のファンの方が踊る『ヲタ芸』という振り付けを取り入れれば、更に盛り上がるのではないかと考え、 10人のうち、6人がAKB48のダンスを、4人がヲタ芸の振り付けをすることに決まりました。

※前列6人『AKB48』 後列4人『ヲタ芸』

廣瀬先生には、センターで『AKB48のダンス』若しくは『ヲタ芸の振り付け』のどちらかをして頂きたいのですが、どちらがよろしいでしょうか。

お忙しいところ申し訳ございませんが、ご検討の程よろしくお願い致します。

高野
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「はぁ?ヲタ芸?」

廣瀬幸助、51歳。半世紀以上生きてきたのに初めて聞く日本語の単語だった。

コンピューターのキーを叩く。カチャカチャカチャ “ヘビーローテーション、ヲタ芸” Googleで動画検索。

“結婚式余興でヘビーローテーション&ヲタ芸”・・・これだ!

前列で踊る女の子2人の後ろでいかにもオタクっぽい身なりの若い男性2人が掛け声をかけながら、頭上で手拍子したり、右や左に回転したりしている。どうやらこれが“ヲタ芸”らしい。

「前で踊ってる女の子、結構複雑な動きをしてるよなぁ。こんなに動くもんなのか」

再びコンピューターのキーを叩く。カチャカチャカチャ “ヘビーローテーション” Google、動画で検索。

“【PV】 ヘビーローテーション / AKB48 [公式]”・・・これに違いない!

「エーッ、何じゃこりゃ~!」

見たこともない振りで、AKB48のメンバーが縦横無尽に動き回る。特に、“センターで『AKB48のダンス』”、をしているメンバーの動きは一流のアスリートのようにシャープだった。

「こんなのやったら・・・、足つっちゃうよなぁ。へたすりゃアキレス腱断裂だよ」

大学生の頃の幸助は空手部に所属、1回2時間半の厳しい練習を週3回こなすスポーツマンだった。あの頃ならまだしも、卒業後、全く運動らしい運動をする機会がなくなり、20kg近くも太ってしまった今の幸助にこんな動きができるはずもない。

----- Original Message -----
From: "Kouske Hirose"
To: "Yuko Takano"
Subject: Re: 【ご相談】忘年会出し物(ヘビーローテーション)

高野さん

センターの『AKB48のダンス』はとても体が動かなくてできそうにないので、後列で『ヲタ芸の振り付け』をして、前列のダンサーを応援、盛り上げたいとおもいます。

よろしくおねがいします。

廣瀬
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----- Original Message -----
From: "Yuko Takano"
To: "Kouske Hirose"
Subject: Re: 【ご相談】忘年会出し物(ヘビーローテーション)

廣瀬先生

お疲れ様です。
お忙しいところご検討頂きありがとうございました。
振り付けの件、了解致しました。
なお、今回は『ヲタ芸の振り付け』を前列に配置して、廣瀬先生にはセンターで踊って頂きたいと存じます。
よろしくお願い致します。
忘年会が盛り上がるよう、練習に励みます。

高野
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幸助は、忘年会直前の土日に自宅のパソコンでYouTubeを観ながらヲタ芸を特訓、忘年会当日の昼休みに他の職員と合同の練習を実施し、何とかヲタ芸を覚えることができた。

そして、ヲタ芸なのに前列センターという珍妙な配置で特訓の成果を披露したのであった。

うれしいことに、“ヘビーローテーション”は予想以上にうけた。舞台で踊った職員も、観ていた職員もはじけんばかりの笑顔。結構間違えたが、ヲタ芸も何とかやり終えることができた。今年の出し物は安易な決め方をしてしまったが、結果としてはよかった。

多くの笑顔に囲まれ、自分も満面の笑顔を浮かべながら、幸助はふと、“みんなと一緒にこんなに楽しく騒げるのも、今年で最後かもしれないなぁ”と思った。

(バカな、そんなことあるわけない)

来年もまた、忘年会で盛り上がらなくては。なぜこんな風に考えてしまったんだろう。

「廣瀬先生!みんなで写真撮るからこっちにきてください!」

「エッ、はい、はい!」

幸助はそれ以上考えるのを止めた。



第二章 Chapter 2 がん検診 Cancer Screening

「では動かします。30分ほどかかりますのでよろしくお願いします」。

年明けの月曜日、幸助はMRI装置のベッド上にいた。両耳はヘッドホンで覆われ、ポップスがBGMとして流れている。放射線技師が話しかける必要があるときは、BGMが途切れて技師の声が聞こえる仕組みだ。

“ガーッ”

天板が動き、幸助はトンネルのような装置の内部に引き込まれる。すぐに目を閉じた。3年前、この検査を受けたとき、予想していた以上に狭かったトンネル内で圧迫感に悩まされたことを思い出したからだ。受け持ち患者には日常的に、MRI検査をオーダーしている幸助だが、自分がこの検査を受けるのはそのときが初めてであった。

30分後、検査終了。今回は、検査中ずっと目を閉じていたためかリラックスして検査を受けることができた。

“人間ドック”にはいくつかの種類があるが、幸助が受けているは、“がん検診”である。胸部・腹部のMRI検査、腹部・甲状腺の超音波検査、食道・胃の内視鏡検査そして、全身のPET-CT検査といった画像診断に、血液中の腫瘍マーカーや便の潜血反応などの検体検査を加えたものだ。

幸助が医師免許を取得した頃は、人間ドックは1泊か2泊、病院に宿泊して受けるものだった。しかし現在では、各種検査の高速化により、がん検診であれば半日あまりで必要な検査をすべて終了することが可能である。実際、最初の検査であるMRIが始まったのが午前10時前、そして最後のPET/CTが終わったのは午後3時すぎだった。

「あーっ、腹減った」。

昨日の夕食以降は何も食べていない。幸助は自分のオフィスでサンドイッチを頬張った。あと1時間もすればすべての検査結果がでそろうはずだ。

幸助がドックを受けた画像診断センターの一室に呼び出されたのは午後5時前であった。予想していたよりも遅い時刻になったのが少し気になった。しかし、特に血液検査では、機器のトラブルや異常値がでた際の再測定などで、結果報告が遅れることが少なからずある。

「検査室で何かトラブルがあったか?いや、もしかしたら血液検査で何か引っかかって再測定したのかも」。

幸助は画像診断センターに向かう廊下を急ぎながらつぶやいた。3年前のドックでは、脂肪肝や胆石、逆流性食道炎など幸助の体格や年齢からもっていても全く不思議ではない”良性疾患“はいくつか見つかったが、がんの存在を疑わせる所見は見つからなかった。万が一、3年の間にがんが発生していたとしても、ごく初期の段階のはずである。

「まっ、いずれにしろ大したことはないだろう」。

ドックの結果は、3年前と同様、放射線科専門医であり、画像診断センターのセンター長でもある大迫が説明してくれるはずだ。幸助は部屋のドアを開けた。

「やあ、廣瀬君」。

白衣に身を包んだ白髪の医師。にこやかに幸助を迎えてくれたのは大迫ではなく、院長の鬼丸であった。

「院長!エッ、エー!大迫先生だとばっかり・・・、イヤッ、院長先生自らとは恐縮です」。

大迫が不在のときに別のドクターが代理をつとめることは珍しいことではない。幸助自身も代理をつとめたことがあった。しかし、院長である鬼丸が代わりをつとめることはまずなかった。それに大迫は今日は出勤していたはずである。

一抹の不安がよぎった。



第三章 Chapter 3 宣告 Doctor’s Pronouncement

「廣瀬君、甲状腺のエコーで腫瘍が見つかった」。

「・・・!」幸助は耳を疑った。

(甲状腺?腫瘍?・・・バカな!3年前の検診では何もなかったのに・・・。やはり・・・院長自ら・・・こういうことだったのか・・・)

鬼丸は続けた。

「直径1.8 cm、エコーでは悪いもののようには見えない。しかし、3年前のエコーでは所見がなかったようだ」

前回の検診の記録を幸助に見せながら鬼丸は言った。

「PET-CTでも集積はなかったが、君も知っての通り、甲状腺腫瘍では集積がないからといって悪性は否定できない。それに、3年間で急にこういったものが出てきたのは気になる。念のため針生検を受けてみたらどうだろうか?」

鬼丸は単刀直入だった。一般のドック受診者が相手であれば、むろんこんな説明の仕方はしない。まずは異常がなかった検査項目、異常はあるが直ちに治療が必要というわけではない項目、良性ではあるが更なる精密検査と場合によっては治療が必要となるかもしれない項目、そして最後にがんである可能性がある検査結果、と相手の反応を見ながら順を追って話をする。相手が自分と同じドクターであり、気心の知れた部下でもある幸助だからこそであった。

「・・・」幸助は、即答できなかった。喉がカラカラに乾き、冷や汗が吹き出す。

「イヤッ、心配はいらないと思うが、本当に念のために。何だったら今すぐ予約を入れるがどうする?」

幸助の心中を察し、気遣ってくれているのがよく伝わってくる。

「ハ、はい・・・、予約を・・・お願いします」。声をしぼり出す。

(よりによって甲状腺腫瘍とは・・・)。幸助は顔をしかめた。

PET-CT検査では、撮影前に予め注射しておいた放射性検査薬が特定の臓器の特定の部位に集まる現象を画像化する。この現象を“集積”と呼んでいる。脳、扁桃腺、心臓、腎臓、膀胱など、正常でも集積が見られる臓器を除き、“集積の存在”は何らかの異常、特にがん病巣の存在を示唆する所見とされる。逆を言えば、“集積が認められないこと”は、がんがないことを意味する。しかし、これは一般論であり、実際には例外が少なからずあるのである。その最たるものが甲状腺腫瘍であり、幸助は先月、院外から講師を招いた勉強会で、甲状腺がんで集積がなかった症例、逆に甲状腺の良性腫瘍で強い集積を認めた症例についての報告を聴いたばかりであった。

(せめてもっと小さければ・・・)。

1.8 cmの直径は腫瘍としてはかなり大きい。エコー(超音波検査)上で明らかに悪性を疑わせる所見がなく、直径が数ミリであれば、何もせずに経過観察という選択肢もあった。しかし、この大きさ、しかも3年間という短期間でここまでになったとしたら、がんを疑わざるを得ない。鬼丸の勧めに従うしかなかった。

「廣瀬君、一番早い予約で来週の土曜日の10時になるがそれでいいかな?」鬼丸が電話をしながらたずねる。

「ハイッ、それでお願いします」。こうなったら、できるだけ早く針生検を受け、確定診断をつけるしかない。

「ヨシッ、わかった。」「じゃ、その日時でお願い」。電話を切った鬼丸が続ける。

「その他の検査結果だが、特に大きな異常はなかった。まぁ、脂肪肝と胆石は前の検診でも引っかかっていたし、逆流性食道炎やびらん性胃炎があるがごく軽度だから。血液、生化学、尿、腫瘍マーカーも特に気にかかるようなデータは・・・」

そんなものはもうどうでもよかった。幸助は、鬼丸に気づかれないか気にしながら、無表情にうなずき続けた。

「あっ、ママ。今、ドックの結果を聞いてきたところなんだけど・・・」

幸助が妻の美里に電話をしたのは自分のオフィスにもどってすぐだった。

「終わったんだ。結果はどうだった?何にもなかったんでしょ?」

「・・・」

「パパ・・・、どうしたの?」

「ちょっと・・・、引っかかっちゃって・・・。甲状腺に1.8 cmの腫瘍があった」

美里とは15年ほど前に今の病院で出会い、結婚した。幸助が当時勤務していた病棟の婦長であった。結婚してから1年ほどで退職し、その後は専業主婦である。

「甲状腺?エーッ、それはまた予想外のところに・・・」

元看護師だけあって理解は速かった。甲状腺の病気は圧倒的に女性に多い。甲状腺腫瘍も例外ではない。

「きっと良性だよ。大丈夫、大丈夫!」

“1.8 cm”という腫瘍の大きさが意味することにも瞬時に気づいたはずであるがそんなことはおくびにも出さない。気遣いが伝わってくる。

「うん・・・、ありがとう。それで、一応、念のために来週の土曜日に針生検を受けることにした」

「来週の土曜日?もっと早くできないの?」

「一番早くてそれなんだ。まあ、そんなにあわてても仕方ないし・・・」

「そう・・・、わかった。できることがあったら何でもいってね」

「ありがとう。これから色々とお世話になるかもしれないけど、よろしくお願いします」

「コレッ、飲んでね!」

ドンッ!

美里が幸助の前に置いたのは耐熱硝子、パイレックス製の1L計量カップだった。薄いオレンジ色の液体が3分の2以上までに入っている。

幸助が自宅に帰ったのはドックの翌日だった。ドック当日は当直したためだ。夕飯のテーブルについたとたん、奇妙な液体の入った巨大な計量カップを突きつけられたのである。

「それからこの薬、ビール酵母なんだけど、毎食後に10錠ずつ、1日30錠飲んで」

「あと、この野草ジュースの粉末、これは1日1回でいいから」

「イ、イヤッ、これは・・・」幸助は絶句した。

「こ、これって、ジュースかな?」

「そう、“ガンが、がんがん消えていく”って本にでてたんだ。ニンジン、リンゴ、レモンをしぼったんだよ。ジューサーも紹介されてたから買っちゃった。ちょっと高かったけどいいよね!」

「う、うん・・・。」

(エーッ、ずいぶんジュースの量が多いなぁ。800 mLの目盛り近くまで入ってる。初めてつくったからつくりすぎたのかな・・・)

幸助は食器棚からコップを2つ取り出した。

「パパ!何やってるの?」

「エッ、イヤ、ママと翔ちゃんの分のジュースを・・・」

“翔ちゃん”とは小学6年生の一人息子、翔太のことである。

「パパがひとりで全部飲むの!」

美里が一喝した。

「エッ?コレ全部、パパがひとりで・・・」

「そう!もう早く飲んでよ。ビタミンCが壊れちゃうよ!」

「しょ、食事しながらじゃダメなの?」

「ダメッ!ジュースをつくったらできるだけ早く、食事の前に全部飲めって、本にでてたんだから!早く飲んで!」

「ウッ、うん」

幸助はあわてて巨大な計量カップを口に運び、一気にジュースを飲んだ。

「ゴホッ、ゴホッ!」

「もーっ、むせるほどあわてなくてもいいよ」

「ウン、ゴホッ、ゴホッ!」

(オレのことを心配してくれてるんだ。頑張って飲まなきゃ)

幸助はむせながら自分に言い聞かせ、残りのジュースを飲み干した。



第四章 Chapter 4 鬱(うつ) Depression

「失礼します」

幸助が院長室に鬼丸を訪ねたのはドックを受けた週の金曜日、診療を終えた夕方であった。

「オオッ、廣瀬君。ちょうどよかった。実は来週末に急に東京に行く用ができてね。すまないが、金曜日の午前中の外来、代診を頼めるかな。」

鬼丸は礼儀正しく几帳面な幸助が、アポなしで自分に会いにきたことに少しとまどいながら話しかけた。

「・・・」

幸助は黙って封筒を鬼丸の机の上に差し出した。“退職願い”。

「ひ、廣瀬君!」

(こういうことか・・・。こいつがアポもとらずに来るなんておかしいと思ったんだ)

「落ち着きたまえ!急にこんなものを出してきて・・・、キミ、もしかしてこの前のドックの結果を気にして・・・。イヤ、あれはまだ細胞診もしていないし、よしんば悪性だったとしてもキミも知っての通り、甲状腺のがんはかなり進行が遅いし、今すぐどうこうということは」

「気休めは止めて下さい!」

幸助が叫んだ。

(礼儀正しいコイツがオレにこんな口をきくなんて!)

鬼丸は驚きを禁じえなかった。

「ぼくは親からもらった幸助という名前の通り、病に苦しむ患者さんを助け、幸せにすることにかけてきました。本当に仕事一筋で、妻や息子と一緒に過ごす時間もろくになかった」

幸助は大きく息を吸い込んでから続けた。

「でも!もう自分に残された時間が少ないとわかった今、最後の時間をできるだけ家族と一緒に過ごそう、そう決めたんです!」

興奮して話し続ける幸助を眺めながら、鬼丸は幸助と出会った頃のことを思い出していた。

鬼丸が幸助と初めて会ったのは、20年ほど前、東京で行われた共通の知人の結婚式披露宴でのこと。新郎は鬼丸にとっては医学部の後輩、幸助にとっては先輩にあたるドクターだった。当然ながら、鬼丸と幸助も同じ大学の先輩、後輩ということになり、二人は意気投合。ちょうど大学院卒業を間近に控え卒後の進路に迷っていた幸助を、鬼丸が、自分が院長をつとめる鹿児島の病院に引っ張ってきたのである。

以来、約20年、鬼丸と幸助は二人三脚で、当時50床あまりだった内科病院を500床を超える総合病院へと発展させた。鬼丸は65歳となる来年には、自分は郊外の分院に引っ込み、幸助をこの病院の院長にするつもりであった。今、幸助に辞められたら困るのである。

しかし・・・

「思い切って、豪華客船で世界一周クルーズなんてのもいいかなって・・・。妻も子供も、犬もみんな一緒に・・・」

うつろな目で話し続ける幸助。

(ダメだ・・・。完全に自分自身を見失っている)

鬼丸は戦略を変えた。

「廣瀬君。君の気持ちはよくわかった。これは確かに私が預かっておく。ところでキミも神戸の墨病院のことは知っているだろう?」

神戸の墨病院といえば甲状腺疾患専門病院として定評のある病院だ。政治家やスポーツ選手など著名人が通う病院としても有名である。

「はい・・・もちろん知っています。何回か患者さんに頼まれて紹介状を書いたこともありますし・・・」

幸助がいぶかしげに答える。

「来週早々にでも、墨病院を受診してみたらどうだい?あそこなら多分、初診でも当日中に針生検までやってくれるだろう。早く確定診断までつけて、ベストの治療を始めた方がいい」

「・・・お気遣いありがとうございます。・・・考えてみます」

「ウン、紹介状はいつでも書くから遠慮しないでいってくれ」

「アッ、これはダメか・・・」

棚に並べられたミックスサンドに手を伸ばしかけて幸助はつぶやいた。

鬼丸と話をした翌日の土曜日、午前中の外来診療を終えた幸助は病院内にあるコンビニで遅い昼食を買い求めていた。もう3時過ぎだ。

「四足の動物の肉と、マグロみたいな赤身の魚は絶対に食べないでね!ウチではわたしが気をつけられるけど、外で食べる時はパパが注意して」

美里の声がよみがえってくる。美里が読んだというがん患者向けの食事療法の本にそう書いてあったという。

ミックスサンドにはハムが入っていた。黙って食べてしまえば美里にわかるはずはなかったが、生来まじめな性格の幸助にはそれができなかった。自分のことを心配してくれているからこそとわかっているからなおさらだった。

幸助は結局、チキンサンドとペットのお茶を買い、自分のオフィスにもどった。鶏は“二足動物”だから大丈夫なのだそうだ。

サンドイッチをお茶で流し込む。全く食欲はない。本当は何も食べたくないのだが、それではがんで死ぬ前に栄養失調で死んでしまうと思い、無理やりに押し込んだ。

(今日は当直だ。頑張らねば)



第五章 Chapter 5 仲間 Fellowship

「もう、オレの役目は終わったのかなぁ」

夜中の0時も回っているのに、幸助はオフィスのパソコンの前に座っていた。病棟は落ち着いていて呼び出しもなく、もっと早く寝られたのだが、どうしても寝付けない。

結婚して、子供が生まれ、家も買った。息子は4月から中学生、家のローンも今年中には払い終える予定だ。鬼丸と一緒にがむしゃらに働き、病院は今や地域の中核病院に成長した。50歳も過ぎ、体もあちこちガタがきている。

(もう、ラクになってもいいのかなぁ)

その気になれば、医師である幸助は、睡眠薬でも医療用の麻薬でもどんな薬でも入手できる。それで命を絶つこともやろうと思えば可能だ。

(こんなに苦しむのならいっそのこと・・・)

(オレは何を考えているんだ・・・)

幸助は、キーボードを叩き、YouTubeにアクセスした。

(確か、この前の忘年会で踊った曲は、AKB48とかいうグループのだったよな・・・)

カチカチカチ“AKB48”

カチッ 検索。

たまたまマウスのカーソルが指していた動画をクリックする。

“降り始めた細い・・・”

でもでもの涙。
柏木由紀:佐伯美香。

(・・・・・・)

(だ、ダメだっ!この歌、とてもいい曲だと思うけど今聴く曲じゃない!)

カチカチカチ“ヘビーローテーション”

カチッ。

「1!2!3!4!」ヘビーローテーションのPVが始まった。

元気いっぱいに歌い、踊るメンバーたち。

(忘年会の余興でみんなとこれやったんだよなぁ。楽しかったなぁ・・・)

幸助の脳裏に、20年前、鬼丸を頼りに、スーツケース一つ持って鹿児島にきた時から今までのことが走馬灯のようによみがえってきた。

多くの人に支えられてここまで来た。

大学の先輩であり、良き上司である鬼丸。

仕事一筋で不器用な自分に安らぎを与えてくれた妻や息子。

患者さんのためにいい仕事をしよう。誓い合った職場の仲間達。今回のドックの結果を話した時に、涙ぐんで心配してくれた人もいた。

そして、こんななさけない自分でも慕ってくれる患者さんがいる。

(そうだ。俺にはたくさんの仲間がいる。オレは一人じゃないんだ!)


「あっ、ママ。おはよう!」

当直明け、日曜日の朝、幸助はオフィスから妻に電話していた。

「ふぁー、なにパパ、まだ7時だよ。今日は寝坊しようと思ったのに・・・」

「ご、ゴメン。実は、院長に神戸の墨病院で診てもらうことを勧められて・・・急なんだけど、今日神戸に泊まって、明日、一番に受診しようと思う。あそこなら多分、明日中に針生検までできるだろうし・・・」

「ふーん・・・わかった。わたしもそっちの方がいいと思うよ。わたしも明日の朝、翔太を小学校に送り出してから神戸に行く」。

「ウン、ありがとう。よろしくお願いします」



第六章 Chapter 6 神戸へ To Kobe

「便利になったもんだな・・・」

幸助は神戸行きの新幹線の中にいた。昨年、九州新幹線鹿児島ルートが全線開業し、鹿児島-神戸間は新幹線で結ばれた。新幹線の発着駅である鹿児島中央駅から車で5分たらずの距離に職場も自宅もある幸助にとっては、郊外の空港に移動して飛行機に乗るよりも格段に便利である。

鹿児島中央駅を出発して4時間あまり。新神戸駅につき、駅前のビジネスホテルにチェックインしたのは夜の10時過ぎだった。

墨病院の外来受付開始時刻は8時30分だが、まず間違いなく、もっとずっと早い時間から多くの患者が受付に押し寄せているはずである。全国から患者が集まる病院であり、8時30分に行ったのでは、診察、検査を受け終えるのが夕方になってしまうだろう。

(7時には病院に着くようにホテルをでよう)

シャワーを浴びた後、枕もとの目覚まし時計のアラームを5時30分にセットし、幸助はベッドにもぐり込んだ。

翌日の朝、予定通り、7時前に幸助は墨病院の入口前にいた。

もう建物内の照明はついており、入れそうだ。しかし、どうしても足が前に進まない。

(ここまで来たんだ。入らなきゃ・・・)

(でもここで最悪の結果がでてしまったら・・・。やっぱり受診しないで帰ろうか・・・)

(イヤッ、お前は何をしに来たんだ。このまま帰ったらバカみたいじゃないか・・・)

(で、でも・・・ウガーッ、どうしても足が動かない!)

「どうかされましたか?」

病院の警備員だった。幸助が入口前で立ちすくんで動かないため、心配して声をかけてきてくれたのだ。

「アッ、いや、ちょっと靴ヒモがほどけちゃって・・・。最近よくほどけるんですよ。本当にまいっちゃったなぁ・・・」

幸助は頭をかきながらうずくまり、靴ひもを締め直した。

「もう開いてますので中へどうぞ」

「ハ、ハイッ」

入るとすぐに整理券を発行する機械が置いてあった。幸助は券を取り、待合スペースの長椅子に腰を下ろした。

(とうとう地獄行きの切符を手にしてしまった・・・)

8時過ぎに受付に呼ばれ、初診の手続きをした後、看護師による予診を受ける。

10時前にドクターによる診察。まだ30前に見える小柄な女医先生だ。

「コロンとした腫瘍が触れますね。一通り検査をしてみましょう」

手馴れた手つきで頚部の触診を済ませそう言うと、検査をオーダーしてくれた。

採血、採尿を済ませ、超音波検査を受け終わったのは昼過ぎだった。そろそろ美里が来るころだ。

待合スペースに着くと美里がすでにそこで幸助を待っていた。

「ごめん、ごめん、朝一番に受け付けしたんだけど、やっぱり混んでて・・・、今、一通り検査が終わったとこなんだ」

「ううん、わたしも今来たところだから、気にしないで」

まだ検査結果がでるまでには時間がかかる。二人は2階のレストランで昼食をとった。

「同業者だって言ったの?」

美里が尋ねた。

「イヤッ、言ってない。気を遣わせるのも悪いし・・・」

患者が自分と同じ医者や医者の家族の場合、正直、やりづらい。幸助自身、よくわかっていた。鬼丸に紹介状を頼まなかったのもそのためだ。

幸助が診察室に呼ばれたのは4時過ぎだった。美里も一緒だ。

「血液検査の結果では、甲状腺の機能は正常ですね。サイログロブリンが少し高いですが、これは腫瘍があると上がってきますので」

「・・・」

「超音波では、直径16 mmの腫瘍が認められました。良性のように見えますが、10 mm以上の腫瘍は細胞診をすることになっていますので、今からしましょう。奥さんは外にでていただけますか?」

幸助は歯医者の処置台を思わせる椅子に腰掛けるように指示された。

「ハイッ、それじゃ、頭を思い切り後ろにそらして下さい」

頭をそらし、首を前に出した。

(まるで、必殺仕掛け人に暗殺される悪代官みたいな気分だな)

そう思った瞬間、

ブスッ!

生検用の針が皮膚を貫いた。

(イテーッ)

ブスッ!
ブスッ!

2回、3回。

(早く終わってくれ!)

最後は吸引である。

ブチッ!

(ギャーッ!)

肉が無理やりひきちぎれるような痛みとともに検査が終了した。

「ありがとうございました」

1週間後、幸助と美里は、検査結果を聞くため、墨病院の診察室にいた。

細胞診の結果は良性腫瘍だった。

「ただし、今回とらなかった部分に悪性の細胞がある可能性もゼロではありません。1年に1回はフォローアップのために受診してください」

「ハイッ、来年また伺いますのでよろしくお願いします!」

「ヨシッ、パパはこの一番大きな幕の内弁当にしようかな」

「パパッたら、1週間前の帰りは、食べたくない、て何も買わなかったくせに・・・」

美里が少しあきれたように言った。

二人は新神戸駅の売店で、帰りの新幹線の中で食べる夕食の弁当を買い求めていた。

「いや、急におなかすいてきちゃって・・・」

テレながら答える幸助。

「とにかく、悪いものでなくてヨカッタね!」

「ウンッ、1年後のフォローアップがあるけど、とりあえずは安心した」

「だけど、野菜ジュースや野草ジュースは続けてね。良性だったとはいえそういうものがでてくるっていうのはやっぱり心配だから。四足の動物の肉も、週に1回ぐらいにして」

「はーいっ、わかりました!」



第七章 Chapter 7 ヘビーローテーション、再び And again, Heavy Rotation

「やっぱり、ヘビロテか!」幸助は思わず声を上げた。

自宅に帰り着いた後、モバイルPCで100通以上のメールをさばき、鬼丸に細胞診の結果報告とお礼を兼ねたメールを送ってから、Googleで“AKB48リクエストアワー”を検索したのだ。夜中の1時過ぎである。昨日はリクエストアワーの最終日だった。

「フライングゲット、Everyday、カチューシャ、ヘビーローテーションのうちのどれかが1位という予想はあたったけど、SNB48の公演曲がフライングゲットを抑えて3位とは驚いたな」

「えー!公演のアンコールで、ニューシングル“GIVE ME FIVE!”が、メンバーによるバンド演奏で初披露・・・あきもと~、ヤルじゃん!」

ほんの1ヶ月前まではAKB48のことは何も知らなかったくせに、今ではいっぱしのファン気取りである。

“ヘビーローテーション”、幸助はGoogleに打ち込み、YouTubeのPVに飛んだ。再生回数61,554,642回。「1!2!3!4!」大島優子のかけ声でビデオが始まる。この曲にどれほど勇気づけられたことか。

「ありがとう・・・」

幸助はいつまでも、いつまでも、PVを再生し続けた。

がん検診

この作品をAKB48に捧げます。理由は最後までお読み頂ければわかります。ちょっとずつ書き足していきますので気長にお付き合いください。

がん検診

医師が患者の立場になった時に起こる騒動をコメディタッチで描いていきます。

  • 小説
  • 短編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-02-05

CC BY-ND
原著作者の表示・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-ND