何でみんな神様の意思の反することをしてるの?

おじいさん 作

例えばさ、神社に君が行くとして

神様の心に副うようすれば救われるのに。

意味わからないかな? 
わかるよね? 

例えばさ、
神社に君が行くとして、

何でもいいけどさ、
受験で合格できますようにってお願いして、
百円玉を賽銭箱に入れるとするよね。

でもよく考えてみてよ。
百円で受験に合格するなんて虫のいい話だよね。
たった百円だよ? ふざけんなって逆に怒られるよ。

神様は絶対に君を受験に合格させたりはしないよ。
これは本当。
だって君が合格したならば、
他の誰かが不合格になっちゃうからね。

そんな不公平なことはしないんだよ。

晴れてくださいってお天道様にお願いしたとして、
その願いが叶ったとして、
君は晴れて嬉しいかもしれないけどさ。

雨が降らなくて困った生き物もいるんだよ。

それを百円ぐらいで……。

もう分かったかも知れないけど、
値段の問題じゃないんだよ。

神様は賄賂を受け取らない。

神様は役に立たない

昔はね、山の神様って拝んでたけどさ、山は恵みをもたらすの、それと同時に悪いことも起すの。
現代人で特に都会暮らしの人には分からないかな? 
自然と闘いながら生きてきたぼく等は、自然の恵みで生かされてきたよね。
良いも悪いも両方含めて山の神なの。

それをいつの間にかさ、ぼく達は神様を利用しようと考えるようになった。
はした金で。
馬鹿だよね。

それは神様の意思に副わない生き方。

本当に神様の意思に副おうと思ったら、受け入れることを知らなくちゃいけない。

菅原道真って人が京都にいたんだ。
権力者だったんだけど、権力争いに敗れて、九州にとばされちゃって、そこで死んじゃった。
するとさ、京都の人たちは怖がったんだ。
最近起こる悪いことは、菅原道真が祟ったからに違いない。
だって自分達が追い出した人だもんね、自分達を恨んでると思うよね。
だから、立派なお宮を建てたんだ。
悪い魂を鎮めるお宮としてね。
でもさ、現代では受験の神様だって、悪いことをする悪霊に、沢山の人がお参りするんだ。
話の流れじゃ、呪いで受験を失敗しそうなのに。

何でか分かるかな? 

それはね、悪いことが起こると、お前のせいだって人のせいにして、悪いことが起こらないと、これをお願いしますって、こんどはお願いしちゃうの。
今では誰一人菅原道真さんに、お参りする人はいないの。
みんながお参りしているのはね、自分の欲望なんだよ。

自分の都合、思い通りにしたい、そんな欲望を、最近のぼく達は神様だと思ってる。
この神様に拝めばいい事がありますよ、悪いことを遠ざけますよ。
そんなのは神様じゃない。
それなのに、現代のぼく達は、こんな偽りの神様しか知らない。
本当の神様はそんなものじゃないんだよ。

神様なんていないし、宗教を信じるのは、心の弱い人だ。そんなことを言い出す人が多いよね。
その人は偽者の神様しか知らないんだ。
本当の神様を知ったならば、神様を否定する人も、偽者の神様を信じる人も、どっちも同じ。
良いか悪いか、役に立つか立たないか、利用できるか出来ないか、幸せか不幸せか、そんなことでしか生きられない、迷っている人なんだ。

いいかい? 
あまり何度も言わないからよく聞いてよ? 

神様は、死者を生き返らせない、老いを止めない、病気を治さない、努力を実らせない、善人を救わない、悪人を裁かない、戦争を止めない、障害を無くさない、差別を消さない、貧しいものにめぐまない。

だけど確実に、全ての人をとくにあなたを、必ず救う。
簡単なことだよ、びっくりしないでね、本当のことだから、
神様は、役に立たない。
というより、ぼく達の損得で、利用できるものじゃないんだ。
じゃあ神様って何? ってなるよね。
これからが本題だよ(今までの部分難しくて分からなかった人はゴメンね)。

素敵なお庭の喩え話

あるおじさんが、広いお庭を持っていたんだ。
そしてそこに立派な芝生を敷いたんだ。
それはとっても素敵なお庭で、みんなはとても羨ましがったんだ。
でもね、こんな素敵なお庭を持ってるおじさんなのに、本人は全然幸せじゃなかったの。
何故なら、庭のどこかにすぐ、タンポポが生えちゃうから。
おじさんは暇を見ては、タンポポが生えてないか、見てまわって、タンポポを見つけては、引っこ抜いて苦々しく思うんだ。
自分の完璧な芝生のお庭なのに、それを壊すタンポポがゆるせないってね。
だからおじさんは頑張ったんだよ、出来る限りタンポポを引っこ抜いて、除草剤も研究して、種が飛んでこないように、近所のタンポポまで引っこ抜く念の入れよう。
だからなおさらかも知れない、そこまでしたのに、お庭にタンポポが咲いちゃって、おじさんはそのタンポポを、何度も何度も踏み潰して、とっても怒ったんだ、そして悲しくなったの。

おじさんは自分じゃどうしようもないから、友達に相談したの。
そしたらその友達が、その生えてくるタンポポを、かわいいって思える気持ちは持てないのかい? そう言ったんっだ。
せっかく立派な、素晴らしいお庭を持ってるのに、タンポポが生えてくるだけで、全て台無しだと、悲しんで生きてるの。
もしそのタンポポが愛せれば、おじさんは悲しくないのにね。

このおじさんとぼく等は一緒だよ。
もっとお金がたくさんあったら、もっと健康な体ならば、もっと周りが優しくしてくれたら、そう言って自分を捨てて生きてしまってるの。

君にとってのタンポポは何かな? 
君にとってのタンポポは、お花なんかじゃないはず。
余命が知れる重い病、大切な人の死、いじめ、貧困。
とても、かわいいことだなんて思えないよね。

だけどよく聞いて。
もしそれを受け止めることが出来たなら、君は生きていくことが出来るはずだよ。
向き合うこと。
そしてそこから歩むこと。
それが出来ないからぼく達は苦しむ。
どんな状況でも、必ず救われるということは、どんな状況でも、それに向き合い歩みだすということなんだ。

自分に生まれてきたことを喜べる道

もしそこで、人のせいにしたり、偽者の神様に拝んでしまうと、それは今の君を捨てること。
自分を捨てることは、神様は君が自分を捨てることを悲しんでいる。
神様の願いは、いい事があっても悪いことがあっても、君が君であって好かったと思えること。
神様はいい事も悪いことも、なんだっておこす、その意思に副うことが、ぼく達の救われる道。

寝たきりの人を見たこと無いかい? 
もう治らない重病患者の病棟にはいったことあるかい? 
きみはそうなっても、救われる道を知っているかな? 
若くして事故で亡くなった知り合いはいるかい? 
君は今死んで心残りは無いかな? 

ぼく達はいつでも、良いか悪いか、損か得か、幸せか不幸せか、そんなことばかり気にして生きているけど、人と比べあってどちらがマシか競い合うことは、はっきり言ってそれは時間の無駄だよ。
ぼく達が本当にしないといけないことは、どんな状況にあっても、自分に生まれてきたことを喜べる道を見つけることだ。

君にとって一番大切なものは何かな? 
お金? 大切だよね、無くちゃ困るもの。
でもさ、お金が一番大切ってことは大変だよね。
親がお金持ちなら良いと思うけど、親が君よりお金を大事にしたらどうかな? 
子供がお金持ちになって欲しいと思うけど、通帳を見てニヤニヤする子供に育ったらどうだろう? 
お金は喧嘩の原因になるし、お金でつながった人間関係ばかりになるし、あの世に持っていけないし。
確かに大切なんだけど、たくさんあればあるほどいいんだけど、君は一番大切に出来るかな? 
どんな状況でもお金で救われるかな? 

お金が一番大事かな? 
家族が一番大事かな? 
健康が一番大事かな? 

ぼく達の大切にしているものは、実は同時に苦しみの原因になるよね? 
大切なもののはずの、お金や家族や健康が、ぼく等を苦しめているんじゃないかな? 
なんで大切なものが苦しみに変るのか、それは神様の意思に反しているから、神様の意思に副ったならば、救われるのに。

現代の日本は宗教が分からなくなってしまった。
宗教は政治や金儲けの手段になってしまった。

神様が見えない中で暮らすぼく等は、大切なことが分からず、自分を捨てていくだけの迷いの生活をしている。

今宗教を批判している人や、興味を持たない人は、これから本当に苦しいことがあったとき、神様のことを思い出して。
偽者の神様ではない、本当の神様を思い出して。
神様は何もしてくれないけど、君の命を願ってくれている。

だから君も受け入れて。
向き合って。
それが神様の心に副うこと。
その時こそ神様は喜んで下さる、

分かっているだろうけど、神様は人じゃない。
悲しむも喜ぶも、擬人化した表現だね。
でもそうとしか表現できないから、多くの宗教は神様を擬人化するの。

もしぼくの言ったことが信じられないのなら、癌で亡くなりながらも、その癌を受け入れ感謝できた人、障害を持つ子供を持ちながらも、その子供に救われた人。そんな人が本当にいるんだよ。

今はどうでも良いかもしれないけれど、君が本当に辛く困った時、そういう人達が歩んだ道をたどってみて。
ぼく達には、良いか悪いか、それだけじゃない生き方が出来るんだ。

例えば、お釈迦様は、生老病死を課題にされた。
そして悟られ、老いて病まれて亡くなられた。
生老病死の中尊く生きる道をしめされた。
だから、長生きできますようにとか、病気が治りますようにとか、そういうものが仏道じゃない。
なのに今のお寺はその為の、お祈りばかり。

最近の日本の宗教嫌いは深刻だよ。
若い人たちは、お宮参りと、新興宗教しかしらない。
だから、お宮参りは良くて、新興宗教は悪いとする。
本当は、どっちも同じなのに。
どちらも自分の欲望を願うだけ。
そして普段のぼくらの生活も、自分の欲望を願うだけ。

お願いだから、受け入れ神様の心に副って生きて。
そうすれば必ず救われるから。

ぼくの考えはこうだから。君は勝手にして。
そんなことは出来ないよ。
もし君が救われないのなら、僕も救われない。
神様は君の為にいるんだ。
君が救われないと意味が無いんだ。

ココまで読んでくれた人ありがとう。

神様

自分を救うために宗教なんていらない。
ちゃんとみんな自分で生きている。
本当にそうでしょうか? 

私は介護施設にお世話になっています。当年92の爺です。
こうなってしまうと若い時の努力や功績は、まったく役に立ちません。
さらには、自分の頭ですら信用なら無いのです。
私の所では痴呆症の方が圧倒的に多数なのです。
そんななか、頭がしっかりしている人の方が悲惨だったりします。
自分の体は日に日に衰え、あんなに面倒見た家族は子や孫は滅多に来ない(私の場合は長生きしすぎて子供たちが全員先にいきました)。
悲しんで自分を捨てる方ばかりです。
ですが、少数ですが、逆に周りや自分を尊び感謝して生きる方もいます。
どう違うのか? 私はそれを神様のおかげだと表現します、

そろそろ寝ますね。
読んでくださった方、ありがとうございます。

何でみんな神様の意思の反することをしてるの?

この文章は、インターネット掲示板2ch.netのスレッド「何でみんな神様の意思の反することをしてるの?」の内容を編集したものです。
編集に際し、多くの人に読んで貰いたいと思い、時系列を整頓し、隠語を一般語に変更しています。

何でみんな神様の意思の反することをしてるの?

「例えばさ、神社に君が行くとして」 インターネット掲示板で語られた「何でみんな神様の意思の反することをしてるの?」のまとめ話。

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2010-12-13

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  1. 例えばさ、神社に君が行くとして
  2. 神様は役に立たない
  3. 素敵なお庭の喩え話
  4. 自分に生まれてきたことを喜べる道
  5. 神様