今日の天気 第5章 ~Revellion & Egotistic~

遂に最終章です。
一番長いです。今回も、前後編にわかれてはいますが、単におさまらなかっただけです。

全5章のこの物語、第1章を書き始めてから第5章を書き終えるまでに4年を費やしました。
まぁ、その間にちょっと短編を書いてみたり、次の長編を書き始めたりと、浮気もしていますが。

長い付き合いをした雨上さんとの「一時的な」お別れとなる、最終章、第5章です。

今日の天気 第5章 ~Revellion & Egotistic~ 前篇

『……ということですが、田口さん。このことについてどうお考えですか?』
『そうですねぇ。彼らの存在そのものが危険ですからねぇ。早急に手を打ってもらわないといけません。』
『しかし、彼らは「進化」した新しい形だと……そうおっしゃっている方もおりますが。』
『何をバカな。あれは異常ですよ?一種の病気と見ても良い。誰の目にも明らかな異常事態をどうしてそんな風に思えるのでしょうね?おかしな話です。彼らは今ある社会のあらゆる《常識》を覆します。数々のセキュリティも頑丈な金庫も突破出来てしまうのですよ?簡単に建物を壊せるし簡単に命を奪えるのですよ?全員が全員悪事を働くとは言っていませんが……少なくとも、その力と居場所などは明確にするべきでしょうな。』
『なるほど。……さて、最近になって現れた彼らに対する意見は賛否両論ですが、今後我々がどうするべ―――』
『死ねよ、バーカ。』
『な?なんだね君は!?ぐぁっ、離せ!』
『良い子ちゃんぶんなよ、バーカ。あんたもホントは力が欲しいんだろ?すねんなよ、バーカ。』
『な、なにを!?そうか、君は彼らの……超能力者の仲間か!』
『バーカ。』
『ぐあああぁぁっ!手、手がぁっ!』
『超能力者? んだよそのやっすい呼び方っつー話だ、バーカ。本質も理解してねー奴が語んなよ、恥ずかしいだけっつーんだよ、バーカ。』
『な、何をぐあぁぁっ!?』
『これで両腕が炭だな、バーカ。あっはっはっは!』
『おい!放送を止めろ!こんなん放―――』
『うるせぇ、バーカ。』
『ぎゃああああああああ』

ブツン。


世界は大きく変わった。
超能力者の出現によって。

鴉間の裏切りの対応に追われたサマエル。その影響でサマエルが呪いをかけて自分の戦力としていたゴッドヘルパーが暴走を始めた。現実のものとは思えない力を振りまわす彼らを見た人たちは感じた。世界にはまだ知らないことがあると。得体のしれない力があるのだと。もしかしたら自分にも……と。
 結果、急増した第二段階。天使とそのパートナーであるゴッドヘルパーが対応にあたり、なんとか増加を抑えていた。
 そこで攻撃を仕掛けてきたのが《物語》のゴッドヘルパー、アブトルさん。彼の攻撃によって一時的に天使たちは身動きが取れなくなった。それにより、第二段階の増加は抑えられないレベルにまでなった。
 そのまま《常識》のゴッドヘルパーが発動し、サマエルが力を手にするかと思われた。だが……幸か不幸か、世界はゴッドヘルパーを否定したのだ。
 超能力者と呼ばれることになった……ゴッドヘルパーという言葉すら知らない第二段階のみなさんは世間から冷たい視線を送られるようになったのだ。
 《常識》と呼ばれるものはたくさんあり、その分だけゴッドヘルパーもいるわけだが……その絶対数は地球上の全人口を超えないし、全員が第二段階になったわけではない。数で言えば超能力者は少ない。ならば……超能力者でない普通の人たちがとる行動は?答えは拒絶だ。
 人間は異常を徹底的に排除する。意味のわからないものは煙たがられる。説明できないものは嫌われる。
 一部の地域では神の力だとか言われて崇められていたりするが……私、雨上晴香がいる日本はそうではない。信仰心の薄い、科学の国……先進国の多くでは超能力者の扱いは酷いものだ。だがそれがいいブレーキとなった。最初は「自分もあんな力があったら……」と思っていた人たちも「あんなのただの異常者」という認識になったのだ。その考えが広まったことにより……非常に危うい状態ながらも《常識》のゴッドヘルパーは発動していない。……だが……


 《物語》の襲撃から二週間経った。中間テストは終わり、すぐにやってくる期末テストにテンションを下げられながらもその後の夏休みに思いをはせるこの時期。だが去年とはだいぶ雰囲気が違う。なぜなら超能力者なんていう存在が出現したのだから。
「……んまぁ、ゴッドヘルパーのことだけどさぁ……」
 教室。クラスのメンバーの会話の内容は超能力者。そんな中、真実を知っている私と親友二人は窓際に並んで座っている。今は昼休みだ。
「晴香。やっぱりわたしはじっとしていられないぞ。力を悪用している奴らがいるんだろう?」
「また天誅って刻むわけ?落ち着きなさいよ、鎧。あたしたちがここで動いたら面倒なことになるでしょ。」
 しぃちゃんは……そう、初めてあった時のように、力を悪用する人たちに怒りを覚えている。今すぐにでも街に飛び出して成敗しそうな勢いだ。だが翼の言う通り、今私たちが動いて仮に一般人から「超能力者」と呼ばれてしまったら私たちの動きは制限される。ここは知らないふりをしながら解決策を練るしかない。
 力石さんは相変わらずムームームちゃんのもとで修行をしている。どうも二人とも《物語》の時に何も出来なかったことを悔やんでいるらしい。そもそも私以外は全員何も出来なかったのだから気にする必要もないと思うのだが……ムームームちゃんがいつになく真剣にこう言ったのだ。
『今回は大丈夫だったけど……もしも今回が「いざって時」だったら後悔するでしょう?』
 まるで昔の経験を語っているような言い方だった。
 速水くんは未だにパートナーが決まっていない。というかルーマニアによると『こんな事態だから決まらねーかもな……』とのこと。だから時々私が声をかけてルーマニアなんかも含めて《速さ》に磨きをかけている。
 音々は……特に何もしていない。ただ身を守るためや連絡をとるためのアイテムをルーマニアから受け取っている。
 リッド・アーク戦で共に戦ったメンバーもそれぞれ頑張っている……らしい。
「そうだ……しぃちゃん、クロアさんは?」
「うん?クロアは元気だぞ。どうもアザゼル殿が家にいるとか―――」
 そこまで自分で言って何かに気付いたのか、突然しゃべるのを止め、数秒後、顔を赤くして私に問いかける。
「クロアとアザゼル殿は同棲していりゅのかぁ!?」
「いや、知りませんよ。だから聞いたのに……」
「て、天使と人間は結ばれるのか!?晴香!」
「どーでしょうね。でも……ルーマニアが人間に危害を加えられないって言ってましたからダメなんじゃないですか?」
「そ、そうか。」
「鎧はこーゆー話題に敏感ねぇ。修学旅行で恋バナする中学生みたい。」
「しょーがないだろう、こういう話題で話せる友達がいなかったんだから……」
「なら普通はそういう話題から遠ざかるものじゃないの?」
「逆に興味がわいたんだ……」
 さっきほどじゃないがまだ顔の赤いしぃちゃんはなんだか色んな食材が入っているテリーヌをモグモグと食べている。ちなみにテリーヌはフランス料理である。
「……んじゃあ……鎧。あんた好きな人いる?」
「いるぞー。」
「「えっ!?」」
 私と翼が同時に驚く。それに対してしぃちゃんは瞳をキラキラさせながらこう言った。
「吉田幸平さんだ。戦隊モノじゃあ常連の俳優さんでな、これがかっこ―――」
「そーゆーんじゃないわよ!恋してる人ってこと!」
「……いないな。」
「びっくりさせないでよ。意外にも程があるんだから。」
「ひどいな……」
「そんじゃあ好きなタイプは?こんな人がいたらいいなっていうやつ。」
「ふむ。それはもちろん正義のヒーローみたいな人だ。困った時に颯爽と駆け付け、助けてくれる……そんな感じ。」
「……意外と明確ね。でもその条件を満たす人って鎧より強くないとダメよね。いるのかしらそんな人。晴香は?」
「………………?」
「………………予想通りよ。」
 そんなどーでもいいような話をしているとチャイムが鳴った。午後の授業の始まりである。あちこちに散っていたクラスのメンバーが戻ってくる。
「うーっし、授業始めるぞー。」
 これから始まるのは化学……あれ?
「?おい、そこの席は全員休みか?なんか部分的にいないんだが……」
 見ると四人分の席がぽっかりと空いている。確かあそこに座っていたのは……
「だよなー。バカだよなー。」
「ちげーよ!ぎゃははは。」
 そうそう、あの面子だ。堂々と四人の男子が遅れてやってきた。
「お前ら、遅れたっていう自覚がないのか?」
 化学の先生があきれ顔で言う。普通なら『すみません』の一言も出るところなのだが……
「あ?なになに?俺に意見してんの?凡人のクセによー。」
 四人の中のリーダーっぽい男子が一歩前に出る。そして片手を前に出した。するとその手の平に小さな炎が……いや、火が出現した。
「俺、超能力者なんだけど?燃やすぞコラ。」
 超能力者に対する世間の目が冷たいのは確かなのだが……こういう連中はやっぱりいる。自分たちが選ばれた存在だと信じている……ザ・マジシャンズ・ワールドそのままの連中が。
 この場合、心配すべきなのは私たちからすれば『その程度』のことで威張っている男子でも、超能力を前にして少し後ずさる先生でもない。
「クズめ……」
 ぼそりとそう言って今にも机の脚を刀に変えんばかりのしぃちゃんだ。
「ちょっとちょっと、何よそれ?お約束にもほどがあるわよ、高田。」
 その時大きな声で悪態をついたのは翼だった。そうか、そういやそんな名前だったな、彼。
「ああん?花飾、お前も燃やすぞ?」
「やれるもんならやってみなさいよ。あたしの記憶によると高田はついこの前まで普通の学生だったんだけど?いつもそのメンバーで騒いでるだけの。」
「何が言いたいんだよ。」
「元々不良でもなんでもないただの学生が?超能力者だってことがわかったとたんその態度?かっこわるすぎ。」
「ぶっ殺すぞこらぁ!」
 高田くんが近くの椅子を蹴飛ばした。……しかしなんだな。きっと以前の私なら少し怯えていたんだろうけど、今の私には何の感情もない。妙に肝が据わってしまった。
「人殺したことあんの?出来もしないことを言うもんじゃないわよー?だいたいちゃんと授業に出席しようとここに戻ってきてる時点であんたは今までの高田とはなんら変わらないのよ?それなのに燃やすだの殺すだの……それってだいぶ《変》じゃない?」
 翼がそう言うと高田くんは舌打ちを一回して席についた。唯一誰にもバレずにゴッドヘルパーの力を使える翼に感謝だ。私じゃ教室の中を風で引っかき回すので精いっぱいだ。

 困った世界になってしまった。実に変な世界に。果たしてこの世界はサマエルや鴉間を倒せば元に戻るのだろうか?メリーさんは世界の時間巻き戻しが出来るけどそれにも限度があるはずだ。それに以前と変わり過ぎているし時間が経っている。いくらメリーさんでも……
「ありがとう、花飾。あそこで花飾が行動しなければわたしが何かしてたよ。」
「だから落ち着きなさいって……」
 放課後。靴を履き替えて校門に向かって歩いている。翼があきれ顔でしぃちゃんをなだめている。
「でもまぁ実際……すごくバカみたいに見えるのよねー。あんなちっぽけな火で何が出来んのよ。」
 私も翼もあれよりもすごいのをたくさん見てきた。がらにもなくそんな気分になるのは仕方がないというものだ。
「でもその火をずっと持続できるのなら《エネルギー》としては驚異ですけどね。」
 後ろでそう言ったのは力石さんだった。ちょうど帰る時間が重なったみたいだ。
「力石……そういえばあんた最近猛特訓してんだって?」
「はぁ……まぁ前からですけどね。ムームームが怖いんです……」
 そう言いながら小走りで先に行ってしまった。おそらく特訓場でムームームちゃんが待っているのだろう。
「さて……わたしもちょっと急ぐよ。」
「何かあるんですか?」
「おもちゃ屋さん……晴香と会ったとこの店長さんは情報通でね。ブレイブレンジャーの新商品の情報が入ったんだ。」
 ニコニコしながらしぃちゃんも走って行ってしまった。
「なんか晴香みたいね。」
「なにが?」
「鎧にとっての戦隊モノが晴香にとってのプラモデル。」
「なるほど。」


 オレ様はとある扉の前に立っていた。
「……はぁ……」
 天界にある人間で言うとこのマンションの一室なわけだが……ここに来る度にため息が出る。なんであんなめんどくさい奴の相手をオレ様が……
「入るぞー。」
 中には何もない。……正確には椅子しかない。いつもならそこに座っているはずの奴はどこだ?
「……」
 オレ様は何となく扉の裏を見た。
「きゃは!見つかっちゃった!」
 そこにいたのはビシッとしたスーツを着て頭に紙袋を被った……《情報屋》だった。
「えぇっと……アレキサンダー?」
「ちなうちなう!今のあたしはネココよん!」
 こいつ、性別も変わるのか……これで一体いくつのこいつを見たんだ、オレ様は。
「ふーふーふーん。」
 くるくる回りながら《情報屋》は椅子に座る。座った時のポーズだけは変わらねーんだよな。
「それでそれで?何が聞きたいのかしら?」
 ……たぶんこいつの本当の性別は男。なぜなら男声だから。そんな声で女言葉……
「お前気持ち悪いぞ。」
「ひどいわ!ルーちゃんたらあたしのこと嫌いなのね!」
「……あいつらの居場所はつかめたのか?」
 無理やり話を始めるオレ様。
「たっくさんある情報をいくら整理しても無理なの。だって誰の《記憶》にもいないんだもの。本人たちの《記憶》を見ようとしても見つからないの。まーるーでー……この世にいないみたいなのよ?」
 (情報屋)がしているのは鴉間一味を見つけることだ。
 どうもサマエルは《常識》のゴッドヘルパーが発動するのは時間の問題と見たらしく、なんのアクションも起こさない。今まで確認されていたサマエル傘下のゴッドヘルパーも消息を断った。たぶんサマエルが魔法的な空間を作ったのだろうが。
 まぁ実際時間の問題だ。人間の道徳がギリギリの所で止めてはいるが……限界はある。なら発動するまで無理に動く必要が無い。それに戦力の低下もさほど影響しない。サマエルが《常識》を手に入れた時点であいつらの勝利なわけだしな。それだけを目指すのであればそこまで大々的な戦力はいらないかもしれない。
 よって現在できることは……そのサマエルが隠れている空間を見つけることとなるのだが……サマエルはあれでオレ様の右腕を務めていた存在。そうそう見つかるもんじゃない。捜索できるのは魔法の扱いに長けた天使のみであり、それ以外の天使は暇なわけだ。だからその『それ以外』は鴉間一味を見つけることに尽力している。
「あ、おい。そういえばメリーたちは見つかったか?」
「ダメだよ。メリーがあたしの力の対抗策を知ってるからメリーたちは見つけられない。ただ……見つけられないってことはメリーの力が働いているってことだからメリーは生きてるみたいだけど。」
 雨上に言われてすぐにメリーと共に行動していた四人を探したのだが……その時すでに消息を断っていた。つまり、あの時点でメリーはあの四人と合流していたことになるわけだ。
「一体メリーはあの戦いでどこに飛ばされてたんだかな。……お前が言ってた最強のゴッドヘルパーも見つからないのか?」
「見つかんなーい。」
「……まったく役にたたねーな。」
「ひっどーい!」
 ぶーぶー言っている《情報屋》を置いてオレ様は部屋を出る。すると誰かが横から声をかけてきた。
「あなたにとって、状況は良くないみたいですね。」
「ああ。だいぶ悪―――」
 オレ様はそこでかつてない衝撃に襲われた。
「おまっ……・!?!?」
 オレ様が驚愕している顔を見てそいつは子供みたいに笑ってこう言った。
「いいですねぇ。そういう感情があるからこそ生き物を眺めるのは止められない。この事態がどう収束していくのかはわかりませんが、この先も眺めることは止めませんよ?ふふふ。」
「な……ん……で……」
「あっはっは。かつて命を奪いに来た存在とは思えませんね?ルシフェル。」
 笑いながらそいつは去っていった。通りすがりにそいつを見た奴もオレ様と同じように驚愕していた。オレ様はかつてその命を狙った相手の名前を呟いた。
「……神……」


 わたしはおもちゃ屋さんの店主から情報を聞き、しばらく店内のおもちゃを眺めてから帰路についた。ブレイブレンジャーの新しいロボットはなかなか出来が良いみたいだ。これは買いだ!
「しかし……ヒーローか。」
 最近の超能力者の行動は目に余る。テレビ局にまで押し入った奴もいたとか。まぁ、そいつはどうも鴉間一味らしいのだが。
鴉間一味は……これといった大きな動きを見せていない。一味の人間らしい奴が少し騒ぎを起こしているが……それは独断専行なんじゃねーのか?とルーマニア殿が言っていた。
鴉間は別に気にしていないのか、それすらも作戦なのか。わたしにはわからない。一つだけ確かなのは、鴉間一味のゴッドヘルパーは間違いなく強いということだ。そんなのが勝手に暴れたりしたら一般人が被害を受ける。
すでにわたしは一般人ではない。守られる側の人間ではないのだ。そこのところを常に意識して最近は生活しているのだが……
「最近のわたしは……どうも力み過ぎているようだな。花飾に注意されるのも何度目やら。落ち着かねば。」
 我が家に近づくにつれ、いいにおいが漂ってきた。おじいさまは最近フランス料理ばかり作っている。作ってもらっている手前、なかなか文句も言えないのだが……たまには和食が食べたいなと思う今日この頃だ。

「ただいまー。」
 いつものように戸を開き、いつものように挨拶。だが何故か……いつものように「おかえりー」という答えが帰ってこない。んん?
「おじいさま?」
 台所を覗く。誰もいないが……見ると料理の最中のようだ。火はかかっていないが……あのおじいさまが料理を途中で止めるとは……何があったのだろうか。
「おじいさまー。剣ー。」
 家族のことを呼びながらわたしは進む。それなりに広い家なのに三人しか住んでいないからたまに誰がどこにいるのかわからなくなることがしばしばある。しかし声は聞こえそうなもんだが……
「ふむ。まさかドッキリでもしかけているのか?」
 わたしは少しニンマリとしながら捜索を続ける。

 十分くらい経っただろうか。家の中は全て見た。しかし二人の姿がない。どういうことだ?
「あと他に隠れられるとしたら……道場くらいだな。」
 わたしは道場へ向かった。古くてあちこちにガタが来ているが……この歴史の重さがわたしを奮わせる。
「さーて、ここにいなかったらあとはどこを探せばいいのやら。」
 そんなことを言いながらわたしは戸を開けた。
 確かにそこに二人はいた。だが―――
「んなっ!?」
 道場の床に二人は倒れていた。
「て……つ……」
 おじいさまが苦しそうにわたしの名を呼ぶ。わたしはとっさにおじいさまの所へ駆け寄ろうとしたのだがそこで気付いた。二人が倒れている場所よりも奥にもう一人いることに。そいつが立ってこっちを見ていることに。
「遅かったアルネ。」
 電気がついていなので倒れている二人辺りまでしか見えなかった……だからすぐに気付かなかった?いや、違う。こいつは今、明らかに気配を消していた。
「でも……なかなかいい暇つぶしができたから良しとするアル。」
 倒れているおじいさまの横まで来てそいつは立ち止まった。
 声からもわかったが女性だった。あまりわたしと年齢に差があるようには見えない『美女』という言葉がふさわしいその女性は赤いチャイナドレスを着ていた。しゃべり方も考えると……中国人か?
「何者だ!二人に何をした!」
「ちょこっと勝負を挑んだだけアル。ゴッドヘルパーと普通の人間。結果は明らかというものアル。でも剣術も武術の一つで、武術は弱者のモノアル。何が起きるかわからない面白さがそこにはあるアル。実際このおじいさんはなかなか強かったアル。ワタシを相手に十秒ももったアル。」
 わたしはおじいさまを見る。その手には木刀が握られていた。つまり無防備な状況でやられたわけではないということだ。おじいさまの剣術の腕はわたしを遥かに超える。《金属》の力があっても勝てるかどうかという達人。そのおじいさまが十秒しかもたなかった……?
 この中国人は強い。でもなんでここに……
「!まさか……この前みたいにみんなを同時に!」
「リッドのやったあれアルカ。違うアルヨ。これはワタシが勝手にやってるだけアル。本格的に戦いが始まる前にあなたに会いたかったのアル。」
「わたしに……?」
「あなたは青葉を倒したアル。突風を引き起こしたりビームを撃ったりするような超常的(常識)を使わない純粋な肉弾戦。その分野においてワタシと青葉はサマエル様の下で一、二を争っていたアル。あのスーツをまとった青葉はすごいアル。」
 確かに、あれはすごかった。すごすぎて本人にだいぶダメージがあったようだが。
「そんな青葉を倒したあなた。ワタシはゾクゾクしたアル。聞けば《常識》の使い方もワタシと似ているし……興奮したアル。」
 わたしと似ている……?これは大きなヒントだな。覚えておこう。
「それでつい……ここまで来ちゃったのアル。」
「……おじいさまと剣……弟は関係ないだろう。」
「言ったでしょう?暇つぶしアル。」
 ―――!
 いや、落ち着くんだわたし。こういう時こそ冷静さが求められる。
 ……今のわたしには武器が無い。この道場も古い建物だから木造だし……唯一あるとすれば中国人の後ろ、この道場の奥に置いてある真剣だ。なんとかしてあれを―――
「ほら、手合わせを願うアルヨ。」
 すると中国人は後ろにある真剣をこちらに投げてきた。
「……投げるなと言いたいところだがそれ以前に……なぜだ?」
「?あなたは剣士でしょう?」
 そう言いながら中国人は腰を低く構えた。チャイナドレスの……割れ目だっけか?あ、いやスリットか。そこから綺麗な脚が姿を現す。両側にスリットがあって……両脚が出て……なんかエッチだ。
「行くアル。」
 中国人が踏み込む。わたしとの距離は五メートルぐらい。勝又くんみたいに一瞬でその距離を縮めるようなことはなく、普通に走ってくる。
「ふっ!」
 タイミングを合わせて刀を抜き、そのまま中国人の胴を狙う。だが中国人はわたしの刀がその身体に触れる前に上に飛び、わたしを飛び越して道場の外に出た。
「そこは狭いアル。」
 道場の外にわたしも出る。時刻は夕方で、外は夕焼け色に染まっている。道場の中では暗くて見えなかったが中国人はバイクに乗る人がするような皮の手袋をしていた。本格的な格闘技をこの中国人は修得している可能性があるな。さっき気配を消していたことも考えるとなかなかの達人かもしれない。
……ん?なんか違和感を感じるぞ?なんだ?
「さってと!」
 その言葉を残し、中国人はわたしの視界から消えた。
 キュキュッ
 右側からかすかに靴の音。
「そこ!」
 いつの間にか真横に迫っていた中国人に向けて刀をふる。刀は中国人が突き出してきた拳に当たった。
ガキィンッ!
 ……え?
「おー!最高速じゃないとは言え、ワタシの速度についてきたアルカ!」
 わたしの刀は中国人の拳に止められている。わたしの刀は命を奪うような傷をつけるようなことはないが……まったく切れないわけではない。それが一ミリも斬りこめていない!?
「……クスリとの戦いを思い出す。」
「クリスだと思うアルヨ?」
 わたしと中国人は同時に距離をとった。
 ……あの手袋、普通以上の硬さがあるのか?それともそれがこの中国人の力か?
「うんうん。いいアルネー。」
 その場でトントンと足で地面を叩いている。……あ。
「そうか。なんか違和感があると思ったら……その靴か。」
 チャイナドレスなのに靴が運動靴なのだ。普通は……なんかもっと違う靴のはずだ。
「あっはっは。それはそうアルヨ、あんな靴で激しい動きしたらくつずれアルヨ。」
 あんな靴っていうのは……あのなんだかまるっこい靴のことか?名前はわからないけどチャイナドレスといったらあの靴だ。
「次行くアルヨ。」
 再び視界から消える。
 タタッ
 足音が左から来る。拳はダメそうだから次は脚を狙―――
「残念アル。」
 突然お腹に衝撃が走った。正確には右の横っ腹。
 足音は確かに左から来たのに右から!?
「ぐっ!」
 わたしはその場から十メートルほど飛ばされ、地面にゴロゴロと転がる。
 ……十メートル!?ただの蹴りでか!
「っ!」
 中国人の追撃に備えて体勢を立て直す。だが中国人はその場で立ったままだった。
「うん。今日はこのくらいにするアルカ。」
「んな……!?」
「ここで終わらせる気はないアルヨ。あなたにはもっと強くなって欲しいアル。ワタシが全力で戦えるぐらいに。だから今日は教えに来ただけアル。今のあなたじゃワタシには勝てないアル。」
「なんだと!」
「ワタシが本気だったらあなたは今の一撃で死んでいたアルヨ。」
 そう言って中国人は再び視界から消えた。足音は聞こえない。どうやら去ったようだ。
「……くそぅ……」
 わたしはよろよろと立ちあがった。強力な一撃だ。あの細い脚のどこにこんな力が……
「そうだ、おじいさま!」
 わたしはあわてて道場に戻り、倒れているおじいさまを抱えるように起こす。
「大丈夫ですか?」
「ああ……大丈夫だ……」
 おじいさまはちらりと剣の方を見て、わたしを見た。
「……鉄、お前は大丈夫なのか?」
「一発重たいのをもらいましたが……大丈夫です。」
 わたしはふとおじいさまを見て気がついた。
 そう……この人は間違いなく剣の達人だ。それに加えて狭い道場。道場に穴が開いていたりはしていないから……あの中国人もそこまで激しく動き回らなかったみたいだ。そもそも十秒って言ってたし……
 ならばなおさら……何故おじいさまが負けたんだ?さっきのわたしのように広い所で戦っていたわけではないから中国人の攻撃は一瞬の出来事だろう。だが人間の腕、脚の長さはいきなり変わったりしない。ならば相手の間合いなんて一瞬でわかるし、どこまで近づかないとあっちの攻撃がこちらに届かないかなんて一目瞭然。そこにおじいさまという剣の達人。間合いに入った瞬間に勝負が決まるようなものだ。
「おじいさまは……その、どうして負けたのですか?」
 わたしがそう尋ねるとおじいさまは少し驚いた顔をした。
「あやつと戦ったんだろう?それならあやつの異常な目の良さに気付いたろうよ?……」
「目ですか?」
「ああ……あやつな、わしの攻撃を全てかわしやがったのよ。」
「!おじいさまの剣を!?」
「それも……壁際に追い詰められ、逃げ場のない状況で……わしが得意とする剣舞をの。」
 おじいさまの剣舞は《雨傘流》の奥義とも呼べる技が絶妙に組み合わさり、如何なる状況にも対応できる必殺の剣舞だ。それを全て……!?
「まるでわしの攻撃の軌道が全て見えているかのように……な。あれがゴッドヘルパーとかいうもんの力なのかのう……」
 ……正直わたしにはあの中国人の操る《常識》が想像もつかない。至って特殊なことはしていなかった。ただ速く動いて強烈な一撃を放っただけ。
「……とりあえずおじいさま、家の中に。おい、剣!起きろ!」
「…………扱いが違いすぎない?鉄……姉さん……」
「どうせお前は何も出来ずにやられただけなんだろ。」
 わたしがおじいさまに肩をかしながら立ち上がると剣も少しふらつきながら立ちあがった。
「な!お、おれだって……」
「何かしたのか?」
 わたしの問いに数秒間、動きを止めた剣は思い出したかのように言った。
「……そうだ!あの中国人のパンツは白だった!こう、スリットからちらっと―――」
「……」
「……悪かったって、だからそんなクズを見るような目はやめろよぅ……」
「実際クズだ。」
「あ、でもあいつの弱点はわかってんぜ!」
「弱点?」
「ああ。あいつ、たぶん目が悪いぞ。近視かな?じいちゃんに追い詰められた時によ、『良く見えないアル。』っつってメガネをかけたんだ。」
 ん?メガネなんかかけてたかな?


 とあるホテルの一室。普通の部屋よりも数倍高い値段のその部屋に一人の女性が帰って来た。
「ただいまアル。」
 チョアンがドアを開けてまず目に飛び込んできたのは片足立ちでお手玉をしている鴉間だった。
「リハビリアルカ?」
「そうっす。右腕と左脚を早いところ使いこなせるようにならないとまずいっすからね。」
「……他のみんなはどこ行ったアル?」
「それぞれがそれぞれにどっか行ったっす。あ、でもサリラはそこっすよ。」
 サリラは奥のテーブルでトランプタワーを作っていた。
「……でもびっくりしたアルヨ?やっと帰って来たと思ったら『右腕と左脚がなくなったっす。』って五体満足の状態で言うから。」
「サリラには感謝っすよ。前々からお世話にはなってたっすからさらに感謝っす。」
 チョアンはベッドに腰掛け、鴉間を見る。
「……なんすか?」
「《金属》はワタシが倒すアル。」
 どこか楽しげに、別の言い方をすれば得物を見つけた狩人のようにチョアンは言った。
「なんだ、そんな話っすか。別にあっしの許可を取らなくても……」
「リーダーには言っておかないとと思っただけアルヨ。」
 フフフと笑いながらそのままベッドに寝転ぶチョアンを見て鴉間が呟いた。
「……スカート……というかスリットのせいでだいぶセクシーになってるっすよ?」
 実際チョアンのチャイナドレスはかなりきわどいラインまでスリットが入っているので普通に立っているだけでもセクシーである。
「そういう服アル。仕方ないアル。」
「恥じらいはないんすか……」
「あるアル。でもそんなものを通り越して遥かに素晴らしい効果が得られるなら関係ないアルヨ……」
 妖艶な笑みで唇を舐めるチョアン。チョアンを良く知るものでなければその美しい顔立ちからは想像がつかないその邪悪とも言える笑みに驚愕するだろう。それをしかめっ面で眺める鴉間は軽くため息をついた。
「……あっし、《回転》や《時間》は殺せてもチョアンには勝てない気がするっす。」
「ワタシが女であなたが男だから……その時点で遺伝子レベルに勝負がついてるアル。」
 ベッドからぴょんと起き上がってキッチンにあたる場所へ行くチョアンを見ながら鴉間は呟いた。
「まったく……アダムとイヴにリンゴ食わせた奴を恨むっす。」
 チョアンはあははと笑いながらコップにお茶を注ぐ。
「そういえば……それぞれがそれぞれにどっか行ったって言ったけど……ルネットもアルカ?確か今ルネットは指名手配されているはずアル。」
「ああ、テレビ局の襲撃っすか。別にいいんじゃないっすか?ルネットを捕まえられる警察なんていないっす。」
「そうアルカ?中国じゃあの部隊があったアル。」
「ここ日本にはないアル。……うつったじゃないっすか。」
 鴉間はお手玉を空中に静止させ、腰に手を当てる。
「なーんでチョアンはそんなエセ中国人みたいなしゃべり方なんすか?変な日本語っすよ?」
「誰のせいだと思ってるアルカ。」
「…………あっしっすか?」
「そうアル。ワタシが日本語勉強している時にあなたが『中国人っていったら語尾にアルっすね。』って言ったからそれを信じてワタシはこうなったアル。」
「そうだったっすかね……バベルには頼まなかったんすね……」
「アブトルみたいにワタシは勉強家なのアル。」


 「十太もだいぶ強くなったよねー。」
「ムームームのスパルタのおかげだよ……」
 ムームームの特訓の帰り道。自販機でジュースを買って一服しているとこだ。オレとムームームの特訓は最早日課だから苦でもないし、良い運動でもあるんだが……どうしようもなく時間を食う。そろそろ期末テストなんだけどなぁ……
「……オレ、テストがあんだけど。」
「テストは日頃の勉強の成果を見るものであって数日の勉強の成果を見るものじゃないよ?」
「……ごもっともです……」
 くっそぅ……
「勉強も大事だけど……今の世界の方が危ないからね。ごめんね。」
「いいけどさ……なぁムームーム。」
「なぁに?」
「こういうことって前にもあったりしたのか?その……ゴッドヘルパーの存在が公になるような事態。」
 世界……人間が生まれてからの歴史は長い。こういう事態が過去に一、二回あってもおかしくないような気がすんだが。
「今みたいな世界規模クラスはないよ。でもある地域っていう感じならあったよ。」
「へぇ。それはどんなんだったんだ?」
「……いくつかあるけど……有名なのは魔女狩りかな。」
「聞いたことあるぞ、それ。ヨーロッパとかであったって言う……」
「昔……いや今もだけど男性と女性だと女性の方がやっぱり下に見られていた。それが今よりも顕著な時代にね、一人の女性が第二段階になった。彼女が使った《常識》は《流れ》。」
「《流れ》……流体とかのことか?」
「それも含む。彼女は水や空気の《流れ》を操ることができた。でもそれ以上に影響を及ぼしたのは……時代の、世間の《流れ》。流行といってもいい。そういうものを後押しできるってことだった。」
「流行……」
「彼女はその力で組織を作り上げた。男性に対して反乱する女性の組織を。格差に不満を持っていた女性はすぐに集まった。そして彼女の力を目にした。」
「すると……集まった中でゴッドヘルパーの奴がまた第二段階に?」
「そういうこと。そんな連鎖と彼女の《流れ》の力で一気に第二段階の女性ゴッドヘルパーが急増したの。」
「魔法として……か。それはどうやって解決したんだ?」
「その地域の国のゴッドヘルパー部隊と協力して―――」
「部隊?なんだそれ。」
「ああ……そういえば十太には話したことなかったね。」
 飲んでいたいちごミルクの缶をゴミ箱に入れてムームームは話す。
「ゴッドヘルパーの事件っていうのは結構あるからね。毎回毎回協力者を見つけてっていうのはなかなか大変でしょ?だから……こっちで選んだいくつかの国にはゴッドヘルパーのことを教えたんだよ。それでその国がゴッドヘルパーの部隊を作ってくれると……仕事がはかどると。」
「おいおい、教えていいのか?」
「もちろん知ってるのはその国でもトップのトップだけ。超トップシークレットだね。」
「その……教える国っていうのはどうやって?」
「信心深い国だね。神様のお願いを素直に聞いてくれそうなとこ。」
「なるほど……日本はダメなわけだ。」
「そうだね。んで魔女狩りはそのゴッドヘルパー部隊と協力しておさめたんだけど……歴史上では結構残酷な事件になってるでしょ?」
「生きたまま燃やすとか……」
「あれはね、女性の組織が予想外に強かったからなんだ。こっちにもあっちにも死人が出た。しかも《常識》的じゃない死にかたでね。だからああやって隠したわけ。」
「……オレって今、歴史の真実を一つ知ったんだな……」
 ……案外、オレが当たり前に知っている歴史はほとんどが嘘なんじゃないか?
「さ、帰るよ♪」
 ムームームが歩きだした方向はもちろんオレの家だ。

 先輩たち……と言っても三人しかいないんだが、雨上先輩と花飾先輩はゴッドヘルパーであることと日々世界のために戦っていることを親に話していない。つーかたぶんそれが普通なんだろう。
 だが、オレの家は違う。ムームームからこの世界の仕組みを教えてもらったあの時、オレは喜んだ。こんな展開を待っていた。選ばれた存在。かっこよすぎる!と。そんな感じで協力することをオーケーしたらその後ムームームは笑顔でこう言ったのだ。
『よし。それじゃぁ次はご両親に説明しないとね♪』
 おかしいおかしい。そんなんおかしい。だって選ばれた存在だぜ?世界の裏でこっそりと秘密に頑張るヒーローなんじゃ?
『なに言ってるの?君を危険な世界に引き込むんだから、ちゃんとご両親にも説明しないと。』
 そんなこんなでムームームはオレの家にやってきた。さすがに最初はびっくらこいてた両親もムームームが見た目とは違う存在であることを理解した途端、お辞儀をしてこう言った。
『息子を、よろしくお願いします。』
 そうして両親の信用を手に入れたムームームはオレの家に転がり込んだ。無論、そうそう空き部屋があるわけでもないのでムームームはオレの部屋で寝泊まりしている。天界にも家はあるだろうになんでこっちにいるんだか……

「十太。」
 オレが回想にふけりながら歩いていると突然ムームームに手をつかまれた。
「ん?」
「あっち。なんか騒がしい。」
 オレ達がいるのは住宅街。だが道を二~三本外に行けばある程度の町がある。どうもそこで何か起きているようだ。見るとそっちに向かっていく野次馬らしき人がチラホラ。
「……ゴッドヘルパーか?」
「わからない。でも一応行ってみよう。」
 ゴッドヘルパーとして動くには今の情勢はいただけない。超能力者だなんだと言われてしまうと行動に制限が生じる。だから本当に危険な時以外はなるだけ何もしないというのがムームームのいう「上」からの指示だそうだが……ま、そうは言ってられねーよな。

 それなりに大きな通り。バカでかいビルがあるわけじゃないがそれなりに都会してるとこだ。そんなとこの道の真ん中に人だかり。何かを中心にして輪ができる形で人が集まっている。
「……警察が来てんぞ……」
「だいぶ大ごとみたいだね。」
 オレは人だかりをかき分けて中心に進んだ。そうやってたどり着いた先には映画のワンシーンのような光景が広がっていた。
 警官が銃を構え、パトカーの扉を盾にして何か叫んでいる。
『おとなしくしろ!超能力者!』
 銃が向いている先にいるのは一人の女だった。
 長い銀髪に白い肌。さらに白いワンピースに白いジャケット。それだけなら雪だるまなんだがそうはいかない。女には……なんつーかメガネが巻きついてる。ひもを巻きつけてそこに大量のメガネをぶら下げている。そしてメガネをかけている……なんだありゃ?
 その女はめちゃくちゃ不機嫌な顔で立っていた。オレは隣の人に事情を聞く。
「あいつだよあいつ!テレビ局を襲った奴!」
 ……そんな事件があったのか。最近新聞もテレビも見てねーなぁ。いつ見ても超能力者で見る気が失せた。
「もう何人も殺してんだと。こえぇよなー。超能力者って―――」
 そこで隣の人の言葉は切れた。なぜなら……
「だっせー呼び方すんな、バーカ。」
 隣の人は……首から上が無くなったからだ。
 悲鳴があがる。それを合図にするように警官が引き金を引こうとする。だがその前に警官隊は全員上半身が消滅した。ついでにパトカーも吹き飛んで宙に舞う。
 オレはポケットに手を突っ込み、そこにある《ルゼルブル》という熱を溜めておく天使の道具に触れた。
 十メートルほど上空に瞬間移動したオレは下の惨状に息を飲む。
「見っけたぞ、バーカ。」
 着地したオレの前に女がにんまりと笑って立っていた。
「リッドのバトルの資料は持ってるからな、お前のことは知ってんぞ、バーカ。お前だろ?《エネルギー》、カセキタスタっつーのは、バーカ。」
「……は?」
 なんだ最後の呪文は?
「あぁ?読み方違ったか?ったく漢字は難しいんだよ、バーカ。フランスにはんなもんないっつーの、バーカ。」
 野次馬が逃げる中をすり抜けてやってきたムームームが呟いた。
「ああ……力石十太。『力』を『か』って呼んで『石』を『せき』、『十』を『たす』って読んだんだよ。」
「どんな奇跡だ!」
「んま、どーでもいーんだよ、バーカ。チョアンが先に始めやがったからさ、あたしも大急ぎでパーティーの準備っつー話だ、バーカ。誰が来てもよかったんだけど……ま、今回はお前ってゆーことだ、バーカ。」
 女がメガネをクイッと動かす。その瞬間、オレは何かを感じた。何かの……動きを。
「!」
 オレはとっさにムームームを抱きかかえて横に飛んだ。
「あ!?」
 次の瞬間、オレがさっきまでいた場所に穴が開いた。
「……何だ今の。」
 オレはだいぶ驚いたんだが……それ以上に驚いたのはメガネの女の方だった。
「おいおいおいなんだそりゃなんだそりゃなんだそりゃっつー話だ、バーカ!あっはっはっはっは!避けやがった!こいつあたしの攻撃を避けやがったぞ、バーカバーカ!」
 何故か女が大爆笑していた。なんだこいつ。
「初めてだ初めてだよ、バーカ!ヤッバ!楽しすぎるんだよ、バーカ!」
 また何かを感じた。何かが一瞬で集まる感じ。さっき同様、オレは横に飛ぶ。するとさっきまでいた場所に穴が開く。
「偶然じゃねーのな!あはははははは、バーカバーカ!」
 女は腹を抱えて笑っていた。……オレが避けた?オレは何を避けたのかもわかってねーって言うのに。
「最高だ、バーカ!お前、名前はなんだ、バーカ!」
「……ちゃんと読めよ、オレは力石十太だ。」
「チカライシジュウタ?んじゃジュータでいいな、バーカ。」
 ムームームと同じ呼び方かよ……
「あたしはルネット、ルネット・イェクスだ、バーカ!お前とは楽しめそーだ、バーカ!」
 また感じる何か。しかも今度は連続で何回か。
「ムームーム!」
 オレはムームームを抱きかかえて瞬間移動し、再び上空へ。今度はさらに上、あいつが点に見えるぐらいに。
「まじか……」
 下の光景は一瞬で変わった。建物が崩壊し、地面が剥がれる。近くにいた人が宙に舞い、落ちていく。その中心で女……ルネットが大笑いしている。
「あーっはっはっはっはっはっはっは!バーカ!バーカ!」
「十太、ここは逃げるよ。」
 小脇に抱える感じのムームームがそう言った。
「なんで!あんな危険な奴を放っておくのかよ!」
「冷静に、十太。」
 ムームームがたまに見せる真剣な顔でオレを見る。
「今ここで戦ったら確実に被害が広がる。あいつの攻撃は強力、十太が避けるイコール何かが壊れるだよ。」
「……!」
「それに……避けたと言ってもなんのことか十太もわかってないでしょ?そして避けたのは十太が初めてって言った。つまりあいつを倒せるのは十太しかいないってこと。なら十太は今より強くなる必要があるし……まずあいつの攻撃を知らないといけない。考える時間が必要だよ!」
 ……ルネットの攻撃でこの一瞬に何人ケガを……いや、死んだか……わからない。だがだからと言ってここで飛びだしても……
「……その人たちがマジで無駄死に……か。」
「耐えるんだよ、十太。」
 歯を食いしばり、オレはそのまま瞬間移動―――しようとした。だが背筋を走る悪寒を感じた。さっきとは雰囲気が違うが……同じような感覚。それを感じたと思った瞬間、オレの頭上で爆発が起きた。
「うああああああああ!」
 爆発と言うよりは瞬間的な突風。爆風と言った方がいいかもしれない。とにかくそれに押され、オレは地面に向かって吹っ飛ばされた。
「十太!」
「わかってる!」
 地面にぶつかる瞬間、運動エネルギーを熱へと変換、オレは地面から一メートルくらいの高さで一度静止し、そこから着地する。
「逃げんなよ、バーカ。」
 ルネットがスタスタと歩いてくる。ん?……メガネのデザインが変わってる?
「そういう《常識》だから通用しない、効果が無い……そんな相手とのバトルはつまらないし、かと言って普通の奴じゃ瞬殺っつー話だ、バーカ。」
 オレはそこでルネットの顔をはじめてちゃんと見た。そこにあった感情は……快楽……?
「あたしを見ろ、敵意をこめて見ろ!怒り、恨み、殺意!全てがあたしにとっては心地いい意思なんだよ、バーカ!ゾクゾクするだろう?怒りに我を忘れて襲いかかってくるゴミを蹴散らすのは!ワクワクするだろう?恨みを抱いたまま死ぬ姿を見るなんて!今までの奴はその感情が熟す前に死にやがるし、余裕ぶっこいてくたばったりで寂しかったんだ、バーカ!お前は感じさせてくれるんだろう?しぶとく生きてあたしに敵意を抱いてそれでも勝てずにバカみたいに死ぬ姿をあたしに見せてくれんだろう?さぁ、感じさせてくれよ、バーカ!」
 狂気。そんな言葉がしっくりくる表情だった。
 ゴッドヘルパーはその《常識》の影響を受けて人格が形成されるとか。それが日常的に絡むモノであればあるほどその影響は大きい。こいつは一体何の《常識》の影響でこうなった!?
「っ!!」
 オレは本能的にルネットから離れようとした。だがそうしようとした瞬間、ルネットは目にも止まらぬ速さでかけているメガネを身体にぶら下がってるメガネの一つと交換した。すると……
「なっ!?動けねぇ!」
「だから逃げんな、バーカ。じっくり楽しもうぜ?いいとこに連れてってやるからおとなしくしろ、バーカ。」
 まずいまずい!こんなよくわからん奴のよくわからん行為に付き合うなんて!

「そこまでですわ!」

 突然誰かの声が響いた。イマイチどこから発せられた声なのかわからずオレはキョロキョロとまわりを見る。するとずっと抱えた状態のムームームが上を指差した。それに従って上を見る。
「んな!?」
「あぁん?んだありゃっつー話だ、バーカ。」
 オレたちの上にいつの間にかヘリコプターが浮いていた。バタバタとやかましい音を出しながら徐々に降下してくる。よく見るとヘリコプターの扉の部分にメガホンを持った人が立っていた。なんかどっかで見たことある人だぞ……?
「はっ!」
 オレが記憶を検索しているとその人はまだ十メートル以上はある高さから飛び降りた。空中でくるくると回転し、オレの数メートル後ろに華麗に着地した。
「ちっ、めんどくせー奴だ、バーカ。」
 ルネットが舌打ちをした。それに応えるかのようにその人物はフリフリの洋服を揺らしながら胸元に手を突っ込み、そこから警察手帳のようなものを取り出してルネットに突き出した。
対超能力者特殊部隊(C.R.S.L)ですわ!大人しくするのですわ!」
 リッド・アークとの戦いにおいて、そのとんでもない力でリッド・アークを苦しめた《ルール》のゴッドヘルパー、クロアがそこに降り立った。
「うっせ、バーカ。」
 ルネットがそう言った瞬間、クロアを包む爆発が発生した。
「クロア!」
「呼び捨てるなですわ!」
 爆炎の中をクロアは無傷で走り、オレの横を通り過ぎてルネットの方へ向かう。拳銃を前に突きだしながら。
「空気読めねぇ女だっつーんだよ、バーカ!興ざめしちまったよ、バーカ!」
 ルネットがまたもや目にも止まらぬ速さでメガネをチェンジ―――した瞬間、ルネットの姿は幻のように消えた。
「む。」
 走っていたクロアはそれを見て走るのを止め、立ち止まった。しばらくキョロキョロと見まわした後、軽くため息をついた。
「逃げられましたわ!まったく、このアタシは敵に逃げられてばっかりですわ!」
「まぁまぁ。」
 やんわりとした声で歩いてきたのはアザゼル。
「ムーちゃんたち、大丈夫なのだよ?」
「大丈夫だ。助かったぜ。」
「感謝して崇めるがいいですわ。」
 クロアはプンスカしながら降下してきたヘリコプターに戻っていく。
「……アザゼル。これはどーいうことなの?」
 ムームームがオレの腕から抜け出してアザゼルに問いかける。
「うーん……めんどくさいから一度に説明したいのだよ。みんなを集めるのだよ。」
 言いながらアザゼルはクロアが持っていたのと同じ警察手帳的な何かをポケットから取り出してブラブラと揺らした。


 土曜日、私はしぃちゃんの家に向かっていた。となりにはルーマニア。
「今さらだが、鎧にパートナーがいないのはやばいんだな。」
「一応ルーマニアになってるけどってことだよな。なんだかんだでルーマニアはしょっちゅう家に来るからなぁ。そういう意味じゃいい監視役というか……私の家族に害が及ばないような効果があるんだよな。」
「制度の見直しがいるかもな。」
 しぃちゃんが襲われたという話はすぐに私の耳に届いた。幸い大事には至らなかったらしいが、無視できる話じゃない。それに力石さんのところにも敵が来た……というかこっちはだいぶ騒ぎになったから知らない方がおかしいくらいなんだが。
「力石さんが会った……ルネットだっけか。だいぶヤバイ奴なんだな。テレビ局を襲ったのもそいつだって……」
「んああ。ことがデカくなりすぎだぜ。どう後処理すんだか……」
 今日は作戦会議みたいなものだ。クロアさんがこっちに戻ってきたとか。いや、『戻ってきた』はおかしいか。とにかくクロアさんがこの事態に対する対策をしてくれたとかで、その説明を受けに行く感じだ。とりあえず私としぃちゃん、翼、力石さん、速水くんという近場のメンバーが集まった。それに加えて……音々だ。音々はしぃちゃんや力石さんが襲われたということで私が心配になって声をかけた。ま、いざとなったら協力を頼むかもしれないわけだし、紹介をしといた方がいいだろう。本当ならリッド・アークとの戦いで一緒に戦った人全員が集まればよかったのだが同じ関東と言ってもみんなそれなりに距離が離れているし、全員が聞かなければならない用件でもないそうで。というか……私たちが鴉間組の主な標的になっているみたいだし。
「はーるかー。」
 しぃちゃんの家に向かう途中、事前に言っておいた待ち合わせ場所に遠藤音々はいた。
「ありゃりゃ。その人が……ルーマニア?なんか……とんがってるね?」
「どーゆー表現だ……」
 ルーマニアが半目になる。
「とんがってるのは確かだろう。待ったか?」
「んーん。十分くらい前に来たから大丈夫だよ?それよりもボク、こんな格好でいいのかなって不安に思ってたんだよ?」
「……いつも通りの短いスカートだな。」
「ドレスとか着た方がよかった?」
「なんでだよ。」
「だって……すっごいお金持ちの人が来て、しかも場所は歴史ある流派の家なんでしょ?ボク、場違いじゃないかな……」
「大丈夫だよ……それに、速水くんみたいな顔なじみもいるし。」
「エロス大王か……だから晴香は今日、ズボンなんだね?」
「私は基本的にズボンだ。」
「そういえばそうだね?晴香がスカートのとこなんて学校でしか見たことないよ?」
「おい、歩きながらしゃべれよ。間に合わなくなんぞ。」
「そうだな、行こう、音々。」
「うん。」

 しばらく歩いたところで二人目の待ち合わせ人と合流した。
「お久しぶりです。」
 エロス大王こと速水くんである。
「あの頃の天文部が復活ですね。ちなみにお二人とも今日の下着は何色で?」
「速水……君は相変わらず背が低いね?ボクとあんまり変わらないよ?」
「うっ……気にしてることを……」
 そういえばあまり触れなかったが速水くんは背が低いことを気にしている。イケメンという奴なのにもったいないわけだ。
 久しぶりのメンバーに少し楽しくなってきた私はルーマニアが難しい顔をしているのに気付く。
「どうしたんだ?」
「いや……同じ部活だったメンバーがこうして集まった理由がゴッドヘルパーっつうのは……あれか、類は友を呼ぶっつーのか。それとも、実はこんな感じでゴッドヘルパーが集まる理屈でもあんのかと思ってな。」
「雨上先輩みたいなすごいゴッドヘルパーがいるとそうなるんじゃないですか?」
「なるほど、一理あるな。」
「天文部って怖いね?」


 しぃちゃんの家に到着した。玄関の前に大きな黒塗りの車が停まっていたので少し入りにくかったが、なんとか扉の前にたどり着き、チャイムを鳴らす。
『はいなのだよ。』
「その声はアザゼルさんですね。私です。」
『おっとっと!私私詐欺なのだよ!俺私拙者僕はひっかからないのだよ!』
「雨上晴香です。」
『おっとっと!雨上晴香雨上晴香詐欺なのだよ!俺私拙者僕は―――』
『遊ばないの!』
 ムームームちゃんの声が聞こえてきたと思ったら玄関が開く音がした。
「どうぞー。」
 しぃちゃんが開けてくれた。

 相も変わらず広い家の広い部屋に通される。とりあえず驚いたのはクロアさんが座布団の上に正座していたことだった。
「このアタシは和に目覚めたのですわ。鉄心のおかげで。」
 前は座布団の上に椅子をおいてそこに座っていたのに……
「緑茶を冷やしておいたよ。これで全員だろう?」
 部屋(というか広間?)の中には私、翼、しぃちゃん、クロアさん、力石さん、速水くん、音々というゴッドヘルパーとルーマニア、アザゼルさん、ムームームちゃんという天使がいる。あとカキクケコさん。そしてクロアさんの後ろには大きなホワイトボードが浮いていた。
「……鉄心。このお茶菓子はなにかしら?」
 しぃちゃんがお茶と一緒に持ってきたお茶菓子をクロアさんが指差す。
「西瓜饅頭だ。面白いだろう。」
 直径五センチくらいの小さなスイカがそこにあった。これ、お饅頭だったのか。
「さてとなのだよ。」
 みんなで西瓜饅頭とやらの不思議な味を味わっているとアザゼルさんが立ちあがってホワイトボードの前に立った。
「本題に入るのだよー。まずは《C.R.S.L》について話すのだよ。」
 しーあーるえすえる?
「今世間は超能力者に対して嫌な印象を持っているのだよ。それにより、超能力者として分類される未熟で無知なゴッドヘルパーをなんとかしようとしている俺私拙者僕らにも影響が出ているのは知っていると思うのだよ。下手に目立つと行動が制限される可能性がある……これの解決策がクロアちゃんが作った《C.R.S.L》という組織なのだよ!」
 上品に緑茶を飲んでいたクロアさんがそれについて説明をする。
「問題はこのアタシたちが超能力者と呼ばれる存在と同じ存在と見られていること。ならば違うのだということを示せば良い。ということで国に働きかけて全世界公認の対超能力者特殊部隊というのを作ったのですわ。それが《C.R.S.L》ですわ。」
 そこで珍しく黙っていた翼が声を出す。
「なるほど。キチンと認められた存在であるということを言えば問題はないわね。政府が超能力者に対抗するために用意した超能力者……とでも思ってくれれば、少なくとも危険な存在だって理由で何かされたりはしないわ。」
 力石さんがおずおずと手をあげる。
「……軽く流しましたけど……『国に働きかけて』ってなんすか……」
「別にそのままですわ。このアタシを誰だと思っているのかしら?」
 世界有数の超お金持ち。ともすれば顔がきく権力者の一人や二人はいる……か。すごいな。
「今日、明日にでも大々的に発表されますから……すぐに動けるようになりますわ。」
 そういってクロアさんはパチンと指を鳴らした。するとどこから出てきたのやら、執事というかボディーガードというか、そんな感じの人が突然現れ、全員に警察手帳のようなものを配った。
「それが組織の一員である証なのだよ。同時に全世界の味方のゴッドヘルパーにも配ってるから、これでやっと今まで通りに……いや、今まで以上に仕事が出来るのだよ。」
 壁によっかかっていたルーマニアがニヤニヤしながら呟く。
「お前のことだから……もちろんこの組織にはこういう効果とは別に意味があんだろ?」
「さすがルーマニアくん。」
 ニコニコ笑うアザゼルさんはその笑顔を一瞬で真面目なそれに変えた。
「ルシフェルの言う通り。この組織の意味は今後の作戦に大きく関わってる。でなきゃ上から許可が出ないからな。」
 ……突然誰だかわからない人が出現したがこれはアザゼルさんである。
「まず明確にしよう。俺らの敵はサマエルと鴉間だ。」
 ホワイトボードの上でマジックが勝手に動き、『サマエル組』と『鴉間組』と書く。
「サマエルの目的はもちろん《常識》のゴッドヘルパーの発動、その後それを手に入れること。発動の条件はある一定数以上の第二段階の数だが……これが今だいぶ危ないところにあることは知っていると思う。予想してなかった世間の批判のおかげでなんとか限界値には達していないというのが現状だ。そしてサマエルは鴉間のせいで戦力を大きく削られた。故にサマエルは《常識》の発動までその身を隠すことにしたらしい。最早時間の問題だからな。」
「《常識》が発動したら全戦力を集中させて、サマエルの奴は《常識》のもとへたどり着くだろうな。サマエル自身も強いし……オレ様たちでも難儀するぜ。」
「そして、削られたと言っても精鋭のゴッドヘルパー達。こちらの防御網をかいくぐって到達する可能性は高い。よって発動したらサマエルがそれを手にすることは確実と考えていい。」
「確実……ですか。じゃあ私たちは何を……」
「俺らがするべきは《常識》を手にしたサマエルを倒すということなんだが、問題はそこで同時に鴉間たちと戦うことになるかもってことだ。サマエルの目的が達成されるような大きな出来事の瞬間に鴉間たちが何もしないというのは考えにくい。」
「どうせバトることになんなら……各個撃破がいいっつーわけか。」
「ああ。つまり俺らは《常識》が発動する前に鴉間たちを倒さないといけないんだ。」
 時間の勝負か。……時間と言えばメリーさんたちはどうなったんだろうか。あれ以来見つけられないみたいだが。
「これは時間との勝負。だから俺はその時間を出来るだけ稼ぐっていう理由もあって組織を作った。」
「どういうことよ。」
「はっはっは。花飾、そんなこともわからないのか?」
 しぃちゃんがフッと笑った。
「なぜ犯罪がいけないことなのだと、やってはいけないことなのだとわたしたちは思っている?それは学校で教えられたからではなく、やったら罰を受けると知っているからだ。世界が認める公式の、超能力者に対する警察。これの存在は超能力者に対する世論が『異常者』から『犯罪者』に格上げされることを意味する。すると、今まで以上に超能力者というものに抵抗を覚え、ゴッドヘルパーが第二段階になりにくくなるのさ!」
「その通りですわ。さすが鉄心。」
 呆然とする翼だが……しぃちゃんがこういう『組織』とか『敵の目的』などのなんとも分類し難い分野に対して異常な観察眼を持っているのは確かだ。強いて分類するなら『正義の味方と悪の軍団の理論』かな?
「この組織の存在がさらなるブレーキとなり、時間を稼ぐ。だがあくまで稼いでいるに過ぎないことを理解しないといけない。俺たちにはどちらにしろ時間が無い。」
 そこでアザゼルさんはムームームちゃんの頭をポンと叩く。
「俺私拙者僕の説明はここまで。ここからはムーちゃんからの『対鴉間組』についてのお話なのだよ。」
 もとに戻ったアザゼルさんは畳の上に「どっこいしょー」と言いながら座る。そしてムームームちゃんが前に出た。
「さて。それじゃあーたーしから行くよー。今現在判明してる鴉間組のメンバーから。」
 キュッキュと音を立てながらホワイトボードの上をマジックが動きまわり、鴉間組の面々が書きだされた。

 鴉間空 《空間》
 アブトル・イストリア 《物語》
 メリオレ・モディフィエル 《反復》
 ルネット・イェクス 《?》
 中国人 《?》

「鴉間は知っての通り。アブトルとメリオレはこの前来たんだけど……雨上ちゃん以外は襲ってきたことすら認識できていない。ルネットはこの前あーたーしと十太のとこに、この中国人っていうのは鎧ちゃんのとこに来た。会った人にどんな奴か教えてもらいましょう。まずは雨上ちゃんから。」
 突然ズビシと指をさされた私はあわてて答える。
「えっとですね……アブトルさんは……強いんだか弱いんだかわからない人でメリオレさんは意外と仕事してた人です。」
「意味わかんないわよ晴香。」
「意味わかんないよ?晴香。」
 翼と音々に同時につっこまれた。そうか、中学時代の私に対するツッコミ役が音々で今が翼なのか。
「《物語》は……確かに発動するとその中の人物を思い通りに動かせますけど完璧にというわけでもなく、それにその中で攻撃しようともあくまで《物語》の中での出来事なので現実世界にはなんの影響も与えません。実際に出来ることはこちらの足止めとか時間稼ぎ程度らしいです。」
「……弱いんじゃない?それ。」
 翼がボソッと呟いた。
「だがよ、その《物語》の中の出来事が現実に反映されないっていうのはそいつの《常識》なんだよなぁ?」
 ルーマニアが難しい顔で尋ねる。
「ああ。だから……もしもあの人が第三段階とかになったら……この世界の作者、つまり神様に匹敵する。それにこの前は全世界を巻き込んだ攻撃だったからあれだけど……一対一の場合、《物語》の力の精度が上がるかもしれない。アブトルさんが私に話したことだけが出来ること全部っていうのはないと思う。」
「手の内全部見せて説明までするわけはないってか。確かにな。それ以前にオレ様たちを強制的に天界に送るって時点で脅威だしな。」
 ふと見るとムームームちゃんの後ろのホワイトボードに私が言ったことがなんとなくまとめてあった。すごいなぁ。
「ふんふん。それで雨上ちゃん、《反復》は?」
「メリオレさんは……アブトルさんの《物語》を編集するためにいた感じでした。アブトルさん本人の《常識》のせいで一人だと《物語》の修正とかが難しいそうです。」
「ということは……戦闘力は未知数ってことだね。なるほど。んじゃ次はあーたーしたちが会ったルネットね。はい十太。」
 指名された力石さんはすごい困り顔だった。
「どー説明すればいいんだか……」
 しばらく黙ってから力石さんはやはり困り顔で話す。
「あいつは……見えない何かを発射してくる。そしてその何かはかけるメガネによって効果が変わるみたいだった。」
「メガネで変わるってなんなのかしら?」
 翼がクイッとメガネをあげて呟く。
「わからない。ただ……あいつの攻撃を避けたのはオレが初めてらしい。」
「すごいじゃない。ってことはあんたには何かが見えたってことなのよね?」
「そうじゃないんです。何かこう……わからないんすけど何かが集まる感覚というか……収束するというか、何かを感じたんです。」
「十太くんは《エネルギー》のゴッドヘルパーなのだよ。なら感じる何かは《エネルギー》に決まっているのだよ。」
「ですよねー。でもなんつーか……あまり感じたことのないというか……反応が薄すぎるというかなんというか。」
「肝心の十太がこんなんだけど、たぶんあいつと戦えるのは十太だけ。」
「このアタシにも効きませんでしたわよ!」
 クロアさんがすごく偉そうなポーズで叫んだ。
「ん?そういえばクロアはどうして効かなかったの?攻撃が見えないとそもそも否定もできないんじゃ?」
 ムームームちゃんは説明を求める感じでアザゼルさんを見た。
「クロアちゃんはあのリッド・アークとの戦いの後、一時的に無敵モードが使えなくなったのだよ。でもそれを乗り越えたからもうクロアちゃんには何も効かないのだよ。それが何かわからなくてもクロアちゃんに害が及ぶならその『害が及ぶ』という結果を否定するから。」
「んだそりゃ!完全無敵じゃねーか!」
 ルーマニアがつっこむ。クロアさんは勘違いして使っていた自分の力をコントロールできるようになった。ということは文字通りの最強なんじゃ?
「でもでも、RPGで言えば防御力9999の攻撃力1みたいな感じなのだよ。自分に関することはやっぱり自分のことだから完全に否定できるんだけど、例えば銃弾の威力とかを操るのはまだ慣れないのだよ。」
「ありゃりゃ、慣れたら攻撃力9999の防御力9999のチートキャラだね?」
「そうなのだよ……って君は……誰だっけなのだよ。」
 アザゼルさんがそういえばという感じで音々を見る。
「ああ……そう言えば先に紹介すればよかったですね。こいつは遠藤音々。《音楽》のゴッドヘルパーで《物語》の時のラスボスでした。」
 我ながら何を言ってるんだか。文面だけ見るとだいぶ変だ。
「ああ!ラスボス!なるほどなのだよ。確か《音楽》のイメージを具現化する……だったのだよ。すごいのだよ。」
「ありゃりゃ。そんなに褒められてもボクは晴香のためにしか動かないよ?危ないのは基本的に嫌だしね?」
「無理強いはしないのだよ。ところで音々ちゃん、君はどんなゲームが好びぃや!?」
 趣味の世界に入ろうとしたアザゼルさんにムームームちゃんのとび蹴りが決まる。
「ふん!まったく!話がそれたよ。どこまで行ったんだっけ?」
「このアタシにも効かないというところまでですわ。」
「うん……でもやっぱり十太だね。攻撃力が1だし……それに君にはもっと違う所で頑張ってもらうよ。」
「まぁ!まぁまぁまぁ!このアタシを随分と下に見ているようね!」
「クロアちゃん、落ち着くのだよ。というかムーちゃんだけは怒らせないで欲しいのだよ。怖いのだよ。」
 プンスカしながらソッポを向くクロアさんを横目にムームームちゃんは続ける。
「んじゃ次はこの中国人を鎧ちゃんから。」
「うむ!」
 スッと立ちあがるしぃちゃん。
「一つ、わたしと力の使い方が似ていると言っていた。二つ、《常識》のせいかどうかはわからないが恐ろしい運動能力だった。三つ、こいつもメガネをかけるらしい。四つ、チャイナドレスがやらしかった。五つ、なんかすごい美人だった。六つ、パンツは白だったらし―――」
「なんすかその素晴らしい女性は!」
 速水くんがものすごい反応をした。というか途中からどうでもいい内容に……
「是非オレがお相手をします!やらせて下さい!」
「うん。実際あのスピードだからね。速水くんの《速さ》は役に立つ気がするよ。」
「鎧さん!ありがとうございます!」
 速水くんが涙を流し始めた。
「うーんと……こんなもんかな?」
 ムームームちゃんがざっと私たちを見まわしたその時、チャイムが鳴った。
「うん?誰か来たな。ちょっと待っててくれ。」
 しぃちゃんは早足で玄関へ向かう。一瞬の沈黙のあと、そういえばいたカキクケコさんが呟いた。
「なんで鴉間は裏切ったんだ?サマエルを。その理由がわかれば……もしかしたら鴉間と戦わずに済むかもだぜ?」
「んなこたぁねーと思うが……確かに気になるとこだな。たぶんこの前直接やり合ったメリーとかが知ってんだろうけどな。あいつらは今どこにいんだ―――」
 そこでルーマニアの言葉が途切れた。何故か知らないがその場の天使、つまりルーマニアとカキクケコさんとムームームちゃんとアザゼルさんが一斉にひとつの方向を見たからだ。
「……どうしたんだルーマニア?」
「……噂をすれば、だ。」
 戻ってきたしぃちゃんの後ろにぞろぞろと人が続く。先頭はその中でも一際小さな女の子だ。
「おひしゃしぶりね。」
 メリーさんが突然現れた。
「今までどこにいやがったんだ?《情報屋》でも見つけられなかったんだぞ?」
「あたりゃしい仲間が軽く空間遮断ができてね。」
 メリーさん、ホっちゃんさん、ジュテェムさん、チェインさん、リバースさん。それなりに見慣れた人たちの後ろに見慣れない人がいた。その人はやんわりと笑ったたぶん大学生くらいの人で神父さんの格好をしていた。そこまでならまぁ、どこにでもいそうな神父さんなのだがその首に何か色んなモノがぶら下がっている。十字架、六芒星、月に太陽になんとも言えない不思議なモノがとにかくたくさんだ。色んな神様を信じている神父さんなのか?
「おや、その顔は自分のことを覚えていないという顔ですね。まぁ無理もありませんか。」
「えっ……?」
 会ったことがあるらしい。こんな人一度会えば二度と忘れないと思うんだが……
「ほら、小説の話をした。あの中華料理のお店でです。」
「……!あ!あの時の!」
「思いだしてもらえましたか。あの時はどうもありがとうございました。おかげで鴉間空に対抗できました。」
「こにょ人はディグ・エインドレフ。鴉間を追い詰めた張本人よ。」
「つーことはこいつが《情報屋》の言ってた最強のゴッドヘルパーか。」
「ああ……そういえばそんなこと言ってたな……」
 メリーさんはホワイトボードの前に立つ。
「しょうだんがありゅにょ。こにょ前みたいにね。」
「この前?リッド・アーク戦の時のことか?また時間を巻き戻すってのか?」
 ルーマニアがメリーさんを半目で見る。
「しょのとおり。」
「ああ?ふざけんな、いくらお前でも無理だろが。一時間の巻き戻しであれだけバテたんだろ?もしも今回も同様にやるとしたら―――」
「鴉間が裏切ったことによってサマエルの統制が乱れ、結果として呪いを受けたゴッドヘルパーが暴れたのだよ?そう考えるのなら戻すのは鴉間が裏切る手前までってことになるのだよ。何時間、何日じゃない、何カ月っていうレベルなのだよ?」
「あちゃしは……もう以前にょあちゃしじゃにゃいよ?」
 メリーさんがそう言った瞬間、私は一秒ぐらいの時間で生まれてから今までの経験を全て思いだした。一気に時間が遡って生まれる前に戻ってそこから一秒で今の状態に育ったかのようなおそろしい感覚。
「な……メリー、お前……」
「あちゃしはもう第三段階にゃにょよ。」
「すごいですね……こんなことができるんですか……」
「……?こんにゃことって?」
「え……今私にしたことですよ。」
「?」
「?」
 私とメリーさんは互いに首を傾げた。
「……第三段階だからこそ感じる何かがあったのかもな。ちなみにオレ様たちにはただ圧倒的なオーラが感じられただけだったぜ。」
 なんだそりゃ。つくづく思うが第三段階ってそんなに違うものなのか。
「……あちゃしが一度に戻せる《時間》はざっと十年にょ。」
「十年……そりゃ数カ月なんか余裕か……」
「でもそにょ代わりに一日に出来る《時間》の操作は二、三回ににゃったけどね。」
「システムと直結状態だからな。無理もない。つーことはメリー、お前はもう『戦闘』って行為ができなくなったわけか。」
「しょうね。こにょ前鴉間とやったような戦いはもうできにゃい。」
「つまりこーゆーことか?倒すべき敵を全部倒してくれれば後始末は完璧にやってやると?」
「うん。」
 そうか。それなら多少の無茶もできるっていうものだ。最終的に無かったことになるのなら……ん?待て待て?
「それなら今すぐにでも鴉間が裏切る前に巻き戻して……まだサマエルの下にいる鴉間をなんとかすればそもそもこんな事態にもなりませんし、サマエルが隠れてしまうこともないんじゃ?」
 私の発言にしぃちゃんや翼が「おぉ!」と言ったがメリーさんは困った顔をした。
「しょれができればいいんだけどね……じゃんねんにゃがら鴉間とサマエルにはもう《時間》のしょうしゃが効かにゃいにょよ。」
「サマエル様は《ゴッドヘルパー》のゴッドヘルパーですし、鴉間空は《空間》の第三段階。よって二人とも《時間》の操作が効かないのです。」
 ディグさんがやんわりと理由を教えてくれた。
「そうか。結局は二人を倒さないと始まらないわけですね……というかディグさんはなんでここにいるんですか?あなたはサマエルの……」
 私がそう聞くとにっこり笑っているその顔を少し真剣なものに変えてディグさんは答えた。
「自分がサマエル様から受けた命は鴉間空たちを倒すことですので。そこだけは目的が同じなのですよ……みなさんとね。ですが……鴉間を倒した瞬間、自分はサマエル様のため、みなさんの敵になりますのでご安心を。」
 最強と言われる存在……そんな人が味方で敵……
「まぁ、あにゃたは味方である内に攻略法をみちゅけて倒すよ。」
「怖いですねぇ。」
 不思議な協力関係だなぁ……と私が二人を眺めているとまたまたそういえばいたカキクケコさんが呟く。
「メリー側の戦力を使えるなら鴉間組なんか余裕なんじゃね?」
「油断は禁物だよ、カキクケコ。」
 ムームームちゃんがため息交じりに呟き、私たちに向かって言う。
「とにかく、まずは鴉間組だから。各自、いつ来ても大丈夫なように準備しておくこと。仲間との連絡手段は常に持っておくこと。いいね。これで今日のところは解散かな?」
 ムームームちゃんの最後の問いにルーマニアが手をあげた。
「メリー。鴉間が裏切った理由わかるか?」
「……鴉間が《空間》のゴッドヘルパーだかりゃ。」
 さっき気になった疑問に対する答えは至極単純に返ってきた。
「かなり早い段階で第二段階ににゃった鴉間は子供の時にすでにまわりの《空間》を把握できてたにょ。しょうなったりゃ誰でも思う……自分は神様だって。」
 ……確かメリーさんも子供の頃に第二段階になったから子供心に思った『大人になりたくない』っていう考えのせいで身体の成長が止まっているんだったな。
「鴉間にとって世界の中心は自分。常に自分がまんにゃか。それが鴉間にとってあたりまえにゃにょ。だって神様だから。故に、鴉間は……例えるのなら『超自己中心的』な性格ににゃったにょ。」
「それが裏切りと関係すんのか?」
 ルーマニアの疑問に答えたのはアザゼルさんだった。
「……俺私拙者僕たちは最初敵の組織の指導者は鴉間だと思ってたのだよ。それがサマエルの出現によって俺私拙者僕たちはサマエルに視点を変えたのだよ。たぶん、それがキッカケなのだよ。『ボス』っていう位置づけから『敵の中で強い方』っていう位置づけになった……きっとそれが我慢ならなかったのだよ。」
「ああそうか。敵のトップっつーのは見方を変えりゃぁ主人公だもんなぁ……」
 ゴッドヘルパーはシステムの管理する《常識》に対して特別な感情を抱く。それによってゴッドヘルパーの性格というのは少し変になるという。私はせいぜい空をよく見上げるぐらいのものだが……鴉間の場合は効果を実感できてしまったから余計だったんだな。
「……ゴッドヘルパーらしい裏切りなのだよ……」
「ったく……めんどくせぇな。」
 本当にめんどくさそうな顔のルーマニア。だが『めんどくさい』ということはやればできるということだ。ルーマニアはあんまり鴉間やサマエルとの戦いに不安を覚えていないようだ。
「さすがというか何と言うかだなぁ……」
 一人呟きながらなんとなくさっきもらった《C.R.S.L》の証を見る。
「ねぇ晴香。」
 顔をあげると翼も《C.R.S.L》の証を眺めていた。
「これで世間から冷たい眼で見られることはないとしてもさ、人前に出ることにはかわらないんだから結局有名になっちゃうわよね?」
 そうか……超能力者としてでなく、《C.R.S.L》としてバレるわけだから変な眼で見られることはなくとも一度人前に出れば写真とかをとられて一気に『雨上晴香は《C.R.S.L》である。』という情報が広がることになる。クラスの人とか親に何を言われることになるやら……結局めんどくさいことになるなぁ。
「あら、それは心配いりませんわ。」
 私たちの会話に入ってきたのはクロアさん。
「実はそれ、ただの証じゃありませんの。特別な魔法がかけられていてそれを持っていない人からはあなたはあなたに見えないのですわ。」
「つまり……別人に見えるということですか。これを持っていると。」
「だからそう言いましたわ。写真や映像として記録されても別人に見えますわ。」
 なるほど……なら安心だな。


 「鴉間殿。」
「なんすか?」
「すでに全員が準備万端。いつ実行に移すのであるか?」
「予想通りにあっちが動いてるっすから……もう少し待つっす。タイミングが大事なのはアブトルも理解してるっすよね。」
「それは理解しているが……どうも焦ってしまうのであるよ。《常識》が発動してしまうのではないかと。」
「心配ないっす。今のペースならまだもうちょっとかかるっすから。」
「わかるのであるか?」
「あっしは《空間》っすよ?」


 クロアさんが言った通り、翌日のニュースに《C.R.S.L》という言葉が登場した。国……というか国連で大々的に超能力者への対抗策として作られることが決まった組織……みたいな感じで紹介された。どんな人がメンバーかなんてことはさすがに発表されなかったがクロアさんだけは違った。なぜならクロアさんが記者会見みたいなことをしていたからだ。

『超能力者。彼らは自分たちが新しい存在だと……そう言っていますわ。ですが考えてみましょう、仮に彼らが普通の人とまったく違う姿で生まれたのなら……恐竜から人間に地球の代表が代わったように、世代が代わるのだと思えたりもしますわ。ですが彼らは確かに人間であり、普通の人となんら変わりがないのですわ。なら彼らと普通の人との違いは力があるかどうか。拳銃を持っているかいないか程度のことなのですわ。その力を使って悪さをするのなら、法の下に罰するのは当然。そのための組織ですわ。』

 テレビに映っていたクロアさんは別世界の住人に見えるのだが……私と彼女は知り合いなのだと思うと私がどれだけ非日常にいるのかがわかる。最初のころは昼間普通に学校に行って、事件があれば夜に出動……そういう感じでキチンとわかれていたのにリッド・アーク戦からこっち、どうも日常と非日常の境目があいまいだ。
「なんだかなぁ……鴉間とサマエルを倒せば元に戻るのか?」
 というか……終わったら私の『協力』は終わりだ。ゴッドヘルパーのことを記憶から消されて全てなかったことにされてしまうのだろうか?

 ニュースで発表があった次の日、学校の雰囲気が少し変化していた。例の高田くんのように偉そうにしていた超能力者はしぼんだようにその存在感が薄れた。頑張って目立たないようにしている感じだ。悪さをすれば捕まる……普通の警察なんか怖くないとか思っていた超能力者もさすがに捕まえに来る人が熟練の超能力者と聞けば目立ったことはしなくなる。キチンとした後ろ盾がある組織というのはやはり影響力も大きいらしい。
「極端よねー。わかりやす過ぎだわ。」
 翼がざまぁみろという感じの顔でニヤニヤしながら呟いた。今は朝の先生が来るまでの暇な時間である。
「気持ちのいい効果じゃないか!すばらしい!やはり正義の組織というのはいいなぁ!」
 少しテンションの高いしぃちゃんがやって来た。クロアさんから《C.R.S.L》のメンバーである証の警察手帳みたいなものをもらってからというものこんな感じである。
「なぁなぁ、これを出す時はどうやって名乗るとかっこいいと思う?」
「んー……普通に『警察だ。』のノリで『《C.R.S.L》だ。』じゃだめなの?」
「そんな普通の名乗り方があるか!もっとかっこいいものにしないと!晴香、わたしはどうすればかっこいいかな!」
「しぃちゃんの好きな戦隊の名乗り方を参考にすればいいんじゃないですか?」
「《武者戦隊 サムライジャー》の名乗り方は……」
 そう言いながらしぃちゃんは何やらかっこいいポーズをする。
「『悪即斬!極悪非道を斬り捨て御免!武者戦隊!サムライジャー!』」
 クラスの何人かがしぃちゃんを見たがしぃちゃんは気にしない。
「でもなぁ、サムライジャーはサムライという土台があるからこそのセリフのかっこよさだからな。なかなかこれをマネするのは難しいぞ。《C.R.S.L》という組織名から思い浮かぶイメージと上手くマッチするかっこいいセリフが必要だ。」
「とゆーかさぁ……《C.R.S.L》って何の略なのかしらね。」
「ん?クロアから聞いてなかったのか。《C.R.S.L》は《クロア・レギュエリスト・セッテ・ロウ》の略だよ。」
「自分の名前なの!?」
 翼が驚愕する。すごいクロアさんっぽい名前の付け方に私は納得だ。


 「ハクション!」
 俺私拙者僕が最近手に入れた携帯ゲーム機で遊んでいるととなりで紅茶を飲んでいたクロアちゃんがくしゃみをしたのだよ。
「ふふふ!このアタシの噂をしている民がいるようですわ!」
 日本での行動拠点の……びっぷごよーたしのホテルの一室で俺私拙者僕とクロアちゃんはソファに座って暇つぶし中なのだよ。三人は座れるはずなのにクロアちゃんのふりふりもこもこの服がこれでもかってくらいに広がって二人しか座れないのだよ。席取りにぴったりのお洋服のお値段はずばり俺私拙者僕のこのゲーム機二百個分くらいなのだよ。
「この時間、鉄心たちは学校かしら?」
「そうなのだよ。クロアちゃん、学校は?」
「このアタシは超エリートを何人も育ててきた最高の家庭教師の下で勉学に励んでいますので学校なんていう鳥かごには行きませんの。」
「学校をなめちゃいけないのだよ!」
 俺私拙者僕は立ち上がるのだよ。ちょっとびっくりして俺私拙者僕を見上げるクロアちゃん。
「学校にはイベントがあるのだよ!出会いがあるのだよ!友達作るのだよ!恋するのだよ!テスト勉強でさえ楽しい事なのだよ!」
「それって全部ゲームの話なのでしょう?」
「でも!現実があるからこそゲームがあるのだよ!ならば逆説的にゲームにあることは現実にもあるのだよ!」
「でも確か……以前屋上がどうとか言ってなかったかしら?」
「……っ!……っ!…………っ!でも……なめちゃいけないのだよ!」
 呆れて紅茶をすするクロアちゃ―――ってあれれ?良く見たら紅茶じゃなくて緑茶なのだよ。ティーカップに緑茶をいれて飲んでるのだよ!?
「クロアちゃん……カップを間違っているのだよ……普通緑茶は湯飲みなのだよ。」
「そんなこと誰が決めたのかしら?バカゼル、このアタシたちは《常識》を捻じ曲げる存在なのよ?」
「鎧ちゃんが見たら嘆きそうなのだよ?」
「残念ね。鉄心は理解のある人間ですのよ?この前ようかんをナイフとフォークで食べましたけど『ははぁなるほど。普通にそっちの方が食べやすいかもな。』と言っていましたわ。」
「鎧ちゃん……」
 鎧ちゃんはヒーロー以外にはあんまりこだわりがないかもしれないのだよ。それはそれでなかなか面白いキャラクターだけど……むぅ、困ったものなのだよ。
「それにしてもこのアタシたちはこんなに暇でいいのかしら?」
「めずらしく働く気満々なクロアちゃんなのだよ?」
「ふふふ。このアタシもここまで大きなことをしたのは初めてですの。ワクワクしているのですわ。」
「それは良いことなのだよ。でも今は……そうだね、《C.R.S.L》という存在が世界を走っている状態なのだよ。今まで暴れていた超能力者が出方を伺っている時期……次にあっちがどう動くかで《C.R.S.L》の今後も決まってくるのだよ。」
「でもこのアタシたちの目的は鴉間とかいうのを探すことですわよ?時間もないというのに……」
「鴉間たちの動きを待っている時期でもあるのだよ。サマエルはともかく《C.R.S.L》というこちらの動きを前にして何もしないとは考えにくいのだよ……こっちの方も動き待ちなのだよ。」
「めんどうですわぁ……」
 うーんと伸びをするクロアちゃんは可愛いのだよ。どうも鎧ちゃんと仲良くなってからトゲトゲした感じがなくなってきたのだよ。
「……やっぱり持つべきものは友達なのだよ……」
 ねぇルーマニアくん?


 放課後。学校を出た瞬間、ルーマニアから連絡がきた。頭の中に。
『街で厄介な奴が暴れてる。速水が相手してんだがちょいと相性が悪い。すぐ来てくれ。』
 連絡が来たと言うとしぃちゃんも行くと言った。翼は私たちとは担当地域が違う故、そちらでの事件に備えるとのこと。
「どうしよう晴香。名乗り文句を考えてない!」
 走りながらしぃちゃんがそんなこと言った……というかしぃちゃん、走るの速いな!
「……晴香、急がないと。」
「で……でも私は……その…………先に行って下さい……」
「了解!」
 そう言ってしぃちゃんは加速。すぐに視界から消えた。
「……こればっかりは……・どうにも……ならな……い……」
 第三段階の力でなんとかなったらいいのに……体力。

 オレ様と速水は道路の真ん中に立っていた。目の前にはドーム状に展開された車やらなんやらでその身を隠す男。
「大丈夫か?」
「なんとか。でもオレだとあいつには近付けない……いくら速くてもあんなに障害物があったんじゃ……」
 そう、敵は自分のまわりに壁を作っている。完璧な壁があるわけではないが、障害物が多いのは確か。いくら速水のスピードでも潜り抜けることが出来ない数だ。相手の攻撃は避けれないものじゃない。だが速水ではあいつにパンチの一つもお見舞いできないわけだ。
「まーたせたぁ!!」
 よく響く声が聞こえた。振り向くと鎧が走って来るのが見えた。
「ルーマニア殿!速水くん!わたしが来たからにはもう大丈夫なのだが!名乗り文句がないとカッコがつかないんだ!なんとかしてくれないか!」
 どーでもいーことを……つーかダメだ!鐙は一番相性が悪い!
「鐙先輩!敵は―――」
「心配ご無用!わたしの刀に斬れないものはない!あんな壁は!」
 鎧は走りながら路上の車に触れる。するとそこから引き抜かれるように金属の棒が出現し、鐙の手に収まった瞬間、それは鋭利な刀になった。
「雨傘流六の型、攻の一!《竹》!」
 一番外側にある障害物の前で刀をふる鎧。次の瞬間、鎧の刀から極細の刀が撃ち出され、展開された壁を切り裂いていく。だが―――
「何!」
 全ての壁を切り裂いて敵本人へと到達した極細の刀はそいつの手前で停止した。そしてそのまま地面に落ちる。
「一体奴はなんの、おわわわ!?」
 突然鎧が刀を振ります。正確には刀が鎧を振りまわしている。
「なんだなんだ!?刀が勝手に!?」
「鎧!お前じゃ相性最悪だ!あのゴッド―――」
 おっとっと……そういや今のオレ様たちは《C.R.S.L》であって敵は超能力者なんだったな。
「―――あの超能力者が使うのは《磁力》だ!」
「《磁力》……磁石のことか!」
「……ああ……そんなとこだ。」
 暴れる刀を仕方なく手放す鎧。その瞬間、刀は車の……どっかのパーツに戻った。
「あれ?おかしいな……」
 《磁力》のゴッドヘルパーが呟いた。
「いくら力を入れても曲がらなかったのに君が手放した途端ただの金属になっちゃったよ。君はいったいどんな超能力を?」
 相変わらず壁を浮かばせつつこちらに近づいてくるそいつはなかなか余裕の表情。むかつく表情だぜまったく。
「《C.R.S.L》……せっかく超能力を手にしているのに……もったいない使い方してるよな。」
「……力を手にしただけでそういう行動に出る方がよっぽどもったいない気がするんだがなぁ?」
 オレ様の言葉を鼻で笑い、そいつは片腕をあげる。すると展開されていた車や瓦礫なんかが一つの塊になっていく。
「超能力者は選ばれた存在なんだ。当たり前の行動だろう?」
 宙に浮かぶ巨大な塊はオレ様たちに当てるためのものだろうが……残念、発射する前にこっちの主力が来たみてーだ。
「!?なんだ!?」
 突如突風が吹き荒れた。通常ではありえない複雑な軌道を描きつつ駆け抜ける風はその塊を徐々に削って小さくしていく。《磁力》がだいぶ慌てているとこを見ると……あいつが操れる《磁力》の力を超える風速で削られてるみたいだ。
「遅かったな、雨上!」
 オレ様は後ろを振り返る。そこには堂々と立っている雨上―――がいない……?
「す、すみませーん。通して下さーい。」
 集まった野次馬の中から声が聞こえる。
「どいて下さーい、《C.R.S.L》なのですがー……」
 やっと野次馬を抜けて登場したのが雨上だった……
「……かっこわるい登場しやがって……」
「なんだルーマニア。しぃちゃんみたいなこと言って。」
 雨上は片手に《C.R.S.L》の証を、片手に水色の球体を持っていた。確か《箱庭》。
「相手は何の?」
「磁石なんだ晴香!わたしは相性が悪いんだ!」
「《磁力》ですか……そうですね、《金属》……特に鋼はもろにくっつきますしね……」
「良く知ってるな、晴香。」
「……この前授業で言ってましたよ……」
 オレ様は雨上に尋ねる。
「んで、どーすればいいと思う?」
「《磁力》かぁ……ん?ちょっと待ってくれ。」
 雨上は目をつぶる。
「?」
 数秒後、目を開けた雨上は少し上を向いてこう言った。
「今日の天気は『磁力が弱まる』でしょう。」
 次の瞬間、オレ様たちと《磁力》を霧のようなものが包んだ。
「な!?」
 バラバラにされた塊を再び作り直していた《磁力》が驚愕する。浮いていた壁が全て落下したのだ。まるで……《磁力》を操れなくなったかのように。
「なんだ!?どういうことなんだ!?力が……!?」
「速水くん。」
 雨上がそう呟くとすぐさま速水が身をかがめた。
「はい先輩!」
 あたふたしている《磁力》へ超速で迫った速水はそいつの鳩尾に一発拳を叩きこんだ。《磁力》はその場で気絶した。
「おお!速水くん、すごいな。」
「雨上先輩とルーマニアとの特訓のおかげですよ。」

 ちょうど霧が出ていたので全員に魔法をかけ、空へと飛び上がり、その場所から離れた。後始末は《C.R.S.L》の面々がやってくれるらしい。まじでそういう組織を作ったわけだから別にゴッドヘルパーしかいないというわけでもなく、こういうことの事後処理のプロがいるらしい。
とりあえずあの公園に降り、いっしょに連れてきた《磁力》の記憶の消去を行いながらオレ様は雨上に尋ねる。
「さっきのは?」
「さぁ……突然『空』が話しかけてきてな、『かみなりくんがまかせろっていってるよ?』って言うから適当に天気を言っただけだ。実際に雷が何をしたのかは知らない。」
「雷?ってことはあれですかね。」
 速水がひらめいたという感じに話す。
「電磁石っていうものがあるぐらいですから電気と磁力はそれなりに深い関係なんですよ。だからたぶん雷を上手く使って磁力を使用不能にした……みたいな。」
 それを聞いて雨上がなるほどという顔になる。
「そうか。さっきの霧は霧じゃなくて雲だったんだ。そこで弱い幕放電を起こして磁力を狂わせたんだな。人間に害を与えないぐらい弱いやつ。」
「まくほーでんってなんだい、晴香?」
「雲の中で起きる雷ですよ。」
「良く知ってるな、雨上。」
「……《天候》だからな、いろいろ調べてると知識もつくさ。」

 そのあと、家に帰った雨上はパソコンでさっきの事件のことがどう報道されたのかを調べた。それをオレ様も横で見ていたのだが……
「……これ、オレ様か?」
「……私はこれだぞ……」
 クロアの言った通り、オレ様たちはまったく別人で写真とかに映っているわけだが……オレ様はさらさらヘアーでメガネの秀才イケメンに、雨上はものすごく元気な表情をしたツインテールの活発な女の子になっていた。
「「真逆じゃねーか(だな)……」」


 《磁力》のあとにも色々な超能力者が現れた。私にしかわからないことだが、面白い事に全員言うことがザ・マジシャンズ・ワールドと同じで『俺たちは選ばれた人間だ!』なのだ。それしか言うことがないのかと思うほどだ。
「……そのうち超能力者の組織が出来たりしないだろうなぁ……」


 《C.R.S.L》という存在が世界に浸透してきた頃、事件は起きた。
『我々は抗う!《C.R.S.L》の横暴を許さない!我々は次世代を担う存在なのだ!』
 世界中の超能力者が《C.R.S.L》に対して文句を言いだした。そしていやなことに、私の予想通り超能力者が集結して一つの組織を作ったのだ。
 その名は《ネオ・ジェネレーション》……
「ザ・マジシャンズ・ワールドと変わんねーな……」
 ネットで超能力者の組織について調べていた私。そのパソコンの画面を横で覗いているルーマニアがそんな風に呟いた。
 そんなこんなで出来あがった《ネオ・ジェネレーション》という組織は日本に本拠地を構え、現在世界中の超能力者がそこに集まってきている。おそらく《C.R.S.L》の責任者であるクロアさんが日本にいるからだろう。
「まさか……これも《物語》ってことはねーか?雨上。」
「違うと思う……雰囲気が変わってないから。」
「雰囲気?」
「《物語》の中は……例えるならファンタジー世界の住人だった。」
「意味わからん。」
「ファンタジーは非現実的だからファンタジーだろう?でもその中の登場人物にとっては現実だ。《物語》の中だとさ、こういう大変な状況をまるで当たり前みたいに扱ってたんだよ……リアルで宇宙人が来たらパニックだろ?なのにあの世界だと『あー大変だねー。』くらいの感じだったんだ。」
「なるほど……んじゃこれはリアルか。めんどくせー!」
「逆に言えば……現実でこういうことが起こり得たからこそアブトルさんが《物語》を展開できたのかもしれない……」
 私は椅子の背もたれに身体をあずけ、ルーマニアに尋ねる。
「ほっとくわけにもいかないけど……《C.R.S.L》のおかげで第二段階の増加速度が遅くなってる今こそ鴉間を倒すチャンスなんだろ?どっちを優先するんだ?」
「ああ……それなんだがな、逆にこれもチャンスなんじゃねーかと思ってる。」
「どこら辺が?」
「メリーが言ってたろ?鴉間っていう人間は超自己中だってよ。なら、この状況は面白くないんじゃねーか?」
「……そうか。もしも私たちが超能力者の相手をするのを優先したら……鴉間は一時的とは言え、蚊帳の外みたいな扱いになる。」
「常に主人公・ラスボスを望むのなら……な?」
「……超能力者の集団に鴉間か。日本が戦場になっちゃうなぁ……」
「逆に心配なのは超能力者の集団だがな。」
「?」
「今言ったろうが。鴉間はこの状況を良しとしないって。鴉間が行動に出るとしたら?」
「……《ネオ・ジェネレーション》を潰す……か。」
「だろ?超能力者たちは所詮本質を理解していない連中……鴉間が相手じゃ触れることすらできずに皆殺しにされるだろうぜ……」


 「ルネット。ちょっと仕事を頼みたいっす。」
「んあ?なんだよ、バーカ。あたしに細かいことはできねーぞ、バーカ。」
「暴れて欲しいだけなんすが?」
「なら大丈夫だ、バーカ。」
「喜ぶっすよ、ルネット。あなたが戦いの始まりとなるんすから。」
「残念だな、今のあたしはあいつとの戦い以外望んじゃいねーんだよ、バーカ。」
「あ、チョアンにも同じことを頼むっすから伝えて欲しいっす。」
「はは、喜ぶのはむしろチョアンだろ、バーカ。」
「そうっすね……戦闘狂っすからねぇ、彼女は。」
「一対集団なんてなかなかねーからな、バーカ。」


 《ネオ・ジェネレーション》の存在を確認した後、雨上は誰かに電話をかけ、誰かにメールを送った。
「何してんだ?」
「作戦だよ。この前の時みたいな。」
 この前の作戦と言うと……リッド・アーク戦の時の作戦のことだろうな。また何か思いついたってのか、こいつは。いい加減天界の戦術顧問にでも推薦するか。
「《常識》って組み合わせることで出来ることが増えたり精度が上がったりするだろう?そういうのを今の内に考えておくのは悪い事じゃないだろ。」

 リッド・アーク戦の時から……いやそれよりも前から、雨上の観察力というか……応用力は驚くべきものだ。ついこの前まで普通の女子高生やってた奴とは思えない。いい加減理由があるはずだと思ったオレ様は雨上のことをマキナに軽く調べてもらった。だが特筆すべきことはなく、本当に普通の学生だった。

「なぁ、雨上。」
「ん?」
「お前のそのひらめきとか……作戦とかはどこから来るんだ?」
「ああ……たぶん私が《天候》のゴッドヘルパーだからだな。」
「ああ?」
「選択肢の数さ。ルーマニアはこの世界には何種類の《天候》が……天気があるか知ってるか?」
「晴れと曇りと雨と雪と雷……それと台風くらいじゃねーか?」
「あはは。私はずっと空を眺めていて……そこに感情を見出したんだぞ?ルーマニアは人の感情がたった六つしかないって言うのか?」
 ニンマリと意地悪な顔で笑う雨上。
「一口に晴れと言ってもな、快晴なのかどうなのか。風は?気温は?湿度は?色んな要素が追加されてやっと『今日の天気』は言葉になるんだ。『今日は晴れてるけどじめじめするね。』『昨日も晴れだったけどはカラッとしてたよね。』……同じ晴れでもそこには色んな種類がある。私は「空」の感情を借りて戦っているわけだから……私の中には大量の選択肢があるんだ。」
「……そこから自分の望む天気を引っ張り出してきたお前だから……応用力がついたってのか?」
「最初に「空」と会話した時から、私の中にはそういったものがグルグル渦巻くようになったんだ……それを整理してたらいつの間にかって感じだ。」
 雨上晴香。まったく、なんて頼りになるパートナーなんだかな。
「あ。」
 そこで雨上の携帯電話が鳴った。
「はい。……はい、そうです。会わせたい人がいるんです。はい……わかりました。」
 雨上は電話を切り、オレ様を見た。
「今回もすごいことが出来そうだ。」

 次の日、オレ様は雨上の横を歩いていた。
「《音》と《音楽》を会わせる?」
「ああ。」
 雨上とオレ様は《エクスカリバー》に向かっていた。そこで遠藤と合流し、音切に会いにいくのだそうだ。
「組み合わさったらすごいことになると思うんだ。」
「……雨上、字面は似てるが……《音》は物理現象で《音楽》は人間の創作物だぞ?似ているようでまたく別物なんだが……」
「音々はBGMを聞くことで記憶にある映像を引っ張り出し、それを具現化することができる。そして音切さんは……《音》に感情を乗せることができる。」
「それが?」
「それなら音切さんが感情を乗せながらBGMを演奏して音々に聞かせたらどうなるかなと思ってな。」
「なるほど……感情がこもることでBGMはより具体的で鮮明なイメージを引き出す。」
「そんなかんじだ。あ、おーい。」
 雨上が手を振った先に遠藤がいた。
「《エクスカリバー》で晴香と待ち合わせなんて久しぶりだね?」
「そうだな。」
「それで……晴香、ボクをこれからどんな重要人物に会わせるの?天使の偉い人?それとも神様?」
「……私、重要人物に会わせるなんて言ったか?」
「『会って欲しい人がいる。』なんてメールが来たんだもの、そりゃそう思うでしょ?」
「……それもそう……か?いや、そんなに重要人物ってわけじゃない。ただこれから始まる戦いに向けて会っておいて欲しいってだけで。」
「ふーん。」
「久しぶりね。」
 突然二人の会話に一人の女が入ってきた。メリーんとこのチェインっぽいんだがあれよりは軽い感じの女だ。
「あ、お姉さん。」
「うん、お姉さんよ。こっちが遠藤さん?」
「そうです。」
「それじゃ車に乗って。」
「……晴香?この人は……?」
「音切さんのお姉さん。」
「ふーん。音切さんの―――」
 そこで遠藤の顔色がいっきに青くなった。
「うえぇっ!?それって!それって!!」
「行くぞ音々。」
「ちょちょちょ!はりゅか!音切って!ましゃか!?」
「?音切勇也さん。」
「ありゃりゃー!」

 十数分後、オレ様と雨上とガチガチの遠藤は音切の家に着いた。オレ様はここに来るのは実は初めてじゃない。なんどか音切のパートナーの件で来ている。相変わらずぬいぐるみとプラモデルが散乱している家だ。
「いらっしゃい、雨上くんにルーマニアさん。それと……遠藤くん?」
「はひっ!」
 遠藤はもう何が何だかという顔だ。
「《音楽》だってね……オレがそれだったらどうなってたんだろうな。」
 音切がスタスタと自室へ向かうのについていくオレ様と晴香。そしてロボットダンスを極めつつある遠藤。
「適当に座ってくれていいよ。」
 ガチガチの遠藤を引っ張りながらソファに座る雨上。オレ様は壁によりかかる。すると雨上がオレ様を見てこう言った。
「……今ふと思ったけど、ルーマニアって基本的につっ立ってるよなぁ?」
「あ?そうか?」
「作戦会議とか……なんか立ってるイメージが強いぞ。痔なのか?」
「バカ言え。痔の天使なんて笑えねーぞ。」
「なんで二人ともそんなにいつも通りなの!?あの音切勇也の……自宅……」
 遠藤が倒れそうだ。
「……こういう反応が普通なんだぞー……雨上くん。」
 音切が目を細くして呟いた。
「そう言われましても……」
「んまぁ、いいけどな。本題に入ろうか?」
「はい。《音》と《音楽》のですね―――」
 そこからは雨上の作戦の説明、《音》と《音楽》が今できることの確認、具体的な行動を話しあった。


 隔離された空間。どこにもなくてどこにでもあるその空間には一人の男がいた。だだっ広い空間のど真ん中に豪華な椅子を置いてそこに座っているそいつは真っ白なスーツに身を包んだ男だった。
「サマエル様。」
 座っている男の後ろにいつのまにか一人の男が立っていた。名前を呼ばれた白いスーツの男、サマエルは振り向く。
「……なんだ?」
「『先見』が観測致しました。発動は三日後でございます。」
「そうか。いよいよか。」
 サマエルは椅子から立ち上がり、男の方は見ずに問う。
「後悔はないか?」
「……熱でも?」
「冗談だ。オレは悪魔、人間の都合なんか知らん。オレはお前らに褒美を用意し、お前らはそれに釣られた魚。」
「その通り。ですがそれが全てとは思わないでいただきたい。」
「ん?」
「あなた……そのものに惚れこんでいる者もいるということです。」
「……オレに?冗談を言うな。オレはそんな大そうな存在じゃない。オレがやっていることはあの方の意思の続きだ。そして最終的にはあの方に継いでいただくのだ。オレにはこれの先を築けない。」
「ルシフェル……ですか?」
 男がそう呟いた瞬間、男の腰から上はなくなった。血が噴き出すことはなく、もとから上半身など無かったかのように、男の下半身は倒れた。
「人間ごときがあの方を呼び捨てるな。」
 誰もいなくなった空間でサマエルの声が響く。
「それなりに有能な奴だったんだがな……残念だ……ヘイヴィア。」
「うい。」
 男の下半身が転がる場所の横に女が現れた。女はどこかの喫茶店のウェイターが着ているような服装を身に着けていた。長いとも短いとも言えない長さの髪型であり、パッと見でもわかるが、その女は男装している。
「ってうわ。何これ。下半身だけとかやらしー。私に何をさせるつもりよ。」
「勿体無いから保存しておけ。」
「あいにく私には男の陰茎を収集する趣味は無い。」
 女……ヘイヴィアが指を鳴らした瞬間、その空間の遥か上の方から大きな黒い立方体が落下し、男の下半身をつぶした。
「あっは! とんだMプレイね。こいつ、地獄で感じてるかもよ? 女王様に踏まれるよりも刺激的!」
「お前も死ぬか?」
「やめてよ。私はまだ死にたくないもの。それより『先見』から聞いたわ。三日後だって?」
「ああ。」
「……まったく……折角いいポジションにいたのにねぇ?鴉間もアホだわ。別にディグが殺すのを待たなくてもいいんでしょ?私が殺してもいいんだよね?」
「できればの……話だがな。別に構わない。」
「んんっふっふっふ!ご褒美を期待してるわ。」
 そういってヘイヴィアは消えた。
「……もうすぐですよ……ルシフェル様。」


 極々平均的なマンションの一室、ジュテェムとホっちゃんがテレビを見ているリビングでメリーは何かを書いていた。
「何を書いているのじゃ?メリーさんは。」
「アドバイスだそうよ。」
 キッチンで紅茶をいれているリバじいとチェインがそれを眺めがら会話をしている。
「今現在、鴉間と戦えるのはディグとハーシェル……雨上さんだけ。ディグはともかく雨上さんはあの戦いを知らないから、あれで判明した鴉間の弱点とかそういうのをまとめているんですって。」
「ほう。……これから始まるであろう大きな戦い。わしらは何をするべきなんじゃ?」
「メリーさんを守る。でしょ。」
「きちゃいしているにょよ。」
 メリーが紙から顔をあげる。部屋の中を見まわした後、チェインに問いかけた。
「?ディグは?」
「近くの教会に行きま―――帰ってきましたね……」
 ドアを開けて入ってきたディグは雨上と初めて会った時のような普通の格好だった。
「いやはや……本当にこの国はおもしろいですね。」
「にゃにが?」
「教会に行ってきたのですが……神父さんはともかく、そこに来ている人たちの信仰の薄さ。なんだが都合のいい時だけ利用しているような感じでした。」
「お気に召さないってか?」
 テレビからディグへ視線を移したホっちゃんが悪そうに笑うがディグは首をふる。
「自分はすでに宗教などでは人が救えないと言うことを知っていますから。それに固執して縛られるよりも気の向いた時だけ信じてみるという形態はなかなか良いですよ。」
「……そんなもんなのか……」
「そもそも、あともう少しでサマエル様の世界になりますし……世界中の宗教も一変しますよ。」
「鴉間を倒したら敵になる……か。変な関係だよな、おりゃら。」
「まぁ……一カ月も一緒に暮らした人がいますしね。気も緩むというものです。」
 言いながらメリーさんを見るディグ。
「しかし一カ月じゃろう?何もなかったのか?男女が一つ屋根の下。」
「十代二十代ならともかく、二千歳と百歳ですからね。別になにも。」
「しょうだよ。せいぜい一緒におきゃいものしたり海に行ってみちゃりピクニックしちゃぐらい。」
「だいぶ遊びましたね……」
 ジュテェムが笑いながらつぶやく。
「あちゃしはともかく……ジュテェムはいいにょ?」
「何がです?」
「雨上ちゃんのこちょ。」
 メリーがそう言った瞬間、ジュテェムの顔が赤くなる。
「そ、そうですね……この戦いが終わったら……その……」
「お?『帰ったら告白するんだ!』みたいな感じか?青春だなおい!」
 ホっちゃんが茶化す中、ディグだけ真剣な顔でこう言った。
「そんな風なセリフを残して戦死した人間をだいぶ見てきたのですが。」
 なんとなく顔色が悪くなったジュテェムを見ながら、ホっちゃんはふと思いついたようにメリーに尋ねた。
「そういやメリーさん。《常識》っていつ発動するんだ?メリーさんならわかるだろ?」
「……いくらあちゃしが《時間》でも完全な未来予測はふかにょうってにゃんども言ってるでしょう?」
「その正解率は七十パーセントくらいって話か。確かに何度か賭け事もはずれたことがあっけど……少なくとも一番起こる可能性が高い未来なんだろ?参考程度にさ。」
「それに、今のメリーさんは第三段階ですものね。もしかしたらより正確な未来が見れるようになっているかもしれませんし。」
 チェインがそう言うとメリーはため息をつき、両の目をつぶって口を閉じる。
「未来予測ですか。便利なものですねぇ。」
 ディグが感心して独り言を呟くとリバじいが目を細めて言った。
「お主の不老不死の方がよほど便利じゃろうが……」
「いえいえ。サマエル様が世界を手にすれば自分も不老不死ではなくなる可能性がありますから。それに……メリーがいる限り、あなた方も不老ではあるでしょう?」
「他人任せの不老にゃんて不老とはいわにゃいんじゃにゃいかしら。」
 そこでメリーさんは目を開けた。
「ざっと……三日後ってとこね。」


 天界。急増する第二段階の対応に追われる天使が走りまわっている中、資料室の隅っこでマキナはある機械がはき出した数値とにらめっこしていた。
「どうしたのだよ?突然呼びだして。呼ぶならルーマニアくんにするのだよ。その方がマキナちゃんも嬉しばがぁっ!」
 分厚い本の直撃をくらって倒れるアザゼル。
「たまたまあんたが天界にいたから呼んだのよ……これ見て。」
「むむ。ルーマニアくんとのデートの予定表なら俺私拙者僕は惜しむことなくチェックするのだよ!この恋愛マスターに任せるのだよ!」
 手渡された紙を見るアザゼル。そこに書いてあったのは日付だった。
「これは……えっと……うん!?今日から三日後なのだよ!いやいやマキナちゃん、何もこんな忙しい時にデートしなくても!」
「……いつ《常識》が発動するかわからない今の状況。第二段階の増加の仕方なんてちょっとしたことで変わるから予想がしにくい……マキナはちょっとでも情報が欲しいと思ってある機械を起動させたの。」
 アザゼルは資料室の隅っこに置いてある機械を見た。
「あれって……未来予測機なのだよ?でも確かそれって……」
「そう、未来を予測できる存在はこの世にはいない。例え神様でもそれは不可能。未来とは現在の行動の連鎖の結果だからね。未来を予測するという行為そのものも未来を変える要因になる。《時間》や《未来》のゴッドヘルパーは高確率の未来を予測することが出来るけど……百パーセントはあり得ない。」
 マキナは未来予測機と呼ばれた機械に手を置く。
「これは……ずいぶん昔に技術部が作った未来予測機。魔法の力で時間を少し捻じ曲げて観測する。でもその正答率は良くて五パーセント。技術部も無理とわかって作ったものだからしょうがないと思っていた。でもね、さっきマキナがこれを起動して……未来予測をしたら……何が起こったと思う?」
「……《常識》の発動を予測した……そうなのだよ?そして結果としてこの日付が出たのだよ?」
「そう。そして同時にそれが起こる確率もはき出されたんだけど……それがこれ。」
 マキナがつきだした紙に書いてある数値を見てアザゼルは驚愕した。
「な……九十八パーセント!?なんだよこれ!」
「だからあんたを呼んでみたの……理由がわかるかと思って。」
 アザゼルは真剣な顔で呟く。
「……その機械は魔法によって予測された未来を一度分析し、不確定要素の分だけ確率を下げていって最終的な確率をはじきだす機械だ。不確定要素っていうのは……例えば俺が階段を右足から降りるか左足から降りるかっていうぐらいの要素だ。どうでもいいようでいて未来に大きく影響を与える予測不可能な事象。」
「つまり……?」
「九十八ってことはな、その機械が最初に出した予測に不確定要素がほとんどなかったということだ。その機械が故障していないのなら……この予測は九十八パーセントの確率で当たる。」
「……機械をチェックしてみるわ……」
「頼むのだよ。」
 マキナは機械の方を向くと一拍置いてから大きくため息をついた。
「どうしたのだよ?」
「……あんた……いきなり真面目な口調にならないでよ。緊張するでしょ。」
「なんでマキナちゃんが緊張するのだよ。俺私拙者僕には惚れちゃダメなのだよ?」
「あんたは神様の傍に立てるほどの大天使だったのよ!今はこんなんだからいいけど突然口調が変わったら昔のあんたを思い出しちゃってヒヤッとすんの!」
「あっはっは!まだそんな風に思ってくれる人がいるとはびっくりなのだよ。」
「何に言ってのよ……いまだにすれ違ったらあんたに頭を下げる奴だっているし……ルーマニアを見るだけで震えあがる奴もいんのよ?自分の影響力を考えなさいよ……」
「そのルーマニアっていう呼び方で態度を変えた人もいるのだよ。おもしろいのだよー。」
「あんたねぇ……」
 そのまま帰ろうとしたアザゼルはふと足を止めて尋ねた。
「そういえば《常識》ってどこに出現するのだよ?」
「それはもう確定しているわ。日本の関東……ルーマニアの担当地域ね。」
「……なんでわかるのだよ?」
「普通に考えればわかるわよ。《常識》が発動する理由は?」
「第二段階が多すぎるから一度ゴッドヘルパーをリセットする!ためなのだよ。」
「なら、出現地点は第二段階が多い地域に決まってるでしょ。」
「ああ、なるほどなのだよ。」
「今あの辺りは超能力者って呼ばれてる第二段階が集結してるからね……一番多いの。暴動とか起こらなきゃいいけど。」
「まったく、なんて規模の大きな事件なのだよ。」
 やれやれという感じにアザゼルは資料室を出た。



 音切さんの所に行ってから三日後。事件は唐突に起きた。
 お昼の時間。お弁当を広げる私としぃちゃんと翼は教室にあるテレビにくぎ付けになる。
「なんだよこれ!」
「まじかよ……」
 普段テレビはつけないが、あまりのことに先生がつけた。リポーターの人がしゃべる内容はこんなんだった。

『本日正午、渋谷のスクランブル交差点において《ネオ・ジェネレーション》を名乗る集団が超能力を使用し、その場を占拠しました。』

 テレビに映るのはリッド・アークとの戦いの場だった交差点。地面にひびが入り、火の手があがり、かなり大勢の人が真ん中に集結していた。
「あやつら……!」
 怖い顔になるしぃちゃんを翼が止める。私は腕輪に目をやり、ルーマニアに連絡をとる。
『ルーマニア!ルーマニア!』
『ああ。わかってる。』
 ルーマニアはすぐに答えてくれた。
『何だ、どうなってるんだ!?状況は―――』
『落ち着けよ、雨上。ちゃんと話すから。……花飾と鎧もそこにいるか?』
『いるぞ。』
『ちょっと待て……』
 ルーマニアがそう言うと腕輪が一瞬光る。
『……聞こえるか?』
「うわ。なによこれ!」
「この声はルーマニア殿。」
 どうやら二人にも聞こえるようにしたらしい。
「二人とも、心の中でしゃべって。」
『……これでいいのかしら?』
『おお!なんかかっこいいぞ!』
『よし。状況を報告するぞ。』
 ルーマニアは一息ついて一気に話す。
『今日の十二時に《ネオ・ジェネレーション》の奴らが《C.R.S.L》に対して宣戦布告した。人数は数百人ってレベル。今は他の奴らが対応してる。だがこれだけ大きなアクションに対して鴉間が蚊帳の外を決め込むわけはない。きっとあいつも動く。だからお前たちは次の指示を待て。今オレ様たちも今そっちに向かってる。』
『ちょっと待てルーマニア。対応してるのって……その地域担当のゴッドヘルパーなんだろ?多勢に無勢じゃぁ……』
『いや……こっちもそれなりの人数で相手してる。なんせ世界中から集まった仲間がいるからな。』
『どういうことだ?』
『オレ様もイマイチ理解してねーんだがな。三日前、アザゼルの奴が「上」の連中に進言したらしいんだ。三日後に事態が大きく動くってな。しかもいつものアザゼルじゃなくて真面目な方のアザゼルでな。あれでもかつての大天使だからな、「上」の連中も無視できなかったらしい。さすがに全員を集めることは出来なかったが、少なくとも三日で日本のこの場所に来れる奴らは全員来た。』
『どうして日本に集めたのよ。』
『《常識》が発動するとしたらそこだからだ。ゴッドヘルパーのリセットが目的なんだからな、第二段階のゴッドヘルパー多い場所に出現することになる。《ネオ・ジェネレーション》もいるから今現在、日本の関東にゴッドヘルパーが一番いるんだよ。』
『なるほどな。』
『……雨上。』
『なんだ?』
『メリーが戦闘できない今、こっち側の第三段階はお前だけだ。ディグは強いがあいつはサマエルの駒だ。実質オレ様たちの最大戦力はお前ってことになる。』
 私は……そんな重たい言葉に自分でも驚くことにずいぶん冷静に答えた。
『わかった。……《物語》の中での扱いと同じだな。』
『サマエルはオレ様たちが相手をするとして、鴉間は……お前がやることになる。』
『……こんな時にプレッシャーをかけるなよ。』
 私はふふっと笑う。そう言っているルーマニア本人がこの戦いをあまり心配していないからかもしれないなぁ……私が今笑えたのは。
 鴉間の強さも、サマエルの力も知っているのにメンドクサイと言える奴がパートナーなのだから、私もそれなりに自信を持てるというものだ。
『大丈夫さ。私たちにはその昔神様に喧嘩を売った大天使様がいるんだからな。』
『やかましい。』


 俺私拙者僕は戻って来たのだよ。
「ふっふっふ……なつかしいのだよ。」
「そんなに経ってないですわよ、バカゼル。」
 クロアちゃんが横で呟いたのだよ。
 ここは新宿、池袋と並び、山手線のターミナル駅を中心に繁華街が広がる街。ヤングマンの街として知られ、有名デパートや飲食店・専門店が立ち並び、駅前にはワンちゃんの銅像があるその名もSHIBUYA!その歴史は古く、昔々平安時代から鎌倉時代にかけて名をはせた渋谷さんのお家が―――
「なんでこのアタシがこんな場所に駆り出されるのかしら!? 組織のトップは後ろでドッシリ構えるものではなくて?」
「そうだけどそうも言ってられないのだよ。この大きな事件を前にして鴉間組とサマエル組が動かないってのは考えにくいのだよ。俺私拙者僕たちの本命はもちのろんでそっちなのだよ。でもでもだからと言ってこの騒ぎをほっておくのはマズイのだよ。」
「なら他の人にやらせなさいよ。なんでこのアタシなのかしら?」
「彼らが怒っている対象は《C.R.S.L》。ならそこのトップが来ればひとまず矛先は決定するのだよ。余計に暴れて欲しくないから……だからクロアちゃんがここにいるのだよ。」
「このアタシがそんな扱い……屈辱で―――」
「クロア・レギュエリスト・セッテ・ロウ!」
 俺私拙者僕たちが立ってる場所は交差点の端っこなのだよ。そして今叫んだ人がいるのは《ネオ・ジェネレーション》が集まっている真ん中なのだよ。それなりに距離があるのにここまでクッキッリハッキリ声が届くとは……さては応援団出身の人なのだよ。
「……」
 クロアちゃんが億劫そうに自分を読んだ男を見たのだよ。
「それっぽっちの仲間だけでおれたちに挑む気か!」
 ちなみに俺私拙者僕たちの後ろには《C.R.S.L》のメンバー。つまりは世界中にいた仲間なのだよ。それでもせいぜい二十組だから……人数的には四十とちょっとなのだよ。それに対して《ネオ・ジェネレーション》のみなさんは……うん、百人は超えてるのだよ。少なくともー。
「……」
 クロアちゃんはふんわりスカートの横にくっついてるホルダーから愛用の拳銃を抜いたのだよ。
 バキュン。
 クロアちゃんが発砲したのだよってクロアちゃん!?
「呼び捨てるなですわ。そしてこのアタシの話に入るなですわ。」
 銃弾は男の足元に穴を開けたのだよ。
「いきなり撃つとはひきょ」
「バカゼル。」
 男の喚きを完璧に無視してクロアちゃんは尋ねるのだよ。
「なんだか随分と……あの集団の年齢層が広い気がしますわ。」
 《ネオ・ジェネレーション》のみなさんは……確かに広い年齢層なのだよ。ぼっちゃん、お嬢ちゃん、お兄さん、おねえさん、おじさん、おばちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん。
「別に不思議じゃないのだよ。ゴッドヘルパーは基本的に生まれてから死ぬまでの役割なのだよ。」
「でもこのアタシのまわりにいるゴッドヘルパーは若いですわ。」
 クロアちゃんは後ろに並ぶ他のゴッドヘルパーを指すのだよ。
「別に不思議じゃないのだよ。協力者として動くにはそれなりの時間的余裕が必要なのだよ。社会人になるとそういう時間は少ないのだよ。だから学生とかが協力者としては適任なのだよ。そして俺私拙者僕の呼び方はいつからバカゼルで定着したのだよ?」
「アザゼル、バカゼル。母音は一緒ですわ。」
「イギリス人のクロアちゃんが日本語の母音の話してるのだよ!? これは驚きなのだよ。」
「それで……このアタシはあの連中を殲滅すればいいのですわね?」
「殲滅しちゃダメなのだよ。倒すのだよ。」
「面倒で―――」
 クロアちゃんの言葉が途切れたのだよ。なぜなら顔面に火の玉がぶつかったからなのだよ。
「やったわ!やっつけたわよ!」
 向こうの方でとても喜んでいるおばさんがいるのだよ。《火》か《熱》か……それとも他の応用か……とりあえず火の玉をぶつけたのはあのおばさんなのだよ。
「平民の分際で……」
 顔面に当たった火の玉を片手ではらってクロアちゃんは銃を向けたのだよ。
「上流でも中流でも下流でもない下々! 地べたを這いずりまわるゴミ虫以下の『モノ』が! このアタシの顔に何をしたのか理解できているのかしら! 釣り合う代償を持っているのかしら! 高貴な血も家も名もないあなたが差し出すのは命のほかありませんわよ! 服をはぎ取り、恥辱の限りを尽くした後にアイアン・メイデンに放り込んで全身の血液をぬきとってそれと同じ量だけのプラチナをあなたの子孫に要求しますわ!」
 後半とんでもないことを言いながら銃を乱射するクロアちゃん。その数、実に百と三十七。その全てを受けた例のおばさんはその場で倒れたのだよ。
「ク……クロアちゃん?」
「大丈夫ですわ。死ぬほど痛いゴム弾ですから。」
 死ぬほど痛いのを百三十七も受けたらさすがに死ぬと思うのだよ。
 でもしかしバット、クロアちゃんは恐ろしいセリフとは裏腹に落ち着いた表情なのだよ。
「う……うわ……」
「なんだよあれ……」
 《ネオ・ジェネレーション》の皆さんが後ずさりするのだよ。なるほど、ああやってビビらせて無駄な戦いをしないようにというクロアちゃんの作戦なのだよ。鎧ちゃんと仲良くなってやっぱり丸くなってきたのだよ。嬉しいことなのだよ。
「あれだけの人数……アイアン・メイデン、足りるかしら?」
 ……クロアちゃん?
 ちなみにアイアン・メイデンとは……うん、棺桶の裏側にトゲがめちゃくちゃついてて中に入ってふた閉めると『ギャー』ってなる感じの拷問器具なのだよ。
「く……くっそー!」
 一人がこっちに走りだしたのだよ。そんでそれを合図に《ネオ・ジェネレーション》のみなさんがダッシュ!
「来たのだよ。後ろのみんなも気合入れるのだよー。」
 みんなが頷くのだよ。
「……気合を入れる必要はあるのかしら?」
 クロアちゃんが走って来る《ネオ・ジェネレーション》の面々を見て呟いたのだよ。
 瓦礫が浮いていたり砂が舞っていたり目が光ってたり腕が長かったり。いろんな《常識》を捻じ曲げたゴッド……超能力者がそんな不思議な光景を撒き散らしながら来るのだよ。でもやっぱり……そんなに脅威を覚えないのだよ……
「……言い方があれだけど……俺私拙者僕たちと彼らじゃ実力に差があり過ぎなのだよ……」
「あら、わかっているじゃない。」
 クロアちゃんは《ネオ・ジェネレーション》の面々を横目に銃をパカスカ撃ちまくるのだよ。その全てが脚やら腕やらに命中して相手の動きを鈍くしていくのだよ。
「では残りは私が。」
 後ろで気合を入れた仲間の内の一人、どこの部族の出身ですかい? と聞きたくなる格好の男の子がそう言ったのだよ。すると走って来る《ネオ・ジェネレーション》のみんなが……なぜかその場で土下座したのだよ。
「あら。すばらしい力ですわね!」
 嬉しそうなクロアちゃん。
「負けてたまるかー!」
「超能力者の世界を!」
 強制土下座に力づくで対抗する数人が立ちあがるのだよ。
「はぁ……こんな簡単なことをなぜこのアタシが……」
 クロアちゃんががっくりとしたその時、俺私拙者僕の視界の隅に何かが映ったのだよ。
「?」
「どうしたのです?バカゼ―――」
 次の瞬間、土下座体勢の数人が……宙に舞ったのだよ。
「うがぁっ!」
「きゃぁっ!」
 悲鳴をあげながら落下してくる彼らはひどいケガなのだよ。ある人は歯がほとんど折れて口から血を吐きながら。ある人は変な方向に向いた腕を振りまわしながら。
「なんなんですの!?」
「……こっちの味方には極力ケガをさせないようにと言ってあるのだよ……だからこれは……」
 何かが目に見えないほどの高速で《ネオ・ジェネレーション》の人たちをまるで竜巻に巻き込まれたかのように宙に吹き飛ばしていくのだよ。

「甘いアルネ。」

 半分ほどが無残な姿になって地面に落下する。その人間雨の中に悠然と立つ一人の女性。
 赤いチャイナドレスを着こなし、長い黒髪の美女。両手に少し大きめのアタッシュケースを持つその美女は一撃で男を惚れさせる笑顔でこんなことを言ったのだよ。
「折角挑んできたのアル。ちゃんとした攻撃をしてあげないと失礼アルヨ?」
「チャイナドレス……鉄心が言っていた中国人ですわね。」
「やっぱり鴉間組が動いたのだよ。」
「鴉間組?なんだか……そう、日本で言う所のヤクザみたいアル。悪そうアルネー。」
 にこにこしている美女は痛みに呻く人たちの真ん中であははと笑うのだよ。
「ふふ! んま、退屈していたところですわ。このアタシが相手になって差し上げますわ。後ろのみなさんは手を出さないように。」
 そう言いながら後ろを向いたクロアちゃんは絶句したのだよ。
「大丈夫アル。今立っているのはあなただけアル。」
 さっきまで元気一杯で後ろにいた仲間達が……全員倒れているのだよ。無論、天使も。
「あなた以外はそんなに面白そうじゃなかったアル。だから掃除したアル。折角残したんだから……それなりの暇つぶしをさせて欲しいアルネ。」
 その言葉にクロアちゃんがカチンとした。
「あら……あらあらまあまあ! このアタシで暇つぶし!? 何様なのかしら!」
「そう言われても……ワタシの狙いはもう決まっているアル。《金属》との戦いのためのウォーミングアップ程度にはなって欲しいアルネ。」
「《金属》? 鉄心のことかしら?」
「ああ、そうそう。なかなかカッコイイ名前アルネ。」
「鉄心は……このアタシの友達ですわ。」
 クロアちゃんは両手に握った銃をぴたりと美女に向けたのだよ。
「黙って通しはしませんのでそのつもりで。」
「友情アルネ?いいアルネー。でもこればっかりは譲らないアル。久しぶりの―――」
 その時、美女はその容姿からは想像もできない邪悪な笑みを見せた。
「獲物アルヨ。」
「……このアタシはクロア・レギュエリスト・セッテ・ロウ。頭に刻みなさい? あなたを倒す者の名前ですわよ?」
「ワタシはチョアン。チョアン・イーフ。覚えるアルヨ? あなたに屈辱を与える名前アル。」
「マネするなですわ!」
 慣れた手つきで弾を実弾に変え、銃を乱射しながら走りだすクロアちゃん。でもその銃弾が美女……チョアンに届くことはなく、クロアちゃんはとんでもない速度で近付いたチョアンの蹴りを受けて数十メートル真横に飛んで行ったのだよ。
「!? 見えないのだよ!」
 建物の方に飛ぶクロアちゃん。勢いは止まらず、クロアちゃんは激しい音を立てながら窓ガラスを割り、店内へと突っ込んだのだよ。まるでこの前のリッド・アークなのだよ。
「すごいアルネ。」
 両手にアタッシュケースを持ったまま、どこかの旅行者みたいに、いつのまにやら俺私拙者僕の真横に立っているチョアンは右足を、つま先を中心にしてグネグネ回しながら感心したように呟いたのだよ。
「全然手ごたえがないアル。こういうのって……のれんにクギだったアルカ?蹴ったのに蹴った気がしないアル。これが《ルール》の否定の力アルカ。」
「……腕押しなのだよ……」
「そう、それアル。」
 チョアンは俺私拙者僕の方を見るとジロジロと観察し出したのだよ。
「天使が珍しい……わけでもないと思うのだよ?」
「あなたの仲間を攻撃した時、ホントはあなたも含めて全員一撃で倒すつもりだったアル。でも《ルール》がいたからそれはできなくなったアル。まぁでもそれ以外は大丈夫かなって思って一人一人に重たい一撃をお見舞いしたアル。もちろん天使もアルヨ?でも、あなたに攻撃する時に感じたアルヨ。」
「……何をなのだよ?」
「あなただけ格が違ったアル。」
 ……人間には魔力を感知する力はないのだよ。せいぜい天使独特の雰囲気を感じる程度なのだよ。だから……俺私拙者僕が他の天使よりも多くの魔力を持っていることはわからないはずなのだよ。なのに―――
「バカゼル! なにを仲良さそうにしゃべっているのかしら! 裏切り者!」
「誤解なのだよ……」
 クロアちゃんが散らかったお店の中から出てくるなり銃を乱射するのだよ。
「うにゃぁ!? 危ないのだよ!?」
「うるさいですわ!」
 真横にいたチョアンは当然のようにもういないのだよ。
「なんの力なのかしら! 瞬間移動なんてして!」
「クロアちゃん。それは違うのだよ。今真横でチョアンが移動する瞬間をチラッと見たけど……普通に走ってたのだよ……」
「はぁ? じゃああいつは『目に見えない程のスピードで走ってる』ってことなのかしら!?」
「別に珍しくなないのだよ……速水くんだってそうなのだよ。」
「……肉体を強化するタイプかしら……」
 こっちの出方をうかがってるのか、からかっているのか、チョアンは消えたまま出てこないのだよ。
「いいですわ。それなら……」
 クロアちゃんは両腕を広げたのだよ。右と左、それぞれの方向に銃口が向くのだよ。
「『銃弾は真っすぐ飛ぶ。』そんなこと誰が決めたのかしら?『きちんと狙わないと当たらない』そんなこと誰が決めたのかしら?」
 目をつぶりながらクロアちゃんが呟く。
「結論、『銃弾は敵を追尾する』! そういう《ルール》ですわ!」
 そう言って左右の拳銃を乱射。それぞれ十発ずつ放たれた銃弾は本来直進しかしないはずなのに途中で軌道を変え、一つの方向へ飛ぶのだよ。
「あら、これはすごいアルネ。」
 突然現れたチョアンは身体の向きを百八十度回転させて急停止、持っていたアタッシュケースを下に置き、飛んでくる銃弾に向けて両腕を動かしたのだよ。まるで銃弾を捕まえているみたいに……
「一度はやってみたいこと……アルネ。」
 チョアンが両手を開くとそこから銃弾がパラパラと落下するのだよ。その数二十発。
「どこのアニメなのかしら……」
「うん。……というかいつの間にかメガネをかけているのだよ。オシャレなのだよ。」
 いつのまにかかけていたメガネを外しながらチョアンは言った。
「すごいアル。怖い力アル。でもやっぱりあなたは暇つぶし要員アルネ。」
「こ! このアタシを!」
「だってあなたはそこから微動だにしていないアル。これじゃ『ワタシ対あなた』じゃなくて『ワタシ対高性能な拳銃』アル。なんてつまらない戦いアルカ……」
 チョアンは……そこで男が十人いたら十人が胸をときめかせる憂いの表情で呟くのだよ。
「つまらない時代に生まれたアル。昔は戦いと言ったら魂を燃やしながら互いの技を、想いをぶつけあうものだったアル。なのに今ときたら……爆弾一つで終わってしまうアル。キチンと持たないと切ることすらできない武器、筋力が無いと持てない武器、そういう物を使いこなす達人が己の限界を魅せ合う……今はそういうのができないアル。」
「あはは! 何かと思えば……あなた、戦闘バカなのね!」
 クロアちゃんがものすごく偉そうに笑うのだよ。
「そうアルヨ?みんなからは戦闘狂って呼ばれてるアル。だから……ワタシは《金属》……鎧鉄心と戦いたいのアル。しかもあっちはオサムライサンアル。ワタシは中国拳法……異なる文化で生まれた戦闘技術のぶつかり合いアル!」
 そこでチョアンは……何と言うか、ものすごくいやらしくて色っぽい表情と動作でこう言ったのだよ……
「あぁ……ゾクゾクするアル。」
「変態ですわね! あんな変態を友達に近づけさせはしませんわ!」
「ワタシも、ワタシの邪魔はさせないアル!」
 再び消えるチョアン。その数秒後、近くの建物が崩壊したのだよ。ガラガラと落ちてくる瓦礫の中から悠々とチョアンが登場。
「なんていうパワーとスピードなのだよ……」
「ふん! このアタシには何の意味もありませんわ。」
 何のために建物をバラバラにしたのかはわからないけど、とりあえず蚊帳の外になってた《ネオ・ジェネレーション》の人たちがあんぐりとしているのだよ。
「ああ……」
 随分なマヌケ顔になっている《ネオ・ジェネレーション》の人たちを見てチョアンがにっこりとほほ笑むのだよ。
「安心するアル。このお嬢様を片付けたらあなたたちの番アル。」
 ゾッとするみなさんを横目にチョアンは瓦礫を思い切り上に蹴りあげるのだよ。
 ……盛大なパンチラなのだよ……チャイナドレスは危険なのだよ……
「何してるのかしら? あれ。」
 続けて数発、崩した建物の瓦礫を片っ端から蹴りあげるチョアン。蹴りあげられた瓦礫はそれはそれは空高くに飛んで行くのだよ。一メートルくらいの大きさの瓦礫が豆粒になるほどなのだよ。
「! クロアちゃん!」
 いつの間にか消えているチョアン。次の瞬間、俺私拙者僕たちの正面に出現したチョアンは白いパンツを見せながら地面に向けてかかとおとし。まるで隕石が落下してきたみたいな衝撃が走ってコンクリートに亀裂が走ったのだよ。
「わっとと……」
 バランスを崩すクロアちゃんの前、ぐるりと空中前回りをしながら再びかかとおとし。クロアちゃんの頭上に迫るチョアンの足。
同様にバランスを崩していた俺私拙者僕。その時反応出来なかった自分を後で恨んだのだよ。
「ふっ!」
 クロアちゃんの頭に直撃したかかとおとし。クロアちゃんにダメージはないけど、あまりの威力にさっきできた亀裂に足が沈みこむクロアちゃん。
「! クロアちゃん!」
 気付いた時にはもう遅かったのだよ。俺私拙者僕が手を伸ばすと同時に俺私拙者僕の腹に食い込むチョアンの拳。俺私拙者僕はその場から十メートルほど飛ばされたのだよ。
「残念だったアルネ。」
 バク転をしながらクロアちゃんから離れたチョアン。
 そこに降り注ぐのはさっき蹴りあげられた瓦礫。
 クロアちゃんは足が亀裂に挟まり……動けない。
「クロアちゃん!」
 ドドドドッ! と音を立てて積み重ねっていく瓦礫。数秒後、クロアちゃんが立っている場所には瓦礫の山が出来あがっていたのだよ。
「超プリティミラクルチェンジ! アル。」
 その時チョアンが発した場違いすぎる言葉……いや、セリフの意味がわかる人はなかなかのつわものなのだよ。
「それは! 『ピュアピュア魔女・ミラクルつぐみちゃん』の変身セリフ!」
 見るといつの間にか、チョアンの格好がチャイナドレスからミラクルつぐみちゃんの魔女っ子衣装になっているのだよ。
 しかし! つぐみちゃんは中学生! ナイスバディなお姉さんであるチョアンが着ると違和感しかなくて―――ってそうじゃないのだよ!
「マージーカールーマジック!」
 チョアンはこれまたどっから出したのやら、ミラクルつぐみちゃんの魔法のステッキを振り、お馴染みの魔法を発動……
「! まさか!」
 俺私拙者僕はクロアちゃんが生き埋めにされている瓦礫の山を見るのだよ。それなりに魔法に詳しい俺私拙者僕にはわかる……今、あの瓦礫の山に魔法がかけられたことが。
「これでチェックメイトアルネ。」
 一体どうなっているのやら、元のチャイナドレスに戻って相変わらずアタッシュケースを両手に持っているチョアンが俺私拙者僕に言ったのだよ。
「あの魔法は……あなたには解除できないアル。」
「……確かに……術式から原理までさっぱりなのだよ。あんな魔法は見たことないのだよ。」
「それもそのはずアルヨ。あれは日本のアニメに登場する魔法アル。アブトルに教えてもらったアル。」
 チョアンはにっこりと笑ったのだよ。
「本来どこにも存在しない空想の魔法……あれを解除する方法は二つアル。ワタシを倒すかミラクルつぐみちゃんを連れてくるかアル。でも天使は人間に対して手は出せない。手を出せるのは記憶を消す作業の時のみアル。できるだけ干渉しない……それが天使の掟アル。」
「……俺私拙者僕は何もできない……のだよ。」
 瓦礫にかけられた魔法は……あの瓦礫をあそこに固定しているのだよ。つまり魔法を解除しないとあれをどかせないのだよ。
 クロアちゃんは生きているのだよ。もちろん無傷で。
 クロアちゃんは一切のケガをしない……でもそれ以外は普通の女の子。重みで潰れることはないけど……あの瓦礫をどかす力は持っていないのだよ。集中すればなんとか《ルール》の力で脱出できるだろうけど……完璧に身体が動かない状態に加えておそらく真っ暗。今はきっとパニック状態……とても集中なんかできないのだよ……!
「さて……ワタシはここで待機アルからこの雑魚を暇つぶしに潰すアル。ルネットは上手くやったアルカ?」
 ルネット……? まさか、他の場所にも襲撃を!?


 「ジューター! あたしが来たぞ、バーカ!」
 ルーマニアと連絡をとってから数分後、私はそんな声を聞いた。
「晴香! あれ!」
 翼が窓の外、校庭を指差す。見ると真ん中に一人の女性が立っていた。
 手入れをしていないことがまるわかりの思い思いに広がる銀髪。きれいな白い肌。白いワンピースに白いジャケットを来た……それだけなら女優さんみたいな雰囲気のその人は全身に紐を巻きつけていて、そこに大量のメガネをぶら下げている。
「ジュータって力石くんのことだろう? ということはあいつが……」
「ルネット・イェクスですね……」
 なんてことか。学校に鴉間組の一人がやってきたのだ。
「ここにいることはわかってんだ、バーカ! さっさと出てこいよっつー話だ、バーカ!ついでに他の三人もだぞ、バーカ!」
 私、翼、しぃちゃん、そして力石さん。四人の通う学校くらい把握しているか。むしろ今までこうやって来なかったことが不思議なぐらいだ。
「どうすればいい!? 晴香!」
 しぃちゃんが私に問いかける。ここで出ると面倒なことになることは確実だ。でも出なければルネットが攻撃をしかけるかもしれないし……私は何を優先するべきなんだ―――
『雨上!』
 その時、ルーマニアの声が響く。それと同時に校庭にムームームちゃんが現れた。
『今屋上にいる! 三人とも教室から抜けてこっちに来い!』
 私は二人に目配せをし、みんなが校庭に注目している間に教室から出た。階段を駆け上がり、屋上に出る。そこにはルーマニアとカキクケコさん、そして速水くんがいた。
「速水くん!?」
「ルーマニアに途中で拾ってもらいました。オレも戦いますよ!」
 速水くんの《速さ》は実際とても頼りになる。心強い味方だ。
「十太! 戦うよ!」
 校庭でムームームちゃんが叫ぶ。下を見るとムームームちゃんの隣に力石さんが瞬間移動で出現した。一部の教室からざわめきが聞こえる。
「ルーマニア! どうするんだ!?」
「ムームームの奴が任せろと言ってたが……ここは場所が悪すぎるからな……なんとかルネットを移動させねーとマズイ。《ネオ・ジェネレーション》の方はクロアとアザゼルが対応してる。」
「わたしたちはどうすれば―――」
 しぃちゃんがそう言った時、校庭にいるルネットが叫んだ。
「おおー、見えてんぞ、バーカ。屋上に集まってんのがっつー話だ、バーカ。」
 見るとルネットがこちらを見ている。
「とりあえずあたしはジュータ以外興味がないんだ、バーカ。んでもってチョアンの奴から伝言があるっつー話だバーカ。」
「チョアン……? 誰のこと言ってんだ?」
「名前の響き的に中国人っぽいわね。」
「『《金属》・鎧鉄心。あなたが青葉と戦った交差点で待つアル。』っつーわけだ、バーカ。」
 それを聞いてしぃちゃんが表情を変えた。たぶんチョアンというのがしぃちゃんが出会った中国人の名前なのだろう。
「あんな風に言われたら……行くしかないな……」
「罠……かもしれませんよ、しぃちゃん。」
「それはないと思うんだ。一回会ったからわかるんだが、あの人は戦うことが好きな人だ。」
 しぃちゃんは初めて家に行った時、剣道場で見せた武士の表情でこう言った。
「傍から見れば……そう、戦闘バカみたいに言われることがあるだろう。でもわたしにはわかる。あの人の気持ちが。『武』の世界でそれなりの実力を持つと思うんだよ……強い人と戦ってみたいって。あの人は一対一の真剣勝負を仕掛けてくるよ。」
「んま、実際に戦ったことある鎧が言うんだからそれが正解なんだろうぜ。」
 ルーマニアが肩をすくめる。
「だがな、その交差点っつーのは(ネオ・ジェネレーション)がいて、アザゼルたちもいる場所だぞ? まさかそのチョアンってのが全員倒して待ってるってのか?」
「鴉間が集めた精鋭の一人なんでしょ? あり得なくはないと思うわ。」
 翼が腰に手を当ててため息をつく。
「だから、あたしも行くわ。」
「翼……」
「ぶっちゃけここにいてもね……あたしには直接的な力がないから。なら雑魚だけど面倒な《ネオ・ジェネレーション》がうじゃうじゃいるそっちの方がまだ役立ちそうよ。」
「よし! なら俺が鎧とつばさを連れていくぜ!」
 カキクケコさんがドンと自分の胸を叩く。ルーマニアが頷くのを確認すると、カキクケコさんはパチンと指を鳴らす。すると翼としぃちゃんの足元が光り出す。
「魔法で飛んでくぞ。」
「それじゃ……行ってくるよ、晴香。」
「晴香は鴉間をちゃんとやっつけてよね!」
 そう言って二人はカキクケコさんと共に数十センチ浮いたと思うとすごいスピードで飛んで行った。
「さて……私たちはどうする?」
「戦場を移動させたいが……良く考えたらあのルネットってのはテレビ局を襲撃したり、野次馬を殺したりする奴なんだよな。たぶん力石が何言ってもここで始めるだろうな……」
「それじゃ、オレたちは。」
 速水くんが私を見る。
「そうだね……学校から生徒と先生を避難させよう。」
 私は《C.R.S.L》の手帳を取り出す。
「これを見せれば私たちは私たちに見えないから……たぶん、みんなきちんと指示に従ってくれる。」
「そうだな。とりあえずそれだな。……あの裏口みたいなとこから連れ出すぞ。」
 ルーマニアが後者の裏を指差す。
「わかった。のんびりもしてられないから……テキパキ行こう!」
 私は階段へ向かって走り出し、二人もそれに続いた。

 なんだか学校のみんなが騒がしくなった。
「ルーマニアたちが生徒の避難をさせてる。」
 ムームームがそう言うとルネットが笑いだした。
「あっはっは! 賢明だな、バーカ! あたしはジュータがいれば満足だが……少し残念でもあるっつー話だ、バーカ。」
「何が残念なんだ?」
「ジュータがいるからここに来たのは確かだが……もう一つ理由があるんだよ、バーカ。あたしを楽しませてくれる可能性がここにはあるっつー話だ、バーカ。」
「楽しませる……?」
「あたしが考えるあたしと戦える奴が……ここにはいるんだよ、バーカ。」
 先輩たちのことか。雨上先輩は第三段階だし、鎧先輩は単純に強いし、花飾先輩も感情系。どの人もすごい力を持ってるしな。
 というか……こいつも戦いが好きな部類の人間なのか? 言葉の意味を単純に考えるならそうなるんだが……なんか違う気もするんだよな……
「さてと、んじゃ始めんぞ、バーカ!」
 あの、何かが収束する感覚。オレはムームームの腕を引っ張りながら横に移動。その後、地面に穴があく。
「結局なんの予想もなく戦いになっちまったな、ムームーム。」
「そうだね。でもさっきの言葉……戦える奴がここにいるっていうのも大きなヒントだよね。」
「くっそー……つまりは戦いながら考えるしかないわけだ!」
 オレはムームームの手を離し、ポケットの《ルゼルブル》に触れる。
 エネルギー変換。熱エネルギー → 運動エネルギー
 地面から数センチ浮いた状態でルネットの方に高速移動。《ルゼルブル》に蓄えてある熱エネルギーは充分な量だ。《エネルギー》には困らない。困るのは……
「あっはっはっは!バーカバーカ!」
 感じる何か。その瞬間に方向を変える。一瞬前にオレがいた場所に放たれる何か。
 《エネルギー》のゴッドヘルパーのオレが感じるんだからそれは《エネルギー》に間違いない。ムームームの特訓もあってどの《エネルギー》がどういう感じのものかというのはわかるようになった。でも、ルネットが放っているそれはイマイチわからない。今まで生きてきた中で一度も感じたことがない……というわけではない。感じたことはあるはず。なのに何故わからないんだ?
「さーてさて、お楽しみーっつー話だ、楽しめよバーカ!」
 ルネットは楽しそうに身体に巻きついているメガネをとる。
「赤色は~♪」
 オレが避けた後、そこには半円状にえぐれた地面。
「青色は~♪」
 上に瞬間移動したオレの足元には、ドでかい剣でぶった切ったかのような切り口が地面に刻まれる。
「斬撃……」
 オレの腕の中で(脇にかかえている)ぼそりとムームームが呟く。
「黄色は~♪」
 あわてて移動するオレが一瞬前にいた空間が爆発する。
「緑色は~♪」
 爆風にあおられながらも体勢を立て直してすぐに回避行動。一拍遅れて学校の時計が消滅し、そこから校舎を貫通する穴があいた。
「芸達者だなぁ、おい!」
「褒め言葉、ありがたく受け取んぞ、バーカ!」
 とりあえず、逃げるだけじゃ勝てない……なんとかしないと。
「あたしはなぁ! お前との戦いが楽しみでしょうがなかったんだぞ、バーカ。だから普段やらない『調査』なんてしちまったよ、バーカ!」
「調査?」
 オレはルネットの前に着地する。ルネットは両手を広げて堂々と告げた。
「お前は、上下方向には瞬間移動できても横方向にはできないんだろっつー話だ、バーカ!」
 ……ルネットの言う通り。オレは横への瞬間移動はできない。
 《エネルギー》の一つである位置エネルギー。これは重さと重力と高さで決まる。重さはつまりオレの体重で、重力は地球からの力。この二つは不変だ。だから、《ルゼルブル》から得た熱エネルギーを位置エネルギーに変換すると、オレの高さが瞬間的に変わることになる。
 それに対して運動エネルギーというものがある。これは動いている物体が持つ《エネルギー》でその値は重さと速さで決まる。《ルゼルブル》の熱エネルギーをこれに変換すると、オレの速さが変わることになる。
 故に、上下には瞬間的に移動できるのに対して横には高速移動がやっとになるわけだ。
「逃げ回るには中途半端な力だっつー話だ、バーカ!」
「《エネルギー》の使い道は……移動だけじゃないさ!」
 オレは校庭の砂を蹴りあげる。
「行け!」
 《ルゼルブル》の熱エネルギーを運動エネルギーに変換し、蹴りあげた砂の一粒一粒に与える。運動エネルギー、つまりは速さを得た砂は弾丸のようにルネットへと飛ぶ。
 一つ一つは小さくて威力はないが、集まれば砂嵐も同然だ。
「あっはっは! バーカ!」
 ルネットはピョンと後ろに飛びながらポケットからコインをとりだして自分の前に放り投げた。次の瞬間、そのコインが爆発して砂を吹き飛ばす。逆にこっちに飛んでくる砂。
「障壁!」
 ムームームが手を前に出すとオレの前にバリアーみたいなのが張られ、砂を防ぐ。
「くっそ!」
 オレは砂煙から脱出。……一度退く!
「砂が邪魔っつーんだよ、バーカ……」
 オレとムームームは砂煙で見えない内に、校舎の中に移動した。
「……どこ行った? かくれんぼって歳でもねーっつーんだよ、バーカ。」
 ルネットも、ニヤニヤしながら校舎へと入ってきた。

 まずい。このままじゃすぐに負ける。なんとか対策を……
「ムームーム。なんかわかんねーか? あいつの《常識》……」
 オレとムームームは雨上先輩の教室に移動した。いつのまにやら生徒は一人もいない。たぶん、速水がスピードをあげたり、ルーマニアが魔法を使ったりして移動させたんだろう。ありがたいことだぜ。
「考えるんだよ十太。それなりにあいつも手の内を見せてるはず。分析だよ……」
「分析……か。」
 リッド・アークとのバトルん時の雨上先輩の作戦はすごかった。あれくらいのアイデアとひらめきがあればなぁ……
「まず、十太が感じているんだから《エネルギー》ではあるよね。《エネルギー》にはどんなものがある?」
「えぇっと、運動、位置、弾性、化学、熱、光、電気、音……アインシュタインの相対性理論的には静止エネルギーってのもある。」
「その中で……あんな爆発を起こしちゃうようなモノ……あ、いや……これはゴッドヘルパーの上書きでどうとでもなるね。問題は十太が感じているのにそれがわからないってことだね。」
「そうだぜ。なんでわかんねーんだろう?」
「例えば……その《エネルギー》の量が微量だからとか……」
「それか……普段あまりに当たり前に感じてるからわからないか……」
「普段感じてると言ったら……太陽だよ。熱と光は常に感じてるはず。」
「でもさ、熱は……さすがにわかる。温度っでいうモンがあるから。一番感じやすいはずだ。」
「じゃあ光?」
「それも違うと思う。そもそも《光》は……相楽っていう人だろ?」
 相楽光一。雨上先輩の先輩。《光》のゴッドヘルパーで、雨上先輩の最初の敵。今は記憶を無くして普通に生活している。
「《光》じゃなくても光エネルギーを使えるゴッドヘルパーはいるよ。」
「……仮に光エネルギーだとしても……感じ方が弱すぎる。ろうそくの灯でもオレは光エネルギーを感じとれる。なのにこんなに弱い感じ方……光だとしたらその光源に検討がつかない。」
 光るモノっていうのは明るいことが目的なんだからそれなりに光エネルギーを発する。ルネットが何かを発射する前にオレが感じているモノが光エネルギーだとしたら……その光源は何万光年と離れたとこにある星の光以下だ。あまりに小さすぎる。
「だいたいそんな微少な光を操るゴッドヘルパーってなんだよ……」
「そうだね……またふりだしだ。」

「ずいぶんとお悩みだな、バーカ。」

 オレとムームームが隠れていた教室の隅。そこから対角線上にある教室の入り口にルネットが立っていた。
 まずい! 考えるのに忙しくてまわりを見てなかった!
 教室の隅。そこはつまり逃げ場がない……!
「紫色は~♪」
 ルネットが今かけているメガネを指差す。紫色のレンズのメガネだ。
「この建物には今ジュータたちしかいないからな、これですぐに見つけられるんだ、バーカ。」
 言いながらルネットはメガネを黄色いモノに変える。
「さぁ……この状況をどう切り抜けんだ、バーカ!」
 収束する何か。メガネの色で起こることが変化するなら、黄色は爆発。
 なら一か八か! 《エネルギー》を奪う!
「くっそぉぉおっ!」
 ドガァン!
 オレとムームームがいた場所そのものが爆弾に変化したかのように、超至近距離で破裂する爆発。鼓膜を震わせる轟音。肌を波打たせる衝撃。
 そしてオレたちは落下した。
「あん? ちょっと加減を間違えたぞあたしっつー話だ、バーカ。」

「いっつ……」
 頭がグワングワンしている。背中も痛い。
「十太! 大丈夫!? 動ける!?」
「なん……とかな。」
 オレは上を見る。そこにはぽかりと大きな穴があいていた。
 オレたちがいたのは四階。つまりここは三階の教室だ。爆発で床が砕けたらしい。落下した時に頭を打たなくてよかった。
「よく生きてるな……オレ。」
「とりあえず動くよ! あの穴の傍にルネットがいるんだから! 上から狙われる!」
 言いながらオレをひっぱって教室からでるムームーム。
 至近距離での爆発。たぶんムームームがとっさに障壁を張ってくれたんだろう。でなきゃ生きてられるわけがない。
「助かったぜ、ムームーム。」
「それはこっちのセリフだよ。十太が爆発の《エネルギー》を吸収してくれなかったら危なかったよ。障壁を張る時間もなかったしね。」
「……え?」
 ムームームは障壁を張ってない? そんなバカな。それだと……オレが爆発の《エネルギー》をほとんど奪ったから助かったってことになる。
「ムームーム……マジで障壁を張ってないのか?」
「? 何言ってるの?」
 走りながらムームームは不思議そうな顔でオレを見た。
 オレは手を開いたり閉じたりしながら、あの爆発が起きた時にオレが奪った《エネルギー》の量を確認する。
 ……爆発だぜ……? ろうそくがポッと灯るのとはレベルが違う。それが火薬を使うのであれ、薬品を使うのであれ、そこに発生する……いや、必要な《エネルギー》はかなりデカい。床を砕くような爆発なら当然、それ相応の《エネルギー》がいる。
 なのになんで……オレが奪った《エネルギー》の量はこんなに少ないんだ?
 待て……さっきムームームも言ってた。爆発そのものを引き起こすのは《常識》の上書きで引き起こすことができるから……《エネルギー》の問題ではないって。
 つまり、あいつが放っている『何か』が持っている《エネルギー》が少ないってことだ。
 再び奪った《エネルギー》の量を確かめる。やっぱり少ない。
 種類で言えば……光エネルギーに近い。だけどこの量じゃ電球の明るさにも届かない。

 明かりと感じられないほど微量な光エネルギー。
 メガネで変わる効果。
 《エネルギー》のゴッドヘルパーであるオレがこうやって直に手にしないと種類がわからないほど……普段から感じすぎているもの。

「……まさか……」
 オレは立ち止まった。引っ張っていたムームームがオレの急停止のせいで少し宙に浮く。
「どうしたの、十太。」
 多少焦り顔でオレを見るムームーム。
「……試してみたいことがある。」
「! 何か気がついたんだね?」
 オレは頷き、まわりを見まわす。
「……よし……」
 そしてオレは男子トイレに入った。


 あたしと鎧(とカキクケコ)はあの交差点に到着した。そこには《ネオ・ジェネレーション》の連中と、それの対応にやってきたアザゼルとクロアを含む《C.R.S.L》と、鎧をここに呼び出したチョアンという鴉間組の一人がいるはずだった。
 実際、そいつらはいた。だけどあたしたちの予想とは異なる状況だった。
 倒れ伏しているのはたぶん《C.R.S.L》の面々。天使とゴッドヘルパーの組み合わせが何組かいるけれどその全員が倒れている。
 そこから少し離れたところにはアザゼルが立っていて、傍には山みたいに積み上げられた瓦礫。クロアの姿は見えない。
 交差点の真ん中あたりで、あり得ない方向を向くか欠損している自分の身体の一部をおさえながらゾンビみたいなうめき声を上げている《ネオ・ジェネレーション》。
 そして、倒れている《ネオ・ジェネレーション》の連中の真ん中で立っている人間がいる。
 赤いチャイナドレスを着て腕を組んでいる女。両脇に少し大きめのアタッシュケースを置いていて、あたしたちの到着を見て笑顔になった。鎧の表情が少し変わったから、たぶんこの女がチョアンとかいう中国人ね。
 そして、あたしたちの予想の中にはいなかった人物がチョアンの横に立っている。
 男の子か女の子かよくわからない容姿の子供。一瞬人質か何かと思ったけどそうじゃないみたいね。なぜならその子はさらに隣に立っている男と手をつないでいるから。
 真っ黒なスーツに身を包み、サングラスをかけ、髪をオールバックにしているその男の名前は鴉間空。あたしたちの最大の敵がそこに立っていた。
「あ、誤解しないでほしいアル。」
 最初に声を出したのはチョアン。
「ワタシはあなたと一対一をするつもりアルヨ、鎧鉄心。」
 名前が出た鎧は軽く深呼吸した後、声を張り上げて言った。
「それはわかっている。あなたは武人だ。だから尋ねよう、なぜそこに鴉間がいる。」
「それはっすねー。」
 間延びした声で鴉間が答える。

 ……変ね。メリーさんが教えてくれた情報と違うわ。メリーさんは、第三段階になったって話をした後、鴉間が負ったであろうダメージを推測してくれた。
 メリーさんと……ディグだったかしら? その二人との戦闘で鴉間は《空間》という《常識》が存在する以前の世界を体験したことで身体のどこかが消滅しているはずらしいのよね。腕がないとか、脚がないとか。
 だけど、目の前にいる鴉間は五体満足。一体どういうことなのかしら?

「あっしの作戦のためっすよ。」
「……作戦?」
 鎧が身構える。
「あっしからしたら……そちらのみなさんはもちろんすけどサマエル様も倒さないといけないんすよ。なのにサマエル様は隠れたまま。これはイカンすよね?」
 言いながら鴉間は横を指差した。指の方を見ると、そこには野次馬に混じってテレビの撮影で使うようなカメラを持った人が見えた。ようはマスコミね。ま……こんだけの騒ぎだし、テレビ局の一つや二つ……
「きっとあのカメラの向こうにはこの交差点の光景を興味深く見ている人がいるっす。あっしはその人達にメッセージを伝えに来たっす。」
 メッセージ……?
「聞くっす!」
 そこで鴉間は声を大きくした。
「あっしは鴉間空! 超能力者っす!」
 ? なに言ってんの……こいつ。
「あっしもねぇ、超能力者こそが新しい時代の担い手だと思ってるんす。《ネオ・ジェネレーション》の思想は素晴らしいっす! でも、ただの人間に貧しい奴とリッチな奴がいるように、超能力者にもピン、キリがあるっす! 例え超能力者でも雑魚は雑魚! いらないっす!」
 言いながら鴉間は指をパチンと鳴らす。すると鴉間のまわりに転がる《ネオ・ジェネレーション》の連中の身体が……真っ二つになった。
 思わず目をそむけたあたしの耳に響くのは野次馬として集まった人たちの悲鳴。
噴き上がる鮮血の中、鴉間は両腕を広げて叫ぶ。
「あっしは《空間》を操る力を持っているっす! どこであろうと一瞬で移動し、一瞬で相手を殺せるっす! 今からあっしは……有能な超能力者だけを残して、他を全て殺すっす!」
 !? 何それ!
「今テレビを見ている奴! あっしはお前の元にも行くっす! 死にたくなかったら有能な超能力者として目覚めるっす!」
 鴉間……何が目的なのよ……!?
「! マズイぞつばさ!」
 カキクケコが叫んだ。
「今のがテレビで放送されたなら……それを観た奴は必死で自分が超能力者であることを願う! 一気に第二段階が増える!」
「! まさか、《常識》を発動させてサマエルをおびき出すっての!?」
 でもそんなに上手く……いや、あり得るわね。
 鴉間組の一人と思われる力石が出会った奴。あいつはテレビ局を襲撃したりしていた。これによって超能力者への恐怖は確実に植え付けられている。
 そして、《ネオ・ジェネレーション》という超能力者の組織をカメラの前で殲滅。本気であることもアピールした。効果は充分!
「……! 晴香!」
 あたしはとっさに親友に連絡をとった。


 私は先輩と戦ったあの公園にいた。
 とりあえず、《C.R.S.L》として生徒を避難させた。速水くんの《速さ》の力で生徒の移動速度を上げて迅速に移動させ、ルーマニアが魔法でつくりあげた……ワープトンネルみたいなのに全員を誘導した。そのトンネルの先があの公園だったわけだ。そこからは、生徒全員に学校から出来るだけ離れるように指示をした。蜘蛛の子を散らすみたいに逃げていく生徒たち。瞬く間に、公園にいるのが私と速水くんとルーマニアだけになった。
「力石さんは大丈夫かな。」
「鎧さんと花飾さんも心配ですね。」
「雨上、どうする?」
 ルーマニアはさも当然のように私に尋ねてきた。
「……私よりもルーマニアの方がこういうのには慣れてるんじゃないのか?」
「オレ様はいつも敵の最高戦力の相手をしていたからなぁ……」
「そうか……」
 交差点には結構な人数がいるはず。なら力石さんの援護に戻るべきか。それとも相手の次の一手に備えるか。
 ……なんでただの高校生の私がこんなこと考えてるんだ? 使えない悪魔の王様もいたもんだ。
『晴香!』
 そこで翼の声が頭に響いた。ルーマニアの腕輪による連絡だ。
「花飾だな? どうした。」
『まずいことになったのよ!』
「しぃちゃんが劣勢なのか?」
『まだ戦ってないわ。そうじゃなくて、ここに鴉間がいんのよ!』
 鴉間が!? そりゃどこかの場面で登場するとは思ったけど……もっと最後かとばかり。しかも交差点にいる? 《ネオ・ジェネレーション》を直々に倒しに来たのか?
『しかもあいつ、テレビのカメラの前でとんでもないこと言ったのよ! 有能な超能力者以外を殺すって!』
「鴉間が? なんの目的があってそんなこと……それに鴉間が言った所で影響力が無さ過ぎるだろう。誰も知らないんだから。」
『あいつ、《ネオ・ジェネレーション》の連中をカメラの前で……全員殺したの! 自分は超能力者だ、今テレビを見ている奴だってすぐに殺せるって言ってね!』
「……つまりこういうことか? 鴉間の奴はテレビを見ている奴を脅したと? するてぇと何が起きるんだ?」
 ルーマニアが私の方を見る。私はあごに手を当てて答えた。
「……テレビを見てる人が……超能力者になろうとする……」
「マジか!?」
「今までは超能力者が犯罪者みたいに扱われていたから良かったけど……鴉間の行動によって……逆にみんなが超能力者になりたいと思う……! 死にたくないからな……」
 私はごくりとつばを飲み込んだ。
「第二段階が急増する……!」
「! 《常識》のゴッドヘルパーを発動させようとしてんのか!」
「サマエルをおびき出すのが狙い……だろうな。」
「サマエルが《常識》を手に入れても……《空間》の力なら対抗はできる。だがよ、もしもサマエルが手に入れるのを……例えばオレ様たちが阻止したら、《常識》が発動して総リセットだぜ!? もちろん《空間》の力もなくなる。《C.R.S.L》がかなり集まってるのにやるってのはだいぶリスクが高いのにな……」
 そうだ……ルーマニアの言う通りだ。サマエルを倒すためにいずれは取る行動だろうけど……それをするのが今というのはおかしい。何か裏があるような気が―――
「先輩!」
 速水くんが突然叫ぶ。見ると速水くんは交差点の方を指差していた。それに従ってそちらを見た私は目を疑った。

 交差点がある場所、その上空が真っ赤に染まっているのだ。ペンキがぶちまけられたような赤ではなく、赤いライトで上の方から照らしているような光景。夕焼けなどではない……もっと鮮烈な……宝石のような赤だった。
「なんだあれ……ルーマニア。」
 私はルーマニアを横目で見る。ルーマニアの顔は驚愕の表情だった。
「まさか……こんなに早く効果が表れるなんて……マジかよ……」
「ルーマニア……?」
 私が呟くとルーマニアは赤く染まる空の少し上を指差した。
 真っ赤な光。その光源が降りてきたのだ。空に少し浮いていた雲を見えない圧力で押しのけながら、とんでもない輝きを放つ赤い物体がゆっくりゆっくり地面に近づいてくる。形は球。かつて先輩が作り上げた光の球体に近い。
「まさか……ルーマニア、あれが……」
 赤い物体が下降をやめる。ある程度の高さで停止したそれの後ろに、突然巨大な模様が浮かび上がった。音々が魔法を撃つ時に出現する魔法陣のようなそれは赤い物体を中心にして広がる。そして、まるで数珠のように、その魔法陣の左右にも同じような魔法陣が出現、さらにその隣にも出現していく。
 まるで、この星を魔法陣の数珠で縛るように。
 そして、ルーマニアが呟く。
「……《常識》のゴッドヘルパーが……発動した……!」

 ドゴォン!

 遠くの方で何かが爆発したみたいな音が響く。
「!? なんだ!? これも《常識》の……?」
「いや、違う!」
 ルーマニアがバッとふりかえった。
「この魔力、サマエル!」
 ルーマニアの視線の方を見る。そこには、空間に巨大な魔法陣が出現し、その真ん中から光の槍が飛びだすという光景があった。光の槍は一直線に赤い物体……《常識》のゴッドヘルパーに向かう。
「一点集中した魔力の壁! 一気に《常識》まで行くつもりか、サマエル!」
 言うや否や、ルーマニアは光の槍を追うように飛んで行ってしまった。
「ル……」
『雨上は交差点に行け! 鴉間を頼むぞ!』
「……わかった。」
 わかったけど……交差点まで遠いなぁ。
「……」
 私は隣でポカンとしている速水くんを見た。


 晴香に連絡を入れた数秒後、空がよくわからないことになった。と思ったらどっかから光の槍が飛んできた。それを見た鴉間は消え、光の槍の前に出現してそれを止めた。
 ちょっとちょっと、一度にいろいろ起きすぎよ……
「ちょっとした『久しぶり』じゃないっすか? サマエル様!」
「いいのか? オレを止めてる間にお前の力はリセットされるぞ!」
「そんなソッコーでリセットされないっすよ。あっしにはわかるっす!」
「ほう、そうか。前回の発動の時、オレはルシフェル様と天界で戦っていたからな、発動するまでの時間などは知らなかったんだが……いいことを聞いたな。」
「知らずに突っ込んできたんすか。やるっすね!」
 鴉間の手前で止まっていた光の槍はそこで消える。と同時にそこから結構な人数が降ってきた。そいつらは全員華麗に着地を決め、最後にサマエルが降り立つ。
 交差点のど真ん中には血の海に立つチョアンと子供。そして瞬間移動で戻ってきた鴉間。
 不自然に詰まれた瓦礫の傍にはアザゼル。
 アザゼルからそんなに離れていない所にあたしと鎧(とカキクケコ)。
 あたしたちのちょうど真正面、鴉間たちを挟んだ反対側に……サマエル組。
 そして―――
「サマエル!」
 遅れて空から降りてきたのはルーマニア。
「おお、ルシフェル様。ご覧ください、あれが《常識》のゴッドヘルパーです。すばらしい輝きではありませんか。」
「サマエル、お前はオレ様たちが止める!」
「どうでしょうか。この場には最強とも言えるゴッドヘルパー、鴉間がいます。発動してしまったからには……鴉間は私に《常識》を手に入れてもらわなければ困る立場です。リセットされますからね。つまり、それまでは少なくとも私を助ける。しかしそちらの戦力と言ったら……せいぜい《天候》でしょう? メリーもまともに戦えなくなった今、私を邪魔する者はいません。」
「あんまり雨上をなめないでもらいたいもんだがな……結局鴉間は《常識》を手に入れた後、お前も倒すぞ。」
「倒せますかね。私はそのために戦力を集めたのです。」
 サマエルがパチンと指を鳴らす。降りてきたサマエル組の中から一歩前にでる奴がいた。女ってことは顔つきでわかる。だけど男装してる変な奴。結構美人ね。
 そんでもってもう一人、交差点にある建物の一つから何事もなかったかのように堂々と登場した男。神父の格好して首からアクセサリーをめっちゃぶらさげてるそいつは見たことがある。
「ディグとヘイヴィア。この二人と私がいれば鴉間も目ではありませんよ。」
「なんか安く見られたもんすね。」
 鴉間がため息をつきながら呟いた。そしてディグに手を振る。
「その節はどうもっす。」
「いえいえ。」
 ディグも本当にいえいえと手を振った。なにこれ? て言うかあの神父さんてメリーさんと一緒にいたんじゃなかったっけ?
「混戦極まる状態だな。」
 そこで鎧が呟いた。んま、確かにそうね。サマエルは《常識》を手に入れたい。鴉間は是非手に入れて欲しい。あたしたちはそれを阻止したい。サマエルは……なんか魔法とか使うみたいだし、ルーマニアとかアザゼル(あとカキクケコ)に任せるとして……あたしたちは鴉間組とサマエル組の相手……? ちょっと重すぎる気がするわね。てか無理よ!
 晴香助けてー。


 交差点の方を見ていた私に速水くんが話しかける。
「……どうしますか、先輩。」
「……どうしようか。」
 ルーマニアが全力でサマエルを追ったことは別にいいんだけど私たちが困ったことになった。私たちも交差点の方に行かなきゃいけないのだけど移動手段がないのだ。
「速水くんにまた速くしてもらえばいいか……」
「でも先輩。速く動けるだけで交差点まで走った分の疲労はガッツリ来ますよ。」
 今いる場所から交差点まではキロ単位で離れている。私にそんな体力は……
「ああ、そうか。何のための作戦だ。」
「先輩?」
「いや、何とかなりそうだよ。速水くんは携帯持ってる?」
「今の時代、携帯持ってない学生は皆無ですよ、先輩。」
 速水くんはポケットから水色の携帯を取り出して見せた。……私が買ったのはつい最近なんだけどな。
「それじゃあこの番号に連絡して。緊急事態ってことはわかってると思うからすぐに来てくれると思う。その後は交差点の方に行って。」
「力石先輩は……」
「ムームームちゃんが言うに、あのルネットってゴッドヘルパーの攻撃をかわせるのは力石さんだけなんだと。私たちが行くと逆に足手まといかもしれないよ。」
「そうっすか。先輩は?」
「友達を呼んでくる。というわけで《速さ》の力をよろしく頼むよ。」
 私がそう言うと、速水くんは五秒ぐらい静止してからこんなことを言った。
「知り合ってから数年、やっと先輩のパンツを見れるんですね!」
「……何がどうなってそうなるんだ?」
「だって先輩、この後その友達を連れて交差点の方に行くんですよね? それで先輩の敵といったら《空間》になるわけっすから空中戦じゃないですか。その格好ならパンツ丸見えですよ。」
 私は今の自分の服装を見る。もちろん、制服だ。スカートだ。
「考えが及ばなかった……というか普通は及ばないか。ありがとう、速水くん。着替えてから行くよ。」
「うぇっ!? そのままでいいのに……」
 ひどくガッカリした速水くんは私の頭に手を置く。すると私の身体が私のそれじゃないみたいに軽くなった。
「それじゃまたあとでね。」
「言わなきゃよかった……」
そんなセリフを残して速水くんは視界から消えた。

 私はとりあえず自宅の方に走る。……とは言っても公園から家までそんなに距離が無いから今の私には一瞬だった。
 堂々と玄関から入るとたぶんお母さんに呼びとめられるから……ルーマニアがよく来る窓から部屋に入ろう。最近は暑いから常に窓を開けているのだ。
「自分の部屋に侵入か……」
 一応まわりを確認してから、風を使って舞い上がり、窓の高さまで来たら網戸を開けて中に入った。風のせいでスカートがめくれた。速水くん言う通り、この格好で戦ったら危なかったなぁ。
 念のためそろりそろりとクローゼットを開けて服を取り出す。

 着替えながら、私は今の状況を考えた。
 《常識》のゴッドヘルパーを鴉間が発動させた。目的はサマエルをおびきだして倒すこと。ただ、発動してしまったのならサマエルが《常識》を《ゴッドヘルパー》の力で手に入れないと鴉間は困る。なぜなら自分の力がリセットされるからだ。
 前にルーマニアは言った。あのサマエルが、従えているゴッドヘルパーたちと共に、全力で発動した《常識》を取りに行ったら止められないと。ルシフェルたるルーマニアとアザゼルさんの力を持ってしても止められないわけだ。
 だけど、窓の外には未だに赤い輝きが残っている。ということはさっき光の槍の形で飛んで行ったサマエルは《常識》をまだ手に入れていないことになる。ルーマニアたちが止められないと言ったサマエルは誰かに止められた、ということになる。
 考えられるのはもちろん鴉間だ。《空間》の力なら魔法を使うサマエルも止められるかもしれない。
 でも……そうだとしたら何で「止めた」んだろうか。サマエルが《常識》を手に入れないとリセットされるのに。
 考えられる理由は、《常識》を手に入れたサマエルを倒せるかどうかわからないから。《常識》の中には私たちの世界では存在しない《魔法》とかのシステムが含まれているらしい。これを手に入れたサマエルはものすごく強くなるのかもしれない。
 《常識》が発動してからリセットを終える間の時間に倒すつもりなのか? さっき私が《天候》の力で風を起こせたことから、まだリセットされていないことがわかる。だから、発動したら即リセットというわけではないことは推測できる。もしかしたらサマエルと一戦できるくらいの時間はあるのかもしれないな。
 ……もう一つ考えられる理由は……鴉間が《常識》を手に入れようとしているということ。第三段階の《空間》の力なら可能かもしれない。
 どちらにせよ……やっぱりタイミングがおかしい。結局、鴉間が戦う相手はサマエルなわけだから邪魔になる私たちはできればいない方がいい。日本に《C.R.S.L》が大勢来ていることがわからないわけはない。どう足掻いても今日発動してしまうとしてもその引き金を鴉間が引く理由がない。
 逆に私たちにサマエルを倒させるつもりなのか? でもそれじゃあ……主人公になれない。鴉間の行動原理に反する。
 違和感は残る。だけど……とりあえず行くしかないか。


 「どうなってんの! 状況を報告しなさいよ!」
 天界、突如関東上空に出現した物体を、マキナはモニターで見ていた。
「《常識》です! 《常識》が発動しました!」
「レーダーには反応なし……だけどもともとはシステムだしね。反応はないか。魔力の塊じゃないんだから。」
 マキナは地上の天使と連絡をとった。あの場所には結構な数の天使がいたはずだけど、結果として、返事が返ってきたのはアザゼルとカキクケコだけだった。
『なんかめちゃくちゃ強い奴がいてね、ボッコボコにされたのだよ。』
「呑気ねぇ……サマエルは?」
『鴉間が止めて……雰囲気的にルーマニアくんが相手することになりそうなのだよ。』
「そう……援軍を送るわね。」
『援軍よりは……有能な魔法使いを頼むのだよ。』
「なんでよ。あのサマエルなのよ? 悪魔の王。」
『それを相手するのはあのルーマニア……ルシフェルくんなのだよ? サマエル相手なんだから本気になるのだよ? 結界張って二人のバトルを隔離しないと関東……というか日本が消えて無くなるのだよ。』
 ああ、そういえば。《反応》との戦いの時はアザゼルとムームームが全力で防いだからよかったけど……あの二人が全力で防いだのってルーマニアからしたら軽い一発だったそうだしね。
「わかったわ。」
 アザゼルとの通信を切る。マキナは改めてモニターに映る《常識》を見る。
「……前回はこんなにじっくり見れる状況じゃなかったものね。こうして見ると……なかなかヘンチクリンなモノなのね。」
 マキナの呟きにモニターを管理している天使が応えた。
「そうですか? 格好きれいじゃないですか。」
「そう?」
 んま、好みは人それぞれだしね。


 「ねぇサマエル様。とっとと始めない? 私、ウズウズしてるんだけど。」
 男装してる奴がそんなことを言った。
「そうだな。時に鴉間。」
「なんすか?」
「お前の感覚的に……リセットが始まるまであとどんぐらいなんだ?」
 サマエルはあまり聞きたくない相手に尋ねる感じでそう言った。それに対して鴉間は……なんていうのかしら、あたしが感情系だから感じ取れるぐらいの微妙さだけど……少し焦った感じで答えた。
「そうっすね……三十分ぐらいっすかね……」
「そんなにかかるのか?」
「知らないっすよ。というか知ってなきゃいけないのはサマエル様っすよ?」
 何かしら……この妙な違和感は。
「そもそも……なぜお前はオレを止める?」
「あっしとしては……魔法なんていう奇怪な物を使うサマエル様は……んまぁ出来れば他の奴に倒して欲しいんすよ。」
 鴉間は肩をすくめて続ける。
「天使はあっしに攻撃を仕掛けることが出来ない。魔法を敵にまわすのはサマエル様が敵の時にしかあり得ないっす。あっしがここでちゃんと《常識》を守ってるっすから《C.R.S.L》と戦うっすよ。そんで消耗、良ければやられてくれっす。」
「オレはお前を倒さないと《常識》を手に入れられず、今それをやろうとすると……《C.R.S.L》の攻撃を受けつつということになると。つまりオレは先に《C.R.S.L》を何とかしないとダメなわけか。」
 なんて作戦をたてるのかしらね、鴉間は! サマエルを倒すためにサマエルを利用するなんて。しかもそこには自分の力がリセットされるという可能性もある。
「リスキーな賭けねぇ……」
「お前たち!」
 そこでサマエルが声を上げる。
「命令だ。《C.R.S.L》を殲滅しろ。できるだけ早くな。」
 空から降ってきたサマエル組の面々がザッと一歩前に出る。
「オレ様たちは……どちらにせよ優先的に倒すべきはサマエル組だしな。鴉間があそこでボケっとしているのならそれはそれでいい。時間が経てばリセットされる。」
「だけどルーマニア殿。できればリセットは避けたいのでなかったか?」
「……サマエルに奪われるよりはマシだ……オレ様がサマエルをやる。お前たちはサマエルが集めたゴッドヘルパーを頼む。」
「……戦力が足りないわよ。」
 今戦えるのはあたしと鎧。リッド・アークとの戦いで一緒に戦った面子が全員来たとしても……あの大軍と戦えるかは……

「おりゃ達も力貸すぜ。」

 その時、変な一人称の声がした。後ろを見るとメリーの取り巻きがいた。
「わたくしも、お力添えします。」
「メリーさんから言われてのう。結局倒すべき敵はサマエル組と鴉間組。共闘できる人がいる時に倒しておこうとな。」
「口ではそう言っているけど、あたくしから見たらやっぱり心配しているのだと思うわよ。」
 ホっちゃん、ジュテェム、リバじい、チェイン。この四人がやってきたのだ。
「……メリーはどうしたんだ?」
 ルーマニアがそう聞くとチェインが応えた。
「メリーさんはひっそりと隠れているわ。安心して。」
「……それでもプラス四人。あれだけの手だれ相手に足りるとは思えないぜ……」
 ルーマニアがそう呟いた瞬間―――
 ズン!
 ものすごい音がした。見るとサマエル組の連中が立ってる場所が大きくへこんでいる。そして連中は地面に這いつくばっている。数人何事もなかったように立っているけど……
「やっぱり……何人かは立てますか。」
 ジュテェムがそんなことを言った。そう言えばこの人って《重力》だったわね……
「リバじい、ホっちゃん、よろしくです。」
「うむ。」
 リバじいが手を前に出す。するとシャボン玉みたいな膜が重力でへこんだクレーターの淵に沿ってドーム状に展開した。ちょうどサマエル組の連中を閉じ込める感じに。
「ほれ。」
 今度はホっちゃんが両手を前に出す。シャボン玉ドームの中の風景が揺らいだ。あっつい日に景色がゆがむ感じ。たぶんあのドームの中は今ものすごい高温なんだ。
 ゆがむ空気の中、高重力の中でも立っていた数人の内のさらに数人が倒れていく。ものすごい汗をかきながら。
「……さすがに残りますね……彼は。」
 神父の格好の男は普通に立っている。その隣に立っている男装の奴も。
 リバじいが手をおろすとシャボン玉ドームが割れた。一瞬むわっとした空気を感じたけど、結果としてサマエル組の手だれは二人を残して倒れた。なにこれ、すごいわね。
「助かったわ、ディグ。」
「いえ……自分が《重力》の向きを変えたり空気を回して温度を和らげている所にあなたが勝手に来ただけでしょう。」
「あんたの傍なら大丈夫だろうと思ったからねー。」
「さて……自分とあなたで彼らの相手をするわけですね。」
 ディグと……えぇっと、ヘイヴィアとか呼ばれてた男装女が残って、こっちはあたしとメリー組の四人。鎧は中国と戦うわけだし……
「人数的には有利っぽいけど……」
「花飾さん……ですよね?」
 ジュテェムが話しかけてきた。
「わたくしたちはディグの相手をしますので……もう片方の方をお願いできますか?」
「……ディグってすんごい強いんだもんね。そうなるのは当然だろうけど……あたしに戦闘は―――」
 そこまで言った所で突然突風が吹いた。
「な、なによこれ!」
「援護に……来ました!」
 あたしからちょっと離れた所に速水がいた。超速で来たのかしらね。……肩で息してるけど。
「あんた……晴香は?」
「んにゃ!」
 あたしが速水の方を見てると後ろで変な声がした。
「……晴香……」
 あたしの親友、晴香がいつの間にかそこにた。尻もちをついている格好で。制服じゃなくて普段着で。
「翼、遅くなった。」
「今の声晴香? ずいぶんかわいい声したけど……」
「来たか、雨上。」
 ルーマニアが近づいてくる。
「状況を―――」
「だいたいわかる。」
 晴香はイテテと言いながら立ちあがる。
「……《常識》がリセットするまでどれくらいの時間があるんだ、ルーマニア。」
「鴉間が言うに三十分。」
「……ルーマニアは知らないのか……」
「ああ……前回発動の時、オレ様は天界で神様の軍と戦ってたからな……」
「……サマエルも知らないわけか……ということは……」
 なんかブツブツ言ってる晴香。
「雨上さ……雨上。」
 ジュテェムが晴香に話しかける。
「わたくしたちにディグの相手を任せてもらいたいのですが。」
「そうですね。短い間でも一緒にいたジュテェムさん達の方が適任でしょうね。」
 晴香は……リッド・アーク戦で作戦を伝えた時の顔であたしたちに指示をする。
「ジュテェムさんたちはディグさんを。翼と速水くんは……あのディグの隣に立ってる……サマエル組の人……を。しぃちゃんはチョアンを。私は……鴉間を。」
 晴香は鴉間を見上げて呟く。
「私が思うに……鴉間は何かを企んでいる。ルネットは力石さんが相手しているけど……ここにもあの二人がいないことが気になるんだ。三十分が経った時、鴉間は何かをするはず……それまでに私が鴉間との戦いで何かを得る。」
 そして晴香は頼もしい感じにあたしたちを見た。
「私たちには奥の手があるから、みんな全力で頑張って下さい。」


私の言葉を合図に、ルーマニアが移動。サマエルの前に立つ。
「悪いがサマエル……止めるぞ。」
「ルシフェル様……今はそちらに利があるように思うからそちらにいるのですよね? ご心配なさらず、私があれを手に入れれば全ては私たちのモノです。そのために今のルシフェル様が敵になるのであれば……未来の悪魔の王、ルシフェル様のために、戦いましょう。」
 サマエルの背中に翼が生えた。禍々しい……悪魔の翼と呼ぶにふさわしい翼が。そして、祈るように両の手を合わせた。
「……これを使うことをお許しください。罰は後でいくらでも。」
「!……サマエル、それは……」
 ゆっくりと離れていく両の手の平の間に剣が出現した。白く輝く……悪魔の王が持つモノとは思えない光を放つ剣。
「偉大なる悪魔の王、ルシフェル様を相手にするのですから……これが最適でしょう。」
「サマエル……お前……!」

 しぃちゃんはチョアンの前、五メートルぐらいの場所に立つ。
「待たせたな。」
「……嬉しいアル。でもその格好でやるのアルカ?」
 しぃちゃんは自分の服装を見る。もちろん……制服だ。
「……むぅ……」
「この時間に仕掛けるから、こうなるとは思ったアルヨ。」
 チョアンは持っている二つのアタッシュケースの内の一つを開け、そこから―――
「……なんでわたしの道着をもっているのだ……?」
「この前お邪魔した時に持ってきたアル。」
 チョアンは丁寧にたたまれたしぃちゃんの道着を片手にパチンと指を鳴らす。
「うわ!?」
 一瞬で……しぃちゃんの服装が巫女さん的なあれ……道着に変わり、チョアンの片手にはいつの間にしぃちゃんの制服がたたまれて置いてあった。
「何を……」
「ふっふっふ、さぁ、やるアルヨ。」

 翼は速水くんの力を受け、パッと移動し、男の人の格好をしている女の人の所に移動した。
「ふーん。私の相手はあんたらってわけ。楽しませてよ?」
「もったいない! あんな美人が男の格好なんて……」
「あんたねぇ……」
「オレとしてはあっちの中国美人と戦いたかったんすけど……」
「んん? チョアン? あいつは変態よ?」
「え、そうなんすか。」
「MかSか……やっばいわよ。」
「それはまた……いいっすね……」
「晴香とあんたか同じ部活にいたなんて信じられないわね。……というかあんた、さっきまでゼーゼー言ってなかった? なんか今はピンピンしてるけどさ……」

 ジュテェムさんたちはゆっくりとディグさんの前に。
「突然いなくなるから心配しましたよ。」
「そうじゃ、メリーさんが心配しておったぞ。」
「それはそれは。しかし、サマエル様から連絡が来ていましたので。すみませんでしたね。」
「……これからバトルする間柄とは思えねーな。」
「そうね。」
 ディグさんはにっこりと笑いながらこう言った。
「それで……皆さんは自分にどのようにして勝とうと?」
「これから見せますよ……《回転》のゴッドヘルパー、ディグ・エインドレフ。」

 私は……今日の天気、『私が空を飛ぶ』を設定して鴉間の所に移動した。ちょうど《常識》の下だ。
「……もう飛べるようになったんすか。」
「この前ジュテェムさんの《重力》で一度体験しましたからね。イメージはし易かったです。」
「そうっすか……」
 鴉間が下をちらりと見た。その先にいるのは小さな子供。
「……メリーさんの話だと五体満足ではないはずなんですけどね。あの小さい子のおかげですか?」
 少し驚いた顔で私を見る鴉間。
「それを推測できたのに……あっしの前にいるんすか? サリラを倒さずに。」
 サリラというのか。
「私がそれをやるとしても……それをあなたは止めるでしょう? なら結果変わりません。それなら……しぃちゃんや翼が今、目の前にいる敵を倒した後でサリラを倒した方がいいです。私があなたを足止めしている間にね。」
 そう言うと、鴉間は吹き出した。
「あっはっは! それはそれは! あっしをそれだけの強敵と思っていることっすね! 有難いっすね。でも……ちょっと間違ってるっすよ?」
「……?」
「あっしが仲間に引き入れた面々……チョアン、ルネット、サリラ、それとアブトル&メリオレのコンビ……全部あっしと同等に強いんすよ?」
 《空間》と同等……!?
「あっしはチョアンには勝てないっすし、ルネットは……力を知ってる今なら大丈夫っすけど初めて会った時に敵だったら確実にあっしの負けっす。サリラは規格外、アブトル&メリオレが相手なら、一度登場人物に設定されるとあっしでも抜け出せないっす。二人が本気を出すと。」
「……!」
「計算ミスっすね。あっしが選んだ仲間っすよ?」
 鴉間は少し前かがみになる。サングラスの奥にある鋭い双眸が私を射ぬく。
「弱いわけがないっす。」


 「おーい、どこだっつー話だ、バーカ。」
 セリフとは逆にルネットには探すつもりが無い。さっき言ってたしな……簡単に見つけられるって。なら……
「!」
 オレは廊下の真ん中に立つ。後ろにムームーム、前にはルネット。
「んん? 堂々とあたしの前に立ってるってことは……何か気付いたな、バーカ。」
「まぁな。」
「そうかそうか! あっはっは! んじゃ見せてくれよ、バーカ!」
 収束する感覚。ルネットから放たれようとしている『何か』。それが放たれる前に、オレはある物をルネットの方に向ける。
「っと……」
 オレが出したそれを視認するとルネットは一瞬目を見開いてすぐに両の目を閉じた。
 ……何も起きない。オレには何も飛んでこないし、地面に穴も開かない。
「! 十太!」
「……ああ!」
 つまりこれは……オレの推測が当たったということ。
「んんっふっふっふあっはっはっはっはっは!!」
 ルネットが大爆笑した。
「ああ! あー! これがつまり自分の《常識》を見破られるってことか! あたしが苦手な物を敵が堂々と突き出してくるってか、バーカ!」
「やっぱり……これが弱点か。」
 オレが手にしている物。さっきトイレに行って手に入れた。手を洗う場所の正面にデカデカと設置してある物……
「そうさ、バーカ! あたしの力の弱点はその鏡だ、バーカ!」
 オレが手にしているのはデカイ鏡を割って手に入れた破片。手の平に収まる程度の大きさの鏡だ。しかし、こんなちっちぇーものでもとっさに攻撃をやめる程ルネットにとってはマズイものってわけだ。
「さあさあジュータ! あたしの力は何だ、バーカ! どうしてそれを弱点と考えた、バーカ!」
「んまぁ……キッカケはさっきの攻撃だがな。あの時オレは防げないと思ったんだぜ? 爆発を引き起こす程のエネルギーだからな。あんな一瞬で奪いきれるものでもない。なのにオレは爆発のエネルギーを奪うことができた。つまり、お前の攻撃は異常なほどエネルギーが低いんだ。」
「なるほどっつー話だ、バーカ。」
「しかしエネルギーはエネルギーだからな、オレが感じ取れないわけはないんだ。実際お前の攻撃が放たれる瞬間に起こるエネルギーの収束は感じられたんだ。なのにオレにはその種類がわからなかった。あまりに日常的に感じ過ぎているエネルギーだったからな。エネルギー量が微少でかつ毎日受けるエネルギー。それは光エネルギーしかあり得ない。」
「んっふっふっふ……」
「加えて、さっき……お前がコインを投げたこと。オレが放った砂、それに向けて今まで通り攻撃をすりゃあいいのにお前はわざわざコインを投げた。そして……お前が攻撃の種類をメガネで変えているということ。ここから一つの仮定をたてられる。」
「ぶっくっくっく……」
「お前は攻撃する時、対象を『見る』という行為を行っている。」
「見る?」
 そこで後ろのムームームが反応した。
「攻撃する相手を見るって……当たり前じゃないの?」
「普通なら攻撃を『当てる』ために見るだろ? でもルネットの場合は攻撃『する』ために見る必要があんだよ。鉄砲は別に相手に向けなくても引き金を引きゃあ発射されるだろ? だけどルネットは銃口が相手の方に向いてないと引き金が引けないんだよ。そんで砂の時にコインを投げたのは砂を見ることができなかったからだ。」
「……?」
「目の前に舞う砂を払う時、オレらは別に砂の一粒一粒をどかすわけじゃないだろ? 適当に砂が舞ってる空間を払うことで砂をどける。だがルネットは適当な空間に攻撃するってことができないから砂に攻撃するしかないんだ。」
「どういうこと?」
「ルネットが攻撃を放って対象に当てるんじゃなくて、ルネットが対象を認識することで初めて攻撃が当たるんだよ。ルネットはな―――」
 オレは笑っているルネットを指差して告げた。

「《視線》のゴッドヘルパーだ。」

「あっはっはっはっは!!」
「《視線》!?」
「例えばオレに向かって攻撃するなら、まずはオレを見るんだよ。そうするとルネットの《視線》がオレに向かって走るわけだろ? その走る《視線》こそが攻撃そのものなんだよ。だからさっきの砂もな、砂を見なきゃいけなかったんだ。だけど砂が舞ってる空間を見るなんてことはできないし、《視線》が定まらない。だからコインを砂の近くに投げて、それを攻撃することで砂を吹き飛ばしたんだ。」
 そこでようやくムームームも合点がいったようだ。
「そうか。だから鏡なんだね? 鏡を見るとその時自分が見ているモノは自分自身だもんね。結局(視線)は自分に向かって走るから自分が攻撃を受けてしまう。」
 そこで本日最大のルネットの笑い声が響いた。
「その通りだ、バーカ! ぶっはっはっはっは! なかなかいい応用の仕方だろっつー話だ、バーカ!」
 お腹を抱えながらルネットは語る。
「さすがによ、あたしも自分の《常識》が《視線》ってわかったときはガックリしたっつーんだよ、バーカ。でもよ、やり方次第でとんでもねーことになんのがゴッドヘルパーだかんな、あたしはめっちゃ考えたんだよ、バーカ。」
 笑いすぎて出てきた涙を拭くルネット。
「そもそも《視線》ってなんだっつー話だ、バーカ。《視線》を感じるって言うから少なくとも触覚で感じるもんだっつーわけだ、バーカ。《視線》に味はないし聞けねーし見えねーし臭いもしない……物理的なモノなんだとあたしは仮定したわけだ、バーカ。」
 確かに第六感を考えずに仮定するなら、感じることのできる《視線》は触れることのできる物質だと考えるのは変じゃない。
「さて物理的なものとなるとそれはなんだっつー話だ、バーカ。《視線》を放つのは眼だろう? 眼に関係する物質っつったらそりゃ光だっつー話だ、バーカ。つまり例えば目が合うってことは相手が放った《視線》っつー光を自分の眼が捉えるってわけだ、バーカ。」
「《視線》は光か……」
 明かりとしての光じゃなくてモノを『見る』ための光。そりゃ微少なわけだぜ。
「そこであたしは思ったわけだ、バーカ。眼から光を出すなんて眼からビームじゃねーかっつー話だ、バーカ!」
「ビームってお前……」
「眼からでる《視線》っつー光を《常識》の上書きでビームとしたんだよ、バーカ。んでもって《視線》が通るメガネのレンズの色とか形でビームの効果が変わることにしたわけだ、バーカ。」
「……それがお前の力の全貌ってわけか。」
 ルネット・イェクス。《視線》のゴッドヘルパーであるこいつは《視線》を光とし、メガネによって強力なビームとする。その攻撃は元が《視線》ゆえに視認は不可能。かつ、物を見るという行為がそもそも光の速度で行われる現象……そのビームの速度は光の速度に等しい。
 ルネットの力があらかじめわかっていないと対策は不可能。出会った瞬間にやられる。
 対抗できるのはオレのように《視線》である光がビームとなる瞬間の光エネルギーの収束を感じ取れるゴッドヘルパーのみ。オレ以外なら《光》のゴッドヘルパーぐらいしか……戦える奴が思い浮かばない。
 鴉間が仲間にしただけはある。そもそも鴉間でさえ……初対面なら空間の壁とかを作る前にやられる。ヘタすれば鴉間より強い。
「さてさて! お互いの手の内が明かされたとこで二回戦スタートだ、バーカ!」
 とっさに近くの階段に跳ぶオレとムームーム。さっきまでいた所に穴が開く。
「……物を見て、放たれた《視線》がその後敵を追尾しないことは唯一の救いだね……」
 階段を降りながらムームームが呟いた。
 そう。ルネットが『見た』と認識して《視線》を走らせたあとなら避けるのは可能だ。ルネットの眼から放たれた《視線》がビームに変換されるその瞬間のタイムラグを利用してオレは避けていたわけだ。
 攻撃は確かに光の速度だが、別に発射する速度までそれってわけじゃないわけだ。
「……あいつの力がわかっても……あんまり好転しねーな……」
 さっきは不意に鏡が出てきたからルネットも攻撃をやめた。でもその鏡に自分を映さなきゃいいだけだから、鏡の大きさが小さければあんまり脅威じゃねぇ。
 だがだからと言ってデカイ鏡を持って走るのは賢くない。
「どうする……ムームーム?」
「うん……そうだね……」
 廊下を走りながらムームームはちらりと外を見た。
「……別に鏡だけが光を反射するわけじゃないよね。」
「あん?」
「ねぇ十太。」
 そんとき、ムームームは初めてその容姿に似合う顔をした。
「不良少年になってみる気はない?」
 イタズラをする子供みてーな、そんな顔を。
「っおーい!」
 後ろからルネットの声がした。
「もうわかってんだろっつー話だ、バーカ! あたしからは逃げられねーってことをっつー話だ、バーカ!」
 ……《視線》のゴッドヘルパーが他人の視線を見ることができるのは当たり前だ。ルネットが言う所の目からビーム。それが発射された軌跡をたぶんあいつは見ることができる。つまりルネットからするとオレとムームームが走ってるこの廊下はオレとムームームが発射した《視線》が張り巡らされた空間に見えるわけだ。そりゃどこに逃げたかわかる訳だぜ……
「ムームーム! どこに行くんだよ!」
「校庭だよ。」
「んあ!? 逃げ場の無いとこにわざわざ行くのかよ!」
「そう、こうやってね!」
 ムームームがオレの手を握った。瞬間、目の前が暗くなってオレは突然出現した壁に正面衝突した。
「んがぁ!」
「何してるの十太?」
 鼻をさすりながらまわりを見る。あんまり来ないとこではあるがどこかはわかる。
「……なんで体育倉庫に……?」
 校庭の隅っこにある体育倉庫の中に瞬間移動したらしい―――っておい!
「こういう魔法使えるなら最初から……」
「手の内はそうそうバラすものじゃないの。十太の力で逃げられるんだからわざわざ見せることもないでしょ。切り札はとっておかなくちゃね。」
「そうかよ・・んで、なんでここに?」
「これこれ。ここならあると思ったんだよ。」
 ムームームがオレに手渡したのは金属バットだった。
「……これで不良っつったら……」
「うん♪」

 「……どういうつもりっつー話だ、バーカ。」
 校庭のど真ん中に立つオレは昇降口から出てきたルネットと対峙した。ムームームはオレの隣にいる。
 さて、だいぶ勇気のいることをすんぞ……
「突然消えたかと思ったらこんなとこに立って……何を企んでんだ、バーカ。」
 ルネットはまわりを見まわす。
「鏡をどっかに隠してるわけじゃないし、鏡を持っているわけでもないっつーのはどういうことだ、バーカ。」
 ニヤニヤしながらオレに尋ねるルネット。
「そのバットでなんかすんのかっつー話だ、バーカ。」
「はん。今この瞬間にオレを攻撃しなかったことを後悔しろ!」
 エネルギーを《ルゼルブル》から補充。運動エネルギーに変換。低空高速移動。
 同時にムームームが魔法を発動。ルネットのまわりの砂を巻き上げた。
「目隠しか、バーカ!」
 ルネットがコインを数枚放る音が聞こえる。だが、オレの目標はルネットじゃない!
「バーカッ!」
 爆発の音。コインが爆破されていく。
「おおおおりゃぁあああぁぁあっ!」
 校舎の端っこで方向転換、校舎に沿って移動開始。同時にバットを横に構える!
 バットを横に突き出しながら校舎の壁に沿って移動すると何が起きるかって?
 そりゃあ、窓ガラスが割れるのさ。
「だりゃりゃりゃりゃあぁあっ!」
 バリンッバリンッ!
 なかなか気持ちのいい音がオレの後ろでする。横では爆音がし、後ろではガラスが割れる音。ルネットには聞こえてない!
「ふんっ!」
 一階の窓ガラスを割り終えたら位置エネルギーを補充して身体を二階の高さに移動させる。そうして再び横方向へ移動開始!
「なんだなんだぁ? 何をしてんだジュータ! あっはっはっは、バーカバーカ!」
 舞いあがった砂を蹴散らし、煙の中から出てきたルネット。
 だがその頃には、オレは移動を繰り返してジグザグに校舎の窓ガラスを全て粉砕し終わっていた。
 もちろんただ単に割ったわけじゃない。割る時にバットを通して全てのガラス片に位置エネルギーを与えた。かなり骨が折れたが結果として―――
「!」
 ルネットが両の目を見開く光景がそこに出来あがった。地面に着地したオレの頭上、校舎の屋上ぐらいの高さに大量のガラスの破片が浮いている光景が。
「ルネット、お前に最高の勝負を仕掛けてやるぜ。」
「……」
「今からオレはあのガラス片の位置エネルギー操ってオレのまわりまで高度を下げる。どのガラスをどの程度下げるかはランダムだ。何の統一性もない並び方のガラス片が大量にオレのまわりに展開されるわけだ。」
「……ぷっ……」
「そして、同時にオレはお前の方に急接近して攻撃を仕掛ける。普通ならオレが移動する前にお前のビームが来るが……今回はオレのまわりにはガラス片がある状態だ。」
「ぶくくくくっ……」
「ガラスは光を通すが夜とかに自分の顔が映るように、ガラスも多少は光を反射する。あのガラス片はオレが適当に割ったものだからな、その反射率は全部同じじゃないだろうし、オレのまわりに展開させたときのガラス片の向きもバラバラさ。光をどの程度、どの方向に反射するかはわからない。」
「―――ぶくっ!」
「言っておくがオレがお前に仕掛ける攻撃は一撃必殺だ。その目以外、お前は一般人だからな、耐えられるモノじゃない。だからお前はオレにビームを撃たなきゃいけない。でもまわりには、もしかしたらそのまま光を通すかもしれないがもしかしたら反射するかもしれないガラス片。お前の《視線》が最終的にどこに行くかは不確定。どうだ、面白いだろう?」
「あっはっはっはっはっは!」
「いい勝負が出来そうだろ?」
「最高だ! そうだよ、こういうのを待ってたんだよ、バーカ! あたしへの敵意があたしに形となって通るのか通らないのか! 相手は感情をぶつけられるのかられないのか! あっはっは、バーカバーカ! あたしの事でさえ不確定なこの状況! 見せろよ、ジュータ! あたしが何をしようとも変わらないその《視線》を!」
 言いながらルネットはポケットに手を突っ込み、箱を取り出した。あれは……メガネケースか?
「とっておきだ、バーカ! 天才・青葉結が残したあたし専用の武器だ、バーカ!」
 そこから出てきたのはやはりメガネだった。透明なフレームに透明なレンズの普通のメガネ。
「あたしが考える最強のビーム、そのイメージをより具体的にするために青葉が作ったメガネだ、バーカ! 計算されたレンズの厚さや角度があたしの力を最大限に引き出すっつー話だ、バーカ!」
 そのメガネをかけ、身体に巻きついているメガネがぶら下がるひもを投げ捨てた。
「決めようぜ、バーカ!」
「行くぞ、ルネット!」

 ガラスを移動。まわりに展開。自分の前に一列に並べて壁みたいにできれば最高だったんだが……この量のガラス片をそこまで制御はできない。だからランダムに配置される。
 これはオレにとっても賭けだ。
「おおおおおおおおっ!」
 高速移動開始。バットを捨て、拳を握りしめ、一直線にルネットの方へ。
 だが―――
「―――んなっ!?」
 信じられないエネルギー。今までとは段違いの収束の気配。
 ルネットの目を中心に広がるエネルギーの……光の直径は軽くオレの身長を超え、家を一軒飲みこめそうな威力。
 まるで太陽がそこにあるかのように、初めてルネットの攻撃が見えた。いや、見える程のエネルギーと言うべきか。
 あのメガネをかけただけでここまでのモノに!?
「喰らえ、バーカ!」
 放たれる《視線》。迫りくる光の壁。
 オレが展開したガラス片なんて軽く飲みこむ面積のその壁が一枚目のガラス片に当たる。
 ぶつかった光の壁の一部分が小さな光の反射を起こす。次のガラス片でも同様の現象。オレと光の壁の間にあるガラス片の一つ一つでルネットの《視線》が徐々に削られていく。
 だが、オレはそんな現象を予想していたわけじゃない。ルネットの攻撃は手の平に収まる鏡を警戒するくらいに細いビームだった。だからガラス片を展開することで賭けに出た。だがそのビームがガラス片を超える太さになった。
 完全に想定外。《エネルギー》のゴッドヘルパーであるオレには分かる。
 ガラス片で反射できる……削り取れるエネルギーの量なんて微量だ。この光の壁は……オレを殺せるエネルギーを保持してオレにぶつかる……!

「くっそおおおぉぉぉおっ!」
 ドガァンッ!

――――……た!
 ―――――……うた!
 ……音が……遠い……
「十太!」
「!」
 オレは目を開けた。飛び込んできたのはムームームの顔。
「ムー……っ!?」
 全身に激痛が走った。
「しゃべっちゃだめ! 今治してるからじっとして!」
 激痛の中、あたたかい光がオレを包んでいるのがわかる。たぶんムームームが魔法を使っている。どうやら相当ひどいダメージを……ってあれ?
 オレ、生きてる? あり得ないぞ!? あれだけのエネルギー、人間が耐えられるわけねーし、ガラス片程度で削り取れるモンでもない! ムームームが障壁を張ってくれたのか?
「……十太、とりあえず教えとくよ。」
 ムームームは魔法をかけるのに必死そうだが、それでもニッコリと笑ってこう言った。
「勝ったよ♪」
 ……勝った? あの状況でオレが勝った? なんの冗談だ。
「……よし……とりあえず応急措置は終わったかな……起きれる?」
「……んああ……」
 オレはゆっくりと身体を起こす。見ると着ていた制服が黒焦げになっていた。つかほとんど裸に近い。だがそんなことはどうでもいいぐらいに全身の皮膚がヒリヒリする。
「オレは……?」
「全身やけどだね。」
「……なんで生きてんの、オレ……」
 ムームームは真面目な顔でこう言った。
「偶然と言うか……奇跡と言うか……これのおかげでもあるし、ルネットのおかげでもあるんだよ……」
 そう言ってオレの前に出したのは《ルゼルブル》。ムームームがオレにくれた、《エネルギー》を溜めておける道具だ。そこにあらかじめ溜めておいた《エネルギー》を使ってオレは高速移動とかをしてたんだが……それのおかげ?
「ルネットの攻撃が……例えば十太の身体を貫くぐらいの太さのビームだったら確実に十太は死んでいた。でもルネットが放った一撃は十太を飲みこむぐらいのビームだった。」
「……それが……?」
「十太を飲みこむぐらい大きいってことは十太のポケットに入ってたこの《ルゼルブル》にも触れるってことだよ。《エネルギー》を溜める……言いかえれば吸収するこの道具にね。」
「!」
 そうか……確かにあのビームはオレに当たった。だけど同時に《ルゼルブル》に触れたせいであの膨大な《エネルギー》が吸収されたのか。だからオレは全身やけどで済んだってことか。
「でもね十太。あくまで吸収したのはこの《ルゼルブル》に触れた部分。大雑把に言えば十太の周辺だけ。それ以外は普通に十太の後ろに流れたから……」
 ムームームが顔を後ろに向けた。それを追うと、そこには半壊した校舎があった。
 きれいにぽっかりと円形に削られた校舎。だが問題はそこじゃない。
「……軽く見ただけでも……ここから数キロは削られてるよ……」
 校舎の後ろ。普通に住宅街だったはずのその場所は……消滅していた。《視線》である故に、対象に当たった時点で攻撃は終わるはずなのに……ただの余波でこうなったってのか……
「……たぶん、人がいたね……」
「死……」
「十太。自分のせいとか考えちゃいけないからね。どうなっていたってメリーが巻き戻すんだから……大丈夫だよ……」
「……そういう……問題じゃねーよ……」
 オレはルネットに対する怒りを感じた。ふらふらと立ちあがってルネットを探す。
「ムームーム、ルネットは!」
「……そこだよ。」
 オレの正面……そこに銀髪を扇みたいに広げて大の字に倒れるルネットがいた。
「ルネット! てめぇっ!」
 オレは痛みを感じながらもルネットの方に移動する。一発殴ってやろうと思ったんだが、近づいてルネットの顔を見た瞬間に握った拳がほどけた。
「! ……ルネット……」
「ん? ああ、ジュータか。そこにいるのか?」
 ルネットが軽い口調でそう言った。
「賭けに負けたのはあたしらしいな。《視線》の一部が反射してあたしを見た。見事に戻ってきて……この様だ。ぶはははは!」
 ルネットの両目は……焼けていた。高温で溶けたまぶたが張り付いて目を開けられない状態。たぶん、眼球はない。
「ジュータが生きていようと死んでいようと……あたしの両目はこうなったんだからな、負けは確実だ。くっそ、悔しいなぁ。」
「……? ルネット、お前、口調……」
 なんでバーカって言わないんだ?
「……あたしの昔話をしていいか?」
「……ああ。」
 悪態ついて人を馬鹿にしたようなさっきまでの口調が嘘のように、静かにルネットは語る。
「目は口ほどにモノを言う……この言葉は真理だ。」
「……いきなりことわざかよ外国人。」
「あたしもな、鴉間と同じ境遇なんだ。ガキの時から第二段階になっちまった。他人の《視線》を普通よりも敏感に感じ取った。あたしって美人だろ?」
「いきなり話を変えるなよ……」
 確かに、黙って立ってれば……というか今の静かなルネットはかなり美人だ。
「こんな容姿だからな……学校とかじゃ色んな奴があたしを見た。憧れの《視線》、嫉妬の《視線》、欲情の《視線》……色々な感情を乗せた《視線》で。」
「……!」
「別にそれだけなら良かったんだ。問題はな、その《視線》がころころ変わることだ。あたしが何かをミスればあこがれは落胆に。優しく接すれば嫉妬は好感に。告白を断れば欲情は恨みに。ぐるぐるぐるぐる……」
 《視線》がわかるってことは……心を読めるに等しいってわけか……
「ガキだからな、みんなとは仲良くしたいと思った。こいつはどうすればあたしに好感を抱くのか。あいつはどうすればあたしに憧れるのか。そればっかを考えて行動してたんだけどな……耐えられなくなったんだよ、感情の渦に。結局、あたしは引きこもった。」
「……それで……?」
「そんなあたしをサマエルが見つけた。サマエルの《視線》は語ったよ……同情、憐れみ、利用価値、期待……中でもあたしが興味を抱いたのは……この力の正体。あたしはサマエルについて行った。そしてゴッドヘルパーを知った。んでそこで……鴉間に会った。」
「鴉間……」
「自分と同じ感じの人生だったあたしを鴉間は気にかけた。そして、鴉間はあたしにアドバイスをしてくれたんだ。」
「アドバイス……?」
「誰かに好かれるために行動する。それであたしが苦労するのは間違ってるってな。ころころ変わる感情が嫌なら、いっそ全ての人間から受ける《視線》を統一してしまえばいい……と。」
「統一……?」
「不快、嫌悪。この辺りは他人に抱かせやすい感情。鴉間から日本語を学んでたあたしはそれを機に、そういうしゃべり方をするようにしたんだ。」
「それって……」
「ああ。語尾に相手を罵倒する言葉をつけるってしゃべり方だ。楽になった……全員があたしに向ける《視線》が統一されたんだからな。そんで気付いた。好かれようと思っていたのだって結局全員からの《視線》を好感とか友好で統一したかったからなんだってな。んで、好かれるよりも嫌われる方が気が楽ってことがわかったからな……好かれるのは止めたんだ。真にあたしを理解してくれる奴が数人いればそれでいい。」
「……なんでオレにそんな話……」
「気まぐれ……ってわけでもないか。あたしはあたしで恩人の鴉間についていただけだってことさ。んまぁこうやって暴れるのが楽しいってのもあるが主は鴉間だ。一応教えておこうと思ってな……お前らが敵と考えている奴らにもその立場にいる理由があるってことをな。」
「……そうかよ。」
 ……今の話を聞いたところですることは変わらない。遠くで戦ってる仲間がいる。
「ムームーム。」
「うん、十太はここでしばらく休憩だよ。」
「ああ、急いで援護に―――ってなにぃ!? 休憩!?」
「そんな身体で何ができるの。ちゃんと完治させてあげるからもう少し待って。」
「……くそ……」
「ぶはははは! 結局、しばらくはあたしとおしゃべりタイムなんじゃねーか、バーカ!」
「うるせぇ!」
「くくく……あ、そうだ。」
「んあ?」
「一人だけ。お涙頂戴の物語を持たずに敵っつー立場にいる馬鹿がいるな。」
「……?」
「チョアン・イーフ。こいつは正真正銘、ホンモノの戦闘狂だ。」


 わたしは息をきらしていた。呼吸がし難い。呼吸ってどうやるのかを忘れてしまったようだ。
 刀も重い。重くない《常識》を当てはめているはずなのに……重く感じる。
 あまりに不可解なことが起こり過ぎて集中力が切れかかっている。まずいな……
「どうしたアル?」
 中国人……チョアンがニコニコしながらわたしのまわりを歩いている。
「んー……ワタシの力のことを考えるあまり、動きにキレがなくなっているアルヨ? リラックスするアル。」
 チョアンの装備は手袋。だけどその手袋がまったく切れない。わたしが放つ攻撃は全て受け止められる。加えてチョアンの動きは武道の達人のそれだ。
 青葉のようなアクロバティック……というよりはありえない速度と動きをするわけではないが、洗練された無駄のない動きというのも厄介なのだ。
「だめアルネ。これじゃぁ楽しめないアルヨ。」
 チョアンは近くの瓦礫に座る。
「うん、一つ昔話をするアルヨ。」
 わたしは警戒をしつつも少し力を抜いた。敵の前だというのにそんな行動をとれたのは、本当にチョアンにやる気がなかったからだ。
「《雨傘流》という流派があるアル。」
「……そうだな。」
「この流派は鬼を倒したという話が代々受け継がれているアル。」
「……そうだな。」
 よくおじいさまが話をする。《雨傘流》の開祖は鬼を倒したと。わたしも半信半疑ではあったのだが、悪魔や天使がいるんだから鬼くらいはいるんじゃないかと最近思っている。
「その鬼の正体、ワタシは知っているアルヨ。」
「んな……」
「不思議なめぐり合わせだと思うアルヨ。開祖が戦った相手が、今では子孫の仲間アルヨ。」
「なにを言って……」
「開祖が倒したという鬼は……その昔に悪魔の王と呼ばれた存在アルヨ。その名はルシフェル。」
「!? 何を馬鹿な―――」
 そこまで言って、ある記憶がわたしの中に浮きあがってきた。

「あぶみ……?ああ、そうか。ここは《雨傘流》だったな。」
「鎧のとこの剣士は強かったな……はは、おかしな運命を巡らせるなぁ……神様は。いや、これは向き合えということか?」

わたしがルーマニア殿に自己紹介した時、ルーマニア殿は確かにそう言った。
 長く生きているから《雨傘流》のことを知っていると。

「うん? その顔は心当たりがある顔アルネ。」
「……なんでルーマニア殿が……」
「《雨傘流》と接触した時、ルシフェルは悪魔の王から下っ端天使になってせっせと働いていたアル。天使が人間に害を与えることは禁止されているアル。後で怒られるとわかっていてもルシフェルは《雨傘流》の剣士に挑んだアル。」
「どうして……」
「さぁアル。そこは本人のみぞ知るアルネ。ところで落ち着いたアルカ?」
 わたしはハッとする。あまりに唐突な話だったのですっかり戦っているということを忘れていた。しかしグルグルしていた頭がスッキリしたのは確かだ。
「……おかげさまで。」
「よろしいアル。それじゃ続けるアルヨ?」
 ダンッ! と踏み込み、こちらに迫るチョアン。座った状態からのこの動きは称賛に値する。しかし見えない程ではない。
 一直線にわたし目掛けて放たれるチョアンの拳。腕と刀ではリーチはこちらが上。わたしはなんなくその拳をいなす。しかしその程度の使い手ならここまで苦労しない。わたしが動いた先にはすでにチョアンの脚があった。高速で接近するその脚はわたしのお腹あたりを狙っている。
「っつ!」
 とっさに大きく身をかがめる。少し髪の毛をかすった音がしたが、ダメージにはならない。
 蹴りをからぶった所を狙うため、すぐに立ちあがって刀を振るが、そこにチョアンはいなく、すでに数メートル先に移動していた。
「うんうん、いいアルヨ。」

 ……折角頭がすっきりしたんだ、情報を整理しよう。
 まずあの手袋。あれにわたしの刀が触れた時に金属音はしない。ただまぁ……硬いモノを叩いたような音はする。つまりあの手袋は別に鋼鉄製ではない。材質は確かに手袋のそれだ。でなきゃ手を握ったり開いたりできない。
 硬いから刀を当てた時に音が鳴る。これはクリスとの戦いで学んでいる。だからあれはそう、本当にただ硬いだけの皮の手袋ということだ。……だからなんなんだ? いや、それ以前にわたしの刀で斬れないことが問題なんだ。

 チョアンが視界から消える。再びその姿を見せた場所はわたしの真後ろ。きれいな軌跡を描いてわたしの首に迫るチョアンの脚。
 ……下着が見えるのがいちいち気になってしまう……はしたない。
 しかし近距離のチョアンの動きは達人級。ならば遠距離攻撃だ。
 わたしはその蹴りを後ろにさがることでかわす。そして刀を振る。完全に間合いの外ではあるが、わたしの刀から極細のワイヤー状の刀がチョアンに放たれる。
 たぶん、その極細の刀は視認できていない。だがチョアンは何かが放たれたことを感じたのだろう、上に高く跳んだ。放たれた刀はチョアンの遥か後方の瓦礫を切断した。
「おお、危ないアル。」
 華麗に着地するチョアン。その時も……下着が……
「……その服はなんとかならないのか……?」
「ん? なんのことアルネ?」
「その……下着が……」
「んん? あなたはそっちの趣味アルカ? 困るアルヨ。」
「違う! というか趣味であろうとなかろうと気になる! 恥ずかしくないのか!」
「恥ずかしいアルヨ? でも……それ以上にあなたとの戦いが楽しいのアル。」

 むぅ……
 ……とりあえず、相手が止まってくれている今こそ、考えるんだ。
 確かにあれは硬い。でも……わたしの刀に斬れないものはない。なのに斬れない。クリスと戦ったときはまだまだ未熟だったがあれから成長した。今のわたしに斬れないモノは……
 いや……そう言えばこれ、あれに似ているな。
 わたしは自分の刀を見る。これは鋼で出来ている。確かに切れ味は凄まじいが……何でも斬れるわけじゃない。ただ単に……わたしが何でも斬れるようにしているだけだ。
 それが何であれ、ゴッドヘルパーの《常識》は現実を上書きする。
 青葉との戦いで、わたしは青葉の光の剣を初めは斬れなかった。あれはわたしの何でも斬れるという《常識》と青葉の剣の……温度が高いから刀なんて溶けてしまうという当たり前が衝突していたからだ。温度が高いと金属は溶けるがそれをわたしの《常識》が上書きしたために光の剣と刀の打ち合いという現象が成立した。
 あの手袋とわたしの刀の衝突もそういう衝突なのかもしれない。つまりあの手袋もそういう《常識》が上書きされている。「斬れない」という《常識》が。
 そういえばわたしと力の使い方が似ているとチョアンは言っていたな。
 すると何だ? チョアンは《手袋》のゴッドヘルパーで手袋にそういう《常識》を……?
 いや、それだとあの高速移動がわからないが……手袋と同様に考えるなら……あの運動靴に「はくと走るのが速くなる」みたいな《常識》を上書きしている……?

「……なんか見えてきたな……」
「うん? パンツアルカ?」
 チョアンがチャイナドレスのすそを持ち上げる。
「ち、違う!」
「アッハッハ。でもワタシ的にはあなたの方が恥ずかしい……いやらしいと思うアル。」
「……?」
「確か和服って下着をはかないんじゃなかったアルカ?」
 チョアンが顔を赤くして「きゃー」という表情をする。
「……何か勘違いしているな。わたしのこの服は和服とは違うぞ。」
「そうなのアル?」
「和服の時には下着をはかないというのは……というか別にはいていないわけではない。和服用の下着というのもあってだな……」
「?」
「えぇっとつまり……」
 なんでこんな話をしているんだ、わたしは。
「和服を着ると身体のラインが出るんだ。その時に下着をつけているとそれがラインとして出てしまうんだ。それを良くない……美しくないと考えているから下着をつけないんだ。何かやらしい理由があるわけではないから恥ずかしがるモノではないんだ。そしてわたしが着ているのは袴だからラインが出ない。だから下着をつけていても問題な―――ってまるで下着をつけることがダメなことみたいになってる!? えぇっとだなぁ……」
「……つまりそういう風習ってだけアルネ?」
「そう! そうだ! 決していやらしくない!」
「ならワタシのこの服もいやらしい理由でこうなっているわけじゃないアルヨ。」
「ん、そうなのか……?」
「というかこれをいやらしい風にしちゃったのは日本人アル。まったく心外アルヨ。そもそもこれは馬に乗る時にまたがりやすくするためにスリットが入っただけアル。」
「……そうだったのか。てっきりいやらしい服かと……」
「まぁ、ワタシがこれを着ているのは大抵の国でそういう認識が強いから、着てると色々便利だからアルネ。」
「結局そういう理由か!」
「ワタシは女アルヨ? 女は男の性欲を利用できるアル。使わない手はないアル。」
 そこでチョアンは憂いの表情になった。
「でも……そのせいでワタシは苦労しているアル……」
「……?」
「ほら、ワタシって美人さんアルヨ。」
「……そうだな。」
 ……認めざるを得ないな。こればっかりは……しかし自分で言うのはどうなんだ?
「だから男が本気で戦ってくれないアル。胸が揺れればそっちに目が行き、服が破れればそこを見るアル。まったく本能だからと言って困ったものアルヨ。そして強い人っていうのは大概男アルヨ。どうしてワタシは女に生まれちゃったアル?」
 本気で嘆いている顔だ。本当に戦う事が好きなんだな……

 しかしチャイナドレスのスリットにそんな意味があったとは驚きだ。そういえばうちの高校は違うがセーラー服の背中のヒラヒラも意味があってああなっていると聞いたことがあるし……今となってはただの可愛い服、きれいな服になっている服にも相応の意味があるのかもしれ―――
「……意味……?」
 そこでわたしがそう呟いた時、チョアンの表情が少し変わった。
 そうだ、さっきの考えに戻すぞ。
 手袋……手袋をする意味ってなんだ? 普通に考えれば……まぁ寒い時にするぐらいだから寒さ対策だ。しかし工事現場とかにいる人がつけている手袋はそういう意味でしているわけではないだろう。掴んだものが滑らないようにとか、手を……ケガしないように……
 寒いから手袋をするということは……言いかえれば温度の低い空気から手を守るってことだ。
 ……運動靴はどうだ? 運動靴をはく意味は……その名の通り、運動をしやすくするためだ。靴の裏にゴムをはっつけることで踏ん張りが効くようにし、グッと踏み込めるようにした。その目的はつまり、速く動くということじゃないのか?
「……表情が変わったアルネ?」
 ……確かめる。もしもあれをしたら……たぶん、わたしの考えは当たっている。たぶん……
「ふぅ……」
 身体に意識を送る。血液をひっぱるイメージ。運動を加速する……!
「はっ!」
 わたしは駆けだした。それを見たチョアンはにやりと笑った。
「その構え……あのおじいさんの技アルネ?」
 構えだけでそこまで予測するチョアンの目は恐るべきだが……逆に都合がいい。
 わたしの技はおじいさま程ではないが、それなりの速度がある。
「雨傘流四の型、攻の一から六まで混成接続! 《翠嵐》!」
 抜かれた刀が曲線を描いてチョアンの首へ走る。だが、いつの間にかメガネをしていたチョアンはすっと後ろにさがってそれをかわす。
 さらに一歩踏み込んで袈裟切りを放つがそれも余裕でかわすチョアン。
 まるで刀の軌跡が見えているかのように。おじいさまの技とは組み込む技の順番を変えたから予測は不可能。それでも全てをかわしている。
 技が出終わった瞬間、チョアンの拳が一直線にわたしの胸に放たれたが既に後退していたわたしには当たらない。
「……さて……今ので何がわかったアルカ?」
 チョアンは腕を下ろしながらにっこりと笑う。
「今の技は相手を追い詰めた時や、相手がバランスを崩した時なんかに放つべき必殺技アル。それを単発で放ってきた……何かを確かめるためアルネ?」
「……つまり、わざわざ技を受けてかわしてくれたわけか。」
「そうアルネ。」
 ゆっくりとメガネを外すチョアン。
 そう……メガネ。剣の話にあったメガネ。チョアンはおじいさまの攻撃を受ける前にメガネをしたという。メガネはどんなときにするのか。目が悪い人がつけて視力を底上げする時だ。それはつまり、ぼやけている視界をはっきりさせるということ。見難いモノを見やすくするということ。
 かなりの速さで繰り出される技。別に刀は透明でないから決して見えないわけではない。ただ単に見難いだけだ。それを見やすくした。
「さぁ、ワタシの《常識》はなんだと思うアル?」
「……ズバリこれだという所までは至っていない。わたしはそんなに賢くないからな。だけど何をしているかはわかってきた。」
 わたしは息をすぅっと吸ってチョアンに告げる。
「あなたがやっていることはモノの持つ意味や目的を大きくするということだ。」
 チョアンは目をつぶってうんうんと頷く。
「例えばその手袋。手袋の意味は『手を守る』ということだ。わたしの刀が手に迫った時、そのまま行けば手は傷つくことになる。だが『手を守る』という意味を持つ手袋がそれを阻止した。たぶん、その意味が実現した結果、硬くて斬れない手袋になったんだ。」
「なるほどアル。」
「そして運動靴。運動靴の意味は『速く動く、走る』ということだ。だからそれをはいているあなたの移動速度は速くなった。視認不可能なほどに。メガネには『見難いものを見やすくする』という意味がある。だからあなたはわたしの攻撃を避けることが出来た。見えるから。」
「正解アル~」
 チョアンがパチパチと手をたたく。
「ふふふ、やっぱり互いの能力が分かった状態の方がいい戦いになるアル。だからネタバレするアル。」
 チョアンはスタスタと歩き、瓦礫の近くに置いておいた二つのアタッシュケースのもとに移動する。
「モノの意味……確かにそうアル。だけどそれらには共通点があるアル。」
 アタッシュケースの真横まで来て、チョアンは両手を腰にあてて言った。

「ワタシは《服装》のゴッドヘルパーアル。」

「《服装》……」
「手袋も靴もメガネも《服装》の一部アルヨ。身につけるもの全般にワタシの力は影響するアル。服はもちろん、帽子やアクセサリーなどなど、それぞれが持つ意味を拡大させることがワタシの力アルヨ。」
「意味の拡大……」
「ヘルメットをかぶれば上から何トンという瓦礫が落ちてこようと頭は絶対に傷つかないアル。マスクをすれば細菌だらけの部屋でも有害な菌は絶対にワタシの中に入って来れないアル。そして……」
 言いながらアタッシュケースの一つを開け、そこから筒状のモノを取り出し、それをつなげていく。最終的に出来あがったモノは……槍だった。
「鉄心。あなたは、戦場で槍をもった男を見たら、その男は何の武器の使い手だと思うアル?」
「……槍だろう……」
「そうアル? ただ持っているだけかもしれないアルヨ?」
「……!」
「そう……特定の条件がそろえば、それを持っているだけでそれの達人という意味になるモノもあるアル。ワタシはそういう意味も拡大できるアル。」
 そう言って手にした槍を慣れた手つきでクルクルと回す。
「ちなみにワタシが槍を使うのはこれが二回目アル。練習とかは一切していないアル。」
「……武器を持つだけで……その武器の達人になると言うのか……」
「そういうことアル。」
 アタッシュケースの中からさらに武器を取り出すチョアン。どういう風に入っていたのかよくわからないが、刀、剣、銃、斧、鎚にノコギリやヌンチャクまで。ざっと三十近くの武器がチョアンにまわりに並んでいく。
「これからあなたが相手にするのは人類の歴史で生み出された数々の武器。それらを全てマスターした達人アル。」
「……一つ聞くが……」
「何アル?」
「あなたの拳法……それも……?」
「これはワタシの技術アルヨ。」
 ダンッと踏み込み、わたしに迫るチョアン。その姿は……槍の達人。
 ……ゴッドヘルパーの力ではない。わたしが今相手にするモノは……人間が作り出した技術そのもの。何千何万という数の人間が使い、受け、死んでいった……長い歴史によって磨かれた、相手を殺すための技術。
 威力が高いとか、防げないとかそういう類の力ではない……だけどそんなものを遥かに超える精度で相手を殺す……技術、その集大成。
 間違いなく、わたしが今まで相手にした中で……最強の敵!
「ハッ!」
 わたしの手前まで来て一気に加速する槍。

 ……槍を相手にした時、そこに横方向の移動はありえない。人間が一瞬で移動できる距離なんてたかが知れている。その程度の距離は槍を持つ手を少し動かすだけで埋めることが出来てしまう。それに人間は横歩きするように出来ていない。必ず生まれる「動作の停止時」を狙われたらそこで終わる。
 故に、槍に対して行うことはただ一つ。
 前に進むということ……!

「むん!」
 迫る刃先の軌道を刀でそらしながら前進。槍の攻撃は「点」攻撃だから少しズラすだけで避けることが出来る。そして槍の刃の部分よりも奥に入り込んだなら、少なくとも致命傷を受けることはなくな―――
「!」
 避けた先に、何故かチョアンの手があった。そしてその手に握られているのは……ナイフ。
 とっさに刀から片手を離し、その手を迫るナイフに向ける。
「あら?」
 ナイフを振りぬいたチョアンはわたしの後ろに、わたしは前のめりに倒れたがでんぐり返しの要領ですぐさま起きあがった。
「……今のはなかなかすごいアルネ。」
 それはこっちのセリフだ。槍は両手で持って扱うのが基本だ。だから両手は塞がっていると思い込んでいたが……その実、片手で持っていた。そして空いた方の手にナイフ。避けられた時のためにと言うよりはわたしがよけることが前提の攻撃だ。
「結構意外だったと思うアル。だけど……なるほどアル。そういえばあなたは《金属》だったアルネ。」
 チョアンの手には直角に折れ曲がったナイフ。わたしを突き刺そうと迫るナイフに手を伸ばし、切っ先が触れた瞬間に《金属》の力でナイフを直角に曲げ、最終的には刀で言うところの峰がわたしの方を向くようにした。結果、わたしは少し細い金属の棒で手の平をなぞられただけ……という結果に持って行けた。
「一瞬の判断力……青葉に勝てたのも頷けるアルネ。彼女の奇想天外な動きについて行けたのもその応用力……と言ったところアルネ?」
「……そうかもな。」
「武道っていう型にはめられたあなたにはこういう意表を突く技がいいと思ったアル。だけどそれは勘違いアルネ。逆に正統な武術こそがあなたには効くのかもしれないアル。」
 チョアンは槍とナイフを捨て……日本刀を手に取った。
「……剣術でわたしに挑むのか……?」
「《雨傘流》。」
 わたしの問いに謎の答えを返したチョアン。
「持ち手をずらし、歩幅を変え、自由自在の間合いを操る剣術アル。その名の由来は剣士を上から見た時にまるで開いたり閉じたりする傘のように間合いが変化するところアルネ。」
 ゆっくりと日本刀を構えるチョアン。その姿には隙が無い。
「ワタシがこれを持つことで得られるのは一般的な剣術アル。さて、《雨傘流》にどこまでついていけるのか……楽しみアルネ。」
 じりっと足をすらせてこちらに近づいてくるチョアン。
「ほぁっ!」
 一瞬でわたしの間合いに入り込んできたチョアン。今チョアンが行ったのは縮地と呼ばれる剣道の移動方法だ。重心移動と足の運びで移動する手段だが……素人がやると倒れたり足の腱が切れたりする。それをまさか運動靴でやってのけるとは……
 わたしの刀とチョアンの刀がぶつかる。チョアンの刀は剣術の基本の斬り方。それに対してわたしの《雨傘流》は特殊だ。刀を片手で持って振りおろしたりする。しかしその全てを難なく防ぎつつ反撃してくるチョアン。まさに達人。
「うん……うんうん! 素晴らしいアル!」
 とても楽しそうに刀を振るチョアン。表情や声色からかなり興奮していることがわかるが刀はぶれない。心ではなく身体が達人へと変化しているということか。
 しかし……それなら攻めようがある。
 わたしは少しずつチョアンの刀の間合いを変化させていく。チョアンの技が達人の……一般的な剣術の達人のものならば、間合いが変化するなんてことには対応できない。
 刀が触れ合うごとに、わたしは自分の刀を通してチョアンの刀を縮めていく。少しずつ、少しずつ。
「どうしたアルカ! この程度ア―――」
 チョアンの言葉が途切れたのは、チョアンの刀がわたしの刀に数センチ届かずに当たらなかったから。
 まぁ、本来の長さだったら届いたのだが。
思いっきりからぶったところに斬り込むわたし。
「っつ!」
 しかしすんでの所でチョアンの拳がそれを防いだ。
「いいアルネ……でもまだアル!」
 つばぜり合い。……普通ならチョアンの刀を真っ二つに斬れているはずだが……刀の意味は『斬る』ことだ。結果としてわたしと同じ上書きをしているわけだから互いに互いが斬れないんだろう。
「次アル!」
 一瞬でわたしから離れ、もはや瞬間移動と呼べるスピードで移動し、武器を別のモノにチェンジする。
再び視界から消えるチョアン。姿は見えないが足音は右から……
「……同じ手はくわない!」
 左に刀を出した瞬間、チョアンの持つ斧がぶつかった。
「―――んんっああ……」
 妙に色っぽい声を出したチョアン。
「……気付いたアルネ?」
「……わざと右で足音をたてて左に移動する。もちろんその時は足音を消して。今のスピードなら可能……別に不思議でもないトリックだ!」
 斧を弾くわたし。しかし弾かれた斧はチョアンの絶妙な捌きによって回転、再びわたしの方へ迫る。
 おそらく刃の部分は刀同様に斬れない。なら!
「ハッ!」
 斧は先端に刃がついていてそれ以外は棒。そこへ刀を振りおろし、刃の部分を切り離した。しかしそれで戸惑うチョアンではない。おそらく斧の達人から棒の達人に変わった。とんでもない速度の指の動きでただの棒と化した斧を適切な場所で持ち、切れのある棒術を繰り出す。
「あはぁ……」
「むん!」
 わたしが繰り出される棒を弾き、防ぐたびにほっぺを赤くしていくチョアン。今が戦闘中でなければ私も見とれていたであろう表情だ。
 赤くなると同時に少し棒から力が抜けていくチョアン。
「スキありだ!」
 棒の嵐をぬって袈裟切り。浅くではあるが、手ごたえが手に伝わる。
「―――んんっ!」
 肩からお腹辺りまで走る鮮血。とどめの一撃をお見舞いしようと一歩踏み込むがそれよりも速くチョアンがバックステップでさがる。
「―――いいっ! 最高アル!」
 そこからさらに高速移動、さっき武器を出したアタッシュケースではないもう一つのケースに近づき、それを開いた。
「熱いアル……」
 とりだしたのはトイレットペーパー……なわけないか。あれは包帯か?
 紙がグルグル巻いてあるそれから一定の長さを切り、それを素早く傷口に巻いたと思ったらすぐに外す。すると傷口が治っていた。
「包帯の意味……アルヨ。」
 すごい能力だが……それ以上にチョアンの表情がすごい。ほっぺを赤くし、舌を出して唇をなめている。目はうるんでいて……ものすごく……妖艶だ。
「あぁ……んん……でも……もう少しアルネ……」
 チョアンはアタッシュケースの中から……ボロボロの赤いハチマキみたいなものを取り出した。そしてそれを右手首に結びつける。同じようなモノを左手首、右足首、左足首にもつける。
「当たれば確実に死ぬ……そんな攻撃の応酬……スリリングな一瞬一瞬……んぁあああっ! たまらないアル!」
 そう言いながらチョアンが右の拳を真横に突き出した。その瞬間、ものすごい轟音が響き、右手の先の地面からコンクリートがはがれ、さらにその先の建物が崩壊した。
「んな……」
 まるで巨人の拳が放たれたかのような光景だった。
「この布には……全てが上書きされているアル。」
「……全て……?」
「この布をつけることで……この世に存在する全ての武道を身につけ、全ての武器を扱える。この拳が放たれる対象は確実にその存在の死を迎える。空気を叩けば大気は爆散し、ビルを叩けば崩壊する。ワタシに見えないモノはなく、ワタシに出来ない動作はない。そういう《常識》を上書きしたアル。」
「なんだと……」
 それが四肢に巻かれたということは……これからチョアンが繰り出す技はその全てが一撃必殺であるということだ。そして……できないことはない……だと……
「でもさすがにいつでも装備できるわけじゃないアル。今みたいに……鼓動が早まって、体温があがって、身体の奥から何かが湧きでるような状態でないとここまでの上書きは出来ないアル。」
「……要するに……興奮した時か……」
「ワタシをここまでドキドキさせるなんて……青葉以来アル。久しく感じてなかった絶頂アル。でもまだまだ……上があるアル。さぁ……続きアル……」
 異常な雰囲気。狂っているという言葉が今のチョアンにはふさわしい。戦いという行為でここまでの興奮を見せるなんて……
 ならば……その目的は……
「……あなたは……死ぬまで戦うことが目的なのか……」
 わたしが驚愕の声と困惑の表情を見てチョアンは首を振る。
「違うアル。戦って死ぬことが目的アル。だからこの布をつけると……ワタシも一撃で死ぬアル。」
「なにっ!?」
「さっき見せたような包帯の力も無いアル。ワタシは全てを可能にしているアル。でもそんなワタシもあなたの刀の一振りで死ぬアル。あなたもワタシも一撃で死ぬアル! んあああっ、っく、あはん……楽しみアル!」
「何を……考えているんだ……」
 わたしがそう言った瞬間、チョアンはとんでもなく妖艶な笑みを浮かべ、そして両腕を広げて空を仰いだ。
「言ったアル! 戦って死ぬことアル! 絶頂の中で終わりを迎えるアル! 病気? 老衰? あり得ないアル! 心と身体が高ぶる中で、満足をしながら死ぬことこそが幸せな死に方アル! さぁ……ワタシを絶頂に連れていくアル! ワタシは戦いの中でしかテッペンに行けない人間アル! 理解しているからこそ求めるアル! ワタシを最高の快楽に導く死神になるアル!」
「……残念だが……わたしはあなたを殺すつもりはない。それがわたしの《常識》だ。戦うのは構わないが……結果はあなたが倒れる。それだけだ。」
「んんんああああっ! つれないこと言うアルネ! でも無理アル! ワタシの《常識》はワタシの欲求から来る上書きアル! 対してあなたはただの信念アル! どちらがより強い上書きかは一目瞭然アル! あなたがワタシに一撃を入れた瞬間、ワタシは死ぬアル!」
 ……そうはさせない。絶対に。
「っああぁあっ、んんはああぁ! 駄目アル駄目アル! あなたを見ているだけで……想像するだけでイってしまうアル! 始めるアル!」
 直後、背後の地面と建物を粉々にしながらチョアンがとてつもない爆速で接近する。とっさに刀を前に出すが繰り出された拳を受けた瞬間、折れるかと思うぐらいの衝撃が腕に走り、耐えきれなくなったわたしの身体は後ろにすっとんでいった。とびかけた意識の中、目にしたのは空中を走って接近してくるチョアン。
「……はああああぁああっ!」
 刀から極細の刃を自分がとんで行く方向に放ち、勝又くんとの戦闘でやったように、空中に足場を作る。その足場になかば突っ込む形で真横から着地する。スピードを相殺できずにゴムを引っ張るように、わたしは極細の足場をしならせる。しかしある点まで来た時、ワタシの進む方向は逆転し、パチンコ玉のように放たれ、迫りくるチョアンへ突撃する。
 全身全霊でチョアンに刀を振る。チョアンの拳と刀がぶつかった瞬間、目の前で爆弾が爆発したかのような衝撃が走り、周囲に飛散する。しかし均衡は一瞬で崩れる。わたしの刀が拳を押し返し、チョアンを弾き飛ばした。
 鋭角で地面に突撃するチョアン。足場を上手く使いながら着地するわたし。
 ……一撃で死ぬという言葉通りなら今のでチョアンは死んでしまう。しかし……そんなことで死ぬことを良しとはしないだろう。たぶん、わたしの刀に斬り込まれて初めてそうなる。つまり……
「素晴らしいアル!」
 瓦礫の中から身体を震わせながら出てくるチョアン。やはり無傷。
「ワタシの目に狂いはなかったアルネ! 今の一撃、『相手を弾き飛ばす』という点において、あなたの《常識》がワタシのそれを上回ったアル! あなたのその信じる心、空想を現実に変換するというゴッドヘルパーにおいて最強の力……最高アルヨ!」
 青葉にも言われたこと。空想を現実に変える。ゴッドヘルパーとして、最も力になるのはこの力だ。ルーマニア殿も晴香もそう言っていた。
「なら……わたしはあなたに勝てるな。殺さずにな。」
「そうは……んはああぁ……いかない……アル!」
 チョアンは近くに落ちていた建物の瓦礫を軽々と宙に放り投げ、それに向かって拳を一撃。砕けた瓦礫の破片が砲弾のようにわたしの方に飛来する。それらをかわしながら斬りながらわたしはチョアンの方へ前進する。
「さすがアル!」
 チョアンの目の前まで来たところで一閃、極細の刀を撃ち出す。それを片手で弾くチョアンだが、その一瞬にわたしはチョアンの懐に入った。
「あれだけの攻撃力を見ておきながらワタシに接近戦を挑むアルカ!」
「はぁっ!」
 ぶつかる拳と刀。人間の手と金属の刃がぶつかっているとは思えない音が響く。わたしは今まで身につけてきた技術の全てを叩きこみ、チョアンは一撃必殺の拳と脚をそれにぶつけてくる。
 一撃ぶつかるごとに放たれ、飛散する衝撃は瓦礫を吹き飛ばし、地面をはがす。
バカバカしいほどの威力のぶつかり合いだ。実際、チョアンの力は言葉では言い表せない程のプレッシャーと力を持っている。だが、訳が分からないほどの力だからこそ、わたしはまともに戦えているのだと思う。
さっきの瓦礫の砲弾も、普段のわたしならたぶん防御するだけで手いっぱいだった。とてもじゃないが前進はできなかっただろう。そう、あれだけだったなら。
問題はチョアンが強すぎるという点だ。イメージできるレベルの強さだったなら、わたしは敗北していただろう。だがイメージできないレベルの強さ故に、戦略も何も考える気にはならず、ただがむしゃらに戦うということができている。勝つための戦略も何も考えないで戦っているという状況がゴッドヘルパーとしてはプラスになっているんだろう。
頭で考えて可能不可能ができるようなモノを相手にしていない。だから考えることなく、純粋にわたしだけの《常識》を使えているのだ。
この状態を持続させることが必要不可欠。考えてはいけない。勝つための手段なんて考えても意味が無い。何故なら相手はそんなことでどうにかなる相手じゃないからだ。
「何も考えるな!」
 視認不可能な速度の拳をかわす。
「ただ刀を振れ!」
 どう動いたのかもわからない動きで刀を振り下ろす。
「ただ倒せ!」
「!」
 よくわからない速度で放たれたわたしの突きを大きく後ろにとんでかわすチョアン。
「なんてことアルカ……自分自身でもできるかどうかわからない動きを自然にしているアルネ? その動きをして当たり前だと……そういう《常識》をその刀の《金属》に上書きしているアルカ。」
 チョアンはひどく嬉しそうに呟く。
「頭で思った動きをそれができるかどうかは無視して実現させる……戦略も何も考えていない戦い方……素晴らしいアル! 今この瞬間、ワタシの前に武神と呼ぶにふさわしい存在が立っているアル! 戦えば戦う程にその力を磨いていき、不可能を無くしていく存在がここにいるアル!」
「武神……神様か。それは違うな。」
 わたしはこれだけは確実に言わなければならないと思った。
「わたしはヒーローに憧れるだけの人間だ。今も憧れるヒーローの強さに近づいているだけだ。」
 わたしは無意識に、サムライジャーの構えになる。
「だがこれだけは言っておく。わたしの今の敵はあなただ。世界の秩序を乱そうとする悪者だ。」
 セリフを言うたびに胸が高鳴る。そう、わたしは今ものすごく……
「ヒーローは悪者に決して負けない。」
 正義……だ。
「正義は勝つ!」
 チョアンはわたしの言葉を聞き、目を細めながら、おそらくこれが最後であろう、落ち着いた表情でこう言った。
「正義と悪……色々な見方でちょくちょく変わる物アル。だけどそれを何の疑いもなく信じ、それを信念として生きているあなたは……きっと正義アルネ。」
 拳を構え、再び恍惚とした表情に戻ったチョアン。
「さぁ、正義の味方! ワタシを楽しませるアルヨ!」
 チョアンは地面をコツンと片足で叩いた。するとそこからコンクリートで出来た槍がせり上がって来た。それを掴んでわたしの方に刃先を向ける。そして爆音と共に超速で突っ込んできた。
「楽しませはしない。さっきも言った、ただ倒す!」
 構えた刀、その刃が光り輝く。
「はぁぁああああぁぁっ!」
 ぶつかる刀と槍。その二つの接点を中心に広がる衝撃が、またもや周囲を粉微塵にした。


 あたしは正直どうしようもない。だってあたしは直接戦える人じゃないし。
「うわわ! なんすかこれ!」
 速水があたしの横を走っている。あたしも走っている。速水の力であたしの走る速さはかなりのモノになってる。でもこれ、やったあとの筋肉痛がひどいのよね。
「速水、なんとかしなさいよ。」
「は、花飾さんもなんか考えて下さいよ!」
「……なんで晴香は雨上先輩であたしはさん付けなのよ。」
「えぇ……だって雨上先輩はホントに先輩ですけど……花飾さんは別に同じ学校ってわけでもないですし……」
「まぁ……そうよねぇ。」
「ちなみに花飾さん、今日の下着は何色なんすか? 結構スカートはためいてんで見えそうなんすけど。」
 なんか知らないけど晴香は私服だったし、鎧もいつの間にか道着みたいなのになってる。あたしだけ制服のままなのよね。
「残念ね、あたし、今日は下に体操着はいてんのよ。」
「うぇっ!? なんでそんなこと!」
「今日、何もなかったら今頃は体育の授業だったからねぇ。普段ははかないんだけど。タイミング悪いわねー。」
「えっ!? 普段はノーパンなんすか!」
「体操服をはかないって言ってんの!」
「ちょっと……」
 あたしと速水がそんなことをしゃべりながら走ってたらあたしたちを走らせてる男装の女が呟いた。
「いい加減にしなさいよね。私、つまらないんだけど。しかもパンツの話ってどーゆーこと? 変態と痴女が私の相手なわけ?」
「失礼ね! こいつは変態だけどあたしは普通よ! いたって。」
「えぇ……《変》が何を言ってるんですか……」
「あんた……何を堂々とあたしの力をバラしてんのよ。」
「あ……」
「おまけに馬鹿ってわけね。まぁいいわよ、私は気にしない方だから私の力も教えたげるわ。」
 男装女の力……確かサマエルがヘイヴィアとか言ってたかしら。あたしたちはこいつの攻撃から逃げるために走ってた。
 どんな攻撃かって言うと……上から剣が降ってくんのよね。
 あいつがその辺に転がってる石ころを上に投げるとそれがでっかい剣になって降ってくるってわけ。
「ていうか、私はあんたらの力は知ってんのよ。リッド・アーク戦は私らの間でも結構話題になったから。《変》のゴッドヘルパー、花飾翼と《速さ》のゴッドヘルパー、速水駆。んー、はやい男はもてないわよー? ちゃんと女の子も楽しませなくちゃね。」
「下品な女ね!」
「オレは趣味じゃないですけど、ああいうのが好きな男子ってそれなりにいますよ?」
「何の話よ!」
「漫才するのは結構よ? でも私の自慢話も聞きなさい。」
 ヘイヴィアは足元の石ころを拾う。てか、なんで交差点にこんなにたくさん石ころが転がってんのよ。正確には瓦礫が! 誰よこんなに壊してんのは……

「私は《質量》のゴッドヘルパー。」

 ヘイヴィアの手の平の上で石ころがみるみる大きくなっていく。ヘイヴィアがそれを地面に落とすとさっきまでの小さかった石ころとは思えない大きさと重量感でズシンッという音をたてた。
「んんっふっふ、やらしい現象よねー。どういうことかわかる?」
「知らないわよ!」
「あんたらって高校生と中学生なんでしょ? 《質量》くらい知ってるわよね。」
「当たり前っす。これでもオレ、成績いいんですよ。」
「え、そうなの?」
 あたしは疑いの目で速水を見る。
「クラスで上から七番す!」
「微妙ねぇ……あたしは……この前の中間はクラスで下から二番だったわね。その前の期末は学年トップだったけど。」
「なんすかその波!」
「成績なんてどうだっていいわ。女に必要なのは上の大きさ、男に必要なのは下の大きさよ。」
 
 ホントに下品な女ね……ま、それは置いといて……
 《質量》っていうのは重さのこと。この世界にあるもの全てが持っている数値ね。ただし体重計で計る重さとは少し違う。
 例えば体重六十キロの人が体重計を持って月に行くとする。月の重力は地球の六分の一くらいだからそこで体重計に乗るとその人の体重は十キロとなる。でもだからってその人の《質量》が六十から十になったとは言えない。あくまで変わったのは重さだから。
 よーするに《質量》ってのはどこでどんな風に計っても変わる事のないその物体の重量ってことね。

「《質量》は不変の値。これが増えたり減ったりするってことはつまりその物が大きくなったり小さくなったりするってこと……ここまではいいかしら?」
 ヘイヴィアがさっき大きくした石……今じゃ岩を指差す。そう、絶対に変わる事のない値だからその値が変わったなら、それは物質そのものが別の物になるか、大きさが変わったことを意味する。
「でもねぇ……別に《質量》が増した時に増す前の形と同じでなきゃいけないなんて決まりはないわよね?」
「……はぁ?」
「水と同じよ。《質量》十キロなら例え四角い容器の中だろうと丸い容器の中だろうと十キロには変わりないじゃない。」
「……それがあんたの考え……《常識》ってわけかしら?」
「そうね。私は《質量》を増やすことで物体の形状を自在に変えることができるのよ。」
「それって……結構強くないっすか……」
 速水がやばそうな顔をする。だけど残念、あたしにはわかる。これの弱点が。
「でもそれは……急激な変化にのみ適応することじゃないかしら?」
 あたしがそう言うとヘイヴィアがニンマリと笑った。
「そうよ? 十キロの物を十キロのまま形を変えることはできないわ。加えて、十キロの物を十一キロにしたからって原形を留めないような大きな変形はできない。私がその形状を決められるのはあくまで増えた分のみ……同じような理屈で物を小さくする事……《質量》を減らすこともできないわね。」
つまりヘイヴィアが大掛かりな変形を行う時に使う大元の物体は小さくないと駄目ってわけね。
……そんなことわかってもどうしようもないけどさ。
「初めは小さくて大きくなるって方がステキじゃない?」
 ヘイヴィアはさっと地面の石ころを拾い上げて空高く放り投げる。宙に舞った石ころは一瞬で大きな剣に形を変え、その重さのせいでかなりの速度で落下してくる。
 あたしと速水はダッシュでその場から離れる。数秒後、何本もの剣が地面に突き刺さった。
「あの剣がオレらを追ってこないなら避けるのは簡単っす。花飾さん、イケますね!」
「そう上手くいくかしらねぇ……だってサマエルが自分の切り札みたいに紹介してたのよ? この程度なわけがないわ。」
 それに、よくよく考えるとヘイヴィアはすごいことをしてんのよね。だって石ころの変形は宙に投げた後に起こってるんだから。触れずに《質量》の変換と形状の操作をしてるってことになる。
 あいつ、目で見るだけで……もしかしたら見もしないで《質量》っていう《常識》の上書きができるのかも。
「あっはっは! もう一つ私の弱点を教えてあげるわ!」
 あたしたちが必死に逃げ回る中、一歩も動かずにヘイヴィアは叫ぶ。
「私、生物の変形はできないのよ。石とか金属とかは削ったり溶かしたりすることで変形できるってことを《常識》で知っているから簡単よ! でも生物の変形なんて見たことないもの! だからいきなりあなたたちの腕を三本にしたりなんてことはできないわ!」
「……なんであいつあんなにベラベラとしゃべるのかしら……弱点……」
「馬鹿か、余裕かのどっちかっすね。」
「聞こえてるわよー。私、罵倒されて感じるタイプじゃないからね。」
 また変な事を言って……と思ってヘイヴィアを見たあたしは少し驚いた。いつのまにかヘイヴィアがこっちに迫ってる。ゆっくりと。
「あいつ、足を動かさずに移動してるわ。地面の変形でもしてんのかしら!」
「……! 花飾さん、違います!」
 速水が驚愕の表情でヘイヴィアを指差した。
「遠近法でそう見えるだけっす! あいつ……」
 あたしはもう一度ヘイヴィアを見る。……あら? ヘイヴィアの近くのあの瓦礫、あんなに小さかったかしら……
「……!」
 そこであたしも気付いた。
 ヘイヴィアが大きくなってることに。
「あんた……まさか自分の《質量》を……」
「変形できないだけで《質量》は操れるもの。形はそのままに大きくすることはできるわ。」
 大きくなるのが止まった。ざっとあたしの身長の二倍ほど、三メートルはある巨体になったヘイヴィア。まるで虫めがねで覗いたように……カメラでズームしたように……
「んんっふっふっふ。あんたたち、《質量》っていうのをなめていないかしらね?」
 さっきから降らせていた剣を軽々持ちあげるヘイヴィア。今の大きさであの剣を持つと何の違和感もない。あの大きな剣がちょうどいい大きさに見えるってどういうことよ……
「ボクシング、柔道、空手、プロレス……体重で階級を分けてる格闘技がどれだけあることか……知らないわけでもないでしょう? なんで分けてるか理解してるかしら?」
 剣をぐるぐるまわすヘイヴィア。ブオンブオンって空気を切る音がする。
「身長が二倍ってことは……」
「体重は八倍……っすかね。五十キロとしても……四百キロ……」
「女の体重を計算するなんていやぁねぇ。でも、体重の差……《質量》の差っていうのはイコール力の差だものね。ましてそれに大きさの違いまで加わったら……成す術ないわよねぇ?」
 ヘイヴィアの言ってることは真実……鎧じゃないけど、地球にやってきた怪獣にどうして人間が苦戦するかと言ったらそれは大きいからよ。光の巨人がどうして戦えるかと言ったら怪獣と同等の大きさだからよ。
 昆虫界じゃ強くてカッコイイかぶと虫もライオンからしたらただの虫。そのライオンも恐竜の時代じゃあ草食恐竜の一匹だって狩れやしない。
 大きさが違う、重さが違うっていうのはそれだけで大きな力の差なのよ。
「んんっふっふ、小さく見えるわねー。世界が。」
「あんた……元に戻れんの?」
「自分で増やした《質量》なら減らせるわよ。私ができないのは元々ある《質量》を減らす事よ。面白いわよねー、ゴッドヘルパーって。」
 なんなのよ、もう! ゴッドヘルパーってこんなんばっかりよね! 法則性があるのかと思ったら「そうは思わないから」って理由で別の現象を軽々と引き起こすんだから。
「……まずいわね……」
「でも大きいってことは的としては最高ですよ!」
 速水が拳を引く。それと同時にヘイヴィアが持ってる剣を自分の前に投げた。次の瞬間、速水の拳が見えなくなって、宙を舞っている剣が砕け散った。
 何が起きたかって言うと速水が《速さ》の力で衝撃波を放ったんだけど、ヘイヴィアが投げた剣で防がれた……って感じね。
「んんっふっふふ。見え見えな考えねー。」
「だったら!」
 あたしの横から速水の姿が消えた。でも、またもやそれと同時にヘイヴィアを囲むように壁が出現した。数秒後、その壁全てに亀裂が入っていって……あたしの横に速水が戻って来た。
 えっと……これは、速水が見えないくらいのスピードでヘイヴィアの周りを走りながら衝撃波を放って、全方位から攻撃したんだけど、壁で防御されちゃったって感じね。
「経験値が違うのよ。あんたたちと私じゃぁ、戦闘経験がね。」
「まったく……なんであんたたちってそんなに戦闘経験豊富なのよ。どっかの軍隊じゃあるまいし。」
「んんっふっふ、何か勘違いしているみたいね?」
「何をよ。」
「私たちは正真正銘、軍隊よ。」
「はぁ?」
 にやけ顔で敬礼するヘイヴィア。
「兵士はゴッドヘルパー、指揮官は悪魔の王・サマエル様。対するは神の軍勢。目的は世界征服。ほら、軍隊じゃない。」
 ダンッと地面を踏むヘイヴィア。その衝撃で宙に舞うビルや道路の瓦礫の破片。それらが一瞬で形を変えていく。
「今は鴉間のアホのとこに行っちゃってるけどねぇ、あのイカレ中国人と物語コンビの力で私たちは戦闘訓練ってのを結構積んでるのよ。」
 形を変えて大きくなっていくコンクリートがヘイヴィアの身体を包んでいく。
「あの中国人は素人を一瞬で達人にする力を持っているの。力を解いたらまた素人に戻るんだけど、達人になっている間に武術や格闘技の動きを身体に叩きこむことでかなり効率良く戦闘力を上げられるのよ。」
 腕、脚、腰、腹、胸、首……全身がコンクリートに隙間なく包まれていく。
「そしてあの物語コンビの力で疑似戦闘を繰り返す……私たちが戦闘経験豊富なのはそういう理由よ。」
 ヘイヴィアを包んだコンクリートはその形状を攻撃的な物に変えた。それはまさに……鎧。
「は、花飾さん……あいつ……」
 速水が一歩下がる。あたしも身体が震えている……
 今目の前にいるのは男装した下品な女じゃない。屈強な肉体を強固な鎧で包んだ……猛者。
「どーお? 私の目、見えないでしょう。これで《変》は通じないってわけね。」
 声と外見が合わな過ぎるわよ……なんかめちゃくちゃカッコイイ鎧なんだけど。言う通り、目も見えないし……
「……そんな格好になって、重くないのかしら……?」
「必要な所に必要な分だけ《質量》を使って、別にどうでもいいとこは極限まで軽く……私は《質量》のゴッドヘルパーよ? 博物館にあるよーな無駄だらけの鎧と一緒にしないで欲しいわね。それに、身体を大きくしてるからその分筋力も上がってるのよ。」
 両手に私の身長くらいある剣を出現させてあたしたちを見下ろすヘイヴィア。これだけ見たら中身が女とは誰も思わないわね……
「……いくら鎧っていっても元はただのコンクリートですよね……ならまだなんとか……」
「……馬鹿ね……いくら砕いてもあいつはすぐに修復できるのよ。あれを粉々に砕いてなお威力があいつ自身に通じるぐらいのパワーが必要よ。」
「……かなり加速しないと駄目っすね。」
「なら……とりあえずは。」
「んんっふっふっふ。どーするのかしら?」
 あたしと速水は同時にヘイヴィアに背中を向ける。
「逃げるのよ!」
 全力疾走。とにかく離れて、作戦会議よ!
「んふ、いやぁねぇ。焦らしちゃやーよ。それとも放置プレイ?」

 交差点から離れて路地に入る。リッド・アークの時みたいに一般人はいないからいいわね。
「さて、どうするっすかね。」
「あいつに《変》はかけれない。というか、こっちの力を知ってるんだしね……あたしと目を合わせないようにするだろうからどっちにしたって難しいわ。だからあたしに出来るのは《変》であんたのパワーアップをすることぐらいよ……」
「んじゃ……『ヘイヴィアに負けるなんて《変》』……みたいな?」
「それができたらリッド・アークの時にもやってるわよ……それは無理。」
「なんでっすか?」
「別に《変》じゃないからよ……」
 あたしがそう言ったら速水はそれこそ変な顔になった。
「……どういうことっすか?」
「そもそもあたし達はあいつに勝つために戦ってるのよ。そんであいつがだいぶ強いってことが分かったから『負けるかもしれない』って思ってる。今のあたし達にとって、あいつに勝つ事も負ける事も《変》じゃないじゃない。」
 あたしは腕を組んで条件を話す。
「《変》ってのはその人間にとって思いも寄らないことであるか、思ってもそいつの《常識》がそれを完全否定する事象を指すのよ。あたしは《変》で奇跡を起こしてるわけじゃないわ。ゴッドヘルパーなら理論的には可能だけどそいつがそいつの《常識》のせいで出来ないと思ってることを否定することなのよ。」
「つまり……今のままのオレだとできない《速さ》の可能性ってのを《変》で引き出せるようにするってことなんですね……」
「そゆこと。あんたの中の何を否定して何を出来るようにすればいいのかわからないから困ってるのよ。」
「《速さ》の……オレが知らずに出来ないと思ってしまっているこ―――」
 そこで速水の言葉が途切れたのは、いきなり周りが暗くなったから。とっさにあたしと速水はその場から移動した。その一瞬後、さっきまでいた場所にデカイ剣が突き刺さった。
「んふ、出てきたわね。」
 路地から出たら、五十メートルくらい向こうにヘイヴィアが立ってるのが見えた。たぶん、剣を投げたのね。
「でもなんで居場所が……」
「んんっふふ。私から逃げるなんてことは不可能よ。空でも飛ばない限りね?」
 ズシンズシンと足音をたてながらゆっくりと近づいてくる。
「私は《質量》のゴッドヘルパー。それを操るのは勿論だけどね、それを感じることも得意なのよ?」
 勢いをつけて歩くことで周囲の石ころなんかを宙に舞わせて、それの《質量》を操作……ヘイヴィアの周囲に何本もの剣が作られていく。それらは地面に突き刺さる形じゃなくて、横たわる感じに並べられていく。剣先が向いているのはあたしたち。
「私を中心に一定の距離の中にある物体……地面に接している物なら私はその全ての《質量》を把握できるのよ。あんたらの《質量》は記憶したからねぇ……どこに移動したってその《質量》がかかっている場所に行けばその《質量》の持ち主であるあんたらに出会えちゃうのよ。」
 ヘイヴィアが片手をあげると、周囲の剣の剣先が一気に伸びた。つまり、あたし達に向かって無数の剣先が迫ってきた。
「花飾さん!」
 速水があたしの手を掴んで上に跳んだ。動きが速くなるだけでジャンプ力とかは変わらないけれど、速水は器用に伸びてきた剣先の上を走ってヘイヴィアから遠ざかった。
「あら、意外とテクニシャンね。」
 ビルとビルの間に隠れる。まぁ、ヘイヴィアの話が本当なら意味はないけど……
「まずいですね……」
「幸いなのはあいつの移動スピードが遅いこと……」
 ……ん? 遅い?
「ねぇ、速水。あんた、相手を遅くすることはできんの?」
 そんなあたしの問いかけに、速水はちょっと目をそらして答えた。
「……めちゃくちゃ限られた物だけです……人は無理です。」
「あによそれ!」
「できるならリッド・アークとの戦いの時にあいつの動きを遅くしてましたよ……」
「そりゃそうだけど……なんで? 速くすることは出来て遅くはできないの?」
 あたしたちの《速さ》をいじって、高速移動できるようにしたのは速水。なら、同じ要領で敵の動く《速さ》を遅くできれば余裕で勝てるわ。
「これは……オレの《常識》ってやつなんすけど……生き物は遅く動くようにできてないんですよ。」
「は?」
「例えば『歩く』っていう行動……速く歩くことはできますよね。さらに速度を上げればそれは『走る』になる。でも遅くは? 速度をどんどん遅くしてった時、生き物は歩けなくなります。」
「……わかんないんだけど。止まるってこと?」
「違います。止まっていたら『歩く』じゃなくなりますから。『歩く』が『走る』になるのは別にいいんですよ……身体の動きは同じなんすから。でも『止まる』と『歩く』じゃ決定的に異なります。」
 ヘイヴィアの足音が近くに聞こえた。あたしと速水は移動しながら会話を続ける。
「『歩く』っていうのを言葉で説明すると、自分の体重を前方にかけ、それによって身体が前に倒れるよりも速く脚を前に出すって行為なんす。オレが操るのは動きの《速さ》ですから、重力によって発生する『倒れる速度』を操ることはできません。あらゆる物の速度を操れるならそれは《時間》ですからね。」
「確かに……」
「つまり、『歩く』速度を遅くしていくと、ある時点で『歩く』から『倒れる』に変わるんですよ。自分が前に倒れる《速さ》よりも遅く脚を出してたら……そうなりますよね。」
 足音が聞こえなくなったところで一時停止、あたしたちは肩で息をしながら物陰に隠れる。
「オレは、腕や脚の動く《速さ》を速くすることで高速移動を可能にします。でもそれを逆に遅くして相手の動きをノロくすることはできません。なぜなら、生き物は遅く動くようにできていないから。野生の獣が速く走ることはあっても遅く走ることはないように。ある一定以上遅くするとその生き物がしようとしている動作そのものができなくなる。だから……できないんす。」
「ふぅん……」

 要するに……自転車ね。自転車をこいでいる人に「速くこげ」って言ったらそれは可能。乗る人によっちゃめちゃくちゃ速くこげるでしょうね。そんな風に、速くすることは簡単なことだわ。
じゃあ「遅くこげ」は? どんな人が乗ろうと、ある一定の速度以下になったらこげなくなる。だって自転車が倒れるから。
結局、上限の問題なのよね。速く移動することの上限なんてほとんど無いわ。だからこそ、余計な《常識》が邪魔をしない。でも遅くする時は上限=ゼロって決まっちゃっているのよね。一般的な教育を受けてきた奴なら誰でも理解できる《常識》。だからこそ……遅くするって行為は実現できない。どこまで遅くすればいいのか。その行動を保ったままでの限界の遅さ……どのくらい遅くしたら倒れてしまうのか……そういうことを感覚的に知っているから……《常識》が邪魔をして実現できない。
あくまで行動の《速さ》を操る速水にとって、その行動は保たれないといけない。それが途中から『倒れる』とかの別の行動になってしまうというのは速水にとって……矛盾みたいなもの。だから速くはできても遅くはできない。
良く知っている、理解している故に《常識》の上書きができない。あたしたちゴッドヘルパーにはよくあること……自分の中の《常識》のせいで不可能や矛盾がイメージできてしまうから……それをイメージできない。

「なら……逆に遅くできるのはなんなのよ。人以外は?」
「動物も無理です。それ以外は……」
 速水がほっぺをポリポリとかく。
「正直、どういった定義で遅くできる物とできない物を区別しているかはわからないんす。ひどく感覚的なんすよね……」
「…………じゃぁ、速水。」
「はい?」
「あれは遅くできる?」
 あたしは迫りくるヘイヴィアの方を指差した。

「んんっふっふ。何か秘策を思いついたのかしら?」
 あたしと速水はヘイヴィアの前に立つ。距離は十メートルってところかしら。
「まさか……あんた、それを投げつける気?」
 あたしの両手には手におさまるくらいの瓦礫がある。ヘイヴィアがでかい剣を落としてきたりするせいで、まるで爆撃でもあったみたいに道路には瓦礫が散らばってる。
「んんっふふ、今の私に近接格闘で挑まないところはまぁ、わかるけど……だからって石ころで遠距離攻撃をするの? あんたの細腕じゃ満足に投げられるかどうかも怪しいわね。」
「それに、私の鎧を砕けるのかしら? とでも言いたいところでしょうけど……見てから言うのね!」
 あたしは全力で瓦礫を投げつけた。それはプロ野球選手の投げる球の速度なんて軽く超えてヘイヴィアの鎧にぶつかった。
「あら?」
 ヘイヴィアがちょっとぐらつく。瓦礫が当たった場所は少し砕けた。
「意外と威力あるわね。」
「《速さ》で動きを速くしてんのは何も脚だけじゃないのよ。」
 そう、腕だってそれなりの速度で動かせる。だから剛速球が投げれるのよねー。……肩こりそうだけど。
「でも、この程度はすぐに修復できるわよ?」
 言うや否や、ヘイヴィアの鎧はすぐに修復された。
「だから……こうすんのよ!」
 瓦礫を拾う。投げる。拾う。投げる。拾う! 投げる!
 速水が速くするのは動作。瓦礫を拾って投げるっていう動作を高速化しているあたしは、たぶん傍から見ると分身でもしてるように見えるんじゃないかしら。
「んんっふっふっふ!」
 ドガガガガって音がするくらい物凄い速度と威力で放たれる瓦礫を全身に受けながら、ヘイヴィアは笑った。
「修復するよりも速く次を投げればいいってことかしら? 私は速くて多いよりもじっくり質のいいのを希望するけどねぇ。」
 実際、砕けた部分はすぐに修復するし、あたし自身野球部でもないからコントロールよく投げれるわけじゃないわ。砕けた部分が修復するよりも速く、次の瓦礫をまったく同じ所に投げつけるのは難しいわ。
「私、この力との付き合いはかなり長いのよ。《質量》の操作速度はかなりのもんよー!」
「わーかってるわよ! うりゃうりゃうりゃうりゃーっ!」
「諦めの悪い女は嫌われ―――」
 そこでヘイヴィアのセリフは途切れたわ。なぜならば……
「な……なんで……?」
 ヘイヴィアの鎧じゃなく、ヘイヴィア自身に瓦礫が直撃したからよ!
「そこだぁー!」
 あたしは鎧に空いた穴に向かって瓦礫を投げまくる。
「っぐ! がっ!」
 ヘイヴィアのうめき声が聞こえた。
「ど、どうして! 鎧が修復しないのよ!?」
 数撃ちゃ当たるの原理で投げまくっていると、空いた穴にいくつか瓦礫が入っていく。入っていく度にヘイヴィアが声をあげる。
「うりゃー!」
「ちょ、ま、そ、そんな!?」
 突如、ヘイヴィアの鎧が砕け、二倍の身長のヘイヴィアが出てくる。でもその身長もすぐに縮み、気付いた時には元の大きさになったヘイヴィアが地面に倒れていた。
「作戦成功ね!」
 あたしはその場でガッツポーズ。自分の役目を果たした速水もあたしの横に戻って来た。
「身長まで戻ったすけど……」
「中身はただの人間だもの。あんな瓦礫くらったらかなりのダメージよ。《質量》を操るだけの集中力が削がれたんでしょ。」
 あらまぁ、結構簡単に勝てたわ。とりあえずヘイヴィアはふんじばっておこうかしら。
「な……なんで……」
 そこで、倒れているヘイヴィアからか細い声がした。あたしと速水はヘイヴィアの横に立って種明かしをした。
「簡単よ。あんたが鎧を修復する《速さ》を遅くしたのよ。」
「あ、ありえないわ……《質量》のゴッドヘルパーが《質量》を操作しているのよ……どうしてそこに《速さ》が入って来れるのよ……」
 ヘイヴィアは苦しそうにあたしに尋ねた。
「確かに《質量》の増加を指示しているのはあんたよ。でも、その上書きを受けて実際に変化するのは鎧……コンクリートっていう物質よ。この場には《コンクリート》のゴッドヘルパーはいないんだから、それ自体に起こることへの操作権はあんたも速水も平等よ。」
 あたしは自信たっぷりに話す。
「あんたは《質量》の増加速度までは考えたことないでしょ。ただ単に、慣れているから速いだけで、それを常に意識してるわけじゃない。なら、《速さ》のゴッドヘルパーが指示した《速さ》が優先されるのは当然でしょ。」

「ああ、なるほどねー。」

 あたしと速水は……たぶん、かなり間抜けな顔になった。
 ……は? なんでいきなりフランクになってんのよ……
「勉強になったわ。ありがとー。」
 信じられないことに、ヘイヴィアは何事もなかったように起きあがった。あたしと速水はとっさに後ろにさがる。
「な……なんでよ……あんなスピードの瓦礫をくらっておいて……」
「んんっふっふ。」
 ヘイヴィアはポケットに手を入れ、そこから飴玉サイズの鉄球を取り出した。
「私がコンクリしか操れないとでも思ってたのかしら?」
 その鉄球は一瞬で《質量》が増加し、鎧とまではいかないけれど、プロテクターみたいに身体の急所を覆った。
「実は……私、鎧を二枚重ねしていたのよ。だからあんまり痛くはなかったのよね。鎧で見えなかったでしょうけど? でもまぁ……それなりに衝撃はあったから……声が出ちゃったけれど。」
 言いながらヘイヴィアは上着を脱いだ。そして脱いだ上着をさかさまにしてバサバサと振る。そしたらさっきの鉄球みたいなのがジャラジャラ出てきた。金色、銀色、変な光沢の金属から宝石みたいにきれいなもの、プラスチックみたいなもの、スーパーボールみたいなものと色々。
「あによ……それ。」
「んんっふっふ。この私が行き当たりばったりでその辺の物体の《質量》を操るだけの脳なしとでも思っていたの? 甘いわよ?」
 ということは……この球はヘイヴィアの武器になる材料ってところかしら。
「……操る《質量》の大元は常に持ってるってことね……」
「そうよ。それも色々ね。ところであんたら……」
 ヘイヴィアは周囲に散らばった球を一瞥した。そして片腕を上にあげてこう言った。

「からくりは好きかしら?」

 散らばった球が全部大きくなる。
「また鎧!?」
 あたしは思わずそう叫んだ。だけど鎧じゃないみたいだった。《質量》増加で大きくなったそれらはヘイヴィアを包んで大きな直方体の塊になった。横幅は十メートルくらいで高さは三メートルくらい。その塊の中から、ヘイヴィアの声が響く。
「からくりってのは電気とか蒸気機関とかじゃなくて、物体……特に金属の性質を使ってバネとかぜんまいを利用して動力にするあれのことよ?」
 綺麗な四角、その表面から何本もの円柱がまるでハリネズミみたいに突き出た。
「物の形は思いのままなんだからね。そこに動力を加えれば立派なからくりになるのよ。」
 突き出た円柱は徐々に形を変えていく。それはまるで……
「た、大砲っすか……」
 速水が呟く。そう……直方体は段々と威圧感のある形に変化していき、突き出た円柱は巨大な砲身へと形が変わる。
 こういうのを最近見た覚えがある。リッド・アークとの戦いで、青葉が持ってきて……晴香と《重力》が戦った……《カルセオラリア》。
 あたしと速水の前に、まさに戦艦と呼べるような代物が出来あがっていった。
 いえ……戦艦と言うよりは……要塞。
「ねぇねぇ、あんたら。すっごく狭いとこに放り込んだちっちゃい物質をその場で大きくしたら……どうなると思う? 周りをぐいぐい押すわよね。だって狭いんだもの。わかるかしら? 《質量》を操ることで私は物を動かすことのできる動力源を作れるのよ?」
「ど……どういうことすか……」
 あたしはあんまり考えたくない結論を言葉にする。
「あいつ……さっき色んな物を出したわよね。たぶん、ゴムとかプラスチックとか……金とか銀とか鉄とかさ。それぞれの材料を適切な場所に、適切な形で配置して……今あいつが言った動力源と連動させれば……大きな物を動かせるし……発射もできる……!」
「じゃ……じゃあやっぱりあれって……」
「んんっふっふ。すごいでしょう? 名付けて《フェルブランド》……私の必殺モードってところかしら?」
 もうヘイヴィアの姿は見えない。それどころか人の形でもない。大量の砲身を持つ要塞。それがあたしたちの前にある物。
「私がさっき説明した相手の位置を知る方法とこの大砲。プラス、動く事なんて考えてないからありったけの硬い物質で覆った私自身。最強の矛と盾。」
 大砲の一つがキリキリと音を立てて動き出した。向いた先はあたしと速水の後ろの建物。
「花飾さん!」
 速水の声であたしは動く。ダッシュでそこから離れた瞬間、ものすごく鈍い音が響き、大砲から砲弾が発射された。それは建物に命中して……その建物を粉砕した。
「んんっふっふ。火薬を一切使わない原始的な機構……まぁ、バネで発射したようなものだけど……なかなかの威力でしょう?」
 いくつかの大砲が同時に動き出す。
「あんたらの敗因はねぇ、私の鎧が砕けた瞬間に《速さ》が全力全開の衝撃波を撃たなかったことよ。甘いのよね。だから私の、さも大ダメージをくらったみたいな演技にも騙される。こちとら世界征服を目指している軍隊よ?」
 それらの大砲は……あたしと速水をとらえた。
「大きくて太いのを、あ・げ・る。」


 自分は今まで、あのように何人かでまとまって生活するということを経験していませんでした。色々な宗教を経験する中で大人数、ざっと数百人の方々と共に生活することはありましたが、そこに繋がりはなく、ただ一緒にいるだけでした。サマエル様のもとに入った時も、ゴッドヘルパー同士が互いをライバル視していることが多く、成長する場所としては最適でしたが、あのような温かさは少なかった。中には……そう、青葉とリッド、メリオレとアブトルのように恋人、友人関係を築いていた方はいましたがね。
 彼女と過ごした一カ月は自分にとって特別な時間でした。そう……《時間》でした。ある程度の年齢を超えると、それ以上はあまり変化がないようで、自分と彼女の価値観はよく似ていました。しかし生きる目的が決定的に異なった。ですが、それは当然のこと。まったく同じ考えの方がいるわけがありませんからね。
 その後、彼女の仲間……いえ、家族と共に過ごした短い間。とても楽しかった。その彼らが、自分の前に立ちふさがっている。悲しいものですね。
 ですが自分にも貫く信念があります。
 サマエル様に《常識》を手に入れてもらい、何の役にも立たず、人を救わない神を倒して新たな神となる。その時世界は変わる。何をどうしても救われないこの世界に救いが生まれる可能性がそこにはある。
 ならば……自分はそれを求める。
「……例え……幾千の骸を積み上げようとも。」
「む……骸だぁ?」
 肩で息をしている彼は……ホットアイス。ホっちゃんと呼ばれている方です。《温度》のゴッドヘルパーです。
 急激な温度上昇は瞬間的な空気の膨張を引き起こします。要するに爆発ですね。彼はそれを得意技としています。
「まいったのう……」
 かなり疲労しているはずですが、姿勢を崩さないあの紳士はリバース。リバじいと呼ばれています。《抵抗》のゴッドヘルパーです。
 周囲の空気の抵抗を極限まで引き上げることで一種のバリアーを作り出します。また、逆に地面の摩擦抵抗を最小にして、スケートの要領で高速移動を可能にします。
「何とかならないのかしら……ねぇ、ジュテェム。」
 腰に手を当てて呼吸を整える凛々しい女性はチェイン。《食物連鎖》のゴッドヘルパーです。
 ありとあらゆる生物の上下関係を操ります。
「わたくしに聞かれても……《重力》がここまで通じない相手は初めてですし。」
 弱気なことを言ってはいますが、諦めてはいない目をしているどこにでもいそうな青年はジュテェム。《重力》のゴッドヘルパーです。
 《重力》と言ってもただ単に下方向に力を加えるだけでなく、あらゆる方向に向きを変えることもできます。それゆえに非常に厄介な方です。
「はて……?」
 そういえば、自分は彼らの本名を知りません。彼女……メリーも本名を教えてはくれませんでした。
「ディグ。」
「はい?」
 名前を読んだのはホットアイス。
「お前……めちゃくちゃ強いんだな。」
「ええ。世界を変えない限り、自分は敗北しませんので。」
 輪廻の理のもと、《回転》の力で自分は死んでも生き返ることが可能となっています。少なくとも、今の世界で自分が消滅することはありません。
 自分を倒しうる可能性を持つのはメリーのみ。彼女の《時間》ならば……あるいは。
「くっそ、余裕たっぷりの顔しやがって……」
「ふふふ。無駄に歳をとっていませんよ。」
 自分は周辺の空気を《回転》で集め、それを高速回転させて彼らに投げつけました。
「むっ! 空気のノコギリじゃ!」
 音もしないし見えもしない高速回転する空気、その周囲の空気の流れを微妙な抵抗値の変化から捉えたリバースがそう叫びました。するとホットアイスが自分と彼の間の空間の《温度》を急速に下げました。
 この世界の物体は《温度》によってその大きさを変えます。固体、液体、気体の三つの状態は《温度》によって決まるのです。例えば水は、温度が上がって水蒸気となるとその体積を約二千六百倍にします。
 これはつまり、水蒸気を冷却するとその体積が二千六百分の一になるということです。
 ホットアイスが《温度》を下げたことにより、自分が放った空気のノコギリは人体を真っ二つにできる大きさから手の平サイズへと縮み、誰にも当たることなく飛んで行ってしまいました。
「おまけだ!」
 ホットアイスがそう叫ぶと、自分の周囲の《温度》が急激に下がり始めました。空気だって《温度》が下がれば液体となります。つまり、自分の周囲から気体の空気が無くなったのです。
 言うなれば宇宙空間に放り出された状態です。全ての生物は大気圧に潰されないように、常に身体の内側から力をかけています。その大気圧……つまり空気がなくなるとどうなるか。
 人間は身体の中から破裂します。
 ボンッ!
「……ちっ、またかよ。」
 ホットアイスが嫌そうな顔をしています。
「確かに今、お前は死んだ。全身バラバラになってな。なのにまばたきすっとお前がそこに立っている。意味わかんねーぜ……」
「わからなくはありませんよ。きちんと理屈の通った現しょ―――」
 突然、身体が重たくなりました。見るとジュテェムが右手をこちらに向けています。高重力がかかっているのですね。
「ですが……」
 自分は《重力》の方向、上から下にかかるそれを《回転》させ、上や右、左に散らします。
「まだまだ!」
 さらに強くなる《重力》。自分の周囲の地面はくぼみ、ひびが入り、メキメキと音をたてて沈んでいきます。
「自分には通用しませんよ。方向のある力はね。」
「ならばこれじゃ!」
 リバースが地面を滑るように移動し、近くの建物にタッチしました。すると一瞬にしてその建物が崩壊……いえ、分解されました。
 建物がどうやって建物たりえているのか。木が、鉄が、コンクリートが、部品となって組み上がり、床や壁を支えているからに他なりません。
 では部品同士をつなげている力とは何か。それは摩擦や作用・反作用といった物理的力。いわゆる《抵抗》です。その《抵抗》を操るリバースにとって、「組み立てられた物」をバラバラにすることは容易い事です。
「ジュテェム!」
「はい!」
 数百万という数の部品へと戻った建物は、ジュテェムの《重力》によって全て自分に向かって飛んできました。
 肉を引き裂く音。骨が砕ける音。腕がちぎれ、腹に穴が空き、頭蓋が砕け、脳しょうが飛び散る。肉片と鮮血が舞い、自分は死にました。
 しかし、自分が再び目をあけると、そこには飛来した部品が地面に突き刺さっている光景と立ちこめる砂煙だけがありました。自分の血の色は無く、自分の身体も元に戻っています。
 自分は風を起こし、砂煙をはらいました。その向こうには驚きを通り越してあきれ顔のリバース、ホットアイス、ジュテェムが立っています。
「まったく……恐ろしいのう……」
「やる気が失せるな、こりゃ。」
「そうですね……」
 世界が変わらない限り、自分を倒す事はできません。
 しかし……変ですね。そんなことは百も承知のはずです。特にメリーは自分の力の全てを知っている。メリーは《空間》との戦いで自分の力を見ており、その後の一カ月間の生活の中でも自分のことをよく観察していました。だというのに、彼らは何のひねりもなく攻撃をしてくるだけ。どうにもならないと諦めている?
 ……いえ、違いますね。自分の攻撃をかわしたりするだけで攻撃を仕掛けていない人がいる。《食物連鎖》のゴッドヘルパー、チェイン。彼女だけは何もしてこない。
 確かに、彼女の力はここ……都会の真ん中という環境では活かせないモノです。《食物連鎖》は生物に働く能力。しかしそれはあくまで本能に影響するモノですから、理性を持つ人間を操ることはできません。もちろん、都会にだって昆虫や鳥はいます。しかしそんな生き物が自分に襲いかかってきても問題が無い。仮に襲いかかるのならば、相応の数で挑む必要があります。ですが、この場は戦場です。昆虫も鳥も逃げてしまっている。数は見込めません。
 だから……何もしない? まさか、ありえません。彼女はメリー率いる《すごいぞ強いぞ頼りになるぞスーパーハイパーアルティメットジャスティスな私たちはみんなの笑顔を守るため悪い奴らをバッタバッタとなぎ倒し平和で愉快な世界を作ろうとがんばる絶対無敵の救世主だぜいぇい》の一人です。
「……あら、何かしら? あたくしをじっと見て。」
「この状況……あなたが何かを企んでいると考えることは妥当だと思いますよ。」
 自分がそう言うとチェインはニヤリと笑いました。
「正解よ。だけど気付くのが少し遅かったようね。」
 チェインは両の手を上に挙げました。すると、道路のあちこちにあるマンホールが空高く吹き飛び、そこから水が噴き出ました。その水はまるで大きな蛇のようにうねり、チェインの周りに集まりました。全部で五匹の水の大蛇……これはこれは。
「水……いえ、あなたが操っているのはその水の中に生息する……微生物ですね。」
「正解。」
「しかし……微生物を操ることでこれ程の量の水を持ってくるとは……そうとうな数の微生物が必要なはずです。下水道にはそんなにも生物が?」
「まさか。下水道にいる生物だけでこんなことができるなら、日常的に全てのトイレが逆流するわよ。遠くから来てもらったのよ。」
「どこからですか?」
「海や河からよ。」
「海? 河? 近くにありましたか?」
「無いわ。でも……ディグ、あなた知ってる? 下水は下水処理施設に行き、きれいになって海や河に行くのよ? そこのマンホールから水という道をずっと辿れば海にも河にも行く事ができるのよ。」
「繋がっている……それだけの理由であなたはここから数十キロ離れた場所に生きる生物を操れると……?」
「水だけよ。いくらあたくしでも空が繋がっているからといって地球の裏側の生物を操れはしないわ。だけど水なら……その繋がりを明確にイメージできる。でも魚は無理ね。微生物という単純な生物だからこそできる技よ。」
 五匹の水の大蛇を従えたチェインは他の三人に目配せしつつ、自分にこう言いました。
「あたくし、実は森の中とかよりも都会の方が力を使えるのよ?」
 大蛇が動き、自分に向かってきました。《回転》を使って高速移動し、それらを避けます。
「大人しく食べられるのじゃよ。」
 突如、地面の摩擦が無くなり、自分はつるりとすべってしまいました。そこへすかさずジュテェムが高重力をかけました。しかし自分はそれよりも早く、自分にかかる重力の方向を真横に《回転》させ、そこから移動しました。自分の後ろで、高重力で砕けた地面の音がしました。
「どこ行くんだよ!」
 自分の移動する先にホットアイスが立ちふさがりました。自分は《抵抗》のない地面を高速で滑っている状態。後ろには大蛇が五匹。
 ホットアイスを倒す他ないようです。チェインが長い時間をかけて用意したあの大蛇、自分への何かしらの対抗策があると考えて良いでしょう。受けないにこしたことはありません。
「圧縮!」
 自分は、自分の拳に《回転》の力で空気を圧縮し、透明なグローブとしました。これが触れたと同時に圧縮をやめることで、一気に膨らむ空気の力で相手を吹き飛ばします。一種の爆発です。
「おいおい、その技はメリーさんから聞いてるぜ!」
 と言いつつも、無防備に立つホットアイスに、自分は拳を放ちます。拳が触れた瞬間、空気は爆発的に膨らみ、ホットアイスを吹き飛ば―――
「爆発でおりゃに勝つ気かよ。」
 圧縮をとかれた空気が膨らむ前に、《温度》を下げて空気を再び縮小するホットアイス。つまり、自分の拳は爆発することなく、ただのパンチに変わりました。少々驚いた自分の一瞬の隙を見逃さず、ホットアイスは指を鳴らしました。すると自分とホットアイスとの間に小さな爆発が起きました。
「……!」
 ホットアイスは起こした爆発で自分から離れましたが、自分ももと来た道へ戻っていきます。その方向にいるのは……大蛇。
 自分は再び重力の向きを変え、方向転換を行いました。しかし完全には回避できず、自分の右腕が大蛇……水の中に入りました。
 その瞬間……自分の右腕の肘から下がなくなりました。
「これは……」
 自分は体勢を整えて着地します。右腕からは血が出ていますが……スパッと切断された時よりは出血が多くありません。断面を見ると、そこは小さい虫が食い散らかした葉っぱのようにボロボロになっていました。
「今現在、ディグ・エインドレフという人間は《食物連鎖》の底辺! 対して彼らは頂点なのよ!」
 なるほど……あの水の大蛇の中にうごめく数万……いえ、そんな数ではありませんね。億を超える数の微生物が自分の右腕を……食べたのですね。しかし……
「そうやって自分が食べられようと、自分が死ぬことには変わりません。結局同じですよ?」
「誰が殺すって言ったかしら?」
「と、言いますと?」
 迫る大蛇を避けながら、自分は問いかけました。
「あなたには再生能力があるわけじゃないわ。死んだ時初めて身体が修復される。なら、死なないけれど動けないくらいの傷を負わせてそのままにしておけば良いという事よ! 倒すのではなく、あなたという戦力を封じる! とりあえず四肢はもらうわよ!」
 なるほど。言うなれば、自分を封印するというわけですね。
「ですが……どうでしょうか。このまま四肢を切断しますと出血量も相当です。自分は出血多量で死んでしまうのでは?」
「よく見なさいよ!」
「?」
 自分は右腕を見ました。いつの間にか、血が止まっています。
「微生物の口の大きさを理解しているかしら? 血みたいな粘り気のあるモノが延々と流れ出るような大きさじゃないのよ。」
 それはそうですね。要するに傷口が小さすぎてすぐに塞がってしまうわけです。
「加えて!」
 複雑な軌道で襲いかかる大蛇。だんだんと動きにキレが出てきましたね。チェインがあの大量の微生物のコントロールに慣れてきたということでしょうか。
「ディグ! あなたは常人なら痛みでショック死するような傷でも……死なない!」
 リバース、ジュテェム、ホットアイスの三名の息の合ったコンビネーションで動きを限定され、そこに大蛇が来る。自分の左脚が飲まれ、無くなりました。残るは左腕と右脚……
「メリーさんから聞いたのよ。あなたは……死に慣れている。腕が千切れても、その痛みにもだえ苦しむことはないと!」
「確かに。自分は痛みには慣れてしまいました。胴体を真っ二つにされようともため息一つですませるでしょう。」
 自分は重力の方向を微調整し、右脚だけでなんとか立ちます。
「この世界には多くの宗教があります。多くの信者がいるモノから、一つの村だけで信仰されるモノまでたくさん。中には過激な流派がありましてね……腕を切り落とす、切り落とされるのもこれで数十回目ですよ。」
「そんなあなただからこの戦法が通じる!」
 五匹の大蛇が螺旋を描きながらねじれ、一つになりました。そして大蛇の頭にあたる部分が球状にふくれあがりました。
「サポートを!」
「「「了解!」」」
 ふくれあがった水の球体から無数の触手がミサイルのように放たれました。さすがにあの数は厳しいですね。
 回転軸設定。半径、前方に進むにつれ短く。角速度最大。
 自分の後ろにある石ころ、瓦礫、建物。短い時間ではありますが、捉えられる全てを一斉射出。
 あの触手はただの水です。中身の微生物が危険であるだけで、水は普通のそれです。いくら《食物連鎖》を操ると言っても微生物に無機物を食べさせることはできません。自分が射出した無数の物体で防ぐとします。
 ですが―――
「んな……」
 触手は、自分が射出した物体をするりとかわしていきます。あの数で、あの速度の物体をどうやって……そこまでのコントロール能力があるのですか……
 ……いえ……違いました。よく見ると触手は外的要因でその軌道を変えています。《重力》を操ることで方向転換し、《抵抗》で空気抵抗を操ることで速度を調節、触手では避けきれない物体は《温度》による爆発で触手の進路からどかす。
 息の合ったコンビネーションであるとついさっき確認し、理解したはずでしたが……予想以上。この速度でそれをやりますか。
「まったく……メリーはとんでもない仲間を……」
 降り注ぐ水の触手。貫き、削り、包み。気が付くと自分の左腕と右脚はなくなっていました。小さい子供くらいの身長になった自分は地面に転がりました。
 ……前が見えませんね。いつの間にか眼も食べられていましたか。徹底してますね。
「おいおい……なんかちっこくなったぜ。腕と脚を除くとこんなもんなのか?」
「そうじゃのう……しかし痛そうでもない顔が気味悪いわい。」
 ホットアイスとリバースがある程度の距離を保ちつつ、自分の傍に立ちます。後ろからジュテェムとチェインも来ました。もちろん……足音からの想像ですけどね。
「重力の向きを操ってそのまま浮きそうですけどね。」
「……眼を塞いだから……見るだけで《回転》させることができたとしてもこれでいいはずだわ。ロープで縛っておこうかしら。」
 素晴らしい。このメンバーは本当にすごいです。《空間》一人よりもこのメンバーを敵にする方が大変です。
「いやはや……驚きました。」
「……その状態でしゃべりやがった……こえーぞ。」
「ひどいですね、ホットアイス。こんなにしたのはそちらだというのに。」
「……随分余裕じゃない、ディグ?」
 チェインが言いました。同時に水の音。どうやら自分を微生物がうごめく水で囲んだようです。素晴らしい念の入れよう。油断はありませんね。
「いえ……これは自分の敗北ですよ。」
「……あっさりね。」
「敗北……敗北ではあるのですが……すみませんね。普通の考え方には存在しない選択肢を、自分は選べるのですよ。」
「何を……言っているのかしら……」
「チェイン。あなたは、真っ暗闇の中でも……あなた自身の……そうですね、腕の位置とかはわかりますよね?」

 ボキ。

「!!!」
 気が付くと自分は、チェイン、リバース、ホットアイス、ジュテェムに囲まれて立っています。
「どうも。」
 四人は同時にバックステップで距離をとります。
「……ディグ……あなた……今……」
「戦いの中……いえ、子供の喧嘩でもそうですけれど、自分自身を攻撃することはしませんよね。不利にしかなりませんから。ですが自分の場合は違います。これは自分が自分だから持つ思考です。結果がどうあれ、あなた方の勝利で、自分の敗北です。……最終的な命の有る無しを考慮しなければ……ね。」
「なんて奴だ……こいつ……」
「ええ。自分で自分の首を……《回転》させました……!」
「四肢を失い、視界を奪われようと……自分の身体の位置はわかるからのう……じゃがだからといって……自殺して復活するとは……」
 随分ショックを受けている表情です。無理もありませんか。人間が……いえ、生物がその行動を決定する時、選択肢の中に「死ぬ」の二文字はありませんから。
「……まったく……」
 チェインがため息をつきながら頭を抱えます。
「こっちが駄目だったということは……あたくしたちにとっては相当危険なあっちの方をやらなければならないのね……」
「やはり、これでは終わりませんか。さすがですね。」
 自分がパチパチと手を叩くとチェインは自分を指差しました。
「メリーさんは言ったわ……ディグ・エインドレフには二つの弱点があるってね。」
「自分の弱点?」
「一つは……あなたは死ななければ傷も何も治らないということ。死ぬことに慣れているあなたは防御をあまりしない。油断しているところに死なないけれど動けないダメージを与えてしまえば実質、勝てるというのが……今の作戦。」
「残念でしたね。」
「ええ。あなたは自分で自分を殺す事が出来た。だからこれは失敗。」
 言いながらチェインは自分を指している指に加え、もう一本指を突き出しました。要するにピースの形ですね。
「もう一つは……あなたが死んで生き返る時、その場所が変わらないということ。」
「場所……?」
「そうね……ディグ、地面に印をつけて死んでみなさい。」
 自分は言われたように、傍に落ちている石ころを掴んで道路にバツ印を描き、その上で首を《回転》させました。
 目を開き、足元を見ると、先ほど立っていた場所から寸分たりとも動いていません。
「……これは……初めて知りましたね……」
「知らないという方がおかしいわ。二千年もその力を使っているのに。」
 それもそうですね。何故自分はこんなことも―――
「ああ……そうか。」
「何かわかったのかしら?」
「ええ。今まで……自分のことを倒すために、自分を研究する人がいなかったのですよ。大抵、研究する時間も何も、相対したその時に決着してしまいますからね。自分は結構強いので。」
 しかし、ここに来て初めて……自分と初めて会った時の立場が『共闘する仲間』という存在、メリーが現れた。そしてメリーは自分のこともいずれ倒す敵だとしてじっくり観察していた。
 なるほど……自分を客観視されて報告されるということが自分には珍しいことなのですね。
「こんなことを気にするのは自分を敵として見ている存在だけですよ。自分は気にもしたことありませんでした。」
「ふぅん……」
「それで……これがどういった弱点となるのでしょうか?」
「例えば……さっきみたいにあなたの四肢を奪って、あなたを小さな箱に閉じ込めたらどうなるかしら? とても硬くて頑丈な箱よ。」
「同じように、死んで生き返りますよ。四肢を取り戻すために。」
「でしょうね。さて、その時何が起きるのかしら。あなたが復活しようとするその場所には箱がある。まさかその箱と融合してしまうなんてことはないでしょう? もしそうだったら、あなたは復活する度に周囲のホコリとかと合体していることになってしまうわ。メリーさんは言ったわ、あなたの輪廻転生は、生前の五体満足、健康体の時と同じ状態、形で復活するとね。」
「そうですね。自分がこの力で身体の形とかが変化した事はありませんよ。」
「ならどうなるか。同じ状態というのはあなたがいた場所も同じになるということを示しているの。つまり、あなたは箱の中に復活するのよ。」
「それが何か?」
「四肢を無くしてやっと入るような箱の中に五体満足のあなたが入るわけがないわ。つまりね、あなたは復活した瞬間に箱によって圧殺されるのよ。そしてまた復活、死、復活、死……」
「なるほど。」
「あなたを倒すとしたら……物理的にか、《時間》的に動きを止めるか、生と死のループに放り込むだけ……これがメリーさんの結論。」
「んで、こっからが作戦その二だぜ。」
 ホットアイスがストレッチをしながらチェインの続きを話します。
「実は箱は既にあんだ。ジュテェム。」
「ええ。」
 ジュテェムがチラと上を見ると、空から四角い物体が落ちてきました。

 ドゴォンッ!

 相当重いようですね。今までジュテェムが宙に浮かせていたのでしょうか。だとすると、さきほどの高レベルな《重力》制御を片手間にやっていたということですか。さすがですね。
「作戦はこうだ。おめーからもう一度四肢を奪って小さくする。それと同時におめーを……気絶させる。んで箱に放り込んで鍵をかければ、おりゃたちの勝ちってわけだ。あ、この箱を壊せるとは思うなよ? メリーさんが《時間》を止めてっから何をしたって壊せねーかんな。いくらおめーが時間を操れるつっても本場第三段階のメリーさんの《時間》を上書きはできねーだろ?」
 確かに……今試しに《回転》させようとしてみましたが……無理ですね。
「気絶させる……言葉は簡単ですが、これはかなり難しいことです。」
 ジュテェムが自分を見ます。
「ディグ、あなたは強い。輪廻転生の能力がなくても充分に最強を名乗れるほどに。そんなあなたに……気絶させる攻撃をするのです。殺すのではなく、気絶させる。銃で頭を撃ちぬくのとはわけが違います。あなたのような強者に……手加減しなければならないのです。」
「ふふふ……」
 自分は笑い、少し偉そうにしゃべってみます。
「ええ、その通り。自慢しましょう。鴉間空がこの世全ての『場所』を支配し、メリーがこの世全ての『流れ』を支配するのなら……自分が支配するのはこの世全ての『動作』。」
 まぁ、鴉間空とメリーは本当にこの世界全てであるのに対して自分はこの星ですが。
「地球は《回転》しながら太陽の周りを《回転》しています。この星の上で戦う以上、全ての物は地球の上を《回転》しているのです。チェインが支配するのは生物。ジュテェム、リバース、ホットアイスが支配するのは物理法則。規模が違いますからね。」
 とは言ったものの、それは現段階の話ではあります。第二段階であるからそこで留まっているだけ。第三段階となればその規模は拡大します。
「自分は強い。ではどう戦いますか?」
「こうするわ。」
 チェインが指を鳴らしました。水の大蛇は下水道へと引っ込みました。今度は別の生き物でしょうか。
「……ディグ、あなたはあたくしの能力を理解しているかしら?」
「《食物連鎖》……その連鎖の順番を入れ替え、ひっくり返す。そして連鎖の中に存在しなかったものを引きこむことも可能。」
 ライオンが草を食べ、シマウマがアリに食べられ、植物が人間を捕食する。そんな世界を作れる能力……それが《食物連鎖》の力。
「それじゃあ、あたくしの本領はなんだと思う?」
「……水の中の微生物……ではないのですね?」
「そうよ。本領は……それよ。」
 チェインが自分の右手を指差しました。見てみると、いつの間にか自分の右手の各指が半分くらいの長さになっていました。
 先ほどの微生物の時とは違い、血は出ていませんし痛みどころか何も感じません。自分の身体がゆっくりゆっくり空気に溶けていくようです。
「……空気中の……菌ですか。」
「そう……空気一立方メートル辺りには数十万の菌が存在するわ。その菌を……この辺りの菌を《食物連鎖》に組み込んだわ。えさは……あなた。」
 ふとほっぺを触ると、いつもと違う感触がしました。ブヨブヨした感触ですね。
「おや、どうやら顔は表面から食べられているようですね。皮膚がありませんよ?」
 きっとチェインたちからは人体模型のように見えているでしょう。
「水と空気じゃ空気の方が圧倒的に広がる……液体と気体の違いはなかなか大きいのよ。だから菌を操るのはとても難しいこと。あたくしは相当集中しなくてはならないわ。けれど……やればやった分だけ菌は集められる。時間の経過と共にあなたの身体が食べられるスピードは早くなっていく。食べつくされてもあなたは復活するけれど……復活したそばから食べられていく。パンチしようとしたら手が無いような、走ろうとしたら脚がないような……そんな戦場に、この場は変化したのよ。」
「なるほど……この状態では全力で戦えませんね。」
「そこにわしらは勝機を見出す。お主程の強者を……気絶させる……」
「こっからが本番っつーわけだぜ。」
「行きますよ?」
 三人がニヤリと笑っています。かつて自分にここまでの自信を持って挑んできた人はいませんよ。
 素晴らしいの一言につきますね。本当に……素晴らしい。
 ……いえ……当然と言えば当然なのですよね。
「……そう……当然です。」
「ああん?」
「皆さんは……自分の目的をご存知ですね?」
「現在……神様と呼ばれている者では世界を救えないから……サマエルにその座を奪ってもらおうとしている……のですよね?」
 ジュテェムが眉をひそめながら自分に確認しました。
「ええ……そうです。しかし……サマエル様でも成しえない時は……また別の方に神になってもらおうと考えています。その時、神の候補となる者は……ゴッドヘルパーです。」
「なんじゃと?」
 自分は、ある少年を思い出しながら続けます。
「神という言葉が、一つの世界を支配する存在を指すのなら、各々の《常識》という世界を支配するゴッドヘルパーもまた神。この世界には神以外に神と呼ばれる存在が確かに在ります。今の神が駄目だというなら……交代させてしまえば良い。ふふふ……どう思いますか、この自分の考えを。」
 チェインも含めた四人は黙り込みました。そう……どうも思わない。良いとも悪いとも。考えた事のないことに対して意見を述べることはできませんからね。
 もしくは、自分のこの考えを、四人には想像もできない二千年に及ぶ自分の旅で見出した悟りか何かだと思っているのでしょうか。だから何も言わないのでしょうか。
 もしそうなら―――
「……一つ、言っておきましょう。自分のこの考えは悟りでもなんでもありません。ある……一人の少年が自分に示してくれた可能性なのです。」
「一人の少年ですって?」
「そうです。名前は知りません。名前の概念がない集落でしたから。しかし彼の《常識》……彼が何のゴッドヘルパーだったかは覚えています。いえ、覚えるなどと……違いますね。刻んでいます。脳裏に焼きつけました。彼が教えてくれました……他の神の存在を。」
「……そいつは何のゴッドヘルパーだったんだ?」
「ふふふ……この場にいますよ……彼の後任がね。」
 自分のその言葉に四人が驚きました。
「不思議なことではありません。二千年も生きていれば、あるシステムの前任、後任に会う事はあります。実は三百年ほど前の《重力》のゴッドヘルパーには会った事あるのですよ。ジュテェム、あなたの……遥か昔の前任者にね。」
「……そうですか。」
「彼と彼の後任の間には何人もの人が、生き物がいるのでしょうね。しかし、今この時、自分が彼から見出した一つの方法を試そうとするこの場に彼の後任がいる……運命を感じずにはいられませんよね。」
「誰なんだよ、そいつは! 気になるだろーが。」
 ホットアイスがイライラしていますね。ですがこれは自分の一番深い思い出話。じっくり語らせてもらいますよ。
「彼の後任に出会った時、自分の胸はかつてない高鳴りをしましたよ。神ではなく、世界が自分に世界を救うことを求めていると。」
「だーかーらー!」
「『彼を怒らせてしまった。作物が干からびた。』」
「あん?」
「『彼が喜んだ。お日様が顔を出した。』『彼が泣いている。嵐で作物が駄目になった。』『彼が悲しんでいる。空から白くて冷たい物が降って来た。』」
 そこでチェインが驚愕しました。
「!! それって……まさか……」
「彼は崇められていました。崇められるべくして……ね。彼が他の未来を左右していました。しかしそれでも彼は踏ん反りかえったりしませんでした。日常の中にいる支配者。彼は確かにその集落の神でした。そして今の神よりはずっといい神でした。彼に世界を預けたい。その思いが、自分の……神の交代という思想を生みだしました。彼が今も生きていたなら、サマエル様でさえ葬って彼を神の椅子に座らせたでしょうね。」
 自分がしんみりと語り終えると、チェインが神妙な表情で呟きだしました。
「……遠い昔、それは神様だったわ。温かい日差し、恵みの雨……人々を幸せにするモノだった。全てを破壊する嵐、時に森を燃やす雷……人々に恐怖を与えるモノだった。人々は感謝し、崇め、怒りを鎮め……そうやって共に生きてきた。」
「……それは……」
 ジュテェムがふと上を見上げました。つられてリバース、ホットアイス、チェイン……そして自分。
 視線の先には上空で鴉間空と相対する少女。
「ええ……彼は《天候》のゴッドヘルパーでした。」


 横向きに走る雷。前方に落ちる雹。球形の竜巻。
 私がそうしようと思ってそうしたわけじゃない。私が望んだ天気を『空』が実現させてくれているだけだ。
 過程は問わず、起きて欲しい結果を考える私とその結果を出すために力をつくす『空』。言わばこれが私の……戦闘スタイルという奴か。
『くる。』
 『空』が呟く。私は身構える。すると次の瞬間、私は空中をジグザグと高速移動。鴉間が《空間》を使った攻撃をしてきたらしい。
「なんっつーか……まずいっすねぇ……」
 鴉間は走る雷や吹き荒れる風を防ぎながら避けながら私に攻撃をしかけてくる。だけどその全てを、私はかわしている。
 そう、今の所は私が優勢なのだ。

 私と鴉間がいる場所は空だ。もちろん、《空》のゴッドヘルパーはいるだろうけどこの場所にはいない。
 《空》は《空間》の一部だ。だから、本来ならこの空における私と鴉間の戦いは鴉間の優勢となる。特に私の《天候》は《空》の影響を大きく受けるから、ヘタをすれば私の攻撃を全て打ち消すなどということも鴉間には可能なのだ。相性は最悪のはずだった。だけど、私と鴉間のゴッドヘルパーとしての段階がそれを変えた。

「……そのスタイル……厄介っすね。」
 鴉間がサングラスの位置を直しながらため息交じりに言った。
「第三段階であるあなたが《天候》=空の感情と捉えている故に、あなたは《空》という《空間》を認識できるようになったっす。対して今のあっしは力を第二段階に抑えている状態……あっしが《空》のゴッドヘルパーだったなら関係はなかったはずっすけど、あっしは《空間》っす。結局、《空間》の一部たる《空》を支配できる第二段階のあっしと《天候》の延長として《空》に干渉できる第三段階のあなたの……《空》の支配権は同等ということっす。」
 メリーさんの話によると、鴉間はサングラスをかけることで力を第二段階に抑えているらしい。どうやらサングラスを外すと世界中のありとあらゆることを把握できてしまうから頭がおかしくなりそうになるのだとか。
 しかしだからってこの戦いの場でも外さないというのはどういうことなんだろうか。私くらいは外さないでも倒せると思っているのか……外せない理由があるのか。
「それでも……《空》が《空間》の一部なら、あっしとあなたの戦いはプロ対素人っす。あなた自身にはあっしの《空間》の攻撃は見えてないみたいっすしね。」
「……『空』のおかげでなんとかなってます。」
「あっしの名前も空なんすけどね……まぁ、それはそれとして、プロと素人の戦いを同レベルにしているのはあなたのそのスタイルっす。」
 鴉間は両手を広げて演説のように語る。
「《空間》を使ってあなたを全方向から攻めようとも、あなたの『空』がそれを一瞬で把握し、突破口を見つけて脱出するっす。あなた自身は何が起きているかもわかっていないけれど、あなたが命じた『攻撃を避ける』という天気は確かに実行されているっす。」
 突然私の身体が横に一メートルくらい動く。
「この通りっす。今あっしが放った攻撃を自覚も無しにかわしている。これを何かに例えるならそう……サッカーがいいっすね。」
「サッカー……?」
「あっしはプロサッカー選手っす。国内だけでなく世界で戦ってきたプロっすね。対するは最近サッカーを始めたばかりのあなたっす。場所はサッカーグラウンドでそこにはあっしとあなたの二人しかいないっす。一つのボールを奪い合い、互いのゴールにシュートする……あっしの方が圧倒的なはずっすよね。しかしいざ試合が始まるとどういうことか、あなたのフィールドには何人もの仲間が登場するっす。それらは皆がプロっす。あなたはそのプロ集団にお願いするっす……『私を勝利させて下さい』と。あっしがどんなに巧みな技術を使ってもプロ集団の妙技とコンビネーションの前には歯が立たず、気がつけば大きな点差っす。でも、願った本人は試合開始した時の場所から一歩も動いておらず、あっしや仲間のプロ集団がどんな高等テクニックを使っているかも理解できていないっす。だけど……結果はあなたの勝利となる……そんな感じっすね。」
「……その話だと、私はすごくいらない人ですね。」
「そうでもないっす。なぜなら、あなたのフィールドに登場したプロ集団には……技術があっても意思が無いんす。その力をどうしたらいいのか、何をするために使うべきなのか……それを与えているのがあなたっす。」
 鴉間はサングラスを少しずらしてじろりと私を睨みつけた。
「あっしやメリー、ディグ……その他大勢のゴッドヘルパーはその力を『操る』という方法をとっているっす。システムに命令を送って《常識》を上書きする……いわばシステムの操作っすね。でもあなたは、力そのものに『意思を与える』という方法をとったっす。システムに『空』という人格を与え、その人格と仲良くなることで、『力をかしてもらう』という方法に。それはつまり、あっしたちがせっせと掃除機で掃除をするのに対し、掃除機に人工知能を搭載して掃除をしてもらう感じっす。あなたがするのはただ一つ、スイッチを入れるということだけっす。」
「……私はそんなつもりでこうなったわけじゃないですけどね。」
「偶然でも何でも……あなたはそうしたっす。そして恐ろしい事に、その方法が最良なんす。あっしたちがシステムの力を百パーセント引き出せているかと聞かれれば、答えはノーっす。だけどあなたがシステムの力を百パーセント引き出せているかと聞かれれば、答えはイエスなんすよ。」
 ……要するに……こういうことだ。
 例えばAさんという料理の達人がいて、カレーを作ってもらうとする。鴉間たちはAさんにレシピや調理方法などを全部指定してカレーを作らせている。それに対して私はAさんにただ一言カレーを作って下さいと言っているだけなのだ。
 鴉間たちが指定する方法は間違ってはいない。Aさんは達人だからどんな方法でも作れてしまう。だけどAさんがその方法を得意としているかはわからない。
 私はただお願いしただけ。するとAさんは自分の一番得意な方法でカレーを作るだろう。
「重ねて……あなたにはさらにもう一段階上があるっす。」
「……なんのことですか?」
「『空』にやらせておくだけじゃないってことっす。『空』には把握できないこと……つまりはあっしという敵の状態……感情や殺気といった雰囲気なんかは同じ人間のあなたにしか感じ取れないモノっす。『空』があっしの攻撃をかわさせ、あっしに手痛い攻撃を放ってくる……そんな中であっしが焦ったり油断したりした瞬間、あなたがその右手から一撃を叩きこむっす。」
 私は自分の右手にある水色の球体、《箱庭》を見る。あらゆる《天候》がつまったこの球体からは風も雷も放つ事が出来る。
「一対一のようでいて実際は……一対二っす。しかも第三段階特有の《常識》を上書きした際の負荷もあっしたちと比べれば遥かに軽い……ますますもってやばいっすね。」
 ずらしたサングラスを戻しながら鴉間は言った。
「《時間》と《回転》っていう最強コンビを退けてあとは安泰だと思ってたんすけどね……こんなとこであの二人よりも厄介な存在っすか。」
「……サングラスをとればあなたが私を圧倒するかもしれませんよ?」
 鴉間は今私を厄介と言った。仮に第二段階の状態でも勝てると思って外さなかったというなら、もう外してくるだろう。もしもそれでも外さないのなら……それは外せない理由があるということだ。
「…………どうっすかねぇ……?」
 鴉間が手を前にバッと出した。
「場の支配っす!」
 鴉間が叫ぶと同時に、私と鴉間は周囲よりも一段階暗い球体に包まれた。
「サングラスを外さなくても、この中では第三段階と同等っす。全ての《常識》はあっしの支配下……まぁ《天候》は除くっすけどね。」
 私の周囲に光の球体がいくつも出現する。先輩が作ったやつに似ている。
「色んな《常識》で色んな攻撃をするっすよ? さて……一つくらいは避けられない攻撃があるんじゃないっすか、《天候》!」
 私は……というか私の身体はすぐさま上へ移動し、この《空間》からの脱出を試みた。だけど鴉間も同等のスピードで追ってくるのでこの暗い球体から出られない。
「逃げられないっすよ!」
 飛来する光の球体。それらはピンポイントで放たれた雷に全て撃墜される。
「さすがっすね。でもまだまだっす!」
 次々と《空間》から放たれるビーム。まるでどこかの歌手のライブみたいにビームが飛び交う中をスルスルと抜けていく私。
 いくら『空』でも限界はある。私が手をうたないといけない。
「なら……!」
 私は《箱庭》を鴉間の方に向ける。何かしらの《天候》が発射されると思ったのだろう、鴉間が瞬間移動で私の視界から消えた。
 でも……そうじゃない。
「広がれ!」
 私がそう叫ぶと手の平の上の球体だった《箱庭》が一気に膨張し、鴉間の作り出した暗い球体を飲みこんだ。周囲が水色に染まる。
「んな!? あっしの《空間》を上書きしたんすか!?」
「さっき自分で言ってたじゃないですか。《空》において、私とあなたは同等だって。」
「それは《空》の中での話っす!」
 鴉間は周囲に目を配り、私の攻撃を警戒している。《空間》を把握できるあの鴉間がだ。
「さっきまではあっしの世界……《空間》の土俵だったはずっす……それを上書きするということは……」
 私自身、できるかどうかよくわからなかったのだけれど……成功したなら好都合だ。
「第二段階のあなたじゃ私には勝てない……そろそろ第三段階になったらどうですか?」
 ちょっと自信があることを装って言ってみた。鴉間は追い詰められた状態……これでも第三段階にならないなら……
「……まったく……!」
 鴉間が消える。私は何も感じ取れないのだが、『空』が見つけ、雷を放った。でもその雷は鴉間に当たらなかったようだ。今度は別の場所に放たれる雷。
雷は私の周囲に一瞬で膨らんだ雷雲から放たれるからなんだか私は砲台になった気分だ。
私を中心に雷鳴を轟かせながら鴉間に向かって何発も落ちる雷。だけどどれも当たっていない……
「……瞬間移動を連続でやっている……」
 つまり、逃げているわけだ。《箱庭》から出ないのは……たぶん出られないからだ。今現在、この《箱庭》の中では《空間》よりも《天候》が優位らしい。
「……嵐……」
 私は右手を上にあげながらそう呟く。リッド・アークにぶつけた史上最悪の悪天候。それをこの中に……引き起こす……!
「はっ!」
 さすがに全力でやると……人間の身体なんて引きちぎれるほどの強風になるからそこら辺は上手く加減した。したにはしたんだけど……
「っつあ!?」
 瞬間移動で出現した瞬間横殴りの風に飛ばされる鴉間。暴風に混じる雹やらあられやらを空間の壁で防ぎつつも、《箱庭》の中をぐるぐるまわる。そして……
『あ、やっとあたる。』
 『空』の呟きの後、一筋の雷が鴉間に直撃した。
「……『空』……?」
『だいじょうぶだよ。しぬようないっぱつじゃないから。』
 とは言っても雷だしなぁ……
「ひ……皮肉っすね……」
 煙の中から鴉間が登場した。黒焦げになった右腕を前に出しながら。
『あれれ?』
 それを見た(たぶん見てる)『空』が驚いた。
『ぜんしんをまんべんなくくろくするくらいのいりょくはあったのに。』
「……その威力で人が死なないと考えていた『空』がビックリですけど……あの状態が変なんですか?」
『うん。まるで……かみなりがぜんぶあのみぎうでにすいこまれちゃったみたい。』
 ……どういうことだ?
「……サリラに感謝っすね。元を正せばメリーとディグっすか?」
 黒焦げの右腕、その手で拳をギュッと作った瞬間、黒焦げの右腕は健康的な肌色に戻った。
「!」
「さすがっすね……これなら逃げ切れそうっす。」
 鴉間はにやりと笑って私を見た。
「時間まではこのまま逃げさせてもらうっす。その後は……覚悟するっすよ?」
 時間? 何の時間だろう。パッと思いつくのは《常識》が発動する時間だけど……その時になったら《空間》のシステムは鴉間から離れてしまうから、この時間ではない。
 ならなんだ? 鴉間は何を待っているんだ?
「……《天候》。」
 鴉間が両手をポケットに入れながら私を呼んだ。
「提案っすけど……ちょっと休憩しないっすか?」
「何をいきなり……」
「認めたくないっすけど、今のあっしじゃあなたには勝てないっす。かといって時間前に第三段階の力を出すのはまずいんす。そこで……時間を稼ぎたいんすよ。あなたは、倒そうと思えば倒せる今のあっしをあえて見逃し、そこで浮いている。あっしは攻撃されないかわりに……サリラのことを教えるっす。」
「サリラ……」
 私は下を見る。《ネオ・ジェネレーション》と《C.R.S.L》のメンバーが倒れている場所の真ん中に、小さな子供がポツンと立って上を……私たちを見ている。
「さっきも言ったっすけど、サリラはあっしが集めた仲間の中でもダントツの規格外っす。あっしでも勝てるかどうか……知りたくないっすか? サリラの能力を。」
「……」
「ちなみに、サリラのことを話すと必然的にあっしの身体のことも話すことになるっす。気にならないんすか? さっき、あっしの腕が一瞬で治ったこと。あっしの身体が五体満足なこと。」
 気になる。サリラの力も知りたい。それを話してくれると言うのなら聞きたいと思う。だけど鴉間が真実を話すとは限らない。
「あなたの話が本当のことであるという……保証は?」
「あっしを信じてもらう他ないっすね。でも考えてみて欲しいっす。あっしは……あなたに追い詰められるなんて考えてなかったっす。それがこの様っすからね。あっしも必死なんすよ。」
「……」
「それに……うそをつく必要が無いっす。」
「?」
「サリラの力や性格……あっしの知るサリラの全てを洗いざらいあなたに話し、それをあなたが仲間に教えたところで……勝てないっす。それは例えば、いつ、どこに地球を破壊するほどの隕石が落ちてくるかわかっていても、それを止める術を持っていないのと同じっす。」
「……わかりました。でも一応保険をかけておきます。」
 私は片手を鴉間に向けた。
「今日の天気は『うそつきに雷が落ちる』でしょう。」
「……! そんなこともできるんすか……」
 ……正直、できないと思う。これはハッタリだ。でも鴉間は汗をふきながらこう言った。
「まぁ……それをできるできないかは問題じゃないんすよね。第三段階にまでなったゴッドヘルパーにはありとあらゆる可能性が秘められているっすから……できないことがあるとしても、それは今できないだけにすぎないっす。」
 鴉間は深呼吸をして話を始めた。
「まずはあっしの身体からっすかね。メリーとディグとの戦いであっしは……右腕と左脚を失ったっす。《時間》を巻き戻されて……初めから無かったことにされたっす。だから今あっしが使っている右腕と左脚は義手、義足っす。ただ……そこらの義手とかと一緒にしてもらっては困るっす。」
「……リッド・アークの身体も機械でしたけど、そうと言われなければ気付かなかったですし。もしかして青葉結が作った物ですか?」
「ほぉ、鋭いっすね。さすがリッド・アークを追い詰めた軍師さんっすね。確かに、青葉が作ってたリッド・アークの身体の予備部品はたまに使わせてもらってたっす。例えば相手があっしの右腕を切り落とすような攻撃をしかけてきたら、あっしは瞬間移動でリッド・アークの右腕を移動させ、《空間》を歪めてあっしの右腕を見えないようにしたりしたっす。つまり、切断されたように見せかけるんすね。それを見て油断した敵を攻撃するんす。でも……」
 言いながら鴉間は左手で指をパチンと鳴らした。すると鴉間の右腕が切断された。赤い血が噴き出す。私は思わず目をそらした。
「この通り、血が出るっすよ。敵を騙すときは血のりをぶちまけたりするんすけどね。ほら、これは切断面から血が出てるっす。見たくはないと思うっすけど、中を見るとちゃんと骨やらなんやらがあるっすよ。」
 再度パチンと指を鳴らす鴉間。切断された右腕は一瞬で元通りになる。
「……つまりその腕は本物……」
「本物ではあるっすけどあっしの物ではないんすよ。つまり、これがサリラの力なんす。」
「サリラの……《常識》……」

「サリラは《身体》のゴッドヘルパーっす。」

「《身体》……?」
「んー……そうっすね。例えばあっしやあなたが《身体》のゴッドヘルパーだったら……まずできることは他人に変身したりっすかね。慣れてきたら異性に変身できるようになって、次は人間以外、最終的には想像上の生き物……ってとこっすかね。第三段階になればの話っすけど。」
「自分の筋力をあげたり……腕を伸ばしたりも……ですかね。」
「そうっすね。でもこれは前置きしたように、あっしやあなたの場合っす。簡単に言えば……人間の場合っすかね。」
「……? どういうことですか。」
「サリラは人間じゃないってことっす。」
「……何を言ってるんですか……」
 じゃあ、妖怪か何かとでも言うのだろうか。
「忘れてるんじゃないんすか?」
「何をですか。」
「ゴッドヘルパーは人間だけじゃないってことっすよ。」
「……!」
 そういえばそうだ。そもそもゴッドヘルパーという仕組みは人間だけじゃなく、この下界と呼ばれる世界全てに影響するものだ。私の前の《天候》は……確かバラだったらしいし。そこら辺の虫も、ペットの犬、猫も、植物も、ゴッドヘルパーの可能性はある。だけど……
「……確かにそうですけど……人間以外で……《常識》とかを考えられるような知性を持った生き物がいるかどうかということです。」
「そうっすね。だから第二段階になれるのは人間だけっす。でも突然変異って現象もあるっす。 偶然という可能性も、奇跡という確率もあるっす。そんなあり得ないような現象がサリラには起きたんすよ。」
 私は下を見る。あそこに立っている小さな子供は……人間の姿をしているだけの別の生き物ということなのか……?
「元々が何だったかは知らないっす。サマエル様が拾ってきたっすからね。最初は……俗に言う心を閉ざした子供みたいな感じだったっす。でもあっしらが色々教えるほどに人格が形成されていったっす。サマエル様が《ゴッドヘルパー》のゴッドヘルパーっすからサリラが《身体》ということはわかっていたっす。だから……主に生物のことを教えたっす。学術的なことじゃなく、どういう生き物がいるのかということを。」
 元々人間じゃない他の生物だった……それが《身体》の力で人の形をとり、知識を収集できるだけの脳を手に入れた……それは……つまり……
「気付いたっすか? そう……ゴッドヘルパーにとっての最大の武器であり弱点である……《常識》と呼ばれるものはサリラには何一つないんすよ。リッド・アークが見せたと思うっすけど……彼の最終形態がそれだったっす。強かったすよね?」
 生まれてから今までに蓄積されていく色んな《常識》。それはシステムを通して《常識》の上書きをしようとする時に障害となる。
 良い例がしぃちゃんだ。しぃちゃんは《金属》だけど、どんな《金属》でも性質を鋼に、形を刀にしてしまう。それは《金属》=刀というイメージが……《常識》がしぃちゃんの頭にあるからだ。
 そういうものを一切持たない? それはつまり何でもできるってことだ。
「サリラはものすごい勢いで知識を溜めていったっす。過去、現在に加えてどこかの誰かが考えた空想上の生き物……そして最終的には《身体》の設計図であるDNAに辿り着いたっす。」
「DNA……!」
「それを辿ることでサリラはありとあらゆる生物に変身することが可能っす。現存している生物はもちろん、絶滅した生物や……この先の未来に存在しうる生物にまで。生物の持つ全ての可能性を操る……それがサリラっす。」
「生物の進化そのものってことですか……」
「そうっす。深海一万メートルでも、マグマの中でも、宇宙空間でも適応できる《身体》に進化することができ、最強の腕、最強の脚、最強の眼、最強の耳、最強の鼻といったように色々な生物が個々に持つ能力を一つの《身体》に持つ事が出来るっす。仮に《身体》をバラバラにされようともすぐに新しい《身体》を作って再生可能。原初の生物レベルの大きさの肉片さえあればサリラは死なないっす。」
 原初といったら……海の中にいたものすごく小さい生き物だ。倒すとしたら……サリラの身体を一撃で消してしまうような……攻撃のみ。チリの一つも残してはいけない。
「……サリラがすごいことはわかりましたけど……それとあなたの右腕、左脚と何の関係が?」
「要するに、この右腕と左脚はサリラが作ったんす。サリラがあっしに変身して切り落としたものをつけているんす。あっしの腕と脚ではあるんすがあっしの物ではない。わかったっすか?」
「なるほど……」
 つまり、サリラを倒せば鴉間は右腕と左脚を維持できなくなるわけだ。
「それに、あっしとサリラは取引をしている関係っす。パートナーっすね。」
「取引?」
「あっしはサングラスをかけることで第三段階の力を封じているっす。理由はメリーあたりから聞いてるっすね?」
「……周囲の全てを把握してしまい……そのままだと頭がおかしくなるから……」
「そうっす。でも、だんだんと……サングラスだけじゃ足りなくなってきたんすよ。眼ではなく、身体全体で把握できるようになってきたんすよ。だから……あっしは一定の周期で自分の身体の大きさを調節してもらっているんす。」
「大きさの調節……?」
「周囲を把握する際にはあっしの身体が基準になるっす。定規で言えばあっしがゼロセンチの場所ってことっす。長年使ってきた身体っすからね。基準としては申し分ないんす。だから、例えば手の長さを一センチ長くしてもらったり、身長を数センチ縮めたりすることで基準としての価値を無くし、身体による《空間》把握を抑えているんす。」
 ……ということは、今鴉間がサリラによって与えられた右腕と左脚を失うと……《空間》を上手く操れないということか……? 数センチの違いならともかく、腕一本、脚一本分の違いとなれば大きい。
「対してサリラは……時折(身体)が暴走するんすよ。今のサリラの知性や理性では制御しきれないんすよね……サリラの《身体》の中のあらゆる生物の力を。暴走するとサリラはこの世の生物を全てくっつけたような姿になってしまうんす。あっしはそれを《空間》の力で抑えつけてサリラをあの小さな子供の姿に留めているんす。」
「それが取引……ですか。」
 今得た情報はかなり大事だ。
 第三段階になった鴉間はたぶん圧倒的だ。私が相手をすることになるだろうけど……正直勝てるとは思わない。何の時間かはわからないけど、鴉間が待っているその時間までにサリラを倒す事が出来れば鴉間の力を弱まらせることができるかもしれない。
 今はみんなそれぞれの敵と戦っている。それが終わったら音切さんと音々に頑張ってもらって……みんなにサリラを倒してもらう。そうして私は鴉間を倒す。
 結構ハードなスケジュールだけど……やるしかない。
「ふふ、不気味っすね。」
 突然鴉間がそう言った。
「何がですか……」
「あなたっすよ。相当のキレ者っすよねぇ……あなたは。あっしもまぁ、ちょっと企んでる事があるっすけど、あなたにもあるんすよね? この戦況をひっくり返す程の何かが。」
「さぁ……どうですかね。」


 オレ様は視界の隅に雨上を捉える。鴉間といい勝負をしているみてーだが……鴉間の奴が何を考えてんのかがわかんねぇ。
 んでもってオレ様自身は結構まずい。
「お許しを!」
 サマエルが謝りながら振る剣は……昔、オレ様と唯一互角に戦っていた天使が持っていた剣だ。その切れ味はオレ様の身体が覚えてる。だが、なーんでこいつが持ってるかっつー話だ。
「サマエル! その剣をどうやって!」
「……この剣を気にしますか……ルシフェル様。」
 サマエルは空中で静止し、剣をオレ様に向ける。
「ルシフェル様! 何を恐れているのですか! 確かにこの剣はルシフェル様に唯一傷をつけた武器ですが、だからと言って逃げ回るルシフェル様ではないはず!」
「馬鹿言え。その剣をこの姿で受けるってのはな、確実に切断されるってことなんだよ。その剣からすれば今のオレ様は豆腐だ。」
「ならばなぜ、本気を出さないのですか。もしや、私を傷つけまいと……!」
「誰がてめーの心配するか!」
 本気を出さねーのは出せる状況じゃないからだ。オレ様とサマエルの戦いを隔離してくれる天使がまだ来てねぇ! どうなってんだよ!
「わかりました。私の成長を見ておいでなのですね。今後、ルシフェル様の御側にいられるかどうか……真の悪魔の時代にふさわしいかを!」
 なんでこいつはこうも盲信的なんだよ……
「はぁっ!」
 サマエルが剣を振る。すると剣先から何本もの光の矢が放たれる。オレ様は黒い炎を出し、それを焼く。
「お前が光の魔法とはな!」
「私の術ではありませんよ。この剣から出る力です。」
「どっちでも同じだろうが。」
「確かに……行使しているのは私ですしね。」
 サマエルの剣が輝く。真っ白に光る剣先はその長さを倍にした。
「はぁああぁっ!」
 ったく、デジャヴだぜ。昔はああやって斬られた。だが、ひるんでる場合じゃねぇ。サマエルはオレ様が倒さなきゃならねぇ相手だ。
 サマエルは……強い。オレ様たちは人間に手を出すと天界に強制送還されちまうが、こいつは天使じゃなく悪魔。そんなルールは適応されねぇ。だからこいつは、このゴッドヘルパーの戦いの中で唯一(魔法)を操れる存在だ。その上どういう方法か知らねーが《ゴッドヘルパー》のゴッドヘルパーになってやがる。
 第三段階の鴉間はこいつの《魔法》とかを警戒した結果、自分の《空間》がリセットされるかもしれないっつー賭けをしつつも《常識》を発動させ、こいつを外におびきだし、オレ様と戦わせている。できるだけこいつを消耗させたいからだ。
 遅かれ早かれ、《常識》は発動した。それはつまり、どうあってもサマエルの手に《常識》が渡る事を意味する。鴉間としては是非とも《常識》を手に入れて欲しいわけだ。リセットされちまうからな。だから鴉間はどんな状況であろうと、《魔法》、《ゴッドヘルパー》、《常識》の三つを操る存在……対ゴッドヘルパー最強の存在となったサマエルと戦うことになる。
 どうせ戦うなら……オレ様とバトらせて弱らせたいっつーわけだ。
 そして……鴉間はオレ様がサマエルを殺さないと考えている。もし殺すと思っているのならこの戦いを止めに来る。
 ……んま、実際殺さないけどな。オレ様と同じように、下っ端から出直させてやる。
「ルシフェル様!」
「!」
 考えながら動いてたのがまずかったか、オレ様の肩に浅いが確かな傷がついた。
「動きが鈍いですね。いかがなされたか。」
「……ちょっとな……」
 ……単純な話、サマエルさえ倒せばオレ様たちの勝ちだ。そうすれば誰も《常識》を止められない。鴉間が止められる……つまり、《常識》を自分のモノにできるっつーなら、サマエルは《ゴッドヘルパー》のシステムを手に入れるよりも、《空間》のシステムを手に入れようとしたはずだ。
 まぁ推測に過ぎねーが……なんにせよ、サマエルと戦えるのは天使のみ。現状はオレ様のみ!
「せっかく雨上たちが他のゴッドヘルパーを足止めしてくれたんだからな、お前はきっちりとオレ様が倒す!」
「お言葉ですが、ルシフェル様。私も負けられません。ここで負けることは《常識》を手に入れられず、ただ発動させるだけになることを意味します。せっかく揃えた戦力も無駄になる。ですから負けられません。……そして――」
 サマエルは剣を持っていない方の手……正確には人差し指に魔力を集め出した。
「相手がルシフェル様と知ってなお、私がこう言っているということの意味……おわかりですか?」
「あ?」
「最強の悪魔の王相手に負けないと言っているのです。私には……今のルシフェル様には確実に勝てる術があるということです!」
 サマエルが魔力をこめた指で剣の先端に触れた。すると剣の先っぽが欠けた。
「? なにをし――」
 光があふれた。まるで太陽が目の前に移動してきたかのような圧倒的な光。それは一種のビームとなって、オレ様の腹を貫いた。
「がはっ!?」
 実際のビームがオレ様を貫いたなら焼けた臭いがするモノだが……この一撃にはそれはなかった。
「……なんだ……こりゃ……」
 確かにオレ様の腹には穴が開いた。痛みもある。だがそれに加えて……何かが……
「これは……光です。」
「……みりゃわかる……」
「いえ、そうではありません。明るい暗いといった類ではないということです。」
「……それが……その剣がミカエルの剣だっつーことと関係あんだろ……?」
「その通りです。」

 オレ様ことルシフェルこと……悪魔の王サタンと唯一互角に戦った天使の名をミカエルと呼ぶ。実際、人間たちの神話でも結構偉い感じで扱われてる。
 人間にとって、神が『救い』ならばミカエルは『勇気』。絶対の悪を滅ぼしてくれる正義の力。そういう《信仰》を受け、ミカエルは存在していた。オレ様を傷つけることのできるたった一つの武器がミカエルの剣だった。ミカエルが人間たちから受けていた《信仰》を考えると……その剣に秘められた力は――

「人間の願い……主に悪を許さない、敵を滅ぼすという力、勇気の願い……それがその剣の……言わば成分だ……」
「そうです。おそらく、そこらの悪魔にはただの剣なのでしょう。しかしルシフェル様が相手ではわけが違う。悪魔の王とは人間にとっての最大の悪。ルシフェル様が相手の時こそ、この剣は絶対の力を発揮する。究極の悪の否定。この剣の光は、ルシフェル様の魂を否定します。」
 魂……なるほど、オレ様は腹と同時に魂まで貫かれたっつーことか……
 魂が削られるからなんだっつー話だが……確かに、例えばゴッドヘルパーなら問題はねぇ。だが魔法を使うのなら話は別だ。魔法は生命力とかそういうものを使うからな……力の源を断たれるに等しい。サマエルと戦えなくなる……
「しかしご安心を。ルシフェル様の魂を削りきる気はありません。ある程度削ったところで、お休みいただきます。この戦いが終わった時には、その魂を完全に戻すまで、どうぞ私の魔力をお使い下さい。」
 ……かなりやばいが……どうしようもないわけでもねぇ。昔、ミカエルがあの剣から光を放つ時は剣を欠けさせてなんかいなかった。なぜなら、絶え間なく人間から《信仰》によって力がそそがれるからだ。だが今は……《信仰》なんて廃れて大層な力を放てはしねぇ。要するに、あの剣に貯蔵されてる光のみってことだ。チャージすることはできない。あの光は完全消費型。
 よーするに、当たらなきゃいーっつーことだ!
「は! んな剣一本でオレ様に勝てるとかよ! なめんなよ!」
 オレ様は天高く上昇する。
「逃げるのですか!」
 サマエルがオレ様を追う。
 逃げるわけじゃない。もうちょっと高いとこいかねーと被害が出んだよ!

 ……俺私拙者僕はクロアちゃんが閉じ込められた瓦礫の傍で、ルーマニア……ルシフェルくんとサマエルくんの戦いを見ているのだよ。もちろん、俺私拙者僕の視力が一〇とかあるわけじゃないから魔法で見てるのだよ。
 ルシフェルくんが空たかーく飛んだと思うと、右腕が黒い炎で包まれたのだよ。
「……なるほど。ちょこっとだけ力解放なのだよ。」
 ルシフェルくんの右腕はドラゴンのそれになったのだよ。大きさはいつものルシフェルくんのおてての大きさと変わらないけど、デザインが変わった感じなのだよ。かっこいーのだよ。
「……でも……」
 ミカエルくんの剣を持つサマエルくんにそれで充分とは言えないのだよ。やっぱり完全開放しないと心配なのだよ。
「結界を張る天使はまだなのだよ?」
 マキナちゃんに頼んだはずなのに……まだ来ないのだよ。
「……なんかいつの間にかマキナちゃんとも連絡とれなくなっちゃったのだよ。変なのだよ。」
 まるで《物語》が発動した時みたいなのだよ。でも……今の俺私拙者僕にはちゃんと自分の意思があるし、そもそも強制送還もされてないのだよ。だから俺私拙者僕は《物語》にとりこまれたわけじゃないのだよ。
「どうなってるのだよ……」
 ムーちゃんがいたら俺私拙者僕と二人でなんとか結界を張れるけど……ムーちゃんはムーちゃんの戦いをしているのだよ。
 ルシフェルくんに加勢したい気持ちもあるけど、クロアちゃんも心配なのだよ。俺私拙者僕は瓦礫に手をおきながら、上を見るだけなのだよ……

「おお……その右腕は……」
「喰らえ!」
 黒い炎をまとったオレ様本来の腕。その鋭い爪でサマエルに攻撃するが、ミカエルの剣で止められる。その衝撃でミカエルの剣が少し欠ける。
「――っつお!?」
 目の前で爆発する光。とっさに右腕でガードするが、オレ様の本気モードの腕は焼け焦げた。
「くっそ……うかつにあの剣には触れられねーな。また穴開けられちゃ敵わねーぜ。」
 さっき開けられた穴はなんとか魔法で塞いだ。だが魂を削られ続けると傷を治す魔法も使えなくなる……
「はぁっ!」
 サマエルの魔法が炸裂。オレ様を後ろへ押し戻す。
「……光の剣に……お前の魔法か……厄介過ぎるぜ。」
「ではお休みを。私もできれば万全な状態で鴉間に挑みたいのです。奴の作戦通りに弱った状態で戦うのは少々不安ですので。」
「は、そうかよ――」

 ……あ? ちょっと待て。今のサマエルの言葉はおかしい。
 鴉間は……できればサマエルを弱らせてから戦いたい。だからオレ様たちにけしかけた。
 サマエルは《常識》を手に入れたい。だが、今の状況はちょっと面倒。《常識》の前に陣取った鴉間を倒さなきゃいかんわけだが、鴉間と戦ってるスキをオレ様たちがついて攻撃してくる。なぜなら、オレ様たちの目標は「サマエルに《常識》を渡さない」だからだ。鴉間がサマエルの邪魔をするっつーならそれに乗っからせてもらう。当然だ。
 そこまでは……いい。問題は……「今」、オレ様とサマエルがバトってるっつーことだ。
 サマエルが《常識》を手に入れねーと鴉間の力はリセットされんだぞ? 弱らせるにしても、《常識》を手に入れる「前」にオレ様と戦わせてどーすんだよ。
 オレ様がサマエルをある程度ボコったらサマエルに《常識》を取りに行かせるとでも思ってんのか? オレ様はここでサマエルを倒す。そうなったら《常識》を止める奴がいなくなる。
 鴉間の奴はオレ様が負けると確信しているとでも……? それなら納得できっけど……リスキーにもほどがあっだろ。
 どーにも腑に落ちねぇ。リスクが高すぎる。鴉間の奴は何を……

「また考え事ですか、ルシフェル様!」
 ハッとして上を見ると炎をまとった光の槍が降り注いだ。黒い炎を出す時間はなく、オレ様は横に回避する。
「――っつ!」
 槍の一本が右脚に突き刺さる。瞬間、刺さった痛みとは別の痛みが走った。
「! 毒か!」
 あわてて槍を抜くがもう遅い。オレ様の右脚はその機能を完全に失い、ただの飾りになった。
「……その右脚は完全に死にました。ですが、ルシフェル様が本来の姿となれば毒の効果も失せるでしょう。しばし、耐えて下さい。」

 ……雨上がいたらそれなりの解説をしただろうが……
 サマエルは死を操る。確か人間の神話じゃあ『神の毒』とか呼ばれていた。その毒は対象の機能を完全に奪う。それがなんであろうとだ。
 ハサミに使えばそのハサミで何かを切ることは不可能となり、服に使えば、いくら重ね着しようと温かくはならない。「生命の終わり」ではなく、「存在意義の剥奪」……それがサマエルの毒の力だ。

「……脚で良かったぜ。」
 空中戦となってる今なら、あんまし深刻なことにはなんねぇ。
 ……本気でやらねーとまずいな。
「サマエル。」
「はい。」
「お前……あれから進化したか?」
「……どういう意味でしょうか。」
「戦闘技術がっつーこった。なんか鍛えたりしたのか?」
「……強いて言えばこの剣を使えるようにした……ことぐらいでしょうか。」
「オレ様は……結構色々やったんだぜ。今まで見向きもしなかったがな、人間の技術っつーのも面白いもんが揃ってんだ。」
 手の平に黒い炎を生む。そこに結構な量の魔力を込める。
「……雨上のが《箱庭》……オレ様のは……んま、《明星》か。」
 黒い炎は球体となり、爆発的に広がり、オレ様とサマエルを包みこんだ。
「これは……」
「オレ様の記憶だな。天使の下っ端として見てきた数々のスゲー人間、そいつらの技術の記録だ。……それに形を与える。オレ様は欲張りだからな、いいと思ったもんは手に入れて自分のもんにする。」
「……これは……」
 黒い炎の球体。もちろん中は真っ暗だ。だがオレ様もサマエルも魔力を感じれっからあんま意味が無い。互いの場所はわかるわけだが――
「魔法の戦いの基本は相手の魔力を読む事だ。どんな攻撃が来るかを予測する。だがな、人間にはんなもんない。だから、そんな中で生まれた武術っつーのは見えなきゃ防御のしようがねぇんだ。どの攻撃にも魔力が使われないからな。となると、この真っ暗闇での戦いは……不利だよなぁ?」
「……一つ……二つ……どんどん増えますね。この黒い球体の中、炎で形作られた人間が出現していく……しかし……そこまでしかわかりません。どんな形をしているのか、どういう技を使うのか……」
「神には結構怒られたがな……世に言う達人たちと一戦交えてな……その技術を記憶していった。んで、今それを形にした。もちろんオレ様の炎でできてっから攻撃を受ければそれなりのダメージだ。」
 真っ暗闇、サマエルがいる方へ向かってオレ様は告げる。
「今からお前が相手にするのはな、《信仰》のために作られたはずだった人間っつー存在が生みだした戦う術……その結晶の数々だ。」
 術を使ってんのはオレ様。どこにどういう形でどんな使い手を具現化させたかはわかる。
 まずは小手調べだぜ。
「行くぜ、サマエル。」
 昔会った槍の達人。しなやかな槍を自分の身体の一部のように振りまわす男。
 槍が振るわれる音を聞いたか、サマエルが初撃をかわす。だが間髪いれずに男の一閃。サマエルの腹に……浅いが一撃。普通の槍ならそこで終わりだが、オレ様の炎で出来ているからな、さらに傷口を焼く。
「……!」
 サマエルから光系の魔力が感じられた。その瞬間、オレ様に穴を開けたあの光が放たれ、槍の達人が消滅し、黒い球体にも穴が開いた。
 だが、あれはオレ様が作った言わば魔力の塊。消滅させようとオレ様には関係ない。すぐさま黒い球体の穴を塞ぎ、もとの暗闇に戻す。
 オレ様の魂が削られなきゃ魔力はんな急激に無くなんねぇ。
「言っとくがな、サマエル。よく見えねーつって光を灯しても無意味だぞ。オレ様の炎が光に対してどんだけ効果のあるもんかはお前がよく知ってるよな。」
 剣使いの女とカンフー使いの男がサマエルに迫る。暗闇で周囲はオレ様が作った球体。オレ様の魔力の中でオレ様の魔力の動きを感じるっつーのはかなり難しい。混じっちまってわかりにくいわけだ。
 それでも……カンか何かか……サマエルは迫る二人の使い手を感じ取ったらしい。剣を弾く音がした。だがその後鈍い音が聞こえた。カンフー使いの拳が入ったようだ。
「……ぐっ……」
 ……当然の行動として、サマエルがこの球体からの脱出を試みるが……
「オレ様の魔力の量をなめんなよサマエル。この姿でもこの辺一帯を覆えるくらいはあんだぜ?」
 サマエルが移動した分だけ球体を大きくする。それを感じたか、移動するのを止めるサマエル。その隙をつくのは……日本刀を構えた男。
「……鎧のご先祖様だな……」
「があぁっ!」
 サマエルの声。斬られたな。
「なんということ……いえ、さすが……ですね。なるほど、人間の生みだす技術……私たちでは生み出せないであろうそれをもモノにしておいでとは……私はミカエルの剣を手にした程度でいい気になっていたようです。」
「お前の毒は強力だがな……オレ様の炎も性質が悪いぜ?」
「傲慢、強欲の黒き炎。その力は肉体と精神の同時焼却。動かなくなるわけではありませんが……精神を燃やしている故、しばらく激痛が走る……ええ、効いていますよ……」
 顔は見えないが、すこし声が震えてる。痛みに耐えながら……って感じだな。
「小手先の技術……そんなものでルシフェル様を止められるわけがない……しかし、成さねばなりません故……!」
 サマエルから再び光の魔力の気配。
「さっき言いましたね……この剣を使えるようにしたと。私も、もとは天使……成そうと思えばできないことでは……ありませんでした。」
「あん?」
「それは、悪魔として不完全であるということ……その不完全さ、私の恥……そんなものをも武器にしなければ戦えない相手……行きますよ、ルシフェル様!」
 光の魔力がサマエルから離れて上へ上へ移動する。どうやら剣を投げたみてーだが……
「破裂しろ!」
 瞬間、世界が光に満ちた。オレ様の黒い球体は消し飛び、気付くと真っ白な空間に浮いていた。
「これは光の結界……あの剣を消費することで持続される絶対的な光の魔力。」
「……結界か……ミカエルの剣を消費することで作られるとなると……オレ様が元の姿に戻っても外に影響がでないくらいの結界ってことだな……サマエル、どういうつもりだ。」
「決して、本気のルシフェル様と戦いたいなどと、無謀なことを考えたわけではありませんよ。」
 少し離れた場所に浮くサマエルの……色の異なる目がギラリと光った。そして、結界の中でなかったなら周囲に破壊が及んだであろう量の魔力が放出され、サマエルを包みこむ。

 ……基本的に、人間の神話で悪魔が人の形をとることはない。オレ様のようにドラゴンだったり、何かの動物だったりする。『神の毒』と言われるサマエルはどういう風に描かれていたか。それは……蛇だ。蛇は神話の中じゃ一番の悪者として扱われるもんだから……それほど邪悪っつーことだろう。だが、何も根拠なしにサマエルは蛇に描かれたわけじゃない。
 オレ様がそうであるように……サマエルの真の姿はまさしく――

「ぐるあああああああああああああああっ!」
 存在を否定する毒を持つ牙。
血のように、燃えるように、憎悪が渦巻きながらも美しい赤いうろこ。
 空を仰げば天に届き、頭を垂れれば地獄に達するその身体。
 特徴的な……左右で色の異なる目。
 堕天使サマエルは赤き大蛇となって……オレ様の前に現れた。

「この光の中! 私は一切の問題無く動く事が出来ます。それどころか、この光を我が力として扱える。しかしルシフェル様……あなたは違う。無論、そのお姿で戦おうとは思いますまい。ですが、元の猛々しい竜となられても、あなたにはこの光は邪魔でしかない。この中にいるだけであなたの魂は徐々に削られていく……」
「……確かにな……オレ様の魂を完全消滅させられるほどの力があるわけじゃあないが……オレ様の力をお前と同等にまで引き下げるくらいはできそうだな。」
「お言葉ですが……私以下にまでなっていただきます!」
「そうかよ!」

 力、解放。
 天を覆う黒き翼、一切の攻撃を受け付けない鋼の身体……オレ様は元に戻った。

「笑えるぜ! 怪獣大決戦ときたもんだ!」
 口から漆黒の業火を放つ。その昔、多くの天使を……葬った最悪の炎。だがそれは、光の力を受けてみるみる小さくなり、サマエルに届く頃には火の子程度になった。
「お解りですか。この光の中ではあなたの力は全て削られる!」
 サマエルがそのでかい口から紫色に光る槍を何十発も放った。サマエルの放つ力は光の影響を受けず、威力を保ったままオレ様に届いた。
「っぐ……」
 本来ならあの程度の攻撃、オレ様の身体に傷一つつけられないんだが……今回はその全てが突き刺さった。身体の硬度まで落ちるたぁな……
「確かに……この中じゃあオレ様はかなりヤバいな……だがな、サマエル。この結界はミカエルの剣を砕き、消費することで成り立っている……結界が解けるのは時間の――」
 オレ様のしゃべりを遮ったのはサマエルの尾だった。地面を叩けば数キロにわたって大地震が起きるであろうその威力を、オレ様は腹に受けた。
「承知のことです。その前にあなたを!」
「そう簡単に負けるかよ!」
 結界の中を飛翔、サマエルにとびかかる。
「申し上げたはず! 絶対に勝てる術であると!」
 超速で動くサマエルの尾がオレ様を横に殴り飛ばす。このまま飛んで結界の外に――
「がはっ!」
 ――なんてことはなかった。結界の壁にぶつかる。
「……んま、この姿で外に出ると全員死んじまうからな……」
「しぇあっ!」
 サマエルの口から見るからに身体に悪そうな煙が出る。あれは確か毒だったか。いや、なんつーか見りゃわかるか……
「おらぁ!」
 炎を放つ。だが半分くらいを焼き尽くしたとこでオレ様の炎は消えた。
「くっそ……」
 毒に囲まれる。オレ様の身体が煙を上げながら……溶ける。意味がないとわかりつつも腕を振りまわす。そんなオレ様のもとに、身体を紫色の魔力で覆ったサマエルが迫り、その身体でオレ様を締め付ける。
「く……が……」
 ミシミシと嫌な音が身体中に響く。
「今は……今だけは倒れて下さい、ルシフェル様! 私の部下が神の手先となったゴッドヘルパーを一掃します! 私が《常識》を手に入れます! 私が鴉間を殺します! そして神に挑みます! あなたと共に! あなたでなくてはならない! 悪魔の王は! この光の中で動けてしまうことが私の未熟な証! 再び導いて下さい! 私の神への怒りを!」
「おま……えの……その怒りは……何が……」
「……神を見たこともないディグでさえ、神に落胆しています。この私の引き起こす……この騒ぎにも無関心だ。創るだけ創ってあとは傍観者……ディグではありませんが、創ったのならその全てに幸せがなければならない! 救いがなければならない! 私を救ったのはあなただった! 私の神はあなただった! 何がしたい、何を望む! あいつは一体何がしたい!」
「サマ……エル。お前は――」
「さぁ、お休み下さい!」
 オレ様を締め付けるサマエルの身体から凄まじい魔力が放たれる。針の山に寝そべるような、零度の水に浸るような、溶岩の中に沈むような……何とも言えないが、確かな苦痛が全身を走る。
 いってーなぁ……まったく。
 しかし……昔から謎だったことがわかったぜ。なんでサマエルは神に挑むのか。何故……嫌うのか。
 オレ様は……自分の力を無くしたくないがために神に反乱した。身に覚えのない適当な噂話で失った《信仰》の力……その理不尽への怒りの矛先を神にした。それだけだ。今思えば、どーでもいいこと過ぎる。
 そしてサマエルも……オレ様と同じ勘違いをして神に怒りを覚えた。
 まったく……ちょっと考えればわかることのはずだ。
 神は自分の姿を元に天使や人間を創った。その時点で気付くべきなんだ。
 人間が神の姿をしているんじゃない……神が人間の姿をしているんだ。
 サマエル、神はな――


 よく……見えない。
 だが、身体は動く。もはや反射に近い。
 わたしの視界に映るモノは、わたしの刀と赤い閃光。
「アーッハッハッハッハ!」
 赤いチャイナドレスを着ているチョアン……その動きはもはや視認不可能。ただただ赤い何かが閃光のごとき速度でわたしに迫るだけ。
 チョアンは、人間の動きなら当然あるはずの「踏み込み」だとか「溜め」といった力を出すための予備動作がまったくない。いや、無いわけではない。しかし速すぎる。
 故に、わたしの前には赤い閃光の嵐が一瞬の間も空けずに荒れ狂う。
 何も考えず、作戦も無く、ただ自分の力を信じて刀を振る。余計な何かを考えてしまったら、全ての攻撃が一撃必殺のチョアンに瞬く間にやられてしまうだろう。
 だけど――
「これはどうアル!」
 逆縮地……とでも呼べばいいのか、勝又くんがやった瞬間移動みたいに一瞬で後ろにさがったチョアンは地面をダンッと踏んだ。するとチョアンを中心にその場にクレーターができて大量の瓦礫が宙に舞った。その瓦礫は一瞬でその形状を古今東西あらゆる武器に変え、わたしの方に銃弾のように放たれた。
 わたしは地面を蹴る。後ろに下がったらあれを受けてしまう。選択肢は一つ、前進あるのみ。
 大半がわたしの頭上を通り過ぎていくが、何本かはわたしに向かってきた。それを自分でも理解できない太刀筋で切り裂いていく。
 チョアンに迫り、刀を振るった。チョアンはそれ片腕で防ぎ、もう一つの腕で拳を放つ。わたしは止められている刀の根元から刃をのばす。枝のようにのびた刃はチョアンの拳を防ぐ。だが威力を殺せたわけではない故、わたしは後方へ飛んで行く。
「……だめだ……」
 わたしは呟いた。チョアンの攻撃を一発受ける度に両手両足が痺れる。チョアンの攻撃に対応できる技術があっても身体が限界らしい。
極細の刀を後ろに張ることで勢いを抑えたが、わたしはどこかのお店に突っ込んだ。どうやら洋服店だったらしく、大量の服が良いクッションとなった。
「いいアル! 最高アル! 今まで感じた事の無い……んはぁ……感覚アル。次は何を見せてくれるアルカ!」
 スタスタとゆっくり迫って来るチョアン。……チョアンはわかっている。わたしも気付いている。過言でもなんでもなく、無敵の力を持つチョアンに、わたしは追いついただけだ。いや、正確には追いつけてもいない。
 かけっこで言えば、チョアンの数歩後ろまでは追いつけるけど、横には並べない。
 未だかつていなかった強者。チョアンはわたしをそう認識している。自分の数歩後ろまでは辿り着いたわたしが、まだ何かしてくるんじゃないかと。ついには横に並ぶのではと期待しているのだ。だから勝負を焦っていない。
 別に期待に応えたいわけじゃないけど、確かに横に並ばなければ勝てる見込みは無い。このままではわたしは負ける。善戦で終わる。
 何かが足りない。チョアンを倒すにはまだ足りないモノがある。
 わたしが目指す正義の味方たちはこんなものではなかった。もっとすごい。苦戦することはある。敗北することもある。だけど彼らは最後に勝利する。正義だからだ。
彼らを目指しているわたしにはまだ欠けているモノがあるから彼らのようになれていない。それは一体なんだろうか。
 未熟ではあるが……力は持っている。
 正義を貫く信念もある。
 この場にはいないが、共に戦う仲間もいる。
 あとは――
「……あ。」
 わたしは自分の格好を見た。道着だ。そう……これではいけないんだ。
 彼らは一目で彼らとわかるコスチュームをまとっている。あれはかっこいい。変身することには誰だって憧れる。だが、あのコスチュームはかっこよさのためだけにまとっているわけではない。あれは彼らの証だ。あれをまとった者は正義であるという証。
「……正義の味方、ヒーローのコスチューム……!」
 服の作り方なんて知らないが……極細の刀を糸みたいに編み込めば……
 イメージするんだ。空想を現実にする力……いや、空想なんかじゃない。彼らは確かにいる。正義のコスチュームは確実に存在する。
 光を斬るより簡単なことだ!
「ん?」
 チョアンが周囲を見渡す。
「……周辺の《金属》が……集まっていくアルネ。何を見せてくれるアルカ!」
 ひも状になった《金属》が光を反射しながらわたしのもとに集まっていく。
 極細の刀……わたしが《金属》を変形させると全て刀の形になるが、刀には峰がある。それを自分の方に向ければ編み込んで服にしても自分が斬れることはない。
「……よし!」
 これでわたしは彼らにまた一歩近づいた。
「……かっこよくなったアルネ。」
 外見的にはあまり変わっていない。わたしが着ている道着の上に薄く一枚羽織った感じだ。ただ、とてもかっこいい。和風でしなやか。真っ赤な生地に《武者戦隊 サムライジャー》のコスチュームと同じ模様が入っている。
 これはまさにサムライレッド!
「服が真っ赤になってかっこいい模様が入ってるアル。ただの《金属》にそこまでの色をつけて……それにはどんな力があるアルカ!」
 かなり近くまで迫っていたチョアンが踏み込み、わたしに拳を放った。さっきまでなら、わたしが後ろへ飛んで行ったところだが……
「……!」
 チョアンの拳から放たれた衝撃はそのままチョアンへと返った。チョアンは弾き飛ばされ、かなり離れたところに着地した。
「あはぁ……ううぅん……なんてことアル。あなたには驚かされてばかりアル……ワタシの力をそのままはね返すアルカ……」
「……ヒーローのコスチュームはすごいんだ。どんな攻撃を受けても破れたりしない。」
「アッハッハ。それは番組の都合というモノアル。それをそういう形で……たまらないアルネ。《金属》で出来た服なんて、ただの鎖かたびら程度に思ったアル。それが!」
 再び赤い閃光となって拳と蹴りを乱れ撃ちするチョアン。それを同様に刀で防ぐわたし。
 だが、さっきまでとは違う。手足に負担がほとんどない。
よく見ると、わたしのコスチュームは受けた衝撃をばねのように吸収している。そしてそのまま返しているのだ。チョアンからの攻撃の衝撃を吸収、わたしが刀を振ると同時にその衝撃が放たれることで刀の威力が上がる。
「あぁん! だめアル!」
 攻撃の手を止め、チョアンが後退した。
「自分の防御力と攻撃力を同時にあげる……まさに武神アルネ! んああ! 今までの欲求不満がこの戦いで解消されていくアル!」
 とろけそうな表情をしながら天を仰ぐチョアン。
「ここまでキタアルカ。あぁ……迷うアル。」
「……何をだ。」
「ワタシの目的は絶頂の中で死ぬ事アル。そしてあなたに出会ったアル。あなたならワタシを最高の状態で殺してくれる死神になってくれるアル。そう思ったアル。実際いいアル。ああ……もう……だけど駄目アルネ……いいものを知ってしまったらよりいいものを求めてしまうのは人間のどうしようもない本能アル……」
 自分の身体を抱きながら身もだえするチョアン。
「鴉間についたのも、こういう戦いをするためアル……サマエルよりも鴉間についた方が最高の敵に出会える確立が高くなるアル。だってサマエル側と天使側のゴッドヘルパーと戦えるようになるアルヨ?」
 チョアンが……まるで恋する乙女みたいなうるんだ瞳でわたしを見る。
「今のであなたは確実に……ワタシと同等になったアル。この状態のワタシと同等……あなた以上の敵はいないと……そう思うのと同時に、あなたという最高の敵を知ってしまったからこそ、浮かんでしまう考え……もしかしたらあなた以上の存在が……どこかに……」
 ……わたしがもしもチョアンに負けると……チョアンはわたし以上を求めてさらに突き進む。その内天使に戦いを挑むかもしれない。
 勝つ。チョアンに必ず勝つ!
 だが、普通に攻撃しては……チョアンの《常識》によってチョアンが死ぬ。ならばどうするか。答えは出ている。
 倒すということは再起不能にすることじゃない。戦闘不能にすることだ。刀を持った武士を倒そうと思うのなら、武士を斬るのともう一つ、武士の刀を奪う、破壊するという方法がある。
 つまり、チョアンの……『相手も自分も一撃で死ぬ』という上書きされた《常識》を斬る。もしくは、チョアンからシステムを斬り離す。チョアンを倒すにはこれしかない。
 青葉が言った言葉、空想を現実に変えるということ。
 わたしは青葉の光の剣を斬る事が出来た。《常識》だって斬れる!

「わたしの刀は決して折れない。」
 どんな攻撃も受けてみせる。正義をまとったわたしを倒す事はできない。
「わたしの刀は命を奪わない。」
 相手を殺してしまうこと。それはわたしにとっては敗北だ。望んだ結末ではないからだ。わたしの正義に反するからだ。
「わたしの刀に斬れないモノはない。」
 わたしが正義であるかぎり、その道を塞ぐことは出来ない。
「正義は勝つ! あなたを死なせてしまうことはわたしの敗北だ。だから決してあなたを死なせることなく、わたしが勝つ!」
 行くぞ。さっきまで受けてばかりだったが……次はわたしからだ!

「!」
「はあああああああっ!」
 刀を構えてチョアンの方に走る。走る際もわたしのコスチュームの力が働き、脚への負担を最小限にしつつもさらに加速させる。
 準備は万全。こころと身体に正義がある! 迷う事は無い。勝つ! ただこの想いを現実にするために!
「! これは……!」
 チョアンにどう見えているかはわからないが、わたしの太刀筋はかつてないほどに澄んでいた。
 さっきと違うのは何か。さっきと同様、今も無心だ。作戦もなにもない。ただ自分の身体に染みついた技を披露しているだけだ。
 違うのはこころ。さっきは、「何も考えないようにしなければ負ける」だった。だが今は「無心に、ただただ勝利を目指す」だ。
 負けないようにすることと勝とうとすることは違う。
 白い尾を引きながら流れるようにチョアンに迫っては離れ、また迫っていくわたしの刀。
 放たれる極細の刃は一筋の光となってチョアンを襲う。
 変幻自在の間合いから繰り出される《雨傘流》はチョアンの戦闘技術に迫る。
 切落、袈裟、胴、右斬上、逆風、左斬上、逆胴、逆袈裟、刺突。加えて一辺として放たれる言わば面上の攻撃たる極細の刃。振るわれるごとに、わたしの正義を象徴するかのように光り輝きだすわたしの刀。
 対するは一撃必殺の赤い嵐。奇しくも今のわたしも赤だが、チョアンのそれは欲や快楽……宗教などでは禁止されるようなモノが混じった混沌とした赤。その暴力は圧倒的。チョアンと撃ち合うだけで周囲に衝撃が爆散したものだが、今はわたしのコスチュームがあらゆる衝撃を吸収し、わたしの力としてくれている。
 わたしとチョアンの戦いは打って変わって静かなモノになったが、そのレベルは格段に上がった。
「さいっ――こう――アル――」
 チョアンが放った拳を刀の腹で受け流す。その隙をついてもう一つの拳が迫るが、刀をその場で回転させ、二発目に対応。
 二つの拳をかわされたと分かると、チョアンはそのまま体勢を一気に崩し、鋭い右の蹴りでわたしの首を狙う。わたしは大きくのけ反ることでそれを回避。勢いそのままにバク転に入り、空中で回転しながら刀で斬り上げる。
 残った左脚で後ろにさがるかと思いきや、空中で回転するわたし以上の速度で、斬り上げられた刀に触れぬ距離を保ちつつ、わたしの上を飛び越すチョアン。
 二人の着地はほぼ同時。ただわたしはチョアンに背を向けている。その隙を逃すチョアンではなく、着地した時に舞いあがった小石を長槍へと変化させてわたしを突く。
 コスチュームの防御力と受け流しの動きでもってその槍をかわしながらチョアンの方へ方向転換。同時に刀を振る。なんの未練もなく槍を捨てたチョアンは片腕で刀をガード。すかさず放たれる左脚のひざ蹴り。そして奥にはそのひざ蹴りが防がれた時のための拳。
 さきほどのように刀を回転させて対応するには時間がない。故に、今わたしの刀を防いでいるチョアンの片腕に思いっきり力を込めてさらに斬り込む。
 片足をあげている状態で横から押されたため、ひざ蹴りは空を切り、バランスを崩して倒れこむ。だがそれしきで地面に両手をつくようなら苦労はしない。空気を拳で叩き、チョアンの《常識》によって爆散した空気は倒れ込むチョアンをその爆風で支え、立て直させた。
「くっ、はぁん!」
 さらに、その爆風の勢いで加速された左拳を放つ。
 どんな状況でも攻める事に繋げる……恐ろしい戦闘技術だ。
 だが――!

 《武者戦隊 サムライジャー》、第三十六話。サムライレッドが光速の剣術でのちに味方になるサムライブラックと決闘をした話。サムライレッドは光り輝くサムライブレードを手に、サムライブラックを倒した技――
 今のわたしはまさにあの時のサムライレッド。彼らの技もまた、わたしの身体に染みついている技に他ならない。頭に、身体に、何度もまねをしたから叩きこまれている。
 あれができないわけがない!

「一閃! 赤龍断!」

 真っ赤な一閃がわたしとチョアンの間に走った。
「!!」
 とろんとした表情を一瞬驚愕に変え、チョアンが出した拳をひっこめて後退した。そしてゆっくりと自分の左腕を見た。すると、全てが上書きされていると言っていた赤い布……左手首についていたそれがはらりと地面に落ちた。
 なるほど。別にわたしはあれを斬ろうとしたわけじゃないが……わたしがさっき考えた勝つ方法……チョアンの《常識》を斬るということ。わたしが赤龍断を放ったことでその考えが現実になったのか。
 チョアンの命を奪わずに倒す方法……両手両足についていた赤い布を全て斬ればいいのか。
 たぶん、あの布はすぐにもう一つ作れるようなものじゃないんだろう。あれだけの《常識》を上書きしたのだから。
 あれを全部斬ればチョアンがわたしの攻撃で命を落とすことはなくなる。そうなれば遠慮することなく、気絶する程度の一撃を放つことができる。
 わたしはチョアンを見た。自分の最終兵器とも言えるモノが斬られたのだからかなりのショックのはずなのだが……いや……予想通りだが……
「あぁあぁぁん! もぅう! いいアル!」
 余計にとろんとなった。
「まさか……まさかワタシの《常識》が破れるだなんて、びっくりアル。ワタシがさっき言ったことを覆したアルネ? ワタシの欲望をあなたの信念が上回ることはない……あの言葉をうそにしたアルネ!」
 赤い布がとれた場所を艶めかしく舌で舐める。
「あぁ……ワタシは今すぐにでもあなたに斬られて死ぬべきアルカ? 最高の感覚で死ねるアルカ? いや、だめアル! ワタシの想像をことごとく上回るあなたアル……まだ隠していることがあるアルネ? まだ見せていない技があるに違いないアル! それを……それを見てから……それから……それからアル!」
 チョアンが視界から消えた。来るかと身構えたが変化があったのはチョアンが立っていた場所の近くにあった建物だった。それは粉々になりながら空高くに舞いあがった。同様の現象がわたしとチョアンが戦っていた場所の周囲の建物全てに起きた。砕かれ、粉々になった建物が見えなくなるくらいの高度に飛んで行く。
「……?」
 一瞬の静寂の後……何かが……高速でとんでくる音がした。戦闘機とかが飛ぶとするような……かん高い音。音のする方を探して上を見る。
「な、なんだあれは……」
 わたしの真上……わたしの上の空が黒いのだ。
「鎧鉄心んんんっ!」
 遥か上空からチョアンの叫びが聞こえた。よく見ると黒い部分の真ん中がぽっかりとあいていて、そこにチョアンがいた。パラシュートも何もなしに落下してくる。
「これが! ワタシの! 全てアル!」
 「全て」という言葉にわたしはハッとする。黒い部分をよく見ると……大量の物が空を埋め尽くしていることがわかった。その物とは……武器だ。
 古今東西、対人、対騎馬、対戦車、対城、対空、対海……歴史上に存在したありとあらゆる武器が降って来る。
 しかも、槍なら槍の、刀なら刀の、その武器の威力がもっとも発揮される向き、角度、速度で降って来る。
 ……どうしてあんな上空のモノがこんなにはっきり見えるのかわからないが、とにかくそうなっていた。
 銃弾、砲弾、ミサイルや爆弾まで……とにかく全て。対象を倒すために生み出された物が全て降って来る。
 さっき空に飛ばした瓦礫を、石ころを槍に変えた要領で全て武器に変化させたのか。
「……あれが落ちてきたらわたしはもちろん、周りが……」
 わたしは刀を構える。ああいった物をどうすればいいか。全ては彼らに教わっている。
 青葉との戦いで使った……あの技を!
 そう思った瞬間、わたしのコスチュームはサムライレッドからサムライブルーになった。

「瞬雷絶刀! 蒼斬!」

 叫び終わるとわたしは、遥か上空にいた。チョアンの後ろ、数メートル上に。
「……な……」
 チョアンがそう呟くと同時に、空を覆っていた全ての武器が真っ二つに切断された。
「彼らは、周囲を巻き込むような攻撃は必ず防ぎ、みんなを守る。」
 刀を鞘におさめる。それに応えるかのように、真っ二つになった全ての武器が元の瓦礫に戻り、地面に落下していった。
 わたしとチョアンも同様に落下し、着地した。落下の衝撃を難なく吸収したわたしのコスチュームはサムライレッドのそれに戻る。

「……あぁ……」

 少し離れた所に着地したチョアンが何か呟いた。
「やばいアル……楽しすぎて……気持ちが良すぎて……壊れてしまい……そうアル!」
 周囲に破壊をばらまきながら爆速で迫るチョアン。高速の右の蹴りが放たれる。
 タイミングを合わせて抜刀。すれ違いざま、チョアンの右脚の赤い布を斬る。
「――んん!」
 わたしの背後にまわったチョアンは空気を爆散させて蹴りの着地状態から宙に飛びあがり、空中で一回転して左のかかと落とし。それを回避しながらも攻撃、白い三日月を宙に描きながら、左脚の赤い布を斬る。
「――あぁああっ!」
 かかと落としで左脚を地面にめりこませたが、そこからしなやかな動きで脚を抜き、わたしの真横に瞬間移動とも呼べる速さで移動。
「――くああっ!」
 まっすぐに放たれる右拳。わたしはすり足を使い、青葉の最後の突きを避けた時のように拳の横に移動。
 右腕の赤い布を……斬った。
 拳を放った勢いで数歩進み、立ち止まるチョアン。拳をよけたことでチョアンの真後ろにつけたわたし。

「「はああああああっ!」」

 振り向きながら繰り出される鋭い蹴り。
 さっきまでの威力も圧力もない。
 だけどこの一撃がもっとも危険だと感じた。
 蹴りの軌道を読み、かわし、刀を振る。
 確かな手ごたえ。
 一拍置いて、チョアンの赤いチャイナドレスの肩から横腹にかけて赤いラインが走り、鮮血が噴き出た。
「あ……」
 チョアンが膝をつく。わたしは刀を振って血を飛ばす。
「……なん……て……勿体無い……こと……アルカ……」
 刀をおさめると同時に、チョアンは倒れた。
「……終わったか……」
 そう呟いた瞬間、頭の横が切れた。チョアンの蹴りを避けきれていなかったようだ。
 刀が急激に重たくなった。あまりの重さに手から落とす。
 サムライレッドのコスチュームがバラリと崩れ、元の《金属》の形になって散る。
 両脚から一気に力が抜け、わたしもその場で倒れた。
「――しん!」
 誰かの声がしたような気がするけど……
 だめだ……身体に力が入らない。


「鉄心! 鉄心!」
「クロアちゃん、あんまりゆすっちゃダメなのだよ。」
 俺私拙者僕は鎧ちゃんを膝枕するクロアちゃんの横で、鎧ちゃんに治癒の魔法をかけるのだよ。

 ……すごい戦いだったのだよ。クロアちゃんが閉じ込められた瓦礫から遠目で見てたけど、とんでもない戦いだったのだよ。
 鎧ちゃんもチョアンもデタラメな程に《常識》を上書きしたのだよ。システムの仕組み上、確かになんのゴッドヘルパーであっても全員が神様に等しい力を手に入れる可能性を持っているのだよ。でも、それは容易じゃないのだよ。生まれてから今までに経験した数々の《常識》がその可能性を限りなくゼロにするのだよ。
 なのに二人とも、その限りなくゼロである可能性を掴み取っていたのだよ。
 ただ……鎧ちゃんがチョアンを上回ったことは……当然と言えば当然だったのだよ。
 この前戦ったリッド・アーク。彼は自分の頭を一度リセットすることでゴッドヘルパーの可能性を掴んだのだよ。だけどその時の彼はまさに暴走状態。決められた一つの目的に向かって一直線だったのだよ。
 そしてチョアン。彼女は自分の欲望を爆発させて可能性を掴んだのだよ。だけど彼女は狂ったように戦っていたのだよ。
 両者とも、人間が人間である所以……本能を抑える理性がそっくり欠けていたのだよ。ただの暴走なのだよ。
 それに対して鎧ちゃんは自分の信念で可能性を掴んだのだよ。悪く言えば、正義に対する狂信。だけどそこには理性があるのだよ。だから途中で「このままでは勝てない」と気付き、あのかっこいいコスチュームをまとうことができたのだよ。
 天界では「昔こんなすごい奴がいたんだよ」と語り継がれるゴッドヘルパーがいるのだよ。それは第三段階に到達した者であったり、あり得ない程に《常識》を捻じ曲げた物であったりと理由は様々なのだよ。
 確実に、この鎧鉄心という《金属》のゴッドヘルパーは名を刻んだのだよ。天界の歴史に。

「アザゼル! 治療は終わりましたの!」
「うん。応急措置はしたのだよ。でも完治は難しいのだよ。」
「どうして!」
「青葉との戦いの時みたいに大けがをしているわけじゃないけど……今回の方がダメージは深刻なのだよ。」
「え……だって、すり傷とかだけじゃない……何がそんなに……」
「身体の中がひどいのだよ。あのチョアンの攻撃を受け止めた時に起こる衝撃は刀から腕、胸や腹、そして脚……全身にまんべんなくダメージを与えていたのだよ。それに、チョアンについていくために結構無理をしているのだよ。俺私拙者僕は治癒系の専門家じゃないのだよ……だから難しいのだよ、ここまでのダメージは。」
「それじゃあ鉄心は……」
「応急措置はしたから命がどうってことはないのだよ。でも、この戦いにおいては……ここでお休みなのだよ。」
 俺私拙者僕はそう言うとクロアちゃんは大きく息を吸って言ったのだよ。
「なら、このアタシが鉄心の分も戦いますわ。あんな中国人に足止めされてしまって……このアタシがもっと冷静であったならあんな屈辱は……ともかく、鉄心が中国人を倒したことでこのアタシも復活ですわ! 名誉挽回ですわ!」
 鎧ちゃんをその辺に転がってたお洋服(たぶんどっかのお店から飛んできたのだよ)で作ったお布団的な感じの物に寝かせてバリアーを張ったのだよ。
「さぁ! まずは状況を確認ですわ! アザゼル!」
 クロアちゃんがやる気なのだよ。
「うん……まず、この交差点から結構離れてるけど、あっちの方で翼ちゃんと速水くんがヘイヴィアって言う《質量》のゴッドヘルパーと戦っているのだよ。サマエルの隠し子……じゃなくて切り札? みたいな奴だから結構強いと思うのだよ。」
「《質量》……日本のオスモウサンみたいな奴かしら。」
「そんで、こっち方ではメリーのチームと《回転》、ディグが戦っているのだよ。メリーのチームはたぶんメリーからディグに対する対策を色々聞いてると思うのだよ。」
「ああ、あの神父様ね。あの人も変な立場ですわね。この前は味方みたいにいましたけど。」
「あと上の二つなのだよ。」
「上? あら、なんなのあの球体。太陽みたいなのと……水色の。」
「太陽みたいなのは……うん、俺私拙者僕もちょっとよくわからないのだよ。昔の知り合いの魔力を感じるけどこの場にいるわけないのだよ。たぶん中ではルーマニアくんとサマエルくんが戦っているのだよ。」
「天使の戦いですわね……あら? 悪魔だったかしら。」
「あっちの水色は……微妙に透けて見えるけど、雨上ちゃんと鴉間が戦っているのだよ。」
「鉄心の親友でしたわね。あの眠そうな。」
「そして……学校の方で力石くんとルネットが戦っているのだよ。そろそろ決着がついてるかもなのだよ。」
「? 連絡は?」
「無いのだよ。こっちから連絡して戦闘中だったら変な隙を作るきっかけになっちゃうから連絡はしてないのだよ。向こうからしてくるのを待つのだよ。」
「……あまっている敵はいないのかしら?」
「三人……いるのだよ。」
 俺私拙者僕は水色の球体の下を指差すのだよ。
「あそこにいる子供……鴉間が連れてきたから間違いなく敵なのだよ。」
「あんな小さな子供が敵……いやですわね。」
「子供に見えているだけな気もするのだよ……あとの二人は《物語》と《反復》なのだよ。」
「このアタシに断りも無く攻撃してきたという二人ね。」
「実際に起きた事を記憶しているのは雨上ちゃんだけなのだよ。その二人は姿を見せていないのだよ。」
「妙ね。けれど、例え何かの罠のために隠れていたとしても、あの子供は確実に相手にするのだから、目先の相手はあの子供ですわね。」
「……クロアちゃん、相手の力を見極める程度の気持ちで戦って欲しいのだよ。」
「はぁ? なぜ?」
「たぶん、クロアちゃんじゃああの子供には勝てないのだよ。みんながそれぞれの戦いを終わらせて集まった時、みんなで挑むべき相手なのだよ。だからクロアちゃんはあの子供の力を――」
「なぜ! このアタシがそんなお試しみたいなことを! あんな子供相手に!」
「チョアンみたいな戦い大好きっ子ではないと思うのだよ。だけど……なんていうか、嫌な感じなのだよ。今のクロアちゃんは一切のダメージを負わない身なのだよ。それを生かしてあの子供に出来る事を調べて、あとでやってくるみんなに伝えるのだよ。」
「……本気で戦ってはいけないの?」
「もしも本気で倒そうと攻撃したら……あっちも相応の反撃をすると思うのだよ。あの子供はちょっと得体が知れないのだよ。様子を窺って欲しいのだよ。ぼちぼちの気持ちでやればあっちもぼちぼちの反撃ですませてくれると思うのだよ。」
「あんな子供……どうしてそこまで……」
「うーん……あの激動の時代を戦い抜いて、こうして生きている――」
「?」
「――俺の勘だな。」


 あたしと速水は相も変わらず逃げ回る。要塞と化したヘイヴィアから発射される銃弾、砲弾に剣に槍。まったく、槍を降らすなんて晴香にもできないわよ?
「速水! なんとかなんないの!」
「無茶言わないで欲しいっすね……」
 あたしと速水はなるべくジャンプしながら逃げる。ヘイヴィアは地面に触れているモノの《質量》を感じ取ってその位置を特定できるから。
「あの砲弾とかを遅くできないの!?」
「あー……あれは遅くすると運動が飛んでくるっていうことから落下に変わっちゃうので……」
「んもー! めんどくさい《常識》ね!」
 鎧を着てた時のヘイヴィアは何とか攻撃できたし、一度は倒せた。だけどあれは無理よねぇ。確か《フェルブランド》とか言ってたわね。鎧以上の硬度で身体を完全に覆ってる。カメみたいだけど完全防御。あたしや速水には晴香や鎧みたいな……なんて言うの? すっごい攻撃力っていうのが無いのよね。速水の衝撃波はそれそのものというよりは、相手をふっとばして壁とかにぶつけてダメージを与える感じなのよね。だからあんな重い奴はふっとばせない。まぁ、助走距離があれば大丈夫らしいけど……こんなごちゃごちゃした街中に走りやすい真っすぐな場所はないわ。道路は瓦礫だらけだし。
「万事休すじゃないの……」
 リッド・アークが機械って知った時くらいの絶望だわ……
「……花飾さん、オレにちょっと考えがあるんすけど。」
「あによ。」
「オレは……なんというか、感覚的に無理だと思うから《速さ》を遅くすることは極限られた物にしかできない。それがオレの《常識》。」
 砲弾があたしたちが一瞬前にいた場所を破壊する。それでも速水は落ち着いて、真地面な表情であたしを見る。
「さっき、花飾さんは《変》をこう言いましたよね。その人間にとって思いも寄らないことや、思ってもその人間の《常識》がそれを否定するモノだって。」
「それが……?」
「その考えも……花飾さんの《常識》っすよね。」
「……?」
「だから、それをクリアできれば『ヘイヴィアに勝たないと変』みたいなことができるようになるんすよね。」
「……この戦いの最中にあたしの《常識》を変えろって言うの? 無理よ、そんなの。あんただって自分の《常識》を否定することの難しさは知ってるでしょ?」
 リッド・アークみたいに頭をリセットでもしなけりゃ無理なのよ。
「一時的にでいいんですよ。花飾さん、《変》の力で自分の《常識》を否定できませんか?」
 《変》の力であたしを……? 自分で自分に《変》を使えってこと?
「オレ、リッド・アークとの戦いの後にふと思ったんですけどっとと!」
 飛来したバカでかい槍を衝撃波で逸らして避ける速水。
「感情系の《常識》を操るゴッドヘルパーって……自分を強くできないのかなって。」
「自分を?」
「だってそうじゃないすか。例えば……そう、鎧さんは《金属》の力で……なんていうか、すごい戦闘力を持ちました。力石さんも、《エネルギー》の力で瞬間移動できたりします。敵の鴉間も《空間》の力でそれができます。あのヘイヴィアは自分の身体を大きくできます。」
「なにが言いたいのよ……」
「色んなゴッドヘルパーがいますけど、大抵、自分にその力を使うことで強くなってるんすよ。オレだって《速さ》のおかげでこんなに速く走れます。もしくは、自分の武器とか、まわりの空気だとかに力を使ってすごいことをします。感情系だけなんすよ、力を使う対象が完全に他人なのは。」
 ……つまり、あたしら感情系は力をアップさせたりだとか、出来る事を増やしたりして自分自身の能力の向上を行っていないってことかしら。んまぁ、言われてみればそうだけど……
「でも、それはしょうがないじゃない。そういうモンなんだから、感情は。」
「そうなんす。感情は人じゃないと持たないから、使う対象は人以外ない。でも自分の感情を操るってことは意味わかりません。感情を抑えたりなんてことは誰でもできることです。だから自分には使わないんすけど……そこが落とし穴だと思うんす。」
「はぁ?」
「だって……オレたちゴッドヘルパーにとって一番厄介な『自分の《常識》』を何とかできる唯一の力だと思いません?」
 ……確かに……あたしは《山》のゴッドヘルパーの《常識》を否定したことで都会のど真ん中に火山を生みだした。あれこそが……ゴッドヘルパーの可能性……よね。
 それを自分自身にかける。感情に対する《常識》を感情を操ることで否定する……? それこそ意味わかんないわ。
 けれどもし、さっきあたしが言った《変》ってことの定義を否定出来たら……速水を強くして……いえ、むしろ自分自身を強くしちゃってヘイヴィアに勝てる……
「……でもあたし、《変》を使うには相手の眼を見るのよ? どーすんのよ。」
「……鏡とか……?」
 そこまでは考えて無かったみたいね……
 けど、このままじゃ勝てない。何かをしなきゃいけないのは確かなのよね。
 ……このヘイヴィアの攻撃もちょっと引っかかるのよね。あたしたちがどこにいるか把握できて、そこまで届く武器を持ってる。サマエルが切り札みたいに連れてきたし、この戦いではっきりわかったことだけど、ヘイヴィアはかなりの……使い手。
 そんなすご腕が、あたしたちへの攻撃を外すかしら?
 いくらあたしたちが速く動いてるって言っても……ヘイヴィア程の使い手なら当てられるんじゃないの? と思ってしまうのよ。
 単に弱いあたしたちをなぶって楽しんでいるのか。何か作戦があってこうしているのか。それとも本当に……あたしたちが速いんで当てられないのか。
 とにかく、ヘイヴィアにはまだ何かありそうなのよね。とっとと反撃に出ないと次に何が来るのやらって感じ。
「……はぁ。わかった、やってみるわよ。自分に《変》をかけるってこと。でも、それには集中が必要よ。こんな逃げながらじゃ……」
「オレが時間を稼ぎます。これを。」
 そう言って速水はポケットから……んまぁ、たぶん晴香や鎧は持ってないだろうけど、女子の必需品、手鏡を取り出した。パカッと開くコンパクトでおしゃれなやつを。
「……なんでこんなもん持ってんのよ、男子。」
「え……今は男子も持ちますよ、これくらい。」
「そうなの?」
「スカートの中を覗くために。」
「あんただけよ!」
 ……とりあえずあたしはその鏡を受け取った。なんか嫌。
「それじゃ……ちょっとかっこよく行きますか。」
 そう言って速水はさっきから逃げ回っている路地から抜け、ヘイヴィアが視認できる大通りに出た。
「んんっふっふ。どうしたのかしら? そんなに堂々と。」
 ヘイヴィアからは結構離れたはずなのに……まるで地面そのものが震えて伝えているみたいに、ヘイヴィアの声がはっきり聞こえる。
「あらあらぁ? 《変》は路地に隠れたまま? 《速さ》が飛びだしたのは何かの時間稼ぎってところかしら。」
「お見通しすか……」
 速水は道路の真ん中で衝撃波を出す構えになる。
「言っておくけど、私はこの状況を面白いとか思って《変》が何かをするまであんたに攻撃を集中させたりしないわよ?」
「それは残念すけど……何がなんでも時間を稼ぎます!」
「んんっふっふ。勇ましいことを何か言っているのかもしれないけれど、残念ね。あんたの声は私には聞こえないのよ。私の声が届くだけの一方通行――よっ!」
 ゴゴォンッ!
 鈍い音が響いた。次に聞こえたのは何かが飛んでくる音。
「はぁっ!」
 速水が文字通り、目にも止まらない速さで拳を前につきだす。衝撃波が発生して飛んできた物……砲弾が速水の手間五メートルくらいの所で停止して地面に落下した。
「……はね返すつもりだったんすけどね……」
「んんっふっふ。もっといくわよ?」
 連続で響く鈍い轟音。
「つあああああああああああっ!」
 速水の両腕が見えなくなった。たぶん、両方の腕でボクシングでいうとこのジャブをしまくってんだわ。一瞬しか出ない衝撃波も連続で出せば壁……飛んできた砲弾はことごとく止まる。
「んんっふっふ! いつまでもつのかしら!」
「だああありゃあああああっ!」
 ……っと、こうしちゃいらんないわ。あたしはあたしのやるべきことをするのよ。
「この鏡で――」
「つばさ!」
 あたしが鏡に映った自分を見た瞬間、横から声がした。
「……カキクケコ……」
 そういえばあたしの担当天使はこいつで、そういえばこの戦場にもいたわね。晴香が来たあたりから見てなかったわ……
「あんた今までどこにいたのよ。」
「ここにいた!」
「はぁ?」
「だから、ここにいたんだってば! いや、やっと話せた。最初はつばさが俺のことを無視してるだけかと思ってたんだけどさ。」
「何言ってるわけ?」
「やっぱり……見えてなかったのか。ずっとつばさの傍にいたんだよ! ヘイヴィアとの戦闘中もずっと! ヘイヴィアの鎧だとか《質量》を使った技とかも全部言えるぞ! 信じてくれ、ずっとここにいたんだ!」
 ……てことはなに? こいつはいつの間にかいなくなってたんじゃなくて、いつの間にか見えなくなってたってこと? なんで? どーして?
「なんかわからねーけど……感覚的には《物語》で天界に強制送還されて一切連絡とれなくなった時に似てんだが。」
「え……ここが《物語》の中って言うの? それはないわよ。あたしは……きちんとあたしだし。仮に今のあたしが誰かを演じてるあたしだったとしても、晴香には効かないんでしょ? しかも晴香からしたら二度目……なんの対応もしないで鴉間と戦うわけないわ。」
「いや、俺もここが《物語》の中とは思ってねぇよ。なんせ俺がこうしてここにいるんだからな。だけどなんか……急に『いないことにされた』感じだったんだよ。無視とかシカトとかそーゆーレベルじゃなくて……」
 ……どういうこと? カキクケコが突然いないことにされた? 誰に? 何のために?
 結構重要な何かに片足をつっこんだ感じがした。だけど、あたしの思考はカキクケコの次のセリフで止まった。
「それよりつばさ、それ、やめろ。」
 カキクケコが指差したのは速水の鏡。
「……ずっといたならあたしが何をしようとしてるかはわかってんのよね……」
「ああ。俺はそれを止めさせるためにさっきまでより必死に呼びかけたんだ。だから話せたのかもな。」
「……なんか問題あんの? これであたしの《常識》を上書きして、速水を強くできるようになんのよ。」
「やめろ。頼むからそれはやるな。」
 カキクケコがいつも以上に……てか、こんな顔見た事ないわってくらいにマジな顔であたしを見てる。というか睨んでる?
「説明しなさいよ。」
「今つばさがしようとしてることは……感情系のゴッドヘルパーにしかできないけど、絶対にやっちゃいけないタブーだ。それをやったらつばさが死ぬ。」
「死ぬ? たかだが……あたしの上書きの邪魔をしちゃうあたしの《常識》、言わば記憶を上書きするだけよ? そう思ってたことを忘れるだけじゃない。」
「《常識》と記憶を一緒にするな、つばさ。確かに、その人間の《常識》っていうのは過去の経験や知識から自然と身につくことだから記憶と言い変えてしまいそうになる。だけど全然違う。」
「意味わかんないわよ。」
「記憶はただの過去だから、別に上書きされてもいいさ。実際、人間は昔のことほど、美化して記憶する傾向があるからな。自然とやってることだ。だけど《常識》は絶対に変わらないし変えちゃいけないんだ。その者にとっての当たり前、ルール、常識……そういったものはその者をその者たらしめる部品だ。言いかえれば『らしさ』だ。数十年ぶりに再会した友人を『相変わらずだね』と感じるその部分だ。」
「……」
「もし、つばさが今『できない』と感じていることを『できる』と思えるように《常識》を上書きしてしまったら、その時に生まれるのはまったく違うつばさだ。今、俺の目の前にいるつばさと瓜二つだけど中身がまったく異なる人物になる! その変化の度合いはちょっとかもしれないし劇的かもしれない。けど確実に今のつばさは消える!」
「あによ。今までだって他の奴にこういう上書きはやってきたじゃない。そいつらも昔のそいつとは別人になってんの?」
「自分自身に行うことが危険なんだ。つばさは誰かに《変》を使う時、無意識に『あとで元に戻る』と思ってる。だから戻るんだ。だけど自分にやっちまうと元に戻してくれる存在がいなくなる!」
「……まじなのね……」
「……実際、前のつばさと後のつばさ……俺では気付けない変化かもしれない。だけど……恐らく、つばさの親友である雨上晴香あたりが感じると思うぞ。その違和感に。だからやめろ。」
 ……一度上書きしちゃったら、あたしは元の『できない』ことを『できない』と感じるあたしには戻れない。要するに、《時間》を止められる奴が自分の《時間》を止めたら誰がそいつを動かすのかって話。《変》はあたしだからあたしにしか上書き、修正はできない。今は……上書きしたあとに戻せばいいかなと思ってても、上書きした後のあたしが戻さなきゃと思うかどうかという話。まったく別人になってしまうのなら、そーゆーことが起こり得る。
「それじゃどーしろってゆ――」
 あたしがカキクケコにぶつけようとした言葉はカキクケコの胸の辺りから出現した物によって遮られた。
 それは針だった。裁縫用のサイズじゃなくて……身体を刺し貫ける程の大きさ。
「カキクケコ……?」
 カキクケコの胸から針が引っ込む。同時に赤い液体が吹き出した。
「ぐぁ……俺としたことが……」
「カキクケコ!」
 地面に前のめりに倒れ込むカキクケコ。広がる赤い……血。
「な……なにが……起こったのよ……」
「んんっふっふっふ。どうやら命中したみたいねぇ。」
 地面が振動して、ヘイヴィアの声が聞こえる。まさか砲弾が……? いえ、それは速水が止めてるわ。それじゃ今のは……
 あたしは慌ててカキクケコが立っていた位置を見る。そこにはちょうど、縮んでいく鋭い針をはやした石ころがあった。真っ赤に染まった石が。
「んんっふっふっふ。いきなり登場したから驚いたわ。《変》の傍に突然人間らしき《質量》……でもすぐに思い当ったわ。あんたらのお仲間、天使だって。」
「だ、大丈夫だ。この程度じゃ死なない……」
 カキクケコが自分に魔法をかけだした。だけどすぐに治るような傷には見えない……
「んんっふっふっふ。このくらいで充分かもね。」
 ヘイヴィアのその言葉と同時に、さっきから響いていた轟音が止んだ。
「っつ……花飾さん……?」
 両腕をダランとさせて速水があたしを見た。
「なんかしたんすか……?」
「まだ何も……してないわよ。」
「?……それじゃどうして攻撃が……って、カキクケコさんじゃないすか!」
 速水はほぼ瞬間移動って呼べるくらいの速さでカキクケコの横に移動した。
「何があったんすか!」
「そこの……石ころが変形して――」
 ……あれ……?
「んんっふっふっふ! 気づいてなかったのかしら? それとも気づいてても何もできなかったのかしら?」
 地面から響くヘイヴィアの声。ヘイヴィア自体はあたしたちがいる所からかなり離れてる。
「いくらすばしっこいっていってもねぇ……私が砲撃を外すわけがないわ。理解している? わざと外していたってこと。」
「! そんな……!」
 速水が驚きの表情を見せる。
「私はねぇ、見ただけで、感じただけでその物体の《質量》を操れるのよ。んんっふっふっふ、感じるっていうのはアレじゃないわよ? あんたらの居場所を突き止めている私の力のこと。地面に乗っかってる物ならなんであれ、私は感じ取ることができて、操れる。生き物以外だけど。実は私は――」
「速水。」
「なんすか?」
 地面からヘイヴィアの声はまだするけど、ヘイヴィアが言おうとしていることはわかった。
 地面に乗ってる物を感じ取る……一種のレーダーみたいなもんね。それに捉えられた物は《質量》のコントロールが可能。ここら辺のビル、全てを操れるんでしょうね。
 でもそれは意味が無い。元々の《質量》が何十トンもある物を数キロ重くしたとこで目立つ変形もできない。ヘイヴィアの力の利点は小さい物を瞬時に大きくできることなんだから。
 だから……わざと外して周りの建物を瓦礫っていう小さい物に変えていった。気付けばあたし達はヘイヴィアの武器に囲まれているってこと。
 ヘイヴィアの合図一つで周りの瓦礫すべてがあたしたちを貫く武器になる。もしやられたら絶対絶命。
 だけどそれは――
「ヘイヴィアは油断しているわ。」
「えっと……今、そのヘイヴィアが何かしゃべってるんすけど……」
「聞かなくていいわ。というか、これこそが勝機なのよ。」
「どういう……」
「あいつは自分のあの状態に絶対の自信を持ってる。当てられる砲弾を外したりしてわざわざ面倒な攻撃方法をやろうとしてるのは、あいつがあたしたちを格下だと思ってるから。」
「実際そうっすよ。オレの衝撃波はあんなのには効かないですし、花飾さんだってあんなのに閉じこもられたら《変》も使えない……」
「絶対の防御と相手の場所がわかる力。たぶん……いえ、はっきりと言えるわ。ヘイヴィアは外が見えていないわ。……見る必要がないと言うべきかもだけど。最低限、呼吸できる程度の穴だけ開けてあとは完全密閉よ。」
「《質量》の力でこっちの場所はわかりますもんね。でも、それが……?」
「そんなヘイヴィアも、焦ることがあるのよ。それがこれ。」
 あたしは血を流してるカキクケコを指差す。
「これって……つばさ、ひどいぜ……もっと優しくしてくれないのか? 俺はケガ人な――」
「なんでヘイヴィアはカキクケコを攻撃したのか。」
「そりゃあ……敵ですから。」
「あたしたちはこんなにじっくり時間かけて料理してるのに? カキクケコだけは登場と同時に攻撃されたのよ。」
「……カキクケコさんが……魔法を使うから!」
「そう……ヘイヴィアに直接攻撃をすることは無いにしても、あたしたちのサポートはできる。例えば……宙に浮かすとかね。」
「そうか、それをやられると居場所がわからなくなる。」
「そして、あいつは《変》と《速さ》には飛ぶ力がないと思ってる。それを覆してあいつを慌てさせる。ヘイヴィアをあの要塞から引張り出すわよ。」
「でも……どうやって。カキクケコさんがあんな状態なのに。」
 魔法に詳しくなくたってわかる。今のカキクケコは自分のケガを治すのに手いっぱい。
 飛ぶための魔法をかけるのは……あたしだ。
「……ねぇ、速水。水の上を走る方法って知ってる?」
「突然なんすか?」
「片方の足が着水したら、その足が沈む前にもう一方の足を前に着水させるのよ。それを繰り返す。」
「いやいや。無理ですよ。物理的にそんなこ――」

「どうして? それって、《変》じゃない?」

 速水が目を見開いた。そしてあたしを困惑顔で見た。
「ねぇ、速水。同じ理屈でさ、空気の上も走れるんじゃない?」
「……やってみます……というか、出来ないわけがないじゃないですか!」
 速水の姿が消えた。その数十秒後。
「……え……?」
 地面から響くヘイヴィアの困惑の声。
「落ちてこない!? ジャンプしたんじゃないの!? 《速さ》の《質量》がどこにもない!? まさか天使への攻撃が浅かった……」
 あたしは全力疾走、ヘイヴィアに迫る。
「! これは《変》の方……こっちに突っ込んでくる……《速さ》は……? 《速さ》はどこにいるの!」
 ヘイヴィアの《フェルブランド》に動きが見えた。たぶん、どこかに穴を開けて外を見ようとしている。それはちょっと待ってもらうわ。
「ヘェェイヴィアアアアアアアアッ!!!」
 あたしはありったけの声でそう叫んだ。ヘイヴィアにその声は聞こえたらしく、一瞬(フェルブランド)の動きが止まる。びっくりしたのかなんなのか知らないけど、その一瞬の躊躇であたしはヘイヴィアの目の前まで移動することができた。
「外が気になるかしら? でも残念、あんたがどっかに覗き穴を作ろうもんなら一瞬でそこに移動してあんたに《変》をかける!」
「んんっふっふっふ! それは無理だと思うけれど、そんなことをしなくてもいいのよ。《速さ》が何かしてくるにしても、私の《フェルブランド》を砕く程の力を出すことはできない。このまま待ってればあんたらの企み損! そしてその前に!」
 あたしがいる場所に面した壁から剣が生えてきた。
「砲撃だから近くに行けばくらわないと思ったのかしら? 甘いわ!」
 だけど残念、その剣が振るわれるよりも速くあたしは移動した。
「……!?……《変》も消えた……!?」
 ヘイヴィアの慌てる声が少し聞こえた。んま、そうよね。あたしは今速水の肩にかつがれてる。その速水は……空中を走っているんだから。
「す、すごいっすよ花飾さん。道が……見えない道が無数にある感じです。縦横無尽に駆け回れるっすよ!」
「んじゃ、その道で出来る限り加速しなさい。助走距離が長いほど、あんたの衝撃波はすごくなるんでしょ。」
「こんなに道があるんじゃあ……どこまで加速できるか、オレ自身にもわかんないっす……」
 待つべきはタイミング。ヘイヴィアはとりあえず周囲の状況を目で見ようとする。
 でもあたしの場所もわからないのにむやみに覗き穴を作って見ようとはたぶんしない。
 やるなら、最初に見せた鎧で身を包んで、あたしの《変》への対策を充分してから周囲を見るはず。
 だからってあの《フェルブランド》の中で鎧を着ることはないわ。鎧を着た状態で覗き穴なんか覗けないもの。
 つまり、あいつは鎧の姿であの中から出てくる……!
「花飾さん。」
「あによ。」
「ちょっと……一回離しますね。」
「は? あたしは空中を走れないんだけど……」
「こうします。」
 その時、あたしはなんかものすごい……Gを感じた。きっとスペースシャトルの打ち上げってこんな感じなんだわ。
「きゃあああああああああああああっ!」
 あたしはものすごい速さで空高く放り投げられた。尋常じゃない速さと高さ。
あ、あたし死ぬわ。
「……!」
 幸か不幸か、あたしの叫び声に反応したらしく、ヘイヴィアが予想通り鎧の格好で《フェルブランド》から出てきた。身体の大きさも同様に二倍くらい。小さな箱から巨人が出てきた感じね……
「!? 《変》が空中に……?」
 あたしも予想外なこの光景。空高くから落ちてくるあたしがいる光景。もちろん、空中を走る速水は見えない。速すぎて。
「んんっふっふっふ。何をしたのかわからないけど……恰好の的ね。」
 ヘイヴィアが剣を投げる体勢に入った。速水のことは気にしていないのね。速水の衝撃波じゃその鎧は砕けないと思ってる。確かにそうだったけど……今は――
「壊れちゃうような一撃をあげるわ!」
「そこまでです。」
ヘイヴィアの投てきの動きが止まった。いつの間にか速水がヘイヴィアの頭の上にいた。片手をヘイヴィアの頭に当てて……逆立ちの状態。
「な……」
 速水は頭の上から移動、落下してくるあたしをキャッチして着地した。
 ――ィィィ――
「速水……あんたどんだけ加速したのよ……」
「……かなり。」
 ――ィィイイイ――
「んんっふっふっふ。一体何がそこまでなのかしら?」
 ヘイヴィアはズンッと一歩踏み出してあたしたちを見る。
「オレたちの勝ちってことっす。」
 ――キイイイイイイイイイイ――
「ヘイヴィア、あんたの敗因はあたしたちを格下に見た事よ。」
「何を……」
「あんな要塞モードにならずに鎧でガンガン攻めてればよかったのよ。砲弾を当てればよかったのよ。わざわざあたしたちの周りを武器で囲んで……絶望するあたしたちでも見たかったの? あんたはあたしたちよりも戦闘経験がある。もしもあたしたちがあんたと同等の経験を積んでいたなら、あんたは初めから本気で来たんでしょうね。」
――キイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイインッ!――
「…! この音!」
 ヘイヴィアが上を見上げた。それを合図にしたかのように、周囲の瓦礫が一斉に変形してヘイヴィアを覆う壁となった。
「無駄ですよ。速すぎて衝撃波が後から来るくらいなんすから。」
「普通はそうなのよ。」
 あたしと速水はその場からダッシュで離れる。次の瞬間――

 ズンッ!!

 空気をぶち抜きながら落下してきた衝撃波は組み上げられた壁をものともせず、超速という表現でも生ぬるい速度でヘイヴィアに直撃し、周囲の物体をチリに変え、その場に深さ十数メートルと思われるドでかいクレーターを作りだした。

「……だはぁー!」
 速水がその場で倒れた。両脚が痙攣してるのかなんなのか、ビクビクしてる。
「もう駄目です。しばらく歩けません。」
「……カキクケコは使いもんになんないし……他の天使に回復してもらいましょう。」
 あたしはクレーターの方を見る。中心には瓦礫に囲まれて大の字に倒れるヘイヴィア。気絶してるみたいね。
 ……なんか視界の隅っこに目を回すカキクケコが見えたけどまあいいわ。
「速水が動けないとなると……あたしも動けないわね。あたし一人じゃ何もできないし。とりあえず一度休憩かしらね。」
「そんな呑気なこと言ってて大丈夫なんすか?」
「大丈夫よ。晴香が言ってたでしょ? 奥の手があるから全力で戦えってね。」
「ああ、そういえばそうでしたね。なら安心です。」
 何でかわかんないけど、速水は晴香のことをかなり信頼してる。天文部時代に何があったのやら。
「……交差点からかなり離れちゃったけど、他のみんなはどうなってるのかしら。」


 先ほどからよく転びます。前に一歩踏み出そうと思ったら足が無かったりするので。
「ほっ。」
 ジュテェムが足元に散らばっている石ころを数個投げ上げました。それらは次の瞬間銃弾となって自分の方に落下してきました。自分は空気を《回転》させ、それらを横に吹き飛ばしました。ですが――
「! 熱いですね!」
 突然自分の周囲の《温度》が上がりました。
「かかったぜ! リバじい!」
「うむ!」
 リバースが《抵抗》を操作して空気の壁を作り出し、自分を熱い空気の中に閉じ込めました。
 恐らく、予めどこかの空気を熱くしておき、自分が空気を《回転》させるとちょうど自分の所にその熱い空気が来るようにしたのでしょう。自分に悟られずに熱い空気の中に入れるために。自分の行動の先を読んだ的確な攻撃ですね。
「サウナに入り過ぎて倒れる奴っているよな。脱水症状起こして気絶しろ、ディグ!」
「……随分昔に、これによく似た修行を行いましたので慣れていると言えば慣れているのですが。」
 自分はリバースが作りだした空気の壁を高速回転させました。
「……ぬっ!」
 物が《回転》するとそこには遠心力が働きます。空気の壁はその遠心力によって弾けました。
「なんという速度で回すのか……わしの力では抑えられんかった。」
「そりゃ、《回転》のプロだもんな。」
 リバース、ホットアイス、共にまだまだ余裕のある表情です。ジュテェムも周囲の菌を操ることに集中しているチェインを守りつつ、油断なく自分を睨みつけています。
 ……正直なところ、とてもピンチのような気がします。時間をかければかけるほどに自分の身体が食べられるスピードが早くなります。
 時計の針を回すイメージでもって時間を操ることはできますが……彼らのリーダーは《時間》のゴッドヘルパー、メリー。自分がある程度は時間を操れることは知っているはずでしょうし、その対策もばっちりと思われます。
 一度試してみる価値は……いえ、危険ですね。彼らからしたらこれ以上ないくらいに予想できる自分の行動です。そこに何かしらの策をぶつけられ、あの箱の中に閉じ込められる可能性は高いでしょう。
 となれば、自分が二千年使い続けた《回転》のみが勝機。
「……ふふふ。」
「んあ? なぁに笑ってんだ。」
「いえ、こんなに勝つためのあれこれ考えるということが新鮮でして。」
「……強すぎる故の発言じゃのう。」
「あまり戦いを長引かせてはいけませんね。力で押しますよ。」
 自分は自分の後ろにある建物を捉えました。
「……!」
 それをチェインへ飛ばしました。しかしそれはジュテェムの手前で方向を変え、空高くへ飛んで行ってしまいました。今頃は宇宙でしょうか。
「……なんだ……今の。」
 ホットアイスが驚愕しています。無理もありませんね。今までとは段違いの速さですから。
「あんなに大きな建物だというのに速すぎて見えんかったぞい。」
「ふふふ。今の速さがこの場で出せる最速なのですよ。」
「最速だぁ?」
「《回転》は軸、半径、角速度の三つから成立する現象です。それぞれをどのくらいのモノにするかは自分で決めることができますが……自分が考えて出せる最速よりも、実際にある速度を使って出す速度の方が速いのです。」
「イメージによる最速よりも速い速度だぁ? んな高速で《回転》してるモンがあるかよ。」
「あはは。確かに実感はないでしょうね。」
 自分は初めてあの《回転》を感じた時の興奮を思い出しながらホットアイスに問いかけます。
「ホットアイス、あなたはこの星……地球がどれほどの速度で《回転》しているかご存知ですか?」
「地球……?」
「地球の円周は約四万キロメートル。一回転するのに二十四時間。ホットアイス、あなたがそこで二十四時間立ち続けた場合、二十四時間かけて四万キロメートルを移動したことになるんですよ。その速度は単純計算、時速千六百キロです。秒速四百メートル……信じられない速度ですよね。」
「その速度で……《回転》させてるってのか。」
「軸は地球の中心、半径は地球の半径、角速度は地球の自転速度。これにより、目にも止まらぬ速さで物を飛ばせるわけです。勿論――」
 自分はチェインの真横に移動しました。
「!!」
「自分も。」
 自分は空気を《回転》させて圧縮し、それをチェインにぶつけようとしました。ですが――
「……手がありませんね……」
 ええ、いつの間にか手が食べられていました。
「チェイン!」
 ジュテェムの叫びと共に、自分は真後ろに強力な力で引っ張られました。そのまま近くのビルに叩きつけられ、骨や内臓がグシャグシャになりました。
「んだよあれ! もはや瞬間移動じゃねーか!」
「もっと性質が悪いぞい。姿を見せぬまま、わしらを全滅させることができるのじゃからな。」
「《速さ》の……速水くんでしたか。彼もあれくらいで移動できますが……彼の場合はきちんと走っていますので移動する前の動作などで次の動きを予測できます。ですがディグは自分を《回転》させています……予備動作がまったくありません。」
 自分は瓦礫の中で立ちあがります。
 さてどうしますか。鴉間との戦いで行った時間の巻き戻しはできないとして……隕石などを落とすにはさすがに自分自身、宇宙に出なければ捉えられませんし……
「むっ!」
「! どうしたリバじい。」
 自分が彼らの前に出ていくとリバースが厳しい表情になりました。さすが《抵抗》ですね。
「二人にはわからんじゃろうが……今、ディグの周囲の空気が乱れておる。何か薄い……そう、ガラスのような物がディグの周囲を高速回転しておる。」
「ええ。そこのお店のショウウィンドウを拝借しました。」
「……その状態で先ほどの高速移動を行うわけですか。」
「おいおい、ちょっと横を通過されるだけでおりゃたちは真っ二つか。」
「それで済めばいいがのう。バラバラかミンチじゃよ。」
「ふふ、行きますよ。」
 自分は数十センチ浮いた状態で移動を開始しました。そこらの石ころを浮かせて飛ばす要領で自分自身を飛ばす。それにより、手や足が食べられたとしても動けるのです。

 キュインッ!

 凄まじい速さで周囲の風景が後ろに飛んで行きます。しかし久しぶりにやったもので、少々方向を間違えました。リバース達の方向ではなく、彼らの後ろのビルに向かっています。
 自分は地球の自転速度でビルに突撃しました。ですが……自分が周囲で高速回転させているガラスが壁を切り刻んでいくので、結局自分はビルに綺麗な大穴をあけて通過しました。
「なぁにがバラバラかミンチだよ。あんなん受けたらミキサーに入れられた果物とかみてーに原形を完全に無くすぜ。」
「来たぞい!」
「グラビティ・シールド!」
 今度は間違いなく、リバースの方に突撃しました。視認できるような速度ではないのですが……空気に動きを感じることのできるリバースが自分の位置を捉えました。そしてリバースの指示した方向にジュテェムが重力の壁を作りました。それにぶつかると自分は進行方向と真逆に引っ張られます。ですが、自分の今の速度は《重力》の力で止められるモノではありません。
「ほいっ!」
 壁を突き破ろうというその瞬間、ホットアイスが自分のいた場所を爆破しました。重力と爆風の力で自分は押し戻されました。
 先ほどから感心してばかりですが……すばらしいコンビネーションですね。
 自分は速度を落とさず、彼らの周囲をグルグルと飛びながら機を伺います。
 ……いくつかの建物に大穴を開けながら。
「まずいのう。あの技は……」
「そうかぁ? 確かにやべーけどよ、あいつよりも速く動ける奴らとも戦ったことあんだろ? 音速の何倍もの奴とか、光速とか。リバじいがいるんだ。見えなくても関係ないぜ。」
「わかっとらんの。確かに今のディグの何倍も速い奴はいるが……それでも戦うとなったら最も厄介になるのはディグじゃ。」
「んあ?」
「ホっちゃん。わたくしもそう思いますよ。」
「ジュテェムもか?」
「ええ。速く動くということは、それだけ機動性を失うということです。曲がろうと思った時と実際に曲がり終えた時の差は速度に比例します。しかしディグの場合、あれほどの速度だというのにその差はほぼゼロなのです。」
 ジュテェムが自分への警戒は怠らずにホットアイスに説明しています。自分のこの移動方法の最大の利点を。
「高速移動を行うゴッドヘルパーの大半は……それを『直線運動』として行います。しかしディグの場合は《回転》故に『曲線運動』です。最初から曲がっている移動……方向転換に関して言えばディグに右に出る者はいないでしょう。」
「曲線て……あいつは真っすぐに飛んでんじゃんか。」
「そう見えるだけ……なんですよ。わたくし達が立っているこの地面は地球の上にあるんですよ? 曲線のはずじゃないですか。けれどわたくし達にはこれが『曲がっている』なんて思えない。スケールが大きすぎるんですよ。」
 よくわかっていますね。しかしわかっていてもどうしようもないことというのはあります。
「! 来るぞい!」
 自分はリバース達の周りをグルグル回ります。
「うおっ! 地面が削られてくぜ。かなり低く飛んでやがる。」
「しかも……わたくし達を囲む様に移動していますよ。ディグという竜巻の中心にいる感じですね。」
「……加えて……まずいの。」
 自分はリバース達の周りを回りつつ、その円の半径を縮めていきます。
「おいおい! おりゃ達の方にドンドン迫ってくんぞ!」
「輪っかの中に閉じ込められ、その輪っかがドンドン小さくなっていく……じわじわと絞め殺すようですね。」
「ジュテェム、なんとかなるかの?」
「やって……みます!」
 ジュテェムが両の腕を大きく開きました。瞬間、自分に横方向の力がかかります。リバース達を中心に周囲三百六十度全方向へ、外向きの《重力》が働いているようです。じわじわと内側へ向けて半径を小さくしているのですが……何か壁があるかのように、抵抗を感じます。
「うっし、そのままだぜ。リバじい、バリアーだ。周囲を爆発させる!」
 重力の壁に止められている自分を吹き飛ばそうというのですね。しかし――まだまだ。
「……! ジュテェム、上!」
「!!!」
 《回転》させられるのは一つだけではありませんからね。自分自身を移動させると同時にそこらの建物も動かしました。今、リバース達の頭上に降り注がせます。
「さすがにあれほどの重量ははね返せません!」
「おりゃがぶっとばす!」
「無理じゃ! ここは――」
 ドドドドッ!
 降り注ぐ超重量にジュテェムの重力の壁は破れました。同時に自分も半径を一気に縮め、降らせた建物共々リバース達を飲みこみます。
 自分はその場所から少し離れた場所に着地……しようとしたのですが、脚どころか下半身が無くなっていました。
「おや……」
 自分はそこで一度死に、五体満足の身体で今度こそ着地しました。
「……これで残るはチェインだけ……となれば楽なのですがね。」
 さすがと言いますか……いやはや。
「よく生き残れましたね。」
 おかしなことに、リバース達は建物を落とした場所から少し離れた所に無傷で立っていました。
「確かに重力の壁の崩壊は確認したのですが。」
「ええ……さすがに無理でしたから。」
「危なかったぜ。サンクス、リバじい。」
「……これは切り札じゃからな。相手にわしらが何をしたか気付かれる前に勝負を決めんとな。」
 さて、リバースは何をしたのでしょうか。
「ジュテェム! あれやんぞ!」
「承知です!」
 自分が考えに浸っている間に、ジュテェムが自分が先ほど降らせた建物を空高くへと浮かべました。
「リバじい、バリヤー! 行くぜぇ!」
 ホットアイスが上空の建物に両手を向けました。すると建物は製鉄工場のドロドロの金属のように溶解し、超高温の雨となって自分に降り注ぎます。
「あれだけの質量を一瞬で溶かす《温度》……恐れ入りますね。」
 自分は再びガラスを高速回転させつつ、自転速度での移動に入りました。文字通り雨のように落ちてくる高温の液体をかわし、そのままジュテェムに突撃します。
「んがっ! この雨をかわすのかよ! なんつー機動性!」
 自分の攻撃にいち早く反応したホットアイスは標的であるジュテェムの前の空間を爆発させました。
「おっと。」
 自分はそれをよけて上空へ。しかし、その判断は間違いでした。爆発なんて気にせずに突っ込んでいればよかったです。
「……これは……」
 自分が移動した上空、そこには太陽がありました。地球から見る眩しい姿の太陽ではなく、宇宙から見た火の玉状態の太陽。
 先ほどドロドロに溶かして降らせた建物はあれが全てではなかったのですね。一部を《重力》で浮かせておいた。全ては、自分がこうやって上空に移動してくるのを見越して……!
「何と言う……戦闘技術でしょうか。」
「はっ!」
 ジュテェムの叫びと共にその太陽は自分へと落下し、自分を飲みこみました。全身に走るのは熱。熱いだの痛いだのを通り越した……身体が瞬時に溶かされていく感覚。二千年の人生の中にも、溶岩に飛び込んだことはありませんでしたね。

 再びの輪廻転生。時間にすれば一瞬のことではありますが、自分はそのわずかな時に状況を整理しました。
 自分は《回転》、彼らは《温度》、《重力》、《抵抗》、《食物連鎖》。
 彼らのコンビネーションは完成されており、互いに弱点を補っています。すきなどというモノは存在しません。
 《食物連鎖》により、現在自分は周囲の空気中を漂う菌類に捕食されます。捕食される速度はどんどん速くなっており、もはやまともに四肢を使えない状況です。それを何とかしようと思ってチェインを倒そうとしても、残りの三人が息の合った攻撃でそれを阻みます。
 今の自分にできる最高の技……自転速度による突撃は彼らも危険視しており、全力で防いできますが……先ほど、確かに全員を攻撃したというのに彼らは無傷でした。何らかの方法で自分の攻撃を防いだのか……かわしたのか。
 ……先の戦いで得た《時間》を操る力。メリーとの共闘や生活で理解した《時間》操作……これほど絶対的な力があるというのにそれも通用するか怪しいところです。なぜなら彼らのリーダーがメリーですから。
 自分が《時間》操作を行うであろうと予測することは容易く、《時間》のゴッドヘルパーが何の対策も授けていないなどあり得ません。自分が《時間》を操作した瞬間、勝負が決する可能性すらあります。

「ふ……ふふふ……」
「あん? 何笑ってんだ。」
 自分は黒く焦げた地面の上に立ち、笑いました。
「いえ……なんと言いますか……今、自分は『追い詰められて』います。これまでの人生で一度も経験したことがないことなのです。自分の能力への対策をしっかりとしてきた相手との対峙などということはこの二千年間ありませんでした。」
 笑みもこぼれるというものです。
「観念したか? んじゃ大人しくあの箱の中に入って封印されろ!」
「それはできませんね。自分は世界を救わなければなりませんから。」
 自分は高速回転させていたガラスを止め、地面に置きました。
「……? どういうつもりですか。」
「ジュテェム、ホットアイス、リバース。あなた方は本当に強い。加えて両手両足が満足に使えないこの状況……気のきいた技や能力は自分にはありません。あるとすれば、あなた方についた一つの嘘でしょうか。」
「嘘じゃと……」
「自分はさっき、自転速度が最速だと言いましたね。しかし、あれは正しく言うと、自分で制御できる最速なのです。」
「なんじゃと!」
「もう一つ、この地球上で感じることのできる《回転》があります。それは公転です。」
「……地球が太陽の周りを回ることですね……その速度は……」
「地球は約九兆キロメートルの距離を一年で《回転》します。その速度は時速十万キロメートル。地球における速度など、宇宙においては止まっているも同じです。」
「さっきの速度のざっと一〇〇倍のスピードってか……」
「制御は不可能ですので、あなた方を狙って突撃することはできませんが……ヘタな鉄砲も数撃てば当たるそうですから。」
「おいおい、この辺一帯をチーズみてーに穴だらけにする気かよ。」
「そうでもしないと勝てそうにないので。それにあまりゆっくりしていると輪廻転生した瞬間に食べられるという状況になってしまいかねません。そうなってしまったら自分を箱に閉じ込めることは簡単でしょうから。」
「……ディグ・エインドレフの《回転》の真髄ってか? 普通の奴が十万キロメートルなんつー速度出したら曲がるなんてとんでもねーからな。まっすぐにしか移動できない。だがお前にはそれができる。」
 ……時速十万キロメートルによる完全無差別のランダム攻撃と言ったところですかね。再びガラスを高速回転させて突撃準備完了です。

「ではご招待しましょう、《回転》の宇宙へ。」

 静かになりました。今の自分は音よりも遥かに速いのですから当然ですが。
 周りの景色は……もはや何がなんだか。速すぎて白い壁にしか見えませんね。
 彼らに突撃できたのかいないのか。実はすでに三人ともやっつけてしまっているのかもしれません。しかし、やっつけていないかもしれません。
 この速度における自分の機動性から考えるに、恐らく彼らと戦っている場所から半径百メートルくらいの範囲を無差別に飛び回っているのでしょう。先ほどの自転速度においてはそれほど目立ちませんでしたが、十万ともなれば自分が出す衝撃波は無視できるようなものではありません。自分が穴をあけつつ、衝撃波で周囲を破壊していく……まさに嵐の中です。
 しかし驚くべきは、こんな速度でも依然として自分の身体が食べられていることです。この高速移動を開始してから既に二回死んでいます。時速十万キロで動く物体に浮遊する菌がしがみつくなどということはありえないのですが……
 もしかしたらチェインは、《食物連鎖》を使うことで対象の生き物そのものを変化……進化させているのかもしれませ――
「!!」
 その時、強烈な違和感が自分を襲いました。同時に、突然地面が無くなってしまったかのような不安定感。今までそこにあるのが当然と思っていたモノが消えてしまったような……圧倒的な恐怖。
 次の瞬間、地面に頭から突っ込んだ自分は鮮血を撒き散らしながら数十メートル転がり、そこで死にました。そして――
「…?……!?」
 何なんでしょうかこれは。《回転》の力で浮かぼうと思っても浮けません。ガラスを《回転》させたらあらぬ方向へ飛んで行きます。一体これは……!?
「メリーさんから聞いたのですが……」
 倒れている自分に近付いてきたのはジュテェム。なんということでしょうか、彼は無傷です。
 ちらりと周囲を確認します。そこままるで空襲を受けた土地のようでした。多くの建物が見るも無残な形へと崩壊し、地面はえぐれています。ジュテェムは確実にこの場所にいました。それなのに……周囲がこれほどの被害なのに彼は無傷です。《重力》の力では時速十万キロの速度は止められません。それなのに……
「ディグ、あなたは鴉間との戦いの際、空間を《回転》させることで鴉間の空間操作を狂わせたそうですね。鴉間が自分の前に出そうとした空間の壁が後ろに出てしまったりという現象があったのでしょう?」
「……それがどうかしましたか。」
「そこからヒントを得ました。だからこうしてあなたを止められた。」
 そう言いながらジュテェムは小石を拾い、それをポイッと宙に放りました。するとどうでしょう、本来ならそのまま地面に向かうはずの小石は突然右に移動し、かと思ったら突然下、左、上……空中をジグザグに移動しています。
「ディグ、あなたの右腕に下方向の力、左腕に上方向の力が加わったとすると……あなたはどうなります?」
「その場でぐるりと《回転》す――まさか!」
「ええ。ここら一帯の《重力》をめちゃくちゃにしました。わたくしとあなたがいるこの場所は下方向にかかっていますが……こちらに少し移動すると真横に飛んで行きます。あちらに行けば空高くへ。」
「……その方法で……自分の《回転》を……」
「正直、《重力》がうんぬんという訳ではなく、力がめちゃくちゃなこの場所があなたにはまずいんですよね。右回転させようとしたら変な力がかかっているせいで左回転になってしまったり、ある物を動かそうとしたら別の物が動いたり。いつも通りの《回転》を起こせないわけです。」
 ジュテェムの言う通りです。この世界の物体に等しくかかる力は《重力》……それと地球が《回転》していることで発生している遠心力。この二つが二つだけかかる世界が自分にとっての当たり前です。その中で《回転》を行ってきた自分には、今のこのめちゃくちゃな空間が理解できません。
「なんということでしょうかね。自分の作戦で自分が追い詰められるとは。しかし解せませんね。」
 自分はちらりと周囲を見回しました。《重力》は全ての物に等しくかかっています。このめちゃくちゃな空間では、そこらの瓦礫はもちろん、建物でさえ空中を縦横無尽に駆け回っています。今もなお……
「こんな……スーパーボールがとびはねる狭い部屋のような空間で、あなたたちは何故そうも余裕なのでしょうかね。それ以前に、自分の攻撃をどのようにして防いだのか……」
「さっきのはさすがに驚きました。実際、何度もあなたはわたくしたちに突っ込んできましたよ。けれどリバじいが対処してくれました。」
 自分は少し離れた所にいるリバじいを見ました。彼はそれに気付き、こちらに向かって歩きながらタネ明かしをしてくれました。
「わしはほれ、《抵抗》じゃからな。摩擦っていうモノを操れる。ディグ、お前さんをすべって転ばせたりの。あれをわしらの身体に行ったのじゃ。」
「身体の摩擦を無くしたというのですか?」
「足の裏以外をの。」
「……なるほど。つまり、自分があなた達に突撃しても、あなた達の身体の表面……服や肌に触れた瞬間、つるりと滑っていた訳ですか。」
 リバース達の身体がそうなっていたとすると、どんな攻撃でも傷をつけることができません。剣で斬りかかろうとも、刃先が滑って刃が立たず、斬り込む事はできません。銃弾を受けようとも、つるりと滑ってあさっての方向へ飛んで行きます。
 唯一有効なのは……服や肌の表面と、一度の狂いもなく直角に来た攻撃のみです。少しでも傾いていたら滑ってしまいます。しかしそれは事実上不可能な現象です。服も肌も、平らな板ではないのですから。
「欠点は、これをすると……転んだりした時に大変なことになるとこじゃな。どこまでも滑って行ってしまうし、二度と立ち上がれん。表面の摩擦をゼロにしながら戦うのは危険極まりない……故に、これは防御の時にしか使えんのじゃ。」
「ふふふ……これは敵いませんね。しかし次はどうしますか? 自分はまだ戦えます。この《重力》がめちゃくちゃな空間の外から物を持ってきてここに落とします。ロケットが《重力》をふり切れる道理で、それなりの速度を持たせればこの空間の《重力》に関係なく、あなた達を攻撃できます。なんなら地球の《回転》を一瞬止めましょうか? 遠心力によってみなさんは宇宙の彼方へ飛んで行きます。無論、地球上の全てですが。それに――」
「らしくないですね、ディグ。随分と余裕がないようです。もう理解しているはずです……今言ったことの全てが無理だと。」
「――!」
 ……ええ……《回転》を起こそうとしている自分がこのめちゃくちゃな空間にいる以上、この空間の外の物も操れません。距離感が狂い、軸の位置も半径の設定も狂ってしまいます。地球の自転という巨大な《回転》ですら、今は感じ取れません。
 まるで、光が一切入らない……暗闇の中にいるかのよう……
「……完敗……ですね。」
「……ホっちゃん、頼みます。」
「おう。」
 自分の周囲の《温度》が上がりました。サウナの中にいる感覚ですね……
 いえ、それ以上の効率の良さです。既にのどがカラカラです。人体に支障をきたす部分を集中的に熱くしているのでしょう……
「……箱に閉じ込められる……無限の輪廻転生の中……ふふ、次に外に出られるのはいつのことか。」
「そう、遠くないと思うぜ。サマエルとか鴉間を止めれば問題は解決だかんな。あとはメリーさんが解決してくれる。」
「すぐに外に出られるとして……自分は自分でいられるのでしょうかね。なにせ経験した事の無いことが起きるわけですから……肉体はともかく、精神が先に死んでしまいそうですよ。」
「らしくないのう。」
「仕方……ありません……負けるのは……初めてですから……」

 《回転》を感じられません。
 体温が上がっていきます。
 身体のあちこちが食べられていきます。
 こちらの攻撃は効果がありません。

「二千年の……長旅……この先の数千年のために……仮眠すると……しましょう……」

「……ほれ。」
「ええ。よっこいしょ……」
 バタン。ガチャ。
「……チェイン、もういいですよ。」
「ふぅ……」
「御苦労さまじゃったな、チェイン。」
「……変な感じだわ。今、その箱の中にディグがいる……のよね。」
「封印って感じだよな。いやー、強かったぜ。」
「これで第三段階ではないのですからね。それでも、ここまで自分の《常識》を極めたゴッドヘルパーは歴史上、いないんじゃないですかね。」
「さすがだったな。特に、《時間》を使わなかったぜ、こいつ。メリーさんがくれたこれ、必要なかったな。」
「そうね……」
「逆時限爆弾っつってたっけか。《時間》が止まると《時間》が動きだして爆発する爆弾。」
「《時間》を操れる相手にしか意味がない武器じゃの。しかし……ポケットに入れていたのでは自分にもダメージがあるんじゃないのかのぅ。」
「それは心配ないわ。相手が《時間》を止めたら起動して爆発するんだから。くらうのは相手だけよ。だってこれが爆発した時、あたくしたちは《時間》が止まっているのだから。」
「《時間》が止まるということは干渉できないということですからね。豆腐も切れなくなりますよ。」
「何にせよ、起動しなかったってことは、ディグが一度も《時間》を止めてないってことだよな。」
「考えてみれば、《時間》のゴッドヘルパーをリーダーに持つわたくし達に《時間》による攻撃をするなんて……無謀ですよ。わたくしがディグなら、何かしらの対抗策を持っているはずだと思いますし。」
「しっかしまぁ……疲れたぜ。でもまだ終わってないんだよな。」
「そうね。ハーシェル……雨上さんが鴉間と戦っているわ。それに、まだ誰とも戦っていない敵があそこに立っているわよ。」
「お姫様が相手をしているようじゃのう。」
「うっし、いっちょ加勢すっか!」
「……そろそろ、局面が動きますかね……この戦い。」


 全身に走る激痛。オレ様にここまでのダメージを与えた奴はそういないぜ。
 サマエルの毒がオレ様の身体のあちこちの存在意義を剥奪する。翼からは飛行能力が奪われ、身体を覆う鱗はその硬度を失う。
 このままじゃあ……やべーな。
「んじゃあ……これはどうだ?」
「……!?」
 オレ様は体内の魔力を黒い炎に変え、自分自身を燃やした。
「!!……っぐああああああああっ!」
 そう叫んでサマエルは慌ててオレ様から離れた。肉体と精神を同時に焼くオレ様の炎……そういやこの戦いで初めてまともに食らったんじゃねーか? サマエル。
「ぐっ……あああっ……」
「ふぃー、あちちち。オレ様の魔力をオレ様が受けてもそんなにダメージはねーんだがな、お前はちげーだろう? いくらこの光の結界の中つっても密着状態の零距離攻撃だぜ。威力の減衰はねぇはずだ。」
「……御冗談を……そこらの低級の魔法ならともかく、ルシフェル様クラスの魔法ともなればその威力は自分の魔力だからと言って弱まるものではないでしょう……」
 んだよ、ばれてんじゃんか。
「さて、どうかな。」
「さすがですね……私の毒を受けつつも、唯一私の身体に触れていない体内で魔力を燃やすとは……」
 サマエルは……んまぁ蛇の姿だから微妙に表情がわかりにくいんだが、なんだが悔しいそうにした。
「……あの時……あの時ほど悔しく感じたことはありませんでしたよ……」
「あん?」
「《信仰》の力が無くなり、私たちと神との戦いが自然と収まった……収まってしまったあの時です。あの時、ルシフェル様とアザゼルは神に下りました。その理由はただ一つ……私たちを守るためです。」
「いや、あれは……」
「《信仰》の力は私たち悪魔にも力を与えていました。それが無くなったあの時、もしも神が率いる軍と戦っていたら……私たちは全滅したでしょう。それを防ぐため、ルシフェル様とアザゼルは神の軍に……そして私を次の悪魔の王に指名し、私に悪魔を任された。神からすれば、反乱の首謀者とその右腕の投降……申し分なかったのでしょう。そしてその姿勢に感化され、神は私を悪魔の王としていることを認めた。」
 サマエルはそこで怒りをあらわにした。
「情けないことこの上ありませんでしたよ! なんと私の無力なことか! 私は知っていまいした! 今も改めて確認しました! 《信仰》が無くなったことで力を失ったのは神の軍も同じことです! ルシフェル様、あなたは《信仰》の力などなくともここまで強い! あの時、そのまま戦いを続けていても、ルシフェル様は神の軍を圧倒したはずです! しかしそうしなかったのは、私たちが無力だったから! 私たちを失うまいとあなたは投降した! あなたの手助けをするべき私たちが足枷となってしまった!!」
「……」

 サマエルの言っていることは……半分半分だなぁ。
 正直、《信仰》の力が無くなったあの時、妙に冷めちまったんだよな。オレ様は何をしてるんだってな。でもその考えが思い浮かんだことは当時のオレ様には謎だった。その謎を解くために、オレ様は神の下で一から頑張ってみようと思ったわけだが。
 神に……サマエルと悪魔に手を出さないように言ったのは……オレ様のアホ踊りにつきあわせちまっただけだからだったんだが……

「……おい、サマエル。」
「はい。」
「次の一撃でお前を倒そうと思う。」
「っ!」
「だけどよ、その前にオレ様の話を聞け。オレ様の……二千年の答えをよ。」
「……答え?」
「サマエル、神ってなんだ?」
「……私たちの敵です。世界を作っておきながらろくに管理もしない。不平等、不条理……それに振り回される天使、悪魔、人間、動物……右往左往する彼らを見て楽しんでいる存在です。」
「……んまぁ、その考えをどうこう言うつもりはあんまねぇ。だけどその考えの前提には異議を唱えるぜ?」
「前提……?」
「世界を管理して当たり前、平等で皆が幸せ……完璧な世界を作るべきなのにしてないっつー考えのことさ。」
「?」
「簡単に言えばよ、神が全知全能って考えだ。」
「……何を……」
「下っ端天使として人間の世界を眺めてて一つ思ったことがあんだ。」
「……なんでしょうか。」
「『神様、どうか病気がよくなりますように。』『神様、どうかこの子に幸せを。』『神様、あの者に天罰を。』……多くの人間が神に祈ってる。普段は無神論者を気取ってても、どうしようもなくなると手を合わせる。一体一秒間にどれだけの願いが祈りと共に神に送られてるのやら。」
「それは神が不完全な世界を創ったから……」
「まぁ聞けよ。んでそういうのを眺めてオレ様は思わずツッコンだわけだ。『おいおい、んなにたくさんの願いを聞けるわけねーだろーが。』ってな。これっておかしいよな。」
「どこが……」
「だって神って全知全能なんだろ? なんでもできるんだろ? 全てが自由自在なんだろ? なのにオレ様は『んなの神にはできねぇよ』と思うんだぜ? 矛盾してんだよ。全知全能と思っておきながら一方ではできないことがあると思ってる。」
「……!」
「そこでよくよく考えてみた。なんでオレ様は神に挑んだ? 全知全能なんだろ? 勝てるわけねーじゃん。なんで勝てると思った? ずっと傍にいたオレ様がそれを理解できなかったのか?」
「ルシフェル様……」
「答えはな、サマエル。ずっと傍にいたからこそ、神が全知全能じゃないとわかったんだ。だから挑んだ。勝てると思った。神はな、サマエル。オレ様たちが思うほど絶対じゃねーんだよ。」
「……! そんなバカな! 神は……この世界を創った! 私たちも創った! 絶対的な存在!」
「証拠はオレ様たち自身だ。」
「んな……」
「オレ様たちは神の姿を元に作られた。人間もそうだな。ここで質問だぜ、サマエル。お前の目の前にお前とまったく同じ姿をした奴が立っていてだ、そいつが……そうだな、歩けば転び、泣きわめき、魔法の一つも使えないときたらどう思う?」
「……殺します……見るに堪えないでしょうから。」
「それだよ、サマエル。そう思うだろ?」
「?」
「仮に神が全知全能だったとしてだ、その力でオレ様たちを作ったとする。オレ様たちは……そう、不完全だよなぁ? 人間なんか魔法も使えない不良品ってことになる。神からしたらどうだ? 自分と同じ姿の奴が魔法は使えない、空も飛べないのクズっぷりだぜ? むかつくよな。」
「……」
「なのに神はオレ様たちや人間を作った。お前がさっき言ったように、楽しそうに眺めている。これがどういうことかわかるか?」
「……」
「神は最初にオレ様たちのような天使を作った。初めて作るのにいきなり欠陥品なんか作るかよ。全力で作るに決まってる。それでできたのがオレ様たちっつーならな……サマエル、神ってのはせいぜい『何かを創造する力』を持っただけの天使なんだよ。」
「……!」
「とりあえず自分と同じ姿の存在を作ってみた。しかしあんまり変化が起きない。天界という世界が出来あがったけど停滞している。そうだ、今度は自分とはちょっと違う感じで作ってみよう。あえて魔法の力を無くすのはどうだろう。おお、なんだか面白いのができたぞ。宗教? 文化? 技術? 自分には無かった物が生まれていく。うわあ、楽しいなぁ。」
「ルシフェル様!」
「これが神の正体だよ、サマエル。全知全能? そりゃオレ様たちが勝手に思ってるだけの偶像だぜ。だからな、オレ様がかつて覚えた怒りや今もお前が抱いてる怒り……不条理、不平等っつーのは当たり前なんだよ。神はそんなにできたやつじゃねーんだから。ガキが作った工作に芸術的センスがない! っつって怒るようなもんだぜ。」
「それでは……そんな……ありえない……」
「すぐに理解できるとは思ってねぇよ、オレ様も。何故ならオレ様が二千年考えて出した答えだ。お前もそれくらいの時間が必要だ。だから――」
 オレ様は両の手に魔力を集める。

「とりあえずオレ様に負けろ。」

 オレ様の両手から黒い炎でできた鎖が大量に放たれる。
「……!? 炎が減衰しない!?」
「減衰するとこから魔力を補充してんだ。オレ様の手から離れなければこの形を保てる。言ったろーが、オレ様の魔力なめんなってなぁ!」
「くっ!」
 サマエルが迫る鎖の一本をその身体ではじいた。だが――
「ぐあああああっ!」
「黒い炎でできてんだ、触れるだけで燃やすぜ!」
「!! ならばっ!」
 サマエルの口から紫色の針が発射される。その一本一本に白い光がまとわりついている。どーやらこの結界の光の力を自分の毒針にプラスしたよーだ。
「おらああっ!」
「はああぁっ!」
 大量の鎖と毒針がぶつかり、互いに消滅させる。
「やるな!」
「お褒めの言葉、ありがとうございます。」
「だけどなぁ、サマエル。オレ様はさっき言ったぜ?」
「?」
「次の一撃で倒すってなぁ!」
 オレ様のその言葉に目を見開き、周囲を見るサマエル。
「! 鎖が結界内を覆っている!」
「その表現は正しくないぜ!」
 オレ様は周囲に張り巡らせた鎖を一気に引き寄せた。サマエルの身体は鎖に絡め取られ、オレ様の元に引っ張られる。
「……! それならば、身体を毒で覆うまで!」
「学習しろよ、サマエル。さっきオレ様はそれをどうやってやぶった?」
「!?」
 オレ様は鎖で自分の身体とともにサマエルを縛り付けた。
「何を!?」
「自爆に近いかもな。お前ほどの相手を倒そうっつーんだからな。」
「! まさか! 先ほどと同じように体内で魔力を!?」
「いくぜぇぇぇぇっ!」

ドカァアアンッッ!!

 白い結界の中で弾けた黒い爆発は、オレ様とサマエルを包みこんだ。
 オレ様はこの爆発を起こすためと自分を守るために消費した魔力がでかすぎたらしく、人型……天使型に戻った。
 立ち込める煙を振りはらい、オレ様は辺りを見回す。
「……おお。」
 光の結界に亀裂が走り、そして砕けた。オレ様は光に満ちた眩しい空間から、人間の都会の風景の中に戻った。ふと下を見るとサマエルがいた。サマエルはその姿をこれまた天使型に戻して落下し、ビルの一つの屋上に叩きつけられた。
「……術者がやられたから結界が解けたか。」
 オレ様は全身激痛の身体を動かしてサマエルの元へ移動した。
 サマエルは黒焦げの姿で大の字に横たわっていた。
「……どうだ、いてぇだろ。オレ様の炎。」
 なんてことのない問いかけをしてみたが。返事は無い。激痛で気絶したか?
「……あ……あぁ」
「んあ、まだ意識あったか。」
 しかしその目にはオレ様は映っていないようだ。もうろうとしてやがる。
「まだ……足りなかったようです……私が……あれを…………ルシフェル様……私の……」
 サマエルが手を伸ばした先には《常識》のゴッドヘルパー。赤く輝くクリスタルへ震えながら手を重ねる。
「ああ……この青い輝き……これ……を……」
 そこでサマエルの意識は途切れた。
「……サマエル……お前、ついてく奴を間違えたんじゃねーかな。オレ様なんかじゃ――」
 ……ちょっと待て。今、サマエルはなんて言った?
「……青い輝きだぁ?」
 どう見たって赤色だ。もうろうとしてたから見間違えた? あんな綺麗な赤色を青色に? んなバカな。
「……! まさか……!」
 オレ様はすぐに雨上に連絡をとった。

「雨上! 雨上!」
『なんだ?』
 普通に返事が返ってきて少し驚いた。雨上は鴉間と戦闘中じゃ……
 そう思って雨上の方を見ると、何故か二人とも空中で静止している。
「……戦いは?」
『……鴉間が今世間話をしてる。よくわからないんだが、時間を待っているらしい。私としても、鴉間の力がリセットされる時間が迫るのなら……まぁいいかなと。』
 相変わらず……相変わらずだ。
「なら丁度いい。変なこと聞くがな、雨上。お前には空に展開した《常識》のゴッドヘルパーがどう見えてる?」
『? 赤い――』
「赤い?」
『球体だ。それがどうしたんだ? というかそっちは決着ついたのか?』
 球体? 球体ってのは……角がないアレのことだろ? いやいや、どう見たってクリスタルだ。もっとカクカクしてる。
「……雨上には『赤い球体』に見えてるあれな、オレ様には『赤いクリスタル』に見える。ちなみにサマエルには『青色』に見えてたらしい。」


 私はルーマニアから変なことを聞いた。私が誰かと通信しているのに気付いた鴉間は世間話を中断して私をじっと注視する。そして周囲を見渡し、ルーマニアがいる方……いや、正確にはたぶん、サマエルがいる所を見た。
 サマエルがどうなっているかはわからないけど、ルーマニアが倒したらしいから、それを見たのだろう。
「――あっはっは! ついにっすか!」
 そして、大笑いしだした。
 これは変だ。《常識》が発動した今、サマエルが《ゴッドヘルパー》のゴッドヘルパーの力で《常識》を止めないと鴉間の《空間》の力はなくなる。
 初めから変だとは思ってたけどそれがどういうことかはわからなかった。だけど今の鴉間の笑いとルーマニアからの変な通信。
 その時、頭の中でもやもやしていたモノがピンと張った糸のように繋がった。
「……まさかですけど……」
 私はルーマニアと鴉間、両方に言った。

「《常識》のゴッドヘルパーは発動していないん……ですね?」

『ああ? どーゆーこった、そりゃ。』
 ルーマニアの反応と同様に、鴉間も驚いたが、それは感心を含んだ驚きだった。
「あれまっす。まさかこんな簡単に看破されるなんて思わなかったっす。もう少しこのままだったなら、あっしの力が無くなったって思ったそっちのスキをつけるはずだったんすけど……」
『おい、雨上、説明しろ。』
「だから、《常識》のゴッドヘルパーは本当はまだ発動してないんだ。空のあれは……幻か何かだ。」
『んなバカな。あれはどう見たって《常識》……』
 そこまで言ってルーマニアも一つの矛盾に気づいたようだ。
「その、『どう見たって《常識》』って発言がおかしいんだ。だって、前に発動した時は、天界でルーマニアと神様が戦ってた時なんだろ? 天界のことに忙しくてほとんどの天使が下界で発動した《常識》を見ていないんだ。いくらかはいただろうけど……少なくともこの場にはいない。それじゃあなんで……誰もが『あれは《常識》のゴッドヘルパー』だと思ったんだ?」
『言われてみれば……そうか、あの形状とか色ってのは……』
「ああ、きっと私たち自身のイメージだ。《常識》のゴッドヘルパーってこんな感じだろうかと想像した姿そのものなんだよ。だから誰も疑わなかった。」
『これは一体……』
「たぶんアブトルさんの……《物語》の仕業だ。」
『はぁっ!? んじゃ今までのバトルは全部……』
「いや、それは本物だ。たぶん、あの空だけが《物語》に取りこまれてるんだ。前の攻撃にとらわれ過ぎたんだ、私たちは。別に人が登場しない《物語》だってあるのに……」
 だから……この局面にアブトルさんとメリオレさんがいなかったんだ。
『なんのためにこんな……』
「全ては、《常識》が発動するまで出てこないサマエルをおびき出して……ルーマニアに倒させるためだ。自分にとって唯一の脅威となる……魔法を使うサマエルを……!」
『んな……』
 そこまで言って鴉間が拍手した。
「すごいっす! いや、びっくりっすよ。その通りっす。どっかに隠れちゃったサマエル様を引きずり出すには《常識》が発動する以外ないっすからね。アブトルに頑張ってもらったっす。と言っても『空に《常識》のゴッドヘルパーが出現する』って一文を実現してもらっただけっすけどね。」
「そして発動するまでに時間がかかるとか色々嘘をついて……ルーマニアと戦わせた。」
「そうっす。魔法とは戦いたくないっすから。」
 鴉間はそこでようやくサングラスを外した。瞬間、ものすごいプレッシャーが私を襲った。同時に、さっきまで光っていた《常識》のゴッドヘルパーが歪み、瞬く間に消えた。
「あっしが第三段階になるとアブトルの《物語》に影響が出てしまうんす。だからずっと第二段階でいたっす。時間っていうのはつまり、サマエル様が負けるまでってことっす。」
 鋭い眼光で私を睨みつける鴉間。
「さぁて……もうどうしようもないっすよね。サマエル様の部下……ディグやヘイヴィアとの戦い、チョアンとルネットの健闘でそっちは勝ってはいてもボロボロっす。チョアンとルネットはしばらく戦えないと思うっすけど……こっちにはまだあっしを入れて四人いるっす。保険としてあっしの力が無くなったかのように見せかけてスキをつくなんて作戦もあったっすけど、いらなかったっすね。」
「鴉間、サリラ、アブトルさんにメリオレさん。《空間》、《身体》、《物語》、《反復》……」
「なんすか? 改まって。」
「いえ、別に……大した事ないと思いまして。」
 私の言葉に、鴉間は一瞬すごく恐い表情になったが、すぐにいつものおちゃらけた感じになった。
「そうっすか?」
「そっちに作戦があるように、こっちにもあるんですよ。ルーマニア。」
『あん?』
「ムームームちゃんと力石さんは近くにいるか?」
『んああ……少し前からこっちに向かって移動してたみてーだな。空中に浮かんでるお前が見える位置にはいるはずだ。』
「わかった。」
 私は携帯を取り出し、音々の番号にかけた。
『はいはい。』
「音々、出番だ。」
『ありゃりゃ。それじゃ頑張るよ?』
「……なんすか。」
 鴉間が周囲を警戒する。
「あ、別にそっちにどうこうっていうことじゃないです。」
「?」
「私たちにどうこうするんですよ。」

 ジャーンッ!

 突然、大音量のギターの音が響いた。その音はだんだんとどこかで聞いたかもしれないメロディになった。
「ギター? 《音》っすか。音切勇也っすね。今さら……」
「いいえ、《音》は《音》でも《音楽》です。」
「……!」
「私の親友の力です。」

『ディヴァイン・ヒールッ!!』

 ギターの音に混じって音々の声。これこそ、私の作戦だ。

今日の天気 第5章 ~Revellion & Egotistic~ 後編

 オレはムームームに背負われていた。外見的には小学生のムームームに背負われるってのはなんか嫌なんだが、そうも言ってられない。オレもみんなにとこに行かねーと!
「ここまでくればいいかな。」
「? 何がだよ。」
「雨上ちゃんの作戦。」
「? なんだよ作せ――」
 その時、誰かの叫び声が聞こえた。そして、オレの身体が光に包まれた。
「な、なんだ!?」
「! これはすごいね。」
 ムームームがオレを地面におろした。全身やけどで服もボロボロだったはずなんだが……
「……治った……?」
 やけどはもちろん、服も、体力も元通り。ルネットと戦う前の状態までオレは回復した。
「あのケガを一瞬で……あーたーしたちの魔法でもこうはいかないね。さぁ、行くよ。みんなのとこに。」


 わたしはとても驚いた。
「……全快……?」
 チョアンとの激戦で指先も動かせないくらいのダメージが身体にあったはずなのだが、今のわたしはピンピンしている。
 だいたいさっきまで気絶していたはずなのに、よく寝たーというくらいに気持ち良く目覚めた。
「そうか、まさかこれが晴香の……!」
 わたしの友達は何かすごいことをしたようだ。


 あたしと速水はとってもあったかい光に包まれた。
「すごいですよ! 脚の疲労がない!」
「そうね……あんたの力で速く動けるようになると脚とかヤバくなるんだけどね。なるほど、これが晴香の。」
「やっぱり雨上先輩はすごいなぁ。それと遠藤先輩も。」
「そっか。これは《音楽》の……」


 わたくしは突然の光に戸惑い、そしてその効果に驚愕しました。
「……ディグから直接的なダメージは受けていないですが……なんでしょう、心というか精神力というか……そういうモノも回復したような気がしますね。」
「んだこりゃ。おりゃたちの《時間》が巻き戻ったのか?」
「違うわよ。たぶんこれ、雨上の作戦よ。」
「おお! なんだか若返ったような気分じゃ!」


「何をしたんすか!」
 鴉間が驚愕している。
「……音々と音切さんに……魔法をかけてもらったんです。音々は《音楽》を聞いてその《音楽》から連想できる現象を実現することができます。アブトルさんの《物語》の中ではゲームのBGMを聞いて魔法を使っていました。《物語》の中でなくてもそれはできますけど、その力は《物語》よりは弱いです。」
「……それで《音》っすか……」
「はい。音切さんは《音》に感情を込めることができますからね。そのBGMを聞いている時の音々の感情と同じ感情をのせて音切さんが演奏すれば、普段よりもはっきりと現象をイメージできます。ゲームの回復魔法をイメージできる音楽を音切さんが演奏し、それを聞いた音々が魔法を発動する。これでさっきボロボロと言った私たちはピンピンです。」
「……魔法と戦うのが嫌でやった作戦に対して魔法を使う作戦っすか。皮肉が効いてるっすね。」
「これで……まぁ、リセットですね。」
「スゲーな、雨上。」
 私の横にルーマニアが来た。もちろん、ルーマニアも全快だ。
「……構わないっすよ。お望み通りの第三段階っす。さっきまでのように行くとは思わないことっす。」
 鴉間の周囲の《空間》が歪む。
「これは確信っす。《天候》のゴッドヘルパー、雨上晴香。あなたを倒せばもう敵はないっす!」
「あ、ちょっと待って下さい。」
「?」
 私はもう一度携帯を取り出した。

「さて、オレは次の仕事をしますね。」
 そういって速水はきょろきょろし出した。あたしはふとあることを思い出した。
「ああ……あんたが学校からここまで走ってきてゼーゼー言ってたのにすぐに回復したり、晴香がなんか突然現れたりしたのって《音楽》の力だったのね。」
「そうです。んで、魔法が発動した後、雨上先輩はオレに大事な役割を与えたんす。」
「あによ、それ。」
「遠藤先輩の護衛です。あんな魔法が使える人を鴉間側がほっとくわけないっす。オレは知り合いですから、遠藤先輩も安心だろうって。」
「なるほどね。んじゃあたしはどうしよ――」
 プルルル
「……晴香?」
 あたしは突然の電話にちょっとびっくりしながら電話に出た。
『あ、翼。』
「翼よ。どうしたのよ。てか、晴香は鴉間と……」
『速水くんの手助けをしてあげてくれないか?』
「? あんであたし?」
『……さっきの魔法、元を辿れば《物語》……アブトルさんが仕掛けた攻撃がキッカケで生まれた作戦だからな。たぶん、音々を倒しに行くのはアブトルさんだ。』
「あんでそんなことわかるのよ。」
『……なんとなくだよ。そういうことに責任を感じそうな人だったから。《物語》でどういう風に戦うのかはわからないけど、鴉間が集めたゴッドヘルパーだ。一人でも強いと思う。そしてたぶん、その戦い方は速水くんとかしぃちゃんみたいな……肉弾戦って言えばいいのかな? ああいう感じじゃないと思うんだ。』
「あー……わかったわ。あたしの《変》みたいな……概念的な力がいるかもって話ね。了解よ。」
『ありがとう。』
「うん。」
あたしは電話を切る。
「雨上先輩ですか?」
「そ。あんたと一緒に行けってさ。」
「わかりました。急ぎますよ。」

 速水とダッシュで……たぶん十秒くらい。交差点から少し離れた所に建ってる高めのビルにあたしたちは到着した。そしたらちょうどビルの中から遠藤と……音切勇也が出てきた。
「ん、花飾くんと速水くん。雨上くんが言ってた遠藤くんの護衛かな。」
「そうっす。」
「そう……です。」
 未だにあたしは慣れない……てか! 慣れるってのが無理な話よ!
「あら?」
 あたしが音切勇也を直視できずに横を向いたらそこに見覚えのある二人がいた。
「なんじゃ、わしらの出番はなかったの。」
「そうね。あたくしとしたことが、雨上をなめてたわ。そりゃ護衛の一人もつけるわよね。」
 メリーさんのチームの二人、リバースとチェイン。
「んっと……君らは援軍ってことでいいのかな?」
 音切勇也が尋ねるとリバースが答えた。
「うむ。わしらはどうしようかと考えた時にの、あんなすごいことをやらかした《音楽》が狙われるのは明らかだいうことで一応来たのじゃよ。」
「心強いわね。晴香の予想だと、ここには《物語》が来るそうよ。」

「それは驚きであるな。」

 あたしたちがちょろっと和んでるとまた誰かが来た。
 男だった。結構なガタイの厳つい奴。なーんか……そう、フランケンシュタインって感じ? あー、違うわ。正確にはフランケンシュタイン博士が作った怪物ね。……どーでもいいわ。
 ハードカバーの本を片手に来たそいつはあたしたちを一人一人見た。
「花飾翼、速水駆、音切勇也、遠藤音々、チェイン、リバース……であるか。小生の《物語》のせいで生まれたであろう先ほどの現象……小生なりのけじめで来たのだが……ここまで人がいるとは。」
 晴香の予想、的中ね。さてと……
「……リバースとチェインの二人は遠藤を守ってくれないかしら?」
「そうじゃの。わしらの力はコンビネーションで活きるモノじゃからの。コンビを組める相手がいないのであれば、その能力は何かを守ることにのみ働く。わしとチェインでこの魔法使いは守るとしよう。」
「そうね。こっちはあたくしたちに任せてあなたたちはその《物語》を倒してちょうだい。」
 あたしは頷いて《物語》を睨――あら?
「《常識》が消えてるわよ?」
 発動したはずの《常識》が空から消えてる。え、なんで? どゆこと?
「ああ……あれは小生が作った《物語》であったのだ。サマエル様をおびき出すための。」
 その一言でなんとなく一連の流れがつかめた。なるほどね……
「え、どういうことっすか。」
 速水は頭の上に?を浮かべてる。説明がメンドイわね。
「速水、気にしない気にしない。やるべきことは目の前のあいつを倒すことよ。」
「お、かっこいいな。花飾くん。」
「ほぇ!? え、あ、はい……」
 うわ、音切勇也が! 音切勇也が!
「ふむ。《変》、《速さ》、《音》……であるか。よかろう。」
 《物語》は器用に片手で本を開き、あいている手に万年筆を持った。
「そなたらはすでに原稿用紙の上である。筆を手にしているのは小生故、ここからは小生の《物語》が始まるのだ。」
 あたし、速水、音切勇也はぐっと身構える。
「小生はアブトル・イストリア。ようこそ、神の無い世界へ。」


 全快したオレは「さぁ、助太刀にいくぞ!」と意気込んでいたのだが……
「十太、誰か来たよ。」
「……知らない顔だ。」
 オレがいる所はあの交差点からちょい離れてるとこだ。てことはオレのとこに誰か来るってのはつまり、オレを狙ってきたってことじゃないか?
 そいつはイケメンだった。イケメンなんだが……なんでそんな地味な服装でかためたかな。ちょっと残念なイケメンだなぁ、おい。

「はぁん……お前がいるってことはルネットを倒したってことだよなぁ……」

 そいつは腰に手をあてながらオレをじっと観察する。
「……誰だ、あんた。」
「オレか? オレはお前の敵だ。」
「だろうな。」
「……? そうか。オレに会ったことあんのは《天候》だけだったか。アブトルと一緒に《物語》を見てたからな、オレはお前のことを結構知ってるわけなんだがな。」
「何言ってんだ?」
「オレはメリオレ・モディフィエル。《天候》から聞いてないか? 《反復》だ。」
 そういえば……《物語》を編集する人……だったか?
「鴉間の作戦が終わったからな、オレとアブトルもこうやって戦場に出たわけだが……ルネットが興味を持ったお前に興味を持ってな。ここに来た。」
「……ルネットの彼氏かなんかか?」
「ちげーよ。何かとつっかかって来た奴だったんでな。気になっただけだ。」
「はぁん。」
「連戦で悪いとも思ったが、さっきの魔法で全快みてーだしな。存分にやれるな。」
「まじか。」
「オレは役割上、こういうバトルはなかなかしねーんでな。楽しませてくれ――ん?」
 残念イケメンのメリオレはオレの視界から消えた。同時に、さっきまでメリオレがいた場所の地面が陥没した。
「ん、速いですね。」
 オレの横に、今度は見覚えのある奴が来た。確か雨上さんと一緒にロボットと戦ってた奴だ。《重力》だったか。
「んん? 《エネルギー》じゃんか。」
 そしてもう一人、こっちは確か《温度》。
「あれ? どうして二人がここに来たの?」
 ムームームがそう尋ねると《重力》……ジュテェムが答えた。
「あなたの仲間の天使に教えてもらったのですよ。」
「いやーな、おりゃたちも最初っからここを目指したわけじゃねーぞ?」
 《温度》、ホっちゃん(確かそう呼ばれてた)が肩を回しながら言った。
「あの回復魔法? が発動した後な、確実に今魔法を発動させた《音楽》は狙われるってんでチェインとリバじいがそっちに向かったんだ。んでおりゃたちはとりあえず交差点に向かった。そしたらこの前リッド・アークとのバトルん時に活躍してたお嬢様が……」
 そこまで言ってホっちゃんは言葉に詰まった。なんだ?
「……なんて言えばいいのやら、とにかく変なのと戦っててな。それにおりゃたちは加勢しようとしたんだ。そしたらそのお嬢様のパートナーの天使に止められたんだ。」
「ええ……とても申し訳なさそうに彼は言ったんですよ。わたくしたちでは役不足だと。」
「はぁ? 《重力》と《温度》で役不足? どんな敵だよ……」
 オレがそう言うとホっちゃんは「だよなー」という顔をした。
「それで、その天使が教えてくれたのです。さっきまで上空にあった《常識》が消えた瞬間、この付近に突然二人のゴッドヘルパーが出現したと。」
「その内の一人は《音楽》の方に行ったらしくてな、そいつはチェインとリバじいに任せて、おりゃたちはもう一人の方に来たってわけだ。」
あん? そういえばいつの間にか《常識》が消えてる。止まったのか?
「交差点……」
 オレが空を見上げているとメリオレが呟いた。
「ああ、サリラか。は、確かに。サリラ相手じゃ《重力》も《温度》も意味が無いか。」
「んだと?」
 ホっちゃんが睨みつけるとメリオレはため息を軽くついた。
「ちなみに言っとくがな、お前ら二人にとってオレというゴッドヘルパーも相性最悪だぞ? オレが興味あるのは《エネルギー》だけだ。その辺ぶらついてろよ。」
「ほぉ? おりゃとジュテェムが? やってみなけりゃわかんねーぞ?」
「それは経験の浅い奴のセリフだな。トーシローが。」
「あぁん?」
 ホっちゃんは見た目通りのガラの悪さでメリオレを睨みつける。
 だけど確かにそうだ。なんだ相性って。《重力》と《温度》だぞ? この世の物全てが受けている力と現象だ。《水》と《火》とかならまだわかるけどよ……
「……そうだね。この男……《反復》とは相性が悪いね。」
 するとムームームまで認め出した。
「《反復》……はっ、まさか……」
 そこでジュテェムが何かに気付いた。
「おい、どーゆーこったよ。」
「思い出して下さい、ホっちゃん。リッド・アークとの戦いの際、青葉結というゴッドヘルパーがいました。彼女は《仕組み》でしたが普通とは違う方法で戦っていました。」
「?」
「つまり、自分が操れる《常識》を操らず、否定するという形で。《仕組み》を否定した彼女は原因と結果だけで成り立つ物を作り上げた。故に生まれたのがあの度を超えた科学力です。ゴッドヘルパーは自分と繋がっているシステムが管理する《常識》を否定することができます。」
「……わかりやすくしゃべれよ。」
「《反復》とはつまり繰り返しです。それを否定できるとしたら――」
「おいおい、おしゃべりはその辺にしとけよ。」
 メリオレが頭をポリポリかきながらそう言った。
「マジシャンがマジックする前に観客が種明かしすんなよ。しらける。」
 メリオレは……そのイケメンにある意味ぴったりな凄みのある表情をしつつ片手をあげる。
「さっき言ったぞ。オレが興味あるのはルネット……《視線》を倒した《エネルギー》だけだ。お前らはオマケだ。外野は黙ってろ。」
 メリオレはあげた手でパチンと指を鳴らす。
 次の瞬間、ジュテェムとホっちゃんが立っていた地面が爆発した。


 わたしは立ちあがった。全ての傷、疲労は回復している。そうとも、まだ終わっていないのだ。わたしが……わたしの力を必要としている仲間の元に行くのだ。
「……さて、みんなはどこに――」
 その時、銃声が聞こえた。その音が銃声だとわかったのは、前に聞いたことがあるからだ。そして、この場にいる者の中で銃を使う者は一人だ。
「クロア!」
 わたしは音のした方向に駆け出した。

「鎧ちゃん!」
 チョアンとの戦闘で、わたしは交差点から随分離れていたようだ。音のした方向、つまり交差点に来ると、アザゼル殿が立っていた。
「クロアは!」
 わたしがそう言うとアザゼル殿はわたしをじっと見つめ、頷いた。
「……鎧ちゃんなら大丈夫なのだよ。クロアちゃんはあそこなのだよ。」
 アザゼル殿が指差した方向にクロアはいた。傷の一つどころか服も汚れていない。わたしにはあんまり理解できていないのだが、《ルール》のゴッドヘルパーであるクロアは如何なる攻撃も通用しないのだとか。
 ただし、攻撃できる力ではないらしく、銃による射撃が唯一の攻撃手段だそうだ。百発百中にはなるみたいだが……
「一人なのか! アザゼル殿、他のみんなは――」
「他では……役不足なのだよ。」
「役不足……?」
「ちなみに、今のままの鎧ちゃんでも駄目なのだよ。さっきちらっと見たけど、チョアンとの戦いでなったあのカッコイイ姿でないと駄目なのだよ。」
「……アザゼル殿がそう言うのであればそうなのだろう。よし!」
 わたしは刀を天に向け、高らかに叫ぶ!
「変身っ!」
 交差点の周囲にある街灯や車から細い線状の《金属》が伸び、わたしを包みこむ。そしてわたしはサムライレッド柄のコスチュームとなった。
「……すごいのだよ。」
「うむ。だが、この《金属》をあとで戻さないといけないな。」
「メリーがやってくれるのだよ。」
「そうか。それで……クロアは見えているのだが、肝心の敵は……」
「クロアちゃんの所に行けばわかるのだよ。」
 わたしはとりあえずクロアが立っている所に向かった。衝撃を吸収して放出するこのコスチュームのおかげで、まるで足の裏にバネでもついてるかのような感じで走れた。
「! 鉄心!」
「助太刀するぞ、クロア! 敵はどこだ!」
「……腹立たしいのだけど、あの子供、周囲に溶け込んでいるわ。」
「子供? それはど――」
 次の瞬間、先ほどのチョアンの蹴りと同等の衝撃がわたしの背中に叩きこまれた。だが、その衝撃はわたしのコスチュームに吸収される。
「むん!」
 吸収した衝撃を脚や腕に送り、普段の数十倍の速度で後ろへ斬りかかった。確かな感触を手に覚え、わたしはクロアを引っ張ってその場から離れた。
「……なんだ……? わたしの刀で命を奪う事はできないから、切れた場所は身体の表面や四肢の程度のはず……だがこの感触はなんだ? まるで分厚い肉の塊を切断したかのような……」
「その通りのようだわ。鉄心、あれを。」
 クロアが指差した方に……巨大な熊かなにかの腕が転がっていた。なんだあれは? 今切断したのはあれなのか? あれが腕だとしたらその生き物は優に五メートルを超えている……! それに、血が一滴も……

「すごーい。サーちゃんのパンチ、痛くないの?」

 突然聞こえる幼い声。振り返ると、わたしとクロアから少し離れた所に子供が立っていた。
「鉄心、正義に味方のあなたからしたらあの子供は救うべき対象かもしれないわね。けれど、あれは間違いなく、このアタシたちの敵よ。」
「あの子供が……ゴッドヘルパーなのか。」
『ちょっと違うみたいなのだよ。』
 頭の中にアザゼル殿の声が響いた。おそらく、ルーマニア殿との通信のために持っていた……天使の道具の力だ。
『さっき、ルーマニアくんから教えてもらったのだよ。んまー、そのルーマニアくんは雨上ちゃんから聞いたらしいのだよ。その雨上ちゃんは……鴉間から。敵が情報を流すっていう状態がよくわからないけど、雨上ちゃんがサリラと戦う人に伝えろってルーマニアくんに言って鴉間とのバトルに入ったらしいのだよ。だから伝えるのだよ。』
「んな、このバカゼル! このアタシには!」
『一人じゃ勝てないのだよ。協力者は絶対必要なのだよ。同じことを二回も説明するのは面倒なのだよ。』
「……それで、晴香からの言葉は……」
『よく聞くのだよ。あ、でも頭の中に送ってるから耳をかっぽじる必要はないのだよ。』
「うむ。」
 耳に伸ばしていた指をひっこめるわたし。
『その子供の名前はサリラ。《身体》のゴッドヘルーなのだよ。』
「《身体》か。肉体を強化できそうだな。」
『それに留まらないのだよ。あの子供は生物の進化そのものなのだよ。むかーしむかしから遠い未来、存在したことのある、存在するかもしれない全ての生物の能力を持っているのだよ。』
「……アザゼル殿、簡単に言ってくれないか?」
『動物図鑑に載ってる動物、恐竜図鑑に載ってる恐竜、お話の中に出てくるようなドラゴンとかユニコーンとか、とにかく生きているのならなんにでも変身できるってことなのだよ。』
「なるほど。それは確かに強そうだ。……なぜわたしやクロアでないと役不足なのだ?」
『それは戦えばわかるのだよ。』
「うむ。」
『それと最後にもう一つあるのだよ。これが大事なのだよ。』
「もったいぶらずにいいなさい、バカゼル。」
『鴉間はメリーとディグとの戦いで大けがしたんだけど、その傷を治しているのがあのサリラなのだよ。だから、サリラを倒せば、鴉間のパワーもダウンするのだよ。』
「む! つまり、あの子供を倒すことは晴香の助けになるということだな!」
『いくら第三段階って言っても相手は《空間》なのだよ。戦えるのは雨上ちゃんだけだけど、俺私拙者僕たちにも出来る事があるってことなのだよ。』
「おお! これは頑張らねば! 行くぞ、クロア!」
「もちろんですわ!」
 わたしとクロアは身構える。刀と銃……すごくかっこいいな。
「あはは。サーちゃんも頑張るよ。」
 子供……サリラは見事に隙だらけの構えをとった。
 だが……なんだこの威圧感は。まるで数千、数万の凶暴な獣を前にしたかのような……
「……武術の極みの次は野生の頂点。まったく、恐ろしい敵だ。」


 私は上へ上へ移動する。交差点が小さな点になるほど高く。
「どこまで行くんすか!」
 少し下に鴉間。
「ギリギリまで上に行け、雨上!」
 横にはルーマニア。
 鴉間が第三段階になり、ルーマニアが私の援護に来た。そしてルーマニアが私に言ったのだ。できるだけ上に行けと。
「鴉間とのバトルはスゲーことになると思うからな、出来るだけ周囲に被害を及ぼさねーよーにしねーとな。それに、雨上も空であればあるほど力を使えると思うぜ。」
 ……空と宇宙の境目はだいたい上空一〇〇キロメートルだと言われている。だけどそこまで言ってしまうと私の領域を超える。雲がそんなに高い所にできないからだ。
 だから、私の《天候》の力が使えるのは飛行機が飛行するくらいの高度。上空一〇キロメートルといったところだ。
「……この辺だ。」
 なぜ高度がわかるかというと、雲から下を見たらどんな風に見えるのかと疑問に思ってその高度の写真を小一時間ほど眺めていたことがあるからだ。今、私の視界に映る感じで……まぁ、このくらいだ。
「あっはは、さすがっすね。」
 少し遅れて鴉間も同じ高度に来た。
「こんな高さじゃ呼吸も難しいはずなんすけどね。その球体の中は快適そうっすね?」
 私は《箱庭》の中にいる。だけど……
「……この高さならこれは必要ないですけどね。」
 私は《箱庭》を解いた。瞬間、冷たい空気が肌に触れたが、すぐに快適な温度になった。
「《箱庭》は手の平や自分の周囲に空を生みだすモノです。だけどここ……この高さまで来たらそれをする意味はないんです。だってここは空なんですから。」
「……なるほど? 《山》のゴッドヘルパーなら、山の中。《海》のゴッドヘルパーなら海の中。環境系とか自然系とかに分類されるゴッドヘルパーはその場所でこそ真の力が出るもんす。《天候》であるあなたは……空というわけっすか。」
「そしてあなたは《空間》。あなたの場合、どこにいようとも真の力とやらが出ますよね。この場所でももちろんです。だから、この場所でようやく私とあなたは同じ条件なんです。」
「ふふ、そうっすね。でもよく考えるっすよ? そんな場所にあっしがわざわざ来ている理由。」
 鴉間はゆっくりと両腕を広げる。
「条件が同じでも! 操る《常識》に圧倒的な差があるからっすよ!」
 瞬間、私は目にも止まらぬスピードで後ろに飛んで行く。私がやっているのではなく、『空』がやっている。
 ……鴉間が小さな点に見えるくらいに移動し、私は止まる。同時に、ものすごい轟音が正面の空間に響いた。
『びっくりした。なんかいきなりすごいめんせきのかべがふたつでてきてね、はるかをつぶそうとしたんだよ。』
 鴉間があんなに小さく見えるくらいに後ろにさがらないと避けきれないほどの大きさということだ。
「さすが第三段階だな。さっきとはまるで違う。」
 第三段階になった鴉間はものすごい距離の《空間》を把握できる。今の私の呟きも聞こえているのだろう。
 今の攻撃だって、本気でやったら数十キロ単位の壁を作れるのかもしれない。そうなったら、いくら『空』でも避けきれない。
 それなら……
「『空』、頼む。」
『うん。』
 『空』が頷くと同時に、周囲が暗くなった。夜になったわけではなく、雲に覆われたのだ。私と点に見える鴉間を一瞬で包みこんだ雲。その中に、かつてリッド・アークにぶつけた史上最悪の悪天候を再び引き起こす。
 表現するなら、『神の怒りを買った』だろうか。さっきは《箱庭》の中だけだったが、いまは周囲数キロを巻き込んでいる。
「あっはっはっは!」
 姿は見えないが、鴉間の声が聞こえた。
「なんすかこの悪天候! 牛が飛ぶとか、車が宙を舞うとか、そんなレベルじゃない暴風! 一撃で建物を木端微塵にできそうな氷の塊が銃弾のように飛び交う嵐! 雨粒の一つでさえ、人を殺せる威力! そして一つの街を丸焦げにできそうなくらいに走りまくってる雷! こんなものをリッド・アークはくらったんすか! そりゃバラバラになるっすよ!」
 たぶん、鴉間は空間の壁で自分を包んでいる。メリーさんによると、鴉間は自分を空間の壁で包んでしまうと周囲が把握できなくなるらしい。だけど、それは第二段階の話だ。あんまり期待しない方がいいだろう。
「いくらあっしが、第三段階になると全ての《常識》を操れるって言っても……それはせいぜい第二段階レベル。初心者じゃないっすけど達人でもないレベルっす。そんな付け焼刃がこの第三段階の《天候》が引き起こした天災の中で通用するわけもなく、結局あっしが使える力は《空間》のみっす。あっはっは! 見事にあっしの手数を減らしたっすね!」
 第二段階でも少し見せてきた、他の《常識》を操るという力はこれで封じた。思うに、これはかなりいいことだ。
 鴉間は《空間》のゴッドヘルパーだ。だれが見たって最強クラスの圧倒的な力だ。だけど……それだけだったりする。
 空間の壁。次元の境目を利用することで物理的には決して破ることのできない壁を作る。二次元の世界に三次元の物が存在できないのと同じ現象だ。紙の上に立方体の絵を描いた所で、それはそう見えるだけの平面だ。
 空間の断裂。空間の中に亀裂を作り、それをぶつける。硬度は関係ない。斬れないモノは存在しない。
 空間の振動。空間を震わせて衝撃波を生む。
 空間の圧縮。文字通り、空間ごと圧縮する。潰せないモノは存在しない。
 瞬間移動。空間と空間をつなぐことで、長距離を一瞬で移動する。短冊状の紙の両端に点を描いた時、そのままなら短冊分の距離が二点にはあるけど、紙を折り曲げればその距離はなくなって、二つの点はくっつく。
 どれもすごいことだが、今あげた程度のことしか鴉間はできないのだ。
『ルーマニア。』
 私は心の中……頭の中でルーマニアに話しかける。ルーマニアは魔法で作った障壁で身を守っている。
『あん?』
『絶対的な攻撃力、絶対的な防御力、絶対的な移動方法。それらが揃えばそれだけで最強なのか?』
『鴉間のことか?』
『ああ。』
『……少なくとも、オレ様はそう思わない。んなパーフェクトな存在がいるかよ。』
『そう思う根拠はなんだ?』
『この世界やオレ様や雨上を創った神でさえ完全じゃないからだ。』
『……そうか。それなら安心だ。』
『雨上、お前の強みは第三段階の力を『空』として自分から切り離していることだ。力を使うことで疲労することが無い。対して鴉間は《空間》だ。あのメリーでさえ、第三段階になったとたんに戦闘ができなくなるほどに燃費が悪くなったんだ。あいつの疲労も相当なはずだ。』
『それに、私には……手段がたくさんある。鴉間の言う所の手数が。《天候》は『空』の表情なんだ。人の表情が数えられるほどしかないなんてことはない。同じことだ、《天候》で出来ることも数多くあるってことだ。』
『加えて、鴉間は《空間》を操るための基準となる自分の身体が五体満足じゃねぇ。あのサリラっつー《身体》のゴッドヘルパーを倒せばあいつは……』
『……つまり私は……』
『勝てる。余裕だぜ?』
『でも鴉間は……《空間》以外の《常識》を吸い込む空間を作れるんじゃなかったか?』
『そーだな。でもあれ、近くの《常識》から吸い込むんだろ? 《時間》や《回転》は接近戦が主体だったからアレだったがな、雨上は完全遠距離タイプだ。キロ単位で距離を取っておけば、まぁ大丈夫なんじゃねーか?』
『……元、悪魔の王の言葉を信じるよ。』
『おま……ったく。』
『それじゃあ、元悪魔の王。私ができる最高の攻撃だと思うこの悪天候の中を余裕で進んでくるあの敵を倒すにはどうすればいいと思う?』
 鴉間の姿は見えない。けれど『空』には空のことが把握できる。『空』が言うには、鴉間はこの悪天候の中をゆっくりとこちらに向かって進んでいるらしい。余裕と警戒……その二つのためだろう。
『そうだな。んじゃ、まずはあいつの絶対的な防御力を破るぞ。』
『できるのか?』
『やるしかない。だが、雨上なら可能性は大いにある。自分のパートナーが《空間》との最終決戦に臨むかもしれねーってわかった時からな、それなりに情報を集めてたんだぜ? マキナとかから。』
『そうか。どうすればいい?』
『この世界に存在した事の無い物を創れ。』
『……なんだって?』
『《空間》はこの世界に最初に生まれた《常識》だ。その力で生まれた空間の壁っつーのはつまり、この世界に存在した全てを防げるってことだ。んまぁ、空気みたいに鴉間が無意識の内に通るようにしてる物もあるみてーだし、鴉間側から壁の外に一度でも出た物は通過可能みてーだが、正直第三段階相手にそんな攻撃は通用しないだろう。』
『まて、ルーマニア。話が唐突過ぎて何がなんだか……』
『こまけーことは忘れろ。重要なのはさっき言った、存在した事のない物だ。』
『……?』
『……かなり昔の話になるがな、鴉間のずっと前の《空間》のゴッドヘルパーにとある鳥がいた。そいつは第二段階になり、《空間》の力を使うことができた。主に移動手段として力を使っていたそいつは、獲物を狩れば一〇〇パーセント仕留め、どんな敵からも確実に逃走できた。だがそんな鳥はある時人間に捕まった。鳥かごに入れられたそいつは、《空間》のゴッドヘルパーにも関わらず、そこから逃げることができなかった。』
『……なんでだ?』
『鳥かごなんてものは自然界に存在しない。その鳥にとっては見たことも聞いたこともない代物だったっつーわけだ。本人が知らず、理解できないモノに対して、《空間》の力は無力だ。《空間》ってのは何かを包みこむモノだろ? だから、包めていないモノには弱い。《空間》が《空間》だからこその弱点だ。』
『…そうか、だからサマエルと戦いたくなかったのか。《魔法》は天界にしか存在しないから――ってあれ? それじゃあ……あの《常識》の偽物が出現した時、突進してきたサマエルを鴉間はどうして止められたんだ?』
 確かあの時、サマエルは《魔法》の壁が何かでその身を包んで突進していたはず。《魔法》を止められないなら、どうして鴉間はあの時サマエルを止めることができたんだ?
『そもそもの目的を思い出せ。サマエルはゴッドヘルパーを率いて天界にケンカ売るつもりだったんだぞ? 鴉間が魔法を防げるように訓練とかした可能性は充分ある。それでも、サマエルはディグみたいな、鴉間にも教えてない切り札を持ってたからな……鴉間はサマエルが《空間》の力で防げない特殊な魔法を使えるかもって考えたのかもしれない。』
『なるほど……でもこの世界に存在した事のない物なんて……』
『おいおい、そんな珍しくもねーぞ? さっきの《音楽》の魔法、たぶん鴉間は防げないぜ? それに鎧がやる戦隊モノの技だって元を辿れば空想のモンだ。たぶんあれも防げない。』
『え……なら私じゃなくてしぃちゃんとかが戦った方が……』
『駄目だ。鎧とかじゃ、空間の攻撃を避けられない。』
『……私がやるしかないんだな……』
『だから、珍しくねーって。そもそも、雨上のこころの中にいる『空』だって、《天候》の力で生まれた、この世界に存在した事のない物だぜ?』
『! そう……だな……』
『そっからちょちょいと考えを変えればいいだけだ。雨上なら出来る。』

 ……私は頭の中を整理する。
 鴉間の空間の壁を破るには、この世界に存在した事のない物で攻撃するしかない。なぜなら、《空間》とはこの世界を包みこむモノだからだ。包んでいるモノに対しては絶対的だが、その外側から来るモノには弱い。要するに、鴉間が知らないモノ、理解できないモノは防げない。
 鴉間が知っている、理解しているからこそ、私の悪天候が一切効いていない。
 存在した事の無い物。私の中にいる『空』はズバリそれにあたる。でも『空』に身体はない。パンチやキックができるわけじゃ――

「……ああ。そうか。」
 私は『空』と会話をする。イメージを確固たるモノに昇華させる。
『あはは。すごいねぇ、はるか。』
「……よし、行くよ。」
 私は鴉間の方を指差す。すると、私の真横から雷が放たれた。
 いや……正確には、『雷』が駆けだした。
「あっはっは! 好きっすねぇ、雷。」
 まだ届いていないが、《空間》を把握し、私が雷を放ったことを感じたようだ。
「けど無駄っすよ。あなたが《天候》である以上、放たれる攻撃はすべ――」
 そこで鴉間の言葉は途切れた。同時に、私の身体が真横に移動し、さっきまで私がいた場所の目の前に出現した鴉間の攻撃(空間の断裂とかだろう)を避けた。
「……!! なんなんすか! まさかそこの天使!」
「んあ? オレ様は何もしてねーぞ?」
「馬鹿な! それじゃああれはなんなんす――」
 鴉間はその場で瞬間移動。少し離れた所に出現する。そして、鴉間が一瞬前にいた場所を、さっき放った雷が通り、私の前で止まった。
 雷……ああいや、『雷』さんはオオカミのような姿をしている。三メートルくらいある大きさの黄色い、ビリビリしているオオカミだ。
「なんなんすか、その生き物!」
「『雷』さんです。」
「んな……」
 鴉間は相当びっくりしている。実は私も驚いている。こんな簡単にできるとは思わなかったからだ。でもまぁ、すでにそういう存在はイメージしていたから。
「……私が、空間の攻撃を避ける……『今日の天気』の仕組みを知ってますか?」
「……あなたの中に、《天候》によって生まれた『空』という存在がいるっす。そいつが周囲の空間を把握して避けるっす。」
「半分正解ですね。」
 ……何を丁寧に説明しているんだと怒られそうだが、言葉にすることで、私のイメージはさらに強固になる。
「正確には、『空』が空間を把握し、その情報を元に天気のみなさんが私の願い……『攻撃を避ける』を実現させてくれるんです。」
「……何を言ってるんすか……」
「私の《常識》ですよ。この空には『空』という人がいるんです。その人は私たちを高い所から眺めているんです。そして、その人も喜んだり悲しんだりします。そんな『空』の感情を……表情を私たちに伝えてくれるのが天気と呼ばれるみなさんなんです。《天候》とは、『空』の表情を指す言葉なんです。」
「……! まさか、その……天気を……」
「ええ。私の中には『空』がいます。そしてさっきから、私をあなたの攻撃から守ってくれている存在が天気です。その天気の……姿をイメージしてみました。空は、あなたが言う所の《空間》の一部です。私たちは触れることができません。けれど、天気のみなさんには触れられる。なぜならその身体を形作る成分は自然そのものですからね。」
 私の前にいる『雷』さんがくるりと鴉間の方を見る。それを合図にしたかのように、私が起こした史上最悪の悪天候の中から、それぞれの形を成して天気のみなさんがぞくぞくと登場した。
 もこもことした羊の姿をした『雲』さん。
 流水で形作られた龍の姿をした『雨』さん。
 渦巻く大気が形を成し、鳥の姿をした『風』さん。
 ひんやりと冷気を身にまとい、光を反射する透明な馬の姿をした『雪』さん。
 今まで私が願うことを、『空』を通して叶えてくれていた天気のみなさんが私の周りに集まった。
「ば……ばかな……あり得ないっす! 《命》のゴッドヘルパーであるならまだしも、《天候》が自然に命を与えるなんて……」
「与えてませんよ。最初からいたのを見えるようにしただけです。それと……」
 私は鴉間をビシッと指差す。
「さっき、『雷』さんを避けましたね? つまり、空間の壁では防げないということですよね。」
「っつ……!」
 鴉間の表情が変わり、それを見ていたルーマニアがしてやったりという悪い顔で言った。
「そりゃそうだろうな。自らの意思を持った天気に会うのは初めてだろーしな。」
「そういうことです。行きますよ。」
 私は片腕を上に挙げて言った。
「今日の天気は、『史上最悪の悪天候』でしょう。」
 私が腕を振り下ろすと同時に、天気のみなさんが一斉に動いた。
「くっ!」
 迫りくる龍……『雨』さんに攻撃する鴉間。空間の断裂だったのだろう、『雨』さんの首が切断された。だが『雨』さんを形作っているモノは水だ。切断しても意味が無い。
「がああぼぼっ!」
 『雨』さんの体当たりを受ける鴉間。弾き飛ばされることはなく、ただ単にびしょぬれになるだけだ。無論、息はできないだろうが。
「……!」
 『雨』さんの体内から瞬間移動した鴉間を待っていたのは『雪』さん。『雪』さんが口から出す息はまさに吹雪で、びしょぬれの鴉間を凍らせていく。
「っつああああ!」
 自身にへばり付く氷を空間の振動で弾き、私からかなり離れた場所に移動する。
「……こりゃあ、効果てき面だなぁ、おい。」
「そうだな。」
「……調子にのらないで欲しいっすね!」
 鴉間は再び瞬間移動を行い、天気のみなさんから離れた場所に移動した。
 私も鴉間もまだ悪天候の中にいる。悪天候によって起きる雷や雹などは、鴉間が周囲に展開している空間の壁で防がれている。
 だが、天気のみなさんの攻撃は空間の壁に阻まれることなく、鴉間に届いている。このまま行けば、いつかは鴉間が空間の壁を展開させるだけの体力を失い、この悪天候をまともに受けて倒れるだろう。
 だが、あの鴉間がそう簡単に終わるわけもなかった。鴉間はポケットに手をつっこみ、何かを探しながら叫んだ。
「この悪天候そのものに対しては、あっしが「場」の支配で得た全ての《常識》は通用しないっす。けど、あっし自身を強化することは可能なんす! 空間の壁で防げないのなら別の《常識》で防ぐまでっす!」
「別? 時間でも止めますか。」
 内心ヒヤヒヤしつつもそう尋ねた。
「あはは。あれは無理っすね。知ってったっすか? 時間を止めるということは空気や光の時間も止めることっす。息は出来ないし、動けないし、何も見えないんす。あれは止めてこれは動かすって感じに止める対象を選択するにはメリー並の使い手にならないと無理っすよ。」
「ならどうしますか!」
 私の声に反応して、『風』さんが竜巻を伴いながら鴉間に突進する。
「はっ!」
 鴉間がポケットから何かを投げた。それは瞬く間に大きな岩の塊となり、『風』さんを防いだ。
「あれは……」
「《質量》操作っす。さっきまで下で戦ってたヘイヴィアの十八番っすよ。」
「……そうか。あなたはもともとサマエルの下にいた。あなたが第三段階の力で全ての《常識》を操れるというなら、サマエルの下にいた他のゴッドヘルパーの技術を参考にしないわけがないですね。」
「いいっすよ、もっと直球で言ってもらっても。技術を盗むって。ま、そうは言っても完璧にはモノにできないっすけどね。あっし自身の向き不向きもあるっすし。今の《質量》操作だって、ヘイヴィアならもっと早いっすし、あっしはヘイヴィアみたいに触れずに操ることはできないっす。」
「……それでもすごいですね。」
 今まで戦ってきたサマエル側のゴッドヘルパーの力を多少の劣化で使用できる。《硬さ》、《反応》、《仕組み》、《優しさ》……そして、今鴉間側についているゴッドヘルパーの力。
 もしかしたら、私たちの力だって使えるかもしれない。
『雨上。』
 ルーマニアの声が頭の中に響く。
『それでも、この悪天候の中じゃどんな《常識》の攻撃だろうと、減衰してお前に届くことはないし、《空間》の攻撃をかわせるお前には当たらない。未だに、鴉間の攻撃手段は《空間》のみだ。そして、防御する手段が他にあるっつっても、最強の盾じゃ相性が悪いからぼちぼち強い盾を出したってだけだぜ。あの岩だって、その気なら砕けた。だから――』
『心配はしてない。私には元悪魔の王と『空』と天気のみなさんがいる。』
『そ、そうか……』
『それに、やっと形がまとまったところだ。』
『なんの?』
 ルーマニアの疑問とほぼ同時に、悪天候が埋め尽くすこの暗雲の中に巨大な手が出現した。
「!? なんすか!」
 鴉間はその手に警戒し、さきほどと同じように岩を出現させる。今度は同時に五つ。
 だが……おそらくそんなものは意味がないだろう。
 巨大な手の主の全体が明らかになった。渦巻く暗雲で形作られた雲の巨人。全身を雷が走るその巨人は……たぶん、青葉結が作った《カルセオラリア》くらいの大きさだろうか。私がイメージできる巨大な人型というとあれのイメージが強いから。
「紹介します。」
「!?」
「『悪天候』さんです。」
「雨上……この悪天候そのものに命を与えたっつーのか……」
「与えてない。さっきからいた。」
 私の素っ気ない答えに対し、鴉間は目を見開いて何かを呟いた。
「ここまで来たら……もはや……《天候》のゴッドヘルパー、雨上晴香は――」


 あたしたち……あたしと速水と音切勇也は一人の男、アブトルを身構えながら囲んでる。
「や……やばいっすね。あの作家。」
 囲んでるのはあたしたち。傍から見たら優勢はあたしたち。でも速水は「こいつはやばいぜ」という表情でそう言った。
「ああ。雨上くんが花飾くんをここへよこしたのは正解だったかもしれないな。」
 音切勇也も同じような顔。てかかっこいい。イケメンはどんな顔でもイケメンだわぁ。
 ちなみにあたしは特に構える必要もないから立ち尽くしてる。
 あたしたちがそんな感じで攻めあぐねてる中、アブトルはカキクケコを見て驚愕してた。
「ああ! なんということか。小生としたことが、お主の存在をすっかり忘れていた。こころのどこかで『そんな天使いただろうか?』という考えがあったのだろう。そのせいでお主だけ、小生の《物語》の影響を受けて『いないこと』にされておったのだな!」
「お前の仕業かこの野郎!」
 敵にまで忘れられていたカキクケコって一体……でも、そのおかげでヘイヴィアを倒すヒントを得られたんだし、いいことだわ。
「……ずいぶん余裕っすね!」
 速水が衝撃波を放った。
「ふむ……」
 速水が放った衝撃波はかなりの速さのはず。だけどアブトルは……なんて言えばいいのかしら、アブトルが本を開いた瞬間に……時間の流れが遅くなって……
「『彼は得体の知れない恐怖を感じつつも、己を奮い立たせてその一撃を放った。しかし、その一撃は風に溶け、彼の瞳に映る男に届くことはなかった。』」
 速水の放った衝撃波はアブトルに届かなかった。衝撃波なんてものはあたしには見えない。けど、アブトルに何も起きてないってことはそういうこと。
「すごいっすね……それ。」
「何を言うか。お主らもすごいではないか。」
 アブトルはパタンと片手で本を閉じてあたしたちを順番に見る。
「お主は風のごとき速さで動ける。お主はどんなに硬い物でも振動で破壊できる。お主は人間のこころを操ることができる。ゴッドヘルパーは総じてすごいのだ。」
「はっ!」
 音切勇也は指を鳴らす。すると一瞬キィンって高い音がして、アブトルの後ろの建物の壁が崩れた。瓦礫はもちろん、真下のアブトルへ。
「ふむ……」
 アブトルが再び本を開く。また……時間の流れが遅くなる。別に身体が動かなくなるわけじゃない。さっきから見る限り、あたしたちには影響がない。でも……それ以外はイライラするほどに緩慢に動く。なによこれ。
「『彼が放った音は、建物を崩し、男に瓦礫を降らせる。しかし、なんと不思議なことか。男は万に一つの可能性を掴んだのだ。降り注ぐ瓦礫は一つとして男に当たらなかった。』」
 アブトルが言った通り、瓦礫はアブトルの周囲に落ちた。アブトルは一歩も動いてない。
「……あんたの力……《物語》の力ってかなり面白いわね……」
「そうであるか? しかし、ここまでできるようになるまで、少なくない時間をかけた。そう言ってもらえるのであれば、努力した甲斐もあったというものだ。」
「よかったら、説明をしてもらってもいいかしら?」
「はっはっは。随分単刀直入に尋ねるのだな。別に構わないがな。」
「あら、いいの?」
「ゴッドヘルパーには二種類あるであろう? 自分の《常識》を知られると対策をうたれてしまう者と、知られたところで困りはしない者の二種類が。ルネットやクリスのような者は前者、鴉間やチョアンのような者は後者。小生は後者である。」
「へぇ?」
「では……まずは物書きについてであるな。」
 アブトルは呑気な事に、音切勇也が落下させた瓦礫に腰を落とした。こいつむかつくわね!
「物書きには二種類ある。はっはっは、またもや二種類だな。」
 知らないわよ。
「この場合は、『思った通りに書く者』と『思う通りに書く者』である。共に主語は物書きである。」
「難しい言いまわしですね。さすが作家さんってとこっすか?」
 速水が眉をひそめながらそう言った。まったくもって同意だわ。
「時間、場所、人物、関係、出来事、感情、方法、結論、終末……《物語》を構成するあらゆることが物書きの『思った通り』に進む場合、その物書きは前者である。よい例が推理モノであるな。例えば殺人事件が起きたとする。その時、登場人物や殺し方、動機などは綿密な計画の元、順序良く記される。」
「つまりどういうことだ?」
 音切勇也が……ちょっと意外だけど、興味深そうに尋ねた。アーティストとして何か思うとこでもあるのかしら? 歌手も作家も、自分の世界や想いを形にする人を指す言葉だし。
「こういう《物語》を書こうと決め、始まりと終わりを確定させ、少しの脱線もなく《物語》を書き終えるということである。だから、『思った通りに書く』のだ。」
「では、『思う通り』とは?」
「平たく言うのであれば、自らのアイデアに振り回されるということである。好きで振り回される場合と、毎度振り回されて困る場合があるが、結局のところ、始まりは『思った通り』であっても終わりがそうならないのだ。大いに脱線し、大いに迷走する。」
「アイデアに振り回される?」
「ふむ……こればかりは経験せんと理解し難いだろうな。よくあるのは登場人物に振り回される場合だ。役割を与え、動かし方も決めたはずが、この人物ならこの場合はこう動くのでは? と物書きが途中で疑問を覚え、人物が暴走を始めるのだ。その時々に物書きは『思う通りに書く』。これが後者の物書きである。」
「……正直、よくわからないな。そもそも、なんでそんな話を?」
「小生は……どちらでもあるが、大半は後者である。いつもアイデアが暴走し、始めと異なる方向へ進む《物語》への対応を迫られる。ああ、勘違いしないで欲しいのだが、別にこれは悪いことではない。その作業は非常に楽しいモノであるしな。」
「あなたは『思う通りに書く』物書きである……それがつまり?」
「そう急かさんで欲しいところだ。お主、『思った通りに書く者』と『思う通りに書く者』、それぞれどういう能力が優れていると思う?」
「……前者は計画性、後者は対応力……だろうか。」
「その通りである。小生は大半が後者故、対応力だけには自信がある。これでも多くの《物語》を書いてきたのでな。」
「! まさかあんた!」
 そこであたしはそう叫んでしまった。アブトルが過去にやって来た《物語》を使った攻撃と、さっきの不思議な現象。そしてこいつの考え方……組み合わせるとかなり……やばい《常識》を持ってることになるわ……
 そしてそうである場合、こいつがこんなにのんびりと座ってしゃべってる理由の説明がつく。
「花飾くん?」
「……あんたに一つ尋ねるわ。」
「どうぞ。」
「あんた、この世界をどう思ってんの?」
 あたしの質問に、アブトルはめちゃくちゃ嬉しそうな顔になった。
「いやはや、実に聡明な女の子であるな。ずばり核心を突く質問である。」
 アブトルはその顔のまま、上を見上げてこう言った。てか女の子って……

「この世界は、神が書く《物語》である。」

「やっぱり……」
「ん? どういうことだい、花飾くん。」
「オレ、ちんぷんかんぷんなんですけど。」
 あたしは身体から力を抜いてため息をついた。こいつの前で身構えることは無意味だわ……
「……アブトルは、この世界を神さまっていう作者が書いてる《物語》だと思ってる。これはアブトルの《常識》。そしてアブトル自身は《物語》のゴッドヘルパー。」
「まさか……自分もこの世界を自由に書けるとか思ってるんすか? あいつ。」
「思っていないわ。この前あたしたち全員を巻き込んだやつも、さっき空に《常識》を出現させたやつも、ぶっちゃけただの幻覚に過ぎないわ。幻よ。たぶん、神さまの《物語》に対して自分ができるのはその程度と……思ってるのよ。」
 これは完璧にあたしの推測。本当はどう思ってるかなんて知らないわ。やばいのはこの先。
「でもあいつはさっき言ったわね。対応力には自信があるって。ここで言う対応力ってのは暴走したアイデアに対応する能力のことよ。」
「だからなんだってんすか?」
「んじゃ聞くけど、この世界が神さまの書いてる《物語》だとしたら、暴走するアイデアって何を指すと思う?」
 それに答えたのは速水じゃなかった。
「暴走……つまり、神という物書きが書く前に『思った』ことと違うことを行うモノだろう?」
「そう……です。」
 ああんもう! 音切勇也にため口なんか無理よ!
「ああ! それってゴッドヘルパーじゃないすか!」
 そこで速水が叫んだ。それを聞いた音切勇也は手をあごに当ててなかなか様になるポーズ。
「神様が決めた《常識》を上書きしてしまう存在……なるほど、確かにな。」
「この世界を《物語》とするなら、アイデアが暴走するってことはつまり、ゴッドヘルパーが《常識》を上書きするってことに等しいのよ。」
「それに対応することに自信を持ってるってことは……オレたちゴッドヘルパーの上書きに対応することが得意ってことっすよね。」
「そうよ。普段は神さまの《物語》をいじるなんて出来ないけど、暴走したアイデアへの対応だけは、あいつの自信によってそれが可能になるのよ。」
 アブトル……いえ、神無月世界と言えば、色んなジャンルでたくさんの本を書いてるってんで有名。発刊した本の総数はかなりのモンになるはず。そりゃ自信もつくわよ。
「……つまりあいつはどういうゴッドヘルパーなんすか?」
「あいつ、アブトルはねぇ、あたしたちが《常識》を上書きした瞬間だけ、それに対応するという形で……一瞬だけ神さまになれるゴッドヘルパーなのよ。その瞬間だけは、鴉間も超える。」
「つまり、俺たちが攻撃した時だけ無敵の存在になるということか。普段は幻を見せる程度しかできないのに……か。」
「でもっすよ? 攻撃に対応するだけってことは、攻撃できないってことですよね?」
「はっはっは。」
 そこでアブトルが笑った。
「確かにその通りである。全てそこの聡明な女の子の言った通りであるよ。ゴッドヘルパーというアイデアが《常識》の上書きという暴走をした時のみ、小生は周囲のありとあらゆるモノの支配権を得るのだ。さながら鴉間の第三段階のようにな。まぁ、生き物以外の……ではあるがな。」
「へぇ、そうなの。」
「他の生き物というのはつまり他の登場人物であるからな。それをいじるということは話の本質を変えかねない。極端な話、登場人物の登場する《物語》から登場人物を消してしまったら《物語》は進まぬだろう? 初めから登場人物がいない《物語》ならともかくな。」
 だから……アブトルが本を開いた時、時間の流れがゆっくりになるのにあたしたちには何も起きないのね。
「でもですよ。やっぱりそんなにすごくないっすよ。さっきも言いましたけど、あんたはオレらの攻撃を防ぐだけしかできないんすよね?」
「はっはっは。攻撃は最大の防御と言うであろう? ならば、最大にはならぬかもしれぬが、防御も攻撃になる理屈ではないか。簡単な話、相手の拳を盾で防いだなら、身を守ると同時に相手の拳も砕くであろう?」
「んな……じゃオレの衝撃波はどうしてたんすか! オレのとこに跳ね返ったりはしてこなかったっすけど……」
「速水、あいつのさっきまでの対応は手加減してたってことよ。むかつくけど。」
「はっはっは。それは違うな。対応自体は簡単だが、それを攻撃に転ずるにはお主たちの攻撃の性質をよく知らねばならぬのだ。もっとも、既に把握は終えたが。」
「……ふむ、要するに、あのゴッドヘルパーの……戦闘スタイルはカウンターなのだな。」
 音切勇也がアブトルを見ながら言った。
「こちらから攻撃しなければあちらは何もしてこない。しかしいざ攻撃をしたのなら、時間さえも操って俺たちの攻撃を無効化し、カウンターを返してくる。だからあんなにのんびりと座っているわけか。」
「そんな……どうするんすか。」
「あによ、簡単じゃない。」
 あたしがそう言うと二人はびっくりしてあたしを見た。あたしは当たり前のことを言う。
「ゴッドヘルパーの力を使わないで倒せばいいのよ。そうすればあいつはただの作家よ。あたしたち三人でボコボコにすればそれで終わりよ。」
「花飾さん……ひどいっすね。」
「あによ。」
「だが事実だな。あの作家が武術の達人でなければ……それで倒せるが。」
 あたしたちは揃ってアブトルを見た。アブトルは一度目をパチパチさせ、その後にっこりと笑った。……どうでもいいけどにっこり笑われても怖いわよ、その顔じゃ……
「もっともであるな。確かに、小生はチョアンのような武術の達人ではない。しかし、相手が動くまでただひたすらに待つだけの小生ではないのだ。それなりの策はあるのでな。」
「へぇ?」
 あたしがそう言うと、アブトルは本を開いてこう言った。
「『男は指示を出す。眼前の数人を排除するために、数万の矢を。』」
「……! 花飾さん!」
 速水が上を指差す。アブトルの後方の空から大量の矢がこっちに迫って来た。
「速水くん、心配ない! あれは幻覚だ!」
 音切勇也の言う通り。あれはただのまぼろ――

 ――ドクン――

「……!!」
「はっ!」
「おりゃっ!」
 ……ほんの数秒前、アブトルはカウンタータイプだって……あたしたちが《常識》を上書きした瞬間に神さまになるって……言ったのに……
 速水は衝撃波を、音切勇也は《音》の振動をそれぞれ矢に向かって放っていた。そしてあたしも、その二人のうしろに隠れていた。
 矢が降り注ぐ。衝撃波と《音》の振動であっちこっちに散った数え切れないほどの矢。あたしたちが立っている場所以外に突き刺さり、地面を埋め尽くしていく。
 矢の雨が止んで数秒後、あたしは音切勇也の右腕から血が出ているのに気付いた。
「そんな……今のは……本物……」
「……確かに痛みがある。それに、はね返す時に感じた重み……あれは間違いなく……」
「どういう……ことっすか。」
 あたしたちはアブトルの方をおそるおそる見た。
「はっはっは。どういうことも何も、きちんとしたカウンターである。」
「何ですって!?」
「小生が《物語》で作り上げた降り注ぐ矢の幻覚にお主たちが攻撃をした瞬間に、小生は幻覚を現実のモノへと変換したのである。その矢はさっきまでは幻覚で、今は本物というわけである。」
 違う。そこじゃないわ。そんなことだろうと思ったわよ。問題は、幻覚だってことを理解してるはずのあたしたちが、攻撃しちゃったってことよ!
「速水、あんたは何で攻撃したの!」
「オ、オレは……つい……」
「俺もそうだな。強いて言えば……つい……なのか?」
 あたし自身、あの矢から身を守ろうとして二人の後ろに移動した。
 いくら幻覚とわかっていてもいざ視界に入ったら恐怖を覚えた? いいえ、そんな生易しいことじゃないのよ。あれは……あの矢は……
 あたしは地面に刺さっている矢を一本引っこ抜く。やじりがあって、羽があって……本物の矢。けどなんなの……この感覚。
 確かに手に持ってるわ。触ってるわ。見てるわ。けど……妙に……存在感が……ない。確かな現実、リアルだと認識しているのに、あたしの頭がこの存在を認めていない……?
 ありえない……?
「その矢に違和感を覚えるのは当然である。この世には存在せぬモノ故な。」
「えっ……?」
 アブトルは相も変わらず座ったまま説明を始めた。
「お主らも座ってはどうだ?」
 と、言われてもあたしたちは座らない。座れるわけないわ。
「……お主ら、ミロのヴィーナスを?」
 ミロのヴィーナス? あの……腕のない女神像? あれが今なんだってのよ。
「知っての通り、あれには両腕が無い。不完全であるわけだ。しかし、あれは何人もの芸術家、王を魅了してきた正真正銘のヴィーナスである。なぜだかわかるか?」
「知らないわよ……」
「両腕が無いからである。あれを見たとき、人は想像する。どんな腕なのだろうと。あの欠けた部分には、どんな素晴らしい両腕がつくのだろう……と。その想像が不完全な像を美の女神にしておるのだ。」
 アブトルは真剣そのものという表情であたしたちを見た。
「人を喜ばせ、悲しませ、恐怖させ、戸惑わせるモノ。人の感情を引き出すモノの究極は想像にしかない。故に、理想という言葉があるのだ。」
「理想……ねぇ?」
「例えば、理想の男性、理想の女性を思い描いてみるのだ。人によって、様々な人物像が想像されるだろう。しかしどうだろうか? その人物を絵に出来るだろうか? 目や鼻の位置を具体的な数値で言えるだろうか? 声の高さは? 肌の色は? 性格は? 人を形作る全ての要素を、想像の外に出して具体的に考えようとすると、例外なく破たんせぬか?」
 ……アブトルの言ってることは……わかるわ。理想の男の条件を並べていって、あてはまる男を探そうとしたら……その行動はいつだって「そんな奴いるわけないわ」で終わるものだわ。近い男はいても、一〇〇パーセントは……ない。
「理想は理想の範疇を出ない。これは想像……イメージも然りである。矢と聞いて思い浮かべる矢のイメージ。だいたいこんな感じだっただろうかというレベルの想像。その想像も決して現実には存在しないのだ。」
「何言ってるんですか。矢は存在するっす。」
「いや、存在しない。お主らが矢の形をイメージする時、そこにはお主らの記憶が影響してくる。あの映画であの人物が使っていた、ゲームの中のあのキャラクターが使っている、やぶさめを見た事がある、破魔矢の形は確かこういう形だった……などといったその者にしかない記憶で形作られるその者にしか想像できないイメージである。故に現実には存在しない。」
「……なるほど。確かにそうかもしれないな。」
「ふむ、やはりアーティストともなれば似たような感覚を覚えるのであろうな。」
 アブトルは満足気に笑う。ていうか、んなことはどーだっていーのよ! なんだってこの男はこんな回りくどい説明をすんのかしら!
「理想も想像も頭の中から出る事はない。しかしだ、それがもし可能だったらどうなる?」
「? 何を言っているんだ?」
「自分のイメージと寸分たがわぬ物が目の前にあったとき、それをそれではないと否定できるだろうか? 答えはできないである。否定する要素がないのだから。」
「だから何を……」
 そこで音切勇也は何かに気付いたみたいだった。慌てて周囲の矢を見まわした。
「まさか……この矢は……」
「単純な話、お主らのイメージする矢そのままの姿をしているのである。故に、三人が三人とも、見え方が異なるはずである。」
「!」
 あたしたちは目を合わせた。
「速水! あんたにはあの矢は何色!」
「黒っす。」
「あたしは茶色……」
「俺は白だ。なるほど、これを使ってさっきも《常識》のゴッドヘルパーを見せていたのか……」
 そういうことね。誰も一度も見たことない《常識》……イメージしてたままの形で登場されたらそれが《常識》だって信じるしかないわ。疑うことなんかこれっぽっちもせずに……
「小生は大量の矢の幻を見せたわけではないのである。正確には、『大量の矢』という一言を書いただけである。その一言を読んだお主らがイメージした矢が降ってきたのである。イメージと寸分違わぬ矢の出現……幻覚だと知っているということ以上にそれを本物だと認識してしまうのである。頭でどうにかできることではない……熱い物に触ったら手を引っ込める反射に近いのである。」
「なるほどな。さすが作家というわけだ。」
 音切勇也が不思議な感心の仕方をした。
「えっと……どういうこと……ですか?」
「花飾さん、何で敬語なんすか?」
 うっさい、速水。
「小説とかがさ、映画になったりするとよく言うだろう? イメージと違うって。つまりあれは、文章から想像される世界観とか人物とかと違うなって意味だ。小説は読む人によってイメージが変わる……言葉一つで違いができるんだよ。自分の思い描いた世界を伝えようと、作家は文章を書く。多くの人ができるだけ同じイメージをする言葉を選ぶ。そんなことを仕事にしているんだ、こういう戦法も思いつくはずだろ?」
「そうっすね。そんで……今オレたちって結構ヤバめですよね?」
「……幻覚だとわかっていても本物だと認識しちゃう幻覚であたしたちの攻撃、《常識》の上書きを誘って……カウンター。そうね、かなりまずいわ。でも勝機ゼロってわけでもないと思うわよ。」
「まじすか。」
「あいつ、本と万年筆を持ってるじゃない? 別にカッコつけるために持ってるわけじゃないと思うのよ。」
「確かにな。あれは……《物語》を操る上で必要な行為なのかもしれない。あれを奪えば……」
「うっす。とりあえずそんな感じで……!」
 なーにがそんな感じなのかわかんないけど、速水がうんうん頷いた。
「作戦会議は終わったようであるな。では……」
 アブトルが本を開く。
「『男は構える。その手にはあまる無数の砲身を。』」
 アブトルの横、両サイドに無数の鉄砲が出現した。
 鉄砲……拳銃って言えばいいのかしら。クロアが持ってるのは見たことあるけどじっくりなんて見たことない。映画とかでしか見ない代物だもの。でも想像しろと言われたら何かしらのイメージは浮かぶ。その何かしらのイメージそのままの姿があたしの視界に入ってる。
 あれは幻覚、幻……
「あは、どうみたって本物よね。本物見たことないけどそうとしか思えないわ。」
「それがイメージの力である。」
 同時に火を吹く拳銃。それに対して衝撃波を、《音》の振動を放つ二人。……あたしには見わけがつかないけど、その瞬間に放たれた銃弾は幻覚から本物に変化した。
「うおっと!」
 さっきの矢と同じように周囲にばら撒かれる銃弾。あちこちの壁に無数の穴が空く。
「……正直な話、銃口を向けられて平然と反撃できるってどーなんすかね。オレたち。」
「昔なら異常だろうな。だが今は、超能力者が闊歩する時代さ。」
「そうですね。」
 言いながら速水はかけっこのスタートラインに立った人みたいな姿勢になった。
「どうせ本物になる幻覚なら最初から本物と思えばいい。そんでもって……衝撃波とかとは違う、オレ自身にかける《常識》の上書きは操れるんすかねっ!」
 速水が消える。
「はっはっは。確かに、それは微妙に登場人物への干渉であるからな。しかし、できないわけではないのだ。」
 アブトルがそう言った瞬間、あたしたちとアブトルの間に速水が突然現れて……転んだ。
「速水?」
「痛っ! いきなりオレの《速さ》が……なくなった?」
「こういうことだけはできるのだ。」
 つまり、その上書きを変化させることはできないけど、無かった事にはできるってことね。
「『男は落下させる。視界から敵を消すために、クロガネの塊を。』」
「落下……上か!」
 音切勇也とあたしは同時に上を見た。でっかい鉄球が降って来るのが見えた。
「むん!」
 音切勇也が指を鳴らす。鉄球は一瞬震えたかと思うと粉々に砕けた。リッド・アークの武器を壊した時と同じ、共振現象ね。
「おおおおおっ!」
 速水がアブトルの横にまわりこむ……普通の速さで。
「『男は遮る。迫りくる獣から身を守るために。』」
 速水の前に分厚い壁が出現。速水は止まらずにその壁に向かって衝撃波を叩きこむ。けれどその壁はビクともしない。
「くっそ!」
 速水は……これまた普通の速さであたしたちの場所に戻ってきた。なんかかっこ悪いわね。
「……んん?」
 何かしら。なんか引っかかるわね。
「? どうしたんすか? 花飾さん。」
速水があたしを見た。あたしは速水をじっと見た後、音切勇也を見た。ああ、やっぱかっこいいわねぇ。
「……もしかして……ちょっと速水。」
「なんすか?」
「あたしの目をみなさい。」
「あ、なんかいい作戦を思いついたんすね!」
 あたしは速水に……《変》をかけた。
「……なんすか? 今の。」
「いいから。速水、あいつに一発でかいのをぶちこんでやって。」
「うっす!」
 体育会系の返事をした速水は拳を引き、アブトルを狙う。……あんた天文部じゃなかったっけ?
「はっ!」
 放たれる衝撃波。見えないけど風が吹くからわかる。
「む。」
 アブトルが本を開く。するとアブトルの前で何かが弾けた。たぶん、衝撃波が散らされたのね。けれど――
「!!」
 突然ふっとばされたアブトル。
「あれ?」
「な……」
 速水と音切勇也が驚きの声をあげる。あたしはニンマリする。
「ぬっぐあ……っつ!」
 武術なんか使えないとか言ってたクセに。猫みたいな身のこなしで綺麗に着地するアブトル。サマエルの下についた奴って全員こうなのかしら。さすがねー。
「な……なんということであるか。」
 アブトルがあたしを目を見開いてみた。そこであたしはさらにアブトルをびっくりさせる為にこんなことを言った。
「久しぶりに……数え間違えたんじゃない?」
 あたしの言葉に二人は首を傾げる。対してアブトルは……
「……そちらのキレ者は雨上晴香かと思っておったのだがな……ここにもいたであるか。」
 驚き半分、喜び半分な顔をしてた。


 オレはかなり驚いている。正式名称は忘れちまったけど、チームメリーさんの二人、ジュテェムとホっちゃんが……地面に横たわってるからだ。
「雑魚……とは言わねぇよ。相性が悪いだけだ。」
 メリオレは頭をポリポリかいてる。オレはその隙を狙い、近くの石ころを蹴りあげて運動エネルギーを与えた。石ころは銃弾のようにメリオレの方にとんでいく。
 だが石ころがメリオレにぶつかる一瞬前に、メリオレが真横に移動し、石ころは外れる。ここで驚くべきは避けたことじゃなくて、避け方だ。
 メリオレは、避ける前と後でポーズが変わってない。まるで地面が勝手に動いたかのような避け方だ。
「はん。まるで念力だな。」
「そういうあんたは瞬間移動かなんかかよ。」
「たっは、ただの《反復》だ。」
 《反復》……《反復》だから《重力》とかが効かないって? 意味がわかんねー。そういやムームームは何かに気付いたみたいだったな。
「ムームーム、どういうことだ?」
「自分で考えなさい……っていつもなら言うところだけどね。そうも言ってられないよね。」
「おいおい、さっき言ったろうが。種明かしすんなって。」
 一瞬でメリオレがオレの目の前に移動してきた。同時に上体を大きく傾けながらのハイキック。オレは《ルゼルブル》からエネルギーを取り出して運動エネルギーに変換、後退する。
「おお。」
 感心しながら……ハイキックを出した後の体勢のままオレの目の前に滑るように移動、かかと落としを繰り出すメリオレ。正直かなり気持ち悪い移動方法だぜ。
「ほりゃ!」
 オレは落ちてくるメリオレの脚に片腕を添え、軌道をそらした。メリオレのかかと落としは硬いコンクリの地面に――
「ふん。」
 かかと落としをしていた足が地面に触れるや否や、その脚を軸に強烈な回し蹴り。オレはとっさに腕でガードしたが、そのまま蹴り飛ばされた。
「いって!」
 受け身をとりつつ着地したオレの横にムームームがやってきて――
「はい。」
 そのままにしといたらハレてきそうなオレの腕をポンと叩く。すると一気に痛みが引いた。たぶん魔法だ。
「ふぅん? お前、結構いい動きすんのな。」
「……この小さい天使に日々鍛えてもらってんだ。あんたこそすげー動きすんな。」
「オレは――」
 メリオレが何か言おうとしたその時、メリオレの周囲の地面が一気に陥没した。メリオレが立っている部分だけが何事もなかったように残る。……しゃぶしゃぶの鍋みてーだ。
「……学習しろよ。」
「ならばこれはどうです!」
 メリオレを挟んでオレの反対側にジュテェムが立っていて、両手に……なんか黒っぽいエネルギー弾みたいな物を持っている。
「グラビティ・ボール!」
「ん? それは初めてだ。」
 メリオレはその場から消え、ジュテェムの攻撃が唯一残った地面を粉砕する。それとほぼ同時にジュテェムが立っている地面が爆発した。
「ジュテェム! 平気か。」
「ええ。感謝します。」
 爆炎の中から悠然とジュテェムが出てくる。その横に並ぶのはホっちゃん。
「なるほどな。今の爆破は《温度》が防いだのか。爆炎の《温度》を下げて爆風が起きないようにしたか。」
 陥没した地面の淵に立つメリオレがそう言った瞬間、メリオレは巨大な爆発に巻き込まれた。
「あのなぁ、人がしゃべってんだろうが。」
 地面にヒビが入り、砕けている……メリオレが立っている場所を残して。
『十太。』
 突然頭の中に響くムームームの声。
「なんだ?」
 思わず声に出して答えたオレ。ムームームはあきれ顔。
『バカ。返事しないでいいの。あいつは種明かしを嫌ってるからこうやって教える。よく聞いてね。』
 オレはこくんと頷いた。
『さっき《重力》が言ってたけど、ゴッドヘルパーは自分が操る《常識》を否定することもできるの。メリオレに《重力》と《温度》が効かないのはそのせい。そしてあの奇妙な動きは《反復》の応用。順番に説明するね。』
 メリオレは乱れた髪の毛をなおしている。オレはそっちを見つつ、ムームームの話を聞く。
『《反復》とは繰り返し。《反復》の否定は繰り返しの否定に他ならないわ。つまりメリオレは一度経験した事なら、それがもう一度起きた場合に否定できるってこと。』
 一度経験したことを否定する? 要するに無効化するってことか。
『この世界に生きてる限り、《重力》は常に感じているモノだよね。そしてジェットコースターにでも乗れば、身体がふわっとなる感覚と押し付けられる感覚を感じることができる。それはつまり《重力》の減少と増加を感じること……経験することに等しい。』
 んん? 厳密にはジェットコースターの力は遠心力……いや、でも「Gがかかる」とか言うか。この「G」ってのはグラビティの「G」だもんなぁ。
『メリオレは《重力》が増加するってことを経験したことがある。だからジュテェムが十倍、百倍の高重力をかけても効かない。それはメリオレにとっては繰り返し、《反復》だからね。同様に、《温度》が上がるとか下がるなんてことは日常的に経験することだから、メリオレには《温度》の操作が効かない。周囲の《温度》を急激に上昇させて爆発を起こそうとしても、メリオレの近くだけは《温度》変化が起きず、爆発が起きない。』
 そうか。あの二人が相性悪いってのはそういうことなのか。要するに、どっちもあるのが当たり前の日常的な《常識》なんだ。
『でも何でもかんでもって訳じゃないところが救いだね。例えばさっき、十太は石ころをメリオレに飛ばしたでしょ? メリオレからしたら『石を飛ばされた』って経験だから、《エネルギー》の操作を否定されることはないんだ。二度と石を飛ばして当てることは出来なくなったけどね。』
 あくまで、あいつが経験することだけってことか。オレが《エネルギー》を操ることはあいつの経験じゃねぇ。
『ここまででわかることは一つ。十太の力が否定されることはないけど、攻撃すればする程に十太の攻撃手段が減っていくってことだね。全ての攻撃のチャンスが一度しかない。』
 シビアだなぁ、おい。
『次にメリオレの奇妙な動きについて説明するね。《反復》を操るメリオレにとって、一度やったことのあることを《反復》させることは簡単なことってのはわかるよね。』
 さっきとは逆に、自分がやったことのあることを繰り返すってことか。
『例えば、『右に二メートル移動』したことがあれば、メリオレはそれを繰り返すことができる。体勢に関係なく、結果として自分が右に二メートル動けばそれで繰り返しになるんだね。そして、その繰り返す速度……《反復》させるスピードもメリオレは操れる。前は移動に五秒かかっていたとしても、《反復》させる時に五秒かかるわけじゃない。その時間は瞬間移動と呼べるくらいに短くできるんだよ。』
 ……普通に生活してりゃ大抵の動作はやったことあるはずだ。前後左右だけじゃなく、三百六十度全方位に高速で移動できるはず。その上で『蹴りをしたことある』だとか、『パンチしたことある』とかの経験を高速で《反復》すれば……型とか構えが全然ダメでも、体勢が無茶でも、達人みたいな速度の攻撃を放てるってことか。
『たぶんさっきからやってくる爆発も《反復》だね。『爆発を起こしたことがある』んだね。最初の一回は爆弾本体が必要でも、《反復》の段階なら爆弾そのものが無くても爆発するって現象を繰り返すことができるんだ。』
 ……うぇ!? それってかなりやばいんじゃ……
『ただし……これは推測だけど、『誰かを殺したことがある』ってだけでいつでも誰かを殺せるわけではないと思う。それができるならメリオレは鴉間なんか目じゃない最強のゴッドヘルパー。たぶん、人や物に何かをするって経験だけは《反復》できないんだと思う。この世にまったく同じ人は存在しないから、仮に十太を殺したという経験があっても、繰り返せるのは十太を殺すってことだけなんだよ。』
 縁起でもねぇ!
『そして、例えば『車を高い所から落としたことがある』って経験があっても、いつでも車を落とせるわけでもない。それは車を創造することになっちゃうからね。車が落下したことで生じる衝撃とか、地面の陥没とかは《反復》できるんだろうけど。』
 簡単に言えば……何かをしたことで生じた結果を繰り返す事が出来るってことか。
「さってと……」
 ムームームの説明が終わったあたりでメリオレがこっちを見た。
「しかしお前の戦い方は普通だな。《エネルギー》ってんだから、ビームとか撃てるんじゃねーの?」
「できるか、んなこと。」
「おいこら!」
 メリオレの中ではもういないことにされていそうなホっちゃんが叫ぶ。
「お前、おりゃたちをあの程度で封じたとでも思ってんのか?」
「あ?」
「力は応用するもんだって話だ!」
 次の瞬間、オレはすごい熱を上から感じた。真夏の日差しをダイレクトに浴びてるような――
「――って、なんだあれ!」
 オレとメリオレの真上に……太陽としか表現できない物体が浮いていた。真っ赤に光る……マグマみたいな何かがすげぇ熱を発している。
「んん? ああ、さっきアブトルと一緒に《物語》を操作してる時に見たぜ。《重力》が浮かせた瓦礫やらなんやらを《温度》がドロドロに溶かしてそれを降らす。なるほど、確かにこれならオレにも通る攻撃だな。」
「ちょちょちょ! オレもくらう! それ!」
 オレが抗議するとホっちゃんはあごでオレの近くに立ってるムームームを指した。守ってもらえってか。
「くらえ!」
 降り注ぐ赤く輝く雨。オレはムームームのバリアの中でそれを眺める。
「は、さすがにこれは初めてだな。」
 メリオレはそう言いながらあの気持ち悪い動きで雨から遠ざかる。
「逃がしません!」
 空から地面に垂直に降ってた雨は突然軌道を変え、真横に飛んでってメリオレに襲いかかる。
「っと。」
 移動速度がさらに加速するメリオレ。もう動きがコマ送りみたいにしか見えねぇ。
 ……あの雨は降り止んだら最後、次からはメリオレに効果が無くなるわけか。その辺のところをジュテェムは理解しているようで、次から次へと空中に浮いてるドロドロの太陽みたいな塊に新しい瓦礫とかを補充している。たぶん、メリオレがやられるまで降らせるつもりだ。
「……あんなんくらったら死ぬよな。」
「そうだね。困るね。だからできれば十太にやっつけて欲しいんだけどな。」
「簡単に言うなよ……」
「だいたい、こんな温度の雨、十太なら《エネルギー》を奪いながら走れるでしょ。」
「まぁ……」
 オレがそう返事するとムームームはバリアを解いた。
 リッド・アークの時からそれなりに時間は経った。あの時点も触れればマグマの熱エネルギーは瞬時に奪う事ができた。そして今は――
「……熱を奪うってことは元の瓦礫に戻すってことだぜ……」
 オレは自分に触れた熱エネルギーはほぼ無意識に奪えるようになった。ルネットの攻撃は光エネルギーだったから微妙に成果が出なかったが、この高温の雨の中を悠々と歩けるくらいにはなっている。
「いたた……石ころが絶えず上から降って来るような状況になったんですけど、ムームームさん。」
「がまんだよ。《ルゼルブル》にはルネットの最後のビームの《エネルギー》もたまってるからね。この降り注ぐ熱エネルギーもあわせれば《エネルギー》には困らないよ。ほら、行くんだよ十太。」
「ほいよ。」
 降って来る高温の雨から熱エネルギーを奪い、運動エネルギーに変換。高速移動、開始!
「どおりゃあっ!」
 雨から一生懸命遠ざかるメリオレの正面に移動。
「んなっ!?」
「ふっとべ!」
 オレはメリオレの腹に拳をうちこむ。同時に運動エネルギーを与える。
「!!」
 運動エネルギーを得たメリオレはまるでオレのパンチで飛んで行くようにふっとんだ。別にかっこつける為にやったわけじゃない。パンチは普通の威力だが、そこに『壁に叩きつけられる』っつーダメージをプラスしたわけだ。
「甘いな。」
 ふっとびながらメリオレが呟いた。次の瞬間、メリオレの姿が消え――
「ぐわっ!」
 突然背中に衝撃を受けた。見ると、オレの前方にふっとばしたはずのメリオレがオレの背中にぶつかってきていた。
「……!! 自分の体勢とかに関係なく、移動できるってのは……便利だなっ!」
 振り向きざまにひじ打ちをかましたが、あっけなく空振り。
「くっ!」
 続けてジュテェムの真横に移動したメリオレはオレがふっとばした時の勢いを使って蹴りを放った。その蹴りがジュテェムに当たるや否や、蹴りの体勢のままホっちゃんの頭上に移動、ホっちゃんの頭を蹴っ飛ばした。
「っつ! てめぇっ!」
 ホっちゃんを蹴った後、スタッと着地し、メリオレは動かなくなった。
「辛抱強くねーなぁ。ほれ、雨が止んでんぞ。」
 オレははっとした。今の蹴りでジュテェムとホっちゃんの手が一瞬止まった。つまり、一度雨が止んでしまった。
「まさか……」
 ジュテェムが半信半疑で腕を振る。赤い雨が降り、メリオレに直撃したが……
「理解したか? オレに同じ手は二度と通じない。」
 まったく効いていない。熱そうでも痛そうでもない。赤い雨なんて降っていないとでも言うようだった。
「……理解はしたつもりでしたが……こうもあっけなく……」
「マジかよ。ふざけた力だぜ。」
 高温の雨が降るという経験をしたメリオレに、もう二度とさっきの技は通じない。やべぇ、想像以上にマズイ能力だぞ、これ!
『気付いてる? 十太。』
 頭の中にそんな声が響いた。ムームームが軽く首を傾げながらオレを見てる。
「?」
 同様に首を傾げて何のことか動作で尋ねると、ムームームはその容姿に合わない鋭い目つきでメリオレを横目にこう言った。
『同じ攻撃が二度と通用しないって言ってるけど……理論上、一つだけ二度目が通用する攻撃……経験があるってことにだよ。』
 二度目が通用する攻撃? なんだそりゃ……
『《反復》を封じられるって経験だよ。』
 オレは一瞬ムームームが何を言っているのかわからなかったが、しばらくしてハッとした。
 あいつに二度目が通用しない理由は、二度目が繰り返し……《反復》だからだ。経験した事のある経験を再びした時、《反復》の力で無効化している。リッド・アークの《反応》と同じだ。それを無効化するには一瞬でもなんでも、それを経験する必要があるってことだ。
 要するに、パンチを受けるってことを無効化するとしても、相手がパンチの体勢に入ってもいないのに無効化はできないってことだ。
 そこで《反復》を封じられるという経験だ。二度目が来た時、それを無効化するにはその二度目も少しは経験しなきゃいけない。だが経験するってことは封じられるってことだ。無効化しようと思ってもできない。
 《反復》の仕組上、この経験だけは確かに二度目を無効化することができない。
「でも……どうすんだよ?」
 つい口に出してしまったがそこが問題だ。《反復》を無効化?
『メリオレのあの気持ちの悪い移動方法……あれって誰かさんに似てると思わない?』
 ……! なるほど。
「……どうした? 目の色が変わったな、《エネルギー》。」
 メリオレがニヤリとしながらオレの方を向く。
「あんたに一発お見舞いする策が浮かんだんだよ。」
「ほう?」
 問題はタイミングだ。二~三回見ればつかめると思うんだが。
「そんじゃ、お手並み拝見だ。」
 オレの前に瞬間移動したメリオレは身体全体を回転させながら回し蹴りを放つ。身をかがめてそれを避けるオレ。しかしからぶったメリオレは突然身体の回転速度が上がり、ありえない速度で一回転して元の向きに戻り、勢いそのままにしゃがんでいるオレを蹴り上げようとする。
 オレは《ルゼルブル》から熱エネルギーを得て、それを運動エネルギーに変換、その場から後退する。
 しかしオレが移動した先には既にメリオレが脚を蹴りあげた状態で移動しており、オレが近づいてくるスピードに合わせてかかと落としをかます。
 このかかと落とし、さっきもやってたな。こいつの得意技と見た。
 オレはその場で熱エネルギーを位置エネルギーに変換し、メリオレの真上に瞬間移動。かかと落としをからぶりしたメリオレはオレを見失い、その場に留まる。オレはそんなメリオレの頭を蹴飛ばした。
 蹴りの反動で後ろに飛び、メリオレから離れたオレはさして痛そうにしてねぇメリオレを視界に捉えた。おそらく、『頭を蹴られた』経験があるんだろう。
 つーか、こうやって接近戦を仕掛けてくるわけだし……パンチ、キック、タックルやチョップ、あらゆる攻撃を一度経験して無効化できるようにしていると思う。
 となると、メリオレに叩きこむ攻撃は……やっぱあれしかないか。ぶっつけ本番だが……やるしかねぇ!
「はっ!」
 足元に落ちてた石ころを飛ばす。結構な速さで飛ばしたんだが、一度経験しているからメリオレには効果が無く、おでこに直撃したってのに平然としている。
「ふん。もう攻撃手段がなくなったか? 《エネルギー》なんて一番応用力のある《常識》じゃねーかよ。もっと見せてくれよ。」
「言われなくても!」
 運動エネルギーと位置エネルギーの変換を繰り返してメリオレの周囲をランダムに動きまわる。タイミングを見計らい、わざとメリオレの正面から突撃する。もちろん、メリオレは接近してくるオレを視界に捉え、身構えた。
 オレは体勢を低くし、メリオレの腹に拳を叩きこむ格好で飛んで行く。この低さなら恐らく――
「はん! 甘ぇ!」
 スーパーマンみたいな姿勢で迫るオレの真横に《反復》で移動したメリオレはオレのがらあきの腹めがけて蹴りを放つ。さっきと同じ、脚を大きくあげる感じだ。
 それを予想していたオレは運動エネルギーを操って蹴りをスレスレで回避する。メリオレから距離をとらないようにした。なぜなら――
「おりゃっ!」
 メリオレの脚を掴むためだ。オレはメリオレの蹴りの軸足となっている方の脚を掴んだ。
 さっきまでなら、次の瞬間メリオレはオレの背後に移動してかかと落としを決めてきただろう。だがそうはならなかった。移動してかかと落としをしようとしていたはずのメリオレは……移動せずにその場でかかと落としをした。
「!?」
 移動せずにっつーよりは、移動できずにだがな!
 困惑の表情のメリオレの腹に、オレは手に平を押し付けた。
 ついさっき、何度も感じたあの感覚。光エネルギーが収束して放たれるあのプロセス。いきなりビームとまではいかないが収束したエネルギーを破裂させることはできるはず!
 《ルゼルブル》から熱エネルギーを得て、それを光エネルギーに変換しながら手の平に移し、収束させ――
「ふっとべっ!」
 収束した光エネルギーは一気に弾け、メリオレを吹き飛ばした。
「がはっ!」
 結構な勢いで壁に激突したメリオレ。リッド・アークみたいに身体が機械でもない限り、あれは相当なダメージのはず。だがメリオレには効いてないんだろう。
 腹に叩きこんだ一撃を除けば。
「な、なんだよ今の! 爆発か!?」
 ホっちゃんがオレの方を見た。《温度》を操作して起こす爆発は確かに通じないが、今のは《エネルギー》の破裂だ。日常生活で経験するようなことじゃない。
「今のは……どういうことです? 爆発もそうですけど、メリオレが相当困った顔をしていました。」
 ジュテェムが目を丸くしている。オレはメリオレの方を見ながら今したことを説明した。
「あいつのあの気持ち悪い瞬間移動なんすけど……あれ、オレがやってる運動エネルギーを利用した移動と似てるんですよ。だから思ったんです。」
「何をです?」
「《反復》の力だって言っても、質量を持った物体が距離の離れた場所に移動してるんですから、そこには運動エネルギーが生じていて当然なんすよ。そのエネルギーがどこからやってくるかは知りませんけど、とにかく無きゃおかしい。」
「まさか……メリオレが移動をしようとする時に生じる運動エネルギーを奪ったんですか。」
 おいおい、ものすげー察しが良いな……
「そうです。運動エネルギーを奪われたメリオレは当然、移動できない。だからその場で留まった。そしてルネットとのバトルで覚えた……《エネルギー》の収束と爆発……それで攻撃したんす。」
「でもよぉ、今のでとどめをさせてなかったら……その運動エネルギーを奪うって行為はもう二度と通用しないんじゃねーか?」
「大丈夫だよ。」
 そこでムームームが話に加わる。
「あいつが今経験したのはね、自分の《反復》が発動しなかったとか、移動ができなくなったとかそういうモノになるんだよ。決して『運動エネルギーを奪われる』という経験じゃない。だって《エネルギー》のゴッドヘルパーでもない限り、《エネルギー》の移動や変換を感じることは不可能だから。要するに経験できないんだよ。経験っていうのは、体感できて理解できるモノにしか当てはまらない。」
「……なるほど。考えましたね。『運動エネルギーを奪われる』という経験は彼には経験できないモノ。故に『自分の《反復》がキャンセルされた』というような経験と捉えるしかない。そして原理的に、理論的に、《反復》のキャンセルという経験だけは二度目が通用する……そういうことですね。」
「あ? は? 意味わかんね。」
「いいんですよ、ホっちゃん。要はあの男に勝てそうだという話です。」

「そう思うのは早いんじゃねーのか?」

 壁に倒れ込んでいたメリオレが立ちあがった。《エネルギー》の破裂って経験はやはりしたことなかったらしい。服が破れ、腹にオレの攻撃の跡が残ってる。
 ただし、それでふらふらというわけではない。分類で言えば火傷に近い痛みのはずだから、そういう痛みは経験したことあるかもしれない。となれば、痛みを無効化できる。だが、腹にああいう傷を負ったことが無い限り、傷を治すことはできない。ダメージは確かにある。
「オレはまだまだやれるぜ? それに、もう二度と今の攻撃は効かない。」
「わかってるさ。こっからだ!」


 わたしは……今まで色々なゴッドヘルパーを見てきた。色んな力があったが、大抵が超能力と呼べそうな力ばかりだった故、ゴッドヘルパーは人間の形をとどめていたと思う。
 しかしここに来て、文字通りの……怪物に出会った。
「あはははは。」
 無邪気な子供の笑い声。サリラが腕を前に出すと、その腕がギュンと伸び、さらに先端がいくつにも枝分かれし、その一つ一つが蛇となった。
 クロアもわたしも迫る蛇を撃ち落として切り落とすが受け切れず、数匹の突撃を許してしまう。しかしクロアは防御力に関しては最高と呼べる状態であり、わたしは蛇の体当たりの衝撃を逃がすことができる。加えて毒のある牙をわたしに突きたてようとも、わたしが身にまとっているコスチュームは《金属》で出来ているので不可能だ。
 今の所、二人とも大したダメージは無い。疲労もケガもない。しかしそれだけであって優勢ではない。未だにダメージの一つも与えられていない。加えて――
「……」
 わたしは周りを見渡す。あちこちに……色々な生き物の腕や脚が落ちている。サリラの攻撃を防ぐためにわたしが切り落とした物だ。サリラはどういう訳か斬っても血が出ないので血の海というわけではない。
 切り落とす……生き物の身体を切断する経験なんて今までなかった。わたしの刀は斬る相手の命を奪わない。そういう風に上書きした。だからどんなに全力で振っても、致命傷ではないけど動けない程度の傷になる。身体の一部が切断されるなんていう死に繋がる傷を与えることはなかった。
 だけど、このサリラという敵は切断されても死ぬことがない。だから切断できてしまうのだ。
 今まで何人ものゴッドヘルパーに天誅として刀による切り傷を与えてきた。それだけでも、感触としては楽しいモノではないというのに、いきなり切断だ。正直、気分が悪い。
「鉄心、顔色が悪いけれど、大丈夫かしら?」
「あ、ああ。大丈夫だ。」
 クロアは軽くため息をつく。
「……バカゼルが言った通りね。あの子供と戦えるのはこのアタシと鉄心だけ……」
 そうなのだ。サリラはわたしたちでないと戦えない。なぜならサリラは攻撃を受けて攻撃するのをやめるような敵ではないからだ。《身体》のどこがどうなろうとも前進できる。これはつまり、サリラの攻撃を受けてしまう可能性が極めて高いということだ。例えば晴香が雷を落としてもサリラは止まらない。鴉間が四肢を切断しようと止まらない。自分の身体を強化して防御力を高めることのできる者でないとすぐにやられてしまうのだ。
 だからわたしとクロアなのだ。
「そして確信しましたわ。あの子供にトドメをさせるのは……鉄心ですわ。」
「そう……なのか?」
「このアタシの武器は……ただのロウ家特製最高級銃。この武器ではあの子供は倒せないわ。けれど鉄心、あなたにはヒーローの力があるのでしょう?」
 クロアの言うヒーローの力とは……空想を現実に変える力のことだ。わたしの刀でもただ斬るだけで、サリラは倒せない。しかし正義の力でなら……勝機はある。
「鉄心。あんなデタラメな生き物だから難しいとは思いますわ。けど、少しでもスキを見つけたらすぐさま技を叩きこむのよ!」
「ああ! 正義は必ず勝つ!」
 わたしとクロアは走り出す。
「あは。」
 一瞬でその両脚をチーターか何かの動物のモノに変化させたサリラは文字通り人間離れした速度でわたしたちに迫る。
「そこ!」
 サリラとの距離が一メートルくらいになったあたりで身をかがめ、刀を横にし、そのままサリラの腹部に斬り込む。嫌な感触が手に伝わり、サリラの上半身は下半身を残して宙に舞う。
「くらえですわ!」
 舞い上がったサリラの上半身に銃を撃つクロア。銃弾はサリラの胸や腕、頭を貫く。
「あははは。」
 そのまま落下し、地面で一度はねたサリラの上半身は一瞬で一匹のオオカミに姿を変えた。
「!」
 残っていた下半身の方を見ると、そちらも一瞬で変化して二メートル以上ある……カマキリになった。
「この、獣の分際で!」
 獲物を狩るために迫るオオカミの前足に連続で銃弾を撃ち込むクロア。十発目あたりを撃ったところでオオカミの前足は《身体》からちぎれ、バランスを失ったオオカミはゴロゴロと転がっていった。
 わたしはカマキリの振り下ろす巨大なカマを受け止め、弾き、その首(首と呼んでいいのかわからないが)を切り落とす。頭を落とされたカマキリはふらふらとよろめく。そこにゴロゴロと転がってきたオオカミがぶつかる。すると双方が瞬時にスライムのような液体になり、互いに混ざり合ったと思ったら子供の姿のサリラになった。
「……わたしは夢を見てるんじゃないだろうな……」
「不思議を通り越して気色悪いですわ……」
「不思議?」
 サリラが首を傾げる。
「あー! サーちゃんのお洋服のこと? これはねー。変身したら丸めて《身体》の中にいれておくんだよー。」
「聞いてませんわ! そんな気持ち悪いこと!」
 言いながら銃を撃つクロア。するとその銃弾はサリラの《身体》の表面……皮膚で弾かれた。
「んなっ!?」
「あははは。グルグル巻きのおねーちゃんにクイズだよー。」
 グルグル巻きというのは……クロアの髪型のことだろうか。
「いつも空から鉄砲がバババーンってふってくる場所に住んでる生き物はどうなっちゃうでしょうーか。」
「死に絶えますわ! くだらないことを!」
「ブッブー! 違うよ。答えは鉄砲をくらっても死なないように進化するんだよ。」
「何を言っているのかしら? ありえないわ!」
「ありえるよー。」
 サリラはその外見とは裏腹に、とても……難しいことをしゃべりだした。
「知ってる? 砂漠に住んでるトカゲがいるんだよ。そのトカゲは砂漠の少なーい水を確保するために毛細管現象を起こす皮膚を持っているんだ。あんな水の無い場所に生き物なんているわけないって昔の人は思ってたのにねー?」
「いきなり何を言っているのかしら、このキテレツな生き物は。」
「《身体》に毒を持ってる生き物なんていっぱいいるよねー。電気を出しちゃうのもいるよ? 今じゃいるのは当たり前だよ? でも見つける前はそんなこと考えもしなかったよね。毒を持ってる生き物がいるなんて!」
 サリラの腕がビキビキと音をたて、鋼色になる。
「生き物は進化するんだよ。どんな環境でもね。鉄砲がふってくるならそれをうけてもぜーんぜん痛くない《身体》になるんだよ。数百度の世界なら数百度程度の温度じゃびくともしない《身体》になるんだよ。普通の何十倍も重力があるところなら、それに耐えられるだけの筋力を持った《身体》になるんだよ。生き物は進化するんだよ。」
 鋼色になった腕は次の瞬間トゲだらけの腕に、次にはタコのような軟体に、そして元の腕に戻る。
「何万年って時間がかかるけどねー? できないことはないんだ。サーちゃんはそれを一瞬でやっちゃうんだ。」
 すごいでしょーと言わんばかりのいい笑顔なのだが、わたしたちは笑えない。さっきアザゼル殿が言っていたことが少し理解できてきた。いるかもしれない、いたかもしれない生き物になれるということはつまりこういうことなのだ。
「鉄心、一つ頼んでいいいかしら。」
「なんだ?」
「このアタシの銃を銃剣にしてくれないかしら。」
「銃剣? 鉄砲の先っぽに剣がついているあれか? なぜそんな……」
「悔しい限りですわ。でもこのアタシの銃では効果が薄いの。身体に穴が空いても平然としていられる相手にいくら撃っても決定打にはなりませんわ。このアタシにも切断する力をくれないかしら?」
 わたしが《金属》の形を変えるとそれは必ず刀になってしまうが……クロアの銃の一部分だけを変えればできる……と思う。
「しかしクロア、慣れない武器というのは危険じゃないか?」
「ふふふ。それは承知してますわ。けれど、このアタシは無敵の防御力を持っていて、加えて刀を作るのが鉄心なのだから、慣れる慣れないの問題はありませんわ。」
「?? どういうことだ?」
「やってみればわかりますわ。」
 そう言ってクロアは銃をわたしに渡す。わたしはクロアの銃の銃口の下に二十センチ程の刃をつけた。しかしクロアはわたしにこう言った。
「もっと長くできるかしら? 鉄心の刀のように。」
「できるが……」
 そうして出来あがったのは、おまわりさんが持っているくらいの小さな銃に長さ八十センチ近くある刀がついているというバランスの悪い武器だった。
「すごいですわ。こんなに大きな刀がついているのに重くありませんわ! ついていなかった時と変わらない重さ……」
「だけどクロア……そんな長い刃はそれなりに使い方を知らないと……」
 素人と達人では、同じ刀を使っても切れ味がまるで異なる。それは達人が刀の使い方を知っているからだ。力の入れ方や、斬り込む角度……そういったことを身に付けて初めて斬れるのだ。
「だから、問題ないのですわ。見ていてちょうだい?」
 そう言うとクロアはサリラの方に走り出した。
そういえばわたしが銃剣を作っている間、サリラは何もしてこなかった。何故だろうと思ってサリラに目をやってわたしは驚いた。
なんと、サリラの両腕が刀になっているのだ。鋼ではなく、動物の骨を削って作ったような刀ではあるが、サリラの両腕はそうなっていた。わたしが刀を作るのをマネしたのか……?
「お笑いですわね! 道具を上手に使える生き物は人間だけですわ!」
 バババと銃を撃ちながらサリラに迫るクロア。その銃弾を骨の刀で弾きながらサリラもクロアの方に動く。
 互いの距離が縮まり、近接戦闘の領域。……例えではなく、本当に蛇のように両腕をうねらせ、骨の刀がクロアに迫る。だがその腕はクロアに到達する前に切り落とされた。
「……!」
 わたしはまた驚いた。クロアの動きは正直言って、刃物を振り回す人の動きではない。あんなんでは斬れる物も斬れないという姿勢、構えだった。けれどわたしが作った銃剣はサリラをスパスパと切り刻んでいく。
「あははは。」
 サリラの《身体》は十近い……肉片に分割された。その一つ一つが鋭いくちばしを持った鳥に変わり、クロア目掛けて弾丸のように飛ぶ。
「ふふふ。」
 迫る鳥に対して、クロアは銃を撃ちながらその場でクルクルと回転した。撃ち落とされていく鳥。撃ちもらした鳥は刀に斬られる。そうして全てを倒したクロアはわたしの横に戻ってきた。
「見たかしら? このアタシの舞いを。」
「今のは……クロアの力なのか? こう言うのもなんだけど、なってない動きだったのに……」
「ふふ、だから鉄心の力ですわ。」
「わたしの?」
「ご覧の通り、このアタシは刃物については素人ですわ。この刃がそこらの平凡な刃だったらこのアタシは今のようには舞えなかったわ。けれどこれは鉄心の刀……決して折れず、斬れないモノはない刀。」
「ああ。そういう風にわたしは上書きしているからな。」
「どんな刃物で、どんな素人が振っても、刃先が当たればそれなりに斬れますわ。ただ斬り方を理解して斬った場合とは段違いの結果というだけ。けれどその刃物が何でも斬れるのなら? 角度とか向きが斬るにはまったく向いていない素人の姿勢だったとしても、何でも斬れるのならそんなものは関係ありませんわ。刃先が当たりさえすれば斬れてしまうのだから。」
 ……そうか。なまじわたし自身が刀の心得があるばかりに考えたことなかったが……何でも斬れるということはそういうことなのか。
「これでこのアタシも接近戦ができますわ。」
「……ああ。」
 ……わたしが作った刀を誰かに渡すなんてことは初めてかもしれない。ああいや、リッド……なんとかを倒す時に晴香に刃を縮めて渡したことはあったか。
 あの時は深く考えなかったけど……わたしがした《金属》への上書きというのはわたしの手から離れて、他の人が使っても効果があるらしい。たった今、クロアが証明した。
 なら……わたしの力でクロアの銃そのものをパワーアップできないだろうか? クロアはサリラを倒すのはわたしだと言っている。それは自分の武器が普通の武器だからだろう。実際、あまり効果がない。その普通を普通じゃなくせば……今よりももっと勝機が見出せるかもしれない。
「あははは。すごい斬れ味だね。だけどそれでもサーちゃんの方が強いよー?」
 サリラの《身体》が一瞬にして二メートルはある大きな熊になった。そして爆発的なダッシュでわたしたちに迫る。
「ふふふ! 熊なんて毛皮しか使い道がない畜生のくせに!」
 クロアが走りだし、わたしも走る。わたしたちの手前で熊の腕が二本から六本になった。
「がおー!」
 よけながら一本を切り落とし、サリラから距離をとりながら極細の刀を放ってさらに一本を切り落とす。クロアは避けずに熊にとび蹴りをしながら残った四本を切り落とした。
「単調、単純! このアタシたちがあなたのような子供を倒すのに手間取っていることは悔しいですけど事実ですわ! けれどそっちもそっちですわね。戦い始めてから今まで、このアタシたちに一つも傷を負わせることができていないのをご存知かしら!?」
 豆腐でも斬るように、クロアは熊を縦に真っ二つにし、二つにわかれた《身体》それぞれに容赦なく銃弾を撃ち込む。
 ……これは勿体無いと思う。クロアはこのサリラ同様、自分の負傷を気にすることなく突っ込んでいける力を持っている。けれど攻撃が効かない。
「クロア!」
 わたしはクロアを呼ぶ。軽い身のこなしでわたしの横に来たクロアは不満そうな顔でわたしを見る。
「まったく、あれだけやっているのに効果がないというのも嫌ですわね。おでんに腕押しだったかしら?」
「たぶん、のれんだ。クロア、その銃をもう一度かしてくれないか。」
「?」
 クロアは二丁の銃をわたしに渡す。わたしはそれを手に取り、思いだす。ヒーローの活躍を。

 わたしが刀を使うから、《武者戦隊 サムライジャー》の技ばかりやるのだが……別に戦隊モノには刀を武器にしないヒーローもいる。銃と言えば、《未来警察 デカコップ》だろう。未来に大犯罪を行う連中を過去に行ってやっつけるお話だ。
 彼らの持つ銃、《ジャスティライザー》はとてもかっこいいデザインでクロアの銃とは全然違うし、もちろん銃剣でもない。だけど頑張って上書きする。
『この刀がついた銃は《ジャスティライザー》になる』と!

「鉄心?」
「クロア、次からは銃を撃つ時、こういうポーズをとるんだ!」
 わたしはデカコップが銃を撃つ時のかっこいいポーズをする。クロアは目をパチクリさせながら同じポーズをとる。
「そして撃つ時はファイヤ!」
「ふぁ、ふぁいや? わかりましたわ……?」
「あははは。今度は何を見せてくれるの?」
 バラバラだった熊はもういなくて、そこにはサリラがいるだけだった。クロアは言われた通りにポーズでサリラに狙いをつけた。
「ふっふっふ。何を見せるか? もちろん、正義の力だ!」
「ファイヤ!」
 クロアが叫ぶ。その瞬間、クロアの銃からは銃弾では無く、赤い光線が発射された。一筋の赤い線が空中を走ったかと思うと、サリラのお腹に十センチほどの穴があいた。
「!?」
「な、なんですのこれ!」
「《ジャスティライザーショット》だ! さらにこのポーズだクロア!」
「こ、こうですの?」
「叫べ、《ジャスティスチャージ》!」
「じゃ、ジャスティスチャージ!」
 何かを感じとったのか、サリラはまさに狼男と呼べる姿になり、わたしたちに向かって来る。
「狙いを定め! 《シュート》!」
「シュート!」
 おお……まさにデカコップそのままだった。先ほどとは段違いの強烈な光が放たれ、ボッという音と共に、狼男の上半身は消滅した。
「ビーム兵器! このアタシの銃がビーム兵器になりましたわ!」
 そう言いながら適当な方向に銃を撃つクロア。だがそこで発射されたのは普通の銃弾だった。
「あら?」
「クロア、ポーズだ。あと決め言葉。これはとても大事なことなんだ。」
「……なるほど……これが鉄心の真の力ですのね? その素敵なコスチュームと無敵の刀を作りだした力がこのアタシの銃にも……素晴らしいですわ!」
「今の《ジャスティライザーシュート》ならサリラを一撃で倒せるかもしれない。再生する《身体》を残さなければ確実に――」
 ……殺せる? いや、わたしの上書きである以上、殺すことはできない。チョアンの時のように、自然と一番いい終わり方に持っていけるはずだ!
「あは。」
 いつの間にか子供の姿になっているサリラが満面の笑みを見せた。
「危ないね。そういえば鴉間が言ってたのを思い出したよ?」
 そこでサリラは一瞬で鴉間になった。服までも同じなのはどういう理屈かわからないが……とにかく、サリラは今晴香が戦っている鴉間の姿そのままになった。
「サリラ、あなたは世界最強の生き物っす。でも自然界の生き物には天敵がつきものっす。サリラの場合はチョアンと鎧鉄心っすよ。」
「おお。声まで同じだ……」
「チョアン……っていうのはあの中国人ですわね。ついさっき鉄心が倒したけれど……なぜ鉄心が天敵なのかしら?」
「わかんなーい。鴉間は教えてくれなかったんだよ。戦えばわかるって言ってた。チョアンはサーちゃん相手じゃ絶頂に向かえないって言って戦ってくれなかったし。」
 またもや一瞬で元の子供に戻るサリラ。
『なるほどなのだよ。それは確かかもしれないのだよ。』
 そこで響いたのはアザゼル殿の声だった。そういえばどこにいるのだ?
「バカゼル! どういうことなのかしら!?」
『サリラはまさに最強の生物なのだよ。知能だって人間並み……もしかしたら以上なのだよ。けれどそんなサリラでも……数万年の進化を一瞬で行えるサリラでも、あることだけは一朝一夕で会得できないのだよ。』
 会得できないこと。わたしは何となくそれがわかった。なぜなら、さっきまで戦っていた相手がそれを極めた人物だったからだ。
『それは技術なのだよ。不変の環境に対して行うのが進化だから、常に変わりゆく相手と戦う技術……つまり武術は一瞬では会得できないのだよ。その頂点たるチョアンが天敵というのはわかる話なのだよ。』
「では鉄心はなんなのかしら?」
『クロアちゃん、これは一種のテレパシーなのだよ。口に出さなくてもいいのだよ。ええっとね、もう一つ会得できないモノがあるのだよ。それが文明……文化なのだよ。』
 文化? 家にあがるときに靴を脱ぐとか脱がないとかのことだろうか? 戦いには役に立たなさそうだが……
『英語で言えばカルチャーなのだよ。鎧ちゃんが憧れる正義のヒーローはどこから生まれたのだよ? どうして生まれたのだよ? 答えはそういう文化だからなのだよ。』
 文化……
『子供たちに正しい心を教えたいだとか、きっとそんな理由で始まったのだと思うのだよ。じゃあなんでそんな風に考えたのだよ? それは人間が今まで生きてきた結果なのだよ。長い時間をかけて育った文明が生み出した文化なのだよ。これもサリラには会得できない……いや、理解できないのだよ。もともと人間じゃないみたいなのだよ。そんなサリラが生きているのは文明も文化もない世界、自然界なのだよ。つまり、サリラは究極の野性なのだよ。』
「それでどうして鉄心が天敵になるのかしら?」
『チョアンが武術の頂点なら鎧ちゃんは文化の頂点なのだよ。テレビで活躍する正義のヒーローなんて本当はいないのだよ。けれど、そんな創られた存在であっても、その生き様を胸に刻みつけ、憧れ、そういう風になりたいと望んでいるのだよ。そして、そんなヒーローの力を具現化してしまう鎧ちゃんはまさに、文化の化身なのだよ。人間が生み出した空想を現実に変える力を持つということはそういうことなのだよ。』
「ふぅん。まぁいいですわ。鉄心、あなたが天敵だとかそうでないとかはどうでもいいのですわ。あの子供に勝てるか勝てないかしか、今はないのだから。」
「……ああ。」
 今のアザゼル殿の話……わたし自身の力よりも、むしろサリラという敵を再確認してわたしは少し……恐怖していた。

「あはは。天敵だね。逃げないと食べられちゃうよ。」
「はぁ? 何言っているのかしら、この子供は。あなたみたいな気持ち悪い生き物を食べるバカはいないですわ。」

 究極の野性。文明とか文化の話は少し難しくてわからなかったが、要するに人なら当たり前に持っている……いや、逆か。当たり前に持っていないモノをサリラは持っているんだ。

「グルグル巻きのおねーちゃんは知らないの? 天敵は強いんだよ? サリラは弱いんだよ?」

 自然界の掟だとか、強い者が全てだとか、人は色々な場面で『あの言葉』を使う。けれどその本当の意味を理解できている人なんてこの世にいないと思う。わたしたちは技術の力で……ショクモツレンサ……だったかな? それから外れていると言ってもいいからだ。

「逃げなきゃ食べられちゃうんだよ。逃げられないなら食べられるんだよ。サーちゃんも怖かったよ。頑張って生きてたよ。それである日……サーちゃんはすごい力を手に入れたんだよ。」

 戦っている時に少し感じた……なんにでも変身できるサリラの本当の姿はなんなのか。あの子供の姿がそうなのだとぼんやり思っていたのだが、さっきアザゼル殿は人間じゃないと言った。本当は動物なのか、虫なのか、植物なのか。いや、それはきっと問題じゃないんだ。何であろうと、サリラは正真正銘の野性だ。あの言葉を本当の意味で理解しているサリラが、わたしを天敵と言った。そしてサリラには自然界ではあり得ないくらいに凄まじい……抗う力を持っている。
「クロア……これからが本番だ……」
「……鉄心? どうしたのかしら? そんなに怖い顔をして……」

「この世界はね、『弱肉強食』なんだよ?」

 サリラの顔から笑顔が消えた。同時に着ている服がやぶれ、筋骨隆々とした《身体》になっていく。そして、《身体》全てを甲羅のような物が覆っていく。
「サーちゃんは生きる。生きる、生きる、生きる、いきる、イキる、イキルイキルイキルイキル!!」
 その顔が狂暴な肉食獣の顔になり、ギラリと鋭い牙がその口に並ぶ。
「サーチャンハツヨイ! テンテキナンテイナイ! オマエナンテタベテヤルゥゥゥゥゥッ!」
 鉄壁の《身体》に鋭い牙、爪。長いしっぽに巨大な翼。ドラゴン……と呼ぶのが近いかもしれないが、そう呼ぶのは何かか違うと思う。
 たぶん、こういう生き物を化け物と呼ぶんだ。
「鉄心!」
「うむ!」
 互いに武器を構え、サリラを睨みつける。サリラの咆哮が響き渡った。


 信じがたいっす。なんなんすか。あっしは一体何と戦っているんすか。
 こんなことなら出会いがしら、第三段階を発動させたあの時、幅数十キロある空間の壁を作って、迷わずに殺しておけばよかったっす。まさか、あっしが後悔するなんて……
 連続高速の瞬間移動による……逃げ。あっしが出来るのはそれだけ……迫りくる無数の天気、そして真っ黒な巨人。その全てに、あっしの空間は通用しないっす。攻撃しようともそれらを形作っている物は自然そのもの。ダメージを与えられるわけもないっす。そして空間の壁も……すり抜けるっす。
 《空間》は初めに誕生した《常識》。それから数にするのもバカバカしい程の《常識》を包んできたっす。故に、それら全てを理解できるっす。全てに対抗できるっす。だからこその絶対防御、空間の壁。
 でも、今あっしに迫って来る奴らは理解できないっす。対抗できないっす。数千度の炎でも、数億ボルトの雷でも、それが炎で雷なら防げるっす。だけど……その自然現象が意思を持っているっす。あり得ないっす。意思を持った雷は、風は、雨は、もはやそれと呼べない新しい存在っす。
 ……時間をかければ、あれを理解し、空間の壁で防げるようにはなるっす。でもあっしはメリオレみたいに一度経験しただけで防げるようになるわけじゃないっす。少なくとも、この戦いの中で理解できるわけはないっす。

「そこだ!」

 鳥の姿をした風を受けて少しバランスを崩したあっし。その瞬間、もはや雷とは呼べない、ビームと化した電撃があっしに迫るっす。よく見ればその雷はオオカミの姿をしているっす。
 超速で迫ったそれを紙一重でかわし、再び連続の瞬間移動。少しずつ、あっしにたまる疲労。
 対してあちらは疲労しないっす。最も効率の良い形……もしかしたらあれが理想の形かもしれないっす。
 個々に意思を持ち、それぞれが判断して攻撃を加え、かつ命令に忠実な駒……『天気』。
 周囲を把握し、敵の動きを完璧に捉えて伝達する監視者……『空』
 そして全てを統括し、敵の一瞬のスキを見逃さずに指示を出す司令塔……『雨上晴香』。
 今あっしは、一つの軍隊と戦っているっす。

「『悪天候』さん!」

 渦巻く真っ黒な雲が形作る巨人。その腕では建物を木端微塵にできるくらいの大きさの氷の塊が高速回転しており、巻き込まれた物をバラバラにするミキサーのようになっているっす。その腕があっしに迫るっす。巨人にありがちなトロい動きではなく、文字通り風の如き速度で。
 全力回避。通常よりも体力を消費する無茶な瞬間移動でなんとか回避するっす。
 ……瞬間移動……あっしが最も得意とする《空間》操作っす。息をするかのように、やり方を考えずともできるレベルに得意なこの操作があっしを救っているっす。
 空間の壁は確かに天気には通じないっす。けどゴッドヘルパー本人は別っす。潰せるっす。簡単に……確実に!
 けれど空間の壁はそれなりに集中して行う操作……この猛攻の中ではそんな余裕はないっす。時間にすれば一秒もない集中だと言うのに……
 ほんの少しでもいいっす。スキを……作れれば殺せるっす!
「つあっ!」
 自分の瞬間移動と同時に、遠く離れた海から一軒家くらいの体積の海水を瞬間移動させたっす。《天候》の頭上にっ! これでスキができ――
 ……あれ? なんすかその目は。《天候》の目があっしから離れない? まさか頭上の海水に気付いていな――いや、『空』がいるならわかるはずっす。なんすか……なんすかその目は! 何も心配ないというその目は――
「!」
 真っ黒な巨人が動いたっす。降り注ぐ大質量の海水に向けて右アッパー。瞬間、排水溝に流れる水のように海水は巨人の腕に吸い込まれたっす。
「お返しです。」

 巨人の腕の上を、血管を駆け巡る血液のように海水が走るっす。巨人はそのままあっしに右ストレート。距離的に腕が届く場所にあっしはいなかったっす。けれどその腕から飲みこまれた海水が銃弾の如きスピードでガトリングのように放たれたっす。
「があああああああああああっ!」
 痛みのレベルで言えばゴム弾ほど。でもそれを数十発受けたあっしはボロボロ――

「これで最後です!」

 この機を逃すまいと、あっしに迫る天気。空間の壁では防げない……かと言って他の《常識》で防げる程のモノではない……
 あっしの負け――――

 これで終わりかと思った次の瞬間、オレ様は寒気を覚えた。
「ふざけんなあああああああああああああああああああああああああっ!」
 鴉間が叫んだ。同時に鴉間の目前に迫っていた雷やら雪やらが消えた。巨人の姿をした悪天候も腕の先から順々に消えていき、最後にはいなくなった。
「あの野郎、雨上の作った天気を瞬間移動でどっかに飛ばしやがった!」
 オレ様は思わず叫んだ。だがそんなオレ様を横目で見た雨上は相変わらずの半目でこう言った。
「……心配ない。」
 雨上の周りにたった今消えたばかりの天気の連中が現れる。『雷』、『雲』、『雨』、『風』、『雪』。そして『悪天候』。んまぁ……天気なんてどこにでも存在するはずの事象だからな。どっかに吹っ飛ばそうともすぐに雨上の傍に出現できるか。
「あああああああああああああっ!」
 鴉間が再び叫んだ。
 ちなみにだが、オレ様には《空間》の攻撃が見える。見えない物を見えるようにする魔法くらいアザゼル程の使い手じゃなくてもできることだ。
 だから見えた。雨上を押しつぶそうと出現した、数十キロに及ぶバカでかい空間の壁が。
「雨上!」
 あれだけ広範囲に及ぶ壁はいくら雨上の『今日の天気』でも避けられない! 風による移動には限界がある!
「るああああああっ!!!」
 鴉間の咆哮と共に、壁は雨上を挟んだ。
「雨が――」
 胸に走る絶望感。だがそれは一瞬で驚愕に変わった。
「……『空』……?」
 雨上の呟きが聞こえた。びっくりしている感じの口調だ。
『……あれ?』
 この場にいる三人の誰のモノでもない声がした。声の主は雨上の後ろに立っていた。そいつは両腕を広げ、まるで雨上に迫った空間の壁を止めるかのようなポーズをとっている。
 いや……まるでじゃない。止まっている。空間の壁が雨上の両脇で止まってやがる!
「――――!?」
 鴉間がなんとも言えない……不可解だという表情になる。
「『空』……『空』じゃないか。そんな……どうして?」
 雨上がああいう反応ということは少なくとも雨上の意思で起きたことではないわけだ。
 この場に現れた四人目の人物。そいつは青い……吸い込まれそうに青い髪を風になびかせ、白いワンピースを着た雨上より少し背の高い女だった。髪の毛のせいで顔が見えない。
『おい、雨上! そいつは……』
 雨上の頭の中にオレ様は声を送った。すると珍しいことに……雨上の妙に嬉しそうな声が帰ってきた。
『『空』だ……夢の中に出てくる『空』。私のこころの中にいて話しかけてくる『空』だ。』
『んな……んじゃそいつが……お前の生みだした『空』っつー存在か!』
 バカな、ありえねーぞ! それだけはありえない!
 天気はいい。あれを構成する成分っつーのは存在している、手で触れられるもんだ。『雨』なら水でできてるし、『風』は空気、『雷』は電気だ。実体と呼べるもんがある。だが『空』……この存在だけは形を持たないはずだ。
雨上は《天候》=『空』と呼ばれる存在の表情だと考えている。小難しく言えば、空という名がついている空間に『空』という意思があり、そいつの表情が《天候》だっつー話だ。つまり、雨上自身も思っているはずだ……『空』とは空間のことだと。
 空間っつーのはただの概念の名前だ。構成する成分とかはねぇ。だがら具現化することはありえない。ましてや、雨上自身が雨上の《常識》としてそう考えているんだからいくら第三段階でも起こり得ない。
 それがどうして!?
『わあ。からだがあるよ、はるか。』
「『空』……協力してくれるのか……?」
『もちろんだよ。いままでだってしてたでしょう? いまからはもっとちかくで、もっとつよくたすけられる!』
 雨上の背後に浮かぶ『空』が開いていた両腕を閉じた。すると、今まで雨上を潰そうとしていた壁が移動し、鴉間に迫った。
「がぁあっ!?!?」
 今度は鴉間が両腕を広げる。なんつー光景だよ……《空間》のゴッドヘルパーが空間の壁に潰されそうになってやがるだぁ!?
「お、俺が! この俺があぁああぁぁぁぁっ!!!」
 鴉間の口調が変わってる。なるほど、これがメリーとかの言ってたぶち切れ鴉間か。
 しかしわけわかんねーぞ。相手は第三段階の《空間》のゴッドヘルパー。鴉間以上に《空間》を支配できる存在なんてあるわけねぇ。
「……! まさか……」
 ……雨上の後ろに立ってる女が『空』であり、今オレ様たちがいるこの空と呼ばれる空間そのものなのだとしたら説明がつく……ついちまうぞ。
 要するに、あの『空』っつー女からしたら、空間の壁を動かすなんてことはオレ様や雨上が呼吸すんのと同じくらい……当たり前のことだ。なぜなら、地上ではともかく、この上空においては、《空間》=空、そして空=『空』の身体だからだ……!
「まじかよ、雨上。今お前の後ろに立ってる奴ってのは、空っつー条件付きの《空間》のゴッドヘルパーだぞ……」
 ……いや……いやいやいや。言ってて意味わかんねぇ。それでもどうしたって、ゴッドヘルパーたる雨上がそう思っていない以上、起こらない上書きだ。ゴッドヘルパーの意思、《常識》を超えてシステムが勝手に上書きしたっての――
「……まてよ……」
 雨上は……《天候》のゴッドヘルパーだ。《天候》のシステムとつながっている。
 雨上は昔から『空』という存在を思い描いていた。《天候》とは、『空』の表情なのだと。
 《天候》のゴッドヘルパーが定義した。だから確かに、《天候》は『空』の表情という扱いに上書きされた。そして、必然的に『空』という……雨上の思い描いていた存在が誕生した。
 しかし『空』には形がない。故に、雨上のこころの中にしか存在できないモノとなった。
 そんな時、雨上は第三段階になった。第三段階とは、システムとのつながりがあまりに深くなったためにゴッドヘルパー=システムと定義できるほどになった状態のことだ。そうなったゴッドヘルパーは第二段階ではできなかったとんでもない上書きを可能にする。だがかわりに、システムにかかる負荷をその身に受けることとなる。それが第三段階の唯一の弱点。
 しかし雨上は歴史上の第三段階とは違う形になった。雨上のこころの中には『空』がいた。だから第三段階となった時、《天候》のシステムを操る権限の大半が『空』に移った。
 負荷がかかることを危惧してゴッドヘルパーたる雨上が無意識に行ったのか、それとも『空』が雨上に負担をかけないようにしたのか。それは不明だ。
 『空』とはつまり空のことだ。そんな存在が《天候》のシステムをゲットした。それは雨上一人ではできない《天候》の操作を可能にするということだった。『空』が自分で自分の表情を操るんだ、雨上がやるよりも上手にできて当然。
 故に生まれた『今日の天気』という技。雨上が願った結果を、過程はどうあれ、『空』が自分の表情を表現する『天気』と呼ばれる連中にお願いして引き起こす。
 そしてついさっき、『天気』の連中に雨上のイメージを元にして形が与えられた。『天気』という存在は雨上が定義したことで『空』と同様に生まれた連中だ。しかも『天気』には形を作れる成分がある。具現化するのは容易だった。
 そして……鴉間が空間の壁で雨上を潰そうとした。『今日の天気』では回避不可能な状態。
 『空』は自分を創った雨上を……もしくは友人としての雨上を助けたいと思った。より強力な《常識》の上書きを願った。たぶんその時起きたんだ。
 《天候》のシステムの権限が完璧に『空』のモノになるって現象が。
 『空』を生みだしたのは雨上の《常識》を受けた《天候》のシステムだ。権限が移るってことを言い換えるなら、《天候》のシステムが自分で作り出した意識、自我を自分でとりこんだということ。『雷』とかに意思が宿ったのと同じように……システムそのものが『空』という意思を持ったわけだ。
 それはもはやシステムとは呼べない。自我を持った機械やコンピューターはもはや一つの生き物だ。

 あの『空』という女は、《天候》のシステムが意思を持つことで誕生した……人間が空と呼ぶ空間が命を得た姿だ……!

「雨上……」
 オレ様は目をこらす。雨上とシステムとのつながりは……もはや薄皮一枚というレベルだ。そもそも、システムそのものの存在もあやふやだ。すでに『空』という生き物に変わりつつある。
 雨上はもうゴッドヘルパーとは呼べない。《天候》のシステムもシステムとは呼べない。
 システムとは神が数多の《常識》を管理する為に作り出した物。その力は神の力に等しい。
 今オレ様の目の前にいるのは……神の力を持った新しい命と、そいつの……ただの友達だ。

「なんなんだよそれはああああああああああああああああああっ!!」
 鴉間が怒り狂っていた。
「俺が! 俺が《空間》だろうが! てめぇはなんだこのクソあまがぁぁっ!」
『わたしは『そら』。はるかのなかでそだち、はるかのこころにすみ、はるかのちからでかたちをえた……はるかのともだちだ!』
「だまれ、だまれだまれだまれだまれぇぇっ! 俺が! 俺だけが! 俺だけの! 俺のおおおおおおおおぉぉぉぉっ!」
 鴉間にとっての……アイデンティティーっつーんだろうか。たぶん、そーゆーものが今、『空』に奪われた。この空っつー場所だからこそできることなんだが、鴉間にとっちゃどーでもいいか。とにかく自分と同じことができる奴が現れた。
 たぶんそれは、メリーたちの言ってた、鴉間の超自己中っつー性格を生みだした環境を否定する。怒りと困惑……まずいな。
「気をつけろ雨上! ……と『空』? 今の鴉間は何をするかわかんねーぞ!」
「……! 『空』。」
「うん。」
 雨上と『空』が同時に右腕をあげ、振り下ろす。すると真っ黒な巨人、『悪天候』が蹴りを放った。
「がああああああああああああああああああっ!」
 鴉間が消える。瞬間移動したのだろうが、今の雨上……いや、『空』にはその位置が手に取るようにわかるはずだ。
「あれ?」
「どうしたんだ、『空』。」
「うん……なんか……あのひとすごいたかいところにいどうしたよ……?」


『でもね? アブトルが言ってたんだよ……』
『……何を?』
『物語の中で、《天候》はさらに強くなった。扱う《天候》の力もそうだが何より……あいつはあいつが空と認識している《空間》を把握できるようになったって。』
『……ほぅ……さて……どうするっすかねぇ?』
『……サーちゃんは思うんだけど。』
『? どうしたんすか?』
『今回の負傷……右腕と左脚を失ってサーちゃんの腕と脚をつけたことって良い事かもしれないよ。』
『……どういう意味っすか。』
『《空間》を使う時、一番大切なのは位置を把握することだよね。《空間》は目に見えないから、位置情報でもって攻撃とか防御をしなきゃいけない。だから鴉間が自分の身体を基準となるものさしにして《空間》を操っていることは……サーちゃんも知ってる。』
『なんすか、今さら。』
『でもねー。《身体》のゴッドヘルパーのサーちゃんは思うんだよ。』
『?』
『人間の《身体》の形状が《空間》を操るのに最適な形なのかな? ってね。』


「……《空間》の第三段階である俺は全てを操る……無論、《身体》もだ。とは言っても、サリラ、お前みたいに《身体》の形状を変えるのは無理だ。……《身体》のゴッドヘルパーであるお前が作り、俺にくれた右腕と左脚を除けばの話だがなぁっ!」


「! へんだよ、はるか!」
「どうしたんだ!」
「からすまのまわりのくうかんが……へん……」
 『空』の呟きと同時に、オレ様たちの前に鴉間が戻ってきた。
「んな……なんだあれ……」
 オレ様の視界に入ってきた鴉間は……おかしかった。鴉間は人間のはずだ。人間は……あんな形状ではないはずだ。
 異形なのは右腕と左脚。まるで幽霊の脚みてーに……足先、手先に行く程に透明になっている。そう……《空間》に溶け込むように。
 そして、溶け込んでいる手足の先に黒い球体が浮いている。何かのエネルギーの塊じゃない。ぽっかりと……《空間》に穴があいている。
「く……くくくくあぁあああっはっはっはっはっはっ!」
 鴉間が高笑いする。
「あぁーあっはっはっは。なんだこれは? すごい! わかる……わかるぞ! この俺にも見えなかった、ぼやけていた場所がくっきりと! サリラ……サリラ! 世話になるなぁ、おい! お前だけがこの俺と同等だ!」
 ……!! まさか!?
「雨上! 『空』! もうそいつはさっきまでの鴉間じゃねぇ! 気合入れろ!」
「どういうことだ、ルーマニア!」
「どーもこーも! あいつは自分の身体を変形させて最適化したんだ! 《空間》を操るのに適した身体に!」
 単純な話だ。とんでもなく重たい武器を扱うには平均以上の筋力を持つことが最適だ。十個の武器を同時に扱うなら、腕が十本あることが最適だ。極端に言えば、武器を扱うには腕があることが最適だ!
 どんな物でも、能力でも、それを扱うのに最適な形や環境ってのがある。今雨上がやってることもそれだ。《天候》の力を使うのは『空』であるのが最適だ。
 《空間》のゴッドヘルパーじゃねぇオレ様には理解できねーが、あの鴉間の今の形状が、最適なんだ!
「『雷』さん!」
 雨上がそう叫ぶとオオカミの姿をした『雷』が雷鳴を轟かせながら鴉間に迫る。
「無駄だぁあああっ!」
 『雷』には鴉間の空間の断裂や圧縮が効かない。だが――
「!」
 鴉間が黒い球体が浮いている右腕を『雷』に振り下ろす。すると……なんて表現すりゃあいいのか……オオカミの姿をした『雷』は黒い球体に……食われた。
「のみこまれたよ、はるか!」
「『雷』さんは……!」
 雨上が尋ねると同時に、雨上の横に再び『雷』が出現する。やはり、『天気』の連中は雨上がいる限り死ぬとか消されるなんてことはないみてーだな。だが、今の鴉間の攻撃はなんだ?
「あのくろいの……くうかんしかないよ! それでくうかんいがいをのみこもうとしてる!」
「それって、メリーさんたちが言ってた……《空間》以外の《常識》を吸い込む空間……」
 メリーたちが言ってたブラックホールみてーな技か。もちろん、警戒はしていたが……聞いてたのとなんかちげーぞ。
「ああ……《時間》と《回転》から聞いてるんだな。そうだ、これは俺が創った新しい世界。《空間》以外は存在しない世界だ。故に、他の《常識》を吸い込む。」
 鴉間はオバケみてーな自分の右腕の先端に浮いている球体を眺める。
「前は……この《空間》を生みだすだけで精いっぱいだんだがなぁ。移動させることもできねぇし、俺もその場から動けない。だがどうだ! 今の俺にはこの《空間》すら武器として扱える! 《空間》以外の全てを削り取る無敵の武器だ!」
「あれはあぶないよ、はるか!」
 雨上の後ろに立ってる『空』が両腕を広げる。すると『天気』が一斉に鴉間に向かって行った。
 だが……まずい。こうなる前の鴉間は、『天気』の連中の猛攻を避けるだけが精いっぱいだった。だが言い方を変えれば避ける事ができていた。そして今、奴は自分の《身体》を最適化したことで……今まで以上の空間把握能力を手に入れた。
 当たるのか? 雨上や『空』の攻撃が!
「あーっはっはっはっは!」
 鴉間が高速で瞬間移動を始めた。だがさっきまでの必死に避けてる感じじゃあねぇ。余裕だ。
「す……すごいはやさでくうかんをいどうしてる!」
「最早分身の術だな、これは。」
 雨上が呑気に例えたがそれが的を得ている。オレ様の視界にはぶれる鴉間が何十人と映っている。しかも瞬間移動をする度に空間の断裂や壁を飛ばしてくる!
「あわわわっ。」
 『空』が必死に腕を動かし、空間の攻撃から雨上を守っている。それを見た雨上はちらりと足元……地上の方を見ると『空』にこう言った。
「『空』、とりあえず逃げるよ。」
「?」
「攻撃はしなくていい。『天気』のみなさんも攻撃を防ぐことに集中するんだ。」
「雨上!? 何を……」
「鴉間のあの右腕と左脚をああいう風にしているのはきっとサリラだ。なら、サリラがやられらば鴉間のこの状態は終わ――」
「馬鹿がぁっ!」
 一気に雨上との間合いを詰めた鴉間の左脚が雨上の腹に突き刺さる。全てを削る球体がついた左脚が……!
「雨上ぃ!」
「この俺がそれまで待つとでも? そもそも、サリラが負け――」
 鴉間が言葉を止めたのは、貫いたはずの雨上がその場で幻のように消えたからだ。
「『悪天候』さん!」
 鴉間が後ろを振り向くと、そこには真っ黒な拳。
「ならああああああああっ!」
 鴉間は右腕をその拳に当てる。巨人の拳は鴉間の右腕に吸い込まれていく。だが、吸い込む速さと巨人の拳の速さが違った。
「ぐああああっ!」
 反発する磁石みてーに、鴉間が後ろに吹っ飛んだ。
「やっぱり。その何でも飲みこむ《空間》を武器にできるって言っても、サイズが小さい。たぶん、それ以上大きくできないだな。いくら《身体》を変形させたって言っても右腕と左脚だけだから。」
 いつの間にか、雨上はオレ様の横にいた。
「『悪天候』さんの風速の方が吸い込む速さより速いんだ。防ぎようはある。」
「雨上……お前、さっき……」
 オレ様の驚きをよそに雨上は平然と語る。
「知ってるか、ルーマニア。相楽先輩みたいな《光》のゴッドヘルパーでなくても、屈折は起こせるんだ。《光》は温度の違う空気を移動すると屈折するんだよ。んまぁ……相楽先輩に教えてもらったんだけど。」
「蜃気楼か! いやでも、相手は《空間》だぞ。それが虚像だってことくらい……」
「私の友達は空という《空間》を操れるんだ。私やルーマニアには感じ取れないけど、『空』が私の位置情報をコピーしてるんだ。一般人には何だか気配がするぐらいの感覚だろうけど、鴉間にとっては五感に勝る情報だ。それに加えて、屈折による視界への誤情報。私を見失うのは道理だよ。」
 なんてこった。最悪の展開に、もう活路を見出してやがる。こいつが慌てふためく時ってのはあんのだろうか。
「クソがぁああああ! バカにしやがって! この俺をおおおおおおおおおおおっ!」
 鴉間の背後に無数の断裂、壁。なまじ見えるから恐怖だな。
「……さっき、サリラが負けるわけないって言おうとしましたね。」
「ああっ!?」
 鴉間の憤怒の表情に合わない、極々冷静で、いつもの半目に少し笑みを浮かべた顔の雨上はこう言った。
「そんなわけはないですよ。私の友達の方が強いんですから。」


 あたしはしてやったりって顔でアブトルを眺めてた。
「花飾さん……今何が起きたんすか?」
「あんたにかけた《変》が問題なく働いただけよ。」
 速水がずいぶんまぬけな顔をしているのに対して、さすがの音切勇也は的確な質問をしてきた。
「花飾くん、数え間違えたというのは……?」
「あたしたちは……ちょっと勢いにのみ込まれていただけ……なんですよ。」
「と言うと?」
「アブトルのカウンター……これの手順を考えてみたんです。」
 ちらっと横を見ると、アブトル本人もあたしの話に耳を傾けていた。あたしが何を理解して何に気付いたのかを確かめようとしてるみたいだった。
「……カウンターの始まりは勿論、アブトル以外のゴッドヘルパーの《常識》の上書き。それに対応する……要するに書き直すって形でアブトルは神さまが書いた《物語》を編集する能力を得る。この世界の全てを操る力をね。」
「そう言ってたっすね。」
「大きな力が絡んでくるからややこしいんだけど、根本は文章の書き直しなのよ。ちょっとおかしなことになっちゃった所を修正する。なら……一つの間違いにつき、行える修正は一つよね?」
「そりゃあ……そうですけど。」
「つまり一回の上書きに対して一回のカウンター。これが大原則なのよ。」
「そうか!」
 そこで閃くのはやっぱり音切勇也。
「あの作家は、俺たちが《常識》の上書きを何回行ったかを数えなければならないのか!」
「そう……です。それをしないと、自分が何回カウンターをするべきなのかわからない。もしも数え間違えて一つ見逃したなんてことになったら、幻を見せることしかできないアブトルはそれをもろに受けてしまう。」
「え、そんじゃ時間がゆっくりになるのは……」
「修正時間である。」
 速水の疑問に答えたのは少し笑っているアブトル。
「執筆していた《物語》を修正する時、その《物語》に生きる登場人物たちは一時的に時間が止まることになるのである。彼らからしたら世界の改変であるからな。しかしこの神の書いた《物語》は止めることができない。小生が作者ではないからな。それでもなお、修正する時には《物語》の時間は止まるという小生の《常識》が働いた結果、登場人物以外の全ての時間がゆっくりになるという結果になったのだ。」
「そしてあんたはその修正時間の間に、相手が何回上書きしたのかを数えるってことね。」
「その通りである。お主らの場合であれば、周囲の石ころなどの動きから衝撃波がいくつ放たれたのか、いくつの音が放たれたのかを数えることになる。」
「ああ、そうか。それでさっきオレにあんな《変》をかけたんすね。」
 そこでやっと速水が納得した。音切勇也が速水を見る。
「オレがさっきかけられたのは、『腕の一振りで発生する衝撃波が一発だけって《変》じゃない?』だったんす。んでさっきオレ、アブトルに向けて一発だけ放ったつもりだったんすけど……」
「なるほど、実際は二発だったということか。おそらく、二発の衝撃波が重なって放たれたんだろう。それで……あの作家は数え間違えたのか。」
「はっはっは! こうもあっさりと攻略法を見つけられてしまうとは。」
 言う割に楽しそうなアブトル。むかつくわねー、ほんと。
 ……このアブトルっていうゴッドヘルパーは別に戦い大好き人間ってわけじゃないわ。変な能力を持っちゃった作家……
「なんなのかしらね。あんたからは敵意ってモノを感じないわ。余裕で座って、余裕で説明しちゃって。」
「はっはっは。小生、チョアンのように戦闘狂でもなければ、ルネットのように暴れることが好きなわけでもないのである。」
「おしゃべりついでに聞くけど、あんたはなんで鴉間についたのよ。」
 アブトルはあたしの質問に目をパチクリさせた。まるで、どうしてそんなわかりきったことを聞くのだろうかという顔。
「小生は作家である。ならば出会う事を……語らう事を渇望せずにいられようか。」
「誰とよ。」
「尊敬する神である。」
「神? あによそれ、作家として尊敬するってことかしら?」
「そうである。」
「作家が言う尊敬する作家ってゆーのは……なんたら賞を受賞するような作家なんじゃないの?」
 あたしのその一言に対し、アブトルは人を小馬鹿にした乾いた笑いを見せた。
「はっはっは……百年にも満たない時間しか執筆活動していない作家のどこに尊敬を抱けと言うのであるか? 神は登場人物など数え切れない程いるこの世界を何万年、何億年と書き続けている大作家である。作家を名乗るのであれば、尊敬すべきは歴史に残る名作を残した作家ではなく、歴史そのものを執筆している神であろう?」
 アブトルは天を仰いで呟く。
「事実は小説より奇なり。小生、この言葉が好きで嫌いである。事実とは神の書く《物語》であるゆえ、小生のような平凡な作家らが作り上げる《物語》より奇であることは当然であろう。しかし、そんな一言で表現して良いわけもない。一体どれほどの《物語》を書いてきたのか。命を持つ者全てに一生という《物語》があるのだから、神は星の数ほどの結末を書いてきたはずである。小生など、思いも寄らぬ展開、背景、人物……知りたい……小生のまだ知らぬ世界……神の《物語》の登場人物の一人に過ぎぬ小生が神に出会いたいなどと、おこがましいとはわかっている。しかし小生は《物語》のゴッドヘルパーとして設定された。神が言っておるのだ、会いに来いと。」
 アブトルが立ちあがる。
「サマエル殿に出会ったことで、小生は神という存在に確信を持つことができた。しかし、サマエル殿は神を殺すと言っている。そんなことは許さないのである。だから、世界の支配を望んではいても、神の殺害を目的としていない鴉間殿についたのである。」
 あたしは軽くアブトルを睨みつけながら言ったやった。
「あんたがやられるシナリオが神さまの《物語》でも、あんたは戦うの?」
 アブトルは本を開きながらこう言った。
「その時は、作家に思った通りの《物語》を書かせぬ、暴れるアイデアとなるまで。」
 おしゃべりはそろそろ終わりという風に、アブトルがペンを動かす。
「『脚を持たぬ鉄の馬が、彼らを踏みつぶそうと疾走する。』」
 キュルルル……
「? なんの音よ。」
「そうだな。俺に言わせれば、ゴムとコンクリートがかなりの速度でこすれあった《音》だ。」
「それってどういうことなんすか。」
「車の急発進の《音》だ。」
 はっとして周りを見渡す。するとあたしたちが立っている所に続く道の一本から、一台の車がこっちに迫ってきた。
「うわっ! あれはやばいっすよ!」
 速水の一言であたしたちは思い思いの方向に全力で移動した。
「はっはっは、どうであるか。お主たちがどうにかせぬ限り、それは追い続ける。」
 あたしたちがさっきまでいた場所を一発で免許停止というくらいの速度で通過する車。その後、ドリフトをかまして方向転換。
「ちょ、なんで俺の方に!」
 速水の方に迫る。
 まずいわ。音切勇也の共振による破壊っていうのは、単純な構造の物に限られる技。鉄球とかならともかく、車みたいな複雑な構造の物はすぐには破壊できない。リッド・アーク戦でずっと音切勇也がカスタネットを叩いていたのは、リッド・アークのキャノン砲の、どの部品を破壊すれば全体的に破壊できるかを調べるため。もしあの車を破壊しようとしたなら、同様の手順を踏まないと無理だけど、そんなひまはないわ。
 加えて、さっきまでの……銃弾とか弓矢みたいに軽くない。速水の衝撃波でも音切勇也の《音》の振動でもあんな重たい物は止められないわ!
「……車そのものは無理だが……!」
 あたしが焦っていると音切勇也がパチンと指パッチン。すると車の進行方向の道路が砕けた。
 なるほど! 道路はただのコンクリだもんね! ひっくり返りなさい!
「はっはっは。無駄である。」
 アブトルが本を開いてペンを動かす。車は神がかったテクニックでドリフトをして砕けた道路を回避した。
「さて、この瞬間にその車は幻から本物になったである。」
 速水の方から音切勇也の方に狙いを変えた車。
「これは……厳しいな!」
 横に飛んで車を避ける音切勇也。
「……これじゃジリ貧ね……」
 いつか全員ひかれるわ……折角アブトルの欠点を見つけたとこなのに……!
「もう! あいつに《変》をかけられれば――」
 ……あれ?
 あたしは余裕でつったってるアブトルを良く見た。サングラスをかけてるわけでも、ヘルメットをかぶってるわけでもない……
 あたしの《変》への対策をとってない!?
 さっき戦ったヘイヴィアは鎧の中に引っ込むことであたしが目を合わせられないようにしてた。リッド・アークは青葉の力で感情系が効かないような《仕組み》を持ってた。
 最近戦った相手はみんなあたしの《変》への対策をとってた。だからこのアブトルもそうだと思ってたけど……してないじゃない! 対策!
 でもそれはそれでおかしいわね。あたしの力はわかってるはずだもの。そして、それが厄介極まりないからこそ、今までの敵は対策をとっていたはず。つまり、アブトルはああ見えてきちんと対策をとっていると考えるべきね。
「……見る限りじゃそうは見えない……やろうとすればいつでも目を合わせられる……」
 ということは……まさか?
「花飾くん!」
 あたしがはっとした時、視界に入ったのは音切勇也があたしにとびかかってくる光景。
「!」
 視界の隅に車が映る。音切勇也に抱きしめられ、あたしはそのまま横に倒れた。
「大丈夫か! 油断しちゃいけないぞ!」
「ふぁ……ふぁい。」
 やばいわ。こんな時に場違いなドキドキが……ほんと、晴香はすごいわね。
 冷静になんのよ、あたし。
「音切……さん!」
「む?」
「アブトルに集中攻撃して下さい! 連続で!」
 音切勇也は一瞬思案顔になったけど、すぐに動きだした。その辺に転がってる瓦礫を二つ拾い上げ、少し大きめの瓦礫の前に立った。
「俺、ギターだけじゃないんだぜ?」
 まさにドラマー。高速のスナップで瓦礫をドラムみたいに叩きだした。その一打一打が《音》の振動となってアブトルに迫る。
「む、さすがにこれは……」
 速水みたいな速度でアブトルが移動を開始する。たぶん、迫った《音》の内の一つを上書きして自身の速度をあげたのね。
「速水! 今の内! ヘイヴィアの時みたいに走って!」
「! 了解です!」
 速水が高速移動を開始する。
「させぬぞ――うおっ!」
 その加速を否定しようとするアブトルを音切勇也が足止め。
「――ぬっくぅ! しかしこれはどうするであるか!」
 暴れる車はあたしと音切勇也に狙いを定めて爆走してくる。砂埃をあげながら迫る車は……怖すぎるけど……
「速水!」
「おまたせっす!」
 ベコォォンッ!
 車があたしたちの数メートル手前に迫った時、車は周囲の地面と共にペシャンコになった。
「ぜーっ……ぜーっ……」
 潰れた車の上に、肩で息をしている速水が立っている。速水は助走距離さえあればいくらでも加速できる。さっきの戦いで空を走れるようになった速水は、ほんの少し時間をかければ車を一撃でペシャンコにする衝撃波くらいは撃てるというわけね。
「空を走るのはいいんすけど……今のはかなり無理して加速したっす。脚がやばいっすね……」
 なんだかマラソンを走った後の人みたいに脚がガクガクしてるわね。
「んじゃ大丈夫ね。次に使うのは腕よ。」
「はい?」
「アブトルに向かって出来る限り連続で衝撃波を撃ち続けて!」
「鬼っすか!」
「いーからやんのよ! これで最後だから!」
「うーっす……」
 速水はアブトルの方を向き、両腕でジャブを始める。
「どおおおおおりゃあああああっ!」
「むぅっ!?」
 アブトルが慌てた声をあげる。
 一つの上書きに対して一つのカウンター。つまり、一つの衝撃波を防ぐために一つの盾を出したら、その盾は一つ防いだ時点で消えるってこと。あたしの《変》で無意識に何発も撃ってしまう速水の攻撃を前に壁を出すことは危険すぎる。故に避けるしかない。
 そう……『あれ』をアブトルとして見せたいなら……ね。
「選手交代です、音切さん!」
「! ああ!」
 音切勇也がドラムを止める。それでも速水の攻撃が残ってるから、相変わらずアブトルは攻撃を避けまくる。
「花飾くん! 手数勝負はいずれこちらの体力が無くなって終わるぞ! あの作家の能力的に、逃げに徹したら絶対に攻撃を当てることはできない!」
「いいんです。『あれ』には当てなくて。そもそも当たらないと思いますし。」
「何を……」
「あたしの予想通りなら……音切さん、人間が不快になる《音》って出せますか?」
 あたしのその質問に、音切勇也は複雑な表情になる。
「出せない事は無いが……それだけでアブトルを倒せるとは思えない。せいぜいクラっとくる程度の効果しかない。」
「充分です。あたしや速水を巻き込んでいいんで、できるだけ広範囲にその《音》を響かせて下さい!」
「……わかった。耳を塞ぐんだ。」
 音切勇也がスゥッと息を吸い込んだ。
「速水! ちょっと我慢しなさいよ!」
「頑張ります! おらおらおらぁーっ!」
 口を開いた音切勇也は上を向いて大声で叫んだ。本来なら聞こえるのは音切勇也の美声。けれど今は――
「うっ……」
 耳にキーンという《音》が入って来ると同時に、いきなり地面が傾いたような感覚。平衡感覚がマヒして身体がぐらつく。
 あたしはそんな気分の悪い感覚の中、アブトルを見た。
 アブトルは……全然気持ち悪そうじゃなかった。
「こんのやろめがああああ!」
 気持ち悪いのを我慢して衝撃波を撃ちまくる速水。その衝撃波を避けまくるアブトルは……さっきと変わらない表情で避けている。
 あれだけの猛攻に対応しているアブトルに音切勇也の《音》を上書きする余裕はない。つまり、この不快な《音》は聞こえているはずなんだけど通じていないらしい。
 そして、あたしの予想を裏付ける決定的なことが起きた。
「……! やっぱり……」
 衝撃波を避けているアブトルの姿が……ノイズの入ったテレビ画面みたいに一瞬ぶれた。
「……!? 花飾くん、おかしいぞ!」
そして《音》を出している音切勇也もあることに気付いたようだった。あたしは音切勇也が何を感じたかを言う前にこう尋ねた。
「どこですか!」
「何が――」
「いないはずなのにいることになっている場所です!」
 その一言で音切勇也は全てを理解した。キッと顔つきを変えて少し離れた、誰もいない場所を指差した。
「速水! そっちはもういいからこっちを狙いなさい!」
「えぇええいもおおおお!」
 半分やけくその速水が音切勇也の指差す方に衝撃波を放った。
「……!! 何ぃ!」
 衝撃波を避けていたアブトルは、あさっての方に放たれた衝撃波を見て驚愕した。そして――
「があああっ!」
 何もない所に放たれた衝撃波がその場所を通過すると同時に、何も無い空間から一人の男が飛び出した。そいつは華麗な受け身をキメることなく、ゴロゴロと道路を転がっていった。
「な……あれは一体誰なんだ?」
 音切勇也が突然現れた人物に驚く。速水も自分の衝撃波が一体何に当たったのか、よく理解できていないという顔だった。
大の字に倒れた状態からゆっくりと起きあがるそいつは、ラグビー選手みたいな体格で、顔がフランケンシュタインの化け物みたいな男だった。
「ぬ……ぐぅう……」
 頭を押さえて片ひざ立ちになった男はあたしをぎろりと睨みつける。その顔を見た音切勇也と、衝撃波を撃つのを止めてこっちに来た速水は目をまんまるにした。
「え……えっ!?」
「これは……」
 あたしは再びしてやったりという顔で男を指差してこう言った。
「見つけたわよ、アブトル・イストリア!」
「花飾くん……これは一体……」
「えぇっ!? どーゆーことですか、これ!」
 そう、何もない所から突然出てきた男は、《物語》のゴッドヘルパー、アブトル・イストリアその人だった。
「……敵が幻使いだって時点で疑うべきだったのよ。今、目の前にいる敵が幻かもしれないってことをね。」
 ハッとした速水はついさっきまで自分が衝撃波を放っていた相手を見た。そこには確かにアブトルがいたけど、幽霊のように透明なっていき、やがて消えていなくなった。
「それじゃ……あれは幻だったってことですか? 全部?」
「アブトルの能力とかは本物よ。ただ、あたしたちが見ていたアブトルの姿は幻。幻なんだから攻撃を避けさせる必要もないんだけど……あれを本物だと信じさせるために色々したみたいね。ペンと本を持たせたのもその一つなんじゃないかしら。」
 いかにも《物語》のゴッドヘルパーっぽいことをして、ペンと本をなんとかすれば勝てる……なんて間違った戦い方を誘い、『あれ』を幻だなんて考えさせない。
 実際、今目の前にいるアブトルは手ぶらだ。
「なんてことだ。俺たちはずっと幻と戦っていたのか……本物はずっとここに……」
「幻を動かすには状況をしっかりと見てないとダメってことっすか。でもよくわかりましたね。」
 速水がマヌケな顔であたしを見る。
「……あたしの《変》の対策をとってなかったのよ。あたしと戦うなら、サングラスの一つもかけるもんよ。なのにしてなかったってことは、《変》をかけたとこで効かないってこと。それであれが幻なんじゃないかって考えに行きついたのよ。音切さんの《音》でどこにいるかわからない本体にちょっとした攻撃をしかけて、あれが幻だっていう確信を得るのと同時に、本物の位置を特定してもらったのよ。」
 『あれ』を本物と思わせるために、本物のアブトルは幻に速水の攻撃を避けさせていた。そんであの猛攻を避けさせるにはかなりの集中力がいる。そんな時にあんな不快な《音》を聞いたら……集中が途切れて何かしらのボロが出る。それが、一瞬『あれ』の姿がぶれた理由。
「敵の位置を特定するって……音切さんにそんな力があったんですか。」
「……俺は《音》のゴッドヘルパーだからな。自分で放った《音》がどういう経路を辿ったかなんてすぐわかる。それで気付いたんだよ。アブトルがいる場所になぜか人の反応がなく、逆に誰もいないはずの場所に誰かがいる反応があった。」
「なるほど! コウモリみたいですね。」
「いや……まぁ……うん。」
 あんまり嬉しくない顔をする音切勇也。
「……ふ……」
 あたしが説明を終えるとアブトル……本物のアブトルが笑った。本物のアブトルはさっきまで見ていたアブトルよりももっとフランケンシュタインの化け物みたいで怖い。けれど本物には華麗な身のこなしができないようで、速水の衝撃波のせいで一歩も動けないという感じだった。
「……小生としたことが……《変》がいると分かった時点でサングラスをかける動作を《物語》に加えるべきだったであるか……」
「そうね。でも……いずれは音切さんが《音》で気付いたかもしれないわ。結局、無敵に近いあんたは……相手が悪かったのよ。」
「そのようであるな……だが!」

 キィイイイン……ドカアアアアン!

「……! 花飾さん!」
 あたしはアブトルの後ろを見た。映画でよくある光景……墜落した飛行機が火花をあげながら地面を滑ってくる……そんなモノが見えた。
「あれは小生を通り過ぎてから本物にするのである。小生に影響は無く、お主らのみがダメージを受ける。」
 あんな物は止められないし、かといって普通の速度で逃げるのは無理。必然的に《音》か《速さ》の使用を迫られるわけだけど……
「……《物語》だけじゃなくて、自分も忘れたみたいね。」
「? 何を――」
 言いかけて、アブトルはその場に倒れ込んだ。同時にアブトルの背後の飛行機は消滅する。
「……あたしの《変》への対策を、よ。」
 幻同様、サングラスの一つもかけていないアブトルは、終わってみればずいぶんとあっさり……敗北した。

 《音》や衝撃波でボロボロになった街の一角で、あたし、音切勇也、速水は遠藤とチェイン、リバースと合流する。
「さてと、このあとはどうしようかしら。」
 気絶させたアブトルを隅っこに転がし、あたしはその場の面々に意見を求めた。
「他のとこの加勢に行きたいとこっすけど……」
 速水はさっきの連続衝撃波で腕が動かないみたい。あたしはともかく、速水と音切勇也は他のとこの加勢に行けるほど元気な状態じゃないわ。かといって、あたしは他のとこの加勢に行けるような能力じゃない。
 あたしたちがアブトルと戦っている間に、遠藤の護衛をしつつ情報を集めてきたリバースがみんなの戦況を教えてくれた。
 まず、空では晴香と鴉間。
 んであたしたちがいるとこからちょっと離れたとこで力石が《反復》と戦ってるみたい。一緒にジュテェムとホっちゃんがいるらしい。
 そしてあの交差点で鎧とお嬢様が《身体》とバトル中。
「鴉間は《天候》でないと勝てないであろうし、《身体》に関しては、加勢が逆に脚を引っ張ることになりそうじゃ。加勢に行くとしたら《反復》じゃが……」
「そうね。でも、あたくしたちに何かできるかしら? ボロボロ二人と感情系一人、援護が基本の二人と最も狙われる可能性が高い魔法使い一人。」

「にゃにもしにゃくていいにょよ。」

 そこで突然舌っ足らずの小さい女の子の声が聞こえた。
「メリーさん!? どうしてここにいるのじゃ!?」
 小学校低学年くらいの外見を持つ、リバースやチェインたちのリーダーにして《時間》のゴッドヘルパー、メリーさんが現れた。
「ちょっと、メリーさんはあとで《時間》を巻き戻すために戦いが終わるまで隠れてるんじゃなかったの?」
 あたしがそう言うとメリーさんが少し嬉しそうな顔で答えた。
「あにゃたたちが勝ったその瞬間、未来がちらっと見えたにょよ。あちゃしたちの勝利っていう未来が。」
 それを聞いてリバースが歓喜する。
「おお! あの《物語》を倒したことでその未来の確率が上昇したということじゃな! これは嬉しいことじゃ!」
「あに言ってんのよ。初めから勝つつもりだっていうのに。」
「ふふふ、まぁしょうにゃんだけど。そんにゃ未来が見えたものだからね、どうせなら勝つ瞬間を直に見ちゃいと思ったにょよ。」
「無茶をしますね、メリーさん。」
 チェインがやれやれという顔でそう言った。
「あっそう。そんじゃまぁ、あたしたちはここでゆっくりと待つとしようかしらね。」
 頑張んのよ、鎧、力石!
 そんでもってファイトよ晴香!


 オレは《ルゼルブル》に大量に蓄積された《エネルギー》を惜しみなく消費して高速移動を続ける。メリオレは連続で地面を爆破する。
「おいおい! 熱エネルギーとして吸収できるんじゃないのか、お前は!」
 さっきオレが叩きこんだ攻撃……その傷跡を片手で押えながらメリオレは爆発を繰り返す。
 メリオレの言う通り、オレに爆発そのものは効かない。熱エネルギーを吸収することで爆発そのものを無かったことにできる。
 だからオレがやってることは別に回避運動じゃない。メリオレを翻弄するためのモノだ。
『メリオレはさっきの攻撃を……十太の光エネルギーを利用した攻撃を警戒してるからこそ遠距離攻撃を繰り返している。これはイケるよ。』
 ムームームの幼い声が頭の中に響く。オレは声には出さず、頭の中でムームームと会話をする。
『でも、もうさっきの技は効かないだろ? オレ、光エネルギーをあんな風に使うの初めてだぜ? あれ以外の攻撃方法っつーのがあんま思いつかないんだが。』
 メリオレの手前、まだまだこれからだぜ! みてーなことを言ったが……どうする? さっきの攻撃で決められなかったのは確かにまずい。

 《反復》のゴッドヘルパー、メリオレ。自分がかつて行ったことのある行為を《反復》という形で何度でも繰り返すことのできる力。この力により、あり得ない体勢での移動、攻撃を高速で行うことができる。また、爆弾を爆発させたという経験を元に、爆弾そのものがなくても爆破という事実を繰り返してくる。
 だが本当の意味で厄介なのは防御としての《反復》。メリオレは一度経験した攻撃であれば、全ての攻撃を無効化できる。《反復》……繰り返しの否定という形で。
 ここで言う経験とは、ダメージを受けるというわけではない。一度でも、その攻撃のターゲットとなり、攻撃されるということだ。つまり、渾身の一撃を放ったとして、もしもそれが外れた場合、その攻撃は二度と通用しないモノとなる。
 よってメリオレを倒す条件は――

『メリオレの動きを封じて確実に攻撃を当てること、その攻撃がメリオレにとっての初経験となる攻撃であること、一撃でメリオレを倒せる攻撃であること。この条件、かなりシビアじゃねーのか?』
『クリアしなきゃ勝てないよ。封じるってことは、さっき十太がやった。初経験である攻撃はさっきのみたいに、ゴッドヘルパーでないと撃てないような攻撃。この場合は光エネルギーの一撃。その攻撃がルネットの最後の攻撃みたいな威力であれば全てをクリアできるよ。』
 軽く言うなぁ、オレのパートナーは。
『大丈夫。なにも全てを十太に任せはしないよ。』
 視界の隅にいるムームームはそう言うとタタタッと移動した。どこに行く――
「よそ見か、《エネルギー》!」
 気付いた時にはメリオレが正面にいた。とっさに蹴りを警戒したが、メリオレの構えはパンチ。右ストレートがオレの腹にめり込む。
「……!!」
 瞬間、メリオレの右腕が十本くらいに増えた。いや、そう見えた。ものすごい速さで右腕のストレートが連続で叩きこまれる。
「っ……っ!!」
 運動エネルギーを利用して慌てて後退。追って来るかとも思ったが、メリオレはその場で右腕をだらんとさせる。
「やれやれ、あんまやるもんじゃねーな。これの《反復》はよぉ。」
 腕を高速で出したり引いたりする。メリオレの筋力で行っているというよりは、何かに引っ張られてやるという感じなんだろう。それでも腕への負担はでかいはずだ。
「まったく、今のでお前を倒せれば嬉しかったんだがな。」
 オレは腹を抑えて咳き込む。熱エネルギーほど一瞬では奪えねーが、放たれた拳の運動エネルギーを奪うことは一応できる。メリオレの連続パンチの威力はある程度殺せたはずだが……それでも完全ではねーから、それなりにダメージ。まともに受けてたら腹ん中がグルグルのゴチャゴチャだっただろうな……
 オレはふと思った事をメリオレに尋ねる。
「あんた……さっきの光エネルギーの攻撃を喰らってたけどよ……あれ、ルネットの攻撃のパクリなんだぜ? あんたはそんな能力なんだから、仲間の攻撃を全て経験しておいたりしなかったのか?」
 オレがメリオレだったなら、知り合ったゴッドヘルパーには片っ端から攻撃をしてもらって、色んな攻撃の経験をする。ルネットのビームも、経験しとけばなんのその。
「はっ、できればやったさ。ここまで来れば、オレの力の条件もだいぶ見えてきたんだろ? オレは攻撃を経験する必要がある。経験ってのはな、オレが『攻撃されている』っつーことを理解しねーと意味がないんだよ。ルネットの攻撃は《視線》であり、光の速度なんだぞ。見えねーよ。だから攻撃されてるってことを理解できない。かといってオレの身体に向かって撃たれても、威力が高すぎてオレが一撃で死ぬ。」
「ああ……手加減できそうな奴じゃないもんな。」
「わかってるじゃねーか。」
 メリオレはだらんとさせている右腕を左手でもみながらこう言った。
「さてどうするよ? オレはお前がさっきみたいなスキを見せない限り近づかないことにした。パクったっつってもいきなりルネットみてーなビームを撃てるわけじゃないだろ? となるとお前はオレに攻撃を当てることができない。《重力》と《温度》はこの場においては役立たず。オレの勝利が決まったよーなもんだが?」
「それは油断というものですね!」
 ジュテェムの声が響き、上空から大量の瓦礫が降って来る。
「馬鹿は死ななきゃなおらねーみてーだな!」
 メリオレが《反復》による移動を開始する。コマ送りのような見ていて気持ちの悪い移動。
「十太くん!」
「うぇ!? オレ!?」
 ジュテェムにいきなり名前で呼ばれた。
「わたくしとホっちゃんは君の援護にまわります!」
 えぇ? なんだいきなり……あ、まさかムームームか。
『十太。これから《重力》と《温度》は十太の援護に入る。二人の能力が直接通用しないなら、十太が戦いやすい環境を作ってもらうよ。』
 ありがたいな。これでメリオレに接近できれば……
『それと十太。もう一回、光のエネルギーの攻撃をやって欲しいんだけど。』
『? いいけど、あれはもうあいつには効かないぜ?』
『いいからいいから。』
 オレは頭の上に?を浮かべたが、ムームームはオレなんかよりも経験豊富な奴だ。何か策があってのことだろう。
「んじゃ行くぜ。」
 一応、あさっての方にぶっ放すんじゃかっこつかないので……
「おお?」
 メリオレの方に高速移動。連続爆破を避けつつ、近づく。
「無駄だ、《エネルギー》。オレには追いつけねーよ。小回りが違うからな。」
 言葉の通り、メリオレはジュテェムが落とす瓦礫をすりぬけ、スピードを落とさずにジグザグと動く。だがまぁ、当てるつもりはない。
「ここだ!」
 光エネルギーを手の平に収束うぅっ!?
 ビビった。オレが予想したよりも大量の光エネルギーが手の平に集まっていく。自分でやってることにびっくりしてると、ムームームの声が聞こえた。
『《温度》が十太の周囲の気温を一気にあげてるんだよ。十太は熱エネルギーであれば、無意識に吸収できるでしょ? 今まで手の平サイズの《ルゼルブル》から《エネルギー》を得てたから、《エネルギー》を集めるのに多少の時間を必要とした。でも今は周囲からも《エネルギー》を得られるんだよ。手の平からだけと、身体全体。どっちが効率よく、かつ早く《エネルギー》を集められるかは明白だよね。』
 なるほど。要するに、オレに《エネルギー》をくれる熱源が手の平の《ルゼルブル》だけから、周囲の空気全てになったわけか。こりゃあ《エネルギー》の使い放題、変換し放題だぜ。
「くらえっ!」
 さっきよりもエネルギー量の多い光のエネルギーの破裂。手の平からものすごい衝撃が前方に放たれた。ジュテェムが降らせた大量の瓦礫も木端微塵にして吹き飛ばす。
「おおっ。こりゃさっきのを喰らっといてよかったな。」
 光の爆発に全てが吹き飛ばされる中、平然と立つのはメリオレ。威力が上がっても、所詮はさっきの攻撃のパワーアップ版。同じ攻撃と見なされ、《反復》の力によって否定されている。
「やっぱ効かないか。」
「なんだ、改めて確認か?」
 いや、そういうつもりじゃないんだが……ムームームがやれっつーから。
『オッケーだよ十太。これで感覚をつかめたはず。』
 何の話だ?
『それじゃ気合入れて、メリオレを追い詰めるよ! んで追い詰めたらもう一回光エネルギーの攻撃だよ!』
「お、おう。」
 んま、オレはオレのできることをやるまでか。行くぜ!
 ホっちゃんがオレの周囲の《温度》を上げてくれるおかげで、さっきよりも速く移動することができる。オレはさらに加速してメリオレを追う。
「おお、おお。速くなったな、《エネルギー》。ならオレも。」
 言葉の通り、移動速度がもはや瞬間移動と呼べる速度になるメリオレ。まばたきの度に別の場所に移動するメリオレの姿を必死で追う。
「くっそ、捉えられねぇ!」
「ほれほれ!」
連続で爆発を引き起こしながら後ろ向きでオレから逃げるメリオレ。オレに爆発は効かないが、それによって起こる砂埃なんかはどうしようもない。気がつくとメリオレの姿を見失っているオレのもとに――
「ちぇいっ!」
 いつの間にか死角に移動したメリオレの蹴りや連続パンチが放たれる。運動エネルギーを奪ってある程度威力を殺し、反撃に一発殴ろうとした時にはオレから遠く離れた場所に移動している。
 基本的にはオレから逃げるんだが、オレが爆発のせいでメリオレを一瞬でも見失うとその隙を逃さずに一撃をいれてくる。
「すばしっこいですね、まったく!」
 ジュテェムが瓦礫を絶え間なく降らせているというのに、メリオレは頭の後ろに目があるんじゃねーかと思うくらいスイスイと後ろ向きでそれを避け、オレに爆発をお見舞いしつつ逃げる。
「……うげ、またか!」
 メリオレの姿を再び見失う。どっから来る!?
「ぐっ!」
 周囲に注意を払っていると上の方でジュテェムのうめき声が聞こえた。見るとメリオレのとび蹴りが腹にめりこんでいた。
「ほう? てっきり油断してるかと思ったんだが、さすがにやるな。《重力》の向きをとっさに変更して後ろにさがり、オレの蹴りの威力を殺したか。」
「……っ! 無防備に受けていたらお腹の風通しがよくなっていたかもしれませんね。大した威力の蹴りです……」
 ジュテェムは蹴りの衝撃で少し後退し、メリオレは瓦礫の一つに着地する。
「そりゃまあな。仲間内に世界最強の格闘家がいるんでね。肉弾戦において最適な姿勢だとか攻め方だとかは学んだ。」
「わたくしの瓦礫をかわすのもその格闘家から学んだのですかね。」
「いんや? それは単にお前がバカなだけだ。」
「なんですって?」
「自分では気付いてないだろうがな、お前の攻撃には一定の周期がある。オレの右側に瓦礫を落としたら、次はその場所からやく四メートル離れた場所に落とすとか、オレの真後ろに落とした後には少し角度をつけて左斜め後ろに落とす……とかな。」
 そこでメリオレがオレの方を見る。
「《エネルギー》もそうだぜ? 単純にオレを追っているわけじゃねぇ。三回曲がるごとに通常の約一・五倍に加速する。」
「んな……オレたちのくせが見えるってのか!?」
「たっは、ちげぇよ。人間はな、単調な作業をやってるとどっかになんかしらの区切りをつけて、同じ行動を繰り返すもんなんだ。無論、凡人にはそうとわからない程度の繰り返しだが……オレは《反復》のゴッドヘルパー。それくらい気付く。」
 なんてこった。どーりで捕まえられないわけだ……
 高い近接格闘能力。機動性の高い移動能力。敵の動きをほぼ完璧に予測する力。加えて同じ攻撃が通じない? 雨上先輩からその存在を初めて知ったときは大したことないと思ったが……とんでもねぇ。改めて思うが、こいつめちゃくちゃ強い。
 メリオレの動きを止める方法として、《反復》の際の運動エネルギーを奪うってことを考えてたが……さっきやった技は、あいつの能力的には効果があったとしても、あいつ自身がそれを許すとは到底思えない。
 別の方法で動きを止める必要がある。
『ムームーム!』
『言いたい事はわかるよ。そうだね……押してダメなら引いてみるんだよ。』
 ……押してダメなら……引く? 逆に考える……
『! ムームーム! 今から言う事をホっちゃんに伝えてくれ。』
『んふふ? 何か思いついたんだね?』
 作戦を伝え、オレはメリオレを睨みつける。それに気付いてメリオレがニヤリと笑う。
「どうした《エネルギー》、またもやいい目じゃねーか。」
「あんたを倒す作戦を思いついたんだよ。」
「そうか。そいつは嬉しいな。」
「嬉しいのか?」
「ああ。」
 メリオレはどこか……昔を思い出すような顔になった。
「さっきも言ったが、オレは凡人じゃ気付けない《反復》に気付ける。つまりな、《反復》っつーモンに敏感なんだよ。」
「ゴッドヘルパーは自分の《常識》に対して……だいたいそんなもんだろ。」
「ああ。だからオレは余計に感じちまったんだよ。人生はどうしてこう、繰り返しだらけなんだろうってな。」
「繰り返し……?」
「中年のオヤジとかが良く言わねーか? 起きて、会社行って、帰って、寝て、起きて……同じことの繰り返しってな。学生もそーだろ? 毎日毎日同じことを延々と何年もよ。」
「……」
「普通の奴らは、『まぁ言われればそうですけど』くらいにしか感じてない。だがオレはそいつら以上に感じていた。同じことの繰り返しこそが平穏、それこそが人の望みと誰かは言うが、オレはそう思えなかった。つまらねぇ! もっと刺激を! 日々に変化をってな!」
「それで……あんたはこういう戦いの世界に来たのか?」
「まぁな。サマエルがオレの元に来た時は嬉しかったぜ。ゴッドヘルパー……それぞれが信じる《常識》に従って予測不能なことを起こす連中がわんさか! しばらく退屈しなかった。純粋に、仲間が増えてオレらが強くなっていくのも楽しかった。だがな、また来ちまったんだよ。繰り返しの毎日が。」
「え?」
「色んな奴と戦った。おかげでオレ自身、相当な強さを得た。だがそのせいでな……オレの力の、お決まりの必勝法みてーのが確立しちまった。オレは強くなりすぎた。同じことを繰り返すだけで大抵のゴッドヘルパーはオレの前に跪く。つまらねぇ……」
 そこでメリオレの目がオレを射ぬく。
「そんな時だ。鴉間が行動を起こした! サマエルの配下っつー状態から鴉間の裏切りの同志っつー立場! 居場所が変わればきっと新しい変化に出会えると思った! 案の定出会えた……お前に!」
「オレ?」
「そうだ。オレと同様に、強くなりすぎて楽しいバトルを久しくしてなかったルネット……あいつを負かした男! ルネットの必勝法を覆した男! こいつならオレの必勝法も覆してくれるだろう! 繰り返すだけで同じ勝利を得るオレの《反復》に刺激をくれるだろう!」
 メリオレの高速移動が再び始まる。
「さぁ、オレの《反復》を止めてみろよ、《エネルギー》!」
「……別にあんたを喜ばせるためにするわけじゃねーぞ!」
 オレも移動を始める。直線的にメリオレを追うのではなく、回りこむように動く。
「おお? なんだその動きは!」
 オレを追うようにして爆発が起きる。オレの後ろ、時には正面の地面が砕け、衝撃と砂埃がオレを包む。
「たっは、何を企んでやがる?」
 相変わらず、メリオレはジュテェムの攻撃をかわしつつ、後ろ向きで移動している。だが、オレの動きを上から見たジュテェムはオレの目的に気付いたようだった。瓦礫の降らせ方が若干変化している。そう、メリオレに動いて欲しい方向に動くように。
「ん? 《重力》の攻撃も変わったか。何が来る……」
「メリオレ!」
 オレは移動しながら、メリオレの爆発を避けながら叫んだ。
「あんたの期待に応えてやる! 受け取れよ!」
「何っ!?」

 メリオレの移動方法は機動性が高く、速い。オレと同じような移動方法ではあるが、あっちの方が性能はいい。だが、オレの移動方法とは決定的に違う点がある。そしてそれはかなり大きな……弱点だ。

「おりゃああ!」
 オレは地面をパンと叩く。
「位置エネルギー注入!」
 瞬間、オレとメリオレが走り回っている地面が轟音と共に直径二十メートルほどの円形としてはがれ、一メートルほど上に移動した。
「……バカなっ!」
 突然せり上がった地面に、メリオレは大きくバランスを崩した。

 もちろん、普通に地面に位置エネルギーを与えたところで浮くわけがない。なにせ、それは地球を動かそうとしていることになってしまうからだ。そんな途方もない《エネルギー》は存在しない。
だから、地面……つまりコンクリートを切り取った。メリオレの爆発を利用し、オレたちが戦っている場所を円で囲むように地面を砕いた。結果、オレが位置エネルギーを与えれば浮く程度の大きさと質量に切り取られた地面は一メートルほど上に移動した。
……仮に、メリオレがオレとまったく同じ方法で移動していたなら、あまり効果はなかっただろう。だがメリオレには効果がある。
なぜならメリオレの移動は脚が地面についているからだ。
オレは常に少し身体を浮かせた上で移動している。地面がどうなろうと関係ないが、メリオレは違う。あいつの力は浮くことじゃない。過去に行ったことのある移動を高速で繰り返すことだ。メリオレはどう見たって鳥じゃねーから、『過去に行ったことのある移動』ってのも当然、地面を踏みしめて行っているはずだ。なら、どんなに速度をあげようと、脚が地面についている事実は変わらないわけだ。
さっきジュテェムを蹴り飛ばしたみたいに一瞬、宙に移動することはできても、そのまま停止することができない。よって、基本的に地面を走っているメリオレは、例えば今のように地面が急にせり上がったりした日には……バランスを崩す。

「スキあり!」
 バランスを崩したメリオレに接近し、その肩に触れる。
「はっ! またオレの運動エネルギーを奪う気か!?」
「ちげーよっ! 運動エネルギー注入!」
「!?」
 次の瞬間、メリオレが真横に吹っ飛ぶ。オレがやったのは、運動エネルギーを与えること。前にやったみたいに、ただ単に遠くに吹っ飛ばすための運動エネルギーの注入ではない。メリオレを強制的に移動させ、ある場所に運ぶためだ。その場所とは――
「! これは!」
 運動エネルギーを与えられるなんて経験を理解できないメリオレは《反復》で否定することもできず、ただただ飛んで行き、その場所に近づく。
 そこにはグツグツと煮えたぎり、風景をゆがませる溶岩の池があった。ホっちゃんに頼んで作っておいてもらった、コンクリートをドロドロに溶かして作った灼熱の池。直径五メートル程の地獄に、メリオレは頭から突っ込んだ。
 真っ白な蒸気が立ち上り、視界をもやが覆う。
 オレはその池の真横に着地する。すると池の中からメリオレが顔を出した。
「……これが作戦なのか?」
 公園の池で水遊びでもしているかのうように、脚を半分ほど池の中に入れ、髪の毛から溶岩を滴らせてたたずむ。
 効いていない。熱そうなそぶりも見せない。そりゃそうだ。例え溶岩だろうがなんだろうが、それが《温度》変化による攻撃であるならメリオレには効果がない。
「馬鹿言え、これが作戦だ!」
 オレは片腕を溶岩の池に伸ばす。それを見たメリオレは一瞬不可解だという顔をしたあと、オレの目的に気付いて目を見開いた。
 だが……遅い――
「固まれ!」
 溶岩に手が触れると同時に、その熱エネルギーを残らず奪う。
オレはリッド・アークとの戦いの時、《山》のゴッドヘルパーが起こした噴火から熱エネルギーを奪ってただの岩にし、奪った熱エネルギーを運動エネルギーに変えて戻すことで、空を飛ぶリッド・アークに攻撃を仕掛けた。
今回は運動エネルギーにして戻しはしない。岩にすることが目的だからだ。
「……なるほどな……」
 メリオレがニヤリとオレを見る。
 溶岩の池に脚を入れていた状態で、その溶岩が固まった。それはつまり、メリオレの両脚が地面に固定されたということだ。しかも瓦礫に脚が挟まれたとかそういうこととはわけがちがう。型をとったかのように、ピッタリとメリオレの脚を固定しているのだ。
 メリオレの移動はパッと消えてパッと現れる瞬間移動ではない。両脚が完全に固定された状態で無理に《反復》を行えば、最悪脚が千切れる。
「《温度》が通じないオレにだからこそ仕掛けることのできる作戦だな。だが――」
 メリオレがちらりと視線を動かす。もちろん、これで終わる男ではない。自分の脚を固定している固まった溶岩を爆発させれば抜け出せる。だから――
「その前にくらえ!」
 手の平に光エネルギーを集めながら、右手を前に出す。
「無駄だ! それはオレには効かない! 光で目くらましでもする気か!?」
 オレの行動を横目で見てそんなことを言うメリオレ。
「ちげーよ! これであんたを倒す気だ!」
 光のエネルギーの破裂。オレとメリオレとの距離は三メートルくらいしかない。普通に破裂させればかなりの衝撃がメリオレを襲うことになるが、それは効かない。
 ……こっから先は知らない。こっから先はムームームの作戦だ。ただオレは、追い詰めたからこれをしただけだ。
「!」
 かなり人任せな気分で放った光エネルギー。だが……それは破裂しなかった。いや、正確には破裂したんだが、力の向かう方向が一方向となった。爆発ってのは、爆弾を中心に三百六十度に衝撃をばら撒くもんだ。だがオレの手の平で破裂した《エネルギー》は……三百六十度に広がらず、ただ一つの方向。メリオレに向かって《エネルギー》が破裂した。そしてそれは、まるで透明な管を通るように、一筋の光となってメリオレに迫った。
 要するに……オレの手の平から光のビームが放たれた。
 驚愕の表情のメリオレを飲みこんだビームは、メリオレの後ろにある建物を貫いた後、空高くへ伸びていき、やがて流れ星のごとく消えた。
 視界に光の軌道が微妙に残る中、全身から白い煙を出しながら《反復》のゴッドヘルパー・メリオレはその場に倒れた。

「……なんだったんだ?」
 ダメージとしては全身火傷を負って気絶したメリオレを地面から引っこ抜いて横にするムームームに尋ねる。
「なにが?」
「さっきのビームだよ。撃った本人が一番わけわかんねーってどーゆーことだよ。」
「ふふふ。《重力》だよ、十太。」
「え?」
 オレはメリオレを見降ろしているジュテェムを見る。するとジュテェムはニコッと笑って説明する。
「ブラックホールを知っていますか? あれは、あまりに《重力》が強すぎて光さえも引きこんでしまうから黒いのです。」
「はぁ……」
「つまり、《重力》は光……光エネルギーに影響を及ぼすのです。あなたが光エネルギーを破裂させた瞬間、高重力をかけて爆発が一方向にのみ行くようにしたのです。」
「……つまり……光エネルギーの破裂をビームにしたと。」
「そうです。ただの爆発とビームではまるで異なる攻撃……メリオレにとって未経験の攻撃だったそれは見事彼を貫き……こうしてわたくしたちは勝利したのです。」
「勝利……そうか、オレらは勝ったのか。」
 そう思うと妙に嬉しい。いやー、強かった。
「んで、ムームーム。この後はどうするんだ?」
「うーん……」
 ムームームが人差し指をピンと立てる。すると指先に光の輪っかが出現した。何をしているのかと思って見ていると、ムームームはうんうん唸りながら独り言のようにしゃべりだした。
「……《物語》のゴッドヘルパーはやっつけたみたいだね。みんな無事だよ。残りは……《身体》と《空間》だね。」
 どうやら魔法で周囲の状況を確認しているらしい。
「おりゃたちは加勢した方がいいじゃねーか? 大きなケガもしてねーし。」
 ホっちゃんがそう言うとムームームは首を振った。
「ダメだね。こう言うのもなんだけど、《身体》は……君や十太じゃ相手にならない。《金属》と《ルール》が戦ってるけど、あの二人じゃないと足手まといもいいところだよ。加えて、《天候》と《空間》の戦いは……うわ、これはもう次元が違うよ。」
「そっか。んじゃおりゃたちは……なんだ? 待機か?」

「しょうね。」

 舌っ足らずな声。見ると《時間》のゴッドヘルパー、メリーさんがいた。
「あれ? 《時間》は隠れてるんじゃなかったの?」
 ムームームが尋ねる。
 ……しかしこの二人、外見はどっちも小さな女の子なのに、その実どっちもおばあちゃんなんだよなぁ……
「ちょっといりょいりょあってね。他の二つの戦いにはあちゃしたちじゃ手を出しぇにゃい。あちゃしたちはかたまっておいた方がいいと思うにょよ。」
 メリーさんの後ろには、チェインとリバース。そして花飾先輩、音切勇也、速水、遠藤さんがいた。あ、あとカキクケコ。カキクケコが運んでいる大柄な男は……そうか、あれが《物語》か。
「……《時間》、何か見えたのね?」
「勝利が。もうすぐだと思うにょよ。」
 ……勝利か。あとは鎧先輩とあのお嬢様と雨上先輩だけか。
「いよし。いざってときに備えて、オレらは身体を休めよう。」
 オレはドカッと地面に座り込み、大きくため息をついた。
「十太。いくらなんでも油断しすぎだよ。」
「だってよ、ムームーム。雨上先輩と鎧先輩とお嬢様だろ? 負けるとこが想像できねーよ。」


 耳に響くのは牙や爪がこすれる音。身体を震わせるのは獣の唸り声。文字通り、化け物と化したサリラはわたしの想像を遥かに超える存在だった。
「ファイヤ!」
 クロアが《ジャスティライザーショット》を放つ。空中を走る赤い閃光を、その巨体からは想像できない敏捷さで全てかわすサリラ。
「まったく! 普通に狙っても当たりませんわ! このアタシの攻撃は外れるわけがないというのに!」
 クロアが撃った銃弾は必ず敵に当たるが……今は《ジャスティライザーショット》だ。クロアの力が働いていないのかもしれない。もしくは、単純にサリラが速すぎるのか……
「わたしが動きを止めよう。」
 建物の壁を飛び回るサリラに向かって走り出す。極細の刀を放ち、それを足場に空中へ。
「ルオオオオオオッ!」
 サリラのしっぽが痛々しく、つぼみが開くように裂けて中から大剣のような骨が出てくる。一瞬、それで応戦するのかと思ったのだが、サリラはしっぽを振りまわし、その大剣で自分がしがみついている建物を真横に一閃、切断した。
「ガアアアアアアッ!」
 切断した建物に筋肉が盛り上がる腕を突き刺して思い切りふり、わたしへと飛ばす。わたしは刀を鞘におさめて目を閉じ、正義の姿を思い出す。
「『瞬雷絶刀! 蒼斬!』」
 目を開いた時、わたしはサリラの目の前にいて、わたしの背後ではサリラが飛ばした建物が真っ二つになっていた。
「グルッ!?」
「雨傘流一の型、攻の三、《扇》!」
 一閃、サリラの両脚を切断する。サリラは特に痛がりもしない。それどころか、サリラの腹部に裂け目が入り、ガバッと開いた。そこから何かが出てくる気配を感じたわたしは、サリラのおでこに刀の柄頭を叩きこむ。コスチュームによる補助もあって、かなりの威力の柄当てを受けたサリラは腹部から何かを出す前に地面に叩きつけられる。
「ジャスティスチャージ! シュート!」
 放たれた《ジャスティライザーシュート》は地面から顔を出したサリラに直撃するかと思われた。だがサリラの頭部から何かがのびたかと思うと――
「なにっ!?」
 《ジャスティライザーシュート》がサリラの手前でカクンと角度を変えてあさっての方向に飛んで行ったのだ。
「このアタシのビームが曲げられましたわ!」
 クロアがわたしに説明を求める目を向けたがわたしは首をふった。《ジャスティライザーシュート》が曲がるなんて見たことない。
『やや、良く見るのだよ。』
 頭の中にアザゼル殿の声が響く。クロアの横に着地し、サリラの方を見る。
「む? サリラの前に……何か透明な物が見えるな。」
「あれはレンズですわ! まさかあれでビームを曲げたというの!?」
 サリラの前に……というよりは、頭部から伸びた触手の先端に大きな虫めがねのような物がぶら下がっているのだ。
 ああ……そういえば光というのはレンズとかを通るとくっ……くっ……
『たぶん、あれでビームを屈折させたのだよ。』
 それだ! くっせつだ。理科の授業で習ったぞ。
「そんなバカなですわ! あのゲテモノは《身体》のゴッドヘルパーですのよ!? どうしてレンズなどという機械的な物を出せるのかしら!?」
『確かにガラスのレンズは無理だろうけど……クロアちゃんの《身体》の中にだってレンズはあるのだよ。その名も水晶体なのだよ。』
 すいしょーたい? なんの部隊なのだろうか。
『水晶体は眼球におけるレンズの役割を担う部位なのだよ。成分はいくつかのタンパク質なのだよ。それを特大サイズで作ったのだよ。』
「あんな大きな水晶体を持つ生物がいるとしたら怪獣しかいませんわ! まったくデタラメなガキんちょですわね!」
「……すいしょーたいとかはよくわからないが……要するに《ジャスティライザーシュート》を受けずに避けたのだろう? ならば、今のサリラにとっては《ジャスティライザーシュート》が防ぐことのできない脅威だということだ。」
「そうですわね。次は当てますわ!」
「グルル……」
 サリラは数秒わたしたちを見つめたあと、左腕をクロアの方に向けた。瞬間、左手の指が蛇のように伸び、クロアをグルグル巻きにした。
「クロア!」
 急いで伸びた指を切断しようとしたが、残った右腕がギュンと伸びてわたしをはらう。
「くっ!」
 衝撃波はコスチュームによってわたし自身には届かないが、はらわれた事実は変わらず、わたしはクロアから遠ざかる。
「……またですの? 中国人といいこのバケモノといい、どいつもこいつもこのアタシを動けなくするのが好きなようですわね!」
 クロアは握っていた銃を器用に回し、銃剣で自分をしめつけるサリラの指を切断する。
「ルルルオオオオオ!」
 サリラが叫ぶ。すると全身から電流が放出され、クロアを襲った。雷が落ちたみたいな音がしてクロアが眩しい光に包みこまれる。けれどクロア本人は何事もなかったかのように堂々としている。
「ヘタな知恵だけあって、学習能力はないのかしら!」
 クロアが振るった銃剣でサリラの両腕は斬り落とされる。
「ジャスティスチャージ!」
 両腕を失ったサリラの前でチャージのポーズをとったクロア。それを見たサリラは危険を感じたのか、ものすごい跳躍力で後ろにジャンプし、建物を一つとび越えてその背後に身を隠した。
「馬鹿ね! 建物ごと撃ちぬいてあげますわ! シュート!」
 放たれる巨大な赤い閃光。それはサリラが隠れた建物の一階から三階あたりを丸ごと消滅させた。
「すごいな、クロア。」
 わたしはクロアの横に戻る。如何なる攻撃も効かず、今や正義の力を手に入れたクロアに敵はいないのではないだろうか。
「……命中した気がしませんわね。どこに行ったのかしら、あの化け――」
 わたしとクロアはバランスを崩した。突然地面が盛り上がり、そこから巨大な腕が出てきたのだ。
「地面の中を通ってきたか!」
 わたしたちが左右に飛ぶのと同時に地面からサリラが出てきた。と同時に、大量の水が噴き出した。
「水道管を壊したのね! 迷惑極まりない害虫ですわ!」
「……! 偶然壊したわけではなさそうだぞ。」
 飛び出してきたサリラをよく見ると、おなかが膨れている。わたしは《武者戦隊 サムライジャー》の第八話を思い出す。ミズデッポウ魔人がダムの水を吸って、それを使ってサムライジャーを倒そうとする話だ。水を吸ったミズデッポウ魔人はおなかがたぷんたぷんに膨れていた。
「水を発射してくるぞ!」
 わたしの言葉と同時に、サリラの口から水鉄砲のように水が放たれる。いや、あれは水鉄砲と呼ぶにはあまりに……
『あれま。高水圧カッターみたいなのだよ。』
 サリラが水を放ちながら首をふると、水が当たった建物が綺麗に切断されていく。
「なんですのこれ!」
 すいあつ……というのか? ものすごい勢いで発射された水に押されてクロアが吹っ飛ばされた。そしてサリラがくるりと回転し、わたしの方を向いた。いくら衝撃を吸収するコスチュームでもあの勢いをまともに受けてはただでは済まない。そう思ったわたしは迫る水を刀で受け止めたのだが――
「ぐわっ!? しまった!」
 あまりの勢いに、刀が手から離れてしまった。サリラがその凶悪な口でにやりと笑みを浮かべるのが見えた。わたしとサリラの距離と、わたしと飛ばされた刀の距離では、サリラとの距離の方が短い……!
「グルウウウウアアアッ!」
 武器を失ったわたしに勝機をみたのか、クロアに切断されたはずの腕を一瞬で元に戻し、わたしに迫るサリラ。
「……確かにわたしは……クロアみたいに無敵ではない。握りつぶそうと思えばわたしは潰れるだろう。しかし……」
 わたしは《武者戦隊 サムライジャー》の第四十一話を思い出す。サムライレッドが敵に刀を奪われる話だ。象徴とも呼べる武器を失ったサムライレッドを見て、わたしはひどくがっかりしたのを覚えている。だが彼は諦めなかった……
「正義はわたしの刀にやどっているのではない! わたしのこころにあるのだ!」
 突きだされる右腕。指が開かれ、わたしをその鋭い爪で斬り裂こうと迫るその腕を軽く身をかがめて避け、左肩に乗せる。流れに逆らわず、相手の力の方向をそっと回転させる!
「はっ!」
 自分の力だけでは足りない分はコスチュームの力を重ねることで補い、わたしはサリラの巨体を投げ飛ばした。
「ガルアアッ!?」
 わたしに迫ってきた勢いとわたしが加えた力を持って、サリラは倒壊した建物に突っ込んだ。その隙に刀を拾い、構える。
「て、鉄心……」
 飛ばされたクロアが戻ってきた。クロアにしては珍しく、間の抜けた顔をしている。
「なるほど……あれの弱点が武術だというのは確かなようですわね。」
「はっはっは。まぁ、これは勝又くんに教わったのだが……」
 剣術とは異なる、その身一つの武術を学んでいる彼は空手以外にも詳しかったのだ。
「しかしまずいですわね。このアタシの攻撃の際のポーズを理解していますわよ、あのガキは。」
「そうだな……離れた所から撃っては避けられてしまうし、動きを止めてもレンズで向きを変えられてしまうし……今の投げ技ももちろん効いていないだろうし……」
「折角有効な攻撃ですのに。やっぱり鉄心のヒーローの技でないと無理そうですわね。」
「うむ……」
 敵をやっつける技と言えば、《武者戦隊 サムライジャー》の《真・ダイケンゴー》の必殺技、《勧善懲悪・剣の舞》しかない。クスリ……なんとかとの戦いの時はこの技で勝利した。しかしあれは晴香がわたしの刀に雷を落としてくれないとできない……
「キュルアアアア!」
 建物の瓦礫の中からサリラの声が響き、そこから紫色の煙が噴き出した。
「見るからに毒ですわ! 鉄心、さがるのですわ!」
「毒……」
 毒を使う敵もいた。わたしは《武者戦隊 サムライジャー》の第二十一話を思い出す。街に毒ガスをまこうとした敵をやっつける話だ。
 なんだろう……さっきからサムライジャーに出てくる敵と同じ攻撃ばかりだ。そしてサムライジャーはその全てに打ち勝ってきた。だからわたしは……その攻撃を前にしても落ち着いていられる。彼らと同等の力を持っているとは思っていない。けれどどうすれば道が開けるかは、しっかりと教わったのだ。
「……わたしの刀に……」
 刀を鞘におさめ、身をかがめる。
「斬れないモノはない!」
 抜刀。紫色の煙が二つに斬れ、やがて消えて無くなった。
『んな……煙を斬ったのだよ……完全に毒ガスが消滅したのだよ……』
 びっくりしているアザゼル殿に尋ねてみる。
「アザゼル殿。どうもさっきから見覚えのある攻撃ばかりなのだ。これはどういうことなのだろう?」
『……サリラは《身体》のゴッドヘルパーなのだよ。その攻撃方法は超能力や魔法のようなモノではなくて、生物的なモノなのだよ。』
「……つまりどういうことなのだ?」
『鎧ちゃんの好きな戦隊モノの敵といったら怪人とか怪物なのだよ。彼らは一目見て攻撃とわかるモノでばかり攻撃するのだよ。それは観ている人……視聴者にそれが攻撃であると、危ないモノであると教えるためなのだよ。だから戦隊モノの敵は毒を吐いたり、火を吹いたりするのだよ。例えばクロアちゃんみたいな能力の敵が出てきたって、見ている人にはその能力は見えないのだよ。それじゃつまんないのだよ。』
「……うむ……」
『そして生物が行うことのできる攻撃方法というのはまさに見てわかるような攻撃だらけなのだよ。だからサリラの攻撃っていうのは、怪人や怪物の攻撃と似るのだよ……』
「……うむ……?」
 正直よくわからない……あとで晴香に教えてもらおう。
「ガルルルルルッ!」
 毒を消されたサリラは見てわかる程に怒っている。
「ふふふ。あの化け物、かなり苛立っていますわね。」
「油断してはいけないぞ、クロア。きゅうす、猫を飼うだ。」
「そうですわね。」
『きゅうすは猫を飼わないと思うのだよ。だけど窮鼠は猫を噛むはずなのだよ。』
 アザゼル殿が何か言ったが頭には入らなかった。サリラの《身体》がまた形を変え出したのだ。
「さて、次は何になるのかしら?」
「……! あれは……」
 立ちあがった熊くらいの大きさがあった《身体》は小さな子供のそれになり、サリラの姿は最初に会った時の子供の姿になった。
「マケチャウ……タベラレチャウ……」
 追い詰められ、何かに恐怖する表情のサリラはぶつぶつと何かを呟き、そして上を向いて叫んだ。
「カラスマアアアァァァッ!」


 下の方から声が聞こえた。私たちがいる高さまで聞こえる声ということは、かなり大きな声だ。私と『空』とルーマニアは思わず下を見る。
「サリラ……!」
 そして私たちを《空間》の攻撃で攻めていた鴉間が手を止めてそう呟いたのが聞こえた。見ると、鴉間はじっと下を見ている。
「……いいぜ。責任持って元に戻してやる。だから暴れろよ!」
 鴉間は左手の指をパチンと鳴らし、私を見た。
「はっ、残念だったなぁ? お前のお友達はこれで確実に死ぬ。」


 何かが破裂する音が聞こえた。サリラの周りで……何か、バリアーみたいなモノが割れたような気がした。
「グル……」
 子供の姿のサリラが獣の唸り声をもらす。

 ドクンッ

 心臓の鼓動が聞こえた。しかも、近くで太鼓が叩かれた時みたいに全身に振動が伝わる程の大きな鼓動……

 ドクンッ、ドクンッ

「な、なんですの!?」
「わからない……」

 ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ!

「ガアアアアアアアッッ!!!」

 サリラの《身体》が突然大きくなる。お腹の中で風船が膨らむみたいに……突然太っていくみたいに、ぶくぶくとサリラが大きくなっていく。さっきまで戦っていた熊のような大きさではない。すごい勢いで大きくなっていくサリラは近くのお店の大きさを超え、建物を超え――
「な! これはいったいなんですの! あの化け物、何をしたんですの!」
 周りが暗くなる。夜になったのではなく、サリラの影で暗いのだ。
「ギャアアアアアルアアアアッ!」
 丸く膨らんでいったサリラの《身体》が形をおびていく。それは人型だった。巨大な腕が二本と頭。脚とかはなく、上半身だけ。
 いや、それは正直どうでもよかった。衝撃的なのは……《身体》の表面……だめだ、わたしにはこれをどう表現すればいいのかわからない……


「なんだ、ありゃあ!」
 ルーマニアが叫ぶ。普通なら下で起きていることなんて見えない程高い所にいるのだが、『空』の力で私も見る。
 それはまさに巨人だった。高さは周囲の高層ビルを軽く超える上半身だけの巨人。まるで地面からはえているかのようにそこに存在している。
 ……大きさには驚愕する。けれどそんなことより衝撃的なのは、その《身体》がどのように形作られているかだ。
 生き物だ。大量の……生き物。鳥だとか、魚だとか、ライオンだとか……動物図鑑に載っている生き物を片っ端から集め、積み上げて人型にしたようだった。遠目には巨人。近くで見れば大量の生き物の集合体。人間で言う肌の部分に鳥の翼やワニの口、トカゲのしっぽ、サメの背びれ……色んなモノが見える。
 唯一異なるのは……顔にあたる部分だ。巨大な二つの眼と大きな口。大量の生き物の塊を一体の生き物たらしめているのはそのパーツだけだ。
「あっはっは! さすが俺のパートナーだ! 最高にイカす格好だな、おい!」
「あれは……サリラ?」
「ああ? モノ覚えの悪いやつだな。さっき言ったろうが。」
 ……そういえば、鴉間がサリラの力を説明しているとき、こんなことを言っていた。

『サリラは……時折(身体)が暴走するんすよ。今のサリラの知性や理性では制御しきれないんすよね……サリラの《身体》の中のあらゆる生物の力を。暴走するとサリラはこの世の生物を全てくっつけたような姿になってしまうんす。あっしはそれを《空間》の力で抑えつけてサリラをあの小さな子供の姿に留めているんす。』

 そうか、さっき指を鳴らしたのは……
「さっき、サリラを抑えつけていた力を取り払った! サリラは下にいるお前のお友達を危険な奴と判断した! だから全力で潰しにかかったのさ!」
 ……しぃちゃん……


「生理的に受け付けませんわ……このアタシが……嘔吐しそうですわ……」
「確かに……あまり気分のいい光景ではないな……」
 人型であることはなんとなくわかるが……全体はまったく見えない。大きすぎる……
『こんなバカなことがあるというのか……』
 アザゼル殿が別人のように呟いた。
『生き物が……一つの命を与えられている生命が細胞扱いされているだと? ……万……いや億か。大量の命がここにある。そしてそれをたった一つの命が統率している……! そんなことが可能なのか!? これが、《常識》という枷を持たないゴッドヘルパーの可能性だというのか……』
「バカゼル! こんな時に真面目になって驚愕しないで欲しいですわ! 対策は!」
『……悪い……強制送還覚悟で俺が魔法を放ったとしても倒せないと思うほどだ。ルシフェルの全力全開の攻撃でやっとってとこだろう。防御力だとか、大きさだとか、質量だとかの話じゃない。命の数が圧倒的だ。殺しきれない……!』
「……! ジャスティスチャージ! シュート!」
 クロアが《ジャスティライザーシュート》を放つ。それはサリラの《身体》を貫くが、すぐに塞がる。大きさが違いすぎる。
「こんなこと……」
『なんてことだ……』

 クロアとアザゼル殿が元気のない声を出す。しかしわたしは……何か違う感情を覚えていた。何故だろうか……ワクワクしている……?


 ものすごい大きさになったサリラと、それを見て勝ち誇る鴉間。しかし私は別の可能性を考えていた。そしてそれが、かなりの確率で起こると思っていた。
「まずいぞあれは! オレ様でさえ倒せるかどうか……」
「そうか?」
 私がそういうと鴉間が目を見開いてこちらを見た。
「またか……? またお前は何かを! なんだ、何を考えてやがる!」
 鴉間の空間の断裂が飛ぶ。それを『空』が片手で弾く。私は鴉間の異形な右腕を指差してこう言った。
「……その力で私を倒そうとしているのなら、早くした方がいいですよ。」
「なんだと?」
「それはサリラの力で可能となっている……サリラはもうすぐ負けると思いますから。」
「ふざけたことぬかすな! 何を根拠に!」
「えぇっとですね……しぃちゃんの前で巨大化するということが大きなミスなんですよ。」


 胸が高鳴っている。何故だろう。
 敵が……巨大化したのだ。戦隊モノに出てくるような敵が、わたしの目の前で巨大化したのだ!
 身を乗り出してテレビ画面に顔を近付ける瞬間。一番ワクワクする場面。敵が巨大化すると何が起きる? 次に何が起きる?
 決まっている!
「出撃だっ!」
 わたしがそう叫ぶと、周りの建物から《金属》の紐のようなモノが大量に伸びた。わたしのコスチュームを作った時のように、極細極薄の刀がわたしの横でみるみる編み込まれ、よく知る形になっていく。
「て、鉄心! これはなんなのかしら!」
「クライマックスだ!」
 どっしりと地面を踏みしめる脚は神速の縮地で敵の間合いに入り込む! 武士の鎧を元にデザインされた腰、胸、肩は敵の邪悪な攻撃をことごとく弾く! 太くたくましい腕は鋭い斬撃を正確、精密に繰り出す! かっこいい兜を装備した頭は我ここにありと示し、人々に希望を、敵に終焉を示す! そして左腰に伸びる二本の刀は不義に天誅を下す!
 正義の象徴! 正義の化身! 正義の体現!
「完成! 《真・ダイケンゴー》!!!」
 巨大化したサリラと同等の大きさを誇る、わたしの部屋にもいるわたしの正義の原点、《真・ダイケンゴー》が立ちあがった!
『きょ、巨大ロボット……! そうか、サリラが巨大化したことによって鎧のイメージが完全なモノとなって……』
「すごいですわ……」
 さっきから振るっている刀と、無意識の内に作りだしたもう一本の刀を握り締め、わたしが二刀流の構えをとると、《真・ダイケンゴー》が刀を抜き、わたしと同じ構えをとった。
「ギャルアアア!」
 巨大化したサリラが拳を放つ。だがわたしが一歩さがると、《真・ダイケンゴー》も一歩さがり、サリラの拳をかわす。まるでわたしの動きを虫めがねで大きくしたように、わたしと同じ速度で《真・ダイケンゴー》が動く。
「はあああぁぁっ!!」
 わたしがその場で刀を振ると、《真・ダイケンゴー》が同じように刀を振り、サリラに一太刀決める。火花が弾け、サリラがよろめく。
『……鎧のイメージ力が最高潮だ……テレビと同じように、血とかではなく火花が出ている。しかもなんだこれは! 今の一太刀であの《身体》にうごめく数億という命が全て、同時に同じ分だけのダメージを受けた!』
「おおおおっ!」
 よろめいたサリラを《真・ダイケンゴー》で十文字に斬る。下から見上げれば眩しいほどの火花が散り、サリラを後退させる。
「グルアアアア! ギャルアアアア!」
「観念するのだ! サリラ!」


「あはは。さすがしぃちゃんですね。」
 すごい光景だ。街の真ん中で巨大怪獣と正義のロボットが戦っている。
 ああなったら誰にもしぃちゃんを止められない。勝利に向かって正義の力を行使する一人のヒーローとなったしぃちゃんは無敵だ。
「《天候》! 何をしたっすか!」
 再び瞬間移動を繰り返し、私への攻撃を再開する鴉間。天気のみなさんと『空』と一緒に逃げに徹する。この鴉間の攻撃もあと少しで終わる。そしてその為には、私があることをしなければならない。
「別に何もしてませんよ。まぁ、これからするんですけど。」
 しぃちゃんの部屋で見たことのある《真・ダイケンゴー》を指差し、私は叫ぶ。
「『雷』さん! 『雲』さん!」


 反撃をかわし、防ぎながらサリラに攻撃を加えていると、急にあたりが暗くなった。サリラの巨体の影によるモノではない。上を見ると真っ黒な雲が立ち込め、雷鳴が轟いている。これは……晴香だ!
「うおおお! 行くぞ!」
 わたしはよろめくサリラを見ながら叫ぶ。
「いつの時代、どんなとこでも、必ず悪と呼ばれる存在が現れる。それは自然の理、誰にもそれをどうにかすることはできない。だからその時々に必要なのだ! 正義が!」
 テレビの前で何度もやったポーズをとる。同時に、雷鳴が激しさを増す。
「人々を脅かす悪め! この《真・ダイケンゴー》の刀で成敗してくれようぞ! 必殺!」
 《真・ダイケンゴー》が持つ二本の刀に雷が落ちる。その光を受け、刀は白く輝く。
「勧・善・懲・悪!」
 《真・ダイケンゴー》が踏み込み、サリラに迫る。サリラはその巨体に似合わない速度で《身体》を動かし、防御の姿勢をとる。だがそんなことに意味は無い! 正義の力を阻むことなど、誰にも、どんな物にも出来ない事なのだ!
「剣の舞ぃぃぃっ!!!」
 走る閃光。サリラの《身体》に刻まれる一筋の光。ゆっくりと倒れていくサリラの巨体。
「滅っ!」

 ドカアアアアアンッ!!

 大爆発。吹き荒れる爆風はしかし、周囲の建物を崩すことはなく、クロアを吹き飛ばすこともない。倒すべき敵のみを倒し、まわりに被害を残さないなど、正義には当たり前のこと。
 サリラの巨体は欠片も残さず消滅し、あたりが一気に明るくなった。
『い、一撃……あの規格外の生命を一撃……これが……これが……』
「かっこいいですわ! 鉄心! あなたは本当にヒーローですわ!」
 わたしの所に駆けよるクロアだが、わたしはそれを手を伸ばして静止させる。
「まだだ!」
 わたしは一本に戻した刀を水平に持ち、脚を一歩前に出す。
 わたしは見逃さなかった。《勧善懲悪・剣の舞》が当たる一瞬前、あの《身体》から何かが飛び出す所を。

「イキルンダアアア!」

 そんな叫びが響く。あの巨人が立っていた場所から、怪物の姿ではないあの子供の姿で、サリラがわたしの方に走って来る。その小さな手から熊のような爪を出し、草原を駆ける一匹の獣のように迫る。
「サーチャンハシナナイ! イキル! タベラレルコトナンテナイ! サーチャンハアアアァァ!」
「……わたしにはその感情が理解できないが、君がしていること、君が手伝っている相手が悪いことはわかる。」
 だから止める!
「雨傘流終の型、攻の九!」
「サーチャンハアアアアアアアアアアアッ!!!」
「《鬼斬り》!」
 すれ違いざま、高速回転しながら姿勢を上げていくことで、瞬時に三太刀斬り込む。
 切断はできなかった。つまり今斬ったのは……
「サー……チャン……イキ……」
 斬られたサリラは鮮血と共に、バタリと地面に倒れた。

「や……やったんですの?」
 クロアが銃を構えながらゆっくりと近づいてくる。
『……あの巨大化を一撃で破られたのだよ。一時的に《身体》の能力が低下したのだよ。それで……本体とも言える部分に攻撃が入ったのだよ……』
 刀をおさめ、倒れるサリラの横に立つ。そこには子供の姿はなく、サリラが着ていた服だけが残っている。
「あら? 消滅したのかしら?」
「いや……」
 シャツが少し膨らんでいる。わたしは服の中に手を入れ、そこで気絶している一匹の生き物を掴み、外に出した。
「……! まさかですけど……これがサリラの……正体ですの!?」
 わたしの手の平の上にいる生き物。わたしは動物に詳しいわけではないから、この生き物がどういう名前の生き物なのかはわからない。けれど、この生き物が何の仲間であるかはわかった。
「……《身体》のゴッドヘルパーは……このネズミだったんだ。」
 茶色の毛と長い尻尾を身体から生やした、わたしの手の中に収まるほど小さい生き物……まさか、これがあの怪物の正体だったなんて……
「おやおや、はからずもズバリ的を得たことわざだったのだよ。」
 頭の中で響いていたアザゼル殿の声が近くで聞こえた。いつの間にか、クロアの横に立っている。
「窮鼠、猫を噛む……のだよ。」
 アザゼル殿がネズミ……サリラに触れると、サリラが光る球体に包まれた。
「うーん……人間以外のゴッドヘルパーが第二段階になった前例はないのだよ……記憶を消したりするべきなのかどうなのか……神さまに聞いてみるのだよ。」
「そうか……だがこれで……」
 わたしは空を見上げる。
「鴉間の《身体》は……!」
「……勝利は目前なのだよ。」


「ぐあああああああああっ!」
 瞬間移動を繰り返していた鴉間が突然動きを止めた。
「ああああああっ! ば、ばかな!」
 右腕と左脚の先に浮いていた黒い球体が消滅する。
「サリラ! サリラあああ!」
 そしてそのまま右腕と左脚が消えてなくなった。血は出ない。かといって、腕や脚を失った人……のようでもない。表現しにくいのだが、目の前にいる鴉間という人間はこの状態こそが自然であると思えた。左腕と右脚の二肢のみが……鴉間の生まれた時からの姿であり、それは病気でもなんでもない……不思議な感じだ。
「なるほどな。《時間》と《回転》とのバトルで……鴉間の右腕と左脚は無かった事にされたんだ。雨上やオレ様に三本目の腕がないのと同じように、あいつには二本目の腕と脚がないんだ。」
 鴉間はふらついていた。自分をその場にとどめることも難しくなったようだ。
 《空間》は目に見えないし、実体がない。ただの概念、言葉上のモノだ。だからそれのコントロールは非常に難しい。鴉間は自分の身体をものさしの基準とすることで、《空間》の位置制御を可能としていた。その身体が形を変えてしまったのだ。今まで直線だった定規が突然曲がってしまったら距離なんて測れない。
 たぶん、「場」の支配とかはできるんだろう。だけど、瞬間移動をしたら出現する位置が思っていた場所とずれるし、空間の断裂、空間の壁などを出せばあさっての方向に飛んで行く。
「……あなたの負けです。」
 私がそう呟くと、鬼のような形相で私を睨み、空間の断裂をとばしてきた。『空』が防御の体勢をとるが……
『あれれ?』
 空間の断裂は私にではなく、ルーマニアの方に飛んで行った。
「おわ! なんでオレ様なんだ!」
「―――!!」
 鴉間が怒りと驚き、そして恐怖をごちゃまぜにしたような顔になる。
「違う……違う違う! 俺は! 俺が! 《空間》が……俺の……力が……」
 私はゆっくりと片腕をあげ、『雨』さんにお願いをする。龍の姿をした『雨』さんはこくりと頷き、口から水を発射した。大した威力はない、水鉄砲程度の攻撃。
 それに反応した鴉間は左腕を前に出した。周囲の空間の動きが『空』を通して私に伝わり、鴉間が空間の壁を出したことを知る。けれどその位置はあまりに的外れの場所だった。
「っ!!」
 鴉間が出現させた空間の壁は『雨』さんの水にかすりもせず、水は鴉間の顔面に当たった。
「鴉間……今のが雷だったら、それで終わってたぞ。」
 そう呟いたルーマニアを睨みつける鴉間。
「は……はは……おいおい、んなわけねーだろうが。俺は……俺は第三段階の《空間》のゴッドヘルパーだぞ! 最強の《常識》だ! 最強の力だ! 終わり? 負ける? あり得ない……あり得ない!!」
 鴉間が左腕をいっぱいに広げると、周囲の色が少し変わった。「場」の支配だ。さっきと同じように球体状の空間が広がっているのだが……さっきとは違い、球体の中心が鴉間では無い。少しずれた場所に中心がきている。
「おい……何をもう終わったような顔をしてやがる? 何を! 俺に勝ったような顔をしてやがる!」
 何か決定的なモノが崩れかかっている……そんな顔で私を見る鴉間。
「……そう見えますか。そう見えるのなら、それはもうあなた自身がそうであると思っているからなんじゃないですか?」
「!!! ざっけんなああああああああああああああああっ!!!」
 鴉間の周囲に大量の……《常識》が展開される。鴉間が操ることのできる全ての《常識》を並べたのかもしれない。一つ一つが砲弾のような形をとった、数えるのもバカバカしくなる程の《常識》が私の視界を埋め尽くしていく。
「ちげーだろ! なに、俺を見下してんだバカが! 俺が中心だぞ! 俺が神だぞ! 俺の思い通りに動けゴミが! 逆らってんじゃねーぞこのアマが!」
「「み」が足りませんね。」
「―――!!!! 死ねええええええええええええええええええええええええっ!」


 ああ、なるほど。女を罵倒する時によく使う「このアマが!」ってセリフと、自分の名前の雨上をかけて、「み」が足りないってか。怒れる《空間》の支配者を前に挑発とは恐れ入る。オレ様のパートナーはホントにスゲー奴だ。
 鴉間が放った大量の《常識》。それはつまり、火や水、風や電気っつー自然の力はもちろん、剣やらハンマーやら、ただの石ころやビームと化した光とかだ。相手に放つことで相手に傷を負わせることのできるモノは全てと言ったところか。
 こんな光景をちょっと前に下界で見たことがある。人間が戦争をしている時だったな。一つの戦艦が、持てる武力を一斉に放つ攻撃。銃弾、砲弾、ミサイル……とにかく全てをぶっぱなして標的を殲滅しようとしていた。
 んまぁ、それと比較するには規模に差があり過ぎるか。鴉間がやっている一斉発射を……かつてオレ様が引き起こした戦争でぶっぱなしたとしたなら、天使の軍勢を数秒で壊滅できるだろう。悪魔側の大勝利だ。
 だがそんなとんでもない攻撃は雨上にかすり傷の一つもつけられない。放たれた《常識》は雨上の手前で止まる、吹き飛ばさる、砕かれる。『天気』の連中と『空』の空間操作によって鴉間以上の絶対防御を実現している。今の雨上には……下界に存在しない《常識》である《魔法》以外は効果がないだろうな。
 正直、とんでもない。鴉間の攻撃はオレ様も受け止められる自信が無いんだが……

「落ちろ! 落ちろ! 落ちろ落ちろ落ちろおちろおちろおちろおちろおおおおおお!」

 鴉間が叫ぶ。持てる全てを叩きこんでいる鴉間の必死さと、汗の一つもかいてない雨上のいつも通りの半目。
 は、なんだよ。思い出しちまうぜ。
 自分は強いと思っていた。最強だと思っていた。そんな自分の全力全開、出し惜しみなしのフルパワーの攻撃を涼しい顔で防がれる。
 そう、あの感覚に似ている。天使の軍勢を突っ切って一度だけ迎えることができた、あいつとの一対一。必死なオレ様を笑いながらあしらうあいつ。
 今の鴉間があの時のオレ様であるなら、今の雨上ってのはあの時の……神の立ち位置だ。
 雨上が神さま。んまぁ……間違ってないと思う。
その昔、人間は空を見上げて祈った。
『どうか恵みの雨を。』
 度が過ぎた大雨となればこう呟いた。
『どうか怒りをお治め下さい。』
 稲妻が走り、風が吹き荒れれば、供物を捧げて生贄を差し出した。
『どうかお許し下さい。』
 昔の人間は天気を神の意思だと思っていた。天気を『空』と呼ばれる存在の表情だと思っている雨上とどこか似ている思想だ。
 雨上は気付いているんだかな。雨上の言う『空』ってのは……今、雨上の後ろに立っているそいつは、昔の人間からしたら、神そのものだってことに。

「ん?」
 考え事をしていたらいつの間にか静かになっていた。雨上は相変わらずの状態。鴉間は――
「――っ! ――!! ――!?!?」
 声にならない叫びをあげている。頭を抱え、目はどこを見ているのか。
あれは、どうしようもない状況に放り込まれた人間の顔だ。要するに、絶望。

「俺が……俺……ああ……ちがう……負けてない……」

 鴉間の人格を形成した《空間》の力の絶対性。それが崩れた今、鴉間の精神はかなり不安定なはずだ。力の強い《常識》のゴッドヘルパーであるということは、システムからの影響を大きく受けるっつーことだ。
「ふぅ……決定的だな。」
 オレ様は雨上の横に移動した。
「雨上、とどめを頼む。」
「気絶させろってことだよな……?」
「んああ。」
 雨上が『雷』の方を見ると『雷』がこくりと頷き、鴉間の方を見た。

「………!! ぐ、があああああああああっ! まだだああああぁぁっ!」

 『雷』が動く前に鴉間が叫び、同時に鴉間が高速で雨上から離れ出した。
「んな! あいつ! 逃げる気か!」

「俺がぁ! この俺が負ける、わけが無いんだ! サリラが! サリラが復活すればそれで! もう一度あの力が! 俺の最強がああああっ!」

 あの力……身体を《空間》を操る為に最適化するあれか。第三段階の強さのもう一つ上。
 強いて言えば第四段階か。鴉間のあれと今の雨上の状態には一つの共通点がある。
 それは、《常識》を操るための最適な形をとるという点だ。
 雨上はシステムそのものに自我を与えた。《常識》を管理するシステムに自我を持たせて自分で《常識》を操らせる。これ以上の最適はあり得ない。料理人が誰かにレシピを教えて、その誰かが作る場合と、料理人本人が作る場合とでは、同じレシピでも後者の方が確実に美味しいってわけだ。
 そして鴉間は自分の身体を変形させて、《空間》を操るのに最適な状態になった。
 そう……ついさっきまで、この二人のバトルは歴史上初の、第四段階に到達した者同士のバトルだったわけだ。
 だが、鴉間の第四段階を支えていた《身体》が負け、鴉間は……上手く力を操れない第三段階になった。そんな鴉間が、今の雨上に勝てる可能性は万に一つも……ない。
 そりゃ逃げるしかねーわな。サリラの復活っつーほとんどありえねー希望にすがって逃げることしか出来ることはねぇ。

「あああああっ!」

 鴉間が逃げながら壁を作っていく。自分と雨上の間に、あらゆる《常識》でできた無数の壁を出現させていった。空間の壁、岩の壁、鉄の壁、炎の壁……一つ一つが数キロ四方もある巨大な壁が何重にもなっていく。
 雨上の追撃を防ごうとしているんだろう。実際、この壁をオレ様がぶち破ろうと思ったなら、全力全開の黒い炎を放つ必要がある。だがなぁ、鴉間よ。お前を倒そうとしている奴ってのは、オレ様を軽く超える力を……まさに神の力を手にした一人の眠そうな女なんだぜ?
「みなさん。お願いします。」
 雨上が右の手の平を今もなお分厚くなっていく壁に向ける。すると背後に立っていた『空』が雨上の左に移動し、雨上の右手に左手を重ねた。続いてまわりに浮いていた『天気』の連中の姿が動物の姿から一筋の線となり、雨上の右手の前で渦を巻いていった。最後に黒い巨人である『悪天候』が加わり、グルグルと中で雲が渦巻く手の平サイズの小さな球体が雨上の右手の前に出来あがった。
 それは雨上がリッド・アークに叩きつけた史上最悪の悪天候に似ているが、その力、エネルギーは段違いだ。
『あはは。はれいがいぜんぶだね。』
「……そうなるな。」
あの球体には『晴れ』を除く、この世界で起こるすべての《天候》が入ってると言っても過言じゃない。
『はるか、きょうのてんきは?』
「ああ……」
 雨上との間にすさまじい距離と膨大な壁を作っていく鴉間を見据え、雨上は言った。

「今日の天気は『私以外、全て』でしょう。」

 《天候》渦巻く一発の球体が放たれた。鴉間の作った壁を、まるでそんなもの無いかのように一切の減速なく貫いていく。鴉間の移動速度を遥かに上回る速度で距離と壁を破壊していく。
 鴉間が何かを叫んでいるようだ。だが、あまりに遠くで聞こえない。
 よもや、こんな大きな事件の決着を、相手の最後の言葉が聞こえないような場所で迎えることになろうとはな。

「―――――――!!」

 遠くの空で空間が弾ける。一瞬の出来事ではあったが、大雨、暴風、雷、吹雪、氷塊……全てが巻き起こり鴉間を飲みこんだ。

 自らを中心であると信じ、神であると豪語した《空間》のゴッドヘルパー、鴉間空は、正真正銘、神の力を行使する《天候》のゴッドヘルパー、雨上晴香によって撃破された。
皮肉にも、自分と同じ名前の存在に。


「これで全員なのだよ!」
 私たちはあの交差点に集合した。
「おおーっ! 悪の親玉をやっつけたんだな、晴香! すごいぞ!」
「んま、それもこのアタシと鉄心があの子供を倒したからですわ! 感謝するといいですわ!」
 しぃちゃんは《服装》のゴッドヘルパー、チョアンを倒し、その後クロアさんと一緒に《身体》のゴッドヘルパー、サリラを倒した。鴉間を倒すことができたのは、確かにしぃちゃんとクロアさんのおかげだ。

「んま、あたしは心配してなかったけどさ。それでも今、ほっとしてるわ。」
「つばさ、俺のことは心配してくれたんだろ?」
「さすが雨上先輩ですね! 遠藤先輩もありがとうです!」
「速水ほど頑張ってはいないよ? ボクは魔法をドーンってやっただけだよ?」
「はっはっは。みんなそれぞれに頑張ったさ。」
 翼と速水くんは《質量》のゴッドヘルパー、ヘイヴィアと戦った。どういう経緯なのか、カキクケコさんが大けがしているが、みんなあんまり気にしていない。音々と音切さんは《音楽》と《音》の力でみんなを回復してくれた。あれがなかったら正直色々ときつかっただろう。そして、翼、速水くん、音切さんで《物語》のゴッドヘルパー、アブトルさんを倒した。

「十太も頑張ったね。」
「鎧先輩に続いてオレが二番目に大変だったんじゃないかと思うぞ。」
 力石さんは《視線》のゴッドヘルパー、ルネットを倒し、ジュテェムさんとホっちゃんさんと共に《反復》のゴッドヘルパー、メリオレさんを倒した。ルネットを倒せたのは力石さんだけだったから一人学校に残ってもらうことになってしまったけど、ムームームちゃんと一緒に頑張ってくれた。

「おりゃたちも頑張ったなー。」
「そうじゃの。んまぁ、わしは後半何もしておらんがの。」
「いいのよ。あたくしは女でリバじいはお年寄り。事故が起きたら真っ先に避難させられるのだから。」
「あちゃしにゃんかにゃにもしてにゃいよ?」
「いや、メリーさんはこれからですから。」
 ホっちゃんさん、ジュテェムさん、リバースさん、チェインさんは《回転》のゴッドヘルパー、ディグさんと戦った。ディグさんはメリーさんと一緒に鴉間と戦って鴉間の右腕と左脚を奪った。これも、私が鴉間を倒せた要因の一つだからディグさんには感謝している。別に悪い人でもなかったし。そして、これもどういう経緯なのかわからないけれど、ディグさんは今、メリーさんの横に置いてある金庫の中に閉じ込められているのだとか。

「んで、この後は何をするんだったか?」
 ルーマニアはサマエルを倒した。ルーマニアたちみたいに人に魔法を使っても強制送還されない、ほぼ悪魔となっているサマエルと戦えるのは天使のみ。加えてかつての悪魔軍の幹部とあっては、悪魔の王が出ないわけにはいかない。余裕の勝利ではなかったみたいだが、まぁ、さすがルーマニアだ。

「記憶を消すんじゃないのか?」
「んま、そーなんだがよ。」
 私は鴉間たちに目を向けた。鴉間、チョアン、ルネット、アブトルさん、メリオレさん、サリラは光るロープみたいなので縛られ、気絶している。
 ちなみに、サマエル側のゴッドヘルパーや……超能力者を名乗った面々も魔法で動けなくされている。
 魔法……ルーマニアたちは人には魔法を使えない……だから今魔法を使っているのは……
「……しっかし、どういう風の吹き回しなんだ、サマエル。」
 所々破れている白いスーツを身にまとった両目の色が異なる堕天使、サマエルが少し離れた所に座っていた。
「ルシフェル様、私は引き際を見極められない新兵ではありませんよ。あなたが自分の身柄を神に渡すことで私たちを守ったように、トップに立つ者にはそれなりの責任と義務が生じます。敗軍の将はいさぎよく……です。ここで私の配下が暴れるようなことは私が許しません。」
 今でもルーマニアに対して敬意を払っている。サマエルにとってルーマニアという存在は本当にすごい存在なんだな……
「……お前には色々と罰が下ると思うが、んなこたぁ上の連中があとでやることだ。オレ様はまず、お前からある物を回収しなきゃならねぇ。わかるな?」
「ええ。」
 そう言うと、サマエルはゆっくりと右腕をあげ――
「ふん!」
 そのまま自分のお腹に突き刺した。
「な! ルーマニア!」
 私が叫ぶとルーマニアはいたって普通に答えた。
「……サマエルは今回の事件を引き起こした犯人。途中、鴉間の裏切りで三つ巴の戦いになりはしたが、大元は変わらない。そして、そもそもサマエルがここに来て行動を起こした理由……それはここに来てようやく、ある物を手に入れたからだ。」
 突き刺した右腕をゆっくりと引抜くサマエル。正直痛々しくて見れていないのだが、嫌な音で状況がわかってしまう。
「……天界に生きるモノはゴッドヘルパーにはなれない。だからお前は、あるゴッドヘルパーを取り込み、その力で《常識》のゴッドヘルパーを手に入れようとした……」
「ええ……これ、が……今の……《ゴッドヘルパー》のゴッドヘルパーです。」
 サマエルの右手に握られていたのは……一輪の花だった。何の花かは知らないけど、綺麗な花だった。
「この花が……ゴッドヘルパーだったのか。」
「発見できたのは偶然でしたが……待ちに待った存在でした。しかし計画は成功しなかった……まったく、情けない限りですよ。」
 花を受け取ったルーマニアはため息をついた。
「……お前が取り込んでいたからこそ……この花は生きていられたが……普通、植物は引っこ抜かれたらそれなりの早さで死ぬ……この花、今死んだぞ。」
 花が……死んだ。それはつまり、システムが次のゴッドヘルパーに移ったということだ。次にどこに行くかはランダムだから特定は困難。《ゴッドヘルパー》のゴッドヘルパーの力が無ければ《常識》のゴッドヘルパーを手にすることはできない。
 これで、完全にサマエルの野望は潰えたのだ。
「しゃて、いいかしりゃ。」
 メリーさんが一歩前に出る。
「記憶を消しゅなりなんなり、そりぇはそっちのお仕事。あちゃしはあちゃしの仕事を終えちゃいにょだけど。」
 メリーさんの仕事……それは世界の《時間》を巻き戻すことだ。鴉間がサマエルを裏切ったことで、サマエルがゴッドヘルパーにかけていた呪いの統制がとれなくなり、急増してしまった第二段階をなかったことにする。超能力者という存在が出る前に戻すのだ。壊れた建物も元に戻るし、鴉間によって……殺された人たちも元に戻るはずだ。
「《時間》を巻き戻すのよねぇ?」
 翼が首を傾げている。
「ならいっそ、この事件が起きる前まで戻せばいいんじゃないの?」
「そりぇはそりぇでいりょいりょややこしくなるにょよ。それに、あちゃしがそこまで巻き戻すわけにゃいじゃない。」
「?」
 翼がさらに首を傾げる。その疑問に答えたのはチェインさん。
「忘れてないかしら。あたくしたちは……天使側と一時的に共闘しているだけということに。」
 私ははっとする。そう、メリーさんたちには目的があるのだ。ゴッドヘルパーという存在を公のモノとし、世間に認めたさせた上で共存するという目的が。
 今回、サマエルが呪いで第二段階を増やす分には問題なかった。サマエルがきちんと統率していたときは、その行動が秘密裏だったし、第二段階が増えることはメリーさんたちからしたらプラスなのだ。けれど鴉間が出てきたせいでゴッドヘルパーたちは暴走し、世間がゴッドヘルパーに対して『悪いイメージ』を持ってしまったのだ。共存を望む者としてはよろしくない状況だ。だから、超能力者とか、魔法使いだとかが出る前まで戻すのだ。それ以上戻すとメリーさんたちにはマイナスだ。
「鴉間とサマエルを倒すためにあたくしたちは共闘していた……覚えておいてね? 今後は敵になるかもしれないということを……」
「……わかってる。オレ様たちが望むのは超能力者だなんだっつーのが出る前までの巻き戻しだ。それ以上はいい。」
「しょれじゃ……」
 メリーさんがポケットから懐中時計を取り出す。
「《時間》を巻き戻しゅにょよ。」



 《時間》が戻っても、私たちの記憶はそのままだ。だから……中間テストを二回受けるというはめになった。
 六月。アブトルさんの攻撃が来る前まで戻った世界の《時間》。世界は平和だった。魔法使いも超能力者もいない世界だ。
 《時間》が戻っているから変な気分だが……あの戦いから一週間が経過した。
 今回の事件の首謀者、サマエルは天界に連れて行かれた。今、どうしているかはわからない。
 鴉間たちもどうしているか不明だ。《時間》が戻ったあと、その場で記憶を消すのかと思ったのだがルーマニアはそうせず、どこかへ連れて行ってしまったのだ。天界に行ったのだろうか?
 ヘイヴィアなど、サマエル側に属していたゴッドヘルパーは記憶の消去を受けたらしいから、よくわからないのは鴉間組だけ。
 まぁ……諸々の事後処理は今までのようにルーマニアが説明に来てくれるのだろうが。
「晴香ー!」
 ここは学校の教室。二時間目と三時間目の間のちょっとした休み時間。今日は中間テストが終わってすぐの授業なのでそれぞれの科目の結果が帰って来る。
「やったぞ! 七十点なんて初めてとったぞ! すごいだろう!」
「それはまぁ……二回目ですからね……」
「二回目でもだ! 嬉しいなぁ……」
「幸せな人ねぇ、鎧は。」
 翼が私の前の席に座った。
「信じられないわね。あれは夢だったのかしら。」
「そうだな。私も変な気分だ。」
「今思うと、命がけの戦いもあったわけでさ……感覚がマヒしちゃってるのかしらね。」
「もともと翼は非日常の刺激を求めて戦いの世界に来たんだろう?」
「そーだけどさ。ところで晴香……」
 翼は窓の外を指差す。
「あれは大丈夫なの?」
 窓の外……そこには『空』がいた。
 今まで『空』は夢にしか出てこない存在……私の心の中にいたのだけど、今は自分の身体をもってしっかりとした自我を持っている。けれど元々がシステムだからか、第二段階のゴッドヘルパーにしか見えないらしい。
「この学校で見える人は四人しかいないから大丈夫だ。」
「そう……授業中とか気になってしょうがないのよね……」
「がまんだ。」
「がまんするわ……」


 帰り道。翼としぃちゃんと別れた後、私はふと思い立ってあの公園に行った。相楽先輩と戦った公園で……私の戦いの始まりの場所。
「ふぅ。」
 ベンチに腰掛ける。相楽先輩との戦いの跡はもうない。
 ルーマニアに会って、ゴッドヘルパーとシステムの事を知って、相楽先輩と戦った。
 しぃちゃんに出会い、翼がゴッドヘルパーだって知り、クリスと戦った。
 仲間のゴッドヘルパーみんなと一緒に、リッド・アークと戦った。
 アブトルさんの《物語》に引き込まれて音々と戦った。
 鴉間と……戦った。
「色々あったんだなぁ。」
「しょうね。」
 突然隣から声がした。見ると、いつの間にか私の隣にメリーさんが座っていた。
「……どうしてここに……」
「勧誘にゃにょよ。」
 メリーさんはソフトクリームをなめながら独り言のように呟く。
「最初はサマエルを倒すための勧誘だった。でも今は……たぶん、こにょ世界でたった二人だけにょ第三段階として勧誘にゃにょよ。」
「……」
「《すごいぞ強いぞ頼りになるぞスーパーハイパーアルティメットジャスティスな私たちはみんなの笑顔を守るため悪い奴らをバッタバッタとなぎ倒し平和で愉快な世界を作ろうとがんばる絶対無敵の救世主だぜいぇい》に入りゃにゃい? 雨上晴香ちゃん。」
「私はそっちには行きませんよ。」
 私の即答にメリーさんは少々驚いた。
 私は深呼吸して言う。
「私が戦っていたのは翼としぃちゃんがそれぞれの考えのもと、戦いの世界にいたからです。友達を失いたくないから私は戦っていました。事件が解決した今、ルーマニアたちが私たちの記憶も消すはずです。私はそれに従うつもりです。」
「あははは。」
 メリーさんが笑った。
「決意はかたいにょね。いいよ、そりぇなりゃそりぇで。でも一つ言っておくけど……」
「なんですか?」
「今後、必ずあちゃしたちは事件を起こしゅ。このあちゃし、メリーさんが首謀者、犯人の事件をにぇ。第三段階の《時間》のゴッドヘルパーが敵になるにょよ? 天使たちが雨上ちゃんの記憶を消すとは思えにゃいにょよ。」
「……!」
「しょうかしょうか。にゃらこれでお別れにゃにょよ。」
 ソフトクリームをぺろりと飲みこみ、メリーさんがぴょんと立ち上がる。
「ちゅぎに会うときは敵……かにゃ。できればあちゃしは戦いたくにゃいけど。今や雨上ちゃんが最強だと思うかりゃね。」
 そう言うと、メリーさんの姿がパッと消えた。
「最強……か。」
『さいきょうなの?』
 メリーさんが座っていたところに『空』が座る。
「どうなのかな。でもまぁ……天気のみなさんと『空』が協力してくれるなら、負ける気はしないけどね。」
『きょうりょくならいつでもするよ。かぜもかみなりもあめもみんな!』
「うん。ありがとう。」


 休日。案の定ルーマニアがやってきた。そして毎度のことながら、しぃちゃんの家に集まって説明をするとのこと。
 パートナーの天使がいるゴッドヘルパーはその天使から聞くのだが、しぃちゃんのパートナーはルーマニアということになっている。そして私としぃちゃんが集まるなら翼も来るというものだ。結局、しぃちゃんの家に私たち三人とルーマニア、カキクケコさん……そしてついでということでクロアさんとアザゼルさん、力石さんとムームームちゃん、速水くんと音々と音切さんも集まった。んまぁ、結局全員だ。
「あれ、クロアさんはまだ日本にいたんですか。」
「せっかくですもの。ここ最近は鉄心の家にいましたわ。昨日は鉄心と一緒にナンを作りましたわ。」
 相変わらずこの家のご飯は国際的だ。
「さーさー始めるのだよ。まずはルーマニアくんの好きな女の子からどうぞなのだよ!」
「何を始める気だ。さて、何から話したもんかな。」
 ルーマニアがぽりぽりと頭をかいていると、翼が質問した。
「とりあえず、サマエルはどうなったのよ。」
「そうだな。そこから言うか。」
 ルーマニアが腕を組み仁王立ちで説明を始める。
「サマエルは今、天界の牢屋の中だ。」
「あら、即刻処刑ではないのね。」
 クロアさんがクロアさんらしいことを言った。
「オレ様とアザゼルっつー前例があるからな……悪魔側から戻って、きちんと下っ端として働いてるっつー前例が。」
「んまー一番の理由はルーマニアくんがそうやって頼んだからなのだよ。元・神さまの側近の大天使にして元・悪魔の王の頼みとあっちゃ断るのに勇気がいるのだよ。」
「んだそりゃ……オレ様が脅したみてーじゃねーか。」
「それに、今サマエルを処刑なんかしたらサマエルにつき従う大量の悪魔が暴動を起こしかねないのだよ。現状、悪魔を抑える事ができるのはサマエルだけ……そこら辺を考えつつの、とりあえず閉じ込めてお仕置き、ベシン! バシン! なのだよ。」
「…………どんだけかかるかわかんねーが……サマエルと悪魔の連中はオレ様がなんとかするさ。」
 ルーマニアは外見からはあんまりそう思えないが、しっかりとした性格だ。今回サマエルが計画したことはかつてルーマニアが提案したことらしいし……責任を感じているんだと思う。
「そうだな。それでこそ悪魔の王だな、ルーマニア。」
「雨上……ホントにお前は……」
 ルーマニアは困った笑みを浮かべて肩を落とす。
「次に……鴉間たちな。あいつらはちょっと特殊事例だ。」
「うむ。強かったしな。」
 しぃちゃんがうんうん頷く。
「いや……そういうこっちゃねーんだ。特殊になったのはサリラがいるからなんだ。」
「む。あの子供か。」
「子供っつーか……ネズミな。あいつは記憶を消せねーんだ。」
「魔法が効かないのか?」
 私がそう尋ねるとアザゼルさんが答えた。
「効くけど、記憶の消去ができないのだよ。元々はネズミ……人間に比べたら知能の低い生き物だったけど、《身体》の力でもはやネズミとは呼べない異なる生き物になってしまったのだよ。特に脳が発達し過ぎているのだよ。サリラの脳はどの生物のモノとも違う構造をしちゃってるから、魔法をかけるにも、どこにどういう魔法をかければ記憶が消えるのかわからんちんなのだよ。」
「人間の脳はわかりきってるから、あの輪っかをつけりゃあそれでオッケーなんだがな。」
 そうか……魔法と一口に言っても万能じゃないのか。そこにはしっかりとした仕組みがあるんだな。
「サリラの記憶は消せねー。となるとサリラが死ぬまで《身体》のシステムはサリラの元にあるっつーことになんだが……お前らも見た通り、あいつが本気を……いや、暴走するととんでもない生き物になっちまう。」
「うむ……最後の姿はとてつもなかった……」
「このアタシは嘔吐寸前でしたわ……思い出したくもない。」
 しぃちゃんが難しい顔を、クロアさんが気分の悪そうな顔をする。
「かといって、魔法で縛りっぱなしにするわけにもいかねー。となると方法は一つ……サリラが安心できる、暴走するよーな状況にならない環境を整えることだ。」
「……その安心できる環境というのが、サリラにとっては鴉間たちと一緒にいるという状況なのだよ。これが大問題なのだよ。」
「バカゼル。もっとわかるようにしゃべりなさい。」
「クロアちゃんは完全に俺私拙者僕の名前を忘れちゃったのだよ……」
 グスングスン言いながらアザゼルさんは話を続ける。
「始め、サマエルくんに連れて来られていきなり人間だらけの世界に放り込まれたサリラは内心ビクビクしていたと思うのだよ。でもそこで鴉間に出会ったのだよ。鴉間は自分の《空間》の力を抑えるために、サリラを『必要』としたのだよ。」
「ただの戦力としてしかサリラを見ないサマエルと、心から必要と言ってくれた鴉間。サリラにとって鴉間は最初にできた……『信頼できる人間』ってとこだろうな。」
「元々が野性の生き物だから、サリラは仲間意識がとっても強いのだよ。サリラと鴉間は互いに力の制御をしていたから、その関係は強かったのだよ。だから鴉間が裏切ったときも鴉間についていったのだよ。」
 鴉間とサリラの関係……確かに、鴉間のサリラに対する信頼は他のメンバーよりも強かった風に感じる。何せ、あの追い詰められた状況ですがった相手なのだから。
「サリラからすれば……自分と同じように鴉間についてきたメンバーっつーのは、同じ人間を信頼する仲間なわけだ。つまり、今のサリラにとって安心できる環境っつーのは、鴉間、チョアン、ルネット、メリオレ、アブトルが揃っている状態っつーことになる。」
「……正確には、そのメンバーが全員、記憶を消されない状態で揃っている状態……なんだろう?」
 私がそう言うとルーマニアは「さすがだな」と言った。
「その通りだ。その状態こそがサリラにとっての自然だ。」
「じゃーどうするのよ。全員そのままにしとくの?」
「記憶は消さずに下界で普通に暮らしてもらうんだが……全員にこれを身に着けさせた。」
 そう言ってルーマニアがポケットから指輪を取り出した。
「これをつけてると、居場所や、ゴッドヘルパーの力をどう使ったかなどの情報が天界に伝わる。んで悪いことすると、システムとゴッドヘルパーの繋がりを一時的に遮断する。」
「よーするに、悪いことをしたら能力封印プラス、居場所が丸わかりでお説教! ということなのだよ。」
「ぬるいですわ!」
 そこでクロアさんが立ちあがる。
「サマエルのように、下界の存在でない奴はそっちの法律なりなんなりで裁けばいいですわ。でもあのグラサン男はこっちの存在! 人だって殺しているのでしょう? だというのに力はそのままだなんて驚きですわ!」
「あっはっは。まークロアちゃんの言う事はもっともなのだよ。でも――」
 アザゼルさんの目つきと雰囲気が変わる。
「俺達の……天界のスタンスはな、見守ることなんだ。ゴッドヘルパーが暴走するような、人間の手に負えない事件が起きれば解決のために動く。だが、その事件を起こした存在をどうこうしようとは思わない。クロアの言葉を借りれば、下界の存在は下界で裁かれるべきだ。世界が壊れないように動きはするが、最終的な決断はそっちがつけるもの……なぜなら神は下界の成長を楽しんでいるから。」
 そう……天界は極力下界に干渉しないようにしている。暴れたゴッドヘルパーは記憶を消す。そのゴッドヘルパーが何をしようとも、天界がすることはそれだけ……つまり、人間の手に負えない力を封じるということだけだ。
 下界の存在に魔法を使うと強制送還されるという仕組みもそうだ。暴れるゴッドヘルパーを抑えるのはあくまでパートナーに選んだゴッドヘルパーだ。説明や事後処理はするけど、主に動くのは私たち。
 端的に言ってしまえば……何か事件が起きて、人間や他の生き物がどれだけ命を落とそうとも、解決さえされればそれでいいという考えなのだ。下界を眺めて楽しんでいるという神さまは、プラスもマイナスも全てひっくるめて、成長と進化を楽しんでいるんだろう。
「……! つまり、鴉間を裁きたいなら、超能力で人を殺して殺人罪をとれるような世界にしろということかしら……」
「んまぁ……そうなるのだよ。」
「はっは、まぁいいじゃないか、クロア。」
 悪を許さないしぃちゃんが意外にもそう言った。
「この事件の解決のために動いて知ったのだがな、悪にも悪の理由があるのだ。そう、彼らにとっての正義が。わたしはわたしの正義を、憧れる生き方を曲げたりはしない。悪も悪の正義を貫けば良い。わたしにとって、それが悪なら倒す。しかしだ、その悪が今は悪ではないのなら、わたしは別に何かしようとは思わないのだ。それはきっと恨みや復讐というモノなのだ。彼らが再び悪としてわたしの前に立ちはだかったなら、その時は全力でやっつける。」
「……ぶれねーなぁ、鎧は。」
「迷いがあってもすぐに立ちあがる! それが、わたしが目標とする彼らの姿なのだ。ところでルーマニア殿。」
「あん?」
「わたしたちの記憶とかはどうするのだ?」
「あ、それはオレも気になってるんだが。」
 力石さんがはいはいと手を挙げる。正直、サマエルのその後だとか、鴉間のその後だとかは私たちの手の及ぶことじゃない。だから私たちが最も関心を持つ議題はこれなのだ。
「んああ……それなんだがな……」
「あーたーしが説明するよ! まだなーんにもしゃべってないから!」
 ムームームちゃんが前に出る。
「普通なら、協力してくれたゴッドヘルパーはお礼としてちょっとしたプレゼントを渡した後に記憶を消すよ。」
「プレゼント? なんだぁ、そりゃ。」
 力石さんがそう言うとムームームちゃんは楽しそうに言った。
「幸運のお守りだよ♪ あ、言っとくけどそこらで売ってるようなモノじゃなくて、正真正銘の本物だよ? 持ってれば色々な幸運に恵まれるんだ。」
「まじか。それいいな。」
「でもね、みんなの場合はやっぱり特例なんだよ。なんと、みんなそのままなんだよ。」
「え? なんで。」
「事件がまだ終わってないからだよ♪」
「おお! 実は鴉間はゴッドヘルパー四天王の一人だったりするのか!」
 うわ、しぃちゃんが嬉しそうだ。
「違うよ。ほら、まだ残ってるでしょ? 事件を起こしそうな人達が。」
 私はついこの間会った女の子を思い出す。
「メリーさんですか。」
「雨上ちゃん正解! そう、彼女たちがまだいるんだよ。その実力は今回の事件で明らかになった。凄腕ばかりの集団で、メリーは第三段階の《時間》のゴッドヘルパー。そんなすごい連中が残っていて、今後かなりの確率で事件を起こすとわかっているんだよ? 今回の事件で仲間になったみんなを失うなんてもったいない!」
「ありゃりゃ。こうもはっきりともったいないって言われるなんてね? ずいぶんちゃっかりしてるね、天界って。」
「いいじゃないすか遠藤先輩。まだ《音楽》の魔法で遊べるんすよ? オレ、今度あっちこっちの空を走ってみようかな。」
「《音楽》の魔法か。遠藤くんは俺の曲でなら何ができるんだい?」
 自分の力が無くならないことに安心したのか、それとも別にどうでもよかったのか。ムームームちゃんの話のあとでも、私たちはいつもの雰囲気だった。
 しかし……本当にメリーさんが言った通りになった。やっぱり多少の未来はわかるんだろうなぁ。いやまぁ、これくらいはわからなくても推測できるか。
「あんな大きな事件の後ですぐに何かするとは思えないから、しばらくはゆっくりお休みだね。でもみんなにはまだまだ頑張ってもらうんだよ♪」

「おお……まだ終わらないのだな! わたしは頑張るぞ!」
《金属》のゴッドヘルパー、しぃちゃんこと鎧鉄心は立ちあがって両手を高く挙げた。

「ふぅん、しばらくは退屈しないのね。あたしの非日常はまだまだ……」
 《変》のゴッドヘルパー、花飾翼はにっこりとほほ笑んだ。

「え、オレはお守りもらって終わりでも良かったんだけど……」
 《エネルギー》のゴッドヘルパー、力石十太は少しがっかりした。

「お守りなんていりませんわ! このアタシには全てがあるのだから! これからもこのアタシの輝きを低級な方々に見せつけてやりますわ!」
 《ルール》のゴッドヘルパー、クロア・レギュエリスト・セッテ・ロウは自信に満ちた顔で高笑いした。

「よし! オレもいつか、まだ見ぬ二人の先輩のパンツを見るぞ!」
 《速さ》のゴッドヘルパー、速水駆は変なことを堂々と言った。

「ありゃりゃ。それじゃあボクはまず、スカートを覗かれない魔法を覚えるべきかな?」
 《音楽》のゴッドヘルパー、遠藤音々はいつも通りの後輩を笑った。

「うーん。今回のことを何らかの形で歌にしたいもんだな。」
 《音》のゴッドヘルパー、音切勇也はあごに手を当て、考える人になっていた。

「あはは。頼もしいパートナーたちなのだよ。」
 天使、アザゼルはニコニコ笑った。

「えぇ……それじゃあ俺はまだしばらくはこんなおっかない天使たちと一緒に動くのか……」
 天使、カキクケコ(本名はなんだったかな)は横で笑うアザゼルさんを見て少し青くなった。

「おっかいないなんて失礼だよ♪ ただの女の子と、オタクと不良だよ。」
 天使、ムームームは可愛らしく首を傾げた。

「おい、不良ってオレ様か?」
 天使、ルーマニアことルシフェルは嫌そうな顔でムームームちゃんを見た。そして軽くため息をつき、私を見る。
「は、まだまだ長い付き合いになりそうだな、雨上。」
「そうみたいだな。」
「……今さらだが……オレ様と出会ったことを後悔してねーのか?」
「してないよ。ルーマニアに会ったことで、私は『空』と出会えたんだ。ありがとうだよ。」
『るーまにあにかんしゃだね。』
「そうか。んまぁ……なんだ。オレ様も、お前に変なあだ名をつけられたおかげで……天界が少し居心地のいい場所になった……ありがとうな。」
「そうか? というか、ルーマニアって名乗ったのはそっちだけどな。」
「あん? そうだったか?」
「そうだよ。」
 私と『空』は、元悪魔の王のルーマニアを笑った。
私の名前は雨上晴香。《天候》のゴッドヘルパー。
どうやら私たちの物語はまだまだ終わらないらしい。



 遥か先のエピローグ

僕は長くて真っ白な廊下を歩いていた。ある天使に会う為、その天使の部屋に向かっているところだ。先日、神さまからある仕事を頼まれたのだが、その仕事に取りかかる前に、昔似た仕事をしたことのある先輩天使に色々とアドバイスをもらおうと思ったのだ。

 僕たちが生きるこの世界にはゴッドヘルパーと呼ばれる存在がいる。下界に生きるモノには知らされていない、世界の秘密の一つだ。
 この世界を創った神さまは、下界をよりよくするために色々な法則を創った。僕たちの間で《常識》と呼ばれるそれの数は星の数ほどあり、いくら神さまでも一人で管理しきれなかった。だから自動で《常識》を管理するシステムを創った。
 《常識》は時代によって変化するモノだ。その時々で下界に生きるモノのニーズに合わせていかなければならない。だからシステムは、下界に生きるモノから常に情報を得る必要がある。そんなわけで、システムはそれぞれランダムに、何かしらの生き物に接続される。そうやって、システムと繋がった存在をゴッドヘルパーと呼ぶのだ。

 ゴッドヘルパーには全部で四つの段階がある。
 第一段階。ゴッドヘルパー自身は何も知らず、ただシステムと繋がっている状態。要するに普通の状態だ。

 第二段階。自身がゴッドヘルパーであると理解している状態。この状態になると、システムを通して、そのシステムが管理する《常識》をある程度操ることができてしまう。《水》を管理するシステムであれば、そのゴッドヘルパーは水を操る力を得る。

 第三段階。システムとの繋がりが通常よりも強くなり、ゴッドヘルパー=システムと言えるほどになった状態。こうなったゴッドヘルパーは第二段階とは比べ物にならない力を得る。天使が総掛かりで抑えに行っても返り討ちにされる可能性すらある。

 第四段階。管理する《常識》に最も適した形態をとった状態。つまり、ゴッドヘルパー自身の身体を変化させるなどして最適化し、システムの持つ力を百パーセント引き出せるようにした状態だ。元々システムは神さまがその身の一部を使って創った代物。百パーセントの力とは即ち神さまの力に等しい。

 第三段階と第四段階はそうそうあるものではない。歴史上、第三段階は数えるほど、第四段階は一人しかいない。下界で騒ぎを起こすとすると、第二段階がほとんどだ。実際、僕が受けた仕事は、下界で暴れている第二段階のゴッドヘルパーを止めることだ。
 ただ、天使が直接倒すことは禁止されているので、下界で協力者を得る必要がある。仲間となってくれるゴッドヘルパーを。

 ゴッドヘルパー絡みの事件と言えば、あの二つの事件が有名だ。ネーミングセンスを疑うが、それらの事件は『サマエル・鴉間事件』と『メリー事件』と呼ばれている。
 『サマエル・鴉間事件』は堕天使のサマエルが引き起こした事件で、《魔法》などを管理している《常識》のゴッドヘルパーを手に入れようとした。そんな中、《空間》のゴッドヘルパーである鴉間という人間が介入し、三つ巴の戦いに発展した、歴史上最大の事件だ。
 『メリー事件』は、メリーと呼ばれる《時間》のゴッドヘルパーが起こした事件だ。とても大きく、大変な事件だったそうだが……具体的にどういう事件なのかはよくわかっていない。というのも、メリーが《時間》を巻き戻したり進めたりしたので正確な記録が残っていないのだとか。全貌を知るのは当事者のみだが、その記憶も巻き戻されたりしてゴチャゴチャなのだとか。全てをきちんと覚えているのは、今から僕が会おうとしている天使ともう一人だけだ。

 それならその二人から聞き出せばいいと誰もが言うが……誰もそれをやりたがらないのだ。
 一人の名前はアザゼル。かつて天使に反逆した堕天使の一人だ。いや、一人というか、悪魔軍の大幹部だった。今は罰を受け、下っ端天使として働いている。恐ろしい過去を持つ天使ではあるのだが、その実、とても陽気で面白い人だ。悪く言えば変人だが……
 とにかく、アザゼルはいい人だ。だが、『メリー事件』のことを尋ねるといつもと雰囲気が変わり、とんでもない魔力の圧力と共にこう尋ねるそうだ。
「本当に知りたいのか?」
 《一人でラグナロク》だとか、《ホルンいらず》とまで言われた莫大な魔力と魔法のセンスを持つ最強の大天使にそんな風に言われたら「結構です」と言わざるを得ないというものだ。

 もう一人の名前はルーマニア。何故か下界の地名で呼ばれる天使だ。ルーマニアはアザゼルと共に、『サマエル・鴉間事件』と『メリー事件』の二つを経験し、かつ両方を解決したと言われる天使だ。
 鴉間とメリー。この二人は第三段階のゴッドヘルパーだったそうだが、ルーマニアがパートナーとしたゴッドヘルパーは第四段階にまで上り詰めた伝説のゴッドヘルパーだ。本名かどうかわからないが、そのゴッドヘルパーはハーシェルと呼ばれ、今の天界でその名を知らない者はいない。
 ハーシェルは《天候》のゴッドヘルパーだった。そして第四段階となったとき、システムに自我を与えたそうだ。これにより、《天候》のシステムは一つの生き物となった。ハーシェルを境に、《天候》のゴッドヘルパーは存在していないのだ。
 ハーシェルによって誕生したその生き物は『空』と呼ばれている。下界と天界を自由に行き来し、ルーマニアやアザゼルとよく一緒にいる。
 システムそのものが自我を持ち、《常識》を管理してくれるのなら、これほどよい状態はない。現在、天界ではシステムに自我を持たせる研究が行われているが、あまりよい結果は出ていない。やはりゴッドヘルパーの力が必要なのだろうか。
 まぁ、そんなこんなで、後の世界に大きな影響を与え、大きな事件を二つとも解決したゴッドヘルパーのパートナーだったルーマニアは、英雄とさえ言われている。しかし、彼にはある噂があるのだ。
 それは彼の本名についてだ。噂によると、その本名を知った者は恐怖に脚がすくみ、二度とルーマニアの前にその身を出せなくなるという。
 誰もが怯える存在の名前となると限られる。しかもルーマニアはアザゼルと仲が良い。となると自然と一つの名前が思い浮かぶのだが……いや、まさか。あり得ない。
 あれほど凶悪で、天界を地獄に変えた最強最悪の堕天使がルーマニアであるわけがない。しかしその噂のせいで、多くの天使は彼を尊敬はしても、語り合おうとはしないのだ。
 僕がこうしてルーマニアの所に行こうとしたのを、たくさんの天使が止めた。しかしゴッドヘルパー絡みの事件を担当するのだ。ルーマニアのアドバイスを受けることは為になるはずだ。


 僕は目的の部屋に到着した。僕のような下っ端天使が住んでいる部屋と同じレベルの部屋。英雄が住む場所とは思えないのだが……やはり噂は……
 いや、なんのためにここに来たんだ!
 僕はドアをノックした。中からぶっきらぼうな返事が聞こえ、ドアが開く。
 真っ黒な天使だった。黒髪を全部上に向けた髪型と鋭い目つき……いやいや、絶対悪いことしてるよ、この天使!
「……なんだ? お前は。」
 び、びびってはいけない。アドバイスをもらうのだ!
 僕が会いに来た理由を説明するとルーマニアは意外そうな顔をし、僕を部屋の中に入れてくれた。
 部屋はいたって普通だった。ただ一つ、床に大きな窓があることを除けば。
 その窓からは下界が見えた。どこが見えているかはわからないが、とにかくこれは下界だ。
 僕が身を乗り出して窓を覗いているとルーマニアは僕の正面に座った。
「……色々変わったが、これだけは変わんねーな。」
 ルーマニアは頬杖をつき、ぽつりと呟いた。

「さて、今日の天気は……」



おわり

今日の天気 第5章 ~Revellion & Egotistic~

終わ……って無い感じですね。
サマエルと鴉間の件は片付きましたが……そうです。メリーさんがいるのです。

彼女との戦いはまたいずれという所でしょうか。


一先ず、一時的に、この物語は幕をおろします。

私が《時間》との戦いを思いつくまで (゜_゜)

今日の天気 第5章 ~Revellion & Egotistic~

《物語》から戻ってきた雨上さん。 しかし世界はその《物語》通りの展開に進み始めました。 そしてそれは、最終決戦へのカウントダウン…… 各勢力がぶつかり合い、二転三転する戦況の中、ついに迎える最強のゴッドヘルパーとの対決。 登場人物全員の全開バトルな第5章です。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-12-01

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 今日の天気 第5章 ~Revellion & Egotistic~ 前篇
  2. 今日の天気 第5章 ~Revellion & Egotistic~ 後編