狂気的な愛

サスペンス要素がある小説です。作品中の法的なことや警察の動きはあくまでも作品内のできごとなので、現実とは少し違います。そういうものとしてご了承ください。
小説家になろう でも掲載中です。

 彼の行動パターンは「とりあえず」だった。暫定的に物事を決めておいて、その後はほったらかしというのが彼のやり方だった。その後始末をするのが私で、何一つ彼自信でやりとおしたことは数える程度しかないと断言できる。
 私が十四歳の時にいきなり五歳の彼が「弟」として我が家にやってきた。もともと父とは折り合いが
悪かったので、新しい妻と弟ができても私の人生には何の影響もないと思っていた。私の母はいい加減な父に愛想を尽かしその四年前に家を出て行っていた。冷めきった両親の間で育った私は母も他人のように感じていたので一緒にいくことすら考え付かなかった。家族という物を実感したことが無い私はこの妻に違和感を覚えた。何とか家族になろうとこの妻は私の好物を聞き、毎日お弁当をつくることを提案してきた。父の妻になったからといってそこまでしてもらう義理はない、というようなことを伝えたら今にも泣きだしそうな顔をされた。まるで私が悪者だ。自分がこの家の中心になろうとするなら、私を取り入ろうと考えるのは当然だろうが、その考え自体が間違っている。私には家族はおらず金銭的な理由でこの家にいるだけだから、三人で好きにしていればいいのだ。奨学金で四年大学をでて就職し、二年間で必死にお金をためて家をでた。それでも何かと関わってくる。もう自立しているのだから放っておいてくれればいいのに。
 一人暮らしを始めてから五年がすぎた。会社から帰ってくるとマンションのエントランスに一人の男が立っている。よく見ると弟だった。大きな荷物をもっていたので嫌な予感がした。
「今日泊まるよ」
何の連絡も入れず、こちらの予定をまったく無視した言い方が絶妙に腹立たしかった。
「近くに安いビジネスホテルあるから。」
と、追い返そうとしたが無駄な抵抗だった。彼が一つ言い出したら地震が来たって意見を変えない。明日朝七時に家をでる条件で一泊することをゆるした。血のつながりもない、法律上の弟を可愛がれる訳がない。確かいま大学生でバイトもしていなかったはず。彼の両親に甘えまくっている弟から家出の理由を聞く気になれなかった。弟もそれについては触れず、お互いの近況だけ(と言っても弟が一方的に)に話すのだった。少なくとも一ヶ月半は家に帰っていないらしい。食材もたいしてないので彼の晩御飯はインスタントラーメン。これ以上話すこともないので二人黙ったままもくもくと食事を済ませた。客用の布団なんてあるはずもなく、冬用の上布団にくるまって寝かした。家やビジネスホテルよりここの方が居心地いいなんて思われたら最悪だ。翌朝いつもより早く起き容赦なく電気をつけた。夜遅くまで携帯を触っていたのか、充電がほとんどない状態で彼の手元に転がっていた。出勤の支度を済ませ、約束の時間まであと三十分。いくら荷物をほとんど解いていないとはいえ、そろそろ起きて貰わないと困る。布団をめくりあげ声をかけた。が、起きない。いや起きようとしないというのが一番ぴったりだ。このまま粘られて、この部屋に居つくだけはさけたい。いやいやながら私は携帯電話を取り出し、実家に連絡をした。
少しして父が出た。なんて名乗ろうか迷い瞬き程の沈黙が流れる。
「私です。」
父は短く返事をした。もしかしたらかかってくることがわかっていたのだろうか。
「カズヤを引取りに来てください。部屋番号は四〇二だから」
父は小さい子を説得するように私に話しかけた。
「しばらく置いてやってくれないか。その分の金は払うから。」
この人はいつもそうだ。金があればすべて人を説得できると勘違いしている。
「お金の問題じゃない。ここは単身者用だし、なにより私が困るから。金があるならどこか部屋を借りたらいいじゃない。」
それでも父はあきらめない。もともとこの人も強情で、母が家をでていった気持ちが痛いほど解る。いつの間にか弟が起きていた
「でていくよ」
既に荷物をまとめており、今すぐにでも出ていける状態だった。私は無言で電話をきり部屋をでた。

 昼前に携帯がなった。知らない番号だったが嫌な予感がした。自分のデスクから離れかけなおしてみたら警察からだった。
「石本カズヤさんのお姉様ですか?」
セールスの電話のような声色に、滑舌のよりしゃべり方。男性なのに物腰が柔らかい雰囲気はこちらの警戒心をとく。なぜ実家ではなく私の携帯なのかわからなかったが、問われている質問に正直に答えていった。
カズヤに捜索願が出されており、身分証は確認できないが本人と思われる人物を保護しているとのことだった。なぜ私なのかを聞くとあなたから捜索願がだされていたからと少し不思議そうに答えた。訳がわからない。昨日の晩にカズヤが家を出たことを知った私がどうやって捜索願がだせるだろうか。しかしそんな話をしても今はしょうがない。昨晩家に泊めたことを話した。
「では今はお姉様の家にいるのですね?」
「いいえ。でも今朝家をでたので行方がわからないということでもないのですが…」
と、いいながらも弟がどこに行ったのか見当もつかなかったので、行先を聞かれても返答できなかった。念のため確認をお願いされたので仕方なく行くことにした。父に頼んでも良かったが、私はあの人の携帯番号さえ知らない。仕事を早めに切り上げ訳を話して帰らせてもらった。
 保護されている警察署は実家の隣の町だったが、私もおそらく弟もほとんど行ったことがない街だった。最寄り駅から二十分程度あるいたが、なんとなく不気味な街だ。人はいるし交通量もある。しかしやけに静かで、まるでうっそうと緑が覆い茂る森に迷い込んだ気分だ。ごちゃごちゃとしたそれらから生気はまるで感じないのに、今にも木陰から凶悪なものが飛び出してきそうな不安だけが募ってくる。警察の言うことでもきっぱり断っておけばこんな所にくることもなかったのに、と後悔の重い幕が心に降りてくる。その場で良い返事を出さなくてはと思い込む私の悪い癖だ。
 何もないことを願いながら警察署に入った。受付で担当者を呼んでもらったら、警察官というより営業が板に張り付いたサラリーマンのような30歳ぐらいの男性がきた。
「お忙しい中ありがとうございます。駅からずいぶん歩いたでしょう。迷いませんでしたか?」
私の緊張をほぐすようにあえて明るいトーンで話しているように感じた。
「担当の高坂です。」
名刺を渡す姿までサラリーマンのようだ。しかしその眼差しは私をみておらず、私の中に何か後ろめたいことがないか、なんて粗さがしをしている様な目つきだった。
「カズヤの姉のミドリです。こちらこそご面倒をおかけしました。」
社交辞令のように言葉を並べると、早速部屋に案内された。
なぜか私の顔が彼に見えないような仕組みで確認をとらされた。良くは知らないがこういったときは対面させるのではないか。そんな疑問が私の表情にでていたのかすかさず高坂さんは説明を始めた。
「本人と確証が取れてない場合は、あなたのプライバシー保護の為このような方法をとるのですよ。安心してください。」
しかし確認方法がどうであれ捜索願は出していないのだから、不安は増すばかりだった。高坂さんもその不安を見過ごさず、あの鋭いまなざしが緩むことはなかった。
 扉を開けると一人の男性が座っていた。一瞬カズヤと見間違えるほど似ているがまったくの別人だった。
「違います。確かに似てはいますが、カズヤ本人ではありません。」
と、迷うことなく返答した。ここにいるとどんな些細なことでも正直に答えなければいけない、とまるで催眠術にかかったかのような気持ちになる。
「あの…実はカズヤとは血は繋がっていないのです。一緒に暮らしていましたが、他の家族程長くはありません。」
「そうでしたか。ご協力ありがとうございました。」
と高坂さんはあっさり答えた。部屋を出る時、後ろにいる高坂さんの視線がまだ私を捉えているのかチクチクとした感覚が背中にあった。捜索願を私がだしてないことも話そうか迷っているうちに玄関についていしまった。高坂さんは私を説得するように話し始めた。
「何か思い出したらご連絡ください。どんな些細なことでも結構ですから。
 警察署がかけにくいなら携帯番号もかいてありますよ。」
ポケットの名刺には手書きで携帯の番号が書かれていた。最初に電話したときの番号だったと思う。高坂さんは最初からすべてを話していないことを見抜いていたのだろうか。しかしこれでもう会うこともないだろうから余計なことは言わないことにした。小さくお辞儀をして私は警察署を立ち去った。会社に連絡をいれ何もなかったことだけを報告したが、社内では大事になっているらしい。心配させたことを謝罪し電話をきった。同僚からは何通かメールも来ていた。安心するようにメールを返信したが、なぜここまで会社に話が回るのがはやいのだろう。急に疲れが押し寄せたが、私は何も考えないよういろんな店に立ち寄りながら帰路についた。

 住んでいるマンションが見えた時、自分の目を疑った。今日見た男が、弟に似た男がマンションの前に立っている。顔はみせていないし、ましてや私が来たことすら本人が知るはずもないのに……。動機が手や足にまで伝わり、呼吸さえもコントロールできない。こういう時、血の気が引くなんてよく言うが私は逆だ。心臓から容赦なく噴き出す血液が、血管を突き破りそうなほどの勢いで駆け巡る。自分ではもう何もコントロールできないのに、自分の体をこんなにも隅々にまで意識することは今までに一度も無い。震える手をもう片方の手で握るが収まるどころか、震えは増すばかりだ。父に電話しようと携帯をだしたときに高坂さんの事を思い出した。名刺と着信履歴の番号が一緒か確認したうえで、発信ボタンをおした。
2コールもしない内に高坂さんがでた。
「高坂です。ミドリさんですか?」
私の震える声に驚きもせず淡々と私に指示を出す様子をきくと、きっと今までにこれとは比べ物にならない壮絶な事件を経験してきたのだろうなと、妙に冷静に考えていた。
 迎えをよこすといい、私はマンションからは死角になっている近くのカフェで待つことにした。警察官がくるのかと思いきや、高坂さんが店に入ってきた。
「おまたせいたしました。まだお時間よろしいですか」
昼間あった雰囲気はまるでなく、シリアスな表情をみせた。
「今日あった彼ですが、あの後彼の身内だと名乗る人物が彼を迎えに来たのです。」
今度は氷のような血液が血管を凍らしていく。
「私はその時別件で手が離せず、他の人間に対応させたのですが……。あなたではないですよね?何か心当たりありませんか?」
私は昨日の晩からのことをなるべく正確にはなした。高坂さんは時々メモをとり概要を頭の中で整理するようなしぐさで話を聞いていた。
「あなたの名前をかたり、カズヤくんを探していた。ということになりますかねぇ。」
私もそこにまったくの疑問はなかった。しかし高坂さんはまだ頭の中で沢山の選択肢を考えているようだった。針のような視線が、どんな小さな穴も見過ごさないよう丹念に思考をめぐらせ、一番矛盾のない事実へと導いていく。きっとその中に私への疑いももれなく入っているだろう。人を信じず、発言と行動の整合性だけを考え、すべてのものを客観視しているように見えた。
「もしくは…」
メモを一点に見つめ、ポケットから煙草を取り出しながら話だした。
「カズヤくん似の彼と、あなたを引き合せたがっている人物がいるかですね。」
意味が解らず、何度も頭の中でこの一文を繰り返していた。高坂さんはハッとした表情をみせ、くわえたばかりのタバコを口からはずそうとしたが、私は勧める。火をつけ煙をはきながら説明を続ける。
「カズヤくんを探すのならミドリさんの名前を借りなくても、適当に家族や親類の名前をだせば
 済む話です。まぁあなたとその人物の背格好や年齢が近ければ怪しまれる確率は低いですが。」
 それにカズヤくん似の彼を引き取ってわざわざあなたのアパートに送った。カズヤくん本人を探し出し たかったわけでなく、あなたに用があるように私は感じるのですが。」
言われてみればそうだ。私のアパートや携帯番号までどうやって調べたか解らないが、カズヤ本人を探したいのならこんな回りくどい方法は誰だって取らないだろう。
「カズヤくんはどこにいったのでしょうねぇ。何か知っているのかも…」
独り言のようにつぶやく高坂さんの言葉は聞こえなかったフリをして席をたった。あの家の人間には関わりたくない。
 店をでてアパートの方へ歩いた。遠くから高坂さんとエントランスを覗くと、もうあの男はいなくなっていた。念のためエレベータに乗るまで送ってもらい、恐ろしく長い一日が終えようとしていた。幸い今日は金曜日、土日は家で大人しくしていようと思った。
 土日は何事もなくすぎた。エントランスには誰もおらず弟からも高坂さんからも何も連絡はなかった。月曜日、仕事がたまっていると思い、いつもより早めに出社した。上司はもう来ていたので、改めて謝罪と報告にむかった。心配そうに私をみつめる眼には優しさ以外なにも満たしていなかった。
「大丈夫だったのか弟さんは。」
人違いでしたと一言だけ私は答えた。優しさしかなかった眼からは落胆の表情を見せ、デスクに目やった。その表情に違和感がありながらも、これまでの経緯を説明しようとした所で上司は続けた。
「仕事の後も弟さんを探しているそうじゃないか。大切な家族が早く見つかるといいな。」
私は声が出なかった。上司は弟と連絡が取れない私の心中を察したようにうなずき、いつでも力になるからと答えた。何から説明するべきか、今適切な言葉はなんなのか、そもそもどこからそんな話が出てきたのか頭は混乱したままだったが、上司の優しさ対するお礼はしなければと思い、お辞儀をして席についた。隣の同僚はその事には触れなかったが、仕事量が多いなら分担しようという提案があった。少なくともこの部署には素晴らしい家族愛にあふれた悲しい美談が出回っているようだ。
普段ほとんど口は利かないが、そういう噂話を話半分以下に聞く人が同じ部署にいる。うわさ好きの女性を少し軽蔑している節さえあり、一人でいることが多い武井さんだ。事実を自分の感情関係なく受け止めることの出来る女性、そういう意味では高坂さんと雰囲気が少し似ている。
話を聞くため私はお昼に誘った。
「あのう、お昼一緒にどうですか?」
一瞬、誰だっけと言うような目をしたが、私で良ければと快諾してくれた。
「店は私が決めていい?」
会社では二年先輩だが、転職してきた人でおそらく年齢は三十二、三歳くらいだろう。会社周辺の店は
熟知しているようだった。
「ここは安くておいしいからお気に入りなの。」
と言って洋食屋に入ったが一番安いメニューでも千円だった。いつもスーパーの惣菜で300円に抑えている私からしたら、三日分以上のランチだ。これから話す内容と同じくらい深刻なことのようにも思えた。
「もしかして、昨日あなたが早退したことと関係ある?」
いきなり話したこともない人からランチを誘われたら誰だって勘繰るだろう。私は朝に聞いた上司の話がいつ頃、だれから広まったのかを質問した。
「いつかは知らないけど、あなた最近お休みしなかった?その日に弟と連絡がとれないから警察にいくの で、休ませて欲しいって電話があったらしいの。」
そういえば約二週間前の月曜日にお休みを頂いた。でもそれは旅行に行っていて、有給休暇を事前に取っていたからだ。しかし有休を申し込むのはその一、二週間ほど前で、たとえ忘れていなくても家族が失踪、警察に行くという単語を聞けばそんなこと忘れてしまうだろう。なんとも大胆な成りすましだ。その電話を取ったのが、おそらく噂好きのお局さんだったのだろうと武井さんは言う。でなければ武井さんの耳にまではいらないらしい。その電話をかけてきたのが誰かまでは不明だが、昨日の私に成りすましている人物に違いないと私は一人確信した。そういえば二週間まえから急に仕事量が減り、定時に帰れることが多かった。きっと心労を気遣って上司が減らしてくれていたのだろう。それを見たお局さんが仕事の後探し回っていると勘違いし、そういう噂話がでてもおかしくは無い。しかしなぜその話が私にまで回ってこなかったのだろう。気は進まないがそのお局さんに話を聞くべきか…と考えていたら時間が来てしまった。折角の高いランチも味わえないまま終わってしまった。財布を取り出そうとしたところで
「私が勝手にお店きめたからね。」
と私の分まで支払さっさと店をでてしまった。お礼とまた行きましょうといってそれぞれの席についた。ご馳走してもらったが、本当にもったいない思いをしたランチだった。
 今日聞いたことを高坂さんに話そうか悩んでいた。実際事件と呼べることは何も起こってはおらず、もっと重大なことに従事しているだろう警察の人にこの程度のことは相談しにくい。携帯から番号を呼び出したが発信はせず、そのまま様子見を続けようと考えた。
翌朝からはなにごともなかったように元の生活を送っていた。会社の同僚も気遣いはするものの普段通りに接してくれ、武井さんとも休憩時間によく話すようになった。あの話題に触れず、気を使った態度も全くなかったので正直ありがたかった。

 それから二週間後の晩、高坂さんから電話がかかってきた。
「カズヤくんを逮捕しました。」
その言葉だけが耳にのこり、あとは時間が止められたかのように瞳さえも動かすことは出来なかった。声を出そうにも声の根源となるものがない。深い井戸から水をくむために延々とそのレバーを引いているが、水の気配やその手応えすらない。
「大丈夫ですか?いまご両親もこちらに向かっているそうです。これそうですか?」
ようやく一滴の声を絞りだすことができた。
「はい」
やっとでた自分の声がこんなにもうるさく、体全体に振動を与えているとは思いもしなかった。家族とも思っていなかった人間が逮捕されただけなのに、この感覚はなんなのだろう。悲しさ、落胆、怒り、苦しみ……どの感情の色を巧妙に混ぜてもこの感情を表すことはできない。急いでタクシーに乗り込み警察署へ駆け込んだ。
 受付で高坂さんを呼ぼうとしたらいつの間にか私の後ろに立っており事情を聴いた。
酒に酔い、殴り合いのケンカになったところを現行犯逮捕となったようだ。ケンカ相手も弟も逮捕時泥酔状態だったらしい。すねたようにうつむいたままの顔には、殴られた青いアザと酒の余韻がのこる赤さがあった。確か弟はほとんど飲めなかったはず。ましてや繁華街で泥酔するほど飲むなんて考えられない。
「からまれたんですか?それとも友達と?」
質問したが高坂さんにもわからないらしい。
「ケンカ相手について一切話してくれません。相手は現場から直接病院に運ばれていますので、二人の関係も今の所まったくわかりません。」
そうこうしていると、両親が受付の人に案内されながら高坂さんのもとに来た。深々とお辞儀をする父とその妻。家をでてまだ五年のはずなのに十年以上たったのかと錯覚するほど二人ともすっかり年老いていた。特に父はほとんど白髪になっており、眼も見えているのか疑いたくなるような弱々しいまなざしだった。元からいい体格のタイプでもなかったが、なんとなく少し小さくなったような印象を受けた。この時、弟を預かってくれないかと言ってきた理由がなんとなくわかった。バイトもせず親の苦労も知らず、わがままほうだいで育った弟の面倒見きれず疲れ切ってしまっていたのだろう。甘やかしすぎた自分たちの自業自得だろうと思う反面、この老夫婦が哀れにもみえた。
弟は警察に泊まることになるとのことだった。詳しいことは解らないが数日もすれば家に帰れるらしい。両親からすこし離れたところで高坂さんが小声で話始めた。
「確認したのですが、カズヤくん似の男を引き取ったのはお父様みたいです。」
高坂さんが不在で対応した担当者が父を見て思い出したそうだ。となると、父があの男を私のアパートに連れて行ったのだろうか。あの日部屋番号まで伝えたのでその可能性はとても高い。
「今回のケンカと関係あるかわかりませんが、念のため伝えておきます。」
それは私の身を案じてのことなのだろうか、高坂さんはまっすぐ私の目を見ていた。
 高坂さんに見送られ、玄関に向かうところで後ろから父の声がした。
「こういう時は一緒に居るべきじゃないのか。あいつも思うところがあるだろうから。少しの間でいいか ら帰ってきなさい。」
とか言って、あの弟の世話が限界だから私にそれを押し付けようとしているのがミエミエだった。振り返ると高坂さんはいなくなっていた。
「冗談じゃない。あなた方の息子のことでしょ。私は戻らないから。」
父の弱々しい目から怒りではなく、悲しみというか懇願の色が滲んでいた。妻はうつむき、まるで父のわがままを制止するかのように、父の腕をつかんでいる。受付の人が仕事をしたふりをしながら私たちの会話を聞いているのをその静けさで気づく。わざわざこんな所で話を始めた理由はこれか。
悪者はいつも私だ。
「いったん帰らせてよ。今戻っても着替えさえないのは考えなくてもわかるでしょ。」
私が今言える最大の嫌味を言ってから一人で警察署をでた。タクシーさえもない通らない深夜の広い道路では信号が不気味に目配せをしている。こんな時間でも何故か明るく見えるのは、街中にちらばった危険な破片がきらめいているからだろう。その輝きは私に血の匂いを連想させる。昼間寝ていたものがこの時間に目を覚まし、街全体に生気をみなぎらせる。眼には見えないその強い力が余計に私を不安にさせた。まだ二回しかきていないが確信している。この街は嫌いだ。

 あの家から仕事場に通うのは無理があるので週末に帰ることにした。どうせ弟もそんなすぐには家に帰れない。インターネットの記事には短くではあったが昨日の事件が書いてあった。学生同士の殴り合いとだけ書かれており、二人の名前や年齢までは報道されていなかった。
金曜日仕事を終え、家を出る準備をしていると高坂さんから連絡があった。
「ケンカ相手の方と面会しました。少しお時間よろしいですか?あのカフェにいます。」
私と弟のケンカ相手に何の関係があるのかわからないが、話を聞きに行くことにした。
店に入ると高坂さんとその上司と思われる年配の方が座っていて、お辞儀をすると丁寧にあいさつしてくれた。
「初めまして、二条と申します。京都生まれでもないんですがね、あれと一緒ですよ。」
しわのある太い指を少しでたお腹の前で組み、屈託のない笑顔で世間話を始める。声は低く少しかすれているが人を安心させる不思議な雰囲気な持ち主だ。なるほど、高坂さんはこの人を尊敬しているなと感じた。
「金曜なのに申し訳ございませんねぇ。すぐ済ませますから。」
私の大きな荷物に気を遣わせてしまったみたいだ。
「実家に帰るだけですから、どうぞお気になさらないでください。」
そして一枚の学生証らしい写真がでてきた。少し若いが弟に似ているあの男だ。
「彼が弟さんのケンカ相手です。そしてカズヤくんの弟でもあります。彼もカズヤくん同様、あまり話し てくれなくて困っているのですよ。しかし高坂から経緯はきいております。あれからなにかありました かな?」
私はカズヤに弟が居ることさえ知らなかったので驚いた。きっと離婚したときに離れたのだろう。何も考えてないような弟にも、辛い過去があったのかもしれない。また表現できないあの感情がその影をおとす。冷静に、冷静にと自分に言い聞かせながら、約三か月前に自分に成りすましたであろう人物から会社に電話があったことや、ありもしない噂がたっているなど聞いた話をできるだけ正確に伝えた。二人にとがった視線が戻ってくる。二条さんのそれは真剣を抜いたような、研ぎすまされた冷たい空気が流れる。しかし私の存在を思い出したら、もとの柔らかい陽だまりのような空気が戻ってきた。
「その電話をしてきた人が自分の成りすましだと思ったのは、あなたがその同僚の方からお話を
 聞いたか らですね?」
さっき話した内容をそのまま復唱された。警察の人はなぜこうも同じことを何度も聞いて
くるのだろうか。
「ええ。それ以外考えられませんから。」
「ですが、その同僚の方は電話にでていらっしゃいません。あなたの声どころか性別すらその方は
 お分かりになっていないのではないですか?電話の内容もどこまでが本当かわかりませんねぇ。
 伝言ゲームのようにいろいろ脚色されていそうですな。」
言われてみればそうだ。電話はお局さんが……いやそれだって怪しい。武井さんの推測と
自分の思い込みが一致したから、私はそれが事実だと勘違いしてしまっていた。あの男を
引き取ったのが父なら、その電話も父からかもしれない。気まずくうつむくと二条さんが
より一層明るく話してくれた。
「ありがとうございました。とても参考になりましたよ。また何かわかりましたらこちらからご連絡
 さしあげますので、それまでは普段通りで結構ですよ。まずはご両親をいたわってあげてください。」
二条さんがそう言ったあと、高坂さんの口元だけが笑っていた。きっとあの受付での会話をきいていたのだろう。こちらも口だけ動かし挨拶をして店を後にした。

 五年ぶりのこの家は何も変わっていなかった。幼少期、青年期を過ごした家だが思い出などはほとんどない。一応呼び鈴をならしてから家に入った。ふと台所に目をやると豪勢なご飯が用意されていた。
「ちゃんとお前の分も準備しているから。」
妻に用意をさせていたようだが、もう済ませてきたので断った。
弟が酒に酔ってケンカして警察の世話になっているのに、この父は何を浮かれているのか全く理解できなかった。
「それは弟が帰って来てからしてあげてください。」
これだけ伝え自分が昔使っていた部屋に戻った。今住んでいる部屋にこの家で使っていたものを持っていきたくなかったので、家具はそのままにしておいた。もちろん処分しようとしたが、あの妻がうるさいので部屋に置きっぱなしになっている。ホコリひとつない掃除が行き届いた部屋が逆に気味が悪かった。この一週間の疲れを急に自覚して、お風呂にも入らずそのまま眠ってしまっていた。
 何時だかわからないが目が覚めると父が部屋にいた。私を見下ろすその姿は恐怖でしかなかった。目が合っているのか、私が目を覚ましていることが解っているのかこの暗闇ではわからない。しかし窓をぼやけさせる程度の街灯が父の目の端を光らせていた。
 気づけば朝になっていた。当然部屋には私しかおらず、あのことも夢なのか現実だったのか区別がつかない。
「寝た気がしない…」
もう一度寝ようとしたが、また無防備な状態になるは少し怖く感じたのでシャワーを浴びることにした。一階に降りると二人は食卓を囲んでいた。ホテルの朝食かとも思うくらい完璧な朝食を前に、二人は一切手をつけていなかった。
「おはよう。皆そろったからさっそく食べよう。」
私を見つけ父がそういうと、妻は黙っていそいそとスープを温めなおしにかかる。目玉焼きは少し硬くなっているようだった。一体何時からこの状態で座っていたのか。なぜこの妻は黙ってこの父に従っているのか。その異様な光景こそが夢を見ているように感じた。こうなったら弟のこともあの男のこともすべて父に洗いざらい聞き出そうと考えた。その瞬間命を守ることを最優先とする本能が、ここは大人しく従うべきだと稲妻のように黄色く信号を発した。黙って席に着くことにした。父は満足げにどっしりと座ったまま動かない。妻は冷蔵庫から牛乳をとりだし、父のグラスに注ぐ。
「ミドリちゃんはオレンジジュースがよかったかしら。女の子は美容のためにビタミンを取った方が
 いいものね。」
と、返事もしてもいないのに勝手に私のグラスにジュースを注ぐ。
「母さんは気が利いて、娘思いだなぁ」
父はこれほど話す人だっただろうか。こんなにも落ち着かない食卓はない。あらかじめ決められたセリフに指定された行動、まるで台本があるかのように動く二人。そこに現実味はまったくなく、芝居というより表情が全く変わらない滑稽な動きを繰り返すあやつり人形を見ているようだ。温めていたスープが吹きこぼれ、シューシュー音がなる。あらやだ、と言いながらコンロに立つ妻。
「まったくいつもそそっかしい。なぁミドリ。母さんみたいになるなよ。」
そういうと、父も妻も笑い出した。父の目には昨晩見た青い深い闇が広がっていた。そして妻は笑いながらスープを注ぎ、振り返ると私に渡してきた。めまいがするほどのサイレンが私の目の前を赤くする。妻の目は勝利に酔いしれ、勝ち得た称号が冠として妻の頭にささげられようとしていた。私がこのスープ皿を受け取る行為はまるで妻の戴冠式のようだ。私の目を離さず聖母のような容赦ない笑みを見せる妻から、皿を受け取ろうとしたとき家のチャイムが鳴った。それでも妻はその笑みを、その手を残酷にも動かさない。
「私がでます。」
廊下にでたとき皿が鈍い音をたてテーブルに置かれたのを背中で聞いた。廊下はいつまでたっても私の前に長くそびえる。やっとの思いでドアを開けると高坂さんが立っていた。
「朝早く申し訳ございません。お食事中でしたか?おいしそうな香りですねぇ。」
氷点下にまで下がったこの家の空気が、高坂さんの太陽のような一言で温めてくれた。妻の要塞は一瞬にして溶かされ、冠は水滴にもならず消えた。
「大したことではないのですが、早い方がいいと思いまして。ミドリさん少しよろしいでしょうか?」
奥の二人は恐らくお辞儀か何かをしたのだろう、高坂さんは深々と頭をさげた。振り返る
事も出来ず寝起き同然だったが、上着だけ取りそのまま家をでた。
車の後部座席には弟が座っていた。私を見つけるとうつむき気まずそうな顔をした。
「いつもいきなりで申し訳ございませんねぇ。警察ってのは中々相手の都合に合わせた時間帯をねらえないんですよ。」
と後部座席のドアを開け私が乗り込むのを見届けながらそう話した。隣の弟はうつむいた
ままこちらを見ようともしない。高坂さんは車をだした。
「昨日ミドリさんのお話を聞いてから私なりに仮説を立ててみました。それを弟さんにきいてもらったのですが、大筋はあっているみたいです。」
バックミラーで私をみる高坂さん目は先程のような温かみは無かった。
「まず、あなたに成りすましていたのはあなたの母、美恵子さんです。そしてその理由は
 カズヤさんにもミドリさんにもありました。」
私が家を出てから母は家族に執着を持ち始め、その考えをそれぞれに強制させた。
父親は家族の主として厳格で、家族全員の幸せを願い自分の意思はもたない。息子はその
父を尊敬し、姉に甘えながらも次期主として一家を守る責任感をもつべき。娘は母を目標
とし、時には弟を自分が犠牲になっても守り、長女として家族の存続を一番とするべき。
そして母はそんな家族を大きな器で見守り、温かい家庭を提供するべき……。
カズヤが大学に行き始め家を空けることが多くなった最近では特にひどかったようだ。
「美恵子さんが被害届をあなたの名前でだしたのは弟思いの姉が必要だったからです。
 そしてあなたに成りすまして会社に電話したのも美恵子さんです。」
私が実際に家にいなくても、空想の中でしか生きていなくても理想の長女が存在する必要
があったのだろう。弟が失踪したことを隠しながら、ひたむきに仕事に励む立派な長女が。
「もしかしたら次の日今度は母として上司に連絡をいれたかもしれませんね。平気そうにしているが
 心身ともに疲れ切るまで弟を思っているので、せめて会社ではその話題は
 触れないでやって欲しいって。そう言えば、ミドリさんにその話がいかない様口止めになりますし、
 それと同時に長女を思う母を演じることができますもんね。」
「そこまではなんとか理解できますが、弟にそっくりな男を父が私に差し向けたのは
 どういうことでしょう。」
隣の弟は少し居心地わるそうに体を揺らし、より一層端の方に座ってしまった。
「それを話すにはまず、カズヤさんがなぜあなたの家にいったかを話さなくてはいけません。」
弟は母の押し付けが我慢の限界を超え出ていくことを決意した。父はこの五年での
暮らしで抵抗することを諦め、本当に意思をなくしてしまっていたらしい。カズヤは出ていく
こと父にだけつげる。引きとめもせず、応援もしなかったがしばらく暮らしていけるだけ
の金は渡したようだった。一か月くらいは友達の家を転々としたそうだがそれも長続き
せず、貰ったお金も手につけられず、2~3日野宿していたようだ。
そしてもうどうしようもなくなったときに父から連絡が入る。
「母さんがお前の捜索願をだした。一旦もどってきなさい。」
どうやら弟が出て行ったとき、父は母に私を連れ戻しに出て行ったから心配するなと説得したみたいだった。一か月たっても姉どころか弟も帰ってこない状況に、母がこの時点で私の名をかたりカズヤの捜索願をだした。弟を取り返し、弟を思う姉が誕生するなら一石二鳥だ。野宿していては職務質問されるかもしれない、しかしあの家にはもうどうしても帰りたくない。弟は私のアパートを探した。五年前に引っ越しの手伝いで一度だけ来たことがあったが記憶があいまいで見つけるまで時間がかかったようだ。そしてその数日後なんとか「とりあえず」私の部屋にきた。狭いワンルームにはあの家では感じた事のない安らぎと自由があった。栄養管理が行き届いたあの食卓にはインスタントラーメンなどありもせず、また食べることを禁じられていた。友人の家は大体実家暮らしらしく、居候とはいえ客人にインスタント食品を食べさせる家があるはずもない。あの日の夕食は彼にとって考えられないものだったのだろう。高坂さんがほほ笑みながらその気持ちを代弁する。
「彼のツイッターには『インスタントラーメン食べた!味噌か醤油までえらべた!』とか、『やばい、  しゃべるの忘れてた。でもうますぎ!』とかあって、失礼とおもいながらも笑ってしまいました。」
ツイッターを見せる程いつのまに仲良くなったのかわからないが、恥ずかしくなった。弟も顔を出来るだけ外へ向けていたが耳まで赤いのがわかる。もう20歳になったはずの弟が急にあの家に来た時の幼い姿に見えた。
 嘘の捜索願を出した時、母は保険をかけていた。理想の姉はもう既成事実により作り上げられたので、家に居なくても満足だったのだろう。しかし弟が家に帰ってこなければ自分の理想とする完璧な家族ではない。母は前の旦那に引き取られた息子タイチを、出て行った弟の穴埋めにしようと企んだのだ。タイチは18歳で、高坂さんたちがいる警察署の街に一人で住んでいる。定職にはついていないらしい。元ダンナからの仕送りや日雇いのバイトで生計を立てていたらしいが、母親から一緒に暮らそうと持ちかけられたら、おそらく引き受けただろう。しかし数週間後、母にも想定外なことが起きる。捜索願をだされていたカズヤとタイチが間違えられて保護されたのだ。彼は年齢を偽り、飲酒をした帰りに職務質問をされた。身分証となるものも持っていなかったため、とっさに兄の名前を名乗ると捜索願がだされていると伝えられそのまま警察署に保護されてしまった。カズヤの世帯主として父と、捜索願提出した本人の私に連絡がはいった。父はその電話で妻の意図を理解したが、いつもどおり妻のやる事に口出しをせず、事を荒立てない為にカズヤとしてタイチを引き取った。タイチは訳がわからないまま父に引き取られ、一旦は自分の家に帰った。その直後、偶然同居の話を進める為に連絡してきた母、美恵子にあったことを話す。母は父だけでなく私にも連絡がいっているはずと推測した。このことを利用して私も家に連れ戻すことを再度画策した妻は、タイチをアパートに向かわせたのだろうと高坂さんは説明する。
「保護されたのをきっかけにあなたの存在をしった。ずっとお姉さんがほしかった。
 あの家で一緒にくらしたい。なんて18歳の青年にせがまれたら断れないと思ったのでしょう。」
しかし私は現れず、タイチは帰った。タイチは母の意図がわからず、しかし聞き出すとせっかくの同居の話がなくなってしまうかもしれない。母の携帯電話からカズヤの連絡先をしったタイチは兄に会うことにした。幼いころ数年だけ過ごした兄弟の関係。高坂さんもそこだけはわからないらしい。
「おそらく久しぶりの再会に食事に行こうとなったのでしょう。タイチ君は未成年なので飲酒は
 許されませんが、二人でゆっくり話をしようとしたことは推測できます。しかし何が原因でケンカに  なったのかまだわからないのです。酔ったからと言ってあそこまでの殴り合いになるでしょうか?」
弟はまだ外を向いたままだがその肩から、何も話さないという頑なな姿勢をみせた。この二人のケンカは母にとって最悪な事件だっただろう。必要な息子二人があの家に帰ってくることは当分なくなってしまったのだから。妻は私だけでも連れ戻すことに執着し、あの受付の会話に至る。人が周りにいることを確認し、父の腕をつかみ出ていくのを引き止め合図を送る。妻は父を思いのまま操り、やっと私をあの家へ連れ戻すことができた。難攻不落だった私さえ手に入れば、息子はどうとでも言いくるめられると思い直したのだろう。あの晩の豪勢なご飯は自分へのご褒美だったのだ。
 一通り話をきいたところで車がとまった。私のアパートだ。
「ご両親には私から話をしておきますし、荷物は部下にここへ送るように手配しております。
 カズヤさんはどこまでお送りしましょう?」
弟は外を見たまま動かない。弟にはあの家しかない。
「一緒に降ります。わざわざありがとうございました。」
弟は初めてこちらを向き私の顔を見つめる。私は運転席の方をみたままにした。
高坂さんも前を見たままだったが、口元が緩んでいるのがわかる。この人もあの妻に劣らないとんでもない策士だ。
 高坂さんにお礼を言い見送った後で、私の部屋へ向かう。無言のままエレベータにのり、部屋のドアを開ける。私は部屋に入ったが弟は玄関に立ち尽くしていた。
「ねえちゃん、ごめん。」

 妻たちがあの家にきてまだ間もない頃、弟が迷子になった。弟はとりあえず見覚えのある道を進んでいったようだが、あの家の周りは似たような家がならんでいて慣れない人にとっては迷路のようになっている。弟はどんどん家から遠い所に進んで行ってしまったみたいだった。父は探そうともせずじっと座るのみ。妻は私がいるから油断していたと、私にも責任があるといいたいようだった。こんな家にいるだけで不快だったので家をでた。自転車に乗り夕方の街を気が済むまで適当に走っていたら、弟が泣きながら歩いているのを見つけた。普段からそんなに話をしてなかったのでどう声をかけようか迷ったが、見つけた以上放っておくわけにもいかなかった。
「カズヤ。帰るよ。」
いきなり連れてこられた土地で迷子になった子供に対してもう少し言いようがあったと自分でも思う。私の服の端をつまみ、ぎこちなく荷台に乗る弟。この時なんとなくこの男の子を身近に感じた。家に帰ってから父はやはり何も言わないまま部屋にすわり、妻は泣いて喜んだ。
「やっぱりおねえちゃんねぇ。これからもこの子をかわいがってね。」
私はこの妻をどうしても受け入れたくなかったので、聞き流していた。自分の母と私の関係がうまくいかないのを幼いながら自分のせいだと感じたみたいで、その日の晩泣きながら私の部屋に現れた。ちょうど今立っているみたいに目を伏せ、口をとがらせながら。何も変わっていない弟。その後も怒られそうになるたびにとりあえず物置へ逃げ、出られなくなった弟を助けたのも私だ。中学生の時クラブの先輩にからかわれ、腹が立ったのでとりあえず強がってみたら目をつけられたこともあった。その先輩の姉が私の後輩だったから収まったものの、一体どうするつもりだったのか。そんな弟の「とりあえず」で私が覚えているエピソードは数えきれない。そして最後には今みたいに言うのだ。
「ねえちゃん、ごめん」
「あんたのごめんは聞き飽きた。いいから入りなよ。」
本当に変わらないその姿に少し笑いそうになるのをこらえ、平静を装って答えた。つもりだったが、弟にはばれていたのか遠慮なく部屋に入ってきた。そういうところだけ敏感な奴だ。
「ちゃんとねえちゃんみたいに自立するつもりだった。でも無理だった。」
20歳で自立した生活ができる人もいるだろう。しかしこの弟はそれにはまだまだ時間がかかるタイプだ。
「学生が何言ってるのよ。私がどれだけ努力あの家出てったと思う?」
弟はまた口をとがらせた。
「起きる時間も出かける時間も食事もなにもかも知らない内に管理されている家にいると、いつの間にか自分自身の管理が完璧にできる人間になったような気がしたんだ。でも実際は何もできなかった。ご飯の炊き方もバイトの探し方さえもわからなかったから、
友達にマザコンよばわりされた。」
友達から馬鹿にされ、自分のことが少しわかった時期に母の束縛が特にひどくなって
いったみたいだ。私は戸棚からコーヒーを取り出して二人分淹れた。
「それから…母さんねぇちゃんの会社に電話した日のことなんだけど、ねえちゃん会社休んでるって言ったの俺なんだ。」
私は旅行に行ったことをSNSに書いてあった。浮かれていた私は次の日休みと言うこと
まで書いてしまっていた。野宿に耐えきれず、私に泣きつこうとしたが連絡がつかないの
で手当たり次第私の名前で検索し、私の居場所や状況を把握したらしい。その時、
私といつ帰ってくるのか母から電話が入ったみたいだ。
「父さんが何を言ったか知らないが俺はもどらないし、ねぇちゃんも月曜までいないからどうせ帰れない。 っていっちゃったんだ。」
いっちゃったんだって……。これ以上呆れてものが言えなかったが、それ以上にどうして
も気になることがあった。カズヤの弟、タイチとのケンカの原因だった。そもそもカズヤ
に弟がいることも知らなかったので、どこまで聞いていいのか解らなかったが、とりあえず酒に酔ってケンカになった理由を聞いた。
「それはねえちゃんが…」
と言いかけてそれ以来話そうとしない。家賃無料でここに住んでいいとか、またあの家に
連れ戻すぞといろんな手で聞き出そうとしたが、そのとがった口から何も語られなかった。
…私のせい?それとも私の為に? とりあえずケンカの理由に私が含まれている様だ。 
一旦話を終えて、ごはんを食べることにした。私は買い物の途中、SNSの公開範囲を
ロックした。口の軽いカズヤが何を食べたか誰に話しても恥ずかしくない様に、ちゃんと
したご飯をつくってやった。カズヤはおいしそうに食べていた。

 カズヤと暮らして数日後、仕事中に二条さんから電話が入った。出来れば会って
話したいことがあるらしい。
その日の夕方にアパートのあのカフェで待ち合わせることにした。
「もう警察の人間と関わりたくないと思いますがねぇ…これは私個人の判断でもあるん
ですよ。」
二条さんと会うのは二回目だが、高坂さんより冷静に見える人が個人的に動くとは
思えない。表現できない不安が湧いてきた。
「高坂からあの後のことは伺っております。あれ以来ご両親からご連絡はありましたかな?」
「いいえ。弟にも連絡は無いと思います。ご心配くださいましてありがとうございます。」
「そうですか。弟さんとあれから一緒に暮らして居るのですか?」
「ええ。しばらくの間、と言ってもカズヤは学生なので卒業するまでは一緒だと思いますが…」
そんな私をじっと見つめる二条さん。人の顔をどうやってみて、どうやって受け答え
ていたのか、すっかり忘れるくらい混乱している。
「そんなにかまえないで下さい。別に逮捕しようなんて思ってもありませんから。
 弟さんはケンカの理由を話しましたか?」
個人的に、という言葉に惑わされていたが話の内容は刑事の仕事そのものに気づき、
だんだん落ち着いてきた。
「話していません。どうも私が関係しているような素振りもありましたけど。」
そうですか…と言ったまま黙ってしまった。考えているより話すこと自体を迷っているようにも見えた。
「あのう…もしかしてタイチという人が何か?慰謝料とかの話ですか?」
伏せていた目をチラッと私にやった。何かを決意したようだった。
「そういうことではありません。正直に申し上げます。先日あなたの弟さんを車で送ったのは
 高坂の独断なのです。勝手なことを致しまして申し訳ございません。」
立ち上がり、私の前で深々と頭を下げる二条さん。店内に客は少なかったが、視線が一気に集まる。
「頭をあげて下さい。あの、もう少し詳しくお話しして頂けませんか?」
申し訳なさそうに座り直す二条さん。
「高坂があなたのアパートにお二人を送らなければ、あなたは今まで通り生活出来たはずです。
 血のつながりのない弟さんなんでしょう?」
「そうですが…あの家に帰りたくないのはとても共感できるので…。」
「先日高坂があなた方にお話した仮説を私も伺いました。一見矛盾が無いように聞こえますが
 私には腑に落ちないことがありましてね。」
私には完璧な話に聞こえていたので、二条さんの話に興味がわいた。
「まずケンカの件ですが、タイチくんとカズヤくんの傷の程度が違っていました。タイチくんは
 病院に行かないといけないくらいひどく、カズヤくんは軽傷です。二人でケンカした場合、怪我の程度 が多少違ってくるのは当たり前ですが、この件に関しては差があきすぎています。カズヤくんが
 一方的に殴り、タイチくんはそれを防くため抵抗したと見た方がずっと自然なくらいにね。」
確かに、あの時カズヤの傷は痛々しかったが病院に行くまでのものではなかった。
私は勝手にケンカ相手も同じぐらいの傷で、念のため病院に行ったぐらいにしか考えていなかった。
「私はケンカの原因だけでなく、タイチくん自身のことも調べてみました。」
二条さんは前のめりになるような姿勢に座り直し、テーブルの上で手を組みさっきよりトーンを落として話を続けた。
「タイチくんですが、幼い頃から美恵子さんとはあまり合わなかったようです。
 美恵子さんは長男のカズヤくんばかり可愛がっていて、離婚理由もそれに関係しているようです。
 タイチくんは父親に引き取られることになりました。
 長男ばかりを溺愛していた人が、長男がでていったからといって二男と一緒に暮らしたいと
 思うでしょうか? 確かに人数だけそろえたいから次男でもいいという仮説は成り立ちますが、
 どんな手を使ってでもあなたを取り戻したかった美恵子さんがそれで妥協する様に私には
 思えないのです。
 そしてその美恵子さんですが、捜索願をだした理由は理想の長女を空想の中につくりあげる為
 だとしていましたが、あなたの母はそれで本当に気がすんだのでしょうか?警察に嘘の捜索願を出して まで手に入れたかったのは、空想の長女だと私には到底思えないのです。」
言われてみれば自分の願望を聞いてもらえるまでずっとネチネチ言い続けるあの妻が、そんなことで諦めるとは思えない。
「確かに…そうかもしれません。」
少しうなずき、二条さんは続けた。
「ではなぜ美恵子さんは捜索願をだしたのでしょうか。それはやはり溺愛していたカズヤくんを
 探すためです。会社に電話したのは美恵子さんに間違いはないでしょう。それは会社に来ているあなた に連絡をとり、仕事を休んでカズヤを探すようにと伝えるためです。しかしあなたはその日偶然にも
 休んでいた。あなたが居ないとなると頼れるのは警察だけです。ではなぜあなたの名前で捜索願を
 だしたのか。美恵子さんはミドリさんが心配し、探していることがカズヤくんに伝われば家に帰って
 くると思ったからです。」
これに関しては同意できなかった。
「すいません。先程おっしゃっていたように、私とカズヤとは本当の兄弟ではないのです。私が心配して いるからと言って、カズヤが家に帰るとは思いません。」
「確かにそう思うのが当然でしょうな。あなたにとってそれが事実ですから。ではわかりやすくする
 ために、時間を戻しましょう。なぜカズヤくんが家を出て行ったかです。それはあなたのお父様も
 言っていたようにあなたを連れ戻すためです。この件の始まりはすべてそこにあるのです。」
…カズヤが私を連れ戻す?何のために?自分を溺愛してくれている母の為に?
また頭が混乱してきたのがわかった。これ以上聞きたくない気さえしてきた。
「時間の流れに沿って私の仮説をお話しします。カズヤくんはあなたを連れ戻すために家を飛び出した。 当然あなたのアパートは覚えていたでしょう。しかしなぜ一ヶ月半もあなたのアパートに行かなかった のか。それはこの期間にタイチくんを探していたからです。タイチくんに連絡したのは母親ではなく
 カズヤくんです。あのご年齢のかたはSNSどころかインターネットさえあまり詳しくないでしょう。
 十何年離れて暮らしていた上に、あまり可愛がってはいなかった子供が今どうしているのか知る為に
 は、別れた旦那さんに聞くほかないと思います。美恵子さんがそこまでしてタイチくんに連絡を取った というより、カズヤくんが探し出したと考えればまだ自然のように思います。カズヤくんは家を出でか ら友人の家を転々としながら、タイチくんの家を探しだし、タイチくんの家にいたのでしょう。
 ではタイチくんにはどんな役割があったのか。自分がミドリさんのアパートにいき、追い出された時の 為です。追い出された後、知らない男がアパートの周りをうろつくなり、あなたの後をつけるなどされ ると、一人暮らしの女性であれば当然不安に思うでしょう。そうすれば家に帰る、もしくはもう一度
 自分がアパートに行けば今度は受け入れてくれると思ったかもしれませんな。その不審人物を
 タイチくんにやらせようとしたのです。万が一、警察に通報されタイチくんが捕まったとしても義理の 姉を探していたといい訳ができますからね。きっとその時の対処は二人で口裏を合わせていたと思い
 ますよ。しかしその前にタイチくんは母親が出したカズヤくんの捜索願によって保護されてしまった。 このままでは不審人物の役目を果たす人が居なくなってしまう。しかし自分が名乗り出ると家に連れ戻 されてしまうので、父親にお願いしたのです。『幼いころに別れた弟が自分と勘違いされた。自分が
 名乗り出ると家に帰らないといけないので、カズヤ本人として引き取ってきてほしい』、と。父親は
 もともと捜索願の提出に賛成ではなかったのでしょうな。カズヤ本人として引き取ったなら捜索願は
 役割をはたしたことになりますから、その願いを聞き入れた。そしてカズヤくんは、あなたは来ないと 思い予定していた不審人物をするようにタイチくんに伝えた。まさか保護された当日に決行するとは
 思わなかったでしょうけどね。しかし実際はミドリさんに警察署でもアパートでも顔をみられた上に、 警察に(実際は高坂にですが)通報されてしまった。実は高坂はあの日からアパート周辺の担当警官  に、定期的に巡回するように手配していたのです。自分が保護されたその日から数日間警戒していると わかったタイチくんは、自分の存在がミドリさんにばれていると気づいたのでしょう。タイチくんはカ ズヤくんにその報告したのです。そして殴り合いになってしまった。先程申したように一方的にカズヤ くんが殴ったのであれば、もうカズヤくんの言うことは聞けないといったタイチくんを許せずに暴行を 加えたか、もしくは成功報酬が存在しその請求された金額にカズヤくんが逆上し一方的に殴ったか…タ イチくんにもなにか後ろめたいことがなければあれだけ殴られているのですから、正直に話してくれる と思うのですがね。きっと警察には話したくないことがお互いあるのでしょうな。カズヤくんが警察に 居る時、高坂は何か話を聞き出そうといろんな話題を振っていました。そしてあのツイッターと言う物 を見せられたみたいです。高坂をみてあの仮説話を考えついたのか、もとから考えていてその裏付けし てくれる人をずっと探していたのかはわかりません。しかしあの巧みな文章を見せられた高坂は、あな たの弟さんと家の状況、あなた方の関係性をイメージした。そしてミドリさんとの会話で得た事実を含 めながら仮説をカズヤくんに話したのです。そしてカズヤくんが今まで我慢していたものが、堰を切っ たかのようにその仮説同意し、補足を加えたのなら信憑性は増すでしょう。ほんとまだまだ未熟なヤツ でご迷惑をおかけしました。」
そう一気に説明し終えた二条さんはグラスの水を飲みほした。
「でも、私はあの日会社には元々休みを頂いていて、それを知っていたカズヤが母に言ったみたいなんです。」
「そう言っておかないと高坂の仮説に筋が通らないからでしょうなぁ。」
「それに母も父も高坂さんの仮説通りの人です。なんでも自分の思い通りにする人なんです。私が結局  帰ってきたのだってそうです。」
「それはカズヤさんを取り戻したい為でしょう。美恵子さんはあなたではなく、カズヤさんがあの家に居 続けさせる為にあなたに干渉していたのです。そして父はいつもどおりじっとしているだけで…」
二条さんは最後まで言い終わらずしまったという顔をした。いくら義理の母親でも一緒に
暮らしていた娘自身に興味がないと断言し、なおかつ実の父親を貶めるような発言をする
のは極めて失礼なことだと思ったからに違いない。
私からしたら今二条さんが言ったことはすべて事実だから気にもならなかった。
「カズヤは何がしたかったのでしょう。」
「最初に述べたようにあなたと暮らしたかったのです。現に今あなたの部屋にいるのでしょう?
 母親の性格を利用し、父親がことを荒立てたくないことをいいことに、自分の純粋な願いを
 成就させた。それには高坂のはやとちりも原因ですので、本当に申し訳ないのですが…」
ここのカフェはガラス張りになっていて、店内からでも街灯やいろんな建物がみえる。薄暗くなりそれらにポツポツと灯がともる瞬間を私は話を聞きながらみていた。
「ケンカの調書作成とかで弟さんをあなたの部屋から離すことは可能です。まぁばれたら始末書どころで はないですがね。その間に引っ越しされるとか…部下の不始末は上司として…」
「そこまで無理をしていただかなくても大丈夫です。私はカズヤと暮らしていきます。」
「しかし…こうなったのも…」
「そういうことではありません。確かに一緒に暮らすきっかけの一つが高坂さんの働きだったのは事実
 です。でも私はもうカズヤを受け入れてしまっています。あの家にはなんの思い出もありませんが、
 カズヤがしでかしたことや一緒に暮らしていた思い出が、この数日に沢山思い出してきました。
 高坂さんの話と二条さんの話のどちらが真実か、私にとって重要ではありません。どちらにせよ
 あの子は私をそこまで必要としてくれている。昔の私ならそれを受け入れなかったしょう。でも今は違 います。自分でも上手く説明できないのですが、私はその気持ちを大切にしたいのです。」
自分でも何をいっているのかも、今まで通りの生活に戻るならもう今しかないということもわかっているが、これでいいと自分の道を決めた。二条さんここまで私の考えをかえさせたものが何なのか検討もつかないようで、少し口をあけ眉をひそめ私を見つめていた。二条さんにとっては気まずい沈黙をけたたましい携帯電話の音が切り裂いた。二条さんは我に返り慌てて携帯にでた。緊急の用事だったみたいで電話を切らずに私に話し始めた。
「こちらからお呼びしたのに申し訳ございません。では何かお困りでしたらいつでもご連絡ください。」
上着を着る間もなく店を出て行った二条さん。私はもう一杯コーヒーを飲むことにした。

 カズヤと私は同志だ。私は家族を実感しないまま育ち、カズヤはあの母親から歪んだ愛情を受け育った。正しい愛し方を知らないまま、なぜ自分がこんなにも乾いているのかわからず私は深い絆を避け続け、カズヤはそれを追い続けた。これは思い込みの激しい私の仮説だが、高坂さんがいっていた母の家族論はきっとカズヤのものだろう。少なくとも姉と弟の理想はカズヤの意見だったと私は思う。そしてケンカの理由がなんとなくわかった。これこそ思い込みかもしれないが、カズヤは自分が怪我をしたら私が心配して飛んで来ると思ったのだ。しかしそんな勇気はないから酒に酔いタイチくんに無理にケンカをふっかけた。もしかしたら自分を殴れと言ったかもしれない。当然ずっと離れて暮らし、ほとんど兄とも思えない人といきなり殴り合いになるはずがない。カズヤは殴られたら殴り返してくるだろうと考え、タイチを殴り続けたに違いない。まったく浅はかな弟だ。ケンカの理由を言いかけたあの言葉の続きはこうだ。
「だってねぇちゃんが来てくれると思ったから。」
高坂さんと二条さんからしたらなんて滑稽な家族に見えただろう。父は強制せず何もせず、家族それぞれの間違った愛し方を受け入れることが愛と考え、妻は自分の為にすることが結果的に家族の為になると信じ込み何もかも押し付ける、弟はその両親の考えに反発しながらも同じものに染まっていく。そして姉である私はそんな弟を拒否し続けながらも深く愛していた。きっとカズヤを迷路の果てから見つけ出し、行先を導いた時からずっと。彼もきっとそう感じていたに違いない。それでも私はずっと私の中で広がるカズヤに対する愛情を拒み続けた。あの歪んた父や妻と一緒になってしまいそうだったから。しかし押さえつけられた素直な愛情はいつの間にか心の中で闇のように真っ黒になり、私の中で広がり続けた。カズヤが私を必要とすればするほどその闇は黒さを増し、今や私そのものになってしまった。あの子の愛を受け入れられるのはこの闇だけ。さぁ帰ろう。カズヤがまっているあの部屋に。この狂気的な愛を理解し合えるのは私たちだけだ。

狂気的な愛

狂気的な愛

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-11-20

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著作権法内での利用のみを許可します。

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