香りのない花

私が初めて書いた小説です。本当に短いのでお時間ある時に気軽に読んでみて下さい。
小説家になろう でも掲載中です。

電車のドアが開くと同時に電話を取り出す。コール音を聞きながら腕時計に目をやると約束の時間になっていた。夕方になるとこの駅は曜日に関係なく人があふれかえっているが、今日は特に人が多いように見える。コール音が途切れ、相手の声が聞こえない内に話始めた。
「悪い。今着いたんだ。あと5分もかからない。」
人をよけながら走っている俺の声に気を使ったのか、意外な返答が帰ってきた。
「いや、いいよ。むしろ歩いてきてくれてもいいぐらいだ。」
とはいえ約束にこれ以上遅れるのも申し訳ないのでそのまま走り続けた。

 高田はおれが大学院生だった時の後輩だが、それも十二年も前の話で今では友人だ。お互い独身だが仕事が忙しく、年に一、二度くらい飲みに行く程度だ。いつもどちらからともなく誘うのだが、今回は違和感がある。場所も時間も店まで高田が指定してきた。いつもなら仕事終わりになんとなく集まっていたのに、二週間も前からメールをよこした。――もしかして結婚するのか?まさか今日婚約者を連れてくるのか? いろんな憶測をしながら一日過ごしていると、会社に出るはずだった時間がとっくに過ぎてしまっていた。
 待ち合わせていた場所に着くと、高田が電話しながらこちらに寄ってきた。仕事と思ったがどうも違う。
「ああ。じゃあ店で」
やはり今日誰かが来るのは間違いないらしい。あまりマメで無いこいつがキチンとしているときはいつだって何かあるに決まっている。俺の視線からすべて悟ったように高田が話し出した。
「誰か呼ぶと前もって言ったら来ないだろ?それとも人見知りは治ったのか?」
「まさかお前の恋人じゃないだろうな。だったらお前らだけでいいだろ。」
少し笑いながら惜しい! とだけ答え俺たちは店へと移動した。女には違いないみたいだ。しかし食事は二回目で、その女が連れてくるもう一人の女にはあったことも無いらしい。おそらく女っ気のない友人に誰か紹介してやりたい、とでも言って次に会う約束にこぎつけたのだろう。しかし学生の時から女の絶えなかった高田が、そこまでしないと会えない相手に少し興味がわいた。結婚適齢期であろう並み以上の男の誘いに中々乗らなかったその女に。

 店は若い女性客が多く、店内もピンクやオレンジなど暖色系にまとめられているのに対し、黒に近い紺色のスーツを着ている俺は葬式帰りのような格好でなんとなく肩身が狭かった。高田は明るいグレーのスーツでちゃっかりキメていた。席に案内されると同時に女二人が店内に入ってきた。どうやらあの二人みたいだ。
「はじめまして。香月舞です。」
少し緊張した笑顔で挨拶した彼女がコイツのお目当てみたいだ。高田の息遣いが変わったのを肩で感じた。ダイヤのピアスに負けない輝きのある笑顔は誰でも好きになってしまうだろう。細いチェーンのネックレスは彼女の細い首をより一層華奢にみせ、この店のように温かみのある薄いピンクのカーディガンは肌の白さを際立たせた。しかしここでなぜ彼女が高田の誘いに乗らなかったのか、その理由が解る。どう見ても若すぎる。高田はおそらく33歳ぐらいだが、この女はどうみつもっても25歳くらいにしかみえない。おじさんから言い寄られても、迷惑以外なにもないだろう。こんな店まで予約して頑張っても、無駄ではないかと思い始めると俺は帰りたい思いしかなかった。
「南です。」
隣にいた女が挨拶した。少し笑っても奥歯まで見えそうなくらい口が大きいが、決して活発でも下品でもなく、むしろ気品すら感じる笑顔だ。長い黒髪が綺麗で紺色のワンピースからは白く細い脚が伸びていた。アクセサリーは付けていなかったが、無駄に着飾るよりこの方が彼女の魅力が最大限に引き出されているように思えた。しかしこの女には何かたりない。モデルのようなスタイルと華やかではないが整った目鼻立ちは目を引くが、男を駆り立てる物がない。人を惹きつける様な甘い香りも蜜も無い、それでいて美しい花のようだ。そして老けている訳では無いが香月さんとは同じ年には見えない。俺の年齢に合わせて会社の先輩を連れてきたのだろうか。
「初めまして高田です。こちらは友人の日吉です。」
俺はどうも、とだけ挨拶をした。これ以上話さないだろうと察した高田が手慣れたように俺の自己紹介までする。
「こいつとは学生からの付き合いで、仕事は建築関係で年齢は34歳……」
なんとなく張切っているその姿がピエロにも見えてきて、俺まで恥ずかしくなった。三十代半ばの男と二十代半ばの女性との会話が弾む訳もなく、このテーブルのせいで店全体が静かになっていく気すらしてくる。俺と南さんはほとんど話さないのでコイツと香月さんが当たり障りない話を繰り返している。
どうやら香月さんは高田が務めている会社の子会社の新人らしく、会合などで何度か挨拶した程度で食事をしたのはこれが初めてとのことだった。話を盛るコイツの悪い癖だ。きっと立食パーティーでの挨拶が一回目とカウントされているのだろう。
「南さんは香月さんと同じ職場ですか?」
「ええ、まぁ」
となんとも曖昧な答えが返ってきた。あまり深追いしてほしくなかったのか、話題を変えられてしまった。
「それより建築関係ってどんなお仕事ですか?現場のかた?」
やせ形の体格と服装をみてなぜ現場と思ったのか解らないが、適当に仕事の内容を説明した。そうなんですか。と納得してみせたように返事をしてから、彼女はまた話さなくなってしまった。不思議な人だ。この年齢で 不思議ちゃん を狙うのなら痛々しい。しかし彼女からはそのあざとさは見えない。巧妙に隠されているのだろうか。などと考えていると俺は彼女をずいぶん見つめていたらしく、愛想笑いとは程遠い笑顔を見せながら話し出した。
「ご自分の経験と、見た印象、こうであるはずと言う偏った常識からかけ離れている人間に会うと、皆そのような顔つきになりますね。」
一瞬何を言い出したのか解らず誰が次に発言するか待っている状態だった。酒で和みかけた場は一転し、またあの静けさが戻ってきた。
「なになに~なぞなぞかな?」
高田のピエロっぷりに拍車がかり、もはや恥もなくただ哀れさだけが残った。
「あなたならお解りですよね?日吉さん。」
ジロジロ見てしまったことに対して怒らせてしまったのかもしれないと思い謝罪しようとしたが、彼女からは怒りどころかこの店に来てから一番楽しそうに眼を輝かせていた。
「経験とそれまで培った常識に照らし合わせて物事を考えることは、だれでも無意識にする作業だと思いますよ。年齢を重ねればなおさらだ。」
いつもは初対面の人間と口をきかない、ましてや論議なんて交わすはずもない俺を高田は珍しそうに見ていた。
「私もそうですよ。ただ日吉さんはあまりにもそれにとらわれすぎて、目の前のことが見えていらっしゃらないように思えたので。」
意味が解らない。何を意図して俺に警告のようなことをいってくるのか。来たからには空気を悪くしたくなかったが、そもそも俺は来たくてきたわけではない。高田の口実に巻き込まれる上に、訳の分からない女の相手をするほど俺は暇じゃない。そんな不満が顔に出ていたのか、高田が申し訳なさそうな作り笑顔をみせた。香月さんも自分が連れてきた女がこのような発言をするとは思わなかったのか、その大きな瞳がきらめきながら行き場を失っていた。この空気をなんとか取り繕うと言葉を探すが、俺の引出しにはそもそも気の利いたものなんて備わっていない。それでも何かあるはずと妙な期待感を持ったまま作業を進めるが、気まずい沈黙だけがそこに横たわっている。実際は数秒だったのだろうが、数十分にも感じる沈黙を彼女が破った。
「失礼なことを申し上げました。高田さんが折角ご用意してくれたお食事会なのに、お気遣いまでしてい下さいまして、本当に感謝しています。舞は私を同行させましたが不要だったみたいですね。高田さんはとても紳士な方です。」
この言葉で彼女の意図がわかった。
 親会社の良く知らない男性の誘いを無下には断れず、いかにもチャラそうで信用もない男と二人で会うのは危険を感じた彼女は、同行者を連れてくることを提案したのだろう。高田も彼女の考えを察して、俺を同行させた。見た目はいかにも真面目そうなこの俺を。口数の少ない人間の言葉には重みがあり、またそれが信頼できる真実だと錯覚させる。俺の口から高田の真面目さや、見た目から誤解されがちだが誰よりも誠実であることを語るべきだった。彼女のぴったりはまった疑心のパズルのピースを一つでも取り除き、高田という男を理解するきっかけになるピースを提供するのが俺の役割だった。高田もきっとそれを狙っていたはずだ。交友関係が広いこいつがわざわざ俺を選んだ理由がそれ以外に見当たらない。恥と哀れみを込めた視線をアイツに送っていた俺を南さんは見ていたのだろう。そしてその視線こそが高田を哀れなピエロに仕立てあげてしまったに違いない。昔からがさつで、女に苦労していない軽いタイプという俺の認識が、高田をピエロにしてしまっていた。彼女が高田を紳士だといったのは、自分を犠牲にして馬鹿に見せることで場を和ませるだけでなく、見るからにこういう場を得意としない俺の負担を、少しでも減らそうとしているように見えたからだろう。おそらくこの中で年齢が一番上の俺が、幼稚な駄々をこねているのではないかと思い始めた。気の利いた言葉は結局見つからないままだが、俺はせめて大人になろうと思った。
「こちらこそ失礼いたしました。俺はいつでも高田に頼ってしまうのですよ。コイツは昔から自分を顧みず、その場にいる人間を幸せにしようと努力しすぎるんです。安心して甘えられる女性が見つかればいいですけどね。」
と高田を見習い、笑顔でいってのけた。南さんは満足げに俺をみてから香月さんに笑顔をみせた。ケンカしたわけじゃないから安心して、とアイコンタクトを送っていたようだった。香月さんの高田に対する印象が変わったのかは解らないが、彼女の顔からは緊張がとれたように見える。もしかしたら高田とは仕事の一環と考え食事にきていたかもしれない。仕事仲間と初対面の人間に囲まれても一生懸命対応する新人らしい笑顔だった。しかし今はプライベートな顔を覗かせ、高田への警戒心も薄まっているようだ。何より、先輩女性社員から紳士だと太鼓判をおされたのならなおさら安心するだろう。
「高田さんはうちの会社で実は有名なんですよ。仕事が早いって。そのぶん女性に対しても手が早いってことも。」
と目を細めて香月さんはいった。手が早いのはおそらく事実だろうが、一応否定することにした。
「仕事以外はシャイなヤツですよ。女性の気持ちを考えすぎて何も進展しなかったこともあったくらいですから。」
香月さんは意外と独り言のようにつぶやき高田を見つめた。高田はいかいにも恥ずかしいというような反応をしてみせて、香月さんの笑いを誘った。
 この会話が高田に自信をもたせたのか、大胆な提案をしてきた。
「日吉は南さんと話があいそうじゃないか。女性でお前の話を聞いてくれる人なんて滅多にいないぞ。二人で飲みなおすなんてのはどうだ?」
話があいそうと言うほど言葉は交わしていないが、確かにこの場で香月さんとの次の約束は取りにくいだろうなと考え、話を合わせることにした。
「お時間があるならコーヒーでもどうですか?あんまり酒は強くないので。」
彼女は俺に返事をせず香月さんに言葉をかけた。
「せっかく誘ってもらったから舞は高田さんに送ってもらいなさい。」
首を縦に大きく振った瞬間、高田の動悸が聞こえる様だった。その後テキパキと高田は店を出る準備をしてあっさり二人とは解散となった。

 店を出てから本当にコーヒーを飲みに行くのか迷っていた。あの二人が見えなくなってから彼女が話し始めた。
「どこか美味しい所しっていますか?」
意外な言葉だった。勘がいいであろう彼女にはあの二人の為の誘い文句を、本気にうけとるはずがない。
「え、えっと……」
なんとも情けない声がでてしまった。彼女は少し笑うと
「話を合わせただけだったとしても、初対面の人とお話しするチャンスは逃したくないと思ったのです。実際あなたは私との会話で高田さんの見る目がかわったんじゃないですか?」
と自慢げにしていた。その顔には出会った当初感じた気品さはなく、これから未知なる冒険に出かけようとする少年のような笑顔がこぼれていた。彼女に香りがないなんて勘違いだ。嗅いだことのない香りを、俺は受け入れるどころか無いものにしていただけだったのだ。

この食事会の記憶も薄れたころに、高田から誘い電話がきた。俺はあれ以来、極力固定概念をすて目の前の人間と接することにしている。
「また俺を持ち上げて下さいよ。先生!」
こいつは俺をつかって自分を良く見せようとする嫌な奴だ。

香りのない花

香りのない花

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-11-20

Copyrighted
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