西瓜とぞんび

 外はうだるように暑く、酷く臭った。街も空も一寸先も、何もかもが悪質な老廃物になったような臭いがしていた。ぞんびの残骸が、アパートの玄関先に放置されたままだったからだ。
 私があからさまに顔をしかめていると、「ほら忘れてるよ」と言って、ふゆみが脱臭炭マスクを私に渡した。ふゆみはマメな性格で、教育学部で、お母さんみたいなので、ふゆみと一緒に生活していると私は、寝起き、泥酔時などにふゆみをお母さんと呼んでしまうことがある。
「どうりで。ありがとう。夏だね嫌だね」
 マスクを付けると、内側がすぐに汗で蒸れた。最低の気分だ。私の眉間のしわの深さを、ふゆみは半笑いの表情で見ていた。

「そんなに酷いの?ぞんび臭」
「うん。すっごく臭い。こう、脳をがばっと裏返されるみたいな臭い」
「え、全然わかんない」
「わからない人には、わからないし、そういうもんです。それでいいんです、うらやましいよ!」
「た大変だねー」
「ははは」
 私とふゆみは時々友人の実家の畑に行く。そして野菜をもらう。今日は西瓜を貰いに行くのだった。夏のアスファルトはお祭り屋台の鉄板みたいで、バス停に向けて歩いているだけで腋汗がとめどなかった。
「迷いインコ探しています」という張り紙がされた電信柱の影に、真っ二つになったぞんびの頭が落ちていた。目で見る前に、当然臭いでわかった。私がほぼ無意識に車道まで膨らんで歩くと「あぶないよ」とふゆみが私を抑えた。生来の自堕落とぞんび臭がわかるせいで、こもりがちの私を、外に連れ出して、色々とかまってくれるふゆみは、本当にお母さんみたいだなと思った。胸の中が申し訳なさでいっぱいになった。
「か、かたじけねえ」
「いいよいいよ」
「あはは、しかし暑いね」
「ほんとにねー、あー日差しが」
「ふゆみさ、西瓜楽しみにしてたけど、そんなに好き?」
「夏は西瓜だよ!これは譲れない。でも、ちょっと今回は、しんどそう。西瓜重いし。私たち現代っ子は足腰が弱いし」
「そーだね。熱中症対策、とらないとね」
「塩水がいいんだっけ」
「麦茶に塩入れるといいらしいとか」
「飲んだことある?それ」
「ない、夏はポカリおいしいよね発汗量に比例しておいしいよね」
「おいしいよね、あれなんなんだろね」
 私はふゆみと普通に会話をした。頭の中はぞんび臭で一杯だったけど、そのことに普通の人であるふゆみを付き合わせるのは人としてどうかと自制した結果、ぞんびのことは臭わせなかった。普通の人には、ぞんび臭は全然わからないものなのだ。しかし私はなぜか、その酷いぞんび臭がわかってしまうのだった。

 カツラの広告が背もたれに貼られたバス停のベンチの下に隠れるように、ぞんびの下半身が落ちていた。私は臭いですぐに気付いたが、ふゆみは気付かずに、ベンチに座った。
「そのさ、普通に座ってるとこ申し訳ないんだけど、ぞんび落ちてるよベンチの下」
「え、嘘、あ!ほんとだ!」
「ぞんびの臀部だね、尻」
「なんでこんなとこに」
「どこにでもあるから困る」
 ふゆみはぞんびに、一度だけ浅く驚いてベンチから腰を浮かせた、だが結局そのまま座り続けた。私は、時刻表と仲良く直立していた。遠巻きでいないと、臭くてしょうがなかった。
「残骸はよく見るけど、動いてるのって見ないね」
「動いてるのは、片っ端から片付けられるからね、ヤンキーとかに」
「触るのもちょっと抵抗あるけど。ぞんび。もの好きがいるんだね」
「ほんとそうだねー」
 
 バスは数分でやってきた。小銭を払い乗車し座席につく。車内には夏休みだからなのだろう、やけに子供たちが多かった。
 笑い合いふざけあう声が響いていた。意味もなく苛立ちが湧きあがった。「こっちの気も知らずはしゃぎやがって」と口に出そうになるが、すぐに抑え込んだ。子供たちには何の罪もないのだ。悪いのはぞんびと、その臭いを感じとる私なのだ。私は窓枠にひじを置き、頬杖をついた。景色が流れていくのを横目で見ていた。
 ふゆみは塾講師のバイトの話をはじめた。私は、それをふんふんと適度に頷きながら聞いていた。窓の外で夏の熱気で揺れてみえる景色が映っては消える。
「今が一番忙しい」
「忙しそうだもんね」
「夏休みは、生徒の学力メキメキアップさせなくちゃいけないもので」
「学力メキメキアップさせなくちゃいけないよね、夏休みは」
「教えるのは好きだから、充実してるっていってもいいのかもしれないけどさ」
「充実してるならいいじゃん」
「夏休みなのにバイトに明け暮れてるだけってのに、ふと気付いた時にちょっと虚しく」
「虚しくないとおもうけど」
「そうかな」
「そうだって」
 私がふゆみの方を見ると、ふゆみは脱皮する前の蟹か何かみたいに、そわそわしているように見えた。しっくりきてない感じだった。ふゆみは空中に向けて言葉を投げだした。
「私はたぶんこのままこんな感じで生きていくんだろうなって思うんだよ。なんかさ、思ってたよりありがちだなあ自分って」
 私は、スケジュール帳を先々までびっしり予定で埋めないと気が済まない、ふゆみの横顔を見て、餅みたいな頬してるなあと思った。
 
 ふゆみへの気のきいた返答を考えていると、どん、という鈍い音がして、その後、子供たちの歓声があがった。私の視界を大きな鳥のようなものが横切って飛んで行った。それは千切れたぞんびだった。バスがぞんびを轢いたのだった。よくあることだった。
「ぞんび!スゴイぞんび!バラバラになったぜ!」
 子供たちは無邪気にはしゃぎ、バスは何事もなく進み続けた。バスは正面からぞんびを轢いたようだったが、このようなことを想定済みの特殊強化ガラスには、かすかに肉片の汚れがついただけだった。その汚れはすぐにワイパーに拭われた。
 「人生何が起こるかわからないよ」と私は言ってみたが、ふゆみは私の言葉に納得したようには、とても見えなかった。

 バスから降りたところで、吐きそうになった。ぞんびの臭いがどこかに固まって淀んでいた。私の顔を見てから、ふゆみは事情を察し、あたりをきょろきょろと見まわし、ぞんびを探した。だが、私にもそれは見当たらなかった。大型家電量販店と、チェーンのハンバーガー屋、ラーメン屋、そしてぽつぽつと残された畑。そんなすっかり見慣れたものたちが私たちの周囲にあるだけだった。
「歩ける?」
 私は返事をする代わりに、逃げるように早足で歩きだした。私は結構な距離を無我夢中で歩き、それから振りかえった。やってしまったと思った。ふゆみはついてきてくれていたが、隣にいたわけではなかった。ふゆみは「臭いが酷くて頭痛いだの吐き気がするだの、お前言うけどよ、こっちにはそれ全然わかんねえんだよ」という表情で、私に距離をとり優しくいたわっていた。
 
 気まずかったので、私はふゆみにもわかるであろう夏の暑さにうらみごとを吐き続け歩いた。
「暑い暑い。いやあ暑い。日差しがヤバイ。去年も暑かった気がするけど、一年経つと忘れちゃうよね。早く冬がくればいいのに。でも冬になったらなったで寒い、夏早く来いとか言うんだろなあ。まあともかく問題は今だよ。今私は、ほんと暑い。死ぬ。焼け死ぬ。茹でダコになる。地球温暖化はよくないねほんと。みんなでクーラーを使うのをやめて、打ち水をすればいいんだ。そうだよ暑い。誰か助けて。妖精たちが夏を刺激するよォ」
 私が饒舌になる時は、どちらかといえば後ろ向きの感情に支配されている時だと、ふゆみはたぶん知っている。しかし、私には他のやり方がなかった。でもそうやって喋って歩いているうちにぞんびの臭いは遠ざかっていったのは幸いだった。

 ぞんびのことは、今まで、あまり気にしたことがなかった。おじいちゃんやおばあちゃんは、昔はぞんびなんかいなかったと言うけれど、私が生まれた時には、もうぞんびは普通に街に転がっていた。私にとってそれは普通の風景だった。ぞんびは普通の人には、人に似た無臭の肉塊で、どこにいようと特に意味はなかった。
 ぞんびははっきりいって弱い。噛まれたらまずいことになるらしいが、動きは冬眠している亀のように遅い。体ももろい。ちょっと押すだけで、手足はちぎれ、ばらばらになる。豆腐みたいにやわらかい。中学生でも倒せる。もの好きな人だけが、ぞんびなんかを気にするのだ。その一般的な意見を、私も以前までは持ち続けていた。
 しかし私は、ぞんびの酷い臭いがわかるようになった。考えは変わった。

 
「今年の西瓜はわりといい」
 フランス文学科で農家の娘のリエは他人ごとのように言った。私とふゆみは早くも疲れていた。
 西瓜畑は大規模な家庭菜園程度の大きさだったが、転がっている西瓜はどれも中身が詰まった立派なものだった。その重さに私たちの腰は悲鳴をあげていた。とはいえ西瓜畑には、ぞんびの臭いはしていなかった。余計なことを考えずに済むというのは、とてもよかった。
「食べてっていい?」ふゆみが聞くと、リエは「いいよぉ」と間延びした声で答えた。
 今まで何度かこうやって野菜や果物を貰ってきたが、ふゆみがすぐに食べたがるのは初めてだった。少し意外に思った。
「い、今から食べるの?」
「だって西瓜だよ?食べてこうよ」
 ふゆみは変に張り切っていた。ふゆみには、自分ルールで決めた年中行事をなぞるのが好きなところがある。恵方巻きとか絶対食べる。これもそれだと、私は思った。
「いい?」
 私もリエに聞いた。リエは私のような素人から見ても一番いい感じでしましまな西瓜を選んで、それを抱上げた。
「食べていきなよ。おいしいよ」

 部屋を見れば、たいていそこに住んでいる人の姿が頭に思い浮かぶ。その姿は、おおむね当人とぴったり被さる。でも、リエの部屋と今のリエは、その関係を持っていなかった。ちぐはぐだった。
 リエは農作業着を着ていたが、マネキンのような顔つきに、全く似合っていなかった。そして、リエの部屋は、農作業着を着ている人間の部屋には思えなかった。リエの実家は、二階建ての日本の典型的な農家の家だった。一階では、親切で朴訥としたリエの家族が私たちを出迎えてくれた。だが階段を登った二階の一室、リエの部屋はフランスだった。家具、電燈、雑貨、本棚、すべてがフランスだった。アンティーク家具のテーブルは、フランスパン以外のものを置くことを許しそうになかった。そこに切り分けられた西瓜が並べられていて、私はおっかなびっくりに西瓜を手に取った。 
「いただきます」と私とふゆみが言うと「どうぞ」とリエは答えた。リエは西瓜を食べようとはしなかった。
「ああ、西瓜だ。これだよこれ」ふゆみはわざと中年男のような口調で感嘆をもらした。
 私も西瓜を食べた。みずみずしくて、甘くて、懐かしい味だった。
「西瓜食べなきゃやってられないよ」
 ふゆみは、やけにがっつくように西瓜を食べていた。落ちつきなよふゆみ、と声に出そうになった。やけ食いだ。ものを食べている時、時々、ふゆみは私の知らない人のようになることがあった。何か、種をかじるハムスターのように、小さく閉じた、必死な感じがしていた。私も少しだけ、ふゆみにあわせ西瓜を食べるペースをあげたりしてみたが、私はふゆみのように必死にはなれなかった。
「夏はキツイよね?ぞんび」
 私が西瓜から取り出した真っ黒な種をお皿に並べていると、リエが私に打明けるように話しかけてきた。 
「え、あーうん。外歩いてるといつも吐きそう」
「そうだよね。私はもう、すっかりぞんびの臭いがわからなくなったけど、その吐き気のことは知ってるよ。自分だけが苦しめられている気がして、その原因が他人には全然見えなくて、平気だろしっかりしろってみんながみんな言って、何をしてても一人で惨めな気持ち」リエは流暢に喋った。私はなぜか、それがフランス語に聞こえたが、リエの言ったことはちゃんと日本語だったし、ぞんびの臭いがわかる私にとって、共感できるはずのことだった。
「…まあ確かに惨めだね。うん。ぞんび臭、わからなくなるといいんだけど」 
「わからなくなるのは簡単なことだよ」
 カタログのように完璧な笑顔をリエは浮かべていた。さっき一階で会ったリエの親に、リエは全然似ていなかった。
「向こうで生活して、戻ってきたら、ぞんびの臭いは消えたよ。きっぱり」
「フランスだよね。フランスのぞんびは臭わないの?」
「ぞんびはいるけど、臭いはしなかった。ぞんびの臭いを消したいなら、自分を知っている人のいない国に行けばいいと思う。どこでもいいから」
「インドとかでもいいの?」
「きっといいと思う。どこでもいい。ただ、ぞんびの臭いが消えても、実際何も変わらないよ。ぞんびは消えないし」
「臭いは消えるんでしょ」
「臭いは消えるけど。でも無くなってみると、なんというか、なんだろう」
 リエはそこで少し黙った。視線を泳がせて、部屋に飾られた絵を見たり、西瓜を食べるふゆみを見たり、自分の手元を見たり、時計を見たり、私を見たりした。その後、低い声で呟いた。
「今は、自分が自分じゃないみたいな、何だか、まどろっこしい毎日、そういうのが続いているだけ」
「そんなこと言われても、そんな境地にも辿りつけそうもない今の私は結構毎日吐きそうで辛いんだ」と言いたくなった。私はリエの言葉を聞いて、自分の内側からドロドロした情念が染み出るのがわかった。でも、自分の辛さを自慢するような人間には絶対なるまいと自分で決めていた。自分勝手な告白も共感も嫌だった。感情を抑えつけていると、感情は私の内側を削り、私の心には、ぽっかりと穴が空きそうになった。私は手に持っていた西瓜をかじった。自分の歯型がくっきりと残った。私はそれをまじまじと見て、なぜか笑ってしまった。ふゆみは相変わらず西瓜をむさぼっていて、それも可笑しかった。
「落ち着きなよふゆみ」
 必死で西瓜を食べているふゆみは、私には何だか羨ましくも思えた。


「ちょっとお腹痛い」
「あんなに急いで西瓜食べるからだよ」
「でも、甘かったし、その」
「だからってあんなに」
 帰り道を歩くふゆみは、ぞんび臭のわかる私より深刻そうな顔をしていた。ふゆみは、リエの家を出て、バスに乗っているまでは「西瓜おいしかったね」ということを上機嫌で繰り返していた。だが、家の近くまで帰って来たところで、腹痛を訴え出した。
「そっちの西瓜も持とうか」
「え、いやそれはいいよ」 
 顔色の悪いふゆみは、素気無く返事した。ビニール袋に入った自分の分の西瓜を渡そうとしなかった。その身振りから、案外たいしたことない腹痛なのかなと、思った。しかしやっぱり顔を見ると、明らかに調子が悪そうで、私にはふゆみの苦しみがどれくらいなのか、いまいちわからなかった。どう扱っていいのか、わからなくて、私は「大丈夫?」などと適当に言って、ふゆみをいたわっていた。ふゆみは、青ざめた顔で、でもどこか充実した表情を浮かべていて、私は不思議だった。
「何、どうしたの」私が尋ねると、ふゆみは、おばあさんのようにゆっくりと話しだした。
「気持ちが悪くなるくらい、ものを食べると、たいていの嫌なことが忘れられるからいいね」 
「嫌なこと、あったの何か」
「私にも、嫌なことぐらいありますよ」
「なんで敬語なんですかね」
「ははは」

 アパートまであと数十メートルというところで、急に吐き気が来た。話どころではなくなった。私はその場にうずくまって、吐き気を抑えた。酷い臭いだった。胃液が喉まで来ているのがわかった。脂汗が止まらなかった。
「ヴ、アァァ、ァァ…」
 目の前を、一体のぞんびが歩いていたのだった。ぞんびは、私たちがごくたまに使うクリーニング屋の曲がり角から出てきた。ふゆみはびっくりして、手に持っていたビニール袋に入った西瓜を、振りまわした。ぞんびはビニール袋に入った西瓜に引き寄せられるようにずるずると近づいてきた。
 私は息も絶え絶えで顔をあげた。その一瞬、ぞんびと目があった。ぞんびは、打ち捨てられた深海魚みたいな目をしていた。不意に、ぞんびも壊される時に痛いと感じるのだろうか、と考えたが、それは確かめようがなかった。絶対にわかるわけがない、と思った。
 振りまわされるビニールに入った西瓜に、ぞんびは勝手にぶつかった。
 西瓜を叩きつけられたぞんびの頭は、スローモーションで砕け散った。その光景が私の目に焼きついた。粉々になったぞんびの破片は、あたりに散らばり、アスファルトやブロック塀に張り付いた。頭を失ったぞんびは、仰向きに静かに倒れ、ぴくりとも動かなくなった。強烈な臭いだけが残っていた。ふゆみの持つビニール袋は、ぞんびの破片でかなり汚れたが、西瓜には傷一つついていなかった。
「大丈夫?すごいねぞんび。びっくりした。お腹痛いのとか全部吹っ飛んだ。ああ、この西瓜もう食べられないかな」ふゆみは少し混乱していた。お腹痛いのが吹っ飛んだのは良かったなあ、と私は思った。
「無理」 
「そ、そうだよね。はやく帰ろう」
 私は息を吐いた。肺の中がすっかり空っぽになったのを感じた。ぞんびの酷い臭いは変わらずそこにあったが、その場にうずくまり続けるわけにはいかなかった。だから、夏の夕暮れの中、私は最低な気分で立ち上がったのだった。

西瓜とぞんび

西瓜とぞんび

女子大生が西瓜食べてゾンビと戦う夏の話です。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-11-16

Copyrighted
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