その日、枯れた花の名は

萌芽つゆり

その日、枯れた花の名は
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 向日葵はどんな子かと聞かれれば、僕は、ヒマワリのような子だと答えるだろう。別名日輪草。高さは三メートルくらいまで生長し、夏には大きな黄色い大輪を咲かせる。漢字で書けばそのまま彼女の名前になる、その花の名。由来は、太陽の動きを追うように花が回る(実際のところ、それは生長が盛んな若い時期だけらしいが)といわれたことだと云う。ヒマワリの茎の上部の葉は太陽と正対してその陽光をめいっぱい浴び、朝は東に、夕方には西を向いて、そして夜が明ける前にはふたたび東を向くんだとか。そんなインターネットの情報を得意げに教えてくれた横顔を思い出す。
 頬から顎にかけてのシャープなライン。そこで揺れる艷やかなボブカットの黒髪。奥二重の目。すっきりと筋の通った鼻。仰月型でやや厚みのある唇。記憶の中の彼女は大抵横顔だ。それは、僕が彼女の横にずっといたからに違いない。
 僕と葵の関係を端的に言い表すとすれば、幼馴染みが一番適当だと思う。はじめまして、は小学校に上がる前――彼女の一家が引越しの挨拶をしに来た時だ。その日は雲ひとつない、どこまでも真っ青な夏空が広がっていて、その下で、眩しいくらいの笑みを浮かべた彼女を僕は直感的にヒマワリと重ねた。その時、その瞬間、密かに胸に蒔かれたあの黒と白のストライプが特徴的な種は、十年と少しの歳月をかけて生長し、今や立派な黄色い花をつけている。ヒマワリが太陽の方角を向いて咲くように、僕の胸の中のそれも彼女をずっと向き続けていた、――本人には全くもって気付かれていないが。だけど、それでも構わなかった、何故って、物理的にも心理的にも僕が彼女に一番近い存在だと知っていたから。彼女の周りにいるクラスメイトやどんなに仲のいい友達、後輩、先輩よりも、僕らは会話をし、トピックを共有し、共に時間を過ごしてきたということを知っていたから。


  ♥

「キョージさんってスゲェ可愛いよな」
 放課後、不意に三鼓がそんなことを言い出した。まぁ、大抵雑談なんてそんなものだ。特に何の意識もせず彼の口から吐き出された話題に、地田がぴくりと耳を動かす。会話に混ざる気なんてないとか、興味ないとか、そんな表情でオレンジ色の空を眺めているが、その実しっかりと聞き耳を立てていることは容易に見て取れた。
 いつものように蓬田と三鼓がじゃれ合っている(?)のを見ながら、相槌を打つように軽く笑い声を上げると……噂をすれば何とやら。渦中の女子生徒が重たそうな荷物を抱えて歩いているのが眼下に見えた。隣にいるのは同じく日直の浮島で、そのツーショットに、地田は何とも言えない表情を浮かべている。
 直接的な関わりは皆無と言っていいほどの二人だが――席替えで前後左右はおろか、同じグループになったことすらないのだ――、だからこそ過剰なまでに意識し合っているということを、僕は観察眼と洞察眼から得ていた。互いに他人のフリをしながら、クラスメイト以上でも以下でもないと言わんばかりの顔で、相手のことをとても気にしている。それはまるで、互いのことについて周囲に悟られまいと、頑なに外見を取り繕っているようにも見えた。
「そういや、キョージって最近浮島とよく一緒にいるのを見かけるね」
 からかうようにカマをかけると、
「それは二人が同じ委員会だからだろ」
 即座にムッとした声音が返ってきた。そんなに気になるなら話しかければ済むことだろうにと僕は思うが、きっと、彼や彼女なりに思うところがあるのだろう。
 地田とほぼ同時に声を上げた三鼓が、焦った様子で僕を見る。「何だよそれ!おっ、俺は聞いてねぇぞ!なぁ!なぁ!!」
「……あのな、三鼓」僕は溜め息混じりに言った。「お前になんて、天地がひっくり返ったって振り向かないよ、キョージは。男なら潔く諦めろ」
「いくらなんでも言いすぎだろそれ!俺だって夢見る権利くらいあるぞ!」
 ひでぇ!と声を上げる三鼓を置いて、僕らの暇潰しの話題は高嶺の花・鏡二澪になっていた。
 品行方正、文武両道、才色兼備と、人を賞賛するような四字熟語を丸々体現してみせる、彼女。僕は彼女に対して、異性としての興味を露ほども持っていないものの、男女ともに憧れの的であり、同時に(地田も含めて)想いを寄せてる野郎も多いことは知っている。確かに美しいとか綺麗とかいう表現が相応しい美少女であるのは間違いないし、勉強も運動も人並み以上にこなすから、そういった的になるのはごく自然な成り行きだろう。天は二物を与えずなんてことわざがあるが、神様は不平等だなんてこの歳になれば皆知っている。本人が望もうが望むまいが与えられた掌からこぼれんばかりのそれを、持たざる者が羨むのは世の常だ。
「キョージさんかぁ。休日とか何してんだろうな、全然想像つかねぇ」
「お菓子とか凝った料理作ってそう。この前の調理実習の時やばかったもん、手馴れてるっていうかさ」
「あー、そのイメージ分かる。部屋とかめっちゃいい匂いして、白とピンクが基調で、天蓋付きのベッドにネグリジェ着て寝てるんだろうな……」
「お前のそういう妄想ホント気持ち悪い、つーか童貞臭い。だから女子から嫌われるんだって」
 相変わらず、異性に対して夢見る夢子ちゃん状態の友人の発言に呆れながら、僕はそう言った。
「あんまり庶民的な感じしねぇもんな、なんつーか、お淑やかなどこぞの令嬢っていうの?きっと小さいときもそんな感じだったんだろうなぁ」
「そういや、コータの家ってキョージさんと近かったんじゃなかったっけ?」
「おいマジかよ、――コータ。キョージさんってどんな子だったんだ?」
 興味津々といった面持ちで、僕らの会話に混ざることなくぼんやりと物思いにふけっていただろう地田の肩を叩く三鼓。その衝撃で我に返った地田は、言葉で言い表すことが難しい表情を浮かべ――、そしてそれを瞬間的に愛想笑いに変える。
「昔のことは忘れた」
 そう言って曖昧に笑ってみせた地田の声は、少し淋しげで。
 それは、例えば、昔馴染みの店が久しぶりに行ったら潰れてしまっていたとか、何年かぶりくらいに会った人に顔を忘れられていたとか、自分の中の感情がふと気付いたら薄らいでしまっていたとか、当時は変わらないはずだと信じて疑わなかったものが変わってしまったことに対する物悲しさに、月日に置いてけぼりにされていたことに気付いた時の切なさに似ているように僕には感じられた。
 僕もいつか、この気持ちを忘れてしまう日が来るのだろうか。葵に対するこの淡い想いを知らぬまに何処かに置き去りにして、誰かに恋をする日が来るのだろうか。
 そう思うと、何だかとても寂しい気がした。

  ♥

 夕方の色をした校舎は、小一時間ほど前まで何百人もの生徒がいたのが嘘みたいに静かだった。そんな中を、一人、本を携えて歩く。
 葵がたまに図書室に寄ってから帰ることを僕は知っている。僕と同様帰宅部の彼女が今日もそうしているとは限らないが、何となく、そんな気がしたから。本の返却期限が近いことを理由に、僕は友人の輪の中から抜け出してきた。
遠くの方から聞こえる、お世辞にもうまいとは言えない吹奏楽部の合奏をBGMに階段を降りようとしたところで、男女の諍う不協和音が割って入ってきた。
「悪ィ。もう俺、お前と付き合えねぇわ」
「ま、待ってよ!そんな、私……!私はただ、ずっと好きで、大好きで、だから……!」
「そーゆーのが重たいってまだ分かんねェの?」
 言い捨てるように言った男子生徒の声と足音に遅れること数秒、「待って」と女子生徒のそれが続いた。この階段を降りれば図書室は目と鼻の先なのだが、僕は近道を諦め、少しだけ回り道をして向かうことにした。修羅場に巻き込まれるのはごめんだ。
 どうして人は、一度好きになった人を簡単に嫌えたり、蔑ろにできたりするんだろう。ふと自問したそれに、さっき感じた寂しさの理由が何となく分かった気がした。
 僕は言い争っていた彼を知らないが、でも、幾らなんでもあの対応はぞんざいすぎやしなかったか。――僕なら絶対葵をあんな風にしないのにと、リノリウムの床を叩く一人分の足音に紛れて思う。
 思春期で青春期の僕らにとって、男女間で差はあれど、恋の話題はテレビで連日取り上げられる芸能人のスピード結婚や離婚と同じようなものだ。誰々が誰々と付き合ったと風の噂を耳にしたと思ったら、次の日にはもう「なぁなぁ、知ってる?」と破局を知らされる。特にそれに感想を持つわけではないが、もしかしたら、僕が告白しないのはこういったことを無意識的に気にしているからかもしれない。男の僕でさえこの手の話題に事欠かないのだから、女子であればなおさらだろう。まるでとっかえひっかえするように恋愛する彼らと僕を、彼女に、同列に見られたくないのは確かだった。
「あ、シュウちゃん」
 ――彼女の、声がした。
 ちょうど階段を上ってきたところだったであろう葵が、僕を見て笑顔を零す。小走りで駆け寄ってくると「珍しいね、こんなトコで会うなんて」と言った。
 確かに、図書室に行くにも学校から帰るにしてもこの廊下は普通は通らない。だから僕は、密かに口論していた二人に感謝した。あのまま向かっていたら、きっとすれ違っていたことだろう。
「あぁ、うん。でも、それを言うなら葵もじゃん」
 図書室に行ってたの?と柔らかく問うと、彼女は曖昧に笑った。
「今日は結構遅くまで残ってたんだね、シュウちゃん。日直?」
「いいや、ちょっと話してたから。地田とか三鼓とかと」
 何気なく答えたそれに、葵が反応する。「……もしかして、まだ教室残ってたりするのかな?」
「誰が?」
「えっと……ミツヅミクン」
 少し俯きがちでぼそぼそと答えた葵の頬は、西陽を受けてやけに赤くなっていた。僕は胸に投げ込まれたささやかな波紋に気付かないふりをして、答える。
「さぁ、それは分からないけど……多分帰ったんじゃないかな」
 何か用だったのかと問うと、葵が軽く手を振りながら「全然、た、大したことじゃないの!」と言い繕うように言った。
「え、えぇと……学園祭!学園祭のことで!ちょっと話があっただけだから!」
「ふぅん、そう」
 二人分の足音と、葵を想う心臓のトレモロはいつもは心地よく鼓膜を震わせてくれるのだが、――今日はなぜか、とても不快だった。


  ♥

 綺麗な夕焼け空の翌日は晴れるとよく言うが、現実は朝から一日中雨だった。昨夜遅くから降り始めたそれは強まることも弱まることもなく、ただただしとしとと降っている。僕は重たい身体を引き摺るように玄関を出ると、ビニール傘を差した。雨の日は憂鬱になりやすいと聞くから、たぶん、そのせいだろうと結論づけ、意識的に思考を片付ける。
 ――ぴしゃん。
 足元で、水が跳ねる音。どうやら少し深い水溜まりをそのまま踏んでしまったらしく、いやに雨粒を吸い込んだ靴下と制服の裾が気持ち悪い。堪らず身体中の重い何かを吐き出すように溜め息をついたところで、斜め後ろから掛けられた声に、一瞬で気持ちが晴れやかになる。
「シュウちゃん、今帰り?」
 軽く首肯すると、葵が晴れやかな笑顔で言った。
「じゃー、一緒に帰ろっか」
 珍しく彼女の口から誘われ、僕は舞い上がるような気持ちをぐっと堪えて頷く。
 今日の葵はいつにも増して饒舌だった。今日のお弁当に好きなおかずが入っていたとか、小テストのヤマがあたって満点を取ったとか、そんな実に日常らしいささやかな話題を何倍にも膨らまして楽しげに話した。これは何かいいことがあった証拠だ。昔からの癖から察した僕は、彼女と喜びを共有しようと、本当にただそれだけの理由で、尋ねる。「何か、いいことあったの?」
 僕のそれに彼女がご明察とばかりにえへへと笑ってみせた。
 空はどんとりとした灰色にも関わらず、夕焼け色に似た頬を緩ませて、――そして。

「            」

 瞬間、僕らのすぐ側を車がものすごいスピードで通り過ぎる。

 その音に掻き消されて、葵の声は僕の耳に届かなかった。けど、なんて言ったのかは想像できた。口の動きから分かったそれが彼女の声音になって僕の脳内に響く。ミツヅミクンとね、話せたの。

 彼女の言うミツヅミクンとやらが三鼓くんであり、友人の三鼓宗介だと知りたくもないことを脳内回路は一瞬で弾き出した。そして、彼女の喜ぶ理由についても。
 ああ、ああ、どうして僕はこんなによく気が付いてしまうんだろう。敏感なんだろう。聡いんだろう。僕は、僕の性格と観察眼と洞察力を恨んだ。葵と話がしたくて、少しでも気持ちを分かってやりたくて、その結果彼女との付き合いの中で自然と培われていったそれら。相手に敏感になれるのは使い勝手のいい武器にだし、時として最悪な地雷にもなるのだと思い知らされる。今回は間違いなく後者だ。
 僕の荒れ狂うような心中に気付く素振りもなく、葵は数十年一緒にいる僕でさえ初めて見るような顔で三鼓との一件について話し出す。話を要約すると、どうやら、学園祭に向けての買い出しに一緒に行くことになったらしい。言ってしまえばたった数秒で終わる話題だが、明らかに今までの話題よりも描写が事細かく、文量があり、互いの家の前に着いてもなお終わる気配を見せなかった。
「女一人であれだけの荷物は大変だろうからって、三鼓くんが」
 赤い頬をさらに赤くさせながら続ける葵に、僕は無理矢理話を終わらせようと意識的に割って入る。
「まぁ、三鼓はお調子モノだけど根はイイ奴だから」
「うん!私もそう思う」
 肩を竦めた僕に対して、葵が、まるで自分を褒めてもらった子どものような無邪気な顔で笑った。自分で言っておいて何だが、その喩えは言い得て妙だった。子どもは純粋無垢であるが故に、時として残酷だ。――今の葵がそうであるように。嬉しそうな顔で、僕の心の柔らかい部分を躊躇なく抉っていく。
 彼女が家に入っていくのを見送りながら、僕はうまく笑えていただろうかとビニール傘の中で考える。実を言うと、自分でも何を言っているのかほとんど分からなかった。いつもなら葵との会話なんて一字一句覚えているのに、今日はほとんど頭の中に残っていない。唯一こびり付いて離れないのは、皮肉にも彼女の愛らしい肉声として聞いていないもので。

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 恋が終わるときっていつだろう。
 ――それはきっと、今、この瞬間だ。

その日、枯れた花の名は

その日、枯れた花の名は

恋が終わるときっていつだろう。 ――それはきっと、今、この瞬間だ。/ collaboration with 佐原たし

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