日常1
日常 #とは
【日常】・・・つねひごろ。ふだん。
起床しトイレに行き、朝食をとり歯を磨き、顔を洗い服を着替えて学校に行く。その日の講義を受け、帰宅し宿題をこなし夕食を食べてSNSのチェックをして就寝する。これが私の日常である。これは私だけの日常で、私以外の人々にとってはこれは非日常なのだろう。私の日常は普遍的で何の変わりようもないものだろう。異世界にトリップするわけでもなく、見えないはずのものが見えるわけでもなく、急に身体が変化したりなんてこともないごく普通の大学生の生活だろう。そんな私の日常が、ちょっとだけ日常じゃなくなった。そんな話をしたいと思う。今私が過ごしている日常は以前の私の日常では、ない。非日常である。でも今の私からすれば、日常なのである。一つの出会いが、一つの出来事が、私自身を変えることなく、私の日常だけを変えた。
私(大学一年生 入学時期)
大学生。たくさんの友達とともに勉学に励みサークル活動をして飲み会などにも参加し、大学行事やボランティアなどに参加して視野をひろげ旅行などにもいってみたりバイトもして社会に出てみるのも悪くない。そう考えていた時期も確かにあった。自分もそうなるものだと思って疑わなかった。でも所詮田舎から出てきた芋女が精一杯のおしゃれをしてリクルートスーツを着たところで芋っぽさがなくなるわけでもなく、高校生の三年間嫌いなことから逃げ楽しいことをして生きてきた自堕落な人間にそんな自由などあるはずもなかった。そもそも自由とは嫌なことを、苦手なことをこなしたからこそのものであると学んだのはこの時であり、時すでに遅しとはこのことだと学んだのもまたこの時である。そして男勝りで快楽に逆らうことのない私が女子大という無法地帯に不用心にも入り込んでしまったことを後悔しだしたのもまたこのころである。
大学入学式。女子大。すでにぼっちだった。同じ高校から私と同じ大学に入学した人はひとりも見つからずまわりには私とおなじリクルートスーツを着ているはずなのにおしゃれで大人びている大学のある地域に住んでいる同級生であふれていた。ぼっちなだけでなく浮いている。声をかけるのも末恐ろしいほどに田舎の「おしゃれ」と都会の「おしゃれ」の違いを感じていた。それでも地方からの入学者は何人かいて(同じように浮いていた)声をかけてグループをつくって安心感をえた。あまりにもビビりすぎて入学式の記憶があまりない。のちにわかったことだが今の大学生は入学前にSNSで同じ大学の入学者を探し繋がり仲良くなっておくらしい。そんなSNSなど知らなかった私にとって未来人と話しているようだったのは今でも覚えている。そんな怒涛の(あまり記憶にないが)入学式を終えてから、「さぁ!大学デビューだ!」と意気込んでみたものの、履修などで頭が真っ白になってそれどころではなかった。そもそもいままで共学でしか生きてきたことのない私からすると女子大という女の子しかいない空間は驚きの連続だった。今までの女子社会とは違った。それはもう野生の女子なのである。マスクをするのは化粧をしていないから。講義中に化粧をするのはよくあること。どこの大学の男がいいだの、誰々の彼氏はよくないだの、バイト先の先輩がかっこいいだのなんだのと。まぁとにもかくにも男。何をそんなに飢えているのかというほど男に固執してたように感じる。私にも彼氏のいた時期があったがそこまで素晴らしいものだと感じたことがなかったために不思議で仕方なかった。なにより露骨に性欲色欲をだしている女の子をみるのが初めてだった。私の周りが今まで特殊だったのかなんなのか。異文化交流をしている気分だった。
やっと履修が落ち着き講義を受け始めてから、グループにも所属してlineもできてほかのSNSでもつながるようになった。グループの子の誕生日には一人500円ずつ払い誕生日プレゼントを買い、料理の得意な子がケーキなどを作ってくる。そして食堂でお祝いをする。たまに街にでてランチビュッフェをする。買い物にでてお互いおそろいのものを買ったり服を見立てたりする。楽しかった。みんなでわいわい盛り上がること自体はとても好きだったし、講義のときには場所をとっていてくれたり、SNSで今見ていたTVについて話してみたり、好きなアイドルについて語り合うのもとても楽しかった。でもそれが面倒だと感じている部分が多いのもないとは言えなかった。移動のときも、昼食のときも帰る時もみんなで一緒に。ちょっと休日や空き時間に買い物に出かけようというものなら私もいく!なんて声がかかり一人で出かける時間がない。そもそもSNSなんてものをやっているおかげでいつどの時間に起きたのか、寝たのか、出かけたのかごはんを食べたのか、また誰といるのかなんて友達みんなに知られてしまうのだ。SNSに投稿しないという手段をとってみたものの「最近つぶやかないけどどうしたの?」なんて聞かれてしまえばうまく応えられるはずもなく結局また把握されてしまうのだ。プライベートなんてあったもんじゃない。ここらへんからである。「私」がまた周りの子から浮いてきたのは。
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