少女症状

路地裏。その、都会を象徴するかのように、密集し、乱立するビルの谷間には、今が冬であるという現実をさらに明白なものにすべく、冷たすぎるほどの風が吹いていて、それがただでさえ人気のないその場所をより一層、表の世界から遠ざけていた。
 そんな僻地に、まるで閉じこめられてしまったかのように、その小さな、古ぼけたカフェはあった。
 立地のせいだろう、昼間だというのに店内は薄暗く、また客の姿もまばらで、あまり繁盛しているとは考えられなかった。ただその分、そこを包み込む静けさと落ち着きはどこかアンニューイとでも呼ぶべきものがあり、客たちに、彼らが煩わしい都会の喧噪のど真ん中にいることを少なからず忘れさせたし、またここの店主もそれこそが他の店にはない強みだと自覚しているのだろう、店の調度品ひとつ取っても、雰囲気を際だたせるための役割を果たしていて、彼のこだわりの深さを感じさせ、逆に、だからこそ、そこに惹かれた一部のいわゆる常連たちがこの店にはいて、その存続を支えているのだ、とも考えることができた。
 そこの、いくつかある席のうちの、カウンターに面して設置されたテーブルの端の方に、男が座っていた。少し昔のサラリーマンによく見たような、清潔な七三分けに、三つ揃いのスーツを着用し、首には真っ赤なネクタイを締めた出で立ちで、椅子の背もたれには、彼の者であろう羊毛のロングコートと黒いハットが掛かっていた。あからさまに勤務合間の休憩中であると思われるような風采のその男は、先程ランチを終えたのだと見え、白髪に包まれた年輩の店主が、下げた食器を食洗機に並べる傍ら、新聞を片手に、カップの中のコーヒーを啜っていた。
 男がこの店を訪れるのは初めてのことであった。だから、注文を取り交わすのと、食器を下げる際に一言二言交わした以外に、二人の間に会話らしい会話はなかったが、その沈黙のなかには、しかし、気まずさなどはいっさいなく、男の、店に対する満足感と、それを感じ取った店主の誇らしい気持ちとで、ある種、親密な友人と何をするでもなく過ごす時のような、幸福に満ち満ちた空気があった。
 それが五分ほどたった頃であろうか。男が新聞に目を落としたまま、ふいに、誰かに話しかけるように呟いた。
「“超常現象に詳しい方、探しています”――ね。へえ」
 男が見ていたのは、個個人の様々な要求――たとえば、迷い猫を探していますだとか、従業員の手が足りていませんだとか――を掲載している、いわば紙上の掲示板とも呼ぶべき一面で、その日もそこには、今挙げたような、大小悲喜こもごもの悩み事が載っていたのだが、注目すべきはその最下方、一般から寄せられたそれらとは一線を画すように、大きな文字と太いフォントで、でかでかと、ともすれば企業広告のように掲げられたある一つの求人であった。
 そこには、先程男が口走った見出しが大きくあるほかに、事の粗筋や連絡先の電話番号などがそれよりもわずかに小さな(それでも周囲のそれよりははるかに大きい)文字で記してあり、もう一つ目を引くことには、二十代ほどと見られる美麗な女性の、愁いを帯びたバストアップ写真がその記事の三分の一を占めるくらいの大きさで載せられていた。そして、その側にはこれまた目立つフォントで、“給与……解決してくださった方に、希望に応じた謝礼を差し上げます”とあった。少々無茶を言っているようでもあったが、なるほど紙面にこれほどのスペースを設けられる人物だ、相当裕福であることには違いなかった。
「ああ、それですか」
 いつの間にか男の手元をのぞき込んでいた店主が、何でもないような口振りで言った。
「知ってるんですか?」
 男が訊くと、店主は凛々しい白眉をわずかに上げ、驚いたような顔をつくった。
「知ってるもなにも。有名じゃないですか。ほら、見莇阿子(みあざみ あこ)ですよ、女優の。ご存じないですか」
「いや。まったく」
「……もしかしてお客さん、テレビとかご覧にならない?」
 店主は呆れたように言った後、自らの言動が礼を失していることに気づいたらしく、はっと口を噤んだが、男は気にしたような風もなく、
「ああ。よかったら、教えてくれませんか」
 と言った。
 店主は安堵の表情を浮かべると、一度は置いた食器を手にとり、再び磨き始めつつ、話し出した。
「何にも知らないみたいですから、まず彼女のことからお話致します。見莇阿子。本名、小網座亜美(こあみざ あみ)。八月生まれの三十歳、職業は……先程言いましたとおり、女優です。生まれも育ちもこの日本。ですが、その瞳が綺麗な藍色なのは、祖父をスウェーデンに持つクォーターであるからです。その恵まれた家系の血筋が実現させる、子持ちの三十とは思えない美貌や体型もさることながら、その本質は、子役時代から、結婚しようが、子供を産もうが、夫に先立たれようが、それでも積み重ねてきた、たゆまぬ修練に裏付けされた、貴賤陰陽喜怒哀楽全てをこなす演技の巧みさにあり、まさに女優の中の女優、女優をやるために生まれてきた存在と言えるでしょう。彼女の熱演する“猫と手袋”“月面王国”は彼女を知らない人でも一度は見ておくべき名作です。私などはもう百回以上は見たばかりか、ブルーレイもDVDもそれぞれ揃えたくらいです」
 話しているうちに熱くなったのか、途中からは半ば畳みかけるように喋っていた白髪の年輩は、興奮冷めやらずといった勢いで、しばらく鼻息を荒くさせていた。その豹変ぶりに、男はあんぐりと口を開けたまま、しばらく二の句が告げなかったが、彼が落ち着いてきた時を見計らうと、静かに言った。
「なるほど彼女についてはよくわかりました。必要以上にね。しかし、えらくお詳しいですね。ファンですか?」
 年輩はそこでようやく自分の乱れようを悟ったようで、恥ずかしそうに顔を赤らめた後、ポケットから携帯電話を取り出し、画面を男の方へ向けた。待ち受けと思しきそこにはなるほど、彼が紙上に見た白黒の美貌が、鮮やかに色をつけ、微笑んでいた。
「いやはや、とんだご醜態をお見せしました。何しろ、二十年来応援しているもので」
 店主ははにむと、携帯電話をしまいながら言った。
「いいんですよ。誰にも一つや二つ、密かな楽しみはあるものだ。それでは、続けていただけますか」
「ええ、もちろん。ええと、何でしたっけ……そう、その記事でしたね。実は彼女、この市内に家を持っていましてね」
「へえ。近いですね」
「ええ。つい数年前に越してきたのを、熱心なファン特有の情報網で掴んだのですがね。それを聞いたときの私ときたら、もう嬉しくて嬉しくて、どんな日も、阿子ちゃんの来店を待ちこがれなかった日はないくらいで……まあ、結局叶ってないんですがね。ン、ンン。それはさしおいて、その家なんですがね。これは彼女が最近メディアに訴えだしたことなんですが、最近になって、何か、こう……出る、らしいんです」
「出る、とは」
「だからその……幽霊、とでも申しましょうか」
「ほう!」
 男はその単語を聞くと、興味ありげに目を見開いた。店主は、それを諫めるようにして続けた。
「いえね、私は、自分で言うのもどうかと思いますが、しかし事実、阿子ちゃんの熱心なファンですから、彼女を信じるしかないのですけれど、それでもついつい、彼女が、仕事に腐心するあまり、いわゆる過労といったようなもので、どこか心の底の方を病んでしまったのではないかと、邪推せずにはいられないのです。それも、数日の気の違いで落ち込んでいるのならまだしも、日が経つにつれ、やつれて、頬がこけていくのですから、もう見ていられるものではありません。しかもここ最近になって、お客さんの見ているような、そういう募集まで始める始末です。ああ、なにも出来ない私自身が恨めしいです」
「連絡をとってみようとは思わなかったんですか?」
「とんでもない! 私が阿子ちゃんについて知っていることは数多くあれど、阿子ちゃんが私について知ることなどひとつもありません。名前はおろか、顔も年齢すらも知れていない。そんな者が声をかけたところで、その言葉が彼女のどこに届きましょう。何に響きましょう。ましてや私は、このことが起こるまで、幽霊なぞ生まれてこの方信じたことはなかったのです。役に立てることなどなにもない。そんな私が連絡を取って、どうしてそれが、いちファンの、有名人と繋がりたいがための身勝手な行動でないと言えるでしょうか」
 年輩はさめざめと語り、目には涙さえ浮かべている風だった。その様子から察するに、彼はどうやらこの美しい女優のことを、まるで我が子でもあるかのように、心の底から心配しているようだった。
 男は声に気遣いの色を含ませて言った。
「お話、もう少し詳しく聞かせていただけませんか。私はこの方のことは存じませんが、あなたの辛そうな顔を見るに、相当人に愛される人間であったことくらいはわかります。私も何か力になりたい。それこそ、知り合いのツテでも何でも辿って、ご協力させていただきます」
「そう言ってくださいますか。ありがとうございます。私に話せることでしたら何でも、喜んでお教えいたします」
「ありがとうございます。では早速ですが、この紙面には詳細に書かれていない事柄をいくつか。家と言いますが、ここにはどれだけの人数が住んでいるのでしょうか」
「阿子ちゃんが結婚したのが、彼女が十六の時でした。夫の方は当時のマネージャーだったらしく、結婚後にはそれを辞め、家仕事をしていたと聞きます。……先程も言った通り、阿子ちゃんは夫に先立たれています。もう三年前の話になります。子供は一人だけ、中学生になる娘さんがいますが、彼女が心を許せるのは、今や、残されたその子一人なのです」
「つまり、二人暮らしだと」
「使用人でもいない限りは、そうだと思いますが」
「熱心なファンのあなたが言うことだ、信じますよ。では、もう一つ。彼女はテレビなんかで、この幽霊の起こす現象を具体的に語っていたりはしましたか?」
「え、ええ。覚えている限りでは、家中の照明が何度も落ちたり、テレビが明滅したり、家具が勝手に倒れたり……後は、その手の番組では名の通った霊媒氏が階段から転げ落ちた、というようなことも言っていました」
「ふむ。いわゆる“ポルターガイスト”って奴ですね」
「そう。私も丁度映画で見たことがありますが、その内容と似たようなことを事実として語っていたように思います」
「人型の影が見えた、なんてことは? 言っていました?」
「いえ、それは聞いたことがありませんね。あくまでも、妙な現象のみに限るようです」
「なるほど。幽霊、と言ってはいるが、実際に見てはいないということだな……これは……」
 男はひとり勝手に解ったような口振りで何度かぶつぶつと呟くと、またも一人でうんうん頷き、店主に向き直った。
「ありがとうございました。もしかしたら思い当たる節があるかもしれません」
「本当ですか!?」
 男が言ったとたん、店主が普段の振る舞いも忘れ、食いかかるように叫んだ。
「いえいえ、まだなんとも言えませんが。過度に期待させるのも、あてがはずれてしまったときに申し訳ないですしね。それにしても、随分湿っぽい雰囲気になってしまいました。そうだ、ここはいろいろ教えてくださったお礼も兼ねて、マジックでも披露しましょう」
 少々不自然に見える話題の変え方に、店主はわずかに首をひねったが、これが男なりの気遣いであると思ったのだろう、すぐに話に乗った。
「おお、いいですね。しかし、私も多少マジックには一日の長がありましてね。簡単にはだまされませんよ」
「はは、お手柔らかに……この新聞、使っても構いませんか」
 男は今まで読んでいたそれを指して言った。
「ああ、いいですよ。どうせ読むのは私か、お客さんくらいのものだ。あとの常連さんはみぃんな、雑誌かテレビか携帯ですからね」
「それでは失敬して」
 男はポケットから十円玉を取り出し、カウンターの上に放ると、コーヒーの注がれていたカップとは別にあった、冷やが入った透明のガラスコップに口を付け、中身を全て飲み干し、十円玉に被せるように、逆さまにして置いた。
「今からこのコインに芸をさせます」
 そう口上を述べると、男はグラスの上を新聞で覆い、コップの形に整えた。
「さあ、いいか、コイン。おまえは消えるんだ。練習通りにやるんだぞ。わかったか」
 ワン、ツー、スリー。男が唱えて、新聞ごとコップをどけると、そこには――
「あれ?」
 男が素っ頓狂な声を上げる。そこにはまだ、コインがあった。
「ふむ、どうもコインくんは緊張してしまったようだ」
 男は言い訳臭く言うと、再びカップと新聞をコインに被せた。
「それ、今度こそ。ワン、ツー、スリー」
 男がもう一度唱え、覆いをどける。しかしやはりコインは、先程と寸分変わらぬ位置にちょこんと居座り、ぴくりとも動く気配はなかった。
「あれ? おっかしいなー……あはは」
 そんな男の滑稽な姿を、店主は微笑みながら見ていた。
「ええい、次が最後だ! いくぞ!」
 男は少し苛立ったように言うと、先程と同じように覆いを作った。そして、
「ワン、ツー、スリー!」
 言うと同時、なんと男は、それを拳で叩き潰した。そして、店内にはコップの割れる音が――どう言うわけか、しなかった。そこにはぺったんこになった新聞がカウンターに張り付いているだけで、コップはおろか、破片すらなく、男の手にも、傷一つついてなどいなかった。
「ああ。これはどうも、コップの方がひとつ賢かったようです。なぜって、先に瞬間移動してしまったのは、彼の方だったんですからね!」
 男はそう括ると、自信満々に年輩の方を見た。
 年輩は少し困ったような、まるで、女の子が喜び勇んで持ってきた泥団子をでも見るような表情になって言った。
「いやいや、お見事です。でもお客さん、残念ながら私、それのタネ、知ってるんですよ。新聞紙をコップに押しつけて型どっておいてから、中身だけをこっそり落として、あたかもそこにコップがあるように見せたんでしょう。ほら、膝の上にコップがあるはずです」
 そう指摘されると、先程まで満面のしたり顔を浮かべていた男は、照れ笑いになって、カウンターの下からコップを出した。
「いやあ、知っていたんですか。あなたも意地の悪いお人だ。しかし。しかしですよ」
 だが、なおも男は食い下がった。
「やっとコインくんが本来の調子を取り戻してくれたようです。ほら、ご覧になってください」
 男が潰れた新聞紙をどけると、そこに十円玉は見あたらず、また取り上げた新聞紙の中にも、それらしきものはなかった。
「ほう」
 これには流石に動揺したか、年輩の顔に少し、驚嘆の色が混じった。その隙を見逃さずに、男が畳みかける。
「では、賢いコインくんはどこへ行ったんでしょうか。僕のポケットの中? いいえ違います。それは……」
 男は見せつけるように、ポケットの中身を裏返し、告げた。
「あなたの後ろ。そう、その食器棚のところにいる」
 店主の喉からごくり、と唾を飲む音がした。
「ははは、いやまさか。そうやって私が後ろを向いている間に、コインを本当に隠してしまう気でしょう」
「隠すもなにも、本当に消えてしまったんですよ。ないものをどうやって隠すんです。ほら、嘘だと思うなら、探してみてください」 
 男は不敵に笑い、両手をばっと広げて見せた。店主はしばしの間、謎解きに首をひねっていたが、余りの男の自信に気圧されたか、とうとう後ろを向いて、アンティーク調のガラス戸棚をまさぐりだした。
 しかしどうしたことか、そこには十円玉どころか、それらしい形のものさえ見あたらない。
「なにもありませんが……」
 そう言って店主が振り返ったその先には、
「……お客さん?」
 誰の姿も、影も形すらも、見あたらなかった。
 カウンターには、片面だけに新聞紙の迷彩が施された十円玉と、“会計 六百八十円”と書いたレシートだけが、所在無くうずくまっていた。
 その日、警察署に、一枚の被害届けが提出された。


 都心から少し離れた集合住宅地、とは言うものの、立地条件と土地の値段を鑑みるに、そんな場所に立つことが許されるのは、せいぜい不動産屋もしくは公共団体の管理する古新入り交じった賃貸物件か、さもなくば、いわゆる金持ちが所有する、豪華絢爛な作りの邸宅くらいであろうということは、誰にでも想像のつくことだった。
 見莇阿子。本名、小網座亜美。女優である彼女の家は、そのうち、後者に分類されるたぐいのものだった。
 十字路に面した一角を端とした、少なく見積もってもおよそ二百坪はあろうかという土地に、モダンセンスで直線の多い、モノクロの箱が置かれていて、庭は整然として広く、その周りを柵や壁、あるいは草木が囲い、その一部に入り口として鉄製の門が備え付けられていた。
 その門のすぐ側に取り付けられたインターフォンが鳴ったのは、つい先刻、昼時を少し過ぎたくらいの時間であった。
 今、雪がちらつき、北風吹きすさぶ中、閉ざされた門を境目として、二人の人間が相対していた。
 一人は言わずもがな、家主である亜美である。そしてもう一人は、何故かしわくちゃになった新聞紙を手に握り、コートを風にはためかせ、三つ揃いのスーツを中に着た、細身の、見た目二十五ほどの男であった。雪を被ったハットの下から覗く髪が正確に七対三の割合で分けられていて、その妙に堅苦しく、几帳面に整った風貌が、この時代とあっては逆に浮いていて、ともすれば警戒心の薄い老人なんかを狙った悪徳セールスマンとでも捉えられてしまいそうな程であった。対面した彼女とて、事前に連絡さえ受けていなければ、出入り口を開けにいくことすらなかったであろう。
「どうも、初めてお目にかかります。先日お電話させていただきました、九流礼地(くりゅうれいち)と申します」
 男は新聞紙を服の中へしまい込みながら、インターホンに向かって述べたことを、再度口にした。国語の授業に使われる朗読教材のような、聞き取りやすく落ち着いた、しかしどこか、演技がかった声色だった。
「ええと、見莇阿子さん、もとい、小網座亜美さんでよろしいですね」
「え、ええ……そうですけど……」
 返す亜美の言葉には、未だ困惑の色が拭い切れていない様子だった。何しろ、今日に至るまで多くの自称霊能者が報償を求めて彼女のもとを訪れたが、その中に、彼ほど胡散臭い者もなかったからである。いや、見た目だけに限れば、彼のそれを上回る怪しさの者は数多くいた。山伏のような格好をし、何がなにやらわからない素材で作られた数珠をジャラジャラと引っ提げ、常に何かと戦っているような素振りをするいかれ坊主や、黒衣で全身を覆い隠し、妙にぎらぎらと光るマン丸い球体で以てお告げなんかを始める老婆などがそれである。その点においては、彼は外観においてはまだまだ彼らには及ばぬどころか、寧ろ過去最も常識的な装いであると言うこともできただろう。だが、重要な点はそこではない。男の持つ一種異様な雰囲気の理由はそこにはないのだ。では、どこか――それは例えば、先程のような妙な喋り方や、変に礼儀正しいところだとか、何を考えているか思いも知れない瞳の奥であるとか、血の気が無くて黄色く、それでいて滑らかな木材のような肌であるとか、それらの種々様々な要素がどこか常識とかみ合っておらず、それなのに、身なりだけはどうしてかきちんとしているものだから、何かこう、いろいろな機械の部品の寄せ集めが、偶然噛み合ってしまって動き出しているような、まるで現実的でない感覚を植え付けたのだ。
「いや、実にお綺麗だ。写真で見るよりも、より一層」
 その自覚があるのかないのか、男――九流は一本調子に、心にも思っていなさそうな世辞を述べた。
「あ、ありがとうございます。どうぞ、お上がりください」
 亜美が門の錠を開けると、これはどうも、とだけ言い、九流はずんずんと宅内へ歩を進めた。亜美のすぐ側を通ったその体からは、安っぽい香水の香りがした。
 
 小網座の豪邸は、何も外観だけに拘っている訳ではない。おそらくはデザイン住宅なのであろう、その内装にも、細やかな気遣いと意匠が凝らされている。全面板張りの床に少しベージュがかった白の壁、家具類はすべてが新品のように傷一つ見られず、また色合いも主張しすぎずシックにまとまっている。キッチンと一体型となったリビングには様々な部屋に繋がるのであろう扉が数多く見られるほか、上階へ登るための階段や、吹き抜けの高い天井を認めることができた。そこかしこに見られる大小様々な大きさの窓は、密閉性の高い回転式で、十二月の厳しい冷気から住人を守るとともに、わずかな冬の太陽を精一杯に取り入れ、屋内の暖かさを保っていた。
 帽子と上着を脱ぎ、席に着いた九流の、四角いテーブルを挟んだ対岸では、いかな美貌の女優と言えど、その顔に疲労の色を隠せない様子の亜美が、肘を突いて座っていた。
 九流は出されたティーカップに二、三回口を付けると、その顔を正面からじっと見据えた。目には楕円フレームの黒縁眼鏡。艶のある栗色の髪は頭の後ろで団子状にまとめられ、残りが顔の左半分を隠すように垂らされている。その、髪から覗く部分部分に目を向ければ、上を向いた高い鼻、すっと細い顎、白く張りのある肌と、確かに、三十になろうとは思えない、完成された彫刻のような美があった。ただ、九流が映像に見た彼女との相違点を挙げるとすれば、ひとつはやはり、精神の衰弱による活力不足からくる若々しさの欠如、そしてもうひとつは、眼鏡の向こう、綺麗な二重に収まっているはずの碧眼が、どうしてか日本人のそれらしい茶色をしていたことである。
 この点を足がかりに九流は、長らく断たれていた両者間のコミュニケーションを復旧させようと試みた。
「瞳」
「え?」
「眼ですよ、眼。想像していた色と少し違うようですが、何か理由でも?」
「あ、ああ、これですか。皆さん仰りますね。実は、これが地の色なんですよ」
「クォーターと聞きましたが」
「ええ、それには違いないんです。ただ幼少期のプロデューサーが、そのままの色だと、血筋をセールスポイントとして打ち出す為には弱い、と。それで、私視力が弱くて、眼鏡っ子だったものですから、仕事で人前に出る時は、カラーコンタクトをするようになったんですが。ドラマや映画以外にはあまり出演しないものですから、そのままずるずると、言い出す機会もなくて……あの、あまり、他言しないでくださいね」
 ほう、と九流は驚いた。芸能界の七面倒な事情もそうだが、何より、あれほど熱狂的なファンであり、彼女の生活状況が推測できる程度には情報通であるはずの、カフェ店の年輩主人でさえ、未だ知らぬ彼女の秘密があったということに、だ。
 そこまで考えたところで、ふと、残りの伝聞が正確であるか、それも確認すべきであると九流は思った。家についてはどうせ後々洗いざらい調べねばならぬことだろうが、聞かされた情報は既に解決すべき問題の前提条件として九流の脳裏にあった。思い込みは極力排除しておく必要があった。
「いくつか確認を。今この家にはどれだけの人が住んでいますか?」
「私と仄(ほのか)……娘の二人だけです」
「本当に? 使用人などもいない?」
「ええと、私が仕事などで夜間に家を空けるときには、警備の方に見回りをお願いすることもありますが……」 
「ふむ。妙な現象が起きるのは、その時ですか?」
「いいえ、逆です。その時には、全くと言っていいほど何もありません。おかしいのは、私と娘、二人でいるときです」
「ははあ」
 あの店主が話したとおり、第三者と言える者の存在はなかった。どうやら、彼の見莇阿子ファンとしての、最低限の威厳は守られたようだった。
「それで、前に私の家を“視て”くださった先生方は――」
「――仲の良い親子を妬む地縛霊の仕業だ。とか、大方そんなことでも言ったのでしょう」
 被せるように九流が言うと、亜美が驚いたように目を大きく見開いた。どうやら、図星であるらしかった。
「どうしてわかったんです? やっぱり、その、この家には何かいるんでしょうか」
「いいえ、あまりお気になさらず。質疑応答を続けましょう」
 亜美はこの話を掘り下げたいようだったが、促されると逆らえはしなかったか、ぐっと言葉を飲み込んだ。
「娘さん……先程、仄ちゃん、と仰いましたね。おいくつですか?」
「十三……今年、中学生になりました」
「貴方が不在の時は、誰が世話を?」
「いえ、仄が自分で、何でもやっています」
「へえ! よくわがままを言いませんね」
「……娘は、母の私が言うのもなんですが、かなりしっかりしていて。小さい頃から夫に任せきりでしたが、泣き言のひとつも言いませんでしたし、その夫も仄が十になるかならないかのうちに逝きましたが、その頃には家事も全て夫から教わっていて、私がやったことないようなことでも、一通りこなせますし、本人もそれが少し誇らしいみたいで」
「よく出来たお子さんだ。学校での態度でも、変わったことはない?」
「ええ、特には。勉強もしっかりやっているようです」
「ふむ。今日は学校へ?」 
「いえ、つい昨日から冬休みに入って家にいるのですが……お呼びしましょうか?」
「出来るなら」
 九流が言うと、亜美は部屋の奥の方に見える、階段の下まで歩いていき、娘の名前を大きく呼びかけた。しばらくすると、階段の向きが垂直に曲がる踊り場のあたりに、黒い尻尾が二つ跳ねたかと思うと、段々と人の形を成していき、ついには少女の姿になった。
 母親に似て、可憐な容姿をしていた。九流には遠目からでも、それがわかった。とても小柄でスレンダーな、小鳥のような少女で、鼻筋が通っており、弾丸のような黒々とした目が、視線という照準に合わせて、人の心を撃つようだった。ふたつの耳の後ろからは、明るい屋内に輝く夜のような髪が、鎖骨のあたりまで下がっていた。
「ほら、仄、挨拶しなさい」
 小鳥は促されると、ちょこんと頭を下げたきり、再び上階へ消えてしまった。
「あっ、ちょっと。すいません、普段はもっと愛想もいいんですけれど」
「いえ、かまいませんよ。こういう状況ともなっては仕方のないことです。仄ちゃん、普段は二階にいらっしゃるんですか?」
「ええ、部屋があるもので……」
 九流はそれを聞いて、何か一人で納得しているようだったが、その内容を詳細に語ることはなく、話題を移した。
「なるほど、大体わかりました。では次に、この家で何が起こっていることを、具体的に教えてください」
 それを聞くと、亜美は顔に影を落とし、嘆くように言った。
「それは、実際に見ていただいた方が、わかりやすいかと」
「しかし、そう都合良く現象が起きるとも限りませんが――」
 ふいに、九流の言葉が途切れた。と言うのも、彼の視界の端で、スリープ状態にあったはずの大型テレビの電源が、急に点いたからである。
 亜美は慣れている、というより、どこかしら諦めた様子でリモコンを操作し、テレビを消した。が、即座に画面はまた明るくなり、この場には不釣り合いな笑い声を垂れ流した。九流が少し驚いている間に、テレビは目まぐるしく明滅を繰り返す。亜美の手はもはや、リモコンに触れてさえいなかった。そうしているうちに、今度は画面下部に音量を示す表示が現れたかと思うと、その数値がどんどん跳ね上がっていく。途端に、一般家庭では使用を想定していないであろうレベルの、限界を超えた大音量がスピーカーから溢れ、リポーターらしき人間が発するそれは、もはや人間の言葉とは認識できず、ともすれば獣の叫び声のようでもあった。
「っ……!」
 九流がたまらず耳を押さえてうずくまると、亜美が同じような体勢のまま椅子を立ち、テレビの方まで歩いていくと、電源プラグを引っこ抜いた。するとようやく耳を破壊せんとする爆音は断たれ、後には再び、暗い静寂が戻った。
 九流は唖然として、未だ耳を塞ぎ、じっと座っているほかなかった。リモコンの不調が真っ先に疑問として挙がったが、亜美が今に至るまでその可能性を見落としているとは到底考えられなかった。
「あの……本当に、私達を助けてくださるのでしょうか?」
 うんざりした様子の亜美は、再度確認するように訊いた。
「経歴を話すことが出来ないとは、お電話でお聞きしています。それでも、必ず役に立てるとおっしゃったからこそ、あなたをお呼びしたのです。まず、何が出来るのか、どうやって問題を解決するのか、それをはっきりと提示してください」
 すると九流は、わずかに口角を上げ、冗談でも言うように言った。
「何が出来るか……ですか。そうですね。強いて言うならば、何も出来ないことこそ、何よりの証明とでも申しましょうか」
「はあ……? あの、他にも名乗り出てくださった方は多々います。冷やかしなら、申し訳ないですが、お引き取り願えませんでしょうか」
「まあまあ、そう仰らずに。傍目八目と言いましてね、何の関係もないところにいる人間だからこそ、見えることもあるのです。ここはひとつ、騙されたと思って。どのみち騙されることには慣れているでしょうし」
 そのあまりに不遜かつ、どこからくるともわからない自信にあふれている態度を前にして、亜美は、先人達のふがいない戦績に辟易し、自暴自棄になっているのか、或いはもうこの際、この怪事件を解決してくれるなら何者でもいいと思ったか(実際にそう思っているからこそ彼のような不審極まりない者をも家へ呼び入れたのだとも言えるが)、もはや何も言わず、ただただ溜息を吐いて俯くばかりだった。
 そこに、とんとんと音を立てながら、おずおずと階段を降りてくる者があった。無論、仄である。
「あの……少し、いいですか。その、私の部屋、なにか、変な音がするんです」
 二人の前に来るなりそう言った少女は、やはり母親と同じく、自らを襲う怪事に憔悴しきっているようだった。落ち着いた絹のスカートから伸びた子羊のような二本の脚が、か弱くふるふると震えていた。
「では、僕が見てきましょう。奥さん、仄ちゃんをしっかり見ていてあげてください」
 九流はそう言って立ち上がり、階段の方へ歩み寄った。
「待って」
 途端に、後ろから声がかかった。振り返ると、亜美が立ち上がっていた。
「九流さん、貴方のことはまだ信頼していません。でも、だからと言って怪我はしてもらいたくないのです。ですから、忠告します。私達以外の誰かが階段を通ろうとすると、どう言うわけか、皆さん……転倒なさるんです。それも、必ずと言っていいほど。おかしなことですが、本当のことです。どうか、十分に気をつけてください」
 その言葉を受け止めると、九流は不敵に笑い、言った。
「安心してください。この家は、僕が元に戻して見せますよ。必ず、ね」
 そして男は前を向き、最初の段に足をかけた。その顔は真剣そのものだった。

 忠告とは裏腹に、階段では何もおかしなことは起こらなかった。唯一九流が気になったことと言えば、踊り場に彼の背丈と同じくらいの姿見があったくらいで、ただそれも、出掛ける際の身だしなみを最終確認するための物だと思えば、そう不自然にも感じなかった。だが亜美があんなに言うのだ、階段にもきっと何かしらの不具合があるはずなのだがが、とまれ、当面の問題は仄の部屋に鳴っているという音だ。九流は、洗濯物干しと同時に卓球が出来てしまいそうなホールを真っ直ぐに歩き、“HONOKA”と表札のかかった扉の前に立つと、ドアノブに手をかけた。
「失礼しますよ、と……」
 誰に言ったわけでもないが、最低限の礼儀として、言わないよりは幾分気は楽だったのだろう。木製の軽い戸が、甲高い軋み音とともに口を開けた。
 部屋の中は、綺麗に整頓されていることも手伝ってだろうが、それでもやはり、中学生の子供一人が使用するにしては随分広く、いや広すぎるように思われた。それはともすれば、ビジネスホテルの一室並であり、部屋の左奥を見れば、別の部屋につながっているのだろう扉がある始末である。また、壁に二つのスピーカーが目のように埋まっている、いかにも高級そうなオーディオセットや、その中心にこれまた埋まっている大型テレビ、大の男が二人寝てもまだ余裕がありそうな大きさのベッド、デパートの紳士服売場で見るような背の高い姿見、中に人間が潜めそうな一人用ソファ、それらがふたつ向かい合った間にある鏡のようにツルツルなガラステーブル、その上に乗った塗装がまだ新しい薄型ノートパソコン、そして最も目立っている、一方の壁際にずらりと並べられた、九流でさえ最上段までは届きそうにはない本棚と、そこに収まっている、CDショップの中などに申し訳程度に存在する小さな売場よりはよほど品揃えが良さそうな大量の文庫本や学術本と、超規模の家具の数々が並んでいる反面、普通の中学生が喜んで部屋に置くような人形や小物、化粧品、ティーン向け雑誌などと言った余計なものは一切なく、およそ少女らしい部屋とは言うことが出来なかった。
 九流はそれらを注意深く観察しながら、五感を澄ました。するとどこからか、ひゅう、ひゅううと、鳥か何かが叫んでいるような、甲高い音がする。だが、九流は動じることはなかった。なぜならその音は、今までに幾度も耳にしたことがあったからだ。九流は部屋右奥の壁にある、他の背の低い家々を見下ろすことのできる回転式の窓まで歩いていくと、その取っ手に触れた。
(ああ、こいつか)
 九流の疑念は確信へと変わった。閉まっているように見えた窓はわずかに隙間を残しており、そこを吹き通った風が、口笛の要領と同じようにして、音を出していたのだ。
 九流はぴたりと窓を閉めた。途端に、あの怪鳥の声は聞こえなくなってしまった。
 こんなに単純なことにも気がつかないとは、余程気が滅入っているのだ。九流はそんなふうに考えながら、部屋を出た。そうして同じようにホールを通り過ぎ、階段を降りているとき、ふと前方に、何かの影が蠢いたように思えて、そちらを注視した。
 そこには先程見たのと同じようにして、大きな姿見があった。ただ、その角度が若干こちらに向いていて、登るときは気にもかけなかったのが、降りるときになって自分の姿が大きく映り、目に留まっただけらしかった。
 影の正体を理解した九流は気を緩め、鏡の中で階段を降りる自分を何の気なしに眺めつつ、一段一段を踏みしめていった。そして不幸なことには、その際、九流の頭から、先程亜美によってなされた忠告は、完全に消えてしまっていた。
 果たして小網座家の悪魔はそれを見逃さなかった。
「うっ!」
 九流がまた一段、階段を降りようとした刹那に、視界が急に強烈な閃光に遮られたかと思うと、次いで眉間に激痛が走り、それによって一瞬コントロールを失った彼の足は、文字通り、空中を歩いていた。
 当然、その体は、階段を転げ落ちていく。
「――――――――――――――――」
 声にならない叫びを上げつつ、階段の中ほどから舞った体は、奇しくもその原因となった姿見に衝突することでその勢いを止めた。九流は朦朧とする意識の中、駆けつけた亜美が自分の名前を呼ぶのを、どこか遠い気持ちで聞いていた。

「少し、良くなりましたか」
 九流は手当を受けた後、リビングのソファに横たわり、体を休めていた。ところどころ痛むが、骨までは折れていないようだった。傍らには亜美が濡れた手拭いを持ち、床に座っている。隣には、申し訳なさそうな仄の姿も見えた。
「ええ、何とか」
 九流は体を起こさず、首だけを回して笑った。だが、亜美は心配そうな顔のまま、安心した様子は見られなかった。九流は自分の体のことより、亜美に更なる精神上の負担を強いてしまったことに心を痛めていた。
「いや、面目ない。忠告は受けていたはずなんですがね」
 調子良く笑ってみる。が、この沈みきった空気は、どうしても払うことは出来そうになかった。
「……もう、わかったでしょう。私や、あなたみたいな普通の人にはどうしようもないんです。動けるようになったら、もっと大変なことになる前に、どうぞお帰りください」
 亜美が悲痛な声で、非情に言った。だが、それは迷惑がったり、軽蔑しているのではなく、これ以上犠牲を出したくない故の、彼女なりの優しさであると、九流にはそれがわかった。
「そうですね。確かに、一筋縄には行きそうにないな」
「そうでしょう。だから」
「だからこそ、やりがいがある」
 九流の言葉に、隣で黙っていた仄までもが、驚いた様子だった。少しの間の後、亜美が言った。
「……なぜですか。怖くは、ないんですか。もういいんです。もう、無理して頂かなくたって結構なんです。明日には、また別の方がいらっしゃいます。もう、あなたの役目は終わったんです。逃げても誰も文句を言いません。私達も、恨んだりしません。だって、仕方ないことなんです。悪いのは私達なんです。だから――」
「そうやって、また抱え込む気ですか?」
 涙混じりになってきた声を遮って、九流が言った。
「悪循環なんですよ、結局は。うまく行かないのを全て自分のせいにして、そんな性格をしているから、霊なんかにつけ込まれるんです。いいですか。あなたは何も悪くない。僕が怪我をしたのは、僕のせいだ。あなたに責任なんかない」
「でも、あなたをここに呼んだのは」
「それも僕が決めたことだ。僕が勝手に決めて、勝手にここへ来たんだ。あなたの意志ではない。僕はそれほど、自分を見失っちゃあいない。ねえ、奥さん。あなた、自分に影響力があるとか思っちゃいませんか? 有名女優だ、シングルマザーだと言って、他人や子供に強さを示すべき立場にあるとか思ってはいませんか? ばかばかしい。あなたがいくら人気があるからと言っても、結局は一人の女性だ。第一、僕なんか、つい最近まであなたのことなんか知らなかったんですから」
 亜美は唖然としたように口をぽかんと開けていた。構わず九流は続けた。
「いいですか、あなたは一人の、少し悩みを抱えた、ただの女性だ。だからもう少し、誰かに頼ってみませんか。人に、何かを押しつけてみませんか」
「だけど」
「だけどじゃない。僕は決めているんです。この家に幸せを取り戻すまで、あなたが女優以前に、一人の女性として、母として自覚を持つまで、僕は帰りません。帰れと言われても、てこでも動きませんから」
 それは、なんの道理も通っていない、説得ですらなく、ともすればわがままにも聞こえかねないような、明らかな強がりの言葉で。しかし、業務上のものではない、怪奇現象などとは微塵も関係のない、ひとりの人間を案じた言葉。だからこそ、今の彼女には、響いたのかも知れなかった。
 亜美はすこし俯いて、目を閉じていたかと思うと、ふと頬に、一筋の露が伝った。そしてそれを皮切りに、亜美は、まるで堤防が決壊したように泣いた。いつも演技で流す涙ではない、久しぶりに流す、心からの涙だった。
 九流は少し戸惑ったが、一人勝手に決心すると、痛む肩に言い聞かせ、彼女が泣きやむまで、その背をおずおずと撫でていた。

 亜美が平常心を取り戻す迄には、およそ十分の時を要した。その間、空気を悟ったか、娘の仄はどこかに姿を眩ましていた。
「もう話せますか?」
 九流が訊くと、亜美は弱々しく、しかし確かに頷いた。
「今回、身を持って現象を味わいましたが、それで少し、思い当たったことがあります。外から見たり、聞いたりしただけでは絶対に思いつかないことです。仄ちゃんの部屋にパソコンがありましたね。あれは、インターネットに接続していますか?」
「……ええ。私もたまに使います」
 亜美はまだ少し掠れる声で答えた。九流が続けて訊く。
「それではもうひとつ。仄ちゃんは、その、踏み込んだ話、お小遣いはどれくらい?」
「私から直接あげるようなことはありません。でも、仄自身が稼いだ分には、自由にさせています」
「えっと、稼ぐ、というと」
「ご存じかどうかわかりませんが、私の家系は代々、役者か、それに準ずる職業に就いています。私は、仄には、そんなことに捕らわれず、自由に生きてほしいと思っていたんですけれど、やっぱり血は争えないみたいで……」
「つまり、働いているんですか」
「ええ。人前に出るにはまだ早計かと思いまして、小さな舞台だとか、自主制作の映画くらいだけですが。中には出演料が出ないものもあるんですけれど、それでも、自主的にやりたいと言うので、止めることはしていません」
「いや、すばらしいことだ。僕も見習……や、失敬。つまり、ある程度仄ちゃんが自由にできるお金はある、という認識でよろしいですね」
「ええ、流石に、高い買い物をするときには相談するように言っていますけど……それがどうかしましたか?」
「いえ、何でもないんです。ただ、確認しておきたかっただけですから」
「えっ、でも」
 亜美が何かを言いかけたところへ、どこかへ行っていたらしい仄が戻ってきた。その手には銀の盆が掲げられ、上には三つのティーカップが乗っていた。
「あの……よかったら、どうぞ。お母さんも」
 亜美はまだ納得していないようだったが、子供の心配りを無碍にもできなかったのだろう、大人しくカップを手に取った。
「どうぞ」
 差し出されたカップをのぞき込むと、黒い液体が波々と注がれていた。腕を伸ばしたまま、仄がおずおずと訊いてきた。
「コーヒーです。えっと、お嫌いでしたか?」
 九流はカップを受け取りつつ、笑って言った。
「大丈夫、嗜む程度には好きだよ。いや、本当によくできたお子さんだ」
 相手がどんなに怪しい者であったにせよ、流石に褒められて悪い気はしないか、仄は照れくさそうに苦笑いをした。同時に、気が緩んでしまったせいだろう、その手から彼女自身の分のカップが滑り、地に落ちていくのを、九流はぼうっと見ているだけで、なにもすることが出来なかった。
「あっ、つ……!」
 ガシャン、と瀬戸物の割れる音がして、瞬く間に、床と、仄の着ている白いタートルネックが、黒に侵されていった。どうしていいかわからず呆然としている仄に、慌てて亜美が近寄った。
「大丈夫!? 火傷はない!?」
「え、あ……うん」
「良かった……ね、ここはいいから、とにかくシャワーを浴びてきなさい。服は洗面台に置いておいて」
「あの、わたし……ごめん、なさい」
「いいのよ。いいの……ね? だから」
「……うん」
 仄は目に涙を浮かべながら、力無く部屋を出ていった。
「九流さんも、何ともありませんでしたか?」
 落ちた破片を拾い上げながら、亜美が訊いた。
「僕はなんとも。コーヒーも飛んでいませんし」
「ああ、良かった。本当に申し訳ありません、普段はこんなこと滅多にないんですけれど」
「ええ、わかりますよ。きっと、疲れているんです。叱らないであげてくださいね」
「ありがとうございます。そう言って頂けるなら……」
 床へ散ったコーヒーをふき取りながら、亜美は、先程までは露にも見せなかった微笑を浮かべた。九流は彼女の笑った顔を見るのはこれが初めてであったが、その花のように愛らしく、儚いことといったら、なるほどあのカフェの主人が夢中になるのも無理らしからんと思うほどには、彼の心をもわずかに揺らしていた。
 九流はそんな心中を察せられぬよう、まだ少々痛むからだを無理矢理にでも働かせ、調査を続行せんと起きあがった。
「さて。流石にもう動けますんで、またしばらくこの家を調べたいのですけど」
「え、ええ、それは全然、構わないのですが……でも、まだあまり無理なさらない方が……お気持ちは嬉しいのですけれど……」
「いえ。あまり長引いても、迷惑でしょうし」
 九流の目が壁に掛かった時計をちらりと見る。短針が五を、長針が丁度十二を指し示したところであり、またそれと同じくして、時報の鐘がリーン……ゴーン……と鳴り出していた。
「さて、と」
 九流が腰に力を入れた。……それが合図のようだった。
 どこかで、ばつん、と言ったかと思うと、途端に世界は闇に遮られた。
「な、何だ? なにが」
 起きたのか――問うよりはやく、轟いたのは叫びであった。
「嫌、いやあああああああ!」
「仄ちゃん……しまった、風呂場か!」
「……っ!」
 母の行動は迅速だった。娘の声にもならぬ声に突き動かされるように、一つの影が暗闇を裂いて進んで行った。
 これも果たして、この家に住むなにかの仕業であろうか。いずれにせよ、ここで一人だけ傍観しているわけには行かなかった。
 九流は体の痛みも忘れ、その足音だけを頼りに、少し遅れて脱衣所らしき場所へとたどり着いた。暗くて把握こそ難しいが、大人が二人、楽に動けるところから察するに、おそらくここも広い間取りなのだろう。
 そこでしかし、亜美は浴室へは入らずに、まごついている様子で、中からは未だ仄が、狂ったサイレンのような金切り声を発していた。
「どうしたんです。早く扉を」
「わかってます! でも、開かなくて……鍵がかかってるみたいで、中から開けるよう言っても、自分の叫び声で、聞こえてないみたいで」
 視覚が利かないこともあってか、亜美は少なからず冷静さを欠いているようだった。それを見越した上で、九流は諭すように言った。
「落ち着いて。落ち着いて、奥さん」
「落ち着いてられないわよっ! 早くしないと仄が……仄が!」
「落ち着くんだッ!」
 それは先ほどまでの九流の姿からは想像もできないような、爆発するような大声だった。亜美の中で、その時ばかりは、娘の叫びすら、BGMのように、意識の隅へと追いやられてしまっていた。
 九流は亜美が動揺したのを見逃さず、声の調子を戻し、諭すように言った。
「……ええ。そうです。仄さんが危ない。ですから、彼女を一刻も早く助けるためにも、どうか、今は僕の言うことを聞いてください」
 亜美は、それが、反省か肯定なのか、ただ、かすかに頭を垂れ、頷くような動作をした。
 確認し、九流は続けた。
「よし。いいですか。浴室には鍵がかかっていますね。しかし、仄さんはおそらく、パニックに陥っています。つまり、この扉は無理矢理こじ開ける必要がありますね。ならば、ここは男の僕が引き受けます。ですから奥さんは、ブレーカーを確認してきてください。僕はこの家のことは詳しくわかりません。つまり、奥さんにしか出来ないことなんです。いいですか。……ええ。大丈夫。きっと大丈夫です。さ、早く」
 畳みかけると、亜美は狼狽しつつも、与えられた使命を遂行すべく、ブレーカーへと向かったようだった。
「さて」
 助けを乞う声を頼りに、手探りで扉らしきものを探り当てた九流は、試しに思い切り力を入れ、正攻法による侵入を試みたが、これだけ豪勢な家だ、なるほど鍵のたぐいも厳重なものであるらしく、ちっとやそっとでは歯が立ちそうにもなかった。
「荒いことはしたくなかったんだけどなあ……修理代も高くつきそうだし」
 九流はぶつくさ言いながら、しかし力ずくで突破するしかないと判断したのであろう、扉と距離をとり、
「どいてろよ、仄ちゃん……ふん!」
 忠告もそぞろに、思い切り体当たりをかました。
 たまらず扉のあちこちから悲鳴が上がるが、それでもその堅牢さは、未だ人の侵入を許さなかった。
「堅いな……もう一発ってとこか」
 その壁を崩すべく、再び九流が扉と距離を取った、その時であった。
 ふいに九流の後頭部に衝撃があったかと思うと、あっという間にその体が地べたへと這いつくばった。
 箪笥が倒れてきた――そう理解するまでにはしばらくの時間を要した。また、たとい理解できたにせよ、不意打ちをくらった九流には、頭を押さえてもんどり打つことしかできなかった。
 やがて脳が落ち着きを取り戻し、痛みを制することが出来る程度までになると、九流はそこで初めて、ある二つのことに気がついた。
 ひとつは、いつの間にか、仄の声が聞こえなくなっていること。そして、もうひとつは――
(何だ……この臭い?)
 床が一面に濡れていて、そこから異臭が漂っていることだった。九流ははじめ、脱衣場であるから、塗れているのは何の不自然さもないと気にも留めていなかったが、どうやら床を、彼のからだを濡らしているそれは、ただの水ではないようだった。
 しかし、次々と起こる怪現象は、その正体を突き止める暇さえ与えてはくれなかった。
 突然、仄のいるはずの、真っ暗になった浴室に、ぼうっと火の玉が浮かび上がったかと思うと、ゆらゆらと揺らめきだしたのだ。
 突然の断電、家具の転倒、そして人魂……次々に姿を変える見えない悪魔は、そしてやはり例に違わず、九流に牙を剥いた。
 赤い火の玉は床へと落下したかと思うと、まるで蛇のように、その体を伸ばし――あろうことか、扉をすり抜け、脱衣所の床へと燃え移ったのだ。
 途端に火の海と化した脱衣所で、しかし箪笥に挟まれた九流は身動きがとれずに、肌を焦がすばかりであった。
「あ、う、ああっ……!」
 炎が、皮膚を焼き、肉を照らして、裂いていく。ジクジク、ジクジクと、その身全てを、髪の毛の一本に至るまでを、燃やし尽くし、灰燼にせんと、襲いかかる。そのあまりの苦痛に、九流は今にも意識を手放すところであった。
 それを救ったのは、まさに天からの光とも言うべき、文明の回復、照明の復帰であった。
 我に返った九流は、有らん限りの力を振り絞り、抱きついてくる箪笥を脚で思い切り蹴飛ばした。箪笥はそのまま半回転し、壁にその体を預けて停止した。
「九流さん、仄は……きゃあっ!」
 そこへちょうど、任務を果たした亜美が帰り、同時に、当然の如く、その惨状に驚愕した。
「奥さん……説明は後です! 消火器を! 早く!」
 有無をいわさぬ態度に、亜美は今来たばかりの方向へ、再び駆けていった。九流はやっとのこと起きあがると、今や煌々と電気の光る浴室の扉へ向かって、半ば倒れ込むようなタックルを仕掛けた。
 流石の扉も、これにはたまらず身を退け、浴室への口を開けた。
 して、そこに、震える少女の姿が――なかった。シャワーは壁に掛けられ、浴槽の蓋の閉められた、何の変哲もない浴室が、鎮座しているだけであった。
 まさか。まさか!
 悪い予感を覚えた九流は、取り憑かれたような必死さで、浴槽の蓋を引っ剥がした。
 裸の少女が、沈んでいた。
「畜生!」
 叫んだが早いか、九流は仄を浴槽から引き揚げようと試みた。が、どう言う訳か、仄は両手両足を浴槽の内壁に突っ張っていて、またどこからそんな力が出るのか、その体は鉛でも付いているかのように重たく、大の男である九流がいくら気張ったところで、持ち上がる気配すらなかった。
「仄……仄っ!」
 やがて異常を察したのだろう、亜美が持ってきた消火器を放り投げ、援助に来たが、しかし、大人一人の力を加えてさえ、状況には何の変化ももたらさなかった。
「仄! 手を緩めて! 体の力を抜くの!」
 必死な母の呼びかけも、しかし、届かない。
「……そうだ、排水溝!」
 気づくと同時に、九流は浴室の底にある蓋へ手を伸ばし、一気に引き抜いた。
「奥さん、桶でお湯を掻き出すんです! 早く!」
 お湯が重力に従って抜けていくのを待たず、上からも排出する。その甲斐あってか、水位はみるみるうちに下がり、やがて仄の呼吸器を水面上へ露出させるに至った。
「……ぜ、ひゅぅっ!」
 同時にその体からも力が抜けたと見え、浴槽の中へへたり込んだところを、九流は素早く抱き抱えると、リビングまで走り、ひゅう、ひゅうと苦しげに酸素を求め続ける四肢を、ソファへと横たえた。
「仄! 仄あっ!」
 九流は後ろを離れず着いてきた亜美にその場を譲ると、間髪を置かずに、未だ火の燃え残る脱衣所へと戻った。
 シャワーと消火器による鎮火を続ける九流の背には、亜美の泣き崩れる声が、いつまでも突き刺さっていた。

「……火は消えました。焼けてしまった箪笥だとか家具は、とりあえず外へ出しておきました」
「……」
「それにしても今晩は酷く吹雪きますね。こんな都会にはちょっと珍しいくらいに」
「……」
「仄さん、具合はどうですか? 意識は回復しましたか」
「……」
 九流が、火傷の残る手で、肩の雪を払い払い話しかけるも、亜美は依然として虚ろな目で以て返すだけだった。当然だ。理由も、原因も、何もかもわからない怪奇現象に日夜悩まされ、あまつさえ、娘を殺されかけたのだ。その心は今や、張りつめた風船の如く、不安定で、限界で、わずかな刺激でさえも決壊してしまうことだろう。
「奥さん。気持ちはわかります。しかし、落胆してばかりもいられません。この苦しみから逃れたいと思うのなら、常に前を向いて、解決への道を模索していなければならない。仄さんのためにも、そして、あなたのためにも……さあ、顔を上げて」
「……ます」
「何ですって?」
「死にます。もう、いいんです。こんな、こんなに苦しいことばかりなら、こんなに生きているのがつらいなら、私と、この子と、二人で、もういっそ、楽に」
「馬鹿を言っちゃいけない。だめです。絶対にだめです。あなたは少し疲れているだけだ。自分が戦っている相手が、正体の分からないものと思い込んで、惑わされているだけなんだ。違う、現実はそんなに複雑じゃあない。あなたを苦しめるそれの根本は、もっと身近な、すぐ見えるようなところにあるに違いないんだ」
「じゃあ……じゃあどう説明するんですか!? あなたが階段から落とされて、何もないところから火が点いて、仄が溺れさせられそうになって……もう、悪霊か何かが私たちを殺そうとしているとしか……思えないじゃないですか……」
 九流ははっきりとした否定の意志を込め、大きく頭を振った。
「いいえ。幽霊や、悪魔なんて現実には存在しない。言わば、あなたの大事な命を脅かそうとするその心こそ、悪霊なのです。お願いします、もう少しなんです。もう少しで、この事件の全貌が掴めそうなんだ……!」
「もう、もういいんです。九流さんには本当に感謝しています。ここまで私達のために尽力していただいた方は、あなたくらいです……ですが、もう、いいのです。人間には、どうしたって、抗えないことがあって、それが偶然、私達のところに来た、それだけなんです。だから、もう……」
 彼女は、悪い方へ、悪い方へと自ら望んで呑まれそうになっている。それは誰の目から見ても明らかだった――が、それをこちら側へ引き戻すすべは、誰とても見つけられそうもなかった。
 どうする――九流の思考が行き詰まりかけた時だった。
「ん……おかあ、さん」
 体を毛布に巻かれ、閉ざされていた仄の瞼が、ゆっくりと開かれた。同時にその手が、母を求めて、赤子のように中をさまよう。
「ああ、仄……気が付いたの。よかった……」
 亜美がその手をしっかりと受け止め、自らの手と重ね合わせ、握りしめる。目もとには、とうに涸れたと思われた涙が再び浮かんでいた。
「お母さん……わたし」
「いいのよ。何も……何でもないの。仄はただ、すこしのぼせただけ……それだけよ」
 それからしばらく仄の手を握っていた亜美は、ふと、何かに感づいたように、その手に視線を落とした。
「あら、仄……この手、どうしたの?」
 わずかな異変を察した九流が、素早く駆け寄る。
「どうしました?」
「いえ、少し……この子の手に、変なあざが」
「あざ?」
「ええ、ほら……」
 そう言って広げられた掌には、確かに線の様な細いあざが、一直線に横切っていた。
「これは……奥さん、心当たりは」
「いいえ、何も……仄、何かあった?」
 訊かれた少女も、しかし、首を横に振るだけだった。
「すいません。わからないみたいです。……まあ、今更、覚えのない傷が出来たくらいで、驚きませんが」
「いいや、そうでしょうか」
 九流はしかし、その傷を見ると、なにやら確信したように断言した。
「案外、この傷は僕に、大きなヒントを与えてくれたようですよ……少し、待っていてください」
 言うなり九流は、弾き出されたように外へと飛び出たかと思うと、五分ほどで再び戻ってきた――頭や肩に雪を連れて。
「ふう……相変わらず、酷い雪だ」
 文句をこぼす九流の両手にはそれぞれ、何かが握られていた。
「お待たせしました。今、すぐそこから、この事件を解決するための重要な参考人を、二人ほど連れてきました」
 そう言って掲げた両腕の、右には小さなプラスチックのボタンが、左には空になった透明な瓶があった。
「亜美さん。どうせ諦めるのなら、もう少しだけ、僕の与太につき合ってみる気はありませんか。決して損はさせないと誓います」
「え、ええ……」
 妙な自信に溢れたその言葉に、亜美はつい肯定を返す。その隙を逃すまいと、九流は二の句を継いだ。
「では、いくつか質問を。焼けた箪笥を撤収している際、散らばったものも含めて中身も確認しましたが、入っていたのはタオルケットや入浴剤、ボディソープの替え、その他洗面道具だけで、衣服等は確認できませんでした。ですが一応、確認のためお訊きします。あの箪笥に服のたぐいは収納していませんでしたか?」 
「ええ、と……たぶ」
「つまり!」
 返答を全て待たずして、九流は右手のボタンをぐいと亜美の眼前へと押しつけた。
「このボタンがあの場に落ちていたのは、多少不自然と言っても差し支えないわけですね」
「そ、それは、どうかと……偶然とれたのを、置いたままにしただけかも知れませんし」
「なるほど。では最近、ボタンがはずれた、またはほつれていたような記憶は」
「私は、ありませんが……仄、どう?」
 問いに対して仄は、首をわずかに傾げることで思い当たる節はない、という意を示した。
「ふむ。よくわかりました。では、次の質問を」
「まだ、あるんですか」
「ええ、後少しだけ、お付き合いください。こちらの瓶ですが」
 と、今度は左手の、なにやら英字で細かい表記のある空き瓶を突きつけて言った。
「リムーバー……所謂除光液のようですね。見覚えは」
「それは……私が普段から使っているものですが」
「ほう。仕事用に?」
「それもありますし、私用でも時々」
「ふむ。つまり使用頻度はそこそこに高いと」
「ええ……それが、なにか?」
「いえね、でしたら少々、おかしいと思いまして。僕がこの瓶を発見したとき、中身は既に空でした。先ほど、もののついでに確認させていただきましたが、替えもないみたいで……近々、購入される予定でしたか?」
「いいえ。最近はそれどころではなかったので、そんなこと、気にも留めていませんでしたが……でも……」
「でも?」
「いえ、曖昧な記憶なんです。ですが……除光液は、つい最近買ったように思うのですけど……」
「……なるほど。ありがとうございます。では最後に、もうひとつだけ。カラーコンタクトをなさっていると仰っていましたね。それは、度は入っていますか?」
「ああ、これ……ええ。度入りです。視力も、対して良くないもので……」
「ふむ……それは、近頃、無くしたりは?」
 その質問をした途端、先ほどからあまり変化が見られなかった亜美の顔に、わずかに驚きの色が見えた。
「どうして、わかるんです? 確かに、最近、なくなっています……それも、いくつも」
「はい……ああ、はいはいはい。なるほど。こいつはどうも」
 その答えを聞き終えると、九流は満足したように頷き、不適に笑った。
「いやあ、亜美さん。どうやら我々は、見えない悪魔のしっぽを掴んだみたいです」
「そ……それは、どういう……」
「ま、おいおいわかることでしょう。すみませんが奥さん、これから私が言ういくつかの物を用意していただけますか?」
「九流さん……いったい、何を?」
 現状に付いていくことの出来ていない亜美をそのままに、九流は大胆にも言い放った。
「これから、貴方の言う“悪霊”とやらを、呼び出してみせましょう」


「いったいどうする気です? コンタクトばかり、いくつも持って……」
「まあまあ。いいからいいから、とにかく見ていてください。ああ、あとこれも、お借りしますね」
 九流は片手にコンタクトを、もう片手にテレビのリモコンを持つと、階段の方へと向かった。
「角度は……こんなもんかな。よし」
 それから踊り場のあたりで姿見を少しいじったかと思うと、わざとらしく咳をし、亜美の方へと向き直った。準備の間に、仄は再び休息に入ったようで、体を包む毛布が、小さく上下していた。
「ん、んッ。まず今からご覧に入れるのは、僕がこの家に来て初めて体験したポルターガイスト、つまり、テレビが勝手に点いたり消えたりした、あの現象の正体です。よく見ていてください」
 そう言ったきり、九流は二階へと姿を消してしまった。
 それから亜美は半信半疑でテレビを見つめていたが、いくら待っても、何かが起こる気配はない。やはり、自分を安心させるための、出鱈目だったのか――そう落胆しかけたときだった。
 急に、ぷつ、とテレビの液晶が輝いた。
「……嘘」
 それだけではない。そのままチャンネルが何回も変わったかと思うと、音量が大きくなったり小さくなったり、電源も、オンオフを繰り返したりした。しかし、リモコンを持つはずの九流の姿は、どこにも見えない。
 階段の曲がり角から操作しているのか……そう考えた亜美は、そちらへも向かったが、しかしそこにも、九流の姿はなかった。
「やあやあ、不思議そうですね」
 そうしている間に、リモコンとコンタクトを持った九流が二階の奥から現れた。
「どうです? 昼方起こった現象と、何ら変わりはなかったでしょう」
 亜美は驚きのあまり、目をぱちくりさせるだけだった。いったいどうやって――という疑問は、言葉にならなかったが、それでも十分に伝わったらしかった。
「説明してくれ、っていう風な目をしていますね。では種明かしと行きましょう。実はこれ、幽霊の仕業でもなんでもない、ただふつうに、リモコンで操作しているだけだったんですよ」
 口元に笑みを浮かべながら、九流はリモコンを手でぶらぶらと弄んだ。しかし、それでは納得がいかない。そこから生じた当然の矛盾点に、亜美が食いついた。
「でも、だとしても」
「二階から届くはずはない――ですよね」
 それを予期していたのだろう、亜美が言い切るよりはやく、九流が反応した。その顔は、苦労して作った擬似餌に魚が飛びついたときのような、誇らしそうな、嬉しそうな表情をしていた。
「勿論、そのままでは不可能です。本来、リモコンから飛び出る赤外線は非常に微弱ですぐ拡散してしまい、せいぜい、狭い空間で一度反射させるくらいが関の山です。ましてや二階から一階なんて遠い距離での、しかも何度も屈折を必要とする位置での操作なんて無理がある。そう、ふつうなら、ね」
 九流はそこで、手に持ったコンタクトを見せびらかすように顔の前で掲げた。
「そこで、こいつの出番です。コンタクトレンズ……つまり、凸レンズ。こいつで屈折された赤外線は、もとよりもずっと……」
「強く、なる」
「……そう。その通り、微弱な電波も、束ね合わせればそれなりに強くなる。何枚もレンズを通せばなおさらね」
 なおも、亜美は食ってかかる。
「でも、いくら強い赤外線だって、床板を貫通するなんてことは」
「ええ、できませんよ。そこで二つ目の仕掛け。この姿見を使うわけです」
 言って九流は、踊り場の大きな姿見を指し示した。
「鏡は凸面ではなく、平面。屈折ではなく、反射をさせます。つまり、こいつに限らず、大小さまざまの鏡、あるいはそれに準ずるものを巧く設置して、赤外線を中継させれば――後は、わかりますね?」
 言い終わると同時に、九流が先端にコンタクトを固定したリモコンを姿見へ向けると、騒がしかったテレビの電源はぷつりと切れてしまった。
 亜美は唖然として、踊り場から下の階を眺め回した。言われてみれば、ところどころに、見覚えのない手鏡やガラス製品が転がっていた。
「ちなみに、僕を階段から転げ落としたのも、同じ仕掛けが使われています。上から下へと光が連絡可能ならば、その逆もしかり、ということです。僕は落ちる瞬間、目に強い痛みを覚えました。要は、一階のある決まった箇所から、レーザーポインターか何かで、強い光を照射させれば、階段を下りてくる人間の目を眩ませ、脚を踏み外させることができる……と、こう言うわけです。もっともこちらは実験をするわけに行かないので仮説にすぎませんが」
 なるほど、理屈はわかった。しかし亜美は、同時に浮かんできた恐ろしい考え、そちらの方が気がかりで仕様がなかった。そして、それを口に出そうとしたときであった。
「でも、待って、それじゃあ……」
「いけません」
「えっ」
 九流が、その思考にストップをかけた。
「言いたいことはわかります。ですがまだ、“それ”を言ってはいけません。とりあえず今は、目の前で起きた様々な現象が再現可能か否か、それを実証するときです……さあ、次は玄関です」
 亜美は、のどまで出掛かったその言葉を、悪い予感を、押さえつけるように飲み込んで、九流の後を追った。

 後に二人は、玄関に備え付けられたブレーカーの下に立っていた。
「さて、次はいきなりの断電ですね……これも、偶然にしては少々タイミングができすぎています。人為的なものと考えるべきでしょう」
「でも、私も九流さんも、電化製品には触れていませんでしたし、仄も、そのとき……浴室にいたはずです」
「いいや。そもそも、人が働きかける必要がないんです。ちょっとした細工……本当にちょっとしたもので、簡単に起こせるんです。そら、もう少しです。亜美さん、今何時です?」
「え? ええと……」
 亜美が携帯を取り出し、時間を見ると、表示には18:59と出ており、ちょうど午後の一九時になろうかと言う頃であった。
 そして、59のカウントが00へと戻った、その瞬間。
 またも、ばつん、という音とともに、ブレーカーが落ちたのだ。
「……つまりですね、こう言うわけですよ、奥さん。最近の家電には、たいてい、タイマー機能がついている。炊飯器。空調、洗濯機、オーブン、録画機器……思いつくだけでもこんなにです。ましてや広いこの家のことです、もっと多くの、便利な家電があることでしょう。それらを全て、同じ時間に作動するよう、設定しておけばどうなると思います?」
 言わずもがな、である。いかに豪勢な家でも、使える電力には限界がある。ましてや亜美は、大して家にいる時間が多い訳でもなく、また仄が家事をする際の効率の良さは承知のところでもあったので、大きな契約は交わしていなかった。
 亜美の答えを待たずして、九流は続けた。
「ただ、これには欠点がありましてね。分単位でタイマーが仕掛けられる家電もあれば、時間単位でしか設定できない家電もある……要は、区切りのよい時間でないと、この仕掛けは作動できないんです。あの時もちょうど、夕方の五時になったところでした。しかし、それが逆に、思いがけない足がかりになったんですよ……よ、っと」
 九流の手によりブレーカーが復帰され、その姿が再び浮き上がると、それはそのまま付け足すこともなく、脱衣場の方へと歩を進めていった。

「……お次は、僕が体験した箪笥の転倒、そして人魂による襲撃です。ここが、非常に巧妙に考えられていましてね」
 九流は懐から先ほどのボタンを取り出し、掲げ上げた。
「まずは、前者ですが……どうしてこのボタンが、こんなところへ落ちていたのか? それは、離れたところから箪笥を倒すために使われたからですよ。トリックはこうです。まず、ボタンに糸を通す。それからボタン部分だけを箪笥の中にしまう。そうやってはみ出した二つの末端を強い力で引っ張れば……多少離れたところから箪笥を倒すことが可能なわけです。勿論、綺麗に倒すには、中身の重心を多少いじくる必要があるわけですが」
「でも、糸があったなんて聞いてませんが……」
「そこです。それこそ、この仕掛けの巧妙なところなんですよ。即ち、“タネ”の隠蔽と、次の怪奇現象の発生が、ここでは同時に行われているんです。では、このまま、人魂の検証に移りましょうか」
 九流はポケットからマッチを出すと、服を着たまま、浴室へと入り、扉を閉めた。
「照明を消していただけますか」
 亜美が言われたとおりにすると、中でマッチを擦る音が聞こえ、やがて闇の中に、橙色の、丸い幻灯が、ぼんやりと浮かび上がってきた。
「……これです。こんなくだらないものが、人魂の正体だったのですよ。ただ、平常心を失っていた僕は、そんなことすらわからなかったようですが」
 それは亜美の眼前で、少しの間揺らめくと、ふっと消え失せてしまった。
「……でも、もし正体がマッチだったなら、箱が落ちていないのはどうしてですか?」
「なに、簡単ですよ。マッチを一本だけ持ち込んで、予め箱から切り取りっておいたヤスリで点火、後はまとめて流してしまえばいいんです。恐らく、排水溝の蓋を取って、ネットを調べれば、燃えカスが出てくることだろうと思いますよ」
 その後、確認のため、もう一度人魂を作り出し、写真と動画が撮影されたが、やはり九流のみた物と、寸分の狂いもなく一致していた。
「さあ、後はこいつが、どうやって僕を火の海の中へ放り込んだか……それを解いていきましょう」
 そこで九流はやっと、残るところ最後の“証人”である空き瓶を取り出した。
「僕が箪笥の下敷きにされたとき、体が濡れると同時に、妙な臭いを感じましてね……確かめてみると、この瓶の残り香と全く同じ臭いでした」
 九流は亜美に瓶を手渡しつつ続けた。
「リムーバー、もとい、除光液の主成分は、アセトンと言いましてね。非常に引火性の強い物質です。つまりは、マッチ製の“人魂”がこいつに燃え移ることで、僕は炎に包まれたというわけです」
「でも、九流さんが見た人魂は、扉の向こう側にいたんですよね? 閉まった扉の向こうから、どうやってこっち側の床に引火するんです?」
「そう! それ……そこで、糸の登場です」
 九流は、待ってましたと言わんばかりに声を弾ませた。
「悪霊は箪笥を倒す際に、予め除光液に漬けておいた糸を使ったんです。それを、浴室の扉には必ずある、下部の通気孔から通し、箪笥を倒した後に、二つある末端の片方だけを引っ張り、糸をボタンからはずして床へと落とし、そこに着火することによって、僕へと繋がる導火線代わりにするとともに、タネの隠蔽をも計ったわけです。すごいことですよ、これは。ちっとやそっとの熱量で作れるトリックじゃ」
「九流さん……九流さん!」
「わわ……なんです、びっくりしたじゃありませんか」
「もういいです。理屈はわかりました……でも、それじゃあ、まるで、まるで、」
 亜美は少し躊躇したようだったが、しかしそれを振り払うと、堅固な姿勢で以て、その言葉を口にした。
「まるで……仄がやった……みたいな、言い方じゃ、ないですか……」
 今度は九流も止めなかった。口を真一文字に縛り、両目でしっかりと亜美の方を見据えていた。
「だって、そうじゃないですか。さっきの階段のことにしたって、実行可能なのは、仄だけです。脱衣所の一件にしたってそう。九流さんは、仄がコーヒーをこぼしたところから……あの子の優しさも、全部……計算ずくだったって、そう仰りたいんですか……」
「……今のところは、そう言わざるを得ません」
 それが、琴線に触れたらしかった。
「……なんで……そんな訳ないじゃないですか! だってあの子も実際に、殺されかけてるんですよ!? 浴槽で、溺れて、縛り付けられたように、動かなくて……あれはどう説明するんですか!」
「落ち着いて。落ち着いてください、奥さん」
「いいえ、もう我慢できません! 言うに事欠いて、仄を犯人呼ばわりなんて……! そんな人だとは思いませんでした!」
「いえ、僕は、ただ」
「もういいです! 帰ってください! お願いですから、もうこれ以上、私達に関わらないで――」
 
「もういいよ、お母さん」

 突如現れた別の声。それが、場を鎮めた。
 いったい、いつからだろうか。寝ていたはずの仄が、そこに立っていた。
「……ほ、のか……?」
「仄ちゃん……いつのまに」
「さっきから、ずっと。……ねえ、お母さん。九流さんの言ってること、多分、合ってるよ。あんまり覚えてないけど……私がやったんだと思う」
「仄……どうして、どうしてそんなこと」
「わかるの。何となく、覚えてるの。痛くて、つらくて、苦しくて……私は、必死に押さえようとするんだけど。言うことを聞かないの」
「違う、違うわ、仄。貴方は何もやってない。ね、そうでしょ? そうでしょ、仄……」
「……ごめん、なさい」
 一言呟いたかと思うと、仄はその場へうずくまってしまった。
「……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめん、なさい……ああ、また……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「仄……? 仄、しっかり!」
 亜美が駆け寄るが、仄には聞こえていないようだった。そしてなおも、唱え続ける、謝罪の言葉。
「ごめんなさい。ごめん、なさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。嫌、いや。ごめんなさい。ごめんなさい……もう、いや……。ごめん、なさい。ごめんなさい」
「仄、もういいから、もう、やめて――」
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……おかあさん……」
 仄はそれきり、ふと黙り込んでしまった。心配した亜美が声をかけようとした、その瞬間だった。
「ふっ、」
 と、一声あげたかとおもうと、
「ふ、ふひ、ふひひひゃはあははははは!」
 何かが決壊したように、爆発的に、笑い声が広がった。
「お母さん! おカあさンオカアサん! ぐげげげげ!」
 それはおよそこの世のものとは思えないような声で、またその表情にも、先ほどまでの、しおらしい少女の面影は一切無く、瞼を見開き、眼球をぐりんと裏返し、舌をだらんと垂らして、口元から涎を振りまく、ただただおぞましい、病的なまでの狂気が、そこに顕現していた。
「ひ……っ」
 我が子の豹変にたじろいだ亜美が、触れていた手を離した、その一瞬の隙だった。
「くきぃえぇえええええええ!」
 突如仄が、奇声を発し、亜美の首筋へと飛びかかった。たまらず倒れ込む亜美の首を、か細い腕がぎりぎりと締め上げる。
「奥さん!」
 慌てて九流が引き離しにかかるが、浴室の時と動揺、その体に不釣り合いな剛力は、大の男の腕力をものともせず、一心不乱に母の息の根を止めんと襲いかかる。
「こ……のっ!」
 九流は一時的に距離を取ると、
「仄ちゃん……ごめん!」
 馬乗りになる仄の体へ、全体重をかけ、正面から突っ込んだ。流石に耐えきれず、吹っ飛んだ少女を、しかし九流は気に留めることなく、亜美のからだを抱き起こすと、すぐ近くの応接間へと引きずり込み、すぐさま扉に鍵をかけた。
「か、はっ……う、おぇっ」
「大丈夫ですか、奥さん?」
「げほっ……ええ、何とか……えほっ」
 九流が亜美の背をさすり、解放する背後では、突き飛ばされたダメージなどは意に介さず、仄のかたちをした何かが雄叫びを上げ、扉を叩き続けていた。
「“ツキモノ”か……予想はしていましたが、これほどとは」
「九流さん。仄はどうしてしまったんですか? あんな、あんなの……私の知ってる娘じゃない」
「ええ。仄さんは今、仄さんであって、仄さんではありません、今、彼女の体は、彼女の潜在意識に支配されている状態です」
「潜在意識……? 仄に私を殺そうとするような、残酷なあんな本性があるとでも仰りたいんですか?」
「いえ、そう言うわけではありません。ただ、今の今まで抑圧してきた、ほんの些細な願望や、不満、欲求が、積もり積もって膨張し、そして、何らかのきっかけで限界に達し、反動として一気に爆発してしまった、それだけのことなのです。そして、理性の範疇を超え、行き場の失った欲望は、それをうまく霧散させる方法を知らぬ子供にとっては、そのまま吐き出すより他にない。そこで、都合の良い悪霊の姿や、悪魔の力を借りて、つまり“憑かれた”という思いこみの力に助けを得ることになるのです。引っ込み思案な子や、根の真面目な子には特に発症が顕著で、全国で見られる、“ツキモノ”……所謂“狐憑き”“悪魔憑き”“憑依現象”の正体がこれだとも」
「ええ、ええ、もういいです、わかりましたから。つまり仄は、思い込みだけでああいう風になっている、と?」
「そういうわけです」
「でも……それだけじゃ説明の行かないことが多すぎませんか?」
「と、いうと」
「実際に首を絞められたからわかりますが……あんな力、たかが思い込み程度で出せるものではありません。女の子の、いえ、人間の出せる力の限界を大きく超えています」
「たかが……ですか。ふむ」
 顎に指を添え、少し考えるようなそぶりをした後、九流は唐突に言った。
「ねえ、仄さん。カスパール・ハウザーってご存じでしょうか?」
 亜美は一瞬きょとんとして、すぐさま首を振った。
「いいえ、知りませんが……」
「なるほど。では少し説明しましょう。彼はドイツの人間でしてね。その生い立ちの異色なことには、彼は生まれてからの十数年間、暗い地下牢から一歩も外に出ることなく育ったんです」
「地下牢から……一歩も」
「ええ、一歩も。そして彼が十六になる頃、ようやく外へ出る機会が巡ってきたんですが……これがまた、普通の人間ではありませんでした。歩くことがなかったため、膝は退化していたのですが、逆に、感覚器官が異常に研ぎ澄まされていて鋭敏だったとか。曰く、暗闇で聖書を読んだり、触れるだけで鉄と真鍮の区別を付けたり、挙げ句には、遠く離れた地のクモの巣に掛かった虫の種類を言い当てたとか……そんな文献が多々残っています」
「それと仄と、何の関係が?」
「まあ、そう焦らないでください。ここからが面白いところでしてね。彼はその後、地元に店を構える靴屋の主人に引き取られたのですが……そこでごく普通の生活を営み、社会の常識を学び、順応していくにつれ、先ほどのような能力は段々と衰えて、最後にはほとんど消失してしまったと聞きます。……奥さん。つまり、こうは考えられないでしょうか。彼は、自分の限界を知らなかった。もっと噛み砕いて言えば、もともと持つ才能が、常識という固定観念に囚われ、局限される必要がなかった……と」
「ええと……なにが言いたいんです?」
「わかりませんか、奥さん。彼女が、暗闇の浴室でマッチを擦ることができたのも、溺れながら、浴槽の縁へ手足を突っ張っていられたことも然り――仄ちゃんのあのもの凄い感覚や力は、はつまり、普段は制限されているはずの、もともと人間が持ちうる限界の力が、“憑依されている”“常を超える現象に支配されている”という強い思い込みによりそのリミッターが解除され、結果、最大限に発揮されているに過ぎないのです」
「まさか、そんなことが」
「あるんですよ、奥さん。たかが思い込み、されど思い込みです。特に仄ちゃんの場合なんかは、常日頃から演技の練習に取り組んでいる分、“他の何か”に“なりきる”ことに慣れていますから、殊更それらが強い効果を発揮しているとさえいえるでしょう。ともかく、今、現に目の前で起こっている症状を、最も合理的に解釈するには、それしかないんです」
「「でも……ですけど……」
 亜美は諦めたように、力なく首を振った。
「仮に……仮に、そうだったとして……私にそれを、どうやって信じろと言うんですか……」
 反して、九流は奮い立たせるように力強く、亜美の肩を掴んだ。
「違うんですよ。前提からして間違っているんです。信じるとか、信じないじゃない。……疑心、暗に鬼を生ずと言いましてね。恐怖を抱けば枯れ木が蛇に見えます。興味と関心を持っていれば、飛空艇がUFOに見えます。おもちゃが古大恐竜の首に見えれば、偏光した写真が家庭に災いをもたらすと信じ、間接の鳴る音さえ、霊の仕業に思えます。そんなふうに、この世に蔓延する超常現象と呼ばれるモノは、心霊現象や超能力に至るまで、その殆どが思い込みや錯覚、または人為的なトリックから端を発しているといってもいいのです。それくらい人は、先入観や余計な憶測によって簡単に騙される。事実、貴方もその一人でした。しかし、僕はそうではありません。そう言ったものを一切信じず、客観的な視点を以て現実を見る。過去の文献や人間の習性から、最も合理的かつ、論理的な判断を下す。それが正解だと知っているからです。……はじめに言いましたよね。何の関係もないところにいる人間だからこそ、見えることもある、と――ねえ、奥さん。どうか……どうか、賭けて見ていただけませんか。騙されたと思って、僕と共に彼女を――仄ちゃんを、もとのかわいい娘さんに、戻してあげませんか」
 亜美は思考の奔流と混乱とが収まらない表情で、しかし、それだけを、はっきりと訊いた。
「あの子は……助かるんですか……?」
  九流はその揺れる瞳を正面から受け止め、
「勿論です」
 固い決意のこもった声で、はっきりと告げた。
「そもそも助かる、助からないというような話じゃないんですよ。ちょっと拗らせすぎた思春期のようなものなんですから、これは。悩み多き年頃の女の子の、人には言えない小さな秘め事のうちのひとつが、爆発して、癇癪を起こしてしまった。それだけのことなんです。それは少女だからこその、幼く、多感であるからこその心理のゆらめき。もし、私が勝手に名付くとしたなら、そう――少女症状、とでも言ったところですかね」
 九流は勢いのままに言った後、命名はやりすぎたと思ったか、さすがにちょっと照れくさそうな顔をすると、ぽりぽりと頭を掻いた。一方で亜美はというと、なぜだかこのとき、仄のことは頭になく、九流の行動を見て、「彼にも人間くさいところがあるのだな」などと言ったようなことを考えていた。そう思った瞬間、なぜだが、、掴まれていた肩の部分がじんじんと暖かくなった。
「では、行きましょうか」
 九流が取り直すように言った。
「行くって、どこへ」
 亜美がそう訊くと、九流は今度は照れ隠しでなく、笑った。
「それは、勿論。困ったちゃんの、カウンセリングに」

「本当に、大丈夫ですか」
 リビングの壁際を階段へ向かって歩きながら、亜美が心配そうに訊いた。
「ええ。先程から、扉を叩く音がしなくなりました。恐らくは、何か食べでもしているのでしょう。理性を失った人間は基本、意志の赴くままに行動します。即ち、腹が減れば食事をするし、眠たければ寝ます。その場所や、手段を問わないだけでね」
 九流は言いながら壁際から離れ、そろそろとキッチンに近づいていき、そして何かを認めるとほぼ同時、人差し指を自らの唇に押し当てた。 そのままもとの壁際まで後退り、
「……よし。どうやら当たっていたようです。冷蔵庫の明かりが漏れている……しかし、安心は出来ません。先程も言ったとおり、今の彼女は本能の獣です。奥さんの姿を見つけようものなら、必ずそちらを優先することでしょう……さ、はやく」
 早口でそれだけ言うと、再び慎重に、しかし素早く前進を開始した。
「いいですか。慎重に、ですよ……音を立てないように……そっと……そっと……」
 そうやって、普段の倍以上ほども時間をかけて階段を上ると、二人はとある部屋へさっと走り込み、すぐさま施錠をした。
「ほう」 
 と一息吐いて、九流は辺りをざっと見回す。そこには先程も見た景色が変わらずに広がっていた。仄に襲われる危険性を負ってまで訪れたそこは、
「それで、九流さん」
「うん? 何です」
「仄の部屋に、何があると言うんです?」
 そう、仄の部屋であった。つい先程亜美に見せた表情からは一転、再び張り付けたような笑みを浮かべた顔は、しれっと答えた。
「ええ。ちょっと、“鍵”を探しに」
「鍵……?」
「そう、鍵。彼女の、こころの鍵」
 詩人めいた言葉を放ちつつ、九流はあたりの引き出しや棚を物色し始めた。
「何でもいいんですよ。思い出の品とか、宝物とか。日記なんか、一番都合がいいかもしれませんね。そういう、仄ちゃんの想いや、本音に迫ることの出来るものがあれば、彼女がああなってしまった理由、ひいては、その解決に大きく近づくことになる……奥さん、何か思い当たりませんか?」
 唐突に訊かれた亜美は、ばつが悪そうに答えた。
「すみません……。仕事で家にはあまり帰りませんし、ましてや仄の部屋なんか、殆ど入らないもので……」
「ふむ……まあ、仕方ないことですよ。女手一つで、さぞ忙しかったことでしょうしね。まま、そんなに気を落とさず。別に物でなくていいんです。最近様子がおかしかったとか、言動が一貫していなかったとか」
「そういうことも……特になかった、と思います」
「そうですか……」
「……あっ、でも」
 不意に亜美が思いついたように表を上げた。
「なんです?」
「あの、お役に立つかどうかはわからないんですが、あの子……仄は、良く映画を観ていました」
「映画を」
「ええ。暇なときはいつも観ているらしくて……実際に私も、たまに一緒に観ることがありました」
 九流は聴きながら、その広い部屋の、それでもかなり大部分の面積を占有していると思える分厚い本棚を見た。なるほどそこには、本も確かに多く並んでいたが、DVD、BDといった映画の記録媒体においてももそれに負けないほどの占有率で以て、その存在感を示していた。
 九流はそのメジャーマイナー関わらず揃えられたタイトルを、指でなぞっていった。
「ん……特に好きだった作品なんか、覚えてらっしゃいませんか」
 亜美は少し、困惑したようになった。
「ええと、少し恥ずかしいのですが……」
「構いませんよ。どうぞ」
「その、仄はですね……私の出演している作品を繰り返し観ることが多かったみたいです。本人の口からそう聞きましたので……特に、そこの、“月面王国”なんか、何回も観ていました。それについては、私も何度か確認しています」
 言って、亜美が本棚の一カ所を指さした。
 九流は、本棚へ向けてしきりに左右へ動かしていた人差し指を、そこでぴたりと止めると、その先にあるディスクパッケージを手に取った。
 そこには“月面王国”と、カフェの男主人の口からも聞き覚えのあったタイトルが印刷されていた。
「……うん……はあ……」
 それから暫く、その周辺のタイトルを出し入れし、うんうんと頷いた後、九流はようやく亜美へと向き直った。
「そうですね。確かにこのあたりに集められている、見莇阿子……もとい、奥さんが出演していると思われる作品だけ、他のタイトルと比べて埃を被っていません。またこの“月面王国”に限っては、表面の擦り跡や外装の傷みなどが非常に多く見られます。相当繰り返し観たんでしょうね」
「そうですか……」
「ええ。母の輝かしい姿を娘さんが幾度も目に焼き付けているんですから、喜ばしいことです」
「ええ、はい。でも……でもやっぱり、今の状況とは、何の関係もありませんよね……すいません」
 再び顔を伏せてしまう亜美に、九流がやや慌てて言う。
「いえいえ、十分有用な情報ですよこれは。普段から常に触れている本や音楽、映像作品、そして人物なんかは、憧れや、同調といった形で、その人間に非常に大きな影響を与えますからね。作中の登場人物と同じ格好や言動をしてみる者や、同じ曲を演奏したいが為にバンドを結成してみる者……極端に言うと、アイドルやスターの死と同時に自殺するファンがいることを考えても、何もおかしな話ではありません」
「はあ……」 
 しかし、亜美が顔を上げることはなかった。九流はもどかしそうに訊いた。
「この“月面王国”という作品はどんな?」
「ああ、ええと……そうですね。自分で言うのもなんですが……名作だと思っています。評判も良くて、衛星放送でも何度か……その、ご覧になったことはないですか」
「……すいません。あまり見ないもので」
 亜美が、少し寂しそうな顔をしたので、九流は苦い気持ちになった。
「いえ。そうですよね、どれだけ自分からすれば有名でも、全員が知っているなんてあり得ないですし……ええと、大まかに概略を話すと、自分の生きるくだらない世界に幻滅した女の子が、遠く離れたところで一人、自分だけの世界を作ろうと旅をする話で……私が、仄くらいの時に演じたものです。だいぶ古いんですけど……」
「……ありがとうございます。なるほど……もしよければ、後で見ても?」
「え、ええ……でも……」
「ああ、わかってます。勿論、この問題を解決した後にですよ……それにしても非常に興味深いです。仄ちゃんくらいのときの奥さんが移っているのを、何度も見ていたとなると……非常に大きな影響を与えた可能性が高いです」
「それは、たとえば……どんな?」
「……今は、まだ。とりあえずは、より多くの鍵を探すことを、先決にしましょうか」
 そうやって話を切り上げると、九流はディスクパッケージを懐へしまい込んだ。
 そののちも、二人は捜索を続けたが、仄に影響を与えたと断定するに足るものはとうとう見つからなかった。ただ、仄が人為的に怪奇現象を引き起こした証拠になると思われる、コンタクトやレーザーポインター、リモコンだとかと言った物は続々と出てきたので、亜美は少なからず驚いていたようだった。

「とりあえず仮説を立てました」
 唯一の手がかりであるところの“月面王国”のDVDを片手に、九流が切り出した。
「すなわち、仄ちゃんはこの作品の、奥さん演じる主人公に非常に強く憧れ、どこか遠い世界へ生きたいと思ったものの、そんな無謀な挑戦をする経済力も勇気もなく……よってこの家を孤独の城にしたいとひそかに願望を抱いたものの、まさか唯一の同居人であり、何より実の母である奥さんを“いないもの”にするわけには行かず……その、排除したい、しかし傷ついて欲しくはない、という矛盾した想いが結果、奥さんを少しでも多く家から遠ざけるための怪奇現象、と言った中途半端な形で現出させたが、一向に願いが叶わぬ為、とうとう耐えられなくなって、爆発した――というものです」
 部屋の扉を背にしながら、九流が説明を終える。亜美はそのどこかに引っかかりを覚えたが――しかし、別段反論する根拠のあるわけでもないため、納得せざるを得なかった。
「それで、どうするんです?」
「もし僕の考えが正しいならば、仄ちゃんは一人になりたい願望と、それを言い出せない良心の呵責の狭間で苦しんでいたことになります。ならば、その折衷案――たとえば、別荘とは言わないまでも、離れを建てることなんかを提案してあげれば、不満が解消されて、そこに付け入る隙が生まれるはずです」
「離れ……ですか」
「そう。それを奥さん……貴方が言うんですよ」
「私が?」
「ええ。その方が、より心に入り込みやすいでしょうしね」
「でも、仄……私を見たら、襲ってくるんじゃあ」
「そこはそれ、安心してください。僕が上手くやります」
 その後、簡単なミーティングを済ませると、九流は扉のノブに手をかけた。外には、もう嗅ぎつけたか、既に何者かの気配があった。
「いいですか。先程言ったとおり、僕が扉を開けたら、三歩だけ前に出て、後は何があっても、動かないでください……いいですか……何があっても、ですよ……」
「え……ええ」
「では行きますよ。三……二……一……」
 0、の代わりに扉が開け放たれると、すぐ真正面に仄の姿があった。すかさずこちらに反応する――が、それより早く、九流が別の方向へ駆けだしていた。
 しかし、そちらには目もくれない様子で、悪魔は亜美の方へと突っ込んでいく。そのあまりの迫力に、亜美はたまらず後退しかけるが――
『何があっても、動かないでください……いいですか……何があっても、ですよ……』
 先程の九流の言葉を思い出し、ぐっと踏みとどまった。既に娘は眼前にいる。亜美は、反射的に目を閉じかけた。しかし、すぐそこまで迫っていた鬼のような形相は、一瞬にして、下方へ掻き消えた。
「奥さん! 大丈夫ですか!」
 何が起こったのかわからず、亜美は足下を見た。すると、いつの間にか縄が一本、床すれすれに張られていて、仄は、それに足を取られて転んだようだった。
 そこへ、すかさず九流が、倒れた仄の背に向かい、抑えつけるように覆い被さった。当然、もの凄い力で抵抗されるが、先程の縄を使い、みるみるうちに手足を縛ってしまうと、さすがの彼女とて、成人男性の体重を跳ね退けることは出来ないようだった。
「先程、仄ちゃんの部屋へ入る前に仕掛けました。さあ、早く!」
 だが、気を抜けばすぐに形勢が逆転されてしまうことも理解しているのだろう、九流は切羽詰まった声で急かした。
「早く!  言うんです、奥さん! 打ち合わせ通り!」「は……はい!」
 亜美は大きな深呼吸を一つすると、ぎょろぎょろと忙しなく睨む目玉を見つめ、話し始めた。
 それは流石人気女優とでも言おうか、大半は九流が考えた台詞だったのを、目に涙さえ浮かべて、さも心からの懺悔のように紡いだ。そして、
「私は、仄のためなら、何でもする……一緒にいたくないなら、それでもいい。だから……だからお願い、もとの優しい、仄に戻って……?」
 そう言って、締め括った。
 仄はそれを、はじめは暴れながら、耳にすら入れていない様子だったが、そのうち、真摯に聴き始めたか、それとも単に疲れたのか、いずれにせよ、段々と、地獄の底から呻くような声が無くなり、抵抗も弱々しくなって、最後には大人しく、九流の体の下に収まってしまっていた。
(成功……したのか?)
 九流は亜美の方へ、仄の状態を確認するよう合図をした。それを受けた亜美が、おそるおそる仄に近づく。
「仄……大丈――」
 その、一瞬だった。
 抵抗をやめていた仄に、九流はもはや、体重以外には、わずかな力さえ加えていなかった。その油断を、好機を――悪魔は、喰らった。
「ぐぇえけけけぎきけぎゃぎゃぎゃ!!」
 勢いよく跳ね起きた体に、九流はまるでパチンコ玉のように飛ばされ、背後の壁に激突した。そして未だ退かぬ悪魔は、二人の計画の全てをあざ笑うかのように、後ろ手の縄を無理矢理にぶつりと引きちぎると、続いて脚の束縛をも断ち切った。
 後には、凶悪を象った猛獣と、無力な獲物が一匹、残っているのみだ。
「いや、やめ――」
 懇願も形をなさぬまま、亜美の背が、床へ強かに打ち付けられた。その痛みも引かぬうち、腹や胸、四肢と、至る所に小さな拳が飛ぶ。それらの一発一発が、鈍器に打たれたように重く、鈍い激痛となって亜美へと襲いかかった。
「――」
 悲鳴さえ上げられず、ただなぶられるままになっている亜美に、そのうえ、呪詛が降り注ぐ。
「死ね、死ね、しねしねシね死ね死ねシネ――お前なんかオ前ナんかオ前なンカ」
「居なくなれ居なくなれ居なクなれいナくナれイなくなレいなクナれイナくなレ」
「嫌いだ、キライだ、キらいだ、キラいダ、きラいだ、嫌い、嫌イ嫌いきらいきらいキらいキラいきらイ」
 まるで何人もの娘に、同時に罵倒されているようだった。もう意識はほとんどなかった。ただ、最後に残ったわずかな精神力だけで、その言葉の全てを受け止めていた。そしてその、精神さえも折れかけようとしたとき。
「やめろ!」
 吹き飛ばされた九流が、立ち上がり、叫んでいた。ただ、声こそ勇ましかったものの、その手は腰を押さえ、脚は、片方をかばうように引きずっている。恐らく、階段の際の怪我も重なったのだろう。その体は、もはや活発に運動するための機能を有してはいなかった。
 しかし、悪魔は怯まない。怯むはずもない。ただ狂ったように、暴走した機械のように、殴り続ける。
 九流は痛みに顔をしかめながらも、なおさらに大きな声を張った。
「聞け、悪魔よ! お前の望みは何だ! お前も、何か伝えたいことがあって出てきたのだろうッ! それを言えッ! お前はそれとも、単に母親が憎いだけなのか!」
 すると何故か、それまで暴れ続けていた両の腕が、ぴたりとその動きを止めた。
「ちがウ」
 それは、ほんの小さな呟き。がしかし、すぐに、波紋のように広がっていった。
「地がう、チガウ、ちが宇ちガうちがう――わたシ、が、きラ、い、ナノは、イナくなッテ、ホシい、の、ハ……殺したいのは……私」
 その、ほんの一瞬の刹那。仄の声に、わずかに正気の色が混じったのを、九流は確かに聴いた。
「アれ?ワたシ、チがウ。チガわなイ、ちがワナい。チがう。私、わタし、ワタシはわタシが。わたシ、わたし、わたワタわタ、綿綿綿綿綿綿綿綿綿――」 
 仄は、意味の分からない呪文のような言葉を唱え出すと共に、亜美の体から降り、頭を抱え、うずくまってしまった。
 その間に、いつの間にか亜美のそばまで近づいていた九流が、その下敷きになった、力ない肢体を、腕の力だけで強引に元の部屋へと引きずり込み、自分も待避した。息がだいぶ上がっていた。骨の二本や三本、とうに折れているかも知れなかった。
 しかしそんなことより、問題は亜美だった。息こそあるものの、怪我の度合いで言えば、間違いなく九流より上である。
 情けなかった。自分がついていながら。自分が指示を出しておきながら。自分を責めたかった――しかし、それよりも優先すべきことがあった。
 九流は体に言うことを聞かせ、先程の部屋捜索の際に、どこかで見かけたはずの救急箱を探しに立った。

「気が付かれましたか」
 亜美が薄く目を開けたのに応じ、九流が声を掛けた。手には包帯が握られていて、また彼自身も白の装いに身を包んでいた。
「痛むでしょう。骨は折れていないようですが……念のため、後で病院に行きましょう」
 ところが亜美は大した反応も見せず、横になったまま、惚けたように天井を見つめるだけだ。
「……仄さん。さっきは失敗してしまいましたが、まだ全てが終わったわけではありません。諦めないで、気を取り直してまた――」
 と、九流がなにか言い切る前に、亜美の目に涙が溜まりだしたかと思うと、大きな声を上げ、わっと泣き出してしまった。
「もう……もう、だめです。やっぱりあの子は、私を殺そうとしました。複雑な理由なんてないんです。ただ、私が憎いだけ。それだけなんです」 
 それは絞り出すかのような震える声だった。同時に、自虐的で、自分の首を自ら絞めて殺そうとしているようでもあった。
 九流はその絞め縄を解くように、努めて慎重に、しかし熱を持ってして語りかけた。
「違う。違うんですよ。そんなわけがないんです。聞いてください、奥さん。もし仄ちゃんが、本当に心底から貴方を憎み、殺そうとしているだけなら、はじめからこんな奇妙な事態には発展していないんです。仄ちゃんの中に、相反するふたつの想いがあるからこそ、それが歪な形となって、貴方の命を奪おうとしている、それだけなんですよ」
「同じようなことは、さっきも聞きました! でも、あんなにまで頑なに私を殺そうとするなら……もう、それしか考えられないじゃないですか……」
「違います」
「違いません!」
 半身を起こながら、亜美が抗議した。 
「現に、九流さんだって聞いたでしょう? あの子が、恐ろしい声で、次々に私を恨む言葉を……」
「ええ、確かに聞きました。しかしそれは同時に、大きなヒントにもなったのです」
「ヒント?」
「ええ。いいですか、奥さん。全ては“逆”でした。僕ははじめ、仄さんが孤独を好み、亜美さんへ危害を加えて居いるものと、そう考えていました。しかし、それは全くの反対……つまりは、奥さん、貴方を求める故の行動だったのです」
「そんなこと、どうして」
「それは、ほんの一瞬でした。もしかしたら、見逃していたかもしれなかった、そんな短い時間。仄ちゃんは、心から悲しそうな顔をして、言っていました。“本当に殺したいのは自分だ”……と。そう、彼女がずっと呪い続けていたのは、奥さん、貴方ではなく、自分自身だったんです」
「仄が、そんなことを……」
「ええ……恐らくは、仕事で中々帰ってこない奥さんを心配させないよう振る舞いつつも、一方で、甘えたい気持ちもあったのでしょう。しかしその気持ちを表に出し、多忙な母にさらなる負担を敷くわけにも行かず……そんな気持ちが反発しあって、せめぎ合って、そして最後に選んだのは、抑圧だったと思われます。彼女は親子の愛を求める“弱い娘”を封印し、忌み嫌うべき存在としました。だからこそ、自分が嫌いだなどと言ったのです。それから、もうひとつ。彼女が“月面王国”や他の“見莇阿子”出演作品を好んだのも、厭世観の現れなどではなく、ただ単に、奥さん、母である貴方がいない寂しさを紛らわす為だったのです。そして結果、貴方の気を引いて、少しでも長く家に引き留めるために、あんな怪現象を自ら引き起こした……なんて単純明快で、子供らしい…・・これが全ての真相ですよ。さあ、もう鍵は手に入れました。後は、差し込むための努力をほんの少し、するだけなんですよ……さあ、立って、奥さん。もう少し、もう少しなんです」
 そう言って九流は、手を差しのべた。
 ひとつひとつ、ピースを拾い上げなければならないような、そのうえ、正解のないパズル。そんな曖昧で、果てのない問題を、しかし彼は、解ける希望を精一杯に示して見せたのだ。
「そう……ですね……」
 しかしその光ではまだ、暗く濁りきってしまった井戸の底を照らすには、少し足りなかった。
「それが本当なら、どれだけ良かったことか……」
 亜美は、弱々しく喉を震わせる。
「やっぱりそれだって、憶測には変わりありません。証拠なんてどこにもないんですから……やっぱり……私が死ぬのが、一番……」
 心が折れる、とはこういう状態のことを言うのだろう。言ったきり伏せてしまった眼の、その奥に灯る意志の炎が、今にも消えかけようとしていた。
 だが、九流とて退かなかった。退くわけには、いかなかった。
「いい加減にしてください!」
 急に怒鳴りつけられ、亜美は表を上げた。
 貴方は誰ですか! 孤独な悲劇のヒロインですか? なるほどもしそうなら、諦めるのもありでしょう。自分の人生を、不幸の物語として終わらせるのもありでしょう。でも、違いますよね。実際はそうじゃない。貴方は一人ではないはずだ。もう一度聞きます、貴方は誰ですか? ……そう。母だ。一人では生きていけない女の子の、たった一人の母なんだ。貴方が諦めたら、あの子はどうなるんです? 幸せな未来を願って、他の人間に託しますか? 無理だ。それは自分の都合で、買っている犬や猫を捨てるのに等しい行為だ。……しっかりしてください、奥さん。あの子を、仄ちゃんを最後に救えるのは、幸せを守ってあげられるのは……誰でもない、貴方しかいないんです」 亜美の見つめるその先にある九流の目は、彼女自身のそれに反し、強い光が宿っていた。そこから燃え移るように、亜美の眼にも光が戻っていく。
「それに……証拠なら、ここに」
 九流は、亜美に再び手を差し向けた。
「貴方ですよ、奥さん」
「私?」
「ええ、そうです。先程……仄ちゃんは奥さんを傷つけようとした、それは事実です。しかし、執拗に殴ったのはその体だけ……その意味が分かりますか?」
「え? ……あっ……」
「……お気づきになられたようですね。そう。仄ちゃんは、何があっても、決して貴方の顔だけには、手を出さなかった。女優としての生命に関わるからです。これは、仄ちゃんにわずかですが、元の優しい意志が残っていることの、何よりの証ではないでしょうか」 
 雷に打たれたように、亜美は硬直し、何も言うことができなかった。
「思い込みが悪魔を生む……奥さん。貴方の、何もかも無駄だと諦める姿勢も、もしかしたら、そのひとつになっていたかも知れない……しかし、もう大丈夫でしょう。さあ。今度は仄ちゃんを助ける番です」
「九流さん……あなたは、どうしてそんなに……私達のために……」
 ふるえる唇はその先を紡がなかった。しかし九流はすべてを察し、それに応えた。
「……約束、ですから。言いましたよね? この家に幸せを取り戻すまで帰らない、と」
 言って、背を向ける。そして、
「僕には、その必要がある」
 その表情と、呟いた最後の一言は、亜美に届いてはいなかった。

 数十分は経っていたはずだった。
 しかし、亜美がドアを開けた先には、仄が、最後に見たときと何も変わらずに、頭を抱え、うずくまり、口だけを動かしていた。
「仄」
 その小さな丸い背を見下ろしながら、声を掛ける。しかし反応はない。この世のものでない呪詛を、延々と唱え続けるだけだ。
「仄っ!」
 すると突如、亜美が後ろから腕を回し、仄に抱きついた。
「○△※◇■!@$▽#&!!」
 当然、その体は弾けたように暴れ出す。だがその力は先程と比べると断然に弱く、亜美が抑えられないほどではなかった。
『仄ちゃんは、自分の本当の心と向き合って、揺れているはずです。元に戻すなら、今しかありません』
 九流から託された言葉が正しかったことを確かめ、亜美は更なる呼びかけを試みた。
「ほの……痛ッ!」
 だがそれは、腕への痛みでかき消される。見ると、回した右腕に、並びのよい、白い歯が深く食い込んでいた。しかし亜美は怯まずに、一瞬で気を取り直す。名前を呼ぶ。
「仄……仄。頑張ったね……一人で悩んで、辛くて、寂しかったよね……でも、もう大丈夫。大丈夫なの。我慢なんてしなくてもいいの。何があっても、絶対に仄を、ひとりにはしないから。だって、そうでしょ? 私達は……私と仄は、二人だけの家族なんだから……」
 呻き声にかき消されぬよう、耳元ではっきりと囁く。今度は、演技ではなかった。心を取り戻すためには、心からの言葉が必要――それも、九流に教えられたことだった。そしてそれは、恐らく効果的だった。いつしか突き立てた上下の顎にも、殆ど力は入っていなかった。そして、
「ありがとうね……仄」
 その一言が、
「本当にありがとう」
 分厚い殻に亀裂を入れた。
「お、かあ、さん……」
「……!」
 仄が。亜美のよく知る少女の姿が。一時は、もう戻ってこないとさえ思われた、愛する娘が。確かに母を呼び、焦点の定まった、輝きのある眼をして、あまつさえ、涙さえ頬に伝わせていた。
「仄、仄……元に……!」
 それ以上は声にはならなかった。喜びと安堵のあまり、体が反射的に抱きしめることを優先させたのだった。
「良かった……本当に……良かった……ッ」
 しかし、そんな亜美をよそに、仄は悲しい顔で首を横に振った。
「ありがとう、お母さん。でもだめなの……もう、だめなの。抑えられないの。私がどれだけ戻りたいと思っても、私じゃなくなっちゃった私の部分が、言うことを聞いてくれないの。だから、お母さん……私から、早く離れて。それで、できれば……早く――殺して? じゃないと」
 仄が再び頭をかかえ、呻きだした。
「仄!? そんなこと言わないで、しっかりして!」
「あ、ああ……ね、ね、お願い……わたし、が、お母さんに、ひどいい、ここと、すすするる、前、まえ、に、にににいひひひ」
「仄! だめ! 負けちゃだめ! 戻ってくるの! また、一緒に、」
「お母さん……ごめんね」
 急に、亜美の体が後ろへ反れた。仄が突き飛ばしたのだ、とわかったときには、その四肢は抱き留められていた。
「……遅かったか」
 振り返ると、九流の姿があった。どこからか密かに様子を伺っていたのだろう。
 亜美は、子供のようになって必死に縋りついた。
「九流さん! 仄が……仄が」
「ええ、わかっています。亜美さんは非常に上手くやりました……しかし、それ以上に、仄ちゃんの心の方が、取り返しのつかないところまで来てしまっていたようです。……後は僕がどうにかするので、少し、後ろへ下がっていてください」
 亜美をしっかりと立たせると、九流は手を離し、仄の方へと近づいていった。
「仄ちゃん」
「く、くりゅうううふふ、きゃは、あははいひうふふぐぐぐひゅうう」
「仄ちゃん。応えないでもいい、聞いていてくれ。今から君に憑いた悪魔を剥がす。それまで、強く想っているんだ。元に戻りたい。お母さんの元へ、帰りたいと。……少し辛いだろうけど、頑張るんだよ」
 正気を失っていく仄を背に、九流は一度だけ、亜美の方を振り返り見て、言った。
「亜美さん。これから僕は、俗に言うところの“除霊”を行います。本当の本当に最後の手ですので、できれば、やらずに済むのが良かったのですが……この際、仕方がありません。良いですか、奥さん。仄ちゃんの根底には、異常な程の強い妄想が染みついています。染みついたイメージは、より強い衝撃で以て拭い去ってやらねばなりません。少々、荒っぽいこともしなければならないでしょう。ですから。、これから僕がすることを、先に謝っておきます。……すみません」
 言うだけ言うと、返事も待たずに、九流は仄の前へとしゃがみ込み、その小さい頭と高さを並べた。
「あ……ああ……」
 亜美はそのとき、ふと、妙な予感に襲われた。何か、大切な物が消えゆくような、そんな気持ち……だが、それを声には出せなかった。その頃には、九流が既に“除霊”を始めてしまっていた。
 九流は仄の両肩をしっかりと掴むと、一字一句を確かめさせるように、ゆっくりと語りかけた。
「仄ちゃん、いいかい。一度でいい。君の願いを、しっかりと、口に出して言うんだ。まだ君が君でいたいと思うなら。また、あるべき場所に戻りたいのなら。きっと、できる。できなくてはならないんだ。そして君が、一瞬で構わない、自分の意志を取り戻すことができたなら。その隙に、僕がなんとしても悪魔を引きずり出す。いいね?」
「は、はははひひふふうしゅひゅひゅ! ゲェゲッゲ!」
「……そうだね。苦しいと思う。よくわかるよ。でも、頑張ってくれ。君の未来に待っている幸せは、こんなところで摘まれていいものじゃない……さあ 祈るんだ!」
「キィェヘヘヘ! わ、た、しわたシわたしいノるイノルイのりゅりゅゆうううううゆうゆゆゆぎゅぎゅぎゅ!!」
「だめだ、仄ちゃん! 折れてはいけない! 信じるんだ! 自分は治ると! いつも通りの生活へ帰ることができると――そこに、お母さんが待っていてくれていると!」 
「オ……おオかかかカ……グぐ……」
 亜美は、徐々に濁りゆく仄の目が、一瞬だけ、こちらを向いたような気がした。それは、何かを確かめられているような眼差しで――気づいたときには、叫んでいた。
「……うん、待ってる……私、いつまでだって待ってるから。だから、負けないで……仄!」
 その、魂の声援が、果たして届いたのだろうか。
「おガあザん……オ、か、サん……お母さん」
 目を覚ましかけた悪魔は、今一度、少女の顔を取り戻し
、そして、
「元に、戻りたいよぉ……」
 涙に塗れた眼で、その震える唇で。はっきりと、その願いを伝えたのだった。
「……わかった」
 九流はそう言うと、安心させるように、優しく笑いかけた。
「君の気持ちは、しっかりと、聞き届けたよ。さあ、次はこちらの番だ」
 九流は大きく息を吸うと、一転して厳めしい顔つきになり、そこにいる“何者か”に向かって告げた。
「小網座仄の中に巣食うモノよ! 彼女はお前に打ち勝った! その汚れ無き意志はお前の悪意より遙かに強い! よってお前がそこにいる資格はない……速やかに身体を明け渡せ! そして代わりに……この、僕の身体をやる」
 亜美は、一瞬耳を疑った――が、問いつめる暇はない。止めることも出来はしない。その間にも、九流は仄に近づき、顔をぐいと引き寄せる。そして、
「さあ、受け渡すんだ、仄ちゃん。君の悪魔は――僕が全部、連れて行ってやる」
 そう囁いたかと思うと、
「ごめんね」
 そのまま、流れるように、唇を重ねた。
 柔らかな果実と、乾いた砂のようなそれが、互いに交わりあう。その時間は、一瞬のようでいて、とても長いようでもあった。
 いつしか唇を離した九流は、惚けた表情の仄をそっと座らせると、すこし距離を置いた。その直後だった。
「ぐ、グひッヒヒ……これ。が、アたらシい。から、だ……へ……へひひはハあはアはああハはっはあ歯はあハあ!」
 九流が急に取り乱し、先程までの仄のような様子へと変貌した。その首だけが、ぐりっと回って亜美を見る。
「ひ……」
 思わず声が漏れる。それほどに、醜悪な顔であった。元々、表情の少ない人物であったから、殊更かも知れない。
 その足が一歩、こちらへとにじり寄る。
「ゲッ……ギヒュひゅイひヒ……」
「あ……ああっ……」
 と、突然何を思ったか、九流に移った何かは、拳をきつく握りしめると――それを、自分の顔面へとたたき込んだ。
「ぐっ!」
 苦悶の声と共に、その頭が大きく揺れ、暫くして、再びゆらりと持ち上げられた。
「……ふぅ……」
 そのときにはもう既に、九流の顔は元に戻っていた。が、所々ひきつったり、痙攣しているのを見ると、それも長くは続かないように思えた。
 唖然とする亜美に背を向け、九流は仄の方へ歩み寄った。それからその、ぽかんと口を開けた、間の抜けた顔に向かい、息を切らしながら語りかけた。
「仄ちゃん……突然ごめん……とだけ言うよ……けど、あまり長くは持たない、から……端的に話す、よ……エクソシスト、って映画……知ってるよね……仄ちゃん、映画好きだからね……それで、さ……あの映画もね……君と同じくらいの、女の子が……悪魔に取り憑かれるんだけど……その、ラストシーン……悪魔を祓いきることのできなかった神父は……最後は、自分の身体にそれを呼び込んで……もろとも、死んでしまうんだよ……僕の言いたいこと……わかる、よね……?」
 それから九流は、ちらりと亜美の方を見た。その眼は、どこか、謝っているようにも見えた。
「それじゃあ……仄ちゃん……奥さん……お幸せに――」
 それだけ言うと、九流は開いている窓へと走っていき――いとも容易く、身を投じた。ふっ、と姿が掻き消えた。
 傍らでは、それを見届けたかのように、仄が膝からくず折れた。慌てて亜美が駆けつけたが、単に気を失っているだけらしかった。その顔のいかに愛らしく、安らいでいるかを見るに、亜美は、この家を長らく蝕んできたすべての
恐怖が去ったことを直感的に悟った。喜ぶべき事柄だった。にも関わらず、亜美の目からは涙がこぼれていた。先程の悪い予感の正体はこれだったのだ。九流は、誇張でも何でもなく、命がけでこの家を救ったのだった。
 もう一度、亜美は、九流の飛んだ方の窓を見た。外では何事も無かったように、しんしんと雪が降り続けていた。……あまりにも、あっけない幕引きだった。
 涙、雪、寝息。音のない音だけが、暫く、世界を包んでいた。


「ただいま!」
 元気な声が、小網座家の扉を叩く。小さな肩に、学生鞄が跳ねた。
「お帰り」
 明るい声が迎える。キッチンに立つエプロン姿が新鮮だった。
 あの悪夢の終焉から約一月。年も明け、いつも以上に新しい日々が二人に訪れていた。
「お母さん、何か手伝うことある?」
「ありがとう。でも、先に手を洗っていらっしゃい」
「はあい」
 何でもないやりとり。だがそれが、何よりの幸福であることを二人はよく知っていた。
「洗ってきたよ!」
「ん。それじゃあね……サラダを盛りつけてもらえる?」
「わかった!」
 あれ以来、亜美は仕事を大幅に減らした。代わりに、家にいる時間が増えた。休養のためでもあったが……最大の理由は、仄との時間を大切にするためだった。一方で、仄は以前より明るくなった。また、少し甘えん坊になった……と、亜美は感じていた。
 あれこれ考えながら野菜と戯れている仄に、手を動かしながら、亜美が訊いた。
「あれから結構経つけど……変わったことはない?」
「もう、またそれ?毎日同じこと訊かないでくれるー? 何度も言うけど、本当に何ともないよ」
「本当に?」
「本当だってば」
 拗ねたように、けれどもうれしそうに、仄は答えた。つられて、亜美も微笑んだ。
 ――仄は、あの日のことを、朧気にしか記憶していなかった。曰く、“はっきりとした夢を視ていた”ような感覚で、目に映るものは理解していつつも、それに介入することまではできなかったらしい。
 この一月の間で、亜美は仄に、多くのことを――もちろん、九流のことも含めて、話した。事の顛末を聞かせたとき、仄は、ある程度覚悟はしていたらしかったが、それでもやはり、しばらくの間は、苦悩と悲愴に悶えていたようだった。一人の犠牲の上に立っていることを自覚しながら、なおも生きていく決意を固めるには、少女は幼すぎた。
 ――しかし、彼は最後にこう言ったのだ。『仄ちゃん、奥さん、お幸せに』と。ならばいつまでも、罪の意識に囚われているわけにはいかない。彼の望みを、願いを、守らねばならない――亜美がそう諭すと、仄は、悩みながらも、迷いながらも、少しづつ、少しづつ元気を取り戻し――そして、今に至った。それでも、完全に忘れることができた訳ではないらしく、今でも、思い出していることがあるようだが――それも、時間の問題だろう。
 二人の時間はこれから動き出すのだ。坂道を下る石のように、なるがまま、幾度も転んで、弾んで、回っていくのだ。幸せも悲しみも、苦も困難も、どれだけだってあるだろう。しかし、その度に二人で乗り越えていくのだ。互いに手を取り合い、励まし、歩んでいくのだ。そして人は、きっとそれを、人生と呼ぶ。
  今。ここに新たに、二人の人間が生まれたのだった。
「……さん。お母さん!」
「……えっ?」
「えっ、じゃないよ、もう。どうしたの、ぼうっとして?」
「……ああ、ごめんね。ちょっと、考え事しちゃってた。なあに?」
「ふぅん……ま、いいけど。えとね。それでね、今日のご飯、いつもより豪華だなって思って。あと、量も多いし……お客さん?」
 仄が目をやったダイニングテーブルの上には、確かに、親子二人分にしては多めの料理が並べられていた。その疑問にに、特に隠す様子もなく、亜美は答えた。
「あら、よくわかったね。そう、お客さん――それも、大事な、ね。もう少しで来ると思うんだけど……」
 亜美がそう言った瞬間、呼応したようにインターホンが鳴った。聞き慣れたチャイムが耳に届く。
「噂をすれば、ね。仄、お出迎えお願いできる?」
「……? わかった」
 仄は色々と訊きたいことがあったようだったが、来訪者を待たせるわけにもいかないと思ったのだろう、すぐさま承諾した。
「お願いね」
「ん!」
 威勢のいい返事と共に、小さなドアガールが、玄関へと駆けていった。

 お客さんって、誰だろう。大事な人って言ってたよね。もしかして、お母さんの……でも、そんな……。
 仄はそんなことばかりに考えを巡らしながら、結局、訊く暇さえなく、玄関へとたどり着いてしまった。
「大丈夫、だよね……うん、大丈夫」
 何に対してそう言ったのかは自分でもわからなかった。そして、興味と不安がない交ぜになった気持ちのまま、ドアノブに手をかける。……が、なかなか開けることができない。
「うう……」
 思わず苦い顔になってしまう。しかし、いつまでもこうしているわけには行かない。
「……よし」
 一人腹を括り、仄は大きく深呼吸を始めた。吸って――吐いて。吸って、吸って――吐いて。吸って、吸って、吸って――
「えほっ!」
 むせた。
 だがそれで逆に緊張はほぐれたらしく、顔はいつもどおりの表情へと戻っている。結果オーライといえた。
(三、二、一でいこう)
 決心の付いた仄は、再びノブに手をかけ、心の中でカウントを始める。
 三――。
 二――。
 い「大丈夫ですかー?」「はいぃっ!?」
 声と共に、扉があちら側から開けられた。タイミングを外される形になってしまった仄は、ノブに引きずられるようにそのまま外へと出てしまう。目の前には、男性の物と思われる靴先があった。
 仄は少し躊躇いながらも、確かめるように目線をあげた。その先に立っていたのは――
「ん? 仄ちゃんじゃないか――久しぶり」
「……えっ?」
 読み上げるように、平坦な声。野暮ったい七三分けに、堅苦しいスーツ姿。そして、安っぽい香水の香り。
「ええぇっ!?」
 そう――九流礼地、その人だった。
「暫く見なかったけど、元気だった? その後特に異常はない? お母さんは元気かな?」
 あまりの衝撃に、答えを返すどころか、質問の内容を理解することさえできない。当然だ。眼の前に、死んだはずの――少なくとも、そう聞かされたはずの男が、喋っているのだから。
「……」
 幻覚を見ているのか。それとも、あの事件の後遺症が、今になって出てきたのか。思考がまとまらぬまま、仄は硬直するだけだった。
「……困ったな。そりゃあ、驚くよね。多分、聞かされてないだろうし――あ、奥さん」
 不意に九流が仄の背後に視線を移す。つられるがままにそちらを見ると、母の亜美が立っていた。
「お久しぶりです」
「久しぶり。ごめんね、手が離せなくて。ちょうどお夕飯できたところ。仄も手伝ってくれたのよ?」
「それは楽しみです。では、お邪魔します」
「そんな堅苦しい挨拶はいいわよ。今日から一緒に暮らすんだから」
「えっ」
「はは、それもそうですね。仄ちゃん、よろしくね」
「えっ? えっ?」
 仄を置き去りにしてさっさと中へ入っていく二人。亜美が振り返り言う。
「ほら、仄。まだ寒いんだから、ずっとドア開けたままだと風邪引いちゃうじゃない。早く来なさい」
 そしてまた、奥へ去っていく。後には一人、茫然自失の少女だけが残された。
「……えええええええええええええええっ!?」
 ドアガールの、遅すぎる魂の叫びは、夕焼けへと吸い込まれていった。

「ごめんごめん。機嫌なおしてよ、仄あ」
「……」
 むくれたままの娘を宥める母親。何も出来ずに、それを見守る九流、おかしな構図ができあがっていた。
 つまりは、こういうことらしかった。
 怪我を負ったまま二階から飛び降り、死んだと思われていた九流は、偶然にも、脱衣所から搬出したタンスの上に落ちたばかりか、さらには、その日の降雪により積もった雪もクッションの役割を果たし、ほぼ無傷で生き延びたという。しかし、それが仄にばれてしまうと、まだ悪魔が去っていないのだと思ってしまい、症状が再発してしまう可能性もないとは言い切れない……そこで一度、九流は死んだものだと亜美から言って聞かせ、それで一ヶ月程度様子を見て、問題ないようであれば、本当のことを話し、九流を死なせてしまったという罪悪感も、ぬぐい去る。それが、事件解決の直後、二人のたてた計画なのだった。
「でも、それしたって何で九流さんがここに住むことになるの」
「ええと、それはね……」
「奥さん」
 話しかけた亜美を、九流が制した。 
「それは、僕から。……仄ちゃん、実は僕には、親がいないんだ。二人とも、霊能者まがいの事をしてたんだけど……僕には、それが異常にしか思えなかった。いないものをいると言って、人からお金を取る。そんなの詐欺と一緒だ。だから僕は、二人に本当のことを教えるために、勉強した。霊の正体とか、超能力のトリックとか、全部ね。……だけど、僕がそれを伝える前に、死んじゃったんだ。両方。それも、“霊”に憑かれて、飛び降りたらしいんだよ。本当に、ばかばかしいね……それで、変な勉強ばかりしてたせいで、行くところも、知っている人も無かった僕は、途方に迷ってしまって……だからせめて、いないもののために苦しんでいる人のために、この命を使おうと思ったんだ……」
 そばで、亜美が打ち合わせたようにすすり泣きを始めた。仄は、黙って聞いている。
「でも人間、助かっちゃうと欲がでるものでね。どうせ行くところもないなら、この家で、君たち親子の幸せを見守っていきたいと思ったんだ……だから僕は、この“除霊”の見返りとして、この家で働かせてもらえるよう頼んだんだ。……以上が、僕がこの家に住むことになった理由だよ。わかってく――うわっ」
 九流が話し終えるか終えないかのタイミングで、亜美がその身体に抱きついた。すっかり緩くなってしまったと思われる涙腺が案の定決壊している。
「今まで苦労してきたのね……でも、もう大丈夫、今日からここが、貴方の家なんだから……ね、いいわよね、仄?」
「え……あ……うん」
「えっ……本当? 本当にいいの?」
「……いいって言ってるじゃない。もうっ」
 途端に亜美が、喜びの声を上げた。
「やった! やったよ九流君! これで一緒に住めるのね!」
「わわ……と、お、奥さん、喜んでくれるのはうれしいんですが……仄ちゃんが……」
 九流に視線を向けられる。本当にいいの?という眼だ。
 返事の代わりに、仄は小さなため息を一つついて、そっぽを向いた。
 別に嫌いな訳じゃなかった。むしろ、助けてもらったことに感謝もしているし、よくよく見てみれば、顔立ちもよい。しかし、なぜか心がざわつくのだ。しかし、その理由がわからないから、言い出しようもないのだ……何より、
(あんな話聞かされたら――断れないじゃない)
 仄はふと、唇にちりちりとした熱を感じた。その熱に動かされるまま、九流を盗み見る。
「奥さん、そろそろ離れてくれないと……」
「もー、いいじゃない。それと、奥さんじゃなくて、亜・美」
「ええ……それはちょっと……」
「もう、照れちゃって! かあわいいっ!」
 ……火照っていた熱が急激に冷めていくのを感じ、仄は再び顔を戻した。
 この一月、近況報告のためにちょくちょく会っていたのだろう、二人の距離は……特に亜美から九流への方が……大きく近づいているようだった。
 それにしても、急に態度が変わりすぎではないだろうか。あんなに乱れた母を、そして三十路を、仄は見たことがなかった。と、
「あら?」
 ポーン、と、またしてもチャイムが鳴った。
「もう、良いところなのに……ちょっと待っててね」
 九流を解放した亜美が、とてとてと小走りで玄関に向かう。……必然的に、二人だけが取り残された。
 途端に、静かになる。二人だけの呼吸がある――そう意識すると、仄はまた、引いたはずの熱が再燃してくるのを感じた。
(どうしよう……なにか喋った方がいいのかな。いや、まずはありがとう、っていわないと……結局、言いそびれてるし――よし、決めた、そうしよう)
 セルフミーティングを済ませると、仄は息を吸い、九流へと向き直った。
「あの」
「ぃやったあああああああああ! これで僕も勝ち組だあああああああ!」
 ……は?
 仄は、またもや眼をぱちくりさせることとなった。
 亜美が去った瞬間を境目に、九流は全く別人のように変貌した。
「家を追い出されてはや数年……まさかこんないい家に
やっかいになれるとは! 生きてて良かった! クソ親共、ざまあみろ!」
 仄には、なにが起こったのかわからなかった。そこに先程までの、淡々としていて、どこか儚い雰囲気の九流はいなかった。
「え、あ……あの」
 なにを言っていいかわからない仄の、口からこぼした言葉はそれだけだった。
「ん? ……そうだ。 いたんだっけな、仄ちゃん」
 その話し方も、仄がずっと聞いてきたような、脚本を読み上げるようなものではなく、至ってふつうの物だった。そのまま、九流が続ける。
「いやあ、お母さんの見ていない間だけは許して欲しいね。仕事のためとはいえ、ずっと演技をし続けるのも、案外疲れるものなんだよ」
「え……演技?」
「そうさ。はじめから全部、演技。この家に住むための……ね」
 九流は直近の椅子にどっかと座ると、机の上にあった手羽先を片手に頬張りつつ、得意げに話し始めた。
「はじめは、新聞の広告を見たんだよ。事件を解決してくれれば、出来る限りの見返りを出すって。ピンときたね。僕なら出来ると思った。あたりの宝くじを拾ったみたいに、心躍ったよ。で、来てみたら、割と手強かったし、骨も折れたんだけど……まあ、いい生活のためだと思ったら、屁でもなかったよ。まったく、仄ちゃんはよくやってくれた」
「いい生活のためって……でも、さっき……」
「ああ、あれ? あの、親が死んでなんちゃらってやつ? うそうそ。ぜーんぶ作り話。帰るところがないのは本当だけどね。いやあ、働かずに楽して生きようと思ってたらまさか家を追い出されるとはね。たくあのクソ親共め、おかげでこちとら放浪生活だよ。いやあそれにしても、人を騙すために研究したマジックやら心理学の知識を、まさか人を助けるために使うなんて思わなかったね。ははは」
「はは……は」
 愛想笑いすら起きなかった。代わりに、怒りがふつふつと沸き上がってくる。それが完全に沸騰してしまう前に、仄は、九流が善人だと思えるための、最後の砦を引き出した。
「九流さん」
「うん?」
「じゃあ……じゃあ。私の代わりに悪魔に乗っ取られて、飛び降りたのも……」
 その慎重な言葉に反し、九流は何でもないように容易く答えた。
「無論、演技だよ。家具も、窓の位置を計算してあらかじめ設置しておいたんだ。……でも、そんなことは関係ない。君は本当に僕に悪魔が乗り移ったと思ったろう? 僕が死んだから、自分の症状も収まったのだと思っただろう……それが肝心なんだ。思い込みが人の心を狂わせるならば、それを治すのもまた、思い込み……ってところかな」
 愕然とした。つまるところ……すべて計画通りだったのだ。彼手のひらの上で、自分たちは、転がされていたのだ――。
「ただ唯一、計算違いがあったとすれば」
 九流がぼそりと呟いた。
「……すれば……?」
「亜美さんが思ったよりずっと美人だった事かな! ちょっと格好付けすぎちゃったよ! はっはっは!」
 もう我慢ならなかった。仄が怒りを爆発させようとしたそのとき――ー玄関から、亜美の物であろう足音が聞こえてきた。
 瞬間、九流は目にも止まらぬ早さで立ち上がり、椅子を直し、ゴミを片づけると、素早く“演技”の顔と声を作った。直後、亜美が入ってくる。
「待たせてごめんね」
「あ、お帰りなさーい」
 瞬時に態度が切り替わる。それこそ、なにかが憑いたように。
「奥さん、何だったんです?」
「ん? ああ、ただのメール便よ。気にしないで」
 ――もしかしたら。この家は、悪魔よりも、もっと大変な物に憑かれたのではないだろうか。仄には、そう思えて成らなかった。 
「――お母さん!」
「? どうしたの、仄」
 仄は精一杯の警告の意味を込めて、叫んだ。
「この人と暮らすの嫌! 絶対いや!」
「こら、仄! 未来のパパになんてこというの!」
「パっ……やだ! それだけは駄目! むりっ!」
「あら? じゃあ……未来のダンナさん、がよかった?」
「嫌あああああああああああ! 縁起でもないこと言わないで!」
「演技じゃなくて、本気よ?」
「お母さん、目を覚まして! おかしくなってるの! お母さん。おかしくなってるだけだから!」
 ぎゃあぎゃあ騒ぎ続ける仄を差し置いて、九流が横から口を挟んだ。
「……ああ、そうそう」
「何っ!?」
 仄が噛みつくように言う。が、九流は気にも留めない。
「忘れてました。……ねえ、奥さん。悪いんですけど、お小遣い、すこぉ~しだけ、前借りできません?」
「いいけど。どうしたの?」
「僕の運命を変えてくれたある方に、ちいさな借金がありましてね。何、大した額じゃありませんよ」
「あら、そんなの構わないわよ。いくら?」
 九流は腕を組み、顎を指で持つと、片目をつぶり、いつもの、読み上げソフトの声で言った。
「六百七十円ばかり――サインも頂けたら、たいそうお喜びになられるかと」

少女症状

少女症状

“超常現象に詳しい方、探しています” とある有名女優の出した募集に、一人の男が名乗りを上げた。 男――九流礼地(くりゅう れいち)は、霊感もなければ不思議な力もない、ごく普通の人間。彼に何ができるのか? と疑念を持つ女優に、九流は言う。「何の関係もない人間だからこそ、見えるものもある」……と。 そして九流は、彼女とその娘の暮らす家で、様々な怪奇現象に襲われる。たびたび命の危険に晒されながらも九流は、絶対にこの家を救ってみせると決意を固める。なぜそこまでこの家にこだわるのか? そして、彼を苦しめるこの現象の正体とは何なのか? 超常現象と人の心。新しい観点から展開する、超心理学ミステリー。 19の時に書いた中編小説です。拙作ですが、読んで頂けたら嬉しいです。 ※“小説家になろう”でも掲載しております。

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  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-10-26

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