夢の街

 あるところに、旅の男がおりました。頼る人も故郷もない、孤独な旅でございます。
 彼はその日、偶然見つけた街をつかの間のねぐらにしようと考えておりました。街の入り口には、老人が立っております。
「今晩は。泊めていただきたいのですが、宿はありますか」男は訊きました。
「ありますとも」老人は応えます。「さ、こちらへどうぞ、旦那」
「かたじけない」老人は旅人を連れ、街へ入ってゆきました。
 街はひっそりとしていましたが、どこか暖かさのある、とてもよいところでありました。
「宿だけとは言わず、夕飯も、お風呂だってありますよ」老人が言います。
「お気持ちは嬉しいのですが、持ち合わせが」
「お代金など。私たちにとって久々の客人です。おもてなしさせてくださいな」
「ただということですか」
「はい、そうでございます」
 旅人は不思議に思いましたが、しかし、この老人がうそを言ったり、だまそうとしているようには思えませんでした。
「よいのですか。甘えてしまっても」
「もちろんでございますよ」
「有り難うございます。本当に」
「いえいえ……」
 二人が宿に向かって歩いていますと、小さな港が見えました。波止場では、男の子が地べたに座っております。
「おや、ぼうや。なにをしているんだい」旅人が訊きました。
「つりをしているんだよ」男の子が答えました。池には、確かに釣り糸が垂らされております。
「そうみたいだね。でも、こんな時間に危ないよ」
「違うよ。この時間じゃないといけないんだよ」
 旅人は不思議に思い、訊きました。
「ふうん。何を釣っているの?」
「星だよ!」男の子は元気いっぱいに言いました。
「星? ひとでのこと?」旅人は首をひねるばかりです。
「ちがうよ、星だよ。ほら、いっぱいいるでしょう?」男の子が指さしました。
 旅人がそちらを見てみると、確かに。波のない水面には、空に瞬く星が、鏡のように、綺麗に写っておりました。
「なるほどね。でも、残念だけど、釣り竿で星は」旅人が言い掛けたときでございます。
 老人が、急に旅人の口をふさいでしまいました。
「ぼっちゃん。星を釣るときは、えさにザトウムシをつかうといいよ」
「ありがとう、おじちゃん! でも、ぼくザトウムシなんかもってないよ」
「そんならカマドウマを使えばいい。あれはザトウムシの次にいいからね」
「うん、わかった!」子供はまた釣りを始めました。
 老人は子供に手を振ると、そのまま別れました。やっと、旅人の口から手が離れます。
「何をするんです」旅人がちょっと怒って尋ねますと、老人は静かに言いました。
「この街に留まろうと思うのならば、むやみに人の夢へと立ち入らないことです。誰にも、壊されたくない夢がある。夢を見ることは、生きるものの特権ですから」
 旅人は、彼の言うことはあまり分かりませんでしたが、何だか老人が怖く思えましたので、何も言うことができませんでした。
「さ、ここですよ、旦那」
 しばらくして、二人は宿へと着きました。
「では、私はここで……また明日、お待ちしております」老人はそう言いますと、夜に隠れるように消えてしまいました。
 宿はと言うと、小さなところでしたが、年をとった女主人の世話が大変快いものでしたので、旅人はすっかり機嫌を良くしました。
 夕食を終え、酒なども多少入りまして、旅人が談を弾ませているところでございました。
「ところでご婦人、ご主人は?」
 旅人は、ふと、何の気もなく訊きました。
「ずっと前に、遠くへ働きに出たきり、帰っておりません」婦人は答えました。
 旅人は、ああ悪いことを訊いたかな、と思ったそうですが、婦人は朗らかにこう続けました。
「ですが、元気であることだけは確かですよ。毎日のように便りが届くんです」
 それを聴きまして、旅人はほっとしました。
「そうだ。せっかくだから読んでください。今まで送ってきた手紙は、全部とってあるんです」婦人はそう言いますと、きれいな色の箱を持って参りました。中には、便せんがたくさん積まれています。
「これは確か初めの頃の手紙ね。愚痴ばっかり。こっちは忙しいときだったかしら。急に返事が来なくなるから、心配だったわ……。ああ、この手紙は……ふふ、懐かしいわ」婦人は嬉しそうに語ります。「あなたも、どうぞごらんになって」
 言われて旅人は、箱の中から一通の手紙を取り出しました。……ですが、どうしたことでしょうか、そこには何も書かれておりません、まっさらの白紙でございました。
 おかしいな、ともう一通取り出しましたが、これもまた白紙です。その次も、次も……どうしたことでしょう、白紙しか入っていないのです。
 旅人は、たいへん不思議に思いました。
「婦人。今あなたの読んでらっしゃるその手紙、見せていただけませんか」旅人は婦人から手紙を受け取りました。
 ところがやっぱり、その手紙にも文字は書かれておりません。
 旅人は、老人の言葉を思い出しました。
“むやみに、人の夢へと立ち入らないことです”
「どうですか? 汚い字でしょう」
 旅人ははっと我に返りました。
「え、ええ。ですが、すてきな文章です。きっと、りっぱな方なのでしょうね」
「そんなことないですよ。でも……優しくて、大事な夫です……」
 旅人は、もうそれ以上、何も言えませんでした。
「それでは、私はそろそろ休ませていただきます。美味しい料理を、どうも」
 旅人は、逃げるように布団へと潜り込みました。
 翌日の朝早く、旅人が宿を出ますと、昨日の老人が待ちかまえておりました。
「僭越ながら、またご案内をさせていただきます」
「それはどうも」また二人は歩き始めました。旅人は、聞きたいことがたくさんありましたが、どうしてか気が向きませんでした。
 そうしていますうちに、小さな丘のような場所に出ました。そこになにか、色とりどりの丸いものがいくつも蠢いているように見えます。
「あれは?」旅人が聞きました。
「行ってみますか?」老人は、旅人の答えを聞かず、歩き始めてしまいました。しょうがなく、旅人もついてゆきました。
 近づいてみますと、何としたことでしょう。遠くから見えましたのは、無数の風船だったのです。
 その根本を見てみますと、男がおり、風船は全て、その男につながれておりました。今も、膨らませました風船を、ひとつ、またひとつと、自分の体にくくりつけているところです。
「もし。貴方はなにをされているので」旅人が尋ねると、男は勢いよく振り返りました。
「おう、よくぞ聞いてくれた! おまえ、俺がこの風船で何をすると思う」
「えっ。ええと、子供に配る、とか」
「ばっかやろう! 誰がくれてやるかってんだ」
 旅人はすこしむっとなりましたが、男はお構いありません。
「俺はな、ニイちゃん。この風船で、世界を回るんだよ。北はグリーンランド、南はブラジル……いや、南極までな! どうだい、驚いたろう」
 旅人は、驚いたと言うより、呆気にとられました。絵本でもあるまいし、風船で世界一周など……と思いましたが、しかし、やはり言葉には出しません。ここでは、夢をみることは自由だからです。
「そうですか。がんばってください」旅人が微笑むと、男は上機嫌になりました。
「おうよ! ニイちゃん、なかなか見所があるな! よおし、さっきはああ言ったが、特別だ! これをやろう」
 そう言って男は、旅人に赤い風船をひとつ、渡しました。旅人は、お礼を言って、その場を後にしました。
 また暫く歩いていますと、ふいに旅人が言いました。
「私、今日中にここを去ろうかと思います」
 老人は、さほど驚きました風もなく、言いました。
「そう言われると思いました。さ、町の出口はこちらです」
 その後は二人とも何も言わず、とぼとぼと歩き続けました。旅人の頭の横で、赤い風船だけがふよふよと弾んでおりました。
 やがて、老人が言いました。
「この先をまっすぐ行けば、そのうち別の町へ出るでしょう。お立ち寄りいただき、ありがとうございました」
 老人は頭を下げました。つられて、旅人も。
「いえ、こちらこそ。あと、最後に一つ、よろしいですか。……ご老人。“あなたも”そうなのですか」
 旅人が聞くと、老人はにこりと微笑みました。
「なんのことでしょうかね。さ、お急ぎになった方がよろしいですよ。日が暮れてしまいます」
「……そうですか。いえ、ありがとうございました。では」
 旅人は一人で歩き始めました。その途端、急に突風が吹いて、砂埃を舞わせました。旅人は思わず目を覆い隠しました。やがて風は止み、旅人も目を開けました。そしてはたと、後ろを振り返りました。
 そこに、老人はいませんでした。老人だけではございません。町そのものが、まるまる消えてなくなっていたのです。そう、まるで――夢、のように。
「そんな……」
 旅人は呆然と呟きました。自分の見た全てが、辛い旅路が自分に見せた、幻のようにさえ思えてまいりました。そんなとき、旅人はふと、自分が手に何か握っているのに気付きました。
 旅人が手を広げると、一本の紐が手の中からするすると逃げていくのが分かりました。驚く旅人の頭上で、赤い風船がどこまでもどこまでも高く登ってゆきました。そしてまた、夢のように、いつしか見えなくなってしまいました。


~蛇足~

「それはおまえ、本当に夢でも見てたんだよ。それか、ハッパの幻覚だな」
 賑やかな酒場で、大男が言いました。
「そう言ってくれるな、本当に見たんだ」
 言い返しますのは、かつての旅人です。
「そんなこと言ったってよう、何度も地図見たり、実際に足運んだりもしてみたが、そんなところ、ちぃとも見あたらなかったぜ。過去の文献にさえ載っちゃあいない。敏腕記者の俺が言うんだから間違いねえ。何なら相棒のこいつに誓ったって良いぜ」
 彼は、肩からかけたカメラを持ちながら言いました。
「じゃあこれは僕だけの独占スクープだな」
「自慢げに言えたことかい。しまいには例のブツ、やらねえぜ」
「悪かったよ、親友。ほら、もう一杯」
 旅人が酒を注文してやりますと、大男は上機嫌になり、一枚の切り抜きを出しました。
「ほらよ。頼まれてた記事、これで最後だ」
 旅人は受け取りながら言います。
「助かるよ。君は荒っぽいが、仕事に対しては丁寧だからね」
「それって馬鹿にしてんのか?」
「いいや、ほめたつもりだよ」
 半ば適当に返しながら、旅人は貰ったものとは別の紙切れも取り出し、並べました。それを見ながら、大男が言いました。
「まあ、確かに、お前の会ったって奴らと同じ境遇だ。でも探そうと思えばな、似たような事件くらい、そりゃあ見つかるだろうよ」
「かもね。だとしても僕は、自分の体験に納得のいく理由を付けたかった。だから、いいんだ。満足だよ」
「へえ……じゃあ、満足記念に、乾杯と行くか」
「お前、飲みたいだけだろ」
「当たり」
 男達は、再び飲み始め、他愛のない話を始めました。
 ちなみに、机に並べられました三枚の切り抜きには、こんな記事が書かれておりましたそうです。 

『七歳少年、溺死――夜の海で、釣り中に転落か』
『孤独死の高齢女性 親族通信途絶していた』
『“風船に乗って世界一周”男性、行方不明』

夢の街

夢の街

この世界のどこか。一人の旅人が、とある街に立ち寄りました。 そこで彼は、案内人の老人に奇妙な通告を受けます。 『この街に留まろうと思うのならば、むやみに人の夢へと立ち入らないことです』 その言葉の意味とは。街の住人達が抱える秘密とは、何なのか。 どこか哀愁の漂う、短編SF。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-10-19

Copyrighted
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