白い現 第四章 再会 二

怜の無事を確認した真白たち。
柏木・クラーク・要から、怜を助けた経緯を聞く。
また、真白は彼から、思いもよらない事実を明かされる。

第四章 再会 二

       二

 剣護と要が部屋から出て行ったあと、真白は改めて怜の寝顔を見つめた。
「…次郎兄」
 呼んでも返答は無い。
 彼の額にかかる前髪をそっと横に払い、手を置く。
 熱い気がする。傷のせいで、熱が出ているのだろう。
 心なし、怜の顔つきが先程までより和(やわ)らいだようだ。真白の手の感覚が、心地好(ここちよ)いのかもしれない。
「次郎兄。私は、人間に近い魍魎(もうりょう)に遭って、それでも戦うって決めたの。でもね、戦っていけるって思ったのは、荒太君や市枝や剣護や、…次郎兄がいたからだよ。一人でも誰か欠けたら、私、きっともう無理。その先、戦っていける自信が無い。……駄目(だめ)だね。こういうところ、私はすごく弱いみたい。………次郎兄は、知らないでしょう。次郎兄が生きてるって、ちゃんとこの目で確かめて、私がどれだけ安心したか。――――――…次郎兄は、知らないでしょう」
 言いながら真白の頬を、涙が流れた。
 その時、眠る怜の唇が動いた。
「―――――か、ないで」
「!―――――次郎兄!?」
「……泣か…い、で、真し、ろ……か、雪…」
 それは怜の譫言(うわごと)だった。
 ―――――――泣かないで――――――。
 ポタポタポタ、と真白の目から涙が加速(かそく)してこぼれ落ちる。
「じゃあ、起きてよ。次郎兄。次郎兄が起きてくれたら、泣き止むように頑張るから。真白は泣き虫だね、って、前みたいに言ってよ……………」
 怜の身体にかけられたタオルケットを握り締め、真白は身を屈(かが)めてむせび泣いた。

 怜は夢を見ていた。
 夢の中で彼はまだ幼く、暗闇の中を、妹の手を引いて歩いていた。
 この暗闇に包まれていても怖いと思わないのは、握った妹の小さな手があるからだった。
 不安に泣く妹を宥(なだ)めながら、実際は怜のほうが小さな手の温(あたた)かさに救われていたのだ。
〝泣かないで、真白――――。もうすぐ、明るいところにきっと出られるから〟
〝次郎兄、次郎兄〟
〝何だい?〟
〝どこにも行かないで。真白を置いて行かないで〟
 莫迦(ばか)だな、と笑う。
〝行かないよ。ずっと傍にいるよ〟
〝本当?〟
〝本当だよ〟
 その時、不意に行く手を阻(はば)む者がいた。
 半透明、清(きよ)らな気配を持つ、中性的な容貌(ようぼう)の―――――妖(あやかし)。
 その手に持つ刀が、振り上げられる。
 怜は咄嗟(とっさ)に真白の小さな身体を抱え込む。
 肩に走る激痛。
〝―――――――…!!〟
〝次郎兄、次郎兄!いやだあっ〟
 真白が、火がついたように激しく泣き出す。
――――――泣かないで。
 俺は大丈夫だから。泣かないで、真白。

「……………」
瞼(まぶた)を押し開けると、明るい光が目を刺(さ)した。
「…………次郎兄?」
 目を赤く泣き腫(は)らした真白がいた。
 ゆっくりと口を動かす。
「真白―――――、どうして泣いてるの」
「―――――次郎兄が、私を置いて行っちゃうと思ったから………!」
 怜がふわりと微笑む。
「何で。行かないよ、どこにも」
 怜は、自分が見知らぬ部屋のベッドに寝かされていることに気付いた。額には、濡(ぬ)れたタオルが折(お)り畳(たた)んで置いてある。左肩には包帯(ほうたい)が巻かれているようだ。
「…ここは………?」
「次郎兄を、助けてくれた人の家だよ」
 身体を起こそうとすると、左肩に激痛を感じ、思わず呻(うめ)いた。
(そうか…命拾(いのちびろ)いしたか……)
「まだ動いちゃ駄目だよ、次郎兄。喉(のど)とか、乾いてない?何か欲しいものある?して欲しいこととか。タオル、邪魔じゃない?熱があるみたいだったから、借りて使わせてもらったんだけど。剣護も一緒に来たんだよ。今、下の階にいるよ」
 溢(あふ)れ出(だ)すように、真白が言葉を並べ立てる。
「真白……」
 怜は手を伸ばして、妹の頬に触れた。濡(ぬ)れた感触。
(…ああ……、俺が泣かせたのか)
 その手に、真白が自らの手を重ね、目を閉じた。眉尻(まゆじり)が下がり、顔が歪(ゆが)む。
「次郎兄、どこにも行かないで――――…」
「―――――」
 夢の中と同じことを言って、新たな涙を光らせる真白を見ると、胸が痛んだ。
「行かないよ。真白が望む限り、ずっと俺は傍にいる。真白を置いて、どこにも行ったりはしないから。約束する」
「―――――…」
 真白は二度、三度と大きく頷いた。
「太郎兄を、呼んで来るね―――――あと、タオル、また濡らして来る」
 真白は顔をハンカチで拭(ぬぐ)うと、怜の額のタオルを手に取って部屋を出て行った。

「何をやってんだ、莫迦(ばか)」
 水の入ったコップを持って部屋にやって来た剣護は、開口一番(かいこういちばん)、怜に向けてそう言った。
 入れ違いに、真白は怜の額にタオルを載(の)せると、階下に降りている。
「手厳しいな、太郎兄」
 怜が苦笑する。
「そりゃ、手厳しくもなるさ。お前に何かあった、って知った時の真白の取(と)り乱(みだ)しようは、見られたもんじゃなかったぞ。―――――もう二度と、あいつにあんな思いをさせるな」
 自分も心配した、とは言わない。言わなくても怜には通じている。
「…うん……。ごめん」
 剣護は少し表情を緩(ゆる)めた。
「…なあ、次郎。今、ここには真白はいないぞ」
 怜が顔を向ける。
「お前が今から何を言っても、どんな弱音(よわね)を吐(は)いても、聞くのは俺だけだ。………だから、何でも言って良いんだぞ。俺はお前の、兄貴(あにき)なんだから」
「…………」
 剣護は真顔(まがお)だった。
 外からは蝉(せみ)の鳴き声が聴こえて来る。
「……太郎兄」
「おう」
「死ぬかと、思ったよ」
「うん」
「また、―――――十五歳で人生を終えるかと」
「うん」
 怖かったよ、と窓の外に視線を遣(や)りながら、怜が小さな声で言った。

「紅茶で良いですか?」
「あ、お構いなく。……あの、もしよろしければ、私が紅茶を淹れましょうか」
穏やかに訊いて来る要に、真白が言った。要は何も気づかない振りをしてくれているが、泣き腫(は)らした目が、少し恥ずかしい。
リビング横にあるキッチンは、美術書や作品群による侵略(しんりゃく)を免(まぬが)れていた。
 要が困ったように笑う。
「お客様を働かせるんはちょっと………」
「いいえ、そんな。柏木さんは、次郎兄…江藤君の恩人だもの。私、料理は出来ませんけど、紅茶やコーヒーを淹れるのは得意なほうなんです」
「お茶もですか?」
「え?あ…、はい。お茶も淹れられます」
 思考の読めない瞳で、要が更に問う。
「点(た)てるほうのお茶は?」
 茶道のことだ。
「――――――ええ。それも、出来ます」
 真白の返答に、なぜか要はふっと笑った。風が優しく吹き過ぎるような微笑だった。
「僕のことは要でええですよ。せやったら、お願いしようかな」
「はい」
(本当に、関西弁だ。剣護と同じ、ハーフかな…。でも、何だろう。この人、どこかで会った気がする………)
 だが今生で彼と出会った記憶は無い。
 だとすれば――――――――――――――。
 水の入った薬缶(やかん)を火にかける。
 真白がティーポットに茶葉(ちゃば)を入れるのを、要が立ってじっと見ていた。彼は背が高いので、そうして立っていると、キッチンが狭(せま)く感じられる。けれどそこに人を威圧(いあつ)するような空気は欠片(かけら)も無い。
「――――最近だいぶ、暑うなってきましたね」
「あ、そうですね。もう夏も本番……」
 世間話に、真白が応じる。
 そこで妙な沈黙が降りた。
「あれは、春でしたね」
「え?」
 真白が振り向く。
 要の黄緑に光る目は、真(ま)っ直(す)ぐに真白を見ていた。
「―――――――桜散る、明慶寺(めいけいじ)」
 ガチャン、と音を立て、真白が、準備しようとしていたティーカップを置いた。
「池に浮かぶ花筏(はないかだ)が綺麗やった」
 真白は瞠目(どうもく)していた。
 若雪が、初めて堺(さかい)の禅寺(ぜんでら)・明慶寺を訪れた時。
 散り急ぐ桜と、花筏がひどく印象的だった。
 それを知る人物は、嵐―――荒太を除けば、あと一人しかいない。
 堺で若雪に初めて出来た友人は、要のようにいつも穏やかだった。
 花筏の浮かぶ池のほとりで泣いていた若雪に、彼は労(いた)わる表情で尋ねたのだ。
〝なんぞ悲しいことでもありましたか〟
「…………智真(ちしん)どの……?」
 要が、感慨深(かんがいぶか)い目で答えた。やはり、とその目は言っていた。
「彼が譫言(うわごと)であなたの名を言うてたんで、もしやと思うたんです。お久しぶりです、若雪どの」
 
 ミシ、ミシ、という危(あや)うい音を響かせて、剣護が二階から降りて来た。
 見ればキッチンのテーブルに、紅茶の入ったティーカップが並んでいる。
 要と真白が、差し向かいで座っていた。
 二人の間に漂う、妙に親しげな空気に、剣護は怪訝(けげん)な顔をする。
(何だあ?)
 足音で剣護に気付いた真白が、顔を上げて尋ねた。
「剣護。次郎兄はどうだった?」
「――――――ああ、少し話したらまた眠ったよ。…しろ、お前、目が兎(うさぎ)になってるぞ」
 真白に答えたあと、要の顔を見る。剣護の指摘を受け、真白は慌(あわ)てた様子で目に手を遣(や)った。
 要は、正面から剣護の視線を受け止めた。
「色々、お尋ねしたいことがあるんですけど」
「お答えします」
 穏やかな微笑を浮かべ、要が頷(うなず)く。
 真白はその微笑の向こうに、風に散る桜を見た。

「改めて、あいつを助けてくれて、ありがとうございました」
 真白の隣に腰を落ち着けた剣護が、深々と頭を下げた。真白もそれに倣(なら)う。
「いいえ―――――」
「あと、警察に連絡とかしないでもらえて、正直な話、助かりました」
 要が思慮深げに微笑む。
「僕が彼―――怜君、ですか。を、発見した時の、状況が状況やったもんで。もし警察に通報(つうほう)したかて、話を信じてもらえるとは思えませんでしたしね。怜君のスマホに、何度か着信があったんは知ってたんですけど、しばらくは彼を家に運んだりで、出る余裕(よゆう)がありませんでした」
「柏木さんが、怜を助けた経緯(けいい)をお伺いしたいんですが」
 要がまた一つ頷き、語り始めた。
「要でええです。僕は聖ヨハネ大学院で、油絵を中心とした美術を勉強してます。怜君が倒れていた道の近くにある公民館の、ロビーに飾る絵を、以前描いたことがありましてん」
 真白が納得したように言う。
「智真どのは、絵がお上手でしたものね」
 要がこれに、はにかむように微笑んでから続けた。
「それが縁(えん)で、昨日も公民館で開催(かいさい)される、バザーと夏祭りの準備を手伝うてたんです。祭りも終盤(しゅうばん)にさしかかるころ、大量に出たごみを捨てに行く途中、………変な生き物が、横たわる怜君に刀のようなものを振り上げてる現場に、出くわしました」
「―――――そいつ、要さんに襲いかかって来たりはしませんでした?」
 剣護の言葉に、要が首をひねる。
「いえ――――――?僕が声を上げるとそれは、逃げるように…闇に消えました。……それで僕は怜君に駆(か)け寄(よ)り、彼の左肩の、鋭利(えいり)な刃(やいば)―――恐らく、その妙な生き物の持ってた刀でしょう―――で、差(さ)し貫(つらぬ)かれた傷を見ました。僕は、彼の状態を極めて危険なものやと判断しました。救急車を呼ぶ余裕(よゆう)も無いて――――――」
 ギュッと真白が重ねた両手を握り締めたのを、剣護が横目で見る。
「あの…じゃあ、どうやってあいつは助かったんですか?」
 訊き返す剣護の言葉に、初めて要が答えるのを躊躇(ためら)う素振(そぶ)りを見せた。
「…僕がその場で…、………雷光(らいこう)で、傷口を焼いて塞(ふさ)ぎました。荒療治(あらりょうじ)ですが、あの時は他に手が思いつかんかったんです。いちかばちかの、賭(か)けでした」
「―――――は?」
 意味が解らずに、剣護が素(すっ)頓狂(とんきょう)な声を上げる。
 真白が、剣護のシャツを引っ張った。
「…剣護。この人、要さんはね、智真(ちしん)どのだったの。……以前、話したことがあるでしょう。覚えてる?堺の、明慶寺の…」
 言われて記憶を探る。
「智真―――――?菅原道真(すがわらのみちざね)の、後裔(こうえい)の…?―――雷雲(らいうん)を操(あやつ)ってたとか言う……」
 この言葉に要が苦笑する。
「操る言う程、コントロールは出来てませんでしたけど―――――何の因果(いんが)か、今生(こんじょう)においても、僕はその力を持って生まれたんです。前生(ぜんしょう)と違うて、今の僕は道真とは縁もゆかりも無いんですが…」
 剣護が目を丸くし、その場が静かになる。
 今この時、テーブルを囲んでいるのは、真白であり若雪であり、剣護であり太郎清隆であり、要であり智真だった。
(雷神(らいじん)の申(もう)し子(ご)―――――。本当に、そんな人間がいるのか)
 以前真白が彼の力について語った際は、俄(にわ)かには信じられなかった。
(そうか…。花守や真白が存在してるように、そういう人が普通の人の中に混じって、生活してることだってありなのか――――――――――)
 剣護は改めて、まじまじと要の顔を見つめた。
 要は、眉根を寄せて声のトーンを落とした。
「せやけど、僕の力だけでは、とても彼を救うことは出来ませんでした。出血がひどかったんです。輸血(ゆけつ)の必要がある思うて、もうほんまに病院に担(かつ)ぎ込(こ)むしかないて考えてた時に、来客がありました。あれは―――――十時頃、やったかな」
 要が少し遠くを見るような目をした。
「長い金髪をポニーテールにまとめた女性が、家を訪ねて来ましてん。怜君の知り合いや言うんで、とりあえずは部屋に通しました。二人きりにするんも心配やったんで、僕も傍(そば)にいたんです。彼女には、部屋を出て欲しいて言われましたけど。そしたらその女性は怜君の身体に手をかざして、何やら呟(つぶや)いてはりました。怜君の蒼白(そうはく)だった顔色が、赤みを帯びたもんに変化したことに気付いたんは、彼女が帰ったあとでした。――――明らかに血色(けっしょく)が良うなって、呼吸するんも楽そうになってました」
「………その人、他に何か言ってませんでしたか」
「はい。自分は、〝花守(はなもり)〟言うて、彼の味方やと。せやから警戒(けいかい)することはないて、言わはりました。……僕には何のことかよう解りませんでしたけど、彼女に害意(がいい)は無いて思うた」
 真白と剣護は、顔を見合わせた。
 長い金髪の花守――――――。
「………金臣(かなおみ)だ。きっと光(こう)が、状況を知って遣(よこ)してくれたんだ」
「だな」
 真白の言葉に、剣護も頷く。
「…でも、どうして金臣だったんだろう。他の花守じゃなく」
「花守なら、誰でも治癒(ちゆ)の力を持ってるんじゃないのか?たまたま彼女だっただけで――――――」
「―――――ううん、違う」
 え?、と剣護が真白に目を向ける。真白は思考を働かせる顔つきになっていた。
「金臣の属性は、金だよね。だから、金属(きんぞく)や鉱物(こうぶつ)―――――。剣護、血液を構成するものは何?」
「…赤血球(せっけっきゅう)、白血球(はっけっきゅう)、血小板(けっしょうばん)および血漿(けっしょう)」
 剣護が受験生らしく、すらすらと答える。
「あ、そうか。えっとね、そっちじゃなくて、血に含まれる栄養素(えいようそ)があるでしょう」
「鉄分(てつぶん)―――――――。そうか、それで金臣か」
 剣護が腑(ふ)に落(お)ちた、という顔をした。
 要は、大人しく二人の会話を見守っていた。
 そっと、疑問を差(さ)し挟(はさ)む。
「その、花守て言うんは―――――――?」
 そこで剣護と真白は、今現在の状況を全て、初めから要に説明した。

 要は真白たちの話を、作り話と退(しりぞ)けることもなく信じた。
「―――――そんなら僕が見たんも、その魍魎(もうりょう)やったんですね。……けど、魍魎は人も襲うんですよね。ニュースなんかで、そないな話は聞いたことないですけど―――――――」
 尤(もっと)もな疑問だ、と思い、真白も剣護を見る。
 剣護が真剣な顔で口を開いた。
「………俺たちが魍魎を滅せる範囲にも限界(げんかい)があります。俺たちと行き当らない魍魎は、基本的に自由です。…自由がままに、人を喰らう。ただの人間には、防ぎようが無い。そして魍魎に喰われた人間は、最初からいなかった存在になるんです。魍魎に喰われた時点で、その人が生きて、今まで関わったどの人の記憶からも、消えて無くなってしまう―――――――。痕跡(こんせき)すら、全て含(ふく)めて。花守や、俺らのような神(かみ)つ力(ちから)に関わる存在は稀(まれ)な例外ですが。俺たちは、普通の人間より世界の理(ことわり)にひっかかりを残しやすい。痕跡(こんせき)を残しやすく、また、世界そのものの変動(へんどう)に関して敏感(びんかん)です。―――――例え魍魎に喰われても、忘れられることもなければ、魍魎に喰われた存在を忘れることもない。要さんも、恐らく例外の範疇(はんちゅう)に入るでしょう。けど俺たちだって、万が一ということもある。絶対に忘れていない、忘れない、忘れられないとは言い切れない」
 真白も要も、どこかショックを受けた表情でそれを聞いた。
 真白は、剣護や荒太が魍魎に喰らわれ、彼らのことを忘れた自分を、彼らのことを忘れ笑って生きて行く自分を想像して、冷水(れいすい)を浴びせられたような心地がした。
 ―――――――そんな自分は、自分ではない。
(…時間をかけて魍魎を倒せば良いという話じゃない。魍魎が人を一人喰らえば、その瞬間、世界中からその人の存在は丸ごと、根こそぎ失われてしまうんだ)
 完全な忘却(ぼうきゃく)という悪夢――――――――――――。
「ひどい――――――」
「ああ」
 真白の呻(うめ)きに、剣護が相槌(あいづち)を打つ。
 その時剣護は、自分に注(そそ)がれる要の視線に気付いた。
 彼は、穏やかな光を目に宿し、剣護をじっと見ていた。
「―――――何か?」
「ああ、いえ、すんません。あなたや怜君、――――――若雪どのの兄君(あにきみ)が、今生では真白さんの傍にいはるんやな、思うと、嬉しくて」
「嬉しい………?」
 剣護が訝(いぶか)しむ顔をした。
 要が軽く頷く。
「…若雪どのを守る人間が、前生では嵐くらいしかおらんかった。嵐であっても、庇護(ひご)する言うところまでは、よういかんかった。ほんまの身内みたいに接するんは、やっぱり難しい。―――――若雪どのは何でも出来るお人やったけど、生き方が不器用でした。御兄弟(ごきょうだい)が生きてはったら、どんなにか彼女はもっと楽に生きていけたやろうと、そう思うてたんです。……けど今生では、あなたたちが生きて、真白さんの傍にいてくれはる。彼女を、守ろうてしてくれる」
 それが嬉しいんです、と要は言って黄緑の目を細め、少し照れたように笑った。
 その言葉と笑みに、剣護は友情より深いものを感じた。
(…ひょっとしてこの人――――――)

白い現 第四章 再会 二

白い現 第四章 再会 二

怜の行方と無事を確認した真白と剣護。 柏木・クラーク・要という人物の謎と、怜を助けた経緯を、彼らは聞くことになる。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-10-18

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