2012/01/23

 彼にはまだ名前がない。しかし後見人の目から見ても優秀であることは間違いない。重鎮たちは彼を自らの部下にしようと躍起になっており、お役目は日に日に増えるばかりだ。引っ張り蛸やら茹で蛸にされながらも、走り回っているのが彼の日常となっていた。
 お疲れさまである。
 本来ならば非番と呼ばれる日にも休めずに、すっかり引っ張られて茹でられて、やっとのことで、めでたく休暇というものを頂いた様子だ。休ませてやりたいのは山々ではあるが、なぜか増えるお勤めの所為で、遅れに遅れていた元服を済ませてやらなければならない。名前は随分と前から考えてあったのだから、それを早くお披露目したいと思っていたところだ。
 前々から準備を整えていたのは、名前だけではない。冠や衣装も十二分に整っている。職人に任せるつもりが、式典までに度を超した時間ばかりが余ってしまった為か、暇があれば口を挟んでしまった。重箱の隅を突くようで、我ながら九官鳥のようだと思ったこともあるが、暇なのだから仕方あるまい。お陰さまでなかなか立派なものができた。
 妻と共に溺愛しすぎたかと、我に帰る節もなかった訳ではないが、それにも甘やかされず、お偉い方々に重宝される程立派に育つとは、鼻高々しい。肩身も広い。
 肩身が広いのは食べ過ぎのせいだと妻に怒られてしまった。仕方あるまい、お前の作る飯が美味いのだ。
 しかし元服を終えてしまえば、後見人としての役目も終わる。それはとても淋しいことに感じられて、代わりの動物でも飼おうかと思っていた矢先に、妻が子犬を拾ってきた。それはとても彼に似ていたので、彼の眼前に突き出して、お前の代わりにこれを飼うぞと宣言してしまった。彼は、それはとても迷惑そうな顔で答えた。
「兄さん、俺は犬じゃないよ」
 いや、犬だ。それはとても優秀で、優しくて、賢い垂れ目の犬だ。そう思って育ててきた。そうでなければ、元服して家を出ることも、城内で立派に働いている様を見かけることも、心淋しくて仕方がない。いつまでも子どもだと思っていたというのに、いつの間に大人になってしまったのだろう。
「そうだ、今日はこれを買ってきたんだ」
 まさかこんな日に一緒に酒を飲もうと言い出すという、思ってもみない申し出に、胸を打たれる。なんて優しい子に育ったのだろう。彼が飲み物を用意している様子を座って眺めていると、こうして甘やかされるのも悪くはない気がする。ましてや膝を突き合わせて酒を飲むなんて、これは幸せかもしれない。
「家は決めたのか」
 元服後のことはあまり聞いていない。犬離れをしなければならないと思って控えていたのだが、酔うとあまり我慢ができない。
「そこ、官舎。城もここも近いからね」
 手振りを加えながら、なんとも嬉しい説明をしてくれた。あまり遠くへは行かないらしい。思わず口元が弛んでしまうが、頬杖をついて隠す。可愛がりすぎると最近は逃げ腰になるから、我慢をしなければならない。飴と鞭と言うらしい。
 これではおあずけだ。どちらに対する飴やら鞭だか分からない。

続きません。

いつか物語になればと思います。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青年向け
更新日
登録日
2012-01-23

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