続 デミー子育て日記

 鶏デミーは5羽の雛を慈しみを持って育てるが、ある日突然親離れを宣言する。親子とは身を分けた存在であるが別個の個体でもある。生命の不可思議を鶏の子育ての中に観る。
 子は親無くして育つことはできないが何時かは親子は解れて暮らさなくてはならない。親離れ子離れは自然の摂理であろうか。

続デミー子育て日記


5月29日4羽の雛が孵った。翌日1羽が孵り残りの卵は2個。デミーは子育てに忙しく卵には無関心である。湯でて食いたいという現地妻の執拗な要求に屈したのであったが、鳴き声がすると慌てて巣に戻した。この国でバロットと呼ばれる孵化寸前の卵は死産の雛を指すようだ。やがて殻を破って小さな嘴が出て来た。母鶏は殻を突いて孵化を促すが殻が取れるまで6時間を要した。

通常は母鶏の羽の下で孵化するから目撃されることは珍しいのでないか。未熟児の雛は立つこともできない。細い脚は柔らかく身体を支えられない。尻もちを搗く雛など前代未聞であろう。不憫に思い別に育てることにした。タオルに包んで手元に置いた。母の温もりを求めてかパソコンの上に乗る。1年半前のデミーもこんなふうだった。

雛の命名

雛は生まれた順にジャヤ:黒い羽、カトリーヌドゥヌーヴ:褐色、ジョイ:黒まだら色、ヴィッキー:薄黄色、ラス:白色に近い、マリオデルマクタン:超未熟児と名付けた。7個目の卵は殻が破れ黄身が出て来た。デミーはこれを食ってしまった。無精卵は我が子でないのか。母鶏の眼は慈悲観音、聖母を思わせていただけにショックであった。鶏には鶏の掟があるのだろう。
子育ての為に栄養をつける必要があるのかも知れない。5羽の雛は片時も母鶏の傍を離れない。鶏小屋は2坪ほどの洗濯場で塀に囲まれているので外敵の心配はない。それでも妻が洗濯を始めると激しく襲う。悲鳴を聴いてデミーを抱き上げた。その軽いこと、20日間ほとんど飲まず食わずで卵を抱きつづけたから無理もない。
「デミーどうした」
「お母さんが私の子供たちを盗ろうとする」
「そんなことはしないさ」
「デミー庭で遊んでな、洗濯できないじゃないか」

私に庭で遊ばせろということだ。旦那に指図するフィリピン女の例だ。気分転換に庭にデミー親子を連れ出す。私も子育てに貢献させられている。土草の感触はたまらないようだ。何かはわからぬが啄む。砂掻きをする。その名のとおり庭の鶏である。超未熟児マリオもよちよち歩きを始めたので庭に出した。
少しデミーの対応が気になったのではあるが実の母ゆえ傍がよかろうと考えた。不安は当たった。マリオを侵入者として後頭部を突いたのである。後頭部から首にかけて羽は食い千切られた。「デミー何をする」と叫んだが追撃の嘴を緩めない、慌ててマリオを拾い上げた。「お前の子でないか」と叱責したがデミーは答えない。その眼には敵意が現れている。

已む無くマリオを隔離した。母恋しと鳴きつづけるマリオに「トーログナ カイワラ イモ ママ。ねんねしな、ああ、お前のママはいない」と歌って聞かせる。何故マリオを拒絶するのか。育児定員外の間引きか。孵化後に抱いていないから我が子ではないと認識しているのか。鳥類は鳴き声で親子を互いに識別するそうだから理解できない。マリオはデミーを母と認識している。何故だ。間引き説が有力になって来る。
マリオは室内で育てることにした。私と妻を親代わりにしているようだ。妻は仕事に忙しいと「お父さんのところへ行きな」と追い払う。ノートパソコンの上を歩き回るので弱ってしまう。生まれ出ようとして懸命に殻を破った小さな命は愛おしく神秘的でもある。できの悪い子ほど可愛い。3日目には小走りするようになった。お前は頭で勝負するしかないぞと言って利かせる。

雛たちはすくすくと育った。デミーは餌の獲り方外敵からの避難を教える。孤児のデミーは人間に育てられたのだがこうした智恵は本能的に習得したのであろうか。遺伝子に記憶されているのであろうか。片時も警戒を緩めない。子育ては母の悦びなのであろう。こうした生物の営みを観察していると生命の不可思議を感じる。私は神など信じないが人間の能力を超える存在を神と呼ぶなら否定はしない。それは便利だからである。卵が個体に成長する過程は神の御業としておこう。
【参考動画】
雛をひっくり返すhttps://www.youtube.com/watch?v=9HL7TewtBeQ&index=7&list=UUwOK4H1_TNu8h4GKEsQSeTA
産後の母https://www.youtube.com/watch?v=-sIAGQm2k-w&list=UUwOK4H1_TNu8h4GKEsQSeTA&index=7
ゴキブリ争奪https://www.youtube.com/watch?v=WxqwPy5t-5o&index=3&list=UUwOK4H1_TNu8h4GKEsQSeTA
超未熟児マリオデルマクタンhttps://www.youtube.com/watch?v=R7o5Hkmppdg
雛の埋葬https://www.youtube.com/watch?v=-rXjNrylK1s&index=5&list=UUwOK4H1_TNu8h4GKEsQSeTA
お気に入りのパソコン室https://www.youtube.com/watch?v=lwZXwiFxEGs&list=UUwOK4H1_TNu8h4GKEsQSeTA&index=17


マリオデルマクタン死す

超未熟児マリオも3日目には走れるまでになったので外で遊ばせてやりたいがデミーの手前逡巡した。考えて2階のベランダに出した。強い日差しが心地よいのか仰向けになる。人間並みだ。ほとんどの動物が仰向けに寝ることはしないと聞く。外敵からの保身術であろう。手摺に乗せると木々青空が見える。片脚を上げて羽を後ろに広げるストレッチをやってみせる。デミーの雛の時分を思い出させる。顔もそっくりだ。
昼前になって隣の管理の息子がマリオが庭にいると教えてくれた。デミーがベランダから庭に飛んだのは孵化後1年であったから足を滑らして落ちたのであろう。幸い怪我もなく元気にしていたので一安心であった。ところが夕方になってマリオは食べなくなった。翌朝には冷たくなっていた。

庭に埋葬することにしたが当地はキリスト教に則り十字架を立てた。この様子は雛の埋葬と題してアップロードした。フィリピン人の死に対する観念はあっさりしている。死者を思うことはその時だけである。思い起こすことはあまりない。昨日まで動き回っていたものが死体となってもスープにしたら美味いのにと思っているようだ。死体は法的には物体であるが日本人にはそう簡単には割り切れない。生まれ出ようと殻を破りこの世に生を受けた雛は4日目には天国へと旅立ったのである。
死亡原因は滑落による全身打撲あるいは内臓破裂かも知れないが、母の愛を受けなかったことが最大の原因であるまいか。不憫である。


引っ越し

三年過ごしたアパートを出ることにした。引っ越し先は2DKで玄関口に20㎡ほどの庭がある。ここで鶏を飼ってもいいとのことで契約した。ヴィリッジと呼ばれる分譲宅地でここではハイクラスの住民とされる。引っ越しは嫁に任せて私はデミー家族を運ぶことにした。シカッドと呼ばれるサイドカー付自転車をチャーターして800mを移動する。でこぼこ道に雛たちが悲鳴を上げる。「ゆっくりやってくれ」運転手に言うと鶏の客は初めてと言う顔をする。道行く人も珍しそうに振り返る。時間にして7分ぐらいだが長く感じられた。

さっそく鉄格子の門扉に金網を張る。雛たちが外へ出ないようにするためだ。前面道路は車バイクが疾走するので危険がいっぱい。半日掛で金網を張り終えた。やっと60センチ角の鶏小屋から出した。長時間の拘束によく耐えたと思うのだが、嫁に言わせると30センチ角の小屋に年中閉じ込められている鶏に比べればどうということはないそうだ。フィリピン人は心身ともに不自由をあまり気にしないからそうなのだろう。
そう言えばバイクの3人4人乗りは珍しくない。Vハイヤーと呼ばれる8人乗りのバンに20人乗りだ。フェリー転覆原因の多くが定員オーバー2倍3倍によるもの。台風シーズン、帰省ラッシュでの乗船は控えるよう日本領事館が邦人に注意を呼び掛けている。この国の飛行機は脚がのばせない、リクライニングもない。座席を詰めて売り上げを増やそうとの見え見えの魂胆。
1521年マゼランは世界一周の途中ここマクタン島が終焉の地となるが以降300年間スペインのコロニーとされ100年間は米国のコロニーとされ、戦後は華僑に支配されているから独立国とは言い難いのもフィリピン人の事由に対する鈍感さが原因の一つであろう。日本人が戦国時代か今日まで異国に支配されていたらと思うとぞっとする。その前の元寇の来襲に神風が吹かなかったら。

そんなことを考えているとデミーが足をつつく。2週間の雛も真似をする。
「自動給食機でないぞ」
「貴男の娘と孫でしょ」
「うるさい」
「貴男がやったことは鶏だけでしょ」
それは事実であるからあまり強くも言えない。月3000ペソ6000円の生活から5万ペソ生活ができるようになったのは誰のおかげだ、と言いたいところを堪える。嫁の鯉の吹流しが気に入っているところでもある。
外国人をものにしたピーナは家族とは疎遠になり着飾り塗りたくるのが多いが嫁はそれがない。しっかり臍食って実家に送金しているようだ。孝行娘と言うべきだろう。両親に家を建て兄たちにも入院費その他の援助をしているから“へそくり”と言うには多過ぎるがまあ嫁の甲斐性としておこう。

聖母デミー、ブレイクダウン

母となったデミーは娘らしさがなくなった。人間も女は妻となり母となり見事な変容を遂げる。男は夫である前に男であり、父である前に男である。何時までも男である。「父親らしくしなさいよ」という言葉がどれ程男を傷つけるか女には理解できない。父親になろうと努力はしているが母親に比べるとアマとプロの差がある。その理由は今以ってよく分らないがこういうことは人類学者生物学者に任せておこう。

ともかく雛たちへの目配り気配りは人間と変わりない、ある意味では上回る。外敵の多い鶏にとって一瞬の油断も命に係わるからだ。母鶏は5羽の雛を一体としてとらえているのであろうか、1羽でも足りないと「帰っておいで」と呼びかける。そう言えば7個の卵が足りないと大騒ぎしたことがあった。
デミーは外敵が近づくと警告を発する。「気を付けなさい」と「ほら餌だよ」という鶏語は明らかにことなる。警報が発令されると雛たちは母鳥の懐に潜り込む。警報が解除されると遊びに興じる。慈愛に満ちた母の眼に守られて雛はすくすくと育つ。

餌を食う時も雛を見守り警戒を怠らない。雛が満腹になるのを見届けておもむろに喰い始める。好物のパン、蠅、ゴキブリも雛に与える。雛たちは餌に飛びか掛かるのだが「行儀が悪いねえ」とたしなめる。雛の口に余るものは噛み砕いて与える。そこで魚の頭、骨も金鎚でブレークダウンしてデミーに与えることにした。デミーは分け隔てなくこれを雛に分け与える。
まさに生母、聖母だ。「鶏は、魚は食えない」と言っていた嫁も感心する。魚の頭、骨は口当たりが違う。本物の味はたまらない。井の中の蛙も鳴かずば撃たれまいに。生意気な言動は倍以上やっつけておくことが必要だ。フィリピン人はお頭が弱いくせにすぐ人に意見する。100年早い。可愛くない。

あとは草と砂を食わすことだがアパート暮らしではままならない。フィリピンの鶏は鶏餌、穀類だけで育てられるから味が淡白である。放し飼いの鶏はチキンタクボーと呼ばれ美味であることは知られているようだが。右隣の隣人は日本で3年間働いたことがあるようで毎日ミシンがけに精を出しているがバックグラウンドミュージックの馬鹿でかいのには辟易する。近所づきあいの手前挨拶だけはしている。その隣が空き家になっている。もう永いことになるのは雑草の背丈から推測できる。
ここはデミー親子の遊び場となった。隣人に訊くと大丈夫だというので毎日ここで遊ばせている。デミーは砂浴び、雛は草を啄む。道行く人は不思議な光景を見るように立ち止まる。雛は母親をそっくり真似る。学は真似るから来ているらしいが5羽の雛が同じ動作をする様は映像としても面白い。またかってのデミーを思い起こさせる。これで丈夫に育つことだろう。
血肉を分けた姉弟はライバルでもある。ゴキブリ争奪はラグビーを観ているようである。一羽が咥えて走る。四羽が追い駈ける。2週間前のよちよち歩きとは比べものにならない。数歩分は飛翔する。デミーもあきれ顔で観戦するがしばらくするとこれに加わりゴキブリを半分にする。争奪戦も二分される。雛どうし押したり突いたりはしない。ゴキブリを奪い合うのだ。結果としてゴキブリは5等分されてゆく。この間デミーは外敵の監視も怠らない。

戦後の日本人は簡単に父母になるが親に成れないのが増えた。そんな奴は子供を生むな。戦後体制の最大の功績である。日本を少子高齢社会にもってゆけばこの民族は衰退してゆくと占領軍は観ていたのではあるまいか。雛の眼は生命の輝きがある。生命の愛しさを感じたことがない者は生命虐待に痛痒を感じないのであろう。
それにしても鶏の成長は早い。卵から孵って2週間でラグビーをやるのだ。片時も親もとからは離れないが行動半径は広くなってゆく。2月で人間の16歳位の感じがする。雛の個性も顕著になってくる。ジャヤ(比有名歌手)カトリーヌ(仏女優)ジョイ(看護婦)ヴィッキー(嫁)ラス(オールドミス)と名付けたのが個性と合致してきた。毛並みはヴィッキーが一番であるが私はカトリーヌが母親似の一番の器量良しと思っている。性格もやさしい。 雛の命名に自分の名が無いと強引入れさすピナはジュリアス、アウグストゥス並である。

巣立ち

別れは突然やってくる。デミーの声が変わった。生理が始まったのだ。デミーの関心は新しい命である。これは子育ての終わりを意味する。雛たちを遠ざける為突き廻すのだ。雛たちは恐れて逃げ惑う。自然の掟は無情である。何の予告もなくやさしかった母は夜叉となったのだ。雛たちは訳も分からずこの現実を受け容れるしかない。
しかしライオンの子に比べるとまだましである。子連れの雌ライオンが雄に遭遇した。雄は子を次々と噛み殺して行った。ところが雌は我が子を殺した雄にお種頂戴と媚を売るのだ。自然界の掟は人間の常識では理解しえない。
デミーは産卵場所を求めて室内を物色する。冗談じゃない、糞だらけ泥だらけで室内に入ることは厳禁してある。鶏の事ゆえ三歩で忘れる。気に入った場所を占拠するのがフィリピンスタイルだ。退去命令に応じないので2階の洗濯場に強制収容した。ここは鉄格子で隔離されているからまるでプリズンだ。

やがて高らかに出産を宣言する。段ボールに小さな卵があった。無精卵だから毎日食すのかと思いきや嫁は
「デミーが勘定しているから10個以上になって泥棒する」
「古くなったら美味くないぞ」
「大丈夫、問題ない」そうだ。
どうやって古い順に泥棒してゆくのか疑問だが。因みに泥棒はフィリピンでもっとも有名な日本語で普通名詞化しているとか。
「デミーと子供たちを外に出さないように」
「どうしてだ」
「なぜなら彼らは美男美女だからゲットドローボーされる」盗まれるの意。「女は近所で評判の器量良し、男は闘鶏のチャンピオンになるとの評判よ」嫁は自分の孫のような力の入れようである。
「1年半前鶏を飼うと言ったら変な顔をしたのは誰だ」
「気が変わったの」

ようやくデミーたちが我々にどれだけの癒しをもたらすかに気づいたようだ。鶏をペットに飼うことは日本でも珍しいだろう。鶏は鶏卵、鶏肉、闘鶏と言う概念に風穴を空けたと自負している。鶏を外に出すことは近所に迷惑を掛けないか、誘拐、盗難にあわないか心配されたが今のところ危惧に終わっている。暴走族もデミー一家には道を譲る。朝晩草の上砂の上に連れ出すと嬉々として何かを啄む。遊び疲れると戻ってきて餌をねだる。
「デミーたちに手を出すなと近所で言われている」
「ほう、どうしてだ」
「なぜなら。オーナーの日本人はやくざかも知れないとうわさされている」「それは光栄だな」
「しかし(この分譲地の)外部の人間はそのことを知らないから」

 注意怠るべからずということらしい。何事もなければ何も言わないが何かあれ
ば「私が外に出すなと言ったのに」とぐちるのは女の通有性のようだ。もっとも何事につけ「言ったでしょ」という日本人男にあったことがあった。この女の腐ったような男については別の機会に述べたい(参照空気が読めない)。

 さてデミーの子離れ宣言は近づく雛を突いてゆく。雛にしてみれば聖母が夜叉に変身したと思ったが、恐れて逃げ惑う。新しい命を宿したデミーは「ここから出てゆきなさい」と宣言したのである。何の説明もなくある日突然豹変したのである。これが自然界の摂理、掟であろうか。

 これでデミーの子育ては終わったが、私はデミーと雛たちを別々に世話しなくてはならない。とくに困るのが散歩である。日頃は勝手に出て行って勝手に戻って来るように育てるつもりだが、買い物旅行のときなどは大変である。委ねられるメイドを見つけなくてはなるまい。子、孫を一番に考えるのは日本民族の特長であろう。次回は雛たちの嫁入り、婿取りになるだろうが当分は先の事であろうと考えている。

続 デミー子育て日記

続 デミー子育て日記

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-10-10

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