デミー子育て日記

 孵化後2日目から人間に育てられた鶏が卵を抱き、雛を育てる様子を親鶏の目で描く家族向け小説。命とは何かと考えさせられる。著者お気に入りの作品。

        
                    デミー子育て日記


母となった喜び

デミーの子供が生まれた。日曜日の朝のことだ。妻が子供の鳴き声がすると言う。その顔は初孫の誕生を喜んでいる。そっと巣を覗くと確かに一羽の雛がいた。孫の顔をじっくり看たいのだがデミーはこれを許さない。雛を羽の下に隠し恐竜のような声で威嚇する。翌日もう一羽が生まれた。正確には孵ったと言うべきだが鶏が卵を抱いている期間は卵を哺乳類の胎児と看てもおかしくないだろう。
犬猫なら母親はへその緒を食い切って乳を与えるだろうが、雛はなにも食っていないはずだ。
「デミーも雛も食ってないだろう」
「そうですね」
「そうですねって、48時間以上飲まず食わずで」
「放っておけばいいの、彼女の判断ですよ」
妻に限らずフィリピン人は年長者にも一丁前の口を叩く。生意気だ。

 問題点は、デミーと雛の健康、彼女が巣を離れて食事をする間の卵の面倒である。この相反する問題をどう解決するか。フィリピン人は何事にも心を砕くことはない。為るようになる、の哲学だ。腐心など無縁である。

 しばし思案して母鶏を排除すればよいとの結論に至った。強制執行は私がデミーを妻が2羽の雛を戸外に出す手配をした。まずデミーをそっと抱き上げ餌場におろす。つづいて雛をその傍に置く。小さな雛だ。ピンポン玉の卵だからしかたないがタマゴッチだ。先ず水だと海苔の蓋に水を入れて雛に与える。ところがデミーがこれを飲む。お前の水は素焼きの皿だろうがと言いかけたが止めた。理由があるはずだ。
 雛はデミーに習って水を飲む。考えてみれば雛にとっては初めてのことだ。鶏の餌と雛の餌を混ぜて与える。デミーは雛の餌を啄む。雛が餌を食い出すのを観てデミーは鶏の餌を食い始める。なるほど恐れ入りやした。更に好物のハエも美味しいよと雛に与える。私の手から引き千切ったパンもさらに小さくして雛に与えるのだ。またあちこちを突いては「これは食えるけどこれは食えないよ」と教えているのだ。自分が食う時間はほとんどない。しかしデミーは教える喜び、与える喜びを感じているのかも知れない。

 すべての動物は母親を信じる。疑うことはない。森永ヒ素ミルク事件で母親はヒ素入りミルクを与えた自分を責めたそうだ。親子の信頼は類を問わない。この信頼は動物界の根底である。生き物を飼うことは親子の信頼を知ることでもあろう。次の課題は外敵からいかに身を守るか、その術を如何に伝授するかまた習得するかであるがこれまた見物である。

女は妻にそして母に見事に変身する。甘えん坊のデミーも見事に母鶏に変身した。別鶏のようである。神など信じない私だがこの変身ぶりは神業と言うほかはない。鶏の神様がデミーを指南しているとしか思えない。母となったデミーは水を飲むときも餌を突くときも周りの警戒を怠らない。
雛をドミンゴとルネスと名付けた。それぞれ日曜日、月曜日に生まれたからだ。ドミンゴは一日の長があるから飲み込みも早い。ルネスはややおっとりしている。二羽の雛の特徴は上記以外に羽毛がドミンゴは黒いのに対しルネスは褐色であること及びドミンゴがよく水を飲むのにルネスはめったに飲まないということが挙げられる。母鶏デミーはどのように識別しているのか。
デミーは分け隔てなく雛に接しているが残りの卵が孵ったらどうなることやら。それよりも前に卵を抱きながら2羽の雛を育てるのは至難である。育児は私に回ってくるかもしれないが卵の孵化次第だ。夕方には雛を巣に戻す。デミーもつづく。そして卵を抱くのだ。2羽の雛はデミーの羽の下に潜り込む。果たして卵はどうなることやら。

 母となったデミーはいじらしい。生まれてすぐ人間に育てられたのだ。母鶏の温もりも知らない。生きる術も独学で身に付けた。生得の知恵もあろうが後天的経験が大きいと思われる。苦労した親ほどよけいに子が可愛いのであろう。母の子に対する愛に勝るものはあるまい。そしてまた母となった喜びを噛みしめているのであろう。

「あなた珈琲いれましょうか」
妻は私が機嫌を損ねていると気づくと懐柔策をとる。
「8ヶ月前のデミーもこんなだったな」
当時の写真はタバコの箱の半分もないから雛たちと同じ位か。
「そうでしたね」
マノックは8ヶ月で卵を産みますとは言わなくなった。わかり切ったことを言うでない、もう少し気の利いたことが言えないのかと来るはずだわ、調子を合わせておくところだと判断したようだ。これも根気と忍耐の教育効果である。
「あなた何を考えているのですか」
「デミーはいい先生だな」
「2羽の生徒も優秀じゃないですか」
妻も近頃は胡麻をすることも覚えた。格段の進歩である。
「デミーはどうやって子育てを勉強した」
これだから日本人と話すと疲れると言う顔をする。
「人間の赤子は3kg、母親は45kgとすれば何倍か」
「15倍でしょうか」
「雛と鶏のデミーとでは何倍位か」
ぱっと見でデミーの体重50倍、体長20倍以上と思われる。
「失礼します、ちょっとトイレ」
これもフィリピン人常用の逃げ口上である。急に腹の調子がおかしくなったも同義語。語彙も文句も知れている。ゲームをすれば赤子の手を捻るが如し。また感慨に耽ることはない。人生を噛みしめることもない。
「何ですか、何か言いましたか」
妻も蔑まれていることは感覚的に解るようだ。


保護責任者遺棄罪

私たちが朝食を済ませ妻が流しに食器を運んだ時であった。縦揺れを感じて「伏せろ」と叫ぶ。すぐ横揺れが来た。大きいと思い妻を外に連れ出す。が、妻は喚き叫ぶだけで這いつくばっている。ガスを消せと命じるが腰が抜けているようだ。実際は10分後だが「もう消しています」と口だけは達者だ。
妻の腕を肩に回して庭に出る。揺れは10程で収まったがフィリピン人は動揺している。アパートの住民は庭に集まる。午前8時10分。震度5位か。ラジオをつけろと指示する。地震に慣れている日本人でも建物の倒壊と津波が心配だ。
アナウンサーの興奮した口調がフィリピン人の不安を煽る。「震源はどこか。津波の恐れはないか」私が語気を強めて尋ねると少し冷静になる。セブ市でビルが崩れた、タリサイ市でバンが横転して4人負傷したなどと叫ぶ。震源地はと重ねて尋ねる。「震源はボホール南部、場所は」「後でいい、津波は」「わからないがM7.2」「余震は」「まだラジオ言わない」
万事こんな調子である。緊急時でも何が重要かと考えない、考えられないのだろう。「地震で怖いのは火事と崩壊だ。ガス電気の元栓を閉じ出入り口のドアを開けておけ。行け」男が家に戻る。残った女どもに「津波が来たら逃げるところがないからあの高い木に登るしかない」「あそこは5人しか登れないわ」「なら残りは屋根の上だな、登る方法を考えろ」

男たちが貴重品をバッグに背負って出てきた。女たちが仕入れたばかりの津波対策を伝える。男たちは黙ってうなづく。災害時は沈着冷静な行動が命を救うと申し渡してあるからだ。韓国人は車を庭の中央に移動する。しかもエンジンをかけて車に留まっている。韓国はビルの崩落事故が多い国だからなと思った。
「日本の3.11のマグニチュードは」「9.1だったかな、史上最大の規模だった」「すごい」「Mと津波は別の話だ。震度は」震度?説明するのが面倒だ。「ボホールからここまで30km、1時間して津波が来なければ発生しなかったと考えられる」時刻は9時35分か、部屋に戻る。妻が危ないと叫ぶが黙って中に入る。デミー親子の搬出に下げ袋を用意し、ネットで津波を確認する。もう大丈夫だと2階から叫ぶと住民たちも解散した。

 地震のない国だから人々が動揺するのも無理はないが妻が初めての体験だから恐れおののいたと告白したのには驚いた。3年前の地震はすぐ近くのネグロス島はドマゲティー、ボホールも同じ活断層に乗っているのかも知れない。この地震は直下型だろうからボホール島は大きな被害が出ているに違いない。
様子を聴くよう妻に命じる。ミンダナオの実家の方は無事らしいが従姉の家は半分に割れたらしい。この家に2度泊まっているから数宿数善の恩義がある。家の修繕費用を用立てるから材料を確保するように連絡させた。材料が高騰するのは目に見えている。人の不幸につけ込むのは世界の常識である。火事場泥棒がいないのは日本ぐらいであろう。

この国で最近の地震は火山性地震を除くと30年前のパガディアンの地震らしい。地震の備えがないから死者3000人を超えたらしいが阪神淡路東北地震に比べると桁違いである。パガディアンは南太平洋のミンダナオ海を望む町だがモロ湾のさらに内なるイリャ湾にあるから津波の被害だったと想像される。フィリピン人に30年前のことを訊いても詳しいことは解らない。


 その夜変な夢を見た。デミーが保護責任者遺棄罪並びに堕胎罪に問われ近くの裁判所に起訴されたのだ。私と妻は特別弁護人として出廷している。起訴状によると「被告人デミーは9個の卵を産みながら孵化した2羽の雛を育てることに専念し、残り7個の卵を死に至らしめた」というのである。
 「検察官は公訴が棄却される前に訴えを取り下げる気はありませんか」と私が尋ねると若い検察官は「どうしてその様な発言を」と顔を真っ赤にする。その顔は誰かに似ているのだが思い出せない。
「被告人の卵を胎児と見做すことに異議はありませんが卵は保護責任の対象ですかね」傍聴席から失笑が起こる。
「被告人は保護責任者です」
「卵は保護責任の対象かと訊いているのですが」
「被告人は保護責任者です」同じ言葉を繰り返す検察官は馬鹿丸出しである。私の侮蔑の眼差しは声にも出るから法廷内が緊張する。
「検察官は主語を変えないで貰いたい、貴方がどこで法律を勉強したのか知りませんが。では質問を変えましょう。保護されるべき者は誰ですか」
「被告人の産んだ7個の卵です」
「それらは胎児ではないのですね」Are they not her unborn babies ?
「そうです、胎児でもあるのです」この場合の Yes はいいえの意味である。
「そうすると検察官は保護責任者遺棄罪と堕胎罪との併合罪と考えるのですね」
 Sha must be boankaこの男バカじゃないとデミーが叫ぶ。
「被告人は静粛に」と裁判官。
「被告人は当職を侮辱しています」と検察官。
「鶏にバカにされる程度よ、あんたは。子育てと卵抱くのとどちらが楽しい」
と妻。他人の話と座席に割り込むのはフィリピン人の得意技。
検「今は訴因の話だ。茶々を入れるな」
妻「ソインかコインか知らないけど道理が解らないと話にならないでしょ、
  私の質問をあんたの奥さんに訊いてみな」
検「本件に関係ない」
妻「関係ある。種は悪くても畑がいいと育つからあんた心配しなくていいよ」
このような発言は私には理解できないが傍聴席のフィリピン人には受けた。


私「この国の乳幼児の死亡率はどれくらいですか」
裁「弁護人は何を主張したいのですか」
私「被告人は2羽の雛の育児と7個の卵を孵化させる義務があると検察官は主張したいようですが、それは現実に可能でしょうか」
裁「弁護人は、仮に検察官主張を認めるとしても果たしてそれは実行可能かという趣旨ですか」
私「そうです。育児と孵化との選択を迫られた被告人の胸中を察するには余りあるのではないでしょうか。この点の洞察が重要かと」
裁「検察官は次回公判までに乳幼児の死亡率を当法廷に示してください。本日はこれにて閉廷します。被告人は逃亡の恐れが認められないから在宅裁判を相当とします。被告人は両親と一緒に帰宅することができます」

そこで夢は醒めた。隣で妻が高いびきをかいている。



子育てと抱擁卵は両立するか


 デミーは毎朝雛に起こされる。雛の声は高音で耳に痛い。
「お母さんお腹すいた」
「もうすぐお祖父さんが外に出してくれるからね」
お祖父さんとは俺のことか冗談じゃない。どうも妻がそう言っているようだ。
ならお前は婆さんだと口には出せない。気の弱い人間は損だ。
「お父さんフーズ、それと新しい水」デミーはこの時だけは私の膝に乗って督促
する。半分母親、半分娘なのだ。
「わかっている、毎日同じことを言うな」餌はデミーと雛とに大さじ一杯ずつ
雛用は小粒でぬかの匂いがする。鶏用は米、ミンチ、大豆などの混ぜ合わせ。
デミーは小粒を選んではこれも美味しいよと雛に示す。女は母になるとどーん
としてくるがデミーも同じだ。もう少女の面影はない。
「お父さんパンちょうだい」餌の後のデザートだ。私は聞こえぬ振りをする。
「餌を全部食べたらお祖父さんがパンくれるからね」
父と祖父と二役をこなさなければならない。妻には夫役を、勤めに出ればその
役目を果たさなければならない。俺だけではないが男はつらいよ。
餌を食い終わるのを見てパンを取り出す。
「そら、お祖父さんがパンくれるよ」
デミーは妻に似てきた。間合いの取り方も憶えたようだ。このリズム感が大切だ。
これは人間だけではない。気が合う基礎である。デミーはパンを引き千切りそれ
をさらに小さくして雛に与える。子に餌を与えることが親の幸せと遺伝子情に
書かれているのだろうか、それは誰が書き込んだのか。生命の不思議を思う。

今日は洗濯日和とか、妻が洗濯の邪魔とデミーたちを追い払う。これは雛が
生まれる前と変わらぬ光景だ。以前はデミーを庭に連れ出したものだが、しばらくはこの洗濯場で妻の怒りに触れないよう大人しくしているしかあるまい。妻の洗濯が終るまで私は子守役か。しかしこの光景は満更でもない、むしろ楽しむことができる。幸せを感じる。
 夕方妻が買い物に出たのでパソコンに向かう。メール、ブログなど集中しなくてはならないものをかたづけておく。ついでに美女の映像を鑑賞する。日本の女はやはり色気がある。半時ほど楽しむ。鬼の居ぬ間の洗濯とはこのことだあ。

雛の鳴き声に階下に降りるとデミーの姿がない。雛は母を求めて泣きつづけ
ている。デミーは巣に戻り卵を抱いている。雛は高さ40センチの段ボール箱の巣に入れないという状況だ。雛をつまんで箱に入れる。一件落着、ただそれだけのことであるがデミーは卵を忘れていなかったのだ。今度の公判ではこれをヴィデオに収め、証拠として提出してやる。馬鹿面の検察官に突き付けてやる。
 デミーは妊婦の身で擁卵と子育とを見事にこなしていると叫びたい。大したもんだデミーは。若い母だがしっかりしている、俺の自慢の娘でもある。控えおろう。ここまでくれば親ばか爺ばかの域に入ったか。

「あなた、夕飯はお昼の残りでいいですか」これを日本語になおすと「私は友
達のところで夕食を済ませ、かつ酒なども飲んで参りましたゆえ夕餉の準備は
面倒にございます」となる。武士の妻が不義を働いた場合、夫はその相手とも
ども四つにしなくてはならなかった。恋女房ゆえ今度だけは目をつぶろうとは
いかなかったのだ。今日とて一家の主人に昼の残り物とは何事であるか、そこ
になおれ、手打ちに致すと啖呵を切らねばならないのだが再犯重犯には効き目
がなくなってきた。


間引きの理論


デミーの子育てと抱擁卵とは限界が来たようだ。結論は卵の処分しかない。時を失するとデミー家族の崩壊、絶滅の恐れがある。「解っているならできないことはないでしょ」などと平然と言う人間とは付き合いたくない。死刑判決が確定しているのだからさっさと執行しなさいと言うのと同じだ。正論だが最善かと躊躇するのが凡人である。司法が判決時に悩んで結論を出したのに行政がぐずぐずするのはおかしいでしょ、税金の無駄遣いですよ。ごもっともです。
昼間は子育て、夜は卵を抱くデミーを観ているともう少し様子を観ようとなる。もう少しが3日過ぎた。ひなの成長は早い。デミーは庭に連れ出して餌の見つけ方獲り方を教えだした。時は今、敵は本能寺の心境で巣から卵を取り出す。処分方法は。ゆで卵にして食すのが一般的である。あれほど受精卵を食べたいと言っていた妻もデミーを観ていると辞退しますと言い出したのだ。虞や虞や汝を如何せむ。「日本人のWさんが受精卵欲しいと言っていたでしょ」と妻。
自分に都合のいいことはすぐ思い出すのは女の通有性だ。
「されば忍び難きを忍び、進呈致すことにするか」
「そうですよ、それが最善の方法と思われます」
この調子の良さで植民地支配にも東洋一の貧しさにも堪えてきたのであろう。

 次は卵をWさんに進呈すれば済む。しかし卵を探し求めるデミーを想像すれば気が重い。沖縄地方では妊婦に崖の割れ目を飛び越えさせたというではないか、山国では赤子の顔に濡れ衣をかぶせて間引いたらしい、とかそれらしき理屈を並べる。人は理屈だけでは納得できない。自分行動を正当化するには麻薬か酒が必要だ。心の叫びを封するのだ。卵進呈にはさらに三日が過ぎた。Wさんは卵かけすると喜んだが小人にはなかなか吹っ切れるものではない。

 私はデミー親子を庭に連れ出した。警備係を務める。犬の来襲に備えて竹棒を、監視のための椅子を木陰において親子を見守る。デミーは砂掻きをやってみせる。「二三度掻いては餌がいないか観るの」「こんな感じ」「そうよ、そら出てきた」「ママこれ食べても大丈夫」「大丈夫よ」デミーは卵を抱く間のストレスを発散するかのごとく砂掻きに興じる。
 腹がくちてくるとデミーは腹這いになる。雛はその下に潜り込むのだが今日はひょいと背に飛び乗った。互いに親子の温もりを感じているようだ。デミーの顔は幸福に満ちている。産後の女は神秘的な美しさを見せるがデミーは神々しいとさえ思わせる。

 一安心だ、あとはデミーが巣の卵消失、盗難に気づくか、またどのように反応するかだ。夕方夕闇が迫ってくるとデミーは巣に戻る。その時どうなるか。鳴いて身を焼く雉鳩の悲劇の幕は切って落とされた。

  大原の野を焼く男 野を焼くと 雉ぎすな焼きそ 野を焼く男 正岡子規

 ところがである、その時になるとデミーは2羽の雛と巣に戻ったが何の異変も起こらなかった。拍子抜けした。数日葛藤を重ねた私の悩みはこの程度であった。デミーは2羽の子を得て十分と判断したのか、卵は忘れ去ったのか、定かではない。問い質したいところであるが鶏と人間との複雑な会話は難しいのだ。
 今日も今日とて庭先で餌を啄むデミー親子の監視員を務める。犬の襲来はほぼ無くなったが車の出入りのたび雛を心配する。その嬉々とした親子を観ながら一年先はこのアパートで飼い続けることができようかと空を観る。今年は台風が多いせいか日本の秋のような天気が続く。まあその時はその時考えるかとゆっくり背伸びをした。

    南海の 小島の中の 借り家に 我酔い痴れて 鶏とたわむる

デミー子育て日記

デミー子育て日記

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-10-10

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