田中

藤崎は突然背後から名前を呼ばれた

「おい、田中!」藤崎は突然背後から名前を呼ばれた。しかし藤崎は藤崎である。自分のことではないだろう、とタカをくくっているともう一度「おい、田中ってば」と呼ばれた。田中ではない。断固として。しかし、見渡しても誰一人反応をしていない。「田中!」…これはどうやら私のことのようだが、人違いであるな、と納得して藤崎はようやく振り向いた。「よお、田中」と馴れ馴れしく近づいてきた男に問い返す。「すみませんが、どちらさまでしょう」私は田中ではありません…、と続けるつもりが言い留まった。そういえば自分は田中だったような気もする。嫌な予感がして免許証を取り出すと藤崎は田中になっていた。男が近づいてくる。「よお、田中」「なんだ、田中」「あそこにいるの、田中じゃないか?」見ると駅前のロータリーに女性が立っていた。待ち合わせをしている恋人である。名前を柴田由美と言った。
田中と共に、彼女へ声をかける。「おい、田中」彼の声に気づいた彼女が振り向き、「なあに、それ」怪訝そうに聞き返す。
「いまさら苗字で呼ぶなんて、他人行儀じゃない」「まあいいじゃないか、田中」
田中と別れ、田中とともに、約束していた映画館へ向かう。劇場は満席であった。一番後方の席から二人は「おーい、田中!」と大声で呼んだ。無作法なやつがいるぞ、と振り向いた観客たちが全て田中になった。
田中に席をとってもらっていた田中が田中と田中に買ってきた飲み物と軽食を手渡す。田中は田中に田中と田中から集めた紙幣を渡し、田中が田中に釣り銭を渡し、田中が田中と田中にそれを分けた。トイレから戻ってきた田中は…

かくして、田中は田中を呼び、田中の人口は爆発的に増えていった。このまま田中が増えると、いずれ全ての人間が田中となる。そうなるまでには読者諸君もお分かりの通り、再び田中を区別するための名前が必要になるだろう。
藤崎に戻れる日のことを考えて、田中の胸は焦がれた。


++超能力者++
田中(たなか)
ESP:田中と呼びかけて、振り返ったものを田中にする

田中

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田中

2分で読めます。「話の中に必ず超能力者がひとりは出てくる」というしばりで掌編の連作を執筆中。 超能力者の名前と能力が必ず最後に記載されてますので、答え合わせ感覚で読んでいただければ幸いです。

  • 小説
  • 掌編
  • サスペンス
  • SF
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-10-08

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