蒼い青春 十一話 「さよなら、もうひとりのお父さん」
登場人物
・長澤博子・・・この物語の主人公。 心優しく清らかな少女だったが、事故により被曝し、白血病を患ってしまう。
・河内剛・・・博子の恋人で若手の刑事。 常に真実を探ろうとする熱血漢。
・園田康雄・・・剛の先輩刑事。 やり手だがその荒いやり方から、「横須賀のハリー・キャラハン」の異名をとる。
・蛯原慎吾・・・元誘拐犯で、出所後は博子のよき協力者。
・長澤五郎・・・博子の父で、大学教授。 心理学専攻。
・灰谷靖・・・五郎の旧友で、放射線科医。
前篇
蛯原はまるで、雷に打たれたような衝撃を受けた。 病院内で剛、五郎、園田とともに博子の身辺警護に着いていた蛯原は、五郎と彼の旧友・灰谷靖の衝撃の会話を聞いてしまったのだ。
頭の中は真っ白になって、ただ同じ言葉が繰り返されているだけだった。 「あの娘さん、お前には言いにくいんだけど、これは嘘偽りなく言って、白血病の進行具合によっては、悪くてあと半年、良くても、今年一年だろう。 本当に、気の毒だよ。」
外へ出た蛯原は、気を紛らすために煙草を取りだし、火を付けた。 煙草なんて、何年ぶりに吸っただろう。 思いっきり煙を吸い込み、一気に吐き出してみる。 もちろん、煙草の一本や二本ぐらいで紛れるような問題ではないのは、重々分かっている。
それだけではない。 彼が紛らわそうとしているのは、博子の病気のことだけではなかったのだ。 彼は今、ある真実を博子に打ち明けるかどうか、彼自身と葛藤しているのだ。 その時、またあの言葉が脳裏によみがえった。
「悪くて半年、良くても、今年一年・・・」 蛯原の決心はすでに決まりつつあった。
「蛯原さん、博子ちゃん、明日退院ですや。」 ふと後ろから声を掛けられ、蛯原は我に帰った。 そこには、博子の退院を知らせに来た園田が立っていた。
中篇
翌朝、蛯原はアパートの固定電話の受話器を持ち上げ、ゆっくりと深呼吸していた。 落ちつけ、すぐに楽になるんだ・・・ そう自分に言い聞かせながら、長澤家の番号をプッシュする。
「あ、もしもし。 博子ちゃんかい? 実は駅前にちょっとうまいラーメン屋見つけてね。 うん、今日だけさ、一日だけ、俺の娘になってくんないかな・・・。 うん、ありがとう。 じゃあ、10時くらいに迎えに行くから。 うん、お父さんとお母さんによろしくな。 うん。 じゃあ。」
受話器を置いて、蛯原はフーっと息をふきだした。 内心、彼は断られた時のことを考えて冷や汗をかいていたのだった。 しかし事はうまく運ばれた。 自分がまだ寝間着姿だったことに気がついた蛯原は、急いで着替え始めるのだった。
署に出勤した園田は、少し寂しそうにしている剛に声を掛けた。 「よお、今日は非番じゃねえのか?」 「非番ですけど、家に居たって暇なんですよ。」 「なんでさ、博子ちゃんとでもなんでも、出掛けりゃいいじゃねえか?」 そう言う園田に、剛はよりいっそ寂しそうな顔で、「取られちゃったんですよ、エビさんに・・・」と言った。 それを聞いて思わず吹き出す園田。 「おいおい、エビさんって、蛯原かい? そっか、そいつは残念だったな。 よう、そんじゃあ駅前に俺うまい蕎麦屋知ってるから、仕方ねえから男二人で行くか。」 そう言って園田は、酔っ払たサラリーマン上司のように剛の肩をたたいてやるのだった。
「ヘイ、オマチドサン。」 『蕎麦・うどん専門店 ジャック・ニコルソン』の窓際のテーブルに座った剛、園田の二人の前に、本人だかソックリさんだかわからないジャック・ニコルソンがうどん、蕎麦をそれぞれ運んできた。
「何で先輩、自分から蕎麦屋誘っといて、うどん食ってんすか?」 早々と割り箸を割って、「ぶっかけうどん」を頬張る園田に剛が尋ねる。 「俺よぅ、蕎麦アレルギーなんだよ。 言ってなかったか?」 「ええ、初耳ですね。」 店内のスピーカーから、おおよそジャック・ニコルソンからは想像できない、「なごり雪」が流れている。 「この歌、なんていう歌か、知ってるか?」 うどんをすすりながら、園田が言う。 「ええ、なごり雪でしょ?」と剛。 「お前さては、昨日のFNS歌謡祭観たな?」 「ピンポン、正解。」 「俺も観たの。」 二人がこんな会話をしている向かい側の店、『ラーメン 頑固屋』では、博子と蛯原がカウンター席で、まるで本当の親子のように肩を並べてラーメンを食べていた。
「ホントにおいしい。」 博子が笑顔で言う。 「そいつはよかったよ、実はね今日、博子ちゃんに断られたらどうしようか、朝っぱらから心配してたんだよ。」と蛯原。 「へぇ、じゃあ二人は本当の親子じゃないのかい?」 カウンターの向こうから、店主の親父が驚いた顔で言う。 「そうだよ、ちょっとデート。」と蛯原。 「ふーん、おっさん、幸せもんだねぇ。 そんな美人とご一緒できて・・・。 ウチのはそれこそ出会ったころは『横須賀の薬師丸ひろ子』だったけれども、いまじゃ『養豚場の豚』だもんなぁ。」と親爺が悲しろうに言ったので、博子と蛯原が声を揃えて笑った。
それから数分して、一足先に博子と蛯原は店を出たが、剛と園田が気付くことは無かった。 なぜなら、剛は店に背を向ける様に座っているし、園田はタイミング悪く、二人が店を出る直前にトイレへ立ってしまったのだから。
後篇
ラーメンを食べ終えた二人は、人気のない静かな丘の上に来ていた。 丘の上からは、発展した街の様子が一望できる。 「どうしたんですか? こんな所に来て。」 笑いながらそう言う博子に、蛯原は決心したように大きくうなずくと、いきなり頭を下げた。 「すまない、本当にすまない。 12年前、まだ五歳だった君を誘拐して、対人恐怖症にさせたのは、この俺なんだ。 許してくれ、頼む、許してくれ。」 そう言って蛯原はひざまずき、砂の地面に頭をこすりつけ許しをこうた。
しかし博子は、ただ唖然とするだけだった。 あまりにもその告白の内容が、突飛過ぎて、重すぎたのだ。 「すまない、本当にすまない・・・」 今や博子の頭の中は真っ白で、蛯原の声など耳に入ってはこなかった。
ズキューンっ どこからともなく銃声とともに放たれた弾丸が、博子と蛯原の足元に着弾した。 「危ない!」 蛯原が博子を匿うように彼女の上に覆いかぶさって倒れる。
「ケケケケケ」 狙撃したのは、あの病院に現れた、憎むべきローブの怪人だった。 「くそっ、アイツだ。 そうか、狙いは君だったんだな・・・」 そう言って怪人を睨みつける。 しかし怪人は、二発目の弾丸を撃ち込まずに、ローブをひるがえして逃亡を図ったのだ。 「あっ、畜生。 待ちやがれっ。」 蛯原がそう言って怪人を追いかけようとする。 「ああ、蛯原さん、行っちゃダメ。」 博子がそう叫んで彼の腕をつかんだが、蛯原はそれを振り払い、怪人を追いかけて行った。
「くそっ。 野郎、どこへ行った。 出てこいっ!」 蛯原が着いたころには、逃げ足の速い怪人は、すっかり姿を消してしまっていたのだ。
と、その時、どこからともなくローブの怪人が姿を現わした。 「くそ、そんな所に隠れてたのか。 さあ、かかってこい‼」 そう言って構えるよう蛯原をあざ笑うように、怪人は黒光りする拳銃を取り出した。 ズキューンッ
「蛯原さんっ 蛯原さんっ。 しっかりして・・・」 博子が駆け付けた時にはもう、憎むべき怪人の姿は無く、撃たれて傷を負って倒れている蛯原だけだった。 「ひ、博子ちゃん・・・ さっきのこと許して、許して、くれるかね・・・?」 血を吐きながら、博子の腕を握りながら言う。 「もちろんよ。 だって、だって蛯原さんは、私の、もう一人のお父さんじゃない。 ね、そうでしょ?」 蛯原の手をしっかり握りながら、博子が言う。 「あ、ありがとう。 ありがとう・・・ いい、娘を持って、父さん幸せだったよ・・・」 そう言って蛯原は、ゆっくりと息を引き取った。 もう動くことも、喋ることもない蛯原を、博子はゆっくりと抱き寄せて、ちからいっぱいに抱きしめてやるのだった。 つづく
蒼い青春 十一話 「さよなら、もうひとりのお父さん」