幻肢痛

「ごぇっ」
あー。もうだめだ私はもうだめだこのゲップが許せない。許さない。
この人は、この類のゲップをする人は、間違っている。こんな男に捨てられるのは間違っている。何かが。
何が?そんなことはどうでもい゛い゛!
とにかく爪を切らない。特に足の爪を切らないし、野菜を食べないし、じゃがいも以外を食べないし、
私が作った料理だとしてもじゃがいも以外を食べないし、かといって肉じゃがは嫌いだし、そのくせコロッケは好きで、
コロッケは手作りよりもスーパーの惣菜のコロッケが好きで、カレーコロッケはビールに合わないからって買うと怒るし、
でも普通のコロッケばっかり買っても「芸がない」とかいうし、っていうかそれ発泡酒だから、ビールはもっと、高いやつだし!

彼女は、ファミレスのあの細かい氷と飲みかけのコーラが入ったコップを、握りしめ、握りしめたが、それだけだった。
女性が男性にコップの中身をぶちまけるのは、2014年の日本においてすら、男女の際の際の典型となっていることに、彼女はもちろん通じている。
ぶち撒けるのが顔面だと、なおよいのも知っている。
だてに、an・anを立ち読みしている彼女ではない。月9を見ながら、寝ぼけているわけでもない。
ましてや、25時のファミレス、である。
ポテトとドリンクバーで持っているようなファミレスである。
しかし、彼女はコップを握りしめ、少し強めに、テーブルへ置いた。社会性に起因する、典型への抵抗である。ようは、見栄である。
それが、彼女の中の彼女が、彼女の中の彼に劣勢を許した瞬間だった。

セックスは上手だった、いや相性なのかな。相性いいかもって、いつか、言ってくれたよね。
私、いろいろ、下手だから。それがいけなかったの?男の人って、やっぱり胸の大きいほうがいいとかかな。
前髪、自分で切ったのがまずかったかな。太ったのがばれたとか?
よっちの彼氏にこの間Lineしてたのがばれたのかも。嫉妬?嫉妬なのかな。嫉妬だったら、私、少し嬉しいかも。

「ごぇっ」

あーだめだめだめだめ許せない許しちゃダメだめダメ!
なんで夕飯の準備してる時に、カップラーメン作りだすの!カレー味のカップヌードル食べながら、「お、今日はカレー?」ってなんで嬉しそうなの?
これ、ポトフだよ!どうせニンジン残すから、じゃがいもとソーセージだけで、自分が何作ってるかわからなくなりそうだけど、ポトフだよ!
ポ↑トフじゃないよ、ポ↓トフだよ!

彼女は、出て行く決意をしたらしい。
お金を置いていくつもりだったのか、カバンを探っていると、彼が慌てて店員呼び出しボタンを押したので、
彼女は「う゛ー!」と唸って、すぐに出て行こうとした。
そして彼女は、振り向いて、僕と目があった。

僕は「この税抜きの値段設定、消費者を小馬鹿にしてるけど、それを含めてのファミレスだよな、うん」という顔をして、ポテトを食べた。
そんな僕の気遣いに、気づいたのか気づかなかったのか、彼女はファミレスを後にした。
例の彼はというと、呼んだ店員にポテトを頼んでいた。

僕はファミレスを出た。メガネが曇る。
冬が恋しいのは、秋が終わるからだ。

幻肢痛

幻肢痛

ゲップすると、嫁に真剣に怒られます。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-09-16

CC BY
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