目に入れると痛いタイプの弟
我が家は全員目が悪い。父親も母親も眼鏡がないと生活できないくらいに目が悪いし、僕と弟に至っては、幼稚園くらいの時に入院しなければいけないくらい目が悪かった。
父親に言わせれば『目に入れても痛くないからな! つい入れちゃったらこのザマだ! ははは』と言っていた。彼らの目が悪くなったのは、百歩譲って目に僕達を入れてしまったからと認めても、それでは僕達の目が悪くなった理由には――さらに言えば、弟がそのまま全盲になって、六歳の時に死んでしまった理由にはならない。当時、僕もだいぶ目が悪くて、弟がどういうふうな顔をしていたのかはっきりと見れなかったのが今でも悔やまれる。弟も僕も治療のために白い布をひっきりなしに目に巻きつけていた記憶だけがうっすらと残っている。弟は角膜の病気で死んでしまって、僕はなんとか生き残れた。
僕は一階の座敷にある仏壇の前に手を合わせる。朝ごはんの前に弟の顔を見るのが習慣になっていた。弟はすっかり色あせた色調の中で、まるで忘れ物を取りに来たいたずらっ子みたいな顔で笑っている。実際の弟はこの奥に小さな骨の塊になってしまい込まれているけれど、それよりも写真の方がずっと弟をきちんとあらわしているように思われた。僕もきっと弟のことを『目に入れても痛くないほど可愛い』と思えただろう――実際は痛いと思うけれど。
「ご飯、冷めるよ」
母親がリビングから顔を出して声をかけた。僕は曖昧に返事をして、正座を崩して立ち上がる。四月というのにまだ寒い。僕は手を擦りながら食卓につくと、お味噌汁の茶碗を持って「あったかい」とつぶやく。
「なんかおじいさんみたいだからやめろ、それ」
と父親が注意して、僕の分の鮭を茶碗にのせた。僕にはよく見えないし、父親にもよく見えないから、これが実際鮭ではなくても僕たちは平然と食べるだろう。
「ああー、鮭の皮が取れてないよお父さんー」
「自分でうまいこと切れ」
「駄目だよー精神は自分の肉体を求めるのだよー」
「馬鹿な事を言ってないで、飯とっとと食え」
へい、と丁稚のような返事をして朝ごはんを食べ始める。僕は食べながらこめかみのあたりを強く揉む。子供の時からの癖だ。家から遠くに出かけると僕はたいてい頭痛がした。いつか両親に言おうと思って、結局言えずじまいだ。きっと家の中のお香の香りがする空気が好きなのだろう。最近では二階――僕の部屋は二階にあるが、母親は二階にはお香を炊いてくれない――に行ってもちょっと頭が痛いくらいだ。
「おかーさん、でもお母さんもそう思わない? 死体の精神は皮と肉体をつなぎとめる――」
「滅多なこと言うんじゃないの、変な話しないで」
母親はいつになく真面目な顔をして言ったので、僕は小さく首をすくめた。僕は半分くらい不満だったが、今日の鮭は日頃に比べて美味しかったので上機嫌でごちそうさまと言った。歯を磨いて、顔を洗って、僕は二階に上がった。やはり少し頭がいたいなぁと思った。クローゼットに入っている学ランに袖を通して、筆箱と体育着しか入っていない通学カバンを掴んで玄関に向かう。
「行ってきます」「気をつけてね」「はぁ」
僕は外に出る。学校まではそこまで遠くない。
頭がいつもより少しだけ痛い。頭の奥のほうが掴まれる感じの痛みではなくて、もっと前の方が、外に抜け出るような痛みだ。例えば眼球が飛び出てくるような――家に縛り付けられているような?
僕は立ち止まった。
眼球が家の方に向かっているような痛みだ。もっと言えば、眼球の一番外側が引っ張らられるように痛い。僕はつばを飲み込んだ。僕と弟は子供の時に同じ時期に同じ病院に入って、同じように目に包帯をしていた。弟の死因は――角膜の病気と母親は言っていた。そして母親は今日ちょっと僕の言葉に敏感であった。
僕は弟の写真を思い出していた。忘れ物を取りに来るような笑顔だった。
目に入れると痛いタイプの弟