灯原さんは笑わない

1:灯原さん
 彼女はいつも周りから避けられていた。まるで見た人を石にするがごとくの目つきの悪さと誰をも寄せ付けないオーラを持っていたから。
 しかし、高校生活における席替えとは残酷なもので、僕は彼女、灯原(あかりばら)晴子さんと隣の席になってしまった。これは一大事である。これから向こう二カ月はそんな灯原さんと隣り合わせで学校生活を送らなければいけないのだから。
「よ、よろしくね、灯原さん」
 恐る恐る話しかけてみると、キッと睨まれた。
 苦笑いをして灯原さんから目を背ける。
 こ、怖い。安穏な高校生活を僕は送れるのだろうか。

 授業中、灯原さんは頬杖をつきながら退屈そうに先生の話を聞いていた。横目で見ながら、「パッと見は美人さんの部類だよな~」などと考えていた。でも人を見るときのあの目つきの悪さはちょっと異常だ。あれでビビらない生徒はこのクラス、いや学校中を探しても1人いればいいほうだろう。
 灯原さんはそんなオーラをまとっているからか、色々な噂を持っていた。近くの高校の不良生徒三人を一人で片づけたとか、この街の不良グループのトップに君臨しているだとか。噂なんてたいがいウソが多いものだけど、灯原さんの場合、怖すぎて誰も真偽を確かめられない状態だった。本人も別段否定しないため、噂は尾ひれがついてどんどん広がっているようだ。
「……野、月野!」
「は、はい!」
 大きな声で我に返ると、目の前に数学の教師がいた。
「何ボーっとしてるんだ。次の問題を前に出て解け」
「す、すみません」
 焦って教科書を見る。昨日予習していた部分だったので、その問題は何とか乗り切った。
 黒板に答えを書き終わり、額にかいた汗を拭い、席に戻ろうと振り返ると、灯原さんと目があった。……また、睨まれた。

「え、お前、灯原と隣になったのかよ」
「うん」
 帰り道、友人の坂口慶太と一緒に歩きながら灯原さんについての話をしていた。
「あいつマジ恐いよな」
「はは。まあ、睨まれるとね」
「あれは完全に人を何人かやってるよ」
「そんなこと言ったら失礼でしょ」
 咎める口調で言った。
「いや、あれはやってるね。俺の目に間違いは無い」
「慶太の目ってそんなに信頼おけるものだったっけ?」
 知り合ったころからの数々の間違いを指摘した。
「山崎さん、沼田さん、桐生さん、橋本さん……」
「ば、ばか、やめろ」
 慶太が「俺に気があるね!」と自信を持って告白して無残に失恋した女の子たちの名前だ。
「悪かったよ、許してくれ」
「ははは」
 あ、そうだと言って、ノートを差し出してきた。
「何これ?」
「今年の女子データ」
「まだやってたんだ……」
 慶太は無類の女の子好きだ。いや、もちろん僕も興味が無いと言ったらウソになるけど、そういうことではなく女の子の査定をしたりするのだ。毎年色々な観点から女の子のデータを数値化し、順位付け、ランク付けをしているのだ。こんなのが知れたら、女の子全員から白い目をされるのは間違いない。
「今年のイチオシは?」
「今年はな、2組の上川春香だな。清楚な雰囲気に加えて顔も抜群に可愛い。こっちのほうも十分だ」
 そう言いながら、慶太は自分の胸のあたりで空気に山を書いていた。胸が大きいということを表したいらしい。
「そ、そう」
「あとひと月ぐらいしたら水泳の授業が始まるな。楽しみだ!」
「ふ、不純だ」
 自分で聞いておいてなんだけど、正直引いた。
「おっと、もうこんなところだ」
 慶太と別れるポイントにまで進んでいた。
「じゃあな、灯原に気を付けろよ」
「何に気を付けるんだ」
 僕より背丈の高い体を見送ると、僕も自宅のほうへ足を向けた。
 僕の高校はちょっとした山の上にある。そこからしばらく下ると、駅があるのでその周辺は商店街になっている。慶太と別れるのはその商店街の真ん中ぐらいだ。僕の家は商店街を抜けてしばらくしたところにある。
 商店街のお店から流れる明るい音楽や料理の良いにおいを感じながら、家に向かっていると、
「なんだテメー!」
 という怒号がうっすら聞こえた。
 なんだろう? と思いつつそのまま進んでいるとまた怒号。さすがに気になってその場に止まっていると人が殴られているような音もした。これはまずいのではと思い、音のした方へ歩き出す。
「うっ」
「なんだお前大したことねーな!」
 現場は商店街の本通りから外れた細い道のこれまた細い路地だった。
 高校生と思われる男が三人。小さくなって蹴られているのは一人の女の子。悔しそうに顔をあげ、男たちを睨む。その目に見覚えがあった。
「灯原さん……」
 「助けないと」と思ったが、あいにく僕は肉弾戦でどうにかなるような体は持っていない。男たちに気づかれないようにその場を立ち去ると、急いで走った。
「あの、すぐそこで不良が暴れています!」
「え、あ、今すぐ行きます!」
 商店街の交番へ駆け込み、状況を説明すると、自転車に乗った巡査がすぐに現場へ向かった。僕も運動不足を嘆きつつ走った。
「げ、警察だ」
 巡査が行くとさすがの男たちも及び腰になり、逃げようとした。
 巡査は一人だったので全員を取り押さえることは出来なかったが、一人を捕まえると手錠をかけた。そのまま巡査が応援を呼んだのでしばらくするとパトカーがやってきて、その不良を連れて行った。一人捕まったので、残りの不良も直に捕まるだろう。
 路地のほうを見ると、女の子、灯原さんは小学校高学年ぐらいの子に話しかけていた。何を話しているのかは分からなかったが、無理にその子から目をそむけながら話している様子だった。
 巡査が二人のところに行って話を聞いていた。
「いやー助かったよ。最近こういうカツアゲが多くてね。私一人じゃなかなかパトロールも追いつかなくて」
 戻ってきた巡査にそう言われた。
「い、いえ。当然のことをしたまでで」
「ん? 君、あの子と同じ高校の制服を着てるね。知り合いかい?」
「え、ええ。同じクラスの子です」
「そうか。悪いんだけど、あの子のことお願いしてもいいかな。私は子供さんのほうを親御さんまで送るから。重くはないと思うんだけど少し怪我してるようだから、交番まで連れて来て。あとで手当てするから」
「は、はい」
 こんなところで灯原さんの世話をすることになるとは……。
「あ、灯原さん。交番まで送るよ」
 座り込んでいた灯原さんのほうへ向かい、そう言うと、また睨まれた。
「あんたは、隣の……」
「うん。月野悟史」
「月野……いっ」
 お腹を蹴られたのか手で押さえていた。
「大丈夫? 立てる?」
「大丈夫だ。あたしのことはいい」
 僕を手で制しながら立ち上がった。
「送るよ」
「いいって言ってるだろ」
「でも、巡査さんからも言われたから」
「だから……」
「つべこべ言わずに来て! 警察に僕を怒ってほしいの?」
 少し不機嫌なトーンで言うと、面喰ったのか大人しくなった。
 ふらふらする灯原さんの横をゆっくり歩く。夕食の買い物に来ていたと思われる主婦の人たちが僕たちを怪訝な目で見つめていた。
 ああ、気まずい……。
 灯原さんは何もしゃべらない。しゃべれないというよりしゃべるのを拒否しているようだった。
 交番までたどり着くと、灯原さんを椅子に座らせる。
「もう、帰れ」
 久しぶりにしゃべったと思ったら、こんなことだった。
「…………こういうときはお礼言わないと嫌われちゃうと思うよ」
 別にお礼を言って欲しくてやったわけではないけど、何もないどころか即「帰れ」なんて言われたら誰だって良い気はしない。
 灯原さんはうつむいて何も言わないので、仕方なく、交番を後にした。少し歩いたら巡査さんが戻ってきた様子だったのでとりあえず安心した。
 でも、不愉快な思いとなぜそこまで僕を拒絶するのかという疑問が頭をぐるぐる回りながら帰路についた。

 翌日。登校してくると、隣の席には顔に絆創膏を貼った灯原さんがいた。見えないけどおそらくお腹にも湿布などが貼ってあるのだろう。昨日の別れ際がちょっと変な感じだったので何も言わずに座った。しばらくすると、四つ折りになった紙が隣から机の上に投げられた。
「びっくりした……」
 何かと思って開くときれいな文字で、
『昨日はあんなこと言って悪かった。警察を呼んでくれたり、交番まで送ってくれて感謝してる』
 と書いてあった。
「どういたしまして」
 こちらを見ようともしない灯原さんに僕は言った。

2:お昼ご飯
「おはよう、灯原さん」
 あれからというもの、返事は無いが、一応毎朝挨拶していた。最初の頃は完全無視だったが、最近は一瞥くれるようになっていた。
「慶太」
「なんだ?」
 帰り道、慶太に最近感じている疑問を口にした。
「なんで灯原さんはあんなに人を避けてるのかな」
「いや、避けてるというか、周りが寄りつかないんだろ?」
「まあ、それもあるけど、それだって元はと言えば灯原さんが人を避けるからでしょ」
「うーん、確かに」
 慶太はだらしないところもあるけれど、こういうところは真面目で良い奴だ。ちょっとしたことでも一緒に考えてくれる。
「というか、なんでそんなに灯原のこと気にするんだ?」
「え、あー、なんでだろ」
 慶太がニヤニヤしながら僕の顔を見てくる。
「なんだ惚れちゃったのか?」
「いや、別にそういうわけではないよ」
 苦笑いしながら否定する。でも、こういうときの慶太はしつこい。
「またまた~」
 そんなことを言いながら僕のことをひじでつついてくる。
 ある意味、地雷を踏んでしまったらしい。
 でも、慶太の言うことも一理ある。なんで僕はそんなに灯原さんのことを気にしているんだろう。当然好きということは無い。ただ、何か引っかかるのだ。
「あ、そういえば」
 慶太が何か思い出したようでひじつつき攻撃が終わった。
「灯原のことで新しい噂が流れてたな。なんでも、商店街で不良三人を相手に喧嘩を売って見事に勝って、不良どもをお縄にかけたとか」
「え! それ、本当!?」
「ああ。こんなとこでウソ言ってもしょうがないだろ」
 ああ、なんてこった。この前の事件が変な感じで噂になってるよ。でも怪我しながら歩いているところを大勢に見られているのになんで勝ったことになるんだ……。しかも、別に喧嘩を売ったわけじゃないと思うんだけど。
「どうかしたのか?」
「いや、別に……」
 一応灯原さんは勝ったことになってるし、わざわざ負けたことを言う必要も無いかと思って、黙っていることにした。

「おはよう、灯原さん」
 翌日も懲りずに挨拶していた。灯原さんはこちらをちらっと見て、席に座った。
「あ、そういえば、この前の事件が噂になっているみたいだよ」
 出来るだけ小声で灯原さんに伝えた。
 相も変わらず無反応だ。
 しょうがないか、と思い前を向くとチャイムが鳴った。授業が始まると、また四つ折りの紙が飛んできた。
『どんな風に』
 とだけ書いてあった。
 噂がどんなのかが聞きたいのだろうか。というか、なぜ紙でしかやり取りをしようとしないのか。
 変だなあ、と思いつつ授業中なのでこちらも昨日慶太に聞いた内容を紙に書いてこっそり投げた。
 読むとそれきり灯原さんは何の反応も示さなかった。
 何で噂の内容を聞いたのかが気になってしまうところだけど、こちらから話しかけても無反応なのでどうしようもなかった。
 昼食の時間になった。昼食は慶太が隣のクラスからやってくるのが定番だった。
「よお、悟史」
「ごめん、ちょっとトイレ行ってくるから先食べてて」
「おお」
 慶太が購買で買ってきたのであろうパンの袋を開けるのを見つつ教室を出た。
 用を済ませトイレから出ると、目の前の階段を灯原さんが上って行くのが見えた。
「灯原さん!」
 つい大声で呼んでしまい、周りから変な目で見られた。
 とうの灯原さんは聞こえなかったのか、無視したのか、すたすたと上がって行く。僕は後を追いかけた。
「ちょっと待って灯原さん」
 息をきらして灯原さんに追いついたのは屋上入口前の踊り場だった。
「ま、またお前か、つ、つ……」
「はあ、はあ、月野、だ、よ」
「わ、悪い」
 二人きりだとしゃべってくれるらしい。
「いつも屋上でお昼食べてるの?」
「いや、屋上は入れないから……」
 見ると、屋上のドアには南京錠がかけられていた。生徒の安全のために立ち入りできないようにしているのだろう。
「じゃあ、こんなところで?」
 その踊り場は行き場の無い机と椅子たちの墓場のような場所だった。暗いし、埃っぽい。お世辞にもご飯を食べる場所とは言えなかった。
「教室で食べればいいのに」
「か、関係ないだろ」
 背中を向かれてしまった。
 ここで変に深入りするといよいよ話をしてもらえなくなりそうだったので、軽い話題を振ることにした。
「何食べるの?」
「お、お弁当だけど」
「ふーん。灯原さんが作るの?」
「ち、違う。おか、母が作ったやつ」
「あ、食べていいよ」
 手頃な位置にあった椅子を引く。
「つ、月野はどうするんだ」
「まあ、一食ぐらい食べなくても死なないから大丈夫だよ。それにちょっと話したいこともあるし」
 明らかに戸惑った表情をした灯原さんはしばらく考え込んだ後、僕が引いた椅子に座った。
「あ、あたしのこと怖くないのか」
 お弁当のふたを開けずに質問された。
「え、ああ、まあ、睨まれたらちょっと怖いけど、何も無ければ別に」
「……変わってるな」
「灯原さんに言われたくはないけどね」
 笑顔で返すと、ますます戸惑った顔をして、気を紛らわすようにお弁当箱のふたを開けた。
 小さめのお弁当箱の半分ほどにご飯。もう半分には卵焼き、ウィンナー、キャベツと人参の炒め物が入っていた。
「おいしそうだね」
「……な、なんだよ」
 灯原さんはお弁当箱を僕から遠ざけた。
「いや、特に深い意味は」
「変な奴」
 灯原さんはぼそっとそんなことを言ってからご飯を口に運んだ。
「ところでさ」
 このあたりで聞いてみたかったことを尋ねることにした。
「さっき噂のことを言ったとき、なんで内容を聞いてきたの?」
 ご飯を運ぶ手が止まった。
「何でそんなこと聞く」
「だって灯原さんはいつも噂なんて気にしてない感じだったから」
「別にそんなことは……」
「気にはしてるの?」
 灯原さんは反応せずまた僕に背を向けてしまった。意外な反応になんだか面白くなった。
「でも、気にしているなら否定したらいいのに」
 噂ではものすごく強いことになっている灯原さんだけど、先日の様子を見る限り、喧嘩が強いというわけではないようだった。
「否定したって変わらない。それに、そのほうが都合も良い」
「都合がいい? どういうこと?」
「月野には関係ない」
 深入りを拒絶されてしまった。まあ、これだけ話せれば十分ではあったけれど。
「まあ、そうだね。あ、でも、噂の内容をなんで聞いたの? 答え聞いてなかったけど」
「それも関係ないだろ」
 閉店ガラガラ。完全シャットアウト。
 これ以上突っ込んで聞ける精神力が僕には無さそうだったので、黙ることにした。
 灯原さんは淡々とお弁当箱の中身を食していく。僕に背を向けたままひたすらに。
「月野」
 体勢はそのままだったけど、この空間の沈黙を破ったのは意外にも灯原さんだった。
「なに?」
「教室で話しかけるな。あいさつもしないでくれ」
 何かと思えばまたもや人づきあい拒否の主張だった。
「どうして」
「関係な」
「関係はあるよ。だって僕の行動が制限されるんだから。制限される時にはそれ相応の理由が無いと」
 僕は自由に動けないのが嫌いなたちなのだ。特に人に指図されるのは不愉快極まりない。
「と、とにかくそういうことだから!」
 灯原さんは僕の質問に答えることなく、空になったらしいお弁当箱を持って階段を駆け下りていってしまった。
 僕はその姿を見送ることしかできなかった。

「これは、由由しき問題だよ!」
「お、おお」
 帰り道、僕は慶太に熱弁をふるっていた。
「僕の行動が制限されると言うのに、理由が開示されない! これは大問題だ! これじゃあ僕は灯原さんの嫌がることをやり続けないといけない!」
「い、いや、ちょっと待て」
 こぶしを握って話していた僕を慶太が制した。
「悟史の中で、灯原に話しかけないという選択肢は無いのか」
 答えは当然一つ。
「無いよ!」
 慶太が「ああそう」と言った。
「だって、考えてもみてよ。例えば慶太が急に理由も分からずご飯を食べるなって言われたらどうよ!」
「ま、まあ、困るな」
「でしょう! 理由があるならまだしも、その理由が分からないんじゃ納得できないよ!」
 鼻息荒く話していると、慶太は、
「じゃあ、俺はこの辺で」
 そこはDVDのレンタルショップだった。
「珍しいね」
「あはは、ちょっとな。じゃ、じゃあ!」
 まるで僕から逃げるように慶太はそのお店に消えていった。
 というか、間違いなく逃げた。
「まったく、こういうときに限って……」
 ぶつぶつ言いながら家へ帰った。

 翌日。理由なき行動制限には断固抵抗する構えの僕は、いつもと同じように、「おはよう、灯原さん」と声をかけた。
 その瞬間、久しぶりにキッと睨まれた。だが、今回は僕もひくわけにはいかない。納得できる理由が示されない限り僕は話かけ続ける!
 こうして僕と灯原さんの戦争が始まったのだった。

3.戦力と戦略と陥落
 戦争に勝利するために必要なものは、物理的戦力と戦略だ。戦争と言うとむやみやたらに兵力や兵器をつぎ込むことを想像するかもしれないけど、重要なのは戦略のほう。限られた物理的戦力でいかに効率よく相手を陥落させるか。これを達成する手段が戦略であって、最も重要な部分だ。
「というわけで、情報持ってきて」
「え、俺?」
 僕は戦争に勝利するための持論を帰り道に慶太に説いて、慶太を戦力つまり諜報員として使うことにした。僕がしてもいいのかもしれないけど、口は慶太の方が上手だ。
「だって、慶太女子好きでしょ?」
「いや、まあ、そりゃそうだけど」
「情報集めを名目にいっぱい女子と話せるかもよ」
「ん?」
「それで、そんな中で仲がいい女子が出来て~」
「……おぉ」
「上手くいったら付き合えちゃったり?」
「やらせていただきます! いや、やらせて下さい、悟史参謀長」
「よろしい」
 慶太を操るのは簡単だということが改めて分かった。
「それで、何をしたらいいんだ?」
「そうだなあ。まずは、灯原さんの現在状況を知りたいな」
 何事も現状把握が重要である。
「よし。じゃあ、『女子に』灯原のこと聞いていくわ」
 妙に「女子」というところを強調するのを聞いて笑ってしまった。
「ああ、これで彼女が出来る~」
「いや、まだ出来るって決まったわけじゃ」
 横を歩く慶太の顔を見ると、完全に妄想の世界へ旅立っていた。
 慶太をその気にさせるために彼女ネタを使ってしまったことにいささか罪悪感を感じてしまった。
 でも、その気になってるから黙っておこ。
 その日から僕と慶太の「灯原さん陥落プロジェクト」が始まったのである。

 翌日。さっそく戦略会議を開いた。と言っても、空いている教室を勝手に使って2人で話し合っているだけなのだけど。
 僕は教室真ん中列最前席に座る。
「それじゃあ、慶太、報告よろしく!」
 そして、黒板の前に慶太をたたせて報告を待った。
「おお。えーっと、灯原は2年1組に所属だな」
「クラスメイトなんだからそれぐらい分かってるよ……」
 いきなりこんな調子だったので急激に不安になった。慶太に任せておいて大丈夫だろうか……。
「あはは。悪い。それで、家は東八郷(ひがしやさと)のほうにあるらしいぞ」
「東八郷? ずいぶん遠いね」
 この辺には高校が三つしかない。僕らは坂下という地区に住んでおり、この地区の高校生はたいてい海城(うみしろ)高校に通う。もちろん、頭がいい子なんかは遠くの高校に通ったりもするけれど。
 逆に東八郷は逆方向の地区で明神高校に行くのがよくあるパターンだ。偏差値もさして変わらない為、わざわざこの高校に来る生徒はほとんどいない。もう1つの高校、田神高校は偏差値が高いため頭のいい子が行く高校である。
「なんで明神じゃなくてこっちに来たんだろ」
「さあなあ。灯原は別に頭がずば抜けていいとかってこともないんだろ?」
「うん、たぶん。聞いたこと無いもん」
 ということはおそらく田神高校は最初から眼中に無かった可能性が高い。にも関わらず、なぜわざわざ遠い高校へ?
「なんでだろ……」
「分からん。そして今日の報告は以上だ!」
 だいぶ短くてテレビのコントばりにこけそうになった。
「あはは……。ありがとう」
 今日分かったこととしては、灯原さんは東八郷に家があるにも関わらず、明神高校ではなく、海城高校に通っている。ということだ。
 これだけの材料で灯原さんを陥落させるのはあまりに難しい。
「高校選択に謎があるわけだから、鍵は中学時代にありそうだよね」
「ああ、なるほど。確かにそうだな」
「うちの高校に明神高地区の人っているのかな?」
「どうだろうなあ」
 慶太が腕組みをしながら考えていた。
 正直この辺は僕も自信が無かった。うちの高校の生徒は基本的に近隣3地区の中学の生徒だ。わざわざ明神高に行ったなんて話は聞いたことが無い。逆もほとんど無いのでは……。
「とりあえず明日また聞いてみるわ」
「うん。ありがとう」
 慶太と別れて家へ向かいながら、今日得た情報をぐるぐる頭の中でまわした。灯原さんの進学選択の謎はもちろん気になるのだけど、それと僕やその他の人との接触拒否はどうつながるのだろう?
 いくら情報をこねくりまわしても答えは出なかった。
 家に戻ると、母が居間の奥で何やらやっていた。
「ただいま。何してるの?」
「ああ、おかえり。そろそろ沙耶に会わなきゃいけないからね。色々準備しなきゃ」
「そっか。もうそんな時期か」
 頭の中に沙耶の顔が浮かぶ。
「それよりもあんた、勉強大丈夫なの?」
 痛いところをおつきになる。
「ま、まあまあ、かな」
「ならいいけど、赤点とか取らないでよ」
「ぜ、善処します」
 話が面倒になりそうなので自分の部屋に逃げ帰った。
 翌日。
「おはよう、灯原さん」
 相も変わらず睨まれる。
 せいぜい睨んでいればいいさ! いつか必ず理由を言わせてみせる!
「あ、悟史!」
 移動教室だったので廊下に出ると、今日初めて慶太に会った。
 慶太は家が新聞の配達をしており、配達の手伝いが終わるとさっさと学校に来るので、ゆっくり登校する僕とは時間が合わない。
「おはよう。何?」
「いたぞ。灯原と同じ中学のやつ」
「え! 本当!?」
 つい大声を出してしまい、周りの生徒から怪訝な目線を受ける。
「ご、ごめん」
「いや、別に。昼は無理だけど、放課後は来れるってよ」
「分かった。じゃあ、放課後ね」
 これは僕に勝利の女神がほほ笑みつつある!
 神は僕に味方しているぞ!
 心の中でガッツポーズしながら、授業へ向かった。
 昼食時間のときに聞いた話では、その人は4組の三宅さんという名前らしい。
 向こうの中学出身なのにこっちの高校に来ているという灯原さんと同じで謎の存在だ。それに、中学時代の灯原さんの様子も聞ける可能性が高い。一気に活路が見出せるかもしれない。
「いやー、それにしてもまさか三宅と話せるとはな~」
 慶太が鼻の下を伸ばしていた。
「何? 有名な人?」
「ああ、そりゃ、男子からは大人気だ」
「はあ」
 慶太は例のノートをまた持ち出してきた。
「いいか。2年4組三宅咲。ランクはA。総合順位では第2位だ」
「そうなんだ」
 慶太がため息をつく。
「お前はどうしてそう女子に興味が無いんだ。そっち系か」
「いや、そういうわけではないけどさ。でも別に可愛い人が自分に合うとは限らないじゃない。自分が一緒にいて心地いいな~って人がいいよ。僕としては」
「高校生とは思えん発言だな。高校生は見た目だろ!」
「今すごい人数の女性を敵に回したと思う」
 そんな下らない話をしていたら昼休み終了のチャイムが鳴った。
「おっと、もう行かないと。じゃあ、悟史、放課後な」
「うん。三宅さんによろしく」
「おお」
 で、放課後。慶太からのメールに記された教室へ行く。
 ちょっと緊張してドアを開けると……。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「何、あんた、あんなこと言っておいて命があると……?」
「い、いや、悪かった。一回落ち着こう。な?」
「問答無用!」
「ぐぁっ……!」
 慶太は急所を蹴りあげられ、悶絶していた……。
 この人たち何してるの……。
「あら、あなたが月野くん?」
「う、うん。三宅さん?」
「そうよ」
 慶太をノックアウトした少女は肩まである髪の毛をかきあげ僕のほうへ体を向けた。
「さ、悟史……。気を付けろ……、こいつは……」
「まだ懲りないの?」
「す、すみません」
 いや、本当何したんだよ、慶太~。
 二人のほうに近づく。慶太の顔が青い。生きて帰れるかな……。
「あの、これはいったい」
「え? あ、こいつが、わたしを侮辱したから、お仕置きしたのよ」
「侮辱?」
「ええ」
 三宅さんが慶太を睨む。
「こいつ、わたしのことを貧乳残念女って言ったのよ」
「そ、それはひどい」
「待て! そんなことは言ってない!」
 まだ立ち上がれない慶太が口をはさんだ。
「俺は、ただ、2組の上川と顔はいい勝負なのに、ある一部分がちょっとあれだから惜しいなと言っただけで」
「だいたい一緒でしょ!」
 三宅さんが怒鳴る。
「ある一部分?」
 僕が真面目な顔で疑問を口にすると、三宅さんの顔が間近に来た。
「知らなくていいから」
「あ、うん」
 それが胸のことだと知ったのはその少し後のことだ。
 ギクシャクどころでは無い感じの二人をなだめて、席に座ってもらった。
 僕が真ん中列一番前。すぐ後ろの席に三宅さん。一番窓側の最後部に慶太。
「こんなに離れなきゃいけないんておかしいと思います、せんせ~」
「黙れ、この変態が!」
「あ、あはは……」
 苦笑いしか出ない。
「それで灯原さんのことだっけ?」
 三宅さんの方から本題に入ってくれた。
「うん。三宅さん東八郷に住んでるの?」
「ううん。わたしはそのもう少し北の小野地区よ」
「小野か……。どうして明神高じゃなくてうちに? 遠いでしょ?」
「うーん、これ言うとすごく恥ずかしいんだけどさあ」
 三宅さんが照れたようにうつむいた。
「いやね、わたし中学の時にバレー部だったんだけど、男子の先輩でかっこいい人がいたのよ」
 あれ、恋バナ?
「大きな大会だったから、坂下地区の中学からも来てる学校があってさ、そこにその先輩通ってたの~。それでその先輩はきっと海城に行ってる! と思って海城目指したのよね」
「そ、そうなんだ」
「それでその先輩とはどうなったんだよ」
 少し声を張り上げて、慶太が聞いてきた。
「……海城にいなかったのよぉぉぉ!」
 あー。また地雷を。
「いなかったぁ?」
「先輩頭も良かったらしくて、田神高行ってたの……」
 ぶっと慶太が噴き出した。
「それぐらい確認するだろ~普通。せっかく遠くに来たと思ったら目当ての先輩がいないとか……あっ」
 ゆらりと立ち上がった三宅さんは、慶太に近づくとガンを飛ばしていた。
「地獄に連れて行ってあげましょうか。ええ?」
「す、すいません、黙ります」
「そ、それで灯原さんのことは何か知ってる?」
 また穏やかでないことになりそうなので、軌道修正を試みた。
「あ、灯原さんね」
 三宅さんは本筋を思いだしたようで元の席に戻ってきた。よかった……。
「実は灯原さんのことはあんまり知らないのよね~」
「そうなの?」
「クラスも同じになったことないし……。ああ、でも」
 何か思い当たることがあったのか、三宅さんは斜め上を見た。
「でも?」
「昔は仲良かった子がいるって聞いたことあるような」
「仲良かった子?」
「うん。でも誰のことなのかは分からないなあ。中学のときも今と同じで誰とも絡んで無かったし」
 うーん、あんまり進展が無い……。
「灯原さんがなんてうちに来たのかについては?」
「それも分からないわ。わたしも入学してびっくりしたもん。『わたしみたいなモノ好きが二人もいるなんて』って」
 困った……。
 つい腕組みをして考え込んでしまった。
「ところで何でそんなに灯原さんのことを? あ、灯原さんのこと好きとか? ツッキーもモノ好きだね~」
 慶太と同じこと言ってるよ……。
 この二人案外似てるんじゃないか?
「いや、そういうわけじゃないんだけど。というか、ツッキー……?」
「あ、嫌だった? 月野くんだからツッキーなんだけど。わたし人にあだ名つけるの好きなのよ~。くん付けとかさん付けは堅苦しいしさ」
「あ、いや、別に平気だけど」
 それでそれで、と三宅さんが話を続行してくる。
 完全に話しのペースを持って行かれた……。
「なんで灯原さんなの?」
 ここで「戦争中です!」とは言えないよなあ。
「ま、まあ、灯原さんってそんなに悪い人には見えないから、今の状態はもったいないなあって思ってて。でも何で人と絡もうとしないのか教えてくれなくて、昔に何かあったならそういうものを解決出来たらと」
 ウソでは無い。もともと最終的な目的はそこにあったし。
「おお。なんかすごいね。でも、わたしも分かるよ~」
「何が?」
「灯原さんが悪い人じゃないってところ。中学のときにさ、公園で泣いている子供を慰めているところを見たことあるの。もし本当に不良とかだったらそんなことしないと思うのよね~」
 前からそういう性格だったのか。
 これは聞いてよかった情報だ。
 やっぱり灯原さんは悪い人では無い!
「いやー、でもツッキーは面白いことを考えてるんだね。わたしも手伝っていい?」
「え?」
 思ってもみなかった申し出だった。
「あ、迷惑だった?」
「う、ううん。大歓迎です」
「あ、そう? じゃあ、よろしくね! 灯原さんとツッキーの恋の行方が気になるわ~」
「いや、だから、そういうわけでは」
「またまた~。隠さなくたっていいって!」
 やっぱりこの人慶太と似てる……。
 思いこむと暴走しちゃうタイプだ。
 でも、協力してくれる人が増えるのはありがたい。
「それに」
 三宅さんは立ち上がると、いつの間にか寝ていた慶太のそばに立った。
「こいつじゃ頼りにならないでしょ? この変態も一緒なの?」
「あ、うん、一応ね」
 苦笑いしながら答えた。
 ふーん、と言った三宅さんは狙いをすましてデコピンをくらわせていた。
「いたっ」
「起きろ、変態! もう帰る時間よ」
「あ、ああ。悟史、もういいのか?」
「うん。今日はもう帰ろう」
 まさか帰り道の二人組に女の子が加わるとは。
 僕と三宅さんが前を歩き、三宅さんの厳命により常に僕らの三歩後ろを歩く慶太。
 なんか変な感じだ。
「ねえ、チーム名とか決めないの?」
「チーム名?」
 また三宅さんが妙なことを言い出した。確かに可愛いけど、実際に付き合う男子は大変だろうなと思った。
「だって、こういうのワクワクするじゃない。せっかくだし、決めようよ」
「チーム名か……」
「暴力女と愉快な仲間たち」
 慶太が小声で言った。
「ああ?」
 またすごい睨みで三宅さんがガンをとばしていた。
「いえ、なんでもありません!」
 なぜか敬礼する慶太。
「あはは」
 なんだかおかしくなってしまった。
 こういうのはすごくいいなあと思った。会話するだけで楽しいなんて、素晴らしいことだ。こういう気持ちを灯原さんは味わえないんだなあ。
「『笑って! 晴ちゃん!』とかは?」
 三宅さんが案を出した。
「なんか番組のタイトルみたいだね」
「『笑え! 灯原!』」
「なんで命令形?」
「うーん、じゃあ、『灯原晴子を何とかしようの会』?」
「ああ、一番内容が入ってていいんじゃない?」
「でもダサくない?」
「まあ、いいんじゃないかな。意味が分からないよりはマシだよ」
「そう?」
 そこでちょうど分かれ道が来た。
 僕は直進。慶太は左折。駅へ向かう三宅さんは右折だ。
「あ、じゃあ、詳しくはまた明日決めましょ」
「うん、じゃあね」
「じゃ、じゃあな」
「変態は黙れ。じゃあねえ、ツッキー」
 そう言って三宅さんは駅方面へ歩きだした。
「三宅があんなやつだったとは……。これはランキングを変えねば」
「だから性格も大事なんだよ」
「うーむ……。そうだな。悟史の言うことも一理あった。うん」
 慶太はそう言うとノートを見てうなりながら家の方へ向けて歩き出した。
 ああ、こんなに楽しかったのはいつぶりだろ。よく笑った。半分くらい苦笑いだったけど。
 気づけば、灯原さんを陥落させるなんて気持ちはすっかり薄れて、灯原さんにこういう気持ちを味わってほしいと思う方が強くなっていた。というより灯原さんを陥落させるつもりが、三宅さんのパワーで僕の方が陥落してしまった感じだ。予想外の下剋上だ。
「晴ちゃんか……」
 それに加えて先ほど三宅さんが言ったあだ名と思しきものが引っかかっていた。
「どうなのかなあ……」

4.「灯原晴子を何とかしようの会」
 会の結成初日。放課後にまた空き教室に集まると三宅さんが主導して役割分担が行われた。
「会長はもちろん、ツッキー。そして副会長兼作戦部長はわたし。その他雑用が変態」
「なんで俺がその他雑用なんだ!」
 立ち上がって抗議する慶太。
「あんた使えないもん」
「そんなことはないだろ! なあ、悟史!」
 僕にふらないで……。
苦笑いでごまかした。
「三宅を探し出したのは俺だぞ」
「はっ。でも話し聞かれている女子はみんな顔がひきつってたわよ」
「な、なんだって……」
 女の子は好きだが、それゆえ女の子に嫌われた時のショックは半端ではないらしい。
 というか、慶太のあだ名は「変態」で固定なのか……。
 座り込んで机に突っ伏してしまった。しばらくはダメかもしれない。
「ようし。まずは灯原さんに慣れよう!」
 三宅さんが高らかに言った。
「慣れる?」
「ツッキーみたいに遠まわしにいくやり方もひとつだけど、わたしはやっぱりストレートに行きたいわけよ」
「うん……」
 それは一度失敗してるんだけどなあ。
「いつもお昼はどこで食べてるの?」
「僕と慶太は僕のクラスで。灯原さんはたぶん屋上前の踊り場」
「え!? あんなところでお昼食べてるの?」
「うん、前と変わっていなければ」
 この前灯原さんに言われた言葉を思い出す。
 教室で話しかけるな。あいさつもしないでくれ――。
 どうしてあんな悲しいことを言ったのだろう。
「やっぱり攻めるべくはお昼よね。うん」
 三宅さんは一人で納得していた。
「よーし、明日は屋上の前に押し掛けるわよ」
「え、さすがにそれは……」
「何言ってんの! 弱気は最大の敵だよツッキー!」
 これは危険なにおいがしてきた……。
 不安しかない。
「変態もね」
 慶太は手だけあげた。了解したということらしい。
「じゃ、明日のお昼に屋上前に集合!」
 三宅さんが意気揚々と言った。やけに楽しそうだ。
「なあ、本当に行くのかよ」
 翌日の十二時四十分。四時間目の授業が終わり、問題の昼食時間がやってきた。
「行かざるを得ないでしょ。行かなかったら慶太何されるか分からないよ?」
「確かに……」
 慶太は三宅さんに今までやられらことを思い出したようで、顔が青くなっていた。
 そうはいったものの、僕も気が重かった。この前のことを考えると灯原さんに何を言われるか。
「あ、ツッキー」
 屋上へ行ける階段の前で三宅さんと会った。
「今、灯原さん上に上がっていったよ」
「そ、そう。大丈夫かな……」
「もう、今からそんなに弱気でどうするの! こんなのダメモトなんだから」
「ダメモトなの!?」
 びっくりして声をあげると、三宅さんは笑っていた。
「そんなの当たり前じゃーん。一回一回真面目にやってたらボロボロになっちゃうよ」
「はあ」
「それに言ったでしょ」
「なにを?」
「これは灯原さんにわたしたちが『慣れるため』にやるんだよ」
 そういえば昨日そんなことを言っていたことを思い出した。
「何するにしてもわたしたちが灯原さんのこと怖がってたら何も出来ないしさ」
「それは、確かにそうだね」
「ふふ。よし、行こう!」
 三宅さんが先陣を切って階段を上がりだした。
「マジで行くのか……」
 慶太が不安そうな声をあげた。
「変態は別にいなくてもいいのよ~」
 三宅さんが嫌味たっぷりに振り返る。
「う、うるせー。行ってやるよ!」
「ははは」
 この二人は結構いいペアかもなあ。
 先を争う二人の背中を見ながらそんなことを思った。
「あと少し」
 結局先頭を陣取った三宅さんが興奮気味に言った。
「なんかこうしていると探偵になったみたい」
「お前みたいなテンションのやつに探偵は無理だろ」
「うっさい、変態!」
「いてっ。デコピンすんな!」
「ちょ、二人ともバレるから!」
 そんな押し問答をしていると、危惧していた通り灯原さんが僕らに気づいてしまったらしく、踊り場から顔を出した。
 そして、睨まれる。
「やっぱり威力半端ねーな……」
 慶太がつぶやく。
「こ、こんにちは~」
 三宅さんが無理に明るくあいさつをする。
 頭をかきながら、申し訳なさそうに灯原さんの前に出た。
「いやー、あのー、わたしたちもここでお昼食べていいですかね~」
 灯原さんは何も言わずに三宅さんに背を向けた。
「どうもどうも」
 なぜか頭をペコペコ下げながら三宅さんが床に座る。三宅さんは僕らを見ると手で「こっちに来い!」という身振りをしていた。
「し、失礼します!」
 慶太がまるで軍人みたいな姿勢でそこに出る。
「ご、ごめんね。灯原さん。なんか騒がしくなっちゃって」
 無視してご飯を食べる灯原さん。僕はついため息を吐いて、慶太の横に座った。
「よし、食べましょう!」
 三宅さんは意に介さない感じでお弁当を食べ始めた。
 それに続いて僕と慶太も昼食を食べ始める。
 き、気まずい。気まずすぎる! こんなにどんよりとしたお昼の時間は初めてだよ!
「そういえばツッキー」
「なに?」
「えーと、兄弟とかいるの?」
 少し間があったので、三宅さんも気を遣って話を振ってくれたようだった。
「うーん、いるような、いないような」
「なにそれ?」
 僕の家は実に微妙な家族関係なのである。
「ははは。まあ、色々とね」
「ふーん……。変態は?」
「弟がいるけど」
「あ、そう」
「話膨らませないのかよ!」
「あんたに興味は無い」
「話振ったのお前だろ!」
「お前とか呼ばないで欲しいわね~。何様~」
 二人が軽快なやり取りをしているのを聞きながら、灯原さんのほうを見ると、食べ終わったのか、おもむろに立ち上がった。
「もう帰るの、灯原さん」
 完全無視で階段を下って行った。
「わたしたちもしや嫌われてる? 昔からあんなだった気もするけど、なんか怒ってる感じもしたような」
 三宅さんが心配そうに口を開いた。
「いや、たぶん僕じゃないかなあ」
「どゆこと?」
「ま、まあ、色々と、ね」
「そう……。まあ、いいか」
 三宅さんはそんなに深く聞いてこないので僕としては助かった。
「とりあえずこれで第1歩はOKだね」
 三宅さんがピースをつくっていた。
「OKなのかな?」
「なんにせよ、行動を起こさないと何も起きないんだから!」
 三宅さんのポジティブさには感心する。三宅さんがいれば灯原さんをどうにかしてあげられるんじゃないかという気がしていた。僕なんかよりよっぽど行動力があるし。
「よーし、じゃあ、明日は一緒に登校しよう!」
 急に三宅さんが高らかに宣言した。
「え、誰と?」
「灯原さんとに決まってるじゃない!」
「マジかよ!」
 僕が聞き、三宅さんが当然のように返答し、慶太が驚愕した。
「でも、どうやって来てるのかな」
「わたしと住んでる地区一緒なんだから、バスでしょ」
「じゃあ、駅から歩きかな」
「たぶんね。じゃ、明日の朝八時にいつも分かれるところに集合ね」
「本当にする気かよ」
「当たり前でしょ。わたしは口先だけの女じゃないのよ!」
 なんか話がどんどん進んでいる……。
 僕らの行動の主導権は完全に三宅さんに握られていた。
 その日、三宅さんは友達と寄るところがあるということで僕らに顔を見せなかった。なので、三日ぶりに慶太と一緒に帰ることになった。
「三宅がいないと落ち着くな」
「はは。慶太は邪険に扱われてるもんね。でも、女の子が敏感に反応すること言っちゃダメでしょ」
「真実を言ったまでだ。それに、別に胸が小さいのが悪いなんて一言も言ってないんだぞ」
「まあ、男には分からない世界だよ。そこは、たぶん」
「はあ……まったく女は怖い」
 三宅さんの話を一通りし終わったところで、慶太が「そういえばよ」と切り出した。
「灯原との話はあれでいいのか? 最初の目的とだいぶずれてないか?」
「え、ああ、確かにね。でも三宅さんに任せておいた方がいいのかなあって思うよ。僕よりずば抜けて行動力あるしね」
「まあなあ……」
 慶太があごに手を当てながら、何か考えていた。
「最初の時にも思ったんだけどよ、悟史は灯原をどうしたいんだ?」
「え?」
「元々は灯原が何であんなに人を避けるのかを知りたいって感じだっただろ」
「ま、まあね」
 そういえば慶太にそんなことを聞いたのを思い出した。
「それが途中から『どうして自分に話しかけるなって言ったのか』の理由を言わせるって息巻いてただろ?」
「う、うん……」
 改めて聞くと、そんなことで必死になっていた自分が恥ずかしくなってきた。
「それで、今は三宅もいるから灯原に押し掛ける感じになってる。俺には悟史も三宅も自分のことしか考えてないように見える。ま、俺もその一員になっちまってるからひとのこと言えないけどな」
 慶太は笑いながら言った。
 でも、その言葉は僕に大きく突き刺さった。
「悟史が、灯原が人を避ける理由を聞きたがっても、三宅が仲良くなりたいと行動しても、灯原に嫌われたら元も子もないだろ。本当はたいした事情は無くて、灯原は単純に人づきあいが嫌いなだけかもしれないんだぜ。そんなやつが、周りからやんややんや言われたら普通に俺たちのこと嫌になるだろ」
「……そうだね」
 僕にも三宅さんにも抜け落ちていた視点だった。
 気づいたら、僕らは自分の目的を達成すためだけに灯原さんに接していた。これじゃあ、心を開いてくれないのは当たり前だ。
「あ、俺たぶん明日の一緒に登校作戦行けないから」
「家の手伝い?」
「ああ。最近忙しいんだよ。じゃあな~」
「分かった。じゃあね」
 慶太と別れた後、自己嫌悪とこれからどうしたいいのだろうという気持ちがうずまいていた。
 人の為みたいなことを言っておきながら、それが自分の為だけの行動になっていたなんて、最低なやつじゃないか僕は。
「ただいま」
 家に帰ると母が写真をながめていた。
「何見てるの」
「沙耶の写真よ。整理してたらたくさん出てきて」
「ふーん」
「そういえばあの時、一緒にいた子、今どうしてるのかしら」
「え?」
「なんていったかしら……」

 翌日。前日言われたとおりに普段三人が別れるところに行くと、三宅さんがいた。慶太は家のことがあるので来れないことはあらかじめ三宅さんに伝えていた。
「おはよ、ツッキー」
「おはよう。本当に灯原さんと一緒に学校行くの?」
「行くよ! 昨日は無視されちゃったけど、こういうのはしつこさも重要だし。それに慣れにもなるでしょ?」
 三宅さんはまったくぶれない人だった。
 ただ、慣れはいいのだけど、昨日慶太に言われたようにそれを灯原さんが心の底から望んでいなかったら、相当嫌な思いをさせてしまうのではないかという気もしていた。思い返してみれば昨日のお昼の時には本当に怒ったような感じがしていたし。
「よし、駅行くよ!」
「う、うん……」
 三宅さんの話によれば、あちらに住んでいる以上、自転車とかで来る可能性は低くてバスで来るはずとのこと。バスは学校近くの駅までしか来ていないので、ここで張ってれば灯原さんに会えるらしい。
 しばらく三宅さんと話していると、バスが来た。
 そこから続々と降りてくる生徒。その最後の最後に灯原さんが出てきた。
「あ、灯原さん!」
 三宅さんが呼びかけると、灯原さんはびっくりしたような顔をしてから、いつものように睨んできた。
「今日、一緒に学校行っていい?」
 三宅さんが聞くと、灯原さんは無視して歩き出した。
「拒否しないってことはOKってことだね!」
 ピースしながら僕に笑う三宅さん。
 何というポジティブシンキング!
 どんどん歩く灯原さんの後ろを三宅さんと僕が追う。まるで尾行だ。
「そういえば灯原さん、わたしと同じ中学だったでしょ」
「なんでいつもあんなところでお昼食べてるの?」
「ケンカ強いって本当?」
 反応が無いのにめげずに話し続ける三宅さん。まさに「慣れ」を目指している。このまま三宅さんに任せっきりでもいいのかな……。でも、僕が「もうやめよう」なんて言うのはなんだか変だ。言いだしたのは自分なのに。
「あ、今度からさ、『晴ちゃん』って呼んでもいい?」
 三宅さんがそう言った瞬間、灯原さんが歩みを止めた。
「それは、やめてくれ……」
 それだけ言って、灯原さんは走り出してしまった。
「え、なに、灯原さん!」
 三宅さんが呼び止めたものの、灯原さんは僕らからどんどん離れてしまった。
「急にどうしたんだろ……。『晴ちゃん』じゃダメだったかな」
「うーん、そうなのかなあ」
 「晴ちゃん」か……。
「よーし、じゃ、今日の放課後わたしたちの集まりに呼ぼう!」
「え!?」
 大胆すぎる提案におののいてしまった。
「でも、普通に呼んだって来てくれないと思うけど」
「ふっふっふ。わたしにいい考えがあるから、任せておきなさーい!」
「だ、大丈夫?」
「平気平気!」
 どんどん三宅さんが暴走している……。
 昨日、慶太は僕も三宅さんも自分の為にやっていると言っていたけど、三宅さんは三宅さん自身のためというよりは僕のためにやってくれているんだろう。それだけに簡単にやめさせるわけにもいかない……。
 結局悪いのは全部僕じゃないか。でも三宅さんがたびたび言う「晴ちゃん」という言葉も気になるので、灯原さんから簡単に手を引くことも出来ない。どうしたものか……。
 放課後。憂鬱な気持ちのままメールで指定された教室に行くと、慶太と三宅さんが待っていた。
「灯原さんは?」
「まだだよ。でも絶対来るから!」
「何をしたの?」
「まあまあ、あとで分かるってば」
 しばらく待っていると、バンッとドアが勢いよく開いた。
「月野っ!」
 ドアを開けたのは灯原さんだった。しかもなぜか血相を変えていて、息が上がっている。
「ど、どうしたの、灯原さん」
 三宅さんが僕らの間に入った。
「灯原さんがいらっしゃいました~」
「なっ」
 三宅さんは灯原さんの手をとり、教室の中に引き込む。
「み、三宅さん、これは」
「ふっふっふ。この手紙を灯原さんの机に入れておいたんだ」
 三宅さんが僕に渡してきた紙切れには、『よくも前に俺たちの仲間をやってくれたな。あんなことしておいてただで済むとは思ってないだろうな。そこでだ。最近お前と仲良くしている、月野悟史を三階の一番左端の教室に連れて行った。何もせず解放して欲しければこの教室に来い』と書いてあった。
「こ、これはまずいでしょ」
「でも、こうしたら絶対来てくれると思って」
 僕と三宅さんが手法についての問答をしていると、
「お前らはいったい何なんだ……」
 灯原さんがつぶやいた。
「いつもいつも、あたしに付きまといやがって!」
 声量が上がっていく。そこには明らかに怒りのトーンがあった。
「月野には前言っただろ! もうあたしに話しかけるなって! それなのに何だこれは!」
「ご、ごめん……」
「お前らがどう思うと、あたしはお前たちと仲良くなる気は無い! 仲良くなっちゃいけないんだ! 二度とあたしに話かけるな! 分かったか!」
 すごい剣幕だった。
 僕も含めた三人はうなずくことしかできなかった。
 灯原さんはそのまま教室を出て行ってしまった。
「な、なんか、ごめんね、ツッキー」
「いや、大丈夫だよ。僕こそごめんね。こんなことに巻き込んで。慶太も」
 僕は二人の前に立った。
「本当にごめん」
 そして頭を下げた。こうなってしまったのは全部僕のせいだ。僕が変に意地をはってしまったから。
「灯原にはもう話しかけないほうがいいんじゃないか」
 慶太が口を開いた。
「な、なに言ってんのよ変態。せっかくここまでやったのに」
「あれは完全に嫌われただろ。これ以上やっても灯原に嫌な思いをさせるだけだと思うけどな」
「そ、そうかもしれないけど」
 慶太の言うとおりだ。だけど、手を引くつもりは無かった。
「確かに慶太の言うとおり、僕たちは灯原さんに嫌われちゃったかもしれない。だけど、このままじゃやっぱりダメだと思う」
 二人とも黙って僕の話を聞いてくれていた。
「灯原さんは本当はすごく優しい人なんだと思う。今だってそうだったし。だから、人づきあいが嫌いなわけじゃないと思う」
「じゃあ、なんでこんななのかな……」
「やっぱり昔に何かあったんだと思う。それに気になることもあるし」
「気になること?」
 三宅さんが首をかしげた。
「あだ名がね。でも、今までと同じ方法ではやらない。このままだと嫌われる一方になりそうだし。灯原さんとの接触は最小限にして、灯原さんが抱えている問題を解決する」
「本当に灯原はそういう問題を持ってるのか?」
「分からないけど、調べてみる価値はあると思う。僕は嫌われても構わないから、灯原さんが孤立しなきゃいけないような状態を解消してあげたい」
「よし来た! そういうことなら付き合うぜ」
「わ、わたしも!」
「ありがとう。二人とも」
 もう一度、一から計画を練り直すことになった。
灯原さんを何とかしてあげたいという気持ち一点で。

5.彼女に何があったのか
 話し合いの結果、三宅さんでも事情を知らない以上、もっと前、小学校時代に何があったのかを調べる必要があるということになった。
「でも、小学校卒業してからもう五年だぜ。知ってる先生いるのか?」
「どうだろうね……。とりあえず行ってみないと何とも。三宅さん、灯原さんの小学校分かる?」
「うーん、東八郷に住んでるなら、八郷小じゃないかな」
 というわけで、次の日曜日に八郷小に赴くことになった。

「あー、梅雨だな」
「梅雨だねえ」
 僕と慶太は駅でバスを待っていた。
 前日に気象庁が僕らの地方が梅雨に入ったと発表し、その発表を律儀に守った空はしとしとと雨を降らせていた。
 しばらく待っていると、バスロータリーにバスが入ってきた。整理券を取って乗りこむと一番後ろの長い座席を陣取る。慶太はこういうところが少し子供っぽい。
「本当に灯原のこと分かるのかねえ」
「うーん、微妙だね。でも手掛かりはつかめるかも。行き損にはならないと思うよ」
 バスに揺られること二十分。
「次は~公民館前。公民館前です」
 三宅さんと待ち合わせたバス停の名前がアナウンスされたので、僕が降車ボタンを押そうとすると慶太が、
「待て、俺が押す」
 と言ってボタンを押した。
 子供かよ、と思いつつ、誰よりも先に押すと気持ちいいよなあとも思った。
「おはようツッキー。……と変態」
 相変わらず三宅さんは慶太に冷たい目線を向けていた。
「よしじゃあ行こう!」
 僕と三宅さんが前で、慶太が後ろといういつもの陣形で歩きだす。
「ここからどれくらい?」
「うーん、十分くらいかな」
「そんなかかるのかよ。こんな雨なのによ~」
 ビニール傘を差した慶太が口をとがらせた。
「嫌なら帰って良し!」
 慶太の顔も見ずに三宅さんは返した。三宅さんは女の子らしい水玉模様の傘を差していた。僕は面白くもなんともない紺色の傘。
 雨はずっと降り続いていて、何となくどんよりした気分になった。本当に手掛かりが得られるのか。慶太には行き損にはならないなんて言ってしまったけど、大きな自信があったわけでもなかった。
「ここだね」
 三宅さんが指した先に校舎があった。八郷小学校。灯原さんが通っていたはずの小学校だ。ここに灯原さんが自分を犠牲にしてでも人と付き合おうとしない理由があるのかもしれない。それに僕の疑問も解けるかも。
 日曜日で授業が無く、しかも雨なので学校はシンとしていた。
「すいませーん」
 警備室で三宅さんが声をかけると宿直の先生と思われる人が出て来た。
「先日お電話させていただいた海城高校の者なんですけども」
「ああ、君たちが。ちょっと待ってくださいね。今応接室に案内しますから」
「ありがとうございます」
 その先生らしき人物に連れられて、ちょっと豪華な感じの部屋に入った。
「ここで待っててください。今担当の者が来るので」
「はい」
 そこでその人は出て行ってしまった。
 慶太は落ち着かない様子で座っていた。
「いやー、こんな部屋入るの初めてだぜ」
「ちょっと、そんなにキョロキョロしないでよ、変態」
「だってよ」
「恥ずかしいでしょ。わたしたち高校生なんだから」
 二人がやり取りをしていると、メガネをかけた年配の男性が部屋に入ってきた。
「お待たせしました。私、教頭の桂山です」
「あ、わたしたちは、海城高校の二年で、こちらが月野、それでこっちが坂口、わたしが三宅です」
「はい、よろしく。えーと、それでうちの卒業生の灯原晴子さんのことが知りたいってことだったね」
 教頭先生は卒業アルバムを持ってきており、僕らの目の前にあるテーブルに開いて置いた。
「これが灯原さんだね」
 教頭先生が指さす先に今と変わらずちょっと怖い顔の灯原さんがいた。
「当時の灯原さんの様子とかって分かりますか?」
 僕が聞くと、教頭先生はうーんと唸ってしまった。
「私もここに来てからまだ三年でね。当時のことはよく分からないんだ。ただ、この学年で一人事故で亡くなっている子がいてね」
「亡くなっている子ですか」
「ああ。交通事故でね。それが灯原さんと関係があるかは分からないけど」
 これだけの情報では何とも言えない感じだった。もう一声欲しい。
「あの、その子のことをもう少し教えていただけませんか」
「いやあ、そう言われても、当時の教員はほとんど残っていないし、こちらも個人情報保護とかうるさいから簡単に教えるわけにはいかないんだよ」
「そう、ですよね」
「その時の担任の先生はいないんですか?」
 三宅さんの助け船が出た。
「今はいないなあ。もう教員をやめてしまったという噂は聞いたことがあるんだけれど」
「え、やめちゃったんですか!? どうして」
「さあ。私が来た時にはもういなかったから」
 これは困った……。
「その先生の名前は分かりませんか」
 今度は慶太が聞いた。
「それなら分かるかな。えーと……」
 教頭先生が卒業アルバムをぱらぱらめくる。
「これだ」
 そのページには灯原さんの代の一年生から六年生までの各クラスの担任の先生のリストがあった。
「その事故で亡くなった子は何年生だったんですか?」
 僕が聞くと、また唸った後、教頭先生は「古参の先生がいるから聞いてみよう」と言って立ち上がり部屋を一度出た。
「いまいちな成果の予感がするわね」
 三宅さんがつぶやいた。
「なんかごめんね。連れてきちゃって」
 つい謝ると、三宅さんが僕の背中をたたいた。
「全然問題無し! こういうのなんかワクワクして面白いし。ツッキーと知り合えて良かった~」
「ありがとう、三宅さん」
 すると、三宅さんは笑顔でまたバシバシ背中を叩いてきた。
「おい、悟史が痛がってるだろ」
「あ、ごめんね、ツッキー」
「いや、大丈夫」
「女のくせに力強すぎだろ」
「悪かったわね! おしとやかじゃなくて」
 また、二人の夫婦漫才みたいなやりとりが始まった。以前も思ったけれどこういう中にいると、我ながらいい友達を持ったなあと改めて感じた。本当楽しい。
 やっぱり、灯原さんにもこういう感情を味わってほしい。大きなお世話かもしれないけど、それでも一人でずっと孤独に生きていくのは絶対に辛い。なんとかしてあげたい。
「お待たせしました」
 教頭先生が戻ってきた。再び、僕らの前のソファに腰掛ける。
「事故にあってしまったのはこの子で、二年生のときに亡くなったそうです」
 ん、二年生か……。
「ということは担任はこの桃原先生ですね」
 三宅さんがまた担任リストのページを見て確認した。
「そうなりますね。この学校の近くに住んでるみたいですよ」
「本当ですか!」
 つい身を乗り出してしまった。
「ただ、住所まではちょっと」
 教頭先生が申し訳なさそうにした。
「いえ、それだけ分かれば十分です。あとはその桃原先生に会って話を聞きます」
「そうですか。……ところで、なんでそんなに灯原さんのことを?」
 不思議そうに教頭先生が聞いてきた。
 そりゃそうだろう。急に小学校に高校生が押し掛けて、卒業生のことを教えてくれなんてこと普通は無いだろうし。
「灯原さんは友達なんです。たぶん、灯原さんは過去のことで悩んでいて、今も上手く人間関係がつくれないんです。だから、僕は、僕たちは、灯原さんをその悩みから解放してあげたいんです」
「ほう……。灯原さんはいい友達を持ったんですね。面識はありませんが、この小学校の教員として誇りに思います。これからも仲良くしてあげてください」
「はい!」
 教頭先生にお礼を言って、学校を出ると、三宅さんがニヤニヤしていた。
「な、なに?」
「さっきのセリフ、かっこよかったよ~」
「へ?」
 何のことだか分からずにいると、慶太が前に出た。
「『僕たちは、灯原さんをその悩みから解放してあげたいんです』」
 どうも僕の真似をしているらしい。というか、改めて言われるとめちゃくちゃ恥ずかしい。
「や、やめてよ」
「ツッキー照れてる~。かわいい! でも変態は全然似てない」
「うっせ!」
「も、もう、いいから。桃原先生の家探すよ!」
 二人が「は~い」と幼稚園児みたいな返事をした。
「でも、どうやって探すんだよ」
「この学校の近くって言ってたから、しらみつぶしに見て行くしかないね」
「マジかよ!」
 慶太はガクッと肩を落とした。そのひょうしにビニール傘が落ちそうになる。
「いよいよ探偵みたいになってきた~!」
 三宅さんはますます楽しそうだ。
 というわけで、小学校の近くをぐるぐる回りながら、「桃原」という表札が出ていないか探すことになった。
「どれくらいの範囲で探すんだ?」
「うーん、とりあえず半径三百メートルくらい?」
「そんなこと言われてもよく分からん」
「確かに……」
 そんな会話を慶太としていると、三宅さんが僕らの前に出た。
「御二人さん! こんなこともあろうかと、持ってきました」
 そして、「じゃーん!」と声を出しながらかばんから取りだしたのは、この周辺の地図だった。
「おお!」
「なんでこんなの持ってるんだよ」
「探偵は地図を持つものでしょ!」
「なんだそれ……」
「まあまあ。でも、地図があれば探す範囲を特定できるね」
 とはいえ、雨空の下で紙の地図を広げてもびしょびしょになってしまうのは目に見えているので、近くの図書館に行くことにした。
「こんなところに図書館が」
「ここ地元の人間じゃないと迷っちゃうんだよね~」
 図書館に入ると、閲覧席に座り、紙の地図をバッと広げた。
 すると、三宅さんはかばんからコンパスと赤いマジックを出してきた。
「これを使って半径三百メートルの範囲に円を書こ」
「用意がいいね」
「探偵たるものこういうのは持っておかないと」
 どうも三宅さんは探偵にあこがれがあるらしい。
そんなわけで準備してきたコンパスの針を小学校のど真ん中に差し、そこから地図の縮約上の半径三百メートルの長さを測り、円を書いた。そして、うすい黒鉛の線を赤いマジックでなぞる。
「お~、なんかそれっぽくなったな」
 慶太が地図を見て言った。
「そうだね。よし、じゃあ、これをもとに家を探そう。手分けする?」
「それがいいと思う!」
 三宅さんが手を挙げながら賛意を示してくれた。
「ま、そのほうが効率もいいしな」
 慶太もOKのようだったので、円を三分割し、分担を割り振った。僕は円の南側、慶太は東側、三宅さんは西側。
「それじゃ、探しに行きましょ。見つけたらケイタイに連絡ちょうだい」
「ラジャー」「ほいほい」
 図書館から出て、三人は散り散りになった。
 僕は土地勘がほとんどないので、小学校の近くの道から順繰りに探すことにした。
 田口、金子、相見、土井、深田、樋口、竹内、森繁。
 見当たらない。
 柏木、喜多村、二宮、井沢、初沢、黒川、二川、大村。
 無い!
 そのあと、本当にローラー作戦で一軒ずつ見て回ったものの、まったく見つからない。
 だいぶ歩いて、気力が限界に近づきつつあったときに、ケイタイに着信。
「もしもし、慶太? 見つかった?」
『いや、まだだ。悟史もまだか』
「うん。全然ダメ」
 てっきり見つかったのかと思ったので、がっかりだった。
『三宅はどうなんだろうな』
「分かんないけど、時間も時間だし、そろそろ連絡があるんじゃないかな」
『了解。じゃあ、三宅の連絡待ちだな。これでダメなら、もう少し範囲を広げないとな』
「だね。じゃあ、あとで」
 そこで一度電話を切った。
 もう一度歩きだそうとした時にまた着信。
「もしもし」
『もしもし、あ、ツッキー? 見つけたよ~』
「本当!? どこ?」
『うーんと、口では説明しにくいから、もう一回学校に集合しよ』
「分かった。今から行くね」
『変態にも伝えておいて』
「分かった」
 今の情報をそのまま慶太に横流しして、小学校に向かった。
 しばらく正門で待っていると、三宅さんがやってきた。
「やっほー」
「お疲れ様」
「変態は?」
「まだだよ。というか、変態っていうあだ名は確定なの?」
 笑いながら聞くと、三宅さんはむすっとした表情をして、
「当たり前よ。あんなデリカシーの無い発言する男は変態で十分」
「悪かったな、デリカシーが無くて」
「きゃっ!」
 三宅さんの後ろから急に慶太が出て来た。
「びっくりさせないでよ!」
「悪かったな。で、先生の家はどこなんだ?」
 三宅さんがブーブー言っているのを無視して、慶太は話を進めた。
「……もうっ。えーと、こっち!」
 三宅さんが家のほうへ歩き出した。その後ろを僕らはついていく。
「そういえばよ」
 慶太が僕の方へ話しかけて来た。
「なに?」
「さっき、灯原が『過去のことで悩んでる』って断言してたけど、なんでだ?」
「うーん、何となく、かな」
「何となく?」
「ほら、本当は優しいのに人づきあいが苦手なのは変だって言ったでしょ。そしたら理由は過去にあるとしか思えないじゃん」
 人差し指だけ突き出して、その指を振りながら説明した。
「はあ。まあな」
 一応納得したようで、慶太はそこから話を深めようとはしなかった。
「ここ!」
 歩いて五分ほどで三宅さんが声をあげた。
 そこはよくある一軒家だった。「桃原」と「榊」(さかき)という表札がかかっている。
「榊さんもいるのか?」
「二世帯なんでしょ」
「ああ、そうか」
 三宅さんがインターホンのボタンを押した。
『はい』
 女の人が出た。声が少ししわがれていて年配の女性のようだった。
「あ、わたしたち海城高校の二年生で、わたしは三宅と申す者なんですけれども、以前八郷小学校に勤務してらっしゃった桃原先生はこちらのお宅におりますでしょうか?」
 知らない家なのになんと堂々たる口ぶり。僕には絶対出来なさそうな芸当だ。間違いなくテンパっておかしなことを口走る。
『はあ。娘がそうですが、何のご用でしょう』
「わたし五年前に八郷小学校を卒業した灯原晴子という生徒の同級生でして、彼女のことについて知りたいことがあってお伺いしたんですけれども」
 その女性は少し間を置いてから、
『娘に確認をとってみますので、少々お待ちいただけますか?』
 と返してきた。
「はい、お願いします」
 何となく緊張して僕は言葉を発せなかった。それはおそらく二人も同じだった。
 と、家のドアが開いた。そこにはインターホンに出たと思われる六十歳を超えている風貌の女性が立っていた。その女性はこちらに歩いて来て、門を開けた。
「娘がもうしばらくしたら来ますので、どうぞおあがりください」
「あ、ありがとうございます」
 三宅さんがお辞儀をして門の中へ入っていく。次に慶太が入り、最後に僕が女性に会釈して家の敷地内に入った。
「こちらにどうぞ」
 僕らを家に上げると、その女性は四人掛けのテーブルがある居間に僕たちを案内した。
「ここで座ってお待ちください。今、お茶持ってきますね」
 三宅さんと慶太は僕の向かいになんだか緊張した面持ちで席に座った。でも、たぶん僕が一番緊張していた。普通に生活していて、一回も会ったこと無い家にいきなり押し掛けて話を聞くなんてありえないし。
「なんか緊張しちゃうね」
 三宅さんが苦笑いを浮かべながら口を開いた。それでふっと空間が和んだ。
「お待たせしました」
 声がしたほうを全員で見ると、二十代後半から三十代の前半ぐらいに見える女性、桃原先生がいた。バッと三人が同時に立ってお辞儀した。
「お忙しいところすみません」
 こういう時に三宅さんは本当に頼りになる。
「いいえ。あ、座ってください」
 その言葉に促されてみんな座った。桃原先生も僕の隣に座った。
「お茶は今お母さんが入れてるから待ってね」
「はい」
 単なる返事なのに声が上ずってしまった。無性に喉が渇く。
「えっと、灯原さんのことを聞きたいのよね?」
「はい。僕たち灯原さんの同級生で、その、彼女はなんだか昔のことで苦しんでいるところがあって」
「そう。灯原さんは昔から誤解されるタイプだったからね」
「そうなんですか?」
「ええ。あの子目つきがあんまり良くないでしょ? だからどうしても敬遠されちゃってて。根はとってもいい子なんだけど」
 桃原先生のその言葉は、僕らの間にあった灯原さんの本来の姿の予想を裏付けるとても重要なものだった。自然に三人とも笑みがこぼれた。
 そこで最初に出た女性、桃原先生のお母さんがやってきてお茶を置いていった。
「あの、それで灯原さんの学年で一人亡くなった子がいるという話をさっき学校で聞いたんですが」
「ああ、そのことね」
 桃原先生は額を覆ってしまった。ちょっと焦って僕らは顔を見合わせた。
「あの子、泉川さんはね……灯原さんが二年生の時に同じクラスになったの。それでその時の担任がわたしだった。泉川さんは大人しかったけど、誰とでも対等に接することが出来る本当に良い子だったわ。それで、灯原さんも泉川さんとだけはすごく仲良くなったの」
 桃原先生はそこまでくると、僕らにきちんと向き合って話し始めた。
「詳しくはわたしも実は分かっていないんだけど、灯原さんと泉川さんが一緒にいる時に何かの拍子に泉川さんが道路に飛び出しちゃって、それで車とぶつかっちゃったのね」
 三宅さんも慶太も息をのんで話を聞いていた。桃原先生のほうは目に少し涙を浮かべていた。
「その現場を見たのがショックだったみたいで、灯原さんすっかりふさぎこんじゃって。私も他の先生も努力はしたんだけど、ダメだった。それ以来、灯原さんは他に友達をつくろうとしなかったわ」
 僕は出されていたお茶を一口含んだ。重い話しに何と言葉をかければいいのか誰も見つけられずにいる感じだった。
「はっきり言って、教師失格だったわ。灯原さんはすごく苦しんでいたのに何もしてあげられなかった。でも、クラスの運営はしないといけないし、他の子のケアだって必要だった。そんなことを言い訳にして灯原さんにきちんと向かいあえなかった。それがずっと自分の中で引っ掛かっていて、結局結婚を機に教師をやめてしまったのだけど」
「だから表札に『榊』っていうのがあったんですね」
 三宅さんが聞いた。
「そうよ。榊は夫の姓。……それにしても、灯原さんにあなたたちみたいな友達が出来ていて良かったわ」
「はは。まあ、あんまり受け入れられては無いんですけど」
 自嘲気味に笑って僕が言った。
「そうなの?」
「はい。『お前たちと仲良くするつもりは無い』って言われてしまいました」
「相変わらずねえ……」
 桃原先生が何かを思いだすように遠くを見た。
 すると、家のどこかの部屋からオギャーと赤ちゃんが泣く声がした。
「あら、起きちゃったのかしら」
「お子さんですか?」
「ええ。三カ月だからまだよく泣くのよ」
「へー、そうなんですか。それじゃあ、ご迷惑になってしまうので僕たちはこの辺で失礼します」
「そう? 私の中でもずっとモヤモヤしていることだったからあなたたちと話せてよかったわ。今の灯原さんがどういう風になっているのかも分かったし」
 桃原先生は少しすっきりしたのかなというような表情を浮かべていた。
 僕らが玄関まで来ると、桃原先生に「ちょっと待って」と呼びとめられた。
「私が頼むのも変な話なんだけど、灯原さんを助けてあげて。お願いします」
 桃原先生が頭を下げた。
「わ、頭をあげてください!」
 年上の人に頭を下げられてしまい、ものすごい慌てた。
「灯原さんのことは僕らが何とかしてみせます」
「頼もしいわね。それじゃあ、灯原さんのこと、よろしくね」
 桃原先生の笑顔に見送られて、僕たちは家を後にした。
「なんかすごく重い話だったわ……」
 三宅さんが疲れ切った顔で最初に口を開いた。
「だな。何も質問できなかったぜ……」
 慶太も同様。
「それにしても、ツッキー、だいぶ大見え切ってたけど大丈夫なの?」
「うん、たぶん。灯原さんが何であんなこと言うのか分かったしね」
「理由は分かったけど、どうしたら……」
 僕は二人を前に宣言した。
「僕に良い作戦がある。僕の言うことに従ってくれれば、きっと上手くいく!」
 気づけばしとしと降っていた雨はすっかりやんでいた。

6.あたしのせいなんです
 六月十五日の夜。僕らはある人のお墓の前にいた。
「なんか夜の墓場は怖いな……」
 慶太がつぶやいた。
「はっ、こんなのが怖いなんて、子供ね~」
「うっせ……、お、おい、お前後ろに」
 いつものやり取りで終わるかと思ったら、急に慶太がおびえたような声を出して三宅さんの後ろを指さした。
「え……」
 三宅さんが恐る恐る後ろを振り向くと……。
「何もいませんでした~」
 慶太がバカにしたような言い方を三宅さんにした。
「ちょっと、もう、ふざけないでよ! びっくりしたじゃない!」
「お前も十分子供じゃねーか」
「もうっ、うるさいわね! バカッ!」
 そんな光景を和やかな気分で見ていたら、お墓の入口に人影が見えた。
「あ、二人とも、来た。事前の作戦通りにね」
「よっしゃ!」
 そう言って慶太はその場を離れた。三宅さんはコクンと大きくうなずいた。
 お墓の前に来た人を僕が懐中電灯で照らした。
「っ……!」
 その人はまぶしがって、腕で顔を覆った。
「あ、ごめん、ごめん」
 懐中電灯を下ろして、僕の姿が見えるようにした。
「つ、月野。なんでこんなところに」
「灯原さんこそ。なんでここに?」
 その人、灯原さんは戸惑ったような表情を浮かべながら僕を見ていた。
「そ、そんなの関係ないだろ」
「あ、またそんなこと言ってるわね!」
 三宅さんが横から出てきて、懐中電灯の照らす範囲に入ってきた。
「お前はこの前の……」
「だいたいあなたのその態度は何なの! せっかく月野くんがあなたと仲良くなろうと思って色々やってくれてるのに」
「別に仲良くしてくれなんて頼んだ覚えは無い!」
「本当はさびしいくせに! 変な意地張っちゃってバカじゃないの!」
「なっ、何なんだお前は!」
「あなたに関係ないわ!」
「そっちから突っかかってきたんだろ!」
「はあ? 元々、あなたが月野くんのことを雑に扱ってるのが悪いんでしょ」
「話しかけるなって言ってるのに、しつこく話しかけてくる月野のほうに問題があるだろ!」
「月野くんはね、あなたが寂しいんじゃないかと思って話しかけてくれてるのよ! 人の善意は無駄にするもんじゃないと思うけど!」
「善意だか何だか知らないけど、そんなこと押し付けられても困る。迷惑だ!」
「でも、あなた不良に絡まれてるところ月野くんに助けてもらってるんでしょ!」
「何でそれを……」
「それにも関わらず! あなたは月野くんにお礼も言わずに、帰れって言ったらしいじゃないの! そんなのまともな人間がやることじゃないわ! 最低よ!」
「う、うるさい! だいたいお前は月野の何なんだ!」
「友達よ! あなたには一生出来ないかもしれないけど!」
「欲しいなんて言ってない! 一生出来なくたって構わない!」
「はっ、どうだか! 昔は仲良い友達がいたらしいじゃないの!」
「そ、そんなことは……」
「あなただって本当は友達が欲しいんでしょ! みんなに避けられて学校生活送るなんて可哀想に~」
「お、お前に何が分かる……」
「分かりゃしないわよ! 他人の考えていることが分かったら苦労しないわ! あ、でも、あなたがバカなのは分かるわね」
「こ、この野郎!」
「なに、暴力? あなた本当に最悪な女ね」
「くっ、お前の顔なんて見たくない」
「なに? どっか行けって?」
「そうだよ、あたしの前に二度と出てくるな!」
「あーあーそうですか! じゃあ、お望み通り消えてやりますよ! 『晴ちゃん』のバカ!」
「……!」
「『晴ちゃん』は何も分かってないんだから!」
「ま、待て!」
 灯原さんの制止を無視して、三宅さんは走って、ぐんぐん離れていく。
 そのままその墓場の出口の下り坂になっているところを走って降りて行く。そこだけ街灯があるのでこちらからもよく見える。と、その墓場と道路の交差するところへ向かって走ってくるバイク。
「あ……。あ、おい、止まれ!」
 灯原さんの声は届かないのか、三宅さんがそのまま猛スピードで道路へ飛び出す。バイクは気づくはずもなくそのまま走ってくる。
「おい!! 止まれええええええ! 沙耶ああああああああああああああああああああああ!」
 お墓全体に灯原さんの大声が響いた。
 すると、キィッというブレーキ音がした。灯原さんは座り込んで目をギュッとつぶっていた。
「灯原さん」
 僕が声をかけると、ゆっくり灯原さんが僕のことを見上げた。
「沙耶の友達の『晴ちゃん』って灯原さんのことだったんだね」
「え……?」
 しゃがんで、灯原さんと視線を合わせる。
「沙耶と、僕の妹と友達でいてくれてありがとう」
「い、妹?」
「泉川沙耶は僕の妹なんだ」
 灯原さんは何がなんだかよく分かっていないようで、目の焦点があまりあっていないような感じだった。
「沙耶がよく話してたよ。『晴ちゃん』はすごくいい子だって。それなのに、全然友達が出来ないのは何でだろう? って」
 灯原さんは見たことが無い表情をしていた。今にも泣きそうな。そんな表情。
「沙耶は灯原さんと喧嘩して、そのときに道路に飛び出しちゃったんだよね?」
「あ、ご、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい! ごめんなさい!!」
 灯原さんはいつもと真逆でぎゅっと小さくなって、謝罪の言葉を繰り返した。
「灯原さん?」
「あたしのせいなんです。あたしが、あの時、沙耶を、沙耶を、殺してしまったんです」
「でも事故でしょう?」
 灯原さんはブンブンと首を横に振った。
「あたしがあの時、沙耶に『もう沙耶の顔なんて見たくない』って言って、それで……う、うう……」
 そこまで言って灯原さんが泣きだしてしまった。
 僕は灯原さんの背中をさする。
「ひっく、うぅ、それで、沙耶が、あたしから離れた拍子に、道路に飛び出て、それで、うぅ、うぁぁぁ!」
 予想以上に灯原さんがとり乱したので焦ってしまったけど、大丈夫という言葉をかけながら背中をさすり続けていた。
「あの時、あたしがあんなこと言っていなければ、沙耶は死ななくて済んだのに、ひっく、だから、あたしが殺したんです、あんなに優しくしてくれた友達だったのに、ごめんなさい、ごめんなさい」
「分かった。大丈夫だよ」
 灯原さんはしばらく泣き続けていた。
「ねえ、灯原さん?」
 少し落ち着いた頃に話しかけた。
「ん……」
「沙耶は灯原さんのこと嫌いになったと思う?」
「分からない……でも、嫌われてもしょうがないと思う」
「僕はね、と言ってもそんなに一緒にいれたわけじゃないんだけど、沙耶はそんなことで友達を嫌いになるような子じゃないと思う」
「沙耶が……?」
「うん。沙耶は優しい子だったからね。灯原さんのことを恨んでいたり、灯原さんに苦しんで欲しいなんて思ってないと思う」
 灯原さんが僕に寄りかかってきた。これじゃあ、僕が灯原さんを抱きしめてるみたいだ……。
「そんなこと、月野に分かるのか?」
 いつの間にいつもの感じになっていた。でもいつもの睨みは無い。
「そりゃ、断言は出来ないけど、僕はそうだと信じてるよ」
「そう……」
「灯原さんはどうして友達をつくろうとしないの? 僕らに話しかけるなって言ったりさ」
 やっと核心のところが聞けた。
「あたしは沙耶の未来を奪ってしまったから。沙耶が得られるはずの幸せを奪ってしまったから。あたしは本当は生きてちゃいけない人間なんだ。だけど、意気地無しだから、死ねないし……。だから、あたしは幸せにならないって決めたの。というより、なっちゃいけないの」
 やっぱりそういうことだったのか……。
「あのさ、僕は灯原さんが生きてちゃいけない人間だとは思わないよ。僕は今生きているすべての人には生きる権利があるし、そういう責務があると思う。生きたくても生きられなかった人もたくさんいるし。でも、そこまで沙耶のことで苦しんでくれて、言い方は変だけど嬉しい」
「嬉しいのか?」
「うーん、なんていうか、僕にとって大切な人をそこまで思ってくれる人がいるのは幸せなことだと思う。沙耶にとってもね」
「うん……」
「でも、もう十分じゃないかな。これ以上やっても沙耶は喜ばないと思う。それとも、灯原さんは沙耶が嫌がることをしたい?」
 灯原さんが首を横に振って否定した。
「そんなことは無い。沙耶に喜んで欲しい」
「じゃあさ、もうやめようよ。沙耶は灯原さんが苦しむのを喜ぶような嫌な子じゃないよ」
「でも……」
「大丈夫。身内の僕が言ってるんだから。ね?」
 僕の肩口あたりに顔を押し付けた灯原さんは、「本当に?」と小さな声で言った。
「うん。大丈夫」
「じゃあ……そうする」
 明りがあまり無かったせいか、灯原さんと妙に接近していたからか、それとも泣いた後だったからか。そう言って顔をあげた灯原さんがいやに可愛く見えてしまった。
「おやおや~、顔が赤いですぞ、月野さん」
 全然気づいていなかったけど、いつの間に戻っていたらしく、三宅さんと慶太が僕らのことをニヤニヤしながら見ていた。
「いや、これは……!」
「そんな~隠さないでいいのに~」
 灯原さんが三宅さんのほうを見た。どうしたらいいか分からない感じで。
「あ、さっきは色々言ってごめんね~。あれお芝居だから!」
「いやー、どうだかー。俺にいつもあんな感じで怒るからな、いてっ。だからデコピンをするな!」
「うるっさいわね! だいたいあんたバイクの速度出し過ぎなのよ! 本当にひかれるかと思ったじゃない」
「そりゃ悪うござんした」
 二人のやり取りを灯原さんはポカンとしながら見ていた。
「あ、ごめん。灯原さん。さっきのは本当にお芝居だったんだ。僕が色々と考えて。灯原さんにどうしても沙耶とのことを話して欲しかったから。ちゃんと計算して三宅さんに飛び出してもらって、バイクに乗った慶太に、あ、そこの男ね、そう慶太にギリギリで避けてもらったんだ」
 慶太が新聞屋の息子で原付の免許を持っていてくれたがゆえに出来た作戦だった。
「そう、そういうこと~。だから、さっき言ったこと気にしないでね」
 三宅さんがしゃがみこんでいた灯原さんに手を差し出した。灯原さんはおずおすとその手を握った。すると、三宅さんはいつものように勢いよく灯原さんを立ち上がらせた。
「改めまして、三宅咲です! よろしく!」
「よ、よろしく」
「俺は坂口慶太」
「……よろしく」
 作戦は大成功だった。ほっとしたら逆に僕の方が立ち上がれなくなってしまった。
「おい、悟史。大丈夫か」
「え? ああ、うん。なんかほっとしたら力入らなくなっちゃって」
 慶太が笑いながら、僕に手を差し伸べようとした時に、その手より先に出て来た手があった。
「うおっ」
「つ、月野には世話になった。……ありがとう」
 なんとなく恥ずかしくて手をつかむのを躊躇していると、「んっ」と言って、手をつかめと催促するようにもっと僕の方に突き出してきた。仕方なくその手をつかむ。
 立ち上がった拍子に灯原さんとまた妙に近いところに立ってしまった。
「え、ああ、えっと、沙耶のお墓参りに来たんだよね」
 とっさに話をそらした。三宅さんと慶太がまたニヤニヤしている。
 なんなんだこの人たちは!
「……うん」
「じゃ、じゃあ、お墓参りしようよ」
 というわけで、四人で沙耶のお墓に手を合わせた。灯原さんの持ってきたきれいな花束もお供えして。
 帰り道。三宅さんと慶太が前で夫婦漫才を繰り広げ、後ろで僕と灯原さんが何とも言えない距離で歩いていた。
「……どうして、あたしが今日ここに来るって分かったんだ?」
 灯原さんが当然の問いをしてきた。そりゃ、友達のお墓参りに行ったらクラスメイトがいたなんて不思議そのものだ。
「沙耶の命日って明日でしょ? うちは家族で命日にお墓参りに行くんだけど、いつも不思議なことがあってさ。必ずきれいな花が生けてあるんだ。最初は霊園のサービスかと思ってたんだけど、どうもそうじゃないらしいってことになってさ。うちじゃ優しい幽霊の仕業だってことになってるんだけど、もしかしたら灯原さんなのかなって思って」
「そういうことか……。あたしが、沙耶の友達だって最初から気づいてたのか?」
「ううん。まったく。ん? って思ったのは三宅さんが灯原さんのあだ名は付けるとしたら『晴ちゃん』だって言った時からかな。そこで沙耶がそんな友達がいるって言ってたなあって思い出した」
「沙耶、そんなに言ってたのか」
「うん。しょっちゅう言ってた。沙耶にとっても親友だったんだと思うよ。沙耶は人当たりがいいからたぶん友達は多かったと思うけど、自分のことを分かってもらおうと思った子は灯原さんくらいだったんじゃないかな」
 灯原さんが嬉しそうにふふっと笑った。初めて見る灯原さんの笑顔だった。
「あ、ツッキー」
 今度は三宅さんが振り返って話しかけて来た。
「ツッキーの妹さんって、泉川って名字でしょ? でもツッキーは月野じゃん。どゆこと?」
「ああ、うちの両親バツイチ同士なんだよ。しかも事実婚だし。僕は父の連れ子。沙耶は母の連れ子だったんだ。で、僕の方が早くに生まれてたから僕の方を兄ってことにしてたみたい。学年は一緒なんだけどね」
「でも、今、月野は学校の近くに住んでるんだろ?」
 灯原さんが別の角度から質問を続けた。
「子供がある程度の年齢になるまでは別に暮らすってことにしてたみたい。父は元々坂下に住んでたから、今もそこ。母は東八郷だったんだ。まあ結構頻繁に会ってはいたんだけど」
 でもよく考えてみると、こんなに複雑な家庭環境なのによく育ったなあと自分に感心する。でも父も母も良い人だったから成し遂げられたことなんだろう。
「そうだ、灯原さん、うちにおいでよ」
「へ」
「わお、大胆ですな」
「そ、そういうことじゃないよ! 三宅さん!」
「ツッキーが怒った~」
 三宅さんは本当こういうの好きなんだな……。
「じゃなくて、明日沙耶の命日だから、家でちょっとした御馳走を食べるんだ。なんか家族行事みたいになってて。よかったら来ない?」
「でも、あたし……」
「大丈夫。ちょっと抜けてるような人たちだけど、人の良さは僕が保証する」
「……じゃあ行く」
「うん! おいで」
 バス乗り場まで来ると、
「じゃ、わたしはもう帰るね」
 と三宅さんが言った。
「あ、そうか。家こっちのほうだもんね」
「うん。じゃあ、ごゆっくり~」
「ちょ、そういうんじゃないから!」
 三宅さんは笑いながら僕らに背を向けて帰って行った。
「あ、悟史。俺も今日バイクで帰るから」
「ああ、そっか。ありがとね」
「おお。じゃあ、ごゆっくり~」
「なっ、慶太まで」
 慶太も慶太であははと笑いながら帰って行った。
 まったくひとごとだと思って……。
「なんか、ごめん。うるさくて」
「ううん。面白い人たちだな」
 灯原さんがにこやかな表情で言った。学校で見せている表情とは全然違う。確かに目つきはお世辞にも良いとは言えないのだけど、表情が柔らかいだけで全然違う。
「灯原さん、笑ってた方が可愛いよ」
「へ!?」
「あ、いや、そういう、変な意味では無くて、その……」
「…………うん。ありがと」
 意外な返答で言葉に詰まってしまった。
 うー、こんなはずでは……。
 変な感情に襲われて悶々としていると、
「沙耶が懐いたの分かる気がする」
 と灯原さんがつぶやいた。
「え?」
「月野はその、話してると落ち着く」
「そ、そう?」
 灯原さんがうなずいた。
「あ、バス」
 そうつぶやいた灯原さんの顔をバスのヘッドライトが横切って僕らの前に止まった。
「じゃ、じゃあ、また明日学校でね。うちに来る話はまた明日するから」
「うん」
 バスに乗ってステップを登るところで灯原さんに呼びとめられた。
「あたしと友達になってくれる?」
「もちろん!」
 灯原さんはニコッと笑って僕に手を振った。
 僕も手を振り返す。
 僕は灯原さんを助けてあげられたんだな、と実感した。

7.灯原さんと僕
「おはよ、ツッキー」
 この前と同じくバスロータリーで灯原さんが来るのを待つという話になり、三宅さんと前回と同じ場所で待ち合わせをした。
「昨日はあの後どうだったの~?」
「どうって、何も無いけど」
「え~、本当ですか~?」
「何もないよ!」
 三宅さんの週刊誌記者バリのマインドには改めてびっくりした。三宅さんは週刊誌か、芸能レポーターが絶対向いてる。
 バスロータリーで待っていると、灯原さんが降りて来た。
「あ、灯原さん!」
 三宅さんが朝からハイテンションで灯原さんに迫った。
「おはよっ」
「……お、おはよう」
 いきなりのハイテンションは体に毒だと思った。断食後にいきなりステーキ食べちゃった、みたいな。
「おはよう、灯原さん」
「おはよう」
 今まで何度挨拶してもスル―されてきたのに、返事があったことへの快感と言ったらもう。
「ツッキー、どうしたの? 顔がにやけてるぞ~」
「え、ああ、何でも無い」
 いかんいかん。これからも大事な局面は多いんだから。
「あ、そうだ、灯原さんのこと、これからアカリンって呼んでもいい?」
「ア、アカリン?」
「灯原だからアカリン? どう? いや?」
「べ、別に嫌じゃ、ないけど」
「じゃあ、決定~」
 この前までは「晴ちゃん」と言っていたのに変えていた。三宅さんなりの気遣いなのだろうか。そして相変わらず会話の主導権をあっという間に持っていく三宅さん。
「じゃ、行こう、アカリン」
「うん」
 というか、灯原さん、前より返答とか行動が女の子っぽい!
「月野も……行こ」
「え、あ、うん!」
 どうしよう。昨日のこともあって変に意識しちゃうじゃないか。
 教室に入ると、変な目で見られた。そりゃそうだ。いきなり、「あの」灯原さんと一緒に僕が登校してきたのだから。
「あ、月野」
 席に着くと、灯原さんのほうから話しかけて来た。教室で会話をするのは初めてだ。
「前に商店街で助けてもらった時にちゃんとお礼言えなくてごめん。言い忘れてたから」
「ううん。別に大丈夫だよ。今となっては事情も分かるし」
「うん」
 授業中横目で見ていると、灯原さんのほうもこちらの様子をうかがっているような気がした。今までは眼中に無い感じだったんだけど。
 そういえば制服もずいぶんちゃんとしたのを着ている。この前までは着崩していたのに。キャラづくりの一環みたいなものだったのだろうか。まあ、この方が周りから話しかけやすいしいいかなとは思うけれど。
 お昼になると、灯原さんはいつもと同じようにお弁当箱を持って外に出ようとしていた。
「え、灯原さん。まだあそこで食べるの?」
「教室で全然ご飯食べてないから、慣れない。まだ無理」
「そ、そう。じゃあ、僕らが行くのは?」
「それはいいよ」
 というわけで、屋上前の踊り場で四人でお昼を食べることになった。
「ほんと、ここ埃っぽいわね~」
 三宅さんが埃を手で避けながら言った。実際そんなことをしても大勢に全く影響は無いのだけど。
「なんか、ごめん」
「なに言ってるの! アカリン! アカリンのためなら何でもやるよ~」
「ありがとう」
 今までは灯原さんだけが机で食べ、僕らは地べただったのだけど、さすがにそれはということで余っている机を勝手に異動させ四人でくっつけた。
 三宅さん主導でなぜか僕と灯原さんが隣にさせられた。
「それじゃ、いただきます!」
 全員が銘々にいただきますを言い、ご飯を食べだした。
 少し前までとは打って変わって、非常に和やかで、楽しく昼食時間が進んだ。もうみんなが食べ終わる頃。灯原さんが急に立ち上がった。
「昨日の御礼にあたしクッキー焼いてきた」
「え、本当!?」
 三宅さんがものすごい食いつきを見せる。お菓子はやはら別腹なのか。
「これ、なんだけど」
 灯原さんがとりだした箱には小分けにされ袋詰めされたクッキーが入っていた。
「わあ、すごーい! 何でもいいの?」
「うん」
「じゃあ、わたし、これ!」
「なら、俺はこれに」
「僕は~」
 と、僕が選ぼうとしたら、灯原さんに止められた。
「月野はこれ!」
 そして、そんな言葉と共に一つの袋が胸に押しつけられた。
「な、なんで僕だけ指定……?」
「いいじゃん、ツッキー。ドラフト一位指名だよ」
「いや、意味が分からないよ」
「はい、食べて食べて~」
 何なの、この雰囲気。
 謎の圧力に負けて食べた。
「おいしいよ」
「本当! 良かった……」
 僕が食べてから二人も食べて感想を言っていた。それを嬉しそうに聞く灯原さん。灯原さんにはこういう気持ちを味わってほしかったんだ。やって良かったと心の底から思った。
 放課後には約束通り僕の家に来てもらった。
 最初は「どんな顔で会ったらいいのか分からない」と言っていたけど、僕の両親とも灯原さんを快く受け入れたので、灯原さんも楽しそうに過ごしていた。
「沙耶はあんなお家で育ったんだ」
 帰り道。駅まで送る道中に灯原さんが言った。
「まあねえ。ちょっと変わってるけどね」
「そんなことない。いい家族だと思う」
「はは。ありがと」
「……ますます沙耶に頭が上がらない」
「え?」
「沙耶には本当たくさんのものもらっちゃてるから。月野たちもそうだし、沙耶の家族にも会えたし。寝る時に足向けられる方角が全然ない」
「あはは。灯原さんそういうの気にするの?」
 僕が笑うと、灯原さんがムスッとした表情で僕の前に立った。でも睨まれてるわけじゃないから迫力はそんなに無い。
「月野はそういうの気にしないの?」
「うーん、あんまり」
「ダメだよ、そういうのはちゃんとしないと」
「き、気を付けます」
「うん」
 そのままバス乗り場に到着。バスが来るまでにはまだ時間があったので、少し休憩することになった。
「あ、お昼のクッキーまだ残ってる?」
「え、あ、うん。ある」
「食べていい?」
 首を大きく二回縦に振って、灯原さんがかばんから缶箱を出してきた。蓋をあけると、昼に見たクッキーの袋が四つほど。
 適当に選んだやつを開けてクッキーを口に放り込む。
「灯原さんお菓子作りなんてするんだねえ」
「時々してる」
「へー」
 灯原さんはわざわざ僕が持っている袋に手を突っ込んでクッキーをつかむと、それを食べた。
「うーん、微妙」
「え、そう? 普通においしいけど」
「これじゃダメ。月野にはもっとおいしいのを……」
「へ、それってどういう……?」
 ちょうどバスが乗り場に滑り込んできたので、灯原さんは僕から缶箱を強奪するとそのままバスに乗り込んでしまった。
 な、なんだったんだ。

 翌朝。前日に三宅さんから連絡があって、その日は別の友達と一緒に行くから、僕らとは一緒には登校できないと言われていた。
 なので、バスロータリーには僕一人。
 今日もきっと、灯原さんと僕、それに三宅さんに慶太で楽しい一日が過ごせるだろう。それから僕の家族とも。今度は桃原先生に報告もしないと。桃原先生はきっと喜ぶだろう。
 そしていつもの時間にいつものバスが入ってきた。
この集団の最後に、笑って灯原さんが出て来るはず。
 そんな風景を、僕は心待ちにしていた。

(終)

灯原さんは笑わない

あとがき
 始めまして西海ハシルです。この度は「灯原さんは笑わない」を読んでいただきありがとうございました。
 この作品は相当久しぶりに本腰を入れて書いた作品で、きちんと最後まで書きあげられたという意味では処女作です。今までの私は構想こそ浮かんでも、それを最後まで書ききる術を持っておらずどうしても出来ませんでした。しかし、プロットというほど作りこんだものではないですが簡単にでも流れを先んじて考えておき、それを紙に書くことで「こんなにも書きやすくなるのか!」と驚嘆しているうちに出来上がったのがこの作品です。
 作品自体は私の趣味というか嗜好がかなり反映されております。私は現実世界ではともかく、架空の世界では強気な女性がある特定の人の前でだけ素直になったり、弱気になったりするのがたまらなく好きです。なのでツンデレが基本的には好きなんですが、ツンはさして重要ではなく「デレ」が大事なのです。「デレ」が。また、ちょっとミステリー風味を入れようと意識した(ちゃんと入ってるかはよく分かりません…)のはそういう作品が好きだからです。ミステリー風味の作品は切ない要素が入ってたりするのも好きな要因の一つかもしれません。そのためこの作品でもそういう要素を入れてみようと試みています。上手くいっているかどうかは皆様の判断です。
 また、もう少し大きなテーマとしては、『「誰々のために」というのは一般的に称賛されるがそれは本当に正しいのか』というのがありました。それは案外自己満足なんじゃないかと。偽善なんじゃないかと。まあ、だからと言って、偽善や自己満足を否定するつもりはまったくありません。私だって誰かのために何かするというのは基本的には良いことだと思います。でもそれは自分を維持できるという前提があった場合のオプションだと思っています。それゆえ、他者への親切は自分のため(自己満足)だという意識を持っています。これを意地の悪い言い方をすれば偽善になるでしょう。でも偽善だろうが何だろうが、相手が喜んでいれば何の問題もありません。問題は相手が喜んでいない場合です。自分がとんでもなく親切をされた場合に、相手がそれによって苦しんでいたら「そんなことしないでいいよ」と言うと思います。人への親切はしょせん偽善・オプションなのです。自分に余裕があるときだけでいいのです。そういう気持ちというか主張もこの作品にはこめてあります。
 とにもかくにも、この作品が皆様のお口……ではなく目に合っていればこれほど幸いなことはございません。
 それでは。
PS
 もしご余裕のある方がいらっしゃれば、この作品に関連した創作物なんかをつくって一緒に作品を体感していただければさらに幸せでございます。
2014.9.1 西海ハシル

灯原さんは笑わない

<あらすじ> 主人公の高校生月野悟史は、目つきが悪く、すぐ人をにらみつけ、人を寄せ付けない灯原(あかりばら)晴子と隣の席になる。怖がっていた悟史だったが子供を助けているところを目撃してから悪い人ではないのではと思い出す。隣の席ということもあって悟史は晴子と友人になろうとするがむげに断られてしまう。悟史は晴子がなぜ人づき合いをかたくなに断るのか友人の坂口慶太、晴子の中学時代の同級生三宅咲と共に調べることにする。 <読んだら楽しめると思われる人> 「ラノベを読める人」「普段強気な女性がふと弱気になるのが好きな人」「ミステリー風な作品が好きな人」

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • 恋愛
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-09-04

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