追放以前

 僕は彼を追放した。
 僕が行った事は本当に少なかった。一つ、彼を拉致監禁して、一週間少し離れたところに閉じ込めた。一つ、この集落にあった、彼に関係するものすべてを売り払った。たったこの二つだけだった。僕の仲間がそれらをすぐに買い取り、結局、彼が戻ってきたときには彼の手元にはまとまったお金が置かれているだけだった。
 僕は窓枠にひじをついて、煙草を咥えた。薄い黄色のパッケージの煙草だ。この集落で唯一の三階からは、山の様子がよくわかった。
 集落は山間にあった。川際の、少しプラトーになっているところに人が住んでいるだけの、平凡な集落だ。観光名所はなく、水田は細切れに引き裂かれている。渓谷に存在する緑豊かな村といえば聞こえはいいが、食料品店は一つしかなく、高校はトンネルを二つ抜けたところにしかない。十九歳から二十五歳までの年齢層が極端に少ない人口ピラミッドの村だ。すべての住民がそれぞれを知っていて、すべての情報はすぐさま共有された。
 彼がこの閉じた世界の長になっていたのはただの偶然だったと、僕は今でも思っている。彼には徳も恐怖もなく、眉目秀麗でもなかった。彼は命令を好んだが、それは全く何の拘束力も持たなかった。おおよそ彼は人を統治する能力と言ったものがなかった。彼は上昇志向に欠けた人物だった。僕は彼の顔を思い出すたびにそう考える。僕に協力してくれた仲間も、みな同じ意見だった。
 八月も下旬を迎え、蝉の音も少なくなっていった。青い電車が山間を通り抜ける音が遠くから聞こえる。湿った風が流れてきて、眼下からは遊びから帰る子らの歓声がせりあがってきた。
「そろそろ夏休みも終わりだぞ、宿題終わったか?」
「終わったよー」
 そう返す彼らはおそらく終わっていないのだろう。僕は苦笑しながら煙草を挟んでいない方の手を小さく振った。
 ようやく暗くなって、街灯がつき始めたころに、僕は部屋に大の字になって横たわった。この部屋は彼の持っていたものの一つだ。何もない畳敷きの部屋だ。彼はここをほとんど物置のように使っていたのだという。五本目の煙草を吸おうとしたら、ドアが開いた。ともに彼を追放した仲間だった。彼らに隠すところは何もなく、むしろ僕たちは隠さないことを美徳として活動していたので、何も驚くことはないのだが、それでも突然入られると少しぎょっとする。
「どうした?」
「――いや、なんとなく様子を見に来たんだ」
 へぇ、と僕は答えて、上体を起こした。煙草に火をつけると、「始末はきちんとしろよ」とその仲間は言った。
「わかっているよ、まぁ、煙草くらい良いだろう。彼を追放できたんだから」
 彼は吝嗇であり、傲慢であった。彼が煙草を嫌っていたために、それまで集落ではまともに煙草を吸う機会すら与えられていなかったと聞く。
「その煙草なんだが、あいつが煙草を許していなかったといっただろう、どうも、あれ、嘘だったみたいだ」
「そうか、まぁ、ささめごとだろう。」
 僕は立ち上る煙を見ながら言った。仲間は「それもそうだなぁ」と僕の前に座った。長い髪の青年だ。最近ついに後ろで一つ縛りにし始めている。やせぎすの体を隠すようにゆるいTシャツを着ていたが、逆に彼の体の薄さが強調されている。
「でも、よかったよ、あれがいなくなって少し経つけど、やっぱり全然違うね。今までの悪習が消え始めてきた気がする」
「そういってもらえると嬉しいよ。僕一人の手柄じゃあないけどね」
 冗談めかしてそういうと、青年も薄い体を揺すって笑った。
 僕はすべての責任は彼にあると確信している。住民の全てが悪人の所在を感じていない。ともすれば自分が責任を被ればいいと思っている。しかし、果たしてその名乗りを挙げる者はいない。彼らは善人だ。だからこそ、僕はすべての責任を彼に預けることとする。僕は彼の捜索をせず、彼の墓を建てない。彼は悪人として生き、悪人として死ぬ。物事には、多少無理にでも善と悪の境界をひかねばならない時がある。僕たちはとにかく彼を悪人として、この集落を解決していく。僕は彼にそう告げた。お前が諸悪の源であったと。
「そろそろ帰ろう、窓閉めて」
 青年はそういって、僕は膝を立ててから立ち上がった。窓の外を見渡した。よい景色だった。川沿いには街灯が並び、緑をほのかに照らしている。家に明かりがともり、それが下流のほうに続いてゆく。目を凝らせば稲の穂が風にゆらいで、水田に微妙なグラデーションを生んでいる。僕は大きく深呼吸して、自由の空気を吸い込んだ。
「きれいだな」
 となりに来ていた仲間が口を開いた。僕は少し微笑んで、まったくだ、と同意した。緩やかに夏は過ぎ去ってゆく。

追放以前

追放以前

とりあえず嫌いなやつを追放してみました、という話です。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-27

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