私は身を屈め、深く項垂れ
「本当に美しい都市だ」
今言った「都市」は一般名詞としての都市なのか、象徴としての【都市】なのか、計りかねた。こういう時、音声はまことに悩ましい。模型を前にしたこの状況なら前者の可能性が高い。しかし、さっきまで象徴としての【都市】《ゲルマニア》と過ごしていたことを考えれば後者である可能性も同率だ。
「そうは思わないかね?」
全くこの人は、と気づかれない程度の溜め息を吐く。時に、他者との雑談に必要とされる気遣いを忘れる。常のこと、と知ってはいても骨が折れる。
「どちらの『都市』ですか?」
我ながら野暮な質問だと思うが、音声には抑揚や表情という装飾品がある。椿姫のような微笑を口の端に一匙分くらい浮かべて、問い返す。ずい、と一歩分身体を彼に寄せることも忘れない。彼の両肩に手を置いて、そっと背中から顔を覗き込む。親密さを表現する、淀み無い動きに我ながら満足する。そして、その親密さは思惑通り彼にも通じたようで、唇は三日月の形になった。
「両方、だ」
「聞くまでもないことでしょう」
元より、どちらに向けられたものであっても答えは同じだ。都市ゲルマニアは美しい――そうであるように私と彼で造型した。そして【都市】《ゲルマニア》も美しい――愛らしいと言ったほうが適切だろうが、それでもあの子が一つの美の定型であることに変わりは無い。少なくとも私はそう信じている。
「この街も、あの子も美しい……いずれ、計画が実現されればもっと美しくなりますよ」
声が知らず熱っぽくなるのを止められない。腕をアドルフの身体にまわす。そっと身体の向きを変えられることは、拒まれなかった。
「是非……見たいものだな……この街も、あの子の成長した姿も」
続きそうな言葉は唇を重ねて、口移しに受け取る。熱っぽい粘膜の奥へそっと舌を差し入れる。彼も応えてくれる。嬉しい限りだ。唾液を貪り、舌先に感じる歯列の感触を楽しんでいると嫌が応にも情感が昂ぶってしまう。しかし、惜しいことに、そんなに長くは息が続かない。一旦、唇を離す。呼吸を整えるその僅かな間も、掌はアドルフの身体の感触を楽しむように背広の上を這っていく。我ながら嫌らしい男だ。少しは体重を胸に預けてくる彼のように大人しくしていられないのか――
「あの子は美しくなりますよ……私と貴方の、子どもなのですから」
もう一度、唇を重ねる。もっと深く、もっと奥へ、もっと熱く――彼の深奥と、熱を求める動作を抑えきれない。もっと、もっと、もっと、と全身が咆哮しているようだ。身体の中央に硬い肉の塔が尖るのが分かった。抑えきれない熱に浮かされているのは、彼も同じことだろう。息継ぎの為に僅かに離れた瞬間に見えた「堪えきれない」というような表情が一層、私を加速させる。ほんの少し、重心を移動させるだけで、彼は床に崩れ落ちた。
「……アル、ベルト……よせ!! 駄目だ!」
ネクタイをはぎ取り、ベルトに手をかけると同時にアドルフが叫んだ。何を今更、と構わずに続けようとしたが、彼は頑迷に抗った。
「アドルフ……いつものように……」
何か気に障るようなことをしたか、と考えることすらもどかしく無理に膝を割って彼を開こうとする。私の中心は熱の出所を求めて痛いほどだった。
「力を、抜いて……くだ、さい……アドルフ……」
ベルトが僅かに緩んだ隙間からそっと彼の肌に手を差し入れる。彼の中心もまた硬く、熱く反り返り、熱の出所を求めていた。拒絶を媚態にしつつ私を求めているように思えて、私は一層の歓喜にうち震えた。
「駄目……よせ、あの子が……見ている……」
消え入るようなアドルフの声に、身体の熱が冷水を被ったように冷める。まさか、鍵をかけたはずだ――青ざめる思いで扉を見やるが、樫材の扉は一枚岩のように揺るぎなかった――どういうことかと困惑するばかりの私に、身体の下から声は続けて言った。
「違う……あれが……ゲルマニアが……都市、が……」
視線を下へやれば、震える指先は上を――ゲルマニアの石膏模型を示していた。私は、彼の言わんとすることを理解した。
「あれは、あの街、ゲルマニアは……あの子の、依代だろ……その、すぐ側で、こんな……こと、を」
しないでくれ――と、アドルフは言う。ああ、この人は――
「この模型もまた、あの子と同じであると?」
頷く。そうか、そう思っていたのか……だから、ここまで――
「申し訳ありません……私は……《ゲルマニア》は、あの子だけだと……」
「は……?」
「ドイツの地で行われていること全てを《ドイツ》が――ルートヴィヒが知るわけではないように……模型のゲルマニアと、あの子の知覚は、別物だと」
申し訳ありません、と彼の服の前を合わせる。彼もそれで落ち着いたようだ。蒼い瞳に、常の鋭利さが戻ってくる。
「そうだな、君の理屈は正しいのだが……」
私には無理だ、と彼は視線を伏せる。ああ、そんな顔をしなくてもよいのです。貴方は正しい。理屈よりも正しい感情が時にはあるのだから。
「どうしても、あの子に関わるものに汚れを近づけることはできなくて……」
父のようには、と彼は小さく呟く。いつか聞いた話をそれで思い出す。幼かった彼の柔らかい心に突き刺された、おぞましい楔を、私も知らないわけではない。子どもが見ないほうがいいものが、世の中には確かにある。例え、それが大人には当然の営みであったとしても――幼いアドルフ少年は、両親の寝室を見てしまったことがあるのだ。そこで行われていたことは、今の我々と同じことで――大人の心にすら嫌悪を起こすようなことで、少年の心は汚された。
「場所を変えるかね? アルベルト?」
気遣うように言われて、私は我に返った。嗚呼、だから、そんなに顔をしてはいけないのです。こんな愚かしい「お母様」をこんなに立派に糺した「お父様」は。
「いいえ、今日はよしましょう……反省します」
「お父様」はもっと誇りに思って良いのです。良き父である自分を――
私は身を屈め、深く項垂れ