恋愛相場
BL/総統×宣伝相/第三帝国
窓から差し込む素晴らしい春の日差し。そして、どこか柔らかい雰囲気の総統閣下ーーこの部屋の主だ。何となく分かる。恋人が来たんだ、と。殺風景な部屋を和ませる飾りはおそらく彼女のお陰だろう。
「チューリップですか?」
そうだが、と総統は答える。テーブルの上にはガラスの器。溢れんばかりに生けられているのは黄色い花。取り立てて言うこともないが、奇妙な点が三つ。
「花瓶に生ければいいじゃないですか」
ガラスの器といっても花器ではない。生けられているのは食器だ。サラダかコンポートでも入れれば映えるだろう。それに無造作に傷んだ花が放り込んである。こう言っては難だが茎も葉も丸見えで見窄らしい。
「普段、花なんか生けないから無いんだ。やっと物置から見つけたと思ったら割れていた」
どうしてそこですぐに新しい花瓶を買ってくるよう、家政婦か秘書に言いつけないのか。少なくとも自分なら女からの花をこんな風に扱いはしない。だが、それをこの男に要求しても無駄だろう。
「どうしてこうも傷んでいるんです?」
見窄らしいのは茎と葉が丸見えだから、というだけではない。萎れかけなのだ。茎と葉が曲がっているのは許せるとして、花の色まで褪せて見える。こんな花を飾っている気が知れない。こちらの気まで滅入ってくる。
「花売りに捨てられかけた売れ残りを半値以下で買ったんだそうだ。せっかく咲いたのを捨てられるのでは可哀想だ、飾ってやってくれと言って・・・・・・エーファが買ってきた」
最後は少し言いにくそうに視線を逸らした。別に私に気を使わなくてもいい。この花が年下の愛人からの贈り物でも、私は下らぬ嫉妬を抱いたりしない。彼のつまらぬ心配に少し心がざらつくのを感じた。
「閣下は切り花が嫌いだと伺いましたが」
自室はおろか自宅にも官邸にも、収監された独房にも飾らせなかった。理由はただ一つ、弱っていく姿が哀れで見たくない、というものだ。それを言う同じ唇で人を殺す言葉を紡ぐくせに。
「エーファの贈り物だからな」
それだけ言って彼は黙る。理由になっているような、そうでもないような彼の答えだ。困らせてやるか、と食指が動く。
「花言葉を知っていますか?」
「実らぬ恋、だろ」
なんだ、知っていたのか。
「エーファが説明してくれたさ。別に嫌みではない、と言ってな。売れ残ったのもその花言葉のせいだろうが、花に罪はない、と・・・・・・」
くどくどしく言い訳じみたことを言う。彼女の性格から言って真実だろう。彼を慌てさせてやろうと思ったのに、余計なことを(これは私の八つ当たり、という自覚はある)。
「彼女からの贈り物なら趣旨替え、ということですか」
「そうだが」
代わりに変節を責めてやろうとしたら、あっさりと認めやがった。それどころか。
「ついでにこれもくれたぞ、食べるか?」
にこにこと笑いながら小さなバスケットを差し出してくる。中には色とりどりのセロファンに包まれた飴玉が入っている。一人相撲のようで腹立たしい。が、意地を張るほど私は子供ではない。彼は緑の包みを、私は赤い包みを一つ選び口に入れる。苺の味だ。その甘さは心を和ませてくれるが、これで最初の試みを放棄するほど、私は子供ではない。策を練り直さねばならない。口の中で飴玉を転がしながら考えていると、いいことに気がついた。
「彼女からもらった飴玉は、どうですか?」
彼に問う。彼はオレンジ色の包みを剥いて、二個目を口に放り込んだところだ。
「うまいぞ。甘くて」
実に幸せそうな笑み。虫歯の心配をしなくていいのか、という嫌みはしまっておく。この男はそんなこと気にしないだろう。
「ただの飴玉も大事な彼女がくれたとなれば格別、ということですか」
冷やかしはもちろん言う。のろけられたのだから、これくらいしなければやっていられない。
「そういうことだ」
認めた。実に幸せな男だ。壮年の男が飴玉にここまで喜べるとは。冷やかしを通り越して、呆れる。呆れるのを通り越して心配になる(これは言い過ぎ)。もう意識せずとも皮肉な笑いが顔に張り付く。
「彼女からの贈り物なら何でも特別ですかぁ」
こうまで徹底されると感心する。エーファから、と魔法がかかれば嫌いな切り花もこの上ない飾りとなり、ただの飴玉は最高級品となるわけだ。
「オランダでチューリップが改良され始めた時の話を知っているか?」
「はぁ?」
全く予期せぬ彼の話だ。あっけに取られて、おかしな声が出てしまう。彼は続けた。
「今でこそ大した値の花ではないがな。その当時は文字通り一財産だったらしい。新種が開発される度、法外な価格で取引された」
いくら珍しがられたところで花の値段だろうが、と思っていた私の表情を彼は読みとったらしい。
「タカが知れている、という顔だな。凄まじいものだぞ。何でも一番人気のあった品種の球根はたった一つでも何頭もの豚や牛、銀食器一揃い、絹の布団、家一軒全てと引き替えにされたそうだ」
・・・・・・それは予想外だ。高騰、を通り越して異常だ。しかし・・・・・・
「そんな状態は続かんでしょう?」
「そうだ。あっと言う間に流行は廃れてチューリップもただの花だ」
球根一つで人生を破滅させた奴も、大成功を収めた奴もいただろうな。現に今では売れ残れば捨てられる程度の価値になってしまった。捨てられる運命を免れた、幸運なチューリップを眺めながら、お気の毒様、とちょっとだけ思った。たかが花にそこまで意味があるか、冷静に考えれば分かりそうなものだ。勝手に意味を見出して、国中の人間が狂い回っていたとは滑稽だ。
「恋に似ていないか?」
いつの間にか、彼は後ろに回り込んでいる。首筋に、感じる彼の呼吸。体に絡みつく、彼の腕。背中に伝わる、彼の体温。飴玉の、甘ったるい香り。体の奥が、甘く熱を持つ。
投機の狂気と、恋が? 似ている? あぁ・・・・・・なるほど。
「そうですねぇ」
どこにでもあるものに勝手に意味を見出して、狂い回る。時にはそれで人生を破滅させたり成功させたり・・・・・・確かに、そっくりだ。
「エーファからの贈り物ならば、切り花も飾るさ」
彼の中で、ただの花の価値が高騰したわけか。
「そして、男でもお前なら」
私の価値は? 彼の相場はどう動いているのだろう? チューリップのように、一時的に高騰し暴落するのだろうか。それとも・・・・・・?
「抱いてやりたくなる」
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