天使の肖像

BL/総統×宣伝相/第三帝国/総統過去設定有

彼の様子がおかしかった。冷たいのもそっけないのもいつも通りだが、私の誘いを断るのはおかしい。私の気持ちを弄ぶつもりの媚態ならもっと艶がある。彼は隠し事をしている。気に入らない。無論、問い詰める。私は決めたら行動する男だ。深夜、自分のオフィスを抜けだし、彼の許へ。勝手知ったる総統官邸。

「総統閣下」

ノックもしないで執務室の扉を開ける。奇襲成功。そのまま彼の机に歩み寄る。椅子に座る彼は、迷惑そうな顔をしていた。彼の右側に立って彼を見つめる。こんばんは、我が総統。

「今日は・・・・・・会いたくない、と言ったじゃないか・・・・・・」
「今日は、会いたいと言ったじゃないですか」

ねぇ、総統閣下。どうしてそんな顔するんです? 嫌がらなくていいじゃないですか。そんな顔されたら・・・・・・

「遊びたくなってしまう」

くい、と彼の顎に手を添えて持ち上げる。さぁ、甘ったるい接吻を、と思って屈みこんだ時に気づいた。

「何です? それ」

彼の膝の上に、板状の何かが載っている。白い長方形の何かと、彼が握る鉛筆。彼の手が震え始める。青い瞳が落ち着き無く泳ぎ出す。聞かれたくないのだ。これは・・・・・・別に・・・・・・と口ごもる彼からはきっと聞き出せない。ならば実力行使だ。

私は素早く彼の膝からそれを取り上げた。彼が小さく悲鳴を上げ、取り返そうとそれを引っ張る。間に合わなかったか、と思った瞬間、彼はすぐに手の力を緩めた。私はその隙にそれを抱えて彼に背を向けた。立ち上がるタイミングを逃した彼は機敏に動けない。私の勝ちだ。

「へぇ・・・・・・スケッチブックじゃないですか」

彼が背中にとりすがるのが分かる。でも気にしない。こんなに彼が慌てるなんて、何の秘密があるのかな? 薄い笑いが顔に広がるのを堪えきれずに、彼がさっきまで描いていたであろう絵を見る。そこに描かれていたのは意外にも・・・・・・

「天使ですか、これは?」

子供の身体と、緩くカールした長い髪、膝を抱えて座る姿勢・・・・・・背中には翼。聞くまでもなく、そこに描かれているのは天使だった。唯一奇妙な点は顔が描かれていないことだけ。私は故意に笑いながら、彼を振り向いた。中腰になっていた彼は、何も答えず泣き出しそうな顔で椅子に座り込んだ。

「どうしてこんな絵を? 教会と和解する時の記念品ですか? それとも破門された私を取りなしてくれるのかなぁ?」

彼は何も答えなかった。あぁ・・・・・・白を切るつもりか。胸の奥で苛立ちが発火する。彼は隠している。大事な何かを。この私に。

「答えてくれないの? なんか言ったら? 答えてくれないなら、この絵はどうなってもいいってことかなぁ?」

彼が慌てるように、できる限り下卑た声で、ねちっこく。スケッチブックは見せつけるように掲げて、毒蛇のような笑みで・・・・・・。

その瞬間、彼の眼差しが私の心臓に突き刺さった。彼は、明らかに怯えていた。子供を殺人鬼の人質にされた父親はこういう顔をするんだろうか、と頭の片隅で思った。瞬間、私は自分の問いを後悔した。

答えてほしい。答えてくれなければ、私は止まれない。スケッチブックを引き裂くくらいはしてしまう。そんなことしたら、彼の心が引き裂けると分かっていても。今だって、彼はそれに怯えている。それを分かってやっている私の醜さと言ったら、毒蛇以上なのだろう。

身体が震えた。会ってもらえないのが耐えられない。隠し事をされるのが耐えられない。彼が怯えるのが耐えられない。彼を怯えさせる自分の醜さが耐えられない。でも・・・・・・彼が手に入らないことは、もっと耐えられない。

「閣下・・・・・・答えてくれれば、返しますよ」

答えてさえくれれば、彼が隠し事をしなければ、私に全てを教えてくれるなら、こんなことはしない。そういう、意味を込めたつもりだった。伝わりはしないとわかっていても、これだけは言いたかった。分かってほしかった。

「愛しているから・・・・・・教えて」

信じてほしかった。きっと無理だとわかっている。意図するところが伝わったかは、分からない。でも、彼は表情を緩め、ため息を吐いた。ごめんなさい・・・・・・閣下。

「その絵は・・・・・・教会とは関係ない。無論、信仰とも関係ない。それは・・・・・・私の、自己満足だ」

彼は私から目を背けて語りだした。私が聞きたかった隠し事を、教えてくれた。彼にとっては不本意ながら。

「エルナのことは知っているな・・・・・・私の若い頃の恋人だ」

知っているも何も、一番聞きたくない名前だ。エルナ、彼の若い頃の恋人だ。よくあるように二人は恋に落ち、深い仲になり・・・・・・滅多にないように、彼女は金持ちに寝取られ、彼の前から姿を消した。その後は金持ちにも捨てられ、街娼に身を落とし零落の果てに、自殺した。彼と再会した翌日に。彼は彼女を救えなかった自分を責めた。以来、彼は彼女を忘れることができず、折に触れては彼女との記憶に逃避する。

「彼女には・・・・・・子供がいた。誰の子かは、知らない・・・・・・会ったことも、ない。だが・・・・・・忘れることもできなくて・・・・・・」

絵に描いているというのか。だが、この絵は・・・・・・

「生きてはいないだろうよ。諦めている。でも・・・・・・せめて、絵の中でくらい幸せにしてやりたくて・・・・・・そう考えると、どうしても翼を描かずにはいられないんだ・・・・・・神を否定しながら、描いたその子は、天使になるんだ」

顔は知らないから描けなかったがな、と彼は自嘲するように笑いながらポケットから小さな包みを取り出した。

「おかしいよな・・・・・・何年も前のことなのに、振り切れない。何でも、彼女に結びつく」

このチョコレートだって彼女が好きだったから、思い出すために食べているうちに手放せなくなったようなものだしな、と呟いて口に入れた。
熱い固まりが、喉元にこみ上げるのが、分かった。

「どうして・・・・・・」

言葉がうまく出てこない。自分は何故、こんなものを抱えて、こんなところに立っているのだろう。彼に何を聞いたのだろう。何を聞こうとしているのだろう。そんなことが痺れた頭の中で渦巻いていた。

「どうして、教えてくれなかったんですか・・・・・・そう言ってくれれば、今日は来なかった・・・・・・あなたの邪魔は、しなかった・・・・・・私は、こんなこと、したくなかった・・・・・・」

八つ当たりだ。言っていることが無茶苦茶だ。自分でも分かる。今、辛いのは彼だ。叶わぬ望みを抱え続け、それを抑えようとする僅かな慰めも、私に邪魔された、彼の方がずっと辛い。

「言ったら・・・・・・君は傷ついていただろう・・・・・・だから・・・・・・」

優しく言って彼は立ち上がり、私に歩み寄る。そして思わず身体を強ばらせる私から、そっとスケッチブックを取り返し机の上に置いた。

「言わないほうが傷つけたようだな・・・・・・悪かった。さぁ、涙を拭いて、もうお帰り・・・・・・もう、夜も明けた」

泣いていたのか・・・・・・私は。泣いていいはずがない。泣きたいのは、彼なのに。彼に言いたい言うべき言葉が、出てこなかった。膝に力が入らない。腹痛に見舞われた幼子のように、座り込むしかなかった。
彼がどんな顔をしていたかは、知らない。でも、彼が部屋の中を歩き回り、カーテンを開けるのが足音で分かった。

「あぁ・・・・・・ヨーゼフ、見てごらん。朝焼けがきれいだ」

きれいだ、という彼の声が痛ましかった。

朝焼けは、雨の予兆だ。遠からず赤く輝く空も、鉛色の雲に覆われ、暗くなる。夜明けなど、来なかったように。

「雨になりますよ、すぐに」
「でも、今は晴れているさ。いずれ暗くなるにしても、今は朝なんだ」

それなら、私にも見えるだろうか。まばゆい朝の輝きが。そして、絵の中にいる顔のない天使にも。

天使の肖像

天使の肖像

  • 小説
  • 掌編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-22

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