『月美と星美』

 プロローグ

「どうするか」
 主は悩んだ。
 大きな和の庭園。
 大きな和の屋敷。
 主は空高く浮かび上がり、それらを睥睨する。
 沈黙がその場に広がっていた。
 主もしばらく沈黙する。
 そこにふわっとした気配が浮かびあがった。
「目覚めたか」
 屋敷の中で、二つの影が起き上がる。
「……しばらく様子を見て頼もう」
 まだ判断するのは早すぎると結論を出した。
 主は、天高く空を昇って行った。

「月美お姉ちゃん……」「星美」
 姉妹が抱きしめあう。
 彼女たちは、屋敷に囚われていた。

 章 姉妹

「月美と星美が!?」
 祭りが終わって数日、クーラーの効いた居間で寝っころがっていると、そんな一報が入ってきた。
 ちなみに正確に言うと除湿だ。俺は弱冷房よりもさらに弱冷房の除湿を愛用していた。
「そうなのよ。今ご近所で大騒ぎだわ」
 井戸端会議を終えた母さんはうずうずしたように言った。
 そういえば、祭りの日以来あいつらと会ってない。
「今捜索願いが出されてるらしいの」
 月美と星美が帰ってきてない上に、捜索願まで!?
 そんな……。
 月美と星美が居なくなる!?
 誘拐とかかな。
 あいつら、いったいなにをされたんだ。
 もしかすると事件に巻き込まれたとでも言うのか。
 俺になにか出来るわけないけれど、
 俺は居ても立ってもいられず立ち上がった。
「事件?」
「それが、祭りの日から、帰ってきてないらしいの」
 母さんは心配そうに言った。
 月美(つくみ)と星美(ほしみ)は俺の幼馴染で、本名はそれぞれ山瀬月美と山瀬星美。双子の姉妹で、俺とは幼いころから遊んでいる仲だった。
「陽太くん」「陽太さん」と俺の名前をよく呼んでくれたのを覚えている。
 それが、もう……。
 いやいや、いきなり悪い想像に結論づけるのはいけない。
 もしかしたらどこで生きているかもしれない。
 俺なんかに見つけられるわけないだろうが、もしかしたら。
 ひとまず最後に会った神社に行ってみよう。
「ちょっと行ってくる」
「ちょ、ちょっと、陽太!」
 俺すぐさま鞄にお菓子とペットボトルを入れて戻ってきた。
「なんだよ母さん」
「それはこっちの台詞よ。警察に聞かれるかもしれないから」
「ちゃんと答えろだろ。分かってる。いってきます!」
「陽太!」
 俺はすぐさま玄関を開けた。
 そこには近所のおばさんたちが居て。
「的場さん。こんにちは」
「陽太くん、こんにちは」
「こんにちは!」
 俺は軽く一礼して家を飛び出した。
 向かう先は決まってる。
 祭りの日、月美と星美と最後に出会った、神社の裏だ。

 俺は遠くにパトカーが見えた瞬間すぐに横道にそれた。
 神社にはすでに警察が見張っていた。
 隠れる必要はないけれど……。
 おれは神社で数十年前にも同じような事件があったのを途中で思い出していた。
「神隠し」と当時騒がれたのを知っている。
 オカルト好きな友人がかなり前に話してくれたを覚えていた。
 もしこのことを警察にしゃべっても荒唐無稽で一蹴されてしまうだろう。
 それなら自分なりに調べてみてなんにも無かったら最後に出会ったことを話せばいいとそういうことにした。
 だから、今は見つかるわけにはいかない。
 俺は裏道を通って、もう一つのルートを目指した。
 竹藪の隅に自転車を止めて、頂上を目指して歩く。
 この竹藪ルートは急こう配で、抜けるのも一苦労の場所だった。
 でも、あと少し。
 俺が神社に行けばなにか分かるというわけではないが、もしかしたらというのもあるかもしれない。
 問題は、警察官にばれないようにすること。
 これが一番問題ないかもしれない。
 よし、月美、星美。俺がなんとかしれやるからな。
「あ……」
 目の前には神社の裏手ではなく、大きな屋敷の裏が広がっていた。

「迷い家」
「マヨイガ……それ新種の蛾?」
「ちげーよ。迷い家。見てみろ」
「……へー」
「どうだ? おもしろそうだろ?」
「そりゃあこんなことあったら良いなと思うけど」
「お金持ちになれるんだぜ。良いよなあ」
「お金持ちになれたら……」

 ぐるりと一周してみた。出られない。
 竹藪だったところはいつの間にか森になっていて。
 そして目の前には、生活感がある大きな屋敷があるだけだった。
 その時思い出したのが友人との「迷い家」のやりとりだ。
「月美! 星美!」
 ここにいるとは限らないが、もしかしたらいるかもしれない。
「失礼しまーす」
 とにかく入ってみよう。
 玄関には水撒きをしていたのだろうか、桶と柄杓があった。桶にはまだ半分ほど水が入っていた。
 ここが迷い家なら、誰もいないはず。
 俺はキョロキョロと首を動かして家の中を覗き込んだ。
 生活感はあるのに、やはりだれもいない。
 それがちょっと不気味で、少し怖かった。
「月美~! 星美~!」
 ――カタン。
「月美? 星美?」
 とにかく入ろうと、
「…………」
 桶と柄杓の位置が気になった。なんか汚い。
「……よし」
 桶から水を出して、柄杓を綺麗に整えた。
 別に怖いから片付けたわけじゃない。
 ただどーしても気になったのだ。
 整理整頓してない机を見ると、むずむずする。それと同じこと。
 桶と柄杓の位置がどーしても気に入らなかったのだ。
「失礼しまーす」
 俺は靴を揃えて、屋敷に中へ入った。
 返事が返ってこないな。
「月美~! 星美~!」
 俺は慎重に廊下を突き進んだ。
 有る部屋ある部屋を覗いては閉めて、覗いては閉める。
 しかし誰もいなかった。
「月美~! 星美~!」
 返事が返ってこないし、誰もいない。
 やっぱりこれが迷い家というものだろうか。
 それなら月美と星美はどこ行ったんだろう。
 さきほど途中で見た居間をもう一度見よう。
「月美~! 星美~! 返事してくれ~」
 障子を開けると、
「な!?」
 さきほどなにも無かったテーブルに、三人分の食事が置かれていた。
 どれもほかほかで美味しそうだ。
「月美、星美」
 俺はそこに腰をおろした。
 出来たばかりと思われる料理から美味しそうな匂いが漂ってくる。
 ここから立ち去るべきだろうか。
 月美と星美はいないみたいだし。
 それならここに用はない。
 すると別の目的がもたげてくる。
 この屋敷の中からなにか持ち出せば、お金持ちになれるかもしれない。
 コップでも取ろうとして、
 やっぱりやーめた。
「お金持ちか」
 友人の言葉を思い出した。
 ここからなにか持ち帰るとお金持ちになれるらしい。
 でも、なんか盗むってのはやだな。
 ドラクエの勇者なんかじゃあるまいし。
 じゃあせめて料理だけでも。
「あれ?」
 並べられた三人分の食事のうち、二人分がかなり減っていた。
「まさか」
 俺が驚いたのは、出された食事が減ったことではない。
 それは、食べ方だった。
 星美の食べ方は女の子なのに、ぶっちゃけ汚い。魚がバラバラにお皿に広がっていて、皮にはびっしりと魚肉が付いていた。星美の気が小さい性格は、そこまで影響力なかったのかなと心配になる。
 一方、もう一つの皿は綺麗に骨だけ並べられていた。これはたぶん月美だ。彼女はぶちゃけ、重い。いやなに、体重の話ではない。月美は、重い女の子だった。
 あんまり口に出したくないのだが、なんでそんなものまで大切にしているの? というものまで大切に持っていた。
 いや今は彼女たちの性格が重要なのではない。
 ここに、彼女たちの食べ方に似ているお皿があるのが重要なのだ。
 もしかしたら、これを食べれば彼女たちに会えるんではないか。
 そういうアイディアが浮かんだのは、友人との話からだった。

「よもつへぐい?」
「そうだ。たとえば美少女たちのいる世界に飛ばされる」
「ああ……その時点で都合よすぎだな」
「そこでもし、美少女たちの激マズ料理を食べたとする」
「そこはご都合主義でいけよ!」
「すると、こちらの世界に帰ることが出来なくなるわけよ」
「つまり、食べなきゃいいわけだろ?」
「ああ、俺は美少女を食いたい」
「そっちも入るのか?」
「千と千尋の神隠しを分かりやすく言っただけだ」
「全然ちげーよ!」

「あいつなら、たぶん食べないだろうなあ」
 なんせここには人っ子一人も居ないんだから。
「でも、なー」
 箸を口の一歩手前で止めた。
 俺は、あいつらを、本気で助けたいんだろうか。
 ここまで来ていまさら何を、と誰かは思うかもしれない。
 それでも、父さんや母さんや町のみんなの顔が浮かんでくるんだ。
 俺を心配する顔が走馬灯のように浮かんできて、口まで運ぶことが出来ないんだ。
「月美、星美」
 俺はあいつらと付き合ってるわけじゃないし。
 簡単に言えば、昔から馴染みあったただのご近所さんに過ぎない。
 馴染み……。
 あいつらの笑顔が急に浮かんだ。
 よし。
「母さんごめん! 机を片しといてくれ! 番号振ってある!」
 パクッと一口。
 それから俺は勢いのまま料理を口の中に掻き込んだ。
 ん……?
 急に……眠く……。

「陽太! 陽太!」
「陽太さん! 陽太さん!」
 聞こえるのは、月美と星美の声だ。
 体が前後に揺すられ、頭がガンガンする!
「あ……おい。やめろ」
 頭が痛い。
 俺は彼女たちの腕をつかんで止め、目を開けた。
 目の前には浴衣姿の月美と星美が心配そうに俺を見つめていた。
「月美! 星美!」
「陽太!」「陽太さん!」
「うわっ」
 二人が覆いかぶさってきて、また寝っころがってしまう。
「さびしかったよ~」
「陽太さん! 会いたかったです!」
 俺は二人の肩をやさしくさすった。
「月美、星美、よかった見つかった」
「うん!」
「このまま誰にも会えないのかもと」
 たぶん、赤いリボンのポニーテールが月美。白いリボンのツインテールが星美だ。
 その二人が、俺の腕ぎゅっとして離さない。
「私たち、どのくらい?」
 と月美が聞いてきた。
「二週間くらいかな」
「そんなにですか……」
 星美が泣きそうな顔で言った。
「心配するなよ……迷い家なら帰れるだろ」
 俺は二人をなだめ様と肩に手を置くが、二人は首を横に振った。
「帰ることができないかもしれません」
「あんたも食べちゃったでしょ、それ」
 二人が指したのは、綺麗になったお皿たちだった。若干一つ汚いのがあるが。
「え、でも……」
 俺は二人に支えられて、庭に続いている障子まで引っ張ってもらった。
「「…………」」
 俺はそれを開けようと、
「くっ」
 ビクともしない。
 二人の支えを振りほどいて、力いっぱい障子をずらそうと、
「ふぬ~~~~~~~」
「出られないのです」
「あんたも食べちゃったでしょ」
「食べたら帰れません」
 俺はテーブルに並べられた食器を見る。
 やっぱりそういうことだったのか。
「もしかして、よもつへぐいのことか?」
「?」
「陽太さん、よく御存じで」
 月美はその言葉は知らないだけかもしれない。
「よもつへぐいってなによ?」
「異世界の食べ物を食べたら、元の世界に帰ることができないことです」
「!? それって私たちのことじゃない!」
「そう、だから……」
 俺は鞄を取り出して秘密兵器を出そうとした。
 もちろん勝算なく食べたわけじゃない。一応対策は浮かんでいたのだ。
 月美は立ち上がると、
「見て! ほら、出られない」
 月美が庭へ出る障子を開けようとするが、開かなかった。
「屋敷から一歩も出られなくなったのです」
 星美は深刻そうな顔で言った。
「月美、星美。俺はここへ来たとき、ぱっと思いついたんだ」
「? どういうこと?」
「なら、元の世界の食べ物を食べれば帰ることが出来るんじゃないかと」
「そうですね!」
 期待に満ちた四つの眼が俺に集まる。
 よし、取り出すぞ。
「……ハバ、ネロ……激辛50倍ですか!」
「……あり?」
 俺は上手い輪っかを入れたはず。
「ちょっと! それを食べるの!? 冗談じゃないわよ!」
「あああ」
 慌ててこっちを入れてしまった!
 月美は怒っている。一方、星美はなんともなさそうだ。
 双子の姉妹なのに月美は甘党、星美は辛党だったのを忘れてた。
 星美は俺の買ってきた辛いお菓子を「美味しいです」とよく一緒に食べていたっけ。
 慌ててきたもんで、甘いお菓子を入れるのを忘れてた。
「月美お姉ちゃん……」
「た、食べるわよ。帰りたいもの」
 俺はコーラ入りのペットボトルも取り出した。
「飲みかけだけど」
「へ、へいきよ! 意識なんてしてないんだから」
 月美はそれを抱える。
「……お姉ちゃん、飲みきれなかったら私にもください」
「……いいわよ。意識してないし」
 俺はお菓子の袋を開けて、綺麗なお皿に三人分盛り分けた。
 帰ったら月美にケーキをおごろう。そう決めた。
「いくわよ!」
「「うん」」
 俺たちはいっせいに食べ始める。
 静かな迷い家に、パリパリとポテトチップスが割れる音が響く。
「ん~~~~~~」
 月美は一掴みにポテトを口に放り込んでは、コーラをぐびぐびと流し込んでいった。
 月美は冷や汗でびっしょりして、目を思いっきり瞑った。
 俺と星美はというと、月美を気の毒そうに見ながら、でも美味しく食べていく。
 俺たちは水をほんちょっと入れたコップをたまに飲みながら楽しんでいく。
「きゃううううううからああああああいいいい」
 帰ったら、チーズケーキも付けておこう。
 俺と星美はすでに食べ終えて、コップの水を飲んだ。
 普段ならここで俺と星美はお菓子の感想を批評しあうんだが、今日は月美も一緒で緊急事態だから目配せで終わらした。
 月美は最後のひとくちを残して、コーラをすべて消費していた。
「食べられないわよ~」
 月美は泣きそうになりながら、それを俺の前へ出す。
「月美、それを食べてもらわないと帰れない。がんばってくれ」
「あんたのせいなんだからねー!」
「月美お姉ちゃん、がんばれ!」
 俺はそれを月美の前へ戻す。
 しかし、月美はそれに手をつけようとはなかなかしない。
「月美、それを食べれば帰れるんだ。頼む」
「うう、帰りたくない!」
 月美はそういって、口の中へ入れた。
「きゅうううううんんん」
 月美は頭を床に押し付けて、両手で床をドタドタと叩く。
 俺と星美はその背中をさすった。
 水はまだ残ってる。
 俺はそれを渡した。
 月美はそれをぐびぐびと飲み干す。
「ひりひりするうううううう」
 生クリームのたっぷり乗ったパンケーキも付けておいた方がいいだろうか?
 月美はしばらく悶えたあと、涙目の顔を上にあげた。
 俺を睨む。
「帰ったら、パフェをおごってね!」
 パフェも来たかあ。
「分かったよ」
「や、やったー……うう、でも……嬉ひいけど、なんかうれひくない」
 月美は舌をだしてひーひーしながら言った。
 俺はさっそく庭へ通じる障子に手を掛ける。
 スーッと開く障子。
 そとには綺麗に整えられた日本庭園が見えた。
「……さっきまではビクともしなかったのに」
「帰れる、の?」
「お母さん、お父さん」
 二人には最初出会ったときのような沈んだ顔がなくなっていた。
 俺と二人は頷きあって、玄関へ向かった。
 綺麗に揃えられた靴を履いて、玄関を開ける。
 俺たちは自然と無言になっていた。
 俺はまだ実感がないが、二人にとっては外に出られることは感動的であることに違いない。
 あの二人の様子を見ると、一週間以上、外にすら出ることが出来なかったみたいだ。
「月美お姉ちゃん」
「うん……陽太。帰ろうよ」
 俺と三人は、外の世界へ出ようと、正面玄関へ足を延ばした。
 でも出来なかった。
 俺たち三人は、正面玄関を超えることなど出来なかった。
 考えられることは一つ。あの量ではこちらのよもつへぐいに対してどうにもならないことだ。
 なんだか申し訳なくなって、玄関へ振り向く。
 そこには俺が片付けた桶と柄杓がそのまま置かれていた。
 なんとも言えない雰囲気が漂った。
「……なんなのよ!」
 沈黙を破る月美の声。
「帰れないじゃない!」
「月美お姉ちゃん……」
「その、ごめん」
「謝ったってすまないわよ!」
 こんなことになるなら、ちゃんとした食べ物を持ってくるんだった。
「月美お姉ちゃん……」
「なによ星美! こいつの味方する気?」
 しどろもどろになった星美が、一歩下がった。
「む」
 それを見て、むっとする月美。
「もう、知らない!」
 踵を返して、月美は屋敷の中へ戻って行った。
「あ、おい!」
 俺も追いかけようとすると、服が後ろに引っ張られた。。
「私も」
 俺は星美に対して、強くうなずく。
 こういうときはいつも三人だった。
 俺と星美はあとを追うことにした。
「月美!」
「月美お姉ちゃん!」
 星美によると、彼女たちは数週間過ごすうちに、屋敷内に個別に部屋を作っていたらしい。
 最初はそれはすごくうれしかったらしい。
 でもそれは、二人の絆を裂くみたいな行為に思えてきたという。もしこれが普通の世界なら問題はなかったが「迷い家」では単なるすれ違いじゃなく思えてきていて。俺の登場でなにか確信したとか。
 月美の部屋は廊下の進んだ先にあるらしく俺たちはしばらく歩いていた。
 ずっと……。
「陽太さん……」
 星美が不安そうに俺の服を掴む。
 俺もこの異様な光景に緊張せざるを得なくなっていた。
「どういうことだ? たどりつかない」
 とりあえず、引き返してみると、すぐに階段が現れた。
 もう一度挑戦してみる。
「「…………」」
 月美の部屋にたどり着けない。
「月美お姉ちゃん」
「……どうして」
 星美が心配になってきた。
 月美の部屋へたどり着けない謎も気になるが、ここはいったん星美を安心させるべきだな。
「……星美の部屋はどこに?」
「え? あ、はい」
 星美は困ったような複雑な顔をして頷いた。
 星美はすぐ隣の部屋を開けはなつ。
 俺と星美はそこへ入って行った。
 そこは殺風景のある部屋だけど、どこか星美らしい和のテイストを感じられる部屋だった。
 俺と星美はそこで向かい合って座った。
「こんなことあったのか?」
 星美は首を横に振った。
「初めてです、こんなこと」
 俺が来てから? ということかな。
「ほかに、不思議なことは?」
 まあ、「迷い家」である以上、不思議なことはいっぱいあるはずだけど。
 星美はしばらく考え込んだ。
「……そういえば月美お姉ちゃん、なにか思いつめていたような気がします」
 それだ!
 あいつのことだ、ぜったい思いつめて独りでなにかをやるに違いない。
 止めないといけない。胸騒ぎがする。
 あの廊下を突き抜ける方法は絶対にあるはずだ。なんとかしなくては。
 俺は立ち上がろうと、
 その手を星美が掴んだ。
「待ってください」
 星美が俺の胸に飛び込んできた。
 手の置き場所に悩んで、結局どこにも置けなかった。
 抱きしめて、良いのかな。
「星美」
 どうにか冷静な声を絞って名前を呼んだ。
 星美は俺の胸の中で首を振って、
「ごめんなさい」
「ずっとこうしてみたかったんです」
「お姉ちゃんとも離れたくなかったし、陽太さんとも離れたくなかった」
「陽太さんといつかこうしたいとずっと思っていました」
 星美は俺の腰に手を回してさらにぎゅっとしてきた。
「こんな、場合じゃないのに。分かっていますのに。でも、でも」
「星美」
 こんな星美を見たことはなかった。
 いつも月美と一緒に居て、元気な月美とは対照的に、星美は落ち着いていて、月美のことをとても大切に思っている女の子だったはずだ。
 でも、今目の前にいるのは、熱い気持ちを持っている女の子であって……。その思いはもしかしたら……。
「月美お姉ちゃんを助けてください」
「ああ」
「お姉ちゃんと一緒にここを出られないなら、私は」
「ああ、絶対に、三人で一緒に脱出しよう」
「陽太、さん」
 俺は決意を示そうと手を彼女の肩に回そうとしたところで障子が動くのに気付いた。
 そこには、ちょっと泣いたような目をした月美が立っていて。
 俺と星美が一緒に居るのを見て。
 彼女の顔が驚愕、呆然、思案、覚悟と変わっていったのが分かった。
「おねえ、ちゃ」
「星美、これでようやく帰ることが出来るわよ」
 星美は俺から慌てて離れた。
「え、みんなで帰れますの?」
 星美は気まずそうな顔を振り払って、パッと顔を輝かせた。
「あたしは残るから。あとはご先祖様が説明してくれるから」
 月美の絞り出すような声が、俺はショックだった。
 だから彼女がまた廊下の奥に走って行ったのを追いかけることなど出来なかった。
「月美お姉ちゃん!」
 星美が追いかけようと足を踏み出したところで、なにかにぶつかって、尻もちをついた。
「星美!」
 俺は慌てて駆け寄ろうとして、立ち尽くした。
 そいつは、目のあたりに黒い靄がかかっていて、使い古したつぎはぎの和服を着ていた。
 そいつは、俺と月美と星美の三人より背が小さい。
「月美は覚悟を決めおった。おぬしらはいますぐ帰るとよい」
 そいつはまるで子供のような容姿なのに、大人顔負けの威圧を放っていた。
 いろいろ聞きたいことがある。「ご先祖様」とか。
 でも俺は、
「月美を返せ!」
 何かを察した星美の眼には涙があふれていて、俺が言うしかなかったから。
 いや、俺としてもどうしても言いたいことを真っ先に言うことにした。
「なんだと?」
 そいつが喋った直後、突然突風が吹いた。
 俺たちは物に必死に縋り付くが、ついに物から手が滑り、空に投げ出された。

「キャア!」
 ――パシャッ、パシャッ
 星美の声が遠くに聞こえ、ついで水が目にかかって意識が覚醒した。
 俺は慌てて目を開けて周囲を見回すと、星美も顔を濡らしていた。
「ここは?」
 一瞬、元の世界に戻ってしまったことがよぎって、顔から血の気が引いたのが分かった。
 でも、上を見上げて、先ほどの屋敷であることが分かり、俺は安堵する。
 よかった。まだ月美を取り返すチャンスがある。
 でもなんで助かったんだ?
 あの勢いある風は、俺たちを迷い家から完全に追い出すつもりだったはずだ。
「うう、冷たい」
 俺はハッとした。
 屋敷の玄関では、柄杓と桶があった。
 誰がこんなことをしたのか。
 少なくともあのガキではないはずだ。
 俺は柄杓と桶をすぐにとって、玄関に水撒きを始める。
「あの、どうかしたんですか?」
 顔をぬぐった星美が俺の行動を興味深そうに眺めていた。
「あの時、俺たちを助けてくれたのは、この柄杓と桶かもしれないんだ。……ありがとう」
 綺麗に水を撒いて、玄関を綺麗にした。もっとも、元から綺麗ではあったが。
「え、この柄杓と桶が?」
「ああ、水をかけてくれただろ?」
「……そうでしたか。ありがとうございます」
 星美は頭を下げる。
 俺は玄関の掃除を終えて、柄杓と桶を整えた。
 それから、
「俺たちにはまだ月美を取り戻すチャンスがある。あいつが、こんな別れ方を望んでいるはずなんてないんだ」
 俺が力強く言うと、
「そうです! あの時月美お姉ちゃんは、泣いてました」
「まだなにがなんだか分からないけど、絶対月美を取り返そう、絶対に。な、星美」
「はい! ……あの」
「なんだ星美?」
 星美は嬉しさ一転、表情を曇らせて言った。
「あの時のこと、怒らないのですか?」
 あの時のことというと、抱き付いたことを言っているのだろう。
 俺が応えに窮したのを見たからか、星美は顔を真っ赤にして後ろを向いてしまった。
「あの、すみません、別に今応えなくても」
「つ、月美を早く助けだそうぜ」
「そ、そうですね」
 ――コロン
 桶と柄杓がぶつかった音だ。でもその音は、なんだか俺を笑っているみたいに思えて。
「むちゃいうな」
 俺は小声で文句を言った。
「え、なんですか?」
 星美は俺に振り返った。
「いや、なんでもない。さっそく二階へ行こう」
「あっ」
 俺はさっそく彼女の腕を引っ張って、屋敷の中へ入った。

 そこには仁王立ちした先ほどの少年がいた。
 相変わらず目のあたりは不自然に見えなかった。
「給仕め。余計なことをしおって」
 俺たちの進路を邪魔するようにそいつは立っていた。
 俺は星美を背中の後ろにやって、言ってやった。
「あんたが誰か分からんが、頼む、月美と一緒に帰してくれ」
「わしは、この家の主じゃ」
「あの、主さま。月美お姉ちゃんを返してください」
 星美は俺の背中をギュッとにぎったあと、手前に出て言った。
「だめだ。おぬしはまあ分かる」
 と主と自らを呼んでいる少年が星美を指差した。
 てか、実際主なのであろう。
 その主の少年は俺に対して指をさした。
「おぬしだ。おぬしにとって、あの子はなんなんだ?」
 月美。俺にとっては月美は仲良い幼馴染の姉妹であるはず。
 俺はチラッと星美を見て答えに窮す。
「……幼馴染だ」
「ほう……」
 その答えを聞くと、主は道を開けた。
「月美よ、いっちょ二人に話してやれ」
 主はあごを動かす。
 すると、どこにも人が居なかったのに、階段にふっと月美が現れていた。
「はい」
 あの活発な月美が、落ち着いた姿で出てきた。
「月美」
 俺はかろうじて声を絞り出した。
 月美は俺に名前を呼ばれて小さく会釈した。
「では月美、待っておるぞ」
「はい。主さま」
 月美が頭を垂れると、主は一瞬で消えてしまった。
「月美お姉ちゃん!」
 星美が月美に抱き着いた。
「星美……陽太様、居間へ行きましょう」
「え? あ、ああ」
 ショックだった。「様」付けで呼ばれることがこんなにも寂しい気持ちになったのもショックだった。
 落ち着いたことは成長かもしれない。
 だけど、コレは明らかに距離を置こうとしているのが分かった。
 俺たちは居間に案内された。
「月美お姉ちゃん……」
 さらにショックだったのは、いつも隣に座ろうとした月美がテーブルを挟んだ向こう側に座ったことだった。
 いつも右横に座ったり座ろうとしたりした月美が、向こう側に居るのだ。
 痛感する。月美の存在の大きさに。
 もしこれが星美だった場合でも、同じような気持ちになるに違いない。
 月美はぎこちなく俺と星美を見回すと、
「あた……わたしは帰りません」
「月美お姉ちゃん!」
 月美は首を横に振った。
「お姉ちゃん」
 それでも首を横に振る月美を、星美は抱きしめた。
 妹の星美を抱きしめるのを堪えているのが見えた。
 月美の眼からは、必死に耐えているのが分かった。
「月美、いったいなにがあったんだよ!」
「なんにも、ないったら! ……星美、離れてください!」
 月美は星美を突き放して、俺たち二人と距離を取った。
「頼む、話してくれ」
 月美は口をつぐむ。そっぽを向いてしまった。
「さっさと二人ともかえってください」
「月美が居て、俺が居て、星美が居て」
「「陽太」さん」
 俺は声を振り絞るように、
「それが俺たちなんだ。なんでお前は独りで悩んでいるんだよ。話してくれよ……」
「……でもこうするしかなくて」
 月美の押し殺した声が聞こえてきた。
「月美」
 俺は夏祭りの楽しい日々を思い出していた。
 あの時は少しうっとおしいと思っていた。
 でもそれは、いつもそばに居る安心感から来る感覚だと分かった気がした。
 俺はその安心感を失いたくなくて、体が動いてしまう。
 気づきながらも、抱きしめることをやめることは出来なかった。
「はうう」
 月美は、あの時の俺のように手をあたふたさせた。
 でも、あの時の俺とは違って、背中に手を回してきた。
「……陽太さん」
 寂しそうな星美の声。
 もちろん、星美も同じことだ。
「星美、来てくれ」
「え?」
「星美も」
 星美もおずおずと俺の胸に飛び込んできた。
 俺はすかさず背中に手を回した。
「嬉しいです……」
「なあ月美、俺はお前をなんとかしたい。頼む、何があったんだ?」
 俺は二人を抱きしめる力を強めた。
「ううう。……話す! 話すわよ! だから離れて!」
 月美の一声は、いつもの言葉づかいに戻っていた。
 俺と星美は顔を見合わせて笑って離れる。
「なによ? あたしだって、星美の話し方ぐらい出来るわよ」
 ぷーっとむくれる月美。
「主が言ったのよ。誰かが一人残らなければ帰さないって」
「それで?」
「陽太が来るまでは迷ってた。でも、陽太と星美が一緒にいるところを見て、これで大丈夫かなって」
「俺たちはいつまでも一緒だ。お前だけ置いて帰れねえよ」
「ずっと一緒?」
「一緒だ」
「うう」
「絶対離さないからな」
 俺は月美と星美を順番に見た。
 ……あれ? 勢いのまま言ったが、これってまさに告白……。
「「私たちのことよろしくね」」
「あ、うん」
 間違ってはいないはずだ。
 これからも一緒……なんにも間違ってないはずだ。
 月美と星美は嬉しそうに見つめあっていた。
 ……二人のおばさんとおじさんに、なんて言おうか。
 帰れたらの話だが。
「あーーーーるじーーーーーーーーー」
 月美が屋敷内に響くような大きな声で叫んだ。すると、
「すでに聞いておるわい」
 庭へと続く障子が自動的に動いて開いた。
 主と呼ばれる少年が、庭を見ながら言った。
「主、俺たち三人は一緒だ。絶対離れ離れにならねえ」
 俺は勢いよく言った。
「私も、月美お姉ちゃんと離れたくありません」
「知っておる」
 主は足をぶらぶらさせながら、
「もう三人とも帰ってよい。現世への道は開いておる」
「主さま」
 聞く耳持たないというように、主はまったく振り返る様子を見せない。
 これ以上聞いても無駄なようだ。
「月美、星美」
 俺は帰ろうと二人を促そうとすると、
「待って。主はこれからどうするの?」
「そんなこと聞いてどうする?」
「また、誰かが来るのを待つの?」
「そうじゃ、次に代わる主をじっと待つんじゃ」
 主は振り向きもせず言った。
「陽太さん」
 星美は俺の袖を引っ張りながら言った。
 俺たちをここに閉じ込めたとはいえ、ご先祖様の一人を残すのはどうも心配らしかった。
 中身はすでに老成されているが、見た目は子供だ。
「ずっとここに残らないといけないの?」
「そうなのじゃ。わしがいないといけないのじゃ」
「迷い家」
「ん? なんじゃ小僧」
「この屋敷の名前は知ってるか?」
「迷い家とな? なんじゃそれは」
 やっぱり知らないみたいだ。それなら、
「主がいなくてもこの屋敷は大丈夫だ」
「な、なんだと? いったいどういう意味じゃ!」
 主は俺たち三人の方へ振り返り、突風で吹き飛ばしたときのように威圧感を見せた。
「待って、聞いてくれ。ここは迷い家、つまり」
 友人の話をかいつまんで話す。
「そんなはずはない。わしがいなければこの屋敷は……」
「ほんとうにそうなのか? 思い出してくれ。ほんとに自分でやったのか?」
 主は頭を抱えて座り込む。
「あるじ! あるじももしかしたら帰れるわよ!」
 月美も星美もなにが言いたいのか分かったらしい。
 主は立ち上がった。その雰囲気は晴れ晴れとしていて、
「思い出した。わしは、家出をしてずっと帰りたくなくて」
 今までの大人びた雰囲気が萎れていき、その奥にある幼い心が現れてきた。
「お父さん、お母さん!」
「今から帰ればなんとかなる! みんな、帰ろう!」
「おう!」
「はい!」
 俺たち四人は玄関にたどり着く。
 すると、周囲の景色は一変して真っ暗になった。
 あるのは二つの水にぬれた道。
 俺は見た瞬間直観で分かった。
 俺たちは左で、主は右だ。
 俺たち四人は互いにアイコンタクトをする。
「主、親と仲良くしろよ!」
「主さま、ご先祖様。会えてよかったです」
「あーーーるじーーー、元気でねえええ」
 俺たち四人は分かれ道に差し掛かる。
「じゃあな。陽太とやら、ちゃんと子孫二人を幸せにするんだぞ。あばよ!」
 少年は左の道を駆けて消えて行った。
「ああ、任せろ!」
 俺たち三人は、左の道を進んでいく。
 その奥には、白いまばゆい光に包まれた穴があった。
「あれだ!」
「「うん!」」
 そして俺たちは、白い穴に顔をつっこんだ。

 エピローグ

「ぶぼぼぼぼぼ……ぶはあ!」
「きゃあ」
「ん」
 えっとここは……神社の境内だ。
 そしてここは手水舎だった。
 どうやら俺たち三人は白い穴を通り抜けて手水舎の水に顔を突っ込んでいたらしい。
 俺たち三人は顔を水で濡らしていた。
「つっめたーい」
「どういう脱出方法なんでしょう」
 二人とも不満を覗かせる。
 俺も愚痴ろうとしたところで、それに気づいた。
「はっ、柄杓か」
「「え?」」
 言っても分からないだろうなあ。
「いや、なんでもない」
「え、なによ! 教えてよ」
「あ~」
 星美もちょっと納得したようだ。
「二人ともずるいわよ! 隠し事なんて」
 月美が俺を前後に揺らした。
「分かった分かった。ちゃんと話す」
 懇切丁寧に話そうと、
 ――カラン
 したところで人の気配に気づいた。
 俺たち三人は音のした方へ振り替える。
 神社でずっと巫女をやっているおばさんが立っていた。
 おばさんは俺たち三人を見て驚いたようで、箒を取り落していた。
「あなたーーーー!」
 おばさんは社務所に戻っていく。たぶんみんなを呼んできてくれるらしい。
「あ~あ、戻ってきたのね」
「おばさん、元気そうですね」
「良かった。戻ってこれて」
 俺たち三人は安堵した。
「ねえ陽太、あとで詳しく話してよ」
「分かってるよ」
「ふふ、月美お姉ちゃん可愛いです」
「なによもう……ねえ星美」
 月美はなにかを思いついたらしい。
 星美もそれが通じ合ったようで、互いに頷く。
 すると、二人は俺の腕を取り合った。左手は星美、右手は月美だ。
「「せーの」」
「!?」
 それは、柔らかい感触だった。
 両頬に二人の唇が吸い付く。
 俺がしばらく硬直しているとふたりは唇を離して、
「これからも一緒。約束よね!」
「陽太さん、末永くお願いします」
 結局戻ってこれたんだったあああああああああ。
 月美と星美のおばさん、おじさん……。
 俺はいったいどうすれば……。
 答えはもう決まってるが。
「「よろしくね」」
「ああ、絶対離さない」
 俺は二人を抱える。
「おーーーーーーーーい」
 神社が騒がしくなってきた。
 俺のお母さんや、月美と星美の両親の声も聞こえてくる。
 俺は、あとでどう説明するか悩みながら、それでも月美と星美を絶対離すまいと両手に力を込めていた。
「「大好き」です」                      (END)

『月美と星美』

「迷い家」を題材に書いてみました。
かなり執筆時間がかかりましたが、個人的にはかなり成長できたような感じで嬉しいです。
もしそれが、読んでくれた人が楽しんでくれたならなおさら嬉しいのですが、どうでしょうか?
楽しんでれたらすごく嬉しいです。

双子で浴衣はいつか書いてみたかったから書けて嬉しいです。
浴衣ってすごく良いですね。

そろそろ世界観に注力したいと思います。

ではでは、次作はバトル有りです。

『月美と星美』

祭りの日以来、幼馴染の月美と星美が行方不明になったことを知った陽太は、最後に出会った神社に行ってみた。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-17

CC BY
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