「儒魂」

          (1)

 古(いにしえ)より大阪は朝鮮半島の国との交流があり、市内には

「百済」(くだら)という地名も残っているほどで、今も「在日」の

人々が多く暮らしている。近鉄大阪線の鶴橋駅を降りると辺りは韓

国料理店などが軒を連ねる「コリアタウン」が拡がり、「ここは日

本か?」と訝しく思いながら商店街を抜けると「疎開道路」と呼ば

れる通りを隔てた一角に、かつては「大日本印刷」と一際大きく書

かれた社名の看板がビルの屋上に掲げられていて、「ここは日本だ

!」と訴えていたが、今ではそこもパチンコ屋になってしまった。

もともと鶴橋駅界隈は、戦後海のない大和地方の商人が鮮魚を求め

て近鉄電車に乗って大阪へ買い出しに来たことから闇市の魚市場が

生まれ活況を呈した。そしてその傍らには朝鮮市場もあった。子ど

ものころは馴染みのない香辛料の鼻をつく臭いに辟易したが、不思

議なもので韓流ブームでにわかに朝鮮文化が脚光を浴び始めると、

その臭いにも慣れてしまい気にならなくなった。その後、自家用車

が一般化して道路を走ってどこへでも行けるようになると、商人た

ちは重い籠を背負って電車を乗り降りする必要もなくなり、更にそ

の市場でなければならない理由もなくなり、魚市場は次第に廃れて

いった。それとは対照的に「コリアタウン」は韓流ブームを追うマ

スコミに頻繁に取り上げられて、今では全国に知れ渡る観光スポッ

トとして人気を集めている。

 おれの家は、その「コリアタウン」から人通りが寂しくなる方ば

かりを歩いて10分ほどのところにあった。中学を卒業するまでは

北部の市外で暮らしていたが、いわゆる「家庭の事情」というやつ

で仕方なくここへ越してきた。高一の終わりだった。それまでは両

親と兄の四人家族だったが、兄は引越す前に東京の大学に行き、親

父は訳あって居なくなり、最後はおれと母の二人暮らしになってし

まった。親父は北部の新興都市で不動産業を営んでいたが、あの不

動産バブルの崩壊とともに泡のように消えてしまった。バブル期は

10人余りの社員を雇って寝る間も惜しんで働いていたが、それは

仕事熱心からと言うよりも金儲けに熱心だっただけだった。よく親

父は、ハンコを押すだけで大金が転がり込んでくるので、そのハン

コを「打出の小槌」だと言って自慢していたが、バブル崩壊の警鐘

が鳴り始めるとたちまち懐に仕舞い込んだ大金は泡と消え、自慢の

ハンコは負債を生むただのハンコになってしまった。さっそく返済

が滞り、やがて自宅にまで督促の電話が掛ってくるようになり、日

を追うごとに頻繁になり、ついには脅迫的になって、親父は家に戻

って来なくなって姿を消した。残された母は気丈に振舞い負わなけ

ればならない残務を熟して、最後には差押えられた自宅と家財を処

分するついでに親父との関係も躊躇うことなく処分した。そして、

躊躇いながら夜の仕事に就いた。

 一夜にして変わってしまった生活は、まるで空を飛んでいる鳥が

突然魔法をかけられて魚に変えられ、胸ビレを羽ばたかせながら堕

ちていくようなものだった。運よく水面に落ちて命だけは残ったが

、水の中の暮らしは息が吐けなかった。学校から帰ると、母はクラ

ブ「ラグーン」へ餌を獲りに出た後で、水槽のような部屋には誰も

居なかった。朝になって眼を覚ますと、前の家から持ち込んだ唯一

のソファに窮屈な格好で横たわった母が、たぶん空を飛んでいる夢

でも見ているのだろう、小鳥の囀りのような鼻いびきをかいて酒臭

い息を吐いて寝ていた。

 母は初婚だったが、親父は再婚だった。のちに経緯を知る者から

聞いたところによると、親父は母と一緒になるにあたって前妻との

間に一悶着あって、たぶん浮気だと思うが、結局前妻は子どもを置

いて出て行き、親父は下の根の乾かぬうちに、母をまるで辞めてい

った従業員の欠員を埋めるように採用した。5コ上の兄の人見知り

の性格はおそらくそんな生い立ちと無縁ではないのかもしれない。

しかし、一緒に暮していればそんなことなどまったく気にならなか

ったし、それどころかおれとの間にはまったくわだかまりはなかっ

た。隠し事のない普通の家族だと思っていたが、兄は思春期を迎え

る頃から家族の者に対して急にヨソヨソしくなった。そして、いよ

いよ大学受験が迫ってくると東京の大学を受験したいと言い出した

。母は、家から通える関西の学校にするように説得したが、どうや

ら兄は進学そのものよりも家を出ることを望んでいた。合格が決ま

って家を出る時、兄は母に何とも他人行儀なあいさつをして出て行

った。

「これまで育てていただいてありがとうございました」

人間というのは傍から見れば取るに足りないことに拘って、それが

人生の岐路で重大な決断を左右する契機になることだってあるのだ

。その後、たまたま家の電話に出たら兄からで、互いに近況を話す

ことはあったが、会うことはなかった。

 親父は、いわゆる「団塊の世代」で、隣県の高校を卒業して大阪

の会社に就職したが、あからさまな学歴差別に嫌気がさしてすぐに

辞めてしまった。そして、職を転々としている時に友人に誘われて

建設業を手伝うと折しも建設ブームが始まった。人夫さえ集められ

ればいくらでも仕事のある時代で、友人の援助を得て人夫の請負会

社を起こした。高度経済成長の波に乗って業績は右肩上がりに伸び

、更に業務を拡げるために資材置き場として使うために買い取った

空地のすぐ近くに大学病院が移転して来る予定であることが分かっ

た。ひそかに買収されることを期待していたが区画から外れてガッ

カリしているところへ、薬局チェーン店の経営者という人物が現れ

て、その土地をぜひ譲ってくれと言うので、断るつもりで吹っ掛け

ると相手はあっさり応諾した。それは親父が寝る間も惜しんで稼い

だ年収の何倍もの金額だった。味を占めた親父は、さっそくその金

を元手にして近くの値上がりしそうな土地を買い不動産にも手を染

めると今度は不動産バブルが起こり、見様見真似の取引きでも利益

を上乗せして売ることが出来た。こんな楽に儲かるならと、一癖も

二癖もある人夫相手の請負業なんぞやめて不動産業だけでやって行

こうと決めた。おれは親父の機嫌がいい時に何度もこの自慢話を聞

かされた。しかし、実際は上手くいったのは始めの頃だけで、土地

が金になることよりも、金が土地を買うために使われることの方が

はるかに多かった。それでも親父は土地は値上がりする資産である

ことを信じて疑わなかった。他人は親父の成功を羨んだが、実は何

一つ手にしてはいなかった。つまり、何もかもが「途中」だった。

親父は仕事に明け暮れてほとんど家に居なかったし、母はそんな親

父を忘れることで繋がっていたし、兄とおれは親父の学歴コンプレ

ックスを晴らすために有名大学への進学を託されて毎晩学習塾に通

い満足に家族そろって団欒を囲むことさえなかった。たまに親父が

帰って来た時にはすぐに学校の成績を確かめて、悪いと怒鳴り散ら

した。親父はキレると自制心を失った。いつだったか、しばらく出

張で留守にするというので羽根を伸ばして遊び呆けていると成績が

落ちて、帰ってきた親父が激怒して振り下ろした拳がおれの耳に当

たって鼓膜が破れたことがあった。それでもおれは決して親父を恨

んだりはしなかった。それどころか、勉強をサボって遊んでばかり

いた自分が悪いと反省した。親父の学歴社会での辛い体験談は説得

力があったし、それに学校はもちろん世間さえも勉強のできる子に

は一目置いてくれることが分かっていた。やがて親父の鉄拳制裁に

も慣れて、自分の中ではそれは想定内の出来ごととして堪えるほか

なかった。そうは言っても親父の顔色を窺いながら暮らすのは決し

て楽しいことではなかった。今はただ受験競争を勝ち抜くまでの「

途中」なんだと自分に言い聞かせた。思い出すと今でもその時の緊

張が蘇ってきて独りの時に突然大声で叫ぶことさえある。家族の誰

もがそれぞれの「途中」を耐えながら歩いていた。

                        

          (2)

 親父が鉄拳を振るった甲斐があってか、おれはなんとか志望校の

門を潜ることができた。親父は「よくやった」と言ってくれたが、

「これは大学進学のための途中でしかない」と言い、「これからが

本当の競争だ」と励ました。おれは、高校は大学進学のための「途

中」であり、大学進学は一流企業に就職するための「途中」で、一

流企業で働くことが恵まれた出会いによって幸せな結婚生活が始ま

り子を産み育て、それらは豊かな老後を送るための「途中」だとす

れば、そして老後とは死ぬための「途中」ならば、結局おれの人生

はすべて「途中」で終わってしまうのだと思うと嫌になった。

 合格の喜びに耽る間もなくすでに次のレースは始まっていた。入

学式のあとそれぞれの教室に別れて担当教師を待っていると、隣の

生徒が話し掛けてきて、すでに一学年の授業は全て予習してしまっ

た、と言うので、「ほんだら遊べるね」と返すと、

「あほっ、入試に専念するためやないか」

と、たぶん彼はおれのように三年間も学校に通うつもりはないのか

もしれない。出遅れたという思いはすぐに焦りとなって現れた。そ

の焦りに追い打ちをかけるように授業に着いていけなかった。とく

に国語がツマらなかった。中年の女教師は依怙贔屓がひどく、おれ

は残念ながら依怙にも贔屓にもされなかった。彼女は、新しい課程

に入るたびに席順に教科書を読み継いでいく「よみとり」というも

のを始めた。読み誤ったり躓いたりするとそこで読むのを止めて次

の者が後を引き継いで読んでいく。何でも彼女がお気に入りだった

中勘助という作家が書いた「銀の匙」という小説に出てくるらしい

。実は、おれは親父の「狂育」の所為だと思っているが、そのころ

吃音(どもり)がひどかった。だから最初の授業で「よみとり」の説

明を聞いた時には絶望的な気分になった。そしてその日の授業でさ

っそく順番が回ってきた。極度の緊張の中で一行目を読んだだけで

吃ってしまい、つまりそれまでだったが体裁を取り繕うとしてもう

一度始めから読み直したのが間違いだった。今度は始めから吃って

しまいついには意地になって読み返していると行かず後家の中年教

師が、

「なにを真っ赤な顔してキッキキッキ言うてるの」

と抜かしやがった。するとクラスのみんなが一斉に笑った。おれは

恥ずかしさが憤りに変わって、もしもその日で世界が終るとすれば

、あの女教師の鼻面を親父顔負けの怒りの鉄拳でボコボコニしてや

りたかった。それから、もう「よみとり」のある日の授業だけは欠

席した。ちっ、ちっ、ちっ、ちくしょう!いつか「声に出さなくた

って読みたい日本語」を書いてやる。

          (3)

 ちょうどその頃、流行っていた尾崎豊の歌が頭から離れず、いつ

しか口ずさんでいると歌を唄う時だけは吃らないことが判って、す

ぐにギターを買ってきて彼の歌を唄うようになった。その歌は社会

の束縛に抗って、飼い馴らされた大人になることを拒みつづけた若

者の大人社会に対する苛立ちに満ちていた。26才という若さで逝

ってしまったがその死を聞いた時も驚いたりはしなかった。なぜな

ら彼は「卒業」の曲の中で実際に「この世界からの卒業」と唄って

いたからだ。彼は退屈なこの世界に耐えられなかった。それは、楽

しみにしていたお祭りに行った子どもが、気に入った露店が見つか

らないまま参道を抜けて真っ暗な裏道に出た時の落胆のようなもの

かもしれない。ただ、生きるということが死との闘いであるとすれ

ば、彼は惜しまずに生きたと言えるのではないだろうか。おれは、

彼の歌によって見失っていた自分自身を見つめ直すことができた。

 中学ではそれなりに一目置かれていた自分も、進学高の教室では

文字通りクラスが違った。授業でさえ付いて行くことさえ出来ずに

一学期の成績は散々だった。すぐ親父の怒り狂った顔が脳裏に過っ

たが、もう黙って従うつもりはなかった。おれには尾崎豊がいた。

ところが、その親父は夏休みになってもまったく家に戻って来なか

った。そして、親父の所在を尋ねる電話が真夜中であろうと憚るこ

となく掛ってきて、ついに母はキレて電話の接続コードを切ってし

まった。テレビでは連日のように銀行の不良債権問題などの経済ニ

ュースが報じられ、それは取りも直さず親父が見を置く業界がきび

しい状況にあることを物語っていた。だからといっておれにはどう

することもできなかった。夏休みも終わりに近づいた頃、みんなが

寝静まった深夜に、突然身を忍ばせるようにして親父が帰ってきた

ことがあった。そして二階のおれの部屋のドアを少しだけ開けて小

さな声でおれの名前を二度ほど呼んだ。おれは成績のことをとやか

く言われたくなかったので寝たふりをしているとあきらめてドアを

閉めた。それが親父との最後だった。朝になって恐る恐るダイニン

グに降りると、キッチンにいた母が、

「おとうさん、居はらへんよ」

フライパンの端で殻を割って中身をその中へ落としながら母が言っ

た。ジュ―ッと音を立てて玉子が焦げる匂いが漂った。

「おとうさんの会社な、潰れたんやて」

母は親父の会社が潰れたことよりも、目玉焼きの黄身が潰れたこと

の方を気にして「あっ」と叫んだ。朝の日射しが新築したばかりの

キッチンの磨りガラスで弱められ、ぼんやりとした明かりがダイニ

ングテーブルの足元まで届いて無機質な床を際立たせていた。沈黙

の中でトースターが「チン!」と鳴った。テーブルの上に出された

目玉焼きは「サニーサイドアップ」と名前を変えた。まるでビニー

ルのようなそれを口に運びながら、何もかもが「途中」のまま終わ

ってしまったと思った。それでも気分は明るかった。もう親父に縛

られずに暮らしていけると思うと解放感さえ覚えた。それは「途中

」にはない「結果」がもたらす明るさだった。

 母は、兄が卒業するまではどうしても仕送りを続けなければなら

ないので、おれに二学期が始まる前に学費のかからない公立高校へ

転校してくれないかと頼んだ。兄が卒業さえすれば就職して自活す

るようになるので、そうなれば次におれの進学の学費を賄うことが

できると説明した。おれは母の提案をあっさり受け入れた。勉強に

着いて行けないので学校を代われと言われたら反発も生まれるが、

学費が払えないからと言われたら何の恨みも残らなかった。責任は

自分の能力の所為ではなく家庭の所為に転化することができた。た

だ、兄は卒業しても就職氷河期のために就職が決まらずフリーター

のような仕事を続けている。

 転居と同時に転校の手続きをすませた。親父が居なくなって、そ

れまでおれを縛りつけていた禁忌が意味を失い、それまで封印して

いた本能が蠢きはじめ、もうこれからは自分の意志だけに従って生

きていこうと思った。

          (4)

 新しい学校は引越してきた「水槽」からコリアタウンを挟んで反

対側にあった。「在日」の生徒も多く居たが、話に聞いていたよう

な生徒同士のいがみ合いはなかった。受験競争からとりあえず解放

されたおれは、すぐに軽音楽部に入った。それは、母が出勤した後

の水槽で夜中に独りでギターを弾いていると、隣の水槽で寝ていた

タコから文句を言われたからだ。仕方なくギターを弾く場所を探し

ていたら軽音楽部の入部案内が目に止まり、さっそく入部すること

にした。放課後は音楽室が自由に使え、それぞれ気の合う者同士が

ユニットを組むことはあっても、全員がそろって活動することはな

かった。部員は20人余り居たがそんな理由で出てくる者はその日

によってまちまちだった。部長の男は在日だった。彼は本名を名乗

っていたので疑いようがなかった。2年生だったが歳はおれより2

コ上だった。留年したらしい。一年生の部員の男子生徒が教えてく

れた。さらに、彼の父親はなんでも市内に数軒のパチンコ屋と、コ

リアタウンには焼肉屋まで経営しているらしい。それもその男子生

徒が教えてくれた。しかし、新学期が始まって1週間以上経っても

部長は部活に顔を出さなかった。彼が留年した理由が何となくわか

った。つまり彼はあまり学校が好きではなかったのだ。ある日、お

れはすでに部活のみんなと顔見知りになって、片隅でギターを弾い

ていると、真っ黒に日焼けした見知らぬ男が背中越しに譜面を覗き

込んで、

「尾崎豊か?」

と言った。ギターを止めて振り返ると、

「部長のアンや、よろしく」

たぶん夏休みの間日陰を避けて暮らしていたに違いない彼は、おれ

より2コ上だったが精悍な顔つきからもっと年上に見えた。そして

男子高生特有の成長期のブタのような臭いがしなかった。おれはす

ぐに女を知ってると思った。思春期の高校生にとって最大の関心は

女のことしかなかった。交際禁止の進学校から転校することになっ

た時に、真っ先に頭に浮かんだことは女とヤルことだった。

「あっ!ふっ、ふっ古木です。はっ初めまして」

「ごめん、邪魔したな」

「いえ、そんなことありません」

「あのー、ここは自由にしてええからな」

「はい」

「ただ一つだけ決まりがある」

「えっ?」

「ここでは敬語を使うな」

「はい」

「ええか、年上やとか年下やとか関係ない、自由や。俺はアンちゃ

んって呼ばれてるけど、別に呼び捨てでもでもかまへん。決まりち

ゅうのはそれだけや」

「はっ、はい」

どうやら「自由」というのは彼の口癖のようだった。それにしても

上下関係にうるさく礼儀に厳しい民族の血を受け継いだ彼が、敬語

を使うな、と言うとは思わなかったので、すぐにはその真意が解ら

なかった。たとえば、タメグチでしゃべって後から思いもよらない

反感を買う破目にならないか、そんなことを考えていたら、

「アンちゃん、ちょっと」

と、例の男子生徒が彼を呼んだ。彼は、

「それじゃあ」

と言って、掌を差し出して握手を求めた。そして、

「自由にしいや」

そう言い残して向こうへ行った。おれは、先輩後輩の序列を無視し

て彼を呼び捨てにすることに躊躇いながら、それでも「アンさん」

と呼ぶのも、少しでも関西で暮らしたことのある人なら分かると思

うが、どうしても「何言うてはりまんねん」と言たくなる。ところ

が、「アンちゃん」という呼び方には「兄ちゃん」という意味があ

って、年上の彼をそう呼ぶことに違和感がなかった。おれは彼を「

アンちゃん」と呼ぶことに決めた。それにしても、人の呼び方ひと

つにしても序列を意識しなければならないことが鬱陶しくてやり切

れなかった。それは、まるで弱い犬が強い犬の前で腹を見せて腹従

を表わすかのように、敬語や礼儀という道徳は専ら序列の下の者だ

けに求められる。それは自分が親父の前では何一つ逆らえなかった

ことを思い出させた。しかし、上下関係を意識した敬語による会話

から自由な意見が語られるはずがない。われわれの会話は意見を交

わすためにするのではなくて、ただ上下関係を確かめているだけで

はないか。もしも、敬語や礼儀が道徳であるなら上下関係に拘らず

誰もが等しく従うべきではないか。ところが、それらは専ら立場の

弱い者だけに強いられる。たぶんアンちゃんは、敬語や礼儀に億面

もなく従う者の胡散臭さを敏く感じ取っているのかもしれない。

 アンちゃんは、コリアタウンがある繁華街の一角に建つマンショ

ンの部屋に一人で暮らしていた。もちろんそれは親から援助されて

いたからで、彼が「自由」で居られるのも親のお陰に違いなかった

「遊びに来(け)えへんか?」

しばらくして、ある日、部活を終えてアンちゃんと話しながら校門

まで来た時、彼はおれを自分の部屋に誘ってくれた。水槽に帰って

も独りっきりだったので断る理由はなかった。玄関がオートロック

の5階建てでまだ新しいマンションだった。5階の5部屋あるフロ

アの一番奥の部屋だった。あとで分かったことだが、そのマンショ

ンもアンちゃんの父親が経営する会社のものだった。部屋に入ると

奥のサッシ戸まで見通せる仕切りを取っ払ったフローリング張りの

広い部屋だった。そして片方の壁一面にはLPレコードやそのころ

広まり始めたばかりのCDがズラ―ッと並べられていた。アンちゃ

んはおれをソファに座らせて、冷蔵庫から缶ビールを2本持って来

てテーブルの上に置いた。そして、CDにリメイクされたばかりの

ボブ・ディランやビートルズなどの音楽を聴かせてくれた。それま

で受験の邪魔になると敢えて耳を塞いでいた自分にとって衝撃的な

カルチャーショックだった。彼らの歌に織り込まれたメッセージは

、これからどう生きて行けばいいのか悩んでいた自分に一つの啓示

を与えてくれた。それは、

「自分自身であれ」

          (5)

 夏休みに入って早々、おれはアンちゃんに連れられて大阪城公園

でデビューすることになった。始めは恐る々々だったが、徐々に抑

圧してきた様々な感情が音楽という出口を見つけて一機に噴き出し、

熱い思いは無為を憩う人々にも伝わって、日に々々聴衆も増えてい

った。

「ギター上手(うま)なったな」

アンちゃんも上達を認めてくれた。そして何よりも歌うことから自

信が生まれて日常会話も殆んど吃らなくなった。やがて常連のファ

ンが出来て、硬く誓った夢もあっさりと成し遂げた。

 ライブの後、アンちゃんの部屋にファンの娘らを呼んで和みながら、

その時初めて酒を飲まされてすぐに朦朧(もうろう)となって意識を

失い、気が付けばおれの愛馬に見知らぬ女が跨(またが)って腰

を揺すっていた。

「あっ、あんた、誰?」

「あんたのファン」

そう言ってくちづけをしてきた。すでにおれは愛馬の手綱(たづな)

すら操れず馬なりに任せるしか術がなかった。何度も言うようだが、

この例えからおれが馬並みだと決して勘違いしないでもらいたい。

そして今度は酔いとは違う別の快感から再び意識が虚ろになって

果てた。

「せやかて寝てんのに立ってんねんもん」

萎えた愛馬を撫でながら見知らぬ女はそう言った。

 後になって、それはアンちゃんが仕組んだ事と判った。以前、一

緒にНビデオを見ている時、おれは、自分の鳩小屋では見れない

大型画面に映し出される官能の場面を、アンちゃんの呼び掛けに

耳も貸さず鼻血を垂らさんばかりに喰らい着いて見ていたらしい。

ただ、鼻血は出さなかったけど。

「どうやった?あの女、やさしいしてくれたか?」

「えっ!なんで知ってんの?」

「アホっ!俺のベッドやぞ」

「酔うて何も覚えてへん」

「なんて言いよった?あいつ」

「おれのファンや言うてた」

「確か、俺にもそう言うたわ」

彼女はアンちゃんの使いさしやった。それでも彼女とは馬が合う

と言うのか、例えがちょっと違う?つまり、反りが合うというのか、

これもおかしい?要するに何度かおれの愛馬の調教をして頂い

た。彼女はおれの右腕にはなれなかったが、右手の代わりには

なった。

 その夏に、おれは酒も知りタバコも知り、今では許されないが怪

しいタバコも知り、そして調教も万端に整って、やがて大人達が競

い合う本馬場へ放たれようとしていた。

 まもなく夏休みが終わろうとする頃、彼の部屋で二人で寛ぎながら、

「アンちゃん、卒業したらどうすんの?」

彼は長男で、パチンコ屋の跡を継ぐ為に親から強く進学を勧められ

ていたが、ただ、この夏休みも受験勉強などしたことがなかった。

「どうしようか」

「跡継がなあかんねんやろ」

「アホっ!パチンコ屋だけは絶対しとうない言うてるやろ」

「何で?」

「何でかな?とにかく厭や」

「ほんだら何するの?」

彼は少し間を空けてから、

「卒業したらアメリカへ行こと思ってる」

それは何も驚くことでもなかった。彼は普段からその夢を語ってた。

そして親は必ず反対するからと親の援助を当てにせず、路上ライブ

で稼いだ金を少しずつ貯めていた。だから彼が歌う曲は洋曲ばかり

だった。

「アメリカで金に困ったら歌で稼がんとあかんやろ」

彼の「自由に」の口癖はアメリカへの憧れからやった。

 管理された受験競争から早々と脱落してしまった不安を、夏休み

にアンちゃんと「自由に」過した日々が忘れさせてくれた。それは

この道しかないと教え込まれた者が、その道を見失って途方に暮れ

て道遠し時、笑いながら現れた救い主に別の道もあることを教えら

れた思いやった。もちろん「自由に」生きれるほど呑気な社会では

ないが、だからといって受験、就職、出世と何れも競争と呼ばれる

仕組まれたレースを競うことが不安のない生き方だとも言えない。

教え込まれた生き方がそれに耐えて従う辛苦に報いるだけの生きる

歓びを齎(もたら)してくれるんやろうか。不安は消えてなかった、

しかし不安に張り合うだけの自信が生まれた。その自信とは、他人

に委ねた評価から得る自信ではなく、自分の生きる力から生まれて

くる自信やった。つまり、集団から取り残されて全てが自分の判断に

委ねられた大きな不安こそが自信の源だった。

          (6)

 二学期になると三年生は進路準備の為、クラブ活動から身を引く。

次は二年生が中心になって回って行くことになる。新しい部長は恒例

で辞めていく部長が指名することになっていた。アンちゃんはおれを

指名しようとしたが、おれは頑(かたく)なに拒んだ。

「もうそういうのん止めへん」

「どういうことや?」

「辞めていく者が口を挟むの」

「アホっ!俺は何も口を挟もうなんか思とらんわい」

「そら知ってる。ただ、そういう古いきまりを尽(ことごと)く

潰していってくれへん、アンちゃんが」

「ほぉう、なるほど」

「部員が新しい部長を『自由に』選べるように」

「そらそうやな」

 始業式が終わって三年生を送る会が催された。三年生が前に出て

順に別れの言葉を述べ、最後に南さんとアンちゃんが引き受けた。

そしていよいよ次の部長の名前を呼ぶ段になってアンちゃんは、

「本来ならここで次の部長を指名するねんけど、居なくなる者が残

った者につまらんチョッカイするのもおかしな話しなんで、君たちの

リーダーは君らが自由に決めるべきや、自由に」

言い終ると一瞬音楽室は静まり返ったが、おれが拍手をすると徐々

に拍手の波が広がった。椅子に腰を下ろしていた顧問の先生は慌て

て立ち上がって、

「みんな!ほんとにそれでいいの?」

すると全員が大きな拍手を返した。その後、顧問の先生が仕切って、

後日投票による部長選びが決まった。最後にみんなで一緒に校歌を

歌って終わった。

 新しい部長にはピアノの女生徒が選ばれ、彼女はおれを副部長に

指名した。おれは快(こころよ)く引き受けた。

 アンちゃんと雖(いえど)も、例えアメリカへ行くにしても、ア

メリカ村で金髪ギャルをナンパするような訳にはいかなかった。

「ヤバイっ!ちょっと英語勉強するわ」

そう言って英会話の教室に通い始めた。おれはあの眩しかった夏

の余韻から抜け出せないまま深まる秋をやり過ごした。しかし、

夏の陽を浴びて青々と繁っていた木々の葉が、少しずつセピア色

の枯葉に変わって一枚一枚落ちていく様に、夏の日の情景も一枚

一枚記憶から失われて、気が付けば残す月がなかった。

 三年生が抜けた後の部活は、収まりの良くない脱水機のように

ギクシャクして思うように回らなかったが、年末が近づくと音楽

をするものは何かと忙しくなって、収まりの悪いまま勢いよく回

り始めた。しばらくアンちゃんとは会えなかったが、おれは遊び

すぎて再び留年の危機を迎えてしまった、彼は親との話し合いの

結果、アメリカの学校へ留学することで承諾を得た。クリスマス

には彼の部屋に集うことが決まっていた。

「おいッ、彼女連れて来いよ!ベッド貸すから」

 下校の途中、用も無くよく遠回りしてコリアタウンに足を運ん

だ。それは明かりの灯らない鳩小屋へ一人戻りたくなかったから。

街はイルミネーションが灯り年末を控えて賑やかだったが、金融

危機の影響から華やかさが鳴りを潜め、いつもの年末とは違って

いた。

 雨は夜更け過ぎになっても雨のままやった。お呼びの掛かったパ

ーティー会場を梯子して2,3曲歌って、それからアンちゃんの部

屋に辿り着いたのは夜更け過ぎやった。十名余りの男女がアンちゃ

んの歌を聴いていた。アンちゃんはその歌を途中で止めて、

「遅っそいの―、来(く)んのん。おいッ!お前、彼女は?」

「無理!無理!」

「何じゃ!情けない奴っちゃな」

「許してチョンマゲ!」

「よしッ!ほんだら今から外でナンパして来いッ!」

部屋の隅にはシャンパンの空瓶が何本も転がっていた。

「アンさん!何言うてはりまんねん、外は雨で猫も歩いてへんわ。

トナカイもソリが重たい言うて難儀しとったで、滑らんわ―言うて」

「あれなっ!一回止まったら次なかなか動かへんねんって、もう

ええわ、アホっ!」「判った!ほんだら、もうこの中から好きな

女選べ、俺からのクリスマスプレゼントや」

大概はアンちゃんの「使いさし」やった。アンちゃんの独演会は

さらにノッテきた。

「よしッ、みんな目をつぶれ!ええか、今晩こいつと寝てもええ

奴、ゆっくり手を挙げろ!」

「誰や!手あげてる男!」

「おいッ!皆かいっ」

「ほんだら今度、俺と寝たい奴、手を挙げろ!」

「ワッ!誰も居れへんの、何で?」

「俺、大きな勘違いしてたわ。みんなお前来(く)んの待ってたんやわ」

「あの―、ものは相談やけど、誰でもええから一人貸してくれへん?」

そこでおれが、

「アカン!お前はおもて行ってトナカイでもナンパしとれ!」

「そらアカンは、あんた、サンタさんが怒るもん」

「そないサンタクロースいうのはウルサイんか?」

「そらぁ、あんた!相手がサンタクロースだけに説得するのに、

さんざん苦労する」

おれとアンちゃんは一緒に頭を下げて、

「失礼しました!」

皆は大きな拍手で迎えてくれた。そして、

「メリークリスマス!」

みんなが、

「メリークリスマス!」

 パーティは盛り上がって明け方まで続いた。

          (7)

 新年がいい年になりますようにと、バブル経済の破綻による将来

への不安から誰もが一際(ひときわ)強い想いで初日の出に祈ったが、

そんなことを知ってか知らずか去年の昨日と同じ朝日は、家々が犇

(ひし)めき合う屋根の端から、排気ガスが消えた都市の澄みきった

青空に鮮血のような朱色を滲ませた。

 冬休みが終わると、おれは追試が待っていたので、新年早々、早

くこの年が終わってくれないかと願いながら、三ヶ日を鳩小屋にこ

もって勉強していた。二人で大空を自由に翔んだアンちゃんとはあ

のクリスマス・イブ以来会えなかった。いや、実は、もう二度と会

えなくなってしまった。

 三ヶ日が終わっていたる所の機械のスイッチがオンに切り替わっ

た日の朝、缶コーヒーを取りに台所へ行くと、母がソファに体を預

けて夢を見てる横で、家庭の空気を読めないテレビが現(うつつ)を

伝えていた。ニュースは新年の東京の街の様子を中継して、その後、

今年の景気はどうなるかと専門家に聞いていた。おれは母の向かい

に腰を下ろして缶コーヒーの蓋を開けた。コーヒーを飲んでぼーっ

とテレビを見ていたので、今年がどんな年になるのか聞き逃したが、

聞いたからと言って何の役にも立たなかった。そんなものは週が変

われば誰も忘れてしまうだろ。テレビは社会の非日常を伝える為に

在る。その為に普段は退屈な日常を伝えているのだ。ニュースは大

阪で起きた殺人事件に切り替わった。今や殺人でさえ日常なのだ。

 ところが、

「府下に六店の遊技施設を経営する囗山囗雄さん72歳が自宅の居

間で血を流して死んでいるのを帰宅した家族が見つけ、警察に通報

しました。警察は殺人事件として犯人を捜しています」

アンちゃんの実家だった。殺されたのはアンちゃんのおじいさんに

間違いない。さらに、

「なお、被害者の孫に当たる高校生、安囗囗19才が一人で暮らす

マンションで首を吊って自殺しているのが警察の調べで分かりまし

た。警察では関連を含めて捜査しています。」「次のニュースです

・・・」

 「あっ!アンちゃんだ!」

 いったい何が起こったのか全く解からなかった。すぐに電話を掛

けたがやっぱり繋がらなかった。学校に掛けてもダメだった。バタ

バタしていると母が目を覚ました。

「何があったの?」

「うん、ちょっと出てくる」

おれはチャリを漕いで正月気分が残る街を抜け、ひたすらアンちゃ

んのマンションを目差した。しかし、マンションのある通りは通行

規制のテープが引かれ警官が立ってた。それを見て愕然としたが、

アンちゃんの名前を言って確かめても警官は何も答えなかった。

仕方なく遠くで眺めてるオバちゃんに聞くと、アンちゃんに間違い

なかった。居た堪れなくなってすぐにチャリを押してそこを離れた。

「いったい何があったんや」

何度も呟きながら何処へ行くとも無くチャリを漕いだ。気が付くと

大阪城公園に着いていた。知った者に会いたくなかったので馴染み

の城天(しろてん)には行かず、アンちゃんと一緒にライブやった場

所を遠くから眺めていた。正月休みやからか多くのミュージシャン

が人々の心に愛を訴えかけていた。

 ただ、どの歌もおれの耳には届かなかった。愛という言葉に虫唾

(むしず)が走った。

 留年は確定的だった。全く勉強する気にならなかった。ベットに

仰向けになってアンちゃんのライブ録音を何度も聴いていた。

 間もなく警察は、お祖父さんを殺害したのは自殺したアンちゃん

と断定した。事件は三日の昼過ぎに起きた。ただその動機がはっき

りしない。実家にはお祖父さんとアンちゃんだけが残されて、その

二人共死んでしまったからだ。お父さんは年末から仕事(パチンコ屋)

が忙しく各店を駆け回り、お母さんと妹(妹がいた)は来客が帰った

後、介護施設に寝たっきりの伯母さんを見舞っていた。そんな時に

アンちゃんが実家に戻った。そこで何らの諍(いさか)いがあったの

かもしれない。

 次の日の朝、母が届いたばかりの数枚の年賀状を見ながら、

「何っ!これっ、変な年賀状。名前がないわ、あんたに」

そう言って中から一枚だけをおれに寄こした。アンちゃんからやっ

た。驚いた。恐らく首を吊る直前に書いたんや。字が震えて乱れて

いた。

  「自由をしばるものを許すな

  序列秩序をぶっ壊せ  

  これは革命や  反儒教革命や

  自由をおそれるな 勇気をおそれるな

  おまえといっしょで楽しかった

  ありがとう 古木 」

「死んだら革命にならないよ、アンちゃん!」

 アンちゃんの葬式はお祖父さんとは別に身内だけでひっそりと行

われようとしていた。儒教道徳を尊ぶ朝鮮民族の人々にとって、直

系の祖父を殺めるという行為は民族そのものを貶める行為だった。

告別式には同窓生や部活の生徒も並んだが、おれは行かなかった。

告別式とは別れを告げる場所なので、アンちゃんに別れを告げるつ

もりは無かった。そして思ったとおり留年が決まった。母に言った

ら、もう何も言わなかった。ただ自分の学費は週末の路上ライブで

稼いでいた。城天(大阪城公園の路上ライブ)にはアンちゃんのファ

ンだった者が同情を持ち寄るので行かなかった。学校もあまり行か

なくなった。同じ授業をもう一度受けるのがこんなに退屈なもんだ

とは思わなかった。生徒に人気のある先生は、去年の生徒が笑った

ところで同じ冗談を言った。彼はきっと二十数年同じところで同じ

冗談を言ってるのだ。何れ教師というのはコンピューターに代わる

に違いない。そうなればわざわざ登校する必要も無くなるだろう。

おれは少し早く生まれ過ぎたんだ。ただ、母が「高校ぐらいはちゃ

んと出ときなさい」と、うるさく言うので仕方なく登校した。教室

の机に座って、アンちゃんが最後に書いた年賀状を見ながら、彼が

言った「反儒教革命」の意味について考えていた。

 随分たってから、アンちゃんのお母さんから電話があって、息子

の事について何か知らないかと聞いてきた。年賀状のことを話すと、

ぜひ見たいというのでそれとアンちゃんが残したものを持って会い

に行った。

          (8)

「息子の部屋知ってます?」

「ええ」

「そこでいいかしら?」

「はっ、はい」

 まさかアンちゃんが死んだ部屋へ呼び出すとは思わなかったが、

おれもなぜ彼がそんなことになったのかその一端でも知りたかった

ので従った。

 信仰など持ち合わていなかったが、心の中で手を合わして部屋に

入った。シャンパンの空き瓶が転がっていた部屋はきれいに掃除さ

れて、まるで別の部屋のように広くなっていて、改めてアンちゃんと

一緒に居た時の乱雑さを思い知らされた。奥の部屋には白布の掛

けられた台の上に遺影が置かれてあった。おれは進んでそこに跪

(ひざまず)いて笑ってる彼の遺影に、お母さんの目を気にしながら

心のない合掌を済ました。ただそのあと悔やみの言葉など用意し

てなかったので言葉が出てこなかった。するとお母さんが、

「そこで死んでたんですよ、あの子」

そう言われて思わず怯んだ。上を覗くと隣の部屋と境に梁があった。

おれは早速アンちゃんから送られてきた年賀状を渡した。

「ごめんなさいね、わざわざ持って来て頂いて」

「いいえ、それからアンちゃんのライブのCDとビデオです」

「やっぱりそうなんや」

お母さんは年賀状を見ながらそう呟(つぶや)いた。

「いったい何でそんなことになったんですか?」

「あの子のものを整理していたらあなたの名前と電話番号があった

ものですから、ごめんなさいね、電話なんかかけて」

「いいえ」

お母さんはおれの問い掛けには答えなかった。いつの間にか彼女の

後ろから少女が現れた。

「こんにちは」

そう言って頭を下げた。アンちゃんから5コ下の妹がいるのは聞い

ていた。お母さんが慌てて年賀状から目を離して、

「あっ、良子です、あの子の妹です」

「こんにちわ」

おれはお母さんにそっくりの妹に頭を下げた。彼女はコンビニのレ

ジ袋から缶コーヒーを出して、

「はい、これ」

おれは軽く頭を下げてそれを受け取った。お母さんは年賀状を娘に

差し出した。そして、

「あの子、前にも死のうとしたことがあったんです」

お母さんは小さな声でそう言った。

「えっ!どうして死のうと思ったんですか?」

「それがね、よく解からんのやけど、突然そんなことを言い出して、

反抗期かもしれんけど」

「ええ」

「あれは、高校に進学したばかりの頃だったかしら、お父さんは仕

事で居なかったんですが、みんなで夕飯を食べていると、多分テレ

ビのニュースだったと思うんですけど高校生の自殺を伝えていて、

お祖父さんが『親の心子知らずだ』と言ったら、あの子、別に子供

は親の為に生まれてくる訳やない、と言ったんですよ・・・」

 お母さんの話を引き継ぐと、

そうするとお祖父さんが血相を変えて怒り出して、

「お前は親を馬鹿にするのか!祖先に感謝せんのか!」

と、すると彼は、

「親には感謝はしてるが、家系に縛られて生きとうない。犬じゃあ

るまいし、自由に生きたい。もしも祖先の為に生きなアカンねん

やったら、きっと俺は間違うて生まれてきたんや。自分の思うよう

に生きられへんねんやったら、明日にでも死んだるわ!」

すると、お祖父さんは、

「何をっ!この親不孝者がっ!おおっ、死ねるもんなら死んでみい」

そこで、おれは思わず口を挟んだ。

「そっ、それで、自殺したんですか?」

「ええ」

するとそれを聞いていた妹が、

「違うよ!」

と叫んだ。

「お兄ちゃんは、前から死にたい言うてた」

「えっ!」

 妹によると、彼はいつも、

「生きることは大体解かった、ただ、死ぬことがよう解からん」

そう言っていた。彼女が、

「それでも何時か人間は死ぬやん」

と言うと、

「生きてるうちに死ぬことが解からんと意味がないんや。死んでか

ら生きる意味が解かっても間に合わんやろ。それと同じや」

 つまり彼は、無意識のうちに生まれてくる人間は、意識を獲得し

た後に今度は自らの意思で、もう一度生きるかそれとも生きない

かの決意をしなければならない。ところが死ぬとはどういうことな

のか全く認識できない。そこで、

「いっぺん死んでみんと解からん」

そう言って、彼はゴミ袋を被って呼吸困難に陥り、意識不明になっ

て窒息死寸前で妹に見つけられて一命を取り止めた。意識を取り

戻した彼は、

「仕方ない、生きるわ」

そう言った。その後、入院や治療の為半年あまり学校を休んだので

留年することになった。ただ、それからの彼は人が変わったように積

極的になった。

 お祖父さんは、戦後の廃品回収業から身を起こして、一代で資産

を築き上げた人だった。そのワンマン経営は経済の膨張に伴って時

流に乗り、パチンコ屋を皮切りに不動産や飲食店、一時はゴルフ場

にまで手を出していた。ただ、今回のバブル経済の破綻によってそ

れらの多くを失い、それを機に事業を息子に引き継いで引退した。

とは言っても、経営を任されたアンちゃんのお父さんは、彼の承諾

が無ければ自分で何一つ決められない肩書きだけの社長だった。

 以上は、漏れ伝わってくる風聞に関心を寄せて集めた噂話だが、

もちろんそれ以外に、くちさが無い世間では眉をしかめる人と為り

を敢えて吹聴する者も少なからずいた。その中で気になったのは、

真偽は量りかねるが、アンちゃんのお母さんは日本の人だというこ

とだった。

「あれはイカサマ商売や」

アンちゃんはパチンコ屋を嫌っていた。その矛先は、係属や身内の

繁栄しか願わない狭義の序列に拘る儒教道徳へ向けられた。

「俺たちはパチンコ玉なんや。儒教道徳という箱が無かったらバラ

バラになってしまうんや。個性や意思を削られ礼儀や敬語に浸けら

れて、気が付いたらツルッツルのパチンコ玉にされて、自分の力で

は生きられずに、頭を下げて箱の中に戻っていくんや」

アンちゃんの言葉を思い出したが、それは今の日本の現状とも重

なった。誰もが箱の中ばかり見て、箱の外を見ようとしない。我々

は箱の中でしか生きられないのだ。儒教道徳の最大の欠陥は身

内の秩序ばかりに拘るその排他性にある。我々の理想は過去に

こそあって、過去に理想を求める限り未来は破滅への道でしかな

い。未来に希望を求めるならば過去ばかり振り返って後ろ向きに

歩いてはいけない。そして我々が儒教道徳に洗脳されたパチンコ

玉である限り、従って日本は元より韓国も中国も、更にアジアさえ

決して一つにはなれないだろう。

 突然、妹の良子ちゃんが、

「お兄ちゃんが好きやった曲、弾いてくれへん?」

「ごめん、ギター持ってきてへんわ」

「お兄ちゃんのがある」

そう言って遺影の台に立掛けてあるギターを持ってきた。

「何がええ?」

弦のチューニングをしながら聞いた。すると彼女は、

「イマジン!」

彼がライブの最後に必ず歌う曲だった。

「良子ちゃん、そんなん好きなんか、よしわかった」

おれはアンちゃんの遺影の前に座ってギターを弾いた。

  Imagine there's no Heaven     な、 思わへんか、  
  It's easy if you try         あの世なんかあれへんって
  No Hell below us         ただ空があるだけやって
  Above us only sky         な、思わへんか、みんな
                   ただ生きてるだけやって
  Imagine all the people          
  Living for today...       
  

  Imagine there's no countries     な、思わへんか
  It isn't hard to do          国なんかなかったら
  Nothing to kill or die for       殺しあうこともないし
  And no religion too         神さんなんかいらんし
  Imagine all the people       そしたら、みんな
  Living life in peace         楽しく生きれるって

  You may say I'm a dreamer     夢みたいって言うけど 
  But I'm not the only one       俺だけちゃうって
  I hope someday you'll join us    皆がそう思えば
  And the world will be as one     世界はそうなるって

  Imagine no possessions       な、思わへんか       
  I wonder if you can         何も無いってスゴイって
  No need for greed or hunger      取ったり失くしたりせずに 
  A brotherhood of man        誰もが仲良くなれるって
  Imagine all the people        な、思わへんか、
  Sharing all the world         世界は誰のもんでもないって
                            
  You may say I'm a dreamer     夢みたいや言うけど
  But I'm not the only one       俺だけとちゃうって
  I hope someday you'll join us      みんながそう思ったら
  And the world will be as one     きっと世界はそうなるって

   「IMAGINE」by JOHN LENNON   「な、思わへんか」byアンちゃん 

 妹も、そしてお母さんも一緒に歌ってくれた。そして、

遺影のアンちゃんも笑いながら一緒に歌っていた。

          (9)

 お母さんによると、アンちゃんのアメリカ留学をお祖父さんには

知らせてなかった。長男であるアンちゃんが事業を継いでくれると

期待していたお祖父さんにそのことを言い出せなかった。アメリカ

へ行かせると言えば理由も聞かず反対するだろう。お祖父さんは「

異」邦人という邦人社会から見棄てられた厳しい環境の中で、同胞

と悔しさを慰め合いながら生きてきた。明るい話しは全て日本人の

もので、反して自分達は今日明日をどう凌ぐかが精一杯だった。し

かも「自由」を夢見た多くの同胞は無残に散った。「生きるとは不

自由なことである」そして「自由などというのは不自由の中でしか

生まれない」つまり「不自由を乗り越えない限り自由にはなれない

のだ」そのことをどうしても孫のアンちゃんに伝えたかった。

 アンちゃんはアメリカ留学の手続きの為実家に帰ったのだ。二人

でどんな言い争いがあったのか解からないが、自由を主張するアン

ちゃんと一族の秩序を重んじ独断を押し付けてくるお祖父さんとの

確執は以前から高まっていたという。彼は祖先を敬う儒教思想を、

「猿を崇める」

と言った。

「だから俺たちは進化しないんや」

更に、アンちゃんはパチンコ屋という事業を嫌がっていたので汚く

罵ったかもしれない。

「イカサマ商売!」

お祖父さんは一族を支え今の暮らしをもたらした仕事を貶されたこ

とに耐えられなかっただろう。更に、自分達の置かれた環境も考え

ず、殊更「自由」を口にする孫を嗜(たしな)めたに違いない。そし

て、

「アメリカへは絶対行かせない!」

 人を殺す者の心理は、優れた推理小説といえども正しく描写され

た例(ためし)が無いし、況(ま)しておれには察することさえ敵わず

、ただ、その結果だけが現在する。アンちゃんは少年時代のバット

を持ち出して、お祖父さんの頭部を数回殴った。お母さんと妹が戻

ってきた時、妹は居間に散らばった黄色いかしわ(鶏肉)の脂肪の

ようなものを何だか解からずに指で触った。そして奥の部屋で眠っ

ているお祖父さんの頭から大量の血が流れていることに気付き、

割れた頭部からはみ出した脳漿を見て、さっき指で触れたのはお

祖父さんの脳みそだと知って大声を上げた。お祖父さんの身体は

アンちゃんが布団まで運んだと思われる。それが結果だった。

「お祖父さんの脳みそ触っちゃった。まだ感触が残ってる」

妹は指を見ながらそう言った。

 お母さんと妹の話しを聞いて、おれが推理した事件の顛末である。

アンちゃんの遺影に別れを告げた。

 間もなくしてアンちゃんのお父さんは日本へ帰化された。

 時代は明かに変わろうとしていた。しかし、この国は相変わらず

古い政治、古い道徳、古い価値を守る為に、古い人間が支配して

いる。新しい時代は古いシステムを破壊しなければ生まれない。

失敗を恐れて服従していては何も変わらない。明治維新は力のな

い下級武士の若者たちによって成し遂げられたのだ。我々は、今

一度この国を「せんたく」せねばならない。

 おれは、アンちゃんの残した「反儒教革命」を実践することを彼

の遺影に誓った。それには学校が絶好の実験室だと思った。そうす

れば、退屈な授業にも少しは付き合ってられるかもしれない。恐ら

く学校の秩序を乱すことになると思うが、「革命」なんだから仕方

ない。そうは言っても、同士を募って徒党を組み圧力を行使して「

序列秩序」の糾弾をしようとは思っていない。それは納得のいかな

い譲歩は必ず反発を招き、結果断絶に至ることは安保闘争から明か

だ。これは「たった一人の反乱」である。その反乱を企てる根拠と

なる思想は、日本国憲法第三章第14条における「法の下の平等」

に沿って行われる。つまり第1項に謳う、「すべて国民は、法の下

に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、

政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」に依る。

未成年と雖(いえど)も国民の一人である。つまり、これは憲法に則

った順法闘争なのだ。挨拶や敬語を疎かにしたからといって憲法に

反さない。否、それどころかそういう言葉による階級差別こそ憲法

違反なのだ。弱年者のみに礼儀や敬語を強いるのは「法の下の平等」

に反する、謂わば不道徳な習慣なのだ。何だか気持ちが昂ぶってき

た。まず最初に決めたことは次の二点だ。

 ①敬語を使わない。但し丁寧語は用い、相手を蔑む言葉は

  厳に慎しむ。

 ②礼儀は年功序列を慮(おもんぱか)らず、徒(いたずら)に謙(へ

  りくだ)らず、常に平等を重んじる。

つまり飽くまでも「平等」に拘り、人が年功を理由に私(おれ)の上

に立つことを認めず、同じ理由によって私(おれ)が人の上に立つこ

とも認めない。それでも対等の関係が損なわれる時はその都度修正

することとする。

 以上が私(おれ)自身に誓った私(おれ)の「反儒教革命」の宣誓文

である。

 先行きを危ぶむかのように満開の桜を散らす妬み雨の中、新入生

を校門で見守る生活指導の北森「先生」に、あっ違う!北森「さん」

に、自転車を降りて、早速、

「お早う御座います」

と言ってしまい、更に深々と頭を下げてしまった!すると、

「遅いぞ!」

と上から頭ごなしに言われて、「わが闘争!」は改革の端緒から躓

(つまずい)いてしまった。

「くそっ!」

そこで早速アンちゃんの言葉を自分に言い聞かせた。

「自由をおそれるな!、勇気をおそれるな!」

 桜花舞い散る自転車置き場に着くと意思を通せなかった無念の想

いが込み上げて来た。すぐに授業の始まりを告げる予鈴が鳴った。

「このままではアカン!」

そう思って、おれはもう一度北森「さん」がいる校門へ歩いて行き、

校門の柵を閉めようとしている彼の背後から、

「北森さん、おはよう!」

と意を決して叫んだ。すると彼は意外にも、

「おはよう」と、

背中を向けたままおれの挨拶に応えた。彼はおれを誰かと間違えた

のだ。それは彼が振り返っておれを見るなり、

「何じゃお前は!」と、

吐き棄てるように言ったことから推理できた。

「もう授業が始まっとるやろ!」

おれは、

「知ってますよ、北森さん」

「はあ?お前は『先生』と言えんのか」

「ははっ、自分から『先生』と呼べとは恥ずかしくないですか?」

「なっ何やとっ!」

北森さんは真っ赤になっていた。

「あっ!もう授業が始まるんで。ただちゃんと挨拶しようと思った

だけですから」

そう言ってから走って教室へ逃げ込んだ。

 先に生まれた先生たちは只管(ひたすら)名分に拘り、後から生ま

れた後生たちに序列や身分の弁(わきまえ)えを押し付けて、自らは

その社会的優位な立場に安心するが、しかし時代は変わったんや。

身分や肩書きだけのヒエラルキー(階級制度)社会は自壊したんや。

          (10)

 敬語と虚礼を廃すというおれの反儒教革命は、宛(さなが)ら緊迫

した「言語ゲーム」だった。言葉はただ意味を伝える為だけにある

んやなかった。かつて我々が言葉を持たないサルだった頃、叫び声

や仕草によって仲間を確かめたように、言葉の共有は価値の共有を

生み、価値の共有が共同体を創った。ところが、おれが敬語を使わ

無くなっただけで途端に対話がギクシャクして、言葉の共有が失われ、

たとえ価値を共有していても共同体はおれを疎外するようになり、や

がておれの言葉に誰も耳を貸さなくなった。おれが教室で「石板をもっ

てこい!」と叫んでも、譬え級友がその言葉を理解出来たとしてもても、

もちろん「セキバン」を持って来させる理由が理解されないだろうけど、

しかしそこにたまたまセキバンが在ったとしても誰も石板を持って来よ

うとはしなかった。つまり、共同体の中では、言葉はその意味よりも誰

が言ったのかが重要なのだ。やがておれは学校という共同生活の中で

言語を共有しない「他者」として疎んじられた。おれの反儒教革命はま

さに「命がけの飛躍」となった。

 儒教道徳において敬語や虚礼は専ら階序の低い者に強いられる。

そして言葉とはその社会システムの反映に他ならない。つまりこの

国は依然として階級社会のままなのだ。肩書きとは単なる職分では

なく身分なのだ。

 おれが教師と同じように「お早う」と挨拶をすれば、彼らは間違

いなく無視をするだろう。つまり、おれがいくら平等に拘っても敵

わないのだ。そこで、おれは一旦「お早うございます」と敬語で挨

拶を交わして、教師が仕方なく「お早う」と言った後に、すかさず

もう一度おれが「お早う」と敬語を使わずに言い返した。すると、

この試みはおれの立場を一転して優位にした。生徒が「お早うござ

います」と敬語で挨拶しているのに教師は無視するわけにはいかな

かった。すると彼らは「はい、お早う」と挨拶の前に必ず「はい」

を付けて挨拶した。そしてこの「はい」こそが、生徒とは立場が異

なることを暗に伝える彼らの安っぽい矜持に他ならなかった。彼ら

は生徒の挨拶に対等に応じられず、一旦「はい」とはぐらかしてか

ら挨拶を交わした。だが、その時はおれも同じように「はい、お早

う」と言い返してやった。愛国主義者の、従って社会主義者の、社

会主義の対語は個人主義である、従って愛国主義もまた社会主義者

と同じ穴の中で暮らす生き物なのだ、山口という熱血体育教師は歯

茎を覗かせて怒りを顕わにした。

 おれが、「お早うございます」と言う。

すると熱血体育教師の山口が、「はい、お早う」と応える。

すかさずおれが、「はい、お早う!山口さん」と言い返す。

彼は「何じゃお前は!ふざけるな」と怒鳴った。

 このように言語とは、特に複雑な敬語を使う儒教道徳に縛られた

社会の言語は、単に意味を伝える手段としてだけあるばかりでは無

く、詰まらないことだが、階序を確認する為の手段なのだ。

 敬語を使わないというおれの「命がけの飛躍」は、本来の「言語

ゲーム」である「他者」同士が対等の立場で互いに自己を主張する

均衡した言葉の交換が蘇った。儒教思想とは、均衡の不安に耐えら

れない者が安定を図る為に身分の低い者に自己放棄を迫る思想なの

だ。何故なら人間関係に於いて均衡ほど不安定なものはないから。

                          

          (11)

 ある日の放課後、北森「教師」に、おれはもう「先生」という曖

昧な敬称は遣うまいと決めた、否、そう呼んであげると満更でない

人にだけ、従ってその人を蔑む時にだけ使おうと決めた、その北森

さんに職員室へ呼び出されて、乱暴な言葉遣いを注意された。それ

は彼がおれの担任やったから。彼はまだ教師に成り立ての青年やっ

た。

「どうしたんや?最近お前ことば遣いおかしいで」

「実は・・・」

おれは憲法まで持ち出して自分の反儒教革命を説明した。

「・・・おかしい思わへん?何かおれたち道徳に去勢されてるって

感じものすごいするわ」

「福沢諭吉でも読んだのか?」

「福沢諭吉?あの『学問のすヽめ』の?」

「そうっ、一万円札になってる福沢諭吉や」

「いやっ、別に読んでないけど」

「何や知らんのか?」

「教科書に載ってたけど、それ以上は知らん」

すると北森は腰を浮かして、机に積み上げた書類や本の中を探し始

めた。そして、

「在った、これや!」

そしてその文庫本をおれに差し出した。

「いっぺん読んでみ」

そう言って『学問のすヽめ』をおれにすヽめた。

「先生、あっ違う!北森さん、持ってんの?」

「アホっ!曲りなりにも俺は教師やぞ。教師が『学問のすヽめ』を

持ってなかったらそれこそモグリやろ」

「あれっ?『学問のすヽめ』ってこんな長かったん」

「ああ、学校で習うのは始めのとこだけやからな」

おれは福沢諭吉の『学問のすヽめ』がこんなに何編もあることを初

めて知った。

 「学問のすヽめ」を読んで驚いた。それは「学問のすヽめ」とい

うより大半が古(いにしえ)より維新まで継がれたこの国の封建社会

への批判だった。時代は、二百年以上閉ざしていた門戸の閂(かんぬ

き)を欧米列強に破られて、開け放たれた世界には堰を切ったように

近代化の波が押し寄せていた。すでに亜細亜の諸国は西欧帝国主義

の圧倒的な力に屈し植民地にされている。戸惑う国民を啓蒙し近代

化を推し進め独立を守る為には国民が上下貴賎の名分を棄て公に頼

らず、「一身独立して、一国独立す」、個人の不羈独立こそが肝心

だと説いた。ところが自らを頼らず独立の気概に疎い人民は、或は

権力を頼んで政治を曲げ、他は政治を他人事のように眺めるばかり。

その無気無力を養ったものこそ孔孟の教えだというのだ。

「此国の人民、主客の二様に分れ主人たる者は千人の智者にて、よ

きやうに国を支配し其余の者は悉皆(しっかい)何も知らざる客分な

り、既に客分とあれば固(もと)より心配も少なく唯主人にのみ依り

すがりて身を引受ることなきゆゑ、国を患(うれ)ふることも主人の

如くならざるは必然」であって、その結果、「政府は依然たる専制

の政府、人民は依然たる無気無力の愚民のみ」となる。つまり、

「故に今、我が日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり」

 彼の批判が一世紀以上経てもなお変わらずにそのまんま現代社会

への批判として通じることに驚かされた。果たして、我々は個人と

して不羈独立の精神を培ってきただろうか?そうして我が国は国家

として、――抑(そもそも)「国家」という名称が儒教的なんや、国

は家とは違う!――独立しているのだろうか?

 それでは福沢諭吉は儒教思想の何が問題だというのか?彼は「返

す返すも世の中に頼みなきものは名分なり」と言い、「上下貴賎の

名分」の弁(わきま)えを説いたのが儒教だと言うのだ。彼は「儒者

の主義中に包羅する封建門閥の制度も固(もと)より我輩の敵なり」

だから「専ら儒林を攻撃して門閥を排することに勉めた」(掃除破

壊と建置経営・続全集七) それは彼にとって「門閥制度は親の敵

で御座る」(福翁自伝)だからだ。福沢諭吉の儒教批判は熾烈を極め

「腐儒の腐説を一掃して遣ろうと若い時から心掛け」(福翁自伝)た

が、しかし「今世の人が西洋文明の学説に服しながら尚ほ其胸中深

き処に儒魂を存」することを痛歎せねばならなかった。(福翁百話)

 では、どうして多くの人々が彼の書物に親しんだにも拘わらず、

更には彼が「腐儒の腐説」とまで蔑んだのに「儒魂」は残ったのか?

それは彼が専ら儒教の思想批判に終始したからではないだろうか。

しかし儒教は実践に拘った教え(道徳)である。そこでは言動や行為

といった作法(形式)を重んじ、そしてその形式こそが「名分」を弁

(わきま)えさせるのだ。つまり、儒教とは本質ではなく形式こそが

重要なのだ。形式が本質を導くのだ。福沢諭吉は儒教の箱(形式)の

中の「儒魂」を批判したが、しかし「儒魂」は敬語や礼儀といった

箱(形式)にこそ宿っていたのだ。だから、いくら「儒魂」をやっつ

けても、敬語や礼儀といった形式を残したままでは、「上下貴賎の

名分」に拘る「儒魂」は何度でもその形骸からゾンビのように甦っ

てくるのだ。

 我々は明治維新を未だ終えていない。「文明開化」以来の民主主

義という宿題を克服しただろうか?「名分」に頼らない独立不羈の精

神が重んじられているだろうか?「文明転化」を迫る時代の流れの

中で、再び我々の民主主義が試されようとしている。

 北森さんがすヽめてくれた福沢諭吉の「学問のすヽめ」は、おれ

が決めた敬語と虚礼を廃す反儒教革命に大きな自信になった。

          (12)

 敬語と虚礼を廃すおれの「反儒教革命」はすぐに頓挫した。それ

は敬語がすでに標準語に取り込まれていたからや。後は「ため口」

しか残されていなかった。しかし、教師との会話は喋っている自分

が吃驚(びっくり)するほど「立場を弁えない」乱暴な言葉遣いに思

えた。そもそも標準語そのものが序列差別を認めているんや。ど

うも儒教道徳の本質はこの「立場を弁える」ことにあるのではない

か。そしてそれこそが福沢諭吉の云う「名分」に違いないと思った。

「おはよう、北森さん」

「おう、おはよう、どうした今日は、早いな?」

「違(ちゃ)うねん。朝まで起きてたから今から寝たら寝過ごす思て、

そんで寝んと来たんや。これから学校で寝よ思て」

「あほか!」

そんなため口は北森さんには通じたが、側で聞いていた教師には訝

しがられた。ある授業で教師が、地球が球体で自転していることは

キリスト教の宣教師によって日本に伝えられた、と言った時、おれ

は手を挙げて、

「山本さん、何で日本ではあっさりと地動説は受け入れられたん?

せやかて西洋では裁判までして地動説を認めなかったやんか」

「山本さんって私のことか?」

「はい」

「君はものを言う前にちゃんと言葉の勉強をしなさい!」

山本教師は腹を立ててしまい、おれの質問には遂に応じなかった。

 おれは、自分の言葉使いに吃驚したからか、克服した筈の吃音に

また悩まされ始めた。ただ、嘗ては阻喪(そそう)からだったが、今

度はことばを失ったことによるものだった。我々は言葉をただ記号

として交わしているだけではなかった。ことばの遣り取りには序列

意識への本能的な執着が隠されている。目上の者への「ため口」は

言葉よりその言い方が彼らのプライドを刺激した。敬語を使わず「

おはよう」と言っても素直に「おはよう」と応えてくれる「先生」

は皆無だった。それどころか、

「誰に言うてんねん?」と凄まれたことさえあった。

 つまり我々は敬語による「立場を弁えた」言葉しか持ち合わせが

無いのだ。それはいかなる共同体であれ、序列を超えた「立場を弁

えない」自由な議論など成り立たないということである。敬語を使

う者は、上司の過ちを指摘したり異なった意見を述べる時には、そ

れこそ切腹する覚悟で挑まなければならない。我々は「先生」の前

では、想っていることが言葉になっても何時も吐かずに飲み込んで

しまう。部下は上司のカツラがずれていることさえも畏れ多くて「

お告げする」ことが出来ないのだ。それをこの国では「奥床しさ」

だとか「惻隠の情」といい、美しい日本語だとさえ思っている。

 おれの吃音は日に日に酷くなって、「わが闘争」を支持してくれ

た北森さんでさえ「おい、大丈夫か?」と心配するほどだった。

「たった一人の反乱」は、武器の不具合から口撃ができなくなり、

「先生方」から逆襲を喰らい「口ほど」の負け犬と罵られて忍従の

日々を過した。幸いすぐに夏休みが始まって「城天」での路上ライ

ブを再開した。人前で歌うことへの不安はあったが、ことばを失っ

た自分にとって予め詩がきまっている歌は全く吃(ども)らなかった。

自信を取り戻すと、あんまり悔しかったので「吃りの唄」まで創っ

てしまった。それはフレーズの始めの発音が全て吃音を繰り返す、

  どっどっどっ、どうしてだろう

  かっかっかっ、かなしみさえも

  たったったっ、たのしいのは

  きっきっきっ、君がいるから・・・

 そんな感じ。ほら、読むだけで曲になったやろ。これが信じられ

へんくらい路上オーディエンスに受けた。

          (13)

 夏休みが終わって二学期が始まると、三学年担当の教師たちは巣

立つ生徒の進路指導に奔走して、おれの「言語ゲーム」に付き合っ

てくれなくなった。もちろんおれも卒業を控えていたが、この学校

に「露と落ち」た時から「進学のことは夢のまた夢」と、路上ライ

ブの合間に大阪城の天守閣を眺めながら自省の句を残していた。そ

れでも教師は大学がダメなら専門学校、専門学校がダメなら就職と、

パンフレットを変えリーフレットを変えて、欠陥生徒の販売先を探

してきた。が、おれはそのころ城天の路上ライブで、アルバイト学

生が学校をズルしてフルタイムで働いて手にする日給をわずか一時

間足らずで稼いでいた。馬鹿らしくて今さら自由を棄て「お縄を頂

戴します」と自ら牢獄社会へ舞い戻る気など更々なかった。それで

も進路指導の教師は執拗く社会復帰を説得した。それはまるでおれ

の為と云うより彼の営業成績の為だったに違いない。つまり商品の

売れ残りを計上したくなかったのだ。

 軽音楽部の活動も三年生から在校生への引継ぎが行われようとし

ていた。そんな時に新しくアメリカからの帰国男子生徒が入部を申

し込んできた。彼はまだ一年生だった。日本で学生生活を送ること

は初めてで「トマドっている」と言った。何処でどう聞き付けたの

かおれの「反儒教革命」を支持してくれた。

「古木の言うように日本のアイサツは憂ざいよ」

おれは後輩からあっさりと呼び捨てにされたことに快感を覚えた。

「サビリティー(奴隷根性)だね」

その言葉は確かに日本人の、分けても関西人の発音でなくネイティ

ブだった。そして城天でのおれのライブパフォーマンスも見たらし

い。

「クールだった!」

そして、

「悪くなければ一緒に演らせてくれない、古木?」

そう言って、おれが城天で演奏した曲をギターを取って弾いてみせ

た。それは何と言うか、コテコテした関西弁訛りとは違ったネイテ

ィブな演奏だった。

 おれの「反儒教革命」は、教師たちの反発を買って異端視され、

教室では、卒業を控えて進路相談に教師の世話になる級友たちから

も無視され、毎朝、晒し者になる為にわざわざ登校しているような

思いにうち拉がれていたが、それに反して部活では、それぞれが音

楽を通しての繋がりから年下であってもおれを励ましてくれる部員

さえいた。そしてそこにはアンちゃんが決めた唯一つのルールが今

も残されていた。それは「ここでは敬語を使うな!」

 音楽をする目的で部活に入ってくる者にとって部活とはあくまで

もその手段である。組織とは個々(主体)の目的を果たす為の手段に

過ぎない。ところが目的を諦めた者や見失った者は組織にすがり組

織そのものを目的にする。主体にとって手段に過ぎなかった組織が

目的に成り上がるのだ。すると、目的を無くした主体は目的となっ

た組織に「主体」そのものを明け渡し組織の手段に成り下がる。こ

うして、個々と組織の「主体」が入れ替わる転換が起こる。ただ、

目的は唯一つしかないが手段は序列的に存在する。目的を失い手段

に成り下がった個々はその序列に則って秩序化される。序列社会と

は、目的を失った主体が本来手段であったはずの組織を目的に転化

することから始まる。組織そのものが個々の目的になった社会は、

手段となった個々に序列秩序(目的)を与える。つまり、秩序や道徳

を声高に叫ばれる社会は、個々が自分の目的を見失った社会なんや。

福沢諭吉は、社会に隷属する国民に対して独立不羈を説いた。それ

は「自分の目的を見失うな」ということだ。

 黙って聞いていた帰国生は、おれたちは彼を「シカゴ」と呼んだ。

彼はその名の通りアメリカのシカゴで暮らしていたからや。そのシ

カゴが口を開いた、

「それは、つまり東大を目標に受験勉強してきた人が、入学を果た

して目的を見失い仕方なく公務員になるようなもんだね」

「ああ、それはいい例えや。そして成れの果ては愛国主義者となっ

て『国を愛そう』などと道徳を説くんや」

「自分は国家に依存しながら」

「そうや」

 アンちゃんが書いた規則は部室のドアの正面に貼られていた。

A4判くらいの大きさの紙に、右端にマジックで「規則(一)」と縦

書きされ、その真ん中に太い毛筆で「ここでは敬語を使うな!」と

勢いよく書かれ、最後に「軽音楽部部長」そしてアンちゃんの署名

がされていた。アンちゃんが死んだ時、指導の教師はそれを剥がそ

うとしたが、部活の皆の強い反対で今も残されていた。

「それっ、わかる!僕も向こうでバンドを組んでる時、音楽性の違

いでもめたことがあった」

シカゴがそう言った。

「ふんふん」

「その時にリードボーカルの奴にイニシアチブを執られて、まあ、

こっちは演歌やねんから当然といえば当然なんやが、そいつの言い

なりになって結局僕から脱けた」

シカゴが言った出来事はここでも頻繁に起こる。音楽のジャンルが

細分化してしまって、たとえ僅かであっても、リズムに拘る者は緩

慢な旋律に流されたくないし、旋律を重んじる者は単調なリズムの

繰り返しにウンザリする。志向の異なる者がユニットを組み「一つ

の音楽」を目差すのはなかなか平和的にはいかない。僅かの違いが

決定的な亀裂を生む。やがて「一つの音楽」を巡って意見が対立し、

そして対立を避けようと自分の音楽を譲りユニットを優先させる。

遂には本来の自分の音楽を見失い、手段であったはずのユニットそ

のものが目的化する。メンバーたちは外面だけの協調や信頼といっ

た「道徳」を重んじ、そして「一つの音楽」は聞き飽きたメッセー

ジの焼き回しを繰り返しても気付かずにユニットを讃える。しかし、

「ところで自分が目的にしていた音楽はどうなったの?」ってなる。

「じゃあ、どうしたらいいと思う?古木」

「何かもう、愛だとか信じるだとか飽いたよね」

「それじゃあ何を歌えばいいんやろ?」

「んーんっ、例えば、醜さだとか無力感の方がリアリティーあると

思わん」

「あっ!そう言やぁこの前テレビ点けたらドラマのエンディングに

森田童子の曲が流れてたけど、つい最後まで聴き入ったわ」

「森田童子か、『みんな夢でありました』はいいと思うけどね。だ

けど、ほんとは沈黙するのが一番いいかもしれん」

「チンモク?」

「うん、静寂。一番足らんのは静けさやないか思う。音の無い世界」

「じゃあ、プレイしないの?」

「例えば、楽器を持って『オリジナル曲【静寂】をやります』と言

って、始めに一小節だけ演奏してその後3分間は何もしないの。物

想いに耽ってるポーズをしてもええな。ホールは水を打ったように

シーンとして、3分経ったらもう一度和音を変えて終いの一小節を

弾いて終わる。そして、『オリジナル曲【静寂】でした』と言って

頭を下げる」

「そんなんアカンわ」

シカゴはアメリカ帰りにも係わらず、おれのボケにタイミング好く

ツッコんでくれた。和んだ会話に誘われて傍にいた女生徒がシカゴ

に話しかけた。

「なあ、シカゴって家はどの辺なん?」

「ボク?ハナテン(放出)!」

「え―っ!信じれへん」

その女子部員はそう言っておれの方を見て、つい最近までアメリカ

のシカゴで暮らして居た青年が、「ハナテン」というローカルな地名を

言ったことに、何故だかおかしくって顔を見合って笑ってしまった。

するとシカゴは真顔になって、

「何や、放出(はなてん)てそんなにおかしいか?」

と怒ったように言った。

          (14)

 日曜日にシカゴを誘って城天で路上ライブをやった。彼はどうし

ても始めにビートルズの「Why Don't We Do It In The Road?」

を演るべきだと練習の時から言っていた。

確かにオープニングには持って来いだと思った。それにアメリカ帰

りのシカゴだもん、今日の主役は彼に違いなかった。彼の言う通り

にさせてやった。二人は白のТ―シャツにジーンズ、デッキシューズ

とステージ衣装も揃えた。彼は一年生のくせに170センチ弱のおれ

よりも背が高かった。

「あっちじゃ低い方だった」

「おれ、アメリカには絶対行かん!」

日本人のアメリカへの憧れの度合いは、背の高さに比例しているん

じゃないかとフト思った。確かにアンちゃんも背が高かった。シカ

ゴはサングラスも一緒に揃って掛けよう言ったが、それだけは絶対

嫌だと反対した。おれはサングラスを10分と鼻スジで支えたこと

がなかった。家族で海水浴に行った時、ずり落ちるサングラスを辛

うじて鼻翼で止めていると、母親から、

「あんたのはサン(ズ)ラスやね」

と言われてから、生涯に使うであろう必需品のリストの中からメガ

ネの類は一切削除した。もしも、レンズが最初に日本やアジアで考

え出されたら、東洋人の誰もがよもやそれが鼻に掛けれるとは思わ

なかっただろう。恐らくヘッドバンドなどを頭に巻いてそこから垂

らしたに違いない。

 メインボーカリストのシカゴは一曲目からポール張りのシャウト

を効かせ、「No one will be watching us」と歌いながらも行き交

う見物人の注目を集めた。しかし、調子に乗りすぎて何時までも繰り

返して、遂にノドを痛め、予定していた彼のブルース・スプリングステ

ィーンの歌をおれに代わってくれと泣きついた。

「古木、次からこの歌は最後にしよか、ゴホッ!」

シカゴは擦れた声でそう言ったが、おれも歌ったことの無いブルー

スの歌を少しでも似せようとして声を絞り出して歌った為、シカゴと

同じようにノドがイカレてしまった。情けないことに二人とも一曲歌

っただけで休憩する羽目になってしまった。

「ゴッホッ!ちょっと休憩させて、ゴホッ!」

「ゴホッ!ごめん、みんな!ゴッホッ!」

オーディエンスは、七転八倒する二人に冷たい一瞥を浴びせて、

三々五々四散した。

 おれとシカゴはコンビニでドリンクを買って木陰で休むことにした。

日差しは夏のままだったがその盛りが過ぎたことは、湧き上がる積

乱雲がその勢いを失って棚引く様子や、木立の間を時折吹き抜け

る涼風からも感じられた。その風にのって何処からともなく他のパ

フォーマー達の演奏や歌が届けられたり、或は急に遠退いたりした。

ただ彼らも人が演ってる時は邪魔しないように気を配っているのだ

ろう、向こうで歌が終わるとそれを待っていたように今度はこっちで

演奏が始まった。

 シカゴがペットボトルの蓋を開けながら話しかけた。

「あんたが言った森田童子の『みんな夢でありました』だっけ、そ

れってどんな曲?」

おれは飲みかけのペットボトルを置いて、カバンから歌詞ノートを

出してギターを弾いてその曲を歌った。

あの時代は何だったのですか
あのときめきは何だったのですか

みんな夢でありました
みんな夢でありました

悲しいほどに
ありのままの君とぼくが
ここにいる

ぼくはもう語らないだろう
ぼくたちは歌わないだろう

みんな夢でありました
みんな夢でありました

何もないけど
ただひたむきな
ぼくたちが立っていた

キャンパス通りが炎と燃えた
あれは雨の金曜日

みんな夢でありました
みんな夢でありました

目を閉じれば
悲しい君の笑い顔が見えます

川岸の向こうにぼくたちがいる
風の中にぼくたちがいる

みんな夢でありました
みんな夢でありました

もう一度やりなおすなら
どんな生き方があるだろうか

「みんな夢でありました」
(作詞/作曲 森田童子)

歌い終わるとシカゴが歌詞ノートを取ってしばらく眺めてから、

「ぼくはもう語らないだろう、ぼくたちは歌わないだろう」

と、歌詞の一節をつぶやいた。

「ああ」

「何か滲(し)みるね」

「おれらは理想を語れんようになって、現実まで見えんようになっ

てしまったんや、きっと」 

「あんたが部室で話したことなあ、ほら、手段と目的の話し」

シカゴはおれと向き合ったまま、寝そべりながらボソボソと呟いた。

おれはペットボトルに残ったスポーツドリンクを嗄れた喉に流し込

んだ。

「ああ」

彼は歌詞ノートに目を止めたまま続けた。

「そもそも生きることは目的なのか、それとも手段なのかって」

「ふん」

「どう思う?」

「それぞれと違うんかな」

「せやろ、もし目的ならただ生きていても間違いやないと思うねん。

今あんたが言うたように、それそれが自分の生き方でええんやない

かって、みんな何かと戦えなんて言えんやろ」

「まあな」

「目的があっても思うように行かなかったり、止めざるを得んかっ

たり。そんな単純やないと思うんや」

「確かにそうかもしれん」

「だから、目的を持たないからといってそういう人を蔑むのは間違

いやないかなって。つまり、個人の生き方と社会のあり方は分けて

考えなあかんと思うんや」

「うん」

「そもそも社会のあり方に問題があって、それを自覚の無い個人を

嗾(けしか)けて改革しようとしても・・・」

「上手くいかんか」

「たぶん」

「アメリカでは一体どうなってるの?」

「何が?」

「敬語とか」

「スラングはあっても敬語なんてほとんどないよ。ただ言い方で伝

わるけどね」

「例えば教師との朝の挨拶とかは?」

「そんなの『ハーイ』と『バーイ』で済んじゃう」

「あっ!それええなー、それで行こっ!」

          (15)

 人は、きのうを知ることができてもあしたを知ることはできない。

知ることは覚えることから生まれる。だから、きのうのことを覚え

ることができてもあしたのことを覚えることはできない。つまり、

人はあしたのことを語っているつもりでも、実は、きのうのことを

語っている。

 我々の知性は、未来について語っていても、実は、過去の記憶を

変換しているに過ぎない。しかし実際は過去と未来は違う。過去は

変えられないが未来は変えられる。いくら過去を変換しても新しい

未来は生まれて来ない。我々が未来を語る時も、知性はアーカイブ

から過去の編集された映像を流し始め、表象化された記憶が甦り、

実は、過去を語ってしまう。しかし、未来が過去よりも明るいなら

ば、我々は過去の記憶に執着してはならない筈だ。知性だけに頼っ

て未来を語っても過去への回帰を繰り返すばかりで閉塞した状況は

何も変わらない。新しい未来を拓くには知性だけではない新しい何

か、方法なのか能力なのか、感性なのか或は運動なのか、それとも

アッサリ狡(こす)い知性など投げ出してしまうか、過去を辿るよう

に未来に戻ってしまっては、新しい仮定や試みが生まれるはずがな

い。

 「我々とは何か?」という問いしても、知性に委ねれば只管(ひた

すら)古(いにしえ)を遡(さかのぼ)り、それでも明解な一論に辿り着

けないまま二論が残る。つまり、道理(ゾルレン)の下に存在(ザイ

ン)があるのか、否、それとも逆なのか。更には、国が存在するから

人の暮らしがあるのか、それとも人が存在するから国が生まれたのか。

権利と義務はどちらが優先されるか、個人の自由と社会の秩序はどち

らが重いか、秩序とは自然に存在するものか、それとも人が作り出し

たものか等々。知性がいくら過去に訊ねても真偽を得ることなど出来

ない。それにも関わらず、族閥を偏重し身分秩序に拘るこの国の「自

虐」道徳は、その由来を原始道徳である支那の儒教に求め、というの

はその原則は全て「力は正義」「早いもん勝ち」なのだ、結果、人々

は卑しいまでに謙(へりくだ)り「何故そうしなければならないか?」

を説かれないまま犬のように腹従させられて人格を蔑(ないがし)ろに

される。権力に媚び身分に諛(へつら)い序列に従うことを強いる自虐

道徳に惑溺した閉塞社会から、新しい未来を切り開く若者が生まれて

くる訳がないではないか。我々に決定的に足らないのは、足元だけし

か灯さない記憶だけを辿った安っぽい知性に委ねられた人間関係をそ

の上から照らし出して俯瞰させる、太陽のような理性だ。

「アメリカなんて簡単だよ」

何時かシカゴはそう言った。

「何で?」

「誰が創ったかって直ぐ解かるもん」

「ああ、神でないことだけは確かやな」

「そう、アメリカはアメリカ人が創った」

「それでもピューリタンの伝統は残っているやないか」

「あるね、確かに。それでも神様だ聖人だっていう怪しいのはまあ

存在しないから」

「日本人は棄てられんのや、そういう伝統みたいなもん」

「コレクターなんや、きっと」

「あっ!そうか、伝統文化のコレクターオタクなんや」

「たしかに国中足の踏み場もないほど伝統で溢れかえってる」

「同じ東洋人でも中国人は権力者が代わったら前の文化は全て壊し

てしまうって、司馬遼太郎が書いてたけどなあ」

「それ解かる、あっちにもいっぱい居たけど、奴らセルフィッシュ

やってアメリカ人にも言われてた」

「アメリカ人にそう言われたら本物やで。中国人は宗族主義やから

な。確か孫文も国家意識が生まれないって嘆いていた。」

「へーっ、あんた読書家やね」

 おれとシカゴは長い休憩を終えて再びライブを始めることにした。

「やる?」

と、おれが聞くと、シカゴは、

「やるよ!せやかてまだ一円にもなってないで」

そうだ、おれ達は衣装まで揃えて出資してまだ一円の収益も上げて

いなかった。

 真夏の舞台を照らし続けた太陽は、そのエンディングが迫ってい

るにも係わらず澄んだ秋空に励まされて日差しを強め、頂点に昇っ

て少し休んでから降りはじめると、俄かに人出も増えはじめ、人気

のストリートパフォーマーは多くのストリートオーディエンスに囲

まれて汗を垂らしながら自分のライブを熱唱していた。

「やるか!」

と、おれが言うと、シカゴは、

何も言わずにギターを取った。そして得意のブルース・スプリング

スティーンを歌い始めた。すると、離れて様子を窺っていた馴染み

の娘らが痺れをきらしたように集まって来た。彼が歌い終わると、

おれは左腕を彼の方に向けて、

「紹介するわ、今日デビューしたばかりのシカゴです!」

すると、彼女達は拍手をしながらもローディング中のCPのように

身動ぎせずただジーッと彼を見ていた。彼女らの頭の中に何がイン

プットされようとしているかはおおよそ見当がついた。シカゴのシ

ュッと通った鼻筋や何処までも伸びる長い脚、更にはネイティブな

発音の英語の歌に彼女らは股間を緩ませるに違いない。そして、

おれの見当どおり、シカゴというコンテンツをダウンロードした彼

女達は彼の歌声に酔い痴れて、好奇心のポインタで彼のアバターを

なぞっていた。気が付くと天然の照明は天守閣の向こうに落ちよう

としていた。二人とも時間を忘れて歌い、小声で話せないほど喉を

広げて唸っていた。そして、ギターケースの賽銭箱には信者からの

有り難いお賽銭が唸っていた。シカゴとおれは掌を合わせてそれを

拝んだ。こうして彼の城天デビューは先ずは大成功に終わった。

          (16)

「ほら、古木・・・」

祭りの後片付けをしながらシカゴがおれに声をかけた。おれはギタ

ーケースのお賽銭を掴んではコンビ二袋に投げ込んでいた。どうし

て人は金を弄(いら)ってる時には周りのことが見えなくなるんだろう

か。シカゴに言われて顔を上げるとアンちゃんの妹が、縄跳びの輪

の中に入り逸(そび)れて何時までも佇(たたず)んでいる女の子の

ように所作無く立って居た。

「あれっ、どうしたの?」

おれが屈み込んだままそう言うと、

「こんばんは」

と別世界から答えたっきり畏(かしこ)まって黙り込んだ。

「あっ、『城天』見に来たんか?」

そう言うと小さく頷いた。彼女は学校の制服のままカバンを正面に

提げてその柄を正しく両手で握り締めていた。カバンの下から覗い

てる白い靴下が眩しかった。おれは腰を起こして立ち上がった。

立ち上がると彼女は後退りした。

「おれ等のライブ見てくれた?」

また頷くだけだった。

「何や、言うてくれたらええのに、来てんの知らんかったわ」

彼女は答えずにただ頷くばかりで、その頷く意味が全く理解できな

かった。

「アッ!思い出した、良子(よしこ)ちゃんや、なっ!」

「はい」

「何んや、やっと答えてくれたわ。久し振りやなぁ、元気にしてた

?」そして、「あっ!そうや、シカゴ紹介したるわ」

そう言って彼の方を振り返ると、彼女はそれを拒むように、

「あの―、実は、相談があるんですけど・・・」

と急に早口で喋った。それは独りで何度も暗誦してきたセリフ

みたいだった。

「えっ!相談?」

「あの―、ここでは出来ないので兄の部屋まで来てもらえませんか?」

「え?ああっ、別にええけど・・・」

アンちゃんの部屋は彼が居た頃のまま残されているとお母さんから

聞いていた。ステージを片付けてから、シカゴと約束していた打ち

上げを断って、良子ちゃんが待つアンちゃんのマンションへ行くこ

とにした。するとシカゴは、

「何や!祝杯あげへんの?」

「ちょっと、用事がでけたんや。ゴメン」

「どんな用事?」

「まあ、ええやないか」

「あれっ?言うてくれへんの、水臭さ―っ!」

「悪い!今日は水に流してまた今度水入らずでしようや」

それでも、おれには良子ちゃんがどんなことで悩んでいるのか皆目

見当がつかなかった。ただ、思い詰めた彼女の眼は、市役所の動

物愛護(?)センターで殺処分を待つ犬のように何かを訴えている

眼だった。おれはシカゴを城天に放置してアンちゃんのマンション

に向かった。

 「相談があるんですけど・・・」良子ちゃんはそれだけしか言わ

なかった。つまり、部屋には彼女ひとりだけとは限らなかった。

「しまった!もう少し聞けばよかった」と思いながらエントランス

のインターホンで、一時は入り浸っていたアンちゃんの部屋の番号

を押した。

「古木です」

良子ちゃんは何も言わずに玄関ドアのロックを解錠した。馴染みの

エレベーターも心做しか冷たく感じた。部屋の前でチャイムを鳴ら

すとすぐに部屋のドアが開いた。すると、生活感のない脳の視床下

部を刺激する香りが部屋の中から漂ってきた。

「すみません、呼び出して」

良子ちゃんは学校の制服を着替えて、紅いТシャツに紺のショート

パンツ姿で現れた。後ろで纏めてあった髪は解かれて、城天で恥ず

かしそうにしていた彼女とはとても思えないほど大人びて見えた。

良子ちゃんは加減を越えたパヒュームばかりか口紅まで差していた。

「部屋を間違えたかと思った」

そう言うと嬉しそうに笑ったが、その笑い顔にはまだ少女っぽさが

残っていた。

「どうしたん?相談って」

こっちから先に切り出さないと永遠に相談にのる機会を失うかもし

れないと、つまり相談なんてどうでもよくなってしまわないうちに、

進路相談の担当教師のような素っ気ない聞き方をした。すると、

「中に入って下さい」

彼女はおれの言葉を無視して、どちらが年上かわからないほど冷静

に部屋の奥へ案内した。彼女が悩みを打ち明けてくれないので相談

員のおれは言葉を失って黙ってソファに座った。正面の奥には笑っ

てるアンちゃんの遺影と新しい花が飾られた祭壇があった。

「あっ!そうや、アンちゃんに挨拶せんと」

そこに気付いた自分が一歩社会人に近づいた思いがしたが、さて祭

壇には遺骨は置かれていたが、パーカッションの類いが何もなく蝋

燭や線香すらなかった。仕方がないので横に立掛けてあるアンちゃ

んが愛用していたギターの弦を爪弾いてから掌を合わせた。

「無信仰やから何もするなって、お兄ちゃんが」

彼女がアイスコーヒーのグラスを二つ持って来て、一つをアンちゃ

んの祭壇に置いた。

「それはおれもしょっちゅう聞かされた」

アンちゃんは儒教は言わずもがな、自殺者の一人も救えんくせに来

世での救済を説く仏教も批判した。そのくせ「死人の上前を撥ねた」

上がりを世襲すると罵った。良子ちゃんはもう一つのグラスをおれ

が座っていた前のテーブルに置いた。

「どうぞ」

おれはソファに戻ってアイスコーヒーを口に含んだ。そして、良子

ちゃんはおれの前に立ったまま、突然こう言った。

「実は、相談というのは、私とセックスしてくれへん?」

「ブッふぁ―ッ!」

おれは驚きのあまり口に入れたコーヒーを誤って鼻孔へ流し込んで

吹き出してしまった。それはまるでド真ん中のストレート勝負を挑

まれて手も足も出せない打者のように言葉がなかった。それでも彼

女は落ち着いていて、テーブルにあったクロスで拭こうとしたが、

おれはそのクロスを引き取って自分の粗相を始末しようと屈んだ。

すると目の前にはショートパンツから伸びた彼女の脚が塩化ビニー

ルのような光沢で艶やかに聳えていたが、それ以上見上げることが

出来なかった。

「嫌っ?」

「どっ、どうしたん?急に」

「やっぱり嫌なんや」

「いっ、嫌やないけど、急に言われた誰でもびっくりするやろ」

「そしたら、してくれる?」

おれはそのストレートの球には手を出さず、

「きれいになったね」

そう言って彼女の肩に手を伸ばすと、良子ちゃんはギラついた眼を

ゆっくり閉じた。その彼女の背後ではアンちゃんが笑っていた。

 ところが、良子ちゃんにとっておれは単なる手段にすぎなかった。

キスを交わした後で、

「ごめん、歯磨いてくれへん?」

タバコ臭いと言われた。

「歯ブラシないで」

「ある」

彼女は「おれ用」の歯ブラシまで用意していた。おれはエサを前に

「待て」と言われお預けを強いられた座敷犬のように、その気など

端からなかったように装いながら、

「ごめんごめん、ライブやると無茶々々タバコ喫うてしまうからな」

そう言ってバスルームに行くと、今度はバスタオルと陳列用のフッ

クが付いたままのブリーフを渡された。おれはもう女王様の命令に

はどんなことでも従おうと思った。シャワーを浴びただけでは納得

できないと言うのであれば香水を頭から浴ったて構わなかった。臭

いというのは不思議で人が鼻を曲げる程には自分の臭いに気付かな

い。それどころか自分だけはそれほど臭わないのではないかと思っ

てしまい、やがて他人もそうなんじゃないかなどと、とんだ勘違い

に到る。この臭いに対する認識の違いが自己と他者の差異を生む根

源なのだ。そして、他人の臭いが許せる許せないの分水嶺を人はど

のような条件の下で、環境や習慣や体調や利害、或は人間関係とい

った全く臭いとは関係のない理由で、受容したり或は拒絶したりす

るのかという研究は、心理学や行動学においても等閑(なおざり)に

扱われていることが信じられない。凡そ我々が愛着を感じる匂いと

はクサイのだ。そして共同体とはその臭いを共有することである。

「はい、これっ」

良子ちゃんはバスルームから出てきたおれにコンドームを差し出し

た。そんなものまで用意していたのだ。

「何これ?」

「それ、つけて下さい」

「付けられないよ」

「どうして?」

おれは彼女が用意したブリーフを履いていた。元々はトランクスし

か履かなかったが、彼女がブリーフを隆起させて反り返る男根に妄

想を逞しくしているので女王様に従ったが、そのブリーフを下ろし

て萎えた風船を曝してやった。

「キャ―っ!」

「ほらっ、付けられへんやろ」

「何で大きならへんの?」

おれはその原因を彼女と一緒に丁寧に探りながらコトは始まった。

「ほら、ここで付けるんや」

もう良子ちゃんは何も聞いていなかった。そして、良子ちゃんが女

に生ろうとしているベットは、かつて、おれが彼女のお兄さんに誘

われて初めて男に成ったベットでもあった。ただ、アンちゃんが笑

ってる写真はこの部屋からは視線が届かなかった。

 おれは良子ちゃんと合体して、世界征服を企(たくら)む悪人共を

やっつけようと愛とセイギの為に立ち上がった。しかし、横の壁か

ら悪人どもの嘲笑うような声がした。

「・・・ゲキョウ、なむみょう・・・、南無妙法蓮華経、南無・・」

「何、あれ?」

良子ちゃんは合体に集中してそれどころではなかった。作業を一時

停止して彼女の頬を叩いて気付かせると、

「ええっ?」

「何か聴こえるで」

良子ちゃんが言うには、隣の部屋のおばあさんがお経をあげている

というのだ。おれが、アンちゃんが居た頃はそんなことはなかった

と言うと、どうもアンちゃんが死んでから入信したらしい。おれも

隣のおばあさんとは何度か廊下で出会って挨拶を交わしたが、年は

いっていたが穏やかな人柄で、何よりもアンちゃんを孫のように可

愛がっていた。

「出てくるんだって、お兄ちゃんが夜になると」

「ほんとっ!」

「管理人さんから聞いたんやけど、お兄ちゃんがこっちへ来いって

呼ぶんやて」

「どうする?」

「えっ!」

「やめる?」

「いややっ!」

良子ちゃんはおれの身体を引き寄せた。まったく大阪に住む者は宗

教などを畏れていては暮らしていけない。夕方に裏通りを歩けばこ

の種の独唱は何時でも聴ける。いや独唱どころか輪唱も時にはコー

ラスさえ耳にする。休みになればそれぞれの新興宗教の信者が新聞

の勧誘員と競うようにして家々を訪れ、人々は洗剤ではなく霊験に

縋って三ヶ月契約で入信し「あすこはご利益がない」と言っては別

の神仏に乗り換えるのだ。高校野球を観れば一目瞭然で、大阪と謂

わず関西から甲子園に出場するのは神仏の加護に縋る高校ばかりだ。

さながら大阪は新興宗教のメッカ(?)のようだ。ただ、それほどま

でに神仏が蠢き信仰に篤い人々が集いながら、何故か大阪の街の暮

らしは悪くなる一方だ。

「音楽流そうか」

たまたまCDに入っていたアンちゃんの唄をかけてボリュームを上

げて再始動した。すると、おばあさんはその歌を「祓い」除けるか

のように更に大きな声で唱え出した。

「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、・・・・」

しかしおれも愛とセイギの為に止めるわけにはいかなかった。おれ

はおばあさんのお経に負けまいと必死で合体し続けた。おばあさん

もまるで二人の動きを見透かしているかのように早口で唸り始めた。

いつの間にかおれはおばあさんが唱える五字七字のお題目のリズム

に合わせて腰を動かしていた。良子ちゃんも我を忘れて節目ごとに

喘ぎ声を発した。全く関係ない話しだが、民謡の合いの手はこれが

由来に違いない、そう思えるほど三人の息が合っていた。一回裏表

の攻防が終わるとおばあさんも同じように休んだ。我々が再びCD

をかけて二回の攻防を始めるとおばあさんは遅れてならじと応援席

からお経を唱え始めた。我ら愛とセイギの味方と世界征服を企む教

団の闘いは熾烈を極め、二人は不浄を祓うお経の中でさながら冥府

魔道に堕とされた餓鬼のように求め合い、深夜を過ぎても決着がつ

かず夜が白み始める頃、遂におばあさんのお経も絶えて、戦いは若

さに優る我々の五回裏コールド勝ちで決着した。悪人どもから愛と

セイギを守った二人の戦士は、世界が黄色くなってしまったことに

驚いたが、夕方まで死んだように眠った。

 良子ちゃんが聞いたところによると、あの夜、おばあさんはいく

らお教を唱えてもアンちゃんの呼ぶ声が消えなかったらしい。どう

もアンちゃんのCDを流したのがいけなかった。

 それから、良子ちゃんは路地を歩いていてあのお経が聴こえてく

ると欲情すると罰当たりなことを言っては、おれがライブをしている

城天に現れた。それでも良子ちゃんの眼は、新しい飼い主が現れ

て間一髪でガス室送りを免れた座敷犬のように穏やかさを取り戻

した。一方、おれは、何も明かす必要もないのだが、あの日から

下着を長年愛用していたトランクスから女王様お気に入りのピッチ

ピチのブリーフに変えた。

          (17)

 おれの反儒教革命は、教師だけに止まらず保護者達からも、社会に

出て敬語や礼儀が身に付かないようでは困るとの理由から、冷たい

眼で見られるようになったが、それでも、徐々に生徒たちは温かい

眼を返してくれるようになった。夏休みの間に福沢諭吉を読み漁り、

教師の北森さんに教えられて古文の引用が多くて読み難い丸山眞男

も読んだ、お陰で古文の成績は良くなったが。彼は、著書「日本政

治思想史研究」の中で、明治時代の比較的「保守的」な倫理学者・

西村茂樹の以下の文章を引用として次のように紹介している。

「儒道は尊属の者に利して卑属の者に不利なり、尊属には権利あり

て義務なきが如く、卑属には義務ありて権利なきが如し、国の秩序

を整ふるは、此の如くならざるべからずと雖ども、少しく過重過軽

の弊あるがごとし」西村茂樹『日本道徳論』岩波文庫版、29頁

 つまり、明治の「保守的」な倫理学者でさえ、今の言葉で言えば、

儒教は依怙贔屓(えこひいき)が過ぎると認めているのだ。

 更に、福沢諭吉は「学問のすヽめ」の中で、

「名分と職分とは文字こそ相似たれ、その趣意は全く別物なり。」

と云い、名分と職分の混同を諌めている。本来、肩書きというのは

職分であって決して身分ではない。ところが、我が国民は封建社会

の奴隷根性が棄て切れないまま文明開化を迎えて、職分の何たるか

を知らずに「肩書き」を身分と勘違いしてしまい、自らの異見を述

ずに上意に渋々諾々と従うことが大義だと思っているのだ。

 以下はおれの考えだが、そういった上下貴賎の名分を甦らせたの

は思想道徳ではなく、序列の低い者だけが強いられる敬語や礼儀が

残されたままであるからだ。我々の恭しい敬語や礼儀は相手の職分

に対して払われるのではない、身分に対してなのだ。しかし、グロー

バル化した世界はやがて言語をもグローバル化されるに違いないだ

ろう。その時、恐らく日本語は複雑怪奇な敬語やまどろっこしい漢字、

回りくどい言い方など情報伝達手段としての能力が疑われ陶汰され

るに違いない。幾通りも在る主語の中から相手の立場を慮って使い

分ける日本語が英語のYOUに駆逐され、やがて日本語は伝統文化

を懐かしむ一部の国粋主義者の慰みに過ぎなくなって絶滅すること

だろう。IТ化によって更に公用語として英語が使われるのは間違い

ないだろう。だって、キーボード入力すればそれだけで文章が作れる

んだ、つまりややこしい漢字変換など不要なのだ。加えて、日本語

を使っている限り上下貴賎の身分を意識せずに自由に語り合うこと

など出来ないからだ。そんなまどろっこしい言葉がグローバル化した

世界の公用語として採用されるわけがない。

 朝立ちのない目覚めを迎えて、久々に登校時間に間に合うように

学校へ行った。校門には、あの国家主義者の、つまりは社会主義者

の山口が待ち構えて生徒の身形や言動を検査していた。おれはシカ

ゴから教えてもらったアメリカンスタイルで「ハーイッ!」と言っ

て通り抜けようとした。

「待てっ!古木」

「はあ?」

「何じゃ今の挨拶は」

「アメリカ式」

「なんやと、お前は未だにまともに挨拶もできんのか」

「『ハーイ』って言うたやんか」

「お前は教師をなめとんのか!」

「反対やて、山口さんが生徒をなめているからそう思うんや」

「どういうことや?」

「あんたがちゃんと挨拶するんやったらおれもするって」

「ほんまか」

「する!」

「日本語でやぞ!」

おれは真っ直ぐ立って、

「お早うございます」

そう言って頭を下げた。すると教師の山口さんが、

「お早うございます」

と言って頭を下げた。少し気持ち悪かったけど対等な関係での等価

交換が成立した。大袈裟に言えば、それは憲法で保障された「法の

下の平等」が実践された瞬間であった。その様子を登校してくる多

くの生徒が立ち止まって見ていた。気まずそうに山口さんが、

「早よう行け、授業が始まるぞ」

「はい」

これを読まれた年長者の方々は忌々しく思われたかもしれない。実

は我々は序列を越えて対等の立場で話せる言葉を持っていないのだ。

いきおい若者の言葉が乱暴に聞こえたりするが、標準語そのものが

立場の違いによって言葉を遣い分けるように仕組まれている。我々

は言葉遣いによって序列化されている。しかし、言葉は情報が優先

されるべきならどんな言葉であれ権威や都合によってその質を変え

られてはならないはずだ。グローバル企業が挙って敬語のない合理

的な英語を社内の公用語として採用するのには、日本語では身分の

「肩書き」を越えて忌憚のない異見を交わせないからではないだろう

か。

 グローバル社会では、挨拶だけでなく頭を下げるなどの礼儀もま

た「卑屈である」という理由で削除されるに違いない。我々は子供

の頃から意見を述べただけでも「口ごたえするな」と言われて弁明

など許されなかった。何らかの瑕疵(かし)があってその経緯を説明

しようとすれば未だに「言い訳がましい」と言われる。黙って過失

を認めて頭を下げるのが責任を負う者の清い「姿勢」なのだ。しか

し、責任を当事者に負わせるだけで果たして問題が解決するのだろ

うか。「何故そうなったのか?」という原因を探ることよりも非難

の的にして頭を下げさせて謝罪させることの方が大事だろうか。果

たして、社会的な非難に曝された者がそれでも挫けずに真実をあり

のまま洩らす勇気を持ち続けられるだろうか。説明責任という言葉

を近頃頻繁に耳にするが、説明責任を果たされて経緯が明かされて

納得した例がない。何れも平身低頭して「私が悪う御座いました」

と言って終わってしまう。敢えて言うなら、社会は責任者を非難し

て形ばかりの謝罪を求めるのではなく、もちろん被害をあたえた方

にはそうしなければならないが、責任を負う者の「言い訳がましい」

説明責任こそ求めるべきではないだろうか。

 以前、ビジネスホテルのオーナーがホテルを建てる際に建築審査

後に身障者用の部屋を違法改造していたことがバレて、その説明会

見で正直な心の中をあからさまにして世間の顰蹙を買ってしまった

が、こと説明責任に関して言えば、あれほど正直な説明責任を果た

した人物はいなかった。しかし、彼は非難に曝されると一転して何

を聴かれてもひたすら頭を下げるばかりで芝居掛かった涙の謝罪ま

で演じた。それでは何故彼は態度を一変させたのだろか?社会の非

難を真摯に受け止めて反省したからだろうか。それとも本当のこと

を話したことに後悔したからだろうか。

 果たして我々は、「謝ったら終いや」と黙ってひたすら頭を下げ

て非難をやり過ごす者と、腹立たしいことが明かされるだろうが経

緯を正直に語る者と、どちらが今後の社会に活かせると思っている

のだろうか。これは責任者だけの問題ではなくそれをどう受け止め

るのか、我々もまた問われている。ただ非難すれば問題が解決する

わけではない。個人的な感想を言えば、前出のホテルオーナーが言

った「時速60キロ制限の道を67~68キロで走ってもまあいい

かと思って」いる経営者は、決して彼一人だけではない。
                             
 人が他人からどう呼ばれているかで凡そのその人の立場が把握で

きる。学校の中で、生徒は教師を呼び捨てに出来ないが、教師は生

徒を呼び捨てにしても何の疚しさも感じない。互いに年齢、性別や

立場による「序列を弁えて」いてことさら問題にもならない。もち

ろん序列を越えて親しみから呼び捨てで呼び合うこともあるが、そ

れは個別の問題なので措いて、社会の中で言葉によって他人と係わ

り合う限り、我々の言葉は平等性を担保し難い。年配者のほとんど

はそんなことはないと言うかもしれないが、それは序列の上に居る

から気付かないだけで、例に二十歳前後の若者とどんな話題でもい

い、例えば「日本は再軍備すべきかどうか」を聞いてみればいい。

幾ら話しても恐らく会話はかみ合わないだろう。意見の対立を言っ

ているのではない、それなら未だしも言葉が通じ合っているが、言

葉そのものが通じないのだ。社会性を帯びた若者は、というのはど

うしようもない野郎は措いて、恐らくあなたの話しにも快く頷いて

くれるかもしれないが、しかし多分、自らの考えは決して話そうと

はしないだろう。結果、あなたが一方的に語るばかりで彼等の乏し

い反応に、あなたは「何を考えているのか解からない」と吐き捨て

るかもしれない。ところが、若者たちは自らの言葉を矯められ目上

の者に対する敬語を強いられて、その上で年長者に自らの意見を述

べることに戸惑っているのだ。こうして我々の差別言語は世代間を

越えた議論が生まれないまま、序列によって権力を手にした老人た

ちによって、もはや新しいものなど何も生み出せない彼等によって、

旧い石板に書かれた秩序や道徳や価値が再び見直されようとしてい

る。

 若者たちよ!敬語を棄よう!

 頭を下げてばかりいたら前が見えんようになる、

 間違ってもええやん、自分の言葉でしゃべろう!
 
それから、「学問のすヽめ」を読もう! 

          (18)

 教師の山口さんが、あの日から病気の為に学校を休んでしまった。

何でも癌が見つかったらしい。

「ああ―ぁ」

判っていたら詰まらない警戒心は解いたのに。校門で交わした朝の

挨拶が脳裏に浮かんだ。思えば、あんなに物分りのいい山口さんは

初めてだった。病気を克服されてまた朝の挨拶をしましょう。

 考えてみれば、思想などと言ってもその殆んどが本人の置かれた

状況から派生するのだ。おれにしても親父の会社がコケなければ、

決まった道を進んでいたことだろう。そうすれば今のおれの考えを

きっと敗者の思想と嘲笑っていたに違いない。要するに、思想とは

幾ら綺麗ごとを言っても、手に入れた権力を奪われない為の、或は

耐えきれない暮らしから逃れる為の、所詮方便に過ぎないのではな

いか。高尚な思想(ゾルレン)と雖(いえど)も存在(ザイン)が立ち行

かなくなれば忽ち役立たずとして見捨てられるのだ。我々は思想な

ど語っているのではない、ただ生い立ちを語っているのだ。

 大阪の街はバブル経済崩壊後も、バブル期に計画された大規模な

都市再開発を見直すことなく、否、返って景気回復になるといって

借金をしてまで断行した。それは、金融は破綻しても実体経済は堅

調で、金融が改善すれば再び景気回復すると大方の専門家の意見に

同調するものでもあった。しかし、結果は火に油を注ぐことになり

財政は火の車となった。ただ楽観主義の大阪人はそんなことなど気

にもしなかった。

 ある日、学校から戻ると珍しく母が居た。さらに珍しいことに夕

飯の用意までしていた。

「今日休みやさかい晩ごはん一緒に食べよ思て」

「ええーよ、後で食うよ」

「違うねん、ちょっと話しがあるねん」

「何?」

「まあ、座り―な」

おれは仕方なくテーブルの椅子に腰を下ろした。すると母はお茶を

入れながら、

「あんた、ちゃんと学校行ってんの?」

「行ってるよ、いま戻ってきたやろ」

「そやな、それでちゃんと卒業できるの?」

「・・・」

実は、進学を諦めた時にもう卒業などどうでもよくなった。もの心

がついた時から轡(くつわ)を噛まされて競争を勝ち抜くことを教え

込まれ、馬主がいなくなった途端に檻から追い出されて今日から

自分独りで生きていけと言われても、頭の中は「?」だらけで呆然

とするばかりだった。ただ、もう学校に留まるつもりはなかったので、

その時はやめるつもりでいた。母にはそんなことを言いたくなかっ

たので、箸をとって唐揚げを突き刺してそれで自分の口を塞いだ。

「学校に聞いたんやけどな、出席がギリギリやって言うてたで」

「何でそんなこと聞くのん」

そんなことは充分知っていた。つまり、考えながら休んでいたのだ。

すると母は、

「実は、あんたが卒業したら、わたし結婚してもええやろか?」

「ええっ!」

母は所謂水商売で働いていた。当然常連の客と懇(ねんご)ろになっ

てそういうこともあるかもしれんと覚悟していたが、実際に起って

みると母を奪われたような淋しい気持ちが沸いてきた。母はもうそ

ういうことに懲りて引退したものと思っていたので、自分が排除され

た新しい関係を築こうとしていることに少し裏切られた思いがした。

「誰と?」

「会社の社長さんなんやけど、日本の人と違うねん」

「がっ、がいじん!?」

「まっ、外人いうても、中国の人なんや」

「中国人?」

「そう」

「何の仕事してるの?」

「貿易」

「ふーん、何か金持ってそうやな」

「持ってはる」

「ははっはっ」

母と二人で笑った。

 母が言うには、その人は中国人と言っても神戸生まれでもちろん

日本語を話せるらしい。父親が食材などを輸入する会社を細々と営

んでいたが、彼が後を継いでから中国政府の政策転換によって急に

取り扱いが増え、今や何でも扱う貿易会社へと成長したらしい。

「幾つ?」

「わたしより三つ上」

「もしかしてバツイチ?」

「そう」

「子供は?」

「二人おる」

おれは彼女の足を引っ張るつもりなど毛頭なかったが、それでも直

ぐに母子関係を改めることができなかった。しかし、一方ではこれ

からは自分のことさえ考えればいいという、肩の荷がひとつ減った

ような開放を感じた。呆然としてると、母が、

「あんた大学行きぃな、行きたいやろ大学!」

「えっ」

「行かしたげる言うてくれてはんねんって!」

「ええ、もうやめた」

「何でぇ?せっかく言うてくれてはんのに」

「まさか、その為に一緒になるんと違(ちゃ)うやろな!」

「何を言うてんの、アホ!」

日本人が知っている中国人は戦略家や軍人や道徳家といった社会的

な教訓を垂れる人か、或は都での夢叶わず郷里の山紫水明に想いを

虚しくする詩人達か、何れも何千年か何百年も前の人物ばかりで、

現代に至るも専ら政治家ばかりが鹿爪顔をマスメディアに曝して、

情を通じ合える縁(よすが)がなく、個人の顔が全く見えないことに

驚かされる。いったい彼等には個人的な情感というものが備わっ

ているのだろうか?そもそも彼等は笑うことがあるのだろうか?

総てが謀(はかりごと)のように思えてしまうのは何故だろうか。

「個人主義は敵だ!」という国の人に援けられてまでして進学した

いとは思わなかった。ただ、中国人のお笑い芸人でも出てくりゃあ

チョッとは見方が変わるんだけどな。

 自分の母親がよそのおっさんに体を許すと想うと何とも言えない

虚しさに襲われた。例えば娘であればそんな風には想わないのだろ

うか?変な言い方かもしれないが、自分の還る場所を奪われたよう

な、自分の生い立ちを逆に辿っていくと最後の最後で母の胎内の入

口の前に見知らぬおっさんが立っていた。それでも母はおれのもの

ではない、彼女自身のものである。

「えっ!かめへんの」

「ああ、おれが決めることちゃうやろ」

母はおれが卒業したら中国人のおっさんの処へ行くことになった。

おれは頑なに進学の話しを断ったが、それでも心の片隅で卒業だけ

はしておこうと細い糸を切らないように心掛けて、それから休まず

に登校した。

 今や教育は英語を小学校から始めようとしているが、言語教育と

はただ言葉を覚える限りに非ず、文化や考え方、ともすれば生き方

さえも覚えることになる。一方では支那が起源の儒教道徳を強い、

儒教道徳を説く者が何故中国を嫌うのか理解できないが、そこでは

道理があって後に人が存在すると説くが、他方、英語教育では人間

の「自然権」を認める個人主義社会の言語を覚えさせる。それで学

生が序列道徳と平等意識を混がらがらずに使い分けることなどでき

るだろうか。英語は、教師であれ親であれ年上であれ年下であれ、

総て「YOU」で済む。そこには序列による呼び方の違いなどない。

何れ「英(易)語は漢(難)語を駆逐する」に違いない。そしてそれは

ただ言葉が変わる限りに非ず、やがて敬語がなくなり序列道徳が崩

壊するだろう。おれは日本文化を守ろうとする人はアメリカの軍事

圧力なんかより遥かに英語教育を脅威に感じるべきやと思うけどね。

それでも「文化は易きに流れる」だから仕方がないか。

「グッドモーニング!北森さん」

「おまえはウィッキーさんか?」

「古!」

          (19)

「みんなが受験で休みだしたらお前は毎日学校へ来るんやな」

北森さんに毎日登校するようになったことを揶揄(からか)われた。

「来んでも卒業させてくれるんやったら来(け)えへんで」

 父兄始め卒業生や教師達にとって目障りなおれは、その頃、福沢

諭吉に共感して「反儒教革命」というビラを作って部室の前に誰で

も取れるように紐を通してぶら下げていたが、それが問題になって

校内の風紀が乱れるとの理由で、おれだけでなく軽音楽部まで槍玉

に挙げられた。そのビラには、

「敬語を棄てよう!」

「序列に諂(へつら)うな!」

と銘打って福沢諭吉の言葉を紹介した。ビラは瞬く間に紐だけを残

して無くなった。それでもおれ達は風紀が乱れるなんて思ってもいな

かったが、というのは部活内では以前から敬語なんて使っていなか

ったし、それでも何の問題もなかった。ただ、顧問の女教師は泡を食

って部員を集め緊急の部会を開いた。早速、女教師の清水さんは

誰かに言い含められたように、目上の者や教師に対してきちんと敬

語や礼儀を正しましょうと言った。すぐにおれが口を挟んだ、

「教師が学生に対して敬語を使うならおれ達だってそうするけど、

乱暴な言葉使いはどっちかと言うと教師の方がひどいやないか」

そう言うと一部から拍手が起った。

「だってあなた達は生徒でしょう!」

「だから何なんですか?それがおかしいっていってるんですよ」

「でも教師が生徒に敬語を使う方がおかしいでしょ」

「だから敬語を使うのはやめようと言ってるんや。おれはそういう

封建的な序列意識を改めようと、これはなあ、あなた、革命なんや、

文化革命なんや」

「そんなことはこの中だけにしなさい。学校中に広めないで下さい」

「それでもクラブの皆は賛同してくれたんや」

ここで大きな拍手が起った。

「それで一体何が変わるというの」

「身分や年齢や性別による言葉の差別がなくなる」

「そんなの嘘よ!なくなる訳ないわよ。」

するとシカゴが口を挟んだ、

「なんや、先生も結局差別があることは認めてるんや」

そこでおれがビラに書いてある憲法第14条を読んだ。

「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会

的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、

差別されない。」「ほらっ。おれはただ、下の者だけに敬語を強いる

のはやめようと言ってるだけなんや」

「そんなこと学校が認めるわけないでしょ!」

「認めてくれなんて言ってない、ただ、おれ達が使わんだけや」

「そんなことすれば社会に出て困るのはあなた達よ!」

「その考え方が間違っているんや。それじゃあ社会というのは間違

っていると思っても、困りたくないから黙って従ってるんですか?」

教師の清水さんはそれ以上は何も言わなかった。そして、

「わかりました。わたしはもうあなた達を指導することが出来ませ

んので、今日でこのクラブの顧問を辞めます」

そう言って全くこっちを見ずに出て行こうとした。

「先生!待って!」

咄嗟に「先生」という言葉がでてしまった。彼女はドアの寸前で立

ち止まっておれを睨んだ。

「あなたが辞めるのはどう考えてもおかしい。相談もせずに勝手

な運動をしたおれに責任があるんやから、辞めなあかんのは自

分の方です。それに三年生はもう部活をやめる時期やし、この際、

自分がやめます」

実際、一週間後には三年生を送る部会が予定されていた。そして、

「どうか清水さんにはこれからも顧問として残ってもらいたい」

そう言うと皆が一斉に拍手した。おれは信念を捨てて何度も「先生」

という言葉を使って慰留した。すると彼女も渋々ながら考えを翻し

てくれた。その後、女部長が提案して急遽、三年生の送別会をする

ことになった。おれは皆に迷惑を掛けたことを謝って、部長を選ぶ

投票が行われ、女生徒からの圧倒的な支持を得て一年生のシカゴ

が選ばれた。何度も言うがおれ達は学年による分け隔てが無く誰も

がタメで話し合えた。シカゴは堂々と新部長としての抱負を開陳した。

そして清水さんも顧問として、アンちゃんの悲しい出来事に触れた。

「わたしの力不足であなた達を守ってやれなかったことを本当に申

し訳ないと思っています」

そう言って泣き出した。我々の誰もがアンちゃんのことは心の奥底

にしまっていたのだ。思い出した女生徒の多くが連られて泣き出し

た。

「これからはもっとあなた達の相談にのれる顧問になります」

全員が湿った拍手を送った。そして今までどおり一二年生が歌う校

歌に送られて三年生が部室を後にした。

 おれの「反儒教革命」は、おれが部活を辞める事で軽音楽部とし

ての責任を取った形になった。部活内では敬語を排して分け隔てな

く活動していたが、おれはアンちゃんからそれを引き継いで校内に

まで広げようとしたが上手くいかなかった。元々、こうなるだろう

とは予測していた。そしてその時は辞めようとも決めていた。飽く

までもクラブ活動は学校内活動で、学校が認めない限り好き勝手に

出来るわけがなかった。しかし、そんなことを言えば、会社内であ

れ、地域内であれ、それこそ日本国内でも、序列の下の者は異見が

あってもただ黙って命令に従うしかないのだろうか。社員は経営者

に異見を述べてはいけないのだろうか。実際この国ではそうなのだ。

「分を弁えろ!」

そういう封建的な序列秩序こそが、客人のような若者の無関心を蔓

延らせ、独立不羈の志を萎えさせてきたのだ。敢えて言えば、数多

の企業で行われている行動や計画は、ほとんどの若者は命令される

から「仕方なく」取り組んでいるに過ぎない。命じられた成果を残

すことだけに齷齪(あくせく)し本来の意義や展開など知る由もない。

権力に諂い無力の者を嘲ていれば自分の立場が保てる。誰も「独立

不羈」の精神など養ってこなかった。しかし時代はひっくり返った。

若者を客人として迎えてくれる社会など無くなったのだ。卒業生の

多くは企業からの求人が集まらず、仕方なく失業対策の為の専門学

校へ掃きだされようとしていた。

 その後、マスメディアはおれ達バブル崩壊後に社会に出た世代を

「ロストジェネレーション」と呼んだ。元来それは第一次大戦後の

喪失感による厭世的で自堕落な世代を、主にアメリカの作家たちが

作品に描いてそこから生まれた言葉である。ヘミングウェイはそれ

を代表する作家だ。ただ、かつての「ロストジェネレーション」が

戦後の喪失感であったのに対して、我々の「ロスジェネ」はこれか

ら始まる戦争「前夜」の喪失感でないことを願うばかりだ。いや、

「ロスジェネ」世代は戦争アリなのかもしれない。戦争って一瞬で

閉塞状況をぶっ飛ばしてくれそうだし、そうでなきゃ一瞬で自分を

ぶっ飛ばしてくれる。おれもこうなったら「ロスジェネ」作家を目

指して小説でも書こうかな。「日はもう昇らない」とか、或は「武

器を取れ!」とか。

          (20)

 おれの「反儒教革命」は、卒業と共に終わろうとしていた。出来

ることなら革命を成し遂げるまで学校に留まって居たかったが、学

校の方がそれを嫌がった。あのビラ事件の後、教育指導の教師たち

に呼び出され、歴代の校長の写真がズラーっと掲げられた部屋で、

おれ達はその部屋を「北朝鮮の間」と呼んでいた、もちろん将軍様

の「御真影」は無かったけれど、その部屋で「教育」の社会的意義

のようなものを懇々と説かれて、要するに大人しく卵を産まなけれ

ばその内バラされるぞと嚇された。おれは、ドアの壁際から窓際ま

で並べられた歴代の校長の醜悪な写真に威圧されて、抗弁できずに

黙っていた。そもそも亡者たちの列に老醜を曝すことに何の恥らい

も持たない彼等の神経が痛ましく思えた。そして最後に教師のひと

りが、

「確か、君は留年したんだよね。だから登校しなくても『卒業させ

てやる』から、もう学校へは来なくていいよ」

そう言った。そこでおれは、

「それじゃあ、さっき「仰った」社会的意義に反するんやないです

か?」

そう言うと、それには答えず、別の教師が、

「おまえが来ると他の生徒の迷惑になるからな」

おれは目上の者や教師に憂ざったいと思われても、決して学生の迷

惑になるような主張をしたつもりはなかった。

「迷惑をしているのは生徒ではなく、あなた達やないんですか?」

「ああ、実際に先生方も迷惑してる」

「それでも、憲法ではそれぞれの思想信条の自由は認められている

やん?」

「そうかもしれん、しかし敬語や礼儀作法というのは長い間培って

きたこの国の文化なんや」

「文化って憲法よりも優先すんの?」

「まあせやな、憲法なんかよりずーっと前からそうしてきたんやか

ら」

 旧き良き時代に戻ろう言うのは現在を見失った者の戯言に過ぎな

い。人生であれ社会であれもう一度後戻りすることなどできないの

だ。過ぎ去った感情は取り戻すことなどできない。それはすでに我

々があの頃の自分にはもう戻れないからだ。尊敬や愛情といった感

情は押し付けたからといって生まれるものではない。この国の原理

主義者たちはその肝心なことがまるで解かっていない。「国を愛そ

う」だとか「親を尊敬しよう」などといくら叫んだところでそうな

るものではない。感情は理性の及ばないところで働く。すでに個人

にとっては、国家や会社や、家族でさえも方便に過ぎないのだ。我

々は「アイデンティティー」を本来の意味する自己自身に求めるし

かないないだろう。ところが、自己を見失っってしまった人々はそ

れを他者に求めようとする。チョンマゲを結った大人たちは全く何

も解かっていない。おれ達は表象だけの愛情や尊敬を「強いられる」

くらいなら、もちろん報われないことは覚悟の上で、むしろ「孤独」

でいる方が「アイデンティティー」を失すことなく自分に素直に生

きられるのだ。おれ達の嗅覚はすでに「道徳」の作為的な疚しさや

偽善的な青臭さに耐えられないのだ。おれ達は世代間の馬鹿げた序

列道徳に幻なりして、社会について話すことにも関わることにさえ

も虚しさを覚える「ロストコミュニティー」世代なのだ。

          (21)

 毎年の恒例で、一二年生が卒業を迎えて退部する三年生の歓送会

を催してくれた。アンちゃんがいた頃は、彼の親が経営する焼肉店

で開かれていたが、「今年はどうしよう」とシカゴが新部長として

始めての役目に頭を悩ましているところへ、と言うのはアンちゃん

の店なら全く予算の心配がなかったから、ところが程なく、アンち

ゃんのお母さんから顧問の教師へ連絡があって、「是非今年も今ま

で通り使って下さい」と言ってくれた。それを聞いてシカゴは拳を

握り締めて喜んだ。

 数年前までは、深夜になっても寝ることも忘れてハシャいでいた

街も、バブル崩壊後は、家々の屋根まで黄金で葺かれた輝く国「ジ

パング」が、実は藁葺きだったことを聞かされたかのように、今で

は人々も昼間でさえ夢遊病者のように憔悴しきったようにうな垂れ

て歩いていた。部屋の中で暇を持て余すことが惜しく思えるほど浮

かれていた街も、今年は秋の訪れがひときわ心寂しく感じられた。

枯葉を舞い散らす秋風が、これからどう生きればいいのか解からな

い意思を亡くした心の隙間に容赦なく吹き込んできた。歓送会へ向

かう通り道の商店街も人の往来がメッキリ淋しくなって、アーケー

ドにはバブルガム・ブラザースの「Won’t be long」が虚しく流れ

ていた。アンちゃんに教えられて、そしてカモられた麻雀の時によ

く唄った曲だ。相手のリーチに降りようかと思案していると自然と

「降りオリオー」と口ずさんでいた。すると、リーチを掛けた相手

が「やりヤリヤリヤー」とけしかけた。内容のないノリだけの曲だ

ったがバブル崩壊後の目的を見失った時代の気分によく合っていた。

 アンちゃんの親が営む焼肉屋はコリアタウンにあった。商店街の

路地を曲がると直ぐだったが、曲に誘われてつい商店街の外れまで

来てしまった。引き返して店に着くとシカゴが玄関で待っていた。

「遅いよ!古木、何してんの?」

「ごめんごめん!えっ、おれだけ?」

「あんただけや!もう来(け)えへんのか思たで」

シカゴに急かされて店に入ると奥の座敷には部活のみんなが揃って

いた。「Won't be long」どころか危うく「Won't  belong 」

するところだった。

 顧問の清水教師がアンちゃんの両親へ感謝の言葉を述べ、卒業生

が一人ずつ思い出を語って、シカゴが乾杯の音頭をとって歓送会は

始まった。気が付くと、良子ちゃんが店を手伝ってガスコンロに火

を着けて廻っていた。それぞれ五人が座る5台のテーブルの最後に

おれ達の卒業生の席にやってきた。彼女とは彼女が高校受験を控え

ていたのでしばらく会っていなかったが、見違えるほどに女らしく

なっていた。おれが、

「また一緒にお経を聴こうね」

そう言うと、

「あほっ!」

彼女はしっかりと自分の意見を言える女性になっていた。

「何?お経って」

ピアノで音楽学校への進学が決まっている元女部長が退屈して話し

に絡んできた。

「宗教?」

「まあ、そんなもんかもしれん」

「どんな宗教?」

「なんなら今度一緒にお経を聴く?」

それを聞いてた良子ちゃんは着火器でおれの肘を炙(あぶ)った。

「カチッ!」という音と同時に、おれは「熱っつう―!」と叫んだ。

「アッ!ごめんなさい!間違えて火が着いちゃった。大丈夫ですか、

お客さん?」

良子ちゃんはそう言い残して冷たく席を離れた。

 咀嚼に忙しかった口は空腹が満たされると、今度は喋ることに忙

しくなった。顧問の手前もあって禁酒禁煙だったが若い時は美味し

いもので満腹になればそれだけで充分酔えた。席を外してトイレに

行く途中で良子ちゃんが待っていた。

「ばかっ!」

「ごめん」

二人の立場は完全に逆転していた。しばらく会ってないうちにどう

してそうなったのか、一体どんな契機でそうなったのか確めたかっ

たが、彼女が身体を寄せてきて、

「キスして」

「今日はタバコを吸ってないからな、焼肉は食ったけど」

そんな契機はどうでもよくなった。トイレのドアが開いたので二人

はすぐに身体を離した。おれは何もなかったようにトイレに行った

が、戸惑いは勃起したペニスにも伝わってなかなか用が足せなかっ

た。 席に戻るとシカゴが言った、

「古木、卒業したらどうするの?」

「どうもせん」

実際何をすればいいのかまったく解からなかった。ほとんどの学生

は進学や就職が決まっていたが、自分は目的すら見つけられずにい

た。人は生まれてから家族や地域や学校や、またはマスメディアを

含めた社会の中で成長する。その中でそれぞれの生きる目的という

のは実は社会の所与であって自らの意思によるものではない。社会

なんてどうでもいいやと思えば途端に生きる目的を失って、ニート

か引き篭もりになる。彼等の無為は社会批判なのだ。そして社会の

所与ではない自分の意思による生きる目的を必死で捜しているのだ。

もちろん、おれも親父が倒産するまでは社会という大船に乗る心算

だった。ところが、一夜にして総てが崩壊し混乱しているうちに船

は出てしまった。呆然とする自分をもうひとりの自分が覚めた目で

眺めていた。やがて、その進路というのが本当に自分の意思が望ん

だものなのか怪しく思えてきた。深く想わずに「渡りに船」と社会

の所与に縋(すが)って生きていこうとしているのではないか。そう

思って世間を見渡すと、何のことは無い、誰も自分の意思によって

生きている者など一人もいないではないか。箱の中に押し込められ

箱の中で暮らし箱の中で死んでいくのが人間なのか。所与の世界で

しか人間は生きることが出来ないのか?もしそうだだとすれば、我

々は決して生きているのではない、生かされているのだ!社会など

に縋がらなくたって、たとえ船などなくたって独りで世の中を泳いで行

こう。自分で考え自分のやりたいことを自分で決めて生きていこう。

そう考えるようになると、箱の中での功名や他人の評価なんてどうで

もいいと思えるようになった。

「まあ、しばらく歌で凌ぐわ」

「いっそのことそっち目指したら」

「あかん、尾崎豊に先越されてしもた」

バブル期のミュージックシーンは螺旋の円周を狭める様にして過去

の模倣が繰り返され、衝撃を与えるほどのミュージシャンは現れな

かった。その中で唯一異彩を放っていたのが尾崎豊だった。彼は社

会の不条理に抗いながら生きることの苛立ちを歌った。26才の若

さで命を絶ったが、その早すぎる死に驚きはなかった。歌そのまま

に「この世界からの卒業」を果たした。それはまるで楽しみにしてい

た夏祭りで気に入った露店が見つからないまま参道を通り抜け裏

道に出てしまった子供のように、彼はこの退屈な世の中を通り過ぎ

て逝った。もしも、「生きる」ということが死に挑むことだすれば、彼

は命を惜しまずに生きた。

「シカゴ!カラオケ行かへんの?」

誰かが空腹の満たされた元気な声で幹事のシカゴに催促した。歓送

会の二次会は同じビルの上の階にあるカラオケと決まっていた。良

子ちゃんによると、アンちゃんのお父さんはあの事件の後、日本に

帰化してお母さんの氏名を名乗った。彼は祖先から繋がる族系を断

ってしまった。それは父系宗族を重んじる在日の者にとって民族ア

イデンティティーを失うことでもあった。さらにパチンコ屋もいず

れ人に譲る心算でいた。予(かね)てからアンちゃんが訴えていたこ

とだった。イカサマ商売を占有している限り在日は狭い宗族社会か

ら逃れることは出来ない。イカサマ利権は手放さず民族差別だけ訴

えても理解してもらえないだろう。自虐史観は日本だけのことでは

なかった。

「儒教道徳とはそもそも強い者に諂(へつら)う自虐道徳なんや」

アンちゃんはよくそう言った。
 
 軽音楽部の部員たちのカラオケ大会はさすがに聴き応えのあるも

のだった。おれもみんなに担がれて尾崎豊の「卒業」を歌った。カ

ラオケに飽いてそれぞれがオリジナル曲を披露する頃になると、

もう新しい日が始まっていた。

          (22)

 生活指導の教師から「もう登校するな!」と言われて、歓送会を最

後におれの高校生活は終わった。突然回線を遮断されて頭の中がジー

ンと痺れ、それまでの記憶が何度もリプレイされていた。世間では一

般に学校を終えると「社会に出る」という言い方をするけれど、社会

はそんな開かれたところとは思えなかった。どちらかと言うと「社会

に入信する」と言った方が合っていた。誰もが挙って社会の洗礼を受

けていたが、おれは洗脳されることを拒み自分の穢れた考えのままの、

箱からこぼれ落ちて隅を転がる一個のパチンコ玉だった。学校とは所

詮「会社」人、いや社会人、どっちも一緒か、を生む為の養成機関な

のだ。社会は形の揃った均一の部品を求める。そこで下請けの学校は

注文に答える為に部品検査を欠かせない。生徒の能力は基準を満たし

ているかどうか。記憶を詰め込むのは記憶以外のことで迷わせないた

めだ。不良品のチップは集積回路を忽ち集積「迷路」に変えてしまう。

我々は集積回路に埋め込まれた一個のチップなのだ。チップには一切

の思考は求められない。ただ、メモリー機能があるだけだ。入試が何

時まで経っても改まらないのは単に行政や教育者ばかりの責任ではな

いのだろう。企業は競争を勝ち抜く為には箱からこぼれ落ちる不良品

を引き受ける訳にはいかない。メモリー機能を逸脱して思考するチッ

プは不良品である。つまり、「我々は人間である前にまず社会人でな

ければならない。」

 丸山真男は組織の論理が優先する社会を「たこ壺」社会と言ったが、

「箱」であれ「たこ壺」であれ我々は所与の世界を変えることが出来

ないのだろうか。

 世界は所与されたものでそこで生まれた生き物はその中でしか生存

出来ないとすればそういうことになるだろう。例えば、魚はいくら陸

の上で生きたいと思っても叶わないだろう。しかし、かつて彼等の祖

先の変わり者が、ある日陸に上がることを想い付いて苦しみながら這

い出さない限り、つまり世界は所与されたものでその中でしか生きる

ことが出来ないものと思っている限り、地上で生きる数多の生き物は

存在しなかったのだ。水中では水の抵抗が大き過ぎて進化は限定され

ていたが、抵抗が少ない大気の下で自由を得た生き物は目覚しい進化

を遂げた。もちろんそれまでには計り知れない経過が在っただろうが、

つまり、世界を所与のものとして太古からの伝統に縛られていれば人

間は存在しなかったのだ。あらゆる生き物は所与の環境の中から生ま

れてきても、自らを変えるか、或は環境を変化させて世界をそれぞれ

に適うように創り変えてきたのだ。我々は何の為に存在するのかと言

えば、世界を創り変える為に存在しているのだ。旧い「たこ壺」へ引き

篭もって古(いにしえ)に想いを馳せていれば何時まで経っても新しい

世界を望むことなどできないではないか。もし、「たこ壺」が我々の精

神に合わなくなれば叩き割ったっていいんだ。太古の証しが我々の存

在の正統性を証明してくれるわけではない。仮にそうだとしても、だか

ら何だというのか。たとえ日本語が英語に取って代られるとしても先人

達が残した情感は今も我々の精神に受け継がれている。言葉を亡くし

たからといって我々がその魂までも失うとまで言えない。仮に何もかも

失ったとしても、それはより今日的な何かを手にしたからだ。現に我々

はサルの特性など棄ててしまったではないか。ただ残すばかりが大事

だとは思わない、その伝統を継ぐ者が、従って我々が旧い世界から這い

出して新らしい世界を生むことこそ大事なのではないだろうか。その時、

我々は尚も民族や国家に拘っているだろうか?更には、まだ人間に留

まっているのだろうか?

          (23)

 卒業が間近になってくると、卒業生の誰もが新しい社会へ羽搏こう

として変身し、脱ぎ捨てた抜け殻に未練を留めないようにと急にヨソ

ヨソしくなった。それまで愛想好く声を掛けてきた友人でさえ、顔を

合わしても目線を逸らそうとした。誰もが人生の岐路を迎えて飛び立

つ社会への不安と向き合っていた。この国では18才でその後の人生

が決まる。否、高校入試で既に決まっているとも謂われる。それまで

口にもしなかった仕事の職業訓練を目指す者や、事情があって進学を

諦めた優等生など、他人事ではあるが興味が尽きなかった。そんな中

で、大きな夢を語っていたのはお笑い芸人の養成所を受かった者一人

だけだった。

 おれは、登校しなくてもいいことを幸いに相変わらず城天で歌って

いたが、高校生として歌っている時と明らかに周りの見る眼が変わっ

てきて、何らかの決定を強いられるのが耐えられなかった。

「プロになるの?」

そう聞いてくる者もいたが、自分では納得できる曲が全く作れなかっ

た。地元でやり辛くなったのもあるが、城天で歌うことにも飽いてき

た頃、考え事をしていて私鉄電車の駅まで来てしまい、「そうだ!京

都へ行こう」などと思わず、何気なく京都行きの特急電車に吸い込ま

れた。実は、親父は京都生まれだった。テレビの付いた特急電車は「

テレビカー」と呼ばれて今では当たり前かもしれないが、その私鉄で

は随分以前から走っていて、子供の頃はそれに乗りたくて用もないの

に京都に連れて行くようにせがんだ。もちろん家にテレビはあったが、

多くの子供はテレビを持ち歩けるようになればいいのにと思っていた

ので、「テレビカー」は夢の乗り物だった。だから、「ワンセグ」が

出てもそんなに驚きはしなかった。むしろ遅すぎると思った。大阪市

内を離れるとノンストップで京都市内に滑り込み、親父の実家へ行く

時には、終点に着くと下りの各停に乗り換えて通り過ぎた下車駅まで

後戻りした。ただ、両親が離婚してからは一度も訪ねたことはなかっ

た。車窓からその辺りを眺めたが一瞬のうちに通り過ぎてしまった。

しばらく来ないうちに京都は様変わりしていた。碁盤割された洛中に

千年を越えて軒を連ねてきた瓦屋根の平らかな町並みは、盤を誤った

のか将棋の駒のようなビルが大地から生え出して高さを競い、一瞬に

して平安の暮らしを遮ってしまった。「平城」であれ「平安」であれ、

古(いにしえ)の人々は「平」の字に強い願いを込めたのではないだろ

うかと、平成の時代にふと頭に過ぎった。ただ、観光客に人気の街の

一角だけは取って付けたような京風が演出されていた。内外の使い分

けは京都人が古くから培ってきた生活の知恵である。権力の下では人

は面従腹背と懇ろになるしかない。親父はそれを臨機応変と説明した。

おれはその言い換えこそが京都人らしさだと思った。

 終点の三条駅はいつの間にか地下ホームになっていた。地上に出て

すぐに土下座像に驚かされて三条大橋を渡ると、鴨川の川原にはすで

に何組かの者が演奏していた。しばらく眺めてから、コンビニで地図

本を買い、歩いて「イノダコーヒ」へ向かった。そこは京都ではよく

知られた珈琲専門店で、親父と一緒に京都へ来た時は必ず連れて行か

れた。ここのコーヒカップは今も愛用しているほどだ。カウンターに

座って「コーヒ」を頼んで地図を眺めた。さすがにノッけから鴨川の

川原でやるには気が引けた。すぐに砂糖とミルク入りの「コーヒ」が

出てきた。スプーンで混ぜながら地図を見て、「城天」のような場所

を探していると円山公園が眼に留まった。円山公園の野外音楽堂とい

えば、かつて関西フォークの拠点として、高石ともや、岡林信康とい

ったシンガー&ソングライターの草分けを輩出し、あのザ・フォーク

・クルセダーズを産んだ伝説の場所でもあった。

「よしっ、決めた!」

おれは「コーヒ」を飲み干して円山公園に向かった。

 珈琲店を出るとその通りを下って町家を抜けた。京都は大仰に「京

都らしさ」を掲げた処ほど京都らしくない。それは観光客の要望に応

えて外向けに演出されたものだ。ただ、人の訪れることのない忘れ去

られた処で時間が止まった懐かしい風情と出会うことがある。静けさ

が心地よい町家の一角に質素な和菓子屋を見つけ、拳ほどもある牡丹

餅を買った。帰り際にはおばあさんの「おおきに」に送られて、それ

を頬張りながら八坂神社の石段を登った。

 日本の伝統文化といっても今やその精神は忘れ去られようとしてい

る。茶の湯にしても時代が大きく変わって「わび」「さび」さえ伝え

難くなっているのではないだろうか。合戦に明け暮れる戦国時代の武

士(もののふ)たちが、恐怖に苛まれて非道の限りを尽して殺し合い、

死屍累々たる戦場から生還を果たすと、まず、殺めた者への弔いと自

らの救いを神仏に祈り、一方、茶の湯は凄惨な戦場の対極にあって、

「わび」「さび」は儚きものに宿る美意識によって殺人鬼と化した昂

ぶる魂を鎮めて、再び日常を取り戻す為の重要なこころの拠りどころ

であった。こうして信仰や茶の湯といった文化は、武家社会の庇護の

下でその意義が認められた。ところが、武家社会の消滅と共に本来の

意義が失われ、今ではうら若き乙女達の花嫁修業になってしまった。

そこで行われているのは「お茶会ごっこ」である。同じことが寺院に

於いても言える。つまり、伝統文化といってもその由るべき社会が失

われれば意義そのものが希薄に為るのは避けられない。ところが、そ

の精神だけを無理矢理引っ張り出して再び蘇らせようとするところに、

我々のスノビズム、つまり社会そのものはすっかり変わってしまった

のに過去の精神が性懲りもなく現れてきて「武士ごっこ」や「戦争ご

っこ」といった古臭い精神論が語られる。ただ、旧いズボンのポケッ

トに忘れたものを取り戻そうとすれば、ポケットと一緒にズボンも付

いてくるということを忘れてはならない。ただ道に従えば自ずと救わ

れるというのは旧い世界のことだ。大仰に言えば、我々が今求めるべ

きは、新しい社会に相応しい新しい精神ではないのか。

 「古都」京都を蓋っていた厚く重たい歴史の雲は流れ去って、どこ

までも晴れ渡った観光日和の秋の空が「観光地」京都に広がっていた。

          (24)

 受験を控えた三年生にとって特にこの年末年始は大きな不安と共に

あった。それは単に入試が迫ったばかりではなく、これまでの社会の

ルールが大きく変わってしまったからだ。バブル崩壊によって、それ

まで年功を積めば勝手に昇級した肩書きは頭打ちになり、年功序列に

変わって能力主義が唱えられた。その代表が著しい発展を遂げたIT

関連のベンチャー企業だ。成功した若手起業家が連日マスメディアに

取り上げられ、IT社会こそがこれからの日本経済を支えるだろうと

語り、若者のベンチャー起業が持て囃されていた。ただその後、IT

バブルの崩壊と共にベンチャー起業も死語になってしまったが。

 受験もITにも縁のなかったおれは、去年と同じく年末の営業を掛

け持ちして廻っていた。何だ!おれだって若手起業家ではないか。と

ころが師走になって風邪をひいてしまった。恐らく比叡下ろしが吹き

荒ぶ底冷えのする京都で、胸を雪にされてしまったからに違いない。

喉の腫れが鼻からの呼吸にさえ刺激されて痛み、声が出せなくなった。

仕方なく部屋に独りで、というのは、母は年末から例の中国人のおっ

さんの家へ行ったきりで、母は「行ってもいいか」と聞いてきたので、

おれは年が明けたら京都へ出稼ぎに行く心算でいたので「いいよ」と

言った。コンビニから取り寄せてあったおせち料理で凌ぎながら侘し

く年が明けた。華やかさを演出するテレビを観ながら独りおせち料理

をつっついていると、家族は崩壊し進学の夢を諦め、更に今では就職

することすら困難な状況に在る自分は暗澹たる未来しか見えなかった。

「歌しかないか」

喉の痛みが治まって声が出るようになると、早速「京の冬の旅」に向

かった。

 古都京都はもの思いに耽るには絶好の場所だった。長い歴史を繋い

で来た時の移ろいはゆったりしていた。東山の山すその、古寺で落ち

葉でも燃しているのだろうか、甍の傍らから立ち上る煙りはもと居た

土地を離れることを厭うように山肌に靡いたと思うとしばらく中空で

濃くなって溜まり、それでも登ってくる煙りに上空へ追い遣られて薄

くなりながら広がり、山の端辺りで四方へ棚引いて、やがて古都の風

になった。その様子を何時までも眺めていたが、まるで天女が想いを

残しながら天上へ舞い上がる様を観ているようで、都会で見る工場が

吐き出す噴煙と違って「たおやか」だった。

 京都はまた学生の街でもある。そもそも学問とは古を知ることから

始まるのだから、古人の夢の址が残されていることは思索に勤しみ易

い環境なのかもしれない。それでは、反対に過去が一切残されない環

境では人間はやがてものを考えなくなるのだろうか?そこでは思考が

現実に優先するのだ。総ての考えは現実化されるが、考えに従って現

実が生み出され過去はすぐに消去されてしまう。例えば高層ビルが立

ち並ぶ近代都市とはそんな環境なのかもしれない。しかし、過去を失

くした者に未来が描けるだろうか。やがて思考は際限(再現)を失って

妄想を繰り返す。都会での思考が眼の前の現実に終始して殊更瑣末

なことに終始するのは過去を失ってしまったからかもしれない。如何な

る思想も現実の制限の中から生まれ現実を越えることなどできないの

だ。だから「我思う、故に我在り」は間違いで、「我在り、故に我思う」

なのだ。つまり、思想とはそれぞれの存在の反映でしかないのだ。だと

すれば我々は他人の思想をいくら学んでも自己に反映されないのでは

ないだろ

うか。我々は本を読んで思想に共感するのではない。ただ、自分の思

想を他人の言葉で確かめているだけに過ぎないのではないか。現実を

変えること、つまり、自分自身を変えること、それ以外に世界を変え

ることはできないだろう。何故そんなに新しい世界に拘るのかと言え

ば、それはおれ達がロストジェネレーション世代だからかもしれない。

世界を失った者は過去に縋るか新しい世界を生むしかないのだ。おれ

が学校で訴えた「反儒教革命」も、結局は人々の胸中深くに染み込ん

だ「儒魂」を一掃することが出来なかった。福沢諭吉が唱えた「独立

不羈の精神」は終ぞこの国には拡がらなかったではないか。人々は孤

独に耐えかねて自分自身を棄てて長いものに縋ったのだ。そして名分

を重んじる自虐道徳を排することは叶わなかった。世襲が蔓延し門閥

や序列社会に抗おうとさえ思わなくなった。自己を失くして卑屈に生

きれば餌と暖かい檻が宛がわれるのだ。この時代の閉塞感とは、自己

を棄てて社会に縋った自分達自身の閉塞感なのだ。つまり、社会が閉

塞しているのではない、我々自身が社会に閉塞されることを望んで

いるのだ。

 路上で歌い始めるとすぐに学生風の若者が集まって来たが、如何せ

ん儲けにはならなかった。夜になって盛り場へ移った。大阪の歓楽街

で何度かチンピラに絡まれ賽銭を巻き上げられてからそういう場所で

やりたくなかったが仕方がなかった。販売用のオリジナル曲のCDを

入れたバックパックの中に護身の為にサバイバルナイフを忍ばせてい

た。

          (25)

 底冷えのする木屋町通りには和装して着飾った初詣客が行き交っ

て京都の正月に相応しい華やかさだった。高瀬川の流れに逆らって

しばらく歩いてから邪魔になら場所を見つけて座り込みギターの調

弦を始めた。すると直ぐに、破魔矢を持ったほろ酔いの中年男女の

グループのひとりが面白いものを見つけたとばかりに憚ることなく

寄って来て、

「兄ちゃん、『シー ラブズ ユー』唄えるか?」

「ビートルズの?」

「ああ」

「ええ、唄えます」

「ほな、やって!」

そういってギターケースに千円札を放り投げた。中年は決まってビ

ートルズだ。ただ、おれの歌は聴こうとせず、この歌に纏わる自分

の失恋談を仲間の者に語り始めた。それでも暇を持て余した往来の

人々は何が始まったのかと覗き込み、すぐに胸の奥に閉じ込められ

ていた青春時代の恋愛の思い出が甦ってくるのだろうか足を止め、

おれの周りを囲む一重の人の輪ができた。そして、誰からともなく

手拍子が起き、更にリクエストに応えておれのビートルズメドレー

が始まった。ただ、唄ってる間に悪寒が始まり、治まっていた風邪

がぶり返した。熱に冒されながら熱唱していると最前列に陣取った

客の隙間から誰かがギターケースの賽銭箱に一万円札を投げ入れた。

それを見た客が「おおーっ」と声がしてその人物を確かめようと前

に居た客が振り返った。それまでおれは唄に集中して気付かなかっ

たが、客の一人が指すギターケースを見て中にある一万円札に驚い

た。曲を途中で終えて二つ折りにされた一万円札を確かめると何と

5枚も束ねられていた。投げ入れた者を尋ねると、前に居た客が立

ち去るロングコートの男の背中を指差しながら、「あの人、あの人」

と教えてくれた。後姿だけしか見えなかったが、行方の判らなかっ

た親父に間違いなかった。

 ああ、おれは一体どうしてこんな世界に間違って生まれてきてし

まったのだろうか。世界が存在しなければおれ自身も存在しないの

だとすれば、おれも世界の一部に過ぎないのかもしれないが、その

繋がりを見失ってしまった。だから卒業して演劇社会の中でひとり

の社会人を演じることの虚しさに耐えられなかった。かと言って自

分の中に何か存在するに足る想いが在るわけでもなかった。世界も

自分も全く信じることが出来なかった。つまり、自分の存在理由を

見失った。そんなものは端から在りはしないと解かっていても、役

に立たなくなった鶏のように首を絞められて肉にされるくらいなら、

さっさと自分で自分のケリを着けたかった。社会が全てではないと

言い聞かせても、それに変わる何かが自分の中に見つからなかった。

自分の想いが自分自身を離れて雲の彼方に在るように思えた。そし

て、よく自分にこう自問した、

「何でお前はここにいるの?」

それは何時だったか誰かに浴びせられた言葉だったが、言葉だけが

記憶されて誰に言われたかよく思い出せなかった。

 おれはギターを置いて「ちょっと」とだけ言い残して客を放った

らかしにして、闇の中に消えようとする見覚えのあるロングコート

の親父の背中を追いかけた。そしてその背中に「お父さん」と声を

掛けようとした時、おれは親父に「お父さん、お母さん」と呼ぶよ

うに躾けられていたんだ、ちょうどその時、傍で待っていた幼い女

の子が覚えたばかりの危なっかしい足取りで、それはまるで初期の

二足歩行ロボットのように、軸足に重心が掛かり過ぎて立ち止まり

転倒するのかと思えば巧みに上半身を操って前方に重心をかけてバ

ランスを取り戻すと今度はその勢いのまま前に駆け出して、おれの

親父に、「パパ!」と言って体を投げ出した。親父はいよいよ倒れ

るばかりのその子の体をいとも容易く抱え上げて愛おしそうに頬ず

りをした。そして、すぐにその子に従ってきた親父と年格好の近い

中年女性と言葉を交わしながら三人揃って歩き始めた。それは誰が

見ても微笑ましい家族の姿だった。おれはただ呆然と立ち竦んでそ

の男の家族が闇の中に消え入るのを見つめていた。ただ、親父は闇

の中に消え入る前にチラッと後ろを振り返って立ち尽くすおれを見

た。

 おれのライブを待っていてくれた観客が諦めてその場を立ち去り、

立ち尽くしたままのおれとすれ違い際に「お金、危ないよ」とか何

か声を掛けてくれた。仕方なくおれは再び舞台に戻りそれでも待っ

ていてくれた観客に詫びて、ビートルズの「No reply」を唄った。

この曲は斬新な曲だった。ジョン・レノンはよくイントロ無しの曲

を書いているが、例えばイントロが曲調をオーディエンスに知らせ

る為に用意されるとしたらいきなり始まることで衝撃を与えた。ロ

ックミュージシャンとしてのジョンの魂は退屈な曲を創らないこと

が徹底されていた。今では説教じみた賛美歌のような音楽が何と氾

濫していることか。初めて聴いた時は歌詞が解からなくて、それで

もサビで繰り返す「 I saw the light 」の「the light」は何か深

い意味があるのだと思っていたら、何のことはない歌詞カードを見

るとそのまんま部屋の「明かり」だった。そして、歌そのものも片

思いの男の未練たらしい歌だった。例えば日本語で「電気点いてた

じゃん!」なんて絶対に歌のサビにならない。

 ただ、「No reply」は親父に対するその時のおれの想いだったの

かもしれない。

 おれの親父は、日本の高度経済成長の流れにうまく乗り、やがて

その激流に呑み込まれて、遂にはバブル経済の崩壊という奈落に叩

き付けられて、結局何もかも失うという悔やみ切れない半生を送っ

た。ただ、彼は終ぞ自分の力で泳いだことなどなかった。三流大学

を出て学歴偏重の会社に嫌気が差して辞めてしまい、職を転々とす

る内に知人の建設業を手伝い始めると運よく建設ブームが起き仕事

が増え、すぐに独立して会社を起こし、その会社の資材置き場とし

て手に入れた荒地の傍に大学病院が移転して来ることになったが、

ところが親父の土地は区画から僅かに外れてガッカリしていると、

すぐに薬局の経営者が是非譲って欲しいと現れて、そこで破格の値

段をふっ掛けると相手はあっさり応じた。今度はそれに味を占めて

不動産業に手を出すと不動産バブルが起った。こうして親父の絶頂

は奈落に落ちる寸前に迎えた。一方、その学歴コンプレックスはわ

が子の教育に向けられて有名校への進学を厳しく求めた。試験の成

績が悪いと容赦なく鉄拳が飛んできた。一度はおれが避けた所為で

耳に当り鼓膜が破れたことさえあった。ただ、いくら殴られてもお

れは親父を尊敬し恨んだりはしなかった。親の虐待が日常になると

子も慣れっこになって、それが当たり前だと思ってしまうのだ。更

に学歴社会に苦しめられた体験談は説得力があって、それでなくと

も勉強の出来る子に対して学校だけでなく世間も一目置いてくれた

ので親父には逆らえなかった。社会は不平等な競争を黙認しながら

一方で過激な競争を批判する。しかし、いじめや虐待を助長させて

いるのはこのエゴ贔屓社会なのだ。
                
 おれは親父に会いたかった。会って、おれはこれからどう生きれ

ばいいのか聞きたかった。だから次の日も風邪の熱に魘(うな)され

ながらも同じ場所で路上ライブをした。夜も遅くなって人通りが途

絶え始め、誰もが寒さから逃れようと足早に帰路を急いで立ち止ま

ろうとしなくなったころ、背後から聞き覚えのある男の声がした。

「タカオ、元気だったか」

振り返って見ると親父だった。おれは許せない想いと縋りたい思い

がごっちゃになって咄嗟に何も言えなかった。おれと親父との気ま

ずい雰囲気を全く気にも掛けようとしない人々の日常が羨ましかっ

た。

「悪かったな、お父さんを許してくれ」

その言葉は弱々しく以前の逞しい親父ではなかった。

「ああ」

「学校はどうした?」

「もう諦めたよ」

親父はすこしうな垂れて、

「すまん」

残念そうに言った。

「お母さんは元気か?」

「ああ」

「そうか」

「・・・」

「おまえ、こんな処に居ったら風邪ひくぞ」

おれは親父の言葉に答えないで、

「何で逃げたんや?」

「あぁ?」

「何で皆を放たらかしにして逃げたんや」

「それには色々事情があって・・・」

おれは初めて親父のオドオドする姿を見たからかもしれないが、急

に怒りが込み上げてきて、それまで押し殺していた反感が口を吐い

た。

「それをちゃんと説明するのがあんたの責任やろ!」

怒りは順序立てて考えようとしないから暴発する。積み重なった過

去の忌まわしい記憶を引っ張り出すと積み上げられた思い出は容易

(たやす)く崩れた。

「タカオ、悪いけどもうお父さんは居らん思てくれ」

親父はそう言い残して立ち去ろうとした。おれは、熱の所為かもし

れないがその態度が許せなかった。わが子に厳しく接しながら自ら

にはその厳しさを課そうとしない態度だ。すぐに虐待を受けた幼い

頃の記憶や母への思い遣りのない言葉が甦ってきて、更に、昨日の

幼い子の姿が眼に浮かんで、おれは、今となっては、きっと熱の所

為だったとしか言えないが、バックパックの中のサバイバルナイフ

を握り締めて親父の後を追った。

 アカン、順序を辿って淡々と書こうと思ったのに感情的になって

端折(はしょ)ってしまった。ただ、もう気付いただろうがおれは親

父を殺めようとしたんだ。ただ、人はどうして殺人を犯してしまう

のか、その経緯を冷静に語ろうと思ったんだが、というのは実際の

殺人事件でもなぜ人を殺すことになったのか、そんな経験のない者

には全く理解が及ばないだろうから。そこには超えられない大きな

乖離がある。しかし、殺人を犯そうとする者は何故その乖離を飛び

越えてしまうのだろうか。などとおれが言うのもおこがましいが、

そうだ、まさに殺人を犯す者はその乖離を飛び越えてしまうのだ。

もちろん憎しみの感情が動機には違いないが、ただ、憎しみだけで

飛び越えられるものではない。世間には愛の数だけ憎しみが蠢(うご

め)いている。もしも憎しみが動機として認められるなら殺人事件は

桁違いに増えることだろう。そうならないのは簡単には飛び越えら

れないからだ。つまり、動機があっても人を殺めたりはしない。多

分、それは自殺の衝動に似ている。死にたくなったからといって人

は安易に叶えようとはしない。もしかして明日になれば生きていて

よかったと思えることが起るかもしれない。飛び降りるかブラ下が

るかの行為は後戻り出来ない大きな決断を強いなければならない。

そんな切迫した相克に迷う者は感情的な動機などどうでもいいのだ。

決断する者はそんな動機をすでに超克してしまっている。ただ、「す

る」か「しない」かの二者択一しか残されていない。だが、「しない」と

決断すれば再び動機を生んだ状況へ自分を棄てて舞い戻らねばな

らない。ところが、自らを死の淵へ追い込んだ絶望と死の淵から振り

返る絶望とは異なったものなのだ。つまり、絶望からの逃避はまだ

希望があるが、絶望への回帰はただの絶望でしかない。そこで、自

らを棄てて再び絶望へ回帰するよりも、自らを守るために乖離を飛び

越える決断をする。しかし、いくら絶望を回避しても希望は生まれな

いだろう、恐らく希望とは絶望を転化させるしかないのだ。

 おれは足早に立ち去る親父の背後を追い駆けてその勢いのまま握

り締めていたナイフを、親父の背中に衝き刺した。二人は重なりな

がら前へ倒れ込んだ。その拍子におれは親父の背中に突き刺さった

ナイフを手放してしまった。親父は、

「何をするんや」

と小さな声で言った。たまたま側を通りかかったアベックが行き交

う際に親父の背中に刺さったナイフを目にしたのかもしれない、

「ぎっや―ッ!」

と悲鳴を上げると、傍らにいた男も、

「人殺しや―っ!」

と叫んだ。

 おれは、薄れていく意識の中でそこまでは覚えているが、実は、

その後どうなったのかは全く記憶していない。

          (26)

あれは、確か中学2年の時だった。学校のテストで初めて学年一番

になって親父に褒めてもらいたくて急いで家に帰ったら、親父は仕

事で家に戻って来ず電話までも通じなかった。次の日が休日で、お

れはとても待っていられなくて京都の実家に寝泊りしている親父に

会いに行ったんだ。祖父母は高齢でしかも玄関の呼鈴が鳴らなくて

も日に三度は「今鳴った?」と二人で確かめ合うほどの俗に「ウナ

ギの寝床」と呼ばれる奥まった住まいで、ところが、呼鈴が来訪者

を伝える時は決まってテレビの大音量に掻き消されて気付くことが

なかったので、勝手知ったる「寝床」に入り込んで親父が使ってい

る部屋の襖を開けた。すると、親父と見知らぬ女が寝床の上でまさ

にウナギのようになって絡まっていた。振り向いた親父は暫く凍り

ついて、

「何でお前はここにいるの?」

そう言った。そうだ!あれは親父の言葉だったんだ。親父はだらし

なくウナギを垂らしたままの姿でこっ酷く叱って、

「お母さんには絶対に言うな!男の約束だぞ」

そう口止めされてゲンコツと同時に思わぬ小遣いまでくれた。あの

時の親父の顔は馴染みのある父親の顔ではなかった。もちろん中学

生ともなれば「寝床のウナギ」が何をしていたか位のことは解かっ

ていた。ただ、親父が言ったあの言葉が頭を離れなかった。

「何でお前はここにいるの?」

「何でおれはここにいるのだろう?」

 おれは世界中の色を混ぜ合わせて出来た黒い闇の中を彷徨ってい

た。目に届くのは満天に燦めく星の光だけだった。ところがその美

しさに見蕩れていると大地を踏み外して奈落へと堕ちてしまった。

それは止まることのない永遠の落下だった。落下は自らの意思で抗

うことの出来ない力だ。まるで命綱を断たれた宇宙飛行士のように

なす術もなく宇宙の果てへと堕ちていった。在るのは光と重力だけ

の宇宙空間だった。世界は光と重力で出来ているのだ。そして光と

重力は単なる「エネルギー」だ。さて、おれはその「エネルギー」

を何と言い換えようか?「神」と呼ぶべきなのか、それとも「愛」

とでも。ああ、言葉は何と無意味であるか!その無意味さこそが我

々の総てなのだ。神の言葉がすでに意味を失ったように、いずれ、

我々が残した言葉も笑い種になることだろう。何故なら言葉は移り

変わりを捉えることが出来ないからだ。それは昔に放ったウンコの

ようなものだ。再び出会うことになった時の何とばつの悪いことか。

おれは宇宙の孤独と語るために言葉を棄てた。在るのはただ光と重

力と自分だけだ。しかし、おれは本当のおれだろうか。過去の自分

を自分だと認めることが出来るだろうか?これからの自分を自分だ

と言えるだろうか?もしかして自分こそが他者ではないのか。果た

して自己すら認識できない者に他者の意味を問うことが出来だろう

か。こうしておれの認識は崩壊し自分自身を見失って光と重力に飲

み込まれて意識を失った。

  おれは親父を殺めなければならなかった。そうしなければひと

りで生きていくことが出来なかった。親父がおれに説いたことや諌

めたことを覆すにはそうするしかなかった。この自虐社会という宗

教から離脱してひとり生きるには、おれを自虐道徳で洗脳した親父

を殺るしかなかった。ただ、おれは決して憎しみだけで親父を殺ろ

うと思ったのではなかった。この矛盾した自虐社会をぶっ壊す為に、

つまり、「親殺し」はおれの「反儒教革命」の結論だった。

「儒魂」

「儒魂」

  • 小説
  • 中編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-16

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1.           (1)
  2.           (2)
  3.           (3)
  4.           (4)
  5.           (5)
  6.           (6)
  7.           (7)
  8.           (8)
  9.           (9)
  10.           (10)
  11.           (11)
  12.           (12)
  13.           (13)
  14.           (14)
  15.           (15)
  16.           (16)
  17.           (17)
  18.           (18)
  19.           (19)
  20.           (20)
  21.           (21)
  22.           (22)
  23.           (23)
  24.           (24)
  25.           (25)
  26.           (26)