身を粉にして(街にて)
父親は数年前にカリフォルニアに行って、マリファナ中毒になって、焼かれた骨だけになるという奇抜なダイエットの末に箱に詰まって帰ってきた。ハイテク業界は従業員を灰にしながら成長し、従業員はマリファナを吸いながら灰になった。その話を聞いた時、私はとても悲しかったけれど、母親がスマートフォンで他の男と連絡をひっきりなしに取り出したのを見て、その日から泣くのをやめた。二十二歳、私はまだ大学生だった。
母親は男とつるんで繁華街によく出かけるようになった。数ヶ月帰ってこないときでも、私は貯めたバイト代を食いつぶしながら生きた。始めのうちは、母親は実は理不尽にお金を稼ぐホステスとして身を粉にして――粉になるところは父親と似ている――私を助けてくれるのか思っていた。深夜に泥酔した男が入ってきて、母親と間違われて強姦された、その次の日に母親は帰ってきて、「アンタがいてくれてよかったわぁ」とお金を数えながら平然と言うので、ブチ殺そうかと思ったし、実際した。母親は火葬されて本当に身を粉にしてくれたが、葬式の費用は私の借金になった。二十三歳、学費が底をついて除籍になった歳だった。
九歳下の弟は生きているだけで生活保護がもらえたし、私も気に入っていたが、いつからか消えた。写真も取っていなかったので、今となっては毎月の給付金だけが彼の存在を――ないし、存在したことを――伝えている。とりあえず彼の写真――今では日に焼けて白い紙が残っているだけだ――の前に塩を盛って供養としている。彼も私の前で一応身を粉にしてくれていると見ることができる。二十四歳、コンビニのバイトで生計を立てるように成った歳だった。
私は日々の糧を稼ぐために狭い家を出る。夏の午後、アスファルトからはまだ夏の熱気が抜けていない。汚れた空気を吸わないように、私はフルフェイスのマスクをつける。安物のせいで、息苦しさを感じる、町には生ごみのひどいにおいが立ち込めている。没落した地方都市は中央集権の政策についてこれなかった。新しい機械は導入され、それを動かせる人間はだれ一人いない。コンクリートは濡れたように薄く汚れ、いつでもどこかに野犬がうろついている。
サイレンが鳴る。『防災■■市です。今日、十八時に■■市は消失します。市街へぬける道路は封鎖してあります。自宅で待機をお願いします』。
コンビニのバイトはかれこれ何年か続けている。店長は一応正社員で、「オレは一生ここから動かねぇ」と豪語していたので、何回か寝て、私をずっとバイトとして雇うことを約束してもらった。マゾヒストでレズビアンが好きな変態と寝るのは二度とゴメンだと誓った。
ヘルメットのバイザーが無意味に偏光板を使っているので、スマートフォンもいじれない。だから、私は通勤の暇をごまかすために道路をうろつく野犬を出来る限り蹴り飛ばすようにしている。最近では、犬の方が避ける。でも今までも蹴り殺されて裂けていたのだから、ちょっと漢字変換が違うだけだ。街は近くの工場団地から出る何かのせいで常に薄曇だ。けれど、工場団地が『健康に問題はない』と言っているし、政府もいきなり突然急に『安全みたい』と言って調査を打ち切ったのできっと安全なのだろう。打ち切りを知った日、私は辞書で『賄賂』と言う言葉をひいて、「なるほどなぁ」と言った。
サイレンが鳴る。『防災■■市です。今日、十八時に■■市は消失します。痛みなどは全くありません。自宅で待機をお願いします』。
顔に火がついた男が叫びながら転がっていて、現実に顔から火が出るくらい恥ずかしい人がいるのか、と感慨に浸った。道端に倒れこんでいた浮浪者が不用意に近づいて、巻き込まれて焼死した。肉の焦げるにおいが垂れ込めて、野犬の低いうなり声が聞こえた。
私は嫌に冷えきったコンビニに入る。店員も客もいなかった。大きくため息を付いて、私は、やってらんない、とカネだけ掛けたクソみたいなプロットのハリウッド映画に出てくるバカな金髪女みたいなセリフをほざいた。メットを外して、店の奥に行った。設定温度を十二度あげて二十八度にしてから、私は控え室に入った。店長が死んでいた。椅子に自分の体を括りつけて、カッターナイフを頸動脈に突き立てて転がっていた。「この人は私のために身を粉にしてくれはしないんだろうなぁ」と感慨に浸った。制服とネームプレートをつけて、レジに立った。腕時計を確認したら、十八時前五分だった。遠くで誰かの高笑いが聞こえて、突然途切れた。私は薄く口角を持ち上げた。彼が何に面白さを感じていたのかは分からないが、私を笑わせてくれたのだから、彼にも救いがあってほしいなぁ、と思った。
サイレンが鳴る。『防災■■市です。今日、十八時に■■市は消失します。住民の皆様は死にます。自宅で待機をお願いします』。
身を粉にして(街にて)