間違って生まれてきた君へ

間違って生まれてきた君へ (一)

 「ぼくはたぶん間違ってこの世界に生まれてきたんだ」と、確か

君はわたしに言いましたね。君は、檻に押し込められる家畜にも

、またそれらを搾取する飼育係にもはなりたくないので、きっと間

違って生まれてきたに違いない、と言いましたよね。そして、それ

でもいつかは世界が変わるという望みを持って留まるか、そうで

なければさっさと諦めて立ち去った方がいい、と言う君の考えが

愚かだとは思いません。それどころか君の言うことは理性的だと

さえ思っています。ただ、理性はわれわれの存在までも保証しな

い。何故なら、われわれは理性によって生まれ来たわけではない

からです。だとすれば、理性に生存を委ねることは過ちではない

だろうか?

 君は、ロマン・ロランの著書「ジャン・クリストフ」の言葉を引いて、

「わたくしがなにをし、どこへ行こうとも、終わりはつねに同じではな

いでしょうか、最後はどうしたってあそこにあるのではないでしょうか

?」と言いましたが、確かに結果だけを見ればそうかもしれません。

しかし、生きることは結果ではないのです。ロマン・ロランは、さらに

そのあとに自らの神の言葉として、「死にに行け、死すべきであるお

まえたち!苦しみに行け、苦しむべきであるおまえたち!人は幸福

ならんがために生きているのではない」と言い切り、そしてこう続け

ます。「わたしの掟を実現するためにこそ生きているのだ!苦しめ。

死ね。しかしおまえがあるべきものであれ、――『人間』であれ。」と。

 私が言うのも何ですが、今まさに君が苦しんでいることは人間であ

ることの苦悩ではないでしょうか?そして、その苦悩の中から君自身

の生き方を見つけ出さんことを祈って已みません。いいですか、もう

一度繰り返します、「人間は幸福にならんがために生きているのでは

ない」のです。何故なら、幸福という幻想もまた死とともに終わってし

まうからです。幸福だけを望むのなら、君の言うように、多分生まれ

て来なかった方が少なくとも苦しまずに済んだかもしれませんが、し

かしすべての生きものは幸不幸を問わずに生まれて来ます。だとす

れば、生きることことこそが最大の目的であって、如何なる社会的な

不幸であってもそれを打ち消すものではありません。もしも幸不幸が

経済的、或いは社会的な原因によってもたらされるとすれば、仮に、

君がそんな社会との関係を断ったとしても、生きることの歓びそのも

のは決して失われたりしないでしょう。つまり、君は君自身で生きるこ

との歓びを生み出すことが出来るのです。そもそも生きることとは苦難

を克服することだとすれば、たまたま幸福に与った者はただ偶然に恵

まれただけで、それだけで果たして意義のある生き方といえるのでしょ

うか?それに比して、君が「偶然的な」不幸を乗り越えて生きていくこと

の方がどれほどよく生きたことになるのではないでしょうか。君が君自

身の苦悩を乗り越えて、生きることの歓びを得られんことを願って已み

ません。

間違って生まれてきた僕 (1)

 先生、先日はお忙しいのに登校するよう説得するためにわざわざ

家にまで来ていただいてありがとうございます。またその後、心の

こもったメールまで送ってくださって、僕も何とかして先生の期待

に応えなければと思っています。その時にも話したように、別に勉

強が嫌だから行きたくないとかではないのです。先生は社会に出て

から困ると言いましたが、実はそんな先のことなどどうだっていい

です。どう言えばいいのか、社会のことなんてまったく関心があり

ませんし、それどころか煩わしささえ感じます。と言うのも、独り

で居ても寂しくはありませんが、人と一緒に居ると何か話さなけれ

ばと落着かなくてついには孤独さえ感じることがあります。たとえ

ば、野球にまったく興味のない者に無理やりバットの振り方を教え

てバッターボックスに立たせてもきっとうまくいかないでしょう。

関心のない世界で競わされて苦しむくらいなら、あっさりあきらめ

て人生をショートカットした方が楽じゃないかと思う時があります

。ただ世界は野球だけではないから自分の道は自分で探すしかない

と思っています。こんなことを告白するのは先生だけで、もちろん

親にも言いません。実は、毎日いったい自分は何のために生まれて

来たのかということばかり考えています。もしも神が存在するとい

うなら、実際には存在しなくたって、それでもまったくかまいませ

んが、しかし、人間が理性によって生きていく限りはまず自分とは

何であるかを理性的に知らなければ本能、つまり感情にゆだねるこ

とになってしまいます。しかし感情は相対的な好き嫌いでしか判断

できませんから、会ったことのない個人を憎んだりはできないから

、人はいつも物事を考えた末に最後の選択を感情に放り投げてそれ

までの理性による判断を台無しにしてしまいます。つまり先生のよ

うに最後には「考えても答えは見つからない」とあきらめてしまい

ます。こうしてわれわれはこれまで理性による思考を感情による決

断にゆだねてどれほど誤まってきたことでしょうか。しかし僕はあ

きらめたくありません。自分とは何であるかを独りでいる時も社会

の中にあっても確信できる自分自身を見つけ出さない限り一歩も前

には進めないと思っています。

 たとえば「愛国心」という言葉がありますが、そもそも国家とは

国民の感情の対象である機関でしょうか?理性的な決断が求められ

る国政を愛国心、つまり感情にゆだねてもいいのでしょうか。愛国

心の下で国家を語る人たちは理性的な判断を下す以前にすでに結論

が前提されています。彼らの理性的な視線は愛国心というレンズを

通って歪められます。つまり感情を守るために理性が利用されてい

るのです。そもそも政治が伝統文化とともに語られることに驚きを

禁じ得ません。こうして我々の理性的思考は感情的な前提とあきらめ

による決断によって縛られているのです。

間違って生まれてきた君へ (二)

 まさか君から返信メールが届くなんて思ってもいなかったので正

直驚きました。ところで、私が訪問したことが君に変なプレッシャ

ーを与えたとすればどうか気にしないでください。私は君に登校を

促すために訪ねたわけではありません。ただ君が毎日どうして過ご

しているのか知らなければならなかったので、担任の私には多少の

責務がありますので、君の意志を確認しなければならなかったので

す。今日では、そもそも私は学校教育だけがすべてだとは思ってい

ませんので、それどころかIT社会の発達によっていずれ教室での

授業という制度も無くなるかもしれないとさえ思っています。実際

、君はすでにアメリカのオンライン授業を受講しているのには驚き

ました。それらは何れも英語による大学生向けの講義にもかかわら

ず中学2年の君は何とか理解することはできると言いましたよね。

仮に解らないことがあても検索すればすぐに関連サイトに繋がるの

で補習することもできるからもう教師なんか要らないし、何よりも

他人から教わることよりも自ら学ぶことの喜びに勝るものはないと

も。不登校の君の自堕落な生活を想像していた私は、PCで勉学に

励む君の姿に見事に裏切られました。たぶん学校なんて要らなくな

るでしょう。

 ところで、君は社会のことなんてまったく関心がないと言いなが

ら、こと政治には一方ならぬ関心があるようですね。しかし、そも

そも政治というのは社会活動の最たるものでしょ?何れにしろ、私

としては君が社会に対して関心を持つということを歓迎します。

間違って生まれてきた僕 (2)

 先生、実は、僕はIT化が進んだ社会ではみんなが一緒に机を並

べて勉強するという学校のシステムそのものが時代遅れではないか

と思っています。そもそも勉学とは独学こそが本来ではないでしょ


うか。いくら教えられても関心のないものは頭に入らないと思いま

す。もしも社会に出て知識不足を自覚すれば学習する機会はいくら

だってあります。それに、教育の現場で起こっている忌々しき問題は

すべて教育以外の事柄を無理やり教え込むことから派生しています

。つまり、学校でバットの振り方なんか教えるなと言いたい。そんなこ

とをするから間違ったバットの使い方をする生徒が現れるんだ。

 先生は、僕が政治に興味があると思われているようですが、実際

の政治に対してはまったく関心がありません。ただ学校じゃあ現代

社会にとって一番大事な近代史を詳しく教えないんだから自分で

学習するしかないでしょ。そして過去の政治を学んでいると今の政

治もまったく同じ理屈で同じ誤りを犯そうとしていることに気付きまし

た。先日、たまたま動画サイトを観ていて、NHK特集で以前に放送

された「日本人は何故戦争へと向かったのか」(4回シリーズ)とい

う番組の動画を見つけました。放送は東日本大震災前の2011年

の1月9日から震災4日前の3月6日までと放送直後に東日本大震

災が起こって悲惨な記憶が上書きされてしまったので多くの視聴者

も忘れてしまったかもしれませんが、放送中には当時は民主党政権

だったことを窺わせる前原外務大臣が在日韓国人から献金を受けた

問題で辞任したというニューステロップが流れたりして、きっと今

の安倍政権下のNHK官製放送では到底制作されないだろうと思え

るほど当時の最高首脳部への批判に終始しています。その中で、ほ

とんどの首脳たちが対米戦争は避けなければならないと考えながら

、しかし中国からの完全撤兵を求めるアメリカの条件は受け入れら

れないと悩みます。ある首脳は「あれだけ人を殺して金も使い、た

だ手ぶらで帰って来いと言うことはできない」と、国家予算の7割

余りを軍事費に費やし20万人もの戦死者をもたらした戦争から手

を引くわけにはいかないと語っています。歴史学者ジョン・ダワ―

は「人が死ねば死ぬほど兵は引けなくなります。リーダーは決して

死者を見捨てることが許されないからです。この『死者への負債』

はあらゆる時代に起きていることです。犠牲者に背を向けて『我々

は間違えた』とは言えないのです」と説明してます。こうして如何に

理性的な判断を行なっても感情的な動機によってあっさり覆されて

しまいます。その結果、中国どころかすべての占領地を失い、さらに

国家さえも占領されてしまいました。そして、それはまさにあらゆる時

代に起っています。たとえば原発の問題にしても、推進派の人々は

原発を廃止すれば設備は不良債権化して膨大な経済的損失をもた

らすと訴えますが、まさにそれは中国からの撤退と同じことで、過去

の「投資」に背を向けて「我々は間違えた」と言えないからで、とても

理性的な理由によるものとは思えません。つまり、我々は大義名分

のためなら真実さえも歪めてしまいます。しかし理性的な、或いは科

学的な判断は感情的な執着からも過去のしがらみからも、そして大義

や名分からも不羈でなければなりません。理性的判断を感情や欲望

が歪めてはならないと思います。 なお、動画「日本人は何故戦争へ

と向かったのか」(第1回放送分)のアドレスを以下に記します。

http://www.dailymotion.com/video/x1x0ms8_%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%B8%E3%81%A8%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E7%AC%AC1%E5%9B%9E-%E5%A4%96%E4%BA%A4%E6%95%97%E6%88%A6-%E5%AD%A4%E7%AB%8B%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%81%93_news

間違って生まれてきた君へ  (三)

 返事が遅れてすみません。君が教えてくれた番組の動画「日本は

どうして戦争へと向かったのか」をさっそく観ました。確かに放送

を観た覚えはありましたがどうも忘れてしまったようです。

 さて、かつて誰もが理性ではアメリカと戦争すれば絶対に負ける

ものと知りながら、やむにやまれぬナントカ魂によってなし崩しに

戦争やむなしへと向かったわけですが、日本側の選択肢は、まず(a)

アメリカの通告「支那及び仏印よりの全面撤兵」を呑む、か(b)通告

を拒否する、のどちらかで、(b)を選択すればアメリカの経済制裁は

まず避けられず、(b-1)アメリカとの戦争へと向かわざるを得なかっ

た、がその選択には(b-2)戦争に勝つ、という可能性はなかった。そ

の結果、(b-3)敗戦、によって(a)はもちろんのことすべての選択肢

を失った。つまり、(b-3)が予測されていたのであれば(b)の選択は

結果的には最悪の、(a-2)すべての占領地を失い国土を占領される、

を選択したことになり、国益の損失を最小限に食い止めるには(a)を

選択するほかなかった。しかし、戦費の増大によって国内経済は疲弊

し権力闘争に明け暮れる首脳たちは「神風に煽られたナントカ魂」に

呪縛されて大局を見失い理性的な判断をする余裕などなかった。そし

て、君が言ったように、まさにいま原発を再稼働させようとしている

政治家たちも経済最優先の呪いに縛られて「まったく同じ理屈で同じ

誤りを犯そうとしている」のかもしれません。

 実際、大震災による原発事故に見舞われた我々は、(a)原発を廃止

する、(b)原発を再稼働させる、のどちらかで意見を二分しています

。(a)は狭い国土のしかも地震大国での稼働には安全性が疑わしい。

一方(b)は経済性に優れ、温室効果ガスを排出しないので環境破壊し

ない。但し、それらは核廃棄物の処理コストやひとたび事故が起こ

った時の膨大な賠償と放射能による環境汚染は考慮されていません。

しかし現政権は新たな安全基準の下で躊躇うことなく(b)を選択しま

した。ただ、対米戦争の時と違って絶対に事故が起こるとまでは断

定できません。そこで、(b-2)絶対に事故を起こさないこと、を条件

で再稼働されようとしています。ところが、絶対安全を謳っていた

原発行政の下で発生した福島原発の事故では、電力会社は頻りに「

想定外の事態」と弁明しました。しかし「絶対安全」の下で「想定

外の事態」など起こり得ないはずです。実際、地震予知連によって

巨大地震は起こると予測されていましたし、それに伴う大津波も過

去の事例から「想定外の事態」ではなかったはずです。そして、そ

もそも事故とは想定外の事態によって起こるのです。つまり、彼ら

が謳う「絶対安全」とは「想定内での絶対安全」なのです。こうし

て「想定外の事態」を安全対象から外すなら(b-2)は成り立たなくな

ります。絶対安全は断定できないのです。つまり、(b)を選択して

も(b-2)は断定されず、(b-3)再び原発事故が起こる、可能性が残り

ます。そして再び「想定外の事態」が起これば間違いなく日本は国

際社会から敬遠され、(a-2)すべての可能性を失い仕方なく脱原発を

受け入れる、しか残されていません。しかし、それは(a)とは正反対

の結果です。(a)を選択すればいずれ(b)への可能性は残りますが、

(a-2)はもはや如何なる選択も残されていません。こと原発に関して

は一度の大事故が生存環境の消滅すらもたらします。我々は(a-2)

を避けるためには(a)を選択するほかないのです。再稼働やむなしと

言う人々は脱原発の人々が一に求めている安全性に対しては正面か

ら応じようとはせず、お題目のように唱えられてきた安全神話はすでに

崩壊してしまっているので、経済的側面から反論するばかりで議論が

まったくかみ合いません。こうして大局的な見地からの議論はされずに

国民の合意なしに再稼働されようとしています。そして、このような論点

をすり替えた反論、大局的な視点に対しては局面を、或はその逆を用

いて反論するのはまさにこの国の官僚や政治家たちが批判をかわす

ために常套的に用いる詭弁なのです。かつてこの国の指導者たちは

大局を見失い「犠牲者に背を向けて」占領地から撤退すること能わず

国土を焼失させてしまったが、再び我々は「未来の人々に背を向けて」

今さえ良ければいい経済最優先から撤退できずに、今度は放射能汚染

という「想定された事態」によって国土を消失させようとしている。それで

は、敗戦によって満蒙からの撤退を余儀なくされて生命線を失ったわが

国はその後果たして没落しただろうか?ただ、当然のことですが、生存

するための安全な未来は豊かな現実よりも優先されなければなりません。

つまり、実存は経済に先行するのです。

間違って生まれてきた僕 (3)

 先生、ご無沙汰してます。前回のメールでどうも僕は先生に思わぬ

水を向けてしまったようで、繰り返しますが僕は政治や社会にはまっ

たく関心はありません。たとえ日本が原発事故による放射能汚染で滅

亡しようと、或いは「次の戦争」で新しい帝国に敗れて再び一億国民

が懺悔することになったとしても、そもそも絶望へ転化するほどの希

望は持ち合わせていませんのでどうだっていいです。ただ、政治家た

ちはまた同じ過ちを繰り返そうとしていると言いたかっただけです。

先生はロマン・ロランのことばを引用して、「人は幸福ならんがため

に生きているのではない」と言いましたが、生きることにすら惑って

いる自分にとってはむしろ不幸である方が迷わずに生きれるのではな

いかとさえ思っています。つまり僕は幸福ではないから「間違って生

まれてきた」と言っているのではありません。ただ、一言で言って生

きることがまったくつまらない。まるで見飽きたテレビドラマの再放

送を観ているように退屈で、このまま最終回までダラダラと続くくら

いならいっそスイッチを切ってしまいたいと思っています。そもそも

僕自身は「誕生」に合意した覚えがないのだから、自己が確立すれば

自らの責任で改めてこの世界で生きることに同意するのか、それとも

拒絶するのかの決断を下すべきだと思います。実際、一度ゴミ袋を被

って自死を試みましたが、最後の最後に耐え切れなくなって自分で袋

を破ってしまいました。この世界は苦痛という門扉で守られていまし

た。

 先生は三島由紀夫って読まれたことがあります?あっ!失礼しまし

た、先生は国語の教師でしたよね。その三島由紀夫の小説に「午後の

曳航」というのがありますが、その中で主人公の少年とその仲間たち

が猫を殺して解剖をする件が描かれています。告白すると、じつは僕

もかつて猫を解剖したことがあります。とは言っても彼らのように生

きている猫を投げつけて殺したりはしませんでしたが、たまたま家で

飼っていた猫が死んでしまったので、ただその死に方がじつにおかし

な死に方で、たぶん外で自動車とぶつかったのだと思うのですが、そ

れでも野垂れ死にするわけにはいかないと思ったのか、家まで全力で

帰ってきて、彼女のために昼間は何時も開け放してあった勝手口の引

き戸の中に入った途端に倒れ込んで死にました。母がいつまで経って

も動く気配がないので見に行くと冷たくなって横たわっていた。彼女

はまるでわが家で死ぬために最後の気力をふりしぼって帰ってきたと

しか思えません。もしかすると猫だけではなくすべての生きものは自

分の死に場所というのを弁えているのかもしれません。外傷もなく一

切血を流さずに安らかな死に顔でした。母が保健所に連絡をして引き

取りに来るまでの間に、僕は物置小屋に置かれたダンボール箱の中の

ゴミ袋に入った死体を取り出して、カッターナイフで恐る恐る腹部を

裂きました。三島由紀夫は少年たちにその内臓を「美しい」と言わせ

てますが、僕は何度も「美しい」と自分に言い聞かせましたが、可愛

がっていた猫だっただけに罪悪感が先行してとてもそんな客観的な目

で観ることができませんでした。では、なぜそんなことをしたのかと

言うと、動物の仕組みに関心があったからです。子供たちが時計やラ

ジオを分解してその仕組みを分かろうとするように、単純に興味本位

からでした。ただ、機械なら分解すればおおよその仕組みは理解でき

ますが、なぜ動物は自ら動くことができるのか知りたかったからです

。つまり、生命体の運動を生み出す根源はそもそも物理現象なのか、

しかしそれだけなら自ら運動して増殖し進化する生命現象は生まれま

せん。つまり、生命体からすべての物理現象を取り除いた後には一体

何が残るのだろうか?たとえば、そこに目には見えないけれども霊魂

のようなものが残ってもまったくかまわなかった。いや、そういった

ものがあるのだと信じていた。つまり「生命とは何か?」が知りたか

ったのです。

間違って生まれてきた君へ (四)

 君が三島由紀夫を読んでいたなんてちょっと驚きました。「自由と

民主主義」を信奉する君が「天皇は国体である」と言う三島由紀夫に

共感するとはとても思えないからです。実は、私は卒論で三島由紀夫

を選びました。もっとも一口に三島文学といっても彼は多才で、多岐

に渡って筆跡を残しているので、主に初期の作品しか取り上げること

ができませんでしたが、ここで三島由紀夫論を述べるつもりはありま

せんが、ただ、昨今の右派思想の凡そは晩年の三島イズムに依拠して

いると言っても過言ではないでしょう。思想はまず生まれ育った環境

に洗礼されるとすれば、三島由紀夫はその典型だったと言えるのでは

ないか。由緒ある家系に生まれ祖母によって特異な育てられ方をして

、それが三島文学を萌芽させたのですが、戦時体制下に多感な時期を

過ごし、そして「2・26」事件を間近で体験したことは後の政治色

を強めていったことと無縁ではありません。さらに、成年に達すると

戦火の拡大によって自らの死を決意したが、ところが敗戦によって体

制転換が起こると死を免れた生は弛緩して目的を失った。伝統文化に

根差した三島文学にとって戦後大衆文化を認めることは転向そのもの

だった。そして高度経済成長に浮かれる社会を尻目に、生き甲斐とい

うよりも死に甲斐を求めて彷徨った。それはたぶん太宰治にしても同

じだったに違いない。方や大義を求めて、方や情人を求めて。つまり

、彼らもまた君と同じように「間違って生まれてきた」と思っていた

のではないでしょうか。そして、おそらく全ての生き物もまた自分は

いったい何のために生れ堕ちてきたのか分からずに生きているのです。

 社会に関心のない君にはまったく興味がないかもしれませんが、退

屈なら読まなくたってかまいません。もちろん君も知っているとは思

いますが、三島由紀夫は自ら主宰した民兵組織「盾の会」の同志と共

に、まるで幼き日に憧憬した「2・26事件」の皇道派青年将校さな

がらに、自衛隊市ヶ谷駐屯地にて憲法改正のための決起を呼び掛けた

が叶わず割腹自殺して果てました。そもそも三島イズムとは、彼が象

徴的に語る「菊と刀」、つまり菊とは日本文化のことでその中心は天

皇ですが、そして刀とはそれを守るための軍隊のことです。彼は、日

本文化を守るために憲法を改正して国軍を備えろと主張しています。

私の感想は一言でいってしまえば、伝統文化を崇敬する作家の「死に

甲斐」を大義に求めた夢想だとしか思えません。とは言っても、始め

のうちはその名文に引き込まれて思わず共感しそうになったことも否

めませんが、しかし、それはたとえ戦勝国から圧し付けられたにせよ

民主主義の否定であり、多くの国民が犠牲になった忌わしい戦争をま

ったく省みない、それどころか自己の虚無を埋めるために大義を求め

国家のために死ぬことを美化した伝統文化に囚われた一文化人の「文

化防衛論」でしかないと思い改めました。そもそも国は文化だけで成

り立っているのだろうか?確かに戦後の大衆文化は軽佻浮薄であるか

もしれないが、しかし一方では先進国と肩を並べるほどの経済成長を

果たしたではないか。つまり国民は鹿爪らしいし伝統文化よりも軽薄

な繁栄こそを望んだのだ。百歩譲って「だって平和憲法のままじゃヤ

バくない」と言うなら民主主義の下でも改憲の手段がないわけではな

いし、事実そういう流れは加速している。ただ、何よりも「菊と刀」

、そこには国民は不在なのだ、つまり天皇と軍隊を切り離さなければ

「国体は天皇である」と言う限り、権力者によって再び国体護持の決

定が天皇の名の下に行なわれるのは火を見るより明らかだ。何よりも

三島イズムはナチスやイスラエル、今ではイスラム国のような民族主

義的原理主義とまったく変わらないではないか。そして、今や三島イ

ズムに洗脳された得体のしれない文化人がやたらと政治的な影響を

及ぼしているが、政治は宗教や文化の使徒ではない。つまり国体とは

、日本文化を子孫へと継承する日本国民そのものであって、決して天

皇ではない。私は、自らの命を賭してまで国民のためではなく原理主

義へ回帰するために戦おうとは思わない。天皇を選ぶか民主主義を

選ぶかと問われれば、紛うことなく民主主義を選ぶ。三島由紀夫は天

皇を根源とする日本の伝統文化と、それぞれの自由に判断を委ねる

民主主義制度が相反することは当然分かっていた。ところが、いまの

政治家は平気で天皇制と民主主義を掲げる。たとえば、古都京都の

家並みの揃った景観は日本の伝統的な美観の一つだったが、規制

されずにそれぞれの判断に委ねられた結果、家並みにそぐわないビ

ルが至る所に乱立して今ではすっかり美観はそこなわれてしまった。

つまり、日本文化を守るためには自由と民主主義は認められない。

そしてまずその矛先は政治的に対立する共産主義、とりわけ日教組の

ある教育界に向けられようとしている。私はどこの団体にも所属してい

ないが、左に傾けかけた船が今度は急速に右へと傾きはじめているこ

とに不安を覚える。教育現場はファナティックな政治イデオロギーの草

刈り場になってしまい、平等主義と競争主義が競い合っている。民主主

義の弱点は全体主義の揺さ振りにかくも無力であるということだ。しかし

、日本文化への回帰を訴える三島イズムも、また共産主義も、どちらも自

由と民主主義を否定する全体主義なのだ。

 なんだか君を励ますためのメールが自分の職場の愚痴を聞いてもら

うことになってしまったが、正直言うと君のような優秀な生徒を不登

校にさせてしまったことは、担任を受持つ私にすれば実は学校でも肩

身の狭い思いをしているんだ。君はイジメられりしたことはなかった

と言いましたが、もしよかったらもう一度登校するつもりはないのだ

ろうか?

間違って生まれてきた僕 (4)

 さて、先生、何度も言いましたように僕はわざわざ学校に行って「

勉強」させられたくありません。そもそも学びたいという欲求はそれ

ぞれの知的好奇心から生まれるのですから、少なくとも知的関心のな

い体育や道徳の授業は受けたくありませんし、その他の授業も様々な

活動も退屈でしかたありません。ただ、もしも間違って生き延びるよ

うなことにでもなれば、修業資格は資格試験を受けるつもりでいます

。先生はえらく学校のことで悩まれておられるようですが、前にも言

いましたがIT化が進めばやがて学校なんて「オワコン」になってし

まうので、まあ、能力のない者は卒業証書をもらうために登校するし

かないかもしれませんが、詰らないことであまり悩まない方がいいと

思います。そして先生がメールで述べられたこと、三島イズムも天皇

も民主主義さえも「間違って生まれてきた僕」にとってはどうだって

いいことです。まったく関心がありません。もしも憲法改正されて国

軍が創設されれば志願すれば武器が手に入って苦しまずに死ねる方法

が一つ増えるくらいにしか考えていません。ところで、僕はまたして

も詰らない水を向けたせいで先生は三島由紀夫について述べられまし

たが、先生が言うように三島由紀夫は戦時下の異常な社会環境と特殊

な家庭環境から受けた幼少期の洗礼から終生逃れることができなかっ

たのかもしれません。彼の処女作なのかどうかしりませんが初期の「

花ざかりの森」という小説を読むと、重厚な文章でとても十代の若い

青年が書いたものとは思えません。僕が言うのも変ですが、時代の影

響なのか死に遮られたようにまったく未来というものが描かれていな

くてその暗さはまさに太宰治とよく似ています。多くの者が死んでい

く中で死を覚悟した者が、戦うことなく生き延びた無念を忘れて戦後

の繁栄に浮かれることができなかった。つまり、三島由紀夫は遂に歴

史と伝統が咲き乱れた「花ざかりの森」から抜け出すことができなか

ったのだと思います。

間違って生まれてきた君へ

間違って生まれてきた君へ

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-05

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 間違って生まれてきた君へ (一)
  2. 間違って生まれてきた僕 (1)
  3. 間違って生まれてきた君へ (二)
  4. 間違って生まれてきた僕 (2)
  5. 間違って生まれてきた君へ  (三)
  6. 間違って生まれてきた僕 (3)
  7. 間違って生まれてきた君へ (四)
  8. 間違って生まれてきた僕 (4)