三題噺と散文と

プロポーズの恩恵

 そこは苔と蝙蝠の糞が地面の覇権を争う洞窟だった。
 左袖を吸う事で猛烈な臭気に微々たる抵抗を表明しつつ、異様に滑るその岩肌を彼は慎重に進んだ。手に持ったカンテラの火はオレンジ色にチラチラと揺れ、本来の闇を彼から健気に退けていた。
 彼の目は、ここを抜けた先に見つけるだろう紫色を探している。それは彼の父が母へ求婚する際に贈った、特別な竜胆だった。思った以上の苦労に若干の後悔もしたが、ここで引き返す訳にはいかない。
 辺りが薄闇へ移行すると、湿気た土と草の匂いが彼の鼻腔を擽り、安堵の溜息が漏れた。やがて竜胆の紫と、その横に咲く青を見つけた。
「あれだ……」
 上ずった声を漏らし、彼の父に聞いた通りの青い花を目指し、乱暴に竜胆を踏み分けて近づいた。
 あと少し。
 青い花が彼に魔法を授けるまで、残り5秒。
 魔法の名は復讐、青い花は鳥兜と言った。(了)


あとがき
 【お題・「火」「竜」「残り5秒の魔法」】 【ジャンル・指定無し】
 三題噺メーカーの初チャレンジ作品。
 どうやっても中二設定しか浮かばないお題3つを目の前に、意地でもぜってえファンタジーにだけはしねえ! という信念の元に創作。
 結果400文字程度で2時間も掛けるという体たらく。

バイト天国

 そもそも、バイト先のレンタル店で先輩が勤務表を忘れてったのが全ての始まり。
 店長が先輩に連絡した結果、私が持っていくことになって渋々引き受けたけど、実は嬉しかった。
 何でって、好きだからに決まってる!

 でも浮かれて行ったら先輩ドアをちょっとしか開けてくんないの。そして隙間から勤務表を掴むなり「すっげえ部屋散らかってるから、今日は帰って!」だって。
 ありがとうくらい言わない? 普通。
 でも用事は終わっちゃったし帰るしかないよね。
 で、今日は久しぶりにシフトが合ったから喜んでたら、妙な空気がさっきから流れてるんですけど。
 うはあ、カウンター二人だし、耐えられないっ。「あはっ、お久しぶりです……」って微妙に愛想笑いで話しかけたけど、返事無いし、すっごい気まずい。

 何でこんなに空気が重いの?
 もしかして単純に嫌われてる?
 すると先輩が急にこっち向いて、「あ、その、これ、よかったら」ってピンクの包みをくれたの。「え、何?」って聞いたら「開けてみて」って。
 カウンターの下でコッソリ開けたら、綺麗なガラスの珈琲カップが入っててビックリ!

 恩返しって先輩が笑うから「凄く綺麗な恩返しですね」って私も笑って。
 なにこれ、嬉しくてふわふわする。
 天国って多分こんな感じだよ。

 もしかして、今日先輩ドキドキしてくれてたのかな。
 私、期待しちゃうんだけど。
 ああもう、先輩、やっぱ好きだぁ。(了)


あとがき
 【お題「天国」「コーヒーカップ」「きれいな恩返し」】 【ジャンル・大衆小説】
 今回、普段全然ノータッチのジャンル攻めようと思って、恋愛ラノベ携帯小説風口語体にトライしてみたら、すっげえむずかしいwwww
 普段一人称ですら硬いのに、砕けた一人称なんてどうすりゃいいんだ……。
 文字数は578。長っ。理想は300~500でコンパクトに収めたかった。900から結構削ったけど、これで精一杯でしたorz
 場所も状況もプレゼントの中身も二転三転して面白かった。
 気をつけたのは「い抜き」と、恩返しからの通常展開、鶴からの脱却。
 しかし時間掛かったぁ。
 今回は3時間でした。


 男目線の方が面白そうだったので、そのうちいつもの文体でやってみます。よくあるやーつだけど久しぶりだし、リハビリ、リハビリ。文字打つの楽しい。

猫の可愛さを全力で受け止めてみた

「お、どうした、迷子かぁ」

 俺は、ウチの高校の敷地に入り込んだ白黒の子猫に近づいた。植え込みの影になってはいるが、すごく可愛いのも見て取れる。思いっきりの猫なで声がキモチワルイのは勘弁してくれ。誰だって小動物にはそうなるだろ?

「猫か」

 でたよ、超絶クール。今、関心なさそうに呟いたのは、俺、亮二の悪友である将太だ。俺と違って顔の造形が成功の部類に入るイケメンだ。俺は失敗かって? うるっせえ。

「あれ、亮二って猫もイケるの?」

 丁度近くに生えていたねこじゃらしを一本摘み、猫へゆっくりにじり寄っていると将太が訊いてきた。

「全然余裕でしょ。ほら、こっち来い」

 ねこじゃらしの穂を振り振り近づくと、子猫はお尻を軽く振って飛びついた。その仕草がやばいほど可愛い。

「マジで? 尊敬するわー、俺、人間じゃなきゃ恋愛対象になんないし……」

 はあ?! 何言い出すんだコイツ。

「ちょ、ペット、ペット……! 将太ぁ、俺がどんなにモテなくても、さすがにそっちに走るポテンシャルは無いわー」

 即座に否定した。こういう事は、すぐ、そしてはっきりと言っておかないと、この先何年もネタにされてしまう。そんな地獄ごめんだ。

「なーんだ」

「なんだじゃねえ」

 バカじゃねえの。イケメンは万能の免罪符じゃねえぞこの野郎。ったく、コイツの顔見てても仕方ないわ、子猫、子猫……って、よく見るとツヤツヤの鼻が桃色に光ってら。可愛いなあ。

「んー、オマエお鼻が桃色だねえ。桃ちゃんって呼んじゃおう」

「キモ」

「キモいって言うな」

 言葉の暴力の威力を将太は知らなすぎる。痛いわー。イケメンからのキモいは痛すぎるわー。将太も一度ブサメンになってみりゃいいんだ。もう、桃ちゃんだけが俺の癒しだ。ああ、しかし、桃ちゃん。桃色の桃ちゃんか。へへ。

「何、どうしたんだよ亮二」

「なんかさー桃色ってちょっと、響きがエロいよね。ピンクより、なんか、エロい。へへへ」

 将太が嫌な顔をする。あれは、ゴミを見る目だ。しまった、言わなきゃ良かった。

「お前さ、キモいのは顔だけにしろよ」

「顔は今更どうにもならないだろうがよっ。桃ちゃぁあん、お前だけだよ俺の味方はっ」

「猫だけが味方の男子高校生か、シュールだな」

 その味方は喋れないが、居るだけマシだ。

「なー、もうそれでもいいよ」

 明るく子猫に笑い掛ける。この笑顔で何人の女子が逃げたかなんて、今はどうでもいい。桃ちゃんが可愛いから、いいんだ。

「そんな社会の闇が渦巻いてるんだな、ウチの高校」

 闇か、俺の心にも今渦巻いているぞ。

「なー、ゆがんだ高校だなー」

「お前が言うなよ」

「はいはい、どうせゆがんでますよー。性格も顔も……なっ!」

 あっ! 将太に当て付けるための大声を出した拍子に、桃ちゃんの方が飛び上がって逃げてしまったじゃないか。そんなつもりじゃなかったのに。違うよ、桃ちゃんじゃないよ、将太の野郎に言ったんだよぅ。

「猫にも逃げられたか」

「もってなんだよ、もって」

 がっくりうな垂れる俺に、将太は言った。

「お前が好きだって言ってた一組の綾香、昨日二組の高橋と腕組んで歩いてたぞ」

「マジか……」

 将太……。お前はきっと、悪魔だわ。 (了)


あとがき
 【お題「桃色」「猫」「ゆがんだ高校」】【ジャンル・ギャグコメ】
 最初は三人称で挑んだのですが、途中で挫折しました。
 三人称ではどうしてもテンポが鈍く、地の文で冷めてしまって苦労しました。
 心情そのままのスタイルにしてからは何しろ書き易く、わりとすんなり仕上がりました。
 文字数は1300くらい。これ以上はどうにも削れません。
 掌編と呼ぶにはちょっと長いし、SSと呼ぶにはオチが弱い。
 ギャグコメって難しいですね……。
 将太にゴミを見る目を向けられそうです。

Sweet my baby

 私たちはただ只管任務を遂行していた。
 行列を作り、食料を運ぶ。全ては女王のために。私たちが忙しなく動く様を、じっと見つめる無垢な瞳があろうとも。
「ママ、アリさんいっぱいいるよ」
 彼は指先で一匹を潰した。
「もう、嫌ねえ、手が汚れるでしょ?」
 彼は頷いて立ち上がると、灰色の靴底で私たちをモルタルのテラスに擦り付け始めた。無垢な瞳は飽くことなく私たちの動きを追い、それが作業であるかのように黙々と潰していく。仲間たちの細切れがテラスをみるみる黒く染め、宛ら黒い絨毯のようだ。
 彼はその上で踊り続けた。
 これはきっと、彼にとって最初の虐殺。
 没頭する彼を見つめながら、彼の女王は優しく微笑んだ。
「本当にゆうちゃんは集中力があるわ、将来が楽しみね」
 そして私は黒い絨毯の一部になった。
 辺りには、私たちの甘酸っぱい匂いが充満していた。(了)


あとがき
 【お題「灰色」「絨毯」「最初の殺戮」】 【ジャンル・偏愛モノ】
 出来上がりが既にスリムだったので、特に削る作業が必要ありませんでした。全部で360文字前後です。
 絨毯と灰色と殺戮はすんなり関連付けて思いついたのですが、如何せん偏愛が足を引っ張りまくり、ママをむりやりねじ込みました。
 結果、胸糞悪い読後感という、いつもの仕様で非常に申し訳ないです。はっはっは。
 実際の作業は大体2~3時間なのですが、文字を打ち込む作業に入るまでに時間が掛かりすぎです。
 もっとスピーディーにならんものか。

罪味チョコレート

 傾きかけた太陽は、教室の空気を柿色の粘液に変え満たした。田部鈴子は不貞腐れながら自分の机に腰を下ろし、不機嫌なばた足でその粘液を幾らか掻き混ぜている。

「鈴子ちゃん、まだ帰らないの?」

 鈴子の同級生の珠代が、水色のランドセルを背負いながら声を掛けた。

「……うん、まだ居る」

 鈴子が呟くと、じゃあねと珠代は教室を出て行き、教室には鈴子ひとりが残った。目線の先には担任の長谷川順子先生が使う大きな机がある。鈴子は座っていた机からずり落ちるように降りると、長谷川先生の机の前までだるそうに歩いた。

 鈴子の不機嫌は、長谷川先生に怒られたためのものだ。ポケットに忍ばせていた小さなチョコレートを、授業中に鈴子が床に落としてしまったのだ。慌てて拾い上げた時には既に遅く、長谷川先生の巨体はすぐ近くに迫っていた。先生は掌を広げて鈴子の鼻先に突き出し、語気荒く言った。

「出しなさい」

 鈴子が渋々そのチョコレートを掌に乗せると、先生は言った。

「これは学校に持ってきて良いものですか?」

 緊張と恥ずかしさで狭くなった喉を絞って、鈴子は答えた。

「……ダメです」

「では、没収します。みんなもダメですよ、学校にお菓子は持って来ない!」

 教室の子どもたちは纏まりなく口々に「はーい」と返事をし、鈴子はその授業が終わるまで自分の机を睨み続けた。その間、鈴子の頭の中は当然の如く、長谷川先生への罵詈雑言で埋め尽くされた。

「チョコレートの一個くらい、見逃してくれてもいいのに」
「他にもお菓子持ってきてる子は沢山いる。何で私だけ怒られるの?」
「長谷川のデブ。きっとあのチョコも食べられちゃうんだ」
「クソ長谷川、ブス、バカ、ブタ、死ねばいいのに」

 そして今、長谷川先生の机に近づくにつれて、あの時の罵詈雑言が再び鈴子の胸に渦巻き、無性な腹立たしさがこみ上がる。鈴子は咄嗟に先生の机を蹴った。大きな音を立てて引き出しが開き、慌てた鈴子は閉めようと回り込んだ。鍵の掛かった引き出しは無事だった。しかし、一番上の浅い引き出しが半分開いていた。そこには、没収されたチョコレートと一緒に、飴が一袋。その飴をみた鈴子は激高した。

「なんだあのデブ! 私たちにはお菓子持って来るなって言ったのに、自分はこんなの隠してずるい! 何このダサい飴、ブドウ? ダッサ!」

 鈴子の叫びと同時に、教室に長谷川先生が入って来た。

「大きな音出して、何をしているの!」

 叱咤に弾かれ、鈴子はチョコレートと飴の袋を乱暴に掴み上げた。それを見た長谷川先生は目を見開いた。

「……返しなさい」

 怒りを孕んだその言葉に、鈴子の心は激しい理不尽を感じた。そのまま駆け出す。

「待ちなさいっ!」

 長谷川先生は鈴子を追った。しかし、小さな机と椅子が乱立する教室という林では、小回りの利く鈴子の方が圧倒的に有利だ。鈴子は全力で逃げた。教室を出ると廊下を抜け、階段を駆け下り、上靴のまま中庭を横切る。長谷川先生もその豊満な体を揺らしながら必死に走るが、追いつけない。鈴子は中庭を抜け、体育館の裏手に回る。そこには、古い枯れ井戸が一つ残してあった。穴には安全のためか木材を打ちつけてあったが、一部割れて中が窺えた。鈴子はその亀裂の前に、飴の袋を掲げて立つ。そこへやっとの事で追いついた長谷川先生は、光景に息を呑んだ。

「やめて」

 長谷川先生は肩で息をしながら、掌を広げて差し出した。

「返しなさい」

 怒色を孕んだその言葉は、授業中の悔しさと腹ただしさを再燃させるに充分な威力があった。一瞬で鈴子の心を赤く染め上げる、その声、その掌。

「先生ばっかりズルい!」

 叫んだ鈴子は、手にした飴を井戸の亀裂に投げ捨てた。

「何て事を!」

 手に残ったチョコレートは、素早く包装を剥いて口に放り込む。ざまあみろ、全部奪ってやった。そんな勝ち誇ったような昂揚で鈴子の口元は綻んだ。すると、長谷川先生が急に、顔色を無くして膝を折った。

「ああ、何て事、こんなときに……」

 手足を震わせながら、長谷川先生は地面に突っ伏す。その時、騒ぎを聞き付け追ってきていた他のクラスの先生が数人、体育館の裏へ雪崩れ込んできた。

「長谷川先生、大丈夫ですか?!」

 抱え上げたものの、長谷川先生は既に声を発する事もできず喘ぐことしかできない。すると、その様子を見た他の先生が言った。

「これはいかん、低血糖だ。長谷川先生は糖尿病なんだ、誰か、何か甘いの持ってる?!」

 皆、ポケットを探りながら、首を横に振る。鈴子の口の中のチョコレートは丁度溶け、生唾と一緒に飲み下された。

 ごくん。

 鈴子は震撼した。確かに聞こえた、病気だと。甘いものが必要だと。持っていた小さなチョコレートは、今飲み下してしまった。

「誰も持ってないのか! 仕方ない、長谷川先生の机にある、糖尿病患者用のブドウ糖の飴持ってきてくれ。常備してあるはずだ、早くっ! あれがないとマズい。長谷川先生、しっかりして!」

 そして、その飴は、袋ごと、井戸へ。

「先生っ、長谷川先生っ!しっかりしてください、今、飴取りに行ってますから!」

 長谷川先生は、青い顔で首を横に振った。もう、予備など無かった。教室の机の引き出しにあった、あれで最後。吸収の早いあの飴でないと、このまま死んでしまうかもしれないのに、つい先ほど鈴子が井戸へ捨ててしまった。呼吸音がひこひこと嫌な変化を起こすと、瞳は黒目を失くし、瞼は細かく振動し、手足が縮こまってガタガタと痙攣する。そこへ駆け戻った他のクラスの先生は言った。

「見つかりませんっ! 教室の方も一応寄ったんですが、見当たりませんでした!」

「そんなバカな、あるはずなのに!」

 騒ぎの中、鈴子は井戸の横で冷たい棒を呑んで立ち尽くしていた。

「なによ……バカじゃないの。甘いものがないと死んじゃうとか、そんなのあるわけ無い……」

 間もなく、長谷川先生は亡くなった。それは鈴子にとって、常に罪の意識と共にある残念な子ども時代の始まりとなるのであろう。チョコレートはいつまでも甘ったるく後味を残し、鈴子を責め続ける。(了)


あとがき
 【お題「空気」「井戸」「残念な子ども時代」】【ジャンル・ホラー】
 比較的ちゃんと長いお話にしてみました。文字数は2470字です。
 これくらい文字数があると、余裕を持って色々「ねちっこく」ぶち込めますね。
 井戸からは何かが出てくるのが定番ですが、飛び道具無しの地味展開なので、今回はただ捨てるだけです。
 構成はオーソドックスな起承転結。今回削るのは基本的に無し。ソリッドなSSではなく、足して足しての、濃い目の短編です。
 ジャンルがホラーという事で、ベッタベタなオカルト系でもいいかなと思ったのですが、星空文庫さんでは始めたばかりでもあるので、比較的得意なサイコホラー寄りへ。
 後味の悪さが私の持ち味なのですが、読後に嫌な余韻がうまく残れば幸いです。
 

昼下がり (散文)

 じゃがいも沢山。
 カブ。
 はくさい。
 ねむい。
 ひきにく。
 トマト。

 あ、編み目飛ばした。

 夕飯はコロッケにしようかなぁ。
 俵型? 小判型?
 明日パンに挟むなら、小判型?

 パンを焼こうか。
 しっとり仕上げた自家製のパンでサンドウィッチしようか。
 キャベツの千切りとソース。
 マヨネーズもちょっと乗せてさ。
 パンに染みたソースとマヨネーズ。
 コロッケと一緒に頬張ろうか。

 ここで糸を変えなくちゃ。
 次は白にしよう。
 
 カフェラテを作るよ。
 ちゃんとスチームでミルクを泡立てて。
 ちょっと甘めにね。
 いい天気。

 青色の毛糸、在庫無かったなぁ。
 美容院にも行きたいなぁ。
 ああ、買ったばかりのひざ掛け毛布が猫に取られている。
 ふふ、可愛い。
 お日様に当たって、毛皮もぽかぽかしてる。

 あ、また編み目飛ばした。

 折角のお天気だから、洗濯すればよかった。
 明日も晴れるかな。
 じゃあ明日でもいいか。
 それとも、今からちょっとだけ洗って、ちょっとだけ干しちゃおうか。
 ねむい。

 全部投げ出してキミに逢いたい。(了)

愛のために

 深夜、教会の扉が忙しく鳴った。

「誰です?」

 低い声が答えた。

「司祭にお願いがあります」

 司祭と呼ばれた男は、すぐに扉を開けた。用件は察しが付いていたからだ。人ひとり分開くと同時に若い男女がサッと滑り込み、司祭の前に素早く膝を付くと、矢継ぎ早に捲し立てた。

「私は明日出征します。その前に彼女と結婚したいのです」

 半泣きの女も言った。

「お願いです、私達に永久の絆を」

 時は三世紀。ここローマでの兵士の結婚は、士気が下がるという理由で厳しく禁じられていた。しかしこの教会では、司祭がこっそりと結婚式を執り行っていたのだ。彼の名はバレンタインという。

「分かりました」

 司祭は微笑みと共に若い彼らを促した。二人は立ち上がりながら手を取り合うが、その腕はお互い小刻みに震えている。司祭は再度笑顔を投げかけた。

「大丈夫ですよ、さあこちらへ」

 もし露見したなら死罪は免れない。それでも司祭に恐れなど無かった、彼らのためならば。一方彼らの震えは止まらない。何故なら彼らはローマ帝国の密偵なのだから。彼らこそが、目の前の司祭を処刑へと導く黒衣の天使なのだ。

 さあ、結婚式が始まる。バレンタイン司祭の信念のために、そして、彼らの金貨のために。偽りのキスに、蝋燭の炎が揺れた。(了)

あとがき
 【お題「バレンタイン」「チョコ禁止」】
 今回二題噺です。500文字強の掌編です。
 と言っても、史実を元にざっと構成しただけですが、季節物ということで。

交換しましょ、そうしましょ

 いつもの私なら、気にもしなかった。ビルとビルの隙間に見つけた、変な店。人ひとり、やっと通る程の細い道の奥に、古い京長屋の様な木造家屋の狭い間口がぴったり納まっていた。玄関らしきものはない。ただ、壁の真ん中に、黒い板で囲った私の顔ほどの大きさの窓が、胸の高さで口を開けていた。両側に建つビルが光を遮るせいか、中は真っ暗だ。窓の横には「交換屋」と彫られた看板が打ち付けられている。ちり紙交換のようなものなのだろうか。趣のある佇まいに興味をそそられた私は、隙間へ滑り込んだ。すると、四角い窓枠の奥から、鈴虫の羽音のような女性の声がした。

「いらっしゃいませ、何でも引き取りますよ」

 その申し出に、思わず抱きかかえた荷物へ視線を移した。実は今から一時間程前に、私は彼に振られたのだ。二度目のバレンタインだからと、ひと月掛けて必死に編んだセーターは「だせっ……」の一言で返って来た。

  正直に言うと、嫌な予感はずっとしていた。だから私は、ちょっと必死になっていた。だって好きだったし、別れたくなかったし。毎日早起きしてお弁当を二人分作り、ネイルもいつもの原色から彼好みの清楚な薄ピンクに変えた。パーマが掛かったふわふわの茶色いミディアムヘアーだって、彼の好きな黒いストレートにした。今思えば、私は自分を完全に見失っていたし、結果彼の心も失ったのだ。残ったのは、私の執念が編みこまれた、重いばかりのセーターだけ。可愛いラッピングも、彼が乱暴に剥がしたせいで破けてしまった。中身がはみ出した包装紙ごと抱きしめたその姿は、笑えるくらいみすぼらしい。居た堪れなくなった次の瞬間、私は反射的にそのセーターを窓枠に押し込んだ。

「承りました」

 何の手応えも無く、すぼっとセーターが窓に吸い込まれた。私があっけにとられて窓を凝視していると、何秒もせずそこに、何かを持った女性の手が現れた。白くて細いその手は、ソーダ色の石を窓枠にコトリと置いた。

「これは……?」
「ご利用ありがとうございました」

 にべもなくそう答えるなり、内側から勢いよく、窓が板切れで閉ざされた。

「え、ちょっと! 貰っちゃっていいんですか?!」

 思わぬ展開についていけず、私はその板切れを叩いた。しかし動かない。すると、中から幾分くぐもったさっきの声が「どうぞ」とだけ答える。私は立ち尽くし、窓枠に乗せられた石を見下ろした。大きい。掌くらいの大きさはある。少しいびつな卵型をしていたが、とても綺麗だった。私はソーダ色のその石を、ちょっと迷って、結局持って帰った。あのセーターが幾らにもならない事は分かっていたし、この取引自体おかしいと思う。しかし、セーターをそのまま持って帰るなんて憂鬱すぎる。不思議な気持ちもあるけれど、不用品が片付いた安堵に不思議が引っ込んでしまった。

 その石は、良い石だった。宝石店へ持ち込んでみると、結構な金額を提示されたのだ。元は拙い手編みのセーターなんだし、惜しくは無い。私はお金を受け取り、そのお金でエステ三昧の失恋旅行と洒落込んだ。

 それからというもの、私は手元のお金が心許なくなると、部屋を引っ掻き回しては不要なものを探し、紙袋へ詰めると「交換屋」へ行った。あるときはエメラルド、あるときはルビー、あるときはアメジストと、出てくる石は様々だった。一体どういったシステムで交換が成り立つのかは分からなかったが、何を持っていっても何かしらの天然石と交換してくれた。袋一杯の不用品と引き換えに出てくるその天然石は、会社で給料を貰うのがバカらしくなるほどの値段で売れた。味を占めた私は、最初の交換から半年程で仕事を辞めていた。この店の事は絶対誰にも言わない。私だけの秘密のお店。

 私は一度だけ尋ねたことがある。

「あの……、私、手数料とか払わなくてもいいんですか?」

 するとあの窓から、いつもの声が答えた。

「いつも差し引かせていただいています、ご安心ください」

 ああ、なんだ、既に差し引きであの石が出てきているのかと、私は何だかホッとした。

 ある日、私はいつものように紙袋へ不用品を詰め、店へ行った。ビルを抜け、いつもの隙間へ身を滑り込ませる。すると、窓枠に見慣れぬ張り紙があった。それを目にした途端、全ての疑問が氷解した。紙袋を取り落として不用品をぶちまける。乾いたマニキュア、欠けた湯飲み、インクの出ないボールペン、片方だけのピアス。震えが止まらない。

 張り紙には、こう書いてあった。


『貴方様の寿命は、当店の手数料規定の最低残日数を切りました。
 残念ですが、お取引は終了とさせて頂きます。
 永らくのご愛顧ありがとうございました。
 あと三日の人生、どうか悔いの無いようお楽しみください。

                                  交換屋    』

(了)


あとがき
 今回お題は無しですが、バレンタインという時期物です。
 某雑誌への投稿作品に手を加えました。
 2000文字弱、掌編というには少し読み応えのある量ですが、楽しんでいただければ幸いです。

ユメとウツツとマドロミと(散文)

昨日も炬燵で寝た。
炬燵で眠ると、身体に熱が籠もって、現との境が無くなる。

微睡みに似た薄い現実も、まるで濃い夢のような感覚に掏り替る。
一瞬貰えた君の時間を、あの時身体が覚えてしまった。

炬燵の熱と溶けて、私を侵食したほんの一行の愉悦。
愛が無いその文字に、君が費やした時間を貰う愉悦。

もう、増えないのに。
もう、ひとのものなのに。
既に、ひとのものだったのに。
心などそこには無いのに。

もう、増えないから。

また炬燵で眠る。
一瞬貰えた君の時間に、私は縋っているんだ、不毛にも。
もうしばらく、マドロミヲ、ワタシニチョウダイ。
身体が冷えるまで、もう少しだけ。

(了)

【NEW】美味しいサラダの作り方(散文)

まずは、きゅうりを刻んで、小さめのボウルへ入れる。

塩を振り、手で混ぜる。

続いて、じゃがいもの皮を剥き、賽の目に切って、なべに水と共に入れ火をつけた。

しんなりしたきゅうりを手で搾り、大きめのボウルへ放り込む。

そこに茹で上がったじゃがいもと、ちぎったハムを入れる。

軽く塩を振って、少しのオリーブオイルとレモン汁、そしてマヨネーズを絞る。

大きいスプーンで、全体を混ぜ合わせた。

味をみる。

美味しい。


コチコチコチ。

時計の針が進めば日は落ちる。


とうもろこしの缶詰を開けた。

甘い汁を捨てて、中身だけを大き目のボウルへ足して混ぜた。


玄関に明かりをつける。


なべに生卵と水を入れて、火をつけた。

ぐらぐらぐら。

コチコチコチ。

茹で上がった卵をざっくり刻んで、大き目のボウルへ足す。

マヨネーズも足す。


コチコチコチ。


なべに水を張り、火にかけた。


コチコチコチ。


沸騰したなべに塩を足して、細かく折ったパスタを入れる。

茹で上がったパスタを、ボウルへ足す。

マヨネーズとオリーブオイル、レモン汁もまた足す。


コチコチコチ。


沢山のサラダを混ぜる。

混ぜる。

混ぜる。


もう、足す具が無い。


お前が帰ってこないから。(了)

三題噺と散文と

三題噺と散文と

【お知らせ】 存外話が増えてしまって、チャプターの並びを変更するのが一仕事になってしまいました。 それで、話の並びを「古い順から」に再編集しました。 一番上が一番古く、下に行くに従って新しいものとなります。 なので、今回の更新からは一番下のものが最新作です。 最新作にはタイトルへ【NEW】を付けましたので、クリックしていただけると直接飛べます。 皆様にはご面倒をお掛け致しますが、宜しくお願い致します。 ◎主にお題を元に創作したものと、散文です。 全て短いお話ばかりのオムニバスですので、お気軽にどうぞ。 お題には主にtwitterの三題噺ジェネレーターを使わせていただきました。 更新は不定期です。

  • 自由詩
  • 短編
  • 恋愛
  • サスペンス
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-04

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. プロポーズの恩恵
  2. バイト天国
  3. 猫の可愛さを全力で受け止めてみた
  4. Sweet my baby
  5. 罪味チョコレート
  6. 昼下がり (散文)
  7. 愛のために
  8. 交換しましょ、そうしましょ
  9. ユメとウツツとマドロミと(散文)
  10. 【NEW】美味しいサラダの作り方(散文)