早稲田大学百号館-5

早稲田大学百号館-5

第百話

第百話

 え? 最後も僕なの? ・・・なんか、はめられちゃった感じだなあ。ま、いいか。では始めましょうか。夜が明けないうちに終わらないとね。
 
 僕たちが沖縄旅行を諦めた話はさっきしたでしょう? そこで、僕たちが次に立てた計画はと言うと、沖縄と反対の北海道です。沖縄の海がダメなら雪山でスキーだ、という事になったのです。もちろん夏休みはダメですよ。いくら北海道でもね、夏に雪は降りません。正月休みが二週間ありますから、それを利用した計画です。経費節約のため、僕の実家が宿になりました。なんて言ったって僕の家は四方を山に囲まれた旭川ですから、スキーコースはお好み次第です。
 ところが僕としてはね、子どもの頃から遊んでいた山ですから、どうもバカンスって感じがしなくて物足りない。そこで考えたのが、山岳スキーです。旭岳のスキーコースはメジャーなゲレンデスキーと違って冬山の自然が十分楽しめる上に、初心者向けの簡単な山です。初心者向けと言っても、それなりの装備とスキー技術は必須です。
 まず、僕の家の周りのスキー場を二三回って特訓をしました。スキー初心者が二人いたのです。田中と斉藤さんです。
 ああそうそう、今回特別参加の斉藤さんは僕たちの二年先輩で、その時はもう卒業して、研究室に入っていました。こちらの大学に来たのは確か去年でしたかね。彼女は僕らの姉御のような存在で、とても仲良くしてもらっていました。
 その斉藤さんは東北の生まれのくせにスキー技術は小学生以下です。きっと、勉強ばかりしていたんでしょうね。すごく頭のいい人です。
 あと、田中ですけどね、この男も秀才ですけど、ものすごい運動音痴で、しかも怖がりときていますから、こいつにスキーを教えるのは至難の業でした。
 まあ、田中は別として、一週間ほど練習してかなり自信を付けた僕らは、遂に出発しました。天気もいいし、昼頃まではみんな元気だし楽しかったですね。山小屋を見つけてお昼にしました。
 斉藤さんと言う女性が一緒のせいで、僕たち男どもは妙にテンションが上がってました。そのせいで僕らは山の中を奥へ奥へと入り込んで、とうとう自分たちのいる場所が分からなくなってしまいました。それでもね、来た時のスキーの跡がくっきり付いているので、戻ろうと思えばいつでも引き返せるとみんな思っていました。
 山小屋を出て一時間ほどした時、急に風が強くなって来ました。今思えばその時が引き返すチャンスだったんですがね・・・僕らのテンションは風なんて気にするものではありません。それに、風はものの十分もするとピタリと止んでしまったのです。
 僕らは小高い尾根に出ました。下の方の町は薄い雲に覆われて白く波打っています。僕らの頭上は真っ青な空です。山々の頂上が白い波の上に突き出て物凄く雄大な景色なのです。僕らはすっかり心を奪われて、しばらく放心したように眺めていました。雲海っていう奴ですよ。
 刻々と形や色を変えていく雲の海が、だんだん厚くなって行くのに気付いた僕らは、先へ進むか戻るかで意見が割れてしまいました。
 斉藤さんが、女性特有の大胆さからか、今の景色がよほど気に入ったのか、もう少し先まで行きましょう、と主張しました。僕は、地元と言う安心からか行くなら行ってもいいと言う気分でした。
 正直に打ち明けますが、僕は実は斉藤さんに特別な感情を抱いていました。できれば二人っきりで滑りたいと言う気持ちがありました。ここで、三人が戻り、二手に別れたいと思っていました。
 ところが、その三人が、斉藤さんがそう言うならと簡単に意見をひるがえしてしまったんです。それで、僕はやっと気づきました。僕だけじゃない、こいつらも斉藤さんが好きなんだって。
 すると今度は、斉藤さんが、やっぱり戻りましょうと言い出しました。僕らのよこしまな野心を敏感に感じとったのかも知れません。女の勘ってやつですかね。
 そんな話で時間を費やしているうちに、雲は増々厚くなって、僕らの立っている所も次第に視界が悪くなってきました。
 話には聞いていましたが、山の天気は本当に変わりやすいんですね。僕らが戻り始めて間もなく、前にもまして強い風が吹き始めて、地吹雪が舞い出しました。来た時のスキー跡はあっと言う間に見えなくなりました。
 厚い雲のために太陽の位置もわからず、風と雪にさえぎられて視界がまったくききません。僕らはメクラめっぽう
歩きまわり、ヘトヘトに疲れて座り込んでしまいました。五人は体をくっ付けていましたが、体の熱がどんどん奪われていくのがわかります。これではいけないと、男たちで穴を掘ってそこに入り、風を防ぎました。
 自分たちは遭難したかも知れないと思い始めた僕らは、救助を呼ぼうかと話しました。全員、携帯を出しました。
最悪です。どの携帯も電池切れです。充電器を持って来てるのに、バッテリーを持って来てる奴がいません。あの雲海で写真を撮りまくり、ライトを明るくしたままでした。吹雪はいっこうに収まりません。
 僕はこのままここでじっとしてたら死ぬなと思いました。そして、今いる位置の見当を付けようと、歩き回った距離と方向をよくよく思い出してみました。すると、昼に立ち寄った小屋がすぐ近くにあるような気がしてきて、みんなに言いました。小屋には、救助を求めるための無線機やそりやロープなどが常備されていました。

 田中が、足を捻挫しているようで、歩けません。こいつを背負って歩けるほどの体力の残っている奴は一人もいません。そこで、僕は提案しました。僕と斉藤さんが行って、無線で助けを呼び、田中のためにそりを持って来ようと。みんな同意しました。斉藤さんを早く温かい所に避難させたい、というのは四人の共通の願いでした。決して僕がそう仕向けた訳じゃないんですよ。
 僕と斉藤さんはすぐ出発しました。僕は、小屋の位置に自信がありましたから、どんどん進みました。
 ところが、僕の考えていた場所に小屋はなかったのです。それでも、斉藤さんを不安がらせてはいけません。
「もう少しだから、頑張って!」と、励ましました。
 斉藤さんは慣れないスキーを履いているからでしょう。体を動かすのがとても辛そうです。時計を見ると、もう三時をだいぶ回っています。四時を過ぎれば日が落ちてしまいます。風は治まったかに思えますが、雪が止めどなく降って、目の前は真っ白です。周りの地形がまったくわかりません。
 突然、「キャー!」と悲鳴を上げて、斉藤さんが倒れたかと思うと、ズルズル斜面を滑り落ちて行きました。僕は夢中で追いかけました。吹き溜まりの陰でようやく追いつくと、斉藤さんは気を失っていました。いったい、どうしたらいいのでしょう。
 その時の僕の頭の中には、仲間の三人の事などすっかり無くなって、ただ、ただ、斉藤さんを助けたい、とそれだけだったような気がします。そして、その時生まれて初めて神に祈りました。その祈りが天に届いたのでしょうか。一瞬、視界がひらけて、小屋があるのがみえました。僕は斉藤さんの体をズルズル引きずりながらやっとの思いで、小屋までたどり着きました。助かったのです。

 その小屋は僕らが昼に立ち寄った小屋ではありませんでした。無線機もそりもありません。それでも、薪が積んであったので、僕は火を起こして、斉藤さんの体を温めました。
 斉藤さんはすぐに目を覚まして、残して来た三人を助けに、今にも小屋を出て行こうとします。僕はね、正直に言いますが、二人っきりになった事を、むしろ喜んでいました。
 そりゃあ僕だって、馬鹿じゃありませんから、三人が危険な状態にある事くらい分かっています。だけど、どうしようもないんです。外はもう暗くなっていますし、天気も回復しません。無線機はないし、三人のいる場所だって、もう僕らには見当も付きません。
 僕は斉藤さんをなだめながら、つかの間の二人の世界を楽しんでいました。
 夜もだいぶ更けた頃、突然、ドアをガリガリ引っ掻く音がして、獣の声が聞こえてきました。狐か何かでしょう。斉藤さんがひどく怖がるので、僕は、イスや薪でバリケードを築き、ドアが開かないようにしました。
 狐が去ると、今度は人の声がします。それは女の声だったり、男の声だったり、泣き声だったり、怒鳴り声だったりするのです。おそらく、風が小屋のすき間を吹き抜ける音でしょう。僕らは極限状態にいましたから、その音がとても恐ろしくて、二人は体をぴったりと押し付けて震えていました。
 斉藤さんがいよいよ心細くなってきたらしく、盛んに話しかけてきましてね、僕も喉が枯れるほどしゃべりましたよ。
 そのうち僕はとても恐ろしい話を思い出しましてね。それを斉藤さんに話していいものかどうか迷いました。僕が急に黙り込んだので、斉藤さんは、なんでもいいから話して、と盛んにせがむので、とうとう話しました。
 仲のいい者が一緒に災難に会って、そのうちの誰かが運悪く死んでしまう時、その死んだ人はさみしがって生きている仲間を死の旅に誘いに来る。と言う話です。僕はそれを子どもの頃、誰かから聞いたんですが、その時まですっかり忘れていたのに、自分の置かれた状況のためか、その時突然思い出したんです。
 やはり斉藤さんはとても怖がりました。
「田中君たち・・・」そこまで言って後が言えません。言わなくても僕にはわかります。小屋の中で火にあたっている僕たちでさえこんなに寒いのです。外にいたら、とても持つものではありません。
 助けたいという気持ちは、諦めの気持ちに変わって、今は、死んでしまった彼らが、ここへやって来るのではないかという恐怖に変わっていました。
 小屋には小窓が付いていましたが、斉藤さんが、誰か覗いているとか、佐々木君の声がするとか言い出して、窓に板を張り付けて外を見えなくしてしまいました。僕としては、この小屋で火を焚いていたら窓から明かりが漏れて、ここに人がいる事を知らせる役に立つと思っていたんですけど、そこを塞いでしまったので、この世で、たった二人のような妙にさみしい、それでいてちょっと甘美な・・・
 ごめんなさい。僕は本当にこんな状況にありながら、なんて不謹慎な男でしょう。こんな告白をするのはこれが最後の百話目で、みなさんとはもう二度とお会いしないだろうと思うからです。
 友人たちはすでに死んでしまって、自分たちだって、この先、助かる保証は何もないという時に、僕は、斉藤さんを抱き寄せたい、その唇を奪いたいと、真剣に考えていたんです。

 斉藤さんが今何時か聞きました。時計を見ると、なんと、もう七時を過ぎています。ええ、そうです。とっくに夜が明けていたんです。窓を塞いでしまったので、外の光が入らず気が付かなかったのです。
 その時、僕が取った行動はどんなに非難されても返す言葉がありません。とっさに、僕は時計を隠して、まだ夜中だと答えました。僕は、もう少しこの静かな二人の世界を楽しんでいたかったのです。
 斉藤さんは苦しそうにため息をつきました。憔悴しきっています。その青ざめて美しい横顔を見て、僕は涙が出るほどの幸福感を味わいました。
 その時、ドアが勢い良く叩かれて、バリケードがぐらぐら揺れました。驚いた斉藤さんが僕にしがみつきました。あの三人の霊が、とうとう本当にやって来たのです。斉藤さん、斉藤さんと呼んでいます。
「黙って!返事をすると取り殺されてしまうよ・・・」僕は指を口に当てて声を出さないように言いました。
「斉藤さん!中にいるんですか? いたら返事をしてください」
「大丈夫か?斉藤さん! どうしたんだろう・・・ドアが開かない」
「斉藤さん、助けに来ましたよ!開けてください」
「一緒に帰りましょう」
「動けないんですか?」
「かまわん、蹴破って入ろう。斉藤さん、入りますよ!」
「待って!」
 突然、斉藤さんは僕の静止をふりほどいて叫びました。
「斉藤さんの声だ!大丈夫ですか?怪我してませんか?」
「私は大丈夫よ」
「じゃあ、一緒にに行きましょう。ここを開けてください」
「ごめんなさい、一緒には行けないわ・・・」
「なぜです? 畜生!何でドアが開かないんだ!」
 ドアがガタガタ揺れて今にも外れてしまいそうです。僕たちは必死でドアを押さえていました。
「みんなの事、好きだわ・・・でも、私、まだしたい事あるし、今、死にたくないのよ・・・ごめんなさい、一緒にいけないのよ」
「何言ってるんだ、とにかく、ここを開けてよ」
「斉藤さん、僕たち本当に助けに来たんだよ」
「じゃあ・・・山本君は・・・山本君も一緒なの?」
 一瞬、外が静かになりました。ひそひそ何か言い合っています。そして、
「もちろん、一緒だよ・・・でも、ちょっと、話はできないんだ」
「なぜ?」
「・・・それが・・・け、怪我を・・・そう、怪我をしたんだ。でも、大した事ないんだよ。かすり傷なんだ」
 斉藤さんは僕の手をぎゅっと握りしめました。
「頼むよ、斉藤さん」
「あなたたちは嘘を言ってるわ。私をあの世に連れて行く気なんでしょ。だって、山本君はここにいるもの」
「えっ! 山本が? 山本がそこにいるの?」
「そうよ。怪我なんかしてないわよ。あなた達の事は忘れないわ。みんないい人だったわ。だから、お願い、私の事は諦めて、成仏してちょうだい」
 外の連中は黙りました。僕が斉藤さんと一緒にいる事によっぽど衝撃を受けたようです。
 斉藤さんはうつむいて唇をかんでいました。涙がポタポタ床に落ちましてね、僕は胸を痛めました。切なかったですよ。外の三人の幽霊が早く去ってくれるように祈りました。
 その時、田中がね、あいつでもこんな声が出るんだ、ってびっくりするくらいの大声で叫んだんです。
「斉藤さん! よく聞くんだ! 僕たちはあれからすぐ救助されたんだよ! まだ晴れてる時に僕たちを見た人がいて、天気が急変したんで探しに来てくれたんだ。斉藤さんたちが見つからないうちに夜になって、こんなに遅くなってしまったけど、夜明けからずっと探していたんだよ! そしたら・・・あそこで、山本の遺体が見つかって・・・斉藤さん! 死んだのは山本の方なんだよ!」
 加藤がドアを蹴破ってしまったので・・・ああほら、みなさん、ちょうど夜が明けてきましたよ。
 あの時も、今と同じように光がスーッと小屋の中に射し込んで来ましてね・・・え? 僕の膝が? ああ・・・ほんとだ、消えてきましたね・・・


 

 
 
 
 

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  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-03

CC BY-ND
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