早稲田大学百号館-4

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第七十五話

第七十五話

 え~と、今、何話目ですか? え、七十五話? ほう、大分来ましたね。疲れませんか。さすが若いなあ。あれ?ほらほら、村井さんだっけ? すっかり眠ってますよ。誰か、起こしてあげてくださいね。この会はみんなが起きてないと成功しませんよ。

 さて、今度の話はね、前の話の続きと言ってもいいと僕は思うんですよ。
 あの、開かずの部屋へ初めて入った時、階段でつまずいた田中が、あの青いクレヨンをポケットに入れたりしなければ、こんな事はなかったんじゃないかな。もっとも、田中は拾ったことも、ポケットに入れた事もずっと後になってから思い出した事で、その場ではすっかり動転していて、まったく無意識のうちにとった行動なのです。

 あの後、僕らはまた、宿無しになってしまいました。しかも、破ってしまった壁を直す代金を大家から請求されて、せっかく何とかなりかけた旅行の代金を、すっかりそこへつぎ込む羽目になりました。取り壊す予定の家の修理代を請求する大家もひどいですよね。
 そんな訳で、僕らは加藤のマンションに居候を決め込み、部屋探しの毎日というみじめな夏休みを過ごす羽目になってしまったのです。
 お盆も近いある昼時、男ばかり四人でゴロゴロとテレビを見ていると、芸人が体験した怖いお話、と言うのをやっていたんです。この時期の昼の番組はどの局もこんなのをやっていました。
 
 あるタレントの語った話はこんなものでした。
 自分にはあまり年の離れていない兄がいたが、独立して家を出ていた、その兄が去年のお盆に里帰りして、たまたま留守にしていた自分の部屋で寝たらしい。翌日、自分が帰宅すると、兄は意味ありげに自分を部屋の隅に引っ張って小声で言った。
「おまえの部屋さ、出るだろ?」
「なにが?」
 これこれ、と手を前にブラブラさせて、幽霊のまねをする。
「馬鹿言え」
「いや、夜中に女の気配がしたかと思うと、冷たい手で俺の耳の後ろをスーッと撫でて行ったぞ」
「ハエが歩いてったんだよ。兄さんの耳は臭いから」
「違うな~。ありゃおまえ、絶対幽霊だぜ、うん」
 自分はもう何年もその部屋で寝ていたが、今まで一度もそんな経験がなかったので、笑って取り合わなかった。
 その後、二人は連れ立って出かけたが、話はまた、夜中の女の話になって、
「あの手の柔らかさからいくと、若い女だな・・・顔を見ときゃ良かったぜ。おまえ、本当に心当たり無いのか?」
「あるわけないだろ」
「案外、美人だったかも知れないなあ・・・」
 そこで兄は言葉を切って、じっと前方を見つめた。はるか前の方から、日傘をさした和服姿の女性が歩いて来るのが見えた。
 普通、女が和服を着たら、髪は結い上げて襟足を見せているもんだが、その女は長い髪をまるで風呂上がりのように無造作に肩の上に垂らしている。日傘に隠れて顔がよく見えない。しかも、真夏の強い日差しが白っぽい着物に照り返して、そこだけぼんやり白く浮き出して見えて、何とも言えない奇妙な雰囲気をかもし出していた。
 兄が自分を突いて言った。
「おい、あの女を見ろよ。お前の部屋に出る幽霊は、あんな女かも知れねぇな」
 兄がいつまでも幽霊、幽霊とうるさいので、自分はいささか腹が立ってきた。しかも、昼日中歩いてる人をつかまえて幽霊呼ばわりするなんて、あんまり無神経だろ。自分はもうそっぽを向いて口を聞かなかった。
 黙りこくった二人とその女がすれ違う時、女は兄の耳元で低く呟いた。
「どうしてわかったの・・・」
 突然ジャーン!と効果音が鳴りましてね、照明が真っ暗になってスタジオの出演者達はいっせいにキャー!と悲鳴を上げました。お約束の演出ですよね。
 
 僕たちはもう散々怖い経験をした後だったので、こんな話はうんざりでした。それで、加藤がチャンネルを変えようとリモコンを向けると、何を思ったのか、田中がその手をぎゅっと掴んで離さないんです。見ると、その田中の手はブルブル震えてるじゃありませんか。加藤は突然の事にすっかりたじろいでしまって、
「なっ!なんだよ、お前こんな話でビビってんのかよ」と、無理に笑い顔を作っています。田中は、
「その女は幽霊だったんだ! な、な、そうだろ?」と、真剣な目で加藤を見つめています。
 佐々木が茶化し出しました。
「ああ、そうさ、だからいったんだろう、どうしてわかったの・・・ど~して~わかった~の~・・・」
  田中がその場を盛り上げようとして、冗談を言っていると思った僕たちは、すぐに乗ってふざけ始めました。お互いに冷えたコーラの缶を首に当てたりして大騒ぎになりました。
 でもね、田中の顔は大真面目なんです。
「俺の時とおんなじなんだよ! 聞けよ、みんな。先週の金曜日、俺は研究室の先輩たちと飲み会に行ったんだ。飲み屋街は酔っ払いであふれていた。週末だしな。
 その時、人ごみの中に何か小さなものがフラフラ動き回っているんだ。よく見ると、そいつは五歳くらいの男の子なんだ。このくそ暑いのに、水色の長袖のトレーナーを着て、行ったり来たりしてるんだ。
 何をしているのか思ったら、道行く人に何か一生懸命話しかけてるのさ。服やカバンを引っ張っては、背伸びして必死で何か訴えているんだ。最初は迷子かと思ったよ。
 俺は気になってずっとその子を見ていた。ところが、話しかけられている大人がみんなその子を無視するんだ。子どもは必死なのに、大人は知らん顔さ。こんな夜中に、こんな場所で、子どもが一人でうろついてる事自体、異常だろ? どうしたのか心配するのが大人だろ? それなのに、いくら酔っぱらっているとは言え、呼び止められても知らん顔はないだろ。 俺は無性に腹が立ってきて、子どものそばまで走って行ったんだ。
『どうしたの、ボク?迷子になったのか?お母さんは?』
 そしたら、男の子はまじまじと俺を見て、こう言ったんだ。
『見ーつけた! お兄ちゃん、僕が見えるんだね。クレヨン返してよ』って・・・」

 田中の顔は恐怖のためにひきつっていました。
 その時、僕ら、その部屋にいた者は、全員はっきりと見たんです!
 田中のジーパンの後ろポケットの辺りからはみ出した水色の袖口と、田中のTシャツの裾をしっかり掴んでいる小さな手を・・・

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  • 小説
  • 掌編
  • ミステリー
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-01

CC BY-ND
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