ピエロの中の雨

突然ですが、あなたの居場所、相性や性格と本当にあっていますか?就職活動を通して良い企業に入ろうと嘘をつき続けた男。その嘘が自らを苦しめます。あなたはピエロを演じていませんよね?ピエロを演じた男の独白文です。3000文字も無い短編です。気軽に読んでください。

雨は色々なものを変えていく。だからこそ美しい

ああ、ごめんなさい、ごめんさい。私は嘘をつきました。偽りを申し上げました。ただ、悪気があったのではないのです。私は嘘をつくことを求められていました。嘘をつかなければいけないのでした。何より、自分でさえ、その嘘にだまされていたのです。私は初めて自分を恐ろしく思います。皆さんには迷惑をかけます。しかし、一番の被害者が私だということをどうぞお忘れないようお願いします。ああ、どうして。
そうです。包み隠さず全てお話いたします。
 私はこの春から入社した二十二歳の男です。私はこの会社にいてはいけない人間なのです。何を突然言うんだと思われるかもしれません。まあ、最後まで聞いてください。私もこの二十二年間何もせずに生きてきた訳ではありません。私は、昔から、自分との相性の良し悪しを嗅ぎ分ける術に長けている人間です。好き嫌いもはっきりとしている人間です。だからこそ、よく分かるんです。雰囲気が、環境が、何より気質があっていない。綺麗な花束の中に一輪だけある枯れた花のような、そんな気がしてならないのです。
 私は今出版社に勤めております。大きくは無いですが、歴史のあるしっかりとした企業です。社長も、社員も良識があり、はつらつとしています。いやらしいところの無い会社です。
なのに、ああ、どうして、私が入社してしまったのでしょう。いやらしい、惨めで怠け者のこの私が。はい。もちろんこの会社へは自分から志願して入りました。勤労に対して、希望や野心が無かったといえば、嘘になります。ただ、希望や野心、働く理由なんて所詮嘘っぱちです。就職活動の時に必死で考え出した紛い物です。今の私には絶望しか残っておりません。しかし、忘れてはいけません。私は被害者です。自分のついた嘘の被害者です。
 思えば就職活動の始まりがいけなかったように思います。正直に申し上げます。いつまでも、学生としてのんびりと遊んでいたかったのです。しかし、社会が、環境が、周囲がそれを認めてはくれません。ですが、私は働きたくなどありませんでした。やりたい仕事などございませんでした。私がいけないのでしょうか?いつまでも楽に生きたいと思う事は悪でしょうか?
 十二月になって就職活動が始まり、私にはただ恐怖しかありませんでした。あの時の私は狂っていたのです。いいえ。私だけではありません。皆狂っていました。周囲の人たちのやる気あふれる姿を見て私は焦りました。私は勤労意欲に繋がるものならどんなものでも良いと自分の中を探しました。私は昔から本を読む事が好きです。大学では哲学科で学び、一人でボーっと歩きながら思索することが好きです。私は漠然と、本に携わるお仕事がしたいと思うようになりました。人間の考える手助けをして、後世の者へ知識を残す本。その本の製作や普及に努める。なんて素晴らしいお仕事でしょう。
ああ。しかし、今に思えばこれすらも嘘だったのかもしれません。働く理由を見つけるために、私は自分の本好きを利用したのかもしれません。本当の私は働きたくないので、逃げ口に本を利用したのかもしれません。そうだとしたら、私は、自分を許せません。今となっては私にも分からないのです。
 私は出版社への意欲を無理に奮い立たせながら、志望書をたくさん書きました。友達との情報交換も積極的にしました。ある友達は入社試験での自分の成績を得意げに話します。また、ある友達は企業の人事部との人脈を作ろうと奔走しています。説明会に行けば、学生達が一様に「赤べこ」のように首を縦に振り、なにやら必死にメモを取っています。質疑応答になれば、笑顔を貼り付けた学生が元気に質問を投げかけて、さも嬉しそうです。
 駄目です。私はこの時点から駄目でした。皆洗脳でもされてしまったのでしょうか。学生達の目が、顔が、動作が、人間味を感じられません。説明会で、私は、いつも孤独でした。あれは、あの雰囲気は、行った人にしか分かりません。こんなことを考えているのは私だけでしょうか?ただ、人として、職を探す姿勢として、何か間違っている気がしてなりません。
質問をする学生もそうです。あれは、あの元気さや爽やかさは彼ら彼女らの本心から、出てきているのでしょうか?もし、そうであるなら、私とは根本的に違う人間なのでしょう。もし、あの動作や言動が演技なのだとしたら、私は、もう、その人を信じることができません。ああいう人たちを要領が良いと言うのでしょうか?それなら、私は、要領が悪くても良い。正直でいたい。でも、正直ですらなかった私はどうすれば良いのでしょう。
 面接が始まると、いよいよ、私の嘘は膨れ上がっていきました。面接での私はピエロでした。ゆっくりと、着実に、静かに私を、面接官を騙していきました。面接官への見世物でした。自信があるように見せかけ、騙し、笑いを取り、阿諛追従。一片の矜持も無く、ただ相手の望んだピエロを演じ続けました。私の相性の良し悪しを見分ける能力が如何なく発揮され、どの面接官にも良い印象を与え続けました。そして、今の会社に入れたのです。
 そして私は気がつきました。自分がピエロであったことを。それは、会社と相性があっていないことが証明しました。もし、正直に自分の思ったこと、考えていることを面接で話していたら、この素晴らしい会社に私は居なかったはずです。もっと、地味で目立たない会社、それでも世の中の役に立っている会社に入ったはずです。
 私は嘘をつきました。その嘘は私を良い方向へ導く嘘でした。その嘘にだまされ続けていれば、私は、会社を辞めることも無く、立派にはつらつと生きていけたでしょう。ピエロで居続けたでしょう。いえ、自分がピエロだったと気付きもしなかったでしょう。私は会社でも大学でも常に恵まれていました。不満を申し上げるつもりは毛頭ありません。ただ、自分の嘘に耐え切れないのです。自分のずるさや嘘を許せないのです。
 今、外では雨が降っています。何千、何万の雨粒が屋根に当たっています。その一粒一粒が当たる度に、私の心をじわりじわりと急き立てます。きっと、きっと私はこの会社を辞めます。生活のあてなどありませんが、きっと、辞めます。私は自分に正直に生きたいと思います。今日のこの雨を、気持ちを、大事に忘れずに、きっと生きていきます。この雨を頼りに、私は生活していきます。

ピエロの中の雨

お読みいただきありがとうございました。何でも良いので批評その他コメントをいただけると嬉しいです。よろしくお願い申し上げます。

ピエロの中の雨

就職活動で嘘をつき続けた男の独白文

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-07-20

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