サイボーグの掟

サイボーグの掟

これは「サイボーグの目覚め」「サイボーグの過信」の続きとしてお読みいただければ幸いです。

1 再入院

 2008年11月は、英国が誇るロックバンドThe Whoの単独初来日コンサートという念願が叶い、横浜、さいたま、そして武道館でその勇姿を見る事が出来た。さらに祖母の告別式もそのコンサートスケジュールの合間を縫って行われ、遥々富山にも駆けつける事が出来た。
 
 すべてをこなし終えた11月末のことだった。一見すべて順調に事は運んでいたような気がしていたが、まさか突然腹痛に襲われるとは思わなかった。
「少し横になっていれば……」
いや、変わらない。何をやっても変わらない。むしろ痛みは増してきているような……。
 重い腰を上げて、馴染みの某大学病院を予約した。ここは2007年8月に心臓手術を施した場所であり、私のサイボーグ化を推進した場所だった。ただの腹痛だから町医者に行ってもいいのだが、なにかと心臓との関連で逃げ腰になられてしまう可能性があった。予約とはまた悠長なことだが、まだ余裕があったのか。
 普通に痛み止めが出るだけで返される始末だったが、初回は大人しく帰った。だが結局痛み止めも効かないくらいの痛みに襲われ、再度、再々度通って、胃カメラとCTスキャンの検査に発展していった。痛み止めもロキソニンからボルタレンの座薬に変わっていた。
 数日仕事を休む事になって、大人しくしてるかといえば、そうでもなかったりする。その辺りは、前作の「サイボーグの過信」にも書いたので詳しくは書かないが、そんな様態にも関わらず、遠出をして映画を見に行ったりしたわけだ。
 クリスマスイブに通院があって、消化器内科から外科、これは肝胆膵(かんたんすい)外科と言われる科で、翌日の25日に初受診となったわけである。循環器内科の手を離れ心臓外科へ……そう、あの時と同じ流れだ。ということは、手術?
 CTと胃カメラから確認されたのは、腹部の腫瘍なのだが、その正体を確かめる必要があった。果たして切らない方法もあったのか?でも一度切ってるんだから、もう1回切ってもいいかという単純発想なのか。あるいはさらに別な理由があるのか?
 25日の受診では、メディアにも知られているビッグドクターと10人ほどの取り巻きに囲まれて、今後の治療方針を説明されたのだが、その時に「GIST」という耳慣れない言葉に遭遇する。腫瘍の正体に対する言及であるのだが、なんだかカッコいい。などと言っている場合ではないのだが……。
 私の理解の程度だと、GISTは、消化管間質腫瘍と言われるように胃や腸の内側でなく外側に出来る悪性腫瘍の事を言うらしい。切除可能であれば、外科的処置を施し、不可能であれば、増殖を抑制する専用薬を飲み続けなかればならないらしい。まあもしGISTでなく悪性リンパ腫ならば抗がん剤治療となるようだった。

2 入院前半(ブログ引用)

入院初日2008・12・26

 昨年7月、循環器科で検査入院したときは12階だった。昨年8月心臓外科で手術入院の時は5階、そして今回の肝胆膵外科での手術入院は9階の部屋となった。12階ほどではないにせよ、比較的眺望が良い。
 昨年は夏の暑さをしのぐ避暑地がわりにもなり、今回も厳冬から身を守るシェルターのようになってしまった。けして時期を勝手に選択しているのではない。

 初日から検査のオンパレードだが、動脈からの採血がちょいと痛いくらいで後は慣れたものだ。

 今回もアドエスをお供に入院したので、余力があれば、がんばって投稿します。
 
入院2日目2008・12・27

 昨日主だったことをしてしまい、今日は何もない。明日は手術の説明会があるが、それ以降、フリーになるようで、そんなに慌てる必要はなかったのだろうが、きっと年末とか曜日の都合で、こうせざるを得なかったんだろう。でも無駄なベッド代だと庶民は思ったりする。ただ命には代えられないから……。
   
入院3日目2008・12・28

 心臓の時は、自らをサイボーグになぞらえて、ちょっとしたイベント気分も若干はあった。もちろん怖いなりに、モチベーションを高めようとはしてたわけだ。
 ところが今回は、昨年のことがあっての今回の騒動というわけで、なんとなく周囲に対して口を閉ざしてしまっている。なんとなく恥ずかしささえ感じる。

 今日は、家内と義兄が手術説明会のために集ってくれた。内容は12月25日に肝胆膵外科で伺った内容を詳しくしたものであった。うーんまだ「GIST」の可能性があるみたいで、むしろその方が薬物療法が確立されているので、リンパ腫よりもやっかいでないようなイメージを受けた。とはいえ薬の副作用なども聞いている。結果は手術後数日内で分かる。今回は手術が終わって終了でなく、それが今後の治療のスタートであるというところがポイントなのだ。
 
入院4日目2008・12・29

 今日からバイアスピリンの服用が中止となった。ワーファリン同様に血栓を出来にくくする、つまり血液をさらさらにしておく薬だ。ワーファリンも年明けから服用をストップする。
 手術をする以上、血がさらさらだと出血が止まらなくなって大変だからである。だから数日前より中止して効力を残さないようにしなければならない。
 手術そのものは、前回の心臓より難しくないが、上記のようなからみがあるのでたいへんなのだ。無論いつまでも中止にすれば血栓が出来て、心臓手術のやり直しという危険性も出てくるという。
 もう、任せるしかない。とにかく生きたい。
 
入院5日目(外泊1)2008/12/30

 正月なんで外泊OKということで帰宅。職場に少し顔を出した。
 アルコールは禁止である。「おとそくらい……」却下であった。
 とにかく帰ってきたはいいが、退院したわけでない。どちらかといえば、これからが勝負だ。そう考えると……特に何をするという気力がわかない。
 とりあえず好きな音楽を大音量で流しながら、パソコンのゲームをしても、高得点をあげることも出来ず、ぼーっとしている。
 少しずつモチベーションを上げていって、今日、明日で今年一年の精神的、物理的総決算をしたいとは思っている。

 そういえば、先日の手術説明会で、12月初旬に起きた「痛み」に対する見解が語られた。現在胃と肝臓の間にある腫瘍のようなものが、徐々に大きくなってきていて、何かのきっかけで中で出血した、それが痛みとなって出た、ということだ。

 現在痛みは治まり、腹部の違和感だけが残る。憂鬱ではあるが、気持ちを切り替えて、2009年を迎えていきたい。
 
入院6日目(外泊2)2008/12/31

 病院で朝6時に起きる癖がついたのか、朝5時55分に起きた。2度寝も出来るが、今年最後の日だと思うと寝ているのがもったいなくなった。せっかく外泊できたのだから、突然の入院でお茶を濁したことを整理してみようと思った。まあ、それは音楽活動面のことをさしている。これはまた数分後に、別枠でやろうと思う。
 それから、かなり伸びてしまった髪を切りに行きつけの髪切り屋さんにいった。もう8年も通っているし、最初から担当してくれたスタッフ(女性)ももう30??……いや歳の話は止めよう。私の仕事のことも知っているし、錦糸町にいるときはメガネも作ってくれた。
 心臓手術のときもずいぶん心配してくれたが、今回の事態も詳しく聞かれた。いわゆる営業でもかまわないと思っている。それは自分だってやってきたことだし、それだけでもありがたいと思えるのだ。
 明日からワーファリンを飲まない。心臓にとっては不安だが、手術のためには必要なことで、何日前から停止すればリスクが少ないかを計算するのは、素人にはできない。お任せするしかない。


 
入院7日目(外泊3)2009/1/1

 正月気分でもないが、雑煮を食べ、おせちをほうばる。年賀状に目を通しながら、他愛のないテレビ番組を眺めている。
 明日の夜に病院へ戻る。今日の朝からワーファリンが外され、ブロプレスとシグマートを飲んだ。夜はシグマートとリピトール。
 母と会社の先輩から激励のメールが届いた。妹夫婦は、旦那の実家がある上海に行っている。そう、国際結婚だ。中国問題が起こるたびに中国人にもいろんな人がいるもんだと思う。年上の義弟を見ているとまったく日本人と変らないと思うし、むしろ機転が利くししっかりしている印象だ。帰り次第、私のもとに駆けつけてくれる約束になっている。
 
入院8日目(外泊4)2009/1/2

 外泊4となっているが実際は3泊で、今日はすでに病室に戻っている。あっと言う間の我が家だった。
 年賀状の整理も出来たし、あっ、ちなみに暮れにプリンターがおニューになった。1999年の暮れに買ったカラリオをずっと使っていたが、さすがに9年も経つとおかしくなって、せっかく買うなら複合機でFAXもついてるブラザーかな、ってマイミオになった。無線LANでつなぎました。まだ使いこなしておらず、それが悔やまれる。一刻も早く家に戻って、いろんな機能を試したい。

 さて明後日1月5日の朝8時から手術である。みんな応援してよね。
 
入院9日目 2009/1/3

 夜中に目が覚めてしまい、朝方まで眠れず、日中に爆睡していた。今日はまあこれでいい。
 明日の朝食を最後に、手術が終わるまで食べられない。まあ終わっても、流動食からになるだろうね。
 昼頃から対戦モードに入っていくのだが、まずは下剤を飲む。マグコロール250mlを1時間くらいかけてゆっくり飲む。寝る前にもプルゼニドという錠剤(やはり下剤)を飲む。そうやって手術に向けての準備をしていくのだ。最後は当日朝に浣腸が待っている。

 この病院には、ドトールとタリーズが入っているので、コーヒー好きには非常にありがたい。今日も3時のおやつ代わりに家内とコーヒーを飲んだ。

 二人部屋の隣人とコミュニケーションが取れた。なんと明日退院となる。彼は脾臓が肥大して摘出したという。私よりは10歳は年上と思われるが、非常に明るい。それだけで若々しく感じる。そうだ、なるべく明るく振る舞おう。
 
入院10日目(手術前日)2009/1/4

 朝から慌ただしく、ドクターが来て点滴用のふた周り太い針を刺していった。2回目で成功。次は看護師が来て剃毛、これはお願いした。加減が分からないので、前回もそうだがお願いすることにしている。さすがに恥ずかしいという気持ちはない。その後朝食をとり、ざっとシャワーを浴びる。
 いよいよ点滴が開始される。昼食、夕食を外すための栄養補給か。主な成分はブドウ糖。点滴をしたまま、今度はレントゲン、点滴用のスタンド(?)をずるずる引きずりながら、移動する。
 後は予定通り、これからマグコロールを飲むところである。
 

3 入院後半(ブログ引用)
 
入院11日目(手術当日)2009/1/5

 朝6時起床。やるべきことをかたづけて手術の準備。昨日のマグコロールの効果は昨日夕方から昨晩寝る直前まで発揮され、4〜5回はトイレに駆け込んでいた。そのせいか、今日の浣腸では液体以外は出なかった。手術室まで徒歩で移動。ストレーナで運ばれた一昨年の心臓の時とはまた感じが違う。
 担当のスタッフが次々と挨拶をしていくが、やけに若い女性が多い。心臓の時には横になっていたし、点滴を繋がれたままの移動であまり意識しなかった。
 台の上に乗れば、自然とムードも盛り上がり、脊髄に打つ麻酔の痛みを緩和するための局所麻酔の注射が一番痛い。「2分したら眠くなります」言葉通りか、すぐに意識がなくなった。

 気が付くとやたらと慌ただしい中にいた。周りでお祭りをやっている感じ。管を付けられたり外されたりしながら、場所を変えられ「お部屋に戻ってきましたよ」と言われた気もする。とにかくワーワー言われながら、どこかに落ち着いたが、痛くて痛くて確認も出来ない。前の病室とは違うようだが、家内の声が聞こえてきた。現時間が2時頃であることと部屋が変わったことを教えてくれたようだ。とにかく痛くて声が出せず、手で「分かった」と合図を送った。妹や家内の母も来てくれたのが分かったが、やはり手で合図を送ったと思う。
 
入院12日目(手術翌日)2009/1/6

 寝ている合間も痛みが修まらず、再三痛み止めをお願いするも「時間をおかないと」いけないそうで、願いは通じない。長い夜を過ごし、やっと迎えた朝は時の経過を感じたに過ぎなかった。
 この日一番効いた痛み止めは、背中の方に付いていた管に送り込まれた奴で、日中数時間はこれが効いていたせいか、歩行訓練にも耐えうることができた。レントゲンを撮るために多少動けることは必要だった。(実際レントゲン室まで車椅子で運ばれ、技師たちをたいへんわずらわせた)
 夜になって患部の出血具合が尋常でないという事で、夕方から開始したヘパリンという点滴(血をさらさらにする)を中止。また明日から復活予定だったワーファリンとバイアスピリンも延期となる。

入院13日目(術後2日)2009/1/7

 昨晩より、先生の許可で3時間おきに痛み止めを使用して良い、となっており、就寝中数回お願いできた。昨夜の看護士に多少腹立たしさを感ずるも、それはそれでしょうがない。痛み止めの効果もあり、鼻から胃に向かって入っていた管も昨夜抜いてもらい、昨日よりはまだ眠れたが、やはり痛い。
 日中は座薬のボルタレンを用いて過ごした。
 中止するはずだったPETの検査を受けることにする。手術決定前に予定が決まって検査だが、腹を切って腫瘍らしきものの正体がわかれば必要ないはずなのに、とは思った。まあ体験としては面白いか。
 夕方妹が顔を出してくれた。手術当日来てくれたが、話など出来る状況でなかったので、ほっとしたことだろう。
 
入院14日目(術後3日)2009/1/8

就寝中3回ほど目を覚ましただけで、前日よりはかなり眠れる。寝る直前に使用した眠剤と痛み止めの点滴は、1回だけの使用で済んだ。自力の起き上がりが可能となり、尿管が抜けた。
 毎日のように朝1番で採血されるが、1度で決める看護士はいない。私の場合かなり血管が見にくく、今日担当の庶民的な看護士に言わせると「血管がなーい」となる。
 術後3日間いたリカバリー室を離れ、一般病棟(二人部屋)に戻る。リカバリー室の喧噪もなかなか面白いものがあった。それはまた後日に。
 今日も昨日のPET同様中止になるはずだったMRIがある。それと3日間連続でレントゲン検査もある。自力で寝起きが出来るとは言え、まだ技師に手伝ってもらう必要がある。また行き来には車椅子を使用。
 検査終了後、飲食が解禁され、家内をコンビニに走らせる。こんな時は、やっぱりプリンという気分である。夕食も今日から普通に出されたが、こちらは半分くらいしか食べられなかった。
 
入院15日目(術後4日)2009/1/9

 今朝は、点滴交換で1度とトイレに起きたのが1度で、結構眠ることが出来た。もちろんまだ眠剤と痛み止めの点滴のおかげではある。
 今日は座薬の使用を控え、どこまで頑張れるかが焦点となった。昨日までは、車椅子を使用したレントゲンの送り迎えも、一人で歩いていくことにチャレンジ、そして成功。その後も一人で食堂まで歩いたり、家内と院内のドトールまで歩いたりして積極的に動き回った。
 本日よりワーファリンとバイアスピリンが解禁となる。その効果が上がってくれば、ヘパリンという点滴も不要となる。
 
入院16日目(術後5日)2009/1/10

 就寝中、痛みに耐えかねて一度だけ座薬を入れてもらった。熟睡とまではいかないが、昨晩程度は眠れた。今日も痛み止めをなるべく使用せず、歩き回ることに努める。
 朝食、昼食はほぼ完食である。
 さて、今回の手術の第1目的は、胃と肝臓の間にある拳大の腫瘍は何なのかを特定することだ。実は手術当日にさりげなく、予期していたGISTでもリンパ腫でもないことをちらりと聞かされていた。そして今日は病理検査の結果も出て、悪性の腫瘍でもないことが判明した。
 じゃあ、どうするのか。今慌てて摘出するよりも、出血をした腫瘍は徐々に小さくなっていくだろうから、いったん退院して月1外来で様子を見ていって、必要あらば切る、という方向で決定となりました。
 家内をはじめ皆「良かった」とは言ってくれるし、本人もまあホッとはしたのだが、せっかく正月早々に腹を切ったのに……という白黒付かなかった空しさがいくらか引っかかる。今日だってまだ痛いんですけど!

入院17日目(術後6日)2009/1/11

 痛み止めが飲み薬のロキソニンに変わる。就寝少し前に飲んだ効果が結構続き、2度ほど目は覚めたが、トイレに立ち上がることもなく、朝初めて看護師に起こされる。
 一昨日ドレーン用の管が抜かれ、現在点滴中のヘパリンがなくなり、傷の抜糸がなされれば、いつ退院してもおかしくないことになる。
 今日は手術以降初めてシャワーを浴びることが出来た。もちろん点滴を一時的に外し、その部位をビニールで覆うのである。傷口はもちろん軽く流す程度で、シャワー終了後に消毒してもらう。
 3時にドトールで塩キャラメルラテを飲んだ。ローソンでおやつを買って病室で食べた。
 
入院18日目(術後7日)2009/1/12

 傷み止め効果が弱く、1時半に目を覚まし、3時半にトイレに立ち、その都度30分おきに目を覚まして朝を迎える。まあ慌てることはない。徐々に引いていくだろう。
 昨日から便の状態が普通になってきた。快眠ならずとも快便ではある。
 担当看護師に手術名を確認すると「開腹腫瘍生検」と教えてくれた。
 今日の予定は特に無いはずだったが、朝10時に抜糸となった。経験の浅い先生が、経験のある先生の監督の下、アドバイスを受けながら抜いてゆく。ちなみに前者が女性、後者が男性。抜く瞬間にちくりと痛みが走る。
 
入院19日目(術後8日)2009/1/13

 段々、痛み止めが効かなくなっているのか、今日もほぼ1時間おきに目を覚ましていた。5時に起きたとき、トイレにも立ったのでメガネをかけ上着を羽織った。ベッドに戻ってそのまま上体をあげたままでいると5時半に抜糸をしてくれた女医さんが採血にきた。
「メガネをかけて寝るんですか」
っなわけないが、突っ込んでくれてうれしかった。
 なんと1発で採血を決めてくれた。一昨日の男性研修医は3回もかかったのに……。採血はうまいに越したことはない。
 傷口の痛みは別として、患部本来の痛みがなかなか取れない事に関しては、再手術をほのめかすような担当医の話であった。
「今すぐじゃないですよ」とは言うものの……。
ずっと続いていたヘパリンの点滴が終了する。退院を待つだけか?

入院20日目(術後9日)2009/1/14

 昨日隣の患者が退院していき、一晩個室状態で過ごした。そのせいか目を覚ましたのは2回と優秀であった。
 今日も採血があり、担当看護師のIさんが一回で決めてくれた。昨日今日とうまい人に巡り会っている。ちなみに採血が続いているのは、肝臓の働きが元に戻ってきてないということで、昨日もそうだが肝機能強化の点滴がなされた。今日も採血の結果によっては、その点滴がある。
 夕方になって担当医から日曜に退院という告知を受けた。当初の予定より2〜3日延びたか。取りあえず一息!
 
入院21日目(術後10日)2009/1/15

 隣のベッドにはすぐに次の患者がやってきた。ある意味繁盛している。
 就寝中目が覚めた回数は3回だが、痛みではなく物音やトイレにいくためのもので、次第によくなっているように感じる。昨日から腹帯を外したので、代わりに半袖Tシャツをパジャマの中に着ている。直にパジャマだと傷口に触れる感じが微妙に痛かったり、多少寒かったりするので、それを防止するためだ。腹帯と違い締め付ける感じがないので、気持ちの上でも楽になった気がする。
 肝機能の値は多少良くなってきているようだが、もう少しということで今日も点滴があった。がんばれ、あともう少し!
 
入院22日目(退院2日前)2009/1/16

 今日から総括モードに入る。明後日には退院なわけだ。
 さて、いきなり入院を宣告されたときのショックは、今になってもぞっとするものだった。それもクリスマスだった。26日から荷物をまとめて入院手続き、病室に入り、寝間着に着替えて……まあそんな感傷に浸ってもしょうがない。
 今回、胃と肝臓の隙間に出来たこの腫瘍が、GIST(消化管間質腫瘍)か、悪性リンパ腫のどちらかの可能性があるので、腫瘍の一部を摘出し、検査してみようということだった。悪性リンパ腫なら抗ガン剤治療、GISTならグリベックという慢性骨髄性白血病の薬で、いずれも薬物治療になるはずだった。
 開けてみると、どちらでもなく病理検査でも悪性でないことが証明された。血管腫と呼ばれるようなもので、一部切除してみると中身はスポンジのようにスカスカで、出血した勢いでもってそのまま縮んでいくのではないか、と推察され今後通院しながら時々CTで腫瘍の観察をしていこうとなった。
 さあ、ちょっと感傷的になってみよう。切って悪性でないと証明はされたわけだが、ほんとに切る必要があったのだろうか。GISTかもしれないというドクターの目の輝きのようなものが、ただの血管腫とわかりなんとなくきらめきを失ったように感じたし(まあ本人もリンパ腫よりは、GISTの方が希有なので良いかもとは思った)、また切ったにも関わらず、手術翌々日にPET(癌検査の最新医療機器)、その翌日にMRIをする必要がほんとにあったのだろうか。もちろん、それだけやって何もなければ安心ではあるが、そろばんの臭いがしてしまうのは、貧乏性だからであろうか。ベッド代だってそうだ。入院だ、と言っておいて二人部屋しか開いてないので、4人部屋との差額2700円をさも当たり前のように説明するお役所的な感じ……ああ、でも看護師さんが良かったので、まあこれくらいにしておこう。とりあえず良性だったのだから……。
 
入院23日目(退院前日)2009/1/17

 明日は退院なので、今日が最後の1日ということになる。今のところ体調は安定していると言える。
 昨日いろいろ言ってはみたが、とりあえず自宅に戻れるという喜びはある。手術中の事故はなく、腫瘍も良性だったし良かったと心底思う。
 今回も全身麻酔だったし、手術中の事故に関しては、数パターン脳裏を横切った。人工呼吸器とか、尿管とかが身体の一部を損傷したとか、麻酔の副作用で半身不随になるとか、開腹してみたら緊急に腫瘍全摘に変わったとか……それにワーファリンがらみで出血がひどいとか、戻すタイミングが悪く心臓に影響が出たりとかね。確かに心臓の時の方が大がかりで、12時間以上かかってるし、集中治療室にもいったりして、たいへんだったことは覚えている。でも準備段階は同じだから、同じくらいの緊張は過ぎるんだよね。
 お腹の手術ってことで、前回の心臓はとにかくとしても、13歳の時の腹膜炎(盲腸のひどいヤツ)まで思い出した。あの時は傷口の一部からドレーンパイプを出していたので、傷口がなかなか塞がらず、術後3週間くらいは入院していた。
 今回凄いなと思ったのは、開腹したところはすぐその場で塞いで縫い合わせるんだけど、別な部分に小さな穴を開けて、そこからドレーンパイプを出してるんですね。だからこそ術後7日目に抜糸、術後2週間で退院となるわけなんでしょうか。
 「白い巨塔」で有名な総回診というイベントも今日はあって、本日有終の美を飾れそうな気配がしております。なんのこっちゃ!
 
 
入院24日目(祝退院)2009/1/18

 とりあえず退院してまいりました。しばらくは自宅でおとなしく養生いたします。どうもいろいろご心配をおかけしました。ありがとうございます。
 
以上が入院の記録となります。
 今読み返すと、当時の事が思い出されてきます。懐かしいけれど、けして戻ってはいけない世界。だけど人間これから先、年老いていく事を考えるとまたいつかお世話になるのだろう。
 
 
4 退院後 
                     
 1月18日に退院して数日、ドレーン穴から、ジワっていう出血はあったんです。それも気にせずにいたら、かさぶたになりまあきっとそうやって段々治ってゆくのかな……なんて思ってました。
 一週間過ぎかさぶたがとれ、バンドエイドのちょっと高いの(傷を治す奴?)を貼って1月26日、昼食後なんとなくお腹が濡れた感触を感じ上着をめくり上げるとシャツがびっしょりと血に塗れていて……何とかすぐ収まりました。もちろんそれから安静にして、夕飯も食べ終わって安心していたら……昼間と同様のことが起こりました。とにかく横になって安静にすると、また落ち着いてきてるようでした。
 でもなんとなく起き上がるのが不安で、万が一の大量出血にも備え、寝室でないところに、仮眠できる様に毛布なんか引いて、オイルヒーターで夏並みにあったかくして横になっていたんです。もちろん眠れません。でも少しうとうとはしてたんでしょう。
 夜中の3時頃ですか、腹にのせていたタオルが生暖かく濡れている感触……痛みはないのでとにかくじっとしていようと1時間くらい放ってましたが、恐る恐る手を伸ばしてタオルに触るとやっぱり濡れていて、引き戻した手を見ると真っ赤になってます。これはやっぱり異常じゃないか?
 横になったままアドエスに手を伸ばし先日退院したばかりの某大学病院に電話、担当医に状況を話すと「救急車とばして早くきて」というので、初めて自分のために119をかけました。それから寝室の奥さんを呼んで、状況を把握させましたが、やっぱり慌てますよねえ。
 救急車を過去に何度か呼んだことがあるが、それはいつも他人のためだった。そして今回は自分のために……。
 なんとなく、他人が土足で家の中に入ってくるイメージ。まあ、礼儀正しいとはいえ、ちょっと職人のノリだ。3人組で、ベテラン、新人、見張りのような役目。ベテランが叫ぶ。
「奥さん、毛布ないの!戸締まりに気をつけてね!」
我が家はマンションの11階。通路もエレベーターも広くはない。見晴らし最高もこんなときは不便だ。タンカは使えないぞ!いわゆる椅子型のタンカみたいなのがあって、それを使って新人が運ぶ!1階に着き、外に出たらタンカに乗り換え、運転手も手伝ってそのまま車へ……。
 病院は、ただの痛みの時と違い、目の前の流血に対し、なんとかしようという熱気がみなぎっている。いや頼もしい。とりあえずドレーンの小さな穴とはいえ縫う!麻酔の注射が痛い!とりあえず止血し終えると点滴。落ち着いたところで、超音波エコーとCTスキャンも!
 結局、ワーファリンという薬が効きすぎてて、出血を抑えきれないという事態だった。
「まず今日から3日間ワーファリンを抜いて、4日目から1錠減らして使用すること」
で様子を見ることになりました。そこからしばらく絶対安静の日々を過ごしておりました。1月29日の通院日には「再入院」の言葉も出るほどでしたが、2月3日には、再入院は免れ、無理をしなければ、普通に生活していいよ、とうことになりました。
 その後、無事に2月16日の職場復帰を果たす事が出来たのでした。それにしても退院後にまさか救急車運ばれるとは、何が起きるか分かりません。
 
 以上

サイボーグの掟

 おかげさまで、これ以降の入院は免れています。しかし時々身体の一部が何かしら「Help!」と叫んでいるようであり、いろんな人のお世話になってますね。

サイボーグの掟

「サイボーグの過信」の最後で、心配して下さった方のための後日談といった内容です。 結局、謎の病気「GIST」でもなく「悪性リンパ腫」でもなく、ただの血管腫でしたということなんだけど、腹を切ったし、それなりにリスクも負った訳である。

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-12-25

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著作権法内での利用のみを許可します。

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