元場面緘黙症        七転んだとしても八起き上がれば

元場面緘黙症 七転んだとしても八起き上がれば

自分の事はまだ好きじゃない。

だけど、こんな自分でも好いてくれる人達の
為に自分を好きになりたい。

目標は完璧な自分になることじゃなくて
こんな自分を大好きになってあげる事。

自分の名前は好き。
流産しそうな時期に両親が見た稲穂が綺麗に
ヒカっていて私の出産予定時期と稲穂の収穫時期
が同じだったから

''こんな稲穂のように実りますように”

と願いをこめてつけてくれた。

不思議だけどお米がだいすき。笑

そんなちょっと変な私の話の始まり始まり。

たくさん転び続けてきた。けどその度起き上がってきた

「おっはよー!」
「あっ、おはよー!昨日の○○のテレビみた?」
「みたみたーまじうけたんだけどー」

明るい朝の挨拶が響き渡る教室

[ちょっと今日は早く来すぎちゃったな...]

いつもは、チャイムギリギリで教室に静かにはいる。
こんな当たり前の朝の始まりでさえ私にとっては苦痛でしかなかった。

私は、小さい頃から母が大好きだった。
幼少期は公園にいっても他の子供と遊ばず母親の足にくっついているような
子だった。

母は自分と血が繋がっているのかさえ疑ってしまう程本当に明るい人で
元気なアクティブな人なのだ。
しかし、この母もまた父と出会い結婚した事により色々な
壮絶な人生を送ってきている。
この話はもう少し先で話そう。

生まれつき先天性の遠視で、私が目が全然見えていないことに気付いたのは
4歳の頃だったそうだ。

それからは分厚いメガネをしながら矯正をし始めた。

父親の仕事関係で、転勤っ子だった事やメガネをかけていたことから
私が学校で話せない子になったのではないか…と母親はいつも心配をし
申し訳ないごめんねと言っていた。

私は、そんな事を言われることが嫌でしょうがなかった。
まるで私はかわいそうな子のようなそんな気がして仕方なかった。

[なんでわたしははなせないの?]
そんな問いかけを誰にも口にすることはせず、
自分に問い続けて来た。

家では喋れるのに、学校に行くと感情シャットダウン…
笑うことも我慢してしまい、喋ることもできない。
話しかけられれば必要最低限の受け答えはできるものの、
やっぱり行動や雰囲気がおかしくて浮いた存在だった。

そんな自分が嫌だと心の底から思ったのは、中学生になった時のこと。
思春期になり皆の見る目がかわってきた。
うざい、きもい、うけるなどの言葉遣いをするようになる年頃で
やはり私も言われた。

「きもい」

[まぁそうだよね。私もきもいと思ってたもん。
学校での自分]

もし、今あの時きもいと言った男の子に会ったらきっと
笑って話せる。

中学2年生までなぜか中学1厳しいバレーボール部に
所属していた。辞めたのは成績のせいにしたがやはり
人間関係。

いまでも不思議だけど、きっとあの時所属したのは
変われると思ったのかも。

やっぱり女の子だったし感情が出せないとしても
感情はたくさんあった。この子と喋れるなら
喋りたいなとかこの人面白いなとかこの人かっこいいな
とか…

中学3年生の時同じクラスになった男の子
O君に多分私は惹かれていた。
クラス1人気者の男の子、面白くて野球が
好きでだけどちょっと不良ちっく。

この人が話す言葉はいつも面白くて私は耳に入るたび
笑いをこらえるのに必死だった。

本当は凄くいい人それが伝わる人だった。
ただ私はこの気持ちが少しでも伝わる事を恐怖に
感じた。
席が近かった頃私が朝ギリギリに席についたところ
彼は違うクラスの男の子と喋っていた。

そして、私の方を見て少し時間があいてからその
友達に私にだったのかな、変な髪型と小さな
声でいった。
髪をしばっていたのだがポニーテールを縦に
二つしてるといったらつたわるだろうか。。

今考えると恥ずかしくて死にたくなる位の
髪型だ。しょうがないあの頃はセンスゼロ。
とにかく毎日が早くすぎて欲しい一心で
1日が過ぎてはカレンダーにバツをつけ明日は
きてほしくないのに明日を待った。

あの頃は多分私は死んでいた。
中学の頃の経験や自信のなさ、父親の影響で
男の人は苦手だった。

中学を卒業し誰も知ってる人のいない高校に入学した。
そこで私は変わったのだ。

友達もたくさんできた。話をして笑って皆と同じ様な
言葉を使い同じ格好をして生活した。
やっぱり、どこかぎこちなくて不思議とか
言われたけどそれはそれでキャラは成り立っていたと思う。

初めての友達初めての好きな人初めてだらけで何もかも
新鮮だった。

ある日違うクラスの女の子数人と話をする
機会があった。派手な感じの子達で、その中で
背は低いが一際怖い雰囲気で足を組んでいる目が大きくて
髪が長い女の子H。
この子とこの後10年間の付き合いになるとはこの時
思いもしなかった。

人生とは面白い。

その会?では私が喋るのが遅くてわざとだという
噂がたってるよ、といういわゆる私がぶりっ子と
思われていることを教えてくれる会だった。笑

こんな事も起きるだろうなと予感していたけど
、この後これを機にサバサバの印象を出す様に心がけた。
変顔をしたり喋り方によってまた自分を変えて
みたのだ。

それからそういう噂を聞くこともなく平和に
過ごすことができた。人生は大変だ。
人と違う生き方をしてきたから、人より劣っている
部分もたくさんあるし、普通できることが難しい。
ここではどういう態度をとるとかここではどういう
リアクションがいいとか、ここではどういう
言葉の返し方だとか大変な事はたくさんあった。

学校生活はなんとなく過ごす事ができたが問題は
アルバイトだった。
なぜか緊張し、場面緘黙の時の自分が出た。
これはこの先10年間続いた。

やっぱり人より覚えるのも遅くて、同じ失敗を
繰り返したり緊張してしまって理解できなかったり
そういう事が続いた。でも、生きて行くには
働かなければいけないしもう割り切っていた。

後遺症?は少し残るものなんだなって思う。

高校時代救われたのは友達ができたこと、そして
初めて好きになった人。N君。
不思議な人でその人の周りに漂っている
雰囲気はなんともいえない誰にもない独特な
素敵な雰囲気だった。
連絡先をききメールをしたり会ったらおはよう
というだけのそれだけの関係だったがそれだけが
嬉しく幸せで学校にいくことが楽しかった。

この人の事もこの後だいぶ長い間好きでいるとは
思いもしなかった。

高校二年の時告白をしふられ初めて好きな人
の事で家で泣いた。
でもとてもいい思い出で断わってくれた内容も
「好きになるって一緒に話して笑ったりして
性格とかで好きとかわかるとおもうんだよね。
話した事ないから付き合うとかはできないかな、
ごめんね。友達からよろしくね」

という内容で更に好きになってしまった。

話が変わってこの人をちょうど好きになった頃アルバイトの
研修に行った先で初めてナンパをされた人K君がと
この10年後の初めての彼氏になるとはこれまた
思いもしなかった。

この時のアルバイトはチェーン店の薬局で○○市の
合同研修だった。
少し肌寒い秋だった。

その研修は駅近くにある大きなビルの
中で行われた。イスがたくさん並べられ
真ん中に座って始まるのを待っていた。そこに
背はあまり大きくないが、目が大きくてマフラーで寒そうに
口まで隠しているまったりした男の子が入ってきた。
目が何秒だろうかずっとあっていた。
初めて会う人とこんなに目が合うことは
初めてだった。
その男の子がじっと見ているから私も
みて居るのかそれとももしかしたらこの時
私も本当はこの子の事が好きになっていたのかも
しれない。

この男の子K君にこの10年後再会し
告白され、私は25歳にして初めての彼氏ができた。

高校時代はN君が好きでその事をメールでK君に相談
したりしていて私の事を諦めたといっていた。
あの時のナンパは最初で最後のナンパで
初恋だった、私の事は特別だよといってくれ
嘘を付かない人で誠実さと真剣さ強引さに
惹かれこの人なら大丈夫大切にしたいと確信した。

きっと10年の空白は必要だったと、お互い色んな
経験をして成長し大人になってから会う運命
だったんだと今になって思う。

この人はいい意味でゆるくて、適当で私の
人を信じれず疑ってばかりいた誰も入るな立ち入り禁止といわんばかりの
壁をすんなり壊し入ってきてくれた。
一緒にいる時間の自分だけは唯一好きだった。
楽しくてラクで色んな所に連れていってくれて
色んな音楽を教えてくれた。
ポジティブな考えを教えてくれた。

中学まで喋らない子だった事
冷めていること
感情のアップダウンがある事も


全て伝えた上でそれでいいよと言ってくれた。

鏡をみてこれが自分なのか
家族でさえも遠く遠くに感じてしまったり
自分の声はこんなんじゃない
自分の本当の声はどんなんだっけ
感情の出し方がわからなくなったり
分からないから感情を内側に押し込めて
それが爆発してしまったり
爆発しないまままた暗闇にポーンって
感全て捨てて無かったことにしてみたり

死にたいとおもった事はないけど
違う人になれたらどんなにラクだろうとか
思うことはしばしばで

自分がここにいるのかわからなくなって
そうして最終的に寝る

18時間位

眠り続ける
眠くもないのにまた眠る
眠ってる時だけは無になれるから
だから夢の中に逃げてしまうのだ

なぜかいい夢ばかりみる

起きた時の現実感に戻された感はハンパない

そうだ生きてたんだって例えが一番ちかい気がする

そのまま夢の中に生きれたらいいのに
現実が嫌になったら夢の中へ

キャラクターも性格も選べる
地位も家も家族も友達恋人さえも

思い通りの自分になれる
思い通りの生き方
何度でもかわれる

そんな世界が作れたらいいのに

今日はあの子で
明日はあの人
明後日は性別を変えてみようか
その次はおばあさんになってみよう
プロスポーツ選手
バンドマン
ホスト
アイドル

なんだってなれるんだ

そんな世界を作れたら
誰か作ってよ

偽って生きてきすぎたからもうなにがどれが
あたしかわからなくなってしまった

唯一一人で居る時の自分が本当の自分な気がする

全く緊張しない時間
嘘を付かなくていい時間
筋肉が全部休まる時間

だから一人の時間が一番すき

やっぱり人の目が気になるのと
動きがなんか変になる時や
目線の動き緊張してしまったり
体にやけに力がはいること
気分が落ち込みやすいこと
心開きづらいこと

は治らない
治りたい

昔のくせが治らない。

ではここで妹Sの話をしよう。
母の話は冒頭でしたが今も仲良く二人、
妹と三人でよく出掛ける。

この二人が居なかったら私はとっくに自殺でも
なんでもしていたと思う。冗談じゃなく。

というか例えばこの人生で違う母と妹だった
としてそれが最悪な二人だったとしたらもう
生きている意味なんてなかった。

だから神様には感謝している。素敵な二人を
この人生で近くにおいてくれて。

妹Sはもう私とは正反対の性格。
小さい時から感情爆発、友達もたくさんいて
人気者、写真撮る時もいつもニコニコ。

ダンスが大好きで今も続けている。
4歳?位からしているとしてもう20年間。
凄すぎる…

小さい頃から今もだが私は続いた物がなく
それはもう羨ましいと今でも思っている。
小さい頃から喋れなかった私は妹とたくさん遊んだ。
唯一の友達だった。多分これがなかったら私の
ストレスハンパなかっただろうと今になって思う。

でも彼女は言う、「ダンスだけして死んでい
くのってどうなのかな」

私はその時「いいんじゃないの?」
と答えた。

多分彼女が求めていた答えは違かったんだろう。

皆悩みがある
それは自分にしか分からなくて
他の人に答えを求めても結局は全て自分が決める
自分の事を知ってほしくて
伝えるけど、伝わらなくて
知ってくれていたと思ったら実は
知ってくれていなくて
理解したいと思っても
理解しきれなくて
知ったすりをする人もいて
泣いてくれる人もいて
自分の事で精一杯で生きていたら
きっとふとした時に近くにいる人が
ボロボロになっていたりして
そんな事に気づけない自分の不甲斐なさに
苛立つ事が私はよくある

もっと余裕のある人になりたい
優しい人になりたい
取り繕いでもいいからいつでも笑える人

話は大きく反れたが、母と妹には感謝している。
といいたかった。

先日母の誕生日祝いで鎌倉の方へ遊びに
行った。電車に三人で座った時私が真ん中で
2人が両脇に座った。

不思議なんだけど守られているような
そんな感覚を覚えた。

この二人だけじゃなく私はきっと生まれてから
今に至るまでたくさんの人に愛されてきた。
助けられた、守られてきた、優しくされた、
そんな暖かさに私はちゃんと答えられていただろうか。
感情を伝えられていただろうか。

そう考えると怖くなる。

傷つくのがこわいから一定の距離で人を
避けて、何か起こってもああ、そういう
もんだよねと自分にいい聞かせ、いつでも
冷めた自分でいた気がする。信じる事が
とっても恐ろしくこわい。
だって裏切られた時の自分がどうなるか
分からないから。

街に出て感情を出しまくる人達を見ると
違和感さえ覚える。
皆立ち止まることを
振り返る事を知らない

私は立ち止まりすぎの振り返りすぎだが…笑

でも立ち止まる事って大事だと思ってて
例えばいつもは通りすぎるだけの場所に
座ってみるといつもは思いつかないような
事が浮かんできたり、心が穏やかになれる。

そんな風にすることもこの忙しない世の中では
できない、しない人が多いんだろうな。

皆大変だから早く帰らなきゃいけないし、
朝も早さいから早く寝なきゃいけない、旦那さん
だったら早く帰ってきなさいよという鬼嫁が
いるかもしれないし、うーんあとなんだろ
分かんないや。笑

よく分かんないけど、いつもは通りすぎるだけの場所に
座ってみることはオススメ。
なんでみんな歩いてるんだろうとさえおもうから。

私は草が風でなびく音が好きだ。
とっても落ち着く。
草だけじゃ音はしない、風があるから音がする。
だけど草がなければ風は自分がこんなにいい音が出せる
事さえ知らなかっただろう。

人間も同じだと思う。
意味のない人はいなくて絶対にそこにいることには意味
がちゃんとあるんだ。

あなたがいるから成り立っていることは
たくさんあるんだ。

私なんかいなくても…よく聞くフレーズだ。
まぁ私も使うことはある。笑

だけど暗いからなんだ
暗い人がいるから明るい人が明るいって
言われるんだ

でもそういう人は必要
その場が明るくなるから

陰があるから陽があって
だけど陽が好きな人ばかりじゃない
陽にいつもいつも浴びていたら焦げてしまう
熱くて熱くていたくて疲れる

そんな時必要になるのは絶対陰なんだ

涼しくて穏やかで落ち着く

それが陰

きっと一番辛いのは陰なのに陽のふりをしている人
と陽なのに陰のふりをしている人

私は外では後者に当たると思う。

自分にムリをしたり自分を隠すことは
やっぱり疲れるんだよね。

では、ここらで今まで私が働いてきた
職業やそこに居た人たちの話をしよう。

高校1年生から25歳現在まで色んな仕事をしてきた。
本当に。。笑

まぁ続かないというのが正しいかな。
ひとつの場所に長くいれない。
最初は頑張ってもガタがくるのだ。

ファーストフード、薬局、クリーニング、ホテル
、歯科、眼科、紳士服、営業アシスタント、
総合受付、レストランバー、パチンコ、コンビニ
コンパニオン、鉄板焼き、カフェ、ウォーターサーバー営業
ティッシュ配り、教科書販売という名の倉庫作業

さて、、何から話そうか。。笑

某 紳士服店

現在の事から書いていくことにしよう。

現在某紳士服店でスーツを着て、販売員をしている。
前職を辞め探していた所

短期3ヶ月〜OK
オープニング

時給もよく丁度いいじゃん。と思い気軽に面接へ
。短期という言葉がとれだけ私の心がラクになることか。
短期…不安定で普通のなら…25歳の一般の女性ならあまり好まないフレーズは私にとっては一番魅力的なフレーズ。

いざ、面接へ行くと長身で鼻が高く目が細いイケメンとは言い難い
がもてそうな雰囲気で、今時珍しいオールバック。

この人が店長Hさんだった。

面接はフランクでニコニコ笑う人というよりは
ヘラヘラ笑う人。一瞬にして全てを自分の
流れに持っていくことのできる人だった。
いい意味でも悪い意味でも。
今考えると相手をコントロールできる人というのは
こういう人の事だと思う。

自分の為にお店の為に相手を周りをコントロールする。
もしかすると気づかない内に店長自身も
気づかないもう一人の自分にコントロールされている
んじゃないかと思う時さえある。

もしかしたらこういう人が一番大変かもしれない。

面接も終盤にかかり、前向きに検討しますといわれ
後日合格の連絡があった。

オープンスタッフと言うことでまだお店が
できていないことから、他店でしばらく
検診を行う事になった。

研修初日他店へ行き、この時初めて副店長Yさん
と会う。この人は爽やかで長身元気はつらつと
、みんな友達!といったタイプだった。

ゆるくてまぁこんなタイプの私は最初から
あまりこの人の事は得意ではなかった。笑

同じパートナーさんで二児の母とはみえない
綺麗なTさん。
お子さんはいないが旦那さんの転勤で
きたというKさん。

最初はこの3人で研修をスタートした。
二人とも全くみえないが30歳を過ぎていて
とても明るくいい二人だった。

研修はまぁたくさん覚えることもありなんとなく
過ぎていった。歩き方や声のだしかたまでやった
時はうわと思ったが頑張った。

しかしやはりそこまでハツラツな声が出せない私は
少しいのこり?させられた。笑

背が高いからかなぜかどこにいってもなんだか
期待される。買われるといったら正しいのか。

私はヘタレです。すみませんといつも、思うが
最初頑張ってしまうためか、長身で落ち着いて
しっかり見えるのか、なぜかどこいっても
最初は期待される。
これがいけないんだよな、次から変えよう。笑

研修も終わり、遂にオープンした。
各店舗から応援スタッフの人がきてくれて
店は大繁盛?した。

販売の大変さを知った。
初めての販売はわけもわからないことだらけで
たくさん学んだ。

月日は流れオープンしてから三ヶ月。
また私はいつものループにはまった。
そう、疲れてきたのだ。最初は頑張るが
時間がたつにつれその場所、ひとが嫌になる。

しゃべることも億劫?になり、休みがちに
なる。

元々短期で入ったし。と開き直りさえするから厄介だ。

こんな感じだがそれなりに売り上げにも貢献でき
こんな感じなのにどこにいってもなぜか
嫌われず好かれる。好いてくれる。
多分不思議だからか、面白いんだろう。

私は嘘つきだ。
弱くて嘘つききっとみんなにばれている
嘘ついてやすんでることも
嘘ついてドタキャンすることも

ごめんなさいごめんなさい

多分私はもうそろそろまたこの場所
ここの人とさよならするだろう。

私は安定とは無縁の人生
安定なんていらない
この不安定さがなくなるのであれば
いくらでもさよならする。
また不安定が訪れるとしても……

いつか不安定がなくなることを信じて
移動し続けるのだ

さようなら。

父親の存在

私は父親が嫌いだ
母を悲しませた
アルコールに飲まれてしまう
手を出す
人格が変わる
人間性の低さ

小さい頃は随分可愛がられた
話を聞いても、写真をみてもそれはあきらかだった。

なのになんでなぜどうして?

ただ普通にいてくれればいいそれだけでいいのに

嫌いになんてなりたくない、実の父親を。
実の父親を本当は血なんて繋がってないん
じゃないかななんて思いたくない。

22歳頃私はモデル事務所に所属した。
その時父親にも一応伝えようと思い、
「話があるんだけど」
というと
「金はないぞ」
と即答。

百歩譲って金はなくていいよ、うんなくていい。
いや、本当はあったほうがいい。いやないなら
しょうがない、、、

じゃなーくーてー

え?金っすか?即答っすか?なんなんすか?
なんなんすか。。。

もうこの時私は、この人との間に完全たる
見えない壁を作った。
この日から顔を見なくなった。今までは
存在がいやだったが、もう存在さえも意識
しないくらいに深いところへおちていった。
存在を認めない、私の世界にいないものとした。

その即答の後

「違うよ、事務所に入ったから、親にも言って
っていわれたから一応伝えとこうとおもって」

「なんだ?股開くのか、、」
みたいな事を言われた気がする、確か。
いやー笑えますね。本当に。血が繋がっている
ことにリアルに鳥肌が立つ。

この人はあたたかさや思いやり優しさ
知らないままあの世に逝くのだろうか。

どうか神様この人と本当は血が繋がっていませんように。

そんなタイムリーで今日自宅の電話が
珍しく鳴った。
出てみると
「はい、もしもし○○です」
「○○警察署の者ですが」
やはり警察署と聞くとドキっとする。
私は聞き返した。
「はい?え?すみません、もう一度お願いします」
「はい、警察署の者ですが、○○さんのご自宅で
宜しいでしょうか?」
「そうですが…」
こういう時大体思いつくのは
家族の事故…
事件…
詐欺…
事件…奴だな
父親の顔が浮かんだ

「○○Tさんが漫画喫茶で店員さんを殴ってしまいまして…
えぇと、奥様でしょうか?」

驚かなかった。
「いえ…娘です。迷惑おかけしてすみません」
「いえ、だいぶ酔っ払ってるようで、初めて
漫画喫茶を利用したようなんですが、わからない
事がたくさんあったみたいなんですね、それで
そのたくさん店員に聞いたらしく、まぁ酔って
いるんで、店員も態度あんまよくなかったらしくて
サービス悪いんじゃないかって殴ったみたいで」

「そうですか、、お手数おかけしてすみません。
それで…?そのまま帰らせて頂けるんでしょうか?」

「はい、店員の方は被害届など出す気はない
ようなので、今日はこのまま帰ってもらって結構
なのですが、、ご家族の方からもまぁ注意というか
あまりこういったことがないように伝えていた
だければなと」

「申し訳ございません、ありがとうございました。
それで父は今日帰ってくるといっていますか?」

「電話かわりましょうか?」

「あ、お願いします」

「お父さん電話したくないといっています」

子供か。

「分かりました。ほんとうにすみませんでした。失礼します」

「いえいえ失礼します」

恥ずかしい恥ずかしい
こんな事が昔からたくさんなのだ

どうしてそんななの?
だから私はこんなになってしまったの?

父は昔はよく頭から血を流して帰ってきたり
マンションに住んでいた頃はベランダが
トイレだと思いベランダから落ちそうに
なったり、母が妊婦で寝ていた時酔って
母を蹴ってしまい破水したり…

酔うとまるでホラーで化け物が家にいる
ようだった。声も姿も目も動きも。。

同じ人間とは思えなかった。

マンション暮らしをおえ一戸建てに引っ越してきて
10年、なんだかんだ皆まだ一緒に住んでいるが
よく住んでいるなとおもう。

私はこんなんだし安定もなく一人暮らしさえ
できず、でもなんだかんだやっぱりラクだし、
お金かからないし時間帯も違うし部屋もある
のでまぁいっか的な感じで住んでいる。

私も投げやりな部分が多く生きている事に
そこまで執着がないのだ。夢もないし。

眼科

眼科で検査員のお仕事をした事もある。

1年も続かなかったがここは男の社員さん以外
全員女性という職場だった。

ここは今までの中で一番覚える事があった。
専門的な知識からコンタクト処方の眼科の為
各コンタクトレンズの種類や度数など

検査員としてのカルテの書き方やコンタクトレンズ
初めての方への練習や、患者さんにコンタクトを
付けてあげたり、外したり、、、

ドクターは週替わりでいろいろな人がきた。
眼科の前は歯科に勤めていたがやはり
なんの先生も変わり者が多いのだなと
ここにきて実感した。

初めての彼氏さん

25歳にして初めて彼氏ができた。

中学卒業以来内面は勿論外見もコンプレックス
の塊だった。
今まで男の人と連絡をとったり話したり
二人で遊んだ事は本当にたくさんあった。

でも付き合うまでに至らずここまできた。

多分この年でまだ付き合った事ないとかいうと
大体の人が驚くか、心の中でマジでと思うか
どっちかだと思う。

でもこの人はゆるーくリアクションしてくれた。
それがどれだけラクかこの先もっとわかることに
なるとは思わなかった。

私は彼氏昔はK君と呼んでいたが
名前はMが全てなにもかも初めてだった、

彼は全てをゆるくなにもなかったかのように
こなしてくれた。
本当に泡みたいな人だ。

こんな石頭のような私にわたあめみたいな
考え方を教えてくれるかのような

わたあめでいいじゃーんみたいな

そんな感じ。。

軽いとかじゃない、ちゃんとした人。
でもゆるい。そこがいいのだ。

ただ今まで人とある程度の距離を保ってきた
私は家族以外の人と深く関わることが怖かった


信じること
甘え方
一緒にいる空間
よく会うこと

わからなくなる瞬間がたくさんあって戸惑う事も
たくさんあった、

本当にあたしが好きなのかな?
勘違いじゃない?


自分の為のあたし?
あたしの為のあなた?

あたしの頭の中はまるで宇宙だ

空虚感

突然押しよせる空虚感
なにかあると急に不安になって
マイナス思考の螺旋階段をぐるぐる登っていく

ぐるぐるぐるぐる

わたしの思考は果てしなくて、どこまでも
続いて行く

またさよなら?
これは逃げですか?それとも自分の精神を
守るためですか?

絡まったコード

私はよくイヤホンを絡ませる
それをいつもほどく
絡まったイヤホンを見るとまるで私のようだなと
いつもほどきながら思う
巻いとけば絡まないのにそのままいれるから
それは日常でも同じで
後から収拾つかなくなるのだ

人と居ること

一人は好き
でもずっと一人は嫌
一人の時間は、安心するし無になれるから
人といると精神が全て外に向かってしまう

きっと昔のままで喋らなきゃとかどうみら
れてるかとか気になっちゃっているのだ。

大切な人といても疲れてしまう自分に
いやけがさす。

家族以外の人といる時に自分を偽ってキャラクター
を作って生きてきたから自然とそうなるよう
になってしまった。

こんなんじゃ大切な人も嫌気がさして離れ
ていってしまう。
むしろ私から離れていきそうでこわい。

自分のこともよくわかっていないから
相手のコトが大切なのかさえ分からなく
なる時がよくある。

甘える事も苦手でどこか信用できずに
甘える事を恐れている。
二人でいても一人のような気分
これは相手に伝わるのかな

自分の過去のトラウマや今までの劣等感で
相手に対してうらやましく思ってしまったり
嫉妬したり、この人は本当に私でいいのかなとか
相手はたくさん選べるんだろうなと思って
きてしまった。

仲のいい友達とも二ヶ月に一回とかのペースで
遊んだり、職場では偽って少し人と距離
をおいて過ごしているから恋人とよくあい
ずっと一緒に過ごすという当たり前のコトさえ
私にはとてつもなく疲れてしまう。

結婚なんて絶対できないような気さえしてくる。
ましてや子供を育てることなんて私にとっては
無限大の宇宙のようだ。

恋人にさえ嫉妬して自分の醜さを知る。
友達がいない人よりはいたほうがいいが
たくさんいすぎる人は私にとっては不安と
変な感情がたくさん湧き上がってくると
もう遠い存在のような気がして自分の中で
相手に薄い壁を作ってしまう。

友達がいない人がいいななんて思ってしまったりして

そんか人には同じ気持ちがわかりあえるかなとか
不安にもならず、甘える事ができるような気がする。

私の精神は一体いつまでこうなるんだろう。

プロフィール写真を顔にした理由

今まで自分を隠して生きてきたから
ネットの世界だけは本当の自分を全て
さらけ出そうと思います。

場面緘黙症
全緘黙症

の事をもっと知ってほしい。
子供のうちに気付いて早急な処置をしてあげて

子供は自分が変だとおもっても自分からは
いえません、自分の子供をメンタルクリニックに
連れていくことは決して恥ずかしくない。
過度な人見知りと思われがちな場面緘黙症

でも気付いてあげてください。
心と体の痛みを。我慢したり言葉、感情、
表現抑えるから体も顔も痛くなるんです。

私はこの年で今からメンタルクリニックに
いこうとしています。それはこのままじゃ
いけないと思ったし辛いから。

自分と同じ目にあってる人達と話したこと
がないのでそういう人と話すきっかけ
があればなと思う今日この頃。

自分の深い触っちゃいけないとこに最近は
たくさんわざと触れてみています。
目を背けてあたかも治ったと自分に
言い聞かせてごまかして生きてきたことに
終止符を打たなければいけない時が
きたんだと思います。

悲しくなる瞬間

私だからなのか
相手だからなのか
私とあの人だからなのか
悲しくなる瞬間がある

一緒に居るコトは
私は相手が好きだから?
さみしいからじゃないのか
相手もそうじゃないのか

手を繋いでいてなんかの拍子で手を離す瞬間
神社にいっておみくじをお互い引いて
私の内容を聞かれない時
遊んでバイバイする時は寂しいというよりは
もうこれで一生会わなくなるんじゃないか
とさえ思う時もある。

優しい気持ちを持ちたいのに
四ヶ月間一生にいてだんだん場面緘黙症が発揮
されてきてしまった。

場面緘黙は最初は頑張るのだ。
がんばってその場所、人とうまくやりたい
やらなきゃという気持ちはきっと誰よりも
強くて、なのにそのうち相手との距離が
縮まっていない事に気付いてさみしくなってまたか
といつもおもってしまう。

職場でも同様いつのまにか自分が大きなシャボン玉
の、中にはいったような、自分はその場所には登場
していない何か映画を見ているような
そんな気分になるのだ。

それは周りからみればきっとただの
おかしな人で人見知りで受け身にしか
見えないのだ。

表情も出づらいから厄介で
本当は寂しいのに悲しいのに無表情に
なってしまう。それは昔の癖で
周りからかわいそうに見られたくないから
無表情を演じ自分一人がいいかのような
雰囲気を出してしまう。

だから表情の事を言われるのが一番辛い。

何か変わるのであればなんでもする、
いくらでも払う
どこへでもいく

ごまかしてごまかしていきてきたが
もうそろそろ限界だよ。

この小説を書いている時が唯一無になれて
生き甲斐なんて信じたくない。

無○○

場面緘黙症の人がある場面において緘黙になる時

必要最低限の事は喋れるし
大人になれば笑うコトもできる

しかし無意識のうちに
無表情
無感覚
無味
無臭
無音
無色
になる。
痛いとか美味しいとか色とか音とか
緊張して息もあまり吸えなくて匂いさえわからない
時もある。
視界が狭まるのも場面緘黙症の特徴だと思う。
昔の癖で無意識のうちに視界を狭める癖が
ついてしまっている。

携帯電話の支払い期限は今日までなのに
なんでか支払いしたくない気分だ。
誰とも繋がれて便利な世の中になったけど
、LINEやFacebookなど便利だけど
Facebookはまるで自分がどれだけ幸せか
見せつけているようにしかみえなくなってきた。

そんな私でさえもFacebookをやっていたが
投稿していくうちに自分の目的やもしかしたら
これは自慢しているのかもと無意識の怖さに
気付いて開くのをやめた。

人間は便利なものに囲まれていつのまにか無意識の
うちにその便利なものたちに振り回されて
いるんじゃないのかな。

FacebookやLINEの友達達は
自分がほんとうに辛い時大変な時
助けてくれるだろうか

楽しい時だけじゃなくて
悲しい時元気がない時もずっと一緒に
いてくれるだろうか。

急に

場面緘黙症はいつも意識が外に向いている
神経も外に向いているから
疲れていつわって
急に爆発する

意識が神経が全て内側に向かうのだ。
全く人のコトが気にならなくなる。
どうでもよくなる。
自分でさえも。

いつもどこにいっても思うのが
こんな私に優しくしてくれるひとたち。
職場でも休みがちになっても
いじわるをしたり言われたりもせず
いつも優しくしてくれたり飲みに誘って
くれたり、なんでこんな私にそんな
優しくしてくれるのか、ありがたくて
申し訳なくて自分の小ささに腹が立つ。

いつか楽になれる
いつかどこかにいけば楽になれる
そうおもって生きてきたし
私よりもっと辛い人はたくさんいるのは
わかっているけど
わかってほしいのはこの症状は
外見に出づらくて辛いとか顔に現れないこと
言葉に出せないこと、甘えられないこと、
泣けないこと

何よりこんな自分じゃないのにっていうのが
一番辛くて自分に腹が立つ。

最近は早く病気にならないかなとか
タバコを吸ってるとそうおもう。
自殺はできないしこわいししたいとも思わない。

ただ病気にならないかなと、、
そうして新しい命に変わりたい

朝の始まりと夜の終わり

私は小学生あたりから
朝の始まりと夜の終わりがこわくて嫌いだった。

1日が終わりまた明日がきてしまう
朝起きてまた1日が始まる

人間って楽しむものだと思うし
本来楽しまなきゃいけない所で楽しめ
なかったりする。

人間は生まれた時にもう既に幸せ度が
50%も決まっているそうだ。
あとの10%は収入、、あとは周りの人間や
仕事、趣味で変わるとか。。

幸せを感じやすい人と感じにくい人が
いるとすれば圧倒的に私は後者だと思う。

でも大丈夫、きっとというかすかな希望や
居場所を変える事によってまた脳を切り替えたり
して今迄うまくやってきた。

居場所を変えたり人とさよならする事になれた
私は

いつも此処にいてもどこか遠くをみていて
どこかにいきたくて、自分がいる場所は
此処じゃない気がして、いつも逃げる。

でも本当はどこにもいきたくないのかもしれない。

人も同じで、誰かといてもどこか遠くに
心があって、目の前の人の存在をちゃんと
認識していないような

自分のコトさえ鏡をみても自分か分からなく
なる時がある私にとってはしょうがない
コトかもしれないけど、人間として
どうなのかなとか、相手に失礼だなと
思う時がしばしばある。
もっと心に余裕があって相手を思いやれる
、偽りの優しさだけじゃなくて本当の
優しい人になりたいといつも思う。

いい人だね、とか優しいねとか優しい
雰囲気だねとか和み系とか言われるけど
そんなのは全部嘘で、本当の私は
冷たくて、悲しくて、適当な人間なのだ。

でも自分が痛みや場面緘黙症だったことにより
人や事を客観視してきたことで、普通
の人が気づかない事や、相手が考えている
事、相手の痛みには気付ける人になったと
思う。

もしかしたら少し優しいかもと自分を
やっぱり褒めてあげることにする。

自分を大切にしたり、自分を好きになったり、自分を信じてあげる
事は本当に大切な事だと最近思う。
私はそれができていないから
きっとそれができるようになれば
少し楽になれる気がする。

場面緘黙症は幼少期に早急な処置を

周りの大人がしてあげて下さい。

おそらくこの症状は分かりづらいし、周りの
大人もまさか病気なんて気付かないと思います。

ただ喋らないだけ
ただ笑わないだけ
ただ感情だせないだけ

その、ただって思っている”ただ”は
当事者にとっては”生き地獄”なのです。

人間は1日にある一定の量を喋らないと
ストレスがたまるといいます。

喋りたいのに1日学校で一言も発しない。
笑いをこらえる。
悲しみを抑える。
不安を押し殺す。
感情に気付かないふりをする。
動きを抑制する。
我慢する。
緊張して体が痛くなる。
顔がこわばる。

無表情だったりいつも一人でいたり
喋らなかったり笑うの我慢していたり
とにかく抑えて、我慢してそうな子がいたら
さりげなく気にしてあげていてください。

喋りなさい
なんで喋らないの?なんて言わないで
あげてください。

それを言われた本人の気持ちは
誰にも想像できないほど頭がおかしくなり
そうな気持ちなのです。

自分の子供を心療内科に連れていくことを
躊躇しないでください。

子供は自分が病気なんて知りません、
わかりません。

あなたは病気よ病院にいきましょう
じゃなくて、その子供の後の人生の
ために、一緒に見学がてらいってみて
ください。

親御さん、教育関係、近所の子供、周りに
いる子供

子供だけじゃなくて大人もそうです。

職場の人で喋らない人

悲しいのが子供の時は喋らないと人見知り
とかいわれる程度ですが
大人になって全く喋らない人はただの変人
扱いされること。

私は高校生からかなり変わりましたが
やっぱり職場では少し後遺症がでているので
おとなしいねとか、友達とはたくさん話すの?
とか言われます。

そういうこと平気で言う人たちって本当
無神経だなと思います。

知らないからしょうがないんだろうけど。
後はやっぱり傷付いたことない人は
傷付いてきた人の気持ちはわからない。

もうこれは割り切るしかないなと思って

今は生きています。

人間って強い

病気になって早く生まれ変わりたいとか
いっていても

お腹は空くし
喉は乾くし
眠くなるし
なんだか笑えてる

疲れるし
悲しくなるし
頭が真っ白になっていたとしても
明日はくるし
死んだらこんな感情全てなくなってしまう
生まれ変われるとかいう話は信じているけど
もしかしたらそんな世界なんてもうないの
かもしれない。
無になるのかもしれない。
一人かもしれない。
一生喋ることも死ぬこともできない木かもしれ
ない。
そう考えると生きてることって
もしかしたら本当にすごいことかもしれない。

転んでかさぶたができても、
気づけばそのうちなおっているし
アザができてもそのうちなくなっている。

涙が枯れるくらいないてもまた笑う日はくるし

綺麗な物をみて綺麗と感じる心がまだある

優しい人をみてそうなりたいと思ったり、
泣いている人をみて心配する心もある。

だから人間って強い。

街並みで人にぶつかってあやまらなかったり
時に舌打ちをしたり
睨んだり、電車の中で疲れているとき老人
がきたら寝たふりをしたり、どこかで
人を見下したり、、、
家族に冷たくあたったり、他人と壁をつくって
避けたり、、

そういう自分は悪魔なんじゃないかと思う
こともたくさんある。

だけど、だからこそ黒い部分の中にある
本来の白い部分に気付けた時の嬉しさ
に安心する。

マイナス思考とプラス思考

マイナス思考とプラス思考って逆なようで
実は同じで=で繋がっている気がする。

いくらプラス思考でいてもある時ポキっと
骨が折れてマイナス思考になる人もいるだ
ろうし、ずっとマイナス思考でいたとしても
ある時何か吹っ切れてプラス思考になる人も
いるかもしれない。

プラスとマイナスはいつでも隣り合わせなんだ。

私はマイナスなことばかり書いているが
実は、「強いね」といわれるコトが圧倒的に
多い。

おそらく喋らなかったり感情抑えてきた事で
一部分は我慢強くはなったと思う。

ポジティブな脳になるまではもう少し時間
がかかりそうだが、私は人が見つけられない
モノを見つけるのが好きだ。

例えば

都会の空にある一つだけの星や

広大な敷地に広がる同じ種類の花達の中にある
違う種類の花

視点が人と違って面白いねとか
よく見つけられるねっていうけどそれは
人と違った生き方してきたから。

同じ種類の花がたくさんある中の違う
種類の花でいることより私は同じ種類の
花たちに混ざりたかった。

混ざっていれば皆と同じような考えで
生き方で笑い方で過ごし方ができたん
じゃないかなと。

ただ私は違う種類の花という事実を
受け入れてそれを認めてあげなくちゃ
いけないんだと最近強く思う。

いつかなくなってしまうのなら

この手も
あたたかさも
安心さも
楽しさも
いらない

いつかなくなるのなら
いつかいなくなるのなら

ない方が
いないほうが

逃げなのか向き合いなのか

ずっと私には関係ない
私は治ったんだ普通なんだ
関係ない

と思って避けてきた精神科

へ電話をかけようとしているまさに今。
これは甘えなのか逃げなのか
それとも自分と初めて向き合おうとしているのか

やっぱり精神科への扉は怖い
薬をくれるだけ?
もしかしたら更に悪くなる?
自分が病気だって診察してもらえば
安心できる?

ただ今は少し心が病気かなとおもったら
見学がてらきてくださいというような
病院も増えている。

扉は昔ほど重くなっていなく精神科ではなく
なっている。

まさに今電話をかけようと悩んでいる
所でとてもドキドキしている。

25歳…
10年前の15歳の時一大決心をし私は
学校で喋れるように、喋るようになった。
あの時の勇気を決意を思い出すと
よく頑張ったなと思う。

10年たってきっとまたもう一山乗り越え
なければいけない時期がきたんだと
そう思う。

これは逃げではない。自分の古い痛い
傷に蓋をして忘れてしまったふりをし続ける
よりも

もう一度蓋をあけてどれどれどうなっているかな
と確認してほつれている糸を結んで
あげなければいけない時がきたんだとおもう。

怖いけど恥ずかしいけどまた一歩踏み出さねば。

恐る恐る電話をかける。。。
声が震えるってこういうことをいうんだね。
今まで隠して偽ってごまかしてきたことに
触れて向き合うっていうのは素直になる
ってことなんだとおもった。

電話をして来週予約をとった。
また病院にいったらその時の話をまた
かきます。

人が嫌いだけど好きになりたくて

人を嫌だと思って生きてきた期間が長いと
やっぱり人を好きになりづらかった。

嫌だなと思うと避けたりしてきた。

でもどっかで克服したいから、好きになりたいから
私はあえて接客業や人と関わる事をしてきた
んだと思う。

マイナスなコトばかりじゃなくて
人間のいいところもたくさん知ったし
人と居たいと思う気持ちは昔より増えた。

人と居たいのに人と居たくない。

そんな矛盾が私の中をぐるぐるぐるぐる。

真っ白になりたいのになれなくて
かといって黒にもなれず
ずっと透明な気がする。

色がない。
自分の色が。

色を見つけるためにこれからも
生きて行くんだなって思う。

自分はこれだこれでいいんだって
鏡をみて大声でいえるような人間になるまで、
頑張って生きていこうとおもう。

本当の声で喋りたくて

偽ってきたからかいつもどこか
自分とは違う声で違う表情やしくざ
でいる気がする。

だけど本当の私の声、しぐさ、表情
のときもちゃんとあって

これがいつもならいいのにななんて
思う時もある。

心と目はやっぱりつながっていて
心が晴れると目がキラキラする

心が曇ると目もキラキラをなくして
曇っていく

心は見えないから目だけでもキラキラ
させようとがんばるけれど

やっぱり心にはかなわなくて、
心は正直だ

人間はなんて正直な、生き物なんだろう
とふと思う。

どんなにむりをしていてもやっぱり
体や顔、表情、雰囲気にどことなくでてしまう。

どんなに着飾っても化粧してもいい服を
きていたとしても

でもそれを隠すためにみんながんばっている
んだなって思う。

自分ばかり偽りだ偽りだといっているけど
それは自分だけじゃないコトもちゃんと
わかっている。

私のように本当はこうしたいのにできないのは
とても悲しいけどもっと悲しいのは
器用な人間で、自分が得をするように
偽って生きる人達。

これが一番悲しいなって最近思う。

「自分の気持ちをもっと伝えた方がいいよ」

職場の先輩に言われた言葉。
この人はいつも感情むきだしてみている
こっちまで恥ずかしくなる。

コミュニケーションって自分の感情をむきだしに
することですか?

私は感情をあらわにしている人を目の前に
すると無感情になってしまう。

なんでだろう。もう癖になってしまっている。
興味ないよね、とか怒ってるの?とか
なんでしゃべんないの?とか表情に
出づらいよねとか笑ってとか
もううんざりなんだ。

なんで私のことなにもしらないくせにそうペラペラ
としゃべれるの?
みないでください。

私は鈍感で人のこころがわからない人が
大嫌いです。

病む時はドン底まで病んでしまおう

あとは這い上がるだけだから
だからごめんなさい。今は病ませて下さい。

できれば病みたくないけどこれが私だから。

きっとまた笑える日がくるから今は
ドン底まで落ちていきます。

また今日も無駄に一日がただ終わってしまった。
こんなんなら誰かに臓器をあげて私は
死んでしまったほうがいいんじゃないだろうか。

皆に迷惑をかけて悲しませて
自分自身も悲しんでこんなんで
生きて行く意味あるんだろうか

私はポジティブとネガティブの周期が
激しい。

今はネガティブ周期なのだ。
そう、そう思っていきていかないと
人はいけない。

顔も体も目も声も正直者

だと思う。
心が歪めば体も歪む。
私は元々緊張するせいもあって顔、体中に力を入れる癖がついてしまってる。

逆に普通の人の体を体験してみたい。
力を入れない体がどんなに楽なのか、
力を入れない顔がどんなに楽なのか

まぁそれは来世に期待しよう。

やっぱり体と心は連動していて心が
ゆがむと体にくるし

体が痛くなると心も痛くなる気がする。

ちなみに今悩んでいるのは
”内反小指”

外反母趾の反対
つまり小指が曲がってしまって靴にあたって
いたいというものだ。

外反母趾になるとなってしまうともいわれている。
とにかく痛いのだ。
ヒールの靴を履いて一日過ごすと真っ赤に腫れ上がり
ズキズキしてちょっと何かあたるだけで
痛い!やめて!と小指が悲鳴を上げる。

例えばサンダルを履くと小指がいうことを
きいてくれなくて僕は外にいくよといって
小指が倒れている状態だ。

協調性がない小指め、しっかりしておくれよ。

と、そんなこんなで小指がいまとても厄介なのだ。

足も人の性格や人生が出ると思う。
全ての体重をかけているわけだからどこに体重を
おいているか、内側か外側か
中心か前方か後方か

足はすごい、体重の全部を支えているのだから
とても強い

私も生まれ変わったら足のようになろう。
いろんなものや人を支えてあげられる強い人になろう。

この人生では私は色んな人に支えられて
たくさん心配かけて生きている。

多分自分が思ってる以上にたくさんの人が
みていてくれている。

ありがとう
ごめんなさいって何回いってもキリがない
人生だ。

でも自分だったから人の嫌なところもいいところも
人間が、弱いことも強くなれることも
変われることも、根本は変わらないことも
闇もヒカリも知ることができた。

自分じゃなかったら知らなかった事は
たくさんある。
だから自分じゃなきゃいけなかったんだ。

他の誰かじゃいけなかったんだ。

神様がこの人生でおしえてくれている。
色んなことを。
あなたは知っておきなさい、あなたなら分かれる。
あなたにはわかって欲しいと神様がわたしに
してくれたんだと思う。

だからやっぱり今迄のことを無駄にはできないし
したくない。

2コマ進んで3戻ったとしても
今度は4コマ進める自分にならなきゃいけない
ことくらい自分でもよくわかっているのだ。

一人でふらふらあてもなく

出かけること以上に楽しいことはない。

そう自由でなにをたべてもいいし、時間配分も
気も使わなくていい。

人は好きになってきたけどやっぱり
この時間は至福のひととき。

本日は山下公園までいってきた。
山下公園はなんでカップルでいく定番なんだろうか。

端から端まで一人でお散歩。
カップルたくさんだけど気にしない。

海がみえて綺麗なお花が咲いて素敵な公園
カップル達やのんびりお散歩してる達の中で
お花のお手入れをしている人達がいた。

こういう人達がいるからみんな快適に
公園時間を楽しむことができているんだなって
思った。

こういう事を、人を人間は余裕がなかったり
忙しかったり疲れていると見えない、気づかない。

そういう誰もやりたがらないような仕事を
影で世の中を支えている人達はすごい。

トイレ掃除の人も
ゴミ収集の人も
そういう人達はすごい。

地位とか名誉とか差別する人の方が収入は高いかも
しれないけど人間としては低いと思う。

とにかく山下公園って綺麗だね
素敵な観光名所だと思った。

最後は嫌な感じで終わらせないように
爽やかにいってみた。笑

スキなとき

映画や本を読んでいて世界に浸れるとき

本屋さんを何時間もぐるぐるするとき

こころからわらったとき

温泉にはいったとき

映画館にはいったとき

がんばったあとの一服

がんばったあとのお酒

一日立ち続けたあとイスに座ったとき

一日終わってオフモードになって自分の部屋に
はいったとき

髪がいいかんじにきまったとき

それでいい。

もし、明日が最悪な日になったとしても
今日がいい日だったからそれでいい。

もし、明日目が死んでいたとしても
今日キラキラした時があったからそれでいい。

もし、明日泣いていたとしても
今日笑っていたからそれでいいんだ。

今日がいい日なら一日の終わりに感謝してねむり
につこう。

泣いたりマイナスな日はいい日を思い出して
その日のためにがんばろうとねむりにつこう。

そうやって毎日のサイクルをこなして
生きて行こう。

笑える日があるなら何回ないてもいい。

立ち上がれるなら何回転んでもいい。

私に大切な事を教えてくれた人

私は今迄色んな人達に
色んな事を教えてもらったり
気付かせてもらったりしてきた。

例えば歯科で働いていた時の事、
その歯科は五分単位で予約がたくさん埋まって
いて、先生も一人しかいなくとても忙しかった。

歯科助手も一日に二人か三人
しかおらず、予約外の患者さんもくるため、
一日に70人の患者さんが来る日も少なくなかった。

私たち歯科助手は受付、助手、衛生士さんが
行う仕事もしていた。

助手は先生の治療をみながら、次になにを出すか
なんの薬をだすかを考えながら働かなければ
ならず、薬や器具の種類や順番も多く
なかなか大変だった。

その患者さんによって治療の流れも変わるので
これかなと思ってだすと違うといわれることも
しばしばだった。

その先生が教えてくれたことは
当たり前だけど
「考えながら働こう」だった。
仕事は慣れるとマニュアル化したり同じ
繰り返しが多いがそこは違った。

毎回違うことが起きた。
だから頭を使わなければいけなかった。

そうか、考えて働くんだ、とあらためて
考えさせられた。

ただ働いていたり、時間がおしている早く
終わらさなければと思って働くコトが
多かった私は気づかされた。教えられた。
そして反省した。

その先生は色々噂もあったが最終的には
いい先生だったと思う。
40代後半だったが、若い奥さんがいて
二人ともオシャレだった。

でもとても大変な歯科だったのでスタッフの
入れ替わりが激しく苦労していると思う。

その先生は私のキャラをとても気に入ってくれ、
時に怒られたが、辞める時には
○○さんは人間的に好きだから精神的に
ショックといってくれた。

人は出会って別れてを繰り返して生きていくんだな
と改めて思った。
まぁ私は転職繰り返しているので普通の人より
かなりたくさんの出会いと別れを体験して
いると思う。

いいのか悪いのかそれは死ぬ時になったら
きっとわかるだろう。

悪いんだったらまた来世に期待しましょう。笑

元あった場所に戻そう

少し前に話したように外反母趾と内反小指で
悩んでいる私です。こんにちは。

そう、買ってきました。指に固定するテープ!
痛すぎるのでこれで少しでも楽になればいいけど。

足の親指と小指にテープをぐるぐるぐる
巻きつけてテーピング完了!

私の足はかわいそうな人みたいになっています。
そしてテーピングをして数時間、指たちが
じんじん叫んでいますが、きっとこれは
骨が正しい位置に戻ろうとしているから
だと信じます。

こうやって元あった場所に戻すコトの大切さ。

モノもそうだ。元あった場所に戻さないと
どんどんどんどん部屋が汚れていって帰る
場所がわからなくなって、もうどこから手を
つければいいかわからなくなっちゃう。

ココロもそうでずっと生きていくとなんか
大切な事を忘れてしまいがちになる。
その時も原点、元の場所に戻って考える
コトも大切だなと思う。

だから、同窓会とか昔の友達、知り合いに
会ったり、懐かしい場所にいって景色を眺めたり
、懐かしい音楽を聴いたりするコトはとても
大切なコトだと思う。

振り返るコトは悪いコトじゃない。
戻りたいところまでとことん戻ればいいんだ。

そんな気がする。

アクセス数100人超えました。ありがとうございます。

この随筆を書き始めてから2週間程経つが
とても楽しいです。

文章下手くそでもこうやって思いを文に綴っている
と心が楽になる気がします。

そして...アクセス数が100人を超えました。
どうもありがとうございます。
Twitterでツイートしてくれた方も3人いて嬉しいです。

赤裸々で恥ずかしいですが、もうこの際どんどん書いて行こうと
思います。

どうぞこれからもよろしくお願いします。

実穂✳︎

本当の声で本当の言葉で…

ありきたりなよく聞く言葉だけど

分かってくれる人だけ分かってくれれば
私はそれでいい。

自分の声で自分の言葉で喋れて思いっきり
笑えてふざける相手がいればそれでいい。
多分職場の人はびっくりするだろうな、そんな
自分を知ったら。

この年になっても職場では大人しいし、
控えめ。
友達とさえたまにとても緊張したりしてしまう。

でも、ありがたいことに分かってくれる人が
たくさんいる。

このキャラを好きといってくれる。

でも嫌いな人もいるだろう。

仕事は覚えは人より遅いし、同じミスを
してしまうこともある。

だけど、できないからか、ボケているからか、
頑張っているからか、なぜか許してくれる、
助けてくれる、教えてくれる。

それを私は本当に感謝していて、そして
申し訳ないと思っている。

やっぱり劣等感が凄くあって自信がなくて
マイナスに考えてしまう癖があるから
それが友達の前でも恋人の前でも出てしまう
時がある。

特に今、付き合っている人は頭がよくて、
いい会社に勤めていて、いい車にのって、
いい家に住んでいて、次期社長になる人で…

これは自慢でもなんでもなくて、ただ自分
でいいのか、もっと違う頭がよくていい会社
に勤めいて、精神的にも不安定じゃない子の
方がいいんじゃないかと最近凄く思っている。

そういう空気は多分伝わっていて相手も
気づいていると思う。

どこかのサイトでみつけた文章に付き合う
相手は自分と同じ位の地位で同じ知能の
人がいいと書いてあるのを見つけてしまって
更に考えてしまった。

彼は私のいい所だけじゃなくて、悪い所も
含めて好きといってくれたし、私の表現が
下手だとしてもいい意味で期待してないし
そのままでいいといってくれているし、
信じてるけどモヤモヤ。

しばらくこのモヤモヤは残りそうなので
またモヤモヤがなくなったときにポジティブな
事をかける事を願おう。

大丈夫?

大丈夫?
と私は多分普通の人より多く聞かれる事が
多い。

もういけないな。無断欠勤なんてしてしまって。
職場の人からメールきて心配してくれて。

もう2日もほぼ寝ている。

そんな中相方から連絡がきて
「台風大丈夫?迎えにいこうか?」
と。。

今彼は都内で働き都内で一人暮らしをしているので
こっちまで車できても1時間、往復2時間

嬉しいけど悲しい。
なんだろこの気持ち。

こういう相手がいることの幸せさを私は
ちゃんと感じて入れているだろうか?
信じることができず、いつかいなくなる事を
考えているばかりだ。

人と長い間一緒にいることがこわい。
時間が経つのがこわい。例えば
こんなに長くいるのにね、とか
仕事でももう何ヶ月経ったのにねとか

そしてだんだんいづらくなってさようならして
しまう。

いけないな。

心のモヤモヤはなんらかの形で

外側に向かって表現しなきゃいけないと最近
よく思う。

内側に溜め込むと絶対いけない。
内側で爆発したら心が壊れちゃう。

小説を読んだり、映画を見たり、音楽を聴いたり
、スポーツするコトも本当に大切だと思う。

私は最近、この随筆を書いたり、絵を書いたり、
部屋で歌を歌ったりしている。

やっぱり、意識を外側に向かって思いっきり
放つとすっきりする。

だから壊れそうになったら、なんでもいいから
外側に向かって表現をしてみてほしいな。

塗り絵をするコトも精神的にすごく落ち着いて
効果的ともきいたことがある。

塗り絵最後にしたのいつだろう?
試しにやってみようかな。

ちょっとワクワクしてきちゃった。笑

……ファイナルアンサー??

今日は、とても暑い日だった。
最高気温34度?なにそれ砂漠?

異常気象で毎年気温が上がったり下がったり
激しいけど、人間って本当に強いですね。

対応できるから。

扇風機とエアコン開発してくれた人に感謝。

さて、今日は母と出掛けた。
母は免許更新。その間私は最近心配だった事が
で検査を受けていたレディースクリニックに
結果を聞きに...

心配して検査に行き、ずっと前に結果は出ていたものの、
まぁ大丈夫だろう、と不安症のわりにわりと
あっけらかんとした性格の私は結果だけを
聞きに病院に行くことを面倒臭がっていた。

で、ようやくいったわけなのだ。

病院に着き、自動ドアが開いて、ふくよかな
優しそうなおかめさんみたいな受付の人に
保険証を提示し、案内され診察室に入った。

メガネをかけた60歳位のぽけっとした先生。

「どうぞ、おかけください」
「はい」
ここまでは全く緊張もしなかった。

カルテを開き、沈黙5秒程...

何?!え、病気だったのかな?早く喋ってよ
ぽけっと先生!

「…えー…結果なんですけれどもー…」
ぽけっと先生はカルテをみながらまた沈黙、、何?!

心配な顔でドキドキしながら先生をみる。
「えー…大丈夫ですね。。何の異常もありません。
まぁ女性なので年に一回は子宮ガン検診はした方
がいいですね」

ほっ。
何だよ。懐かしい、○もんたさん司会某番組の
ファイナルアンサー?みたいなあの空気出しやがって。

溜めすぎ!あーびっくりした!

という感じで私の心配は安心に変わりましたとさ。

病院って先生って怖いですね。
ある意味……

なんだろうねこの感じ

多分誰でも一回は経験?この感覚になった事が
あると思う。

文字を紙に書いていて、ひらがなでも片仮名でも
漢字でも。

”あれ?こんな字あったっけ?”
”あれ、漢ってこういう字だったっけ?”

もしくは凄く簡単なひらがなでさえ……

例えば、”ぬ”とか”あ”とかが急に書けなくなる
瞬間。思い出せなくなる瞬間。

なんだろうねこの感じ。ど忘れしたーみたいな
感覚と同じ。

単なるPCやスマートフォンの使いすぎ?

多分人間は頭を使いすぎているからふとした
瞬間に動物に戻るんだと思う。

鏡を見て自分じゃないような感覚や
ふと、ぼーっとする瞬間もそうだと思う。

うん、そんな気がする。
脳が疲れて信号だしたら動物になる瞬間が
あるんだ。

そう考えると面白い。

”デジャヴ”もそうだ。私は昔よくこの
”デジャヴ”を体感していた。

あれ、この瞬間知ってる。
あ、この時この人が言った言葉昔聞いたことがある。
この後、こうなる事知ってた。

のように。

人生って不思議でいっぱい。
人間も動物も虫も草木も花も土も風も空も
みんな生きてる。

いずれくる死を考えることは

必要だ。
私も含めやっぱり人間って意外とあっけらかんとしている。

人間の脳は日々うまい具合に色んな事を忘れられる
ようになっているらしい。
そうでないと人間は皆自殺するらしい。

うまくできてるもんだ。
時間が全て洗い流してくれるとか
時間が解決するよとかいうよくあるフレーズも
本当にそうだと思う。

でもいいコトと忘れちゃいけないコトは
忘れないように生きたい。

あの地獄のような3.11も。
あの時は生まれて初めて死を感じた。

死を感じると人間は不思議でちゃんと生きなきゃ
と思う。
これからの事とか、今までの事とか
したい事とか、人を大切にする事とか

そういう事たくさん考えてた。

なのに時間は怖いもので、忘れてしまう。
同じ日本で起きている事なのに私も含め、どこか
他人事な人が多いと思う。

忘れなきゃいけない事と忘れちゃいけない事を
うまく使い分けれるようなそんな脳になれば
いいのにな。

ただ今言える事はこうやって文章に綴った事
によりあの日の事を思い出して、死を感じた
事を思い出して、頑張らなければと思った。

あの日、たくさん亡くなってしまった人の
分まで頑張らなければ。

死にたいとかいっていた自分がみじんこの
ようだったなと思った暑ぐるしい真夜中2時。

求められないコトの安心感

「俺は大丈夫だから、ゆっくりね」

病んでる私に彼がそう言ってくれた。
「ありがと。待ってられる?」

「もちろん!安心して欲しいな」

不安症でふらふらしているようなそんな私が
欲しいちょうどいい言葉をいつもくれる。

今朝は
「これから病院いって温泉いってくる」
と言ったら
「幸せだね!休み満喫しておいで」

と言ってくれた。ありきたりだけど彼は
なにも思ってないかもだけどその一言で
私は幸せなんだと思えることができた。

幸せって思える脳がきっと人より少ない。
そういう事も教えてくれる。気づかせてくれる。

あと少し前にもこういう出来事があった。
やっぱり自信がない私はメールで

「なんか○○と付き合っていく自信なくなっち
ゃった。これは全部あたしのせいなんだけど」

とか場面緘黙症の事とかとにかくマイナスな
事をばーっと彼にメールでぶつけた。

すると

「俺いい意味で、実穂に期待してないんだよね、
いいところだけを、すきになったわけじゃないから。表現が下手だとしてもそれでいいから」

「俺ゆるいしさ俺らちょうどいいよ」
と言ってくれた。

期待されないとか多分普通の人は嬉しくない
というか傷付くんだと思うが、私には
心地よかった。

彼は求められない、期待されないことが私に
とって楽だというコトをおそらくわかっていたのだ。

私は今まで職場で期待され、求められ疲れて
いたんだと思う。
職場で元気よく!笑顔で!と言われ続ける中で
私の目は、心はどんどん死んでいった。

こんなせかせかしたこの世の中に
こんなゆるい人がいるのかという位ゆるくて
なにも考えてないけどしっかりしてて

人の巡り合わせとは不思議なもので

きっと考えすぎる固すぎる私に
出会わせてくれたんだろうなとそう思う。

この人といるとなぜか全て見破られている
気がして嘘がつけない。

美味しい物を食べた時どっちかが美味しい顔を
をしたり笑う顔を見てどっちかが笑う。

一緒にいなくてもなぜか食べているもの、食べ
たいものが同じ。

なんとなく笑い方が似てる。

人混みの中を歩くのが二人とも苦手。

でも違う所もたくさん。
人間って不思議。

求められない代わりに私も求めない。
いい意味で。
嫌な所も全部好きって思えるようになりたい。

そして私が彼に言葉に救われているように
私も、相手が必要としている言葉をあげれる
ような存在になれる日がくればいいなと思う。

魂??

某紳士服店で勤務していた時の事……

閑散期に入った事もあり、客数も少なく
早めに休憩に入った。
コンビニに行き、これでいいかと適当に
選んだものを休憩室で無心に食べる。

一人の休憩落ち着くーふう。
と魂がどこかに行きかけた瞬間。

「お疲れさまでーす!!え、今の
なんですか?魂どっかにいってましたよ!笑」

元気で明るくて小柄、黒髪のボブワンレンが
よく似合っている年下の社員の女の子。

「なんか、ぼーっとしちゃって!どっかいって
ましたよね!笑」

「眠いですよねー、あたしも今日は寝ます!笑」

とこんなやりとりがあった。
魂どこかにいってる時は多分本当に
どこかにいきたいとき。
職場ではよく魂がどこかに飛んでいっている。

多分魂だけはどこかにやらないと、と心が
命令してるのだ。

本当は体ごとどっかにいきたいんだよね。
魂ってきっととても正直者さん。

職場では特にしょっちゅう魂さん旅に出かけるけど

私はどこにいても誰といても何をしていても
たまにどこかに旅をする。

いつもどこか遠くをみている。
今も見ていない、未来も想像してない。
不安なことを考えている。

だから、たぶん私と一緒にいるひとを悲しい
思いさせていることがあると思う。

不安はいつも押し寄せる。
でも意外と単純で。

思い出すとぐるぐるはまってしまう。

今この瞬間、その時その時を生きなければ
いけないのに本当に私は昨日、今日生きていた?
と思う時さえある。

まるでDVD一本みたような。
そんな感覚さえあるのだ。

これはたぶん魂と体がまだ一致してなくて
きっといつか一致する日はくるとおもう。

ヒカリはある。

一番幸せな事

妹は私と正反対の性格だ。
見た目も性格も。

見た目の割りに意外と人を気にかけるし
優しい。
言葉は下手くそだが、人が好きで中身も
とても乙女。強そうだが意外と弱い。

小さい時からよく喧嘩したもんだ。

私はまさにこの逆。

今日妹と出掛けた時の事…
「見て空が綺麗だよ」

と言われて、見て気が付いた。
確かに綺麗だった。それは分かるが
それを見て素直に綺麗だと思えない自分が居た。

私はそこにある綺麗な空を綺麗だねと言える
彼女が今はただうらやましかった。

「本当だ。でも、私今綺麗と思えないかも」
と言った私に対してきょとんと
「え?なんで?」
と言える彼女の純粋な心がただただ
うらやましかったのだ。

「なんでだろうね、心が今綺麗じゃないからかもね」

と笑ながら返した。

今だけ今だけそのうちまた綺麗にみえる時がくる。

そこにある綺麗なものを綺麗と思える心
美味しい物を美味しいと思える心
は本当に幸せな事だと思う。

私は星と月を見るのが凄く好きだ。
実家は田舎なので夜になると星がたくさん見える。

帰り道には必ず空を見上げ星をみて家の
ドアをあける。

月が見える日はずっと月を見続けている。
見続けているとそのまま月の中に入って
いきそうな不思議な感覚が時々襲う。

彼の家に泊まりに行った時、ベランダで
タバコを吸いながら空を見上げて星を
探した。
都会だから明るくてやっぱり見えないかなと思っていると
一つだけうっすら光る星を見つけた。

なんとなく嬉しかった。
星を見つけられた事が嬉しかったのか
こんな明るい都会にも星があることが嬉しかったのか

いや違う。

恐らく、無意識のうちに明るい街を私以外の人達に例えていた。
そして、曇った空を私の心に例えその中にうっすら
光っている星を私に例えていたのだ。

ネガティブなようで私なりのポジティブになりたい
心に気付いた夜だった。

忘れちゃいけないのは

一緒にいて楽しかったこと
癒されたこと
幸せだったこと

昔から外で疲れて落ち込んだ日に家に帰って
家族と、喋る時間があっていい一日だったと
思えていた。

今はその存在がもう一人増えた。

その人をその気持ちを大切にしたい。

どんな一日も数時間いい時間があれば
それはもう素晴らしい日と思えばいい。

もう全てを諦めてみる

私のように普段から肩に力を入れすぎて
いる人はもうこの際…

全てを諦めてみるといいかもしれない。
ポジティブな意味で。

諦めてみると不思議と肩の力が抜けて顔の
筋肉が弱まってリラックスを作り出すことができる、

私自信諦めてみると精神的に何故かとてもラクに
一日を過ごすことができる。
のと同時にわりと色んなコトがうまく行く。

例えば化粧する時もそうではりきりすぎると
うまくいかない。

適当でいいやと思いながらやっていると
いつも以上にうまく化粧できたりする。。

プライドとか弱いとか外見とか世間体とか自分が
どう見えてるかとか全部捨てた時きっと
本当の自分になれるんだと思う。

諦める、期待しない、頑張らないっていうのは
結局肩の力を抜くことなんだなって最近思う。

幼稚園〜小学校(新潟まで)

長かったと思えば長かったし
短かかったと思えば短かったような気がする。

生まれたばかりの頃は髪がフサフサで
、幼少期は頭でっかちでよく頭から後ろにひっくりかえ
りそうになるので、両親がクッションを持ちながら、
渡しの歩く後ろをよく追いかけたそうだ。

そんな図を想像するととても微笑ましい。
し、愛されていたんだなと思う。

挙げ句の果てにひっくりかえり頭を打ち、蟹のように口から
泡を吹き救急車で運ばれた。
何もなくて本当によかった。

面白いのが、その後か前か曖昧だが自分の名前のみほを
ちゃんと言えなく、ぴーぽーと言っていたとか。。

これは、今考えるともしかすると頭を打ったからだったりして。笑

幼稚園の時は外ではまあ大人しい子だった
と思う。その反動で家では元気だった。

小学生から父の会社の都合上転勤っこになり、
横浜、福岡、新潟と移動し小学校は4つ行った。

小学生の頃の思い出は、わりとみんな優しくて
こんな喋らない静かな子にもたくさん話しかけて
くれて、遊んでくれる子がたくさんいて、嬉しかった
コトを覚えている。

一番印象的だったのは、福岡から新潟に
転校する時、福岡の小学校の同じクラスの
静かな女の子が絵をくれた。

白い紙に鉛筆で繊細なタッチでかかれているお花の
絵だった。
とても上手くて子供ながらに凄いと思った
のを覚えている。
上辺だけの手紙でもなくて絵をくれたコトが
とても嬉しくて、そして何か伝わってくる
ものがあった。

きっと何か伝えたかったんだろうなとおもった。でも
今考えると、その絵には頑張ってねという
意味が込められていたような気がする。

もう一人覚えているのは、同じクラスだった
背が高くてかっこよくて優しい男の子。

この子との関わりは当時シールを集めるのが
流行っていたのだが、シール交換を一回だけ
した。
私は何のシールをあげたかは忘れたが、
もらったシールは恐竜のシール。
この子は恐竜が好きだったのだ。

その恐竜のシールがその男の子の匂いがしみついて
いたのを本当によく覚えている。
赤ちゃんの匂い、ミルクの匂いがするのだ。
不思議。

その男の子は外見も良くて優しいのでクラス
の中でももてていた。かわいい女の子も
たくさんいたがあまり見向きもしていなかった

その後転校してきた女の子がいて、その子は
かわいいとはお世辞でも言えなく、髪がボサボサで
服も変なものをきていたようなきがする。

でもとても心が綺麗な子だったきがする。

その子を彼は好きになったのだ。それを知って
いいなと思った。

福岡の学校の思い出はこのくらいで。。

福岡はとてもすみやすくて心地よかったきがする。

そのあと新潟では、私が転校して少したった
頃転校してきた女の子が印象的だった。

新潟に転校して、クラスの子達で遊んだりして
いたが途中から図書室に逃げていた。笑

それからしばらく休み時間は図書室で漫画
を読んだりして静かに過ごしていたのだが、
その女の子が図書室にくるようになって、
やたら絡んできた。

なんでそんなに絡んでこれるの?ってくらい。
でも私はこの子に感謝している。

私はこの位の子、この位きてくれる人じゃなきゃだめなのだ。

それからもう一人の女の子と三人で休日
も遊ぶようになったりしていった。

この子とは新潟から横浜に転校後、文通をしばらく続けて、
この後六年後?くらい高1の時に
久しぶりに再会して渋谷で遊んだのを今でも覚えている。

今はどうしているんだろうか。
連絡先も分からなくなった。

本当に人との出会いと別れは不思議。

小学校(横浜)〜中学まで

転校で小学校4年生の夏横浜に戻ってきた。

出身は川崎で、その後横浜の小学校にも1年程
居たので恐らく戻ってきたという表現が正しい
と思う。

地元や幼馴染が居ないからか転勤が多かった
からか生まれつきか執着心がない。

専門にに入った時同じクラスの年上の
男の子にお前執着心ないだろ。
と言われて、その時初めて気づかされた。

横浜の小学校での初めての担任はすごく
明るくて優しくて太陽みたいな先生だった。
メガネをかけていて色が黒い先生だ。

クラスの人達も本当にいい子ばかりだったが
ここでも大人しいままだった。

4年生の時Rちゃんという女の子がいて
この子がいのっちと呼んでくれ、ミサンガを
くれた事があった。
とってもいい子で本当に優しかった。

中学の話は冒頭でしたので今回はここらへんで
終わりにしよう。

最近あった三つの面白い事

「あの、、よかったらお茶でもどうですか?」

私より恐らく年下だろう。メガネをかけた真面目
そうな背の高い男の子に声をかけられた。

しかもスーパーで。
しかもスーツを着ていたのに。。

私はかわいらしいなと思い笑いながら
「いまから仕事なんですけど、、」

というと
「あ、そうなんですか」と言い去っていった。

声かけられるの久しぶりだったので嫌な気は
しなかったし素直に嬉しいなと思った。

その事を彼にメールで言うと、
「小僧め、俺のみほさんに気安く声をかける
なんて」
と言ってくれた。

彼に言ったのは自慢でもなんでもなくて
ただ、この言葉が聞きたかったんだと
返事がきて気付いた。

その翌日……-…

普通に働いているとお客さんが入ってきた
35歳くらいだろうか、メガネをかけていて
茶髪でなんだか優しそうだけど不思議な雰囲気
の人。

「いらっしゃいませ、何かお手伝いございましたら
お声掛けくださいませ」

と言うと
「あの、スラックス探してるんですけど…」
「かしこまりました。こちらになります」

「僕車の仕事してるんですけど、いつも太ももの
部分がボロボロになっちゃって、、」

「あーそうなんですね!普段ウエストいくつ
くらいのものはいていらっしゃいますか?」

「あー、、ちょっとわからないです」
というのでウエストをメジャーで測り、
そのサイズの所に案内した。

しかし、その人はスラックスをみようとしない。
不思議だなと思うと
「ちょっとそこに車止めてるんで、今日は
時間ないんですよ」
なんだそれ。。

「あとー、、ワイシャツも探してて」
時間ないのに、、??

ワイシャツのご案内をする。
ワイシャツの裏に書いてある胸回りや胴回り、
首周りのサイズをメモに書いて欲しいと
言われたのでメモに書く。

時間がないというので焦って書いてそれを
渡した。

「ありがとうございます、またきます!あ。
これよかったら、、」
と綺麗にたたまれたメモを渡された。

そうラブレターだったのだ。
今時ラブレター?最後の方には連絡先と
名前が書かれていた。

少し前にお店で私を見かけたらしく、気にい
ってくれたようだ。

ラブレターなんて生まれて初めてもらった
のでやっぱり悪い気はしなかった。

それをまた私は彼に伝えたのだ。
よく考えるとちょっと私、空気読めって感じだと
思う。

彼はふざけていたが多分不安に思ったと
思う。
私は面倒くさい女だ。

相手の立場になって考えるという言葉を
私はもう少し考えなければいけない。

最近、他店で近々オープンする某スーツ屋の
店長が働いているお店に研修という形で
きている。

背は私より低くメガネをかけたゆるい雰囲気の人。

自店の社員の人と三人で話していた時
住んでる所の話をしていると、その人と
私の最寄り駅が同じ事が判明。

しかも私の家の近くのショッピングセンター
も知っていて、昔そこでアルバイトして
いたという。

私も高校生の時そこで働いていたので
伝えると、数秒沈黙の後、、
「いたねえ!!」
お店も違く会話さえしたことないのによく
覚えていたと思う。
私はやっぱり不思議な雰囲気なんだ。

しかも10年前、、、
不思議な事があるものだなとつくづく思う。
歳をとると出会いがないとかいうが
転職を繰り返している私にとってそんなこと
全くないと思う。

色んな人と出会う事は自分の財産になる。

これが最近あった面白い事 の3つ。

複雑なわたしと単純なかれと

彼は私がたまに出す軋んだ心の音をシャボン玉みたいに
中にくるっと包んでそれをどこか遠くへ飛ばす。

それが嬉しいはずなのに、どこかへ飛ばして
ほしいはずなのに私はまたそのシャボン玉を
探しにいって中に入っている汚い音をまた出す。

どうしてそんなに悩まないの?
どうしてそんなに悩むの?

これが多分私たちの心の声

今まで包んで飛ばしてくれたのに私は
また心のたまったものを長文メールで彼に
ぶちまけた。

その内容はもうとりあえず面倒くさい女だ。
精神的に彼氏がいていい人間じゃないという
内容だ。

私はその長文メールを送ったら多分

分かった、じゃあさよならしよとくるかと思っていた。
のにきた内容は

「なげーよ!笑」

それを見て、え?笑マーク?そしてふざけてるの?
それだけ?てゆうかそれだけでいいの?
と思った。

その後

「ごめんw気にしてないとおもうけど寝て!」

と送ると

「お前がはよ寝ろー!笑」

うん、なんだ。

「寝るよ。また今度返事教えて!」

この続きがどうなるかはまた今度。。

毒と悪魔

私の中には毒と悪魔が入る事がある。
全身にそれが顔にも出てしまう。

顔の中がぎしぎし痛む。

毒と悪魔出てけ。誰も悪くないのに
もちろん私も悪くないのに、この二つが
邪魔して全てを破壊する。

人を避ける。
人にも毒を与えてしまう。

どこにいっても誰といてもこうなってしまう
ならもう、私は自分の中に入ってくるこの
悪魔と毒を殺してしまわなければいけない。

向き合わなければいけない。

深い深い所にあるこの精神を隠してごまかして
きたけど本当に向き合わないといけない。

向き合って落ちて病むことは今の自分にと
っては決してネガティブでないと思っている。

深い所まで落ちていって根本から綺麗に
掃除してあげないと。

前回精神科に予約をしたものの、違う
予定でキャンセルになり、そのまま行け
なかった。

受付の電話対応もいまいちだったのでお結局その病院
は辞め、色々調べていたところ

”選択性緘黙症”とホームページに記載してある
病院を見つけた。

最近複数の精神科に電話をして訪ねたが
場面緘黙症の事を知っている病院は無く、
ここだと思った。

来週予約をしたので今から緊張する。
やっといけるという思いと
精神科の扉をあける怖さとどうなってし
まうのかもわからない不安で押しつぶされ
そうだ。

私は普通だと思いたかった。普通なときもある。
でも普通じゃない時の方が多いんだ。

だからいく。
自分の為に、周りの為にも。

もしかしたら病院にいくことによって
悪化するかもしれない、病名を下されたら
落ち込むかもしれない。けど、ごまかして
生きるよりは自分はこうだと思う方が
断然楽になれると思う。

最近色々調べていて、私に当てはまる
症状がもうひとつあった。

”対人恐怖症”

色んなサイトでみて症状がほぼ当てはまっ
ていたからそうだと思う。

やはり一つの症状は何かの症状を引き起こす。

病気だとは思わないようにする。
これは症状なんだと。その症状を軽減
する為、克服する為に私は病院に行くのだと。。

ずっと人間を嫌いだった私。
今も好きかもわからない。多分嫌いだろう。
自分の事も。

だけど死ぬ前にこの思考をどうにか変えたいのだ。
上手に人とかかわって甘えて誰かを支えて
支えられていい人生だったと死にたいのだ。

病は気からだとか
気の持ちようとかいうけど

私やこういう症状がある人はもう脳が
どう考えてもどんどん暗闇に落ちて行くのだ。

それはもうしょうがないと思う。

朝が怖い。
毎日の繰り返しが怖い。

それは15歳まで外で言葉を話せなかった
私が毎日学校へ通う事の辛さを思い出すから。

毎日同じ所にいく怖さ。
毎日同じ電車、同じ道を通う怖さ。
毎日同じ人がいる所にいく怖さ。
毎日終わってまた明日がくる怖さ。

これは多分経験した人にしかわからない。

だからこういう事を考えて私はこれから
生きていかないといけないと思っている。

ごまかす必要もある。

例えば毎日同じ人に会うのが怖いなら
そうでない職場にする。

同じ所に通うのが怖いならそれを避けられる
仕事を探す。

そうやって生きていくのもまたありかなと
思う。
対人恐怖症になる人は自己中とあるサイトに
書かれていた。

確かにその通りだとおもう。
現に私は自己中だ。意識が自分にしか向いて
いないから病むのだ。

優しい人は常に周りに意識が向いている。
だから自分に対しての意識は少なく、病んだ
りする事が少ない。

だからこれに対しては妙に納得した。。。

でも人は皆自己中だと思う。
街中で歩く人、自分の行きたい所に向かい
人のことなんておかまいなし。
目も合わせない。

なのに例えば大地震があったり自分に恐怖
を感じるといつもは目も合わせない他人と
寄り添おうとする。

本当に勝手で悲しくて汚い。
私もそうなのだ。

色んな人がいたっていいのに

来月の頭でまた仕事を変えるので
最近またよく求人を見ている。

そしてよく目にするフレーズが
”元気で明るい笑顔がいい人歓迎”

私はそう書いてある求人を見つけると
すぐ閉じる。

なんで元気でなきゃいけないのか
明るくいなきゃいけないのか
笑顔でいつもいなきゃいけないのか

こういう世の中だから鬱とかなる人が多いんだ。

私みたいな人と真逆な人で凄く明るくて
いつも笑っている人こういう人も私は
とても危ないと思っている。

こういう人はどこにでもいて、その人の
気持ちも私はわかる。
だからか、私に悩みを打ち明けてくる人が
多い。
それは本当に嬉しい。

皆色んな悩みがあること、自分がこうだから
それは本当によく分かっているのだ。

「ただいま」「おかえり」

大事な人と会った時に
「ただいま」
「おかえり」
とお互いに心の中で想い合える、そんな関係が私は理想だ。

それは結婚していてどちらかが家に帰ってきた
時とかそういうコトじゃなく、結婚してなくても
家でなくても外で会った時にそう思えるコト。

私の所に帰ってきてくれた
あなたの所に帰ってきた

そう想い合えるのって素敵だなと思う。

今、私は精神的に不安定で彼に別れたいような
ニュアンスのメールを送っているからか
無意識か分からないが、昨夜ずっと好き
だったN君が夢に出てきた。

夢の中で私は「どこにいってたの?」
と言っていた。
そして彼は笑っていた。

私は彼に甘えていた。
これはどんな意味がある夢なんだろう。
夢って本当に不思議だ。

確かに最近たまにまた彼を思い出す事がある。

自分のコトよりもなんとなく心配というか
どうしてるかなと思うので彼を好きだった
時は強くなれた気がした。

彼の柔らかい雰囲気と声と口から出てくる
言葉が好きだった。
学校でどこにいても、体育館に全校生徒が
揃っていても何故かすぐ見つけられた。

そして、彼も見つけてくれているような気がして
いた。
私はこういう事をとても大切にする。

5年前私が専門学校生だった頃、彼がちょうど
大学を辞めた頃、卒業ぶりに会った。

また私が連絡先を知り合いにきき、約束を
とりつけたのだ。

最寄り駅で待ち合わせをし五分程遅れて
彼が現れ、目があってお互い笑って
階段を駆け下りてきた。

その時私は
「おかえり」と心の中で思ったのだ。
彼がどう思っていたかはしらない。
何にも考えてなかったかもしれない。

けど一緒にいる時の空気感、一緒に喋って
いる時の私の優しくなれる気持ちは本当に
どんな言葉にも表現できない位素敵なもの
だった。

四時間程ファミレスで喋った。

私は本当にこの人が好きだったんだと思えた。
景色が綺麗に見える魔法をくれるのは恐らく
もしかしたらこの人しかいないかもしれない。

喋るリズムが好きだった。
どこか不安定だけど、私のコトを好きだったかは
分からないけどちゃんとあってくれて
私を見てくれているのが、わかった。

それと今の彼を比べてしまっている自分が
嫌になる。

表現は人それぞれだし、会った時に笑わない
所もまだ掴めない所も好きだし、でも彼と
会った時におかえりと思えない自分。
ただいまと思えない自分がいる。

どこかで待ち合わせた時にすぐに今の彼を
見つけられない自分。

また彼もすぐ見つけられない。

これはもしかしたらとっても大切なコトなん
じゃないのかなって思ってしまうのだ。

こんな状態じゃ私はまたあの彼にいつかあってしまう
かもしれない。

大事なコトは言葉でも行動でもなくて
やっぱり心だ。

戻ってきた

そう悪魔から毒から解放されている時は
もう身内の人はわかる。

戻ってきたと。

おかしい時は悪魔が入っていると思って
体はここにあるけど心はここにないと思って
待ってて下さい。

そのうちまた戻るから。

ごめんね。
こんな私で。

いつか戻らなくてもずっとそのままの
自分でいれる日がきますように。

前髪が決まらない蒸し暑い木曜日の始まり

いつものように準備をして家を出てバス停へ急ぐ。

今日はいつもより一時間遅い日なのでお昼頃の時刻の
バスになった。
バス停へ向かうとそこには大量の高笑いをしている老人の行列。
蒸し暑いのにもうそれだけで苛ついてしまう。

そしてバス到着。また老人がおりてくる。
おりてくる老人達は並んでいるこっちの事など
おかまいなしにずんずん降りてくる。

私が並んでいる所の前を遮断して降りた
おばあさんは私の前で何かを落とした。
そのまましゃがむように物をとる。
後ろには私がいるコトを知っているだろう
お尻がおもいっきりあたった。

あたってますよ。
気付いてるだろうに。

こんな腐った老人にはなりたくない。
バスに乗りまた大量の老人。

立っている私の目の前で物を受け渡しを
する老人。

大声で話す老人。

もう嫌になる。こんなコトを考えてしまう
自分も。
でもいくら善者ぶったって優しい心はあった
としても人間の根本の感情はこれが普通なのだ。

今日もまた始まる一日。
どんな一日になるかわからないし帰りにはまた
死んでるかもしれないけど生きてるから
大丈夫。

最強の3人

母と妹と私。

3人共精神的にいい日は…というか私が安定して
無い日が多いのだが、そんな日は最強なのだ。

とにかく楽しくてバカ笑いをして何も考えなくてよくて
皆100%の自分で居れる。

それぞれいい役割をしていて
丁度いい。

きっとこの3人が同じクラスだったら
めちゃくちゃなかよくなるんだろうなと
思う。

家族もいいけど、来世では友達になれたらいいな。
きっと楽しい。

泣いている、叫んでいる

笑っているように見えるけど私には
泣いて見える。

穏やかそうにみえるけど心はきっと
叫んでいる。

それが分かるのは私も同じだから。

分かりすぎるのも分からなすぎるのも
どっちもまた悲しいなと思うこの頃。

でも恐らく幸せを感じにくい脳の人は
幸せを感じやすい脳の人と一緒にいて
少しずつ幸せを感じれるようになっていくのが
一番幸せなんだなとおもう。

暗闇は暗闇といると消えてしまう。
暗闇で暗闇は見えない。

暗闇は光を探す。
光は暗闇を照らす。

暗闇は光を見つけて自分の暗さを知る。
光は暗闇を見つけて自分の明るさを知る。

霊感...?

最近なんだかすぐ泣いてしまう。
前まではこんなコトなかったのに。

ずっと精神科を探していたがなんだか
THE精神科というところばかりで、薬を
処方されて終わりだろうなとか受付の電話
対応もイマイチで行く気がなくなりキャンセル
を続けていた。

しかし、やっぱりここで行っておかないと
というのは自分の心が強く言っていて
いろいろ探していた所、見つけた。

”心理トレーニングセンター”
精神科と書いてないところがいい。
行動療法やカウンセリングをしたいと
思っていた私にはピッタリだと思った。

夫婦でやっている病院で二人ともかなり
凄い経歴を持っているコトをホームページを
見て知った。

精神科などはお金をたくさん取られるイメージだ
ったがココは初回二時間程無料。
又、金銭面でキツイ方は相談して下さい。
できるだけご希望に合わせますと記載して
あった。

電話をするととても声の優しい方がでた。
訳を話すとそれは辛かったですねと演技ではない
確かな声と気持ちが伝わってきて、泣いてしまった。

場面緘黙症の患者さんもいるようで安心した。

そこにあした行く。

怖い気持ちと救われるかもしれないという
希望の気持ちと、変われるかもしれないと
いう期待の気持ち、色んな気持ちが混ざっている。

だけど、前向きに向き合う為に行く。

30歳になる前に精神安定した人になりたい。
もう誰にも迷惑や心配をかけたくない。

薬でもいいから。

お願いします。今までのコトは全て無駄じゃ
なかったと思っているけど、どうか、そろそろ普通の私に
して下さい。

何にもいらないし、欲も捨てます。
普通でいいから。

そろそろ普通にして下さい。

人生で初めて自分と向き合う日。

高校生の時知り合いがだれもいない学校に
入学したおかげで喋れるようになった。

あれは、私の1回目の変化。

そして、今日私は人生で初めて自分と向き合う。
心理トレーニングセンターへ行く。

希望はまた2回目の変化が自分に訪れること。
精神の安定。
人に甘えられる人になるコト。
職場で自分を出すコト。
人を信用できる人になるコト。
緊張しない人になるコト。

だけど希望は持ちすぎず、
どうでもいいや、なんでもいいやを
口癖にこれから行こうとおもう。

こうじゃなきゃいけない、あれしないといけない
、頑張らなきゃいけないとおもう私には
このくらいの口癖が丁度いいなんて最近
気付いた。

今まで逃げてきた、向き合わなかった、
治ったと思ってごまかして、逃げて、嘘ついて
転職繰り返して、友達とも深くかかわらず
家族さえ、信用できない日もあった。
それは自分を信じてあげてこなかったから。

またあの時、1回目の変化の時の自分の中で
革命を起こそうとする気持ち、このままじゃ
だめだと強く思った気持ちを思い出せたらいいな。

今自分がここにいること。
生きてること。
今までしたことに自信を持つこと。
たくさんの人達に助けられ愛され支えて
もらってきたこと。
これからの未来はいくらでも変えられること。
たくさんの人と喋ってきたこと。
褒められてきたこと。

それを思い出して昔に振り返って
今の自分を見つめ直す。
過去の自分を許してあげて。
未来の自分に2回目の変化を。

人間不信と馬鹿らしさ。

今回は、初めて行った精神科の話をしようと思う。

場所がよく分からなかったので早めに行って探そう
と思い家を早めに出た。

駅から少し歩いた場所にそのビルはあった。
5階まであるのだが、外から見えないように?
中から外が見えないように?か、明るいうちから
全てカーテンがされていた。

なんとも言えない異様な雰囲気のビルだった。
パワースポットというものがあるがその逆が
あるとすれば此処はそこ。

マイナススポット?笑

早めに着いて発見した私は急に怖くなった。
此処に入る私。
入っていいのかわからない。
入ったらそういう人になってしまうような気もして
だけど治りたいから入らなければいけないしと
色んな感情が入り混じった。

怖いのに大切な人にさえ連絡できない私。
こんな時に昔惹かれていた人に会いたいと
思ってしまう私。

今だからいえるがこんなに緊張したのは
生まれて初めてだった。

時間まで近くにあったファーストフードで時間
を潰す事にした。
この日何も食べてなかったので、食べ物を
注文したのにも関わらず、お腹空いていた
はずなのに半分も食べれなかった。

いざ、時間になりビルへ向かう。
受付の会に行くと優しそうな穏やかな男性の
案内でいくつかあるうちの一つの部屋に通される。

大きなソファがあり腰掛けて下さいと言われる。
向かい側にはカウンセリングの人が座るで
あろうテーブルがついたイスと、ホワイトボード
、音楽療法で使うであろう機械と、もうひとつ
怪しげな機械や何故か毛布も数枚置いてあった。

そしてなんだか不思議な雰囲気。
何かを感じる。時が止まっているような
過去に戻るようなそんな雰囲気の部屋だった。

この部屋で一体今迄何人の人がどんな人が
どんな内容の相談をしてきたのだろうか。

そして私は今から何を話すのか。
どういったリアクションが返ってくるのか。
私はどうにかなってしまうのだろうか。

そんな事を思いながらそわそわとソファに座っていた。

しばらくすると、又先ほどの男性がきて、
プリントを四枚もってきた。
Yes or NOで答えるような膨大な量の心理質問
のプリントだった。

これを全て書き終えるとカウンセリングの女性
の方が遂にきた。

私が記入したプリントを持って、〜での相談ですね、
場面緘黙症で現在も職場で苦しまれていると
、、と読み上げた。

たくさん質問をしてきて、私が言うことに
そうなんですねー、うんうん、と返事を
しながら紙に私が言った内容を書いている。

真剣に聞いているようで時折鼻をかんだり、
ほんの一瞬だがちゃんと話きいてない気がする
瞬間があった。あとは相槌やうんうんのタイミング
など。

一時間程話を聞いてくれ、そのあとホワイトボードに
精神的な話の内容を書きながら説明してくれ
終わった。

話をたくさんきいてもらってすっきりしたが
そのあといきなり目が営業の目に変わった。

どうやらここは保険治療がきかないらしく、
初回は無料なのだが2回目から1時間1万円、
しかも予約金というものを取られるらしく、
その金額は千円。

このカウンセリングにいった次の日も休み
だったので、明日はおやすみですか?と
きかれ、では早速のように話を持っていかれ
そうになった。

すぐに予約をさせようという気持ちが伝わってきて
自分も営業していた時があったのですぐ
わかった。

予約金を払わせようとすることに疑問を感じたので
現金がないですとその場を立ち去った。

終わってビルをでるとまさかの雨。
人間不信になりそうな気持ちと馬鹿らしさが
混じってなんだか一人で失笑した。

人間ってこんなもんかと。

しかし、わたしはまた病院にいくだろう。

50になる前に0になる私

最近毎日泣いている。
何かがきれたように。人前でなんて泣かなかったのに
それさえ抑えきれずに泣いてしまう。

体にも力が凄くはいるようになって、指が
しびれる。
歯を強くかみしめて顎が痛くて顔がひきつる。

頭がおかしくなりそうな瞬間がよくある。
自分なんて居ない方がましだとよく思う。
存在の意味が分からない。

なんで生きてるのかも今はわからない。

ただ起きてただ何かを食べてただ寝て
今はただそれだけの毎日だ。

別に何も望んでない。望んでないのは
今生きてるだけで辛いから。
たとえば生きてることが楽なら、きっと
いろんなことを望む。チャレンジしたり
楽しめる。

劣等感と空虚感が押し寄せる。

どこにいてもだれといても相手をみていない。
映画をみている気分。

それはたぶん自分がここにいないとおもいたいから
かもしれない。自分は本当は存在していなくて
本当に存在している世界を外からみているんだ
と。

最近息をするのも忘れている瞬間がある。
これはきっといきたくないと心のどこかで
思っているから無意識にそうなっている。

今日もたくさんねた。
寝ると全身の筋肉が緩むし何も考えなくて
すむから。
できればずっと寝ていたい。
起きているのが辛い。

正常者からすると甘えや馬鹿みたいと
思うかもしれないけど、私は異常者だ。

職場での自分は

自分が怖くなるほど違う人になって
違う声になって
違う表情と動きになる。

何よりこれが素のあたしだと思われて
いるコトが一番悲しく一番辛い。

職場に行くと生気がなくなる。
鏡を見るとあの頃の自分を思い出す。
なんだろう、今の職場は特にそうだ。

少し悪化してしまったのか、それとも
10年経ってまた神様が変わるチャンスを
くれているのかよくわからない。

だけど、死んでしまったあたしを生き返らせて
くれる人達がいる。
家族、友達、大切な人

その人達といるとあたしは生き返るのだ。
生きている感じがする。

職場でも生きている感じがしたい。

どこにいっても本当になんでこんな私に
ってくらい皆優しくしてくれる。

一番嬉しいのは辞めたあとにも連絡をくれて
飲みに誘ってくれる人達。

あたしは根本から綺麗に変わっていつか
今まで出会ってきた人達と本当の自分で
本当の声で顔で話したい。

夢もないし目標もなかったけど、今できた。

そう、これが目標だ。
そのためにあたしは自分と向き合って強く
なって変わらなければいけない。

まず、心の整え方、そして体に力を入れない事、
すぐに緊張しないこと、職場を怖いと思わない事、
人を信じ自分を信じ、甘えること。頑張りすぎない事

死ぬ前に変わりたい。
もうこれは、あたしの人生に課せらた事で
あって、生まれてきたのには意味がある。

明日は違う所で人生二回目のカウンセリング。
行動しないと何も始まらない。

まだまだこれからだ。

内側に隠していた物を外に出す時

横浜のはぐくみ心理相談所という所にいってきた。

やっぱりこの日もとても緊張した。
そして建物に着く前に予報外れの雨が降った。
不思議だ。前に違う所にいった時も終わって
でると雨が降っていた。

駅からまた少し離れた路地裏にその相談所が入ってる
建物があり、その402号室に相談所はあった。

建物はオートロックになっており、用がある
部屋の番号を押すと中の人がロックを解除する
というしくみになっていた。

402号室の番号を押すと
「はいー」と陽気な年配の男性の声が聞こえた。

「予約した井上です」と答えると
「どうぞー」
とかえってきた。

古いアパートの一室にあるんだと思うと
少し不安もよぎってきた。

エレベーターにのり、402号室に辿り着く。
ドアをあけると古い感じの部屋。

70歳そこそこだろうか。
眉毛がぼーぼーの優しそうなおじいさんが
出てきた。

ソファが二つある部屋に通される。
「ここに座ってちょっとまっててねー」
そう言い残しおじいさんはどこかへ消えた。

部屋に入ると、少し臭い。あまり綺麗とは
いえないその部屋は掃除が行き届いていない
ようでソファもなんだかきたない。
少し不安の状態でおじいさんを待つ。

おじいさんがきた。

大丈夫だろうか。
でもなんだろう、この前いった所のように
部屋に変な機械やホワイトボード、毛布が
ないのが安心した。

強いていえばエアコンから出ているホースが
ら水?が出ていてそれが容器にポタポタ落ちて
たまっているのが気になった位だ。

おじいさんが私にきいた。
「こういう所にくるのは初めてですか?」

「いえ、つい最近初めて◯◯という所に
行きました。初回は無料だったんですが、
二回目から一万円位かかるようで、高くて
払えないのでやめました」

「それは高いですねぇ、そんな払えないですよね、
ここは三千円でやっていますから。最初始める時に
皆で話し合って相談したんですよ、どこの
カウンセリングも高いよねって。それで低価格で
やってみようって。でもそれじゃここの家賃
払えないよってなったけどその値段で15年間や
ってきたんですよ。まぁ家賃分儲かって
ないんですけどね、あはははは!」

とおじいさんは陽気に笑った。
もっと真面目そうな人というか、笑わないよう
な人だと思っていたので、こんな陽気に
ケタケタ笑う人で少し驚いた。

一番驚いたのは、カウンセリングが終わって
一番最後に部屋を暗くして自律神経訓練法
をした時に、パッと目をあけると、そのおじいさんが
二年前亡くなったおじいちゃんにそっくり
だったのだ。

天国からおじいちゃんが助けにきてくれた
のかと錯覚を起こすぐらい。
目を閉じて、「気持ちが落ち着いているー気持ち
が落ち着いているー」と唱える?おじいさん、
声がもうあの何年も聞いてなかったおじいちゃんの
声だった。

覚えてる。死ぬ前に聞けなかったので
また聞けたようでなんともいえない嬉しい
ような切ないような気持ちになった。

カウンセリングどうこうより、三千円で
おじいちゃんに会えるんだと思うと安いもんだ
とさえ思った位だ。

今までの経緯や悩んでいる事を打ち明けた後
エゴクラムの心理テストをした。

前にいった所よりはるかに少ない量に
安心した。

心理テストを終えおじいちゃんが採点して
それをグラフにした。

NP、CP.などの説明をされ、おじいちゃんが
「だからね、乳飲み子から幼稚園に上がるまでに出来上がった精神状態や
癖は大人になってから直せるってコトなんだよ」
と言ってくれた後で私は涙がポロポロ
出てきてしまった。

昔の私ではありえない。初対面で会った人の
前で泣くことなんて。

最近毎日のように泣いている私は
どうかしちゃったんだろうかと思って
いたし、不安だった。

「すみません、涙が、、最近毎日泣いてて。。」

「いいよ、泣いて。毎日泣いてるの。うん、
ストレスだね、でも泣くのがいいんだよ」
と言ってくれた。

悲しくて泣いたんじゃない、怖くて泣いたんじゃない
。生まれて初めて希望を知って、希望が見えて
嬉しくて泣いたのだ。

希望をこの場所に、このおじいちゃんに間違いなく
感じたのだ。

泣くと凄く落ち着いた。全身の筋肉が
緩まった感じ。

正直こういう所にくるのは賭けだ。
お金も時間もかかるわけだし、もしかしたら
インチキかもしれない。それを知った時
私は更に症状が悪化するかもしれない。
人間不信になるかもしれない。

しかしそんなコトばかり考えていたら
変われないし、奥深くに入っている隠れて
いる悪魔の私を掃除することができない。

今までの経緯を話すとやっぱりまた不安に
なるし痛い所がでてくる。
ごまかして大丈夫だと忘れたように生きて
いくのが楽かもしれない。

自分が見えてくることは怖いことだ。
ただでさえ自分がよく見えてしまう私が
更に自分を見て降りかえって向き合うのだ。

でもこれをしないといつまで経っても同じなんだ。
これがあたし。そう思えたらいい。
そう思える位の所までいきたいんだ。

そう思える所まで。
今はそうも思えない位置なんだ。

カウンセリングでおじいちゃんに話していく
うちに私の事をどんどん理解していってれる。
それと同時に私も私を理解していく。振り返る。
見つめ直す。前を向くようになる。

これが”カウンセリング”なんだ。
この日初めて知った。

さて、これからどうなっていくのだろうか。
希望を持とうと思った日だった。

私は

昔の経験から人の大切さはとてもわかっている。

誰かと居れること、側にいてくれること、
話してくれること、

それが当たり前じゃない事もわかっている。

なのに私は身近な人を大切にできていない。
心の中ではおもっているのに急に突き放したり
嫌になってしまう時がある。

本当にそれは相手からすれば嫌なことだろう。

自分の内側に気付いて不安がでるとそう
なってしまう。

こういう風になることは自分が一番嫌で
そして悲しい。

人に対して真面目に考えているが故の事でも
あるのだ。

今日は妹のコンテンポラリーのダンスイベントを母と
みてきた。

なんというか精神的な事を踊りに表現している
ジャンルなので精神的にやられている人や
メンタル的な病気な人は見ると自分の心が
表現されているようでなんだか嬉しいようなスッキリ
するような更に暗闇に落ちていくような、
もしかしたらヒカリの掴み方がわかるような
そんな不思議な感覚に襲われると思う。

見ない方がいい時も、見ない方がいい人も
いるとおもう。

自分と向き合いたい人 は見ていてとても興味
深く、そしてハマると思う。

私はここにいましたか?

私はここにいますか?

私は本当にここにいましたか?

会ってみよう

昨日で半年間勤務した紳士服のお仕事が
終わった。

また人とさようならした。
昨日は勤務が終わりそのまま近くの居酒屋
で送別会を開いてくれた。

飲んで食べて素敵な高いお店のプレゼントも
くれ、あまり喋れてはないし緊張したが直属だった
上司や先輩みんなとあんな風に辞める時に
会をしたことはなかったのでとても嬉しかった。

何もなくても同じ空間で同じ時間を過ごせて
よかった。

店長も乾杯の時に最後にこうやって飲んで
いい思い出にしようといってくれたことも
とてもいい人だと思った。

皆いつでも応援してるからサポートするからと
いってくれたり、先に私が帰る時はハグしてくれる人も
数人いたり、歩きだすと寂しいという声が
聞こえたり。

単純にハグをしようとしてきたり、寂しいと
いったりするその人達が羨ましかった。

人間らしい皆が羨ましくもあり、自分の不甲斐なさに落ち込み皆の
温かさに触れ帰り道涙がでてきた。

この状態の自分であそこにいることは、あそこに
いくことはもう限界だった。

このままでは終われない。
このままではいけない。

今までと少しずつ何かを変えていったり
少し行動をしていかないと。

25歳になってから場面緘黙症という言葉を
知った。

そしてこの随筆を書くようになった。

色々調べ考えるようになって今までの症状や
精神的に病んだり疲れたり目が死んだり何もかもが
真っ黒に感じたのはあたしが弱いだけ、甘えでは
なかったと気付いた。

昔までの事はなかったことにしてきた。
治った事にしてきた。

むしろ思い出したくない事でもあった。
今の私は私。こう考えてきたことはポジティブ
でもある反面ネガティブでもあったのだ。

だから傷跡を隠して来た。

だけど向き合わなければいけないと思った。
もう異常に緊張する自分は疲れた、そんな
状態で外に出続けるとやがて家で爆発し家族に
迷惑をかけたり嫌な雰囲気にしてしまうことも
辛い。

そして精神的な病院にいこうと決意した。
いろいろ調べてみるがやはり病院だと薬を
処方されて終わりという所が多いとかいてある
事が多かった。

最近では場面緘黙症の人に対して病院側は
SSRIといううつ病の人に処方する薬を
提案する所がふえているらしい。

緊張や不安を抑制する薬。
たしかに嘘ではない。
しかし場面緘黙症は薬ではなく行動療法や
カウンセリングだと自分が一番よくわかった。

なのでカウンセリングにいったのだ。

場面緘黙症は症状が長く続くと慢性的な
鬱や対人恐怖症、対人過敏になる事もある
らしい。

25歳になり

”場面緘黙症”を知り

調べるようになり
随筆を書くようになり
カウンセリングに行った

そしてあと二つしたい事は

同じ元場面緘黙症や全緘黙の人に会うこと

自分の経験を無駄にしないで自分が居ることの
意味を誰かに与えたい事

それを考えながら今は今までのように焦って
仕事を決めずに勿論少しできる仕事を探しながら
家事をしながら休養する。
そうすることに決めた。

帰り道

高校から10年の付き合いの友達と久しぶりに
会って飲んだ夏の帰り道は、深夜0時を過ぎていると思えないような
雰囲気で涼しく秋の早朝のようなそんな
不思議な感覚だった。

近況を話し急に不安になると話すと彼女は
「不安になった時は不安になったとか悲しいとか
誰かしらに伝えればいい。わたしでもいい。
そうしたら、今日は〜〜があってとか話すし
雑談をして気が紛れるよきっと」

と話してくれた。

わたしはこれから、大事な人には自分の声で
心から話そう。伝えよう。そして自分のまま
でいよう。

自分を大事にして相手を大事にする。
ここにいること、息を吸っている感覚を
研ぎ澄ます。

そうして生きて行けばいいんだ。と思った。

だめな時があってもいい、病んでる時も
目が死んでる時も緊張してる時も泣いてる
時も我慢してる時も不安な時も。

笑える日があっていい顔をする瞬間があって
そんな一瞬があればどんなに辛い時があっても
頑張れる。

その瞬間のために目をまっすぐ向けて足を
つき、息を吸って顔に当たる風を感じて生きていこう。

わたしには足がある。
手がある。
耳もお腹も背中もお尻も。

ここに居る。
生かされている。

大切にしよう。

温泉に入っている人は....

先日カウンセリングに行き自律神経を整える
為に教えてもらったコトは

スポーツをする
温泉にはいる
カラオケをする
規則正しい生活を送る

だった。最近クリアしたコトはカラオケと
温泉。

やっぱりすっきりする。
カラオケも定期的に行くのは必要だと思った。

一昨日温泉に行き浸かってまったりしていた。
ふと周りの人を見ると皆何かを考えている
顔をしていた。

街や電車で人を見ていても考えているような
顔の人は少なくあっけらかんとした顔の
人の方が圧倒的に多い気がする。

私は逆で温泉につかっているときはほぼ無心
なのだ。

日々の忙しさの中で人は振り返るコトも
考えるコトも忘れ歩き続けてるんだろうな
と思った。
だから温泉でゆっくりし立ち止まると色々
考えるのだろう。

きっと人間は考えすぎてもよくないし
考えなくてもよくないし

考える時間と無心の時間を上手く使い分けながら
生きていくのがいいんだなと思った。

今目の前のコトで考えることはいいコト。
それを今考えて答えがでるならしっかり考え
たほうがいいと思う。

だけど今考えて悩んで急いでも変わらないコトなら
いっそのことどんと構えて80%は無心で
いてもいいかもしれないと思った。

仕事を辞めてから5日経った。
相変わらず仕事は探している。

一つ候補に上がったのがバルーンの販売
そう、風船だ。風船で結婚式やイベントを
華やかにする仕事。

さてどうなるか。
この際やったことない仕事をどんどんやってみよう
とそう思っている。

アクセス数325超え。

アクセス数325回になりました。
ありがとうございます。

どんな人が見てるんだろう。
どんな事思ってるんだろう。
場面緘黙や全緘黙の人も見てるのかな。

これからもどんどん書いて行こうと思います。

見てくれている人どうもありがとうございます。

実穂

悪魔+天使−太陽+月×時計+カレンダー=?

天使はいつも綺麗でいると傷つくからたまに悪魔になる。

悪魔は綺麗だと信じたくてたまに天使のふりをする。

天使になるほど悪魔に近付いていって悪魔になる
ほど天使に近付いていく。

天使だと信じたくて生きていると悪魔に気付く。
やっぱり悪魔だと思いながら生きていると
ふとした瞬間にヒカリが入ってきて目が覚める。

目を開けていてもヒカリは入ってこない時もあるし
目を閉じていてもヒカリが入ってくる時もある。

太陽のヒカリが自分にめがけてわざとらしく射している
ような気がして嫌に腹立つ時もあるし

太陽のヒカリがあたたかく自分の為に照らして
くれていると感じる時もある。

でも月は違くて月はいつでも私を見守ってくれ
ているような気がする。
だから月はいつでも好きなんだ。

ずっとみていると月に入れるような気がするし
心だけでも月にいったようなそんな気分に
なる。

だから夜は必ず月を探して眺める。
隠れていると悲しくなる。

太陽から目をそらしながら月を見て生きている
ような感じ。

時計の針が進んでいることが素敵な事だと
思えるコトもあるし

一秒一秒針が進んでいるコトがとてつもなく
恐ろしく感じるコトもある

カレンダーを見て希望を感じる時もあるし

ただ過ぎていく日々に嫌気がさしたり
早く日にちが過ぎて欲しいと一日の終わりに
今日の日付に思いっきり×をつける日もある。

最近神経が乱れた時はいま
小説を書いた方がいい時か
歌を歌えばいい時か
外出すればいい時か
本を読んだらいい時か

少しわかってきたような気がする。
でもまだまだで、やっぱり自律神経訓練法を
たくさんやらなくてはいけないと痛感している。

早くまたあのおじいちゃんに会いたい。
今は誰より。
ごめんなさい。

悪魔を連れて外へでた。

歯が若干痛い。どうして保険証がなくなってから
こうなるか。それさえもう笑い話にしてしまおう。

歯も少し痛いし髪もプリンだし肌も少し
荒れているけれど、いまそれをどうこう
騒いだって全て急にどうにかなるものでは
ないのだ。

それは一番自分がわかっている。だからこういう
時こそ時の流れに身をまかせどんと精神を
保たさせなければ。

きっとずっと少し痛かったはずなんだけど
それさえ気付かないような心だったんだ
と思う。

というかいつもそうだ。笑

二日間家にいて少し悪魔がでてきたので
悪魔を連れて外に出た。

本当は誰かといたいのにこんな時一緒にいれ
る人がいない。一番素が出せる家族でさえ
こういう時は一緒にいたら浸透させてしまう気が
してリハビリがてら悪魔を少しでも消すため
外に出た。

街を歩いてDVDを借りに行く。
店員さんが後ろを通る時にやたら大きい声で
「後ろ失礼しまーす」
と言う。

二本借りまた歩く本屋に入り色々な本を
眺める。本屋は何か答えがあるきがして
好きだ。

その後はカフェにはいりコーヒーを飲みながら持ってきた自己啓発本を
読んだ。

少し心が落ち着いた。
それだけで落ち着くのだ。

同じ一日はない。

仕事を辞めてから1週間経過。

何にもないと遅くまで起きてしまったり、翌日も
午後まで寝てたりとしている。
がまぁ今はこれでもいいかと開き直る。

今日は少しだけ早く起きた。
その日の計画を一時間毎に紙に書いた。

ストレッチ
自律神経訓練法
歌を唄う
頭ストレッチ
職探し
小説を書く
本を読む
家事をする
DVDを観る

まず、ストレッチをして体を柔らかくし
その後に頭のストレッチをした。
森田真理さんという方の”頭から体を癒す”
という本を読みながら。。

それから自律神経訓練法をして落ち着いてから
少しご飯を食べた。

お味噌汁を飲み体が温まり落ち着いた。
お風呂に入ったり温かい物を飲むことはとても
大切だと思った。

それから仕事を携帯で探す。
頭が疲れたら体を動かして家事をする。

そう頭が闇に入りそうになったら私はなんら
かの気分転換をしていくことがいいのだ。

そしてDVDを観た。すると昨日飲み会だった
妹が遅くに起きてきた。そしてまた同じDVDを
観る。

さてこれから何をしようか。また仕事探し
ながら前職の人達にもらったSABONのバスソルト
でお風呂を入れよう。

そして何かご飯を作ってネイルを塗り替えて
新しくカラーする美容室を探そう。

こうやって文字にしていくととても落ち着く。

さて!

帰ってきた父

お盆中、父は福岡の実家に行っていた。
そしてたった今帰ってきた。

プーップーップーッ!
高いこの音は父の仕事用の軽トラックが
バックする時になる音だ。

この音がやけにまぬけな音に聞こえるのは
父が運転していると知っているからなのか、
それとももともとまぬけな音なのか。。

そんなことはさておき。
実の父にそんな事をいうなんてと思う人も
いるかもしれない。でもそういってしまう、
思ってしまうような人なのだ。

小さい頃可愛がってくれたこと、養って
きてくれたことには感謝しているが本当に
父は尊敬とは程遠い人だった。

昔からお酒とタバコが大好きでタバコは
一日に二箱吸うヘビースモーカー、お酒も
かなり飲みアルコール依存性だった。

外で酔っては喧嘩をし警察沙汰になり、
お財布を落としてきたり、母に手を出したり、
私がお風呂に入っていると酔っ払ってあけて
きたり、嫌なことを言われたり、下品な
ことを言われたりしてきた。

その度に嫌気がさしては悲しくなり、なんで
この人が私の父なんだろうか。そう思っていた。

しかし反面教師で、きっと私はいい人に
会えるだろうとそう信じてきた。
今も信じている。

だけど、やっぱりどこか人を、男性を信用できづらい
部分もあって今の彼に対しても急に不安に
なったり疑ったりすることも少なくない。

半信半疑は良いことだとそう思うの
だが、私は半信半疑でいると急に80%
位疑ってしまうので私には半信半疑
は良くないかもしれない。

人は鏡だって本当に私には痛い位
いつも感じる。

自分が開いていると相手も開くし
自分が穏やかだと相手も穏やかでいる。

そういつもそういう風にいられればいいのに
うまくいかない。

だけど、心を浄化していつでも空っぽの
無心な気持ちでいるときっといつでも
そんな穏やかな自分でいれると信じている。

もう痛い所を隠すのはやめよう。
ごまかすのはやめよう。
ごまかして生きていると痛くなってくるから。

痛くならないために明るい窓をオープンに
生きよう。

この”明るい窓”とは心理のカウンセラーの人が
使う言葉で

”自分でも気付いていて理解
している自分、そして周りの人からみても
そう見える、そう思っている、思われている自分”

とう意味らしい。
これが明るい窓。自分からも相手からも
ズレがないのだ。

この窓をオープンにして生きていると自然と
自分らしく生きれるらしい。

例えば自分にとってはマイナスな部分で
隠したいことでもそれを隠さずにオープン
にしてしまうのだ。
自分をよく見せようとしたりかっこつけると
いけないということ。

例えば手が震えたってなにがいけないんだくらい
の気持ちでいること。

そして”暗い窓”とは周りも知らない自分も
知らなかった新たな自分。

これは、無意識の世界にいる自分らしい。
この無意識でいる時の自分には色んな
才能が発見できるチャンスだとか。

この無意識に気付くと成功する人も
多いらしい。

人はほぼ、無意識で生活しているが緊張症
だったりするとこの無意識がどこかに
とんでしまう。

私からすると無意識とは自律神経が安定
していることだとそう思う。

今日もどこか遠くの空から花火の音が
聞こえてくる。

今年花火まだ見ていないなー。
夏らしい事もしてないけど、夏はまたくるし
まいっかと
そう思える落ち着いた夏の夜だった。

私が地下鉄が好きな理由。

実家の最寄り駅からは地下鉄も出ている。
私はこの地下鉄に乗って近くのある駅に行くことが
好きだ。

馴染みのある街ということもあるが何より
地下鉄がやっぱり好きなのだ。

地下におりていくと落ち着くという事と
雰囲気、あとは暗い所をずっと走っていて
ところどころで地上に出て明るくなる所。

それで空が綺麗だったりしたらもうとてもいい。

ずっと暗くても明るくなる時もある。
多分自分の心とかけているんだと思う。

あともう一つ、乗る時は地下に降りていく。
そして到着駅に着くとまた登るのだ。

これも心とかけていて、降りていってもまた
登るということだ。
別にこれはポエムっぽくして自分に酔っている
わけでもなくただ本当に思って感じている
コトなのだ。

さて降りるとこまで降りたし到着したのでまた登ろう。

最悪で最高すぎる一日

そう今日は最悪で最高すぎる一日だった。

結論から言うと、半年付き合った彼と別れた。
証拠?を見つけ私から話を切り出したが、まぁ1ヶ月ぶりに
会ったあの人は他の女性と大人の行為をして
いたのだ。

ずっと会っていなかったが、プロ野球の観戦
のお誘いでその観戦の前日に一人暮らしの
あの人の家に泊まって次の日そのままいこう
という話になった。

正直、野球は全く興味がなかった。
でもとりあえず楽しみ!みたいに送ってお
いた。

泊まる日も何も予定がなかったので、早めに
いって夕食でも作り待ってようかなと思った。

ただ、この時にわたしは彼のためにつくりたい!
とかそういうピンク色の気持ちは全くなかった。

泊まりに行く前日にその意思を伝え、文面では
楽しみと言っていた。

彼は次の日仕事だったのだが、オートロック式で鍵がないと入れないので
入れないので職場の駅まで鍵をもらいに
行った。久しぶりに会ったのに私はあまり嬉しく
なかった。違和感、誰この人って感覚。

結局この鍵を渡される直前の連絡の取り合いで
何が食べたいか考えてるから始まり、途中で
焼き肉食べたいと言い出し最後は外に
食べに行くことになった。

なんなんだ意味不明、ていうかご飯つくらなくて
楽でいいけど私の意見は?思いつつまぁ久しぶりだしなと
割り切って考えていた。

鍵を渡され私は隣駅のあの人の家に向かう途中
、とりあえずファーストフードに入りナゲットとコーラ
を注文する。

まったりしながら、この街やっぱ面白い人
たくさんいるなとおもいつつ過ごした。

この店は、以前妹が働いていた所でなんとなく
話は聞いていたのでここにいることが不思議な感じだった。

食べて一服してから、何か買ってく?という
問いかけに対しアイスが食べたいと返答が
来たのでアイスを買って家に入った。

久しぶりに来たこの部屋の匂いが少し
懐かしかった。

暑いのでひとまずクーラーをつける。涼しい。
部屋を見渡す。部屋着のズボンが一着床に
ぐしゃっとおいてある位で男の人にしては
綺麗になっていた。

洗濯物がたまっていたので、洗濯でもするかと
手を触れる。なんか、、臭い。

放りこむようにいれとりあえず回しておいた。
よし完璧。

暑かったのでお水頂く。冷たい。

そしてベランダに出た。
8階ってやっぱ高いなーと思いながらもわっ
とした空気の中タバコを吸った。

暇だなーと思いながらうろつくと、ベッド
の脇に隠してる?落ちたのか?何やら物が
たくさん入ってる様子のショルダーバッグが
あった。

なんでしょうか。なんとなくそれに手がのびる。
いけない、いけないと思いつつも手が気付いたら
チャックを開けていた。

...なんかたくさん入ってる。

折り畳まれた新聞紙
レシート
書類?

そして2名の元カノからのポストカードが二枚

赤いグロス

きた。笑
カードは過去のコトだとしてもなぜグロスが?
元カノのならまだ持ってるなんて気持ち悪い。

あと数週間前の日付のディズニーランドのレシート。

そして何故それがあるバックを無防備に
置いていたのか。

疑った私は少しあいてる引き出しに気付いた。
そう、この引き出しには避妊をするあれが
はいっているのだ。

それは知っていた。

見ると12個入りの箱が二つ。
一つなくなっている。もう一つ目も数個
なくなってる。
私はこの部屋でそんなにしていない。

もうこれは完全に女の勘だ。
この部屋にいることが気持ち悪くなり
一度外をでてカフェに入り仕事帰りのあの人
を待った。

朝が来た。夜明けから朝になった瞬間が久しぶり
でカーテンをあけ外をみるととても綺麗な
空だった。

外の原っぱでは猫がゆったりと歩いていた。

スッキリしていて悔しくて馬鹿らしくてたくさん
ないたが、友達にも家族にもたくさん話せ聞いてくれ、
後悔が全くなく、あれから
全ての物に色があることを久しぶりに感じた。

今ではこの随筆のネタを作ってくれてありがとう
とさえ思っている。

最近は色が分からなくなっていたけどやっと
戻ってきた。自分も。

こんな日に夜明けから朝になる瞬間を迎えられて
よかったと思う。

私にもまた朝がきたのだ。

あの人との話はまた次回へ続く。

悪い夢から覚めたような

昨日は朝五時に寝たのにも関わらず
朝10時過ぎにいい目覚めができた。

やっぱり昨日は目を瞑るとあの記憶が
、あの顔が言葉が匂いが鮮明に思い出された
が何故だろう。

すごくスッキリしている。
頭も心も体も。

悪い夢を見ていたんだと。いい場面もあった
けれど、そう悪い夢からやっと覚めたんだ
と思える。

人生取捨選択が必要だ。要らないものは捨てる。
必要な物を拾う。

あの人と私は気付かない内にお互いにどこ
かしらを利用してそして過ごしてきたんだ
と思う。

あー「1回ヤッちゃった」のあの苦笑い
不細工だったな。
思えば私はあの人とキスをする時にとき
めいていただろうか。
する前の相手の顔をみて心で気付かないふり
をしていたけど嫌悪感が少なからずあった
ような気がする。

昨日は終わって10分後に全て消し拒否した。
写真もLINEも電話番号も。実際写真なんて
全くなかった。そんなものだったのだ。
本当にそれくらいのそれだけのものだった。

私にはもう必要ないものになった。

家に帰宅してからそうだ、思い出の物を
捨てようと思った。

これだけか。
少し笑えた。そして捨てた。

昨日は人生で壮大なコトのように感じる
瞬間があったが昨日の出来事なんて25
年間生きてきた私にとっては、もうなん
だろうか。

米粒くらいのもんだ。

今は目の奥深い所の汚ないものが取れた
感じ。

さてこれからどうしようか。
またこのことについてはネタになるので
使わせてもらおう。

包丁を研いでみたりなんかして

”取捨選択”

そう不必要な物は捨て必要なものだけを
選択すること

今朝起きて一番最初にしたコトはスマホの
ホーム画面の整理とそしてアドレス帳の整理。

ホーム画面を見ると使ってないような
意味わからないようなものばかりで散らかって
いることにやっと気付いた。

必要なものだけを集め画面ごとに分けた。
アドレス帳も死ぬまで連絡をとるコトがない
とわかる人は全て消した。

それから掃除をしながら、水周りを綺麗に
してみたりカーテンを洗濯してみたり普段
やらないことをやってみた。

一番スッキリしたコトは叫びながらダンボールをビリビリに
破いたコト。
そして歌いながら包丁を研ぐと凄く気持ちが
よかった。

これはオススメ。
おかげさまでストレス発散方法をたくさん
見つけられそうだ。

お風呂に入ってお買い物にいこう。
洗剤を買って洗濯をしよう。
また真っ白にしよう。

食欲復活

きたきた食欲復活!
昨日は全くなかったがやっとお腹すいてきた

これでもう大丈夫

生きていける

ジブリの世界?

少しずついい方向に向かっている気がする。

今日はバルーンの仕事の面接が朝から入って
いたので久しぶりに早起きをした。

この仕事はバルーン、そう風船を平日に
アレンジしたり作成して休日結婚式場で
飾って演出するというものだった。

なんとなく好奇心で応募してみた。
もう今までのように面接最初からいいように
みせようとせず自然体でいようとおもった。
そしていい意味で期待もしない。

それがかえってよかったのかもしれない。

生まれて今までどの駅でどの街にいっても
こんなコト感じたことはなかった。

電車が駅に着いた瞬間に感じた。
すごく落ち着く。それは改札をでて街を
歩いてからも同じだった。落ちつく、初めて
きた気がしなくて本当に故郷にかえってきたかのような
錯覚に陥った。

そしてトイレも駅もとても綺麗で人も少ない。
緑もたくさんあってすれ違う人が穏やかだった。
駅から徒歩8分ということで、携帯の地図アプリ
を利用しながら目的地まで歩き出した。

真夏なのでとても暑く、五分程歩くと途中自動販売機が
あり灰皿も設置されていたのでミネラルウォーター
を買い、一服した。

とても落ち着いている住宅街をセミの音を
聞きながらまた歩き出す。

また数分するとやっと辿りついた。
どんな建物かもわからなかったし、まだ
お店が完成していないので分かりづらかったが
見つけた。

わかった理由は建物の入り口に木のイスが置かれて
いて、目印かそこに青い一つの風船がつけられていた。

やっと見つけた。とても可愛かった。
こんな住宅街の中になんと表現すればいい
のだろうか。
木で作られたログハウスのようなアトリエの
ようなオシャレなでも落ち着くまるでジブリの
世界にきたようなそんな所だった。


ここは以前レストランや結婚式に使われていた
ようで中もとてもオシャレだった。
壁はところどころコンクリートになっていて
地下もあり二階もあった。中は外からも見えるように
なっていた。

ドアも二つあり、どこから入ればいいか
中を覗くとまったりした温厚な男性と
目があった。

人がいた。よしここから入ろう。
大きなドアをあける。挨拶をする。
電話と同様ほんわかした人で安心した。

中は以前レストランをしていた時の荷物や
バルーンアレンジで使われるモノたちが
置かれていた。

本当に素敵な建物だ。
1階にはこの内装には似合わないコピー機が二台と
木の大きい机、アレンジ材料や大きな
オブジェ、風船を膨らます巨大なヘリウムガスの
ボンベやオシャレなものたちがあふれかえっていた。

地下はこんな真夏で冷房もつけていないのにも
関わらずとてもしんと冷えていた。地下は全面
コンクリートになっており、二階まで吹き抜けの
のつくりになっていた。

それに比べて二階はエアコンが壊れている
ということでサウナのように暑かった。
この差がもう面白い。

中を見学させてもらってもう一人応募してきた
面接の女性がきたので、二人で面接が始まった。

バルーンのアレンジを平日にして土日に
飾るという仕事だった。

面接も終わり駅へ向かう途中綺麗な花があった
ので写真を撮った。

花が綺麗にみえる。
空が綺麗にみえる。
緑が優しくて風が気持ちよかった。

駅に向かう途中に私と同じ名前のみほのアトリエという
お店があった。
面白いなーと思いつつ、駅に着いたが暑すぎるし
どこか休める場所を探していた所駅のすぐ
近くの地下にある昔ながらの喫茶店を発見した。
ランチもやっていてお昼時だったので迷わず
地下に降りていった。

ドアをあけるといい雰囲気、まさにジブリ。
キッチンにはコック服をきたおじいちゃんと
ホールにはエプロンをしてメガネをかけ髪を
しばっている40歳程だろうか、、の女性がいた。

愛想がいいお店ではなかったが私には
ちょうどいい。

店内には縁起のいい物がたくさん置かれていた、
招き猫
ガネーシャ
天使の置物

音楽も80年代の洋楽を流していて喫煙も
可能でホームメイドのケーキ達がショーウィンドウに
並べられていた。

わたしはカニクリームコロッケランチを
頼んだ。
それがでてきた時何故か嬉しいような懐かしいような
気分になった。
なんだろう。地下だからなのか、この雰囲気
だからか、今までのことを

これでよかったんだよと言ってくれている
ような気がした。

食後にはアイスコーヒーが出てきた。
一服して出た。

美容室にいこうとおもい予約をして夕方にいれた。
それまで美容室がある駅をぶらついた。

自分磨きのものたちを手に入れ、トルコの
お店があったのでそこで母と妹と私分の魔除けを買った。
目がたくさんついているキーホルダーだ。

怖くはなくわりと愛着が湧きそうなものだった。

そして美容室で髪をそめそろえてもらった。
いい気分で帰宅。

ばるーんの仕事も受かり、来月からの
勤務になった。アレンジに加えて披露宴の
演出にも携わらせてもらえることになった。

全て終わった。
始まる。

自分に戻れ自分に戻れ

大切だった宝物だと思っていたものが嘘だったと分かって
私が私に戻ったようなまた私がわからなく
なったような気分。

やけになっていると言われて気付いた自分。

それさえも気付けなかった自分。
寂しさを初めて知った自分。

この寂しさはなんだろう。
やけになってはいけない。
自分に戻れ自分に戻れ。このままだと
理性が保てなくなる時がきそうだ。

あの人みたいに。
それは同じになってしまうから。
ちゃんと自分を持たなければ。

また仕事が始まればこんなこと考えずに
すむだろう。

動動動動

悲しい時は悲しんで
泣く時は泣いて
怒る時は怒る
寂しい時は寂しいと言って
叫びたい時は叫ぶ
楽しい時は笑う

自分本位の考え方をしないで常に
立脚点を相手の方に

これはカウンセリングの先生に教えてもら
った事

確かに立脚点を自分の方に置いていると
自分本位の考え方になってしまう。
相手の方に置くことは思いやりをもち
相手の立場、状況を考えられるように
なることかもしれない。

くだらないことを考える時間はもう捨てた。
現実逃避するための睡眠ももうやめる。

動いて動いて動いて
色んなものをみよう。
色んな人を知ろう。
色んな所に行こう。

誰かに連れられてじゃなくて

自分の足で。

あばたもえくぼだった自分にさようなら。

自分は自分でいいということ。

当たり前な事なのにそれが分からなかった。
でも、それが最近少しずつ分かってきた。

良くも悪くもこれが全ての私だった。
そんな自分を全て見せていいって事。
偽る必要なんてないって事。
人と違っていいって事。

無理やり楽しく生きようとする必要なんて
なくて、自分が良ければそれでいいって事。

自分が自分でいれる時間をたくさん作って
自分が自分でいれる人と会って
自分が自分でいれる場所にいって

そうやっていくことが一番心地よい。

たまに思う事がある。もし、幼少期から
例えば元気な子だったら、今どうなっていたか。

仲間がたくさんいたかもしれない。
すごく楽しかったかもしれない。

けど、こうやっていろんなコト考えられる
自分ではなかったかもしれない。いろんなコト
に挑戦する人生ではなかったかもしれない。

だから、私は私だった事を後悔しない。

でも、やっぱり人の人生をいいなと思うコトも
ある。たくさんの仲間がいて、BBQやビアガーデン、
海やスノボー、ドライブやホームパーティなど。。
でもふと思った。私はそれがしたいのか?
したくなかった。

この人生の私というこのキャラクターは
たくさんの人の中にいると疲れるのだ。

もしかしたら生まれ変わって人格が全く
違う人になるかもしれないし、もしかしたら
この人生で何かが変わって急に大人数が好きになって何かで
仲間を作りたいとおもうかもしれない。

だけど私は私でいいと今は70%位思える
ようになってきた。

扇風機の風が心地よい。

一週間経ち思った事

別れて一週間経ち、少し色々気持ちも落ち着いて
思えるようになったコトと、彼に言いたいコトは
全部ひっくるめて最終的には結局

”ありがとう”だった。

一日目は混乱と悔しさと惨めさそして泣き晴らした。
二日目は馬鹿らしさとでも悲しさもあった
三日目はようやく落ち着いたが夜泣いた
四日目は腹立たしい気持ちと見返してやる気持ちがでてきた
五日目は自分の好きなことができる余裕ができた
六日目はようやく泣きたい気持ちがなくなった

そして一週間経った今、彼に対しての怒りや
悲しみ、寂しさや憎しみ、不信感全ての感情
を感じ終わり、ありがとうとそう思ったのだ。

半年やそこらかとおもうかもしれないが、
初めての付き合い、そしてそれが勘違いでも
ずっと一緒にいるかもしれないと思う瞬間さえ
えあったのだ。

そんな相手の一度の過ちで相手を憎み裏切られた
と嘆きながら生きるよりも

ありがとうって思うコトの方が素敵だと
思うようになった。

後悔しているコトはないけど、最後に元気でね
と言った時にありがとうと言えばよかったと
思ったコト。

ただ、あの時彼は何も言わず

「ごめん、わかった」と言った。
この時もう少し何か言えるような相手を
次は探そう。

百歩譲ってもしかしたら放心状態になって
いたのかもしれない。

しかし、この時この言葉しか返してこなかった
幼稚な彼にまた会いたいとはとうてい思えなかった。

面白いことに、別れる当日彼に会いにいく
途中にメールのやりとりでふざけて私は
「ごめんねよりありがとうがいいな」と
いっていたのだ。結局最後に言われた言葉は
ごめんねだったけど、この時も本当はありがとう
と言って欲しかったと正直思う。

たくさんの初めてをくれた彼には感謝している。
傷付いたから人に優しくなりたいと思ったし、
心なしか強くなれた気がする。

ありがとうと感謝してる。幸せになってほしい。
でも一つだけ言えることは、、

彼より私の方が100倍幸せになるだろう。
ということ。

あのさよならした日一ヶ月ぶりに会った。

会社から鍵を駅まで持ってきてくれて渡された瞬間も

その後メールで久しぶりに会って緊張したと
言い合った事も

前髪短く切って可愛くなってたといってくれた事も

彼の好きなアイスを買って洗濯をしてあげようと
思ったことも

不信感を抱いたあの瞬間も

その後会った時ぎゅっとしてと言われて形だけ
した後に冷たいと言われた事も

最後にご飯を一緒に食べてお酒を飲んだ事も

帰ってから話して悲しい空気が漂った瞬間も

最後ドアの前まできてくれたことも

その時私は彼の目を見ないで元気でねと
言ったことも

全てこれでよかったんだと今は思える。

今までありがとう。
私がご飯を食べて美味しいとはにかんだ時の
あなたの笑った顔が一番好きでした。

いつか偶然どこかで会ったらもったいないこと
したと思えるようなそんな女性になって
います。

悪いことは全て浄化して良いことだけを
連れてまた見つけにいこう。

さようなら。

雨の雫で光る葉

夏も終盤にさしかかっている。
最近は雨ばかりだ。まるで雨がもう夏は
終わりだよといっているかのよう。

最近は掃除が楽しくてしょうがない。
心がスッキリする。

今日は本屋で一冊の本を買った。
私はよく恋愛ものを選ぶ。

そして雨の中傘をさし、歩いて音楽を聞きながら帰る。

途中、雨の雫がたくさんついて光っている
葉っぱ達を見つけた。ライトが丁度当たっていて
とても綺麗だった。

私は雨の雫で光る葉っぱが好きだ。
凄く綺麗で見惚れる。

運動不足だったので久しぶりに20分ほど
歩いて軽く汗をかくと、とても気持ちよかった。
やっぱり運動は必要だ。

目に輝きがでる。

運動しよう。

誰でもいいから

誰でもいいから連絡がとりたかった。
別に会いたい訳ではなかった。

ただ、私の事を褒めてくれる優しい男の人に
連絡をしてあの人の事を思い出す時間をなるべく
無くしたかった。あの人への当てつけでも
あったかもしれない。

例えば浮気をされなければこんな気持ちには
ならなかったかもしれない。

ただ誰でもいいというわけではなかった。
あの人とは逆なタイプのたくさん質問して
くれるような人がよかった。

あの人は自分の事しか見ていなかった。
嘘でもいいからあたしにも少しは興味
を持って欲しかった。

別れてから連絡をとっている男の人は年齢は
二つ上の人で数年前街コン。いわゆる街で
行われている巨大合コンで知り合った人
だった。多分今までの人生で一番褒めてくれて
そういう気持ちも一番ダイレクトにつたわって
くる人だった。

だからあたしは連絡をしたのだ。
「最近街コンいってますか?」と。
街コンの話なんて正直どうでもよかった。

それからまた連絡をとるようになり、色んな
話を聞いてくれた。

仕事は制御装置という機械の設計をやって
いるそうだ。

一度飲もうとなったがあたしはやはり、いけない
とおもい断った。

でも、情けないかもしれないけど少し心が
救われている気がして楽になれた。

俺なら絶対浮気しないけどね!と
もし嘘だったとしても聞きたかった言葉が
聞けて嬉しかった。

もうただそれだけでよかったのだ。

操る

脳を体を心を操るんだ。

人間は繊細で壊れやすそうだけど、実はとても図太くて強い。
体にできたカサブタもアザだって気付けば
いつのまにかすっかり無くなっているのだ。

操る操る。自分の都合の良いように。
せっかく生きるならなら良いように考えながらポジティブ
に言った方が断然良いに決まってる。

また新しい日々が始まる。
早起きをして早く寝てご飯を食べてお仕事をする。

たまに友達と会ってお話をしてお酒を飲んで
ご飯を食べる。

お金を貯めて好きなことをする。

今の目標は、スキューバダイビングをすること、
免許をとること、旅行にいくこと、作ったこと
ない料理をすること、自分を磨くこと。

上手に取捨選択しながら。
操りながら。

無題

もしかすると私は自分に都合がいいように
、彼のせいにしてさようならしたような気がする。

たった一度の過ちを許せなかったんじゃない。
それで信じれなくなったんじゃない。
過去の手紙を見て不信感を抱いたんじゃない。

私は心の奥で一緒に居る時いつも不信感と
疑問を抱いていたのだ。

彼の一瞬の表情や、振る舞い、ある時の彼の
周りに漂っている空気感は何とも言い表せない
不思議な異様な感覚があった。

2人で居ても心此処にあらずは私だけでは
なかった。

彼が浮気をしたことによって、内心ホッと
していたのではないか?
やっと別れる理由ができたと。

謝らなければいけないのはもしかしたら私
だったのかもしれない。

一緒にいたことによって何か彼にあげれた
モノはあっただろうか。
もっと何か言葉を伝えてあげればよかった。

本当はきっとお互いに心も歩み寄りたかったのに
2人でいながらもごまかしながらなんだか
半年間過ぎたような気がする。

隣に居るのに、近いのに遠い。
遠くにいてもLINEのやりとりで近いと勘違いする。

文にスタンプにほだされる。

本当に信じなきゃいけないことは、見なきゃ
いけないことから目を逸らして。

相手の私を見る目はどうだったか。
行動はどうだったか。
私の気持ちを尊重してくれていたか。

でも、ごまかそうとしていたのはほとんど彼だった。
それに私は合わせるように繋がっているふり
をしながら何処も繋がってなんていなかった。

そこにあなたの心はありましたか?

寂しさを感じた夜

あれから、夜家に一人でいる事が初めてだった。
なんだか凄く寂しさが襲ってきた。

家に家族がいることの大切さ忘れていたかも
しれない。

こんな風に寂しさを感じるのはきっと
付き合っていた安心感を知ってしまったから。

寂しさを知らなかったのはそういうことが
なかったから。
今まで知らなかった。

でもこの気持ちはとても大切だと思った。
わたしもちゃんと人並みの感情がある事。

寂しいけどこの寂しさを乗り越えた先に
何かありそうなそんな気がする。

NO RAIN NO RAINBOW

私には数年前から、未だ数回しか会っていないが
メールでよく相談に乗ってもらったり、色々な
な話を聞かせてくれたり教えてくれるお兄さん
がいる。

その人との出逢いは、SNSだった。

友達のページから飛んで飛んで何故か
その人のページにたどり着いたのだ。
プロフィール写真が犬を撫でている後ろ
姿だった。その後ろ姿がとても優しく
あたたかく感じたのだ。

そしてなんともいえない雰囲気がかっこよかった。

プロフィールを見ると年齢は違うがなんと同じ誕生日
だったのだ。

私は迷わず友達申請をしてしまった。

その後Sさんが私にメッセージを
くれていたことに気付いたのは、それから
半年経った頃だった。

SNS内でメッセージのやり取りをしていなかった
のでメッセージは放置していた。

でも、ある日なんとなくメッセージを開き
迷惑メールという所を開くと1通の見たことある
プロフィール写真の人からのメッセージが。。

そう、Sさんからメッセージがきていたのだ。
内容は

「初めまして、知らない人からの友達申請は
断っていましたが、同じ誕生日なんですね!
笑 単純なんでOKしてしまいましたー!もしかしたら
間違って友達申請のボタン押されたのかもしれ
ないけどよかったら宜しくどうぞ」

というものだった。

私は嬉しかった。それから、間はあくものの、
お互い長文のメッセージのやりとりを
今まで数年間続けてきた。

仕事は個人でデザイン会社を経営していて
色々なデザインを手掛けている人だった。

この人の言葉はいつも綺麗で繊細で素敵だった。
メッセージでくれる言葉にいつも励まされていた。

一年ほどメッセージを続けた所で会ってみよう
というニュアンスをくれたので会ってみた。

第一印象は、凄く柔らかい人で雰囲気でとても
優しすぎる声だった。

お酒を飲んでご飯を食べた。

初めて会ったとは思えなかった。
でもなんだかんだそういう関係にはならず
その後二回程会っただけだった。

私に彼氏ができた時も喜んでくれ、
色々話を聞いてくれた。

そして、別れた事もメッセージで告げると
返事遅れてごめんね、何て送ろうか考えて
いたら遅くなっちゃった。
ときた。

そう、私が欲しいのはこういう事なのだ。
言葉ではなんとでもいえるけど、私が大切な
話をした時にちゃんと向き合ってくれて
考えて言葉をくれる。

こういう事だった。

この人はある言葉を私にくれた。

「NO RAIN NO RAINBOW」

止まない雨はないという言葉があるが
この言葉の意味は

「虹は雨が降らなければできないよ」

私が欲しい言葉だった。

濁っていた目の汚れがとれ、
世界がまた綺麗に見えるようになった。

自分が人に与える影響力

自分がおもっている以上に自分が周りに
与えている影響力は大きいんだと感じる日が
あった。

数日前、高校時代の友達のCという女の子と
久しぶりに約束をして2人で会った。

この子はとても明るくよく喋る女の子
だった。しかし、久しぶりにあった彼女は
躁鬱になっていて薬漬けの日々を送っていた。

そして手が震えていた。

私はこの子が喋る言葉に対しずっと明るい
言葉を送っていた。多分自分自身に言い聞かせて
いる所もあったと思う。

そして話をたくさん聞いた。

彼女は言った。

「みほの表情いいね、なんか鏡みてるみたい。
月1でみほに会いたい、そうしたらなんか変われる
気がする」

私がいることで、私の言葉や表情で誰かが
救われる事ってどんなに素敵なんだろうと
思った。

私はこの日強く、優しい人になりたいと思った。
それと同様私は自分が人に今まで与えてきたもの
を反省した。

自分が人に与える影響力。
自分の心の弱さゆえにどれだけ、周りの人に
嫌な思いをさせてきたのか。

もう少し上手くできなかったのか。
反省した。

だから人は自分次第だと強く感じる日だった。
私が強く元気に楽しく優しくいることで
周りの人にいい気を送ることができるなら
全ては自分自身なんだと思った。

九月になりますね

今日で八月も最後。
夏の終わりの匂いを感じる。

そして明日から九月。
バルーンの仕事が始まる。また始まる。
ようやく、やっと始まる。

仕事楽しもう。

別れてから何も仕事なくて少し辛かった。
仕事が救ってくれることもあるなと痛感した。

また朝起きて規則正しい生活をしよう。

最近似たような車を見ると目で自然と追って
しまう。もしかしたらあの人のかもって。
大きい黒い車がいるとついみてしまう。

でもこれはもう、しょうがないことだと割り切る
しかない。

明るくいくんだ。
未来は明るい。

歯ぎしりマウスピースをかって

私は高校生の時一度顎関節症になった。
多分あれは顎関節症。

おせんべいを食べる時大きな口を開けた途端
顎に痛みが走り、その後少し口を開けるだけで
激痛が走ったのだ。

その時病院に行き、塗り薬と飲み薬を処方
してもらいなんとか口が開くようになり、ご飯も
食べられるようになった。

それまではお豆腐や柔かいものしか食べれず、
本当にギャグだが丁度口が開かなかった時
が誕生日だったのだ。

誕生日に茶碗蒸しを食べた。。笑
どうしてもお肉が食べたくて頑張って
食べたらものすごく痛かったのを今でも
覚えている。

そして、あれから10年口も開くし痛みは
ないものの、顎に違和感がありとても疲れる
日が増えた。

ストレスがある時歯を噛み締める癖や寝ている
時も噛み締めているらしく、起きた時に痛みが
ある。

なので今日私は遂にマウスピースをゲットした
のだ。薬局で990円なり。

ご存知の通り、マウスピースとは歯ぎしり防止
や歯を噛み締めてしまう人が寝ている時に
装着する柔らかい口に入れる物体だ。

さあこれで効果がみられるだろうか。
顎関節症予防の顔体操とダブルだ。

頑張れ私の顎!!

無題

誰かと繋がりたいけど繋がりたくなかったり

誰とも繋がってないと思ってたら繋がっていて

繋がっていたと思っていたのに実は繋がっていなかったり

誤解の繋がりによって本当に大切な繋がりを忘れたり

入口が何処か分からないから出口に辿り着かない

今どこにいるのかどこにいけばいいのか分からないから
誰か教えてほしい

だんだん臆病になる自分がいて一歩出しづらく
なってきた

これで合ってるのかまた同じ繰り返しか

どこにいけばいいのかでも早くしなきゃ
考えて考えて前頭葉が重たくなる

お疲れやっときたねここだよっていってくれる場所や人は
どこなんだろう

とりあえず繋ぎでも次が決まれば少し
気分も楽になるはず

今ホントに余裕がなくていけないな

早く虹が見たい

表現者と自己満足者

無意識と意識
魅せる時と魅せない時

人は意識していると魅力的な時と無意識で魅力的
な時があると思う。

魅せる時と魅せない時もまた同じな気がする。

わたしは自己満足者だ

妹がこのブログを見てくれているのだが
、相手が面白いと思うような、知らない人が
見ても面白いと思うような起承転結がある
といいかもねと言った

確かに知らない人が見たらなんのこっちゃだ。笑

ただ、一つ言える事はこれを続けているのは
自分の為であって誰かにみてもらいたい欲が
全くないのだ。

本当に自己満足しているだけ。
恐らく知らない人が見ても面白いのを書こう!
と思っていたらもうこの先ここに残して行く
ことはできないと思った。

そうこれは単なる趣味であって自分が精神的
に落ち着くものでもある。こうやって文を残して
おくことによって私が生きていたことも残る。

随筆なのかポエムなのか日記なのか分からなく
なってきたけど私はそんなものもアリなん
じゃないかと思う

こんなものもあっていいし、こんな人がいても
いいのだ

随筆を書こうと思ってポエムになってしまって
そこから日記になって最終的に小説になっても
面白いんじゃないかとさえ思ってしまう。

まあ恐らく面白いとおもうのは私だけ。

妹は幼少期からダンスをやっていて、ダンスコーチ
をしながらバイトをしたりレッスンをしたり
イベントに出たりしている

妹は表現者だ

だから嫌な意味じゃやく私のこういう気持ちは
多分あまり分からないきがする

魅せなくてもいいと思っているところ

ダンスは表現して魅せてなんぼだと思う
表現者はすごい。自分を魅せる事が上手だし
それを形に表せる事がとてもうらやましい。

ダンスはできないし素人だが、ただ一つ思うのはダンスのイベントをたまに
見にいった時やはり魅せすぎている人と意識
しすぎている人の踊りには魅力を感じないということ

これは、勘違いかもしれないがもしかしたら
どこにいてもただ歩いているだけでも、共通することで

あまり見られている感が強いと魅力を感じない
ような気もする

例えば、ステージの上に立っていても観客がいること
さえ忘れ我を忘れて踊っていたらもしかしたら
それが一番魅力的に映るような気がした

これってダンサーにも演劇にも歌手にも
全ての表現者に当てはまる気がする

フードを被ると落ち着く

フードを被ると落ち着く
守られている感じがするから

今から宇宙に飛び立ちたいくらいな気分

こんなにも自分が何処にいけばいいのか
何処に自分がいるべきなのか
居そうなのか全く分からない人っているものなのか

こんなフラフラしているのももうそろそろ
終止符を打たなければいけないのもわかってる

きちんと仕事をしてそしておわったら頑張った
ビールを飲むんだ

この社会の何処に自分の場所があるのかも
分からなくなってきて

これからきちんと生きていかなきゃいけない
事も分かっている

きちんと生きてこなかった分をこれからはきちんと
生きて普通の人になるんだ

もうじき26歳になるしこの年齢になると
同世代の人達は結婚出産も多くなってきた

今の私からするとなんでみんなそんな大変な
事しようとするのと思ってしまう

人生いつなにがあるかわからないから
私もどうなるかは分からないけど

嘘の温かさもあるんだ

嘘の温かさなんていらない

自分が温かくなりたいだけの子供じみた温かさも
自分の空いた穴を埋めたいだけの温かさなんて
もういらない

私は相手に温かくなってほしいから
温かくしてあげるね。ついでに自分も温かく
なっていい?って人になりたい。

「次の段階がきたな」

人生とはなんと面白いものだろうか。
やっぱり家にいるのはもったいない。

どう動いてもうまくいかなくなって求人さえ
見るのも嫌になりたくさん面接入れては
キャンセルを繰り返し、履歴には色々な企業からの
着歴や留守電の嵐。

もうどこがどこだか収拾つかなくなって
わけがわからなくなってきて私は寝た。

そう昨日は恐らく18時間は寝ていた。
とにかくこの日だけは世界とオサラバしたかった。

そして起きてからある派遣会社に電話をし
明日面接の予約を入れた。

派遣会社は毛嫌いしていた。
交通費出ると書いてあるのに結局でないとこ
ろばかりだったり、嘘くさいスタッフ達が
いるところばかりみてきたからだ。

しかし今日行った派遣会社は違った。
渋谷から10分位歩くとその会社はあった。
受付もしっかりしていてきちんとした企業
の雰囲気がでていた。

奥にある個室に通されそこで応募シートで
個人情報などを書いて担当者の方を待った。

書き終えると一人の若い男性がきた。
第一印象は何かやばそうな仕事してそうな
イケイケの人、頭きれそうで仕事がすごい
できそうな雰囲気。

そして金の婚約指輪をしていた。
金のをしている人は初めて見た。

喋り始めるととにかく陽気で面白くて
おちゃめだった。

私の職歴を見てその眼科にいっていたようだ。
そしてこの人は私に幸せオーラが出ていると
行った。

とにかく褒めてくれてまあ半信半疑が
いいと思うが、一緒に仕事したいといってくれた。

この派遣会社の社員でもなにか募集あったら
声かけるよともいってくれた。

仕事の話の合間にも他愛もない話をたくさん
した。

結論からいうとこの人はめちゃくちゃ遊んで
きたらしい。
昔の彼女がいたときもたくさんの人と浮気したり
その次できた彼女には浮気されたり結婚しよ
うとおもっていた人を裏切ったりしたとか。

その後次の段階がきたなと思ったらしい。
変わろうと思ったときにいい出会いはある
よ、その後に出会った彼女が今の嫁さんで
毎日愛してるよっていってる、大好きだから
といっていた。

遊びつくした人が一途になる意味が初めて
分かった気がした。

前の人が浮気をしたことを話すと井上さん
が幸せになれないはずないよといってくれた。

そういう人と出会って別れたら次はそういう
人には当たらないようになってるもんだよと。

渋谷遠いなーと思ってたけどこの人に会う
為に、この人から前向きになれる素敵な
言葉達を貰う為にここにきたんだと思った。

この派遣会社で紹介された職場で働きながら
少しパソコンの勉強もしてみようと思った。

この派遣会社で受付や事務の紹介もしてくれる
可能性もあるといってくれこの会社の雰囲気や
人の雰囲気がよかったのでここで働いて
みたいと少し思った。

その為にやはりパソコンは出来た方がいいから少し
勉強しておくといいよといってくれた。

転職活動をしていると伝えていたので
次は何の職を探しているの?と言われたので
受付か事務です。と答えた。

ちなみにこの人は今まで8回程転職したらしい。
アパレル、建築、自分で会社立ち上げたり
事務をしたりして最終的に派遣のコーディネーター
になったそうだ。

天職だよと目をキラキラさせていた。
本当にこの人は人が好きなんだなと思った。
よくいう出会った人皆友達というのは
この人の事だと思った。

この人なら浮気しても許せるかもと思わせる
位の人だった。

色々遊んで経験してきたからこそのこの
雰囲気なんだろうなと思った。

事務や受付で未経験オッケイというところは
わりとガツガツしているところが多いから
あまりオススメしないよと教えてくれた。

心の奥では分かっていたことでもそれを
直接聞くと目が覚めた。

やっぱり働く場所、人は大切だ。
一緒にいる人によって自分も高められるんだ。

それにはやっぱり自分もそういう人にならなければ
いけないんだとそう思った。
人間的にも、スキル的にも、資格も。

資格を取ろうと最近全く思っていなかったが
この年になりこの人に会い頑張ってみよ
うかなと思った一日だった。

腐敗していた昨日と希望が見えた今日は
同じ一日とは到底思えなかった。

朝起きたら幸せと思うんだ。といったこの人に
私はたくさんの希望とまた濁っていた目を
綺麗にしてくれ自分が歩いていく道が少し
見えた気がした。

私はいつも限界にきたとき誰かに助けて
もらえる。

いつも。
だから本当に感謝しています。

外に出ること。朝起きられることは幸せな事。

また明日も始まることは素敵な事なんだ。

這い上がる

情けない程に容易く墜ちていく私は
誰かに這い上がらせてもらうのではなく
自分で堕ちそうになった時に上手に這い上がろ
うとしなくちゃいけない事に気付いた。

切り替えも大事だし暗く考えればそれは
雰囲気にでるのも分かってる。

今は一つの希望ができたからそれを信じて
明るく考えていよう。

果報は寝て待てという言葉が今の私には
合っているはず。

色々探したし動いてここだと思った次の
場所と人に出会ったからあとは頑張るだけ。

自分がいいオーラを出していないといいことは
訪れない。

今は一旦あれかこれかと探してもがくのをやめてもう一度全て
頭を真っ白にして3日後の面接に控えよう。

しかし秋だ。

服が欲しいし靴が欲しいし何よりお金を
貯めてスキューバダイビングをしたい。

だから頑張る。
そろそろお願い。

人間は少なくとも自分をよく見せたい生き物

人間は凄く汚くなる
だから毎日綺麗にしなくちゃいけない

そして飾る
綺麗に見せなくちゃいけない

人間は本当はとても綺麗なものなのに
生きていくうちにどんどん色んな物が
ついてくる

それは自分で振り払おうとすれば払える
物でもあり、振り払わなければそのあと
ずっとまとわりつくものでもある

振り払わなければいけないものと
身につけなければいけないものを

自分で考えながら吸収して捨てていかなければ
いけないと思う

人間は自分をよく見せたい生き物だけど
よく見せすぎると自慢になる

反対に良く見せないとバカにされる

どっち?

信じる?疑う?
裏切られる?裏切る?
向き合う?逃げる?

もういいやバカでもいいから信じるの
それで向き合わなきゃいけないな

世界は嘘だらけだけどだから上手く回ってる
と思う

自分も含めて皆何かしらの嘘をついて
でも根本的に人間は素敵なんだと思い
ながら生きてる

人間と向き合うのって大変凄く難しい
人と向き合わない15年間だったから
向き合うって言われても正直ピンとこない

だけど向き合わないといけないんだよね

向き合い方さえよくわかんないけど自分の
ままでいてそれで気持ちをちゃんとぶつける
んだよと母が教えてくれた

妹は人を信じすぎないほうがいいと教えてくれた

確かに分かっているんだけど
最初だけでも人を信じるところから始めないと私は
足が踏み出せない。何もできないしどこにも行けない、人が怖くなる

だから私の生きてきた過程からして根本的に人を信じているわけじゃ
ないんだけど生きる為にお金の為に
信じようと無意識に思っているんだと思う

信じたいという気持ちもある

だけど私はそれ以上に信じてもらえる人に
ならなければいけないんだとちゃんと気付いてる

信じて裏切って捨ててきた場所と人は
もう戻ってこない

その場所の時の自分のキャラクター
まるで台本があるかのような演じている
ような気分なんだ

そうしていないとやりきれなかった

喋り方も空気感もしぐさでさえもこれは自分じゃ
ないのに
どっかにぶっ飛んでいるんだよたまに誰かと
いる時でさえここにいる事を教えてほしいと思う

何ミリ単位でいいから少しずつ変わってきている
これからも変われるとそう信じている
けど今までは

私はそこにいた自分さえもそこに捨ててきたんだ

私は普通の人だと思いたくて

私は普通の人だと思われたい
思いたい

私は今でもあの15年間は普通の人じゃなかったと思っている

どうなんだろう
自分のままでいると怖いという思いもあって
少ならからず演じている所はある

あの頃の自分は10代にしてお先真っ暗かと
思っていた

コンプレックスの塊
だから外見だけでも磨きたかった

今もその気持ちは強い
だからちゃんとしているか

少し髪が乱れているだけでも気になってしまうし
外出する時はよくトイレにいって鏡を見る

私の願いはただ普通の人になること
普通にいきて普通に暮らせればそれが幸せ

高望みなんてしない

人といて緊張することや人といることに
よって感じるストレスは多分普通の人より
遥かに大きい

人の目が気になる
視線と動き
今の動き変だったかなとか
不自然な自分が出ている瞬間
人は弱いものや弱い心を見抜く力がある
その弱さはは雰囲気にでてしまうのだ

それにつけこんでくる人は少なくない
だからタフにある意味妥協しながら力を
抜きながら生きることは大切だと思う

誰かの歌で人生にレシピなんてないんだよ
という歌詞があったけど私はレシピがあれば
セリフがあればどんな楽だろうと思うこと
がある

緊張

私の家から徒歩数分で某コンビニエンスストアがある。

今の家に引っ越してきてから10年程経つのでもう
だいぶ使っている。毎日行っているといってもいい位
御用達だ。もうかなりの常連客だ。

従業員の人ももうほぼ顔も知っているし向こうも
知っていると思う。

休みの日や仕事をしていない時期などはよく
スッピンで行くこともあるのでもうなんだか
全てを見透かされているようなそんな気分なのだ。

私は喫煙者なのでよくタバコとミンティアを買いに
寄る。

一日に15本ペースで吸うので大体2日に一回は
購入する。何度か禁煙も試みているのだが
何度となく失敗している。

禁煙をしている時はいいのだが、また吸って
しまったときのやってしまった感が半端なく
痛いのでまた禁煙をする時はいつもそれなりの
勇気を出してやっている。

しかしカートン買いはしたくないのだ。
なんとなく

もしかしたら急にやめたくなる時があるかもしれない
という気持ちが少しある

話は逸れたがその近くのコンビニにいくのが
近いからいいのだがなんとなく全てを分かられている
気がしてあまり行きたくないのが本音だ

なんとなく緊張してしまう時がある

コンビニとは自分の趣味嗜好を全て知ってしまう
ところだ

今日ようやく前職の制服を宅配で送った

宅配はあまりしないし返す事もなんとなく
いい気持ちではなくボールペンをとった手は
震えていた

途中から落ち着いたのだが少し前から気付いた事は
レジカウンターが少し緊張するということ

何故だろう

アオキの時もそうだった、お会計を担当
する時何故か緊張した

客としていく時もなんとなく緊張してしまう
時があるのだ

よくポーカーフェイスと言われるので、見えないかもしれないが
スーパーのレジなどで後ろの人が並んでいると
なんとなくいそがなきゃと思い手が震える時がある

これは恐らく自分の苦手分野なんだ

弱さと強さは紙一重?

私は誰よりも弱いと思う時と
誰よりも強いと思える時がある

弱さと強さは紙一重な気がする

貝の中にうずくまっている自分
牙を向けて攻撃的な自分

その両方が私にはある

その両方共ない時は無心な状態で自由な自分
この無心の自由な自分が一番好きだ

大人しいとおもったら意外と自己主張があったり
かなりの人を寄せ付けない雰囲気を醸し出したり
そんな雰囲気を出しているかと思いきやまた
貝の中に入っていったり自由になったり、、

もう本当に変な生き物だ

相当面倒くさい生き物だ

ずっとずっと自由でいられる心と落ち着いた
精神を養っていつかそんな時もあったなと
笑える日がくるはず

そう信じているし自分なりの努力はしようと
思っている

バラバラになる精神を集めて落ち着かせる
とにかくそれさえできれば普通に私は生きていける

人の些細な感情に

気付いてしまう自分はほんと面倒くさい

時間がある今だからこそ微たるものにすぐ
感じてしまう

全てが神経にささってくる気がする
優しいはずのものさえ綺麗なものでさえ
全てが見る目が私を突き刺してくる

早く忙しくなれば早く

自分にとっていい相手だから好いてくれるのか
人間はたまにとても残酷なものなような気がする

都会に行って人混みの中を歩いている時少しでも立ち
止まると舌打ちをされたり嫌な顔をされるように
立ち止まっている時の人はそういう雰囲気がでる

忙しくいつも走っているといい意味で気づく
事もあれば悪い意味で気付かない事もある

それがいいのか悪いのかはわからないけど
立ち止まってやっとわかることもあったりして

忙しく生活している時は人混みの中で立ち止まる
人を鬱陶しく感じる

時間がある時はどうしたかと思える余裕ができる

例えば自分にとって喋れる相手が一人いるなら
もうあとはいらないというように

誰もいなければ一人が誰であれ喋りたいと
思うように

人間って結構厄介で残酷なんだ

それまでの人間だって事

自分が一番よく分かっている。
どうもがいたって私はただの私なのだ。

何を言われたってしょうがない人生を送ってきている
のも確かなんだ。

だから何を言われても傷ついちゃだめ。
むかついちゃだめ。そういう人間なんだから。

それ相応の人生を送ってきているのだ。
例え血が繋がっている人に言われたとしても
その意見は一番正しい。

長く一つの所にずっといることは頑張らなけ
ればいけない以上に信頼関係も築け落ち着くし
仕事もたくさんできるようになるだろう

そんな当たり前の事は私はちゃんとしっている
し気付いている

色んな所を転々としその度に仕事を覚え人の
名前を覚えこんな大変な事をあえてこんなにしている事に
訳があることも知ってほしいし分かって欲しい

そうこんなに大変な事普通の人からすると
頭おかしい人なのだ

自分でもわかってる

一番身近な人がそう思っているならきっと
誰もがそう思っているんだろう

だけど私は例え症状だとしてもあの症状が
あった時の私は今の私に繋がっているわけ
であって切っても切っても忘れようとしても
忘れようとしてもあの時の私からずっと繋がって
いるのだ

これが現実で、変わったといえばそうみえるだろう。
思うだろう、見た目だって変わった。外でも
喋れる、笑える

私は普通の人だそう思っている。しかし誰に
この神経が見えるだろうか

自分でさえ気付かないようにしているふとした
瞬間におかしくなるようなこの頭の感覚を

もういらないんだ

あの15の思春期にもう既に目が死んでいて昼休みあの長い廊下を誰にも
なるべく見られないように早く早く走り歩いて
図書室に向かい隅っこに行き適当に何か本を出しよまず
ただ目を落とすだけの15分間、何も読んでいない
本を読んでいる人をただ演じるだけ。字をぼー
っとみているだけの時間。

その15分間がやたらと長く早く終わって欲しい
と願った。

ただ早く終わって欲しいと思っていた。
1秒、1分、1時間、1日、1週間、1ヶ月、1年

時計を見るのが怖い、カレンダーも、鏡も見たくない、
自分はいないものだと思いたくてただ早く早く毎日が終わってほしくて
終わってもまた明日はくるのにただただ
終わって欲しかった

私は私の魂が可哀想
大切にしなくてごめんなさい

こんな事を真夜中に泣きながら書いている
自分はなんだろうただバカみたい

誰が、私があの頃の自分があって今普通の暮らし
をしていると思うだろうか

頑張れ甘えるなよ根性だ世間だ過去は過去だろ
変われるよもう10年も経ってるでしょ?大丈夫

誰がなんで私でないのに軽々しくいうか
あの頃の私は死んでいてもおかしくない

頑張るなんてわかってる
頑張らなきゃいけないから力はいりすぎる
そうすると強いものが弱いものいじめる
見えない力でいじめてる
期待をするといいながら圧をかける
力の抜き方知らないから

私はきっと普通の人になりたくて今まで
仕事選んできた

でも実際本当の自分は工場とか人と関わらない
仕事が、一番あっているのはわかっている

でもそれじゃ昔のままだから、普通に見せたい
思いたいからこう生きてきた

でも未だにだめなんだ

行き詰まる時がある

いつまで生きればいいんだろう、次は
何処に行けばいいんだろう、どこまでいけば
いいんだろう、死ぬことなんてしたくない
けど自分で死ななかったらどこかにいけるの?
また赤ちゃんからできるの?それだったら
今度はちゃんと喋る人間で赤ちゃんから生きたいの

もう死んだ子供は嫌なの
私は死んでいたの、私は自分を殺していたの
もしかしたらあの時もう既に死んでいるの
かもしれない。今私は生きてるの?こんな状態
で生きてるって言えるの?

もったいない??もったいないっていうのは
普通の人のこと。望めるの。
望める力がない。そこまでの気力がない。

ここまできたら私はとことん私を諦めるよ
いい意味で

だってこれが私なんだから
あざ笑ったっていいよ、笑われる事には
慣れてた

ポジティブに見せようとしている時の
自分は全て演技なんだと気付き始めている

どうぞ

どうぞ私の痛い所を擦り剥けて血が出ている
所を踏み潰してください

嘘はいらない

心の底で感じている事を伝えてください

嘘の笑いなんて無い方がマシ

そうです、私は愚か者です。社会にも適していないし
忍耐力もない。人が普通にしていることすら
できていない

幸せそうな子供連れをみてもただのおまごと
にしか見えないの

地獄絵図にしか見えない時さえある

もしかしたら世界は全ておままごとなんじゃ
ないの

そんなおままごと続けているから崩れてく

おままごとしていない人、辞めた人がかわいそう
なんて誰がきめたのねぇ教えてよ

聞きたいの

幸せそうな人達

どう生きて何を食べてどんな風にしたら
そんな幸せそうに生きれるのか

私は幸せだ少なくとも生きていることは幸せなのだ
そんな事は分かっている。

食事が出来るし明日は来るし笑えるし
睡眠だって取れる

だけど社会は人の不幸せを読み取る力がある

不幸せな時幸せな人と目が合うと完璧に
刀で切られた感覚に陥る

人間は自分より弱い者をみて安心し
強い者をみて落胆する

望まない望まない

私が長く眠る理由はただ一つ
全てが夢だったと思いたいから
今までのことすべて
昨日のこともすべて

そんなことを思いながら今日もまた肺に煙を
入れる

私は自分で死なないが病気で、死ぬなら入院や
手術なしのすぐに命がなくなる病気がいい

誰にも迷惑かけたくないしお金をかけさせ
たくない

葬儀も墓もいらない

ただどこか遠くに粉を流して欲しい
ただ遠くに

元場面緘黙症 七転んだとしても八起き上がれば

中途半端ですが書くスペースがなくなったので
一旦お終いにさせます。また第二弾書こうと思っています。
読んで頂いた方有難うございました。
暗く終わりましたが綺麗事で終わらせない所が
私らしいかなと思います。次はもう少し違った
感じの文章を書いていこうかな。暇つぶしの趣味ですが
今からわくわくしています。

元場面緘黙症 七転んだとしても八起き上がれば

これは元場面緘黙症の25年間生きてきた 本当のお話です。 場面緘黙症とは家では話せるのに学校等 特定の場面で話す事ができなかったり感情を 出せない症状です。 あまり知られていないので知ってほしい気持ちと 悩みを抱えてる人に少しでもヒカリを感じて もらえたらと思っています。

  • 随筆・エッセイ
  • 中編
  • 青春
  • 恋愛
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. たくさん転び続けてきた。けどその度起き上がってきた
  2. 某 紳士服店
  3. 父親の存在
  4. 眼科
  5. 初めての彼氏さん
  6. 空虚感
  7. 絡まったコード
  8. 人と居ること
  9. プロフィール写真を顔にした理由
  10. 悲しくなる瞬間
  11. 無○○
  12. 急に
  13. 朝の始まりと夜の終わり
  14. 場面緘黙症は幼少期に早急な処置を
  15. 人間って強い
  16. マイナス思考とプラス思考
  17. いつかなくなってしまうのなら
  18. 逃げなのか向き合いなのか
  19. 人が嫌いだけど好きになりたくて
  20. 本当の声で喋りたくて
  21. 病む時はドン底まで病んでしまおう
  22. 顔も体も目も声も正直者
  23. 一人でふらふらあてもなく
  24. スキなとき
  25. それでいい。
  26. 私に大切な事を教えてくれた人
  27. 元あった場所に戻そう
  28. アクセス数100人超えました。ありがとうございます。
  29. 本当の声で本当の言葉で…
  30. 大丈夫?
  31. 心のモヤモヤはなんらかの形で
  32. ……ファイナルアンサー??
  33. なんだろうねこの感じ
  34. いずれくる死を考えることは
  35. 求められないコトの安心感
  36. 魂??
  37. 一番幸せな事
  38. 忘れちゃいけないのは
  39. もう全てを諦めてみる
  40. 幼稚園〜小学校(新潟まで)
  41. 小学校(横浜)〜中学まで
  42. 最近あった三つの面白い事
  43. 複雑なわたしと単純なかれと
  44. 毒と悪魔
  45. 色んな人がいたっていいのに
  46. 「ただいま」「おかえり」
  47. 戻ってきた
  48. 前髪が決まらない蒸し暑い木曜日の始まり
  49. 最強の3人
  50. 泣いている、叫んでいる
  51. 霊感...?
  52. 人生で初めて自分と向き合う日。
  53. 人間不信と馬鹿らしさ。
  54. 50になる前に0になる私
  55. 職場での自分は
  56. 内側に隠していた物を外に出す時
  57. 私は
  58. 私はここにいましたか?
  59. 会ってみよう
  60. 帰り道
  61. 温泉に入っている人は....
  62. アクセス数325超え。
  63. 悪魔+天使−太陽+月×時計+カレンダー=?
  64. 悪魔を連れて外へでた。
  65. 同じ一日はない。
  66. 帰ってきた父
  67. 私が地下鉄が好きな理由。
  68. 最悪で最高すぎる一日
  69. 悪い夢から覚めたような
  70. 包丁を研いでみたりなんかして
  71. 食欲復活
  72. ジブリの世界?
  73. 自分に戻れ自分に戻れ
  74. 動動動動
  75. 自分は自分でいいということ。
  76. 一週間経ち思った事
  77. 雨の雫で光る葉
  78. 誰でもいいから
  79. 操る
  80. 無題
  81. 寂しさを感じた夜
  82. NO RAIN NO RAINBOW
  83. 自分が人に与える影響力
  84. 九月になりますね
  85. 歯ぎしりマウスピースをかって
  86. 無題
  87. 表現者と自己満足者
  88. フードを被ると落ち着く
  89. 「次の段階がきたな」
  90. 這い上がる
  91. 人間は少なくとも自分をよく見せたい生き物
  92. どっち?
  93. 私は普通の人だと思いたくて
  94. 緊張
  95. 弱さと強さは紙一重?
  96. 人の些細な感情に
  97. それまでの人間だって事
  98. どうぞ
  99. 聞きたいの