フレンドリー特急

フレンドリー特急

 その日、わたしが乗りこんだのはフレンドリー特急だった。
 これはかつて国鉄のえらいさんが、「ど」のつくほどえらいさんが、「朝の電車内って、なんかギスギスしてない? そういう雰囲気オレごっつイヤ」。と言い出したことに端を発する。これを言ったのが、まったくのぺぇぺぇならば、相手にもされなかっただろう。そんな極個人がひとりごちたような詩的な呟きなど、通常ならば社会は拒絶し抹殺する。しかし、それは「ど」のつくほどのえらいさんが言ったことであったから、総大理石のエントランスから温かく迎え入れられるように「ええやん、ええやん」ともてはやされ、最終的には「アリやん」。という声が相次ぎ、翌年から実際に運用されることになった。
 フレンドリー特急というぐらいだから、どれぐらいフレンドリーやと、みなさん思われてはります? それは、一言でいうと「お前等が思っている以上にフレンドリー」ということができるだろう。おっとその前に言っておかなければならないことがある。フレンドリー特急は運行当初より非常に運賃が高く、その点においては不評であった。同車両が運行する大宮〜東京間において、運賃が4倍近くにも跳ね上がり、金額がフレンドリーちゃうやん! という批判の声も多くあがった。そんな声に対して国鉄サイドは「そんな友達みたいな言い方されても」と、そこだけはきっぱりと突っぱね、会社の方針と客の意見との間にどんな親しい間柄でも越えられない一線を引いていたという。
 わたしがフレンドリー特急に乗ったのはちょうど朝のラッシュアワー時で、他の車両ほどではないものの、座席に腰を下ろせるほど空いてはいなかった。わざわざ高い金を払い乗りこむ理由はなかったが、好奇心に導かれて足を踏み入れ、そこにいる物好きたちの様子を見わたした。談笑している人があるが、特に別段変わったところはないような印象を受けた。電車が動き出し、荷物を網棚に置こうと手を伸ばすと、前に座っていたらサラリーマン風の男から声を掛けられた。
 「あれっ、その靴いつ買ったの?」
 わたしは困惑した。心の距離感が、いきなりにして近いな、と感じた。しかし、ここはフレンドリー特急。乗ってしまったのだから郷には入れば郷に従えである。わたしは平静を装いつつ、
 「前から持ってたよ。最近あんまり履かなかったけどね」
 と言った。すると、
 「うそだろ? お前こんなの持ってなかったジャン」
 わたしはムッとした。お前という言い方をされるのが好きではなかった。しかもこの、銀色のスーツを着た、七八歳年下に見える若者は、お前という単語を若干崩して「おめぇ」という言い方をした。初対面のものにそんな言い方をされる筋合いはないし、なんで俺はお前に嘘つかなければならないか。しかし、ここはフレンドリー特急である。乗る時に、物見高い気持ちがなかったとは言えない。わたしは内省的になることで憤る気持ちをなんとか抑え、
 「こげ茶色が、嫌いだから」
 と言った。変なかんじだった。なぜか恥ずかしさがこみ上げてきて、
 「そんなに、嫌いでもないけどね」とつぎ足した。若者は笑いながら「どっちだよ」と言い「なんか今日顔色悪くない?」
 「ん。そうかな」
 「二日酔いじゃね?」
 「昨日けっこう飲んだからね」
 「結局、帰れたの?」
 「ん。ん、あっと結局大宮までは行けたんだけどね。そこからはタクシーでさ、大宮からだとウチの前のコンビニまでツーメーターぐらいで行けちゃうから。っていうか昨日同じ店にいたんでしたっけ?」
 わたしの胸に得体の知れない不安が広がった。この男は一体なんだ。なぜ昨日の出来事を知っている。男は答えず、足を組み替え「最近また金魚が増えてさあ」と言った。
 「金魚?」
 「カノジョとさあ、祭りにいったのよ新宿の。そしたら金魚すくいやりてぇとか言って。またかよおめぇって、ウゼーって」
 わたしは、このだらだら話す若者との話を今すぐ打ちきりたいと思った。疾風のようにこの場から離れたかったし、なぜ朝の通勤電車で、だれもが殺意を秘めたように押し黙っているのか、その答えがいっぺんに知れたような気がした。結論フレンドリー特急を考えたやつはばかものである。通勤の実際をなにも分かっていない、机上の空論で物ごとを考えるやつが、理想論で言い出したことがこのような苛立たしい、不愉快な結末を招くのだと呪わしくなった。しかしながら、まだ会話の途中である。わたしは萎える心を無理やり奮い立たせて話しを合わせた。
 「動くものを見るのが、好きなんだよ。人間といういうのは、川べりで大きな魚影がゆらりと蠢くのを見るだけで、おのずとテンションがあがるからね」
 「それで、めちゃめちゃすくったのよ。デメキンとかチョーかわいいとか言って。あれさぁ、めっちゃ目、出てるよね」
 「まあデメキン言うぐらいですからね」
 どついたろか。どついたろか。どついたろか。
 「百田さんのカノジョも、目出てるよね」
 「そうそう、乳よりも目のほうが豊満でね、上から92・69・69・72なんでやねん」
 「目以外は、ヨーカンみたいじゃん」
 わたしは、このヨーカンという表現が大変気に入った。いや、それ以前にこわかったのは、なぜこの若者がわたくしの名前まで知っていたのかということである。なんとなく会話の流れに乗っかってはみたものの、翻ってそこを聞き直すことができなかった。不条理な濁流のなかに飲み込まれそうな気がしたのだ。そして、この若者に、なにか自分の生活のすべてを覗かれているのような気持ちになり、空恐ろしくなった。
 「おばあちゃん子だからね、百田さんは」
 「え?」
 「おばあちゃん子でしょう?」
 「そうそう。そうなの。俺ほら、両親が共働きでしょう。いうても親父は未だに何してるのか分からんけど、ははは。家で飯つくってくれるのはずっとおばあちゃんやったからね」
 明らかにわたしは動揺していた。お国言葉が自然に出てしまった。
 「あれっ、関西の人ですか?」
 「そうです。」
 えっ、なんでなんで。俺がおばあちゃん子やったことまで知ってるお前が、俺が関西出身っていうことをなんで知らんかったの。わたしは混乱した。
 「もしかして、おばあちゃん子って適当に言いました?」
 「なんで?」
 男は不思議そうにわたしをまっすぐに見返した。兄弟幼なじみのように他意のない瞳をしていた。わたしは彼と目を合わせることができず咄嗟に視線を逸らした。向こうのほうで、名刺交換をする営業マンの姿がちらりと視界に入った。なるほど、フレンドリー特急はあのようにビジネスの窓口にも使われているのだった。
 「いや、ごめんごめん。そうだよね。そうだそうだ」
 「どうしたの? ハハッ! 変なの。時々そうなるよね、百田さんって。昔からそうだ」
 「根がね、小心なんやろなあ。ところで、憶えてる? 横投げの坂本。おったやんか、3組に。あいつ今あの志方の家を改築して、飲み屋やってて。このあいだ実家帰った時にちょっと覗いてんけど、知り合いがようけ飲んでてプチ同窓会にみたいになっててさぁ。田中っておったやんか、いつも体育帽裏返してかぶってた」
 「だれですかそれ」
 男は真顔になってわたしを見返した。完全に他人の目だった。電車が大きく揺れ、わたしはつり革から手を滑らせた。まもなく赤羽、赤羽という車内アナウンスがあり、男はかぶりを振って車外の様子を確認すると「あ、降りなきゃ」と言い、今度焼き肉行きましょう、また電話しまーすと笑顔で手を上げドアが開くなりすばやく降車していった。
 わたしも降りようと思ったが、東京に急ぎの用事があったことと、今降りて駅であの男と顔を合わせたくないという気持ちがあり、車内に残った。わたしは網棚から鞄を下ろすと空いた席に腰をかけて、大きく息をついた。異様な疲れを感じたが、妻にこの理不尽な状況をちょっと教えてやろうと携帯電話を取り出した。妻とわたしはその時、水餃子のルーツについて見解の違いから不和が生じていたので、このようなスラップスティックなエピソードがわたしと彼女との関係を再び円滑にしてくれる契機になるかもしれないと遠くでいやらしい算段をした。丁度その時、向かいの席に座っていた年配の男性と、作業服を着た男が囲碁を打ち始めたので、これはいかにもフレンドリー特急を象徴する絵じゃあないですか、と、そっと携帯カメラでその様子を写し、メッセージと共に送信しようと考えた。


 もし君が、フレンドリー特急に乗ろうと思っているのなら、やめておいた方がいいよ。見ず知らずの男に買ったばかりの靴のことを言われたり(俺が、買ったばかりの靴のことを言われるのがこの世のなによりきらいなの知っているだろう)、突ぜん、となりに座っていた見ず知らずの工場長から、一局どうですかと碁に誘われたら、断わりきれるものでもないからな。おれは電車に乗っていて、これほど次の駅が待ち遠しいと思ったことはないよ。


 画像を貼付する前に、もう一度冒頭から読み返していると、携帯電話のディスプレイに人の顔らしきものが映りこんできた。左右に座っている人間がわたしの顔に息がかかるほどの近さにおり、携帯画面を覗き込み、がっつりと俺の書いた文面を読んでいた。
 わたしは上半身をぐるんぐるん回して彼らを振り払った。今まで生きてきて、こんなにぐるんぐるんしたことはなかったと思う。彼ら——といってもひとりは四十代半ばの事務服をきた中年の女、もう一人はぴったりとしたTシャツを着、眼鏡をかけた学生風の男であるが——驚いたようにわたしから体を離した。
「そんな遠回しな言い方で通じると思っているの?」
 女が突ぜん口を開いた。
「何がですか」
 わたしのこの回答は、至極まっとうなものであったように思う。今でもそう思っている。
「だめだ! そんなんじゃ全然伝わらないよ!」
 男が素っ頓狂な声をあげた。
「何だあんたら!」
 わたしは大きな声が出た。わたしは正しかったが、恥ずかしくなった。普段あまり人前で大きな声を出すことがないのだ(雑踏で妻の名を呼ぶとときも、わたし独自の呼び方で呼ぶところを人に聞かれるのが照れくさく、わたしは妻の名を呼べなかった。わたしは、妻をのぶりんと呼んでいた)。それにしたって、この人たちは何なんだろう。他人なのに、同じ電車に乗りこんだというだけでこの馴れ馴れしさ。何なんだろう。何が楽しくてそうしているんだろう。それに、この人たちはいったい、おれのことをどこまで知っているのだろう。ぐるぐると思考を巡らせながら車内に目を向けると、斜向かいの座席でおっさんが横になっていた。くの地に曲げた足から臭いそうな黒い靴下と濃い脛毛が見えていた。禿げていないわずかな残りの髪にはたっぷりとポマードをつけ、横に座っている役員風のおっさんの膝に膝まくらをして寝ていた。役員風のおっさんは何事もなかったように新聞を読んでおり、見たこともないおっさんに膝まくらをしているとは到底思えぬ安らかな表情であった。わたしは、なんて汚らしい景色だと思った。仲良きことは美しき哉という言葉があり、言葉があるということはそれを言ったやつがいるということだが、それは、たとえば、年端も行かぬ子供同士が無邪気にじゃれ合う様子に対してあてはまる言葉であり、おっさんがおっさんに膝まくらをしている姿に対して、そいつを連れてきて、見ろ。これでもお前は「仲良きことは、美しい」と言えるのか、どうか、けしかけてみなさい。きっと言葉に詰まるであろう。だけど、唇を噛みしめながらこう切り返してくるかもしれない「おっさんだって、生きている。生きものはみんなかわいい」。うわっ、コイツ急に視点をグローバルにしてきよった! そんな言い方やったら、何でも言い得る事ができるやんか、ずるいわ、ずるいわ。ほしたら何、お前があのポマードズルズルの、スメルフルなおっさんに膝まくらされてもええわけやな、ええのんやな。と俺が詰め寄ると、それは絶対イヤ、と言い残して走り去っていきよった。見切ったぞ、聖者とは有言不実行と心得たり。
 「いなり寿司食べてください」
 事務服の中年女がどこから出してきたのかタッパーをパッカーと開けて、わたしにいなり寿司をすすめてきた。わたしは、気持ちが悪いと思った。
 しかし、ここはフレンドリー特急である。出されたいなり寿司も食べられないで、なにがフレンドリーか、という律義な性分がわたし自身を苦しめた。(わたしには、ひしげた自尊心からマゾヒスティックな一面があり、架空のサディストを想定してわたし自身の魂をいたぶり、弄び、貶めてある種の快感を得るという込み入った性癖がある)。つまり、フレンドリーかフレンドリーでないかということはもはや関係なく、わたしは、わたしが生み出した幻影のサディストに(律義なやつ、という設定にされている)いなり寿司を食べなければ、許してもらえないのだった。
 小さめのタッパーに入れて差し出された3個のいなり寿司は朝の光りを浴びてぬらぬらとしていた。真ん中の一個は妙に緑色をしていた。不気味であった。おいしそうだ、とはこれっぽっちも思えなかった。昔からわたしは、妙な部分で潔癖なところがあり、自分の母親以外が握った握り飯——たとえ親友の母親が握ったものであっても、食べられなかった。そんな自分に、見ず知らずのおばはんが握ったいなり寿司はハードルが高すぎた。雲間にはるかバーが霞んで見えなかった。これを飛び越す自信はなかった。ふと、おばはんを見ると、わたしと、いなり寿司、わたしと、いなり寿司を、交互に何度も見ていた。玩具の猿のような動きであった。鼻の下に干しぶどうのように膨らんだ大きなホクロがあり、一本だけ毛が生えていた(ただのホクロと表現すればよいところを、干しぶどうなどとリアルな描写をすることで余計にわたしの気分を悪くさせる、これもわたしの中の悪魔の指しがねによるものである)。もはや、これを食べないという選択は残されていないように感じた。わたしは覚悟を決め、いなり寿司に手を伸ばした。「緑を取れ!」耳の奥で声が響いた。えっ。わたしは困惑した。魔さか、ここで出てくるとは。無理です無理です。何いうてはりますの。百歩譲って寿司は食べれても緑は無理です。ノーノーノー。緑色のいなりを是非。なんでですか。好ッきゃん自分。緑色。このあいだも緑のセーターがええなあ、いうて、言うてたやん。ジャスコで。それとこれとは、別やないですか。ぼくは緑のセーターは好きでも、緑のいなり寿司は好きとちゃいますもん。だいたい、なんで緑か分かりませんやん。知らんのか。体にええもんはたいがい緑なんや。モロヘイヤしかり、ゴーヤーしかり。やろ? そやけど、モロヘイヤもゴーヤーも、種族は全員同じ色でしょう。おんなじセーター着てるでしょう。いなり寿司の種族はそもそもきつね色の種族であるとわたしは認識していて、その中に緑色の異端があれば、それを怪しいと思う。できれば食べたくない。遠ざけたいと願う。それはごくごく自然な感覚とちゃいますかね! そういう風にみんなが思うとしたら、当然緑色は残るわな。それを何や、ほかのモンが食べるのか。この列車に乗っている、「おまえの大切な友達」がそれに当たって死んでもええのか。これ食べたら当たるんですか! なおさらイヤですわ。自己犠牲。名誉の死。何も怖いことないわ。誰かのために格好よく死ねるねんぞ。お前がいつも胸に願ってやまなかったこととちゃうのんか。食え。ごたごた言うとらんと。さあ手を伸ばせ!
 にょきっ、とハサミの手が伸びて来ていなり寿司を掴んだ。わたしは唖然とした。向かいの座席の黒い縁の眼鏡をかけた肥えた男ががま口のような大きな黒いかばんから、マジックハンドを伸ばして寿司をしっかりのつかんだのだった。
 「失礼ですが、いただいてよろしいですか?」
 がま口の男はおばはんに尋ねた。おばはんは笑顔でどうぞ、どうぞ、と言った。「じゃ失礼しまーす」と男は器用にマジックハンドを操作すると、中空でゆんゆん揺れていたいなり寿司を自分の方に引き寄せ、口の中に放り込んだ。わたしは、失礼だと言うのなら、どうしてあのようなやり方でいなりを取っていくのか、わけが分からなかった。究極的にいえば、いや、いわなくてもそうだが、全然失礼だと思っていないに違いないという結論に至った。男は、その後マジックハンドでわたしの首を触ってきたり、わたしのくるぶしを触ってきたりした。わたしも、最初は義理で笑顔を向けていたが、あんまりしつこいのでそのうち無視するようになった。この男は、フレンドリーの意味をはき違えていると思った。
 「まもなく東京、東京。終点です」わたしがまだいなりを前に悶絶していると、唐突に車内アナウンスが流れた。電車が駅に滑り込むと「あら、早く食べないから」とおばはんはタッパーを閉めて小さな青いリュックの中にしまい、さっさと車両から降りていった。談笑していた人や、遊興にふけっていた人たちもぞろぞろと扉へ向かう。どこから脱走したのか、わたしの足元を矢のようにマルチーズが駆け抜けていった。


 わたしは、フレンドリー特急で乗り合わせた銀色のスーツの男と、その後一度だけ会ったことがある。2007年の盆が明けた時分で、あの頃より浅黒く焼けたその若い男は、腕時計を何度も確認しながら、新橋駅のカレー屋の前を歩いていた。雑踏をかき分け、横須賀線のホームに急ぐわたしと一瞬目が合い、互いに認識したような間があったが、向こうもこちらも何も言わず、足早にすれ違った。

フレンドリー特急

フレンドリー特急

その日、わたしが乗りこんだのはフレンドリー特急だった。「あれっ、その靴いつ買ったの?」初対面の若者が突然わたしに話しかけてきた。心の距離感が、いきなりにして近いな、と感じた。しかし、ここはフレンドリー特急。郷には入れば郷に従えである。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-12-23

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