鑑賞品

 高尾から見た黒子テツヤ。『キセキの世代』にとっての黒子はなんなのか。I・H予選での緑間の言葉から高尾は何を読み取るのか。

 ※黒子の背が伸びて通常と同じプレイスタイルのバスケをしているというIF設定です。

鑑賞品

  海常との練習試合、I・H予選と連れまわされ、この感情を表に出すのを苦手とする男が、誠凛の11番を気にしている様子を、高尾和成は面白そうに観察していた。他人に関心を示さない緑間が気に掛ける相手。その動向に心を揺らす相手。それは例えるなら恋する少年のようで、その見られるとは思わなかった一面を覗くことができた幸運を感謝もした。
 人生楽しくが高尾のモットーである。
 それが『不愉快』へと変化したのはいつだろう。中学時代に負けた相手。絶対に倒してやると高校へ入ったらなんと相手も同じ高校で。高尾は緑間に負けた悔しさを自分を認めさせてやるという前向きの気持ちへと昇華させた。
 まだ認めてくれたわけじゃない。でも少しは自分のことを見てくれるようになった。そのことに喜んでいたのに。
 なぜあの11番は何もしてないのにあれほど緑間に気持ちを向けてもらえるのだろう。中学は一緒だった。その頃につきあいがあり仲がよかったのかもしれない。中学3年間の付き合いと高校でのわずかな月数。年月だけで決まるものではないが張り合うのには無理があるかもしれない。
 それでも嫉妬した。だってたぶん――自分と袂を分かっても緑間はこれほど気にかけてはくれない。あの11番はほとんど緑間を気にしていないというのにあんなに想ってもらっている。
 自分は緑間のためのパサーだ。中学ではパスのスペシャリストだったという『彼』が緑間にパスを出していたのだろう。
 緑間の黄金の左手。テーピングで保護し、爪のケアも欠かさない指先。感心したくなるほどのこだわりは自分によこされるパスにも及ぶ。手や指に負担がかかるパスなどもってのほか。最高にシュートを打ちやすいパスを。高尾も苦労させられている。そのパスをあの11番は出していた。おそらくは緑間はそれを認めていた。認めていたからこそ今でも己の内に置いている。
 しかしその認められたパスをあの11番は捨てた。もちろん今でもパスは出している。しかし背が伸びたことによるプレイスタイルの変化に合わせて、彼はパス主体に動く選手ではなくなった。腕が衰えたとかそういう問題じゃない。自分が欲しているものを、場所を持っていたのに興味ないとばかりに放り出した。
 そのことがとても不愉快だった。
 だからこそ口から出た『同族嫌悪』という言葉。負けたくないとはっきり言った。その第1Q終了後のインターバル。黒子のことを認めているという称賛に心の中で知ってるよと返した。だがその後に続けられた言葉。自分の認めた男が力を活かしきれない場所で望んで埋もれようとしているのが気に喰わない。
 その瞬間。すうっと冷えていった。緑間は気づいていない。今己の発した言葉の残酷さ。その中に潜む驕り。いや、彼にとって驕りではなく決まっていることなのだろう。確信している。だからこそ残酷だ。自分がその力量を認めた相手が新設校へ行ったのが気に喰わない。同意するしないは別としてこれは分かる。これだけなら。
 冷えた頭で高尾は考える。新設校へ行ったのが気に喰わないというのなら、緑間はきっと強豪校へ行ってほしかったのだろう。そして彼と試合をしたかった。
 残酷だと感じるのは。強豪校へ行った彼と試合をしても勝つのは自分だとこの男が思っていること。緑間の中に己の敗北はない。同じ『キセキの世代』が相手なら可能性に入れるだろう。でも黒子テツヤは違う。気にかけていても――想いを向けていても――緑間は自分が黒子テツヤに負けるとは微塵も思っていない。つまりは緑間にとって彼が新設校に行こうが強豪校へ行こうが同じなのだ。なのに新設校へ行ったのが気に喰わないと口にする。本気で。
 緑間は己の力を活かせる強豪校へ行った黒子テツヤと戦いたいとは思っていない。なぜなら勝つのは自分と決まっているからだ。まるで人形遊びのように、お気にいりの人形を好きな場所に置きたがっているだけ。なんて残酷なんだろう。
 高尾は愕然とした。緑間の世界はすでにして完結しているのだ。彼の世界にいるのは『キセキの世代』のみ。黒子テツヤは同じ世界にはいない。いないのにいることを望んでいる。入れようとしないのに中にいてほしいと望む。なんだそれは本当にただの鑑賞人形じゃないか。
 あれほど気にかけている相手でさえその扱い。それなら自分は。自分が緑間の世界に入ることなどあるのだろうか。入ったとして。緑間自身も入れたと思ったとして。それが黒子のような鑑賞人形でないとどうして言える。芸術品のような緑間のシュート。それに合わせてパスを出す黒子テツヤもまた芸術品だから。芸術品として以外の扱いはしない。大切だが、同じ人間ではない。シュートは芸術品でもそれを打つ緑間自身は人間だ。
 黒子テツヤは『キセキの世代』の許す唯一の芸術品としてそこにある。黒子テツヤのみがそこにあることを許される。鑑賞品として。彼らはそれを愛ではしても。同じ人間とは扱わない。同格とは認めない。どれだけ完成されていても人形は人形。彼らは人間。違うものだ。
 緑間真太郎の内に自分が入る日などこない。くるとしたら黒子と同じ。最高の鑑賞品として。あの左手で触れはしても。それはただ傍に置いてあるだけだ。それ以上のものではない。
 『キセキの世代』の座る椅子は5つしかないのだ。そのことがよく分かった。
 高尾は緑間の内に入ることを諦めた。拒否したと言ってもいい。自分はそんな人形扱いなど耐えられないから。そんな屈辱的な扱いを受けるぐらいなら見下されても視界に入らなくても人間である方がいい。きっとあいつも
 高尾の視線の先にいるのは黒子テツヤ。
 人形であるのが嫌で飛び出したのだろう。
 そうして高尾は、ついさっきまで敵意を向けていた相手に、親近感を抱くのだった。

 オレとあいつは同じだから。
 

鑑賞品

高尾の主観からのお話です。

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黒バスの二次創作です。I・H予選決勝で高尾が発した『同族嫌悪』という言葉に込められた意味は何か。高尾と緑間の関係、そして高尾から見た緑間と黒子の関係。『キセキの世代』にとって自分たちはなんなのか。高尾の心情の変化を追っていきます。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-19

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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