*星空文庫

迷路の出口(花草セレ)

東大文芸部 作

 ほんの気まぐれだった。大きな目的もなく貯めた金がそこそこの額にたどり着き、丁度よく暇だったから。たまたま目についたパンフレットを一枚手に取り、深く考えもせず予約を入れた。イタリア旅行七泊八日。表紙を彩る鮮やかなパスタ料理が、夕方六時の自分には魅力的に見えた。多分それだけだった。
 面倒な手続きをあらかた終え、空港内の椅子で暇を弄ぶこと約一時間。続いて搭乗口の列は二十分待ち。やっと落ち着けたエコノミークラスの席は快適からは程遠く、首を変に曲げた姿勢は数分と堪えられなかった。前列の椅子に備え付けのテレビ画面から適当な映画を流したが、俺の前に座る男は大層気が利かないようでおおっぴらに背もたれを倒してくる。悔しいから真似をして、それでも臆病風に吹かれ少しだけ背を倒し、ぬるま湯のように虚ろな眠りについた。多少ましになったものの首はまだ痛み、窮屈に閉じた足は立ち仕事の一つもしていないのに疲れていく。ひどく浅い夢を見た。
 イタリアまでおおよそ十時間。素直に寝ているのが一番の早道だろう。
「Buon giorno.」
 聞き慣れない声がした。体は沈むように重く、しかしながら首のあたりは飛ぶように軽い。うっとうしいと眉をひそめながら体を起こす。もう、着いたのだろうか。
 白地に照り付ける陽光は眩しくも鋭さはなく、じめりと肌に悪い日本の夏とは段違いに心地が良い。乾燥した風は異国の香りがして、この手に留めておきたいほど物珍しく感じる。
「思ったより早かったな。もう着いたのか?」
「Scusi.これでわかりますか?」
 目を開けると、長髪の男が覗き込んでいた。男が指を鳴らすと日の光が弾け、虹を散らした粒が舞う。様子を伺うように男は眼鏡の柄に手をかけ一度直し、右に束ねた髪を垂らしながらこちらへ更に顔を近づけた。
「イタリアの方ではありませんね? 私の言葉がわかりますか?」
「日本語が話せるのか? ありがたい」
「ふふ。天気のいい日にお昼寝は付き物ですが、場所は考えた方がいいですよ」
「ここは? そうだ、空港。俺はまだ空港に着いてすらいないはずだ」
「クウコー? そのような地名に聞き覚えはありませんが」
 からかっているようではない。男は素直にわからないと首を傾げた。頭がはっきりとした勢いで体を起こすと、重りを見に纏ったように動きが鈍い。そんな俺の様子を、心配そうに見つめていた。
「ほら、川でお昼寝なんてするからいけないんですよ。きらきらと優しそうで、その気持ちは分からなくもないですが」
 口元に手をやって男はそっと微笑んだ。頭を落ち着けるために自分を省みれば、服がどっしりと水を吸っている。髪は風呂上がりのように額へへばり付き、横へ払うと日差しに温まったぬるま湯が指に残った。
「これは、一体」
「ですから、あなたはこの川をぷかぷか流れて来たんですよ。引き上げるだけで大変だったんですからね」
 男はわざとらしく唇を尖らせた。怒っていると言うより、呆れているのだろう。西洋人とは思えない細い腕では、確かに目の前を流れる川から俺を引っ張りあげるのも一苦労だろう。よく出来たなと驚くくらいだ。
 いや、そうではなくて。
「俺だってそんな馬鹿な真似はしない。飛行機の座席で寝てたんだ。それがどうして、こんな場所に」
 空回りした頭で、怒鳴り付ける調子で男に問いただす。もちろん男だって知るよしもないだろう。自分より少しばかり背が低く、歳も若く見える彼にきつく叱り付けているようで、言葉を発した先から心苦しくも感じた。
「一度落ち着いてください。あなたの事情はわかりましたから」
 だから、男の返答は意外なものだった。
「私の店に来てください。おいしい紅茶を入れて差し上げます。細かな話は、甘いクッキーでも添えないと退屈ですから」
「あんた、一体」
 疑問符を並べた俺について来いと指示もせず、男は慣れた足取りで川と並行に歩きはじめた。一瞬悩み、駆け足で後を追う。それに気がついて、貴族のように優雅な振る舞いで男は振り返った。
「私はティンと申します。あなたは?」
「千原城、千原城八陽だ」
「チハラギ、ヤ、エ? では、呼びやすい方でチハラギと」
 ティンが再び歩きだそうと前を向いたので、その前に一つだけと俺は呼び止める。何ですかと、ティンは髪の束を揺らした。
「今、西暦でも何でも構わない。何年だ?」
「皆さんそれを聞くんですよね。そんなに大事なことですか?」
 さもどうでもいいことを告げるようにティンは口を動かす。嘘をついているふうでもないから、自分の耳を疑うしかなかった。
「1472年ですよ」

 つまらない冗談はよしてくれと、喉元までは出かかった。ティンは悪びれた様子も、まして俺をからかっているようでもない。当たり前だとわざわざ思うまでもない事実を口にしただけのように見えた。
 確かに辺りを見回すと建物はどれも中世を思わせる煉瓦造りで。イタリアなんてこんなもんじゃないのか。それにしては煉瓦の赤みが強く感じられた。毒々しいわけでは決してなく、砂にまみれる前の、はつらつとした濃い橙。
 大通りを抜けると、仰々しい馬車が一台目の前を駆けていった。行く人も来る人も時代錯誤な洋装で、白黒の映画、いや、もっと昔を写した劇中から抜け出したようであった。携帯を耳に当てる社会人もいなければ、ゲーム画面を覗き込む子供もいない。
「何かの冗談、だよな」
「何がですか? さ、着きましたよ」
 細い路地へ向けて曲がったかと思えば、ティンはすぐに足を止めた。人通りから少し離れたその場所はこぼれてきた日差しに暖められている。細かな模様を描く金属のつるにより装飾が施されており、小洒落たドアにはOPENと崩した筆記体で書かれた看板がぶら下がっていた。
「どうぞ入ってください。迷路の出口へ、ようこそ」
 香ばしい甘さが鼻をついた。ティンがドアを開けると子供二人分の話し声が耳に届く。お帰りと、彼の姿を見るなり重なった。
 中は喫茶店のようであった。入ってすぐ右手にはお茶っ葉を詰めた小瓶をいくつも並べた棚があり、その奥は広いキッチンになっている。手前には楕円を崩したような形の白いテーブルが陣取り、同じ色に揃えた小さな丸イスが点々としていた。向こうの壁には一人がけ用の細い長方形のテーブルが付けられており、薄い茶色に塗り変えた丸イスが行儀良く列を作っていた。
 二人の子供はその茶色いイスに座り、整えられた列を崩している。
「お客様? ちょうど良かったね。今焼けたところだよ」
「せめて紅茶くらいティンが入れろよ。全部人に任せて出かけやがって」
 栗色で丸いくせっ毛の少年は年相応の幼い子供地味た声で、隣に座る黒髪の少年はひねくれた口調で迎え入れてくれた。口の悪い方は俺の姿を見つけ視線を逸らすように会釈する。
「二人とも、自己紹介くらいしないといけませんよ。それとお茶のセットを出してください」
 温度の違う出迎えはいつものことなのだろう。ティンはキッチンへと歩きながら二人に指示を出す。小振りなポットを火にかけ、数ある中でも色の濃い茶葉へ手を伸ばした。
「ラッキーだね、今日はティンが入れた紅茶だよ」
「ティー、名乗れって言われただろ」
 入口のあたりでどうしたものかと立ち尽くしていると、二人の少年がこちらへやってきた。子供っぽさを不器用に押し込めて、行儀よさげに並ぶ。同い年、だろうか。並んで見ると背格好はよく似ていた。浮かべた表情は正反対だった。
「僕ね、ティーっていうんだ。よろしくね」
「ティナー。どうも」
「ちゃんと挨拶しなきゃダメだよティナー。お客様困ってるじゃん」
「別にいいだろ。それより、あんたは?」
 幼く丸い四つの目が、興味津々にこちらへ向けられる。ティナーのほうも性格がすねているわけではなさそうだ。どちらかと言えば照れ隠しに近いのだろう。
「俺か? 俺は千原城八陽だ。チハラギでかまわない」
「チハラギ? チハラギね。それでチハラギ、何でここに来たの?」
「その、俺は」
 どう答えたものかと、ティンのいるキッチンへ視線で助けを求めた。ちょうどお湯が沸いたのだろう。ティーポットへ注ぐと、茶葉を回し深い褐色へ色を変えていく。ティンは先に手招きでティナーを呼び、食器を並べるよう無言で指示をした。
「川に流れて眠っていたので、私が保護したんです」
「いや、だからそうじゃないんだ」
 分かってますよと、小さくティンは笑みをこぼす。用意されたティーカップに紅茶を注ぎ、慣れた手つきで下に敷いたトレーを持ち上げた。
「僕も手伝う」
 自慢げにティーがお菓子を小さな花の描かれた皿へよそった。切り分けた後に焼きすぎてしまったフランスパン、そんな不思議な見た目をしている。
「ビスコッティっていうんだ。固いけどおいしいよ」
 口ぶりから察するに、ティーが作ったのだろう。入ってすぐに感じた甘い香りは、これの焼き上がった合図だったようだ。
 座るようイスをすすめられ、浅く腰掛ける。俺を取り囲むように三人が場所を選ぶものだから逃げ場がない。アールグレイのさっぱりとした香りに背中を押され、俺は口を開いた。
「馬鹿なことを言う。どうも、俺は」
「未来から来たと言うのでしょう?」
「え?」
 意地悪くティンは笑みを見せる。どうして分かったと聞きたかったが、止めた。少年二人が何一つ驚いていないからだ。ぱりぱりと音をたて、焼き菓子をかじっている。
「あんたの言う通りだ。俺は、俺はずっと未来から来た」
「また? 今度はどのくらい先の人? ずっと?」
「え、っと。確かここは十五世紀ぐらいだったよな。なら、五六百年は先になる、な」
「じゃあ一番未来さんだ。ねえねえ、何があるの? 馬車は空を飛ぶ?」
「こらティー。一度に何でも聞くものではありませんよ。まず、チハラギの方から聞きたいことがあるようですし」
 話を振られ、ようやく頭が回転した。今度は? 一番? なら。
「俺以外にも、いるっていうのか? この時代に飛ばされた奴が」
「ご明察です。あなたで、えっと、四人目になりますね」
「そいつらはいつ頃来た? どこにいる?」
 気がつけば身を乗り出していた。テーブルについた手が大きく音をたてる。まだ湯気の残るティーカップの水面が揺れた。驚かせてしまったのか、ティーとティナーが合わせたように身を引いた。
「その、すまない。だが」
「不安なのはわかります。ですがまずは大きく息を吸って落ち着いてください。紅茶も冷めてしまいますよ。おいしいお菓子に気を紛らわせて、動くのはそれからにしませんか?」
 差し出されたビスコッティを、無言で口に入れた。市販のビスケットをさらにオーブンで焼き固くしたような歯切れのいい音が立つ。よく噛めばほんのりと甘く、練り込まれたアーモンドは香ばしかった。
「アーモンドは日本の桜に似た花を咲かせるんですよ。花言葉は、希望」
 飲み込むため口を付けた紅茶は香りと味が鼻の奥で混ざり合う。そこへ溶け込むように、ティンの言葉は穏やかであった。
「焦る必要はありませんよ。きっと、帰れますから」
 けれど入れ間違えた塩のように、帰してみせますからとも聞こえた。おいしくなるよとティーが砂糖を一かたまり入れてくれるものだから、もう味なんてわからない。

 空の赤く揺れる夕方。みんなここにいますよとティンは地図を一枚くれた。手書きであったが要所は掴んでおり、今のところ迷っているとは思えない。何の必要があるのか分からない、細い路地がいくつも大通りに風を流していた。あえて俺がわかりやすいよう、その手の小道は省かれている。たとえるなら、木の幹から葉先へ向かうように真っすぐと歩いた。目的地に着く頃、道幅はだいぶ狭まっていた。川が途中で折れたらしく、その分も建物が陣取ったせいかもしれない。
 軽食屋と聞いていたが、どうやらサンドウィッチが売りのようだ。店終いかシャッターの並ぶ中、白いパンにみずみずしいレタスを挟んだイラストが目についた。下に綴られたアルファベットは読めなかったが、俺の背より少し高く吊された看板はどこか可愛らしかった。もう一度地図に目を落とし、ドアをノックする。
「早かったね、ヴェラン。もっと遅くなると、って、あれれ?」
 丸眼鏡を鼻に引っ掛けた青年は、俺の姿を確認するなり大袈裟に後退した。前掛け型の青いエプロンを付け、驚いた分だけずり落ちた眼鏡を元に戻す。目立つくせっ毛であったがティーとは違い、大きな渦を並べている。
「えっと、お客様? だよね?」
 彼はワンテンポ遅れていらっしゃいませと頭を下げた。店の奥から届く会話がやけに騒がしく、ほとんど俺には聞こえていない。すばしこい動作で俺を招き入れると、もたついた手つきでドアを閉めた。
「その、いらっしゃいませ。遅い昼食ですか? それとも軽い夕ご飯?」
「いや、ティンに地図を書いてもらって、ここへ行くようにと」
「ティン? へぇ、君、彼の知り合い? 相変わらずティンは顔が広いなぁ」
 知り合いなのだろう。ティンの名前を出すと、彼は柔和な笑顔を浮かべた。立ち話もなんだからと店の奥へ案内される。喧騒が近づいて来る。
「ごめんね、騒がしくて。この時間はほとんどお客さんがいないから、友人達の貸し切り状態なんだ」
「いや、構わないが、その」
「あ、僕? ごめん。名乗ってなかったね。僕はキャーリ。ここの店主なんだ」
 はにかみながら、照れ臭そうにキャーリは鼻をかいた。そのついでに眼鏡を直す。動作の隙間から、怒声に近い男の声が聞こえた。俺も名乗り返したが、掻き消されたかもしれない。
「それで、ティンはなんて?」
「みんないるから、ここに行くように、と」
「みんな?」
 自分の友人達と俺を見比べ、キャーリは首を捻った。誰かと知り合いなのかと尋ねられたが、勿論首を横に振るしかない。その動作に気づいてか、単純に近づいたからか、彼らは一斉にこちらへ振り向いた。喧騒が霧散していく。
「違ったら申し訳ない。その、未来から来た人を探しているんだ」
「え?」
「だから、その、未来から」
「ちょ、ちょっと、グリュック」
 ただでさえ丸っこい目をさらに丸めて、キャーリは友人達の輪へ飛び込んでいった。一際背の高くガタイのいい男が彼の到着を待たず席を立ち、すれ違うように俺の眼前へ歩み寄る。目の前で見上げると山のようだ。
「あんた、未来から来たって言ったな」
 じとりと落とされた視線は俺を審議しているかのようであった。そうだ、とつい声を低めて返答した。張り詰めたように店内がしんと静まり返り、次の瞬間、バネのように元へ戻った。
「そうか、なら俺達はもう仲間、いや兄弟ってとこだな。俺はグリュック、1971年のドイツから来た。よろしく頼むぜ」
「あ、あぁ」
 筋肉を寄せ集めた太い手を差し出され、ためらいつつも握手に応じた。満足げにグリュックは声を立てて笑う。この集まりではリーダー株のようで、彼に促され次々と自己紹介を始めた。
「わたしはフィオレ。元からここに住んでて、こいつに空き部屋を貸してるの」
 白い肌に金の髪。こいつ、と彼女はグリュックを指差した。その様子からだいぶ打ち解けているようで、グリュックがここに来て長いのだろうと知れた。
 あんたも、とフィオレに促され、奥の席に座る女性が遠慮がちに言葉を選んでいた。黒い服と色を合わせた長い髪にくるまれていたが、顔立ちから西洋の人だとわかる。
「わ、わたしはカルミア。1853年のイギリスから来たの。教会に泊まらせてもらってるわ」
 彼女の言葉を遮るようにドアの開く音がした。軽快な声音でただいま、と店内に響かせる。
「キャーリ、人使い荒いって。もう市場畳まれてるじゃん。明日の朝買いに行けばいいのにさ」
「ごめん、行かせてから気づいたんだ。でも、やっぱり川向こうまで行ってくれたんだ。ありがとう」
 二人のやり取りが続いた後、一息ついて突然現れた青年はこちらに興味を向けた。
「お客さん、誰?」
 聞かれ、ようやく名乗ることができた。そんな俺の言葉に引っ掛け、彼は再び甲高さが耳につく独特のしゃべり口調で会話の主導権を握った。
「そっか、よろしくなチハラギ。俺はヴェラン。1675年のオーストラリアから来たんだ。今はここで手伝いをしてる。チハラギは?」
「俺は、今日ここに来たばかりで。あんた達のことはティンから聞いたんだ」
「ティン? ティンだって?」
 筋肉質な声に、どきりと背筋が凍った。グリュックはわざとらしく手にしたグラスをテーブルへ打ちつけると、何があったのか眉間に眉が着くほどシワを寄せている。怒っているのは明白だが、その理由が掴めない。
「魔法使いめ」
「グリュック、まだそうと決まったわけじゃないんだから」
「なら他に何がある? チハラギ、あんた一番未来から来たんだろ? タイムスリップの経験は?」
「は、初めてだが、それが?」
 キャーリがなだめてもまるで聞く耳を持たず、先程の勢いで半分はこぼれてしまった水をグリュックは飲み干す。グラスを空にしてもまだ、頭に上った血が戻らないようだ。
「ほら見ろ、科学じゃ無理なんだ。こんなふざけたこと、魔法使いのあいつにしかできない」
「落ち着いてグリュック。そもそも魔法使いは」
 隣に座るフィオレが声をかけたが、途中で虚を突かれたように言葉を失う。合わせたようにキャーリも目を伏せた。もどかしい沈黙に、グリュックは怒りのやり場をなくしている。
 伺うようにそっとドアが開かれたのは救いだった。
「ただいま、お兄ちゃん。今日はみんなで怖い顔してどうしたの?」
「ル、ルメ、おかえり。なんでもないよ。あ、紹介するね、僕の妹」
 五、六歳くらいだろうか。兄妹でそろいの茶髪はふんわりと風をまとっており、肌は膨らんだパンのように白く柔らかい。幼いながらも不穏な空気を感じ取ったのか、首を傾げ大人しそうに様子を伺っている。
「リベルタ神父は何て言ってた?」
「えっと、大丈夫だって」
「そう。あ、厨房の方に取り分けておいたご夕飯があるから先に食べてて」
 うなずき、ルメは入口からすぐ右へ脇道に逸れたあたりのカウンターを挟んだ奥へ向かった。姿が見えなくなってようやく、元の沈黙に戻る。

 点々と並べられたランプに火を点し、キャーリはグリュックの隣に座った。彼の頭に再び血が上ったとき、すぐ落ち着かせるためだろう。向かいには女性二人とヴェランが並び、俺はいまだ、席につかずテーブルの淵で立っていた。
「チハラギ、もう夜になっちゃったけど、今日はどうするの? 僕のところは既に一人いるから難しいんだけど」
「素直にティンのところへあがらせてもらえば? わたしの家も大きいのが泊まってるし、教会のイスに寝るわけにもいかないでしょ?」
 そうね、とカルミアが頷く。何も考えていない、と言うよりそこまで頭を回す余裕もなかったため俺は会話の流れを見守っていた。ティンの構える喫茶店は二階が自宅になっており、ずっと空いたままの部屋があるとキャーリが以前聞いたそうだ。
「ちょっと待て、魔法使いなんかのところに」
「グリュック。ティンはそんな人じゃないよ。君だって分かってるだろ?」
「確かに、グリュックの方がよっぽど悪人面してるよな」
「余計なこと言わないでよヴェラン。とりあえずまとめると、多分ティンのとこへ戻るのが一番いいよ。暗いけど、帰り道は?」
 子供じゃないんだから、とフィオナが水を差す。結局は夕ご飯にとサンドウィッチを二切れもらい、さらに夜が浸かってから外へ出た。
 太い川はスポンジのように夜を吸い込み、煌々と月光だけは跳ね返している。頼りないろうそくの明かりでは暗闇に少しも勝てず、危うくティンの開く喫茶店を行き過ぎてしまうところであった。店名は迷路の出口、と読むらしい。教えてくれたついでに、グリュックは明日、町を案内してくれると提案した。二つ返事で有り難くお願いする。
 クローズとひっくり返った看板をよけドアを開くと、もう帰って来ないと思ってた。そんな顔でティンは出迎えてくれた。子供二人はもう眠ってしまったそうだ。起こさないように、と人差し指を口に添える。
「面白い方達だったでしょう?」
「まだ冗談を聞いている気分だ。あんた、魔法使いなんだってな」
 淡い紅色のハーブティーを差し出され、甘酸っぱい香りを吸い込む。湯気は掴もうとした雲のように朧げで、温まった体はまどろみを感じた。
「まったく、グリュックには嫌われたものです。彼はそういったファンタジーがどうも苦手のようですから」
「否定してくれよ。夢から抜け出せない」
 ティンは軽く微笑むと、半分ほどしかまだ口を付けていないカップにお茶を注ぎ足してくれた。
「嘘なんて一つもありませんよ。さて、路地で寝ろとは言えませんし、部屋だけは余ってますから。しばらくはここで寝泊まりすることにしますか?」
「え? あ、あぁ。そうさせていただければありがたい」
 空き部屋を貸すにしても、多少の片付けがいるそうだ。自分でやると提案したがさらりと流され、さらにはお茶のお供にと丸いチョコ菓子を出してもらった。
 先にもらったサンドウィッチを食べてからチョコレートは口に含む。瞬く間に溶けていった。さすがに甘すぎて、すすぐようにハーブティーを口に含んだ。さっきは感じなかった程度の渋味が強調されて、何とも言えない顔を作る。カップをソーサーに戻すと急に力が抜け、綺麗に拭かれた白沢のテーブルに俯せた。
 蛍光色の夜に慣れた身にはあまりに暗い夜の底。必死に部屋を照らすランプの明かりがふっと消えてしまった。まるで誰かに、吹き消されたように。
「俺は、あんたを許さない」
 闇に溶けたカラスの声は霧散してしまい、後ろへ振り向けば既にランプの明かりが燈されていた。まるで何事もなかったかのように、カップの中は波一つ立っていない。
「どうされましたか?」
 物音にびくりと体を震わせると、ティンが階段から降りて来ていた。余程顔を青白くしていたのだろう。ティンは不安げに俺の顔を覗き込んだ。
「な、何でもないんだ」
「そうですか。まだ夜は冷えますから、毛布は多めに用意しておきましたよ」
 寒がっているものと思われたらしい。なんだか、別にそれで構わない気がした。タイムスリップしてきたと言い出して、その上幽霊を見ただなんて。馬鹿げている。俺は横に首を振った。
「上に昇って、右手に曲がった部屋を使ってください。散らかった部屋も多いですから、他のドアは決して開けないでくださいね」
 礼を述べ、手持ちのランプを一つ借りた。六畳間ほどの部屋にはこれといったものがなく、空の棚が一つと、簡易なベッドが壁際に寄せられている。棚の上へランプを掲げ、子供のような心持ちがして消さずに寝転がった。
 目が覚めれば、飛行機の座席に戻れるだろうか。そんな甘い夢も見れぬ程疲れていたようで、すぐに眠ってしまう。
「アレン」
 誰かの呼ぶ声がした。

『迷路の出口(花草セレ)』

『1』時代考証とかは・・・です。細かい年代出したのは後々出てくるキャラのためでしかないです。
『2』アーモンド 花 で検索してみてください。
『3』サンドウィッチ食べたい。
『4』やっと本筋にたどり着きました・・・。

『迷路の出口(花草セレ)』 東大文芸部 作

過去の魔法使いと、タイムスリップの原因を探す物語。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2014-06-13
Copyrighted

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