piscium capsa(前編)

piscium capsa(前編)

神は残虐である。 人間の存在そのものが残虐である。
そして、人類が如何に残虐を愛したか。
-江戸川乱歩より-


なぜ、人は明日を信じるようになったのだろう。


必ずしも明日が訪れるだなんて、そんな保証はどこにもないというのに、地球は回り、日が昇っては沈むという流れを当たり前だと信じきっている。


もし、あなたが突然死んでしまったとして、明日が来なかったとしたら、人々はそれを"偶然"と呼ぶのだ。

しかし。


僕らが見た明日というものは、少なからず偶然なんかではなかった。



そう、伝えたい。




舞台はとある探偵事務所から始まる。

12月13日。
私立探偵を営む青年、三好咲良(みよしさくら)はひとり事務所で退屈な時間を過ごしていた。
ここ最近の依頼はパッととしていない。
そもそも、基本的に儲かる依頼しか引き受けない、という方針からあまり頻繁に依頼はここに来ることはないのだが。
ただ、生活をしていけるだけの財産は十分にある。
金のためなら何がなんでも依頼をこなす。
それが三好咲良のポリシーであった。
男でありながら漂う女性のような色気、整った顔立ちに加え黒い髪とスーツを纏った姿は、は絵に描いたような美しさであった。
当然、それを利用して捜査をすることも少なくはない。
三好に財をもたらしたのはこの恵まれた容姿のおかげといっても過言ではない。
依頼も金も、彼の容姿に吸い込まれるかのように寄ってくる。
それだけ金になる依頼が世の中にあるのだと知ってしまうとやれ飼い猫の捜索だ、そこらのサラリーマンの浮気調査だなど、正直馬鹿らしくてやってられないのが本当なのだ。
現に、このような条件が揃っていればだれだってそうなるであろう。
たとえ断るとしても、この容姿でニコニコとして素直にすいませんと断れば大抵の人は嫌な顔はせず身を引いてくれる。
決して無茶はせず、それでいて利益を出す。
貧乏な幼少期を送った彼にとって、不自由のない生活を送れている現状は十分すぎるくらいであった。

いいや、楽して儲けられるという現状、それは彼なりの、過去の自分自身への一種の復讐なのかもしれない。


そんな彼が、一つの依頼を受けたのは営業終了時刻の2時間ほど前だった。
事務所の机に座りテレビをつけていると、とピンポンとインターホンが鳴る。
扉の穴から覗けば、なにやらとてつもなく巨大な、それこそ2メートルあるのではないかという男が立っていた。
少しの警戒心を持ちつつも、ハイとひとつ返事をして扉を開けた。

「探偵事務所、でよろしいんですよね…?」

体格の割にその声は温厚であった。
そうですがと言えば柔らかい表情を浮かべた男。渡された名刺を見れば"北東接骨院 医院長 北東志貴(ほくとうしき)"と印刷されている。
その北東をソファーに座らせると、彼は早速依頼の話を持ちかけてきた。

「えぇ、私、北東接骨院というところで医院長をしている者でして、…実は、奇妙なことが最近私の周りで起きているんです」

眉をひそめて不安げな表情をする北東。
筋肉質(しかもかなりの)な体格の割に随分とギャップの激しい男である。
北東が言うには依頼の内容はこうだった。
彼の言う通り、彼は接骨院を経営しているのだが、なにやら最近、彼になりすまして病院内に侵入している人物がいるそうなのだ。

「それなら、警察に行った方がいいのでは」

奇妙ではあるが大したことのない事件ではないか、と思った三好であったが、北東はそれを聞くなり首を横に振った。

「私じゃないんですが、私らしいんです」

意味のわからない言葉に思わず顔をしかめた三好だが、北東は慌てたように手をブンブンと顔の前で振った。

「いや、もちろん私ではないですよ!…ただ、どうにも、その場で目撃した人たちはあれは私に違いない、って言うのですよ」

北東の表情を見る限りふざけているわけではなさそうだ。

「二重、人格なのでは」

らしくもない回答をして三好は思わず苦笑いをする。

「いえいえ!その目撃された時間帯に、私は同じ院内の者と昼食をとっていましたから、絶対に私ではないんですよ」

ここまで来ると正直気にもなってきた。
もちろん、引き受けると決めたわけではないが、念のためにと三好は北東に質問をした。

「仮にそれをお引き受けするとして…、一応申し上げますが、前例のない事件なため少々報酬の方は高くなりますが」


「それは重々に理解しております!仮にも医院長ですから、そうですね。50万でどうでしょう」

50万。ひとつの、しかもこの程度の依頼にしては十分すぎる金額だ。
三好はわかりました、と答えて早々に依頼の手続きをはじめた。

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場所は変わってとあるアパートの一室。

「うん……?9時……か」

ぐしゃぐしゃになったベットから、とっくに鳴りやんだ目覚まし時計をぼんやりと眺める男。
連日のネットゲームのおかげで、男は大層眠そうにしながら目覚ましを右手で無造作に手に取った。
そして、しばらくするとようやくことの重大さに気づいたのか、ほんの数秒前とはうってかわって、はじけるようにベットから跳ね起きた。

「バイトぉおおおああ!!!!」

九重里留(ここのえさとる)、27歳。
バイトの出勤時間まであと1時間。


自慢の自転車をとばして数十分。
なんとかギリギリの時間につき、そろりそろりと仕事場に入る。
"おべんとういちのや"と胸元にプリントされた青色のエプロンをロッカーから取る。
急いで振り向いた先に巨大な壁があることに気付いた。

「先輩、遅かったですね。なんかあったんですか」

間抜けな情けない声をあげると動揺のあまり背を向けたロッカーにぶつかる。
壁の正体は北東三次郎(ほくとうさんじろう)
同じくこの店でバイトしてる、大学生…らしい。
というもの、三次郎の身長は二メートル近く。
おまけに物凄い筋肉だ。正直油断したら秘孔を突かれるのではないのかというくらい、いうなれば、アレ、まさに世紀末の救世主にそっくりだ。
誰だとはあえて言わないでおこう。

「い、いやぁ…昨夜から積み重なる労働が…」

三次郎は重低音の声でそうですか、という。
正直怖い。

「し、仕方ないね…」

そして自分も震え声だ、情けない。
怒ってるのか素なのか分からない三次郎の表情をうかがいつつも逃げるように職場へ向かった。



夕方。
仕事が終わりロッカーで帰る準備をしていると三次郎に声をかけられた。
ヒヤリとして、自分の罪を数えながら恐る恐る三次郎に返事をする。
と、いうのもここの所里留の出社はいつもぎりぎり、むしろアウトに近かった。
この大学生に見えない大学生に叱られる覚えはないが、しかし、もし自分の罪を裁かれるとしたら彼しかいないだろう。
足を震わせながら彼の様子をうかがっていると、飛び出してきたのは思いの他、拳ではなく言葉であった。

「すいません…こんなところで話すことではないんですが…」

「ふぁ」

相変わらず表情は変わらないがどこかかしこまったような雰囲気をした三次郎は少しためらいの間をあけて続ける。

「頼みたいことがあるんです」

「…お、おう……?」





「あ」

12月14日 午前8時。
12月といえどここらに雪は降ることなく、じんわりと寒いだけの街中を三好は歩いていた。
昨日の依頼の調査、ということで聞き込みの手始めとして、三好は開店1時間前の北東接骨院に来てたのだが、入り口でばったり、珍しい顔に会った。

「あ」

「?先輩、知り合いですか」

最悪だ、と互いに顔をひきつらせながら顔を見合わせた。
瞬時、脱兎のごとく反対方向へ逃げようとした里留だったが、ひょい、と三次郎につままれて、その逃走劇は呆気なく終わる。

「この病院に何か用ですか」

相変わらず礼儀正しい口調で話す青年に三好もすんなりと答えた。

「あぁ、私こういう者でして。ここの医院長様に依頼を受けてるんです。…もしかして」

「あ、はい。ここの医院長の弟です」

やはり、といった具合に三好は三次郎を一瞥する。
どう考えてもこの大きさの遺伝子を持ってるのはここの医院長くらいだろう。
三次郎は渡された名刺をじっと見ている。
探偵、という文字に動揺しないところを見るともう状況を把握しているのだろう。

「今日は少しここの方にお話をうかがおうと思いまして…、失礼ですが、お名前は」

「三次郎です。北東三次郎」

「では、三次郎さん。開店前ですが少し失礼させていただきますね」

そういうと、三好は一礼して院内へと入っていった。
宙ぶらりんの状態の里留はジタバタしていたが地面におろされるとぎゃふんと声をあげる。
打ちつけた腰をさすりながら三好の背中をチラリと視界に入れた。

「ハァーッ、アノやろう、スカしやがってよー!腹立つわぁー」

「そうですか?礼儀正しいイイ人でしたが…ていうか先輩なんで急に走り出したんですか」

里留は分かりやすくギクリとすると口をモゴモゴさせた。
昨日の夕方、バイトが終わって帰るところ、里留の元にやって来た三次郎はとある奇妙な事件について話しはじめた。




「お願いします!!」

「え、あっ、いやぁ…お、お願いします、って言われても…なぁ…」

三次郎の話した事件とは志貴が三好に依頼した話しと同じことであった。
自分の兄の病院でそのような犯罪が起きてるなど許せない、と三次郎は言う。
里留は困ったように苦笑いをした
正直、自分に関係ないことなど手伝いたくないし、第一そんな危ない人相手にするなど一歩間違えばお釈迦になるのではないか、という思いが里留の脳内で泳いでいた。

「あー…ほら、お俺、お琴のぉ」

「頼れるの先輩だけなんです!悪に裁きをくだすのを手伝ってください!」

「…ウィッス…」

この男を目の前に断われるはずがない。

こんな図体のでかい男に手をがっしり掴まれて、お願いします!!だなんて言われたらもう、「はい分かりました」か死ぬの2択しかないに等しい。

答えはYesしか認めん!!って言われてるようなもんだよ!!などと内心ヒーヒー言い、白目をむきながらひきつった顔をしていると、そのまま三次郎にブンブンと握手をされた。


それが昨日までの話し。
そして今日はその調査からはじめよう、とのことで病院にやって来たのだった。

「あー…お前そりゃぁ、…ひ、一足先に…?調査にぃ?行こうってぇ…?」

バレバレのウソ、死ぬ承知で言ったようなもんだから声が完全に裏返ってる。
ヤベェよヤベェよ…と変な汗をかいてると、三次郎は右手を振り上げ、そのまま自分の左手のひらにおろした。

「なるほど、先輩、そんなにやる気があったとは…すいません、余計なことして」

「は」

「お見それしました先輩!!ではさっそく向かいましょうか!!」

「えっ、ちょ、そういうことじゃなくてあああああ」

勘違いしてくれてよかったと思うのもつかの間、里留は正義の塊にずるずると引きずられながら病院の中へと入っていった。
ゆがみがないとはこういうことか。里留の絶叫が辺りに響きわたった。





「なるほど…、やはり、志貴さんとは瓜二つだった、と…」

院内で聞き込みをしたがほとんどは昨日聞いたことと同じで、大して変わったことはなか
った。

三好は手帳をパタリと閉じ、ナースの一人に一礼すると一人になった。
聞き込みの内容をまとめるとこうだ。
犯人であろう偽物の志貴は、本人がいないであろう昼時、そして閉店前の慌ただしい時によく見かけられたそうだ。
この接骨院は診療所といえどもそこそこ大きく、患者も毎日かなりの人数が来ているらしい。
つまり、ここで人混みの中に紛れ込むことは容易いことなのである。
そして、興味深いのはその犯人が出現する場所である。

「デスクにいることもありますけど…、その、資料室で何度か見かけて…」

どうやら、犯人はここの医院長に扮して、この病院にある資料を漁っているらしいのだ。
何について調べているのかは分からないが、まぁ大方予想はつく。
とりあえず他のここいらにある病院を当たってみよう、と、眺めていた手帳を黒いバックにしまった。

と、その時。

「あ」

「あ」

玄関ロビーにてばったりと遭遇したのは先ほどの二人だった。
三好は片方の男を見つめて顔をしかめた。

「あ、どうも探偵さん。もう、いいんですか」

頭上から聞こえた声に、はい、と答えると隣の男に視線を移す。
みれば男は舌を出して視線をあちこちにおよがせながら、よく分からない表情をしている。

「…、なんだ、その顔」

「ハァ、元からこの顔ですが、ていうかどちら様で?」

とぼける里留の顔に三好の手帳が直撃する。里留は何やらよく分からない声を腹から出した。

「探偵さん、先輩と知り合いなんですか?」

「いや……まぁ、ただ学生の頃接点があったってだけですよ」

「腐れ縁だバァカ!!あーくさいくさい!腐ってくさいわー!」

うるさい、と低めのトーンで返すと三次郎に向き直り、「それでは、私はこれで失礼します」と、一礼してその場を去ろうとした。

「あ、探偵さん、ちょっと待ってください」

三次郎引き留められ、背を向けたまま三好は少しばかり苦い顔をした。
正直、なるべく早くその場を去りたかったのだが、罪のない三次郎に邪険な態度をとるわけにもいかず、何食わぬ顔で三好は振り向いた。

「どうかしましたか」

「あぁ、いや、実は僕らもこの事件の犯人を探してまして」

「はぁ」

三次郎は三好の相槌の後、少々申し訳なさそうに(といっても相変わらず厳つい)微苦笑をして、大きな体を少し折り曲げて頭を下げた。

「それで、大変厚かましいことではあるんですが、その捜査に同行させていただけないでしょうか」

驚いたのは三好だけではなかった。

「えっ、ちょ、三次郎くーんちょっと」

「すいません、先輩…しかし、やはりプロの方もいた方がいいかと…」

何てことだ、といった具合に二人は額を押さえた。
これが腐れ縁の力というやつか。
「しかし…」

「お願いします、この通りです」

三好は断ろうとした。
しかし、こんなにも厳つい大男がここまで礼儀正しくお願いしてくると流石の彼も断りづらかった。
しばし、相手のようすをうかがうと、聞こえないようにため息をつき三次郎に視線を戻した。
「…わかりました。でも、そのかわり、捜査の流れはこちらに合わせてもらいますよ。里留、お前もだ」

ファッ!?と不満そうな顔をする里留。
ありがとうございます、と深々と礼をする三次郎をよそに二人はまたため息をついた。
めんどうなことになった。元々馬が合わない二人だ、まさかこんなところで協力しなければいけなくなるとは。

「いやぁ、心強いです!仲間は多い方がいいですからね!!」

お前の方がどうみても心強い、と、言いたいが、二人は眉間にシワを寄せたままただ無言でうなずいた。


三人はその後、近くの喫茶店に移動すると、気を取り直し今後のことについて話し合うことにした。

三次郎と里留の向かい側に三好が座ると、ウェイターが水を置きにやって来た。

「あっ、お姉さん俺プラペチーノでー、お代はこのロン毛にっ☆」

「お前は自分で払え。…で、三次郎さん」

里留がつまらなさそうな顔をするのを他所に三好は話を進める。
昼時ということもあって、喫茶店は大分人で賑わっていた。
出入りする人々を見ていた三次郎は三好に名前を呼ばれると視線をこちらに戻した。

「あ、タメでいいですよ。僕、年下ですし」

「…心がけます。その、何か心当たりとかは」

まだ少し距離感がある口ぶりの三好に対し、三次郎は変わらぬ様子で答えた。
とりあえず、三次郎も同様に知っていることは大体一緒だった。
三好は話を聞き終わると、鞄からデジタル式のパッドを取りだし、周辺の地図を二人に見せた。

「二人とも住んでるのはここら辺だし知ってるとは思うが。…とりあえず病院繋がりで周辺の病院を当たろうと思う。それでいくと、ここ。この病院に絞られるわけだ。…ひとまず営業終了近くの時間帯に行こうと思う。何か手がかりが掴めるかもしれない」

三好がボールペンで指した先にはデジタルの文字で"東方病院"と書かれてあった。

とうほうびょういん。

「えっ」

鼻の下に呑気にクリームを付けていた男が急に立ち上がった。







東方病院。ここいらでは一番に大きな病院で、専門家や設備も十分に整っている、いわゆる総合病院だ。
ここら辺では珍しい科も配属されており、人もかなり賑わっている。
その証拠に、営業終了時間近くになってもまだ多くの人が並んでいた。
結局、三好たちの番がまわって来たのは終了時間を二時間過ぎた夜の8時をまわった頃だった。

「いやぁ、待たせちゃってすまなかったなぁ~」

おっ、色男~、と陽気に話すのはここの病院の全体の外科を取り仕切っているらしい、高瀬麻里と言う名の女性外科医であった。
見た目は20代後半か30代だろうか。
金髪で長い髪をくくっているのが印象的である。

「生憎医院長はここ2、3日出張でねぇ~すまないな」

医院長もこんな色男に会えないだなんてつくづくついてないなぁ、と言うところを見るとここの医院長は女性らしい。
豪快に笑う麻里だったが、すぐさま我に返り、すまんすまん!!と微笑み返してきた。

「でー、話ってなんだ?」


「いや、実はここ周辺のとある病院で不審者が出てるという依頼を受けましてね。もしかしたら、こちらでもそういった方、見かけてるかと思いまして」

んー、と考える麻里だったが、少しの間を置いて首をかしげる。

「もしくは、何かデータが流出してたり、紛失した、とか」

「さぁ…、とりあえず、今のところそういうおかしなことは起きてないな」

頭をわしゃわしゃとかいて、自分の記憶をたどっているようだったが、心当たりはないらしい。
とりあえず、他の病院は関係ないのだろうか。
三好はメモを手帳に書き留めると、そうですか、と厳しい顔をした。

「先輩ー、ほら、三好さん聞き込み始めてますよ」

「ウァアア俺は!!俺はいい!!よせって!!」

沈黙を遮るように聞こえた声は里留の叫び声だった。
それが聞こえたのと共に、三次郎にズルズルと引きずられこちらに向かってくる二人が見えた。

「あれ」

「?」

二人に気がつくと、麻里は急に驚いたような顔をした。

まるで珍種を見つけたかのように目を丸くすると里留を指差した。

「九重じゃないか!」

「え」

麻里に名前を呼ばれると里留はビクリとして目を伏せたままそのまま動かなくなった。
ヤバイ、といった顔をしている。
確かにこの男は九重里留だが、なぜ麻里知っているのだろう。
そう思った時、三好はここが病院であったことを思い出した。

「お、お久しぶりどぅえーす、へへ…」

「お久しぶりでーすじゃないだろ!お前、病院やめて、一体なにしてんだよ」

剣幕というよりは懐かしそうに、麻里はかなり驚いた様子でペラペラと里留に話しはじめた。

「大丈夫ですよ、先輩は弁当屋で立派にバイトしてますから」

バイトっていうなよ!と里留が三次郎に囁く。
その様子をみて麻里は音を立てて吹き出してしまった。
そして、終いには腹を抱えながらハッハッハと豪快に笑い始めた。

「あ、すまんな探偵さん。コイツ、あたしの後輩でな!そうか~弁当屋で…ブッ」

「……ウィッス」

白目を向いて愛想笑いする里留、それをみて麻里はさらに面白そうにした。

「まぁそんな嫌そうな顔するなって、またいつでもこいよ」

笑ってはいるが、その言葉は里留を思って言っているようにも聞こえた。
ちょうど、奥から麻里を呼ぶ声が聞こえ、もうそろそろ戻らなきゃといったように頭をかいた。

「あ、すいません、お忙しいとこ。あの、これ良かったら」

「あぁ、悪いねぇ、まぁまたいつでも来てくれよ」

九重のお友達に免じてな、とウィンクをひとつかまし、三好に渡された名刺を受けとると颯爽と声のする方へ去っていった。

「…お前医者やめてニートかよ…」

「もういい…帰る、俺は帰るぞぉ!!」

ウワァァァとやけになりながら九重は走って外へ行ってしまった。

取り残された二人はポカンとした表情で里留の後ろ姿を見ていた。

段差でこけたことは見なかったことにしよう。



結局、里留も帰ってしまったということで今日は解散することにした。
里留にはメールで連絡するとして、明日はまた北東病院で待ち合わせようということになった。
夜道で白い息を吐き出しながら三好は事務所までの帰路を一人で歩いていた。
別れ際、なんてことを話したわけではないが、三次郎が言った言葉が三好の奥底でなんとなく引っ掛かっていた。

「なんていうか、早く解決しないとって感じがします。…なんとなく、そんな感じが」

本人も心当たりがあるわけではない、と言っていたから気にする必要はないのだが。
三好は自分もどこかで脳がざわざわと嫌な揺れをしている、そんな感じがした。


12月15日、朝8時。

昨日と同じように三次郎と里留は北東病院の前に立っていた。
正直行きたくなかった里留だったが、朝ありがたいことにも優秀な後輩の三次郎がお迎えに参上していたため、行くという選択の他はなかった。
厚手のグレーのコートに赤いマフラーを付けている里留だが、まだ寒そうに自分の両腕を擦っている。
なにせ、里留の隣にいる男はこの真冬の朝に夏のような半袖の白Tシャツを着ているのだ。
見ているだけでこちらが寒くなるのも無理はない。

「お前、寒くないのか…」



「いえ、自分、トレーニングをしてきたばかりなので」

「アッ、そう…」

オーラのように彼の体から出ている湯気をみて、コイツだけは敵にまわしてはいけない、里留は改めてそう思った。
また少し沈黙という気まずい空気(主に里留にとってだ)が流れたところ、丁度いつもと同じように黒スーツに黒いコートを着た三好がやって来た。

「悪いな、遅くなった」

しかし、いつもと変わりない彼にひとつだけ、昨日とは明らかに違うことがあった。

「いやぁ、わりぃわりぃー三好、目覚まし鳴らなくてさ!!」

彼の後ろにもう一人男。
呑気そうに笑うその男をまじまじと動揺の目でみる里留。
それに気付いたのか、三好が目で彼を指して紹介した。

「こいつは今日から捜査の手伝いをしてもらうことになった。安心しろ、俺の高校の友人だ」

「風見優太っていいまっす~三好がお世話になってマース」

よろしくー、と手をヒラヒラふる風見。
依然として状況が読めない里留はまだ視線を左右に揺らしていた。

「お前、友達いたんだ…」

「あ?」

なぜ、彼が加わることになったのか。それは遡ること数時間前。
昨夜の帰り道での話になる。


病院を出てすぐのことであった。
三次郎の言葉を心の奥につっかえながらも、事務所への帰路を辿っていた三好だったが、途中でピタリと足を止めた。
ヒタヒタと目の前の暗闇からこちらへと向かってくる足取りに不信感を抱いた三好は歩みを止め、じっと近づいてくるその影を見つめた。
もしや犯人が勘づいたのか?とも思ったが、瞬時歩み寄ってきたその影は電灯に照らし出された。

「風見…?」

聞き覚えのあるその声の主を見れば、あちらも気づいたようで、驚いた顔をしながらこちらに早足で寄ってきた。

「その声は…三好…?」

わずかに緑がかった髪を揺らしながら、風見はサングラスをサッと外してじっと見つめた。

「おわぁあやっぱり三好か!!ひっさしぶりだな…!」



まさかこんな所でばったり会うとは。喜びよりも驚きの方が先行している三好だったが、すぐに元の表情に戻り、ほんのり口元を緩めた。
興奮しているのか、落ち着きのない風見を「落ち着け」と一言なだめる。

「なにしてんだよ、こんなとこで…、ずいぶん長い間連絡取れなかったから心配してたんだぞ」

「いや、実はアメリカに長い間行ってたのよ、ほらほら、ちょーど今帰り!!ほら荷物!!風景変わっちまっててフラフラしてたんだわ…」

見れば赤いキャリーを後ろに引き連れていた。
大きな荷物は直接家に送ったらしく、外泊できる程度の荷物をもって空港からの道をフラフラと迷っていたらしい。困ったようにわさわさと髪をかくと苦笑いをした。

「お前こそ、何してんだよ」

「ちょっと仕事の関係で。俺今探偵の仕事してんだよ」

へぇ!と驚く風見は興味があるのかグイグイと質問をしてくる。
元々、好奇心が強い奴だ。今調査をしている奇妙な事件の話をすると一層に目を輝かせた。

「すげぇな!ドラマみてぇじゃん」

「ドラマなんてこれっぽっちもねぇよ。今日も大した情報つかめなかったしな」

「はぁー、大変なんだな、探偵って仕事」


チラリと目を左腕に移すと時間はまもなく9時を指そうとしていた。
これからどうするのか、と風見に聞けば、呑気にあー、と声をあげてばつが悪そうにはにかんだ。

「いやー、まぁ単純に帰るんだけど道がさぁー。まぁ聞けばいいんだけど…、なんかもう寒いし。…久々に会ったし泊めてくんね?」

「別にいいが…、事務所だしそんな広くないぞ」

「あぁいや!!全然OK!!悪いなー、なんかもー帰るのも面倒で」

大雑把なところも昔とかわりなかった。三好は呆れた顔をしてるがどことなく嬉しそうにため息をついた。
事務所についた後、思うままにいろいろと話をした二人だが、突然何を思ったが風見が「あ」と声を出した。

「あのさ、今日泊めてもらった礼といっちゃあれだけど、良かったら手伝うぜ、その依頼」

最初は三好もそんなことしなくていいと言ったのだが、いいからやらせてくれ、仕事はしばらくないから、と粘る風見に負け、仕方なく了承したのだった。
昔から興味をしめしたら決して退かない性格であった。

「まぁ、よーするに、家に帰るのがメンドーで、しばらく泊めてもらうから、宿代替わりにコイツの仕事手伝うってやつね」

「まぁやだぁー、このロン毛野郎ったら人使い荒い役立たずの銭ゲバ~あいたっ」


煽る里留をひっぱたくと三好は構わず一言「行くぞ」とだけ言って院内へと入っていった。
それをみて風見、三次郎も追うようについていく。
里留も渋々ついていこうとしたところ、彼の悪知恵が脳を過った。

「これはもしや、…俺がとんずらできる確率が…?」

「先輩ー、なにしてるんですかー、いーきますよー」

「ハッハッハァー、三次郎くんーそう急かすなってぇ~、…ハァ」

とりあえず、自分はとんでもないモンスターに見張られていたこと、それを思い出して諦めた。



院内に入り、三好ら四人は依頼主の志貴のことを待っていた。
本当は質問に来ただけだったのだが、何やら新しいことが分かったらしく、それを伝えたいと言われ彼の準備ができるのを待つことになった。
8時半を回った頃、ようやくあせあせと白衣を整えながらやって来た志貴が見えた。

「すいません、今日ちょっと予約が多くて少し立て込んでて」

聞くところによると、今日は開始時間からみっちり診察が入っているらしい。
たしかに周りをみれば診察券を置きに来ている人たちでもかなりの人数がいた。

「大丈夫ですか?」

「あぁっ、いやいや、こちらも話したいことがありましたし、それでなんですが…」


昨日、犯人らしき人物が現れた、と志貴は話始めた。

「その場で捕まえられなかったんですか…?」

「見つけたの私じゃないんですよ。それで、なんか誰か呼びにいこうとしたらいなくなってたらしくて…また、資料室にいたらしいです」

この病院の資料室というのは、受付を左に行き、通路の突き当たりを右に曲がった一番奥の、向かって左側にある。
前にもいったが、この病院は接骨院と言えどそこそこの大きさだ。
受付から大分離れたその部屋は忙しい従業員にとっては目が届きにくい場所でもあった。

「それで、大体いたらしい所の資料を見てみたんですよ。そしたら、名簿とか、その日の患者数が書いてあるやつだったんですよ、そこの資料」

名簿、患者数、そして今までの証言、全てのキーワードが三好の脳内を駆け巡る。
そして、チラリて辺りを目だけで見回し、志貴に訊ねた。

「志貴さん、今日って、たまたま人が多い日ですか?」

三好の質問にキョトンとする志貴。里留は相変わらずボーッとよそ見をしているが、残り二人は頭に疑問符を浮かべた。

「え、あー…いや、そうですね、今日は定期的に来る方たちがたまたま密集していて…」

「…成る程」


全てを悟ったのか、三好は手帳を閉じ、改めて志貴に向きなおした。

「あれ、もう質問いいんですか?」

「はい、もう十分きけましたから。…ただ、少しの間ここにいてもいいでしょうか」

またもキョトンとするが、快く志貴は了承してくれた。
何がなんだかはわからないようで、首をかしげてはいたが、営業時間もちかくなってきたようで、そろそろ戻らなければいけない雰囲気になってきていた。

「あ、それじゃあ、私はここで…すいません、なんかあわただしくて」

それだけ言うと志貴は巨体を走らせ奥の方へと消えていった。

「三好、どゆこと?」

三好以外は誰も理解していなかったようで風見は口をとがらせ聞いてきた。

「多分、今日また犯人は来る。どういう形かは分からないが」

当然、どういうことだという表情になる。三好は先程巡らしていたキーワードをたよりに説明をしていった。


「名簿、患者数、まぁ言わずも人と数が関係してくるわけだが。それに犯人が現れた条件を加えると人が多い日、時間帯になるわけだ」

「まぁ、そりゃそうだけどさ、それって今日と何か関係あんのか」

要するに、と三好はもう一度順を追って説明をしだした。
これまで犯人は何回も足を運んでいたにも関わらず行動と言えば資料室をあさるだけであった。
もしかしたら、犯人は特定の何か、または何者かが来る日を狙って来ているのかもしれない、と三好は考えたのだ。

「今までの法則で言えば今日の"人が多い"って条件もあるし、それと定期的に来る人が密集している日ってのも何か引っ掛かる。当たりかどうか微妙だが待つだけの価値はあるはずだ」

「成る程ねぇ…」

風見と三次郎は納得したようにそれぞれ反応を示した。

「そういうことだ。二つに別れて様子を見る。風見と俺、三次郎…と、…おい」

「ふぁ」

完全に立ち寝を仕掛けていた里留をにらむとへらへら笑い返してきた。

「やだな~聞いてたから!なに、帰ればいいの?」

三好は、黙ってその寝ぼけた男の頭を拳の裏で殴った。




里留と三次郎は入り口付近、三好と風見は資料室付近で待機するということにし、四人はそれぞれの場所で混み行く院内を眺めていた。

「ふぁ~……あーあ…」

暇だ。こんなことならゲームでも持ってくればよかった、と里留は心のなかで呟いた。
隣に座る男は相変わらず厳ついオーラを纏ったまま、拳を膝にのせて姿勢正しく座っている。

「…三次郎、暇じゃないの?」

「いえ、敵に隙をみせたらいけませんから……」

「アッ、ハイ、」

資料室付近、暇そうに項垂れている風見はちょくちょくと隣で新聞を読んでいる三好にちょっかいを出しては落ち着きなくキョロキョロと辺りを見回していた。

「風見…」

「だって暇なんだよ~…三好さまさまなら大体犯人の予想ついてるんだろぉ?」

「知らねぇよ。まぁ、客に紛れ込んでる誰かだろうけど」

大方、ストーカーか営業妨害だろうが、と三好は言う。

「そんだけわかってりゃすげぇよ。俺、全然わかんねーし」

口をとがらせぼうっと宙を眺める風見はふてくされたように呟く。

「お前昔から頭良かったしな、愛想悪いけど」

「お前も、がさつなの昔から変わんないよな、適当なのも」

今流行りのツンデレかー?と茶化す風見を三好は軽く流す。
あまりにもうるさいので注意しようと新聞を閉じた先に、三好はとあるものを見つけた。

「おい、風見」

「ん?どうし…」

わらわらと人が溢れている中、白衣をまとった男が、まるで人に見つからないよう足早に資料室のある通路へと入っていったのである。
顔はよく見えなかったが、聞き込みをした時には見なかったような従業員だった。
二人は後を追うようにその通路へと足を忍ばせた。
通路を見れば人影は消えていたが、その部屋へ顔を出せば容易に見つけることができた。


「こんにちは」



三好が得意の完璧に作り上げた探偵の笑顔とやらを向けて話しかけると、油断していたのか、人影はビクリと肩を震わせた。
クシャリと紙と紙が擦れる音が響く。

「すいません、驚かすつもりはなかったんですが。」

ブロックのように分けられた資料は、間からどこに人がいるのか人目でわかる。
一歩、一歩と本棚の並ぶ中を三好は歩いて行く。

「探し物なら、お手伝いしますよ」

ぴたり、と三好が一歩をきめたその時、奴の足が動いた。

「風見!」

反対側から逃げようとした男を食い止めるべく後ろの風見に指示を出す。
男は一直線に風見の待ち構える出入口に向かっていく。

「まかせろぉ!かかってこいコソ泥ぉ!」

風見は思い切り男の足元めがけて足を振りかざした。

キマッまった。
そう、思ったその瞬間だった。

「あっ」


ドゴォンと鈍い音が辺りに響き渡った。

風見の蹴りはたしかに男の足元を的確に狙っていた。
しかし、その軌道の先にあった物体に、風見は気づかなかったのだ。
つまり、足を払おうとしたその蹴りは男に届くことなく、軌道にあった段ボールを鮮やかにありあげてしまっただけだったのだ。

「いっだあああああ」

それなりの重みのあった段ボールを天井に届くほど蹴りあげた風見は痛みのあまりしゃがみこんでしまった。
そんなこと関係なく男は好機とばかりに走り去っていった。

「なにやってんだオイ!くっそ…!」

挟み撃ちするつもりだった三好にとってこれは予想外の出来事だった。
追いかけるように飛び出した三好だったが、とっさに携帯を取りだし、里留に電話をかけた。
里留たち二人はちょうどトイレから帰ってきた所だった。

『もしもし』

「ふぁ、なに、」

『犯人の男がそっちに行った!服装は白衣に眼鏡を…』

三好がそう言いかけたその時、里留たちの目の前の通路の角から男が飛び出してきたのだ。

自然と電話を離して二人は目の前の男に釘付けになった。

その時の心情を表すなら点だ。
数ミリの感情をいれる隙間もなく事は進み始めたのだ。
突如として男は里留たちの前に現れ、そしてこちらに向かってきたその瞬間、床から発する赤い色の光に照らされたかと思うと、みるみるうちに黄土色へと変化してゆき、そしてドロドロと粘土のように崩れ落ちていった。
一瞬の間の後にそこら一体は悲鳴に包まれた。
理解できない状況に里留も目を丸くしてたらりと汗を一筋垂らした。
強ばって体はとてもじゃないけど動くことなどできない。

「…!」

男と同じ道筋でやって来た三好。その後ろでは痛そうに足をひきながら風見が走ってきていた。

「いてて…んぁ、なんだこの泥?」

ぐちゃりと風見がその泥を踏んで確かめるその姿を見て里留は一層顔を青くした。

「うぁああああ!おい!こら!やめ!おやめなさい!やなさい!」
ハッとして取り乱す里留をみて風見も驚いたように足を浮かす。
まったく状況が理解できない。
ただこの塊がただならぬものなのだとは分かった。
どうしたんだ、と聞く三好に里留は顔をひきつらせ自分でも信じられないといった具合に話した。


「お、…男が、粘土になった…」

カラン、と粘土に紛れていたメガネが音をたてた。





ちょうど昼を過ぎたくらいの時間だった。
冬晴れの空は雲ひとつなく、低い位置で移動する太陽が淡く輝いていた。
その空には胸をざわつかせるようなパトカーのサイレンがしきりなしに鳴り響いていた。
北東接骨院は午前中にもまして人で溢れかえっている。
半分は野次馬、もう半分は警察と関係者といったところか、その二つは黄色い"立入禁止"のテープによって分けられていた。
中の方では、現場にいた人物や目撃者による取り調べが行われていた。
もちろんその中に三好たちは含まれており。
四人はそろって警察の調書を受けていた。

「もう一度聞く。ほんとーに、その男はお前らの前で粘土みたいに溶けたんだな?」

「だからそう言ってるじゃないすかー!な!?三次郎!」

「とんでものない化け物だ……」


溶ける瞬間を目の当たりにした里留と三次郎は何度も何度も繰り返しにたような質問をされ、その度に信じてくれと言わんばかりに必死に説明をしていた。
どうやらこの若い刑事、槻上脩二は少々二人を疑っているようだった。
それもそうだ。
人間が粘土になるなど、そんなことを、ハイそうですか、と信じる方が難しい。
三好自身も最初は信じることができなかった。しかし、粘土にわずかに残る温度と男の身に付けていたメガネが混じっているのを見て、その泥屑がかつてあの男であり、たしかに人間であったと証明していた。
現場にはもちろんたくさんの人がいたわけだから、残った粘土と証言により、警察もそれらの事実を受け止めざるをおえなかったのだ。
ただ、一人を除いて。
未だ納得のいかない槻上はしつこく二人に質問を繰り返していた。
さすがに見るに見かねない、と調書の終わった三好はその間に割って入った。

「…なんですか、まだ取り調べ中なんですが」

「もいいいじゃないですか、二人の言ってることも本当なんですから。嘘かどうかなら目撃者全員に多数決でもとらせりゃ分かりますよ」

三好の冷めたような言い方にカチンときたのか、それとも正論を言われたからか、槻上は分かりやすいくらい面白くないといったような顔をした。
言い返そうと口を開いたが、背後から「そうですよ槻上さん」「し、仕方ないですよ、これだけ、証言あるんですから…」と、他の部下から宥められ、ばつが悪そうに開けた口を渋々と閉じて決まり悪く口をモゴモゴとさせた。


「……チッ……遺留品は!!」

「はい!!全て回収しました!」

「なら早く鑑定にまわすぞ、早くしろ!!」

顔をしかめたまま槻上はプイッと振り返りその場を立ち去ろうとする。
部下たちも焦りながらその後を追う。
あ、と、三好は槻上のことを引きとめた。
正直早くその場を立ち去りたかった槻上はさらに面白くなさそうに顔をしかめて三好の方へ振り向いた。

「…なんです」

「私、あぁ、まぁ他の刑事さんにも話しましたけどこちらの医院長さんに雇われた探偵でして。よかったら、これ」

内ポケットにしまってある名刺ケースを取りだし、一枚事務所の電話番号が明記してある名刺を槻上に手渡す。
槻上は受け取った名刺を目を細めながら眺めた。

「ふーん…そりゃどうも。…おい、行くぞ」

そうしてすぐさま、部下を引き連れその場を立ち去っていった。

「オーコワッ!!国の役人さんたちコワイワー、お前よく名刺なんて渡したなブルジョア気取り?」


「うるせぇな、バカと鋏は使いようだ。警察も捜査の道具なんだよ」

「で、デタ~~~腹黒!銭ゲバ!」

三好は里留を無視して他の客に頭を下げている志貴のもとに歩み寄っていった。

「あ、三好さん…」

「すいません、こんなことになって」

予想外とはいえこれは探偵側として多大なるミスだった。
三好は志貴に頭をさげるが、志貴も「頭を上げてください三好さん、こんなことだれも予測つくわけがないですよ」と、フォローをする。

そう、予測、なんてつくわけがないんだ。
これは、常識なんかかき集めたところで分かることではないのだ。
ふと、三好の脳裏に再び三次郎の言葉が頭を過った。
"早く解決しないといけない、そんな気がする"
もしかしたら踏み入れてはいけない事件に私たちは挑もうとしているのかもしれない。
三好は、疑うように外の空を見上げた。
空は夕方に向かい赤く染まり始めていた。





夕方、今後の事について話し合うためにと、四人は事務所に集まっていた。
その前に三好は三人に本当にこのまま捜査に同行するのかと尋ねた。
事実、これはただの不法侵入者を捕まえるという事件ではなくなってきているのだ。
本来この件とは無関係な三人に、これ以上手伝いを強要するというのはいささか心もとない。
と、いっても心配ないと風見と三次郎は言うのだが。

「アッ、じゃあ」

里留は早々に、じゃあ俺はここで!アデュー!と言いかけたが、三次郎に「先輩も手伝ってくれますよね?」という一言をかけられ「せやな!」と汗をたらしながら言葉を返していた。

事務所に着くと、三好は靴を脱ぎ三人を招き入れる。
「うぇーいエロ本探そうぜぇ~エロ本!ヒャハァア」

いやらしい顔で騒ぐ里留。
二人に続き入ろうとする彼の肩を三好がグイと引き戻した。

「え、何」

「誰がお前に入っていいって言った、お前、玄関な、玄関」



「なんでだよ!」

なんも働いてない奴にやるスペースはない、とひとつ吐き捨てられ里留は玄関マットの上にポツンと取り残された。

「あぁ、俺たちのいる部屋のドアは開けとくから、話は聞いてろよ」

あ、こいつやっぱ嫌いだ、里留は心の中で盛大な舌打ちをかました。
さて、里留を除いた三人はというと、今後の事について、操作の予定をたてていた。
とりあえず警察の元にもう一度行くことは必須であろう。
おそらく今日槻上がいっていた鑑定が明日には出ているはずだ。
教えてもらえるかわからないにしても、行ってみるだけの価値はある。

「つーかよ、三次郎ちゃん帰れんの?今日?」

ある程度の予定は決まったが、風見がひとつ心配そうに三次郎に問いかけた。
三好は話し合いが終わってから、ささやかではあるが二人に夕飯を作っていた。
ソファーにかけて話す二人の奥には里留がぼんやりと玄関で腰かけていた。

「まぁ、おそらく…」

風見の質問に険しい表情をする三次郎。
別に志貴は悪いことをしたわけではないが、他の処理のためにしばらく家に帰るのは遅くなる、と今日の帰り際に言ったのが、風見には聞こえたのだろう。
風見はうーんと参ったといった顔をする。
そこで何を思い付いたか、三好がご飯を運んできたのを見てポンと手を打った。


「捜査の間ここ泊まったら?」

「は」

パスタを両手に持ちながら三好は突然の発言に眉をひきつらせた。

「な?いいだろ~同じパーティーなんだからさぁ…」

「いや、パーティーって…」

「そんな、風見さん、悪いですよ…三好さんにも」

三好はチラリと三次郎をみたがなんというか、まぁ結局相変わらずよくわからない顔をしている。

「どうせ集まるんだからさぁ、あれ!食費なら俺も出すから!」

なんだか完全にはめられたといったと感じる三好。
しばし唸るように俯いていたが茶化したように顔の前で手を合わせる風見を見て「勝手にしろ…」とパスタだけおいて奥の方に食器を取りに行ってしまった。

「わーやったな三次郎ちゃん!!三好のお許し!キタ!!」

「大丈夫なんですか……?」

「だーいじょーぶ、あいつ、ああみえて結構いいやつだから、遠慮することねーよ」



なんだかえらいことになった。フォークとコップを取りにキッチンに来た三好は項垂れるように食器棚にしがみつき曇った表情をしていた。
騒がしいのは少し苦手だ。
とはいったものの、なってしまったのは仕方ない。
今日何度目かわからないため息をつきながら、キッチンのある部屋を出た。
ふと、玄関にいる奴を思い出した。
あぁそれならこいつにも言わなきゃならないのか。
三好はくるっと玄関の方に体を向けた。

「おい、九重…」

玄関に座っている里留。

彼はどこから出したのかわからないハーブティーを真っ白な食器に淹れて優雅にくつろいでいた。
しばらくの間の後に里留の背中に彼の蹴りが入ったのは言うまでもない。





十一


12月16日、朝。
時刻は6時半を回った頃か、玄関で里留はその狭い空間を存分に堪能しながら眠っていた。

「オイ、起きろ」

ぐるりと毛布を剥がれ、ゴロゴロと靴の上に転がって目が覚める里留。
見上げればいつもと同じように冷めた顔をした三好がこちらを見下ろしていた、

「特別に中入れてやる、早くしろ」

グイとつままれ事務所に放り込まれる。

「ちょ、何ィ!?まだ時間早いし!!…ん?」

放り込まれた事務所ではソファーに座る二人がノートパソコンを目の前に難しい顔をしていた。

「え、なに、なにしてんの」

「昨日俺にURL付きのメールが送られてきてな。これがそのURLのページなんだが」
二人と同じようにそろりとディスプレイを覗く里留。
何がなんだかわからない里留であったが、その画面を見て、三人が難しく顔をしかめる理由を理解した。


「ウワコワッ!何これ!?ネタサイト!?」

画面には真っ赤な字で長い文章が綴られているサイトが表示されていた。
背景色が黒というのがまた不気味さを増さしている。

「えい…ご…?」

「おそらくな。見る限り他に繋がるリンクはない、この英文ページだけだ」

「いたずらじゃねーのぉ?」

里留の言う通り、このような不気味な趣味の悪いサイトは探せばよくあるものだ。
作ろうと思えば誰だって作ることはできる。
しかし、風見はその言葉に納得いかないように、いまだ一人目を細めて画面をじっと見つめていた。

「風見、読めるのか」

「あ、まぁ…でもこれ結構古い文法で所々しか…、つか、コレやばいやつじゃねーの……?」

画面を見つめている風見の顔がどんどん強張っていく。

「だって、これ、魔術とか怪物?…つか、タイトルが」

三人の目は一斉にその太字でかかれたタイトルらしき所に移る。

"共に世界を滅ぼそうか"      そう、書かれていた。


十二


「不安ですね…」

体格に似合わない言葉を発する三次郎の隣で里留は大あくびをしながら興味無さそうに辺りを見回していた。

「だーじょーぶだろぉー、どうせ釣りだ釣り」

「釣り…?」

「でまかせってことだよ、でまかせ」

少し後ろで釣りという言葉がわからないようで不思議そうな顔をしている三次郎だがそんなことは関係なく里留は手を後ろでくみ呑気に闊歩していた。

「ところで先輩、これから一体どこに…」

二人のまわりにはいつものあの二人はいなかった。
例のごとく心配してついてきた三次郎であったが、行き先は把握していないようだった。
もはやここまでくれば三次郎が心強いボディーガードのように思えて、里留は気にすることなく目的地までの道を歩いていた。

「んー?そんなん決まってるだろぉ…」

ピタリと大きな建物の前で里留の足が止まった。
目の前の看板には見覚えのある四文字が刻まれていた。

「"東方病院"☆」


「あれ、里留さんと三次郎ちゃんは??」

一方、三好たちはというと、予定通り警察署に向かうよう足を進めていた。
先にコンビニに行っていると出た風見を迎えに行き、二人は再び署へと歩き始めた。

「さぁな、なんか急に行きたいとこあるとかいって。ほら、早くしろ」

さっさと歩いて行く三好を、風見はあわてててに持っていたサンドイッチを口に詰め込み追いかけた。

槻上警察署。

ここらでは一番大きな警察署だ。
先日会った槻上脩二の親族はどうやらここの署長らしい。
入り口に貼られた署長の写真には見やすく"槻上警察署長"と書かれていた。

「槻上さん、いらっしゃりませんか」


受付で尋ねれば槻上はちょうど出払っているといわれた。
流石署長の息子、といったところか、若きエースといったところか。
仕方ないか、と帰ろうとしたところ受付嬢は「あ」と一言声を出した。
二人も受付嬢と同じような声をあげて振り返った先の入り口にいる人物を見つめた。

「………何か用ですか、『探偵』さん」

明るめの茶色い頭とキリリとしたその目に、二人は見覚えがあった。

「で、なんなんです」

少しめんどくさそうに、強い視線でこちらをみている、明るめの茶色い頭とは槻上だった。
ちょうど、現場から帰ってきたところらしく、幸か不幸か、ばったり三好らに会ってしまった、といったところだ。

「や、ちょっと昨日の事件のこと聞きたくてですね、ま、こっちもそういう仕事ですし」

チラリと風見の様子を伺えば明らかに教えたくないといった顔をしている。
こうとなれば探偵三好の本領が試されるわけだ。
いかに聞き出してやるか、こういった状況をいくつも潜り抜けてきたわけだ。
こういうときの三好の演技力というか芝居はかなりのものであった。

「あー、いや、別に教えたくないのならいいですけどねぇー、鑑定、どうせ終わってないでしょうし」
わざと挑発的に出されたセリフは見事槻上をつかんだらしく、彼はぴくりと眉を動かした。


「おっ…まえ、探偵ごときが」

「探偵ごときに捜査先抜かされてるんじゃないんですかねぇーこのままだと、それじゃ」

それだけ言い入り口を出ようと槻上の横を通りすぎた三好の肩を、一層に険しい表情をした槻上がガシリと掴んだ。

「…何がききたいんだ」

口頭だけではあるが槻上からいくつかの情報を得ることができた。
あの後、まんまと挑発に乗った槻上は面白くなさそうな顔をしつつも渋々質問に答え始めた。

「あれは本当に粘土だったよ。…まぁ、今に始まったことじゃねぇけどな」

「前例が?」

信じられないだろうけど、と槻上は頷く。

「月光大学、に…あと、ここ」

そういうと槻上は足をパタパタさせて床を叩いた。

「警察署内で?」

「信じたくないけどな、まだ世間にはこの事件公にされてないけど、昨日のも含めてもう三件だ。…そのうちマスコミも動くだろう」

チッとひとつ槻上は舌打ちをする。

「まぁ、そりゃ警察の無能さの結果だな」

「んだとオイ」

ふつふつと怒りを奮わせる槻上をよそに三好は淡々とそれらを手帳に書き留める。

「こんな事件、予測なんてつくはずないだろ、床が光っただの、人間がとけちまうだの、どこのSFだって話だ」

槻上が言うことももっともではあった。
こんな事件誰が信じようか。
せいぜいどこかの変わり者か中学二年生が喜ぶ程度だ。

「で、そちらさんはなに知ってるっていうんですか」

「や、まぁ大したことはないですけどね、槻上さん英語は達者ですか」

「は?」

ぴらりと手帳から取り出した一枚の紙にはサイトのURLらしきものが書かれていた。

「ま、できないならそれまでなんですけど。これ、昨日差出人不明で送られてきた内容でしてね。この英文サイト訳してみたら何か関係性分かるんじゃないんですかね」

突き出されたメモ用紙を槻上は少し乱暴に受けとる。
しばらく凝視したあと若干悔しいのかつまらない顔をしはじめた。


「と、いっても俺は読めないんで。翻訳してくれる、っていうのなら、そのメモ用紙あげますけど、どうです?」

いわゆる取引、に釈然としないという意を表す槻上。
しかし、このメモはおそらく重大な手がかりになる。
たった一人の探偵に不服ながらも協力するのと、今後の捜査を進展させること、これらを考えれば代償など蚊に刺された程度と思えばいいのだ。

「…わかった、ただし、このメモは捜査に使わせてもらうぞ、いいな?」

「どーぞ、あ、訳少しでも分かったら名刺に書いてあるアドレスにでも下さい」

パタンと手帳を閉じ、軽く頭を下げると三好たちはその場を後にした。

「くっそ…あの探偵調子に乗りやがって、…しかし、英文サイト、か……」



「相変わらず難しい顔してたな、あの刑事、ありゃそのうちはげるぞ」

警察署を後にした二人は街角をパタパタと歩いていた。

「さぁー、まぁ、単純な人で助かるよ、とりあえずこれで情報源はひとつ押さえたわけだし…」


「ひー、おっそろしっ!まぁお見事だったけど」

他愛もない話をしながらただ道を歩く。
しかし、急に風見の足がパタリと止まった。

「?どうした、風見」

「…三好、…俺ら多分つけられてるぜ…うしろ」

「は…?」

風見が耳をすませる。
敵は二人、といっところか。
少し耳を澄ませば正常ではない荒い息づかいが聞こえてくる。
ある程度の距離はある、しかし、下手に通報でもしようとすればおそらくただではすまないだろう。
何をもって、何が目的で追ってきているのかは分からないが、ただひとつ、二人の脳にはこのままではまずいという危険信号が鳴っていた。

「三好……」

「…一か八かか」

苦虫を噛み潰したような顔をして歯を食いしばると、二人は瞬間、脱兎のごとく走り出した。
案の定、つけられていたのは間違いないようで。
走り出すのと同時に背後から追いかけてくる乾いた足音が聞こえてくる。


「ヒィイ~!ヤッベェヤッベェ!どーするよー三好!」

心なしか風見はワクワクしているようにもみえる。
とりあえず人通りの多いところにでなければ、このままではいずれ捕まるか最悪殺されるだろう。
とっさに目に入った角を曲がる。
たしかこっちの方向が大通りの方だった、そう思ったのだが。

「!」

「げ」

待ってましたと言わんばかりにそびえ立つ壁がそこにはあった。
引き返そうと振り返るが、その先にはすでに追ってきた男二人が待ち構えていた。
生憎、手には鋭く尖ったナイフが握られている。

「み、三好…」

背後には壁、目の前にはナイフをもった男二人。
まさに絶体絶命といった状況だ。
周りに武器になりそうなものはない、このままでは素手で立ち向かうということになる。

「…風見、」

「へっ、まぁかせろよぉー、アメリカでもジャパニーズカラテは好評だったぜ?」


シュッシュと打つ真似をすればシャンとした構えをとる風見。
多少の恐怖はあるだろうが、ワクワクと心を踊らせているのしか分からない。
呆れたように三好はため息をつくがそんなことは関係なしに風見の目はキラキラと輝いていた。

「…お前は警察を呼んでくれ、できるか」

「おーよっ!」

パンっと風見が拳で音を鳴らしたのを合図に男達はナイフを突きつけてこちらに向かってきた。

「おっと」

風見はヒョイと身をひるがえし、一人の男の背後から襲いかかると男の手からナイフをはたき落とした。
しかし、休むまもなくもう一人が風見の背後にはいりこむ。
だかしかし、その手を三好は見逃すことはなかった。
奥にいた三好は素早くかけて行くと、男の下に滑り込み、男の足を払った。

「風見!いけ!」

三好のその声と共に風見は倒れこんだ男の上を飛び越え、先ほど入ってきた角にかけていった。
そして大きく息を吸い込み、ビルを飛び越えるくらいの声をあげた。


「ウァアアアアアアイ!!タスケテェエエエエエ!!」

なんで電話をしない、とつっこみたかったがそんな間はなく、男二人は再び起き上がり三好に襲いかかってきた。
しかも、一人はまだナイフを持っている。

「!っ、風見、ナイフちゃんと遠くになげろよっ…」

ヒラリヒラリとなれた様子で、しかし必死に避け続ける三好の後ろでは風見がしっきりなしに助けを呼ぶ声をあげている。
三、四回目ぐらい叫んだ時だったか、風見の目の前にユラリと揺れる大きな影が現れた。

「っと…どうした、かざっ…」

突然黙った風見を不思議に思いチラリと目を向けるとまた三好も同じように言葉を止めてしまった。
その時の心情を言えば、助けに来てくれたであろうその一般市民を見た瞬間、安堵というよりも、ただひたすら目を疑ってしまった。

「…助けを呼んだのは小僧、貴様か…」

その一般市民はおそらく二メートルは優に越えてるのではないか、人間といっていいのかというほど魔族的なオーラを纏ってそこにそびえ立っていた。
「あ、え、えと、あ、アイツラ!!アイツら男二人がナイフもって!!あのロン毛たたたた助けてやってください!!」


風見の言葉を聞くと、その二メートル越えの一般市民はこちらに向き直り、大股でこちらに歩いてきて右手を振り上げた。


「おいちょっとまて、このままだと俺も食らうだろう」

「悪しき者よ…この北東羅山(ほくとうらざん)が神に代わって天誅をくだしてやろう…!」

まずい、と察知した三好がしゃがんだ瞬間、空気を震わせるような大きな震動と共にメゴッと鈍い音が鳴り響き、男二人は勢いよく壁に叩きつけられた。


「……ワァ」

「………」

「……うむ」

この町に巨人がこうもたくさんいたのか、二人の頭にはあの接骨院の二人がチラリと顔を出した。




十三


はたして運が良かったのか、何だったのか。
あの二メートル越えの一般市民(北東とか言ってた気がしたが)のおかげで逃げるどころか男二人を捕まえてしまった三好たちは、ちょうど近くに落ちていたロープで男達を拘束すると、ようやく警察に連絡することができた。
風見に連絡を頼んでいるその間、男達のもとに歩み寄って質問する、が、男達は依然として無口のままだった。

「何でつけてきた」

やはり事件と関係あるのか。
男達はよく見れば目は血走っており、やはり息は異常なほど荒い。
もしこれが事件と関係しているというならば相当危険な、宗教かカルト教団かが関わってくるのではないか。
それは目の前のこの男らを見ていればわかることだ。
だとすれば、ある程度のところで身を退くのが妥当だろう。

「ムダダァ」

初めて、ひとりの男が言葉を発した。
しかしその声は人とは程遠い、訳の分からない寒さを感じさせた。

「イマサラひコ ダナンて む ダだ」



もはやそれはこの世の発音ではない。
辛うじて単語と単語が聞こえるだけだ。
口からはダラダラとよだれが垂れ流され、目はどこを向いているのか分からない。

「モう ニゲら レナァイ」

「…なに、言ってんだ」

同様に口を開くもう一人の男。
三好はその狂気を感じとり、気味が悪そうに眉をひそめる。
そして次の瞬間、男達は目をカッと見開き、突然つんざくような叫び声をあげた。

「!?おい…」

「オーイ三好、警察もうすぐ来るって…って、ちょ、ど、どいしたこいつら!?」

「ヴ、ガァ……クトゥ…!!ヴ、が、あ」

それはまるで怪物だった。
理性を失った彼らは散々に叫び散らし、意味の分からない言葉を吐き続けると、突然、ピタリと二人の動きが止まった。

「「ハイ……ヨ、ルコ……ントン」」

ただ、そう呟くと、口からブクブクと泡を吹き出し、そしてドロリと粘土のように溶けていった。



「まーたあんたらか…」

その後、すぐに警察はやってきた。
そのなかには槻上もおり、三好達の顔を見つけると嫌そうにため息をついた。

「で、また粘土か」

現場にある粘土化した犯人をしゃがみながら槻上はまじまじと見た。

「……、ん、で、取り調べは」

「あ、もう終わりました」

「…そうか」


………。


「よぉ、またあったなぁ」

現場が落ち着きはじめた頃、槻上は三好達のところにひょっこり顔を出した。

「…なんだ、警察になら大体のことは話したぞ」


二人は壁にもたれ掛かり、三好は少し疲れた顔をしていた。

「あの死んだ二人、警察の人間だった」

「…!」

近くによってくると槻上は少し小さな声で、三好にそう話した。

「わずかだが、警察手帳の残骸が粘土に紛れててな…、まぁ溶けかけてるから誰だかは分からないが」

それは、つまり警察内部に内通者がいたとうことを示していた。
槻上は少し周りを確認すると険しい顔をしながら再び話はじめた。

「…おそらく、こんな事実、伝えても表沙汰にならない。…それどころかなかったことになる、きっと」

巷を騒がせている奇怪事件の背景に警察がいた。
たしかにこんなことを公になどできるはずがない。
それは槻上警察署だけではなく警察全てにおいての面子に関わることなのだ。
たとえ、この男、槻上脩ニが申し出たとしてもそれらは全てより強い権力によって弾圧されてしまうのだろう。

「…おそらく、この件によって警察はこの事件の詳しい調査はしなくなると思う。…うえから命令がかかるのも時間の問題だ」

そういう槻上は非常に悔しそうな表情をした。

この槻上脩二という男には、正義というのが確かに通っていた。
それは頑なで、一斎の濁りもない絶対的なものだった。

「…お前ら、探偵にはまだ自由と知る権利がある」

気にくわないが、ともその後に付け足す。
そこも揺るぎないようだ。

「…だが、だからこそ、この事件をちゃんと解決してほしい。俺もできる限りのことは手伝う」

槻上はズボンのポケットから二つに折り畳んだ紙を取り出して三好の右手に渡した。

「あのサイトのやつ、少しだが解読してみた。まだ主要の文はわからんが、法則性があるみたいだった」

開くとそこには5つの場所の名前が書かれていた。

「あくまでそれは俺が解読して法則を予測したにすぎないが…だが、おそらく」

遠くで槻上を呼ぶ声がする。
辺りを見回せばもうほとんどの人はいなく、現場検証も終わっていた。

「…まぁそういうことだ。連絡先も書いといた。なにかわかったらこっちからも連絡する。じゃあな」

それだけいうと槻上は部下の待つ元へと走っていった。

そして、その場には三好と風見の二人だけ、事件前と同様の、それこそ何もなかったかのような静かさが訪れた。
三好は手の中の紙に目を落とす。


!月光大学
!槻上警察署
!北東接骨院
神矢神社
茂庭道場


下の方に、連絡先と"よろしくたのむ"と走り書きながらもきっちりとした字が書かれていた。


十四


「あ、三好さん」

その後、三次郎から連絡が入りファミレスに呼び出された二人は、疲れた身体を引きずりながらも三次郎らの元へと向かった。


店内を見回せばどこにいるかはすぐにわかった。
席に行くと先程は気がつかなかったが、微動だにせず座る三次郎の隣で、アイスコーヒーを目の前に項垂れる里留がいた。

「何、里留さんどーしたのよ」

「いや、もうずっとこうなんですよ」

いくら話しかけようと里留は、"あー"や"うー"しか言わない。
こいつもさっきのやつらみたいに気でも狂ったか。

「で、…どこ行ってたんだ」

「ちょっとちょっと!!慰めよこせ!!"大丈夫か?(裏声)"とか"どうかしたか(裏声)"とかないの!?うーわぁーー悲しいわぁーー」

「お前は俺にそれ言われて嬉しいのか」

「全然!!ひたすらキモい!!!」

「殺すぞ」

疲れのせいでいつもより里留に対して露骨に気持ちを表情に出す三好。
だが、そんなことはおかまいなしに話は進んでいった。
会話の内容は今から数時間前に遡る。

「…実はですね」





「東方病院…?」

三次郎が訳のわからぬままたどり着いたのは先日訪れたこの病院だった。

「また、聞き込みですか?」

「いーやぁー、ちょっと用を思い出してねー」

二重の厚い自動ドアを抜け、里留はズンズンと院内へと入って行く。
その後ろを三次郎がズシズシとついてきた。
前にも言ったが、里留は以前この病院で働いていた。
外科、にいたらしく麻里いわく"それなりに優秀"ではあったらしい。
てっきり、三次郎は麻里か知り合いがいるであろう外科にでも行くのかと思って付いていっていたが、思いがけず里留が足を運んだ先は精神科であった。

「先輩、治療でも受けるんですか」

「ちっがうよ!!!!!!!」


失礼な!!と顔をひきつらせる里留はため息を一つつくと辺りをキョロキョロと見回しはじめた。
そして通路の向こうから歩いてくる一人の人物を見つけると軽い足取りでその人物の元へかけていった。

「えっ」

その人物は、里留がかけてくるのをみると驚いた顔をしピタリとその足を止めた。

「もっもこぉ~~!!ひっさりぶりぃ~~~!へ~イ!!」

その時の里留の表情といったら、それはとてつもなく、これまでにないくらいの笑顔であった。
しかし、現実はそんな里留とうって変わって残酷である。
しばらく目を丸くしていたその女性は、急に冷たい顔になると何事もなかったかのように通りすぎていってしまった。

「チョイ!!!!桃子!!チョイ!!!!無視せんといてよ!!チョイ!!」

焦って肩をつかめばこれまた冷たい目で里留を見つめ「どちら様ですか?」と突き返した。

「九重様ですけど!?あっ、じゃ、じゃなくて、ごめ調子乗りましたサーセン、じゃなくてぇ!!なんで無視すんの!!」

「私の知り合いにこんな人いませんさようなら」


桃子とよばれるその女性は、里留を払いのけるとおかまいなしにスタスタと歩いていってしまった。
途中、ピタリと足を止めて曲がり角の通路にいる人に話していたように見えたが、すぐまた歩いていってしまった。

「ちょっちょっ桃子ぉ!!」

大きな声で名前を呼びながら慌てて追いかけたが、先程の曲がり角に差し掛かったとき、ドン、と大きな壁にぶつかってしまった。

「あのー、君、ちょっといいかな?」

「……へ?」

警備服を着た、大きな壁に。



「で、つまみ出されちゃったってわけかーハッハッ」

風見が笑いこける横、三好は呆れ顔で天井を見上げた。

「…ストーカーデビューかよ」

「ちっげーよこのワカメ!!!」

結局、里留の話を聞いてやれば、その桃子という人物はどうやら幼なじみらしく、以前、里留が東方病院にいた頃も同じく働いていた縁だそうだ。

「やぁーねぇー…、やめた頃から連絡とってなかったしね、まぁニートの身だし会える感じじゃないじゃん?」

里留が東方病院を辞めたのは正規の医師として入ってすぐのことであった。
桃子より先に研修期間を終えた里留は、彼女が正規として入る前に病院を辞めてしまっていた。

「それがなんであんなに怒ってんのかさぁー、やっぱニートはだめ?だめなの??ウッ」

ウジウジとする里留を前に二人は三好と同様に呆れたようにため息をついた。
そこまでわかっているのなら理由は明確だろうに。

「…ったく、こんなことしてる暇ねぇんだよ…」

「あぁん!?俺のたった一つのラブコメをおま」

「また出たんだよ」

怪物が。
三好はまたため息をついた。



十五

人類とは残虐である。しかし、残虐であるが故になぜ人々は人を愛したのか。
皿を割るのは簡単だが、壊れた皿を元に戻すことは難しい。
腹が立った相手を殴ることは簡単がが許すことは難しい。
ある子供は幼心からか訊ねた。
戦争はどうすれば勝ちなのか、と。
答えはなにもない。そもそも戦争において本来勝ち負けなど存在しないのだ。
どんなに進もうとどんなに駆逐していこうとそこにあるべき人とは同じ人類なのだ。
人が、人を愛し、過去を取り戻そうとする限り、争いが消えることはない。
誰かが、止めぬかぎり、人は一生残虐なままだ。



日光大学。

ここいらではそれなりに名の知れた大学で、多くの学科を備えている
なんでも、ここの学食は美味しいと評判らしく、それを聞いたとたん急に元気になったニートもいる。

「で、どーすんのー三好」

夕方ということでか、帰る人や移動する人がちらほらと見かける。
三好たちはその様子をキャンパスの入口で見送っていた。
三好はチラリと時計をみると建物のなかに足を踏み入れた。

「月光大学での事件当時講義をしていた教授に会う」

「教授?」

なにも知らない里留と三次郎は眉を曇らせた。

「あぁ、里留さんたち知らないんだっけ、ここでもあったの粘土事件」

あの時槻上からもらったメモにもあったこの大学。
被害者は学生一人。
それが偶然か、それとも誰かの策略によって起こったのか。
依然として分からないままだが、今はとにかく動くしかない。
たった一つの手がかりはこのメモなのだ。

「鳥塚教授、お客様が」

係員の人につれられ物理準備室と札がさげられた部屋に来ると、ノックの後40代後半くらいの男性が顔をだした。

「どちら様で」

ふてぶてしそうな顔ではあるが機嫌が悪そうではなさそうで、じっと三好たちを見つめた。

「先日起こった粘土事件の調査をしている探偵の三好と申します。鳥塚教授、お時間よろしいでしょうか」

ガヤガヤと学生達の賑やかな声が沈黙に人に響きわたる。

「…まぁ、立ち話もなんだ」

そういうと鳥塚はドアを開けた。


「うぉ~すげぇ~!!なんかいろいろあるな!!」

準備室の中に入ると様々な実験道具が散乱しており、本棚にはびっしりと物理学の本がならんでいた。
準備室の中にも扉があり、窓をのぞけば何やら実験の途中なのか、部屋の中心に椅子が円状にならべられていた。

「なーにやってんだアレ…」

「あぁ、マッカンコウサッポウです。」
「ファッ!?」

「はい?」

ところで、と三好は口火を切った。

「えぇ、たしかに私の講義の時でしたよ。名前はたしか奥村、だったか」

その日は警察署で粘土事件が起こった約1週間前、物理の講義をしているときだったと、鳥塚は話した。

「あっ…マッカンコウサッポウじゃないんだ…そこ…」

「なんかね、授業中急に発狂して、部屋飛び出したかと思ったら、こう、魔方陣みたいなのがパァーッと出て、廊下で粘土になっちゃったんだよ」

「李徴?」

「おいちょっとこいつ黙らせろ」

三好の一声で里留をソファーの一番端に移し、話は続けられた。
鳥塚が言うには、その女子生徒はいつもとなんらかわりのない、いたって普通の女子学生だったという。

「警察には話したんですか?」

「話しましたよ。…でもあいつらまるで信じないもんだから、ニ度目、もう一回話聞きたいってきたときは頭きて追い返しちゃいましたよ」

たしかに、こんな話を信じる方が難しいのではあるが。
警察も、「もう一回聞きたい」と来たのはおそらく自分達の社内で起きたからなのだろう。
実際あんなことは、見ていたとしてもなかなか信じ固いものだ。

「結局、なーんも手がかりなしかー」


魔方陣のようなものが現れたという場所を見せてもらったが特に変わった所はなく、仕方なく事務所に帰ることになった。

四人は目まぐるしい1日にすっかり疲れきっていた。

ただ一つ、分かったことはすべてが魔方陣という非科学的なことが関係しているということだ。

だが、今日あの警察二人が粘土になったのはどういうことなのだろうか。
あの時魔方陣のようなものは何一つ見られなかった。
自爆、ということなのだろうか。
そう考えると、やはり背景にはカルト教団のようなものがついているようにもみえる。
全ての人に共通していることは発狂や侵入などといった不振行為だ。

「なんでまた俺玄関なんだよ!!!!!つら!!!!」

「お前邪魔しかしてねーだろ今日」

事務所に帰ってきた四人は昨日と同じように事を済ませ、明日に備えて休んでいた。

「仕方ない…じゃ、俺はハーブティーを飲みながらネトゲでもたしなむか…」

「入れ物水筒じゃねーかよそれ」

三好のメールボックスには槻上からのメールが入っていた。

『英文の翻訳だ。少しずつできたら送る』 という内容と共にわずかながら、穴あきの状態での訳文が書き込まれていた。

「終日は……12月23日…」

正直、その訳文はまだあまりにも文として不完全で、内容を把握するにはいささか困難であった。
しかし、最後の一行に書かれていた、

"12月23日ニ決行。ソノ日ヲ終日トス"

という一文だけははっきりと訳されていた。
ばかばかしい。そう思っているのに目の前で見たあの現象を思い出すと。なんとも説明することができないことがもどかしい。
そう思いながら三好はPCを静かに閉じた。

「アレェ!!里留サンもしかしてパヌドゥラやってるの!?」

「お、風見も?」

「当たり前じゃーん!!ID交換しよ!!」

風見と里留は呑気にも今流行りのモバイルゲームで騒いでいた
玄関を見れば廊下でだらしなく二人が寝転びながらスマートフォンをいじっている。

「えーと、@…s…u…アダッ!!」

「寝ろ」

二人の頭を書類ではたく音が地味に響きわたった。

そのまま日付は12月17日を迎えようとしていた。


十六


12月17日、朝5時。

三好はPCのピロンという軽快な受信音によって起こされた。
まだ薄暗い中、PCをそっと開くと例のあの教授からのメールだった。

"昨日話忘れたことがあります。"

できれば、二人で話がしたい。
そう、短く単調な文で書かれていた。

「ゲエッ!!み、みみみみ三好、お前それ…!やっぱお前893系だったの」

「バカ、実弾じゃねぇよ」

午前7時。準備をしているなか、里留は顔を青くさせ、三好の持っているそれを指さした。
銃、……ではなく、正確には改造型エアガンのようなものだが。

「いや十分怖いわ!!実弾じゃなくても捕まるだろソレ!!」

三好は黙って銃の所有免許を里留の目の前に突きつけた。


「……コッワイワァ……」

「日本ではな。元々スポーツの射撃のために取ったんだよ。変な誤解すんな」

「コッワァ……」

里留たちには例のあの神社に行ってもらうことにし、その間に三好らは槻上とあの大学へと向かうことになった。

「あれっ、大学行くの?」

「あぁ」

昨日のメールも、今日のメールの内容もまだ三人には話していない。
期日は12月23日。
本当かどうか分からないが、焦りというものは、わずかながらなも心臓の奥底にあった。
三次郎も言っていた、

「よくわからないけど、何か早くしないといけない気がする」
という感情だ。

「風見、お前ちょっと槻上にやるお菓子買ってこい」

「えっ、大学は」

「俺が行ってくる。お前その間買いにいってこい」

そういうとピラリと千円札を二枚手渡した。

風見は首を少しかしげると分かったと一言言い、足取り軽く商店街の方へと向かって行った。
とりあえず何がこようが焦らず聞いてやろうじゃないか。
そう心に構えて向かった先で耳にした話とは予想外のものであった。

「君、神話とかって知ってる?」

コーヒーを目の前に置かれると開口一番にそんなことを聞かれた。
あまりにも予想外の質問に拍子抜けして、三好は思わず眉をひそめた。

「あぁ、いや、といってもギリシャ神話とかそういうのじゃないんですよ、もっとこう、まがまがしいやつで」

ますます何を話したいのか分からない。
先程腹を据えた勢いというのもシュルシュルと失速していってしまった。

「……いえ」

「ほぅ。じゃあひとつ。クトゥルフ神話というものがありましてね。アメリカのラヴクラフトという人物によって書かれたのですがね」

その後も鳥塚のその奇妙な話しは少しだけ続いた。
結局のところ、そのクトゥルフ神話というのは"恐怖"が元となった架空の伝説らしい。

「宇宙的恐怖、コズミックホラー!まぁそれがクトゥルフ神話らしいんですよ」


「はぁ…」

理解はしてるが理解できないとはまさにこの状況である。
風見を連れてこなくて正解だったと三好は内心、呟いた。
鳥塚は難しい顔をしながら顎をさすっている。

「いや、まぁ、私も物理学者ですから、正直あんまりこのような話とやらは信じがたいものでして。しかし、例の奥村はコレにハマってたらしいんですよ、神話、神話に」

「…そう、なんですか…」

「で、私も少々気になって調べたのですが、さっき話した通りまぁ気味悪いもので…、どうりで発狂するわけですよ…」

「発狂?」

ふと、三好はある一つの共通点を思い出した。

発狂。

そう、皆、粘土事件に関与しているものは気が狂ったようであった。
そして、昨日、警察の二人が死ぬ間際言っていた奇妙な言葉。

「"ハ……イヨル、コントン"…」

「おや、ご存知でしたか」

正直、あの時は何をいっているのか全く分からなかったのだが、しかし、もしあれがその神話とやらに結び付くならば。

(クトゥって聞こえたのはクトゥルフってことか…?)

「三好さん…、人には、心地よい、もっとも安定する周波数ってものがありましてね」

「…はい?」

鳥塚は、トン、トン、、とゆっくりと机を指で叩き始めた。

「こう、それは胎児の間、母親の胎内で感じる心拍数と言われています」

トン、トン、と一定のなんとも言えない音が続く。

「しかし、逆に人を不安定にさせる、もしくは死に誘導するかのような周波数も存在するのです」

鳥塚はピタリと指をならすのを止めると机から手を離した。
そして再びこちらに居直ると複雑そうな顔をした。

「死の周波数というものはそれぞれ、ごく身近に、ごくごく身近に存在します。…三好さん、私は今回の事、非常に不服ながらその神話とやらが関与しているように思えてならないんですよ」

その音は確かに近くに存在した。
だがそれは、気づくはずもなく、また、気づかなければいけないものでもあった。



十七


「おっ、話し終わった?」

大学の門を出ると風見がコンビニの袋をさげて門に腰をおろしていた。
口には美味しそうなウエハースがくわえられており、そのままフガフガと呑気にも話している。

「おう……、つかお前、お菓子どうしたお菓子」

「え、ほら」

「いやウエハースじゃなくて」

三好はあの時は二千円ばかり手渡したはずだった。
しかしながら、風見の手荷物を見る限りその中身の軽そうなコンビニ袋しか見当たらないのだ。

「…風見、お前槻上に何買ってきたんだ」

「えっ、ポッキー…だけど…」

「なんで改めて持ってく菓子折りがポッキーなんだよ!!」

「エェエエエエダメなの!?」


衝撃のあまり口からウエハースをポロリと落とし、両手を頭に置いて風見は絶叫した。
本人はあくまで大真面目らしい。
わざとでなければ仕方ない。
というか前からこんな奴だったなと考えるとどうでもよくなった。

「…まぁ、いいか……。どうせ槻上だし」

「そうだな」

「あ、お前お釣りは返せよ、つかその自分のお菓子分の金返せ」

「そういうとこぬかりないのなお前」


昼過ぎ。
喫茶店に着き、早速例のポッキーを丁寧に両手で渡してやると、当然

「なめてんのかコラ」

と般若顔を向けられた。

「トッポにしろよトッポォ!!!!」

「そっちかよ」

と、話は戻り、例の事件について槻上は話始めた。
机の上にA4サイズで印刷された、訳文が乗せられた。

やはりまだ完全な文とはなっていない。
それだけ、難しいのだろう。

「まだ、ここまでしかできてないが…、どうだ、何か分かったことはあったか」

「いや…、まぁ、あの訳文が間違ってないのはたしかみたいですよ。…ただ」

言葉をつまらせる。まさか、神話やらクトゥなんたらだなんて言えるわけがないしなんと説明していいのか。
正直この槻上がそんな迷信を信じるわけがないと一番にそれがあった。
が、しかし、その神話の話は予想外の人物から口火を切られた。

「……は?」

「神話生物っていってんだ。まぁ信じたくねぇなら信じなくてもいいけどな」

「誰から聞いた」

らしくもなく食いぎみに聞き返すと少々驚いたように槻上は目をおよがせた。

「いや…知り合いのな、まぁウチのとこの特別捜査員みたいな奴なんだがそいつに少しサイト見せたんだ」

訳も少し手伝ってもらっているらしく、先程手渡された訳文も打ち込んでくれたのはその人物だと言った。

「俺はよくわからないけどな、そいつ曰くサイトの所々にクトゥルー?に関する記述がされてたとか言っててな…何がなんだかさっぱりだ」

どうやらこれは本当に、本当なのかもしれない。
終末は23日…。
それまでに何かしなければ世界は滅びる。

「いや…十分だ槻上。…おかげで信憑性がつかめた」

「は?」

チラリと訳文に目を向ける。
相変わらず虫食い状態の文ではあるが、一部に"召喚"ていう単語が見えた。
おそらく、これは間違いない。

「おい、探偵!」

去り際に、槻上はまた一枚のメモ用紙を三好に手渡してきた。

「それ、その訳文とか手伝ってもらってる奴の連絡先だ。なにか力になってくれるかもしれない」

「…どーも」

時間はまだある。
ならばするべき事をするまでだ。
三好はポケットにメモ用紙を突っ込むと風見と共に店を出た。
一方、里留達は…、



「だから!もう来ないでくださいって言ってるじゃないですか!!」

「ちょ、桃子やめて!!声でかい!!声!!」

「訴えますよ!」

「ヤメテ!!!!!」

調査予定だった神社を足早に済ませた里留らは、昨日と同様、東方病院を訪れていた。
また性懲りもなく桃子のところにやって来た里留は当然怒られていた。

「ごめん!もうひたすらにごめん!うまれてすいません!」

何がなんだか理由はさっぱりわからない里留だったが、とりあえずぺこぺこと頭をさげ謝り続けた。
あまりにも惨めに思えたのか、桃子も、90度にして謝る里留をみるとじばし黙り、ため息をついた。

「…なんで、何も言わないで辞めちゃったのよ…」

「ふぁ?」

「おい、そこのニート」

背後から後頭部をがっしりとつかまれ、その声はあきらかに聞き覚えがあり、今物凄い形相をしているのは顔を見ずとも想像できた。

「……随分暇そうだな…神社は」

「い、…いってきますた………先っちょだけ」

直後無言で叩きのめされ、床には完全にのたれ死ぬ里留の姿があった。

「あ、三好さん。ご苦労様です。…先輩、何してるんですか」

ちょうどトイレから戻ってきたのか、白いハンカチで手を拭きながら三次郎が現れた。
事態を理解できてない桃子に、三好は名刺を手渡した。

「すいません、コイツが迷惑かけまして。探偵の三好と申します」

「い、いえ…」

「…あ、もしかして、あなたコイツの幼馴染みっていう」

「あ、はい。葉山桃子です」

三次郎によって床から引っこ抜かれた里留は白目をむいたまま「このやろう…」と小さく呟いた。

「あれ、風見さんは…」

「あぁ、ちょっと用事があるって。夜には戻るって言っていた」


「あ、あのー…さっくん、何かしたんですか……?」

探偵とよく分からない大男につままれているのを見れば言いたくもなるわけだ。

「いえ、少し捜査を手伝ってもらってるんですよ。…一応」

「あっ……なんかさっくんがスイマセン…」

「なんで俺が悪いみたいになってんの!?」

「「おまえだよ」」

見事に息の合った二人の威圧に、里留は眉をハの字にして小さく謝った。

「あ、えと、三好さん、は何のご用だったんですか?」

まさか里留を連れ戻しに来たわけではないだろうと思った桃子は辺りをキョロキョロと見回した。

「あぁ、いや、ご存じかとは思いますが例の事件で調査を…医院長は」

「あ…えと、たしか本日も出張だったかと…」

「なら、この名刺渡しといてくれませんか。何かあったらこちらまでって言っといてください」

「あぁ…はい」


名刺をもう一枚手渡すと、三好は一礼し、三次郎らを連れてその場を離れた。
つままれているの里留が何やら叫んでいたが、三好達は気にすることなく病院から出ていった。

「…愉快なお仲間さんねぇ…」



夜、風見が戻ってくると、三好は例の話をした。

「パスタうめぇ」

「勝手に俺の食ってんなニート」

今回ばかりは里留を部屋にいれての話し合いだったが、さっそく里留は夕食にかじりついて夢中になっていた。
さて、例の話とは言うまでもなく神話との関連性についてだが。
意外にもよく理解したのはその里留であった。

「や、正直、そーゆーオカルトってネットとかでのネタっつーか、まぁあくまで伝説っつーか釣りみたいなもんだからさぁー…、まー、まさかさぁ…パスタうめぇ」

もぐもぐとパスタを食べながら特に驚いた様子もなく里留は呑気に話している。
「ネットではなんて言ってんだ」

「えぇ~どーしよっかなぁ~人に聞くのにその態どぅ」

「いいから話せ、金とるぞ、パスタ代」

「イタイイタイイタイイタイイタイ!!!!」

パスタを食べ続ける里留の手の甲にフォークを立てると里留はギャアアアと悲鳴をあげた。

「だーかーらー、あれだよ、ニャルラトホテップ、とかクトゥルフとか!キモいやつ!!でもこれホントだとしたらやべーよ?人類滅びるやつだから、まじで」

その瞬間三人の空気が幽かにヒヤリと凍りついた。
つまり、その里留の言うことが本当ならば、

「っえっとー…12月23日に、人類滅亡宣言ーってこと……?」

カチャカチャと里留の動かす食器の音だけが部屋に響き渡る。
閑散とした空気が立ち込め、三好はわずかながらに息を飲んだ。

「ま、まっさかぁ~!!ね、ねぇ!?三次郎ちゃ~ん??」

「……戦か……」

「三次郎ちゃん!?」

12月23日まで、あと6日といったところであった。



十八


12月18日

「もーちょぉ↑めぇ↓んどぉ~」

わざとらしく声を上げ下げする里留は、深く前のめりになりながら手をブラブラさせ、おぼつかない足取りで歩いていた。
その横を凛とした立ち成りで三次郎が歩いている。
昨日こっぴどく三好にシメられた里留は仕方なく例の神社に再び調査にいくことになった。

神矢神社。

人通りの多い大通りを脇道から入り奥に突き進んだ先にあるその神社は、裏道にも関わらず多くの人で賑わっていた。
まぁその多くは観光客なわけだが、元々人通りの少ないここの通りにこれほどの人がいるのはなかなかに珍しい光景であった。
なぜこのような辺鄙な場所にある小さな神社がここまでの人気を誇っているのか。
その理由はこの小さなお守りにあった。

「恋愛成就、ですかぁ…」
なんでもここ、神矢神社の縁結びの効果がすごいといまやちまたで有名になっているらしく、女性を中心に全国から様々な人がその噂を聞き付けて訪れている。
そのお守りというのはピンクの布地にブタの鼻が描かれているというデザインなのだが、見た目はともあれこれの効果は本物ともっぱら言われているのだ。


「これ本当に効果あるんですか……?」

「ばっか!!せっかく桃子の分も買ったんだから!ぜってーあるって!!なきゃ俺の財布が泣く!!」

わざわざ朝早くに来てお守りを手にいれた里留は満足そうにそのお守りをポケットにしまった。

昨日は少し来るのが遅かったのか、お守りを買う列はとっくに締め切られていてしまった。

「しかし、これじゃあまた、まだ話は聞けそうに無さそうですね」

「まー、その間、時間潰してりゃいいっしょ。今日は流石にとんずらしたら殺される」

ヒョコヒョコと様子をうかがうがとても話せる雰囲気ではない。
夕方くらいにでも来てみるか、と里留らは再び神社を後にした。

「で、どこ行きましょうねその間」

「あん?決まってんだろぉ~?」

「だからあんたはまたなんでまた性懲りもなく来んのよ!!!!」

カルテで脳天をはたくと里留は変な声をあげて痛そうに頭をおさえた。

「いや、桃子にぃ?会いにぃ?」


「仕事のジャマ!!あんたも探偵の仕事ちゃんとしなさいよ!!」

「ばっか誰があんなロン毛の下で働くかよ~ただの手伝い、て・つ・だ・い だから暇」

「こっちは忙しいのよ職無しプー!!」

ガーンとわざとらしく落ち込む里留を呆れ気味に桃子は目をそらした。
いい歳した大人が真っ昼間から何をしているのだかと考えるともはや情けなくなってきていた。

「戻る気はないの?医者」

裏を返せば、単純に桃子は里留が心配なだけなのだ。
しかし、この男というものはどうも調子の狂う男である。
桃子には里留の行動が理解不能であった。

「んやー…まぁ、まだいいかな…」

大概に適当ではあるが、急に真面目になったりするときもある。
一匹狼のようなかっこよさや威厳はないが、ひとり常にフラフラとしている。
どちらかと言えば酔っぱらいだ。

「…あのさ、私だって色々大変なことあったんだからね。精神科って人の辛いとこ見たりすることあるし、両親も兄弟も失った子とか、疲れはてて鬱になっちゃった子とか、そういう複雑な子供とか大人相手にしてきて辞めたいときだっていっぱいあったんだから。外科とはまた別かもしれないけど」


「お、おう…」

「おうじゃねーよこのアンポンタン」

「ハイ、」

こんなときにヘラヘラできる度胸を仕事で使ってくれないものかと桃子は呆れたようにため息をついた。
桃子が里留が病院を辞めたことを耳にしたのは彼女が正規の医者として来てからしばらくしてのことだった。
実は彼女なりにショックではあったのだ。
幼い頃から一緒で、同じように医者を目指した仲で何も相談されることなく医師という仕事を辞めたという事実を他人を経て知ったことは、少なからず彼女には悲しいことであった。

「あっ、そそ、これこれ」

もう戻らなきゃと言った里留は去り際にポン、と例のお守りを桃子に手渡した。

「バイビー☆お仕事ぎゃんばっ☆」

軽くウィンクをすると里留は三次郎を連れ病院の外へと出ていった。

「バイビーって…」

「い、医局長!?…見てたんですか…」
去り行く後輩を、東条綾子は苦笑いしながら見守っていた。



十九


「先輩、なんで医者辞めちゃったんですか」

東方病院を後にした里留達は手がかりを探しに図書館に来ていた。
二人は"魔術"というジャンルをしこたま持ってきて使えるかどうか探していた。
突然、三次郎に聞かれた里留は本をペラペラとめくりながらウーンという唸り声をあげた。

「なーんかねー…なんだろ、…マジモンの手術って、キッツイんだわなぁー、目の前で大量出血したうえに腹パックリ開けたまま死なれたら、ねぇ?みたいな」

特にしんみりとした様子を出すことなく里留はいつもとかわりなく適当な口調で話した。

「本当とか真実とか、そういうの重いから」

無意味そうに話していても、その中身や奥底にあるものはきっと重くて真剣なものだと三次郎は分かっていた。

「先輩は立派なお医者さんです」

相変わらず、里留は本をめくっている。

「バッカ、ニートだわバッカ、アッ認めちゃった」

またわざとらしくウィンクをすると、里留は適当に笑った。
三好達は、茂庭道場の下見にやって来ていた。
と、いってもあくまで外から様子をうかがうことしかまだできないのだが。
これまでのメモ通りの場所でいくと神社とこの道場が残ったわけだが。
なんとなく怪しいのもその二つの場所ではないかと三好は睨んでいた。
中でもこの道場は得体の知れないもので、特に怪しかった。

「でっけ……何してんだここ」

正面には大きな門があり、きっちりと閉ざされていた。
横からまわって覗くと入り口には警備員のような見張りが立っているのが見えた。

「な~三好ぃ…これ何してんの」

「知るか。だからこうやって張り込みしてんだろ」

武道か、はたまた芸を磨くところなのか、全く分からないこの道場。
中からは、

『モニ!!モニ!!モニ!!』

と、いったようによく分からないかけ声が聞こえてきていた。

「……何してんだコレ……」

「ねぇええ三好ぃいコレ絶対!絶対アカンヤツ!!」

中の建物は見たところ二階まで。
和風の邸宅のような大きさであった。
しかし、ここ一時間張り込んでいるがまったく何をしているのかは分からなかった。
しまいにはわけの分からないかけ声まで聞こえてきて謎は深まるばかりであった。
そして見る限りここの道場は住み込みが基本らしい。
というか道場の横にでかでかと募集の貼り紙がしてあったから分かったのだが。
だが、一時間の間に出入りする人がいないのをみると完全に閉ざされていると考えた方がいいのかもしれない。
三好はパシャリと写真を撮るとその場を後にした。



「いやーすっかりさっぱり~、これしかなかったなクトゥルフ系」

図書館から分厚い本を借りてきた二人はそのまま神社へと向かっていた。
時刻は6時。

おそらくそろそろ人も少なくなってきているだろう。
見たところ日中ほどの人数はいなかった。
いよいよ中に入ろうかといったその時、突然何者かが里留の腕をグイと思い切り引っ張った。
当然、それによりそちら側に引き寄せられた里留はよたよたとよろめく。
驚いて顔をあげるとそこには黒い服を着た男が二人ほど立っていた。
疑問を抱く間もなく里留は顔面を強く殴られ地面に叩き落とされた。

「先輩!」

それに気付いた三次郎が里留を庇うように立ちはだかった。
男二人の拳を両手で受け止めるとそのまま地面に叩きつける。
里留はイテテと鼻を押さえながらムクリと起き上がると眉をひそめて男二人を見た。
元々人通りの少ない通りということを思い出すと里留は苦笑いをした。
しかし、神社にこの騒ぎが聞こえたのか、幸いにも神社のものらしき人が駆けつけてきた。

「ちょっと!何してるんですか!警察呼びますよ!」

「…クソッ!」

男達がそれを見て逃げ出そうとしたその時、地面が青白い光に包まれ魔法陣のようなものが現れると強い光を辺り一面に放った。
目を開けたとき、男達はもういなかった。

「あ?どういうことだよ」

突然三好の元に里留からの連絡が入った。
時間はちょうど7時前であった。

『いや、あのね、なんか魔方陣出て、変な男二人に会ったんだけどぉー、男達と乱闘してたらいなくなっちゃってぇー、そしたら神社の人が泊まっていっていいってーさー』

「訳わかんねぇけど要するに関係者逃がしたんだな」

『まぁね』

「うっせ黙れ」


里留達はあの後、神社に話を聞ききたいと言ったところ、怪我をしてるからせっかくなら泊まっていってくれと神主にすすめられた。
相手の懐に飛び込めるのならと考えた里留は好機とばかりに泊めてもらうことにしたのだ。

「先輩、神主さんの準備できたみたいですよ」

電話を切った後、里留たちはここの神主から話を聞くことができた。
長い黒髪を一つにまとめているその神主の女性、神矢紗弥加(かみやさやか)は里留達の前に来るとニコニコと笑いかけてきた。

「ええっと」

「申っっし訳ありませんんん」

「ファッ!?」

話を切り出そうと口を開いた瞬間、紗弥加は地面に這うように額を床につけ土下座をしてきた。
驚いている間もなく紗弥加は近くに詰め寄ってきて涙目のまま里留の手を握った。

「神社の危機を救ってくださったんですよね!?あなたはなんですか!?神様ですか!?」

「いえ、ネットではよく言われますけど!?」

紗弥加を落ち着けと言わんばかりに周囲の人たちが引き剥がすと、ハッと紗弥加は我に帰りすいませんと頭を下げてきた。

「紗弥加さん勘違いが酷いというか…妄想癖があるんで…すいません…」

「は、はい……」

神社の関係者が苦笑いしながらぼそぼそと耳打ちをしてきた。
これは果たして質問して宛になるのだろうか。

「えと、…まぁ最近奇妙な事件がおこってましてー、僕らそれを調査してる探偵…の手伝いをしている者なんですけど」

「まぁ!」

「最近ここいらで不審者とか見つけませんでしたか?それか、粘土とか…」

「不審者なら先程」

「いや、たしかにそうですけど」

これはもしかしたらやらかしたのではないのか。
里留の脳内に黒いオーラを発し冷たい表情を浮かべる三好が姿を表す。
このまま帰ったら、しばかれる。
とりあえず気になることを片っ端から聞いていかなければ。

「そういえば、ここの神社が急に人気になったのはなんでですか?」

必死に考えていると三次郎が紗弥加に新しい質問を投げかけた。
思わず心の中で三次郎にグッジョブ!!と親指を立てる。
紗弥加はしばらくウーンと考えていると、急に表情をキリリとさせ「奇跡です!」と答えた。


「お守りが売れたのは」

「奇跡です!」

「お守りの効果は」

「奇跡です」

「ここ最近の人気は」

「ぜーんぶ、奇跡です!!!!」

「三次郎、やばい、この人ネジ足りない」


二十


午後8時、三好は東方病院の前に来ていた。
突然、三好の元に桃子からの連絡が入ったのだ。
理由はわからないが仕事が終わる頃に病院の前にきてほしいとの内容だった。
しばらく口から煙を出しながら待っていると桃子が暖かい缶コーヒーを持って現れた。

「すいません、突然呼び出して」

「いえ…あの、何か」

桃子は少し言いにくそうに目をそらすと白い息を吐いて口を開いた。

「この仕事が終わってからでもいいんです…さっくんを…里留くんを、医者に戻るよう説得してくれませんか」

三好はしばらく黙って桃子の様子を伺った。
桃子の表情はいたって真剣で少し申し訳なさそうであった。

「それは」

「無茶言ってるのは分かってるんです、でも、私には出来ないって、説得出来ないってことも事実なんです」

桃子はくやしそうに言葉を続けた。
なにも言わずに辞めていった幼馴染み。
結局、気持ちの真相は分からないままだった。

「強いのか弱いのかよく分からないんです、あの人」

「精神科医であっても、ですか…」

三好はチラリと桃子を見た。
きっと、この人は本当に、本当に心配なのだろう。
人の心を診る仕事をしていても、その彼女自身も人間であって心がある。
その心を支えていたのはもしかしたら桃子にとっては里留だったのかもしれない。

「約束はできません、…仲悪いですし、ね」

探偵として、人の心情を観ることはたくさんしてきた。
しかし、こんなにも真っ直ぐとしたみかたを、自分はできない。

「でも、あいつは、あいつなりに…私に出来ないことができるやつだと思います だから、もう少し待ってやったらどうですか」

里留はこの人を、少なくとも傷つけたりはしない。
それだけは悔しくも分かっていた。
結局、なんの手がかりもなく、話は終了し、里留達は部屋に戻っていた。

「もーどーすんだよー手がかりに風呂覗くしかないじゃないっすかー!!」

「成る程、桃子さんに連絡しておきますね」

「ブァアアアアアちょっとまてジョォオオオク!」

冷静に考えてみれば確かにこの神社自体に何か関係があるとはなかなか考えにくい。
今までの警察や大学にしろ、その建物内にいる人々や組織そのものはなんら問題はない、普通なのだ。
例外に発狂者がいるにしろ、他はなんら変哲もないただの大学と警察署なのだ。
そう考えると何者かが外部から手を施しているのではないのか。
事は考えれば考えるほど謎めいてゆく。

「あーもーめんどっ」

突然、机に置いておいた里留の携帯が震えた。
画面をみると風見からであった。
おそらく三好からの連絡だと思うが。

「はいはいーもうすもうすーなんすかー」

『あっ、里留チャン!ちょっといいかな?明日のことで三好が話すことあるって』

時刻は9時頃をまわっていた。




「いやーまさか帰国早々こんな貴重な体験できるたぁなー」
風見はむしゃむしゃと出された夕食を口にしながら呑気にもそんなことを言っている。

「よくまぁやってられるよなお前ら。普通仕事じゃなきゃやりたくねーだろこんな面倒事」

「へへっ、暇だから」

里留は置いといて、三次郎はいいとして何も関係のない立場の風見が手伝ってくれるということは、三好にとっては考えられないことであった。
基本的楽して生きていきたい。
しかし稼がなければいけないからなんでもするわけであって、元から金を持っていたら、ましてや金をもらえないだなんてことなら三好が人のために働くだなんてあり得ないだろう。
その点風見は三好とまったく正反対の人物であった。
高校時代も、友達のいない三好と長く付き合ってくれた唯一無二の友人だ。
それは今も変わることなくこうして他愛もない会話をできる仲であった。

「ほんとお前変わりもんだよなー…」

「えー褒めてる?」

「褒めてる褒めてる」

三好も風見と居るときは思わずクスリと笑みがこぼれてしまう。
性格上、今も決して友達は少ないがたった一人の心友がいるという喜びがあった。

「さー、明日は潜入調査だ。準備してさっさと寝るぞ」

「おーよっ!」

昨夜三好が里留に話した作戦とは潜入調査のことであった。
といっても4人全てが潜入するわけではなく、三好と風見は外部から様子を伺うことにした。
朝早く、道場の入り口には里留と三次郎が訪れていた。

『道場に入門するといって入れたあとは電話をかけた状態にしろ。もしなんかあったらすぐに駆けつける』

すぐ近くには見張りに入っている三好達の姿もあった。
里留は眠たそうに大きなあくびをして渋った顔で門に触れた。


「潜入とか…ぜってー死ぬじゃんぜってー死ぬじゃん…少なくとも俺は」

「先輩、まだ黒って決まったわけじゃないんですから、胸はって行きましょう。僕らは今から入門生です…いざぁ…」

「…やだぁ…」

12月19日

これからこの事件を左右するであろう道へと歩き出していた。



二十一



「えーと、年齢は」

「に、二十七です」

「仕事は」

「…じ、たく、警備員です…」

「はい、じゃあ合格ね」

「まじかよ」



里留達は簡単な面接を受けるとなんなりと道場へと入ることができた。
携帯もばれてはいないようでガサガサとノイズが入りながらも中の声を聞き取ることができた。

「よし、無事入れたみたいだな」

「いーなー俺も潜入ミッションしたかったー」

「バカ、もしものことあったら誰が助けに行くんだよ」

「三次郎ちゃ……」

「……まぁ否定はできないが…」

里留達は中に入るとまず大きな部屋に案内された。
畳が敷き詰められたその大部屋にはたくさんの生徒達がおり、皆息を合わせながら"モニ!!"と掛け声をして拳を突きだしていた。

「ここが集会や鍛練をする所です、1日5回、ここで門下生たちはモニ突き、モニをしています」

「多くね?」

次に案内されたのは大きな、プールのような四角い池であった。
中には褌姿で生徒達が潜って鍛練をしているようであった。

「ここではモニ呼吸法の練習を行っております、あ、褌は後程渡しますので」

次に案内されたのは闘技場のような部屋であった。
中では、褌姿で相撲のようなことをしているむさくるしい男らが見られた。

「ここは闘技場で、よくモニレスリングを」

「さっきからそのモニつけるのなんなの!?」

「三好ぃ…」

「……俺に聞くな風見」

一通り案内された里留達は道着と褌を手渡され、自身らの寝室に着替えをしに来ていた。
誰もいないことを確認すると、里留は携帯をとった。

「おいここもうただのホモとモニラーの巣窟だろ!!」

『モニラーってなんだよ』

里留が見る限り、多少異色出はあるがただの道場のようにも見えた。
ただ一つだけ気になったのはここの教祖様と呼ばれている茂庭弥生のことであった。

「まだ顔とかみてねーけどさ、なんかお告げの時間だとかあるみたいで、もぉーこれ明らかにアカンヤツダローアカン」


嫌な予感が的中してしまったというように三好は顔を曇らせた。
もしかしたらカルト的何か組織が関係しているかもしれないとはこのことなのだろうか。

しかし、話を聞く限りまだ黒と見定めるには情報は不足であった。
何はともあれ、まだ潜入を続けてもらうことには変わりなかった。

「でも俺らこれから道着になるから携帯持ち歩けねーぞどーすんだ」

『それなら心配ねぇよ~ん里留チャン!俺がさっき中に入る人に盗聴機仕込んどいたから☆』

三好達が待っていたのはそれであった。
少ないかもしれないが必ず外部から道場に戻ってくる生徒はいる。
そのわずかな確率を狙って待っていたのだ。

「てか盗聴機あるなら最初っからそれつかえよ」

『バカ、レンタルにきまってんだろ、二個も借りられるか』

盗聴のルートは多い方がいい。
小型の粘着性のある盗聴機だから自然に外れることはまずない。

『とりあえず一旦携帯は切っていい。もし夜時間があるなら連絡を頼む』




おそらくこの道場は黒であろう。
明確な証拠はまだないが、直感的に感じていた。
三好にしてはらしくない推測かもしれないが、ここまでに閉鎖的な空間は異常であった。
現に、あれ以降人が出入りする様子はまったくなかった。
もしかしたら証拠が見つからずとも強行突破する可能性が出てくることもあり得る。
そう遠くもない。

「三好やべぇよ!俺らの携帯誰かに逆探知されてんぞ!」

おそらく。



二十二



「モニ!」

「モニモニ!!」

里留達は道着に着替えると例の大部屋に来ていた。
ざっと門下生たちは80以上はいるといったところか、冬にも関わらず暑苦しい空気をこめたその部屋に里留は思わず目眩をしそうになった。

「三次郎ぉ…これ俺じゃない方がよかったってぇ…嫌だぁ…割りと本気で」

一方の三次郎は無言ながらもやる気にみちあふれた熱い目をしていた。


「いいじゃないですか、これはおそらくいいトレーニングになりますよ」

「俺お前みたいにタフじゃないから…」

とりあえずこんな馬鹿げた拳法などやってはいられない。
正直逃げ出したい里留であったが、まずはその門下生とやらに話を聞いてみる他はなかった。

「モニ!!」

「モニ!!」

「あ、これアカンだろ、神矢の神主並みに話通じないパティーンじゃないの?これ?」

「ならばこちらもモニで対抗するだけですよ先輩」

もはやヤケクソだといったように、里留はすれ違った生徒にモニ!!とあいさつをした。
すると、よい笑顔で相手もモニ!!と返してきた。

「アカン」

「はっはっは、君新人か?よろしく頼むよ~私はモニ小林だ」

「あっ、ハイ、モニ九重です」

髭をたくわえた目力の強いその男は豪快に笑うと手を差し出してきた。

ガッチリと挨拶を交わすと二人に肩を組み、なれなれしく肩をパンパンと叩いた。

「お前ら、なんかの調査できているのか」

大部屋に見えないように背を向けたところで表情を変えた小林は耳元でぼそりと呟いた。

「あぁ、安心しろ、俺もあんたらの味方だ、俺ぁ槻上警察署のもんだ」

一瞬ヒヤリとした里留だったがそれを聞いて驚いたように小林の顔を見た。

「ここぁ間違いなく黒だせ、門下生はみんな頭イカれちまってる、全部茂庭弥生のせいだよ」

ちらりと誰にも見られてないことを確認すると小林はさらに小さな声で二人に呟いた。

「今日の夜、ここの秘密教えてやるよ…裏庭にこい」



三好たちは場所を変えて少し離れた入り込んだ住宅地に身を隠していた。

「俺が裏見回ってたときよ…やたら警備員が近くに現れんだよ…なんかおかしいと思ったら…」

息を切らしながら風見は携帯を突きだした。

「携帯、しばらくは切っといた方がいいかもな…ウハァアアア!?」

突然風見の携帯が陽気な音と共に鳴り出し、驚いた風見はひっくりがえってしまった。

「うるせぇな、聞こえんぞ」

「え、なに、なんなの…って会社かよ!」

「いーから早くでろや、うるせぇソレ」

風見が電話に出ると三好は大きくため息をついた。
なぜばれた?
一概に逆探知を道場の者が行っているとは限らないが。
盗聴機は変わらず中の音が聞こえているところをみるとバレてはいないようであった。
盗聴機がバレていないなら他に心当たりはない。
里留たちもバレてはいないように聞こえた。

「いったい誰が…」

その頃、道場ではお告げが始まろうとしていた。
小林と隣り合わせた里留と三次郎は、ボソボソと口を交わしていた。

「みろ、あれが茂庭弥生だ…」

巫女のような姿をしたその人物は、襖からゆっくりと、ゆっくりと入ってきた。

「皆様、こんにちは。お告げの時間でございます」


二十三


茂庭弥生。

目は気味の悪いアイマスクで隠されているため見えないが身長や口元を見る限りさほど年寄りには見えなかった。
むしろ艶やかな髪や、白く透き通るような肌から美人のようにも思えた。

「もしかしてこいつらみんな催眠術でもかけられてるんじゃねーのぉー…?美人過ぎる人ってのは裏しかねぇからな…」

「先輩なら歓喜するかと思ったんですが…」

「バカ野郎、俺はそんなうまい話信用する質じゃねーんだよ」

だから三好のことも嫌いなのか、と三次郎は納得した。
こそこそと聞こえないように話をしている間も茂庭はなにやらまじないをかけるような手振りをみせて手に持っている榊を揺らしていた。
そうしてそのまじないを終えると茂庭は元の位置に戻りそのお告げとやらをはじめた。

「皆様、鍛練のほうは怠っていないと思いますがいかがでしょうか」

「モニ!!!」


相変わらずの掛け声に苦笑いしながら里留たちも同じように右手を斜めに振り上げる。
満足そうに茂庭は頷くと話を続けた。

「人というものは不可能を考えてはなりませぬ、その鍛練を続けることこそ、無限の力への第一歩となるのです」

「モニってるだけだろ…」

「そこ!!なにか申しましたか?」

「あっ、イエッ」

地獄耳かといわんばかりに的確に当てられ里留はひやりとした。
とりあえずばれた様子はなく茂庭はお告げを続けた。

「ですから皆さん、死を恐れてはなりません。死ぬことを不可能、拒否することも私達の成長というものを妨げるのです」

茂庭はそういうと一冊の本を取り出した。

「今から行うのは、皆様の成長を促す第一歩に繋がる行為です」

茂庭がペラリとページをめくる。
そうしてなにやら経のような言葉を紡ぎ始めた。
次の瞬間、里留はハッとした。
最後列にいた里留は突然立ち上がった。
両脇にいた二人は驚いたように里留をみた。
しかし、ソレ以外だれもこちらを見ようとはしない。

「先輩、ちょっと」

「あいつ、…笑ってやがるぞ」

里留の頬にヒヤリとした汗がつたる。
そして茂庭は確かにこちらに眼を向けた。
そして気味悪く笑い、次の瞬間緑色の光が押し寄せた。

「避けろぉおおおおお!!!!」

その広がる円から避けるように、後ろに里留達は転げ壁のはしまで逃げた。
しばらくして、パタン、と本を閉じる音がして、静かさか広がった。
里留は恐る恐るその瞼を開いた。
そこにあったのは、彼が予想した通りの、
数多もの粘土であった。
三次郎は無事であった。
しかし、逃げようとして逃げ遅れた小林の不完全な粘土と手首が道に落ちていた。


「………やったぁ」

茂庭は恍惚の表情を浮かべていた。
そしてすぐに携帯電話を取り出すと電話をかけ始めた。

「もしもし。はい、数多くの生け贄が用意できました。ざっと80以上はありますかと。ええ、それで」


三次郎は唖然として瞳孔を開いたまま茂庭を見つめていた。
里留も同様もはや声もでない状態でその現場を見ていた。
そうしている間に茂庭の電話は終わっていた。
もはや、なにもできることはない、そう思っていた。
が、里留は突然残った出来る限りの力を振り絞り、茂庭に向かって走り飛び付いたのだ。

「なにを!!」

当然振り払われ、里留はその生暖かいヘドロへと落とされた。

「どうあがいたってこの世界はもうすぐ終わります、いいえ終わらせます、こうして人が死んでいくように世界も滅びゆきます」

茂庭はその分厚い本を取り出し、里留の頭の上に振り上げた。

「たかが探偵風情が、世界なんて救えない」

それだけ言うと茂庭の体がぐらりと揺れ、バタリと床に崩れ落ちた。

「先輩、大丈夫ですか!!」

三次郎により気絶させられた茂庭は動く様子はなく、里留の方はイテテと体を起こした。

「なんで急に無茶を」

「コレだよ、コレ」

里留の手に握られていたのは、茂庭の携帯電話であった。

「さっき茂庭が電話してた相手、そいつを見りゃ真犯人がわかる、ていうかあの暗号にあった魔術師ってやつが」

里留はすぐさま履歴を開いた。

「魔術師、サンフラワー…?本名じゃないですね…」

「サンフラワー…?」

その時、里留の表情が一変した。
その色は、先程よりも青ざめた顔をしていた。

「三好に!三好に連絡しろ!」

「えっ、ちょっ、先輩どこいくんですか!?」


背筋が凍るような恐怖感、その瞬間全てをつなげたその一つのピースはさとるに目眩がするほどの衝撃を施した。

「くっそ…!最悪だ…!」

「先輩一体なにが…」

入り口には警備員が数名立っていた
当然、不審にも逃げ出そうとしているように見える二人をその警備員らは阻んだ

「キミ、戻りなさい」

「御告げはまだ終わってないはずだ、戻りなさい」

「…先輩」

ジリジリと警備員たちはこちらに詰め寄ってくる。
このままでは何をされるかわからない。

「……ここは俺がなんとかする、とにかく外に、三好を探すかとにかく連絡しろ!!そこから離れろって!あとからすぐ行く!」

「!はい!」

三次郎が走り出すと同時にさとるは水の入ったペットボトルの蓋を開け、その液体を床にぶちまけた
そのスキをつき、三次郎は携帯電話片手に外に飛び出して行った

「おい!お前」

「いいか、よく聞け。この液体にはシアン化カリウムっていう物質が溶けている、シアン化カリウムは水蒸気になると空気中の二酸化炭素と反応して、中毒ガスを放出する」

「!!?」

「ここは日光も良く当たるから反応の進行も早い。 早く逃げないと、お前ら全員、ガス中毒になって、死ぬぞ」


場所は変わって、とある住宅街通路。
三好はこれからどうすべきか頭の中様々なシュミレーションをしていた。
明らかにあの道場は黒だ。
恐らくあの巫女。
教祖とか言われてたあの巫女がこれまでの黒幕と見て間違いはない。
そうとなると里留達の応援として強行突破の侵入もあり得る。
盗聴器からの音声はまだ相変わらずガヤガヤと人々の話し声しか聞こえない。
この間に手を打たなければ。
風見の電話が終わり次第どこか別なところに移動した方がいいだろう。


「ハイ……ハイ、分かりました。では、お疲れ様でした」

どこか、道場から近い様子のうかがえるところがいいかもしれない。
そう考えながら三好は辺りをチラチラと見回した。
ふと気がつくと風見は電話を終えて電源ボタンを押していた。

「終わったか?とりあえずどこか別なところに…」

「……」

「…風見?聞いてん」


その時、三好ははじめて風見のその表情が見えた。
真っ黒なその表情は不気味にもニヤリと気味の悪い笑みを浮かべていた。
そして
………

「おーい!三次郎!!!繋がったか!?」

「先輩!無事でしたか!」

ぜぇぜぇと息を切らしながらかけてきた里留を驚いたように見ると、三次郎は携帯を里留に手渡した。
お掛けになった電話は~…と繋がらない事を告げる声が携帯を伝って耳に鳴り響く。
「ずっと繋がらなくて…三好さん、電源入れてるんですかね…、ていうか周りにもいませんし」

「なんで電源入ってねぇんだよ…!」

「あの、先輩、三好さん達に一体何が…?」

「犯人はあの教祖じゃねぇんだよ!!」

三次郎から電話を奪い、何回も何回も里留は電話を掛け直す。
しかし、三好が電話に出ることはなかった。

「風見だよ!魔導師サンフラワーは!」



三好の携帯は音も震度も出さずにポケットの中にいた。
そして三好の腹には、ナイフが、そしてそれを伝ってポタリポタリと血が、地面に滴っていた。

「かっ……ざ、み…!?」

三好の白いシャツにジワリと赤い血が滲んで広がってゆく。
そしてそのまま、前のめりによろめくと、膝をついてドサリと三好の身体が地面に倒れた。

「もう用無しだよ。じゃあな」

風見を追おうとも、追おうとも、意識は走ることなく、目の前は眩んでそして閉ざされていった。
風見の足音が遠くへと行くのがわずかながらに聞こえて、そこから先は何も聞こえなくなった。


二十四


目の前が暗い。
無気力に自分は浅い水面に横たわっていた。
死んだのか、はたまたや胎内に帰ったのか。
ただはじめてそこで目を覚ました自分はただぼんやりと薄い目で90度になった世界を見つめていた。
暗くて恐ろしい怪物が住んでいた。
確かに自分はそれを生身で感じ取って見つけてしまった。
肌を突き抜けて、神経を壊して、内蔵を抉ってゆく。

いつの間にか水は真っ赤に染まっていた。

「どこに行くんだ…俺は」

すすり泣くような声が聞こえた。



「三好ぃ!!しっかりしろよぉ三好ぃ!!」

病院のベットに横たわる三好にすがり付くようにいたのは里留であった。

「まだ金もらってねぇから三好ぃ!!目覚ましてぇ!!俺のためにぃ!!金よこしてから死んでぇ!!」

「病院でうるさい!!!」

入ってきた桃子に拳で殴られると里留は驚いたように桃子をみた。

「殴られただと…?」

「びっくりしてんじゃねーよアンタのグズさにこっちがびっくりだわ」

あれから三好は住宅街の裏道で倒れてるのをたまたま通りかかった桃子に発見され、この東方病院に運ばれたのであった。
幸い、命に別状はなく、目を覚ましたら1日程度で退院できるそうであった。

「先輩もよくあそこ抜けてこれましたね…、薬品がどうたらとか聞こえましたけど」

「あぁアレ?嘘に決まってんだろ嘘」

「えっ」

「ただの水だよ、俺が飲んでた」

決死で抜け出してきた二人だったが、結局三好を見つけることはできなく、桃子からの連絡によりこうして最悪な形で再会することができたのであった。
現場に風見の姿はなかった。
ただその場には三好を刺したであろう血の付いたナイフと横たわる三好の姿だけであった。


「急に桃子の話で思い出したんだよ、患者の話で」

様々な境遇の患者がいる、そんな聞き流していたような話だったが、里留にも忘れられない患者の思い出はあった。

「まずはじめはコレ…、このIDで思い出したんだよ」

里留が突きだした携帯の画面には例の里留達がハマっているオンラインゲーム、"パヌドゥラ"の画面が映し出されていた。

「風見とID交換したから覚えてたんだけど、ほら、風見のID見てみろよ」

「"@sunflower_1223"…サンフラワー…!」

「して…もうひとつ、俺昔アイツと会ったことあんだわ」

桃子と三次郎は驚いたように里留を見る。
里留は苦笑いしながら顎をさすると顔をしかめた。

「いや、まぁ風見は覚えてないだろうけどね、俺も見かけたってだけだったし」
多少言うのを渋っているのかあまり言いたくないのか、里留はしばらく黙っていたがとうとう口を開いた。

「風見優太の姉は風見紗綾、…俺が立ち会わせた手術で死んだ患者なんだよ…」

里留がやめるのをきっかけとしたのである例の手術。
当時入りたてであった里留はドクターの補佐として手術に立ち会っていた。

「あっ…もしかして…」

「そ、多分精神科の方にまわされただろ、風見優太。姉が死んで、それよりも前に両親を亡くしてた、当時相当精神的に参ってたはずだったよ」

里留の言うとおり、優太は姉の死亡後、その精神的ダメージから精神科で治療を受けていた。
当時研修医だった桃子は直接的に治療したことはなかっただろうが、間接的に耳にはしていたのだろう。



「だから、あいつは一回たりともこの東方病院に入ろうとしなかった。おかしかったんだよ最初っから…粘土平気で踏みつけたり、全然疲れなかったり…普通こんな捜査まともなやつだったらあそこまで無邪気にできるわけないだろ…」

「じゃあ…優太くんは…」

「医局長に聞いたけど、あいつ最後に"やっと希望が見えた"っていって病院からも高校からも姿を消したって…気が狂ってるんだよ、もう…」

日付は12月19日、幸いまだ終日の23日には約2日はある。
なんとしても止めなければ。

「…おい、勝手なことすんな…」

声はベッドの方から聞こえた。
額に手を置き、うっすらと目を開けて三好はこちらを見ていた。

「三好さん!まってください、今ドクター呼んできます」

「おい九重」

動かずに三好は名前を呼んだ。
里留は何も答えずじっと三好を見ていた。

「…まだ勝手に悪者扱いすんな、風見を」

「はぁ?何、お前まで気が狂ったか?そりゃ親友に腹刺されたらなぁー」

三好は何も言い返さなかった。
その代わり近くに掛けてあったコートを見つけると手を伸ばしてポケットから鍵を取り出した。

「特別だ、事務所の鍵。…パソコンに暗号は入ってる」

「……ウェーイ」

力なく落とされる鍵を受けとると里留は三次郎を連れて病室を後にした。
三次郎が一礼するが、三好の反応なく、ただまた同じ体勢でベッドに横になっているだけであった。
ズンズンと歩いてく里留を三次郎は慌てて追いかけた。

「先輩、これから一体」

「あん?推理タイムだよ推理タイム、里留名探偵のー!ははっ」

右手の鍵をぎゅっと握りしめ、腕を大きく振りながら里留はひたすら前進した。

「ニートが三次元救うだなんていったら世界だってひっくり返るだろ、まだまだだな風見ぃ!」

日時は12月19日午後6時。
滅亡のカウントは刻一刻と迫っていた。

「……メール…」

そしてこの小さな病室でも、まだ灯火は確かに燃え続けていた。



二十五


12月20日

無理をいって退院した三好は昨夜届いたメールを見返していた。

「……」

「よぉ、探偵」



病室を出た先で姿を現したのは意外な人物であった。
素直じゃないのか、メロンをチラつかせて少し離れた所から手を軽く振っているのは槻上であった。
三好は無言でぼんやりと槻上を見ていると、相手はいつものように険しい顔をして不思議そうに首を傾げると、煮えきらないのにたえられなかったのか、向こうから歩み寄ってきた。

「なんだぁ、腹刺されたって聞いたから来てみりゃ、割と健康そうじゃねぇかよ」

頭の先から爪先まで軽く視線を当てるとようやくメロンを手渡してきた。
三好は黙ってただメロンを見つめている。
少し苛立ったように槻上は、無理やり箱を三好の腕に押し込んだ。

「潜入捜査官がやられたんだ…昨日の道場で」

槻上は悔しそうに顔を手で覆った。

「…道場主の茂庭弥生は捕まえられて今極秘に警察署で収容されてる。マスコミにも茂庭弥生の事は出さない」

「…そうか」

槻上は様子を伺うような視線を三好に向けた。
先程より距離を詰めると槻上は周りを確認し、口を開いた。

「茂庭は、魔術師があとはやってくださる、といっている…てんで話にならねぇ」

「…そうか」

「…探偵、お前を刺したのは一体誰なんだ」

三好はかわらずどこかをぼんやりと見ている。
口を開こうとはしなかった。

「お前の他の仲間はお前しかわからないとしか言わなかった…誰なんだ」

槻上はおそらく感づいてはいるのだろう。

「お前の一言で、この事件で人が死ぬことはきっとなくなる、何人もの人が助かるかもしれないんだよ!!」

ただその真実を、確かめようとまっすぐみつめている。
槻上は三好の肩を強くつかんだ。
すると、ゆっくりと三好の黒い眼球はゆっくり動き、槻上を刺すように見詰めた。

「…お前が守るのは、世間だ」

「………」

三好は槻上の肩をつかみ返し訴えた。

「俺はお前らにできないことをやってみせる…絶対だ」

なにも言えない槻上を置いて、勢いよく三好は足を踏み出した。



右手の携帯を強く握りしめ、三好は歩き続けた。

「まだあいつは生きている」

生きて、真実を聞かなければならないのだ。



二十六


事務所では二人の男がたくさんの資料を前に頭を抱えていた。

「あんんんんんんんんんわかんないいいいいい!何をどこでやんだよ!!畜生!!」

暗号を見返そうもまだ未完成、仮に先の文章を予測してもまた意味不明であった。

「呼び出すためには、魔術師サンフラワー…五つの魔方陣……呪文、雲割れて…生け贄……12月23日に高まる……わかめ!!わけわかめ!!」

里留ができる英語力ではここまでが限界であった。
犯人がわかってもどこで何が行われるかがわからなければそれも無意味だ。

「せめてなんかもっと……ん…?」

「?どうかしましたか先輩?」

ふと何か思い付いたのか里留はその不完全な翻訳の紙切れをつかみとってよくその文章を読み直した。

「三次郎…、魔方陣って発動したとき光ってたよな…?」


「え、あぁ…たしか赤く…?」

「!やっぱり!」

里留は慌ててペンを取り出すと紙の裏に何やら書き取り始めた。

「北東接骨院は赤、茂庭道場が緑…!」

「!たしか、大学が橙色で、警察署が黄色…」

「神矢神社は青…みんな色が違う…!」

「…はい…!」

「……………でっていうなぁあ!!畜生!!わかんねぇ!!」

「五属性…」


突然声がもうひとつ加わり、驚くとドアの前に松葉杖をついた三好が立っていた。

「ちょちょ、なにお前!?霊!?ちょっとやめて!塩はよ!」

「本物だっつーの…もう昼過ぎだぞ、退院したっつーの…」

邪魔そうに三好は松葉杖を捨てると手にしたiPadに地図を映し出した。

「反撃開始だ」

三好は力強く立ち、拳を握りしめた。

「まずこれらの魔方陣ってのは五つの場所で行われてんだ、北東接骨院、槻上警察署、月光大学、神矢神社に今回の茂庭道場…これを全て一筆書で結んでくんだ」

液晶に写る電子の地図を横に、三次郎が紙に簡易的に配置を書いていく。
地理上はそれぞれがかなり離れている場所であった。
が、それを一枚の紙に簡易的に分かりやすく書き込むとひとつの記号が浮かび上がった。

「あ…」

「おい、これって星形じゃんか」

事件の起こった順番を辿っていくと浮かび上がったのは魔方陣に見られたのと同じ星の記号であった。

「そう。…つまり、この大きな魔方陣を完成させるために魔方陣は五つの場所で解放されたわけだ」

「成る程…」

「だが、これらはあくまでも魔力を高めるだけのもので、まだ本番の魔方陣が残っている」

三好は星形になるエリアを赤ペンでぐりぐりと囲んだ。

「魔力が高まっているのはこのエリア内…つまり」

トン、とペンの先が星の真ん中に置かれる。

「星の中心に位置するところってわけか…」

三次郎はうなずいているが、里留はどこか腑に落ちないような表情をしていた。

「なんだ、何かあるのか」

「や、その推理についてはなにもねぇんだけどさぁー、強いて言えば?お前が腹立つのみなんだけど?」

「一生黙ってろ」

里留はつまらなそうに口を尖らした。

「お前そんな情報一体誰から聞いたんだって話ー、明確すぎね?」

たしかに、それらの情報には三好が知らないであろう情報からの推理も入っていた。
第一に、三好がいかにオカルトじみたことを信じていなく、当然その知識もないであろうと思ったからだ。

「秘密警察だとかいってたか…」

「はぁん?」

ポケットに入っていた例のメモをおもむろに取り出してみる。
あのアドレスをもらったとき、槻上はひとつ、言葉を付け足してきた。


〈俺もそいつと直接的に会ったことはない〉

疑いながら打ったメールであったが、このようにして返信をもらった以上、今は信じるしかない。

「…もしかしたら、もう会ってるのかもな…」

「はぁん?」

なんでもない、と言って三好は立ち上がる。

やはり傷はまだ痛む。

しかし幸いにも浅かったおかげでいまこうして動くことはできる。

「…とにかく、今はあの中央に面してる所を捜査して召喚が出来そうな広いとこを探すしかないな…、きっと、風見はそこに現れる」

最後の日まで、2日をきっていた。



二十七


「はぁ?麻酔?」

その日の夜、里留は人知れず東方病院を訪れていた。
麻酔を一本でいいから貰いたいと、桃子に相談をしに来ていたのだ。
当然、部外者にそう易々と渡すことなどできないと分かっていたが、それでもなお、頼む、と里留はペコペコ頭を下げていた。

「…あのねぇ、さっくんたちが今どんなことに巻き込まれてるか分かんないけど、いくらなんでもそんなことあたしにできるわけないでしょ、…ましてや病院関係者以外に…」

里留は困ったように目をそらした。
あたかも自分の職場のように来ていたここと自分を繋ぐことは本来何もない。
それを承知で里留は来ていた、いや、逆を言えば今の里留だからこうしていられるのかもしれない。

「だったら、ここの医者になればいいじゃない」

突然、桃子の後ろから聞こえてきた。
里留が顔をあげるとそこにはこちらに向かって歩いてくる東条と麻里の姿があった。

「と、東条医局長」

「すぐには用意できない。2日後、22日までにはなんとか用意できる、…それでいいかしら」

キュッキュッとスニーカーの音を鳴らしながら東条は里留の前まで歩いてきた。

「そのかわり、あなたにはまたきちんと試験を受けて病院に戻ってもらいます」

「ファッ!?いや、えっ、でも」

「でもじゃない!!」

「ウェウゥウィッス!!!!」

思わず背筋を伸ばして敬礼をする里留を、東条は女性ながらも鋭い目つくで睨んでみる。

「とりあえず今日はもう帰りなさい」

「えんっ!?」

「命令!」

「はぁああい!!!!」

慌てて出て行く里留の姿を、三人は各々別の心情を描いた表情で見送った。
東条はそれだけ見ると、満足そうにその場を離れていった。

一方では。
不安そうな桃子にいつもとかわらずニコニコとしている麻里がその場に残っていた。

「大丈夫だって、あれで医局長は心配してんだから」

「でも…」

「人の死を目の当たりにしたアイツが、麻酔を人殺しになんて使ったりしない、お前が一番分かってるだろ?」

桃子は小さく、ただコクリとだけうなずいた。


「呼び出すためには…、魔術師サンフラワー…、5つの場所に魔方陣…、呪文を唱えると雲が割れ、…生け贄を捧げ、失敗する確率、…精神的不安定×、12月23日に高まるため召喚できるはず、後はサンフラワーに……ハイヨル…コントン…、ずいぶん訳進みましたね」


その頃、事務所では三好と三次郎が今日集まった情報をまとめようと試行錯誤していた。
例の秘密警察とやらからは、コレが最後の情報といって、少しの言葉とこの訳が添えられていた。
明日があったらよろしくお願いします、と。

「あぁ…、それで、中央に召喚できそうなとこはあったか?」

「えぇ、一通りその周辺まわってきましたけどあそこら辺ほとんど住宅密集地で…広いところっていったら小学校の校庭くらいでした」

たしかに、校庭となれば召喚には十分の広さだろう。
事務所からは歩いて30分程の距離だ。
殺されるか止められるか、
俺たちが明日を迎えられるかはその時決まる。

「12月21日…もう10時ですか…」

「……あと、一日」


あと一日で、終末


昼の商店街はガヤガヤと騒がしい音で包まれていた。
スーパー、揚げ物屋、八百屋に魚屋、それぞれがそれぞれの匂いと声を張り上げてこの街の少し外れに建ち並んでいる。
この光景が明日にあるのかは今日で全て決まる。
もはやこうして最後に会いたい人も居なくブラブラしているのならもしかすると自分にとってこの世界自体はどうでもいいのかもしれない。
ただ一人の友を除いては。


花屋の店先に見えた小さな小さなひまわりの造花が皮肉にもその友人に見えた。
自分は、その小さなポケットに収まるほどねヒマワリを一本だけ買って帰ることにした。


「ハイ、コレ。…無茶しないでよ、ほんと」

「ふぁー、死亡フラグじゃないですかー!やめてぇ!オォン!」

「前言撤回、頑張って何がなんでも死んできて」

「オォン!!」

東方病院の裏でこっそりと受けとると慎重にバックにしまった。
相変わらずの里留の態度に呆れて、もはや桃子はため息すらも出なかった。

「ま、なるようになるさ、良くも悪くも」

「…」

桃子には結局里留が悲しんでいるのか恐れているのか分からなかった。
彼が何を考えているか分からないのは今も昔も変わらない。
だから桃子は、今も昔も信じることしかできなかった。

「カラッポの人生のなかにイヤーな思い出いっぱいつめて帰ってくるわ」

「…うん…」

でも、きっとそれ以上もそれ以下もそれ以外もできないのだと。
きっとそうなんだろう。
各々の別れを告げ、戦いは最終決戦へと向かう。



二十八


12月22日、夜10時頃

空は冬の寒さに表情を曇らせ、淡いグレーに染まっている。
もうすぐクリスマスということで、街の方角は色とりどりのネオンでぼんやりと輝いていた。
ただ残念なのはこの都会では雪も星も見られないということだ。
あと数時間後、この何もない都会の空も絶望一色に染まる。
恐らくそんなことは誰も知らない。
むしろあり得ないと言い切りたいことなのだ。

「誰もこないですね…」

街の中心から少し外れたこの住宅街には人の姿はほとんどなかった。
むしろ、真冬のこの時間に人などは全くもってみられなかった。
風見を待って2時間あまり、依然としてヤツは現れない。
呑気に里留は動画をみている始末で、三人は白い息を吐きながら時を待った。

「流石にニュースになったんだなぁ、この事。サイトにも上がってるわ」

里留が見ている画面には"門下生、大量失踪"という見出しがいくつもならんでいた。

「失踪だなんて、まぁー分かっていて白々しいことぉ~」

「公にできないんだろ、当たり前だ」

そのまま何気なく口を尖らせて動画を視ていた里留であったが、突然何かを見つけると大きな声を出して勢いよく立ち上がった。

「なんだよ…」

「いやいやいや!!ちょ、コレみてコレ!!」

言われるがままに里留の携帯を覗くと、いつ放送したのだか、例の事件のニュースの動画が流れていた。

「なんだよ…ただの茂庭道場の外装だけだろ…」

「いやその次!!ここの人混み!!」

LIVEと表記されている画面が出ると中継をするアナウンサーとその他の警察や野次馬が写っていた。
目を凝らしてじっと見つめると、その野次馬の中に見覚えのあるパーカーの青年を見つけた。

「!?風見…!?」

「投稿時間とか見るとこれ昨日の夕方…てことは昨日道場にいたってことでよね…」

画面端にポツンと立っていた風見は何かを見上げているのか、しばらく宙を見ていると、最後にこちらをチラリと見て画面が切り替わってしまった。

「挑発かぁ?くっそ…風見め…アカウント炎上させてやるぞ…」

「おいちょっともう一回見せろ」

三好はもう一度風見の写った瞬間を観察した。
より目を細めて。

「一体何を見上げて…」

疑問のまま、三好はふと顔を空に向けて上げてみた。

「………あ」

「は?」

何かを見つけたのか、三好は突然ある建物の方角へと走り出した。

「ちょ、おい三好ぃ!なんだよ急に!」

慌てて里留達も三好の後に続いて走り出した。

三好が必死に走って向かっている先はここからでもよく見える、この町で一番大きな高層マンションであった。

「たしかによく考えてみたらこんな人に見つかりやすいとこでやるわけない!!それに広いところは必ずしも地に面してるとは限らない」

「はぁ!?」

「召喚の場所はあのマンションの屋上だ!!!」

時刻は夜の11時を回ろうとしていた。





二十九


小学生の時、父さんと母さんが事故で死んだ。
中学生の時にじいちゃんとばあちゃん達も寿命で死んでいった。
自分には姉だけが残された。

「これからはお姉ちゃんと二人暮らしだけど、優太、大丈夫?」

身内もほとんど居なくなってしまった自分にとって姉はたったひとつの家族、僕の帰れる家だった。
父さんと母さんが死んだときに泣いていた姉はもういなく、姉はたったひとりぼっちの家族を守ろうと必死に戦っていた。
あたたかい家であった。
失いかけていた僕の中の人間をそっと抱いていてくれたのはたったひとりの姉であった。
でも姉をも事故でなくして、確実に僕の歯車は狂いだした。
会社からの帰り道であった。




「だぁから鍵!!屋上の鍵だってば!!」

「はあ…なにぶん耳が遠くてですねぇ…あの」

「ファッキン!!!」

「おい、屋上の鍵は壊れてて開きっぱなしらしいぞ」

「んもう遅い!!!」

カンカンカンと階段を上って行く。
この高いマンションを上るにはかなりの体力が必要であった。
途中でバテてる里留は三次郎に任せ、死に物狂いで三好は屋上にたどり着いた。
立ち入り禁止のテープをおもいきり千切ると鉄の重いドアを開けた。

「…か……ざみ……?」

「………」

息切れがひどく調えようとするが何分寒い空気が痛々しく気管を刺激してくる。
冷たい風に吹かれ振り向いた男は間違いなく三好の友であった。

「なんで」

「くるな」

ズシリと重い鉈を三好に向けた。
ちょうどドアのところには里留と三次郎もたどり着いたところであった。

「…やめろ、風見」

「うるせぇなぁ、今度は本気で殺すぞ」


風見と三好、二人が一直線上にいる状態になる。

「…おい…三好…こっ…これ、風見を麻酔で眠らせ」

「すまない、風見」

里留がよろよろと近づいてきたのに見向きもせず三好は風見に向かって足を進めた。

「くるな」

「学生時代、お前がいたおかげで俺は高校にいれた、本当だ」

「くるな」

三好が一歩、また一歩と足を進めるたびに風見が一歩一歩と退いて行く。

「今も、みての通り俺の周りにもなにもない、正直大人になったらなおさらわからなくなった、周りに必要なものが」

「くるな…!」

「でも今回久々にお前と会って、俺が、俺が少しだけ楽しかった時を思い出せた」

「黙れ!」

三好は拳を握りしめ力強く地面を踏みしめた。


「俺は情けない!!結局なにもわかってなかった!!」

三好の細くて折れそうな声は空気を割って真っ直ぐと翔んでいった。
里留の位置から三好がどんな顔をしているかは分からなかった。
しかし、彼がいかに複雑な表情をしているか、それを目の前にした風見の顔でよくわかった。

「殺したいなら…最初から殺せたんだ」

困ったように風見は頭を押さえこんだ。
無茶苦茶にその髪をかき乱すと震えた声で下を向いたまま唸り声をあげ、発狂をした。

「お前を生け贄にしようと思ったのに!」

風見は鉈を大きく振り上げた。

「!おいかざ」

「もう終わりにしたいんだ何もかも!なんで俺ばかり!お前なんかにわかるかああああああああああ!!!!!!!!」


風見の発狂と共に地面が大きく光だし風を巻き起こした。
それと同時に突風が三好たちに襲いかかった。
風見の振り上げた鉈は誰のもとにも振りかざされなかった。
彼は自分自身の腕にその鉈をふり下ろし自らの腕を魔方陣の中心に投げつけた。
痛みと精神の崩壊から風見はもはや人の言葉を発していなかった。

言葉だけではない。
その恐ろしい怪物はみるみるうちに風見自信を飲み込みはじめたのだ。

「風見ぃ!!!」

三好は風をかき分けながら風見の元に駆け寄ろうとした。
しかし、もはや手遅れであった。

「先輩…"生け贄を捧げ、失敗する確率、精神的不安定×"って……まさかこの事」

「おい三好ぃ!!やめろ!!」

風見が中心に立つ魔方陣の周辺にはみえない壁が出現し、三好が駆け寄るのを妨げた。
三好が何度も何度もその壁を叩いても拳が傷つくばかりでびくりともしなかった。
そしてその壁が解かれた先に居たのは。

「…かざ……」

風見、なんかではない。
肌は焼け爛れた、歯茎はむき出しで人間の原型などない、ただの化け物であった。
ズルリ、ズルリと肉を引きずりながら寄ってくるその化け物は何か言いたそうにうめき声をあげている。

「風見……?」

「ウゥ…………ヴアァアアアアアアア!!!」

爪の伸びたゴツゴツとした手で頭を押さえながら風見は叫び三好に襲いかかろうとした。

「三好さん!!!」

動こうとしない三好に代わって三次郎が風見を押さえつけた。

「くっそ…これじゃ麻酔も…おい三好!」

三好がこうして立ちすくんでる間にも風見はみるみるうちに化け物になっていっている。
三次郎をはね除け、空に向かって風見は叫び声を上げた。
ビリビリと唸る空気にその場にいるすべての者が足をよろめかしてした。
その隙をついて風見は三好の元に一直線に向かってきた。

「三好さん!!」

「!!!」

目を見開いて、とっさに三好は銃を引き抜いて風見の眉間に突き付けた。
まるで時が止まったかのように風見はそれ以上進もうとしなかった。

「風見…っ…か」

冬の寒さも大いなる恐怖も、すべてを切り裂いて、三好の震えた声が飛び出して。

「ぁ…ああぁああああぁあああ!!!!!」


銃声が鳴った。

また時が止まる。
弾は風見の頭を貫き、風見はよろよろとよろめいた後、三好にもたれ掛かるように倒れてきた。

「……おい、風見、おい」

力なくもたれ掛かる風見の息は消えそうに掠れていた。
パサリと、三好のポケットからはあのヒマワリがこぼれ落ちた。
真っ黒な風見の目がギョロリとその花をとらえた。

「…ああ…ねぇ……さん、」

それだけ呟くと、風見の体はパラパラと砂のようになり冬の夜風へと消えていった。
時計の二本の針は12を指していた。
これが、二年前に起こった全ての話。





三十


その後、里留は医学をもう一度勉強し、病院復帰を果たした。
しばらくの間、まるで死んだかのように無心になっていた三好は今回の業績を称えられ、志貴の計らいで事務所はよりいっそう繁盛したとか。
皮肉にも。
それにともない、三好の元には現在一人の助手がいる。
日輪香。
舞台は二年後。
残虐がゆえに生き延びた人間を、この世に潜む恐怖はまだ許してはいなかった。

この世界はまだ、決して必然として回ってなどいなかった。



第一部-完-

piscium capsa(前編)

piscium capsa(前編)

  • 小説
  • 中編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-12

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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