屍になる理由

プロローグ

人はいずれ死ぬ生き物だ。
生きる為の活動を続けても、何の災難に見舞われなくても、いずれ死ぬ。
人が死ぬという事はあらかじめ決まっている事だ。抗いようがない。

しかし、死ぬタイミングを決める事は出来る。
人はそれを倫理だのなんだの許しはしないが、それは誰にでもある権利であり行使力だ。
命の使い方に説明書などない。
思うように生きればいい。
思うように死ねばいい。

人は屍になれる。
理由があれば、人は屍になっても良いのだ。

(1) 7/2 PM 13:55

早朝。天候は快晴。
今日という日に際して、どうやら神様は相応の舞台となるように計らってくれたらしい。
そんな神の優しさに、榛原陣(はいばらじん)は鬱陶しいとばかりに目を細め太陽に睨みをきかせる。
多くの人間にとってこの恩恵は感謝に絶えないだろう。
それはひょっとすると大勢の人達がそう天に祈ったからなのかもしれない。
たった一人の願いの大きさには気付かないが、多大な望みに対しては責任を果たされなければ神としても示しがつかない等と考えているのかもしれない。
だとすればいらぬお節介。こっちはそんなもの望んでなどいない。
でもそれは、確実に少数派の意見だ。だから届かなかった。きっとそうなんだ。

駅のホーム。時間は14時前。
普段の生活時間に比べれば非常にゆったりとした登校時間だ。
今日はそれが許される日だった。

「おう、ハイジン。」

目を向けると、ブレザーの制服に運動部が使用するような大きな長方形のショルダーバック。それに加えドラムのスネアとペダル、シンバル類を一式にまとめたセットを楽器を運ぶ専用のローラーに縛り付け、1人の学生がゴロゴロとこちらに向かってきた。
自分も背中にギター、右手にエフェクターケースを抱えているが、彼の姿を見るとこういう時は毎度大変だなと、普段決して思う事のない彼への同情を感じた。

「おはようございます、部長。」

寺谷和人(てらやかずと)。榛原が所属する軽音楽部の部長。学年は榛原の1つ上の三年で、担当はドラム。
高校生の癖に自前のドラムセットを防音施設の整った自宅に構える富裕層の子供。
ドラムの腕は申し分ない。しかし平民共、頭が高いぞと言わんばかりの態度のでかさと発言力を兼ね備えており、お世辞にも人に好かれるタイプの人間とは言えない。
しかしそういった権力と傲慢さをリーダーシップのある人間だと勘違いしたのか、はたまた彼ではなく彼の親の持つ強大な権力に屈したのか、誰にも望まれていないのに本人の強い意志で部長の座を勝ち取った王様気取りの若坊ちゃん。
榛原の彼に対するシンプルな気持ちは、嫌い。その一言が全てを現してくれる。

「いやー今日と言う最高の日に最高の天気。完璧じゃないか。」

そう言いながら、寺谷はふわあと大きなあくびをそのまま発音した。
見れば目は少し充血気味だ。

「寝不足ですか?」
「ああ、興奮が納まらなくてな。」

再び大きなあくびをかまし、目元を大げさにこする。
寺谷の気持ちは分からなくもない。榛原は感情の起伏が決して大きい方ではないが、自分が彼の立場だったら多少は同じ感情を抱き、すんなり眠る事は少し難しいかもなとも思う。

「お前はぐっすり寝たみたいだな。まあ当たり前だがな。俺の最後の雄姿に睡眠不足で泥を塗られたんじゃたまったもんじゃない。」

相変わらず横暴な口調だ。お前だけの為の舞台ではないというのに。

「しかし泉もよく言ってくれたもんだ。俺を大トリにしようって。当然の事だが、まさかあいつからそう発言してくれるとは思ってなかったわ。」
「やっぱり部長が最後を締めないと。」
「あいつにしちゃあ珍しく気が利くな。」

大事な文化祭中に部長が不在で問題ないのかと思われそうだが、こんな時はいつも副部長である徳永が機敏に動いてくれていた。
彼こそが真の部長だと誰しもが思っていた。今頃もせわしなく動いているのだろう。

「お、来たな。」

寺谷の視線の先に電車の姿が映った。
学園祭2日目。
トリである自分達の出演時間は午後15時30分。
準備、リハーサル時間を考えれば十分まだ時間はあるが、本番は近い。
急に体がぶるっと震えた。
榛原にはそれが緊張なのかなんなのか分からなかった。

(2)  6/26 PM17:30

「おい泉!またリズムずれてんぞ!いい加減にしろよ、本番近いのによ。」

寺谷の怒号がいつもの練習スタジオでいつもの如く轟いていた。
標的もいつもながらキーボードを担当する泉信(いずみしん)に向けてのものだった。

「…すみません。」

か細い泉の声が空気に沈んでいく。
本番一週間前。寺谷はひどくぴりついていた。
卒業年の最後の文化祭。しかも大トリ。
榛原達もどうせやるならそれなりの演奏をしなくてはという気持ちはある。
だが寺谷だけは気合いのレベルが違った。
これを機にメジャーデビューでも考えているのではないかと思うほどの熱の入りようだった。
ここ最近はずっと怒鳴りっぱなしだ。そして決まって怒鳴られるのは泉だった。

「まあまあ。」

ベースボーカルでもあり、寺谷の彼女でもある平瑞枝(たいらみずえ)はそう言いながらも自分の言葉があまり意味を成さない事を知ってか、力の抜けた声で寺谷をなだめる。

「もう時間がねえんだ!このままじゃお前のせいで大恥かいちまうよ!」

その後残りの練習時間、寺谷の怒りは収まらず榛原は自分の耳を潰したい気分になった。

しかし、寺谷と泉の関係は実はずっと以前からこういうものだった。
はっきり言って泉の演奏は相当上手い。それは素人の耳でも明らかなほどのものだった。
流麗で正確であり叙情性のある彼の演奏は誰もが認めた。寺谷だって本当は彼の才能を認めている。
ただ、彼は少し臆病で、相手の意見に自分の気持ちを言い返す事があまり得意ではない性格だった。
おそらくだが、それを寺谷がある意味気に入ってしまったのだ。
最も自分が王様であると実感させてくれる貧民。きっとそんな見下した目線を向けるのがたまらないのだ。
本番でぴりついているのも本心だろう。だがこんな時にでも寺谷は王様である自分を感じないと生きられない。そうする事で自分の欲求を満たす。
かわいそうな泉。でも誰も助けられない。王の権力にはだれも逆らえないのだ。

こんなバンド、やりたくなんてなかった。
泉もきっとそう思っている。
他の部員よりも早く正確に弦をおさえ弾き鳴らす事が出来た。
もしもギターが弾けなかったなら。もしもピアノが弾けなかったなら。
お互いこうはなっていなかったのに。

(3) 7/2 PM14:10

二人を乗せ舞台へと電車は走り出していた。
ここから5駅程度その身を委ねていれば、学校へと続く門への道の前に辿り着く。
窓から差し込む日差しが温かくまばゆい。本当にいい天気だ。嫌気が差すほどに。

「あー緊張してきたな。」

そう呟いた寺谷の言葉に榛原は少し本気で驚いた。
この坊ちゃんはこれでいて口先だけの男ではない。嫌われ者ではあるが、相応の頭と相応の度胸は身に着けている。どれだけ目の前に大勢の人間がいて、1対100で自分の意見が圧倒的敗北を示していたとしても、彼は自分が正しい事を堂々と主張するような男だ。
そんな男でも最後の晴れ舞台には緊張するものかと驚くと同時に、榛原の心は憂鬱さを加速させた。自分にとってはこんな男と共演する事など、全く楽しみでもなんでもない。
しかし憂鬱なのはそれだけではなかった。むしろもう一つの理由の方が大きく、先程から胸の奥が詰まり気分が悪い。
本当に、本気なのだろうか。

何か考えなければ。
気持ちを仕切り直そうとあえて今日の舞台を頭の中で強くイメージした。
壇上に立つ自分の姿。大勢のギャラリー。
自分の前に立つ彼女の姿は後光が差しているようにまばゆく感じられた。
いつにもまして、その姿は綺麗で圧倒的だった。
瑞枝さんがマイクを握り、すうっと息を吸い込んだ。
始まる。
ギターを持つ手に改めて力が入る。

瑞枝さん。君がいるから僕はバンドを続けられる。続けようと思えた。
一緒のバンドになってからも言葉をかわす事はほとんどなかったけど。
僕は気付けばあなたを目で追っていた。
でももう、このバンドを続ける事は出来ないかもしれない。
今日で全てが終わるかもしれないから。

(4) 平瑞枝

榛原、泉、寺谷、そして瑞枝さん。
結成したのは3ヶ月ほど前。
寺谷に誘われ、彼とのバンドを始める際に顔合わせを行ったが、その日榛原も泉もその時間まで緊張しっぱなしだった。
あの瑞枝さんとバンドを組むなんて。

世の中にはスターやカリスマと呼ばれる存在がいる。
努力、修練。そういった積み重ねを何万光年続けても届かない黄金の素質を備えた存在。
瑞枝さんはまぎれもなくその類の人種だった。
彼女は誰もが認める絶対的カリスマボーカリストなのだ。
榛原がこの学校に入部し部活は何に入ろうかと考えていた時、ギターをかじっているしせっかくだからそれを活かそうと考え、軽音楽部の門を叩いた。
新入生歓迎ライブという事で教室の一部を貸し切って演奏をしていた。何バンドか見た所で、これなら自分でも十分に活躍出来そうだなと思った。下手だったのだ。
この時点で榛原はこの部活をどこかで見下していたとも言える。
しかしそんな考えは次のバンドで吹き飛んだ。
そのバンドはギター、ドラム、ベースボーカルの3ピースだった。
ボーカルの女性が右手でマイクを握り、すうっと息を吸い込んだ。

「一緒に音楽やってみない?」

次の瞬間、教室に爆音が叩き込まれた。
とてつもない音圧に、一瞬耳を塞ぐ新入生もいたが榛原はぴくりとも動く事が出来なかった。
絶対的な存在というものがこの世にはあるんだ。
彼女から放たれるオーラであったり、彼女が叫ぶ一つ一つの声であったり、がむしゃらにベースを鳴らす手であったり、その何もかもが一瞬で榛原の世界を彼女だけにしてしまった。
今まで経験した事のない衝撃。
この人といつか音楽をしてみたい。
榛原は入部を即決した。

後になって寺谷にバンドに誘われ、泉と話をした時に彼もその場におり同じようにその場で入部を決意したらしい。
彼女はカリスマだ。
そう言ってお互いうんうんと頷きあった。
何せそれに、彼女は高校生らしからぬ美人でもあった。
それも僕達が魅了されてしまった要因の一つだったかもしれない。

(5) 7/2 PM 14:20

榛原は不安だった。
考えた所で分からない問答をずっと頭で繰り返していた。
待っていればおのずと答えは開かれる事も分かっていながらそうせずにはいられなかった。
何故今日こんなにも空は晴れ渡ってしまったのか。
身動きがとれない程の大雨でも降ってくれればよかったのに。
気を利かせた神を恨むかのように榛原は電車の天井を見上げた。
その時、電車の汽笛がけたたましく鳴り響いた。
それも一瞬のものではなく継続的に鳴らされる。
明らかに緊急事態を物語っている音だった。
汽笛は鳴りやまない。
そして勢いよくブレーキが引かれ、車中が大きくぐらつく。
人の波が揺さぶられ、車内に混乱が招かれる。
長いブレーキ音と汽笛が鳴り止み、がたんっと電車は乱暴にその場に止まった。
あまりの勢いに何名かはその場に倒れ込む程だった。

「なんだよ危ねえな!」

案の定いつもの調子で寺谷は怒りを露わにした。
周りがざわめく中、がちゃっとスピーカーから音が聞こえた。

【えー、大変失礼を、い、致しました。】

車掌は今しがた起きた事態の戸惑いを隠せず落ち着きをなくしているようだった。
榛原は静かに声に集中した。

【ただいま、当列車におき、おきまして、人身事故がはっ、発生しました。】

周りからため息や落胆や怒りや様々な声が混じった。
特に目の前のドラマーのそれは一際大きく感じられた。

「はあ!?ふざけんなよこんな時に!」

彼にとってはごもっともな怒りだ。しかし榛原はそんな彼の姿をただ黙って見ている事しか出来ない。
これで、いずれにせよ答えが出てしまったのだ。
予見していた最悪の答えが。

【えー、現在復旧の目途はまだ、まだ立っておりません。復旧まで、し、しばらくお待ちください。】

順調に電車が動くような天気でなければ、この電車が動かなければ。
何度もそう願った。でも届かなかった。
なあ、泉。
お前、本当にやっちまったのかよ。

(6) 7/1 PM20:25

「泉、大丈夫か。」

最近は口癖のように泉にその言葉をかけ続けていた。
しごき、いじめと思えるような寺谷からの叱責は傍から聞いている榛原にさえ苦痛なのだから、それを一身に受けている泉の事を考えればいたく心中を察する。

「もう、慣れたよ。」

全く慣れていない様子で泉が答える。

「あいつもひどいよな。泉の演奏全然悪くないのに。」
「部長にとってはそうじゃないんだ。世の意見より王様の意見。部長が認めなくちゃ意味はないんだよ。」
「絶対王政ってやつか。」

全く馬鹿げてる。反乱でも起こしてやろうかと頭の中で寺谷を滅多打ちにする絵を幾度も想像しているのは決して自分だけではないはずだ。
だがそれを実行するものはもちろん誰もいない。出来るわけがないのだ。

「でも、明日で解放だな。このバンドは明日の学祭までの契約だから、それが終わればいよいよ楽園が訪れるってわけだ。」
「…うん。」

軽音楽部は基本、この学祭が実質の引退を意味する。
明日の演奏が終われば上階生達の部活動は終了する。

「瑞枝さんともうバンド出来ないってのは寂しいけどな。あんな人、そうそう出会えないだろうし。なんであんなクソ野郎と付き合ってるのかね。いまだに謎だわ。」
「…そうだね。」

榛原達が入部した頃からすでに二人は付き合っていたのだが、この疑問は誰しもが抱いていたものだった。
決して見ていて仲が悪いわけではなさそうだったが、かといって恋人のそれとは思えなかった。権力に抑えつけられてといった具合でもなさそうだったので、寺谷の実家がそれなりの金持ちだった事から、早めの玉の輿に乗っかったのかという意見が一番有力であったが、真相は分からない。
一度誰かが恐れ多くも直接質問してみた事があるのだが、「子供には分からないよ」と一蹴されてしまったらしい。

「まあ、明日頑張ろうや。後一日。それで終わりだ。」

そう明るく声をかけたが、泉は真剣な顔で空を見上げていた。

「神様なんていないよね。」

唐突に泉の口から出た言葉の意味を榛原は全く汲み取る事が出来なかった。

「どうしたよ急に。」
「神様なんていないんだ。でもいる事にしておかないと皆いろいろ不都合だからそう思いたいだけなんだよね。それか、存在はしていても僕らが期待するような仕事はしていないだけか。願いを叶えたりとか。思いを遂げさせてくれたりとか。」
「急に何言ってんだよ、お前。ちょっと怖えぞ。」

それでも泉は表情を崩さなかった。
榛原は嫌な感じがした。何か良くない事を聞かされる気がした。

「榛原君。僕明日死ぬから。」

急に何言ってんだよ、変な事言うなよ。
そう声を掛けるべきだったのだろう。でも出来なかった。
彼の声には今まで聞いたことのない固い決意が込められていた。

「明日、14時の電車に乗って。部長と一緒に。必ずだよ。」
「なんで、どういう意味だよ。」
「僕その電車に飛び込むから。」

何から手をつければいいのか。
何故明日泉は死ぬのか。
何故俺がその電車に乗らないといけないのか。
何故泉はその電車に飛び込むのか。
全く何もかもが急な事で全ての点が自分の中で繋げられなかった。

「ちょっ、ちょっと待ってくれ!全く意味が分からない。どういうつもりだお前?冗談だよな?」

泉の顔は先程から鉄仮面のように無表情のままだ。
笑えよ。笑ってくれよ。嘘だって、冗談だよって笑えよ。

「部長にはもちろん言っちゃだめだよ。いつも通りに接して。ただ君は彼と一緒に電車に乗ってくれさえすればいい。彼の足止めだけをしてくれればいい。」
「足止め?」
「あいつが明日をどれだけ待ち望んでいるか、君も知ってるだろ。」
「…まさか、お前それだけの為に!?」
「とにかく伝えたよ。それじゃ、また明日。」
「おい泉待てって!」

泉の足は止まらなかった。
榛原の足は動かなかった。声で呼び止めるのが精いっぱいだった。
でも彼は止まらなかった。

泉が明日死ぬ。自らの意思で。しかもあんなクソ野郎の足止めの為だけに。
馬鹿げている。

そう思いながら、榛原はちゃんと寺谷に集合時間を伝えてしまった。
泉の言葉が本当じゃないと信じて。

(7) 7/2 PM 14:45

「くそ!くそ!くそ!何でなんだよ!何で今日、しかもこんな時に限ってなんだよ!」

寺谷が喚き散らす。しかしいくら叫んだところで現状は変わらない。いまだに復旧の目途は立っておらず、発車する様子は微塵たりともない。

ざわめく車内。途方にくれる者、毒づく者、諦め座り込む者。
反応は様々だが、この中で真実を知っている者は間違いなく自分だけだ。
目の前であたふたしている寺谷ももちろん何も知らない。
ただの不運な事故だと思っている。

「こんな悪運あるかよ!くそ!くそがー!!」

違う。
違うんだよ。
これは悪運なんかじゃない。必然なんだ。
故意に引き起こされた、泉の手によるお前への復讐なんだよ。
ふと寺谷の鋭い視線がこちらに向く。

「おい。」

低くすごんだ声。怒りの矛先をどうやら自分に絞ったようだ。

「なんでだよ。」
「…はい?」
「なんでこの時間なんだよ。」
「…。」

昨日の時点で寺谷に集合時間を知らせたのはもちろん自分だ。
最後の演奏の為だからこそゆったりと行きましょう。この時間でも十分本番前の時間には間に合うし、調整時間もとれるし明日変に詰め込み過ぎても良くないからと適当な理由を付けた。
正直どこかで断ってくれと願っていた部分もある。だが寺谷は意外とすんなりそれを受け入れた。榛原はがっくりと肩を落とした。

「答えろよ。なんでだ。」
「それは昨日お伝えした通りです。」
「お前のせいだ。」
「え?」
「お前のせいでこうなったんだ。なんとかしろよ。」
「なんとかって…。」
「お前の責任だろうが!」

寺谷はぐわっと目を開き、右手を振り上げた
殴られる。そう思いぐっと目を閉じたが、「やめとけよ!」と言った男性の声が聞こえ再び目を開けると、すぐそばにいた大学生らしき男性の集団が寺谷の動きを抑えてくれていた。

「離せ!離せよ!」

じたばたと体を動かしもがく寺谷だったが、さすがに年上の男複数に取り押さえられては
抗いようがなかった。
その様子を見て、だんだんと腹が立ってきた。
お前の責任だと。いい加減にしろよ。
お前のせいで今、泉は死んだんだよ。自分達が乗るこの電車に飛び込んで。
そう言ってやりたかった。
でもそれを口には出来なかったし、こんな奴の為に自分の命を投げ捨ててしまった泉にもとたんに無性に腹が立ってきた。そしてそんな泉の言葉をよくも考えずそのまま実行してしまった自分自身にも。
こんな事になるなんて想像もつかなかった。
ある意味では俺は人を殺してしまったのだ。自分の身に起きている事を頭の中で整理するにつれて理解は出来てきても感情が追いつかずちぐはぐになる。
さっきまでのむかつきが今度は涙へと形成され零れ落ちそうになっていた。

全てがむちゃくちゃだ。こんな事で命のやり取りにまで発展してしまうだなんて。
さっきから携帯がポケットでぶるぶると震えているが取る気にはなれなかった。
開いてしまえばそこからは真実が伝えられてしまう。
「おい、泉が死んだらしいぞ」そんな部員の知らせを今直接耳で受け止める程の心の余裕はなかった。

瑞枝さん。
僕はどうしたらいいんですか。
空想の中の瑞枝さんは榛原に目を合わせてくれず、蔑んだ目をしていた。
現実逃避すら許されないのかと本気で泣きそうになっていた時、大学生達から解放された寺谷はもはや諦めの境地か、ずいぶんと落ち着いた様子だった。

「ん、誰だ?」

おもむろにズボンのポケットをまさぐり携帯を取り出した。
やめろ。出るな。
榛原の想いも虚しく、あっさりと寺谷は電話に出てしまった。

(8) 7/2 PM 15:05

「おう、徳永か。」

相手は副部長の徳永だった。もう彼にも伝わっているのだろうか。
携帯の時計で時間を確認する。
いくつかのメールと不在着信があったが、それは今無視する。
もう15時を回っている。本番には間に合わないだろう。
榛原は横で身を固くし、寺谷の電話に意識を集中した。

「いや何って、まだ着いてすらねえよ。おう。榛原も一緒だ。電車止まってんだよ。どっかの誰かが飛び込んだせいでよ。…あ?どしたそんなに慌てて。大丈夫だ、こっちは落ち着いてる。いいから言ってみろ。」

先程まではとても荒れていましたよと言ってやりたかったがそんな場合ではない。
とうとう宣告が来るのだ。徳永先輩の声はさすがに聞こえないが、寺谷の会話の様子から分かる。もう確定と言っていいだろう。

「………は?」

少しの沈黙の後、寺谷から出た第一声は何とも間抜けなものだった。
全く予想もしていなかった方向からの強烈な一撃に戸惑い所かその意味が何なのかすら分からない。大きすぎる驚愕は、人のまともな反応を殺してしまう。

「…泉が死んだ?お前それマジで言ってんのか?」

やはり、泉は死んでいた。
なんて事だ。こんな風に人生を終えてしまうだなんて。
何やってんだよ泉。
榛原は激しく後悔した。何故俺はあの時本気で泉を止めなかったのか。
取り返しのつかない事をしてしまった。
脂汗が滲み出す。手が小刻みに震えだす。
逃げ出したい。消えてしまいたい。
だが、そんな事は出来ないし許される事もない。
泉は死んだ。その事実は覆らない。

「嘘だろ…。なんであいつが飛び降りなんて…。中止?まあそりゃそうだろうな。ああ、分かった。え…?…何だよそれ。意味わかんねえ。とにかく俺はそっち向かうわ。何にせよ今はまだ身動きとれねえし。ああ、じゃあまたな。」

寺谷が携帯を下ろす。
顔にはまだ驚きが貼りついており、血色が悪い。そしてちらちらと榛原の顔を確認する。
そして深くため息をついた。気持ちをリセットさせるのに手こずっているようだ。
榛原はそんな寺谷の様子を黙って見ていた。
こんなにもあっけないものか、人の死とは。
確実に訪れるものであり、誰にでも平等に与えられる。
それでいて最も自分自身にとって現実味のないもの。
それをこんな形で味わう事になるとは。
泉は友達だった、と思う。
共に同じ環境を過ごしてきた仲間。
なのに涙の一つもこぼれない。今自分は何を考えている。何を感じている。
彼の死への悲しみより、自分自身への懺悔か。
最低だ。飛び込むべきだったのはむしろ俺の方じゃないのか。

…あれ?
榛原の脳裏に微かな違和感が浮かぶ。
さっき、寺谷は何て言った?
‘なんであいつが飛び降りなんて…。’
飛び降り。寺谷はそう言った。
何か、おかしい。

「おい、ハイジン。落ち着いて聞けよ。」

寺谷は足元に視線を落としたまま、言葉は確かに自分に語りかけているはずなのに、それはまるで独り言のようだった。

「泉が死んだらしい。学校の屋上から飛び降りて。」
「え?」
「今学校は大混乱だそうだ。もう学祭どころじゃない。とりあえず俺は学校には向かう。行っても何も出来ないだろうが…。」

泉が死んだ。でもそれは電車への飛び込みではなく、学校からの飛び降り自殺という形で。
じゃあこの電車に飛び込んだのは、誰だ。
再び携帯を取り出す。不在着信とメール。
不在着信は徳永と他の部員からのものだった。留守電が一件入っていたが、それは徳永のもので同じく泉が死んだという知らせだった。
今度はメールを開く。不在着信のものと大差はない。
だがその中に、圧倒的に目を引くものがあった。

泉からのメール。送信時間はきっかり15時。つい先ほど送られたものだった。
これが死者からのものかと思うと急激に背筋が寒気だった。
恐る恐るメールを開いてみる。
開いた瞬間、強烈な不快感が込み上げ思わず吐き気を催した。
手が震え、上手く携帯が握れない。
中身に目を通していく。そしてようやく俺は全てを知った。

そうだったのか、泉。
これがお前のしたかった事か。

「お前。何をした。」

寺谷の目は榛原に嫌悪の眼差しを向けていた。
まるで汚物でも見るかのように。

「なあ、ハイジン。お前、瑞枝に何をした?」

榛原はゆっくりと自分が死んでいくのを感じた。

終 7/2 PM 15:00  泉からのメール

件名:遺書(笑)

きっと今もまだ君達はちゃんと電車の中に閉じ込められてるんだろうね。
榛原君、僕の言う通りに動いてくれてありがとう。おかげで上手くいきそう。
僕はこれから、学校の高い高い所から飛び降りて人生を終える事にする。

あれって感じ?話が違うじゃないかって?
でも僕がこうやって死ぬのも、瑞枝さんが電車に飛び込んで死んでしまったのも君のせいなんだよ。

最初は君に話した通りにする予定だった。
寺谷のがっかりする顔を想像するのがたまらなく幸せだった。
このバンドを始めてしばらくしてから、僕は瑞枝さんに呼び出された。
何かと思ってドキドキしたよ。瑞枝さんと二人きりで話すなんてね。
でも彼女の話を聞いてそんな気持ちは吹き飛んだよ。

彼女は僕に本音を晒した。
最悪な真実。反吐が出る事実。
それを人に話すのも辛かったと思う。だから僕も正直に話したんだ。寺谷への復讐の事を。
瑞枝さん嬉しそうだった。
やっぱり瑞枝さんは寺谷の事なんてこれっぽっちも好きじゃなくて、思った通り権力やらありもしない弱みやらで無理矢理そういった関係にさせられてたんだ。それでいて周りにはいい顔しておかないと何されるか分かったもんじゃない。もはや奴隷だよ。
でもそんな独裁者以上に、彼女には許せない存在がいたんだ。


僕の話を聞いて彼女は、僕の代わりに死ぬと言い始めた。
そんなのだめだ。死ぬのは僕でいい。それで寺谷も苦しめ、瑞枝さんも救える。
けど彼女の決心は固かった。彼女は彼女で生き甲斐とか生きる気力とかそういったものを全部壊されてしまったのかもしれない。
考えたよ。お互いの気持ちを全うするにはどうするか。

それで行き着いた。一緒にお互いの復讐をしようって。
僕の寺谷への復讐、瑞枝さんの榛原君への復讐。

君、瑞枝さんの事ストーカーしてたらしいね。
彼女の私物勝手に取ったり、盗撮したり、盗聴したり。
クズの極みだね。全く持って最低のバンドだよ。
勘違い王様と変態王子。
彼女、相当悩んでたよ。話しかける事もなく、ただじっと見つめる君のねっとりした目つきとか、耐え難いものだったみたいだよ。
練習中何度も吐きそうだったって。同じ空気を吸ってるのが辛いって。
死んでくれないかって。いつも考えてたらしい。
君、瑞枝さんの事大好きだったもんね。僕だって彼女の事は好きだけど、それはあり得ないよ。人道的じゃないよ。
ああ、これは君も同じように苦しんでもらわないといけないなって思った。

いいかい。しっかり噛み締めるんだ。
君の愚行のせいで、彼女は電車に飛び込んでバラバラになったんだよ。
あんな美人で、すごいカリスマが君みたいな変態のせいで死んだんだよ。
クズ、クズ、クズ。

でも君を殺さない。寺谷も殺さない。
死んで終わりだなんてそんなあっけないの認めない。

安心して。君達が今後の人生をまともに歩けなくなるように君達がやってきた事はしっかり形に遺して死ぬから。
瑞枝さんも君と寺谷に対して誠心誠意、心のこもったメッセージを書き残したみたいだからちゃんと読んであげてね。

僕もこのメールと今日の為に大量に用意した広告をバラまいて死ぬよ。
“榛原陣は最低の変態ストーカー野郎”ってチラシをさ。
これだけでも効果は十分さ。

なんせ僕達は死んでるんだ。
言葉を持たない屍なんだ。
そんな僕達が残したメッセージや想いは君達の生きている世界のものと比べものにならないはずさ。
命まで使ったんだから。


今日最高の想い出は、最悪の始まりになる。
僕と瑞枝さんの死をしっかり背負って生きてよ。

今後の君達の人生が不幸に溢れますように(笑)

屍になる理由

屍になる理由

学園祭2日目。軽音楽部として大トリの出番を控えた榛原(はいばら)と部長の寺谷(てらや)の乗る電車は不運にも人身事故に見舞われる。 本番に間に合わないと焦る寺谷。しかし榛原の心は別の不安を抱えていた。 これは唯の人身事故ではないと。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • ミステリー
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-01

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著作権法内での利用のみを許可します。

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  1. プロローグ
  2. (1) 7/2 PM 13:55
  3. (2)  6/26 PM17:30
  4. (3) 7/2 PM14:10
  5. (4) 平瑞枝
  6. (5) 7/2 PM 14:20
  7. (6) 7/1 PM20:25
  8. (7) 7/2 PM 14:45
  9. (8) 7/2 PM 15:05
  10. 終 7/2 PM 15:00  泉からのメール