一円玉の市放浪記

僕は一円玉の円市です。ひょんなことから、疑わしきも、人情味ある通称

僕は一円玉の円市と申します。
ただいま旅の途中で、夜明前の横浜西口駅前通りゴミ集積場の片隅でポツンとしています。
今は冬、冷たい。元気なのは餌を漁るカラスだけだ。電線に止まって声を上げながら急降下して器用に生ゴミ袋を裂け破る。カラスにしてみれば、この時が幸せの時間かも。
それに比べて、一円玉の僕は孤独と寂寥の世界をさ迷う一人旅。自由は効かないし、一円玉だから、ほとんど相手にしてもらえない。道端に落ちていても、拾ってくれる人は一握りだ。まぁ、いいか。

僕は人任せの運命だから、人間模様を毎日のように観させてもらっています。
創作ドラマではない、リアルタイムの人間を観ることが出来るから、結構、楽しい。毎日が芸術祭参加作品を観ている様なものです。

夜明け間近だ。
人の往来で賑やかだった西口も、華やかなネオンも消えて、行き交う人影は今はまばらです。
深夜の仕事を終えた屋台ラーメンのお兄さんが後片付けをしています。ホースで汚れた道路を洗浄しているから間もなくお帰りかも。

僕はさっきまで、キャバクラのお姉ちゃんの紅いコートのポケットにいたのだけれど、ティッシュとセブンイレブンの領収書に混じってこのゴミ集積場に捨てられてしまった。
一円玉なんて彼女の頭の中には存在していないかも。そんな事ないか、気がつかなかったかもね。
僕は別にひがんでいません。存在感が、ないから、何かで人間達に、一泡ふかして見ようと思ってはいるのですが、なかなかアイデアが浮かびません。と言うのも、何か目的がないと生きていても愉しくないからです。

僕が思うには、人間は一円玉も含めてお金のすべては、人間が、発明か、発見したのか、わからないけど、自分達で創ったと思い込んでいるようですが、それは違うとおもうのです。
お金は神様が人間達が食べ物が発端となって争い、にくみあい、戦争までするものだから、お金と言う戦争仲裁人を人間社会に派遣してくれたと僕は思っています。
だってね、神の宿る神社の御札は、一万円札の札と同じではないですか。

生ゴミ集積場の匂いは正に異臭、カラスが袋を破るから、どろどろの液体、魚のはらわた、油粕、などミックスだから、一円玉の僕は隅に居てもたまらない。異臭の汁が、僕かるら観ると、大洪水が押し寄せて来るのと同じです。

東の空に太陽が顔を出し始めました。
オレンジ、グレー、赤 などの光が雲の合間に浮かんできました。
暫くすると、ゴミ運搬車が朝もやを蹴散らすようにエンジン音を響きながら、ゴミ集積場に横付けになり、作業員が手際良くゴミを運搬車に投げ込んでいく。

僕くは、心ある作業員に拾われて、昼時まで、彼のばら銭入れで寝ていたのですが、昼時の弁当を買うときに、消費税も上がったこともあり、お役にたって、そのまま、セブンイレブンのレジの中に隔離された。

コンビニは昼時のお弁当を買いに来る人が増えた。世の流れだなーと感心していると、白髪を長く伸ばし、輪ゴムでまとめ、黒い法衣を纏い、黒の1000円均一バックを肩に下げて、首から黒の頭陀袋を下げ、手には、ガムテープで養生した、よれよれの網代笠を持ち、足元をみると、藁草履に、白足袋をはいた托鉢修業をするお坊さんらしき風体をした55.6才の男性が鮭弁当と、ボトルのお茶を買って行った。僕はこの男性の買い物のつり銭として、頭陀袋に格納されてのです。
僕がお坊さんらしきと疑うのは網代笠がどうも普通ではないからです。
良く街で見かけるお坊様がつけている笠は、丸くて、骨組みもしっかりしていて、色の艶もいいと思うのですが、お坊さんらしきのお坊さんの笠は、黒いバックに入れて持ち運んでいるのか、二つ折にたためるように折り畳んだあとの曲がついているのです。修業僧となれば、草鞋か、地下足袋でしょ。このお坊さんは、市販の草履に白足袋です。恐らくこの、草履や足袋も、托鉢が終わればバックにしまわれるのだとおもいますよ。
笠を二つ折にすることはさほどのことではないのですが、問題はその、精神ですよね。
僕が知っているお坊さんの托鉢修業は、お寺を出たら帰るまで、修業僧の姿のままです。
すべてを無にして、恥も外聞も無く、ただ、ひたすら、煩悩をすて、悟りを求めての修業だと聞いています。
たぶん、このお坊さんの身なりを見て推測できるのは、電車に乗るのに恥ずかしいとか、托鉢修業が終えたら、一杯飲みに行こうとか、パチンコなどの賭け事に行こうとか、デイトでもしょうとか、容易に姿を変えられる不謹慎なお坊さんではないかと想像できるのです。
ですから、僕が入っている頭陀袋のお坊さんは、怪しいと思うのが自然だと思うのです。ですから、これからどこまて、このお坊さんと、旅ができるか判りませんが、僕はこらから、このお坊さんを偽坊主さんとよぶようにして、観察してみようかと思います。どうせ暇ですから。

偽坊主さんは、横浜市役所の近くのセブンイレブンから、地下道を通って、マリN.E.R.D.商店街に入り、近くの小さな駐車場の車止めにドッカリと座り、お握りとお茶を腹に入れ、昼御飯を終えると、街路樹がきれいな商店街を歩き、伊勢佐木五丁目の交差点を渡り、半円に作られた、鉄製の白いベンチのそばに立つ、大きな欅の側で、托鉢修業を始めました。
偽坊主さんだから修業と言う言葉は当てはまらないかもしれませんが。
偽坊主さんは、頭陀袋から、お数珠と鉄鉢を取りだし綺麗に石で整備されている歩道のある一点を見詰め、お経を唱え始めました。
僕は頭陀袋の中からあれ、なんかおかしい、と思い、鉄鉢をながめると、やはり本物のの鉄鉢ではなく、100円均一で売っている、丸いアクリル製の器なのです。
やはり、偽坊主だと僕は確信しました。

かんじさいぼさーはんにゃはらみたじーしょうけんごうーうんかいくうー
般若心経を唱えています。
意外です。お経が低音で静かに流れ、透き通って、リズム感もよく、道行く人がふりかえるのです。
僕は少し感動をしました。どうしてだって?うんまぁ、お経が滑らかで、人の耳を傾けさせるだけ、凄いなと思ったからです。お経がこれだけ唱えられるなら、偽坊主でもいいではないかと、一瞬思ったからです。
アクリルの鉢には遅くても30分には一度お布施が入りました。中には僕と同じ一円玉もありました。でも、大方の人は100円玉で中には千円札を入れていく人もたまにですがありました。
僕は別に穿った見方をするわけでは無いのですが、お経の中身をよく理解出来なくても、法衣をまとっていれば、一人前にお坊さんに見えるから、こうしてお布施も入るものだな、と感じていました。
夕方になり、商店街の中にある場外馬券売場からゾロゾロと競馬ファンがでてきました。今日は、土曜日で競馬開催日だったのです。
賭けに負けてうつ向いて歩くファンがほとんどではないかと感じるほど、その歩く姿は、うら寂しく感じました。でも、そのファンの中から、60才前後の作業着をきた男性がお坊さんに近づいてきて、千円札六枚、ばら銭数百円ほどを無造作に掴んで、お布施をしたのです。

今日は久しぶりに勝ったからお布施をしょう。たまには良いことをしないとな。

そう言いながら、にこっと笑って、足早に姿を消しました。
お布施はもらった人より、お布施をした人の方がご利益があると聴いたことがありますが、本当なのだと思うのです。
でも、何か、宗教者が都合良く言葉合わせをしたような胡散臭さものこりました。
まだ僕は、このお坊さんを信用しません。マダマダ、偽の雰囲気が漂っています。風がふいてきて、アクリルの皿を加工した鉄鉢に、千円札が、お布施されたとき、このお坊さんは、ひょいと、体をよじって後ろ向きになるやいなや、人波に見えないようにして、千円札をとって急いで頭陀袋に入れたのです。
聴いた話しによると。
托鉢のお金は、風がふこうが、槍が飛んでこようが、微動だに動かず、まして鉄鉢のお金は風任せ、持ち逃げせれようが、飛ばされようが、あとを追っかけてはいけないと聴いていましたので、このお坊さんの行動を見ていますと修業の意味が解っていないのかも知れません。
僕は一円玉だけど、自然の摂理は少しはわかっています。自然体でいるからです。何かあると、自然界では、どうするだろうかと、判断規準を自然界に探します。
このお坊さんは振り返って千円札を風に飛ばされないようと、急いで取り頭陀袋にしまったと言うことは、自然の掟に反すると思うのです。
なぜならば、お経を止めて千円札をしまう事は、理にかないません。
風で千円札が飛ばされたら、ほっとけば言いと思うのです。誰かが拾って、飯代に化けようが、警察署に届けようが、何かの役には立っていることになるからです。煩悩を捨てきれないこのお坊さんは托鉢の意味がわかってないのです。きっと。
なんちゃって、偉そうな事を言っていますが、僕だって、一円玉の宿命かもしりませんが、家の押入れの中に忘れられたようにしまわれ、更に、ぎゅうぎゅうに一円玉で詰められた瓶の中で暮らすのはとてもつらいですから、欲望、煩悩は、捨てきれません。
まだ、こうして偽坊主さんだろうが、誰で有ろうが、こうして旅が出来るどけ幸せです。

商店街にチラホラと灯りがつき始めました。パチンコ屋さんの看板の灯りが派手に回りだした。
このお坊さんは、商店街に接してあるケンタッキーフライドチキンの店の前の小さな植え込みを越えて、木々の間だに隠れるようにして、法衣を脱ぎ始めました。早い、早い、あっという間に、ジャンバー姿の普通の人に変身したのです。
靴も黒靴、ソックスは、白い。法衣は黒バックにしまいこみ、植え込みの中で、タバコをふかして、頭陀袋から千円札だけを取りだし胸のポケットにし舞い込みました。ざっと、一万円近くあったように思います。僕は頭陀袋にいますから、大方のお金の入りは解るのです。
それにしても、一万円とは驚きました。それも、八時間労働ではありません。せいぜい多くて六時間位だと思います。このお坊さんのことですから。
自由自在、拘束、監視のない自分の世界で。恵まれていますよね。
それにしても、入ってはいけない植え込みに柵をまたいで入るとは言語道断、法を説く人の擦ることではありません。やはり怪しいお坊さんです。ただの詐欺師のやる行為となんら換わりません。僕は改めて、このお坊さんは偽坊主であると断定をしたのです。

ケンタッキーでフライドチキンをツーピース頼んで、一休みしてから、横浜に出て、相鉄線で大和で乗り換えて、鶴間で降りて、人通りの少ない商店街の一角にある四階建てのマンションに着いたのは7時半頃でした。ぼくは、頭陀袋と一緒に偽のお坊さんの六畳の部屋にある卓上机の上にある、御盆にのせられました。
しばらくすると、おくさんの和子さんがデパートの仕事を終えて帰ってきました。戻るや否や、開口一番、

また、托鉢にいったの、近所の人に見られたらどうするの。
みっとも無いこと辞めて。まともな仕事をしないで恥ずかしいでしょう。

この奥さんは、托鉢をまともな仕事だとは感じていないようです。
それもそのはずで、奥さんの反対する理由も理解できます。
偽のお坊さんは返事に窮して、トイレに逃げ込みました。
出てくると、反論と言うより弁解の言葉でした。

仕方無いことだろう。今、現金が必要なんだから。そう、言い残すと、TVをつけてごろんと寝転んで和子さんを無視して
しまいました。

和子は夕げの支度をしながら、もう少しまともな仕事を探せば良いのよ。ご近所の人に托鉢をしていると思われたら、変人年か思われないのよ。家族の事を考えてください。と、あきれた様子で、捨て鉢気味に言葉を続けたのです。
奥さんにしてみれば、路上の焼き芋売りに続いて二度目の蛮行と、映っているのです。ましてや、仏の道を愚弄して、日銭を稼ぐとしか捉えていない奥様には、良心的に許せないと思っているのです。
ある時期には、絵描きになると決め、夢中になり、家庭を顧みない生活が過去にもあってので、追い討ちをかけられたようで、いい加減にしろと、怒りの渦の中にいたのです。

このお坊さんの名前は三島健祐といい、奥さんの和子さんとは、永い連れ合いのようです。
後でわかったことですが、夫の健祐は僕から言わせれば、結婚をしてはいけない男ともとれるのです。自由を求めて旅が大好きで、そのせいで、自由でいながら、お金を稼げる方法はないかと考えて、小さな劇団の営業をして全国を回ったり、占いを勉強して、全国を回ったりしていたのです。まぁ、路地裏産業って言うところかな。
健祐は、托鉢に無縁な男ではないようだ。多少のお経は、本人も快く唱えているところを見ると頷ける。
何でも本人の過去を見ると、飲食店を道楽で潰して、そのあとは、言わずと知れた、の日暮。土方、新聞配達。寿司や。焼肉屋。どこも心が一致しないで、直ぐ辞める、の綱渡り、挙げ句の果てに選んでしまったのが、宗教法人の、占いの世界。そこで、揉まれて泣いての大騒ぎ。挙げ句の果ては、発哺り出されて、ジ、エンド。そこで、学んだのが仏の世界。どうやら、全国区の、仏の世界は、何となく愛称がいいとみえて、お寺に修業にいくほど度胸なし、というところで、何となく今の世界と、言うことらしい。



翌日、僕は運よく、偽のお坊さんの、ばら銭入れに入ることができて、戸塚駅の、入り口近くの四辻の花壇の脇で偽お坊さんの一日を観ることが出来そうです。
花壇といっても、花が咲いているわけでもありません。黒土が春よこいと栄養分を蓄えているように見えました。

12時頃から偽お坊さんは、お経を始めました。戸塚駅は区画整理で、工場現場のブルトーザーの騒音で、落ち着がない光景でした。四辻は、駅に向かう比較的一本道で人の流れは多い。
45才前後の女性が、偽お坊さんのお経を遮るように話をかけてきました。
話の内容とは、日蓮宗が一番です。と、このお坊さんに論戦を挑んで来たのです。
偽のお坊さんは、論戦には疎い見たいで、なんとかこの女性から、逃れようとしているのが、手に取るようにわかりました。

(そうですか、日蓮宗が一番ですか、私はまだ、新人で宗派のことは、勉強不足で分かりません)

(でも、ここで托鉢をしているではありませんか。どうして?日蓮様は托鉢してはいけないと言う教えではありませんか)

(ああ、そうですか、私は真言宗で修業したもので、それも少しばかり、お経を上げたことがあるものですから、こうしているのです、詳しいことは、分かりません)

と、苦しい言葉を送りながら、面倒になりたくないと、思い、お経を唱え始めると、その女性は迷惑かけると思ったのか、また来ますね、と挨拶を軽くして、立ち去りました。偽お坊さんはほっとしたにちがいありません。

しかし、この偽坊主さんも、なにもわざわざ、戸塚辺りまで来なくても、家の近くに町田、横浜があるのに、と思うのですか、お布施の入る場所があって、お布施の入りが多いとか、少ない場所があって、ただ賑やかだけでは駄目らしい。

偽のお坊さんは、お布施の入りが悪いとすぐ移動します。気が悪い、とか、独り言を言って移動するのです。
本来は、そのような精神で、托鉢をしてはならないのですが、背に腹は反られないと言うことです、自分なりの解釈を造り上げているようです。
その点、戸塚駅は、道幅といい、土地柄といい、托鉢の環境には、もってこいの場所らしい。


雨がぱらついてきました。
偽のお坊さんは、駅に向かう階段の下に雨宿りをしながら、托鉢を続けていました。午後3時過ぎになり疲れているのか、お経を間違えてばかり。
そんなとき、本物の修業僧が現れました。歳にすれば、62.3才、スラッとして、頑強そうな身体です。頭は丸刈りで、清潔で、使い古した手ぬぐいで頭をかくし、地下足袋に脚絆、黒い法衣をたすき掛けにして、頭陀袋を下げて、首から下げた、白地のたすきに墨で南無妙法蓮華経と勢いのある筆遣いで書き記されています。正に、荒法師と言う出で立ちでした。
修業僧は偽のお坊さんの前で、軽く頭を下げて、手を合わせ、南無妙法蓮華経と小さな声で唱える終わると、

ごくろうさまです。と低い声で言い終えると、その場を去ろうとしました。
偽のお坊さんは、突然の本物のお坊さんの出現にビックリして、言葉を探す隙もなく、とっさに声をかけました。
慌てて、笠をとって

(どうも。お疲れさまです、私は偽坊主です。門前を汚して申し訳ありません。)

(いやいや、偽物の中に本物のがいるのです。)

そう、言葉を告げると、足早に去っていったのです。

僕は凛とした、姿の修業僧を見て、偽のお坊さんとは、偉い違いだと思いました。本物は存在感があるし、ぶれていないから、何か、人を寄せ付けない威厳と言うか引き込まれて行きそうな不思議なパワーを感じました。
その時は、それで終わったのです。

僕は偽のお坊さんを何か可愛そうになりました。なぜならば、正直に、偽坊主だと名乗って、謝りの言葉までいっています。さぞかし、自分のやっていることに
恥を感じたのでしょう。お寺に籠って修業したではなく、ただ歴史の浅い宗教団体でお経を唱えただけの人が、いくら生活のためだとはいえ、図々しく、お経を唱えてお布施をもらっているのです。
多分、その引け目からくる心の葛藤があったのだと思うのです。

しかし、僕は、厚かましく己を正当化して、世をわたり、出世の階段を上がって行く人間より、どこか、この偽お坊さんのように、正直で、どこか、滑稽で憎めないこにさ人間的で親しみを感じたのです。

僕か一円玉と言うお金の世界では、その他大勢の部類ですからこの三島健祐さんも底辺で生きるものの同志で親しく感じるのかもしれません。そんなことから、僕は偽のお坊さんでは、悪いお坊さんと旅をしているようだから、今から友達の意味を込めて、二人旅だから僕のお坊さん、としばらく、呼んでみようかと思います。
四国巡礼の同行一人みたいなものかな。

近くの駐車場で相変わらす、法衣を脱いで普段のジャンバー姿に戻った僕のお坊さんは、戸塚駅の階段で布施業をなさっている荒法師様とぱったりあってしまったのです。

(先程は失礼いたしました。名前も告げないで)

荒法師さまは、南妙法蓮華経と透き通る声をだしながら、宗教本と見られる本を2冊頭陀袋のあいだにはさんで本を薦めているようでした。荒法師そまは、目が悪いのか、僕のお坊さんが誰れだか解らす怪訝な顔つきで、じっと見詰めたあと、

(先ほどのお経をあげていた方ですね。)

まさか、托鉢をしていたお坊さんが、時間をおかないでジャンバー姿で登場するとは考えてもいないはずですからビックリしたのです。

僕のお坊さんは
(よろしかったら軽い食事などいかがですか)

と、誘いをかけますと、荒法師様も僕のお坊さんに興味を感じたらしく意気投合して食事をすることになったのです。

僕のお坊さんは、金も無いくせに見栄はって、御寿司をすすめたのですが、寒いためか、修業の意味合いがあるのか、御寿司は遠慮して、お蕎麦になりました。

老舗らしい雰囲気のある麦屋の片隅に座り、ざるそばを注文して、お互いに挨拶をかわしました。

まずは、僕のお坊さんが自己紹介をしました。

(私は三島ともうします。
占いでたべています。私の占いでは、力がないせいか、食べて行けないので、たまには、こうして、托鉢をしているのです。たまたま、伝統ある占い組合に関わりをもっていまして、そこで学修の一つとして、托鉢をしましたので、縁でこうしているのです)

(そうですか、私は、縁があって戸塚の丘ににある日光寺で世話になっている成日ともうします。もうすぐ身延山の麓にある私の祈願道場に戻ります。占いは使いようによっては立派な人助けです。おおいに結構ではありませんか。私の家の近くに歩いていける温泉があります。今度ぜひきてください。私は七面山で20年間位修業してきました。案内いたしますよ)

(そうですか、ぜひ訪ねて見たいとおもあます)

(もうすぐ桜がさきます。その頃いらっしゃい)

(はい、そうします。)

だんだん二人の心の距離が短くなってきて、歓談のなかに和やかな雰囲気がただよっていました。

僕のお坊さんは成日様なら信用できるかただと思い、兼ねてからの悩み事の一つを思いきって相談してみました。
実は占いをしてますと、どうしても宗教と結びつく相談があります。
霊魂、先祖霊 供養したい、とか、の事です。私は修業を本格的にお寺に入門したわけではありませんから祈祷したり、厄除けしたりする、正式な修法を知りません。ですから、相談者の心願成就を願う事ができるお坊さまを探していたのです。こう言うことは、お寺に頼むべきだとおもいましが、知り合いのお坊さんもいないし、このような特殊な相談ははなしずらいですから。
また、私も生活費があるので、少しは便宜を計ってもらいたいと言うこともありまして躊躇っていたのです。

僕のお坊さん、偽のお坊さんではない?
僕は蕎麦屋で話し込む二人の話を聞いていて、ふと、そんなことを考えました、
また、正直が出ているのです。
自分の家にでも祭壇をつくり、自ら修法師をすればいいではないですかと僕は思うのですが、僕のお坊さんは、自分に霊感とか、霊力など、ないし、修業をしているわけではないから、自分の本分ではないと、自覚しているのかもしれません。

成日様はこころよく、祈願、祈祷、などの宗教行為を受けてくれることとなりました。

桜前線が、神奈川にまでやってきました。僕はあい変わらす運がいいのか、僕のお坊さんの小銭入れに入ったままです。

そんなある日、僕のお坊さんは成日様を訪ねることにしたのです。
小田原から東海道本線で、富士宮で乗り換えて、身延線にのり、南部駅で降りました。何だかんだ四時間以上かかったようです。でも、車窓から、眺める時おりの富士川の流は新緑とあいまって、すがすがしい気分です。

小銭に入れの中にいる一円玉が外の景色をよく眺めることができるかって。

そう、見えるのです。たとえ一円玉でも、お金は人間には理解力がないから解りませんが、天からの授かり物なのです。天は何でも見えるのです。太陽が、まんべんなく光を与えるように、お金は神が人間に創らせた神の分身なのです。
だから僕のお坊さんの小銭に入れにいても、見えちゃうのでーす。透視かな?

白い木造風の南部駅の駅舎は無人で車掌さんは、いませんてませんでした。
電車の車掌さんに切符をわたして、小さな改札口を通り、県道にでると、成日様か白い作務衣姿で車で迎えに来てくれていました。
庵までの距離は700メートル位だが歩いても道が曲折しているため初めての人には迷うそうで、車にしたそうです。桜が

所々咲いていて、春爛漫かな?

五分もかからないうちに、古い瓦葺きの庵につきました。竹藪のそばで、裏には山を背負っていました。
緩い坂道の正面に庵があって、芙蓉の花がいくつも開いていて、僕のお坊さんを歓迎してくれました。
玄関の土間を上がりすぐ廊下続きの8畳ほどの祭壇があり、樫の根っこのような艶のある木魚がわりの、丸い切り株があり、お経の本が赤と金色の布地で覆われ、何冊も祭壇の前に置いてありました。
目の前には、祈願札がいくつもの並べてあり、お香の香りも隅々にまで漂っていました。
続き間の8畳によばれて、お茶をしました。

成日様は、満面に笑みを浮かべ僕のお坊さんを歓迎してくれました。
世間話の歓談が終わると、僕のお坊さんが横浜西口の占いで相談を受けた相談者の祈願の話をすると、待ってましたとばかり、隣の部屋に行き着替えをはじめました。
成日法師様は白い法衣に袈裟をつけて早速、祈願修法が始まりました。
成日様のお経には驚きました。大迫力です。切り株を叩くリズム感のある音とああいまって、まさに、ゲ
霊験豊かな祈祷でした。お勤めは30分位で終りました。僕のお坊さんは、その間、正座をして、お経を聴いていました。時々、右手で足の先を揉んでいるのです。僕から、見ると早く終わってくれないかと僕のお坊さんは願っているようにしか、見えませんでした。

野菜炒め、トマト、キムチ、で昼飯を終えると歩いて10分ばかりの川の畔にある県営の温泉場にいきました。
タオルと石鹸持参です。のんびりと僕のお坊さんは湯に浸かっています、僕もたまには温泉に浸かってみたいと思うののですが、神様が許してくれません。

許してくれないと言うより、温泉に入って、なにするのだ、温泉の水質によっては黒くなったり、黄色くなったりして、変質してしまうぞと心配してくれているのかもしれません。
僕のかたわらで、神様がブツフツいっているようです。
気のせいかも知れませんが、何せ、久し振りに、神様に近い場所に来たものですから、プレッシヤーを感じてしまう、気の小さい僕なのです。

神様も宇宙全体を監視してないと世界のBALANCeが崩れるので大変な仕事す。僕は、一円玉だから、存在感ゼロ。軽い、軽い、いても、いなくても、同じ。
あれ、また神様の声が聞こえます。

(お前は、一円玉だから、人間が相手にしないことを良いことに、楽な旅ばかりしている、また、偉そうに、このお坊さんは偽物だとか、成日様は本物だとか、ラーメンやさんのお兄様は働き者だとか、自分は一円玉だか神様の使者だとか、偉そうにいっているばかりだ。
自分で動こうとしないで、人間ばかり頼りにしている。動こうとすれば、丸いのだから、転がったり、なんかの拍子でジャンプしたりして、自力で運命を変えて行くことができるだろう。人間を頼りにしているから、人間に支配されてしまうのだ。正しいお金の使い方をする人には支配されても、それは支配とはいわない、われら神々のならわしでは、奉仕と言うのだ。悪賢い人間に行ってしまったお金は、支配されてしまったと言うのだ、バカもん。お前の行動を昔から見ているけど、自由気ままに流されて、自分らしさがない。
少なくとも神の遣わした使者だという自覚がない、バカもん。これからは、
欲望の為に、見る目を失ってしまった人間を闇から引きずり出して、自然界の一員であることを教えてあげるために、なにかお前にも出来ることを考えろ。)

神様は全てのことはおみ通しと聴いていますが、本当ですかね。神様の想い通りに生きていたならば、堅苦しくて仕方ないと思うのですが、違いますかね。
きっと神様も何処かで手を抜いているはずです、この際、その辺りも探って見るとするかな、

例えば、東北大震災などは、二万人以上の方々がおなくなりになっています。神様は、あの、大津波を蹴散らすことは出来なかったですよね。なぜ、どうして。と、僕は言いたいのですが?

すると、気を害したのか、神様が真剣な顔付きで応える姿が僕の脳裏にでてきたのです。

(ばかもん、市よ、お前は神を冒涜するのか。!よく聞け、耳をかっぽじってだ。いいか、自然の掟を破ったのは、人間だ。違うか、あの辺りはな、歴史が、証明しているだろう。過去にも何度も津波や地震が有ったのだ。その経験則を生かさないで、黙視した結果なのだ。地震は、当分ないとか、大きな津波はもうこないとかわしは一言も人間にはいっていないのだ。人間は偉そうに、結論目いたこと言うけど、うのぼれるなだ。
亡くなった二万人二千余の人々とその家族、親戚の方々のは幸せが失ってしまい、大変かわいそうな事とおくやみするけれど、根本は、時々の施政者達が、神の掟を無視してきた事が原因なのだ。今に見よ、あの、原子力による、発電も、天の裁きを受けるであろう。
わしら、神々も、おなくなりになった方々を助けることが出来なかった事を深く反省しているのだ。
だかな、くどいようだが、あの地方は今までに何度も地震津波が起きているだ。
地球規模のスパンで自然界は動くことがしばしばあるので、それを察知することができなかったのは、人間が欲望に任せた歴史を造ってきたからに他ならないのだ。
とっさに神のご加護と言っても大きな流れは止めることが出来なかったのだ。
おなくなられた方々の霊は、私共、神々の世界で、活躍してもらうから心配しなくても大丈夫だ。)
僕は脳裏に写る神の声を聴いて、犠牲になった方々を安らかにと祈るばかりでした。

成日法師様の道場は僕には人間の欲望から来る理不尽な行動を諌める場所でもあるのだな、と神の声を聴いて感じました。でもね、そう簡単には業は抜けませんよね。

この道場には、祈願札や、お香の臭い、誰からか届いたお酒、野菜、果物のお供物などで狭い部屋がうめられています。、正に神宿るの世界です。ですから、神様が、間近にいるようで、緊張してしまいます。そんな雰囲気だから、僕も、何か、お役に立つことを考えなければいけないのだと、思い、考え着いたのがこのような事です。

お金は真面目で正直です。忠犬ハチ公のように従順です。ですが、人間の醜い闘争によって、惨めで悔しい想いをしながら自由を束縛され、本来の平和の使者の役目を果たせずまるで、、檻の中に入れられてしまったお金が沢山います。
特にお金持ちの人間達や、人間を貶めてお金を奪ったり、おれおれ詐欺や、お金同士で喧嘩させる、投資の世界だったり、戦争の武器の売買に一役買わされたり、まぁ、まぁ探せばいくらでもあります。
ぼくは、真面目で勤勉なお金達を、そうした嫌な世界から救うために一肌脱ごうかと考えているのです。
この憎めない偽物坊主さんを巻き込んで。

まぁ、理想は世界平和の一言ですが、
一円玉の。僕が考えることですから、大したことは出来ませんが、目標を持つことは生き甲斐ですからね。
まずターゲットに上げるのは、悪徳政治家の金庫です。庶民の味方と口では叫んでいますが、貧乏人からお金をとるのが一番手と取り早いと言うのが世間の掟ですから、上手く立ち回ることのできる、悪徳政治家に眠るお金を開放して、庶民のもとに返してやりたいと考えています。

そんな事考え、てばら銭入れのなかで悦に入っていると、温泉から偽物と、本物のお坊さんがもどってきました。
いい温泉だったようで、二人とも頬が赤らんでいました。
肌が滑らかになるとか、神経痛によく効くとか、明るい愉しげな会話をしていました。
山合にある庵ですから、夜は一気に冷え込んで来るので、厚い布団が用意されていました。二人は、明日の予定を決めながら、癒された一日を終えて、深い眠りに入りました。

翌朝は快晴でした。ナス、トマト、アジ
の干物、白菜漬物などで朝飯を済ませ、車で、出掛けることになりました。一時間ほど、勾配の高い県道を走ると、やがて、県道沿いに今にも朽ち果てそうなお堂がありました。昔、成日法師様が、臨時に祈願道場として、使用していたお寺と言うとです。人里から離れたお堂でした。
確かに歴史物らしく造りも豪華であっただろうと彷彿される建物です。
よく見ればお寺にも見えるし。ただの、お堂にも見えました。
成日法師様の暮らしの歴史跡を見終わると、四方の山に囲まれて、観光バスが停まれるほどの駐車場がある、今は営業をしていない観光スポットに着きました。
10メートルほどの鎖のあるゲートのトビラ越しに中をみると、幾つもの鳥居があり、その奥には、宿泊施設やら、温泉施設、祈願道場、池、小さな遊園地などがあると成日法師様は門の入り口で案内してくれました。
今日は、管理人が休みで、中が、見せられないのが残念です。といっていました。


成日法師はここの広大な敷地にある、立派な祈願道場で、経営者に頼まれて専任法師として活躍していたそうです。
ここの、仏像を安置する棟には20もの仏像が安置されていました。僕が唐招提寺に似た伽藍を格子戸越しに中を覗くと、人の丈ほどある仏像様が、ひしめきあって並んでいました。制作がまだ早いせいか、どの仏像にも、損傷や、飴色の
肌に陰りはありません。ただ、誰も掃除しないのか、埃にまみれていました。

成日法師様は、この仏像をこのまま放置しておくのは、忍びない、何とかこの、観光のお寺として建立された、慈光寺を再建させたいと、奔走しているそうですが、土地の利権やら、債権などで話がまとまらないとなげていました。
人間は最後はお金で解決する動物なのですね。わざわざ運ばれてきた仏像様たちは、誰も寄り付かない薄暗い建物の中で、埃まみれになって!いったい何を考えているのかと思うと、気の毒としか言い様がありません。そのうち仏像様たちの反乱かまあるかもしれませんね。
恐らく一体100万円としても、二億のお金がこの、仏像に費やされているのです。今頃何処かの誰かさん達が、この仏像をめぐって、高いの、安いの、その値段では渡せないとかと、仏像の行き先を競っていると思うと、なんの為に仏像を安置したのかわかりません。
もしかすると、仏像様たちの存在すら忘れられかけているかも。
成日様は、近くの食道で遅い昼御飯を食べながら、嘆くことしきりでした。

僕はやっと神様が僕に何か役に立つ事をしろと、怒鳴られたこと思いだし、ここの仏像様を生かせる為にも、一つ、ご協力をいただいて、この仏像様を雑に扱う連中を懲らしめるべく策を練ることにしたのです。
成日様や偽坊主いや、僕のお坊さんには内緒で行動しなければ。
霊力で、仏像様か動いたとなると、新聞社か大慌てするから、深夜に出かけ、朝が来るまでに戻る計画でなくてはねらない。なんて、空想にふけっていました。

成日様の説明によると、当初はやはり身延山に近い場所に位置する絶好の場所で地元の有名人が集まって大観光地にしようと建設したと言う。祈願道場はあるし、宿泊施設、温泉施設、遊覧施設などで一事は賑やかだったが、その後、客足が減ってしまい、経営破綻をしたと言う。再建するには、債権が入り組んでいて収拾がつかないらしい。
安置されている仏像様達はいい迷惑をしているそうです。
そこで、僕は考えたのさ。
自分たちの都合で色々な施設を造っておいて、都合が悪ければ、やめてしまう、まぁ、そこまでは、よくある話だから許されるとして、問題は、残された仏像様たちですよね。お金儲けのためにこの世に産まれて来たわけではないし、仏陀の化身となり、平穏立国を祈るために当地に来たわけで、埃まみれに放置され、敬う人の縁もなしでは踏んだり蹴ったり。
成日様が、あちこち談判しに行っても、全てお金がからんで、出る幕なし。
何処かに移設するとか、お寺の威厳を保つなら、せめても成日様のお経を継続しながら、仏様に安心してもらうぐらいの配慮があっても不思議な事ではないと思うのです。僕はね。

伽藍のなかの仏像様達は

僕は神様が、お前は神の使者どおっしゃるものですから、しかたなしに、その気になっていますが、そんな立派な一円玉ではありません。神様も仏様も同じようだと思う程度の認識しかありませんから。
神様の使者の一円玉の円市が、仏様を救いながら、悪を懲らしめるなんて、できるはずがありません。でも、何か役に立つ事をしないと、神様に、怒られる立場にいますから、ダメ元で、勝負に出るしかありません。なーに、失敗したら、木葉の下に隠れて、一生、土の下にもぐっています。そして、アルミの僕は酸化して腐って死んでいくのです。

僕はそう決心すると、僕のお坊さんの小銭入れから飛び出して、唐招提寺のような伽藍に行き、ガラス戸の隙間から中には入りお地蔵様と計画を練らなくてはいけないのでしばらく僕のお坊さんとお別れすることにしました。

さてはて、どうやって僕のお坊さんの小銭入れから脱出するかです。
そんな機会を狙っていたら、近くに人気の蕎麦屋さんがあると言うことで、二人はざるそば食べることになったのです。
確かに蕎麦の艶もよく、張りもありそうで、僕くからみても、旨そうでした。

アルミ製の僕に胃袋があるのか?だって
胃袋はありませんが、環境によって少しずつ変化していきますから、臭いなども、突き詰めれば、原子の集合体ですから、影響を受けるのです。

幸いにして、僕のお坊さんが、蕎麦代を払いましたので、その際に消費税の支払いに僕は使われました。しばらくお店のレジのなかで、チャンスをうかがっていたところ、レジが開いて店員さんがお客さまとやり取りしている隙を狙って、レジから、ジャンプをして、床に転がり、後は僕は丸いから、惰力がついて、入口を出まして、庭先で一休みしたのです。
後は、神様に、しかじかこうだと、神様のお言葉にしたがって何か役に立つ事を実行中だから、雀を1羽遣わしてもらい、僕を仏様のいる伽藍に運んでもらいたいとお願いしたら、流石、神様です。二つ返事で、威勢のいい、雀をよこしてくれて、僕をくちばしでくわえて連れていってくれたのです。

だけと、神様も冷たいですよ。
褒めたと思えば、すぐ怒ります。
仕方ないですね。晴れの日もあれば、暴風もあるわけですから、理にかなっていますものね
僕が計画を話したら、一円玉の分際でそんな事考えるな、お前の出来ることは、精々、貧乏人間のお宝として、癒してやることぐらいだ。まぁ、いい、神仏に仕える成日が、困り果てているならば、やるだけやってみろ、失敗して、当たり前だからの。だって。

僕は雀に運ばれ伽藍につくと、ガラス戸の隙間から、計画通り、仏像様が立ち並ぶ、広間には入り、中央で、体の大きな仏像様に近より、言葉を掛けました。
仏像様に世界にリダーがいるのかいないのか判りませんが、真ん中、デンと立って、威厳があったからです。仏像様の顔はよく見ると殆ど同じ顔は有りません。

リーダー各の仏像様は埃まみれになっていて、はたきでたたけば、粉塵の煙りが出てきそうです。

実は仏様ま、話によりますと、もう皆様かここに放置されて、三年もたつそうですね。ここにこのまま放置されれば、やがては薪にされてしまいます。
なぜならば、これだけの数の仏像様は他に安置する施設を探そうにも有りません。20体もいるのです。それに、怒るかも知れませんが、古くて由緒ある仏像様では有りませんので引き受けるお寺など有りません。このままですと、御供えもありませんから餓死です。

すると、ダミ声でリーダーらしき仏像様が、声を出しました。
(お主は一円玉の市だの、一円玉がなにゆえにわしらに声をかけるのだ。歴史的価値がないとか、由緒ある仏像ではないとか、わしらに何か恨みでもあるのか、おまけに、そのうち薪にされてしまうだと、いい加減なこと言うではない、さっさと帰れ、ここにいる仏像達は、今に人間達の平和希求の願望に役に立つために畏敬の念で迎えられた立派な仏達だ。今は私共のためにあれやこれやと工夫を凝らしている最中だろう。埃など、なんのなんの)

あぁぁ、全然解っていません。仏様達はお金儲けのために利用されたのですよ。
その、証拠に、お経を上げる成日様は解雇になっているのです。

仏様も神様も一円玉も、みな、見えない大神様のお力のおかげで、こうしてお互いに話が出来るのです。


(何々、成日和尚がこの山から消えたとな。解雇されたと、なんかやったか、あの和尚が悪さするとは考えられない、日伝はわしらを敬い親しく付き合ってくれた。錬成がわしらを見棄てて山を降りるなんて想像もできん。錬成の手当てが払えなくなったのだろう。わしらとちがって空気だけでは生きてはいけないからな、それにしても理不尽だの、こりゃ、この観光施設を支配するトップに問題ありだ、観光目当てに一儲け企んだに違いない、仏造って魂入れずか。して、一円玉の市と申したな、そなたは、で、わしらに何をしろと言いに来たのだ)

(観光会社のトップたちに見せしめのため自然界の掟を知らしてやらねば、成日法師様のような真面目で正統派の法師様が消えていきます。これは、真面目な人々に限らす、あなた様のような、心ある仏様にとっても至極迷惑な事です。退治というか、強烈に反省させねば、仏様の存在する面目がたちません)

(うぬ!そなたの言う通りだ、して、どうするのだ)

(それが解れば苦労しません、それで馳せ参じたわけです)

(そうか、相談なー、まずは、トップの社長だか、理事長だか知らないが、深夜に寝込みを襲ってみるか、して、本心を聞き出してな、返事次第では、獄門晒し首だの、なーに、奈良の大仏殿にお願いして、南大門の仁王の子分あうん仁王殿を遣わして貰えばいい、あっという間にお陀仏だ。わしらは同じ仏だが、腕力がない、邪気払い、魔除けの仁王とは、ちと、路線がちがうでの、闘い方が違うのでな)

(すげー、仁王様が応援してくれるとは、これは面白くなってきた。早くやりましょう、皆のため、成日法師様のためにも)

(せかすな、仏の皆の意見もあるでよ。どうだ、みんな、ここにいても犬死だ。わしらは、歴史も、由緒もない、新参者だが、心の中は、国宝級の仏様と何ら変わらない。そうだろう、みんな!)

20体の仏像様が一斉に、合図地の歓声をあげた。館内に大きく響きわたりました。その中から、背の高い仏像様が手をあげた。

(私は名もない田舎者の仏像です、しかし、心ざしは、大仏様にも負けません。一円玉殿とのやり取りを聞いていまして、朝に道を知らば夕べに死すも可なり。で自然界の掟を守らせるため一命をあなた様に授けます。しかし、その前に一つだけ、尋ねたたいことがあります。それはなにかといいますと、観光スポットの理事長さんも、私達仏様をわざわざ制作してくれたのは事実です。この世に生を授けてくれた、大事な人ではありませんか。もし、経営が上手くいっていたら、私達も平和で暮らせたはずです、ですから、理事長を行きなり懲らしめるより、こうなった経緯をきちんと問いただしてからでも遅くはないと思うのですが)

(そうよのう、おめさんの言うことも一理ある。うん、解った、とりあえず、理事長の家にさ、行ってみることにしよう)


僕は一円玉殿なんて敬語をつけて仏様によばれて照れるよ。ともかく、僕はこの伽藍のなかで、興奮と、緊張の波間に揺れ動いていたのです。中央に座していた、太めのリーダーらしき仏様が言いました。

(その前にだ、わしは、いままでリーダーとして、みなと暮らしてきたが、今度のような、事件に巻き込まれてしまった、これも私の不徳のいたり、深く謝る。して、われらの存念を晴らすため、その長として、皆の信任を得ておかねばならぬ。他に長になる希望者がいれば名乗るがよい。)

しばしの沈黙。

(そうか、わしに任せてくれると判断する。依存ないな)

なし!の合唱

(では言おう、作戦はだな、何もない。
話を聴いて、悪意がなければ、許そう。しかし、再建できるのに、欲望が絡んで我ら仏を放置しているならば、懲らしめるだけだ、どうせなら、早い方が良い。今晩だ。それも、深夜にだ。満月とは、舞台装置としては最高だな。
一円玉の市とやら、して、その悪あがきしているらしい、主の宿はわかちょるかな?)

(はい、成日法師様がおっしやるには大坂で手広く事業を営む、社長の大藪泰蔵という名の人物で、地元の名士だと言います。住所まではわかりません。)

(そうか、わからんか?それは困ったもんだ。名前が解っているから、調べればわかるな、地と、古いが電話帳があるでな、なあーに、載っていなければ、霊感であてるさ。では、抗議にいくメンバーを発表しよう。まずは、手おあげた、田舎育ちの行徳、それと、馬力のある、鞍馬、上品そうな、蓮海、賢い学成、それと、お前、一円玉の市だ。そして、リーダーと言うか、指揮官は、わし、白龍だ。
お前たちは、これから、日本国諸神諸仏のお力をいただき、霊魂となり、大坂にまいる。歩いて行くと、一日では足らないので、霊魂となり、瞬時に大坂に着くことができる。いつも、修業してきた隠れ地蔵の術だ。仏像の形は、ここに残して行くが、中味がない、脱け殻仏だ。魄だけはは大坂にいく。いいな)

一円玉の市は慌てて言った。

(僕はどうすれば京都に行けるのですかか、皆様の様に仏様ではありませんから、たいした霊力などありません。人の話が聴こえたり、見たりすることは何とかできるのですが。一足飛びで大坂なんてとてもとても。ギブアップです。)

(心配するな、市はお金様の使者だだろう、まして、例え数日とはえ、偽坊主らしき者とお経のなかで暮らした。上げ底だけど、修業をしたともとれなくはない。したがって、霊力が、少しはあるかもな。
だから、そなたの、魄だけならば何処へでも飛んでいけると言うことだ。
わしらと同じじゃ、どうだ、一緒にいかんか。わしらも、魄だけでいく、躰だけはここに置いていくでの、大坂に着いたら、その男の回に纏いついて真実をあきらかにするのだ)

僕は、結局同行することになりました、僕のお坊さんは、どうしているだろうか、まぁいいか、どうせ僕の存在に気がついていないのだし、また、戸塚駅辺りで会う機会もあるから。
しばらく会えないと思うとなんか、寂しい気持ちになるのは、なんだろう。偽のお坊さんには間違いないと思ううが、許せる雰囲気あるのですよ。そんな、後ろ髪を引かれる気持ちで大坂に行くことにしました。

総勢6名の私達は、祭壇に向かって、神聖な儀式を百々通りなく終えて、いよいよ、大坂に向けて旅立つことになりました。時は夕ぐれ、辺りの木立が、蔭をなくして、爽やかな風が木の葉を撫でていきます。
一同の魄は、社前に集まり、整列しています。見えないのが残念です。

僕は、どうやって大坂まで、行くのかなぁ、と、不思議に思いながら、リダー白龍様の耳の中に隠れて話を聞き入っていたのです。

(今日は、満月で透き通った宵だ、気持ちがいいの。空を見よ、あの流れる船のような雲に乗って行くか。大坂は、遠いでの)

人間には仏様の姿は見えないけれど、僕と6体の仏様の姿の仲間同士には見え見えです。

仏様の鞍馬が列の後ろから声を上げました。
(白龍様、あの雲は、北に流れています。大坂には行けません)

(そうか、そうだたったな、では、仕方ない、皆の魂も疲れるかも知れないが、一足飛びで、大坂に行くか)
仏様の蓮海が、言いました。

(魄も疲れたりするのですかねー)

白龍様が、怪訝な顔して、答えました

(そりゃ、魂もつかれるじゃろう。
わしの考えだが、魂も宇宙の構成要因じゃが?さすれば、粒子の塊かも知れない。と、なると、殖えたり減ったりするのではないかと、考えるのだ。まぁ、そんなことはこの際、どうでも良いことじゃ、して、その、大蔵なにがしとい人の住まいが解らんと言うことだ。どう探すか、だ。電話帳ともいかんだろう。第一、面倒だしの)

頭の賢い学成が、静かな声で答えました。

(僭越ながら、お応えもうしあげます。人間社会には、ご存知の通り、法人と言う、彼らには都合のよい組織があり、この、観光会社もそれにあてはまると思いましす。社長だか、理事長だか存じませんが、私が、登記所に行って調べてきますので、しばし、お待ちください。
なあーに、私達の魄は、幽霊と同じです。変貌自在、登記所のパソコンから、盗んできます)

そう言い残すと、青色の光線が、闇の中に消えて行き、暫くしすると、闇の中にかから、青色の光線が戻って来たのです。

(はい、この通りです。わてしは、ハッカーに成りすまして、住所を調べてきました。
大蔵泰造は、東大阪市に工作機械の部品を作る会社の社長と、緑風苑という、墓地の経営と、公苑管理の会社を経営していて、近くに自宅を構えています。)

(そうか、
時の進展は凄まじいなー、昔は、お経にたょっていれば、何とか、解決方法も見つかったが、いまは、コンピューターの時代だの、、良いのだか、悪いのだか、わしには、わからないけれど。パソコンに頼ってばかりいると、終いには、機械、いや、コンピュータに支配されてしまうかもね。となると、わしら、仏は、ようなしか?寂しいのう、みんな。

となると、大坂にいって、大蔵某と会って、説教もどきをしても、無駄ではないのかな、彼にとっては、仏様を操って、儲けたお金でまた、何かに投資する、社会に貢献する。それもこれも、コンピュータがはじき出した数値にもとずいているのだからな。誰が悪いのだとか、良い人だとか、結論出すことさえ、無駄ではないのかな)
鞍馬が大声をあげていいました。

(かつ!、白龍様、この場を及んでなんと言うことを、時空を超えて、私達仏は、存在するのです。コンピュータ管理の情けない仏には、なってはいけないのです。
自然の摂理を、ゆっくりと、大河の流れのように、道を求めて行くのがわれらの勤めです。
その、真の理を歩いて行くのが、今回の大坂行きです。)

(そうよのう。わしも、解っているが、パソコンは苦手でな)

出発前に、なんてぶれまくる、リダーなのかと、少しく疑問符でしたが、大坂に無事到着出来ることができました。
日帰りのつもりでしたが、仏様たちは、修法とか、来館者の眼も逢って、中々外には出られないので、途中で、京都の、金閣寺見物、とか、奈良の大仏様に、仁王様をお借りしたりしなければならないので、挨拶したり、時には、奈良の公園で鹿と戯れたり、大坂に着いたのは出発してから、二日も過ぎていました。三ヶ日の朝早く、大蔵泰造の住んでいるサッカー場の近くに舞いおりました。仏様の魂は、サッカー場の一角にある、青色の幕を張りつめた、公園に関心を抱きました。
そこは、どや街で、木々の空間を利用して、上手に、住みかを作り、生活をしていました。定職を持つのを嫌ったり、仕事が見っからなかったりする、人びとが点在していたのです。通称、風任せの、風流な言葉の風太郎とも呼ばれている人もいるようです。
僕は、このような、人々に何か、共感を覚えるのです。憧れかな。一円玉だから!。そうかもね。世間の物差しで見れば、落ちこぼれとか、怠け者とも、言われかれない人々ですからね。
僕は、そう思いませんよ。
時には、苦しいだろうけれど、考えようでは、束縛されず、孤高で、自然と一体感がある暮らしは、理想かもね。甘いかな。うん、甘いかも。
でもね、何となく郷愁を感じる僕なのです。

だってね。けっこう優雅に暮らしていそうな光景もあるのです。
木立から、朝日がたちこんでいて、木の幹の根元に、アンティークな鉄製の机と椅子を置いて珈琲を立てている老人があたのです。
白い帽子をかぶり、紅系のセーターにジーパン姿。どう見ても僕には、洋風の伊達男にしか思えません。
僕は、こんな生活に憧れを持つのですよね。一見、自由そうで、自分の時間ばかりの暮らしに。

お前もそうだろうって?
食料代がかからないし。

そうですか、そう見えますか?一円玉ですからね。前にも言いましたが、運が悪いと、瓶の牢獄ですよ。
そりゃ、魂になってどこえでも行けそうですが、戒律の厳しい修業を積んだ魂だけが、自由自在になれると聴きます。今回、魂に変身できたのは仏様の特別なはからいなのです。
平素は、自由がない、梗塞の世界ですよ。
身勝手で、人を貶めたり、殺したり、自然界の掟を破る人の魂もいますよ。そう言う魂は気の毒だとか?
三途の川を渡るときに、顕著に現れるらしいです。
仲間の仏様に聞いた話ですが、そのような人の魂は、三途の川で、分別されるようです。
三途の川には、それらを見分ける番人がいて、はい、右側の通路え、はい、貴方の魄は、左側の通路え、その、フラフラして、落ち着きのない魂は、そこで待ちなさい。とか、一日混雑しているらしいです。
どうやら、魂の、序列をしているらしく、右側は善人、左側は、再審査、疑わしきは罰せず。は、下界と同じらしいです。問題は、ちょっと待て、の魂らしいです。
極悪非道で、なんで生まれてきたのか解らない人達です。この魂は、数日後、三途の川の白州で、拷問、打ち首、斬首晒し首。などの、極刑だそうです。火炙り、地獄油揚げ、など、種類も豊富とか。
右側の善良な人の魂は、神様から、お手当金、ライセンスなどがもらえて、神の使者として、一生仕事がもらえて、幸せな一生を送ることが出来るそうです。
僕は、一円玉てますからね。この世で良いことをして、右側ゲートに逝きたいですが、何せやること、目立つこと、ないからなー。

でもね、人の魂は見掛けからは解らないから、三途の川を神様仏様が、共同して、つくったのは正解ですよね。

僕の魂は、木の枝に座り、青いテントの、出入りを興味深く、見ていました。すると、白龍様から、集合の合図があり、サッカー場の、メインポールの前に集まりました。
いよいよ出陣です。
僕と6体の仏様の魂は、一線になって大蔵泰造の自宅をめざしました。
自宅は、瓦葺きの塀で囲まれ、池のある、数寄屋つくりのたいそうな邸宅でした。
深夜まで、まだ時間が有るので、住まいの確認をして、夜中の10時に、この家の庭石を集合場所に決めて、とりあえず、それまで、自由行動となりました。仏様たちの魂は、旅なれていないので、近くの健康センターの露天風呂でひと風呂入り、眠るそうです。
仏様たちは、男風呂か女湯か、どちらに入るのかなと、少し関心がありましたが、昔の歴史本もどきによると、どちらでも良いらしいとの解釈があるので、つまり、仏様は、男か女か見極めがつかないと言うことらしいので。



僕は、期間限定の霊力だと白龍仏様がはおしゃるけど、そんなことはないいと、思う。お金はたとえ一円玉でも、神様が人間社会に送り込んだ使者だからね。仏様の世界は、その事をしらないか、学ぶ必要がないのかもしれないなー。お金たちは、黙して語らずの姿勢だ、と、神様に確り教育されているので、人間に従順だけど、いざとなれば、お金が団結して、人間社会化の不正を暴くことだって出来るかもしれない、神様の許可が降りればの話だけどね。
ここは、ひとまず、仏様たちの意見にシタガしたがい、拝見させてもらいます。

僕の魂は、時間潰しに近くのお寺の賽銭箱に行くことにしました。賽銭箱の中には、一円玉が多いからです。と、言うことは、友達と会えるかもしれないからです。
修厳寺というお寺が近くの杜の中にあり、小さな池の近くに、身代り不動さんが居て、その脇の祠のなかに賽銭箱がありました。
僕は、その中を覗いて見ました。
忌ました、いました。友達が、賽銭箱は、百円玉、十円玉、一円玉、が、主役でした。特に一円玉は、子供たちが、幼稚園で戯れるように、賑やかにしていました。
僕は、賽銭箱の片隅で一個だけ、うつむいて寂しくしている一円玉を発見したので、近くによって、話しかけようと顔を見ると、昔、浅草寺の境内の賽銭箱で知り合った玉子でした。
僕は、声はするけど姿は見えない、魂だけですから、声をかけても、はじめは、玉子も、解せない顔をしていたのです。玉子は旅疲れか、顔に艶がなく、アルミの色もあせて、元気がありません。

(おーい、玉子、俺だよ、市だ。ひさしぶりだな)

(""""""""""')
僕の姿が見えないから、玉子は恐ろしくなったのか、後ずさり。
(ほら、浅草浅草寺の縁日で会っただろう。玉が、線香花火を観たいから連れていって、と言うから、僕が連れていってあげた市だよ。)

(あのときの市さん?どうして?
なぜ、ここにいるの、市さんの姿が見えないわよ、どうして?)

(姿が見えないのは、僕の霊魂だからさ。実はね、僕は山梨の放置されている仏様達のお供で一緒に来たのです。僕を大坂に連れて行くには、一円玉の姿では、空は飛べないし、人間に見つかれば、何処にしまわれるか、わからないから、とにかく、姿を消そうと、仏様達が、お経をあげてくれて、霊魂に変身していると、言うわけです。

(よくわかんない、何しに来たの)

(そうだ、僕と一緒に、ここを出よう。苔むした環境でうずくまっているより、外にでよう。元気になるよ)

(ありがとう、でもどうして外に出られるの)

(任して、僕は、これでも、偽坊主さんのおかげて、少しはお経ができるのさ。成日法師様とか、仏様たちお経をきいていたから、少しは神通力があるかもしれない。だから、玉子さんの姿を消して上げることが出来ると思う。僕も、仏様に霊魂に変貌できるお経をあげてもらったら、姿が消えて、魂だけになっているのさ)
(偽坊主さんとか、霊魂だとか、なんだか難しそうね。簡単に言えば、仏様達が市さんを、導いてくれていると言うことね。仏の法力でね。
それで貴方は姿をどこかに残して、魂だけが、こうして飛び回っていろということなのね。でも、貴方は昔から、お経には全然縁なんかないでしよ、あっちふらはさら、こっちふらふらで、さぼってばかりの市さんではないの、霊力と言うのか、不思議な魔力があるなんて、それは、無理よ。私を、動ける魂に変貌させるパワーが市さんにあるなんて)

(分かんないよ、山梨の仏様たちは、お経を唱えたら、皆、魂に変身して、姿はみえないが、いま、こうして大坂にいるのだから、今頃は健康センターの露天風呂でのんびりしてるよ。だめで元々と言うこともある。
僕が玉子のためにお経をあげてみるからさ。)

観自在菩薩 ーーーー

すると一円玉子は、みるみる内に姿後見えなくなりました。
一円玉+一円玉=二円は姿はみえないが、賽銭箱の縁で話し声ごがするのです。どうやら
一円玉の市のお経が通じたようでした。
(僕の下手くそなお経でも霊力がもらえるとは、不思議なことが起こるものだ。これは、偽坊主さんと、成日法師様、山梨の仏様が、特別に何処かで念じてくれたに違いない。感謝、感謝です。)

二円は、それからまもなく、大空に向かって舞い上がり、仏様達がいる、健康センターに向かい、そこで、夜遅くまで歓談したり、寝たりして、深夜になるまで、時をすごしたのです。

白龍様が、ようやく健康センターの仮眠部屋から出てきて、ロビーのカウンターで、般若湯という、生ビールを軽く一杯飲み干すと、皆に、集合の念を送りました。
当然皆の姿は、見えないけれど皆の魂は、三々五々とカウンターに集まってきました。
仏様の姿は見えませんか、魂はどういうわけか見えます。
魂は、恐らく人間には見ることができないけど、僕たちには、見えるのです。
どんな魂だと?
僕と玉子は、一番の乗り降りてす。
なんたって、新人だからね。
僕自身は、何しに来たのかも本当は、わからなし、いなくても仕事には影響ないからね。
僕たち二円は、白龍仏様の耳の付け根に潜むことにしました。なんたって、いざというとき、はぐれなくてすむからね。
人間には私達の魂は、見えないけれど、私達には、はっきりと見えるのです。
リダーの白龍様の魂は、顔をだけで、首から下は見えません。まるで、晒し首のようです。違うのは、顔の血色が良いのです。たぶん、生ビールてのせいでは、ないと思います。カウンターのお客様と間違って触れても、アメバーのように、凹んでしまうので、解ることはないようです。
僕と、玉子の魂は、えらい小さいから、わざわざ魂にならなくてもよかったかも。
仏様達は、これから大蔵泰平さんを成敗しに行くのに、闘争心が、まるで、みえません。どちらかと言えば、もう一泊して、お供えの食べ物を満喫したいようです。もちろん、お客様の食事中に、盗み取りするのです。少しづつ、テーブルをこまめに回れば、お客様には気が付かれませんからね。仏様達は、あたまがいいから、こんなことは、朝飯前かな。
それにしても、討ち入り前だと言うのに、あくびをしたり、目を擦ったり、まぁ、仏様とは、とても思えない光景です。
首魂の白龍様は、だらだらした光景気が削がれたのか、皆を一喝すると、不思議と、仏様たちの首魂は、不満たらたらいいながら、横一列の体勢が出来上がり、白龍仏様もやっと言葉をかけられる状態になりました。
(以前より皆と打合せした通り、いよいよ、今晩丑三つ時に、例の作戦を実行にうつします。
でだ、お前達一円玉の二円は、わしの耳の中に入れ。そして、原場検証をしろ。
間もなく、奈良の大仏様の命により、仁王様の、あうん様が雲にのって現場に 到着する。我らはその後から、ついていく。いいな。あうん様は、戦闘力が生まれながらにもっている。我らは、人間で言えば、インテリジェントに属すから、闘いは、下手くそだ、戦争は、ペンで防げるという哲学をもつ理想家だ。あうん様は、仏様だけど、屁理屈言うやつは、面倒くさいから、一網打尽にしてしまうのよ。まぁ、私達が、始めに大蔵さんにあって、事の事情を聞いて、成り行きによってはあうん様に登場してもらうと、言うことだ。
いいですね。間違っても口論してはいけませんよ。何度も言いますが、私達は穏やかな仏様に属する身分ですからね。
さて、そろそろ行くか。朧月夜とは、風情があるの、あっそうだ、市入るか、)
(はい、耳の中に隠れています。左側の耳には友達の玉子さんが)

(ほう、そうか、私の耳の中とはな、そこなら安心だ。友達もいるのか。まぁ、いいただろう。市な、お前の役目は特にはないが、事情を知っているのは、お前だけだから、遠慮せずに、ここと、思うときはどんどんいえばいい。わかったな)
(はい)
白龍仏様を先導役として目的地を目指す仏様たちは、朧月夜の中に消えていきました。

そして、大蔵さんの、庭にある、池の淵に舞い降り、一同目で、呼吸を整え、池に飛び込み、身体を清め、数寄屋つくり邸宅の奥にある寝室を目掛けて直行してのです。松の廊下擬きの廊下を進み、
寝室と思える障子の隙間から、魂を細くして、十畳の和室に偲び込みました。さすが、名士だけあって、布団は、有名な西川布団店の極上品です。書院には、横山大観の富士の掛け軸が存在感をしめしていました。
大蔵さんは、静かに眠りに入っていました。
白龍様は大蔵さんの顔に近づき、池でさらした冷たい魂首を擦り着けのです。白龍仏様の頭から池の水が、したたれ落ちています。
その回りには、他の仏様の魂首がまるで、晒し首のお化けのように、取り囲んだのです。
灯りのない、暗い部屋に、晒し首のような、仏様達が、幽かな月明かりで、顔だけが浮かびあがっているのです。それも、ゆらり、ゆらりとわづかにうごめいている。

大蔵さんは、寝込みを襲われ、気が動転して、布団をかきあげ、立ち上がろうとするが、恐怖心があるので、腰が立ちません。
白龍仏様が、制するようにいいました。ドスの効いた声です。
(お前様が、身延の里の観光施設の
社長か、理事長さんだか、知らねえが、頭だな。噂によると施設を誰かに売り飛ばすと言うではないか。あんたが責任者だから、アメリカに売り飛ばそうが、デズニーランドにうろうが、しっちゃことないが、残された仏様はどうなるのだ。
なにか?仏は、ただの、人寄せパンダ。飾り付けの道具だったのか、
そうだろう、図星だろう。それともなにか?仏様たちを、面倒見ると経費がかさむので、埃だらけにしているのか。おまけに、日夜お経を唱えていた、成日法師さんを首にしてさ。お前には、金儲けしかないのか。それなら、それでいい、わしにもな、仏様達にも、意地や、道理がある。お前みたいなやつは、三途の川で獄門晒し首だ。いや、今この場で痛い目にあわせる。覚悟せい。)

白龍仏様は、ヤクザ擬きの口調です、下品な言葉の連発だ。本当に仏様なのかと首をかしげたくなります。

あうん仁王様、遠くから、お疲れさまでした。今、お聞きの通りです。一つよしなに、成敗してくださいまし。)

奈良の南大門のあうん仁王様は、こことばかりに、呪文を唱えると、みるみるうちに、見えない霊魂から、紫色の煙を吐き出すと、筋肉隆々で、目を吊り上げ、恐ろしい形相に変貌した仁王様は、金棒を振り回しながら言いはなしました。

(さっきから、大方の話は聞いた。20ものの仏を放置し、汚れまみれにして、その上、優しい霊験豊かな専任和尚を首にしたとな。お前みたいな者がいるから、人間社会の、物指しが狂って来るのだ。奈良の大仏に代わって成敗してくれる。三途の川が、汚れるから、この場において処刑する。さぁ、立って池の淵に座れ)
仁王様は、大蔵さんの、首を引っ張って、強引に、池まで連行し、庭石の脇の砂州に座らせました。
(お前にも、家族や、親類、知人がいるだろう、何か言い残すことがあれば、聞いておく、恐ろしい姿でいる、俺だが仁王とて、元を正せば、仏の身。情は半端ではない。さぁ、申せ)

大蔵さんは、恐怖の連続で、何がどうしたのか、さっぱりわからない内に、池の端に連れてこられて、気が動転していました。
(あの、あの、私は処刑されるような、事はなに一つしていません。誰か他の人と間違いではありませんか。確かに、身延の観光施設に仏様を放置してますが、それなりのわけがあるのです。

さてはて、ミーティングは始まりましたが、みな、ポカーンとして、どうしたら良いのやら途方にくれている様子。○。○が、闇を貫くような、気合いをかけ、話し出しました。

( 私は、体育系、つまり、どちらかと言いますと、武闘派です。しかし、今回は大蔵理事長を信用して、無罪放免が妥当かとぞんじます。しかして、その理由は、反省して此れから先は、王道を歩めば、咎めなしと言うこともあります。
信じなければ何もかも生まれません。
私は、再び大蔵理事長が、私をないがしろしても、後悔はしません。なぜならは、私は仏の道を歩む者で、王道を歩んで、その結果、其が死であっても、本望です。幸せなことです。いずれにしても、大蔵理事長の今回の件は、大騒ぎするに値しないと思います。私達の心構えが、王道を行っていれば、埃まみれだろうが、焼き払われようが、そんなこと
どうでもよかたったのではないかと思います。わざわざ、大阪まで来る必要も無かったのではないでしょうか?
(そう、いってしまえばみも蓋もない。
進歩がないじゃが。○○の言っていることは一理はあるが、仏を粗末に扱うと、どうなるかと言うことを教えておかないと、後世に禍根を残すでの。市、おまえさまはどうする、一円玉だから、と遠慮していたら、お前さんのためにならないぞ)

(はい、遠慮などしません、わたしだたら、大蔵理事長が反省して一億円もの、お金を寄進すろことですから、)
あうん仁王様流のが雰囲気をさっして

(?まあ、こんなもんだろう。わしも殺生は、苦手でな。わしが奈良の大仏の命に従い当地に来たことは、それなりに効果があったことだ。大仏様の深い思慮にはかなわないな。これからも、大仏様は、全国に睨みを効かし、一円玉であろうが
一万円であろうが、神の仏の使者、または、忍者として、情報集めにを配るはずだ。市が活躍しなけれぼ、大蔵理事長はすっとぼけて、仏様を高値て売ろうと考えていたはずだから、これからも、悪が蔓延しないように、そなたたちはしもじもにいて、情報を集めなければならないぞ)

仁王様は、ぐったりしている大蔵理事長の顔を布切れで拭いてやりながら語りだしました。

(もう、これだけ苦しませたから、充分反省して仏様を敬うだろうから、ここで大蔵理事長を、布団の中に戻して寝かせよう。怯えて一人では寝屋まで戻れまい。
わしが肩に乗せて連れていこう。ほれ、気絶している。仏様の亡霊が、現れたら仰天して、気を失ったのだ。布団で少し休めば、寝てしまう。その間に、わしらは退散じゃ。それでよかろう。反省すれば咎めはないのは、易でも言うだろう。)

朝日が出てきたのか辺りが紫色に映えてきました。

大蔵理事長は汗をびっしょりかきながら
布団をガバッと捲り、我にかえりました。

(なんだ、いまの騒動は。俺は庭の側で斬首晒し首になるところだったはずだ。夢か?夢にしては、あの幽霊のような仏様達と、恐ろしい顔をした仁王様はどこえ消えたのか?クワバラ、クワバラこれは、天罰だ。仏様をないがしろにしたから、バチが当たったのだ。これは大変だ。お経をあげねば。おーい、誰か仏壇にお香たけ、蝋燭に火をつけろ。)

大蔵理事長は深夜に関わらず、お経を唱和しだしたのです。そして自分の行為を深く反省して、夢でみたように、私財を投げ出し、仏様を大切に供養してのです。
仏様と仁王様と一円玉の市たちは、透き通る朝の空気のなかに溶け込むようにして皆の霊魂を鎮め、空から大蔵理事長がお経をあける姿を確認してから、関東に流れる雲に乗って、疲れを癒しながら山梨に向かいました。

下界からは、雲に乗った仏様達と仁王様と僕の姿はまだ霊魂だから、見えませんが僕たちには、皆の姿が見えます。
白龍仏様が安堵の顔を浮かべて話しかけました。

(よかったの、皆さん。私達仏は、暫くは、昔の通りの暮らしだが、あの大蔵理事長の慌てぶり、反省の心を見ていると、近いうちに成日法師も、お手当てがもらえて、またわしらの面倒を見てくれるだろう。さぁ、ボツボツ仁王様ともお別れだ。奈良の都が見えてきた。若草山の鹿も元気で遊んでいる。さぞかし大仏様もあうん仁王様のお帰りを気になされているでしょう。
あうん仁王様は、下界を見下ろしながら、笑っていいました。
(なーに、大仏様は、私のことなど心配しておらん。要請が有れば全国にいくからの。慣れじゃ、奈良の南大門には、わしの魂のいない脱け殻の仁王がいるから、心配しておらんよ。それではボツボツ行くとするか。お前さん達と一時の間であったがたのしかったでの。とくに市よ、おめさんは、一円玉のくせにようやっておる。いい心がけだ。おめさんの、友達とか言う偽坊主や、成日法師にたいする協力とか、どんな小さな思いやりでも、だんだん環が拡がっての行くものじゃ。
今回は、その見本みたいなものだ。これからも旅の空で嘆かわしい事に遭遇したらわしを呼べ、解ったな。これは命令だ。ーー実はな、わしも南大門に釘付けばかりだと愉しくないでの。それと、山梨の仏たちよ。坊主がお経をあげないからとか、塵が身体に付きまとうとか、将来性がないとか、愚痴っているばかりでは、修業がたらんぞ。おめさん達が、吾関せずと仏の教えに忠実であれば、焼かれようが、土のなかに埋められようが、デーンと構えて、行く末を流に任せる覚悟が肝心だ。後世の歴史家が必ず名を上げてくれる。それには、万民の期待にこたえる、万民を救うと言う情熱がなければならないぞ。大蔵理事長退治ぐらいて、喜んでいては、話にならないのだ。解ったな。では、さらばだ。下界は雨模様だな、裸では冷たいのう、これも修業だ)

第一部おわり

そのわけとは)

(言い訳は止めとけ、この場において見苦しい。男は、結果責任だ。)
慌てて霊魂になって姿の見えない一円玉の市は、二人の間に割ってはいりました

(仁王様、殺生する前に、理事長の話をきいてみませんか。反論する機会は当たり前のはなしですし、僕も成日法師様から、聞いただけですから)

(それも、そうよのぅ、極悪非道と言えども、とがなし!つまり、反省して道を改めれば、それもよし、と易経にも書いてあるしな。あいゃ、市とか申したな、そなたの言うことにも一理ある。わかった、では、大蔵理事長、言いたいことあれば、申してみよ。手短にな。わしは、すぐ、南大門に戻らないといけない。今日は、祭日で奈良公園も人が沢山出てくる。わしは、人気ものでのう。)

大蔵理事長は、やっと我にかえって話し出しました。

(は、はーい、このまま、あの世行だと、無念でなりません。けして、仏様をないがしろにしたのではなく、観光施設にお客様が来なくなり、経営が、悪化しまい、成日法師さん、始め、従事する人々の人件費が払えなくなってしまったのです。計画が甘かったと言えば、その通りですが、誠に会わす顔はありません。)

(うむ、でもな、仏様を観光の見世物として扱うその精神が問題じゃ。売上高がどうの、客が入らないとかの問題は、仏様には、関係無いことだ。どうだ、違うか?お前さん達の金儲けの都合で、仏を利用するとは、言語道断、骨の髄までくさっているのぅ)

( それは、違います。霊験豊かな、七面山の麓に仏様を祀ることは、さらに仏様を敬うことで、この地を私共、人間社会の奢りと欲求を鎮静化させ、平和な国土を創るが為の手助けに少しでもお役にたちたいとの事で、近隣諸氏の応援を募って始めたことです。決して、私利私欲のためではございません。)

(お主も、よく、ぬけぬけと、いい放つな、表裏一体とは、この事を言うのだ。世間には最もらしいことを表題にしてだな、裏では、口裏を会わせるまでもないと、暗黙の了解の基に計画したに違いない。人間社会では、辻褄合わせが横行しておるでな。わしは、騙されんぞ。してな、あの、放置されている仏達を、これからどうするのだ。朽ち果てるまで、あのように、放置しておくのか?)

(いや、滅相もない。今しばらく、時間をぐだされば、あの、観光施設と共にきちんとご安置するつもりです。)

仏様の白龍様が、口を開きました。

(大蔵理事長やら、時間があれば、我らを敬い、安置するとな?そりゃないだろう。もう放置されてから、四年も経つでのう、また、嘘を重ねて終わりにするのか、そうはさせないぞ、再開の目処があるならば、申してみよ。いい加減な話ならおまえさまの言い分をこれで終わりだ。)

(証拠ならあります。正しくは、仏様達の生活空間の確保です。観光施設すべての再建は、協力者が現れないので、今のところ、無理だと申し上げますが、仏様の、お堂につきましては、私が責任を持って建立いたします。根拠は、成日法師さんは、七面山で修業を重ねていた時から、村人に敬愛されていました。時には人生相談やら、自動車の簡単な、修理、建物の修理など、暮らしのなかで生きてきたら、私は、放置されている仏様を、修業なされた、村から外れた、深山の滝壺近くの平らかな土地に、荘厳とは言えませんがそれなりの修験道場を造り、仏様を安置して、成日法師さんに、念仏三昧の生活をと考えています。資金については私財)を充てるので心配ありません)
白龍法師は、納得した表情をしながら耳の中にいる、一円玉の市の魂を取り出して、自分の手のひらに乗せて、呪文をかけると、一円玉が現れてきました。それを見ていた大蔵理事長は、びっくりした様子でながめていた。

(のう、大蔵理事長さんよ、白龍仏様の手のひらに乗っているのは、たったの一円玉だ。お前さんに取っては、日頃は、見たこともない、縁も由かりもない、一円玉だ。人間が造った最下等のお金だ。
でもな、お金は、人間たちが、自然界と共存共栄を保つために、無用な争いを避けるために、神様が、創造してくれたお金なのだ。勘違いするなよ。
たとえ、価値がないという一円玉でも、神様がそれなりの使命を与えて、下界に送り出した、立派な使者なのだ。
現にだな、お前の悪と言うか、悪評を巷にきいて、これでは仏様が、気の毒だと思い、天の裁きを受ける必要があると考え、そのために日夜、奔走したのが、ここにいる一円玉の市なのだ。一円玉にも正義を貫く強い意地があるのだ。お前さん見たいに、金にあくせくしている人間には、理解できまい。仏様まで、金で買う男だからな。
お前見たいな男を造ってしまったことを、天は、嘆いているに、違いない。
お前の金庫に眠っている束になっている一万円札のお金達も、金庫の中で嘆き哀しんでいるに違いない。一刻でも早く
反省しているというなら、開放してやるがいい。それがお前の言う証拠なのだ。
お金は自分で意志を述べないが、悪人間に利用されると、周りにまわって必ずや反乱を起こす。
お金は、元来、平和お望み、綺麗で、清潔、で気高い性質があるから、環境が替われば、直ちに反応するのだ。
ほら見たか、お前さんは、金庫の万冊を出すはめになただろう。どうせ、出すなら、潔く、ポンポンとつべこべいわず出せばいい。)

大蔵理事長は、首だけ見える白龍仏様に深く頭をたれて、言いました。

(分かりました。私も潔く皆様のご指導に従い、一億円を仏様の暮らしのために奉納いたします。これなら、納得していてもらえるはずです)
(いやまだだ、心を込めて奉納するが、入らねばならない。無理矢理、仏様がお前さんに、あらぬ噂を種に脅迫されたと、出るとこに出て、裁判沙汰にでもなると面倒だからの。)
(はーい。何のその、たかが、一億円で泣きは入れません。仏様にお役にたちたい一念です。心配無用。)
(どうだ、皆、こうもしている。この際、大蔵理事長と妥協するか、市もどうだ、)
(僕は、意義はありません。成日法師さんも、やっと仕事に復帰できそうだし。他の仏様も、お供物や、悩みを抱える村人達とも話せるようになって、生き甲斐をとりもどすでしょうから)

○○仏様が口を挟みました。
(先程から、お話を聴いておりまして、解せないことが一つあります。僭越ながら、一言いわしてもらいます。今までの話の流れをみていますと、大蔵理事長が反省して一億円寄付をすることで、お手合わせとは、あまりにも、幼稚な考えではないかと思います。悪事を働いて、ばれたから、謝っているのと同じではありませんか?一億円だって、どんな性質のものかもわかりません。悪銭かもわからないのです。そこまで問い詰めたら、解決できませんから、今回は一億円のお金達の開放ということでよろしいかと思いますが、問題は、私は、この裁定を神様及び大日如来様に具申したとしても、
(お前達、なんだ、そのアマちょろい裁定は、悪事をはたらく人間は、善と悪の二つの心を使い分ける奇妙な性質を備えもっているのだ。お前達、善しかない仏をはぐらかすなど、朝飯前だ。この観光施設は、最初から、道を外れとる。どこで製作し産まれたのか、製作費用は、どのくらいだとかは、関係無いことで、仏を扱う以上は、渾身から、敬うことが、道をなのだ。従って、大蔵理事長達は世のみせしめのためにも、斬首が相当とではないかと、おっしゃると考えますが)
(だけどのう、○○よ、斬首と言っても
江戸時代ではないからの。仁王様とて仏様さまだ、斬首は暴力だが、仁王様の暴力は意味がうでの。簡単に言えば仏の道に背反する人間の心の行為を追い払ったり、仏を冒涜する、邪心を取り除くための腕力だからの。一般的な、悪行を糺すために仁王様のお力をお借りする訳にはいかんだろう。)

話を隣で聞いていた、あうん様は、高笑いして、こう答えました。
(うん。白龍の言う通り。じゃがな、今回は特別じゃ、皆が斬首はともかく、首をねじ曲げて、池に投げ込めと言うなら、それもよし。何せ、おめさんたちは、仏様だからの、仏様の決定事項は、天の声蛇がの。おらも、逆らう訳にはいかないでの。おらを要請してきたのは、おめさんたちだからの。おらには責任を花井での。さぁ、しっかり、ミーティングしなされ。一円玉の市も入っての)


(

一円玉の市放浪記

一円玉の市放浪記

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-01

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 僕は一円玉の円市です。ひょんなことから、疑わしきも、人情味ある通称
  2. 伽藍のなかの仏像様達は
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