
君影草と魔法の365日-第4話
翼の影
“魔法語”
それは魔法を行使する為だけに存在する訳ではない。
世界の万物と精神を誤解なく正確に表す唯一無二の言葉である。
そう教えるのは魔法語の講師“リカル ド”先生。
風紀委員会の顧問でもある彼は厳しく恐い事で有名でした。
少しネクタイが曲がっていたり、スカートが短いだけで教室から追い出されてしまうくらいです。
今、1つ星のクラスが習っているのは魔術の基礎である魔法語のごくごく基本。
入学前からある程度理解していたすずにはアクビが出る程退屈です。
人間には生まれついて魔力をもつ者が存在しない事。
魔法語で魔法式を組んで、精神力から魔力を紡ぎ出す事。
ソレをせずに魔法を行使出来る存在“魔族”は滅びてしまった事。
今時、幼稚園児でも知っていそうです。
別にサボりたい訳では無いのですが、分かり切った事を話されても眠たくなるばかり。
『魔法語より睡眠導入催眠術を教える方が向いてるの』
ついつい暇で窓の外に視線が移ってしまいます。
空は明るく澄み渡り、雲一つ無い快晴。
こんな日はオープンカフェでゆっくり過ごしたりしたいですよね。
なんて感じで全く授業が身に入ってない様子です。
でも彼女は勉強が嫌いな訳じゃないんですよ?
だって一番で在り続ける事を目標に、これまで努力し続けてきたんですから。
この箱庭魔法学校に入るまで常に一番だったんですから。
歌だって絵だって誰にも負けなかったんですから。
ただ、心は正直なもの。
興味の無い授業を真面目に受けるのは、誰であっても辛いもんです。
『・・・・・・!?』
ふと、外が一瞬暗くなった気がしました。
…それは凄く大きな何かが空を横切ったのだと理解します。
『クラスの皆は気付いていない』
見れば大きな翼を羽ばたかせる何かが、猛スピードでるみる小さくなって行きました。
あんな大きな影を落とす存在をすずは知りません。
やがて森の上で動きがぎこちなくなり…。
「落ちた…」
次の瞬間!
「イタッ!?」
教壇から投じられたチョークは真っ直ぐ飛んで彼女にヒット!
「何が落ちたのだ?」
あ、リカルド先生が怒ってます(汗)
質問されたテイですが答える事も許されません。
即刻、退席処分を受けてしまいました。
つか、今でもチョークを投げる先生っているんですね。
道なき道
「大きな翼が見えたけど絶対に鳥なんかじゃないの」
すずとランカは“大きな翼を持つ影”の正体を確かめる為に、黄昏の樹海へやってきました。
目指すのは普段の整備された道を外れた獣道さえ無い道無き道の先。
まだ結界の範囲内とはいえ、迷えば間違いなく遭難する危険な場所です。
ランカは適当な木に手のひら程のシールを貼ると、書かれた魔法文字を人差し指でなぞりながら魔法式を唱えました。
ゆっくり中心から指を離すと白く細い光の糸が現れます。
それは簡単で消耗が少ない便利な魔法でした。
糸は術者が解くまで延び続け、引き返す時の目印になるんです。
でも、大丈夫でしょうか?
樹海は広く深く全てを飲み込んでしまう緑の闇。
100メートルも歩くと、光の糸無しではもと来た道が分からなくなります。
辺りは木々のざわめきに包まれて、何の気配も感じられません。
用意したコンパスは針をグルグルさせていました。
「このまま北西に進路をとれば、すずの席から見た落下地点を通るハズだけど…」
まだ10分も歩いていませんが、ランカは敏感に危険を感じ取っていました。
命の綱である光の糸も、シールが破けるか糸が切れれば、跡形もなく消えてしまいます。
「ねぇねぇ、引き返さない?」
それは自分の経験では対処出来ないアクシデントの予感。
自身の経験不足を正しく認識しているから出来る的確な判断でした。
でも、すずは耳を立てたまま先へ先へ進みます。
「大丈夫。もう少しなの」
何か確信をもったすずが少し急な斜面をのぼります。
不安を抑えながらランカも後に続くと、急に視界が開けました。
薙ぎ倒された数十本の木。
クレーターの様にえぐれた地面。
影の主は間違い無くココに落ちたみたいです。
先には大きくクチを開けた洞窟。
その奥から唸る様な声が聞こえました。
「ねぇねぇ、先生達に知らせようよ」
恐らく洞穴の奥には得体の知れない生き物が身を潜めています。
しかも辺りの様子から想像して相当な大きさ。
意思の疎通が出来ない相手なら、襲われてしまうかも知れません。
しかし…。
「すず?」
ランカが止めるのも聞かず更に前へ。
「聞こえるの」
意味不明な言葉を残して、すずは洞窟に入ってしまいました。
傷付いた翼
すずを追って洞窟に入ったランカは激しく後悔しました。
尻尾を引っ張ってでも止めるべきだったと。
洞窟の奥に身を潜めていたのは、人間よりはるかに高い知性と精神、そして巨大で強靱な肉体を持つ生き物。
容姿はトカゲの親玉に角とコウモリの翼を付けた感じです。
地底人も大きかったですが、今回は桁が違いますね(汗)
「ドラゴン…」
彼女は息を飲みます。
頑強な竜鱗の皮膚は鋼の槍も弾き返し、吐き出す灼熱の炎は万物を一瞬で焼き尽くします。
彼がその気になれば町の1つや2つを壊滅させるなんて造作もありません。
蓄光石の弱い光に照らされるドラゴンは、より不気味で恐ろしく見えます。
すずは上から見下ろされる形で、でも堂々とした態度でじっと見上げていました。
【…子供の人間が魔法語を理解出来るとはな】
【喋ってお話するくらいなら簡単なの】
二人は魔法語で話しています。
ランカは言葉でコミュニケーションがとれている事を確認出来て少し安心しましたが、この後どうするか頭を悩ませました。
“人間”と“竜族”は長く交流を避けてきた間柄なのです。
大昔には戦争をした事もありました。
【紹介するわ。親友のランカなの】
ランカはすずの隣に並ぶと頭を下げます。
笑顔で挨拶したつもりの顔がひきつり、自分で分かる程の汗が吹き出ました。
ドラゴンは軽く会釈するとランカも交えて話し始めました。
【勇気も知恵も持ち合わせるお前達にならば話してもいいかも知れんな…】
散歩中にうっかり翼を怪我して飛べなくなった彼。
自分が人間の町に姿を現せば騒ぎになると考えて、洞窟に身を隠したと言います。
【俺が傷付いて動けないと知られれば、悪巧みを考える人間が現れるかもしれないしな…】
本当は魔法で竜族の仲間を呼びたいのですが上手くいきません。
結界が邪魔しちゃうんです。
早く怪我を治してこの場を離れたい。
それが彼の望みでした。
【放って置けないのは分かったよ。おばあちゃんに相談してみる?】
【大人には内緒にしてほしいの。騒ぎになるといけないから】
彼に不信感を与えない様に魔法語で相談します。
【まずは怪我を確認するの】
二人は彼の後ろに回り込みましたが、蓄光石の光では弱くてよく見えません。
すずは静かに魔法式を唱えます。
「光よ!」
かざした手の先に光が生まれる。
そして目の前の酷い怪我に悲鳴をあげました。
材料泥棒
亀谷商店は風邪薬から魔法薬、呪術の材料に至るまで格安でなんでも調合してくれます。
すずとランカはドラゴンの為に、薬を探しに来ました。
…と言っても身体の大きな彼には大量の薬が必要です。
でもそんなに沢山買うお金は二人にありませんし、間違いなく不審がられてしまいます。
そこで倉庫の材料を拝借して、自分達の手で作ることにしました。
調合方法は普段からお手伝いしているランカが知っています。
「どれが必要なの?」
「えっと、そこの赤い瓶と、右に積んである麻布袋と…」
幸い必要な材料にそれほど高価な物は無く、時間をかけて探せば黄昏の樹海で見つかる物ばかり。
「後でこっそり集めて返せば、迷惑もかからないよ」
…って、バレたら凄く大変そうなんですが。
でも二人にとって大切なのは、早く薬を作って持って行く事。
事後に怒られて済むなら、材料を返して償えるならそれでいいんです。
「今おばあちゃんは店頭の魔法釜から目が離せないよ」
「大急ぎで作るの」
すずは大釜が六つ並んだ製薬室に材料を運び入れます。
ランカは空いている二つの釜を火にかけると、早速調合を始めました。
「最近怒られそうな事ばかりやってる気がするよ」
ランカが笑いながら呟くと、すずは申し訳なさそうに言います。
「ごめんなさいランカ。後で私が巻き込んだってちゃんと謝るの」
「ううん。アタシが好きで協力しているだけだよ。」
ランカはすずが大好きでした。
何事も一生懸命で他人思いで、アイドルになるなんて本気で言えちゃう彼女が羨ましくさえありました。
それに比べ自分は将来の目標どころか夢さえ見つかっていない。
箱庭魔法学校を首席入学したランカは成績こそ誰にも負けません。
でも…。
すずと一緒に過ごしたら、自分の考えや価値観を変えられる。
出会って一ヶ月もしないで親友と呼べる程仲良くなれたのには、そんな気持ちが働いたからかもしれません。
逆にすずは何故アタシと仲良くしてくれるのだろう?
友達になるのに条件や理由なんていらないハズなのに、そんな思いをいだく位いです。
ランカは白い小瓶の液体を数滴加えます。
「ねぇねぇ、黄昏の樹海で落下地点を見つけた時、すずは聞こえるって言ってたよね?」
「うん? そうだった?」
「うん…。あまりムチャしちゃ駄目だよ」
訊きかけた質問をランカは飲み込みました。
蛙油キズナイン
ドラゴンは不安でした。
人間のテリトリーに墜ちた時点で覚悟は決まっていたのですが。
いざ、自分の運命が子供の二人に…人間に握られていると考えると、生きた心地がしません。
彼女達は手作りの薬を用意してくれました。
でも彼は思います。
『本当に信じて大丈夫なのか?』
もしこれが痺れ薬や眠り薬の類いなら、殺された方が救いのある辱しめを受けるかもしれません。
『今は彼女を信じるしかないか…』
全て、魔法語を話す不思議な少女に託します。
すずとランカは彼の後ろに回りました。
【酷いの…】
ランタンに照らされる怪我。
翼から背中にかけて鋭利な刃物で斬り付けられた様な傷が痛々しく刻まれていました。
出血こそ止まっていますが、このまま放って置けば化膿して大変な事になっちゃいます。
【まずは傷口を綺麗にしないといけないの】
2人は樫の木で作られた杖を構えると、意識を集中して魔法式を唱えました。
【水よ!】
すると杖の先からまるでシャワーの様に水が出てきました。
通称“じょうろ”
空気中の水蒸気やら周りの水分を集めて、杖の先からシャワーの様に放水する初歩的な魔法です。
使う場所の環境に左右されやすいのですが、この洞窟では十分な水量が確保出来ました。
出来るだけ優しく血や土を洗い流します。
【・・・・・・!】
あ、やっぱりしみますよね。
でも我慢したかいあって、傷口はすっかり綺麗になりました。
ここで登場するのが“蛙油キズナイン”
不気味蛙から採れる油に薬草等を計9種類調合して煮詰めた塗り薬です。
生き物が元々持っている自己再生力を高めて、切り傷や擦り傷を素早く治す事ができました。
ほとんど傷痕が残らない優れ物です。
亀谷商店で昔から販売している定番人気商品の一つなんですよね。
【少しシミルと思うけど我慢してね】
いや、それは水かける前に言ってあげてほしいんですが(汗)
2人は手分けして背中と翼に薬を塗り込んでいきます。
【・・・・・・!!】
あ、えっと、ちょっと塗り方が雑です(汗)
人間と違って竜の肌は硬いですから、つい強くやっちゃう気持ちは分かりますけど。
見れば彼は苦悶の表情。
人間から見ても分かる程、渋い顔して耐えてます。
でも後ろにいる二人からは見えてないんですよね(汗)
まんごらZ
薬を塗って15分。
傷口は新しいかさぶたで被われていて、痛みもかなり引いています。
【まるでヒーリングを受けている様だな】
ドラゴンは驚いていました。
ヒーリングとは医療で使われる治癒魔法の総称。
ゲームの様に体力を回復する事は出来ませんが、病気や怪我の治りを早める事ができます。
それなりに経験を積んだ術者が時間をかけて行うものなのですが、蛙油キズナインはそれに匹敵する効能を発揮したのでした。
更に…。
【もう傷は大丈夫なの】
【これを飲んでゆっくり休んでよ】
すずとランカは飲み薬も用意していました。
注ぎ口の付いた樽を二人で持ち上げると、こぼさない様に少しずつ口に流し込みます。
【…お、おおお。この薬は…】
彼は無意識に声を上げていました。
【“マンドラゴラの根”を煎じたのか? お前達、こんな貴重な薬をこんなに沢山…】
【貴重? そんな高価な材料使った?】
すずの問いにランカは首を横へふります。
この薬はかめやで常時販売されている栄養ドリンク剤“まんごらZ”
確かに貴重な生薬“マンドラゴラ”を文字った名前がついていますが、材料はごく普通に用意出来る安価なものを使ってます。
長年研究された調合レシピと一子相伝のまじないが成せる業なんですよね。
【病み上がりの時とか連続で試験の日に、アタシはコレをよく飲むよ】
元気がみなぎってくる滋養強壮と栄養補給のマストアイテム。
アクティブに動きたい時のサンライズと、おやすみ前に飲んで疲れを癒すムンライトの二種類があります。
【そうか…うむ…いいカンジだ。だいぶ楽になった気がするな】
身体の細胞の一つ一つに、水分とエネルギーが吸収されてゆく感覚。
それは空腹と孤独と寒さに閉ざされた闇夜に、不意に渡された温かいスープ。
交流を断って百十余年。
竜族には信じられないスピードで、人間の文明は発展している様です。
彼は猫の様に丸くなると静かに瞳を閉じました。
【お前達には感謝している。少し休ませてもらおう】
過去の事と頭では分かっていても、人間を侮蔑し懐疑的な自分。
若い頃は義勇に駆られて戦争に参加もしました。
戦友を失ったあの日。
本当に人間を滅ぼしたいと願いました。
『愚かなのは俺かもしれんな…』
彼女達はこんなにも親身に自分を助けようとしてくれている。
彼は深呼吸をすると、吸い込まれる様に深い眠りへ落ちていきます。
竜言語と魔法語
次の日。
すずとランカは再びドラゴンの元へ来ていました。
彼は伏せをする格好で彼女達に目線の高さをあわせます。
それは誇り高い竜族の彼が、二人を対等の存在であると認めた瞬間。
【世話になったな。この通り傷は完全に癒えた】
そう話す彼は起き上がると翼を大きく開いて見せます。
薬の効果も有りますが、竜族の生命力は凄いのですね。
傷はすっかりふさがり、鱗の一片に至るまで完全に復元されています。
【力になれて良かったの】
今回の事件も無事解決しました。
ただ怪我を治してあげる事が出来ただけではありません。
もしかしたら、この出会いが永年に渡る憎しみの関係を断つきっかけになるかも知れないのです。
二人はお決まりのハイタッチをして喜びを分かちました。
そして、それはドラゴンにとっても同じ事。
昨日は一刻も早く立ち去りたいと思っていたのに、今は帰るのが名残惜しくて仕方ありません。
勿論、人間全てを見直した訳ではありませんし、長く留まるのは危険に思えます。
が、少なくともこの二人は信用出来る。
確信した彼は恐怖より好奇心が勝ったのでした。
訊きたい事が山程あるのです。
【何故だ? お前達はこうも巧みに竜言語を話す事が出来るのだ?】
・・・・・・。
さっそく意味が分かりませんが、言葉の誤解は直ぐに解けました。
人間が魔法語として使っている言葉こそ竜言語そのものだったのです。
古の時代、人間は竜族から魔法が伝わり、魔法文明が起きたとされていました。
文明発祥の介入者は竜族という定説です。
彼等から教わったのは魔法式の基本のみ。
そこから実験・発明・昇華を繰り返し、長い年月をかけて高度なレベルに発展したのでした。
今の人間は竜族に負けない魔法文明を誇っています。
その結果、魔法語として発展した言葉が
元の竜言語に近づいた様です。
感覚的にはお互い緩い方言を聞いている感覚なのでしょう。
所々、違和感があるのですが大筋は理解出来るといった感じです。
そこまで解釈が進んで、やはり彼は驚かずにはいられません。
人間にとっては長い長い文明を辿る歴史。
しかし、それは竜族の歴史に比べれば、とても浅く短い時間。
【我等に並ぶ日も近い…、いや既に追い越しているかも知れんな】
ふと笑いが込み上げてきました。
君影草と魔法の365日-第4話