砂漠の潮
渇いた地
身を焦がすように照りつける太陽。
遠くの景色は熱で霞み、見えるのはただただ砂と空だけ。
ここはアララマニ砂漠。
私は、この先の砂の皇国に嫁ぎに行く。
事の発端は、「晴れの大国」リヴィウス1世がこの世界を征服したことだ。
私の故郷「雨の公国」は遠く東の果てにある国で、鎖国することにより平和を保っていた。
その「鎖国」が世界征服によって脅かされようとした時、リヴィウス1世が「取引」をもちかけてきたのだ。
「条件」を飲めば、雨の公国の自治を認めよう。と。その「条件」が私達四姉妹のうち、1人が「砂の皇国」へと嫁ぐこと。
砂の皇国は砂漠の中にあり、少雨化が深刻な問題となっていた。
同盟国の危機を重く見たリヴィウス1世は、「天候を操る秘術」をもつ私達の国に目をつけた。
「開国」と4姉妹の内の1人の「婚儀」どちらを優先すべきかは、明らかだった。
雨の公国になかった眩しすぎる太陽に目を細め、空気を吸い込む。
(ここは本当に空気も空も渇いてる。こんな場所で、仲良くなれるのか?)
空と仲良くなれるのか、不安に思いながら砂ばかりの景色を眺めていると、前の方がわずかに賑やかになった。
「ニケ様!もうすぐ王都テラキアにつきますよ!」
キャラバンを率いる隊長が嬉しそうに声を上げる。
(ここまで来たんだ、もう覚悟を決めるしかないな)
私は一層しっかりと手綱を握って、王都の門をくぐった。
門をくぐった先は、別世界だった。
忙しく走り回る人、にぎやかな市場。活気にあふれる街。
「すごい・・。」
思わず声を上げると、隊長は自慢げに話し始めた。
「ここはオアシスロードがありますからね!山海の幸から、極上の絹!
草原の酪農品に工芸品!なんでも揃いますよ!」
説明を聞きながら、ニケ達は市場の中を進む。
見たことのない数の人、見たことのない品々にニケが目を奪われているとふいに大きな声がした。
「おいっ!!!雨の公国のキャラバンだな?!」
見るとそこには褐色の肌をした少女が一人。
隊長が頷くと、少女はフンっと鼻を鳴らし後ろの荷台を覗き込んだ。
「おい!ニケ姫はどこだ?いないじゃないか!!」
ワナワナと身体を震わせて怒りを露わにする少女。
「姫はどこだ!おい、そこの端女!聞いてるのか?!」
端女と呼ばれて困惑するニケ。
砂埃にまみれたマントとブーツ、装飾品も身に着けず、ラクダにまたがる様は使用人と勘違いされても仕方ない。
「あ、あのぅ…、その、ファラハ様?」
遠慮がちに話しかける隊長をキッと睨み付けるファラハと呼ばれた少女。
「こちらのお方が、その、雨の公国公女、ニケ様です」
おずおずと伝える言葉を聞いてファラハは目を見開いた。
(嘘だろう?!この女が?)
「雨の公国第四公女、ニケ・ルメルシエだ。」
ニケはマントのフードを脱いで手を差し出した。
「よろしくな!ファラハ!」
「…本当にお前がニケ姫なのか?」
明らかに疑いのまなざしを向けるファラハ。
「本当だって!ホラ、ここに公国の手紙もあるぞ?」
あわててバックから手紙を取り出すニケを見て、ファラハはため息をついて踵を返し足早に歩きだした。
「ついてこい、雨の姫。城に案内する」
その背中には「お前を信じたわけじゃないぞ」というオーラがにじみ出ていた。
少し戸惑いはあるものの、付いていくしかないのでニケはあわててその背中を追いかけた。
対面 イラーダside
「太子様、例の雨の公国の姫って人、連れてきましたけど…」
不服そうに報告するファラハに疑問を感じて、私は尋ねた。
「けど…?」
ファラハはバツが悪そうな顔をしている。きっと言いにくい事なんだろう。
幼い頃からの癖がいつまで経っても抜けていない。
「どうした?ファラハ?」
「太子様、…あの姫ってやつなんか怪しいんだ。
姫様だっていうのにラクダに乗って砂まみれで身なりも整えてないし。
…太子様には野蛮すぎると思うんだ」
思わず、少し笑ってしまった。
「ファラハ、お前がいい印象を持たなかったのはわかった。
しかし、長旅だったんだから身なりが整ってなくたって仕方ないだろう?
大丈夫、さて、会いに行こうか」
晴れの大国からこの婚儀の話が上がった時、喜びも何もなかった。
確かにこの国は少雨の影響が著しく、今年に入って3つの町が砂漠に飲まれた。
リヴィウス1世が我が国を案じて下さるのはありがたい事。
聞けば公女は雨を操ることが出来るとか。
だがしかし、この渇いた地でなにが出来る?
砂漠化のスピードに我々でさえも飲みこまれそうなのに…。
「太子様?」
不安そうな顔でこちらを見つめるファラハ。
「大丈夫だ、さ、行きますよ」
私は公女の待つ部屋へのドアを、ゆっくり開いた。
対面
奥の扉が開く音がして、足音が近づいてきた。
私は頭を下げたまま、運命の時を待つ。
(この足音の主が、私の、運命…)
「貴女がニケ様…ですか?
…どうぞ頭を上げてください」
少し高めの声。
緊張しながら私は顔をあげ、目を開いた。
声の主はサラサラとした黒髪に、神経質そうな口元。
背は高く、細身なのに迫力がある。
纏っている空気は冷たく、言葉は柔らかいのにどこか棘を含んでいた。
「…雨の公国、第四公女ニケ・ルメルシエです」
(あぁ、あまり歓迎されていないのか…)
気後れしながらも挨拶をする。
「遠路はるばるようこそ砂の皇国へ。 私はイラーダ。
イラーダ・キ・アークです。さぞお疲れでしょう?ひとまず今日はゆっくりとお休みください」
有無を言わさない笑顔でにっこり微笑むと「ニケ様を案内してさしあげろ」と一言残し、足早に去って行った。
うんともすんとも言えぬまま、私は突っ立ってその姿を見送るしかなかった。
太子の第一印象は?と聞かれたら私はこう答えるね。
冷たい奴!20日以上もかけて来た花嫁に一言って!一言って!
…でも、綺麗だと思った。太子の瞳は宝石のように真っ青で、飲み込まれそうな、と形容するにふさわしいものだった。
こうして、(最悪な)対面を終えて私の皇国生活は始まったのだった。
婚儀の意味
皇国に来て、1週間が経った。
結婚式は2か月後。
太子とは食事を共にするぐらいで、とても結婚する間柄とは思えぬ関係性だった。
「このままじゃ、ダメだよな…」
ニケは意を決して、執務室のドアを叩いた。
「ハイ?」
「ニケです。太子様、いまよろしいですか?
お話をさせて頂きにきました」
やや間があって、「どうぞ」とドアが開けられた。
「お話とは?」
お茶を渡しながら、太子はニケの正面に座った。
「あの、なんだか…、場違いな気がするんだ」
「場違い…ですか?」
「この婚儀は、晴れの大国が主導となって決められたものだ。
私はそれでも、受け入れて太子様の嫁になりに来た。
だけどっ、なんていうか、…歓迎されてないという、か。
そうなんだったらハッキリ言ってほしいんだ。あなたの為にも」
太子は意外そうに眼を見開き、意を決したように話し出した。
「確かに、私は正直この婚儀、乗り気ではありません。
砂漠化が急速に進み、民は疲弊し貧しい者から倒れていく。
そんな時に婚儀など…という感情もありますし…」
言葉を濁す太子にを前に、ニケはどうしても婚儀の意味をはっきりさせたかった。
「太陽王が、私をここに嫁がせたのは雨の為だろう?」
「えぇ、あなた方の一族は天候を操れる、と聞いています」
ため息を吐きながら、太子は答える。
無表情で何を考えているかわからない。
「なら、なにか手伝わせてくれっ!
アメフラシは簡単に出来る事じゃないけど、なにか他に出来るはずだっ!」
アメフラシ、の単語を耳にした途端、太子の表情が変わった。
「ニケ様、…ふざけないでいただきたい」
「っ!ふざけてなんかっ!!」
「失礼、仕事が溜まっていますので今はお引き取りいただけますか?」
ニケの言葉を遮るように太子は言い放ち、押し出すようにドアを閉めた。
「なんで、だよ…」
(私がここに嫁いできた意味は…あったのか?)
あれから、太子様は余所余所しい。
私との結婚がやっぱり嫌なのか?
話をしようとしても避けているのか取りつく島もない。
「…このままじゃだめだ。もう1回、ちゃんと話をしないと」
ニケは深夜、太子の部屋へ向かった。
―
コンコン…。
ノックの音でイラーダは目覚めた。
(こんな夜更けに…なんだ?)
「誰ですか?」
ドアの向こうから「私です」とニケの声がした。
「…こんな夜中に男の寝所へ来るとは、少しは警戒したらどうです?」
「日中は、政務などでお忙しそうだったので…。
どうしても、お話したいことがあるんです。入れてくださいませんか?」
ため息を吐いて、私はドアに向かい、ニケ姫を招き入れた。
「で、なんです?話って」
「私の話の中で、なにかしてしまったのではないかと思って」
「…特に、なにもありませんよ?」
「この間、アメフラシと言った時の太子様の顔が、私には寂しそうに見えたんだ...」
ドキリとした。ニケ姫はこちらを見ずに話を続ける。
「だから、そういう思いをさせてしまったのなら、あやまりたくて」
そう言ったニケ姫の目からはボロボロと涙がこぼれ落ちていた。
これは―、話すしかないな。
「ニケ姫、私達の国は知っての通り、国土の大半を砂に覆われた、しかしとても歴史の古い国です。
大国ほどの豊かさはありませんが、点在するオアシスに街をつくり、流通を発展させ、そうして悠久の時を紡いできました。
しかし、少雨化の影響でオアシスが急激に涸れ、町もいくつか砂漠に飲まれています。
水は、私達にとって命そのものです。ただ、あなたの国では違った。いわば奇跡を、術として扱っている。
それが、その事が悲しく、また悔しかったんです」
「ぁ…、ごめ」
「ニケ姫、憐みなら、見当違いです。私達は「持たざる者」だが、一滴の水の美しさが誰よりもわかる。
それだけで、私達はこの国に生まれたことを誇りに思ってるんです。
あなたを傷つけるつもりはなかった。それは、あやまります」
「私、なにも知らずに…ごめんなさい。知らなかったとはいえ、あなたを傷つけた…」
「いえ、私の方こそ。すみません。辛く、当たりました。
…もう夜も遅い、寝所までお送りします。今日は、お休みください」
女性の涙は、苦手だ。
ニケ姫が泣くと思っていなかった。最初に会った時から、芯の強さをにじませていたからだ。
ニケ姫の寝所の前まで来たとき、思いもよらない事を言われた。
「正気ですか?」
「あぁ、私は本気だ。だから、お願いだ」
さっきまで泣いていたのが嘘かのような力強い瞳。
「…わかりました。ただし、大変ですよ?」
ニケ姫は「大丈夫だ」とにっこり笑って寝所へと入って行った。
砂漠の旅
ニケ姫が私に願ったのは「この国の全てを見たい」だった。
国土の大半を砂漠におおわれた我が国の全て、ということは、必然的に砂漠を長期間旅しなくてはならない。
女性、ましてやこの国の人間ではない者には過酷な旅となる。
それら全てを踏まえた上でなお、ニケ姫は旅の同行を願い出たのだ。
「まったく、無茶苦茶なことを言うよなー。
砂漠を旅したいだなんてさ!」
ラクダに跨りながら、ファラハがボヤく。
敢えて同意も否定もせずに、先を行くニケ姫を見やる。
彼女は大粒の汗をかきながら空を眩しそうに見つめていた。
「水はちゃんと飲んでいますか?」
ラクダを急かし、ニケ姫に並んで声をかける。
「あぁ、ちゃんと飲んでいる」
暑さのせいか、顔を真っ赤にしながら答える。
「ここは、すごく暑いでしょう?身体は辛くありませんか?」
「……辛くないって言ったら、嘘になる…。
でも、これがこの国なんだから私が馴染んで行けばいいと思ってるんだ!」
そう笑ったニケ姫の顔は、太陽のせいか眩しくみえた。
初対面の時から、印象に残っているのは彼女の瞳。力強く、光を放っている。
そしておよそ一国の公女らしからぬ自由さ。
そう、圧倒的に彼女は自由なのだ。
呪いのようにあの女の声が頭に響く。
―――――――
「…自覚しなくてはなりませんよ。あなたはこの世界で最も古い皇族の血を継ぐ者。
もっとも尊い一族なのです。下賤な大国等とは格が違うのです。太子らしくありなさい」
―――――――
(太子様?なんか、顔が怖い?)
ふと後ろを見やった時に太子様をみた。おもぐるしい顔をしている。
一緒に旅をしだして暫く。太子様は、いつもどこか寂しげで遠い目をしていることが気になっていた。
(これだけの国、そして民を守っているんだし…街が飲まれていってるのだから当然、か…)
「風よ…、おいで…?」
ヒュゥゥゥッ!っと風が顔を撫でて通り過ぎた。少しは仲良くなれたんだ。
太子様のお役に立てると、いいんだけどな。
砂漠の潮