サイビスターを探す夏
2008年頃作 保管用です。
岩尾丸さん
こんばんわ。土曜日の件につき、今朝はメールでのご連絡をどうもありがとうございました。
今回の日帰り山梨ツアー! 僕も本当に心待ちにしていました。今週は月曜日から心が浮ついてしまって、仕事が全然はかどりません。
土曜日、絶対に採って帰りたいですよね! 企画の立案から何まで、この度はすべてを岩尾丸さんにお願いする形になってしまって、大変お手数をおかけしています。当日はハッスルしまくりで網、振りまくっちゃいましょうね!
何か用意などで僕にご協力できるようなことがあれば、ぜひ何なりと申し付けてください。最近ちょっとだけ良いデジカメを購入したので、カメラマン役はまかせてください。岩尾丸さんや赤トンボさんとお会いできるのを、今からすっごく楽しみにしています。
それでは当日の朝、中野駅前のロータリーで! 目印は虫捕網で十分ですよね(笑)。色々とよろしくお願いします!
追伸
Cybisterって本当にきれいでカッコいい名前だと思います。シャープで、透き通るような響きがあって。最高のネーミングだと思います!
シロ、こと白井ケンジより
口がニヤけてきてしまう。
終しまいに自分の携帯番号を打ち込んでから、内容をもう一度だけ読み直して、ケンジはメールの送信ボタンを押す。ドットの粗いアニメーションが流れて、手紙をくわえたペリカンの郵便夫が、バタバタと頼りない感じで携帯の画面上からとびたっていく。無事送信が済んだのを確認して、ケンジは夏らしい青草色のボディーをした缶ビールのタブを空ける。
思わず、プハアと息づきながら、苦い快楽を嚥下する。ライターを擦って、メンソールのハイライトに火をつける。ケンジにとって、一日で十分だけの弛緩の時間だ。硬い伸びをして時計を見ると、二十四時半を過ぎている。仕事を終えて、部屋に帰って。シャワーを浴びて、たばこを吸って。それからたった一本のメールを打っているだけでこんな時間になってしまうのだから、ケンジのやっている装丁屋という稼業も、なかなかにハードな部類に入るのだろう。食欲はゼロ。冷蔵庫からつくり置きのシーザースサラダを取り出して、半ば義務的に腹のなかへと押し込んでしまえば、ケンジの一日はおしまいだ。後は歯を磨いてベッドの上に倒れこむだけ。バタンキュー、スーで眠りに落ちる。この時間から意気揚々とテレビをつけてバラエティやスポーツ番組をチェックするような輩のタフさが、ケンジにはとても信じられない。
仕事に不満はまったくない。憧れて苦心してようやっとのことで入ったデザイン事務所なのだし、ボスや同僚たちにも恵まれている(もっとも、瞬間沸騰器型ともいえるボスの気性の荒さには、時おり難儀もさせられるが)。入社して五年。月に五本はオリジナルの仕事も任せてもらえるようになって、その出来にも少しずつ自信が持てるようになってきた。だからもちろん、誰に文句をつけるつもりもないのだけれど、さすがに体調の方は正直だった。ボスのアシスタント的な業務から、自分の担当する作品の装丁まで。元々の仕事量からが凄まじいことに加えて、ここ連日の厳しい大暑が、身体と頭を弱らせていた。
だが今夜は、いや今週だけは違うのだ。冷蔵庫から二本目のハイネケンを取り出してきて、ソファに体を投げ出した。
軽い飲み口を楽しみながら、ケンジは携帯の受取メールの履歴をひらく。送信者欄に「岩尾丸さん」の名前を目にするだけで、心は抑えようもないくらい浮き立ってくる。まさか恋ではないだろうなと、思わず苦笑をもらしてしまう。今日の午前中から、仕事の合間をみつけては幾度となく目を通してきた「かれ」からのメールを、ケンジはもう一度だけ読み返してみる。
シロさん、赤トンボさん
皆様、おはようございます! 岩尾丸こと、岩田アキラです。
待ちに待った? ゲンゴロウ採集ツアーも、いよいよ明後日の土曜日にせまりましたね。虫捕網(とにかく頑丈そうなのを選んでください。釣具屋さんで売っているタモ網がお勧めです)やゴム手袋、ゴム長靴など、お道具の準備はお済みでしょうか?
貯水池のなかの黒ダイヤ。水生昆虫の王様たるゲンゴロウ。ぜひとも今回は天然物のすごく可愛いやつを(もちろん三人全員で)ゲットして帰りたいところですよね! シロさんはお仕事、赤トンボさんは学校の勉強でお忙しいなか、このような中年ニート(今年で33になりましたッ、大汗)積年の夢にお付き合いくださって、感謝も感謝、本当に大感謝の至りでございます(涙)。
ゲンゴロウって、学名だとサイビスターっていうらしいですね(もし、ご存知でしたらすいません)。
Cybister。何だか夢みたいにきれいな、まるで宝石みたいな名前じゃありませんか。僕はこれを知ったときに、ほんのちょっぴりとですが感動してしまいました。
さてさて。余計なおしゃべりはこれくらいにして、土曜日の集合場所等についてお知らせしますね。
朝が早くて恐縮ですが……
…………
………
つよい睡魔が錘のように、ケンジをズルズル引っ張りはじめる。大事な明後日にそなえる意味でも、無為な夜更かしは禁物だった。いつも通りの5時半に目覚ましをセットして、部屋の明かりを落とす。頭をゆっくりと枕に投げて、ケンジは心地よい眠りへの流れに身をゆだねる。
………
………
ケンジのとじたまぶたの裏を、一匹の丸っぽい影が横切っていく。
「やつ」独特の、スムーズですばしっこい泳ぎ方だ。
ゲンタロウ。ケンジは思わず呼びかけてしまう。ずいぶん久しぶりじゃないか、元気にしてたか、ゲンタロウ。
いつしかケンジは夢をみている。
ケンジがゲンタロウといたころの、幸せで暖かだった季節の夢だ。
場面は変わって、ゲンタロウは流木の上にのぼって甲羅ぼしをしている。
気持ちがいいか、ゲンタロウ。ケンジは優しく呼びかけながら、人差し指の先でそっと背中をなでてやる。驚いたゲンタロウが、あわてて跳ねるように水草のなかへもぐり込んでいく。
ごめん、ごめんなゲンタロウ。おまえの好きな煮干をやるから許してくれよ。
ケンジがゲンタロウを飼っていたのは、かれがまだ大学のデザイン科で学んでいたころのことだから、かれこれもう六年も七年も前の話だ。リビングの水槽で飼っていたランチュウが死んでしまったので、ケンジは駅前デパートの熱帯魚売場へ新しい金魚を買いにいった。そこでケンジはたった一匹きりで売りに出されていたゲンタロウと出会ったのだった。
ゲンゴロウ。その名称と黒っぽい流線型の姿かたちこそ、おぼろげに知ってはいたものの、東京の都心で生まれ育ったケンジにとって、実際に生きて泳いでいるゲンゴロウを見るのは生まれてはじめての体験だった。
それはケンジの一目ぼれだった。まるで天才スキューバダイバーのように颯爽と水を切っていく泳ぎ方と、コリー犬を思わせるつぶらで愛らしい瞳に惹かれた。
一匹三千円という価格の良し悪しもつかぬまま、ケンジはただちに購入することを決めた。ゲンタロウという名前もそのときすでに決めていた。
「ゲンゴロウは雑菌を殺すために水から出て甲羅ぼしをするから、こういう流木は不可欠なんだよ。ほら、このなかから長っ細くて棒杭みたいに立てられるのを選ぶといい」
三船敏郎を思わせる立派な顔つきをした老人の店員は、こういうことを教えるのが好きで好きでたまらないといった表情で、いくつもの飼育のためのアドバイスを与えてくれた。
「投げ入れ(式の濾過装置)は持ってるのかい? そうかい。可愛いコイツを酸欠させちゃかわいそうだからね。週にいっぺんはきちんとフィルターの汚れを落としておくこと。水の入れ替えも週にいっぺん必ずね。水道水だったら、できるなら丸二日は寝かせたやつを、水槽の半分ずつ入れ替えていくのがいいと思うよ。後は、えーとね。水草も欠かせない。たっぷりと入れてやれば水がきれいになるだけじゃなくて、ゲンゴロウが落ちついて休むための寝床にもなる。こっちのオモダカとかコナギやなんかがお勧めだろうね。エサは、そうだな。肉食性だから、本当は、弱ったバッタとかドジョウやなんかがいいんだろうけど、小魚の煮干だって十分だよ」
老人は最後にもうひとつだけ、といって「食べ残した餌は、すぐにとりのぞいてやることが大事」だと教えてくれた。水が悪くなる原因になるので、これも必ず守ってほしい、とのことだった。まるで手塩にかけた愛娘を手放す実の父親のような真剣さだった。大切に育てることを約束して、ケンジは何度もお礼をいった。
止まり木用の流木と、たっぷりの水草。小魚の煮干が詰められたパック。それに数片の水草とともに透明のビニール袋へ入れてもらったゲンタロウをもって、ケンジは慎重に家までの自転車を走らせた。
元よりランチュウを買って帰るつもりだったので、すでに数日前から水槽には水を張ってあった。
一刻もはやくゲンタロウを水槽のなかに入れてやりたかった。気が急くのをおさえて、ケンジは人肌ほどの温かさの水槽のなかに、流木と水草をセットした。最後に投げ入れのスイッチを入れ、空気が水中に勢いよく噴き出しはじめたのを確認して、ようやく準備は整った。
「おい、ゲンタロウ。ここが新しいねぐらだぞ」
ウキウキと呼びかけながら、ゲンタロウの入ったビニール袋をゆっくりと水にひたして、ほどきをとく。
ゲンタロウは、空へはばたくツバメのような機敏さで、矢のように水槽のなかへ飛び出していった。元気いっぱいに水をかいて、新しいねぐらのなかを探ってまわるゲンタロウ。おしりの先を水上に突き出して、そのビリジアングリーン色の羽の裏に呼吸用の空気を取り込む姿が、サーカスの軽業師のようでおかしかった。
ビニールパックから煮干をひとつ取り出して、指でほぐしながら入れてやると、ゲンタロウは両手でその一片を受け取って、さも嬉しそうな感じでほおばりはじめた。食事をするアライグマを思わせる、とても可愛らしいしぐさだった。
ゲンタロウがはじめて家にきたその日。ケンジは夕飯とトイレにいくときをのぞいて、ずっと水槽の前に釘付けになっていた。そのコミカルな遊泳術は、たとえ朝がくるまで見つめ続けていても、決して見飽きることはないように思えた。
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釣具屋で買ってきた柄がアルミ製のタモ網に、母が家庭菜園用に使っている青いバケツ。でかでかと膨らんだボストンバッグのなかには、ゲンゴロウを持ち帰るためのタッパーと、釣り用の丈の長いゴム長靴が入っている。これで麦わら帽子でもかぶってくれば、間違いなく夏休みの小学生だな、とケンジは思わずおかしくなる。
総武線で中野駅についたのは、約束の七時の三十分前。改札を出て空を見上げると、一片の雲さえない、完璧な八月の朝の空が広がっていた。
ロータリーを見渡してみる。さすがにまだゲンゴロウツアーズらしき面々の姿は見当たらなかった。
早朝にもかかわらず強い熱気をはらんだ日差しにあぶられて、たちまち皮膚から洪水のような汗が噴き出しはじめる。向かいのドトールでアイスコーヒーでも飲もうかと歩きはじめたところで、ロータリーの片隅に一台のワゴンカーがとまっているのが目に入った。岩尾丸さんが、父親に借りてくるといっていたグレーのレガシーだった。あれだ、と思って近づいていくのと、レガシーのドアが開いて、ちょっとばかりお腹の太いTシャツの男性が降りてくるのがほぼ同時だった。
思わず、大きな声を出していた。
「おはようございまーす! 岩尾丸さんですよね」
赤いバンダナ姿でセルフレームの眼鏡をかけた男性が、急いでケンジの方を振り向いた。アッ、アッ、アッ! とひどく慌てた顔をみせて、それからちょっとだけ気後れしたような照れ笑いを浮かべて、その岩尾丸さんらしきひとは挨拶した。
「オッオッ、おはようございます。ひょっとして、シロさんですか」
こちらも満面の笑顔をみせて、ケンジはうなずく。
「ずいぶん早いですね。おはようございます」
ひと目でメールでの文面どおりの人の良さが伝わってくる、小ぶりな、ひどく優しそうな目をしたひとだった。
「ええ、いや。あはは。ちょっと憶測を見誤ったみたいで」岩尾丸さんは、また例の照れくさそうな微笑みを浮かべて、「間抜けなんです」
そのずんぐりとした体格からは想像もつかないような、繊細な声を出すひとだった。
トランクスペースに持ってきた装備を入れてもらって、いくつかの差しさわりのない話題を交わしてから、ケンジは沸きたってくる好奇心をおさえきれずに尋ねた。
「岩尾丸さんは、今回みたいなゲンゴロウ採りにいくのって、はじめてなんですか。ほら、メールとかで随分いろいろなことを教えてくれたじゃないですか。すごくよく知っている方だなあと思ったので」
岩尾丸さんは、いやあ、アハハと苦笑しながら、
「去年の夏に何度かですね、千葉の我孫子とか君津のあたりに採りに出かけたことがあるんですよ。あのころは、ゲンゴロウがどこにいるのかなんて皆目わからなくて、田舎にいけば何とかなるんじゃないか、くらいの感覚だったんです。田んぼの用水路とか、川辺とか、いろんなところに網を入れて試してはみたんですけどね。惨敗でしたねえ」
ハッハッハと、ハンカチで噴き出してくる首筋の汗をぬぐいながら岩尾丸さんは楽しそうに続けた。
「カワエビだとか、ドジョウだとか。こんなに小っちゃなマメゲンゴロウの仲間やなんかは採れたんですけどね。ナミゲン(注:ナミゲンゴロウ。いわゆるゲンゴロウのこと)になると難しかったですね。ゲンゴロウは農薬に弱いから、やっぱりその辺の田んぼやなんかだと厳しいみたいです。昔はたくさんいたって聞いたんですけどね」
「そうですか、確かになあ」とケンジはうなずいて、
「僕もいろいろとネットで調べてはみたんですけど。関東でゲンゴロウを採るのって、今じゃ相当難しいみたいですね。よっぽど山奥のため池だとか、休耕田っていうんですか。そういうところまで出かけないと、ナミゲンは無理だって、どこかの書き込みにもあったような気がします。穴場みたいなところって、ネットでもなかなか教えてもらえないんですよね」
「今回いく場所っていうのはですね」
まるで貴重な財宝の在り処でも耳打ちするような秘密めいた声いろを使って岩尾丸さんは話した。
「メールでもお伝えしたとおり、韮崎のちょっと北の方で、原野辺っていうところなんですけど。じつは少し前からインターネットで仲良くなった昆虫ショップの方に秘密で教えてもらったところなんですよ。ここがものすごい穴場らしくて、去年もそこでそのひとは、なんと二十何匹も採ったんですって」
二十匹と聞いて、ケンジは思わず目を見開いてしまう。
「その方がね。ゲンゴロウのブリーディングなんかもしているすごいひとで。今年も十何匹孵(かえ)したらしいんです。それで僕にも、そのなかの何匹かを譲ってくれるっていってくれたんですよ。そりゃあ嬉しかったです。この際だからもらっておこうかなぁ、ご好意に甘えさせてもらっちゃおうかなぁ、なんていう気持ちもじつはすっごくあったんです。でも。でもですね。僕はどうしても、この手で天然のゲンゴロウを採ってみたかった。できる限り精一杯の努力をして、苦労をして、そうやって自分だけのゲンゴロウを手に入れてみたかったんです。今じゃインターネットでも買うことができるみたいですけど、それって何だか、人の手で育ててもらったキャラクターを使ってゲームをクリアーするようなものじゃないですか」
岩尾丸さんはかれなりの哲学を込めて続けた。
「何だか大げさな話になっちゃいますけど、そういう体験って絶対に忘れられないものになると思うんです。ひとつの勲章みたいな思い出になるんじゃないかって。今回こういうイベントを企画させてもらったのも、そういう訳があったんです。だから、シロさんや赤トンボさんが面白そうだって。参加したいっていってくれたときは本当に嬉しかったんです」
「もちろん。僕だって、すっごく嬉しかったですよ」
ケンジもまた熱っぽい声を出してこたえた。
「僕も昔、店で買ったやつでしたけど、一匹ゲンゴロウを飼っていたことがあって。そいつは可愛そうに冬を越すことができずに死んでしまったんです。僕がだらしなかったせいで死なせてしまったというか。あれ以来、いつか絶対に天然のゲンゴロウを採りにいきたいなって、心のどこかでは思っていて。でも、どこに採りにいけばいいのかもわからないし。なかなか現実に出かける機会がとれなかったんです。だから、今回岩尾丸さんにお誘いの言葉をかけてもらって、本当にありがたかったと思ってるんです」
「いやあ、いきなり熱くなっちゃいましたね」岩尾丸さんは、また元の照れくさそうな笑みを浮かべて、腕のスウォッチに目をやった。「45分か。さっきメールがあったので、もうじきに赤トンボさんもいらっしゃると思いますけど」
そういって、なぜだか岩尾丸さんはフフフ、と曰(いわ)くありげな微笑をもらした。
五分ほどして、大きな虫捕網をもったその赤トンボさんらしき人物がロータリーに現れたとき。すぐにもケンジはつい先に岩尾丸さんがもらした微笑の意味に気がついた。
「岩尾丸さん! ひょっとして、あの、赤トンボさんって女の子だったんですか!」
岩尾丸さんはしてやったり! とでもいいたげな目つきでうなずいて、
「天下の女子大生。僕も昨日になってようやく気づいて。こんな企画に、嘘みたいな話でしょう」
岩尾丸さんが手をあげる。
小さくこちらに振り返して、ジーンズをはいた赤いスポーツキャップの女の子が、小走りになって駆けてくる。
ケンジはふいに、胸のすっぱくなるような緊張感にとらわれた。とても失礼な偏見には違いないが、こんなむさくるしい男衆ふたりに混じって、それもわざわざ山梨までゲンゴロウを採りにいきたがる女の子なんて、やっぱりどこか変な感じだ。インターネット掲示板でのやり取りを通じて、赤トンボさんの人柄の温かさや育ちの好さはケンジにもよくわかっているつもりだった。だからこそ、ケンジは赤トンボさんの顔を見るのが怖かった。抑えたつもりでも、無意識のうちに顔に失望の色が浮かんでしまうのを恐れたのだった。
「おはようございまーす!」
元気いっぱいに弾んだ、甘いサクランボみたいな声がした。
何となく気後れしたような挨拶を返して、そこでケンジは大ショックを受けることになった。
か、可愛い! まさか夢でもみているのじゃないかと疑うくらいに、赤トンボさんはとても愛くるしい顔をした女の子だった。
「ごめんなさい! お二人とも何時ぐらいからここに着いてたんですか!?」ちょっぴり息を切らしながら、赤トンボさんはあわてた感じで頭をさげた。それから交互に微笑みかけて、「岩尾丸さんに、シロさんですよね。わたし、今日はちょっとご迷惑をかけるかもしれませんが、がんばりますので。どうぞよろしくお願いします!」
もちろんです、と返してケンジは隣の岩尾丸さんの顔を見る。おかしいことに、かれもまた驚愕を隠すことのできない表情だった。ほどよく焼けた健康的な感じの素肌と、キラキラ輝く涼しい瞳が眩しかった。ショートカットのよく似合う、スポーティな感じのする女の子だった。
「アッ、アッ、暑すぎですよね。わ、わたし、そこでコーヒーでも買ってきましょうか」
唐突に、岩尾丸さんが裏返ったような声を出していった。わかりやすいくらいの動転ぶりにケンジはぷはっ、と噴き出してしまう。
赤トンボさんもおかしそうに笑って、「だ、大丈夫です。わたし、お水を買ってきたので」
「そ、そうですか。そうだそうだ。確かに僕もお茶を持ってました」
岩尾丸さんのあわてっぷりがおかしくて、三人そろって笑いあった。
ケンジはとても嬉しくなった。岩尾丸さんも赤トンボさんも、まったく今初めて会ったばかりのひとだという感じはしなかった。まるで長年来の大切な友達ふたりと小旅行にでも出かけるような、ケンジはそんな胸はずむような気持ちになってきた。
「しっかし、シロさん。驚きですよね。まさか赤トンボさんが女の子だったなんて」
ゆっくり車を動かしながら、先よりは幾分かリラックスした様子になって岩尾丸さんが話しはじめる。「僕はずっと、てっきり男の方だとばかり思い込んでいて。だから、昨日のメールでわかったときに、何だかすごく、びっくりしちゃって」
「ごめんなさい。わたし、ああいう掲示板に書き込むのってはじめてで。どういう感じで書けばいいのかってこともよくわからなかったんです」赤トンボさんは弱ってすまなそうな声を出して、「だから、普通の男のひとみたいに書けば、まず無難かなって。そういう感じで書いちゃったので」
「でも、ああいう掲示板って確かにいろんな人がくるから、下手に女の子らしい書き込みをするのよりも良かったかも知れないですよ。変に荒れてた危険もあるし」
助手席のケンジも同意して「確かに。もしも赤トンボさんが女の子だって知られていたら、今日はバスでも一台チャーターしなくちゃいけなかったかも知れませんね」
彼女はアハハと笑った後に、
「でも本当は、はじめは書き込むつもりなんてなかったんですよ。皆さんが虫の話をしているのを読んでいるだけで、わたしはすっごく楽しめてたんで。でも、岩尾丸さんがゲンゴロウを採りにいきたいっていい出されて。それでわたしもテンションがあがっちゃって、ついに」
「思い切って書き込んでしまわれたと。獣の穴に飛び込んでしまわれたと」
「でも何でなんだろう。驚きだなあ」
<こんなに可愛い女の子が>と付け加えたいのを、ケンジは懸命にこらえながら質問した。「赤トンボさんは、一体どういう事情があって、ほら、そんな虫とかに興味を持つようになったんですか」
「変わってますよね。自分でも時々、駄目だなあって思う時があるんですけど」
その明るくて人懐っこい性格をそのままに表すような気さくな声で、赤トンボさんは話しはじめた。
「わたし、子供のころに十歳くらいまで叔父さんの家に預けられていたことがあるんです。ことっていうか、ずっとだったんですけど。神奈川県の葉山っていうところに。その家のお兄ちゃんっていうひとと、わたしより三歳年上の従兄弟だったんですけど、すっごく仲が良かったんです。わたし、自分の兄弟はいないんですけど、それって五歳ぐらいからの五年間だったから、実際はかれが本当のお兄ちゃんっていう感じだったんですよね。そのお兄ちゃんが、わたしをよく山とか野原とかに虫捕りに連れていってくれて」
何やら少しばかり複雑な過去のにおいを嗅ぎ出して、岩尾丸さんもケンジも興味津々になって聴き入ってしまう。
「それで、その従兄弟のお兄ちゃんが、わたしがウマオイとかナナフシとかのちょっとだけ珍しい虫を採ると、すっごく褒めてくれたんです。おお、偉いぞ加奈子、とか。ひゃー、これってミドリシジミの幼虫じゃんか、すごいよ加奈子! とかそういう感じで。これがもしお姉ちゃんの従姉妹とかだったら、わたしも今よりは女の子らしい女の子になっていたのかもしれないですけど。だから、そういう子供のころの刷り込みって、本当に怖いものがありますよね。いつか岩尾丸さんが、ゲンゴロウのことを泳ぐ宝石みたいだっていってたことがありましたよね」
ケンジがすかさずうなずいて、「貯水池の黒ダイヤというのも聞きました」
「うふふ。わたし、その書き込みを見たときに、ああ、本当だぁ。こんなに可愛い宝石がお家のなかにいたら、わたしどんなに嬉しいだろうって。素敵だろうなって。そんな風に思ったんです。普通の女の子から見たら、正直キモー、馬鹿なんじゃないって感じですよね。もちろん、学校の友達なんかの間では、ゲンゴロウの話なんかできないですし。だから、あの掲示板を見つけたときって、わたし何だか感動しちゃって」
それから、赤トンボさんは何故だか少し小さい声になって続けた。
「ひょっとしたら、お兄ちゃんもここに書き込みをしにきてたりとかって。そんなことを考えちゃったんです」
「本当にお兄ちゃんの書き込み、あるかもしれませんよ」岩尾丸さんが含み笑いしながらいった。「あそこって、その線じゃ結構メジャーなサイトらしいですから。たまに専門の研究者みたいな人も書き込んでいるみたいだし。子供のころからそれだけ有望なんじゃ、今じゃそのお兄ちゃんも、相当な猛者になっているんじゃないですか」
赤トンボさんは控えめに笑って、それには、ただうなずいただけだった。
永福から首都高速に乗って、中央道へ。それから談合坂のパーキングエリアに入るまでの約90分間、三人はいろいろなことを語り合った。岩尾丸さんが昔夢中になっていたというすごく難しいファミコンゲームの話。赤トンボさんの好きなクラシック音楽の話。あちこちのサウナを泊まり歩くのが趣味だという、ケンジのちょっと変わった友達の話。
本当は職場での自分の失敗談や、とてもちょっとどころでは済まされないボスの相当な変人ぶりなど、ケンジにもほかに話してみたいことはあった。
しかし、現在は仕事も勉強もしていないという岩尾丸さんの状況を思うと、それをするのは酷な気がして気がとがめた。もちろん自然な感じでではあったけれど、赤トンボさんもまた岩尾丸さんに同様の気遣いをしているのがわかった。
我慢していたトイレを済ませてから、パーキングエリアのフードコートで簡単な朝食をとる。CDを稲垣潤一からミスターチルドレンの最新アルバムに交換して、再び車を出発させる。
ふと思いついたような気軽さで、岩尾丸さんがケンジの仕事の内容について質問したのは、CDが五曲目の飛び切りに明るいヒットソングに入ったときだった。
「ほら、シロさんいつだったか、仕事がすっごく大変だって書いてたときがあったじゃないですか。書き込みの時間も遅いことが多かったし。何だか、うめいている、みたいな書き込みもあって笑っちゃいましたよ。それでね。一体シロさんって、どういう仕事をしてるんだろうって気になっていたんですよ」
陰にこもったような様子はまるでない、吹っ切れたような口調だった。ケンジが答えにためらっていると、岩尾丸さんは軽快にアクセルを踏み込みながら、「僕なんか、ほら。もう二年間も無職をやってるでしょう。それで軽い引きこもりっていうか、恥ずかしいんですけど、昔の友達とかにも今さらになって会いづらいところがあったんですよ。だから、そういう話って、すごく聞いてみたかったんです。僕の友達って、そりゃ探せばなかには僕みたいなやつもいるんだろうけど、でも、ほとんどは仕事もきっちりやって、結婚なんかもいつの間にかしちゃってて、みたいなやつらばっかりなんです。とても虫捕りなんかには誘えない、っていうか。自分だけが取り残されてる感じがあったというか。合わせる顔みたいなものがなかったんですよね。でも、その一方でやっぱり誰かと話したい、いろんなことを話してみたい、っていう気持ちも心のなかにはあって。そんな遠慮みたいなもの捨てちゃった方が、絶対楽しいだろうなってことはわかってるんですけど。いやあ、何だか滅茶苦茶だな。駄目な大人の見本みたいなことになっちゃって申し訳ないんですが」
「そんな、全然!」と赤トンボさんが応じる。「そうですよ」とケンジも同調する。
「いやあ、本当すみません。でもね。要はいろんな仕事とかの話を聞いて、参考にさせてもらいたいっていうか、それでもう一回、自分もがんばり直したいなって。そういう感じで聞きたかったんですよ」
「わたしもシロさんのお仕事の話って聞いてみたい。参考にさせてもらいたいです!」
赤トンボさんにまでせがまれては、さすがに断るわけにはいかなかった。
「僕はあの、本の装丁の仕事をしてるんです。五年やってて、いまだにアシスタントみたいなものなんですけど」
「面白い! 装丁って、本の表紙のデザインとかをする仕事ですよね!」
赤トンボさんの黄色い声を甘い声援のように浴びて、俄然ケンジにも調子が入る。「そうなんです。要は出版社さんが持ってきた原稿をまず読んで、自分なりに作品のイメージっていうものを膨らまして、それから、その本にぴったりと合った表紙をつくるっていうのが仕事なんです」
へえ~、と岩尾丸さんが感心したような声をあげて、「その原稿っていうのは、全部読まなきゃいけないわけですか。小説とか、ビジネス書とかも!?」
ケンジが、ええ、いや、まあ、と答えると、
「いやあ、僕なんか月に一冊の本を読むのでも精一杯なのに。一体、月に何冊くらい読まれてるんですか」
「僕自身が担当しているのは、せいぜい月に五冊ぐらいなんで。本当にじっくりと読まなきゃいけないのはそれぐらいですけど。あとは上司っていうか、所長の手伝いのために読まなきゃいけない本がやっぱり二十冊ぐらいはありますね。その所長っていうひとが、良くも悪くも仕事の鬼って感じの人で。たった一枚の空の写真を撮るのにも丸三日間かけさせたり。一冊の装丁で十回もボツを食わされたり。それこそ、写真の撮り直しで一日に六回も写真スタジオを往復させられたことがありますよ」
「すごい、二十冊ですか! じゃあじゃあ、フォトショップとかも使いこなせるんですか」と赤トンボさん。
一応、とケンジはうなずいて、「加工はいつもフォトショップを使ってますね。締切が立て込んだりなんかしていると、下手すれば二十四時間ぶっ続けでパソコン仕事になっちゃったりとか。結構過酷な仕事なんですよ。目は確実に悪くなります。それにイラストレーターさんと打ち合わせをしたり、自分でも写真を撮りにいったりとかで、じつは土日もほとんどない感じで」
「そいつは確かに過酷ですねえ。でも、でもですよ。確実に形には残るし、本に名前とかも載っちゃったりするんでしょう。実はものすごくやり甲斐のある仕事なんじゃないですか」岩尾丸さんは何だかおかしそうに笑って、「だって、シロさん。厭なやつれ方をしてないもの」
ケンジも笑って、「それは今だけですよ。ここ何週間かは、今日というこの日があったからこそ頑張ってこれたというか。岩尾丸さんが誘ってくれたおかげですよ」
「わたしもそう! わたし先週までずっとテストだったんですけど、これさえ終われば岩尾丸さんのツアーがある、ゲンゴロウを探しに山梨にいける、って思っていたからこそがんばれたんですよ」
「やめてくださいよ」と、岩尾丸さんはくすぐったそうに返して、「僕の方こそ、さすがに自分ひとりじゃ山梨まで遠征しようとは思えなかったですよ。お二人が乗ってくれたからこそ、今日こういうツアーが立てられたんであって。だから、お二人には感謝してもしきれないくらいで。本当に本当に……」
「やめましょう、やめましょう。何だか恥ずかしくなってきちゃいますよ」
「本当ですね。本当に喜ぶのは、めでたくして三人でゲンゴロウを採ってからっていうことで」
「そうですよね。わたし、今日のために、水槽もろもろの一式をそろえて、お家に煮干まで買ってきちゃったんです。それ、冷蔵庫のなかに入れといたら、昨日間違ってお母さんが食べちゃって」
赤トンボさんの口調がおかしくて、また三人して笑いあった。岩尾丸さんが本当に楽しそうに笑っていて、ケンジにはそれが嬉しかった。
それからの一時間ほどの時間は、赤トンボさんが好きで好きでたまらないという漫画家つげ義春の話題と、岩尾丸さんが「やばいよね」と前置きしながら話した盆栽の話題で過ぎていった。
勝沼と甲府を快調に通り過ぎて、韮崎のインターチェンジを降りたのが十時過ぎ。そこから国道二十七号線を十分ばかりも北上すると、あたりは完璧な里山の風景に入った。
梅雨あけの野の空は、その芸術品的な美しさにため息が出るほど透き通って鮮やかな群青色に晴れ渡っている。両面、見渡す限り一帯に植えつけられた若い稲穂が、穏やかな朝の微風を浴びて、生きたビロードのように波打っている。開けた窓から柔らかな稲穂のにおいを乗せた青っぽい風が吹き込んできて、ケンジたちの鼻腔を甘く香ばしく、くすぐっていく。まるで焼きたてのパンのにおいを嗅ぐような、温かくて清々しい気分だった。ただ耳を済まして眺めているだけで、心が安らいでくるような光景だった。
「ケンジさん、じゃなかった。シロさん。これ、悪いんですけど」と、老朽した万屋の前で信号待ちをしている隙に、岩尾丸さんが気づかいな笑いをもらしながら一枚の紙を手渡した。「これね。家からプリントアウトして持ってきた原野辺周辺の詳細地図なんです。そこかしこに小さな池が十個くらいあると思うんですけど。ええ。今からですね、そこを一箇所ずつ回っていこうと思うんです。さすがにどの池が一番の穴場かっていうところまでは、名人から聞き出せなくて」
それにね、といって岩尾丸さんは続けた。「その年々のいろんな条件とかによって、ゲンゴロウが出てくる池っていうのも変わるらしいんです。ですから」
「楽しそう! なんだか宝探しみたい」と赤トンボさんが上気した声を張りあげる。
「そうなんです。ですから、ご面倒なんですけど、シロさんにはナビをお願いしたくて。結構マニアックな農道とかも攻めなきゃいけないようなので」
「もちろん、了解しました! 本当に探検ゲームみたいになってきましたね」ケンジも胸が躍り出すような気分だった。「こうなったら、一発目から全力で採りにいっちゃいましょう!」
「何とか、お宝、採りたいですね」と、一語一語をかみしめるように岩尾丸さんはいった。天に祈りでもささげるような、それは、どこまでも真剣めいた口調だった。がんばりましょう! 張り切ってそういい返しながら、ケンジはハンドルを握る岩尾丸さんの横顔をのぞいてハッとした。そのただならぬ決意を示すかのように、顔中が大粒の汗にまみれていた。
「それじゃあまず、ちょうどこの国道沿いにある一番手前の池から試してみましょう。民家が近そうな感じなので、ひょっとしたら農薬とかの関係で駄目かも知れませんけど。次の小学校前の信号を過ぎたら、五百メーターくらいのところですね。こちらから向かって右側です」
「了解です。できるだけゆっくり走らせますけど、すみませんが、見落とさないように見ていてください」冷静に注意を即す岩尾丸さんの口調が、ここにきてやけに頼もしかった。
「あっ、そうだ」といって、赤トンボさんが日焼け止めのクリームを出して塗りはじめる。「皆さんも、もし良かったらどうですか。わたしなんか元々地黒だから、別にいいじゃんって感じもあるんですけど。念のためですね」
「あっ、じゃあ貸してもらおうかな。せっかくだから」と、鼻を伸ばしただらしのない声でケンジ。
「そういえば赤トンボさん。ゴム長靴って持ってこられました?」岩尾丸さんが確認する。「たぶん足場が斜面だったり。昨日夕立があったりとかだったりすると、靴とかも結構汚れちゃうと思うんで」
「その点は抜かりなく、です。タッパーとゴム手袋も忘れずに持ってきました。でもじつはわたし、無精をしちゃって。今頃家でお母さんが困ってるかも知れません」
ちょっとこずるそうな声を出して、赤トンボさんが苦笑する。
「そう、タッパーは重要なんですよ。バケツなんかに入れて帰ると、ゲンゴロウが水の中でおぼれてしまうことがあるらしいんです」まるで虫捕り授業の指導教官にでもなったかのような口ぶりで岩尾丸さんが説明する。
「水生昆虫がおぼれるなんて、何だかおかしな話ですけど、水が揺れちゃうとうまく呼吸ができないそうなんです。やっぱり、水草を敷き詰めたタッパーに入れてやるのがベストなんですよ」
へぇ~、すごい、と二人そろって感心すると、
「もっとも全部、知り合いの名人からの受け売りなんですけどね」岩尾丸さんは困ったように笑った。
今度はケンジが質問する。
「いつだったかインターネットで、十五メーターぐらい伸びる網があるって聞いたことがあるんです。ゲンゴロウを採ったひとのブログでも、そういう網を使ったみたいなことが書かれてて。ゲンゴロウが岸の近くにいてくれればまったく問題はないんですが、今回僕まったく普通の網しか持ってきていないんですけど、大丈夫ですかね」
若干の不安を覚えながら訊くと、岩尾丸さんは待ってましたとばかりに堂々たる声を張って、
「その点なら大丈夫ですよ。大船に乗ったつもりでいてください」何だか秘密兵器でもあるような、確信を持った口調で答えた。
国道沿いのルピナスがたわわに紅紫色の装飾花をつけている。甘い芳香につられてやってきたのだろう。キタテハたちがふわふわと踊り子のようにレンガ色の翅をはばたかせている。聴くも長閑なカエルたちの歌声に混じって、近くの草むらからシャカシャカシャカと重いマラカスを振るような、ササギの鳴き声が聞こえてくる。作業用の農具などが収めてあるのだろう。田んぼをしきるあぜ道の向こうに、ぽつんとひとつ老朽した百姓小屋がたっているのが見える。
「第一のため池」は、三方を水田に囲まれた国道沿いの場所に広がっていた。
直径二十メーターほどの楕円形の窪みに、どっしりと深緑色の水が満ちている。乾いた陽光に照りつけられて、凪いだ水面(みなも)が燦々ときらめいている。池のふちに目を走らせると、群生した背の高い水草の足元を、アメンボの群れが穏やかな波紋を残しながら滑っていくのが見えた。
「うおっ。これってなかなか、最初から雰囲気がいいんじゃないですか!」
車を路肩に乗り上げさせて、岩尾丸さんが気合たっぷりの声で呼びかける。「さあさ、ご両人とも。張り切っていきましょう!」
「もちろん!」
「がんばりましょう!」
ケンジと赤トンボさんも待ってましたとばかりの笑みを浮かべていい返す。
炎天下の午前十一時。空には純白色をした大ぶりな積乱雲が立ち上っている。ミンミンゼミたちの壮大な合唱に混じって、ブォーン、ブォーンと聞こえてくるのは遠くにいるウシガエルか何かだろう。
青臭いくさいきれをふんだんに含んだ熱っぽい風を吸い込んで、ケンジはこれこそが夏の香りなのだと感激する。
岩尾丸さんがバックドアのトランクを開けて、手際よく荷物を手渡していく。前に立った赤トンボさんの首すじから甘い生クリームのような香りがして、それが変態じみた行為だとは思いつつも、たまらずにケンジは鼻の穴を広げてしまう。
バックドアの下に腰かけてケンジが長靴に足を突っ込んでいると、隣でキャアッと赤トンボさんが驚きの声をあげた。
「岩尾丸さん、その長靴……っていうか」
あわてて顔をあげて、ケンジも思わずギョッとする。ちょうど岩尾丸さんが、こちらに向かって大きなお尻を突き出しながら、灰色の長ズボンに足を通そうとしているところだった。それは長靴と膝の部分がつながっていて、なおかつ胸の高さにまで丈のある、つなぎのようなズボンだった。
「あはは。驚かれました? じつはこれ、僕の勝負服なんです」と、誇らしげに両手でサスペンダーをかけながら、岩尾丸さんが説明する。「これ、渓流釣りなんかをやる人が着るウェダーっていうものなんです。ゴアテックス製の優れもので。釣具屋で見かけて、ちょっとばかり高かったんですけど、思い切って買っちゃいました」
「すごーい! 岩尾丸さん、すごすぎです!」
つぼにはまったのか、お腹を押さえて赤トンボさんが爆笑している。「超かわいいし、いかしてます!」
これにはケンジも負けたと思った。「やりますねえ。岩尾丸さん」
「わたし、どうしよう」まだケラケラと笑いの発作をひきずりながら、赤トンボさんは自分の足元を指さして、「わたし、まったく普通の雨長靴しか持ってきませんでした。シロさんも格好いいのはいてるし」
「いやいや」と否定の手を振りながら、赤い雨長靴姿の赤トンボさんをみて、ケンジは胸がときめいてしまう。「赤トンボさんもすっごく素敵ですよ。何だか絵本に出てくる女の子みたいで」
岩尾丸さんも目じりを下げてうなずいて、
「大丈夫です。池の深いところにいるゲンゴロウは、このデブっちょウェダーマンにまかせてください!」
これにはケンジも受けてしまって、「よっ、虫捕り少年の味方、ウェダーマン! 頼りにしてますよ!」
「それじゃあ、いっちょう初陣といきますか、皆の衆」
岩尾丸さんの掛け声に、二人は颯爽とうなずいた。
タモ網とバケツを両手に道路沿いに設置されたガードレールを乗り越えて、慎重に青草の生いしげる斜面を降りていく。柔らかい夏草の上を踏みしだいていくと、緑一色のなかに紅一点という感じで、黒点の多いナミテントウを見つけた。ケンジの足音を察知したショウリョウバッタが、その膝の先を、見事なハイジャンプを切って逃げていく。
黄色くて小さなセンダングサの花弁には、赤レンガ色のアサマシジミや、美しい金属光沢の翅をしたハナムグリたちが蜜を吸いにやってきている。白くて可憐なオカトラノオの花に集まっているのは、金色の厚ぼったい翅が可愛らしいキバネセセリだ。
灼熱の太陽が、燦然とあたりを照らしつけている。全身を情け容赦なく抑えつけられるような、それは鉛のような重たさをもった日差しだった。ぬぐってもぬぐっても、汗は止めどもなく噴き出してくる。
池のふちに腰を落として、ケンジはじっと水面を見据える。水際の浅瀬に高々と密生したクログワイの根元を、メダカだろうか、小さな小魚の群れが滑っていくのが見えた。数え切れないほどのカワトンボやモノサシトンボが、ファサファサと水草の上を舞い飛んでいる。
「あっ、アマガエルだ!」
赤トンボさんが嬉しそうな発見の声をあげる。「すごく可愛い! 小指の先っぽくらいのがこっちに何匹もいます!」
いつの間にか池の向こう側に回りこんだ岩尾丸さんが、「トノサマガエルも見つけましたー!」
ふいに涼やかな一陣の風が起こって、汗だくになったケンジの皮膚をひやと心地よくなでていく。近くでピュルルルーと澄みきったヒスイみたいな声を出しているのは、おそらく田んぼに餌をとりにやってきたハクセキレイだろう。
一度大きく深呼吸をしてから、ケンジはぎゅっとタモ網の柄を握り締める。
よしっ! と小さく気合いをつけて、クログワイの足元に網を差し入れる
丹念に張りめぐらされたくもの巣が一種のうちに崩れて、茎にへなりとへばりつく。ギョッとしたアメンボたちが四方八方に逃げ散っていく。
クログワイの根元をこすり上げるように、ケンジは幾度もタモ網の先を上下させる。はねて乱れた水の重みが、両手で握りこんだ網の柄をつたってぐいぐい腕まで伝わってくる。水底の泥や浮遊する落ち葉が網にかかって、さらに手ごたえが重くなる。
そろそろ、いいか。
ザーッという水切れ音を聞きながら、ケンジは精一杯の力を込めてタモ網の先を引き上げる。土砂降りのようにしたたる水が、バタバタと水面に乱暴な波紋をつくる。なんといっても、最初のひと網。期待はいやでも高まってくる。顎をぐっと下げてのぞきこむと、網底にかかった朽ちた葉や茎の上で何かがピチピチはねている。
「おっ、おっ、おっ!」
はぁはぁと大興奮の息を吐き出しながら、さらに丹念に網の底をのぞきこんで、ケンジは「ああっ」と叫び声をあげた。
やはりそれぞれのポイントで網を入れはじめていた二人が、ええっ、とあわてて手をとめる。
岩尾丸さんが嬉しそうに怒鳴って、「お宝、何かいましたかー!」
「いました、いましたー!」同じくケンジも黄色い声で怒鳴り返して、「でっかいヤゴに! あとマツモムシが何匹もー!」
「わたしも! 何か採れましたー!」
「こりゃ、すごい」網をいったん足場にかけて、バタバタと岩尾丸さんが近寄っていく。
「これ、何だか見たことあるみたいな虫なんですけど」
赤トンボさんと一緒になって網底のなかに目を凝らして、「ウハッウハッ! こっちもすごい。こんなにでっかいタイコウチが入ってまーす!」岩尾丸さんがまた叫ぶ。
「思い出した! そう、タイコウチー!」
まるで韓流スターでも見かけたような喜びぶりで、赤トンボさんはキャーキャー飛び跳ねている。
「ふん! こっちも負けちゃあいられません!」
鼻息を荒らくした岩尾丸さんがノシノシと網に戻っていく姿は、まるで歴戦の重戦車みたいに見えて勇ましかった。
それからの三十分ばかり、三人が思い思いに網を振りつくしたところで、まずは「第一のため池」での採集を切り上げることにした。成果は、数え切れないほどのマツモムシにヤゴにミズスマシ。メダカのような小魚(おそらくタロモコかなにか)が五匹に、大小のタイコウチが十匹くらい。それに岩尾丸さんが水中戦? で手柄をたてたミズカマキリが一匹だった。
先からずっとしゃがみこんだままで、赤トンボさんは自分のバケツの中に見入っている。長い足をオールみたいにつかってクルクルと回転しながら泳ぎまわるマツモムシが面白いのだそうだ。
「こんなにもたくさんのタイコウチ。都会近郊では絶対にお目にかかれませんよ」
顔をゴシゴシとタオルでぬぐいながら、ふぅ、と岩尾丸さんが息をつく。「しっかし、さすがは天然の黒ダイヤといえばいいんでしょうか。肝心のゲンゴロウはその影すらも見当たりませんでしたね」
これにはケンジも落胆のため息をつきながら、「これだけやってみて駄目だったんです。ここにはいなかったと諦めるしかないんでしょうね」
「ねえ、岩尾丸さん」赤トンボさんがキラキラした笑顔をあげて、「タイコウチって、見ればみるほどタイコを打つ人の形に見えてきますね! 本当にこの名前をつけた人って、最高のセンスだと思います!」
無邪気に感嘆の声をあげる赤トンボさんに、ようやくふたりも熱っぽく火照った頬をほころばせた。
狙うはあくまでゲンゴロウ。毅然たる岩尾丸さんの提案で、ひとまずは捕らえ集めた虫たちを池に戻していくことにする。池のふちに座り込んだ赤トンボさんが、ひとり別れ惜しそうにバケツの水を傾けている。
脱いだウェダーをガサガサとゴミ入れ用のポリ袋に押し込みながら、岩尾丸さんが柔らかな声をかける。
「せっかくのマツモムシ、放させちゃってすみませんでしたね。でもでも、のっけからこれだけの手ごたえが得られたんだから、きっと絶対にゲンゴロウもどこかの池にいると思いますよ!」
「そんな、そんな!」と、赤トンボさんは否定の手を振って、「わたし、全然気にしていません。こちらこそ変なご心配をかけてしまったみたいで、ごめんなさい! でもわたし、何だか本当に楽しくなってきちゃって」
「この高揚感。ヤバイですよね。何だか小学校の頃の夏休みに戻ったみたいで!」と、汗をだくだくと流しながらケンジ。「うわっ、やっぱり車のなか、メッチャ苦茶な具合にうだってますねー」
ペットボトルの水をひとふくみして、肌にサラサラした汗を輝かせた赤トンボさんが、
「わたし、これまでに山とか原っぱとかでの虫捕りしか経験したことがなかったんです。もちろん、いい思い出もたくさんあるし、それはそれで楽しかったんですよ。わたしのなかでの虫捕りっていうと、何ていうか、ほら、草むらのなかとかに一生懸命目を凝らして、アッ! ていう感じで珍しい虫とかの獲物を見つけて、それからエイって一気に捕まえにかかるような、何ていえばいいのかなぁ、ライオンの狩りみたいな感じ? だったんです。でも、水辺での虫捕りって、あの網の底をのぞきこむときのドキドキ感がすごいんですよね。一回一回が本当の宝箱をひらくような気持っていうのか」
急いでカーエアコンのスイッチを押しながら「狩と漁の違っていう感じなんですかね。その感覚。とってもよくわかります」と岩尾丸さん。
「わたしの従兄弟のお兄ちゃんね。じつは、わたしが中学校に入ったころに亡くなったんです」
流れるような自然さで赤トンボさんの口をついた一言に、「ええっ!」と大きく岩尾丸さんが裏返ったような声を出した。その動揺が車にも伝わったかのように、シートにガクンとショックがあった。
「あっ、あっ! いきなりわたし、何だか変なことをいっちゃったみたいで」
「そんな、とんでもない」と返しながらも、ケンジの地図を持つ手が震えている。
「そのお話、続けてください」と岩尾丸さん。
「すみません」と断ってから、赤トンボさんは自分だけの大切な物語を教えるように一語一語をかみしめながら話しはじめた。
「お兄ちゃん。入ってた高校のサッカー部での練習中に倒れて。ちょうど夏休みの真ん中ぐらいで入りたての一年生だったから、きっとしごかれたんだと思います。意識は結局戻らないまま、お兄ちゃんは運ばれた病院のベッドで亡くなりました。わたしたち、ちょうどその二日ぐらいまえに電話で話をしていたんです。そのときにね。東京に住んでたわたしが今度そっちに遊びにいくね、会えるの一年ぶりぐらいだね、っていったら、お兄ちゃん、よしわかった、また一緒におまえと虫捕りにいってやるよ、っていってくれたんです」
声が段々と震えてくる。彼女は大きく息を吸い込んで、吐いて、精一杯に自分を勇気づけてから続けた。
「それで、そのときにお兄ちゃんが、おい加奈子。今度はすごいとこに連れていってやるよって。おれ、本当にすっごいところを見つけたんだから、って何だか興奮してるみたいにいったんです。わたしが、何がどうすごいの? とか、そこではどんな虫が捕れるの? とか質問しても、それにはくすぐったそうに笑ってはぐらかすだけで。全然教えてくれなかったんです。それで、その電話の最後にね、急にお兄ちゃん何かを思い出したみたいに、おまえ、長靴って持ってるかって訊いたんです」
ゴツンと大きく、ケンジの胸に、大粒な形をした何かが当たったような気がした。
「長靴って? わたし、その時はお兄ちゃんがどういう意味でそれを訊いたのかもわからなかったんです。でも、持ってるよって答えたんです」
赤信号でブレーキを踏みつけながら、岩尾丸さんが、むふぅ、と大きく喉を鳴らす。
「そんなことわたし、最近までずっと忘れていたんです。無理にでも忘れるようにしなきゃって、自分のなかでも思ってたんだろうと思います。でも、でも岩尾丸さんが、長靴を持ってきてくださいって、忘れずにって、そういわれたときにわたし、ようやく、お兄ちゃんが、お兄ちゃんが思ってたことが」
声が崩れて、後は言葉にならなかった。
ケンジはいつしか自分の頬に涙が伝っていることに気づいた。
運転席のむふぅ、むふぅという声が大きくなって、岩尾丸さんもまた、胸を震わせて泣いているのだとわかった。
「絶対に、絶対に今日ゲンゴロウを採りましょう。元気いっぱいのやつをとって、そんで、それを天国のお兄ちゃんにも見せてあげるんです」
目じりの涙をぬぐいながらそうケンジが励ましの声をかけると、そうです! 絶対にそうしましょう! と岩尾丸さんが濡れて瘧(おこり)みたいに震える声を振り絞って続けた。
「……ありがとうございます……」
水玉模様のハンカチで濡れたまぶたを押さえながら、バックミラーのなかの赤トンボさんが、ハイと、こくんと頭を下げた。
「第二」のため池は、町外れの川をわたって二キロほどの距離に位置する、小集落の間を細々と縫って走る農道沿いにあった。
直径十メーター、短径五メーターほどの、先のと比べれば一回りほど小ぶりな池だ。水田沿いの用水路から流れ込んでくる絞り水が、タパタパと清々しい音をたててきらめいている。
池からの草の斜面を三,四メーターばかりのぼったあぜ道ぞいには、ボロボロに赤錆びてツタまみれになったブリキの小屋がたっている。継ぎに当てられた群青色のトタン板が巨人の手にでも握りつぶされたみたいに、ベコベコになってひしゃげている。紺碧の空と草の緑をコントラストに、ケンジは夢中になってデジカメのシャッターを切る。
ブウーンとプロペラ音のような唸りをたてて、ケンジの腰ぐらいの高さを巨大なオニヤンマが横切っていく。貫禄たっぷりの、黄色と黒の遮断機みたいな胴柄をしたやつだった。池のふち沿いに猛々と生え広がったタコウギの上を、つがいだろうか、二匹の黒いジャコウアゲハがヒラヒラともつれ合いながら舞い飛んでいる。
視線を足元に移せば、朽ちた切り株の上に鮮やかなコバルトブルー色の翅をしたルリボシカミキリがやってきている。また何枚もデジカメのシャッターを切りながら、「くそー、採りたい」とケンジが悔しそうな声を出す。
ハハハと笑いながら岩尾丸さんが声を投げる。「いつか陸の昆虫編も企画しましょうか。夜出発でオオクワガタなんかも狙っちゃったり」
網の柄を握りしめた赤トンボさんは、腰をかがめてじっと水ぎわをのぞきこんでいる。背の高いオモダカに混じって、浅瀬にはミズハコベやサンショウモなどの浮き草が群生している。
今回は「水を荒らすから」と、ウェダーを着ずにきた岩尾丸さんが、すでに水ぎわの浅瀬を浚いはじめている。
ケンジも遅れてはいられなかった。あわててデジカメをバッグに片付けて、タモ網を握る。オモダカの足元に柔らかくかつ機敏にタモ網の先を滑らせると、パパパパッと二,三匹のシオカラトンボが舞い上がった。
オモダカをグッと押しつけながら、ケンジは力を込めてタモ網をゆさぶっていく。あわてた小兵のミズスマシたちが、ツツーと水面を走って逃げていく。波紋の底で驚いた大きなヤゴが這っていく。
あぜ道の方の草むらからスィーッチョンと甲高く粘ったような鳴き声が聞こえてきて、間髪を入れず向こう側で網を入れていた赤トンボさんが、
「ウマオイだー」と叫ぶ。
ケンジが感心したように、「赤トンボさんって、本当に貴重な存在ですよねー」
くふふ、と岩尾丸さんも冗談っぽい笑いをもらして、「ねえシロさん。虫捕り界のアイドルとして売り出したら、赤トンボさん、ひょっとして人気が出るかも知れませんよ」
「やめてくださいよー」と恥ずかしそうにいいながら、赤トンボさんがぐいっと網を引き上げている。
「第二のため池」での収穫は、半透明色のヌマエビに、仙人みたいな可愛らしいヒゲのついたドジョウ。先の池よりも数は少なかったものの、タイコウチやトビケラの成虫なども採集できた。
お昼の休憩がてら、山梨名物のホウトウが食べたいという岩尾丸さんの提案に大賛成して、須玉方面の道の駅まで車を走らせる。
「あっ。シロさん見てみて。このキーホルダー可愛い」
甲府名産の赤ブドウのかぶりものを頭に載せたドラえもんのキーホルダーを指さして、赤トンボさんが黄色い声をあげている。お土産物は帰りのサービスエリアででもゆっくりとのぞくことにして、早速施設内の食堂でお目当てのホウトウを注文する。
ふはっ、ふはっと、立ちのぼる湯気で眼鏡を曇らせた岩尾丸さんが、大汗をかきながら気持ちの良い食べっぷりを披露している。
「これ、すっごく美味しいですね。ネギにサトイモにカボチャに、ニンジン。野菜とかキノコもたくさん入ってて贅沢だし、体にもよさそー」
極太の平打ち麺が甘からい味噌仕立てのスープにじつによく合っていて、食べごたえも抜群。これにはグルメ党のケンジも舌鼓を打ってしまう。
いち早く器を空にした岩尾丸さんが、ポケットに入れてきた原野辺の詳細地図をテーブルに広げて、これからの作戦について話しはじめる。
「これで十個ある池のうちの二箇所をまわりました。本当はこの地図にも載らないような山の中の小さなため池とか、棄てられた田んぼの水たまりやなんかが一番いそうだとは思うんですけど。今からそういうのを探そうとするのはとてもじゃないけど難しそうなので諦めましょう。あと、この地図に載っかっている池のなかで、人里のなかにあるところと規模がかなり大きそうなところも、ゲンゴロウ向きではなさそうなので、除くとすると」
地図の上の方に載っている二箇所の池に、岩尾丸さんが赤色のサインペンで丸囲いをつける。
「この二箇所とも、下の農道からは少し離れた場所にある池です。等高線から読むと、どちらも下からは五十メーターか、もうちょっとくらい登らなきゃいけなそうな感じですね。時間の関係とかも考えると、午後はこの二箇所に絞って探索するがベストなんじゃないかと思います。もっとも……」
「もっとも……?」
「もっとも、どちらの池とも、そこまでたどり着くのに、適当な道があるかどうかはわかりません。ケモノ道みたいな細い道でも、あってくれれば良いんですが」
「なあに、天然の黒ダイヤを採るのにそれくらいの冒険はつき物ですよ。それに、それぐらいの苦労があった方が、ゲンゴロウを採った時の喜びも増えるってもんじゃないですか」
「わたしもそう思います」赤トンボさんが、腕にぐいっと力こぶをつくる仕草をして、「わたし、そういう山道って子供の時に慣れてますから平気ですよ。藪でも何でもガサガサと掻き分けて登っちゃいますよー」
「それじゃあ、売店で飲み物をたっぷりと買って、いざ出陣といきますか」
「了解」
「いきましょう!」
三人空っぽになった器の上に手の甲を重ね合わせて、エイエイオー! と気合をつける。
「第三の池」を目指してひた走る途中、「さっきの仕事の話の続きなんですけどね」と前置きをして岩尾丸さんが、「もし良かったら、昔僕がやっていた仕事の話って、少しだけさせてもらってもいいですか」
「もちろん!」とケンジ。
「聞きたい、聞きたいー」と赤トンボさんもはしゃいだ声を出して答える。
「ではでは、僭越ながらわたくしめ岩尾丸、一身上の物語」と笑ってから、岩尾丸さんは話しはじめた。
「わたしね、じゃなかった。僕ね、大学、っていってもどうしようもないような三流大学ですけど、それを出た後に三年間ばかり、ある営業の仕事をやっていたんです。ご覧の通りの口下手だから、お二人とも嘘だろー、って驚くかも知れませんけど」
「そんなこと、全然ありませんよ」
「逆に優しそうだから、営業のお仕事って合ってそう。じつはバリバリのやり手だったんじゃないですか」
「そんなこと、全然」と、岩尾丸さんは苦笑いをもらして続けた。「本当は落ちこぼれもいいとこで、営業成績の方もビリ争いの常連でした。いつも怒られてばかりでしたね。でもね。後からになって考えてみると、成績がビリでも良かったかなって。これ、負け惜しみとか自分への皮肉とか、そういうつもりでいってるんじゃないんです。というのもね」
ふんふん、と二人とも大きな興味を持ってうなずき返す。
「僕ね、先物取引っていうものの営業をしてたんです。ニュースとか新聞とかで多分、言葉ぐらいは聞いたことがあると思うんですけど」
「うん。わたし、詳しくはわからないんですけど、先物相場とかっていう言葉は聞いたことがあります」
それ、知ってます、とケンジが「小豆とか穀物とかを、あとは金とかか。そういうものを、そのままの現物で売り買いするんじゃなくて、いつかの未来の時点での値段で取引する相場のことなんですよね。確か儲けるのがすごく難しいとかって、新聞か何かで読んだことがあるような」
「その通りです」とうなずいて、岩尾丸さんは続けた。
「僕はその先物取引っていうものを、会社相手ではなくて個人のお客さんを相手にお勧めしてやってもらう、っていう仕事をしてたんです。この先物取引っていうのは、基本的な仕組みはものすごくシンプルなものなんですよ。例えばね、赤トンボさんがお客さんだとしますよね。あ、あと、この話では、赤トンボさんがちょっとしたお金持ちだと仮定しますね」
キャハハと赤トンボさんが笑って、「わたし全然お金ないですー」
「ふふふ。じゃあ、赤トンボさんがちょっとした小金持ちのお嬢さんだとしましょう。それで、ある日僕が名刺を持って訪ねていって、先物相場やりませんか、絶対儲かりますからどうですか、とか何とかいって、おもむろに営業を開始するわけです」
「きゃー。どうしよう。でも、何だかちょっと怖そう」
「そう。本当はものすごーく怖いものなんです。でも、僕みたいな弱くてトロそうな奴がニコニコして、腰を低く、ひくーくして説明していると」
「何だか少しだけ、親しみが出てきました」
二人の掛け合いがおかしくて、ケンジは思わずニヤついてしまう。
「そう。特に相手が身寄りのないお年寄りとかだったりすると、何でもいいから話ができる相手がきたっていうそのことだけで、結構喜んでしまったりするものなんです。で、話を赤トンボさんの例に戻しますね。今日は日和がいいですねえ、とか立派なお宅にお住まいですねえ、とか適当な世間話をした後は、さあいよいよという感じで僕が先物相場のルールっていうものについて説明しはじめます。このルールっていうのが、先にもいったように、基本的にはすごくシンプルなものなんです。例えば、お客さんに小豆の先物取引をやってもらうとしますよね。その場合だと、赤トンボさんにはまず、未来のいついつの時点での決済予定で、今現在の小豆をいくら円分買う、もしくは売るっていうことを決めていただくんです」
赤トンボさんがキョトンとした顔をして「売る? 持ってもいない小豆を売れるんですか」
「そうなんです。これを売りから入る売建取引っていうんですよ。シロさんがおっしゃった通り、実物の小豆を売り買いする訳じゃなくて、あくまでも相場上の数字だけを見てやり取りをしていくんです。あとシロさん、信用取引って言葉はご存知ですか」
「まあ、大体の意味くらいは。実際にそれだけのお金を持っていなくても、その何分の一かのお金を預ければ、それだけの大きい取引ができちゃう、とかっていうやつでしたよね」
「その通りです。すごくよくご存知ですね」
「シロさん物知り!」と、赤トンボさんが感心の声をあげる。
「例えば、赤トンボさんが自分の銀行口座に十万円とか二十万円しか持っていなくても、実際には百万円とか二百万円分の小豆を売ったり、買ったりができちゃうっていう話です」
「すごい。じゃ、じゃあわたし、二十万円で二百万円分の小豆を買っちゃいます。でもわたし、実際の小豆をもらえる訳じゃないんでしたよね。この後わたし、一体どうなるんですか」
「はい。まだお勧めもしていないのに、我が岩尾丸社で取引をはじめて下さってどうもありがとうございます。では、ご注文の通り、現在の小豆の値段で二百万円分を買ったとします。実際にはこの取引に対して僕の会社の懐に十万円ぐらいの手数料が入りますので、実際には赤トンボさんは三十万円を出しているのと同じことですね。もちろん、途中で取引を降りたり新しく買い足したりといったことも可能です。それでまあ、それから一年後がやってきたとしましょう。今日この日の時点で赤トンボさんの買った分量だけの小豆が、二百二十万円の相場になっていれば、手数料を差し引いて赤トンボさんは十万円分の儲けです」
「すごい。じゃ、じゃあ、もしも小豆の値段が下がっていたら……」
「そうですね。例えばその一年のどこか途中で小豆相場が大暴落して、半値である百万円の値段になってしまっていたとします。本当は、その途中でも追加証拠金というものが発生したりいろいろとある訳なんですけど、今はそういう面倒なことは全部のぞいて、ごく単純化して考えますね。そうすると、二百万円から百万円を差し引いた差額の百万円が、赤トンボさんの被った損失ということになります」
「ひゃ、百万円ー!」
「そう、百万円です。手数料としてかかった十万円も含めると、百十万円の損になりますね」
「じゃ、じゃあ、わたしがその日に用意しなきゃいけないお金って、最初に払った二十万円プラス……」
「プラス九十万円を赤トンボさんにはお支払いいただくことなりますね」
赤トンボさんが目を見開いて、「うそー! わたしの人生破滅だぁ……」
「そう。信用取引っていうのは、実際には持ってもいない大きなお金で売り買いをすることができる、本当に怖い取引なんです。それに、一回一回の取引ごとにかかってくる手数料なんかも含めると、先物相場で勝てる人っていうのは全体の四分の一にも満たないぐらいなんですよ」
「うわあ。怖いけどいい事を聞いた。僕は絶対にやらないでおこう」とケンジ。
「もちろん、今の赤トンボさんみたいに、気前の良いお客様は少ないですけどね。本当に儲かるのー? 損をするんじゃないのー? って初めは渋い顔をするお客様たちが大半です。で、ここからが僕たちセールスマンの腕の見せ所なんですね。例えばね、こういうことをいって説明するわけです。今度の冬は、ある予報があってアメリカの小豆の産地に大寒波がきそうなんです。ですから、年末から来年にかけて小豆の相場は絶対に上がりますよ、なんてね。一応はきちんとしたデータを使うわけですけど、じつは一方で寒波なんてこない、なんていう予報もあったりしてね。いい加減なものなんです。とにかく信憑性のありそうなこと、お客さんに取引を勧めるに足る材料だけを提示して、ですから今から一年後の決済予定で小豆を買ってみてはいかがですか、私ども専門家は十年に一度の買い相場だと考えております、だとかこんな風な感じで攻めるわけです。でもですね。小豆だけの話に関わりませんけど、一年後の商品の値段が上がるか下がるかだなんて、本当は誰にもわからないものなんです。来年の小豆の豊作が予想されていても、いきなり大ハリケーンか何かが発生したら、それだけで小豆の値段は暴騰します。金だって、いきなり産出国の大統領が変わって、わが国は金の輸出を取りやめますとか発言でもしたら、値段は一挙に上がってしまいます」
ケンジが大きなため息をついて、「本当に、勝つも負けるも運次第というか。半丁博打みたいな世界なんですね」
「その通りなんです。でもですね。最終的にお客が勝とうが負けまいが、取引手数料の分だけは確実に取次会社の懐に入ってきます。今はいろんな規制が厳しくなって、昔よりは無茶な勧誘は少なくなったみたいですけど。営業マンの成績も、どれだけお客に取引をさせたかだけが見られます。シロさん。もしもあなたが大儲けをもくろんで、例えば手元にあった一千万円をすべて投機して、結局全部失ってしまったとします。その後のあなたの人生って、どうなりますか」
「うつ病。一家離散。ひょっとしたら自殺しちゃうかも知れません」
「じ、自殺ー!」と赤トンボさんが悲鳴みたいな声をあげる。
「そう。僕のいた会社がさせた取引が原因になって、自殺をされた方もたくさんいます。何とか負けを取り返そうとして、借金に借金を重ねた末に首を吊ってしまわれた社長さん。親戚中に借り集めたお金が返せなくなって、最後には一家心中の道を選んでしまったお父さん。まったく気がつかないうちに奥さんが一千万の損失を出してしまって、結局は自己破産なされた方も二人や三人じゃなくて知っています。僕らが殺した、っていう言い方をしても、決して誇張ではないんですよ」
「本当に悲惨なお話ですね……」
「僕にもね。一人でしたけど自分のお客様を自殺に追い込んでしまったことがあるんです」
急に沈うつな、陰のある口調になって岩尾丸さんは続けた。
「その方はね。昔物理学者をしていらした、とても品の良いお爺さんでした。可愛がってもらったというか、僕にもすごく良くしてくださった方で。一緒に囲碁を打ったり、釣りに連れていってもらったことなんかもありました。奥さんも子供さんもいない一人身の暮らしで、きっと寂しかったんだろうと思います。取引で少しぐらいの損が出ても、わしらの世代は戦争を経験しとるから、これくらいのことじゃ動じんぞ、なんて笑って許してくれていました。でもね。損失額が一千万円の大台を超えた頃からは、あの穏やかだったお爺さんが、まったく別人のようなひとになってしまいました。それも当然のことだったと思いますけど、柔和で優しげだったあのお顔が、ひきつった赤鬼みたいな顔になって。いつしか毎日、会社の事務所にまでやって来ては、何とか損失を取り戻してくれ、助けてくれ、と取りすがるようになりました。最後にお爺さんがやっていたのは、商品相場のなかでも特に値動きの大きいガソリンの原油の売建だったんですけど、ある日一日だけで百万円分も損失が出てしまうほど値が上がってしまったことがあったんです。その日のお爺さんの怒り方といったら、あれほどまでに凄まじいものはありませんでした。顔面を真っ青にして怒鳴り込んできて、岩尾はどこだ、殺してやるって叫ばれて。僕は何発も顔を殴りつけられました。この詐欺師が! 悪魔めが! とそれはものすごい剣幕でした。もちろん、その責任の大半は僕自身にあったんですから、とても警備員を呼んだり、警察に届け出たりするような気持ちにはなれませんでした。結局お爺さんは、その日の夜のうちに自殺をされてしまいました。後になってから聞いた話ですけど、そのお爺さんには三百万もの借金が残っていたそうです」
岩尾丸さんの声が段々と弱々しく小さくなっていって、途切れてしまう。二,三回深呼吸を繰り返して、心底から苦しそうな口調になって岩尾丸さんは続けた。
「それ以来ね、夜眠るときになると、決まってまぶたの裏にそのお爺さんの顔が浮かんでくるようになったんです。まだ優しかった頃のお顔。猛烈に怒って真っ赤になったお顔。それから、意気消沈して氷のように青ざめているお顔。だから、その後すぐに逃げるようにして先物の仕事を辞めた後も、睡眠薬とかうつ病の薬を飲まないと眠れない時期が長かったんです。それ以来ですね。心の健康な部分が壊れてしまったというか、どうしても責任ある仕事を持つということが怖くなってしまって。食品倉庫のアルバイトとか親のすねかじりをして、ようやっと今日まで生きのびてきた、みたいな感じだったんです。うわぁ、何だかものすごく暗い話になってしまってみたいで、すみません」
「そんなこと!」
「全然気にしていませんよ!」
二人があわてて否定すると、岩尾丸さんは急にパッとした笑顔をつくって、
「でもね! 今日シロさんと赤トンボさんのお二人に出会えたことが、自分のなかでも、ものすごく良いきっかけになったように思うんです。何ていうのかな。お腹の底から、よし、俺も明日から懸命になって働くぞ! がんばるぞっていう気持ちが湧いてきたんですよね。こうなったら僕、月曜日からは必死になって職探しにでかけますよ!」
胸をなでおろしたように赤トンボさんが大きな息をついて、
「良かったです。本当にお仕事探し、がんばってくださいね! 岩尾丸さんみたいな良い人なら、きっとぴったりと合う仕事が見つかると思いますよ」
ケンジもまた「本当ですね! それじゃあ、これから必ずにゲンゴロウを採って、それを復活のシンボルにすれば……」とまでいいかけたところで、あわててハッと口をつぐんだ。
「いいんですよ。シロさん」岩尾丸さんが優しく笑い返して、「例え今日ゲンゴロウが採れなくても、僕はがんばっていけそうですから」
「岩尾丸さん、がんばって! でもでもわたし、絶対にゲンゴロウは採るんですからね」
後ろでおどけて網を振る真似をする赤トンボさんを見て、「そうですね。そうだった、そうだった」と岩尾丸さんが頭をかきながら笑った。
折りたたみを繰り返してしわくちゃになった地図を片手に、農道沿いのあぜで草刈をしていたおばさんに「第三の池」までのたどり着き方を聞きにいった岩尾丸さんが、さかんに頭を下げながら話し込んでいる。色よい話が聞けたのだろうか、満面の笑みを浮かべながら駆け戻ってくる。
「いやあ、いろいろと話し込んじゃいました。でね、ラッキーです。どうやら、あっちの赤い屋根の小屋の裏あたりから、上のため池までいくケモノ道が伸びてるみたいです」
「やったー!」と、赤トンボさんが派手なガッツポーズをつくって、「で、でゲンゴロウがいるのかも聞いてみました?」
狭い道幅をふさぐ形になっていたレガシーを農道の窪みに押し込みながら、「ええ。今これからいって採れるかどうかはわからないそうですけど、たまにおばさんの家とかにも飛んでくるそうです。それもこんなに大っきいのが! 都会には物好きなひとがいるんだねえ、って笑われちゃいましたけど」
「そういえば、ゲンゴロウとかオオクワガタを採るのに、灯火採集っていうやり方があるって聞いたことがあります」と思い出したようにケンジが、「ゲンゴロウにも蛾とかカナブンとかと同じように、光を求めて飛んでくる習性があるんですよね」
「本当にね。できれば、あのおばさんの家に二,三日合宿させてもらいたいくらいですよ」
「楽しそう! その虫捕り合宿、わたしも絶対参加したい!」
「一体どんな三人組なんだって、おばさんきっと驚いちゃいますよ」
おどけたように岩尾丸さんがいって、車のなかを笑わせた。
時計は一時四十分。三人とも速やかに装備を整えて、子供ひとり分の幅もないケモノ道を登りはじめる。高々と伸びた夏草や張り出してくる木々の梢に、道はほとんどふさがれかけている。むっとくる草いきれをバケツや網でかき分けながら、三人はやぶの深い急峻な斜面を這い登っていく。
「岩尾丸さん。大丈夫ですか」
疲れて遅れをとったウェダー姿の岩尾丸さんに、ケンジが前で心配の声をかける。
「何のこれ、これしき!」と、息を切らした岩尾丸さんが、腹の底から絞り出すような声を投げて返す。「これくらいの坂道でバテてるようで、これ、これからの就職活動ががんばれるもんですか」
軽々とした男の子みたいな足取りでひとり先の方にいっていた赤トンボさんが、「そうこなくっちゃ! オトコ岩尾丸がんばれー! ファイトー」と大きな声でエールを送る。
ハラハラと舞い飛んでくる痩せた蛾や、目の前をうるさくまといついてくるブヨの群れを払いのけながら、ケンジは一歩一歩汗をたらして登り続ける。
ふらふらと赤いバンダナを揺らしながら登ってくる岩尾丸さんを、しばしの間足を休めて待ちながら、ケンジはゆっくりと辺りを見渡す。
セミが鳴いていた。夏を時をすりつぶすように、耳を弄すほど声を重ねて、セミたちは生(せい)を謳っていた。見上げた木々の切れ間から、寛大にすべてのものを許容するようなあの真夏の空がのぞいていた。頭がシーンと麻痺したような、それはとても静かな気分だった。
ふとケンジは今というこの瞬間を切り抜いて、できればずっといつまでも心のなかに置いておきたいと思った。いつどこにいても、自分には「この日のこの場所」という立ち戻ることのできる時間がある。心が真っ白になるような、この刻の光景を思い出すことができる。それは、とても幸せな考え方だと思った。
ようやく追いついた岩尾丸さんが、ぜいぜいと息を散らかしながら「シロさん、ぼ、ぼ、僕。やっぱり駄目かも……」と情けない声を出しかけたところで、ずっと上の方から「あったー!」という赤トンボさんの高い声が聞こえた。
「第三の池」は、四方を鬱蒼たる樹木に囲まれた山の窪地に、ぽっかりと口を空けて広がっていた。不規則な楕円形をした直径三十メーターほどのため池の上に、まるでそこだけが特別な場所のように、どっしりと空からの明るい光が降っている。薄茶色に濁った水面の上を、数え切れないほどのナツアカネたちが飛び交っている。
「何だか、別世界にきちゃったみたいな景色ですね」
圧倒されたように口を開く赤トンボさんに、本当に、とケンジも同意して、「ものすごく神秘的な雰囲気ですね。山の主でも棲んでいそうな……」
水と緑の重々しくかさなりあった匂いが、濃厚なしょう気のように漂っている。澄んだ冷気を含んだ風が、さざ波をたてて渡ってくる。
じっと水底に目を凝らして水深の見当をつけていた岩尾丸さんが、「何だか怖いような池ですね。ひょっとして底なし沼なんかだったりして……」
「こうなったら、わたし、ヘビがいようが何が出ようが構いません!」気合たっぷりに赤トンボさんが、「この夏休みのすべてを賭けて、わたし、がんばっちゃいます!」
「よし、覚悟を決めましょう」と、先までのバテっぷりはどこ吹く風で、岩尾丸さんが宣言した。「死ぬ気になって網を入れて、絶対にゲンゴロウを採っちゃいましょう」
「アイアイサー!」
ケンジも赤トンボさんも、表情を引き締めてうなずいた。
各々が網を入れはじめてから三十分。池の対岸では、ズップリと腰の丈まで水につかった岩尾丸さんが、水面に垂れ下がった葉や茎の間にガサガサと網を入れている。手前の水ぎわでは、浅瀬に密生したサンショウモの根元にターゲットを絞って、赤トンボさんが丹念に網を滑らせている。
キャ、キャ、キャ、キャというニホンアマガエルの鳴き声が騒々しいほどににぎやかだ。遠くのウグイスの声に張り合うように、どこか近くからヒュロロローと甲高い声でルリビタキのさえずるのが聞こえた。
「ちょっとだけ、休憩」
こそっと小さくつぶやきながら、ケンジはポケットから取り出したハイライトに火をつけて、バケツの脇の草地に腰を下ろす。ここまでのケンジの収穫は驚くほど大ぶりに育ったタイコウチが二匹に小型のコオイムシが一匹。数え切れないほどのミズスマシとミズカマキリ。それに体長が五ミリほどのコツブゲンゴロウが三匹だった。
今日ここにきた目的が単に「水生昆虫を採る」ことであったとすれば、その目標についてはすでに十分達成しているといえた。だが、肝心のゲンゴロウについては、いまだその影すらも拝めていないのが現状だった。対岸で獅子奮迅の水中戦を繰り広げている岩尾丸さんにしても、赤トンボさんにしても、状況はほとんど変わらなかった。
じりじりとすぐに十分が経ち、またすぐ次の十分間が過ぎていく。
「第三の池」で網を入れはじめてから約一時間。時計がちょうど十五時を指したところで、「ターイム! ターイム! 作戦ターイム!」頭上でチェッカーフラッグを振るように、岩尾丸さんが大きく網を振って呼びかけた。
「ただ今を持ちまして、ジャスト十五時になりました。もうちょっとだけここでがんばってみるか、それとも次の第四の池に移ってみるか。判断が非常に難しいところなんですけど」
表情に疲労の色を浮かばせたケンジが、「この池も雰囲気は抜群で、気配はすっごくあったんですけど」
「本当に迷っちゃうところですよね。わたし、お家に帰るのは何時になっても大丈夫なんです。でも、暗くなる時間とかを考えると……」
岩尾丸さんが弱った顔で腕組みしながら、「そう。ここにきたときみたいに、道を探す手間とかも考えないといけません。これから第四の池に移るのであれば、ちょうど今ぐらいが引き上げ時のリミットなのかも知れません」
「岩尾丸さん、赤トンボさん」と、ついにケンジが決心していった。「第四の池。挑戦してみましょう! すべての可能性を試してみて、それでも駄目だったんなら、僕らもきっと納得がいくはずだと思うんです」
うん、と二人がうなずいた。
岩尾丸さんが、「最後の可能性。試してみましょう! それでも採れなかったら、その時は仕方がありません。今度三人で僕の師匠の店に買いにいくということで……」
「じゃあ、その前に!」、と赤トンボさんがニコニコして、パッケージを開けたキノコの山を差し出した。「甘いもの食べて、元気を出して、最終決戦がんばりまっしょい!」
い、いつの間に、とケンジがあわてた声を出すと、赤トンボさんはいたずらっぽく微笑んで、「じつはこっちも買っちゃいましたー」
ポケットから取り出したパールホワイトの携帯のストラップに、赤ぶどうの帽子をかぶったドラえもんが揺れている。
「第四の池」に向かう車のなかで、ケンジはゲンタロウの話をした。
贅沢にもマグロの切り身が大好物だったこと。毎日決まって十三時頃になると、流木の上に上がって甲羅ぼしをする癖があったこと。水草の毛布に頭からすっぽりとくるまれて眠る姿の何よりも可愛らしかったこと。
「ゲンゴロウはね、うまく飼ってやると二年や三年ぐらいは生きるものらしいんです。でも僕は、たったの半年間しかゲンタロウを飼ってやることができなかったんです」
沈んだケンジをとりなすように岩尾丸さんが、「僕の師匠もいってましたけど、ゲンゴロウに限らず、水生昆虫をうまく冬越しさせるのって、結構難しいものらしいんです。シロさんは水の入れ替えとか、投げ入れのフィルターの管理とかもきちんとされていたんでしょう。それだったら、そのときがゲンタロウくんの運命だったというか、仕方がなかったところは大きいと思いますよ。それに、シロさんが飼いはじめた時点で、じつはすでにお爺ちゃんだったなんていう可能性もあっただろうし」
ケンジもこれには微かに笑って、「確かにそれはあったかも知れませんね」
「でもわたし、例え半年で死んじゃったにしても、その間ゲンタロウくんはすっごく幸せだったんじゃないかなあって思いますよ。シロさんみたいな優しいお兄ちゃんに飼ってもらえて、嬉しかったよ、ありがとうね、ってそういう風に感謝しながらゲンタロウくんは亡くなっていったんじゃないかなあ」
赤トンボさんの声に岩尾丸さんも深々とうなずいて、「それは本当にそうでしょうね。そうだと思いますよ」
「ありがとうございます」と、ケンジは瞳をじんわりさせて、「でもね。そのゲンタロウが死んじゃって以来、何かを飼うっていうことが何だか自分のなかで怖くなってしまって。そういえば、昔飼ってたハムスターが死んだときもワンワンいって泣いたなあ、とか思い出しちゃって。あれ以来何かを育てたのなんて、せいぜいがジャムの空き瓶でキアゲハの幼虫を飼ってたのぐらいですよ。だから、あの掲示板で岩尾丸さんに出会わなければ、またゲンゴロウを飼ってみようだなんて、とてもじゃないけど今みたいなこういう気持ちにはなれなかったかも知れません」
「つまり僕という人間の登場が、眠っていたシロさんの飼育願望を呼び覚ましてしまったと」
「飼うつながりで聞くのもおかしいかも知れませんけど」と、赤トンボさんがクスクスしながら、「シロさんも岩尾丸さんも、今付き合っているひとっていらっしゃるんですか」
「わ、わっ、わたしは、ご覧と通りといいますか、三十三で無職である上、虫とか盆栽とかにも凝っちゃっているヤングなシニアだからとでも申しますか……まあ、いるわけありせんよ」
岩尾丸さんの動転ぶりに噴き出しながら、ケンジも「僕もここ二年ばかりは。仕事が段々忙しくなって、会える時間も少なくなって、最後には自然消滅というか……まあ、ありがちですけど、前の彼女とはそんな感じでした」
「あ、あ、あ」
唾をごくりと飲み込んでから、岩尾丸さんが渾身の勇気を振り絞って質問する。「あか、赤トンボさんは」
「わたしも今はいないんです。でも付き合うんなら、やっぱり従兄弟のお兄ちゃんみたいな自然とか虫とかが大好きなひとがいいかなあって。うわ、やだー。わたしまた駄目っぽい変なこといってるー」
「そっ、そっ、そんなこといわれたら! それこそ僕とシロさんの間で奪い合いになって……」
「しまいには、殺し合いになっちゃうかもしれませんね」
ケンジがそう大真面目な声でいって、車のなかを笑わせた。
徐々に西日に赤みが混じって、夕暮れの気配を帯びはじめている。倦むことのないエゾゼミやミンミンゼミの合唱に混じって、木々の奥ではカナカナカナと、気の早いヒグラシたちが鳴きはじめている。
幸いなことに、「第四の池」へと通じる道はすぐに発見できた。幾分あきれ顔はされたものの、農道沿いの水田で作業をしていたおじさんが、懇切丁寧にケモノ道への入り方を教えてくれたのだった。
林道の窪みにレガシーの頭を押し込んで、三人大急ぎで装備を整える。さっきのにも負けないほどの狭くて険峻なケモノ道を、アブに襲われ、やぶの枝に頬をはじかれながら登り続けること十五分。最後の難関ともいえる急坂をこれも登攀というのにちかいやり方で何とか登りきると、そこだけは人が入って切り開いたようにぽっかりと広がった平地に「第四の池」は悠然と広がっていた。
直径四,五十メーター。短径を測っても優に三十メーターはあるだろう。大きさだけをみれば、今日一番のため池だった。
「泣いても笑っても、これが最後のチャンスです。お互いに悔いのない採集をしましょう」
ウェダーとタモ網を戦場の武者のように身にまとった岩尾丸さんが、穏やかな声で呼びかける。
「もちろんです。腕がパンパンになるまで、最後まであきらめないで網を振りますよ。でも、その前に……」そういって、ケンジが右手を差し出した。
エッ? という感じで目を丸くして、岩尾丸さんがケンジの顔を見返した。
「岩尾丸さん。今日は僕たちを誘ってくれて、こんなにも素晴らしい体験をさせてもらって。本当にどうもありがとうございました」
えー、と隣で赤トンボさんが、少しだけあきれたような声を出して、
「シロさんたら、ちょっと感傷的になるのが早すぎるんじゃないですかー」
岩尾丸さんも照れくさそうに笑って、「そ、そうですよシロさん。いきなり何をいうのかと思えば。戦いはまさにこれからじゃないですか」
「いや、ここであんまりにもハッスルしちゃって、疲れてお礼をいうのを忘れたらいやだなあ、と思ったんです。それにね、さっき山道を歩いているときに、僕、ふと思ったんですよ。僕、あと何年かたっておっさんになっても、仕事を辞めてお爺さんになっても、今日っていう大切な日のことは絶対に忘れないだろうなって」
「それは、わたしも!」と、賛成の手を挙げて赤トンボさんが、「いつかおばさんになっても、ヨボヨボのお婆ちゃんになっても、わたし今日のことは絶対忘れないで覚えてると思います」
「や、やめて下さいよ。ぼ、僕だって、今日のことは忘れませんよ、絶対!」
ケンジが岩尾丸さんににっこりと微笑み返して、「僕ね。社会人になってから、こういう今日みたいな日って、じつは一日もなかったように思うんです。もちろん、仕事がちゃんとできたとか、それなりに充実していた日はありましたよ。でもね。何だかそういうのとは違うんですよ。きっとうまくはいえないですけど、いつまでもずっと心のアルバムに入れておきたいような一日だったっていうか。心が弱ったときとか、困ったり悩んだりしてどうしようもなくなったときに、静かに目をつぶるだけで羽を休めに戻ってこれるような刻だったっていうか。そういうとびきりに特別な一日だったと思うんです。だから……」
真剣に岩尾丸さんの目を見つめて、もう一度ケンジは右の掌を差し出す。「だから、岩尾丸さん。本当にありがとうございました」
「おっ、おっ、お安い御用でした」
岩尾丸さんのごつごつした右手が、そろそろとケンジの掌を握った。岩尾丸さんのすべてを簡潔に表現しているような、それは朗らかで温かな掌だった。
「男だけで、ずるーい!」わたしもっ、といって赤トンボさんが柔らかい掌を乗せてくる。「あっ、ひょっとして岩尾丸さん、泣いてる?」
顔中を真っ赤にした岩尾丸さんの瞳から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「うっ、ぐっ。だって、おれ。大人になって、こんなに嬉しかったこと、なかったから」
瞳の奥が、何だか熱いな。そう感じたときには、すでにケンジの頬にも二筋の涙が伝っていた。久しく流したことのないような、とても温かな涙だった。
「もう。ふたりが泣くから、わたしまで……」
見るみるうちに赤トンボさんの大きな瞳がうるんだかと思うと、あっという間に、豊かな涙がこぼれはじめる。「やだな。もう。もう今日は、泣きたくなかったのに……」
「さあ、もうひと踏ん張り。がんばりましょう!」
野太い腕で目じりの涙をぬぐいながら、岩尾丸さんが大きな明るい声を出す。
「わかりました!」
ケンジも赤トンボさんも精いっぱいの元気を出してうなずき返す。
時計は十六時二十分。強い西日に照らされて、大きなため池がキラキラとオレンジ色の金貨みたいに輝いている。池のふちの草むらでは、ササキリやウマオイたちが賑やかな声をあげて鳴きしきっている。
ケンジは水面の様子に目を凝らしながら、池のふち沿いを歩いて回る。水ぎわに密生したアギナシが白くて大きな百合のような花を咲かせている。雌雄が尾つながりになったギンヤンマが針状の葉の上にちょこっ、ちょこっ、ととまっては産卵を繰り返している。水ぎわに茂ったアギナシやミズワラビの上を、数え切れないほどのショウリョウトンボが飛び交っている。
近くの水ぎわで同じように中腰になって水面に目を凝らしていた赤トンボさんが、突然アアッと叫びをあげた。
「エッ!」
対岸に回っていた岩尾丸さんが大きな声を投げる。「まさか、ヘビでもいましたか!」
「あ、ああ、あの、今わたし」大きな興奮を抑えきれないように、ひどく上ずった声を出して赤トンボさんが、「確かにわたし、見たんです! 池の、あの、あっちの辺りで、確かに黒っぽくて丸いものがプカーって浮かんで、潜っていくのを!」
「まさか!」
「間違いないですよ! それって絶対にゲンゴロウですよ!」これにはケンジも興奮した声を出して、「くそー、燃えてきたぞー!」
ブンブンとうなりをあげて集まってくるコアブの群れに苦労しながら、それでもケンジは必死になって、水草の下を浚い続ける。網底にかかったマツモムシや、ミズカマキリは、すぐにも水へと返してやって、すかさず次の網を入れにかかる。
赤トンボさんからの吉報を聞いて、俄然ハッスルしてきたのだろう。岩尾丸さんもTシャツをびしょ濡れにしながら、水のなかで盛んにタモ網の先を振るっている。
「第四のため池」で網を入れはじめてから約一時間。空はすでに真っ赤な夕焼け色に染まっている。夕暮れの風を浴びた落葉松が、まだ豊かな梢の葉をキラキラした黄金色に燃やして揺れている。
涼やかに鳴きしきるヒグラシの声を耳に心地よく聞きながら、ケンジが赤トンボさんの背中に話しかける。「三人であれだけ泣いたあとに、結局採れませんでしたじゃ、僕たち様になりませんよね」
うふふ、と笑って赤トンボさんが、「格好悪い三人組っていうのも、何だかわたしたちらしくって似合ってますけどね」
「赤トンボさんのお兄ちゃんね。きっと今の赤トンボさんの姿をみて、天国ですっごく喜んでると思いますよ」だって、とケンジが、「今の赤トンボさん。すごく生き生きした顔をしてるもの」
「ひょっとしたら、お兄ちゃん。天国でシロさんのゲンタロウくんを飼ってあげてるかもしれませんね。いつまでもずっと子供の時の姿のままで。網とか虫かごやなんかも、もうボロボロになっちゃったのを大事に大事にして使ってて。いつかわたしが天国にいって再会したら、よお、加奈子おばあちゃん、なんていわれちゃうかもしれませんね」
「僕ね。いままでは、死んだら天国なんてない。どんなに素敵な記憶だって、そのひとが死んだら全部消えちゃうだろうな、って思ってたんです。でもね、つい今になって思い直したんです。今日みたいに特別な日の記憶は、例え身体がなくなっても、その思いっていうもの自体に強い力が宿って、きっとどこかには存在し続けるんだろうなって。そういう場所っていうのが、ひょっとすると僕らがいう天国っていうところなのかも知れません」
赤トンボさんもにっこりとケンジにうなずき返して、「その、思いが残るっていう考え方。わたしもすっごく良いなと思います。よーし、これからもわたし、ちゃんと生きていこう。一生懸命がんばって生きていって、素敵な思いをいっぱいしようって。ものすごく前向きな気持ちになれますよね」
感情あまったケンジが、<で、では、この僕が君を幸せに>そんな無駄な口を開こうとしたその瞬間だった。
オレンジ色の空いっぱいに「と、採ったー!」という声が響いた。
「うそだろ?」と口をあんぐりと空けてケンジ。
「冗談ですよね」と赤トンボさん。
「うそじゃないです」
身体中ずぶ濡れになった岩尾丸さんが水のなかから右手を振って、「うそじゃないんですー!!!」
「まじかよっ」大急ぎで網をその場に放り投げて、ケンジと赤トンボさんが駆け寄っていく。
「やった! やった! 採れたんですようー」
ボタボタとたくさんの水を滴らせながら、岩尾丸さんが泣きべそをかいたみたいな声を出す。
岩尾丸さんの差し出した網の底に、大きなゲンゴロウが跳ねている。ゲンタロウそっくりの可愛くて元気いっぱいのゲンゴロウだった。
「さっきね、そこの水草の影で、こいつのお尻が泳いでいくのをみつけたんです。それで僕っ。無我夢中になって、僕っ、僕っ、今こそここぞっていう感じで網を振って、そしたら」
ケンジは赤トンボさんと目を合わせて、とっておきの顔を出して微笑み合って。それから、今日一番の大声をつかって叫ぶ。
やったぁーーーーーーーーーー!!!
サイビスターを探す夏