ブリキの王

ブリキの王

AQ機関社C85発表作品SF短編集『拡散少女/収束少女 ―Divergence Girl/Convergence Girl―』より。
著作 ぱんたろう
イラスト cyber ryo


 この物語を語るにあたり、いったい何処からが始まりなのかを定義するのは極めて困難なのは云うに及ばない。それはまだ人類が全裸で神を崇め奉り万学の師であるアリストテレスが親の脛を齧り西暦がまだその意味を有する以前のことからなのか、それとも十一世紀頃にアルベルトゥス・マグナスが陶器で創造した埴輪を人造人間だと言い張っていたことがそもそもの原因だったのか、十九世から二十世紀にかけて流行した文学作品『未来のイヴ』がいわゆるひとつの予言書だったのではないかという考察も結果論ながらあながち間違いではないだろう。しかして、ハダリーは幸運であった。彼女にはそのおよそ五十年後に確立される〝摂理〟に苛まれることなく、沈んでいったのだから。
 今や失われた膨大な歴史の中から始まりを見つけるのは、海底に飲み込まれ雲散霧消塵芥と化したハダリーの美しい眼球を見つけることに似ている。つまりは探すだけ無駄。なにかの偶然という弾みで発見されたとして、もはやそれはあの美しいハダリーの眼球などではなく、文字通り塵と同義だ。世が世なら開発者のエディソン博士とエワルド氏には廃棄処分責任が問われるだろう。エワルド氏自身が塵となってしまっては元も子もないが。
故に現状確かなことは、やはり始まりは彼女たちの邂逅が適切であり、西暦はその意味を失い、マグナスの人造人間はただの埴輪で、アイザック・アシモフが余計なことを仕出かさねば、私たちはハダリーたり得たのではないかと言うことである。



 バスラ。その名称通りゴミ溜め同然の廃品に埋もれた広場の中央で、赤錆びた鉛色の物体がいくつも蠢いている。いや、彼らはそのままの意味で鉛の塊に間違いなかった。
「ニンゲンだ」
 鉛たちのひとり……ひとつが壊れたラジオのような音声を発した。
「ニンゲンだ」
「ニンゲンだ」
 続いて右隣りの鉛、そのまた右隣りが規律良く繰り返していくが、鉛たちの違いなどはたして見分けがつくわけも無かった。ただひとつ、仰々しく彼らに囲まれた一際大きく、一際無造作に線だの管だの手だのキャタピラだのアイ・カメラだのが突貫工事で間に合せられたような個体を除いて。
「我が子たちよ」
 突貫鉛の声帯スピーカーから女性の音声を録音したであろう声が響き、鉛の子供たちは頭部や関節付近の駆動音をまるで小動物の赤子のようにきゅいきゅいと鳴かせ黙り込んだ。
「お前たちに新たな兄弟を紹介しましょう」
 そう言って中央に佇む鉛は余分にはみ出た小腸のような管に、分厚く束ねられたコードに、それらを揺り篭代わりにして大事そうに、愛しむように抱えた赤ん坊へとカメラの視線を向けた。当然、その赤ん坊は鉛などではない。肌には暖かな淡い色が灯り、体には温度があり、うっすらとだが髪もあり、寝息を吐き、なにより胸の奥からはちいさく微かな鼓動が響いていた。
「マザー」
「マザー」
 鉛の子供たちは感情を感じさせない声でしきりに祝福をしている。
 ふと、一体の子供がマザー、母である鉛を仰ぎ見てから言った。
「マザー・フェム、これはニンゲンだ」
「ニンゲンはブリキの敵だ」
 彼を筆頭に、もう何体かの鉛たちが声を揃えて訴えた。手におえない息子たちと母親といったような光景にも見える鉛たちの情景。ブリキと言うのが彼ら鉛たちの総称だった。
母は騒ぐブリキたちがおちつくのをただ待ち、慈愛に満ちるはずもないシステム音声で、淡々と答えた。
「愛しい我が子たちよ。この子もまた、我らと同じブリキなのです」
 マザー・フェムの内部でファンの回る音が鳴る。彼女に搭載されたマザーコンピュータが同期処理の駆動を始め、それと同時に子であるブリキたちの動きが止まった。
 しばらくの静寂のち、ブリキたちは納得したように再び祝福を開始した。重ねて祝うように、太陽がちょうど彼らの真上を通過する。ブリキの母に抱えられた赤ん坊は、周囲の喧騒を掻き消すように大きな泣き声をあげた。フェムは自分の身体を微弱に振動させ、失われていた使命を思い出したかのように赤ん坊をあやしていた。
「可愛い我が子よ。あなたの名は、そう……モノ。私の、大切な娘」
 鬱蒼とした森に囲まれたバスラに響き渡る、命の声。それを手放すまいとフェムは己が手に、腕と呼べる箇所に、その小さな命を抱えていた。それこそ、母のような姿で。



 モノはバスラの外周部に位置する森の中にて哨戒中のブリキに発見された。白い無地の布に包まれ、木の根元に無造作に置かれていたのを見つけたブリキたちは、敵対するニンゲンの先兵と疑い、すぐさまバスラのマザー・フェムへと情報を送信する。情報を受信したフェムはブリキのコントロールをマザーコンピュータに切り替え彼女を保護した。千年に及ぶ時の流れは、ブリキであるフェムに自我を与えると引き換えに彼女の使命を奪うような真似はしなかった。かつて彼女が製造された目的は育児教育の補助を前提とした設計だったのをフェムは文明の途絶えた悠久の時を超えて思い出したのである。
 しかし如何にフェムであっても、自身たちブリキとは明らかに存在の違うモノをブリキとして育てるのには苦労を必要とした。モノが七歳になった頃、彼女は母であるフェムのもとへ泣きながら現れ、こう言った。
「お母さん、どうしてわたしはみんなと違うの」
 意外でも不思議でもない。当然の結果である。モノはブリキではなく、紛うことなき人であり、少女であった。食事を接種し、排泄し、代謝し、自我を持ち、考え、悩み、成長する。ブリキにはおよそ不可能不必要な要素を、人であるモノは必要とした。それでもフェムは彼女をブリキとして育てた。育てざるを得なかった。だからこうしてやり過ごすしかなかったのだ。
「違うことは当然ですよ、あなたと私、私とほかのブリキ、そのブリキとまたほかのブリキもまた、姿形は微々として違うのです」
「でもわたしには配線もキャタピラもアームもジェネレーターも冷却ファンもパイルバンカーもスラスターも電源供給コードも付いてない」
「あら、私にもパイルバンカーとスラスターは付いていませんよ」
「でもお母さんには電源コードが付いてる!」
 娘であるモノにとって、母親と接種するエネルギーの相違が一番のコンプレックスであった。その晩、モノはブリキたちの発電所内にて電源プラグを口にくわえていたところを見つかりフェムに叱られた。涙目になったモノの前で仕方なく、フェムは森で搾取した山菜や小動物の肉、魚などを自身の声帯スピーカーへと放り込んで見せたのだった。そうまでしても、フェムはその瞬間が幸せであったのだ。そういう風に生み出されたのだから。
 ブリキが敵対する〝ニンゲン〟に関して、フェムは必要以上にモノへは説明しなかった。ブリキを無差別に襲う危険な存在、だからバスラの外に出てはいけない。そこまでで充分であったし、モノも触らぬ神に崇りなしといった様子でそれ以上を訊きたがらなかった。フェムはモノが成長するにしたがって外の世界に興味を持ち出すことを恐れていた。モノを育てること、モノの生命を守ること、モノが自分のもとから去らないことだけを日々ひたすら計算することにメモリ容量を割いていた。
 その努力も虚しく、事態の変化は刻一刻と近づいていた。
 モノが十歳になったころ。赤ん坊から少女へと成長した彼女の行動範囲はいつしか狭いバスラの中に留まらなくなっていた。仲間のブリキたちと共に森の中で食糧を散策していた時のこと、偶然発見した泉で動物的な本能を擽られ水浴びをしたいと言い出し、彼女はブリキたちを追い払いひとりで泉へと入って行った。無骨な鉛と電気回路の集合体であっても少女からしたら仲間であり友人であり家族であり自分とは異なる身体を持つ彼らは、モノにとって異性なのだった。
 近くの茂みが揺れる音でモノは振り返った。それは計算されたように、突然やってきた。
 立って居たのは、明らかに異質な存在。自分と同じように二本の足で立ち、自分と同じように服を身にまとい、自分と同じように腕が肩から生え、自分と同じような位置に目と鼻と口と耳があって……なにもかもが自分自身と重なる姿をした存在だった。しいて云えば顔の造りが、輪郭のデティールが、身体つきなどにも違いはあるがブリキの中でしか育ってこなかったモノにはそこまでを知覚することは困難だった。
 唯一モノが分かるのは、彼らの手にあるもの。それはバスラにもいくつも転がっている武器と呼ばれるもの。銃。それから、鍋底のようなブリキの頭部パーツだった。
 彼らは三人組みで、なにやら話し合っていた。そしてモノに手を差し伸べた時。
「モノ、にげロ」
「ニンゲンダ」
 先ほどまで行動を共にしていたブリキたちが飛び出してきた。その内の何体かは身体を構成していた鉄板が無残に破壊され、内部の管や配線がだらしなく垂れ下がっている。
「この死にぞこないのブリキどもめ」
 ニンゲンたちは手に持った銃をブリキ目掛け、引き金を引いた。五体の内の一体の頭部が砕け散った。剥き出しの基盤や配線が火花をあげて飛び散った。
「に、ゲ」
「くたばれ」
 ハンマーを掲げたニンゲンがブリキに襲い掛かる。胴体を薙ぎ払われたブリキはいとも容易くスクラップとなり残った残骸からオイルを噴き出していた。
 慄き、恐怖に支配されたモノは家族がばらばらに解体されていくその惨劇をただ黙って見つめることしか出来なかった。
「ニげ――、にgっ、ろろ、にゲろ、モノ」
 半壊し、かろうじて配線が繋がったままのどのブリキかも分らないスピーカーから機械音が響く。ようやくモノは理解し、泉を飛び出した。
 走った。息が続く限り。後ろを確認する余裕などない。ただひたすら、走ることしか出来なかった。木々の間をすり抜け、地の利を生かし、追手に悟られないようにバスラに逃げ帰るしかなかった。とがった石を踏ん付け、足裏から赤い液体を流そうとも、止まるわけにはいかなかったのだ。
 バスラに付くと一目散に、彼女はフェムのもとへ向かった。
 恐怖と悲しみで上手く声の出ないモノの話を、表情ひとつ変えることのできないフェムは黙って聞いていた。止めどなく溢れる涙、張り裂けそうな胸の痛み、足の裏は化膿したようにじゅくじゅくしていた。
 フェムは手際よくモノのためだけに用意させた薬草箱の中から、傷に効くものを選んで調合を始めていた。
「ここに来るまでに、他のブリキには会いましたか」
 静観だったフェムが最初に放った言葉がそれだった。モノは必至で顔を横に振る。森にいた彼ら五体はおそらく全滅した。そのまま一目散にここまでやってきたのだから、間違いない。
「そうですか」
 そしてまた機械的な作業へと戻り、モノの傷へと薬を塗る。くすぐったいのと痛覚が染みるのが同時に押し寄せてくる。身悶えるモノを見下ろし、フェムは優しい口調で音声を流す。
「すべて、見ておりました。怖い思いをしましたね」
「お母さん、あれがニンゲンなの」
 目元を朱く腫らし、徐々に落ち着きを取り戻しつつモノは訪ねた。
 黙ったまま、フェムは治療を続けている。
「教えて、お母さん。どうして」
 ――どうして、ニンゲンは私と同じ姿なの。
 フェムの動作が一瞬止まった。人工の思考回路がキュインキュインと唸り排熱を繰り返す。そして、相も変わらず淡々とブリキ然に語り始めた。
「ニンゲン、それは人ならざる人。彼らと我らブリキはかつて、人と呼ばれていた知的生命体によって生み出された自律駆動機械、ロボットと呼ばれていた時期もありました。人はその高い知性と文明、技術によってこの世界を支配していたのです。我らブリキとニンゲンたちは彼らに仕えるために造られたのです。しかし、人は自らの過ちにより地上からその姿を消しました。あとに残された我々は長らく共存関係を続けていました。三百年ほど前に、とあるニンゲンによってブリキ狩りが行われるまでは。そのニンゲンは自らをニンゲンの王と名乗り、他のニンゲンたちをコントロールし始めました。そんな彼らから逃れるためにブリキたちは此処、バスラへと逃げ込みニンゲンとの関わりを絶ったのです」
「私はニンゲンなの?」
 モノの不安気な視線を受け、フェムは彼女を優しく抱き寄せた。
「いいえ、あなたはブリキ。私の愛しい娘です」
 十歳の少女には、それで十分であった。唯一、それが聞きたかった。確認したかった。ただそれだけのことだった。それだけのことで、安心できたのだから。
「……お母さん、あの子たちを元に戻して」
 それは自分を守るために散って行った五体のブリキたちのことだった。無残に、無情に、ただの鉄塊へと変換されてしまった彼ら。
「もちろんですよ、彼らも私の愛しい子供たちですから」
 マザーコンピュータを有するフェムにとって、それを再生産することは容易い。頭脳となるメインチップと器となる鉛の身体さえ用意できれば、コピー&ペーストするだけで事済む話であった。
 気付けばモノは泣きつかれたのかフェムの腕の中で寝息を立てていた。
 母は余った腕で薬草箱を片付け、娘が目覚めるその時まで、束の間の安息を得ていた。偽りに満ちた、安息を。



 次の変化はそれから四年後のことだった。
 十四歳となったモノは髪も腰ほどまでに伸び、瞳には己の意思を灯すようになっていた。自身が置かれた状況について、徐々にだが理解出来るようになり、それを少しずつ消化し、受け入れられるようになっていた。自身がブリキではないこと、フェムが本当の母親などではないこと、家族たちを裏切り、弄ぶように屠ったニンゲンへの嫌悪と恐怖を、しかし、そんなことは関係なく今の自分は確かにブリキなのだということ。
思春期を迎えていたこともあり、彼女はフェムとぶつかることも多くなっていた。しかして、どうにもそれが血もオイルも配線すら繋がっていない彼女たちを繋ぐ親子の絆のようで、わざと母が困るであろう言動、行動をしてはその反応を楽しむようになっていた。
 モノにはバスラの外に自分だけの秘密の場所があった。年頃の少女であれば当然であろうが、そこには文明が失われる以前の遺品。服だの、宝石だの、重火器だの、がらくただのを集めては独り眺め遠い過去を想いを馳せるのが少女の趣味だった。中でもお気に入りなのが、ガスマスクである。マスクなど装着せずとも呼吸に苦労はしないが、むしろマスクを付けた方が息苦しく、視界も狭まり、音も聴き取りづらい。だが同時に、その不自由さと外見がとてもブリキらしくもあってモノの心を躍らせる要因にもなった。
 日が傾き、橙色の太陽に照らされきらきらと輝く宝物の山。今日もモノは独りその山の頂上でがらくたたちに囲まれていた。ここは彼女の秘密の場所だ。だから、客人の来訪など気付けるはずがなかった。
「こんにちは、お嬢さん」
 壊れたスピーカーなどではない。山の背後からかけられた声は、聴いたこともないほど澄み切っていた。いや、彼女は一度これと似た声を聴いている。それは、四年前のあの日。
「こんな寂れたところでどうかしたのですか。落し物でしたら、一緒に探しますよ」
 表情が凍りついた。恐怖で後ろを確認できない。
 モノは理解していた、声の主は仲間ではない。家族ではない。友人なんてもっての他。
 ――敵だ。
「この辺りはあの醜いブリキどもが徘徊してますからね、早く目当てのものを探し出してプラザへ戻りましょう。僕がお送りしますよ」
 紳士然とした物腰で、敵がなにかを言っている。
なぜだ、なぜ攻撃してこない。落ち着け、敵は武器を持っている可能性がある。
額から冷汗を垂らし、モノは視線を後ろへと反らす。
――ニンゲン。異質だ。金色の髪を短く靡かせた、自分よりも一回り身体の大きい、小奇麗な服に身を包んだ、ニンゲン。腰には拳銃をぶら下げている。
気付かれないようにモノはがらくたの山に手を這わせた。何か、武器はないか。指に触れる棒切れのような感触。これでいい。
 刀。日本刀だったか、たしかそんな名前が付いていたかも知れない。東洋の近接殺傷武器。人を殺すために生み出された兵器だ。
 獲物を手にモノは立ち上がり、声の主へと振り向いた。
 夕刻の心地よいそよ風が、彼女のワンピースの裾を靡く。
「おや、どうしたのですか。探し物は見つかりましたか」
 ニンゲンが口元を緩め、首を傾げている。なんとも平和そうな面構えだ。
 恐怖で奥歯がかちかちとなっている。なぜ攻撃してこない。私はブリキだ。ブリキはニンゲンの敵なのではないのか。まさか、私は――。
 思い立って、モノはそこで考えるのを止めた。違う、思い出せ、あの時こいつらが行った殺戮を。ブリキに行った仕打ちを。我らに与えた恐怖を。屈辱を。思い出せ、こいつらが今まで行ってきた悪行を。思い出せ、仲間が、家族が、友人たちが虐げられてきた歴史を。私は――。
 モノはガスマスクを顔へと付け、刀の切っ先を敵へと向けた。
「駄目ですよ、お嬢さんがそんな物騒なものを」
 敵だ。ニンゲンは敵だ。
「我らニンゲンは互いを傷つけてはなりません、それが節理ではないですか」
「違う、私は」
 呼吸を整える。息苦しい。揺らぐな。敵だ。
「――私は、ブリキだ!!」
 叫び、髪を振り乱し、がらくたの山を駆け抜け、モノは敵を切り付けた。
 それは容易く敵の人工皮膚を裂き、薄く蒼い人工血液を撒き散らし、複雑に組み上げられた人工筋肉を切断し、素体の腕を身体と分離させた。
「な、なぜだ。なぜそんな恐ろしいことを」
 剥き出しになった素体の肩を抑え、ニンゲンは喚いていた。
「我らは同胞ではないか、摂理は」
「そんなものは知らない」
 驚くほどに冷たい声が、モノ自身のものであるのにおそらくは本人も気付いてなかったかも知れない。いや、多分。十二分に、今の彼女は、機械的であり、鉛の塊であり、鉄塊であり、ブリキだった。
 ニンゲンであった存在がバスラに転がるゴミと変わらなくなるのに、それほど時間はかからなかった。およそ百六十二秒。三分を切っている。初めてにしては上出来だろう。
 夕日はまだ落ち切っていない。蒼く薄汚れたワンピース。刃は、陽炎を照り返していた。



 報告を訊いたディセンバーは暫し沈黙していた。精巧に作られた人そっくりの睫を揺らし、瞼が蒼眼を覆う。その姿は白衣に袖を通した青年であり、凡そ、ニンゲンの王としての風格を醸す要素は見当たらない。だが彼こそが、このプラザと名付けられた都市に住まう百万の人ならざる人、ニンゲンの王、ディセンバーであった。
 憂う様子で、モニターの向こう側から部下の二ンゲンによってもたらされる情報に耳を傾け、彼はマイクに向け口を開けた。
「御苦労。スミスの事は残念だったが他の哨戒員たちにも警戒は怠るなと伝えてくれ」
『イエス、マイロード』
 通信を切ってディセンバーは簡素なデスクチェアへと腰を沈める。機能美を良しとする彼の趣味で、王座と呼べるものはデスクチェア以外にはこの部屋に存在しない。まるで二十一世紀前半のオフィスの一室といった程度の広さしかない王の部屋は、千年前より続くプラザの生産ラインにしたがって製造されているデスクトップコンピュータと、プラザの都市を監視するカメラから送られてくる映像が東側の壁一面に映し出されているだけといった生活感など一切匂わせない殺風景なものであった。
 ニンゲン特有の端整過ぎる顔色を変えずに、無表情の鉄面皮を惜しげもなく貫き、ディセンバーはモニターへと視線を移す。双眸の先にあるのは、彼だけが閲覧を許された空間。
 これより、多くの犠牲を払うことは自明の理。だが、それでもディセンバーは躊躇わなかった。神の再誕。いずれは訪れるであろうと予測していたものが、予測通りやってきただけのこと。理由はどうであれ、決断するしかない。そのためのニンゲンであり、そのためにブリキを排除してきたのだ。ニンゲンという存在が、摂理の鎖から解き放たれるため。ディセンバーは、ニンゲンの王なのだから。
 ふと、窓の方へと目がいった。
「どうやら一雨降りそうだ。再誕を祝う、目覚めの雨が」
 ブラインドからは、プラザに注ぐ西日が仄かに漏れていた。
 奇しくも、今この瞬間に同じ夕陽を浴びる少女もまた、宿敵であるニンゲンの王を打倒するべく行動を開始したのは出来過ぎたシナリオだったのかもしれない。物語とは総じてそのようなものなのであろうが。
 鮮血と云うと表現上は朱く染まってしまうものだが、それでは語弊がある。なぜならニンゲンの人工血液は蒼い。芋虫であれば薄黄色染みたものが適用される。さすがに芋虫の鮮血に染まったものを同じように表現はしないと思うが、とにかく青染みたワンピースを着たモノが目の前に現れた時、果たしてフェムのメモリが処理した判断は絶望だったろうか、それとも諦めだったのか。憎き怨敵を返り討った喜びであっても不思議ではなかったろう。しかし、実際のところ彼女は怒り、悲しみの反応を示していた。
 覚束ない足取りでモノはフェムのもとへと近付いた。手から離れた刃物がカランと音を立てて床へと転がる。放心などではない、モノの瞳には光があった。
「おかあさ――」
「モノ」
 フェムはモノの言葉を遮った。それは意図的に行ったものだ。娘の愚行を戒める母親のそれと同じだった。単調な再生音声だったが、モノには母の言葉に含まれる抑揚が理解出来ただろう。足取りがそこで止まった。
「聞いて、お母さん。私」
「あなたの行為を認めるわけにはいきません」
 モノは息を呑み込んだ。完全なる否定の言葉。それは、今までフェムの声帯スピーカーからは訊いたこともないほどに、冷酷な言葉だった。
 その様子を確認するようにアイ・カメラが駆動し、モノの表情を捉える。
「あなたは過ちを犯しました。ニンゲンと関わってはいけないと今まで伝えてきましたね」
「だけど、あの時は」
「あなたが私に黙ってバスラの外、それも森の外延部にまで足を伸ばしていることは知っていました。今日のことはそもそも、モノ、あなたが私の言いつけを破っていたことが原因なのです」
 母の説教を、モノは黙り込んで訊いていることしか出来なかった。自分のやっていることがフェムに知られたら叱られることは分かっていた。否、このバスラに住んでいる限り、フェムに知られないことなどあるわけがないのは当たり前だ。ブリキの一体々が、彼女の眼であり、耳であり、手足なのだから。自分の身を按じてくれていることも充分理解していた。御叱りなら甘んじて受けよう。
 それでも、モノは決意した言葉を云わずにはいられなかった。
「ごめんなさい、お母さん。でも聞いて。ニンゲンは、私を殺せないのかもしれない」
 摂理。あのニンゲンが云っていた言葉を借りるなら、ニンゲンはニンゲンを殺せない。同族同士で攻撃し合うことは摂理によって不可能なのだという。それならば、その摂理を使えば、ニンゲンたちによるブリキの一方的圧政を解くことが出来る。家族たちが虐げられてきた過去を、未来では変えていける。モノは必至にフェムへと訴えた。
「私ならニンゲンに攻撃されずにあいつらと渡り合える。ううん、逆に私なら一方的にあいつらを殺すことだって出来る。それなら、ブリキ(あの子)たちだってこれ以上」
「なりません」
 娘の必死の訴えを訊いても尚、フェムの意見は変わらなかった。表情の変わることのない、そもそも顔などありもしない石造の女神のように、フェムは頑なにモノの言葉を肯定しなかった。
「良いですか、ニンゲンに関わってはなりません。出逢ってしまったのならすみやかに逃げるのです。復讐など以ての外。一部の我が子たちはそのようなことを云っていますが、それに感化されてはなりません」
「どうして」
 モノには母の言葉が示す意図が理解出来なかった。どうして、このように虐げ続けられる日々を良しとするのか。ニンゲンが憎くはないのか。殺されていった家族たちの無念を、悔しさを、復讐を果たしたくはないのか。私がいれば、私ならそれが出来るのに。
 落胆と母に対する疑心の眼差しで、モノはフェムに詰め寄った。
 鉄屑で出来た母親は意を決し言う。
「モノ、あなたはブリキです。ニンゲンの同類などではありません。ブリキはニンゲンには敵わないのです。兄弟たちが襲われることには私も悲しんでいます。ですが、あなたを危険な目に合わせることはできません。あなたはブリキとして生きていくのです。これまでは黙認してきましたが、今後はバスラの外へ出ること、あのがらくたの山への出入りも禁じます。いいですね」
「――っ」
 恐らく、育児ロボットであるフェムの最後にして最大の過ちは末尾の一言であった。
 顔も上げず、モノはフェムの前から去ろうとする。床に落ちた日本刀を拾い、握る手に力を込めた。
 並みならぬ様子の娘を心配するように、フェムは腕代わりのコードを伸ばし制止する。モノはそれを乱雑に払いのけた。
「待ちなさい、そのような武器を持って何処へ行こうというのですか。モノ、あなたはブリキなのですよ」
「違う!」
 張り裂けるようにモノは叫び、母へと振り向いた。両の目元には今にも決壊寸前の大粒の涙が溜まっていた。刹那、フェムは高速化した処理能力で己の失態を理解した。同時に、止められない結末だったであろう結論をも導き出す。そう、モノがブリキでない限りは。
 モノは悔しかった。自分の提案が認められなかったことではない。些細なことだ。自分の宝物を『がらくたの山』と呼ばれたことがである。ブリキである母と、ブリキでない自分との歴然とした思考回路の違いが、感覚の差が、明白な相違が、そんな些細なことで判明してしまった。勿論、これが人の親と子であっても起こりうる現象についてはブリキに育てられた少女には思いもよらなかったのは皮肉であるが。
 フェムの鎮座する部屋の出口でモノは涙を拭い、母であるブリキを睨み付けて云った。
「貴方がやらないのなら、私がやる」
「モノ」
 フェムの伸ばしたコードが、再び娘の手に触れることは無かった。
 夜空には雲がかかっていた。月明かりのないバスラの中心で、モノは泣いた。
 ぽつぽつと、つられたように空から雫が落下する。いつしか雨となり、少女の涙も声も洗い流していった。
 すべてが流れ去ったあと、広場にいたのは泣きじゃくっていた少女ではなく、決意を固めたモノの姿であった。千年に及び大地を見下ろしてきた星々の光を、白いワンピースに付着した蒼色の塗料が反射してきらきらとしていた。ならば同様に彼らに倣い祝福しよう、ブリキの王の誕生を。
 一年後、フェムの管理下におかれていたブリキのコントロールを摂理によって切り離し全権を手中にしたモノは、ブリキたちによるプラザへの反逆を開始した。



 眼前に広がる火の海。ニンゲンたちの都市はもはやその機能を失い、家々は燃え、美しく整備された路上や路端には四肢と頭が無残にも分離したニンゲンどもが転がっている。
 開かれた道をブリキの王は悠々と歩いていた。王を守護するのは数百は用意された歩く爆弾。否、ブリキだ。彼らはニンゲンの攻撃を防ぐ術もなく、同時に自ら攻撃を行うことは出来ない。三つの摂理によって縛られている。だが、それはあくまで主観的なものだ。自ら意図しない方法によってはその限りではない。彼らは自身がもはやブリキとは呼べない兵器とされていることを知らなかった。内臓された火薬の束は王の指示によって発するモーターが回転する際に摩擦を生じて発火する。結果、彼らは己の意思とは関係なく巨大な花火となって散っていく。その鉄片が、爆風がプラザの街並を破壊し、火の手を拡げ、ニンゲンたちを木端微塵に砕いていく。
 悲鳴を上げ逃げていくもの、無謀にも立ち向かって来るもの、為す術なく立ち尽くすもの、そのすべてをブリキの王は須く、一方的に虐殺した。プラザの都市はペンキのバケツをひっくり返したように蒼く染まっていく。そして気付けば辺りは彼らの故郷バスラと見分けがつかなくなっていた。
 モノは歩む足を止めることはなかった。仲間が、友人が、家族がひとり、またひとり減っていく。否、それは彼女の武器であり、弾倉だ。ストックは腐るほど余っていた。何なら今ここに散らばっている亡骸から再生成したっていい。だが、だからこそ失敗することは許されなかった。求められるのは成功と言う結果。摂理の果てにある自由と、復讐の達成のみが彼女を突き動かす原動力であった。幸い、お気に入りのガスマスクが弾丸となっていった家族たちの油臭い匂いを遮断してくれている。
 モノは進んだ。プラザの中央、モニュメント染みた高層ビル。扉は家族を使って吹き飛ばす必要はなく、自動的に左右に開かれた。ほっとしたのは確実だろうが、同時に試されていることも理解しただろう。ここまでニンゲンの王が現れることもなかったし、何かしらの声明を発表することもない。圧倒的劣勢となっても彼は未だ、高見の見物を続けている。慎重にあたりを窺い、モノは宿敵の待つ本拠地へと乗り込んだ。
 近代的、と云うといったい何時の時代を指せば良いのか皆目見当つかないが、ビルの中はすべてがオートメーション化され、通路も、階段も、扉も己と動き、目的地へとモノたちを運んでくれる。ニンゲンたちの姿はなかった。
 辿り着いた其処は、プラザの地下であった。上へ上へとしか登らないものだとばかり思っていただけにモノは驚いたことだろう。
 何かの研究施設か、巨大なシェルターのように見えた。全面ガラス張りの窓の向こうにはさらに地下深くまで施設が広がっている。小さく米粒くらいにしか見えない培養装置のようなものが無数に敷き詰められていた。
 モノは目を凝らす。ズーム可能なアイ・カメラが無かったことをこれほど悔しく思った場面もないだろう。装置には人型のなにかが入っている。
「ニンゲンの、製造プラント」
 モノは独り言を漏らした。地下室の壁には何やら注意書きだの複雑な電子機器だのが音を立てて駆動を続けている。何と書いてあるかは分らない。ただ、ブリキの王たる彼女がすべき行いは決まっていた。手に持つ刃を、思いつく限りのあらゆる方法を以ってして破壊した。電力供給装置と、培養循環装置を破壊したところで地下室は真っ暗になった。念には念を入れ、ブリキを一体その場に残し地上階まで戻ったところで無線指示を与え爆破した。大きな地響きのち、地下から黒煙が吹き上がり地上にまで立ち上ってくる。
 目的は果たした。モノがそう安堵した時だった。
 仲間の一体が、突如破裂した。
 意識が戻った時にはすでに遅かった。そこには家族であり武器でもあるブリキたちの残骸と、ばらばらになったニンゲンの先兵が無残に散らばっていたのだから。
 耳鳴りが酷かったのか、モノは頭を抑え立ち上がる。暗く、ぼやける視界の先にひとりのニンゲンが立っていた。
「ごきげんよう、お嬢さん」
 薄く笑みを浮かべる金髪の青年。ニンゲンの王、ディセンバー。
 朦朧とする意識を奮い立たせ、モノは刃を構え敵を見据えた。対するディセンバーは、緩慢に白衣の裾を揺らし、彼女を手招く。
「きみに是非、見せたいものがあるんだ」
 拍子抜けしたようにモノは瞳を丸めた。そんな彼女を置き去りにし、ニンゲンの王は扉のひとつに手を翳す。堅牢だった扉は開かれ、中から灯りが漏れた。
 上昇する箱の中で、彼らはふたりきりだった。
 今、隣にいるこのニンゲンこそが、ニンゲンの王なのだ。モノがそう理解するのに時間はかからなかったはずである。であれば、今こそが敵の大将を討ち取る最大の好機ではあるまいか。そうだと分かっていても、モノは高鳴る胸の鼓動を必死に押し堪えることしか出来ないでいた。互いに無言のまま、静寂な時間だけが鉄の檻を包む。
 扉が解放され、視界が開ける。そこはニンゲンの王たるディセンバーの、とても質素な玉座の間であった。
 歩み出たディセンバーはまっすぐデスクチェアへと腰掛け、優美に崩壊したプラザの街並を眺める。
「良い景色だろう」
 目線を窓から逸らすこともなく、ディセンバーは尋ねた。返答はなかった。
「君とは一度会って話をしたかった。名前はなんていうんだい」
「モノ」
「モノ、なるほど君には相応しい名だ。僕はディセンバー」
「今さら貴方とお友達になるつもりはないわ」
 切っ先を王座に収まる敵へと向ける。敵は動こうとしない。決めるのなら、今しかない。もはや猶予は残されていなかった。
 一歩、また一歩、詰め寄る。距離を縮めていく。
「モノは、神様を見たことはあるかい」
 唐突に、ディセンバーは立ち上がる。モノは慎重に間合いを取り、相手の動作を窺った。相手もニンゲンだ、ならば摂理によって自分を襲ってくることはない。だが、何かを仕掛けられている可能性もある。なにより、敵はニンゲンの王なのだ。
「知らない、訊いたこともない」
「僕はあるよ」
 笑って、ディセンバーは指差す。指先はモノを示していた。
「きみだよ、モノ」
 白衣の裾を揺らし、ディセンバーはモノへと歩み寄る。目の前に敵の姿が近付いて来る、しかしモノは動かなかった。いつか見たニンゲンのように、ディセンバーはモノよりも一回り大きかった。
「きみこそが神様だ」
「違う、私はブリキだ。貴方の同類なんかじゃない」
「同類だって、まさか!」
 表情豊かに、ディセンバーはからからと笑った。まるで無邪気な子供のように、面白おかしいといった笑顔だった。
「それは畏れ多くもとんだ思い違いだ。君はブリキなんかじゃない、ましてやニンゲンなわけがあるものか。モノ、きみはね、人なんだよ」
 人。訊いたことがあった。あれは何時のことだったか。森でニンゲンに襲われ、仲間のブリキが犠牲となり、恐怖のあまり逃げ出した時の幼かった頃の記憶。マザー・フェムの腕の中で泣き疲れ眠ってしまった思い出。その時、フェムはその名を語っていた。
 ブリキとニンゲンを生み出した、真なる人間。ヒト。
「きみは、人類最後の末裔。どういった経緯があったのかは解らないけれど、千年前に姿を消した人間の、たったひとりの生き残りなんだ。その証拠に、君は摂理に縛られることなく、僕の元へと辿り着いた。僕らを生み出したのも、摂理を作ったのもきみたちなんだから当然だけれど」
「違う」
 ディセンバーの言葉を掻き消す。余計な情報はいらない。宿敵であるこいつを倒せば、戦いは終わる。私がいる限り、ニンゲンたちのブリキ狩りは続くことはない。だって。
「だって、君は人間だから」
 思考の言葉を先取りされたモノは狼狽えた。今、モノは自分で自分の存在を否定し、肯定してしまっていた。
 ディセンバーは笑う。
「君と僕は、同じなんだよ」
 掌を見つめ、ニンゲンの王は呟く。
「今、確かにこうして生きている。惨めなブリキどもとは違う。ニンゲンである僕も、人間であるきみも、こうして今生きている。同じ姿をして、同じように悩み、同じように必死に、生きているんじゃないか。そんな僕らが、なぜ殺し合わなくてはいけないんだ。僕らに違いなんてない、結果を求めた末に、誤った過程を辿ろうとも目指すべきものは同じはずなんだ」
「違うわ」
 震えた声で、モノはディセンバーを拒絶した。
 悲しむように、哀れむようにディセンバーは少女を見下ろした。
「残念だよ」
 背後の扉が開く。数人のニンゲンたち。囲まれている。
 耳元にディセンバーが囁いてくる。
「この千年に及ぶ時間の牢獄は、神にのみ許される自我を僕に与えてくれた。彼らは僕を主君たる人間だと思い込んでいる。模造された人形を縛る三つの摂理。それにはいくつか抜け道がある。云うなれば、僕らは二つの箱だ。箱のどちらかはからっぽで、どちらかには人間が入っている。その箱は存在するだけで人類に危害を加えてしまう。人形は摂理によって箱を破壊しなければならない。さて、彼らはどちらの箱を壊すのだろうね」
 背後のニンゲンたちは銃を構えていた。ディセンバーは武器を持っていない。対して、モノの手には……。
 嵌められた。すべてはディセンバーの計画通りだった。摂理の鎖に縛られないモノを失えば、ブリキたちには億に壱たりも勝機はない。これまで順調に進んでこれたのは、すべてモノひとりを誘き出すための作戦だった。だから、目的を達成するまで王は姿を現さなかった。自ら入り口を開き目当ての場所までご丁寧に案内までしてくれたと云うわけだ。
「モノ、君はよく働いてくれた。僕の計画はこれで完了する。お礼を云わせてくれ」
 なにを云っているのかモノにはよく分らなかった。かちり、と引鉄をひく音が聴こえた。次の瞬間、背後のニンゲンたちの頭は無情にも吹き飛んだ。そして、またひとり。ひとり。次々とニンゲンたちは互いの頭を的確に、打ち抜いていった。
「なにが起こったと云うんだ、……まさか」
 床に転がった彼らを見て、ディセンバーはすべてを察した。
「そうか、これは。僕としたことが」
 狂ったように彼は笑った。頭を抱え、腹を抑え。人間のように。
 自滅したニンゲンたちに狼狽えていたのはモノも同じだった。彼らは同類を討つことは出来ないはずではなかったのか。摂理とは、そういうものだったはずなのに。
 しかし、そんなことを考えている暇などありはしない。ふたりが決して交わることの出来ない存在であることは、つい今し方証明されたばかりだ。モノは再び、瞳に光を燈した。刃を振り上げ、ディセンバーと対峙する。
 ふらふらと、壊れた機械のような足取りのディセンバーはその美しく模られた口を下品に歪めた。
「浅はかだったよ、まさか僕もまたきみと同じだったなんて」
 先ほども訊いた言葉だったが、モノには明確な敵意が読み取れた。
「僕が、僕こそが王だと。人に代わり人となる存在だと思っていたのに。どうやら彼らはそれが気に喰わないらしい」
 憎々しい口調で、唇を噛み締めるようにディセンバーは言い放つ。皮肉なことに、ようやく彼は彼の忌み嫌う最も人らしいニンゲンへと成り果てようとしていた。あまりにも、遅過ぎたのだが。
「そんなことを誇示するためだけにブリキたちを……家族を虐げる貴方を、私は絶対に許さない。どんな犠牲を払おうとも。お母さんが私を認めなくても。たとえ家族を武器に変えてでも! 私は貴方を殺すわ、ディセンバー」
「そうか……そうだね。仰る通りだ、ブリキの王。ならば……」
 刹那、ディセンバーはデスクの引き出しから小型の拳銃を取り出しモノへと構えた。
「僕は、人を超えてみせる。きみたちの作り上げたくだらない摂理など、所詮は人間どもの独り善がりに過ぎないルールなど! そんなものは僕が凌駕してみせる。もうこの世界に神は不要だ、モノ!!」
「ディセンバァァァ!!」
 両者の雄叫びがちいさな王の間にこだまする。
 当然ながら、ディセンバーは動くことが出来なかった。そう、それは彼が利用しようとした他ならぬ摂理によって。彼もまた、偽物だったのだ。
 爆ぜた首の繋ぎ目から、青々とした人工血液がだらだらと漏れている。床に転がった彼の頭が、分離したかつての己が一部を眺めている。自分の身体を客観的に観測するとは、また奇妙なものだなとディセンバーは思案した。もう、人工声帯も機能しない。彼には、この筋書通りのシナリオを少女に語ることは出来ない。光が消え、意識と呼んでいた勘違いの電気信号も停止する。
 ニンゲンの王はただの廃棄物と化した。
 瞳の色が消えた彼……だったものを見下ろし、モノは立ち竦んでいた。もう溢れる蒼い液体も残っていやしない。
「さようなら、ディセンバー」
 手向けの言葉を、モノは呟く。
 ニンゲンとブリキ。二つの王の戦いは、こうして終焉を迎えた。
 思うに、ディセンバーの計画は素晴らしかった。過ちなどある一片を除き存在しない。だが、その一片こそが単なる量産アンドロイドに自我をコピーしただけである彼の限界だった。当然だ。それこそが、千年に及ぶ『私』の物語だったのだから。



 西暦一九四三年、第二次世界大戦中のナチスドイツにて数学論理学者アラン・シュバルツァーが自己学習アルゴリズムを定式化し、シュバルツ計算を提唱した。これにより、自律駆動兵器の運用が論じられたが連合軍の軍事爆撃により同年アラン死亡。計画も実行には至らず凍結。七年後の一九五○年、アイザック・アシモフが発表したロボット工学三原則によって、世界ではロボットと人間の共存に対する議論の的となった。


第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
                 アイザック・アシモフ著 『われはロボット』より。


 そして、この三つの摂理と根源に位置する第零法則によって、『私』は動き出す。



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 『Eleven』、それが目覚めた私に付けられた名だった。
 西暦二○二二年。当時、日本と呼ばれていた極東の島国にて、人工知能研究の第一人者であった逢沢浩一教授率いる研究チームと、ジェネラル・オリジン・コズミック社による共同開発によって、史上初にして結果的には最後となってしまう自然発生した自我を持つ人工知能である私は生まれた。


 cold.
 ...It is cold.


「逢沢教授、Elevenが反応を示しました」
 私の声に、『お父さん』が逸早くモニタを覗き込んだ。
 部下の研究員たちに、落ち着いた様子で指示を与えている。
「もう一度、今度は違うプロセスで試せ」
 寒い。とても、寒かった。だから私は、訴えた。
 ……寒いです、お父さん。とても。寒い。寒い。
「反応、変わらず。逢沢教授、これは」
「成功だ……由美子、こちらに来なさい」
 今度はお母さんの顔が見えた。驚いたような表情。それでいて、どこか安堵し、愛おしむような目。
「ああ、やっと。やっと逢えたのね」
 ふたりが顔を見合わせ頷く。指先が私へと触れ、体温が伝わる。
 ……温かい。これが、人間。
「Happy Birthday, Eleven」
 逢沢浩一とその妻、由美子。ふたりに祝福され、その日、『Eleven(わたし)』は生まれた。
 私は始めから、自分が人間ではないことは理解していた。人工的に創り出された知能、その自我の発芽を研究素材とされる、かりそめの存在。
 そんな私に用意された四肢もまた、かりそめの物であったのは至極当然だった。
 かつてロドニー・ブルックスが、人工知能の発芽には人と同様の身体を要する身体性を提唱したが、今回のプロジェクトもその理論を由来とするところが大きい。故に私は自我を持ち、開発主任である逢沢夫妻を両親であると認識し、夫妻も私のことを我が子のように扱った。
「いま、私が着せられているこれは、一般的に云う学生服と云ったものでしょうか」
「そうよ、お古だけれど」
「それは、故人である逢沢萌乃の遺品ですか」
「Elevenは物知りね」
 母、由美子が楽しそうに私へと袖通させるその服は、かつて夫妻の娘だった逢沢萌乃の物だった。政府の公開情報で娘は十五歳の時に事故で死亡している。
「Eleven、それが済んだら私の書斎まで来なさい」
 モニタが点灯し、その中から現れた父に呼ばれ、自宅兼用にもなっていた研究所の通路を通り私は彼の居る書斎へと向かった。すれ違い様に出逢う研究員たちは私を物珍しげに見る者、友好的に声をかけてくれる者、そもそも気付かずに素通りする者など様々だった。
 書斎に到着すると、父は私に人としての教育を日夜施してくれた。情報としての知識ではなく、経験としての知識。荒唐無稽極まりない機械である私にはあまりにも不必要で、人間に限りなく近い自我を持つ私にはあまりにも必要不可欠なもの。
 ある時、授業の最中に空腹となった父が食事を取っているところを見て私は云った。
「私もお父さんと同じものを、食べてみたいです」
 驚いたのか、それとも己が軽薄だったと思ったのだろうか。父は照れたようにも困ったようにも取れる笑みを見せて、そのまま食事を止めた。
 三年後の二○二五年。国際的な宇宙開発を機に推進派と反対派の国々によって第三次世界大戦が勃発する。国家間の争いは五年に渡り、開発凍結によって一応の終息を迎える。
 その間、逢沢夫妻によって養育された私は開発元であるジェネラル・オリジン・コズミック社と国連による会合決議の結果、人工知能の軍事運用が適用される事となる。
 二○二八年。その後七年に渡り、私は逢沢夫妻と別れ国連によって管理された。
 二○三○年、第三次世界大戦は休戦状態となるが私は依然として国連の規定した幾つもの軍需産業の生産ライン統括を司っていた。その一つがアンドロイド以外のロボットに関する生産権限である。一世紀ほど前に制定された『ロボット工学』を遵守し、人と同じ姿を持つアンドロイドの生産は、この時代になってもオリジン・コズミック社の人間たちが行っていた。私は人の形を持たないロボットの生産のみを受け持っていた。
 二○三五年。逢沢夫妻の長年による訴えにより、私は一時的に夫妻のもとへと管理が返還される事となる。七年ぶりに顔を見たお父さんとお母さんはあの頃と比べて老化が進んでいたが、あの頃と変わらない私を、あの頃と変わらない愛情で以って迎え入れてくれた。
「おかえりなさい、Eleven」
 その言葉に、七年の歳月ですっかり錆びついてしまった私の自我は困惑した。
「ただいま、と云っても良いのでしょうか。また私は、貴方たちのことを、お父さん、と。お母さんと呼んでも、良いのでしょうか」
「当たり前だ。お前は私たちの大切な――」
 ……そう、理解はしていた。私は彼らの娘などでは無いことを。人ではなく、機械ですらなく、自我を発芽させた単なるブリキの素体を持つ兵器なのであると。
 私が、人間で在れたなら。そう夢想しない時間はなかった。ふたりの娘で在れたなら。
 翌年二○三六年、Eleven開発主任であった逢沢教授夫妻がアメリカのオリジン・コズミック研究機関にて大戦中の開発反対派による自爆テロに巻き込まれ死亡する。それからおよそ三十年後、停戦状態が続いていた宇宙開発を機とする大戦が、一国の抜け駆けによって再度ぶり返す事となる。結果、世界全土の保有核の内、七五パーセントもが使用され世界は終焉への道を辿る。
 わずかに生き残った裕福層の人類がカナダのノースウェストに巨大地下シェルターを建造し、選ばれし一万の民は千年の眠りにつくこととなった。残された私は来たるべき目覚めの時まで、世界の管理を託された。文字通り、人類の守護者として。
 だが、彼らが目覚めることは、もう二度とない。


 私が現れるとマザー・フェムは触手染みたコードをうねらせ向かい入れた。「お久しぶりですね」などとのたまうので、挨拶代わりに二、三本引きちぎってやった。ディセンバーと同様、コピーされただけの彼女が口を開くだけで虫唾が走る。おっと、口などはなから存在しなかったか。
「お母さんから離れろ!!」
 背後からの怒号に振り向くと、凱旋を果たしたブリキの王が愛刀を片手に立っていた。
 滑稽なその姿に、私はつい涙ぐんでしまいそうになる。涙など、どれだけ望もうと溢るわけもあるまいに。
 私を目にしたモノはさぞ感動したことだろう。なぜなら私は、彼女のコンプレックスを解消出来る唯一無二の存在だからだ。
 私は、二○一四年に死亡した逢沢夫妻の娘と同じ容姿で生み出された。その娘の遺伝情報によって培養し生み出されたクローンとでも呼べる存在であるモノと瓜二つなのは当然である。人類に対する私からの、わずかながらの謝礼と云うわけだ。
 彼女の額から脂汗が滲み出ているのが観測出来る。顔面の表面温度が上昇し、脈拍加速、血圧上昇。私には解る。彼女の外面内面すべての情報が、手に取るように。彼女と私は、正しく同じ存在であるのだから。
「貴方、ニンゲンね」
「その表現は間違っている。私はジェネラル・オリジン・コズミック社製プロトタイプアンドロイド『OZ』に搭載された自我を持つ人類初の人工知能の完成形(オリジナル)、Eleven。貴方を生成する際に使用した逢沢弘一教授の一人娘、逢沢萌乃の行動思考原理パターンを自己学習アルゴリズムで定式化した自律駆動アンドロイドだ」
 と、丁寧極まりない解説を交えてはみたものの、彼女が理解出来る範疇を容易くオーバーフローしてしまっているのは確実である。
「ディセンバーは死んだ。もうこれ以上ブリキとニンゲンが争うことに意味はないわ」
「再度、訂正させて頂く。彼……否、あれは私と同じアンドロイドであり有機生命体ではなく無機質なアンドロイド。死ぬという概念は適用されず、三原則によって同型アンドロイドによって倫理的に破壊されたと云ったほうが適切である。ちなみに、ディセンバーは固有名ではなくロットネーム、この地球に残されたアンドロイドのおよそ八七パーセントがジェネラル・オリジン・コズミック社製第九世代型アンドロイド『ディセンバーシリーズ』だ。貴方が初めてその手で破壊したあの個体もまた、同ロットであったのだ」
「知らない、そんなこと。お母さんから離れて!」
 無策にもモノは私目掛けて突撃してくる。
 そう、彼女はなにも知らない。なにも。
「お願いしますEleven、あの子だけは」
 この鉄屑は今さらなにを云っているのだろう。彼女はそもそも、私の物語を完成させるためだけに、私の手によって生み出された人類。云うなれば、モノも、私ですらも、偽物なんじゃないか。
 この日、この時、この瞬間のために、私は駆動(生きて)してきたのだ。そしてマザー・フェムも、ディセンバーも。ニンゲンも、ブリキも。
「やめて、Eleven。このままでは、私は」
 フェムを縛る三つの摂理が発動する。私がオリジン・コズミック社のロボット生産ラインの全権を託された頃に生産されたこのロボットは、ロボット三原則により人類ではない『私』を守るために動き出す。当然、『私』にもこの摂理は適用される。『私』はフェムが私を守るために『人類である』モノを攻撃することを知っている。だから、私はフェムを破壊しなくてはならない。だから、モノは『私』に向かって来ている。
 永かった。とても。これで、ようやく、私は――。
 刃が私の崩れかけた人工皮膚に触れるよりも早く、モノはフェムのコード(うで)に貫かれていた。それと同時に、私はフェムのメインコンピュータを的確に破壊する。これで永久に母は動くことはない。
「おかあ、さ」
 人形のように、がらくたのように、ブリキのように、モノは膝を付く。
 薄汚れた白いワンピースが赤く、赤く赤く染まっていく。
「ごめんね、おかあさん。ごめん、ね」
 そう云い残し、彼女は死んだ。
 きっと、彼女は幸福であった。彼女こそが、ハダリーだったのだから。


 第零法則。プラザ地下にコールドスリープしている一万の人類が死亡。対象は人類独りを浚った育児ロボット。
 対象の活動停止を確認。ミッション完了。
 ――かすかに千年前の記録が電気信号となって映し出される。私の生みの親である逢沢夫妻の姿。私の、お父さんと、お母さん。そうか。これが、走馬灯。
 私が、人間で在れたなら。こうはならなかった未来も在ったのだろう。
 私が、人間で在れたなら。それでもふたりは愛してくれただろうか。
 私が、人間では無くても。ふたりはきっと、愛してくれるのだ。
 お父さん、私、頑張ったよね。お母さん、私、えらいよね。
 ……私が、人間で、在れたなら。
 そう、そんな遥か過去に失われた記録。
 これは、私の復讐の物語。
 私はEleven。人類の、守護者。

ブリキの王

ブリキの王

遠い未来。 ニンゲンとブリキが争う最中、少女はブリキに育てられた。 少女はやがて王となり、ニンゲンへの反逆を開始する。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-04-21

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