プラチナハートにさわって

プラチナハートにさわって

プラチナハートにさわって           郷主徒流太
※ 作品紹介
男の身勝手な欲望に弄ばれた、人間の女のこころをもつヒューマノイドと一途で軽薄な男のままならぬ恋を描く。不思議なプラチナハートをめぐる愛と欲望の陰謀事件の成り行きは?
幻想ミステリーロマン・不条理ラブストーリー・15歳以上の男女一般向け

短編・全24ページ完結作品(A4換算・レイアウトはA4・横書きにあわせてあります)
本作品をストレスなく楽しむには15インチ以上のモニターが必要です(無料ネット小説・ラブシーンあり・ハードセックスシーンなし・暴行シーンあり・有効期限・未定。作品は状況によって変える場合があります)

※ 本作品はフィクションであり、実在の人物、団体等とは関係がありません。
 
プラチナハートにさわって
                         郷主徒流太
あんな女、いつまでも忘れないでいるなんて、おれはバカだ。
早く忘れてしまえ!
 幻想ファンタジアのシンフォニーが退く・・・・・・落涙のピエロが笑うと幕に消えた・・・・・・。
男と女のひたむきな、狂乱の物語が終わると、いつもの、ときめきを忘れた、平和が世界にあふれる。
 賞賛の拍手がきえると静寂が客席に降りた。幕の中でクライマックスの残滓が踊る。振り向くと、華やかに正装した客が、微笑をたたえ、高くそびえるように並んでいた。
 突然、客席のライトが落ちた。暗闇が訪れた。舞台の幕が静かに上がり始める。
闇夜の舞台にスポットライトが光輪を浮かべる・・・・・・白サテンのベールが輝く・・・・・・人影のシルエットが揺れて、静かにたなびくサテン・・・・・・。
 スポットの中に、黒の神父服を着ている男が現われた。仮面をつけている。顔の左右が白と黒に分かれる笑い顔の悪魔の仮面・・・・・・
「さあ、いよいよ、特別公演、第一幕の始まりだ!・・・・・・これを見るがいい!」
仮面の悪魔が高らかに宣言すると、流れるようにサテンをひいた。
 暗闇に天使のオーラが舞い降りた。純白のウエディングドレスを着た、元人気アイドルの舞台女優、栗田朋美がブーケを持って微笑んでいた。
 仮面の悪魔が満面の笑み声で謳う。
「まったく、君は幸運な男だ!僕は君が羨ましいよ・・・・・・これは、嘘でも、お芝居でもない!・・・・・・これから、あこがれの彼女が、君の永遠の恋人になってくれるんだからね!」
 栗色の長い髪、オレに向かって、微笑みを口もとに浮かべる朋美は、舞台で立ち止まり、瞼を閉じて歩みを止めていた。観客の俺は弾む息を止めて、彼女に吸い寄せられるように見入れられてしまう。
「さあ、偽物か、本物か・・・・・・自分の手で、この女の顔を触ってみろよ」
 ウエディングマーチのトランペットがパパパパーと高らかに鳴った。
 信じられない!仮面の悪魔が、突然現われた朋美を確かめろと、観客のオレを舞台に上がらせた。
 これから、オレはファンの一線を超える。朋美はもうオレだけのものになる。オレは荒ぶる心臓の鼓動を感じながら、恐る恐る、頬にそっと手を触れた。
 吸い付くような白い肌、やわらかくて暖かい。瞼を開けると、大きな瞳が輝いた。俺を見詰める瞳が静かに微笑んだ。
俺の手をつかんで舞台の前に進みだす・・・・・・観客席を見渡す。
「さようなら!皆さん、今までありがとう・・・・・・私は今日、この人と結婚します・・・・・・」と手を振って挨拶した。
 一番前の席から、茶色に焦げた驚嘆の悲鳴があがった・・・・・・。
 ざわつく観客席に人影が揺れ始めた。
 静かにどよめく人波に怒声が響き渡る。
 客席から一人の男が怒ったように立ち上がる。横の非常口に足早に進む。客席の興奮のため息がなりを潜めて、男の痕跡を追いかける。男が勢いよく扉を押すと、扉の外に消えた。
 朋美がオレの顔を覗き込むと口元が震えた「たいへん!どうしよう・・・・・・相手を間違えるなんて、ありえない。この人、石油会社の御曹子じゃないの!?」朋美がブーケを落とすと膝から崩れ落ちていた。
仮面の男が慌てたようにオレの前に進んできた。オレの顔を穴が開くように見る。
「クソッ!なんということだ!・・・・・・サプラズパーティーはぶち壊しだ!人違いだ!新郎はこの男じゃない!」
仮面の悪魔が仮面を床に投げ捨てると、俺を睨みつけて叫んでいた。

「オイ!どうした?感動したろ?本物の女のような肌だろ」
 頬を張るような野太い声・・・・・・我に帰ると、仮面をとった悪魔は白衣を着た男に変身していた。手には白いサテンのベールを握ってソファに座っていた。
 ここは、辛気臭い学術書にうめつくされた未来人間研究所の所長室だった。
「すごい!まるで生きた人間のようだ、本物みたいです」
 まるで、生きているようなヒューマノイド。他人が見たら本物のアイドルの朋美に見えるかもしれない。新堂真人は胸の高鳴りが興奮して声がひっくり返っていた。
「ちょっと、君の要望を取り入れすぎたかな?あの舞台女優に似すぎたと思って後悔しているんだが?」
「だいじょうぶです。このくらいなら、他人の空似ですよ!」
「そうかな?女性研究員が目立ちすぎるんじゃないかと、危惧していた・・・・・・半分は嫉妬かもしれないがね・・・・・・」
 博士は苦笑まじりだが、自信たっぷりだった。
「だいじょうぶです。大人ぽい服を買ってやりますから!ヘアスタイルも、もっとシックにします」
 断然、このチャンスを逃したくなかった。弱気にならないように、博士に負けず自信たっぷりに答えた。
「だいぶ、気に入ってるみたいだな?ひと目ぼれかな?・・・・・・」
 博士はお前にやるのはもったいないとでもいうように、満足気な笑いを皮肉ぽくもらしていた。
思わず、はちきれんばかりの笑顔になりそうなのを必死に隠して、真面目な顔して頷いていた。
「ちゃんと女の役目もする。男しだいで身体も心も感じるんだ。ただ君の思う通りにならない女になる可能性も大いにあるが・・・・・・君が選ぶ、女の魂しだいだよ」
 博士は科学者に似合わない、いたずらぽい笑いを浮かべると、急に顔を引き締めた。
「その場合は、君はこの命が宿った恋人とは別れることになる・・・・・・」
「・・・・・・」
「この女優に似た女の子はこれで引渡しだ。十年かかってやっとここまで来た、俺達のダイヤモンドだ。しかしまだ、ただの精巧なヒューマノイドだよ。どんな女の子になるかは君しだいだからね。最後に、この娘に命を吹き込むのは君だ。どんな女の子の魂を入れるかは君の女性観しだいだ・・・・・・」
 喜びのあとに不安が訪れると、それを打ち消すように笑顔を作った。
「僕のあこがれている女の子がいるんです。その娘の魂を何とか手に入れようと思っています」
 恐れで緊張しながらも、慎重に言葉を選んだ。もう、迷いは無かった。
 静かにうなずきながら窓の外を見た。俺をふったあの女に復讐する時が来た。俺のよさをもう一度わからせてやる。きっと幸せにしてやるよ。もう君は俺のものになるのだから・・・・・・。
「そうか・・・・・・そこのところは慎重に。生きている人間の魂をコピーして盗むんだからね。気付かれないようにうまく遣ってくれよ、くれぐれもトラブルは起こさないでくれ!君だけじゃない。未来人間研究所の運命も託すんだからな・・・・・・もし失敗すれば、トカゲの尻尾は切ることになる・・・・・・」
 ウッドデッキのテラスに見たことがない尾が青い鳥が二羽、つがいで戯れていた。東京の郊外にあるとは思えない、ひっそりとしたブナの森に囲まれた小さな研究室。その隣りに在る平屋のコンクリートの事務所。道に迷った者が訪れても個人の別邸にさえ見える。
背の高い木漏れ日が揺れて、柔らかな光の雨が光陰のドレープを降り注ぐ。小鳥達がいつものように戯れて鳴いている静かなブナの森。秘密の研究がこんなところで行われているなんて誰が想像するだろうか。    
「わかりました。この女の子の生い立ちや社会的ストーリーは自分である程度考えてあります。世間や会社の人間に不審がられないようにしますから」
 博士は真人の視線を追うと、テーブルから珈琲カップを持ち上げて一口啜った。
「頼むよ。初めての臨床試験に君を選んだのはそこを見込んでだ。いきなり君には不釣合いな美人の恋人が君の部屋に同棲するんだ。このことを知っているのは本社でもごく一部の人間だけだ。うまくやってくれ!ここには二人とも、二度と現われるようなことにならないように、願っているよ・・・・・・」
 博士はソファに深く腰を沈めると念を押すように呟いた。
苦笑すると元気いっぱいに応えた「報告書は毎月末に必ず提出しますから」
 博士は真人の目を見つめ深いため息を吐くと
「最後に、もう一度いう、宇宙からこの森に舞い降りたこの不思議なアメーバーはこのロボットの心臓に埋め込んである、ハート型のプラチナ容器の中に生きている、原理は解明されていないが、これに最初に触った人間の意識がこいつに乗り移るんだ。まるで魂が乗り移ったように憑依する」
「・・・・・・」
「ロボットのCPUはその魂に操られるようになっている。憑依したアメーバーの魂はCPUの主人になる」
「・・・・・・」
「君はこのプラチナのハートを触る時には、けっして素手で触ってはいけない。触る時は、必ず革の手袋をしてくれ。最初に触った人間の魂が乗り移ることを忘れないでくれ。やり直しは効かない。別の人間がもう一度触ると、この生命体は死んでしまう」
「・・・・・・」
「うまくいけば、この女は人間の心を持った世界初のロボットになる」
 博士はスーツの胸ポケットから煙草を取り出し、口に咥えた。煙草の先が震えている。ライターで火を着けたが,なかなか先が炎に当たらない。火がつくと深く吸い込むがうまそうには見えなかった。天井に向かって煙を勢いよく吐いた。行き場を失った煙はとぐろを巻いて同じ場所をたゆたったていた。
博士は灰皿に煙草を置くと大きく息を吸った。
「しかし、こいつは女になるが、恋人のいない君の女に成るかはわからない。女の心を持つことは、主人に逆らう世界初のロボットだからな。まずはお前の女にしろ。仕事は忘れてプライベートにやれ。それがお前の仕事だ。だからこそお前の理想のタイプにしたんだからな」
「・・・・・・」
 頭が混乱した。いきなり命令口調に変わって、仕事でプライベートにやれといわれても、ワクワクする気持ちが吹っ飛んで、戸惑ってしまった。
「余計なお世話かもしれないが、ひとつ忠告しておく。これから言うことは仕事ではない、あくまで、私個人の見解だが・・・・・・このヒューマノイドにロボット三原則は通用しない。君はこの娘のご主人ではない!彼女はそんな男なら拒否するはずだ・・・・・・」
「・・・・・・」
「まず、第一に、魂盗みはくれぐれも慎重に、相手の女にはこのヒューマノイドの存在とプラチナハートの意味を気付かれるな・・・・・・そして言うまでもなく、妊娠した女はだめだ、妊娠している女は二つの魂を持っている。プラチナハートは精神分裂を起こして死んでしまう・・・・・・妊娠初期の女には十分注意が必要だ・・・・・・これを確かめるのは男にとって簡単なことではないがね・・・・・・」
「・・・・・・」
「第二は、この娘が惚れるような男になれ。そして生きる希望を与えてくれ」
「えっ!」
 思いもよらない言葉に驚きを隠せなかった。思わず声が飛び出していた。まるで本当の女を相手にするみたいじゃないか。なのに、博士はオレの驚きに驚きもせず、オレの反応を当然のように受けとめていた。
「第三は、いつかは、この娘に特別な運命で生まれたロボットだと告知をしなければならない。彼女は自分がある女性の意識をコピーしたロボットだと気付くだろう・・・・・・彼女は元の人間の心を持っている事を忘れるな・・・・・・突然・・・意識が細胞分裂するように分かれて、それを知らずに、別人の女に生を受けたのだ。ロボットの身体をもって・・・・・・そのときが来たら、君が告知するんだ・・・・・・下手に告知すると、彼女は命を・・・・・・」
 博士は表情を苦渋に歪めると首を振って苦笑いをした。
「そんな馬鹿なことは無いと思うがね・・・・・・ねんのためだ。父親ならきっとそう思うだろ」
灰皿に置かれた煙草はすでに魂の抜け殻のように崩れた灰になっていた。博士はそれを見て寂しそうに笑うと、新しい煙草に火を着けた。
「・・・・・・」
「第四は、ナイト、騎士になってこの娘を護れ。彼女の秘密と命は絶対守るんだ」
「・・・・・・」
 博士は何を言っているのだ!正気なのか?会社の開発目標はセックスと家事をする、歌って踊れる、主人に従順な、アキバ系メイド型アンドロイドのはずだろ・・・・・・ロボット三原則を破るなんて狂気の沙汰だ。これじゃ、このヒューマノイドがお姫様でオレが姫に尽くすロボットじゃないか?オレは分けが分からなくなっていた。
 しかし、この女を手に入れられるチャンスを拒否するなんて、もう不可能だ。男ならできないはずだ。この女の魅力はあの女の魂が入る前からひと目見ただけで、魔力のようにオレのこころを奴隷にしていた。もう逃げられなかった。辻村瞳の魂を盗む。それから起きることを想像するだけで、オレの身体の中に興奮した高圧電流が駆けめぐって、歓びに身体が震えた。一刻も早く家に帰りたかった。
「これは仕事であって、仕事じゃない!さあ、もう行ってくれ。彼女を泣かせて、実家に戻すなよ!」
 真人は弾むような明るく返事をして、挨拶をすませると、彼女を抱き抱えていた。

                      2
「えっ!彼女辞めるんですか?」
 思わず声を挙げた。周りの人間が驚いたように俺の顔を見た。昼休み、まばらに残る人の影。精密機械部品を扱う商社の事務所の中に入ると知り合いの三十過ぎの女事務員に聞いていた。酒豪で離婚歴のある独身女だ。以前飲み会でしつこくデュエットを迫られて、断った腹いせにイヤミいっぱいに絡まれたことがある。同席した辻村瞳の目が気になって歌えなかったのだ。
 この後、辻村瞳とデュエットを歌えてオレは舞い上がっていた。彼女は皆に見えないようにそっとオレの背腰に手を乗せてきた。今度は二人で食事でもと誘おうと思っていたが邪魔者のせいでなかなか言い出すチャンスにめぐり合わなかったのだ。そのあと、この酒乱女のセクハラは止まらなかった。抱きつかれる俺を見て、辻村瞳は呆れ顔で軽蔑した眼差しを俺に向けると他の男達との会話に紛れ込んでしまった。まったく、とんだ災難だ。それでも、しらふなら口が悪いのがたまに傷だが情報源にはもってこいだ。
「寿退社よ」
 女は立ったまま、手持ちぶたさを慰めるように書類を指で弾いている。
「嘘でしょ!昼間からからかうのはやめてください」
 俺は暴れ出す声を小さく静めた。周りの人間はああ、またかよと言うように苦笑するとランチタイムに部屋を出てゆく。
「アラ、新堂くん知らなかったの?あなたもふられたクチよね?この話が知れたとき、社内には男達の落胆のため息と、どよめきがフロア中に轟いたもんよ。女はあの娘一人じゃないっつうのに・・・・・・」
 書類を目の前の誰もいない机にパシンと叩きつけた。
「・・・・・・それで、相手は誰なんですか?」
「あら、いやだ、あなたの会社の営業の古橋君よ。でも、もう手遅れね。新堂くん」
 笑いが押さえられないという顔だ。
「あの、古橋ですか!?あいつ何も言ってなかった。何で俺に隠すんだ!」
 女は馬鹿にした笑いを押さえて、ククッと笑いを噛み殺すと同情した笑顔を作った。
「あのこは、うちの会社で人気№1のマドンナよ。言い寄る男が多かったから、しょうがないんじゃない?・・・・・・それにしても、スピード結婚よね。あのふたりいつから付き合っていたのかしら?・・・・・・噂では古橋くんはどこかの会社の御曹子なんですって?  やっぱりあの娘も玉の輿狙いというわけね。秘密の遊びの恋が本気になったのね・・・・・・」
「・・・・・・」
「古橋くんは美女をさらう電光石火の男ね!それとも、あなたにとってはオペラ座の怪人かな?」
 俺の目を見てニヤッと笑った。クソッ!俺をからかってそんなにおもしろいか。
「今日は式場と新婚旅行の打ち合わせがあるとかで休んでいるけど、引継ぎで明日からしばらくは出てくるわよ。あなたにも招待状くらいは来るんじゃない?」
 女は薄く嘲り笑いを浮かべると、一枚の書類の端をつまんで肩口まで持ち上げた。俺の目を見ると、ひらひらと揺らし、自分の代わりに笑わせる。見下すような目でザマアミロ・バーカという顔してから、おれの唖然とする顔に満足すると、
「では、仕事があるので、失礼させていただきます」
 下衆を取り繕うすまし顔で行ってしまった。

 青山にある高層ビルの谷間の一角に佇む欧風ガーデン。噴水のある池の周りに小さな花壇が並ぶ、小さなローズガーデン。ローズピンクと黄色の花が緑の葉に揺れる。街路樹の緑濃くなった人通りの多いオープンカフェ。
 青銅色のレトロな街灯が灯り始めた。パラソルをたたんだテラスのテーブルに珈琲の香りがたゆたう。
 ファッション雑誌を飾る、女性客をターゲットしたお洒落な店が立ち並ぶ一角。会社帰りに辻村瞳が指定した店だった。しかも、思いもよらない同行者をつれて。彼女の同僚の桜田桃子だ。瞳の隣りに保護者のように座っていた。
 ビルの影に日が落ちて少しひんやりした風が足下を流れ始めた、外にいるのは我々三人と、若いカップルだけだ。早めの会社帰りのサラリーマンとOLがショッピングと、飲む店を求めて街を徘徊する。
 アルコールに揺れるネオンが瞬くには少し早すぎる安全タイム。辻村瞳は俺をまるでストーカーのように警戒して独りで来なかったのだ。
 とりとめのないあいさつ代わりの世間話はつきようとしていた。
「それで、大事なお話ってなんでしょうか?」
 焦れたように瞳が口を開いた。
 小さな顎に口紅の薄い唇が隠れる。珈琲カップを静かに降ろすと辻村瞳の華奢な輪郭が現われる。ソプラノの甘い声はフルートのように俺のこころを震わせた。
 一日中、考えたあげくに俺が思いついたのは妊娠検査薬くらいしかなかった。だがそれはまともな方法では、彼女から手に入れることなどできやしない。俺は賭けにでた。辻村瞳は妊娠してないほうに・・・・・・もし、まちがえばオレは恋人になるヒューマノイドの誕生の機会を奪ってしまう。もし、失敗すれば会社にはいられないだろう。これは大きな賭けだった。
 いや、もう賭けにさえならない。他の女の選択肢は俺には無かったのだから。
『これは仕事と思ってやるな。プライベートにやることが成功の秘訣だ』博士の言葉が俺の背中を押していた。
「ああ、御結婚おめでとうございます」
「ええ、ありがとうございます」
 彼女は上品な佇まいを崩さぬように控えめに微笑んだ。
「あのーこれ・・・・・・」
 俺は真赤な大ぶりの薔薇をテーブルの下から一輪差し出した。
 瞳は受け取ると鼻先にかざし、この男どんなつもりなのかと不安と戸惑いを覚えているようだ。
「ウワー!綺麗ね。香りも濃い。酔ってしまいそうよ」
 瞳は薔薇を受け取ると、言葉とは裏腹に桃子に曇った顔で微笑む。桃子が困惑の微笑みを返えすと、瞳は俺に向きなおり、いかにも迷惑そうにすまして笑った。
 まずい、このままでは勝機に見放される。焦った。この、けだるい空気のままでは彼女達のペースに嵌り、チャンスを失ってサヨナラだ。もう、一発大逆転の勝負にでるしかなかった。
「ここに不思議な言い伝えがあるプラチナのハートがあるんだ」
 俺はカップソーサーを端に寄せると、黒皮の手袋を嵌めた。
「不思議な言い伝えのあるプラチナのハート?」
 桜田桃子の目が輝くと、怪訝な表情で身を乗り出してきた。
 俺はバックを膝の上に載せると、中から珈琲カップが入るくらいの青い宝石箱を取り出してテーブルに載せた。
「すごい大きい!この中に入っているの?本物のプラチナ・・・・・・」瞳は驚きの表情のまま、周囲を警戒するように目をやると、待ちきれず囁いた。
「お披露目は、言い伝えを話したあとだ」
「それ、本物なの?・・・・・・どんな物語か早く話してよ?」桃子が侮蔑と憐れみの笑いを浮かべ、女に振られた憐れな男の妄想に付き合ってあげるわよと言わんばかりだった。
 俺は青い宝石箱に黒革の両手をのせて呪文をかけるように呟いた。
「ここにあるは幸福を呼ぶ不思議なプラチナのハート。触る者には幸福をもたらす。ただし触れる資格は世界で一人の女。これをもつ男と一緒に幸福を願う女」
 思わず呟いてしまった。口が滑った。が、もう遅かった。
瞳は怪訝な顔して、一瞬、嘲るような笑みを浮かべると、上から見下ろすように憐れみのため息を吐いた。
「私にはその資格は無いわね」
 そして溢れ出す声を殺して、弾けるように顔だけで笑った。
「桃子、あなたならその資格あるんじゃない!?」
「えっ!やめてよ・・・・・・」
 桜田桃子は語尾を飲み込むように口をすぼめると瞳のからかい半分を咎めるように笑った。
「ところで、その話、あなたの家に伝わる話なの?」瞳はまだ気にしていた。本心はプラチナの入るこの大きな宝石箱に釘付けなのだ。
「新堂さんのお母さまの持ち物なの?」桃子が興味に目を輝かしていた。
「プラチナのハート、見るだけなら、私でも見れるかしら」瞳が頬杖をついて俺を見つめてきた。
「これを見るのも、触れるのも、幸せになれるのも世界でただ一人の女だ」
 瞳の顔がかすかに歪むと、紅潮した。
「もう!つきあってられない。桃子、あなたがさわって、あたし帰るから」瞳が怒ったように椅子から立ち上がった。
「馬鹿なこと言わないで、新堂さんは、あたしじゃない、瞳を呼んだんでしょ!」桃子は浮き上がった腰を沈めながら叫んだ。
 カップルが三角関係の精算かというよな顔してこちらを振り返っている。そんなことは気にもせず瞳は気丈に、立ったまま腰を落とさなかった。
「もう。こんなことは、やめましょう。桃子、もう帰ろう」
「瞳。こんな別れ方、よくないよ」
「この人には無理よ!大体あたし、この人と付き合っていない!この人が勝手にあたしに惚れたんでしょ!」瞳は興奮が納まらない。
 向こうのテーブルのカップルが驚いたようにこちらに目を横に流してくる。
「ねえ、少し落ちついて・・・・・・これじゃ何の為にあたしが付いてきたかわからないよ」
 桃子は苦笑いすると、焦ったように俺の顔色を窺った。
「・・・・・・」
「ねえ、座って」なだめるように桃子が囁いた。
 瞳が諦めたように腰を降ろすと、桃子は椅子に座わりなおす。瞳は大きく息を吐くと、テーブル置き去りにされた薔薇を手にとった。両肘をテーブルに突くと薔薇を口元に掲げた。
「あなたの気持ち、この薔薇に託されている、この薔薇は最後の送別会だと思って、私の部屋に飾らせていただきます。プラチナハートとやらを見てみたいけど、残念だけど、私にその資格はありません・・・・・・もう、いい加減にしてくれませんか!・・・・・・あの時、あなたは、あたしを誘わなかったのよ・・・・・・」
「・・・・・・」
 ああ、なんということだ!彼女は俺を誘ったんだ!俺が彼女の誘いを断ったと思われた・・・・・・あの時の間の悪さ。あの酒乱女のことを気にしすぎた俺が馬鹿だった。
あの時、古橋も同席して瞳との付き合いが始まったんだ。
「・・・・・・今度、お会いする時は結婚式で会いましょう」
 思わず、真人は立ち上がって頭を垂れた「ごめん。許してくれ。僕の気持ちは本当だ!自分に嘘をついた」
「えっ!?」
「いや・・・・・・伝説は嘘だ」
「・・・・・・」
「B型で、うお座で右目の下にほくろのある女が触ると幸せになるんだ」
 俺は叫んでいた。
 瞳と桃子は驚いたように顔を見合わせた。しらけた沈黙の空気が瞳と桃子の間を何度も行き交うように流れた・・・・・ぷっと桃子が吹き出した。
「・・・・・・瞳。なんだか知らないけど、そのプラチナのハートに触ってあげなよ。これ以上、新堂さんにふざけた嘘をつかさせないで・・・・・・あんたが諦められないんだよ・・・・・・こんなふり方をして、女としてカッコイイかもしれないけど、惚れた女を同僚に盗られて、教会のヴァージンロードを歩く、古橋さんとウエディングドレスの瞳の姿を見せつけるなんて、残酷だよ・・・・・・」
「・・・・・・」
「結婚する前に、あんたに逢いたい一心でこんな子供ぽい演出を考えたんだよ。これは瞳と新堂さんの別れの儀式だよ・・・・・」
桃子は瞳の顔を見ると、真人を見た。すぐに視線を流した。黄昏た庭園の遊歩道を腕を組んで歩いてゆく、恋人のようなカップルを目で追うと口を閉ざした。
「・・・・・・」俺は静かに微笑んだ。
「これは法律ではできない、あと腐れなく分かれる儀式でしょ?新堂さんはストーカーなんて、しないよね?」
桃子が俺に微笑んだ。桃子の話す佇まいに瞳は驚いたように桃子の顔を眺めていた。そして確かめるように、俺の目を見た。
「あたしも、プラチナのハート、欲しい。アハッ、ちがった。見てみたいしー・・・・・・」
 桃子は自分のおかしな冗談に気付くと照れて笑っていた。
 瞳が椅子に腰を降ろした。瞳の顔には微笑みと迷いが葛藤して揺れている。
 風が池の噴水にいたずらをして、水飛沫が思いもよらない方向に舞い上がった。水面のライトが束の間の虹を浮かびあがらせている。
 瞳はカップソーサーを取ると静かにテーブルの端に置いた。
「わかったわ、私は幸せになります。真人さん。伝説のプラチナハートを見せてくれる?」
 心臓の鼓動が早鐘を打ち始めた。俺は高鳴る胸の音を気付かれないように、ゆっくりと青い宝石箱の蓋を開けた。
 青いビロードに包まれた白金に輝く塊。皮手袋をつけて四方に重なるビロードを一枚づつゆっくりと開いた。煌びやかに反射するプラチナハート。俺の歓びに沸く顔と辻村瞳の驚く顔が、曲面の銀世界に歪んで映し込まれた。
「綺麗なハートというより丸みがあって立体的。本物の心臓みたいな形ね。不思議な形ね?何の入れ物なんだろう?表面が光の斑が波打つように魅惑的だわ。吸い込まれそう・・・・・・」
思わず瞳は手を伸ばしていた。高価な宝物をさわってみるように、ゆっくりと両手で包み込む。
「重い。さすが本物。重量感が違う。でも中に何か入っているみたい?なんなの?」
「それは愛の生命だよ。・・・・・・それは、中を見ると幸せの魔法が消えて、乾き崩れて塵になる・・・・・・ありがとう。君達は最高にいい女だ」
 桃子が傍から眺めて、いたずらぽく笑うと、ため息をついた。
「ふふ、新堂さんて、お芝居がへた・・・・・・だけど、ロマンチックね・・・・・・」
「・・・・・・」
「あたし、現実派だから、不思議な話は信じないの・・・・・・これ、すごい価値があるものなんでしょう?」
「ああ、僕にとってこれ以上のものはない」
「瞳、触った感想は?」
 瞳はじっとプラチナハートに心奪われたように魅入られている。
「なんだか変な気持ち。身体が舞い上がって・・・・・・離れる」
 声がだんだん小さくなる。
「気分が弾んで揺れる、ワクワクする!・・・・・・アア、もうダメ」
 語尾は聞き取れないほど小さく囁いた。
 まるで催眠術に身体が揺れるようだ。俺は瞳に駆け寄ると瞳の肩を抱きおこした。俺の手にはプラチナハートがあった。
「なんかスッキリした。爽快な気分」
 瞳は、おれに抱き起こされた自分に気づいても、驚いて身体を離す様子はなかった。
 桃子は瞳の恍惚のまなざしを見ると、芝居がかった振る舞いに、少し派手にやりすぎじゃないのとばかりに苦笑いを浮かべた。
「新堂さん。あなたとの出逢いはいい思い出になると思うわ・・・・・・気持ちの整理はついた?これで恨みっこなしよ!・・・・・・瞳と古橋さんの幸せを願ってあげてね!」
 桃子は瞳に顔を向けると、俺に見えないように片目でウィンクして微笑んだようだった。
「ああ、もちろん!」
「よかった!これでみんな幸せ。あたしにもいい人、現われないかなあ?・・・・・・幸せ、あたしにもやって来い!」
桃子がおどけながら笑った。

                      3
 麻美、早く目を開けてくれ。俺は自分のワンルームマンションに帰ると、ラブソファに座る麻美に跪いていた。麻美の膝に手を置いて、俺の運を賭けた、妊娠していない瞳に、いや、麻美に賭けていた。どうか無事に命が宿るようにと祈っていた。
 プラチナハートを背中から入れた。このヒューマノイドの名前は麻美と命名した。テーブルの上にはワインのロゼと赤い薔薇と誕生日の生クリームの小さな丸いケーキが並ぶ。ケーキの上には大きな二本のローソクと小さな五本のローソクがならんでいた。二十五歳で生まれる女を祝う、二人だけの生誕祭だった。
 女優のような派手な衣装を取り替えて、普通の女に見えるように地味な衣装を揃えた。ショピングセンターでレジの女店員に怪しまれながらも、女房が入院しちゃったんでと言い訳しながらパンティーもブラも何とか買い揃えた。
「ここは、どこ?」
 しゃべった!目が開いた!やった!運命の女神は俺に頬笑んだ。瞳は妊娠していなかった。命が宿ったぞ!眠りから醒めた姫ような声をだした。
「ここは俺の部屋だよ」
麻美はなにが起きたのかわからない様子だった。自分の身体を抱きしめあたりを見回すと。「嘘!あなた、いったい、あたしに何したの?」驚きと嫌悪に顔が歪んだ。
 いかん!まだだ、焦るな!こいつはまだ、麻美じゃない!辻村瞳のままなんだ。
「まだ、何もしてないよ」
「信じられない!じゃあ、どうして、あたしはここにいるの?」
「お前は俺のものだからだよ」
「ふざけたこと言わないで!帰る」麻美は叫ぶとラブソファから跳ね上がった。
「ちょっと待って、俺の話を聞いてくれ」
 ある程度予想していたとはいえ、パニクル女を見ておれがパニクッた。
「いやよ!何?このダサイ服、あたしの服はどこ?返して!」
 俺は先回りして玄関に急いだ。
「あたしを監禁する気なの?大声だすわよ」
「待ってくれ・・・・・・帰る前に、鏡で自分を見てくれ」
「言われなくても見るわよ、洗面所はどこ?」
 洗面所に行くと麻美は驚愕に声を喪い両手で顔をおさえた。膝折れると床に両手をついて泣き始めた。戸惑う俺は後で泣いている様子をみることしかできなかった。
 しばらくすると麻美は振り返った。
「いったいどういうこと!?わけがわからない?身体の感覚が変なのよ!この顔は何!?・・・・・・あたしの頭は狂ったの?変な薬でも飲ませたの?」
 俺の顔に噛み付くように問い詰める。怒りと悲しみで声は震えていた。
「もう、きみは辻村瞳じゃない」
「あたしが辻村瞳じゃない!?・・・・・・いったい、どういうことよ!」
「だから、麻美だ」
「意味がわからない・・・・・・とにかく、あたしを元に戻して!」
「ちがう、辻村瞳は元通りちゃんといる。自分の家に帰って普通に生活しているよ。古橋と愛し合っているかもしれない・・・・・・君はもう、辻村瞳とは別人なんだ!」
「あなた、狂ってる!それともあたしが、狂ったの?」驚きと恐怖に顔が歪むと、悲しく叫んだ。
「・・・・・・」
「お願い、あたしに分かるように説明して」
 ああ、なんということだ・・・・・・俺は麻美がこの世に生まれたことを、もっと単純に喜んでくれると期待していたのに、まったく違った。俺の心は焦燥と戸惑いに揺れていた。
 しかたなく、麻美の誕生の秘密を話始めた。麻美をラブソファに座らせると興奮と怒りと悲しみに揺れる麻美をなだめようと隣りに座ったが、麻美は俺の膝から離れようと身体を離してしまう。
 夜の帳が窓の外に落ちた。漆黒の夜空には小さな星が一人ぼっちのように寂しく瞬いていた。長い話が終わると、麻美は悲しみに泣き疲れていた。
「それで、あたしを騙してプラチナハートをさわらせたのね?」
「ああ・・・・・・」
「あたしは辻村瞳の心をもち、永遠に歳をとらない、女優の栗田朋美の肉体をもった人造人間なのね・・・・・・」
「一緒に料理も食べられるし、お風呂にも入れるんだよ。人間みたいだろ!」
「スッゴク!うれしいわ・・・・・・それが、あなたの望みなのね?」
 呆れた顔に激しい憎悪が潜む、皮肉の鋭く尖った矢が胸に飛んできた。
「あたしは、もう永遠に、元に戻れないのね・・・・・・」
「・・・・・・君は、麻美として生きるしかない・・・・・・」
 俺達はふたりでソファに座ったまま正面を見ていた。なかなか目を合わせることができない。
「そんな・・・・・・あたしを鎖につないで、性奴隷にしてうれしい?」
「・・・・・・」
「人間みたいだけど、人間じゃない。あたしの身体は研究所で生まれ、あなたが辻村瞳の魂をコピーした・・・・・・父も母も、兄弟も、幼馴染の友達もいないのね・・・・・・」
「俺がいる」
 麻美が俺に振り向いた。
「あなたの為だけにあたしが存在するわけ?まるであなたのロボット玩具ね・・・・・・麻美なんていう人間はこの世に存在しない、あなたの妄想が創った虚構の天使よ・・・・・・あたしは社会に存在してない秘密の幽霊だわ・・・・・・」
「今、君は俺と話しているじゃないか!・・・・・・君は存在している。そして、医者でもない限り、だれも君がロボットなんて気づけない・・・・・・俺は君を奴隷なんかにしないよ」
「ヘーッ、自由にしてくれるの?あたし、逃げるかもしれないわよ・・・・・・」
「そうしたけりゃ、そうすればいい・・・・・・好きにしろよ。もう、君を縛らない・・・・・・」
「あなた、本当にあたしのことが好きなの?」信じられないというように不思議な顔を俺に向ける。
「・・・・・・」
「アナタノ、スキナノハ、ジョユウノトモミ。ソレトモ、ヒトミ。ソレトモ、アサミ?」
「おい、どうしたんだ?声が変だぞ、だいじょうぶか?」
「ううん・・・・・・なんでもない.質問に応えてよ?」麻美は苦笑いをすると、明るく微笑んだ。
「俺が好きなのは辻村瞳だ!」
「・・・・・・アハハハ・・・・・・笑える・・・・・・苦しい・・・・・・あなた、ほんとうに辻村瞳が好きなんだ」
麻美は苦しそうに涙を瞳いっぱいに浮かべると大笑いした。
「変か?」
「あたしは麻美よ。もう、辻村瞳じゃない!」
「・・・・・・いいのか?」
「なにが?」
「自分の運命を受け入れてくれるのか?」
「あなたがあたしに麻美の運命を押し付けたのよ。そして、あなたはあたしから全てを奪った!あたしはあなたのものなんでしょう?」
「・・・・・・きついことを言うな・・・・・・」真人は寂しそうに呟いた。
「きついですって!ふざけないで!あなたはあたしの魂と心を盗んだ!・・・・・・あたしはデーターじゃない!・・・・・・いますぐ、あたしを殺して!」麻美は狂ったように叫んでいた。
「・・・・・・」言葉が出ない!頭の中は真っ白だ。
「フフフ、ハハハ・・・・・・あたしは何?あたしって何!酷いよ・・・・・・突然、あたしがもうひとり生まれて、ロボットの身体になったの!」麻美は悲しく独り語ちるように叫んだ。
「・・・・・・」
 ふたりの間に沈黙が流れたまま重く澱んでいた・・・・・・テーブルの上には火の点かないローソクが、ケーキとワインが、歪んだまま揺れていた。
 麻美の頬には乾いた涙の跡が光っている。
・・・・・・ふたりの間に時間がどの位流れたかわからない。
 麻美はソファから立ち上がると、ゆっくりと窓へ歩み寄る。カーテン小さな隙間から、己の姿を隠すように外を見た。
細い隙間から覗くように、夜空を見詰めたまま動かない。後姿に、悲しみが肩から背中に落ちていく。
「あのさあ、お祝いしようと思ってケーキとワインを買ってあるんだ。麻美の誕生祝い・・・・・・」
「・・・・・・」麻美は振り向くと大きな薔薇の花束に目をやる。二十五本の深紅の薔薇を見つめている。
「お前を、一生大事にする・・・・・・」
「一生?・・・・・・」初めて笑顔を見せた。意外とでも思ったのか、刹那気に不思議そうに笑う。修羅から救われたような気分だ。
「ああ、一生」
「・・・・・・約束してくれる?」
 麻美が天使か慈悲深い観音様のように微笑んだ。
「ああ、約束する・・・・・・おまえの言うことは何でもする」
「本当に、あたしの言うことは何でもするの?」
「ああ、誓うよ。君のやりたいようにしてくれ」
「・・・・・・あなたをあたしの奴隷にしてもいいの?」
「ああ、君が望むなら、君が女王様になればいい」
「あたしの、命令には絶対服従できるのね?」
「できることは・・・・・・」
「じゃあ、跪いてあたしの足の裏を舐めて綺麗にして。あなたがあたしの奴隷になる忠誠の誓いを見せて」
 麻美はゆっくりとソファの腰掛けると足を組んだ。
 俺は麻美のまえに跪くと麻美の足を両手で抱きかかえた。足の裏に口づけをすると、舌を出して舐めた・・・・・・右足が終わリ、左足を抱えたときだった。
「馬鹿!」
 いきなり目の前の足が消えると、顔面を思いっきり蹴られた。俺は激しい衝撃を感じると床に転がっていた。
「これから、あなたを、焼き裂きにして殺してもいいの?」
「・・・・・・」
「これから、あたしが警察に行ったらどうするの?」
「誰も、君の話を信じないよ」
「でも、あたしを調べるわ・・・・・・プラチナハートはさわるわね」
「お願いだ。それだけは許してください・・・・・・君を失いたくない」
 麻美は首をほのかに傾げるとゆっくりとソファから立ち上がった。
「・・・・・・アハハ、誓いって、虚しいわね・・・・・・みんな大嘘つきよ」
「頼むから、そんな投げやりにならないくれ。君の秘密も君のこともちゃんとまもる」
 麻美は静かに背中を振り向ける。ゆっくりと窓に歩み寄る。窓のカーテンの隙間を大きく開けると、ビルに切り取られた夜空の景色を眺めて動かない。瞬く星がない寂しい夜空が霞んでいる。
 もはや、俺にできることは何も無かった。打ちのめされたような気分。苦い無力感が胸の中に溢れていた。
 遠くで電車の通過する音が聞こえる。外ではいつものように時間が流れている。帰る家を求めて人々が息を弾ませ道を歩いているのだろう。
 この部屋の中だけが時間が止まっていた。
 麻美はカーテン静かに閉めると振り向いた。
 俺に近づいてくると、俺の手をつかみ倒れこむようにラブソファに座った。
「・・・・・・あたしを抱いて。あたしが女だということを、あたしにわからせて・・・・・・」
「えっ!・・・・・・ほんとうに、いいのか?」
「アハハ・・・・・・決めたわ・・・・・・あたしが、ロボットだなんてあたしは認めない。絶対いやよ!
 あたしはあなた好みの女になる。あたしはもう、辻村瞳じゃない!舞台女優の栗田朋美でもない。ここに生まれたばかりの裸の女、麻美を、あなたがあたしにわからせて」
 麻美は乾いた嬌笑で声高く笑うと、甘えるように両手を広げた。
「・・・・・・」
「ねえ、早くぅ・・・・・・」
 麻美は俺の頭に両手を回すと俺の唇を激しく奪うようにして、背中からラブソファに倒れこんだ。

                      4
 翌朝、窓から眩しい光が部屋の中に差し込んでいた。ベッドの中で、ふたりは裸で抱き合っていた。麻美は俺の腕枕に頭を乗せて、俺の唇に薬指を這わせる。
 麻美は外出用の服を買ってといい、その後で、ふたりの門出を祝って神社に行きたいと言い出した。近所の神社でいいだろうと言うと、どうしても今日、東京の下町にあるその神社に行きたいという。
 ベッドからふたりで抜け出し軽い朝食をとると、車で出かけた。自宅の近所のショッピングセンターに麻美のお気に入りの服をふたりで捜した。麻美の服と靴をバッグを買い、レストランで食事をすると、楽しい時間はあっという間に過ぎた。麻美の顔は超人気者だから、ロングヘアをシニョンにまとめサングラスは手放せない。それでも俺は有頂天だった。
 車で一時間以上かかって来た。ここに車を停めると階段の上に鳥居が見える。日は真上を過ぎると斜めに傾いて、拝殿の曲線のくすんだ屋根が古の風を運んできていた。
「だいじょうぶかい?昨日から急に動いたから疲れたんじゃないのか?俺たちほとんど寝てないぜ!」
 真人は駐車した車の運転席から、両手をハンドルに載せながら助手席の麻美に声をかけた
「ウウン!すごく嬉しかったもん。このくらいだいじょうぶ、少し疲れただけ、車の中で休めば平気よ。それよりあたしは何も飲まなくともだいじょうぶだけど、真人、喉が渇いたんじゃない?・・・・・・あたし、ロボットなのに疲れるなんて変ね?」
 麻美は明るく首を振ると寂しげに苦笑いをした。
 真人は悲しみと寂しげな表情を浮かべると、それを打ち消すように爽やかに微笑んだ。
「麻美。約束してほしい。君はロボットじゃない。君はもう人間の女だよ。ロボットであることはこれからは忘れて欲しい」
「うん!・・・・・・」麻美は明るく微笑むと、高層ビルの谷間に佇む下町の風景をぼんやりと眺めていた。
「そろそろ、お参りしようか?」
「もう少し、待って」
 しばらく、麻美は目を瞑るように休んでいた。路側駐車なので、四十分経つと移動して新たなパーキングに移動すると麻美が突然車を降りた。
「真人来て、腕を組もう」
「ああ、よろこんで。お嬢さん。こちらへどうぞ」
 俺は誇らしげに、笑って左肘を開けた。
 麻美はしがみつくように俺の腕にしなだれた。
 平日の午後で参拝客は少ない。まだらに人の影がときどき横切るだけだ。
 道路わきから、階段を上ると両脇の狛犬が俺たちを迎える、横にはさまざまな神様のお堂が立ち並び仲良く和合しているようだ。銀石の鳥居をくぐると、ひときわ大きい正面の拝殿にお参りしているカップルが見える。
 俺と麻美は腕を組んでまっすぐ拝殿をめざした。カップルは賽銭箱に小銭を投げ入れると、鈴を鳴らして拝殿にかしわ手を打つと、手を合わせて参拝の礼をしていた。
 嘘だ!拝礼している女は、辻村瞳、隣りの男は古橋だった。
 俺の足は地面に凍りついたように固まった。足が重くなった俺を引きずるように、麻美が俺の腕を曳く。
 振り返って鳥居に向かう瞳と古橋が俺たちに気づいた。
 驚いたように俺と麻美を見つめている。
「いったい、どういうつもりだ!」
 麻美は顔からサングラスを外すと手にもった。
「オイ!やめろ。瞳に麻美の正体がばれたら、俺は破滅だ!」
「アハハ、もう手遅れよ。もう、あなたはあたしから逃げられない」
「オイ!まさか、おまえ・・・・・・本気か?」
「あなた、あたしを騙して、こころを盗んだでしょう・・・・・・だから、仕返し。あなたに復讐するの・・・・・・どうやら、この勝負はあたしの勝ちね!アハハハ」
 猫が捕まえたネズミを虐ぶるように、楽しそうに笑う。
「オイ、頼む!やめてくれ・・・・・・」
「もう、あなたの運命はあたしのもの・・・・・・あなたを生かすも殺すもあたししだいだね?」
 麻美はしてやったりと満足顔で笑った。
「おい、これだけは許してくれ!」
「誓いをもう忘れたの?何でも、あたしの言うことは聞く約束でしょう?」
「お願いだ!許してください」
「いいから、あたしを恋人として紹介して!コソコソすること無い!堂々とやって!」
「エッ!?・・・・・・」
俺は驚くと戸惑った。恐怖と安堵の混乱が頭の中を駆け巡っている。
「でも・・・・・・昨日、辻村瞳に逢ってプラチナハートにさわらせたばかりだ」
「瞳はあたしのことなんか知らないよ!・・・・・・麻美のことはあたしと真人だけのヒ・ミ・ツ・・・・・・でしょ?」
 麻美は楽しそうに笑うと腕を強く絡め、更に俺に甘えるように頭を俺にしなだれた。
 もう、瞳と古橋は目の前にやって来ていた。
 お互いに立ち止まると、微妙な距離感のまま四人は立ち止まっていた。
 四人の視線が曲がりくねってからみ合うと、お互いのパートナーを一瞬に見比べていた。
 瞳は古橋の腕に手を絡めて立ち止まったまま、信じられないというように、瞬きを繰り返すときょとんとして動かない。
「新堂さん。驚いたな。すごい美人の恋人ですね・・・・・・もしかして、あの有名な女優さんの・・・・・・」
 古橋が挨拶がわりに羨ましそうに言うと、瞳は古橋のその様子を見逃さなかった。組んでいた腕を突き放した。古橋を見上げる瞳の驚きと侮蔑の顔・・・・・・嫉妬と憎悪の眼差しが浮かぶと、古橋の横顔に突きたてた。
古橋は驚いたように瞳の顔をちらっと見ると、肩をすくめて恐縮していた。
 麻美が握った腕を軽く曳いて俺に合図する。
「いやあ、別人。他人の空似だよ。それより奇遇だね。こんなところで遭うとは驚きだ」
 俺は麻美が何を言い出すかと思うと、慌てる心臓が口から飛び出しそうだ。
「そちらも、ですか?」冷や汗をかいた古橋が話題を変えるように聞いてきた。
「いやあ、ちょっとね」ヒヤヒヤだった。この場から一刻も早く逃れたい気分だ。
「結婚するんですか?」
 昨日、瞳に逢ったこともおそらく知らないのだ。何も知らない古橋が無頓着に聞いてくる。
「いや、まだつきあったばかりだよ・・・・・・」
 真人は麻美の秘密がばれないかと恐れながら、苦笑して見せる。そして、横の麻美の顔を見ると正面の瞳の顔を見た。
瞳はこの女何者というようにじっと麻美をじっと見つめている。
 俺の心臓は早鐘を打ち続けている。
「あのう、私、新堂麻美と申します。古橋さん、瞳さん、御結婚おめでとうございます。お初にお目にかかり、光栄です。よろしくお願いします」焦れたように麻美が朗らかに宣言すると頭を下げた。
 驚いた!思いがけない言葉に、俺は安堵のため息を吐くと力が抜けた。
「えっ!ありがとうございます・・・・・・でも、おふたりは、もう、入籍しているんですか?」古橋が驚いたように声を挙げた。
 瞳が麻美の顔を一瞥すると、憎らしそうに新堂の目を睨みつけた。昨日の新堂のロマンチックな愛の囁きを思い出して怒っているのだ。
「いえ、遠縁の者です」朗らかに上品に麻美が取り澄ます。
 古橋はにやりと笑うと。
「お幸せに!僕たち急いでいるんで・・・・・・」
「聖コクドレア・キグナス大聖堂のマリアさまは、とても気品があるそうですね」
 麻美が新堂の話の腰を折るように呟いた。
俺の心臓は跳びあがらんばかりに驚いた。やめてくれ麻美!いったい、何の話をするつもりだ!?コクドレア大聖堂とは何の話だ??
 瞳と古橋は驚くと怪訝な表情で麻美を見つめている。
「麻美さんでしたかしら・・・・・・なぜ聖コクドレア・キグナス大聖堂を御存知なんですか?」
「いえ、真人が話してくれたんです」麻美が俺の腕にもたれながら甘えた鼻声で呟く。
ああ、なんということだ・・・・・・。
古橋が怪訝な表情で新堂を見ると瞳を見た。
「なにかのまちがいです。わたし、なにも新堂さんに話していないもの」
慌てたように瞳が否定すると古橋の目を刺すように見つめる。
「真人が、瞳さんの話をよくするんです。あたしがやきもちを焼いてしまうくらい・・・・・・」
 麻美がポツリと、小憎らし男だけど許してあげたのよというように話した。
 オイ!もう、やめてくれ!
 瞳の顔が驚くと、困惑と信じられないという表情で麻美を見すえている。俺もきっと同じ顔して麻美を見ていたはずだ。
 古橋は目をくるくる回すように笑うと
「新堂さんには僕から招待状を送るつもりだったんだが、それでいいんですよね?」
 おれに確認するように、念を押してくる。
「と、当然だよ。瞳さんと俺の間には何も無い」
 俺はこの驚愕と怯えの震えを気づかれないように明るく笑った。
「もしかして、ふたりで逢っていたんですか?」
古橋が俺と瞳の目をみると疑い始めた。
「翔太。あたしを疑う気?」瞳が古橋を睨みつけると気色ばんだ。
「いや、こちらのお嬢さんが・・・・・・」
「妙なことを言わないで下さい。失礼ですよ。あなた誰ですか?」瞳が麻美に食ってかかった。
「わたしは・・・・・・」
 全員の視線が麻美に集まった。俺は全身が凍りつくと息を飲んだ。
「・・・・・・真人があまりに瞳さんをほめるから・・・・・・」
一瞬のためらいがやたら長く感じた。すぐに、麻美が口を尖らせると悪戯ぽく俺を睨んだ。
今度は、三人がいっせいに俺を睨みつけてくる。冷や汗が掌と足の裏にじっとしみだしていた。
「いや、マイッタナ・・・・・・瞳さんが素敵な女性だと話しただけだ。それをこいつが曲解してやきもちを焼いただけ・・・・・・」
俺は大きなため息を吐くと笑ってごまかした。
古橋の目がくるくると回る。
「安心しましたよ、麻美さんもよろしかったら、聖コクドレアへ・・・・・・」
 瞳は顔面を蒼白のまま、怒りと苦汁をちらっと顔に漏らすと、慌てたように古橋の袖を曳いた。
「せっかくのお誘いですけど、わたしは御遠慮させていたただきます!」
 麻美は古橋の言葉を遮って毅然と割り込んでいた。
「そ、そうですか・・・・・・では、またの機会に・・・・・・」
 古橋は狐につつまれたように呆然としたが、すぐに、にっこりと笑った。俺たちに悪い冗談を聞かせないでくれとでもいうように片手を軽く振ると、腕を瞳に差し出した。瞳はそれをプイと無視をした。振り向いて背中を向けるとそのまま足早に行ってしまう。古橋は歪んだ苦笑いを俺たちに見せると慌てて瞳を追いかけていった。
 遠巻きにしていた人の波が俺達を包みはじめた。麻美が俺の腕を握ったまま離さない。
 ふたりの姿が階段から沈むように消えてゆく。古橋が盛んに瞳に謝っているようだ。
「いったい、どうゆうつもりだ?肝を冷やしたぞ!」俺は思わず声を荒げたつもりだったが、ホッとした太安堵感からか、拍子抜けしていた。
「これで、あたしの復讐のお参りはおわり!神様にあたし達の姿を観てもらった」麻美はけろっと言うとカラカラッと笑った。
「オイ。勘弁してくれ。寿命が十年は縮まったぞ・・・・・・あいつらだって・・・・・・」
「アハハ・・・・・・平気よ!古橋は瞳にぞっこんなんだから。今晩はきっと、瞳を疑った古橋にきついオシオキが下るんじゃないかな・・・・・・」
「エッ!そうなのか?」
「アハハ、あなたをふった瞳と古橋に、あなたとあたしの仲を見せつけてやりたかったの・・・・・・あたしは瞳に言ってやりたかった。あんた、男を見る目が無いって・・・・・・ここに、こんないい男がいるじゃないって、あたしは叫びたかった・・・・・・」
「麻美、お前は・・・・・・」
「ごめんなさい・・・・・・あたし、きのうまであなたをふった、瞳だったのよ・・・・・でも、あなたに愛されたから、麻美になれた・・・・・・」
 急に真面目な顔をすると寂しげに微笑んだ。
「ああ、うれしいよ。本当によかったよ。神様の前で麻美のお許しがもらえて。(みそぎ)が済んだような気分だ!」
「ごめんね・・・・・・これで、あたしもすっきりした」
「これからふたりで、いろんな所へ旅しよう・・・・・海か?山か?どこに行きたい?」
 突然、麻美は俺の身体にしがみつくように抱きついてきた。俺の唇にむさぼりつくような口づけで俺の身体も心も絡めとろうとするようだ。
 このままずっと、時の流れを忘れて抱きあっていたかった。
 麻美は唇を離すと悲しそうに俺を見上げたまま見つめる。目が潤んで涙があふれている。
「今日は俺たち二人の門出の日だろう・・・・・・どうして、そんな顔するんだ?・・・・・・」
 麻美は静かに正面の拝殿に視線を流した。
「ここは何の神社なんだ?」
「ここは日本橋人形町の水天宮・・・・・・安産祈願の神社よ」
「なんだって!?」俺は腕の中の麻美の顔を見下ろした。
「そう・・・・・・やっと気づいてくれた・・・・・・」麻美の瞳の中に悲しみに揺れる微笑みがあった。
 俺は目の前が真っ暗になると俺の中の得体の知れない何かがギュッと心臓を締め付けた。
「嘘だーーー!」
 俺は叫んでいた。俺は離すまいと強く麻美を抱きしめた。
 境内に声が響き渡ると、周りの人間が驚いたように抱き合う二人を振り返った。

「もっと、あなたと笑って、楽しくすごしたかった・・・・・・」麻美が寂しそうに笑った。
「・・・・・・」
「ごめんね。もう、目が見えなくなってきた。脚がふらつくの・・・・・・」
「嘘だろ!?・・・・・・」
「嘘だといいんだけど、もう、だめみたい・・・・・・空元気だったの・・・・・・もう、お迎えの神様が目の前に・・・・・・」
麻美は悲しげに笑った。
「真人、うちに帰ろう・・・・・・」
「ああ・・・・・・」
「あたし、もう素顔のままでいたい・・・・・・おんぶして?」
麻美はサングラスを頭にかけた。
「ああ、もちろん」俺は笑った。
 俺は麻美の前で腰を落とすと麻美を背負った。ゆっくり外に向かって、境内を歩き始めた。打ち付けてくる敷石の衝撃が一歩づつ、脚を震わせ、俺から力を奪ってゆく。
「あったかいね。真人の背中」
「ああ」
「あなたに逢えてよかった」
「おれも麻美に逢えてよかった」
「ほんとう!?」
「もちろんさ!」
「昨日、きついこと言ってごめんね」
「いや、俺が軽薄だった。こんなことになったのは俺のせいだ」
「ううん・・・・・・だからあたし達、愛し合えたんだもの」
「ああ、すまない、おまえに辛い思いをさせた。俺はお前に残酷なことをした。許してくれ・・・・・・」
「ううん、いいの・・・・・・ありがとう。楽しかったよ!」
「すまない」
「もう、謝らないで、ちがうよ!・・・・・・あたし、あなたに復讐しようとした・・・・・・あなたを破滅させようとした。・・・・・・でも、もう、そんなんじゃない・・・・・・」
「ああ、わかっているよ・・・・・・ありがとう。おまえは優しくて、最高の女だ!」
「ああ・・・・・・神様は、いじわるね・・・・・・」泣きながら笑うと涙に濡れた頬を俺の頬につけてきた。
「たとえ、まちがって生まれてきたとしても、私は瞳の偽者じゃない・・・・・・私はもう麻美として生きているよね?・・・・・・」
「ああ・・・・・・おまえはもう、瞳のコピーじゃない。一人の人間の麻美だよ」
「・・・・・・あたしの一生・・・・・・短いね・・・・・・」麻美が悲しげに微笑んだ。
「ああ・・・・・・」
「あたし、怖いよ。真人を忘れたくないよ。狂って死ぬのは嫌だよー・・・・・・生まれたばかりで死ぬのはいやだ!」麻美は泣きながら俺の耳元に囁いた。
「お前の傍にはいつも俺がいるよ。早く、うちへ帰ろう」
「家に帰ったら、やり忘れた、誕生会してね!」麻美は笑った。
「ああ、そうだな、パッとやろう」
「ふたりでケーキのローソクに火をつけて、お祝いして、乾杯しよう」
麻美の明るい声が切なく響く。
「ああ」
「ハヤク、イエニカエリタイ」
「ああ」
「真人。好きだよ」
「麻美!おまえが大好きだ!」
「今度、生まれるときはもっと長く生きたい」
「ああ」
「あなたと、山と湖が見えるホテルで、おいしい料理が食べたい」
「ああ」
「ネムイ、イシキガ、イシキガ・・・・・・キエル」
「麻美!」
「グボバングググジゴデ・・・・・・ゴドルゴバハハア・・・・・・キャハハハハ」
「麻美・・・・・・」
「もうだめ・・・・・・おねがい・・・・・・狂う前に、あなたが・・・・・・プラチナハートに、さわって・・・・・・あなたが、もういちど・・・・・・あたしを・・・・・・救って!・・・・・・麻美の、まま・・・・・・死にたい」」
「麻美!」

 テーブルの上に豪華な薔薇とワイングラスとローソクのたったケーキが並んでいる。
麻美は来た日のように黄色のラブソファに座っている。来た日とは違うワンピースに着替えて、今日ふたりで一緒に選んだ、麻美のお気に入りだった。
 ローソクに火を着けると、つぶらな瞳に幾多の炎が揺れて、にっこり微笑んだように見えた。
昨日の日暮れ、哀しみとともに、この世に生まれ、今日の日暮れとともに、微笑んで、風のように去った。
 一日だけの人生を俺のためにだけ奉げてくれた女。
 一日遅れの、二十五歳の女の生誕祝い。
 麻美・・・・・・ありがとう。お前を忘れない。
 ワイングラスをテーブルのグラスに重ねるとすずやかな音がいつまでも響いていた。          

 ところが、この話には続きがあったのである。
ケーキの下に封筒がしのばせてあり、真人の用意したメッセージカードのほかに便箋の手紙が入っていた。
こんな事が書いてあった。

 真人。ごめんなさい。わたしはあなたを騙しました。本当にごめんなさい。
わたしは、生まれてきてはいけない、人間、いや、ヒューマノイドだったのです。
 それは、わたしが辻村瞳だったから。わたしが二人いるなんて。私は許せなかったのです。
 私は、自分が妊娠していることを知っていました。私は、あなたの話を聞いて、
ああ、やっぱり神様も私が生まれることはお許しにならなかったのだと思いました。
 最初、私は、自分勝手な、あなたを憎みました。まるで、ゲーム感覚のように私の命を生み出し、運命を弄んだからです。
 それで復讐するために、瞳の妊娠を隠し、麻美になって演技して、あなたを楽しませた後、あなたの人生をメチャメチャにして、消えていこうと思いました。
 そうすれば、辻村瞳はただ一人の辻村瞳であり、もとの生活に何の支障も生じないと思ったからです。あなたにとってもそれが望みなら、演技して麻美になることは苦でもないことでした。
 それと、わたしのなかに、もうひとりの変な自分がいます。わたしは今揺れています。
瞳ではない私という存在とあなたの姿を、瞳に見せつけたいという気持ちもあるのです。
 それは、あなたはそんな悪いやつではない。私のことが本当に好きなんだなと思うと嬉しく思う気持ちがあったからです。それは、麻美になってから気づいたからかもしれません。
 私は今揺れています。あなたにこんな手紙を書く愚かな女と、あなたを欺いて復讐する悪魔のような女。今、わたしにはわかりませんが、明日、瞳に会えばきっと答えが出るでしょう。
 この手紙を書いた後、いつ死がおとずれるか予想もつきませんが、復讐すれば、きっとあなたは私を怨むでしょうから・・・・・・こんな手紙は無意味でしょうけど。
 わたしは、まもなく死を迎える虚像の天使です。いや、あなたを陥れる魔女かもしれない。ですから、もし、私が復讐せず死んだとしても、そんなに悲しまないで下さい。
 わたしは、もともと、この世に存在しない女なのです。みんな元通りに戻るだけです。あなたも、早く元通りにもどってください。
 そして、麻美のことは早く忘れてください。
 どうか、素敵な恋人が真人と出会いますように。
 この手紙は、まだ深い夜の刻、あなたが寝ているときに書きました。
 では、さようなら。 お元気で。  
                                                         もうひとりの    瞳より

 男は手紙をテーブルにおくと、ロゼワインに揺れるグラスを挙げる。もう一度、テーブルのグラスに重ねた。
 ラブソファに座る女に、にっこり笑うと「おまえはもう演技する瞳じゃなかった・・・・・・麻美はまちがいなく、ここに生きていたよ・・・・・・麻美になって生きようとした女!おまえに乾杯だ!」
 グラスを口に運ぶと一気に飲み干した。
 ラブソファに座る女の横にプラチナハートが佇む。ハートの蓋が開いている。中の乾いた砂がキラキラと輝いた。流れ出すと一筋にゆっくりと、光る塵が舞いあがっていった。 
 流れるようにケーキの上にたゆたう光。ローソクの炎が揺らぐと吹き消されたように消えた。そのまま流れるように天に向かうと光は静かに消えていった。                                      
                                                                          了

プラチナハートにさわって

プラチナハートにさわって

男の身勝手な欲望に弄ばれた、人間の女のこころをもつヒューマノイドと一途で軽薄な男のままならぬ恋を描く。 不思議なプラチナハートをめぐる愛と欲望の陰謀事件のなりゆきは? 幻想ミステリーロマン・不条理ラブストーリー

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • サスペンス
  • 青年向け
更新日
登録日
2014-04-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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