左乃助の鬼腕 桶狭間編②

10話  熱田の白い鳩

 
 織田信長の軍勢は手持ちの兵五百、農家の次男三男を寄せ集めた兵が百、別働隊の籐吉郎山賊の連合軍が二百。
 これだけで一万の今川軍を受けと止めようとしていた。
 信長は熱田神社付近まで素早く兵を寄せるとそこで陣屋を張らせ、そのまま兵を休ませてしまった。この行動に重臣達は首を傾げ信長に言った。
「熱田の神主は殿に敷地を渡してくれましょうに、何故このような場所に陣屋を張りなさる」
 信長の遠い祖先は宮司だったと言うことは重臣の誰もが知るところであり、二神教なる宗教がはびこるこのヤマタイで信長が保護しているからこそ熱田神社は小規模ながら宗教活動が保てている。
 信長が「陣を張るので場所をよこせ」の一言で、熱田神社の神主は平身低頭し全てを明け渡す事だろう。
「日が悪い」
 信長はそれだけ言うと身を翻し、陣幕の奥へ去ってしまった。
 確かに信長の信じる「オワリ歴」でこの日は凶日である、が、無神論者に近い信長がそんな物にこだわるわけもなく、それはその翌日の式典の為の陣張りであった。
 そのことは信長にし「式典」の指示を受けたごく一部の者しか知らない。


    左乃助の鬼腕 9話 「熱田の白い鳩」


 左乃助はまだ日も明けぬうちに、物音で目を覚ました。
 寝床を這い出て、陣幕をめくると暗がりの中数人の兵士が何かを運び出している。
「陣から逃げようっていうだか」
 敵の多さに恐れをなし陣からめぼしい物を盗み出し、敵前逃亡を計る物も少なくはないが、そのような者は故郷の村では生きて行ける訳もなく、放浪者としての運命が待っているだけで、それだけの金品が信長の陣屋にあるはずもない。
 左乃助がそこまで思いを巡らせていたかはさておき、この好奇心の塊のような少年は、その兵の後を付けることにした。
 天空には星が瞬き、山の稜線が赤紫色に縁取られている。
 もうすぐ夜は明けるだろう。
 朝焼けに変わる少し手前の光りが社殿が幻想的に浮き上がらせている。
 その下に数人の人影が、箱の前で何かしている。
 左乃助は素早く近づくと、信長の家来だとわかる。向こうも左乃助だとわかると、又作業を続ける。
 最近信長が気に入って連れ歩いている「奇妙な少年」の事は信長の配下の者なら誰でも知っていた。
 家来からしてみれば、お気に入りというこの少年は実に扱いに困る存在である。
 無碍に扱えば信長の怒りにふれるかもしれない。かといって媚びへつらう存在でもないだろう。ただ面白い小僧を拾って、そばに置いているだけなのだから。
「なにをやってるだ?」
 左乃助は箱の方を興味深くのぞき込む。
 箱の中には白い鳩が数十羽。
それを一羽ずつ抱え、羽の付け根に麻糸をくくりつけては箱の中に戻している。
「そんなことをしちまったら鳩が飛べなくなっちまう」
「あぁそうだな」
 鳩を籠に戻している男が面倒くさそうに言った。
「どうしてそんな事をするだぁ?」
「しったことか。殿のご指示でやっておるんじゃい」
 鳩に「細工」を施している男は露骨に「向こうへ行け」といった風な目つきで左乃助に一瞥を喰らわせるともう何も応対してくれなくなった。
「あと数刻すれば解るじゃろうて」
 鳩の「細工」をしていた中の老人が諭すように言うと、左乃助は何かを理解したのか、その場を離れ寝床へ戻っていった。

 日が昇ると本殿前の広場に家臣団が集められ、本殿から現れた信長を見上げた。ちょうど日差しが信長に当たり、甲冑の飾りがそれを反射させ壇上の男に神々しさすら与えて見えた。
「皆も知るように儂は神官の血を引く者ぞ、であるに、儂は古くより伝わる戦勝の神事を執り行う、神の使いとされる鳩を放ちこの鳩が遠くへ飛び去れば我が方に勝機なしとし、オワリ城へ引き返す。鳩が飛び立たずこの境内にとどまるようであれば、我が軍に勝機ありとし今川の粉ふき芋を練り潰す!」
 そう言うことか、と左乃助だけが神妙な状況の中一人ニヤニヤと笑って鳩の入っている箱の方を見ていた。
 当然鳩は早朝に家来どもが「細工」を施したおかげで遠く飛び立つ事もなく、すぐに着地して全ての鳩が境内に着地した。
「我が方に勝機あり」
 信長が高らかに叫ぶと、皆もそれに続いた。
「我が方に勝機あり」
 叫び志気を上げる男達の中、左乃助だけがニヤニヤと大人達を見上げて立っていた。

11話  暗雲


信長は流れる雲を仰ぎ見ながら苦い表情を崩さない。
西から東へと空を見回し、西の方角だけを見て、東の方角だけを見つめることを繰り返していた。
 藤兵衛の放った間者により、今川義元が勺軽を斬ったとの報があってから、今川軍の動きが鈍いのだ。

「のぶながぁさっきから空ばっか見上げてどうしただ」
 いつの間にか足下にいた左乃助が、信長を見上げ笑っている。
 すっかり気に入ったのか、特注で作らせた子供用の甲冑を身につけている。
相変わらず甲をかぶるのはイヤらしいが、大人と同じ格好をしている事が楽しいのだろう。
信長は、左乃助を見て少しだけ表情を和らげた。
「空を読んでおる」
「空をよむ?」
「風を感じんか、左乃助」
「わからん・・・信長はときどき自分だけしかわからん言葉を使うからよぉわからん」
 信長の背筋の奥に衝撃が走った。
「だから部下が神経をすり減らすんじゃ」
 と、目の前の小僧に言われた気がしたからだ。
 信長は舌打ちして、また雲の流れを見上げた。
「左乃助の腕は何も感じんか、この天の移ろいを」


         左乃助の鬼腕・桶狭間編
           11話「暗雲」


「鬼腕は天気を読むもんでねぇでな、でも悪い気が近づいて来るのは解るだ」
「悪い気。それは今川が近づいて来るということか」
「わからん。でも腕の羽がカサカサいうとる」
信長は何も答えず空を見上げた。

「殿!今川が動き出しました」
 伝令が転げるようにして信長の前に現れた。信長はただ鋭い目で伝令を睨みつけ、クッっと右目を細めた。
「まだじゃまだまだ・・・桶狭間に腰を据えるまで」
 現地の者が「田楽狭間」と呼ぶ小さなすり鉢状の盆地に今川軍はきっと陣を張るに違いない。
 信長はそう読んでいた。今川義元は我が大軍を見せつけ、威嚇するには桶狭間が絶好の地だと思うに違いない。
「今川義元よ愚なり」
 信長は呟き、オワリ方面から流れて来る黒い雲を見て、唇の右端を少し緩めて笑った。

 それから数時間後。一万の今川軍が桶狭間を埋め尽くし陣を張った。
「阿呆の自慢ズラを見に行くぞ」
 信長はすっかり曇天になった昼過ぎに馬に跨り、陣を移すことを宣言した。
 向かうは桶狭間を見渡せる中島城。
 まだ暑い九月の風が徐々に冷えてきて、遠くでは雷が鳴り始めた。
「皆進め!この暗雲。我らを救う雲になろう!」
「応!」
 信長の兵、五百あまりが進軍する信長の激に対し何度も雄叫んで答える。
 それにより信長軍の志気は異常に上がった。

 信長は中島城に着くなり、櫓に登り桶狭間を見下ろした。
狭い盆地を今川軍が埋め尽くしている。
「こりゃすごいなぁ」
いつの間にか登ってきていた左乃助が嬉しそうに言う。
「左乃助。ワシの共として奴らを叩きのめせるか」
「のぶながが叩けねぇならおれがやってやるわい」
「左乃助。お前はいつも一言おおい」
 信長は桶狭間を睨みつけ、武者震いをした。
 信長には勝利が見えているのか、ブルリと武者震いをすると口角を緩め、怒り笑いのような妙な表情を見せた。
「のぶなが、笑えこういう時は笑っておいたほうがええぞ」
 左乃助は櫓の柱を掴むとヒョイと櫓の屋根の上によじ登り、高らかに笑った。
 それにつられ信長も笑った。
「のぶながぁこの声、今川の所にも聞こえるかのぉ。ワッハッハ」
「かもしれんな。ワッハッハァ」
 櫓の上で信長と左乃助は吼えるように大笑いした。
 冷たい追い風が信長の背にあたり、屋根の上にいる左乃助の頬に大きな雨粒があたった。

左乃助の鬼腕 桶狭間編②

左乃助の鬼腕 桶狭間編②

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-04-09

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  1. 10話  熱田の白い鳩
  2. 11話  暗雲