*星空文庫

DotQuest

Sidebook 作

くらうでぃーれん 編

DotQuest
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 目を開けると、そこは森だった。
 別に、何か詩的な表現をしているというわけではない。今現在の状況をそのまま述べているだけである。
「ここは‥‥どこだ‥‥?」
 森の中でぽつねんとたたずむ少年、阿守翔太(あもりしょうた)は呆然とつぶやいた。
「森? 俺はなんでこんなところに‥‥」
 きょろきょろとあたりを見回すも、生い茂る樹々以外には何も見当たらない。ここがどこなのかも、どうしてこんなところにいるのかも全く分からない。
「!? なんだこいつら!?」
 と、突如樹々以外の何かがの阿守の目の前に飛び出してきた。青いぷるぷるとした丸い物体、としか表現できないなにか。大きさは一抱えほどもあるそれが2つ、意志を持ったように阿守に向かって飛び跳ねてきた。
「くっ‥‥!」
 ぶつかってきたそれを体の前で腕を交差させて防御するが、見た目以上に衝撃が大きい。立て続けにもう1つぶつかってくるそれを、今度は防がず転がるように横に跳んでかわす。その物体は勢い余ってすぐ後ろにあった樹にぶつかり、ぼこんと大きな音を立てて跳ねると、再び阿守に向かってぷるぷると近づいてきた。
「なんなんだよ一体!」
 阿守は素早く辺りに視線を走らせ、近くに転がっていた太い樹の枝を拾い上げた。ぽきぽきと細かい枝を折ると、即席の木刀の出来上がり。よくわからないが、どうやらこのまま無視するというわけにもいかなさそうだ。
「はあっ!」
 ぷるぷると飛び跳ねてきたそれを力任せに枝で殴りつけると、べしゃっと音を立てて潰れちぎれ飛び、そのまま動かなくなってしまった。どうやらそこまで恐れるほどのものでもないようだ。落ち着いてもう1つのそれも襲いかかってきたところで殴りつけてやると、同じように粉々になってしまった。
 ぷるぷるの物体が完全に活動を停止したことを確認すると、阿守は1つ息を吐いて肩の力を抜いた。
「はぁ、一体なにがどうなってるんだ‥‥」
 とにかく一度落ち着いて、状況を整理してみることにする。
 自分は今森の中にいる。ここがどこかはわからない。どうしてここにいるのかもわからない。自分はついさっきまでは――
「‥‥あれ?」
 そこで阿守は妙な違和感を覚えた。が、それが何かを考える前に、少し離れた場所から阿守の思考を遮る声が届いた。
「お、はっけーん。いやー、思ったよりずれちゃってたなあ」
「まったく、見つからなかったらどうしようかと思ったじゃない」
「ごめんごめん。でも見つかったんだからいいじゃん」
 現れたのは、2人の少女だった。1人は見た目は小学生くらいだろうか、茶色い髪を緑色のリボンで左右に2つに縛っている。ゆったりとした、というよりはだぶだぶとした淡いピンク色のローブに身を包み、無邪気な笑みを浮かべていた。ただ1つ驚くべきなのはその大きな瞳。右眼は澄んだ空のような青、左眼は輝く夕焼けのような赤。その少女は両の瞳の色がそれぞれ違う輝きを放っていた。
そしてもう1人の少女は一緒にいる少女より頭2つ分くらい背の高い、艶やかな黒髪のショートヘアの少女。とはいってももう1人の少女がやたら小さいだけで、その少女も阿守よりはまだ少し背が低いのだが。少女は細かな装飾の施された銀色に輝く鎧に身を包み、腰には柄(つか)に太陽の紋章が刻まれた一振りの剣を携え、毅然とした、という言葉がよく似合う態度でこちらに向かって歩んできていた。その顔に浮かぶ表情は凛として落ち着いており、見た目は阿守と同じか少し下のようだがその雰囲気はずっと上のようにも見えた。
 2人の少女は阿守の目の前までやってくると、黒髪の少女がすっと恭しい態度で腰を屈め、頭を下げた。
「お初にお目にかかります、勇者様。私はここエルム王国の騎士団長を務めておりますルナと申します。このたびは我々の召喚に応じてくださり、ありがとうございます」
 ルナと名乗った少女とは対照的に、瞳の色の違う少女は気さくな態度でやっ、と軽く手をあげた。
「一応、もう一回自己紹介した方がいいかな。あたしはスピカ。エルムでは魔法研究所の室長やってまーす。よろしくね、勇者様」
 が、阿守にはまともな反応などできようはずもない。困った様子で2人の少女を交互に見つめていると、スピカと名乗った少女も不思議そうに阿守を見つめ返した。
「あれ、なんか様子がおかしくない?」
「どうかされましたか、勇者様」
 ルナも阿守の反応にやや困惑したように顔をあげ、尋ねた。
「いや、その‥‥状況がまったくつかめないんだけど。俺が勇者?」
 突然森にやってきたかと思ったら今度は自分が勇者などとと呼ばれている。なんだかもう、意味がわからないという言葉以外が思い当たらない。‥‥うん、意味がわからない。
「はい、あなたこそ、我々が召喚させていただいた勇者様‥‥なのよね、スピカ?」
「うん、間違いないはずだけど。勇者様、あたしと召喚の契約をしたよね?」
「ごめん、まったく覚えていないけど‥‥」
「ちょっとスピカ、これはどういうこと?」
 と、ルナがきっと眉を吊り上げて、隣のスピカにやや強い口調で尋ねた。その姿に阿守はは、姉ができの悪い妹を叱るような、親しさというか柔らかさのようなものを感じた。
「うっそーん。これはどういうことだろうね。えへっ」
 しかしスピカはあまり気にした様子はなく、そう言ってぺろりと舌を出した。
「えへっ、じゃない! ああ、王様になんて報告すれば‥‥」
 ルナはびしっ、とスピカの頭にチョップを叩き込み、ひどく困りはてたように頭を抱えた。
「‥‥うーん、でも契約したのはこの人で間違いないよ。契約した時にあたしはハッキリと見たもん。うん、絶対この人だった」
 スピカは痛む頭を押さえつつ、阿守の顔をじっと見つめながら言った。
「でも、契約のことなんて覚えてないって言ってるじゃないの」
「あの、よくわからないんだけど、どうも俺が覚えてないのはその「けいやく」の事だけじゃないみたいなんだけど」
 そこで、若干置いてけぼり気味だった阿守が口を挟む。
「もちろんここがどこなのかもさっぱりだけど、さっきからいろいろ思いだそうとしてみても、元々俺がいた場所ってのもなんかあいまいで、思い出そうとしても断片的にしか思い出せないんだ」
 阿守の言葉にルナは目を丸くした。
「もしかして記憶喪失、でしょうか」
「そうかもしれない」
「あちゃー、もしかして召喚で何かミスっちゃったかな‥‥」
 スピカが2人から目を逸らして小さな声で呟くが、幸いにというべきか2人の耳にはその呟きは届いていないようだった。
 ルナはしばらく目を閉じて考え込んでいたが、やがて阿守を真っすぐに見つめて言った。
「召喚の際に何らかのアクシデントが起こったのかもしれません。勇者様、こちらの不手際でこのようなことになってしまい、大変申し訳ございませんでした。我々の都合で大変恐縮なのですが、王様にもこのことを報告しなければなりませんので、ひとまず我々の城までご足労頂いてもよろしいでしょうか」
「あー、別にいいですよ」
 こんなわけのわからないこの状況で今後のアテなどあるわけがないのだ。何でもいいから今の状況を推察できる情報をもらえるのはありがたい。城、王様、という単語に少々驚きつつも、阿守は軽く返事をして頷いた。
「ありがとうございます。ここから北に歩けばすぐですので。それでは、ご案内いたします」
 そう言うルナと楽しそうな笑みを浮かべるスピカに着いて、阿守は森の中をどこかへ向かって歩き始めたのだった。 

  Ⅰ.

 森を抜けると、しばらくも歩かないうちに巨大な城が視界に入りこんできた。周りに茂る樹々よりも遥かに高く、悠然とその城はそこにそびえ建っている。
 その城の名はエルム城。ここエルム王国の政治や物流など、様々な物事の中心となる場所である。一歩その敷地内に入れば城下町は多くの人々でにぎわい、道端には露店が並び様々な物が売られており、エルム城は活気に満ち溢れている――ように見えた。しかし、ずっとこの国に住んでいるルナにはわかる。今のこの街にはどこにも、本当の笑顔はないのだと。誰もが魔王の侵略を恐れ、魔物の脅威に怯えながら暮らしている。今ここにある日常は、ともすれば今この瞬間にでも失われてしまうかもしれないほど、脆く儚いものなのだ。
 そう、この世界は今魔王の侵略を受け、人間という種の危機に瀕している。しかし魔王の存在は未だはっきりとしておらず、何度も討伐隊が組まれたり様々な分析がなされたりとできうる限りの対策は行ってきたが、それでも一向に魔王討伐が進まなかった。そんななかついに、ここエルム王国で大きな希望となる勇者召喚が行われた。しかしその召喚はこのような不完全な形で成されてしまった。一抹の不安はあるものの、しかしそれ以上にこの勇者として呼ばれた少年には、何かあると感じさせる不思議な力を感じた。それは様々な不安を押しのけ、大きな期待を抱くに足るものだった。ルナははやる気持ちをどうにか抑え、できるだけ早足にならないよう気をつけながら、勇者として召喚された少年を王様のもとへと案内した。
 城下町を抜け、城門の両脇に佇む衛兵に挨拶を交わし、城に入ってまっすぐ進んだところにある大きな階段を上ると、そこはエルム王の謁見の間であった。ルナは毅然とした態度を崩さないままに王様の前まで進むと、阿守に対してした以上に恭しくひざを折り頭を垂れた。
「王様、勇者様を連れて参りました。こちらのお方が勇者様です」
「おお、ルナか。ご苦労であった」
 謁見の間には部屋の中央の大きな玉座、そこにはまだ幾分かの若さを残した快活そうな男性が座っていた。豪華な装飾の施された服と羽織ったマントは赤基調、腰に差している長剣は戦闘用ではなく礼装である。魔王のことで多忙が続いているためか若干疲れているようにも見えるが、その眼には強い活力が宿っていた。
 ちなみに、エルム王の御前にして礼節をわきまえた態度をとっているのはルナだけである。阿守は、まあ仕方ないだろう。突然の状況というのもあるが、なにより元いた世界がどのような所なのか知らない以上、一方的にこちらの常識を押し付けるわけにもいかない。しかし、
「見事に発見してきたぜぃ」
 スピカのこの態度はどうにかならないものか。やたら誇らしげに胸を張っている。
 しかし寛大なエルム王は咎めるどころかそんなスピカを称えてやってすらいた。この寛容さがこの男を王たらしめている理由でもあるのだろう。
「スピカもよくやってくれたな。それで、勇者殿。私はここエルム王国の国王をしております。この度は我々の召喚に応じてくださったそうで、私からもお礼を言わせて頂きたい。ありがとうございます」
 エルム王は立ち上がると、阿守に向かって深く頭を下げた。阿守はどう反応して良いのかわからないらしく、「あ、どうも」と無難な返事を返していた。
 ルナが今回の召喚に際しての事情を話そうとすると、しかしそれより一瞬早く王が話を始めてしまった。
「すでに話は聞いていると思いますが、今この世界は魔王と名乗る輩の侵攻を受けております。この国もすでに何度か魔王の軍勢の攻撃を受け、今まではなんとかしのいできたものの、おそらくやられるのも時間の問題でしょう。このまま防戦一方では敗北は目に見えています。今は隣国のコクラム王国やランド王国も魔王討伐に動き出しているようで、我が国も魔王討伐隊を編成しようと思ったのですが、なんせ小さな国なものでして、討伐に割く戦力がないのです。そこで、その魔王討伐に勇者殿のお力をお借りしようと思った次第なのです。勇者殿、突然このようなことをお願いして大変申し訳ないのですが、我々にあなたのお力を貸して頂けないでしょうか」
 そういうとエルム王は再び深々と頭を下げた。阿守は困ったような視線をルナに向けた。それはそうだろう。とりあえず城に来てもらっただけで未だ魔王の話もしておらず、今聞いた話は阿守にとって初耳なことばかりだ。ルナも困ったように一度視線をどこかへ逸らすが、言わないわけにもいかない。ものすごく気まずくはあるが、ルナはおずおずと口を差し挟んだ。
「‥‥あの、王様、ここまで話された後で大変申し上げにくいのですが、勇者様はどうやら記憶を一部なくしているらしく、今の状況を全く把握されていないようなのです。召喚についても、元いた場所についても」
「記憶喪失みたいなんだよね」
 ルナの言葉とスピカのあまり補足になっていない補足を聞いて、エルム王は驚いて顔をあげた。
「なんと!? それは真ですかな、勇者殿」
「はい、どうやらそのようで」
「おそらく、召喚の際に何らかのトラブルがあったと思われます」
「もしかしたら、召喚で何か失敗しちゃったのかも。でも、あたしは本に書かれているとおり、ちゃんとやったからね。考えられるのは‥‥うーん、あたしの魔力が足りなかったとかかなあ。ごめんね、勇者様」
「ああ、いや、そんな気にしなくていいよ‥‥」
 今までの気楽な態度とは打って変わってしゅんとして謝るスピカに阿守はそう返し、ふと何かに気づいたように眉をひそめた。
「‥‥魔力? 今、魔力って言ったよね。もしかして、この世界では魔法が使えるの?」
 阿守がスピカにそう尋ねると、その場にいた全員がポカンとした表情で阿守を見つめた。
「あ、あれ‥‥。俺、変なこと、言いましたか‥‥?」
 阿守の言葉にエルム王ははっとして軽く咳払いをした。
「あ、いやいやこれは失礼。そうですね、我々の世界では魔法は日常的に使われています。まさか、勇者殿のいた世界では使えなかったのですかな?」
 すぐに気を取り直しそう尋ね返したエルム王を見て、ルナもはっとして自分の非礼な態度を恥じた。やはり世界が違うことによる常識の違いというのは大きいようだ。
「はい。ただ、知識としてだけなら魔法のことは知っています。生命体の体の中には魔力と呼ばれる未知のエネルギーが存在していて、マナと呼ばれる大地が持つエネルギーと合わせることで魔法という超能力のようなものが使えると。昔は魔法を日常的に使っていたみたいですが、大地が持つマナが何らかの要因で消えてしまったらしく、俺のいた世界では魔法は使用できませんでした」
 阿守の話を聞いてエルム王はふうむ、と考え込んだ。と、横からスピカがひょっこりと小首をかしげながら疑問を口にした。
「もしかして、勇者様は未来の時代から来たってことかな?」
 それを聞いて、ルナはため息をつきながらじっとりとした視線をスピカに向ける。
「そんなことも知らずに召喚したの?」
「あたしは強力な魔力の反応を探しただけだもん」
 スピカは頬を膨らませて反論した。魔法に関する知識と魔力は飛び抜けているくせに、こういう子供っぽいところは見た目相応なのだ。ルナはもう一度呆れたため息をついた。
 エルム王はしばらくアゴに手を当てて考え込んでいたようだったが、やがてゆっくりと口を開いた。
「未来か‥‥。勇者殿の話を聞く限りでは、ここは勇者殿の言うところの過去にあたるのかもしれません。我々は確かに大地に眠るマナという力を利用して、日々魔法を使っております。しかし未来ではマナが枯れてしまうということなのでしょうか。しかしまあ、とりあえず勇者殿、魔法を使ったことがないのならば最初は戸惑うかもしれませんが、わからないことがあれば、スピカに聞いてもらうとよいでしょう。彼女はこう見えても魔法研究家としても一流なので」
「えっへん。あたしは結構えらいのだ」
 スピカが無駄に誇らしげに胸を逸らした。「こう見えても」などと言われていることには気づいていないようだ。しかし実際、スピカをよく知るルナでさえ、いやよく知っているからこそ、この若干頭の中身が残念そうな少女が、実はエルム王国のみならず世界でもトップクラスの魔道士だという事実は信じがたい。
「それでこれからのことですが、ひとまず勇者殿の記憶を取り戻すことに専念するのはいかがでしょうか。契約のことを覚えておられないのなら、このままでは魔王討伐を押し付ける形になってしまいますからね。そして記憶を取り戻すことができたなら、その時再びお願いすることにいたしましょう。それに勇者殿が未来から来たのなら、この時代に何が起こるのか、記憶が戻れば何かわかるかもしれません。その情報は魔王討伐にも有益に働くでしょうし、勇者殿が魔法に慣れていないのなら、慣れるまでの時間も必要でしょう」
「しかし、記憶を戻すっていっても、何をしたらいいか‥‥」
 エルム王の提案に異存はないようだが、阿守は困ったように呟いた。しかしエルム王も何の当てもなく提案したわけではないらしい。すぐに行動の指針を与えてくれた。
「それなら西にあるクラリシタウンにいる、ワイムズという男に相談してみるといいでしょう。彼は脳に関する研究を専門にしているので、脳に関することなら彼が最も詳しいはずです。きっと記憶障害についても有益な情報をくれるでしょう。ルナ、スピカ、お前たちも勇者殿に同行し、記憶を取り戻すことに協力しなさい」
「りょーかいであります!」
「しかし、それでは国の守りが手薄になるのでは‥‥」
 スピカは無駄に元気になぜか敬礼などしているが、ルナは騎士団長という立場上、そう簡単に国を空けるわけにはいかない。畏れ多いとは思いながらも、ルナは異論の声をあげた。
 しかしエルム王はそんな反論も予測していたように、ルナに優しい笑みを向けた。
「この国の心配は無用だ。今はコクラム王国が魔王に狙われているらしい。奴らの魔手が直接向けられていないのならば、我々で何とか守ってみせよう。それに、今は攻めることが重要だ。攻めることに躊躇していては現状を打破できないだろう。だから、お前には勇者殿の力になってくれると嬉しい。それに、ルナは自身がまとめ上げる騎士団が信用できないというつもりかな?」
「いえ‥‥、決してそのようなことは‥‥!」
 焦った声をあげるルナに、エルム王は優しい笑みを向けて言葉を続ける。
「ルナがまとめ上げてくれているおかげで、お前の騎士団の結束はとても強い。それはルナが少し席を外して程度で崩れてしまうものか? そうではないだろう。騎士団の者たちも、ルナのことを信じておる。だからこうして送り出すことができるのだよ。だからルナ、お前も騎士団のことをもっと信用してやるといい」
 ルナが視線を向けると、エルム王の両脇に控える兵士たちも笑顔で頷いてくれた。
 これ以上の逡巡は、本当に騎士団への不信を表すことと同義だ。ルナは自らの考えの至らなさを恥じ、顔を伏せた。
「身の程をわきまえぬ愚かな発言、大変失礼いたしました。‥‥ですが、ひとつだけ申し上げさせて下さい。私は騎士団の者たちを信頼していないわけではありません。‥‥私は、己の力を過信していたようです。申し訳ありませんでした」
 そして再び顔をあげると、真っすぐにエルム王の目を見据えた。
「では私も、勇者様の記憶を取り戻すために全力を尽くして参ります」
「うむ、頼んだぞ。そして勇者殿、スピカの話によればあなたが強大な魔力を持っているのは確かなようです。今はまだ使い方がわからないだけで、力を使いこなせば我々では到達できない強さを得ることができるはずです。自信を持ってくだされ。そしてできることならばこの国の、この世界の未来を、頼みます」
 エルム王は再び深く頭を下げ、世界の存亡を託された3人はひとまず勇者の記憶を取り戻すため、エルム城を後にした。

 そのまま揚々と出立したい気もしないでもないが、当然のことながら旅立つ前には準備が必要である。
 ルナは城を出る前に城と城壁の間にある広々とした空間の一角、騎士団用の宿舎へと阿守を案内した。建物に入ると、新米騎士から熟練の騎士まで、ルナの顔を見ると挨拶を投げかけてくれた。ルナは若くして騎士団長を任されているものの、ありがたいことにルナを慕ってくれる騎士は多い。ルナにとってここは気が置けない場所だった。
「さて、勇者様。これから魔王討伐に向け共に旅立っていただくわけですが、その服装のままではあまりに心許ないでしょう。ですのでもしよろしければ、この中からお好きなものをお選びください」
ここに来たのは阿守の装備を整えるためである。阿守は元の世界では騎士ではなかったのか、そもそも防具を着る習慣が存在しないのかはわからないが、どう見ても機動性にも防御力にも優れているとはあまりに言い難いシャツにズボンという非常にラフな姿だった。そこでルナは武具庫にズラリと並ぶ武器や防具を阿守に示した。それを見て阿守は目を丸くする。
「‥‥これはすごいな。好きなもの、もらってもいいの?」
「ええ、もちろんです。我々の都合でこんな危険なことに呼びつけさせて頂いているのですから、これくらいはさせて頂いて当然です」
 阿守は興味深げに1つ1つの剣や鎧を見て回り始めたが、一緒について来ているスピカはつまらなそうだった。
「勇者様ー、そんなのてきとーでいいし早く選んじゃって行こうよー」
 そんなスピカにルナはじっとりとした眼を向ける。
「スピカ、これは勇者様の命をお守りする大事なものなのよ。わかってるの?」
「わかってるけど、どれだってたいして変わんないって。それにそんなのなくてもあたしが魔法でバシッと守ってあげるし。ていうか勇者様だってすごい魔力持ってるんだから、剣より魔法を磨くべきだよ。そうだよ、勇者様魔道士になるべきだよ」
 セリフが後半になるにつれテンションが上がってきたスピカに、阿守は困ったような顔を向け、
「‥‥あー、そうだね。それもいいかもしれないけど、俺としては剣のほうが興味あるかな」
「えー、なんでー。魔法ちょー面白いのに」
「ほら、勇者様はああ言ってるんだから、勇者様の意見を尊重しなさい」
 声に若干勝ち誇ったような色が含まれてしまうのは、仕方ないことだろう。やはり自分と同じ分野に興味を持ってもらえるのは嬉しいし、自分が勇者をリードできるというのは実際に誇らしいことだ。まあだからこそ、スピカとしては面白くないのだろうが。
「よし、じゃあこれにするよ」
 しばらく悩んだのち、阿守は一振りの剣と鎧を手に取った。剣はルナと同様、柄に太陽の紋章が刻印されたシンプルなデザインのもの。騎士団では標準的なものなので、戦闘行為には慣れていないらしい阿守にとってはちょうど良いかもしれない。ちなみに剣に刻まれた太陽の印は、エルム王国のシンボルである。剣以外にも随所に刻まれたそれは、太陽のように世界を照らす国でありたいという初代国王の願いが込められていると以前聞いたことがあった。
そして鎧は比較的軽装な胸と肩を覆う、艶やかな銀色にに輝く胸(ブレスト)鎧(プレート)。小手はひじから先までのもので、具足は腿の前面とひざ下を覆うもの。移動手段が徒歩であることを考えると、かなり妥当な装備であるといえた。あまりに不相応なものを選んだ場合少し口出ししようとも思っていたが、どうやらその必要もなさそうだ。
「あと、鎧の下にこれも着込んでおいてください」
 そう言ってルナは一着の薄手の黒いシャツを手渡した。魔力のこもった繊維で編まれたアンダーアーマーである。薄さの割に防御力は高く、かなりの衝撃まで緩和することができる。また錬(ね)られた魔法には氷系の魔法が含まれており、鎧を着ていても清涼感を保つことができる(夏場なんかはこれを着ていないと大変なことになってしまう)。
「うん、ありがとう」
 阿守は早速着替えをはじめ、鎧の装備にはルナも手を貸し、さして時間をかけることもなく準備は整った。
「おお、けっこう着てるのに意外と涼しい」
 阿守は選んだ鎧に満足してくれているようだ。ルナとしても嬉しいことである。
ちなみにルナの装備は阿守よりもやや重装備で、鎧は胸と腹を覆い、肩、腕まで一体となっている。関節部には適度な隙間が空けられているため、運動にはほとんど支障はない。脚は阿守と同様、腿前面とひざ下を覆うものである。守りが堅い分重量も当然増しているのだが、長年この姿で戦い続けてきたルナにとっては、別段重いと感じるほどのものでもない。その下には当然、阿守に渡したのと同様のシャツを着込んでいる。
「それでは、参りましょう。みんな、私が留守の間、エルム城を頼んだわよ」
「頑張ってくるからねー」
 ルナと、ついでにスピカも騎士団に向けて声をかけると、騎士団からは威勢のいい声が上がった。この様子なら自分がいなくてもどうにかしてくれるだろうと、ルナは再び安心感を覚えたのだった。

 ・・†・・
 
 人々が暮らす街には多様な結界が張られており、魔物は簡単には侵入することはできない。さらに24時間、交代で入口を衛兵が守っているため、何かの拍子に結界を破ってしまった魔物がいたとしてもそこで止められてしまう。ゆえに魔物が溢れているこの世界でも、街の中は安全な場所だといえた。しかし、その外側となると話は全くの別である。つまりエルム城の敷地を1歩外に出ると、そこはもう戦場であるといってよい。ここからはより気を引き締めていかなければならない。
 ――はずなのだが。
「そうそう、さすが勇者様! 筋がいいね!」
「なるほど、こうだな!」
 スピカと阿守はやたらと楽しそうに魔法の練習をしていた。練習相手はこの辺りに多く生息している魔物、青いぷるぷるとした球体のスライムである。先ほど森で阿守が出くわしていたアレだ。
 まあ、スライム程度なら頑張れば非武装の一般民にでも倒せるので危険は少ないし、戦闘訓練も必要なことではあるが、
「うおお、いいじゃんいいじゃん勇者様!」
「ははは、だいぶコツがつかめてきた!」
 これはどこからどうみても遊んでいるようにしか見えない。元の世界がどんなかは知らないけど、いきなり順応しすぎだろ勇者。
(剣に興味があるって言ってたのに‥‥。まあ、別にいいけど‥‥)
 実際魔法は戦闘に不可欠なものであり、始終重々しい空気でいなければならないというワケでもない。黙って見ているばかりもなんなので、ルナも少し戦闘指南することにする。今のところ阿守は炎・氷・雷・風の基本的な魔法を使いこなすに至っているようだ。この短時間で何も知らないところからっこまでくるとは、確かに覚えるのがかなり早いようだ。
「勇者様、では次は少し応用編をしてみましょう。まずは見ていてください」
 そう言ってルナが剣先に意識を集中させると、ふわりと緑色のオーラを纏った風が刃にまとわりついた。そしてルナはそのまま駆けだし、近くにいたスライムに斬りかかる。攻撃を受けたスライムはやすやすと両断され、さらに斬り口からぶわりと広がった風によって粉々に吹き飛んでしまった。
「今のは、敵に向かって魔法を放つのではなく魔力を剣先に留めることで攻撃の威力を高める魔法剣の基本技、エアロスマッシュです。風は最も制御が容易なので、勇者様ならば簡単にできると思いますよ」
「なるほど‥‥」
 そういう阿守が剣先を見つめると、すぐにその刀身を緑色の風が覆い始めた。素質があるとはわかっていたが、ここまであっさりとこなしてしまうとは、本当にこの少年の持つ潜在力は計り知れない。
「いくぞっ、エアロスマッシュ!」
 勢いよく阿守がスライムに斬りかかり、風の斬撃を受けたスライムは見事に吹き飛ばされた。
「‥‥ふぅ」
 魔物を殲滅した阿守は、疲れをにじませた息をついた。
「あれ、勇者様お疲れだね。魔法使いすぎたかな」
「そのようですね。魔力は人の精神力のようなものですので、使いすぎればそれに見合った疲労に見舞われます。ですからある程度加減をしながら使わなければなりません。例えば攻撃での魔力消費を抑えようと思えば、今のエアロスマッシュのさらに基本なのですが、特定の魔法を乗せるのではなく、単に魔力のみを乗せてやればもう少し魔力の消費を抑えられます。長期戦になりそうな時はそのようにしてみるのも1つの手ですよ」
 そう言ってルナは再び現れたスライムに、透明な魔力を乗せた斬撃を浴びせた。
「パワークラッシュ!」
 完全に練習台扱いのスライムは、出現と同時にあっさりと真っ二つに。
「なるほどね、覚えておくよ」
 阿守は笑顔でそう答えると、よいしょと立ち上がって再び進軍を開始した。
「そういやさ、ルナ。クラリシタウンまでって、どれくらいかかるの?」
 阿守以上に魔法を使っていたはずのスピカは、しかし今だ余裕の表情で尋ねた。
「そう遠くないわよ。多分、2、3時間も歩けば着くんじゃないかしら」
「ええー! そんなに!?」
 何気なく答えたつもりだったのだが、スピカはやたらと不満そうな声をあげた。
「長いよ! 長すぎだよ! あたしの足、棒になっちゃうかも!」
「どうして、その程度すぐじゃない。場合によっては数日かけて遠征することだってあるんだから、それに比べたら何の苦もないわ」
「それは騎士の基準でしょ! あたしみたいな研究者からしたら5分でもすごい遠出なのに!」
 5分じゃどこにもいけないだろうと思うが、確かに自分の感覚は少々特殊かもしれない。ちらりと阿守に視線を向けてみると、
「‥‥うん、まあ5分はないけど、2、3時間はちょっと遠いかもね」
 どうやら遠いらしい。当たり前すぎて疑問にも思わなかったが、今後は少し騎士の常識から外れて物事を考える必要がありそうだ。
 とはいえ、今ならまだ一旦エルム城に引き返しても構わないが、阿守はわからないがスピカに騎乗ができるとは思えず、馬車を使おうにも、今ちょうど隣国へ貿易のため城の商人が乗って行ってしまっているため、自由に使えるものは残っていない。つまり、
「‥‥申し訳ありませんが、頑張ってください」
 まあ、今後もっと歩かなければならない状況になることもあるだろうし、足慣らしにはちょうどいいかもしれない。と、自分の中で言い訳をしておく。
 阿守はそれで構わないようだが、
「ああー、もう聞いただけで疲れちゃった‥‥。もう頑張れない、ルナ、おんぶ」
 スピカはどうしようもなかった。が、この程度で甘えさせるわけにもいかない。
「ダメ。少しは頑張りなさい。これから魔王を倒しに行くっていうのに、この程度でへばってどうするの」
「いやいや、だからこそね、こんなところでムダに体力を浪費するわけにはいかないでしょ。だから、おんぶ」
「ダメ」
「じゃあ勇者様、おんぶ」
 阿守は困ったようにルナとスピカを交互に見て、
「‥‥じゃあ、ちょっとだけなら」
 そういう阿守に、スピカは目を輝かせて背中に飛びついた。
「やったー。さすが勇者様、誰かとは違って優しいね!」
「まったく‥‥」
 そんなスピカを見て、ルナは呆れたため息をついた。
 まあ、阿守もそこまで迷惑しているという様子でもないので(むしろ妹ができたみたいだと少し嬉しそうだった)、ここはよしとするしかないだろう。
 少しだけ、と言ってはいたが結局スピカはクラリシタウンに到着するまで阿守の背中を離れようとしなかった。

 歩くことおよそ2時間半。一行はクラリシタウンへとと到着した。
 クラリシタウンは山のふもとに建てられた街で、そのため若干気温は低く夏場は暮らしやすい場所だ。兵士がいることもあり武器防具などの重工業が比較的盛んなエルム城とは違い、この街では農作物や織物などが盛んに生産されている。大通りを通っていると、採れたてと思われる野菜などが多くの露店で販売されていた。産地での販売だとやはり流通の手間がないせいか、野菜の鮮度も値段も良好である。阿守は物珍しそうに露店や街並みを見回し、スピカは主に装飾品や小物などにいちいち目を奪われていた。
「わあ、あの置物もかわいいね! あ、そういえばここの料理ってすごくおいしいんだよね。あとでどこかで食べに行こうよ!」
「あとで、ね。とりあえずワイムズ先生にお会いするのが先よ」
 ワイムズ邸は街のやや奥まった所に建っていた。エルム王が言っていた通りワイムズは主に脳に関する研究を行っており、彼の論文は脳医学に小さくない影響を与えているらしい。ルナも詳しくは知らないものの、名前くらいは聞き覚えがあった。そのためやはり十分裕福といえる部類に入るのだろう、その家は他の家屋と比べても少し大きなもののようだった。
 ワイムズ邸の玄関にたどり着くと、ルナは扉のノッカーを打ち鳴らした。「勇者様参上! 頭が高い!」とわけのわからないことを言い始めたスピカを黙らせてから、ルナは挨拶を投げる。
「こんにちは。突然の訪問失礼いたします。我々、エルム城から参じた者なのですが、ワイムズ先生はいらっしゃいますでしょうか」
 しばらくすると扉が開き、どことなく疲れた表情の若い女性が顔をのぞかせた。この人がワイムズ――ではなく、彼女はどうやらワイムズの助手のようだ。
「あらこんにちは。遠くからわざわざどうも」
「こんにちは。こちらは勇者様だよ」
 スピカがなぜか唐突に阿守を紹介した。もしかして召喚したのが自慢なのだろうか。
「あら、あなたが勇者様? 大変だろうけど頑張って下さいね」
 そんな言葉に阿守はどうも、と簡単に返していた。勇者召喚の儀式を行うことは城外の人間にも知らされており国民の間ではけっこうな話題になっていたようなので、彼女も例に漏れずそのことを知っていたらしい。しかしなんだろう、この軽さは。もしかして自分は堅苦しすぎるだろうか、と思うが今大事なのはそこではない。
「あの、それでワイムズ先生は‥‥」
「ああ、ごめんなさい。先生に用事だったわね。せっかく来てくれたのに申し訳ないんだけど、先生は今『ラボ』にいるわ」
「ラボ?」
 聞き慣れない単語にスピカは小首を傾げる。
「エルム城の北東にある洞窟の奥にあるの。ここからだと、東になるのかな。先生は変わり者でね、そういう場所のほうが落ち着くらしいわ。近頃は魔物も出るようになったから、危険だって言ったんだけどねえ。多分、待っていればそのうち帰ってくると思うけど」
 ルナは少し考えてから、提案する。
「入れ違いになると面倒ですし、この街で時間を潰して待ちましょうか」
「そうだね、そうさせてもらうか。俺も少し街を見て回りたいと思ってたんだ」
「よーし、街を探検だね。その前にお昼ごはんだ!」
 スピカが元気よく宣言し、ルナも特に異論はなかったのでワイムズの帰りを待つため4人は街の中心部へと向かった。

 3人で昼食を食べ、うろうろと露店を見て回り、ワイムズが帰ってくるまでの時間を潰していた。どれくらいで帰ってくるのかはまったくわからず、何度も訪れるのもどうかと思うので、遅すぎるくらいに時間を空けてから向かおうということになった。この提案をしたのは阿守である。どうやら人間関係における常識はこちらの世界とさほど変わりはないらしく、ルナは少し安心する。これで非常識者はスピカだけということだ。そして、そのスピカはというと、
「うわー、すごいきれー」
 露店に並べられた織物に見入っていた。最初は小さな置物を、次は色とりどりの野菜を、さっきまでは装飾品を見ていたはずだったが、いつの間にかまた別のものに興味が移ったようだ。
「ほらほらルナ、これとか面白いカタチしてるよね!」
 スピカは品物の1つを手にとってルナに見せつける。
「まあ、そうかもね」
「もう、さっきから何でそんな反応薄いの」
「だって私、遠征やら何やらで色んな国や街を訪れてるから、それほど目新しいものでもないんだもの」
 ルナからすれば、今スピカが持っているものだって似たようなものを他の国でも何度も見たことがあり、別段興味の魅かれるものではない。
「ふうん、あたしは外に出ることなんてほとんどなかったし、初めて見るものばっかりだけど」
 そういえば、スピカは魔法研究ばかりで今まで遠出したことなどほとんどなかったように思える。5分歩いたら遠出といっていたのも、スピカの感覚で言えばあながち大げさな言い方でもないのかもしれない。
 ただ勘違いしないでもらいたいのは、決して国がスピカを城に閉じ込めていたとかそういうのではなく、自発的に引きこもっていただけだということ。むしろたまには外にも出ろと言っていたのだが、聞く耳ももたずひたすら魔道書を読みふけっていたのだ。そう考えるとこれはスピカに外の世界を見せるいい機会になるのかもしれない。
「ね、勇者様、これキレイだよね」
「へえ、なんか変わった模様だな。何を表してるんだろう」
 どうやら阿守も異国(異世界?)の品物に興味を示しているようだ。スピカほどはしゃいではいないものの、楽しげに色んなところを見回している。
「それは、クラリシタウンでは伝統的に扱われている紋様で、「山と風、そして平原」という意味があるそうです。どの部分がどれを現わしているのかは、私も詳しくは知らないのですが」
「へえ、そうなんだ。やっぱり異国の文化ってのは面白いものだな」
「だよねだよね! やっぱ勇者様はわかってるなあ。どこかの頭固い騎士と違って」
 スピカの皮肉は軽く受け流し、ルナは手をかざして天を見上げた。
「‥‥だいぶ日の位置も変わったようですね。そろそろワイムズ先生のお宅に向かってみても良いのではないでしょうか」
 見たところワイムズ邸を後にしてからそれなりの時間が経っている。ワイムズが「ラボ」で何をしているのかは知らないが、いい加減早すぎるということもないだろう。
「ええー、あたしもうちょっと街を探検したい」
「探検って、もう十分見て回ったでしょ。これ以上何を見るのよ」
「路地裏探検がまだだよ!」
「‥‥スピカ、絶対ここにきた目的忘れてるでしょ」
 ごねるスピカを阿守と2人で説得、はできないので無理矢理引きずって再び3人はワイムズ邸を訪れた。ノッカーを打ち鳴らし、「勇者様もがっ」とまた何か言おうとしていたスピカを瞬時に黙らせ、
「お騒がせします。先ほど参らせてもらったものですが、ワイムズ先生はお帰りでしょうか」
 ルナが声をかけると、ドアが開いて再び先程の女性が顔をのぞかせた。
「こんにちは。これだけ待たせておいて申し訳ないのだけど、先生まだ帰ってこないのよねえ。何かあったのかしら。先生が長いこと帰ってこないのはよくあることだけど、今は状況が状況だから‥‥」
 女性は表情を曇らせて思案した。確かに、魔物が巣食っているという場所に向かって帰ってこなければ、心配もするだろう。
「では、我々が行ってみましょう。もし本当になにかあったのであれば大変ですから」
 ルナはすぐにそう提案した。ただ研究に没頭しているだけであったり、すれ違ったりしたとしても無駄足だけで済むならそれでよし。実際に危険な目に遭っているのであれば、悠長に待っている場合ではない。
「ごめんなさいね、お客さんにそんなことさせて。本当は私が行くべきなんだろうけど、正直1人では辿り着くだけでも大変そうだから‥‥」
「ええ、ご婦人を危険な目に遭わせるわけには参りません。ここは我々にお任せください」
「ごふじんって、ルナだってごふじんなんじゃないの?」
 スピカが無粋な質問をぶつけてくるが、ルナには見習い時代から貫き続けている信念があった。
「そうよ。でも私は女性である前に、騎士だから。これは騎士として当然の務めよ」
「わあ、ルナがちょっとかっこよく見えるっ」
 スピカが褒めているのかけなしているのかよくわからないなにかを述べているがとりあえずそれは無視。ルナは再び女性に向き直る。
「それで、その「ラボ」というのはどこにあると仰っていましたか」
「ええ、ラボはエルム城の北東、ここからだと東にある洞窟よ。あなたみたいな立派な騎士がいて本当に助かるわ。それじゃあ悪いけど、お願いしますね」
「エルム城の北東‥‥あの洞窟か。はい、了解いたしました。安心して待っていてください」
 ルナはその洞窟の場所を思い出していた。そういえばなにやら一般人が洞窟を出入りしているらしいという噂を聞いたことがあったが、もしかしてそれがワイムズだったのだろうか。
「よっしゃ! 今度は洞窟探検だ~。なんかワクワクするね、勇者様」
 そしてなぜかスピカがまたも嬉しそうにはしゃいでいた。危険地帯に赴くことの何が楽しいのだろうか。阿守も反応に困って「いや、まあどうだろう」とか言っている。非常に正しい反応だと思う。
 助手の女性に見送られ、3人はワイムズがいるという東の洞窟へと歩を進めた。


「よし、今日はここまで! 続きはまた明日!」
「なわけないでしょ」
 洞窟に着くなり、スピカは全力でそんなことを宣言していた。ルナはそれをにべもなく一蹴する。
 エルム城からクラリシタウンまで約2時間半。ならばクラリシタウンからエルム城の近くのここまで、同様の時間がかかるのは当然のことだろう。少し考えればわかることだが、少しも考えていなかったらしいスピカは道のりを半分くらい過ぎた所でようやくそれに気づいたらしい。それから到着するまで疲れた疲れたとうるさかったが、到着してもうるさかった。
「でもこんな状態じゃまともに動けないよ。また明日万全な状態で挑もう」
「それじゃ手遅れになるかもしれないでしょ」
 なおも不満そうなスピカだったが、そこへ阿守が何気なく声をかける。
「でもスピカ、ここにもたくさん魔物がいるんだから、溜まったストレスそいつらにぶつけて発散できるんじゃないの? 魔法打ち放題だよ」
「おおっ、なるほど。それは名案だ! さすがは勇者様だね!」
 一瞬で元気になった。この短時間でスピカの扱いも心得てしまうとは、勇者恐るべし。
「よしっ、じゃあ進軍開始! 魔物は全部あたしに任せなよ!」
 数秒前までは意気消沈していたはずのスピカは、意気揚々と先頭を歩き始めた。
 さっそく、そんなスピカに向かって岩陰から現れた魔物が襲いかかった。フシャア! と唸るような声をあげるのは黄色い体毛に覆われたネコの魔物、パリーキャットだ。全身の毛を逆立て赤い瞳でこちらを睨みつけているその魔物は、大きさこそ小型の犬ほどでしかないが、俊敏な動きから繰り出される鋭い爪での一撃は決して侮れない。
 しかしスピカは楽しそうな表情を崩さないまま、魔物に向かって杖を構える。
「ファイア!」
 スピカの力強い声に応え、杖の先から手のひら大の大きさの火球が現れ、炎の尾を引きながら魔物に向かって勢いよく飛んでいく。直撃を受けた魔物はふにゃあ、とやや情けない声をあげながら倒れ、そのまま動かなくなった。
「うーん、やっぱり同じ魔法でも全然違うなあ」
 阿守はそれを見て驚きのような感嘆のような感想を述べた。確かに、同じ魔法でもルナや阿守に比べ、スピカのそれは威力が段違いだった。
「そりゃまあね、あたしは魔法研究所室長兼大魔道士だからね」
 スピカはえっへん、と効果音がつきそうなくらいに胸を逸らして言った。なにが兼なのかよくわからないが、とりあえず嬉しいらしい。
「まあ慣れっていうのも大きいと思うけどね。魔法の威力は使う人の魔力の大きさに比例するから、勇者様だって慣れてくればもっと強力な魔法を使えるようになるよ。勇者様も言ってた通り、人の体には魔力が宿ってて、それと大地のマナが呼応して魔法が発動するんだけど、魔力が大きいと大地から引き出されるマナの量も当然多くなって魔法の威力も増大するんだよね。だけどただ魔力が大きければ強い魔法が使えるかって言ったらそういうわけじゃなくて、魔力の引き出し方っていうのにもいくらかコツがあるんだよ。そのコツさえ掴めれば最大限自分の魔力相応の魔法を放つことができるし、魔力消費の無駄も減ってくるから魔法を使うことによる疲労も軽減できるんだよ。これはまだあたしにもできないんだけど、もっと魔力とマナとの呼応を上手く感じることができるようになると、マナから直接魔力を引き出して自分のものにすることだって可能になってくるらしいんだ。それはつまり無限に魔力を使うことができるようになるってことで、そうすればさらに強力な魔法も無制限に――――」
 と、なんかすごい勢いで語り始めてしまったスピカを、ルナと阿守はぽかんとして見つめていた。
 それはまあ、毎日研究に没頭していれば魔法についてかなり詳しくなるのは当然だし、研究所の室長だってやっているわけなのだからこれくらいの知識はあっても何の不思議もないのだが、しかしそれでもこうやってスピカの口から賢そうな言葉が漏れてくるのは違和感しかない。なにか霊的な魔物に憑かれているのではないかと心配になってしまう。
「――――ってわけだから、勇者様は潜在魔力はすごいんだから、きっとそのうちもっとすごい魔法使えるようになるよ」
 と、そう言ってスピカはようやく魔力についての説明を締めくくった。
「‥‥あ、ああ、そうなんだ。‥‥えっと、ありがとう」
 阿守もすごく反応に困っている。まあそうだろう。
「ま、その頃にはあたしも勇者様に負けないくらいもっともっと魔力を高めておくけどね~」
 楽しそうに笑うスピカには今の解説に対する自慢げな雰囲気は見られない。どうやら本当に好きなことをついつい語ってしまった、という程度でしかないらしい。
「‥‥スピカって、意外とすごいんだね」
 意外と、って。何気にひどいな勇者。悪気がないからむしろ辛辣(しんらつ)だ。
「ふふふー、もっと褒めてもいいよ」
 しかしスピカも全く気づいていない。もう、なんでもいいや。
「ひゃあっ!」
 と、突如べちょっという湿った音とともにスピカがおかしな声をあげたて前のめりに倒れたかと思うと、スピカはその背に何かを張り付けていた。スライムを溶かしたようなどろどろとした緑色のゲル状の魔物、ポイズンゼリーだ。この魔物は確か――
「スピカ、大丈夫!?」
「‥‥いやあ、あんまり大丈夫じゃないかなあ‥‥」
 どうにか前を向くスピカの顔色は、とてもではないが芳しいとは言えないほど真っ青だった。そう、この魔物は毒を持っているのだ。もろにその毒を受けたスピカは笑っているものの、かなり苦しいはずだ。
「まったく、だから気を抜くなって言ったのに‥‥」
 ルナは呆れたため息をついて、魔力を剣に乗せる。
「はあっ!」
 気合とともに放ったパワークラッシュは、見事ポイズンゼリーの体を霧散させた。
「スピカっ、大丈夫か!?」
 すぐに阿守が寝転がったままのスピカに駆けより、抱き起こす。相変わらず顔色はひどく悪い。スピカは弱々しい動きで阿守に向かって手を伸ばした。
「‥‥うう、勇者様、あたしもうダメかも‥‥。せめて最期は、あなたの腕の中で――」
「魔法で一発で治りますから」
 なぜか突如悲劇のヒロインを始めたスピカの台詞を、ルナが容赦なく遮った。
「むー、ルナのいじわる」
「はいはい。そうだ、勇者様。せっかくですので回復魔法の練習もしておいてはいかがですか?」
「ええっ、あたし練習台!? ていうかせっかくだからって、ひどくない? 何気に今けっこう苦しいんだけどあたし!」
「そうだね、今後必要になるだろうし、覚えておきたいかな」
 スピカの文句は完全に無視され、阿守はルナに促されスピカの体に手をかざす。
「そのまま、スピカの体に魔力を送るような感じをイメージして下さい」
 阿守は目を瞑って意識を集中すると、阿守の手とスピカの体の間のわずかな空間からふわりと柔らかな光が生まれた。その光はゆっくりとスピカの体を包み込み、同時にみるみるスピカの顔の血色がよくなっていった。ほどなくしてスピカを包む光が消えると、スピカはむくりと起き上がる。
「ありがとう勇者様、楽になったよ」
 そう言って笑うスピカは無理をしているようには見えない。阿守の治癒魔法はちゃんと効いたようだ。
「勇者様、ついでに体力回復の魔法も練習しとく?」
「うん、やってみようかな」
「よーし、じゃああたしにかけてみて。同じように手をかざして、同じように魔力を送り込むイメージをすればいいんだけど、今度のはこう‥‥じんわりと送る感じ? なんていうか、こう、ゆっくり、やんわり‥‥」
 やたら説明が曖昧だった。さすがに阿守といえど、これではわからないだろう。
「そんな説明じゃわかんないでしょ」
「ならルナが説明してみてよ」
「だからこう‥‥魔力を、全体的に、浸み渡る感じで‥‥」
 勢いこんで言ってみたが、いざ説明しようと思うと確かに上手く言えない。
「ほら、ルナだってワケわかんないじゃん。ああ、違う違う勇者様。それさっきのと同じ魔法」
 しばらく阿守はスピカに回復魔法をかけようと頑張っていたが、結局上手く魔法をかけることは叶わなかった。
「‥‥ごめん、うまくわからないや」
「まあ仕方ないよ、魔法には向き不向きもあるし。っていうかこれ以外の魔法をいきなり使いこなしてる方がどうかしてると思うよ」
 申し訳なさそうに謝る阿守に、スピカがフォローというよりは思ったことをそのまま述べたという感じで言った。実際スピカの言う通りだと思う。
「では急ぎましょうか。あまりのんびりしているわけにもいきません」
「そうだね、ワイムズ先生救出作戦再開だ」
 そうして3人は洞窟のさらに奥へと踏み込んだ。
 洞窟はそれほど入り組んでいるわけでもなく、完全に自然洞窟ではないのであろう、多少人の手が加えられたような形跡もあり、迷ったり通るのに苦労したりするような場所もなかった。この程度だからこそワイムズもここをラボに選んだのかもしれない。
 途中で阿守にどうして洞窟の中なのに明るいのかと尋ねられたが、それは洞窟に生えている陽結晶(ようけっしょう)と月結晶(げつけっしょう)と呼ばれる水晶が生えているためだ。その水晶はそれぞれ大地のマナに応えて朝と夜、交代で光を放って朝は白く、夜はオレンジ色に洞窟内を照らす。岩壁から折り採ってしまうと即座に劣化し、また洞窟外では光を放つこともないため乱獲されるようなこともなく、昔も今も洞窟内は暗闇に覆われることはない。未来にはこの水晶はないのかと逆に尋ねてみると、洞窟は普通暗いものだと思っていたと返された。おそらく未来ではマナが枯れてしまっているということが原因なのだろうが、これが当たり前のルナにとっては真っ暗な洞窟というのは想像しがたかった。
順調に魔物を撃退しつつ進むことしばらく、突然洞窟の少し奥のほうでズゥン、と何か重い地響きが聞こえた。3人は顔を見合わせる。
「今の、なんの音だろう」
「わかりませんが、とにかく行ってみましょう」
 そう言って駆けだした3人は、ほどなくやや開けた空間に辿り着いた。そこにいたのは――
「ワイムズ先生!」
「君たちは‥‥? とにかく、こっちに来てはいかん!」
 そこには探していたワイムズと、その目の前には大きな魔物が1匹。
「魔物!? これまでのより手強そうですね」
「ボスきたー! 初ダンジョンに初ボスだね」
「とにかくこっちに気を引きつけないと。ワイムズ先生には危害を加えさせないように」
「‥‥少しくらい、私の言葉に気を払ってくれてもいいんじゃないかな‥‥」
ワイムズの忠告は3人とも完全無視である。仕方ないことではあるが。
とはいえワイムズも来るなとは言ったものの、自分にどうにかできるわけでもない。武装もしているうえどうやら戦う気満々の3人にここは任せるしかなく、ワイムズは魔物がそちらに気をとられている隙に邪魔にならないよう部屋の隅に逃げだした。皮肉ではなく、いい判断だ。
「こっちこっちー、あんたの相手はあたし達だよっ」
 スピカが挑発と共に火球を魔物に投げつけた。不意を突いた攻撃は魔物の顔面に直撃し、魔物は怒りのこもった真っ赤な瞳でぎろりとこちらを睨みつけた。
 その魔物は2足歩行の緑色のトカゲとでも言うべきか。身長はルナたちよりかなり高く、2m近くはあるのではないだろうか。いったいどこで手に入れたのか、右手には大振りの剣、体は銀色の鎧に包まれていた。胸と腹、そして肩を覆い、腕と足はむき出しのままになっている。口からは鋭い牙が覗き、時折ちろちろと赤い舌が揺れる。そして体の後ろの巨大な尻尾が、魔物の不機嫌さを現わしているかのようにゆらりと揺れる。
「来るぞ!」
 魔物がこちらに向かって地を蹴り、剣を大きく振りかぶった。
「下がって!」
 ルナは1歩前に出て正面からその攻撃を受け止める。魔物自身の力に上から振り下ろされる勢いも加わり、どうにか受け止められたもののルナの腕はビリビリと痺れる。しかしおかげで魔物に大きな隙が生まれた。その隙を衝いて阿守が駆け、魔物の脚を斬りつけた。魔物が苦しげに呻き、大きく尻尾を振って反撃するが阿守はあっさりとそれをかわす。
「ほらほら、隙だらけだよっ。アイス!」
 さらにスピカの放った氷の魔法、鋭く尖った氷塊が鎧を破って魔物の背中に突き刺さった。魔物は苦しげに吠え、がくりとひざを折る。
「くらえっ、エアロスマッシュ!」
 とどめを刺すべく阿守がさらなる追い打ちをかけるが、魔物は左手を大きく振ってその攻撃を薙ぎ払った。当然、魔物の左腕も無事では済まずざっくりと大きく抉れ、もはや使い物にはならなさそうだ。そんな魔物の捨て身の一撃に、阿守は思いきり吹き飛ばされてしまった。
「勇者様!」
 即座にスピカが駆けより、回復魔法をかける。「なるほど、これが回復魔法か‥‥」と阿守は感心したような声を上げてからスピカに軽くお礼を言った。
 魔物はだらりと左腕を垂れさせたまま、狂気すら含んだ眼で阿守を睨み、片腕のまま再び地を蹴った。その間にすっとルナが割り込み、魔物が振り下ろした剣を下から振り上げる剣ではじき返した。体力が削られているせいか、初撃に比べずいぶんと軽くなっている。
 と、魔物が大きく息を吸い込んだのを見てルナの背中に寒いものが走り、とっさに大きくその場を飛びのいた。直後、ゴオッと空気を揺るがす振動と共に、今までルナがいた空間を魔物の口から吐き出された炎のブレスが焼きつくした。
「‥‥厄介な攻撃ですね。スピカ、勇者様、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫」「へーきへーき」
 応える2人はすでに戦闘態勢に戻っている。距離があったせいか今のブレスは易々とかわせたようだ。
「じゃあ勇者様、一気にとどめをさしちゃおう! スパーク!」
 スピカの声に応えてばちっと音を立てて魔物の体を包むような電撃が走り、魔物の動きが一気に鈍った。
「はっ!」
 魔物に向かって駆けていた阿守はそこでさらにスピードを上げ、魔力を纏わせたパワークラッシュを魔物の体に思いきり叩き込んだ。魔物は鋭い悲鳴をあげるとがくりとひざをつき、そのまま地面に倒れ伏した。3人は反撃に備えてしばらく警戒を保っていたが、しかし魔物が再び動きだす気配はなかった。3人はようやく息をついて力を抜いた。
「ふう、なんとか倒せましたね」
「らくしょーでしょ」
「ワイムズ先生、お怪我はありませんか?」
 そして、隅っこで隠れていたワイムズのもとへ足を向ける。そこにいたのは初老の男性。いつだったか写真で見たことがあったので、その人がワイムズだということはすぐにわかった。中途半端に短い髪には白いものが混ざり始めており、まともな手入れはしていないのであろう、ぼさぼさと乱れている。このように籠っていることが多いからだろうか肌も白い。簡素なシャツとズボン、よれよれの白衣という研究者然とした非常にラフな格好をしており、魔物が巣食う場所だというのにそれに対する備えのようなものなどはなにも持ち合わせていないようだった。
「助けてくれてどうもありがとう。君たちは強いんだねえ」
 どことなく気が抜けたようなことを言いながら、ワイムズは立ち上がって礼を述べた。
「なんせ勇者様がいるからね」
「勇者?」
 スピカはやっぱりちょっと自慢なのかもしれない。不思議そうに首を傾げるワイムズに、ルナは阿守を紹介した。
「こちらのお方が勇者様です。魔王討伐のために、我々が召喚で未来の世界からお呼びしました」
「どうも、未来からやってきた勇者です」
「ほー、未来からねえ」
 なんだか阿守もこの状況に慣れてきているようだ。ワイムズも軽い口調ではあるが別に疑っているというわけではなく、単純に興味をそそられたようだ。
「ただ、召喚がうまくいかなかったのか、勇者様は記憶喪失に陥ってしまっているようなのです。ワイムズ先生のところに来たのも、勇者様の記憶喪失について相談したかったからなのです。何か記憶喪失を直す方法をご存じではありませんか?」
 ワイムズはふむ、としばらく考えてから話し始めた。
「記憶喪失か‥‥。記憶を失うというのは大抵の場合、脳の中にある記憶にアクセスできなくなることで起きるんだ。例えば精神的なショックが原因となっている場合、そのショックを回避するために、脳が無意識的に記憶にアクセスしないようにして記憶喪失が引き起こされる。おそらく今回の場合も、脳に記憶自体はあるけど、何らかの原因でそれにアクセスできない状態になっているだけのはずなんだ。今の例のように精神的なショックが原因の場合は精神的に受けたダメージをケアしてあげることが記憶を取り戻す一番の方法になるんだけど。ちなみに今回記憶を失った原因っていうのは何なのかな?」
「召喚が原因だと思うけど、召喚の最中に何があったのかはよくわからないよ」
 困ったようにスピカがそういうと、ワイムズはさらに考え込んでしまった。
「うーん、そうか‥‥。原因さえわかれば、治す方法がわかると思うんだけどなあ‥‥。じゃあ召喚について聞きたいんだけど、召喚に失敗するケースってのはどんなのがあるのかな?」
「失敗するとしたら、それは術者の魔力が不足していた場合か、術式そのものが間違っていた場合のどちらか。召喚の対象の強さによって術者に必要とされる魔力が決まるから、必要な魔力が不足していたら召喚はできないよ。だから今回の場合、召喚が実行されて勇者様がここにいる以上、術式の間違いも魔力不足もなかったはずなんだけど」
「なるほど。では例えばなんだけど、魔力がちょっと不足していても、召喚対象を100%ではなく、何か制限を設けることで80%程度の状態で召喚することはできないかな? 例えば召喚対象の持っている武器を召喚しないことで、強さを下げるとか」
「‥‥んー、どうなんだろう。事例がないから分かんないけど、理論上は可能、かもしれない」
「となると、これは私の仮説なんだけど、今回のケースは術者の魔力が少し足りなくて、その足りなかった分を、記憶を制限することで召喚した。つまり、召喚の術式によって記憶の一部が魔力によって封印されたんじゃないかな」
「‥‥なるほどね、その可能性はあるかも」
 その発想はなかったなあ、とスピカは真面目な顔で思案している。
「未来から勇者様が来たのなら、今回の召喚の目的も加味して考えると、記憶自体もこの時代にとってとても有益なものになる。だからそれを制限することで、召喚が可能になったということでしょうか」
 召喚の術に関して詳しいことはよくわからなかったが、ルナはわかる部分で考えて話をまとめてみた。そういうことだね、とワイムズは頷く。ちなみに当事者であるはずの阿守は完全に話の輪から外れてぽかんとしていた。まあ仕方ないとは思うけど。
「あれ、てことは勇者様はとんでもなく強い力を持っているってことじゃん。そんな強力な勇者を召喚できちゃうなんて、あたしってばすごい!」
「自分で言うな。それに、すごいのは勇者様でしょ。それで、その仮説が正しかったとして、その記憶を戻すにはどうすれば良いのでしょうか」
 呆れ顔でスピカに冷たくツッコミを入れてから、ルナは話を促した。原因がわかったとして治療法がわからなければどうしようもない。
 その疑問に答えたのは意外にもスピカだった。いや、魔法に関しての話なのだから意外ということもないのだが。
「召喚の儀式によって封印されたものを取り戻せるかはわからないけど、魔法によって封印されたわけなんだから、魔法で封印を解けば記憶は戻るんじゃないかな。目には目を、だね」
 それは意味が違うと思う。
「そうだね。魔法が原因であるなら、同じく魔法で封印を解くしかないだろうね。でも、僕は魔法はあまり得意ではないので、申し訳ないけどそれ以上のことはわからないな」
「あたしもそんな魔法はわかんない。こういう系の魔法に詳しいのはリンだよ」
 リン。ルナやスピカとは小さい頃によく遊んでいた子だ。まあスピカは今でも十分小さいが、もっと小さい頃。
 不意に出てきたそんな名前に、ルナは彼女に関する記憶をたどる。
 言う通りリンは封印に関する魔法を得意としており、しばらく前に突然封印魔法を極める旅に出てくるなどとよくわからない理由と共に、城を出て行ってしまったのだった。
 それ以来リンとは定期的に手紙のやり取りをしている(封印魔法に関する話題は最初の2通くらいで終了してしまった)。確か前回か前々回くらいの手紙で、今どこかに住んでいると書いてあったように思うが。
「では、リンに会いに行きましょうか」
「リンは今、城の南西にある島に住んでるよね。確かあそこに行くには南側から洞窟で行けたはず」
「あの子は何でそんな所に住んでいるのよ‥‥」
 そう。そうだった。そういえばそんなことが書いてあって、その時も手紙に向かって同じようにツッコミを入れたような気がする。
「リンの行動に理由を求めても仕方ないんじゃない?」
「‥‥‥‥確かにそうね」
 自分のことを棚に上げてそんな事を言うスピカに、しかしルナはひどく納得してしまった。天然とか奔放とか自由とか、リンというのは、そんな言葉が誰よりも似合う人物なのだ。
 ルナは小さくため息をついて、気持ちを切り替えてワイムズに向かい合った。
「ワイムズ先生、有益な情報ありがとうございました。非常に参考になりました」
「いえいえ、こちらこそ助けて頂いてありがとう」
「それでは、我々と一緒にクラリシタウンへ戻りましょう。ここにいてはまた魔物に襲われるかもしれません」
「‥‥ふむ、本当はまだやりたいこともあったのだが、また迷惑をかけてしまうわけにもいかないね。ではそうさせてもらおうか」
 そうして来た道を戻ろうとしたところ、ふとワイムズが足を止めた。
「おっと、すまないが少しだけ研究書を持って帰りたい。構わないかな」
「ええ、それは構いませんが」
「では‥‥」
 といって引き返し、ワイムズが持って帰ろうとした本の量は、とてもではないが『少し』などとは言い難い量だった。
 カバンなどに無理矢理詰め込んだものの、ワイムズ1人では持ちきれる量ではなく、結局3人も少しずつ持つことに。
「いや、申し訳ないね。本当はもう少し持って帰りたい物もあったんだが、これ以上はさすがに無理そうだったからね」
 その『もう少し』がどの程度だったのかはあまり考えたくない。
 そういうワイムズは両手に大きな手さげと背中にこれまた大きなカバンを背負っていて、なかなか大変そうだ。ルナ、阿守、スピカの3人は手がふさがると戦闘に支障が出るので背中にだけカバンを背負わされている。
 そして考えるまでもないことだが、洞窟から再びクラリシタウンまで向かうのにも、来た時と同じだけの時間がかかるのだ。しかも今度は研究書も持たされているためさらにしんどい道のりとなっている。もちろんというべきか、ルナとしては今より重い武具や軍備を持って移動することもしばしばあったためこの程度の荷物はなんてことないのだが。
 またスピカがうるさく騒ぎ始めるだろうかと構えていたのだが、意外なことに帰り道は全く文句を言うことがなかった。
 なぜなら、ワイムズとの会話に夢中になっていたからだった。
 魔法の研究と脳の研究、一見関係ないもののように思えるが、専門的なところでは研究内容が重なる部分もあるらしい。傍で聴いているルナや阿守にはカケラも理解できないような、ものすっごいむずかしいなんやかんやの話で帰り道の2人の会話は途切れることがなかった。
「‥‥なんか、スピカってすごいのかすごくないのかよくわからないよね」
 ルナの隣を歩く阿守が呆れたような声を漏らした。しかしその表情はどことなく楽しげだ。
「ええ、全くです。それなりに長い付き合いですが、私にも未だによく分りませんから」
 ルナはそれに笑って答えた。
少し前をスピカとワイムズが楽しそうに専門的すぎる話をしているので、自然とルナと阿守が2人で話す形になる。
「勇者様、今更なのですが、突然お呼びして一方的にこのような危険なことに巻き込んでしまい、本当に申し訳ありません。記憶が戻ってからもう一度お聞きしようとは思っていますが、本当に私達に付き合っていただいて構わなかったのですか?」
「ああ、うん。全然構わなかったよ。覚えてないけど、どうやら俺もお願いされてOKしちゃってるみたいだしさ。だから記憶が戻っても、今さら断る気もないから」
 阿守は何でもないようにひらひらと手を振って答えるが、ルナは真剣な表情を崩さないままさらに返す。
「いえ、それでも我々の都合で勇者様を巻き込んでいるという事実に変わりはありません。ですから、私はこの命に代えても勇者様をお守りしてみせます」
 ルナがそういった途端、阿守はふと表情を消してルナを見つめた。
「ルナ、君が騎士として自分の使命を全うしようとしてくれているのはすごくわかる。だけど、お願いだから二度とそんなことは言わないでくれないかな。俺は誰かの命を犠牲にしてまで自分の命を守ってもらいたいとは思わない。それが義務感や使命感でそうしようとしているんならなおさらね。そりゃあ確かに俺がここに呼ばれたのはルナたちの都合かもしれないし、俺が記憶をなくしちゃっていることに負い目を感じてるんだろうってのもわかる。でも、そんなもののために命を賭けるなんてことだけは、頼むからしないでよ」
「しかし、勇者様‥‥」
「ルナがどう思ってるかなんて知らない。『俺が』イヤなんだ」
「‥‥‥‥」
 阿守の力強い否定に、ルナはそれ以上の言葉を失った。しばらくなんとなく気まずい沈黙が流れ、目の前で聞こえるスピカとワイムズの楽しげな話声がどこか遠くのことのようにも聞こえた。
「‥‥とにかく、リンに勇者様の記憶の封印を解いてもらいましょう。多分、それからでなければちゃんとした話はできないと思います」
 ルナはまだ納得しかねて、今は考えを保留するべくそう口にした。
「そうだね。だけど記憶が戻ったとしても俺は、もう一回今と同じ言葉を言える思うよ」
 その後の2人の間に会話はなく、時折現れる魔物を倒すことにお互い集中した。ワイムズはもちろん、スピカもまともに戦闘に参加しようとはしなかったが、今のルナには気まずさを紛らわせるのにちょうど良かった。

 ・・†・・

「あら、先生無事だったんですね。魔物に食べられちゃったのかと心配してましたよ」
 日も暮れる頃ようやくワイムズ邸に着き、待っていた助手の第一声はそれだった。本当に心配していたのだろうかという気にもなるが、ワイムズの顔を見た瞬間ほっと安堵の表情を浮かべていたのを見る限り、実際それなりに心配していたのだろう。
「ああ、食べられる寸前だったんだけど彼らが間一髪助けてくれてね」
 どうやらこう言うやり取りは常(つね)らしい。ワイムズもそれに軽く返していた。
「どうぞみなさん上がっていってください。お礼といってはなんだけど、よかったら夕ご飯を召し上がっていって」
「やったー! じゃあ遠慮なくっ」
 と、真っ先にそれに答えたスピカが本当に遠慮なくワイムズ邸に上がりこんだ。ここで断るというわけにもいかず、ルナと阿守もスピカに続いて遠慮がちにワイムズ邸にお邪魔した。
 家の中は一般宅にしては広めで、リビングはすっきりと片付けられていて想像していた『研究者の家』とは少々違ってずいぶんと落ち着いた雰囲気だった。ワイムズのラボも魔物のせいか普段からそうなのか、本やら資料やらが散乱していたのでここもそうなのかと思っていたのだが――
「ふふ、きれいなのはこの部屋だけで、先生の研究室はなかなかの惨状になってるわよ」
 感心して思わずきょろきょろと無遠慮に視線を巡らせていたルナに、助手がそう言って笑いかけた。ルナはようやく自分の行為に気づき、若干顔を赤くしながら視線を俯ける。
「す、すみません。その、スピカの研究室もけっこうアレなので、思わず‥‥」
 そのスピカはいつの間にかリビングから出てワイムズと共に廊下の向こうの別の一室、おそらくワイムズの研究室に行っていた。「うわー、きったなーい!」と楽しそうな笑い声が聞こえてくる。少しは慎め。
「‥‥ご迷惑をおかけします」
「いえいえ、先生の命を救っていただいたんだから。これくらい気にすることでもないわ。じゃあ、今からご飯の準備するから少し待っていて」
「あ、私にも手伝わせて下さい」
 台所に向かおうとする助手にルナは慌てて声をかけた。厄介になるばかりなのも気が引けるからという理由以上に、阿守と2人きりで料理を待つ時間はあまりに気詰まりだと思った。
「いえいえ、お客さんを働かせるわけにはいかないわ」
「いえいえ、何から何までお世話になるわけにもいきませんので」
 いえいえ、いえいえ、としばらくいえいえ合戦をしていたが、引く気がないらしいルナに先に折れたのは助手だった。
「‥‥もう、本当に真面目すぎる騎士さんね。じゃあ少し手伝ってちょうだい。少しご馳走にしようと思っていたから、正直助かるわ」
 ルナは急いで防具を外して助手と共に台所へ向かった。
「俺は料理の役には立てそうにないから、悪いけどのんびりして待たせてもらうよ」
 阿守はそう言って同じく防具を外してリビングのソファーに腰掛けた。もふ‥‥、と想像以上に柔らかく沈み込み、思わず「おお‥‥」と感嘆の声を上げていた。
 そうして各々時間を過ごすことしばらく、リビングがおいしそうな匂いで満ち、夕食の準備が出来上がった。日中に街中で見た様々な野菜がおいしそうに調理され盛りつけられた皿がリビングの中央の机の上に豪勢に並べられていた。
「先生、スピカちゃん、ご飯できましたよー」
「はいはーい! 待ってました!」
 呼ばれるとほぼ同時にスピカがリビングに駆け戻り、机の上の料理を見て眼を輝かせた。
「すごい、美味しそう! さ、それじゃあいただきます!」
 勝手に席に座って食事を始めようとするスピカの頭にルナはドス、とチョップを叩き込み、全員が揃って席に座るのを待ってから、賑やかな夕食が始まった。

「ごちそうさまでした! すっごく美味しかったー」
「そういってもらえて嬉しいよ。ところでみなさん、今日はもう遅いし、よかったら泊っていってくれないか。まだ宿もとっていないんだろう?」
「ホント!? やった、あったかお風呂と柔らかいベッドをゲットだ!」
 ワイムズの申し出に、遠慮する隙も与えずスピカが嬉しそうな声をあげた。
「‥‥なにからなにまですいません」
「いえいえ、なにしろ命の恩人だからね。これくらいじゃ足りないくらいだ」
「ええ、私もそうしてくれた方が嬉しいわ」
 どうやら助手はこの家に泊まり込んでワイムズの手伝いをしているらしい。故郷の街を離れてもう何年もここでワイムズとともに研究を進めているのだ、とさっき夕食を作りながらルナに教えてくれた。
「じゃあ早速お風呂入ってこようかな。ルナも一緒に入る?」
「入らない」
「じゃあ勇者様?」
「いや、それまずいでしょ」
 2人にあっさり断られるが、気にしたふうもなくスピカは当然のように一番風呂をいただきに行ってしまった。
「いやー、お城に比べたらやっぱりお風呂ちっちゃいね」
 そして出てきたと思ったらこれである。今度遠慮という言葉を叩き込んでやろうと思う。
 スピカに続いてルナ、阿守もゆっくりと湯に浸かり、ずっと動いたせいでなんだかんだで疲れていた3人はすぐに就寝することに。
 空き部屋が2つしかないということだったので、「勇者様、一緒に寝よっか!」というスピカを引きずってルナとスピカが同じ部屋で寝ることになった。
「本当にありがとうございます。それではお休みなさい」
 ワイムズと助手にそう言って暗い部屋で横になった瞬間にスピカは静かな寝息を立て始めた。よっぽど疲れていたらしい。そしてそれはルナも同様だった。目をつむるとすぐに、緩やかな睡眠へと墜ちていった。

 ・・†・・

 ふと、目が覚めた。
 横になって目をつむると、よっぽど疲れていたのかすぐに眠りに墜ちたのだったが、窓の外はまだ暗い。体の疲れの癒え具合からすぐに目覚めたというわけではなさそうなので、おそらく夜明けには少し早い時間くらいだろう。
 なんとなく再び寝付けそうにはなかったので、静かにベッドから抜け出すと足音を殺して玄関から外へ出た。
 元いた世界は確か初夏だったはずだ。夜明け前の外の空気はまだ涼しさを残していて心地よく、どうやら季節はほぼ変わりがないらしい。深夜から早朝に変わる時間独特の空気に身を浸しながら、阿守は自分のことについて思考にふけった。
 正直、今のこの状況は不安で仕方がなかった。勇者などというあまりに唐突な立場に身を置くことになってしまったことも不安材料の1つではあるが、そんなことよりも記憶がない、というのは想像をはるかに超えて阿守を不安におとしめていた。
 全てを忘れたわけではない。最初に城でも語ったように魔法という存在のことは知っていたし、元いた世界がどんなものだったかもだいたいは思い出せる。しかし、ここに来る原因となったスピカとの『契約』のことや、学校で習った歴史の内容に関することが全く思い出せないのだ。歴史は他の教科に比べ得意な方だったので、単純に忘れているだけというのは考えづらい。ワイムズが語っていたように魔法によって記憶が封印されている、と言われたほうが信じがたいとはいえしっくりとくる。
 封印されている記憶というのももしかしたらほんのわずか、数日とか、もしかすると1日にも満たない可能性だってあるのだが、それでも、記憶が消えているというのはそれだけでなんとなく恐ろしいことだった。
 今日はこれからここを出てリンという人物のもとへ向かい、その封印を解いてもらうという予定になっているが、本当にそれで全てを思い出せるという確証などはない。もしかしたら原因は全く別のものだったり、その人の力不足でやっぱり何も思い出せませんでした、という結果だってあり得るのだ。そうなっても、自分は昨日と同じように前向きでいられるだろうか。
 昨日は突然のことではあったが、新しい世界を見た興奮や、なんとなくまだ今体験しているこれを信じきれていないということもあり、その場の勢いも相まっていくらか状況を楽しんで気丈でいられたが、少し落ち着いて物事を考え始めた今、思考がどんどん後ろ向きになってしまっている。こんな状態で、果たしてこれから大丈夫なのだろうか。
 どうにか後ろ向きにしかならない思考を別のところへ持っていこうとしてふと、今日のルナとの会話を思い出した。
 ルナの自分の命を二の次にしか考えていないような発言に思わず偉そうなことを言ってしまったが、少し強く言いすぎただろうか。
 いや、それでもルナのあの発言には納得できない。騎士だとか勇者だとかそんなことは関係なく、自分の命は大切にしてほしい。それについては変わらない。あの時も言ったように、記憶が戻ったとしてももう一度そう言い切れる自信がある。
 どうもあの時の口調から、ルナは全然納得などできていないようだった。どうにか、その部分だけでもわかってほしいのだが――
「もう起きていたのですか、勇者様」
 突然の声に驚いて振り返ると、私服姿のルナがゆっくりと歩いてきていた。ちょうどルナのことを考えていたこともありわずかに動揺するが、すぐに落ち着きを取り戻し笑いかけた。
「おはよう。ずいぶん早いんだね」
「おはようございます。はい、私は毎日このくらいの時間から朝の訓練をしていますから。まあ、今日は少々早く起きすぎてしまいましたが」
 ルナも阿守の横に並んで、空を見上げた。空の色はなお暗く、夜明けまではまだもう少し時間がありそうだ。
「‥‥勇者様はやはり、私にあなたの命を守るなと仰いますか?」
 阿守はそのことを言い出すべきか少し迷っていたが、先に切り出したのはルナだった。
「‥‥それは少し違うよ。守ってほしくないんじゃないんだ。俺はただ、ルナに自分の命を粗末にしてほしくないっていってるだけだよ」
「粗末になどしていません。それが、私の生き方です。勇者様をお守りすることが、私のすべきことだと私は信じています。だから、たとえ勇者様にでもそれを否定してほしくはありません」
 ルナはやや感情的になりながら語った。しかし阿守も引きさがりはしない。
「ルナのすべきことっていうのは、俺を守ること? 勇者を守ること? それとも、自分以外の誰かを守ること?」
「それは‥‥私が守るべきだと決めた人を守ることです」
「それは、ルナは目の前にいる人以外は守らないってこと?」
「違います! 私はエルムの民を守るため‥‥!」
「俺はエルムの民じゃないよ」
「それはそうですが‥‥! でもあなたは‥‥!」
「ごめん、ちょっといじわる言った」
 どんどんと口調が熱くなるルナを、阿守は静かに諌めた。別にルナと口論がしたいわけじゃない。
「つまりさ、俺が言いたいのは‥‥なんて言ったらいいんだろう、えっと」
 言いたいことを言葉にするのは案外難しい。阿守は少し考えて言葉を整理した。
「つまり、誰かを守るためには、自分の命を犠牲にしなくちゃいけないのかな、ってこと」
「‥‥それは、そうならざるを得ない場合もあるということです。その時は私は、自分よりもそこにいる人を守りたい。そう思います」
 そう簡単に揺らぐほど、ルナの固めている決意は軽くはないようだ。単に頭が固いだけ、とも取れないでもないのだが。どちらにせよ、やっぱりそれはイヤだと思った。
「もしさ、俺がルナを守るために死んだら、どうする?」
「そんなことはありえません。勇者様の身は私が必ずお守りしますから」
 やっぱり少し頭は固いようだ。
「もしもの話だよ。現実的なことは考えないで」
「‥‥‥‥」
 ルナは少し考え込んで、やがてそれに答えることさえ不覚であるというように、しぶしぶといった感じで口を開いた。
「‥‥ひどく、悔いると思います。自分自身の不甲斐なさに」
「そう、それってさ、いい気分じゃないでしょ? 俺も同じなんだ。俺のためにルナが命を落としちゃったら、それはすごくつらい。だからさ、そういうこと。俺のために命を差し出そうとするのだけは、止めてほしい」
 ルナはそれを聞いてなんとも言えぬ表情で、どういうべきか迷うように阿守を見つめた。
「‥‥勇者様の言いたいことはわかりました。あなたの意見は確かに間違っていません。しかし、それでは私はどうすれば‥‥!」
「だから、ルナは俺のことを守ってよ」
 ルナはきっと眉を吊り上げ、口調に怒りを込めた。
「どういうことですか。私をからかっているのですか」
 それでも阿守はあくまで静かに、冷静に語った。言いたいことはもう固まっているから、あとはそれをできるだけ正確にルナに伝えるだけだったから。
「俺を守って欲しい。けど、死なないでほしい」
 ルナは怒りを治め、かわりに表情に困惑を滲ませた。
「必ずしも約束はできません。戦いに、死はつきものです」
「うん、きっとそうなんだと思う。だから、結果的にそうなるのは‥‥もちろんイヤだけど、仕方ないと思う。でも、最初からそれを覚悟して戦うのは、やめようよ」
 ルナはまだ少し納得しかねるといった様子で口をつぐむ。
「ルナはそれでいいかもしれないけど、残された人はきっとツラいよ。ルナが死んだらスピカや、城のみんなが悲しむ。逆にいえばさ、ルナが生きてるって、それだけで嬉しい人がたくさんいるんだから、その人たちのことを考えてあげなよ」
「‥‥私が、生きているだけで嬉しい‥‥? 生きていることそれ自体が、みんなの幸せだというのですか‥‥?」
「そう。ルナだって、スピカとか、騎士団の人が死ぬのはツラいでしょ?」
 ルナは驚いたような瞳を阿守に向け、そして夜明け前の空の色を反射する青い瞳から、不意に一筋の涙が零れた。
「‥‥私は、今まで自分の視点からでしか物事を捉えていませんでした。だから、私にとって私の命は、それほど大切なものではありませんでした。エルムの人々のために差し出せるなら、それに勝る喜びはないと‥‥」
 ルナの声は後半になるほど震え、次から次へとその瞳からは涙があふれる。
「でも、スピカが、騎士団のみんなが、たとえ満足して、誇りを持っていても‥‥死ぬのは‥‥イヤだ。死んでほしくない‥‥! 同じように‥‥みんなは私に対して、そう思ってくれていると、そういうのですか‥‥、勇者様?」
「うん、そうだよ。少なくとも、俺はそう思ってるから」
 そう言って阿守は、自分より少しだけ背の低い少女をそっと胸に引き寄せた。
 もしかしたら嫌がられるかな、と少し構えたが、ルナは抵抗することなく阿守に身を預けた。
「‥‥‥‥ごめんなさい、勇者様。少しだけ‥‥泣きます」
「いいよ。ゆっくり落ち着いて」
 そう言ってルナは、阿守の腕の中で泣き叫ぶことだけは必死にこらえながら、それでもひたすらに涙を流し続けた。
 あーあ‥‥他人に言い聞かせてたはずなのに、自分の決意まで固まっちゃったなあ‥‥。
 いったい誰のために言ったことやら、と阿守はやや複雑な表情で少しずつ明るくなっていく空を、ルナの嗚咽を聞きながら静かに眺めた。
 ゆっくりと空が朝の色を帯び始めたころ、ルナの涙はようやく収まってきたようだった。ルナはゆっくりと阿守から身を離すと、ぐしぐしと目元をこすってから赤い瞳で真っすぐに阿守を見つめた。
「‥‥みっともない姿を見せてしまいました。申し訳ありません」
「いやいや、なんていうか、ルナも女の子なんだなって思えたよ」
「どういう意味ですか」
 そう言って笑い合い、ルナは静かに阿守の前で身をかがめた。
「勇者様、私は騎士として、最後まであなたをお守りすると誓います。この剣に懸けて」
 そう言ってルナは阿守を見上げ、笑顔で言った。
「そして魔王を倒し、エルムに帰りましょう。3人そろって」
「うん、3人で。約束だ」
 その日その場所で、1人の勇者と1人の騎士は誓い合った。必ず帰ると。誰ひとり、悲しませることがないようにと。
 晴れやかな表情の2人を、夜明けの柔らかな光が後押ししているかのように、静かに包み込んでいた。

 Ⅱ.

「それでは色々とお世話になりました。ありがとうございました」
 夜が明け、朝ご飯も頂いてから3人は出発の準備を整えていた。
「いえいえ、こちらこそ。久々に楽しかったよ」
「またゆっくりお話ししようね」
 スピカも少し名残惜しそうに別れを告げ、3人はワイムズ邸を後にした。
 ルナが先導してクラリシタウンで保存食などの物資を整え(スピカが織物や雑貨を欲しがったが旅の邪魔にしかならないので必要最低限に抑えた)、クラリシタウンの南、リンの住む島へと歩を進めた。
「ちょっとくらいお土産買ったっていいじゃん」
「今からそんな物買ってどうするの。荷物になるだけじゃない」
「面白いものがあった方が心も潤うでしょ。やっぱりルナは頭固いね。ノーキンだよノーキン」
 ぶつぶつとうるさいスピカに、ルナは小さくため息をついて嫌味を受け流した。
「ね、勇者様。勇者様もあの織物とか欲しかったよね」
「まあ、確かにキレイだったね。旅が終ったら買いに行けばいいんじゃない?」
「むー、勇者様までルナの味方するとか‥‥」
 スピカは不満に頬を膨らませる。昨日と同じようなそんなやり取りだが、ルナと阿守の心は昨日よりずっと軽く、その思いはずっと固くなっていた。
「ところでルナ、あたしは今すごく重大なことに気づいちゃったんだけど」
「どうしたの?」
 スピカは2人の前でくるりと振り返って足を止めた。
「‥‥今日も歩き?」
「もちろん」
「ちなみにリンの家までどのくらいかかるの?」
「普通に行けば、夕方には着くでしょうね」
 あっさりとしたルナの返答に、スピカはげんなりと表情を歪ませた。
「夕方って、いやいや夕方って」
 隣の阿守もやや困ったような表情を浮かべている。確かに『少し』しんどいとは思ったが、ここまでの反応をされるとは少し意外だった。
「乗り物とか使えないの?」
「目的地は街じゃないのよ。その辺に馬車とか放置してたら、魔物のエサにされちゃうでしょ」
「むう‥‥」
 馬なんてどうなってもいいから乗ろう、とは言いださないあたり、スピカは優しい子ではあるのだ。ちょっと、すごく、かなりわがままなだけで。
「ちゃんと休憩も入れてあげるから」
「‥‥‥‥わかった」
 ものすごくしぶしぶといった感じでスピカはようやく頷いた。

 最初に休憩を入れたのはお昼も少し過ぎただろうかという頃。スピカは文句を言いっ放しだったが、何も言わないにしろ阿守の顔に少し疲れの色が見えてきたので岩陰を探し、3人でそこに腰を下ろして息をついた。
「この辺りだと、少し魔物の種類も違うんだね」
「ええ、地域によって住んでいる魔物は様々です。魔物にもそれぞれ住みやすい場所というものがあるようなので」
「それに、なんとなくだけどここの魔物のほうが強いみたいだね」
「‥‥そのようです」
 ルナが一瞬返答を詰まらせたのは、阿守と同じような感想をルナも抱いたからだった。
 この辺りの地域に来るのは決して初めてではない。そしてその時は、ここらあたりの魔物はエルム城近辺と変わらぬ程度強さだったはずなのだ。魔物による個体差もあるとはいえ、地域による魔物の強さの差というのは特にはないはずなのだ。以前より強くなっていると感じるのはどうやら勘違いでもないらしい。
「それはあたしも思った。ここら辺の魔物が、っていうのよりも、どこか遠くで感じる魔王の魔力が、少しずつ大きくなってるような気がするんだよね」
 さらにスピカもその考えに共感しているようだった。どうやらかなり確証の持てる事実のようだ。
「つまり、魔王の魔力と共に魔物も日々強くなっていってるってことか」
「おそらく、そのようでしょう」
 しかしスピカは明るく笑う。
「ま、でもそんなのかんけーないっしょ。それよりもっとあたしたちが強くなればいいってだけだよ」
 しかしルナはその軽い考え方には賛同できない。
「でもスピカ、それは私達だけに限った話でしょ? 今でさえ、各国は魔物への対応に苦労しているのよ。数の多さもそうだけど、時折現れる、昨日の洞窟にもいたような強力な魔物の出現。コクラムのように魔王の軍に直接襲われたらそれどころじゃないけれど、周辺の魔物までが強力になってしまえば、兵たちはもちろん、一般の国民まで危険にさらされてしまう可能性は大きいわ」
「‥‥そっか、そうだね」
 スピカは急にしゅんとすると、そのまま俯いて黙り込んでしまった。
「エルム城のみんなは大丈夫なの?」
 阿守の問いにルナは笑顔で答えた。
「心配でないといったら嘘になります。しかし、私は彼らを信頼しています。だからきっと大丈夫でしょう」
 彼らは強い。それは彼らを率いていたルナが一番よく知っている。ここで自分がどう思ったところで仕方がない。彼らならきっとをエルムを守ってくれるだろうと、そう信じるだけだ。
「そっか‥‥」
「では、そろそろ行きましょうか。あまりのんびりしているわけにもいきません」
 確かに昨日に比べ魔物はやや強くなっているように感じるものの、スピカが言ったとおり3人も昨日に比べ動きがよくなっていることもまた事実。特に阿守とスピカは今までほとんど戦闘経験がなかったためか、その伸びしろは大きい。
 ルナがそう言って腰をあげると、阿守と、そしてスピカも特に文句を言うことなく立ち上がり再び進行を開始した。

「アイス!」
 スピカの放った氷塊が魔物を貫き、どさりとその体を地に横たわらせた。
「なんか、スピカの魔法昨日より強力になってる気がするんだけど」
 阿守のそんな感想に、スピカは途端にきらきらと眼を輝かせる。
「やっぱり!? いやー、あたしもなんとなくよりマナを強く感じ取れるようになった感じがするんだよね。じゃあ今の魔法は、アイスより強いんだから、アイス2と呼ぶべきだね」
 安直すぎるだろうそれは。まあ、別に好きにしてくれればいいけど。
 阿守も剣と魔法の扱いに少しずつ慣れてきたようで、風以外の魔法も剣に纏わせることができるようになっていた。
「はあっ、アイスクラッシュ!」
 阿守の剣が魔物を断ち斬ると同時に凍りつかせる。動きも威力も向上しているようだ。本当に覚えるのが早い。
 とはいえルナも騎士団長として、やすやすと追い抜かれるわけにはいかない。
「フレアスマッシュ!」
 ゴウッ! と唸りを上げてルナの剣が炎の尾を引きながら魔物を焼き斬った。あとには魔物の残骸すら残らない。
「‥‥うーん、やっぱりすごいな。俺どうしてもそれができないんだよね。どう頑張っても剣が燃えるだけみたいになっちゃってさ」
 阿守が一連のその動きを眺めて感嘆のような呟きを漏らした。
 いくら阿守に素質があるとはいえ、阿守との間には経験の差がありすぎるのだ。別段自慢することでもないが、すごいと言われて嬉しくないわけはない。少しだけ誇らしい気分になる。
「勇者様、あたしだってすごいでしょ! すごいよね!」
「え、うん。スピカもホントすごいと思うよ。あんなすごい魔法、俺にはとても使えないし」
「えへへー、もっと褒めてくれたっていいんだよ?」
 阿守がスピカの頭を撫でてやると、スピカはすごく嬉しそうに頬を緩ませていた。こうしていると本当に仲のいい兄妹のようだ。
 そうして歩みを進めていく3人。やがて空の色が夕日色に染まってくる頃、ようやく目的地、の一歩手前である洞窟に辿り着いた。この洞窟を抜けた先の島が、リンが住んでいるらしいという場所だ。本当に、どうしてこんなわけのわからない場所にいるのか。
 洞窟に踏み込むと、すでに月結晶は陽結晶から役目を引き継いでいる時間帯になっていたようだった。洞窟の中はオレンジ色の光で明るく照らされていた。
「‥‥へえ、なんか、すごくキレイだな」
「そうですね。私もどちらかというと月結晶の明かりのほうが好きです」
「それはあたしも賛成だね」
 洞窟の中は外の空気に比べひんやりとしていて、時折どこからか聞こえる何かの唸りのような音が響いていた。
「‥‥これって何の音なの?」
「これは水棲の魔物が通過したことで起こる水流の唸りです。ここは水中の洞窟なんですよ。ただ水深があまり深くはないので、それほどの地下でもありませんが」
「へえ、そうだったんだ」
「地下ではね、大地により近い場所っておかげで、マナへの干渉がしやすくなるから普通より強力な魔力を引き出すことが可能なんだよ。だからあたしたち魔法研究者は地下に研究室を構えることが多いの。エルム城のあたしの研究室もお城の地下にあるんだ」
 魔法の話になるとスピカは一段と上機嫌になる。よほど魔法が好きなのだろう。
「あ、そうだったの。単純に静かだからとか邪魔されないからとか、そんなだと思ってたわ」
「残念、ちゃんとした理由があるんだよ」
 この洞窟は自然洞窟ではなく完全に人工的に作られたものらしい。おかげで無駄に横道などはなく、迷うこともなさそうだった。
「リンと最後に会ったのはいつだったかしら」
「えっと、もう5年くらい前じゃなかったかな」
「そう、もうそんなになるのね。それじゃあ、今はいくらかは立派な封印魔法を使いこなす魔道士にでもなってるかしら」
「どうだろう。リン、けっこう飽きやすい子だったし」
「あー‥‥そういえばそうだったわね」
 そんな会話を続けていると、緩やかな上り坂に変わっていた道はようやく終わりが近づいてきたようだった。月結晶の明かりが途切れ、外に出るともうすっかり日は沈み、辺りは真っ暗になっていた。洞窟から漏れるぼんやりとした明かりに照らされるその場所には、とりあえず見渡す限りの範囲には何も見当たらない。
「見事に何もない島ね。本当にこんなところにいるのかしら、あの子」
「まあ、とりあえず少し歩いてみようよ」
 阿守が促し3人が進み始めると、やがて少し遠くのほうにうっすらと明かりが見え始めた。目を凝らすと、それは何もない草原の中にぽつんと建てられた1軒の民家から漏れ出る明かりのようだ。
「‥‥もしかしてあれかな?」
「‥‥まあ、他に考えられないわね」
 なんとも言えぬ感じで3人がその民家に近づいていくと、暗がりの中でもようやくその家の全体像が見えるようになってきた。木造の一軒家は、その周りのかなり広い面積を背の低い木の柵で囲っていて、その柵の中では畑が耕され色々な作物が育っているようだ。そして敷地内の一角、家のすぐそばにはうずたかく様々なガラクタが積み上げられていた。書物があったり武器があったり家具のようなものがあったり。どうして魔法の研究にそんなもんが必要だったのかといいたくなるようなものが雑多に積み上がっていた。そこにあるのはボロボロなものから真新しいものまで、新旧取りそろえられている。
 気になるものはたくさんあるが、とりあえず今はリンを訪ねるのが先だ。とはいえ本当にこの家にリンが住んでいるのだろうか、という疑問も湧いてこないでもないが。
 玄関の前に立ち、ノッカーはなかったのでルナは拳でこんこん、と扉を鳴らした。木独特の乾いた音が響く。
「こんばんは、夜分遅くに失礼します」
 リン相手ならここまで畏まることはないのだが、もし間違って関係ない人の家を訪れていた場合失礼に当たってしまうので、ルナは丁寧なあいさつを投げた。
 と、家の中からはすぐに反応があった。
「は、はい。お、お客さんですかー? ちょっと待って下さい~」
 中からは焦っているようで、それでもどこか気の抜けたというか間の抜けたというか、そんな声が聞こえてきた。
「リンだね」
「ええ、リンね」
 それを聞いただけで、わずかに構えていたルナは即座に肩の力を抜いた。この雰囲気は間違いない。あの頃と変わらない、リンのものだった。
 やがてガチャリと玄関が開き、1人の少女が姿を現した。
「はーい‥‥、あれ? もしかしてルナちゃんと、スピカちゃん? わあ、お久しぶりです。どうしたんですか突然?」
 現れたのは予想通り、以前より少し大きくなったリンだった。しかし――
「ええ、お久しぶり、リン。ところで、どこからツッコめばいいのかしら‥‥」
 ルナは一度リンの姿上から下まで一通り眺め、少し迷ってから、とりあえず目の前の疑問から片付けることに。
「‥‥じゃあとりあえず、あなたその格好は何?」
 現れたリンは魔道士の格好、などではなかった。
リンの身を包んでいるのは赤いチャイナドレス。要所要所に金色の刺繍が施され、なにかの模様が描かれている。すらりと伸びる脚の左右にはスリットが入れられており、悩ましい姿にも見えるが、その隙間からは黒いスパッツが覗いていた。一応見えても良いようにはしているようだ。腕は肩からむき出しになっていて、かなり動きやすそうな服装だった。可愛らしいピンク色の髪の毛は左右で2つお団子が作られていて、こちらも動くのに邪魔にならないようにしているようだ。
「これは、最近武術にハマっていまして、ここでずっと修行していたんですよ」
 リンはそう言って嬉しそうにくるりと一回転した。
「まさかそれだけの理由でこんなところに住んでるの‥‥?」
「えっと、まあそれもありますけど、それだけじゃないですよ?」
「‥‥‥‥」
 しばらく待ったが、それ以上リンの言葉は続かなかった。いや、説明しないのかよ。まあ別にどうしても聞きたいわけでもないからいいけど。
「‥‥まあ、もうなんでもいいわ。リン、こちらは勇者様よ。魔王討伐のためにスピカが召喚したの」
 リンはようやく2人の後ろの阿守の存在に気づいたようだった。一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻りぺこりと挨拶をした。
「リンといいます。よろしくお願いします、勇者様」
「あ、うん、よろしく。てか、いつもこの格好なの?」
「はい、武道家ですから」
 リンはどこか嬉しそうにぐっと体の前で握り拳を作りながら答えた。いや、あんたは武道家じゃないだろ。と、ルナは心の中でツッコミを入れる。
ルナにとってはどうでもいいが、男の阿守としてはリンのこの格好は少々目のやり場に困るもののようだった。視線をさまよわせる阿守に、リンは笑顔で尋ねた。
「勇者様はこういう格好はお好きですか?」
「えっと、まあ、それなりに‥‥」
 阿守はすごく微妙な返事をしていた。まあいきなりそんな質問されたらそうだろう。好きです、なんて断言するのも変だし。
「リン、それよりあなた封印魔法を極めるとか言ってなかった? それはどうなったのよ」
「それは‥‥色々ありまして」
 ルナはふとついさっき外で見た光景を思い出した。
「‥‥色々って、もしかして外のアレ?」
「‥‥外のアレ、です」
 リンは少し気まずそうに頬を掻きながら答えた。やっぱりそうか。
「いったいどう経緯で武道家なんてなったのよ」
「ええっと、最初は言ったとおり封印魔法を極める旅に出たんですけど、旅の途中で剣士さんに出会って少し剣を教えてもらっていたら楽しくなっちゃって、それからしばらくは剣の腕を磨く旅をしていたんですけど、ある時入った洞窟で罠にかかって困っているところをトレジャーハンターの方に助けていただきまして、それからその人としばらく一緒にいるうちにナイフの扱いとか、軽業を少々ならっているとまた楽しくなってしまいまして、またしばらくその人と色々なお宝探しといいますか、探検のようなものをしていたらまたある時入った洞窟で伝説の魔法みたいなものがあるという情報を得まして、そこでわたしそういえば封印魔法を極める旅に出たんだったということを思い出しまして、でもせっかくだから伝説の魔法とか使ってみたいと思ったので少し魔法の勉強をしていたらこの島は大地のマナの恩恵を受けやすいということを聞いたのでここに住もうと決めまして、でも住むには家が必要だなと思っていたところに偶然行商の方々と出会いまして、その中に昔建築の仕事をされていた方がいらしたのでその人に教えていただきながらどうにかこの家を建てまして、ちょっと家づくりが楽しかったのでせっかくだから家具も作ってしまおうといっぱい家具を作っているうちに、ここで暮らすならある程度自給自足の生活をしなくてはならないということに気づきまして、外にある畑はその時耕したものなんですけど、それで一通り生活が整ったところで魔法の研究に戻ろうと思ったんですけど、体を動かすことが楽しくなってしまいまして、せっかくだから今までしたことがないことをしたいと考えていたら偶然旅の武道家の方がここを尋ねてきましたので少々武術を教わりまして、今武道家です」
「‥‥‥‥‥‥」
 長げえよ。というツッコミを入れる気力すら失せるような経緯だった。それもう、飽きやすいとかそんなレベルですらない気がする。
「‥‥で、武道家の次は何をするつもりなの?」
 存分に皮肉を込めたルナの質問に、しかしリンはいたって真面目な表情で、
「何を言ってるんですか。わたしには武道の道しかないとようやく気づいたんです。わたしは武道を極めます!」
「へえ。で、何か極めようと思ったのは何回目なの?」
「ええっと‥‥いち、にー、‥‥6回目ですね」
 さらに皮肉を込めたルナの質問に、リンはやはり真面目に笑顔で答えた。ダメだこの子。ていうか6回って、もしかして家作りか家具作りも極めたいと思っていた時期があったんだろうか。もうなんでもアリすぎるだろ。
「外に積んであったのは今までハマってきたものの残骸ってわけね」
「はい。いただき物や自分で作ったもので、もう使えなくなってしまったものはあそこに置いてあるんです」
「‥‥捨ててるようにしか見えないわよ」
 どこからどう見てもゴミ捨て場にしか見えなかった。
「でさ、リンは呪いとかを解くのとか得意だったよね? 実は勇者様の記憶が封印されちゃってるみたいでさ、封印を解いてくれない?」
 ここでスピカの何の脈絡もない質問が――いや、そういえばそれが本題だった。ツッコミどころが多すぎてつい忘れてしまっていたが。
スピカ、ナイス軌道修正。と心の中だけで褒めておいた。
「あら、記憶がないのですか。それは大変ですね」
 リンはスピカの簡単すぎる説明を聞いて、全然大変そうには聞こえない感想を漏らした。そしてしばらく考えるように目線を上に向けてうーん、と唸り、
「封印を解くといっても、記憶の封印は初めてなのでわからないですが、まあやってみましょう」
 しかしすぐに笑顔で快諾してくれた。
「ありがとう、リン。それじゃあ早速お願い」
「よろしくね~」
「でも、儀式に必要な道具がここにはないんですよ」
 が、リンはぱっと体の前で両手を広げて、のんびりとした口調でそんなことを言った。
「どこにあんの?」
「わたしの研究室です。北東の塔のてっぺんにあります。そこに行かないと」
 また面倒なところに研究室を作ったものだ。というか、話を聞いた限りここに来てまともに魔法の研究はしていないのだから、きっとその研究室も作っただけなのだろう。
 と、その話を聞いてスピカはあっと声をあげた。
「そっか、この島って『塔のある島』なんだ」
「そうそう、さすがスピカちゃんよく知ってますね」
「なに、その安直すぎる名前の島は?」
 塔があるから塔がある島って。まあそりゃあ、わざわざわかりにくい凝った名前をつける必要もないけど。
「この島はさっきリンが言ってた通り、大地のマナの恩恵を受けやすい、というか世界を巡るマナの流れの中心地に当たる島なんだよ。地下以上に魔力を引き出しやすくて、場合によっては自分の魔力以上の魔法を使うこともできるって聞いたことがあるよ。だから魔法を使ったり研究したりするのには最適なんだけど、マナが豊潤なせいで他の場所に比べて魔物が凶暴で強力だから、あんまり迂闊には近づけないんだよね」
「そうなの?」
 ルナがリンに尋ねると、リンは困ったように首を傾げた。
「はい、わたしもそう聞いていたんですけど、実際に来てみるとそんなことはなかったんですよね。たまには襲ってくることもありますけど、なんというか‥‥統率がとれているといえばいいんでしょうか、そんな感じで聞いていた雰囲気とちょっと違うんです」
「ふうん‥‥」
 それはつまり、どういうことなのだろうか。これも魔王と何か関係があるのだろうか。
「で、その場所にいつからあるのかは未だわかってないんだけど塔が建ってて、そこで特殊な魔法の儀式を行うと伝説の魔法が使えるようになるとか魔力がものすっごい底上げされるとか、いろんなウワサがあるんだよ」
「なんなの、その特殊な儀式って」
 別に気になったというわけでもないがルナが尋ねると、スピカはひらひらと手を振り、
「知らない、ウワサだし。多分それはデマじゃないかってあたしは思ってるよ。でも、きっと研究はすごくはかどるだろうなって思うから、気になってたんだよねー」
「そうそう、わたしも伝説の魔法はこの塔にあるに違いないと思ってここに来たんですよ」
 そう言って、リンが玄関を大きくあけて3人を招いた。
「さて、もう遅いですし立ち話も疲れますよね。今日はウチに泊まっていってください」
「まあ、そのつもりだったけどね」
「おじゃましまーす」
「お邪魔します」
 知り合いの家なら遠慮することもない。ルナとスピカは堂々と、阿守は唯一控え目にリンの家へと上がり込んだ。
 中に入って最初の感想。リンの家は、シンプル、かつ雑多だった。
 部屋そのものはよく片付けられているし掃除も行き届いており、清潔感があり整然としている。しかし置かれているものがなんともよくわからない。いや、先ほどのリンの話を聞いていればまあ納得できるのだが。
 剣が壁に飾られているかと思えばその隣には数着の武道着が並べられていたり、鎧が部屋の隅に置かれているかと思えばその隣には魔道士の杖が立てかけられていたり。一見では何をしている人が住んでいるのか全く分かりそうにない部屋だった。
「なんていうか、あなたらしいわね」
 ルナは部屋の中央に鎮座する机(多分手作り)の前に置かれた木製のイス(多分手作り)に座り、部屋をぐるりと見回して呟いた。
「そうですか? ありがとうございます」
 別に褒めてないんだけど。まあ、いいけど。
「わあ、この杖どうしたの。ここにはまってる宝石、けっこうすごい魔法石だよ」
 スピカが鎧の横に置いてあるいくつかの杖を見て声を上げていた。魔法石というのはその名の通り、魔力のこもった石のことらしい。詳しくは知らないけれど。
「ああ、それは旅の途中やここに住み始めてからもらったものですよ。横の鎧とか剣なんかも、そうです。もし欲しければ、わたしにはもう必要ないので好きに使ってもらっていいですよ」
「ホント!? やった、じゃあどれがいいかな‥‥これ!」
 と、スピカは何本も並んでいる杖の中から1本の、赤い宝石がはまった杖を選んだようだった。
「よければルナちゃんも、勇者様もお好きな剣をもらっていってくれて構わないですよ」
 ルナは別に必要ないしいいや、と一瞬思ったが、もしもの時のためにもう1本持っておくのは悪くないと思い、並べられた剣を眺めた。
「俺、剣とか詳しくないからよくわからないんだけど、ここにあるのって、これよりもいいものなのかな」
 阿守は自分の剣と並べられた剣を見比べていた。ルナには一目でここにある剣のほうが良いものだとわかったが、知らなければ確かに全部同じに見えてしまうのかもしれない。というか、阿守の持つ剣は騎士の初期装備というか練習用というか、扱いやすくはあるがあまり良いものとはいい難い。阿守も昨日今日でかなり戦闘に慣れてきているようだし、ここでの装備交換はちょうど良いタイミングかもしれない。
「そうですね、この中では‥‥勇者様には、これが一番良いのではないでしょうか」
 ルナは数多の剣の中から、1本のやや大ぶりな剣を指した。細身の片手剣から長剣まで様々な種類が置いてあるが、覚えも早く男性らしく腕力もある阿守なら、攻撃力の高い大きめの剣のほうが良いだろうと考えた結果だった。
「そっか、じゃあそれにしよう」
 阿守は迷わずそう言って剣を手に取り、ためつすがめつ眺めていた。
「本当にもらっていいの?」
「ええ、どうぞ。置いてあるだけよりは、よっぽどいいです」
「うん、ありがとう」
「それじゃあ私は‥‥」
 ルナももう一度たくさんの剣を眺めながら、どれにするか悩み始めた。ルナの持つ剣は、名のある剣匠に鍛えてもらったというかなりの業物だった。騎士団長就任の際に王様から直々に賜(たまわ)ったもので、それ以来毎日手入れを怠らず大切に使ってきたものである。見たところ、この剣に並ぶような名剣はここにはなかった。予備として持っておくのだからそこまでこだわる必要もないといえばそうなのだが、しかし装備の質が下がりすぎるのは喜ばしいことではない。
 どうしようかとさらに悩んでいると、ふとそことは別の場所にも剣が飾られているのが目についた。いや、あれは剣ではなく、
「リン、カタナまで持ってるの?」
「え、ああそういえばそうでした。いつだったか、サムライという人に出会って、その人にそれはもういらないからといただいたんです」
 ルナはそのカタナを手に取り、鞘から抜いて刀身を眺めた。剣ほどは詳しくないが、それでもかなり秀逸なものだということはよくわかった。
「へえ、これはいいわね。これももらってかまわないの?」
「はい、どうぞ。そういえばサムライを目指そうと思っていた時期もありました。残念ながらあの方はすぐにどこかへ行ってしまったので、詳しい話を聞けなかったのですが‥‥」
 なんだかリンがうっとりと昔のことを思い出し始めたがとりあえず無視して、ルナは試しにカタナを腰に下げてみた。適度な重みがしっくりとくる。ルナはすっかり気に入ってしまった。
「いいわねこれ。ありがとう、リン」
「いえいえ、気にしないでください。でももしサムライになれたら、わたしにも少し技を教えて下さいね」
「いや、ならないけど‥‥」
 本当にこの子はマイペースすぎるというか、調子が狂う。
「じゃあ、晩ご飯にしましょうか。採れたて野菜の新鮮料理ですよ」
「やったー!」
「ありがたくいただくわ」
 リンがキッチンへと向かい、ルナは今日はゆっくりしていようと防具を外しイスに深く腰掛けた。スピカはちょろちょろと家の中を見て回っているようだ。阿守は武器に興味があるらしくさっき見ていた剣や、近くに置いてある槍や斧(そんな物まで持っているのか)をじっくり眺めていた。
 やがてリンが夕食の準備を終えるころには、机の上は様々な種類の豪勢な料理で埋め尽くされていた。1人暮らしかつ自給自足というのは伊達ではないようで、どれもとても美味しそうに見える。が、
「‥‥ちょっと多くない?」
 4人分にしてはあまりに多いように見える料理を眺め、ルナは思わず呟いた。
「ああっ、やっぱり多いですか!? いえ、普段1人分しか作りませんし、時折訪ねてくれる旅人の方は1人旅か団体の方ばかりだったので、4人分なんて作るの初めてで分量がよくわからなかったんです! しかも勇者様までいるので、勇者様はやっぱり食べる量も勇者並みなのかなあとか考えちゃったら‥‥」
 勇者並みって一体なんだろう。
「だいじょーぶだいじょーぶ。こんな美味しそうだし、きっとすぐなくなっちゃうよ」
 にかっと笑うスピカに、リンは少しほっとしたようだった。根拠はない台詞だが、言われて悪い気はしないだろう。素直すぎるスピカの台詞ならなおさらだ。
 そうして4人で席につき、いただきますで夕食が始まった。
 食事中の会話は基本ルナ、スピカ、リンの昔の話が中心となった。ルナはあまり話に参加できていない阿守に少し申し訳ないとも思ったが、旧友と久々に会うとどうしても話の流れは昔のことになりがちだ。悪いが今だけは阿守は聞き役に徹していてもらおうと、ルナも敢えて昔の話を中断することはしなかった。
 とはいえ、いつまでもそんな話ばかりをしているわけにもいかないのもまた事実。話題が昔話から近況報告へと移り、それがより直近の話になってきたあたりでルナは切り出した。
「ところでリン、こんなところに1人でいたら魔物との戦闘は避けられないだろうけど、なんだか魔物が強力になっているような気がしない?」
「ええ、そうですね。それもありますし、ボスクラスの魔物の出現頻度が増えている気がします」
 ボスクラス、と呼ばれる魔物は昨日洞窟で倒したような、普通の魔物より抜きんでて強い力を持つ魔物のことを指す言葉である。そういった魔物は不定期に突然現れるため、城や街でも対処に苦労していた。
「ふうん、なるほど‥‥。それも、魔王と何か関連があるのかしら」
「あのさ、ちょっといいかな」
 ルナがその意味を考え込んでいると、ふと阿守が口を挟んだ。
「かなり今更な質問だとは思うんだけど、魔王って一体何なの?」
 阿守を除く3人は一度顔を見合せ、少し考えてから口を開いたのはルナ。
「実を言うと、魔王の存在はまだはっきりとは知られていないんです。襲われた国の人々から得られた目撃証言も様々で、完全にデマと思われるものから勘違いと思われるものまで、それらの中に答えがあるのかどうかすらわかりません」
 ルナはそこでいったん説明を止め、少し魔王について詳しくお話しておきましょうか、と前置きしてから再び話し始めた。
「魔物という存在自体は昨日の今日に現れたというわけではなく、私が生まれるよりもはるか昔から存在していました。ただ、魔物は人を襲うということに変わりはありませんが、以前は自分たちの縄張りに入ってきた場合など、限られた場合だけのことでした。しかしある時期から魔物の動きに今までには見られなかった法則性、いえ、統率性のようなものが見られるようになり、積極的に人間を襲うようになりました。それが魔王の現れた時期だというのが一般的な見解で、それは間違っていないと思われます。しばらくはそれぞれの街の近辺の魔物との争いが続きましたが、ある時とある街の1つが今まで見たことのないような魔物の軍勢に襲われ、壊滅に至りました。そしてそれ以降、不定期に魔王の軍勢が街を襲うようになりました。場所も時期も、そして時間もあまりに不規則で、それに対する策としては毎日一日中警戒しておく以外にありません。魔王の軍勢はどこの地域にも見られないような魔物を引き連れてやってきます。その中に魔王がいるのかどうかは定かではありませんが、魔物たちの出現と撤退の痕跡などから、少し前に魔王がいるであろう場所の特定に成功しました。魔王は大陸の中心にある、海に浮かぶ小さな孤島にいることがわかったのですが、しかしその島の周りにはボスクラスの魔物よりさらに強力な魔物が大量に生息しているため、普通の方法では近づくことすらできません。唯一その島に行ける方法として、空間移動を扱う魔道士に一気にその場所まで転送してもらうというものがあるのですが、その方法では一度に小人数しか移動することができません。今までに何度か精鋭を集め魔王討伐に乗り出したこともありましたが‥‥帰って来たものは、いまだ1人もいません」
 そこでルナは言葉を切り、俯いた。
過去に数度行われた魔王討伐、それには当然エルムの騎士も参加したことがあった。果敢に魔王の島に向かい、それっきりになってしまった騎士たちの顔が頭に浮かぶ。
「‥‥今のところ魔王に関してわかっている情報は、その程度ですね。ですから、勇者様が本当に未来から来たのであれば、魔王に関する決定的な情報が得られるかもしれません。王様が勇者様の記憶を取り戻すのを最優先したのには、そういう理由もあるのでしょう」
 ルナは暗くなりそうな思考を無理矢理振り払い、説明を締めくくった。
「なるほどね。よくわかったよ、ありがとう」
 阿守は一向に減る気配のない夕食をぱくつきながらルナに礼を言った。
「つまり、今はほぼ勇者様の記憶頼りってわけなんだ。責任重大だよ。頑張ってね」
 全力で他人まかせな台詞に、阿守は困ったようにああ、うん、と頷いている。
「ですから現状のんびりとはしていられませんが、とはいえ焦ったところで仕方ないというのもまた事実です。とりあえず目の前の問題から1つずつ片付けていきましょう」
「そうですね。では今一番に片付けるべき問題は‥‥」
 リンの言葉に、4人の視線は机の上に集まった。
「この夕食だね‥‥」
 結局、阿守には本当に勇者並みの頑張りを見せてもらうことになった。


「大変な事実が判明してしまいました」
 壮絶な夕食を終え、再び子供のころの話題に花を咲かせ(阿守は満腹に苦しみ部屋の隅で寝転がっていた)、さて明日に備えてそろそろ寝ようかという流れになった時のこと。突如リンが3人に向かってあまり深刻さを感じさせない口調でそういった。
「どうしたのよ」
「この家、客間が1つしかないんです」
「それがどうしたの」
「わたしのベッドに3人入るのは無理があると思うんです」
「それが――」
 ルナはそこでようやくリンの言わんとすることに気がついた。
「‥‥どちらが勇者様と一緒に寝ますか?」
 困ったような笑顔でそんなことを尋ねるリン。
「あ、まあ、2人がどうしてもイヤならわたしでも、ダメということは、ないのですけど‥‥」
 そして若干外れた気遣いも始めてしまった。
「‥‥こういう時の男は肩身が狭いね」
 阿守がぽりぽりと頬を掻きながら言った。
「あたしは別に勇者様と寝てもいいよ」
 スピカが笑顔でそう言って、4人はその光景を思い浮かべた。
‥‥‥‥ちょっとまあ、なんていうか、
「なんか犯罪っぽいね」
 自分で言うなよ。
「‥‥まあ、布団さえ貸してもらえれば、俺は別にこことか、適当に空いてる場所で寝るけど」
「いえっ、そんな、お客様に、しかも勇者様にそんな粗末な待遇をしてしまうわけにはいきません! ‥‥わかりました、ではわたしが勇者様と夜をご一緒させてもらいますっ。そ、その、わたしこういうのは初めてなので、できれば優しくお願いしますっ」
「いや、いやいや、だからそんな‥‥ていうかなんか言葉おかしくない?」
「いえ、わたしは構いません。勇者様とでしたら、むしろ光栄ですっ」
 なんだかかみ合わない会話に、呆れて割り込んだのはルナだった。
「はいはいもういいからリン。わたしがここで寝るから、勇者様は客間で寝て下さい。スピカはリンと一緒。それならいいでしょ?」
「でもルナちゃんもお客さんなのに‥‥」
「友達相手に中途半端な気を遣わなくていいから」
 リンはそれでもしばらくはいやいやと言っていたが、結局はそれで話がまとまった。阿守は若干ほっとした表情で客間へと向かっていった。
 相変わらず、スピカもそうだがリンもルナにとっては手のかかる妹のような存在だ。呆れもするが、それでも昔と変わらないリンに、ルナは若干の安心感を覚えるのだった。

 ・・†・・

 翌日、ルナはいつも通り夜明けとほぼ同じ時間に目が覚めた。
 きょろきょろと周りを見回して状況確認。いつもと違う場所で目が覚めるとどうしても一瞬戸惑ってしまう。
 とりあえず水道を借りてざぶざぶと顔を洗う。どうやら自分以外まだ誰も起きていないようだ。
 どうしようか、と思うがまた寝るのもなんだし、他にやることもないのでとりあえずストレッチをしてからいつも通り体を動かし始めた。幸いというべきか、外の不用品置き場(どう見てもゴミ捨て場だけど)を漁ってみると手頃な剣の練習用のかかしが見つかった。使われた形跡は全くないので多分作っただけで満足したのだろう。ありがたく使わせてもらうことにする。
 せっかくなので昨日リンにもらったカタナもある程度使いこなせるようになっておこうと、今朝は剣よりカタナの練習に重きを置いた。
 そうして稽古することしばらく、淡い朝やけに照らされていた島は次第に朝日に暖かく照らされる時間へと移り変わっていった。
「‥‥ふぅ、まあこんなものかな。ていうか、みんないつまで寝てるのよ」
 ルナは朝練を終えると、冷たいシャワーを浴びて汗を流した。こんな辺境の島にぽつんと建っている家であろうと、魔法のおかげでこのように水や、料理に使う火、そして明かりなども全て自由に使うことができる。もはや魔法は日常の一部と言ってよい存在である。
 適当に借りたタオルでぐしぐしと頭を拭きながら着替えていると、まだ若干眠そうではあるが、ごそごそと阿守が起き出したようだった。
「おはようございます、勇者様」
「ああ‥‥ルナか、おはよう。ずいぶん早いんだね」
「ええ、もう早起きは習慣ですから」
 阿守が洗面所へと向かい顔を洗っていると、今度はリンがかなり眠そうにぐしぐしと目をこすりながら自室から姿を現した。
「ふあぁ。ああ、ルナちゃん、おはようございます」
「おはよう、リン。スピカは?」
「んー‥‥さっき一緒に起きましたよ。すぐ出てくると思います」
 ほどなくして全員がそろい朝食に。今朝の食事の量は普通で安心した。
「で、北東の塔ってのはどんなところなの?」
 ルナはこれから行く場所を少しでも知っておこうと、リンに尋ねた。
「ええと、特にこれといって変わった何かはない塔ですよ。おぞましいトラップや身の毛もよだつ罠は仕掛けられてません」
 トラップと罠は同じじゃないだろうか。というか、聞きたいところはそこじゃないんだけど。まあ知っておいて損はないけど。
「そう。最上階まではすぐに行ける?」
「ええと‥‥どうでしょう。わたしも塔にはいるのは久々なので、ちょっとわかりません」
「なによそれ、そんなところに何で研究室なんて作ったのよ」
 案内役のはずのリンが、まさかこんな直前で役立たずに降格することになるとは。ルナは眉を寄せてリンにずいと詰め寄る。
「ええっと、この塔に限って言えば、上階にいくほどマナの感じやすさが向上するようなので。あと、なんだか塔の最上階って、すごくかっこいいじゃないですか」
 おそらく大半の理由は後者だろう。リンのこの熱しやすく冷めやすい性格はどうにかならないものだろうか。
「‥‥まったく。道は全然覚えてないの?」
「‥‥はい。初めの頃行ったきり、全然行ってませんから」
「その最初はどうやって行ったのよ」
「迷いながら、頑張ってです!」
 そんな力強く答えられても。ルナは呆れて大きなため息をひとつついた。
「‥‥しょーがないわね。地道にマッピングしながら登っていきましょうか」
 そうして4人は朝ご飯を食べ終わると、すぐに出発の準備を始めた。

 北東の塔というのはリン家から歩いてすぐのところにあった。はるか昔から存在しているらしい石造りの塔はやや古くなってはいるようなものの、それでも厳然とした雰囲気は失われておらず4人を見下ろすように屹立している。
「ひえー、でっかいねー。何mくらいあるんだろ」
「さあ、測ったことないからわかりませんねー」
 のん気な会話をしながら塔に踏み込むと、途端にスピカが足を止めた。
「どうしたの?」
「‥‥すっごい。ホントに、他の場所とは比べ物にならないくらい大地のマナを感じる」
 島自体もマナの流れの中心となっているが、この塔はさらにその中心に建てられているらしく、さながら塔がマナを吸い上げてでもいるかのようにこの場はマナに満ち溢れている。というのが事前にスピカから聞いていた話だった。ルナも意識をマナに向けてみるが、確かに普段より強く感じられるような気がするものの、そこまで驚愕するほどではない。やはりスピカの場合、詳しいうえ魔力が高い故(ゆえ)なのだろうか。
 塔の内装は外と同じく全て石造りでできており、窓はないのだがここにも結晶が生えているため明かりに困ることはなかった。普通結晶は洞窟のような自然の場所にしか生えないのだが、やはりマナが集まる場所というのが関係しているのだろうか。また通路は横幅にも天井にもずいぶん余裕があり、戦闘の障害になる心配はあまりないだろう。塔の中は複雑で、リンが最初入った時に迷っていたというのは、ただリンがとぼけているからというだけの理由ではないようだ。そのためマッピングも容易ではなく、ルナは少し参ったというように息を吐いた。
 と、そこへ複数の魔物が現れ、4人に襲いかかった。現れたのは大きなオレンジ色の蛇のような魔物。ルナの腕よりもまだ太い胴体をうねうねと蠕動させながら鋭い牙をのぞかせる。
「へへへ、ちょうどいいや。いっくよー、ファイア!」
 スピカの詠唱に応え、ゴウッ! と轟音とも震動ともつかない唸りとともにスピカよりもはるかに巨大な炎の塊が彗星の如く目の前の通路を駆け抜け、魔物たちにぶつかっていった。通路全てを埋め尽くすほど、圧倒的な大きさのそれをかわすすべなどあるはずもなく、魔物たちは炎に焼かれ消し炭となってその姿をその場から消失させた。炎はそのまま塔の壁に激突するが、塔を破壊することはなく吸い込まれるように壁を構築する石の中に消えてしまった。あとにはちりちりとわずかな炎の残滓(ざんし)だけが残され、魔物のいた痕跡すらもその場には残されていなかった。
「‥‥‥‥」
 あまりの光景に、しばらくその場に沈黙が落ちた。見ていた3人もそうだが、どうやら使った本人が一番驚いている。
「‥‥‥‥すご」
 ようやくスピカがそんな声を漏らし、3人に振り向いた。
「‥‥どうやら、想像以上に魔力が引き出されるようね。今後、やりすぎないように気をつけないと。特にスピカは」
「う、うん‥‥」
 さすがに思わぬ威力ビビったのか、スピカは硬い表情で素直に頷いた。
 今の音を聞きつけてか、そこへさらに複数の魔物が姿を現した。正面からは人間の子供ほどの大きさの青い鱗のドラゴンが数匹。頭には小さな角が左右に1本ずつ控え目に生えている。その瞳はつぶらとも呼べるほど澄んでいるが、だからといって油断できる相手でもないだろう。そして後ろから先程の蛇と、一見人間のような姿をした毒々しい緑色の肌と細長い耳、そしてびっしりと鋭い牙を生やした小悪魔(ゴブリン)がそれぞれ数匹。身長はルナや阿守よりはやや低い。体には襤褸(ぼろ)をまとい、頭には擦り切れた帽子がのっかている。そしてその手には小ぶりのナイフが握られていた。
 はさみうちの上、圧倒的に数で上回られたことにわずかに焦りが生まれるルナだったが、一番に動いたのはリンだった。
「わたしが後ろを行きます!」
 そう言って駆けだすリンの動きは驚くほど素早く、魔物に反応する隙を与えず一気に自分の間合いまで踏み込んだ。
「はあっ!」
 まず近くにいたゴブリンたちに掌底、裏拳、回し蹴りと次々と技を叩き込み、戦闘不能に。そこへ襲いかかってきた蛇たちにも落ち着いて拳と脚をめり込ませ、あっさりと全てを倒してしまった。
 その動きに感心しているヒマもなく正面から襲い来るドラゴンに、ルナはカタナを引き抜き、引き抜きざまに1匹、そのまま勢いを利用してもう1匹を叩き斬った。残った数匹のドラゴンが攻撃を終えたルナに襲いかかるが、阿守がそれらのドラゴンを刀身に炎をまとわせた剣で断ち斬った。魔物はすべて倒れ、再び通路に静寂が訪れた。
「勇者様、いつの間にフレアスマッシュまで使えるようになったのですか?」
「いや、外より魔力を扱いやすいみたいだから試しにやってみたらできただけだよ」
 なるほど、それなら納得がいく。しかしそれよりも驚いたことがもう1つ。
「ていうかリン、あなたそんなに強かったの?」
 ルナがかなりの活躍を見せたリンに声をかけると、リンは嬉しそうにぐっと拳を握り締めて答えた。
「武道家ですから!」
 などと言っているが、実際はおそらく今までの中途半端な経験が積み重なり、先程の動きを可能としたのだろう。剣術によって培われたパワーと、軽業によって培われたスピードや反射神経、ついでに冒険家の洞察力など、それらを上手く武道で発揮できれば、確かにかなり理想的なスタイルになり得る。
 ‥‥飽きやすい癖がこんな形で役に立つとは。
 呆れるべきか感心すべきか。よくわからないがなんにせよ戦力になってくれるのはありがたい。案外リンにとって武道家は天職なのかもしれない。
「まあとりあえず、先に進みましょうか」
 そうして進行を再開した4人は次々現れる魔物を撃退しつつ塔を登り続けた。
 そうして辿り着いた、最上階。もうどれだけ階段を上ったかわからない。ルナでさえ若干の疲れを息と共に吐き出した。
「‥‥ふう、やっと着きましたね」
 そこには真ん中に大きな部屋が大胆に配置されたフロアとなっていた。
「ここですここです、わたしの研究室。久しぶりだなあ」
 のん気にはしゃぐリンについてその部屋の入口へと向かい、扉を開こうと手を掛け――
「あれ?」
 しかしルナはそこで手を止めた。扉に手を、掛けたいのだが、
「なにこの扉。取っ手ないじゃない。どうやって開ければいいの?」
 リンが横からのぞき込み――硬直した。
「‥‥ええと、あはは‥‥その、困りましたねー」
 だらだらと冷や汗を流しつつ目を泳がせまくりながら、リンが間の抜けた言葉を紡ぐ。
「‥‥リン、正直に話してみなさい。ちゃんと言えば、あんまり怒らないから」
 ルナはゆらりとリンに向き直り、がっしとその肩を掴んだ。
「ひいぃ‥‥あんまりって、ちょっとは怒るってことじゃないですかぁ‥‥」
「ええ、でも正直に言わなかったら、すごく怒るわよ?」
「ひゃあぁ、わかりました、ちゃんと言いますからぁ‥‥」
 リンは情けない声をあげ、ぽりぽりと頬を掻きながら気まずそうに言った。
「‥‥その、この扉は魔力でロックされてて、それを解くにはここより下の階にあるスイッチを押さなくちゃいけないんです‥‥」
「そう。で、そのスイッチは何階にあるの?」
「‥‥‥‥」
 再び黙り込もうとしたリンにルナは笑顔を向けると、リンはさらに怯えてひぃ、と声を上げて、質問に答えた。
「‥‥‥‥2階です」
 それを聞いて、ルナは怒る気力も失せてしまった。再び階段を下り、さらに上がってこなければならないと考えると、考えるだけで疲れそうだ。
「ごめん、あたしもう無理ー。多分下りるだけでばたんきゅーだよ」
 スピカが床に座り込んでげんなりと声を出した。今回ばかりはいつものわがままではなく本気だろう。疲れ切った状態で複数の魔物に襲われてしまえば、それだけ危険は大きくなる。
「‥‥しょうがないわね。不本意だけど、今日はいったん帰って明日もう一度登りましょう。ね、リン」
「は、はいっ、ごめんなさいぃ‥‥」
 ルナがぎろりと視線を向けると、リンはぺこぺこと涙目で頭を下げた。
 戦闘での動きはすごいと感心したが、感心させたままで終わらないのがリンだった。
 本当、昔から全然変わってないんだから‥‥。
 ルナもやや疲れた表情で階段を見下ろし、ため息をつくとゆっくりと下(くだ)り始めた。

「今日は本当にごめんなさい。これは我が家のとっておきのお野菜たちですいっぱい食べて下さい。わたしは反省の意をこめて断食させてもらいます」
「そういうのはいいから」
 塔を降りてリンの家に戻ったのはもう夕方もほど近い時間だった。4人ともぐったりとしており、スピカは途中から阿守におんぶしてもらっていた。今はご飯も食べず眠ってしまっている。阿守の背中からも戦闘には参加していたし、魔法を使っての疲れも少なくはないのだろう。
 帰るなりリンも疲れているだろうにすぐに夕食の準備を始め、そして今はこんな感じだった。
「食べないと明日まともに動けないでしょ。戦闘に関してはリンはかなりの戦力なんだから、明日もしっかり動いてもらわないと」
「うう、ルナちゃん‥‥」
 リンは涙目になりながらルナを見、今度は阿守に視線を向け、
「勇者様も、わたしのせいでごめんなさい。本当は一日でも早く記憶を取り戻したいはずなのに‥‥。勇者様がどうしてもというならわたし今晩は、勇者様の為にこの身をっ‥‥!」
「いやだから、別にそんなこと求めてないからさ‥‥。俺も全然気にしてないから。疲れてるのはお互い様でしょ。大事なことでも忘れることぐらいあるよ」
「うぐうっ、勇者様もなんて優しい‥‥」
 リンはさらに涙ぐみながら、しかし空いた手でひょいひょいとおかずをつまんでご飯を食べていた。
「‥‥あんたねえ」
「はあっ! ごめんなさい、ものすごくお腹がすいていたので気が緩んでしまってつい!」
「まあ、いいけど。それじゃ私もいただきます」
「いただきます」
 ルナと阿守とて同じくお腹は空きまくっている。リンに続いて2人も夕食を開始した。昨日に劣らない大量の夕食だったが、1人少ないにもかかわらずすぐになくなった。

 ・・†・・

「これね。このスイッチね。これを押せば扉が開くのね?」
「はい、それです」
 ルナがスイッチを押すと、どこかで物音がした。
「これで扉は開いたのね? 他に仕掛けはないのね?」
「は、はい。これで多分、研究室に入れるはずです‥‥」
「多分? はず? よーく思い出しなさいリン。他には何もない? 絶対? 間違いなく入れる?」
「え、えええっと‥‥‥‥はい、間違いなく、絶対に、これで入れます!」
 必死に記憶を手繰り、涙目でこくこくと首を振るリンを見て、ルナはため息をついた。
 昨日のマッピングが予想以上の活躍を見せてくれたため、迷いながら進む必要はないとはいえ、それでももう一往復するのは避けたかった。
 4人が今いるのは2階の、何かの魔物を模したような石像の前。この場所には昨日も来た、はずだったのだが、リンはその時この石像を見ても何の反応も示さなかったのだ。ルナがこうして詰め寄るのは当然の行動といえる。
「‥‥ならいいわ。それじゃあ、最上階まで行きましょうか」
 そうして再びてっぺん目指して階段を登り始めた4人。ルナとリンが並んで歩き、その後ろを阿守とスピカが続く。
「だからそうじゃなくて、全体にじわー、みたいな」
「うーん‥‥こんな感じ」
「違う違う。あたしやってみるよ。ほら、こんな感じ。体全体に魔力が浸透してるのがわかる?」
「えーっと‥‥こうかな」
「うーん、やっぱり違うなあ」
 阿守はスピカの指導のもと、回復魔法の習得を頑張っているようだった。外では使えなかったフレアスマッシュをこの塔では使うことができたのでもしや、と思って挑戦してみているようだが、どうやらなんでも上手くいくというわけではないようだ。
「‥‥うーん、やっぱり難しいや」
「ま、仕方ないんじゃない? それに回復魔法ならあたしもルナも、リンも使えたよね?」
「はい。あまり強力なものではないですけど、使うだけなら」
「リン、魔法を極めようとしてたんでしょ? なんでそこが弱いのよ」
「だって、封印魔法と回復魔法は全然違うものですから。それに回復魔法より攻撃魔法のほうがかっこいいじゃないですか。だから昔からよく使ってた封印魔法と、あと攻撃魔法ばっかりを鍛えてたので」
「‥‥そう」
 そろそろツッコむのも疲れてきた。ルナはそれを適当に流す。
 道がわかっているので思ったよりも早く着いた最上階。昨日閉まっていた扉の前に行くと扉はすでに解放されており、部屋の中が丸見えの状態になっていた。それを見てリンがひどくほっとした表情を浮かべていた。
「今度は儀式に必要な道具がない、とか言わないわよね‥‥」
 ルナの言葉にリンはぎくりとしてそそくさと部屋の中に入りごそごそと本棚やらガラクタ入れのような場所を漁りはじめ、
「そ、そんなことあるわけないじゃないですか! ほら、ちゃんと道具も揃ってます!」
 安堵! と全身で表現しながら、リンはいくつかの道具を持ってルナに見せつけた。まあ、もう一度戻らなくていいならなんでもいいんだけど。
「それではさっそくお願いしてもいい? リン」
「はい、わかりました。では‥‥」
 リンがなにか作業に取り掛かろうとした時、不意にズン、と重々しい足音が背後で響いた。驚いて振り返ると、そこには1匹の巨大な魔物。
 ぐるる、と低い唸り声を発するその顔は犬。しかしその魔物はしっかりと2足歩行で地面を踏みしめ、こげ茶色の体毛に覆われた体には以前のトカゲの魔物と同じように鎧をつけ、こちらはご丁寧に兜までかぶっている。手には巨大な剣、そして赤い鎧の後ろからはみ出た大きな尻尾は獲物を見つめた喜びにか、ゆらゆらと揺れていた。ルナよりも頭2つ分は背の高いその魔物に見下される威圧感はかなりのものだ。
「くっ、こんな時に‥‥」
「いやいや、ボス出現のタイミングとしては間違ってないと思うよ」
 スピカのよくわからない言葉は聞き流し、ルナはすぐに戦闘の態勢へと気持ちを切り替えた。
「はあっ!」
 ルナは勢いよくカタナを抜き放ち、魔物の鎧の隙間をついて斬り抜けた。その勢いは凄まじく、剣圧によってつむじ風が巻き起こされ、斬り裂いた傷口をさらに容赦なく抉る。
「わあ、すごい。ルナちゃんってもしかして‥‥サムライなんですか?」
「とぼけた感想はいいから、リンも戦いなさい」
「は、はいっ! では‥‥」
 今までの気の抜けた雰囲気が嘘のように、リンは途端にすっと表情を引き締め、魔物に向かって1歩踏み出した――と思った時にはリンの姿はすでに魔物の目の前にあった。
「せいっ!」
 気合とともに魔物の腹部に拳を叩き込む。鎧の上からであったにもかかわらず、苦しげな呻き声をあげ魔物の体がくの字に折れた。そしてさらに下がった頭に向けて思いきり横からの蹴りをいれ、その勢いを利用してさらに反対の足で回し蹴りを喰らわせた。めごっ、と兜と共に頭蓋も陥没したのではないかという凶悪な音を立てて魔物の体が横から地面に叩きつけられた。
「はいじゃあトドメいくよー。リン、気をつけてね。アイス!」
 スピカがのんきに声をかけると、リンが素早くその場を飛びのき、スピカの放った氷塊が魔物に向かって放たれる。魔力の制御の加減もわかってきたのか、普段より若干大きい程度で昨日の炎のような極端なものではない。
 が、それが魔物に突き刺さる寸前、倒れていた魔物の体が跳ね起きて氷塊をかわした。地面にぶつかった氷塊は軽い音を立てて地面に吸い込まれるように消えてしまった。
「ありゃ、まだそんなに動けるとか、タフだね」
 魔物は怒りのこもった瞳でスピカを睨みつけると、大きく口を空けてゴッ! と炎の塊をスピカに向かって吐き出した。
「スピカ!」
 炎はスピカに直撃し、爆煙がスピカを包み込む。ルナが驚き揺れる視界で見つめる中、ゆっくりと煙が晴れてゆくとそこには、
「いやー‥‥ちょっとびっくりしたかな」
 一筋の冷や汗を流しながら手を前方にかざしているスピカの姿があった。そのスピカの正面には厚い氷の壁が張られており、その真ん中は大きく抉られている。
「まったく、こっちがびっくりしたわよ!」
「ま、大魔道士スピカちゃんはこんなあっさりやられるようなタマじゃないってことだよ」
 相変わらずのスピカの発言にルナは呆れて溜め息をついた。
「はああっ!」
 そこへ、阿守が魔物に向かって駆け、ぶん、と空気の唸りをあげながら魔物に斬りかかった。魔物は体をひねって鎧でそれを受け止めるが、衝撃が予想外に大きかったためかわずかによろめく。さらに阿守は鎧の上から思いきり魔物の腹に突きをいれ、後ろに突き飛ばした。
「‥‥さすがですね」
 ルナはそれを見て、思わず感嘆の呟きを漏らす。小回りの利かない大きな剣の特性を把握した上での、反撃を許さない大振りの連続攻撃。大剣を難なく振り回していることにも驚きだが、早くもそれを使いこなしていることはそれ以上に驚かされる。覚えが早いのは魔法だけではないらしい。これにはさすがというほか言葉がない。
 魔物もやられっ放しで黙ってはいない。すぐに体勢を立て直すと、阿守に向かって飛びかかった。阿守は魔物の振り下ろす剣を自分の剣で受け止めると、至近距離で炎の魔法を放った。場の影響のおかげもあり、普段以上の威力の火球が魔物の顔面に直撃する。
 魔物は一歩下がってぶるぶると顔を震わせると、何を思ったか、突如標的を目の前の阿守からルナへと変えた。
「!」
 隙を見せていたつもりはなかったが、突然のことに対処が遅れた。魔物は剣を大きく振り上げて打ち下ろし、ルナはどうにかカタナでそれを受け止めるが、刃の細いカタナは防御にはあまりに不向きである。がくりとルナの膝が折れ、からん音を立ててカタナが床に落ちる。
「しまった‥‥!」
 そこへ再び魔物が剣を振り上げた。逃げようにも脚がしびれて動かず、同じく痺れる腕では剣を抜いたとしても間違いなく防ぎきれない。ほとんど意味などないとわかっていながらも、とっさに腕を頭上にクロスさせて防御態勢をとるルナの目の前に、1つの影が躍り出た。
 魔物の剣が振り下ろされる。キィン、と軽い音を立てて大きな剣が宙を舞った。そして直後にドッ、と耳に響く鈍く重い音。ルナの顔に生暖かい何かが降りかかった。視界が、赤く染まる。
「勇者様!」
 スピカの悲痛な叫び声。糸の切れた操り人形のようにひざを折って倒れる、目の前の影。
「‥‥‥‥!」
 一瞬の間の後、ルナはようやく目の前で起きたことを理解した。
「リン、ルナ、あたしは勇者様の傷を治癒するから、あと全部任せたから!」
 そう言ってスピカは魔物を完全に無視して血まみれで倒れる阿守に回復魔法をかけ始めた。
 ルナは状況を理解し、同時に今しなければならないことも理解した。
 阿守が心配でないわけではもちろんない。できることなら今すぐ阿守に駆け寄りたい。しかし今ここで再び隙を見せてしまえば、阿守のしてくれたことが単なる無駄に終わってしまう。
 ルナは折れるのではないかと思うほどに強く歯を食いしばり、魔物を睨みつけた。湧き上がる怒りは不甲斐ない自分と、ルナのために、他人のために命を投げようとした阿守に対してのもの。右手を握りしめると、手の痺れはすでに治まっていた。
 まず攻撃を仕掛けたのはリン。す、と音もなく魔物の目の前まで瞬時に移動すると、ゴッ、と凄まじい破砕音を立てて魔物の鎧を拳で打ち抜いた。さらに脚を垂直に振り上げ顎につま先をめり込ませ、その場で跳び上がると強烈な後ろ回し蹴りを叩き込んだ。魔物の目が一瞬焦点を失い体がぐらりと揺れる。
 ルナは剣を抜き放つと、炎をまとわせ刀身を2倍近くに膨れ上がらせた。この塔だからこの異様な規模だったが、今のルナはそんなことは気にも留めない。
「せやあああっ!」
 裂帛(れっぱく)の気合いと共に横一文字に魔物を斬り裂くと、魔物は苦痛の呻き声をあげ、意識を取り戻した。そして即座にルナに剣を振り下ろす。
 ルナは避けようとせず、今度は刃に風をまとわせると、魔物の剣に向かって自分の剣を振り上げた。剣の威力と巻き起こる風の威力に魔物の手から剣が離れ、くるくると回転しながら天井に突き刺さる。
「――――――――――――っ!」
 ルナは声にならない叫び声をあげながら、再び炎をまとわせた剣で肩から斜めに魔物の体を斬り裂いた。
 オオオォォォン! と遠吠えのような叫びをあげて魔物はひざをつき、身を焼く炎を消そうと体を叩き地面に打ち付け必死にもがいていたが、次第にその動きは小さくなり、やがて動きを止めると、静かに炎に身を焼かれていった。
「‥‥はぁ‥‥はぁ‥‥」
 ルナは荒い息をつきながらてしばらくその光景を見ていたが、はっと我にかえって阿守のもとへ駆け寄った。気づいたスピカは振り返ると、緊張した表情は抜けきっていないものの、どうにか笑顔を作って頷いた。
「大丈夫。即命に関わるほどの傷じゃなかったから、もう少ししたら意識も戻るし、動けるようになると思う。この場所のおかげってのもあるけどね」
 ルナはそれを聞いて、しばらく阿守の様子を睨むように見つめていたが、ほうっと息をつくとその場にへたりこんだ。
 やがてスピカの言った通りゆっくりと阿守のまぶたが開かれ、どうにか上半身を起こせるまで回復したようだった。それでも体にこびり着く血の跡は痛々しく残っている。
「‥‥ふぅ、助かったよスピカ。ルナ、怪我はしてない?」
「いったいなにをしているのですか、あなたは!」
 そして、ルナの口から出た第一声はそれだった。自分でもびっくりするほどその声は大きく、あふれ出る感情が止まらない。
「い、いや、なにって‥‥」
 阿守が驚いて身を引くが、そんなことは関係なしにルナは続けた。
「どうにか助かったから良いものの、もし死んでいたらどうするつもりだったんですか! 命を投げるなと言ったのは勇者様ではないですか! そのあなたが、どうしてこんなことをしたのですか!」
 ルナは感情とともにあふれ出る涙を意に介することもなく、叫んだ。あふれ出る感情は怒りなのか、それともそれ以外のものなのかもわからないまま叫んだ。
 しかし阿守はそれを聞くと、静かに微笑んで、
「うん、確かに言った。だから俺は死ぬ気で助けたわけじゃないよ。まあちょっと、予想以上に痛くてびっくりしたけどさ」
「そんな呑気なことを言っている場合ですか! 一歩間違っていれば、あなたは‥‥!」
「そうだね、それは本当にごめん。だけどさ‥‥」
 阿守はどことなく気恥ずかしそうにぽりぽりと頬を掻きながら、言った。
「目の前で大切な仲間が危ないって時に、黙って見てられるわけないよ」
「‥‥‥‥っ!」
 ルナはそれを聞いて、言葉に詰まった。なんだかんだと言っても、自分だって仲間が危険にさらされている時は、そうやって助けてきたのだから。
「それに少々怪我したところですぐにスピカが回復してくれるだろうって信じてたから、死ぬ気がないって言うか、生きる気満々だったよ」
 阿守がスピカに笑顔を向けると、スピカは誇らしげににかっと笑った。
「と、とにかく、私が守るべき人に守られるわけにはいきません。もうこんなことはしないでください」
「約束はできないね。また同じような状況になったら、多分また助けちゃうと思うし」
「で、でしたら、今後はせめてこのような無茶だけはしないと約束して下さい」
「わかった。気をつけるよ。‥‥あ、そうだルナ」
 ルナがふいと顔を逸らして立ち上がると、阿守が突然ルナを呼んだ。そして、
「心配してくれて、ありがとう」
 笑顔でそんなことを言う阿守に、ルナはどきりと胸が高鳴るのを感じた。
「べ、別に当然のことです! あなたは、勇者様なのですから!」
 そんなことを言いながらも、ルナは気づいてしまった。正確に自身のことを判断するのは戦場に立つ者として不可欠なものである。だからルナはたとえ今までに体験したことのないものであっても、「それ」が恐らく「そう」なのだろうということは、察してしまっていた。
 くっ‥‥こういう時にどうすればいいのか全然わからない‥‥。
 戦うことばかりに身を置いていたことがこんなところで枷になるとは。ルナは戸惑いと恥ずかしさで阿守の顔を見ることができず、ひたすら適当な壁を見つめていた。顔が紅潮しているのが自分でもわかり、それが恥ずかしくてさらに紅潮させる。
「では勇者様、封印解除の儀式、やりましょうか」
 リンが本来の目的を切りだしたことで、どうにかその気恥ずかしい場の空気を切りかえることができて少し安心する。阿守はすでに普通に動くぶんにはほとんど問題ない程度まで回復していたので、スピカはいったん回復の手を止め立ち上がった。
リンに続いて3人も研究室に入り、しばらくはリンの準備を待つ。魔道書か何かを読みながらリンは床に淡く輝く魔法陣を描き、その中央に阿守を座らせ、自身はその後ろに立った。
「では、始めます。勇者様、動かないでくださいね」
「う、うん」
 やや緊張した面持ちの阿守の頭に手をかざし、リンは目を瞑って静かに集中を始めた。淡い光がリンの手から漏れだし、リンがわずかに眉を寄せる。
「どう、出来そうな感じ?」
「‥‥ごめんなさいスピカちゃん、少し集中させてください」
「はーい‥‥」
 どうやら気になったというよりは、ずっと黙っているのに耐えられなかったらしい。スピカは不満そうに口を閉じる。
 そのまま無言の時間が続き、やがて淡い光はじわじわと大きくなり、一度弾けるような光を放ったかと思うとすぐに収まり、リンは息をついて目を開けた。
「終わりました。これで封印は解除されたはずです。勇者様、どうですか?」
 阿守はしばらくぼっと何もない空中を見つめ、そして振り返ってリンを見ると、頷いた。
「確かに頭がスッキリして、今まで思い出せなかったことが思い出せるようになったみたいだ。うん、思い出したよ。確かに俺はスピカと契約をかわした」
 まだ若干の気恥ずかしさはあったが、いつまでもそうしているわけにもいかない。ルナは阿守の正面まで歩くとひざまずいて目線を阿守のやや下まで下げる。
「では、改めてお願いします。勇者様、我々にあなたのお力を貸して頂けますか?」
「うん、もちろん。よろしく頼むよ。あと、この時代についても思い出したよ」
「本当ですか!?」
 ルナは思わず声をあげる。もともとそれも目的で阿守の記憶を戻すことになったのだ。その情報は今後の行動に大きく関わる可能性が高い。その場にいた3人は静かに阿守の言葉に耳を傾けた。
「俺の知る限り、歴史上で魔王が出現したときが一度だけあるんだけど、多分それがこの時代だと思う。実は俺のいた時代にはもう無いんだけど、その歴史にはエルム・コクラム・ランドの三国が出てくるんだ」
「えー、エルムなくなっちゃうの!?」
「まあ、国なんて分裂、統合を繰り返すものだからね。単なる国名の変化ってだけのこともある。その時の詳しい国の状況まではわからないけど、必ずしも悪いことじゃないよ」
「ふーん、よくわかんないけど、そうなんだ」
「それで、その魔王はどうなったのですか?」
 ルナは焦るように話を促した。
「俺が読んだ歴史書によると魔王は勇者によって倒され、そして大地のマナが消失して魔法も使えなくなったと書いてあった」
「おー、勇者様が魔王を倒すんだね」
「いや、俺じゃなくてその歴史書にはライムっていう人物が魔王を倒したと書いてあったよ」
 その名前を聞いてルナは各国の主要人物の名前を思い出し、1人の人物に思い当たった。
「‥‥ライムとは、コクラム王国のライム王子のことでしょうか」
「えーっと、うん。確かコクラムの王子ってなってたよ」
 スピカはつまらなそうにふーん、と声を漏らし、
「なーんだ、ライム王子が魔王をやっつけてくれるなら、あたしたちは何もしなくてもいいのか。‥‥‥‥いや待って、マナが消失って、どういうこと!? 魔法が使えなくなるって何!?」
 もの凄い剣幕で詰め寄るスピカに気圧されつつ、阿守はさらに記憶を手繰る。
「えっと‥‥マナが消失した原因っていうのは、明らかになっていないんだ。おそらくライム王子が魔王を倒す際に何かしたんだと思うけど‥‥ごめん、それ以上は俺にもわからない」
 それを聞いてスピカはむむむ、と唸る。
「つまり、このまま歴史通りにライム王子が魔王を倒すと魔法が使えなくなっちゃうってことだよね。それは困る。すごく困る。あってはならないことだね」
 やたらとそこを主張するスピカだが、ルナもそれには賛成だった。
「確かに、魔法が使えなくなるのは困りますね。人々の生活に、少なからぬ影響を与えることになります。ライム王子よりも先に我々が魔王を倒すことができればよいのでしょうか」
「うーん、どうだろう。多分そうだと思うけど」
「うん、そうだね。じゃあ、みんなで今すぐ魔王を倒そう! さあもたもたしてらんないよ。ライム王子に後れをとるわけにはいかないからね!」
 やたら勇み足のスピカに、しかしルナは少し考えて待ったをかけた。
「いや、ちょっと待ってスピカ。それよりまずはライム王子に会ってみるべきだと思うわ。もし魔王を倒す前にマナを枯らしたのだとしたら、私たちが魔王を倒しても王子がそれに気づかずマナを枯らしてしまったら意味がなくなってしまうでしょ? だからとりあえず、ライム王子に会ってマナを枯らすのを止めてもらうべきじゃないかしら」
「確かにそうすべきだろうね。マナを枯らすには何か条件が必要で、おそらくまだその条件がそろってないんだろうから。でなければ、すでにマナは枯れているはずだし。だけど王子はすでにそのための行動をしているはずだ。うまく見つけ出すことができればいいけど」
「そうですね。ではまずはライム王子に会うため、コクラムを目指しましょう」
 話がまとまり、次にやるべきことも定まった。リンも異存がないようだったが、しかし、
「だめだよそんなにのんびりしてちゃ。あたしはすぐに魔王を倒しに行くべきだと思う」
「何言ってんのスピカ。スピカが魔法にこだわりたいのもわからないでもないけど、これが一番確実なやり方でしょ?」
 ルナはスピカを諭そうとそう言い聞かせるが、しかしあまりに真剣なスピカの表情に眉をひそめた。
「でも、その方法だと時間がかかりすぎちゃう。それじゃだめだよ」
「急げばいいってものでもないでしょ? どうしてそんなにそこにこだわるの」
「だって、時間がかかればかかるほどたくさんの人が魔王に殺されちゃうってことなんだよ! そんなのダメだよ! たとえそれがあたしの知らない人だったとしても、あたしは誰かが死ぬなんて嫌だもん!」
「スピカ‥‥」
「あたしたちはみんなの命に直接関わることをしてるんだよ? 確かに魔法なくなるのは困るし、確実にっていうんならそれが一番かもしれない。けど、あたしたちが時間をかければそれだけ殺されちゃう人が増えるってことなんだよ。あたし達が急ぐことで死ななくていい人が増えるんなら、あたしは急ぎたい。急がなくちゃダメだと思う」
「‥‥で、でも、最初のほうのんびりしたいって駄々こねてたのはスピカでしょ‥‥」
 反論したかったわけではない。ただ普段のスピカでは考えられないそんな真剣な台詞を聞いて面食らってしまい、思わずそんなどうでもよいことが口をついてしまっただけだ。
「そんなのルナがいたからに決まってるじゃん!」
 が、スピカは即座に答えた。その意味を図りかね、ルナは眉を寄せる。
「あたしがあんなこと言っても、ルナなら絶対否定してくれるってわかってるから、あたしはあんなこと言えたんだよ。ルナ頭固いからさ、ただ真面目にしてたんじゃきっとすぐ疲れちゃうから、せめてあたしはバカなこと言ってたかったの。そしたら少しはルナの気持ちもほぐれるかなって思ったから。そりゃあ実際、いつもそんな難しいこと考えてたわけじゃないけどさ、でもルナがいたからあたしはあたしでいられたの。バカなことしてられたの。だから、ルナがのんびりしようなんて言い出したら、あたしが否定しなくちゃいけないじゃん。あたしはずっとずっと、魔王をぶっ倒してやりたいって思ってた。だけどどんなに強い人が行っても勝てないから、行くのは今じゃないって思って、今あたしが行ったって無意味だからって思って、ひたすら研究に打ち込んでたの。それでやっと勇者様の召喚もできて、あたしも国一番とか言われるくらいの魔力も身につけた。だからあたしはこうして1人でも多くの人を守りたいから、旅してるんだよ。のんびりなんてしてらんないよ。早く、一日でも早く魔王を倒したいのあたしは!」
 ルナは何も言えず、ただスピカを見つめて黙りこんだ。
 スピカの言うことはもっともだ。ルナとて、多くの人々を救うために己を磨き続けてきたのだから。
 知らない間に、ルナは目の前にいない人々のことをどこか遠い存在のように感じてしまっていたのかもしれない。見えないから、いなくなってもわからないからと。1人でも多くの人を救うと、そう思い続けてきたはずなのに。なんて自分は浅はかだったのだろう。こんな小さな少女に気づかされてしまうなんて。どれだけ愚かだったのだろう。
「‥‥そうね、スピカの言うとおり。魔法を守ることと、人々の命を守ること。どちらが大事かなんて比べるまでもないことだったわ。わかった、そうしましょう」
「ごめん、ちょっと、いいかな?」
 と、そこで阿守が口を挟んだ。
「その、思ったんだけど、仮に魔王をすぐに倒すってことになったとして、すぐに魔王のところに行けるの?」
 阿守の問いに、ルナとスピカははたと気づいて顔を見合わせた。
「歩いてはいけませんからね、ちょっと難しそうです」
 リンの言葉にルナはもう一度冷静に状況を考える。
「魔王のところに行くには、空間移動魔法で飛ばしてもらうしかありません。しかし、魔王の城まで飛ばしてもらうとなると専門家の力が必要です。ランド王国には空間魔法の専門家がたくさんいるので、そこで協力を仰げばおそらくそれが可能な魔道士を紹介していただけるでしょう」
「そうなると、どのみちコクラム王国を通らなくちゃいけませんから、やっぱりライム王子を探しつつ進むって方向でいいんじゃないでしょうか。きっとライム王子もランド王国に向かっているでしょうから、どこかで会えるかもしれませんね」
 リンは少し気を使っているのか、どこかいつもよりものんびりした口調でそう続けた。
「だからスピカ、俺もスピカの考えは正しいと思うし、できることならそうしたいけど、焦って失敗したんじゃそれこそ本末転倒だよ。急ぎたい気持ちはわかるけど、俺はたとえ時間をかけても確実にっていうのが、結局一番の近道なんだと思う。それにそこまでしようとしているライム王子なら、何か俺たちの知らない魔王の情報を持っている可能性は高い。だから、まずはライム王子を探すってことで、いいかな?」
「‥‥うん、わかった。わがまま言ってごめんね。必要な回り道なら、仕方ないよね」
 スピカはしばらく俯いたまま黙っていたが、すぐに顔をあげると少し力ないながらも、いつもの笑顔を見せた。

 ・・†・・

「はあ‥‥少しショックだわ。私って、本当に頭固いのかなあ‥‥」
 塔を降りた頃はすでに夕方過ぎ。その日は再びリンの家に泊まることとなった。そして夕食を食べながら、ルナはとっても沈鬱だった。
「うん、固い固い。もうガッチガチだね」
「はあ‥‥なんか今はスピカに言われるとすごいヘコむわ‥‥」
 いつもなら脳天にチョップが突き刺さっていそうなスピカの台詞だが、今のルナにはそんな元気はない。
「なんだか私、騎士としてどうなんだろうって、自分に疑問を感じざるを得ないわ。スピカにあんなこと教えられるなんて、他の人ならともかく、スピカにってところが、よりショック‥」
「そうだね。ところでルナ、今すっごい失礼なこと言ってるの気づいてる?」
 スピカのそんなツッコミもルナの耳には届かない。
「まあまあ、そういうこともあるんじゃない? 今日はスピカがいいこと言ってくれたけど、だからってルナがいつも間違ってること言ってるわけじゃないんだし」
 そう言って隣で笑う阿守を見て、ルナは急に阿守が隣にいるということを意識し始めてしまった。
「い、いえそんな‥‥」
「誰かが常に正しいとか間違ってるとかじゃないと思うよ。いつもはルナすごい冷静に周りを見れてるし、それはホントにすごいと思う。絶対に正しい人間なんていないんだから、こんな風に足りない部分をみんなで補っていけば、それでいいんじゃないかな」
「ゆ、勇者様‥‥」
 やばい。そんな優しい言葉をかけられると、感情がさらに加速してしまう。ルナは顔を赤くして勇者を見つめる。
「はあ‥‥勇者様優しいんですね。記憶が戻ってさらに落ち着いたように見えますし、ちょっと好きになっちゃいそうです」
「なあっ‥‥!」
 そんなリンの言葉に、思わず必要以上に反応してしまう。というかリン、何気なさすぎる。
「いやいやリン、勇者様はあたしのものだよ? リンなんかには渡さないんだから!」
 ビシィ! とリンに指をつきつけるスピカは絶対単なるノリだ。
「むむ、スピカちゃん、恋のライバルですね。わたしも負けられません」
「あのー‥‥目の前でそういう話されるとさすがに気恥ずかしいというか‥‥」
 阿守はそんなやり取りに何とも反応しづらさそうに夕飯をぱくついた。
「そういえば勇者様、元の世界に恋人とかいなかったんですか?」
 ぴくりとルナの動きが止まる。妙な姿勢で動きを止め、気づかれないように何気なく次の言葉を待った。
「うおー、あたしもそれすっごい気になる! 遠距離? 遠距離恋愛なの!?」
「い、いや、遠距離とかいうレベルじゃないと思うけど。いやまあ、いないんだけど」
 その言葉を聞いてルナはほっと安堵の息を吐いた。そして安堵してしまったことに、また顔を赤くしてしまう。
「なんかルナ、やけに静かじゃない? どうしたの?」
 ふとスピカがルナの様子に気づき、声をかける。ルナはびくりと体を震わせ、必死に何気なさを装いつつ、
「べ、別に何事もなく、普通だけど。ちょ、ちょっと今後の予定を考えていただけで、そんな、何事もなく普通だけど」
 全然装えなかった。
「そういえば、コクラムにはどうやっていけばいいの?」
 が、阿守が話題を逸らしてくれ、どうにかその場はやりすごせたようだ。
阿守は至近距離からルナの顔を覗き込むように尋ねてくるので、ルナは慌てて阿守から目を逸らし、手元のお皿に向かって明日からの予定の説明を始める。
「こ、コクラムはエルム城の南の関所を通る必要があります。ですので予定としては明日はひとまずクラリシタウンに向かいそこで一泊。明後日はエルム城を通過して関所に向かいコクラム王国に入国。そしてそこから一番近いソルドタウンに行って、ライム王子がどこに行ったか聞いてみましょう。とりあえずの予定はそんな感じですね」
「2日か‥‥。近いというべきか遠いというべきか‥‥」
「むー、あたしも空間移動の魔法が使えたら一瞬なんだけどなー」
 ルナの説明にあまり芳しくない反応が返ってくる。まあ確かに、移動だけで日をまたいでしまうのは好ましくないのだが、こればっかりはどうしようもない。
 と、無意識のうちにか胸のあたりを押さえる阿守の行動が目についた。そこは、今日魔物に傷つけられた部分である。
「‥‥勇者様。傷、まだ痛むのですか?」
 ルナの問いに、無意識だったらしい阿守は手をぱっと離してぶんぶんと手を振り、
「いやいや、ちょっと違和感が残ってるだけで、もう全然痛くはないから」
「ごめんね、勇者様。あたしも全力で治療したんだけど、あたしの魔力不足のせいで完治まではできなくて」
 スピカは申し訳なさそうに眉を下げて阿守に謝る。
 スピカはあの後自身の全魔力を阿守の回復に充て、ひたすらに阿守の治癒に専念したのだが、あと少しというところで魔力が切れ、言うとおり完治には至らなかった。阿守はもう平気だと言っていたし、見たところ本当に動くことに大きな支障もないようなので、ルナとしてもスピカにはなんら責任はないと思うのだが。というより全責任は自分にあるとルナは思っているのだから。
「いやいや、スピカがすぐに回復してくれてなければ、俺死んでたかもしれないんだから、スピカは命の恩人だよ。ありがとう」
「で、でもあたしがもっと回復魔法に長けてたら傷も違和感も残らないはずだったんだよ?」
「何言ってんのさ。だってスピカは回復専門の魔道士じゃないんでしょ? なのにここまで傷を癒せるなんて、すごすぎると思うけど。俺なんかそもそも回復すらできないのに。さすが、大魔道士スピカだよ」
「え、いやいや、えっと‥‥そうかな?」
 ちょっと謙遜しようと思ったようだが、すぐに耐えきれず一気に破顔してそう尋ね返していた。やっぱりスピカだ。
「そうよ、スピカのせいじゃないわ。全て私の責任。本当に、申し訳ありませんでした勇者様。助けていただいたのに、あろうことかあのように怒鳴ってしまって」
「いやいや、俺が勝手に助けただけだし、謝ることじゃないよ」
「しかし‥‥!」
「ていうかさ、俺たちみんな仲間でしょ? だったら守ったり守られたりするのなんて当たり前のことだし、そんなことでいちいち謝ったりヘコんだりしてたら、魔王討伐なんてできないと思うんだけど。だからさ、もうそういうのはナシにしよう。一言軽くお礼言ってそれでお終い。それでいいじゃん」
「勇者様‥‥」
 そんな阿守の前向きで優しすぎる言葉に、ルナは思わず目を潤ませて阿守を見つめ――
「‥‥はっ! あ、あのえっと、ありがとうございます! すいません私ちょっと堅苦しい性格しているものでそういうこと全然考えられなくて! じゃ、じゃあ私先にお風呂入ってきます! リン、ごちそうさま!」
 我に返ったルナは一気にそう捲くし立て、そそくさと席を立つと風呂場に足早に閉じこもった。
 脱衣所に服を脱ぎ散らかし、冷たいシャワーを頭からかぶりながら、火照りすぎている頭を物理的にも冷やす。
 慣れない、というより初めての感情に自分でもどう対応して良いかわからず、どうにも必要以上に混乱しすぎてしまう。ここまで心の整理がつかなくなってしまうのは、騎士団に入団してしばらく経った、あの時以来だと思う。
 国同士の抗争で駆り出され、初めてこの手で、人を殺してしまったあの日。誰かを守るために、誰かの命を奪う。それが正しいことなのか間違っていることなのかわからず、ルナはそれから数日ひたすら泣いてふさぎこんだ。意図的にやったというわけではない。ギリギリの状況で、殺(や)らなければ殺(や)られると思い何も考えず懸命に振るった剣が、運良く、運悪く、敵兵の首を刎ねた。その光景を見てルナの頭は真っ白になり――その後のことはもう覚えていない。
 次に気づいたのは、城の救護室のベッドの上だった。怪我はよくしていたのですっかり馴染みになっていた救護班の女性が、いつもより少し優しかったような気がした。
 それが、12歳の時。今でも忘れられない。そして今でもあの時の答えは出ていない。いや、答えなんかないのだということを、いつしか理解した。
 当然それとこれとは、比べるのもはばかられるような絶対的な違いがある。それでも心を乱されて悩んでいるということに違いはない。
 あの時は、何もかも忘れるほど訓練に打ち込むことでその時のことを無理矢理に記憶から追い出そうとした。朝も昼も夜も、当時の団長に心配されるほど自らを鍛え続けた。今ルナが騎士団長を務めているのは、ひどく皮肉な話ではあるが、その時の訓練が影響しているのかもしれないと、今さらながら思う。
 だが当然、そんなものは一時の誤魔化しでしかなく、何の解決にもなっていない。そしていつしか、ルナは他人を殺めることに心を乱されることはなくなっていた。
 だけどこれは、決して気持ちに整理をつけたわけではない。単なる慣れ。それだけだ。
 当時の団長はそれでいいと、時には優しい気持ちを殺すのも騎士の仕事だと言ってくれたが、ルナは気持ちを殺してなんかいないと思う。ただ、少し壊れてしまっただけなのだ。
 あの時は、目を逸らしてしまったからこうなってしまった。だけど今はルナの心も体ももっと大きくなっていて、正面から自分の気持ちと向き合う勇気も持てるようになった、はずだ。
 まあ、そんなに大げさなことじゃないんだけど。
 ただ単に、始めて好きな人ができた。それだけだ。
 ‥‥‥‥。
「‥‥うわ、改めてそう思うと、すっごい恥ずかしいなこれ‥‥」
 しかもそれだけの話で、人を殺したとか心が壊れたとかワケのわからない感慨にまで浸ってしまっていた。
 重症だ‥‥。かなり重症だ‥‥。早々にどうにかしないと‥‥。
 ルナはだばだばと頭から冷水を浴びつつ、ばしばしと自身の頬を叩いて喝を入れた。
 とにかく、これは1人で悩んでいてもどうしようもないことだ。
「よし、悩むのは、今日までだ」
 決意の言葉と共に水を止め、体を拭いて風呂場を出る。
 出た瞬間に阿守と至近距離で出会い、つい顔を赤くしてしまったのはまだ今日なのでギリギリセーフ。と、自分に言い聞かせた。

 ・・†・・

「ん‥‥」
 目を覚めすと、外は緩やかに朝日に照らされていた。おそらく夜も空けてまだ間もない時間だろう。元いた世界ではこんな早起きではなかったのだが、環境が変わった(というか世界が変わった)せいで生活習慣も良い感じに変わってしまっているようだ。
 周りの環境もそうだが、自分自身の置かれている状況も驚くほど変わってしまった。単なる学生だった自分が、ある日突然『勇者様』だ。なんていうか、改めて思うと突拍子がなさすぎてもはや笑える。元の世界では飛び抜けて運動が得意というわけでもなかったのだが、こちらに来てからは自分でもびっくりするほどに体が軽く、力も身についているように思う。
これはおそらく、マナが関係しているのではないだろうか。スピカが初めのころ、阿守は潜在的にもの凄い魔力を持っていると言っていた。つまり、マナの枯れた元の世界では関係なかったそれが、こちらでは魔法に限らず自身の能力を高めるのに大きく影響しているのではないか、というのが阿守の推論だ。根拠はないが、それでも多分大体あっていると思う。
それにしても、今朝は頭がすっきりしている。記憶が戻ったというだけで、ずいぶん目覚めの気分も違うものだ。思い出したと言っても歴史の記憶と、スピカとの契約のこと、それだけだ。どうやら記憶の封印は本当にかなり限定的なものだったようだ。
あの時は本当に驚いた。学校の帰り道、友達と別れて1人になったところに突然、目の前にスピカが現れたのだ。それは実体ではなく、時折ノイズのような軋みの混じった、ホログラムのような姿。そしてスピカは阿守に言ったのだった。

「今世界では魔王が大暴れしてて、人類全滅の危機に陥ってるの。あたし達の世界を救えるのは、君だけなんだよ、勇者様!」
「‥‥はあ? ごめん、ちょっと、いや、いっぱい意味がわからない」
「だ・か・ら! あたしは異世界の住人で、あなたは勇者に選ばれたの! だから、あたし達と一緒に魔王を倒して!」
「いやだから、意味わかんないんだけど。ていうか、君は誰?」
「あ、そっか。あたしはエルム王国の大魔道士スピカ。今こうして勇者召喚の儀式を執り行っている者なのですよ」
「いやそんな偉そうに言われても‥‥」
「で、お願い勇者様。あたし達の世界を救って!」
「‥‥あー、もうホント全っ然意味はわからないんだけど、とりあえず俺に何かしてほしいってことなのかな?」
「うん、その通り! さすが勇者様、飲み込みが早いね!」
「‥‥まあなんとなくだけど、君が悪い子じゃないってのだけはわかったよ。‥‥あんまり難しいこと考えてそうじゃないし(小声)。相変わらずワケはわかんないんだけど、俺は何をすればいいの?」
「勇者様になってほしいの!」
「‥‥‥‥‥‥‥‥えーっと」
「なんで頭抱えてんの? そのまんまの意味だよ?」
「だから、どのあたりがそのまんまなのかがわからない」
「だから君が勇者様になって、あたし達と一緒に魔王を倒してくれればいいんだよ」
「‥‥ええっと、俺がユウシャになって、マオウをやっつければいいの?」
「うん、その通り!」
「‥‥危険じゃないの?」
「いやいや全然。あたしがついてるから、むしろちょー安全だよ」
「‥‥ちょっと不安になってきた」
「なんで!? ほら見てよあたしのこの姿。どっからどう見ても魔道士じゃん。しかもこんな異世界との通信まで行ってるとか、やばっ、あたしすごすぎる」
「‥‥すごく断りたくなってきた」
「なんでなんで! 全然大丈夫だから! ていうかね、あたしたちホントにピンチなの! お願い、勇者様。あたし達を助けて!」
「助けてって言われても‥‥」
「お願いお願い!」
「‥‥‥‥はあ。まあ君がホントに必死なのはわかったよ。で、俺はどうすればいいの?」
「わあ、手伝ってくれるの!?」
「うん、いいよ。もうなんか、根負けしたよ」
「えっとじゃあ、あたしの契約の言葉に、答えて。それだけでいいから」
「わかった。どうぞ」
「契約者スピカが問います、あなたは我々の勇者として、共に戦ってくれますか? イエスなら、手を胸に当てて、戦うと宣言して下さい」
「‥‥ノーの場合はどうすればいいのかな?」
「ええっ!? この流れで!?」
「あはは、うそうそ。わかったよ。君と共に、戦う」

 それが、元の世界での最後の記憶。その後突然視界が真っ暗になって、気づいたらあの森にいた。
 一連の契約のことを思い出して、阿守は思わず1人笑いを漏らした。
 さすがに、説明が適当すぎるだろう。まあ、スピカらしいといえばスピカらしいけど。
 忘れていたのでそう思うこともなかったのだが、正直あの時点でまさか本当に異世界に飛ばされて勇者になるなどとは、当然だが予想など全くしていなかった。女の子が困って自分に助けを求めてきているみたいだから、まあ出来る範囲でなにかしてあげよう、程度の軽い気持ちでしかなかった。しかし全然よくわからず引き受けた勇者という役目も、少しずつ慣れてきて楽しくなってきて、こんな適当な契約のことを思い出した上でも続けようと思ったけど、昨日それとは別で1つ新しいことがわかった。
 ――これ続けてたら、死ぬ可能性だってあるんだよな。
 今更といえば、今更のことだ。スポーツなんかとは全然違う、本当の殺し合い。自分はそれに参加しているのだということを、昨日の怪我で初めてはっきりと実感した。
 だけどそれでも、阿守は帰りたいとは思わなかった。数日過ごして知ったこの世界の色々なこと。たくさんの仲間。どんな危険にぶつかっても、それを守りたいと思ったから。そして最後はみんなで笑って、エルム城に帰るんだ。それはルナとの約束でもある。
「よしっ」
 阿守は今日も頑張ろうと気合いを知れ、ベッドを抜けた。
 洗面所でざばざばと顔を洗っていると、外に誰かの気配を感じた。窓からのぞいてみると、ルナが木製のかかしのようなもの(あれもゴミ捨て場にあったのだろうか)を相手に剣の稽古をしているようだ。朝から元気だなあ。
「おはよ、ルナ」
 外に出て挨拶を投げると、こちらを見て一瞬驚いた顔をしたが、ルナはすぐに額に汗を光らせながら笑顔でおはようございますと返してくれた。
「えーっと、少しは落ち着いたかな」
 昨日は少しルナの態度がおかしかったのは阿守も気づいていた。自分が命をはってルナをかばったことを怒っているのかとも思ったが、なんとなくそれも違うようだったのでどう対応すればよいか、少し困っていたのだ。
「え、ええ。昨日は色々と気持ちの整理がつかず、なんというか‥‥すみません」
 ルナは困ったような笑みを浮かべ、そう謝った。
「いやいや、まあ俺もちょっと考えなしに動いちゃったからね。こっちこそ、ごめん」
 阿守もつられて謝ると、ルナは柔らかな、そして少しいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「それに関しては謝りっこなしだと、そう言ったのは勇者様ではないのですか?」
「あー‥‥うん、その通りです」
「はい。なので昨日のことは、ありがとうございました」
「‥‥どういたしまして」
 どうやら本当に、たった一晩で色々と気持ちの整理をつけてしまったらしい。歳も自分とそう変わらないようにみえる子なのに、一本芯が通っているというか、すごいと思う。
「それでその、勇者様。1つお訊きしたいのですが‥‥」
 わずかに顔をそむけながら、ルナはそこで少し口ごもった。
「なに?」
 阿守が問うと、ルナはしばらく視線を泳がせ、一度大きく深呼吸をして、尋ねた。
「あなたが昨日、私のことを大切だと言ってくれたのは、それはやはり、仲間としてですか?」
 阿守はその質問に、きょとんとした顔を返した。
 どういうことか、質問の真意がよくわからない。なので深くは考えず、思っていることそのままを口にすることにした。
「うん、もちろん。ルナは、大切な仲間だよ」
「‥‥そう、ですか」
 ルナは俯いてそう呟き、しかしすぐに顔をあげ、正面から阿守を見据えた。その眼には迷いなどは一切なく、真っすぐとした瞳だった。
「勇者様、私は始め、あなたの『盾』になろうとしていました。命を賭けてでもと言ったように、私はあなたを守ろうと考えていました」
 そこでルナは一度言葉を切り、ゆっくりと阿守に歩み寄った。
「しかし今はあなたのおかげで、考え方を変えることができました。私はあなたの、『剣』になりたい。あなたと共に、戦いたい。『盾』は守るためにその身を挺するものです。ですが剣は、共に戦い抜くものです。私は、あなたに必要とされるような、そんな『剣』になりたい」
 そう言って目の前までやってきたルナは、静かにひざを折って身をかがめた。
「私がいつかそのような『剣』になれた時、私はあなたに『剣』を捧げたい。その時は、あなたはその『剣』を受けとってくれますか?」
 俯いたままだったのでルナの表情はわからない。そしてその言葉に込められたルナの真意も、やはり阿守にはわからなかった。それでもルナのその真剣な問いに、阿守も真剣に答えたいと思った。
「うん、ルナが剣になってくれるなら、それ以上心強いことはないよ。その時は、喜んで受け取らせてもらう」
 ルナはその返答を聞くと、ぱっと笑顔を見せて顔をあげた。そして立ち上がって阿守と視線を合わせると、笑顔のまま右手を差し出した。
「ありがとうございます。誠心誠意、あなたに尽くします。未熟な私ですが、どうかよろしくお願いします。勇者様」
「こちらこそ、よろしく」
 結局最後までルナの真意には気づくことができなかったが、それでも阿守は昨日はなんだかおかしな態度だったルナが元の、真面目でまっすぐで、だけどちょっと頭が固い、いつものルナに戻ったようだというだけで満足だった。固く手を握り合い、2人は朝日を背景に、笑い合った。

 Ⅲ.

 日はやや飛んで、2日後のことである。一行はエルム城の南東、エルム王国とコクラム王国との間の関所にやってきていた。
 一時期は王国間の関係があまりよろしくなかったため、他国に入国など交戦時以外はまずありえなかったが、魔王が現れて以来は国同士で争っている場合ではないと各国は互いに協力関係を築き、今ではこの関所を通れば簡単に隣国に入国することができる。
 少し前まで争っていたとはいえ、積極的にいがみ合うことを望んでいた人は多くない。ここの関所の衛兵も例外ではなく、コクラムの人間ではあったがエルムのルナ達にも嫌悪を表すことはなかった。
「どうも、お勤めご苦労様です。我々はエルムの魔王討伐隊で、用あってコクラムに入国したいのですが」
「ああ、どうぞ。騎士さんも大変だねえ」
 簡単な入国審査を済ませると、衛兵はあっさりと入国を認めてくれた。コクラムは軍力に優れた国であり、その自信のためかよほど見るからに危険な人物でない限り入国を拒まれることはない。そのため入国審査もほぼ形式だけのものになっている。
「騎士だけじゃなくて、魔道士もいるよ。そしてこっちは勇者様」
「どうも、勇者です」
 スピカがぶんぶんと杖を振って存在を示し、ついでに自慢の勇者も紹介していた。阿守はすっかり今の立ち位置に慣れてしまったようだ。どこか楽しんでいるような節さえある。召喚を望んだ側のルナとしては、非常にありがたいことだ。
「そしてわたしは武道家です」
 そしてリンはなんで誇らしげなんだ。にわかのくせに。
「ははは、なんか楽しげな御一行だな。だけど大変だろう? 魔王討伐なんてよ」
「ええ。しかし、これが私のすべきことだと思っているので、辛いとは思いません」
「‥‥すげえなあ、あんた。オレはいっぺん魔王軍とやり合って、どうにか逃げ帰って、それからはまともに戦う気力も失っちまった、最低の男だからなあ」
 衛兵は強く自虐を滲ませた台詞を呟いた。
「いいえ、誰でも死ぬことは恐ろしいものです。あなたのその恐怖はとても人間らしい。だけど安心して下さい。我々がすぐに、戦う必要のない世界にして見せます」
「‥‥ああ、ありがとう。頼んだよ」
 衛兵は静かな口調でそう言って、ああそういえば、と元の明るい口調に戻って付け加えた。
「最近この辺りの魔物がなんていうか、凶暴っつーか、強くなってる気がするんだよ。あんたらも相当強いんだろうが、ザコだと侮ってたら痛い目見るかもしれんぞ、気をつけな」
 どうやら、自分たちが感じていたことはエルムに限ったことではないようだ。これはやはり魔王に関係しているのか。
「ご忠告ありがとうございます。では、マナの祝福があらんことを」
「はいはい、マナに乾杯」
 やや簡略化した定例を口にするルナに、コクラムなりのスラングなのか、グラスを掲げるような仕草で衛兵は笑顔でそう返してきた。
「珍しいね。ルナが決まり文句を略しちゃうなんて」
 関所を抜けてしばらくすると、スピカがいつも通りの無駄に明るい笑顔を咲かせながらそんなことを言った。
「そう‥‥かしら」
 どうだったか。別に普段も今も特に何かを意識していないのでよくわからない。
「そうですね。ルナちゃんは昔から決まり通りというか、忠実な子でしたから」
「昔のルナは知らないけど、でも確かにちょっと柔らかくなってる気はするよ」
 阿守にまでそんなことを言われてしまった。悪いことを言われているようではないが、しかし褒められているような感じもしない。
「頭かちかちのノーキンが、ようやくちょっとはほぐれてきたのかな」
 が、スピカの言葉には悪意がある。いや悪意しかない。とりあえず強めのチョップをその脳天に叩きこむ。スピカはうあっ、と声を上げて頭を押さえていた。
「しかし、やはりコクラムでも魔物は強力になりつつあるようですね」
 とりあえずルナはすぐに話を戻し、先程の衛兵が言っていた言葉を思い出す。
「だね。毎日少しずつだけど、魔王のだと思う魔力がおっきくなっていくのはあたしも感じてる」
「あ、もしかして魔王の魔力って、ずっとなんか頭に引っかかるような感覚がある、これのことかな」
「そうそう、多分それだよ。強大な魔力は勝手に感覚に引っかかってくることがあるからね」
 どうやら阿守も魔王の魔力を感じら取れるらしい。ルナはあまり魔力が高くはないせいか感じることはできないが。
「わたしもなんとなくですが、日々魔物の動きが変わっていっているような気がします。統率力が強まっているといいますか」
 それぞれがそれぞれの感覚で変化を感じ取っているようだ。とはいえ、そんな感覚や推測で話を進めたところで、答えにたどり着くことはまずないだろう。今はとにかく進むしかない。
「今から向かうのはソルドタウンです。あまり大きな街ではなく目立った産業もありませんが、独特な文化の残る、静かで落ち着いた街です」
 簡単に次の目的地の説明をすると、阿守は興味深げにへえと呟き、スピカは食事のことに頭を巡らせ、リンは寄ったことがあるのかどこか懐かしそうだった。
「リンは、ソルドタウンに行ったことがあるの?」
「はい、あれは確かわたしが剣士を志していた頃‥‥あれ、冒険家だったかな。いや、まだ魔道士だったかも‥‥」
 記憶があいまいすぎた。いやもう何でもいいけど。
「早くても到着は夕方くらいにはなると思います。覚悟しておいてください」
 そう言ったルナの目の前に、さっそくというべきか数匹の魔物が姿を現した。2本足で歩く黒ネコの魔物、ケットシーである。大きさはルナより頭1つ分は小さく、オレンジ色の手袋と長靴を履いて背中には赤いマント。頭の上にはなぜかちょこんと王冠が乗っている。真っ赤に光る小さな目に、口は裂けんばかりに大きく笑みの形に歪められている。普段は気ままに単独行動を行っているのだが、複数でこのように襲ってくるとはやはり、少し普通ではないように思う。
 にゃあ! とネコっぽい声で襲い来るケットシー。にゃんにゃんと手首を丸めた可愛らしい拳を突き出してくる。阿守はそれを剣で受け止め――予想外の拳の重さにぐらりと大きく体が傾いだ。そこへ続けてもう1匹のケットシーがにゃんにゃんと襲いかかる。けっこうなピンチだが、なんだか緊迫感に欠ける。
 ケットシーの攻撃が阿守に当たる直前、風のような速さで移動したリンが魔物の頭に裏拳を叩き込んだ。めしり、となんだか変な音を立てて、攻撃を受けたケットシーは地面に倒れ動かなくなる。
 ルナもじっとしてはいられない。カタナを抜き放つと、つむじ風を巻き起こしながら1匹の魔物を斬り伏せる。その背に跳びかかってきていた2匹の魔物は、横合いから放たれたスピカの風の魔法、エアロに切り刻まれて宙を舞った。
そして最後の1匹は、仲間がやられてゆく様に気をとられている隙に、走り寄っていた阿守に胴を真っ二つに両断された。
息をつく間もなく、すぐに新たな魔物が4人の前に姿を現す。そばを流れる川から這い上がってきたのは、真っ赤な甲羅に同じく真っ赤な巨大なハサミ。大きな蟹の魔物、レッドクラブだ。大きさはかの有名なタラバやズワイなんかよりもはるかに巨大ではあるが、その身はあまり美味しくないらしい(いったい誰が食べたんだろう)。そしてその蟹達はケットシーと同じく群れをなして現れた。
最初に攻撃に出たのはリン。気合いと共に繰り出された鋭い拳が魔物に突き刺さ――らなかった。
ごんっ、とひどく鈍い音を立てて、リンの拳は魔物の甲羅に阻まれる。
「――――――っ!」
 リンは拳を押さえてうずくまり、涙目でルナを見つめた。
「なんでわたしを見るの! 気をつけて、この魔物は硬いから!」
「うぅ‥‥もうちょっと早く言ってほしかったです‥‥」
 リンはぐずぐずと泣きながら、自身の拳に回復魔法をかけていた。
 阿守は刀身に氷をまとわせ、レッドクラブを正面から斬りつける。ガギィィ、と鈍く何かが削れるような音が響き、阿守の剣が弾き返された。
 続いてカタナに炎を乗せたルナの一撃が魔物に突き刺さるが、魔物を後ろに突き飛ばしただけで決定的なダメージを与えられたようには見えない。
「こういう時はあたしの出番だよ。スパーク!」
 スピカが杖を振りかざすと、1匹の魔物の体をばりばりと強烈な電流が走り、ぶるぶるとしばらく痙攣していた魔物は、しかしすぐに動かなくなった。
 残った魔物は意外な俊敏さを見せルナににじり寄り、巨大なハサミを振り回す。しかし攻撃力はあまり高いとは言えず、構えたカタナであっさりとその攻撃を防ぐ。
「脅威とは言い難いけど、さすがに数が多いわ。1匹ずつ倒してたんじゃ、少し消耗しすぎるかもしれない」
 ルナの呟きにスピカはうーんと悩み、そしてすっと杖を正面に構えた。
「どうなるかわかんないから、ちょっと離れててね」
 スピカはそう言って目を瞑って集中し、ゆっくりと目を開くと、杖を頭上に掲げた。
「いっくよー、サンダーボルトっ!」
 スピカの声に応じ、晴天だったはずの空に突如黒雲が現れたかと思うと、空を切り裂き一筋の雷光が魔物たちに突き刺さった。轟音と衝撃が4人を襲い、暴風が吹き荒れる。ルナは必死で顔を覆い、耳元でバサバサと風が唸る音だけが耳朶を打つ。やがてようやく収まった頃には、魔物たちがいた場所には大きなクレーターが1つ残され、それを中心として地面が放射状に広がるように土をまき散らしていた。4人はしばらく声もなくその光景を呆然と眺め、
「‥‥うん、もうちょっと加減しよう」
 スピカはたらりと冷たい汗を流しながら、1人納得したように頷いた。
「ほんとあなたは、毎度毎度無茶苦茶するわね‥‥」
 風でかき乱れた髪を手で整えながら、ルナは呆れた呟きを漏らした。
「いやー、わかんないからとりあえず周りの自然の力も借りてフルパワーでやってみたんだけど、あたしの魔力だけでも十分っぽいね」
「‥‥経験不足って恐ろしいわ。弱めから練習しときなさい」
「はーい」
 本当にちゃんとわかっているのか、返事だけは元気だった。

 そのまま歩き続けることしばらく、そろそろ夕日が地平線の向こうに沈みかけていた頃、ようやく目的地の街を視界にとらえられる場所までやってきた。
「あそこが、ソルドタウンです。よかった、日が沈む前に到着できて」
 本当ならもう少し早く着けるかと思っていたのだが、思っていた以上に魔物が強くなっていたせいで予想外に足止めを食らってしまった。日が落ちてからはこちらの視界は悪くなり、夜目の利く魔物は多いのであまり夜間の戦闘は避けたかったので非常に助かった。
 ソルドタウンは北側に山を抱き、南側は木々に囲まれた比較的小さな街だった。
街の中に踏み込むと、その小さな森を境に辺りの雰囲気ががらりと変わった。街に入ってすぐのところを小さな水路が横切っており、そこに山なりの石橋が架けられている。街路を照らす明かりは薄ぼんやりとしているが、それがまたこの街の雰囲気とよく合っている。足元は多くの街がそうであるような石畳ではなく、土を踏み固めた道になっており、歩くたびに砂を削るようなざりざりという静かで柔らかい音が鳴る。建物は木造のものが多く、木ならではの柔らかな匂いが優しく香っている。ちょうど夕食にあたるくらいの時間帯のせいか、辺りを歩く人の姿はあまり多くない。それでもちらほらと見える人々は、ゆったりとしたあまり見慣れない衣服を着ていた。
「そうだ、わたしがカタナをもらったサムライの方に出会ったのはこの街でした。そういえば故郷によく似ていて落ち着くと、懐かしそうに語っていましたね」
 そういうリンもどこか懐かしそうだ。
「さて、とりあえず宿を探しましょう。それからコクラム城とライム王子の情報をできる限り集めてみましょうか」
 少し歩くとすぐに宿は見つかった。他の民家と同様、木造の落ち着いた雰囲気の建物だ。入口には扉が無く、上方から垂らされた布が視界を遮っているだけ。この街ではお店は特に、このような入口になっている場所は多いようだ。
「こんばんは。4人で、2部屋お願いしたいのですが」
「え、なんで2つも部屋取るの? 1部屋に6人まで寝れるってそこに書いてあるよ?」
 ルナが受付で宿の女性にそう頼むと、横からスピカが不思議そうに声をあげた。
「いやなんでって、勇者様がいるんだから、当然でしょ」
「なんで勇者様がいたら2部屋なの?」
「だから、勇者様が私達と一緒に寝るわけにはいかないでしょ。なんていうかこう、色々と」
 ルナの説明にスピカはなお不思議そうに、
「それ、勇者様だけ別の部屋で寝るってこと? そんなの、勇者様のけものみたいでかわいそうじゃん。なんで一緒じゃダメなの?」
「えー、だからね‥‥」
 何と言ったらいいものか。スピカにはまだその辺りの事情がよくわからないらしい。なんとも説明しづらい。
「大人の事情ってのがあるんだよ。まあ、俺もまだ大人じゃないけどさ」
 阿守が少し困ったようにスピカをなだめていた。が、スピカはまだ納得いかないらしい。
「なんで? あたしは別に勇者様と同じ部屋でも全然いいけど。ていうか一緒がいいよ。ルナはそんなに勇者様と同じ部屋で寝たくないの?」
「いやそうじゃないけど。私は別に構わないんだけど‥‥」
「リンもイヤなの?」
 スピカが今度はリンに振ると、リンはぶんぶんと手を振りながら、
「い、いえいえ、わたしも全然構いませんよ? ただまあ、勇者様も落ち着かないでしょうし、それに‥‥」
 そしてリンはなぜか少し頬を赤くして、俯いて続ける。
「‥‥そ、その、もし勇者様がイロイロ溜め込んでるものを抑えきれなくなってしまったら、わたしどうしてあげたらいいかよくわかりませんし‥‥。こ、心の準備もまだ‥‥」
「何も溜め込んでないから! なんでそんな話になってるの! いやまあ、そういう話といえばそういう話なのかもしれないけどさ‥‥」
 阿守が珍しく慌てたように声大きくして否定する。
「‥‥え、で、でも男の人って夜になると変貌するって、聞いたことが‥‥。特に、体の一部が‥‥」
「いやいやいや、まあその、全否定はできないけど、そんなことはないから! 少なくとも俺は、そういうやましい気持ちないから! ていうかどこ見てんの!」
 恥ずかしそうにちらちらと阿守の下半身に目を向け始めるリンに、阿守まで顔を赤くしながらさらに慌てる。なんだか横で聞いてるルナまで恥ずかしくなってきてしまった。
「よくわかんないけど、別にルナとリンもイヤじゃないんでしょ? だったら勇者様だけ別にしなくてもいいじゃん。‥‥あっ、もしかして、勇者様がイヤだった?」
 まさかの質問に、阿守はまだ顔を赤くしたまま、ぶんぶんと手を振る。
「い、いや、別に俺もイヤってわけではないんだけど‥‥」
「ほら、誰も別にイヤって言ってないんだから、分ける必要なんてないでしょ?」
「ま、まあそうなんだけど‥‥」
 そこまで言われてしまうと、これ以上否定できる要素はない。まあ、詳しく説明すればできないこともないこともあったりなかったりしないでもないが。
 ちらりと阿守とリンに視線を向けると、2人もこれ以上何も言えないようで、適当な場所に目を逸らしていた。
 ルナははあ、と小さくため息をつく。
もう、しょうがないか。

 そんなこんなで結局1部屋になってしまった。まあ、阿守ならおかしなことはないだろうから、別にいいっちゃ別にいいけど。
「とりあえずご飯だね、ご飯!」
 案内された部屋に入ると、さっそく机の前に座って嬉しそうにはしゃぐスピカ。だが他の3人もそれに異存はない。思ったより戦闘が激しくなり、誰もが携帯食だけではかなり物足りていないのは明らかだった。
 そして運ばれてきた夕食は、ずいぶんと豪華なものだった。真っ白なご飯に、今朝捕れたばかりだという魚を焼いたもの、そして同じく採れたての野菜を醤油や味噌で手を加えたものに、天ぷらもある。真ん中には魚と野菜をふんだんに盛った鍋が、ぐつぐつと美味しそうに湯気を立てていた。
「うわああ、すっっっごい美味しそう! 早く食べよう食べよう!」
 今夜ばかりはルナもスピカに賛成だ。ただでさえお腹がすいているのに、こんなものを目の前にしては、これ以上我慢などできそうにない。
「そうね、それじゃあ、いただきます」
 ルナの声を合図に、夕食が始まった。
「んーっ、おいしー!」
 スピカは野菜のてんぷらを一口食べて、幸せそうに頬を緩ませていた。
 ルナも一口食べて、びっくりする。おいしい。すごくおいしい。揚げたてなのか衣はまだぱりっとしていてほんのりと甘い、しかもとてもあっさりしていて後味が残りすぎない。夢中で食べていると、あっという間に皿が空になってしまった。ご飯もふっくらしていて一緒に食べるおかずの味を最大限に引き出している。鍋も魚と野菜のだしがよく出ているおかげで、素材も当然のことながら、汁まで最高においしい。
「‥‥はっ」
 気がつくといつの間にか、目の前には空の皿が並ぶばかりになっていた。もう全部食べてしまったらしい。かなり量があったはずなのに全く胃はもたれておらず、適度な満腹感が非常に心地よい。
 4人ともが同じ状況だったらしく、互いに顔を見合せ思わず吹き出した。
「最後まで無言で食べちゃいまいたね」
「いやー、仕方ないと思うよ、これは」
「俺もつい、食べるのに夢中になっちゃった」
「わたし、ここの調理人の弟子になりたいです‥‥」
 4人が食後の余韻に浸っていると、するりと戸をあけて着物姿の女性が顔を伏せて現れた。
「食後に、わらび餅を用意しております」
「ま、まだあるの!? なになに、ワラビモチって!」
 そうして目の前に差し出されたものを、スピカは興味深げにつまようじでぷるぷるとつつく。
「‥‥なんか、スライムみたい」
「わかるけど、今後戦えなくなりそうだからやめて」
 こちらもあっさりと食後の余韻を壊さず、それでいて美味。
「もう一個食べたい」
「そう思ったところでやめるのが、一番おいしいのよ」
 とは言うものの、確かにもう一個ほしい。だけど我慢。
「お風呂は露天風呂をご用意しておりますので、ご自由にお入りください」
 宿の女性は食器を片づけ、そう言葉を残して部屋を去った。
「なになに!? ロテンブロってどんなの?」
 期待に目を輝かせるスピカは身を乗り出してルナに尋ねた。
「外にあるお風呂‥‥かな? 私も見るのは初めてだから、詳しくは知らないわ」
「よし、じゃあ早速行ってみようよ!」
「その前に情報収集でしょ」
「いいじゃんそれはもう明日で。どうせこんな時間だったらここ以外じゃまともに話なんか聞けないよ」
「む‥‥それもそうね」
 早くお風呂に行きたいだけなのだろうが、しかしすっかり日も暮れてしまった夕食後のこの時間。スピカの言うことも一理ある。
「じゃああとで少し店主に話を聞くってことで、先にお風呂にしましょうか」
「やっほう! それじゃあ早く準備して、ルナ!」
「自分でしなさいよ‥‥」
 そうして4人は騒がしく、浴場へと向かった。

 ・・†・・

「ふー‥‥やれやれ」
 3人と別れ、1人になった阿守は湯船につかっておっさんくさい声を漏らした。入口は分かれていたが、まさか中は混浴ではないかと少し警戒したが、どうやらそれはなかったようで少しがっかr‥‥安心した。
 阿守は湯につかりながら改めて辺りを見回す。石造りの大きな浴槽に、天井などはなくぽっかり浮かんだ月をここから直接見ることができる。天然の温泉らしく、周りには頭にタオルを乗っけたおっさん達が体中の力を緩ませ、赤い顔であーこりゃこりゃなどと声を漏らしていた。温泉の外では木桶で湯を掬い、湯を頭から浴びながら小さな木の椅子に座って体を洗うおっさん達。
 ここだけではなく、街全体の雰囲気が少し阿守のいた世界、住んでいた国の雰囲気とよく似ていた。なんとなく懐かしく、そして少し寂しくもあった。ホームシックというほどではない。ただ少し今は遠い場所を想う、感傷のようなものだ。
「‥‥‥‥」
 今さらだけど、俺帰れるんだよな?
 という疑問がふとよぎった。そういえばスピカとの契約では、戦ってくれと頼まれただけで元の世界に帰してやるといったことは一切聞かされていない。帰れなかったらどうしよう。この世界ももちろん嫌いではないが、さすがにちょっと困るかな。
 などと考えていたら、そんな悩みを吹き飛ばしてくれるかのように仕切りの向こう、女湯のほうからどこかの元気すぎる幼女の声が聞こえた。
「すっげー! めちゃめちゃ広いじゃん! うわ、月も見える! 星ちょーきれー! すごいすごい、ほらほらルナとリンも早くー!」
 スピカだった。元気のええ嬢ちゃんがおるねえ、と周りのじじい達は和やかに笑っている。
「スピカ、あんまり騒ぎすぎないの! 他の方々の迷惑になるから。こら、飛び込むな!」
 続いてルナの声も聞こえてくる。スピカを叱った後、周りの人たちに騒がしくて申し訳ありませんと謝っていた。ルナらしい。
「こっちが男湯? 勇者様ー! いるのー!? 勇者様ー! ゆーうしゃさまー!」
 突然、スピカが阿守に向かって大声で呼びかけ始めた。いやいや、恥ずかしいから。
「あれー、いないのかなー。いないのー? ゆーしゃ‥‥あいだあっ!」
 なおも騒がしく呼び続けるスピカに阿守は黙り込んでいると、ごつんとちょっと重々しい音が響き、スピカの声が止んだ。多分ルナだろう。ナイス。
 ようやく静かになって、阿守は体を洗いもう一度湯に浸かっていると、隣から話声が聞こえてきた。
「わー、リンってけっこうおっぱいおっきいんだね。触っていい?」
「いや、だ、ダメですっ。いや、だからダメだって、ちょっとスピカちゃん‥‥んっ、ダメ、そこ、やぁ‥‥」
 なんだかものすごい悩ましい声が聞こえ始めた。
「うはあ、柔らかくて、弾力がすごい‥‥」
「ちょっと、ダメだってば、スピカちゃん‥‥んんっ」
「いやー、あたしもこのくらい欲しいなあ。触ってたらあたしもおっきくならないかなあ」
「いや‥‥スピカちゃん‥‥。わたしもう‥‥ああん」
 いやもう、ほんとやめて。周りのおやじたちもなんか急に静かになってるから! 明らかに耳澄ましてるから! うわっ、なんか水位が上がったっ。
「はぁ、スピカちゃん‥‥なんだか気分がふわふわして‥‥」
「おおっ、なになに、どうしたの? まさか、あたしにももっとおっぱいが生えてくる前兆かな!?」
 生えてくるって。その表現すごくイヤだ。
「あぁん‥‥もうわたし‥‥そろそろ‥‥イっ」
 ごん、ごんっ、と、さっきよりさらに重い音が続けて2度響いた。うわやばっ、思わず耳澄ましてた。と阿守は自らの頬をぺしぺしと叩く。
「あなたたち、いい加減にしなさい。ここ、公共の場よ」
「だから何よー! おっぱい揉むくらいいいじゃん! ってて、今のほんと痛かったー‥‥」
「わ、わたしもですかっ? わたしも悪いんですかっ?」
 声だけで涙目になっているのがわかる震え声でリンが抗議の声をあげる。
「だって、ちょっと気持ちよくなってきちゃったから、快楽に身を委ねて‥‥ひゃああ」
 何を見たのか、リンの台詞が途中で止まり、代わりに恐怖に震える声をあげる。
「ふーんだ。ルナは自分のおっぱいちっちゃいからってそんな怒んなくてもいいじゃん」
「スピカには言われたくないわ」
「あ、怒った。やっぱ気にしてんじゃん」
「してないからっ」
「なんかね、おっぱいって揉んだらおっきくなるらしいよ? 騎士団の人に聞いたらそう言ってた」
「へえ‥‥誰に教えてもらったの? 帰ったらみっちりと訓練してあげないと」
「ルナちゃん、気にしなくても、きっとすぐに大きくなれますよ!」
「励ますな! そして子供の身長みたいに言うな!」
「大丈夫だって。あたしが揉んであげるから」
 ごんっ。
「いったあ‥‥。もう、じゃあ勇者様に揉んでもらえばいいじゃん」
「ばっ、なっ、何言ってるのよ! なんでそこで勇者様が‥‥っ!」
「ね、勇者様にも聞いてみよ。ねーねー勇者様ー! 勇者様はルナのおっぱい揉みたい? お風呂から出たら揉んであげ‥‥んぐぅ!」
 ざぱぁん! と大きな飛沫の音が聞こえた。沈められたらしい。
 阿守が呆れて溜め息をつくと、周りのおやじたちが殺気立った眼できょろきょろと何かを探していた。勇者ってどいつだ。うらやま、けしからん奴め! というオーラを全身から振りまいている。うわ、なんかヤバい。
「ル、ルナちゃん。わ、わかりました、大丈夫ですから。わたしも揉んであげますから。ね」
「だから揉んで欲しいなんて誰が言ったの! ていうか『も』ってなによ!」
「勇者様が右乳、わたしが左乳でいいですか?」
「リン‥‥」
「ひいいっ! じゃ、じゃあわたしが右乳のほうがよかったですかっ!?」
「リン、私に、どうしてほしいの?」
「ルナちゃ‥‥眼が怖‥‥痛い痛いいたい! ごめんなさいごめんなさい! じゃあわたしはどっちを揉めばいいんですかー!?」
「だから誰も揉んでくれなんていってないでしょうが!」
 そんなやり取りを聞き流し、おやじ共の探るような視線から逃げるように阿守は温泉を後にした。
 もう耐えられん。色んな意味で。

 ・・†・・

「お、勇者様もう出てたんだ」
 大騒ぎの温泉の後、3人で部屋に戻ると阿守はすでに部屋にいてのんびりとお茶を飲んでいた。
「あれ、勇者様なんだか顔が赤いですよ? のぼせました?」
「い、いや、そういうのじゃないから‥‥」
 リンが心配そうに阿守に近寄っていくと、阿守は焦ったようにリンから視線を逸らしていた。
む、この反応は多分さっきの聞こえてたな、とそれに気づいたルナまでつい赤くなってしまう。
 今の4人の服装はゆったりとした浴衣姿。リンは胸元を緩くはだけさせているせいで、阿守も目のやり場に困っているようだ。
「とりあえず、話を聞きに行きましょう。のんびりばかりもしてられませんから」
 そうして店主に話を聞きに行ったルナ達だったが、聞き出せた情報は有益とは言い難かった。
「申し訳ありません。おおまかなことはウワサで聞き及んではいますが、さすがに詳しいことは‥‥」
「そうですか。いえ、無理な質問をしたのはこちらですから」
「ただ、最近コクラム城は魔王軍の襲撃に遭っているので、どうやらここに逃げ込んできた兵士の方がいるそうですよ。どこにいるのかは存じませんが」
「なるほど。ありがとうございます」
 結局わかったことは、ライム王子は魔王討伐のために旅に出たということと、今の情報だけだった。よく考えれば、一般の人間が城の内情に詳しく精通しているはずもない。
「こうなれば、コクラム城に直接行って聞いてみるしかありませんね‥‥」
「ん? コクラム城ってそんなに遠いの?」
 やや気の乗らないような呟きを漏らしたルナに、阿守が尋ねる。
「いえ、距離自体はそれほどでもないのですが、コクラム城に行くには山を越えなければならないので‥‥。時間はかかってしまいますね」
「山かあ‥‥。確かに大変そうだ。なんでそんなところに城を建てたんだろう」
「コクラムは軍力に優れた国です。国防を重視するため、敵が進入しづらいよう山に囲まれた場に城を建てているそうです」
「なるほど」
「今の話もあくまでウワサですので、ライム王子はまだコクラム城にいるという可能性もゼロではありません。やはり行ってみるべきでしょう」
 部屋に戻り、ルナは3人に向き直る。
「というわけで、明日は山登りです。暗くなる前に到着するため、出発は早朝にしましょう。なので今日はもう寝ます」
「えー、あたしもっとゆっくり勇者様とお話ししたいよー。議題はおっぱいについて」
「暗くなれば、山を歩くの危険よ。早く出れば明日にはコクラム城に着けるけれど、もたもたしていたら山の中で野宿するはめになるわ。時間もかかるし、それはイヤでしょ?」
「むぅ‥‥それなら仕方ない。じゃあおっぱいの話はまた今度にしよう」
 真面目なルナの反論に、スピカは大人しく納得したようだった。そしてその今度などは永遠にやってこさせない。
「じゃあ、もう寝る準備しましょう」
「あたし勇者様のとなりー」
 スピカは3つの布団からほんの少しだけ離して敷かれた(宿の人が少し気を使ったらしい)阿守の布団の横に自分の布団を滑らせ、嬉しそうに飛び込んだ。
「床に直接布団敷くなんて、なんか面白いね! でもふかふかで気持ちいー。うお、今気づいたけどこの床柔らかい。なんか、草でできた床?」
「これは畳っていうんだよ。俺の元いた世界でもあった」
「へー、そうなんだ。そうだ、勇者様のいた世界の話聞かせて! ‥‥ん、いやいや、それは明日の山登りの時の楽しみにしとこー」
「うん、いいよ。明日いっぱい話してあげるよ。そういえば俺も聞いときたいことあるし」
 寝る準備と朝の準備を手早く済ませ、電気を消すと4人はすぐに眠りについた。


 目を覚まして、むくりと起き上がる。天井が高い。いや、床で寝てるから遠く感じるだけか。
 ルナは他の人を起こさないように静かに起き上がると、洗面所で顔を洗った。薄い紙を張ってある窓(障子というらしい)から外を見ると、空はゆっくりと紫色に染まりつつあるようだった。早朝、と呼ぶにも少し早いかもしれない。ルナとしてはもう出発してもいいくらいだが、もう少しくらいは寝かせてあげてもいいだろう。急ぎたいところではあるが、疲れをとることも大事だ。
 この中途半端な時間をどうしよう。辺りの魔物も強くなっていることを考えると、ルナ自身も朝から疲れを溜めるのはあまり好ましくないように思う。今日は柔軟で体をほぐす程度にとどめておこう。ならば他にすることは――。
「‥‥そうだ。温泉行ってこよう」
 昨日はスピカのせいでゆっくりできなかったし、体をほぐす、疲れをとるという意味では適切かもしれない。
 タオルを持って部屋を出る前に一度振り返ると、スピカは阿守の布団にもぐりこんで一緒に眠っていた。
 犯罪――っぽくはないか。普通に仲の良い兄妹っぽい。
 それを見てルナは思わず頬を緩め、静かに温泉へと向かった。
 温泉は貸し切り状態だった。1人でゆっくりと湯につかり、明けゆく空を眺めるのは格別だ。これは思っていた以上に気持ちいい。
 いつまでも入っていたいくらいだが、そうしているわけにもいかない。名残惜しいが、空が明るくなり始めた頃にルナは温泉を後にした。
 体を拭いて部屋に戻っている途中で、阿守と出くわした。まだ眠そうに大きなあくびをしている。
「おはようございます、勇者様」
「おはよう、ルナ。いつの間にかスピカが横で寝てるから、びっくりしたよ」
「ふふ、仲良し兄妹みたいでしたよ」
「あ、犯罪って言われなくて安心した。ルナ、もしかして温泉行ってたの?」
「はい。朝に入る温泉は、格別でした」
「そっか。準備も済ませたし、俺も少しだけ、入ってこようかな」
「‥‥今は誰もいませんし、一緒に入りますか?」
「いいよ」
「‥‥っ! じょ、冗談ですよ!?」
「知ってる」
「‥‥‥‥っ!」
 軽くからかってみたつもりだったのだが、どうやら阿守のほうが一枚上手だったようだ。
「‥‥やっぱりルナ、少し柔らかくなったよね」
「‥‥え?」
 突然の阿守のそんな台詞に、ルナは小首を傾げる。
「最初会った時はちょっと、堅苦しい子だなって思ったけど、最近その堅苦しさが少しだけ抜けたような気がするよ」
「そ、そうですか? すいません、何か勇者様に、無礼な態度をとっていたでしょうか」
 阿守は少し焦った声をあげるルナを見て楽しそうに笑って、いやいやと手を振った。
「相変わらず固いのは固いみたいだね。そう意味じゃなくてさ、とっつきやすくなったっていうか、なんて言ったらいいかな、年相応の女の子っぽくなった、って感じかな」
「はあ‥‥」
 どう反応していいかよくわからない。自分では何か変わったという自覚はあまりないのだが。
「前からいい子だってのはわかってたけど、俺は今のルナのほうが、もっと好きかな」
「すっ‥‥!」
 もう阿守を見たり2人で話したりする程度では動揺することはなくなったが、さすがにここまではっきりとそういうことを言われると動揺せざるを得ない。
「あ、ありがとうございます‥‥」
 ルナは俯き加減にどうにかそれだけを言う。
「そういえば、ルナって歳いくつなの?」
「へ‥‥? こ、今年で17ですけど‥‥」
 これまた突然の質問に、ルナは思わず声を上ずらせながら答える。すると阿守は大いに驚いた表情を浮かべた。
「え、同い年なんだ。すごいしっかりしてるから少し上だと思ってたんだけど」
 阿守はふうむとしばらく考え、
「じゃあさ、同い年ならそんな気を遣う必要なんてないよ。そんな堅苦しい話し方やめて、もうタメ口で話しちゃってよ」
「いえいえ、そういうわけには参りません! 勇者様にタメ口なんて、それはさすがにダメです! 歳が同じとか関係なく、これだけは譲れません!」
 突然のそんな提案に、ルナは勢いこんでそれを否定した。
「ははは、ルナならそういうんじゃないかなって思った。ま、そこまで言うなら無理にとは言わないけどさ」
 それでも阿守は優しく笑ってそれを受け入れる。ルナはそれを見て、わずかに頬を染めながら俯いた。
「‥‥その、勇者様は、そういうくだけた女性のほうが好きなのですか?」
 阿守はそんな質問に少しきょとんとして、すぐに笑顔に戻って答えた。
「いやいや、好きっていうか、そうしてくれた方が俺は嬉しいかなって思って」
 そんな言葉にルナは少し目を泳がせながら考え、
「‥‥で、では、この旅が終わったら、その時、また考えてみます」
「あ、それ死ぬキャラのセリフ」
「へえっ!? 私死ぬんですか!?」
「うそうそ。マンガとかだとそうなることが多いから」
 そう言ってルナの頭をポンポンと叩くと、阿守は温泉へと向かって行ってしまった。
「‥‥マンガってなんですか」
 謎の単語に見えなくなった背中に向かってツッコミを入れてから、ルナは小さくため息をついた。
 軽く受け流された、というより阿守としては普通に会話を楽しんでいただけなのだろう。
 鈍感、というのではない。阿守は少し素直すぎるのだ。いやもう無邪気といってもいい。
 この間だってそうだ。ルナにとっては勇気を振り絞りまくって言ったこと。自身が『剣』になり、そして『剣』を捧げると言ったのだ。そこまでの深い意味を込めたつもりはないが、だがあの時の言葉は、告白だと言っても過言ではない。いや、そのものだ。前言撤回。深い意味込めた。
 だが絶対、間違いなく、どう考えても、阿守はそこまでの意味に受けとっていない。よい相棒、仲間であろうという程度にしか思っていないのだろう。
 もう一度小さなため息をついてルナは部屋へと向かった。素直すぎるのも困りものだ。まあ、そういうところが好きではあるんだけど。
 だけど、
「今の私のほうが好き‥‥か」
 先ほどの言葉を思い出し、ルナは少しだけ頬を緩ませた。
 今は想いは伝わらなくても、それでも少し阿守との距離が縮まったような気がして、嬉しかった。
「さて、スピカとリンを、起こしてあげるか」
 ルナは涼やかな気持ちで、少女から騎士へと気持ちを切り替えた。

 ・・†・・

「さあ、わかんない」
 コクラムへ向かう山道の途中。少し早めに朝食を準備してもらうとそれを手早く済ませ(相変わらず宿のご飯は美味しかった)、まだ空が白く空気が幾分が冷たいうちに、4人は宿を後にした。
 コクラム城はソルドタウンの南東。街を出て少し南に下ると、すぐに険しく高い山が視界を占拠し始める。真っすぐに進むと壁のような崖に突き当たってしまうので、回り込むように標高の少し低くなっている場所まで東に進み、そこから山を登り始める。
 昨日の約束通り、最初のうちは阿守の元の世界の話を聞いていたのだが、阿守はふと、それも昨日言っていた通り、スピカに質問を投げかけた。そしてそれに対して返ってきた答えが、それだったのだ。
「え、ええ‥‥? わかんないって‥‥ホントに?」
 困惑した声を漏らす阿守。ルナとリンも、さすがにその答えに驚いてスピカを見つめた。
 ちなみに阿守の質問は、「俺、いつ元の世界に帰れるの?」というものだった。
「うん。だってそこまで調べてないもん」
「いや、なんで調べてないのよっ」
 責めるようなルナの問いに、スピカは当然のようにやはりあっさりと答える。
「だって、あたしは召喚してって言われただけだもん」
「もし帰る方法がなかったら、どうするんですか?」
「別にいいんじゃない? だってここ、楽しいでしょ? 勇者様」
 どうやら本当に、本当のようだ。スピカの答えはあくまで無邪気、無垢な笑顔だった。おそらく本気で、そう思っているのだろう。
「いや、確かに楽しいけど‥‥」
 阿守も返答に困っている。それはそうだろう。
「でも勇者様にだって、元の世界に大切な人がいたはずですよ? その人に会えないのは、きっと辛いですよ」
 リンのもっともな意見にもスピカはきょとんとした表情を浮かべるだけだ。
「だって、前に勇者様恋人とかいないって言ってたじゃん。いるんだったらそりゃああたしも悪いことしちゃったって思っただろうけど、いないんなら別にいいでしょ?」
 こればっかりは、ルナもどう言っていいものかわからない。スピカはきっと、この世界が大好きなのだ。だから新たにここに呼び出される勇者も、ここが好きになるに違いないと、そう思って疑うことなどしなかったのだろう。
まだ幼いスピカにとってはそれが当たり前で、考えるまでもないことだったのだ。
ならば、それに気づかず召喚に関して詳しく聞くことをしなかった、これは全部自分の責任だ。ルナはそう思ってその責任の重さに、浅はかな自分に、悔しさに唇を噛む。
「スピカちゃんにとって、勇者様は恋人ですか?」
 突然、リンがスピカにそんなことを尋ねた。その声はいつになく真剣で、どことなく怒りすらこもっていた。
「へ? ううん、確かに勇者様は大好きだけど、それは違うかな。あえて言うなら、お兄ちゃんだね!」
 おどけるスピカに、しかしリンは真剣な表情を崩さず重ねて尋ねる。
「じゃあ、今突然勇者様がいなくなったら、スピカちゃんはどう思いますか?」
「それは困るよ。勇者様がいてくれないと、魔王を倒せるか分かんないし」
「魔王なんて今は関係ないです! 寂しくないですかと聞いてるんです!」
 突如、リンが声を荒げてスピカを怒鳴りつけた。ルナですら初めて見るリンの表情だった。スピカもひどく驚いたようで、少し言葉に詰まりながら答える。
「え、そ、そりゃあ寂しいよ。あ、あたしはずっと、勇者様と一緒にいたいって思うし」
「じゃあどうしてそれを、勇者様のお友達の気持ちになって考えられないんですか? 恋人はいなくとも、勇者様にだって大切な家族や、お友達がいたはずです」
「そ、そうかもしんないけど‥‥」
「けどじゃありません! 言い訳なんていいからよく考えて下さい!」
 再びリンは声を荒げ、スピカに詰め寄った。そして少しだけ表情を緩めて静かに語りかける。
「わたしは今までいろんな場所を旅して、いろんな人に出会いました。そして同じだけ、お別れもしました。わたしにもその人にも、やりたいことがありましたから。生き方は人それぞれだから、お別れは仕方ありません。でも、ある日突然理由もわからずいなくなった人はいませんでした。わたしはみなさんにちゃんとお別れの言葉を言いました。みなさんもわたしにお別れを言ってくれました。だってそうじゃないと、寂しいじゃないですか。でもスピカちゃんは、勇者様に関わっている全ての人たちに、その寂しさを与えてしまったんですよ。もちろん、勇者様にもです。もしかしたら勇者様はここをすごく気に入ってくれているかもしれません。ずっとここにいたいと、思ってくれているかもしれません。だけど、家族やお友達とお別れの機会を奪ってしまったことには変わりないんです。それでもスピカちゃんは、自分は悪くないって言いますか? 良いことをしたって、胸を張れますか?」
 スピカはリンの言葉を聞くと、ゆっくりと阿守に顔を向け、しかし何も言うことができず、言葉を詰まらせた。
「スピカちゃんはまだ小さいから、知らないこと、わからないことがたくさんあります。でも、人に何かをする時は、もっとちゃんとその人のこと、その人の周りのことを考えないといけません。頼んだのは王様でも、止めなかったのはルナちゃんでも、責任はスピカちゃんです。これは、スピカちゃんが悪いです。それをちゃんと、理解して下さい」
 リンは何も聞かずとも、ルナが責任を感じていることに気づいているようだった。スピカはルナを見て、リンを見て、そして阿守を見て、ぼろぼろと涙をあふれさせた。
「ごめんなさい‥‥! 勇者様、ごめんなさい‥‥! あたし、全然、考えてなくてっ‥‥勇者様、絶対、楽しいからって、あたし‥‥。ごめんなさい、ごめんなさい!」
 途切れ途切れに、まともに言葉も紡ぐこともできず謝り続けるスピカに、阿守は静かに首を振った。
「もう、いいよスピカ。俺はいいから、泣かないで」
「よくありません。いいですか、スピカちゃん。謝ったって、してしまったことはなくなりません」
 しかしリンは厳しい表情を崩さないまま、強い口調で続けた。
「魔王をやっつけたら、スピカちゃんはすぐにお城に帰って、勇者様が帰る方法を調べること。いいですか」
 スピカは泣きじゃくりながら何度も頷いた。そして阿守の腰に抱きついて、再び何度も何度も謝りはじめた。阿守は優しく抱きしめ、ゆっくりとスピカの頭を撫でる。
「もう、大丈夫だから。でもやっぱり俺、元の世界も好きだから。だから頑張って帰る方法調べること。約束な?」
「うん‥‥勇者様、ごめんなさい」
 リンが厳しく叱っているので、阿守も少しは厳しい言葉をかけてみているようだが、慣れてないらしくどうしても優しい言葉になってしまっている。
 ルナはそんなやり取りを見ながら、自分自身の考えに大いに恥じた。
 なんだかんだといいながら、阿守がずっといてくれるかもしれないという事実に、嬉しいと安堵してしまったことに。
 昔からずっと自分がお姉ちゃん役をしていたので、いまだに2人のことをどこか子供のように思ってしまっていたが、知らない間にリンもスピカも、しっかりと自分の考えを持つようになっていたようだ。ぽけっとしているようで、しっかりと成長を続けているようだった。ずっと子供のままなのは、もしかしたら自分なのかもしれない。
 それでもやっぱり、
 ――勇者様にはずっとここにいてほしい。
 そう思ってしまうのは、わがままだろうか。
 ルナはただ黙って、泣き続けるスピカと、それを優しく受け止める阿守を眺めていた。

 それからコクラム城に着くまで、スピカは積極的に阿守を守るように戦闘を行っていた。それが少しでも罪滅ぼしになると思っているのかもしれない。たとえそれが自己満足であろうとも。
阿守もそれに気づいているからか、スピカのその行動に特になにも言うことはなかった。
そしてようやく下山した時には、空はすっかり茜色に染まっていた。
「どうにか、日が沈む前に山を抜けられましたね」
 ここからコクラム城までは、平原が続く。どちらにせよ夜は危険だが、山中よりはずいぶんましだ。
 歩き続けて日が沈みかけた頃、4人はようやくコクラム城へとたどり着いた。
 城全体は堀に囲まれており、城壁はエルム城よりさらに高く、ここからでは城の尖塔しか確認できない。城壁の所々に小さく空いている穴は見張りのためだろうか。ここから見るだけでも、この城が戦争のために造られているのがよくわかった。
「相変わらず物々しい建物ね。おそらく私だったら顔も知られてるし、通してもらえると思うわ。行きましょう」
「あ、待ってルナ」
 城門へ踏み出したルナを、スピカが急に呼び止めた。ルナが足を進めながら振り向き、どうしたのと尋ねようとした時、
「!?」
 バチィッ! とルナの目の前で何かが弾けた。ルナはとっさに身を引き、剣を抜き放つ。
 阿守とリンも警戒を強めるなか、しかしスピカは気の張らない口調で言った。
「外からの侵入を防ぐ結界が張られてるみたい。すごく強力で、あたしの力でも解けそうにないよ」
 その言葉に、スピカ以外の動きがぴたりと止まる。
「え、それって、どうするの?」
「だから、あたしじゃわかんない」
 ルナの問いに、スピカはあっさりと答えた。
 しばらくの沈黙の後、最初に口を開いたのは阿守だった。
「‥‥一回街に戻って、結界についての情報を集める必要があるみたいだね」
「‥‥そうですね。しかし、結界について何か知っている人などいるのでしょうか」
 再び沈黙。と、リンが何か思いついたようにあっと声をあげた。
「そういえば、宿の店主さんが街に城の兵士さんが逃げ込んでると言っていませんでしたか? その人に聞けば何かわかるんじゃないでしょうか」
 そういえば、そんなことを言っていたような気がする。
 抜かった。ライム王子にばかり気をとられて、それ以外の情報など全く気に留めていなかった。
「‥‥そうね、もう少しだけ入る方法を探ってみて、どうしようもなければそうするしかないようね」
 スピカはぱちぱちと結界をいじりながら何か探っているようだったが、ふと何かに気づいたようにルナを見つめた。
「どうしたの? 入れそう?」
「ううん、そうじゃなくて‥‥」
 スピカは恐らく答えはわかっているのであろう、苦笑いを浮かべながら尋ねた。
「入れなかったら、今日の宿はどうするの?」
「野営ね」
 あっさりと答えるルナに、スピカはげんなりと表情を歪ませた。どうしたのだろうと一瞬思ってしまったルナだが、よく考えてみれば普通は野営なんてしたことないだろうし、あまりしたいとも思わないだろう。寝袋など準備はあるものの、慣れない者にとっては少々苛酷であることは確かだ。かくいうルナも初めての野営はしんどかった。
「イヤなのはわかるけど、どうしようもないわ。それに今後も何度かすることもあるだろうから、早めに慣れておきなさい」
「うえぇー、お風呂入りたいー‥‥」
 その後もリンと共に必死に結界をくぐる方法を探していたスピカだったが、結局方法はわからないまま、すっかり夜も更けてしまった。
「すいません、封印魔法の応用でも、どうにかなりませんでした‥‥」
 スピカと共に、リンもしょぼんとしていた。しかし何もできないルナには文句など言えようはずもない。
「仕方ないわ。そもそも情報収集を怠った私の責任よ。はい、ご飯食べてもう寝ましょう」
 ルナはリンに小さな飯盒(はんごう)で炊いたご飯と乾燥肉、粘土のような機能食と水を差し出した。火は魔法があるので困らないが、魔法で生んだ水は飲用に向かないので持ってきていたものである。このあたりの準備はルナには手慣れたものだった。
「食べ終わったら、明かりを消してすぐに眠りましょう。ただでさえ疲れを取りにくい状況なんだから、無駄なエネルギー消費は少しでも抑えないと」
 ごそごそと寝袋を広げていたスピカがあれ、と首を傾げた。
「寝袋、3つしかないよ?」
「当然よ。全員で寝てどうするの。誰か1人は見張りをしておかないと」
「誰がするの?」
「今日は私がするわ」
「あたしも一緒に」
「一緒にしたって意味ないでしょ。野営は常に効率重視よ。今は、中途半端な気遣いは命にかかわるわ。早く寝なさい」
 ルナはスピカの台詞を遮って、冷たく言い放った。
実際、そうなのだ。それこそ、中途半端に気を遣って譲歩するわけにもいかない。
「‥‥わかった」
 スピカはしばらく黙っていたが、やがてしぶしぶとであるが納得したらしく、そう言って寝袋に入った。おやすみ、と言ってすぐに静かな寝息が聞こえ始めた。朝からずっと歩き続けだったうえ、あれだけ泣いたのだ。疲れていないわけがない。
「さすがに徹夜ってわけにもいかないでしょ。途中で変わるから、適当に起こして」
 と、スピカとともにすでに眠りに着いたかと思っていた阿守が寝袋の中からルナに声をかけた。ルナは一瞬どう答えるか考えるが、
「‥‥ありがとうございます。助かります。それでは、お休みなさい」
「うん、お休み」
 ルナ自身、ここは変に気を遣うべきではないと思い、素直に阿守の言葉に甘えることにした。ここで野営をすることになってしまったのはすべて自分の責任だと思っているルナは、1人で徹夜する気ではいたが、正直少し辛いとも思っていたところだ。スピカが眠るのを待ってから声をかけてくれたのも、非常にありがたい。
 リンも何か言ってくるかと思ったが、どうやらリンはすでに眠ってしまっていたようだ。おそらくいくらか気にしてはいたが、疲れがそれを上回っていた、といったところだろう。唯一慣れているルナとしては、それならそれで構わない。
 3人の静かな寝息を聞きながら、ルナは荷物から研ぎ石を取り出し、剣の手入れを始めた。どんな時でも、これを欠かすわけにはいかない。いつもは早朝体を動かす前後に気ままにしているが、今は安全な街の中ではない。ちょうど武器が2本あるので、いつ襲われても大丈夫なように1本を脇に置いて、丁寧に刃を研いでゆく。剣とカタナの手入れが終わると、ついでに阿守の剣の手入れも始めた。思ったとおり手入れはしていなかったようで、少し刃こぼれが見られる。基本的には力で無理やり叩き斬るタイプの剣なので、ルナのものほど細かな手入れをする必要がないといえばないのだが、それでも鋭利であるに越したことはない。きれいに刃を研ぎ終えるとそっと元の位置に戻し、ルナは空を見上げた。こんな行動をとりながらも、もちろん周囲への警戒は一切怠っていない。
 守りたいものがある。それはずっと変わらない。しかし、その中に自分自身が加わった。もちろん優先順位は低いが、それでも『人のために生きたい』と思うことができるようになったのは阿守のおかげだ。
 どうして今そんなことを考えているのかというと、まあ正直ヒマだからなんだけど。
 それでもそれを思う度、なんだか暖かい気持ちになれた。きっと、それを教えてもらった時から自分は、阿守のことを気にしていたんじゃないかと思う。気づいていなかっただけだ。
 もう一度、星の瞬く空を見上げた。3人が眠ってから月の位置はずいぶんと移動している。いつの間にかけっこうな時間が経っていたようだ。眠気も襲って来ている。
 そろそろ交代してもらおうと、阿守のところまで静かに移動する。静かに眠るその顔を見て、ふとある考えがよぎった。
 今ならちょっとイタズラできるんじゃない?
 キ、キスしてみるとか‥‥。
 が、ぶるんぶるんと頭を振って瞬時にその考えを吹き飛ばす。寝込みを襲うとか、ありえないでしょ! うわ、寝込みって、それこそすごく犯罪っぽい!
ぺちぺちと頬を叩いて頭を落ち着かせてから、ゆっくりと阿守の肩をゆすった。ん、と小さく声をあげ、薄くまぶたが開いた。
「あー‥‥ルナ? おはよ‥‥。‥‥あ、交代か。ありがとう」
 しばらく寝起きの頭でぼっとしていたようだったが、すぐに状況を思い出して静かに起き出した。
「申し訳ありません。勇者様もお疲れでしょうが」
「いやいや、ルナ1人に任せるわけにもいかないし」
「ありがとうございます。あとは朝までお願いしたいのですが、2人を起こす前に私を起こして頂けませんか?」
 ルナのその頼みに、阿守はどうして? と首を傾げる。
「勇者様も見張りをしていたとスピカが知ったら、次はやると言い出すでしょうから」
「なるほど」
 苦笑しながら、阿守も理解してくれたようだった。
「どう言ってもスピカはまだ子供ですから、おそらく夜の見張りは無理でしょう。途中でうとうとされては、全員の命に関わります。そう説明しても、納得してくれるかわかりませんからね」
「確かにそうだね、了解。じゃあ、お休み」
「はい、ではあとはお願いします」
 そう言ってルナは寝袋に潜り込み、
「うあ‥‥っ」
 思わず声を漏らした。
「どうしたの?」
「す、すみません、なんでもありません。お休みなさい」
「う、うん。お休み」
 慌ててそう言って、ルナはぎゅっと眼を瞑った。何も考えていなかったが、ついさっきまで阿守の眠っていた寝袋に入ったのだ。まだしっかりと温もりも匂いも残っている。
 やたらとドキドキしてしまったが、しかしそれ以上に包みこまれているような安心感も覚え、程なくしてルナは安らかに眠りに落ちた。

・・†・・

 時刻は夕方。場所はソルドタウン。
「まずは、宿だね! この前のところ!」
 街に着くなりスピカは嬉々としてそう提案した。ルナとしても是非そうしたいところだが、今は少し急いだよさそうでもある。街の人々は家へと帰りつつある時間だ。
「部屋をとるだけで、ご飯とお風呂は後回しよ。とりあえずコクラムの兵士の情報だけ早く集めましょう」
「えー、食べてからでもいいじゃん~」
 スピカは不満そうにぶつぶつと言っていたが、ルナはそれを無視してやるべきことをやることに。
 まずは宿の人々に話を聞いてみるが、詳しい話は聞き出せなかった。街に出て道行く人に聞いてみるも、やはり結果は同じ。その話は知っていても、顔やいる場所まではさすがに伝わっていないようだ。
 やや参りながら、道すがらの茶屋の前で団子を食べている男に話しかけてみる。
「あの、突然すみません。この街にいるというコクラムの兵士について何か知っていませんか?」
 ルナの質問に男は訝しげに眉をひそめた。
「なんだ、あんたら?」
「我々はエルムから魔王討伐のために旅をしている者です。所用でコクラム城に立ち寄ったのですが周囲に結界が張ってあり、内部と連絡をとることすらかないませんでした。ですので、この街にいるらしいコクラムの兵士の方に詳しいお話を聴ければと思い、こうして探している次第です」
「なるほどねえ、コクラム城に結界か。あれは、今はコクラムが魔王に狙われてるから、魔物の侵入を防ぐために張ってるんだよ」
 男の思わぬ情報に、ルナは思わず目を丸くする。
「おっちゃん何でそんなに詳しいの?」
 スピカのおっちゃんという言葉に男は一瞬ぴくりと額に青筋を浮かべるが、相手が子供と見ると肩の力を抜いて答えた。
「俺が、あんたらの探してるコクラムの兵士だよ。‥‥いや、元、兵士だな」
 男はやや自嘲をにじませた口調でそう答えた。
「もし知っているようでしたら、あの結界を解く方法を教えていただけませんか?」
 ルナの言葉に男は鼻で笑う。
「いやいや、結界解いたら魔物が入ってくるだろ。結界はあれを張った魔道士にしか解けねーよ。だから、これだ」
 そう言って男は右腕にはめられた腕輪を見せつけるように掲げた。
「コクラム城の人間はみんなこれを持ってる。これをつけていれば結界を通過することができるんだ。つまりこれさえあれば誰でも結界を通ることができるってわけさ」
「へー、そうなんだ。じゃあそれちょうだい」
 スピカの直球すぎる申し出に、男はにやりと意地悪く口元を歪ませた。
「まあ、どうしてもっていうなら譲ってやってもいいけど、そうだな‥‥だったら10万Gで売ってやるよ」
 男の言葉に、ルナは動きを止める。スピカは振り返ってルナを見つめ、
「それ、高いの?」
「高いわよ! ものすっごく! あなたどれだけ世間知らずなの!」
「ごめんさい。わたしもよくわかりませんでした‥‥」
「リンはずっと旅してたんじゃないの!? 日々買い物とかしてたでしょ!」
「ごめん、俺も世間知らずで‥‥」
「勇者様は仕方ないです! 世間知らずではなく世界知らずです!」
「勇者?」
 ルナがつい1人1人にツッコミを入れていると、男がその単語にぴくりと反応した。
「そいつが、エルムが呼んだっていう勇者なのか?」
「そ。んで、召喚したのはあたし」
 勇者召喚の話は隣国にまでもう伝わっているようだ。スピカは無駄に誇らしげに胸を張って答えた。
「ふうん‥‥ま、なんでもいいが、それでどうするんだ?」
 何か思案している風の男だったが、すぐに意地悪い笑みを再び浮かべ、4人に問うた。
「どうするもなにも、旅をしている身でそんな大金持っているわけがないではないですか! 世界の存亡に関わることなんです、お願いですので譲っていただけませんか」
「世界の存亡にかかわるんだから、このくらい安いもんだろ?」
 ルナの必死の訴えにも、男は笑みを崩さず腕輪を見せつけてきた。
 4人は無言で顔を見合せ、そしてこくりと頷き合った。
「決まったか? で、どうするんだ?」
 4人は男の目の前までゆっくりと歩み寄ると――
「『殺してでもうばいとる』」
「ちょ、何だよその選択肢! な、なにをするきさまらー!」
 ルナと阿守はぬらりと剣を抜き、リンは拳をかまえ、スピカは杖の先に渦巻く炎を出現させた。
「待て! 待て待て! なんか違うゲームになってるじゃねえか! これドットクエストだろ!?」
「ねんがんのコクラムの腕輪をてにいれたぞ!」
「まだ手に入れてねーだろお前ら! やめろ! マジやめろ! ごめんって!」
 男が本気で怯え始めたので、4人はようやく構えを解いた。
「冗談ですよ。すいません」
「‥‥ったく、無茶苦茶だぜお前ら。てか今の殺気、ほんとに冗談か‥‥?」
 男は冷や汗を流しながら、4人にいまだ怯えの目を向ける。
「おっちゃんお願い、その腕輪あたしたちにちょうだい!」
「‥‥ふん。コクラム城に行って、何する気だよ」
 冷ややかな視線をぶつける男に、ルナは詳しく説明をする。ライム王子に会いたいこと、王子がマナを消失させようとしていること、そして王子からより詳しい魔王の情報を聞きたいと思っていること。一連の話を聞いて、男は不思議そうに眉を寄せた。
「どうして、王子がマナを封印しようとしていることを知ってるんだ? それは城の人間以外、誰も知らないはずなんだが」
「俺が知っていたんです。俺は、未来から召喚されたみたいなので」
「未来から‥‥?」
 阿守の言葉に男は胡散臭そうな視線を阿守に向けた。
「俺のいた未来では、魔王はライム王子が倒したことになっています。そして、同時期にマナも消失しています。俺はこの世界に来て色んなものを見て、この世界の人々の生活に魔法は欠かせないものだと知りました。俺が手出ししていい問題なのかどうかはわかりませんが、マナを無くさなくてもよいのなら、その方がいいんじゃないかと思ったんです。だから、ライム王子に事情を聞いて、できることならマナを消失させないでほしい」
「んで、あんたは未来に帰って魔道士にでもなりたいってか?」
 阿守は男の言葉を聞いて、急にきょとんしとした顔になった。
「‥‥あ、そっか。そういえば、そうなるんだな。帰ってからのことなんて考えてなかった」
 そんな気の抜けた阿守の言葉を聞いて、男はさらに訝しげな視線を阿守に向ける。
「なんだよそりゃあ。じゃあなんであんたは命張ってそこまでするんだよ」
「みんなを助けたいからです」
 しかし、阿守は男のその問いに、迷うことなく即答した。
「いろんな人と出会って、みんながどれだけ魔物や魔王に怯え、困らされているかを知りました。だから、俺はそれを黙って見過ごすなんてできません。それが理由です」
「‥‥‥‥」
 男はしばらく無言で阿守を見つめ、やがてその表情を緩めて小さく息を吐いた。
「なるほど、よくわかったよ。あんたらは、やっぱり本物だ。いいよ、この腕輪は、おまえらにやるよ」
 差し出された腕輪を受けとりながら、ルナは男の言葉の意味を測りかね、どういうことですか? と尋ねる。
「今まで、俺が城から逃げてきたって話を聞きつけて何人もあんたらと同じようにこの腕輪をくれって言いに来たんだ。だけどそいつらは、上手いこと言って結局はこの腕輪を裏で売るつもりだったり、魔王のせいで内部がガタガタのコクラムに侵入して情報なり宝物なりを盗むことが目的の、最低のやつらばっかりだった。だけどあんたらは違うみたいだ。最初に話しかけてきたときに、今までのやつらとは眼が違う、とは思ったんだ。下らん目的のためじゃない。もっと強い意志の宿った眼だってな。でもそんな直感だけでこれを渡すわけにもいかねえ。俺は魔王が恐ろしくて城から逃げ出した、最低の腰ぬけだけどよ、それでも城のみんなは大切な仲間なんだ。きっと仲間たちは逃げだした俺のことを蔑んでいると思う。だけどな、たとえ俺がみんなに嫌われても、俺はみんなのことが何よりも大事なんだ。どこの誰ともわからん奴を、簡単に城に入れるわけにもいかねえと思って、ちょっと意地悪言わせてもらったんだ。悪かったな」
 そういう男の着物の隙間から見えた体には、今だ治りきっていない抉られたような痛々しい傷跡が見えた。
 同じような話を、以前どこかで聞いたような気がする。そう、コクラムに入国する時の関所にいた衛兵。彼も同じように魔王軍と戦うことから逃げ、後悔の念に苛まれていた。
 きっとこの2人だけではない。同じように後悔している者、怯えながらも戦い続ける者、戦い続け命を落としてしまった者、ルナが知らないだけで、いろんな人がいるはずなのだ。いろんな不幸がこの世界に溢れている。だからルナはやっぱり、そんなものはなくしてしまいたいと思った。誰も悲しまなくていい世界にしたい。エルムの騎士として。いや、そんな大義名分はいらない。ルナ個人が、そう思う。
「いえ、仕方ありません。あなたの立場を思えば、警戒心は必要でしょう」
「まあ、だからって俺にはなにもできないんだけどな。今さら城に帰ることもできない。俺はもう、何の役にも立たない人間になっちまったよ」
「そんなことないよ!」
 自虐的になる男に、強くそう言葉を放ったのはスピカだった。
「おっちゃんはあたしたちを信じてくれたし、腕輪を託してくれたじゃん。だからあたしたちは一歩魔王をやっつけることに近づくことができたんだよ。もしおっちゃんが腕輪をくれなかったら、あたしたちは何もできなくなってたかもしれないんだしさ。だからおっちゃんは、世界を救ったんだよ」
 救うのはこれからだけどねっ☆、と最後におどけた口調で付け足す。
「‥‥俺が? 世界を?」
「そうだよ! おっちゃんも英雄の一部だよ! 自信持って! 世界を救ったらちゃーんとあたしが歴史書の隅っこに、おっちゃんのことも書き加えといてあげるからさ!」
 そんなスピカの言葉に男はしばらく言葉を失い、やがて耐えきれずふき出すと声を上げて笑い始めた。
「あっはっは! なんだそりゃ! 面白いこと言う嬢ちゃんだな! 一部とか隅っことか、そりゃむしろつらいだろ! あっはっはっは!」
 男はひとしきり大笑いすると、ごしごしと目元をこすり晴れやかな表情でスピカを見つめた。
「ま、嬢ちゃんのおかげで、俺も胸張ってこれをあんたらに託せるよ。ありがとな」
「うん、あたしらに任せといてよ。魔王の顔面思いっきりぶん殴ってきてあげるからさ」
「はは、頼んだよ。だけど、気をつけろよ。俺はしばらくはここにいるからさ、魔王倒したら、絶対また帰ってくるんだぞ」
 男は急に真剣な表情に戻ると、4人に向かって懇願するように言った。
「もちろん、全員でだぞ。1人でも減ってたら、許さねえからな」
 男のそんな言葉を聞いて、ルナは以前の自分のことを言われているようで思わず俯いた。でも今は、阿守のおかげで変わることができた。
「‥‥ええ、必ず。全員でもう一度あなたに会いに来ます。みんなと、私で」
「約束だぜ。その腕輪をやる、条件だ」
 ルナはその約束を固く心に誓うように、ぎゅっと腕輪を胸に抱いた。

 ・・†・・

 翌日、4人は再びコクラム城の前まで来ていた。空は夕焼けに染まり始めてまだそれほど時間は経っていない。先日と同じ道を通ってきたため、慣れのおかげか少し早目に到着することができたようだ。
 ちなみに、腕輪をつけているのはスピカである。スピカは試しにちょいちょいと結界の表面をつつくと、昨日のように弾かれるようなことはなく、指が沈み込みまるで水面のように結界表面に波紋が広がった。
「腕輪1つだけど、全員入れるのかしら」
「多分、あたしに触れてる人はみんな入れると思うよ」
 そう言ってスピカはルナの手を握る。ルナが結界に触れてみると、確かに弾かれるようなことはなく指は結界に波紋を広げた。
「んじゃ、みんなで一気に入っちゃおっか」
 そしてなぜかスピカは阿守の背中に飛び乗った。
「はい、ルナとリンもあたしにつかまって」
「『も』って、つかまってるのはあなたじゃない‥‥」
 ルナは一応スピカにツッコミを入れてから、スピカの肩に触れる。リンも同じようにスピカの肩をつかんだ。
「よっしゃー、勇者様発進!」
「うごー」
「‥‥なんですかそれは」
 阿守はスピカの声に応え、謎の呻きをあげながら結界に突入した。
 無駄にノリの良い阿守を見て呆れるルナだったが、結界の内部に入った途端、その表情を引き締めた。城の様子がおかしい。
「‥‥お城、燃えてませんか?」
 リンが呟き、他の3人も同時にそれに気がついていた。
「この結界、音も空気も、見える景色まで内側と外側を完全に隔離するものだったんだ」
 スピカは苦い表情で言うと、すぐに阿守の背中から飛び降りた。そして4人は一度顔を見合せ、城に向かって駆けだした。
 城門をくぐると、中には凄惨な光景が広がっていた。あちこちから火の手が上がり一帯を赤く染めあげ、壁は崩され彫像は破壊され、辺りには瓦礫が散乱していた。
「これはいったい‥‥」
 ルナは思わずそう呟くが、原因など考えるまでもない。
「だけど、人の気配がありません。亡骸も見当たりませんし、おそらく城内の人たちはすでに避難しているのでしょう」
 リンが冷静に状況を見極め、それを確かめるとルナも少し冷静さを取り戻した。
「なるほど、確かにそうみたいね。でも、コクラム王が心配だわ。コクラム王の所へ行ってみましょう」
 コクラムは屈強な戦士が多いことで有名であるが、それは王とて例外はない。そしてまた王は武人であることでも知られている。城の人々を全て避難させ、自分だけが居残っている可能性は大いに考えられる。
「少し急いだ方がいいかもしれませんね」
「ルナ、後ろ!」
 スピカの声に振り合えると、すぐ後ろまで魔物が迫り剣を振り上げていた。骨だけでできたルナより頭2つ分は大きい骸骨の魔物。持って来たものなのか城から奪ったものなのか、鎧兜を身につけた魔物は表情のない顔でこちらを見下ろし、そのまま剣を振り下ろした。
 反応が遅れていたルナの目の前で、ガキィン! と耳障りな音を立てて魔物の剣は大きな剣によって受け止められた。
「気をつけるんだルナ! あちこちで魔物がうろうろしてる!」
 阿守は正面の魔物を睨みるけたまま叫んだ。
「‥‥うおおおりゃあ! フレアスマッシュ!」
 ゴオッ! と阿守の大剣が突如炎を吹き上げ、受け止めていた魔物の剣ごとその骨の体を吹き飛ばした。
「へへ、やっとコツがつかめたんだ」
 振り返って阿守は嬉しそうに笑う。
「勇者様、申し訳‥‥‥‥いえ、ありがとうございます」
 ルナの言葉に、阿守は笑顔のままどういたしまして、と軽く手をあげる。
「この魔物、この辺りに生息しているものではありませんね。やはり魔王の軍勢でしょうか」
 ルナはバラバラになった魔物を見下ろしながら呟く。
 そこへ今の戦いの音を聞きつけてか、さらに2体の骸骨の魔物が挟み込むようにこちらに向かってやってきた。1体は剣を、もう1体は槍を手にしている。
「はあっ!」
 最初に動いたのはリン。一息で剣を持つ魔物の間合いまで踏み込むと、斜めに振り下ろされた剣を難なくかわし、胴体を横から蹴りつけた。ぼこっ、と鈍い音を立て魔物の体は粉々に砕け散った。
「いくらリーチが長くても、それ以上離れてれば意味無いんだよねー」
 スピカは槍を持つ魔物に向かって楽しそうにそう言って杖を構えると、炎の塊を放った。炎は魔物に直撃し、それでもなお前進を続けようとする魔物だったが、燃え盛る足は踏み込んだ勢いで地面に当たって砕け、数歩進んだところで完全に崩れ去ってしまった。
「急ぎましょう。こんなものの相手をしている場合ではありません」
 コクラム城には以前来たことがあるので、ざっくりとではあるが内部も覚えている。王の間は正面の階段を上った先にあったはず。ルナは先導してそちらに向かって駆けた。
 階段を上ろうとしたところを、またしても2体の骸骨の魔物が道をふさいだ。どちらも右手のは斧、左手には盾を装備している。
「相手をしている暇などないと言っているんです!」
 ルナは走る速度を上げ、単身魔物に突っ込んで行くと、カタナを抜いた。
「五月雨!」
 ルナはそのままの勢いで魔物の間を走り抜け、カタナを鞘に納める。途端、ギギギギィン! と繋がって1つの音に聞こえるほどの連撃が魔物の斧と盾を打ち鳴らし、防御の隙間をくぐった攻撃が容赦なく魔物の体を斬り刻み、2体の魔物は一瞬にしてがらがらと崩れ去った。
「さすが。やっぱルナはすごいな」
「勇者様に後れをとるわけにはいきませんからね」
 阿守の称賛にルナは笑顔でそう返し、再び王の間に向かって足を急がせた。
 長い階段を上りきると、突き当りに大きな扉が見える。記憶が正しければあの向こうが広い謁見の間になっていたはずだ。コクラム王がいるとすればおそらく、戦闘にあつらえ向きのあそこだろう。
 体当たりするようにルナは強引に重い扉を押し開けると、予想通りそこには王の姿があった。そして、鈍く光る無骨な剣を構える王の目の前には、1匹の魔物の姿が。
「コクラム王! ご無事ですか!?」
 突然現れた4人にコクラム王は驚いた視線を向ける。
「なんだお前たちは! なにをしているんだ、逃げろと言ったはずだろう! ‥‥いや、コクラムの人間ではないな。む、よく見ればエルムの騎士団長ではないか」
 やはり騎士団には強い関心を持っていたからか、コクラム王はルナの顔を見てすぐに気がついたようだった。
「うわ、なんかまたすごいのがいるねー。こいつが頭っぽくない?」
 どこか緊張感に欠ける声をあげるスピカの視線の先にいる魔物。上半身は人の体で下半身は馬の体。ケンタウロスと呼ばれる魔物の姿がそこにあった。上半身には赤い兜と鎧を身につけ、肩からは同じく赤いマントをなびかせている。4本の脚にはこちらも赤色の具足が装着されていた。そして手には巨大な白い槍が握られている。ケンタウロスは感情のこもらない濁った赤い瞳でぎろりと4人を睨みつけた。
「コクラム王、ここは我々に任せてお逃げください!」
「助勢に来たのかもしれんが、その必要はない! この程度の魔物、ワシが直々にぶち殺してくれるわ! 敵を前にして逃げるなど、戦士としてあってなるものか!」
 コクラム王はそう言って獰猛な笑みを浮かべた。ていうか言葉づかい荒いなあ。
「しかしコクラム王、おそらくこの魔物、その辺りの魔物とは比べ物にならないほどに強力です! お言葉ですが、あなた1人で敵う相手ではありません!」
 ルナの必死の忠告にも、コクラム王は笑みを浮かべたまま返した。
「構わん! どんな時であろうと、国民のためなら命を捨てる覚悟がある! どうしても戦いたいならワシが死ぬまで待つがいい!」
「待てるわけがありません! そんな覚悟は今すぐ捨ててください!」
 コクラム王の言葉に、ルナは怒りすら滲ませた叫びをあげた。コクラム王はその剣幕に思わず笑みを消してルナを見つめた。
「あなたが死んでどうするのですか! 国民のためというのなら、あなたは必ず生き残らなければなりません!」
「小娘風情が、王の立場など理解できぬだろうが! 偉そうな口を叩くな!」
 ルナの言葉にコクラム王も怒鳴り返す。しかしルナは臆することなくさらに返した。
「そんなものはわかりません! ですが私は命の重さを知っています! あなたが死ねば、多くの国民が悲しむのです! それがわかりませんか!」
 ルナの叫びに、コクラム王は一瞬言葉に詰まった。その隙にルナはさらに続けた。
「どんな状況であろうと、人々がいれば国はすぐに立て直せます。ですがその時にあなたがいなければ、誰が人々をまとめ上げるというのですか。民を守りたいというあなたの気持ちは、私にも十分すぎるほど理解できます。ですが、自分の命の尊さも、理解して下さい」
 コクラム王はルナの言葉を聞いてしばらく黙っていたが、やがて魔物から大きく距離をとり、どこかへ続く扉の前に立った。
「ふん、いいだろう。この場はお前らに譲ってやる」
 あくまで逃げるとは言わないあたり、なかなかに頑固な性格のようだ。
「ご理解いただき、感謝いたします。しかしコクラム王はどちらへ行かれるおつもりですか?」
「雑魚共を片づけてくる。外の骸骨程度なら、まとめてかかってこようとワシの敵ではない」
 ルナとしてはできれば城の外に逃げてほしいところだが、しかしこれ以上は譲歩してくれそうにはなかった。
「わかりました。くれぐれもお気をつけて」
 コクラム王はそのまま何も言わず、部屋を出て行ってしまった。無茶をしないことを祈るばかりだ。
「さあ、頑固オヤジもいなくなったし、あんたの相手はあたしらだよ」
 失礼極まりない発言だが、今回ばかりはルナも訂正する気はない。
 ケンタウロスはこちらに体ごと向き直ると、ガッ、ガッ、と足で床を打ち鳴らしてから、大きく床を蹴り飛びかかってきた。予想をはるかに上回るスピードに反応が遅れる。しかしルナの前に素早く動いたリンが立ちふさがり、拳を構えた。
 すっと息を吐き出すと同時、向かい来る魔物に向かって拳を突き出した――らしい。
 というのは、あまりに速すぎて視覚で捉えることができなかったからだ。しかし部屋に響いたゴゴッ、という重々しい音がきっとそうであろうと予測させた。
 速度を殺されよろめく魔物を見ると、腹のあたりに3か所、拳の痕と見られるものがみえた。あの一瞬で3発も殴っていたのかと、ルナは驚きに目を見張る。
「ほらほら、スキだらけだよっ」
 そこへスピカの氷の魔法が魔物に向かって放たれる。が、素早く槍を振り回した魔物はその全てを払い落した。
「げ、全然スキだらけじゃ無かったよ。もうっ、あたしの出番台なしじゃん!」
 言いつつスピカはさらに氷の魔法を放ち、魔物はそれを槍で全て防ぐ。弾幕のように降り注ぐ氷塊に紛れ、突如他とはケタ違いの巨大な氷塊が放たれた。槍を振るうもそればかりは防ぐことができず、氷塊は深々と魔物の体に突き刺さった。
「へっへーん、フェイントってやつだよ。やっぱ戦いはここも使わないとね! あっはっはー!」
 スピカは指でこめかみのあたりをとんとんと叩き、これでもかっ! というほど胸を逸らして呵呵(かか)と笑った。善戦してるはずなのになんか腹立つ。
 しかし魔物がひるんだのは一瞬。すぐに体勢を立て直すと、一番近くにいた阿守に向かって槍を突き出した。阿守はそれを剣で受けるが、予想以上の重い攻撃に大きく防御を崩される。即座に繰り出される2撃目は体をひねってかわすが、避けきれず槍は脇腹を抉った。痛みに表情を歪め、阿守は魔物から大きく距離をとるが魔物は同じだけ距離を詰めてくる。
 ヤバい、と思ったのも束の間。素早く阿守と魔物の間に割り込んだのはルナだった。
「スピカ! すぐに勇者様を治療して!」
「おう! 言われるまでもないよ!」
 スピカは阿守の傷口に手をかざし、回復魔法をかける。
「悪いな、なんかやられてばっかりで」
「いやいや、勇者様はそれ以上に活躍してるからね」
 阿守とスピカの前にルナが立ちふさがり、カタナを構える。と、阿守とスピカの後ろ、魔物の死角となっていた場所から突如リンが飛び出した。高く宙を舞い、落下の勢いを乗せて魔物の脳天に向けて思いきり脚を振り下ろす。魔物はどうにかわずかに頭を傾け、リンの攻撃は魔物の左肩にめり込んだ。重い音を立て、鎧の一部が砕ける。しかし魔物はそれを意に介した風もなく、ルナに向かって槍を突き出した。カタナで受け止めるも、阿守の大剣ですら防御を崩されたのだ。防ぎきれるはずもなく、ルナの体は大きく後ろに飛ばされた。
「‥‥くっ!」
 さらに、受け止めた際の衝撃で手が痺れてしまっていた。まともに剣を握ることすらかなわない。
 それを見届けたリンの表情が急激に鋭く、険しくなった。魔物を睨みつけると、すっと目の前まで移動しその体を蹴りつける。槍の攻撃をするりとかわすと、かわした動きの流れのままに回し蹴りを叩き込み、その回転を利用して拳をめり込ませる。両足が地に着くと同時に深く身をかがめると、跳ね上がる動きで地面に手をついて下から蹴りあげ、そのまま逆立ちのような姿勢のまま足を広げて体を回転させ、何度も魔物を蹴りつける。すぐさま起き上がると上体の上がった魔物の下に潜り込み数発の拳を叩き込んだ。そして最後に思い切り腰のひねりを加え腹を蹴り込むと、魔物の体は大きく飛んで壁に叩きつけられた。
 反撃の隙など一切与えない、凄まじい連撃だった。しかしリン自身にもかなりの負担だったようで、大きく息をしながら額に汗をにじませていた。
 しかしおかげでルナはどうにか剣が握れる程度に握力は回復した。取り落としていたカタナを拾い上げると、瓦礫の中から這い出してきた魔物に斬りかかった。しかしまだ少し痺れている腕では重い一撃は与えられない。魔物がすぐに反撃に転じてくるが、それは大きく距離をとってかわす。
 リンは疲労が激しいらしく、ルナも今は大きなダメージは見込めそうにない。少しまずいかもしれないと思ったその時、スピカの朗々たる声が響いた。
「うっしゃ! 勇者様完全復活! 待たせたなてめえら、俺が来たからにはもう安心だ!」
 阿守の代弁をしているようで全くしていないスピカの台詞を聞きながら、阿守はすでに動いて魔物に斬りかかっていた。魔物の体を薙いでその動きを牽制すると、すぐに後ろに跳んで距離をとりルナの隣に並ぶ。
「ルナ、大丈夫? もう痺れは取れた?」
 ルナは確かめるようにカタナの柄をぐっと握る。
「ええ、もう問題ないようです」
「よし、じゃあ同時に斬りかかろう。あいつ、相当タフみたいだから、一気にカタをつけた方がいいと思う」
「そうですね。リンのおかげですでにかなり弱っているようですし」
 そう言ってルナはカタナから剣へと持ち替える。
「じゃあ行くよ!」
「はい!」
 阿守とルナが駆けるのを合図に、魔物も2人に向かって槍を構え、駆け出した。2人の剣を燃え盛る炎が包み込む。魔物がルナに向かって槍を突き出すが、ルナはそれを振り上げる剣で弾き返した。がら空きになった体を阿守の剣が薙ぐ。さらに再び構え直したルナが同じように魔物の体を思いきり薙いだ。全身を炎に包まれた魔物は苦しみながらも闇雲に槍を振り回す。
「うおおっ、なんかこわいよ! すごいことになってるし!」
 スピカが怖がってるのか楽しんでいるのかわからないが、全身を燃え上がらせながら暴れまわる魔物に視線を向ける。確かに、今の魔物はかなりヤバい奴に見える。
「ファイア!」
 スピカが魔物に向けてさらに炎の魔法を放つと、魔物はそれを正面から受け、よろよろとよろめくと最後の力を振り絞って槍を突き出して走り、しかしその先には誰もおらず思いきり壁に激突した。そしてそのまま崩れるように地面に倒れ込み、やがてその体を燃えつきさせた。
 阿守とルナは顔を見合せ、笑い合う。しかしルナはすぐにその表情を少し沈ませた。
「怪我はもう、大丈夫ですか? ずいぶん深く槍を受けていたようですが」
「うん、スピカのおかげですっかり完治。ま、俺が気を抜いちゃってただけだし」
 しかし阿守は笑ってひらひらと手を振るだけだった。
「そういえばルナ、前に俺の言ったこと、わかってくれんだね。ありがとう」
 ルナは一瞬何のことかわからず首を傾げたが、それが王に対しての発言だとすぐに気づいた。
「いえ、お礼を言っていただくようなことでは。私は大切なことを教えていただいた側ですから」
「俺はいつでも自分が正しいって、自信を持ってるわけじゃないんだ。でもそうやって、俺の言ったこと同じように正しいと思ってくれて、しかもそれをさらに他の人にまで教えようとしてくれるのは、けっこう嬉しいことなんだよね。だから、ありがとう」
「い、いえ‥‥」
 ルナはなんだか気恥ずかしくなってきて阿守から視線を逸らした。
「そ、それよりリン、大丈夫?」
 そしてルナはリンのもとへ。リンは疲れた顔で床にぺたんと座り込んでいた。先ほどの超連撃は思っていた以上にリンの体に負担がかかっていたようだ。リンは無理やり笑顔を作って心配そうな顔のルナを見上げる。
「‥‥ごめんなさい、心配かけさせてしまって。わたしは平気ですよ。ちょっと疲れてるだけです」
「まったく、あまり無理しすぎちゃダメよ」
「あはは、ありがとうルナちゃん。でも、あの状況じゃ、わたしが頑張らなきゃどうしようもなかったので」
「‥‥‥‥」
 確かに、阿守は怪我をしてスピカはその治療、ルナは剣を握ることもできなかったあの状況では、リンのとった行動は無茶ではあるが最善だった。
自分さえもっとしっかりしていれば、とルナが俯いて拳を握っていると、突然リンが優しくルナの頭をなでた。
「ほら、ルナちゃんまた自分のせいにしてる。わたしたちは仲間なんだから、助け合うのは当然ですよ。全部自分で背負おうとするのは、ルナちゃんの悪い癖です。もっとみんなを信じて」
「そうそう、もう少しくらい気楽に考えてもいいと思うよ」
 阿守にまで言われてしまった。申し訳ないやら情けないやらで、ルナは2人から目を逸らす。
「まあ、すぐには難しいんじゃないかな。ルナの頭の固さは天下一品なんだから」
 笑いながらやってきたスピカの頭に、ルナは容赦なくチョップを叩き入れた。んぎゃ、と変な声を上げてスピカは涙目でルナを見上げる。
「ちょ、なんであたしだけこんな扱いなの!?」
「当り前でしょ」
 ルナの冷たい反応にスピカは涙目でうー、と唸った。
「そういえばさ、あんな強力な結界があったのになんでこいつらは中に入れたんだろう」
 阿守の素朴な疑問にあっさりと答えたのは頭を押さえたままのスピカ。
「そりゃ、その結界をはるかに上回る魔力で無理やり突破したからでしょ」
「そんな簡単にできるもんなの?」
「ま、魔王ならそのくらいよゆーだと思うよ」
 と、そんなやり取りをしていると、先程出ていった扉から再びコクラム王が顔をのぞかせた。
「む、やはり終わっておったか。急に骸骨共が逃げ出したのでもしやと思ったが」
 コクラム王は言うなり大股な歩きでルナの前までやってきた。ルナは真っすぐな眼で王を見つめ返す。間違ったことを言ったつもりはない。何と言われようと、もう一度同じことを言う心づもりでコクラム王に相対する。
「少し冷静になって貴君の言葉をもう一度考えてみた。どうやら、何も分かっていなかったのはワシのほうだったようだ。すまなかったな」
 予想外の言葉に、ルナはぽかんとして一瞬反応を忘れる。どうやらただの頑固オヤジではなく、自分の誤りを素直に認められる寛容さと潔さを持ち合わせているようだ。この男、運や策略などではなく、なるべくして王になった人物のようである。
「‥‥い、いえ、私のほうこそ不遜な発言失礼いたしました」
 どうにかそう答えたルナに、コクラム王はニッと笑って提案する。
「何を言うか、正しい発言をすることに不遜もなにもあるまい。貴君はなかなかよい資質を持っておるようだな。どうだ、エルムの騎士団長などやめて、ワシに直々に仕えてみる気はないか」
 しかしルナはきっと表情を正し、きっぱりとそれを断った。
「申し訳ありませんが、その申し出はお受けできません。私はエルムの民のために戦うと誓いましたから」
 その答えを聞いてコクラム王はがっはっはと豪快な笑い声をあげながら、半壊状態の玉座にどっかりと腰を下ろした。
「まあ、そうであろうな。ここであっさりと頷くような輩ならこちらからお断りだ」
 誘っておいてそれはどうかとも思うが、今の誘いはおそらくこの人なりの褒め言葉のようなものだったのだろう。
 傲慢ともとれる態度で腰を下ろす男は、知らなければとても王とは思えないような人物だった。身なりこそ立派な服装で着飾っているが、筋肉質な体に好戦的な瞳。アゴにはもじゃもじゃとひげを蓄えており、見た目だけでは普通の戦士か、なんなら山男といわれても信じてしまいそうだ。腰に差した剣は礼装などではなく、戦うための剣。しかもかなり使いこんでいるらしく、離れた場所からでもその鞘がずいぶんと傷にまみれているのがわかる。
「まあ、どうやら貴君らには助けられてしまったようだな。礼を言おう。何かやれるものがあればいいのだが、魔物との戦いが続いていて、物資が不足していてな。何もしてやれない。すまないな。して、我が国に何か用か?」
 コクラム王は簡単に礼を済ませるとすぐに本題を切り出した。この豪放さが、おそらくコクラムという国にはちょうどよいのだろう。ルナは簡潔に目的を説明する。
「魔王討伐任務を受け、ランド王国を目指しているのですが、ライム王子に用がありコクラム城に立ち寄らせていただきました。今、王子はどちらに?」
「おお、ライムか。あいつも魔王討伐のためにランド王国を目指して旅立った。だが、城を出てまだそんなに時間は経っておらんし、今から急いで追えばどこかで追いつけるかもしれんな」
「なるほど。あともう1つ、王子はマナを消失させようとお考えのはずですが、それについては何かご存じありませんか」
「ああ、あれか。消失、というか確か封印すると言うておったぞ。しかし、ワシは魔法に関してはからっきしなのでな。知ってはおるが詳しいことはなーんも知らんのだ。いや、聞いてもわからんのでなにも尋ねておらんだけなのだが」
 コクラム王はがははと笑うと、ふと気づいたように首を傾げた。
「はて、このことは口外しておらんかったはずなのだが、なぜ知っておるのだ?」
「はい、こちらに」「あたしが未来から召喚した勇者様がいるからだよ!」
 ルナの言葉を遮って、スピカがどうしても嬉しそうに胸を張って自慢していた。まあ、別にいいけど。
「ほう、おぬしが勇者か。未来からとは、なかなかに信じがたいが、確かに不思議な力を感じるな。しかし‥‥勇者殿、ちょっとこっちへ来い」
 コクラム王が手招きし、阿守は数歩進んで王の隣へ。途端、コクラム王はがっし、と阿守の肩を組むと、今までとは少し違う、なんだがいやらしい笑みを浮かべた。
「しかし、両手に花とはうらやましい旅をしておるの。やはり、夜は毎日楽しんでおるのか?」
 阿守は突然のそんな質問にぎょっとして、困った笑みを浮かべた。
「‥‥い、いや、そういうことは、全然‥‥」
「隠す必要はないのだぞ? 正直に話してみんか」
「‥‥コクラム王。我々は魔王討伐の旅の途中。そのような行為にふけることはありません」
 ルナはやや顔を赤らめながら進言するが、コクラム王は当然のように、
「何を言うか。殺伐とした旅だからこそ、そういった息抜きも必要なのではないか。なんだ、貴君は勇者に使える騎士のくせに、夜の奉仕もシておらんのか?」
「騎士はそんなことはいたしません! なんですか、夜の奉仕って!」
 ルナは思わず声を大きくしながら否定する。
「ねえ、夜のホーシって何? なんで夜が楽しいの?」
「あなたは知らなくていいのっ」
「そうだのう。お嬢ちゃんにはまだ少し早いかのう」
 きょとんとして尋ねるスピカにルナとコクラム王がそう濁すと、スピカはぶー、と膨れて黙りこんだ。
「なんだ勇者殿、まさかここへ来るまでなにもシておらんとは言うまいな」
「い、いえ、何もしてないんですけど‥‥」
 阿守も肩を組まれたままで、逃げることもできないようだ。というか、コクラム王は勇者とか未来から来たとかもうどうでもいいらしい。とんだエロオヤジだ。
「なんと嘆かわしい‥‥! だが、ヤりたい願望くらいはあるのだろう?」
「い、いや別に‥‥俺はそんな‥‥」
 なんか歯切れが悪くなった。おいおい勇者、ちゃんと否定してよ。
「くくく、やはり勇者殿も男のようだ。で、どちらが好みなのだ? やはり胸がでかいほうの娘か?」
 王はリン(の胸)にぶしつけな視線を向け、リンはひっ、と怯えた声をあげる。
「いや、だから、俺は別にそういう‥‥」
「なんだ、騎士の娘のほうが好みなのか。だがあの娘、少々気が強すぎはせんか?」
 悪かったな。と思いつつもちょっと阿守の反応が気になり目を向ける。しかし阿守はやはり困ったようにいやいやと言っているだけだ。いやまあ、それっぽい反応をされてもそれはそれで困るんだけど。
「むむ? もしや、あのちびっこが良いということか? 勇者殿、そういう趣向の持ち主だったのか?」
「いやだから‥‥」
「そうだよ! あたしが毎晩勇者様にホーシしてあげてんの!」
 さっき相手にされなかった仕返しのつもりか、スピカがよくわかってないまま、得意げにそんなことを言い出した。しかしこれで困るのは阿守のみである。
「おいおい勇者殿、そりゃまあ確かに趣向は人それぞれではあるが、さぁすがにそれはまずいだろう」
「いやいや、勇者様はそれがいいらしいよ?」
 スピカはそう言って若干胸を逸らし気味に、ちらりとルナのほうを見るが、
「‥‥あの、勇者様‥‥まさかとは思いますが‥‥」
 ルナは戸惑って阿守とスピカに交互に視線を向けた。横ではリンも口元を手で覆って顔を赤くしている。それを見て阿守は顔を青くしていた。ルナの悔しがる姿(何に対してかは知らないが)を期待していたらしいスピカはあれ、と首を傾げた。
疑いたくはないが、実際阿守は昨日もその前も、朝にスピカと同じ布団で寝ていたという事実がある。スピカが勝手に布団にもぐりこんでいただけにしか見えなかったが、まさか‥‥。
「なわけないだろっ! ちょっとルナ! 何を疑ってんの! 勘弁してよ!」
 まさか、なわけないだろ。
ルナは自分の考えに呆れ、とりあえず阿守が糾弾されている状況に戸惑っているスピカの頭にげんこつを入れておいた。
「あいたあっ! ちょ、グーはさすがに痛いよぉ‥‥」
「王様、戯れはその程度にして頂いて、我々も急いで王子の後を追わせていただきます。情報ありがとうございました」
 ルナは抗議の声をあげるスピカを無視し、呆れた態度を隠す気もなく心のこもらない礼を述べた。
「がっはっは、やはり貴君は少々堅物すぎるぞ。どうだ、今夜ワシがその固い頭やらなにやらをしっとりとほぐしてやろうか」
「黙れエロオヤジ」
 おっと、つい本音が。しかしコクラム王は再び愉快そうに声を上げて笑うと、ようやく阿守を解放した。阿守はよろよろと3人の元まで戻り、疲れた顔でふうと息を吐く。
「それでは、失礼します」
「ちょっと待った」
 早々に去ろうとしたルナを、しかしコクラム王はふと呼びとめた。
「‥‥今度は何ですか? 今夜は城下町に泊まります」
 ルナは面倒くささを前面に押し出しながら振り向き、城に泊まる気がないことをあらかじめ伝えておく。
「ああいや、それも聞こうと思っておったが‥‥そのだな、急ぎであるのはわかっておるのだが、ひとつ頼まれてはくれんか」
 うってかわって真剣な表情になったコクラム王に、ルナは首を傾げて姿勢を再び正面に戻した。スピカも頭を押さえたまま首を傾げる。
「頼みごとってなに?」
「ふむ、最近南西の洞窟に大穴ができたらしくな、どうやらそこから魔物が溢れ出ているようなのだ。そのせいで最近魔王軍以外の魔物にもよく襲われるようになった。それで頼みというのは、その大穴を封印してほしいのだ。我が国は戦士ばかり故、大穴を封印できるほどの魔道士はおらんのだよ。エルムの大魔道士スピカ殿であれば、可能なはずだと思ってな。どうか引き受けてはもらえんだろうか」
 どの程度スピカのことを知っていたのかは知らないが、勇者召喚を行った以上かなりの魔道士であることは容易に想像できたのだろう。そしてさっきの会話だけでも、相当単純な脳ミソをしていることも、わかってしまったらしい。スピカはみるみる顔をほころばせ、もう天井を見上げるくらいに胸をふんぞり返らせた。
「おう、いーよ。このスピカ様がすぱーんと封印してあげるよ!」
 封印ってそんな音がするんだろうか。コクラム王はその返答を聞いて満足そうに頷いている。
「ちょっと待ちなさいスピカ。そんなあっさり頷いて、それで魔王討伐に遅れが出るのわかってるの?」
「じゃあ、コクラムの人たちはどうなってもいいの?」
 焦ってなだめようとするルナに、スピカは驚くほど真剣な表情ですぐにそう返してきた。ルナは思わず言葉に詰まる。
「あたしはエルムの人々だけじゃなくて、コクラムもランドも全部、世界中の人を救いたいの。当然魔王討伐は急がなきゃいけないけど、だからって目の前で困ってる人たちを見捨てるのは、あたしは間違ってると思う」
「‥‥‥‥」
 ルナは何も言い返せず、俯いて唇をかみしめた。
 何も分かっていないのは、ずっと子供のままなのは、やっぱり自分なのかもしれない。なんだか最近、教えられてばかりのような気がする。
「そうね‥‥その通りよ。‥‥わかりました。大穴の封印、引き受けさせて頂きます」
 コクラム王はその返事を聞いて、嬉しそうな優しい笑みを浮かべていた。
「うむ、快い返事感謝する。そして騎士団長よ、貴君は良い仲間に恵まれているようだな。大切にするのだぞ」
「はい‥‥」
「貴君は人の上に立てる素質を持った人間だ。この程度のことで自らを卑下しすぎるな。貴君はまだまだ若いというだけの話。この旅を通して様々なことを仲間と共に経験すれば、旅が終わる頃には貴君は大きく成長を遂げることができていることであろうよ」
「はい、ありがとうございます‥‥」
「まあ、胸の成長にはしばらく時間がかかりそうだがの」
「よけいなお世話だ」
 ルナの素早い切り返しに、コクラム王は愉快そうに笑った。
「では今度こそ失礼させていただきます。封印が完了しましたら、もう一度報告に参ります」
「うむ、すまんな、頼んだぞ。ところで本当に今夜城に泊まる気は」
「嫌ですありません」
「城下町には誰もおらんが、それでもか?」
 ぴた、とルナは去ろうとした足を止め、若干顔をひきつらせながら振り向いた。
「がはは、そういうことだ。潔く諦めろ」
 ルナは一瞬、本気で貞操の危機を感じた。


 こんなに警戒しながら入る風呂は初めてではないだろうか。ルナは浴場に入る時から着替え終わる時まで、始終警戒しっぱなしだった。スピカは大きな浴場に嬉しそうで全く気にしていないようだったが、リンすら時々ちらちらと周りを気にしているようだった。
「‥‥はあ、ぜんっぜん気が休まらないわ」
 与えられた部屋に入り、濡れた髪をタオルで乾かしながらルナはため息をこぼした。
「なんで? お風呂広くて気持ち良かったじゃん」
 スピカはベッドの上でふかふかと楽しそうにしている。よくわかってないようだし、まあコクラム王のあの反応を見る限りスピカは安全だろう。
「ルナちゃん‥‥わたしのこと守って下さいね‥‥」
 そしてリンはルナの腕にしがみついて泣きそうな顔をしていた。あの雰囲気からすると、一番危険なのはリンだ。気持ちはよくわかる。
「まあ、危なくなったら思いっきり顔面ぶん殴ってやればいいわ」
「ええ‥‥でも、相手は腐っても王様ですよ‥‥?」
「確かに腐ってるわね。でもそんなもの関係ないわ」
 この部屋に案内された時、コクラム王(エロオヤジ)は「いつ頃夜這いに来てほしいのだ?」などと聞いてきやがったので、「首が飛んでもいいのならお好きにどうぞ」と結構本気で睨みつけておいたのだが、こちらの気持ちを知ってか知らずか、何も答えず豪快に笑いながら去っていった。
「‥‥わたしお風呂入る前に、『そろそろ女の悦びを知っても良い歳ではないのか? 今夜にでも教えてやろうか?』とか言われちゃって‥‥」
 本当に救いようのないクソオヤジだ。コクラム城に住む女性が心配になってきた。
「‥‥あの、ルナちゃんはそういう経験、あるんですか?」
「あるわけないでしょっ」
 とんでもない質問をしてきた。ルナは即座に否定する。今日までひたすら訓練に明け暮れてきたのだ。そんな暇はないし好きな人すらできたことがなかったのだから、あるわけがない。
「こう言っちゃ悪いけど、最前線の騎士なんてやってたら、周りにいるのはかなり年上のごっつい人ばっかりなんだから」
「ええっ、まさかそのせいでコクラムの王様みたいな人が好みになっちゃったんですか!?」
「んなわけあるかっ! 出会いなんかなかったって言いたいの!」
 どんな勘違いだ。リンは少し安心したようにそうですか、と呟き再び涙目になってルナの腕にしがみつく。
「どうしましょう‥‥わたしもまだそんな経験ないのに‥‥。初めてがあの王様は‥‥イヤですよぅ」
「私だって絶対嫌よ」
 絶対という部分に目一杯力を込める。アレに犯されるくらいなら、前騎士団長(筋肉質な50歳)に犯される方がまだマシだ。‥‥‥‥‥‥いや、やっぱりそれも嫌だなあ。
 リンはしばらくぐずぐずと横で泣いていたが、急にきゅっと唇を引き結びなにかを決意したようだった。
「そうです、初めてじゃなければ、まだ心の傷も小さくなるはずです。わたし、今から勇者様にお願いして、初めてをもらってもらいます!」
「なんでそうなるのよ!」
 またとんでもないことを言い出した。この子は本当、天然すぎる。天然すぎて危険だ。
「だって、勇者様ならわたし、構いません」
「そういう問題じゃなくて‥‥その、勇者様に迷惑でしょ。だからやめておきなさい」
 もちろん、引きとめたい理由はそれだけではない。ルナは動揺を必死に隠しつつリンを諭そうとする。が、リンはそれを聞くとなぜか再び泣きそうな表情になった。
「それは、勇者様はわたしじゃイヤってことですか‥‥? 勇者様はわたしのこと嫌いなんですか?」
「いやいや、そういうわけじゃなくてね‥‥」
 何と言ったらいいものか。リンはルナの腕にしがみついて瞳を潤ませている。
 と、ちょうどその時風呂上がりの阿守がふいー、と息をつきながら部屋に戻ってきた。少し悩んだものの、同じ部屋のほうがコクラム王もなにやらしづらいだろうと思ったのだ。まあ、予想通り全員同室にしてくれといったら変な笑いを浮かべてきやがったが。
 リンは入ってきた阿守に、瞳を潤ませたまますがりついた。
「勇者様っ。勇者様はわたしのこと嫌いですか!? わたしの初めてなんて迷惑ですかっ」
「‥‥‥‥えーと。状況がまったくつかめないんだけど」
 阿守はちらりとルナに困ったような視線を向ける。なんて説明しづらい状況だろう。
「‥‥えーとですね、簡単に言うと、勇者様もわかっていただけると思いますが、私達はコクラム王にいつ襲われるかとけっこう本気で心配しているのです。特にリンは」
「ああ、なるほど‥‥うん、そっか。うーん‥‥」
 そう言われたところで、阿守としてもどうもしようがないのだろう。ひどくなんとも言えない困った呻きを漏らす。というか、何とバカバカしいことで悩んでいるのだろうと、自分の説明になんだか呆れてしまう。
「ですから、初めてを奪われてしまう前に勇者様に差し上げようと思うんです! そのっ、勇者様、できれば痛くないように優しくお願いします!」
「うん‥‥うん!? 待って待ってなんでそんな話になってるの!?」
「やっぱり勇者様はわたしのこと嫌いですか!? わたしの初めてなんて欲しくないですか!?」
 なぜかやたら必死なリンに阿守は若干引きつつ、しかしその内容に赤面しつつ、
「い、いや別に嫌いじゃないけど。ていうか、だからなんでそんな話になってるのってば」
「ごまかさないでくださいっ。わたしはぜひ勇者様にあああああああっ」
 ルナはなおも阿守に詰め寄るリンの首根っこを掴んでずるずる引きずると、ベッドの上にぽいと放り投げた。
「すいません、勇者様。あの子少し錯乱してるみたいなので」
「う、うん‥‥。なんか危ない眼をしてたよ‥‥」
「お騒がせしてすいません。もう、覚悟して寝ましょう。入ってきたら容赦なくぶった斬(ぎ)ってやるだけの話です」
 何気なく物騒な言葉を使いつつ、部屋の入口に机や椅子でバリケードを作り始めたルナを見て、阿守は黙り込んでしまった。
 そして自覚はなかったが、ルナもけっこう危ない眼をしていた。


「!?」
 その夜、ルナは背後に迫る気配に目を覚ました。
 後ろに誰かいる。しかも、ベッドの中にまでもぐりこんで来ている。
 まさか、本当に来るとは‥‥!
 どうやってバリケードを越えてきたのか知らないが、とにかく今は状況の打破が最優先だ。このままでは、ヤバい。何がヤバいかは言いたくないが。
 横を向いて寝てしまっているせいで、この体勢のままでは背後を確認することができない。だが、こちらの動きも気取られにくいはずだ。ルナはそっとベッド脇に備えておいた剣に手を伸ばす。
「‥‥‥‥‥!!」
 突如、ぺたりとルナの胸に手があてがわれた。そしてそのまま大胆に揉みしだき始める。ルナはつい叫びそうになってしまったのを、必死に歯をくいしばってどうにかこらえた。
 殺す‥‥! 確実に、首を刎ね飛ばす‥‥!
 ルナの目が狂気に染まり、剣を握る手に力がこもる。ゆっくりと鞘から剣を抜き、怒りに乱れまくる呼吸を可能な限り整え、タイミングを計る。
 ‥‥今!
「‥‥この、エロオヤジ! 大人しく私の剣の錆に‥‥!」
 がばりと起き上がって剣を構え、濃厚な殺意を込めた瞳で今まで眠っていたベッドを見下ろし――
「‥‥んー、どうしたの? もう朝‥‥?」
 4分の3くらい瞳を閉じさせたまま、こくりこくりと頭を揺らしながらこちらを見つめるスピカの姿があった。
「む、曲者か!? 仕方ない、ワシが追い払い皆を慰めてやろう! ‥‥なんだ、扉が開かんではないか!」 
 そして、扉の外までやってきていたらしいコクラム王の声とがたがたと扉を揺らす音が響き始めた。
 ぶつん、とルナの中で何かが切れた。
 バリケードを乱暴に崩し、扉を開けるとなぜかバスローブ姿のコクラム王がざ、と一歩部屋に踏み込んできた。
「どうした、何があったのだ!? 曲者ならばこのワシが‥‥!」
「曲者は‥‥‥‥‥‥お前だあ!!」
 ルナは開けたばかりの扉を全力で蹴り閉め、目の前にいたコクラム王の鼻面に叩きつけた。高級な素材で作られた扉はさぞ硬いだろう。ゴ、とコクラム王の鼻骨を砕かんばかりの勢いで扉が激突し、外で苦悶のうめき声が聞こえるが無視。
「ど、どうしたのルナっ。何があったの!?」
 今の音で目が覚めたらしく、スピカが戸惑いながら駆け寄ってきた。
「あんたも、紛らわしいことしてんじゃないわよ!」
 ゴッ、と怒りにまかせて振り下ろした剣の鞘はスピカの頭にめり込んだ。

 ・・†・・

「‥‥ぐすっ、まだ頭痛いし‥‥」
 翌朝。南西の洞窟に向けて足を進めながら、スピカは頭を押さえて半泣きだった。
 昨晩、2人を昏倒させたあとルナは何事かと起き出した阿守やリンを尻目に、再びベッドにもぐってふて寝の如く眠りについた。その後どうなったかなどルナの知ったことではないが、目を覚ますと隣のベッドではスピカが泣きながら頭を押さえており、おびただしい量の血がカーペットに散る廊下にはすでにコクラム王の姿はなかった。さすがにちょっとビビりつつ出立の意を伝えに行くと、鼻を真っ赤に腫らしたコクラム王はしかし懲りた様子もなくがははと笑っていた。そしてその鼻には丸めた紙が詰められていた。あの血全部鼻血かよ。
全然懲りた様子もないし、もしかするとこの程度の仕打ちは日常茶飯事なのかもしれない。もっと徹底的にやればよかった。
 南西の洞窟までは半日もあれば着くということなので、ルナは無断で厨房に入ると欠片も遠慮を見せず我が家の如く1日分の水と食料を適当に漁り、早々に城を後にした。普段固すぎるルナの横暴ぶりに、他の3人は黙って見ていることしかできなかった。
「ねえ、リンもヒドイと思うよね!」
 それでもぶつぶつと恨み事を述べるスピカはリンに話を振る。しかし振られたリンはわずかに顔を赤く染め、恥ずかしそうに視線を逸らしつつ、
「‥‥ごめんなさいスピカちゃん。昨日の夜でしたら、わたしも突然おっぱいなんか揉まれたら、多分スピカちゃんの顔を砕き割っていたと思います‥‥」
 いや、顔赤らめて言う台詞じゃないだろ。スピカも反応と言葉のギャップにちょっとビビっている。
「ほら、だから私だっただけまだマシってことよ」
「ぶー、でも痛いものは痛いもん。やっぱり勇者様のベッドに入ればよかった。あたしのことを優しく抱きしめてくれるのは勇者様だけだよ」
「あー、うん、そうだね」
 スピカの言葉をてきとーに流す阿守。すっかりスピカの扱いに慣れてきたようだ。
 そんなこんなで歩き続け、太陽が天頂からやや下りはじめた頃、4人はようやく目的の洞窟の前まで辿り着いた。
「わー、なんかイヤーな感じの魔力がすごい漏れてきてるね」
 スピカが洞窟の中を覗き込んで顔をしかめるが、ルナにはよくわからない。絡みつくような嫌な空気は確かにあるが、その程度である。
「まあ、とにかく行きましょう。のんびりしてると帰りが夜になるわ」
「ダメなの?」
「だから、夜の山道は危険よ。それともまた野営したい?」
「うーん‥‥あんまりしたくはないなあ」
 ソルドタウンからコクラム城の間ほどではないが、ここに来るにも小さくない山を越えなければならなかった。できる限り時間をかけたくないということもあるし、可能ならば今日中にコクラム城まで戻りたいところである。
「‥‥でも、またお城で寝るのかと思うと、わたし野営でもいいかもしれないです」
 昨日はよっぽど怖かったのか、リンが控えめにそう呟いた。まあ確かに、昨日はひたすらあのエロオヤジに(主に胸を)じろじろ見られてたみたいだから無理もないか。
「今夜は城下町に人が戻ってきてるはずよ。だから今日は宿屋で寝ましょう」
「はっ、なるほど。そうですね、そう信じて頑張りましょう!」
 どうにか元気を取り戻したリンがそう言ってぐっと拳を握り締めた時、洞窟に踏み言った4人を早速魔物が出迎えてきたようだった。
 キキッ、と甲高い声を上げつつ天井から飛翔してきたのはコウモリの魔物、ヘルバットだ。体は小さく攻撃力そのものは高くないが、吸血による体力の吸収はこちらに無視できない疲労感を与える。特に今は魔物が強力になってきているため、できれば攻撃は受けたくないところだ。
 しかしこの洞窟、天井は高く幅もある。動き回るにもってこいのこの空間はかなり相手に有利な場所といえる。
「スノウストーム!」
 細かいことは考えていないのであろう、先手を取ったのはスピカだった。洞窟内に渦巻いた氷の旋風が数匹の魔物を凍らせ引き裂いた。
 しかし、それと同時に洞窟内がわずかに明るさを失った。どうやらスピカの魔法で水晶を少なからず破壊してしまったようだ。水晶は数日もあれば再生するが、今はあまり多くが壊れてしまうのは望ましくない。
「スピカ、あまり広範囲の魔法は控えるようにして。光源がなくなってしまうわ」
「む、難しい注文だね。でも仕方ないか」
 スピカはそう言って今度はファイアを放つが、素早く飛びまわる魔物にはなかなか当てられない。
「あーもう! こんなんじゃムリだよ! ‥‥もういいや、あたし援護に回るから。エアロウィンド!」
 攻撃をことごとくかわされややふてくされたスピカがルナに補助魔法をかけた。瞬間、時間の流れが緩やかになった。しかしそれは錯覚。実際はその逆で、知覚を含めルナの敏捷性が一時的に上昇しているのだった。カタナを抜き放ち、近くにいた魔物に斬りかかる。魔物はひらりと身をかわそうとするが、遅い。ルナは完全にその動きを捉えていた。即座に魔物の避けた軌道を辿り、1匹の魔物を両断した。すぐ隣でリンが同じように魔物を叩き落としているのを見て、いつもリンが見ている景色はこんな感じなのだろうか、となんとなく感心してしまう。
 阿守は剣で魔物を斬りつつ、あまり広くない範囲でエアロを放ち、数匹の魔物を墜としていた。なるほど、いい戦法だ。
 ルナもそれに倣い、剣と魔法で同時に数匹の魔物を墜としていくことしばらく、ようやく空を飛ぶ魔物の姿がなくなった。
「強い魔物ではありませんが、これは少々時間を取られてしまいますね」
「やっぱあたしの魔法で全部ふっ飛ばしちゃえばいいんだよ」
「ダメよ。帰りのことを考えたら、明かりがないのはさすがに危険だわ。帰りでなくとも、暗がりで今の魔物が現れたらもっと面倒になるでしょ」
「むー‥‥確かに」
「それにしても‥‥」
 ルナはそう呟いてぐるりと洞窟を見回した。洞窟内は入り口から真っすぐに1本の太い道が伸びており、そして所々で左右へと道が開けている。どう見ても人工的に作られた洞窟のようではあるが、標識のようなものは全く見当たらず、どこをどう進めばどこに辿り着くかもわからず、そもそもどこに向かえばいいのかもわからない。これは少々骨の折れる作業になりそうだ。これでは今日中に帰るというのも難しそうである。
「とりあえずどっちに行ってみましょうか‥‥」
「こっちだよ」
 ルナがきょろきょろと左右の道を見ていると、スピカが迷いない歩調で先頭を歩きはじめた。
「え、ちょっとスピカ。あんまり適当に進まないでよ。どこ通ったかわからなくなるじゃない」
「適当じゃないって。これだけ魔力が漏れてきてたら、間違えようがないし」
 あっさりとそういうスピカに、ルナはマナや魔力に集中を向けてみるが、やはりよくわからない。
「スピカちゃん、本当にすごいですね。わたしも魔力は感じられるけど、さすがに方向まではわかりませんよ」
 リンの言葉にスピカは突然ふふん、と胸を逸らしてルナをちらりと流し見た。
「まあ、こんくらいよゆーだよ。あたしはどこかのおっぱいも魔力もない騎士とは違うからね」
「うるさい。ていうか胸関係ないでしょ。スピカだって全然無いし」
「いやいや、あたしはおっぱいは小さくても魔力は大きいからね。十分に価値ある存在だと言えるわけだよ」
「何の価値よ‥‥」
「えええ‥‥それじゃわたしはおっぱいしか価値がないってことですか‥‥?」
 なんかリンが落ち込み始めた。もう、バカばっかりだ。
「じゃあみんな、大魔道士スピカ様についておいでっ」
 ずんずんと進み始めるスピカに、ルナは仕方なく着いて歩きはじめた。
「あっ、それと勇者様。あたしもすぐおっぱい大きくなるから楽しみにしててね」
「あー、うん、たのしみだなー(棒)」
 そうしてスピカの先導のもと進み始めるうち、なんとなくしか感じられなかった魔力が徐々にルナですら感じられるほどに濃厚なものになっていった。
「ここっぽいね」
 そして辿り着いたのは、通路よりさらに天井や幅の広くなった空間。そこの真ん中にはぽっかりと大きな穴があいていた。そこからはもはや視認できるのではというほど、ねっとりとした魔力が溢れていた。
「人それぞれ魔力の質は違うけど、これはひどいね。憎しみとか怒りとか、そういう感情で練られてる感じ。あと‥‥なんだろうこれ。諦めとか、失望みたいなものも混じってる? これ、全部魔王の魔力なのかな?」
 スピカは不思議そうに穴を見つめるが、さすがにそこまではルナにはわからない。リンや阿守も同様であるようだ。
「で、封印できそう?」
 封印といえばリンだろうかと思い、そちらに聞いてみるがリンはむむ、と難しそうに眉を寄せている。
「‥‥封印の方法自体はわかったんですけど、ここは溢れてる魔力が大きすぎます。わたしの魔力ではちょっと足りないかもしれないです」
「じゃ、やり方教えてくれればあたしがやるよ」
「本当ですか? じゃあお願いします」
「そんなことできるの?」
「ええ。方法自体はそう複雑なものではないので、スピカちゃんならすぐにできると思います」
 そう言ってリンはスピカに封印魔法の説明を始めたのだが、
「‥‥‥‥」
 複雑なものじゃないって言ったくせに、ルナには何の話かさっぱりだった。魔力の干渉の仕方やら流れやら術式の並べ方やら反発やら。ルナも剣技に応用しているようにいくらかは魔法に長けてはいるのだが、それがある程度専門的な話になってくるとここまでわからなくなるものなのかと、なんとも言えない気分だ。
 と、ちょいちょいと誰かにつつかれて振り向くと、阿守が複雑な表情をしていた。
「魔法って、こんな複雑なものなの? 俺がよくわかってないだけなのかな?」
「いえ、すごく難しい話をしています。私にも全然理解できていませんよ」
 ルナが笑って答えると、阿守は少し安心したように笑った。
「そっか。なんか俺だけ置いてけぼりなのかと思ったけど、安心したよ。でも、スピカは知ってたけど、ああしてるとリンもすごく頭よさそうに見えるよね」
「ふふっ、それはつまり普段のリンは頭悪そうということですか?」
「ああっ、いやいや、そういう意味で言ったんじゃなくて、その、なんていうか‥‥」
 ちょっと慌て始める阿守を見て、ルナは楽しそうに笑う。
「すみません、冗談ですよ。まあ、私も少し驚きました。実際普段のリンは頭悪そうですしね」
「いや、まあ。‥‥うん、そうだよね」
 認めちゃった。
「なんかリンがすごく見えてきたよ」
「それは私も同感です。あの子も今まで広く浅くかなり多くのことを学んできているようですから、それが無駄にはなっていないということでしょうね」
「なるほど。やっぱり色んなことを知るっていうのは大事なんだろうね」
「まあ色んなことといっても、ある程度限度はあると思いますが」
 そう言って2人で笑い合う。こんな何気ない会話って、なんかいいなあ。
なんて思ってしまった自分ちょっと恥ずかしいっ。
「よーし、じゃそろそろ始めちゃおっか。‥‥あー、いや、なんかものすごい魔力集まってきてるんだけど」
 ようやく準備が整ったらしいスピカが穴に向き直り、しかしすぐになぜか嬉しそうな笑顔を浮かべながら振り返った。
「まったく、いつも嫌なタイミングで出てくるわね」
「いやいや、いつもながら完璧なタイミングだね。ちゃんと空気読んでる」
「わけわかんないから」
 スピカの言うとおり、大穴から溢れ出るばかりだった魔力は渦を巻き、一か所に集中し始めているようだった。そして魔力のうねりが収まったかと思うと、ガッ、と穴の中から現れた巨大な手が、穴の淵を掴んだ。そしてそこから這い上がるようにして現れたのは、昔戦争時に何度か使用されたこともある、魔力によって生命を吹き込まれた岩の巨人、ゴーレムだった。
 無骨かつ大雑把にヒトの姿を模したそれの身の丈は4,5mはあり、顔にあたる部分をこちらに向けると、瞳を赤く光らせた。どうやら敵として認識されたらしい。
「ゴーレムはそれを操る術者がいるんだったわよね? 確かそいつさえ倒せばゴーレムも動きを止めると聞いたことがあるけど」
「うーん、確かに基本的にはそうなんだけど、これは多分トラップみたいにここにしかけられたもので、この場に術者はいないんじゃないかな」
「くっ‥‥それはずいぶんと厄介ね」
 そんなやり取りも意に介したようすのないゴーレムは大きく拳を振り上げると、4人に向けて振り下ろした。見るからに重そうな一撃ではあるが動きは遅い。4人はそれをあっさりと避け、ルナはカタナを抜きゴーレムの足を斬りつけた。しかしガリッ、とわずかに表面を削るように刃が撫でただけで、大きなダメージを与えられたようには見えない。続いて阿守が炎を剣にまとわせて斬りかかるが、結果はルナと大きく変わらず。さらにリンが気合いをこめて拳を叩き込むが、その体にはひびすらはいらない。
「‥‥うう~、痛いです。ルナちゃん~」
 そしてリンは涙目になっていた。いや、呼ばれても困るけど。
「んじゃあたしがいくよ! スパーク!」
 バリバリとゴーレムの体を電気が走り一瞬動きが鈍るが、すぐに立ち直る。いくらかはダメージも与えられているのだろうが、決定的なものではない。
 そして再びゴーレムの攻撃。4人はそれをかわし、地面にクレーターが穿たれる。その隙をついて再び攻撃を仕掛けるが、やはりダメージというダメージは与えられない。
「このままではこちらが消耗していく一方ですね。どうすべきか‥‥」
 ちなみにリンは鋭い目つきで相手を睨んでいるが、それだけで何もしない。要はビビっている。まあ、半端なことをしてケガするよりはいいけど。
「むー、じゃあこんなのはどうかな。ヒートウェポン!」
 スピカがルナに何かの魔法をかけると、カタナを握る手に込める力が少し増したような気がした。
「攻撃力強化の魔法だよ。今思いついて初めて使うから上手くいってるかわかんないけど」
 なんだか不安な言い方だが、感覚としては悪くない。攻撃の反動でまだわずかにしびれが残る手でカタナを握りしめ。ゴーレムに向かって走った。
「せいっ!」
 ギャリッ! と満月を描くように大きく円の形に剣を走らせると、確かに今までよりはわずかに深く足を抉ったような気はした。しかし、まだまだ足りない。
「まったく、こんな厄介なトラップは初めてよ‥‥」
「アイスクラッシュ!」
 パキィイイン、と澄んだ音を立てて阿守の氷の刃がゴーレムの足を撫でるが、やはりその体にはわずかに傷をつけたのみである。
「このままでは本当にらちが明きませんね。しかしただ一度ダメージを与えるだけでもいけない。継続的にダメージを与えなければいけませんね」
「それより、一撃にかけたほうがいいんじゃない? 全員で一か所に集中して攻撃を仕掛けてやれば、たとえそれで倒せなくてもかなり戦いやすくはなるんじゃないかな。なによりこの硬さで継続的ダメージってのは、ちょっと難しいと思うし」
「‥‥なるほど、確かにそうですね。ならば‥‥右脚を狙いましょう。右脚の、私が今傷つけた円の中心を全員で狙い打ちます。どうですか?」
「うん、いいと思う」
 攻撃を避けながら作戦を練り、とりあえず次の行動は決まった。あとは万全に態勢を整えるのみである。
「スピカ、全員に素早さと攻撃の補助魔法をかけてほしいんだけど、できる?」
「よゆーよゆー。ちょっと待っててね」
「ス、スピカちゃん。わたしには手に防御魔法もかけてほしいんですけど‥‥」
「いいよ。この大魔道士スピカ様に何でも頼んでよ」
 いつもならただ呆れるところだが、今ばかりはスピカの存在は本当にありがたい。
 攻撃をかわしつつ、阿守は剣に炎を灯らせ、リンは拳に魔力を集中させ、スピカは全員に補助魔法をかけ続けている。
「いいですか、狙いはあの円形の傷の中心。まずはスピカがスパークで動きを鈍らせて、次に私と勇者様が同時に仕掛けます。そして最後にリンが、私達の攻撃の衝撃が残っているうちにとどめをお願い」
「わたしが最後ですか!?」
「ええ、私達の中で瞬間的な攻撃力が一番高いのはあなたなの。大丈夫よね?」
「が、頑張ります!」
 リンは胸の前でぐっと両拳を握り締めた。
 そうして準備が整うまで攻撃を避け続ける。さすがのスピカも2種類の魔法を全員にかけるのは簡単ではないのか、少し時間がかかってしまっているようだ。
「‥‥よし、準備おっけーだよ!」
 そういうスピカは笑顔を保ってはいるものの少し息が荒く、額にはうっすらと汗が滲んでいた。
「それじゃあスピカ、立て続けで悪いけど初撃頼んだわよ!」
「おっけー。それじゃあ、でっかいのいくよっ!」
 スピカはニヤリと少し危険な笑みを浮かべて杖を前方にかざすと、杖の先端を中心にして赤い魔法陣のようなものが空中に浮かびあがった。
「なによそれ!?」
「えへへー、実はさっき一番時間かかってたのは自分の魔力強化なんだよねー。やっとおっきい魔法思いっっきりぶっぱなせるワケだし!」
「無茶苦茶はしないでよ!」
「だいじょーぶだいじょーぶ。ここだったら少々水晶が砕けても帰り困んないしね」
 どれだけ魔法好き、というか破壊好きというか。なんか危険な娘だ。
「スパーク! この強さだったらたぶん3くらい! スパーク3!」
 相変わらず適当な名前を言い放つと、ドウンッ! と名前の適当さに反して凄まじい威力の魔法が空気を震わせるほどの轟音と共にゴーレムに向けて放たれた。防御力は高いが素早さはゼロに近いゴーレムはもろにそれの直撃を受け、動きを鈍らせるどころかぴたりとその動きを完全に止めた。しかし動きの極端な鈍化というだけでおそらく致命的なダメージを与えられたわけではないだろう。
「では勇者様、行きましょう!」
 ルナと阿守が同時に駆ける。しかしルナは攻撃の直前にほんの一瞬、足を止める。
「フレアスマッシュ!」
 阿守の炎の刃がゴーレムの右脚を捉える。ゴウッ、とその脚に一筋の傷が穿たれる。そしてルナが阿守の背を断つほど直後に、踏みとどめた足に再び力を込め、一条の光の筋を空に刻んだ。
「煌一閃!」
 その斬撃は狙い違わず阿守が攻撃した場所と全く同じ場所。魔力強化の加えられた渾身の連撃に、ついにゴーレムの脚にビシリと亀裂が走った。
 そしてルナが駆け抜けたすぐ後ろには同じく、ルナの背を砕かんとするほどの距離まで迫っていたリンの姿。リンは自らの魔力も加え、力を込めに込めた右拳を、脚に走った亀裂の中心に叩き込んだ。
「爆裂拳!」
 ボコンッ! とリンの拳はゴーレムの脚にめり込み、亀裂は大きく広がるとゴーレムの脚全体を覆いつくした。重さに耐えきれなくなった脚はぐしゃりと潰れ、ゴーレムの体がぐらりと傾く。そしてさらに自重に落下の衝撃が加わり、半壊していた脚から体へ、ゴーレムの体はがらがらと崩れ去り、後にはうず高く積み上げられた岩の塊だけが取り残された。
 4人はそれを見届けると、深く息をついて体の力を抜いた。
「ふう~、なんとか倒せましたね。よかったー」
 完全に気の抜けた声を漏らすリンの隣で、ルナはじっと瓦礫の山を見つめていた。リンはその姿に気づき、首を傾げる。
「ルナちゃん、どうかしたんですか? ‥‥はっ、まさかまたこれが復活するとか!?」
「いや、そうじゃなくて‥‥」
 ルナはなおもそれを見上げ続け、やがて疑問の答えに辿り着き、ぽんと手をたたいた。
「そうだ。こんなものをどこかで見たことあると思っていたんだけど、あれよ。リンの家の横に積み上がってたガラクタの山」
「ちょ、あれはとりあえず置いてるだけで、こんな瓦礫の山と一緒にしないでください!」
 必死に抗議の声をあげるリンだったが、阿守とスピカは同様にそれを見上げ、
「なるほど」「確かにね」
「お2人まで、納得しないでくださいっ!」
「それよりスピカ、次が出てこないとも限らないし、早めに封印をお願いしたいんだけど、できそう?」
「うん、この状態で連戦するよりはマシだと思って頑張ってみる」
 リンの抗議を完全に無視し、ルナはスピカに尋ねる。リンがさらに何か言い募っているようだったが気にしない。
さっきから魔法を使いっ放しのスピカはどことなく疲れているようではあったが、あまりのんびりもしていられない。スピカは大穴に手をかざし、集中を始めた。
 が、すぐにこちらを振り向いた。どうしたのかと思っていると、
「終わったよ」
「‥‥‥‥‥‥へ? も、もう?」
 なんというか、あっさりすぎる終りに思わず戸惑う。
「うん、終わり。別にいちいち派手なエフェクトがバーンってなるわけじゃないんだから」
 いや、エフェクトとか言うなよ。
 しかし、期待していたというわけではないがここまであっさりしているとなんだか拍子抜けしてしまう。どう反応していいものかと思っていると、急に首筋に何かが触れた。
「!」
 完全に気を抜いてしまっていたせいで反応が遅れた。気がついた時にはもう遅い。ルナの全身をひどく重い疲労のような感覚が襲い、脚に力が入らずがくりとひざをついた。
 首筋に噛みついていたのはヘルバット。いつの間にやってきたのか、吸血によりルナの体力を吸い取っていた。
「ほっ」
 阿守が軽い調子で逃げようとしていたヘルバットを断ち斬った。が、魔物を倒したからといってルナの体力が戻るわけではない。
ルナは困ったように苦笑いを浮かべ、すぐそばに立つ阿守を見上げた。

「‥‥ご迷惑をおかけしてすいません」
「いいよ。いつも助けられてばかりだし、たまにはね」
 夕暮れ時を迎え始めた頃、コクラム城への帰り道。ルナは阿守の背中に乗っかっていた。
 全身から力が抜け歩くこともかなわず、スピカは当然、リンも誰かを背負って歩くのはさすがにツライということだったので、唯一快く受け入れてくれた阿守の背中を借りているという次第である。
 さすがに鎧を着たままというわけにもいかないので、鎧だけはリンに持ってもらっている。小手と具足はスピカがなぜか嬉しそうに着けていた。
 せっかく調子よくボスを倒したというのに、なんてことない魔物にしてやられるとは情けないというかなんというか。
しかしそんなことより、おんぶなどしてもらうのは初めてのことで、しかもその相手は阿守ということもあり、ルナはもうドキドキしっぱなしだった。阿守の鎧越しに心臓の鼓動が伝わってしまっているのでは、と考えるとさらに鼓動が早まり、とてもではないが落ち着くことなどできそうになかった。
「ルナちゃんと勇者様、仲のいい兄妹みたいですね」
「いや、いくら仲良くてもこの歳でおんぶとかしてる兄妹は、さすがに嫌じゃない?」
「そうですか? じゃあ、恋人同士でしょうか」
「あー、そうだね。そっちの方が近いんじゃないかな」
「いやいやっ、もうちょっと返事ためらってくださいよ!」
 のん気な会話をする阿守とリンに、思わずルナは背中からツッコんでしまった。そんなさらっと言わないでほしいっ。
「そうそう、勇者様の妹ポジションは譲れないよ」
 スピカの言うことは相変わらずよくわからない。というかそんなもの奪う気なんてない。
「スピカちゃんが妹で、ルナちゃんが恋人だったらわたしはなにになるんですか?」
「うーん、そうだね‥‥愛人かな?」
「ええっ!? なんかそれすごくイヤな立ち位置じゃないですかっ! それならわたしが恋人がいいです。ルナちゃんが愛人になってください!」
「‥‥なによそれ。嫌に決まってるじゃない」
 リンの言うこともよくわからない。というか、どんなお願いだ。
「じゃああたしが妹で、リンが恋人で、ルナはあたしのお姉ちゃん」
「兄妹ばかりじゃないですか。もうちょっと役にバラツキが欲しくないですか?」
「なるほどそうだね‥‥。じゃああたしが妹で、リンが恋人で、ルナが昔の女」
「あっ、ちょっと昼ドラが始まりそうですね。でもどろどろした関係はわたしはあんまり好きじゃないですね」
「そっかー。じゃあそうだね、あたしが妹でー」
「スピカちゃんの妹は固定なんですね」
 なんかもう、何の話をしてるのかわからなくなってきている。
「まったく、何のドラマを作る気なのよ。しかも、なんでいつの間にかリンが恋人になってるのよ。勝手に奪わないでよ」
 と、言った直後に、ものすごいことを言ってしまったことに気づいた。
しまった‥‥! 思わず‥‥!
「え? そんなにルナは勇者様の恋人になりたいの?」
 スピカの言葉に「はあっ!?」と盛大に声をひっくり返らせながらルナは顔を真っ赤に染めた。動揺を表に出してしまったことにさらに動揺し、ルナは阿守の背中でわたわたと慌てまくる。
「んなっ、そ、そういうことじゃないわよっ! そのっ、勝手に変な役にしないでって言ってるだけ! 勇者様だって変な妄想に巻き込まれるのは不快ですよね!?」
「そうだなー。俺は役にバラツキがなくても、ルナはスピカのお姉ちゃんが一番ぴったりだと思うけど」
 誰もそんなこと聞いてねえよ、というツッコミを喉元でこらえる。そういえば阿守も2人に匹敵する天然だと忘れていた。
「‥‥もうなんでもいいです」
 そのまま阿守に対する各々のポジションの会話は(なぜか阿守も含め)盛り上がり続け、いつのまにか阿守自身の設定もなんやかんやと付け加えられはじめていた。
 コクラム城に到着を待たずして日はすっかり沈んでしまい。かといって野営をするというにも中途半端な距離だったので、あまり気は進まなかったが夜の山道を進むことになった。幸いこの山は道がある程度整備されており、地盤もしっかりしていたので何か問題が起こることもなく、コクラム城まで辿り着いた。
 城下町にはいると、街の崩壊具合はさすがに今朝のままだったが、避難場所から帰ってきたらしい人々の姿で街は喧騒に包まれていた。もう夜も更けてそれなりに経っているというのに、街の復旧に向けて人々は活気に溢れている。やはり、コクラムはそう簡単に潰せるものではないようだ。
 と、4人の存在に気づいた資材を運んでいた体格のいい男性が気さくな声をかけてきた。
「よっ、旅の人か? 実は昨日魔王軍に襲われちまってな、荒れまくりで驚いたか?」
 そして男はルナと阿守を見てさらに愉快そうな笑みを浮かべた。
「しかし、若いっていいねえ。そんな堂々と仲良さそうにしちゃって」
 言われてルナはずっと阿守に乗っかったままだったと今更ながらに気づかされた。ずっとこのままだったせいで違和感がなかったが、確かにこれは恥ずかしい。
「す、すいません勇者様。私はもう大丈夫ですので、下ろしていただけますか?」
 ルナが顔を赤くしながらそう言うと、阿守はちょっとしゃがんでゆっくり下ろしてくれた。地面を踏みしめる足はもう違和感なく力を込めることができる。
「‥‥勇者様? もしかしてあんたら、昨日王様を救ってくれたっていう勇者一行か?」
 ルナの言葉を聞いた男がそう問うてきたので、ルナはそうです、と頷いた。すると男は街を復旧しているみんなの方へ向いて声を張り上げた。
「おーい、みんな! 勇者様達が戻ってきたみたいだぞー!」
 その声を聞いた人々はわらわらと4人の近くへと集まってくる。
「あんたたちが街を救ってくれたのか!」「ありがとう!」「おかげですぐ元の生活に戻れそうだ!」「王様を守ってくれたんだって?」「あんたらコクラムの英雄だよ!」
 集まってきた人々は口々に4人を称えた。ルナはある程度こういう状況には慣れているのでそうでもないが、阿守とリンは困ったような嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「いやいやー、まああたしがいれば魔王だろうとひとひねりだよ! もっと褒めていいよ!」
 スピカはみんなに大きく手を振りながら相変わらずそんな感じだった。
「あの、とりあえず今夜の宿を貸ししていただきたいのですが、どこにありますか?」
「それならウチだよ! こっちにあるから、ついておいで!」
 ルナがそう尋ねると人々の中から威勢の良さそうな若い女性が手をあげて4人を案内した。ルナ達はまだ興奮冷めやらぬ様子の人々の間を抜け、その女性についていった。
「悪いね、疲れてるだろうに。だけどあたしらも嬉しくてさ、悪く思わないでやってね」
「いいよいいよ。あんな褒められてイヤな気分になるわけないじゃん」
 先導しながらそういう女性に、スピカが本当に嬉しそうにそう答えた。女性はそれを聞いてそうかい、と満足そうに笑った。と、すぐに一軒の少し大きめの建物の前に着き、女性は立ち止まる。
「ここだよ。ちょっと入口辺りはヒドいけど、中は大丈夫だから安心してよ」
 その建物は確かに玄関は崩壊しており、扉が扉として機能していない状態だったが、中に入って部屋の方へ案内してもらうと確かに玄関以外は特に被害は受けていないようだった。
「今日は他に宿泊客なんていないし、ここ以外の部屋も適当に使ってもらっても構わないよ。まあでも、英雄にこんな粗末な部屋に泊まらせちゃって申し訳ないね。その分ご飯は豪勢に作らせてもらうよ。すぐとりかかるからちょっと待っててね」
 そう言って厨房へ向かおうとする女性をルナは慌てて引きとめた。
「あのっ、これから王様に報告に行ってこようと思うので、どの程度時間がかかるかもわかりませんし、少し待って頂けますか?」
「あら、お城に行くのかい? じゃあご飯はいらなかった?」
「いえ、報告だけですぐに帰ってきますので、それから準備していただけると助かります」
 ルナはきっぱりと言い放った。あの城に長居はしたくない。どんなセクハラをされるかわかったものじゃないし。
「あっはっは! もしかして昨日王様になにかされたのかい?」
 ルナの言葉を聞いて女性は愉快そうな笑いをあげた。ああ、やっぱり国民もそういう認識があるのか。
「ええもう、何度剣を抜きかけたかわからないくらい。まあ実際一度抜きましたが」
「あっはっは! しつこかったら殴っちゃえばいいのさ! ウチの王様は少々殴られた程度で堪える人じゃないからね!」
 国民にここまで言われる王ってどうなんだろう。
「‥‥コクラム王はいつもあんな感じなのですか?」
「ああそうだよ。よく街に下りてきては若い子に手を出しまくってるよ。それで毎日のように殴られまくってるよ」
 なんかもう、声をかけまくっている姿が容易に想像できすぎる。
「‥‥なんだか、へんた‥‥大変そうですね」
 ルナが呆れてそう漏らすと、しかし女性はいやいや、と楽しそうに笑いながら手を振った。
「まあ確かに変態だけど、あの方はいつもあたしたちのことを一番に考えてくれてるよ。なんだかんだでお城の外によく出てるから街の様子もよくわかってるしね。騒がしいのも、楽しくてあたしは好きだよ。まあちょっと変態だけどね」
 大事なことなので2回言いました。
 評価はどうあれ、国民からの信頼は厚いようだ。だけどこうもはっきり変態といわれる王様もどうなんだろう。城に仕えてる女性はやはりすごく大変そうだ。
 女性に笑顔で見送られ城に向かうと、城の中も復旧作業をする人々でこんな時間にもかかわらず騒がしかった。街に入ったときと同様に人々から喝采を浴びてから謁見の間へと向かうと、そこにはコクラム王はおらず、城の兵士に尋ねて言われた場所に向かってみると、コクラム王は他の兵士と共に兵舎の復旧作業を行っていた。着ているのものも作業用のツナギだし、ここにいると聞いていなければおそらく見つけられなかっただろう。
「王様ー、封印してきたぜぃ」
「コクラム王、ただ今戻りました。大穴の封印、完了いたしました」
 声をかけるとコクラム王は作業の手を止めてこちらを振り返り、快活な笑みを浮かべた。
「おー、そうかそうか、ごくろうであった。こんな遅くまで歩かせたようですまなかったな。では今夜はワシの寝室で」「寝ません」
「ではせめて城に」「泊まりません」
「なんじゃ、やはり貴君は堅苦しいのう」
 容赦ないルナの否定にコクラム王はつまらなそうにそうぼやいた。
「おお、そうだそうだ、ちょっと待っておれよ」
 と、コクラム王は何か思い出したらしく突然そう言ってどこかへ行ってしまった。そしてしばらくもしないうちに戻ってきたコクラム王の手には、一振りの鞘に納められた短剣のようなものが握られていた。そしてそれをほいっとルナに差し出した。
「実はな、今回は礼を用意したのだ。持っていってくれ。国に代々伝わるコクラムの短剣だ」
 そんな由緒あるものの割には扱いがぞんざいだな。とも思うが、それ以上に、
「いや、封印する前にくれよ」
「ルナ、このシーンでその台詞は心の中の声のはずだよっ」
「はっ、思わず本音が出てしまったわ」
 そんなメタなやり取りにコクラム王は気にした様子もなくがははと笑い、
「いや、物資が不足しておるのは事実だ。ただ今日復旧作業をしておったら物置の奥のほうからこれが出てきてな。そういえばワシが子供のころ父上にもらって片づけたままだったのを忘れておったのだ。使いもせんものを持っておっても仕方ないのでな。貴君らが持っておった方がいくらかは役に立つだろう」
「しかし、代々王を継ぐ者に継承されているのなら、そんなものを我々がもらって構わないのですか?」
 ルナの問いにしかしコクラム王はうむ、とじょりじょりとアゴをさすりつつ、
「実は父上も偶然倉庫の奥で発見したらしくてな。よくわからんが、大事そうに保管されていたしきっと何か由緒あるものなのだろうと、ワシのいつだかの誕生日に授けられたのだ。だから雰囲気を出すために言ってみたが、実は別に代々伝わるものでも何でもない」
 親子揃って適当だった。ならもう遠慮なくもらっておこう。
 その短剣をよく観察してみると、柄の部分にはコクラムの紋章である2本の剣が交差した模様が刻まれており、刃は研ぎ澄まされ、そこまで強力なものではないが魔力も帯びているようだ。よくわからないが、少なからずの業物ではあるようだ。
「ありがとうございます。ではこれにて失礼します」
 用事も済んだしとっと帰ろうとするルナ達をコクラム王はしかし呼び止めた。
「おっと、そう急がんでも晩メシくらい共に」「食べません」
「なら風呂だけでも」「入りません」
「せめて胸を揉ませてくれんか?」「いやですっ!」
 誘いをやはり全力で断り、最後の問いだけはリンに向けられたものだったが、その言葉の直後、リンの拳がコクラム王の顔面にめり込んだ。
 兵士たちの前でやりすぎではないか、とルナははっとして周りに注意を向けたが、顔を押さえてのたうちまわるコクラム王を見て兵士たちは腹を抱えて大笑いしていた。こんなの日常茶飯事だったらしい。楽しそうで何よりだ。
「では今度こそ、失礼します」
「おう、またいつでも遊びに来るがよいぞ。ワシのベッドはいつでもウェルカムだからな」
「二度と来るか」
 そう言い残してその場を去ると、背中から「振られちゃったぜ!」「連敗記録更新ですね!」とやはり楽しげな会話が聞こえてきた。まあ、変態でも人望はあるのだろう。何気なくこんなところで兵士たちと作業をしているように、人の上に立つうえで大切なこともちゃんと知っているようだし。変態だけど。大事なことなので2回言いました。
「お、そうだそうだ、最後にもうひとつだけよいか」
「今度はなんですか」
 背中にかけられた声にルナが面倒くささを隠そうともせず振り返ると、コクラム王は資材の上に腰かけて、なんとなく言いづらそうに視線を少し外していた。
「その、だな。エルムの者も知っているとは思うが、少し前にも魔王共の襲撃があってな、その時に我々はかなりの痛手を負ってしまった。そのままの意味で、だ。ワシが守りきることができんかったせいで少なからずの死傷者を出してしまった。それで、城の兵を辞退する者もおったが、数人の兵士はワシに愛想を尽かしてしまったのか、知らぬ間に城を去ってしまってな。‥‥まあだから、要するにだ。もしどこかでそういった者に出会うことがあったなら、戻って来いと強制することはせん。だが、ワシらはいつでも帰ってきてほしいと思っていると、伝えてはくれんだろうか。彼らの生活も心配だが、なにより大切な仲間だ。やはりいなくなられるのは、寂しいもんなのだ」
 コクラム王の言葉と、周りの兵士たちの静かな同意の声を聞きながら、ルナが一番に思い出したのはソルドタウンにいた腕輪をくれた元コクラム兵の男。そういえばあの男も、城の兵士たちは大切な仲間なのだと言っていた。
 こうして少し距離ができてしまっても、それでも心は繋がり続けている。コクラムの結束力はやはり、そう簡単に壊れてしまうものではないようだ。
「ええ、覚えておきます」
 これでまた、生きて帰ってこなければならない理由が1つ増えてしまった。ルナはほほ笑んで頷いた。
「あとな、やはり男って生き物はみな、おっぱいを揉みたいもんなのだ」
「自分の胸でも揉んで喜んでろ」
 ばっさりと言い捨ててルナが背を向けると、後ろから「その発想はなかった!」と盛り上がる声が聞こえてきた。もうヤだこの国。
 そんな頭の湧いた変態達は放っておいて宿に戻ると、女性は厨房で料理の支度をしているようだった。声をかけると女性は驚いて振り向いた。
「あら、思ったより早かったわね」
「ええ、報告をしてきただけですので」
 女性はそんなルナの顔を見て、少し楽しそうにほほ笑んだ。
「それだけ、って言う割には、なんだか嬉しそうね」
 特に意識していたわけではなかったが、どうやら少し顔に出ていたようだ。
「はい、少しだけいいことがあったので」
「そっかいそっかい。あたしらがコクラムって国が好きな理由、ちょっとはわかってもらえたかな」
「はい。もちろん、それでもエルムには敵いませんけれど」
「あっはっは。そりゃ残念」
「あと、コクラム王がド変態オヤジなことに変わりはありませんが」
「あっはっは! んなもん誰もが知ってることだよ。でも、それは王様に直接は言わない方がいいよ」
「ええ、それはまあさすがに‥‥」
「あの方は逆に喜んじゃうからさ」
「絶対に言いません」
 ルナは固く心に誓った。
「ま、ご飯までもう少し時間かかるから、お風呂にでも入って待っててよ」
「お風呂って、露天風呂!?」
「ごめんね、あれはソルドタウンにしかないのよ。普通のお風呂だけど勘弁してね」
「そっかー。じゃあご飯に期待してるよ」
「しかし、お忙しいのにありがとうございます。ご飯の準備も我々が戻ってきてからゆっくりしてくださって構わなかったのですが」
 遠慮なさすぎるスピカの頭をぐいと押さえつけルナが礼を述べると、女性は気にした様子もなく笑う。
「まあちょっと手持無沙汰になってたからってのもあるけど、あんたのあの様子じゃお城に長居はしないだろうって思ったからね。お腹減ってるだろうし、早く食べたいでしょ?」
 なるほど、とすごく気の利いた心遣いに感心させられる。
 4人は女性に進められたとおり先に風呂に入って夕食の出来上がりを待った。さすがに露天風呂には及ばないが、ここの風呂もなかなかに広く一日の疲れが溶け出していくようだった。なにより常に警戒しておく必要がないことがいい。いやまあ、そうしなければならない状況のほうがどうかしているのだが。それにしても、
「‥‥‥‥」
「どうしたんですか? ルナちゃん」
 ルナの視線に、リンが首をかしげて問いかけてくる。
「‥‥いや、なんでもないわ」
 今まであまり気にしていなかったが、確かにリンの胸は大きいなあ、とつい見入ってしまった。次に自分の胸を見下ろし、嘆息する。別に無いわけではないが、小さい頃からひたすら強くなることだけを求めてきた自分のそれは大きいと言えるものではなく、筋肉質であまり弾力に富んでいる風でもない。
「‥‥ルナちゃん、どうしてわたしのおっぱい見ながら自分のおっぱい触ってるんですか?」
「はっ!」
 ルナはリンに指摘されてようやく自分の視線と手の位置に気がついた。しまった、無意識のうちに‥‥!
「ふふふー、ルナは大きいおっぱいが羨ましいんだよねー」
「スピカにはそういうこと言われたくないわよ」
 ニヤニヤ笑いながら寄ってくるスピカの頭を押さえつけ、ぶくぶくと沈める。
「それにしても、やっぱり落ち着いて入れるお風呂はいいですね」
 話が戻った。よかった。
「全く同感だわ」
 ぷはっ、と湯から顔をあげたスピカが不思議そうに尋ねる。
「どうして落ち着けなかったの? 昨日のお風呂も広くて気持ち良かったじゃん」
「いやまあ‥‥ね。イロイロあるのよ」
「そうです。イロイロあるんです」
「?」
 スピカはやはりどうにも理解していないようだった。スピカには少し早すぎる内容だろう。
「ところで、明日以降の予定はどんな感じなんですか? 一直線にランド城を目指すのですか?」
 スピカがさらに深い質問をしてくる前にリンがそう尋ねた。スピカも会話を遮ってまで尋ねてくる気はないらしく、ルナの答えを持つ。
「そうね、ライム王子も向かっているみたいだし、とりあえずはその予定よ。まず明日は西にあるエッジタウンに向かうわ。それからさらに少し西にある洞窟を抜けて、関所を通ってランド王国に入国する。そこから北に向かってムーバータウンに向かう。エッジタウンからムーバータウンまでは、おそらく1日じゃつかないでしょうね。それからさらに北に向かって山を越えてランド城に向かう。ランド城まではどんなに急いでも2日はかかると思うから、ここが一番の頑張りどころかしらね。まあ魔王の島がどんな場所なのかは私も知らないから、そことは比べようがないけれど」
「ええー、じゃあお風呂入れない日が何日も続くかもってこと?」
「そうなるわね」
 ひどく嫌そうに顔をしかめるスピカに、ルナはあっさりと頷いた。ルナとてそれは気持ちのいいことではないが、こればかりはどうしようもない。
 3人が風呂からあがると、部屋ではすでに阿守が宿で借りた服に着替えてくつろいでいた。そしてさほど待つこともなく、夕飯の準備が整い4人は勢いよく食事を開始した。あまり意識していなかったが、どうやらずいぶんお腹がすいていたらしい。短時間で食事を済ませると、4人はすぐに寝る準備を整えた。魔物が日に日に強くなっているため、疲労度合もどんどん増しているようだ。今日のルナに関しては、それよりも体力を吸われたことが大きな原因かもしれないが。
 その日は皆、いつもより早く眠りに落ちたようだった。

 ・・†・・

 エッジタウンに到着したのは翌日の夕方頃。今朝は夜が明けてすぐに出発したおかげで日が暮れる前に着くことができたようだ。
 エッジタウンは山の斜面を利用して作られている街だった。元々は山の鉱石の採掘が盛んな都市だったらしいのだが、今では資源を採り尽してしまったらしく、しかしここに住み続けていた人々は移住することもためらわれ、こうして今でもその時の名残を残しつつ暮らしているらしい。
「わー、すっごい上のほうまで街があるんだね」
 スピカは斜面の頂上辺りを眺めながら興味深げだった。
 元々暮らしていた人々はここに残っているようだったが、若い世代は外に出ていく人も多く、外からここに移住してくる人はほとんどいないため、街の人口は減少傾向にあると聞いていたが、確かに街を歩いているのは老人が多く、あまり栄えているようにも見えない。もしかしたらこの街はそう遠くないうちに廃村のようになってしまうかもしれないな、と不思議な感慨のようなものを覚えた。
 とにかくまずはライム王子のことを聞いてみようと街の人々に尋ねてみると、どうやら2,3日前にここを訪れ、しかしもうランド王国のほうへ向かってしまったらしかった。
 それさえわかればそれ以上やるべきこともない。宿だけ目星をつけておくと、4人は少しだけ街を散策してみることにした。
「‥‥何にもないね」
 夕暮れの街を目的もなくしばらくぶらぶらと歩いていると、スピカがぽつりと呟いた。確かに、歩けど歩けど民家以外に目立った何かがあるわけでもなく、忌憚なくいってしまえば非常につまらない街だった。始めのうちこそきょろきょろと辺りを見回しながら歩いていた4人だったが、次第にそれも止め、今はとりあえずてっぺんを目指して歩いていた。何かあることを期待してというよりは、なんとなくとかとりあえず、といった感じだった。
 言葉少なになりながら、4人はようやく頂上の街まで辿り着いた。こんなところまできてしまって一体どうするんだろうという考えが一瞬よぎったが、階段を登りきり、後ろを振り返って――全員が息をのんだ。
 オレンジ色似に染まる街、その向こうに広がる海。海の向こうの大陸と地平線。そして、視界いっぱいに広がる夕焼け空。
 ルナは今まで様々な場所で様々な景色を見てきたが、一瞬でここまで心を奪われる景色に出会ったのは、今日が初めてだった。
「きれいだね‥‥」
「ええ‥‥」
 スピカが呟き、4人はそれ以降言葉もなくただその景色に見入っていた。
「この街の人たちは、この景色を知ってるのかな」
どれくらいそうしていただろうか、スピカが顔は動かさないままふとそんなことを尋ねた。
「知っているから、この街に残っているんじゃないかしら」
 ルナも景色から目を離さないまま、そう答えた。
「じゃあ、この街を出ていった人はこの景色を知らなかったのでしょうか」
「‥‥それは、どうかしら。風景が人に与える影響は、その人によって大きく違うわ」
 それはルナが今までの経験を通して学んできたことだった。戦場を見て怒る人、悲しむ人、恐れる人、戸惑う人、喜ぶ人、何も感じない人。色んな場所で、色んな人を見てきた。だからルナはその問いにはっきりと答えることができなかった。
「いつだったか、誰の言葉だったかも忘れちゃったけどさ、以前聞いたことがあるんだ。風景って言うのは誰かがそれを見て、それが風景だって思うから、それは風景として成り立つんだってさ。だからもし魔王が世界を滅ぼして、誰もいなくなってしまったら、この風景は誰にも見られることがなくなって、存在自体がないものになっちゃうのかな。なんだかそれって、すごく悲しいことだと思うんだ。だからさ」
 阿守は一度そこで言葉を切り、やはり目の前の景色を見つめながら、力強く言った。
「絶対に、魔王を倒そう」
 ルナも、リンも、スピカも、笑顔で阿守を見た。阿守も1人1人に笑顔を返す。
「今さら何言ってんの勇者様。そんなの、当たり前じゃん」
 スピカは笑顔で阿守の手を握り、再び目の前の景色に見入っていた。
 守るべきものがあると、人は強くなるという。ルナはその時、少しだけ強くなれたような気がした。
 4人は日が沈むまで黙ってその景色を見つめ続けた。日が沈んでもその景色の美しさが失われることはなく、月明かりに浮かぶ風景はまた違った雄大さを4人に見せつけていた。

 Ⅳ.

 ランド王国へ行くにはエッジタウンの西の小さな洞窟を抜けて向こうの大陸へ渡らなければならない。4人は翌朝手早く準備を整えると、すぐに西の洞窟へと向かった。
 海の中を通っているため洞窟の中はひんやりとしている。長い長い下り階段を下りていくと、最低限の手しか加えられていないのだろう、ごつごつとした岩の通路がぐねぐねと伸びていた。
「いやー、やっぱ地下の洞窟はいいね。魔力がみなぎるっていうか、特にここは深いからすごく調子が良くなった気がするよ」
 洞窟の中を歩きながら、スピカはとても上機嫌だった。時折現れる魔物も率先して倒しにいっている。
「なんとかと煙は高いところが好きって言うけど、どうやらただの迷信みたいね」
「え? なにそれ、なんとかってなに?」
 ルナの皮肉はスピカには全然通じていないようだった。
 そんな調子で洞窟を進み続けていると、やがて大きく開けた空間に辿り着いた。その先は再び道が狭くなり地上へと続いているのだろう上り階段が見えるのだが、しかしその通路を塞ぐように1人の見知らぬ男がそこに立っていた。
「おっと、おまえら。ここはとおさねーぜ」
 4人がその男の前まで行くと、男は道を塞ぐように手を横に広げ、ニヤリと笑ってそう言った。
 男はワイルドな、というべきか雑な、というべきか少々迷ってしまいそうなやや長めの金髪をしており、眼は好戦的にきつくつり上がっている。歳はルナよりは少し上だろうかという程度で、身長は阿守より少し高い。赤いシャツの上に黒い長そでの薄手の上着を羽織っており、履いているジーンズは所々にダメージが加えられていて、一見すればどこのヤンキーだろう、といった姿である。しかし、その男から放たれている雰囲気は普通の人間のそれとはどこか違っていた。
「おまえらが、勇者一行で間違いねーよな。ああ、間違いねえ。普通じゃねえ力を感じるぜ」
「あんただれ? なんであたし達の邪魔すんの?」
 突如決め付けるようにそんなことを言ってくる男にスピカが訝しげにそう問うと、男はどこか誇らしげに答えた。
「おれかぁ? おれはな、魔王様の臣下の1人でファルスってんだ」
「魔王の臣下!?」
 ルナは思わず驚きの声をあげる。それならばこの異様な雰囲気も納得できるのだが、しかし、
「‥‥いや、でもどう見たってあなた人間じゃない」
 確かに雰囲気は異様である。しかし、ファルスと名乗った男はどう見ても魔物などではなく、人間だった。魔王の手下に人間がいるなど聞いたことがない。
 と、ルナの言葉を聞いたファルスは俯いて肩を揺らし始めたかと思うと、突如声を上げて笑い始めた。
「くくく、あはははは! おまえおもしれーなあ。ていうか、おまえ根本的に何か勘違いしてるだろ」
 挑発的な口調のファルスを、ルナは鋭く睨みつける。
「そもそも、魔王様自体が元人間なんだからよ、人間の仲間がいたってふつーだろが」
「なっ‥‥!?」
 ファルスの言葉に、ルナだけでなくその場にいた全員が驚愕の声を漏らした。
「おまえら人間の敵は魔物だけだと思ってたのか? 残念だけどな、この戦いは魔物対人間の種別間の争いなんかじゃねーぞ。これは人間同士の戦争だぁ!」
 興奮状態で狂気の笑みを浮かべて叫ぶファルスに、しかしルナは反対にに冷静さを取り戻して考える。
「なるほど、そういうことね。魔王と聞いて勝手に化け物をイメージしていたけれど、むしろ人間だと言われたほうが納得できる。魔物だという固定観念を拭いきれないせいで気づけなかったけれど、確かにここ最近の魔物の動きは『人間臭い』。指揮している者が人間であるなら、当然かもしれないわね」
 統率されたような動きをとる魔物たち。集団で街を襲ったり今までではありえない動きをし出したのは人間が統治しているからと考えるのはひどく妥当である。
「つまりここ最近魔物が少しずつ強力になっているのも、やはり魔王が原因だということね」
 ルナの言葉を聞くとファルスはにぃ、と楽しげに口元を歪めた。
「ああ、その通りだ。少しずつ人間どもを追い詰めて、できるだけ長く恐怖を味あわせてやろうってことだよ。くくく、人間どもが日々追い詰められていく姿を見るのはたまんねーぜ」
「でも、なんで人間なのに人間を殺そうとするの!?」
「うるせぇ!」
 スピカの問いに、しかしファルスはただ一言そう叫んで答えることを拒絶した。ファルスは相変わらず危険な笑みを浮かべたまま、目は大きく見開かれ血走り、息も荒くとてもではないが正常な状態とは言い難かった。
「なんでもいいから、とりあえずおれと遊んでいけよ」
「悪いけど、あなたと遊んでいる暇なんてないわ。そこをどけなさい」
「おいおい、そんなつれないこと言うなよ。せっかくトモダチも連れてきてるんだしよぉ」
 その言葉と同時、ファルスの横の地面に大きな魔法陣が浮かび上がった。そしてそこから、異形の姿が浮かび上がる。
 ぬらぬらと光るピンク色の皮膚に覆われた、巨大な風船のような魔物。無理矢理にたとえるなら、丸々と太ったウーパールーパーとでも言えばよいだろうか。背中には体には不釣り合いなコウモリのような小さな羽が生えており、赤く光る目に大きく笑みのような形に開かれた口。地面を踏みしめる4本の脚は短く、とてもではないがトモダチになどなるのは遠慮したい姿の魔物だった。
「こいつはアドバンっていうんだ。そのへんにいる魔物と一緒にしてたら痛い目みるぜ?」
「あなた、人間のくせにそんな魔物とばかり仲良くして、虚しいと思わないの?」
 別にファルスは本気で友達だと言っているわけではないのだろうが、魔王と共に行動しているという時点で、人間を拒絶しているのだろうということは間違いないはず。ならばなぜ、と思いルナはそう尋ねるが、ファルスは動じた様子もなくくくっ、と笑みを漏らす。
「じゃあ、人間と仲良くしたらどうなるってんだよ。そもそもみんなで仲良くなんてできっこねぇんだよ。おまえだって自分を嫌う相手にまで心を許せるか? ムリだろ。そーいうことだよ」
「しかし、だからといってすべての人間を滅ぼすなど‥‥!」
 ファルスの言葉にルナは怒りを露に声をあげるが、しかしファルスはそれを聞こうともせず遮った。
「あーうるせえうるせえ! ‥‥ったく、こんなことおまえらに言ってもしょーがなかったなぁ。とりあえず‥‥死ね!」
 ファルスのその声を合図に、魔物が動いた。ドン! と足踏みするようにアドバンが前足を地面に叩きつけると大きく地面が揺れ、足もとから鈍い衝撃が全身に走った。地面に直接魔力を流し込み全体にダメージを与えてくる攻撃のようだ。ルナは周りを見回すと、他の3人も苦しげに地面に膝をついている。
「ははは! よーく痛めつけてやるからよぉ、しっかり悶えて苦しんでくれよ?」
 そういうファルスの手には、禍々しく黒いオーラを発する一振りの剣が握られていた。ルナは直感であれは危険だと感じた。震える腕でどうにかカタナの柄を握る。
「いくぜ! おらああぁぁ!」
 ファルスが雄叫びのような声とともにそれをルナに向かって大きく振るった。地に膝をつけていたため一瞬反応が遅れたルナはとっさにカタナでそれを払った。しかし、
「‥‥がはっ!」
 ファルスの剣を弾いた瞬間、全身に寒気が走った。体が重くなり、視界が霞む。この症状は、毒だ。しかもかなり重い。
「あっはっは! どうだよ、この魔王様から直々に授けられたベノムソードの味は! なあ、気持ちいいだろ? もっといい声聞かせてくれよ!」
 ファルスが再度剣を振るうが、横から放たれた火球がその剣を弾き飛ばした。
「気持ち悪いことばっか言ってないでよ、変態!」
 スピカが魔法を放った直後、アドバンは再び地面を打ち鳴らした。全員の動きが一瞬止められ、その隙にファルスは弾かれた剣を拾う。
「そう簡単にいくかよっ」
 ファルスは構え直し、今度はリンに斬りかかった。しかしリンはするりとその斬撃をかわすと、ファルスの腹に拳を叩き込んだ。
「‥‥ぐっ! くそっ、すばしっこい女だ!」
 ファルスは剣を振るって牽制しリンから距離をとると、今度は阿守へと斬りかかる。
 1人ずつ刃を交え、力量を測っているというわけか。勢いばかりで何も考えていないように見えて、冷静に分析をしているようだ。これは侮れない。
 初めから気を抜いていたというわけではないが、ルナは再び気合を入れ直す。
「エアロスマッシュ!」
 阿守は風の魔法を剣に乗せ、ファルスの剣に触れることなくその軌道を逸らせると、素早くファルスを斬りつけた。
「なかなかやるじゃねえか」
 しかしファルスはざざっ、と地面を踏みならして姿勢を逸らし、阿守の剣は空を薙いだ。
 ルナはそれを見ると、素早くファルスに肉薄し斬りかかった。ファルスは剣で受けようとするが、ルナは阿守のやり方を真似、風をまとわせてその剣に触れることなく弾く。
 と、アドバンが再び地面を轟かせる。それを認めると同時、ルナは大きく地面を蹴ってファルスから距離を開けるように跳んだ。わずかに衝撃は伝わってくるが、動きに支障が出るほどではない。地面に着地すると同時、ルナは再び地を蹴った。狙いはファルスではなく、アドバン。ルナは一筋の光が煌くような刃で、アドバンを斬りつけた。アドバンはギョエッ、とおかしな呻き声をあげる。防御力はそう高くない。攻撃も単調だ。ただ厄介なのは、ファルスとの連携。ルナはアドバンから大きく距離をとり、膝をついた。
「‥‥くっ!」
 どうにか力を振り絞って攻撃に転じたが、先ほど受けた毒は想像以上のペースでルナの体を蝕んでいる。今や敵に焦点を合わせることすら辛くなってきた。視界が白くかすみ、自分自身に回復魔法をかけようと思ったが、集中することができず魔法を使うことすらおぼつかない。
 このままではマズイ‥‥。
 そう思ったルナの背中に、ぽんと優しく手が置かれた。そしてみるみるうちに体が軽くなり、体が浄化されていくのがわかった。
 完全に毒が抜け、振り返ると後ろに立っていたのは阿守だった。
「ありがとうございます、勇者様」
 簡単に礼を述べると、阿守は笑顔で軽く手をあげて返してくれた。
 その間、スピカが遠距離から援護をしつつ、リンがファルスの剣をかいくぐりながら確実に攻撃を加えていた。
「くそっ、まずはおまえから殺してやるよクソガキ!」
 ファルスはリンから距離をとり、やや離れた場所に立っていたスピカに凄まじい勢いで飛びかかった。リンは突然の標的変更に反応しきれない。剣を振り上げ、ファルスは歪んだ笑みを浮かべた。しかし目前まで肉薄されてもスピカは余裕の笑みを消さなかった。
 ――ファルスの斜め後ろから、ルナと阿守がファルスの背を捉えていたから。
「なにっ!?」
 カキィン、と阿守がファルスの剣を弾き、隙だらけになったファルスの脇腹に、ルナのカタナがするりと薙いだ。ファルスは鮮血をまき散らしながら大きく横に跳び、半ば転がるようにしながらその場から離れる。
 ファルスの剣に直接触れ、ふらりと倒れそうになった阿守をスピカはよっ、と支え、即座に阿守は顔色を取り戻す。
「‥‥くっそ、なかなかやるじゃねぇか。だけどそんなあっさりとやられるおれじゃあねえぜ」
 ファルスは血の噴き出す脇腹を手で押さえると、そこを柔らかな光が包み込み、ぼたぼたと垂れていた血はすぐに治まった。
 どの程度魔法を使いこなすのかはまだはっきりとはわからないものの、あの傷を即座に治してしまうとは、少なからずの使い手のようだ。
「今度こそ、ぶっ殺してやるぜ!」
 ファルスが再び斬りかかったのはスピカ。そして同時に、アドバンが地面を鳴らした。ルナと阿守はとっさに反応しきれず、がくりとひざを落とす。
しかしリンだけはどうにか直前に地を離れた。跳んだ先はもちろん、スピカのもと。ファルスは即座にリンに標的を変えるが、リンは一歩踏み込みファルスの肩に手を置くと、くるりと回転するようにその背後に回り、その背を思いきり蹴りつけた。ファルスは前のめりに倒れかけるが、どうにか地面に手を着き、そこを支点に体を回転させリンに向き直る。その時にはリンはすでにファルスの目の前まで迫り、拳を繰り出していた。しかしファルスは首を傾け、紙一重でその攻撃をかわす。リンの拳は頬をかすめ、ファルスの顔に一筋の赤い線が奔る。ファルスは至近距離で剣を突き出すが、リンは大きく後ろに跳んでそれをかわした。
この短時間で、ファルスはかなりこちらの動きに慣れてきている。この相手は想像以上に強い。そう判断したルナは、最初の標的をファルスに気取られないようアドバンに変更することにした。ちらりと阿守に視線を向けると、どうやらそれだけで理解してもらえたようだった。
「アイス!」
 その時、スピカがファルスに向けて魔法を放った。ルナはそれに乗じてファルスに向かって駆けた。
「はっ! この程度おれが捌けないと思ったかよ!」
 ファルスはアイスの軌道上から逃れると、ルナに向き直った。が、
「!?」
 ファルスに向かって足を向けたのは最初の数歩のみ。ルナはとん、と地を蹴り向かう方向を変えると、そのままアドバンを斬りつけた。さらに、スピカの放ったアイスはファルスの今までいた場所を通り過ぎ、そのままアドバンに突き刺さった。スピカが珍しく頭を使っている!
「畜生がっ!」
 すぐにルナのもとに向かおうとしたファルスは、しかしいつの間にか目の前まで迫っていた阿守の剣をどうにか受け止めた。阿守の表情が歪むが、しかし攻撃の手を止めず全力でファルスに斬りかかった。
 その間にリンもアドバンの近くまで移動し、拳に力を込めていた。当然、ルナも次なる攻撃の態勢は整えている。
「朧月!」「爆裂拳!」「アイス、3!」
 ルナのカタナがアドバンの体に満月の如き円を刻み、リンの拳がその体を衝撃で大きく抉る。そしてスピカの放つ幾本もの巨大な氷塊が突き刺さった。3人の攻撃がほぼ同時に炸裂し、アドバンはウゴオォォ、と苦悶の呻きを漏らすとぐらぐらと体を揺らし、ひざを折り重い地響きを立てて地面に伏し、活動を完全に停止させた。
「‥‥ちっ、あっさり倒されやがって」
 ファルスが一瞬アドバンに注意を向けた隙を逃さず、阿守は毒がまわり視界も定かではないであろう状態で、ファルスにさらなる連撃をかけた。
「うおおおおおっ!」
 ギィン、ギギィン、とエアロスマッシュからの二連撃でファルスの剣を弾くと、つむじ風を巻き起こす剣でファルスの脇を斬り抜ける。すぐに振り向いて斬りおろしてきたファルスの剣を、氷をまとった剣で下から上へ斬り上げ弾くと、再びファルスの横を大きく駆け抜けた。直後、ファルスの体の数か所からほぼ同時に見えるタイミングで血飛沫が舞う。
「がはっ‥‥こいつら思った以上に強え‥‥」
 毒を受けた体でここまでの動きを見せたことにも驚きだが、それ以上にルナは今の阿守の連撃に自分のカタナ技が含まれていたことに、何より目を奪われた。何度も使っていた技も、たった一度しか見ていないはずの技まで完璧に使いこなしている。
 いったい、どこまで強くなっていくというのですか‥‥!
 ルナは驚愕と感動に、思わず笑みを浮かべた。
「思い知ったか。こっちには勇者様がいるんだもんね。あんたなんかには負けないぜ」
 スピカは阿守の毒を治癒しながら、なぜかやたらと誇らしげだった。いやまあ、いつものことだけど。
「けっ、なにが勇者だ。おまえみたいな強いやつが、何でうまくやってやがるんだよ‥‥。結局はおれたちと何にも変わらねえってのによ‥‥。くそっ、おまえらはいつか必ず俺が殺してやるからな! 覚えておけよ!」
 三流の捨て台詞を吐くファルスの体が淡く光りだしたかと思うと、ブン、と音を立てて突如その姿がかき消えてしまった。
「あ、逃げた」
「空間移動系の魔法でしょうね。厄介な敵だったわ。もうあまり関わりたくないけど、そうもいかないでしょうね」
 阿守はファルスの去った後の空間を見つめながら、ふうむと息をついた。
「それにしても、魔王が人間だったなんて驚いたな」
「確かに予想外の話ではありましたが、よく考えてみれば意外なことではありません。むしろどうして今まで気づかなかったのかと思うくらいです」
「ですが、どうして魔王は人間を襲うのでしょうか‥‥」
 俯いて困惑しているような表情のリンに、ルナはため息交じりに答える。
「そんなの、どうせ大きな力を手に入れて調子に乗ってるからじゃないの?」
「でも、今の人は間違いなく人間を恨んでいました。きっと、魔王も同じなんだと思います。だけど、どうしてそうまでしようと思うほどに、人間を嫌ってしまったのでしょうか‥‥」
「自分の考えを否定されたとか、どうせそんなくだらない理由でしょ」
 考えるのもバカバカしいと、ルナはリンの疑問を切り捨てる。
「本当に、それだけでしょうか‥‥。それだけで、あそこまで人を恨めるものでしょうか‥‥」
 なおも納得しかねるリンを諭したのはスピカだった。
「でもさ、理由は確かにわかんないけど、魔王が人間を滅ぼそうとしてるのは事実だよ。すでに数え切れないくらいの人たちが、魔王に殺されちゃってる。どんな理由があっても、それは絶対に間違ってると思う」
「そうだね、俺もそう思うよ。原因がなんにせよ、今魔王がしていることは、許されることじゃない。それだけは確かだよ」
 リンはスピカと阿守を順に見つめ、もう一度俯いて、やがて顔をあげた。
「‥‥そう、ですね。はい、確かにそうです。すいません、おかしなことを聞いてしまって。こんなことで迷っていてはいけませんよね‥‥」
 そう言ってリンは力ない笑みを浮かべると、両手できゅっと阿守の手を握った。
「ごめんなさい。少しだけ、いいですか‥‥」
 阿守は何も言わずリンの手を握り返した。ルナは少しだけ心がざわついたが、リンもきっと何か支えが欲しいのだろうと思い、何も言わなかった。なにより自分はそれに対してどうこう言える立場ではないと、わきまえているからでもあった。
 そうして4人は塞がれていた階段を上ると、そこはもう地上だった。太陽はすでに4人のほぼ真上にまで昇っている。洞窟内が涼しかったせいか、外に出ると急に気温が上がったような感じがした。
「うええー‥‥。あっつーい‥‥。ああー、魔力が、魔力が太陽に吸い取られていくかのようだよー‥‥。元気でないー‥‥」
 引き出しやすくなっていた魔力が通常の状態に戻っただけだろうが、体感的にはそんな感じなのかもしれない。スピカはやたらと気の抜けた声を漏らした。
「もう少し先に行けばランド王国に入るための関所があるわ。そこへ着いたら昼食にしましょうか」
「むー、どうせ味気ない栄養食みたいなのでしょー。そんなんじゃ全然頑張れないー‥‥」
「でも頑張れば頑張るほど、次の街で食べるご飯は美味しくなると思うよ」
「むー、なるほど。じゃあちょっと頑張ってみる‥‥」
 どうやらスピカの扱いは阿守のほうが上手いらしい。ずいぶんありがたいスキルを身に着けてくれたものだ。

 そこからほどなく歩いていると、コクラムに入る時に通ったのと同じような造りの関所に辿り着いた。
 ここで求められた入国に必要な手続きが、なかなかに興味深いものだった。平べったい魔法石を差し出され、そこに手をかざすだけという簡単なものだったが、それで魔力の波形のようなものをその魔法石に記憶させているらしかった。たったそれだけで個人の特定がすぐにできるらしい。さすが魔法大国ランドというべきか。魔法技術もさることながら、他国の人間の素性(ある程度大まかなものでしかないのだろうが)まで調べているその情報力にも驚きだった。
 阿守がエルムの勇者であることもすぐわかったらしく、多少物珍しげに見られてはいたが、危険がないことはわかったのですんなりと通してもらえた。なによりエルム一(いち)の魔法研究者であるスピカの顔はランド王国にもよく知れわたっていたらしく、入国手続きもなんとなく形式的なもののようであった。
「まず目指す場所はどこなの?」
「ここから東側の海岸に沿って山の麓を歩いていけば、ムーバータウンに到着します」
 阿守の質問に簡単に答えるルナに、スピカがうっと顔を歪めた。
「‥‥そこって今日中に着かないんだっけ」
「ええ、早くても明日になるでしょうね」
「うー、あたし野営キライー」
「私だって別に好きなわけじゃないわよ」
 そんなどうでもいい会話を交わすルナ達の前に、魔物が姿を現した。1匹はこの辺りの地域にのみ生息する、黄色の体毛に体と不釣り合いに大きな2本の腕のみで移動しており、頭の上には1対の耳が生えている。そして特徴的なのは顔の中心に見開かれた1つだけの大きな眼。その姿そのままを現したビッグアイという魔物だった。そしてもう1匹はエルムにも生息しているネコと似た姿をした魔物、パリーキャットだ。ここでは周りの環境のせいかエルムと違い体毛は青色をしている。
「おっと、まあこいつらなら余裕っしょ」
 スピカがそう言って魔法を放とうとした瞬間、パリーキャットが地を駆けた。
「!?」
 その速度は予想をはるかに超えたものだった。スピカも、他の3人も全く反応することができず、魔物の爪がスピカの体を深く抉った。
「スピカ!」
 阿守の悲痛な叫びが響くが、スピカはさすがというべきか、赤い血が激しく舞ったのはほんの一瞬。おそらくその痛みは尋常なものではなかっただろうが、意識が途切れる前に自らに回復魔法をかけたようだ。ふらりと倒れかけ、踏みとどまったときにはもう傷は塞がっていた。
「危なっ。だけど残念。あたしは不死鳥のごとく、何度でも蘇るのだー」
 かなり危険な状況ではあったように思うが、スピカは笑顔を広げて見せた。まったく、危なっかしい娘だ。
 そこへビッグアイがスピカに追撃をかけるが、今度はスピカも気を抜いてはいない。
「ファイア! からのっ、アイス!」
 正面から火球をぶつけ勢いを殺すと、続けざまに上から氷塊を放ち地面に縫い付けた。その間に、リンはパリーキャットに拳を叩き込み倒していた。意表を突かれたものの、まだ脅威と呼ぶには足りない程度の強さである。とはいえ、
「どうやら、ずいぶんと魔物も強力になりつつあるようね。たとえ知っている魔物でも、油断はできないわね」
 単純に強くなっているだけならまだしも、攻撃手段が増えていた場合思わぬダメージを受けてしまう可能性もある。
「あまりのんびりしていると、このままでは日々の戦闘で大きく体力を消耗することになりそうね。できる限り、急ぎましょう」
 とは言うものの、ずっと走り続けるなどというわけにもいかないし、徹夜で歩き続けるわけにもいかない。急ぐにもある程度の限界はあるのだ。
 というわけでその日の夜は適当な場所を見繕い、野営をすることになった。
 見張りはルナと阿守、そして今回はリンもしてくれるということだった。これを決めたのはもちろんスピカが寝ついてからである。
 1人増えただけでずいぶんと負担が軽くなるものだと、ルナは次をリンに任せ静かな眠りについた。

 ・・†・・

 翌日のお昼過ぎ、一行は目的地であるムーバータウンに到着していた。
「わああ、すごーい!」
 街に到着するなり、スピカは目を輝かせて街の中を見つめていた。
 ムーバータウン、水と共に生きる街とも呼ばれている。海岸のすぐ近くに建てられているここは、街の中には何本もの水路が走り、街の真ん中には巨大な湖、そしてさらにその真ん中にはこの街の象徴である塔が建てられていた。塔の最上部は大きな展望台となっており、ここからでは無作為に作られているようにしか見えない水路が、あそこから見るとランド王国の紋章として見えるらしい。ちなみにランド王国の紋章は1本の大きな樹。ランド王国は魔法技術力の高さを誇りとしているゆえ、それは大地のマナの象徴であるそうだ。
 街全体がアートとして構成されており、観光のために訪れる人は他の街に比べても飛び抜けて多いようだ。
 水路が多いため街のあちこちには橋がかけられ、また移動手段として船も多く使われている。今も一隻の小型の船が目の前の水路を横切り、スピカが船主に手を振ると気のよさそうな男は笑顔で手を振り返していた。
 同じ街でも戦争中に訪れた時はずいぶんと殺伐とした風景ばかりが広がる街だったが、その雰囲気も今は打って変わって穏やかなものとなっており、表面上だけのものとはいえ平和を感じることができ、ルナの気持ちも少し和らいだ気がした。
 人間同士の争いが終わり、人と魔の争いに変わった。しかしそれは勘違いで、結局はいまだ人と人の争いが続いていたのだ。いったい人はいつになったら互いに争うことを止めることができるのだろうか。
「じゃあまずはライム王子がここに来たかどうかを聞いてみましょう。‥‥とはいえ、街の人を探すのは難しそうね」
 街中に観光客を含むたくさんの人が溢れており、通行人に聞いていては情報を集めるのにも時間がかかってしまいそうだ。ならば、街の施設等の人に話を聞くのが妥当か。
 ルナはひとまず目についた食事処へ足を向けた。中に入ると現れた店の女性にライム王子が訪れなかったか尋ねると、返ってきたのは芳しい答えではなかった。
「ライム王子? そうですね、いらっしゃったらしいという話は私も聞きましたが、どこに向かったかまでは‥‥。申し訳ありません」
「そうですか。いえ、ありがとうございました」
 その後も色々な場所で情報を集めてみると、ライム王子が来訪したらしいということは多くの人が知っているようだったが、それ以上の情報はなかなか得られなかった。街の規模が大きいため、ライム王子の直接出会った人を探すのは少々根気がいる作業のようだ。ライム王子もすでに目的地が決まった状態でここに来ていたらしく、情報収集をしていた痕跡もなく、本当にただ中継地点として立ち寄っただけであることも情報が得られない原因の1つであるようだ。
 ようやく有益な情報が得られたのは、まだ明るかった空が徐々に茜色に染まりはじめた頃だった。
「ライム王子? ああ、確か昨日街に来ていたらしいな。知り合いの経営してる宿に泊ってったらしいよ。詳しい話が聞きたいなら、連れてってやるよ」
 情報と同時に宿も確保。入国審査が確実であるおかげか、この国の人は旅人に対して警戒心が薄いことも非常にありがたかった。
 案内された宿は街の端のほうにある、比較的小ぢんまりとした宿だった。ライム王子も積極的に人目につきたくなかったからか、人通りの少なめな場所を選んだようだ。店主である女性にライム王子のことを尋ねると、ようやく行き先について詳しい情報を得ることができた。
「はい、昨日ウチに泊まっていかれましたよ。北西の洞窟に向かうと言って今朝出立されました」
「北西の洞窟、ですか?」
「はい、ここから北の山脈に向かって進み、山を西に下っていくとある、洞窟です。詳しくはお聞きしませんでしたが、そこに用があるのだと仰っていました」
「あれ、もしかしてその洞窟って、いつかの時代のすごい魔法石が隠されてるとかいう洞窟のこと?」
 ふとスピカがそう尋ねると、店主は笑顔で頷いた。
「ええ、そうです。この国に伝わる伝説のようなものなのですが、よくご存じですね。昔はそのお宝目当てに多くの人が洞窟に向かったそうですが、結局誰にも見つけられなかったらしいです。そのため信憑性が薄れたことと、あと近頃は魔物が活発になってきているようなので、今では洞窟に近寄る人はいなくなったようですが」
「あ、そういえばわたしもその洞窟の話、聞いたことがあります。伝説の魔法を探している時に誰かからお聞きしました。魔法を覚えるなら、あの島かその洞窟だろうと思いましたから」
「どうしてその洞窟には行ってみなかったの?」
「‥‥その時いた場所から、少々距離があったので」
「‥‥‥‥」
 ずいぶんと適当な熱心さだ。まあリンらしいといえばそうだけど。
「‥‥なるほど、しかしそのような伝説がある洞窟ならば、大地のマナの封印になにかしら関係していそうですね」
 何をどうするつもりなのかはわからないが、大きな魔法を行使するならうってつけの場所だろう。
「王子が出立されたのは、今朝のいつ頃ですか?」
 朝早くに街を出たというのなら、できれば避けたいことではあったが、今から急いで追いかけることも考えなければならない。
 が、ルナがそう尋ねると店主は苦笑いを浮かべた。
「‥‥えーっと、ごめんなさい、言い間違えたわ。王子が出立されたのは、お昼過ぎ頃ですね」
 その意味を測りかね、ルナは首を傾げる。どうしてそんな悠長にここを出たのだろう。今簡単に聞いた限りでは、その洞窟までは半日ではたどり着けそうにもなさそうだが。
「きっと、旅を続けて疲れていらっしゃったのだと思いますが、その時間までぐっすりとお休みになっていたみたいで‥‥。起きて大慌てで出ていかれました」
「‥‥‥‥」
 つまりは、寝坊か。これはなんとも、反応に困る理由だ。
 しかし、それならば今すぐ追わずとも追いつける可能性はある。確証はないが、恐らく昼から出たのでは洞窟には到着していないだろうし、今日はどこかで休息を取っているだろう。ならば明日夜明けと同時くらいに街を出れば、どうにか追いつけるはずだ。
「なるほど、ありがとうございます。では本日はここに泊まらせていただいてよろしでしょうか」
「ええ、もちろんです。ありがとうございます」
 店主は笑顔で応対してくれ、いつも通り1部屋を借りると一瞬店主は驚いて阿守を見たが、すぐに何かを察して(何を察したのかは少し不安ではあるが)何も言わず部屋を貸してくれた。
すっかり慣れてしまっていたせいで何も考えていなかったが、そりゃあ当然びっくりするよなあ‥‥。
ルナは若干頬を染めつつ部屋に案内され、鎧を脱いだ。
「やったー! 今日はゆっくりお風呂入って美味しいご飯いっぱい食べてふかふかの布団で寝られるよー!」
 スピカは部屋に入るなりごろりとベッドに寝転んで上機嫌だった。
「だけど、よかったわね。どうにか追いつきそうで」
「そうですね~」
 リンもベッドに寝転んで上機嫌だった。
 そんなゆるゆるとした空気で夕食を済ませ、風呂に入り、寝る準備が整ったところで阿守は立ち上がった。
「あの、明日朝出るんだったらさ、今のうちに少しだけ、街を見てきてもいいかな。すぐ帰ってくるから」
「ええ、構いませんよ」
「あたしも行きたい!」
「‥‥まあ、勇者様が一緒ならいいか。迷惑かけないようにね」
「うわ、何その温度差」
 スピカ1人ならいつまでも帰ってきそうにないが、阿守が一緒なら大丈夫だろう。阿守ならスピカに振り回されて辟易するということもなさそうだし。
 確かに初めてこの街を訪れたなら、あの風景を見ればいろいろな場所を見たいと興味も湧くだろう。のんびりしていられないとはいえ、今現在だけで言えば刻一刻を争うというわけでもなく、少しくらいは息抜きがあってもいいのかもしれない。なにより阿守は自分たちの都合でこんな旅に付き合わせているのだ。戦いや魔法が新鮮だとは思ってくれているようだが、せめて少しくらい他に何か気を抜ける時間を作ってほしいと思っていたので、ちょうどいいといえばそうかもしれなかった。
 ルナは楽しそうな2人を見送り、部屋に備え付けられていた浄水器の水でのどを潤した。水の街といわれるだけあって、何気なく置いてあるこのような水もずいぶん質のいいもののように感じる。
「あの、ルナちゃん」
 と、リンが控えめに声をかけてきたのでルナは水を飲みつつ視線だけをリンに向けた。
「ルナちゃんは、勇者様のことが好きなんですか?」
「んぐうっ!?」
 盛大に吹いた。
 げほげほとむせながら、動揺を隠しきれず顔を赤く染めながら抗議の声をあげる。
「ちょっと、いきなり何を言い出すのよ!」
 ルナの予想外の慌てぶりにリンはびっくりしながら、
「す、すいません。その、ルナちゃん勇者様といる時、すごく嬉しそうなのでそうなのかなって」
「そ、そんなに?」
「はい、すごく。それに前にも言いましたけど、ルナちゃん雰囲気がすごく柔らかくなってるの、勇者様のおかげじゃないかなって思ったので。ルナちゃん、勇者様といるときが一番気を張っていないっていうか、安心してるっていうか、そんな感じがするんです。それってやっぱり、勇者様のことが好きだからなのかなって」
「‥‥‥‥」
 ルナは何と答えて良いかわからずしばらく黙った。が、すぐにそこまでして隠す必要もないかと思い、観念して息をついた。
「‥‥ええ、まあ、そうよ」
「仲間としてとか、友達としてっていうのじゃなくて、男性としてですか?」
「‥‥そうよ」
「お嫁さんになりたいって思うんですか?」
「‥‥ま、まあ思うわ」
 考えたことなかったけど、なりたいかといわれると、なりたいと思う。
 というか、ずっと思っていたこととはいえ、ここまではっきりと話すと思った以上に恥ずかしい。なんでこんなこと話してるんだろう‥‥。
「じゃあ、勇者様には元の世界に帰ってほしくないと思いますか?」
「‥‥‥‥」
 リンは、どういう答えを期待しているのだろうか。
 考えたところでわかるはずもない。結局ルナは思っていることそのままを述べた。
「私だけの気持ちで言うなら、そうね。ずっと一緒にいてほしいわ」
 ルナが素直な気持ちを述べると、リンはどこか満足そうにほほ笑んだ。
「やっぱり、そうですよね。スピカちゃんには以前偉そうなことを言ってしまいましたが、わたしもできることならずっといてほしいです。当たり前ですよね。だってもう勇者様は、わたしたちにとって大切な人になっちゃいましたから」
 そこでリンはいったん言葉を止め、真剣な表情に戻るとルナに正面から向き合い、言った。
「あのねルナちゃん。実は、わたしも勇者様のこと、大好きなんです。もちろん、男性として」
「えっ‥‥?」
 その告白に、ルナは驚いてなにも返せなかった。
「最初から優しい人だなとは思ってましたが、いつの間にかずっと一緒にいたいって、触れていたいって思うようになったんです。だから、もしルナちゃんも勇者様のことが好きなんだったら、わたしたちライバルですねって言おうと思ってたんです。だからちょうどいいタイミングだって思ったから、思い切って聞いてみたんですけど‥‥」
 リンはそう言うと困ったような笑みを浮かべて頬を掻いた。
「でもなんだか、さっきのルナちゃんを見ていたら、やっぱり私は頑張らなくてもいいかなって、思っちゃいました」
 リンのよくわからないそんな言葉に、ルナはきょとんとして見返す。
「なんだか恋してるルナちゃんを見てたら、それだけで満足しちゃったっていうか、胸がいっぱいになっちゃったっていうか、そんな感じです。もちろんわたしも勇者様が大好きですから、できることならわたしのことだけを見てほしいですし、なでなでとかはぐはぐとかぺろぺろとかしてほしいですけど、でもこんなに嬉しそうなルナちゃんを見ていられるなら、それでもいいかもしれません。それにわたしは飽きやすい性格ですから、もしかしたらすぐに別の人を好きになっちゃうかもしれませんし。でも、ルナちゃんだったらきっといつまでも勇者様のことを好きでいられると思うんです。だから、今回はわたし全力でルナちゃんを応援します!」
 ルナはしばらくぽかんとしてリンを見つめていたが、やがて思わず吹き出してしまった。
「あははっ、なにそれ。確かになでなではぐはぐは嬉しいかもしれないけど、ぺろぺろはどうかしら。さすがにちょっと困るかもしれないわ」
「そうですか? きっとすごく嬉しいですよ?」
「あはは、そこだけは同意しかねるわね。だけどそう言ってくれるのは嬉しいけど、リンは本当にそれでいいの?」
「もちろんですよ。わたしは恋する乙女なルナちゃんを見られるだけで幸せです」
「ふふ、そっか、ありがとう。だけどどんなに頑張っても、勇者様が元の世界に帰ってしまったら、それまでなんだけどね」
「それはそうですけど‥‥。でも、時を越えて愛し合う2人って、なんだか素敵じゃないですか!」
「それは私に一生結婚するなってこと?」
「そ、そうじゃないですっ! ああっ、でもそうなっちゃうんですね‥‥。いや、だけどその、えっと‥‥」
 あわあわと慌て始めたリンの姿を見て、ルナはもう一度笑った。
「冗談よ。まあだけど、私が勇者様を好きになってしまったことも、勇者様はこの旅が終われば元の世界に帰ってしまうかもしれないことも事実。私は剣を捧げる人は1人だけと決めているわ。だから結局は、そういうことになってしまうんだけどね」
「剣を捧げたんですか?」
 何気なく言ったルナの言葉に、リンは目を丸くして驚いていた。
「ええ、以前リンの家に泊まってた時だったかしら。私が勇者様に必要とされるほどの騎士になれた時は、私の剣を捧げさせてほしいと頼んだの」
 さすがに自身を捧げるという意味を含ませたことだけは伏せておいた。勢いで色々と話してしまっているが、いくらなんでもそれだけは恥ずかしすぎる。
 と、なぜかリンが瞳を輝かせてルナを見つめていた。なんだかころころと表情の変わる子だなあ。というか、いったいなんなんだろう。
「なんだかそれ、すごくかっこいいですよね!」
「はあ?」
 リンのわけのわからない発言にはいい加減慣れたが、だからといってわけがわかるようになるわけではない。
「剣を捧げるって、なんだかかっこいいじゃないですか! わたし以前剣の修業をしていた頃にそういうのしてみたいなあって思ってたんですけど、わたしの君主たるべき人というのがなかなか見つからなくて、結局できなかったんですよ」
 いや、捧げたとしても今自分その剣を捨ててるじゃん。というツッコミはなんかもうめんどくさいのでやめておいた。
「いいなあ、ルナちゃんかっこいいなあ。わたしもう一回剣士を目指してみようかなあ。あっ、でも剣を捧げるなら剣士じゃなくて騎士なんですかね?」
「なんでもいいんじゃない? 別に剣じゃなくても、その人に尽くすと誓うことが大事なんだから」
「なるほどっ。ではわたしは‥‥、そうだ! わたしは勇者様にわたしの初めてを捧げ‥‥あいたあっ!」
 スコーン、と軽快な音を立てて、ルナの投げ放った水が入った紙コップがリンの額に直撃した。
「ただいまー。なんか楽しそうだね」
 と、そこへ観光が終わったらしい阿守とスピカが帰ってきた。短時間で戻ってきた割にはスピカは嬉しそうに阿守の腕にさばりついている。少しだけでも気ままにぶらぶらできたのが嬉しかったのだろうか。阿守と2人だったというのも大きいかもしれない。なんだかんだですごく懐いているみたいだし。
「ゆうしゃさまぁ、わたしはいったい何を捧げればいいんでしょうか」
「あー、えーっと、それは自分で考えることが大事なんじゃないかな」
「はあっ、なるほど!」
 相変わらず順応力の高い阿守の見事な受け流し。ぜひ見習いたいものだ。
「塔の上すごかったよ! 水路が光で照らされててね、ランド王国の紋章が光って見えて、ちょーキレイだった!」
「そう、よかったわね。今度はただ観光だけで来れればいいわね」
「うん、絶対来よう! ね、勇者様!」
「うん、そうだね」
「じゃあ、今日はもう寝ましょう。お休みなさい」
 電気を消して、ルナは柔らかい布団に潜りこんだ。
 ついついリンにいろいろと話してしまったが、悪いことではなかったかもしれない。
 自分の気持ちをもう一度はっきりと確認することができたから。
 その夜ルナはとても穏やかな気持ちで眠りについた。


「まだここを離れてそれほどは経ってはいないみたいね」
 時刻は夕方少し前くらい。場所はムーバータウン北西の洞窟前。洞窟の入口のすぐそばには誰かが食事睡眠をとったような跡が残されていた。状況を考えればその誰かはライム王子に違いなく、見る限りこの場を離れたのは早めに見積もっても早朝ということはなさそうだ。急げばどうにか追いつけるかもしれない。
「今日も寝坊してるっぽいの?」
「わからないけど、少なくとも早起きではなさそうよ」
 阿守の知る未来では歴史に名を残す英雄になっているようだが、実際はなんとも緊張感に欠けるというか、情けなさを催す英雄(予定)である。
 ルナは洞窟の中に踏み込み、しかし踏み込んですぐの所で足を止めてしまった。
 ――洞窟の中は、そこかしこに横穴やら縦穴やらが掘られ、入り組んでいるどころの騒ぎではなかった。
 そういえば宿の店主が昔発掘ラッシュのようなものがあったと言っていたが、それの影響だろうか。なんにせよ、これではすぐにはライム王子を見つけられそうにはない。
 どうしようかと悩んでいると、ふとスピカが何かを探すように辺りをきょろきょろと見回し始めた。
「どうかしたの?」
「なんかさ、どっかから強い魔力を感じるの」
「強力な魔物がいるってこと?」
「いや、そういうイヤな感じはしないんだよね。なんだろう、よくわかんないけど、移動してるみたい‥‥? あっ!」
「今度は何よ」
「その魔力に集中したらぎりぎり捉えれる程度だけど、多分ライム王子がそれと一緒にいるよ。前に一回会ったことがあるからわかる。これはライム王子の魔力で間違いないよ。じゃあこの魔力は、人なのかな? 一緒に行動してるみたい」
 詳しくはわからないが、場所がわかるというのならありがたいことこの上ない。この穴ぼこの中からたった1ヶ所の正解を探すなど、最悪1日2日では終わらない。
「えーっと、こっちかな」
 ルナを含め、他の3人にはその魔力は全く感知できないのでスピカを先頭に洞窟を進む。数ある横道からスピカは1つの穴を選んで入ってゆく。その穴は下へと続いており、空気はさらにひんやりとしたものに変わっていく。地下へ進むごとに、スピカの足取りは軽くなっているようだった。おそらく地下の影響で魔力の調子がよくなっているからだろう。
 ルナとて少なからずの魔力は備えているので、確かに魔力が高まるような感覚はあるが、やはりそこまで機嫌がよくなるほどのものには感じない。
横道の先にはさらに数本の横道、その横道を抜けるとさらに横道が現れる。スピカは初めのうちはやや迷いながら道を選んでいたようだったが、進むごとにその歩みは確信的なものに変わってゆく。
右へ、左へ、時には真っすぐ進んでいる途中、ふとスピカがこちらを振り向いた。
「‥‥イヤな感じの魔力が現れた! 急ごう!」
「私達の到着前に現れるなんて、タイミング悪いんじゃないの?」
「ホントだよ! ぜんっぜん空気読めてないね!」
 スピカについて走りながらさらに数本の横道に入っていくことしばし、やがて大きく開けた空間に辿り着いた。そこには見上げるほど巨大な、黒光りする鎧に余すことなく全身を包まれた鉄の巨人がぬらりと立ち尽くしていた。大きさは以前あったゴーレムと同じくらいだろうか。しかしその威圧感はゴーレムの比ではなく、右手に握られた巨大な剣がその危険性はゴーレムを上回っていることを示しているようでもあった。そして、洞窟の壁に背を預け座り込んでいるのは――血にまみれたライム王子だった。
「ライム王子!」
 ルナはカタナを抜いてライム王子に駆けより、さらなる追撃を仕掛けようとしていた鉄巨人の巨大な剣を、炎をまとわせて振り上げる剣で弾き返した。
「あなたたちは、確かエルムの‥‥」
 驚いてルナを見上げるライム王子に、ルナは正面を向いたまま答える。
「魔物は我々が倒します。ライム王子はそこで安静にしていてください」
「しかし‥‥」
「今の王子の状態では、まともな戦闘はできないでしょう。そこで静かにしていただけると、我々としても助かります」
「‥‥頼みます」
 ルナのやや無慈悲とも思える言葉に、ライム王子は素直に頷いた。戦闘において必要なのは意地やプライドではなく冷静な状況判断である。ライム王子も戦士としてそれをわきまえているらしく、無用な意地を張って無理に戦おうとはしなかった。ルナとしても非常にありがたい判断だった。
 鉄巨人は4人の闖入者を敵としてみなしたらしく、まずは目の前のルナに再び巨大な剣を大きく振り下ろした。
 さきほどの一撃で感じたことだが、この魔物の攻撃は驚くほど重い。あまり受けたくはなかったが、背後にはライム王子が倒れている。ルナは再びカタナに濃密な魔力を宿らせて炎をまとわせ、鉄巨人の剣を弾き返した。
「くっ‥‥!」
 どうにか攻撃は防いだものの、2撃連続でここまで重い攻撃を受けたせいで腕にかかった衝撃は予想以上に大きかった。腕がびりびりと痺れ、カタナを握る手の力がわずかに緩んだ。
 とにかくこの場に留まるのはマズイと思い、ルナはその場を離れる。ただしライム王子をすぐにかばえるよう、ある程度距離は近づけたまま。
「ルナ、大丈夫?」
 心配そうに声をかける阿守にルナは少し苦い笑顔を返す。
「怪我はありません。しかし腕が痺れて、しばらくまともな攻撃はできそうにありません」
 少し前だったら、きっと平気だと言って無茶をして、自分が戦い続けていただろう。でも今は阿守の言葉のおかげで、仲間頼るという選択をすることができるようになった。ルナはいったんその場を任せて1歩退いた。
「おっしゃあ、あたしの出番だよっ! サンダー、3!」
 ドンッ、と空気を震わせながらスピカの放った雷の魔法は鉄巨人に直撃し、ぎし、と音を立てて鉄巨人の動きが鈍る。そこへリンが鉄巨人の前まで行くと、拳を構えた。その拳は魔力をまとい淡い光を放っている。
「波動撃!」
 リンは鉄巨人に向けて拳を打ち込み、しかしぶつかる寸前でぴたりと止めた。と、拳にまとっていた魔力がそこから一直線に解き放たれ、一筋の光線となって鉄巨人の体を貫いた。
「直接ぶつかると、きっと痛いですから!」
 真顔でキリッ!とかっこ良くきめているが、言ってることは少々情けない気もしないでもない。リンなりに経験を生かして編み出したんだろうけど。
「フレアスマッシュ!」
 ゴオゥッ!と阿守の剣がよろめく魔物に放たれる。
 いつも見ていたので気づきづらかったが阿守のこの攻撃、毎回同じことをしているようで、使う度に炎の威力が上がっているように見える。初めはどうにか刃に炎をまとわせているといった程度のはずだったのに、今や炎そのものが刃となり、元の刀身の数倍に及ぶ大きさにまで膨れ上がっている。おそらくすでにこの技に関してはルナと同程度、もしかしたら上を行っているかもしれない。
 阿守がどんどん強くなるのは喜ばしいことであり、みるみる成長していく姿を見ているのは楽しいことでもある。
 が、追い抜かれそうとあれば話は別だ。
 ‥‥負けられないわね。
 ルナが騎士団長にまでのぼりつめることができた原因の1つでもある、負けず嫌いが発動した。阿守のことは大好きだし、飲み込みの早さは尊敬にも値するが、だからといって黙って負けるのを待っているなどできるはずがない。
 腕の痺れはもう抜けている。ルナはカタナに全力で炎をまとわせる。よし、まだ私のほうが強力だ。と、ルナはニヤリと笑みを浮かべる。
「‥‥ルナ、どうかした? なんか嬉しそうだけど」
「なんでもありません。さあ、一気に攻めてしまいましょう。負けてなんかいられませんよ」
 魔物にも、阿守にも。
 ルナが炎の太刀を浴びせると、鉄巨人は横薙ぎに巨大な剣を振るった。4人は前へ後ろへ跳んでそれをかわす。元々離れた位置にいたスピカはほとんどその場を動かず、即座に魔法を放った。
「アイス! からのー、ファイア!」
 巨大な氷塊が鉄巨人に突き刺さり、間髪入れず放たれたこれまた巨大な火球が直撃した。鉄巨人はぐらりとよろめくが、どうにか踏みとどまる。そしておもむろに、剣を地面に突き刺した。
「うわっ、やばっ」
 と、スピカが突然苦い表情に変わった。その理由は、ルナとて気づいていないわけがなかった。
 一帯に魔力の制限がかけられている。これでは強力な魔法を放つことができず、スピカにとっては致命的だろう。おそらく一時的なものだろうが、戦力が1人減らされるのはけっこうキツイ。スピカにもどうしようもないらしく、とりあえず隅っこへと退避していた。
「うわ、なんかショボっ」
 阿守が再びフレアスマッシュを放とうとして、魔力の出力の低さに驚いていた。見るとしょぼしょぼと剣が燃えている程度にしかなっていない。確かにすごく残念な感じだ。
 ならば、今は自分とリンしかほとんど威力を落とさずに攻撃できる者はいないということ。
 ルナはリンに目を向けると、リンは苦い表情だった。そういえばこの状況では先程の波動撃はまともに放てないのか。まあそこは、頑張ってもらおう。
「はあっ!」
 まずはルナが鉄巨人の目の前まで一気に駆けると、すぐに地面から剣を抜いて攻撃を仕掛ける鉄巨人の脇をするりとすり抜けた。
「五月雨」
 攻撃をかわされ地面に剣をめり込ませた鉄巨人の体が、激しい雨に打たれるがごとく、幾筋もの斬撃が壮絶な金属音を奏でた。
「やああああぁっ!」
 そしてリンが歯を食いしばり、少し涙目になりながら続けて鉄巨人に向かっていた。そして地面を蹴り、さらに壁を蹴り鉄巨人の頭より高い位置まで跳ぶと、もう一度壁を蹴って鉄巨人へ猛然と殴りかかった。
「爆裂拳っ!」
 跳躍に落下の速度も加え、リンの拳が鉄巨人の顔にめり込んだ。ゴリッ、となんだかすごく恐ろしい音を立てて、鉄巨人の顔面部分がへこむ。あいかわらず、馬鹿力だなあ。
「‥‥‥‥ぜんっっぜん、痛くなんてありませんっ!」
 右拳を抱え込みながら、リンは半泣きで強がっていた。ものすごく痛そうだ。
 と、ルナはふと体が軽くなったような感覚を得た。時間か今の衝撃でか、魔力の制限が解かれたらしい。と、同時。
 ルナの背後から、凄まじい衝撃が駆け抜けた。それはルナの髪の毛を揺らしながら体のすぐ横を通り抜けて鉄巨人にぶち当たると、その巨体を引きずって壁に激突した。轟音か、衝撃か、それがどちらだったのかすら判然としないほどの震動。ぶつかった壁は激しくひび割れ、水晶が崩壊したせいで洞窟内の光量が途端に激減した。
 あまりに突然の出来事に、一瞬何の反応も示すこともできなかった。しかしこんなことをしでかすのは、1人しか考えられない。
ルナがふつふつと怒りを湧きあがらせながら振り向くと、ひどく驚いた表情で杖を構えたまま固まっているスピカの姿があった。足下には地面を削って描かれた魔法陣がある。
「‥‥スピカ、一体何をしてるの?」
「あっ、いや、急に制限が解けちゃったから、止められなくって‥‥。ほんと、わざとじゃないからっ」
 あわあわと言い訳をするスピカに、ルナはため息をついた。おそらく、制限のかけられた状態でも強力な魔法を放つため、地面に魔法陣を描いて魔力を高め、さらに可能な限り全力で魔法を放とうと思った瞬間制限が解かれ、地下で魔力が高められているうえに魔法陣で魔力を向上させているという凶悪無比な状態で、全力の魔法が放たれたのだろう。しかも今の魔法、炎や氷といった錬成がされていない、魔力そのまま、ひたすらに破壊することだけのための魔法として放たれたものだった。予想をはるかに超えた威力となった魔法はぎりぎりルナをかすめぶつかることがなかったが、もしあれが体の一部だけでも当たっていたらと思うとぞっとしない。
「あなたねえ、やるのはいいけど、もうちょっと色んな場合を想定して配慮しなさいよ! あなたの魔力は異常なんだから、考えなしに放ってたら味方にまですごい被害を及ぼしかねないのよ! わかってるの!?」
「わ、わかってるって‥‥。ごめんごめん、お説教は後で聞くから今は‥‥ね」
 と、必死にルナをなだめようとするスピカだったが、それを聞いてルナはふと言葉を止めた。思わず口走ってしまった台詞に、スピカは今更ながらしまったと思った。
「なるほど、ちゃんと後で聞くのね? 自分で言ったんだから、約束は守りなさいよ?」
「‥‥‥‥」
 笑顔のルナに、スピカは苦笑いで黙りこむ。そして、
「‥‥よ、よーし、とりあえずそれは置いといて早いとこやっつけちゃおう! さあ、戦闘再開だよっ! うおりゃー、ファイア!」
 誤魔化すように、いや実際誤魔化しながらスピカが魔法を放ち、鉄巨人が再び動き出したのでルナも仕方なく戦闘に集中した。
 鉄巨人は起き上がると同時、剣を持たない左手で地面を思いきり打ち鳴らした。途端足もとから衝撃が伝わる。おそらく前回のアドバンと同じ類の攻撃なのだろうが、こちらはダメージを与えることよりも動きを封じる効果のほうが大きいようだ。脚から力が抜け、ルナは思わず片膝をつく。その隙に鉄巨人は大きく一歩踏み込み、目の前にいたリンに剣を振り下ろした。
「リン!」
 避けることもできず、素手ではまともに防ぐこともできず。
――鉄巨人の巨大な剣が、リンの体を叩き斬った。
 ルナの視界に、鮮やかな赤色が舞う。全ての動きがスローモーションの映像のように、ゆっくりと動いているかのように見えた。阿守とスピカも目の前のソレに反応できないでいるのか、立ち尽くしたまま呆然とその光景を眺めていた。
 リンの体は右肩から足にかけてを深く斬り裂かれ、飛び散った血しぶきは全身を真っ赤に染めている。右肩はほとんど体から取れかけ、だらりとありえない位置まで垂れたそれは、真っ赤な糸を引いてどうにか体と繋がっていた。幸いに、といってもよいのかどうかわからないが、その剣はわずかに頭を逸れていたため、リンはどうにか即死には至っていなかった。しかし、その状態は「死んでいないだけ」と呼ぶしかないものだった。リンの目は驚愕に見開かれ、何かを言おうとしたのか大きな瞳でルナに瞳を向け口を開けると、ごふっ、と血を吐いてゆっくりと前のめりに地面に倒れ、ぴくりとも動かなくなった。
「‥‥‥‥‥‥リン?」
 その光景を目にし、ルナの思考が止まる。目の前で何が起きたのか、しばらく理解することができなかった。
 そして状況を理解した瞬間、ルナの思考はスパークした。もう何も考えられない。ただ、なんとしてでも目の前の魔物を倒す。それ以外には、何もなかった。
「うあああああああああああっ!」
 鬼気迫る叫び声を上げつつ、ルナは剣を抜き放ちあらんかぎりの魔力を込めた。そして容赦なくそれを叩き込み、鋼鉄の体をよろめかせる。そこへ、背後から放たれたスピカの魔法が激突、鉄巨人体が宙を舞い、再び壁に激突した。またもルナの体をかすめるほどの至近距離の魔法だったにもかかわらず、ルナはそんなものに気を払う余裕などあるはずもなかった。スピカとて当然ルナには当たらないことは計算のうえで放っている。そしてその瞳には怒り以外の感情は宿っていなかった。
「うおおおおおおぉぉっ!」
 そして阿守も、殺気のこもった瞳で鉄巨人に剣を向けた。その剣に宿る炎は、今までとは比にならないほど強大な刃となって鉄巨人に全力で打ちつけられた。
 凄まじい連撃に鉄巨人はその場に崩れ落ちる。しかし即座に起き上がると、前方に立つ3人の姿を捉えた。
 感情の宿らない鋼鉄の殺戮兵器は、その光景を見ていったい何を思っただろうか。
 左右対称の位置に阿守とルナが剣を構えて立ち、阿守の剣は炎をまとい巨大に膨れ上がり、ルナの剣は氷を纏って青く白い輝きを放っていた。そして2人の真ん中の少し離れた位置にはスピカが杖を構えて立ち、足元には地面に刻まれた魔法陣、さらに目の前には空中に描かれた魔法陣が淡く碧(あお)い輝きを灯らせていた。
 避けようと身を動かしたのか、感じるはずのない恐怖に身を震わせたのか、鉄巨人がほんのわずかに動いたのと同時に、3人の全力怒涛の攻撃が解き放たれた。
 スピカの魔法陣がひときわ強い光を放ったかと思うと、魔力の塊が洞窟全体を揺らすほどの出力で打ち出された。それが体をかすめるのもいとわず、ルナと阿守も鉄巨人に向かって駆け、下から上へ、互いの斬撃が交差するように、怒りのこもった渾身の一撃が斬りあげた。
 もはや轟音と呼ぶことすら憚られるような衝撃。鉄巨人は凄まじい威力で壁に押し込めれるようにその攻撃を一身に受け、地上にまで届くほどの震動が、洞窟内に轟いた。
 衝撃が収まり、顔をあげるとそこには壁にめり込み燻るような煙をあげる鉄巨人の姿。その鋼鉄の体にはバツ印を描くように2本の斬撃の痕が刻まれていた。その体からはすでに魔力を感じることはできず、鉄巨人が再び動き出すことはもう無かった。
 それを確認すると同時、ルナはリンのもとへと駆け寄った。ルナがすがるような視線をスピカに向けると、スピカはそれを受けて頷き、リンのすぐそばにしゃがみこんだ。そしてリンの体に手をかざし――そこで動きを止めた。
「なにを――!」
 ルナも焦りの声をあげかけ、そこで途切れた。
 ――リンの体が、淡い光を放っていたからだった。
 真っ赤に染まった体はそのままに、しかし千切れかけていたと思っていた右腕は、傷痕は残るもののすでに接合されているようだった。リンも回復魔法の心得は確かにあったが、あの状態からのここまでの再生力はさすがにありえない。
「‥‥ここが地下というおかげもあるのでしょうが」
 3人がどういうことかと動けないでいると、非常に弱々しい声が、かすかに響いた。見るとリンがわずかに首を横に動かし、少し苦しそうに唇を動かしていた。
「心身を鍛えあげ、マナの力を直接感じることができるほどにまでなれば、マナの恩恵を直接身に受けることが可能となるんです。今日まで一度もできたことがなかったのですが、今はどうにかマナの力を貸してもらっています。だからもう大丈夫ですよ。心配かけてごめんなさい」
 そう言ってリンは、力ない笑みを浮かべた。
 ルナはゆっくりとリンを仰向けに寝転がせた。いまだ大丈夫とは言い難い状態だが、それでも命の危機はどうにか避けられているようだ。ルナは息をついて体の力を抜き、とん、とリンに胸に額を押し当てた。今、顔を見られるわけにはいかないから。
「まったく、どれだけ心配かけるのよ」
「ごめんなさい、ルナちゃん。でも、ありがとうございます。心配してくれて」
「当り前でしょう。私は、あなたにも絶対にいなくなって欲しくないもの。ちゃんと全員で帰るって約束したんだから、こんなところで死んだりしたら許さないわよ」
 表情はどうにか隠していたけれど、声が震えているのだけは隠せなかった。
 今まで多くの人を助け、同じくらい多くの人が死ぬのも見てきた。それでも、親しい誰かが目の前で死ぬというのはどうしても慣れなかった。慣れたくもなかった。
要するに、ルナは怖かったのだ。リンが死んでしまうかもしれないということが。情けないから、口にはしないけれど。
「わたしは大丈夫ですよ。そう簡単にやられたりはしません。それに」
 リンはそこで声をひそめてルナにだけ聞こえる声で言った。
「ルナちゃんの恋が成就するのを見届けないと、死んでも死にきれませんから」
 ルナは思わず胸から顔を離し、目と顔を赤くしながらリンを睨んだ。
「あれ、ルナちゃん泣いてますか?」
「‥‥っ、泣いてないわよっ」
 ルナはぐしぐしと乱暴に目元をこすって、リンの頬をむにっとつねってから立ち上がった。そして呆然と4人を眺めていたライム王子のもとに歩み寄る。スピカも一度ちらりとリンのほうを見てから、ちょこちょことルナの後をついていった。
「ライム王子、お怪我は大丈夫でしょうか?」
「‥‥あ、ええ、私は大丈夫です。それよりあなたがたはご無事なのですか? 特にあの武道家の方は‥‥」
「ええ、どうにか命に別条はない程度にまで回復しています。ご心配には及びません」
「そうですか、良かった‥‥」
 ライム王子は心底安心したように安堵の息をついた。
 ライム王子とは数年前に一度会ったことがあったが、久しぶりに見る彼は、年下の自分が言うのも変かもしれないが、ずいぶんと成長しているように見えた。確か年齢はルナよりも3つか4つ上で、以前見た時はまだ少年というに相応しい幼さを残した顔立ちをしていたが、今やすっかり青年へと変貌を遂げていて、無駄な肉が落ちてすらりとした顔立ちになっていた。髪は短くやや硬質につんつんとしているが、その艶やかさからは育ちの良さが窺える。ただその柔和な瞳は以前と変わらず、普通の服装をしていればとても剣士には見えないであろう優しそうな表情をしていた。
 絶対、母親似だな。
 その爽やかな青年を見つつ、あのむさくるしいクソオヤジを思い出しながら、ルナは即座にそう判断した。間違いない。
「あなたは確か、エルムの騎士団の‥‥」
「はい、ルナと申します。今は騎士団長を務めております」
「ああ、そうでした。あとキミは、スピカちゃんだったかな。僕のことは、覚えてくれているかな」
「うん、魔力のカタチまでちゃーんと覚えてるよ」
「そっか、それは良かった。それより、危ないところを助けていただいてありがとうございました。あなた達は強いのですね」
 ライム王子はスピカに微笑みかけ、壁にもたれたまま頭を下げた。スピカはそれを見てライム王子に手をかざすと回復魔法をかけ始める。
「いえ、4人で力を合わせた結果です。あなたのように1人では我々も勝てなかったでしょう」
「それにあたしたちには勇者様がついてるしね!」
 お約束のスピカの自慢が始まった。スピカは魔法をかけながらも胸を逸らし、やや離れた位置に立つ阿守を目で紹介した。
「勇者様‥‥?」
「そうだよ。あたしが未来の世界から召喚した勇者様!」
「初めましてライム王子。勇者です」
「あはは、あなたがエルムの勇者様ですか。ええどうも初めまして、王子です」
 ライム王子は阿守に気さくにあいさつを返していた。このあたりのフランクさは父親似なのかもしれない。コクラム王妃をよく知らないので何とも言えないが。
 スピカが回復を終え手を離すと、ライム王子は立ち上がりスピカにありがとう、と述べてからルナに向き合った。立ち上がったライム王子はルナよりもずいぶんと背が高い。
「ところで、あなたがたはどうしてこんなところまで来られたのですか?」
 その質問にルナは本題を思い出し、真剣な表情でライム王子を見上げる。
「我々も魔王討伐のための旅をしており、ランド城へ向かう途中です。しかしライム王子にお会いしたいと思い、王子を追ってここまでやって参りました」
「ああ、そうだったのですか。それで、私にどのようなご用でしょうか」
「率直にお尋ねします。ライム王子、あなたは大地のマナを封印する秘術か何かをご存じではないでしょうか」
 ルナの質問に、ライム王子はぴくりと眉を動かした。
コクラムの兵士や王も言っていたが、本来これは城の人間以外は知っているはずのないこと。おそらく内心はかなり驚いているだろうが、動揺をいたずらに表に出さないその様子は、いずれ王として外交等も務める者として不可欠な能力。すでにその時に向けて普段の行動から心がけているということだろうか。穏やかな表情に似合わず、そのあたりの覚悟や努力はかなりのものであるようだ。
「どうして、それを?」
 ルナの様子からそれが単なる鎌かけではないと悟ったライム王子は静かに問い返す。少し警戒させてしまっただろうか。しかし今は外交でも何でもなく、ゆっくりと探りを入れ合っているような余裕もない。
「先程も申しましたが、勇者様は未来からいらっしゃった方です。未来の歴史を聞き、ライム王子がマナを封印したのだろうと推測しました」
「俺の知る歴史では、ライム王子が魔王を倒したことになっていました。そしてそれとほぼ同時に、大地のマナが消失したともありました。詳細は不明となっていましたが、マナに何かをしたのならば、ライム王子以外には考えられなかったので」
「‥‥未来から、ですか。なるほど‥‥」
 俄かには信じがたいといった様子で、ライム王子は熟考を始めた。
「それで、それを聞いてどうなさるおつもりですか?」
「私達はライム王子がマナの封印をするのを止めるために参りました。マナを封印することには、きっと王子なりの考えがおありなのでしょう。魔王を倒すのにも必要なことでもあるのかもしれません。ですが、マナを封印してしまえば少なからず人々の生活に支障が現れます。なので私達はマナの封印には賛成しかねます。可能なら、私達はマナを封印することなく魔王を倒したいと思っています。ですからもし封印をするにしても、私達が魔王に敗れたことが分かるまでは待っていてほしいのです。お願いできないでしょうか、ライム王子」
 ライム王子はすぐには答えず、静かにルナの目をまっすぐ見つめた。
「それだけ、ですか? 私がそうすることで、あなた方にどのような利があるというのですか?」
「人々の日常が保たれます」
「‥‥それで?」
「それだけです」
 ライム王子はもう一度黙ってルナを見つめ、やがて元の柔らかい笑顔に戻ると小さく息をついた。
「なるほど。どうやら真実のようですね。疑ってしまい、申し訳ありません。誰もがそのような真っすぐな考えをお持ちなら、このような詮索もする必要もないのですが」
 ライム王子は本当に残念そうにそう前置いてから言葉を続けた。
「わかりました。と、はっきり言えたら、かっこいいのでしょうけどね。実は、どちらにせよ私にはマナの封印は無理なのですよ」
「‥‥どういうことですか?」
 意外な言葉にルナはきょとんとして首を傾げた。まだ何か策を巡らせているのかと思ったが、そういうわけでもなさそうだ。
「私は王族として生まれましたが、だからといって生まれつき強大な力が備わっているというわけではありません。力はなくとも、長男として生まれた私はいずれ王となれます。しかし私は、そのように生まれの運の良さだけで人々の上に立つというのはどうしても嫌だったのです。何の努力もなく権力だけを振りかざす人間になることは、私自身が許しませんでした。ですから私は日々強くなるための努力をしました。しかし、私に魔法の才は備わっていなかったらしく、もちろん努力はしましたが、それでもある程度以上は力を伸ばすことができませんでした。まあ、長々と語ってしまいましたが、要するに魔力不足です。実はというと、もうすでにマナの封印は試みたのです。ですが、魔力が足りず失敗してしまいました。ですから私にはマナを封印することはできないのですよ」
 そう言って、ライム王子は少し自嘲気味に笑った。
「ですから、もし勇者様が本当に未来から来られたのだとしても、おそらくすでに歴史は変わってしまっているのではないでしょうか。私にはマナの封印はできませんでしたし、この程度の魔物にさえこの有様です。私では魔王になど、到底敵わないでしょう」
「歴史が‥‥? もしかして、勇者様がこの世界に来てしまったことが、その原因なのでしょうか‥‥?」
 スピカはそれを聞いてふとルナを見上げる。
「え? それってつまりはあたしが歴史を変えちゃったってこと?」
「まあ、そう言えなくもないわね」
 ルナが適当にそう答えると、スピカの表情がみるみる明るくなっていく。
「うおおっ、あたしってめちゃめちゃすごくない!? 歴史変えちゃうとか、超一流の魔道士っぽいじゃん! やったね勇者様、これで勇者はライム王子じゃなくて、勇者様がなれる可能性が出てきたわけだよ! あれ? 勇者様はもう勇者なんだから、別に勇者になれなくてもすでに勇者で、勇者は勇者様で、んん?」
 スピカが良くわからないことで悩み始めたのでとりあえず無視。もう1つ、ルナは気になっていることがあったのだ。
「ところで、どうしてこの洞窟で封印を試みようとしたのですか? 確かに地下というのは魔力を引き出すのに良い条件なのかもしれませんが、あえてこの洞窟を選んだ何か理由があるのでしょうか」
 地下というだけなら、別に外に出ずとも、おそらく城にも地下の隠し部屋のようなものが存在しているだろう。そのような場所は一部の人間にしか知らされていないだろうが、ライム王子がそれを知らないとも思えない。
「ええ、この洞窟に来たのは、魔力を増強する『魔法の指輪』があると聞いていたので、それを手に入れるために来たのです。ですが、この指輪の力を借りても私にはできませんでした」
 そう言ってライム王子が右手を上げると、その人さし指には碧(あお)く輝く宝玉がはめ込まれた指輪がつけられていた。それを見てスピカがあっ、と声をあげる。
「それだ。あたしがこの洞窟に入った時に感じた魔力。それがあったからあたし迷わずライム王子のところまで来れたんだよ」
 ライム王子はそれを聞いて驚いて笑みを浮かべた。
「なんと、そうだったのですか。封印に失敗した時は探し損だと思いましたが、なるほど私はこれのおかげで命を救われたというわけですか。命がけでこれを探し求め、これに命を救われるとはなんとも皮肉な奇跡ですね」
 ライム王子はそう言って指輪をはずすと、スピカに差し出した。
「ではお礼というわけではないけれど、これはスピカちゃんに差し上げます。封印に失敗した以上僕が持ってても仕方がないしね」
 スピカはそれを受けとり、ライム王子を見上げる。
「いいの? 頑張って探したんでしょ? 殺してでもうばいとらなくて大丈夫なの?」
「あはは、確かにねんがんの魔法の指輪だけど、構わないよ。このまま何もしないで帰ってしまったら、ちょっと情けないじゃないか。せめて少しくらい、僕も魔王討伐に貢献したって言いたいしね」
「そっか。うん、ありがとう王子」
 ライム王子が笑顔でそう言うと、スピカもライム王子に笑顔を返した。
 言葉通り命がけで血にまみれながら手に入れたものを、人のためにこうもあっさり手放してしまうとは、ライム王子は王としての素質が十分すぎるほどに備わっているようだ。下ネタも言わないしセクハラもしないし。もう今すぐライム王子がコクラム王になったほうがいいんじゃないのか。いやそうすべきだ。
「みなさん、何のお話をしているんですか?」
 と、早くも立ち上がれるほどまでに回復したらしいリンが、まだ若干足取りはおぼつかないが、ゆっくりとこちらに歩いてやってきた。
「ちょっとリン、無理しないでゆっくり休んでなさい」
「イヤです。わたしもみなさんと楽しくお話ししたいです。わたしだけのけものなんて、そんなのずるいですよっ」
 いや、血まみれでのけものとか言われても。
「あの、お怪我は大丈夫なのですか‥‥?」
 心配そうなライム王子に、リンは笑顔で答える。
「はい。大地のマナのおかげですっかり元気です。あっ、わたしはエルム出身のリンと申します。今はフリーの武道家をしています」
 フリーの武道家っていったいなんだろう。
「あ、どうも、よろしくお願いします」
 なんとなく、おずおずといった様子でライム王子が挨拶を返した。なんだろう、急に動きがぎこちなくなった気がする。こんな怪我をさせてしまったことを気に病んでいるのだろうか。
「リンさん、でしたか。先ほどの戦いぶり、素晴らしかったです。敵を恐れず勇猛果敢に戦う姿、とても素敵でした」
 なんだか、リンだけやたら褒めるな。と思い、しかしすぐにライム王子の顔を見てもしかして、と思った。
「本当ですか!? ありがとうございます。えへへ、そう言ってもらえると嬉しいですね。ライム王子の戦いぶりも素敵でしたよ。見てませんけど」
 相変わらずすっとぼけた発言にライム王子は一瞬ぽかんとするが、リンはにこにこ笑顔。こういうのを本気で言うのがリンなのだ。
「でも、マナがなくならずに済んでよかったです。マナがないと、色々と困ることが多いですからね。ありがとうございます、ライム王子」
「い、いえ、私は何も‥‥」
 リンはよろよろとライム王子の前まで進み、右手を差し出した。
「わたしたちこれから頑張ってきますから、ライム王子も頑張ってくださいね。今は国の復旧とか大変でしょうから」
「は、はい、どうもお気遣いありがとうございます」
 ライム王子が恥ずかしそうにリンの手を握ると、リンはバランスを崩してふらりとライム王子のほうへと倒れた。
「ああっ、すみません。まだちょっとふらふらしてて」
「い、い、いえっ、全然、お気に、なさらないっ、でください」
 ライム王子はリンを抱きとめながら、真っ赤になってしどろもどろになっている。
 これは、確定だ。しかもライム王子、びっくりするほど女性に慣れていないようだ。本当に父親と正反対だ。リンはライム王子のそんな様子には全然気づいてないようだけど。
 リンはライム王子から離れると、ルナが肩を貸しライム王子に向き直った。ライム王子は少し残念そうな、安心したような複雑な様子だった。
「ではライム王子、この後はどうなさるおつもりですか?」
 ルナが尋ねると、ライム王子はすぐに姿勢と表情を正した。さすが、切り替えも早い。
「私は、城に戻ります。本当はあなた方に手助けを差し上げたいところですが、あれほどの連携を見せられては、自分は邪魔にしかならないと思いますから」
 実際ライム王子がいてくれればずいぶん心強いとは思うが、確かに連携の面で言うなら今の状態がベストだということもまた事実。どちらとも言い難いところだったが、ここは必要以上には引き留めないことにした。
「そうですか。では、洞窟の入口まではともに参りましょう」
 来る時はひたすらスピカに従って進んでいただけだったので帰り道は全く分からなかったのだが、そこはさすがのライム王子というべきか、壁にマーキングをしながら進んできていたらしく、そのおかげで迷うことなく帰ることができた。
 外へと向かう途中に、ルナはさりげなくライム王子の横に並ぶと小さな声で尋ねてみた。
「あのライム王子、勘違いでしたら申し訳ないのですが、王子もしかしてリンのこと‥‥」
 その言葉を聞いた途端、ライム王子は顔を耳まで真っ赤に染めて、あわあわと慌て出した。なんてわかりやすい。
「な、な、何を言っているのですかっ、わ、私は別に‥‥!」
 動揺しまくりでどうにか否定しようとするライム王子だったが、しかしすぐに諦めて肩を落とすと、ちらちらとリンに視線を向けながらそちらに聞こえないように呟いた。
「‥‥気づかれていましたか」
 そんなライム王子の姿を見てルナはくすくすと笑う。
「気づくもなにも、わかりやすすぎです。以前からリンとの知り合い、というわけではありませんでしたよね?」
「ええ、リンさんには今日初めてお会いしました」
「なるほど。一目ぼれ、というのですか」
「‥‥え、ええ、その通りです」
 ライム王子は再び顔を真っ赤に染めて俯き加減で頷いた。なんだか、見た目は成長しているがその様子はいまだ少年のようで、微笑ましいというかなんというか。
 と、ルナは一瞬思考して、
「‥‥あの、まさかとは思いますが、胸が大きいのが好き、とかではないですよね?」
 一応、あのコクラム王の息子なのだ。少し気になってしまい尋ねるが、ライム王子は慌ててぶんぶんと手を振る。
「そ、そんわけないじゃないですかっ! そ、それはもちろん、目をひかれないかというと嘘になりますが、父上ではないのですから私はそのような下心は‥‥!」
 あ、家族もやっぱりあのエロオヤジっぷりには悩まされているのか。
 しかし、年齢以上に落ち着いて大人びているように見えたが、女性関係になるとこれとは。父親のようになってしまうのも問題だが、これはこれでちょっと困るんじゃないだろうか。
 ライム王子は大きく深呼吸をして一度落ち着くと、ゆっくりと話し始めた。
「‥‥先程の戦いで、私よりずっと若くて可憐な少女が勇敢に戦う姿に、思わず目を奪われてしまいました。身一つで巨大な魔物に正面から立ち向かう姿、私には彼女が輝いているかのように見えました。彼女が魔物の攻撃を受けて倒れた時には、目の前が真っ暗になったかのようでした」
 私もリンと同い年なんだけど。と、ルナは何とも言えない複雑な気持ちで聞いていた。いやまあ、確かに可憐という言葉からは程遠いのかもしれないけど。
 そういえば、戦いが終わった後ライム王子は一番にリンのことを尋ねてきていた。よっぽど気がかりだったのだろう。
「その、ちなみに‥‥」
「リンに恋人はいませんよ」
 質問を先回りしてルナが答えると、ライム王子はぱっと表情を輝かせた。
「以前勇者様のことが好きとは言っていましたが、恋仲になろうと思っているわけではないようです」
 その理由まではさすがに言わないけど。
 ライム王子は何とも言えぬ表情で一度阿守に視線を向けたが、すぐにぐっと表情を引き結んだ。
「しかし、ならば私にも十分チャンスはあるということですよね」
「ええ、リンはかなり天然ですがいい子ですから、頑張ってみるのもいいと思いますよ。ですが、あんな一般の女の子に手を出して、という言い方は悪いですが、求愛を申し出てもよろしいのですか? 王族関係の許婚のような女性がおられたりするのでは?」
 ルナが尋ねると、ライム王子は明るい笑顔で答えた。
「ええ、何度か母上にそういった関係の方とのお見合いを勧められたこともありましたが、私は私の選んだ女性と一緒になりたいとお願いしたところ、快く承諾してくれました。母上も元々は王族とは関係のない家柄の方でしたからね」
「なるほど。ただまあ、リンは相当の天然ですから、覚悟しておいてくださいね」
「相当の、ですか」
「はい。それはもう、想像を絶するほどの」
「‥‥な、なるほど。覚えておきましょう。ではまずはお互いにお互いを知るところから、ですね」
「ええ、それがいいと思います。私も応援しますよ。何かできることがあれば、なんなりと仰ってください」
「はい、ありがとうございます」
 洞窟の外へ出ると、すでに空は夕焼け色に染まっていた。ルナ達はもう少しランド城方向へ今日中に進んでおくことにしたが、ライム王子は山中で単独の野営は避けたいので、今日も洞窟近くで寝るということだった。
「明日は寝坊しないようにね」
「‥‥バレてましたか。お恥ずかしい」
 スピカが軽くからかってそう言うと、ライム王子はわずかに赤くなって俯いた。
「それでは、またお会いしましょう」
 そう言ってルナが別れを告げると、しかしライム王子は4人を呼びとめた。
「そ、その、本当にまた、お会いしましょう。リ‥‥皆さん、旅が終ったらぜひ、コクラム城へ遊びに来てください。歓迎します」
 今、リンさんって言いかけたな。
 なんていうかやっぱり、微笑ましいなあ、とか思うが、もしかして自分も最初こんな感じだったのだろうかと思うと、あまり人のことは言えない。
「では、お気をつけて。あなた方の旅路に大地のマナの祝福があらんことをお祈りいたします」
「ええ、マナに乾杯」
 ルナがコクラムの関所で聞いた口上をグラスを掲げる仕草と共に述べると、ライム王子は一瞬ぽかんとしてから、すぐに笑顔で同じ仕草を返してくれた。リンが手を振ると、手を振りながら頭を下げるという不思議な動きを返していた。

 それからしばらく歩いたところで日が沈んできたので、その日はそこで野営することに。スピカもそろそろ慣れてきたのか、今日は特に文句を言うこともなかった。
 もそもそと食事を摂りながら、スピカは右手人さし指にはめられた指輪を眺めていた。
「えへへ、なんかいいねこれ。装備が整って、あたしすごく強くなった気がするよ」
 そういうスピカの腰には、コクラムでもらった短剣も装着されていた。どうやらこちらにも魔力を高める効果があるらしく、他に短剣を使いたい人もいなかったので順当にスピカが持つことになった。
「はっ、そういえばさ、これってあたしライム王子に指輪をプレゼントされたってことだよね。どうしよう、これはいわゆるプロポーズってやつじゃないのかな」
「わあ、スピカちゃんすごいですね。わたしなんて告白すらされたことないのに。スピカちゃん、わたしより先に大人の女性になっちゃったんですねっ」
 このやり取り、ライム王子が見たら色んな意味でへこむだろうなあ。リン、全然気づいてないみたいだし。
 ルナが2人を眺めていると、阿守がすっとルナの横にやってきて、ぼそりと尋ねた。
「あのさ、なんとなく思ったんだけど、もしかしてライム王子って、リンのこと好きなのかな」
 やはり阿守も気づいていたようだ。というかまあ、気づかないほうがどうかしているとも思うが。
「ええ、どうやらそのようですね。リンは全然気づいていないみたいですけど」
「やっぱりそうか。でも、ライム王子も大変だね。リンって、自分のそういうことに関してはものすっごい鈍感そうだし」
 しれっとそんなことを言う阿守を、ルナは呆れた目で見つめる。はぁ、と小さくため息をつき、
「‥‥勇者様だって、人のこと言えませんよ」
 思わず呟いたその言葉を聞いて、阿守はきょとんとした顔でルナを見た。
「え、俺も? どういうこと?」
「言葉通りの意味ですよ」
 ルナはわずかに頬を染めながら素っ気なくそう言ってそっぽを向いた。すると阿守は突如はっとした顔になり、ルナと同じようにわずかに頬を赤くした。うあ、さすがに今のははっきり言いすぎただろうか。いやまあ、気づかれて困ることでもないけど。
「‥‥え、それって、もしかして‥‥」
 ルナはほんのわずかの期待を込めてちらりと阿守に視線を向けると、
「スピカがいつも言ってる大好きって、まさか本気だったの‥‥?」
 ズコー、とルナは思わず地面に突っ伏しそうになる。いやいやいや。ていうかスピカいつもそんなこと言ってるのか。
「ど、どうしよう。気持ちは嬉しいけど、スピカは妹みたいなもんだし、それにそうだとしてもあと10年は、いや、せめて5年くらいは待ってほしいかな‥‥」
 阿守ロリコン疑惑解消。
 赤くなって困ったような視線をちらちらとスピカに向ける阿守を見て、ルナは呆れたため息をついた。
「‥‥そんなわけないじゃないですか」
「え、やっぱり、そうかな。‥‥そうだよね。あー、よかった。本気だったらこれからどうスピカに接していいかわからなくなるところだったよ」
 ルナはそんな阿守の鈍感ぶり、いや、無邪気ぶりに呆れるが、しかしこれでいいのかもしれないとも思った。
 可能かどうかは今は置いておいて、魔王を倒して阿守が未来に帰るとなったとき、半端な迷いを生ませるのはよくないと思ったから。
 ルナはそれ以上何も言わず、みんなが寝静まると見張りをしながら静かに空を見上げた。
 もう、その時は近い。

 ・・†・・

 ランド城のある街に入る際にも、簡単な入国審査を受けた。関所でやったのと同じ、平べったい魔法石に手をかざすというもの。どうやら関所での審査の際の情報が即座にここにも届けられているらしく、関所を通らず不法に入国している場合はすぐにわかるのだそうだ。
 時刻は夕方にはまだ届かないくらい。天頂にあった太陽は少しずつ傾き始めている頃。城下町に入ると、ここでは魔法関連の商品が主に流通しているようだった。魔力強化の施された武器や防具をはじめ、様々な効力を秘めた魔法石や日用に使える雑貨など。他の国に比べてもかなり大規模に魔法の力が街中に溢れていた。やはりというべきか、スピカは大興奮の様子だった。だが、ここまで目的が間近に迫っている状況で、スピカはかなり興味をそそられているようだったが、必要以上に足を止めてその場に留まることはしなかった。
 そう、ついにランド王国までやってきたのだ。それはつまり、もう魔王のところまで向かうことができるということ。最終決戦が間近に迫っているということなのだ。
 ルナや阿守、リンは当然、なんだかんだでスピカもどこか緊張しているようであった。
「とりあえず、ランド王のもとへ向かいましょう。準備は詳しく話を聞いてから、整えるようにしましょう」
 ランド城へ入るのはそれほど難しいことではなかった。身元が分かっているからと言ってそう簡単に城内に入れてもらえるものだろうかと悩んでいたが、思っていた以上にスピカの顔は知れわたっていたようで、特に面倒な審査なども受けることなく城内に通してもらうことができた。スピカの存在をこんなにありがたいと思う日が来るとは思いもしなかった。
 城内に入り、王の間に通されるとランド王はスピカの顔を見て表情を綻ばせた。
「これはこれはスピカ殿、お久しぶりです。お元気そうで何より」
「やっほー王様久しぶり」
 一国の王と対等の立場で話すスピカ。なんだか大物に見えてしまう。まあ、ランド王国の人間からすれば実際に大物なのだろうが。
 ランド王から与えられる印象はコクラム王とは正反対の人物だった。一言でいうならひょろっとした老人。眼は開いているのだろうかというほどに細く、髪の毛は白髪がほとんどを占めてしまっている。筋肉もついているようには見えないのだが、それでも弱々しいという印象は全くといっていいほどなかった。背筋はしっかりと伸びているし、挙動にも危なっかしさを感じさせない。そしてなにより、内側からあふれ出るほどの魔力が一番の原因だろう。ランド王はスピカが魔力で勝てないと語る数少ない人物の1人だ。スピカ曰く魔力量だけなら世界一なのだそうだ(その後に技術的にはあたしのほうが上だけどっ、と付け足していた)。ただしランド王の専門は回復や支援の魔法であるらしく、戦闘の最前線で大暴れ、とかはしないらしい。
「それで、そちらの方々は?」
 ランド王がスピカから視線を外し尋ねてきたので、ルナはすっとひざを折って名乗った。
「お初にお目にかかります、ランド王。私はエルム王国の騎士団長を務めております、ルナと申します。我々は現在、魔王討伐のために旅をしております」
「わたしは最強の武道家を目指す旅の途中、リンと申します」
 なんかまた前回と自己紹介が変わった。そんなもの目指してたのか。
「俺は」「あたしが未来から召喚した勇者様だよ!」
 やっぱり阿守を紹介するのはスピカだった。
「ほう、あなたが勇者殿ですか‥‥。なるほど、確かにこの時代では感じたことのない不思議な魔力を感じる。魔力の質が我々とはずいぶんと違うようですね」
 ランド王は一目で阿守が普通でないことを見破っていた。どうやらこの王、想像をはるかに超えた力を秘めているようだ。スピカが勝てないというのも頷ける。別に回す気はないが、決して敵に回したくはない相手だと思った。戦争中のこの老人の縁の下での活躍は凄まじかったのではないだろうか。今も街全体を覆う結界を維持しているのは、ランド王ただ1人だという噂もあるほどだ。
「なるほど、魔王討伐ということはやはり、空間移動の魔法のためにここまでやってこられたということですね。遠路はるばるお疲れ様です」
「さすが王様、話が早いね。じゃあ早速、魔王の島まで飛ばしちゃってくれないかな?」
 スピカはいつも通りの軽い口調で言っているように見えて、やはりその表情はどこか緊張しているようだ。
 しかしランド王はスピカの言葉を聞いて、ひどく苦い表情をした。
「ふむ、私としてもぜひそうして差し上げたいところですが、実は今すぐにというわけにもいかないのですよ」
「えー、なんで?」
 ランド王がちらりと傍にいた魔道士に視線を向けると、その魔道士が説明を続けた。
「実は、空間移動の魔法には絶大な魔力を必要とします。そのため魔法を発動させる際には『魔法の宝玉』という道具が必要なのです。ですがその宝玉は東の塔の頂上に格納されておりまして、ひとまずそれを取ってこなければ魔法を使えないのです」
「どうしてそんな面倒な場所に、そんな重要な道具を置いているのですか?」
 リンの質問に答えたのは、すぐに理由を理解したらしいスピカだった。
「そっか、魔法の宝玉って言うのはものすっごい魔力を秘めた道具だから、あんまり人のいる場所の近くに置いてたら、何かの拍子に魔力が暴走する可能性もあるんだよね。しかもこんな魔法都市みたいな場所だったらなおさらだよ。だから人から少し離れた場所にしまっておいた。あと、地下に行くと魔力が引き出しやすくなるのと同じ理由で、上に行くほど魔力は引き出しにくくなるの。だから塔のてっぺんにそれを置くことで、暴走する可能性を低くさせてるってことじゃないかな」
 スピカの説明に、魔道士は驚いた表情でその通りですと答えた。
「あれ、でもリンが住んでた場所の塔は、上に行くほど魔力が高まるような感じがしたんだけど」
「あそこは場所がかなり特殊なだけ。普通はあんなことありえないよ」
 阿守の疑問にまたもスピカがあっさりと答えた。本当、魔法の話になると本当にスピカは饒舌かつ博識になる。なんとも反応しづらい。
「じゃあ、魔法の宝玉を取ってくればいいってことだよね」
「うむ、まあそうではあるのですが‥‥」
 しかしランド王の表情はやはり沈んだままだった。スピカは不思議そうに首を傾げる。
「‥‥実は、近頃魔物の力が増大しているようだ、というのは皆様も知っておられるとは思います。そのため最近ただでさえ塔に近づきづらくなっていたのですが、この間塔に向かった魔道士の報告によると、どうやら現在塔にはワイバーンが巣食っているらしいのです」
 その名を聞いて、ルナは驚きに目を見開いた。ワイバーンといえば、魔物の中でも最強種のドラゴン、しかも翼を持ちブレスを吐く非常に凶悪な魔物である。そんなものがよりによって、と思ったが、しかしそれも魔王が自分のもとへやってこさせないための刺客と考えた方が妥当かもしれない。
これは、かなり厄介だ。もし他の魔物と同じように、そのワイバーンまでも力を増しているのだとしたら、厄介などというレベルの話ではない。以前エルムにワイバーンが出現した際は、自分を含めかなりの精鋭たちが集められた討伐隊が組まれたが、それでもずいぶん苦戦させられた覚えがある。その頃より自分の実力も増しているとはいえ、喜ばしい話でないことには違いない。ルナが状況の厳しさに顔を俯けていると、スピカは軽い調子で言った。
「でもさ、そいつも当然魔王より下っ端なんてしょ? だったら、そんな魔物にも勝てないようじゃ、魔王やっつけるなんてできないよ。あたしたちの目標は魔王を倒すことなんだからさ、そんなザコ相手にてこずるわけにはいかないと思うんだよね。だからちょっとした予行演習だとでも思って、ちゃちゃっとそいつやっつけてこようよ」
 ルナも、ランド王までもがぽかんとしてスピカを見つめ、やがて誰からともなく笑い始めた。スピカも嬉しそうに笑う。
「ええ、確かにその通り。そうね、ワイバーンなんて問題じゃないわ。早く、魔法の宝玉を取ってきちゃいましょうか」
「はは、さすがはスピカ殿。心強いですね」
 ランド王はそう言って笑顔をきゅっと引き結び、忠告を加えた。
「そうは言っても、油断は禁物ですよ。くれぐれも、お気をつけて」
「はい、ご心配ありがとうございます」

 聞いたところによると、塔はかなりの標高のため今から登ったのでは少なくとも今日中には頂上までたどり着けないということだった。ああは言ったものの、無理をして疲れた状態ではとてもではないがワイバーンには敵わないだろう。なので休むには少し早いが、塔を目指すのは明日にすることとなった。
 眠るにはあまりに早すぎるし、ご飯を食べるのにも中途半端な時間。というわけでしばらくは城下町をうろついてみることに。
「へえ、こんなものがあるんですね」
 とある武器屋で、リンは拳にグローブをはめ、感心しながらしげしげとそれを眺めていた。見た目はひどく薄手で、それがあることでそれほど変わりがあるようには思えないが、鎧の下に来ているアンダーアーマーと同様、魔力の込められた繊維で作られているため攻撃力を高め、拳にかかる負担も軽減できるらしい。また編まれた魔法によっては、打撃に追加効果も付与できるようだ。
「もっと早く知っていれば、あんなに痛い思いをしなくて済んだんですね‥‥」
 ゴーレムや鉄巨人戦を思い出し、リンはやや遠い眼をしていた。というか散々色々な場所を旅しておきながらどうして知らなかったんだろう。
「ウチは優秀な魔道士がたくさんいるから、どこの店より品ぞろえが良くて質も最高だぜ。お嬢ちゃんはどういうのが好みだ?」
 威勢のいい武器屋の店主がいくつかグローブを棚から取り出しながらリンに見せている。
「そうですね、一番破壊力の高いものが欲しいです。鉄くらい平気で砕けるような」
「お、おう。まああるけどよ」
 ぽやぽやした見た目に反して物騒な注文をするリンに、店主はやや面喰いながらも、棚から1つの黒いグローブを取り出した。
「それならこれがいいんじゃねえか。ちょっと他のに比べて重いけど、その分破壊力は数段上だぜ」
 リンはそれを手にはめ、しゅしゅっと腕を振るう。いや、動きはしゅしゅっとしているが、実際は空気の震えるぶんぶんという音が鳴っていた。
「いいですね、これ。気に入りました。あと、脚に装備できるものはないんですか?」
「あ、ああ。あるにはあるが、あれは防具屋に置いてるから悪いけど、そっちで見てもらえるか」
 涼しい顔で凄まじい実力を見せつけるリンに、店主は若干顔をひきつらせつつ言うのだった。


「‥‥どうも、ランドの紋章が刻まれているのが落ち着きません」
 ルナは鎧に刻まれた紋章を見て、なんとも言い難い表情を浮かべた。
 場所はランド城のとある一室。始めは適当に宿を見つけて泊まるつもりだったのだが、城の人々の強い要望で4人はランド城に泊まらせてもらうことになったのだった。多分、スピカの存在が大きいんだと思う。
 あの後、リンの装備も整え、阿守とスピカはそれぞれ剣と杖を新調し、ルナは阿守と共に鎧だけを新しいものと交換した。
ランド王国で作られている鎧なのだから当然、武器にも防具にもたいていランド王国の紋章が刻まれており、エルムに仕える騎士であるルナとしてはそれを着るのはどうにも不服だったのだが、あまりわがままを言うわけにもいかない。
「そんなにイヤかな? 別にかっこいいと思うけど」
 阿守は新しくなった剣と鎧を見つめながら満足そうだった。いや、かっこいいとかそういう問題ではないんだけど。
「うーん、やっぱりランドの魔法石は質が違うねえ」
 スピカも新しい杖(に取り付けられた魔法石)を見ながら嬉しそうに撫でさすっていた。
 魔法石というのは所有者の魔力を補助的に高める効果があり、それは使えば使うほど劣化していくものらしい。以前リンにもらった杖の魔法石もかなり良いものではあったようだが、ずっと使っている間にずいぶんと劣化が進んでいたそうだ。
 魔力を補助するだけなら別に杖の形をとる必要はなく、魔法石を持ち歩くだけでよいのではないかと、いつだったかスピカに尋ねたことがあったのだが、それだと魔法は使えるけど近接での戦闘力が皆無なのはさすがにマズイから、という理由らしい。
 リンもリンで、恍惚の表情で拳を叩き合わせている。少なくとも、そんな表情ですることではないと思う。
 ちなみに脚に履いているのは、黒いタイツのようなものだった。色々な種類があったのだが、チャイナ服の下に履いていて最も違和感のないものがそれだったようだ。ひたすら似合う似合わないとか、可愛い可愛くないで決めていたのだが、本当にそれでいいんだろうか。いやまあ、リンがいいのならなんでもいいけど。
 みんなが満足しているなか、自分1人だけいつまでも気に入らない顔をしているわけにもいかない。エルムに帰ったらすぐに国で新調しよう、と思いつつ阿守のそばへ。
「どうですか? 新しい剣の感触は」
 阿守は剣を頭の上に構えて縦に一振り。
「うん、いい感じだよ」
 その剣は以前まで使っていたのよりも二回りほど大振りの、そして重さはそれ以上に増しているものだった。普通なら携帯するだけでも精一杯というほどの代物だ。
「さすがに、重すぎではありませんか? あまり大きいとどうしても初動が遅れます。破壊力が増すとはいえ、素早さを殺しすぎるのはあまり得策とは思えないのですが‥‥」
 ルナは心配してそう尋ねるが、阿守はあっさりと笑顔で大丈夫、と答える。
「俺さ、元の世界ではこんな力持ちじゃなかったし、運動もそれほど得意なわけじゃなかったんだ。だけど、こっちの世界に来てからはこんな剣も振り回せるようになったし、動きだって格段に速くなってるし、色々な自分の身体的な能力がぐんと伸びてるみたいなんだよね。で、最初は召喚が原因で何か特別な力が付与されたのかなって思ってたんだけど、それにしては日を追うごとに力がついてる気がするし、じゃあ何が原因なんだろうって考えてみて、多分それは魔力が原因なんじゃないかなって最近気づいたんだよ。無意識のうちに魔力を身体力の強化に使ってるんじゃないかなって。スピカが言ってたけど、俺って潜在的な魔力が高いんだよね? だけど魔力の使い方とか全然わからないから無駄に魔力を眠らせてて、でも少しずつ慣れてきたおかげで、さらに体を強化することができてて、だから俺はこんなに強くなることができてるんじゃないかって思うんだ」
「なるほど‥‥」
 その話を聞いてルナは思わずそう呟いた。確かにそれなら、阿守の毎日のありえない成長にも納得がいく。が、なぜ今その話を? とも思ってしまう。しかし阿守はその疑問にすぐ答えてくれる。
「だからさ、初めは重いかもって思ってた剣もすぐに余裕で扱えるようになって、実は今まで使ってた剣も最近少し軽いかもって思ってたんだよね。だから、今はこれくらいでちょうどいいんだよ」
 あの剣が、軽いと。現在阿守が持っている剣に比べれば確かに今までの剣は小さいものだが、それはあくまで比較の話だ。普通に考えれば、十分に大きいし重い。それを軽いと言ってしまうとは。いったいどれほど身体を強化しているのかとも思うし、いったいどれほど毎日扱える魔力が大きくなっていっているのかとも思わざるをえない。
「しかし、それではすぐにその剣も身に合わなくなってくるのではないですか? それならばもう1本、さらに大振りのものを持っていても良いと思うのですが」
 普通なら、それほどの超級の剣を2本などありえないが、阿守ならそれすらありではないかと思えてしまう。
「まあ、それも少し考えたけどね。だけど最近毎日の魔力の成長の幅も緩やかになってきてる気がするし、さすがにそろそろ限界が近いんじゃないかな」
 確かに、魔力が高いとはいえ無尽蔵に増え続けるというものではないだろう。
「そうだねー。そろそろそうしてくれないと、あたしもさすがに悔しいもんね」
 話を聞いていたスピカが本当に悔しいのかよくわからないが、笑顔でそう口を挟んだ。
「勇者様にだけは負けたくないな。あ、変な意味じゃなくて、ライバル的な意味でね。あたしももう何年も魔力の研究を重ねてきた魔道士なわけだしね」
 どうやら、負けて悔しいと思ってしまうのは自分だけではないようだとルナは少しだけ安心してしまった。スピカと比較して安心してしまうのも少々どうかと思うが。
「ルナは武器、変えなかったんだね。刃こぼれとか大丈夫なの?」
「ええ、私の剣はかなりの業物で、強力な魔力強化も施されているので耐久度は凄まじく、劣化も著しく遅いんです」
「それに日々の手入れも欠かしていないし、かな」
「え、ええ、まあ」
 突然の阿守のそんな付け足しに、ルナは少々面食らう。
「ルナ、時々俺の剣も手入れしてくれてたよね。寝てる間かな、いつしてくれてるのかはわかんなかったけど、いつの間にか剣がキレイになってるのには気づいてたよ。今までなんとなく言いそびれてたけど、ありがとう」
「い、いえそんな‥‥」
 まさか気づいてくれていたとは。そこまで深い意味を込めてしていたわけではないが、面と向かってこう言われると嬉しいやら恥ずかしいやら‥‥。
「ルナちゃん、さすがですね! きっといいお嫁さんになれますよ!」
 すかさずリンのなんともいえない援護が。いや、これじゃあ単なる野次だろう。
「毎日旦那の剣を砥ぐ嫁って‥‥なんか怖いね‥‥」
 阿守の言葉にルナもそれを想像し、口ごもる。
「あれ、なんですかこの空気は。ほらほら勇者様、もっとルナちゃんを褒めてあげてください!」
「いやまあ、ありがたいのは確かなんだけどね。うん、まあ、ありがとう」
「いえ、私もすごく複雑な気分になってきました。その、まあ、どういたしまして」
「あれー、わたし変なこと言いましたか?」
 リンはやはりよくわかっていないようだ。もう黙っていてほしい。
「まあ、とりあえず今日は早めに休みましょう。聞いた感じだと決して低い塔ではないようですし」
 リンはいまだに戸惑っているようだがとりあえず無視。こんな話していても仕方ないし、なにより嫁だのなんだのという話はさすがに気恥ずかしい。
 ルナは部屋の明かり消し、すぐにベッドに横になった。
明日は決して楽な戦いにはならない。緊張も少なからずあったものの、いつでも眠れる癖をつけているおかげか、すぐに眠りに落ちることができた。

 ・・†・・

現れた魔物を殲滅し、ルナはカタナを鞘に納めて息をついた。
ランド城東の塔10F、くらいだと思う。数えてはいたが戦闘を行いながらだったため、少しあいまいだ。これだけ登っても、頂上まではまだいくらかもありそうである。
「しかし、ここは一段と魔物が強力な気がしますね」
「数も種類も多いしね」
 ルナとスピカがぼやいたとおり、この塔の魔物の強さと多さはとてもではないが歓迎できるものではなかった。ただでさえ厄介なボスが控えているというのだ。可能な限り体力の消耗は減らしたいのだが。
「でもなかなかワイバーン、姿を現しませんね。もうどうせなら、早めに出てきてほしいのですが」
「いやー、こんなとこじゃ出てこないでしょ」
 リンの言葉を、スピカがあっさりと否定する。
「では、どこで出てくるのですか?」
「そりゃあ、てっぺんでしょ」
「てっぺんでしょうね」
 スピカの言葉に、ルナも続いた。スピカの言うタイミングがどうこう、というわけではない。単純に、ワイバーンの存在が魔王の差し金なのだとしたら、当然最も体力の減っている最奥部、ここでは最上階で戦わせるのがベストだろうからだ。もちろん魔法の宝玉を手に入れて塔から出る直前のほうがこちらの体力は減っているだろうが、しかしそこだと上手く逃げられる可能性もある。ならば逃げられない状況かつ体力も消耗している地点は、やはり最上階。ワイバーンが現れるとしたら、そこしかないだろう。
 と、そこへさらなる魔物が姿を現した。現れたのはコクラムに入ってすぐに出遭った、ケットシーとレッドクラブ。の、強化版とでもいうべきか。ケットシーの体毛は青く、レッドクラブも青い甲羅を携えている。これは赤い蟹と違って視覚的にも不味そうだ。このためレッドクラブはこの地区ではシーザークラブと呼ばれているらしい。本来色の違いだけで強さにはほとんど差などないのだが、今はあの時から数日の間が空いているため、比べ物にならないほど強くなっている。
「スパーク!」
 早速スピカがシーザークラブに雷の魔法を放つが、効果は絶大、とは言い難かった。地下とは逆に、塔ではマナへの干渉力が薄れる、というのはやはり魔道士にとっては影響が大きいらしい。スピカはその効果の薄さに表情を歪める。
 次に動いたのはリン。音もなくシーザークラブの目の前まで移動すると、その甲羅に思い切り拳を叩きつけた。ボコッ! とシーザークラブの体がへこみ、一撃でその動きを完全に止めさせてしまった。リンは満足そうにぐっと拳を握って構えをとる。
「ほら、全然痛くありませんよ! 今日は嘘じゃありません!」
 いや、ほらとか言われても。まあなんでもいいけど。
 ルナはケットシーの目の前まで駆けると、寸前で繰り出されたパンチを紙一重でかわす。拳がかすめた頬にピリピリとした刺激が走る。ここのこの魔物、拳に電気の魔力を込めているようだ。最初は思わず剣で受け止め痛い目にあったが、もうそんなミスはしない。技を繰り出した直後で隙のできている魔物の体を、ルナのカタナが両断した。
「むう、あたし塔キライー」
 この塔に入ってからほとんど活躍できていないスピカは面白くなさそうに頬を膨らませる。
「まあ、いつもは大活躍なんだからさ、今日は俺たちに活躍を譲ってるってことで」
 阿守の言葉に、スピカの表情が急に明るくなる。
「そうかな? いつもはあたし大活躍?」
「うん、そりゃあもう。スピカがいなかったらどうなってたことかってくらい」
「えへへへー、やっぱそっかあ~。それじゃあしょうがないね、今日は勇者様に活躍させてあげないと、歴史に残った時困るもんね」
 いったい何がどう困るのかはよくわからない。
 スピカの不機嫌は直ったようだが、しかし実際このままではスピカはあまり戦力になれないということになる。戦う相手が相手なだけに、1人でも戦力が欠けるのは痛い。
どうしたものか、と思っているうちに、もはやそれが何階かはわからなかったが、階段を登るとひと部屋を丸々ぶち抜いたような大きな部屋に辿り着いた。部屋の中央には短い柱のような台が設置されており、その上には少し大きめの魔法石が置かれている。おそらくあれが、目的である魔法の宝玉なのだろう。
ルナは辺りを警戒してみるも、何かが潜んでいるような気配はない。スピカにちらりと目を向けるが、首を傾げていた。
「ごめん、今ほとんど魔力が表に出せないんだよ。だから全然魔力も感知できないなー」
 スピカが何とも言えない表情でそう言い、
「勇者様は、何か感じ取れませんか?」
「ごめん、俺もスピカと同じくなんだ」
 そういえば、阿守も今日は上に登るほど、攻撃も剣に魔法を乗せることなく純粋に勢いだけで魔物を断っていたようだった。それでも十分強いんだけれど。
 しかし、どこから現れるかわからないからといってこのままじっとしているというわけにもいかないだろう。あれを手にしなければ現れないというなら、もう手にする以外に手はないのだ。ルナは一応部屋全体に再び警戒の目を向けてから、魔法の宝玉に手をかけた、その瞬間。
 ぶわりと、床から魔力がせり上がってくるかのような感覚を覚えた。下を見ると、床全体を埋めるほどの大きさの魔法陣が、赤い輝きと共に浮かび上がっている。顔をあげると、台座をはさんで4人とは反対側に、巨大な魔物のシルエットが浮かび上がっていた。それがなんなのかは、考えるまでもない。
 ゴアアアアッ! と重く低い唸り声をあげて、その魔物、ワイバーンは4人の前に姿を現した。ヘビのように長い首も相まって、頭の位置はゆうに1mは上にあるだろう。緑色の鱗におおわれた体から伸びる2本の脚は丸太のように太く、腕から生える3本の指の鍵爪は異様に鋭い。背中の羽は広げれば4,5mはあるのではないかというほどの重量感を備え、ぐるぐると唸り声を漏らす口からのぞく牙は、指の爪と同様に凶悪な光を放っている。ぬらりと背後に伸びる長い尻尾はゆらりゆらりと余裕を見せつけるように揺れていた。
 ルナは宝玉を取ると台座から離れ、3人のいる場所へと戻る。宝玉はどの程度効果を示すかは定かではないが、最も有効そうなスピカの手に。
「スピカ、無理はしないようにね」
「うん。だからちゃんとあたしのこと守ってよね」
 渡しながらの忠告に意外とあっさりと頷き、いつも通り生意気な口を叩くスピカを背後にルナはカタナを構えた。その横では阿守とリンも同じようにそれぞれ構えをとる。
 先手を取ろうとすぐに一歩を踏み出したルナだったが、それよりも先にワイバーンが動いた。大きく口を開けると、その大きな口腔から凍てつくブレスを吐きだした。
 ルナはとっさに足を止め避けようとするが、広範囲に放たれたそれはこの狭い空間では避けようもない。避けることは諦め、せめてもの防御のため腕で顔を覆った、その時、
「サンダーフレア!」
 ゴウッ! と凄まじい音を立てて、一筋の弾けるような炎がルナの横を通り過ぎた。それはワイバーンのブレスをかき消し、さらにそのまま突き進むとワイバーンの体に直撃した。こんな強力な魔法を放てるのは1人しかいない。しかし、
「スピカ、いったいどういうこと!?」
 ルナが驚いて振り向くと、そこには得意顔のスピカの姿。そしてその足元には、赤く輝く魔法陣が描かれていた。
「いやー、あたし自身じゃ魔力は引っ張りだせなかったんだけど、さっきのワイバーン召喚の時の魔法陣の魔力をちょびっと使わせてもらって、即席の魔力強化の魔法陣を作ったんだよ」
「使わせてもらったって‥‥!」
 相手の魔力の使用。それはルナも考えたこともあったし、実際どうなのかエルム城の魔道士に聞いてみたこともあった。決して不可能ではないが、しかしそれは相当な荒技。並大抵の魔道士では魔法をそのまま反転させることすらできないと聞くが、それを利用して全く別の魔法として利用するなど、そんなことができる魔道士は世界でも数えるほどしかいないと聞いたことがある。
「ま、こっちを攻撃してきた魔法の転用はさすがにできないんだけどね。それに比べれば、溢れてきてる魔力の一部を借りるのはそう難しいことじゃないよ」
 あっさりと言ってのけるスピカだったが、おそらくそれでもそんなことができる魔道士などほとんどいないのだろう。
 しかし今は、そんなスピカの力がどこまでも頼もしい。
「ま、魔法陣から離れちゃったらどうしようもなくなるから、あたしが動かなくていいように援護はしっかりお願いね」
「はいはい」
 ルナはいつも通り呆れたようにため息とともに返し、カタナを構え直した。
 そう、いつも通り。後ろからスピカの援護魔法があるというのは、やはり心強いものだと思った。
「はあっ!」
 真っ先に攻撃を仕掛けたのはリン。ワイバーンの懐に潜り込むと、その腹に向けて拳を繰り出した。ワイバーンはグゥ、と呻くがそこまでのダメージを与えられた様子はない。さらに蹴りを2発叩き込むと、ワイバーンはぐるりと体を回転させるようにして尻尾を薙ぎ払った。リンは空中に跳んでそれをかわすと、その背中にかかと落としをくらわせた。リンはその反動を使って跳び、ワイバーンから距離をとる。
 ワイバーンの鱗は以前戦った鉄巨人にも劣らない硬さであるはずだが、リンはそれを直接殴っておきながらも痛みを感じている様子はない。どうやらグローブの効果は想像以上のようである。
 リンに続いて阿守とルナはほぼ同時に駆けだした。わずかに先行するのは阿守。ワイバーンが腕を振り上げ2人を薙ぎ払おうとするが、阿守の巨剣がそれを弾き返す。その隙をついてルナがワイバーンを斬りつけた。ガキイィン! と硬質なものがぶつかり合う音が響き、ルナの腕に痺れが走る。やはり生半可な攻撃は通用しないようだ。
 再びワイバーンが腕を振り上げ、しかしそこへスピカの放った氷塊がぶつかりその攻撃はまたも弾かれる。
「うおおおおおっ!」
 阿守が気合いとともに剣を振り下ろし、ゴッ、と重い音を立ててワイバーンの体に刃をめり込ませた。ワイバーンは苦悶の呻きをあげながら後ろに飛び退りつつ尻尾を振りまわし、攻撃動作から復帰しきれていなかった阿守はそれをもろに受けてしまった。阿守の体が吹き飛び、壁に叩きつけられる。
「勇者様!」
 ルナは思わず声をあげるが、大事には至っていないらしく阿守はすぐに起き上がった。
「アイスインフェルノ!」
 そこへすかさずスピカが魔法を放つ。放たれた氷塊はワイバーンにぶるかると同時、弾けて小規模な爆発を起こす。それを何発も打ち込まれながら、ワイバーンは大きく羽ばたいた。ぶわりと強烈な風が吹き荒れ、一瞬スピカの攻撃の手が止まる。その隙に、ワイバーンがスピカに向けて大きく口を開けると、そこから空気のかたまりのようなものが放たれ、避ける間もなくスピカの体がドンッ、と大きく跳ねた。
どさり、と投げ出された人形のように、地面に倒れて動かなくなるスピカ。その光景を見てルナは一瞬青ざめるが、さらなる追撃が来る前に阿守がすぐさま駆け寄る。ワイバーンのほうにも警戒を向けつつ、阿守がスピカの体を抱え魔法陣の元まで戻ると、スピカの体に手をかざした。するスピカはむくりと起き上がり、すぐに体勢を立て直した。
「勇者様、まさか回復魔法を!?」
 ルナが驚いてそう尋ねるが、阿守はいやいやと手を振った。
「今のはスピカ、あの攻撃で麻痺させられてただけだよ。残念ながら今のは回復魔法じゃなくて、ただの治癒魔法」
 なるほど。あの瞬間に阿守はそれを見分けていたわけか。
 しかし今の攻撃、麻痺を解いた瞬間に起き上がっていたのを見る限り、威力はそれほど高いものではないようだが、攻撃の速度が異常に速い。放たれたのを確認してから避けていたのでは遅すぎる恐れがある。しかも殺傷能力はなくとも麻痺の追加効果はかなり厄介だ。魔法陣の外側では治癒にすら時間がかかってしまう。あの攻撃には細心の注意を払わなければならないだろう。
 再びワイバーンが大きく口を開き、今度はリンに向かって衝撃波を放った。しかしリンは避けようとせず、その場で足を踏ん張ると空気の揺らぎとしか見えないそれに向かって思いきり拳を突き出した。パァン! と何かが弾けるような音がして、リンは何かに耐えるようにくぅー、と声を漏らす。
「‥‥さすがにこれは、痺れますねー」
 ややキツそう、ではあるが、それだけだった。あんなわけのわからない空気のかたまりみたいなものを、まさかこんな方法で防ぎきってしまうとは‥‥。力も度胸も反射神経も、なにもかもが半端ではない。
 さらにワイバーンが第二射を放とうとするが、リンは気にすることなくワイバーンに向かって駆けた。ワイバーンの口から何かが放たれたと思った瞬間、リンの右拳が閃きあっさりとその攻撃を防いでしまう。そのままリンはワイバーンの腹に向けてドドドッ! と全てほぼ同じ場所に三連撃を打ちこむ。ワイバーンは腕を振り下ろして反撃してくるが、それを大きく横に跳んでかわすとそのまま壁に足を着き、跳躍の勢いを乗せて蹴りつけた。ワイバーンが完全にリンに意識を取られている間に目の前まで迫っていた阿守が巨剣を振るう。阿守の剣はワイバーンの鱗を斬り裂き、ワイバーンは苦痛に叫びをあげる。
 阿守とリンはワイバーンから距離を取り、ワイバーンもわずかに後退したかと思った、直後。
「!?」
 ワイバーンが突如羽を広げ、凄まじい勢いで阿守に向かって飛びかかった。阿守は突然の攻撃に、しかし避けようとはせず剣を構えて正面からワイバーンに向き合った。
「勇者様!」
「うおおおおおおっ!」
 ワイバーンが衝突してくるのと同時、阿守は剣を振り下ろす。部屋全体、塔全体を揺るがすほどの轟音がびりびりとルナの体を震わせた。
 衝撃が収まり、ルナは慌てて顔をあげる。
「勇者様、大丈夫ですか!?」
「うん、どうにかね‥‥」
 阿守は少し苦しそうなものの、それほど無理をしているふうでもなさそうな様子だった。一方のワイバーンは今の衝撃に弾き飛ばされ、ごろりと苦しげに床に寝転がっていた。
「いやあ、武器が強くなっててよかったよ」
 いや、武器がどうこうという程度の問題じゃないと思うが。
 しかしまあ、無事であるならそれで十分である。ワイバーンもすでに起き上がりこちらの様子をうかがっている。
 ワイバーンが口を大きく開ける。衝撃波かと身構えるルナだったが、吐き出されたのは氷のブレス。まずいと思ったのも束の間、突如氷の壁がルナを含む全員の前に出現し、ブレスの攻撃を阻んだ。
「さっすがあたし、完璧な援護だね」
 後ろからスピカの得意げな声。声には出さす、ルナは心の内だけでナイススピカ、と褒めておいた。
 氷の壁はすぐに溶け消え、攻撃の直後でわずかな隙のできているワイバーンに、それを逃さずルナは一気に間合いを詰める。ワイバーンがその動きに反応してくる前に、するりとすり抜けるようにワイバーンの横を通り過ぎると、幾筋もの斬撃がワイバーンの体を打った。そしてワイバーンが振り向くのに合わせ、再び背後に回るように脚にぐっと力を込め、煌(こう)一閃(いっせん)を放った。ガリッ、とワイバーンの鱗が削れるような音が響く。
「ルナちゃん、ちょっとだったら魔力も込めれますよ! 全力で、たたみかけましょう!」
 言ってワイバーンに跳びかかるリンは、淡く魔力を込めた脚で顔面に回し蹴りを入れていた。
「わかったわ。だったら、最初の牽制は私の役目でしょうね」
 ルナはちらりと全員に目配せをして、一番にワイバーンへと向かう。最後の猛攻を仕掛けてくると悟ったのか、ワイバーンは唸り声をあげながらルナを叩き潰そうと腕を何度も振り下ろす。しかしルナは静かにするりするりとその攻撃をすり抜けるようにかわしていく。淡く刀身を光らせるカタナを抜き、ルナは攻撃をかわしつつゆっくりとワイバーンの横を通り抜けた。
「涼風(すずかぜ)」
 途端、ドッ、とワイバーンの体が震え、一筋の赤い剣筋が刻まれた。
「はいはい次あたし! フリーズエアロ!」
 スピカが元気よく宣言すると、ワイバーンの体を凍てつくかまいたちが切り裂いた。ワイバーンががくりと膝を落として苦痛の呻きを漏らした。
 その隙をついて、リンがワイバーンの頭上に跳び上がる。
「波動撃! 近接バージョンです!」
 魔力が思うように出せないため、前回のように打ち出すことはできないようだが、それでも直接脳天に魔力を込めた拳を打ち込まれ、ワイバーンの体がぐらりと傾ぐ。
「おおおおおりゃああ!」
 気合とともに阿守がワイバーンの体を真っ二つに裂くように剣を振り下ろした。
その剣圧はワイバーンの背を裂き、頭蓋を穿ち、しばらくぴくりぴくりと体を痙攣させていたワイバーンは、しかしすぐにぐらりと体を傾がせると重く床を打ち鳴らしながら倒れ込み、完全にその動きを停止させた。
 4人はワイバーンが生命活動を停止したことを確認すると、ふうと息をついて体の力を抜いた。
「うあー、けっこー疲れたよー。魔力が引き出せないのに魔法陣維持するの、思ったよりしんどかったー」
 スピカが床にペタンと座り込んで気の抜けた声をあげた。
「だけど、どうにかなったわね。勇者様も、お怪我はありませんか?」
「うん、大丈夫」
「リンも大丈夫?」
「はい、平気ですよ」
 どうやら、全員が無事でいるようだ。ルナは安堵の息をついた。もっと苦戦するかとも思っていたが、どうやら本当に自分たちは強くなっているのだということを実感することができた。この調子なら本当に魔王も簡単に、と思ってしまうのは楽観的だろうか。
「では、お城に戻りましょうか」


 4人が城に戻ったのは、すでに夜更けだった。そんな時間に城を訪ねたにもかかわらずランド王は不機嫌な顔を全く見せることなく、帰還した4人を迎えてくれた。
「これはみなさん、こんな夜分遅くまでお疲れ様です。お怪我は、ございませんか?」
 4人を迎え入れたランド王は、魔法の宝玉のことよりもさきに全員の無事を心配してくれているようだった。
「うん、全然へーきだよ。ま、あたしがいたかららくしょーだったしね」
 そういうスピカは帰り道、疲れた疲れたと途中阿守におんぶしてもらっていたのだが。まあ、この国でのイメージはあまり崩さないであげておこうと、ルナは何も言わなかった。
「では、本当にワイバーンを退治してこられたのですか?」
「もちろんだよ。ほら、これもちゃんととってきたよ」
 そういってスピカは宝玉をランド王に差し出した。他の場所ではありえないが、ここではスピカに任せた方が話がスムーズにいくようなので、ルナは全てスピカに任せていた。とはいえこのくだけ過ぎな態度は礼儀を重んじるルナとしてははらはらして仕方ないのだが、そこは口出しするのをぐっと我慢。
「おお、それはまさしく魔法の宝玉。ありがとうございます。これで、あなたがたを魔王の島まで飛ばすことも可能となります。準備自体はすでに整えておりますので今すぐにでも決行できますが、みなさまもお疲れでしょうから今日のところはゆっくりと休んで、明日ゆっくりと準備を整えてからご出発ください。もちろんお部屋はお貸ししますので、お風呂などもご自由にご利用なさってください」
「うん、そのつもりだったよ。ありがとうね王様」
 疲れているとはいえいくらでも話せることはあったし、少しくらい騒いでも構わないとそう思っていたのに、誰もがどこか大人しく、たいした話をすることもなくベッドに横になったのだった。
ただそう思っているルナ自身も自分から何か話題を振ろうとは思えず、振られた話に簡単に返すだけだったのだが。
「ねえ勇者様、今日は一緒に寝てもいいかな」
 明かりを消して就寝の体勢についてすぐ、スピカの声が聞こえた。
「今日はって、昨日も朝潜りこんできてたじゃん」
「いつものは知らない間に入っちゃってるだけ。今日は、ほら、女の子には甘えたくなっちゃうときもあるんだよ」
「なにそれ。まあ別にいいけどさ」
「やった。えへへ」
 もそもそとスピカが阿守のベッドにもぐりこむ気配。なんだかんだでやはり、緊張しているのだろう。ルナ自身もそうだ。あとは多分、阿守と会えなくなってしまうかもしれないという、漠然とした不安。最悪の場合、阿守は二度と元の世界に帰れないという可能性もあるのだが、それでもやはりどうなってしまうかわからないという、わからないことにたいする不安は拭いきれないものだ。もちろん、最悪と言ったもののこちらの都合や気持ちだけで言わせてもらえば、その可能性は最高といってもよいのだが。当然本人に直接言うわけにはいかないけれど。
 と、突如ベッドの中で何かが蠢く気配。驚いて目を開けると、いつの間にかリンがベッドの中にもぐりこんできていた。
「なにをしてるのよっ」
「べ、別に夜這いにきたわけではないですから。勘違いはしないでくださいね」
「するか。そして顔を赤らめて言うな」
 リンは一度えへへ、と笑うとルナの耳元に口を寄せた。
「ルナちゃんはいかなくていいんですか?」
「どこへ」
「勇者様のお布団の中」
「行くわけないでしょっ」
 ぎゅっと腿をつねってやると、リンは痛い痛いと涙目になる。
「でも、スピカちゃんに取られちゃいますよ」
「いや、ないから」
「まったく、ルナちゃんはもっと素直にならないといけませんよ。こればっかりはスピカちゃんを見習わないと」
「いや、見習わないけど」
 まあ確かに自分は少し素直ではないと思うけれど、しかしスピカのあの態度は恋愛感情ではないからこそだろう。阿守もだからこそ気にせずスピカを受け入れているのだろうし。
「‥‥じゃあ、今日はわたしがルナちゃんと一緒に寝てもいいですか?」「嫌」
「即答ですかっ!? せめて改行くらいはしてくださいっ!」
「いやだってリン寝相悪いし、それにわたし起きるの早いから起こしちゃうかもしれないじゃない」
「それでもわたしはいいですよ?」「私が嫌」
「うううっ‥‥!」
 涙目になってリンは自分のベッドに帰っていった。よかった。ゆっくり普通に寝られそうだ。
 ああやってふざけているようで、リンも少なからず緊張しているのだろう。
 緊張して眠れない、ということがそのままの意味で命取りになっていた頃の習慣で、ルナはそんな状態でもそれなりに早く眠りに着くことができた。

 ・・†・・

 ふと目が覚めた。
窓の外を見ると、空はまだ夜の色を拭いきれておらずほんのりと暗い。どうやら少々早く起きすぎてしまったようだ。
 隣を見ると、スピカが気持ちよさそうに寝息を立てている。阿守はスピカを起こさないよう、そっとベッドを抜け出した。
 風にあたってアンニュイな気分に浸りに行くわけではない。トイレだ。
 トイレから出て廊下の先を見てみると、そういえばあそこの先からバルコニーへ出ることができるのを思い出した。あ、なんかアンニュイな気分に浸りたくなってきた。
 バルコニーから外へ出ると、初夏とはいえ朝の空気はまだいくらかひんやりとしていて気持ちがいい。アスファルトが熱をため込んでいないせいか、元の世界に比べ夏でもずいぶん涼しく感じる。空を見上げると、阿守の知っている空よりも幾分か空気が澄んでいるような気がした。
 そう考えると、さっそく気分はアンニュイモードに突入。原因はもちろん元の世界のこと。
 だがいつのまにか元の世界に帰れないかもしれない、という心配はなくなっていた。今ではそれよりも、元の世界に帰らなければならないのか、もしくはこちらの世界を行き来することはできないのだろうか、という心配が大きくなってきていた。なんだかんだで、気に入ってしまったのだ。ここが。
もちろん帰るか帰らないかという選択肢を掲げられれば、自分は帰ることを選ぶだろう。それでもできることなら、再びここを訪れたいとも思っている。
もしかしたら、もう元の世界には帰れない、と選択の余地を奪われてしまったほうが楽かもしれないなんて、最近ではそんなことすら考え始めてしまっていた。
でも帰らないわけにもいかないしなあ。どうなってるのか知らないけど、とりあえずいきなり消えちゃってるわけだし。
「まあ、なんにせよ魔王を倒してからの話か」
 悶々と不毛に繰り返される思考を、とりあえず無理矢理打ちきる。考えても仕方がないのは事実だ。帰るも帰らないも、魔王に殺されてしまえば悩む必要もなくなるわけだし。あ、そういえば最悪ここで死んじゃう可能性もあるのか。などとのんきな思考ともいえない思考にふけっていると、背後から静かにドアの開く音に続いて小さな足音が聞こえた。振り向くと、ちょうど起きてきたらしいルナがこちらに向かって歩いてきていた。いや、髪がほんのりと湿っているあたり、多分もっと早く起きて体を動かしてシャワーでも浴びてきたんだろう。あいかわらず元気なコだ。
「おはようございます、勇者様。今日はずいぶんと早起きなのですね」
「おはよう、ルナ。まあルナほどじゃないけどね」
 簡単に挨拶をかわすと、ルナは静かに阿守の横に並んだ。
「やはり、勇者様も緊張しているのですか?」
 ルナは空を見上げたまま静かに尋ねた。
「まあね。緊張っていうか不安っていうか、よくわからない感じ」
「不安‥‥。やはり、元の世界に帰れないことを危惧されているのですか?」
 ルナは若干声のトーンを落とした。
「いや、ちょっと違うかな。なんていうかさ、よくわからないんだよ。わからないから、不安なんだ」
 ルナはその言葉を聞くと、一度ちらりと阿守に視線を向けた。そしてすぐに視線を空に戻し、重ねて尋ねる。
「‥‥勇者様は、元の世界に帰りたいと思いますか?」
「思うよ」
 そこは即答だ。いろいろ思うことはあるにせよ、やはりそこは間違いないように思う。ふと視線を横に向けた時、その答えを聞いたルナの表情が少し沈んでいるように見えたのは少し自意識過剰だろうか。
 ルナはそこで何とも形容しがたい表情で阿守を見上げた。
「勇者様、私は‥‥」
 しかしルナはそこで言葉を切ると、一度唇を引き結んで目を閉じ、すぐにいつもの落ち着いた表情に戻り、言葉を続けた。
「‥‥私は、早く魔王を倒し、平和な世界を取り戻したいです」
「そうだね、俺もそう思うよ」
 ルナが何か別のことを言おうとしていたであろうことは阿守も気づいていたが、特に言及はしなかった。ルナなら言うべきこと、言うべきでないことをわかっているだろうし、言うべきことでないなら聞くべきでもないと思ったからだ。
「順調にいけばおそらく、今日明日中には魔王と戦うことになるでしょう。魔王は今まで戦ってきた魔物たちとは比較にならない強さを持っているはずです。ですが必ず、勝ちましょう」
 ルナが笑顔でそう言うので阿守も笑顔で応えた。
「うん、もちろんだよ。絶対に勝つよ」

 Ⅴ.

「では、空間移動魔法を実行します。最後にもういちど確認しておきますが、準備はよろしいですか?」
 ランド城地下の一室。石造りの、広くて殺風景な部屋で、床に刻まれた巨大な魔法陣の上で4人はまさに魔王の島へと向かおうとしていた。この場にいるのは他には魔法を実行する数人の魔道士とランド王のみ。
「うん、準備万端だよ。いつでもおっけー」
 スピカがいつもの調子でそう返すと、ランド王はこちらに向かって1歩進み出た。
「魔法の宝玉すらとってくることができなかった我々では、あなたたちを送り届けるぐらいのことしかできません。申し訳ありませんが、後はお任せいたします」
「はい、あとは私達にお任せください。必ずや魔王を倒して参ります」
「ぜったいにあたしたちが魔王を倒すよ」
 ルナとスピカは笑顔でそう返し、スピカはランド王と握手を交わした。
「魔王を倒し、必ずや、帰ってきてください。決して、無茶だけはしないように」
「2つ目はちょっと約束できないかな。無茶しないで勝てる相手とはあたしも思ってないし」
 スピカの正直すぎる言葉にランド王の表情が曇る。しかしスピカは笑顔で続けて言った。
「でも、1つ目はちゃんと守ってあげるから、心配しなくていいよ」
「スピカ殿‥‥」
 その言葉でランド王も、周りで同じように心配そうだった魔道士たちの表情が和らいだ。こういう場の空気のほぐし方は、スピカのほうが上手いんだよなあ、とルナはちょっと感心。
 ランド王はスピカから手を離すと、1歩後ろに下がった。
「それでは、後はお任せいたします。私達の、未来を」
 そうしてランド王が深々と頭を下げると、周りを囲む魔道士たちは魔法の発動を実行し始めた。足もとの魔法陣が淡い光を放ち始める。
 光が徐々に強くなり、スピカがランド王に手を振って、魔法陣の光が視界を埋め尽くしたかと思うと、景色が一転した。
「ここ‥‥?」
 突然すぎて、一瞬理解が追い付かなかった。4人が今立っている場所は周りを高い岩山に囲まれたなにもない草原。どこからともなく、ほんのりと潮の香りが漂っている。視線を少し先に向けると小高い丘のように緩やかな坂が伸びており、そしてその先には――
「あれが魔王の城なのかな」
 スピカがそれを 見上げて呟いた。その言葉通り、そこには城としては少し小さめの、簡素でやや古ぼけた城が山の木々に囲まれるように建っていた。
「とりあえず、行ってみましょうか」
 ルナはそう促し、警戒を保ったままその城に向かって歩き出した。城のそばまで近づくと、しかしそのまわりは高い岩山に囲まれているせいで、それ以上は近づけそうもない。ぐるりと回りを見てみるも、そこへと続く道のようなものは発見できない。どういうことかと首を傾げていると、リンがちょっと、と声をかけてきた。
「これ、洞窟の入り口みたいですけど、ここから向こう側に行けるんじゃないでしょうか」
 見てみると、わかりづらいが確かにそこは洞窟の入り口のようになっており、地下へと続く階段が伸びていた。
 確かに他に道はないが、必ずしも向こう側へ行けるかどうかもわからないうえ、ここまで来た人間に対する罠である可能性も否めない。ルナがその入口を見つめてどうすべきかと悩んでいると、
「他に道がないなら悩んだってしょうがないじゃん。とりあえず行ってみようよ」
 いつも通りのスピカのあまり深くは考えていなさそうな発言。がしかし、実際他にどうにもしようがないというのはその通りである。
「‥‥しょうがないか。じゃあ、行ってみましょう」
 ほんの少しだけ悩んでから、やはり他にどうしようもなくルナはそこを進むことを決断した。
 階段を降り切るとほぼ同時のタイミングで、4人に魔物が襲いかかった。やはり罠、と思うべきか魔王の近くだからこそ魔物が多いだけか、まだ判断しかねるところだ。
 現れた魔物はオレンジ色で2足歩行、でっぷりと太ったカエルの魔物と、緑色の鱗に鋭い牙を光らせる、リンのいた島の塔にいたのと色以外の見た目は変わらない、ヘビの魔物。その辺りにいる魔物でさえ日々強力になり、徐々に苦戦を強いられるようになっているのだ。ここにいる魔物がそれより弱いとはとても考えがたい。必要以上に警戒してかかる必要があるだろう。
「エアロタイフーン!」
 まずはスピカが風の魔法を放ち、魔物の動きを牽制する。そこへすかさずリンが飛び込み、ヘビの魔物を撃沈させた。カエルの魔物が舌をのばして攻撃してくるのをルナは大きく跳んでかわす。未知の魔物の攻撃を下手に受けるのは好ましくないというのは学習済みだ。かわすと同時にルナはエアロスマッシュを放ち、再度攻撃を仕掛けようとしていた魔物の体勢を崩す。そこへ阿守が剣を走らせ、カエルの魔物も撃沈させた。
 油断さえ見せなければ、どうにかなりそうだ。そう思ってひとまずルナは安心する。こんなところで体力を消耗するわけにも、いわんや大けがをするわけにもいかない。
「この感じなららくしょーっぽいね」
 スピカがどこかほっとした表情で言うが、そう楽観視することはできない。
「そうだといいけどね」
「なにか不安要素があるの?」
 阿守の質問にルナは首肯して答える。
「おそらく魔王と戦う前にもう一度、ファルスと戦うことになるでしょう」
 その名前に、リンの表情がわずかに曇る。
「あんなやつ、心配する必要もないって。あたしにかかればあいつなんてチュン(死亡音)だよ」
「簡単に言うけど、この前のファルスの去り際のこと覚えてる? あいつがどうやって逃げたか。ファルスは空間移動の魔法をつかって逃げたのよ。たった1人でね」
 そう。魔力の高い相手だとは思っていたが、あのランド城の魔道士ですら道具を使わなければ魔法を実行できないと聞いてから、ファルスに対する警戒は一層高まっていた。対象者が自分1人だけであったので、他人4人をここまで飛ばしたのに比べれば必要な魔力はかなり少なくはなるのだろうが、それでもファルスがかなりの魔力の持ち主であることは間違いないだろう。
「でも、あたしのほうが魔力高いし」
「何を根拠に言ってるのよ」
「顔の可愛さ☆」
 いえいっ、とポーズを取ってウインクして見せるスピカにとりあえずチョップを入れておく。
「仮にそうだとして、消耗が激しければその後の魔王戦が苦しくなるのは避けられないわ」
「だからなんだっていうのよー」
「だから気を抜くなっていうの」
 ふくれっ面で言うスピカにルナは即座に返した。
「別に、気なんて抜いてないし」
 ふくれっ面を維持したまま意地を張って言い返すスピカに、ルナは呆れたため息を漏らした。
「とにかく、危険な相手であるということは間違いないわ。どこで襲ってくるかはわからないけれど、警戒しておくことにこしたことはないということよ」
 そうして4人は再び進行を開始した。洞窟の道はぐねぐねとうねってはいるものの、基本的にずっと一本道が続いているため、道に迷ってしまう心配はなさそうだった。
「もうちょっと先に、イヤな魔力を感じるよ。誰かが、あたし達を待ってる」
 洞窟内を歩いているとふと、スピカがそう呟くように言った。それを聞いてルナはわずかに身構える。誰か、とは言ったがそれが誰であるかはほぼ間違いなく、彼だろう。ウワサをすれば、というやつだ。
 そのまましばらく歩き続けていると、通路が急に開け、大きな空間に辿り着いた。戦闘にはうってつけ、といった風の場所だ。
「やっぱ来ちまったか」
 そしてその通路の先には予想通り、ファルスの姿があった。前回と同じ格好で後ろの階段に腰掛け、薄い笑い顔を浮かべてこちらを見据えている。ファルスはゆっくりと腰を上げると、手のうちに一振りの猛毒の剣を出現させる。やはり話し合いの余地などなさそうだ。
「お前らを魔王様のところまで行かせるわけにはいかねえ。ここでおれが潰す」
「なぜそんなにまで魔王の味方をするの? なぜ、人間を敵にまわすの?」
 話し合いでどうこうしようと思っているわけではない。しかし理由もわからず相手を倒す、というのはあまり気分のいいものではない。そう思って尋ねるが、ファルスは吐き捨てるように言い返す。
「人間なんてクズだ。生きている価値すらねぇ、ゴミだ。支配する価値すらもねぇ。だから、全員おれが殺す」
「‥‥過去に、人間と何があったの?」
「だからお前らには関係ないっつってるだろーが!!」
 ファルスは感情をあらわにし、怒りを込めて叫んだ。呼吸が乱れ、表情が歪む。
「おやおや、相変わらずずいぶんと短気だねえ」
「まあ深く詮索するつもりはないけれど、だからといって関係ない人たちまで巻き込んでいいはずはないでしょう」
「うるせーんだよ!! もう死ね!」
 ファルスは感情を抑えきれなくなったように、ルナに向かって剣を振りかざし跳びかかった。ルナも即座にカタナを抜いて構えるが、突如その前に両手を広げてリンが飛び出した。
「待って下さい!」
「!?」
 突然の闖入者に、思わずというようにファルスの動きが止まった。大きく後ろに下がってリンから距離をとる。
「何のつもりだおまえ」
「待って下さい。戦いは、どうしてもしなければならないのですか?」
 困惑気味だったファルスの表情が再び怒りに染まる。
「ったりまえだろうが! この期に及んでまだ話し合いなんざしようと思ってんのか!? ふざけてんじゃねえぞ!」
「だけど‥‥!」
「うるせえっつてんだよ!」
 ファルスが再び剣を振り上げ、リンに斬りかかった。
「リン、もう諦めなさい! こいつはそんな話が通用する相手じゃないわ!」
「‥‥‥‥!」
 リンは歯をくいしばって身構えると、突っ込んでくるファルスの動きを見つめ、攻撃の直前でファルスの剣を握る手を蹴りあげ攻撃を防ぐと、そのまま一歩踏み込み反対の足で腹を蹴りつけた。ファルスの体が吹き飛ぶが、空中で体勢を立て直すと倒れることなくざりざりと滑りながら地面に着地した。
「くそ、ちょっと頭に血がのぼりすぎてたな。ああ、そういえば今日もナカマを連れてきてるんだよ。紹介してやるぜ」
 そう言ってファルスが宣言すると、前回と同様地面に魔法陣が浮かび上がった。そしてその上に巨大なシルエットが出現したかと思うとそれは徐々に形を為し、巨大なイカの魔物が姿を現した。体長は隣に立つファルスの3倍はありそうだ。白い体に赤く光る瞳を浮かび上がらせ、10本の長い脚をうねうねと蠢かせている。
「ははは、こいつは間抜けたツラしてるけど、攻撃の威力ハンパじゃないぜ」
 間抜けたツラとは、とてもじゃないが仲間にかけるような言葉じゃあないなと呆れかえる。とはいえ、言葉通りとするなら非常に厄介な相手だ。
 考える間も与えないように、魔物が動いた。狙いは大雑把にルナがいる辺り、といった様子だ。そしてそれと同時にファルスも動く。そちらの狙いは完全にリンにあるようだ。多少怒りは収めているとはいえ、先程の言葉はよほど癇に障ったのだろうか。
 ルナは魔物の攻撃を避けると、その腕にカタナを走らせる。しかし魔物はそのダメージも意に介した様子もなく別の足でさらにルナに殴りかかる。同時に、阿守とスピカにも攻撃を仕掛けているようだった。リンに攻撃をしないのは近くにファルスがいるからだろうか。
「スパーク!」
 スピカが雷の魔法を魔物に打ち込む。ドンッ、と斜めに伸びる柱のような一筋の魔力が魔物に直撃し、魔物の動きが鈍る。
「アイスクラッシュ!」
 そこへ阿守の氷の刃が突き刺さった。久しぶりに阿守のその技を見るが、やはり格段に威力は向上しているようだった。氷の刃っていうか、剣のせいもあるのか単なる氷塊みたいになってるし。
 魔物はよろよろとたたらを踏んで後ずさるが、すぐに足でパンチを――っていうとなんだか変な感じがするけど、外見がイカなのであれを手と呼ぶのも変な感じがするし、かといってこの攻撃をキックと呼ぶのもやはり変な感じがする。うん、だから足でパンチを打ってくる、で間違ってないと思う――それをかわしつつ隙を見て攻撃、を繰り返していた。
 単調な攻撃なのでやりやすいといえばやりやすいが、確かに一撃は予想をはるかに越えて重そうだ。一撃でもまともにくらえば、形成は一気に逆転する可能性もある。気は抜けない。
「まったく、なんでこんなに足が生えてるのよ‥‥!」
 理不尽にも程がある悪態をつき、ルナは魔物の攻撃をかわし続ける。

 ・・†・・

 一方でリンは、ファルスと一対一での攻防を繰り広げていた。相手の剣、ベノムソードは触れるだけでも相手に毒を与えることができるという厄介な性質を持っているため、下手に受け止めることすらできない。うまくかわしつつ、どうしようもなければ仕方なく受け止めて即座に自ら治癒魔法をかけていくしかなさそうな状況だった。魔法を使えばそれだけ意識をそちらに集中させなければならなくなってしまう。ファルスほどの腕があればその一瞬の隙をついてくることも容易だろう。つまり攻撃を受け止めることがそのまま隙を与えることにつながる、ということだ。間違いなく不利な状況といえる。
「わたしは、あなたとどうしても戦わなければならないとは思えません! 少しだけでいいんです、あなたの話を聞かせてください!」
「うるせえうるせえ! お前にそんな話する必要なんてねえんだよ!」
 ファルスはリンの言葉に一切耳を貸そうとせず剣を振り回し続ける。しかしリンはファルス攻撃を捌くばかりで自ら攻撃に転じることはなかった。
「どうしてですか! 同じ人間じゃないですか! お互いちゃんと言葉が通じるんですから、戦う以外にも選択肢はあるはずです!」
「黙れっつってんだろうが!」
 逆上しているためか、ファルスの攻撃は非常に荒い。そのおかげで、かわしやすくはあるのだが。
「話が通じるから、なんだってんだよ! わかり合えるとでも言いたいのか!? だとしたらとんだめでたい頭してるぜお前は!」
 剣を大きく振りまわしながら、ファルスが叫ぶ。リンはそれをかわしつつ、必死に呼びかける。
「わかり合えます! わたしはあなたが人間を殺さないと約束してくれれば、あなたには何もしません。できることなら、わたしはあなたとも仲良くしたいんです!」
「はっ、そりゃあ無理な約束だな。てわけで交渉決裂だ。死ね!」
 ファルスがさらに大きく剣を振ると、リンは危なげなく紙一重でそれをかわした。はずだったのだが、リンの腕に浅く傷ができる。剣に魔力を乗せて振るったらしい。剣の周りに一回り大きい見えない斬撃が繰り出されている。毒を受けることこそないようだが、これでかわすのはかなり難しくなった。しかしリンの表情はまだ焦りの色を見せない。
「どうしてダメなんですか! どうして話を聞いてくれないんですか!」
「人間どもがクズなことを、おれはよーく知ってるからだよ! だから話なんて聞くだけ無駄だ!」
 リンの必死の声にも、ファルスはやはり一切耳を貸そうとしなかった。魔力を乗せた剣はリンの体の横の空間を薙ぎ、しかしリンの頬に一筋の赤い線が刻まれる。
「どうして‥‥」
 受けた傷には全く気を張らわずリンは呟き、ぎりと奥歯をかみしめた。
「おらおらどうした! なぶり殺し希望か!? 攻撃してこないなら、望みどおり肉片になるまで斬り刻んでやるぜ!」
 ファルスは下卑た笑いを浮かべながら、凄まじい勢いでリンに剣を突き入れる。しかしリンはそれを避けようともせず、ファルスを正面から睨みつけた。
「‥‥そんなもの、望むわけがないじゃないですか!」
 パァン! と乾いた音を立てて、ファルスの剣が弾かれた。ファルスは一瞬驚いたような表情を浮かべ、しかしすぐににやりと笑みを取り戻す。
「ようやく戦う気になったか。ああ、その方がおれも楽しいぜ!」
 正面からの横薙ぎの攻撃。リンは刃を蹴りあげてそれを防ぐと、がら空きになった体に拳を叩き込んだ。ファルスの体がくの字に折れ、壁に叩きつけられる。
「‥‥げほっ。なんで刃に触れて平気なんだよお前‥‥」
 よろよろと立ちあがりながらファルスが問うと、リンはぐっと拳を見せつけるように構えをとった。
「このグローブはある程度耐魔効果もあるんです。一瞬であれば、毒も受け付けません」
 正直、本当に防げるかどうか確証はなかったのだが、ともかくこれで戦いかたの幅はぐっと増した。それを聞いてしかしファルスは笑みの形に口元を歪める。
「なるほどねえ‥‥。だけど、直接ぶった斬ってやればそんなもん関係ねーんだろ?」
「ええ、そうですね」
 リンはファルスを睨み据えたままあっさりと頷いた。
「調子に乗ってんじゃねえぞ!」
 ファルスの斬撃をリンは左拳で横に弾くと、右足でファルスの頭を狙う。ファルスは空いていた左手でそれを受け止めると、接触した状態で左手に魔力を弾けさせた。リンの足が弾かれ苦痛に顔を歪める。しかしリンはその反動を利用して反対向きに回転すると、そのまま反対側頭部に後ろ回し蹴りを叩き込んだ。ファルスが倒れるが、リンもがくりと右膝を落とす。今のダメージは決して小さくない。
「くっ、なかなかやるじゃねえか‥‥」
 リンはちらりと他の3人に目を向ける。1人だけでも加勢に来てもらえるとありがたかったのだが、魔物の攻撃の手は見た目通り異常に多く、そう簡単にはあの猛攻から抜け出せそうにはなさそうだ。リンはそれを理解すると、再びファルスに向き直る。
「ああ、それでいい。こっちはこっちで楽しもうぜ。今回はアレを連れて来て正解だったようだな」
 リンは何も答えず、無言でファルスをねめつける。ファルスも笑みを浮かべたまま無言でリンに視線を固定させ、しばらくその状態が続く。
そして、先に動いたのはファルスだった。
「ポイズンクラウド!」
「!? ‥‥げほっ」
 ファルスがそう叫ぶと、リンの周りが紫色の煙に包まれた。思わずそれを吸ってしまったリンは、がくりと膝を落とした。全身に悪寒が走り、目の焦点も上手く定まらない。
 完全に不意をつかれた攻撃だった。魔法を使いこなす相手であるということを失念していた。
「アイス!」
 続けて放たれた氷塊を、リンは定まらない視界の中でどうにか弾いて防ぐ。しかし直後に目の前まで迫ってきていたファルスの剣を防ぐことは不可能だった。体を斬り裂かれ、リンの体がぐらりと傾ぐ。
「はっ、雑魚が! そのまま死ね!」
 なんのためらいもなくファルスがとどめを刺すため、倒れるリンに剣を突き立てようとした瞬間、リンの体が跳ね起きた。ファルスの剣は地面に突き刺さり、弱々しくも放たれたリンの蹴りがファルスの体勢を崩す。
「‥‥お前、なんでもう動けるんだよ」
 毒の魔法に、毒の剣をも受けたはずだった。さらに剣によるダメージもあったのを、あの短時間で癒せるほどの魔力などリンは持っていないが、
「大地のマナのおかげです」
 リンの答えは簡潔。しかし十分に伝わる一言だった。
「なるほどな。くそっ、厄介な力だぜ」
「あなたが高い魔力を持っていることを完全に失念していました。ですが、そのつもりでかかればどうということはありません」
 どうにか冷静を保っているものの、リンも内心かなり頭に来ていた。感情に任せて戦うなど、それこそ望んでいることなどではないが、それでもとてもではないが気持ちを抑えることなどできそうもなかった。
「言ってくれるじゃねえか」
 言って、ファルスは再びリンに斬りかかり、リンはぐっと身構えた。
「エアロショット!」
 ファルスは目の前で風の魔法を放ち、リンの動きを牽制する。しかしリンはそんなものは全く気に留めず、風に身を切り裂かれながらファルスの剣を弾き、胸に蹴りをめり込ませる。ファルスはぐうっ、と呻いてリンから距離をとった。
「ベノムフレイム!」
 ファルスの言葉に応えて紫色の炎の塊がリンを襲う。しかしリンは一撃の一瞬に力を込め、迫る猛毒の炎を魔力を込めた拳で全て叩き潰した。
「ポイズンショック!」
 その隙に目の前まで迫っていたファルスが、今まで以上に濃く魔力を乗せた剣を振るった。リンは大きく跳んでその攻撃をかわしたにもかかわらず、剣圧に撫でられただけで顔は青ざめ全身の動きがぎこちなくなった。どうやら毒と麻痺の重ね技であるようだ。
 そこへファルスのさらなる追撃。視界も定まらず、動きもままならない状態では絶望的かと思われたが、脚が地に触れた瞬間に暖かな力が込み上げてくるのを感じた。それが上半身まで到達する前にリンは足を振るう。視界の定まらないままに、ひどく荒い大振りな蹴撃(しゅうげき)を右足と左足で一撃ずつ放った。ファルスは即座に前進していた足を後退させ、それをかわす。
「ベノムフレイム!」
 再び放たれたその魔法を、すでに毒も麻痺も拭い去っていたリンは前のめりに倒れるようにかわし、地面に手を着き脚を大きく開くと体を回転させた。ファルスはリンから大きく距離をとり、しかしリンが起き上がる瞬間を狙って再び斬りかかった。ほぼ座り込んだ体勢だったリンはバク転の要領で後ろに跳んでかわして地面に立つ。そして即座に蹴りを放ち、ファルスはそれを受けつつもさらに剣を振るい、リンの肩口が浅く斬り裂かれた。リンは距離を取って毒を癒し、ファルスも同時に距離をとった。
「‥‥‥‥」
 しばらく、その距離を保ったまま、2人は視線をぶつけあう。
 そして、地を蹴ったのはほぼ同時だった。
「ポイズンショック!」
 ファルスが剣に魔力を込め、リンに斬りかかる。しかし、リンはかわそうとすらすることなく、それを正面から見据えていた。ファルスの表情に驚きと焦りが浮かぶ。
「はあっ!」
 パキィン! と硬質なものがぶつかり合うような音を立てて、ファルスの剣が弾かれた。その瞬間のリンの拳は淡く光り、魔力を纏っていた。
 完全に体勢を崩していたはずのファルスは、しかし無理矢理に体勢を立て直すと蹴りを放った。濃密に魔力が込められているため、蹴りそのものの威力はほとんどなさそうだったが、リンはそれをかわすため追撃を諦める。
「うおおおおおっ!」
 鬼気迫る勢いで剣を薙いだファルスの手を、リンの拳が打ち払う。そしてさらにその手を蹴りあげ、この戦いで一度として手放さなかった剣が、宙を舞った。思わず上に視線を向けたファルスの顔面に、横からの蹴りが叩き込まれる。ぐらりと揺れたファルスの顎を、さらに下からの拳で突きあげた。
「これで、終わりです」
 強制的に視界を天井に向けさせられたファルスが慌てて正面に視点を戻すと、煌々と光を放つほどに右腕全体に魔力を込め、ぐっと腰をかがめて拳を構えるリンと、目が合った。驚きにか、恐怖にか、それともそれ以外の何かにか、ファルスは大きく目を見開いた。
「龍神打破!」
 リンの拳が空を打ち抜き、ファルスの体を貫いた。打撃そのものに加え魔力の攻撃力も加わり大きく腹部を穿たれたファルスの体が軽々と宙を舞い、どさりと地面に投げ出された。リンはすぐに構え直してファルスの次なる動きを警戒するが、起き上がる気配は見られなかった。
 リンは小さく息をつくと、全身の力を抜いた。

 ・・†・・

「リン! 大丈夫!?」
 そこへ、ようやくルナが駆けつけリンの隣の並んだ。その背後には腕を斬り裂かれ魔法に体を貫かれた魔物の姿が。阿守とスピカもやや遅れてリンのもとに駆けつけた。
「‥‥げほっ! くそっ、なんで、勝てないんだよ‥‥っ。ちくしょう‥‥!」
 倒れたままのファルスは、そう悪態をつくと、げほげほと苦しそうに身をよじった。腹からはとめどなく大量の血が溢れ、地面に大きな血だまりが広がってゆく。とてもではないが、もう助かる見込みなどなさそうだ。
「お前らだってなあ、それだけの力を持ってるんだったら、魔王様を倒したって元の生活になんかぜってー戻れねーぞ。お前らには何もいいことなんかねーってのに‥‥」
 ファルスは倒れたままあらぬ方向に目を向けたまま呟くように言った。もしかしたら、もう目が見えていないのかもしれない。
「それはいったいどういう意味?」
 ルナがあまり期待はせずにそう尋ねると、ファルスはくくくと小さな笑いを漏らした。
「人間なんて勝手な生き物ってことさ‥‥。せいぜい苦しめや、ざまーみやがれ」
 そう言って、ファルスは完全に口を閉ざしてしまった。しばらく待ってルナはファルスに近づいていってみたが、瞳孔は大きく開かれたまま。完全に事切れているようだった。
「いったい、何が言いたかったというのかしら」
 そう言ってルナはリンへと視線を向けると、リンは俯いて震えていた。眼は隠れてしまっていたが、その頬には一筋の滴が伝っていた。
「‥‥わたし、結局、戦うことしかできませんでした」
「それは、仕方なかったんじゃないかしら‥‥」
 ルナはどう対応していいかわからず、どうにかそうとだけ言葉を発する。
「でも、わたしは、それ以外の方法もあるって信じたかったのに‥‥。でも、他にどうすればいいかわからなかったんです。本当に、これでよかったんでしょうか‥‥。わたしは、間違ってしまったでしょうか‥‥」
「そんなの‥‥」
 間違ってなどないに決まっている。特にファルスに関して言えば完全に話し合いの余地などなかったのだから、戦闘以外の方法などありえなかった。しかしリンが今言っているのは人間同士の争いが、という点に関してだ。あまり安易に頷くわけにもいかないような気もする。
 ルナがかける言葉を探しあぐねていると、阿守が静かにリンの頭を抱いた。
「正しいとか、間違ってるとか、そんなことを誰かに尋ねるのなんて、俺は意味がないと思うんだ。だってさ、人に言われてそれを答えにしちゃうのなんて単なる逃げだと思うし、結局最終的にそれ決めるのは自分だと思うからさ。だから、リン。リンは自分の行動が正しかったと思う? 間違ってたと思う?」
 リンはしばらく阿守の胸の中で黙りこむ。そして、震えが少し治まった声で答えた。
「わたしは、間違ったと思います。わたしがしたかったのは、これじゃありません。方法も、結果も、間違ってます」
「そっか。じゃあ、今のリンには何ができる?」
「今の‥‥?」
 リンは少し困ったような顔で阿守を見上げる。
「リンは間違ってしまった。でも、その間違いにちゃんと気づいた。じゃあ、次は何ができる?」
「次は‥‥」
 リンは再び俯いて考え込み、やがて顔をあげると真っすぐに阿守を見つめた。
「次は、正しい道を選んでみせます」
「うん、それでいいと思う。だから後悔するのはやめよう」
「‥‥はい」
 リンは一度ちらりとルナに申し訳なさそうな視線を向けてから、阿守の胸に抱きついた。
 ちょっと複雑な気分にならないでもないが、まあ今は何も言わないでおこう。別に独占したいわけじゃないし。とか強がってみる。
 しばらくリンはその体勢のままでいたが、やがて落ち着いたらしく名残惜しそうにゆっくりと阿守から距離を空けた。
「すみません。ご迷惑をおかけしました」
「いやいや、気にしないで。俺も女の子に抱きつかれてラッキーとか思っておくよ」
 む、冗談で言っているのはわかるが、今の言葉はちょっと看過しがたい。まあ、だからといって何も言えないから看過しちゃうんだけど。
「よーし、じゃあガンガン進んじゃおう! 魔王をぶっ飛ばすぞーっ!」
 今の話の流れでよくそんなこと言えるな、と言いたくなる台詞を元気いっぱいに吐くのはもちろんスピカ。ツッコミどころは満載だが、とりあえず次なる行動の指針としては否定するところはない。スピカに続いて、4人は広い部屋の向こう側にあった階段を上った。

「うわっ」
 階段を上りきるなり、スピカは驚いて足を止めた。その後ろから上がってきた他の3人も、すぐにその理由を知る。
 階段を上ったその先の、目の前に城があった。洞窟から出るとちょうど正面に城壁が見えるような形になっており、その圧迫感は少し気圧されるものがある。
 空を見上げると、夕日が雲を茜色に染めあげている。普段ならそろそろ野営を考え始める時間帯だが、
「どうする?」
 ルナは一応、他の全員に確認をとる。そして返ってきた反応は当然というべきものばかり。
「ここまできて、足を止めるとかありえないでしょ」
「行きましょう」
「もう、終わらせよう」
 ルナはそれに笑顔で応え、頷く。
 そして4人は城の中へと踏み込んだ。
「‥‥すごい高魔力の結界を張ってるみたいだね」
 それは、さすがのルナでも気がつくほどのものだった。かつては城の門であったのだろう場所ををくぐった瞬間に、ねっとりと絡みつくような魔力を全身で感じた。おそらくこれは侵入者を拒む結界ではなく、自分の魔力を外に漏らしすぎないための結界。それほどまでの力。
「‥‥やはり、圧倒的なようね」
 ルナの呟きに、答える者はいなかった。強がりすらもためらわれるほどの力だった。そして、
「ルナ後ろっ!」
 阿守の声にとっさに振り向くと、そこには先ほどのイカの魔物にも劣らないほど巨大な白熊が、これまた巨大な腕を振り上げていた。
 ルナは落ち着いて即座に状況を判断すると、カタナの柄に手をかけ、攻撃を避けつつ魔物の背後に回った。直後、地面を全力で殴りつけた魔物の腹が大きく裂け、血しぶきが舞う。しかし魔物はダメージを受けた様子を一切見せず、横にいたリンに標的を移した。リンは腕を突き出してくる魔物の攻撃を、同じく腕を突き出し、押しとどめた。
 ‥‥相変わらず、とんだ馬鹿力だ。どれだけ体格差があると思ってるんだろう。そりゃあまあもちろん、体格が全てじゃないんだけれど。
 魔物は痛みに身をよじり、その隙にリンの拳が今度は魔物の足に打ち込まれた。魔物はバランスを崩し、頭から床に倒れ込む。
「アイス3!」
 スピカの声に応えて魔物の頭上に巨大な杭のような氷塊が出現し、魔物の体を貫いて地面に縫い付けた。魔物は苦悶の叫びを漏らす。
「フレアスマッシュ!」
 阿守の生み出した炎(えん)塊(かい)(もうこう呼んだ方がよさそうだ)が魔物を包み込み、叫び声は次第にフェードアウトしていったかと思うと、あとには黒々としたカタマリだけが残されていた。
「さすがに、魔王の本拠地ともなると魔物の質も格段に上がりましたね。やはり、あまりのんびりなどしていられないようです」
 そう言った直後、再び魔物が4人に襲いかかった。今度現れた魔物は空中から攻めてくる。
 小型のドラゴンだろうか、小さな丸っこい体に不釣り合いな大きな4枚羽を生やして黄緑色の鱗に身を覆い、全体的な大きさは自分たちとさほど変わらない。2本の細い腕と後ろには先端にトゲのついた1本の尻尾。体の前面を覆い尽くすほどの大きな口には鋭利な牙が並んでいた。
「スパーク!」
 スピカの放った魔法に魔物の動きが一瞬鈍り、がくりと飛行高度が下がる。そこへリンが跳び上がってのかかと落としを叩き込む。床に叩きつけられた魔物にとどめの一撃をくらわせようと阿守が駆けるが、床に這いつくばる魔物が突如口を大きく開けた。
「マジックシールド!」
 阿守はとっさに足を止め、スピカがその目の前に魔力の盾を作り上げ、魔物が放った雷のブレスはその盾に阻まれ霧散する。そして再び足に力を込めた阿守は魔物の横を駆け抜け、魔物の体を斬り裂いた。そしてちらりとルナに視線を向けてにやっと笑った。どうやら先程のルナの技を真似たらしい。なんだかそういう態度を取られるとちょっと悔しい。
 とりあえず魔物の出現も収まり、ルナは城内へと目を向けた。
 城内はひどく殺風景ではあるが、ボロボロに寂れているということはなく、ぎりぎり人が住んでいる雰囲気を感じさせる程度に清潔感は保たれていた。今までに何度か戦闘でも行われたのか所々に破壊痕が見られるものの、荒廃感を漂わせるほどには至っていない。ロビーのように開かれたこの大部屋にはどこかへ通じる通路が4隅から伸びており、正面にはおそらく謁見の間へ続くのであろう大階段が伸びているが、こちらは途中で崩壊し途切れているのでここからは上へ上がれそうにない。その階段の周りも瓦礫に埋め尽くされているというようなことはなく、意図的に破壊されたまま放置されているようでもあった。
 とりあえず適当に通路の1本を選択して進む。通路の先には左右にいくつかの部屋へ通じる扉が備え付けられており、大勢で生活することも十分できそうな造りだ。以前はどこかの国が所有していたのを、今の魔王が利用しているということだろうか。
 通路を進み、いくつかの角を曲がっていくと入口ロビーの大階段とは違って、少し控え目な階段がひっそりと上階へと伸びていた。スピカに視線を向けてみると、小さく頷いていた。魔王は上にいるようだ。
 上階も1階と同様、生活感が失われていなかった。スピカもここまで魔力が充満している空間では、正確な魔王の場所も捉えづらいというので一部屋ずつ扉を開けて確かめていったが、どの部屋にもベッドや本棚、机やテーブルなどの生活調度品が一式揃えられていて、今すぐにでもこの場所で生活が始められそうなほどだった。
 壁の大きな部分を占めている窓から差し込む夕日は廊下を淡いオレンジ色に染めあげ、今から死闘を繰り広げることになるはずのルナの心をなぜだか穏やかな気持ちへと導いていった。窓から外を眺めると、岩山の向こう側に広がる広大な海が夕日の光を惜しげなく反射して、今ここに自分が風景として存在しているということを主張するかのようにきらきらと光を放っていた。
 魔王はいつも、この景色をどんな気分で眺めているのだろうか。
 自然と、ルナの脳裏にエッジタウンで見た風景が思い起こされた。あの日あの風景を見て、ルナ達は必ず魔王を倒そうと誓った。自分たちの大好きな、この世界を守るために。
 では、魔王は? 魔王はいったい何を思って、人間を滅ぼそうとしているのだろうか。元々、同じ人間でありながら。
「ルナ?」
 じっと窓の外を見つめるルナに、阿守が不思議そうに声をかけた。ルナは風景から視線を逸らし、阿守へと向けた。
「もしかしたら私も、理由も知らないままに魔王を倒すことにためらいを感じ始めているのかもしれません。ですが理由はどうあれ、やはりその行動は許されるものではありません。必ず、魔王の企みを阻止して見せます」
 その宣言は、自分の決意を固めるための意味合いが大きかった。阿守はその意を汲んでくれたのか、静かに笑って頷いてくれた。
 そして再び廊下を進んでいると、その途中でスピカがふと足を止めた。そして、何もない壁をじっと見つめる。
「スピカ、どうしたの?」
「ここ‥‥」
 ルナの声にスピカは呟くようにそうとだけ答えてそっと壁を撫でる。――と、何もなかったはずの壁から、突如扉が水面から浮き上がるように浮かび上がった。思わず4人は顔を見合わせる。
「‥‥なるほど、凝ったマネをしてくれるわね」
「あたしでも場所が分かんなかったのはこのせいかー」
 ルナは簡素な造りのその扉に手をかけ、ためらいなく押し開いた。
 扉の向こうに広がっていたのはロビーと同様、殺風景でただっ広い大きな部屋。部屋の奥には巨大な一面張りの窓があり、日が沈みかけているにも関わらず部屋の中を煌々と夕焼け色に照らしている。窓の外には廊下で見たのと同様の景色が広がっており、まるでそれは一枚の絵画のようですらあった。その部屋は謁見の間であったのだろう、窓の少し手前には2つの華美な装飾が施された玉座。そして、こちら側から見てその左側には、1人の男が目を閉ざして深く腰かけていた。眠っているのだろうか、規則的な寝息を立てているその表情はひどく穏やかだった。まるでその男も背後にかけられた絵画の一部であるかのようにすら見える。
 呼吸をして頭が上下に揺れる度に、男の短く整えられた髪がそれに合わせてさらりと揺れる。髪の毛が茶色みを帯びているのは元からなのか夕日のせいか、ここからではよくわからない。見た目は20歳くらいだろうか。少なくとも、ルナや阿守よりはやや年上のように見える。もちろん、見た目通りの年齢ではないのだろうけれど。そして白いTシャツの上から黒の薄手の半袖の上着を羽織り、下はジーンズにスニーカーというカジュアルな服装はどこの街にいてもおかしくないほど、自然な格好だった。魔王という以上、もうちょっとおぞましかったりものすごい牙が生えてたりいろいろ想像していたが、全力で想像を裏切る普通の人間と変わらない姿だった。がっかり、はしないけれど。
「‥‥む」
 と、そこでようやく男がぴくりと動き、ゆっくりとまぶたを押し上げた。切れ長の赤い瞳が4人を捉える。
「ん? きみたちはいったい‥‥」
玉座に腰かけたまま退屈そうに4人の姿を確認し、そう問いかけてから小さなあくびを漏らす。侵入者に対して警戒の色など一切見せる様子がない。単に寝ぼけているだけなのかもしれないが。もしかしたら1歩先に魔王を倒してしまった呑気な英雄なのではないか、と疑ってしまうほどに気が抜けている。
「お前が魔王か?」
 阿守が単刀直入にそう尋ねた。その問いにも男は大した反応は見せず、眠そうな眼をこすりながら答える。
「ん? ああ、いかにも私が魔王を名乗っている。この島を訪れる人間は過去にも何人かいたようだったが、私のもとにまでやってきたのは君達が初めてかな。いや、初めてではなかっただろうか。ああ、そんなことはどうでもよいな。とにかく、ここに客人が来ることは滅多にないので、たいしたもてなしはできないが、いったい何の用かな?」
 ルナの先ほどのわずかな疑いを晴らすようにその男、魔王はあっさりとその問いを認めた。ひどく億劫そうなしゃべり方だった。なんだかこの後何を言われてどうなるのかがわかりきっており、そしてその対応にうんざりしているかのような、そんな口調だった。
「あなたを、止めに来ました」
「止めに、か。なるほど、そうか‥‥」
 一番にその問いに答えたのはリンだった。
少し予想外の答えだったのだろうか。魔王はリンに視線を向けると、その言葉を反芻するようにそう呟いて、しばらく黙りこんだ。
なんとなく、その緩慢な話し方が、魔王の周りだけ時の流れが違っているかのような錯覚に襲われる。いや、実際そうなのかもしれない。ファルスが「元」人間といっていた以上、実際の年齢がどれほどなのかは想像もつかない。
「ここまで来た、ということは、ファルスは倒したのか?」
「もっちろん。よゆーでぶっ飛ばしてやったよ」
 ぶっ飛ばしたのはリンだけど。
「そうか、ファルスは倒されてしまったか。あいつは何か言っていたか?」
 どれほど興味があるのかわかりづらい、淡白な口調で魔王は訊ねる。
「人間はクズだから殺すんだと、魔王を倒しても俺たちは元の生活には戻れないと、そう言っていた」
 魔王はそれを聞くと、そうか、と変わらぬ調子で呟いた。
「あいつはいつもそう言っていたよ。だから私が一緒に人間を滅ぼさないかと誘ったんだがな」
「どうして、そんなことをしようと思うんですか?」
 リンの問いかけに魔王は上を向いて何かを考えるように黙りこみ、ゆっくりと口を開いた。
「‥‥そうだな、私もファルスの言っていることは間違っていないと思う。だが、私はファルスっほどに人間に対して憎しみを抱いているわけではない」
「だったらどうして‥‥」
「ファルスの言うとおり、人間はクズだ。だが、それはしょうがないことだと私は思っている。人間は魔法を使えば強い力を発揮するが、精神面は非常に弱い。だから、私のように個人の力が強すぎると私に恐怖を感じ、恐れる。そういう恐怖から人間は私の抹殺を考える。私もファルスも今までそうやって、多くの人間から狙われ続けてきた。例え表面上は友好的であっても、どこかぎこちなかったり、距離をとられてしまい、まともに友人などできた試しもない。そういった人間の行動は仕方のないことだから、私はその行為に対して恨みを持ったりはしない。だが個人的な恨みはなくとも、結局人間は私を敵視している以上、私も人間は敵なわけだ。だから、私は人間とは共存できない関係なのだよ。共存できない場合、強者が弱者を駆逐するのが自然のことわりだ。敵がいない世界の望むのは当然だろう? 私は敵のいない世界、人間のいない世界の望んだのだ。私がそう望んだことが、理由だ」
 魔王は一息にそう話し終えると、脱力したように椅子に沈み込む。
「お前がそう望んだからと言って、何の罪もない人間が殺されるのは間違ってる! 人間を殺す以外に方法はないのか? 距離を離すことで、上手く共存することはできないのか?」
「それは私の行動範囲を限定し、狭い世界に閉じ込められていろということか?」
 阿守の怒りの強く込められた言葉に、魔王は軽く受け流すようにそう即答した。すぐには何も言い返せず、阿守は口をつぐむ。
「私はそんなつまらない人生に生きる価値を見いだせない。だから共存できないといっただろう。この地上は私か、私以外の人間のどちらかしか生きていけないんだよ。君たちは君たちが生きる上での平和を勝ち取る戦いをしていると思うが、私にとっても、私の人生を勝ち取るための戦いをしているのだ。どちらが良い悪いという話はないだろう。1つ違いがあるとしたら、賛同してくれる数の違いだな。私にはファルスしかいなかったというだけだ」
「賛同者が少なかったということが、あなたの行為が間違っていることを示しているのではないの?」
 ルナの問いに、魔王はつまらないものでも見るかのような眼でルナを見返し、頬杖をついた。
「君は多数決で多い方を正しい、少ない方を間違っていると決めるのか? それは君たちが共通した価値観を持っていただけに過ぎず、それを正しいと思うのはあくまで同じ価値観を共有しているものだけだ。意見を違えている者にその理論は通じるわけないだろう。私からすれば、私の生活を脅かす君たちが悪で、私が正義なのだよ」
「人間を殺すことを正義だなんて、よくそんなことが堂々と言えるわね」
 ルナの侮蔑すら込めた言葉に、しかし魔王は全く表情を動かさないままに返す。
「ならば、例え話をしようか。もし、国の総意で君の存在は危険だと判断されたとしよう。そして危険人物は死ぬべきだと、過半数の人間が君の死を望んだとする。その時、君は大多数の意見だからと納得して死に甘んじることができるか?」
「子供じみた極論だわ。考える必要もない」
 ルナはその問いをばっさりと切り捨てるが、魔王は呆れたように息をついた。
「だが、私が置かれていた状況はそれと変わらない。君はもう少し他人の立場になってものを考えるようにした方がいい」
「なにを‥‥」
「先に手を出してきたのは、私ではない。私があまりに強い力を持っていることを恐れて、国をあげて適当な理由をつけて、私を殺そうとしてきた。何もしなければ私は殺されていた。だから殺した。それだけだ」
「‥‥‥‥っ」
 それ以上、何も言い返せなかった。人間を殺すことを認める気など、さらさらない。だが、大多数のために死ねと言われて、黙って死を受け入れられる者など、そういるはずもないということも確かだ。
「でもさ、大切な人はいないの? あんただって、愛した人間はいたはずでしょ? その人までも殺してしまうっていうの?」
 魔王はそれを聞き、どこか遠くを見つめるように天井を仰いだ。
「ああ、もちろん愛する人がいなかったわけじゃないさ。まあ彼女は遠い昔に死んでしまったがな」
 魔王はそう言ってから、スピカに視線を戻す。
「何か勘違いしているようなので言っておくが、私が一番に望むものは共存だぞ。私とてできることならば友や恋人と楽しい日々を過ごすことを望んでいる。いや、望んでいた。しかし、それは不可能だと気づいたからこそ今に至っている。結局、君たちが私を受け入れてくれなければ、叶わぬ夢ということだ。叶わぬのなら、次に望むものを実現しようとしたまでだ。私を敵視する者のいない世界。それを作り上げるためには、人間を滅ぼさなければならないということだ」
「そんな、そのために愛する人まで殺してしまったのですか‥‥?」
 わなわなと震えながら呟くリンに、魔王は呆れたような視線を向けた。
「それも、大きな勘違いだな。彼女を殺したのは私ではない。時の流れだ。私が人間を滅ぼそうと思い行動に移すようになったのは、ここ最近のことだからな。それについでに言っておくならば、私とて自ら好んで魔王という名を自称しているわけではない。知らぬ間に誰かに勝手に付けられていた名だ。まあ、今はどうでもよくなってきたので自分でもそう名乗ることにしているが」
 ここ最近、とは言うが魔王が人間を襲い始めたのはもう数年前になる。同じ時代に生まれてきた人を寿命で失うほどに長い時間を生き続けてきた魔王は、一体どれほどの時を孤独に生きてきたというのだろうか。
 同情の余地など一切ない、はずなのに、ルナは魔王を倒すということにほんのわずかのためらいを覚えてしまう。
「しかしならばなぜ、じわじわと人間をなぶり殺すような悲惨なマネをするの?」
「じわじわと‥‥? どういうことだ?」
 魔王は問われた意味を本当に理解できていないように、ルナを見返した。
「どういうって‥‥魔物が一気にではなく徐々に強い力を持ち始めているのは、少しずつ人間を恐怖に陥れてから殺すため、なのでしょう? ファルスがそう言っていたわ」
 魔王はそれを聞くとああ、と呟いて肩を落とした。
「なるほどな。そうだな、あいつにも説明はしていたが、理解はしていなかったわけか。受け入れていなかっただけかもしれんが、まあどちらでもいい」
 魔王はそこで一度息をついてから、言葉を続けた。
「一応、訂正させてもらおうか。別に私はあえて悲惨な方法で人間を殺したいなどとは考えていない。私は過程にはこだわらないのでね。望む結果に辿りつければそれでいい。魔物が徐々にしか力を増していないのは、単純にそうしかできないからだ。いかに私が強大な魔力を保有しているからといって、全世界の全ての魔物を一度に強化するなどはさすがにできん。だからいずれ辺りの魔物も率いて一気に攻めるために、少しずつ力を蓄えていた。それだけの理由だ。そういえば魔物たちが統率性を持つようになっているらしいが、それも意図してのことではない。力の供給元の多くが私になったことで、奴らの習性に変化が現れただけだろう」
 呆れるほど単純な理由に、ルナは言葉を失う。この男、話せば話すほどに粗暴でも凶悪でも、そして短絡でもないことが理解できてしまう。共感はできなくとも、真っ向から否定することもできない、どれもが考えた末の結論。
「なにか、方法はないのですか?」
「ない。だから私はこうしている」
 一切の迷いのない即答だった。リンは一瞬たじろぐが、すぐに言葉を続ける。
「‥‥なら、わたしがあなたのお友達になれませんか? わたしがあなたの、理解者にはなれませんか?」
 その言葉に、ようやく魔王の表情がわずかに崩れた。ほんのわずかに、魔王は笑顔をのぞかせた。リンはささやかな期待を込めたまなざしを魔王に送る。
「我ながら呆れたものだな。そういう言葉をかけてもらうのは、いまだに嬉しいと思ってしまうんだよ」
「なら‥‥!」
「が、だからといって止まることはできない。君1人が理解者となってくれたところで、それ以外の全員が敵であるならば、今と状況はほとんど変わらないのだ。いうなれば、君がファルスの代わりになるだけということだ」
 リンは表情を暗くし、必死に言葉を続ける。
「でしたら、わたしが皆さんを説得します。あなたが人間に危害を加えないと約束してくれるなら、人間もあなたに危害を加えないように‥‥!」
 魔王はゆっくりと息を吐いて、再び表情を消した。
「それはありがたいことだ。しかし、もう遅すぎることだ。私はあまりに人を殺しすぎている。今さら危害を加えないと言ったところで、許してくれる者などいないだろう」
「それは‥‥!」
 もっともすぎる意見だった。リンは何も言い返すことができず、どうにか言葉を探そうとするが何も見つからない。
 もはや他人が口を挟む余地などないほどに、魔王は冷静に自分の置かれている立場を理解し、受け入れていた。元々の原因はどちらか、などということは今となってはもう考えることも無駄だろう。魔王の言っていることはどれも、確かに正論なのだ。結果としての今の行動は許されるものでないとはいえ、その全てを否定することもしきれない。自分勝手な理由で暴れていた方がよほど楽だった、と思ってしまうほどだ。
「今までに、同じように私を受け入れてくれようとする者は何人かはいたよ。さっきも言ったが、私も人間との共存を求めている。だからほんのわずかな希望にかけてその人間の言葉を受け入れた。そして信じようとしたのと同じ数だけ、裏切られた」
「わたしはっ‥‥」
 あなたを裏切ったりしません。と続けたかったのだろう。しかし魔王は即座にその言葉を遮った。
「裏切ったのは、声をかけてきた人間ばかりではない。その人間は私を受け入れようとしても、周りがそうでなければ同じことだ。私を騙そうとして私が殺した人間もいれば、私を信じようとしたがそうでない他の人間に殺された人間もいた。だから、私はもう疲れてしまったんだよ」
 人を信じることに。人と関わることに。
 みなまで言わなくとも、魔王のその疲れ切った態度ははっきりとそれを示していた。誰が何を言おうと、魔王は自分の意見を違えるつもりは一切なさそうだった。それほどまでに長い時間、嫌われ、避けられ、命を狙われ、そして裏切られてきたのだろう。20年も生きていないルナに、それがどれほどの絶望をもたらすのかを理解するなど、できるはずもなかった。
 ファルスのように、相手の意見を聞くこともせず否定することはない。しかし相手の話を聞いてはいるが、決して受け入れることはない。これほど不毛な「話し合い」があるだろうか。
 リンはどうすることもできず俯き、震える。その頬にはとどめることのできない涙が伝っていた。
「‥‥じゃあ、どうすれば、わたしはどうすればいいんですかっ!」
 それは質問ではなく、自分に対する問いかけだったのだろう。なにもできない、正しい道を見つけられない自分に対する。
 しかし魔王は緩慢な動きで玉座から立ち上がり、ゆっくりとこちらに歩み寄りながらそれに答える。
「ようやく、理解してもらえたかな。だから初めから言っているだろう。私達はどちらかを滅ぼす以外に道はないと」
「そんなの、間違ってます!」
 リンの叫びに、魔王は立ち止まって無感情に言葉を返す。
「間違っているとしても、それが唯一の道だ。他にどうしようもない」
 魔王が手を前にかざすと、魔王の左右に巨大な魔法陣が出現した。
「もういいだろう。それがわかったなら、これ以上の言葉は必要ない。お互い、自分の望んだものを叶える為に戦おうではないか」
 左右2つの魔法陣から、ずるりとまるで闇の底から這い出てくるかのように、2匹の巨大な魔物が現れた。夕日を浴びて金色に輝く毛皮。異様に鋭い爪を備えた4本の足。同じく鋭い牙を生やした口からは、ぬらりと唾液が滴り落ちる。そして血のように赤く輝く3対の瞳。地獄の番犬とも呼ばれる魔物、ケルベロス。ひしめくように1つの胴体から生える3つの首は、どれもが赤い瞳をぎらつかせて4人を睨みつけていた。
「わたしはこんなことは望んでいません! わたしは‥‥!」
 リンの言葉が終わる前に、2匹のケルベロスがリンに襲いかかった。リンは大きく後ろに跳んでそれをかわすと、両膝を床について、突っ伏すように泣き崩れた。
「どうして‥‥! どうしてですか‥‥! わたしは、こんなこと絶対に間違ってるって思うのに‥‥! もっと違う道があるって、信じたいのに‥‥!」
 しかしリンはすぐに立ち上がると、涙で真っ赤に腫らした瞳で、魔王を睨みつけた。
「‥‥わたしは、わたしがしたいことは、正しいと思う選択肢は絶対にこれじゃありません‥‥! でもわたし、今はこれ以外にどうすればいいかわからないんです‥‥! あなたを放っておけば、あなたはまた人間を殺します。それは、絶対に止めなくちゃいけません。だから、だからわたしはあなたを、倒します‥‥!」
 そうしてリンは、涙を流しながら拳を構える。
 そう、迷っている暇も余裕も、もはや残されていない。魔王は話を受け入れる気など一切なく、ケルベロス達はいまにもこちらに襲いかかろうとしている。
 ルナも一度目を閉じ、迷いもためらいも今だけは、忘れ去った。
「あたし、ちょっとあんたのこと勘違いしてたよ。だけど、あたしにも守りたい人や場所があるんだ。だから、悪いけどあんたをこのままにしておくわけにはいかない」
 スピカも、同じようだった。今までになく真剣な表情で、杖を構える。
「そうだ、それでいい。それで、もう1人の君も構わないな?」
 魔王は阿守にも同意を求め、阿守は静かに、ゆっくりと頷いた。
「リンにも、ルナにも、スピカにも、そしてあんたの意見にも俺は賛成だ。これは間違った選択だと思う。だけど、他にどうすればいいかなんて全く分からないし、どうしようもない気もする。だから、俺は俺のためにあんたを倒すよ」
 魔王はふっと、再び小さな笑みを漏らすと、満足そうに頷いた。
「いい判断だ。それでこそ、私も何の憂いもなく戦うことができる。さあ、お互いの全てをかけた戦いを、始めよう」 

 Ⅵ.

 魔王の言葉を合図に、2匹のケルベロスは唸り声をあげ同時に動いた。狙いはそれぞれルナとリン。ルナは1歩引き、リンは1歩前に出る。ほんのわずか間合いを外したルナは、すぐに踏み込みケルベロスの横を滑り抜ける。そして前進したリンはケルベロスの勢いをも利用してその顔面に魔力を込めた拳をめり込ませた。1匹は顔の1つを斬り裂かれ、もう1匹は顔の1つを叩き潰される。2匹のケルベロスは不利を判断して魔王のそばまで後退する。
「ヒール」
 と、魔王がケルベロスに魔法をかけ、潰したはずの2つの顔が再び鋭く瞳を輝かせ始めた。
「くっ、一気に倒す必要がありそうね」
「もしくは、魔王に回復の隙を与えないか」
 にらみ合いの時間はわずか、再びケルベロスがこちらに向かって襲い来る。今度の狙いはスピカと阿守。
「アイスレーザー!」
 スピカの放った一条の氷の波動はケルベロスの足元を凍結させ、さらに魔王に向かって突き進む。阿守は目の前のケルベロスの攻撃をかわすと、足元を凍らされたケルベロスに斬りかかった。
「アイスクラッシュ!」
 阿守の氷の剣がケルベロスの足を斬り裂き、攻撃を受けたケルベロスはがくりと足を折り床に倒れ伏す。
 さらにとどめを加えようと剣を振りかざす阿守だったが、
「こんな流れ弾のような攻撃、牽制にすらならん」
 いつの間にかその手に握られていた漆黒の剣をひと振りしただけで、スピカの魔法は魔王の目の前でかき消えた。そしてもうひと振り、ずいぶん離れた位置にいる阿守に向かって無造作に振り払うと、剣先から伸びる黒い衝撃波のような鋭い斬撃が阿守に襲いかかった。
「くっ‥‥!」
 受け止めようとしたのか一瞬その場に踏みとどまった阿守だったが、しかし直撃の寸前で身を翻してその斬撃をかわした。斬撃は阿守の横を通り抜け、背後の壁に当たるとスパァン! とけたたましい音を立てて空中に霧散した。
「いい眼をしているな。中途半端な体勢で受けられるような攻撃じゃない。正確な判断だ」
 別段褒めたたえているようでも、皮肉を言っているようでもない淡々とした魔王の口調。
その漆黒の剣は細身ながらも威力は絶大だった。しかし魔王はその一撃だけで攻撃を止め、剣を腕とともにだらりと垂らした。どうやら積極的には戦闘に参加する気はないらしい。
「ヒール」
 そして、倒れたケルベロスに再び回復魔法をかけると、ケルベロスはむくりと起き上がり再び臨戦態勢に。このままではキリがない。とはいえ一気に決めてしまうのも決して簡単ではない。が、やるしかないならばやるまでだ。
 まず動いたのはリン。ケルベロスに向かって駆けると、足元まで一気に詰めよる。足を踏み鳴らすケルベロスの攻撃を滑るようなステップで全てかわし、真ん中の頭をあごの下から右拳を思いきり突き上げた。ゴン、と脳を揺さぶられたケルベロスはふらりとよろめく。
「ライトニング!」
 すかさず魔法を放ったのはもちろんスピカ。標的は魔王。ケルベロスに回復の隙を与えさせないためだ。先ほどのような攻撃方法では効果は薄いと悟ったスピカは、牽制でありながら全力の攻撃を仕掛けていた。何の錬成もしていない魔力の塊を魔王に向けて解き放つ。
 魔王はほんのわずかに眉を揺らし、ぐっと腰だめに構えると漆黒の剣で魔法を打ち払う。そして返す剣でスピカに衝撃波を放った。
「もいっちょ、ライトニング!」
 続けざまに同じ魔法をもう一撃。それは魔王の放った衝撃波とぶつかり、ドゥン! 行き場を失った衝撃が無秩序に弾け、互いに消滅した。
 その隙に、ルナと阿守は攻撃を受けたケルベロスに向かって駆けていた。
「五月雨!」
 先行してカタナを振るったルナの斬撃がケルベロスの全身を打ち、さらにその動きを封じる。
「フレアスマッシュ!」
 ケルベロスの体長をも凌駕するほどにまで膨れ上がった阿守の剣はその巨体を薙ぎ、ケルベロスは苦悶の呻き声をあげた。が、まだ倒れない。
「フリーズエアロ!」「波動撃!」
 そこへスピカとリン、2人の声が重なった。薄く切り裂くような氷の刃がケルベロスの全身を襲い、一筋の光撃(こうげき)が体を貫き、ふらりと揺れた体は重い音を立てて倒れ伏し、ぴくりとも動くことはなくなった。
「ふむ、やはりここまでたどり着けるだけのことはあるな」
魔王は変わらぬ口調で倒れるケルベロスを見、リンに向けて剣を振るった。リンは1歩だけ横に動き、それをかわす。そしてルナに向かってもう一撃。ルナも横に跳んでその攻撃をかわした。それだけで魔王は再び剣を下ろしてしまった。
「もう少し、私は見学させてもらうとするか」
 その気の抜けたしゃべり方は、どこか戦うことが面倒であるかのようでもあった。もしかすると実際、面倒なのかもしれない。それは戦うことに飽き飽きしているためか、こちらの戦力が自分の足元にも及ばないと侮っているからか。相変わらずの魔王の表情からそれを読み取るのは不可能に近かった。
 魔王が無造作に空いた左手をすっとケルベロスにかざす。と、突如ぞわりとケルベロスから感じられる何かが膨れ上がったような気がした。そう感じるのと同時に、ケルベロスが地を蹴る。
「!?」
 ほとんど反応しきれなかった。まともに攻撃を受けたルナは壁まで思いきり吹き飛ばされ、背中を打ちつける。やや遅れてやってくる、前後両方からの衝撃。正面からの攻撃は異様に重く、ルナは体を折ってげほげほと噎せる。
「ごめんルナ、突然すぎて忠告できなかったよ。ケルベロスの魔力が、急に一回りも二回りも膨れ上がったから気をつけて」
「ごほ‥‥なるほどね」
 原因は間違いなく魔王だろう。攻撃にも回復にも援護にも優れているとは、厄介にも程がある。ルナは苦しむ腹を押さえながら、苦々しく表情を歪めた。
「ルナ、大丈夫!?」
「はい、たいしたダメージではありません」
 別段強がりというほどのものではない。あまり間に合わなかったが、同時に後ろに跳ぼうと身構えていたのでわずかながら衝撃を軽減できた。
 リンはルナの無事を確認するとすぐに駆け、ドドドンッ、とケルベロスに3連の打撃を喰らわせる。
「!?」
 そして大きく後ろに飛びのき、驚きの表情を浮かべた。
「防御力も、ずいぶんと上がっているようです」
 リンの言葉通り、攻撃を受けたケルベロスはしかし平然とした様子でその場に立っている。ほぼ全てのパラメータがぐんと上昇しているようだ。その補正がない状態でもかなり無茶をしていたのだ。ならばそれ以上の無茶をするまでだが、すぐに魔王とも戦わなければならないと考えると、少々キツイものがある。その考えは他の3人も同様のようで、誰もが苦い表情を浮かべていた。
 だが相手がその意を汲んで攻撃の手を休めてくれるはずもない。ケルベロスは一番近くにいた阿守に襲いかかる。
阿守は下がらず前に出て、ケルベロスの腹の下にもぐりこんだ。これだけ大きければ死角も大きくなる。ケルベロスは突如阿守が視界から消えたことに戸惑い、きょろきょろと辺りを見回していた。
「アイスクラッシュ!」
 阿守はほぼ零距離で魔法を発動させ、ケルベロスの腹を裂いた。そしてそのまま後ろへ抜け、魔王に跳びかかる。
 2人の剣が交錯し、硬質な音を立てて火花が飛び散る。視線と視線がぶつかり合い、魔王は後ろに下がり阿守から距離をとった。
「君からは、少し異質な力を感じるな。君は一体何者だ?」
 魔王の問いに、阿守は力強い言葉で答えた。
「俺は未来から、魔王を倒すために召喚された勇者だ!」
 それを聞いて魔王はほう、と感嘆しているのかどうかよくわからない声を漏らした。
「では、君のいた時代では私はどうなっていたのだ?」
 未来という言葉に興味を持ったのか、魔王はこの戦いの結果となるかもしれない歴史を訪ねた。その問いに阿守は一瞬ためらいを見せたが、すぐにそれに答える。
「俺の知る歴史では、お前はこの時代に勇者に倒されている」
「なるほど、ひどく望ましくない未来だな。それはつまり、ここで君が私を倒すということかな?」
「いや、お前は俺ではない、別の勇者に倒されると記されていた」
「ほう‥‥?」
 魔王はそこで初めて興味深そうな表情を浮かべた。
「では君は、私に勝てないと知ったうえで私に挑んでいるということか?」
「違う。俺の知る未来が必ずしもこの世界がたどる未来とは限らない。だから今は、俺は自分を信じてお前と戦うだけだ」
 阿守の答えには一切の迷いもためらいもなかった。魔王はそれを聞いて愉快そうに口元を歪める。
「なるほど。ならばつまり私にも希望はあるということだな。歴史上どちらの勝利も記されていない者同士の戦いか。面白いじゃないか」
 同じようなことを何度も繰り返してきた魔王にとって、それは新しい趣向だったのかもしれない。今まで見せた中で最も愉しそうな笑みを浮かべると、魔王は中段から横薙ぎに阿守に斬りかかった。阿守はそれを受け止めるとはじき返し、下から掬うように斬りあげる。魔王はそれを魔力を込めた左手で受け止めた。魔王は弾かれた手をそのまま振り下ろす。剣を魔王に握られているため後ろには跳び退れない阿守は剣は握ったまま横へ跳ぶ。魔王はその勢いを利用して剣を振り回し、阿守を壁き叩きつけた。
 その間、阿守以外の3人はただそれを眺めていたわけではない。阿守の攻撃にもほとんど堪えた様子のないケルベロスにルナは攻撃を仕掛けた。思いきり斬りかかるが、予想以上に防御力は高くなっており、表面を撫でる程度のダメージ以上のものを与えられた様子はない。
「ファイア、3!」
 ゴウッ、とスピカの魔法がケルベロスを包み込むが、それもやはり表面を焦がす程度にしか効果を為した様子はなかった。
 攻めあぐねる3人にケルベロスが爪を振るった。スピカが魔力の障壁をつくり、それは即座に破壊されてしまうが、わずかに勢いを殺した攻撃をリンの打撃が押しとどめる。
「涼風(すずかぜ)!」
 ケルベロスがひるんだ隙にルナが滑るようにケルベロスの横を通り抜けながら斬りつける。振り返るとケルベロスの脇腹にばっくりと傷跡が刻まれていた。よし、この調子ならいける。
「アイス3!」
 スピカがその傷跡めがけて氷塊をえぐりこませた。ケルベロスは苦しげな鳴き声をあげながらひざを折る。そしてリンがとどめを刺すべく駆け――
「ヒール」
 しかしそこで、魔王の声が響いた。阿守から距離を置いた状態で、ケルベロスに向けて手をかざしていた。
「‥‥しまった!」
「よそ見をしている余裕があるのか?」
 阿守が振り向いている隙に魔王は阿守の目の前まで詰めより剣を振るう。阿守はどうにかそれを受け止め、体勢を立て直すべく魔王から距離をとった。
「くっ‥‥!」
 突如起き上がり攻撃を仕掛けてきたケルベロスに、リンは攻撃のために魔力を込めていた拳を、向けられたケルベロスの前足に向けて放つ。両者の攻撃は拮抗し、共に攻撃の勢いを殺される。
「あんな一瞬であれだけの傷を癒すとか‥‥。ワケわかんないし」
 スピカがもはや呆れ笑いを浮かべつつ呟いた。実際、今の早さであの治癒力などありえない。一体どれほどの魔力を保有しているというのか。
「もう後のこととか知らない。ちょっと無理するからね」
 スピカは一方的にそう宣言すると足を止め、地面にナイフで魔法陣を刻み始めた。確かに後に魔王が控えているからといって、ここで中途半端に消耗を渋っていては勝てる見込みは望めないだろう。ルナはリンに視線を向けて互いに頷いた。スピカの準備が整うまで耐え、一気に潰す。それにできるだけ早く阿守の救援にも回らなければならないという思いもある。できることなら早めにカタをつけたいところだ。
「勇者、君は私との戦いに勝ってとして、その後はどうするつもりだ?」
 魔王は阿守と剣を交差させながら、静かに問いかける。阿守の魔王の剣を受けつつ、叫ぶように答える。
「そんなことは、終わってから考えるさ!」
「なるほど‥‥」
 魔王はその返答にどう思ったのか判断しづらい平坦な口調で頷く。
「では、君が私との戦いに勝ったとして、その後周りは君に対してどうなると思う?」
「‥‥どういうことだ?」
 真意を測りかねる魔王の問いに、阿守は眉をひそめる。
「どうもこうもない、そのままの意味だ。言ったろう? 私は力を持ちすぎていたがために、人々に忌避された。ならば君も私を倒して国へ帰り、一時期は英雄として称えられたとしても、それはいつまで続くだろうか、という話だ」
「それは‥‥」
「勇者様! そのような話など、聞き入れないでください!」
 ルナはケルベロスの攻撃をかわしつつその体を斬りつけ、言葉を詰まらせる阿守に声をかける。
「もちろん、私の話を聞くも聞かないも君次第だ。別に私の部下になれとそそのかしているわけではないのだ。ただ君が今どう考えているのか、少々気になっただけだよ」
 阿守は魔王の剣を受け止め、巻き込むように体をひねって横へと押し倒し、こめかみに蹴りを入れようとするが魔王はすっと頭を引いてそれをかわす。
「何も考えていなかったのか? まあ、今まで誰にも裏切られたことのない若輩ならば仕方のないことかもしれないな。ならば今一度考えてみろ。他者の思いを察しづらいなら、自分ならどうするか考えてみろ」
 魔王は阿守に鋭く錬成された魔法を放ち、阿守は剣に魔力を込めてそれを叩き斬る。そして魔力を込めたまま剣を突き入れるが、魔王は漆黒の剣を眼前にかざしてそれを受け止める。
「考えるまでもないさ。力が強いからといって、俺はその人を避けたり嫌ったりはしない」
「なるほど。理想的な答えだな。だが国全体、世界全体が君と全く同じ考え方をすることができると思うか?」
「それは‥‥」
「答えは簡単、不可能だ。それは私が身をもって理解している。当然だろう、我々はいつ暴走するともしれん巨大な魔力炉のようなものだ。今はまだ誰にも危害がなくとも、いつ何が起こるかわかったものではないのだからな」
 2人の間で交わされる話を聞き、ルナはここに来る前に手に入れた魔法の宝玉のことを思い出した。あれも力が強すぎる故に、人々から遠ざけて安置されていたのだ。実際にそのような措置が行われている以上、それと同じ扱いを自分たちが受ける可能性も、完全には否定できない。あれは道具だが自分たちは人間だから、などと楽観的な考え方をすることもできない。そのせいで、ルナは先程のように魔王の言葉に耳を貸すなと言うのをわずかにためらわれてしまった。
「‥‥そうだとして、俺にどうしろというんだ」
 阿守は魔王の刺突をどうにか受けつかわしつしながら、魔王をぎろりと睨みつける。魔王に対して敵意を示していなければ気が緩んでしまいそうなのだろう。
「別に、どうしろという話ではない。現実とはそういうものだといっているだけだ。君の考えを聞いてみたかった、それだけだ」
「それで、俺は期待に応えられたのか?」
「いいや、全くもって期待はずれだった」
 おどけてそう尋ねる阿守に、魔王は表情はそのままにばっさりとそう言い捨てた。
 阿守は上段から思いきり斬りかかり、魔王はそれに剣を擦らせて受け流し、再び刺突を繰り出す。阿守は大きく後ろに跳んで魔王から距離をとり、剣を構えた。
「これからの俺がどうなるかなんてわからない。だけど、お前が人間を殺しているその行為だけは、絶対に許されない。だから俺は今、お前を倒す。それだけは変わらない」
 魔王はふっと小さな笑みを漏らした。
「ああ、数十年前の私なら、諸手を上げてその意見に賛同していただろうな」
 魔王がちらりとケルベロスのほうに視線を向けたのを見て、阿守は一気に魔王との距離を詰めた。魔王は魔法を唱えるために開きかけた口を閉ざし、応戦する。
「よっしゃ、準備完了!」
 ちょうどその時、スピカがようやく魔法陣を刻む手を止め、立ち上がった。
「じゃあリン、一気に攻めるわよ!」
「わかりました!」
 一旦ルナとリンはケルベロスから距離をとり、スピカが杖を構えた。
「ライトニング!」
 スピカが放った魔力の塊は、違わずケルベロスの首の付け根のあたりに突き刺さった。ケルベロスは苦しげに呻いて顔を俯ける。
「龍神打破!」
 続けてリンの魔力を込めた拳が下を向いていたケルベロスの頭の1つにめり込み、魔力を開放する。その一撃で、真ん中の頭が四散した。なかなかすごい光景だ。
ルナは暴れて無茶苦茶に腕を振り回すケルベロスの攻撃ともいえないような攻撃をするりと避けつつ、右側の頭ごとその体を斬り裂いた。
「涼風」
 ドッ、とケルベロスの体が震え、右頭ががくりとうなだれるのと同時に右半身がひざをついた。
「アイスインフェルノ!」
 ゴウンッ! とケルベロスの体が爆発して炎をあげ、その傷を中心に凍結が始まる。左頭のみとなったケルベロスの動きはすでに格段に鈍っている。ここで再び回復などさせてしまえば、もう一度ここまでのダメージを与えるのはかなりきつくなってしまうだろう。ならば、ここで一気に決める。
「煌一閃!」「波動撃!」
 リンも同じ考えだったのだろう。ルナとリンは同時に攻撃を繰り出し、ケルベロスの体を貫き、残る左半身も一直線に斬り裂かれた。ケルベロスはぐらりと体を揺らすと、重々しい音を立てて崩れおち、そしてようやくその動きを完全に停止した。
 3人は額に汗を浮かべながら息をついた。同じ技でもいつもよりかなり多めに魔力を消費したため、疲労もその分大きくなってしまっている。しかし今は休んでいる暇などあるわけもない。息を整える間ももどかしく3人はすぐに阿守のもとへ駆けた。
「勇者様! 加勢します!」
 魔王はそれを見るや競り合っていた阿守の剣を離し、後ろに跳んだ。
「ほう、なかなか強いじゃないか。強化したケルベロスまでを倒したのは、君達が初めてだ」
 魔王は相変わらず淡白な調子で4人を称え、漆黒の剣を虚空に納めた。
「だが私もこの程度で負けるわけにはいかない。ここからは本気でやらせてもらおうか。人間を捨てた私の姿をお見せしよう。これが魔力を極限まで高めた末の結晶だ。身をもってその強さを味わうといい」
 魔王がそう言うなり城が、いや空間そのものが震えだした。ルナにすら目視できるほどに辺りの魔力が渦を巻いて魔王に集中し始める。
「いったい何が‥‥! だけど、今のうちに攻撃できないかしら」
「待って、ルナ危ないよ!」
 1歩足を踏み出したルナを、スピカが慌てて止める。
「今はこれだけの魔力が渦巻いてんだよ! あんなのに巻き込まれたら、なにがどうなるかわかんないよ!」
 魔王が今おこなっているのは、魔力開放など、そんな生易しいものではない。魔力集中。おそらく強力すぎて普段から身に宿していられないほどの魔力を城中に散漫させていたのだろう。そしてそれを場外に漏らさないために、結界を張っていたということか。
 それが今、一か所に集まっている。それは一体、どれほどの『力』となってしまうのか。
 ビシビシと壁に亀裂が走り、床だけを残して部屋が崩壊してゆく。しかし崩れた部屋の壁は地面に落ちてゆくことなく、まるでこの場にフィールドを形成するかのように空中に浮かびあがり辺りを取り巻いた。
「ふぅ‥‥」
 やがて、ようやく揺れが収まったかと思うと、4人の目の前には今までそこにいた青年の姿はすでになく、代わりにそこには魔王と呼ぶにふさわしい、巨大でおぞましい化け物の姿があった。
 全身を覆う漆黒のフードをかぶったその姿には下半身がなく、上半身だけがその場に浮遊している。フードの下からのぞくその顔と腕は骸骨のようで、その瞳は血のように真っ赤に輝いている。背中からは骨でできた羽根のようなものが突き出しており、その手には死神を連想させるような、巨大な鈍色に光る鎌が握られていた。
 姿形ではない、その身から放たれる魔力の大きさに、ルナは恐れに膝をついてしまいそうだった。隣ではリンも魔王を見上げ、膝を震わせている。スピカも魔王を睨みつけながら、その足は必死に地面を踏みしめて震えをこらえているようだった。
「さあ、それでは戦おうか。一方的にならなければいいが」
 魔王がそう言って一切の感情を見せない赤い瞳でぎろりと4人を睨み据えた。それだけでルナは戦意をくじかれ、この場を逃げ出してしまいたくなるほどの迫力。ただそれを見上げているだけだというのに、ルナの呼吸は自然と荒くなっていた。
「‥‥ああ、なるほど」
 と、そんな中、阿守がふと何に気づいたのかそんなつぶやきを漏らした。見ると、誰もが恐れ震えるなか、阿守だけはひどく落ち着いた様子で、何でもないように魔王を見上げていた。
「‥‥ゆ、勇者様、どうしたのですか?」
 ルナは必死に魔王から目を逸らしつつ、阿守に尋ねた。声も震え、しゃべるだけでも精一杯だ。こんな調子で戦闘など、できるのだろうか。
 そんなルナとは対照的に、阿守は静かに、小さく笑みすら浮かべながらルナに答えた。
「ああいや、今の魔王の魔力を見ててさ、やっとわかったよ。自分の魔力の扱い方。かなり近いみたいなんだ、俺と魔王の魔力の大きさ」
「なあっ‥‥!?」
 ルナだけでなく、リンとスピカもその言葉に言葉を失うほど驚いたようだった。当然だろう。こんなにも恐ろしい魔力を持った魔王と、同程度の魔力を持っているなど。
「だから、魔王を見ててわかったんだ。こうやって使えばいいのか、って。だから、別に恐れることはないよ。安心して、俺が絶対みんなを守るから」
「勇者様‥‥」
 阿守のその言葉を聞いて、ルナはようやく体のこわばりがとれ、肩の力を抜くことができるようになった。
「‥‥それは私が言うべき台詞です。同程度の魔力を持っているからといって、勇者様1人であの魔王に勝てるかは、わかりませんよね。だから私も、共に戦わせて下さい」
「ありがとう、心強いよ」
「言ったではないですか。私はあなたの、あなたに必要とされる『剣』になりたいと」
 ルナが笑顔を向けると、阿守もルナに柔らかい笑顔を返した。
「何を今さら。ルナはとっくに俺にとって必要な、大切な存在だよ」
「‥‥‥‥あ、ありがとうございます」
 阿守の言葉に、ルナは顔が紅潮するのを感じた。沈みかけた夕日のおかげで阿守には悟られていない、と思いたい。
 しかし今はそんな気分に浸っている場合ではない。ルナは一度目を閉じ、再び戦うことに集中した。
「ルナちゃんが頑張るって言ってるのに、わたしが恐れて何もしないわけにはいきませんよね」
 リンも気持ちを落ち着けたらしく、ルナに笑顔を見せてぐっと拳を握った。そしてにこっと意味深な笑顔を向ける。ルナはそれには仏頂面を返しておく。
「別にあたしだってビビってるとかないし! あたしの魔力だって、魔王なんかよりそりゃもうびっくりするくらいの勢いで大幅に強いんだから! バカにしないでよね!」
 スピカも強がりを言えるほどに、威勢を取り戻したらしい。
 ――これでこちらも、万全だ。
「そうだ、その方が私も楽しめる。それじゃあ今度こそ、始めようか」
 そう言って魔王は右手の鎌を振るった。その巨体に見合わぬほどの凄まじい速度で。
 ガキイィィン! と、しかしそれをあっさりと受けとめたのは、一歩前に踏み出た阿守の剣だった。
「びっくりするくらい体が軽いし、目もよく見える。負ける気がしないよ」
「はは、一撃受け止めたくらいで思いあがらないでほしいな」
 魔王はさらに鎌を振るう。阿守が受け止める。鎌を振るう。受け止める。
 単調な攻防が繰り返され、傍目からは上から振り下ろすように鎌を振るう魔王が優勢になるかと思われたが、一撃ごとに圧されているのは魔王だった。
「なんだ‥‥? 徐々に力が増している‥‥?」
 阿守の魔力がさらに上昇している、わけではない。見ると、魔法陣の上に立ったスピカが、阿守に向けて魔法を重ねがけしているようだった。
 いつの間にか阿守の剣は攻撃を防ぐのではなく、攻撃を与える側に回っていた。魔王はそれを鎌で防ぐ、が。
「ぐうっ‥‥!」
 ついに阿守の剣が魔王の体を捉えた。それほど大きなダメージではなさそうだが、魔王はその事実に驚き身を引いた。
「なるほど、4人も寄れば少しは私に張り合える程度の力にもなるということか。ならば、私も全力でやらなければならないようだな」
 魔王はゆっくりと左手をかざした。
「エビルサンダー」
 魔王の声に応え虚空から出現した黒い雷が、4人を襲う。
「「マジックシールド!」」
 阿守とスピカの声が重なった。2重に展開された魔力障壁を、しかし魔王の放った雷はわずかな抵抗だけで突き破った。バチィッ! と鈍い音を立ててかなり相殺されたとはいえ、それでも威力を保った黒い雷が4人を襲う。4人は体の感覚を失い。どさりと床に倒れ伏した。
「いくら魔力が高かろうと、使い慣れていなければ私にかなうはずもない。いったい私がどれだけの間この魔力を錬成し続けてきたと思っている」
 魔王は倒れる4人に向けて、この状況でもなお勝ち誇ったような態度をほとんど表すことなく、やはりどこか気の抜けたような、疲れたような声でこちらの敗因を告げた。
 そして勝利を確信した言葉や、冥土の土産などもなく淡々と勝負を終わらせようと魔王は鎌を振り上げ、下ろした。
 視界の端で鈍く光る巨大な鎌。体が麻痺しているせいで頭をあげることすらできず、ここまできて死ぬのだろうかとうまく働かない思考でぼんやりと考えていると、なにか鎌ではない別の影が視界をよぎった。そしてゴッ、と音を立てて魔王の鎌がルナから遠く離れた床の上に落とされた。
「わたしに、そんな攻撃は通用しませんよ! なんてったってわたしは大地のマナと仲良しなんですから!」
 どんっ、と効果音がつきそうな勢いでリンが魔王の前で構えを取っていた。いや、仲良しって。と、その台詞にはツッコみたくもあるが、今はそんなリンの存在がとても心強かった。
「みなさんしっかりして下さい! リカバー!」
 リンはスピカに治癒魔法をかけると、スピカはすぐに起き上がってルナと阿守に治癒魔法をかける。このような状況では迅速かつ的確な判断ができるリンだった。それ以外の時はまあ、お察しの通りだが。
「‥‥危なかった。あの攻撃は気をつけないと」
 なんとなく危機感を感じさせない口調で、ゆっくりと立ち上がりながら阿守が呟く。
「ふふ、ずいぶんと気の抜けた言い方ですね」
 ルナが思わず笑いを漏らすと、阿守も笑顔で答えた。
「まあ、負ける気がないからね」
「不遜な物言いだな。根拠はあるのか?」
 それを聞いていた魔王は、口調ほどに怒りを込めない口調で尋ねた。阿守は魔王を正面から見、当然のように言った。
「もちろん。俺には仲間がいるから」
「勇者様‥‥」
 阿守の言葉に全員の士気が上がったのと同時、魔王から放たれる魔力の濃度がぐっと増したような気がした。ぞわりと身の毛がよだつような感覚を味わう。
「ずいぶんと、くだらない根拠だな。あまり興をそぐようなことを言ってくれるな」
「どうしたんだ魔王。否定するのに必死じゃないか」
 阿守の挑発に魔王の怒りの気配がさらに膨れ上がる。
「‥‥調子に乗るなよ。たがだが十数年しか生きていないガキが、わかったような口を聞くな」
「俺が何をわかってないのかも、あんたが何を知ってるのかもよくわからないけどさ、少なくとも俺はみんなを信じている。それだけは間違いのないことだ」
 怒りをにじませ始めていた魔王が、そこでふと怒りの気配が抜け落ちたようにたぎらせていた魔力を落ち着かせた。
「‥‥ああ、そうか。なにを私らしくもなく、感情的になっていたのか」
「‥‥‥‥え?」
 魔王が静かに左手を前方にかざした途端、背後からスピカの戸惑ったような声が漏れた。振り向くと、スピカが魔法陣の上でへたり込んでいた。
「スピカ、どうしたの!?」
「なんか、からだのちから、ぜんぜんはいんない‥‥」
 言葉を発することすらも億劫そうに、スピカはへたり込んだままで呂律も怪しい言葉で呟くように答える。
「くだらないことだった。感情を乱す必要などない。気に入らなければただ消せばいい。それだけだ」
 そう呟き、一瞬で阿守の目の前まで迫った魔王が鎌を振り下ろした。即座に剣を構えて防御をとる阿守だったが、しかし阿守の予期していた衝撃は訪れることがなかった。
「!?」
 またも一瞬のうちに、魔王はスピカの目の前に出現すると鎌を振り上げた。
「スピカ!」
 慌てて、ルナとリンがスピカのもとへ駆け寄る。しかしこの距離では間に合わない。だかといって、諦めて止まるわけにもいかない。そして、
 ドッ、と鈍い音を立てて――ルナの体が崩れるように倒れた。
「ルナちゃん!?」
 すぐ近くで叫んでいるはずのリンの声が、どこか遠くの音のように聞こえる。
 一瞬、事態が理解できなかった。しかし腹のあたりで燃えるような熱を感じ、なにかが自分の中からあふれ出る感覚に、なるほどスピカではなく自分が攻撃されたのか、とどこか他人事のように考えていた。
 霞む視界のなか、すぐ近くにいたスピカの体から赤色が溢れて、同じように地面に倒れるのをかろうじて確認することができた。
 目の前が暗くなり、周りの音がすべて途切れる。
 スピカも倒れた、ということは、ここまでの傷を治療できる者はもういないということ。
 そうか、ここで私は、死んでしまうのか。
 こんな状況なのに、驚くほど冷静になっている頭で、ルナはそう理解した。
 ああ、こんなことになるならもっとはっきりと勇者様に想いを伝えておくべきだった。いや、こんなことになるからこそ、伝えなくてよかっただろうか。
 薄れゆく意識の中で、ルナはぼんやりとそんなことを考える。
 勇者様。最後にもう一度だけでいいから、あなたに触れたかった。
 暗闇の中で、ルナは手を伸ばす。最愛の人に、受け止めてほしいと願いながら。
 声が聞こえる。優しい声。自分の名前を呼ぶ声が。
 もっと呼びかけてほしい。もっと、呼びかけたかった。だけど私の声はもう伝えられない。あなたの声は、届かない。
 何度も、何度も、聞こえる。力強く、私の名前を呼ぶ声が。
 今までの記憶が走馬灯のように蘇る。ほんの短い間だけど、色んなことがあった。その中で私は彼を知り、彼に恋をした。それは今までのどんな時よりも楽しくて、幸せな時間だった。短くても、最高の時間を過ごすことができたと思う。
 1つ心残りがあるとすれば、みんなで帰ろうといった約束が、守れなかったこと。
 ごめんなさい、エルムのみんな。ごめんなさい、今まで出会った人たち。
 ごめんなさい、勇者様。
 もう誰にも届けられない言葉を、私は暗闇に向かって呟いた。実際は言葉など発せていないのだろうけれど、それでも私は懸命にもう誰にも伝えられない言葉を伝えようとした。
 いったいどれくらいの人が私が生きていることを喜んでくれ、私が死んでいくことを悲しんでくれるのかは私にはわからないけれど、だけど勇者様は私に生きていてほしいと言ってくれた。だから私は、勇者様を悲しませることになってしまう。それはとても不本意で最低のことだと思うのに、ほんのわずかそう思ってくれる人がいることに嬉しいと思ってしまう私は、騎士失格だろうか。
 何かを求めて伸ばした手が、何か温かいものに触れたような気がした。全てを包み込んでくれるような、柔らかな温もり。もっと、触れていたい。
 声が聞こえる。大好きな人が、私を呼ぶ声。目を開けると、すぐ近くには、私が最後まで求めていた人の顔があった。
 勇者様。約束を守れなくて、ごめんなさい。
 勝手な願いだけれど、せめて最期に一度だけでも――
 ルナは身を起こすと、目の前の想い人を、可能な限り優しく、抱きしめた。
「え」
「え?」
 そこでようやく、違和感に気づく。
 目を開けて? 身を起こして?
 ルナは我にかえって、ぱちりと両目を瞬く。顔を紅潮させる阿守の顔が、文字通り目の前にあった。
「‥‥ええっと、ルナ?」
 ひどく困惑したような阿守の声を聞いて、ルナはようやく自分の置かれる状況を理解した。
 ――生きてる。
「‥‥‥‥‥‥う、うわあああああっ! ごっ、ごめんなさっ、あ、す、すいませんっ! 申し訳ありませんっ!」
 狼狽、なんて言葉では足りないほどにルナは驚き慌て、とりあえず謝りまくった。
 いったい自分は、何をしていたというんだっ! いやていうか、なんであんな状況で助かってるんだっ!
「いや、まあ、その‥‥」
 阿守はなんとも言えない表情で、ぽりぽりと赤く染まった頬を掻いている。
「ル、ルナちゃんって、大胆なんですね‥‥」
 リンが阿守以上に頬を染めて口元を押さえていた。やめて、そんな目で見ないで。
「そ、その、すっ、すいません。なんだかもう、意識が朦朧としていてっ!」
「いやまあ、別にいいんだけどさ‥‥」
 気まずい。すごく気まずい。互いに視線を合わせることもできず、どこか遠くを見つめる。何かを忘れている気もしないでもないが、そんなことを気にする余裕もない。
「‥‥うー、できればそういうの、あとにしてくんないかな‥‥。あたしもけっこう、死にそうなんだけど‥‥」
 そうだ、そういえばスピカも攻撃を受けていたんだった。
 呻くようなスピカの声に阿守は慌ててそちらへと向かった。
「キュア」
 スピカにかざされた阿守の手から柔らかな光が溢れ、みるみるうちにスピカの傷がふさがっていった。その光景を見て、ルナは驚いて目を見開く。
「えっ、勇者様、その魔法は‥‥」
 そう、阿守は回復魔法は上手く扱えなかったはずなのだ。しかも短時間であの鎌の傷を塞いでしまうほどに強力なもの。確かにそれならば自分が助かったことにも納得がいくが。
「ああ、やっとわかったんだ。ただまあ、加減ができなくて強力な魔法でしか使えないんだけど」
 なるほど、大怪我専用の回復魔法。使いどころが難しそうだ。
「ふう‥‥。助かったー」
 そしてスピカもむくりと身を起こした。先ほどの全身から力が抜けた状態からも脱しているらしい。
「いやー、さすがにあたしの命よりもラブコメを優先されるとは思わなかったよ」
「んなっ‥‥! なんでそうなるのよっ! ていうかコメディ要素とか別になかったでしょ!」
「ほほう、ならラブ要素はあったってことかな?」
「‥‥‥‥!」
 『スピカに』からかわれるというのは想像以上に悔しい、というか腹立つというか。しかも否定しきれないのがより一層悔しい&腹が立つ!
 と、そこへ半ば放置気味になっていた魔王の鎌が4人の間を裂くように振り下ろされた。
「‥‥あまり、不快なものを見せつけないでもらえるか」
「なにをっ‥‥」
 今までの空気そのままで言い返そうとするルナだったが、魔王の孕む尋常ではない怒りの空気に、思わず口をつぐんだ。皮肉とかからかいとか、そんなものでは決してない、本気の怒り。冗談を差し挟めるような余地などは、一切ない。
「一時の感情でよくそこまでおめでたくなれるものだな。どうせいつかは、誰もが誰からも、裏切られるだけだというのに!」
 再び魔王が鎌を振り下ろす。今までとは比べ物にならないほどに強力な一撃だった。
「もっと頭を使ったらどうだ! どうせ裏切るし、どうせ裏切られるのだ! そんな建前を、偽善を見せつけるな! どうせ何も、誰も信じていないのだろう!」
 魔王の手から黒い雷が解き放たれる。しかし阿守とスピカが立ちふさがり、それぞれが杖と剣をかざした。
「ライトニングノヴァ!」「フレアスマッシュ!」
 スピカの魔法と阿守の剣撃、それらが重なり、黒い雷にぶつかると互いの力は互いを相殺し合い、その場にかき消えた。防御が通じないなら、攻撃で押し返す。まさに攻撃は最大の防御ということか。
「裏切り、裏切られるだけの関係に、どうしてそこまで固執する! いつかなくなるのなら、始めから持たなければいいだけだ! なぜそんなこともわからない!」
「ふざけるな!」
 そんな魔王の言い分に、ルナは感情を抑えきれず思わず声を張り上げて叫んだ。
「私は決して勇者様を、仲間のことを裏切らない! スピカも、リンも、エルム城の皆も、私は裏切らないし、彼らだって私を裏切ったりはしない!」
「なぜそう言い切れる! 人は愚かだ。くだらないことで他人を疑心し、人は疑心に対してさらに疑心する。信頼など、この世に存在しない!」
 魔王は鎌を振り下ろす。怒りに取りつかれた攻撃は荒く、ルナはそれを軽く跳んでかわす。
「お前が今は好意を寄せているそこの勇者とて、この世界の住人ではないのだろう! ならばこの先何をするかなどわかったものではないぞ! いつ手の平を返すかもわからぬし、お前とてそんな人間のことを信じ続けることなど不可能だ!」
 魔王は鎌を横に薙ぎ、ルナはそれを前に転がるようにしてかわすと、起き上がりざまに剣で魔王を斬りつける。大したダメージを与えられたようにはないが、今のルナにはそれはどうでもいいことだった。ただひたすらに、言葉に怒りを込める。
「不可能ではない! 私は何があろうと勇者様を信じ続ける! 愛するものを疑うなどあってなるものか! 私は生涯、勇者様に全てを捧げると誓ったのだ! だから――」
 そこまで言って、ルナははっとして言葉を止めた。思わず、愛する者とか全てを捧げるとか、全力で叫んでしまった。一瞬気まずさと恥ずかしさに頬を赤らめるが、今はそれどころではない。すぐに緩みかけた気持ちと表情を引き締め、魔王に向き直る。
「‥‥とにかく、私は貴様を放ってはおけない。必ず貴様を、倒す」
 ルナは思わず熱くなてしまった自分を落ち着かせ、剣を握りしめた。魔王もルナと同様、再び冷静さを取り戻したらしい。怒りのあまり漏れ出していた魔力が収まり、再び魔王に収束する。
「信じるべき仲間など不要だということは真実だと、この私の存在が証明している。私はたった1人でこの強さを得た。たとえ独りであろうと、どこまでも強くなれる。いや、独りだからこそ、くだらぬしがらみにとらわれず、強くなれる。それをおまえ達の体に刻みこんでやろう。他人などに固執した愚かさを悔いながら、死ぬがいい」
「まだ言うか‥‥!」
 ギリ、とルナの腕に力がこもった。
「‥‥勇者様、今の私の言葉は忘れてください。その代わり、この戦いの後にもう一度、私の話を、聞いて下さい」
 阿守は一瞬なんとも言えない表情を浮かべたあと、すぐに柔らかい笑顔に戻ると剣を構え直した。
「うん、わかったよ」
 そんなやり取りなど意にも介さぬように、魔王は阿守の言葉が終わるか終らないかといったうちに左手をリンに向けてかざした。
「‥‥あ」
 リンはがくりとひざを落とし、うなだれた。先ほどのスピカと同じ状態なのだろう。立ち上がることもままならないようだ。
 その状態のリンに魔王は狙いを定める。ルナと阿守が駆け、スピカは杖を構えた。
「ライトニングノヴァ!」
 ドウンッ! と一条の魔力の束が魔王の体を打った。過信ではなく、確かにスピカの魔力は魔王に劣らぬ威力を持っている。魔王はさすがに苦しそうに一瞬動きを止めた。しかし同じようにスピカも苦しそうに表情を歪めた。長期戦になっているせいで、かなり魔力の消費が大きくなってきているらしい。そのうえここは2階なのだ。地上から離れているせいで、スピカも少なからず影響を受けているに違いなかった。
 すぐに持ち直した魔王はすぐに鎌を振り下ろす。しかしそれは阿守が剣ではじき返し、動きが止まった魔王をルナの魔力を乗せた剣が斬り裂いた。先ほどよりも、ダメージを与えた感触はある。
「ベノムフレア!」
 魔王が鎌を掲げると、紫色の炎が4人を襲った。各々が防御やら攻撃やらでその炎を浴びる前に霧散させる。
「リン! 大丈夫!?」
 ルナが倒れていたリンに声をかけるが、炎が晴れたそこには、力強く床を踏みしめるリンの姿があった。
「はい、大丈夫です。この魔法、持続時間は短いようなので」
 そう答えるリンの声は、いつもとは違いひどく硬かった。
「わたし、やっぱり戦いたくはありません。そこだけは変わらないです。だけどこの人とは、根本的な部分で考え方が違うんだって、わかりました。だから、戦います。だから、倒します。わたしはそう、決めました」
 リンのその表情は、決意を固めたというよりは、必死に感情を殺していると言ったほうが近いような気がした。たとえ正しくないと自分で気づいていても、今はそうしなければならないと思わざるをえなくなったのだろう。その選択を強いられているリンがどれほど苦しんでいるかなど、想像することすらできない。
「‥‥そうね」
 それがわかったからこそ、ルナはそれ以上の言葉をかけなかった。
 瞬間、リンの姿がその場から消えた。そう思った時にはすでにリンは魔王の背後に回り、魔力を込めた足を魔王に向けて振り抜いていた。あまりのその動きに魔王も全く反応できなかったらしく、その蹴撃を思い切り背に受ける。
 地に足をつくとほぼ同時に、今度は拳が魔王を捉える。衝撃に突き飛ばされた魔王に、拳から放たれた魔力がその体を貫いた。
「くっ‥‥!」
 その連撃に、さすがの魔王も苦しげに呻き声をあげる。
「アイスクラッシュ!」
 今が攻め時だ。そう判断したルナは魔王を氷の剣で斬りつける。とっさに魔王は鎌を構え、ルナの剣は硬質な音を響かせ空高く、舞った。ほんの一瞬、魔王がそちらに気を奪われているうちにルナは魔王の背後に回り、カタナの柄に手をかける。
「朧(おぼろ)月(づき)」
 刃が鞘から解き放たれるのと同時に、魔王の背に夜空に浮かぶ満月のように鮮やかな円の形が描かれた。そしてそのままするりと再び反対側へ回ると、ルナは静かにカタナを鞘に納めた。
「鳳仙花(ほうせんか)」
 途端、凄まじい勢いで魔王の体が無数の斬撃に襲われた。斬撃の数も威力も、「五月雨」を大きく上回る。
 3連撃、『雪月花』。単発の技の威力では涼風が今のルナの限界だったが、技を組み合わせればそれを超えることも可能だと判断したルナが編み出した即興技。魔力の消費を含め体への負担もほかの技に比べ極端に大きいが、それに見合う威力もあった。
 ルナは初撃で弾かれた剣がくるくると落ちてきたのを空中で受け止め、くるりと魔王に振り返る。
 連撃に続く連撃。受けたダメージはかなりのものであったはずだが、しかし魔王は肩を震わせ、笑っていた。
「何が可笑しい」
「くくく、可笑しいのではない。愉しいのだよ。久々だ、ここまで本気でやり合える相手に出会えたのは」
 魔王は言葉通り愉しげに鎌をぶんと振るった。
「建前など、もはやどうでもいい。今はただ、戦うことを楽しもうではないか」
「なにを‥‥!」
「そうだね」
 ルナが憤りの声を上げようとしたのを遮るように、阿守がそれに賛同する声をあげた。
「勇者様! あなたまで一体何を!」
 しかし阿守は憤りを見せるルナに、あっさりと答えた。
「別に、いいじゃないか。互いに許せないから戦う。だけど、だからって常に憎しみ合いながら戦わなくちゃいけないわけじゃない。もう、話は通じ合わないことはわかってるんだ。じゃあせめて戦いくらい、楽しんだっていいんじゃないかな。お互いの正しさをぶつけあってさ」
 そう言う阿守は、少しだけ寂しげな表情を浮かべている気がした。そう言いはするものの、やはり阿守も戦うしか道がないことを、良しとしているわけではないようだ。
 当然といえば、当然か。
 自分も少し、阿守を信じる心が足りていないのかもしれない。それでは魔王の言葉通りではないか。
「‥‥ええ、そうですね」
 だけど信じられないなら、信じられるまで言葉を交わせばいい。それだけだ。
 だからルナは阿守の言葉を信じた。決して、魔王などと同じ思考で考えているわけではないのだと。
 ルナは頷いて、気持ちを落ち着ける。相手を憎むから戦うのではない。自分の大切なものを守るために、戦うんだ。
 魔王は左手を阿守に向かってかざした。しかし阿守はそれとほぼ同時のタイミングで駆け、わずかに技の影響を受けたらしく一瞬踏み出した脚が体を支え切れずぐらりと傾いだが、次の一歩で踏ん張り直してそのまま駆け抜ける。
 魔王の鎌が横薙ぎに阿守を狙う。阿守は斜めにそれを剣で受け、刃を滑らせて流すようにそれを防ぐ。
 そこへ飛び込んでいったのはリン。阿守の頭上を越えて高く跳び上がると、魔王の顔面に蹴りを浴びせ、さらに3連の打撃を打ち込む。
 と、落下中のリンに魔王は鎌を振り薙いだ。リンは空中なうえ攻撃直後で、まともにかわすことも防ぐこともかなわず、リンの左腕が鮮血をまき散らしながら宙を舞った。
「リン!」
 リンは目を見開いて体から離れてゆく自分の腕を見つめ、しかしすぐに残る右手でそれを空中で掴むと、地面に降り立ちすぐにスピカのもとへ走った。リンは切断面に腕を押し付け、スピカがそこに手をかざすと、すぐにリンは自由に左腕を動かし始めた。
 ‥‥なんか平然とやってるけど、すごい光景だ。
 ルナは呆れながらも、再び動き始めた魔王の前に立ちふさがる。振り下ろされる鎌を、全力で振り上げる剣で弾き返した。そしてその隙をついて、阿守が斬りかかる。なんてことはない斬撃のようだったが、魔王に与えているダメージの感触は比較にならないほど大きいようだ。やはりこれが魔力の差だろうか。なんとなく、格差のようなものを感じてしまう。
「ルナ、ナイスフォロー」
 しかし、阿守のその言葉と笑顔には嫌味や皮肉などは一切込められていないように見えた。ルナの顔は自然とほころび、はい、と頷く。
 そうだ、自分は勇者の剣として、共に戦っている。迷いも気負いも、必要ない。
「エビルサンダー!」
「アイスレーザー!」「波動撃!」
 魔王の攻撃に、即座にスピカとリンが技を繰り出しそれを相殺する。そして、そこへ再び阿守の攻撃。魔王は苦悶の呻きを漏らした。
 魔王はすっとわずかに身を下げると、ゆらりと鎌を揺らすように構え直し、なぜか一度息を整えるかのような間をおいた。
 再び隙を作るために駆けだそうとしたところで、ルナは思わず足をとめた。
空気が変わった、としか言いようのない感覚。このまま行くのは危険だと、本能が体を引きとめたとでもいえばいいだろうか。ともかく、言いようのない悪寒をルナは感じた。そしてそれはスピカもリンも、そして阿守も同様らしく、そのまま追撃をするのをためらっているようだった。
 ―――来る。
 そう思った時には、危機感も悪寒も全てを無視して、駆けだしていた。自分の身以上に、守らければならないものが、いや、守りたいものがあったから。
 魔王の鎌が振り下ろされる。それは何度も見た光景のはずなのに、今回は迫りくる鎌のその迫力が圧倒的に違っていた。おそらく、全てを終わらせるための、魔王の全力の斬撃。だけど、終わらせるわけになどいかない。だから駆けた。
 振り下ろされるそれに、後方から放たれたスピカの魔法が直撃した。可能な限りの全力を持って放たれた、純粋な魔力の塊。何度も見た、洞窟の崩壊を招きかねないほどの威力を持っているはずのそれは、しかし魔王の攻撃の前にあっさりとけし飛ばされ、ほんのわずかその勢いを弱めただけだった。魔力を失ったスピカの赤と青の瞳は半ば光を失い、手を前に差し出すこともできないままどさりと前のめりに倒れる。
 続けてルナの目の前に躍り出たのは、右手右足に濃密に魔力を宿らせたリン。リンは跳躍して右足で蹴り上げる。凄まじい衝撃とともに魔王の鎌にそれはぶつかるが、やはりその攻撃を押しとどめるに至らず、リンの右足が赤い線を引いて宙を舞った。リンは激痛に顔を歪めながらも、そのまま勢いでくるりと体を回転させ、さらに右拳をその鎌に向けて放つ。それでもその勢いは止まらない。リンは中指と薬指の間から腕を半分に引き裂かれ、ぼとりとその小さな体が無残に床に転がった。
 2人が心配でないわけがない。だけど、今は止まるわけにはいかなかった。ルナは2人にも止められなかったその攻撃に向けて、掬いあげるように剣を振り上げた。余すことなく残る全ての魔力を乗せた斬撃が魔王の鎌を受け止めたのは一瞬。振り上げた勢いそのままに、刀身の半分を砕け散らせたその剣は空に向かって投げ出される。その柄に、ルナの両の腕を張り付けたまま。
 結局3人がかりでもその鎌の勢いを殺しきることはできず、鈍色の刃はルナの体を斬り裂きながら地面に叩きつけられた。――が。
 本来その攻撃は、床を、城を崩壊させ、地殻をも引き裂きここにいる人間全てを消し去ることはおろか、全世界に天変地異を引き起こすほどの威力を持った攻撃であったはずだった。少なくとも、ここにいる4人はとてもではないが耐えきれぬほどの衝撃をもたらす一撃であるはずだった。しかし命を張った3人の攻撃を受け、それはこの部屋の床を砕き割るのみに抑え込まれた。城全体が震えるほどの衝撃。しかしそれは大地にまで力を届けるには遠く及ばない。魔王は驚愕し、視線を前へと向ける。魔王の攻撃を防いだ3人。だがもう1人、敵はまだ残っているのだ。魔王はすぐに防御の姿勢を取ろうと身構えようとするも、これほどの威力を持つ攻撃を放った魔王自身への負担も、半端なものではなかった。
「うおおおおおおおおおおっ!」
 崩れゆく地面を飛ぶように渡り、鬼気迫る勢いで阿守が魔王に剣を振り上げた。持ちうる限り全ての力を、託されたスピカの、リンの、そしてルナの想いが込められた一撃を、放つ。
 阿守の剣が、振り下ろされた。世界を白く染めあげるほどの力が、魔王の体を上から下に、斬り裂いた。
「おおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ――――――――――――!」
 断末魔の叫びが世界を揺るがし、崩壊する瓦礫とともに魔王と阿守は、重力に導かれるまま階下へと落ちた。
 ずしゃっ、と地面に思いきり背中を打ちつけた阿守は、一瞬息を詰まらせて酸素を求めて口を開閉しながらも、どうにか起き上がると半ば這うようにしてスピカが落ちたであろう辺りに向かった。
 スピカはすぐに見つかった。儚い光しか宿さない瞳を何もない空中に向けたままで、ぴくりとも動かず瓦礫の上で身をのけ反らせていた。魔力の過剰な放出による反動で、スピカの肉体はボロボロになっていた。魔法陣による魔力強化で本来ならばありえない出力で魔法を放ち、瞬間的に魔力が極端に減少したため、外傷はないものの見えない体内は凄惨な状況になっているはずだ。阿守は急いでその腹の上に手を乗せると、自分が倒れてしまう寸前まで、辺りに漂う魔力をかき集めて回復力に変え、スピカの体に流しこんだ。
 少しずつ少しずつ、スピカの瞳は輝きを取り戻し、ギリギリのところで阿守が回復の手を止めると、スピカはごぼっと血を吐いてから一度ぱちりと瞬きをして、目の前の阿守を、そして崩れ去った部屋とその中で横たわる魔王を見た。
 スピカは身を起こし、阿守がギリギリながらも命に別状がないようだと見極めると、落ちる際に瓦礫にでも挟まれたのか、ずるずると足を引きずりながら瓦礫の上を進み始めた。
 少し離れた場所で、がらりと瓦礫の一部が崩れ落ちると、その中から右手の半分と右足を失った状態のリンが姿を現した。あの攻撃を受けてまともに動けるダメージではなかったはずだが、一階に落とされたせいで大地のマナによる回復力がわずかに高まったおかげもあるのか、千切れ飛んだ腕と足はそのままにしろ、立ち上がれる程度にまではどうにか持ち直せたらしい。
 阿守は動く気力もなく、あとを2人に託してぐったりとその場に横たわる。どうにか動ける2人が向かった先は、もちろんルナのところだった。魔力による回復もマナによる自己治癒も行えない、なにより最後の一撃をモロに受けていたルナはやはりというべきか、壮絶な状態だった。
 両腕は手首の少し前からが斬り飛ばされ、なにより右肩から脚にかけてをざっくりと斬り裂かれているために出血の量が尋常ではなく、目を閉じたままのその顔は冷たく青ざめていた。
 スピカはすぐに引き裂かれたルナの半身を押しつけて回復魔法をかける。スピカ自身にはもはや魔力は残されていないため、阿守がスピカにしたように辺りに漂う魔力をかき集めての回復魔法。どうにか動ける程度までに回復しているからといって、スピカの体内は普通ならこんなことができるはずもないほどにボロボロなままだった。わずかな魔力を行使するだけで全身に想像を絶するほどの痛みが駆け抜け、スピカはぎりぎりと歯を食いしばりながらそれに耐え、尋常ではない苦痛に涙を流しながらも、それでもルナを回復する手を止めようとはしなかった。
リンは片手を地面につき、マナを吸い上げながらその魔力を全て注ぐように、得意ではないのだろうがスピカと同じく回復魔法をかけ続けた。リンはスピカほどの苦痛を感じてはいないものの、それでも今の状態でのその行動は決して楽なものであるはずもない。
 スピカは意識が飛ぶ寸前で回復の手を止め、どさりとその場に倒れ込んだ。それでもその時にはどうにかルナの半身は元通り、とはいかないまでも出血は抑えられる程度にまで張り付いていた。そしてリンも、さすがに体力の限界がきたらしく、ぐらりと崩れルナに覆いかぶさるように倒れ込んだ。
 その時になってようやく、ルナはうっすらと目を開く。そしてすぐそばに倒れる2人を、少し離れた場所で天を見上げる阿守を見た。
 他人を助けるために自らの命を賭せば、『全員で帰ろう』と言った約束は果たせなくなってしまう。ならば、助けられたらしい自分が生きているのならみんなも絶対に生きているはずだと、薄く開かれた意識の中でルナは、自然にそうみんなを信じることができた。
 だからルナは安心して、もう一度まぶたを閉じた。

 ・・†・・

 いったいどれくらいそうしていたのだろうか。ルナがもう一度まぶたを開いたとき、自分を囲むようにして3人がぐったりと瓦礫に背を預けて座り込んでいた。
「‥‥ルナ、やっと目が覚めた?」
 疲れ切った声で、阿守が笑顔を向けてくれた。
「‥‥はい」
 ルナは短くそうとだけ答え、身を起こす。体のあちこちが痛い。ついでに腕に違和感を感じて自分の手を見下ろすと、両手がなかった。驚いたり慌てたりすべきなのかもしれないが、今のルナにはそんな気力すら残っていない。
「‥‥ごめん、ちょっと待ってくれたら、ちゃんとくっつけてあげるから」
 破れまくり、汚れまくりのローブを着たスピカが、疲れまくりの声で力ない笑顔をルナに向けた。しばらく黙ってスピカを見つめ返し、おおよその状況を理解したルナは同じように力ない笑顔をスピカに向ける。
「‥‥謝ることじゃないわ。あの瞬間死を覚悟したのに、命をつなぎとめてくれたのはスピカでしょ。それだけで、十分すぎるわ」
 ふと、両手とともに体にも違和感を感じて自らを見下ろすと、鎧がばっくりと裂け、そこからのぞく自分の体に大きすぎる一筋の赤い傷跡が見て取れた。
「ルナちゃん、体が半分千切れかけてたんですよ。ホント、びっくりしちゃいました」
 ルナはそう言うリンを見て、びっくりしちゃいました。
「‥‥! 何のんきなこと言ってるのよ。リンのほうがよっぽど重症じゃない」
 右腕はそぎ落とされているし、右足はひざから下がすっぱりと無くなっている。人の心配などしている状況ではないだろう。
「大丈夫ですよ。わたしの怪我はすぐに命にかかわるものではありませんでしたし」
「そういう問題じゃないでしょ‥‥。まあ、平気ならいいけど」
 ルナとて、人の心配をしていられる余裕はあまりなかった。今は生きてさえいれば、それだけで十分だと思えた。実際、斬られた腕や足は遅すぎなければ魔法で繋ぐことができる。
 しばらく無言で座り込んでいると、不意に少し離れた場所から、がらりと瓦礫の動く音が響いた。
「!」
 4人は一斉に顔をあげ、音のした方向に視線を向ける。
 誰もが最悪の可能性を想像した。この状態で、これ以上の戦闘などどう考えても不可能だ。
 それでも阿守はよろよろと立ちあがり、ゆっくりとそちらに向かって歩を進め始めた。それに倣い、3人もゆっくりと立ち上がり、阿守の背を追う。ルナはリンに肩を貸し、互いに寄りかかるように歩く。
 阿守が黙って何かを見下ろしている場所までたどり着くと、そこにはいつのまにか元の青年の姿に戻った魔王が仰向けに倒れていた。その眼は開かれているものの、もはやどこも見つめてはいない。
「どうやら、私の負けのようだな‥‥。君達、全員私のすぐそばにいるのか?」
「ああ、いるよ」
 魔王の呟きに、阿守は静かに答える。
「君達は強いな。だが、私の敗因は決して君達が互いに信じあっていたからなどという理由ではない。勇者、君が強すぎたからだ。それだけだ」
 魔王はこんな状態になっても、自分の考えを否定する気はないようだった。
「だけど、楽しかったよ。結果はこのザマだが、本気でぶつかり合えるというのは、信頼云々など関係なく、高揚できるものだな」
 4人は何も答えない。ただ黙って魔王を見下ろすだけだ。
「はは‥‥まあ、私を倒したということは、これから君達人間にとっては平和な日々が戻るということなのだろうが、1つだけ忠告しておいてあげよう」
 魔王はそこで言葉を止め、長すぎる間を空けてから、続きを語り始めた。
「‥‥このまま国に帰っても、君達の思い描く平和な日々はやってこない‥‥。君達と君達以外の人間の間で必ず‥‥何らかの衝突が起こるだろう‥‥。それは何度も何度も、嫌になるほど繰り返し私が体験してきた事実だ‥‥」
 そこで再び魔王は言葉を切り、先ほど以上に間を開けた。もう、まともにしゃべることすら満足にできない状態のようだった。
「‥‥人間とは、君達が思っている以上に、愚かな生き物だ。‥‥君達の何倍も、長く生きている私が言うのだ。間違いはないぞ。‥‥それなりに、覚悟をしておくことを勧めるよ」
 そう言って魔王は三度言葉を切り、しかしそれ以降、魔王が再び口を開くことはなかった。
「なんていうかさ、すっきりさせてくれない捨て台詞だったね」
 スピカがそう呟いて、どさりとその場に座り込んだ。
「わたしたち、魔王を倒したんですね」
「ええ、そうよ」
「そう、ですか‥‥」
 リンは呟いて、ぼろぼろと涙を流し始めた。
「‥‥わたしは結局、間違っているとわかっていながら、間違い続けることしかできませんでした‥‥」
 泣きじゃくるリンの頭にそっと、阿守が手を置いた。
「でもさ、もう戦いは終わってしまった。じゃあ、どうする?」
 それはいつかと同じ質問。リンはしばらく何も答えず涙を流し続けていたが、やがて無理矢理涙を抑えると、唇を引き結んで阿守を見上げた。
「‥‥次は、次こそは、後悔しません」
 阿守は笑顔でそのままリンの頭を撫でた。
「魔王は最後まであんなことを言っていたけれど、私はエルムのみんなのことを信じているわ。だから、心配も覚悟も必要ないと思うのだけれど」
 ルナが魔王を見下ろしたままそう呟くと、スピカはとーぜんでしょ、といつもの軽い調子で答えた。
「あたしだってみんな信じてるよ。それにこれからのことなんて、実際にこれからを過ごしてみなきゃわかんないじゃん」
「わたしも、今まで出会ったみんなのこと、大好きです。だからきっと大丈夫ですよ」
 空気が柔らかくなり始めたところに、だけどさ、と阿守は少し重い口調で言葉をはさんだ。
「一度でも俺たちに恐怖を感じれば、そうしたくなくても、今までのように接することはできなくなるっていうのは、ありえることだと思う。そこから関係に亀裂が入ることだって、否定はできない」
「‥‥‥‥」
 阿守の言葉に、誰もなにも答えられなかった。認めたくはないけれど、それは正論だったからだ。
「俺さ、マナを封印しようと思うんだけど」
 突然の言葉に、誰もが驚き阿守に視線を集中させた。そして一番に抗議の声をあげたのはスピカ。
「なんでよー! せっかく魔王を倒したっていうのに。マナがなくなっちゃったら私たち魔法が使えなくなるんだよ?」
「理由を聞かせていただけませんか? 勇者様」
 ルナも、これにはさすがに黙っているわけにはいかなかった。マナがなくなれば多くの人が生活に困るようになる。阿守もそれを納得してライム王子を止めに行ったはずではなかったのか。
 阿守はふざけている様子もなく、真面目な口調で理由を語りはじめた。
「魔王の話を聞いていろいろ思ったんだけど、いくら魔王が極論で動いてたからってあの話を全部否定することもできないって思ったんだ。結局今回の事件の原因は個人に強い力がありすぎたことなんだ。そして、個人に強い力が備わる一番の原因は魔法の存在だ。だから魔法の力が今回の悲劇を生んだんじゃないかなって、俺は思ってる。それに人間は愚かだっていうのも、全くの間違いじゃないと思う。たとえ俺たちがみんなのことを信じられたとしても、俺たちのことを信じられない人は現れるかもしれない。実際、俺は魔王と同等の力、つまり世界を滅ぼすことだって可能な力を持ってるんだ。機嫌を損ねるわけにはいかない、なんて思われただけでも、人間関係が危うくなっていくきっかけには十分なり得ると思う。俺だけじゃなく、この先同じような力を持つ者が現れることも、きっとある。だから魔法が使えるこの世界では、この先第2の魔王が現れる可能性も大きい。魔法の力は、強すぎる。人間に便利な生活を与えると同時に、不幸を生み出すきっかけにもなり得る」
「しかし、魔法の力を正しく利用して幸せな生活を送っている人たちはどうなるのですか? その人たちからも魔法を奪っていいのですか? 魔法の力がなくても、それなりに快適な生活ができるのかもしれませんが、今魔法が奪われてしまったら困ってしまう人が少なからずいるはずです!」
 ルナは半ば憤慨気味に阿守に詰め寄った。魔法と生活は今や、切っても切り離せないものになっている。それを突然奪いとってしまうなど、考えられない。魔王と同じくらい、とまではいかなくても、ルナにはそれがあまりに非道な行いであるように思われた。
「確かに魔法を正しく利用している人たちには申し訳ないんだけど、俺が思うにその人たちは一時的に困ったとしても、みんなで力を合わせればすぐに乗り越えられると思うんだよね。実際俺のいた未来では、魔法が使えなくてもけっこう快適な生活が送れてるわけだしさ。それよりも魔王みたいな人達が生まれてくることを、俺は止めたい」
 阿守の言葉にそれでもルナは納得がいかず、さらに抗議を続ける。
「確かに第2の魔王が出現することは阻止したいですけど、だからといってマナを封印するのはさすがにやりすぎだと思います。もっと他にやり方はあるはずです!」
 ルナの言葉に阿守はうーん、と少し考えてから、落ち着いた様子を保ったまま説得を再開する。
「じゃあさ、もし仮にこの先知ってる人が突然俺たちよりずっと強い力を手に入れたとしたら、どうする?」
 阿守の問いにルナは眉をひそめる。そんなもの、考えるまでもない。
「どうもしません。今までどおりに接するだけです。私はその人を疑ったり嫌悪したりなどしないと、自信を持って言えます」
 きっぱりと言い切るルナに、しかし阿守は小さくため息をついた。
「‥‥ルナ、世界には俺たちしかいないわけじゃない。色んな考え方を持った人がいるんだ」
「そんなことはわかっています!」
「じゃあ、その人を信じられないって人がいたら、どうするの?」
「話し合います。その力を持つ人に誠意があるとわかれば、きっとわかってもらえるはずです」
「全世界の、すべての人間が全く同じ考えを持つことができると思う?」
「それは‥‥不可能では、ない、はずです」
 少し、ルナの言葉から自信が失われる。
阿守はちらりと倒れる魔王に視線を向けてから、少し寂しげに言った。
「不可能なんだよ。悔しいけどさ。人間は愚かで、なにより弱い。自分より強い力に対しては、思わず身を守ったり。攻撃してしまう生き物なんだ。力の差が大きければ大きいほど、多くの人がそうしてしまう。そういうものなんだよ」
「そういうものだから、争いは無くならないというのですか!? じゃあ一体、どうすればいいというんですか!」
 思わず、ルナは声を荒げてしまう。
納得がいかなかった。人間の弱さを認めたくなかった。自分でも何に対して反論しているのか、もはやわからなくなっているようだった。
「だからマナを封印するんだよ」
 対照的に静かな口調のまま、阿守はすぐにそう答えた。
「魔法の力は強大すぎるから、力の差は生まれてしまう。だけど魔法がなくなれば、力の差はなくせなくても、今よりずっと小さくすることはできるようになると思うんだ。ルナみたいに強い心を持っている人ばかりじゃないんだよ。心が弱い人は、力を持つ人をつい信じられなくなってしまうこともある。だから、力の差が小さくなれば、誰もがもっと互いを信頼できるようになると思う」
「‥‥‥‥」
 ルナはついに言葉を返せなくなった。阿守はさらに言葉を続ける。
「魔法が使えなくて困る人がたくさん出るだろうってことは俺もわかってる。でも、それ以上にみんなが信じあえるようになる世界に、俺はしたいんだ。みんな困ってるなら、みんなで協力すればいい。それくらいなら、頑張ればきっとできると思う。俺はもうこんな悲しい思いはしたくない。だから、マナを封印しよう」
 ルナは阿守を見上げ、歯を食いしばりぎゅっと拳を握った。
「わたしもまたこんな思いをしなければならないというのなら、魔法が使えなくなるくらいどうってことありません」
「だね。あたしも研究対象がなくなっちゃうのは確かにヤだけど。んー、まあそしたらまた新しい研究対象を探せばいいかな。あたし、勇者様が教えてくれた未来のカガク、ってのにもすっごく興味あるし」
 リンとスピカは阿守の意見に納得したようだった。ルナは2人に順に視線を向け、再び阿守に視線を戻す。
「どんな世界になっても、みんなで力を合わせれば乗り越えられる。そこから生まれる信頼もある。みんなが少しずつ頑張れば、きっと大丈夫。ルナなら絶対平気だと思うし、なによりルナには人を引き付ける魅力がある。だからルナがいてくれれば、すぐにちゃんとした生活に戻れるようになるよ。だからルナ、協力してくれないかな」
「‥‥‥‥」
 阿守が肩に手を置き、優しくそう言った。
「ルナ、勇者様の言ってることはあたしもその通りだと思うよ。魔法がなければ魔王だって現れようがなくなるわけだしさ。みんなが困るのだってほんのちょっとの間だけだよ。どうにかなるって。だいじょーぶだよ」
「ルナちゃん、わたしもルナちゃんに精一杯協力します。だから、心配しないでください」
 阿守を見上げる視界が、ぶわりと滲んだ。なんだかんだと偉そうなことを言っておきながら、一番人を信じられていなかったのは、自分だった。
 だけど魔王と違うのは、こうして間違っていることを間違っていると教えてくれる仲間がいること。泣きそうな時、自分を支えてくれる人がいること。
「‥‥みんなの、言う通りです。勇者様、浅はかな考えで反論などしてしまって、申し訳ありませんでした」
「ううん、謝ることじゃないよ。考え方がすれ違うことはある。だからこうやって、意見を交わし合うんだよ。ルナはちゃんと自分の意見を言って、俺の意見を聞いてくれた。信頼っていうのは、そうやって築かれていくものだと思うんだ。だからこれからも、ルナは自分が正しいと思うことは言葉にして人に伝えて、それが正しければ貫いて、間違ってれば誰かに正してもらえばいい。そうやって人は成長していくんだよ。いつかも、同じこと言ったじゃんか」
「‥‥はい。ありがとうございます」
 ルナはそのまま、阿守の胸に抱きついて、泣いた。手がないので背中をぎゅっとできないのは少し寂しかったけれど、阿守の胸はやっぱり温かかった。
 ルナが落ち着いて泣きやみ、魔法が使えなくなる前にルナとリンの腕や足をくっつけてから、阿守はライム王子から渡されていた封印の書を開いた。マナの封印には莫大な魔力を消費するらしく万全の状態のスピカですら足りない魔力量だったが、潜在魔力を全て引き出せるようになった阿守にはどうにかできそうだった。
「じゃあ、封印するよ」
 阿守が床に描いた魔法陣の中心に立ち、魔力を集中させ始めた。すぐに魔法陣が淡い光を放ちはじめ、それは徐々に強い光へと変わってゆく。
 と、その途中で阿守がふとこちらを向いた。それでも魔法陣の光は強まっていく。あとはもう、何をする必要もないようだ。
「スピカ、スピカと話してると、本当に妹ができたみたいで嬉しかったよ。ありがとう」
「へ? うん、あたしも兄妹いないし、勇者様がお兄ちゃんになってくれるなら大歓迎だよ」
 突然の阿守のそんな言葉に、スピカは若干戸惑いながらもどうにか笑顔でそう返す。阿守は今度はリンへと視線を移した。
「リンは、普段ぽわぽわしてるのに実はすごくしっかりした自分の考えを持ってるから、何気にいろいろ教えられちゃったよ。ありがとう」
「えー、なんだか褒めてくれてるのかそうじゃないのかわからないじゃないですか」
 リンは頬を膨らませてぽわぽわと抗議の声をあげる。どこか嬉しそうにそれを見て、阿守はルナへと視線を向けた。
「ルナ、ちょっと返事が遅くなっちゃったけど、ルナは俺にとって一番心強い『剣』だよ。だから」
 そう言って、阿守が掲げた手には、折れたルナの剣が握られていた。
「ちゃんと受け取ったよ、ルナの『剣』。ありがとう」
「勇者様‥‥?」
 何で今、そんなことを言うのだろう。
こんなの、まるで別れの言葉みたいじゃないか。
 もう二度と、会えなくなってしまうみたいじゃないか。

 そんなの、イヤだ。

「勇者様!」
 思わずルナは声をあげるが、それを遮るように魔法陣の光がひときわ強くなり、ルナは思わず目を腕で覆った。
 そして光が収まり目を開けると、そこには空っぽの魔法陣があるだけだった。ルナが愛した人の姿は、どこにも見当たらなかった。
「あ、あれ? 勇者様は?」
「どこに行っちゃったんでしょう。さっきまでいたはずなのに」
 きょろきょろとあたりを見回すスピカとリン。
「きっと、この世界に勇者様を繋ぎとめていたのはマナの力。だけど今、それが封印されてしまったから‥‥」
 ルナが俯いたまま呟き、2人もそれだけで理解し、ああ、とため息のような呟きを漏らした。
「‥‥元の世界に、帰ってしまったんですね」
「そっか‥‥ありがとうって、言いそびれちゃった」
 2人はさみしげな瞳を空に向けてそう呟き、ルナはずしゃ、とひざをついた。
「‥‥ルナちゃん、泣いてるんですか?」
 リンがルナの震える肩にそっと手を置く。
「ないてなんか‥‥ないわよ‥‥っ」
 強がりを言ってみても、声が震えてしまっているのは抑えようもなかった。リンがそんなルナをそっと、優しく抱きしめる。
 ルナは必死に手のひらで目を覆っても、あふれ出る涙は止められなかった。
「ゆうしゃさまのばか‥‥4にんでかえろうって、やくそく、したのに‥‥っ。わたしがいなくなったら、かなしいって、いってたのに‥‥。わたしだって、かなしいにきまってるじゃない‥‥っ」
 ルナは誰もいない魔法陣に向かってそんな文句をこぼし、そのあとはひたすらに泣いた。リンの胸の中で、泣き続けた。大声を上げて、ただただ、泣いた。


 こうして4人の旅は勇者を失う形で終わりを告げ、世界は魔王に怯えることのない平和な日々を取り戻したのだった。

 Ep.

目を開けると、白い天井が見えた。
 別に、何か詩的な表現をしているというわけでは‥‥いや、詩的でも何でもないか。
 むくりと身を起こすと、そこは見慣れた自分の部屋。周りに樹なんて生えちゃいないし、わけのわからない生物も襲ってこない。
 と、いうところまで考えて、阿守は頭に疑問符を浮かべた。いったい自分は、どうしてそんなことを考えたんだろうと。
 ぼんやりとする頭で記憶をたどる。なんだか長い夢を見ていたような気がする。いったいどんな夢だっただろうか。
 寝ていたせいでぼさぼさと乱れまくった髪を直そうとして手を持ち上げて、ようやくその手に握られているものの存在に気づいた。
 刃が半ばで折れた、剣だった。
 それを見た瞬間、阿守はすべて思い出した。
 途端に意識は覚醒し、しかし何をするも思い当たらず、部屋の中をうろうろとさまよい、しばらくしてはっと気づき、机の上からがさがさとやや乱雑に歴史の教科書を取り出した。めくるページはもちろん、歴史上唯一魔王が登場したという内容が載ったページ。はやる気持ちを抑えられないまま教科書をくしゃくしゃにしながらそのページに辿り着いた。そこには――
「あ、あれ‥‥?」
 そこには、魔王を倒した勇者として相変わらずライム王子の名前が載っていた。
 手の中の剣を見つめる。こんなにもはっきりと目の前に証拠が残っている。今までのことが、夢であるはずがない。
 もしかしたら、阿守の言っていた世界はこことは別の並行世界として存在し、別の未来では阿守が魔王を倒した勇者として歴史に名を残すことができているのだろうか。
 しかし、教科書やもう少しその時代のことが詳しく書かれた歴史書をめくってみると、それ以外のことは比較的事細かに詳細が記されているというのに、なぜだがその魔王を倒したという部分だけはひどく曖昧で、ライム王子が倒したということ以外は文献からはほとんど知ることができなかった。記憶をたどってみると、その部分以外はほとんど阿守の知る世界の出来事と一致する。別の並行世界という可能性は、ゼロではないがやはり少し違うように思った。
 ではなぜライム王子が――
「‥‥‥‥‥‥あ」
 悩んで悩んで、阿守は1つの結論に思い当たった。


 ・・†・・

 魔王を倒し、エルム城に帰ると当然のごとく城の内外問わず全ての人々から喝采を浴び凱旋パーティーも盛大に催されようとしていたが、ルナはそれらの称賛を素早く受け流し、早足に城の図書館へと向かった。一直線に向かったのは、歴史書をしたためている人間のもとだった。彼はこのような浮かれ切った雰囲気の中でもいつも通り図書館の奥に籠り、完全に自分の世界に浸っていた。探しに来ておいてなんだが、よくこんなで正確な歴史書など書けるものだと思う。
 たとえ存在が消えようとも、阿守がこの世界にいて、魔王を倒したのだという記録を残したかった。そうすれば未来の世界で歴史書を見て、彼はいつでも自分たちのことを思い出してくれるかもしれないと思ったから。
「ルナか。魔王を倒したらしいな。おめでとう」
「ありがとうございます。早速ですがじぃ様、魔王を倒した勇者の名を記して頂きたいのです。せめてその名を、後世に語り継がせたい」
 じぃ様、というのが歴史家の彼の共通の呼び名だった。じぃ様はルナの剣幕に驚きつつも、泰然とした態度は崩さない。
「おぉおぉ、本当に早速だな。まあ、言われずとも記させてもらうよ。世界を救った英雄なのだから。しかしそんなに自分の名を残したいのか? ルナよ。お前はそこまで名声に執着はないと思っておったのだが」
「私ではありません。勇者様の名です。私の名は、むしろ残さないでいただきたいです。私は彼の剣となっただけ。過去の英雄たちと肩を並べるなど、おこがましいにもほどがあります」
 ルナの過ぎる謙遜にじぃ様は小さく笑みを浮かべ、今を記す歴史書を手に取った。
「相変わらず固いのう、お前は。まあそれがお前らしくて安心するがな。で、彼の名を何と言うのだ。私は彼には直接会ってはおらんので、知らんのだよ」
「それは――」
 そこで、ルナの言葉は唐突に途切れた。
「どうした、教えてくれねば記すこともできんだろう」
「‥‥‥‥」
 ルナはじぃ様の不思議そうな視線を受けながら、完全にその動きを停止させていた。
 当たり前すぎることだった。だからこそ失念していた。
 彼は勇者であり、勇者であることが当然だったから。


 時間を越えて、阿守とルナの2人は同時にその事実に気づき、頭を抱えた。


「そういえば俺、向こうで一回も名乗ってなかったんだ‥‥」
「そういえば、一度も勇者様のお名前を伺っていませんでした‥‥」



 結局、最初から歴史は阿守の知っている通りだったのだった。(主にスピカのせいで)過去の世界で一度も名を名乗らなかった阿守の名は歴史の残そうにも残すことができず、しかし勇者の名を不明のままに留めておくことにも何かと不都合があり、結局歴史に名を残す勇者として選ばれたのがライム王子だったのだった。
 阿守とルナはあまりのことにしばらく呆れることすら忘れ、そして呆然と言葉を失うのだった。

めでたしめでたし? 

 To be…

「はい、じゃあ今日はこれでお終い」
 ルナがそう言って手を叩くと、騎士たちはずしゃりと崩れ落ちるようにその場に倒れ込んだ。
 魔王を倒して3年の時が経ち、ルナは近衛兵副隊長に昇進していた。近衛兵とは君主に最も近い位置での警護を任される、いわば国で最も信頼を得、戦力として認められた者のみがなることのできる位階である。ルナは3年前の魔王討伐の功績により史上最年少でこの地位を得た。それでもルナは驕ることなく今まで以上に訓練を積み、今では騎士団の訓練の面倒まで見るようになっていた。その訓練のあまりの厳しさに鬼教官などと揶揄されることもあるが、それでも騎士団の間でのルナの人気は非常に高く、信頼も厚い。
 魔王がいなくなったとはいえ、当然古来より生息している魔物がいなくなったわけではなく、頻度は明らかに減ったものの、今でも人間を襲うことはままある。おかしな輩が現れて王や国民に危害を加えることなども、時折ある。そんな時の為に騎士団は解体されることなく、今もこうして日々の訓練に励んでいるというわけだった。
 ルナは騎士団たち以上の運動量であったにもかかわらず涼しい顔のまま、その場を去った。
 とはいえ、ルナとて疲れていないわけではない。訓練前に自主練も行っており、疲労度自体はかなりのものだ。しかし部下である騎士たちの前では常に泰然とした態度を保っていたかった。半端なプライドのためではない。上官の威厳というのは、騎士たちの士気を維持することに非常に大切なことなのだ。ルナが強くあればあるほど、ルナのような騎士になることを志す者の目標は高くなり、意欲が高まる。そしてどんな時でも冷静さと自信を失わない態度は皆に安心感を与え、希望を抱かせることができる。だからルナは騎士たちの前ではその態度を崩さないようにしていた。
「ふぅ‥‥」
 シャワーを浴びて、一息つく。汗を流すだけでずいぶんとさっぱりするものだ。ルナは自室に戻ってベッドにごろりと横になる。当然、気を抜く時は気を抜く。
 と、そこへこんこん、と部屋のドアのノックする音が響いた。ルナははい、と返事をして身を起こしドアを開けると、そこにいたのは若い騎士団の青年。まあ、若いといってもルナ自身も騎士の中ではかなり若いので実際のところルナとほぼ同年齢なのだが。青年はかなり緊張した面持ちで、わずかに頬を紅潮させながらルナを見つめていた。
「ル、ルナ副隊長、お願いが、お話が、あるので、お、お時間よろしいでしょうか」
 がちがちに緊張しまくりの青年にルナが構わないわよ、と返事をすると、青年はすっと身を屈め、腰の剣を捧げるように持ち上げた。
「ルナ副隊長、私の剣をあなたに捧げさせてください! あなたの騎士として生涯あなたに仕えさせて頂けませんか!」
 青年は一息でそう言いきると、顔を真っ赤に染めて顔をあげ、ルナの返答を待った。
 ルナはできるだけそれを抑えながらも苦い表情で、内心ため息をついた。
 要するに、ルナは青年にプロポーズされている。そしてこのような申し出はこれが初めてではなく、今までに何度も受けてきたことだった。そしてルナは当然それをことごとく断っていた。そう言ってくれるのは、まあ嬉しいことではあるが、何度も言われれば正直ウンザリ、とまではいかなくともちょっと疲れを感じるのもまた事実。
「悪いけど、あなたの剣は受け取れないわ」
 そして今回も、ルナはあっさりとそれを断った。
 ルナの言葉を聞いて青年は悲しげに表情を沈ませ、剣を捧げる手を下げた。
「‥‥やはり、そうですか」
 青年は剣を腰に戻して立ち上がると毅然とした表情を取り戻し、ルナを正面から見つめた。
「‥‥理由だけ、聞かせていただいてもよろしいですか」
 断られてそれだけですごすごと引き下がらない、という精神には感心する。ちゃんとこうして反省点を求めようとする意気があれば、これからもっと強くなれるだろう。まあ、今はそんな中途半端な慰めの言葉をかけてやる気など全くないが。
「そうね、あなたがまだまだ未熟で、私の全てを任せられるに足る人ではないからというのが、まず1つ」
 ルナの容赦のない言葉に、青年はうっ、と顔をひきつらせる。
「そしてもう1つが、私は剣を持っていないから。剣をもたない騎士は、もう誰かの剣を受けとることはできないわ」
「‥‥それは、どういうことですか‥‥?」
「私はもう、ある人に剣を捧げているの。そしてその人に私の全てを捧げると誓ったわ。だから私は君主に仕える騎士であり、私自身は君主にはなれない。そういうこと」
 それを聞いて青年は大いに驚いた。やや遠回しな言い方をしているが、要するにルナには心に決めた相手がいる、ということだ。恋愛事には全く無縁そうなルナにそのような相手がいることが信じられなかったからか、青年はしばらく言葉を失っていたが、やがて気を取り直してさらに尋ねた。
「も、もしよろしければ、そのお相手が誰なのか、教えていただいても構いませんか?」
 ルナはその言葉に、ふっと少し寂しげな笑みをこぼした。
「できることなら、みんなにも紹介したいと思っているのよ。だけどそれはもう、できないの。‥‥あ、別に死んでしまったっけわけじゃないわ。ただ、決して手の届かない遠くに行ってしまっただけ」
「‥‥‥‥?」
 そんなルナの説明に、青年は首を傾げる。まあ確かに、その言葉だけでは理解できないだろう。
 この青年は3年前に召喚された勇者の存在自体は知っているが、それ以上のことは何も知らない。それはこの青年に限らず、エルムのほとんどの人間がそうだった。知っているのはルナとスピカとリンと、あの時に彼と関わった一部の人間だけ。ルナはそれが少しだけ寂しかった。
「だからあなたの剣は受け取れないの。わかった?」
「‥‥わかり、ました」
 彼にはそう言うほかないだろう。しゅんと項垂れて、肩を落とす。
「そんなに残念に思うのなら、そんな私の考えを変えさせるくらいに強くなってみなさい。そうしたら私だって、少しはあなたのことを意識するようになるかも知れないわ」
 そんなルナの励ましに、青年はぱっと表情を明るくさせ、すぐに引き締めた。
「はい! いつかそうなれるよう、全力で努力します!」
「ええ、その意気よ。頑張って」
 青年は恭しく一礼すると、決意を込めた足取りでルナの部屋を去った。
「いやいや、相変わらずもてもてだね」
 と、いつの間にやってきたのか、にやにやと笑いながらそう茶化してくるのは黒いローブに身を包んだスピカだった。
 あれから3年も経つのに、スピカの見た目は全然成長しているように見えなかった。身長もほとんど伸びていないし髪型も変わらず。まあルナも人のことが言えるほど変化しているわけではないのだが。髪型もほどんど変えてないし。
 だがスピカはローブを着ているからといって、魔道士を続けているわけではない。というより、マナが封印されているのだから続けようがない。スピカは現在様々なものを開発する技術者として名を馳せていた。阿守に聞いたわずかな未来の知識を参考に生活に必要な技術を開発しまくり、水や炎や明かりなど現在の生活の整えたのはほとんどスピカの功績といっても過言ではなかった。魔法がなくなっても、相変わらず没頭した分野に関しては極端に特化するのは変わらない。しかもそれと併せてなんか面白そうだから、という理由で動植物の研究も行っていたりするらしい。最近、もしかしてスピカは天才なのだろうかという少々信じ難い予想がルナの頭をよぎり始めている。しかしその予想もスピカの顔を見るたびに霧散してしまうのだが。
「ルナ、なんか失礼なこと考えてない?」
「いいえ、そんなことは全くないわ。で、何か用?」
 ジト目で睨んでくるスピカの言葉を軽く受け流し、ルナは尋ねた。何をしているのかは知らないが、ここ最近忙しそうにしているスピカがわざわざここまでやってきたのだから、なにか用があってのことだろう。
 スピカはもう一度半眼でルナを睨み、しかしすぐにまあいいけど、と言って表情を戻し、ルナの手を掴んだ。
「ちょっと研究室まで来てほしいんだ。見せたいものがあってさ」
「ちょっとって」
 ルナはスピカに引っ張られ、薄暗い地下へと連れていかれた。地下への階段にさしかかったところでルナはスピカの手を離し、ゆっくりと階段を降りてゆく。地下では太陽の光は届かないが、スピカの発明した電灯のおかげでここでも明かりには不自由していない。
「わあ、ルナちゃん、お久しぶりです! 元気にしてましたか? おおっ、なんだかルナちゃんなんだか少女から女性になってる感じがしますね! かっこいい!」
 スピカの研究室の扉を開け中に入った途端、そこにいた人物から明るい声をかけられた。
 まあ、言うまでもないことだとは思うが、その人物とはリンである。彼女はあいかわらず塔のある島の自宅(手作り)でなぜか一人暮らしを続けていたので、会うのはあれ以来3年ぶりだった。エルム城に来ていることは知らなかったが、おそらくスピカにでも呼ばれたのだろう。まあ、それはいいのだが。
「‥‥ええっと、あなたには会うたびにツッコんで欲しい願望でもあるの?」
 ルナの言葉に、リンは不思議そうに首を傾げる。いや、傾げんなよ。
 この3年で一番変化したのは間違いなくリンだろう。以前はルナより数センチは低かった身長が、今ではほとんど変わらなくなっている。ルナも若干背が伸びたものの、リンはそれ以上に大きくなっていた。そして以前はお団子を作っていた髪も下ろし、ショートだったのがすっかり長くなって腰まで伸びるロングヘアーになっている。しかし相変わらずの童顔とぽわぽわした雰囲気のせいでどうしても大人っぽくは見えない。そして、なにより大きく変化しているのはその格好。
「‥‥一応聞いてあげるわ。今は、何を目指してるの?」
 ルナの問いに、リンはなぜか誇らしげに腰(・)に(・)差した(・・・)剣(・)を抜き、しゃきーんとそれを構えた。
「勇者です!」「意味がわからない」
 速攻で辛辣な台詞を投げる。リンは涙目でどうしてですかっ、とか言っている。
 そう、リンの今の格好は戦士というか騎士というか、本人談では勇者な格好になっていた。淡い赤色のブレストプレートに小手に具足。そしてシンプルなサークレット。なんていうかとりあえず、似合っていない。
 まあリンのことだからそのまま武道家を続けているとは思えなかったが、なぜ勇者。いやまあ、阿守に影響されたというのは間違いないのだろうけど。
「もう、なんでもいいわ。それでこんなところに連れて来てどうしたの?」
 正直もうリンの格好とかどうでもよかった。久しぶりに会う友人に対してのそんな冷めた態度にリンはさらに涙目になっているがとりあえず無視。ルナはスピカに話しを戻した。
「うん、こっちの部屋に来てほしいんだ」
 そう言ってスピカは1つの本棚を押しのけると、その後ろから一枚の扉が現れた。
「なにこれ、隠し部屋? なんでこんなもの作ってるのよ」
「見つかっちゃまずいものがあるからだよ」
 やや呆れた声を漏らすルナに、しかしスピカは真剣な表情でそう答えた。
 ルナとリンは顔を見合せ、頭に疑問符を浮かべたままスピカの入っていったその部屋へと踏み込んだ。そして、絶句する。
「‥‥‥‥これ」
 その部屋の中心には魔法陣が描かれていた。それだけならば特に問題はなかったのだが、しかしその魔法陣は淡い光を放っていたのだった。
 それはつまり、魔法が使えなくなったはずのこの世界で、ここにだけは魔法がまだ残っているということだった。
「‥‥スピカ! これはいったいどういうことよ!」
 はっきり言って、これはもはや世界規模の問題といって過言ではない。こんなところに魔法が残されていると知られればコクラムもランドも、そしてエルムでさえ黙ってはいないだろう。ルナはスピカに詰め寄るが、スピカは落ち着いて語り始める。
「うん、実はね、あたしあれからずっと、魔法の研究を1人で続けてたの。もちろん、誰にも秘密で。それでね、2年くらい前に、ここにほんのわずかな封印の隙間みたいなものがあるのを見つけたんだ。それで、どうにか頑張って、この魔法陣の部分だけその隙間を広げることに成功したの。この上でだけなら、今でも魔法を使えることができる」
「スピカ。あなた、それがどれほど重大なことかわかってるの? これは、一つ間違えれば戦争すら引き起こしかねないことなのよ」
 あまりの事態に、だからこそルナは冷静にスピカを諭した。しかしスピカは真剣な表情を崩さないまま答えた。
「うん、それはわかってる。あたしだって、勇者様に言われたことはちゃんと理解してるつもりだよ。だから、これはすぐにもう一度塞ごうと思ってる。でもその前に、1つだけやりたいことがあるの」
 ルナとリンは、そんなスピカの言葉に眉をひそめた。どうやら単なる興味本位や勢いでこんなことをしたというわけではなさそうだった。
「なにを、するつもりなんですか?」
 リンの言葉に、スピカは瞳に喜びと期待を込めて、小さく笑みを浮かべた。
「召喚だよ」

 ・・†・・

 あれから3年の月日が経ち、阿守は大学生になった。
 高校を卒業し、少しだけ就職も考えたが、自分のしたいことが見つからなかったため、猶予期間として大学進学をすることに決めたのだった。
 しかしそれでも、阿守は未だに自分のしたいことを見つけられず、なんとなく悶々とした日々を過ごしていた。
いや、見つけられないのではない。なにかあるはずなのに、自分はすでに何かを見つけ、それをしたいと思っているはずなのに、それが何なのかに気づけないだけなのだ。なにか、毎日が物足りないと感じている。友達もできているし、そいつらとバカ騒ぎするのは楽しいが、しかし何かが足りない。つまり、その『足りない何か』が自分の求めているものに違いないのだが、それがわからないから落ち着かない。
 今日も今日とて、アルバイトを終えて住んでいるアパートへと帰った。荷物を適当に放って、ベッドに横になる。視線を横に向けると、棚の上に飾っている折れた剣が視界に映る。
 みんな、元気にしているだろうか。いや、過去の世界の人物に元気にしているかとか考えるのも、変な話か。
できることなら、もう一度みんなに会いたいと思った。だけどきっとそれは不可能なんだろう。
 一度本気で考えてみたのだが、もう一度向こうでみんなに会うことが自分のしたいことなのだろうかと悩んだが、それは何か違うような気がした。そもそも、将来的なことを考えているのだからそれとこれとを繋げて考えることが間違っている。向こうとこちらとを自由に行き来できるのなら、もちろんそれが最高なんだろうけれど。いくらなんでもそれは都合のよすぎる希望だ。
 だいたい向こうに行って、みんなに会って、それからどうするというのか。
「‥‥‥‥‥‥‥‥ん?」
 ふと、そこで思考を止めようとして、何かが引っ掛かった。いつもそこで考えるのを止めていたけれど、よく考えたら、どうなんだろう。
 自分はもう一度向こうへ行けたとしたら、どうしたいんだろうか。
 会いたい。だけじゃない。
 知りたい。あの世界のことを。だけどまだ弱い。
 魔法、はもう使えないのか。でも、何か見えてきた気がする。
 天井を見つめながら、考える。
「‥‥‥‥‥‥‥‥マジか」
 1つの答えにたどり着いて、阿守は思わず苦笑した。
 ――戦いたい。
 それが、阿守の辿り着いた答えだった。
 まあ、苦笑が漏れるのも仕方ないだろう。ゲームにのめりこんでる小学生じゃないんだから。
 でも、あの世界ではそれができた。そしてそれに対して今までに体験したことのないほどの高揚感を得たのも間違いない。戦う、とか言ってしまうと確かに少し子供っぽくなってしまうが、それは恐らく、その言葉に現実味がないからだ。だけど、他のものに当てはめて考えてみればバカバカしいと一笑に伏してしまうほどのことでもないのではないだろうか。例えばスポーツ選手を目指している人はそのスポーツが好きだから、体を動かすことが好きだからひたすらに努力を重ねるのだ。根本的には、それと同じことなのではないだろうか。
単なる一時の感情、ではないと思う。今まで生きてきて、これほどまでに楽しいと、もっとやりたいと思ったことはない。そしてあの世界では、それが可能だということも知っている。
 だけどそれはイコール人を傷つけたい、というわけではもちろんない。ファルスや魔王との戦いのようなことは、できればもうしたくない。人々を魔物から守るために戦う、というのが一番理想だろうか。そのためにエルムで訓練して、前回は全然話せなかったけど城の人達とも仲良くなって、ルナと一緒に――
 そこで一旦思考が止まり、あの泰然としていて確固とした自分の意志を持っていて、だけどちょっと頭の固い騎士のことを思い出した。そしてもう一度、棚の上の剣に視線を戻す。
 この剣を捧げたいと言われた時のあの言葉を思い出す。
 ルナは俺にとって大切な人だ。
 ルナにとって俺は、大切な人だったんだろうか。
 そこまで考えて、阿守は自分の考えの浅はかさ、いや、鈍さに目元を覆った。
 ――俺は多分、ルナのことを好きになってしまってたんだ。そして、あの時ルナは、俺のことを好きだと言ってくれたんだ。
 魔王との戦いの時、確かにルナは自分のことを愛する人だと言ってくれていた。だけどそれがどれほどの意味を持つ言葉だったのか。いったいいつから少しでもそう思うようになってくれていたのだろうかと思ったが、まさかあの時の言葉がすでにそうだったなんて。あれって確か、かなり旅の初めのころではなかったか。その頃からルナは自分のことを見ていてくれたというのに、自分はそんなことには全く気づいていなかったなんて。
 阿守はがばりと身を起こし、しかしすぐに肩を落としてベッドの上に座り込む。
 だけどどう言ってところで、もう向こうの世界に行けないのならどうしようもない。せっかく自分のやりたいことがはっきりしたのに、それをするための手段がないとは。
「あーあ、なんかすっごい肩透かし食らったような気分‥‥」
 ようやく胸の内のもやもやが晴れたと思ったら、今度はぽっかりと穴があいたような空虚感を味わうことになってしまった。
 阿守はベッドの上からのっそりと立ち上がり、剣を手に取った。
 意味もなくそれを眺めていた時、背後で何かノイズのような音が聞こえた気がした。その音に、ふといつだったかのことを思い出した。
この世界と、あちらの世界との、境目の記憶。
「お願いがあるんだけど、勇者様」
 ひどく懐かしい少女の声と、その言葉の響きを伴って、その記憶と期待は再び現実として阿守の目の前に訪れた。
 阿守は振り向き、ホログラム映像のような姿でいつのまにか部屋の中に現れた少女に笑顔を向けた。
「今度は、何を倒せばいいんだろう」

 ・・†・・

 スピカの突拍子もない発言から、すでに2週間が経過していた。
 スピカはあの封印の隙間を見つけてから、ひたすら魔力の強化に努めていたらしい。召喚する際に、前回のように記憶の一部が消えてしまうことがないようにするためだ。
 あの場で召喚を即座に執り行うのかと思ったが、もう少しだけ準備があるのであの時は計画を話してくれただけで、とりあえずスピカの用事はそれだけだったようだ。
 ではいつ召喚するのかと尋ねたら、スピカはにやにやと笑いながら秘密、とか言ってきやがった。多分、ルナの知らない間に召喚を行い、びっくりさせてやろうと思っているのであろうことはそれだけで容易に予想できた。が、それを予想することができても、いつどのような形で「彼」が現れるのかは、全く予想がつかない。突然目の前に登場されたら、正直泣かない自信がない。いやむしろ泣く自信がある。驚くほど全く胸を張れることじゃないけれど。
 そのせいで、あれからルナはなにかと上の空になってしまうことが多かった。それは訓練中も例外でなく、騎士に間近で声をかけられ我に帰ること数回。こんなでは威厳もなにもあったものじゃない。今日も最初のほうは意識的にそれを考えることを避けていたのだが、終わり際ふとそちらに思考を持っていかれてしまい、またも騎士たちに心配される羽目になってしまった。
「はあ‥‥。自分が情けないわ」
 少し落ち着こうと思い、自室を通り過ぎてバルコニーに向かう。少しだけ風に当たって頭を冷やしたかった。ルナにとってはこれ以上ないくらいに大切なことであるのは間違いないが、しかしそれが単なる私情であることもまた事実。1人で悩むのは勝手だが、それのせいで周りにまで影響を及ぼすわけにはいかない。
小さくため息をつき、窓から一歩外に出たところで、ルナの足は止まった。
とくん、と心臓が跳ねるのが自分でもわかった。
 視界の先に、とても懐かしい、3年間焦がれ続けた人の背中が見えたからだった。
 あれは、間違いない。間違えるはずもない。
 彼だ。
 そう思った瞬間、ルナの頬を一筋の涙が伝った。
 ああ、やっぱり思った通りだ。
 ルナは自分の情けない自信の確かさを知った。涙が抑えられるわけないと思った。
 その背に向けて、ルナはゆっくりと歩み寄る。
 初めになんて声をかけるかは、もう考えていた。当然といえば当然だ。あの時から今まで、本来なら来るはずのないと思っていたこの時のことばかり考えていたから。
 いつだったかの約束を果たしたい。いや、あんなものは約束とは言えないだろう。廊下ですれ違いざまに軽口をかわし合っただけ。何より互いに誓い合ったわけではなく、自分は考えておくと言っただけなのだから。
 それでも、ルナにとってその時の言葉はすごく大切で、忘れられない言葉だった。
 だけどその前にもう1つ、忘れてはならないこと。彼ともっと親しくなるために知らなければならない、あまりに根本的な質問。
「勇者様」
 彼が、振り向く。少し背が伸びて、少年だった顔立ちも青年と呼ぶ方が近い気のする雰囲気へと成長していた。彼もあの時から、自分たちと同じだけの時間をすごしたのだろう。
 彼は私の姿を認めると、それだけはあの時と変わらない、柔らかい笑顔を見せてくれた。彼はどことなく気恥ずかしそうな表情を浮かべると、やあ、と軽く手をあげる。そんな彼に向けて、ルナは最初の質問をした。
「あなたの名前を、教えて?」
 ルナのその質問に、いやおそらくその口調に、彼は一瞬驚いたような表情を浮かべ、でもすぐにいつもの柔らかい笑顔を、ルナの大好きな表情を浮かべて、答えた。
 彼の口から紡がれた名前は、少し不思議な響きだった。異国の言葉のような、聞き慣れない響き。
「阿守、くん」
 それでもすんなりと頭に染み込んでくるようなその名前を、ルナは確かめるように声に出す。彼は笑顔でうん、と頷いてくれた。
 ルナは阿守の目の前までゆっくりと進み、自分より少し背の高い彼を見上げた。やっぱり涙は止まらないけれど、せめて泣きながらでも笑顔を浮かべる。違う、そんな無理矢理なものじゃない。彼の顔を見ていたら、自然に笑みがこぼれた。

 だって、すごく嬉しいから。
 やっぱりこの人のことが、大好きだから。

 もう彼の前にひざまずいたりはしない。恭しく、回りくどい言い回しをしたりもしない。率直に、思ったことそのままを言葉にして伝える。
あの時言ったてくれたこと。堅苦しい話し方はやめて、同い年なんだからもっと気楽に話してよ、という言葉。そしてこの旅が終ったら考えてみます、というルナの答え。
 それを今でも覚えているから、ルナは今になってようやくそれに応えるために、正面から笑顔で阿守を見つめた。同い年の友達。そこからもう一歩、先の関係になるために。
「阿守くん。これから先もずっとずっと、この世界にいてくれるの? ずっと一緒にいてくれる?」
 どうせ、どこかでスピカが、もしかしたらリンも見ていて、今後このことを冷やかしてくるのだろう。だけど今はそんなことを気にしていられない。溢れる感情は抑えられない。
 阿守は静かに頷いた。だから、
一番伝えたいことを、言わなくちゃいけない。

「私はあなたのことが大好きです。世界中の、誰よりも」

 阿守は少し照れくさそうに頬を掻いてから、優しくルナを抱きしめた。
「俺もだよ。ルナ」
 ルナは生涯で最高の幸せを感じながら涙をぬぐい、2人は唇を重ねた。
 柔らかな風が2人の間を駆け抜け、暖かな太陽の光は2人を祝福するように優しく照らしていた。

(了)

『DotQuest』

 初めましてくらうでぃーれんと申します。
 この物語はsidebook様製作のアプリ『DotQuest』の二次創作作品となります。
 小説自体はそれなり長いこと書いておりますが、このように公の場に公開するのはこれが初めてになります。至らない点も多々あったとは思いますが、楽しんでいただけたでしょうか。少しでも面白いと思っていただけたなら嬉しいです。
 さて、せっかくですので少し作品にも触れておきたいと思います(あ、なんかこの台詞すごくあとがきっぽい!)。作品の大筋は原作そのままですが、細かいストーリーやキャラクターは多少いじらせてもらっています。‥‥多少じゃないですね。ストーリーは、やっぱり少なからずの色恋話があった方がいいかなと思い、阿守とルナを勝手にくっつけたり、それに合わせてラストを付け足してみたりといったくらいですが、キャラクターはもう、特にモブの人たちは、これでもかというくらい発展させまくってますw そもそも主人公の4人以外はほとんどキャラ性をもってませんし。個人的にお気に入りなのはコクラム王です。ゲームだとほぼ通り過ぎていくだけの人が、これでもかというくらいキャラの濃い変態に仕上がってしまいましたw いったいいつからああなってしまったんだろう‥‥。
 なので原作好きの方からすると、自分の思ってた世界観と全然違ーう!!と思われる方もいると思いますが、これはあくまで個人の趣味で書いた二次創作だと割りきっていただけると幸いです。逆に原作を未プレイで、少しでもこの小説を面白いとおもっていただけたなら、ぜひ一度プレイしてみてください。こんな至らない書き物よりよっぽど面白いと思います。ゲーム『DotQuest』はPray store等からダウンロードできます。無料版もあるので、気軽に始められると思いますよ!(ステマじゃないよ、れっきとしたマーケティングだよ!)
 twitterと連携させておりますので、感想などはそちらに頂けたらと思います。作品づくりにおいて他者の批評というのはこれ以上なく貴重なものです。ですので良かった面白かったという意見ももちろん最高に嬉しいですが、気に入らない面白くないという意見も気兼ねなく言ってもらえたらと思います。
 やたらと長い拙作を最後まで読んで頂き、ありがとうございました。またいつか作品を発表する機会がありましたら、その時もぜひよろしくお願いいたします。
 私の空想の世界に足を運んで下さった皆様に、最上級の感謝を。

『DotQuest』 くらうでぃーれん 編

本作はsidebook様製作のスマートフォン向けアプリ、DotQuestの二次創作作品になります。 まずことわっておかなければなりませんが、この作品はものすごく長いです。文庫本でいうとだいたい500ページ近い分量となっています。ですので、興味を持ってくれた方は少しずつ、空いた時間に片手間にでも読んでいただけたら幸いです。 また本作はもともとWordで書いていたものをコピペを繰り返してこっちに転載したものなので、改行がおかしくなっていたり、行頭の空白が抜けていたりする箇所が多く見受けられます。申し訳ありませんが、そういった部分に関しては広い心で受け止めていただけたら、と思います。(直そうと思ったのですが、容量が大きいせいかパソコンのスペックのせいか、キーを一回打つたびに数十秒待たされるので挫けました‥‥) それでは、どうかお楽しみいただけたらと思います。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2014-03-10
Derivative work

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