指先から20センチの恋
近いようで、遠い存在。 そんな幼馴染との、切ない恋愛模様。
幼馴染なんて、近いようで、遠い存在。
恋愛としては、もっと遠い存在になる。
相手が私を「幼馴染」の枠から外して、
一人の女の子として見てくれなきゃ、意味がない。
「おはよう、あやか!!」
「・・・うっさい。」
「相変わらず、お前は朝弱いのなー。」
「・・・奏は夏休みが終わったのに、ずいぶんとテンションが高いのね。」
「ふっ、まぁな。俺、ついに彼女できたんだよ。」
「・・・・・・いつ?」
「夏休み中に友達と遊んでたら、部活の先輩達に会ったんだよ。んで、一緒に遊んだ時に仲良くなったんだ。」
「ふーん・・。初カノは、年上の彼女なんだ。」
「おう。今日から一緒にお昼、食べるから。」
「あぁ、そう。」
「なになに?寂しいわけ~?」
「寝言は寝て言って。」
つれねぇの~と、拗ねているこの男は私の幼馴染。
神崎 奏(かんざき かなで)。
容姿は一般的に見ても、格好よく背も高い。
高校デビューするんだと張り切って、クールな男を演じている所為で、中学よりは遥かにモテる。
同級生から先輩まで、それはもう幅広く。
それに対して私は、女子の中では平均より高めの身長。
肩ぐらいまでの黒髪、顔は可愛い系より、綺麗系らしい。
自分では、そうは思っていないが良く言われる。
「あやか~。」
「なに?」
「俺の母さんさ、親父の単身赴任が心配で、ついて行っちゃったじゃん?」
「子供を置いてね。よく平気だこと。」
「母さんが、あやかちゃんがいれば安心だもんね~。だってさ。」
「どういう意味?」
「お前は、小さい頃から家のことやってたし。安心して任せられるんだろ。」
「まぁ、うちは両親共に夜間勤務だし。ほぼ、家の事は私がやってきてるからね。」
「うん、でな。今日、オムライスが食いたい。」
「あのねぇ・・・。」
私が文句をいう前に、可愛い声が奏をよんだ。
誰が、なんて言わなくてもわかる。
ゆっくりと呼ばれた方に歩いて行く奏を、目で追いかける。
目線の先にいたのは、奏と一つ先輩の彼女。
美少女の多いこの学校。
その中でも、マドンナ的存在の彼女。
フワフワのロングに、ぱっちりとした目。
私より背の小さいであろう、先輩。
一週間で、数十回と告白されている先輩としても、有名だ。
なのに、なんで奏だったんだろう・・・。
「どうしたの、三縞先輩。」
「ふふ。待ちきれなくて、迎えにきちゃった。」
「あっ、待たせてごめん。お昼食べる場所は決まった?」
「それね、まだ悩んでて・・・。」
「三縞先輩、俺が決めてもいいかな?」
「うんっ!もちろん!」
うーん、なんだろう、この違和感。
先輩に対する奏の話し方に、すごい違和感を感じる。
じっと二人を見ていると、奏が戻ってくる。
あれ、ご飯いかないのかな・・・?
「なぁ、普通お昼って、どこで食べる?」
「はぁ?意味わかんない。」
「ずっとお前と一緒に中庭で食べてたから、他の場所が思い浮かばねぇんだよ。」
「屋上でも、どっかの教室でも、いけばいいでしょ。」
「いきなり二人とか、無理だっつーの。」
「誰が空き教室って言ったのよ。・・・もう屋上にしたら?」
「・・・そうするわ。あっ、今日どうする?」
「彼女、送って帰りなさい。夕飯は待ってるから。」
「さすが。全部言わなくても、わかんのな、あやか。」
「・・・ほら、待たせてるんでしょ?」
あぁ、わかった。
違和感の正体。
奏は話し方を変えてるんだ。
先輩に対しては、素を見せない話し方をしてるんだ。
私は「あやか」って、名前の呼び捨てで、
彼女は「三縞先輩」って、苗字で先輩もついてる。
・・・幼馴染と、彼女ってどちらが特別な存在になるのだろう。
放課後になり学級委員でもある私は、先生に捕まり遅くまで雑用をさせられた。
早く帰らなきゃ、奏が家に来ちゃう。
下駄箱で靴を履き替えて、校門へと足を運ぶ。
ふと、見慣れたシルエットが見えてつい、足を止めてしまう。
「・・・あやか?」
「奏っ。よ、よくわかったね。」
「足音でわかるって。今、帰り?」
「あ、うん。雑用してたから・・・。そっちは?」
「進路のことで先輩が呼び出し。もうすぐ終わるから、ここで待ち合わせ。」
「そう、なんだ・・・。」
「奏くん!おまたせ~!!」
「三縞先輩、走ると危ないよ。」
「ふふ、大丈夫よ?そこまで、おっちょこちょいじゃないもん。」
「それなら、いいけど。あ、あやか。」
「え、なに?」
「お前どうする?」
「何がどうするなの、奏くん。」
三縞先輩は、そう言いながら奏の制服を軽く引っ張った。
首を少し傾げながら聞く仕草は、私から見ても可愛いと思う。
「・・・私は一緒に帰らないわよ。邪魔したくないし。」
「別に邪魔じゃないけど?」
「家に帰って、オムライス作らなきゃいけないから。先に帰る。」
「それもそうか。気をつけろよ、あやか。」
「お生憎様、心配無用よ。」
「ははっ、だよな。」
「・・・じゃあ、帰ります。先輩、気をつけて下さいね。」
「どういう意味だよ。」
「じゃあ、ね。」
奏の話し方は独特で、主語がない時が多い。
彼女である先輩にはわからなかった。
幼馴染だから、分かるんだよね。
普通は、分からないもん・・・。
にしても、三縞先輩の顔、怖かった。
奏と話す間、ずっと睨むんだもの。
何が気に入らないのだろうか・・・。
いいじゃない、先輩は彼女なんだからさ。
家で、いつも通り夕飯を済ませてのんびりしていると、奏が思い出したように話しかけてきた。
「あ、そうだ。あやかに、聞きたい事があるんだけどさ。」
「なに?」
「んな、冷たい言い方するなよな。あやかにしか、こんな事、聞けないんだから。」
「な、なによ?」
「あのさ、先輩と今度デートするんだけど、どこがいいと思う?」
「・・・・はぁ?」
「いつもは、先輩のショッピングとか、付き合ってたんだけど。次のデートは俺に任せるっていうからさ。」
「・・・なんで、私に聞くのよ?」
「友達にも、先輩にも聞けねぇだろ。」
「どうしてよ?聞けばいいじゃない。」
「んな、恰好悪いこと出来るかってーの。」
「私なら、恰好悪いこと出来るわけね。」
「そりゃあな!幼馴染だし。」
そう、だよね。
奏にしたら私は、幼馴染でしかないんだよね。
昔から知っているから、恰好悪いとこだって、平気で見せられるわけだし。
二人で出かけたとしても、デートじゃなくて、ただのお出かけ。
「今まで、ショッピング以外に、どこに行ったの?」
「基本、放課後に先輩の行きたいカフェとか、お店見ただけ。」
「あっそ・・・。」
「んで、どこがいいと思う?」
「・・・ちょっと、遠いけど遊園地とか。あ、水族館とかもいいんじゃない?」
「なるほどなー。先輩、どっち行きたいかなぁ?」
「そこまでは、知りません。」
「つめてーの。もうちょっと、協力してくれよ。なっ?」
そういって奏は、顔の前で両手を合わせて頼み込む。
昔から、困ったときは私にこうやって、相談してきたっけ。
「あやかちゃん、お願い。」って。
・・・懐かしいなぁ。
「おい、聞いてんのかよ?」
「あ、あぁ。ごめん、昔のことを思い出してて。」
「昔・・・?」
「昔も、こうやって奏によく、お願いされたなぁって。」
「あぁ・・・。してたな。懐かしい。」
「なんでも、頼んできてたしね。」
「したした。あやかなら、助けてくれるってわかってからな。」
「あのころの奏は、かわいかったなぁ。」
「そうかぁ?」
「そうだよ。いつも私の後ろをついてきてたもん。」
「そんなことねぇだろ。」
「あったって。あやかちゃん、どこ行くの?僕も行くーって。」
「・・・うっせーよ。」
「あ、あとさ。公園で喧嘩もしたよね?」
「喧嘩・・・?」
「覚えてないの?」
「喧嘩したっけか?」
「したじゃない。ほら、小学校低学年の時に。」
「うーん・・・・。」
「公園で、遊んでてさ・・・。」
そう、あれはまだ私たちが、一緒にいて遊んでいた頃の話。
その日も、奏と私は公園で遊んでいた。
クラスの友達も入れて、みんなでかくれんぼをしていた。
奏は私の後ろをついて走り、同じ場所に隠れていた。
見つかりやすくなるから、ダメだと言っても頑なに、一緒に隠れてきた。
オニ役の子を、注意しながら息をひそめて隠れていた。
「ねぇ、あやかちゃん。ここ、見つかりやすくないかな?」
「一人なら、大丈夫なんだけどね。」
「なら、二人が隠れても、大丈夫なところがいいよね?」
「っていうか、かくれんぼは普通、一人で隠れるでしょ。」
「で、でも、僕・・・。あやかちゃんがいないと、不安だもん。」
「奏、あんた男の子でしょ?いつまで私に頼ってるのよ!」
「あ、あやかちゃん。大きな声出したら、見つかっちゃうよ。」
「うるさいなっ。見つかるのが嫌なら、一人で隠れたらいいでしょ!!」
「あ、あやかちゃん・・・。」
「そうやって、すぐ泣くんだから!男の子なんだから、すぐ泣くのやめなさいよ。」
「うっ、うぅ~・・・・。」
「ほら、言ってるそばから泣く!!」
「あ、あやかちゃん・・・。」
「泣くな!男ならもっとしゃっきっとしなさい。」
「うっ、うっ・・・。」
「もっと、強い男になりなさいよ。」
「で、できないよぉ~・・・。」
「最初からあきらめんな!!」
「でもぉ・・・。」
「もういい。奏なんか知らないもん。」
「あ、待ってよ。あやかちゃん~・・・。」
「うるさい。ついてくんな!」
私は、そこまで話すと飲み物を一口飲んだ。
「怒った私は、泣いてる奏を無視して、家に帰っちゃって。」
「あぁ・・・。あったな。」
「しばらくして、奏が謝りに来たっけ。」
「そうそう。周りの奴らが、送ってくれて。」
「それに対しても、怒ったんだよね。人に頼るなって。」
「あぁ。それで、もっと泣きだして。」
「あんた、怒った私を見て言った言葉、覚えてる?」
「うん。あやかちゃん、だけだったな。」
「そうそう。でも、なんでか泣いてる奏を見てたら、もういいよってなったんだよね。」
そのあとも、私と奏は昔話を続けた。
意外と二人とも覚えていることが多く、話は尽きなかった。
でも、私の心は奏と先輩のデートのことで、いっぱいだった。
奏に提案した場所は、いつか二人で行きたいと思っていた所だ。
数日後、奏からデートの成功の報告が来た。
先輩とのデートは楽しくて、あっという間だったそうだ。
それから数ヶ月が経ったが、二人は順調に続いているようだ。
今だに、「三縞先輩」だけどね。
ある日の放課後、いつものように用事を終えた私は、下駄箱へと急ぐ。
夕飯の買い物があるので、急がなければ。
下駄箱につくと、そこには奏の姿があった。
「お、またこんな時間まで雑用か?」
「バカにしたように言わないでよ。むしろ、褒めてくれない?」
「はっ、なんで俺が?」
「そっちは、また先輩待ち?」
「んー・・・、なんか忙しいみたいでさ。よくあるんだよな。」
「そう・・・。」
「カナ君、お待たせ!」
「三縞先輩。今日は早かったんだね。」
「(カナ君…?)」
「あれ、あやかさん・・・?」
「あ、どうも。お久しぶりです。」
「お前、今日は?」
「カナ君、それは一緒に帰るってこと?」
「あぁ、今日はハンバーグ。」
「俺、今日は・・・。」
「奏のは、和風にするから。心配しないで。」
「・・・ねぇ、カナ君?あやかさんと、カナ君ってどんな関係なの?」
「奏とは、幼馴染なんですよ。奏のお父さんの出張にお母さんがついて行ったので、私が夕飯を作ってるんです。」
って、私なんで必死にフォローしてるんだろう・・・。
奏・・・、はどうでもよさそう。
「あ、幼馴染なんだ。だから、仲がいいのね。」
「あやか、悪いんだけど明日のお弁当、頼んでもいいか。」
「かまわないけど・・・?」
「いつも、私が作ってるんだけど・・・。明日、どうしても外せない用事があって・・・。」
「そうなんですか。先輩も大変ですもんね。」
「大変って・・・?」
「進路のことで、よく先生に呼び出されているんですよね?」
「え、えぇ、まぁ・・・」
「まだ二年生なのに、大変ですね。」
「・・・カナ君、行こう?」
「あ、うん・・・。」
「私、買い物してから帰るから。」
まだ、奏の話し方には慣れていないようだ。
なんとなく、自分が彼女である三縞先輩より、上にいる気がした。
でも、幼馴染だから理解できて、当たり前のことなんだよね。
なんだか疲れてしまい、買い物に行く前に、カフェに立ち寄る。
コーヒーを頼んで、一息入れる。
そういえば、あの奏の話し方って、小学校高学年からだったな。
いきなり主語なしで、話したりするので、たいていは理解できてない。
みんな、なんとなくで話してたなぁ。
「昨日のアニメ、見たか?」
「見た!必殺技が、恰好よかったよなぁ。」
「なぁ、どうする?」
「え、なにが?」
「なにがって。わかるだろ?」
「・・・あ、あぁ。」
「どうする?」
「えっとー。」
「奏、あんたそれじゃ相手が、わかんないでしょ。」
「んだよ。あやかは、入ってくんな。」
「入るつもりはないわよ。何がどうするなのか、友達はわかってないみたいよ?」
「なんでだよ?」
「あんた、主語がないのよ。」
「でも、流れでわかるだろ?」
「無理無理。」
「はぁ?あ、そうだ。あやか!」
「なに?」
「今日はなに?」
「今日は、ハンバーグ。」
「オッケー。」
そのあと、奏と話していた男の子に、奏が言いたかったことを伝えた。
「奏は、昨日のアニメごっこするかどうか、聞いてるんだよ。」って。
ふふ、なんだか懐かしいなぁ。
それから買い物を済ませて、家に帰る。
着替えて夕飯を作っていると、奏が帰ってきた。
奏と色々な話をしながら、夕飯を食べる。
学校の事や、中学の同級生の話。
「あ、あやか。」
「・・・・・なに?」
「先輩が、映画を見たいって言うんだけど。」
「・・・・はぁ。」
「なんでそこでため息なんだよ。」
「あんたの言いたいことが、分かったからよ。」
「話が早いな!」
「何を見に行けばいいのか、聞きたいんでしょ?」
「そうそう!!」
奏は先輩との初デート後も、こうやって私に相談をしてくる。
その度に、私は胸が苦しくなる。
なんで私がって、突き放すことだってできる。
奏も、もう子供じゃないし。
でも、それをすることで、奏に嫌われてしまうのが怖い。
この関係が壊れてしまうのが、怖い。
だから私は、相談に乗るしかない。
恋愛経験のない私に、ちゃんとしたアドバイスなんて出来ないのに。
だから、奏に伝える時はいつも、私が奏と行きたかった場所や、したかったことを伝える。
本当は、私が奏と叶えたかったことばかりなのに・・・。
それから月日は流れ、二人が付き合って、もうすぐ半年が経とうとしていた。
奏の先輩に対する話し方、呼び方は何も変わらなかった。
でも、先輩の私に対する対抗心は、むき出しになっていた。
朝も、お昼も、放課後も三縞先輩と奏は一緒にいるようになった。
私と奏は授業の間の休み時間や、夕飯から寝るまでの時間しか、一緒にいられなくなった。
それでも、じゅうぶんだって思うのかもしれない。
だけど、ずっと一緒にいるのが当たり前だと思っていたから。
だから当たり前じゃなくなった今、私は一人でいることが増えた。
奏が隣にいないことに、違和感を感じてしまう。
寂しいとも感じてしまう。
それは、私だけなのかな・・・。
夕飯後、奏と二人で、小中学校のアルバムを見返す。
クラスが一緒でも、違っても行事の写真は、二人一緒に写っている。
小学校低学年の時は、まだ私の方が背が高かった。
奏は、女の子みたいに可愛くて、今と違う。
高学年にもなると、奏の方が少し背が高くなっている。
あやかちゃんって呼んでいたのも、あやかに変わってた。
「小学四年くらいだよな。あやかって呼んだの。」
「そうだったっけ?奏、自然に呼び方変えたから、ちゃんとは覚えてないや。」
「あ、小六の文化祭だよな。劇やるってなって、俺が主役でさ。」
「そうそう。私はセリフの少ない役選んだな。」
「あいつ、山田だっけ?お前と同じ役だった男。」
「そうそう。セリフ言ったら、後半は出番なくてさ。練習の時も、二人で話してたな。」
「俺、それで山田が嫌いになったんだよ。」
「なんでよ?仲悪くなかったでしょ?」
「ほら、あやかとずっと一緒だっただろ?」
「うん。」
「だからかなぁ。なんか、あやかを山田に取られたって、思い込んで。」
「・・・やきもち?」
「そうかもな。まぁ、ガキの頃だし。」
「今、それあったら大変でしょ。」
「だなぁ。今は、先輩いるしな。」
「・・・・そうだね。」
「そうだ。この前、先輩がさ・・・・。」
最近、奏と一緒に居てもこうして先輩の話題にもなる。
本当は聞きたくないのに、奏が嬉しそうに、楽しそうに話すから・・・。
私は、幼馴染として話を聞かなきゃいけない。
奏にとって、良い幼馴染でいなきゃいけないんだ。
次の日、学校に行けば校門の前には先輩の姿が。
私は、何も言わずに奏から離れて一人で教室まで行く。
お昼も、先輩が迎えに来て、二人で食べに行く。
先輩はまるで、私に見せつけるかのように、行動をしてくる。
そんなことしなくても、奏は先輩の彼氏なのに。
なんで、私が敵対心抱かれなきゃいけないのよ。
邪魔なんて、したことないのに。
「・・・・・なの。」
「・・・・じゃん。」
その日の放課後に、校内をブラブラとしていたら(雑用後の休息として)、二年生の教室から、聞き覚えのある声が聞こえた。
ダメだと思っていても、聞いてしまうのが人間の性。
教室のドアから、姿が見えない様に聞き耳を立てる。
さっきより、聞こえやすくなり会話がはっきりと聞こえる。
「あ、そういえばぁ、新しい彼氏君は、奏だっけぇ~?」
「そうよ。新しいって言っても、半年経ったけどね。」
「未だに三縞先輩、なんでしょ~?いいのぉ~?それで。」
「あぁ、それね。何度言っても、変えようとしないのよね。名前で呼び捨てなんて、女子はあの幼馴染くらいじゃない?」
「あぁ、あやかだっけ~?」
「本当に邪魔なのよね。どうにかして引き離してるんだけどね。」
「あれっしょ~?彼氏君の方が、わけありっしょ?」
「そうなの。なにかと言えば、あやかって、言うんだもの。」
「なにそれ、うける~。でも、由莉は大学生の彼氏いたっしょ~?」
「今現在もいるっつーの。勝手に過去形にしないでよ。」
「じゃあ、なんで年下君に告ったのさ~?」
「奏君は顔がいいじゃない。大人っぽいし、私にピッタリだと思わない?あの顔と雰囲気なら、誰もが付き合いたいと思うでしょ?」
「まぁ、思うけどさ~。二股してんの、ばれてる様子ないわけ~?」
「あぁ、ないない。キスまでしか、させてないもん。」
「体は本命だけってか?」
「私の手料理も、本命だけよ。」
「でも、彼氏君にお弁当作ってるじゃん。」
「あれね。彼氏の余りとか、ちょっと失敗したやつ。」
「失敗したので、いいの~?」
「一生懸命作ったの、食べてって言えば、男なんてちょろいわよ。」
「つーか、いつまでこの付き合い、続けるわけ?」
「そうだなぁ・・・。私の卒業までとか?奏君が、私にふさわしくなくなったら、とか?」
「ぎゃははは、それやばくね?」
「だってさぁ、なんか奏くんってイメージと違うのよね。」
「そうなのぉ?そうは見えないけどぉ・・・」
「私といる時は、イメージ通りなんだけど、幼馴染といる時は何か違うのよ。」
なに、それ・・・・。
先輩は奏のことが好きだから、告白したんじゃなくて、ただ顔がいいからだったんだ。
引き離そうとしたのも、嫉妬心じゃなく、彼女のプライドが許さなかっただけ。
ほんと、ばかみたい。
必死に奏への気持ちを、なかったことにして、ただの幼馴染になろうとしていた自分が。
ただ、いいようにされている奏がかわいそう。
「そういえば~、いつも、彼氏君のこと待たせてるよねぇ。」
「先生に呼ばれてるって、言ってあるのよ。」
「ぎゃははは。先生に呼ばれているなんて、嘘言っちゃってぇ~。」
「いいのよ。奏君は待たせておけば。」
「うちがいない時は、彼氏とラブコールしてるんっしょ?」
「そうなの。あ、ちょっと、聞いてよ。ダーリンったら、この前~・・・。」
聞けば聞くほど、腹が立つ。
これ以上、ここにはいたくなくて、イライラしたまま下駄箱に向かう。
途中、気持ちを落ち着かせるために自販機で、飲み物を買う。
飲みたくもないのに、なんで買っちゃったんだろう。
入口には、座り込んでる奏が見える。
後ろからゆっくりと、奏に近付く。
今日も先輩の事、待ってるんだ・・・。
「奏・・・?」
「・・・あやか、俺さ。」
「なによ?」
「あー、いや。帰ってからでいい。」
歯切りの悪い奏に、胸がざわめく。
話しかけようと、足を一歩踏み出しかけた時、後ろからパタパタと足音が聞こえて、その場に踏みとどまる。
「あ、カナ君!・・・と、あやかさん。」
「・・・どうも。」
「カナ君、これあげる。いつも待たせちゃってるお詫びに!」
「あ、ありがとう。」
「・・・カナ君?飲まないの?いつも、飲んでるよね?」
「えっ、奏。あんた、ブラックコーヒーなんて飲めたっけ?」
「えっ・・・?」
「あ、私のと交換する?アイスカフェ・オレ。」
「サンキュー。これ、俺が好きなやつじゃん。」
「さっき、イライラしてたら、間違えて買っちゃって。」
「だろうな。お前、カフェ・オレ飲めないもんな。」
「飲めなくはないわよ?」
「・・・カナ君って、ブラックダメなの?」
「そうですよ?知らなかったんですか?彼女なのに?」
「・・・・・。」
「奏が手を繋ぐのも、写真を撮るのも嫌いなのは?あ、そうそう、卵焼きは甘いのが好きなんですよ。」
「おい、あやか・・・?」
「それに、名前。かなって区切られるの嫌いなんですよ。だから、奏君のほうがいいですよ。」
「・・・・・。」
「あぁ、それと、人前でベタベタするのも苦手ですよ。」
「・・・・・。」
「最後に、一つだけ、奏は、嘘つかれるのが大嫌いなんです。それだけは、しないほうがいいですよ?」
「あやか、もういいから。」
「・・・私帰るけど、奏はどうする?」
「あぁ、帰る。ごめんね、先輩。」
「カナ君・・・?」
奏は、付き合ってから初めて、先輩と帰らなかった。
私と奏は帰り道に、とくに会話もせず歩いた。
なんとなく、奏が座り込んでいる時の、雰囲気がいつもとは違っていた。
もしかしたら奏は、先輩のことで悩んでいるのかもしれない。
なにかは、わからないけど。
それを私に相談したくて、待っていたのかも。
家に帰って、夕飯を済ます。
いつもならすぐに、私の部屋でゲームをする奏だけど、今日はソファーに座って、ぼぉっとしてる。
きっと、話すタイミングを見計らっているんだろう。
私は、静かに隣に座った。
家にいるときの奏は、学校とはだいぶ違う。
だらーんとしてるし、ゲーム好きだし、前髪なんかちょこんって結んじゃってる。
これが、本当の奏の姿なんだよね・・・。
「あのさ・・・。」
「なによ?」
「俺が先輩と別れるって、言ったら驚くか?」
「驚かないわね。いつ別れても。」
「なんで?」
「半年経っても、苗字で先輩呼ばわり。それに話し方も変わってない。」
「・・・・・。」
「みんなが分からなくても、私にはわかる。幼馴染をなめないでくれる?」
「やっぱり、気付いたか。でもさ、そうなると先輩には悪いよなぁ。」
「・・・・は?」
「だって、先輩は俺のことが好きだから、告白してくれたんだぜ?」
「あぁ、そう・・・。」
「おうっ。」
「そういえば、なんで今日は先輩と帰らなかったの?」
「あぁ~・・・。三縞先輩さ、よく先生に呼ばれるじゃん?」
「そ、そうね。」
「あれ、本当なのかなぁ?あんなにしょっちゅう、呼ばれるものなのかな?」
なんだ、先輩の本性に、気付いたわけじゃなかったんだ。
どんだけ鈍いのよ、この男は。
「・・・進路のことで、呼び出されているんでしょ?」
「そうは、言ってるけどさ・・・。」
「・・・すごい有名大学に行くから、放課後に特別講習とか、やってるんじゃないの?」
「あ、なるほどなっ!!」
「・・・・奏、チョンマゲが変な位置にあるよ。」
「まじ?直して。」
はい、っとこっちを向いた奏に合わせて、髪が動く。
奏が少し動くだけで、ユラユラと揺れ動く。
まるで、私の心みたい。
いつまでも、決めれずにゆらゆらしている。
奏との距離は、ほんの指先から二十センチほどなのに。
私は、手をつなぐこともできない。
ちょっと、動けば触れられる距離なのに、それができない。
奏との距離は、近いようでとても遠い。
言ってしまいたい。
三縞先輩は、奏を好きなんじゃないって。
でも、私は奏の悲しい顔を見たくない。
私のせいで、その顔をさせたくない。
奏にはいつも、笑っていてほしい。
「なぁ、お前は彼氏つくらねぇの?」
「・・・奏には、関係ないでしょ。」
「そんなツンケンしてっから、彼氏が出来ねぇんだよ。」
「うるさい、余計なお世話よ。」
「おーおー。可愛くないの。」
「可愛くなくてけっこうよ。もう帰って。」
「あやか?」
「帰れ!!!!」
完全な八つ当たりなのは、わかっていた。
でも、止めることができなかった。
次の日から登校時間をずらした。
奏に、会いたくない。
家での時間も、休み時間も私が避けた。
今、顔を見てしまえば、話してしまえば、全てをぶつけてしまいそうで。
私が、口を出してもいい事なんだろうか。
奏が先輩を好きなら、言わない方が良いのかな・・・・。
けっきょく二人は別れず、私も何も言えないまま、新学年になった。
先輩は最高学年で、私たちは真ん中。
二人の距離も変わらない。
でも、私と奏の距離は確実に離れた。
「あ、あやか。」
「なに、奏。」
「やっと、話してくれたな・・・。」
「・・・・なによ。」
「一ヶ月も、避けるなんて・・・。」
「話しは、なに?」
「あのさ、あやか・・・。お前、彼氏出来たのか?」
「・・・なに、言ってるの?」
「違うの?彼氏が出来たから、俺を避けてたんじゃねぇの?」
「彼氏ができたなら、ちゃんと言うわよ。」
「そっか。じゃあ、好きな奴とか?」
「ずっと前からいるわよ、好きな人なんて。」
「はっ?聞いてねぇぞ。」
「言ったら、奏が困るから言わなかったのよ。」
「なんで俺が困るんだよ。」
「私が好きなのは奏だもん。」
「俺は真面目に聞いてんだよ。」
「私だって至って真面目よ?私は、奏が好きなの。」
「・・・・・。」
「私は、三縞先輩と違って、奏自身が好きなの。」
「三縞先輩・・・?」
「三縞先輩は、奏が好きなんじゃない。顔がいい男なら、誰でもいいような人なの。」
「お前、いい加減にしろよ。先輩の悪口、言ってんじゃねぇよ。」
本当に、なにも知らないんだ。
でも、いつまでもいい幼馴染のままでなんか、いられないんだよ。
いつまでも、物分りのいい幼馴染なんて、嫌だ。
今まで、奏が幸せならって思って、応援してきた。
だけど、もう我慢できない。
たとえ、奏に嫌われたとしても、言わなきゃおさまらない。
「何にも知らないんだね?なら、教えてあげるよ。三縞先輩は、奏の顔が気に入っただけなんだよ。」
「はぁ?」
「それに、三縞先輩は先生に呼ばれてなんか、いない。」
「・・・・。」
「教室で友達とおしゃべりしているの。もしくは本命の彼氏と、ラブ電話しているだけ。」
「本命・・・?」
「私と奏を会わせないようにしたのは、ヤキモチなんかじゃない。ただのプライド。」
「プライド・・・?」
「あ、そうそう。本命の彼氏は大学生なの。奏と違って、本当の大人の男性。勝ち目ないよ、奏には。」
言ってしまった、ついに。
奏は下を向いて、何かを考えているようだ。
お願いだから、目を覚ましてよ・・・・。
このまま先輩と付き合っても、奏が傷つくだけだよ。
私は、傷ついた奏なんて、見たくない。
「奏君・・・?どうしたの?」
「三縞先輩・・・。」
「あやかさんまで。二人とも、どうかしたの・・・?」
「三縞先輩、聞きたいことがあるんだけど・・・。」
「奏君、改まってどうしたの?」
「三縞先輩って、大学生の本命彼氏がいるって、本当?」
「えっ・・・?」
「俺のことは、顔がいいから付き合ったの?」
「誰に、そんなこと言われたのか分からないけど・・・。私は、奏君が一番好きだよ?」
「本当に・・・?」
「うん。それに、大学生の彼氏なんて、いないよ?」
「奏、信じちゃだめだよ・・・。」
「あやかさんが、奏君に・・・?」
「・・・悪いけど、一人で考えさせて。一回、ちゃんと整理してから考えるから。」
私、今まで奏に嘘なんて言ったことないのに・・・。
奏が嘘つきは嫌いだって、わかっているのに・・・。
付き合いの長い私よりも、付き合いの短い先輩を信じるの?
奏が私の言葉を、信じてくれていないのに、少しショックを受けつつも、帰宅する。
何があっても、食事は絶対にいっしょに食べる。
これは、奏と私の両親が決めた決まり事。
奏の好きなメニューを作っても、さすがに今日は会話がない。
ただ黙々とご飯を口に運ぶ。
・・・奏は今、何を考えてるんだろう。
食事が終わり、私の部屋に移動した。
奏は部屋にあるソファに座り、考え込む。
私と奏との距離は、相変わらず近いようで遠いまま。
触れたいのに、触れられない。
そんな距離が、もどかしくてたまらない。
そんな事を考えていると、奏がふと、こちらを見る。
「なぁ、あやか・・・・。」
「な、なに・・・?」
「なんで俺は、先輩と付き合ったのかな?」
「え、そんなの知らないよ・・・。」
「好きって、どういうことなんだろう?」
「好き・・・?」
「そう、好き。」
「・・・私は、その人と一緒に居たいとか、無意識で目で追ってしまったり、その人のことばかり、気付いたら考えちゃっていたり・・・。」
「うん。それから?」
「嬉しいことがあった時に、その人に一番に伝えたいって思ったり、会いたい、声が聞きたいって思ったら、好きになってるんだと思うよ。」
「そっか・・・。ありがとう。」
翌朝、いつもより遅い時間に家を出る。
考えたいって言ってたし、一緒じゃない方が良いよね・・・。
その日は、なんとなく話しかけづらく、距離を置いていた。
どうやら、三縞先輩も同じらしく、教室には来なかった。
放課後になり、奏はさっさと教室から出て行った。
気になって目で追うと、奏と三縞先輩の姿が見えた。
「あんなことのあとでも、二人は続くんだ・・・。」
だったら、もっと早くこの気持ちをぶつけていればよかった。
あの二人の絆が、深まったりしない間に。
涙で、視界が歪む。
ふと、教室の入口に視線を戻すと、もう二人の姿は見えなかった。
そこからは、涙が堰が切ったように流れ出し、机に顔を伏せたまま泣き続けた。
声も、出さずに。
しばらくして、足音が教室に近付いてきている事に気付いた。
急いで涙を拭い、呼吸を整える。
気配を感じて顔を上げると、そこには優しく微笑んでいる、奏がいた。
「あやか。」
「奏・・・。」
「どうした?泣いてんのか?」
「な、なんでもない。奏こそ、どうしてここに・・・?」
「昨日、好きってどういうことか、聞いたじゃん?」
「うん。」
「それで、いろいろ考えたんだけど・・・。俺さ、嬉しい事、楽しい事、悲しい事も全部、一番に聞いてほしいのはあやかなんだ。」
「一人でいる時も考えるのは、あやか何してるかな、とか、あやかに会いてぇなぁとか。」
「三縞先輩といても、気付いたらあやかの事ばっか考えてるし、無意識に目で追ってるし・・・。」
「これから先もずっと、一緒に居たいって思えるのは、あやかだけなんだ。」
「・・・・・うん。」
「あやか、俺はお前が好きだ。今更だけど・・・、付き合ってほしい。」
「ばか、遅すぎるよ・・・・。」
私はどれだけ奏に泣かされるのだろう。
第一、奏は先輩とはちゃんと別れたの?
奏に対する不満や疑問が、次々と浮かぶ。
でも、奏の照れた表情をみると、そんなのどうでもいいと思えた。
奏の真剣な目を見ちゃうと、ただただ好きという気持ちだけが、溢れてしまう。
私は、再び流れ出していた涙を拭い、笑って奏に抱きついた。
「奏、大好きっ!」
<エピローグ>
「ごめんな、先輩。急に呼び出したりして。」
「ふふ、気にしないで。それで、どうしたの?」
「俺、先輩とはこれ以上付き合えない。だから、ごめん・・・。」
「別れるってこと・・・?幼馴染と彼女の私と、どっちの言葉を信じるの?」
「・・・先輩に彼氏がいるとかいないとか、そんな事はどうでもいいんだ。俺は、先輩の言葉を信じてる。ただ・・・。」
「ただ・・・?」
「俺は、好きってなんだかわかってなくて、今まで先輩と付き合ってた。」
「それは、なんとなく、わかってたけどー。」
「・・・・・。」
「あの子が言っていた事、本当よ?」
「えっ?」
「私、奏君が好きなんじゃなくて、顔が気に入ったの。ただそれだけ。」
「先輩・・・・。」
「あーあ。もうちょっと、楽しめると思ったんだけどね。残念。」
「・・・俺は先輩といる時、少しでも楽しいと思えてた。」
「そう。まぁ、いいわ。別れてあげる。あ、電話だ。」
「先輩・・・。」
「・・・もしもーし?あ、ダーリン?今日?大丈夫~。」
三縞先輩は、一度も振り返らず、さっそうと屋上を後にした。
「いーのぉ?由莉、大学生の彼氏と別れたのは本当じゃん~。」
「いいの。あんな近距離恋愛してる男なんて、こっちから願い下げだし。」
「ふーん。」
「私の隣にいるには、ふさわしくなくなった。それだけよ。」
いつもと変わらない、夕飯後の時間。
少し違うのは、私たちの関係くらいだろう。
私の部屋のソファーに並んで座り、奏があの日の放課後のことを話してくれた。
「・・・で?」
「え?これが全部だけど?」
「ふーん・・・。」
「ま、いいじゃん。真実はどうであれ、俺はお前が好きなんだし。」
「ちょっ・・・。奏、なに言って・・・!」
「なんだよ?」
「あんた、そんな直球に言わなくても!」
「直球に言わなくて、どうすんだよ。お前も、俺の事が好きって言ってたじゃねぇか。」
「・・・まぁ、それはそうなんだけど。」
「いやぁ、あの時のあやかは、いつも以上に可愛かったな。」
「は、はぁ?」
「ほら、お前って昔からお姉ちゃん気質で、よく面倒見てくれてるじゃん?だからかもしれないけど、泣いてるとこ見たことなかったし。」
「そういえば、奏の前で泣いたことないかも。」
「だから、あの泣き顔にはぐっと来たなぁ。もっと好きになったわ。」
「・・・あんた、ちょっと黙ってて。」
「なに?照れてるの?可愛いなぁ、もう。」
「クールな奏はどうしちゃったのよ!」
「あんなん、本当の俺じゃないし。」
「まぁ、そうだけどさぁ・・・。」
「あやか、ここ。おいで?」
言われるがまま、奏の足の間に座る。
背中に奏の体温をダイレクトに感じて、恥ずかしくなる。
奏は、落ちないように優しく抱きしめてくれている。
心地よくて、体から力を抜き、奏に寄り掛かる。
すると、奏の腕にさっきよりも力が入った。
ゆっくり奏の方に振り返ると、すぐ近くに顔があった。
いつもより近い奏との距離に、ドキドキする。
そのまま、ゆっくりと顔を傾けながら奏が近付いてくる。
目を閉じると同時に、唇に温かい物が触れた。
どのくらい時間が経ったのだろうか。
ゆっくりと、奏の顔が離れていく。
私は向かい合うように、奏の膝の上に座りなおす。
奏は、軽く私の腰に腕をまわして、抱きしめた。
おでこをくっつけながら、しばらくの間は、そのままでいた。
ふと、奏がおでこを離し、真剣な眼差しで私を見つめた。
「俺、これから先、なにがあってもあやかを守る。」
「うん。」
「絶対にもう、離さないから覚悟しとけよ?」
「私だって、離さないんだから。」
一瞬驚いた顔をした奏だが、すぐに微笑みきつく私を抱きしめた。
私も、奏に応えるように背中に手をまわして、抱きしめ返す。
私たちは、時間の許す限り、ずっと抱きしめあった。
指先から二十センチという、もどかしい距離はもう、私たちの間にはなくなっていた。
<完>
指先から20センチの恋