私と彼の懸命遊戯(将倫)

第13回のスーパーダッシュ小説新人賞に出した作品です。結果は一次落ちでしたが、せっかくですので星空文庫にも掲載しようと思います。

第一部

 この世は全てゲームだ

 傍観する者がいて

 遊戯する者がいる



 朝の家に呼び鈴が鳴った。今日は六月十八日火曜日、梅雨のただ中ではあるが天気は快晴。朝の清々しい空気が部屋にも入ってくる。
「小夜? 明美ちゃん、来てるわよ」
 一階から母の声が聞こえる。豊砂中学に通う桜井小夜は制服を着る手を急がせた。今日も寝坊してしまった。遅刻するほどの寝坊ではないが、小夜はいつも隣人、幼なじみで親友の冨田明美を待たせてしまっている。
「分かってる!」
 小夜はボタンもきちんと掛けないまま、駆け足で階段を下りた。静かな朝に、小夜の足音がうるさく響く。
「いってきます!」
 小夜は靴を履いて勢いよくドアを開けた。母は笑いながら手を振り、小夜を見送った。
 ドアを開けて小夜の目にまず入ったのは、驚いた明美の顔だった。毎朝のことではあるが、明美は急に勢いよく開くドアに驚き、丸い目をさらに丸くしている。明美は普段はおっとりとしているが、実はしっかりしている。実際に、朝明美が遅れたことはない。
「ごめんね。今日も待たせちゃって」
 小夜がいつもの調子で謝ると、明美もいつもの調子で笑い首を横に振った。
「いいよ。いつものことだもんね?」
 小夜には返す言葉もなかった。二人は笑って学校へと足を向けた。
 学校までの道ではいつも他愛のない話がつきない。三年生の二人は今年が高校受験の年ではあるが、そんな重苦しい話で朝の爽やかな気分を害したくないというのが二人の一致した考えだ。まだ六月だし、それほど緊張やストレスもない。なのでこの時間は日常の会話が全てを占める。
 C組の教室に着いても、二人のこの空気は変わらない。席も近いため、授業が開始するまで会話は終わることがない。後から思い返しても何を話していたかは思い出せないような、そんな内容に過ぎないのだが、なぜか明美と話していると会話が弾む。朝から学校に来て勉強に勤しむ生徒は怪訝そうな顔をするが、そんなのはお構いなしだ。
 だが授業が始まれば様子は全く異なる。受験生という意識を持ち、三十四人の生徒が真剣に授業を受けている。休み時間と授業の差は甚だしい。
「小夜、明美、帰ろっ」
 授業が終わり、明るい声がC組に響く。その声の主はA組に席を置く浅野里沙だ。授業が終わると、家に直帰する者もいれば、学校に残る者、塾に行く者もいる。小夜も明美も直帰型の生徒なので、帰り道も一緒になる。その時一緒になることが多いのが、同じく直帰型の里沙というわけだ。
 帰り道ではその日学校であったこと――そのときには勉強のことも含む――を話すのが習慣となっていた。なので基本的に小夜は一人になることはない。
 家に着いて郵便受けを覗くと、何やら大きな物が入っていた。小夜はそれを取り出して宛名を見た。
「――私宛て? 何だろ。送り主は『主催者』? 心当たりないなぁ。何かの間違いかなぁ。でも住所とか名前は合ってるし」
 小夜は家に入ると、他に入っていた手紙類を机の上に置き、その包みだけを持って自室に入った。
 部屋に入りまず制服を着替え始めた小夜だったが、どうしてもあの包みが気になって仕方ない。本来なら十分も掛からずに着替え終わるはずが、二十分近くも掛かかってしまった。
 ようやく着替え終わった小夜は、椅子に座ると机の上に無造作に置かれた包みを手にした。改めて持ってみると、それは意外に重たい。大きさとしては売り物の靴を入れる箱位だろうか。
 小夜は早速その箱の外装を剥がして開けてみた。中には、封筒とCDと、そしてさらに箱が入っている。小夜は黒い封筒を手に取って中身を取り出した。中には封筒の色とは違う、白い便箋と、更にもう一枚のカードが入っている。小夜はまず便箋に目を通した。

『詳細は同封のCDをご視聴下さい。その際、イヤホン等をして、他の人には聞こえないようにして下さい。また、同封の箱も、中身はあなた以外の目に触れないようお願いします。』

 何とも身勝手な内容が書かれている。心当たりのない相手から届いた物を、誰にも知られないようにしなければならない。小夜はかなりこれを怪しんだが、とりあえずCDを聞いてみることにした。
 小夜はパソコンを立ち上げ、CDを挿入した。最近、CDで音楽を聴くこともほとんどないため、小夜の部屋にはプレーヤーがない。なのでこれを人知れず聞くにはパソコンを使わなければならない。面倒と言えばかなり面倒だ。起動までの時間がいやに長く感じられる。
 耳にイヤホンを当て、小夜はCDを再生した。最初は十数秒の空白があったが、その後声が聞こえてきた。

『おめでとう、諸君。君達はg@meの参加者に選ばれた。』

 まずこんな声が聞こえてきた。機械か何かで声を変えているのか、くぐもっていて男か女かも分からない。小夜は続く言葉にも集中して耳を傾けた。これだけでは全く何も分からなかった。

『端的に言ってしまうと、私が豊砂中学校から無作為に選んだ三十人の生徒、今これを聞いている君達に、殺し合いをしてもらう。』

 小夜はその言葉を聞いたとき、咄嗟には意味が掴めなかった。特に最後の一言は普段の生活では聞くことがないものだったから、受け入れるまでに時間が掛かった。だが意味が解ったら解ったで、卒倒しそうなほどの驚きに襲われた。
「何言っちゃってるの、こいつ? 悪ふざけにもほどがあるわ」
 小夜は呆れ果ててCDを止めようとした。だがその動作よりも先に声が再開したので、無意識ながらも手を止めて聞かざるを得なかった。

『もしもこれが性質の悪い悪戯だと思うのならば、同封されている箱を開けてみるといい。そのために三分間の時間を与えよう。』

 声はそう言ったきりで、無音となった。小夜は半信半疑ながらも、声の言う通りに箱を開けてみた。
 木箱の蓋を外すと、そこには真っ白な綿が詰められていた。おかげで何が入っているのか、外からは分からない。小夜はそこに手を突っ込み、中を弄った。そして直ぐに、小夜はぎくりとした。何か冷たい物が指先に触れるのを感じたからだ。
 それを手に取り、そっと箱から取り出す。

――一丁の拳銃。

 やたらと重い。小夜は初めて見るそれを前にして、息を呑んだ。手は震え、冷たい汗をかいている。小夜はそれを箱の中に戻すと、大きく呼吸をした。
 小夜は自分に落ち着くように言い聞かせた。まだこれが本物だと決まったわけではない。ただのモデルガンで、ただの手の込んだ悪戯に過ぎない。小夜はそう思いたかった。だが、先程拳銃に触れた感覚で、あれが本物であるということが直感的に分かってしまった。
 今まで感じたことのない、全く熱のない物体。それを握る者の熱を奪い、無感情に人を殺傷する物。

『分かってもらえたかな? 無論君らはこのg@meから下りることは出来ない。私は君らの名前と住所を知っているからだ。』

 再開した声は、様々な感情に囚われている小夜にそう告げた。つまり、その瞬間に自分、ないしは家族が殺されるのだと、この人物は暗に言っている。小夜は寒気を感じた。体中に悪寒が走り、鳥肌が立つ。小夜はこの時漠然と何かを思った。
――狂っている。
 人に平然と殺人を、それもゲーム感覚で無理矢理に押し付けようとする。これを狂っていると言わずして何と言うのだろうか。小夜は焦点を定め切れない目のまま、耳だけはイヤホンに集中させた。

『このg@meのルールは大略して二つ。まず時間、場所を問わず、その箱に入っている物を駆使して殺し合うこと。そして遊戯者以外は殺さないこと。これが守られない場合、前者だと三日間誰も死ななかった場合、残った遊戯者の内の誰かに犠牲になってもらう。そして後者の場合は遊戯者以外の人を殺してしまった人を、君達の手で三日以内に殺すのだ。もし三日を過ぎた場合は、先程と同様の結果になる。
 いいだろうか。君らにはこれから便箋と同封されていたカードを身に付けてもらう。そこには君らの遊戯者番号が書かれていて、発信器が付いている。このカードが君らが遊戯者であるという唯一の証だ。だからといってこれを外しても無駄だ。先程も言ったように発信器が付いている。取り外していると分かった瞬間に――、もう分かるだろう。
 今後、私との接触は以下に読み上げるホームページ上で行う。各人、毎晩夜八時以降に一度は来るように。』

 そうしてその人物はホームページのアドレスと、意見や質問用のメールアドレスを告げた。小夜は間違いがないようにそれを書き写そうとしたが、手が震えてうまく字が書けない。遊戯者は全てにおいて弱みを握られているのだ。家族を人質に取られては、たとえ拳銃という武器を手にしてもこちらに抵抗する手立ては微塵もない。ただ言われた通り、殺し合いをしなければならない。そして声は静かに始まりを告げた。

『さあ、それではg@meを始めようか……。』

 その主催者の声の後、CDは無音になった。小夜は一応最後まで早送りで聞き、そして停止させた。胸の高鳴りは未だに治まらず、この事態がまるで信じ難い。こんな非道で非情なことをする人がいて、そしてまさか自分が巻き込まれることになるとは。
 小夜はまさに今聞いたことを頭の中で整理した。だが、どう頑張っても一つの事しか浮かばない。
 ただ、殺し合えと。
 まだ頭が冷静でないのかもしれない。混乱しているのかもしれない。むしろそれが当然だ。小夜は別のこと――それでもg@meのことだが――を考えようと思い、便箋と同封されているカードを見た。それはだいたいテレホンカード二枚分くらいの大きさで、真ん中に赤い文字で「26」と書かれている。単純に考えるなら、小夜が二十六番目という意味に取れるが、真意は分からない。
 小夜は次に箱に入った拳銃を一瞥し、そして直ぐにパソコンに向き合った。この拳銃を使う羽目になってしまった以上、拳銃の特徴や性質や使い方は知っておかねばならない。
 流石に形だけでは名前までの特定は出来なかったが、それでもある程度のことは、少なくとも普通の中学生が銃について知っていること以上の情報は収集出来た。

・排莢や次弾装填が自動化した自動式拳銃
・装填可能弾丸数十五発
・弾丸を撃つ毎に手動で撃鉄を起こすシングルアクション
・弾倉に直列に弾丸が収められているシングルカラム

〈使い方〉
 装弾された弾倉を銃に取り付ける。
 遊底をいっぱいに引き、手を放す。そうして最初の弾丸を薬室に送り込まれる。
 撃鉄が起こされているので、引き金を引くと弾丸が発射される。
 遊底が後退し、自動的に排莢を行い、撃鉄が起きる。
 遊底がバネの力で戻り、弾倉からせり上がってきた次弾が薬室送り込まれる。
 以下、これらの繰り返し。

 小夜はここまでを調べてため息をついた。人を殺すための道具は、こんなにも簡単な作業をするだけで操作が可能なのだ。これなら、慣れれば子供にだって楽に扱える。小夜は箱の中にあった綿を全て取り出した。先程見た限りでは決定的に足りない物がある。そして、小夜は箱の底に弾丸を発見した。思った以上に小さい。直径は一センチあるかないか、長さも二センチ程度なものだ。そして、中にある弾丸数はたった六発だけだった。先程、主催者は三十人の遊戯者を選んだと言った。だが、六発では最初の装備で全員を殺すことは不可能だ。
「どういうこと? 殺した相手から弾丸を奪えってことなの? それとも撃たずに殺せと?」
 小夜にはまだどうしたらいいのか分からなかった。だが、このとき小夜は今自分がすべきことに気付いた。どうしたらいいか、ではない。これからどうするか、である。
 とりあえず最重要事項として、まず自分が死なないこと。そのために他の遊戯者を殺すこと。今はそれだけを考えよう。では、それを考えるときに何が必要になるか。小夜は悩んだ。誰かを殺すにしても、弾丸は六発しかない上、発射時には物凄い音が出る。先程調べた限りでも、百デシベル以上の音が出るらしい。普段使い慣れないデシベルという単位だが、どうやら百デシベルとはジェット機が通過するときと同じほどの音ということらしいのだ。瞬間的にとはいえ、こんなに大きな音が出れば確実にその行為が誰かに知れてしまう。そこで、普段ドラマなどで見慣れた光景として、小夜は消音器というものを考えた。いわゆるサイレンサーと呼ばれるものだ。ドラマなどを見る限り、消音器を使えば乾いた音が小さくするだけだ。だが実際のところを調べてみると、消音器の本来の目的は、相手に射撃位置を知られないようにすることで、実際はそれほど消音されず、せいぜい七十デシベルまでらしいのだ。その七十デシベルという音でさえ、電話のベルの音くらいの大きさらしい。これではほとんど話にならない。
「ちょっと、これじゃあ銃を与えられているのに、銃を使えないじゃない! どうやって殺し合えって言うのよ?」
 先程、主催者は箱に入っている物を駆使して、と言った。つまり、必ずしも引き金を引く必要はないのだ。殺害の方法に銃が関わっているだけでいいのだ。だがそうかと言って、他に銃の使い道など、鈍器としてしか小夜には思い付かない。
 小夜は椅子に背を預けると、天井を仰ぎため息をついた。
「……もう疲れたわ。とりあえず明日は様子を見よう。期限まで三日あるのだから、まだ大丈夫のはずよ」
 そこでまた問題になるのが、銃をどうするかである。発信器が付いている以上、カードは持って行かねばならない。では銃は、ということが悩み所になる。
「ゲームに波乱が起きるとしたら、それは大抵序盤か終盤。だとしたら、明日には何か動きがある可能性があるわ。そこで下手に動くわけにはいかない、とすると……」
 明日は銃は持って行くべきではない。誰が遊戯者であるか分からないのは、小夜だけの不利ではない。条件はみな一緒なのだ。だとしたら、銃を持って行くのは誰かを殺すときだけでいい。
 小夜はそう結論付けると、心を落ち着かせながら素早く、かつ慎重に拳銃を箱に戻してクローゼットの奥に仕舞い込んだ。普段から自分の部屋の掃除は自分でしているので、基本的に小夜の部屋に日中誰かが入ってくることはない。まして箱に入っている物をわざわざ開けることはないだろう。
 夕飯を済ませた小夜は部屋に戻って勉強を始めようとしたが、まるで集中出来なかった。あの物体がクローゼットの中から静かに自己主張をしている。小夜は拳銃のことが気に掛かって仕方なかった。触れたときのあの感触、あの重量感。小夜は知らず知らずの内に自分が銃に魅せられていることに気付いた。そして、あれを使った瞬間に呑まれてしまうということも。
 翌日、小夜は眼をこすりながら一階のリビングへと下りた。昨晩はg@meのことが頭から離れず、ろくに眠ることも出来なかった。おかげでいつもよりも遅い。もう間もなく明美が来る時間だ。
「急がないと明美ちゃん来ちゃうわよ。ほら、急いで」
 母は急かすが、どうも気分がだるい。気分は体調に直結する。だから体も急いではくれない。小夜は食パンを一枚だけかじると、二階に上がった。急ごうとはしているのだが、体がそれに反応してくれない。
 そうこうしている間に、家の呼び鈴が鳴った。だが、それでも小夜の着替える速度はあまり早くならない。普段ならボタンを全て留めない内に急いで家を出るのだが、今日ばかりは待たせているにも関わらず全てのボタンを留めた。そして、急いで――端から見たらそんな風には見えないだろうが――階段を下りていく。
「いってきます……」
 小夜はドアを開けたが、そこにはいつもの明美はいなかった。いつもの、というのはいつもの驚いた顔の、ということである。今日の明美は、ドアの開きがゆっくりだったためか、普通の表情をしている。
「今日はいつもより遅かったね? 昨日夜更かししてたのかな?」
「うん、まあね」
 明美がいきなり鋭いことを聞いてきたので、小夜は一瞬どきっとしたが、こんな会話は以前にも数回あった。だから、動揺せずに普通に返したつもりだった。
 一緒に登校しているものの、今日の小夜は心ここにあらず、といった感じだった。明美の話に相槌を打ってはいるが、その実会話の内容はほとんど入ってこない。ただぼんやりと空を眺め、銃とg@meについて思考を巡らすばかりだ。
「……夜、小夜ってば!」
 明美の張り上げた声に反応して、小夜の意識は現実に戻ってきた。いつの間にここまで来たのだろう。もう学校が直ぐそこにある。小夜は少しぽかんとして、明美の方を見た。
「ねえ、どうかしたの? さっきからずっと上の空だし」
 こんなとき、普通の悩み事ならば迷わず明美に相談するだろう。普通の悩み事ならば。だが今回の場合、小夜にそれは出来ない。明美に危険が迫るからではない。小夜の命に関わるからだ。もしかしたら、明美だとて遊戯者なのかもしれないのだ。単純に計算しても、三学年で三十人の遊戯者を選んだのだから、一学年で十人、つまり一クラスに一人、ないしは二人いることになる。もう一人が明美だという可能性も決してゼロではない。
「ああ、ゴメンね。昨日難しい問題があってね、夜も眠れなかったの」
 だから、この場は上手く誤魔化すのが一番の良策だ。これが上手い口実になっているかは微妙だが、受験生としては不自然ではなく、明美も納得してくれたようだ。その後は、小夜も頭を切り替えてちゃんと会話に参加することが出来た。
 小夜は大事なことを忘れていた。登下校中はイヤなことを忘れられる唯一の時間なのだ。この時間を楽しまずして、小夜にもはや安息の時間はない。そう心してこの事態に向かわないと、あっという間に殺されてしまう。
 朝学校に着くと、少しだけ教室がざわついていた。まさか、と思った小夜だったが、八割方その嫌な予感は当たっていた。クラスの男子一人が数人の友人に何かを自慢気に話している。小夜は傍を通る際にその会話を聞いてしまった。
「だから、殺し合いの遊戯者に選ばれたんだってば」
 小夜は「遊戯者」という単語を聞いた瞬間にぎくりとした。背中に冷たいものが通り、一瞬身動きがとれなくなる。だが、小夜は直ぐに自分の席に着くと、机に突っ伏して寝たふりをしてその会話に聞き耳を立てた。明美には寝不足だと言ってあったので、小夜が机に伏すと話し掛けないでいてくれた。明美を騙しているようで気分はよくないが、今重要なのはg@meのことだ。友情に逆上せ上がっている時ではない。
「昨日でかい郵便物が届いてよ、それ開けたら中にCDが入ってたんだ」
 男子生徒は尚も友人に話している。内容からして明らかにg@meのことだ。何て愚かな、と小夜は思う。きっとこの生徒、松永徳治は悪戯としか思っていないのだろう。昨晩小夜はあんなに悩んだというのに。
 相手がg@meのことを知っているかどうかを確かめることは、数少ない遊戯者の判別方法の一つだ。それなのに、今松永がその話を他の生徒にしてしまったことでそれもダメになってしまった。これでカードのことを言われでもしたら、もう打つ手もなくなってしまう。
「それで、その中身を聞いたら、三十人の遊戯者に選ばれたから殺し合えって言うんだ。すごくね?」
 松永はあくまでこの状況を楽しんでいる。彼はまず真っ先に殺される候補の一人だろう。これだけ大声で自慢しているのだ。隣りのクラスにまで聞こえていてもおかしくはない。
「何だよそれ? 嘘くさ」
 やはり突拍子もない殺人ゲームなど、最初は誰も信じない。周りの友人も、松永のことを鼻で笑っている。この後のことを考えて小夜は激しく動悸していた。このg@meが真実だと証明する手立ては、今のところ一つしかない。だが、それは証明出来た瞬間に身の破滅を招くことになる。
 友人の言葉に腹を立てた松永は、少し怒り気味に口を開いた。あくまでこの状況に深刻さなど見出さずに。
「お前ら、信用してないだろ。今日俺ん家に来い。いいもん見せてやる」
 小夜は僅かだが胸を撫で下ろした。もし松永がこの場で拳銃を取り出していたらどうなっていただろう。まず間違いなく誰かが悲鳴を上げ、そして松永は職員室へ呼ばれただろう。運が悪ければすぐに警察に通報されるかもしれない。
 そこまで考えたとき、小夜はある懸念が頭を過ぎった。だがその懸念は始業のチャイムに掻き消され、はっきりしないまま小夜の頭の中で浮かんでいた。
 始業したはいいが、小夜の意識は授業とは違う方向に向いていた。誰が遊戯者なのか、どこで目を光らせているのかなど、気を抜けば直ぐに銃口が小夜の方を向いた。午前中の授業が風のように流れていく。受験期だというのに、授業に集中出来ないのはかなりよろしくない。小夜も自分の中では分かってはいるのだが、如何せん懸かっているものが違い過ぎる。受験に懸かるものはせいぜい将来程度なものだが、g@meにはそのまま命が懸かる。その重さは圧倒的に命の方が上だ。今に限っては受験などと言っていられない。
 やっと、というか小夜が気付く頃にはもう昼休みの時間になっていた。小夜は周りに合わせて昼食をつつき始めた。小夜自身には時間の感覚がまるでない。だから食欲も湧かない。だがそれは精神的な部分の話であって、身体的にはきちんと食欲を訴えている。気は進まないが、箸は次々とおかずを口の中へと運んでいく。
「小夜、一緒に食べよ!」
 気付けば、明美と美代が弁当を持って小夜の周りを囲んでいる。小夜は自分の弁当を少し端に寄せた。二人はもう一つ机を持ってくると、それを小夜の机にくっつけて食事を始めた。
「本当、今日小夜大丈夫? 授業中、ずーっとぼんやりしてたでしょ?」
 同じクラスの阿部美代は、そう言いながらひょいと小夜の弁当箱からおかずを取っていく。普段なら取り返すのだが、今回はそう出来なかった。ここで普段通りにふざけ合えていたら、どんなに楽だろうか。だが、小夜はそこまで楽天的ではないし、どちらかと言えば物事を深く考え過ぎてしまう方だ。だから今の小夜の心境としては、ここは学校などではなく、戦場なのだ。気を抜けば直ぐに命を落とす、そんな場所に思えてしまう。
 そうは言っても、この場で友人を失望させてしまうほどに無感情になることも出来ない。その二つの間で板挟みになっているからこそ、小夜は悩み苦しむのだ。
「もう! 勝手に取んないでよ!」
 小夜はそう言って、今度は明美の弁当からおかずを取った。予期しない箸捌きに、明美は何の抵抗も出来ずにおかずを奪われてしまう。
「何で私のおかずがー?」
 そうして笑いが起きる。その後も昼食を食べながら談笑が続けられる。当たり前の昼休みの光景。これが、いつもの、普段通りの日常なのだ。ふとしたことで壊れてしまう脆弱なものだと、今の小夜には痛いほどよく分かる。
 昼食も楽しく終わり、明美も美代もどこかへ行ってしまった。そうして小夜は自分の机に一人残された。そうなった瞬間に小夜に襲い掛かる孤独、生と死の恐怖。
 小夜は窓の方を向いて机に突っ伏した。ぼんやりと窓の外を眺める。雲一つない青空が、小夜の視界を支配している。遠くに見える黒い点は、鳥だろうか。それとも飛行機だろうか。小夜はそんなことを考えながら、うとうとし始めていた。
 ここから小夜の身体に若干の異変が生じる。時間がゆっくりと進むような感じになるのだ。音がゆっくりと、人がゆっくりと、風がゆっくりと小夜に知覚されていく。まるで自分だけが悠久の時間の中に取り残されたかのように。
 そのとき、突如激しい、何かが弾けるような音がした。そしてその直後に、窓の上から下へと何かが落ちるのを小夜は目撃した。こんな状態だからこそ、それが何であるのかがはっきりと分かる。

――人。

 小夜は瞬時に微睡みから覚めて我が眼を疑った。まさか、この教室は四階である。その上から人が落ちてくるなんて信じられなかった。
 その人が落ちたとき、小夜はゆっくりと落ちるその人と目が合った。目が合ったからこそ、小夜にはその人が既に死んでいることが分かった。死人の顔がこんなにも苦痛で歪むものとは知らなかった。小夜はこのとき妙な違和感を覚えた。何かが状況と合っていないような気がしたのだ。だがこの一瞬でそれが分かるほど、小夜の頭はまだ冷静ではなかった。わずかな時間に大きな衝撃を残して、その人は小夜の視界から消えていった。
 クラスは火中に投げ込まれたように騒然となった。数人ではあるが人が落下していくのを目撃した生徒がおり、窓際に集まっている。小夜もがばっと席から立ち、窓際に駆け寄ろうとした。だが不意に鳴咽が漏れそうになり、それを抑えるのが精一杯で立ったまま動けなかった。だが今こういう状態になっても、誰も疑いはしない。誰だって、事件があれば興味を抱く。日常との違和に、様々な感情を抱く。不自然なことは何一つない。あるとすれば、事件が起きたということだけだ。
「何があった?」
「今の音は何!」
「人が落下した?」
 クラスでは様々な言葉が叫ばれている。それは隣りのクラスにまで波及し、グラウンドにいる生徒も悲鳴を上げている。その声は四階にまではっきりと聞こえてくる。日常は一瞬にして、非日常の闇へと転落していく。
 そのとき、小夜は背後に人の気配を感じた。振り返るとそこには、心配そうな顔で立ち尽くす明美がいる。
「――かな?」
 明美は手を口元にやり、何か呟いた。声が籠ったせいで聞き取れなかったため、小夜は聞き返そうとした。だが、小夜がそうするよりも前に、明美は多分同じ言葉を繰り返した。
「今のって……、B組の前木くんじゃないかな?」
 小夜はそのB組の前木純という生徒と仲はよくないが、顔と名前は一致する。しかし、先程はそんな余裕がなかった。ただその光景に圧倒されていた。小夜は明美からそれを聞くと、はっとして窓際に駆け寄った。誰が殺されたからだとかが気になるのではない。今このタイミングで死ぬということはつまり、彼も遊戯者であるということに他ならない。その確かな証拠が得たい。
 小夜は窓から一階を見ようとしたが、流石に四階からでは距離があり過ぎてよく見えない。それが誰なのか、何を身に付けているのかまでは判らなかった。小夜は渋々自分の席に戻った。そうして身を震わせているだけだ。これが、今小夜の身に迫るものであるということを実感して。
 直ぐに担任の先生が教室に入ってきて、席に着くように指示をした。その数分後には、二種類のサイレンの音が聞こえ始めた。警察と救急車。事故、自殺、事件。いずれにしても、学校側からすればあまり事を大きくしたくはないはずだ。だが、警察側からすればどれかはっきりしたいはずだ。こうなった場合、当然警察の方が力が強い。学校は、事件が起きた時間帯の詳細を問い質されるのだろう。
 これ以降は学校と警察のやり取りが続くため、小夜は事件あるいは事故の詳細を知ることは叶わない。なので自分で、独りで推理するしかない。だがそうは言っても、不確かな部分、小夜の知り得ないことは多い。今の段階ではそれが多すぎる。身動きの出来ない今ではそれも仕方がない。とりあえず分かっていることだけでも頭の中でまとめようと、小夜はそうして考え始めた。
 まず、時間。小夜が確認した限りでは、あのときの時刻は十二時四十五分頃だった。銃声もその直前にしたのを聞いていたから、多分その時刻で間違いないだろう。
 次に、場所。少なくとも、四階の三年C組よりは上の階のはずだ。C組の真上の五階の部屋は化学実験室になっている。昼休みに人がいることは稀だ。そしてその上は屋上になっている。屋上への扉は普段施錠されていて、人は入れないようになっている。今の段階では、どちらとも言い難い。
 次は、いわゆるアリバイ。事件は昼休みに起きたため、アリバイがある人とない人がはっきりと分かれるはずだ。だが、それこそ警察の仕事になる。第一、調べる人数が多すぎる。小夜が詳細を知ることは到底出来ないだろう。
 次は、凶器。銃であることに疑いはない。だが小夜があのとき見た限りでは、銃創も血痕も見当たらなかった。見えてなかっただけかもしれない。逆光だったためかもしれない。顔に意識が集中していたからかもしれない。だが、少なくとも犯人は銃を所持している。警察も直ぐに凶器を特定し、そこを重点的に調べるだろう。もし誰かから何かが見付かれば、小夜の耳に入るかもしれない。
 考え直してみると、所詮小夜は何も知らないのだ。蚊帳の外と言っても過言ではないくらいに。実際は当事者であるはずなのに、何も知らないまま恐怖が迫ってくる。無知は死に繋がる。小夜は今、情報に餓えている。

 結局どれほどの時間を待たされたのだろうか。事件について箝口を促す校内放送があった始めの内は、生徒も静かにしており、少し騒ぎ出すと先生も直ぐに注意をした。だが、あまりに拘束時間が長いために、先生も椅子に座ってしまい、生徒が話すのも野放しにしてしまっている。各人大きな声ではないが、クラスにはざわつきが戻っていた。そんな中で小夜は何も話せなかった。ただ身に迫る恐怖に怯え、今後のことを考えるばかりだった。
 もし誰かがg@meのルールに則って殺人をしたとして、事件が発覚すれば必ず警察沙汰になる。そうなった場合、いかにして自分が事件と無関係であるかを立証しなければならない。そうしたら、おちおち拳銃など持って来られるはずはない。あるいは全て警察に話して、身辺を警護してもらうか。小夜はそうも考えてみるが、直ぐにその考えは却下された。警察がそんな話を真に受けるとは思えないし、実際警察がどこまで小夜達を守り切れるかなど、確証が持てない。
 ガラッという音がして、教室の扉が勢いよく開けられた。その瞬間、クラスはしんと静まり返る。小夜も顔を上げると、教室に入って来たのは五人の男の人だった。学校に通い始めてから、小夜はこんな人達を見たことがなかった。それはつまり、学校関係者ではないということ、つまり、警察関係者だということだ。
 小夜の予想通り、その人達は一斉に警察手帳を広げて見せ、自分達の身分を証明してみせた。そして、少し急いでいる様子で話し始めた。
「知ってのこととは思いますが、先程B組のある男子生徒が落下されました。今現在凶器が見付かっていないので、皆さんには申し訳ないのですが、持ち物を調べさせてもらいます」
 警察の一人がそう言うと、順々に生徒達の持ち物を調べ始めた。今の言い方は迂濶だな、と小夜は思う。これで明らかに警察はこれを「事件」と断定したのだ。
 つまり、殺人。
 つまり、g@me。
 生徒達は緊張して身を強張らせながらも、大人しく自分の持ち物を見せている。生徒の中には、漫画やCD、果てはいかがわしい物など、校則に反する物を持っている生徒もいたが、警察は事件に関係ない物には興味がないようで、先生もこの状況下では取り上げることも出来ないでいる。
 そして、小夜の番が回ってきた。小夜はこのとき何の心配もしていなかった。見られて困る物など持ってきてはいない。遊戯者の証であるカードだって、上手く隠してある。それが見付かる心配もないし、見付かってもどうとでも言い訳は出来る。
「ん? これは何だ?」
 だが警察の者が怪訝な様子でそう言ったときには、流石に小夜もどきりとした。そんな、疑われるような物など持ってきただろうか。しかし、警察の人が手にしているのは誰でも持っていそうな物で、逆に小夜はぽかんとしてしまう。何故そんな物が気に掛かるのだろうか。
「何って、見て分かりませんか? チェーンです。先に家の鍵が付いてるでしょう?」
 いつも家に入るときは、鞄から伸びたチェーンの先に付けた鍵を使っている。何も不審なことなどない。ごく普通なことだ。警察の人もそんなことは分かっているようで、直ぐにそれを戻した。その後小夜の持ち物検査は何事もなく終わった。小夜は少し不愉快な気持ちと、不思議な気持ちを抱いたが、やはり安堵の気持ちが強かった。
 一人一人の荷物を調べ終わると、警察の人達は今度はロッカーの中を調べ始めた。鍵が付いていないこのロッカーは、大抵の生徒は下靴入れとしてしか使っていない。ごく少数の生徒がオキベン用に使う程度だ。そのため、直ぐに調べ終わった。
「ご協力ありがとうございました。今回のことで何か気付いたことがありましたら、直ぐに警察の方に連絡をして下さい」
 そう言って、警察の人は教室を出ていく。直後、隣のクラスの扉が開けられる音が聞こえた。こうやって順々に回って来たのだろう。警察とは大変なものだと、小夜は他人事のように思った。

 結局、全クラスで持ち物検査が済むまで、教室で待機ということになった。事件が起きたのが一時十五分前。そしてようやく解放されたのが四時過ぎだ。三時間もの間座り続けていたことになるので、小夜もさすがにお尻が痛くなっていた。それは他の生徒も同様で、立ち上がるときに腰の辺りを押さえる生徒が何人も見受けられる。小夜はちらと松永の方を見やった。このクラスで今一番身に危険を感じているのは間違いなく彼だろう。事実、松永の顔は死人のように青ざめている。彼が朝とった言動が、自殺行為であったことに気付いたのだろう。だがそれももう遅い。少なくとも、小夜は彼を殺すことが出来るのだ。やる、やらないの問題はあるが。
 それをも考えると、いくら軽率だったとはいえ松永が気の毒に思えてきて、小夜の気持ちは暗くなっていく。
「明美、帰ろ……」
 小夜はいつも通りに明美を誘った。こんな時に頼れるのは、親友の明美だ。彼女といれば、少なくとも暗い気持ちは薄らぐ。
「ごめん、小夜。今日、私ちょっと用事があるの。本当にごめんね」
 明美はそう言うと、急いで帰ってしまった。小夜は教室に独り残された。小夜の気持ちはますます塞がってしまった。
 里沙を誘おうかとも思ったが、違うクラスの里沙がまだ教室に居残っているとは限らない。受験生である中三の生徒が、訳も分からぬ事件で時間を取られるのは非常に不本意である。誰もがその時間を惜しむはずだ。結局小夜は独りでとぼとぼと歩き始めた。
「桜井、先生が呼んでるってさ」
 後ろから声が掛かったので、小夜は振り向いた。同じクラスで成績が学年トップの兼森悟志が廊下の方を親指で差している。小夜には心当たりがなかったが、少しだけ胸が高鳴った。それは先生に呼ばれたからという理由だけではない。表には決して出さないし明美にすら打ち明けてはいないが、小夜は兼森に片想いをしている。
「私? 何だろ」
 小夜は帰り支度のままとぼとぼと歩き出した。職員室に行くため階段の方に歩いていくが、何故か兼森もついてきている。小夜の動悸は激しくなるばかりだ。職員室は一階にあるが、そこに着くまでがとても長く感じられる。
 そして、緊張に身を強張らせていた小夜が職員室の前まで来たところで、中から大きな声が聞こえてきた。声からすると、おそらく教頭先生の声だ。
「生徒四人が拳銃を所持していたとは一体どういうことだっ!」
 その会話を聞いた途端、小夜は身体をびくっと反応させてしまった。やはり、小夜が恐れていた事態は起きてしまったのだ。だが小夜は直ぐに我に返り、自分の後ろには兼森がいることを思い出した。そして、不審感を抱かせないように毅然とした態度を取った。
「失礼します」
 数回扉をノックして、小夜は職員室に入った。そしてその瞬間、職員室にいる教員全員の視線が小夜に注がれるのを感じた。小夜はその視線に気圧されてしまい、声が出せなかった。
「吉井先生に呼ばれたんですけど」
 声が出せないでいる小夜の後ろから、兼森が助け舟を出してくれた。小夜は驚いた表情で兼森の横顔を見て、直ぐに視線を戻した。今にも胸が張り裂けそうなほどに拍動が激しい。
 当事者である吉井先生は、思い出したように席を立った。そして頭をぽりぽりと掻きながら、二人の方に近寄ってくる。まだ若い先生だというのに、どうも言動におじさん臭い所がある。それは彼が化学の先生だからだろうか。しかも、日頃は冷静で気障な部分があるからこそ、そのギャップは見ていて面白い。だからクラスの生徒にも人気がある。
「そういえば呼び出していたね、君らのこと」
 どうやら本当に忘れていたようだ。吉井先生は、職員室の他の教員達とは遠い所に二人を連れて行き、座らせた。小夜には思い当たる節がない。しかも、兼森と一緒ともなればなおさらだ。
「二人とも忙しいのは分かっているんだが、君ら去年文化祭の実行委員だったよね? それで、去年やってて気付いた、改善すべき点などを今年の実行委員に教えてやってほしいんだ。無理にとは言わないが、時間に余裕があったら、私経由でいいからよろしく頼むよ」
 小夜はそれで思い出した。小夜と兼森の接点にはそれがあった。小夜が兼森を気にし始めた原因。それは文化祭の実行委員で一緒になったことだ。あのときのはっきりと意見を言う兼森の印象は、今でも強く残っている。小夜は一つ胸のつっかえが取れた気がした。小夜は吉井先生のお願いを一先ず引き受けて、退出しようと席を立ち上がりかける。だが、そんな小夜を引き止めるかのように、兼森が口を開いた。
「先生、さっき教頭先生が言っていたことは本当なんですか?」
 退出しようと立ち上がりかけた小夜も、見送ろうと立ち上がりかけた吉井先生も、出端を折られたかのように驚きの表情を見せた。兼森は真剣な顔付きでじっと吉井先生を見据えている。だが、それも当然の反応と言えるかもしれない。学校の生徒が銃で殺され、そして同じ日に生徒四人が拳銃を持っているという情報を聞いているのだ。気にならない方がおかしい。
 吉井先生は、兼森の表情と小夜の表情を見較べた後、嘆息をついて再び席に座り直した。兼森の気迫に観念したかのようにも見えた。そして、吉井先生は声を潜めて話し始めた。
「誰にも言うなよ。……実はな、一年生で二人、二年で一人、三年で一人、所持物検査のときに拳銃を持っていることが判明したんだ。警察はそれを押収して、その生徒らは事情を聞くために警察署に連れていかれた」
 小夜は胸がドクンと鳴るのを感じた。もし昨晩判断を誤っていたら、今頃は小夜がそうなっていたのだ。おそらく事件の最重要人物として、長い期間を警察の事情聴取とやらに費やされるのだろう。それは必然的にg@meからの離脱を意味する。思えばそれはある意味一番利口な策なのかもしれない。家族も人質に取られている以上、自らの保身のみを考えるならば、の話になるが。
 小夜と兼森はその後職員室を出て、何故か一緒に玄関口の方に向かっていた。小夜は事件を、g@meのことを考えるので手一杯で、兼森が隣にいることも意識しなくなっていた。玄関口にはB組の生徒とE組の生徒が一緒にいるのが見える。
「桜井はさ、」
 突然兼森が小夜に話し掛けてきたので、小夜は驚いて直ぐに意識と視線を兼森の方に移した。兼森は少し神妙な顔をして、続きを言った。
「桜井は今日の事件、どう思う?」
 事件のことに絞ってあるとはいえ、質問の内容があまりに漠然としているため、何を答えればいいのか小夜にはよく分からなかった。だがそれでも、答えるべきことを慎重に考え、兼森の質問に答えようと口を開く。
「どうって……、犯人なら拳銃を持っていたっていう四人の誰かじゃないの?」
 小夜はそう答えてはみたが、実は何の答えにもなっていないことには気付いている。こんなこと、吉井先生の話を聞けば誰にでも分かり得ることだ。昨晩拳銃について調べた際に、銃刀法についても調べてみてある。
 正式名称は銃砲刀剣類所持等取締法。「銃砲」に関して言えば、拳銃や小銃などの、金属性弾丸を発射する機能を有する装薬銃砲及び空気銃の事をいう。
 拳銃等の発射の場合、無期または三年以上の有期懲役。
 拳銃等の所持の場合、一年以上十年以下の懲役。
 だが犯人が未成年の場合、特に十四歳未満の場合はこの限りではないようだ。
 そこまでは小夜は知っている。だが、今兼森が聞きたいことはそんなことではないはずだ。それは分かっていても、何も分からないからこう答えるしかなかった。
「そう……。ならいいや」
 兼森は静かにそう言った。小夜は兼森の横顔を見た途端、はっとして立ち止まってしまった。自分の失言に気付いたからではない。そんなことではないのだ。小夜は確かに、兼森の目に失望の色を見た。小夜が立ち止まっても、兼森は立ち止まらずに歩いていく。そして小夜は独り取り残された。小夜は呆然としたまま立ち尽くした。
 兼森は小夜に何を期待していたのだろう。
 兼森は小夜の何に失望したのだろう。
 小夜は何も分からないまま、また静かに歩き出し、とぼとぼと家路についた。小夜の気持ちは沈むばかりだ。この状況を打開するのに必要なのは、洞察力、推理力、判断力、決断力、実行力、その他諸々、まるで殺し屋にでもなれそうな物ばかりだ。そうして殺し屋に仕立て上げられた後、一体何が残るのだろうか。
 小夜は家に帰ってからも、勉強をする気は全くなかった。まずパソコンを着け、マウスを動かしてインターネットに繋いだ。主催者に言われた八時にはなっていないが、既に何か更新されているかもしれない。直ぐにアドレスバーにアドレスを入力する。わずかな待ち時間の後、画面が切り替わりg@meのホームページへと移動した。小夜は初めてこのページにアクセスするが、表面上は普通のサイトだ。数多の個人サイトと何ら変わりのない、見たところごくありふれた物だ。そして表面に飾られている文字や絵にも、g@meを臭わせるような物は何一つない。
 トップページ、ギャラリー、日記、掲示板、リンク、その他。どれを見ても不自然な物はなかった。日記を見てみると、それは二年も前からほぼ毎日つけられている。もしかしたら元々あった誰かのサイトを改修したのかもしれない。日記を見る限りではそこに書かれている言葉は女性口調だが、これだけでは断定は出来ないし、そんなことをする意味もない。
 必要なのは、情報。
 小夜は掲示板を覗いてみた。だが、書かれていることはg@meとはまるで関係のない、芸能の話、流行の話などだ。小夜は少し困惑した。いくら擬装しているとはいえ、肝心な物が見付からない。これでは本当にただのサイトだ。小夜はメモしていたアドレスとウィンドウに表示されているアドレスとを見比べた。一文字ずつ目で追っていっても、間違いはない。
「ここで間違いないはずなのに……」
 小夜はマウスを動かし続け、目的に適いそうな物を探し続けた。そして、小夜が散々探し回り、最後と思ってリンクの所を見てみると、数々のサイト名とバナーの一番下に目的のものがあった。サイトの簡易な説明の所には何も書かれていない。バナーにはただ、赤い背景に黒い文字でサイト名のみが記されている。
「g@me……」
 小夜は確信してそれをクリックした。すると、画面が切り替わり、パスワード入力画面になった。その画面には四角い枠と、その横に「入力」のボタンがあるだけで、あとは薄い赤色の背景が広がるだけだ。小夜はパスワードなど知らない。また詰まってしまった。
「これくらい厳重でなければいけない内容だものね」
 納得はするが、これではここまで来られない遊戯者だっているかもしれない。小夜もここで手が止まってしまっている。先程の表面上のサイトでは探し回っている内にリンクにまで行けたが、ここでは探し回る場所すらない。この画面以外には、何も。
 どうしたらいいものか、小夜はマウスを画面の上から下まで動かしていき、どこかクリック出来そうな所がないかを探していくが、一向に見付からない。
「闇雲にマウスを動かしてたって見付かりっこないわ。g@meの主催者だって、この先のページに行けるようにはしてあるはずだわ。そうした場合、どうするか……。私ならどうする?」
 小夜は自問して少しの間考えてみた。この単純な構造のサイト。先に進むにはパスワードを入力するしかない。そして、まだ遊戯者の誰もパスワードを知らない。ならばパスワードを教えようとするだろう。だが、直接パスワードを教えてしまっては関係のない者が入り込む可能性がある。それを回避するためには、ヒントのみを提示するのが最も得策だろう。遊戯者しか分からない、知り得ないヒントを提示する。そう考えるなら、やはりこのページ上のどこかにヒントが隠されているはずなのだ。ではどこに隠すか。遊戯者にしか分からないようなヒントなら、そこまで用心深く隠す必要はない。ただ、それこそ「隠す」程度でいいのだ。そこまで考えて、小夜はある可能性に勘付いた。
「もしかしたら」
 小夜はマウスをページの左上まで持って行き、クリックした。そして、指をマウスに乗せたままカーソルを右下まで移動させた。いわゆるドラッグという操作だ。そうしてみると、画面上にある文字が浮かび上がってきた。背景色と同じ色で文字が書かれているため、一見すると一色しかないように見える。だが、そこには確かに文字が隠されている。小夜はそのヒントを目で追った。
「――番号姓名」
 入力欄の真下には、ただそれだけがヒントとして記されている。小夜はそのページの至る所でドラッグしてみたが、結局文字が書かれていたのはここだけだった。だが、これさえ分かれば充分だ。これならば確かに遊戯者にしか分からない。番号と名前を一致させて入力するなど、奇跡が起きても不可能だ。
 小夜は入力欄に「26桜井小夜」と打ち込むと、ボタンをクリックした。認識する時間を空けてから、画面が切り替わる。そのページを見た瞬間に小夜の脈拍は強く早くなった。興奮と緊張が小気味よく身体に伝わっていく。
 黒い背景のページの一番上に、大きな赤い文字で「g@me」と書かれている。ページの構造は、トップ、掲示板、告知、メール、となっている。その文字が書かれているだけで、他には何もない。だが、この殺風景さが殺伐さを生み、そして雰囲気を醸し出す。自分がg@meの渦中にいるのだという事実を実感させる。
 ページの雰囲気に圧倒されていた小夜は、まず掲示板を覗いた。既に書き込みがあるかもしれない。掲示板のルールとして、ハンドルネームは自分の番号にすること、g@meに関係ないことは話題にしないこと、完全な匿名性を徹底すること、と書かれている。微かな期待とともに覗いてみたものの、まだ誰の書き込みもなかった。
 そもそも、こんな掲示板に最初に書き込む人の気が知れない。何を話そうというのか。情報を得ようとすれば、それが相手にもバレて警戒されてしまう。言葉の上での一見すると友好的な会話も、裏では食うか食われるかの熾烈な心理戦が繰り広げられるのだ。この掲示板は本当に仕方のないときだけ使用しよう。小夜はそう心に決めた。
 小夜は次に告知のページに飛んだ。おそらく主催者の言っていたことから察するに、毎晩八時に更新されるのだろう。だから、今行ったところで無駄だと小夜は思っていた。だが、小夜の予想に反し、既に一件だけ更新されていた。時刻はつい今し方。ページ上には更新日時とその題名が書かれている。

Wed. Jun. 19th 16:30 "the First d@y"

 初日と銘打たれているが、小夜が気に掛かったのは時刻の方だ。四時半といえば、学校から解放されて丁度家に着くかどうかという時間だ。小夜はとりあえずその項目をクリックした。これを聞かないことには、情報を得たとは言い難い。新しく別のウィンドウが開き、無色のページに移る。そして、音声が再生され始めた。どうやら、こちらからは再生も一時停止も早送りも、とにかく一切の操作は出来ないようだ。
 そうして忘れもしない、忌まわしきあの声が聞こえ始めた。

『どうだったかね、g@meの初日を終えてみて。実に面白い見世物があったではないか。しかも逮捕者が四人も出るとは。こちらの思惑通りの展開だよ。校内放送で箝口令が敷かれていたようだが、いずれ皆の知れるところになるだろう。だが、君達が命を懸けてg@meをしているというのに、彼等だけが先に下りて安全な場所にいるというのは、実に不公平だとは思わないかね? だから彼等には罰を与える。』

 小夜は息を飲んだ。この主催者は今日学校で起きた全てを知っている。いや、むしろ全てが計画通りに進んでいるのだから、今日の出来事は既に決定事項のようなものだったのかもしれない。そして、罰。この言葉が意味することは、おそらく死だろう。命を懸けたg@meに見合う罰は命しかない。小夜は背筋がぞっとした。勝ち続けなければ、そこに待つものは死だけなのだ。

『今までは半信半疑だったかもしれないが、これではっきりしたはずだ。これはg@meではあるが現実であると。今日死んだ遊戯者は23だ。それから、g@meを降りることになった、5、6、9、30の逮捕者四人には近い内に制裁を与えよう。残る遊戯者はあと二十五人。君達には引き続き殺し合いを続けてもらう。』

 そうして主催者の声は聞こえなくなり、数秒後にはウィンドウが自動的に閉じてしまった。再び項目をクリックすれば何回でも聞けるようだが、その度に最初から全部聞かなければならないようだ。
 とりあえずg@meのページを全て見て回った小夜は、ウィンドウを閉じてパソコンの画面から目を逸らした。そして、兼森の失望の表情を思い起こした。あのとき、小夜はどうしていれば良かったのだろうか。どう返答するのが最良だったのだろうか。小夜はもう一度初めから考えてみることにした。
「警察は凶器を探していたから、自殺でないことは確かだわ。そして、凶器を持っていたのだから、容疑者は四人で間違いない。じゃあそこから犯人を絞るために必要な物は――アリバイ」
 小夜は顎に手をやり、下を向く。ぶつぶつと独り言を溢しながら、頭の中を整理していく。何かが引っ掛かる。漠然としてはっきりしない違和感が、小夜の手から逃げるように浮遊している。小夜はそれを捕まえようと、今までに得た情報という道具を使用して思考を続けた。
「そういえば、最後の一人の番号は30。単純に番号が振られているのだとしたら、これは明らかに三年生の数字よね。しかも最後の数字だから、おそらくE組。なら当然その人のアリバイを警察は調べるはず。そのためには、少なくともE組の生徒も一緒に調べるはずよ。なのに、私が帰るとき玄関口でE組の生徒を見掛けたわ。ということは、アリバイを聞くような事情聴取はされなかったということになる」
 アリバイを調べるのに、被疑者の証言だけで断定することは有り得ない。第三者的な立場にいる人の証言が絶対に必要になる。にも関わらず、今回はその裏付けを取るような捜査がなされていないのだ。
「一体、どうして……?」
 小夜は俯く。頭の中のわだかまりが解けそうで解けない。小夜は頭の回転を早くさせた。自分でも意識出来るほどに、今の小夜は頭を使って考えている。こういう場合に考えられそうなことを、何とか捻り出していく。有り得そうにないことでも、頭の中に列挙していき、足したり引いたり組み合わせたり改修したりしていく。そして、しばらくの思考の果てに一つの答えに行き着いた。
「必要が、なかった……?」
 行き着いたのはいいが、あまりその推理に自信が持てない。なので、小夜はパソコンに向かい直ると、自分の推理に確信が持てるように調べ事を始めた。必要な情報を、要領よく集めていく。
「警察はアリバイが無意味だと分かっていたから、聞かなかった。そして、アリバイが必要でない、そんな状況は一つしか考えられない。それは、犯行時間も死亡推定時間も特定出来ないような場合」
 そして一つの確信を得た。小夜が、死んだ前木を見たときに感じた違和感もこれでようやく解消される。
「もし拳銃が凶器だとしたら、間違いなく十二時四十五分頃に犯行が行われたはず。でも、その時間に犯行は行われていない。つまり、凶器は拳銃ではない。しかも、転落による死でもない――」
 小夜は先程調べたことを思い返した。通常、死亡推定時刻を調べる際には、死後硬直や死斑、直腸温度などでおおまかな時間を推定する。だが、それすらも出来なくなる状況はある。それが夏の外気、そして落下である。今は六月といえど、朝から大分気温は高い。外気が高ければ、本来死亡した後に冷めていく遺体の温度はその速度を緩めて曖昧になる。さらに、死亡して血液の循環がなくなることで血が身体の下の方に溜まっていく死斑も、落下の際の衝撃によりひどく曖昧なものになってしまう。
 つまり、落下した十二時四十五分の直前に殺されでもしない限り、アリバイという物は何の意味も持たなくなるのだ。落下の前の何かの破裂音も、その落下自体も、爆竹やら何やらを使えばその場にいなくても実行は可能だ。
 ここで問題になるのは、では何で殺したかということだ。小夜の記憶では、落下のときには前木に外傷はなかった。だが、それはあくまで前面の話だ。背中側に外傷があったとしても、あのときの小夜には見ることは出来なかった。
「凶器が全て許容されるとして、考えられる殺し方は、と」
 小夜はパソコンで殺害方法を調べ始めた。中学生でそんなことを調べる人など、滅多にいたものではないだろう。もしいたら、かなり危険だ。小夜は今、その「危険」な人なのだ。粗方調べ終えたところで、再び熟考に入る。
「今調べた限りで考えられるのは、考えにくいけど側面からの銃殺、背面からの撲殺及び刺殺、毒殺、絞殺……」
 小夜はこれらの方法と事件当時のことを鑑みてみる。小夜があのときに見た限りでは、血らしい物は何も見えなかった。トリックで落下したとしたら、長時間屋上に吊されていたことになる。その間、血が滴っていた、というのは考えづらい。人に発見される可能性が非常に高くなるからだ。このことから、出血を伴う前者の三つは消せる。
「……普通の中学生が毒物を入手するなんてこと、出来るのかしら」
 次に、小夜は入手の容易さという点から毒殺を除外しようと考えた。だが、一つ忘れていたことがあった。落下してきたのは、屋上か化学実験室なのだ。もし化学実験室の方だとしたら、そこには様々な薬品がある。それこそ塩酸や硫酸、果てはシアン化カリウムまであるだろう。劇物でも何でも、入手は可能だ。
 もしも毒物で殺されたのだとしたら、当然死体からはそれが検出される。中学生が思い付くような毒物なら尚更だろう。そうした場合、検出された薬物にもよるだろうが、学校という場を考えれば間違いなくまず化学実験室の薬品を調べるだろう。事件から三時間も経っていれば、それくらいのところまではきっと行き着いているはずだ。そして、そのときには必ず化学の教員が先導することになるはずだ。いくら警察官が捜査するとはいえ、どこに何が保管されているかなどは知りようもないからだ。だが、吉井先生は職員室にいた。それに加えて、小夜が職員室に行くまでの間に、警察関係者は誰もいなかった。吉井先生は化学の薬品の管理を一手に担っていたはずだ。警察が調べるというのに呼ばれないはずがない。つまり、化学実験室は、少なくとも薬品に関しては捜査の対象になっていなかったということだ。
「となると残るは――、絞殺」
 結局、消去法で殺害方法が分かってしまった。今となっては知る由もないが、もしかしたら兼森が期待していたのはこれだったのかもしれない。そうして考えてみると、兼森は吉井先生が職員室にいた時点で毒殺でないことを見抜き、そして玄関口でE組の生徒を見た瞬間に殺害方法を見抜いたことになる。小夜には信じられないほどの洞察力、そして推理力だ。g@meをしていく以上、それくらいの力は必要になっていくだろう。
 小夜は殺害方法が推理出来たことで少し気持ちに余裕が出来た。椅子に寄り掛かり、視線を天井に向ける。ぼうっとしている内に、ある疑問が頭に浮かんだ。
「あれ? そういえば……」
 小夜は身体を起こすと、部屋のドアの鍵を閉めてクローゼットを開けた。そして、奥に仕舞い込んだ重々しい木箱を取り出して中を覗いた。あまり見たくはない物がその中に横たわっている。黒い金属光沢を放つ、非日常の象徴――拳銃だ。
 だが、今小夜が気になっているのはそれではない。小夜は拳銃を取り出し、弾丸を取り出し、綿を取り出した。箱の中身はそれで全部。肝心な物がない。
「――絞殺に使ったはずの紐状の物が、無い」
 小夜はいよいよ慌て始めた。これがどういうことを意味しているのかが、まだ理解出来ない。自分の推理が間違っていたのかと小夜は疑ってみるが、自分の推理に落ち度は見られない。絞殺するのに素手で、ということは有り得なくはない。だが、相手は中学三年生。たとえ犯人が大人だとしても、抵抗されれば手だけでは頼りない。普通なら、絞殺には紐状の物質を使うのが常套手段だ。素手では死体に手の痕も残ってしまう。今日の事件の犯人はひどく用意周到だった。だとしたら、そのような証拠が残るようなやり方はしないはずだ。
 あるいは、拳銃で殴打して気絶させてから絞殺したのだろうか。これならば、拳銃も殺しの手段として使用したことになる。一応納得のいく説明にはなるが、やはり腑に落ちない点もある。犯人は何故絞殺を選んだのか。死体の落下が、犯行時間推定の撹乱を意図したものだとしても、拳銃での撲殺で充分だったのではないか。
「いや、撲殺したら少なからず出血する。それを長時間放置していたら乾いてしまう。それに返り血を浴びる可能性も否めない」
 結局、あの状況での最良の殺害方法は絞殺以外に有り得なかったという訳だ。小夜はこのとき唐突に違う思念が浮かんだ。主催者の言った通りだとしたら、殺された前木は確かに遊戯者の一人だった。そして、彼が遊戯者だと分かったからこそ、小夜は犯人も遊戯者だという確信を強めたのだ。ではその根本から違うとしたら。
「もしも犯人がg@meとは全く関係のない人物だったとしたら――。犯人は従うべきルールなど一切ない、ただの殺人者に過ぎないわ。そうよ、主催者だって『面白い見世物があった』としか言ってないわ。……でも、今のままじゃ何も分からないわ」
 小夜は一先ず思考を止めた。今日の件についてはこれくらいで充分だろう。いつの間にか七時を過ぎている。小夜は息抜きもかねて夕飯のために一階に下りることにした。夕飯後は、明日以降のことを考えなければならない。なにせ、猶予は三日しかないのだから。それまでに何かしらの対策を立てておかなければならない。
 夕食中も、小夜は家族との会話にはずっと上の空だった。ただひたすらにg@meのことばかりを考えてしまう。そんな小夜の様子を家族も心配はしたが、受験と今日の事件によるものだと上手く勘違いしてくれてあまり深くは問われなかった。後者の方は事実だが、厳密には違う。小夜は被害者の立場ではなく、当事者なのだから。前提が根底から違っている。そして、食事中も小夜が考えていたことは、もし今日の事件が遊戯者によるものではないとしたら、実際に残されている時間はあと二日しかない、ということだった。松永という予備はあるが、一人だけのストックでは心許ない。早急に遊戯者を割り出さねばならない。
 部屋に戻った小夜は、部屋のドアを閉めてベッドに倒れ込む。身体に蓄積された疲れがどっと溢れてくる。昨日今日であまりに多くのことが起こり過ぎた。これからはそれが毎日のように続いていくのだ。小夜は先行きの不安を感じざるを得ない。
 僅かの間目を閉じて、深呼吸をする。そして、小夜は目を開いて勢いよくベッドから起き上がった。小休止はここまでだ。また頭を使わねばならない。
 全ては自分のため。
 全てはg@meのため。
 全ては生き残るため。
「よし!」
 小夜は気合を入れ直した。
 次に考えることは、いかに自然に遊戯者を割り出すかだ。おそらく他の遊戯者もしばらくはそれについて考え、行動するだろう。こういう漠然とした人探しのときには、やはり人から聞いたりするのが常套手段なのだろう。だが、その人に聞くという方法も、何を尋ねればいいのかが問題になってくる。あまりに不自然だったり、逆に核心を衝くような質問はかえって不審がられる。それに、そもそも対象が多すぎる。全校生徒はだいたい五百人余り。その五百人の中から自分を除いた二十四人を探さなければならないのだ。手当たり次第に質問をしていっても、見事に当たる可能性は五パーセント以下だ。そんな低い可能性に賭けるのは、あまりに無謀というものだ。
 それではどうするのがいいか。要は手掛かりがあればいいのだ。可能性を上げるためには、僅かでも手掛かりが必要になる。そして、その手掛かりは既に小夜の手中にある。
「私の番号は26。松永も遊戯者の一人で、しかもC組だからおそらく番号は27。一つのクラスに三人以上いることは考えづらいから、D組とE組に番号28と29がいるはず。E組には逮捕者が一人出たから、もし29がE組なら、その遊戯者は少なからず動揺しているはず。しかも、他の遊戯者を探さなければならないから、気が気でないはずよ。……明日ちょっと覗いてみて不審な動きをしてない人がいないか調べよう」
 小夜は明日の大まかな計画を立てた。といっても、ただいかに不自然なくE組に行くかの口実を考えただけなのだが。そこまで考えたところで、小夜は別のことに気付いた。他の学年はともかくとして、同じ三年生なら小夜と似たことをしようと考えるかもしれない。そうした場合、一気にE組に遊戯者が集結する可能性が出てくる。下手にE組に行ったら、それだけで特定されてしまうかもしれない。
「ああ、もうっ! どうしたらいいのよ?」
 小夜は少し目を瞑った。頭が少し混乱している。まるで頭の中で考えが飛び回っているかのようだ。このg@meでは冷静な判断が出来るだけの心を保っていなければならない。焦燥感に駆られて迂濶な行動をしたら、それだけで命取りになる。そして小夜は目を開ける。頭に上っていた血が冷めたのを感じる。
 もう一度、そのことも踏まえて考え始めた。人が集まるということは、それだけ遊戯者を絞り込める可能性が増えるということだ。それは小夜がいてもいなくても変わらない。つまり、明日小夜がE組に行かなかったとしても、誰かが勝手に遊戯者を絞ってくれるかもしれないということだ。可能性としては五分五分かもしれない。だが、自分に掛かる危険性を考えてみたら、当然自己を優先するように動かなければならない。こういうとき、初動は何よりも大事だが、今の小夜には一人ではあるがストックがある。つまり、いざとなれば小夜には五日、あるいは六日の猶予があるのだ。それは僅かではあるが小夜が遊戯者の中で優位に立っていることを意味する。その事実は、小夜の心を幾分安心させた。
「……とにかく明日は松永の様子を見ておこう。それで、不自然なくE組に行けるようなら、行ってみる」
 もしも松永が何かをして、それで彼が遊戯者であることがバレでもしたら、小夜に与えられる猶予期間は変わりはしないものの、胸中の不安感は確実に増大する。何より、また一から探し始めなければならないのだ。そうなった場合、小夜はきっと動揺しているだろう。その気持ちの揺らぎが墓穴を掘る羽目になりかねない。だから、松永が何か妙な動きをする前に、それを阻止する必要がある。
「うん、これが私にとっての最善なのよ」
 小夜は自分にそう言い聞かせた。自分の優位を確認し、自分に自信を持たせる。それがいかに精神状態を楽にさせるか、小夜は改めて実感した。
 小夜は明日の対策を考えると、それで今日はやめることにした。これ以上何を考えても、堂々巡りになるだけなのは容易く予想がつく。勉強などもはや思考の片隅にもなかった。小夜はg@meを生きるのだ。
「あ、そうだ。忘れてた」
 小夜は再びパソコンに向き直ると、g@meのページに飛んだ。確かめなければならないことがある。もしもこれの確認が取れたなら、いくつか分かることがある。同時に、謎が増える可能性もある。
 小夜はg@meのページにあるメールの項目をクリックした。少ししてからメールの新規作成ウィンドウが開かれた。アドレスは既に入力されている。
 g@me.XXXX.XXX.jp
 実に分かりやすいメールアドレスだ。小夜は微笑してから、用件を書き込んだ。なるべく分かりやすく、こちらに非が無い様な尋ね方で。
 返信はいつになるのだろうかと考えながら、小夜は送信のボタンにカーソルを合わせた。今更だが、もう後には退けないような気がして、マウスに乗せた手が汗ばみ始めている。そして、小夜は息が詰まるような思いで送信ボタンを押した。このメールは一瞬にして相手に届く。どういう結果が待つのかはまるで分からないが、今までのようにただ受け取るだけでは生き残れはしないのだ。自分でg@meを動かすくらいの意気でやらなければ殺されてしまう。
 とりあえず今日やるべきことはやったと、一安心した小夜は一応学校の準備をしてから直ぐにベッドに潜り込んだ。目を閉じると、直ぐにでも今日起きたことが思い返された。だが前木の死、そしてg@meの開始という事実が遠い過去のように思えるほどに今日は様々なことがあり、様々なことを考えた。小夜はこれまで、この日ほど一日が充実したと感じる日はなかった。充実の方向は普通ではないが、死と隣り合わせになったことで初めて、生が実感出来たような気がした。これからはその生が続いていくのだ。小夜の心はいつの間にか弾んでいた。明日の計画は抜かりなく立っている。
 小夜は自然と深い眠りに落ちていった。



 翌朝、小夜の目が覚めたのはいつもの時刻にセットした目覚ましが鳴る前だった。前と言ってもほんの二分前なのだが、小夜にとっては初めてのことだった。心做しか気分も含めて体調がいい。小夜はカーテンを開けて朝の陽射しを浴びると、意気揚々と一階に下りていった。
「おっはよー!」
「あら小夜、早いわね。いつもは起こしても起きないのに」
 一階では既に母親が朝食とお弁当の準備をしている。父親はまだ起きていないようだ。小夜は母親に皮肉を言われたことにも気付かず、ご機嫌な様子で食卓についた。
 中学に入ってから、これほどに朝の気分がいいのも初めてだ。朝が苦手な小夜が一人で起きてきたことに驚いていたのか、母親の手は少しの間止まっていたが、直ぐに朝食を卓まで運んできた。
「やあね、台風でも来るんじゃないかしら」
 母親の皮肉はまだ続いていた。しかし、今の小夜にはそんな言葉は耳に入らなかった。入ったとしても、直ぐに通り抜けていくだけだ。小夜はテレビを見ながら朝食に手をつけ始めた。最近は寝坊ばかりで、まともに朝食を食べていなかったので、とても久し振りな感じがする。そして、毎朝ご飯を作ってくれている母親を、ありがたく思った。
 テレビに意識を集中して見ても、まだ昨日の事件は報じられていない。小夜の見ている時間帯のせいなのかもしれない。実際には、既にどこかの新聞社などが嗅ぎつけているかもしれない。そんな曖昧なことも、今日学校に行けばきっと分かるだろう。
「ごちそうさま」
 朝食を食べ終わる頃には、小夜はいつもの調子に戻っていた。食器を流しに持って行くと、歯を磨き、制服に着替えるために二階に上っていく。時間を確認しても、まだ明美が来る時間には余裕がある。急ぐ必要がないことに逆に戸惑いを感じてしまった。そんな自分が何だか少しおかしかった。
「いってきます!」
 小夜が準備をし終えて家を出たのは、待ち合わせの時間よりも前だった。その頃には父親も起き出しており、早起きをした小夜を見て驚いていた。流石にむっとしたものの、今は軽い足取りで初めて明美の家に迎えに行く。
 明美の家の呼び鈴を鳴らして、小夜は中から明美が出てくるのを待った。この家の呼び鈴を鳴らすのは何年振りだろうか。小夜は若干緊張していた。何せ初めて、ではなく久し振りなのだ。小学生のときに明美は何度か風邪で学校を休んだことがあった。そのときは、小夜が明美を迎えに行ったものだ。
 小夜が昔のことを回顧していると、明美の家のドアがそっと開いた。そのドアから出てきたのは、だが明美ではなく、小夜の思いも寄らない人物だった。
「あら、小夜ちゃん。おはよう」
 小夜の目の前には、スタイルの良い綺麗な女性が立っている。小夜は一瞬誰だか分からなかったが、直ぐに思い出してはっとした。昔はよく一緒に遊んでもらっていた。この人は明美の姉で、名前を里美と言う。確か大学の三年生だったはずだ。
「おはようございます。……えと、明美は?」
 当然明美が出てくると思っていた小夜は、出てきたのが明美の姉だったので少し動揺していた。明美の両親はよく出張に行っていて、なので今は一年のほとんどを二人で暮らしているのだ。明美にはもう一人姉がいるそうだが、その人のことは全く知らなかった。小夜の目の前にいる明美の姉は、綺麗な顔に相応しく爽やかに笑顔を作った。
「ごめんなさいね、小夜ちゃん。明美、何か今日体調悪いみたいで、学校休むみたいなの。……ほら、昨日あんなことがあって、きっと精神的にまいっちゃってるんじゃないかしら?」
 確かに、同じ学校の生徒が死んだとあらば、気が塞がるのはもっともだ。それが原因で学校を休んでしまうのも、仕方がないかもしれない。だが、それが小夜にとってショックなのもまた事実だ。明美との学校生活は小夜の心身を癒す特効薬のようなものだからだ。
「――そうですか。じゃあお大事に」
 小夜は明美の姉に一礼すると、向きをくるりと変えて歩き出した。歩道まで歩き出した所で、小夜には別の考えが頭に浮かんでいた。
 それは、明美はg@meの遊戯者でない可能性が高いということだ。確かに昨日学校で事件があれば気が沈むのはもっともだ。それが遊戯者であるのならなおさらだ。だが、遊戯者であるならば、懸かっているのが自らの命だということも重々承知しているはずである。しかも家族まで人質に取られている以上、学校を休むとは考え辛い。今日はまだg@meの二日目なのだ。この時点で脱落を望む者などきっといないだろう。
 空を仰ぎ、ゆっくりと歩きながらそんなことを考えていた小夜は、自分がもうg@meに浸かっていることに驚いた。こういう事態ではあるが、それでもただ学校を休むという話を聞いただけでg@meと関連付けて物事を考えてしまっている。小夜はそんな自分が恥ずかしかった。これでは会う人会う人を疑いの目で見つめているのと変わらない。このままでは、いずれ誰も信じられなくなってしまいかねない。小夜は自分の頬を両手でぴしゃりと叩いた。そんな卑屈な人間になるな、と自分に言い聞かせた。
 そうして、また歩き出すのだが、それでもしばらくしない内に、小夜は無意識にg@meのことを考えていた。
「小ぁ夜っ!」
 元気なくg@meのことを考えながら通学路を歩いていると、不意に後ろから声を掛けられ、次には両肩を思い切り叩かれた。驚いて小夜が振り返ると、そこにはいつもの様子の里沙がいた。帰り道が一緒になることは多いが、朝を一緒に登校することは稀だ。その理由の一つには、家の方向が若干違うということがある。小夜と明美の家は隣り同士だから学校までの道は全く一緒だが、里沙の家とは少し違う。学校からの道で言えば、途中の交差点で別れることになるのだ。だから余程のことがない限り、朝里沙と出会うことはほとんどない。そして今は、その稀な時なのである。
 g@meのことを考えていて頭が一杯だった小夜だが、やはり一人での登校は少し寂しいところがあった。なので、ここで里沙に会えたことは小夜にとっては嬉しいことであった。しかも、里沙はいつもと変わらない、明るい調子だ。自然と小夜もその調子に合うように明るくなる。
「でさでさ、聞いた? あのときさぁ……」
「うん、確か――だったんだよね?」
「そうそう、ホント面白かったよね」
 朝に似合う、他愛のない会話が延々と続いていく。端から見れば、日常的な光景だろう。だが実際には、それは表面だけに過ぎない。二人とも、内面には不安と憂いが満ちている。事実、昨日の一番の話題である事件のことについてはついぞ一度も話に出て来なかった。
 そうこうしている間に、二人は学校の直ぐ傍にまで来ていた。そして、先にその異様さに気が付いたのは里沙の方だった。
「小夜、あれ見てよ」
 瞬間的に里沙の表情が曇ったのを見て取った小夜は、里沙が指差す方向に視線を向けた。小夜の視線の先には、校門前に群がる烏合の衆が見えた。いや、あれはただの人だかりではなく、更に性質の悪いことにマスコミである。小夜と里沙の気分は一気に沈み込んだ。彼等の目的は知れている。昨日の事件のことについてだろう。学校で起きる事件の多くは、世間で話題を呼ぶ。そして、その話題を作り出すのがマスコミだ。真偽はどうであれ、人々が喜びそうな記事を、差し障りなく報道していくのだ。今校門から学校に入ろうとすれば、きっとあの集団に取り囲まれカメラやマイクといった凶器を向けられることになるだろう。そして、傷心に深くその刃を突き刺されることになるに違いない。
「里沙。西門から行こう?」
 小夜の提案はもっともである。学校には三つの入口がある。今小夜達が目の前にしている正門は、その名の通り一番大きく、また一番利用者も多い。だからこそマスコミはこの門にその陣を構えているのだ。小夜はこれを避けるために、東西一つずつある門の内の西門に向かうことを提案した。西門にも少なからず報道関係者はいるだろうが、正門より少ないのは容易に想像出来る。
「うん……、そうしよっか」
 普段なら野次馬根性を見せる里沙も、この日ばかりは自分の気概を優先させた。そもそも野次馬が群がるのは、その非日常性に一種の憧れを抱くからだ。だが、今小夜達の身に降り掛かっていることは、紛れもなく現実に起きている日常なのだ。そこにはただ現実があるだけで、憧れも何もない。
 小夜と里沙は西門に回った。同じことを考える生徒は当然いて、今日は普段の正門以上に利用者がいて、その多くは暗い顔をして門を通っていた。
 自分の教室に入った瞬間、小夜はその雰囲気の異状を身を以て知った。何か刺さるような空気が張り詰めている。もちろん遊戯者の発するものだけではないだろう。皆薄々は感付いているのだ。学校内に殺人犯がいるということに。そして、教室に満たされる空気は、他人への懐疑と殺人犯への恐怖である。
 あまりにも空気の濃度が濃すぎて、息が詰まってしまった。小夜は唐突に気分が悪くなり、自分の席に鞄を置くと直ぐさまトイレへと駆け込んだ。遊戯者である自分は、クラスメイトとは一線を越える緊張を感じるのだ。それは比にならないほどに強く張り詰めている。クラスメイト達は、殺されるかもしれない、という懸念はあっても、実際に殺されることは有り得ない。それは遊戯者しか知らない事実ではあるが、事実として確かにあるのだ。それに、前木純を殺した犯人が無差別殺人犯でもなければ、二件目以降の事件は起こらない。起きたとしても、確率は僅かに五百分の一程度に過ぎないのだ。少し考えてみれば、遊戯者でない人は自分が殺される可能性の低さに気付くはずだ。だが、小夜ら遊戯者は違う。今まさにg@meが行われていることを知っていて、その殺人の対象は紛れもない自分達なのだ。殺すなら自分、殺されるなら自分という構図が、自然と作り上げられていく。その逃げられない束縛が、小夜の喉元を絞め上げていく。
 トイレでうずくまっていた小夜は、ようやく落ち着きを取り戻し始めた。自分を信じて、昨夜考えたことが正しいと信じて、小夜は立ち上がった。鏡の前に立つと、まだ若干顔色は優れないが、瞳は活きている。いつまでも弱気のままではいられない。小夜は頬をぴしゃりと打つと、気合を入れ直して教室へと戻った。
 一時限目が始業され、教室の雰囲気は違う意味での緊張に包まれた。受験生という意識が発する独特な緊張が、小夜には温く感じられた。授業を聞き板書を写してはいるが、頭の中では何度もシミュレーションが行われていた。ありとあらゆる可能性を加味して、次の最善の行動を考える。頭で考えるだけならばいくらでも可能だ。問題は、もしもその通りに事態が進み、あるいは事故が起きたときに柔軟に対応出来るかどうかだ。小夜は何度も自分に言い聞かせているが、一度の失敗が決定的な死の原因に繋がるのだ。油断など、最初からあってはいけない。
 違うことに集中していたせいか、その日の授業はあっという間に過ぎていった。そして、今日一番の山場である昼が訪れた。
 四時限目終了のチャイムが鳴り、学校は昼休みへと突入する。何はともあれ昼ご飯を食べなければいけないのだが、どうしても松永の動向が気に掛かった。
「小夜? どうかした? お昼食べよっ!」
 松永の方をちらちらと見ていたため、突然美代が話し掛けてきたときには小夜は驚いてつい変な声を上げてしまった。だが、直ぐに平静を装い弁当を取り出した。美代といる間は、日常を演じなければならない。
 そうしていつものおかずの取り合いが始まった。明美がいない分だけ、いつもよりはおとなしめだったが、それでも充分に盛り上がった。今日の美代の唐揚げは絶品だった。唐揚げを口に入れている間、思わず箸が宙を彷徨ってしまうほどだった。
 ご飯を食べ終え、一息入れたところで、小夜は松永が教室からいなくなっているのに気付いた。迂濶だったと、自分を罵りもしたが、今はそれどころではない。他の生徒に怪しまれないように、それでいて迅速に松永を探し出さなければならない。小夜は深く呼吸をすると、席を立ち上がった。
 誰かとの約束もないのに学校内をうろつくことは、別に不審なことではない。だが、非常時などでは人の心情は多少敏感になり過ぎることが多い。今の小夜がまさにそういう状態だ。今の小夜には自分の行動に動機付けが必要だった。そのようなときの口実に一番便利なのが、トイレへ行くことだ。トイレへ行くことは生理作用であるため、いかなる場合においてもその行動は正当なものである。小夜にとって運がいいのは、今から向かうトイレが、今後の目的であるE組の隣であるということだ。
 小夜はC組の廊下を挟んだ向かい側にあるトイレに行くのにも、ひどく緊張していた。この廊下を歩くことにすら危うさを感じてしまう。自分の行動一つ一つに怯えの影がちらつく。そのような邪念を振り払い一先ずトイレに入った。個室へと入り、自分に言い聞かせた。
「もっと毅然としなくちゃ。別にE組に行くのに理由なんて必要ないわ。平常通りに、平常通りに」
 独り言が隣に聞こえていないかが気に掛かったが、どうやら誰もいなかったようなので、小夜は安心した。トイレに来た手前、目的が違えども手を洗う振りはしなくてはならず、小夜は手を洗いながら鏡を覗き込んだ。朝のような顔色の悪さはない。それに肩が張っていることもない。小夜が振り向こうとしたとき、鏡に人影が映っているのが見えた。
「小夜じゃん。ねぇ、今暇?」
 突然小夜に話し掛けてきたのは、部活が同じだった園原優である。
「あ、園原さん。特に用事はないけど、何か用?」
 率直に言って、小夜はバスケ部で一緒だった頃から園原が苦手である。嫌いというわけではないが、男勝りな性格が、どうも小夜とは合わない。短髪で少し茶色の混じった地毛がその性格を表しているように見えてしまう。それに、細長の目は相手に威圧を与えているようで、少し近付き難い雰囲気もある。それも相俟って、同じクラスになったこともあるのに苗字で、しかもさん付けで名前を呼んでいる。園原の方は気にしていないようなので、小夜も苦手意識を無くそうという努力はしていない。
「ちょっと付き合ってくれない? 今からE組に行くの」
 小夜にとっては驚きでもあり、同時に喜びでもあり、さらには不可思議でもあった。まず、園原の提案があまりに唐突で、しかも小夜の願っていた通りであるということ。それが前二者の理由。そして、何故一人で行かないのかということだ。A組の園原が女子トイレに来る間に、必ずE組の前を通り過ぎている。わざわざトイレにまで来て誰かを誘う必要などないのだ。小夜は疑念を抱いたが、下手に疑って逆に疑われるのはまずい。あくまで遊戯者候補の有力な一人として頭の中に留め、今は平常通り振る舞うことに努めた。
「うん、いいよ。でも、E組に何かあるの?」
 さり気なく小夜はそう尋ねた。付き合ってと頼まれたのだから、その理由を聞くのはもっともな話だ。園原は少し考えてから、何かを観念したかのように話し出した。
「うーんとね、特に用事はないんだけどね。ハハ、まあいいじゃん。行こ行こ」
 用事もなく別のクラスを訪れること、その際に意味もなく友人を誘うことは、学園生活の中では何ら不思議なことではない。よくある、昼休みの一風景に過ぎない。だが、g@meが行われているということ、返答の内容、そして返答までの微妙な間が、小夜に大きな疑念を植え付けた。明らかに不自然だったのである。考えてから言うほどの内容でもなければ、隠すようなことですらない。
 いくら疑念を強めたところで、小夜にはこれ以上どうしようもないことは小夜自身気が付いている。下手に詮索や質問をしたりすれば、逆にこちらへの疑いを持たせてしまうことになる。園原が遊戯者であるか否かによらず、それは好ましいことではない。小夜はとりあえず園原についていった。当初の目的は達成出来ているのだ。今はそれだけで満足しよう、と小夜は自分に言い聞かせた。
 E組に着いてみて、思いの外人が少なくて驚いた。三十人余りの教室には、今着いた小夜らを含めても十人しかいない。ただ、その十人の内の半数が他の組の人であることに異様さを感じざるを得なかった。
 その十人の中に、小夜は松永の姿を見付けた。D組の男子生徒と、表面上は楽しそうに話している。だが会話の合間合間に、ちらちらと周りの様子を窺っているのが、少し離れた小夜からでも直ぐに分かる。考えることは同じでも、やはり松永は不器用だ。小夜にではなくても、いずれ早い内に殺されるであろうことは想像に容易い。
「――夜、小夜? 聞いてる? もーしもーし?」
 隣で園原が小夜を呼んでいるのに、初めは気が付かなかった。直ぐ隣りにいるというのに、肩を叩かれてやっと気付くほどだった。
「あ、ごめん。何?」
「人少ないからさ、別の所行こ?」
 小夜にとっては意外な提案だった。E組に来てわずか二十秒足らず。園原が何かの思惑をもって小夜を誘ったのだとしたら、あまりに早すぎる。やはり思い過ごしだったのか。今思えば、五百人中の二十五人が偶然に出くわす確率など、考える必要もなく低いことは分かる。
 小夜は断る理由もなく、E組にいた十人の名前を出来るだけ記憶して、その場を後にした。
 結局、昼休みはただ目的もなく色々な教室を回るだけで終わってしまった。貴重な時間が、と小夜は思ったが、実際には色々な所を回れたのでこれでも良かったように思えた。昼休みの終わりに小夜は明美にメールを打った。学校を休むほどなのでメールは見られないかもしれないが、とりあえず励ましの言葉を添えて送っておいた。明美には早く良くなってほしい。
 午後の授業もあっという間に終わり、下校時間が訪れる。いつもは明美と一緒に帰る小夜だが、今日はその明美がいないため、里沙と帰ることにした。だがその前に、小夜は確認しておきたいことがあった。本当は昼休みの内に済ませておきたかったのだが、園原に捕まってしまいそれも叶わないでいた。
 小夜は三年生の教室がある四階から、更に一階分階段を上がった。小夜が知りたいのは、前木の殺害現場がどこであるか、ということだ。それを知っても何かが分かる訳ではない。だからあくまで確認なのだ。だが、階段を上ったところで、小夜は直ぐに了解してしまった。あまりに呆気なさ過ぎて、ため息が出てしまう。小夜の目の前にあるのは、屋上への階段に張られた、通行禁止の黄色いビニールテープだった。つまり、現場は屋上だったということだ。小夜は五階に上がり切る前に、体を反転させて階段を下り始めた。今日の用事はこれで全てだ。あとは里沙と一緒に帰るだけだ。
 A組に向かった小夜は、その途中の廊下で里沙に会った。
「あ、里沙。一緒に帰ろ?」
 里沙は一瞬悩んだ様子を見せた後、いつもと同じ調子で答えた。
「いいけど、ちょっと職員室に用があるから、校舎の入口の所で待っててくれる?」
 小夜は頷いて返事をすると、里沙と一緒に意気揚々と階下へと下りていった。今日一日では、情報の収穫の成果はほとんどない。ただ松永が挙動不審だっただけだ。あれでは、小夜の方がひやひやしてしまう。そんな状況で気が滅入りそうだからこそ、平常通りに里沙と帰れることが嬉しかった。
 一階の西玄関で里沙が来るのを小夜が待っている間、下校時刻なので当然他の生徒がそこから外へと出ていく。することもなくただ待っているだけなので、小夜はその様子をただ眺めていた。一年生も二年生も三年生も、皆が同じように帰宅していく。この中にg@meの遊戯者が混じっているかもしれない、と小夜が思っていると、小夜の眼前を歩いていく男子生徒が何かを落とした。小夜はその物体の外形にどきりとしながら、それを拾おうと近付かずにはいられなかった。明らかにカードのような物で、その真ん中には何か数字が書かれている。しかも赤い文字で。
 小夜はそれを手に取り、それが何であるのかを確信した。こんな趣味の悪い物を好んで持ち歩くような人などいるはずがない。小夜は自分でも緊張しているのを理解しながら、次にどうするかを考えた。これが遊戯者の証であることは間違いない。だとしたら、持ち主の素性を知ることを優先的に考えたい。だが、自分の素性を隠すことはさらに優先しなければならない。ではどうするか、という問題になる。ここで考えるべきことは、実は相手の情報はそれほどに必要ないということだ。必要なときに必要な機会が得られればいい。今知っておくべきは、せいぜい顔と学年、良くて組程度なものだ。だから、今は無関係を装い、あくまで落とし物を拾った人物を演じればいい。これが当然で自然な対応だ。
「これ、落としたみたいだけど、君の?」
 小夜は、既に校庭に出ている、そのカードを落とした少年に近付いていき、カードを見せた。少年はそれを見るとひどく驚き慌てた様子を見せ、ひったくるようにして小夜からそれを受け取ると走って行ってしまった。
 ほんの数秒の出来事に過ぎなかったが、小夜には充分過ぎるほどだった。今のでも顔の特徴等は覚えることが出来たから、二度目以降は一目で識別出来るだろう。どこかで見たようなことがある気がしたが、それでもこの事実は変わらない。殺すことが出来る、殺してもいい標的であるという事実は。それに、先程拾ったカードには「4」と記されてあった。番号からいって一年生である可能性が非常に高い。少なくとも、今の状況で得られる最低限の情報は得ることが出来たのだ。今の小夜はそれで満足だった。
「何ニヤニヤしてんの?」
 小夜が玄関口に戻ろうとしたとき、不意に声を掛けられて小夜は一瞬どきっとしてしまった。小夜の目の前では、里沙が不思議そうな顔をして立っている。どうやら小夜は、自分でも気が付かない間に頬が緩んでいたらしい。小夜はそれを笑って誤魔化すと、里沙と一緒に帰路に着いた。帰り道ではやはり話題が尽きることはなく、そこに笑顔が絶えることはなかった。
 家に着いた小夜は、今日こそは、と思い机に向かった。拳銃が送り付けられてからの三日間、全くと言っていいほどに勉強をしていない。六月という若干の時間的余裕はあるが、それでも勉強の習慣を崩してしまうのは良くない。時刻はまだ五時前、夕飯までに少なくとも二時間は勉強出来る計算だ。小夜は頭を一度切り替えて、ペンを握った。今なら勉強も出来そうな気分だった。
「よし、やるか!」
 有言実行。今の小夜が実感して言える言葉だ。夕飯を囲む食卓でも、小夜の気持ちは晴々としていた。それは家族が不審がるほどであるので、やはり相当なものなのだろう。小夜自身はそれに全く気付かず、あっという間に夕飯を終えた。時計を見ると、八時を少し過ぎた頃だ。小夜は悠々と自室へ戻った。食卓では、唖然とした様子で母達が小夜を見送っていた。
 パソコンを起動させた小夜は早速g@meのホームページにアクセスした。お気に入り登録をしたので、二回目以降はかなり円滑に進むことが出来た。そして直ぐに告知のページに何か更新があることに気付いた。小夜はそのページに飛んだ。そこには、昨日更新された物の上に新たに更新された物が表示されていた。

Thu. Jun. 20th 20:00 "the Second d@y"

 小夜はそれを開いた。おそらくは声が入っているのだろう。そしてもし小夜の良い予想が当たっているならば、重要な情報が得られるはずだ。
 小夜の一つ目の予想は当たっていた。つまり、声が入っているということ。だが、それはどうでもいい。問題なのはその中身だ。そして、主催者は語り始めた。

『二日目の今日は特に何も起きなかったようだが、やはり見も知らぬ人物を特定するのは至極困難なようだ。ところで、昨晩早速質問のメールがいくつか届けられた。今日はそれについて答えよう。』

 小夜はその言葉を聞き、内心で諸手を挙げた。主催者もそうだろうが、遊戯者にとっても予想通りに事が進んでいるのだ。本来敵対すべきはずの両者の利害はほとんど一致している。つまり、g@meを円滑に進めたいということだ。小夜が少し浮かれている間にも声は言葉を続けていた。

『メールを出したのは、12、25、26の三人だ。質問は全部で四つ。まず三人に共通していた質問が二つ。君達各々に付けられている番号の規則性について。そしてもう一つが、箱の中の物以外の物で殺したらどうなるかについてだ。まず前者についてだが、これは所謂出席番号順になっている。g@meの進行を促進するために言っておくが、1から8までは一年生で、A組から名前の若い順に並んでいる。同様に、9から17までが二年生、そして18から30までが三年生になっている。ただ、人の選び方は適当なため、学年別の人数には多少のばらつきが生じている。これで最初の質問の答えとしよう。次に後者についてだが、このg@meにおいては私が規則であり、絶対なのだ。私が決めたことには従ってもらい、それが出来ない者は罰を受ける。箱の中の物でg@meをするように言ったのだから、それ以外の物の使用は一切禁止だ。ただし、他の遊戯者から奪った物と素手は例外にしておこうか。殺し合いの中で、両者が常に武器を持っているとは限らない。対等でない、弱い立場にある者がg@meで生き抜くには、それくらいの例外も許容範囲だろう。』

 小夜はその言葉を聞き終わらない内に、机の上の紙にペンを走らせ始めた。今まで起きたことをまとめ、そしてそれについて自分の推理を横に付け加えていく。当然、小夜のそんな行動とはお構いなしに、声は続いている。

『それから、12からの質問、止むを得ない事情で学校を休む場合はどうなるか、という物。これについては、特に問題はない。初めに言ったはずだ。g@meに時間、場所は問わない、と。場所が学校である必要はない。だから何日休もうと、それは規則に反することではない。』

 小夜はペンを動かしながらも、主催者が言っていることを即座に理解した。いくら休んでもいい、と表では言っているが、休み続ければ必ず不審に思われる。やはり表向きは普通の生活を続けるしかないのだ。そして、裏では殺し合う。それがどれだけ精神的、身体的につらいか、小夜にはまだほんの僅かしか分からなかった。

『そして最後、25からの質問だ。各々の遊戯者に送られた箱の中身は共通か、という質問だ。』

 小夜はちょうどメモを書き終えたところで、はっとした。今の言葉を聞いて、自分の考えが浅はかだったことを痛感する。どんなに前木殺しに不可解な点があると小夜が推測しようとも、それは他の遊戯者と条件が同じであるときにしか成立しない。そういった場合も与しなければ、ただの独りよがりな推理にしかならない。つまり、前木が絞殺されたのに凶器となるはずの紐状の物が箱の中に無い、ということに疑問を抱いた小夜だったが、小夜に拳銃が与えられたからといって、他の遊戯者には紐状の物が与えられたかもしれないということだ。この場合だと、何の疑問も生まれない。
「こんなことも気が付けないなんて……!」
 小夜は片手で頭を抱え込んだ。もっと冷静に、もっと多角的に物事を見つめないと、いずれはミスをしでかしてしまう。そうなったが最後、待つものは一つしかない。
 小夜が自分の不甲斐なさに落ち込んでる間にも、主催者は最後の質問に答えていた。

『無論、g@meは互角で公平でなければ楽しくない。だから箱の中身は皆共通、その中身は一丁の拳銃と六発の銃弾だ。今日はこれくらいで終わりにしようか。最後に、君達は明日、また面白いものを見ることになるかもしれない、ということを言っておこう。では諸君、明日もg@meを楽しみたまえ。』

 小夜は主催者の最後の言葉にどきりとした。それはつまり、どういうことか。明日でルールにあった三日目が過ぎるから、夜には誰かが犠牲になる、ということだろうか。もしそうなら、やはり前木はg@meとは無縁の誰かに殺されたということになる。
 それから、小夜はもう一つの言葉にもどきりとした。これは最初のそれとは若干違う。少し怒りにも似た衝撃だ。一体、誰がg@meを楽しんでいるというのだろうか。自らの命が危険に晒されている状況下で、誰がg@meを楽しむことが出来ようか。そんな人物は一人しかいない。当事者でありながら命の危険に晒されることがない人物、主催者だ。傍観者である彼は、それこそ見ているだけだ。人が殺し合う様子を、安全な場所から眺めて楽しむだけなのだ。
「g@meって一体何なのよ……!」
 小夜はその日はそれきりだった。少しでも集中力を使う物事はそれきりしなかった。出来なかった。それは勉強も然り、テレビや音楽もまた然りだ。頭の中にはg@meのことしかない。主催者が言っていた、明日起こることが、今後の小夜の動向を決める大きな鍵となるであろうことはほぼ間違いなかった。
 小夜は何時かも確認しないまま、頭に上っていた血が冷める頃に就寝した。



 やはり昨晩の就寝時間はいつもより早かったようで、翌朝小夜は目覚ましが鳴った直後に目を覚ました。
 階下へ下りていくと、母親は既に起床していて朝食の準備をしていたが、連日の小夜の異変にかなり驚いていた。失礼な話だが、どうやら母親は受験ストレスでどこかおかしくなったのではないかと、本気で思い始めているらしい。
「だって二日連続なんておかしいじゃない。本当に熱とかない?」
「もう、気にし過ぎだって。私が早起きするのがそんなに変なの?」
 小夜は自分で言っていて気が付かないが、変なのだ。だからこそ母親は心配し、父親まで起き出す始末になっている。小夜は朝の爽やかな空気がおかしくなっているのに気付き、それを笑いで払拭した。
 朝食を終え、自室で制服に着替えている小夜は、時計を確認した。明美との待ち合わせ時間には充分余裕がある。今日は大丈夫かな、と小夜は心配した。もしもこれが全くの赤の他人だったらどう考えるだろうか。昨日休むことはまだ普通だ。学校の生徒が殺されたのだから、精神的にまいってしまったといえば誰だって納得する。では今日はどうか。流石に普通の生徒なら、大事を取って二日連続で休むということも無くはない。だが、それが遊戯者の場合、表面上は普通の生活を続けなければならない以上、二日連続は少し不自然かもしれない。その人の価値観にもよるが、三日以内というルールも考えなければならないので、情報を得るために学校に行く必要は大いにあるだろう。たとえそれが強制であるにしても。
「――と。もうこんな時間だ」
 小夜は考えに耽るあまり、時間が経過しているのを忘れていた。気付けば待ち合わせの時刻までそんなに時間が残されていない。小夜は少し駆け足で玄関に向かった。
「いってきます!」
 小夜は勢いよくドアを開けて外に出た。朝の眩しい陽射しが目に染みる。そして、明美の家に歩を進めた。
 明美の家の前まで来る頃には、小夜には大方の予想がついていた。ドアを開けて明美がいなかった時点で、今日も明美は学校を休むのだろうと、小夜はそう思っていた。小夜は少し緊張する手を呼び鈴に伸ばした。滅多に遅れることのない明美なので、小夜は明美の家の呼び鈴を鳴らすことに慣れていない。
 呼び鈴を鳴らして少しすると、ゆっくりとドアが開かれた。小夜には中から出てくる人物の予想もほぼ立っていた。前提が合っているなら、昨日と同じ人物だろう。
「小夜……」
 しかし、小夜の予想は外れ、中から出てきたのは明美本人だった。まだパジャマ姿のまま、確かに顔色が優れない様子でそこに立っている。眠そうにしながら目を擦っている。小夜は優しく声を掛けた。
「今日も無理そう?」
「うん。ごめんね……」
 普段はおっとりしている明美だが、実は傷付きやすい一面があるのかもしれない。長年付き合ってきて、ようやく気が付くことがある。小夜はあまり長居はせず、一言を残して学校に向かった。朝明美と一緒でないだけで、小夜の気持ちは晴々としない。親友として明美がいかに大きな存在であるかを、小夜はg@meという非日常の中で知ることになった。
 昨日とは違い、登校途中に里沙と会うこともなく、小夜は学校までの道を歩き続けている。当然、頭の中ではg@meのことが駆け巡っている。主催者の言っていた、今日起こることとは何か。小夜はそれが一番気に掛かっていた。主催者がわざわざ告知で言うほどだから、確実性は高いはずだ。だがいずれにせよ、今の小夜には考えることしか出来ない。考えたところで、小夜には何も出来ないままきっと何かが起きてしまう。所詮、小夜はまだ盤の上で踊らされる、駒の一つに過ぎないのだ。
 校門近くまで来て小夜は気付いたのだが、マスコミの数が昨日に比べて極端に減っている。小夜にはマスコミの考えることなど分かりはしないが、二つの予想が付いた。一つ、関心がなくなった。昨日までは、学校という場で起きた事件ということでその話題性が大きかったが、一夜経ってみると実は反響があまりなかった、ということ。二つ、朝であるということ。いくら生徒に色々話を聞きたいといったところで、始業を控える生徒に長い時間を取らせることは出来ない、ということ。
 どちらにしろ、小夜にとっては静かな朝が戻ったので嬉しかった。ニュースや新聞などで騒がれるのは学校の外でのことであって、学校の内にいる小夜らには関わりのない話なのだ。小夜は数人のマスコミを尻目に、悠々と正門から学校へと入っていった。
 始業から四限目まではあっという間に過ぎていった。主催者に予告されていたために緊張を感じていた小夜であったが、ここまで何も起きていないので若干拍子抜けしてしまっていた。もしかしたら何も起こらないのではないか、という考えまで浮かびそうになる。だが、決して油断してはならない。主催者が言ったのは、あくまで今日という日なのだ。それに該当する時間はまだ十二時間近くある。その間に何か起こらない保証はどこにもない。
 美代との食事の後、小夜はどこへ行こうか思案した。g@meに関する情報を手に入れたいのだが、如何せん手掛かりがない。とりあえず、初日に拳銃を所持していた人物四人を知りたいところだが、昼休みということもあり人が出払ってしまうため、そういった情報は人から聞くしかない。だが、そうするとやはり不審感が多少出てしまう。上手く振る舞える自信が小夜にはあまりなかった。
 行くあてもなく、小夜は廊下をぶらぶらとしていた。すると、廊下で美代とすれ違った。何やら本を数冊抱えている。
「小夜何してんの?」
「いや、何も。美代の方こそ、その本どうしたの?」
 小夜は美代と一緒になって歩き始めた。美代の話では、何の事はない、ただ図書室に本を返しに行くのだそうだ。小夜はこの昼休みのことを考えていなかったので、美代についていくことにした。
 図書室は五階にあるので一階分階段を上らなければならないのだが、その階段を一歩上る毎に、小夜は並々ならぬ緊張を感じるのだった。
 殺害現場に近付いている。
 g@meの場所に近付いている。
 そんな思いが、針のように小夜の胸にちくちくと棘を刺す。まるでいい心地がしない。美代に不審がられないかを心配しながらも、次第に動悸がして身体が冷たくなっていく。
 五階まで来て階段に黄色いビニールテープを再び目にしたときには胸が高鳴った。あのときの前木の様子が在り在りと小夜の脳裏に浮かんでくる。だが、五階の廊下を歩く頃には、もう動悸も治まっていた。
 久し振りに図書室に入った小夜は、その雰囲気に息を飲んだ。まるで音がない。それは流石に言い過ぎだが、それでも音を出すのに気が引けてしまうような静謐さがある。図書室にしては空気が重々し過ぎる感じがした。
 美代は小夜を図書室の入口に残して、さっさと自分の用件を済まそうとしている。小夜は図書室の空気に圧倒されながらも美代の方へと近付いていった。一歩歩く毎に、その場の空気が身体にまとわり付くようにして、中々うまく身体が動かせない。こんな風に感じるのは自分だけだろうか。しばらく来ない内にこの雰囲気を忘れてしまったのだろうか。
「どしたの? 凄い緊張してるみたいだよ?」
 本を返し終えた美代は、振り向いた先の小夜がひどく強張っているのを見て少し驚いていた。確かに図書室で今の小夜ほど緊張する人など滅多にいないだろう。
「な、何だろう。図書室って、こ、こんな雰囲気だったけ?」
 もはやろくに呂律も回っていなかった。小夜のいつもと違う様子を楽しんでいるのか、美代は忍びながら、それでいてけらけらと笑って曖昧に頷いた。そして、小夜に座るように促した。座れば少しは落ち着くかもしれない。小夜もそう思って、近くの席に腰掛けた。
 図書室は静かな場所ではあるが、私語厳禁なわけではない。今も、少数ではあるが喋っている生徒もいる。小夜が次第に調子を取り戻し始めたのを見て、美代は場所を考えて少し抑えた声で話し始めた。
「小夜はさあ、一昨日のことどう考えてる?」
 小夜は一瞬心臓が止まったかと思った。今、美代は何と言ったのか。一昨日のこと、それは間違いなく前木純のことについてだろう。それについてどう考えているか、という質問を今この場で言う意味はあるのだろうか。小夜は美代の方を驚き強張った顔をして振り向き、真意を探ろうとした。美代は美代で屈託のない表情で小夜の返答を待っている。
 小夜は、自分がg@meとは無関係であることを装わなければならないということを自分に言い聞かせて、あくまで第三者的立場にいる者の知り得る範囲のことで返答しようとした。下手をしたら、小夜は自分の友人を殺さなければならなくなるかもしれず、また友人に殺されることになるかもしれないのだ。
「お、一昨日のことって、前木が死んだときのこと?」
 小夜がそう尋ねると、美代は即座に頷き、さらに詳しい返答を要求した。もしも美代が遊戯者であるなら、どういった方法で相手を割り出しにくるのだろうか。
 そう考えると、今のこの方法が最良であることは自ずと知れてくる。核心を突くような話題を振り、会話の中で当事者しか知り得ないことを言わせる。常套手段といえば常套手段だが、実践してみようとしたら相当な器量と度胸がいるだろう。まさに諸刃の剣なのだ。常に自分にも危険が及ぶ可能性がある。だが、それはg@meをしている以上は日常茶飯事であることには違いない。多少のリスクを犯してでも、自分の優位は確保しなければならない、という考えも浮かんできて不思議はない。
「そうだなぁ……。例えば、私の推理では前木は絞殺された、とか?」
 小夜は敢えて一番核心に近いことを言ってみた。逆にこちらから揺さ振りを掛けることが出来れば、形勢は一気に逆転する。予想通りと言うべきか、美代は目を丸くして小夜の顔を見つめている。まるで、今初めてそういう考えを聞かされたかのようだ。
「そ、そうなの! やっぱ前木くんて誰かに殺されたの? 絞殺って、小夜何でそんなことまで分かるの?」
 小夜は突然美代が大きな声を上げたので、辺りを見回して人差し指を口元で立てた。美代は自分の不注意に気付いて辺りを見回し、少し恥ずかしそうにしながら、今度は声量を抑えて話し掛けて来た。
「で? 小夜はどうしてそう思うわけ?」
 小夜はどうしたものか悩んだ。確かに小夜がその推理に行き着くまでに、g@meの遊戯者という立場は必要なかった。それはただ深く考えるきっかけを与えたに過ぎない。そうかといって美代にありのままを話せば、さらに深く聞かれることは明白だ。このままでは埒が明かない。今小夜が考えている間も、長くなるにつれて不審に思われていってしまう。小夜は一か八かで全てを話し始めた。
「あのね、今回の事件、確かに生徒で拳銃所持者が見付かったけど、実際に凶器として使われたのは拳銃じゃないの」
 小夜はそれから長々と、自分が考えた推理を話し始めた。美代に話す内に、小夜の中でも自分の推理がまとめ直されていくように思えた。誰かに教えるには三倍理解していなくてはならない、というような言葉をどこかで聞いたことがあったが、小夜はまさにその通りだと実感した。そして、理解を深めると同時に、小夜は自分の推理に対する自信と確信をも深めていくのだった。
「でも小夜、拳銃所持者が見付かったなんて、どこで聞いたの? うちの学年じゃ、そんな話聞かなかったけど」
 小夜が推理を一通り話した後で、美代は一番最初に話したことを掘り返して来た。小夜は美代のその言葉に少なからず動揺した。細心の注意を払ったつもりだったが、まさかそのことが何の噂にもなっていないなんて思いも寄らなかった。確かに、あの事件から二日が経っても、C組では拳銃に関する話は全く聞こえない。だが、よく思い出してみれば、小夜がそのことを知ったのだって、元はといえば偶然によるものだ。小夜はそれに気付くと、動揺した自分を叱咤しながら心を落ち着かせた。ただそのことを説明すればいいだけではないか。
「ああ、あのね。あの日、私吉井先生に呼び出されて、それで職員室に行ったときに教頭先生が言ってるのを聞いたの」
「ふーん」
 美代は興味を失ったかのように曖昧に返事をした。小夜にはその後に続ける言葉がなかったが、少し思案してこの一方的な状況に疑問を抱いた。自分の推理を話し始めたのは小夜だが、話を切り出したのは美代の方だ。美代の尋ね方からいっても、美代にも何か話そうとしていたことがあったはずだ。というか、小夜からするとこのまま独りで動揺したり叱咤したりでは自分が情けなく思えてくる。美代にもそれ相応の話をさせたい、というのが小夜の心情だった。
「美代は? 美代も何か考えてたんじゃないの?」
 小夜は今度は美代に返事を促すように聞いた。急に切り返された美代は、少したじろいだ後でけろっと言った。
「うーん、何か小夜の推理聞いてたら自信無くなってきちゃった。ていうか小夜、将来探偵になれば?」
 小夜は言葉に詰まった。何か、上手く話を逸らされた気がしてならない。今から話を戻そうと思っても、もはや無理だろう。話を強引に引き戻しては不自然に思われる。下手に意地を張るよりは、もうここでの会話を打ち切るべきだ。小夜はそう考えた。
「……まあ、考えてみるよ。そろそろ昼休み終わっちゃうね。教室に戻ろっか」
 小夜が時計に目をやると、五時限目の予鈴が鳴ろうとする時間だ。気が付かない間に大分時間を費やしていたようだ。図書室にいた生徒もその数を極端に減らしている。
 二人はそのままC組に入り、各々の座席に着いた。小夜にとってはあまり実りのある昼休みとはならなかった。C組に他の遊戯者がいる可能性は低いと考えていたのに、突然美代への疑いが増してしまった。まだ今の状況ではどちらとも言い難いが、可能性はゼロでは有り得なくなった。小夜の周りに、懐疑の念が立ち込めていく。誰かと話をする度に、その人への疑いが濃くなる。そうして小夜は、暗く晴れない霧の中で息を詰まらせていくのだ。
 六時限目が終わり、小夜は言いようのない脱力感と虚無感を覚えていた。この原因を一言で言ってしまえば、何も起こらなかったからだ。主催者は、今日何かが起こる、という風に言っていた。小夜は当然、それは学校内で起こるものだとばかり思っていたのに、気付けばもう学校は終わってしまっている。このやり場のない気持ちはどこへ昇華したらいいのだろうか。
 小夜がしばらく放心状態のまま動けずにいると、不意に吉井先生が教室に入ってきた。小夜は何かを期待していた。だが、吉井先生の視線が小夜と兼森にだけ向いたのを見て、その期待も薄れていった。小夜は吉井先生が何を目的としているのかが分かってしまった。そして、吉井先生は予想通りの台詞を二人に向けた。
「兼森と桜井。ちょっと職員室まで来てくれ」
 吉井先生はそれだけを告げると、一人で先に教室を出て行ってしまった。何かを急いでいるように見えなくもなかったが、小夜にもはや関心はない。他の生徒が続々と帰る中、小夜は重い腰を上げた。
 いつの間にか、隣には兼森も一緒に歩いている。どこかで合流した覚えも、どちらかが声を掛けた覚えもない。本当に、いつの間にかだった。そんな状況なので、小夜の胸はいつもよりも早く脈打っていた。何かの因縁だろうか。小夜はそんな下らないことを考えながら階下を目指した。一緒に歩いている二人は当然、同時に職員室に着いた。
「失礼します」
 職員室に入ると、つい今し方まで何かの話し合いをしていたようで、一ヶ所に集まっていた先生が続々と職員室へと散らばっていく。英語の斉藤先生や物理の吉沢先生、古文の長岡先生など、つまりはほぼ全職員が一所にいたのだ。蜘蛛の子を散らすように各々歩いていく教員の中に吉井先生の姿を見た二人は、いつもよりも不自然なほどにざわついている職員室を渡っていった。小夜には何かが妙に感じられた。まるで新たに事件が起きてしまったような、そんな言いようのない予感が、小夜の脳裏を過ぎった。主催者の言っていたことはもしやこのことだろうか。だから、吉井先生は小夜に教えようとしたのだろうか。小夜はそこまで考えて一時思考が停止した。そして、今度は自問した。今何と考えたのか。
 吉井先生が――。
 思い返せば最初の事件があった日も、用があって二人を職員室に呼び出したのは吉井先生だ。そして、そこで小夜は拳銃所持者のことを知った。
 状況は今とかなり酷似している。今もきっと先生達の間で何かの話をしていたに違いない。今回は少しタイミングが悪かっただけで、きっと教頭先生は声を荒げていたに違いない。
「ああ、来たか。また呼び出したりして悪いね」
 吉井先生は前回とまるで同じように、頭をぽりぽりと掻きながら椅子に座っている。二人は吉井先生の方へと進み、促されるがままに近くの椅子に腰を下ろした。小夜としては、吉井先生の真意が知りたかった。g@meに関わっているのか、いないのか。だが、話がその流れになることはない。そうして初めに口を開いたのは兼森の方だった。
「また文化祭のことですか?」
「ああ、そう。その話なんだけどね、君ら今年受験だから、やはりこの時期にこういうことを頼むのはどうかと思ってね。それで結局二年生に頼むことになったから、一昨日言ったことは忘れてくれて構わないよ」
 吉井先生はそれを告げただけだった。どうやら話はそれだけらしい。兼森もそう考えたのか、二人が椅子から立ち上がろうとしたのはほぼ同時だった。これならば、教室の前で済ますことも出来たはずだ。小夜は疑念を強めながら、椅子から腰を上げた。だが、そんな二人を吉井先生は引き止めた。そして、声を潜めて話し始めた。それはまさに小夜の期待していた通りのことではあった。
「……あまり大きな声では言えないんだけど、というか二人にも黙っていてもらいたいんだが、一昨日に拳銃所持者が四人いたっていうのは知ってるよね? それでつい先程、その四人が亡くなったそうなんだ」
 小夜は耳を疑った。一度理解されたはずの今の言葉が、理解不可能な事実として再び認識されていく。
――その四人が亡くなった。
 小夜の頭の中で、昨晩の主催者の声が思い出される。そして理解する。これが今日起こる面白いことなのだと。小夜は急に胸が苦しくなった。唐突に小夜に襲い来る本質的疑問。
 人の命とは、一体何なのだろうか。
 今まではただ教えられた通りに、最も尊く最も重いものだと考えていた。だが、こうも簡単に人が死んでいく。しかも、主催者にとってはゲーム感覚でしかないのだ。人の命が簡単に軽く消されていく。まるで蝋燭の火をふっと吹き消すように。では、小夜が今まで信じてきた命とは何なのだろうか。小夜の胸は、迷宮路に迷い込んだ疑問に押し潰されそうになっていた。
「まだ詳しいことはほとんど伝わってこないんだけどね、何か分かったら君らに――桜井? 大丈夫か、具合悪そうだぞ?」
 小夜の異変に気付いた吉井先生は話を途中で切った。兼森も心配そうにしている。今、小夜の頭の中では言葉の乱数が規則性もなしに巡っている。吉井先生の声も周囲の状況もまるで分かっていない。そして、何の思慮もなしに、自然と口から言葉が漏れた。
「……どうして私達なんですか?」
「え?」
 小夜の呟きにも似た質問に、吉井先生だけでなく兼森も首を傾げて聞き返した。小夜は顔を上げた。もう意識ははっきりとし、頭も冴えている。自分が何を問おうとし、自分が何を知ろうとしているのかがはっきりと分かる。自制しようとするもう一人の自分を振り切り、小夜は尋ねた。
「吉井先生は何故私達にそのことを教えてくれるんですか? 一昨日は確かに偶然に拳銃所持者のことを聞いてしまったけれど、今日先生は自分から話しました。そのことは、先生が言っていたようにまだ生徒に教えていいものではないはずです。なのに、どうして先生は私達に教えたんですか? 私は先生の真意が知りたいんです」
 急にまくし立てた小夜に虚を衝かれたのか、兼森も吉井先生も目を見張っている。小夜は言った後で自分の言動を激しく悔いた。これほどに感情的になる必要はなかった。いや、むしろなってはいけなかった。ここまで過敏に反応を示せば、誰だって何かあると勘付く。だが、もはや言ってしまった以上、後には退けない。
 小夜は毅然とした態度のまま吉井先生の返答を待つことにした。吉井先生は直ぐに小夜の言うことを理解し、頭を掻いて返答の言葉を絞り出そうとしている。兼森は事の成り行きを見守ろうと決めたようで、拳を膝の上で握り締めていた。
「良かれと思って言ったんだけどなぁ。桜井にそう言われるとは思わなかったよ。――君らは信頼の置ける生徒だから、じゃ答えにならないかな?」
 小夜はどうすべきかの判断の岐路に立たされた。本当のことを言えば、今の吉井先生の言葉では納得し切れない。だが、今下手に深入りしても、相手は大人であるので先に襤褸を出すのは小夜の方であると結果は見えている。もうここが引き際だった。
「あ、いえ。すみません変なこと言っちゃって。続けざまに生徒が亡くなったんで、ちょっと動揺しちゃって……」
 小夜はその場を取り繕おうと言葉を探した。恐らく、これが自然なのだろう。同じ学校の生徒が死に、衝撃を受ける。
 だが今の小夜はg@meに専念してしまっていて、普通ということが分からない。これが普通なのだろうかと暗鬼して、また抜けられぬ迷い路に陥るのだ。
「確かにこの三日で色々あり過ぎたからね。こちらこそ、短慮に言い過ぎた」
 結局、吉井先生の真意は分からず終いだった。だが今はこれでいい。吉井先生がg@meに関わっていようがいまいが、とにかく生きていさえすればいいのだ。それに、経緯はどうあれ小夜は貴重な情報を手に入れることが出来た。g@meに公平性や享楽を求める主催者の性格等を考えれば、きっと今日にでもそのことは他の遊戯者にも知られることになるだろう。だが他より早く、という状況は有利に働くことが多い。それを活かせるかは小夜の力量と運次第だが、少なくとも小夜が僅かながら優位に立っていることに変わりはない。
 用件が済んだので、小夜と兼森は吉井先生に一礼すると職員室の出口へと向かった。
「失礼しました」
 六限目が終わって急に呼び出されたために下校準備をしていない二人は、揃って四階へと足を向けた。小夜はこのとき急に胸が強く脈打つのを感じた。焦点が上手く定めることが出来ない。兼森が横にいる、というこの状況も要因の一つだろう。だが、当然それだけではない。状況が似ているのだ。一昨日もこのような状況で、兼森にひどく抽象的な質問をされた。そのとき小夜は上手く答えられなかった。その光景が脳内に思い起こされ、そのときの醜態がある種の恐れを生み出しているのだ。
 小夜の身体は硬直していた。体が思うように滑らかに動いてくれない。小夜は心を決めた。あのときとは状況が似ていても、小夜には変化があった。二日分だけg@meに大きく踏み込んでいる。
「兼森はさ、」
 突然小夜に話し掛けられたので、兼森は少し驚いて視線を小夜の方に移した。小夜は緊張で顔を引き攣らせながらも、神妙な面持ちで続きを言った。
「兼森は死んだ四人のこと、どう思う?」
 小夜は知らず知らずの内に、一昨日の兼森とほぼ同じ言葉を口にしていた。いつの間にか、身体を占めていた恐れや緊張は薄らいでいる。
 対象となることを絞ってあっても、実際何が聞きたいのかは尋ねていない。つまり、やはり漠然とした質問なのだ。兼森は真面目に考えているようで、少しの間を空けた後話し始めた。
「まず間違いなく、拳銃を所持していたことと関係があると思うよ。四人が同じ日に、ってことなら自殺の線は薄いだろうしね。そうかと言って誰がやったかなんてことはまだ知りようがないけど。もし関係があるなら、多分彼等に銃を渡した人だと思う。拳銃なんて物、中学生が早々手に入れられる代物じゃあない。しかも四人同時になんて有り得ない。口封じのためと考えるのが妥当だと思う」
 兼森の言うことには筋が通っている。どこにも疑いを挟む箇所がない。確信的なことは言っていないが、小夜が期待、あるいは想像していた以上の答えが返ってきた。状況が似ていても、小夜が変化していても、決定的に違うことがある。今回質問に答えたのが兼森だということだ。小夜ではまだ到底及ばない、遥か高みにいるような気がしてならなかった。
 教室に戻った二人は、帰り仕度をして再び教室を出た。本来なら一緒になるはずもないのに、またしても横に並んで歩いている。どちらかが意図したわけでも、意識したわけでもない。自然とペースが同じになっていたのだ。
 だが、二人の間に会話が為されることはなかった。元から少し寡黙な兼森と、その兼森を隣りにして緊張している小夜とでは、話題が上がるはずもない。何も展開がないまま玄関口まで来ていた。
「それじゃあ、また来週」
 兼森はそう言うと、東門の方へ歩いて行った。小夜も何か言おうとしたが、結局言葉が出ず、兼森の後ろ姿にただ手を振るだけだった。もちろん、小夜のそんな心情も行動も兼森には見えていなかった。そう、次に小夜が兼森に会うのは来週の月曜日なのだ。それが何を意味するのか、今の小夜にはまだ理解出来なかった。
 家に着いた小夜は、誰にも何も言わずに自室に戻った。暗い気持ちが抜け切れていない。小夜はドアに背を預けると、そのまま座り込んだ。顔を俯せると、頬に伝わる物を感じる。だが、小夜にはこれが何に起因するのかが分からない。誰か身近な人に不幸があったわけではないし、自分自身に不運があったわけでもない。今日死んだのは、所詮は赤の他人に過ぎない。なのに、胸に押し寄せるこの悲しみは何なのだろう。小夜は何もかもが分からなくなった。
 何故自分は泣いているのだろうか。
 何故自分は悲しんでいるのだろうか。
 何故自分はこんなことをしているのだろうか。
 何故自分は生きているのだろうか。
 いくら悩み苦しもうが、小夜の意志に関わりなくg@meは続けられる。そして、小夜はそれに参加しなければならない。ただg@meの盤面に並べられる、駒の一つにならなければならない。駒に感情など不必要だ。使えぬ駒は切り捨てられるのみ。
 小夜は顔を上げた。何かが吹っ切れたわけではない。悲しみは引き摺ったままだが、それでもやらなければならない。自分のためだけではない。家族の命も懸かっている。他人がどうなろうと、g@meを生き抜かねばならないのだ。必要なのは冷静さと冷酷さだ。いかなる状況下においても物事を的確に判断出来る冷静さ。いざというときにいかなることも為し遂げる冷酷さ。この両者が必要不可欠だ。だが、だからといって常時備えておく必要もない。必要なときに自在に操れれば、それでいい。
「――――ん」
 小夜は涙を拭った。胸にわだかまりを抱えたまま小夜は立ち上がった。今すべきは、悲しみに暮れることではない。だが、このままでは感情に行動が制限されかねない。とりあえず何かで気を紛らわせないといけない。その手段として小夜が思い付く最良のものは、勉強だった。単純な作業でも、難解な問題でも、それをやっている間、頭は一杯になる。
 夕飯まで勉強に集中し切った小夜は、一時的ではあるがとりあえず心のしこりを忘れられていた。心に出来た腫瘍は直ぐに治ることはない。それは小夜とて重々承知している。治そうとしても直ぐにその痛みを思い出し、忘れようとしても直ぐにその傷が疼き始める。そうして長い期間を掛けて痛みが和らいでいき、いずれ消えていくのだ。あるいは、それこそ完全に克服してしまうか。だがそれも生半可なものではない。相当な痛みが伴い、万が一失敗すれば更なる傷が残る可能性さえある。身体的な危機に立たされる可能性のある小夜には、後者のようなリスクは負えなかった。
 そして夕食後、いつもの時刻に小夜はパソコンの電源を着けた。ここからはg@meの時間だ。頭を切り替えねばならない。
 g@meのページにアクセスした小夜は、まず掲示板を覗くことにした。g@me開始以来この場が機能したことは一度としてない。それは今回も同じだった。書き込み件数は相変わらずゼロのままだ。
 元々内容の少ないg@meのサイトでは、掲示板を覗いただけでサイトの半分を見て回ったことになる。残りは告知かメールかしかない。だが、メールなどは必要最低限にしか使わないし、今はその必要なときではないので見る意味もない。当然小夜が次に行くのは告知のページになる。

Fri. Jun. 21th 20:00 "the Third d@y"

 いつもの様な書式でそれは書かれていた。初日から数えて今日でこの告知も三回目だ。文字が上から理路整然と並んでいる様は、どこか美しくもある。小夜はその様子に少しぼうっとしながらも、手は休まずにそこをクリックしていた。
 次に待つのは、当然主催者の声だった。無味乾燥に発せられるそれは、淡々と言葉を連ねていく。

『中には既に知っている者もいるかもしれない。先日このg@meから降りた者達には、今日死んでもらった。これは当然の罰だ。』

 やはり、と小夜は思った。だが実際のところ、それを言うことに意味はあったのだろうか。遊戯者が死ねば、彼らが学校の生徒である以上遅かれ早かれ学校には知れ渡る。ならば、今ここであえて言う必要はない。あるいは、これがただの脅しではないことを主張したいのだろうか。だがそれさえも、拳銃を渡され、前木純が殺された時点で疑う者はいないだろう。
 ならば、何故。

『君達にとっては不運かもしれない。何せ明日六月二十二日は第四土曜日で、学校は休みなのだから。そして、次に君達が行わなければならない殺人の猶予期間も、明日までなのだから。つまり、君達は学校に行かずして誰かを殺さなければならない。』

 そう、公立中学校である豊砂中学校は、第偶数土曜日が休みなのだ。声の言うように六月二十二日は第四土曜日なので休みだ。このとき、小夜は声が聞き逃してはならないことを言ったことに気が付いた。
――殺人の猶予期間も、明日まで。
 小夜は卓上のカレンダーを遡った。g@meの中で与えられた殺人までの猶予期間は三日。明日がその期限日に当たるということは、それは以前の殺人が行われてから三日目、ということを意味する。
 二十二日の三日前に何があったか。
 六月十九日には一体何が起きたか。
 思い出すまでもない。六月十九日の光景は小夜の脳内で鮮明に記憶されている。
 前木純が殺された日だ。
 今の主催者の言葉はつまり、g@me内において前木純が殺されたということを意味する。遊戯者の一人が前木純を殺した。
 ならば、何故。
 小夜はその先を考えようとしたが、声はまだ続いていることに気付き意識をそちらに戻した。胸の拍動が大きい。小夜自身、すごく緊張をしている。何か根幹を揺るがすような問題に触れているような気がしたのだ。

『学校という、法の名の下に学生の行動を縛る特異な場所にいない以上、明日は君達にとってg@meを行うのに難儀するかもしれない。だが場所、時間、手段は一切問わない。ただg@meのルールに従って誰かを殺すのだ。』

 声はそこで止んだ。小夜は何かをしようとしたが、手が動かない。マウスを動かそうにも、身体が強張って動けない。いつの間にか額には汗が滲み出ていて、息遣いが荒くなっている。
 ならば、何故。
 小夜の頭の中は、今それで一杯だった。理由を求めて、脳内で情報が錯綜している。だが、そのせいで逆に混乱し、収拾がつかなくなっている。
 小夜は大きく深呼吸をした。この、まるで禁忌に触れたかのような緊張を解いて落ち着かなければ、何も考えることは出来ない。小夜が目を瞑って二、三回呼吸をすると、それで大分心は落ち着いた。依然として脈拍は普段よりも強く打っているが、これならば冷静に思慮することが出来る。
「今、私は何を疑問に思っている? 何に疑問を感じている?」
 小夜は自問した。正確に状況を整理しようとするのなら、自問して自答する方がいい。その方が、整理と理解を同時に行える。
 小夜は今までのことも含めて、疑問があったことを思い返した。三日間しか経っていないのに、g@meに関する疑問は意外と多い。次に、その中で今必要な疑問を取り出していく。浮かんでは消え浮かんでは消え、それが幾度と繰り返される。そして、最終的に残った疑問は二つとなった。
「主催者は何故四人の死を公言した?」
 小夜は自分で疑問符を掲げながら、その質問に意味がないことに気が付いている。これは所詮、主催者の主観の問題だ。主催者の考えているところを知ろうとしても、それは主催者しか知り得ない。今考えるべきは、客観的事実に基づく疑問だ。そこで小夜は二つ目の、それでいて最初の疑問を口にした。
「前木純は、誰に殺された?」
 g@me開始の鐘を鳴らしたと言ってもいい、一番最初の殺人事件。その場における状況から、小夜はその殺害方法を絞殺と推理した。状況証拠だけで物的証拠は何一つないものの、小夜にはその推理に自信がある。ここで生じる疑問は、絞殺を可能にする凶器が箱の中に無かったことだ。しかし、つい先程の声の言いようでは、前木純は確かに遊戯者に殺された。
「紐状の物もなしに絞殺を、した? 拳銃と綿だけで?」
 小夜の頭の中で生じた疑問はそのまま口を衝いて出た。だが、その疑問も直ぐに淘汰されていく。
 有り得ない。鉄の塊と綿だけで人の首など絞まるはずがない。ではこの事態は一体何なのか。小夜は考えられる限りのことを頭に思い浮かべた。それでも浮かぶのは僅かに一つだけだった。
「例えば――自殺? 遊戯者たる自分を遊戯者たる自分が殺した。これなら、ルールを破っても罰を受ける当人は死んでるわけだから、同じ罰を受ける可能性のある家族のことさえ考えなければ、罰を気にする必要はない。確かに筋は通るわ。……でも、何か釈然としない。遺書みたいな物だってまだ見付かっていないし、第一、自分の身体を落とす必要がないわ」
 小夜がどれだけ思慮して、どの欠片を拾い集めて繋げようとしても、パズルの駒は合わない。決して駒が足りないわけではない。単に小夜が思い付かないだけなのだ。このまま泥沼に嵌まるくらいならば、潔い諦めも時には必要となる。
「――ダメだわ、私じゃ思い付かない。それに、これは根幹に関わる問題かもしれないけど、今優先して考える必要はないかもしれない。それよりも今は――」
 小夜は瞬時に頭を切り替えて、主催者が言っていたことを思い出す。明日は前に起きた殺人から三日目だということ、そして学校が休みだということ。
 つまり、明日をどう過ごすべきか、である。小夜には殺せる遊戯者が二人いる。だが、その内の一人については顔しか知らないので、今のところは実質一人だ。そしてその一人、松永を殺すかどうか。小夜の今の思考の焦点はそこにある。
「g@me開始から三日。他の誰かが遊戯者の一人を既に特定している可能性は充分にあるわ。じゃあ明日は何もしない? ――でも、遊戯者を知りながら何もせず、他のみんなも何もせずに一日が終わってしまったら、二十五分の一の確率に賭けるしかなくなるわ」
 小夜にとって重要なのは、そのリスクだ。明日松永を殺すとして、捕まるリスク。明日何もしないとして、罰を受けるリスク。だが、それらを考えたところで、どちらの方が大きいかなど小夜には分からなかった。ただ一つ言えることはある。そして、それが小夜の明日の行動を決した。
「いずれは誰かが殺さなくちゃならない。なら、私がやるしか……」
 そこまでを胸の内で決めることならば誰にでも出来る。問題なのは、方法と実行力。いかに自分を疑われない方法で殺すか。いかなる状況下でも殺せるか。今の小夜にはどちらも心許ない。だからこそ、今の段階で思考しておくのだ。猶予は一日あるのだから。
「どうやって殺す? 手段は拳銃よね。綿を使った殺し方なんて、窒息死か焼死くらいかしら? どちらもあまり現実的ではないわ。じゃあ拳銃で殺すのは確定として、どうすれば私へのリスクを軽減出来るかしら」
 小夜は脳内で急速にイメージを膨らませ始めた。何かを為そうというとき、やはりシミュレーションという物は不可欠だ。それはg@meだけに関わらず多くの場合に適応する。例えば、スポーツや旅行、勉強もそうだろう。いずれにしろ、これからやろうとすることを始めからイメージすることは重要になる。
 拳銃で殺すときの絶対条件として、相手と対峙していることが挙げられる。いや、何も正面で向き合う必要はない。ただ、少なくとも至近距離にいることが条件になる。だとしたら、明日小夜は松永と会う、あるいは近くにいる必要があるのだ。小夜はまずそれを念頭に置いて考え始めた。
「松永と会うには、呼び出すのが一番手っ取り早いわね。でも、そうすると理由が必要になるわ。それに、私と接触したっていう証拠が残ってはいけない。電話なりメールなりすれば向こうに履歴が残って、私が疑われちゃう。どうすれば……」
 早くも最初の案が消え入りそうになり、小夜は頭を抱えた。しかも、これは数少ない手段の一つなのだ。それの与える心的ダメージは大きい。
「他には、ていうと――待ち伏せ? でも、ダメよ。松永の明日の予定なんて知らないもの。あぁ、もう!」
 小夜は次第に腹が立ってきた。遊戯者の情報を握っているのは小夜で、明日松永を殺そうとしているのに、いざ動こうと考えると途端につまずいてしまう。そんなもどかしさが余計に焦れったく感じられる。
 小夜は机に両肘を付くと、そのままの姿勢で頬をぴしゃりと打った。こんな調子ではいけない。焦って安直な策を立てたら、途端にg@meの舞台から退場だ。それは死を意味する。努めて冷静にならなければならない。
 小夜は気持ちを落ち着かせ、今何が問題になっているのかを整理した。
「松永と接触する上で挙がっている案は、呼び出しか待ち伏せ。松永の予定を知らない以上、そのどちらの案を取るにしても松永への一回以上の連絡が必要になる。その場合に問題になるのが、口実と履歴。ただ、――口実の方は何とでもなるわね。重要な話がある、でも、気分転換がしたい、とか。松永とそれほど仲がいいって訳じゃないけど、そんなに不自然じゃないわ。となると問題なのは履歴だけか……」
 小夜は、自分で思っていたほど障害が多くないことに逆に驚いていた。たかがこれだけのことで自分は少なからず取り乱してしまったのだ。小夜はそんな自分が腹立たしかったが、今の段階で気付けただけでよしとして、履歴の問題を思案することにした。
 要は、履歴が残らなければいいのだ。それから、松永の口から、あるいは周辺から「桜井小夜」という言葉が出なければいい。そのためにはどうすればいいか。やはり最後に残った一枚の壁は、それなりに高さも厚みもあった。だが、小夜はこれを破らなければならない。
「履歴が残らないようにするには――、直接話をする? それには松永の家に行かなきゃならないわ。もし松永が不在で親が出たりでもしたら、もう終わりね。一発で覚えられちゃうわ。これはダメ。じゃあ――、手紙? これもダメよね。郵便受けを見るかなんて分からないし、名前を書けない訳だから怪しさは半端ないわ。となるとやっぱ電話しかないわよね……。履歴の残らない電話のかけ方? 家の電話なら、少し古いタイプのなら履歴は出ないけど、松永の家のがそういうのかなんて知らないし……」
 次々と浮かぶ案は、口に出す前から採用されないのが目に見えている。だがそれでも、声帯を疲労させながら発音した言葉達は、小夜の労に応えてくれた。思い付いたそれは、今まで悩んできた時間が無駄に思えるくらいに何の変哲もなかった。小夜は思い付きながらも、呆れてしばらく声が出せなかった。
「――何だ、公衆電話でいいんじゃない」
 小夜がようやく思い付いたそれは、今となっては数も極端に減ってきており、しかも小夜の年からすると馴染みが薄い。だから、思い付くのに時間が掛かってしまったのも致し方ないと言える。もっとも、携帯電話を使ったとしても非通知設定にすれば、向こうでは小夜の名前は表示されない。だが、携帯電話のシステムなどほとんど知らない小夜に、それを行うだけの、思い付くだけの器量はなかった。
「これでとりあえず必要最低限の物は揃ったわね……。後は具体的な案。ただ、これ以降は松永の予定にかなり依存するから、今決められることは少ないわ」
 それでも、と小夜は出来る限りのことを考え始めた。まず、松永の予定如何で変わることは、時間と場所だろう。そして、時間と場所で変わることは、目撃される可能性だろう。
「時間と場所。この一番具体的な物が決まらないと、計画の立てようがないわ……。早めに電話しないと」
 そう思って小夜は時計をちらりと見るが、時刻はもう九時近くになっている。松永の携帯電話の番号は知っているので、今から電話を掛けること自体に問題はない。だが、これから公衆電話を求めて外へ行くのには無理がある。やはり翌日にするしかない。
「明日朝一で掛ければ大丈夫、か。――うん、今日はここまで」
 小夜はそこで考えを止めると、椅子から立ち上がった。身体中が非常に凝っている。気が付かない内に、今までにない程の緊張を感じていたようだ。小夜は首を二、三回横へ倒した。それだけで音が鳴り、小夜はため息をついた。
「ふぅ……。さ、お風呂入ろっと」
 小夜は着替えを手に持つと揚々と階下へと下りていった。いつの間にか、夕方感じていた深い悲しみは消え失せていた。それは決して忘れてはならない、人の痛みだというのに。
 風呂から上がった小夜は、その後何もせずにベッドに潜り込んだ。頭の中では、とにかくやろうという意志で一杯だった。いずれにせよ、小夜は明日人を殺すことになる。それが真に意味することを深く考えることもなく、小夜は誘われるがままに眠りへと落ちていった。



 翌日、小夜が目を覚ましたのは普段と変わりない時刻だった。目覚ましを掛けた訳でもないのに、どうして早く起きられたのか小夜自身にも謎だった。だが気分は悪くない。カーテンを開け、清々しい朝の陽射しを身体に浴びて大きく伸びをする。一気に覚醒していくのが感じられる。
 小夜は着替えを済ませて階下へと下りていくが、まだ誰かが目覚めている様子はない。小夜は生まれて初めて、家族内で一番早く起きた。実際そうなのかは記憶が定かではないが、小夜が朝早く起きること自体が稀なので、あるいはそうなのかもしれない。
 朝早く起きたものの、母親すら起きていないのでは朝ご飯も食べられない。何もすることのない小夜はただテレビを着けて暇を潰すしかなかった。
 小夜はテレビを見ながらも、その内容に意識を向けていたわけではなかった。だが、そうかといって別のことを考えていたわけでもない。ただ放心状態のまま、そこに座っているだけだった。ところが、不意に視界に入ってきた画面と聞こえてきた音とが、小夜の意識を無意識の内にテレビに向けさせた。
 具体的な名前等は伏せられていたものの、それが豊砂中学校を指していることは明らかで、しかも昨日の四人の死についても言及していた。小夜は食い入るように画面に見入った。急に心臓が早鐘を打ち始める。しかし、やはり詳しいことはあまり分かっていないようで、深いところまでは報道されていなかった。小夜は僅かに落胆しながらも、まだ秘密が保持されていることに安堵した。
 そうこうしている内に母親が起き出してきて、そして悲鳴にも似た第一声を上げた。
「まぁ! 今日は学校はお休みでしょ? 小夜ったら何で起きてるのよ?」
「だぁから、私が早く起きたっていいでしょ? 朝型に切り替えたの!」
 売り言葉に買い言葉で、小夜は見え見えの嘘をついたが、母親はあまり気にも留めない様子で台所に向かった。そんな姿を見て小夜は改めて安堵のため息をついた。これが平凡な日常なのだと感じることが出来る。
 朝食を食べ終えた小夜は、適当な頃合を見計らうと準備に取り掛かった。何のか、と言えば当然g@meのことなのだが、あからさまな態度では臨めない。なので勉強をしに図書館に行くという名目を作りカムフラージュをするのだ。いかにして不審がられずに外に出て電話を掛けられるか。それもなるべく早く。それが今日小夜に課せられた一つ目の大きな課題だ。そして、小夜はその準備をし終えた。
「ちょっと図書館に行ってくるね」
 小夜は靴を履きながら母親にそう伝えた。時刻は九時十分前。九時に開く図書館に行くにはまさにちょうどいい時間だ。そして、休みの日であれ大抵の人が一日の行動を起こし始める時間だ。小夜にとってこれほど都合のいい時間はない。
「何時頃帰ってくるの? お昼はどうする?」
 今日のこの行動も、母親のこの質問も昨晩既に考えてある。小夜は用意された答えを読むだけだった。
「んーとね、昼までには帰ってくる。もしかして混んでたりしたら直ぐ帰ってくるかも」
 今日小夜が図書館に行くのは、ただ公衆電話を借りるためだ。長居する気は毛頭ない。だからここでは、昼まで、あるいは可能性として直ぐ、ということをほのめかすくらいがいいのだ。小夜は靴紐を結ぶとすっくと立ち上がり、玄関を飛び出した。そろそろ夏の暑さに近付いてきている。先週まで続いていた雨模様も、今週はぴたりと止んでいる。まだ梅雨の時期だけに、この晴天の空が気をも晴れにしてくれる。小夜は晴れの日差しを身に受けて、颯爽と歩き出した。
 図書館までは歩いて六、七分ほどだが、小夜にはその道程がいやに長く感じられた。というより、足が思うように進まないのだ。まるで身体が、小夜がこれからしようとしていることを拒んでいるかのようだった。だが実際には、それは精神的な問題に過ぎなかった。図書館に着いたのは、まさに図書館が開こうとしている時刻だった。つまり、七分強で着いたのだ。
 小夜は今の自分の心境に疑問を抱きながら、開館した図書館の前で少しぼうっとしていた。だが直ぐに覚悟と意志を固めると、乱暴に首を横に振り図書館に入った。
 小夜がまず思ったことは、予想以上に人が多いということだった。小夜が呆けている間にも図書館に人が入っていくのは見ていたが、まさか開館とほぼ同時にこれまでの人数になるとは思っていなかった。しかし、小夜にとってこれは嬉しい誤算だ。これで迷うことなく直ぐに家に帰ることが出来る。もしも大して人がいないのに帰り、それを母親に問い質されたら小夜は嘘を隠し通せる自信がなかった。なので、ここで不安要素の一つが消えたことは小夜にとっては嬉しい限りだ。そうして、小夜は階段脇にある公衆電話へと向かっていった。
 今となってはレトロにも思える公衆電話は、小夜の記憶通りの姿をしていた。何せ見る機会がないのだから、知らない内に意匠が変わっていても小夜は気付かない。町や駅などで電話ボックスを見掛けても、もはや振り向きもしないのだ。携帯電話がある今となっては、設置型の公衆電話は前時代的とさえ言える。
 小夜は公衆電話の前に立つと、ポケットから財布を取り出してテレホンカードを手に持った。今朝机をひっくり返す勢いでようやく探し出した物だ。見付かったことは奇跡にも等しい。小夜は残りの度数を確認すると、それを公衆電話に入れ、同時に携帯電話を取り出した。電話を掛けるのは公衆電話からだが、番号は携帯電話に登録してあるので見なければならない。端から見ればかなり異様だろう。携帯電話を片手に公衆電話を掛けているのだ。小夜は番号を押しながらそのことを後悔した。こうなることは事前に予想出来たはずだ。紙にでもメモをすれば回避も出来た。小夜は自分の準備の足りなさに熱り立った。だが、受話器の先でコール音が鳴るのを聞く内に、熱い物はどんどんと熱を奪われて冷めていく。今小夜を支配するのは冷たい心のみだった。
「――はい、もしもし」
 数回のコール音の後、受話器の先から聞こえてきた声は確かに松永のものだった。小夜は深く大きく呼吸をした。
「もしもし、松永? 私、桜井だけど」
 小夜は出来るだけ明るく声を出した。向こうは当然警戒している。今日という日を慎重に過ごそうとするだろう。だからこそ、小夜も遊戯者であることは絶対に悟られてはいけない。
「ああ、おう。何?」
 小夜は耳に意識を集中した。今の松永の言葉からでも、どこか緊張感を抱いているのが聞いて取れる。小夜はそんな松永の警戒心を緩める意味でも、さらに明るい声を出した。台詞はもう考えてあるから、ここからは演技力の勝負だ。
「あのね、中三も夏に入ったら受験で大変になるじゃない? だから今日どっか遊びに行けないかなぁ、なんて。て訳で松永今日暇?」
 小夜のその言葉の後には、しばらくの沈黙があった。小夜の周囲には静けさが満ちている。完全なまでの無音が、小夜の周囲を取り巻いている。図書館特有のざわつきも、今の小夜にはまるで感じられない。今小夜に感じられるのは、この時間と、自分の心の音だけだった。胸が高く脈打ち、それが小夜の体温をじわじわと上昇させていく。
「今日は、塾が七……と、用事があるから無理だ。悪ぃな」
 途方もなく長い時間の中に身を委ねているような気がしていた小夜だが、実際にはそれほど時間は経っていなかった。松永が答えるのに掛けた時間も、スケジュールを確認するのに必要な分だけだ。だが、今の小夜にとって大事なのは、そんな感覚ではない。今日を過ごす上での、情報なのだ。
「そう。こっちこそ忙しい中ごめんね。じゃあ、また今度」
 小夜はそれ以上追求も深追いもせず、一応表面上の挨拶だけを交わして受話器を下ろした。その後に小夜が感じたのは、勝利の確信に浸った優越感だった。やはり松永は甘い。誰かに殺されるのは時間の問題だ。そして、それは今日小夜の手で行われる。
「七時から塾、か。こんな簡単に口を滑らせるなんてね」
 小夜は公衆電話から離れると、用もなく図書館を一周した。図書館を歩く建前上、視線は本棚の方を向いているが、意識は全て今日のことに注がれている。その手段、時間、場所。意識を集中させても、程よい興奮が小夜の思考を妨害する。結局、何もまとまらないままだった。
 再び図書館の入口まで戻ってきた小夜は、時計を確認した。まだ九時半にもなっていない。だが、この混み具合いを見ても、今後空く様子はない。小夜はそのまま図書館を後にした。帰ってからやらなければならないことは山のようにあるのだ。ここで時間を無駄に潰すことは出来ない。

「あら、早いわね。やっぱ図書館混んでた?」
「あぁ、うん。だから家で勉強するわ」
 帰って早々母親にそのことを聞かれたが、小夜は自然と対応することが出来た。事実を事実として話すことにやましさは微塵も感じない。小夜はそのまま二階へと上がった。
 自室に入った小夜はドアに鍵を掛け、椅子に座った。とりあえず紙を広げてペンを手に取る。そして、先程得た情報を記載していった。大した情報量ではないが、それは今日必要とされる最大限の情報だ。
「七時から塾か。松永の通う塾って、確かここから電車と合わせて四十分くらいの所よね。さて、どうしよっか」
 小夜は頭を回転させ始めた。図書館のときに覚えた優越感は、今現実を目の前にして完全に醒めている。昨夜の時点で決まらなかった一番重要なことは、時間と場所だ。この条件から言って時間はほぼ決まった。松永が塾に行くまでの間だ。流石に塾が終わるのを待っていたら、小夜が帰る時間が遅くなり不審に思われてしまう。それに、午後八時を過ぎてしまったらその日のうちには勘定されず、おそらくアウトだ。そうすると、もはや場所自体がその後の正確な時間を決めることになる。つまり、今決めなければならない一番重要なことは場所ということになる。
「場所か……。候補としては、家から駅まで、電車内、駅から塾まで、よね。塾はここよりも都心部にあるから、人気のなさでいったら家から駅まで。今日は土曜だけど、時間も合わせて考えれば電車は相当混んでるはず。木を隠すなら森、って考えるなら電車内ね。でも、駅から塾までの間はメリットがないわ。逆にデメリットの方が大きい。となると――、どちらの方がいいのかしら」
 小夜は選択肢を二つに絞った後で、次にどちらの方が身に掛かる災厄が少ないかを考えた。つまり、捕まらないようにするにはどちらの方が簡単かということだ。
「家から駅までが人気が少ないとはいえ、誰がいつ、なんてのは分かりっこないわ。それに比べて、電車内はみなが同じ行動を取る。というか、混んでいて行動が取れない。人が多い分、証人となる人も多くなるかもしれないけど、一々他人の顔なんて覚えていないわよね。それを考えると地元っていうのはそれだけで不利だわ。顔見知りが多いんだもの」
 双方の短所となることを考えると、電車内という結論に落ち着く。確かにリスクはあるかもしれないが、小夜が考えられる範囲ではそれが一番確実なのだ。
「場所は電車内、と。そしたら、次はどういった状況でやるか。混んだ電車内で拳銃を撃つには、ほぼ密着しないと無理だわ。そして、確実に一発で仕留めるには、頭か胸。でも頭を撃つにはその高さまで拳銃を上げなきゃならない。そうしたら確実に人の目に触れてしまう。やはり胸を撃つしかないわね」
 小夜は脳内で出来るだけ鮮明にその状況をイメージした。
 実際に電車内にいて、そして松永と近接している。小夜はそのまま拳銃を胸の高さまで持ち上げて、引き金を引く。一発の激しい銃声の後に松永は倒れていく。
 小夜はそこまでの映像を脳内で想像して再生した。だが、今の単純な映像だけで考えてみても、まだ問題となりそうな部分は多い。小夜は次にそれらに絞って考えていく。問題の部分を見付け、一つずつ処理していく。それはまるで単純作業だ。だが、単純であるがゆえに見落としの可能性も大きい。それは小夜には決してあってはならないことだ。
「まず、拳銃を生身のまま、というのは有り得ないわ。確実に周りに気付かれてしまう。服の下に忍ばせるか、あるいは鞄の中か――。でも、拳銃って確か発砲したときに凄く熱くなるのよね? そしたら服なんかに密着させてても火傷しちゃうかもしれない。それに硝煙も出るし空薬莢のこともある。でもまあ、これらは別に気を配る必要はないか。凶器が拳銃だということは直ぐに分かるだろうから、薬莢が落ちているのは当然だし、近くの人から硝煙の反応が出ても不自然じゃない。と、それは追い追い考えるとして、やっぱ服はまずいわよね。もう真夏になろうって時期に、何かを忍ばせられるような服装なんて明らかに目立つわ。その点、鞄なら季節を気にする必要はないし、それに鞄の中から撃てば硝煙も薬莢も鞄の中だけで処理出来る。うん、これで決定」
 小夜は椅子から立ち上がるとクローゼットを開けた。中には小夜の服やら鞄やら、とにかく外出用の物具が納まっている。小夜はそれらをいくつか手に取り、その鞄の性質と今必要としている条件とを照らし合わせた。
「そうねぇ――。やっぱ中身が外から見えるのはマズいから、チャックとかで閉められるのがいいよね。そうすると、撃つときは必然的に腕を鞄の中に入れることになるわけだから、チャックは腕側で閉まっていないと。でも、じゃあ銃口はどこから出す? チャックの口が二つある鞄なんて、家には無いわ」
 小夜は少し悩んだが、その問題も直ぐに解決した。何も無理に出す必要はないのだ。現場からはすぐに立ち去るのだし、何より証拠となる拳銃を持ち歩くわけだから、それに比べれば穴の空いた鞄など大した物ではない。つまり、鞄の中から直接撃てばいいのだ。そうすれば弾丸の勢いで鞄の生地は破れ、そのまま貫通していく。
 それを考えると、鞄に付加される条件はそう多くない。季節や服装にある程度合っていて、そして肩掛けのもの、しかも肩から掛けた時に袋の部分がちょうど胸の辺りにくる物。せいぜいこの程度なものだ。小夜はいくつかの中から適当に選び出すと、最終的に一つに決めた。
「ま、鞄はこれでいいか。あとは――と」
 小夜は今選んだ鞄も含めて、再びシミュレーションを始めた。そうして、小夜は一つ大きなことを見過ごしていることに気が付いた。松永と近接するのは、混雑した電車内なのだ。そこで胸の高さで拳銃を発砲すればどうなるか。
「周囲の乗客にも銃弾が当たる可能性がある……」
 万が一流れ弾で他の乗客を殺めてしまった場合、それはg@meのルールに反する。そうなったが最後、次の標的は小夜になってしまう。
「考えろ考えろ。それだけは避けないと」
 小夜は頭の中で一人の人間にだけ銃弾を当てる方法を思案した。発射された銃弾は基本的に直線運動しかしない。ならば、その射線上に松永一人を置くように出来ればいいのだ。
「角度を調節すれば可能、か」
 幾分シビアになるかもしれないが、出来なくはない。その場での判断が増えるようなことはしたくなかったが、この際仕方がない。小夜はそう結論付けた。
 そして小夜は他に見落としがないか引き続きシミュレーションを続けた。そうしてみると、準備すべき物ということに関してはもう思い当たることはなかった。だがそれとは別に、また新たに考えなければならない事柄も出てきた。
「場所って、局所的なことしか考えてなかったけど、何駅辺りがいいんだろう?」
 次に小夜が考えなければならないのは、場所だった。それも、もう少し大局的な視点からの場所だ。これ如何によって、小夜の帰りの足がなくなる可能性も出てくる。うまい場所を選ばなければ、長時間の足止めをくらうか、もしくは徒歩で帰らなければならなくなる。
「家からあまり近い駅だと、疑いの目がこちらに向く可能性がある。いずれは向くんだろうけど、やっぱり疑いの目は広く向いてた方が各所では薄くなるわ、きっと。それに、ある程度は都心に近付かないと電車は混まない。誰が何をしているか分からないほど人が乗っている状態なんて、そんなに多くの駅で起こることじゃないし。とすると、せいぜい二、三駅に絞られるわね。それほどに人の乗り降りがあるような駅なら、他に乗り換えれる線もあるはず。じゃあ、これに関してはその場の判断ってことにして。他には――」
 小夜にとって一番怖いのがこれだった。その場の判断に任せる、ということは裏を返せば何も決まっていないということだ。小夜にそれだけの機転や度量があるのか、小夜には自信がなかった。だが考えてもみれば、その場ですることなど、引き金を引くくらいしかない。あとはひたすらその場から離れようとすればいいのだ。だからこそ、不安は残るがこうしたのだ。
「そうね。どの辺から松永の跡をつけようかしら」
 一番良いのは玄関先からなのだが、松永の家から駅までは短く見積もっても徒歩十分は掛かる。その間松永に、あるいは知り合いに気付かれないとも限らない。誰かの跡をつけたりつけられたりという経験は、普通の人は日常生活では体験しない。だから、勝手など分かりようもないのだ。
 そうかといって、駅前から跡をつけようと思うと、最初に見付けられない可能性がある。その人がどんな服装をしているか等の特徴を押さえていないと、余程親しい人でもない限り一目では判別しにくい。
 それとは別に、松永の家から駅までの間という候補もあるが、これは一番難しい。前二つの可能性を両方含む上に、待ち伏せた道を松永が通らないという可能性さえあるのだ。
 いずれにせよ、どの選択肢を選んでも一様にリスクを負うことになる。
「うーん……。こう考えると、人の目を気にするのって大変よね」
 小夜は迷った。最後の一つを除いたとしても、どちらも甲乙付け難い。だが、これから慣れないことをしに行く前に、慣れないことはするべきではない。それが最終的に小夜が出した結論だった。
「やっぱ、駅前で待ち伏せかしらね。そうしたら服装を選ばなくちゃ。目立つ恰好をして行ったら人の目につきやすくなっちゃう。地味目の地味目の、と」
 小夜は再びクローゼットを開けて洋服をあれこれ選び始めた。これからのことに関して、服装についてはそれに付加する条件がない。ただ目立たない物であれば事足りるのだ。小夜は今まで散々悩みながらも、余所目からすれば何も大したことはしていない。
 何だ彼だで、服を選び出すのに既に小一時間が経過していた。小夜はそれほど多くの洋服を持っているわけではないが、敢えて例えるのなら、遠足を翌日に控えた小学生がおやつを買うときの状況に似ているだろうか。とにかく、妙に心が弾んでしまって、あれもこれもと手を伸ばしてしまうのだ。
「ああ、これもいいわね。あとこれとか……」
 小夜が次の洋服に手を伸ばそうとしたとき、ふとある物が目に映った。四日前に開けてから、ずっとクローゼットの中に仕舞い込んでいた物。一瞬にして小夜の体温を奪っていった物。
 小夜はそれを手に取った。箱を持ち上げただけで、その重量感がずっしりくる。小夜の思考は、それを目にした瞬間に服のことから完全に離れていた。
「そうよね――。今日はこれを使うんだものね。もう一回きちんと使い方とか調べ直した方がいいわね」
 小夜は木箱の蓋を外し、中にある物を取り出した。急に部屋の温度が下がったような気がする。小夜の手に握られた一丁の拳銃は、使われるときを今か今かと待ち望んでいるかのように、その金属光沢を光らせている。
 小夜はその光沢を目にして息を飲んだ。小夜の視線は釘付けとなり、身体は一切の言うことを聞かなかった。今にも飲み込まれそうな恐怖が、今にも引き金を引きたい衝動が、今にも人を撃ちたい欲求が、この拳銃を通して小夜の体内に流れ込んでくる。小夜は首を大きく振って正気を取り戻した。そして、それを一度箱の中に戻すと、パソコンの電源を入れた。まだ四日前のことなので内容もかなり覚えてはいるのだが、失敗は許されないのだ。念を押して過ぎるということはない。
「ええと……、まずは弾丸を弾倉に装弾、と。弾数は――六発全弾入れる必要はないわよね。予備も含めてニ発でいいかしら」
 小夜はパソコンの液晶に映された手順の通りに弾丸を詰めた。いくら情報化が進んだ社会だからといって、このような情報が容易に入手出来るのは、やはり社会的にいい訳がない。だが、今の小夜はその情報化社会の弊害を利用している。利用せざるを得ない。何とも複雑な気分になるのは、致し方のないことだ。
「次は――、弾倉を拳銃に取り付ける」
 小夜は作業を続ける内に動悸がするのを感じた。拳銃を握る時間に比例して、体温は下がり、だが額には汗が滲み、脈拍が上がっていく。小夜は小刻みに震える手で弾倉を拳銃に取り付けた。こういう場面は何度かテレビで見たことがあるが、実際には何と重たいことか。質量だけの問題ではない。心に掛かる重圧が、重い。
「遊底をいっぱいに引いて、引く手を放す。これにより弾丸が薬室に送り込まれる。うーん、次の操作を見る限り、これで準備が完了するわけだけど、これをしちゃうと、万が一引き金を引いたら発砲しちゃうのよね。それは流石に危ないか」
 小夜は遊底に添えた手を離した。いずれは家を出る前にこの操作をしなければならないが、まだ早いし、危ない。小夜は拳銃を机の上に置いた。それと同時に深く息を吐く。
 小夜は狭い部屋の中で、急いで踵を返すようにしてクローゼットに向き直った。中から先程選び出した鞄を掴み出すと、再び拳銃を手に取った。
「拳銃を撃つのは当然利き腕。そうしたら鞄は左肩に架けることになるわけだから――、こんな感じか」
 小夜は鞄を左肩に架けると、鞄の口を開いてその中に拳銃を持った右手を差し込んだ。左手が宙ぶらりのままだと、そのままの状態でいるのは不自然に見える。だが、ちょうど腕を組むようにして左手を右脇に収めれば、それも自然に見える。腕を組んだことで左脇も締まることになるので、若干射角は狭まるが、相手がほぼ密着していることを考えれば別段問題はなかった。
「うん。これなら支障なく出来るわ」
 小夜はご満悦の表情で再び洋服を選び出した。時間はたっぷり残されている。小夜は午前一杯を掛けてようやく着ていく服装を決めた。
 午後になり昼食を済ませた小夜は、まだ一つ決めていないことがあるのに気が付いた。今までのことに比べれば確かに重要度は低いかもしれないが、確実に事前に決めておかなければならないことである。
「ああ、そういえば。いつ頃から待ち伏せてようか」
 松永本人は七時から塾だと言っていた。ちょうど七時に着くように行くなら、六時頃に家を出ればいい。だが問題なのは、松永が実際そうするかどうかだ。塾に行っていない小夜は想像でしかこのことが分からない。
「塾ってどうなんだろ? 早く行って予習とかしてるのかな。それとも授業に間に合うように行きさえすればいいのかな」
 最後に残しておいた課題は、いやに重量を増して小夜にのしかかった。ここで憶測を誤ると、今までの時間が全て徒労に終わってしまう。何より、自分が死ぬ可能性が一気に増えてしまう。小夜は慎重に真剣に考え始めた。
「九時に電話を掛けたときは、多分松永は家にいたはずだわ。そうでなければ返答に時間は掛からない。ということは、朝一で塾に行ったわけではない。松永の性格から考えて、って言ってもあんま知らないしなぁ……。せいぜい、無鉄砲でいい加減だってことくらいかしら。それだけを考えると、早々と塾に行くとは考え難いわよね」
 小夜は迷いに迷ったが、結論として最初の考えをとることにした。つまり、松永は七時に間に合うように家を出る、ということだ。これはもう賭けだった。これで松永が午後一番で塾に行っていたら、小夜の計画の全てが狂い、そして今日何も出来ないで終わる。もしも他の遊戯者が何もしていなければ、死が待っているかもしれない。
「あぁ、頼むから早く行かないで」
 小夜は神にも縋る思いで、両の手を合わせた。だが、直ぐに虚しくなり、現実に向き合い直した。
「で、そうして時間はどうする? 流石に六時じゃ不安だから、五時位から駅前にいようかしら。どうせ駅に来る人は電車を利用する人なわけだから、一時間くらいその場に居続けても誰も気にしないだろうし」
 小夜は今日に関する全てのことを決めると、時計を確認した。今の時刻は一時を少し過ぎたところ。今日一番重要なのが時間と場所であることは、小夜には痛いほど分かっている。小夜は残り時間を大雑把に計算すると、少しでも勉強しようと机に向かった。
 三時間はゆうに過ぎた。予想通りと言えばまさにその通りなのだが、小夜はあまり集中出来なかった。どんなに問題に向かい合っても、頭の中には別の思考が入ってきて勉強どころではなかった。何か不備はないか、見落とした点はないかなど、不安が絶え間なく押し寄せてくる。そして、相も変わらず拳銃がその重たい存在感を嫌というほど主張してくるのだ。小夜の肩身は狭くなり、息をするのも辛くなる思いがした。この三時間は、あまりに苦痛で長く感じられた。
 だが、その三時間が過ぎた後は、何とも言えぬ解放感が小夜の心を満たしていた。やっと重荷から解放されたという気概と、ようやく拳銃を使えるという誘惑が、小夜の心を昂らせた。
「さぁ、少し早いけど行こう!」
 小夜はゆっくりと準備を始めた。焦る必要はない。今は丁寧に事を進めていくことこそが肝要だ。
 まず、小夜は服装を着替えた。散々悩んだ挙げ句決めたというのに、緊張のせいか腕が袖に通りにくい。次に、小夜は拳銃の遊底をいっぱいに引いた。日常生活ではあまり聞き慣れない金属音が鳴り、遊底は元の位置に戻った。今の操作で、弾丸を薬室に送り込むのと同時に撃鉄が起こされたことになり、引き金を引けば弾丸が発射される。
 小夜は息を飲んだ。これからは自分の指一つで人が殺せるのだ。小夜は慎重な手付きで拳銃を鞄の中に入れた。
 時計を見ると、もう五時十五分前になっていた。まだ急ぐ必要はないが、小夜の準備はもうできている。このまま家にいても、やはり気が落ち着かない。
「よし!」
 小夜は自らを鼓舞するために声を上げた。自分の声を自分で知覚し、気が引き締まる。小夜は勢い勇んで階下へと下りていった。家には当然両親がいるが、小夜はそんなことは気にせず真っ直ぐに玄関に向かった。小夜の足音に気が付いた母親が玄関に着く頃には、小夜はもうドアに手を掛けていた。
「ちょっと出掛けてくる。帰りは七時過ぎるかもしれない」
 小夜はそれだけを告げて、家を出発した。今日までの四日間をg@meの前哨戦とするならば、小夜にとっては今日がまさにg@me開始の日になる。
 颯爽と歩き始めた小夜の足はとても軽かった。地味目の恰好をしてはいるが、この暑い季節、顔を隠すような物を着けるのは不自然だ。なので、もし顔を見られでもしたら直ぐに判別されてしまう。とはいえ、小夜の家と松永の家は距離的にある程度離れている上、駅までの経路も全く異なっているので出合い頭に会うこともない。だからこそ、小夜は今ほとんど無警戒な状態で足を進めることが出来るのだ。
 駅前に着いたときにはまだ五時を回っていなかった。時間に依らないのか、駅前にはいつもと変わらぬほどの人間がいる。小夜は駅前の広場を見回すと、適当な場所を探した。駅前を一望出来、かつあまり目立たないような場所。そして、目標を見付け次第即座に行動出来るような場所。条件の個数でいえば僅かに三つだが、その条件を全て満たすことは厳しい。だが、地の利もある小夜はそのような場所を熟知している。駅で待ち伏せることに決めたときから、その場所を第一候補として念頭に置いていた。それは駅の向かいのビルの一階にあるコーヒーショップだった。一応飲食店であるので、一時間くらいはその場に居続けても問題はない。しかも、窓はガラス張りになっているため、席さえ確保出来れば駅前をその眼下に臨むことが出来る。まさに打って付けの場所だった。
 小夜はその店に客がそれほど入っていないことを確認すると、慣れた様子でその店に入っていった。実際にこの店に入ったことがあるのは、僅かに二回だけなのだが。
 時刻がちょうど六時になるまで、小夜はずっと窓の外を凝視していた。明確な目的はあるが、それはただ見ていることであるので、気を抜くことも出来ずさすがに疲れてしまった。だが、もうそのような努力をする必要はない。なくなったのだ。
 今まさに、一人歩く松永の姿を小夜は視界の内に捉えた。一番恐れていた、見落とすという事態はなくなり、小夜も一安心した。だが、ここが気を落ち着けるときではないことは小夜とて分かっている。小夜は急いでコーヒーショップを出ると、足早に松永の後を追っていった。
 松永は特に回りに気を配るでもなく、本当に普段通りに塾に行こうとしていた。小夜も、松永がここまで甘いとは思わなかった。もっとびくびくして、疑心暗鬼になっているものとばかり思っていた。それとも、この町から離れれば安全だと本気で思っているのだろうか。小夜は何故か松永に憤りを感じた。しかし、直ぐにそんな自分を制した。今必要なのは熱さではなく冷たさだ。それを履き違えることがあってはならない。
 ホームにまでやって来た松永と小夜との間隔は、だいたい歩幅五歩分。小夜は今まで、接近する方法を考えていなかった。接近する過程で松永に気付かれたら、それだけで警戒されてしまうし、まして背後などに回り込むことなど不可能にも等しくなる。果たして歩幅五歩が安全な距離なのかどうかは小夜には分からない。小夜は自分の浅はかさを呪いながら、ただ松永の無能さを願うばかりだった。ここまで綿密に計画を立てておいて、最後は運頼みになることがひどく情けない。
 そして、運命を決する鉄の箱がホームに進入して来た。
 ドアが開き、中から人が降りてくる。混雑状況としてはまずまずだ。小夜の予想よりも僅かに多い程度だ。人が降り終わると、外で待っていた人が順番に乗り始める。小夜は松永から離れないよう、そして見付からないように注意しながら、電車に乗り込んだ。
 ドアが閉まり、電車はゆっくりと進み始めた。まだ少し距離が離れているが、都心部に近付いて混み始めるあたりで接近すれば、そうしたら万事上手くいく。
 小夜は緊張感を次第に高めながら、ずっと松永の方を見ていた。吊革に掴まり、その腕で自分の顔が隠れるようにしながら、松永の背中を食い入るようにして見ていた。このとき、小夜には何の実感もなかった。これから人を殺そうとしているなど、思考の片隅にもなかった。ただ見付かるのではないかという緊張が、小夜の拍動を速くさせるだけだった。
 始めの二駅は、乗る人と降りる人とが人数を相殺し合って、せいぜい四、五人増えた程度だった。車内が混み始めるとしたら、だいたい次の駅からだ。小夜はごくりと喉を鳴らした。手にもうっすらと汗を掻き始めてきた。
 ガタンというブレーキ音と共に、電車は多くの人が待つホームへと進入した。明らかに降りようとしている人よりもホームで待っている人の方が多い。小夜は少しずつ松永の方に近付いていった。それと同時に、肩に架けた鞄のチャックを開ける。後はもうタイミングの問題だ。小夜の緊張は高まる一方だった。
 ドアが開き、多数の乗客が乗り込んできた。それに合わせるようにして、小夜は腕を組む振りをして鞄の中に手を入れた。小夜の指先が拳銃に触れる。
――冷たい感触。
 小夜は小さく、あ、と呟く。不意に小夜の世界は時を刻むのを止めた。何かが抜けていく感じがして、体温が奪われていく。小夜の脈拍は一気に正常値に戻った。汗もぴたりと止まり、脳も涼やかに冴え渡る。拳銃は小夜の手に強く握られ、既に身体の一部と化していた。だから、小夜は拳銃の持つ暴力と欲求を一身に受けた。
 早く殺したい。
 早く撃ちたい。
 早く引き金を引きたい。
 その欲求が、小夜の人差し指を引き金へと誘った。耐え難い衝動が、小夜の身体を支配していた。
 そのとき、乗って来た乗客に押されて、小夜は松永の背中にぶつかった。それが小夜の世界を再び動かした。小夜は正気に戻り、早る指を止めた。まだ早過ぎる。小夜の心臓はまた急に高鳴り、汗も噴き始めた。今まさに拳銃に呑まれそうになっていた。
 電車はいつの間にか発進しており、小夜は状況を確認しようと眼だけを動かした。見れば、確かに混んではいるが、まだ身動きが取れないほどというわけではない。これでは実行に移すには危険だ。一応松永の背中に鞄越しに拳銃を突き付けているが、乗り換えの駅までの六駅が勝負となる。
 次の駅に着き、また乗車率が上がっていく。乗車率が上がれば上がるほど、人の不快感は増し、小夜の成功率も上がる。小夜の心拍数は上がりっ放しで、汗も掻き喉も渇いてきた。飲み込む唾の量が少なくて、その度に喉に痛みを感じる。残された時間、駅数も少なくなり、心は焦るばかりだ。
 次の駅でようやく、小夜の望む状況になった。人の肩と肩とがぶつかり合い、だがお互いに身動きが出来ないような状態。小夜は頭の中で路線図を広げた。次の駅で実行したとして、そこからの帰り道を検索していく。次の駅では出来なくて、その次の駅で実行した場合もシミュレートしていった。そうすると、残りのどの駅で実行したとしても、複数の帰路があることが分かった。小夜は成功を確信した。
 そして、引き金に指を通した。
 ところが、今まで散々早っていたこの指を通した瞬間、小夜は恍惚としてしまった。目の前にいる一人の人間を、殺す。このことが小夜の中で否定的な存在として急に巨大化したのだ。果たして、自分はこの重みに耐えられるのだろうか。たとえ自分のため家族のためといって、人を殺していいのだろうか。これが普通の状況ならば答えは否だ。小夜だとてはっきりと断言出来る。だが、今は小夜の命すら懸かっている。自分の命と他人の命。どちらを選ぶかと言われれば答えるまでもない。もちろん自分の命に決まっている。だが、両者を天秤に掛けたとして、天秤はどちらかに傾くのだろうか。小夜の心に大きな躊躇いが生まれた。
 人を殺す。このことが急に怖くなり、それをしようとしている自分が急に怖くなった。小夜の手が小刻みに震え始めた。小夜にしか分からないが、カタカタと音を立てているのがはっきりと聞こえる。額にも、先程とは全く違う冷や汗を掻いている。目の前に立ち塞がった、命の大きさ。小夜がいくら自分を鼓舞しようとしても、その壁は崩れなかった。
 そうこうしている内に、乗り換えまであと三駅になってしまっていた。拳銃を握る手は、ぴたりと張り付いたように離せない。何故なら、拳銃は今尚その衝動を抑え切れていないのだから。だが、その衝動すら凌駕する、拳銃とは違う恐怖。
 今やらなければ、自分は死ぬかもしれない。自分がやらなければならない。小夜は自身に言い聞かせた。そう暗示を掛け続けることで、小夜は束の間でも恐怖を忘れようとした。そして、小夜は更に恍惚の渦へと埋没していった。
 電車は既にホームを出発していた。乗り換えの駅まであと二駅。小夜は唾を飲み込んだ。もう躊躇うことは出来ない。小夜は冷静さを欠きながらも辺りの様子を確認した。乗車率は上々。目の前には背中を向けた松永がいて、その背中に小夜は拳銃を突き付けている。角度も、銃口をやや上に向けることで射線上には松永しかいない。状況として、これほどに良好なことはない。
 電車は駅のホームへと進入していった。電車の速度が遅くなるにつれて、小夜の時間も遅くなっていくような気がした。この時間が、小夜を余計に蝕んでいく。
 ドアがゆっくりと開く。長い時間を掛けて開いたドアから、人が降り始める。その歩みは明らかに亀よりも遅い。遅く感じられる。小夜も、松永を押しながら足を動かし始めたが、やはり遅くしか動かない。指が震える。汗が流れる。心臓が脈打つ。
 小夜の口から、不意に言葉が漏れた。

「ごめん……」

 小夜の掠れた呟きは誰にも届かなかった。小夜は指に最小限の力を込め、そして――引き金を引いた。
 世界は破裂音とも爆発音ともつかぬ音によって再び速度を取り戻した。車内の人はそれが何の音かも分からないまま、それでも動きを止めようとはしなかった。だが、朱い鮮血が車内を塗り上げた途端に、人のざわめきは悲鳴に変わった。音が銃声だと認識するや、人々は歩みを走りに変えてその場から逃げ出した。駅の構内は一瞬にして混乱に陥った。小夜はいち早くその場から遠ざかるために、混乱に乗じて走り出した。だが、時間の流れは元に戻ったというのに、足が回らない。それどころか、何かが喉の奥から込み上げてくる。小夜は階段を下りながら、その途中で立ち止まらざるを得なかった。手を口元にもっていこうとして、その右腕が未だに鞄の中に入っているのに気が付いた。小夜は右手を離そうとしたが、拳銃は吸い付いたように小夜の手から離れなかった。そうこうしている間にも、喉を駆け上がる物がある。
 小夜は仕方なく、その状態のままトイレに駆け込んだ。階段を下りて目の前にあったのは幸運だった。個室に入り鍵を閉めると、便器に顔を近付けそのまま嘔吐した。ありとあらゆる物が口から吐き出されていく。胃がねじ切れそうだった。
 小夜はしばらく俯いたままでいた。心臓は依然その脈を早く打ち続けていたし、吐き気も治まらない。ようやく落ち着きを取り戻したところで、小夜は拳銃から手を離した。だが、鞄から抜いた手は自制出来ないほどに震えていた。今になって、引き金を引いたときの感覚が思い出される。
 引き金は小夜が思っていたほど重くはなかった。しかし、それの反動は凄まじく、片手で撃ったことが悔やまれた。完全に右腕が痺れていて、持ち上げている状態がやっとだ。身体的にこれだけの代償を払いながら、人を殺したという身体的な実感は湧いてこない。ただ、絶対的な罪悪感が留め処なく噴き出してくるだけだ。そして、それが恐怖となり小夜に襲い掛かっているのだ。
「しっかり、しなくちゃ……」
 小夜は現在の状況を、混乱したままの頭で考えて、早くこの場所を離れなければならないという結論に達した。
 だが、そう思って小夜が立ち上がろうとしても、まるで足に力が入らない。小夜にとっては初めての経験だが、これがおそらくは腰を抜かした状態なのだろう。小夜は心底情けなくなった。たとえ冷たい頭で綿密な計画を立てたとしても、たとえ計画に沿ってそれを実行するに足る力があったとしても、それらを支えるだけの精神力が無ければ意味がない。いずれ直ぐに捕まってしまう。それを仕方のないことだと割り切ることは出来る。だが、普通の生活では必要ないと言い張っても、今現在は必要なのだ。
 壁に捕まりながらも何とか立ち上がった小夜は、狭い個室の中で一歩一歩確認しながら足を慣らしていった。千鳥足にも近い状態で、気を抜けば直ぐに倒れてしまいそうだったが、小夜は歩き出した。今夜小夜にすることはない。あとは迅速に帰れればいい。たとえ千鳥足でも、誰にも見咎められずに家に着けばいいのだ。小夜は気力を振り絞って個室のドアを開けた。

 気が付くと、小夜は自宅の前に立っていた。どうやってここまで来たのか、全く覚えていなかった。小夜ははっとして自分の身体を眺めた。電柱の光があるとはいえ暗いためよく見えないが、血は付いていない。その左肩にはきちんと鞄が架かっていて重みもある。小夜はそれだけを確認すると、石のように重たくなった足を引き摺るようにして玄関の扉に手を掛けた。
「ただいま……」
 小夜は力無くドアを開けた。今の小夜には、このドアすらも重く感じられる。ドタバタと音がしたかと思うと、リビングのドアを開ける音がして血相を変えた母親が駆けて来た。
「小夜っ! 何時だと思ってるの? 心配したんだからね!」
 母親がどうやら怒っているということを、小夜はぼんやりとながら理解した。ポケットから携帯を取り出して時間を確認する。時刻は九時を遥かに回っている。記憶が曖昧な小夜としては、どこでそんなに時間を使ったのかがよく分からなかった。
「ほら、入りなさい。ご飯できてるから」
 そう言う母親の口調にもはや怒りの響きはなかった。小夜は本当に母親を心配させていたことに気付いた。それでも母親はこれほどに優しくしてくれる。今の小夜には胸に染みる温かさだった。
「ごめんなさい……」
 聞こえるか聞こえないかの小夜の感謝の言葉は、閉まるドアの音に掻き消された。
 食事を目前に出されても、小夜に食欲は全く起きなかった。むしろ吐き気すら催しそうだ。小夜は手を付けることも出来ずに、ただ一人で食卓に着いていた。
 リビングでテレビを見ている父親と母親は、何の番組を見ているのか楽しそうに笑っている。この二人にg@meのことを話したらどうなるだろうか。この二人に、今日自分が人を殺したということを話したらどうなるだろうか。赦してくれるだろうか。たとえそうなったとしても、小夜は絶対に打ち明けることは出来ない。それは明らかにg@meのルールに反する。そうなったが最後、小夜だけではなく桜井家が消されてしまう。そのようなリスクを負わせる訳にはいかない。小夜が犯した罪は独りで背負わなくてはならないのだ。
「ごちそうさま」
 小夜は力無く立ち上がると、食器を片付け始めた。手を付けた物は少ない。小夜も自分で満腹になっていないのは分かっている。だが、今は胃が受け付けなかった。
 小夜は着替えを取りに二階に戻った。今日はもう早く寝てしまおう。自分は今日出来る限りを精一杯にやった。今ならそう思える。思い込むしかない。自分を正当化し続けなければ、殺人など犯せないし耐えられない。独りになると途端に小夜の足取りは重くなっていく。まるで罪人に似合う足枷をされているかのようだった。
 風呂から上がり、直ぐに部屋の電気を消して小夜はベッドに飛び込んだ。ベッドに入ってしまえば直ぐに眠れると思っていた。だが実際はどうだろうか。瞳を閉じた瞬間、今日起きたあらゆる出来事が映像として小夜に押し寄せてきた。小夜はそれに驚いて、瞳を閉じた瞬間に開けてしまう。だが、その一瞬は小夜の心に訴えるには充分過ぎるほどだった。
 人を殺した。
 予定ではなく、厳然たる事実が小夜の前に立ち塞がる。朱に染まった松永の死体、小夜の手。人の命を奪った一発の弾丸、小夜の指。小夜が目を開けているにも関わらず、あのときの映像は小夜を飲み込んだ。
 急に吐き気を催した小夜は、手近にあったごみ箱を顔の近くまで持っていった。
「――う、ぇ……」
 言葉で表記出来ないような鳴咽を漏らしながら、小夜は迫り来る罪悪感に耐えることしか出来なかった。
 何故か松永の顔が脳裏から離れない。その表情は見えないが、彼の周りが真っ暗なのは分かる。それほど松永と親しかった訳でもないし、好意を抱いていた訳でもない。むしろ、g@meが始まってからは軽蔑し見下していた。それなのに、何故今になってここまで小夜は意識してしまうのだろう。
「私が――、殺した」
 小夜は自身でもよく分かっていた。松永を殺したから、松永の未来を奪ったから、それの報いとして小夜は苦しまなければならない。それが因果応報というものであり、世の常なのだ。
 小夜はもう何もかも考えることが嫌になった。何度かの嘔吐のせいか、瞳には涙が溜まっている。明日が日曜日なのは幸いだったかもしれない。明日になってまだ気持ちの整理がついていないとしても、明日は学校がない。家に、延いてはベッドにずっと籠っていることが出来る。小夜はある種の安堵と不安とを感じた。
 小夜は静かに瞳を閉じた。少しではあるが心は落ち着いてきた。瞳に溜まっていた雫が頬を伝うのを感じる。小夜は眼前の闇に誘われるかのように、次第に微睡んでいった。脳を占めるのは罪悪感だったが、思考を占めるものは違う思いだった。
 明日の今頃には上手く笑えるだろうか。
 まるで何事もなかったかのように、上手く笑えるだろうか。
 小夜の意識は、深く暗い沼の底へと沈んでいった。

第二部

 小夜の意識がはっきりとしたとき、そこには朝が広がっていた。およそ朝には似つかわしくない、暗い雰囲気の朝が。
 昨晩は悪夢で夜中に何度も目を覚ました。だが、実際には悪夢とは言えないのかもしれない。小夜が見ていたのは、得体の知れない何かではなく、その日に起きた事実そのものだったのだから。しかし、その事実は悪夢よりも深く小夜の心を抉った。そして、小夜は起きる度に吐き気を催した。その内の数回は実際に嘔吐もした。
「今、何時……?」
 小夜は重い頭を持ち上げて、時計の針が指す時刻を確認した。まだ七時前である。小夜は嘆息をついた。昨夜からたったそれだけしか時間が経っていないのに、小夜は何回目を覚ましたことか。床に就いてから八時間以上は経過しているが、もしかしたら数時間と寝ていないのかもしれない。身体的な疲労はともかく、精神的な疲労はまるで回復していない。むしろ余計に疲弊している気がする。
 日曜日に朝の七時に起きたのは、小学生のとき夏休みのラジオ体操で起きて以来だ。小夜は心身ともに困憊していたので、迷わず二度寝を選び直ぐに瞼を閉じた。しかし、事実は小夜の甘えを許さず、再び小夜に襲い掛かった。
「小夜? いつまで寝てるの? いい加減起きなさい」
 母親の声で小夜が目を覚ましたとき、既に七度寝くらいはしていた。小夜は今一度時計を見た。時刻は十一時を回っている。昨夜から換算しても、十二時間はベッドの中にいる計算になる。だが、相変わらず心身の調子は優れない。いい加減出す物も無くなってきたので吐き気は治まって来たが、それでも身体を動かせるような状態ではなかった。
「うん、分かってる」
 自分では声を張り上げて返答したつもりだったのだが、実際はいつもと同じ声量しか出なかった。小夜は身体を起こそうと力を入れた。何とか上体を起こすことには成功したが、直ぐに目眩に襲われて再びベッドに伏してしまった。
「うそ……。どうなってるのよ?」
 小夜はそれでも、これ以上母親に気を遣わせてはいけないと思い、再び身体に力を込めた。
 何度目かの目眩の後、小夜はようやくベッドから下りることが出来た。地に足を着けてみても、未だに身体はふらふらとして覚束ない。精神的ダメージがここまで身体に影響を及ぼすとは思いも寄らなかった。
 かなりの時間を掛けて着替えを済ませた小夜は、今にも倒れそうな足取りで一階に下りていった。階段を下りる最中、小夜は身体の不安定さ以上に空腹に襲われた。考えてみれば、小夜は昨日の昼からまともにご飯を食べていない。後数十分もすれば二十四時間ほとんど食べ物を口にしていないことになるのだ。しかも度重なる嘔吐によって、胃の中はほぼ空っぽだ。そろそろ栄養を取らないと、本当に危ないかもしれない。
「まったく、ここ数日朝早かったと思えばこれだもの」
 母親の苦言も、今の小夜には聞こえなかった。そのような言葉よりも今は食事が欲しかった。何より、松永の幻影から解放されたかった。
 丸一日何も食べていない小夜に食欲はあった。だが、それはあくまで胃よりも下の話だ。喉よりも上では、未だに食べ物を通そうとはしなかった。それでも小夜は無理矢理にでも食べ物を押し込み、飲み込んだ。直ぐに吐き気に襲われたが、何とか押しやることが出来た。時間を掛けつつも、小夜は常人以上の朝食、ではなく昼食をその胃に収めた。
「今日はどうするの? また図書館に行くの?」
 母親は今日の小夜の動向を尋ねた。昨夜のこともあり、気に掛かっているのだろう。
「ううん。今日は家で大人しくしてる」
 昨日のことに負い目を感じていたし体調も冴えないため、小夜はそう答えた。そして、二階へ上がろうと席を立ち上がって、あることをふと思い出した。
 小夜はそのままテーブルの上に置いてあった新聞を手に取った。拳銃による電車内での殺人ならば、あるいはその記事が載っているかもしれない。小夜はそう考えて新聞を捲り始めた。母親は不思議そうな眼で小夜を見ていた。
「小夜がテレビ欄以外で新聞を見てるなんて……」
 小夜は母親の言葉を無視してひたすらに文字を目で追った。やはり細かいことに集中すると気分が悪くなるが、小夜はようやくその記事を見付けた。
 記事自体はかなり大きく載っていて、事件の起きた駅名や被害者の名前も載っている。しかし、それ以上事件に関する詳しい情報はまだ載っていなかった。だが、小夜としてはそうでなくては困る。これで簡単に小夜の近くまで捜査の手が及ぶことがあってはならない。せいぜい豊砂中学校までであるのが望ましい。とはいえ、凶器が拳銃ということを考えれば対象からは離れるかもしれない。少なくとも明日は大変になるだろう。学校にマスコミや警察が訪れることになるのは目に見えている。それだけは耐えなければならない。
 小夜はその記事だけを確認すると二階に上がった。自分の部屋に入り、机の上に無造作に置かれているものを見てぎょっとした。そこには昨晩のままの、底の部分に穴の空いた鞄が置いてあった。流石にこのまま放置しておいたらいつ母親に見付かるかも分からない。そう思って小夜はその鞄を手に取った。
「この鞄は穴も空いちゃったし、もう使えないわね」
 小夜はチャックに指を掛け、鞄を開けた。その瞬間、小夜の鼻腔の奥を硝煙の臭いが刺激した。あまり良いとは言えない火薬の臭い。途端に、小夜は嗅覚によって再び昨晩の光景を思い出してしまった。
 車内に香る人々の匂い。辺りに立ち込めた硝煙の臭い。鼻を突くような血液の臭い。
 小夜はそれらの臭いを思い出して思わず噎せて咳き込んだ。喉の奥から再び何かが込み上げてきそうになる。
「こほっ……。昨日のことはもう忘れないと」
 小夜はしばらく腕を口元に宛てて落ち着くのを待った。明日学校でいつも通りに振る舞うためには、昨日のことを全て頭から排除しなければならない。そうでもしなければ、逃れられない罪過に永遠に苛まれなければならなくなる。
 小夜は拳銃を丁寧に木箱へと戻すと、鞄もクローゼットの中にしまった。鞄を捨てるのは少し時間を空けた方がいい。拳銃が凶器に使われたなら、それを鞄の中から撃った、という考えに至る可能性は充分に有り得るからだ。捨てたごみから小夜へと繋がるくらいなら、それは手元に持っていた方が幾分安心出来る。
 小夜は部屋を見回し、他に昨日の痕跡が何も残っていないことを確認した。まだ微かに硝煙の臭いがするが、窓を開け放ったのでやがて消えるだろう。
「うん。これでいい」
 小夜は一人で頷くと、机に座った。昨日も今日も全く勉強をしていない。土日を何もせずに潰してしまうことは受験生にとっては大きな痛手だ。小夜はペンを握り、参考書を開いた。今の小夜にはやる気が十二分にある。
 やる気はあるはずだった。事実、ペンを握り始めてから二時間余りは、一度も休みを入れることなくペンを走らせ続けた。だが、二時間を過ぎた頃からはどうだろう。小夜は何か違和感のようなものを抱き始め、そして遂に勉強に全く集中出来なくなってしまっていた。小夜には思い当たる禍根がなかった。だが、ペンを握る手には、まるでペンを拒絶するかのような感覚があるのだ。
「どうなってるのよ?」
 ペンをしっかり握ろうとしても、指はその形になろうとはしなかった。もっと太い物を握っているときのように指が開いてしまう。
 どうにも集中出来ない以上、無理に続けても効率は下がり成果は出ない。ならばいっそその原因を何とかしようと考えた小夜は、一度手の力を抜き、手の求める形に任せた。すると、ちょうどテレビのリモコンを持つような形で落ち着いている。小夜はしばらく自分の手を見詰めて、はっとした。小夜にはまさか信じられなかった。自分の手が、自分の意思とは離れて違う意志を持とうとは。
「まさか――、拳銃を求めてる?」
 そう考えれば考えるほど、小夜の手は銃把の形にぴったり合っている。小夜は自分で自分が怖くなり、自然と手を震わせた。殺人を犯し、つい今朝までその罪悪感を一身に背負っていたというのに、この身体は既に拳銃を求めているのだ。この手は早く拳銃を握らせろと喚き、この指は早く引き金を引かせろと囃し立てている。では小夜自身はどうなのだろうか。早く人を殺せと命じているのだろうか。
「私は……」
 小夜の手はかたかたと音を立てて震えている。これ以上人を殺したくはない。心では本当にそう思っている。だが、身体は違う。拳銃を引くときの、引いた後の感触を求めているのだ。精神と身体が違う意志欲求を持ったとき、果たしてどちらが勝つのだろうか。
 小夜は腕を机の上で組んで顔を埋めた。手の震えは未だに止まらない。小夜の瞳からは涙が溢れ、腕を伝った。心では普通の人間を演じながら、身体は殺人鬼へと化そうとしているのだ。そのとき人は何を思うのだろうか。それとも、心までも鬼に成ってしまうのだろうか。
「私は……」

 小夜が目を開けたとき、手の震えはようやく治まっていた。時計を見るともう既に五時近くになっている。どうやら少し寝てしまっていたらしい。手の震えは止まったものの、その震えのせいか少し痺れている。これではペンを持つのもままならないだろう。小夜はもう諦めた。g@meの間は普通の精神状態を長く保つのは困難だ。勉強だ何だと言ってはいられない。
 小夜は椅子の背もたれに寄り掛かると、大きく伸びをした。身体から有耶無耶が発散されていく。そうして背筋が伸び切ったときに、小夜はあることを思い出した。そして、そのあることは直ぐにある不安へと繋がった。小夜は即座に時間を遡っていった。
「昨日私が家を出たのが五時十五分前。駅に着いたのは五時少し前。そして松永は六時ちょうどに現れて、電車に乗ったのは五分後だったかしら。そこから――、ダメだ。時計を持ってなかったし電車も混んでたから時間なんて確認出来なかったわ。でも、塾までは電車で四十分もあればいけるから、六時四十五分までには着いてたはず。となれば、松永が死んだのはそれよりも前よね。……うん、大丈夫。八時よりは大分前だわ」
 小夜はそれだけしっかり確認するとパソコンの電源を着けた。小夜が気にしていたのは、もしも八時よりも後に松永が死んだ場合、それはg@meの規定日を越えてしまうということだった。その場合、三日以内のルールにより無作為に一人が犠牲になってしまう。そうなっては折角の小夜の行動も無駄になってしまうのだ。だが実際には、問題の八時までは一時間以上も時間があるので、それに関しては問題はないことが分かった。もう一つ小夜が気に掛かっていたのは、g@meの告知についてだった。g@me開始から、告知は毎日更新されている。とすれば、昨晩も更新されていたと考えるのは当然だ。まして、昨夜は前木が死んでから三日目だ。更新があるのは確実にすら思える。だが、小夜は昨日はそれどころではなく、その告知を見ていない。なので、何が更新されているのかが気に掛かった。
 何度も行き慣れたページは、相変わらず殺風景な様相で小夜を迎えた。小夜は迷わずに告知のページへ飛んだ。時間はまだ五時なので今日の分の更新はなかったが、それでも昨日の分はきちんと更新されていた。それも、これまでとまるで変わらないままだった。

Sat. Jun. 22th 20:00 "the Fourth d@y"

 小夜は何の躊躇いもせずにその項目をクリックした。別窓が開き、あの声が流れ始める。小夜はこの声を心の底から嫌悪する。憎悪といっても過言ではないかもしれない。声質がどうこうではない。もはや生理的に受け付けないのだ。それでも、小夜がg@meの遊戯者で、この声がg@meの主催者という関係が強制的に成立している以上、小夜はg@meが終わるまでこの声を聞き続けなければならない。

『今日は実に愉快だ。三日目ということもあり、ようやくg@meらしくなってきたではないか。今日、3と27が殺された。残る遊戯者は二十三人だ。では、引き続き私を楽しませてくれたまえ。』

 主催者は手短にそれだけを告げるだけだった。g@meに進展があったというのに、それについての発言が「愉快」だけ。小夜の中で何かが弾けそうだったが、小夜はそれを飲み込んだ。このg@meにおける理不尽は身に沁みているはずだ。それに、小夜はもう人を一人殺しているのだ。今更憤ってなどいられないし、憤る資格も無い。
 小夜はウィンドウを閉じると時計を見た。時刻は当然先程からあまり進んでいない。小夜としてはもう勉強が出来る状態ではない。だが、だからといって別の何かをすることもない。こういう手持無沙汰な状態がとても焦れて感じられた。
「――明日の支度でもしよっか」
 小夜はそう思い立ち、時間割りを眺めた。机の引き出しから、月曜日に必要な教科書やノートを鞄に詰めていく。そうして順にしまっていく内に、小夜は明日の特別なことに気が付いた。
「そういえば、明日は体育がある」
 学校の授業で体育が組み込まれることは普通なことだ。それは受験を控えた中学三年生といえども例外ではない。だが、体育の授業ということは当然体育着に着替えて行われる。小夜が気にしているのは、体育着のときにカードをどうするかということだ。
「学校には持っていくんだから、鞄の中にしまって一時間放置しておいても、ルールに反することにはならないはず。でも、鞄の中っていうのが凄く不安ね。もし盗難されでもしたら、一巻の終わりだわ。やっぱ身に付けていた方が安心だけど」
 実際のところ、一時間放置がルールに反しないかどうかも怪しいのだ。主催者はカードを身に付けるように言っていた。同じ校内といえど、教室と校庭では大分距離がある。それが許容範囲なのか否かは小夜にも分からない。それを考えると、盗難の可能性の方がはるかに低い。仮に盗難にあったとして、鞄ごと盗む奴などほとんどいないだろうし、ましてカードだけを盗む奴などいるはずがない。
 その両者のどちらともが心配であるなら、最善の策はやはり身に付けることなのだ。そして今、その身に付ける方法が問題となっている。
「身に付けるとしても、付けれる場所なんて下着くらいしかないわよね。でも下着って言っても、カードの大きさを考えると難しい、ていうか無理だわ」
 小夜は八方を塞がれてしまった。裁縫が得意でない小夜は衣服にカードを仕込むという器用なことは出来ないし、そもそもカードの形状からして無理なのだ。身に付けない場合にしても、不安要素は絶えず付き纏う。
「他の手段はないか。体育中に身に付けていられる、もしくは傍に置いておける方法――」
 小夜は思考を巡らせた。体育中に身に付けているためには、少なくともポケットが付いた服が必要になる。学校であるならば、その服は制服しかない。では、体育中に制服を着ていられるには。小夜はそう考えて一つの可能性を思い付いた。
「見学か――。理由なんていくらでも考えられるから、これが一番かもしれないけど、体育は火曜もあるのよね。二日は適当な理由で誤魔化せたとしても、翌週に同じ手が使えるとは限らない。来週またこんなことで悩むくらいなら、今日の内に解決しなくちゃ」
 光明が見えかけたのだが、小夜はそれを自ら否定した。g@meにおいて、後手後手に回ってしまっては勝機は手に入らない。早め早めに対処していかなくてはならない。
 しばらく悩んだ挙げ句、小夜は結局一番最初に否定した方法を取ることにした。つまり、鞄の中に放置するということだ。放置といっても最大限に見付からないようにはするが、小夜はとりあえずこれで様子を見ることにした。一番の問題はルールに反するかどうかだ。
 その後夕食を終えた小夜は、部屋に戻るとパソコンに向かった。時刻は八時を少し回ったところだ。小夜は本日二度目となるg@meのページへと飛んだ。
 つい数時間前に一度来たというのに、毎回来る度に受ける印象が違う。何と言えばいいのか、重たくなっていっている気がするのだ。少なくとも小夜にはそう感じられた。まるで、g@meで死んでいった人達の命を吸収しているかのように。

Sun. Jun. 23th 20:00 "the Fifth d@y"

 整然と並んでいる文字達は、もはや小夜に何の感慨も与えなかった。今はただ、これらがさも当然のようにあることが憎々しい。小夜はその項目をクリックした。言わずもがな、次の展開はもう分かり切っている。
 新しいウィンドウが開き、そして主催者が話し始めた。

『g@meが開始されて初めての日曜日を迎えた諸君、いかがお過ごしかな? 昨日に二人の遊戯者が死んだから、明日は少し騒がしくなるかもしれないが、今後も期待しているよ。では、明日からも頑張ってくれたまえ。』

 主催者は何も告知することが無いにも関わらず、ただその規則性を保ちたいがためにわざわざ音声を残した。小夜にはもはやどうでもよかった。g@meを牛耳る主催者が何の情報も与えないのであれば、小夜にとってそれの存在に意味はない。
 小夜はウィンドウを閉じると、そのままパソコンの電源を切った。
 小夜は背中からベッドに倒れ込むと、天井の電気を見つめた。特に目的があるわけではない。小夜は無意識の内に右手を翳すと、手の隙間から漏れる光を感じていた。だがそのとき、小夜の手は再び銃把を握る形を作っていた。それに気付いた瞬間、小夜は手をきつく握り締めた。手はそれに抵抗するように広がろうとし、意志と身体の争いのためにかたかたと震えた。
「うそ――。何で……?」
 小夜は自分が信じられなかった。今回は手先だけではなかったのだ。身体の奥底から、何か違う衝動が沸き上がっている。それが何なのか、小夜には分からなかった。いや、実際には分かっている。ただ自分で認めたくないだけなのだ。
 早く引き金を引きたい。
 もう一度人を殺したい。
 そんな衝動が、小夜の意志とは無関係に身体に訴えかけている。小夜にはもう抑えられなかった。この衝動に負けたとき、小夜は殺人鬼へと変わってしまう。
「忘れるんだ。昨日のことは忘れて、明日からまた普通に過ごすんだ」
 小夜は自分にそう言い聞かせて、握っていた拳を解いた。どうやら先程の衝動は瞬間的なものらしく、今は力を抜いても銃把の形にはならなかった。
 いつ訪れるとも知れぬ衝動が、小夜には不安でならなかった。
 気持ちを切り替えるために風呂に入った小夜は、浴槽の中で再び自分の右手を眺めた。いつもと変わらぬ、自分の手、指。数回握ったり開いたりを繰り返しても、それは小夜の意志通りに働く自分だけのものだった。
 その後髪を洗うときも体を洗うときも、小夜は自分の右手を意識し続けた。現時点で克服が出来ない以上、どういう状況下にあると右手が銃把の形を作るのか、早めに知っておく必要がある。
 だが、その後ベッドに入るまでの間、ついぞ右手が意志を持つことはなかった。そうして小夜はそのまま眠りに落ちていった。

 翌朝小夜が目覚めたとき、既に寝坊が確定していた。時計を見ると、明美との約束の時間までもう二十分しかない。小夜は飛び起きて仕度を始めた。どたばたと音を立てて階下へと下りていく。
「もうー! 何で起こしてくれなかったのよ?」
 母親は大して急いだ様子も見せずに朝食を運んできた。これがつい五日前まで繰り広げられていた桜井家の朝の風景なのだ。
「あら。てっきりもう起きてたのかと思ってたわ。小夜ったら最近早起きだったから」
 母親は何の悪怯れもなくそう言った。小夜はいつもの日常に戻っていることがどこか懐かしく、どこか嬉しく、そしてどこか異様に感じられた。g@meにすら日常を感じてしまっていることが気味悪くてならない。
「ほら! 早くしないとまた明美ちゃん待たせちゃうわよ」
 母親にそう言われて小夜ははっとし、急いで朝食を胃に流し込んだ。時間はあと十分。その間に顔を洗って髪を梳かして歯を磨いて、としなければならないことはたくさんある。小夜は駆けるように洗面所へ向かった。
 寸分の狂いもなく、時間通りに呼び鈴が鳴った。このとき小夜はまだ二階で制服を着替え始めたばかりだった。小夜はボタンをはめていく手を急がせた。だが、気が焦れば焦るほど、指は思い通りに動かずかえって時間が掛かってしまう。
 小夜は再びどたばたと音を立てて階下へと下りていき、玄関へと走った。靴を履こうと腰を下ろした瞬間、小夜は自分が体育着を忘れていることに気が付いた。
「あぁ、もう!」
 小夜は駆け足で二階へと上がっていき、そしてまた直ぐに下りてきた。寝坊のおかげかは分からないが、二段飛ばしはお手の物だ。急いで靴を履き、爪先を叩きながら勢いよくドアを開けた。
「いってきます!」
 ドアを開けると、いつもの場所に明美がいた。今思えば、明美と一緒に登校するのは実に四日振りだ。小夜はそのことを思い出して、明美の顔を覗き込んだ。見ると、いつもの小夜の行動を、いつものように笑って見ている。小夜はそれだけで満足だった。これ以上何も聞くことはない。
「それじゃ、行こっか」
 小夜は明美にそう言って歩き出した。また一週間が始まる。空はどんよりと重く、今にも雨が降り出しそうな梅雨らしい天気だった。
「そういえばさあ、私が休んでいた間何かあったかな? 連絡事項とか」
 歩きながら明美は話し掛けてきた。学校を休んでいれば、授業の進度やら何やら気になることはある。特に受験を控える中学三年では、大切な情報が含まれる場合もある。
「うーん、そうねぇ――」
 小夜は週末のことを思い出しながら明美に話した。授業のことを一通り話し終えた小夜は、金曜日に吉井先生から聞いたことを話すか迷った。拳銃所持者がいたことも、その人達が死んだことも、学校ではほとんど広まっていない。小夜は偶然聞いたのだから話しても問題はないのだが、それよりも気になるのは明美の精神的な部分だった。今小夜がこの話をすると、明美の心がまた不安定になってしまうのではないかと心配してしまう。なので、小夜はその話は伏せておくことにした。
 だが、小夜のそんな気遣いを余所に、次に明美が口にした話題は小夜の心をひどく揺さ振るものだった。
「小夜は一昨日のニュース見た?」
 小夜はそのとき一瞬、明美が何のことを言っているのか気が付かなかったし、一昨日していたことにも考えが及んでいなかった。
「一昨日? 何かあったっけ?」
 小夜は自分で一昨日という言葉を口にしてようやく思い出した。そうだ、普通に豊砂中学校に通う生徒が今日話題にすべき一番の事柄があったではないか。小夜はじめじめした空模様とは正反対に、乾いたような冷汗を掻き始めた。汗だというのに濡れている感じがしない。ただ流れているという感覚だけが気味悪く肌を伝っていく。
「うん。ほら、松永くんが殺されちゃった事件……」
 明美も途端に声の調子を落とした。やはり話題にすべきではあっても、話題にはしたくないのだ。小夜は動悸する胸を抑えようとしながら、今必要な言葉を慎重に選んだ。今は、自分から何かを言うべきではない。明美の言葉に適当に相槌を打っていた方が襤褸は出ない。
「あぁ、うん。昨日新聞で見たよ。この前は前木が死んじゃったし、怖いね……」
 小夜はなるべく言葉を少なくしてそう返した。当たり障りのない返事で話題について触れていれば、決して怪しく思われることはない。明美も表情を堅くしている。
「拳銃でって、やっぱ無差別なのかな?」
「どうだろうね。人を殺す人の気持ちなんて分からないよ」
 小夜は自分でそう言いながらひどく心が痛んだ。あのとき、小夜はどんな気持ちだったのか。少なくとも松永に対して殺したいほどの動機はなかった。ただ松永がg@meに対して無頓着に過ぎたというだけだ。普通に生活していれば殺されるような理由は何一つない。だが、小夜は松永を殺した。あのとき、小夜は何も考えていなかった。ただg@meのルールに従って引き金を引いたまでだ。しかし、引き金を引いてしまった以上、小夜は殺人犯なのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
「今日は学校の前とか騒がしくなるかもね」
 明美のその言葉に、小夜は四日前のことを思い出して嘆息をついた。あのときはマスコミに囲まれずに事無きを得たが、やはり今日も正門前にはマスコミが集っているだろう。そう考えるだけでも気分は沈み込んだ。
「うん。今日は西門から入ろ」
 そうしてすっかり暗くなってしまった雰囲気を取り繕うように、次には明美は明るい話をしていくのだった。その気丈に振る舞う様子が、小夜にはひどく哀しく思えた。自分のしているg@meが、親友である明美を巻き込んでいる。そのことが胸に深く痛く突き刺さった。
 正門前にマスコミの姿を認めて西門に回った二人は、何事もなく校舎に入ることが出来た。他の生徒も前回に学んだようで、マスコミに捕まっている生徒はほとんどいなかった。
 教室に入った二人は、少なくとも小夜は教室の雰囲気の異質さに気が付いた。それはいつもと変わらぬ朝の三年C組の光景である。そう、誰もがその光景を演じている。みなが既に松永の死を知っており、にも関わらず誰もがそれに触れようとしない。C組に満ちた虚構は、小夜に強烈な違和感を与えた。この教室にいるだけで、小夜が虚構の世界の外側にいることを否応なく認識させられてしまう。彼等は虚構を作ることで日常に戻ることが出来る。だが小夜の場合、いくら虚構に溶け込もうとしても必ずg@meがその虚構を拒んでくる。小夜には穏やかな日常など与えられはしないのだ。
「――っ」
 小夜は鞄を机の上に置くと、直ぐに教室を出た。この教室にいることが出来なかった。みなが日常を演じながら、その瞳の奥には懐疑を光らせているのだ。実際に松永を殺した小夜にはその光はあまりに強過ぎた。自分に向けられたものでないにしても、その光は教室にいる限り確実に小夜にも届いている。小夜は明るい教室にはいられず、暗い廊下に逃げ場所を求めた。始業のチャイムが鳴るまではそこで時間を潰さなければならない。
「あっれ? 桜井、こんなとこで何してんの?」
 教室の廊下を挟んだ向かい側、音楽室の壁に寄り掛かり一人俯いていた小夜は、不意に話し掛けられて声のする方を振り向いた。あまり声に聞き覚えがない。声の低さからいって男子なのは間違いないが、それ以上は声からだけでは判らなかった。その生徒の顔を見た後も、ほんの刹那それが誰であるかが判らなかった。
「あ、根岸……」
 根岸智則とは一年生のときにクラスが同じだったことを小夜は思い出した。今は確か里沙と同じA組のはずだ。それほどに親しかったわけではなかったし、二年以降は話をしたことすらない。なのに、何故今このタイミングで話し掛けてきたのだろう。小夜は少し訝しげに根岸の方を見た。
「お前、その言い方はオレのこと忘れてたな?」
 小夜の視線を気にも留めず、根岸は尚も小夜に話し掛けてくる。忘れるも何も、特にこれといったことも無かった人のことを、一年と少し経って思い出してもらえるだけありがたい方だろう。小夜はさらに面倒そうな顔をした。時間を潰すのは望んでいることではあるが、こういう人が相手だとその苦痛は減ることがない。
「だって一年のとき以来じゃない。そりゃ忘れるわよ」
「はは、ひでぇな。で? こんな所で何してたんだよ? 一人でやったら暗い顔してさ」
 根岸はあくまで小夜が今何をしていたのかを知りたいらしい。小夜は投げやりな気持ちで、適当にはぐらかすことにした。もうまもなく予鈴も鳴る。早々に会話を切り上げて教室に戻りたいところだった。
「何でもいいでしょ? ちょっと物思いに耽ってただけよ」
 小夜はそそくさと教室に戻ろうとした。教室までは僅かに五歩程度。だが、その距離を小夜が歩く間に、根岸は再び話し掛けてきた。しかもたっぷりと含みを持たせたような、耳に障るゆっくりとした声色で。
「あっれぇ? 桜井ってそんなに松永と仲良かったっけ?」
 小夜ははっとして振り返り、根岸の方をきっと睨み付けた。今の一言は小夜の怒りの琴線に触れた。
「あんた、一体何が言いたいの?」
 小夜はかなり怒ってそう言ったのだが、根岸は両手を少し上げると、口元に笑みを浮かべたまま小夜に背を向けた。そして、そのまま彼はA組の方へと歩いていってしまった。
 根岸が去った後、小夜はかなり動揺していた。根岸の言葉に感情が抑えられなくなってしまっていた。結局、根岸の目的は何だったのだろうか。根岸は遊戯者なのだろうか。だが、遊戯者であるなら、あれほど露骨な接触はしてこないだろう。それともその裏をかいて小夜の動揺を誘ったのだろうか。そもそも何故小夜だったのか。初めから小夜に狙いを絞っていたのだろうか。
 小夜はそこまで考えて根岸の言葉を思い出した。小夜はこの廊下で暗い顔をしていた。そう、C組の生徒であるならば虚構を演じていなければならなかったのだ。小夜がそれから逃げたがために、小夜はC組から浮いて見え、結果根岸のような生徒に絡まれることになったのだ。
「はは、自業自得か……」
 小夜は俯いた。これほどまでに自業自得という言葉が重く聞こえたことはなかった。やがてチャイムが鳴り、小夜は暗い顔のまま教室へと入っていった。
 月曜日の一時限目はホームルームとなっている。毎回毎回、大してやることは無いのだが、今日ばかりはそうもいかないだろう。小夜は席に着きながら緊張して身を硬くしていた。少しずつ鼓動が早くなり、手に汗を掻き始めている。
 がらりと戸を開ける音とともに入ってきた吉井先生の表情は、小夜の予想通りかなり堅くなっていた。そして、教卓の前に立つと教室をぐるりと一望してから話し始めた。
「知ってる人が大多数だとは思うけどね、話しておかなければならないことがある。――一昨日、松永徳治くんが亡くなった」
 小夜はその言葉を聞いた瞬間、身を震わせた。予想していたこととはいえ、改めてその現実を突き付けられると身体が無意識に反応してしまう。そして、無意識に反応した身体はもはや小夜の意志に従おうとはしなかった。小夜の右手は、再び銃把の形を作っていたのだ。
「それで、これから職員会議があるからとりあえず一時限目は自習していてくれるかな」
 吉井先生はその後も何かを話していたが、小夜には全く聞こえてこなかった。今はそれどころではなかった。昨晩小夜が一番恐れていたのは、学校でこの症状が出ることだった。学校という、他人の目に囲まれる公共の場所で右手が銃把の形を作ったときに、果たして小夜に対処出来るのだろうか。そのような不安が、昨夜は小夜を苦しめていたのだ。そして今、それが現実として起きてしまっている。
 小夜は銃把の形を作ったままの右手を、左手と一緒に胸に押し当てた。とにかくこの激しい動悸を抑えて冷静になりたかった。だが、小夜の意志に反する右手は、小夜の心臓すらもその配下に従えた。小夜の鼓動は、治まるどころか更に早くなっていく。小夜はこのとき完全に動揺していた。周りの目が気になっているにも関わらず、全く周りが見えていなかった。
 自分を叱咤したいのに、今の状況では声すらも上げられない。小夜は心の内で自分を叱り付けた。拍動など、所詮は身体の内のことだ。周りの人にそれが見えるはずもない。小夜は自分にそう言い付けて、少しでも頭を冷やそうとした。
 そうしていく内に、胸は相変わらず激しく脈打ちながらも、何とか冷静さを取り戻すことは出来た。そうしてから小夜は頭を回転させ始めた。今、小夜に必要なこと。今、小夜がしなければならないこと。それは銃把の形を作ってしまったこの右手をどうするかだ。自分の意志ではどうにもならない以上、どうにかして誤魔化すしかない。冷静になればその答えはとても簡単なことだった。中指から先の三本の指は丸まってしまっているが、それでも手の平にはまだ隙間がある。小夜は鞄から単語帳を取り出すと、机の上に置き右肘を立てた。そして、そのまま空いた手の平へと顎をそっと置いた。端から見れば頬杖、それ以外に表現のしようはないし不自然さなど微塵もない。こうしていれば、たとえ右手が銃把の形を作ろうとも不審には思われない。
 少し単語帳を流して見ている内に、小夜の鼓動はようやく治まってきた。そうなってやっと、周囲の様子にも気が配れる程度の余裕が生まれた。
 見れば、まだ吉井先生は何かを話している。先程職員会議があると言っていたことから考えても、小夜が悩み苦しんでいた時間は些末なものでしかなかったということだ。そして、今度こそ吉井先生は教卓から離れようとして、一歩足を止めた。
「ああ、そういえば。和田、君も一緒に来てくれる?」
 吉井先生は生徒一人を指名すると、そのまま廊下へと姿を消していった。小夜の記憶が確かなら、和田裕貴は松永と同じ塾に通っていたはずだ。
 それを考えると、やはり事件のことについて問い質すのかもしれない。同じ塾に通っているなら、その行き帰りで何かを見ているかもしれない。小夜はこのとき唐突に不安に駆られた。あのとき、自分はきちんと周囲の状況を把握していただろうか。小夜が殺したという情報が無くても、小夜を見掛けたという情報があるだけで小夜を取り巻く状況は大きく違ってくる。思い返せば、自分では周囲に気を配っていたつもりでも、実際には興奮と高揚でそれどころではなかった。あるいは誰かに見られていたかもしれない。そう考えるだけで、気が気ではなかった。
「そういえばアイツ、変なこと言ってたよな」
 突如小夜の耳に飛び込んできたその音は、小夜を悪循環へと誘う思考から解放してくれた。だが、それと同時に強制的に別の思考を巡らさせた。今の台詞の「アイツ」が誰を指しているかは、言わずとも知れている。
「ああ。何か遊戯者に選ばれたとか何とかな」
 小夜は身を堅くしてその会話に聞き入った。嫌な汗が首筋を伝うのが気持ち悪い。誰と誰の会話かは分からない。ただ音声が空気を伝わって小夜の耳に届く。紛れもなく五日前のことだ。
「遊戯者に選ばれたから殺し合えって言ってたっけ?」
「もしかして、それで殺されたんじゃねえの?」
「ははは、まさか。今時殺人ゲームなんて誰も本気にしねぇよ」
 いくつかの会話が為されたきり、直ぐに別の話題へと移行していった。会話が談笑に変わっても、小夜の身体は尚も強張っていた。彼等にとっては「有り得ない」冗談のつもりかもしれないが、実際にはまさにその通り「有り得ている」ことなのだ。
 彼等がそれを本気にしなかったのは幸いだった。もし殺人ゲームに巻き込まれたという前提で捜査が始まれば、容疑者は確実に少数へと絞られる。その証拠となるのは十九日に逮捕された、拳銃を所持していた四人の生徒達だ。彼等は逮捕された二日後に死に、それに松永が拳銃で殺されたことも合わせれば、その四人と松永が殺人ゲームに関与していたことは明白だ。その五人を重点的に調べていけば、更に殺人ゲームのことについても、果てはg@meにすら行き着くかもしれない。そうすれば自然と小夜の首も絞まっていく。
 小夜は緊張で喉が渇き、ごくりと喉を鳴らすと同時に、一つの危機が回避されていることにどこか安気していた。
 結局、一時限目の内に再び吉井先生が戻って来ることはなかった。和田も、一時限目終了のチャイムが鳴ってから教室に戻ってきた。顔色はやはり優れていない。もしかしたら、職員室で事件に関する情報を何か得たのかもしれない。それが彼を苦しめているのかもしれない。g@meは関係のない生徒まで確実に巻き込んでいる。
 二時限目以降は何の変更もなく授業が開始された。とはいえ、クラスの雰囲気はどこか落ち着かなかった。落ち着かないという表現は正しくないかもしれない。何せ、表面上は平常通りという体裁を自ずから演じているのだから。どう言えばいいか、独特の張り詰めた感じがあるのだ。そして、ぴりぴりとした空気を肌に感じながらも、何事も無く二時限目も終了した。
 とはいえ、何事もなかったのは全体としてのことであって、小夜は二時限目の終わりが近付くにつれてまたしても緊張を強いられることになった。何故なら、三時限目こそが昨日小夜を一番悩ませた体育なのだから。
 チャイムが鳴ると同時に、男子生徒は体育着を持って移動を始めた。中学に入ってからは着替えのときは男女で別れるようになっている。
「――よし」
 小夜は鞄を探る振りをしながら、改めてカードの位置を確認した。昨晩散々悩んだ挙げ句に取った大博打。だが、そうであるからこそ隠し場所には細心の注意を払って模索した。今確認してみても、そう簡単に見付かるとは思えない。盗難が起こる可能性と合わせて考えても、カードが盗まれる可能性は無きにも等しい。
「何か探してるの?」
 背後からそう言われ、小夜はびくっとして振り返った。カードの場所は外側からの感触で確認したので、カード自体を見られたわけではないが、小夜の行為は確実にその生徒の目に留まっていた。
「加奈……。あ、うん、まあね。ちょっと」
 小夜は突然話し掛けられたことに動揺してしまい、応答が少し不自然になってしまった。今のでは、まるで疾しい物を隠すような言い方だ。ただでさえ相手は律義で正義感の強い学級委員の三浦加奈だ。もし見咎められでもしたら、悪くすればカードの存在が知られてしまうかもしれない。小夜は自分からは何も言うことが出来ず、ただ黙って加奈の方を見ることしか出来なかった。
「ふーん。早く行こ? 体育、遅れちゃうよ?」
「あ、うん」
 そんな小夜の懸念とは裏腹に、加奈は大して気に留めた様子もなく、明るい笑顔を残して自分の席へと戻っていった。小夜の席とは反対側の、廊下側の席へと。
 小夜は少しの間疑いの目で加奈の背中を眺めていたが、休み時間も残り五分となったところで急いで着替え始めた。今更何を悩んでもどうにもならない。賭けで大事なのは、自分が賭けた物、そして自分が勝つことを強く信じることだ。後悔は精神的な敗因を生むものでしかない。
 着替え終わった小夜は、他の生徒に追随して校庭へと駆けていった。
 自分を信じろとはいえ、それは今の小夜には至極難しいことであった。今日の体育の授業は小夜の得意なバスケットボールだ。にも関わらず、小夜は教室のカードが気になって集中し切れず何度もミスをしてしまった。頭にあるのは、何事も起こらない静閑なクラスの風景だけだった。
「ほら小夜、しっかりー!」
 コートの脇では美代も応援しているのだが、そんな声援も今の小夜にはほとんど聞こえていなかった。
 結局小夜が出た試合は全て負けてしまった。その原因の大半が小夜にあるのは言うまでもない。小夜は普段と違い、負けたのに大して落ち込みもせずにコートの脇に腰を下ろした。視線を教室の方へ向けないようにしてはいるが、どうも気になり落ち着かなかった。
 なので、小夜の隣に誰かが腰掛けたのにも小夜は気付かなかった。
「まるで何か隠し物が気になってるみたいね?」
 小夜ははっとして横を向いた。そこには先程同様、加奈の姿があった。小夜は息を飲んだ。加奈にとっては自分の職務を全うしているだけかもしれないが、小夜にとっては命を握られたも同然だ。加奈が遊戯者でなくても、相手が相手だけにここでのミスは命取りになりかねない。小夜は下手な間を作らないように、わざとぼかすように答えた。
「あら、そう見える?」
「うん。さっきといい、少し様子が変だわ」
 小夜は加奈との会話を取り持ちながら、上手く誤魔化せないか思案した。その場凌ぎのようなことは言えない。完全に誤魔化し切らないと、今日か明日でばれてしまうかもしれない。
 小夜は緊張しながらも、少しだけ余裕があった。そう、危険な博打だからこそ用意は周到に行ってきたのだ。今のような状況になることも、昨晩の内に充分に推測できたし、検討もした。後は出たとこ勝負だ。それこそ、自分を信じるしかない。
「別に何も無いわよ。次の英語の小テストが不安なだけ」
 小夜は腕を組みながら加奈の方を一瞥した。加奈はまだ疑っているようで、訝しげな表情をしている。
「でも、さっき教室で鞄の中を確認してたわ」
 加奈の問いに、小夜は勝利を確信した。根拠の無い憶測を並べられても、所詮は付焼刃に過ぎない。昨晩から熟考してきた小夜を論破出来るはずもない。
「そ。だから単語の確認をしていたの。今も英単語が頭の中を飛び交って、とてもバスケどころじゃなかったわ。――これで満足?」
 相手に質問をされる前に答えを出しておけば、相手はそれについての質問は出来なくなる。答えは出ているのだから。加奈は納得し切れていないようだが、答えが示された以上質問を続けることは出来なかった。
 ちょうどそのとき鳴った試合終了の笛の音は、間の持てない両者を助けるものとなった。
「あ、次私試合だ。それじゃあね、小夜」
 そう言うと、加奈は小夜がプレイしていたコートの向かいのコートへと駆けていった。小夜は一難が去ったことに胸を撫で下ろした。試合に負けて勝負に勝ったというところだろうか。そうは思いながらも、小夜はやはり自分の甘さを痛感した。いくら対抗策を講じようとも、その策を使わないことが一番なのだ。小夜がもっと気丈に振る舞っていればそれも充分に可能だったはずなのだ。
 一頻り後悔した後で、次に小夜は加奈のことを考えた。前々からそうではあるが、小夜と松永が遊戯者である以上、三十人という人数の中でC組にこれ以上遊戯者がいる可能性は低い。しかし、その可能性はゼロではないので、やはり疑わなければならない。先程と今の加奈の言動は、学級委員のそれを遥かに越えていたように思える。日頃の加奈の様子を知っている小夜でさえも、今日は露骨にしつこく感じられた。断定は出来ないが、疑うべき人物の一人となったことに違いはなかった。クラスメイトをまた疑わなければならないことに小夜は悲しさを感じた。クラスメイトに対する懐疑の目は、どんどん広がっている。信じられる生徒が減っていく毎に、小夜は追い詰められていくように感じられた。空に広がるこの雲がどんどん高度を下げていくかのように、どんどん息苦しくなっていく。
 嘘も方便、または言葉の綾と言いたかった小夜だが、英語の小テストが不安だったのは事実だ。四時限目に行われた小テストの結果は惨々たる結果だった。
「うー。全然出来なかった……」
 昼食の時間、小夜と一緒に机を囲む明美と美代は、笑いながらそんな小夜の様子を見ていた。食事を進める小夜の手は、一向におかずへと向かわず、二人によってどんどんその数を減らされていく。
「あははは。気にすることないって。今日のは少し難しかったもん。ねぇ明美?」
「うん。そうだねぇ」
「じゃあ何で二人はそんなに明るいのよ?」
 美代と明美は小夜を励まそうと声を掛けたが、小夜の問いに対する答えは小夜にとどめの一撃を与えた。
「まぁ、結構出来てたし」
「うん。思ってたよりは点取れたから」
 小夜はもう立ち直れなかった。いくらg@meのことを考えていたとはいえ、思えばこの二日は全く勉強をしていない。テストの点数が悪くなるのも当然と言える。
「ああっ! こうなったらヤケ食いよ!」
 小夜は怒涛の勢いで箸を動かし始めた。三人のおかずが見る見る減っていく。そんな小夜の様子を、美代と明美は笑いながら見ているのであった。三人でのこうした時間がひどく懐かしく感じられ、小夜の胸は胃と一緒に満たされていった。
 当然と言えば当然の結果なのだが、小夜は急いで食べ過ぎたせいで、その後あまり動けなかった。昼休みの時間はどんどん減っていく。小夜は自分の馬鹿を笑いながら、日常に戻れたことが嬉しかった。もしも毎日二十四時間がg@meだとしたら、気が狂っているかもしれない。少なくとも正常な人間ではいられないだろう。それを考えると、自分がまだ普通の人間であることに安堵してしまうのだった。
 残り少なくなった昼休みの時間を潰そうと、小夜は食後の散歩がてら廊下を歩き出した。時間を潰すのなら図書室にでも行くのがいいのだが、今の状態で細かい字を読むのは無理だった。少し歩いたところで、小夜の目には明らかに苛立っている園原の姿が映った。小夜は足を止めて嘆息をついた。園原も小夜の姿を認めた以上、小夜に逃れる術はない。この後の展開を想像するだけで、再びため息がもれてしまう。
「ちょっと小夜、聞いてよ」
 園原はずんずんと小夜の方に歩いてきた。小夜は観念した様子で、再び足を動かし始めた。
「何? 園原さん」
 二人が会話出来る距離に近付くや、園原は一気に捲くし立てた。
「もう、ウチの兄貴ったら、また勝手に私の財布の中身取ってったのよ! 何回言っても止めないし、そもそもね――」
 小夜は園原の愚痴を右から左に聞き流していった。バスケ部の当時も、園原に何か不愉快なことがあると、その憂さ晴らしの相手となるのはいつも小夜だった。憂さ晴らしと言っても、今みたいにただ愚痴をこぼすだけだからいいのだが、そういう性格だからバスケ部でも少し浮いていた。嫌いではないにしても小夜が苦手な理由は、こういうところにある。
 時間を潰せているのならいいかと思っていた小夜だが、あまりに長いために次第に疲れてきた。しかも、園原は声も張り上げているためにそれは苦痛にも等しい。朝礼の校長の長話よりも性質が悪い。そんな小夜を救ったのは、五時限目開始の予鈴のチャイムだった。どうやら園原の愚痴も切りがよかったようだ。
「あぁ、スッキリした! 小夜ありがとね」
 そう言うと園原は笑顔で去っていった。残された小夜の身体には、短時間とは思えないほどの疲労が溜まっていた。そうしてまたしてもため息をつくのだった。
 午後の授業もすんなりと終わり、まるで今日一日が何事も無かったかのようだ。だが、六時限目の授業が終わるや否や、吉井先生が勢いよく教室のドアを開けて入って来た。その表情は一時限目の時と同じく非常に堅いものとなっている。教卓の前に立つと、生徒の方をぐるりと見回して話し始めた。
「この中にもし、一昨日、松永くんが殺された日のことを知っている人がいるのなら、どんな方法でもいいから誰か先生に教えてほしい。それだけだ」
 いつに無く男らしい様子でそれだけを伝えると、吉井先生は直ぐに踵を返して教室を後にした。まるで一陣の風が通り抜けたかのようにクラスは沈黙した。小夜を含め、クラスの誰もが今まであれほど真面目な様子の吉井先生を見たことがなかった。少しの間誰も喋らず動かず、時が止まったような状況が続いた。だがそれも、直ぐに放課後の一風景へと変わっていった。
 小夜も帰り支度を整えると、明美の席へと向かった。明美はまだ机の中をごそごそとしている。
「明美、帰ろ?」
 明美は小夜の方を振り向くと、支度する手を急がせ始めた。朝は小夜が待たせることがほとんどだが、帰りは明美が待たせることが多い。そうして少しの後、二人は昇降口へと歩き出した。
 昇降口へと下りた二人は、校舎の正面に視線を向けた直後表情を曇らせた。その視線の先では、朝よりも数の多いマスコミが群れている。その手にはみな一様にカメラやマイクなどを持っている。
 二人はなるべく早く学校から離れようと、朝と同じように急いで西門から外に出た。
 マスコミから遠ざかれば、そこはいつもの通学路だ。他愛の無い話にも花が咲く。知らず知らずの内に時間は過ぎ、足は自宅へと向かっていく。そうして二人がふと気付く頃には、そこはもう家の目の前であった。
「じゃあね、明美」
 小夜は手を振って玄関へと入ろうとした。
「うん。明日は午後から雨になるみたいだから、傘忘れずにね」
 明美も手を振りながら、小夜の隣の家へと向かっていった。明美の言葉を聞いて小夜は空を仰いだ。暗く重い曇天模様は、今雨が降り始めてもおかしくないように見える。小夜は明美の忠告を頭の中で反芻しながら、ドアに手を掛けた。
「ただいま」
 家に着いた小夜はそれだけを言うと二階に上がった。自室で制服から着替えた小夜は、一階に下りるとリビングに行きテレビをつけた。ちょうどワイドショーが流れている。
「小夜、何か食べる?」
 母親はいつもの調子で小夜に話し掛けてきた。時間的にも、ちょうど三時のおやつという時間だ。だが、今はあまりお腹は空いていない。
「ううん、いいや」
 小夜は一度母親の方を振り返ってから、ソファに座りテレビの方に向き直った。ちょうどそのとき、ワイドショーは土曜日の松永が殺された事件について放送し始めた。
 小夜は瞬間的に身体が強張り、そしてまたしても無意識に右手は銃把の形を作っていた。小夜はソファに座った姿勢のまま、右手の上に左手を重ねて上手く隠れるようにした。立ち位置的に母親から見えるはずもないのだが、やはり自分の意志に関係無く身体が動くと少なからず動揺してしまう。
 身を硬くしながら小夜はワイドショーの情報に聞き入った。それによると、二日前に起きた事件の現場は混雑した車内であったために目撃情報も一貫せず、捜査は難航しているという。また、殺された松永が通っていたということで豊砂中学校の映像も流された。先日にも生徒が不審な死を遂げたため、ワイドショーではかなり大々的に事が報じられている。
「怖いわよねぇ。小夜、あなたも気を付けなさいよ?」
 母親はそう言いながらも、実際にはほとんど小夜とは関係無いことだと思っている。何も知らない母親の言葉が、当事者の小夜には痛いほどに突き刺さった。
 小夜はそのニュースだけを聞くと、右手を隠して母親に感付かれないようにしてリビングを後にした。今のニュースで、忘れかけていたことを思い出した。そして忘れなければならないことも思い出してしまった。
 部屋に戻った小夜は、ドアに鍵を掛けるとそのままベッドへと飛び込んだ。しばらくその体勢のまま右手を押さえ続けた。忘れようとしていたのに。なのにこの右手は一向に小夜の意志を無視し続け、己が欲望を訴え続けている。
「もう一度撃たせろ、とでも言うの!」
 小夜は自分が信じられなくなりそうだった。自分の身体が言うことを聞かない。今や精神よりも身体の方に優先権があるようにすら思える。この右手が銃把の形を作る度に、小夜という個体は身体により蝕められていく。もう一度引き金を引かない限りは。
 しかも、今日は六月二十四日。土曜日から数えて二日目だ。つまり、明日二十五日には誰かを殺さなければならない。そして、小夜には殺せる人物が一人いる。名前も知らないが、確実に遊戯者である生徒を一人知っているのだ。この身体がそれを望む限り、小夜はその生徒を殺すしかない。それはもはや抗えないことだった。
 小夜はベッドから身体を起こすと机に向かった。出来るかは分からないが、一応は受験生だ。勉強をしなくてはならない。g@meのことを、明日のことを考えるのは八時以降でいい。右手は銃把の形を作っているが、その形はペンを持つ分には問題が無い。小夜は頭を切り替えて、有耶無耶を忘れる意味も込めて黙々と勉強に集中した。
 そして迎えた午後八時。夕飯も済ませた小夜は、少し緊張しながらパソコンを起動させた。季節柄、部屋が少しじめじめしている。小夜はこの感覚が嫌いだった。起動時間が異様に長く感じられ、苛立ちが募っていく。
 ようやく作業が可能になると、小夜は直ぐさまg@meのページを開いた。無機質で殺風景なサイト。見飽きたページを無視するかの如く、小夜は一直線に告知のページへと飛んだ。今更、このサイトに変化などあるはずもない。

Mon. Jun. 24th 20:00 "the Sixth d@y"

 小夜はその項目をクリックしようとして手を止めた。
「あれ、そういえば」
 今日学校やニュースで話題に上がっていた人物は一人だけだった。だが、主催者はもう一人のことも言っていたはずだ。
「――そうよ。確か土曜日の更新で、主催者は3と27が殺されたと言っていた」
 二人の遊戯者が殺され、一人しかその話題に触れられていない。そのような事態が起こり得る場合はたった一つしかない。つまり、誰にも遺体が見付かっていないのだ。そうであるならば、それは殺人事件ではなく失踪事件に成り下がり、世間の目もそちらにはいかなくなる。
「そうよね。事件は、起きたことすら知られない方がいいに決まってるものね……」
 小夜は松永を殺すとき、自分が捕まらないようにすることのみを考えていて、その事件が周囲に及ぼす影響を全く考えていなかった。
 学校の生徒が事件に巻き込まれれば、当然そこに警察が介入する。そうなると、学校に向けられる観察、監視の目はぐっと数を増す。生徒の身動きがいくらか束縛されるのは目に見えている。一方、それが失踪であるなら、警察の介入は少なくなる。突然の失踪は原因が分からないからだ。事件に巻き込まれたのかもしれないし、事故に遭ったのかもしれないし、単なる家出かもしれない。中学生ということを考えるなら、警察はまず最初に家出の線を疑う。その生徒の親だとて、初めは大して心配しないかもしれない。いずれにせよ、失踪の場合は警察の介入が軽く、あるいはその介入を少しばかり遅らせることが出来るのだ。この期間はg@meの遊戯者にとっては貴重だ。だからこそ、松永を殺す時点で小夜もこの考えに至らなければならなかった。
 小夜はいい加減自分の不甲斐なさに呆れ果て、マウスに手を置いて動かそうとして再び手を止めた。
 そう、もう一人殺された生徒は、世間的には未だに失踪しているのだ。それはつまり、未だ誰にも見付かっていないということだ。
「なら――」
 小夜は、以前感じた漠然とした不安を再び感じていた。手の平に汗が滲む。小夜は息を呑んだ。
「なら、何故主催者は3の死を知っているの?」
 小夜は頭の中が真っ白になりそうなのを、必死に回転させて考え始めた。主催者が遊戯者を支配出来るのは、カードがあるからだ。カードの中には発信器があり、遊戯者の居場所が手に取るように分かる。
「つまり、一定時間以上移動の無かった者を死亡と見做している?」
 小夜はそう考えてみたが、これは直ぐに否定された。一定時間という明確な線引きなどが出来るはずがない。どこかで寝ていれば、動くことなくその場に居続けることは可能だ。告知をした後、もしその人物が生きていたら洒落にもならない。では、どうやって死亡と判断するのか。小夜はしばらく頭を抱えて考えたが、その方法は一つしか思い浮かばなかった。
「一定時間以上動かなかった場合に、直接見に行く……?」
 誰にも見付からない場所で殺された人物の死亡を確認するには、やはり直接確かめなければならない。そうでもなければ確認のしようもない。だが、小夜の考えが浅いだけで他に方法があるのかもしれない。小夜はそこで一度考えを止め、パソコンの画面に再び目を向けて先程の項目にカーソルを合わせてクリックした。今のことは主催者の問題であって、小夜の問題ではない。小夜がどのような場所で殺しても、主催者は必ずその死を確認してくれる。今はその事実確認だけでいい。
 そうして主催者の声が流れ始めた。

『さて諸君、曇天の月曜日、いかがお過しかな? 明日は、規定の三日目だ。今のところ不満が無いわけではないが、明日もきっと私を楽しませてくれたまえ。それと、明日一つ重大な告知がある。では、以上だ。』

 声は、やはり大したことも告げずにその更新を終えた。いくら今の時点で告知があると知らされても、遊戯者がその内容を知るのは明日だ。今小夜が考えることではない。そう、今小夜が考えなければならないのは、明日の過ごし方だ。十九日のこと、二十二日のこと、そしてそれから今日まで何も無かったことから考えても、遊戯者が他の情報を得ている可能性はそれほど高くない。当然と言えば当然かもしれない。自分の保身のためには自分が遊戯者であることを知られてはならないのだ。もし他の遊戯者のことを知る機会があるとすれば、十九日にしかない。そして、小夜はそこで得たストックを二十二日に使った。その日、小夜の他にもう一人もそうした。小夜よりも相当聡明で冷静な誰かが。
 普通の遊戯者ならここで手詰まりだ。あるいは、初日に運良く二人の遊戯者の正体を知ることが出来たかもしれない。だが、やはり可能性は高くない。だから、運が良かった小夜は、未だにストックを持つ遊戯者の一人として明日殺さなければならない。これは避けることは出来ない。
 小夜は改めて明日殺害を決行する覚悟を決めた。そうなると、考察しなければならないことが多々ある。小夜はいつも思うのだが、この告知の時間、午後八時というのはかなり良く出来た時間だ。学生の生活リズムとして、多くの学生が夕食を食べ終え、しかしまだ寝るには早い時間だ。告知を聞いてから何かを考え始めようとしても、時間が充分にある。まさにg@meにはお誂え向きな時間ということだ。
 小夜はパソコンを開いたまま机に向かい、明日のことを考え始めた。今回は前回の反省も踏まえて、殺人がg@meに与える影響まで考慮しなければならない。とはいえ、することは単純だ。死体を見付からないようにする、ただそれだけだ。やることは単純でも、それを為し遂げるのはやはり難しい。それに、小夜にはそれ以前に問題がある。小夜は明日殺すべき遊戯者のことを何一つ知らないのだ。ただ、相手の顔と遊戯者に与えられた数字しか知らない。これでは手の出しようもない。
「まずは相手のことを知らないとね――。必要になるのは何かしら?」
 小夜は殺すことに際して必要になる事項を考え始めた。まず思い付くのは、名前や住所などの個人情報だ。だが、よく考えてみれば実際にはその様なものは必要ない。ただ相手を殺すだけなのだ。必要な前準備は、相手を呼び出すことくらいだ。確かにその際に名前は必要となるかもしれないが、必ずしも絶対的な条件ではない。むしろ、学校での場所の方が必要になる。
「となると、何組かが必要だわ。番号は4だったから、一年生には違いないわね」
 一年生で顔が分かっている。だが、それ以上のことはいくら考えたところで憶測の域を出ない。なので、いくら今思考を巡らせても、それがどこの誰であるかを特定することは決して出来ないのだ。
「――でも、一年生で顔も分かってるんだから、明日確認することは容易なはずよ。後は、呼び出す方法ね」
 小夜にとって肝心なのは、自分の正体を知られずに相手を目的の場所に呼び出すことだ。呼び出すことに関して、小夜は以前松永を殺すときに一度思案している。そのときに挙がった案は、直接話すか電話、あるいは手紙。
 まず直接話すのは止めた方がいい。確実に小夜の印象を与えてしまうし、今まで接点の無かった人物に突然話し掛けられれば、誰だってその理由を疑う。まして相手は遊戯者で、明日は規定の三日目だ。当然警戒している中でその様な愚行は冒せない。
 次に電話だが、これも明らかに不可能だ。そもそも相手の電話番号を知らない。番号を残り数時間の内に入手することなど到底不可能だ。
 だとすると、消去法からいって今回は手紙が最適ということになる。明日一年生のクラスでその相手を見付けられれば、何とかして手紙を相手に渡すことが出来る。それは人伝でもいいし、ロッカーに入れるでもいいし、とにかく手段はいくらでもある。少なくとも小夜の素性を知られないようにして呼び出すことが出来るのだ。
「方法は手紙で決定として――、残るは内容よね。下手なことを書いて相手にされなかったら話にならないし、不審感だけを煽るようなことも書けないわ」
 相手が有無を言わずに従ってくれるような内容が一番いいのだが、相手にそこまで絶対的な強制力を持つものとは一体何だろうか。どのような内容ならばそうなるだろうか。小夜はとりあえず思い付く内容を紙面に書き出してみた。手を動かしながら頭を使うと、殊の外いい結果が得られることが多い。
「例えば――そうね、『あなたの秘密を知っている』とかかしら? でも、これだと内容が抽象的過ぎるわ。じゃあ、『来ないと殺す!』とかは? ――いや、来ても殺す訳だし、やはり何か内容が無いように見えるわよね。『担任の先生が呼んでる』? ――でも、こういうのは先生に確認されれば簡単に嘘だってばれちゃうし、そこまでの強制力は持たないわ」
 小夜は腕を組んで唸り出した。あまりいい方法が浮かばない。小夜は目を瞑ってさらに熟考した。確実性を帯びた強制力を持つ存在。相手は中学一年生だ。それに対して強制力を持っているのは、当然親や年上の身内、そして教師。
 小夜はそこまで考え、はっとして目を開いた。相手は中学一年生である前にg@meの遊戯者だ。親に握られているのはせいぜい権利くらいなものだが、g@meの中では命を握られている。そして、それを握り締めて放さない存在が唯一人いる。
「そっか。主催者に成り済ませばいいんだ」
 小夜はそう思い至った。確かに、主催者からの手紙とあれば遊戯者は逆らえないだろう。しかし、今までとは全く異なる連絡手段だ。当然それに違和感を覚え、いくばくかの疑いを持つだろう。だが、主催者は疑いを持つことすら許さない。手紙の真偽を疑ったところで、命を握られている以上従うしかない。現時点で、主催者はそれほどまでの強制力を遊戯者に対して持っている。
「よし。大分輪郭がはっきりしてきたわ。これで呼び出す方法はいいとして――、最も肝心な殺人の考証ね」
 誰にも知られずに人を殺すためには、誰もいない場所で行う必要がある。拳銃を使わなければならないため、どうしてもそのときは銃声がしてしまう。それすらも掻き消すためには、相当な山奥か、何か別の音でカムフラージュしなければならない。だが、小夜が住む町の近辺に、それに見合うような場所はない。せいぜい、少し離れた所に工場用地やら小さな山がある程度だ。前者なら人の目が、後者なら銃声の問題がどうしても残ってしまう。
 だが、と小夜はふと思う。今この町の住民の中で、銃声を生で聞いたことのある人が果たして何人いるだろうか。何かが弾けたような爆発音を聞いて、それを銃声だと判断出来る人が何人いるだろうか。せいぜい子供が爆竹で遊んでいる程度にしか思わないだろう。それを考えると、一発や二発限りであれば銃声のことは考慮しなくて済むことになる。そうすると、自然と小夜の選ぶべき道は一つに定まる。
「小山の中、ね」
 小夜は数回行ったことのある小山の様子を思い出そうとした。そうして、頭の中には鮮明な山の風景が広がっていくのだった。これで場所のイメージは完璧だ。後は実際に引き金を引くところまでをシミュレートしていくのみだ。小夜はゆっくりと目を閉じた。脳内で仮想の世界が動き出していく。
 呼び出す。山へ行く。待ち伏せる。見付ける。拳銃を取り出す。遊底を引く。引き金に指を掛ける。狙いを定める。
 そして、そして――、引き金を引く。
 小夜はゆっくりと目を開けた。今の段階では不安要素は何一つとして無い。それはシミュレートにおける都合の良さが多分に影響しているが、それを差し引いても成功の可能性は高いように感じられた。
「あとは何が問題かしら?」
 小夜は今度は後ろ向きな思考に走った。もしも運が全て自分に向かなかったら、どのような不測の事態が起こり得るだろうか。小夜は静かに自分の考えを言葉にして発した。
「まずそもそも来なかった場合。これは私にはどうしようもないわ。後は本当に運任せになる。次、当然相手も警戒してるから、拳銃を持ってくるはずだわ。もしもそれで銃撃戦にでもなったら? 流石に誰かが銃声に気付いてしまうわね。――そうなる前に片を付けるしかない」
 後ろ向きなことを考えて対策を練ろうとも、それも所詮は仮想の話だ。少なからず都合良く考えてしまうのは仕方がない。大事なのはあらゆる可能性を考えておくことだ。策が無くても、心の準備というものはしておくことが出来る。精神を安定させておくことは、やはり欠かすことの出来ない重要な事柄だ。
「最後に、もし誰かに見られたら? 帰りとかはどうしよう? 拳銃を撃てば硝煙の臭いが服に染み付いちゃうし、現場は山だから足跡だって残っちゃう。そこから私に繋がる可能性だって、無いとは言い切れない」
 小夜は深いため息を漏らした。命を奪うことは簡単なのに、それを為し遂げることは難しい。それは当然といえば当然なのだが、やはり壁が目の前に立ちはだかるとそれだけ精神的な疲労度も増す。
 そのとき、小夜は玄関口で明美が言っていた言葉を思い出した。それを確かめるため、直ぐに階下へと駆けていき新聞を広げた。普段ならテレビの番組欄しか見ないのだが、今日はそれさえも無視して一つの記事だけを目で探した。それは奇しくも番組欄の直ぐ脇に載っていた。
「あった! 明日の天気、午後から雨!」
 小夜はそれだけを確認すると、直ぐにまた自分の部屋へと駆け戻っていった。リビングでテレビを見ていた両親は、驚きと不審の目で小夜の言動を見守っていた。それもそうだろう。たかが天気予報を見るためだけに全力疾走する人間など、そう見れるものではない。
 部屋に戻った小夜は、つい先程確認したことを含めて自分の考えをまとめた。
「――雨が降っているのならば、外に出ようとする人は減るし、傘も差すから視界は悪くなる。しかも、雨は硝煙の臭いも足跡も消してくれる。うん、至れり尽せりね。こんなに雨に感謝出来ることもないわね」
 小夜はもはや成功を確信していた。実際には懸念すべき事象はいくつもあるが、今の小夜はこれだけで満足してしまっていた。こうなっては小夜が考えるべきことはもう無い。あとはそのときに向けてひたすら作業するばかりだ。
 その第一段階として、小夜はパソコンで手紙を作り始めた。手紙といっても、ただ紙に文字を印刷するだけだ。流石に手書きではg@meの主催者に似つかわしくなく、疑念を増長させるだけだ。とはいえ、体裁さえ保てていればその内容はさして重要ではない。ただ日時と場所を指定してそこに来るよう書けばいい。
 小夜は手際良く手紙を作成すると、それを打ち出して掲げてみた。紙面の裏から透けて見える光が、目に心地よい刺激を与えてくれる。
「うん、これでよし。――あとは、と」
 第二段階として、小夜はクローゼットの中から拳銃の入った木箱を取り出した。松永のとき、準備として小夜は二発の弾丸を拳銃に込め、その内の一発を使用した。だから、今拳銃の中に残っているのは一発だ。木箱の中にはまだ四発の弾丸が入っている。
「さて、今回は何発積めたらいいかしら?」
 小夜は顎に手をやり考え始めた。前回と今回とでの弾丸を発射する際の相違点は、何と言ってもやはりその接触距離だろう。松永のときは、作為的であれほぼ零距離で、しかも身動きが取れないという絶好の状況だった。だからこそ弾丸も二発あれば充分だった。だが、今回は待ち伏せというひどく不確定な状況になる。相手との距離をどれだけ縮められるかは分からないし、相手は自由に回避行動が取れる。それを考えると、前回のように二発だけでは心許ない。もしかしたら数発の弾丸を使用することになるかもしれない。だが、そうしたらそうしたで、誰かに発見される可能性もどんどん増えていく。
「積める分には何発でもいいのよね。問題なのは実際に何発撃つかなわけで。出来れば一発で片を付けたいんだけど、そのときにどうなるかなんて分からないし。……うーん、結局、この状況下では何発の弾丸があれば安心できるのかっていうことなのよね」
 小夜は成功を信じながらも、拳銃に四発の弾丸を込めた。これが、現時点での成功への自信の確度なのだ。それが多いのか少ないのかは、小夜にすらよく分からない。
 小夜は黒光りする拳銃をしばらく眺めた後で、銃把を握り締めた。最後に残る関門は、前回同様、実際に撃てるかどうかだ。前回の場合、直前になって殺人という恐怖が壁となって立ち塞がった。そのとき、小夜は暗示にも似たものを自分に掛けることで何とか引き金を引くことが出来た。だが、それもやはり状況が良かったからこそ出来たことだ。今回もそれが通用するとは到底思えない。
 小夜が銃把を握った途端、拳銃からは例の衝動が流れ込み、それに呼応するかのように小夜の身体は人差し指を引き金へと誘っていった。
「――もしも精神的に挫けそうになったら、そのときは身体に委ねればいい。そうすればきっと私の身体は欲望を満たそうと引き金を引いてくれる」
 小夜は早る身体を押さえ付け、高鳴る胸を落ち着けて拳銃を木箱へと戻した。小夜という一個の人間の中で、精神と身体が別々の意志を持ち存在している。身体に全てを委ねるということは、それの持つ欲望を考えただけでも背筋に悪寒が走る。その感覚は恐怖とほぼ同じものだ。拳銃を手放した後も、小夜の右手は未だに銃把を握ったままの形を保っていた。
「今日はこれでお終い! さ、早く寝よっと」
 小夜はパソコンを閉じると、風呂に入るために着替えを持って階下へと向かった。明日するべきことの考証は終わった。確実性も小夜の中では充分にある。何も心配事は無い。無いはずなのに、小夜の心は何故か晴れないまま、右手は銃把の形を作ったままだった。恐らくはそこに小夜の不安の種があるのだ。
 小夜は風呂から上がると、明日の学校などの支度を一通り済ませて直ぐにベッドに潜り込んだ。瞳を閉じれば、そこには真っ暗な闇しかない。心の靄が晴れないときは、寝て忘れるに限る。早々に眠りに落ちるためには、何も考えなければいいのだ。今この瞬間も、明日人を殺すときも。



 小夜がその夜遅くまで寝付けなかったのは、もはや言うまでもない。不毛な考えが頭を過ぎり、どうしても落ち着かなかった。ベッドに入ったのは十一時前でも、実際に眠ったのは一時を回っていた。そのような状態で、朝早く起きられるはずがなかった。小夜が目を覚ましたときには、既に明美との待ち合わせの時間が直ぐそこまで迫っていた。
「うー、また寝坊した……」
 小夜は眠い目を擦りながら、ベッドから直ぐに飛び降りてその勢いのまま一階へと下りていった。一階では、ちょうど母親が鼻唄交りに朝食をテーブルに運んでいる。どうも二階で小夜がどたばたしていると、その音は一階にまで聞こえるようだ。
「もう、起こしてくれてもいいのに」
 小夜は悪態を吐きながらも、用意されたご飯を急いで食べ始めた。窓の外をちらりと見ると、昨日と変わらず、今にも雨が降り出しそうな曇天だった。次にテレビへと目を遣ると、ちょうど天気予報が流れていて、これも昨日と変わらず、午後からの雨という予報になっていた。
「ごちそうさま!」
 目線を移動させている間に朝食を済ませられるほどに、小夜は早く食べられるようになっていた。これも全て今までの寝坊のおかげだ。決して習得する必要の無いことではあるが。
 小夜は朝食を終えると直ぐさま二階へと駆けていった。時間まではあと五分とない。
 寸分の狂いもなく明美の鳴らす呼び鈴の音が響く。このとき、小夜はまだ制服の上着に手を通したところだった。小夜はもはや格好はそのままに、荷物を持って部屋を飛び出した。
「いってきます!」
 小夜は靴を履くと爪先で床を数回叩き、ドアを開けた。だが、ふとドアを開けようとしている手を止め、家の方へと向き直った。傘を一つ取り上げると、再び勢いよくドアを開けた。そこにいるのは、例に漏れず驚いた顔をした明美の姿だ。しかも、今日は開きかけたドアが一度止まり、少し間を空けて勢いよく開いたので、明美の驚いた顔も普段と違っている。
「うゎ、びっくりしたぁ」
「ごめんごめん。また待たせちゃって」
 小夜は軽く謝ると、いつものように明美と歩き出した。通学路には同じ学校の生徒が何人も見える。いつもと変わらない朝の風景。明美との会話もいつも通りに弾んでいる。今日人を殺すことになる小夜は、そのことを意識の端には残しつつも、目の前の当たり前の光景に身を浸すのだった。
 六月二十五日火曜日。
 この日が、小夜にとって少なくとも一つの転機を迎える日であることを、小夜自身は未だ知る由もなかった。

 通学中は明美との会話を楽しんでいたこともありほとんど意識していなかったが、学校の正門付近にまだマスコミが数人いるのを見たときには、小夜もその身に緊張を感じざるを得なかった。この非日常的なことが、まだg@meは続いているのだということを否が応にも小夜に思い知らせる。それまで自然に続いていた会話もふと止まってしまう。
 小夜は鞄を掴んでいる右手に違和感を覚えた。一瞥を投げてやると、人差し指だけが立っている。さらには、それとほぼ同時に動悸がし始めている。小夜にはそれだけでも、右手が銃把の形を作っているのだということがはっきりと分かった。
「まだいるんだね……」
 小夜は明美の返事を期待してそう呟いた。明美との会話を成立させることが出来れば、右手から意識を背けることが出来る。だが、小夜の期待に反して明美は小さく頷いただけだった。小夜はじめじめした空気に不快感と焦燥感を覚えたまま、逃げ入るように校舎へとその足を進めていった。
 教室に入った後も、小夜の心はいつまでも翳ったままだった。右手が銃把の形を作っていることももちろんその一因だろうが、原因は他にいくつもあった。今はそのことについて考えたくない。更に気が滅入るのは目に見えているからだ。
 小夜は静かに自分の席に腰を下ろした。始業まではまだ十五分少々ある。昨晩眠れなかった分、少しでも睡眠時間を確保しようと、右手は銃把の形を作ったまま机に突っ伏して目を瞑った。頭を過ぎる雑多なことを無視して、小夜は微睡んでいった。
 小夜が目を開けたとき、ちょうど始業のチャイムが鳴り終えて一時限目の授業が始まっていた。ということは、予鈴のチャイムには全く気が付かなかったということだ。たかが十五分程度のうたた寝なので、それほど眠気は引き摺っていないが、それでも今の状況を把握するのには少しだけ時間が掛かった。
 小夜は時間割りを思い出して鞄の中から必要な教科書類を取り出そうとした。
 だが、直ぐにその異変に気付いた。今まで、これほど長い間それが起きていたことはない。鞄へと伸ばした小夜の右手は、未だに銃把を象っていたのだ。
 小夜は伸ばしかけた手をさっと引っ込めた。瞬間的に身体から血の気が引いていき、目も覚めた。小夜は姿勢を正すと、眼球だけを動かして周囲を見遣った。もしも今不用意に伸ばした右手を誰かに見られていたら、不審に思われるかもしれない。少なくとも、授業中に取るような手の形ではない。
 小夜は緊張で動悸した胸を抑えようと、深く息を吸った。慣れたといえば嘘になるだろうが、それでもこうした緊張を強いられる場面でするべきことは充分に理解している。まず冷静になることだ。頭が混乱した状態のままでは、普段出来ることも出来なくなってしまう。それは小夜にとっては、g@meの遊戯者にとっては致命的だ。
 小夜は何度かの深呼吸をすると、今の自分の状況を顧みた。もう混乱はしていない。僅かに緊張こそしているが、それは小夜の思考の妨げにはなり得ない。
 まず、今が授業中であるということが小夜にとってはネックだった。先生に咎められるような事態は極力避けなければならない。そのためには、きちんと授業に参加している風を見せなければならない。教科書やノートはこの際必須になるのだが、小夜は既に一度鞄に手を伸ばし、そして引っ込めている。二度も同じ動作をするのは不自然極まりない。小夜はこの時間、もう鞄から物を取り出すことは出来ないのだ。
 そうなると、今机の中に入っている物で一時限目を凌がなければならない。小夜は両手を机の中に入れて物色した。手の感覚から、机の中には筆箱とノート一冊だけがあった。だが、今の小夜にはこの二つだけでも充分に救いになる。ノートを取る腕さえ動かしていれば、誰にも不審には思われない。あるいは、それすらも小夜の考え過ぎなのかもしれない。だが、下手をして命を奪われるよりは、少し神経質になるくらいの方が遥かにいい。少なくとも、このg@meが終わるまでは。
 それからの時間は、至って平常通りだった。四時限目にあった体育の授業も、昨日既に一度体育があったためにほとんど心配せずに行うことが出来た。その結果、小夜のチームはバスケットボールで大勝した。この日は加奈にしつこく言い寄られることもなかったので、昼休みを迎えた小夜の心は晴々としていた。
「ホント、小夜って単純よね」
 机を囲んで昼食を取っている美代は、ずっとにこにこしている小夜を見てため息交じりに呟いた。
「でも、今日の小夜は本当にすごかったよ」
 明美はまるで自分のことのように嬉しそうに小夜にそう言った。小夜は悦に入りながら箸を進める。今では、万事が上手くいきそうな気さえする。
「小夜、昼休み図書室に行かない?」
 そのような調子の小夜に、明美は提案してきた。小夜は思わず即答しそうになったが、明美のこの一言が小夜を笑えぬ現実へと引き戻した。今は笑って昼休みを潰すときではないのだ。やらなくてはならないことがある。自然と、小夜の表情から笑みが消えていった。
「あ――、ゴメン。ちょっと用事があるの」
 小夜はそう言うと、残っていた弁当を直ぐに食べて席を立った。昨夜作成した手紙は四時限目の体育が始まる前に制服に忍ばせてある。もちろん、万が一のことも考えて昨日から指紋などは付かないように気を配っている。
 小夜は美代と明美を残して歩き始めた。残された二人からしてみれば、ひどく無愛想な態度だったろう。今まで散々一人で嬉しそうにしていたのに、突然その表情を曇らせて素っ気なくなったのだ。
「もう、急に暗い顔して、小夜ったら何なのかしらね」
 だから、美代がそう口にするのも無理のないことであった。小夜は美代の声を背中で聞きながら、拳を固く握り教室を出た。
 小夜は四階から下りながらも、この後取るべき行動を再確認した。これから間接的に手紙を渡す相手は、4の番号を持つ遊戯者だ。8までが一年生だと主催者の声は言っていたから、その半分の4は確率的にC組である可能性が高い。だから、小夜がまず向かうべきは一年C組の教室だ。そして、相手の姿を確認出来たら、第三者の生徒を呼んで手紙を渡させればいい。
 頭で考える分には簡単だ。問題なのは、効率良く遊戯者を見付けられるかということと、自分の姿が見られないかということだ。そのためにも二階に着いた時点で周囲に細心の注意を払っておく必要がある。
 小夜がそこまで考えたときには、既に二階に到着していた。小夜はごくりと喉を鳴らした。言い知れぬ緊張が小夜を襲う。小夜は感覚を研ぎ澄ませて、一歩を踏み出した。
 階段の正面はD組となっている。生徒が昼休み中に移動することは充分に有り得るが、D組の前の廊下に誰もいないことを確認すると、小夜はそのままC組の方へと移動した。もしC組にいなかったら、その後で他の組を探せばいい。今は誰かに目撃されるのを避けるためにも、出来るだけ二階にいる時間を減らす方がいい。
 小夜はC組の後方の戸から教室の中を覗いた。緊張は更に高まり、汗が小夜の額を伝う。喉が異様に渇きを訴えている。小夜は教室の全体を眺めた後、一人一人の顔を注視した。今一年C組にいる生徒の数はおおよそ十五人。そのほとんどが数人のグループを作り、談話や、本来校則違反であるカードゲームなどをしている。
 そうして、小夜は一つのグループの中にその顔を見付けた。見間違うことがあってはならない。小夜は何度も自分の記憶に残っている顔と今視線を向けている顔とを照合させた。何度繰り返しても完全に一致する。そうでなくては困るのだが、小夜は改めてその顔を見ると深呼吸をした。あとは誰かに頼んで手紙を渡してもらうだけだ。小夜は制服に潜ませていた手紙を、指紋が付かないように角を親指と人差し指で上手い具合いに挟んで取り出した。そして、手紙を渡してくれそうな人を探して周囲を見回した。出来ればC組の生徒である方が都合がいいが、それは出来ればの話だ。無理にそれにこだわる必要もない。
「あ、ちょっといいかな?」
 小夜はちょうどC組に入ろうとする生徒を廊下で呼び止めた。小夜の脈拍が急に上がった。ここさえ乗り切れば安気出来るのだ。小夜に呼ばれた生徒は、きょとんとした顔をしている。
「何ですか?」
「あ、あの生徒にこの手紙を渡してくれる?」
 小夜は微かに震える手で4の生徒を指差しながら、手紙を渡した。グループの中でも彼だけが立っていたので、間違えることはないだろう。
「雅也ですね? 分かりました」
 その生徒は怪訝そうにすることもなく手紙を受け取ると、小走りに教室に入っていった。きちんと渡してくれるか最後まで見届けたかったが、顔を見られるリスクを考えるとそれは叶わないことだった。小夜は直ぐに踵を返して階段へと向かった。
 手紙を渡したとはいえ、手紙の行く末を最後まで見届けていない小夜には、懸念がまだ残っている。だが、それを一々挙げていったらきりがない。小夜は階段を上りながら、頭の中で繰り広げられる不毛な考えを振り払った。これについて悩むのは、学校が終わってからで充分なはずだ。今は学校での授業に集中するべきだ。
 教室に戻った小夜を待っていたのは、相変わらず同じ場所に座っている美代と明美だった。明美はどうやら図書室へは行かなかったようだ。小夜がそのことについて尋ねると、明美は答えた。
「えー? だって一人じゃつまらないじゃない」
 本を読むために行く図書室で、面白いことがある必要はない。いつも通り間の抜けた明美を見ている内に、小夜の頭の中を漂っていたもやもやが一斉に晴れた。昼休みはもう残り少ないが、三人で談話をしていればg@meのことも忘れられそうな気がした。日常に戻ってこられたような気がして、小夜の心は温かくなっていく。小夜は椅子に腰掛けると、颯爽と口を開いた。
 そうして訪れた放課後、小夜はいくばくかの緊張を抱えながらも、いつも通り明美と帰宅していた。待ち合わせに指定した時刻は、一度帰宅してからでも充分間に合うような時間にしてある。早く行くに越したことはないが、先に帰って明美に下手な心配や詮索をされたくはない。気が急くのを抑えて、小夜は明美の歩調に合わせて歩いた。
「まだ雨降らないね?」
 明美は曇天を見上げながらそう言った。小夜もつられて上を見るが、空模様は朝見たときよりもさらに暗く重たくなっていた。その様子は小夜にすごい圧迫感を与えた。小夜は思わず視線を下ろし、気を紛らわそうと言葉を返した。
「雨が降らない内に帰れるといいね」
「うん。そうだね」
 明美は短く言葉を返して、その後黙り込んでしまった。小夜も小夜で違うことに気が向いてしまい、話題を振れるような状態ではなかった。結果、並列して歩く二人の間には沈黙が流れ、ただ地面を踏む足音だけが小夜の耳に届くのであった。
「じゃあ、また明日ね」
 明美の声ではっと気が付いた小夜の目の前には、いつの間にか小夜の家、そしてその隣には明美の家があった。明美の声を合図にお互い手を振ると、別れてそれぞれの家へと入っていった。
 小夜はドアを開けて家に入ると、玄関で一つ深呼吸をした。楽しい学校の時間はこれで終わりだ。今から小夜はg@meの遊戯者にならなければならない。
 小夜はただいまの声も掛けずに部屋に戻ると、時計をちらと見て仕度を始めた。時間的に不都合があるわけではないが、やはり気が急いてしまう。今用意するものは、たった拳銃だけだ。
 小夜は制服から手頃な洋服に着替えた。松永のときとは違い、他人の目に触れる可能性はかなり低いため、服装などにそれほど気を回す必要はない。とはいえ、あまり派手な洋服は着られない。そうして着替え終わると、小夜はクローゼットから木箱を取り出した。拳銃には既に四発の弾丸が弾倉に込められている。昨日の内に再確認したところでは、一度発砲すれば、遊底はバネの力で戻り自動で撃鉄が起こされる。つまり、引き金を引けばもう弾が発射されるということだ。小夜は慎重に手提げ袋にそれを入れ、再び深呼吸をした。たったこれだけの準備で人を殺せるのだ。小夜は高鳴る胸をどうにも抑えることが出来なかった。おそらく人を殺す前のこの高揚に慣れることはないだろう。
 小夜は自身を落ち着かせると、階段を下りていった。母親は小夜の帰宅に気付いたのかどうかも怪しい。だが、万が一帰宅時間が遅くなった場合、下手に動かれたくはない。小夜はリビングで母親の姿を見付けると、言葉を掛けた。
「これからちょっと出掛けて来るね」
 母親は声のする方を振り返り、小夜の姿を見ると何の気なしに答えた。
「雨降りそうだから傘忘れないでね」
 小夜はそれで会話を済ませると玄関に向かった。だが、ふと母親の言葉が気に掛かり、靴を履く手を止めた。さて、傘を持っていくかどうかだ。おそらくこの後確実に雨は降るだろう。だが、小夜は事が完全に終わるまで傘など差していられない。その間に雨が降ってしまえば、片手を塞ぐ傘は完全に邪魔な物でしかない。小夜はほんの少しの間逡巡したが、折りたたみ傘を持って行くということで治まった。そして小夜は立ち上がると、ドアに手を掛けた。
 目的の小山までは歩いて十分ほど掛かる。小夜が家を出たのは、約束の時間の約四十分前だ。単純に差し引きすると、小山で三十分ほど待つことになる。だが、4の遊戯者が早く来る可能性も充分に考えられるため、もう気を抜くことは出来ない。家を出た時点で、もうg@meは始まっているのだ。
 周囲に気を配りながら歩いている小夜だったが、まもなく雨が降りそうということもあり、人気はほとんど無かった。だがだからこそ、数少ない人の視線が気になって仕方ない。実際、小夜に向いている視線などあるかどうかも疑わしいが、人の絶対数が減れば向けられる視線の相対数は増える。何より、一人の行動がやたら目に付くようになってしまうのだ。小夜は無意識の内に肩が張ってしまっていた。既に目の前に見えている小山は、歩けど歩けど近くならないように感じられた。
 ようやく小山の麓に辿り着いた小夜は時計を確認した。歩いていた時間はちょうど十分だというのに、小夜には数時間にも感じられた。この調子では、4の遊戯者が来るまでのおよそ三十分はさらに長く感じてしまうだろう。動かずに息を潜め、常に緊張した状態で待っていなければならない苦痛を考えただけで、小夜の口からは自然とため息が漏れた。
 小夜はため息をついた後に深呼吸をし、再び足を動かし始めた。今ここで落胆の色を見せても意味はないし、むしろ無駄だ。実際に4を殺す場所はもっと人気の無い山の中腹だ。小山のために道も険しくないし距離もないが、確実に先回りしておかねばならない。そのためには一秒の時間も無駄にすることは出来ない。小夜は固く一歩を踏み締めた。
 それから山の中腹に着くまでの道程は、小夜の想像以上に厳しいものであった。梅雨に相応しい湿度の高いじめじめした空気が、小夜の体力と気力をじわじわと奪っていく。吹き出す汗で洋服はべたつき、さらに不快感を増した。唯一救いだったのは、足元が泥濘んでいないことだ。これでもし足元が滑りやすくなっていたら、ますます体力と気力を奪われることになっていただろう。この後雨が降ってしまえば、結局この救いは跡形も無く崩れてしまうが、そのときには全てが終わっている。もう何も心配することはないはずだ。
 小夜は息を荒くさせながらも、ようやく目的の場所に着いた。山の頂上には町を見下ろせる観覧スポットがあるため、稀に人が通ることもある。なので、一応道は踏み固められていて、しかも道らしい道はここにしかない。左右を見回しても、夏を間近に欝蒼と茂った木々しか見えない。この中に人が一人隠れていたとしても、教えられなければ気付くことはないだろうし、いると分かっていても木と人とを判別することは難しいかもしれない。
 小夜は道を逸れて木々の中へと進んでいった。数歩進んだだけでも、木々の葉により夜と思えるほどに暗くなる。先程までいた道を振り返ると、そこだけ明るさが違うのがよく分かる。ここで待っていることで、小夜の絶対的な優位は揺るぎないものであることを実感できる。
 小夜は茂みの中に入ったまま腰を下ろした。いつ来るか分からないとはいえ、まだ若干の時間が残されている。小夜は通ってきた道の方を見つめながら、恍惚となっていた。焦点が定まらず、意識が働いているのかどうかも怪しい。そして、いつの間にか銃把の形を作っていた右手が、無意識に鞄の方へと伸びていた。
 その右手が鞄の中のまさに銃把に触れた瞬間、小夜の身体に一閃の電流が流れた。背筋がぴんと伸び、意識が痛みという感覚に集約される。実際に物理的な意味での痛みは無かったが、拳銃の持つ衝動が小夜にそれを錯覚させた。
 人は痛みを覚えればそれから遠ざかろうとするのに、小夜の右手は触れた状態から決して離れようとはしなかった。ぴたりと張り付いたような、いやむしろ磁石でさらに引っ張られているような感じがする。そして、それに任せて小夜の右手は完全に銃把を握った。今まで形だけを作ってきた右手は、ようやくあるべき場所に戻ったかのように銃把をしっかりと握った。このとき、小夜は何も感じなかった。拳銃を握っているという感覚すらなかった。意識すればそこには確かに拳銃が握られているが、まるで拳銃が身体の一部になったかのように感じられる。身体の一部が拳銃に魅入られ、もはや小夜の意志ではどうにもならないのだ。
「本当、何やってんだか……」
 小夜はそう呟いていた。小夜の右手は、それが自然であるかのように拳銃と一体となっていた。次に右手が求めることはただ一つ。早く引き金を引かせろと、人差し指が引き金へと伸びていく。
 小夜は左手で自分の右手を押さえ付けると、深く息を吐いた。そして、いずれ直ぐに引くことになるのだから、と強く言い聞かせた。自分に暗示を掛けることでしか、拳銃の衝動に耐えることは出来なかった。小夜は木に寄り掛かると、薄暗い森を見上げた。木々の隙間から曇天を見上げ、小夜は目を瞑った。森のざわめきが耳に心地よく響いている。しばらくそうしていることで、小夜はいくらか気持ちを落ち着かせることが出来た。
 そのとき、小夜は近付いてくる人の気配を感じた。時計を見ると、約束の時間まではおよそ五分となっている。いつの間にそこまで時間を潰していたのかまるで分からなかったが、対象が来た以上今は実行のときだ。近付いてくる気配が本当に対象なのかどうかはまだ確認していないが、この状況に、落ち着いていた小夜の胸は再び高鳴った。
 小夜は木の陰から道の様子を窺った。見ると、確かに人が山頂に向かって歩いて来ている。人影は確認出来るものの、まだ距離があってそれがはっきりと4であるとは断定しきれない。
 対象であろう者が近くにいるのに、距離のせいでそれを断定出来ないというもどかしさは、小夜に焦りを生じさせた。その焦りは、距離があるならこちらから近付けばいい、という安直な考えを小夜の脳裏に過ぎらせた。だが、今までのg@meで常に思考を回転させておくことの必要性を知った小夜は、時間の制約を承知で今の状況を思考し始めた。
 確かに、小夜の今の状況では何も出来ない。仮に今小夜の視界に映っている人物が4だとしても、この位置からでは殺すことは出来ない。拳銃の射程距離などたかが知れてるし、ここは障害物の多い森の中で、挙げ句、小夜は拳銃に関しては素人なのだ。前回は零距離という最高の条件があったからただ引き金を引くだけで人が殺せたが、今回は狙いを澄ませなければならない。素人の小夜がそれを為すには、やはり至近距離である必要があるだろう。つまり、遅かれ早かれ小夜は4の近くに移動しなければならない。そうであるならば、それは早い方がいい。現に、4はまもなく小夜の真横を通過しようとしている。今躊躇していたら、見失ってしまうかもしれない。この山道は一本道だから見失うことなど有り得ないが、少なくとも小夜の精神面には影響を及ぼす。
 そこまでを考えた時点で、小夜の足は動いていた。気配を悟られないよう足音などに充分気を付けながら、足速に小夜は対象であろう人物へと向かっていった。
 小夜は静かに、しかし素早く対象へと近付きながらその身体的特徴を見定めていた。斜め後ろから見える背格好は、小夜より少し小さく痩せた体型で、確かに4のそれと合致している。あとは顔さえ確認出来ればそれが4であるかを判断出来る。小夜は既に拳銃を使えるほどの距離にその人物を捉らえていた。手元を見ると、人差し指は既に引き金へと掛かっていた。
 そのとき、ようやく人の気配に気付いたのか、その少年は驚くようにしてさっと小夜の方を振り向いた。刹那、その少年と小夜は目が合った。
 間違いなく、この少年は4だ。
 小夜がそう思った瞬間、いや、あるいはそれよりも早く、辺りに銃声が木霊し小夜の右手には痺れるような快感が残った。
 小夜は一瞬何が起きたのか解らなかった。小夜の脳は、まだ引き金を引くように指示を出してはいなかったのだから。なのに、引き金は引かれた。今のは紛れもなく身体が勝手に起こした動作、言うなれば条件反射に近いものだった。もしも人違いだったとしたら、と考えただけでもぞっとしてしまう。
 小夜は驚きを隠し切れないまま、自分の手元に下ろしていた視線を少し上げた。撃たれた4はたまらず地面に倒れ、右腕を押さえながら呻き身悶えている。銃創からは血が染み出し、4の洋服を真っ赤に染めていく。小夜はその光景を目にした瞬間、再び、今度は小夜自身の意志で4に銃口を向けた。まだ4は死んでいない。4はここで確実に殺さなければいけない。
 4の方も痛みに堪えながらゆっくりと顔を上げた。その瞳には、この状況に反してひどく冷静で、少し余裕さえあるような色が見えた。どうやら、小夜の手が震えていることに気が付いたようだ。だが、当の小夜はそのことに気が付いていない。頭の中では、引き金を引かねばならないという強迫観念と、人を殺してはならないという倫理感が切迫し、小夜を板挟みにしていた。
 小夜は今、自分でもどうしてよいか分からないほどに動揺し混乱し焦っていた。小夜の視界にはぼんやりとしか景色が映っていない。
「私は、絶対にこのg@meに勝つんだ……」
 小夜は何とか気を落ち着かせようと、独り言を呟いた。状況は明らかに小夜が有利なのに、心的な部分では4の方が遥かに冷静だ。そして、小夜の独り言を聞いた4は痛みで顔を歪めながらも少し笑って言った。
「は、ははは。――兄さんがいつも言ってたよ」
 小夜の耳は自然と4の言葉を拾っていた。ぼんやりとした意識を集約させたいのかもしれない。小夜の脳はそれを言葉として認識した。次第に、小夜の意識は4へと向いていった。
「『絶対』なんて無いよ」
 小夜はその言葉を聞いた途端に、頭で煮えたぎっていたものが急冷されていくのを感じた。冷静さを取り戻しつつも、次に小夜の中に現れたものは怒りだった。今までの自分の行動が全て否定されたような気がして、小夜の心は冷たいままに再び熱くなっていた。
「この世に『絶対』なんて有り得ないんだ」
「――私は負けない」
 小夜の呟きは、他でもない小夜自身に言い聞かせるものだった。いつの間にか、小夜の手の震えは止まっていた。
「――私は勝つんだ」
 そして、頭の中で続いていた二つの相異なる思考の鬩ぎ合いも、ただ一つの意志に集約した。
 小夜にもう迷いは無かった。
「私は、生き残るんだ!」
 小夜がそう叫ぶのと同時に、辺りに銃声が轟いた。小夜は今度こそ自らの意志で引き金を引き、拳銃から放たれた弾丸は4の胸を貫通した。小夜の腕には発砲の反動による痺れが、小夜の鼻には鼻腔を突く硝煙の臭いが残った。そして、小夜の視界では、胸を撃ち抜かれて即死した、血塗れの4が仰向けのまま倒れていた。
 小夜はその様子を見た直後、まるで血が抜けたかのようにその場にへたり込んだ。ほんの僅かな時間しか経っていないのに、息は乱れ肩で呼吸をしていた。
「これで……」
 小夜はしばらくの間、気持ちを落ち着かせるためにその場に座っていた。だが、まだ全てが終わったわけではない。小夜は気持ちを切り替えるとさっと立ち上がった。
 まずしなければならないことは死体の処理だ。いくら人が来ない山の中を選んだとはいえ、山道の真ん中に死体を放置するわけにはいかない。少しでも見付かるまでの時間稼ぎはしておいた方がいい。小夜は拳銃を鞄にしまうと、4の脇に腕を入れ、なるべく顔を見ないようにしながら4の遺体を引き摺って森の中へと移動した。死体は見付からないようにするのだが、だからといってそれを埋めるまですることはない。いくら発信器がカードに付いているとはいえ、地面に埋めても正常に作動するかは分からない。もしも作動しなかったら、4が死んだということを主催者が知ることが出来ないかもしれない。それでは本末転倒だ。
 小夜は適当な所に遺体を移動させると周囲を見回した。周りに見えるのは木ばかりで、実際に殺した山道もここからでは見えない。小夜はもう一度視線を死体に移した。やはり胸を突くような痛みが残る。小夜はせめてもの追悼の気持ちを込めて、死体の衣服や体位を整えた。
 小夜は胸に痛みを抱えたまま立ち上がると、4に背を向けた。彼はg@meに敗れ、小夜は勝った。勝ったというのに、嬉しさなどという感情は湧いてこない。ただ、心に霞みが立ち込めるばかりだ。
 小夜は歩きながら、額に水滴が付いているのに気が付いた。木々の隙間から空を見上げると、どうやら雨が降り始めたようだ。ぽつぽつと、雨粒が葉を叩く音が聞こえる。
「私は、絶対に生き残るんだ……」
 小夜は右の拳を強く握り締めた。今はもう右手は銃把の形を作ってはいない。小夜の強い意志がようやく右手を懐柔させることを可能にしたのだ。小夜の心が挫けない限り、身体が小夜の意志と分離することはもうないだろう。
 山道へと辿り着いた小夜はその足を山の麓へと向けた。降り始めた雨は次第に強くなっているが、それでも小夜に傘を差そうという気概は生まれなかった。
「この雨が、服に付いた硝煙の臭いも私の足跡も血の跡も消してくれる――」
 小夜はこの雨という天気を、自分がここにいたという証拠を消すために利用した。だが、小夜の痕跡をどんなに綺麗に消してくれる雨でも、小夜の心に溜まった感情までは消し流してはくれなかった。心には依然として痛みが残り、雨に打たれる度にそれが水分を吸って重くなっていくような気さえした。微かに期待していたこの雨でさえも、今の小夜にとっては欝陶しいものでしかなかった。
 小夜はぼうっとして、焦点の定まらない目のままとぼとぼと歩いた。雨に濡れるのも構わず、ただ足が動くがままに任せていた。天候が天候なのでやはり外を出歩く人は少なかったし、傘を差しているために視界は狭まり、小夜を気に掛ける者もいなかった。小夜が道を歩いている限り、誰かに見咎められることはないのだ。
 そうして小夜がふと視線を上げると、そこはもう自分の家だった。小夜ははっとして今まで歩いてきた道を振り返った。つい先程までいた小山は、遥か遠くで霞んでいた。小夜は自分がどれくらいの時間を過ごしたかまるで分からなかった。これでは松永を殺したときと状況がほぼ同じだ。罪悪感に苛まれ、殺人をした直後の記憶が曖昧になっている。この曖昧な記憶こそが、小夜が一番気に掛けなければならないことだ。この間、小夜の思考はまるで働いていない。何か落ち度があったとしても気付くことすら出来ないのだ。ただでさえ危ない綱渡りをしているのに、これではいずれ綱から落ちかねない。
「しっかりしろ!」
 小夜は両手でぴしゃりと自分の頬を叩くと、家のドアに手を掛けた。もういい加減自分の弱さを捨てないと、g@meで生き残ることなど到底叶わなくなる。
「小夜! どこ行ってたの! そんなびしょ濡れになって」
 玄関に入ってただいまを言うより先に、母親が甲高い声で騒ぎ始めた。小夜はあまりの声の大きさに一瞬怯みながらも、今しなければならないことを即座に考えた。
「ほら、早く着替えて! もう、シャワーでも浴びちゃいなさい」
 母親に急かされるまま、小夜は頷くと二階へと駆けていった。今は一刻も早く拳銃を隠さなければならない。これさえ隠せれば、後はどうとでも言い訳が利く。
 小夜は自室に入ると、まずクローゼットから木箱を取り出して拳銃をしまった。そうして着替えを手に持つと、再び階下へと下りていく。今日すべきことはこれでもう無い。小夜の心には安堵が広がったが、直ぐにまた違うもので一杯になってしまった。
 小夜はシャワーを浴びながら、心を占める罪の重さに胸を痛めていた。ノズルから出る湯気に、死ぬ間際の4の顔を見てしまう。彼は死ぬ間際、どんな表情をしていただろうか。死の恐怖に顔を引き攣らせてなどいなかった。完全に覚悟を決めた顔だった。そうして小夜は4の命を奪った。自らが生きるために。
「私にその覚悟はあるの――?」
 小夜はお湯をその身に掛けながら自問した。お湯を被っているのに悪寒を感じる。雨に打たれて身体が冷えているのかもしれない。もちろん、それが原因の全てでないことは小夜とて分かっている。だが今は、それ以上のことを考えたくなかった。身体の汚れを洗い流すシャワーですら、小夜の心の蟠りを流してくれることはなかった。
 風呂から上がった小夜は、夕飯までの時間を無気力に過ごした。何もすることが無い、というのが理由ではない。何をする気力も無いのだ。少なくとも午後八時を迎えるまでは、小夜に自ら動こうという気力は起きなかった。g@meで生き残ると固く決意したはずなのに、全くその身に力が宿らなかった。
 夕飯も済ませてようやく迎えた午後八時。小夜は力無くパソコンを起動させた。本当は直ぐにでも就寝したいのだが、主催者は今日重大な告知があると言っていた。ならば遊戯者である以上、その言葉を無視することは出来ない。
 いつもなら苛立つパソコンの起動時間も、今の小夜には何の感慨も与えなかった。小夜はマウスを握るとg@meのページへと飛んだ。g@me開始以来何の変化もないそのページは、今日も変わることなく小夜を迎えた。

Tue. Jun. 25th 20:00 "the Seventh d@y"

 小夜は何も考えずに今日更新された項目をクリックした。主催者の声を聞けば、否応なく小夜はg@meへと引き戻される。むしろそうでなくては困る。集中しきれないまま声を聞いても、それは聞き流しているのと大差ない。主催者の声に、その意図を読み取らねばならないのだ。
 別ウィンドウが開き、少し空白があった。この間、小夜の視線はウィンドウの白色にぼんやりと張り付いていたが、頭はさっと冷たくなっていた。もう思考する準備は万全となっている。気付けば、耳にも意識が集中し神経が研ぎ澄まされている。心は現実を受け入れないままに、それでもg@meをする用意が既に出来ている。

『やあ諸君。夕刻から雨天となった今日もまた、遊戯者の一人である4が殺された。これで残りは二十二人だ。』

 主催者の声を聞いた瞬間に、小夜の焦点は引き結ばれ、全ての感覚が研ぎ澄まされた。身体全体を冷たい何かが駆け巡っていく。小夜がそうして自分の身に起きる変化に思考を順応させている間にも、なおも主催者は言葉を続けていく。

『早いと感じる者も、またそうでない者もいるだろうが、今日でg@meを始めてから一週間が経つ。その間殺された遊戯者は八人。十九日の四人を除けば、わずか四人だ。これは私が思い描いていた数よりも遥かに少ない。』

 小夜は主催者の声を聞きながら血の気が引いていくのを実感していた。今、主催者が何を言いたいのかが手に取るように分かる。だが、言葉の裏に見え隠れするそれは、小夜ら遊戯者にとっては今のままでは非常に難しいことでもある。
 つまり、もっと殺し合えと、そう言っているのだ。

『私としてもこのg@meを退屈な物にしたくはない。だから、君達には特別な舞台を用意した。』

 主催者はただ淡々と自分の立てた計画を述べている。主催者にとっては単なるゲーム、だが遊戯者にとっては命を懸けたg@meなのだ。小夜は奥歯を強く噛み締めた。越えられない絶対的な壁が、両者の間に確かに存在している。盤の上で右往左往している駒は、永遠に指し手に干渉することは出来ない。

『来たる六月二十九日、この土曜日の晩に、遊戯者全員に学校内でg@meをしてもらう。今その取り計らいを進めているから、近日中にルール等を含めた詳細を伝えるとしよう。ただ一つ、本来はその前日である二十八日は規定の三日目に当たるのだが、今回に限りそのルールは適用されないこととする。二十九日を大いに盛り上げるためには、一人でも多くの遊戯者に参加してもらいたいからだ。なので、諸君は二十九日まで遊戯者の誰をも殺してはならない。』

 音声はそこで途絶えた。小夜は絶句し、しばらくは手を動かすことも出来なかった。g@meをする舞台を与える。遊戯者が一箇所に集まれば、確かにg@meは急展開を迎え主催者の望む結果となるだろう。だが、そこで起こり得る惨劇は、小夜の想像を遥かに越えている。拳銃を持った二十二人の生徒が、たかだか五階建ての建物の中で殺し合うのだ。そこはまさに修羅場となり、血で血を洗うような悍しい光景が広がるだろう。
 小夜の背筋には悪寒が走り、ただ一言口にするのがやっとだった。それは奇しくも、小夜がg@meの初日に抱いた想いと全く同じであった。
「狂ってる……」
 小夜はパソコンを閉じると、座っていた椅子から立ち上がりそのままふらふらと歩いてベッドへと倒れ込んだ。あまりの衝撃から精神を立ち直らせようと思っての行動だったが、小夜の頭は既に今必要なことを考え始めていた。小夜は枕に顔を埋めたまま、自分の考えていることを声に出した。
「――予め舞台が決められているのなら、どれだけ準備をしていくかによって戦況も大きく変わる。でも――、一体どうするつもりなのかしら。始めから向かい合わせて殺し合いをさせるのか、それとも最初はそれぞれ別個なのか。それに、完全に一人ずつでg@meをするにしても、豊砂中の校舎じゃ遊戯者を割り振る教室の数が足りないわ……」
 小夜は頭を抱えた。確定情報が少な過ぎて、今の段階では対処のしようがない。やはり主催者の決めるルールを待つしかない。だが、二十九日に今までにない大規模なg@meが行われることだけは確かだ。小夜は今から興奮と緊張に胸を高鳴らせつつも、自分が今かなり不利な状況に置かれていることを確認した。
「私の持つ弾丸は、あと三発――」
 かなりの混戦が予想されるg@meで、三発以内に誰かを殺して弾丸を奪わなければならないということはどう考えても難しい。それだけの技量や器量、度胸が必要とされる。しかも今までのg@meの展開から、他の遊戯者の多くはまだ一発も弾丸を使用していないはずだ。それが今小夜に与えられている状況なのだ。だからこそ、準備を念入りにしておく必要がある。そのためにも、無駄な時間を過ごすしかない今は少しでも英気を蓄えておかねばならない。
 小夜は再び起き上がるのも億劫だったので、そのまま消灯すると深い眠りへと落ちていった。



 翌朝小夜が目を覚ましたとき、身体に気だるさを感じた。それだけでなく鼻が詰まっていて満足に息も出来ない。小夜は自分の身体が少し熱っぽいのを感じて、昨日のことを思い出した。傘も差さずに雨に打たれながら歩いていたのだ。この症状から思い当たることは一つしかない。
「風邪引いたかなぁ……」
 そう呟いた小夜の声は間違いなく鼻声だった。小夜は小さくため息をついた。英気を蓄えるどころか風邪を引いてしまっては本末転倒だ。小夜は仕方がないと割り切って、ちらと時計を見た。目覚ましに起こされた記憶はなかったため時間には余裕があると思っていた小夜だったが、根本的なことを忘れていた。昨夜は目覚まし時計を掛けずに眠ってしまったのだ。そして、目覚ましも無しに目を覚ますほど、小夜の身体は上手く出来ていない。g@meが始まって数日の小夜は、確かに親が驚くほどに朝早く起きていたが、今日の小夜は風邪を引き体調が芳しくない。気付けば、明美との約束の時間までもう残りわずかしかなかった。
「あぁーーっ!」
 小夜はかすれ声で思わず奇声を発すると、どたばたと階下へと駆けて行った。ふらつく足で転びそうになりながらも、小夜は急いで食卓に着いた。母親はいつもと変わらない調子で朝の風景を楽しんでいた。
「もう! 起こしてくれても良かったのに!」
 鼻声で不平を漏らす小夜に、母親は大して急いだ風も見せずに朝食を運んできた。それを小夜の目の前に置いた後、小夜の顔を覗き込んだ。
「小夜、ちょっと鼻声ね。顔も少し赤いし、風邪でも引いた?」
 小夜は出された朝食を勢いよく口に詰めながら、少し心配そうに見ている母親に答えた。
「うん……。やっぱ昨日のが応えたみたい。でも、学校に行くだけの元気はあるからね!」
 小夜は口をもごもごさせながらわざと元気なように振る舞った。今学校を休むわけにはいかない。学校がg@meの舞台になる以上、校舎のことなどを少し調べておく必要がある。
「そう? あまり無理しちゃダメよ」
 母親が心配そうな顔をして言い終わる前に、小夜は朝食を済ませていた。直ぐにまた二階へと駆け上がっていく。もうまもなく明美が来る時間だ。小夜は制服に手を伸ばし、服のボタンに手を掛けた。
 急いだ甲斐あってか、家の呼び鈴が定刻通りに鳴ったときには、小夜はもう靴を履き終えて扉を開ける動作に移っていた。
「いってきます!」
 小夜が扉を開けたとき、そこにはいつも通り明美が立って驚いた表情を浮かべていた。小夜は玄関から一歩外へと出て、直ぐに引き返した。急いで家を出たために、明美の背後に広がる風景のことをすっかり忘れていた。今日は梅雨らしく、朝から雨模様だ。小夜は玄関から傘を一本取り出すと再び外へと出た。
「おはよ、明美」
「うん、おはよう」
 二人は傘を差すと、並んで通学路を歩き出した。雨が降り頻る中、二人はいつも通りに談話を続けて学校へと向かっていた。昨日とはまるで異なる、いつも通りの通学路の風景だ。
 そんな会話の最中、不意に明美は話題を遮って小夜に話し掛けてきた。
「小夜、風邪でも引いたの? 何か鼻声みたいだし、さっきから鼻すすってばっかだよ?」
 小夜は一瞬どきりとしながらも、平静を装って対応した。風邪を引くこと自体に不思議なことはない。
「うん、そうみたい。昨日ちょっと外に出たときに運悪く雨に降られちゃって」
 小夜は鼻をすすりながら笑ってそう答えた。明美は心配そうな顔で小夜の顔を覗き込んでいる。もしかすると、顔色も優れていないのかもしれない。小夜がいくら決意を固めて4のことを割り切ろうとも、殺人という罪悪感は決して小夜を掴んで放そうとはしなかった。
「この時期の風邪は下手に長引くから、無理しちゃダメだよ?」
「分かってるって!」
 明美の言葉を小夜は明るく跳ね返したが、小夜自身この風邪が長引くことになりそうなことは充分に分かっていた。
 学校に着いた小夜は席に着くと直ぐに机に突っ伏した。体調が良くないときに下手な体勢でうたた寝することが身体に悪いことは重々知っていたが、それでも小夜は身体のだるさに逆らえなかった。嫌な汗をかくほど身体は火照っているのに、身震いをするほどの寒さを感じ、全身にはまるで力が入らない。小夜は素直に学校を休むべきだったと後悔した。g@meのためにと思って少し無理をして来たものの、二十九日まではまだ三日ある。今日を休んで残り二日を頑張るか、このまま無理をして二十九日まで風邪を引きずるかでは、どちらがいいかは目に見えている。それに、二十九日まではg@meでは殺されないという保障までついているのだ。ここで頑張ってまで何かを得られる物は何一つとして無い。
 小夜はそう決めると、ゆっくりと席から立ち上がった。身体を動かす度に鳥肌が立ち、首筋には汗が流れる。小夜は鞄を持つと、美代と会話をしている明美の下へと向かった。
「……明美。やっぱ今日体調悪いから私帰るわ。吉井先生に伝えておいてもらえる?」
「――うん。大丈夫? 気を付けてね?」
「えぇ? 小夜も風邪とか引くんだ。意外」
 心配そうに頷く明美とは対照的に、美代はあくまでも小夜を茶化した。だが、小夜はこれが美代なりの励まし方なのだと知っている。二人の対照的な気遣いの仕方が面白くもあり、それでいて何より心に響いた。そう思いながら、小夜は重たい足を戸口へと向けた。
 小夜は教室を出た辺りで、後ろから誰かに呼ばれていることに気が付いた。振り向くと、そこには怪訝そうな表情を浮かべた加奈が立っていた。
「小夜、どこに行くの? もう授業が始まるわよ?」
 また面倒な相手に絡まれたと、普段ならそう思う小夜なのだろうが、今回に限ってはそのようなことを考える余裕すらなかった。それこそ普段通りに、小夜は率直に返すだけだった。
「今日、調子悪いから帰るね。先生とかに伝えるのは明美には頼んだけど、加奈にも頼んでいい?」
 小夜の言葉に深い思慮などは皆無だ。加奈にもそれは自然と伝わったようで、つい先程までしていた怪訝な顔は直ぐに心配そうな顔へと変わった。
「確かにすごく顔色悪いわね。後のことは任せて、早く帰りなさい」
 加奈はそう言うと、小夜に寄り添って肩を貸してくれた。先程の強い正義感と今のこの優しさを持つ加奈が、学級委員として最適な人物であることに誰も疑いは持たない。一時限目の開始のチャイムが鳴った後になっても、加奈は小夜に寄り添って玄関口まで送ってくれた。
「じゃあ小夜、気を付けてね」
「うん、ありがと」
 小夜は加奈に手を振ると、震える手で傘を持ち、ふらつく足で家路へと歩き出した。
 そして、今小夜は眼前に自宅を見据えている。一体どうやってここまでやって来たのかがまるで思い出せないが、ここにいるということは何事もなく辿り着けたということなのだろう。
 小夜は傘を手に直立不動の状態だった。雨粒が傘を叩く音すら、小夜の耳には届いていない。小夜はそのまま玄関へと入っていった。
「ただいま……」
 家を出てから一時間と経っていないのに、ただいま、と言うのも妙なことではある。玄関まで顔を覗かせた母親も、驚いたような表情で小夜を迎えている。
「小夜、あなた一体どうしたの? もう学校始まってる時間でしょう?」
 母親の質問は実にもっともな話ではあったが、小夜には長々と説明をするだけの気力はなかった。というか、そうする必要もなかった。ただ一言だけで済んでしまうようなことなのだから。
「体調悪かったから帰って来た……」
 小夜はそう言うと、ふらふらとした足取りのまま二階へと上がっていった。後は体調を戻すために一刻も早く眠るだけだ。
 小夜は制服から寝られる格好に着替えると、そそくさとベッドに入った。一瞬身体が浮いたような感覚に陥るが、それは直ぐに下へ引っ張られる感覚に戻った。普段はそのようなことなど感じないのだが、身体が普通でないときほど当たり前のことを実感できるようだった。
 小夜は、今の自分の身体の状態ならば瞳を閉じれば直ぐに眠りに落ちるだろうと思っていた。だが、実際には四日前と同じで、松永の顔と4の顔が小夜の頭の中に浮かんできた。人を殺した罪の意識は、日を跨いでいつまでも小夜を苛んだ。誰かに話してしまえばいくらか楽にはなるだろう。だが、この罪悪感は小夜が一人で背負わなければならないものだ。それは、小夜にはあまりに重過ぎるものだった。

 浅い眠りではあったが何とか寝付けた小夜が目を覚ましたとき、外は少し赤みを帯び始めていた。いつの間に雨が止んだのだろうかと思いながら、小夜は一度ベッドから起き上がり、窓に近付いた。眠ったときにはまだ午前中だったためカーテンは閉めていなかったので、鮮血のような色の西日が小夜の瞳に差した。その色はあまりに鮮やかで、そのため余計に不吉に感じられたので、小夜はさっとカーテンを閉めた。小夜にとって、血の色は即ち罪の色だった。
 小夜は窓に背を向けると大きく呼吸をした。もう体調は大分良くなっていて、身体のだるさも火照りもない。風邪もかなり軽いものだったようだ。だが、身体の調子が良くなったせいで、小夜の身体に唐突に苦痛が襲った。空腹で、お腹が悲鳴を上げていた。
 小夜は足取り軽く一階へと下りていった。部屋にいるときは時計を見なかったが、時刻は午後六時を指している。ざっと計算しても、八時間は一度も目を覚まさずにずっと寝ていたことになる。その間トイレも行かず食事も食べずにいれば、身体が生理的なものを催すのは当然だ。
「お母さん、ご飯まだぁ? お腹空いたぁ」
 小夜は椅子に座ると、顔をテーブルの上に乗せて少し甘えた声でごねた。台所の方からは美味しそうな匂いが漂って来ている。
「小夜、体調はもういいの? ご飯食べる前に熱計っておきなさい?」
 小夜はぶつくさと小言を言いながらも、言われた通りに体温計を脇に挟んだ。数分後にそれが示した体温は、平熱そのものだった。
 そうして腹一杯に夕食を平らげた小夜は、ひどくご機嫌な様子で部屋へと戻った。時刻は午後七時五十五分。上機嫌だった小夜だが、そのときには自然と緊張が胸の大部分を占めるようになっていた。今日一日を学校で過ごせなかったのは遊戯者として大きな出遅れとなる。だからこそ、g@meの時間である今からは集中力を最大限にそちらに回さなければならない。小夜はごくりと喉を鳴らすと、パソコンの電源を入れた。
「今日は主催者から詳細なルールの説明があるかもしれない」
 パソコンの起動時間は相変わらず小夜にさらなる緊張を強いた。
 小夜はマウスの上に手を乗せると、さっとウィンドウを開きg@meのページにアクセスした。
 変わらないままのページは変わらないまま小夜を迎えているというのに、今の小夜にはそれ以上の何かがあるように感じられてしまう。小夜は息を一つついてから告知のページへと飛んだ。

Wed. Jun. 26th 20:00 "the Eighth d@y"

 理路整然と並んだ告知の数も、今日で八つとなる。小夜は手に汗を握りながらその項目をクリックした。
 いつも通りに別ウィンドウが開き、少しの間を空けて主催者の声が聞こえ始める。相変わらず抑揚のない、まるで感情のこもらない声。

『先日伝えたように、二十九日のg@meの詳細について決定事項を告知しよう。』

 声はまずそう告げて、再びわずかな空白の時間が流れた。この間、小夜は意識を耳に、主催者の声に凝らすことに専念していた。今詳細の告知を聞き逃すことだけはあってはならない。告知の項目さえクリックすればこの声を二回以上聞くことは出来る。だが、g@meにおいて二度目は存在しない。一度目の失敗をした時点で、待っているのは死のみだ。だから、たとえ声を聞くだけだといっても、これがg@meである以上二度目があると思って掛からない方がいい。

『まず、君達の初期配置についてだが、これはそれぞれ自分のクラスとする。もちろん、同じクラスの遊戯者が複数いる場合もあるだろう。そうした場合には、この一夜に限り互いに仲間としてg@meに参加してもらう。』

 小夜はこの言葉を聞いて背筋に悪寒が走るのを感じた。これで少なくとも、同じクラスの遊戯者の顔と名前は知れることになるのだ。二十九日は一緒に戦うことになっても、その日が過ぎれば敵同士だ。こうしておけば、g@meの展開は格段に早くなる。一見当たり前に見えるが、主催者はそこまでを見越して最初の位置を決めているのだ。
 やはり、遊戯者は主催者にとってただの駒でしかない。主催者の掌の中で踊らされるしかないのだ。

『次に、g@me開始の時間だが、これについては誰も異論はあるまい。午後八時を開始時刻とする。ただし、終了時刻についてはそのときの状況によるので、今は決めないでおく。』

 土曜日の夜八時ともなれば、学校にいる人などまずいないし、主催者が決定したことなのだから確実に誰もいないはずだ。しかも、翌日は日曜日――g@meは夜が明けるまで続けることが出来る。

『つまり、君達は当日、学校が終わった後八時までに再び学校の自分の教室に集まり、そして私の合図とともにg@meを開始するのだ。』

 声はそこで途切れた。小夜は今の主催者が言った内容を頭の中で反芻しながら、ウィンドウを閉じた。
 確かに、第五土曜日である二十九日は午前中は授業がある。だから、一度自宅に帰り準備をしてから再び学校へやって来るということも出来る。だが、一度帰宅するということは学校から外へ出るということであり、一度学校を出た生徒が再び戻ってくることは考えにくい。今主催者が言っていたことを知っている者ならば、それが遊戯者であることは一目瞭然だ。二十九日に出会さなくとも、その後直ぐに命を握られてしまうことは確実だ。
「つまり、土曜日は学校でずっと待っていなくちゃならない――。ということは、何か必要な物は朝から持って行かなくちゃならないわけね」
 小夜は腕を組んで椅子の背もたれに寄り掛かり、小さく息をついた。準備期間は今日を含めてあと三日だ。何か買う必要があれば二十八日までに揃えなければいけないことを考えると、今日と明日で思考を巡らし計画を立て、二十八日に買い出しに行くのが順当なところだろう。
「さて、と。一体何が必要になるかしら」
 小夜は瞳を閉じると、二十九日のシミュレートに入った。
 まず、朝学校へ行くところから始まる。だが、これはまだg@meに入る前だから少し飛ばしても構わないだろう。せいぜい、普段よりも荷物が多くなるくらいだ。そうして四時限目の授業が終わる。さあここからだ。g@meが開始する時刻までは七時間以上も残されている。この間何をしているか、どこにいるか。体力温存のために仮眠をとるというのも手の一つだろう。だが場所はどうするか。人の目に触れないのが一番だ。そうすると個室に分かれているトイレなどは理想的だろう。だがそれは誰しも思い付く場所だから、油断は出来ない。四階にいるのは三年生だけだから、その遊戯者の数は小夜を含めて十人。半分が女子だとして五人。個室の数から言えば足りないということはない。だが遊戯者であることがほぼ確実な五人が一同にトイレに居るのは、非常に緊迫するだろう。直前のタイミングさえ外せば互いに出会す可能性も低くはなるが、誰でも自由に入れるという点でg@meにおいては逆に不便だ。ではトイレは少し考えから外そう。だがそうかと言って、トイレの隣の音楽室はあまり向かない。C組とD組に面していて、それ以外のクラスとは少し距離があるので、使うのだとしたらその二クラスの遊戯者だろう。そう、D組の遊戯者もこの可能性に含まれてしまうのだ。隠れる場所にもよるだろうが、七時間もいるとそれだけリスクは高くなる。
 そう考えると、やはり自分の組が一番安全のように思える。掃除ロッカーの中や教卓の下、カーテンの裏などに隠れていれば、本気で探そうとしない限りは見付からないだろう。それでいて、g@me開始時には自分の教室にいなければならないという主催者の言っていたルールにも則っている。
「じゃあ当日はある程度はトイレに身を隠してから教室で待機するとして、次は――」
 次に考えるべきは、g@meが始まった後の状況、そのときに必要になる物だ。まさか拳銃だけで一晩を過ごせるほど、g@meは生易しくはない。他の相手に姿を見られないようにこちらの目の前に引き摺りだすためには、何かしらの小仕掛けや道具が必要になるだろう。
 まず、最も基本的かつ重要なものとして、自分の顔を隠せる覆面のようなものが挙げられる。だが、当然ながらそのような物が小夜の家にあるはずがない。その覆面に付けられる要件として、小夜が想像するような、ドラマで強盗が被るようなあたかもそれと言える物である必要はない。顔が入る程度の大きさの布袋に、目と口の穴だけ空けておけばそれで事足りる。ただ、そのような布袋が小夜の家にあるかどうかは判然としないので、これは買っておく必要がある。
 とりあえず一つでも必要な物が挙がると、それはその他に必要なものを挙げるいい潤滑油となる。小夜はその後も思考を続けていった。
 小夜はg@meが始まるときのことを考えてみた。いくら陽が長くなっているとはいえ、午後八時ともなれば辺りは夜の帷につつまれて真っ暗になる。本来人のいない学校に、明かりが点くはずもない。当然、校内も夜の闇に等しい暗さになる。いや、月明りが入らない分外よりも暗くなるかもしれない。となれば、懐中電灯も必須になるだろう。明かりが校外に漏れてそれを誰かに見られたりしたら問題にもなるだろうが、常灯しているわけではないし、それに懐中電灯の使い方は何も足元を照らすばかりではない。陽動として相手を動揺させることも出来るだろう。とにかく、持っていて損はないはずだ。
 そして、持っていて、という観点で考えるならば縄状のものも非常に有用となるだろう。そういう状況になるとは考えにくいが、相手を縛ることにも使えるし、仕掛や道具を作るのにも使える。
 さらに、仕掛や道具といったことを考えると、何か音を出せる物も含めて問題は無いように思われる。暗闇から始まるg@meにおいて、誰しも初めは相手や周囲の様子を窺うことから始める。そのときに使う感覚は、人間が最もそこから情報を得ながら、その情報を得るためには少しでも身体を相手に見せなければならない視覚ではない。自らは完全に姿を隠しながらも、ほぼ確実に情報を得ることの出来る聴覚だ。だから、静寂に包まれた校内にいる遊戯者は、始めに聴覚を凝らすだろう。そこに何かの音を混ぜてやれば、少なくとも相手に更なる疑心を植え付けることが可能になるはずだ。そして、その肝心な音を出す何かだが、これは何も音を出す物である必要はない。リノリウムの床は固く、例えば鉛筆を落としただけでもかなりの音が出る。だからピンポン玉でもいいし、小石でだって何の問題もない。
 そこまでを考えたところで、小夜の思考は急速に萎んでしまった。いくら頭を捻っても、それ以上のことが想像出来ない。病み上がりだからということも考えられるが、それよりもむしろそれほどに予測の付かない展開になると考えた方がいいかもしれない。とにかく、今出来ることはし尽くした。考える時間はまだ明日もあるわけだから、身体のことも考えたら今日はもう休んだ方がいいかもしれない。そう思い小夜が時計を見ると、時刻は既に九時を回っている。知らない間にも、一時間近く考えに耽っていたようだ。小夜は身体がまだ少し火照っているのを感じながらベッドに潜り込んだ。つい先程まで何時間も寝ていたので直ぐに寝付けるとは思っていなかったが、小夜の予想に反して睡魔は強引に小夜を微睡へと誘っていった。

 やはり人間というものは上手く出来ているようで、あれほど長時間眠っていたために小夜は夜中に目が覚めてしまった。再び寝ようにも、完全に目は冴え、降り頻る雨の音ばかりが耳につく。夕方には晴れていたはずなのに、いつから降り始めたのだろう。時刻を確認すると、時計は深夜三時を指していた。普段ならば絶対に起きていない時間帯だが、小夜は一度ベッドから起き上がった。自分でも今さらそう易々と寝付けるとは思っていない。
「はぁ……。どうしよ」
 立ち上がった小夜は、暗い部屋をぐるりと見回した。すると、机の上で何かが光っている。小夜はそれを手に取り、そして今まで携帯電話に全く触れていなかったことに思い至った。見れば、メールが何通か着信していて、先程の光はそれを示すものだった。
 特に何を思うことなく小夜はメールを開いた。それは明美や美代や加奈などからの何の変哲もない励ましのメールだった。だが、それらを通して読んだ小夜は胸を打たれる思いがした。普段ならば軽い気持ちでしか読んでいなかったであろうそのメールが、今は何故か物凄く胸に沁みるのだ。知らぬ間にも、小夜は暗闇に光る携帯を手に持ちながら双眸から涙を零していた。
「はは、何でだろうね……」
 小夜は自分でも涙を流している理由が分からなかった。感傷的になる理由など何も無いというのに。小夜が涙を拭った後、その瞳には真っ直ぐな光が宿っていた。
 g@meとは関係の無い人を巻き込みたくないという想いが強かった。そして、またいつもの日々に戻りたいという想いも。そのときに誰一人欠けることのないよう、小夜こそがこのg@meを降りるわけにはいかないのだ。
 g@meで一番の山となるであろう日を目前に控え、小夜は確固たる意志をその胸に刻み込んだ。

 いつ頃寝付けたのかは定かではないが、小夜が目を開けたときその身はベッドの上にあった。時刻はいつも通り明美との約束の時間ぎりぎりだ。小夜は飛び起きると支度を始めた。体調は全快、とまではいかないまでも良好だ。なので足取りも軽い。小夜は軽快に階下へと下りていった。
「もうー。起こしてよね」
「あら、まだ体調が良くないんじゃないかと思って静かにしてたのに」
 小夜の苦言も、それが母親の気遣いであると気付くともはや言葉を続けることは出来なかった。今は些細な優しさの一つ一つでさえも胸に温かく広がっていく。
 そうこうしている間にも朝食が小夜の目の前に運ばれ、小夜はそれにがっついた。小夜に残された時間はわずかしかない。行儀よくなどと悠長なことはしていられない。これが小夜の毎朝なのだ。
「いってきまーす!」
 結局、小夜の支度が整う前に家の呼び鈴が鳴り、小夜は慌てて出ていく羽目となった。もちろん、小夜が勢いよく開けたドアに明美が驚いたことは言うまでもない。
 小夜は玄関先で空を見上げた。雨は降っていないが、いつ降り出してもおかしくない空模様だ。朝辛うじて耳に入ってきた天気予報では、確か午後から雨が降ると言っていた。小夜は手にしっかりと傘を握ると、改めて明美と一緒に歩き始めた。
 二人が数歩と進まない内に、明美は話し掛けてきた。明美は小夜の顔を覗き込みながら口を開いたので、小夜には何を話題にするのかが直ぐに分かった。
「小夜、体調大丈夫? 顔色は悪くないみたいだけど」
 昨夜のメールが嬉しかった。いつも通りの明美でいてくれるのが嬉しかった。小夜を心配してくれるのが嬉しかった。
 今まで感じたことのないような様々な嬉しさが、言葉にならない温かな感情を小夜の胸にそっと注ぎ込んでくれた。小夜の顔は自然と綻んだ。
「うん! まだ本調子とまではいかないけど大丈夫だよ。明美も、昨日のメールありがとね!」
 小夜の元気そうな様子を見て安心したのか、明美も笑顔で頷いた。
 それからはそれこそいつも通りで、昨日学校で起きたことに始まり、時事ネタや芸能ニュースなど、他愛無い話に花が咲きいつまでも笑い声が絶えることはなかった。
 小夜が感じられるいつもの幸せが、今ここにある。
 流石にはしゃぎ過ぎたのか、学校に着いたとき小夜は若干身体が疲れているのを感じた。g@meのことはあるが、まだ病み上がりなのであまり無理はしない方がいいだろう。始業の時刻まで、小夜は大人しく席に座り昨日授業に出られなかった分の復習をしていた。
 チャイムが鳴り、一時限目の授業が開始される。木曜日の一限目は、眠くなることで評判の小野塚先生の日本史だ。小夜もいつもならば五分ともたずに睡魔に屈してしまうのだが、昨日はかなりの時間を睡眠に費やしていたため、眠気に襲われることもなく起きていることが出来た。小夜にしてみれば奇跡とも言えることだった。
 それからも、クラスの生徒の多くが船を漕ぐ授業が続く中、小夜は一度も眠気を感じることなく時間は進み、そして昼休みになった。
「ふぁ……。何で小夜も明美もさっきの化学の授業起きていられるのよ?」
 いつものように美代と明美は小夜のもとへやって来て、三人での昼食が始まった。その昼食の席で、開口一番美代が言ったのがそれだった。一限目の授業を起きていられたのは小夜にとっては確かに奇跡だが、吉井先生の化学に関しては小夜は今まで寝たことはない。むしろ、美代の方が寝過ぎの感も否めない。
「だって、昨日塾遅かったんだもん」
 美代はそう言いながら、明美の弁当箱からおかずをつまみ上げて口に運んだ。
「だから私のおかず取らないでよー」
 その後は、何やら睡眠が勉強に及ぼす影響などという仰々しい話題がご飯のおかずとなった。要は美代の睡眠不足について愚痴を聞いたりしただけなのだが。
「ごちそうさま」
 三人の弁当箱が全て空になり、三人は手を合わせた。昨日学校を休んだ遊戯者である小夜は、この昼休みを雑談で無駄にすることは出来ない。少しでもg@meを有利に進めるためにも校内の様子を見ておかなければならない。
 小夜は立ち上がると、教室を出た。まずどこを回ろうかと考えたのだが、何せ開始時の場所が決められているのだ。当分の間はその初期位置の階でg@meをすることになるだろう。だとしたら、小夜が念を入れて見ておかなくてはならないのは四階ということになる。
「とは言っても、ねぇ……」
 四階は三年生になってから毎日使っている階だ。三年生になってまだ三ヶ月弱しか経っていないが、そこまで広くない学校を熟知するには充分過ぎる期間だ。どこに何の教室があるかは既に頭の中に叩き込まれている。部屋の構造自体も、校舎の南側か北側かで少し違いがある程度だ。相違点を強いて挙げるとすれば、各部屋にある備品などに過ぎないだろう。
「まあ、とりあえずは音楽室かしらね」
 小夜はそう呟いてから向かいの部屋の音楽室に入った。四階で、A組からE組までとは明らかに異なる教室は、音楽室しかない。この教室だけが、他の四部屋よりも少し大きく、かつ特殊な作りになっている。基本的に二階から四階は同じ作りになっていて、各学年五つの組の教室と、もう一つ特別教室となっている。
 小夜は音楽室の戸を開けて中に入った。だが、図書室とは違い特定の集団を除いて人の出入りが極端に少ない音楽室には、やはりその特定の集団しかいなかった。吹奏楽部と呼ばれる人達だ。ガラリと戸の開く音で、部員の視線は小夜一点に集中した。その視線は直ぐに各々の目の前にある楽譜へと戻されたが、楽器を演奏することが目的でない小夜にとっては非常に居辛いことは言うまでもない。なので、小夜は部屋全体を一度見回して何があるかを確認すると直ぐに音楽室をあとにした。
 音楽室の戸を背にして、小夜は一つ息を吐いた。今の僅かな時間でも、明らかに異なる点はいくつか見付けられた。
 まず、部屋の大きさ。これは通常の教室の一・五倍ほどあるだろう。次に、机の配置。楽器等を出さなければならない分、通常の教室にある机とは形が違っている。いくらか横に長い作りとなっている。そして最後に、壁だ。音楽室は当然音を出すことを前提としているため、他の教室に迷惑が掛からないように防音される作りになっているのだ。
 とりあえずはこのくらいだろう。やはり特筆すべきは防音効果のある壁だろうか。この部屋でならば、拳銃で発砲したとしてもそこまで大きな音は漏れないかもしれない。小夜はそれだけを頭に刻み込むと、音楽室から離れた。
「さて――」
 まだもう一階分を見て回るだけの時間は充分に残っている。小夜は階段へと足を向けた。図書室と実験室しかない五階は、二十九日のg@meにおいて最初に遊戯者が配置されることはない。だからそこまでの警戒は持たなくてもいい。となると、やはり一階下の三階を見て回るのが妥当というものだ。
 しかし、と小夜は既に階段を下りている足を止めて思った。三階といえど、通常の教室の作りは四階と同じだ。違いがあるとすれば、四階と同じく特殊な作りになっているパソコンルームだけだ。だが、そのパソコンルームは音楽室とは違い、生徒が勝手に入ることは許されていない。授業で使うときか部活で使うとき、どちらにしろ先生の引率が必要になる。つまり、今の小夜にはパソコンルームに入って調べることは出来ないのだ。
 とりあえず三階に立った小夜は、廊下を真っ直ぐに見つめた。左右には各教室があり、昼休みの今は廊下は生徒で溢れている。パソコンルームの様子を見られない以上、長居は無用のように思われた。なので階を移そうと、少し気落ちしてため息をつきながら階段へ振り返った小夜は、目の前に人影があるのに気付くと驚かずにはいられなかった。
「桜井先輩、こんな所で何してるんですか?」
 小夜を驚かせたその人影には見覚えがあったので、小夜は直ぐに落ち着きを取り戻し、今度はまた違う意味で嘆息をもらした。
「晶子か。びっくりしたぁ」
 安心はしたものの、小夜はバスケ部の後輩である高梨晶子に問われて一瞬答えに窮した。だが、日常会話の返答など、いくらでも装うことは出来る。小夜は少し唸った後、あっけらかんとして言った。
「あー、ぼうっとしてたら階を間違えちゃったみたいね」
「そうなんですか? 少し思い詰めてるというか、考え込んだような表情してましたよ?」
 小夜は頭から血の気がさっと引いていくのを感じた。まさかこれで何かを勘繰られるとは思えないが、些細とはいえ思わぬ失態だ。いくらか気が緩んでいたのかもしれない。小夜は言われたばかりだというのに、つい表情を硬くしてしまった。
 そのような小夜の様子を丸い瞳で見つめていた晶子は、満面の笑顔で明るく話し始めた。
「おじいちゃんの受け売りなんですけど、気分が優れないときは何でも遊び感覚でやるといいですよ。全部楽しく感じられるようになりますから」
 晶子はそう言うと、軽くお辞儀をしてD組へと戻っていった。
 晶子を笑顔で見送った小夜だったが、その笑顔は下手な作り笑いにしかならなかった。今の小夜には、遊び感覚で、などと考えることは出来なかった。一体どうすれば、人を殺すことを遊ぶ気持ちで出来るのだろうか。小夜は自分の心を殺すことしか出来ないというのに。
 晶子のせいというわけではないが、気分が晴れない小夜は二階へ向かうこともなくとぼとぼと四階へと戻っていった。明美や美代と話をすれば、また明るい気持ちになることが出来ると、そのような思いが無意識の内に働いたのかもしれない。小夜が還るべき場所は、そこにあるのだと。
「あ、小夜! いいところに来た」
 そうして教室に戻った小夜を目敏く見付けた美代は、周りに憚ることなく大きな声で小夜を呼んだ。翳りを見せていた小夜の心は見る見る間に晴れていき、直ぐに心は軽くなった。小夜は明美と美代との談笑に加わり、一日の活力を得直すのだった。
 昼休みが終わった後の授業は、小夜にしてみればあっという間に終わってしまった。心が晴れて訳もなく楽しかったのも理由の一つかもしれない。美代は相変わらず爆睡していたので、こちらも違う意味であっという間だっただろう。
 下校時刻になり、小夜は明美と里沙と一緒に帰ることになった。いつものように三人で並んで昇降口から校庭へと出た。外は、天気予報の通りに雨がしとしとと降っていて、一瞬小夜の心を曇らせた。だが、小夜の横には親友が二人並んでいる。今の小夜にこれ以上頼もしいことは無いはずだ。
「ねぇねぇ、二人とも知ってる?」
 小夜は直ぐに笑みを浮かべると、進んで話題を振っていった。どんなときでも、友達というかけがえのない存在が小夜に力を与えてくれる。
 三人は傘を差して談笑しながら家路へと着いた。
「じゃあね、二人とも。また明日!」
 家の方向が違うので、途中の交差点で別れることになる里沙は、小夜と明美に大きく手を振って別れた。小夜は足を進めながらも、里沙の姿がどんどん小さくなっていくのを見送った。
 二人になったとき、小夜は自分の家が近付いていることを実感した。あと数分もすれば明美とも別れる。そして八時になれば、またg@meの時間になるのだ。言いようのない不安が、小夜の心を重くさせた。心做しか降り頻る雨脚も激しくなっている気がする。
「それでね、――小夜、聞いてる?」
 少し惚けていたのか、ぼんやりとしていた小夜の顔を明美が覗き込んできた。小夜は今この数瞬をも無駄にしてしまったことを悔やみながらも、明美に余計な心配はさせまいと取り繕った。
「あ、うん。ごめん、大丈夫だよ」
 小夜は笑顔でそう言うと、今目の前で為されている会話に関すること以外の雑念を頭から振り払った。もう二人の家は視界に入っているので、それほど大した時間が残されているわけではない。それでも、小夜はいつも以上に明美との会話に興じるのだった。それこそ、楽し過ぎて傘を叩く雨の音など聞こえなくなるくらいに。
 そして小夜は今、玄関のドアを後ろ手で閉めている。明美と別れて十数歩、完全に家の中に入った小夜の目付きは、直ぐに鋭いものとなった。友人との楽しい時間はもう終わりだ。今からは、受験生、そしてg@meの遊戯者という肩書きが小夜を縛り付ける。
「ただいま」
 小夜は靴を脱ぎながらそう言うと、直ぐに二階の自室へと向かった。時刻は午後三時過ぎ。夕食まで優に三時間はある。小夜は直ぐに私服へと着替えると、机に向かってペンを動かし始めた。
 人間の意志というものはかなり固いもので、小夜の集中力は三時間を通してもなお衰えることはなかった。おかげで、夕食が出来たことを告げる母親の言葉も、母親が何度か告げてようやく気付いたほどだ。
「小夜ー! ご飯よ、下りてらっしゃい」
「あ、うん。直ぐ行く!」
 小夜は大きな伸びをすると、時計を見た。時刻は午後七時をちょうど回ったところだ。小夜はそのまま視線を窓の方へと移した。雨は先程と変わらぬ強さで依然として降り続いていた。
「――ふぅ」
 小夜は一つため息をつくと、もう一度大きな伸びをして立ち上がった。一瞬立ちくらみを起こすが、目がちかちかする感じですら今はいい刺激に感じる。小夜は首を回しながら一階へと下りていった。
 夕食を食べ終えて部屋に戻ってくる頃には、時計の針はちょうど八時を指そうかというところだった。小夜はいつものようにパソコンの電源を入れて速やかにg@meのページへとアクセスした。

Thu. Jun. 27th 20:00 "the Ninth d@y"

 二十九日が近付くにつれて存在感が増していく告知は、それを目の前にした小夜に大きな緊張を強いた。遊戯者の命を掴む主催者の企てるg@meのイベントは、もう目前に迫っている。そして、主催者はいつものように話し始めた。

『さて諸君、二十九日を二日後に控えて如何なる心境で過ごしているだろうか。私は今からとても楽しみだ。もちろん、君達の中にも楽しみにしている者はいるだろう。』

 声に抑揚がない上、内容が内容だけに非常に気味が悪く聞こえる。そして、声しか聞こえない分、その気味悪さは内容と相俟って小夜を非常に腹立たしい気分にさせた。

『私がこれほどに期待を掛けているのだから、君達は二十九日のg@meを絶対に盛り上げねばならない。そのためにも、今はその日のことについて深く思慮を巡らしてくれたまえ。』

 声はそこで途切れ、しばらく無音が続いた。
 無音が続いたのは、勿論主催者の告知とも言えない告知が終わったということもある。だが、小夜の手が完全に止まっていたということもあった。
「え……?」
 小夜は今自分の頭が何かに反応したことに驚いていた。何か電撃のような物が小夜の脳裏を貫いた。今、主催者は何と言っただろうか。そして、その言葉の何に小夜は反応したのだろうか。
 頭の中で何かがわんわんと音を立てて響き、小夜の思考を妨げる。開けてはならない禁忌の扉の鍵が、今小夜の目の前にぶら下がっている。
「――今ここで逃げるわけにはいかない」
 小夜は目の前の現実から逃げようとするもう一人の自分を必死に抑え付けて、深慮に入った。
 そうしていくと、小夜の脳裏に4と対面した映像が浮かんできた。4は何かを呟いているが、小夜には聞こえない。直ぐにその映像は消え、次に浮かんできたのはパソコンに向かういつかの小夜だった。モニターには二十一日の告知の様子が映し出されている。
――ならば、何故。
 小夜はこの日何度もこの言葉を繰り返していた。そして、映像は再び4と対面している場面を流し始めた。
 あと少しで何かが見えてきそうなのに、そのあと少しがどうしても埋まらない。小夜は頭を抱えて記憶を弄り、何とか情報を得ようとした。いつしか、g@meに関わる全ての映像が凄まじい速度で、まるで走馬灯のように小夜の脳内で流れ続けた。それは映像というよりも、むしろ高速で切り替わるスライドショーのようだった。
 そして、小夜は遂にその言葉に行き着いた。

『絶対なんて無いよ』

 4が死に際に言った言葉こそが、小夜の思考を解き放った。そう、小夜が先程主催者の声に反応したのは、この「絶対」という言葉だったのだ。では、それは何故か。小夜は完全に冷め切った頭で思考を始めた。
「4の言葉を信じるならば、この世に『絶対』など有り得ない。でも、g@meのルールは遊戯者にとっては『絶対』だ」
 小夜は喉をごくりと鳴らして息を呑んだ。今まさに、禁忌の扉に手を掛けようとしているのだ。
「そして、g@meにおいて絶対のルールをもその管下に置く『絶対的な』存在がいる」
 小夜の脈拍が急に早くなる。ただ思考をしているだけだというのに、額には嫌な汗が伝っている。
「それは――主催者」
 小夜の頭の中でほつれていた糸が、ようやく真っ直ぐの一本の糸になった。前木殺しの件で、その殺害方法が絞殺であるとかなり高い確度で推測出来るのに、いざ肝心の凶器が遊戯者の手元になかった。だからこそ、小夜はその真相が掴めないまま悩んでいたのだが、これで全て納得のいく説明がつけられる。
「遊戯者にとっては絶対のルールでも、主催者ならばそのルールに自らが従う必要はない。だとしたら、前木純を殺したのは……主催者?」
 現段階で小夜が手に入れた情報から出せる答えはこれだった。主催者が自らの手でg@me開始の鐘を鳴らしたのだ。もしかしたら、前木純はg@meに潤滑油を注ぐために発破として殺されたのかもしれない。だが、小夜にはどうしてもそれだけが理由だとは考えられなかった。何せ、手が込み過ぎているのだ。それでいて、g@meらしさとでも言うべきものが薄い。殺害方法を絞殺にしたのがそのいい例だ。それを考慮に入れた上で考えられることは、今までの主催者像からはあまりに掛け離れていた。
「主催者の本当の目的は――前木純だった?」
 本当に殺したい相手を隠すために、g@meなどという気違い地味たことを始めたのだろうか。もしそうだとしたら、主催者は殺意という、およそg@meとは結び付かない如何にも人間らしい動機で行動していることになる。
 小夜はそこで一度思考を停止した。あまりの衝撃に少し頭がくらくらしている。小夜は椅子の背もたれに寄り掛かると、手を額に遣りそのまま顔を天井に向けた。
「前木純を殺した主催者がいまだにg@meを続ける理由は何?」
 小夜は瞳を閉じた。いくら思考を重ねたところで、今の小夜にはこれが精一杯だった。この事実が分かったからといってこれからの小夜の行動が変わるわけでもないし、主観に基づく動機など当人にしか知りようがない。ただ、g@meの核心を一つ知ることが出来たような気する。
 小夜は時計をちらと見た。いつの間にか時刻は十時近くになっている。これ以上g@meについて考えに耽るのは、明日の学校に差し障る。小夜はパソコンを閉じると、着替えを持ち部屋を出た。重くなった頭を軽くするには、風呂に入って気持ちを切り替えるのが一番だ。それで直ぐにでもベッドに入ってしまえば、明日に持ち越す疲労など立ち所に消えてしまうだろう。小夜は足取り軽く階下へと下りていった。

 翌日の小夜の目覚めは非常に心地よいものだった。目覚ましが鳴って起きた覚えはなかったが、頭が冴えている。カーテンを開けて漏れ入る朝の陽射しも、小夜の目を優しく刺激した。そうして小夜が眩しい朝陽から目を逸らしたとき、小夜の視界にはあるものが映っていた。
「……げ」
 小夜が見たもの、それは時計だった。しかも時計の針は明美との約束までほとんど残されていない時刻を差して、刻一刻とその時へ迫っている。
 途端に小夜の頭の中は真っ白になり、次の瞬間には小夜は猛然と朝の仕度へと取り掛かっていた。
「あぁーっ、遅刻しちゃう!」
 てきぱきと着替えを済ませると、足音高く響かせて階下へと下りていった。座って食べるのも厭うほどに急ぎ、朝食の最後の一口を口に入れたところで小夜の家の呼び鈴が鳴った。
 小夜はその音にびくりと反応し、その拍子に口に含んでいたものを丸ごと飲み込んでしまった。小夜は自分の胸をどんどんと叩き、少しの間咽せ込んだが直ぐにまた二階の自室へと駆けていった。朝の騒がしい風景は桜井家にとっては至極日常的で、小夜もその雰囲気は嫌いではなかった。騒いでいるのは小夜一人だけなのだが。
 小夜は自室へ戻り、鞄だけを引ったくるように掴み上げると直ぐにまた一階へと引き返した。その早さたるやまさに電光石火のようであった。
 呼び鈴が鳴ってからわずか一分少々で、小夜は玄関で靴を履いていた。今日は珍しく母親が玄関におり、どうやら見送ってくれるようだ。
「今日は帰りは遅い?」
 普段聞かないことを聞くので、小夜は一瞬きょとんとしてしまった。直ぐに質問の意味を理解すると、今度は少し首を捻って考え始めた。
 金曜日である今日は、前々から決めていた通り明日のg@meに必要な物を買い揃える日だ。果たしてそれを学校帰りにするか、一度帰宅してからにするか。だが、少し悩んだところで答えは直ぐに出すことが出来た。
「いつも通り。でも帰ってから一回外に出る」
 小夜が今日行こうとしている雑貨屋は駅前にある。学校から直接行くには、確かに家からよりは近いものの、一緒に帰るであろう明美と途中で別れることになる。それは明らかに日常とは違う行動だ。万分の一でも、明美が疑問を抱く可能性はある。そういう厄介を回避するためにも、一度帰宅してからの方がいい。
 母親は一言、そう、と言うと小夜に笑顔を向けて手を振った。
「いってらっしゃい」
「いってきます!」
 明美を待たせていることに気付いた小夜は、片手を上げてそれだけ言うと、いつものように勢い良くドアを開け放った。途端に地面の雨を叩く音が耳に入った。そして目の前には、いつものように驚いた表情をしている明美がいた。
 学校までの道程も、明美と会話に花を咲かせればあっという間だった。少し小降りになった雨は周囲の音を奪い、なおのこと二人の声を聞きやすくさせた。
 次第に傘を差しながら歩く学生の数も増えてきて、小夜の視界に学校が見え始めた。明日の夜にはあの場所でg@meが、大量の殺人が行われる。小夜は喉をごくりと鳴らした。そう考えると、普段何気なく見ている学校が何か恐ろしいものに見えてくる。
「小夜、どうかした?」
 横から小夜の顔を覗き込んできた明美の顔は、いつものように屈託がない。それは小夜が未だに普段の生活の中にいるということだ。
「ううん、何でもない」
 小夜は自分がどのような表情をしていたのかを容易に想像し、即座に誤魔化した。このようなやりとりももう何度目になるだろうか。そして、あと何度やることになるのだろうか。一番の友人にすら悩み事を打ち明けられないことが、小夜にとっては何よりも辛かった。
 教室に入った小夜は、何をするでもなくただ席に着いて机に片肘を付いてぼうっとしていた。始業時間になっても、小夜は授業に集中することが出来ないでいた。先生の語る言葉は耳を素通りしていき、そうかといって何か思慮していたかといえばそうでもない。
 精神状態がいつもと違うのは、日常に変化があるからだ。小夜に当て嵌まる日常の変化とは、g@me以外には有り得ない。明日に迫るg@meの出来事が、小夜に無言のプレッシャーを与えているのだ。
 小夜が気付く頃には、もう昼休みの時間になっていた。二限目の数学も三限目の物理も、小夜の記憶には何も残っていない。ただノートに板書として記録があるばかりだ。
 小夜は深いため息とともに開いていた古文の教科書を閉じた。後悔の念が押し寄せるのを、小夜は周囲に意識を凝らすことで防いだ。もうまもなく、いつもの友人の声が聞こえてくるはずなのだ。
「小夜、一緒に食べよっ!」
 小夜が思うが早いか、明美の声が小夜の耳に届き、次いで近付いてくる美代の姿が目に映った。
 それが作り笑いであることを自覚しながらも、小夜は満面の笑みを浮かべて二人を出迎えた。日常に上塗りされていく虚構が、小夜の足元を日に日に脆くしていく。それでも小夜はg@meが終わるまでは嘘を積み上げていかねばならないのだ。
「うん、もちろんだよ!」

 結局、小夜は午後も授業に集中することが出来ないままにその日を終えてしまった。だが、学校という拘束の時間が終わった今、もう頭をg@meに切り替えねばならない。買う物は予め決めてあるとはいえ、不測の事態はいつ起きるとも限らない。寸刻も油断は許されないのだ。
 小夜は自分の席から立ち上がると、明美の下へと歩み寄った。
「明美、帰ろ」
 まだ教科書をしまう途中だった明美は、顔を上げて小夜を見ると、頷きながら「ちょっと待ってて」と言って動かす手を早めた。やがて明美も席から立ち上がり、二人は並んで教室をあとにした。
 朝方には弱かった雨も、帰宅するときにはまた強くなっていた。昇降口で傘を差そうと二人が立ち止まったとき、不意に明美が話し掛けてきた。
「梅雨って雨ばかりで嫌だね」
 傘を差した明美はそう言うと一歩二歩と歩き始めた。小夜もそれに従い傘を差して足を前へと運んだ。
「私は嫌いじゃないけどなぁ」
 実際のところ、小夜だとて雨が好きなわけではない。だが、このg@meにおいて雨は人々の視野を狭くさせるので、小夜にとっては有り難みのあるものではある。そういう意味で小夜は自然と口走っていた。
 明美はそのことについてはもう何も触れずに、直ぐに違う話題を持ち出した。
「それより小夜、今日やる番組見る?」
「うん、勿論。あれかなり前から楽しみにしてたもん」
 傘を差しながら歩く二人の間に、会話が途切れることはなかった。
 いつものように話しながら歩いている内に、二人はあっという間に家に到着していた。そのことは二人にとってはごく当たり前のことなので、小夜はさしたる感慨も覚えなかった。おそらくは明美も同じだろう。だが、g@meのための行動のときが近付いているために、小夜は動悸が激しくなっていた。
「じゃあまた、明日ね」
 そう言って手を振りながら別れる明美には、頷きながら振り返した小夜の手がひどくぎこちなく見えただろう。
 後ろ手にドアを閉めた小夜は小さく息を吐いた。この仕草も何度目になるだろうか。本来気分を落ち着かせる場所である家の中で、目を赤く光らせているのだ。小夜は頭の端にそのようなことを考えながら、直ぐに自嘲しながらそれを排斥した。下らない考えに捕われるよりも、今はg@meが最優先だ。小夜は一旦部屋に戻ると、昨夜の内に作っておいた買うべき物のリストを確認した。それから制服を着替えると、必要最小限の物だけを手に再び玄関へと向かった。
「あら小夜、帰ってたの?」
 階段を下りたところで母親と遭遇したのは少し運が悪かったが、小夜は今返すべき答えを即座に考えた。この会話はさっさと終えた方がいい。
「うん、また出掛けるね。夕ご飯までには帰るから」
 小夜は短い言葉でそう告げると、もう靴を履き終えてドアに手を掛けていた。そして、行ってきます、とだけ言い残して家をあとにした。
 小夜は傘を差すと少し速足で駅前の雑貨屋に向かった。出来ることなら誰にも姿を見られない方がいい。仮に見られたとしても、残す印象は薄い方がいい。小夜はそうしたことも考えて買物する場所を駅前の雑貨屋にしたのだ。駅前なので人の数は多く、姿を見られるかもしれないというリスクは高まる。だが、その雑貨屋の中もまた人数が多く、誰が何を買ったかということに関して足が付くリスクはかなり低いものとなる。要はその兼ね合いだ。
 小夜が駅前に着いたとき、雨にも関わらずかなり多くの人が行き交っていた。時間帯のせいもあるだろう。小夜はそれだけを印象として抱くと、その他のことにはほとんど目もくれずに雑貨屋へと入っていった。
 この駅前の雑貨屋は全国展開している大手の雑貨屋なので、数店舗ある町の雑貨屋の中では一番大きく、そのために客の数も多い。それは今日も例外ではなく、土日などに比べれば少ないものの店内には多くの買物客が商品を見て回っていた。
 小夜は鋭い視線を周囲に向け、誰も自分のことを意識していないことを確認した。そうして小夜は買うべき物がある場所へと向かった。かく言う小夜もこの店にはよく来るので、どの品がどの辺りにあるのかは分かっている。買物に時間を掛けるつもりは毛頭なかった。
 だが、小夜がそう意図していても、他者の意図の介入によりそれは否応なく変更される。いくつかの品物を買物籠に入れたところで、避けようのないそれは起きてしまった。
「あっれ? 桜井、こんなところで何してんの?」
 小夜が背後にその声を聞いた瞬間、背筋を何か冷たいものが這うような感じがした。どうして選りに選って一番会いたくない人間と会ってしまうのだろうか。小夜はそうした自分の不運を恨みながら、ゆっくりと振り向いた。
 やはり、小夜の目の前にいるのは根岸だった。小夜は険しい視線を根岸に向けると、声の調子を落として答えた。
「根岸には関係無いでしょ。それに、雑貨屋に来て買物以外のことをする人がいる?」
 根岸は小夜の態度を理解しながらも全く気にした様子も見せずに肩をすくめた。
「おいおい、そんな邪険な言い方しなくてもいいだろ。それに、買物以外で雑貨屋に来る奴だっているぜ? オレもその内の一人だ」
 小夜にはどうしても根岸の意図が読めなかった。松永のときといい今回といい、小夜に接触しては含蓄のあるようなことを言う。
 小夜からしてみれば、厄介なことには関わらない方が健全なので、そう、とだけ言って別の商品棚へと歩き始めた。
 小夜は背後の根岸に意識を向けていたので、そのとき根岸の顔に気味の悪い笑いが浮かんでいるのが見えるようだった。小夜は再び背筋がぞっとした。
「桜井、明日何かあんのか?」
 小夜に向けられた言葉は核心を衝いていた。根岸が何か確証を得てそう言っているのかは分からないが、今までの接触の仕方から考えても、鎌をかけようとしているのは間違いなさそうだった。ここで根岸の挑発に乗っては、それこそ根岸の思う壺だ。今小夜に出来る最善は、これ以上根岸と関わりを持たないことだ。そのためにも、小夜は根岸の言葉を無視して逃げるようにしてその場を立ち去った。
 買うべき物を揃えた後、小夜はレジで会計を済ませた。雑貨屋で、しかも小夜が籠に入れたものは日用品ばかりだったので、金額自体はそう高いものではなかった。財布から求められたお金を取り出すときも、小夜の目はどこか虚で遠くを見ているようだった。
「ありがとうございましたあ」
 店員の軽佻な言葉を聞きながら、小夜の心に残るのはただ後味の悪い敗北感だけだった。
 用事を済ませた小夜は足早に家へと向かった。その道中でも、小夜の頭の中には根岸のあの下賤な笑みが思い出され、苛立ちが募っていく。根岸がg@meの遊戯者であるのかどうかも分からず、その行動の意味も理解出来ないので、小夜の苛立ちはどこへ発散することも出来ない。
「ただいま」
 家に着いた小夜は力無くそう言うと、声とは逆に足音を大きくさせて二階の自室へと直行した。部屋に入った小夜は、電気を点けることもせずにベッドへと倒れ込んだ。枕に顔を埋めて、今日あった全てのことを忘れようとした。目を固く閉じて何も考えないようにする小夜だったが、それでも脳裏に浮かんでくるのは魂胆の読めない根岸の顔ばかりだった。その度に、小夜はより一層強く枕に顔を押し付けるのだった。
 小夜の意識がはっきりするようになったとき、耳元で大きな音がしていた。
「小夜! 何度言わせるの? ご飯よ」
 重くなった瞼を開けて、小夜は身を起こした。どうやら気が付かない間に眠っていたらしい。電気も点けずに横になっていたので当然といえば当然だった。小夜は電気が点いて眩しい部屋に目をくらませながら、まず時計を確認した。時刻はいつも夕食を食べる午後七時。逆算すると、約一時間は寝ていたことになる。
「小夜、聞いてるの? うたた寝なんかして、また風邪でもひいたらどうするの?」
 次いで、小夜は先程からの音の源である母親の方に視線をやった。眉を顰めて声を張り上げる母親に、小夜はさしたる感慨も抱かずに小さく頷いた。
 小夜が完全に身体を起こしたのを確認した母親は、まだぶつぶつと何かを言いながら先に部屋を出て階下へと下りていった。
 小夜は大きな欠伸をすると、背筋を伸ばした。母親に小言を言われはしたが、確かに気分は爽快としている。一階のリビングへと向かう小夜の足取りは自然と軽くなっていた。
 食卓でも機嫌良くご飯を口に運んでいた小夜は、ふと言わなければならないことを思い出した。今なら、何の不自然さもなく言えそうだった。
「あ、お母さん。私、明日里沙の家に泊まるね」
 これは勿論嘘だ。g@meが夜に始まるために、その日の内に家に帰れる保証が無いのだ。いや、むしろほぼ帰れないだろう。だから、里沙を引き合いに出して小夜は口実を作った。母親から来る質問も、それに対する答えも既に考えてある。
「里沙ちゃんって――A組の? どうしてまた」
「里沙の家で勉強しようと思ってるの」
 里沙にそういった話は全くしていないが、里沙と母親が出くわすことはまず無いと言える。だからこそ、後で確認を取られることは恐いが、小夜が一番泊まりそうな相手として里沙を選んだのだ。母親も今の小夜の説明で納得したらしい。その後はいつも通りの夕飯の食事風景が桜井家の食卓を囲っていた。
 そして午後八時になった。小夜にとってはg@meの時間だ。パソコンは既に起動してあり、後は当該サイトにアクセスするだけだ。今日はおそらくg@meのルールの最終確認だろうと、小夜はそう推察した。

Fri. Jun. 28th 20:00 "the Tenth d@y"

 g@meのページには既に今日の分の更新が上がっている。小夜は唾を飲み込むと、軽い緊張を覚えながらそこをクリックした。もう何度目になるだろうか。いつもと変わらず別ウィンドウが開き、主催者の声が流れ始めた。

『やあ諸君。遂に明日が今回のg@me最大のイベントとなるであろう日だ。今日はその最終確認をしようか。』

 やはり、と小夜は小さく舌を打った。主催者の考えそうなことは予想が付くのに、それに逆らう術がない。今の小夜にはその無力感が情けなかった。

『まず、基本的に明日もg@meのルールに則ること。つまり、各々が持つ拳銃を使って互いに殺し合うのだ。次に、明日に限ってのルールを確認しよう。明日、遊戯者は午後八時までに学校の自分の教室に居ること。そこが君達の開始場所だ。同じクラスの者がいる場合には、その夜に限り共闘してもらう。今現在そういったクラスは八クラスある。』

 小夜は主催者のその淡々と続ける言葉を聞いた瞬間に頭が真っ白になりそうになった。一学年五クラスで三学年まで、合わせて十五クラスある内、半分以上のクラスが複数人で殺し合うのだ。しかも、既に八人が殺された状況でその状態が成り立っている。同じクラスの松永が死んでしまった以上、C組に他の遊戯者がいる可能性はもとより低い。このg@me、人数が多い方が優位に立てるのは明らかだ。いくら明日以降の危険性が高くなるとはいえ、明日を越せなければ元も子もない。小夜の心に絶望の影が伸び始めていた。

『終了の時間は前以て設けることはせず、私の合図で一切の殺し合いを止めてもらう。以上だ。』

 そうして声は途切れた。後半の主催者の声は、だがしかし小夜には全く届いていなかった。
 呆然と、小夜は何も映さないウィンドウをただ視界の中央に捉らえていた。小夜が勝ち抜く、生き残る確率を必死に求めようとしても、それが不毛であるということに気が付くのに、優に半刻以上も掛かっていた。
 小夜は頬をぴしゃりと打った。今更弱気になったところで、g@meはもう明日に迫っている。今すべきなのは絶望に打ち拉がれることではない。そんなものは死ぬ間際にでもすればいい。今すべきなのはそうならないように考えることだ。
「たとえ単独でも生き残るために、何が必要か」
 小夜は着けていたパソコンを閉じると、両の手を合わせて軽く目を瞑った。頭に冷たいものが流れ込み、一切の靄が掻き消えて冴えていく。小夜は小気味好さを感じながら、思考を始めた。
 今日小夜が買ってきたものを駆使していくのは言うまでもない。それが殺人の凶器とならない限りはいくらでも使えるのだ。だが、その用途を考えるよりも先にしなければならないことがある。それは開始直後の振る舞いだ。
 小夜には、単独である他にもう一つ不利な点がある。それはC組の教室がB組とD組に挟まれていることだ。三教室に挟まれているB組ほどではないが、それでも絶えず二つの方向に気を使わなければならないのは余計に神経を使う。このことも踏まえた上で、最初の出方を決めなければならない。
 しばらくの間、ぼそぼそと独り言ちながら深慮していた小夜は、やがてゆっくりと目を開いた。
「まだ勝算はある――」
 小夜の見出だした答えは希望的観測に過ぎないかもしれない。だが、確率は決してゼロではない。その僅かな可能性こそが、小夜にとっては淡く光る希望だった。
 小夜はその希望の光が消えない内に、早々にベッドに入り寝付いた。

第三部

 翌朝、小夜の目覚めはひどく澄んでいた。目覚ましが鳴ったわけでも、母親に起こされたわけでもなく自然と目が開いた。朝に弱い小夜だというのに、この日ばかりは思考も冴えていた。
 ゆっくりと身体を起こした小夜はとりあえず時計を確認した。時間に余裕があることは時刻を確認しなくても分かっている。現に、明美との約束の時間まで一時間はある。小夜はベッドから下りるとそのまま階下へと向かった。
 小夜がリビングに入ると、母親もどうやら起きたばかりのようで、朝食の準備をする手を止めて驚いた表情をしている。
「小夜、今日も早いのね」
 それ以上は言葉にすることも出来ないようだ。母親は少しの間静止してから、再び我に返ったかのように手元に意識を戻した。
 そんな母親を尻目に、小夜はソファに腰掛けて何気なくテレビを点けた。ちょうど今日の天気予報がやっていた。それによると、今日も梅雨らしく一日中雨となるようだ。小夜はそのことにもさしたる関心は抱かず、次に朝刊へと手を伸ばした。台所からは陽気な母親の鼻歌が聞こえてくる。
 流し読みに朝刊をペラペラとめくっていき一通り目を通した小夜は、ソファに体重を預けると小さく嘆息をついた。4を殺してから今日で四日目となるが、未だに遺体が見付かったという情報は流れていない。とりあえずは安堵する小夜だが、果たしていつまで隠し通せるかは皆目見当が付かなかった。
 そうこうしている内に朝食の準備が出来たようで、小夜は気持ち明るめに食卓へと着くのだった。
 朝食を終えた後も、時間に余裕のある小夜は急ぐ必要性もなく優雅に準備を進めていった。制服のボタンをはめる指も、心做しか滑らかに動く。
 今日持って行くべき物の最終確認をすると、小夜はちょうど明美との約束の時間に家を出た。
「行ってきます!」
 玄関で傘を手に取ると、小夜は勢いよくドアを開け放った。いつもなら、そこには驚いた表情の明美がいるはずなのだが、今日ばかりは小夜の方が少し早かったようだ。明美とは小夜が道路に出たところで出くわした。視界に突然小夜の姿が入ったので、結局明美は驚いた顔で小夜を見つめていた。
 小夜も出合い頭のことだったので意表を突かれてしまったが、直ぐに笑みを浮かべた。
「おはよ、明美」
 そうして明美もまた笑顔で頷くと、二人は傘を差しながらいつも通りに学校への道を歩き始めた。
「今日は小夜早かったね」
 話題の一つとして、明美は先程の出来事を挙げてきた。確かに普段と違うことなので話題としては充分だ。
 小夜は決して本当のことは言えなかったので、適当に笑って誤魔化すしか出来なかった。
「うん、何か今日は目覚めが良かったんだよね」
 それからも他愛のない会話が続き、二人が交差点に差し掛かったときだった。
「小夜に明美!」
 背後からの声に反応して二人が振り向くと、そこには里沙の姿があった。二人は里沙の方に気を取られてしまい、信号が青に変わったのにも気付かなかった。里沙は信号を指差しながら二人を促した。三人が横断歩道に足を踏み入れるときには、信号は点滅を始めていた。
「里沙と朝一緒になるの、久し振りだねえ」
 明美はそう言ったが、小夜にとってはそこまで久し振りのことではなかった。前木純が殺された翌日、明美が休んだ日には里沙と朝一緒になっている。
「明美とはそうだね」
 里沙も笑顔を浮かべながらそう応じた。次いで、小夜は里沙が自分の方に視線を向けているのに気付いた。小夜が小首を傾げると、里沙は何でもないように言った。
「小夜、何か荷物多くない?」
 その言葉を聞いた瞬間、小夜はどきりとした。自分ではそれほど気にならないのだが、里沙は確かにそのことを指摘した。小夜の鞄の中にはg@meのための小道具が色々入っているということを。思い過ごしなのは承知しているが、小夜は何とか上手く切り抜けようと言葉を探した。そうして浮かんだものは、陳腐といえば陳腐だった。
「あ、うん。今日は色々勉強道具を持ってきたからね」
 小夜がそう言うと、里沙はそれきり詮索してこようとはしなかった。それから話題は直ぐに別のことへと移っていった。
 学校が近くなり、通学する生徒の数が増えてくると、自然と小夜は緊張して肩に力が入ってしまった。今歩いている生徒の内、一体何人がg@meの遊戯者なのだろうか。一体何人の生徒と今日殺し合うことになるのだろうか。
 小夜の頭にはそのようなことが浮かんだが、直ぐにそれを振り払った。g@meに気を回すのは今日の放課後からで充分だ。今下手に気張って、明美や里沙に要らぬ勘繰りをされるのはかえって面倒だ。小夜はそう考えると肩から力を抜いた。それと同時に、ふっとg@meのことも頭の中から立ち消えていった。
 次の瞬間には、小夜はまた笑顔で三人での談話に興じていた。
 教室に入り自分の席に着いてからも、小夜は極力g@meのことは考えないようにした。そのおかげか、小夜はここ一週間では一番授業に集中出来たような気がした。そしてまた、午前中の四時間など直ぐに過ぎ去ってしまった。
 四限の授業が終わり、ホームルームまで終えると、生徒は一斉に帰り支度を始める。今日はこの場所に留まらなければならないとはいえ、体裁は取り繕わねばならないので、小夜も教科書などを鞄に仕舞い始めた。
「小夜、帰ろう?」
 時間を掛けて帰り支度の振りをしていた小夜に、明美は普段通りに声を掛けてきた。小夜は寸時明美の顔を見上げたが、直ぐに返すべき言葉を返した。今これから、小夜は独りでいなければならないのだ。
「あ、今日私途中で寄るところがあるから、先に帰ってて」
 小夜はあえて学校に残るということは告げなかった。おそらく明日か明後日には、ここで起こるであろう惨劇が学校中に知れ渡ることになるだろう。そのときに、土曜日の放課後に学校に残っていたと思われてしまうのは都合が悪い。それだけでg@meの遊戯者であると疑われてしまう可能性が出てくる。ならば、もっとはっきりと学校にいないということを告げるべきなのかもしれないが、それではあまりに態とらしく思われるかもしれない。それに、平然と嘘がつけるほどには小夜はまだ心を殺し切れていなかった。なので、今小夜に言えることはこれがせいぜいなものだった。
「そうなんだ。じゃあまた月曜日にね」
 明美は大して気にした風もなく、笑顔で小夜に手を振ると、ばいばい、とだけ言って教室から出ていった。小夜もそれに笑顔で応えながら、胸がちくちく痛むのを感じていた。
 そうして教室から誰もいなくなった頃、小夜は立ち上がった。時刻はまだ午後一時を過ぎたばかりだ。今から八時までずっと教室にいるのは、誰かに見付かってしまうリスクが高い。ならば、と思い小夜は移動を始めた。ある時間まで、そこにいても何ら不自然なことがない場所を、小夜は予め考慮していた。
 小夜は教室を出ると足を階段へと向けた。一階分階段を上り、小夜が向かった場所は図書室だった。土曜日も午後五時までは開いていて自習に使える図書室は、時間を潰すには非常に有用だった。小夜が受験生であるということも、自習をする自然さの裏付けになっている。だが、小夜が有用だと思うことは、他の遊戯者もそう考えて然るべきなのだ。今図書室にいる生徒の中に、遊戯者がいる可能性は決して低くはない。そう考えると、要するに学校に居残っている生徒は全て遊戯者の候補になるのだ。
 小夜はぐるりと図書室を見回した。通常の教室の約二倍の広さのある図書室に、生徒はせいぜい十人もいなかった。その十人の中にも、見知った顔はない。普段あまり図書室を利用しない小夜には、この人数が多いのか少ないのか判断出来なかった。あるいは、普段から図書室を利用する生徒は、小夜のように滅多に図書室を使わない生徒を訝しんでいるのかもしれない。そうだとすると、普段と違った行動を取った小夜は既に不利な立場にあると言えた。
 だが、いくらそのようなことを考えても今更何も始まらないので、とにかく小夜は空いている席に着いて勉強道具を広げ始めた。この時間を無為に過ごすわけにはいかなかった。
 そうして始めた勉強だったが、当初の予想通り捗ることはなかった。集中しようにも、意識が常にg@meの方に逸れてしまうのでどうしようもなかった。なので、小夜は集中力を要さない作業的な教科をすることで、一応勉強を進めることが出来た。
 時間はあっという間に過ぎ、図書委員が閉室を告げた。小夜はそれに従い勉強道具を片付け始めたが、同時に周囲の生徒にも目を配った。些細なことでも、その人が遊戯者であるという手掛かりが見付かるかもしれない。だが、何に注目すればいいのかも分からない状態では、それも適うことはなかった。
 図書室を出た小夜は四階に下りると、そのままトイレへと向かった。これから三時間弱を教室で過ごし、途中で尿意を催したりして廊下に出ることはかえって危険だ。ならば始めからトイレに籠って身を隠していた方が安心というものだ。もちろん、その前提にはトイレに誰もいないということが付加される。
 足音を忍ばせながら恐る恐る女子トイレを覗き込んだ小夜は、個室が一つ埋まっているのを見て思わず息を呑んだ。やはり小夜と同じことを考えている生徒がいたのだ。それが一人であるのが多いのか少ないのかの判断は付かなかったが、ともかく相手に見付からなければ当面は問題無い。小夜は充分に気配に気を付けながら、静かに個室に入り鍵を掛けた。
 個室に入り腰を下ろして緊張も少し落ち着いた小夜は、頭の中で今後の展開を予想した。八時の間際に教室に移動するのは、みなが緊張していることもあり危険が伴う。なので、遅くとも三十分前、つまり七時半までに移動しようと、小夜は決めた。それまでは息を殺して体力や英気を温存しておくのが吉だろう。小夜は感覚を研ぎ澄ませたまま、ゆっくりと目を閉じた。まるで何かに誘われるかのようにして、小夜の意識は微睡の中に吸い込まれていった。

 次に小夜が目を開けたとき、小夜は自分が眠っていたことにも大して狼狽はしなかった。携帯を開け、液晶に表示されている時刻を見ると七時二十八分だった。小夜は自分の感覚が非常に鋭敏になっていることに気付いていた。この状態ならば、何かが動く気配も容易に察知できる自信があった。だからこそ、小夜は本来無防備になるはずの仮眠も取ることが出来たし、時間通りに目を開けることも出来た。
 小夜は鋭い感覚で辺りの様子を窺った。おそらく、まだ個室には別の生徒がこもっている。もしもその生徒が行動していたのならば、小夜がその気配に気付かないはずがない。それほどに、小夜は今の自分の感覚に自信を持っていた。小夜は音を立てないよう、気配を殺しながらそっと個室のドアを開けた。ドアから少しだけ顔を出し、視覚も使い左右を確認した。このようなところで下手なミスは犯したくはない。小夜は慎重に、しかし迅速な動きでトイレから出ると、廊下の手前で再び足を止めた。
 全生徒が共通で使用することになるのが、今小夜が目の前にしている廊下だ。その上、廊下は校舎の東西を端から端まで見通せるために、最も注意が必要になる。小夜のC組は女子トイレの廊下向かいなので五歩と掛からずに着くことが出来るが、それでも誰かに見られてしまう可能性は否定出来ない。
 小夜はまず気配を察しようとし、次に音に耳を澄ませた。どちらの感覚にも反応が無いことを確かめると、小夜はつい先程トイレの個室から出たときと同じように顔を少しだけ廊下に覗かせた。誰かが教室から目を光らせていないとも限らない。小夜は教室の扉の硝子部分に特に気を付けながら辺りに視線を走らせた。そして、誰もこのトイレに意識を向けていないことを確認すると、足速にC組の扉を目指した。
 ここでの神経質さは必要ない。どうせ中に人がいたとして、今夜限りは仲間なのだ。小夜はC組の扉を目前にすると、躊躇することなく扉を開けた。当然扉を開けるガラガラという音が静まった校舎に響いたが、小夜は気にすることなく教室に入ると、再び音を立てて扉を閉めた。そこまでして小夜はようやく小さな安堵のため息を漏らし、肩の強張りが解けた。
「やっぱり桜井だったか……」
 不意に横から聞こえた声に、小夜ははっとしてそちらに目を向けた。確かに松永が死んだためにC組に遊戯者がいる可能性は限りなく低かったが、それでもゼロではなかったのだ。小夜の視線の先には、兼森悟志が柱に背を預けて座っていた。
「兼森……」
 小夜は数瞬その場に立ち尽くしていたが、直ぐに兼森の言葉の真意に気付いた。松永の番号は27で小夜の番号は26だ。五十音順で言えば小夜よりも若い兼森の番号は、25となるはずなのだ。つまり、兼森からすればC組にもう一人遊戯者がいることは初めから自明だったのだ。
 小夜は荷物を手近なところに下ろすと、少し迷った末に兼森の横に座った。小夜と兼森の間の微妙な距離が、今の小夜に近寄れる精一杯の距離だった。この異常なg@meの中だというのに、小夜の胸は違う意味で緊張を強いられていつもよりも早く鼓動していた。
「桜井はさ――、」
 少しの沈黙の後に口を開いた兼森の言葉は、いつかの情景をありありと思い出させた。この後に続く言葉は聞かずとも分かる。小夜とて、前木純が殺されたときのままではない。g@meについて考えることは考えている。
「桜井はこのg@me、どう思う?」
 案の定、兼森はその質問をしてきた。質問が予め分かっていて、その答えも既に用意してあるので、小夜の返事はほぼ即答だった。
「私は、主催者の真の目的は前木純の殺害にあったんだと思う」
 小夜の言葉を聞くや、兼森は目を丸くして小夜の方を向いた。返答の早さも兼森を驚かせた一因ではあったのだろう。兼森は直ぐに表情を柔らかくすると、嬉しそうではありながらも哀しそうな表情を浮かべた。
「そっか……。C組のもう一人の遊戯者が桜井で良かったよ」
 兼森はそう言った後、一つ間を置いてから再び言を重ねた。
「じゃあさ――、僕ら遊戯者はどうなると思う?」
「え?」
 小夜は始め兼森の言っている意味が理解出来なかった。だが、少し考えればその疑問に行き当たるのは当然のはずだった。殺し合えと言った主催者は、最終的に遊戯者をどうするかについては一切言及していない。殺し合う相手がいなくなれば生き残れるのだと、そう安易に考えることももちろん出来る。だが、g@meをする必要は無いと遊戯者が考えるのと同様、遊戯者をわざわざ生かしておく必要は無いと主催者は考えるかもしれない。
「そう、g@meに関与してしまった遊戯者を、主催者が生かしておくメリットがない」
 兼森の言葉は、そのまま主催者の声を代弁しているように聞こえた。それほどに主催者の考えていそうなことをぴたりと言い表している。それと同時に、小夜は意識が遠退きそうになるほどの恐怖と絶望を感じた。目眩がするのを、小夜は手を顔の前に持って行くことでどうにか抑え付けた。これまで生き残るためと必死になって人を二人も殺したのに、最終的には誰も生き残れないなんて。小夜の心は激しく動揺し、パニックを起こしていた。
「そんな。それじゃあ私は、何のために……」
 譫言を繰り返す小夜の背中を、兼森は優しくさすった。それで動揺が治まったわけではないが、兼森の顔を見る内に徐々に落ち着きを取り戻すことが出来た。
「桜井、落ち着いて。少し違う話題にしよう。と言ってもg@meのことだけど」
 兼森はそう言うと、制服の胸ポケットからおもむろにある物を取り出した。それは、g@me初日に全ての遊戯者に配られた、言うなればg@me参加者の証だ。
「このカード、主催者は初日に発信器が付いていると言った。じゃあ盗聴器が付いている可能性はあると思う?」
 新たな疑問を提示され、小夜は顔にやっていた手を顎元へと移し考え始めた。いつの間にか、心の動揺も薄らいでいる。兼森の気の遣い方は自然で、それでいてとても上手かった。
 そうして小夜は考えをまとめた。
「限りなく低いと思う」
「その根拠は?」
「まず、やたらとg@meに公平性を求めていた主催者がそんなところで嘘をつくとは思えない。それに、視覚で追う発信器と違って聴覚を頼りにする盗聴器で、三十人もの人間の声を聞くなんてこと、まず不可能よ」
 兼森は小夜の答えを聞くと満足したように嬉しそうな顔をした。その表情に大きな変化はなかったが、少なくとも小夜にはそう見えた。だが、次の瞬間には兼森の顔は引き締まり、一切の柔らかさがなくなった。
「僕も桜井と同じ推理だ。――その推理を踏まえた上で、僕の話を聞いてほしい」
 小夜は兼森の真剣な表情に一瞬虚を衝かれたが、直ぐにその真意を悟った。
「つまり、主催者には絶対に聞かれたくない話ってことね?」
 兼森は頷くと窓の外に視線をやりながら話し始めた。
「僕ら遊戯者がたとえg@meで生き残ったとしても、最終的に殺されてしまう可能性があるのならこれ以上g@meを続けても何の意味も無い。だからといってg@meの途中で降りることは出来ない。初日に拳銃所持で警察に連行された四人と同じ最期になるだろうからね」
 小夜は兼森の言葉を頭の中に刻み付けていった。主催者の感情のこもらない無機的な声と、人間味のある兼森の声とでは、同じg@meの話をしていても小夜に与える心証では天と地ほどの差がある。兼森の声は、小夜にいくらかの安らぎを与えてくれるような気がする。
 この頃には、小夜は兼森が何を言わんとしているのかおおよそ想像が付いた。
「g@meから降りずに主催者に殺されないようにする。そのためには――」
「主催者を止めればいい……?」
「うん」
 兼森は視線を小夜の方へと移した。その瞳には固い決意を見て取ることが出来た。だが、小夜の口から出たのは同調の言葉ではなかった。見えない主催者への恐怖が、小夜を知らず知らずの内に縛っていた。
「でも、そんなことが出来るの? 主催者に関する情報なんて、何一つ無いのに」
「情報は無くはないよ」
 兼森は小さくそう呟いた後、短く息を吐いた。そして、確かに言った。
「僕は、豊砂中学の三年生の誰かが主催者なんじゃないかと思っている」
 小夜はその言葉に理解が追い付くまで少し時間を要した。得体の知れない謎の存在、今まで絶対的な立場にいた主催者をそこまで特定出来ていることが信じられなかった。しかも、それが同じ中学校の同じ学年の生徒であるかもしれないということも信じられなかった。
「ど、どうして? 兼森はどうしてそこまで主催者の正体を絞れているの?」
 小夜の声は自然と上擦っていた。g@meの遊戯者にとって、主催者の正体とはパンドラの箱のような物である。その中身を知ろうとする者には災厄が、死が待っていることは言わずとも知れたことだった。命を握られた時点で、相手の言いなりに動く道化人形にしかなり得なかったのだ。少なくとも小夜はそうだった。
 だが、兼森は違った。
 そうして兼森は静かに話し始めた。
「主催者を絞るための情報は確かに少なかった。僕も二つしか見付けていないから」
 兼森は二つしかと言うが、小夜にはそれが驚きだった。たった二つの情報だけで、無限にいた主催者候補を約百五十人にまで限定したのだから。
「まず、g@me初日の告知ページ。最初の告知の更新で、主催者は校内放送の内容にまで言及していた。盗聴器の可能性を否定したことから、これはつまりこのとき主催者が学校内にいたことを意味する。この事実は主催者が外部の人間であることを否定する。つまり、学校関係者だ」
 小夜は兼森のこの推理をすんなりと受け入れていた。言葉を聞き取ると同時に、頭が解釈と理解を瞬時に行っている。
 学校内というごく限定された場所でしか聞くことの出来ない校内放送の内容まで、主催者は知っていた。これは確かに主催者が学校関係者であるという論拠になり得るだろう。だが、まだそれだけでは主催者が先生であるという可能性も残っている。
 兼森は小夜の様子から、当然抱くべき疑問を小夜が抱いたのを確認してから言葉を続けた。
「次に、一番最初の告知の更新の時間。さっきも言ったように、主催者は初日の告知で当日のことに言及した。だから、主催者は少なくとも校内放送よりも後にあの告知を作ったんだ。つまり、校内放送から告知が更新された四時半までに自由な時間があった者が主催者ということになる。当然、警察によって学校に拘束されていた四時までの間は誰にも不可能。そして、四時過ぎから職員室では緊急会議が開かれていた。学校で殺人事件が起きたのに、その会議が三十分も掛からずに終わるなんて考えられない。だから、この時点で先生達は主催者候補から消える。すると残るのは、」
「豊砂中の生徒――」
 兼森は頷いた。確かに兼森の推理には筋が通っていて無理がない上に、そうと考えるに足る根拠も充分過ぎるほどにある。だが、兼森が言った二つの情報はこれで出尽くした。この後、どうすれば三年生というところまで主催者を絞れると言うのだろうか。小夜にはまだ理解出来なかった。
「ここからは僕の推測。根拠も何も無いでたらめだから」
 兼森は声の調子を抑えて、始めに言い訳から入った。今までの様子とはまるで違う兼森の口調に、小夜は少し不安になった。
「主催者は遊戯者をランダムに選んだと言った。だけど、それが本当に無作為になったとは僕には思えないんだ」
「それって、どういう――」
「主催者は前木純を殺すつもりだった。つまり前木に殺意を覚えるだけの何かしらの因縁があったんだ。僕には、そのような人が同学年で無いと言うことの方が無理があると思う。それに、遊戯者が三年生だけ多いのも気に掛かる」
 兼森はそこで話を切ってしまった。確かに、今までの兼森の推理に比べてあまりにお粗末と言える。兼森が言っていた通り根拠など何一つとしてなく、勘のようでさえある。それでも、小夜は兼森の勘を信じてもいいかもしれないと思った。中学生が、という時点で既に信じられる話ではないが、中学一年生が主催者だと言われても信じることは出来ないだろう。同様の理由で二年生も同じだ。つまり、中学生だとしたら三年生が一番主催者であってもおかしくはない、ということだ。
「――私は兼森を信じるよ」
 小夜の言葉を聞き、兼森は小さく、ありがとう、と呟いた。このとき、小夜は時が進むのをゆっくりに感じていた。時計を確認しても、まだ八時まで二十分近くある。小夜は無言のまま、雨の降る夜空を眺めていた。
「僕もね、」
 沈黙を破り口を開いた兼森の声は、雨の音にも掻き消されそうなほどに小さかった。小夜が聞き返そうとするのを、兼森は再び言い直すことで制した。
「僕も始めは主催者の手の上で踊らされていただけなんだ。主催者をどうこうしようなんて、考えもしなかった」
 小夜は聞こえにくさもあったが、一瞬自分の耳を疑った。g@meが始まった初日でさえあれほどの推理力を見せていた兼森が、ずっと主催者の意向通りにしか動いていなかったことが信じられなかった。
「……きっかけは弟が殺されたことだった」
「――え?」
「運が悪かった、としか言いようがないんだけど、僕の弟も遊戯者に選ばれてしまったんだ。そして弟は、雅也は殺されたんだ」
 兼森の悲しそうな声を聞いた瞬間、小夜の脳裏に様々な記憶が一度に思い起こされた。そして、それらは鳴咽となり涙となり止め処なく小夜の体外へと発していった。
「あ、ぁ……」
 g@meが始まって以来、遊戯者によって殺人が行われたのは僅かに三件しかない。その内の二件は小夜が起こしたものだ。
 六月二十日、昇降口で見掛けた少年に感じた既視感は誰の面影を見たものだったか。二十五日に手紙を取り次いでくれた生徒はその少年のことを何と呼んでいたか。
「私、私……」
 溢れ出る涙を抑え切れずにただ兼森を見つめる小夜に、兼森は何も言葉を掛けなかった。ただ黙って小夜が話し始めるのを待っているように見えて仕方なかった。
「私、兼森の弟を殺してしまった……」
「うん、そうじゃないかって思ってた」
 静かに頷いた兼森の口調や表情に、怒りや憎しみといった感情は見られなかった。むしろ同情や憐れみといった優しい表情のように小夜の目には映った。
「ごめんなさい、ごめんなさい――」
 小夜は両手で顔を覆って溢れる想いを必死に口にした。何と言っていいのか分からずに、ただひたすら同じ言葉しか出てこない。
 いくらg@meだからといって、小夜が兼森雅也を殺した事実は変わらない。いくら謝罪を繰り返したところで、兼森雅也が戻ってくることは有り得ない。
 小夜はそのとき頭の上に重みを感じ、ふと伏せていた顔を上げた。すると、兼森は小夜の頭を優しく撫でていた。子供をなだめるかのように、微笑を浮かべて小夜の頭を撫でていた。
「桜井は悪くないよ。僕たち遊戯者はみんな被害者なんだ。罪を問われるべきは主催者だけでいい」
 兼森の言葉は小夜の心をいくらか軽くはしてくれた。だが、小夜には全ての罪を主催者に押し付けるわけにはいかなかった。今まで誰にも言えなかった自らの罪を、小夜は初めて兼森に告白した。
「でも、私は人を殺してしまった。それは私が背負わなければならない罪だわ」
「それは、僕も同じだよ。僕も人を殺した。でも桜井、」
 兼森は少し間を空けてから、本当に優しく諭すように桜井に告げた。
「もう一人で抱え込まなくてもいいんだよ。今まで自分の犯した罪を誰にも言えなかったかもしれない。でも、辛いことがあったら打ち明けてもいいんだ」
 同じ罪を抱えた者同士、もう秘密にする必要は何も無い。今まで小夜の心にのしかかっていた重石が跡形もなく消えるのを小夜は感じた。その重石が堰き止めていた感情が吐露するままに、小夜は涙を流した。泣きじゃくる小夜の肩を、兼森は優しく支えていた。
 それから小夜が落ち着くまで、兼森は何も言わずにいてくれた。小夜には、それがまるで共に罪を背負ってくれているかのように感じられて余計に嬉しかった。
 全てのわだかまりを吐き出した小夜は、頬に残る雫を制服の袖で拭った。そして兼森に向き直った。
「ありがとう。兼森がいてくれて本当に良かった。そうでなかったら、きっと一人で罪の重さに潰されていた」
「うん、そうだね。これからは一緒にg@meを戦っていこう」
 小夜はしかと頷いた。兼森と一緒ならば、主催者にだって抗える気がした。
 小夜がふと教室にある時計を見たとき、時刻は午後七時五十分を過ぎていた。あれだけ泣いたというのに、最後に時計を確認してから十分しか経っていないことに小夜は驚いた。だがそれと同時に、あと十分も残されていないことに少し焦りを感じた。
 兼森もどうやら時間のことに気付いたようで、先程まで小夜をなだめていた優しい表情から一変して真剣な面持ちになっていた。
「あまり時間が残されていないみたいだね。とにかく、今日のg@meを生き残ること。今はそれだけを考えよう」
「うん」
 そう頷いた小夜だったが、兼森がまだ何か言いたそうにしているのに気が付いた。いや、というよりはむしろまだ考えがまとまっておらず言うに言えない、というのが的確だろうか。
「どうしたの?」
 時間が押していて少し急いていたし、兼森が考えていることを知りたいという思いもあり、小夜は思い切って尋ねてみた。
 小夜が尋ねた後も少しの間思案していた兼森は、僅かに俯いていた顔を上げて正面から小夜の目を見た。その瞳は遥か先まで見通しているように真っ直ぐであった。
「桜井、とても難しいことだとは分かっているけど、僕はこのg@meで人を殺さないで生き残りたい」
「え?」
 小夜は思わず聞き返していた。主催者に反旗を翻すと言った兼森の言葉は、その意志通りあまりに遊戯者に相応しくなかった。殺し合いのただ中にいて、誰かを殺さずに生き残れるほど他の遊戯者は甘くないだろう。
 だが、小夜はふと今までの自分のことを思い返してみた。そして、自分の思考はいつも今の一点しか見ていなかったことを思い出した。そう、小夜に足りなかったのは、その先を予想することなのだ。今日を生き抜くことばかりでなく、それが明日に与える影響も鑑みる必要がある。
 小夜は自らそれに気付くと、今一度兼森の言葉を、未来を見据えた上で考えてみた。すると確かに、誰も殺さずにg@meを生き残ることはとても大切であることがよく分かる。正確には、相手を生かして、だ。
「つまり、今日のg@meが終わった後も主催者を止めるまでの時間を稼ぐためにストックを用意する、ということ?」
 兼森は頷く。その目は、もう小夜に必要以上の言葉はいらないということを暗に示していた。
「ああ。主催者に関する具体的な情報はまだ何も無いから、今後も時間は掛かってしまう。だから、その間に三日のルールでどちらかが殺されてしまわないように、遊戯者の素性を出来る限り知っておきたい。当然、生きた状態でだ」
 兼森はそれきり口を閉ざした。確かに、今の兼森の言葉からだけでも気は滅入ってしまう。他人の犠牲を利用することを明言したのだ。それが事実だとしても、意識するだけで居た堪れない気持ちになってくる。
 小夜はこの重く沈んだ空気を持ち上げようと、口を開いた。何せ時間が無いのだ。沈黙すら、今は惜しまれる。
「私達が誰も殺さなくても、階下ではきっと何人もの遊戯者が殺し合う。主催者はきっとそれで充分に満足するはずよ。なら、私達はその方法について考えよう?」
「うん、そうだね」
 兼森の声に先程までの自信はなかったが、それでも普段の兼森に戻りつつあるように小夜には聞こえた。
 それから、二人は互いの持ち物を確認した。二人が考えて持ってきた物は似たものが多かった。覆面用の布、懐中電灯、ロープ等々。持ってきた物が似ているということは用途が似ているということであり、それはつまり考えが似ているということだ。なので、二人の間で作戦を立てていくのに、障害はほとんどなかった。まるで意思疎通が取れているかのように、これから展開すべきg@meの内容は即座に決められていった。

 午後八時を回ったところで、ぷつりという音と共に雑音が教室に響いた。音の出所は校内放送用のスピーカーだ。
「まさか」
 小夜と兼森は思わず腰を上げると、同時に同じ言葉を呟いていた。そして、お互いの考えが合致していることを確認し合うかの如く、顔を見合わせた。小夜の胸はどくんと一つ高鳴った。
 どういう方法でg@meの開始を告げるのかという疑問はかねてからあり、その方策の一つとして校内放送という可能性はあった。だが、校内放送はあまりに限定的過ぎるのだ。それが意味するところを言葉にしたのは、兼森の方が早かった。
「主催者は校内に、いる」
 小夜は力強く頷いた。もしもこの場で主催者を特定することが出来れば、このふざけたg@meは直ぐにでも終わらせられるのだ。
 二人がそれ以降言葉を失っていると、スピーカーからいつもの主催者の声が聞こえてきた。

『諸君、今日は待ちに待ったg@me最大のイベントの日だ。欠員はおらず、校内には二十二人の遊戯者が揃っている。これより君たちは自分の持てる限りを尽くして互いに殺し合いをしていってもらう。さあ、それではg@meスタートだ。』

 主催者の声はそれで終わり、放送も切られた。小夜は未だ動悸が収まらず、身動ぎも出来なかった。いやに喉が渇き、唾を飲み込んだ。
「桜井、今は主催者のことは後回しだ。僕達は生き残ることを優先しよう」
 兼森の声で小夜はようやく我に返った。そうだ、最も遊戯者の多い四階では、少しの気の緩みが死を招く。兼森の言う通り、今はg@meを生き抜かねばならない。主催者に迫るのは生命の余裕が確保出来てからだ。
「そうだね。とにかく、今はD組を攻めよう」
 小夜は兼森の方を向いて頷いた。兼森もまた頷くと、二人は息を合わせたように同時に覆面を被った。少しだけ視界が狭くなったが、この分なら特に支障はなさそうだ。
 二人がいるC組は二つのクラスに挟まれており、配置としてはやや不利である。この不利を解消するためには、一つのクラスとしか接していないD組を攻めるのが常套策だといえる。また、兼森の遊戯者番号は25であり、三年生は18から。つまり、A組とB組には殺された前木を除き六人の遊戯者がいるのだ。さらに、E組にも最大二人いる可能性がある。一方、D組には多くても二人しかいない。最大で八人いる中に飛び込むか、最大でも同数相手にするか、選択するなら考えるまでもなく後者だ。立地的な条件も相俟っているのだから、D組を攻める以外にはない。
 小夜と兼森は教室の後方の扉に移動し、耳を澄ませた。小夜は鞄の中から手鏡を取り出して兼森に渡した。
「D組が知り得るC組の情報は、三人以下ということ。それなら、場所の優位を利用して籠城するっていう手が一番有効だと僕は思う」
「そうね。C組が最初にD組を攻めるだろうっていうのは簡単に分かることだし。相手の人数が分からなければ、攻めることは躊躇うものね」
 手鏡を受け取った兼森は小夜に目配せすると、引き戸を薄く開けた。空いた隙間から鏡を出し、左右を確認する。
 そのときだった。がらりという戸を開ける音が廊下に響いた。おそらくその音はこの階にいる遊戯者を全員驚かせただろう。小夜は兼森の持つ手鏡の鏡面に目を凝らした。次には、廊下を走る足音が聴こえてきた。誰かが教室を出たのは間違いない。
「兼森、今のどこからか分かった?」
 小夜の位置からでは鏡に何が映っているかは分からなかった。
「うん。E組から一人誰かが出ていって奥の階段を使った」
 兼森は静かにそう告げた。小夜はその情報を即座に分析した。たったこれだけでも、分かることは少なくない。
「そう。急がないとね」
 兼森も頷く。無駄な言葉を必要としないのはこの状況ではとても有り難い。
 チーム戦なのにまさか単独行動するとも思えないので、E組には一人しかいない。ということはつまりD組にも一人しかいないということだ。これは小夜達に非常に有益な情報だ。さらに、E組が教室からいなくなったということは、B組に選択の幅を与える。もとよりB組は三つの教室に挟まれており、どこを攻めるにしろ防御が手薄になる。だから籠城しているのが一番の手なのだ。だが、正面のE組がいなくなったことで、場所における条件はC組と変わりなくなった。B組の人ならばA組の人数は確実に分かる。なので、人数如何によりA組を攻めるかC組を攻めるかを決めることになるはずだ。前者ならば小夜らには関係ないが、後者の場合は不利が明らかになる。今、小夜達はD組を攻めようとしており、防御を無視しているからだ。なので、B組が攻めてくるよりも前にD組を落とさなければならない。
 たった一つの行動だけで、情報が駆け巡り、有利と不利に影響を与え合う混戦になる。これほどに目まぐるしく状況が変わるのでは先を読むことなどまず不可能に近い。いかに臨機応変に対応するかが問われている。
「よし、まだ他のクラスに動きはないみたいだ」
 廊下の状況を確認していた兼森はそう言うと、音を立てないようにさらに引き戸を開けた。そして持っていた手鏡を小夜に返した。それを受け取った小夜は、先程番号を教え合った兼森の携帯に電話を掛ける。一瞬の振動の後に兼森が電話に出たことを確認すると、小夜は窓際へと移動する。同時に、兼森は廊下へと出て身を晒した。
 窓の前に立った小夜の耳には、作戦通り兼森が戸を叩く音が聴こえた。小夜は窓を開けると、雨が吹き付ける中手を差し出した。その手には鏡が握られており、隣の教室の様子を見ることが出来る。
 鏡の中では、ノックの音に気が付いた遊戯者が警戒しながら前方の戸に近付いていく姿が映っている。
「いいよ」
 小夜は短くそう言うと、窓際から踵を返した。電話の切り際に、了解、という兼森の声が聴こえた。小夜は鞄を持ち再び後方の戸口に立った。先程兼森がしていたように鏡をかざして廊下を見詰めた。正しくは、廊下の前方、B組の方だ。
「いいよ」
 だが、そうしていたのはごく僅かの時間で、兼森の声がD組から聴こえてくると、小夜は廊下に誰もいないのを確認して直ぐに隣の教室へと足を向けた。ここまで、何の音もしなかった。
 小夜がD組の教室に入ったとき、兼森は生徒一人を組み伏せていた。小夜は鞄からガムテープを取り出すと、その生徒の口に貼り付けた。次いで、ロープで両手両足を硬く縛り付けた。
「まずは一人。彼、どうする?」
 小夜はなるべく声量を抑えながら兼森に尋ねた。いくらノックのせいでこの生徒の気が前方に向いていたからといっても、小夜の合図とともに教室の後方から入り彼を組み伏せた兼森には驚かされる。小夜としては、もう少しどたばたするものだと思っていたのだ。そもそも、D組内の様子を小夜が監視し、廊下の様子を兼森が監視するというこの作戦を思い付いたのも兼森だ。やはり、兼森は頼りになると思えた。
「拳銃は弾丸だけ抜いておこう」
 兼森はそう言いながら、床に転がされている生徒の傍に腰を下ろして服などを検分し始めた。小夜もそれに倣い、ズボンのポケットを確かめた。そこには生徒手帳が入っており、小夜はそれを取り出すとページの一番後ろを開いた。
「三年D組松田隆史」
 小夜は松田の顔は見たことがあったが、それだけだったので一応名前を確認しておいた。松田が遊戯者番号28であることも、反対側のポケットに入っていたカードによって確認出来た。
 そのときには兼森も拳銃から六発の弾丸を抜き終えており、かちゃかちゃと手の上で弾丸を転がしていた。
「さて、彼をどこに隠しておく?」
 小夜はD組の教室を見渡しながら口にした。この後、松田は誰にも見付かってはいけないのだ。隠す場所を考えなければならない。ただ、狭い教室の中ではその選択肢は限られてしまう。小夜と兼森の視線は一点で結ばれていた。
「やっぱり掃除用ロッカーしかないね」
 兼森はそう言うと、松田の上半身に手を伸ばし腋の間に通した。小夜は松田の足を持ち、二人掛かりで掃除用ロッカーへと運んだ。松田は抵抗が無意味なことを悟ったのか、少し身を捩るだけだった。
 掃除用ロッカーは人が入ることなど想定しておらず、加えてモップやほうきなどが入っているために一層狭くなっている。人一人入るのも厳しいスペースに松田を立たせ、兼森は扉を閉めた。
「他の遊戯者に見付かるかどうかは運任せだね」
「そうだね」
 とはいえ、緊迫した状態ではまず掃除用ロッカーなど開けはしないだろう。松田の方も、ろくに身動きが取れないのだから無闇に外に出て格好の標的にされることもないはずだ。運任せといいつつも、その可能性はかなり低い。
 小夜はD組の戸口の方に向かいながら、現在の状況について思考を始めた。四階の動向だけでなく、全体の様子を掴まなくては次の行動にも移れない。
「次はどうしようか?」
 小夜の横を歩く兼森はそう問い掛けてきた。おそらく兼森は既に次にどうすべきかの道筋が見えているのだろう。小夜は考えをまとめる間を置いてから答えた。この僅かな時間の差がg@meの結末を分けるのかと考えると、どうにも遣る瀬無い。
「私達は――五階に行くべきだと思う」
 後方の引き戸の前まで行くと、二人は立ち止まった。兼森が何も言ってこないところから察するに、先を促しているのだろう。小夜は小さく息を吐いてから続きを話し始めた。
「分かっていることが限られていて、次に何が起こるか予想が付かないg@meなら、優先すべきは確実な情報に基づく行動。私達はB組に何人遊戯者がいるか知らない。けど、E組に遊戯者が一人いて、その一人が五階にいることは分かっている。それなら、確実に数の優位を作れるE組を次に落とすべき」
 小夜はその場にしゃがみ込むと、開きっ放しになっている戸から鏡を使って廊下の様子を確認した。いつ何時遊戯者と遭遇するかは予測出来ない。出会い頭の混戦を避けるためには、一々こうした確認をしていく必要がある。
「うん。それに、場所的には階上の方が有利だ。A組が大人数だとしても、警戒されている階段を上っていくのは躊躇すると思う」
 小夜はため息をついた。結論は同じでも、兼森の方が広く物を見ている。小夜は自分の視野の狭さを嘆かずにはいられなかった。
 廊下の安全を確認してまさに五階へ向かおうとしたとき、小夜の見詰める鏡面内に人影が動くのが見えた。小夜は思わず息を飲んだが、冷静にその状況を見定めた。鏡の中の像は小さいため顔までは認識出来ないが、二人の人が教室間を移動しているのが見て取れた。
「兼森、C組に二人の生徒が入っていった」
 小夜の声は緊張感に満ちていた。今、C組には誰もいないはずだ。ならば、その次の行動もある程度は予想出来る。
「桜井、急いで五階に行こう」
 兼森は静かに言った。小夜は頷くと、再び鏡面を見詰めた。今度は誰も映らない。小夜は足音を立てないように、それでいてなるべく速く向かいの階段へと足を動かした。
 廊下からの死角に入ったところで、小夜は足を止めた。階段にも遊戯者が潜んでいる可能性は充分にある。小夜は階段に足を掛けずに見える範囲で、まず階上に人がいないことを確認した。次いで階下も同様に人の気配がないことを確認した。今、小夜は自分の感覚が鋭敏になっていることを自覚している。気配がないと思ったのだから、それは信じるに足る。それだけの自信がある。
 その場の安全が分かったところで、小夜は振り返った。当然兼森もついてきていると思っていたのだが、兼森はようやく教室を出たところで、しかも何故だか丁寧に引き戸を閉めている。小夜が疑問に思っている間にも、兼森は直ぐに小夜の所まで小走りで駆けてきた。
「何やってたの?」
 小夜が首を傾げていると、兼森は少し得意そうに説明した。
「いや、トラップをね」
「トラップ?」
「うん。ほら、よくあるだろう? 戸を開けたら黒板消しが落ちてくるやつ。それを大げさにしたやつさ。具体的には戸を開けると椅子が落ちるようにした」
 小夜は笑いながらも、その効果のほどを考えた。小夜達がそうしたように、遊戯者がいるかもしれない教室に入るときには相当の慎重を要する。そんな張り詰めた空気の中、戸を開けて目前に椅子が落ちてきたら、怪我はしないまでも動揺を誘うことは出来る。いたずらに毛が生えた程度の仕掛けでも、掛かった側からすれば手痛いだろう。それを、兼森は考えた上で施している。小夜は表情では笑みを浮かべながら内心では嘆息するくらいに感心していた。
 階段を上りきった二人は、廊下の様子を確認した。まさかとは思うが、廊下に遊戯者がいないとも限らない。抜かりがあってはならない。
「誰もいないよ」
 小夜は状況を報告して兼森に向き直った。この後をどうするかを考えなければならない。教室での戦闘は想定していたが、五階に通常の教室はない。これからは例外の中でg@meをしなければならない。
「どこにいると思う?」
 兼森は腕を組みながら小夜に尋ねた。選択肢は四つある。物理と化学の実験室が一つずつ。それの準備室が合わせて一つ。そして、図書室だ。小夜はE組の遊戯者が取るであろう行動を推測した。
「私なら――多分図書室に行くわ」
「やっぱりそうかな」
「準備室は部屋が狭いし、化学実験室は向こうの階段から一番遠い。A組やB組を警戒するなら階段の近くにするはず。それに化学実験室は薬品が多いから危険だわ。今の私達が言えたことではないけど」
「物理実験室と図書室なら、隠れる場所の多さから言っても図書室だね。独りなら特に」
 兼森と意見が一致したところで、二人は図書室の前まで移動した。問題は図書室のどこにいるかだ。未だに西側の階段を気にしているのならば、当然その近くで身構えているだろう。可能性に懸けるならば、後方の戸口から入るべきだ。
「じゃあ、行くよ」
 兼森はそう言って、立てた人差し指を口許に持っていった。薄く引き戸を開けてから鏡で中の様子を窺う。小夜の位置からでは分からないが、おそらく小さい視界に入る範囲には誰もいないのだろう。兼森はさらに引き戸を開けてするりと身体を滑り込ませた。小夜もそれに続き、図書室へと入った。
 図書室は、前方に学習用の長机、後方に書棚が前後の壁に面して林立している。左右の壁面にも背の低い棚が並べられ、書物が収められている。最前列には貸し出し用のカウンターが設けられており、身を隠すための場所が多い。どちらが先に相手を見付けるか、それが鍵となる。
 図書室に入った二人は最後列の書棚に身を隠した。戸口から書棚までの移動で何の反応もないということは、先程も鏡で確認したようにその間を視界に収める範囲にはいないということだ。ならば、このラインを起点としてローラー作戦をするべきだ。小夜は声を上げないようにしながら、指を差して兼森に合図した。兼森は頷くと小夜とは逆方向に身体を向けた。反対側の見張りをしてくれるのだろう。以心伝心と言わんばかりに二人の息は合っている。
 小夜は棚から身体を出すと、鏡で一つ前の書棚と書棚の間を窺った。前方にいるかもしれないというのは可能性の話であって、後方の書棚の間に身を潜めている可能性だってあるのだ。一つ一つ慎重にやっていかねばなるまい。鏡での確認が済むと、次いで顔を出してさらに安全を確認した。誰もいないことが分かると、小夜はそこへと移動をする。それを、棚が続く限り繰り返していくのだ。同じ作業だからといって手を抜くことなど出来はしない。ただただ緊張感を持って自分の感覚を頼りに進むのみだ。
 ようやく一番前の書棚にまで来たところで、小夜は一息ついた。ここからは長机が並んでいるばかりで、隠れる場所がない。身を屈めたところで、机の下は空洞なので見えてしまう。ここが一つの正念場だった。
 小夜が兼森の方を見ると、兼森は鞄から何かを取り出そうとしている。音を立てずにしなければならないので、目的の物を取り出すにも時間が掛かる。小夜はそれをもどかしいとは思わずに兼森の行動を見守った。膠着状態を崩すのに最も有効なのは、動揺を誘うことだ。今この状況で相手に揺さぶりを掛けられるものは、音しかない。あるいは、カウンターの中にいると当たりを付けて、直接何かをぶつけるか。そのどちらかだろう。
 兼森が取り出したのはテニスボールだった。だとすれば、兼森が取ろうとしている行動は、小夜の案に相違せず後者だろう。兼森は二つ取り出した内の一つを小夜に渡した。そして、手のひらを立ててこちらに見せると、廊下とは逆の窓側に移動を始めた。二方向から陽動を掛ければ、さらなる動揺を誘えるだろう。上手く投げられるかは不安ではあるが、何も見えない相手に当てる必要もない。複数の遊戯者から狙われているということを植え付けられればいいのだ。
 兼森は棚から顔を覗かせて遊戯者がいないことを確認している。それが終わると、兼森は小夜の方を向き、指を三つ立てた。それがカウントダウンだということは小夜には直ぐに分かった。僅かな間を空けて、兼森は一つ指を折った。そして、もう一つ指が折られたちょうどそのとき、聞き覚えのある爆発音が聞こえた。忘れるはずもない、発砲音だ。だが、実際に撃ったことのある小夜は直ぐに気付いた。
 音が遠い。
 少なくとも同じフロアではないし、一階下のものでもないように思われる。だとしたら、三階かあるいは二階。今の小夜には直接影響のあるものではないことは確かだ。だから、突然の大きな音に驚きこそすれ、小夜は視線を兼森の指から外すことはなかった。そして、兼森の指もその動きを止めなかった。彼方で銃声が何度か繰り返している中、兼森の指は全て折られた。その瞬間、息の合った挙動で二人は同時に棚から身体を出し、ボールをカウンター目掛けて放った。
 ボールを投げると直ぐに再び棚に身を隠す。テニスボールは綺麗な放物線を描き、カウンターの中に吸い込まれるようにして落ちていった。次の瞬間、金切り声とともに一つの影がカウンターから現れた。その影の手には漆黒の小銃が握られており、途端に銃口から火が吹いた。狙いが定められているわけではなく、ただ敵がいるであろう方向に向けて闇雲に撃っているだけだ。そもそも、これだけ距離が離れていれば、銃を握ったこともない素人が的中させられるわけもない。小夜は冷静に分析をしながら発砲音を数えた。
 動揺を誘う目的で投じたボールでここまでの事態になるとは小夜も思っていなかった。g@me開始早々に教室を飛び出した判断力と行動力には舌を巻いたが、もしかしたら恐怖のあまり緊張が弾けた結果なのかもしれない。銃声を聞きボールが投じられ、身近に遊戯者がいると悟り、それで理性の箍が外れたのかもしれない。非日常に慟哭し、引き金を引いている遊戯者は、あまりに普通の中学生だ。
 小夜がそこまで考えたところで、銃声が聴こえなくなった。発砲された回数は五回。相手を無効化するにはもう一発撃たせなければならない。だが、相手の精神状態を考えればそれは簡単だ。小夜は背にした書棚から本を適当に一冊抜き取ると、図書室前方に向けて放り投げた。すると、かちゃりという音の後に激しい銃声が一つ、図書室に響いた。
 小夜は兼森の方を向き、図書室前方を指差した。兼森が頷き腰を上げたのを見て、小夜は棚から飛び出した。床に落ちた本には、丸い穴が穿たれていた。
 小夜はカウンターには向かわずに、図書室の入り口に立った。次に相手の取る行動の一つに、逃走という選択肢も考えられたからだ。それに、兼森ならば錯乱した相手を組み伏せることも出来るという確信もあった。事実、小夜が入り口を背にしながらカウンターへ行き中を覗いたときには、兼森は完全に相手の身動きを封じていた。
「これで二人ね」
 小夜は先程と同様にガムテープで口を塞ごうとして、背筋が凍った。
「うそ、弘美……」
 小夜の目の前で恐怖に顔を引き攣らせて泣き叫んでいるのは、小夜の友人だった。それも小学生からの幼馴染みだ。g@meが始まった時点で、こういうことがあるかもしれないと考えたことはあった。しかし、実際にこうして友達同士で殺し合いをしているという事実を突き付けられると、小夜の胸は深く抉られたように痛みを訴えた。激しい動悸に呼吸も荒くなり、小夜の頭は混乱を来していた。今はg@meのことだけを考えようとしても、拳銃を構える弘美の姿が思考を掻き乱す。
「桜井、早く拘束して」
 直ぐ隣にいる兼森の言葉で、小夜はようやくはっと我に返った。見れば兼森は厳しい目付きで小夜を見据えている。これまでに見たことのない視線に射竦められた小夜は、何も考えられずに弘美の口を塞ぎロープで手足の自由を奪った。
「兼森、私――」
 小夜は口を開こうとしたが、兼森は先に言葉を出すことでそれを制した。
「仕方ないよ。僕だって雅也が相手だったら躊躇してしまう」
 兼森のその言葉に小夜は胸を詰まらせた。兼森は弟も遊戯者だった。小夜の気持ちは兼森が一番よく分かっているのだ。そして、その弟は小夜が殺した。g@meなど言い訳になるはずもない。小夜の、小夜だけの罪だ。兼森の弟の姿が、銃を構える弘美に重なって思い出される。
「それに、僕らは彼女を殺すために拘束したんじゃない。主催者を止めれば、もう誰も殺さないで済む。今はそう考えでもしないと、僕だって頭がおかしくなりそうだよ」
 そう言って小夜の方に向けた兼森の顔は、笑いながらもどこか哀しそうだった。小夜は何度もこくこくと頷くと、自己暗示を掛けるように兼森の言葉を反芻した。そうだ、弘美を拘束したのは彼女を殺さないためだ。矛盾があったって論理が破綻していたって、そう納得しないと生きていけない。小夜は弘美の制服から生徒手帳と遊戯者カードを探し出すと、再び意志を固めた瞳でそれらを見詰めた。
「――三年E組金本弘美、遊戯者番号29」
 先程階下で聴こえた銃声は今夜のg@meの真の開始を告げるきっかけになっただろう。そうして、小夜も揺るがぬ決意を新たにすることが出来た。
 そのとき、階下で何かが床にぶつかる派手な音が聞こえた。先程まで繰り返されていた銃声はいつの間にか止んでいたため、その音は五階にいてもよく聞こえた。小夜はすぐにぴんときた。
「誰かが仕掛けに引っ掛かったようね」
「うん。ただ、タイミング的にもしかしたらB組ではないかもしれない」
 兼森の言ったことに小夜は疑問符を頭に浮かべた。B組は小夜らがD組から出ようとしたときにC組に入った。ならば、次にD組に入るのは当然の流れだろう。ただ、と小夜は自分たちが五階に上がってからのことを考えた。小夜達は図書室での攻防に少し多くの時間を掛けた。確かに、B組が順繰りに教室を回っていたのだとすると、仕掛けが作動するまでに時間が掛かり過ぎているようにも思える。この時間差を埋めるのは何か、と小夜は考えた。
「ということは、B組はC組を出た後はD組ではなく音楽室に行った。そして、D組の仕掛けに引っ掛かったのは、B組ではなくA組ってこと?」
「多分ね。もしもそうだとしたら、次にA組が取る行動は何だと思う?」
 兼森に問われて小夜は思案した。分かっていることとして、高確率でB組は二人であること。ならば同等の確率でA組は四人だ。三年生の遊戯者の情報が乏しいA組は、今五階に何人いるか分からない。一方で音楽室にはB組が二人いることは分かっていて、数の利はA組にある。ならば、答えは明白だろう。
「音楽室でB組と交戦、というのが一番妥当な行動だと思う」
 兼森も頷いた。だとすると、今四階は音楽室以外はかなり安全だということだ。次の行動を決めた二人は早々に動き出した。
 図書室にも掃除用ロッカーはあるので、自由を奪った弘美はそこに入れておく。運ぶ間も、弘美はずっと泣き続けていた。弘美の抵抗に小夜は胸を痛めたが、それで意志が揺らぐことはなかった。
 図書室を出た二人は、西側の階段から四階へと下りていった。東側の階段は音楽室に近いので、少しでも危険を回避するためだ。階上から下の様子を窺いながら慎重に下りていく。
 四階に着くと、まず正面のA組に誰もいないことを確認してから、鏡で廊下の様子を窺おうとした。だが、鏡面を覗いた瞬間、小夜は驚いて鏡を引っ込めた。
「え、どういうこと――?」
 小夜は視界に映ったものを見てまず驚愕し、次いで疑問符を打った。小夜が廊下の様子を確認したのは、伏兵が潜んでいないかを知るためだ。なのに、なぜ鏡面には生徒の後ろ姿がはっきりと映っていたのだろうか。喫驚したのはその距離があまりに近かったからだ。だが、鏡に映った生徒からは身を隠そうという気配が微塵も見られなかった。拳銃を持つ相手に身を晒すことがどれだけ自殺行為であることか。小夜は堂々と廊下を歩くその遊戯者の意図がまるで理解出来なかった。
「兼森、ちょっと見て」
 小夜は極力声を抑えて、鏡を兼森に見せた。鏡の中の遊戯者を見た兼森は、大胆にも壁から顔を出してその遊戯者の様子を観察した。思わず小夜は兼森の身体を引っ張って身体を隠させようとして思い止まった。
「何だか様子がおかしいね」
 顔を引っ込めた兼森はまずそう言った。拳銃を片手にのろのろと歩く遊戯者の様子は、一言で言えば気味が悪かった。あるいは、狂気染みているようにも見える。小夜は思わず息を呑んだ。今までg@meに対して狂気を感じることはままあったが、人が放つ狂気がこれほどに危険なものであるとは思わなかった。
「桜井、さっき金本さんが撃った以外で何発の銃声があったか分かる?」
 小夜は兼森の問い掛けの意味が分からなかったが、無意識で聞いた音の残滓を思い出した。
「多分――六発」
「僕が聞いた限りだと七発だ」
 どちらが正しいのかは定かではないが、銃声を聞き間違えるということもないだろうから、ここでも兼森との差が表れたことになる。いくら神経が研ぎ澄まされていても、無意識では意味がないのだ。小夜は歯痒い思いを噛み締めた。兼森が何を言わんとしているか、それだけでも理解しないとならない。
「最悪の事態を考えよう。もしも七発の銃弾が全て一人の拳銃から放たれて、七発の銃弾が全て一人ずつを殺したとしたら、その人の手元には今四十一発の弾丸があるということになる」
 兼森の口から出た数字を聞き、小夜はようやく兼森の含意を理解した。もしも目前を歩く遊戯者がその仮定の一人だとしたら、小夜達は覆しようのない不利な状況に置かれていることになる。確かに人数で言えば二人の小夜達の方が有利だ。だが、勝敗を決めるのは拳銃だ。素人が拳銃を使ってもそう易々と当たるわけではない。必然的に銃弾が必要になってくる。そうした中で、相手は小夜達の約三倍の弾丸を保有しているのだ。人数で得た優位はあっという間にひっくり返る。まして、目の前にいる遊戯者は何を仕出かすか想像が付かない危険性がある。
「この階はスルーした方が良さそうね」
 小夜の判断に兼森も頷き、二人はもう一階下へと向かった。小夜達が五階に行っている間にも状況は刻々と変化している。実際、g@me開始に比べると明らかに様変わりしている。まして、自分がいなかったフロアともなれば、それを把握することは容易ではない。そのリスクを冒してでも、この階は避けた方がいいという判断だ。
 三階へ下りた小夜は廊下の様子を確認した。今度は誰かの姿を鏡の中に認めることはなかった。
 三階に下りてはきたものの、これからの動きをどうするか小夜が考えていると、兼森は静かな口調で話し掛けてきた。
「桜井、一つ提案があるんだけど」
「ん、何?」
「――このまま一階に行こう」
 兼森の提案に、小夜は驚いて振り返った。一階に生徒の教室はないので、本来ならば遊戯者が行く必要性はない。だが、g@meだけが目的ではなくなった小夜には、その意味が手に取るように把握出来る。
「放送室に行くってことね?」
「うん」
 このg@meが始まったとき、主催者は校内放送を使用した。だとすれば、そのとき主催者は放送機器のある放送室にいたと考えられる。それに、終わりを告げるために再び放送室を使う可能性も高い。主催者を止めるという目的を果たすならば、この機会を利用するのが一番手っ取り早い。
 二人しかいない決を全会一致で取ると、早速移動を始めた。二階に下りるときでも遊戯者との突然の遭遇には極力注意をし、さらにもう一階分階段を下った。
 一階には普通に考えれば遊戯者はいないはずだが、三年E組がそうしたように退避のために来ている可能性もゼロではない。そうである以上、警戒は怠ることは出来ず、小夜はもはや慣れた手付きで鏡を廊下に差し出した。
「誰もいない」
 一階には東西に走る廊下の他に、体育館などへ向かうための南北に走る廊下もある。小夜はその両方の確認をしてから兼森に言った。
「充分に注意をして」
 兼森は先導して廊下へ身を出した。小夜もそれに続く。二人の正面は玄関口となっており、その先にはガラス戸があり外の様子が窺える。暗い夜に、雨がしとしとと降っている。静けさだけがそこには見えた。二人は音を奪われながら放送室の前まで辿り着いた。放送室の入り口は閉まっており、中に誰かいるかどうかも分からない。ただ、それは中に人がいるとして、その人も同じだ。放送室の内壁は防音の材質で覆われている。
「もしも主催者が中にいるとしても、そんな簡単に接触出来るとは思えないわ」
「放送自体が罠の可能性もある」
 二人は扉の正面を避ける位置に腰を屈めて一息入れた。小夜は壁に背中を預けながら深く息を吐く。気付けば、小夜の手には拳銃が握られていた。これまで遊戯者に対してでも銃を構えることには抵抗があったのに、今はどうしてか自然と受け入れられている。兼森も片手に拳銃を持っており、もう片方の手は放送室の扉の取っ手に掛かっている。
「――行くよ」
 そう言って、兼森は放送室の扉を押し開けた。きいという蝶番が軋む音を立てて、扉は内側へと滑っていく。
 少し間を空けても、中からの反応はなかった。小夜は唾を飲み込むと、拳銃を構えながら扉の正面に立った。自分の命を危険に晒す感覚に冷や汗が噴き出す。だが、放送室の中は静まり返っており、人の気配はなかった。
 小夜はそのまま放送室内に入り奥に進んだ。兼森も今一度廊下の確認をしてから、放送室内へと入った。
「何も無いわね」
 周囲への警戒とともに部屋の中をぐるりと見回したが、特にこれといったものはなかった。g@meの開始も終了も全て時間が決まっていたのであれば、あるいはタイマー付きの再生機のようなものでもあるかと思っていたが、そうした物も見当たらない。
「どういうことだろうか」
 兼森は腕を組みながら独り言ちた。校内放送が出来る設備はここにしかない。外の様子を見ながら考えていた小夜は、雨で狭まった視界に映る建築物を見て声を上げた。
「あ! 第二校舎!」
 その言葉に兼森も視線を窓の外へ向けた。校庭の端に建つ粗末なプレハブ校舎、通称第二校舎。建設当初は在校生の人数が多くなったときのために教室を割り振ることも検討されていたが、実際はただの部室棟である。しかし、そうした経緯があるため、部室棟といえども棟内には放送室があるのだ。今ではまず使用されることはなく、設備は少し古くて簡易的なものだが、放送をすることは出来る。もちろん、校内放送もだ。
「そうか。あそこからなら校内にいずに校内放送をすることが出来る」
 兼森は得心がいったような顔で頷いた。小夜も一つの謎が解けてすっきりとはしたが、まだ抱える不安の種が拭えたわけではない。第二校舎には今も主催者がいるかもしれないのだ。小夜は内心で不安を渦巻かせながら兼森に聞いてみた。
「どうする? 第二校舎にも行ってみる?」
「いや、やめた方がいいだろうね」
 兼森は即答した。
「まず校庭に出ることが一つのリスクになるし、本当に主催者が第二校舎にいるなら、そちらには間違いなく何かしらの罠があると思う。二人だけで突破出来るとは思えない」
 兼森は第二校舎を見詰め、拳を固く握り締めている。
「目と鼻の先に主催者がいるかもしれないのに、とても悔しいね」
 小夜もまた第二校舎に目を向けて呟いた。雨の中に佇む牙城が、ひどく遠くに見えた。
 二人が黙って第二校舎を見ていると、またしても銃声が階上から聴こえてきた。複数聴こえるその音は、距離に差があるように大きさが異なっている。
 兼森は視線を校舎の外から中に移すと、そのまま放送室の外へと足を進めた。
「行こう。もうここにいても意味はない」
 小夜もそれに続く。主催者へ迫る手立てはまだあるはずだと、今はそれを信じるしかない。そして、今を戦い抜くのだ。
「次は二階の方がいいかしらね」
「そうだね。この後もg@meを続けることを考えると、情報を得やすい同学年の人が生き残っていた方がやりやすいからね」
 二人は廊下の様子、階段の様子に最大限の注意を払いながら、二階に上った。
「あ、そうだ。これを渡しておくよ」
 二階の廊下に人がいないのを確認した後で、兼森は拳を小夜に差し出した。小夜が手のひらを構えていると、兼森は拳をほどいた。そこから三つの銃弾が零れ落ちて小夜の手の中に収まった。
「二階は僕達の全く把握出来ていないフロアだ。何が起きるかは分からない。拳銃を使わざるを得ない状況もあるかもしれない」
 兼森の言葉に小夜は頷き、受け取った銃弾を拳銃に装填した。これで小夜の持つ弾は六発。最初と同じ状態に戻ったに過ぎないが、増えた弾丸三発分の重さが心強く感じられる。
 小夜は改めて廊下の人の有無を確認すると、A組の戸の前に移動した。兼森もそれに続き、周囲の見張りをしてくれている。小夜は取っ手に手を掛けると、勢いよくそれを引いた。まずは中に人がいるかどうかを確認しなければならない。いれば一度退き、いなければそのまま教室に入る。何にせよ、廊下では人目につきやす過ぎる。
 小夜は室内の気配に意識を凝らしながら三つ数を数えた。中で何の動きもないことが分かると、次に鏡で教室内の様子を探った。鏡面を傾けながら、見落としがないように隅々まで見ていく。誰もいない。
「入るよ」
 兼森に一声掛けると、小夜は拳銃を両手で構えながら教室へと入った。鏡で確認をしたとはいえ、鏡の中の像は反転している上に視野が狭い。万全を期していたとしても、自分の眼で確かめなければ確証は得られない。
 小夜に続いて教室に入った兼森も、室内を隈無く見渡した後に教卓の下や掃除用ロッカーの中などを点検した。死角となるところに遊戯者が潜んでいないとも限らない。小夜らが拘束した遊戯者をそこに隠したように。
「とりあえずこの教室には誰もいないみたいだね」
 確認を終えた兼森は構えた拳銃を下ろして言った。小夜はそれに頷くと、窓際へと向かった。やることは最初と変わらない。窓を開け、腕を出して降り濡ちながら鏡を隣の教室へと向ける。
「うーん、隣にも誰もいないみたい」
 小夜は見た通りのことを報告した。兼森は手で顎を触りながら、何か考えているのか黙り込んでいた。やがて、ぼそりと呟いた言葉は小夜が思ってもいないことだった。
「一年生はもういない可能性もあるかもしれない」
「え、どういうこと?」
「可能性に過ぎないけど、今日までに死んだ一年の遊戯者は3、4、5、6の四人。一年生は全部で八人だから残るは四人。ここでちょっと思い出してほしいんだけど、主催者は今日のg@meにおいて、複数人で始まるクラスがいくつあったかを言っていたんだけど、覚えてる?」
 小夜は兼森の誘導の行き着く先を考え、頭の中で必死に情報を整理しようとした。だが、それよりも兼森の語る方が早いので、小夜は問われるままに昨日の主催者の言葉を呼び起こした。
「八クラスだったはず」
「そう、八クラスだ。もし仮に二年生と三年生の遊戯者だけで、複数人の組を作るとしたら何組作れる? もちろん、現実に確実な情報は踏まえた上でだ」
 小夜は頭の中で三十までの数字を並べた。そこから、一年生の八までと、二十八日までに死んだ遊戯者の番号を引いた。それから二年生と三年生を分けて、番号順に二つずつのペアを作っていく。そして、その数を数えていく。
「……五、六――七。最大でも七にしかならない」
「そうだ。一年生には少なくとも二人のペアが一組はいるんだ」
 小夜はようやく兼森が何を言いたいのかを理解した。兼森は続けた。
「残っている一年生は最初と最後の連番だ。だから、一年のこのg@meでの構図は二対二か、二対一対一になる」
 小夜は兼森の言葉を継いで続きを話した。もう言わんとしていることは分かっている。
「どちらにしても、たった最大で三組しかないんだから、私達がここに来るまでにどこか一つのクラスだけが勝ち残った可能性が高い」
「うん。人数はそのまま優位になるから、二人のところだろうと思う。そして、この階に他に遊戯者がいないと分かれば、別の階に行くというのは充分に考えられる」
 兼森はそう言い切ったものの、どこか自分でも納得がいっていないようだった。その理由は小夜にも分かった。最後の前提が正しいという保証がないのだ。
「でも、三階から二年生が下りてきていたら、まだ二階にいる可能性は捨て切れない」
「そうだね。いないかもしれないなんて油断こそ、捨てるべきだね」
 小夜は頷いた。兼森の目に映る迷いが薄くなったように見えた。小夜は腕を雨に晒すと、もう一度隣の教室を見た。相変わらず人がいる様子はない。小夜は今度は教室後方の戸口に向かうと、廊下の人の有無を確かめた。視線を鏡から兼森へ移すと、小夜は再び頷いた。兼森もそれに頷き返し、戸口の隙間からするりと廊下へ出て、隣の教室に入っていった。小夜も直ぐにそれを追い、二人はB組に入った。
 小夜がB組に入ると、兼森は先程と同様に死角になる部分を調べた。小夜も同じ手順を繰り返し、教室後方の窓から腕を出した。
 隣の教室の様子を見た瞬間、思わず声を上げそうになった。小さな鏡の中に、二人の姿が映っていたのだ。間違ってもこちらに気付かれないようにその二人の様子を観察している内に、小夜はあることに気が付いた。濡れた腕を室内に引き入れ、振り払いながら小夜は今見たことを兼森に教えた。
「怪我をしている?」
「うん、そうみたい。二人の内の一人は腕を負傷してるみたいで、私が見たのは手当てをしているところだった」
 怪我をしているということは、他の遊戯者と鉢合わせて撃ち合いになったのだろう。その手当てを今しているとなれば、銃撃戦があったのはつい今しがたということになる。だとすると、この階には他にも遊戯者がいると考えられる。
「少し、様子を見た方がいいかもしれない。迂闊にC組を攻めようとすれば、火中に飛び込むことになりかねない」
 兼森の意見に小夜も同意した。怪我人がいることはこちらの有利にはなるが、もっと大きな局面を見れば、この有利は捨てざるを得ない場面だ。
「今のうちに次の動きを検討しておこう」
 兼森は手近な椅子を引き寄せるとそこに座った。小夜も、兼森の正面に来るように椅子を持って来て着座した。
「この階に他の遊戯者がいて、隣の二人に負傷者がいるなら、その二人は逃げようとするのが普通よね」
「だろうね。戦力が減るようなことはまずしないと思う」
「A組とB組に誰もいなかったことを考えると、逃げてくる方向はこっちってことになるわね」
「僕達は迎え撃つ形になる、か。それなら、戸口付近を固めておくのが定石だ」
 二人はそこまで会話を進めると、椅子から立ち上がった。別の教室に移動するときにまずすることは、そこに人がいないことの確認だ。それをするには、どうしても戸口から中の様子を窺わなければならない。様子見なら小夜がしたように窓からも出来るが、移動はそうはいかない。必ず戸口から行われる。だから、外から死角になるようなところに身を置けば、それだけで防御布陣は出来上がる。
 二人はそろそろと戸口へと足を向けた。そこまではほんの数歩だ。だが次の瞬間、二人とも思ってもみなかったことが起きた。
 急に音を立てて勢いよく引き戸が開かれたのだ。そしてその先には一人の生徒が拳銃を構えて立っていた。
「うそっ!」
 声を上げながらも、小夜の身体は勝手に動いていた。横に飛び、拳銃を引き抜いて構える。だが、行動が早かったのは相手も同じだ。小夜が飛ぶのとほぼ同時に、その引き金を引いていた。激しい破裂音の後に、ガラスの割れる音が響く。あと少し飛ぶタイミングが遅ければ撃ち抜かれていたかもしれない。
 小夜は机の間に倒れ込むと、直ぐに体勢を立て直した。うまく机が障害物になるよう注意しながら、出来るだけ間合いを取っていく。横に目を凝らすと、兼森も同様の行動を取っている。
 相手の遊戯者は碁盤の目のように並ぶ机の隙間に立つと、こちら目掛けて発砲してくる。相手の射線上に来る前に転がって列をずれていくが、その分移動にロスが出る。相手は隠れようともせずに動いては撃ちを繰り返した。このまま凌げればやがて弾切れになることは間違いない。だが、相手の弾数を知らないし、これだけ無茶に撃って来られては当たらないとも限らない。小夜は四発目の銃弾をかわしたときには決意を固めた。
「兼森! ここでやるしかない!」
 小夜は大きな声を張り上げると、教室に対して横の動きを始めた。目標が左右で分散されれば、それだけ意識もばらけて隙が出来る。そうなれば、仮に肉を切られても骨は断つことが出来る。
 遊戯者から目を逸らさずに小夜は机の合間を窓の方へ移動した。遊戯者が拳銃を構えたときには身を伏せて銃弾をやり過ごす。次第に遊戯者は顔を左右に振るようになった。そして、遊戯者が兼森の方に拳銃を向けたそのときを狙い、小夜は立ち上がって両手で持った拳銃を相手に向けた。もう動揺も恐怖もない。今は無心に引き金が引ける。
「……ごめん」
 小夜の謝罪とともに放たれた銃弾は、吸い込まれるようにして遊戯者の肩に命中した。次いで、銃声とともに遊戯者の胸の下辺りに血が滲んだ。遊戯者は脱力し、重力に逆らうことが出来ずにその場に倒れた。小夜は一回しか引き金は引いていない。小夜が廊下側に目を向けると、兼森が机の上に腕を乗せて拳銃を構えている。やはり、今のは兼森が放ったものだったのだ。小夜は安堵のため息をついた。だが、小夜の安堵も束の間、目の前で兼森もまた頽れてしまった。
「兼森!」
 小夜は悲鳴にも似た声を上げると、傍に駆け寄った。見れば、脇腹から黒い液体が滲みその面積を拡大している。
「ちょっと、へま、しちゃったみたいだ」
 その場に膝を付き、息を荒くさせながら兼森は言った。その額には脂汗がどっと吹き出している。
「喋らないで。ちょっと見せて」
 小夜は兼森のシャツに手を掛けると、ボタンを外すのももどかしく強引に横に開いた。弾が当たった場所は本当に端も端で、貫通もしている。人によってはかすった程度と言うかもしれない。それでも出血をしていることには変わりない。小夜は先程の戦いで投げ出したままになっていた鞄を取って来ると、中から簡単な救急セットを取り出した。怪我をすることも考えられたが、果たしてg@me中にこれを広げている余裕があるのかと、持って来ることを少し迷っていたものだ。だが、今はあって助かる、なくてはならないものだった。
 小夜は慣れない手付きで止血をした。兼森は時折苦悶の声を漏らしたが、やがて呼吸も整ってきた。応急措置でしかないが、今はこれで耐えてもらう外ないだろう。
「桜井、ありがとう。楽になったよ」
 兼森の言葉に小夜もほっと一息ついた。だが、小夜の心には苦い思いが沁みていた。本当に肉を切られてしまったのだ。兼森が負傷したことは大きなハンデとなる。この後の展開によっては窮地に立たされるかもしれない。
 小夜の考えを読んだのか、あるいは同じことを考えていたのか、兼森は神妙な口調で切り出した。
「桜井、もしも何かあったら、僕のことは構わないで」
「で、でも――」
「全滅するくらいなら、犠牲になるのは僕だけで充分だ」
 その言葉の重みは、今しがた遊戯者の命を奪い奪われようとした兼森だからこそ出せるものだった。それほどに、小夜の胸に重く響いた。小夜は力無く頷いた。
 そのとき、ざざっという雑音が教室に響き、二人は一様に同じ場所に視線を向けた。このタイミングでこの音が入る原因なんて、他にあるわけがない。
「まさか……!」
 小夜は窓際に近付き、第二校舎の方を見た。雨が視界を妨げ、闇が視界を遮る。そこに人がいるかどうかすら分からない。だが、教室のスピーカーから聞こえてきた声は、紛れもなく主催者の声だった。

『諸君、このg@meは如何だったろうか。今日は実に楽しませてもらった。宴も酣だが、夜も更けてきたことだし今日はここまでとしよう。』

 緊張に息を詰まらせていた小夜だったが、内容を理解するとほっと胸を撫で下ろした。先行きの不安が出たところだったが、一先ずの難を凌ぐことが出来たのだ。これで、今日という一日は生き残ることが出来た。それがどんなに嬉しいことか。主催者の声は続いた。

『これ以降、日付けが変わるまでの間はg@meを一時休止する。明日は各々次なるg@meに備えて休養するのがよかろう。それから、解散の号でみなが一度に学校から出て、他の遊戯者と鉢合わせるのは些か肝を冷やし諸君らには気の毒だろう。だから、時間差を付けて解散させようと思う。とりあえず今いる場所から動かないこと。』

 それから、主催者はまず一年生に下校の指示を出した。三年生である小夜はまだ動くことは出来ない。その間、小夜は教室内に横たわる遊戯者の遺体を調べた。殺してしまったことは致し方ないと思っているし、そのことに囚われてばかりもいられない。そうして、ポケットからカードを探り当てた。
「遊戯者番号は――1」
 この遊戯者は先程隣の教室にいた生徒の可能性が非常に高い。それならば、もう一人の生徒と同級生の可能性も高い。なので、ここで遊戯者の番号を知ることで、もう一人の生徒は連番で残っていた2であるだろうと推察出来る。しかも、その遊戯者は腕を負傷していた。明日以降で、一年生であり怪我をしている生徒に絞って探せば特定も容易になる。
 そこまでを考えてカードを確認すると、小夜は遺体の身なりを整えて兼森の側に戻った。時間差を出すための空白の間を占める沈黙が、しばらく学校を席巻する。
「桜井」
 その沈黙の間、兼森は桜井に声を掛けた。負傷した兼森の息は少し荒くなっている。小夜は兼森の傷のことを気遣いながら、応えた。
「どうしたの?」
「僕達はこれから主催者を止めるために一緒に戦っていく」
「うん」
 それは今日のg@meが始まる前に聞いた。小夜も兼森と同じ決意をしたはずだ。今さら確認を取ることに何の意味があるのだろうか。
「明日からはあまり一緒にいない方がいい」
「え? それってどういう――」
 小夜は兼森の口から出た言葉に目を丸くした。共に戦うなら、傍にいた方が都合がいいのは疑う余地もない。なのに、兼森はそれをするなと言う。
 そのとき、スピーカーから主催者の声が流れ、二年生の下校を促す。その声を聞いて、小夜は兼森の言う意味を理解した。
「……ううん。そうだね、分かった」
 今日のg@meの主催者の目的の一つには、同じクラスの遊戯者を特定させるというものもあるのだ。小夜はC組にもう一人遊戯者がいることを知った。それが兼森悟志であることも分かった。今日は一緒に戦った仲間であったが、明日からは殺し合う敵同士なのだ。敵同士が馴れ合うのは不自然だ。
「三年生に主催者がいるかもしれないということを考えると、学校でもあまり近付かない方がいいかもしれない」
「そんな……」
 小夜は思わずそう口走ってしまった。折角兼森と話す機会が増えると思っていたのに、そのチャンスは早くも潰えてしまったのだ。しかし、今は生きるか死ぬかの状況だ。そんな普通の中学生のような生活が送れると夢見ていた自分の甘さに、小夜は奥歯を噛み締めた。
「これからのやり取りはメールで行おう」
 兼森の提言に小夜は頷いた。頷くしかなかった。今を乗り切ることを最優先に考えるのだ。主催者を止めることさえ出来れば、小夜は普通の中学生に戻れる。兼森とだってもっと仲良くなれる。小夜の切なる想いは胸の奥に閉じ込めておくしかない。
 沈黙が続く。雨の音がいやに大きく聞こえる。先程の放送からまもなく五分が過ぎようとしている。おそらくもう直ぐ三年生に対する放送があるだろう。
「ねえ、兼森」
 時が止まっているかのような静寂を破り、小夜は兼森に話し掛けた。律したばかりだというのに、小夜の弱い心は揺れ動いていた。鼓動は早鐘を打ち、投げ掛けた声は微かに震えていた。それでも、せめてこれくらいは許してほしいと、小夜は誰に向けるものでもなく祈った。
「何、桜井?」
 兼森の優しい声が、小夜の胸に沁みていく。温かさが背中を押してくれる。小夜は一歩を踏み出した。
「悟志くんって、呼んでもいい?」
 兼森は思ってもいなかったのだろう。驚いた様子で小夜の方に振り向いた。一方の小夜は、途端に気恥ずかしくなり目を伏せってしまった。兼森からの返答はなく、小夜はとても長い長い時間を待たされたような気がした。
「――いいよ」
 だから、小夜の耳がそう聞き取った瞬間、小夜の喜びはひとしおだった。今がg@meの最中であることも忘れてしまうほど、嬉しさが胸に込み上げてくる。気付かぬ内に相好が崩れていた。
「ありがとう」
 小夜は小さな声でそう言った。
 その直後、スピーカーに雑音が乗り、放送が入った。

『それでは最後に三年生の遊戯者諸君。五分以内に校舎から立ち去るように。』

 主催者は短く告げると放送を終えた。小夜と悟志は立ち上がると、階段を目指した。二階にいた二人は一階分だけ下りた。玄関口で靴を履き替えると、周りに他の遊戯者がいないことを確認してから覆面を取った。僅かばかりに得られる解放感が、今日のg@meが終えたことを実感させてくれる。外では相変わらず雨がずっと降り続いており、水滴が地面を叩く音が夜の帳の中で響き渡っている。
 小夜は傘を差して軒下から一歩外へ出た。時計を見ると、時刻は十時を過ぎている。あれだけ色々なことがあったのに、まだ二時間あまりしか経っていない。雨の中、小夜は何かに取り残されたようにぼうっとしてしまった。まるで未だに夢から覚め切らないような感じだ。夢といっても、これ以上ないくらいの悪夢であったが。
「それじゃあ、桜井」
 気付くと、小夜はもう正門の前にまで歩いていた。悟志とは帰る方向が真逆なので、ここでお別れになる。
「うん。悟志くん、傷は大丈夫? あんまり無理しないようにね」
 小夜が気遣わしげな視線を送ると、悟志は腹部に手を当ててはにかみながら笑った。大事に至らなかったことはまさに不幸中の幸いだろう。悟志は手を振ると、背を向けて歩き始めた。
 小夜は名残惜しげに悟志の背中を見詰めていたが、やがて帰路へと足を進めた。

「ただいまー」
 家に着いた小夜は、直ぐに二階に上がった。雨の中を帰って来たのでまず大丈夫だろうとは思うが、硝煙や血液の臭いなどが付いていないとも限らない。ただでさえ変則的な一日を過ごしているのだから、余計な心配を掛けて詮索されたくはない。
 部屋で着替えだけ済ませると、小夜は一階へと戻った。夕飯を何も食べていないので、空腹でお腹と背中がくっ付きそうだ。g@meの最中は全く気にならなかったが、帰りに歩いている辺りから腹の虫が大合唱を始めていた。
「あら、今日は泊まるんじゃなかったの?」
 母親の開口一番の台詞はそれだった。言ったことと行動が合っていないのだから、そこを突いてくるのは当然とも言える。何を言われるかの想像は付いていたから、それに対する答えも帰り道にちゃんと考えてある。
「予定以上に勉強が捗ったから、泊まる必要なくなっちゃったの。それより、何か食べるものない? お腹ぺこぺこ」
 不審感を抱かれないための言い訳も大事だが、今の小夜に必要なのは食事だ。小夜が催促すると、母親は冷蔵庫を漁り簡単なものを作ってくれた。小夜はテーブルマナーに喧嘩を売るがのごとく、目の前に出された料理を乱暴に平らげた。お腹に食べ物が入るのを感じて、自分がg@meを生き残っていることをより強く実感した。
 今日一日で溜まった疲れを早く取り除きたかった小夜は、食後直ぐに風呂に入った。そして、風呂から上がるや否やベッドへと飛び込んだ。シャワーのお湯も掛け布団の温もりも、拳銃やg@meの冷たさと対比されて凄く温かく心地が良い。小夜の意識は吸い込まれるように眠りへと落ちていった。


 翌日、小夜が目を覚ましたのは昼近くになってだった。精神的にも身体的にもだるいが、小夜は身体をむくりと起こすと大きく伸びをした。全身に血が駆け巡るのが感じられた。
「おはよう」
 着替えてから階下に下りていくと、食卓には朝食が長い時間放置されて不機嫌そうに小夜を待ち構えている。小夜は両の手を合わせると、箸を持ち料理に手を付けた。
「せっかく昨日勉強しても、今日を無駄にしたら意味ないわよ?」
 リビングでテレビを見ていた母親は、小夜の方に視線を投げ掛けながらそう言った。幸いにも、小夜自身は怪我することなく昨夜を乗り切れたのだから、今日を無駄に使うことはあってはならない。
「うん、分かってるよ」
 あっという間に朝食を食べ終えた小夜は、食器を流しに置くと二階の自室に戻った。
 昨夜は疲労が凄かったので何もかもを放置してしまったが、一つ落ち着いた今、片すべきことがいくつかある。小夜は部屋の鍵を掛けると、椅子の上に乗せられた鞄に目を向けた。
 一つは、もちろん拳銃だ。小夜は鞄の中から拳銃を取り出した。ずっしりと重たいそれは、昨夜血を吸い満足したかのように黒く鈍く光っている。この中には、人の命を奪うための弾丸がまだ五発装填されている。小夜は唾を飲み込むと、慎重な動作で拳銃をクローゼット内の木箱の中にしまった。もう二度と撃たなくて済むことを願うばかりだ。
 次に、小夜は鞄の中の物を検めていった。実際に使った物、用意はしたが使わなかった物、それらを鞄から取り出して全て一つにまとめると、クローゼットの中に押し込んだ。直ぐに捨ててしまっては何かがあったときに足が付いてしまう可能性がある。しばらくはクローゼットの中で時を置いた方が良い。
 それから、と小夜は架けてある制服に目をやった。兼森の手当てをするときに手などに血は付いてしまったが、見る限りでは制服に付着した様子はない。小夜は制服に鼻を近付けて臭いを嗅いだ。だが、そこからは洋服の臭いしかしなかった。小夜は安堵して息を吐いた。これで、明日から普段通りに学校に行く形は整えられた。
 その後、小夜はパソコンの電源を着けた。昨日はg@meのイベントがあったのでまさかとは思うが、主催者はg@meのページを毎日見ろと言っていた。ならば、早めに確認しておくべきだろう。小夜は慣れた手付きで目的のページまで飛んだ。
 すると、小夜の予想に反して昨日付けで新しい告知があった。

Sat. Jun. 29th 20:00 "the Eleventh d@y"

 その更新時間を見て小夜は目を見張った。午後八時はまさにg@meが始まった時間だからだ。だが、よくよく考えてみれば、その時間に更新があっても何もおかしなことはないと気付いた。予め音声だけを録っておけば済む話だ。
 小夜の思考を遮るように、主催者の声が流れ始めた。いつもは感情など籠らない淡々とした声が、心做しか上機嫌なようにも聞こえる。

『諸君らがこの告知を聞くのは、おそらく更新よりも大分時間が経ってからになるだろう。イベントがまさに始まったばかりの時間だからだ。』

 小夜は主催者の声を聞きながら次にどういったことが話されるのかを予想した。時間からして、昨夜のイベントに影響を及ぼすような情報はないはずだ。だとしたら、この告知によって有益な情報がもたらされる可能性は低い。なのにいつも通りの時間に更新があったのは、主催者の妙に律儀な性格の表れと見るのが妥当だろう。
 そう考えると、小夜は少しだけ肩から力を抜いた。意識は主催者の声に向けられたままだが、必要以上に緊張感を抱くこともない。主催者の声は続いた。

『今ここで情報を言っても、伝わるまでに時間差が生じる。だから、ここでは今日のイベントについて一つ伝えるに留めよう。
 私はイベントの終了時間については事前には定めないと言った。だが、一つの基準だけは設けた。その基準を目処に終了としようと。それは、残りの遊戯者が十人になるということだ。おそらく、この告知を聞く人数も十人前後になっているだろう。イベントの結果などについては次の告知にて行おう。』

 声はそこで止まった。小夜は主催者の言っていたことに思考を寄せた。昨日のg@meが始まる時点で、遊戯者は二十二人いた。ということは、半分ほどにまで減ったということだ。そこでわざわざ区切ったのは、この後もg@meを続けるためだろう。一夜は共に戦った者達が次には敵となる構図を、主催者は楽しんでいるのだろう。
 小夜は奥歯をぎりぎりと噛み締めた。やはり、狂っている。心の底から嫌悪感が込み上げてくる。だが、時間的な猶予を与えられたおかげで、主催者を割り出すことが出来る。主催者は思いも寄らないだろう。興に乗じて為した判断が、自分の首を絞めることになるかもしれないなど。それほどに主催者は絶対的だったのだ。小夜は力を込める場所を口内から拳へと移した。一時的な憤りは冷静さを欠いて判断ミスを誘うだけだ。小夜はたぎる激情を決意へと変えた。
 それから、小夜は午後の時間を机に向かい勉強をすることに費やした。まだ昨夜のg@meの詳細が分からない以上、g@meについてこれからのことを考えても雲を掴むように曖昧としたままだろう。それならば、今は受験生をしていた方が有意義というものだ。
 昨夜の身体的精神的疲労は残っていたが、勉強の科目を適度に切り替えることで何とか集中力を切らさずに続けることが出来た。頭の回転が鈍いときには単純な計算問題を、冴えてきたら英語の読解問題を、といった具合に。そうしてみると、これまで漫然と行ってきたよりも遥かに効率良く勉強が出来たように思えた。g@meの中でこうした勉強方法を見付けられたことは、不本意ではあるが小夜にとってはありがたかった。
 途中で適度に休憩を挟みながら机に向かい続け、気付けば陽が傾いていた。小夜は大きな伸びをすると、椅子から立ち上がった。
「――今日はここまでっと」
 もうまもなく夕飯の時間だろうし、八時になれば告知もある。しかも、今日の告知は今後の動きを左右する重要なものになるだろう。だとすれば、今日はもうまともに勉強出来る時間は取れない。
 小夜は首を回して肩の凝りを解しながら、階段を下りてリビングに向かった。案の定、階段を下りる段階で味覚へと直結するような良い匂いが漂っている。小夜の身体は本能に忠実で、途端に腹の虫の大合唱が始まった。
「お母さん、ご飯まだあ?」
 小夜はリビングに入ると、早々に母親を急かした。既に美味しそうな匂いが鼻腔を刺激しているが、テーブルにはまだ数品の料理が乗っているだけだ。
「なら小夜も手伝いなさい」
 母親はため息混じりにそう漏らすと、料理の盛り付けられた皿を小夜の方へと差し出した。小夜は相好を崩しながら、晩御飯の準備を手伝った。
 そしてまもなく、小夜の待ち望んだ時間となった。
「いっただきまーす!」
 両の手を合わせてそう言うや、小夜は箸を取り猛烈な勢いで食べ物を口に運んでいった。頭を使うことでエネルギーを消費していた身体は、マナーよりも量を所望している。胃に食べ物が満ちていく感覚は、それだけで至福といえた。まして、母親の料理は味も絶品だ。小夜はあっという間に出された料理を食べ尽くした。
 その後、リビングでテレビを見ながら食休みをしていた小夜は、告知を聞く前に少しだけg@meのことを考えていた。まず一番に気に掛かるのは、学校の状況がどうなったかだ。主催者がイベントの終了時期を十人になるまで、と言った以上は、昨夜の内に少なくとも十人は命を落としたことになる。となれば、当然十の遺体が学校に残されることになる。遺体だけではなく、血痕や空薬莢や銃痕だってその場に残っているはずだ。それをそのままにしていたら、明日学校へ行った途端に大騒ぎだ。直ぐに警察が介入してきて、学校ごと閉鎖されてしまうだろう。それでは今後のg@meを続けることはひどく困難になる。主催者だとてそれは本意ではないだろうから、今日の内に何らかの手を講じたに違いない。
 小夜としては、今日学校へ行きその様子を確認したいという思いもあったのだが、まず第一に危険が伴うこと、第二に身体の疲労が残っていたこと、第三に勉強に遅れを出したくなかったことから、それを見送ったのだ。今でもその判断を疑うことはないが、何か有益な情報が得られはしなかっただろうかという後悔もないことはない。
「――はぁ」
 小夜は一つ伸びをして天井に目をやった。無地で白い天井は距離感を失わせ、小夜に不安を与えた。目を瞑り身体を起こすと、もうまもなく八時になることを認めた。小夜は少し重くなった腰を上げると、自室に戻った。ここからが本当の戦いだ。

Sun. Jun. 30th 20:00 "the Twelfth d@y"

 いつもの要領でg@meのサイトに行くと、既に最新の更新がされていた。小夜は小さく息を吐いてから、その項目をクリックする。ややあってから、主催者の声が流れ出した。その冷徹なまでに無感情な声が。

『昨晩を生き残った遊戯者諸君。一夜明けて今日は如何様に過ごしただろうか。今日は昨夜の結果と今後について述べることとしよう。』

 小夜はごくりと唾を飲み込んだ。やはり予想通りの内容だ。一番望ましいのは、連番が多く生き残っていることだ。それであれば同じクラスの生徒である可能性は高くなり、互いに正体を知ることになる。つまり、主催者を止めるまでの時間がある程度は稼げるのだ。
 流石に過多な期待をしないようにと心を落ち着かせつつ、小夜は続く主催者の言葉に耳を傾けた。

『生き残った遊戯者の人数は十人。これは前回の告知でも言ったことだ。その遊戯者の番号は、2、11、13、14、18、21、24、25、26、29だ。尚、昨晩でg@meに敗れ離脱した遊戯者は既に片付けた。なので、明日からは普通に学校に行き、g@meを続行することが可能だ。それでは、今後も私を楽しませてくれたまえ、遊戯者の諸君。』

 主催者の声はそこで途切れた。だが、小夜は画面から目を離すことはおろか、身動きすら取れなかった。主催者の言葉が、現状の過酷さを冷淡に表していた。
「……うそ。どうして、28が呼ばれなかったのよ?」
 小夜と悟志が、それこそ命を懸けてまで殺さずに二人の遊戯者の素性を確認したというのに、その内の一人の番号が呼ばれなかったのだ。それが意味するところは、小夜達が28――松田隆史を掃除ロッカーに隠した後に、誰か他の遊戯者が見付けて殺してしまったということだ。事実だけをなぞればそれで全てだが、小夜からするとそればかりではない。主催者特定のために残された時間が最短であと五日しかないということになる。しかも、その五日を得るために殺さなければならない相手は、小学生からの幼馴染みなのだ。
「そんな、私には出来ないよ……」
 今まで二人も人を殺めた自分がそんなことを言う権利など、あるはずもないことは小夜とて重々承知だが、それでも大して仲良くない同級生や初対面の下級生を殺すのとは訳が違った。道理ではない独り善がりな感情が、小夜に遊戯者を殺させることを拒絶している。
 仮に小夜が出来ないとしても、悟志ならば出来るだろう。だが、死なせたくないのだ。そして、殺させたくないのだ。小夜の決意はこんなにも簡単に揺らいでしまう。背負うべき罪の在処をこんなにも簡単に見失おうとしている。
「――ダメだ。落ち着かなきゃ。考えないと」
 小夜は潤んだ瞳のまま、顔を上げ正面をじっと見据えた。出来るだけ深い呼吸を意識して、この後どうするかを考えた。状況を整理し、自分だけでなく他の遊戯者の行動も推察、それが更に後に及ぼす影響までも吟味する。未だに混乱した感情が思考を阻害するが、どうにか結論は出せた。どうしようもないほどに悲観したくなる結論が。
 そのとき、小夜の携帯電話にメールが届いた。何の根拠もなく、小夜はそれが悟志からのメールであると確信していた。メールを開けば、小夜の予感の通りだった。そして、内容もまた小夜が漠然と想像していた通りのものだった。
『28が他の遊戯者に見付かったのは残念だけど、少なくとも同じクラスの遊戯者が残っているところが一つはある。だから、今は様子を見るしかない。』
 好意を寄せる人から初めて届いたメールは、殺伐とした内容で現実を小夜に直視させた。悟志の言っていることは正しい。三年A組かB組は複数の遊戯者が残っているし、13と14も同じクラスである可能性は高い。それに昨夜の間に正体が知れた遊戯者もいるかもしれない。それで考えても、今小夜が置かれている状況では、様子を見るしかないのだ。他の遊戯者が誰かを殺せばそれだけ猶予は延びる。それを信じて主催者特定を急ぐ他はない。
『分かってる。一刻も早く主催者を止めよう。』
 小夜はそれだけしか返せないのが悔しくてならなかった。具体的な方策もなく、ただただ感情論のようなことしか言えない。今最も必要なのは情報だ。主催者に近付くためなら些細なものでも何でも構わない。
 小夜は携帯を閉じると、机の一点だけに視線を置いて思考を始めた。まず考えなければならないのは、主催者が誰であるかということだ。それが分からないことには、仮に警察に駆け込んでもg@meは終わらないどころか、こちらが殺されてしまう。悟志の推理の通りだとすれば、主催者は豊砂中の三年生の誰かだ。では誰が、とここから先を考えなければならない。
「何を元に考えれば……」
 小夜は顎に手をやった。主催者について小夜の知ることは少ない。だから、主催者から誰かを辿るという方法は取らない方がいいだろう。新たに主催者の情報を得ようとして、万一それが主催者に知れたらそれでアウトだ。ならばここは逆に考えて、既に小夜の知っている情報から主催者を知ればいい。遊戯者である小夜は当然ながらg@meについてなら知ることも多い。
 そうして出発点を定めるにあたり、三つの事柄が思い当たった。ドラマや小説でよく見る、犯人を特定する際の手法――すなわち、アリバイ、動機、犯人しか知り得ない情報だ。
「じゃあまずはアリバイから。主催者が自ら動いたのは、一番最初の前木殺しと昨夜のイベント」
 小夜は記憶を頼りにそこから思考を展開しようとしたが、大多数の人のアリバイを調査することなど困難極まりない。ここでもやはり、人からアリバイを探るよりも、アリバイから辿っていった方がいいだろう。
 そうして考えてみると、昨夜のイベントというのは非常に分かり易い。主催者の行動としては、まず午後八時に校内放送を流した。その後小夜らが放送室に赴くもそこは無人だった。そして遊戯者の残りが十人になったところで、再び校内放送を用いた。これは、主催者がそのとき第二校舎にいたことを端的に示す。いや、必ずしもそうではないかもしれない。小夜の知る範疇の外で、校外にいても校内放送を使えて、校外にいても遊戯者の様子を確認出来る方法があるのかもしれない。だが、今においてはその真偽はどちらでもいい。肝腎なのは、遊戯者は主催者足り得ないということだ。普通に考えれば当たり前のことのようではあるが、少なくともこれで容疑者は十人減らすことが出来た。
「先は程遠いわね……」
 小夜は小さくため息を漏らした。数少ない情報でわずかしか可能性を絞ることが出来ないのでは、手持ちのカードを使い尽くしても特定に至らないことが十二分に考えられる。
「まあいいわ。次は前木殺しについて。――といっても、これのアリバイって何かしら。警察は必要なしと判断して調べていなかっただろうし、明確な犯行時刻は分からないのよね」
 小夜はもう大分前のことを――それでもほんの十一日前だが――脳裏に浮かべた。犯行時刻が分からないとはいえ、その前日に前木が欠席していたということもないので、犯行の時間帯はおそらく夜から朝。場所は当然屋上。そうなると、記憶に頼っているだけでは誰のアリバイも確認のしようがない。
「うーん、行き詰まるわね」
 小夜は頭を抱えてため息をついた。アリバイについてはこれ以上得られるものはないかもしれない。それに、既に頭が固くなってきている気がする。このまま続けても狭くなった思考視野では何も掴めはしないだろう。そう思い立つと、小夜はがばっと椅子から立ち上がった。
「焦っても仕方ない。よし、今日は終わり!」
 気付けば時間も九時を大分回っている。小夜はパソコンを閉じると、着替えを持って階下へと向かった。風呂に入れば気分も切り替わる。考えるならそれからにしても遅いことはない。
 風呂から上がった小夜は、g@meのことを考える前に明日の準備をした。明日は現代文があり体育があり、そして英語の小テストもある。昼の勉強は完全に受験に向けたものだったので、小テストの勉強もしないといけない。教科書を鞄に詰めながら、小夜は一つのことに思い至った。小夜の手には体操着を入れた袋が握られている。
「そうだ、悟志くん――」
 土曜日のg@meで悟志は傷を負った。別れ際の様子では大事なさそうだったが、果たして体育をすることは出来るのだろうか。もしも体育を見学する場合、それを誰かに不審がられないだろうか。不安は募るばかりだ。
 メールをしようか、と携帯を手にした小夜だったが、それは何とか思い止まった。この事態は悟志なら怪我をした時点で分かっていただろうし、ここで無理をする悟志でもないだろう。解決策も提示出来ない小夜が連絡を取ったところで、慰みにもならないだろう。それに考えてみれば、C組にはもう遊戯者はいない。体育をクラス混合でやるわけでもない。一体誰が不審がるというのか。
「やっぱ弱気になってるなあ」
 小夜はため息とともに独り言ちた。思考も大分停滞してしまっている。
 小夜は小テストの勉強だけをすると、他は何も考えずにベッドに入った。のんびりしている暇はないが、時間を無駄にするようなことだけは避けるべきだ。まだ疲れが抜け切っていないのか、目を閉じた瞬間、小夜は急速に眠りに落ちていった。

 翌日、小夜が目を覚ましたとき、まだ目覚まし時計は鳴っていなかった。てっきり目覚ましを掛け忘れたと思い、慌てて身体を起こした小夜だったが、時刻はまだかなり余裕があった。どうやら単純に早起きをしただけらしい。
 伸びをしながら立ち上がり、カーテンを開けた。昨日までの雨は止んでいたが、空には相変わらず厚い雲が浮かんでいる。気分が清々しいだけに、この空模様は残念だ。
 着替えを済ませた小夜はリビングに下りた。既に母親は朝食の準備を終えている。小夜の顔を目にすると、――いつも通りの反応だった。
「あら早いわね。今日は直ぐ天気が崩れるかもしれないわね」
 窓の外に目をやりながら母親は笑みを漏らす。小夜はうんざり顔で食卓に着いた。母親が朝食を運んでくる。
「ちょっともうやめてよ。そろそろ珍事じゃなくなってきてるでしょ?」
 最近を思い返せば、もう天変地異を危惧するほど稀でもないはずだ。そもそも天変地異など人の一生でそう何度も起きてたまるものか。
 母親と最近の芸能関係の話をしながら朝食を平らげた小夜は、家を出る仕度を始めた。時間的には急ぐ必要もなかったのだが、普段通りに仕度をしている内に時間はあっという間に過ぎていった。歯磨きをしながら英語の小テストのことを考えていたのが時間を食ったのかもしれない。もうまもなく明美がやって来る時間になる。
 小夜は自室から荷物を取ると、足早に階段を下り玄関へ向かう。折角朝早く起きられたというのに、こういう日に限って靴が上手く足に入ってくれない。
「いってきます!」
 爪先を叩き半ば強引に靴を履いた小夜は、勢いよくドアを開けた。その瞬間、呼び鈴が鳴るのが聞こえた。開けた視界の先には驚く明美の顔。全てがいつも通り。――いつも通りの平日だった。
「今日は早く起きたんだけどなー」
 登校中、小夜は中空を眺めながら隣を歩く明美に話し掛けた。他愛もない会話が途切れることなく続いている。土日のことを聞かれたときは流石にどきりとしたが、問題なく誤魔化すことが出来た。同じ制服の生徒が同じ方向に歩いているのを見ると、日常に復帰したことを強く感じることが出来る。
「やっぱり小テストが気になった? 先週小夜の出来良くなかったもんねえ」
 明美の言葉に小夜は苦虫を噛み潰しそうになる。確かにそのせいでいらぬ時間を取られたのは事実だ。今日こそは雪辱を果たさねば、という思いを小夜は胸に新たにした。それと同時に、今日からは三年生の動向に一層の注意を払う必要がある。小夜は眼前に迫った校舎を前にして、唾を飲み込んだ。
 校内に入った小夜は、明美との会話をしながらも、校舎の様子を注意深く観察した。特に、弾痕と遺体の跡が残っていないかが気に掛かった。どちらも、少しでも痕跡が残っていたら一発でアウトだ。それだけで学校は非日常の闇へと転落する。
 しかし、そんな小夜の心配を余所に、校舎には何の痕跡も残されてはいなかった。思い返せば、主催者ははっきりと言っていた。全て片付けたと。ならば小夜が心配するまでもなく学校は日常の中にあるということだ。
「小夜、どうかした? 怖い顔してるけど」
「え? ううん、何でもないって」
 明美に諭され、小夜は咄嗟に首を横に振った。小テストを口上に出すことでその場をやり過ごした。
 一限目のホームルームは何事もなく終わった。吉井先生も普段と変わった様子はなく、それはつまり職員室における平穏を意味している。学校での異常はなし。そう判断されていることの証左だ。
 二限目の現代文も読解中心に授業は進行し、ようやく一つの題材を扱い終わった。小夜は拍子抜けするほどに平常通りに進む授業に、逆に違和感を覚えていた。大きな山を越えてどこか緊張感が抜けているような気がする。あるいは、日常に飽きてしまっているのかもしれない。そう考えたとき、小夜は怖気を感じ、改めて気を引き締めた。
 そうして続く三限目、体育の授業を悟志はやはり見学した。理由は腹痛だということにしたようだ。それを耳にしたとき、小夜は悟志の豪胆さに笑みを漏らしそうになった。いくら事実とはいえ、そのまま伝えることもなかろうに。ただ、それが悟志らしいとも思えた。ちなみに、今日の体育もバスケットボールだ。
「小夜、絶好調ね」
 試合が終わった休憩中、美代はそう話し掛けながら小夜の隣に腰を下ろした。先程気持ちを張り直したせいだろうか。小夜も自分で分かるくらいに身体の調子は良かった。足が軽く、手の先にまで感覚が伸びているようだった。
「うん。昨日ゆっくり寝てリフレッシュ出来たからかな」
「じゃあ次の英語もばっちりなわけだ?」
 明美に続き、美代まで小夜を茶化してくる。先週の有り様を見ればからかいたがるのも分からないではないが、一週間は引っ張りすぎだ。小夜は幾分むっとしながらも、胸を張って答えた。
「当然! 先週までの私とは違うんだから」
「ふーん。先週まで……ね」
 美代は含むように笑いながら虚勢を張る小夜を眺めている。小夜は美代の態度が気に掛かった。そんなおかしなことを口走っただろうか。そのとき、試合終了を告げるホイッスルが鳴り響いた。
「あ、私次試合だ。じゃね、小夜。昼のやけ食い、楽しみにしてるから」
 渇いた笑いを上げながら美代はコートに入っていく。小夜は恨めしげに美代の背中を見送った。
 結果は、四限が終わったあとの昼食を見れば明らかだった。
 小夜の前には自分の弁当箱の他に、明美と美代から提供されたいくつかのおがずが――その残骸がわずかに残っているばかりだった。
「もう、何で授業でやってないとこから出すかな、斉藤先生は」
 口をもごもごさせながら小夜は不満を垂らす。授業範囲からの小テストだったなら、小夜に抜かりはなかった。だが、それを逸脱して出された問題に対しては、小夜はあまりに無力だった。
「でも、先生は先週言ってたよ。そろそろ実戦に近い形の問題も取り入れるって」
「――何それ、聞いてないんだけど」
 小夜は口と弁当箱の間を往復運動していた箸を止めた。ここに来ての新情報。思い返してみれば確かにそんなことを言っていたような気もするが、今さら時間は戻せないし、この一週間の悪夢を思い出すと戻したくもない。それに、実戦に近いということなら、問われているのは実力だ。それで点が取れなかった小夜にはぐうの音も出ない。
「うーん、来週こそは!」
 決意を胸に、おかずを腹に、小夜は口を動かした。
 早ければ、来週には何かしらの決着がついているかもしれない。小夜はもう一つ、強い思いを胸に秘めた。
 午後の授業もいい感じに集中力を維持することが出来、時間はあっという間に過ぎていった。そうして迎えた放課後、小夜は帰り支度を済ませて明美の席に向かった。
「明美、帰ろ?」
 明美は笑って頷いた。明美とこうして帰るのも久し振りな気さえする。一昨日、この教室で血生臭い殺人ゲームがあったことなどまるで嘘のように、夕陽の差す普段通りの教室に、小夜はいる。
「そろそろ夏休みが近くなってきたね」
 帰り道、明美との会話で話題が夏休みのことになった。今日で七月になったわけで、あと三週間もすれば夏休みだ。明美の言葉も実感はある。
「まあ、その前に期末試験があるけどね」
 小夜はそう応じた。しかし、心の中ではそれよりも前にg@meのことが真っ先に浮かんだ。自分が夏休みを迎えることが出来るのか、そちらの方が問題だ。
「そうだねえ。それに今年は受験だからあんまり遊んでもいられないよねえ」
「そう思うと今から気が重いわ」
 軽口でやり取りをしながら、小夜は自分でも知らず知らずのうちにg@meのことを考えていた。明日は規定の三日目になる。ストックはあるが、出来ればそれは考えたくない。それに、今日はg@meが明けた最初の登校日。何かしら動きはあってもいいはずだ。
「でも一度くらいはまたどっか遊びに行こうね?」
 明美の言葉にそちらを振り向くと、夕日で赤く縁取られた明美の表情はまるで泣いているように見えた。その様子を直視した小夜は、自分がまたしても望んでやまないはずの日常を疎かにしてしまっていたことに気が付き、慌ててフォローした。当然、明美にそれを悟られないようにしながら。
「そうだね。美代も里沙も誘って、ぱあーっとやりたいね」
 それから、極力g@meのことは頭から外すようにして、今目の前にある安寧に身を委ねた。
 家の前で明美と別れた小夜は、自室に戻ると勉強机に向かった。勉強が出来るときにしておかないと、期末試験も結果が惨憺たるものになりかねない。今日の英語で受けた雪辱はきっと果たさねばならない。
 参考書を広げた小夜は、思っていた通りすんなりと集中することが出来た。問題を解いていくうちに、時間の感覚を失い、一息つく頃にはもう夕飯に近い時刻になっていた。
「ふー。今日はこれくらいかな」
 ペンを置き、少しの間椅子にもたれて目を瞑った。今まで高速で回転していた頭がゆっくりと制動していくのが分かる。完全に勉強モードから普段の小夜へと切り替えてから、小夜は階下へと向かった。今度は胃が大きな音を立てて暴れ始めている。これは今の小夜でも制御出来そうになかった。
 案の定、夕飯を食べ過ぎてしまった小夜は、お腹を押さえながら再び自室に戻ってきた。時計を見ると、更新までまだ多少の余裕はある。小夜はそのままベッドに横になり、天井を見詰めた。
「本当に終わらせられるのかな……」
 主催者を突き止める。自分達の為そうとしていることが如何に無謀であるか、考えれば考えるほど痛感させられる。それほどに主催者は慎重で自らの影を見せようとしない。それと同時に、小夜の心には弘美の命の重さがのし掛かってくる。今まで小夜が対峙してきた遊戯者の顔が脳裏を過る。どうしようもないことをどうにかしないといけない。いくら悟志と一緒とはいえ、気を抜けばぽきりと心が折れてしまいそうだ。
「それでもやらないと。g@meに勝たないと。平穏な日々を取り戻すんだ」
夕方の明美との会話が思い起こされる。g@meを乗り越えた先に小夜の求めるものが待っている。それが小夜の活力となった。
 小夜は起き上がり、パソコンの電源を着けた。ここからだ。g@meを経て何かが大きく変わるとすれば、今日の更新でだ。小夜はいつものページに飛んだ。

Mon. Jul. 1st 20:00 "the Thirteenth d@y"

 いつもと変わらず、無機質な文字が踊っている。見慣れた光景に、小夜は思わず奥歯を噛み締める。遊戯者にとってはこれが日常であるのだと刷り込まれている気がして、無性に腹立たしい。小夜は溢れそうになる思いを抑え付けて、リンクをクリックした。

『遊戯者諸君。今日はどのような心持ちで一日を過ごしただろうか。私は実に愉快であったと告白しよう。』

 いつもよりも言葉が弾んでいるように聞こえる。小夜は背筋に冷たいものが走るのを感じた。主催者の望む展開、それは遊戯者の殺し合いだ。しかも、愉快になるということは、複数の殺し合いがあったということに他ならない。

『今日で二人の遊戯者が脱落した。2と24だ。これで残りは八人。しかも少なくとも三組は互いの顔を見知っている。g@meも佳境に入ってきている。今後も引き続きg@meに興じてくれたまえ。』

 主催者の声は途切れた。それと同時に、小夜の心臓は早鐘を打ち始めた。主催者に言われて可能性は事実になった。主催者の意味するところは、同じクラスに属する遊戯者が三組いるということだ。これは好機とも取れるし逆にも取れる。何故なら、三日後にはこの三組の内いずれかは必ず相方を殺さなくてはならないからだ。最大で八日、誰も殺さずに済む猶予が出来る反面、もし誰も動かないということを考えたら、三日後には自ら行動しなければならない。これは駆け引きなどではない。命を懸けたチキンレースだ。そして、小夜が懸けれる、手に掛けれる命は二人分だ。どちらも失しがたいかけがえのない。
「どうしろっていうのよ……!」
 弘美は殺したくない。悟志も殺したくない。でもその選択を強いられる日が遠くない内にやってくる。どちらを取るか。はたまた運を天に任せるか。答えのない葛藤は押し引きを延々に繰り返す。小夜の中の焦燥感は膨れるばかりだ。
 頭を抱えてしばらく黙していた小夜だったが、やがて顔を上げた。いつまでもこうしてはいられない。時間が惜しいのは分かりきったことだ。ならば一秒だって無駄にすべきではない。
「ひたすらに考えろ」
 もしも小夜が知っていることから主催者に辿り着くことが可能であるならば、主催者は小夜の知り合いである可能性が非常に高い。悟志も前に言っていた。主催者は三年ではないかと。ならば、それを前提にして、小夜を中心としてこれまでのことを考えたらどうだろうか。つまり――。
「友達が主催者である、と」
 友達と言っても範囲がまだ漠然としている。ならば、同じクラスの生徒と小夜のよく知る人物にする。これでおおよそ四十人。この中に主催者がいると仮定して、友達を疑っていく。
 まずアリバイだ。事件の起きた時刻には教室には半分以上の生徒が残っていた。しかし、実際の犯行時刻はこれよりもさらに前だ。
「私はあの日いつも通りの時刻に登校した。その時点で学校へ来ていた人のアリバイは成立するか」
 答えは明らかにノーだった。犯行に及んだとされる時間帯が広すぎて絞りようがない。夜に前木を殺して準備を済ませ、朝は平然と登校することだって可能だ。そうなれば、前木殺しに関しては考えるだけ無意味だ。
「じゃあ次はg@meにおけるアリバイ」
 だが、当の小夜が学校にいたため、他の人のアリバイを証明することが出来ない。強いて主催者候補から外せるのは、小夜と悟志と、それから弘美くらいだ。一向に数を減らすことが出来ない。
「悪くない考えだと思ったんだけどなあ」
 小夜は消沈して、一度思考を止めた。時計に目をやると、もうだいぶ遅い時間になっている。重たい腰を上げると、着替えを手に階下へと向かう。焦る心はそのまま足音に表れていた。
 風呂から上がった小夜は、頭の中でぐるぐると人の動向を思い描きながらベッドに潜った。だが、眠りに就くまで考えてみたところで、やはり一人も主催者候補からは外すことが出来なかった。

 翌日、どんよりとした空は変わらず、まだ梅雨の色をしていた。
 いつも通りの時間に目を覚ました小夜は、ご飯を食べて学校へ行く準備をした。その最中でも、頭の中は主催者に関することで占められていた。
 どういう切り口でいけば主催者の正体に近付けるだろうか。小夜は玄関で靴を履きながらぼんやりとそんなことを考えていた。そして、やる気のないいってきますの言葉とともにドアを開けた。そこには、いつも通り驚いた表情の明美が立っていたが、不意を突かれたのは今日は小夜も同じで、二人して朝から素っ頓狂な声を上げてしまった。
「小夜があんな声出すなんて珍しいね」
 登校の道中、明美は朝の一件を思い出し、くすくすと笑いながら小夜をからかった。驚いたのは明美も同じなのだから、そう何度も言及されるのは心外だ。
「もうそのことはいいの! ちょっと考えごとしてただけなんだから」
 強制的に切り上げ、別の話題へと移す。今朝までの思考のわだかまりが嘘のように、今は明美との時間を満喫出来ていた。
 ただ、それが出来たのは学校に着くまでで、授業中は全然集中することが出来なかった。ついg@meのことを考えてしまい、切り替えようとしても直ぐに捕らわれてしまう。小夜は手を動かすことで誤魔化し誤魔化し、授業についていくのがやっとだった。どちらも中途半端にしかこなすことが出来ず、これではあまりに効率が悪かったが、解決方法を見出す前に放課後となっていた。
「はあ。終わるの早かったなあ」
 小夜は帰る支度を進めながら大きなため息を漏らした。今日の一日で進んだことはほぼない。この一日が後にどの程度の重みを持つのかは分からないが、無駄をしていい時期でないことは火を見るより明らかだ。
「小夜、帰ろう?」
 明美に促されて、小夜は席を立った。学校で出来なかった分は家で挽回するしかない。そのためにも、早く帰りたかった。そして、明美との会話に興じていればきっと気分も切り替えられるだろう。そう思い、小夜は笑顔を明美に向けて頷いた。
「今日は小夜、一日中ぼーっとしてたねえ」
 帰り道、明美は開口一番で小夜の体たらくを指摘してきた。明美にも気付かれていたということはよほど呆けていたようだ。
「そんなに分かりやすかったかあ。今日は本当に何も頭に入ってこなかったわ」
「小夜、ちょっと疲れてるんじゃない? 最近暑くなってきてるし」
 明美の指摘はもっともだった。暑さのせいではないが、精神的にはかなり応えているのかもしれない。今は笑って誤魔化すしかないが、早く主催者を止めて全てから解放されたい。その焦りも、また心への重石となってしまっている。
「大丈夫だって。暑くなったらクーラー入れるから」
 笑って誤魔化すことしか、今の小夜には出来なかった。
 帰宅した小夜は、私服に着替えると早速机に向かった。とりあえずやるべきは今日の授業の復習だ。明美との会話でいくらか頭の中がさっぱりとした気もする。この機会を逃すわけにはいかない。小夜は教科書と、辛うじて板書を写したノートを開いた。
 夕飯の時間までに、ようやく復習を終えることが出来た。普段に比べたらそれでも集中力は存分に発揮されたとは言い難かったが、最低限のことは行えた。いつまでも悪く捉えていては気も滅入るし、今はこれで良しとしよう。
「小夜、ご飯よ」
 ちょうど良く、階下から母親の声が届く。小夜は机の上に広げていたものを閉じると、体が空腹に訴えるのを感じながら階段を下っていった。
 食卓には既に料理が並んでおり、湯気とともに美味しそうな匂いが上がっている。小夜は残りの配膳を手伝うと、席に着き夕飯を食べ始めた。
「そういえば豊砂中学で何人か行方不明者がいるみたいだけど、小夜何か知ってる?」
 ご飯の最中、母親が急にその話題を振ってきたとき、小夜は思わず箸で掴んでいた煮転がしを落としそうになった。そうだ、忘れていたが、土曜日のg@meで死んだ遊戯者は、主催者の言葉を借りれば片付けられてしまったので行方不明という扱いなのだ。人数にすれば十二人に及ぶ。それだけの人数が一斉に姿を消せば、当然話題にもなる。
「ううん。知らない。家出とかじゃないの?」
 小夜としては知らない振りを通すしかない。当事者であり、いつ行方不明者になるともしれないが、それを親にばらすわけにもいかない。
「そう。小夜も気を付けなさいね。何かの犯罪に巻き込まれているのかもしれないし」
 母親の言葉にどきりとする。犯罪に巻き込まれる、まさにその通りだ。何の確証もなしに言ったのだろうが、小夜は鼻の奥がつんとするのを感じた。母親は夢にも思わないだろう。小夜がその犯罪に巻き込まれているということに。だから、申し訳なくてならなかった。心配をさせているということを実感してしまったから。
 涙が出てきそうになるのを必死に堪えながら食べる夕食は、優しさと罪悪感の味がした。
 夕飯を食べ終えた小夜は逃げるようにして部屋に戻った。そしてベッドに飛び込むと枕に顔を埋めた。先程まで何とか我慢していた涙が溢れてくる。面と向かって何度もごめんなさいと謝りたかった。だが今はそれは出来ない。だから、枕で声を殺して叫び続けるしかなかった。
 しばらくして落ち着きを取り戻した小夜は、日課となったパソコンの電源を着けた。やることは同じだ。決まりきった動作で、小夜はブラウザを開きg@meのページへと移動する。

Tue. Jul. 2nd 20:00 "the Fourteenth d@y"

 小夜は一つ息を吐くと、リンクをクリックする。ここからはもうg@meの時間だ。また気持ちを切り替えねばならない。クリックしてから数秒後、主催者の声が流れ始める。

『諸君。残り人数が少なくなり互いに特定するのが難しくなってくる頃合いだろう。そこで、明後日の規定日を過ぎたら、次の日から三日毎に一人ずつ、遊戯者の素性をここで公開していくことにしよう。それでまたこのg@meも面白くなってくるだろう。それではこれからも期待しているよ、遊戯者の諸君。』

 声はぴたりと止まり、後には周期的に小さな音が繰り返されるばかりだった。イヤホンを外して、その音が小夜自身の拍音であることにようやく気が付いた。主催者の言葉が耳にこびり付いて離れない。その悪魔のような発想が、小夜の動悸を誘う。
「これは、殺される一人が特定されるだけじゃない……」
 素性を明かされた人物は残った遊戯者全員に狙われることになるが、狙った人物同士が遭遇する可能性も高くなる。そうしたら、一気にg@meは加速しかねない。誰が殺されるか、誰が殺すか、それで様相は大きく異なってくる。
「もう本当に時間がない――」
 小夜は目を瞑り祈るように言葉を漏らした。そしてそのまま、思考を早めた。これ以上主催者の思惑に踊らされてはいけない。
 昨日までの考えではどうしても小夜が知らないことが多すぎる。だから、今度は前提は同じにして、動機の面から考えることにする。つまり、主催者はなぜ前木を殺したか、そしてなぜまだg@meを続けるのかだ。
「とはいえ――」
 小夜自身が前木のことについて知ることが少ない。事件が起きてようやく、前木が今B組であったことを思い出したくらいだ。そこから人に恨まれることが何かあったかなど、思い出せるはずもない。
「そんなに悪い噂は聞いたことないのよねえ。そういえばお兄さんがいたんだっけ」
 前木本人に限らず、親類が恨みを買い、前木がそれに巻き込まれたとしたらどうだろうか。あり得ない話ではないが、三年生に主催者がいるということを考えると可能性は低い。
「ならむしろもっと関係者の輪を広げる、ということも出来るけど」
 例えば、前木の親類が主催者の関係者の恨みを買い、報復として主催者が前木を殺した。だが、そんなことまで考えていたら際限がないし、いくらなんでも無理があるように思える。やはり、前木が直接誰かに恨まれていたと考える方がすんなりと通る。
「それが誰かってことよね。殺されるほど憎まれることって何かしら」
 そうなると、情報を持たない小夜がこれ以上考えたところで、候補者など一人も浮かばないだろう。それならば次に話を進めた方が得策だ。
「どうして主催者は、おそらく本懐である前木を殺した後もg@meを続けているか」
 一つにはもちろん主催者が狂っていて、人が殺し合いをしているところを見ていたいという願望がある、ということが考えられる。だが、小夜にはこれはぴんとこない。前木を殺すことをカムフラージュするためにg@meを始めた主催者が、そこまで狂っているとは思い難いのだ。もちろん、主催者がやっていることは狂気の沙汰であるし、小夜は嫌悪や憎悪こそすれ認めるなどということはしない。ただ、どうにも主催者はフェアであろうとしたり、律儀に毎日更新をしたりと、冷静な部分も見られる。それを踏まえると、ただ狂っているで片付けてしまうのは何かを見落とすことになりそうで、小夜はそう判断することは出来なかった。
「これって、意外と主催者の性格を表していたりするのかしら」
 表面では狂人を演じながら、実はきっちりとしている。それは確かに主催者を連想するには適した人物評かもしれない。だが、それが三年生の誰であるかを考えても、ありふれた性格過ぎて絞りようがない。せいぜい五、六人は明らかに違うだろうと外せるだけだ。
「うーん、これでも三十人以上は残っちゃうなあ」
 他に考えられる理由として、一度始めた手前止めるに止められないということもある。だが、それはあまりにリスクが大きく、現実的ではない。適当に時間が経った段階で終了宣言を出せばいいのだ。
 他にも色々と角度を変えて考えてみるが、どれも決定打に欠けていて説得力を持たなかった。そうなると主催者を絞り込むなど無理な話で、結局進展は無いに等しかった。
「はあ」
 小夜はベッドに横になると天井を見上げた。今までの思考が、g@meの記憶とともに脳裏を駆け巡る。目を開けていても、その情景は天井に投影されていく。
「ん、あれ?」
 小夜の記憶の片隅に何かが引っ掛かった。だが、目まぐるしく駆ける記憶がそれを遥か後方に追いやってしまう。今自分が何に疑問を感じたのか、次の瞬間には分からなくなっていた。
「今何がおかしかった?」
 記憶を遡り一つ一つ確認しようとしたが、思考がそれを邪魔する。一つの記憶に十の思考がまとわり付く。しばらく小夜は天井を見詰めたまま頑張ったが、どうにも結実しなかった。
「今日は無理か」
 そう決めると、小夜はベッドから起き上がった。思考とともに身体も休めよう。
 その後小夜は身支度を済ませ、早々に床に就いた。


 天気予報では明日からまた雨になるらしい。テレビを見ながら小夜は朝食を口に運ぶ。朝起きるのがすっかり普通になってきており、母親はどこかつまらなそうにしている。娘の成長に何の不満があるというのだろうか。
 制服へと着替えながらも、小夜はずっと昨晩のことを考え続けていた。いや、思考は必要ない。記憶を手繰り寄せていた。たった一つの記憶の欠片を拾い上げることが出来れば、大きな進展があるはずなのだ。ボタンを掛け、鞄を手にした小夜は、玄関へと向かった。
「いってきまーす」
 気の抜けた声でそう言うと、小夜はドアを開ける。そこには明美がいて、また驚きに目を丸くしている。そう、ここからは日常だ。思考も記憶もいらない。いつもの小夜に戻らなくてはならない。
「もう、いい加減驚くのやめなって! いつものことでしょ」
 小夜はいつも通りに明美に笑い掛けた。
 学校までの道中、会話が途切れることはなかった。テレビの話もしたし、勉強の話もあれば、天気にも話題は及んだ。際限なく溢れる話題は、二人の間に絶えず笑顔を生み続けた。気付けば、学校はもう目の前に迫っていた。
 授業までの時間は、美代を加えた三人でさらに会話に花を咲かせることになった。しかし、いざ授業が始まると小夜の頭はもうg@meに戻っていた。もちろん古文の長岡先生が黒板に書くことはノートに取ってあるが、それは手を動かすだけだ。頭は別のことに回せる。だから小夜は記憶を遡る。一日一日、漏れがないように慎重に記憶の糸を辿っていく。それは二時限目の英語になっても同じだった。耳を斉藤先生の発音の良い英語が素通りしていく中、小夜の頭の内では経験したことがフラッシュバックしていく。
 そして、それは唐突にやってきた。
「あ」
 小夜は思わず声を上げてしまい、慌てて口を塞いだ。幸運にも先生には気付かれなったようだ。だが、小夜にとってはそれどころではなかった。今自分が気付いたことが何を意味するのか、小夜自身掴み切れていなかった。にわかにはとても信じられなかった。
 まだこれが本当なのかどうかも分からない。だから確かめる必要がある。小夜は止まらない動悸を抑えることも忘れ、その後の時間をただ呆然と過ごした。
「小ー夜っ! お昼食べよ」
 美代が小夜の下へやってきたのは、もちろん四時限目が終わり昼休みに入ってからだ。三限目が地理だったのは覚えているが、四限目が何の授業だったか、小夜はまったく思い出せなかった。それほどに意識が授業の外に向いていた。
 美代の言葉にようやく意識を現実に戻した小夜だったが、昼休みにはやらなければいけないことがある。小夜の記憶に基づく推論が正しいものであるかどうかを確かめないといけない。
「あーごめん。ちょっとやんなきゃいけないことあるんだ。もしかしたら戻ってくるかもしれないけど、先食べてて」
 小夜は席から立ち上がると、手を立てて美代に謝った。そうして直ぐに教室を後にする。確かめるべきこと、聞くべき相手、質問の内容――全て考えてある。小夜は一階へと向かった。
 扉の前に立った小夜は深く息を吐いた。職員室には何度も来たが、ここまで緊張するのは初めてかもしれない。いや、前に四人の遊戯者が殺されたことを吉井先生から聞いたときにもひどく緊張していた。けれどもあれは悟志と一緒だったからだし、今の緊張とは意味が違う。
 そんなとりとめもないことを考える内に、いくらか緊張もほぐれたようだ。小夜は小さく息を吐くと、ドアをノックして中に足を踏み入れた。訪ねるべき相手は一人だ。
「すみません。吉沢先生はいらっしゃいますか」

 五限目になり、小夜は上の空で授業を聞いていた。向かう意識の先には当然g@meがある。小夜の疑念は一つ確信へと変わっていた。これで主催者が誰であるかはおそらく特定出来た。ではこれからどうするかだ。主催者を止める方法はもう一つと言っていいだろう。警察などの公的機関に判断を委ねるのだ。それで全てを終わらすことが出来る。だが、今小夜が握っているのは状況証拠だ。それだけでは主催者を追い詰めることは出来ない。それに何より、小夜の心が迷っていた。自分の行動が正しいことに疑いはない。しかし、あれだけ希った日常が手の届く範囲まで近付いているというのに、どうしても割り切れない部分があるのだ。
 小夜は頭の中で起こすべき行動と考えを整理した。そして、行動を取らざるを得ないことに気が付く。それこそ疑いようもなかった。
 となれば、物的証拠を得なくてはならない。言い逃れの出来ない、決定的な証拠という物を。小夜は授業そっちのけで考え始めた。主催者が自ら行動を起こしたそのときが好機だ。そのチャンスはいつ訪れるだろうか。いつ作ることが出来るだろうか。そう考えたとき、小夜は最初から薄々その方法には気付いていた。ただ、選択肢に挙がらないように無意識に排除していただけだ。だがやると決めた以上、小夜がやらなければいけないことは決まっている。
 小夜が自身の手で誰かを殺さなければならない――。
「最後の最後でこんな……」
 押し殺しても漏れ出た声は、しんとした教室においても誰にも聞こえないほど小さかった。誰にも気付かれない、気付かれてはいけないということを、クラス全員から諭されているような気がした。
 遊戯者が誰かを殺したとき、主催者はカードの発信器を頼りに自ら確認に赴く。証拠を得るチャンスはそのときを除いて他にはない。小夜が考えないといけないことは、では誰を殺すかだ。候補は二人。遊戯者の内身元が割れている、兼森悟志と金本弘美だ。どちらであれば成功率が高いか。感情を交えないように考えはするものの、やはりこの方法は取りたくないし、どちらかを選ぶなんてことも出来ない。理性を感情が打ち負かしている。こんな気持ちのままでは、成功するものもしなくなる。
 悶々と、しばらく小夜は迷い続けた。答えの出ない堂々巡りの迷いに、やがて小夜は考え方を切り替えることにした。成功により救われるものの方が大きいと。それは自己暗示にも等しいだろう。それでも、小夜の心の中で縺れていた思考と感情は徐々に解れていき、やがて決意という新たな太い糸が撚れ始めた。揺れ続いていた天秤は、今や片側にしか傾かない。小夜の瞳には強い光が浮かんでいる。
 救おう、全てを。
 だから、殺そう、兼森悟志を。
 小夜の決意を鼓舞するかのように、五限目終了のチャイムが鳴り響いた。
 休み時間の内に、小夜は悟志に呼び出しのメールを打った。理由は何とでも言える。そして、六限目の間に悟志からはオーケーの返事が来た。もうこれで思い止まることは出来ない。これからの行動を考えているだけで、授業はあっという間に終わってしまった。
「小ー夜。帰ろう?」
 放課後になり明美が小夜の下までやってきた。だが、小夜はまともに明美の顔を見ることが出来なかった。g@meを終わらせるため、平穏を取り戻すためとはいえ、これから主催者の物証を得るために悟志を殺そうとしているのだ。どんな笑顔を浮かべて一緒に帰ればいいというのか。そこまで気丈に振る舞える自信は小夜にはなかった。
「ごめん、明美。私今日は大事な用事があるから急いで帰んないといけないんだ」
 そう言い置くと、小夜は手早く荷物をまとめると逃げるようにして教室を後にした。嘘は言っていない。だが本当のことも言っていない。今のこの関係が、小夜には胸が張り裂けそうになるほど辛かった。
 小走りに家路を急ぐ小夜は、肌に冷たいものが当たるのを感じた。見上げると、どうやら雨が降り始めたようだ。天気予報では明日からのはずだったが、小夜にしてみれば都合が良い。状況としては4――悟志の弟を殺したときと同じだ。悟志を呼び出した場所も例の小山だ。何から何まであのときと同じようで、小夜の胸は痛む一方だった。
 帰宅した小夜は手早く着替えると、クローゼットから拳銃を取り出した。悲しいことに慣れてしまった手付きで銃弾を装填する。今回は不慮の事態が起きることはあまり考えられないので弾数は必要ない。念を入れて二発だけ弾倉に積めた。それから一つ息を吐いた小夜は、立ち上がり部屋を出た。
 小山までの十分の内に雨は普通降りになっていた。傘を差してぬかるんだ山道を行くのは大変ではあったが、山の中腹辺りに人影を見付けたときには思わず胸が高鳴った。間違えるまでもなく、それは悟志だった。
「早いね」
 何食わぬ顔で小夜は悟志に声を掛けた。見れば悟志は制服姿だ。ということは学校から直接来たのだろう。
「桜井の方こそ、一回家に帰ったのに早かったね」
 曖昧に頷いた小夜は、悟志を伴って歩き始めた。今日悟志を呼び出した理由は、弟が亡くなった場所に連れていく、ということにしてある。だからこそのこの小山だ。
 小夜の足は勝手に進んでいた。考えなくても、自然と身体がその場所を目指している。道を行く間、二人とも声を発することはなかった。今後のことを考えたら会話など出来ようはずもない。
「ここ、だよ」
 小夜が立ち止まったのは、道を外れて森の中に少し入ったところだ。そこには何の痕跡も残されてはいなかったが、間違いなかった。小夜の指差すところへ、悟志はふらふらと進んでいく。単に雨で足元がぐずついているせいというわけではないだろう。小夜は悟志の背中を見詰めながら、拳銃を取り出した。
「ここで雅也は死んだのか……」
 少しだけ震える声で悟志は呟いた。その声はあまりに感情を表していて、小夜は思わず拳銃を握る手の力を緩めてしまいそうになった。だが、直ぐに自分のやるべきことを思い返し、拳銃を持ち上げて銃口を悟志の方に向けた。
「悟志くん、両手を挙げてこっちを向いて」
 小夜は傘を持ち直して悟志の行動を見守った。ゆっくりとした動作で、悟志は小夜の方を向く。両手を塞がれながら、悟志は胸元まで手を挙げた。
「これでいいのかな?」
 小夜は慎重に悟志に近付く。ここで外すことがあってはならない。よく狙いを定めて引き金に指を掛けた。
「ごめんね。後は任せたよ」
 小夜はそう言って、人差し指に力を込めた。深緑に銃声が木霊するその前、悟志が小さく頷いたように見えた。
 反動で痺れた手を下ろすと、小夜は悟志に背を向けた。これ以上、この場に長く留まることは出来ない。後は全てが終わってからだ。
 雨足が強くなる中、小夜は明日のことを考えて家路を急いだ。
 帰宅した小夜は、そのまましばらくぼうっとしていた。家に着いたのは五時を少し回るくらいだったが、気付けばもう夕飯の時間になっている。
 のろのろと階下に降りた小夜だったが、その心はしかし消沈してはいなかった。身体にだるさはあるものの、g@meを終わらせるのだという強い意志が心に満ちている。最後の正念場はこの直ぐ後に控えている。今はそのために英気を養っているというのが感覚的には正しいのだろう。
 そんな状態だったため、夕飯の献立も何があったか分からないままに小夜は食事を終えていた。まだ八時までに時間はあるが、机の前に陣取りパソコンを着けて待機している。
「あとやらないといけないことは……」
 小夜は頭の中でのシミュレーションを幾度となく繰り返した。万が一失敗出来るところはどこで、それを挽回するにはどうすればいいか。また、絶対に失敗出来ないところはどこか。そう考えていく内に、規定の時間まで間近となり、小夜は意識をパソコンに向けた。

Wed. Jul. 3rd 20:00 "the Fifteenth d@y"

 いつも通り更新がある。小夜は緊張でマウスカーソルを小刻みに揺らしながら、リンクをクリックした。
 イヤホンから主催者の声が聞こえる。耳に馴染んだ、慣れない音。だがどうしてか今はそれに聞き覚えがあるような気さえする。

『今日も実に良いことがあった。天気は晴れないが、私の心には晴れ間が見えているようだ。』

 饒舌な口上に、小夜は自分の企みが上手くいったことを悟った。これならば次に出てくる言葉は、きっと遊戯者のことだろう。

『今日も一人の遊戯者がg@meから脱落した。死亡したのは25だ。これで残りは七人。最後まで生き残りを懸けて頑張ってくれたまえ。今日の更新は以上だ。』

 主催者の声はそこで沈黙した。今の主催者の言葉のいくつかから、小夜は確信を得ていた。明日には全てが終わるのだと。それと同時に曇りも現れる。明日には全てが終わってしまうのだと。
 明日に備えて、というわけではないが、小夜は早めに寝ることにした。今日考えないといけないことはもうない。明日はおそらく色々と精神的な戦いにもなる。英気を蓄える必要は充分にあるだろう。
 とりあえず宿題や時間割りの準備だけを済ませると、小夜は早々にベッドに入った。頭の中で渦巻く様々な感情が、ゆっくりとその動きを停めていった。

 昨日降った雨のせいか、今日は曇り空となっていた。
 目覚ましに助けられる前に目を覚ました小夜は、カーテンを開けて重たい空を見上げた。小夜の心持ちとは真逆とも言えるような空模様だ。今の原動力が何か、小夜自身も説明することは出来そうにもないが、今日で終わらせるという思いだけは際限なく湧いてくる。昨夜あった靄はわざと考えないようにして、その先の明るい未来だけを見据えている。
 一階で朝食を摂っている間も、身支度をしている間も、小夜は今日のこと、それから明日以降のことを考えていた。この二週間余りで起きた悪夢のような出来事は今後どのように小夜の生活に影響を与えるだろうか。栓方ないことを考えている内に、もう約束の時間だ。明美が待っている。昨日はつれない態度を取ってしまったが、今日も今日でいつも通りのやり取りは出来ないかもしれない。
「いってきます」
 小夜はそう言うと、玄関のドアを開けた。そこにはいつも通りの明美が、立って目を丸くしていた。
「あれ、小夜、傘持ってないの?」
 歩き始めて直ぐに明美は手ぶらの小夜を見てそう言った。
「あ、うん。昨日雨降ったし、今朝の天気予報だと一日曇りだって言ってたから大丈夫かなって」
 小夜が答えると、明美は間延びした相槌を打った。どうも上手く会話が噛み合っていないように思える。普段ならここからいくらでも会話を広げることが出来るのに、小夜も明美も次の言葉を発することはなかった。やはり、小夜の内面が態度に現れてしまっているのだろうか。今までは何とかなっていたのに、これで最後だと思うと力が入ってしまうのだろうか。
「小夜、どうかした?」
「え?」
 道中の半分ほどをぽつりぽつりとした言葉のやり取りで過ごしてきた頃に、明美は小夜に問うた。
「ちょっとぴりぴりしてるっていうか、肩に力が入ってるように見えるよ? 何かあったの?」
 図星を突かれた小夜は、返す言葉を失いしばし黙した。どう返すのがいいだろうか。おそらく色々と理由を付ければ明美は納得してくれる。だからその理由さえ適当に見繕えばいいのだ。だが、何故か今の小夜にはそれが出来なかった。理由が分からないのだ。
「ああ、うん。そうね。ごめん。ちょっと今日は気分が優れなくて」
 それだけを言うのが精一杯だった。やはり長年付き合っているだけあって明美には簡単に看破されてしまう。こういうときにこそ友達の偉大さを知る。
 明美は、小夜がそう答えると、声を弾ませて会話を再開した。それが小夜を励ますためのものだと知り、小夜はなおのこと胸に痛みを覚えた。
 学校に着いた小夜は、まず最初に携帯を取り出してメールを打った。もちろん主催者を呼び出すためだ。文面にはそのようなことは出さないが、おそらく相手も薄々感付きはするだろう。それでも無下に断ることは出来ないはずだ。
 そうして授業が開始する直前、了解のメールが返ってきた。

 放課後になるまで、小夜は普通通りに授業を受け、いつも通りに昼御飯を食べ、日常のままに明美と美代とバカ騒ぎをした。
 小夜はしばらく教室で勉強をして過ごした。時たま窓の外に目をやると、今にも雨が降り出しそうな色をしている。今朝明美の言っていたことは正しいのかもしれない。小夜は机に視線を戻すと、問題を解く手を再び動かし始めた。
 そうして教室に小夜を残して誰もいなくなった頃、教室の戸を開ける音に小夜は視線を上げた。ようやく、そのときが来た。
「ごめんね、急に呼び出して」
 その人物は戸口で少し迷う素振りをした後、小夜の席まで近付いてきた。そしてそのまま、小夜の前の席に腰を下ろした。
 小夜は手を動かしながら、眼前の人物に注意を凝らした。いつもと変わらぬ様子で、小夜の方を見ている。小夜は小さく息を吐くと、ペンを置きその人物に相対した。
「雨降りそうだねえ」
 小夜はそう言って、顔を窓の方に向けた。小夜につられてその人物も窓に目を向けると頷いた。小夜は心を固めると、真実へと踏み込むための言葉を発した。
「――私ね、一つ気になってることがあるの」
 小夜は真っ直ぐに窓の外に視線を据えながら呟いた。だが、意識の片隅では隣の人物も窓の方を見ていることを確認している。
「六月十九日に前木が死んだ日、彼はこの窓を上から下に落下していった」
 小夜が言い終わるが早いか、窓の外を何かが落下した。ある程度の大きさ――それこそ人間大のものが落ちていった。それが何であるか、それをはっきりと断ずることは、事前に知っている小夜でさえも視覚だけでは難しい。
「ねえ、今落ちてきたものの側面には絵が貼ってあったんだけど、何が描いてあったか分かった?」
 小夜は身体を回してその人物と向き合った。目を丸くし、黙ったまま首を横に振る相手に、小夜は糾弾の言葉を突き付けた。どうして今こういう状況になっているのか、小夜自身理解することは出来ていない。それでも続けなくてはいけない。全てを救うために。
「でも、六月十九日には落下してきたのが前木だって分かったんだよね、――明美?」
 黙ったまま小夜の目を見詰める明美に、小夜は追及の手を伸ばし続ける。
「物理の吉沢先生に聞いたんだけど、屋上から落とした物体が窓の上から下まで落下するまでに掛かる時間はおよそ〇・二秒なんだって。たとえ窓に意識を凝らしていても、何かが落ちてくると分かっていても、そんな短い時間にそれが何であるか分かるなんて、私には信じられない」
 小夜は少し間を空けてから話を続ける。もしかしたら、小夜の声は震えているのかもしれない。話しながら、小夜は言葉に感情が乗ってしまっているのを感じていた。
「なのに、明美はそれが前木だと分かった。それは、あの時間に上から物が降ってくることを知っていて、それが前木であるということを知っていたからでしょ? つまり、明美が前木殺しの犯人ということ。そしてそれはつまり、主催者が明美であるということに他ならない」
 犯人しか知り得ない情報を明美が知っていた。だから犯人は明美である。そして、g@meのルールを破り遊戯者を殺せるのは主催者だけ。ゆえに前木殺しの犯人は主催者であり、明美である。小夜の論理は筋が通っている。
 小夜は明美から視線を逸らさず、明美の答えを待った。視線を逸らすことなど出来なかった。小夜の心の中ではこれが間違いであってほしいという思いがまだ微かにではあるが残っていた。その可能性が塵ほどもない希望的観測に過ぎないということを理解はしつつも。
「……小夜、何を言ってるの? 私がg@meの主催者って何のこと?」
 明美の言葉に小夜は小さく嘆息を漏らす。どうしてそのようなことを言ってしまうのだろう。問い詰められているのは明美なのに、小夜の方が追い詰められている気分になる。あるいは、明美はこの状況を望んでいたのだろうか。小夜は新たに出てきた状況証拠に刃を立てた。
「明美、私からも質問いい? g@meって何? 私は主催者としか言ってないけど。何で明美がg@meのことを知ってるの?」
 明美が息を飲む音が聞こえた。これ以上の弁明がなく、しかし自分が犯人であると認める気がないのなら、次に主張することは一つしかない。
「――今小夜が言ってるのは、私が前木くんを殺した犯人である蓋然性が高いらしいということだよね? それだけじゃ私が本当にやったことの証拠にはならないよ」
 小夜の予想通りの反応に、小夜は奥歯を強く噛み締めた。その主張のことごとくが自分で主催者だと認めているようにしか聞こえない。それでも、明美が最後まで断罪されることを望むのなら、小夜は続けるしかない。決定的証拠を出せと言うのなら、出すまでのことだ。
「昨日、主催者は25が脱落したと言ったわ。でもどうやって25の死亡を確認したのかしら?」
 あの場所には悟志の遺体などありはしなかったのに。明美はその一言で全てを悟ったようだ。あの現場に残されていた物、先程物が落ちてきたこと、そして小夜の迷いのない真っ直ぐな視線。それが意味することを推察することは容易だ。
「まさか――」
「そのまさかだよ」
 教室の後方からの声に、小夜と明美は同時に振り向いた。そこには何食わぬ顔の悟志が立っている。悟志は二人に近付きながら口を開いた。
「昨日、遊戯者としての25は死んだけど、僕は生きている。あのとき桜井が撃ったのはカードだけだ。小細工で血痕を付着させはしたけどね。遊戯者が二人で人目に付かないところに行き、直後に一人の発信器の反応が消えたら主催者はどう思うか。殺し合いがあったと考えて確認に行く可能性は非常に高い」
 小夜と悟志にとって一番大きな賭けだったのは、カードを破壊しただけで主催者がその遊戯者の死を認めるかどうかだった。だがよくよく考えて、遊戯者を死の恐怖で縛るためのカードを破壊するということは、普通の遊戯者なら絶対にしないのだ。それをしたということは死亡したと、主催者が判断するのも無理はない。賭けではあったが、決して分の悪いものではなかったのだ。
 悟志は二人の視線を集める中、ある物を手に掲げた。それは複数枚の写真だった。明美が写っているものや、明美の部屋の様子を写したものがある。
「それで、遊戯者として死んだ僕は冨田の行動を監視した。あの小山に来たことも、そこで僕のカードを回収したこともこの目で見たし、写真にも収めてある。そして今日冨田が授業を受けている間に、冨田のお姉さん――里美さんに許可してもらって冨田の部屋を見せてもらった。そこで何枚かの遊戯者のカードを見付けた。この写真がその様子を写したものだ。これは決定的証拠と言うに足る物証なんじゃないかな?」
 悟志の言うそれは決定的証拠にはなり得ない。いくら里美さんの許諾を得たとしても、証拠の写真でしかないからだ。だが、明美を追い詰めるための切り札にはなり得る。
 小夜が視線を明美の方に戻すと、明美は下唇を噛み締めていた。その表情にはだがしかし、哀愁のようなものが窺えた。
 しばらく黙っていた明美は、やがてふっと表情を緩めると清々しい微笑を浮かべた。この場面でその表情が出てくる理由が小夜には分からなかったが、明美が口を開こうとしていたのでその疑問は飲み込んだ。
「これだけ用意周到にやってきたってことは、言い逃れる術はなさそうだね。
――そうよ。私がg@meの主催者よ」
 明美の自供に確信を持っていても小夜は信じられなかった。何より聞きたいのはその動機だ。小夜は思わず口調を荒げていた。
「どうして! なんで明美がこんな殺人ゲームの主催者にならなきゃいけなかったのよ!」
 小夜はそれ以上言葉を続けることが出来なかった。自分の感情が全て表に出てしまいそうで、それなのに明美が辛そうな顔をしていてそれを許してくれなかったのだ。だから、どうして明美がそんな表情を作っているのか。
「前木純が動機かい?」
 小夜の言葉を継ぐように悟志が代わりに明美に質問をした。g@meの始まりの殺人。遊戯者に課せられたルールを外れて犯された事件に、小夜らはそれが主催者の仕業だと推理した。そしてそれが事実だとすれば、主催者の真の目的は前木純を殺すことだと考えた。
「……うん。私は前木が憎かったの」
「一体どうして」
 絞り出すように小夜は明美に質した。長年付き合ってきた小夜ですら、明美と前木の間に深い交流があったことなど知らない。だからその理由は皆目見当が付かなかった。
「私のお姉ちゃん――里美お姉ちゃんじゃなくて、もう一人のお姉ちゃんがね、前木純のお兄さんと付き合ってたの」
 小夜は明美には二人姉がいることを思い出した。里美さんの方とは会ったこともあるが、もう一人の姉に関しては何も知らない。その明美の姉がここで出てくるなど、誰が想像出来ただろうか。いや、小夜自身、可能性としては挙げていたのだ。主催者の関係者と前木の親類との間に何かあったのではないか、と。
「でも、私のお姉ちゃんは前木の兄に殺された」
 え、と言葉を挟むことも出来なかった。何があってそのようなことになってしまったのだろうか。小夜は明美の語ることに耳を傾けることしか出来なかった。
「心中に近いものだったのかもしれない。前木の兄も直ぐに死んじゃったから。でも、私は許せなかったのよ。お姉ちゃんを巻き込んであまつさえ殺した前木の兄を。その家族も、全員」
 言葉の断片からでは、そこにあった全容を推し量ることは出来ない。ただ、それで殺人まで犯そうと思ったからには、明美はその姉のことを心底慕っていたのだろう。
 前木を殺したことについては理解出来る。納得は出来ないし、行動にするべきでもないとは思うが、それでも動機については理解出来る。だが、その後となると話は別だ。小夜は喉に物がつっかえるような感覚を抱きながら明美に尋ねた。
「じゃあ、なんで前木を殺した後もこんなことを続けていたのよ?」
 小夜の問いに明美は黙って俯いた。何かを言おうとしているが、それは声になる前に明美自身で飲み込んでしまっているようだ。
 やがて諦めたように明美は口を開いた。その表情にはいっそうの哀感が浮かんでいる。
「私もね、分かんなくなっちゃったのよ……。前木を殺したその段階で、私の中で何かが壊れちゃって、もうどうにも止められなかった」
 人を殺したことのある小夜には、その感覚が分からないでもなかった。人を殺すことは自分をも殺すことに繋がりかねない。小夜はぎりぎりのところで思い止まれたが、明美はそうではなかったのだろう。それを思うと、強い言葉で糾弾することは出来なかった。ただ、自分にも明美のために何か出来ることがあったのではないかと、自分を責める気持ちが湧いてくるだけだ。
 そのとき、外で音がしているのが聞こえた。それは周期的な音を鳴らして、徐々に近付いている。小夜と悟志は互いの顔を見ると、小さく頷いた。
「警察、呼んだんだね」
 明美はそう呟くと、自ら教室を出ようと立ち上がった。小夜もそれに従い、一階までついていく。階段を降りていく間、小夜は掛ける言葉を見付けられなかった。まだ気持ちの整理が付いていないから明美のことを考える余裕がないのだ。
 玄関口に現れた警察官に事情を説明する役目は悟志がやってくれた。そして明美を引き渡すときになり、明美は小夜の方に向き直った。
「小夜、ごめんね。こんなことに巻き込んだりして。それからありがとう。私を止めてくれて」
 小夜は否定することはしなかった。小さく頷き、ようやく言うべき言葉を見付けることが出来た。
「――いつまででも待ってるから」
 g@meは終わったのだ。あとは明美が日常に戻って来るのを待てばいい。小夜の言葉に明美の瞳が湿った。だが明美は首を横に振るだけだった。それ以上は言葉にならなかった。

 明美がパトカーに乗せられるのを、悟志と並んで見ていた小夜だったが、全てが終わったというのに心には一部の晴れ間も見えなかった。折しも、ぽつりぽつりと雨が地面を叩き始めた。
「悟志くん、これで全部終わったんだよね?」
「うん。主催者を止めることは出来たんだ。拳銃とかカードとか、片付けないといけないことはまだあるけど、g@meはもう終わりだ」
 明美を乗せたパトカーがゆっくりと走り出す。徐々に小さくなっていく白と黒の乗り物を、小夜はぼんやりと見詰めていた。
そのとき、小夜は思考に急速に浮上してくるものを感じた。悟志の言葉の何かが引っ掛かった。この数日で記憶を遡り続けた小夜にとって、その答えを得るのはひどく容易かった。一つの可能性が小夜の脳内で明滅を始める。
「まさか――」
 以前、悟志が言っていたではないか。拳銃なんて物、中学生がそう簡単に手に入れられる代物ではないと。であれば、一体誰が明美に拳銃を、それも三十丁も用意したのだろうか。小夜は冷たいものが全身に流れていくのを感じた。こんなことがあって良いのだろうか。小夜は血相を変えて悟志に振り返った。
「悟志くん! まだ終わってない! 少なくとも明美をバックアップした人物がまだいる!」
 急に顔色を変えた小夜を驚きの顔で迎えた悟志だったが、直ぐに小夜の言わんとしていることを察したようだ。驚愕の表情に込められた意味が、にわかに変わった。
 その瞬間、巨大な爆発音がした。小夜と悟志が視線を前方に戻すと、先程出発したパトカーがどす黒い煙を上げて炎上している。それが示す意味を、小夜は呆然としながらも確かに感じ取っていた。いつの日にか、再び明美と一緒に迎えられると思っていた未来が、真っ黒に塗り潰されてしまった。新たな絶望が、そしてさらに巨大な絶望が、鎌首をもたげている。明美の始めたg@meは終わったが、g@me自体はまだ終わっていない。
 雨が強くなる中、小夜と悟志は敗北感と絶望にただ立ち尽くすことしか出来なかった。


「このg@me、私の勝ちのようだな」
 そう言って、老齢の男性が机の上に積み上げられた大量のチップを手元に引き寄せた。
「動機と手段を与えてg@meをけしかけるところまでは良かったが、幾分冗長になってしまったな」
 口髭を蓄えた別の老人が苦い様子でそう呟く。
「所詮は子供のすること、高望みはよくなかろう」
 また別の男性が、満悦そうに椅子に背を預けた。
 ここは、人の生死をも享楽のために賭けの対象にする世界。その中で巨万の富と権利を持つ老人達はg@meに興じている。
 老人の一人が、チップを机上に置きながら威厳のある声で言った。
「さあ、それでは次のg@meを始めようか……」


 この世は全てゲームだ

 傍観する者がいて

 遊戯する者がいる

私と彼の懸命遊戯(将倫)

書き始めたのは2007年7月で完成したのが2013年9月です。だらだらやってたら6年もかかってました。
このときの原題は「g@meⅡ」でした。結構毛色は違いますが、もちろんⅠもあります。
東野圭吾原作の映画に「g@me.」というものがあるのを知り、投稿するにあたりタイトルを改変しました。

私と彼の懸命遊戯(将倫)

豊砂中学校に通う桜井小夜の下に届けられた不思議な郵便物。その中には一丁の拳銃が入っていた。主催者によって訳も分からないまま殺人ゲームの遊戯者に選ばれてしまった小夜は、g@meに生き残るために独りきりで戦いを始める。

  • 小説
  • 長編
  • 青春
  • サスペンス
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-02-21

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 第一部
  2. 第二部
  3. 第三部